まぼろしの行く道 彷徨うものたちの夢路3


1 :西 :2007/03/19(月) 21:56:10 ID:ocsFWDxJ

「まぼろしの行く道 彷徨うものたちの夢路」をご覧いただきありがとうございます。
この小説は瑞希玲さんと私、西の二人で書かせていただいているリレー小説です。
このたび、旧小説広場から新しい小説広場へ移行することになりました。
したがってこれから更新していく話は以前からの続きとなります。

前回までのあらすじ。
 ノルン教団の退魔士の少女ユスラは妖精の取り替え子であり、『全てを見通す』緑の瞳
と妖精の魂を持っている。彼女は人間の器が妖精の魂に耐えられる限界も近いと感じ、追
放された故国へと帰るため、そして取り替えられた『本当のユスラ』を探すため、妖精国
への道を探し始める。その途中、数百年その姿のまま生きているとも噂される冷徹な魔術
師トウゼと出会い、ユスラは惹かれはじめるが……。
 二人の主人公ユスラとトウゼ、そして彼らを取り巻く、ユスラの相棒で育ての親の変態
ロリコン司祭メノウ、その上司で預言者の息子の女好き腹黒長ラナン、最近スカウトされ
てきた盲目の元予知能力者のなよなよユーインなどなど、そんな人々の物語。

「まぼろしの行く道 彷徨うものたちの夢路 1」
http://jan.sakura.ne.jp/〜colun/gaia/novel/05100036.txt
「まぼろしの行く道 彷徨うものたちの夢路 2」
http://jan.sakura.ne.jp/〜colun/gaia/novel/06050063.txt

二人の主人公ユスラとトウゼの、ユスラサイドを玲さんが、トウゼサイドを西が書いてい
くというのが基本になっています。
まだまだ先は長いですが、これからもよろしくお願いします。


2 :西 :2007/03/19(月) 22:08:28 ID:ocsFWDxJ

*謝罪と補足*
どうしてもリンクを正確に貼ることができませんでした;
申し訳ありません。
アドレスの「〜」の部分を半角に直して直接入力してください。
よろしくお願いします。


3 : :2007/03/20(火) 20:01:29 ID:rcoJVemH

「まぼろしの行く道 彷徨うものたちの夢路1」

http://jan.sakura.ne.jp/~colun/gaia/effort/05100036.txt
「まぼろしの行く道 彷徨うものたちの夢路 2」

http://jan.sakura.ne.jp/~colun/gaia/novel/06050063.txt
 で以前のお話が見れます。
 今回は「3」になります。
 前記のリンクがはれなかったようですので訂正しました。
 どうぞよろしくお願いいたします。


4 : :2007/05/07(月) 20:39:50 ID:rcoJVemH

FIariy site 夢の行方 7 前編

 頭が痛い、と感じたのは、暫くしてから、そしてその原因は雑踏の中で見かけたあいつ。
 長い黒髪をあいつはしていた。夜の色の瞳をあいつはしていた。
 遠い瞳で青い空を見るその眼差しは、昔のままだった。
 遠い記憶の残滓が……そこには存在した。

「待ちやがれ!」
 俺が走り出すと、連れの魔術師がけげんそうな顔で俺を見る。
 雑踏の中で見かけた姿、それは『あいつ』だった。
「待ちやがれ、ガンガナー!」
「ユスラ」
「トカゲ魔術師、俺はあいつを追いかける。またあいつだ……」
 長い黒髪をあいつはしていた。俺は必死であいつの後姿を追いかける。
「待て、ガンガナー!」
 俺が走り出すと、にゃうう、と一つ鳴いて、太った黒猫が走り出し、俺の後に続く。
 俺は物凄く走りにくい衣服の裾を持ち上げ走る。長い黒髪が風に靡くのが鬱陶しい。
「待てといっているんだ、ガンガナー!」
 俺が走り出すと、トカゲ魔術師も後に続く。どうにもこうにも俺の考えがよめないが、放っておいたらまた迷子になるから鬱陶しいとでも思ったのだろう。
 雑踏の中、追っているやつの黒いローブが舞う。
「待て、待ちやがれ……ガンガナー!」
「……ユスラ」
「違う、イーディリアだ。リアだよ。俺は!」
 俺は雑踏をかきわけ走った。すると太った黒猫が、「うみゃあ」と警告するようにまた鳴く。
 オモイダシテハダメダ……警鐘が頭に鳴り響く。
 ダメダダメダ……という警鐘が頭を支配する。
 頭痛がする。頭が痛い。駄目だ、思い出すな、思い出すな、思い出すな。
「……アレイスタ!」
 呼ぶな、という警鐘が頭に鳴り響く。駄目だよ。思い出すな……と頭の中で何かが呼びかける。
 白い手が俺に差し出される映像が、頭に甦る。
「駄目だ、思い出すな」
 警鐘が頭の中で鳴り響き、そして太った黒猫が雑踏の中長い黒髪をした青年へと姿をかえた。
 彼は痛ましげな瞳をしていた。悲しい笑みをしていた。
 そして彼は雑踏の中、走り抜ける黒い影を睨みつけた。
「……イーディリア、思い出しては駄目だよ」
「……カルナ……」
「駄目だ、まだ『駄目だよ』。イーディリア」
 カルナ、と俺は名を呼ぶ。青年は悲しげに笑う。痛みを含んだそれは笑みだった。
 俺が倒れるのを彼が受け止める。周りの人間は目を丸くして、黒猫が姿を変えた様を見ている。
「……逃げたようだね、ガンガナーは」
 思い出してはいけないよ。と頭の中で誰かが叫ぶ。
 とてもそれは綺麗な声だった。でも何処か悲しい声だった。
「……お前達」
「目立ちたくないっていっていたのに、ごめんね。トウゼさん」
 痛みを含んだ瞳をカルナはトウゼを捉えた。そして彼は『場所を変えようか』とトウゼに声をかける。そしてそれが俺が意識を保っていた……最期に見た光景だった。


「……頭痛がする」
「……『ユスラ』の方の意識が封じられたようだね。ガンガナーに」
「俺たちは同一のものだ。カルナ」
「同一だからこそ、一方だけを封じられるのは痛いことだよ。早くなんとかしないと」
 俺は『あいつ』の気配が感じられないのを自覚していた。
 宿屋の一室で、困ったような顔でカルナは俺を見ていた。
 ベッドの上に寝かされていた俺は、身を起こす。
「カルナって呼ばれるのも久しぶりだね」
「……お前さ、どうして猫の姿しているわけ。いつもは」
「いやなんと言うか女の子受けするから? 可愛いって」
 冗談交じりの台詞をカルナは吐いた。ルビー色の瞳が何処か丸っこくなってそうすると可愛らしい印象がある。
 長い黒髪がさらさらと風に舞っていた。
 何処か泣き出しそうな笑顔をカルナは俺に向ける。
 女のように整った顔をしている青年、少しだけトカゲ魔術師よりは年下に見える。
「ガンガナーめ、アレイスタの姿なんてとりやがって!」
「……君の意識を霍乱するには必要だったようだし、しかし王に逆らうことだ……我が君の意思は『ユスラに干渉は避けること』だったはずだ。僕だって君にティルナノーグへの道を教えるなといわれてたのに」
 お前はいつだって、意地っ張りだな、私の妖精。といっていたアレイスタ、昔の主の言葉が頭の中で甦る。
 不味い、と思う。人間であるあいつが感じられなくなって。妖精である俺がどんどん増えていく。と思う。
「……ガンガナーはイーディリアを愛していたからね」
「俺はイーディリアではないと?」
「うん、違うね。絶対に違う。昔の君なら、トウゼさんなんて真っ先に消し去っていたよ? ああいうタイプ嫌いだったと思ったけど?」
「わからん、覚えてねえ」
 苦笑するカルナ、そして扉が開き、あの無表情魔術師が入ってくる。
「起きたか?」
「ああうん」
「……猫か」
「……猫って……まあいいけどね」
 カルナはにっこり、と綺麗な笑みをトウゼへとむけた。
 あまりにも綺麗に微笑むことができるのは、感情が妖精にはきっとないから。
 にこにこと綺麗に笑い、カルナはトウゼを見た。
「……カルナというのは?」
「王が呼ぶときの名。本来の名は違うけど、愛称がカルナ。という」
「本当の名は?」
「人間ごときの魔術師に教える名は悪いがない。というか真実の名を明かす相手は己が愛する者だけだし。イーディリアしか実は知らない。今は」
 カルナは机に置いていた茶をずずっと飲み干す。
 まるで爺のように何処か枯れきったような仕草。というか本当はかなりの爺だが。
「……まあ猫は猫だが」
「猫でいいけどさ、まあ名前はカルナとしか言い様がないなあ、それはおいておいて……とりあえずガ



ンガナーがこの町にいるから探さないとね。『ユスラ』の意識を戻さないと」
 ガンガナーは愛を囁く妖精、その者の『世界で一番を』映し出す鏡。
 カルナははあっと大きくため息をつく。
「花の妖精、麗しきアーレイアストレアに誓って……これは中々難しいことだよね」
「そういえばあいつとお前知り合いだったよな?」
「うん、元恋人」
「……カルナ。お前恋人いたんだ?」
「この千年はいないよ。ふられっぱなし、花の女王、麗しきアーレイ、彼女は僕を友だちとしか思えな


いってさ」
 アーレイ、という名前を聞いた途端、少し興味深げにトウゼがこちらを見る。
 一応なんだか気になるみたいだ。
「花の女神か」
「一応元恋人」
「今は?」
「我が君、マスターを追っかけまわしてるよ…。アーレイ」
 カルナは愉快げに笑う。そして次の瞬間、トウゼへと視線を戻す。
「でもガンガナーはどうもイーディリアにご執心のようだ」
「ユスラはいらんってわけか」
「人間嫌いだからね彼は」
 カルナは太った黒猫とは思えないほど、今はすっきりとした体型をしている。
 彼は深いため息を一つついて、トウゼへと言葉をかけた。
「とりあえずガンガナーをおびき出して、封じをとかないと」
「……それは必要なことか?」
「イーディリアだけだったら――はっきりいってユスラの体はもたないよ? 精々二日か、三日くらい



しかね……人間でいられなくなって消滅する。ガンガナーはそれを知らないようだ。人間を封じれば妖



精が残る。とか安易に考えたようだね」
「とりあえず、俺はユスラじゃねえ、イーディリア。もしくはリアだ」
「俺から見れば、お前はお前だ」
「お前はいっつもそうだな! それが『あいつ』をお前に目を向けさせる一言だ」
 俺はトカゲ魔術師に噛み付く、やっぱり相変わらず無表情のまま、魔術師は睨みつける俺を見た。
「俺は人間じゃねえ!」
「……そうか」
「ええいいらつくな……」
 俺が睨みつけると、どうも平気な顔をして、あのくそ魔術師は俺を見た。
 どうしても腹がたつんだよな。
 俺は強い瞳で魔術師をまた睨みつける。
「……少し休んだら、リア?」
「……休んでなんかられない。あいつがいないなんて……」
 どうもあいつがいない現状は俺にとって愉快なものじゃない。
 あいつなんて俺はどうでもいいが、でも……あいつがいない俺は俺じゃないし、あいつは俺で俺はあ



いつ。それは間違いない。
「俺とあいつは一つだ」
「そうだね」
「片方だけの意識が封じられるなんて」
「どうもね、あの子のほうは『人間』としての意識が強いだろう? だからね……妖精時代の記憶を拒



否するみたいなんだ」
「どうしてだ?」
「あの子は人でありすぎるんだ」
 俺の記憶の中で黒髪の男が笑っている。あいつは良く笑う男だった、のは覚えている。
 無邪気な子供のような笑顔がとても愛しかったのを覚えている。
 でもこのトカゲはにこりとも笑いはしない。
 カルナと俺が話していてもどこ吹く風、という感じの無表情だ。
「……俺の主であった魔術師は……」
「何処までも彼は、無邪気だった。子供のような好奇心でもって、何でも興味ありげに物事を見た。彼



はよく笑った。とても強い力を持っていたから、彼はとても傲慢だった。そこがすきだったんだろう?




「……そうだ」
「どちらかというとそれは妖精の特質なんだ。マスターとかもそう」
「……違うあいつは人だった」
「人間であった魔術師は、強い魔力持つからこそ倣岸だった。無邪気だった、残酷だった。それは何処



か妖精をひきつける特質なんだ。僕も彼は好きだった。それは認める。でもリアは彼を愛していた。狂



ってしまうほど強く『愛していた』でも君は彼をもう愛してない。リアならそれはありえないんだ。リ



アなら……ありえない。リアは何処までも主である魔術師を愛していた。だからこそ狂った……」
 狂ったイーディリアは、妖精界の主である王を愛した。いや寂しくて悲しくて辛くて苦しくて……王



の向ける偽りの愛にすがるしかできなかったんだ。それは俺を何と無く思い出す。
「そうだな、俺は確かに何処か狂ってた」
 狂った歌を歌い、狂気の中で、ただ一人を思い、苦しい悲しい孤独の中でずっとずっと一人いた。
 でも俺は……俺の望みは。
「カルナ、あいつがいない俺は俺じゃない。だからあいつを呼び戻さないと」
「うん、そうだね」
 カルナは深い深いルビー色の瞳を哀しみに染める。
 彼は人が好きだったから、だから人間界には割といる。
「俺はさ、人間が好きなわけ、だからさ……あいつも好きなわけ、メノウも気に入ってるわけ、シェラや長や教団のやつも嫌いじゃないし、ユーインやばばあも気に入ってる。何でもない日常ってやつも好きなわけ。でも俺だけだと俺は俺じゃないわけ、わかるかカルナ?」
「わかるよ」
「というわけでトカゲ、協力してくれ。ガンガナーを探して術を解かせよう」
「どうやってだ?」
「……そうだな……」
 俺はトカゲ魔術師を睨むのをやめて、そしてぴっと指先をトカゲに向ける。
「こういう方法はどうだ?」
 俺が提案した方法、どうもトカゲは気に入らないようで、少しだけ眉ねを嫌そうによせた。


 
「うにゃあ、にゃん!」
「えっと、ごめん、皆、力を貸して」
「うみ!」
 猫の軍団がカルナの周りに集まっている。ハーメルの笛吹きならぬ、猫吹きって感じだ。
 猫たちがにゃうう、ふみい、にゃん! と煩く鳴き声をあげている。
 白いのとか黒いのとか茶色とか、三毛とか、数百匹はいるぞ、おい……。
「皆、頼むね、ガンガナーを探し出して、この町のどっかにいると思うから!」
「にゃううう!」
 猫たちが一斉に鳴き声をあげる。
 というかこいつら……どっから来た? 俺の疑問に答えるようにカルナがにっこりと笑い言う。
「僕の配下たち」
「お前の配下は、シャノアール一匹じゃなかった?}
「……なんだかね、捨てられた猫とか拾ってきているうちに数百年でこれだけになってさあ」
 てへ、と舌をカルナは出す。やめろいい年して、と俺は思う。
 ご主人様に拾ってもらったご恩返しをするときだ、するときだ。と猫たちが煩く鳴き声をあげている




「にゃん」
「はあ、俺にカルナの恋人になってやってくれって? 却下だ、却下」
「ふみ……」
「はあ、ふられてばっかのご主人様がかわいそうだって、あのなあ」
 猫たちと会話をする俺を、無表情魔術師はやっぱり無表情で見ている。
 裏路地で猫集会……それは傍目から見れば異様な光景だっただろう。
「……お前もいけ」
 トウゼが言葉を放つと、可愛らしい少女の姿をした使い魔が姿を現す。
「おや、君もいってくれるのかい、ありがとう」
 にっこり、とした微笑を使い魔に向けるカルナ、どうも使い魔が気に入っているようだ。
「……カルナ……様とおよびすればよいのでしょうか? そのお姿の時は」
「……我が君は、カルナと呼ぶ。マイマスター、麗しき我が主は、この名前が気に入ってるようでね、


ケットとは呼ばない。カルナ、でいい」
「……カルナ様」
「まあ様づけでもいいけどぉ」
 柔らかく優しくカルナが笑う。やっぱり笑い顔はこいつ可愛い。と俺は思う。
 戸惑ったように使い魔はカルナを見ている。
「とりあえず頼むね!」
「うにゃあああ!」
 猫たちが一斉に走り出す。つか猫なんて役にたつのかよ。と俺はため息まじりに思う。
 使い魔もぺこり、と頭を一つさげ、猫たちに続いた。
「とりあえず探索は配下たちに任せるとして、後はおびきだすほうの策と、あの子を呼び戻す策を一つ



してみよう」
 カルナが手にもった楽器の弦をびいんと鳴らす。俺はまた魔術師が癒そうに顔を歪めるのを見た。
「……どうしてもか?」
「ああ」
「そうか」
 俺は魔術師の腕に自分の腕を絡ませた。それでも駄目だったから、俺は魔術師に抱きついて、そして



あいつの唇に自分の唇を寄せる。
 一瞬だけ「やめてですわ」というあいつの声を聞いたような気がしたが、それを無視して、俺は魔術



師の唇に自分の唇を押し当てようとする。
「……ファーストキスは……ファーストキスはロマンチックに……ロマンチックにしたいのですわあ!」
「お、出てきたよ。もう少しだ」
「……ふええ……ロマンチックにしたいのですわ!」
 ばっと私はトウゼから離れる。そしてロマンチックに、と何度も繰り返す。ひっく、ひっくと泣き声をあげた。
「ロマンチックなシュチュエーションで、トウゼが私を抱き寄せて、そして私の顎を持ち上げて、トウゼからしてくれないと駄目なのですわ!」
 私は何とか意識を保とうとする、しかし何かに引っ張られ、また私の意識は闇に沈む。
「……まだ駄目だな」
「引っ込んだね、ガンガナーの術は強いようだ」
 俺は深いため息を一つつく、あいつのいやがることをすれば出てくるか、と思ったんだが……駄目そうだ。トカゲ魔術師といちゃいちゃすれば嫉妬に狂ったガンガナーが出てくるか、と思ったがそれも駄目だった。
「おお、もう一つ策があるぞ」
「なんだい?」
「トカゲ魔術師、俺を抱け、そうすればあいつもでてくるし、ガンガナーだって出てくるだろう」
「……嫌ですぅ、ロマンチックにしたいのですわ。ロマンチックに!」
 またあいつがでてきたまた引っ込む。カルナはそれだけはやめておいて、と俺をとめる。
 メノウさんが気の毒だからね、というカルナの忠告に俺は今は従うしかなかった。


「愛している。それだけが真実だ。と黒き魔術師は、愛する村娘に言葉をかけた。魔術師が愛したのは、黒き髪の乙女、漆黒の瞳をしたただの村娘、優しくて素直で、能天気、明るい彼女を彼は愛した。誰よりも深く……真紅の髪の麗しき妖精を従えた魔術師は、偉大なる力を持っていた」
 びいん、と弦をカルナは弾き、楽器を奏で、歌を歌う。
「みゃうう」
 猫たちが報告にやってくるのを聞きながら、カルナは歌を歌いつづける。
 町の路地で歌う、美貌の歌うたい、彼はただ愛の歌を奏でる。
「ガンガナーをこれでおびきよせるってのか?」
「……とりあえず彼は君の前にでてくるとは思う、だけどできるだけ早いほうがいいからね」
 呪歌、といったものをカルナは操る。それに惹かれて、集まってくるのは今は人間だけ。
 歌の流れでガンガナーを引寄せ様ってのか、とは思うが。俺はやつから離れて、今は無表情魔術師と


二人でいる。
 走りにくいあのひらひら服は脱いだ。走りにくいったらありゃしない。
 俺は今は普通のズボンと長衣、それに髪は一つに纏めている。胸がないから下手したら男に見えるぞ、といった少年が着るような服装だった。
 服はカルナを脅して、ださせたものだ。
「たく……ガンガナーは何処にいるんだ?」
「多分、この近くだとは思う。しかもあの魔術師の姿をとっているのなら、結構目立つしね」
「……くそ、あいつ見つけたらただじゃおかねえぞ!」
 俺はどかっとその辺の家の壁をこぶしで叩きつける。するとぱらぱらと漆喰が剥がれ落ちてきた。
「ああくそ、いらいらするぜ!」
 カルナは苦笑いでイライラする俺を見るだけ、無表情魔術師は相変わらず無表情だ。
「……おいトカゲ」
「……なんだ?」
「お前さぁ、『あいつ』のことなんとも思ってねえだろう?」
「……」
 黙りこむトカゲを見て俺はため息をつく。どうしたってどうにもならないぜ、と俺はまたため息を一つついた。今度は壁を俺は蹴り上げる。ぴしっと罅が壁に入った。
「……馬鹿力だね」
「放っておけ」
 俺は愛を囁く者がとっていた姿を思い出す。
 俺の主は俺を見ていつも笑っていた。しかしトカゲは全く笑わない。
 こんなやつ、愛したって無駄なんだ。と俺は思う。
 裏切られたくないなら、愛してはいけない……だってどうせトカゲはあいつのことなんとも思ってないのだから。
「……どうせお前も裏切るんだ」
「……」
 俺の言葉に、無言でいるトウゼ。俺が愛した魔術師はこんなやつじゃなかった。
 
> 「……みつからねえな」
> 「……いないかい?」
> 「ふみゃあ、みゃうううう……」
> 「まあまあそう気を落とさないで」
>  猫が悲しげにカルナを見上げて鳴く。カルナはまあまあと猫を慰める。
>  おいおい、なんでこんな狭い町でみつからねえんだよ。
> 「……どうだ?」
> 「……今のところ気配も感じません」
>  女性の姿をした使い魔も帰ってきている。
>  使い魔をしげしげと黒い毛並みで真紅の瞳をした可愛らしい猫が見上げている。
> 「にゃあ」
> 「ご主人様の奥方様になってあげてください? ってか、お前誰にでもそれいってないか?」
>  猫が違う違う、というようにぶんぶんと首を振った。
>  使い魔に『にゃん、にゃ』と何度も言葉をかけている。
> 「ご主人様は貴方のことばかり話されます。貴方が奥方様になってくれたら……喜ばれます?」
>  俺が言葉を翻訳すると、うにゃうにゃと嬉しそうに猫が頷く。
>  猫をカルナは抱き上げ、「あのねえ、そんなこといってる場合じゃない」と嗜める。
> 「シャノアール、そんなこと言っている場合じゃない」
> 「うにゃうう……」
>  猫は悲しげに一声鳴く。怒ってない、怒ってない、と優しくカルナは笑う。
> 「このお方にはもっとご身分の高いお方が相応しいです」
>  使い魔の台詞に、「……いやあそんなことないよ」とかいってカルナが頭を掻く。
> 「君のことは僕は好きだよ」
> 「……おいカルナ!」
> 「うんまあ皆の言葉はさておき、僕は君の事すきだよ」
>  シャノアールを抱き上げた態勢でにっこり、とカルナは笑う。
>  そして猫の喉を何度か指で擽る。
> 「うみゃああ……」
>  気持ちよさそうに猫が鳴くと、「僕も探すの手伝うよ」と使い魔にカルナは声をかける。
> 「光栄です」
 なんかやっぱりわかってないぞ使い魔、と俺は思う。
 だって反応がさっぱりだ。
> 「じゃあこっちを探そう」
>  使い魔の手を引っ張ってカルナは路地の反対側へと去っていく。
>  おいあのなあ、ガンガナーを探していたんだろう。と俺は突っ込みをいれたいのをなんとかおもいと どまった。  いやふられつづけの人生を送ってきたカルナだ、少しは春を見てもいいかもしれない。と思ったから。


5 : :2007/05/07(月) 20:47:22 ID:rcoJVemH

FIariy site 夢の行方 7 後編

 
 「……ガンガナー! おい、トカゲ、ガンガナーだ」
 カルナが離れた途端、ガンガナーの気配がする。長い黒髪が雑踏の先で舞っているのが見える。
 俺は無表情魔術師に一声かけ、そして走り出す。
 長い黒髪が舞うのを見ると、少しだけ胸が痛んだ。
『イーディリア、妖精も人間もそうかわらんな』といって笑って我が主。
「……待て、ガンガナー!」
さらり、と風に流れる長い髪を見るのがとてもすきだったんだ。
 俺は一軒の家の中に入っていくガンガナーの後を追う。
 俺は慌ててガンガナーが消えた家の扉を開けた。
 すると『漸く会えたね、イーディリア』と柔らかく優しく微笑むガンガナーの姿が見えた。
 それは昔俺が愛した魔術師そのままの姿だった。
 トカゲとははぐれてしまったらしい。俺は一人で……昔と一つも変らぬ無邪気な笑みをするガンガ


 ーと対峙するしかなかった。
「愛してる、イーディリア。私の妖精」
「その呼び方やめろ!」
 俺はいらいらして叫ぶ。私が愛してるのはトウゼだけですわ。と俺の中であいつが叫ぶ。
「俺は誰もあいしてねえ!」
「……美しい相変わらず、その魂は。深い孤独と悲しみに覆われたその魂は」
 ガンガナーは何度も言葉を繰り返す。同じ言葉を。
 それはまるで壊れたオルゴールのように。
「……愛しているよイーディリア。この姿で駄目だっていうなら『トウゼ』とやらの姿を借りるが?」


「……俺はトウゼなんてあいしてねえ!」
「……その心を今しめるのは『トウゼ』のようだね、ならトウゼに僕がなるよ。君に愛されるのならば」
「違う、違う、違う!」
 俺は何度もかぶりをふる。違うんだ。と俺は思う。
 あいつは確かにトウゼとやらを気に入ってるらしい。それは否定しない。
 しかしなあこいつの考えそのものが間違っている。と俺は思う。
 どれだけいとしい者とやらの皮をかぶっても、所詮それだけなんだ。と思う。
「身代わりなんていらないんだ……ガンガナー」
 俺はただそれだけを何とか言葉を振り絞って出した。
 ガンガナーはきょとんと目を丸くして俺を見る。
 その様子はまるで小さい子供。
「俺はもうイーディリアじゃない。お前が愛したイーディリアじゃないんだ」
「美しい真紅のオーラ持つ妖精、それが君。僕が愛したイーディリア」
「違うんだよ……」
 どうしたらわかってくれるんだ? と俺は思う。
 そうだ、これだよ。俺は何度もマスターに言ったんだ。
 何度も俺の主だった魔術師に言ったんだ。
 俺は愛していた、俺の主であった魔術師を。
 でも愛している。という言葉を魔術師は本気に取らなかったんだ。
 王は楽しげに俺の愛している。という言葉を聞いていたが、しかし俺のことを本当に愛してなんてな

かったんだ。
 俺が欲しいのは、ただ欲しいのは……。
「私が欲しいのは、私が愛して……私が真実愛して、そして私を真実愛してくれる人だけですわ。私貴

方を愛してなんてないのですもの! 私が好きなのはトウゼなのですもの……貴方じゃ代わりになんて

なれませんもの」
 俺の中であいつが現れる。俺とあいつは同じもの、あいつの言葉は俺の言葉。
 俺の言葉はあいつの言葉。
 時々齟齬もあるが、俺とあいつは同じ意思を持つんだ。
「……君は僕を絶対に愛さないと?」
「……私イーディリアじゃないですもの。今はただのユスラですもの。トウゼを愛するただの女の子で

すもの。だから違います」
 お前はお前だ。とトウゼはいってくれる。だからこいつ多分トウゼのこと好きになったんだ。と思う


 妖精じゃなく人間扱いしてくれた男だから。
「……君は僕を愛さない」
 切なく悲しくガンガナーが笑う。その笑みはとても切ないもので。
 それは俺が昔よくしていた笑みで。
 俺はただ黙り込むことしかできなかった。その想いはとてもよくわかるから。
「……愛しても、愛されるわけじゃない。報われない想いを持つものは多い。愛してたら愛される幸せ

ものばかりじゃないんだ。でも人は愛する。どうしても愛するんだ」
 俺はただその言葉だけしか搾り出すことしかできなかった。
「……話は終わったか?」
 沈黙があたりを支配していたが、次の瞬間、俺たちの背後から冷たい声が聞こえてきた。
「……トウゼ」
「……今はどちらだ?」
「今は私ですわ」
 後ろを振り向くと、冷たい表情をしたトウゼがそこにいた。ガンガナーが術をといたようだ。今は私

の意識が前面にでている。
 トウゼの声を聞いた瞬間、私は私となっていた。
「トウゼ、トウゼ、トウゼ……」
 私は泣きそうな声でトウゼの名を呼ぶ。そしてととっと走りより、彼へと強く抱きついた。
「離れろ」
「……トウゼ、トウゼ、私の貴方のことが……」
 私はいいかけてやめる。心底うっとうしい、というトウゼの顔がちらりと見えたからだ。
 切ない、悲しい、とても胸が痛い。
「痛い、痛い、胸が痛い、切ない、苦しい。悲しい。消えてしまいたい。消えてしまえ、消えてしまえ! 私など消えてしまえ! 死んでしまえ、消えてしまえ……消えろ、消えろ、スーリー。消えろ、消えろ! 私からアレイスタを取るな! あれは私のものだ!」
 私の中で違う私が目を覚ます。遠い昔の思い出が蘇る。
 私が叫ぶと、トウゼは目障りだ。といった顔で私を見る。
 胸がとてもとてもそれを見ると痛くなった。
「消えてしまえ! お前を殺してやる!」
「……お前が俺を消すか?」
 違う、違う、違う。と私は思う。
 私は魔術師の恋人を殺そうとした、昔仕えた主の恋人を。
 それは失敗に終わって、私は魔術師に契約を解かれ。
 そして妖精国へと帰った。
 王が私を慰めてくれて、私の悲しみは癒えたように見えて。
 そして私は王の愛を信じていた。
 しかし十六年前、それは悲しく砂の城のように消え去ってしまい。
 私は王を殺そうとして、また失敗した。
 そしてこの世界に流刑された。
 その時の感情が私を支配する。
 悲しい、切ない、苦しい、胸がとても痛い。切なく、悲しい、胸が痛い。そんな切ない感じ。
「……トウゼ、トウゼ、私を」
 愛して、という言葉を私は飲み込んだ。そして目の前にある手に風の刃を作り出す。
 真紅の焔を目の前に生み出し、そしてそれを魔術師へと向かって嗾けようとする。
 お願い、私を殺して、という言葉。それは遠い昔の記憶で。
 お願い私を貴方の手で殺して、という言葉。それはイーディリアの言葉で。
 私の言葉ではない。と私は思う。
「イーディリア……」
 ガンガナーが私を見る瞳は、それはとても悲しい切ない瞳。
 蒼い孤独……闇の檻に閉じ込められたもののそれは瞳だった。
「……トウゼ」
 私はトウゼの名を呼んで、そして彼の冷たい目を見ることしかできなかった。
 彼の想いは決して私のものとならない。という絶望をひしひしと感じながら。


『愛しても、愛されるわけではない、お前もよくそれは知っているだろう?』
 昔愛した魔術師が悲しい顔をしていっていたのを、私は思い出す。
 真空の刃をトウゼに向かって私は投げつけた。
 酷薄な笑みを浮かべながら。
 トウゼは黙ってそれを受けた。彼の体が傷つく、血がでると、私はとても悲しくなるのを感じる。よ

けようともしない。
「……どうでもいい存在……」
 涙が流れないのがとても不思議だった。そんな感じ。
 彼は黙って私のほうへと歩いてくる。
 私は強く瞳を瞑る。しかし私を通り過ぎ、トウゼは無表情のまま、ガンガナーの前へと立った。
「……お前が愛が囁くものとやらか」
 冷たい声だった。とても冷たい声。感情がひとつも感じられない声。
 私を無視して彼は、ガンガナーへと問いかける。
「……人間の魔術師程度が、僕に何か用か?」
 せせら笑うガンガナー。彼は低位といえども妖精だ。人間の魔術師以上の魔力は持つ。
『普通』の魔術師でそれがあれば。
「……トウゼ」
 私はトウゼの名を呼ぶ。しかし彼は答えない。
 どうでもいい存在だ。ということを私はひしひしと感じ取る。
「……僕はお前なんかどうでもいい、イーディリア、『帰ろう』」
 私へとガンガナーは手を差し出した。私はふるふると首を否定の形にふる。
「いやです」
 はっきりと私が答えると、トウゼは強い魔力を感じさせる波動を出す。
「……逃げなさい、ガンガナー!」
 私は警告を与える。ガンガナーは不思議そうな顔で私を見ていた。
「彼は『アレイスタ』並みの魔術師です。貴方下手したら消されますわ!」
「……あの魔術師並み?」
「いいえ下手をしたら『以上です』」
 私の言葉を聞いたガンガナーはあわてて警戒態勢をとる。
 アレイスタには散々ひどい目に、過去合わされているのを思い出したようだ。
「……すべての光、原始の光、わが手に集え!」
 あわててガンガナーが呪文を唱える。低位のものは『意思』の力を発揮するのにこうした詠唱をとき

として必要とする。
 強い白い光が当たりを支配する。
 ガンガナーはトウゼがすばやく自分のほうへと走りよるのを見た。
「……炎よ!」
 彼の属性も炎、慌てて蒼い焔を彼は生みだし、トウゼの方へと向ける。
 しかしせせら笑い、それをそのままトウゼは受けた。
「……トウゼさん、やめて!」
 扉から別の人影が現れる。その声の主はガンガナーへと攻撃をしかけるトウゼをとめた。
 すばやい攻撃がガンガナーへと繰り出されようとしていた。一応は妖精、一応そのフェイント、思わ

れる攻撃を彼は受け流していた。
「……彼は僕が説得するから、だからやめて! 一応低位といえども僕の部下の知り合いなんだそれ!


 ふみゃあああ、と黒い猫が声の主、カルナの足元で鳴いている。
 そうだ、シャノアールの友達だったガンガナーは。と私は思い出す。
「……わかった」
 カルナの言葉にトウゼは攻撃をやめる。もう興味などない、というように彼はガンガナーを見ること

さえせず、後ろを向いた。
「……ガンガナー、シャノアールと一緒に帰るんだ。どうせリアは妖精国へと帰還する。その時、王と

の話が付いた後で、口説くなりなんなりして、王に逆らう怖さは君も知ってるだろう?」
「……麗しきわが残酷なる王」
「……そうだ、僕が保障するよ。王との話がついた後にするんだ」
「……はい、わかりました。イザヤ……様。イザヤ・カルナ、灼熱の瞳の主よ」
 ガンガナーはこくりと頷く。しぶしぶ納得したという感じだったが。
 シャノアールがふみゃあああ、と鳴くのを聞いて決めたようだ。
 お説教内容、かなりきつかった。シャノアールはガンガナーを尻にしいているようだ。
「……ということで、シャノアール、彼をつれて帰って」
「ふみい」
 シャノアールはふみゃああ、と一声鳴く。するとガンガナーの姿も彼女とともに消えていく。
「愛しても、愛されるわけじゃない、でもいつか愛されるかもしれない。待ってるよリア、その日を」


 最後のガンガナーの言葉、それはまるで今の私のようだった。
 私は深い深いため息をひとつつく。
 そしてカルナを悲しい瞳で見上げた。
「……愛しても愛されるわけじゃないですわね」
 私は無機質な瞳のトウゼを見た。彼は相変わらずの無表情。
「……でもいつか愛されるかもしれませんわ」
「そうだね……ところであの使い魔さん、今日も綺麗だね」
「光栄です」
 なんかすさまじく不毛な会話を二人は繰り広げていた。
 私は少しため息をつく。
「愛しても愛されるわけではない、報われない想いはこの世界には多い……か」
 私は青い空を見上げて、そして昔のことを思い出す。
 今世に愛した人のことも。
 私が殺したあの人のことを。
「……私、今世もまた間違いを繰り返すのでしょうか? また私は人を殺すの?」
「……どうした?」
「私……一年以上前人を殺しました。初めて愛した人を。いいえこれで私が殺したのは二人目です」
 私は小さくため息をつく、初恋のあの人は私の腕の中で死んだ。
 そして……私を愛してくれたシーも私の腕の中で死んだ。
「……どうせ私は人殺しですわ」
「……」
 ただ黙り込むトウゼ、どうせこの世界は生か死しかないのだ。
 どうせ人は死ぬ、どうせ人は死ぬんだ。
 でも殺してはだめだ。でも私は人の生を奪って生きている。
 何も言わぬ魔術師の端正な横顔を見て、私は深い吐息をまたついた。
 


6 :西 :2007/06/04(月) 22:56:08 ID:nmz3mJWe

トウゼ 17






 夜、ランプのかすかな明かりだけの暗い部屋。
 きぃ、とわずかな軋みとともに寝室の扉がわずかに開き、黒い猫がその間から滑り出
る。猫はふとその闇の中真ん丸くなった紅い瞳で部屋を見上げ、ヒゲをぴくりと動かし
た。
 上等な部屋。この街一番の上等な宿。艶のあるオーク材の家具が黙り込んで部屋の隅々
に鎮座し、窓辺にはびろうどのカーテンが揺れている。
 辺りは音もなく静かだ。
 居間のソファには魔術師が座り、無言で自らの仕事に集中している。部屋は暖かいとは
到底言えなかったが、彼はそれでも気にする様子もなく冷たいソファに座ったまま。ラン
プの明かりにあらわになった白い体がうすく浮かび上がっている。左肩から胸にかけて、
桃色の傷跡が横断していた。すでに血は洗い流した。ユスラに風の刃で斬られた傷。鎖骨
から首、顎、右頬にかけてくすんだ色の火ぶくれ。ガンガナー〈愛を囁くもの〉の炎に
よって灼かれた傷。魔術師は上半身裸になって、痛みにも寒さにも顔を曇らせることもな
く、ただ無表情に手を動かしていた。
 手には脱いだ上着と黒い糸をとおした銀の針を持って。
 生乾きの黒い髪が白すぎる額にはりついている。
「イーディリアは寝たよ」
 そう声が言った。魔術師は針仕事の手を止め顔をあげる。波打つ黒髪を肩に流した、く
れない色の瞳をした青年。
「やっぱり彼女にはだいぶ今日のことが堪えたみたいだね。泥のように眠ってる」
 〈猫〉は微笑み居間の中央にある丸テーブルの椅子を引く。手には緑色の瓶を下げてい
た。魔術師はまた視線を落とし、破れた服の繕いを続ける。
「ガンガナーのこと、見逃してくれてありがとう。シャノアールが悲しむからね。トウゼ
さんも今日はお疲れ様でした。その傷、大丈夫?」
「三日もすれば消える」
 手を止めずにトウゼは答える。「三日か」そうカルナはつぶやく。普通に考えればそん
な短時間で癒えるような傷ではない。胸の裂傷など、皮膚が裂け淡い色の肉までのぞいて
いたのだ。すでに傷はうすい痕と化しているが、それが尋常ではないことは確かだった。
 この魔術師は死なない。心臓を抉られようと、腸を引きずり出されようと、首を落とさ
れようと。
 それはすでに人ではないだろう。
 傷も瞬く間に消えてしまうのだ。
「服は放っておいても直らないからね?」
 渦を巻いた鈍色のコルク抜きを手で弄びながら、カルナは可笑し気に問いかける。魔術
師は仏頂面だ。
「あなたが針仕事をするなんて、イーディリアが見たらびっくりするだろうね」
「あいつのせいでその必要ができたのだろう」
「そうだね。今のイーディリアなら慌てて私がやりますって言いそうだよ」
 血で汚れた黒いシャツは一度水で洗われ、そして今裂かれた場所を繕われている。
「彼女には服を買ってあげたのに、自分の分は新しくしないの?」
「……最高級の布地に最高級の毛皮のマフ。好きに選べとは言ったが、あんなものを選ぶ
とは予想していなかったのでな」
 魔術師は無愛想に言い、黒い糸をきゅっと犬歯で噛み切る。椅子に腰掛けた猫は首を傾
け、「鞄の中に大事に大事にもう一着のドレスを仕舞ってるものね」と苦笑した。
「飲まない?」
 ぐるぐる巻いたコルク抜きでカンカンッと軽く瓶を叩き、カルナは言う。
「王がね、時々こっちのお酒を飲みたいって僕を使いに出したりするんだよ。僕も好きだ
よ。美味しいしね」
 トウゼはしばらく無言でその瓶を眺める。先ほどまで繕っていたシャツを羽織り、ソ
ファから丸テーブルへと立ち上がる。紅の目をした青年は楽し気に笑い、どこからかガラ
スのグラスを二つ取り出す。
 キュポンッと、軽やかな音を立てて栓が抜かれた。深い葡萄色の酒がグラスに注がれ
る。
「……デイルドレか」
 よく冷えた葡萄酒に口をつけ、トウゼは小さく呟く。それを聞いた青年は杯を片手に陽
気に口元を綻ばせた。
「そう。デイルドレ産のワインだよ。あそこのワインは美味しいからねえ。僕たちはこの
ワインが大好きなんだ」
 デイルドレ、東への旅を続ける今、もうずいぶんと西になった遠くの街。トウゼはその
街の名に、しばらく深い赤を見つめ沈黙した。
「トウゼさんって魔術師なんだよね」
 ととのった顔にやわらかな微笑を浮かべ、カルナは言った。魔術師は目だけで猫を見
る。
「そう言えばあなたが魔術を使うのってほとんど見たことがないなって思ってね。そう言
う話もあまり好きじゃないみたいだし。魔術師を名乗るのに変わってるなと思って」
「……そうだな」
 低く答える声。トウゼは否定をしない。青年は少し意外そうに黒い服の男を見て、赤い
葡萄酒を口に含んだ。何を見るでもなく視線を下に漂わせる男。まだ乾かない水っぽい髪
が、鈍くランプの光を照り返していた。
「研究とかは興味がないの?」
「もとより世界の真理が知りたいなどそんなことは考えていない。好きで魔術師になった
わけでもないしな。……かつてはそれなりに興味があったのは確かだが、今はもう全て薄
れた」
「ふうん」
 猫は首をかしげ、冷たいグラスを飲み干す。男も酒を飲み干し、暗く揺れるカーテンの
向こうに視線を飛ばす。
「それでも魔術師を名乗るんだね」
「他になんと名乗れと?」
 自嘲を含んだ声。他に呼びようがあるだろうか。社会から逸脱したものをうまく取り込
む言葉が。流れの奇術師手品師旅芸人。故郷を終われた犯罪者。破落戸。浮浪者。無宿
者。川原者。はみだし者(アウトサイダー)。どれをとってもたいした変わりはなのな
ら、自らに最も合うと思える言葉を選ぶだけだ。
「それに俺はお前たちの言う『魔術師』からは確かに逸脱した存在なのだろうな。だが俺
は〈魔術師〉だ」
「アレイスタもそうだったけど……今日のヒスイ・カーマインも、今生きてる新しい方の
アレイスタも、魔術師は皆そういうことが好きみたいだから。僕たち妖精にはよく分から
ないけど」
「真理など、探究しなくとも常にそこにある。私たちはただそれに従って、それをうまく
扱うだけ」
「あなたはおそらく彼らとは立っている位置が違うんだろうね。……多くの意味で」
 〈魔術師〉はふんと鼻を鳴らす。彼は薪の火を起こす時も魔術ではなく火打石を使う
し、誰かが魔術で何かをした時もそれに応じるのにほとんど魔術は使わない。カルナには
あえてそのすべを行使するのを避けているようにも思えた。
 透明なグラスの中で揺れる赤。つややかな机の上へ緋色に輝く影を落とす。杯を手にと
り口に運ぶ。口の中に広がる甘い芳香。カルナはその香りに酔うが、魔術師は視線を落と
したまま堅い表情のまま。最高級のワインにうまそうに口元を綻ばせることもない。
 びろうどのカーテンの向こうから、冬の冷たい風が吹く。その風に、笠の中に隠された
ランプの灯がちらちらと揺れる。太った猫の分だけ扉の開いた寝室からは、規則正しい静
かな寝息がもれていた。
 二人の男は無言で酒を飲み交わす。
「おまえは」
 魔術師はけだる気に口を開いた。
「監視か」
 杯を飲み干し、黒衣の影は続ける。。
「俺たちに対する牽制か。……妖精王の側近だと言ったな。あるいはそれほど暇なのか」
「……僕が君たちについていく理由?」
 猫はにっこりと笑い、鈍い緑色の瓶から空になったグラスへワインを注ぐ。王の側近な
んて言ってもやってることは使い走りで、お酒買ってくるとかくらいだしね。暇だよ。
「……わざわざお前がその姿で声をかけてきた。何もないわけがあるまい」
「うん……まあ、あなたに聞いてみたいことがあったのも確かかな……。イーディリアの
こと、心配だからね。僕、昔ちょっと彼女のこと好きだったんだ。あははは。見事にふら
れちゃったけどね。今ではそんなこと覚えてもいないのだろうけど……やっぱり心配だか
ら」
 グラスの揺れる赤を見つめ話していたカルナは、ふと慌てたように顔を上げ「彼女のこ
とは好きだけど、今は違うからね? ただ昔からの知り合いだから心配なだけで」と弁解
をする。魔術師はそれに取り合わず肩を竦めるだけだ。カルナは困り顔で「今は使い魔さ
んのことが……」などと口の中で呟いている。
「…………それで、あなたはイーディリアのこと、どう思ってるの? いや、『なんとも
思ってない』ってことは知ってる。でもそうじゃなくて……一人が好きなあなたが、彼女
の依頼を受けて一緒に旅さえしている。何か考えてはいるわけでしょう。彼女の印象とか
……何も『思ってない』わけじゃ、ないはずだから」
 カルナはそう言い、「今日のイーディリアは特に痛々しくて見てられなかったから」と
付け足した。魔術師はふうと息を吐いて、夜の帳を眺め沈黙する。鬱々とした沈黙。
「……悪趣味な女だな」
 広い豪奢な、普段では考えられないような高価な部屋の隅には、ランプの光だけでは照
らしきれない闇が多くうずくまっている。トウゼはその暗がりを眺めていた。
「男の趣味は最低だろう」
「うーん……たしかにそうかも知れないけど……」
 カルナは苦笑するしかない。それは自嘲のようにも思えたが、どうやら純粋な感想らし
かった。自分に惚れている少女に対する感想が、これか。
「興味深いとは思っている。妖精の魂を宿した人間、そして緑の目を持つ者などそういな
いからな。……魔術師らしくないと言うが、私とて知的欲求はある。『人間』と『妖
精』、二つの不可分の意識。こちらもまた面白い。私自身、妖精について気になることが
あるのも事実だ」
「研究対象……? そう言うの、イーディリアはすごく嫌がるよ。嫌な思い出しかないみ
たいだし……」
「どう思っているかと聞いたのはお前だろう。あの小娘が何を考えていようと私には関係
ない」
「それだけが、トウゼさんがイーディリアと一緒にいる理由?」
 困ったな、と青年は波打つ黒髪をかいた。予想はしていたけれど、やはり彼女の思いは
どうにもなりそうにない。魔術師は小さく肩を竦め、杯のワインを飲み干した。
「契約をしたんだよね。報酬を受け取る代わりに? あなたは何を望んだの?」
「……暇だったのでな。退屈していた。お前たちにとっては短いのかも知れないが、人間
にとって百年二百年という歳月は長い。物珍しいから、面白そうだと思っただけだ。妖
精、人間、取り替え子、緑の目。実際、報酬などどうでもいい。そんなものはたかが知れ
ている。暇をつぶせればそれでよかった。こんな面倒なことになるとは思ってもみなかっ
たが」
「……面倒なことって、彼女があなたに惚れてしまったってこと?」
「他に何がある」
 彼はひどく不機嫌そうだ。瓶から新しく酒を注ぎぐいぐいと流し込んでいる。カルナは
上等なワインなんだからもっと味わって飲めば良いのに、と思うが口には出さなかった。
妖精は皆たいていワインが好きだ。青年は今妖精には見えなかったとしても、あくまで妖
精。人間の考えは実際よく分からない。ただこの魔術師を果たして他の人間と一緒にく
くっていいのかは疑問だったし、何を考えているかはなおさら分からない。
「あなたの魂は……とても希薄だよね」
「……知っている」
 トウゼは低く呟くように言葉を返し、部屋の闇に目を落とす。カルナはそんな彼の死人
のように白い横顔を見つめた。妖精には魂の形が見える。トウゼの魂はひどく希薄で、す
り減り、感情の起伏もほとんど失われている。すでに形を保てているのが不思議なほど
で、限りなく透明で向こうが透けて見えるのだ。そのうちに彼は大気の中へと溶けるよう
にして消えていってしまうのだろう。それがカルナには分かる。おそらくトウゼ自身それ
を知っている。もはや〈混ぜ物〉がなければ彼はすぐにでも瓦解してしまうだろう。ワイ
ンの杯を傾けながら、カルナはそんなことを見て取った。
「前も言ったけど……あなたとは昔会ったことがあると思うんだよね」
「少なくとも俺は覚えていない」
「うん……僕も曖昧なんだけど。トウゼさんも取り替え子なんだよね? だったらたぶん
その時かなぁ。何となく、見覚えがあるんだ。ずいぶん変わってしまったけどね」
「……妖精国にいた時の記憶などほとんどない。たとえお前が知っていようと俺は知らな
い。覚えているのは……一つだけだ」
 彼方にあるおぼろな記憶。ただぼんやりと、緑色の瞳がこちらを見つめているだけのイ
メージ。
「あなたは認めないんだろうけど、だから僕たちの国を求めているのかな……」
 カルナはくすりと笑う。魔術師は反応せず、ただじろりとカルナを一瞥しただけ。ワイ
ンを注ぎ、咽に流し込む。妖精の持ってきた瓶のワインは尽きることがないようで、曇っ
たガラスの中の液体は少しも減りはしない。
 夜の風が吹いている。空気はひどく冷たい。氷が張る温度にまでは下がってはいない
が、凍えるような寒さだった。カーテンが暗闇の中で凍えるように揺れている。
「鍵を知るお前は私たちが妖精国を探していると知りながらのうのうとついて来ているの
だな」
「教えろって言うの? 駄目だよ。イーディリアを助けてあげたいのは山々だけど、人に
我らの国の入り口を教えるのは禁じられているから。そんなことをしたらマスターに消さ
れてしまうよ。そもそも、彼の力のために言葉にすることさえ出来ない」
「妖精王、か。……お前の餌代は誰が払っていると思っている。少しは役にたってほしい
ものだな」
 ふんと鼻を鳴らし、魔術師は机を跨ぐようにして長い足を組み変える。青年は苦笑して
「だって甘いお菓子好きなんだもの」と照れたように頭をかいた。太った黒猫はいつだっ
て何か甘いものを食べたがるのだ。
「ブタ猫」
 トウゼが投げつけるように言う。
「ブ、ブタ猫? それはひどいなあ……」
「肥満なのは事実だろう」
「でも僕は太ってないよ」
 〈猫〉は少しだけ言い訳がましく聞こえる声で反論した。確かに現在の〈猫〉には贅肉
の影も見えない。すらりとした紅い目の好青年だ。夜の部屋の中でも彼の瞳はランプのよ
うに明るかった。
「どうせ姿を変えるのなら、なぜいちいちあの姿になるのか理解できんな」
「マスターとか……昔好きだった彼女とかが猫が良いって言ったからさ。しかも太ってる
猫の方が可愛いって……でも、どうしてだか今は他の姿には変えられなくなって……」
 太った黒猫が板についてしまったのか、なぜか痩せた猫に化けることは出来ないのだ。
理由は良く分からない。ダイエットはしても、効果はほぼなしだ。
 カルナはしょぼくれて下を向く。太っていると言われるのはけっこう傷付くのだ。トウ
ゼは彼のそんな様子など気にかけることもなく、葡萄酒を口に含み「お前は愛玩動物とし
て見られていないわけだ」と言った。
 だから結局ふられっぱなしだ。
「そんなことないよ……? たぶん、たぶんね……。傷付くなあ、トウゼさん……」
 魔術師は小さく肩を竦めるだけ。落ち込んだ様子のカルなのことを少し面白がってさえ
いるようだ。赤い酒を口に含み目を細め、珍獣でも見るように眺めている。もうずいぶん
と杯を開けているようだったが、彼の顔は相変わらず冷たい氷のようで、酔いのまわった
兆しはない。カルナはふて腐れたように硝子の杯に手をのばす。からかわれているのだろ
うか、と思った。
「それでお前は監視なのだろう」
 最初に同じことを聞かれた時よりずいぶんと冷たく、鋭利な声がまっすぐに向けられ
る。〈妖精王の第一の側近〉は力の抜けていた表情を戻し、赤く煌めく目で力ある魔術師
を見返した。
「今の彼女はとても不安定だ。昔にくらべたらずいぶん力は失ったけど、それでも大きな
ことにかわりない。僕たちはこの世界にあまり干渉するのは禁じられているんだ。イー
ディリアの立場は微妙だけど、それでも彼女の力が暴走でもしたら困るからね。それを心
配して、もしもの時があれば抑えようと思っているのも事実だよ」
「それだけではあるまい。イザヤ=カルナ」
「……あまりつけあがらないことだね、人間の魔術師よ。僕は寛容だけど、その気になれ
ばあなたくらい簡単に消せる。それを心得ておくことだ」
 名を呼ばれ、赤い瞳の妖精のまわりにぴりりとした空気が満ちる。しかし魔術師は口元
にかすかな嘲笑を浮かべ、自分より遥かに大きな存在にさえ揺るぐことはない。
「己の身の程など己が一番心得ている。私を消したいのならば消せばいい。私は何の抵抗
もしない。所詮その時は来るのだ」
 闇の中、薄く笑う魔術師。赤い瞳の妖精は緊迫した空気を解き、ふうとため息をつい
た。
「あなたは人間じゃないみたいだね。僕たちと似ていると言うわけでもないけれど」
 その透けるような希薄な魂。次第に薄れ、変容して行く魂の形。カルナやイーディリア
と近しく、そしてまた違うものを身の内に有する存在。面白いし、一筋縄では行かない。
「……マスターはね、まだ彼女のこと気にかけているんだよ。イーディリアは追放された
けど、いまだに〈妖精王の愛人〉なんだ。彼女が緑の目を持っているってことが、その証
拠。あの人は性格悪いからね。まぁそう言う理由もあるけど……でも一番は、個人的に
イーディリアのことが気になるから。本当だよ。妖精は嘘はつかないからね。……トウゼ
さんが彼女のこと、なんとも思ってないっていうのは分かってた。でも、やっぱり、それ
は悲しいな……」
 カルナは目をふせる。彼女は愛してほしいんだ、と小さく呟く。カルナが彼女に恋をし
ていたのはもうずっとずっと昔。全く相手にしてもらえなかった。もちろんふられた。そ
れでも大切な友だちだったのは事実だ。ずっと長いこと彼女の苦しむ様子を見て来た。だ
から彼女が幸せになれるのならば、それを願いたい。愛して、ほしいんだ。
「私にそんなことを望むこと事体が間違いだな」
 けれど魔術師は、あくまでも冷たい。声は平たんで抑揚がなく、感情の欠片も見当たら
ない人形のような顔。
「俺自身すら自分にそんなものを望めないのに」
 皮肉げな声が言った。彼の声に感情が宿るのは、かすかな自嘲の時だけかも知れないと
カルナは思う。
「……マイ・ロード」
 ふいに背後の闇から声がした。声は落ち着いて静かだったが、細く高く、未成熟な少女
の声だった。皮張りのソファの後ろから現れたのは使い魔で、主人に歩み寄り恭しく一礼
する。魔術師は無言でそちらに視線を向けた。
「申し訳ございません。古の偉大なる竜の結界には、わたくしごときは近づくことさえか
ないませんでした」
「そうか。会えなかったか。ならばいい。半ば予期していたことだ。……やはりこちらか
ら出向くしかないな」
 トウゼは考え込むように顎に手を当てた。使い魔は主人の意向に添えなかったことがさ
も残念なようで、表情をこわばらせ魔術師の横に控えている。ガンガナーの騒動が終わっ
たすぐ後、トウゼは使い魔を使いに出していたのだ。
 カルナはどう反応したものか少し困って使い魔を見ていた。今の使い魔は十二歳ほどの
美少女で、見事な赤毛がくるくると渦を巻き肩の上にふんわりと広がっている。大きな瞳
は澄んだハシバミ色、唇は紅くぷっくりとして白雪のような肌に映えて美しい。朽葉色の
ドレスにはふんだんなレースがあしらわれ、短いスカートの裾からはソックスを履いた
ほっそりとした足がのびている。
 ……どうも誰かの趣味そのものだ。
「こんばんは、使い魔さん」
 苦笑して声をかけると、使い魔は今気付いたというようにカルナを見てひどく礼儀正し
く頭を下げる。カルナは高位の妖精だから、ということらしいのだが、そのよそよそしさ
が少しだけショックだ。
「……お前、その服はどうした」
 トウゼもふと気付いたようで、使い魔のドレスを見て問う。使い魔は妖精でもないが、
人間でもない。この姿に実体はないのだ。だが今まとっている服はまぎれもなく現実の物
で、見るものが見れば違いは分かる。
「メノウさんから頂いたのです」
 使い魔は主人に正直に報告している。
「こちらへ戻る前、定例の報告でメノウさんの所へ伺いました。その時に私に似合うから
と、メノウさんが。この姿でこちらに戻ったのは不味かったでしょうか」
「いや……問題はないが。メノウの所にはいつもその容姿で現れているのか?」
「いえ、この姿はあまり。金髪の方がお好みのようですので。ただこの年頃の少女の姿で
いてほしいと仰られましたので、そのようにしています。メノウさんは面白い方ですね」
 メノウにどうやら着せ替え人形にされているらしいという話をしながら、使い魔はにっ
こりと笑った。ロリコンというものをあまり良く知らない使い魔にとって、メノウは『面
白い方』なのだった。トウゼはしばらく渋い顔をしていたが、低く「まあ、いい」と言っ
て手をふる。すると使い魔は膝を折って可愛らしく礼をし、すっと夜闇の中に消えた。カ
ルナには礼儀上の目配せしかしないで。
 カルナはすごくショックだった。使い魔は主人に似たのか何なのか、いつもかなりの無
表情だ。それがメノウの話をして笑っていたし、着せ替えも嫌そうではなかった。使い魔
の笑顔なんてはじめて見たのだ。
「……だいぶあの変態に懐いているようだな」
 魔術師は意地悪くにやついて言った。
 猫になって甘いもののやけ食いがしたい、と思った。
 また太るかな、とも。


7 : :2007/08/15(水) 03:50:34 ID:rcoJVemH

FIariy site 夢の行方 8 前編

「助けて、助けて、お願いだよ。うええ、暗いよ、怖いよ、狭い……ふええ、誰か、誰か、誰か、助けて怖いよ、怖いよ、怖いよ」
  頭の中で声が鳴り響く。どこかで聞いた声、とは思う。
 『ふええ、ふええ、リア、リア、リア、助けてぇ! ケット様、ケット様、ルーファス兄さん、ファーお母さん。怖いよ、怖いよぉ』
  怖いよ、怖いよ、という声が聞こえる。ああ誰の声だった? と私は何度も思う。
  するとふみいいい、みゃううううう。という声が少しだけクリアになった意識の中に忍び込んできた。
 「……う、うん」
 「ふみいいいい、にゃん!」
  ぷにぷに、とした感触が頬を叩いているのを感じる。ふみいいいい、という猫の声も聞こえてくる。

 「おい、おい」
  おい、という声もかすかに聞こえてくる。扉をノックする音。
 「うん、メノウ、もう少し寝かせて……」
 「おい、まだ寝てるのか?」
  どんどん、という扉をノックする音、ふみみゃ、という猫の鳴き声。
 「……ううん、煩いって、もう朝ですの?」
  私が目をうっすらとあける。そこには太った猫がぽんぽん肉球で私の頬を叩いているのが見える。
 「…みゃん」
  おきたね、と猫が私に声をかける。そしてまた扉をどんどんする音。
 「おいもうすぐ出るぞ、すぐしたくしろ」
 「はいですわ、トウゼ、少しお待ちくださいませ」
  よく寝られなかった。と私は思う。変な声が夢の中でずっと聞こえていたからだ。
  のろのろと寝台から起き上がり、私は身支度にかかる。
  猫はふみいい、と鳴き声をあげて、ベッドの下にもぐりこんだ。
  一応着替えをみないように、という配慮らしい。
 「……ディア、リアラ……」
 「ふみいいい?」
  ああ、リアラか、彼女なら多分人間界でうろうろしていると思うよ。と猫が答える。
 「はうう、あのお間抜け妖精、どっかの魔術師につかまったりしてないでしょうねえ? 夢であの子の
声が聞こえましたのよ」
  私はトウゼに買ってもらった服に腕を通して着替える。
  可愛いからこの服はとても好きだ。
  そして少ない荷物を詰めて、トウゼに扉越しに声をかけた。
 「すいません、お待たせして」
 「行くぞ」
  私は急いで扉をあける。すると猫もそこから飛び出してくる。
 「ふみいいいい」
 「わかりました、リアラのことは探してみますわ。はあ、またあのお間抜け、どっかの魔術師につかま
っていそうですわあ」
  はあ、と私はため息をつく。探してあげないと可愛そうだ。と猫は言う。
  っていってもねえ、と私はため息をつく。
  黒いふさふさの毛をした猫はどってりぼってり太っている。どったどったと歩いている。
  トウゼは相変わらず無表情。
 「トウゼ、どうも私の知り合いのお間抜け妖精が、どっかの魔術師に捕まったようですわ。波動はここ
から東のほうみたいです。付き合ってもらえません? 一応見捨てたりはできませんわ。逃がしてあげ
ないと」
 「わかった。しかしあまり厄介なことに首はつっこむな。お前はとくにな」
  どうも簡潔にしかこの人は話さない。私はちらっとトウゼを見る。やっぱり相変わらず無表情。しか
し私に釘をさすのは忘れない。絶対に性格は悪い。
 「そういえば、エリクシル地方の近くにあの馬鹿魔術師が隠した研究成果がありますのよ。まさかエリ
クシルの不思議ってアレイスタのせいだったりして」
 「……」
 「……そういえばねえ、トウゼ。メノウが天使観察の会合にそろそろ出る時期ですわ。変態たちと近く
のお店でケーキ食べながら語らうのですわ。お間抜けですわよね」
 「そうだな」
  どうもトウゼは馬鹿話にはまだ反応してくれる。
  魔術がどうとかにはまるっきり反応しない。
  私たちの歩きながらの会話は馬鹿話になってしまう。
 「……あのトウゼ」
 「なんだ?」
 「欲しい本がありますのよ。お店によってもよろしいですこと?」
 「構わん」
  なんかどうもやっぱり会話じゃない。私はなんとか会話を成立させようと、トウゼに話しかける。
 「そういえばね、トウゼ。緑の目を持つ三人目の人は男性だったらしいですわよ。カルナがいってまし
たわ」
 「そうか」
  やっぱりそうかとかああ、しかいってくれない。
  私は深いため息をつきながら無表情魔術師を見た。
 「幸せになりたい、幸せになりたい。貴方と幸せになりたい」
 声が聞こえてくる。ああ吟遊詩人だな。と思い私は足をとめた。
 広場の中央から声が聞こえた。とても透き通った美しい声。弦楽器がそれに彩を添えていた。
「おい、行くぞ」
「待ってくださいです」
 ディアの助けてよ。という波動は相変わらず聞こえてくるけど、ディアのことは助けてあげるけど、




でもトウゼと旅をするなんてきっとこれからもめったにないだろう。
 楽しまないと損だよ。と私は思う。
「……貴方と一緒に幸せになりたい。この泡沫の夢は永久にかなわない。いとしい私の闇の王、貴方と
一緒に幸せになりたい。長き黒髪を風になびかせ、漆黒の瞳で私を見つめる貴方。その瞳にあるのは虚
無、貴方は空ろ、貴方には何もない」
 私もそれにつられて一緒に歌うと、ふんとトウゼは鼻を鳴らす。
「つまらんな」
「……ロマンチックなお話ですのよぉ。妖精時代にこのお話を聞いて、物凄く気に入りましたの。アレ
イスタに言ったら『お前は馬鹿か? 俺ならそれだけの力を持ったら、世界の真理を求めるぞ? 女一
人だけを求めるなど馬鹿馬鹿しい』といわれたましたけどね」
 私は町の中を歩きながら、トウゼの後ろをとことこと歩いている。
 腕にはだいぶ重い黒い猫。
「ふみいい?」
「……ロマンチックはいいですわよねケット」
「みいいいい」
「よくわからないよって。貴方ねえ!」
 ちょっと怒って見せながら、私はすそがふわり、と広がるドレスをまたふわふわ、とさせる。
 くるくると一瞬回ってみる。とても綺麗だ。と私はそれに見とれる。
「おいていくぞ」
「……待ってくださいです」
 私は慌ててトウゼの後を追いかけた。するとトウゼは吟遊詩人の前まで歩いていき、そしてふと足を
止める。
「フェアリーテイルのうちのひとつか?」
「ええ、フェアリーマスターの契約者のうちの一人、麗しの光の姫ロクサーヌと闇の王の恋物語ですよ
。吟遊詩人キーンについては歌はほとんど残ってませんけど、しかし最近はノルンの聖歌とやらがはや
っていて、中々足をとめてくれる人はいないですけど」
 吟遊詩人の青年は苦笑して答える。彼は広場の噴水に腰掛けて、そして歌っていた。
 トウゼはそこまで足を伸ばして青年に話しかける。彼にしては珍しい。と私は思う。
 青年の髪は金、傍系貴族の血でもひくのかしら? と私は思う。
 ここの町の人は大概は私みたいな黒髪黒目、もしくは栗色とかが髪の色には多いから。
「……そうか」
 青年が手にするのは珍しい形の弦楽器。
「あらバラライカですかあ」
「そうです、東の方に伝わる楽器ですよ」
 にこり、と青年は柔らかく笑う。この笑い方は何処かで見たことがある。と私は思う。
「……アレイスタ……」
 アレイスタ・ライト・ルーディンではない。今存在する闇魔術師といえば、シェラのストーカーのア
レイスタだ。
「……アレイスタ?」
「……いいえ知り合いに貴方が似ていたので」
「はあ」
 青年の笑い方はどうもあいつによく似ていた。
 柔らかい優しい笑い、とても綺麗に笑う。
 質が少し違うが、長もこういう笑い方をする。
 危険だ。と私の中の私が警鐘を鳴らす。
 青年が不思議そうにこちらを見る。私はじりじり、と後ろに下がる。
「……おい」
「……貴方、あの人の知り合いですね!」
「え?」
「絶対にそうですわ! 貴方、アレイスタを知ってるでしょう!」
 全体的な雰囲気がよく似ているのだ。笑っているのに笑ってない感じ、それに「アレイスタ」という
名前に彼はかすかだが反応した。
 青年は苦笑とともに次の瞬間答える。ただ黙ってトウゼはそれを見ている。
「……やっぱりばれちゃいましたか、貴方ユスラさんでしょう? この曲歌えば、近寄ってきてくれる
かもな。と思ったら案の定ですね。ノルンのシスター服じゃないですけど、あなたかなり目立つからわ
かりますよ。年の頃十五、六、長い黒髪にそしてその美しい透き通った緑の目、アレイスタから聞いて
いた通りですね」
 人好きのする笑みで青年は笑う。トウゼは私たちの会話を黙って聞いている。
 青年は少し長めの金の髪をさらりと風になびかせ、そして笑う。それは天使のように綺麗な笑みで。

「……しかし、アレイスタとどうして知り合いだとわかったのです? 気配はうまく隠したつもりだっ
たのになぁ」
「……そういう笑い方をする人は、何かがありますのよ。闇魔術師に特有の微笑み方ですの。アレイス
タもそういう笑い方しますわ。笑ってるのに笑ってない感じ」
 青年はそうですかあ、とのんきに笑いながら言う。
 彼の顔立ちは平凡そのもの、といった感じ、金の髪以外は人目を引かない。
 目の色は薄い琥珀色、歌声さえなければ、人ごみに埋もれる。そんな感じの容姿。
「闇魔術はすばらしいのに」
「あれは破滅の魔術ですわよ。アレイスタもあれはもう手出しはしてないですわよ!」
「……憎しみの心に身をゆだねるのは楽しいのに」
 にこり、とまた青年は穏やかに笑う。穏やかで澄んだ微笑を闇の魔術師たちはする。
 私の緑の目を狙ってきた輩は大概がそうだった。変な笑いをするじじいの魔術師もいたけど。
「とりあえず、それはおいておいて、貴方の緑の目って綺麗ですよね。よかったら僕にくださいません
か? 貴方の死後で結構ですので」
「……いやですわ」
 私ははっきりと答える。この魔術師は私たちに割りと友好的だ……とは思う。
 大概が策を弄してこの目を手に入れよう。としたり力押しだったりはするが、しかしこあっさりと正
体を認めた魔術師は少ない。
 まあ口は悪いですけど、魔術師は口が皆大概悪いですし。
「それは残念、そういえば貴方旅にでたらしいですね。アレイスタが言ってましたよ」
「あれもここにきてますのね、やっぱり……」
「面白いものを手に入れた。っていってたですけどね」
 トウゼはただ黙って私たちの話を聞いていた。どうも興味がない。という様子だった。
「そのフェアリーテイルは何処で知った?」
「……ああ妖精博士の、エイリー教授から聞いたんですよ。都の方にいる妖精の研究かでもあります。
彼はフェアリーマスターについての研究をなさってますから。僕の研究課題もそれですし、今の……ね
。アレイスタに依頼されていまして」
「……エイリー……」
「エイリー・ラクスン、女性の方ですよ。貴方なら知ってると思いますけど、魔術師トウゼ」
 トウゼを見て、にっこり、とまた綺麗に彼は笑う。
 トウゼのことも知ってるのか、と私は意外に思う。
「どうしてトウゼってわかりましたの? 私と一緒に旅してるってことまで彼は言ってました?」
「いやあ、そこまでは」
「貴方そういえば名前は?」
「キリエ・エレイソン」
 この魂に哀れみを。という名前を彼はつげた。私はそれを聞いて聞いて深いため息をつくしかなかっ
た。
「本名ですの?」
「そう」
「そうですの」
 それしか言葉はでない。こんな名前を子供につけるなんてろくな親じゃない。と思う。この魂に憐れ
みを。なんて。
「アレイスタは何処ですの?」
「なんかふらふらでかけていったようだから、しらないなあ。夕方には帰ってくるよ。僕の家にいまい
るし、変わった鉄の小箱をもって、ふらふらしてるよ」
「それですわ」
 私はまたまたため息をついた。それにディアが閉じ込められているに違いないと思う。あのお間抜け
妖精、と私はため息をつきながら思う。
「それって?」
「私の知り合いの妖精がどうもそこに閉じ込められているようですの」
「あああのきゃんきゃん煩いのか、役にたちそうもないなあ、ってアレイスタが言ってたけど」
「あれは役にはたちませんわよ。煩いだけですわ」
「確かにねえ、煩かった」
 リア、リア、遊ぼうよ。とかいってよくまとわり付いてきたちび妖精。
 まあ知り合いだからだしてやらないと、とは思う。
「……お前が探しているのはそいつなのか?」
「間違いないですわ」
「そうか」
「トウゼ、貴方アレイスタとあったら『解剖させて』っていわれたらうんって答えたら駄目ですわよ。
あれ、本当にしますから」
「別に…かまわんが」
 というかねえ、まともに会話になってますけど、どうもねえ、彼ってよくわからないですわ。ろくで
もないしょうもない会話なら会話になりますのよ。
「……魔術師トウゼ、君なんでも願い事を叶えるって本当? 僕の願いことも叶えて欲しいなあ。とか
いってみたりして、って冗談冗談」
 私がぎっとにらむと、キリエが苦笑とともに否定する。
 トウゼは相変わらずの無表情だった。
「君って誰かに似てるね。そうだそうだ、シェラだ。シェラザード!」
「シェラってこんな無愛想じゃないです」
「昔すごく無愛想だったから」
「へえ」
 バラライカを手に、またそれの弦をキリエははじいた。びん、という音がする。
 彼は、陽気に笑いながら、歌を歌う。
「……哀れなる者よ。その魂に憐れみを」
「……貴方のご両親はノルン教徒ですの?」
「……いや、この名前をつけたのは実はアレイスタ」
 彼はアレイスタよりは五歳ほど年下に見える。見た年のころはメノウより少し下くらい。トウゼと同
い年くらいに見える。
「え?」
「同じ魔術師の下に師事していたんだけど、その魔術師に僕は小さい頃拾われたて。その時彼がこの名
前を僕につけたんだ」
「なんて悪趣味な……」
 私の言葉にキリエは苦笑で返す。こんな困ったような笑い方もどこか長やアレイスタに似ている。そ
う、何か邪気がないというか……そんな笑い方。
「この魂に憐れみを、というのは確か教祖ヴェルスパーが記した聖典の確か、五百章だったかな?」
「……そうですわ」
 私ははあとまたため息をついた。ノルンの慈悲を歌う聖歌の中にこれはあるのだ。
 この魂に憐れみを。は。
「僕の家にきますか、夕方には彼戻りますよ?」
「本屋にいきたいのですわぁ、その前に」
「案内しますよよかったら」
「……緑の目ほしいっていいませんよね?」
「冗談ですよ、冗談。シェラが怖いからいいません」
 キリエははあっと深いため息をひとつつく。シェラの知り合いはアレイスタくらいしか私は知らない
。彼女は過去の暗殺者時代のことはあまり語りたがらないから。
「……シェラとも知り合いですのね」
「はい、暗殺者仲間でした。今も僕はそうですけど、暗殺は趣味ですし」
「闇魔術師は大概はそうですわよね。人を殺すのが趣味な人は多いですわ……」
「憎悪の念を受けるのはとてもすばらしい事ですよね♪」
 ああなんか無邪気に笑うこの姿、これはどうしても長に似てるぞ、と私は思う。
「……アレイスタ……」
「アレイスタ。シェラの知り合いの元魔術師なのですわ。私の知り合いですの」
「聞いたことはある。エイリーラクスンの名も、聞いたことだけはあるな」
「エイリーは貴方のことも興味持ってましたよ。魔術師トウゼ、貴方は二百年以上生きてるとか、化け
物を体に飼ってるとか『帰還者』である。とか色々噂ありますけど、本当ですか?」
 エイリー・ラクスン。私もあったことがある。
 というかアレイスタの知り合いで、妖精研究家、の変わったおばさんだった。
「……さあな」
「……貴方のその体を切り裂いたらどうなっているのでしょうかねえ?」
 うっとり、とした表情でキリエが語る。ああ、これもまたアレイスタと同類だ。と思う。
 興味深いな、と目をきらきらさせてキリエはトウゼを見つめた。
「解剖でもするか?」
「できましたら、させてください」
「おやめなさい、変な冗談は!」
 私は怒りの表情で彼を止める。冗談ですよ。と苦笑とともに彼は答えた。
 しかし平然と別にいい、と答えるトウゼに私はあきれた視線を向けるしかなかった。


8 : :2007/08/16(木) 19:05:31 ID:rcoJVemH

FIariy site 夢の行方 8 中編

「ほしいですわあ」
「……はあ」
「これほしいですわあ」
 何度も私が繰り返すと、キリエが渋い顔をする。
 ここは本屋、そこにある薄い本、装丁は可愛らしいピンク。それは大好きな恋愛小説の新刊だった。

 私の財布には銅貨が一枚、それは五枚ないと買えない。
 私は上目遣いにキリエを見る。だってお金かしてくれそうなのは、彼しかいないから。楽譜を手に持
って彼は渋い顔をする。
「……僕だってお金はそんなに今ないですよ」
「銅貨四枚でいいのですわあ」
「しかし……」
「よみたいのですわあ」
 ずっとずっと続きを待っていたのだ。都の有名な女流作家が書いた本、メロウじゃあ中々手に入らな
い。
 私は何度も何度もキリエを見る。
「……僕だってこれを買ったらそれだけ残りません」
 諦めろ、とキリエは言う。トウゼは鬱陶しい、という顔で分厚い古典文学の本をめくっている。相変
わらずの無表情。
 私は本を見つめ、そしてその本をここで読めるか、と計算する。
 駄目だ、トウゼが待っていてはくれまい。と思う。
「欲しいですわぁ」
 深いため息をトウゼはつく、そして私へと手を差し出す。
「なんですの?」
 何も言わず彼は手を差し出す。そこには銅貨が四枚。
「……貸していただけますの!」
「使え」
 ただそれだけ言って、煩い、といった顔で彼はそれを私に渡して、また再び本をめくりだす。
「ありがとうですわあ」
 私は早速小銭を手に、本を買ってくる。キリエは渋い顔で私たちを見ていた。
「なんだか、お菓子をねだる子供と母親みたいだね」
 彼のいった言葉を聞いて、一瞬ものすごくいやそうにトウゼは眉をよせた。
 それを私は気が付かないふりをして、そしてにこにこ顔で、恋愛小説の新刊を手に入れた。ロクサー
ヌ姫と闇の王の物語。
 ああ、ようやく新刊が手にはいりましたわ。と私はるんるん気分で、トウゼを見る。
 しかし彼は、広い本屋の片隅で、分厚い本を手に、ただそれを読んでいるだけだった。
 やっぱり子供が煩くて、渋々お菓子をかってやる母親にそれはちょっとだけ似ていた。
「どうしてキリエはノルンの聖歌を歌いませんの? ある程度は知ってるのでしょう? 闇魔術師なら
知識程度は」
「……そうだねえ、狂気の女神フラーテ、嘆きの女神フラーテの歌が一番僕は好きだな。だからねえ、
僕はノルンの聖歌は好かない。美しいことばかり歌っているから」
 本屋を出て、私たちはキリエの家に向かっていた。彼は楽譜を手に、それを読みながら歩いている。
バラライカを片手に持ちながら。
「儲かりたいのなら、ノルンの聖歌が一番ですわ」
「確かにそうだね」
 嘆きの女神の歌が一番だけどね、と楽しそうにキリエが笑う。
 闇魔術師は憎悪とか復讐とか、嘆きとかいった負の想念を好むから。
 殺意とか争い、悲しみとか苦痛とか。
 本当に趣味が悪い、と私は思う。
「闇魔術……」
「闇魔術、それはアレイスタ・ライト・ルーディンの系統の魔術、憎悪、怨嗟、苦痛、悲しみなどとい
った負の想念を核として魔力を増幅する。禁断、禁忌の魔術。しかしそれを使おうとする魔術師は多い
。なればこそ闇の魔術を行使するものは多い」
 トウゼがいった言葉に、丁寧にキリエは説明する。しかし興味ない、とばかりにふんと鼻をトウゼは
ひとつ鳴らす。
「……闇魔術のグリモワールは一般人にも力を与える、光より闇のほうが、人の想念に多いから」
「だからこそフェアリーテイルを集める傍ら、それを私は回収してるのですわ。あの馬鹿魔術師が書い
たグリモワールを!」
「知ってる、アレイスタから聞いた。僕もひとつもってるよ」
 闇魔術に身をゆだねれば、確かにらくにはなれる。
 しかしそれは安易に使えば、身の破滅を呼び覚ます。
 私はキリエがとても綺麗に、天使のように笑うのを見て、闇魔術が人に与える闇の深さを感じ取る。

 綺麗に笑える人は、狂気を心に潜ませる人だから。長のように。
「そのグリモア、私にいただけません?」
「僕の願いをひとつ叶えてくれたら、あげるよ」
 にっこり、と食えない笑みをキリエは浮かべる。彼は立ち止まり、そしてトウゼのほうをまっすぐに
見て、そしてこういった。
「君の過去を教えてくれたなら」と。
「それとこれとは関係ないだろう、キリエ・エレイソン」
 私が冷たい瞳でキリエを見る。すると彼は今までにない興味を私に示したようだった。
「ほう、違う人格ですか」
「……『俺』、いやちがうな、私はお前のような魔術師は嫌いだ。特に闇を扱うものはな。お前たちに
は何もない、光もない、希望もない、未来への渇望もない。生への執着すら。私の主、マイマスターが
望んだのは『世界の真理』『魔術の根源』『アルスマグナ』だけだ。そして永遠だ」
 私が冷たい瞳で、キリエを見ると、トウゼはふんとまた鼻を鳴らす。
 興味などない。といった様子で。
「……」
「トウゼ。お前にとっては馬鹿馬鹿しいものでも、わが主であった魔術師にとっては生きる理由だった
のだよ。そのような暴言は慎んで貰おう。あいつがお前のことをどう言おうとも、俺はお前などはただ
利用できるだけの存在だ。としか思ってないさ」
 深い静かな敵意とも殺意ともつかぬ眼差しを俺は浮かべ、そして冷笑をもってトウゼに対峙する。嘲
りの笑みを唇に宿す。
 私は腕組みをして、そしてトウゼへと酷薄な笑みを向けた。
「……魔術師をお前が名乗るのは、魔術師に対しては失礼なことだがな」
「あのぉ、ユスラさん」
「……下賎のものが、俺に声をかけるな」
「……はあ」
「高位妖精に対して魔術師は、従えられるものか否か、を瞬時に判断しなければいけない。お前の魔力
値、魂の輝きなどは、くすんでいる。俺はお前を『気に入らないな』」
 はあ、とキリエが困ったように俺を見る。
 あいつが『駄目ですわぁ、人の悪口いっては』と突っ込みをいれるが、俺は無視した。
「……高位妖精、というがお前の今の魔力は、大して強くないぞ」
「……封じさえなければ、お前よりは上だ、トウゼ。俺は妖精王の側近だったんだぞ」
「今は違うだろう。お前はただの人間だ」
「俺は妖精だ!」
 俺はトウゼに食って掛かる。やつは冷笑でもって俺の反論をただ聞いている。
 キリエは「魂の輝きと、そしてグラマー(魔力)の強さは人間以上ですが」と俺を見てぶつぶつと言
っている。
「お前程度のやつに馬鹿にされるいわれはねえ!」
「今は人間だろう?」
「……俺は帰るんだ。永久の楽園へと!」
 帰りたい、帰りたい。と俺の中で妖精の部分がささやく。
 俺はぱんと手を合わせる。そして焔をそこから生み出し、トウゼへと向かって投げつける体勢に入る

「……人間風情が、妖精を馬鹿にする言葉をはくか!」
「……お前はただの人間だ。それに妖精であったとしてもたかが妖精だ」
「くそ、いらいらする。なんでお前みたいなやつに『あいつ』はくっついていくんだ。後ろをくっつい
て嬉しそうにほえほえ笑って! 馬鹿馬鹿しい!」
 トウゼは無機質な瞳、嘲りの笑みで俺を見た。
 キリエが「喧嘩はちょっと」ととめる、俺は炎を迷わずキリエにその瞬間投げつけた。
「……死者の冷たき焔、紅の焔を消せ!」
 キリエが呪文を唱え、俺の焔を消し去る。俺は呪文の詠唱をすばやく行う魔術師相手に、同じように
『死者』の呪文を唱え、攻撃した。
「死者の冷たき吐息よ。死の風となりて、死の口付けを与えん!」
 俺はにやりと笑う。人間だけがこんな詠唱呪文をつかえるわけじゃねえ。元々は妖精がこのような言
霊を考え出したんだと思いながら。
 俺の生み出した青い風がキリエへと向かう。
「……冷たき躯よ」
 キリエの呪文が間に合わない。と見て取ると、トウゼが何を考えたのか、仕方ないといったように手
を突き出す。
 すると風が跡形もなく消えていった。
「往来で馬鹿なことはするな」
 人は今はほとんどいないが、数人ぱらぱらと歩いていた人が目を丸くしてこちらを見ている。限りな
く冷たいブリザードのような瞳でトウゼは私を見ている。
「ごめんなさいですわぁ、『彼女』に対する封じが、甘くなっていて」
「ああノルンの退魔士たちがつけている『能力封じ』のアクセサリーですね」
「シスター服や、金の月や星の紋章などもある一種の封じなのです。今は眼鏡と、ピアスと指輪だけし
かないので、どうしても緩くなって…」
 私ははあとため息をつく。あの服と紋章をつけることはどうしてもトウゼはいやそうだったので、今
は私は長い黒髪をそのままたらして、普通の娘が着るような服を身に着けている。
 銀のピアス、指輪などは身につけてはいるが、どうも『能力封じ』は弱くなっている。
「それらは封じというか、私に対する封じというか、ほかのシスターたちにとっては『増幅』などの対
応もしているみたいですけど。まあ制御用具ですね」
「どうして封じる必要がある?」
「……彼女の凶暴さは知ってるでしょう? 笑いながら平気で人を傷つけたり殺したりするのを野放し
にできます? 私がとめてもきかないのですわよ」
「お前はあいつ、あいつはお前だろう?」
「理性で本能がとめられないときがあるようなものですわよ」
 私はトウゼに向かって言葉をかける。少しだけきつい感じになるのは否めない。
 彼は相変わらずの無表情で、私を見るだけだったから。
「……お腹すいたです……」
「魔力使うとお腹すくよね」
 くうとお腹がなると、私は少し恥ずかしげにほほを染める。
 あうう、お願いですわぁ、トウゼの前でお腹ならないでください。と私はお腹にお願いするが、また
くうと鳴る。
「ふみゃあああう?」
「……あらあらケット、使い魔さんは?」
「ふみいい」
「トウゼの御用事があるのですかなら仕方ないですわね」
 黒猫がふみふみいいながら、私の足元へとよってきた。
 妖精猫は神出鬼没だ。
「みゃん、みゃう!」
「……抱っこしてくれって? ああもう重いですのに」
「ふみ」
 悲しそうな顔で黒い猫は私を見上げる。しかたないな、とため息をついて私は猫を抱き上げた。
「ふみいいい」
「……ああはいはい、ディアは見つかりましたわよ」
「みい」
「ということでキリエ、そろそろアレイスタは帰ってます? ついでにグリモアを私にください」
「……割とずうずうしいね。ユスラさん」
 私はふんと鼻を鳴らす。ずうずうしいっていわれるのはあまりないが。
 しかしグリモアはどうしても回収しないと駄目だ。と思う。
「グリモアをあげるけど、その代わりにトウゼさんの過去を……」
「俺はかまわん」
「そう、じゃあ、グリモアはあげる」
 キリエは私に向かって言う。トウゼは優しいですわあ、私が困ってるのを見て、助け舟を出してくだ
さいましたわ。と私は思う。
 しかしふみいい、とそう思った瞬間ケットは鳴く。
 偶然だよ、偶然、というようにケットは鳴いた。
「アレイスタは帰ってますですかしら?」
「そろそろ帰ってるね」
「じゃあ案内してくださいませ」
「はいはい」
 私はずうずうしい、とキリエにまた言われる。
 いいですわよ、どうせずうずうしいですわ。と私が頬をぷうと膨らませる。
 トウゼは私の腕にいる太った黒猫を「たまには歩け」といいながらただ見ている。
 ああやっぱりなあ、私には無関心ですわ。と私はため息をつきながら思った。
「……あれ、ユスラさん? どうしてここに?」
「……えっとあのキリエさんに町中であって、そして貴方のお話聞いて、あのぉ、アレイスタ」
「ああ、キリエに貴方の話してましたしね。そういえばこれみつけたんですよ。ほらほら珍しいでしょ
う。蜻蛉羽を持つ妖精ですよこれ」
 にこにこと人好きのする笑みを浮かべ、アレイスタは木の粗末な扉を開けて、家にはいってきた私た
ちを出迎えた。
 彼は椅子に座り、鉄の箱を持って、それを振っている。
『だしてぇ、暗いよ、怖いよ。お願い、出してぇ』という可愛らしい少女の声がそこから聞こえてくる
 。
『怖いよぉ、暗いよぉ、助けてぇ、ファーお母さん、ルー兄さん。リア、リア。助けてぇ。カルナさま
ぁ』
「てあたりしだいに知り合いの名前をよんでますわ。かなり切羽づまってますわね。この箱の中にいる
のは、私の友達でディアという妖精なのです。おまぬけさんですが良い子なのですわ。だしてあげてく
ださいませ」
 箱の中からきゃわきゃわ、という女の子の声が聞こえる。かなりあせっているようで、手当たりしだ
いに知り合いの名前をよんで助けを求めていた。
 私はアレイスタに向かって頭をぺこんと下げる。
「せっかく捕まえたのですけど」
「……お願いですわぁ。貴方がずっと欲しがっていた私がシェラからもらったペンダントあげますから

 私が言うと、アレイスタは瞳を輝かせて嬉しそうに破顔した。
 トウゼは興味なさげに私たちを見ている。キリエの家はとても小さな家だった。町のはずれにある。

 魔術師というよりは、一人できちんと生活している人の家という感じだった。
 きちんと整理整頓されていて、それに綺麗。
 玄関をすぐ入ったところに居間があり、その奥に部屋があるらしい、扉が奥のほうにある。
 アレイスタは木の机の前に腰掛けていたが、立ち上がり、鉄の箱を私へと差し出す。
「はいどうぞ」
「……シェラの名前は偉大ですわぁ」
「シェラは僕の女神ですからね」
 嬉しそうにアレイスタは笑う。うわーいと喜ぶさまはまるで少女のよう。
 キリエは小さな台所で、お茶を入れるべくカップを取り出していた。トウゼはアレイスタの向かいに
ある木の小さな椅子に座る。
「……ふええ、怖かったよぉ、ふええ暗かったよぉ。よかったよぉ、出れたよぉ」
「よかったですわね、ディア」
「……ふえ? あれぇ、リアじゃん。よかった、あたしの声聞こえたんだね。出してくれてあんがと。
よかった。怖かったんだ」
 アレイスタが複雑な装飾が施された鉄の箱を開けた瞬間、蜻蛉のような薄い羽をつけた小さな妖精が
勢いよく鉄の箱から飛び出してくる。
 可愛い女ののすがたをした妖精。まっすぐな金色の長い髪、アクアマリンの瞳。
 薄いふわふわのピンクのドレスを着ている。足にはピンクのリボンが巻きついていて、鈴がついてい
る。りんりんとそれが鳴っている。
 髪にもピンクのリボンをつけていて、とても可愛らしい。
 妖精の中の妖精、といった感じがする。とても見かけは愛らしい。
「お久しぶりですわ、ディア」
「えっとリア、あんただいぶ変わったね。あれぇ? あんたのマスターの魔術師って死んだよね? ア
レイスタ・ライトとかっていういけ好かないやつ。それにあんた人間みたいになってるけど?」
 きゃわきゃわとディアは煩く立て続けに質問する。
 好奇心は妖精の特権、というかその中でも知りたがりがディアだった。
 私の周りをぱたぱたと飛びまわり、好奇心いっぱいの瞳で私をディアは見る。
「私は王によって十六年前、ティルナノーグを追放されて、人の赤子に魂を封じられました。貴方はま
あ人間界をうろうろ遊びまわっていたから知らないでしょうが」
 私が説明すると、へえ、そんなことあったんだぁ、とディアが何度も何度もいいながら飛び回る。り
んりんと鈴の音をさせながら。
「なんだか煩い妖精ですね」
「……昔からこれはそうですわぁ」
「……はあ」
 さすがのアレイスタも目が点になっている。きゃわきゃわと煩い妖精ディアは、ねえねえ、とまた質
問攻めを今度はトウゼにはじめた。
 鉄の箱が机の上におかれているのをみて一瞬、ディアはとてもいやそうな顔になる。
 しかし気を取り直して、トウゼの肩にちょこんと座る。
「あたしが見えてるよね、魔術師なら」
「ああ」
「……あんた、リアのマスター?」
「違う」
「……マスターじゃないのに、なんで妖精と一緒にいるの?」
「……契約だ」
 ふうん、といったようにディアは頷く。足をぱたぱたさせながら、彼女は少しだけいやそうな顔でト
ウゼを見た。
「……あんたあのアレイスタっていう魔術師みたいに、あたしのこと蝶みたいに扱ったりしないよね。
羽触られると結構痛いんだけど」
「……しないが」
「ならいいけどさ、魔術師って大概、性格悪いよね。あんたも性格悪そう」
 びしっとトウゼを指差してディアは言い切る。だからそのはっきりきっぱり言い切るのはやめたほう
が。と私は頭を抱え込んで思う。
 しかしトウゼは相変わらず無表情。
 キリエはお茶を入れ終えたようで、人数分のカップを手にことらに戻ってくる。
「……よかったね、出して貰えて」
「……あんたも魔術師だぁ、あたし捕まえたこっちのやつもそうみたい。いやだなあ、魔術師ばっか」

 魔術師嫌いのディアは、いやそうにキリエとアレイスタを見て顔をゆがめる。
 昔の私のマスターにこっぴどくやられたことをまだ根に持っているらしい。
 だから彼女は大の魔術師嫌い。
「……契約って何? どうして妖精なのに使い魔にしないの? リアはすごく力のある妖精だよ、使役
しないの?」
「俺は別にそんなことはしない」
「……ふうん」
 トウゼの肩からぴょんと飛び降り、今度は私の方へと向かってディアは飛んでくる。
 目をくるくるさせて、興味津々といったように私を見る。
 キリエはカップをことんと私たちの前へとおいていく。アレイスタと私、キリエも椅子に座った。
「……どうして追放されたの?」
「……王を殺そうとしましたの」
「ああ、いつかすると思ってたよ。あいつ性格悪いもんね。愛想つかすと思ってたよ。リア。あいつあ
んたのこと気に入ってたから追放にしたんだね。だって消すはずはないし」
 勝手にディアは自分の中で納得している。王を殺そうとした妖精をほうっておくのはさすがにまずい
から追放処分にしたのかあ、とディアは何度も頷く。
 ああディア、王の悪口いって許される妖精は多分貴方とカルナと、私の妖精のお母さんくらいですわ
。と私は思う。


9 : :2007/08/28(火) 23:25:31 ID:rcoJVemH

FIariy site 夢の行方 8 後編

「ディア、貴方はどうしてこの箱にはいったのですか?」
「鉄怖いから、いやだったんだけどさ、この箱、なんか魔術かかってるよ。妖精捕まえるみたいな」
 私が質問すると、いやそうにまた顔をディアはゆがめる。
 ディアって昔からおっちょこちょいだったから、こんな魔術にひっかかるのですわ。と私は思う。
「ねぇ、あんた、これマスターにするの?」
「しませんわよ。人間が人間の使い魔にはなれませんわ。こちらはトウゼですわ。そしてこっちがアレ
イスタに、キリエ」
「そっか、今あんた人間だもんね。つか、こいつあのいけすかないやつと同じ名前じゃん。それにこれ
、凄い力の魔術師だね」
 アレイスタを指差し、あはは、とおかしげに笑いながらディアはたずねる。
 これ、とトウゼのことをいうのはちょっと、と思ったから紹介したが、どうもねえ。ディアはトウゼ
のことこれ、としか呼ばないつもりらしい。
「……ディア、貴方ね!」
「すごく面白そうだよ。リアが人間になったなんてさ。あたし、あんたについていくよ。決めたぁ。面
白そうだもん」
「……煩い羽虫だな」
 きゃわきゃわと楽しげに笑うディアを見て、ふんとトウゼが鼻を鳴らす。
 ソレを見てディアはすごくいやそうに顔をまたゆがめた。
「あたしあんた嫌い!」
「……そうか」
「あたし羽虫じゃないもん、妖精だもん。リアラ・ディアージュ。って名前あるんだからね! これ本
名じゃないけど。みんなディアとかリアラとか呼ぶけど」
 妖精は真実の名前はめったに明かさない。私の妖精の名前も人間風にやくしたものだ。ディアのもそ
う。
 ばたばたと足を動かしけたたましくディアが騒ぐ。
 すると「煩いな」と一言トウゼは言い放つ。
 ああこの二人犬猿の仲、と私は頭を抱えて、ため息をついた。
 アレイスタは困ったように私たちを見て、キリエはのほほん、と椅子に座りカップにいれたお茶をの
んでいた。
「……どうしてあんたアレイスタっていうの?」
「……ユスラさん……いやまあリアさんのマスターであった魔術師がかなり有名でね、今いる魔術師は
その名前をあやかってつけることが多いのですよ。私も本名は別にあります」
「ふうん、あいつがね」
 リディアは興味を今度はアレイスタにうつしたようで、きゃわきゃわとまた煩くアレイスタの周りを
飛び交う。
 はあ、頼むから黙ってくれ、と私は頭を抱え込んで思う。
「シャムロックは契約の草、プリムローズは契約の花」
 今度はどこかごきげんでディアは歌を歌い始める。というかねえディア、貴方気分がかわりすぎです
わ、と思う。
「……ディア、あのねえ」
「ディア、あのね、あのね、今はどこにいるの?」
「メロウですわ」
 気分がころころ変わるころころ妖精、それがディア。
 今泣いたカラスがもう笑った。という感じ。
「……アレイスタって名前あたし嫌い」
 アレイスタははあ、と困った顔でディアを見る。
 アレイスタの周りを飛び回り、「つかまらないもんね」とディアはべえっと舌をだした。だからねえ
、貴方それはおやめなさいな。と思う。
「メロウって変な宗教はやっている町だよね?」
「私はその変な宗教に仕える人間ですわよ。今は」
「ふうん」
 あたしには関係ないけどね、というようにディアはアレイスタの肩にちょこん、と座って、「アレイ
スタって名前いやだよねえ」と話しかけている。
「いや別に……」
「トウゼって名前も珍しいけどね」
「そうだな」
「ユスラさん夕食どうします?」
「……いただきますわ」
「ユスラって誰?」
 ディアがぱたぱたと私の周りを飛び回りたずねる。私のことですわよ。と答えると、どうしてえ?と
ディアは何度もたずねる。
 鬱陶しい、と私は思い、そして意図的に『彼女』と意識をかえた。
 アレイスタとキリエは夕食の準備をはじめるべく立ち上がる。
 トウゼはお茶をゆっくりと飲み干し、ディアを見ていた。
「……おい煩い、ディア」
「あれぇ、あんたもリア。だよねあんたのほうがリアっぽい」
「……どうしてそう能天気なんだよ」
 私はため息をついて、ディアの羽を持つ。すると痛いよぉ、となみだ目でディアは訴えかけてきた。

「黙れ」
「痛い、痛い、リアの馬鹿!」
 キック、キック、というようにけりを私にディアはいれようとする。
 ますますきゃんきゃんと煩くディアはほえた。

「おいしい、おいしいなあこれ!」
 ディアがけたたましくうれしそうに笑い声を立てる。
 小さな器にシチューを盛ってもらって、それを彼女は豪勢にそれを平らげていた。
 騒ぎを終えて、ちょっとだけ落ち着いた彼女はキリエが作ってくれたシチューをおいしそうに食べて
いる。かなり現金だ。
「そんなにおいしい?」
「うん!」
「それはよかったです」
「でも、妖精は味覚がないとおもっていたけどなぁ?」
 不思議そうにアレイスタがかわいらしく小首をかしげる。
 エプロンをつけて、キリエはてきぱきと今度はアレイスタの皿にシチューをおたまでもりつけていく
。それはどこか主婦のような感じだった。
 少しおかしい、と思いながら私は小さくクスクスと笑う。
 アレイスタはますます不思議そうに小首をかしげた。
「ユスラさんが笑ってる」
「……リアはよく笑うよ? それにこれおいしい、おかわり!」
 小さい皿をからにして、ディアはおかわりを叫ぶ、すさまじく食欲が旺盛だ。
 トウゼは何もいわず黙ってシチューを食べている。相変わらずの無表情で。
「妖精も笑うの……?」
「うん、笑うよ。それにあたしご飯はおいしいってのがわかるよ。王もわかるよ? ケットさまもわか
る」
 うんうん、とディアは頷く。
 がふがふとシチューを食べる黒猫はふみ? と不思議そうにないている。
 神出鬼没の黒猫は実は王の側近だ。
 アレイスタは目を丸くしてディアを見る。そしてキリエはお玉をなべへとからん、と落として、そし
て彼も不思議そうにディアを見た。
「妖精とはフェアリーゲートの先にいる神秘の……」
「あたしの兄さんは半分人間、あたしの母さんはもともと人間。だからね、あたしは人間が大好き。だ
から神秘でもなんでもないって思う妖精は」
 キリエはふうん、といったようにエプロンを取りながら相槌を打つ。
 彼はとてもきれいに澄んだ瞳で今度はトウゼを見た。
「あなたは彷徨い人? それとも……迷い人?」
「どういうそれは違いだ?」
「彷徨い人は妖精に呼ばれた人だよ。迷い人は純粋に妖精国に迷いこんだ人、たまにいるんだ。妖精と
波長の合う人間。それが迷い人」
 ディアはもぐもぐといれてもらったシチューを食べながら、トウゼの質問についての答えの補足をい
れる。
 キリエはそう。といったように頷く。
「さあな」
「……狂った魂のにごりがないから、迷い人?」
「さあねえ、でも多分なあ、このおっさんの魂、王好みだよ多分。だから王に呼ばれたと思う」
 ディアの言葉に私は激しく反論と否定を浴びせかける。
「トウゼはおっさんじゃないですわ!」
「おっさんじゃん……あたし人間にしたら十六くらいの年齢だもん、リアと同じだよ同じ。だからおっ

さん」
 ディアは私の言葉にちょっとした苦笑で返す。
 私はだんと机を乱暴にたたき、反論する。
「ディアにいわれたくないですわ!」
「なんで?」
「八百歳のばばあに!」
「リアもじゃん!」
 私とディアは強いまなざしでにらみ合う。まあまあといったようにアレイスタが仲裁に入る。キリエ
はきれいに、とてもきれいに笑ってトウゼに質問を続けた。
「……妖精は好きですか?」
「さあな」
「……人を殺したいと思ったことは?」
「……」
「……あなたはこの世界を好きですか?」
「別に」
 トウゼは彼の質問に相変わらずの無表情で答えていく。
 アレイスタはディアの羽をつまみあげ、そして彼女の体をぷらぷらと揺らす。
「それ以上けんかすると、また閉じ込めますよ?」
「……いやああ!!!
「じゃあ静かに」
 ディアは口をあわててつむぐ、そっと机の上にアレイスタはディアをおろしてやった。
 私はふうっとため息をひとつつき、そしてトウゼとキリエを見ていた。
「……わかりました。あなたは彷徨い人です」
 ただそれだけいって、キリエは黙る。そして彼は自分のすっかりさめてしまったシチューを椅子に座
って静かに飲み始めた。

 人は人を殺すことを罪と思うことは普通だ。
 それを思わない人はシン。オリジナルシンの持ち主だ。それを原罪ともいう。
 私は昔私の主がいっていた言葉を思い出す。
 彼は自分が彷徨い人だ。といっていた。
 そして人を殺すことを自分は思わないとも。
 そんな心の持ち主を王は呼び寄せるとも。
「……オリジナル・シン」
「……原罪?」
「……アレイスタは、我が主はその持ち主だったのでしょうか?」
「さあな」
 私の言葉を聞いたトウゼは鬱陶しいというように、ただ一言だけそういってまたシチューを食べ始め
る。
 彼はシチューしか食べていない。パンとかサラダとか手をつけないでお腹すかないのですかしら? 
と私はちょっとだけ思う。私はデザート用に出された小さなチョコのお菓子を今はつまんでいる。
「……トウゼってどうしてそう人の言葉を簡単にうけながしますの! 会話ってキャッチボールですの
よ!」
「つまらん」
 私ははあっと大きくため息をつく。会話は成立しないのは多分、私に魅力がないからだと思っている

 私がもっと大人で、美人で、胸があるシェラみたいな女性だったらもっとまともに対応してくれたと
も思う。
「……私は子供じゃないですわ。もう大人ですわ!」
「お前は子供だ」
「……トウゼの馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿!」
 馬鹿っていいすぎだよ。とディアがフォローを今度は入れる。
 私はだんだんと机をたたく、するとヒステリーはやめて、とアレイスタがフォローを入れる。
「男の人というものはあまり饒舌じゃないも……」
「うるさいですわごきぶり!」
「う……」
「黙りなさいですわぁ! 私はどうせ胸ないですわよぉ……」
「しまった。これ……お酒入っている。ストップ、ユスラさん、それ以上たべ……」
「うるさいですわぁ、トカゲ、トカゲ、トカゲ、無表情魔術師……それに変態魔術師たち! うるさい
変態!」
 私はだんだんと机を乱暴にたたく、頭が痛いがんがんする。
 目がぐるぐると回る……暗転する世界、ぐるぐると回る世界。
 私は興奮と頭痛と、そして心配そうに見るみんなの顔を最後に見た。
 そして私の体はぐらっと後ろに倒れる。トウゼが私へと回り込んでその体を受け止める。
 ……やっぱりやさしいですわぁ、と私はちょっぴり思う。
 そして暗転、私の意識は闇の中に落ちた。
 

「……トウゼ」
「……寝かせろ」
「おい、むらむらっとこないか?」
 俺はあいつが完全に意識を失ったのを見越して、そしてトウゼに与えられた部屋へと忍び込んでいた
。客室のうちのひとつに寝かされていた俺、隣でくうくうと平和な寝息を立てて寝ていたディアをを置
いて、おれはここに夜這いとやらにきている。
 俺はトウゼの上にのる形でいる。あいつの着ている服を脱いで今は肌着でいる。
「……ガキにその気にはなれん」
「……おい、多分、お前があいつを抱けば、こいつお前に幻滅して多分でてこなくなるぞしばらく。そ
うすればお前も楽じゃねえ?」
「どちらもお前だ」
 うんざり、といったようにつめたい吐息をトウゼは吐く。
 俺はトウゼの冷たい頬を白い手で撫でた。
「ほら、お前も男だろ?」
「寝て来い」
「……くそ、いつかな、俺を抱きたい。と思わせる日をつくってやる!」
「それはないな」
 俺はちっと舌打ちする。グッドアイデアだと思ったのに。
 くそ、いつかこいつをその気にさせてやる。と思う。
 何か俺の中で壊れてきたような気がしていた。お前はお前だ。といわれるたびに俺の中の何かが動く

 俺の中で大きくなるような小さくなるような想い。
 それは昔マギ、俺のいとしいマグス。主に抱いた想いにちょっとだけ似ていた。


 遠い遠い昔あなたに出会った。それだけで幸せだった。と俺は小さい声で歌を歌う。
 小さい声で歌を歌っていた俺、庭先で俺は月を見上げ、ふわふわ空に浮いていた。
「ふみゃうん♪」
 一緒にあわせてケットも歌う。
 俺は黙って星を見上げている。するときいと小屋の扉があいて中からアレイスタが顔を出す。
「ユスラさんが煩いから、おきてしまいました」
「……煩いとはなんだ、シェラストーカー」
「……ひどいなぁ」
 きれいに本当にきれいにアレイスタは笑う。純粋に無垢に、無邪気に。
 透明で澄んだ湖のように透き通った瞳で彼は俺を見た。
 かぜをひきますよ? という忠告を俺は無視してまた月を見上げる。
「……ユスラさん」
「何だ?」
「……生きていて楽しいですか?」
「別に」
 俺は足を組む。そしてふわり、と夜風にスカートが巻き上げられるのを見る。
 さすがに寒いので俺はあいつの黒いシスター服を身にまとっていた。
 虚ろの瞳で俺はアレイスタを見返した。
 虚無の心しか今の俺の中にない。するとみゃうん? と不思議そうにケットが一声鳴く。
「……生きていて楽しいですか?」
「別に、生きるから生きるだけ」
「あなたは何もかもやっぱりどうでもいいんですね」
「別に……」
 俺はアレイスタの答えにそれだけを返す。
 こいつも俺と同類だ。とは思っている。
 整った白い顔にあるのは、ただの無機質な感情のない瞳。
 そしていっぺんの曇りもない、そう狂気の色がそこには宿っている。
 その無表情はまたトウゼとも違うもの。
 闇の色を瞳に現したまま、魔術師は優雅に笑う。その笑みの芳烈。
 薫り高く彼は笑う。俺もそれに答える。
 アレイスタの長い黒髪がさらりと風に揺れていた。それは我が主を思い出させる。
「あなたは……妖精ですね」
「ああそうだ」
「やはり妖精だ。その透明な輝き、そして悪意に対する悪意。敵意に対する敵意、好意に対する好意は

「トウゼは俺のことなんてなんとも思ってはいないぜ? でもあいつはトウゼにほれた」
「そういうこともあります。心とは狂ったもの。壊れたもの。妖精にも心があるようですから」
 澄んだ湖のような瞳の無垢さの中にある翳り。
 憂鬱なるほど悲しきその微笑の中にある、深い狂気。それを俺は感じ取る。
 そしてただ苦笑で返すしかない。
 どこまでも同質の魔術師はただ笑っていた。腕を組み、楽しそうに本当にきれいに笑っていた。
 ケットがみゃうみゃと嫌そうに鳴いている。どうもアレイスタは完全にケットに嫌われる部類の人間
のようだった。
 ケットはアレイスタをにらみつけ、そして「うみゃん!」と一声鳴いてどすどすと走り去っていった
。月明かりさえ見えぬ……闇の中へと。


「トウゼ、頭いたいですわぁ」
「……黙っていろ」
「……はあうううう」
 私は翌日、頭が痛くてふらふらだった。キリエは苦笑とともにもう一泊していけば? といってくれ
たが私はそれを断った。
 これ以上どうもあの人といたくなかったから。
 アレイスタ……彼と私はあまりうまがあわないから。
 キリエはグリモアを私へとくれる。そして「解剖していいですか?」とまたトウゼにたずねる。
「……別にかまわん、お前の腕一本とひきかえにな」
「遠慮しておきます」
 にっこり、とやわらかくやさしくキリエガ笑う。
 しかし私はそれに見とれることもなく、ずきずきする頭を抑えるしかなかった。
 アレイスタは相変わらずシェラ、シェラ。それだけ。
 彼は私に手紙を預け、シェラに渡してください。と仕切りに頼んだ。
 その手紙はあとでどこかに私は捨てるつもりだ。
「ディア、次はどうするの? あたし違うところに遊びにいってくる。またあんたのところにくるね!

「二度とくるなですわぁ」
 私は今はキリエの家を後にして、そしてトウゼにおぶわれて歩いていた。
 ふらふらとした足取りで、歩く私を見かねて彼が私を負ぶってくれたのである。
 ちょっとだけ幸せだ。と私は思う。
 ディアも消えて、ケットも多分使い魔さんのところ、幸せだ二人っきりだ。と私は思う。
 二日酔いに痛む頭を抑えて、彼の背中に背負われて私はちょっとだけ幸せを感じていた。
 酒はもう飲むな、といやそうに言うトウゼの声を聞きながら、私はちょっとだけ幸せによっていた。


 キリエとアレイスタ、この後彼らとはまた別の場所で出会う。
 いい出会いではない形で。


10 : :2008/01/02(水) 22:07:09 ID:rcoJVemH

FIariy site 夢の行方 9 前編

「ねえ、知ってる? アルジェ?」
「……なあに? アーシア?」
「……えっとね、教団の中庭にある池あるでしょ。あそこにね……」
「あそこに?」
「お化けがでる……らしいのよ」
 長い金髪の少女が、楽しそうに笑いながら話している。
 快活な様子で話す彼女を見て、まさかあ、というような顔でそれを聞くのは銀髪の少女。
 深いアメジストの瞳がとても印象的だ。
 アルジェと呼ばれた銀髪の少女は……あのカエル池で? といささか懐疑的な様子でその怪談話を聞いている。
 青い目に楽しげな光を浮かべてアーシアと呼ばれた少女は笑った。
「出るらしいのよ。しかもね」
「しかも?」
「……金髪に青い瞳の眼鏡をした女の子が!」
「ふうん」
「信じてないのね!」
 ばかばかしい、というように年のころ十歳ほどの幼い姿に似合わないどこか大人びた笑みをアルジェ
は浮かべた。
 アルジェのその笑い顔は、あの嫌味長にちょっと似てるなあ。とアーシアは思う。
 顔立ちもどこか天使のようにアルジェは美しかったから。
「……ねえ、見に行かない?」
「あのカエル池? ごめん私カエル嫌いなのよ」
「あの馬鹿長みたいなことをいわないでよ。アルジェ〜。ねえねえ、楽しそうでしょ。きっとねこのお
話したらルカ様喜んでくれるわよ。ネルおねえちゃまだって、ユーミルだって、ネイお兄様だって! 
だって金髪に青い眼、眼鏡の優しそうな姿の女の子って絶対ジーナさまだって。ルカ様のを育ててくだ
さったという、ほらノルン様の御使いだっていう!」
「……そうかしらねえ? どうせ私このあの長と同じ銀髪紫眼だってこと事態でルカ様に嫌われてるし
、別にすかれなくたっていいけど」
 もしも神様が本当にいるのなら、私は神を断罪する。と言い切ったアルジェは長に似てる色彩だから
ルカ様別に嫌ってるわけじゃなくて。
 過激な発言するから、苦手にしてるだけなんだよ。と心の中でアーシアは思う。
 自分は確かにジーナ様と同じ色彩をしてるから、好かれてるところあるけどさあ、とアーシアは分析
する。好きなものと似たものは人はあまり嫌うことはできないらしいから。
「とりあえず言っておくけど、私あの長の隠し子とやらじゃないからね」
「……わかってるわよお。私アルジェの亡くなったお父さんとお母さんのことはしってるし、あたした
ち幼馴染じゃないのお」
 アルジェはどこか大人びた眼差しをしている。しかも全てを憎んでるかのような過激思想ももってい
る。以前『ヴェルスパー様の予知』があたったものの一つとして『アディ村の大火』があり、それでア
ーシアの両親とアルジェの両親、他に沢山の村人が死んで、二人だけが生き残ってから万事がこの調子
だったから。
「でもでもでも! 私たちが能力者だったのはあれがきっかけで能力に目覚めたからで。そのおかげで
教団に引き取られて、退魔士候補になれたのは、悪いことだったとは思わないけど私。あの大火が起こ
ったのは仕方ないことで。森の火事が原因なんだし、ヴェルスパー様の予言を村の人が聞かなかったの
が原因だし、でもでもそれは」
「神様なんてこの世界にはいないのよ」
 両親が自分をかばったせいで死んだ。とアルジェは思っているし、実際にその通りだったから。
 アーシアは別の町にある親戚の家にたまたま泊まっていたから無事だったから、あの大火の悲劇は直
接には知らない。両親が亡くなったというショックで覚醒はしたけれど。と思う。
 アルジェはふうと小さくため息をついた。
 闇の神殿でルカの直属として自分たちが引き取られたのは、『ヴェルスパーの予知』がらみの恨みが
あれば、長の直属にはできないだろう、という教団側の考えがあってのことだ。と彼女は思っている。

 十歳の幼さに似合わない聡明さを彼女はもっていた。
「あれで弟も死んだわ」
「……ってか……ルカ様のことすきでしょアルジェ? 好かれたいとか思わないの?」
「別に……」
 信じることも愛することも、別に全てがどうでもいいの。と全てを諦めきった笑みを彼女は浮かべる

「どうせ私二十歳まで生きられないんだし」
「だからあ! それはまだ確定してないって」
 どうせ生きられないのなら、別にいいけどね。と彼女は強く言い切った。
 何もかもどうでもいいし、と飄々と言い切るアルジェのことは結構ルカ様このわけのわからん性格自
体は嫌いじゃないと思うよ。とアーシアは考える。
 ちょっぴり過激な言葉がびっくりさせてるだけでと。苦手でも嫌いじゃないと思うと。
「……でもでもでも、ジーナさまかもしれないし!」
 闇の神殿にある庭のベンチで座って話し合う美少女たち、それを見れば、長のところのあの変態ロリ
コン司祭は『観察』とやらを始めるだろうなあ。というそんな刺激的な昼下がりの光景。
「……わかったわ、付き合えばいいんでしょ? そのお化け、夜にしかでないのよね?」
「そうそう夜中なのよ。でもでもでもジーナさまならお化けってよんじゃ失礼よね。えっとえっとえっ
と」
「ゴースト、と便宜的にでも呼べばいいと思うけど?」
「それかっこいいね、それ決定!」
 びしっとアルジェを指差してアーシアは笑う。屈託ない少女の笑みを見て、アルジェはまた小さくた
め息をついた。
 


「……アルジェ、アーシア……お前たち勉学は進んでるのか? リロイがよく授業を抜け出すといって
困っていたぞ」
「だってつまらないもの、あの眼が見えないなんだっけ、名前忘れたけど、格好あまりよくない男の人
が来てから、皆なんかえっとなんだっけ? そうそうそうユーインお兄ちゃん、ユーインお兄ちゃんっ
てなついちゃって! 馬鹿馬鹿しい、あんな人大嫌い! ネイお兄様やネルおねえちゃまにお勉強おし
えてほしいもん。ねえルカ様、私たちもユーミルみたいにおねえちゃまにお勉強おしえてほしいの!」

 私は別にあの人嫌いじゃないけど、とぼそっとアーシアの横にいるアルジェは言う。
 ルカははあと深いため息をこれみよがしについた。
 白髪をちょっと長めに伸ばした黒い瞳の渋いおじさん。と言った見掛けだが、目つきはかなり鋭い。

 アーシアはため息に気がつかない様子で強く力説した。
「だってだってだって、もうちょっと格好いい人がよかったんだもん! ネイおにいちゃまみたいに!

「その面食いどうにかしたほうがいいと思う……アーシア」
 同い年の幼馴染同士でも性格はずいぶん違う。とルカは思う。
 授業をサボって庭で遊んでいたのはちょっとだが、アルジェはかなり聡明だ。基礎の勉強はもう終わ
ってるし、授業が退屈なのだろう。と思う。
 アーシアは確実に『格好いい人がいないから』が原因だとは思うが。
「……とりあえず授業は十三歳になるまでは必須だ。今度のそのなんだ……ユーインとやらの授業には
でるように」
「いやよ!」
「アーシア!」
「だってだって退屈なお話とかしてくれるだけなんだもん!」
 アルジェは別に私はあの人嫌いじゃないけれど、見てるとイライラするのは確かね。とさらりと言う
。ルカはその言動に一瞬気をとられる。
 神様はこの世界にいないのよ。と言い切るどこか世界を斜めにみている少女がそういう言い方をする
ことはめったになかったから。
「……どうしてイライラするんだアルジェリ?」
 アルジェという愛称ではなく、アルジェリという正式な名前をルカはよんでいた。
 アルジェはふっとどこか人を小ばかにしたような笑みを浮かべた。
「……あの人、だって偽善者なんですもの。ルカ様」
「偽善者?」
「…人に気を使って愛想振りまいて、馬鹿みたいですから」
 私はあの人苦手です。とアルジェは言い切った。紫の眼に浮かぶのはどこか全てを諦めた光だった。

 全てを諦めた子供はそういう人間を苦手なものか、とルカは思う。
「とりあえず次の授業はでるように、おやつを一週間ぬきの罰にするぞ」
「うううううううわかりました……」
 神様なんて世界にはいないのよ。とアルジェはまた言う。
 そして彼女はふうとまた小さくため息をついた。
 アーシアはルカ様けち、と文句を言い続け泣いていた。


「この世界には神様なんていないのよか」
「お前が!」
 白い白い道があって、その道をまっすぐに歩いていたの。とルカは歌う。
 そして歌いながら、銀色のナイフを手に持ち、目の前にいる鎖で手を壁につながれた男の皮膚にそれ
をあてた。
 そしてすっとナイフを手前に引く。
「うわあああああ!」
 ルカに何かを言いかけていた男は、言葉を失い、口から悲鳴を吐き出す。
 白い白い道があってその道をまっすぐに歩いていたのよ。とまたルカは歌いだす。
「ジーナがこの歌が好きだった」
 皮膚の皮をはぐと、痛みだけがそこに長く残る。
 白い白いね、道を歩いていたのよ。と彼はまた歌う、とても愉しげに。
「この地下室につれてこられた感想はどうだ?」
「う…うう」
「神は天にいませり、世はこともなし……かな」
 何わけをわからんことをいっているんだ。と男は強い痛みの中思った。
「……ふむ、異教徒の中には詩心をわからぬものはおおいな。これはかの有名なジーニアスの詩だ。彼
が歌った詩だ」
 ジーニアス・オレイル。人殺しの詩人。として有名な彼が作った詩のうちの一説。
 大量殺人者、という別名を持っていた彼は、数十人もの人を、拉致監禁、そして拷問をして殺し、詩
をそのたびごとに作り上げた。という狂人でもある。
 ルカは彼は素晴らしい人だ。と愉しげに笑って言った。
「……何が……ううう」
「……彼は美しい詩を作っていた。それだけで彼は素晴らしい」
 哄笑が地下室に響き渡る。皮膚をはぐと、血が噴出す。痛みだけが後に残る。
 痛みが長く残る。男は悲鳴をあげながら、皮膚をはがされていく。
「ふむ皮膚だけをはぐのは難しいな」
 世界はどうしてこんなに綺麗で悲しい。とかれはまた歌を呼んでいた。
 異教徒を拷問する彼は例えようもなくどこか愉しげでもあった。
「芸術的ではないな」
 一番いい拷問方法を知っているか? と彼は楽しげに笑う。その笑みの芳烈。
 どこか薫り高く彼は笑った。
 愉悦に彩られた闇の瞳はとても澄んでいて美しい。
「……そうだな、皮膚をゆっくりとやすりで研いでいくんだ」
 やわらかい言葉が犠牲者の耳元でささやかれる。
「ゆっくりとそれをひくんだ。ああそれから目は最初からつぶしてはいけない、自分がされているさまを目に焼き付けることができなくなるからな、最後に目はつぶすんだ」
「うわああああああ!」
 ルカは静かにまた笑う。その笑みはとても静かだった。
「ふむ異教徒はうるさいものだな」
 彼は篝火に鉄の棒をつける。そしてやけこげたそれを男の手に押し付けた。
「うわああああああ!」
 焼け焦げる匂い、肉の香りが当たりに漂う。
 それをかいで一瞬いやそうに彼は顔をゆがめた。
「臭いな、豚のような匂いだ」
 地下室に充満する匂い、そして悲鳴、絶叫を聞いても彼の表情は動かない。
 動じない彼を見て、手足を封じられた男は恐怖に叫ぶ。
「やめてくれええ!」
「ふむ……前の異教徒はもう少しもったものだが」
「話す、話せというならなん……」
 あまり愉しくないな、そろそろ終わりにするか、と小さくルカは呟いた。
 彼は白い髪を掻き揚げ、そしてとてもきれいで澄んだ声で歌った。
「神の恩寵……我が神、美しき気高き神よ。汝の祝福あらんことを」
 それは祈り。
 それは絶望。
 それは死へと人々を導く呪い。
 祈りの言葉を歌にして、そしてルカはその手にもった短剣を男の目に突き刺した。
 


11 : :2008/01/02(水) 22:33:36 ID:rcoJVemH

FIariy site 夢の行方 9 後編

「幽霊なんているわけないじゃない……」
「アルジェ〜。それはわかったけどお。夜の中庭ってちょっと怖いね……」
 アーシアはいやそうに顔を歪め
た。少女というものはかえるという生物が苦手なものである。
 しかしアルジェは平気な顔でずんずん池に向かって歩いていく。
 夜、星空が少しだけ見えていた。
 少女が出歩くにはしかし遅い時間である。
「あううネルお姉さまに怒られるかもお」
 怖いよお。と目に涙をいっぱいにアーシアはためていた。
 しかしアルジェリは平気よ。とばかりにずんずん池に向かって歩いていく。
 おずおず、とした感じでその後にアーシアはついていった。
「……石?」
「石って?」
 アーシアは池のほとりにおちている小さなピンク色の石に手を伸ばした。
「光?」
「綺麗な石ね」
「……これディンブラだわ、ディンブラ」
「ディンブラ?」
「人の心の中の景色を映し出しまじない石といわれるものよ。今なんか教団で流行ってるの。誰もいな
い夜、この石を誰も来ないところに隠して、一週間誰にもみつからなければ、なんか恋がかなうとかな
んとか…この前、エリヤ様が教団のシスターたちに配っていたのみたわ。あの人時々変なものもってく
るけど……ディンブラだったのか、普通のまじない石じゃなかったのね」
「どう違うの? アルジェリ?」
 ピンク色のつるつるとした綺麗な石を見て、ふうと小さくアルジェはため息をつく。
 中庭のかえる池はめったに人が近づかないから、いい隠し場所と思ったんでしょうねえ。と彼女は言
う。
「ディンブラは、人の心の願いを映し出すのよ。その力が一番強い石、妖精……フェイが近くに住む場
所にある石だといわれてるのよ。これデイルドレあたりのまじない石だと思うわ。恋のおまじまいに最
適だけど、どうも水と相性がかなりいいのよ。だから水辺の近くにおくと、その場所の近くにいる人の
心にある景色なども映し出すといわれてるの」
 へえ、すごいなあ、アルジェリって物知りね。とアーシアは感心したというように手を叩く。
 この前読んだ本にのっていたのよ。とアルジェリは言う。
『泣かないで……泣かないで……ルカ』
「……これ、ルカ様の心の中ね」
 泣かないで、泣かないで、という優しい声が池の中から聞こえてくる。
 一番強い人の心の景色を映し出しているのね。とアルジェリは思う。
『……どうか幸せに……』
「アルジェリ! 火事……真っ赤よ。池が!」
「……多分、ルカ様とアイリス様、ジーナ様が昔あった火事ってやつよ。この火事のせいでジーナ様や
、ルカ様やアイリス様がいた孤児院が焼けて、ジーナ様たちおなくなりになったって聞いたから」
 池の上が真っ赤に燃えていた。ちょっとだけ綺麗ね、と静かにアルジェリが笑いながら言う。
 その微笑はとても怖い、とアーシアは思う。
『どうか……幸せに』
 焔の中あるのは、金の髪の少女。青い瞳の少女はとても優しい微笑をしていた。
 眼鏡をかけた大人しげな綺麗な少女、ちょっとユスラに似ている。とアルジェリは思う。
「……孤児院の焼き討ちは、誤ってルカ様が孤児院があった村の子供と喧嘩して傷つけてしまったから
だったって聞いたわ私。村の人々は孤児たちの存在を忌み嫌っていたそうだから、それに怒ってしたこ
とだったって」
「ひどい……ことよね」
「人ってそんなものよ」
 お願い、幸せになってと繰り返す少女の声。ああルカ様の心を映し出しているのね。とアルジェリは
思う。
「水の上に真紅が映えてとても綺麗ね……」
「もうアルジェ、不謹慎なこといわないの!」
 深い深い青い目に浮かぶのは優しい慈愛、優しそうな人、とアルジェリは思った。
『……ごめんなさい、ごめんなさい……僕のせいでお母さんは死んだの、お父様……ごめんなさい』
 ごめんなさい、という小さな子供の声、長い銀の髪をした少年が、池の上に浮かんでいた。
 真紅が消えていく。少女の姿も消えていく。紫の瞳をした少年が、白い寝巻き姿で池の上に浮かんで
いる。とても綺麗な顔をした少年だった。まるで少女のような美しさだった。
『ごめんなさい……お父様、だから悲しまないで……お父様のせいじゃない』
「……これって誰?」
「さあ?」
 長い銀の髪をした少年が泣いていた。年のころは八歳ほど、身体はかなりやせている。
 もしかしたらもう少し年が上かもとアルジェリは思う。
 どこか深い透明な悲しみに満ちたどこか大人びた光を宿していたからだ。
『ごめんなさい……お父様』
 だから泣かないで、と少年は泣きながら繰り返す。とても悲しい顔で二人を少年は見ていた。
「ノルン様の像に顔似てる。とても綺麗な子ね」
「……この子、なんかあの馬鹿長に似てる……」
「まさか、あの馬鹿長が泣くわけないって、あはははは子供のころだってあんな感じだったと私思うわ

 アーシアが笑い飛ばすが、アルジェリはどこか渋い顔で少年を見ている。
 あの顔はやっぱり長だわ。とアルジェリは確信した。
『許してとはいけないけれど……お願いだから泣かないでお父様』
「貴方、ラナン・シー・ルーン?」
『ごめんなさい……お母さん、会いたい。会いたい、会いたい……会いたい、会いたい、会いたい。…
…ディアドラ』
「ディアドラ?」
『ごめんなさい……ディア、僕のディア、ごめんなさい』
 ディアドラって誰? とアルジェリは思う。そんな名前は聞いたことがないと。
 子供は泣き続ける。ごめんなさい、ディアドラと言って。
『愛してる。愛してる……愛してる。この世界が終わったとしても、永遠に君を愛してる。ディアドラ
、僕の……永遠の恋人……』
 子供の声が小さくなる。その声は子供ではなくなり、十代後半ほどの青年の声にかわっていった。
『愛してる……僕のディアドラ、永遠に』
 愛してる。愛してる。と繰り返す声、子供の姿はいつのまにか消えていた。
 その声にある深い悲しみを感じ取り、アルジェリはまた深いため息をついた。
「……多分これ長だわ」
「……ほえ?」
「……長の心を映し出してるの。でもどうしてあの馬鹿長生きてるの? これだけの哀しみを抱えて生
きてられる人間なんているの? いたとしてもとっくの昔に壊れてるか、狂ってると思うけど、普通」

 深い悲しみに満ちた声、絶望を映した紫の瞳。
 あの馬鹿長って意外と怖いわ、とアルジェリは実感した。
 にぶいアーシアは感じなかったようだけどと思いながら。
「……悲しいわね」
「何が?」
「これだけの哀しみをもち続けてる、ルカ様も、馬鹿長も」
 ディンブラは哀しみの心を好むのよ本当は、とアルジェリは小さく呟く。
 アーシアに聞こえぬように、もう誰もいない夜の池を見つめながら、彼女は呟いた。
 アーシアは不思議そうにアルジェを見ている。
 ディンブラはフェイが作り出した哀しみを映し出す石。
 本当は恋の成就じゃなくて、悲恋を好む石。
 それは狂気の女神フラーテが作り出した石なのよと。
 悲しい恋に囚われた人の心を映し出す石が、いつのまにか恋の成就させる石という伝説にかわってい
ただけなのと。
「悲しいわね……」
「アルジェ〜、何が?」
「恋って」
 この石はおいておかないほうがいいわね。と彼女は池にじゃぶじゃぶと入っていってピンク色の石を
取り出した。
 そしてそれを懐にいれる。深い悲しみに満ちた瞳で彼女は石を見つめていた。
「あんな狂気はいつまでも映し出すものじゃないわ」
「狂気?」
「恋の狂気を映し出した景色なんてみたくないってこと」
 これはアイリス様あたりにいって処分してもらいましょう。と銀の髪を彼女は軽く夜風に流しながら
、そして言った。
 どうして人は恋するのかしらねえ。とどこか生に飽いたような空虚な目で池を見つめながら。
 
 
「ユーインおにいちゃん、ご本よんで!」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お話して!」
 ルッカ、エイル。ちょっと待ってね、と盲目の青年が優しく微笑む。
 彼に甘えかかる男の子たちを冷たい目でアルジェリは見ていた。
「……アルジェ、お話聞かないの?」
「……ええ、昔話は嫌いなの」
 ルッカがたずねると、銀髪の少女はふうと小さくため息をついた。
 図書館で盲目の青年の周りに群がる子供をどこか彼女は冷たい目で見ている。
「何よんでるの? アルジェ」
「……神様が世界のすべてにお怒りになって、人間が建てた神の塔をお壊しになってしまったお話しよ」
「ノルンさまのお話?」
「いいえ、異教徒たちの神のお話よ、まあ異教徒なんて、すべて消えてしまえば……『あの方』のお嘆きも少しは少なくなるでしょうに」
 アルジェは冷たい声で、エイルの疑問にいらえを返した。
 無邪気におとぎ話を青年にねだる少年は、どこか恐れるように身をひく。
 冷たい……冷たいアルジェの雰囲気に呑まれたのだ。
「アルジェ、中庭にいこうよ! まだきれいなお花咲いてるよ。スノードロップだけど」
「スノードロップね、私は嫌いよ」
「もうアルジェったら!」
 長い黒髪の少女は困ったように笑う。彼女はふうと小さくため息をついた。
「楽しいわよ、ユーインお兄様のお話、アルジェも一緒にきいていかない? お花つみにいかないなら」
「遠慮しておくわ、エマ」
 もう協調性ないんだからあ、と困ったようにエマはふうとため息をつく。
 もう貴方の相棒は街に遊びに勝手にでかけたし、とエマは苦笑した。
「エマ、この前のお話の続きをするよ。アルジェ……さんも一緒に」
「遠慮しておくわ、私、子供のお話は嫌いなの」
 ユーインは小さい子供たちにかこまれながらも、孤高の少女に声をかける。
 彼女は一人いすに座り本をよんでいたが、ばしっと読んでいた本を音を立てて閉じた。
 ふかふかのじゅうたんの上に座って、お話をねだる子供たちを冷たい目で彼女は見る。
「メテル・ウパルシン……まあ気をつけることですねユーインさん。貴方にノルンの神の祝福があらんことを」
「もうアルジェ、それ異教徒に対する侮辱の言葉じゃない、そんなのユーインお兄様につかうなんて」
「あらふさわしい言葉だと思うわ」
 アルジェはやわらかくやさしく一瞬笑う。そして『ノルンさまの祝福、恩寵が貴方にあらんことを』とユーインに向かって一礼する。
 エマの怒りの声さえもアルジェには聞こえない。
 ユーインはやさしくアルジェに笑みを返した。
 ふうとそれを見てアルジェはため息をつく。
「……私は中庭に行くわ。女の子たちと一緒にお花をつんできますから」
「もうアルジェったら!」
 アルジェは紫の瞳に絶望を浮かべる。どうせ世界は変わらない。と彼女は小声でささやいた。
 神様は残酷で、そして誰よりも慈悲深く気高い、と彼女はささやいた。
 まるで神への怨嗟のように。

「アルジェ、それはどうした?」
「ルカ様のために摘んできたの」
「ああ、ありがとう。お前は優しいな」
 やさしいな、とルカからいわれると、少しだけ照れたようにアルジェは笑う。
 白い花を彼女はルカへと差し出した。
「この花の花言葉、ルカ様は知ってますか?」
「なんというのだ?」
「救ってくださいっていうんです」
 それを聞いたとたん、少しだけ眉をルカは動かす。
 そして彼は大きな手でアルジェの銀の髪を優しくなでた。
「私は別に銀色は嫌いじゃない」
「……そうですか」
「私は紫も別に嫌いじゃない」
「はい」
 アルジェは甘えるようにルカに身を摺り寄せる。
 彼は異教徒がいない世界になれば、みんな幸せになれる。とアルジェにやさしく声をかける。
「異教徒には死を」
「はい」
 アルジェはルカに身をすりよせながら、そして小さく目を瞑った。
 そして『お父さん』と小さく小さく声をだした。
 


12 :西 :2008/03/20(木) 14:53:36 ID:ocsFWiWk

Fairy site 夢の行方 10 前

 輝く星が二つ、こちらを見下ろしている。
 冷たい緑の凶星。
 目もくらむばかりの光。
 俺はただ横たわったまま、立ち上がることも出来ない。
 それの前で、俺は限りなく無力だ。
 緑の双眸にかすかな笑みが浮かぶ。
 黄金の指先が頬にふれた。赤子の肌の感触を楽しむように、軽くなぶるように。
「トウゼ」
 気まぐれな弧を描く口元が、可笑しげにそうつぶやいた。
 妖精の名付け親(フェアリーゴッドファーザー)は、その緑の瞳に酷薄な笑みを浮かべた
まま。

 女は走っている。赤ん坊を胸に抱き、髪をふり乱し走っている。
 逃げなければ逃げなければ逃げなければ。
 息も絶え絶えに、そうつぶやいているのが聞こえる。
 この子を、逃がさなければ。
 緑の破滅がやってくる!
 夏の夜の幻の平原を、女はひたすらに走っている。


 珍しくトウゼより先に目を覚ました。ふるえながらテントから出ると、ほとんど灰と炭
だけになったたき火のそばに黒い姿が横たわっていたのだ。ユスラはまぶたを閉じた魔術
師の白い顔をのぞきこみ、にっこりとほほえむ。彼はいつもユスラよりも遅くに眠り、ユ
スラより早く起き出しているから、無防備な寝顔を見ることなどめったにない。もしかし
たら初めてかもしれない。
 トウゼもたぶん疲れているんですわ。
 ユスラはそそくさとテントに戻り毛布をひっぱり出してくると、そっと黒い外套の上か
らかぶせた。こんなところで眠って寒いだろうと思うのだけど、彼は決してユスラと同じ
テントでは寝ようとはしないのだ。気を使ってくれているのだろうから、仕方ないとは思
うのだが。
 冬の空は青く、よく晴れていた。葉の落ちた梢の間から朝の光が落ちている。ユスラは
ほわりと白い息を吐き出して、鼻歌まじりに身の回りの荷物の整理をはじめた。もう少し
寝かせてあげようと思ったのだ。
 本当は昨夜も街道筋の宿に泊まれるはずだった。夕方までには到着するはずだったの
に、色々と面倒があって結局野宿になってしまった。ユスラは簡易テントをたたみながら
昨日のことを思いだしてため息をつく。昨夜まではいたはずなのに、樹のうろにはまって
出られなくなったデブ猫も、その元凶となった小妖精もいない。あの小さな羽虫は珍しく
反省したようで、夕食の準備を手伝ってくれたのだけど、あまり役には立たなかった。
 不器用ながらもどうにか荷物をまとめ終わっても、黒い外套にくるまった姿は横になっ
たままだ。ユスラはちょっと笑って、街道沿いの冬枯れした森の中に進んだ。たまには朝
の散歩でもしてみよう。このあたりはメロウのあたりでは見たことのないねじくれた樹ば
かりだ。枯れた細い枝の先々に白い小さな実がついて、さながら花を咲かせているよう
だった。ユスラは首に巻いたマフラーに頬をうずめ、ずずと鼻をすする。教団にいた時も
退魔の仕事でメノウと色々旅はしたけれど、トウゼとの旅はやっぱり何か違う。トウゼは
この街道のまま、東の海の方へ進んでいるらしかった。あの魔術師は地図なんて見ないの
だけど、この間泊まった宿の壁に大きな地図が飾ってあったのだ。ユスラがそれを見上げ
ていると、宿の主人が丁寧に地理の説明をしてくれた。東にのびるこの街道はいくつかの
大きな街を抜け、荒野を横切り、山を迂回して、谷を越え、東の大海に面した大きな港町
が終点となる。もうそこは異民族の地だ。トウゼがどこへ進む予定なのか分らないけれ
ど、このまま進むのなら海なのだろう。ユスラもそこまでは行ったことがない。こんな辺
境までやって来て一体どうするのかしら。妖精国への手がかりなんて本当に見つかるのか
しら、と少し不安に思ったりもする。それでも今のユスラにとっては、魔術師と二人だけ
で旅が出来ることが嬉しくもあるのだけれど。
「王は何を考えているのですかしら……」
 チチ、と可愛らしい鳴き声とともに、小さな焦げ茶色の小鳥が幾重にも折り重なった細
い枝の間をとんとんと渡ってくる。寒さに体中の羽根をふくらませた体はまん丸だ。ユス
ラは小鳥を見上げて苦笑する。
「王と言ってもあなたのことではありませんのよ」
 “森の王様”は可愛らしく首を傾げて、高い声で歌っていた。まだ愛を歌う季節でもな
いだろうに、もしかして私のために歌ってくれているのかしらと、枝の間を飛び回る小さ
な姿をユスラはほほえんで眺めた。妖精たちの王も、あれくらい可愛かったらいいのにと
思う。王は気まぐれで残酷。優しさと酷さを平気で同じ笑顔にあわせもたせるひと。あの
ひとに気に入られた者は、ほぼ例外なく破滅の道を歩むのだ。ユスラはため息をつく。一
体自分はどうなるのだろう。精一杯あがいているつもりだけど、結局は踊らされているだ
けなのかもしれない。
 小さなミソサザイが冬の森の奥に飛んで行ってしまうのを見送ってから、昨日野営をし
た空き地に戻った。冬の空は青く雲一つない。高くなって来た太陽を横目にたき火のそば
に寄ると、トウゼはまだ横になったままだった。ユスラがかけた毛布もそのままだ。右腕
がうつぶせた体の下になって痛そうで、左腕と両足は無造作に土の上に投げ出されてい
る。倒れたみたいな姿。変な寝相ですわと思いながら、ユスラは半分かくれた白い顔をの
ぞきこむ。いつ見ても驚くほどに白い顔だ。大理石の彫像みたいな横顔。
「トウゼ、そろそろ起きてくださいな」
 早く出発しないと、今日もまた野宿になってしまう。魔術師の肩に手をかけて体をゆ
すった。返事はなかった。彼の体は妙に重くぐにゃりとして、ごろんとだらしなく仰向け
になった。頭がぐらりと揺れて、むき出しになった喉が寒々しい。
「トウゼ……?」
 おかしい。絶対におかしい。ユスラはこわごわと手をのばした。彼の肌に触れるのは何
故かためらわれた。意を決して血の気のない頬に触れる。……氷のように、冷たい。普段
からトウゼの体は暖かくはない。けれどそんなものじゃない。本当に体温がないのだ。冷
えきった死体のように。
「トウゼッ!?」
 眠ってなんかなかった! ユスラは一瞬にして頭の中が真っ暗になり、巨大な恐怖と混
乱が全身を押しつぶす。
 どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう!
「ケット!? ディア? カルナ、カルナッ!!」
 声を張り上げて助けを呼ぶけれど、妖精の助けは現れない。あの太った黒猫だったらど
うにか出来るかもしれないのに。どうして誰も来てくれないの? ユスラは泣き出したい
思いで魔術師の体をゆすった。
「使い魔さん、使い魔さん、トウゼが、トウゼが……っ!」
 陽炎のような影が魔術師の上に立ちあがり、千切れるように揺らいで消えた。かすかな
人の形が、苦しげに何かを訴えたのだ。
 ユ、ス、ラ、さ、ま……
 そう言ったように聞こえた。
「使い魔さん……!」
 魔術師がこの状態の今、使い魔の助力も期待はできない。
 ユスラは唇を噛み締めて立ち上がった。トウゼをこんなところにいさせるわけにはいか
ない。街道まで駆けて行ってあたりを見渡したが、地平線までどこにも人の影は見えな
かった。活気のある道ではないのだ。一番近くの村や街さえ、どのくらいの距離があるだ
ろう……。ユスラはトウゼの元に戻って、力のない体を抱きしめた。その冷たさに目の奥
が熱くなる。少しでも暖めてあげたら、目を覚ましてくれるかしら。泣くってこういうこ
となのかもしれないと、体の震えを堪えながら思った。
 背負って行くことが出来るだろうか。ユスラが大の男を背負うなんて無理だ。引きずっ
て行ったとしても、次の街までたどりつけるか分らない。力を使えば? でもどうやっ
て? 彼の体を浮かせるとしても、距離さえ分らない道のりをなんてたぶん体力が持たな
い。ただえさえユスラの力は魔術師と相性が悪いのに。
 ガサッと森の方で音がして、ユスラは飛び上がって駆け出した。誰でもいい。誰でもい
いから助けて!
 茂みの向こうに、荷車を引く少年がいた。体をすくめひどく怯えた表情で、飛び出して
来たユスラを凝視している。
「助けて下さい! 助けて、トウゼが、助けて……!」
 少年にしがみついて叫んだ。彼は目を見開いて青白い顔をして、突然のことに唖然と
突っ立っている。
「お願いします、トウゼが大変なんです! 助けて下さい、お願いします!」
 ユスラは少年の体をひっぱって、魔術師のもとへと急いだ。朝起きたら様子がおかし
かったことを早口でしゃべりたてると、少年は困ったように眉を寄せた。
 少年は戸惑った様子で魔術師を見下ろし、おそるおそるしゃがみこんでトウゼにふれ
る。それから顔をしかめ、不安でいっぱいのユスラを見上げた。
「……あんた、だめだよ。こいつもう死んでるじゃねえか」
「トウゼは死んでなんかいませんッ!!」
 だって息もしてねえし、と言いかける少年に、ユスラは泣きそうになって怒鳴った。そ
れは願いでもあった。だってトウゼが死ぬなんて、あるはずない。
「トウゼは……トウゼは……死んでなんて、いるはず、ないです……」
 ユスラの必死さに気圧されたのか、少年はためらいながら森の中の荷車を見た。
「助けて……下さい……」
「えっ……と……、と、とりあえず、ここに置いとくわけにも、だし……うちの村まで
だったら……乗せてっても、いいけど……」
「ありがとうございます……!」
 まだどうなるか分らないけど、とりあえず人のいる暖かい場所にトウゼを連れてゆけ
る。ユスラは嬉しさでいっぱいになって、何回も何回も少年に感謝した。少年はぱっと顔
を赤らめて、ぎこちない動作で荷車を取りに戻った。
 浮かない表情で少年が引いて来た荷車に、二人掛かりで魔術師を乗せた。荷車は土のつ
いた鋤や鍬以外何ものっていなかったので場所は十分だったが、少年と少女二人だけで完
全に意識のない男を動かすのは一苦労だった。
「死体……」少年は顔を曇らせしばらく荷車に横たわったトウゼを見つめていたが、その
考えを振り払うように首を振った。青い顔だ。気味悪がっているのかもしれない。ユスラ
は少し心配になったが、彼は無理に笑顔を作って荷車の引き手に手をかけた。
「けっこう、歩くけど」
「私は大丈夫ですわ。それよりもトウゼを早く休ませてあげたいのですわ……」
「う……うん。そうだな、寒い、し」
「私はユスラといいます。……彼はトウゼ。あの、こんなことになってしまって、本当に
ありがとうございますですわ」
「いや、俺は、別に……」
「あなたのお名前は?」
「え? あ、あ、うん。俺はケネス」
 年のころは十四くらいだろうか。くしゃくしゃの髪の少年はひどく困った様子でそれだ
け言って後ろを向いて荷車を引きはじめた。ユスラは荷台から突き出たトウゼの足をかば
うようにして荷車を押した。森の中の道は悪い。思い荷車を引くのは一苦労だ。ユスラは
後から少年の姿をながめた。最初は取り乱して気づかなかったが、少年の服は泥だらけ
だった。畑仕事でもして来たのかもしれない。
 それにしても、どうしてトウゼは倒れてしまったのだろう……。ユスラはため息をつい
て横たわる魔術師を見つめた。
「え……?」
 血? ユスラははっとして魔術師の黒い服をまさぐった。泥にまじってしまってよく分
からないけれど、このべっとりしたものはトウゼの血……? 見たところ怪我はない。で
も、もしかしたら服の下に怪我を……? 不安で胸が張り裂けそうな気分だった。けれど
今は何もできることはない。ユスラは唇を噛みしめ、無言で荷車を押した。

「……ふう」
 ユスラは椅子に腰掛けため息をついた。トウゼは粗末なベッドに横たわっている。狭い
部屋の小さなベッド。ひびの入った汚れた木の壁。あの少年の部屋を貸してもらえたのだ
けど、魔術師は変わらずに死んだようだった。肌はぞっとするほど冷たいし、……心臓の
鼓動だって聞こえない。本当に死んで……なんて嫌な考えが頭をよぎるけれど、それだけ
は必死で振り払った。だってトウゼは死ぬはずがない。根拠なんて何もないのだけど、そ
う信じるしかなかった。
 ごくりとつばを呑み込んで、ユスラは黒いシャツに手をかける。トウゼの体は白くて冷
たくて、傷一つなくてなめらかだった。堅い胸板、引き締まった体。腹筋。おへそ。ユス
ラは顔が熱くなるのを感じながら黒一色の服を脱がした。
 上半身には怪我や傷跡らしきものは何も見当たらなかった。けれど服に血が付いていた
のは確かで、トウゼの体は特殊だから怪我はもう跡形もなく治ってしまったのかもしれな
い。トウゼの体は、謎ばかりだから。
 さすがにズボンまでは脱がすことができなくて、上半身を検分しただけで慌てて布団を
かぶせた。そんな場合ではないと分かっているのだけど、考えるだけで頭がくらくらして
くるから。
 何を考えているのかしら私。ユスラはそんな自分を叱咤して、眠るトウゼを見つめた。
前髪に小さな枯れ葉がついているのを見つけて、それを指先でつまむ。一晩外で倒れてい
たからなのだろう、よく見るとたくさんのちりやゴミがついている。絡んだ小枝を取ろう
と髪を軽くひっぱっても、痛そうに顔を歪めることもない。
 ため息が出る。
「……トウゼ、どうしてしまいましたの……?」
 昨日の夜まではいつもと変わらぬ様子だったのに。いつもと同じで呆れたようにデブ猫
と小さな羽虫を眺めていたのに。
「様子はどう?」
 扉を開けて入って来たのは痩せた女で、気遣わしげに首を傾げた。ユスラが不安に満ち
た表情でふりかえると、大丈夫よと言うように曖昧な笑顔を作る。目のまわりに青い痣の
ある、くたびれた雰囲気の女だ。ユスラが顔の痣を見ると、「みっともないでしょう、気
にしないでくださいね」と困ったように言った
「こんなぼろ屋でごめんなさいね……。今息子がバジョットさんを呼びに行っているか
ら」
「いえ……。お家を貸していただけただけでとてもありがたいです。それで、あの、バ
ジョットさんって……?」
「病気や怪我にとても詳しい方なのよ。この村にはお医者様がいないから。きちんとお医
者様にお診せできたらいいのだけど、ごめんなさいね」
「そんな、お母様が謝ることじゃないですわ」
 少年の母はまた曖昧な笑って、手にもったカップをユスラに差し出す。そのカップには
ひびが入っていたけれど、あたたかなお茶が湯気を立てていた。
「あなたも疲れているんじゃないかと思って。お茶くらいしか出せませんけど、飲んでく
ださいね。こんなカップしかなくて申し訳ないのだけど……昨日きれいなのを割ってし
まったものだから」
「ありがとうございます。あたたまりますわ」
 朝から何も食べていなかったし、暖をとることもできなかったから、体は冷えきってい
る。確かにカップは黄ばんでひびが入り粗末なものだったが、あたたかなお茶はほっと体
に染みた。少年の母は包帯か何か必要なものはあるかと聞いたが、ユスラは困惑顔で首を
ふった。どうしてトウゼがこうなってしまったのかも分からない。何が必要なのかも分か
らない。そもそも医者に見せたとして、事体が好転するなんて思えないのに。逆に「死ん
でいる」と宣告されてしまうかもしれない。そうしたらユスラはどう言い訳したらいいの
だろう。ユスラ自身確かなことは何も分からないのに。トウゼは死んでなんかない。トウ
ゼが死ぬわけない。たとえ息をしていなくても、たとえ心臓が打っていなくても……。考
えるだけ不安が押し寄せて来て、ユスラは小さく頭をふった。布団の端から出た冷たい手
をぎゅっと握る。大きなごつごつした手。長くて細い指。それが全て氷のように冷たい。
 少年の母はそこに横たわる男がほとんど「死んでいる」状態だなんてことは何も知らな
い。ただ眠っているだけだと思っているのだろう。心配そうに瞬きをして、首を傾げて眠
るトウゼを見つめた。
「昨日までは元気だったんでしょう? どうしてしまったのかしらねえ……。何か思い当
たることはないの? いつもと変わった様子だったとか……」
「いつも通りだったと思うのですけど……」
「そう、じゃあどうしてしまったのかしらねえ……?」
 ユスラは昨日のことを思い起こす。何か変わったことはあっただろうか。何故か二人の
あとをついてくる黒猫と小妖精が、木のうろにはまって出られなくなった。あんまり羽虫
が騒いでうるさいので放っておくわけにもいかなくて、ひっぱり出すのに苦労したのだ。
そんなことをしているうちに日が暮れて来てしまって、結局野営をすることになった。デ
ブ猫は自分の失態に気落ちしたのかしょんぼりとたき火のそばでうずくまっていた。あの
羽虫はしばらく姿が見えなくなっていたのだが、夕食が出来上がるころに突然戻って来
て、珍しく手伝うと言い出した。スープの中に落っこちたりばかりで、全く役には立たな
かったのだけど。トウゼのことを思い出す。トウゼはいつもの通り仏頂面で力任せに猫を
ひっぱり出し、野営の準備をして、火を焚いて、携帯食での夕食を作っていた。夕食は干
し肉を使ったスープで、素朴だけどいいにおいがした。トウゼの作る料理はいつもシンプ
ルだけどおいしそうだ。ユスラには実際の味は分からないのだけど、そう思う。
「フィンヴァラの果実でも食べてしまったのかしらねえ……」
 考え深げにあごに手を当て、少年の母はそんなことをつぶやいた。
「……フィンヴァラ?」
「あら、ご存じないかしら。このあたりのお伽噺みたいなものなのよ。たいした意味はな
いから、気にしないで」
「どんな話なんですの……?」
「このあたりの森のどこかにね、《フィンヴァラの庭》っていうところがあるって言うの
よ。庭といっても森なのだけど、そこでは冬でも緑の葉が生い茂って、どの季節の花も咲
いているのですって。そこはとても美しい場所なのだけど、そこのものは決して食べては
いけないの。戻れなくなってしまうのだそうよ。だから森で突然調子が悪くなった人がい
ると、フィンバラの果実を食べたんじゃないかって、そんなふうに言うのよ……。あまり
気にしないでね。意味があるわけじゃないから……」
 フィンヴァラの庭。その庭になる果実。聞いたことのない名前だった。でも何故か心が
そわそわする。
 昨日はそんなおかしな場所には行かなかったし、食べたものも二人同じものだったはず
だ。
 わあ、おいしそうですわね。いただきますですわ。……トウゼは食べませんの? 冷め
てしまいますわよ。
 ……ああ。
 トウゼはそう言ってスープをすすった。珍しく笑っていたのを覚えている。器を眺めて
無言で口の端をつり上げて、奇妙な笑顔を浮かべて、それからいつもの無表情に戻り、
スープをすすった。
 どうして、トウゼはすぐに口を付けなかったのだろう。どうしてあんなふうに笑ってい
たのだろう。不安で心がかき曇る。あの中に、何か特別なものが入っていたの……?
 ぞわぞわした。
 普通の毒くらいじゃ、トウゼは平然としているのに。
 壁の向こうに、玄関の開く音がした。
「あら、ケネスが帰って来たのかしら……」
 部屋の扉が少しだけ開いて、ひどく沈んだ少年の顔がのぞいた。
「ケネス?」
「バジェットさん、今日街に出てるんだって。夕方には戻ってくるって言ってたけど……
だから」
「そう……出かけてらっしゃったの……」
 ケネスの声は口の中にこもってぼそぼそして聞きにくかった。ユスラは彼の顔を見上げ
た。暗くて憂鬱な表情。目が合うと困ったように眉を寄せて顔をそらした。
「あの、大丈夫ですわ。お医者様は、その、すぐじゃなくても問題ないと思いますから…
…えと、わざわざ呼びに行ってもらって、ありがとうございますです」
「そう……? 大丈夫かしら。心配だけど、いらっしゃらないのなら仕方ないわね……」
 少年の母は首を傾げて、同情するように眠るトウゼを見つめた。それからあの曖昧な笑
顔でユスラに笑いかけて立ち上がる。
「もうこんな時間ね。だいぶ遅いけれど、お昼ごはんを作りますね。お腹すいてるでしょ
う?」
 夕方になったらバジェットさんに来てもらいましょうね。少年の母は優しくユスラの肩
にふれて、狭い部屋を出て行った。ケネスはかすかに頭を下げて、うつむいたまま向こう
に引っ込んでしまった。
 またトウゼと二人だけになる。
 ユスラは少しだけほっとした。
 もしかしたら医者か詳しい人に見てもらえば、トウゼは回復するのかもしれない。でも
とてもそうは思えなくて、知らない人に闇雲に彼の体をいじってほしくはなかったのだ。
だからといって、それでトウゼが目を覚ます望みなんて何もないのだ。
 せめてケットか、あのディアでもいいからいればいいのに……。
 そこではっと気づいた。
 ディア。
 昨日何か変わったことと言ったら、それはあの小妖精が食事の準備を手伝っていたとこ
と。ふてくされていたはずなのに、突然しおらしく手伝うなんていいだして。
「……ディア?」
「なんか呼んだぁ?」
 ぎょっとした。思わずつぶやいた言葉に、耳の後ろあたりから能天気な返事が帰って来
る。ユスラが大慌てでふりむくと、透明な羽をはばたかせ問題の妖精が飛んでいた。ふわ
ふわの金の髪をふりながら、蜘蛛の糸で織ったような薄布をまとい、それをひらめかせな
がら陽気に踊る妖精。屈託のない情けないほどの笑顔。
「あ、あなた……! 今までどこに行っていたんですか!?」
 ユスラは叫びそうになるのをどうにか堪えて、できるだけ小さな声でささやいた。この
家は壁が薄いようで、となりの部屋に声が筒抜けなのだ。実際、今も向こうから母子の話
し声がかすかに聞こえてくる。お父さんがどこに行ったか知らないかしら? ……そんな
の、俺が知るわけないだろっ。手のひらにのるほどの小さな羽虫妖精は鈴をちりちり言わ
せながらせわしなくユスラの頭のまわりを飛び回りながら、口を尖らせ「え〜」と笑う。
「だってだって、仕返しされたらこわいかなぁ〜って。真っ黒トカゲ魔術師ってほんとに
性格悪いよねえ」
「仕返しって……」
「だって全然笑わないでしょ〜? リアも笑ってる顔見てみたいって言ってたよね? ね
えリア、笑った? 笑った?」
 能天気に問いかけてくる小妖精の言葉に、ユスラは体が冷えて行くのを感じた。ぞっと
鳥肌が立った。この子は何を言ってるの? 意味が分からない。
「あなたは……何を、何を、しましたの……?」
「はれ? 昨日のご飯に、妖精笑い茸いれただけだよぉ? 森の中で見つけたから、トカ
ゲ魔術師に食べさせたら笑うかな〜って。……どうかしたの?」
 ようやく異変に気づいたというように、小妖精はきょとんと青い顔のユスラを見上げて
空中で停止した。それから頭をめぐらせベッドのトウゼを見て、「昼間から寝てるなんて
珍しいねえ」と言う。
 泣きたくなってくる。
 悪気はないって、分っているけど。
 でも、そんな……。
「あなた、なに考えてるんですか!? もう冬ですわよ……? こんな季節に、妖精笑い茸
なんて、生えてるわけないじゃないですのっ……。トウゼは、トウゼは……目を覚まさな
くて……死んで……しまったら……私……わたし……」
 思わずしゃがみ込んでしまったユスラに初めて事の重大さを悟ったのか、小妖精は目を
見開いて眠るトウゼの方へふらふらと落ちていった。おそるおそる小さな手を伸ばして白
い頬にふれ、その冷たさにぎょっとしたように手を引っ込める。それからまたぺちぺちと
数回触って、髪の毛もひっぱってみて、またふらふらと床の上へと落ちていった。
「前リアがドクツルタケ食べさせた時は何にもなかったって言ってたから、大丈夫だと
思ったんだよぅ……妖精笑い茸だったら、いちんち中笑うだけだし……どーしよ……リ
ア、ごめんね、ごめんねえー……!」
 飛び上がって「お母さんが教えてくれたお腹痛い時のおまじない」なんて踊りを必死で
踊りはじめる小妖精。いつもだったらなに馬鹿なことしているのと怒り出すところなのだ
けど、今はそんな力も出なくて。ただ椅子の上にうずくまっていた。声を上げて泣く気力
もなかった。どうせ涙なんて出ない。
「リア……ごめんね。こんなことになるなんて、知らなかったの……」
 落ち込んだ様子の小妖精の声にも、答えることはできなかった。何も考えたくない。
 少年の母が食事に呼びにくるまで、ユスラは結局ずっとそうしていた。


13 :西 :2008/03/20(木) 14:57:03 ID:ocsFWiWk

Fairy site 夢の行方 10 後




 現金なものだと思うけれど、温かいご飯を食べると少し元気が出た。ディアは頼りにな
らない。ケットもいない。ユスラがどうにかするしかないのだ。もうおやつともいえる時
間で、食事はとても粗末なものだったが、どん底にまで落ち込んでいた体には十分役に
立った。ユスラは自分がずいぶん空腹だったことに初めて気づいた。
 少年の母ーーハンナと言うらしいーーはユスラが浮上する様子にとても喜んで、こんな
ものしかなくてごめんなさいと詫びながらもおかわりを勧めた。袖をまくった腕に紫の痣
がある。ユスラは彼女の顔の痣と腕の痣に視線が行ってしまわないように気を使いなが
ら、ありがたく粥のおかわりを受け取った。なんとなく、見てはいけないもののように思
えたのだ。ケネス少年は机の端の方に座って、冴えない顔でうつむいたままぼそぼそと粥
をすすっていた。
 食堂に椅子は三つしかなくて、ユスラは一番上等な椅子をあてがわれ、小さな机の上座
に座らされた。客人ということもあるし、ちょうど開いていた席が一家の主人の場所なの
らしい。ユスラの新しい粥をよそいながら、その席を見てハンナはゆっくりと痩せた首を
傾げる。
「お父さん、帰ってこないわねえ……」
「……親父のことなんて、放っとけよ」
「でも昨日の夜出て行ったきりでしょう?」
「どうせ……またどこかで飲んでるんだろ。そんなのいつものことじゃないか」
 ケネスのいらついた声に、ハンナは悲しそうに口をつぐんだ。ユスラは深皿を受け取っ
て、おずおずと母と子の二人を見た。少年は母親に似て優しそうな顔立ちをしているの
に、今は不機嫌に歪んでこわばっている。青ざめた顔に落ちつきなくあちこちをさまよう
視線は、どこか怯えているようでもあった。
「でも、お父さんは……」
「母さんは父さん父さんばっかりで! あんなろくでなしの話なんかするなよッ!!」
 思いがけぬ怒号。
 食卓に痛いくらいの沈黙が落ちる。ケネスは自らが出した声に恐怖したように、目を見
開き顔を真っ赤に染めて、苦しげに唇をかんだ。
「ごめん……」
 少年はのどの奥からそう言葉を絞り出して目をつぶった。眉間に深いしわが刻まれて、
まだ幼さの残る顔が苦悩でいっぱいになる。少年の母は何も言わずにただうつむいた。
 ユスラはぽかんと見ているだけしかできなくて、なんだかとても居たたまれなかった。
この家族にも色々なことがあるのだろう。私はさらに問題を持ち込んでしまったのかな、
と思った。これ以上面倒はかけられない。
 早く、トウゼに目を覚ましてもらわなくちゃ……。

 部屋に戻ると、妖精はしょんぼりと眠るトウゼの胸のあたりにうずくまっていた。つや
やかな金の髪も薄紅の衣も、今はそれさえ青ざめている。ユスラが深く息をついて扉を閉
めると、小さな羽虫は普段からは考えられないような憂鬱な様子でふりかえる。おそらく
知るかぎりの《妖精のおまじない》を試していたのだろう、疲れきった顔をしていた。
「……なんだか、そっち騒がしかったねえ?」
「私たちが口を出してもお節介で迷惑なだけですわ。私たちは、早くトウゼを起こしてあ
げないと……」
「でも、なにしてもぴくりともしないよ。全然動かないし……」
 死んでるみたいだよ、という言葉を呑み込んで、小妖精はごめんなさいと顔を落とし
た。ユスラは眉間にしわをよせて無言で首をふった。いまさらこの子を責めても、どうに
もならないのは分っている。
「ディア、ケットはどこにいるか知りませんの?」
「……ケット様? えっとね、よく分かんないけど、王様の用事でどこかに行ってるみた
いだよ。昨日あのあと、急に呼び出されたみたい」
「そうですか、王の……」
 デブ猫のケットことカルナはアレでも妖精王の片腕だ。力を持った彼ならば今の状況も
打開で来たかもしれないのに。けれどいないのならば仕方がない。妖精王の用事。一体ど
んな用なのか分らないが、なんだか酷く不穏な気分だった。
 フィンヴァラの庭。
 妖精王の用事。
 ケットの不在。
 トウゼの不適な笑顔。
「えと……あたしケット様探してこようか?」
 おそるおそる羽虫がそう提案する。ユスラは嫌な考えを頭から追い出そうと、小さく首
を横にふった。
「いいえ。王の用事なら探しても無駄だと思いますわ……。それより、あなたは昨日森で
妖精笑い茸を見つけたのですわね? どんぐりやくるみではなくて? 本当にキノコでし
たの?」
「う、うん、妖精笑い茸だったよ。前に食べて兄さんにすごく怒られたから、間違えない
もん……」
「はあ……この季節に妖精笑い茸なんて、不思議だとは思いませんでしたの?」
「ちょっと珍しいなぁって思ったけど……でもでも」
「……そのキノコとか生えていた場所に、何かおかしいところとかありませんでした
の?」
「えっと……そう言えば、冬にしてはあったかかったか、も……。お花とか咲いてたけ
ど、この季節に咲く花なのかなぁって……」
 ユスラは何度目かの深いため息をついた。普通の妖精笑い茸を食べただけで、トウゼが
こんな状態になるわけはない。死の天使とあだ名されるドクツルタケを食べても平然とし
ているような男なのだ。この妖精の見つけて来たキノコというのが一体どんなものだった
のか分らないけれど……普通の尋常ではなかったのだろう。少年の母が言っていた、例の
庭という場所に生えていたものなのかもしれない。
  私がどうにかしなくちゃいけない。
 ユスラはまぶたを閉じたトウゼの白い顔をじっと見つめ、ベッドの傍らの椅子に腰を下
ろした。
 私にできることは、何だろう……。
 布団の中から彼の腕をひっぱり出し、その手をしっかりと自分の両手で包み込んだ。冷
たい感触。でも信じるの。トウゼはこの中で眠っているだけなんだから、と。
 トウゼ、どうか目を覚まして下さい……。
 深呼吸をして目をつぶり、心の中でそうつぶやいた。ユスラは自らの中の妖精を必死で
呼び起こす。今の状態のユスラには何かを起こせるほどのたいした力はない。それでも体
のうちで何か熱いものが大きくざわめき、うねり、一つに固まってゆくのを感じた。それ
をゆっくりゆっくり慎重に揺らして、眠る魔術師の方へと向ける。
 トウゼ、答えて下さい……!
 これしか方法が思いつかない。ユスラは眠る魔術師にささやきかけながら、その“力”
をそっと彼へとぶつけた。
 ぱりんッ
 軽やかに何かの割れる音がして、ユスラははっと目を開ける。
 ベッドの横の机の上で、少年の母が持って来てくれたカップが粉々に割れていた。
 え?
 トウゼのからだがかすかに痙攣した。
 小妖精が暴風のように飛び回り、頭を抱えて苦痛の叫びをあげている。
「ディア……?」
 部屋中が一斉に軋んだ。悲鳴のような耳障りな不協和音。椅子や机や全ての家具が小刻
みに震えはじめ床が大きくはねた。世界がぐしゃりと歪む。ガラスのない窓の桟がばきり
と折れて細かい木片になって吹っ飛んだ。
「っぁ!」
 小妖精が壁に叩き付けられて床に落ちた。そしてそのまま動かなくなる。椅子が砕け壁
板がはがれその上に落ちた。地面が揺らぎ立ってさえいられない。壊れた家具がそこら中
を飛び回っている。強烈な耳鳴りと頭痛。心臓が張り裂けて頭が割れそう! 地震なんか
じゃない! 巨大な震動の波がすべてを覆っている。これは、これは……!?
「トウゼ!?」
 ユスラは苦痛に顔を歪めて眠る彼に飛びついた。両腕で魔術師の体をきつく抱きしめ
る。
「トウゼ、トウゼ、駄目です、駄目です……!」
 トウゼの力が漏れ出て来てる!
 普段彼は魔術なんてめったに使うことはないから忘れているけれど間違いなく強大な力
の持ち主なのだ。その力の一端が意識のない彼の体から溢れ出している! ユスラは歯を
食いしばり必死でその力を押し戻した。このままじゃこの家が全部壊れてしまう!
「やめてくださいっ……!」
 声のかぎりに叫んだ。
 ふっ、と静寂がやってくる。
 急に嵐がやんだ。
 はっとして顔を上げる。魔術師の白い顔はいまだに無表情に眠ったままだ。
 トウゼ……?
 あっと叫ぶことさえできなかった。突然白い肌から真っ黒な何かが吹き出し、うねりな
がら彼の体をおおっていく。ぞっと背筋の凍る嫌悪感。
 瞬きをする余裕すらなく、ユスラの視界は暗黒に沈んだ。

 最初、夜なのかと思った。
 見渡すかぎり、そこは闇の世界で。
 ユスラはその中に一人ぽつんと立っている。
 空と地の境界すらなくて、ただ淀んだ闇が広がっているだけ。
 ここは、どこだろう……。
 ユスラは一歩を踏み出す。
 トウゼ、トウゼは? 彼はどうなってしまったのだろう。あれは一体……なんだったの
だろう。あの、黒くおぞましいもの。思いだすだけで寒気がした。どうして彼の中からあ
んなものが。
 あの力の迷走めいたものは、あの黒いものをおさえようとしていたのだろう。それを止
めてしまったから、あれが溢れ出て来た。
 トウゼは一体何者なのだろう。
 分らない。
 闇の世界を一歩一歩進んでいく。
 くすくす。
 くすくすくす。
 かすかな笑い声……。のどをふるわせて小さく笑う声。
“……そなたは何故竜の智を求める?”
 幻聴かと思った。ユスラははっとして暗黒の天蓋を見上げた。何もない。幻の声が闇の
中にこだましている。
ーー欲しいものがあるからだ。
“そなたはとらわれておるのだな……”
ーーとらわれてなどいない。
“ならば何故、妖の王など求めるのだ”
ーー求めてなど、いない。
 闇の中に一人の少年が立っている。薄汚い幼い少年。ユスラははっとして彼の方へ駆け
出した。気づくとそこは永遠の黄昏の平原で、たなびく草が夏の黄金に光っている。夏の
嵐。風が吹く。金色の光の中を幻の女が走っている。何かを胸に抱いて。あれは……彼女
は……。
 ねえまた来てるわよあの子あの子村はずれの偏屈なじいさんがどこかから拾って来た子
供でしょう気味が悪いのよ物乞いみたいでみっともないわろくに食べ物もらってないん
じゃないかしらあの子のまわりじゃ変なことばかり起きるのよ何かされたら怖いから余り
物はあげるけどね頭がおかしいのよろくに話もできないんだから妖精憑きだって噂よ怖い
わ気味が悪いわ嫌だわ……
 ユスラは暗闇の中に放り出される。
 嵐だ。夏の嵐。
 岩山の中に砂色の風が吹いている。異国の空異国の風異国の空気。何か銀に光る大きな
もの。大ひな瞳の中に光る極光。虹色のオーロラ。土と岩の荒涼の大地に真っ白な雪が吹
雪いている。
 寒い! ユスラは両手で体を抱え身震いした。目まぐるしく変わる暗黒の世界について
いけない!
 また闇の中に殷々と声が響く。耳に聞こえる声ではない。体の中に忍び寄る冷気に震え
が走る。
 こわい!
“ナゼ 我ヲ 呼ブ”
ーーそれは……
“我ハ 堕チタ王 堕チタ神 イヅレ 忌ミシ 魔神トナリテ 死ト恐怖ノミヲ 貪リ喰
ラウ 化物ヘト 成リ果テヨウ”
ーーお前ならば、ここではないどこかへ……
“我ニ 何ヲ 求メル”
ーー俺は、力が欲しい
“ナラバ オ前ガ 望ムモノヲ クレテヤロウ……!”
 だめッ!!
 ユスラは絶叫する。そちらに行ってはいけない! 殺されてしまう! 呑み込まれてし
まう! けれど声は届かない。闇の中に空虚に響き渡るだけ。
ーー俺は……
 かすかなこだま。
 何かが何かを喰らう気配……。
 ユスラは必死で暗闇を駆ける。助けなくちゃ助けなくちゃ助けなくちゃ! けれそあた
りには何もないのだ。ただ光のない世界が広がっているだけで。寒さと恐怖で疲れきって
体ががたがたと震える。
 ……トウゼ?
 ずっと向こうに、かすかな人影が見えた。あれはトウゼだ。トウゼの黒い後ろ姿だ! 
ユスラは全力で走り出す。真っ黒な世界の中にトウゼが立っている。後ろを向いて微動だ
にせずに立っている。いつもの黒い長外套の後ろ姿だ。
 トウゼ!
 真っ黒い地面の上に細い銀の線が引かれている。限りなく長いまっすぐな線が視界の端
から端までを横切るようにずっとのびている。トウゼはそのほの光る線の上に向こう側を
むいて立っている。駆けつけて来たユスラにも気づかない様子で、ただ立ち尽くしてい
る。
 トウゼ、帰りましょう、早く帰りましょう!
 ユスラは後から彼の腕をひっぱる。そこに立ったままぐにゃりと上半身だけがこちらに
向いた。
 緑!?
 ふりむいたその目が恐ろしい緑の燐光を放ち闇の中に輝く残像を残した。
 息をのんで彼の瞳を見つめた。……黒だ。おぼろな黒。生気のない瞳。
 あの緑はただの幻……?
 気づくと何もなかったはずの線の向こう側にはおぞましい亡者がうごめいている。崩れ
かけた死体や得体の知れない黒光りしてうごめく何かの残骸。向こうは全てそんなもので
あふれている。ユスラは小さく悲鳴を上げた。亡者たちが争うようにトウゼの体にしがみ
つこうとしている。
 だめ、だめ、だめ!
 ユスラはトウゼの腕に必死でつかまり、迫ってくる死者たちを追い払った。けれど彼ら
は際限なく群がりしがみついてくるのだった。
 はなして! はなして! はなして!
 トウゼ、はやく、はやくこっちへ!
 あっちに行ったらだめ!
 黒い化け物たちを追い払いながら、ユスラは力一杯トウゼの体をひっぱった。しがみつ
いてはなれない亡者。トウゼの体が傾ぐ。
 こっちへ!
 彼の体がぐらりとゆらいで、銀の線のこちら側に倒れ込んだ。知らない男の亡者が一
人、彼にがっちりとしがみついたまま。
 銀の線が崩壊する。


 不意にベッドからトウゼの腕がのび傍らにいた少年の首をつかんだ。首の肉に指が食い
込む。少年の顔が真赤になり目を見開き空気を求め醜くあえいだ。指がさらに食い込んで
少年の喉から不鮮明な叫びがもれる。爪の食い込んだ皮膚から赤い血が流れてさらに指が
食い込んで皮膚が破れありえないほどに首が細くなってぐしゃりと音がした。少年の体は
肩から下だけ仰向けに床に倒れ鮮血が溢れ出る。頭は血に染まった手からころりと落ちて
粉々に砕けた。部屋の中に骨と血と肉と繊維と脳漿が飛び散る。
「ひッ……」
 ユスラは思わず目をつぶった。
「げほっ……! ごほっ……はぁ、はぁ……」
 激しい咳の音に目を開けると、床にうずくまってケネス少年が首をおさえていた。トウ
ゼはベットで眠ったままだ。ユスラは混乱して二人を見比べた。部屋に血の跡なんて少し
もない。
「……なんか、変な音が……したから来てみたら……何があったんですか……これ」
 ケネスは苦しげにユスラを見上げて言った。部屋は嵐か大災害の後の用にひどい状態
だ。様々なものが壊れて散乱している。
「部屋に入ったら急に苦しくなるし……あの、あんたは大丈夫ですか?」
「え、ええ、あの、その……私は……」
 しどろもどろになっていると、ふとベッドの上のトウゼが身じろぎした。
「トウゼ!?」
 まぶたが痙攣して、かすかなうめき声がもれる。トウゼが目を覚ました! 黒い澄んだ
瞳が現れて、ユスラはほっとして腰が抜けそうになった。ケネスは首をさすりながらも、
いぶかしげに立ち上がる。
「お連れさん、目を覚ましたのかい……?」
 魔術師は相変わらずの無表情だったが、その無表情にいつもの不機嫌さが戻って来てユ
スラは思わず笑った。眉間にはゆっくりと深いしわが刻まれてゆく。
「ひゃっ」
 外からそんな叫びが聞こえた。少年は顔を上げ、「母さん?」とつぶやいた。ユスラに
ちょっとだけ会釈をして、様子を見に部屋を出て行く。
 トウゼは仏頂面のまま体を起こした。ユスラはあわてて押しとどめようとしたが、魔術
師は無言で近くにかけてあった外套を羽織る。
「トウゼ、また寝ていなくちゃ……無理はいけませんわ」
「……厄介なものを連れて来てしまった」
「厄介なもの?」
「ついさっきまでここにいた」
 彼は忌々しげにそう言った。
 その直後だ。
 外から少年の悲鳴が聞こえたのは。
 魔術師はよろけながら部屋を出る。ユスラはなんだかまたひどく不安な気分になって来
て、倒れないように支えながらその後を追った。
 庭は緑にあふれていた。
 冬には似つかわしくない鮮やかな色の洪水。木々には色とりどりの花があふれ、青々と
した茂みには木苺がたわわに実っている。明るい木陰にはコケモモの赤い実。可憐に揺れ
る白いスズラン、小さな黄色いキンポウゲ、ヒナゲシの朱色、真っ赤な薔薇……。蝶がひ
らひらと花々のあいだを飛び交い、鳥たちが愛を語り合い、強烈な光を受けて輝く緑、赤
や黄色に色づいた葉の梢でリスが熟したどんぐりをかじっている。一方では氷の花を咲か
せた冬枯れした枝もある。
 なに、これ。
 ユスラは我が目を疑った。庭に全ての季節がいっぺんにやって来てしまったようだ。
 そしてその庭の真ん中に、一人の男が立っていた。ハンナは不思議そうに男を見つめ、
ケネスは蒼白になって凍り付いている。
「あな、た……?」
 男が一歩前に出る。男の暗い顔は怒りに歪んでいた。右腕の拳をゆっくりと振り上げ
る。男の胸にはべったりと血がこびりついていた。
「来るなっ!」
 ケネスが怯えた声で怒鳴る。男はかまわず近づいてくる。少年は震えながら後じさっ
て、また「来るなっ!」と叫んだ。
「来るな来るな来るな来るな! あんたはもう死んだんだッ! 死んだんだよ! もう死
んだんだ! 殺したんだから! なんでここにいるんだよ!? 埋めたはずだろっ!? もう死
んだんだよッ!! 来るなぁッ!!」
「ケネス……? あなた……?」
 男は少年の襟首をつかみ、握った拳を振り下ろした。ユスラは思わず目をおおう。何回
も何回も何回も。ケネスの口と鼻から血が飛んで、ハンナは泣きながら男の腕に取りす
がった。男は彼女を乱暴に振り払う。彼女は土の上に体を打ち付けて低くうめいた。
「あんたはもう死んだんだ! もう俺たちの前に出てくんなよッ! もう母さん殴んじゃ
ねえよッ!!」
 ケネスは顔を涙と血でぐちゃぐちゃにしながら男につかみかかった。男は逆に彼の腕を
ひねり上げ、もう一方の手を首にのばした。太い指が少年の首にかかり、ぎりぎりと締め
上げてゆく。
「あなた、やめてぇっ!!]
「止めて下さい……!」
 こんなの見ていられない。ユスラの目の前に先ほどの幻が甦ってくる。
 トウゼはよろめきながら、けれど確実な足取りで歩き出した。男は少年の首を絞めるこ
とに夢中で気づかない。
「……死人はこの世の大地を踏めはしない」
 男の横に立って、トウゼはそうつぶやいた。
「帰れ」
 男はゆっくりと顔を上げ、うつろな目でトウゼを見た。
 次の瞬間、それは灰となって跡形もなく崩れていた。
 庭は元通りの冬の景色に戻っている。
 冬の風が灰を散らしていく。
 ハンナは呆然としてそれを見つめていた。
 ケネスは首をおさえて咳き込んで、それから地面の上へへたりこんだ。
「ケネス……お父さんが死んだって……どういうこと……?」
 かすれた母の問いに、息子は唇を噛んで顔をそらした。
「……行くぞ」
 魔術師が小さくそう言った。そして一人足を引きずりながら森の方へ歩いて行ってしま
う。
「で、でも……!?」
「これ以上面倒に巻き込まれたくはないだろう」
 助けてくれた人なのに……ユスラは二人のことが気になったが、トウゼの答えににべも
なかった。それに薄情だとは思うけれど、ユスラにはまだふらついている魔術師のことの
方が心配なのだった。
「……急げば今日中に次の街につけるな」
 太陽の角度を見て、彼は当然のようにそう言った。
「あの、もう大丈夫なんですの……?」
「問題ない」
 そうはいってもやっぱり心配で、ユスラは魔術師の腕にそっと体を添えた。また倒れて
しまわないようにと思って。今日は魔術師は何も言わなかった。だからそのまま、ユスラ
は寄り添って歩いていった。


「あの、トウゼは今日のこと……分っていたんですの? だって、昨日、笑っていたから
……」
 歩きながら、ユスラは魔術師を見上げそっと聞いた。肯定が返ってくるのが怖かったの
だ。魔術師は前を向いたまま低く言った。
「ああ」
「どうして? どうしてそんな、危険なキノコだって分ってて……」
 心なしかまだいつもより青白い顔はユスラの方を見ようとはしない。
「俺にも確信はなかった」
 なんだか声にいつもの全てをはねのけるような力がない気がした。ユスラはまた不安に
なって、彼の体にしがみついてこちらを見ない斜めの顔を見つめた。
「でも、もしかしたら目を覚ますことできないかもしれなかったんですのよ!?」
「フィンヴァラは妖精の王のことだ」
「妖精、王……? でも、もし何か手がかりが見つかるとしても……トウゼが死んでし
まったら……」
「死んでみるのもいいかもしれないな」
「トウゼ!?」
 トウゼは何も答えず、表情一つ変えずに歩いて行く。ユスラはどうして魔術師がそんな
ことを言うのか分らず、呆然として彼の顔を見上げた。
「リアのばかぁ!」
 突然そんなユスラのうしろから真っ赤になった小妖精が飛び出して、キンキン叫んだ。
「リア何にも言わないでいなくなっちゃうしぃ! ひどいひどいひどいぃっ!」
 甲高い叫び声に、トウゼは足を止めて全身から湯気をふきながらぷんぷん怒る妖精を見
た。
「もう、トカゲ魔術師なんて大っ嫌い〜! つぶれて死んじゃうかと思ったんだから〜! 
絶対謝ってなんかやんないもん! バカバカバカぁ〜!」
 小さな手と足でぽかぽか叩いたり蹴ったりしてくる妖精に、ユスラは頭を抱えた。また
彼の機嫌が悪くなってしまうのではないかと思ったのだ。けれどトウゼは妖精の姿を見て
小さく笑っただけだった。
「最初から怒ってなどいない」
 思いのほか穏やかな声にユスラは目を丸くした。こんな優しい調子で話しかけてくれた
ことなんて、ユスラだってめったにないのに……。ただ小妖精の怒りはそれで収まるはず
などなくて、ぴーぴー騒ぎながらささやかな攻撃を続けた。
「ふみゃあ」
 気づくと黒猫がユスラの足に体をこすりつけている。
「まあ、ケット……どこに行っていましたの?」
「行くぞ」
 トウゼがいつもの吹き抜けて行く風のような声でそう言った。ユスラはデブ猫を抱き上
げて、慌てて魔術師の後ろ姿を追った。


14 : :2008/09/20(土) 22:48:42 ID:mcLmLGt3

Fairy site 夢の行方 11 前

「……調合方法が間違ってますの?」
「……胸も尻もないガキが、ろくでもないものを作ろうとするからじゃリア」
「……余計なお世話です!」
 ふんっと私は鼻を鳴らす。知り合いの語り部(フィラ)の爺はいつでも口が悪い。
 スケベでいやらしいやつ。と私は思う。
 東の方にすむ語り部、としては有名なやつだが、かなりスケベで有名だ。
 一応十八歳以上限定、胸あり尻ありの姉ちゃん限定だから、私はアウトオブ眼中。
「フェアリーテイルはだいぶ集まったかの?」
「ええ、だいぶ収集できましたわ」
 私はフラスコを手の中で揺らす。そして真紅の液体が緑に変わるのをまつが、いつまでも変わってくれない。
 フィラ、というものは高潔なものだ。しかしこのスケベ爺はまるで違う。
 ふぉふぉっと楽しげに笑い、背の低いスケベ爺はふうと次の瞬間ため息をつく。
「胸も尻も本当にないのう、それじゃあ、つれのなんじゃ、魔術師とやらの気は引けんぞい?」
「……余計なお世話ですわぁ!」
 私が大声で怒鳴ったとたん、フラスコの中身が膨張する。
 ぼん! という音とともにそれは爆発した。
 小さな爆発だったので、私の前髪を焦がしただけですんだ。
 あわてて手を離したので被害は、床の上と、私の前髪の焼け焦げだけ。
「また失敗じゃの」
 ふぉっふぉとまたしわしわ爺は笑う。白い毛をなでながら、はあとため息をつく。
「その薬、アレイスタ・ルーディンが本当に……成功させたものかの?」
「この本にのってますもの!」
「写本の写本じゃろ?」
「大丈夫ですわぁ! マンドラゴラの根がなくても成功させますわぁ、胸が大きくなる薬を! 女性たちの永遠の夢を!」
「……いやたちとかいってもの」
 はあとまたひとつ爺はため息をつく。そして「お主のつれはどこにいったのかいのお」と小さくつぶやいた。私は机の上の本をまた見る。
 そして集めた薬草を一からまた調合し始めた。
「……ふぉふぉ、お前さん、どうじゃ? フェアリーゲートはみつかったかの?」
「まだですわ」
「お前さんの体の主はみつかったかの?」
「まだですわ」
 私は不機嫌な顔で爺を見る。彼は楽しげにやっぱり笑っている。
 焼け焦げた前髪は切りそろえ、実験道具でいっぱいだった机の上は今は片付けていた。小さい山小屋ではあったが、かなり暖かく過ごしやすい。
 ぱちぱちと火がはぜる音が暖炉から聞こえてくる。
 私たちは向かい合い、今は茶を飲んでいる。
「……ユスラさんはどこにいますのかしら」
「……リア、案外と近くにいるかもしれんぞ、そのユスラとやら、ただの人間では多分あるまいに」
「はい?」
「能力者の可能性が高いぞ、お前のその体の主。おぬしが今その体にいるからわからんが、多分なあ、火系統の術者でおぬしと相性がよかったのじゃろうて」
「さすが元魔術師、すばらしい分析ですわ」
「おおほめてくれるのか!」
 ほめてなんかいませんわ。と私は小さくため息をつく。
 フィラとは語り部、それはすばらしき物語のつむぎ手であり、保管者。
 しかしこのスケベ爺は高潔なところなどひとつもない。
 喜ぶ爺を見て、私はまたひとつため息をつく。
「トウゼのことは興味ありませんの? ゲオルグ?」
「……わしが興味があるのは、美しき女たちだけじゃ、胸があり尻があり、なおかつすばらしい美しい顔があればなおよし! 気立てなどは二の次、やはり胸と尻じゃて」
 ふぉふぉっとまた好色爺は笑う。
 つかこいつ野放しにすること事態、犯罪か? と私はちらっと思う。
 私はふうとまたため息をひとつついた。それしかできなかった。
 手でどうも女性の胸と思われる二つのふくらみを再現するゲオルグ爺。
 これをトウゼに見せなくてよかったですわ。と私はまたため息をついて思う。
 フェアリーテイルの語り部がこんな変態だと知ったら、さすがにあの人でも、ため息つきたくなるに違いありませんから。

「リア、そういえばのう」
「はあ?」
「この山の……奥にな」
「はあ?」
「最近女の幽霊がでるそうじゃぞ!」
 ふぉふぉふぉとまた楽しそうにこのゲオルグ爺は笑う。
 この山は小さい、その山の登り口に住むこの爺のところにたずねてくる人も少ない。
 山の奥には小さな湖があるらしい(いったことはないが)
 どうもゲオルグ爺によると、その湖に女の幽霊が最近でるらしい。
「……はあ?」
「男の前にしかあらわれんそうじゃ、しかしわしの前にはあらわれんかった……幽霊でも胸と尻があれば、わしの……」
「だから現れませんでしたのよ」
 私はまたため息をつく。この爺、幽霊でもいいのか。と私は思う。
 トウゼに内緒でこいつのところにきてよかった。と思う。
 いや出かけてくることは伝えたが、語り部のところなど、といったら興味を持つかもしれない。と思ったからだ。
 一応知識欲はあるらしいから。
 山の近くの村の宿屋で今は彼は待っている。
「……ああおぬしのつれが女子であればのう」
「……男ですわ」
「残念じゃて」
 ため息をつく爺を前に私はまたため息をつく。だからねえ、どうして変態なのですか? という突っ込みを心の中に押さえ込んで。
「……それが妖精かもしれんのじゃよ」
「はい?」
「その幽霊が」
 私は身を乗り出して爺の話を聞く姿勢に入る。
 妖精を収集する者、それが私であり、このゲオルグ。
「……水に関する妖精らしいの。フォオーレじゃのうたぶん。男に捨てられて湖に身投げした処女(おとめ)の霊が妖精となったものじゃろうなあ」
「……それじゃあゲートのありかなどはしりませんわよね」
「そうじゃろうて」
 妖精の話は数あれど、知識に関する妖精がゲート関連の話にはかかわってきている。
 だからあんまり役にたたない話だな、とそれを聞いて私はため息をつく。
「しかしの、どうもこのあたり、この頃妖精の宴が頻繁に開かれてるぞい」
「そうなのですか」
「その湖のあたりでな、フェアリーサークルをいくつか見た」
 フェアリーサークル、きのこなどで作られた輪、それは妖精の宴の証、ともいわれている。私はゲオルグの言葉に耳を傾ける。
「夜中に宴が開かれているらしいぞい」
「行ってみる価値はありますわね」
「しかしその妖精がらみの宴だったらどうする? 女の前にはその幽霊姿をあらわさんぞ?」
「……男を連れて行くしかない、というかメノウがこんなときいれば……」
「あいつはおぬしのつかいっぱしりじゃからの」
 うんうん、と納得したようにゲオルグは頷く。というかこういうときにかぎって役に立たない変態ですわあ。とメロウにいるはずの変態司祭のことを私は思う。
「……トウゼとやらを連れて行けば……」
「嫌ですわ、その幽霊が美人で胸あって、尻があったらどうしますの? その幽霊がトウゼを好きになったらどうしますの!」
「いっていることが支離滅裂じゃて」
 取り乱す私をどうどう、とゲオルグはなだめる。
 しかしそれしか方法ないのかなあ、と私は思い、冷めてしまったお茶をカップを取り上げすすった。



「……トウゼ、あなたは変態をどう思いますか?」
「……なんだ?」
「変態を軽蔑とか差別はしませんわよね?」
「別にしない」
 私は深いため息とともに連れの魔術師を見る。村の宿屋に戻った私は、目の前でどこかあきれたような感じにも見えるが、しかし相変わらず無表情の魔術師に必死に話しかけていた。
「……語り部については?」
「別に」
「……私が胸と……ああ、どうせ私は胸ないですわよ! 尻ないですわよ! あの爺、いつか私が十八歳になったら! 胸と尻があるようになったら、えらい目にあわせますわあ! 人のこと散々、胸なし、尻なし、色気なしとかいいつづけやがって!」
 私はどかっと机をたたいて、そして大声で怒鳴る。
 トウゼは相変わらず無表情まま取り乱す私を見ている。
 小さい宿屋に私の大声が響きわたっている。
「少し静かにしろ」
 相変わらず冷静なトウゼは冷たい声で私にいった。
 私ははあと小さくため息をついて、落ち着くべく深呼吸する。
「……知り合いの語り部にあいにいってましたの、私」
「そうか」
「そこである話を聞きましたの。私」
「そうか」
「……フェアリーテイルですわ。どうもティルナノーグのゲートの開き方に関することが聞けそうかもですの」
 私は無表情の魔術師の瞳をまっすぐに見つめる。
 どうしたってどうも……表情に動きがないからなに考えているかわからない…と思いながら。
「あなたはスケベ爺はどう思います?」
「……別にどうも思わん」
 私は会話にならない。と頭を抱える。私は一応会話だけどね、もう少しお話してくれないかなあ。と思う。
「……フィラの目的とは、『妖精王に出会うこと』ですわ。だから知り合いの語り部であるゲオルグもフェアリーテイルを集めてますの。しかしその本来の目的は……」
「目的は?」
「王に……酒池肉林のハーレム。ゲオルグ爺の永遠の夢、胸尻ありの美しき女性たちがたくさんいるハーレムの王となることですの」
「そうか」
 私のとんでもないせりふを聞いても相変わらず無表情でトウゼは、そうか、と答えるだけだった。


「アレイスタ・ルーディンとはまたえらく違う魔術師じゃのう、イーディリア・ローゼリウム」
「……煩いですわ、スケベじじい……」
「ふむふむ、まあわしにはおよばんがいい男じゃ」
 ふぉふぉふぉふぉとゲオルグ爺は好々爺といった感じで笑う。
 お前、いつか覚えてろよ。と私は心の中で思う。さすがに爺は殴れないし、けれない。あの変態司祭のようには。
「わしはゲオルグ。元魔術師じゃよ、うんうん、昔はのう近隣の女たち、いや遠方の女たちすべてがわしという美男子を見ようとひと……」
「とりあえず、こいつはゲオルグ、元魔術師にて、フィラ、語り部ですわ。妖精に関する話の収集家ですのよ」
 あっさりと終わらせるの、と悲しげに爺は床にのの字をかいて、しゃがみこんですねだす。ただトウゼは黙ってそんな爺を見ている。
「……リア、あのな」
「……とりあえずゲオルグ、湖に案内するのですわ!」
「いつもおぬしは単刀直入じゃて」
 長い付き合いじゃがのう、おぬしは年寄りを大事にすることをしらぬ。はあ、あのメノウとやらのほうがまだやさしいぞ、とゲオルグはくどくどと言い出す。
「……スーリーのほうがもう少しやさしいぞ?」
「ゲオルグ、あなたがスーリーの大叔父だということすら信じられませんわ」
「わしは一応アレイスタ・ルーディンの末裔じゃて。しかしのう、わしはご先祖様の気持ちがわからぬ。アレイスタの伴侶のあのスーリーという娘、尻も胸のありゃせんて! 肖像画で見たときびっくりしたぞい」
「胸と尻で女を見るのはあなたくらいですわぁ」
 私とゲオルグの漫才を聞いても、顔色ひとつトウゼは変えなかった。
 そしてゲオルグがいれた香草茶を一口飲み干した。
「……しかしスーリーもいやがってますわよ。女名で名前つけられたのがトラウマらしいのですわぁ。いまだに改名したがってますもの。ご先祖様とはいえ、女性の名前つけらえて」
「うちの地方のそれは迷信じゃて、女ばかりの所に男がぽんと生まれたじゃろ? そんな男は育たんといってな。女として育てるのじゃ。わしも幼いときは名前はメアリといったしの。うちの家系は男はとんと産まれん。それに魔力は男にはほとんど受け継がれんて。わしにも魔力なんてほとんどないしの。知識欲だけで魔術師やっていたのはわしくらいかのう」
 ふぉふぉふぉふぉとまたゲオルグは笑う。こいつはいつも笑っている。
 自分の白いひげを丁寧になでつけながら、にこにことゲオルグは笑った。
「しかしのう、トウゼとやら、おぬしは強い力を持つの、わしが知る最強ともいえる魔力の持ち主はこのリアじゃがの。リアは魔力の使い方自体を知らん」
「見える力はあなたが最強ですわよ多分、私が知る中でゲオルグ」
「じゃが……あああの女の幽霊は見えんかった!」
 見える力、というのは視える力。レティ、という私の知り合いもその力を持つ。
 魔力、魔物そのものを見抜く力。
「魔力と見える力そのものは別じゃて、多分の、わしたちの先祖の中に能力者がいたんじゃの、うんうん、スーリーの父はノルンの司祭じゃが」
 トウゼはつまらなさそうにゲオルグの話を聞いている。つまらんかの? じゃったらわしのいい女の乳尻コレクションでも見るかの? とゲオルグはトウゼに声をかける。
「変態趣味にひきずりこむなですわ、トウゼを!」
 乱暴にだんとまた私は机をたたく。残念じゃ、と小さくゲオルグは肩を落とす。
「……まあ冗談はここにおいておいて、と。フェアリーゲートを見つけるにはやはり妖精と会うことじゃのう。マスターの怒りに触れん程度に情報を聞き出して、断片をつなげることじゃ。マスターとて『妖精王の恋人』であるおぬしとは会いたいと思っているようじゃぞ? あのデブ……ほらケルトとかいう猫がおぬしのもとにつかわされたのもきっとな」
「ケットですわよ」
「ああまああのデブがおぬしのところにいるのも、多分王がおぬしと会いたいと思っているからじゃ」
 まじめな顔つきにゲオルグがなったとたん、少し興味深げにトウゼは爺の話を聞きだした。
「……魔術師としての性じゃのう。やはり……王にはあこがれる。万能の力、永遠の力。永久があるのじゃ、魔術の根源の渦……アルスマグナに近い、一番近い存在じゃ。
わたしはリアの緑の目なんぞには興味がない、王そのものじゃわしが会いたいのは」
 だから私はゲオルグとまあ話ができるのだ。と私は思う。
 彼は私の緑の目なんてどうでもいい感じがするし、それは本当。
 王に到達する道、とかしか考えてない。
「……会えるといいですわね、ハーレムのために」
「そうじゃ永遠のハーレムじゃ、胸と尻だらけのハーレムじゃ! アルスマグナに淘汰すれば、酒池肉林が!」
 永久にきっとできませんわ。と私は思いため息をつく。
 どうもトウゼはまた興味なさげに冷たい目で、あらぬ方向を見出した。
 叫ぶゲオルグをおいておいて、私はトウゼに話しかけた。
「……なんで男とがきしかおらんのじゃ」
「……ガキで悪かったですわね爺!」
 私とゲオルグはまた漫才をしてる。どうも私とメノウもこんな感じだ。
 トウゼはなんだかちょっとだけ面白そうな表情となる。
 ん? と私が小首を傾げると、目の前に現れたのはかなりの美女。
 胸あり、尻あり、腰くびれ。黒髪の妖艶な美女だった。
「うおおおおおお、美女じゃ、胸ありじゃ、尻ありじゃああああ! どこに隠しておった、こんな美女を!」
 爺がダッシュで走る。そしてトウゼの横に現れた黒いドレスの美女にくどき文句? をはき始める。
「美しいのう、美しいのう、お嬢さん、わしと一緒に……」
「トウゼ!!」
 私の絶叫を聞いてもトウゼは面白そうにちょっとだけ笑うだけ。
 意地悪い笑みで彼は笑っている。
 こんな笑顔しか彼はしない。というかこれ笑顔じゃないって、と私は思う。
「おお、よい尻じゃ」
 尻をひとなでするエロ爺、私はあわてて爺を美女から引き剥がす。
「やめなさい!」
「おお、よい乳じゃ」
 前からまた胸を撫でる爺、私はこの美女はまさか、とその無表情な顔を見て小さくつぶやく。
「使い魔さん……ですの?」
「はいユスラさま」
「……早く男性になるのですわぁ! もしくはいつもの子供の姿に! ああ、トウゼ、もうこんな悪ふざけやめてくださいまし。こんな姿ケットが見たら、ゲオルグはただではすみませんわよ!」
 私の絶叫を聞いた使い魔さんは不思議そうに小首をかしげる。
 胸や尻を撫でられてもどうとも思わないようだった。
 爺は今度は使い魔さんに抱きつこうとしている。顔をでれでれさせてさもうれしそうな表情で。鼻の下がだらしなく延びている。とてもそれは情けない表情だった。
「トウゼ!」
「……元にもどれ」
「はい」
 トウゼがうんざり、といったように命令すると、すうっと霧のように使い魔さんの姿は消えていく。
 すかっと抱きついていた美女の姿が消えて、目を丸くして自分の手をゲオルグは見ていた。
「……なんじゃもうおわりかの」
「……あなた、多分ここにあのデブ猫いたら下手したら殺されてましたわよ?」
「……なんでじゃ?」
「あの人、デブの想い人ですのよ。一応あの猫、妖精王の側近クラスですし」
「……なるほどの」
 うんうん、といったようにゲオルグは頷く。はあ、でもゲオルグは次の瞬間、私を激怒させる一言を吐いた。
「でものみつからなければよいじゃろ、ほれトウゼさんとやら、さっきの美女さんをだしとくれ、もう一回」
「ゲオルグ、あなたね!」
 私は彼を強い瞳でにらみつける。トウゼはそれを見て肩を小さくすくめる。
 どうももう……悪ふざけをするつもりはないようだった。
「……とりあえず湖に案内しなさい、スケベじじい、シェラに言いつけますわよ! 使い魔さんでもなんでも美女ならいいって!」
「シェラちゃんに言いつけられるのはいやじゃのう、あの子はわしが見つけた中で最高の理想の美女じゃからの」
 どうもこの爺、シェラが一番のお気に入りらしい、彼にこの脅し文句は割と聞く。
 シェラはこの爺を死ぬほど嫌っているが、でかい乳と美しい尻、腰のくびれ、そして長いつややかな黒髪に美しい顔、すべてが爺の理想どおりの美女、それがシェラらしかった。
「……とりあえずトウゼ、使い魔さんは禁止ですわ。女性の姿では」
「わかった」
 私の言葉にトウゼは割りと素直に頷く。
 どうもなあ、悪ふざけをするときがよくわからない魔術師では彼はあった。
「おいスケベじじい、お前いっぺん死んで来い!」
「……おおそっちのリアかい」
「……お前な、なんだか長に似てるぞ…乳さえあればいいのか?」
「いやわしの場合、尻もいる。腰のくびれもな、美女であればなおよい」
 俺は深いため息をひとつつく、あっちのユスラは引っ込んでいて、今は俺が前面に出ている。妖精相手なら俺のほうが交渉が有利だからだった。
 俺はこれでも高位の妖精だから、封印されていたとしても。
「……ほんとにお前アレイスタの血をひいてるのか?」
「わしはご先祖様の昔とよく昔は似てるといわれたもんじゃ、わしほどの美青年は……」
「もういい、お前のそれは聞き飽きた。というか俺、ちょっとだけ嫌な予感するんだが」
「なんじゃ?」
 とことこと俺たちは山道を歩いていた。トウゼは黙って俺たちの後をついてくる。
 どうもこの青いフレアースカートはかなり歩きにくい。
 俺はスカートをたくし上げ、ずんずんと山道を歩いていく。
「……あのな、どうもこのオーラ、カルナの感じなんだがな。おいトウゼ、使い魔はだすなよ。さっきの格好で」
「ああ」
 嫌な予感がするぜ、と俺はつぶやく。すると頂上らしきところに俺たちはつく。
 するとそこには深く澄んだ透明な湖があった。緑の木々に囲まれて、とてもそこは美しい静かな雰囲気を持っていた。
 もう冬なのに、とても違和感がある。どうもそうだ、夏だ。夏の雰囲気だ。と俺は思う。
「美しき姫、姫は言った。美しき王に、妖精王に、王よ」
 きれいな歌声が聞こえてくる。空は青く、憂鬱なほど青く、とても悲しい色に染め上げられていた。
 そこで石に腰掛け、リュートを持って黒髪の少年が歌っている。
「……おいカルナ」
「……あれ、イーディリア?」
 不思議そうに小首をかしげて、少年=カルナは歌をやめてとてとてと、俺たちの方へと歩いてくる。

「あれ、トウゼさん使い魔さんは?」
「お前そればっかだな、こんなところで何してるよ? 姿しばらくみかけんと思ったら」
「……知り合いの妖精の宴に呼ばれたんだよ。だから歌を歌ってみんな待ってた」
「……なんでそのちびの姿で?」
「これなら割とこの世界に影響を与えにくいから、本性の姿だとこの世界にゆがみを与えやすいから、
割と人型になりにくいし。それにここ、とてもティルナノーグに近い場所にあるみたいでね。この姿ならここにいれそうだし、あの猫の姿よりいいかなと」
 省エネか? と俺はちびの姿でにこにこと笑うカルナを見る。
 ふわりと長い黒髪が風に揺れている。彼は人好きのする笑みでトウゼを見上げる。
 黒い衣装は仕立てのよい出来で、まるでどこかの貴族の子息のようでもある。
「……あれ、ゲオルグさん、お久しぶり」
「これがあのデブかいの」
「デブじゃない」
 口を尖らせてカルナは抗議する。するとトウゼはどこか無機質な声でカルナに言った。
「デブには違いない」
「……しかしユーリア、遅いねぇ」
 どこかほえほえとした声でカルナは言う。どうも不吉な予感がすると俺はますます思う。
「……おいカルナ、ユーリアってお前のなんだ?」
「……友達?」
 小首をかしげて言うカルナ、おいおいおいおい、頼む頼むから、変な関係であってくれるな。と俺は頭に手をあてて神に祈った。
「おいトウゼ、使い魔は絶対にだすなよ!」
 俺はびしっとトウゼに指を突きつける。するとトウゼは何でだ? というように小首をかしげた。



「リア、そなたのイーディリア・ローゼリウム。という名はどんな意味があるのかの?」
「俺の父は魔術師だったからな。イーディリアというのは男名の変形らしい。その男の」
 俺は遠い瞳で青き空を見る。するとそうかの、とゲオルグはうんうんと頷く。
 山の頂上へと続く道を俺たちは歩いていた。
 珍しく爺はまじめな質問をしてくる。
「フィラ……語り部はどうしてエリジウムを求めるのか知ってるかの?」
「……俺の父親がいっていたそうだ。『すべての理を知るため』と。これは母がいっていたのではなく、マスターの気まぐれの話から聞き出したことだが、最近思い出した」
「父とはどんな存在かの?」
「想いの源だな。俺の母は人間の魔術師を愛した。そしてそれを忘れた。それがすべての誤りの始まりだった。母の想いは凝り、そして人間の魔術師を愛していた時代の母が姿となった、それが『イーディリア』。だから俺の父は人間かもいえるかもな。黒髪をしていたそうだよ。青い瞳を持った悲しい魂を持つ魔術師だったらしいよ。王が気まぐれに話してくれた。十四のときの母が出会った存在らしい」
 長い黒髪をしていたそうだ。憂鬱な青い瞳を持っていたそうだ。
 母が愛した魔術師は、死んでしまったそうだ。母の手の中で。
 でも母親さえも俺は覚えてない。ただ思い出すのはアレイスタの悲しい青い瞳だけだ。妖精であった最後の記憶。人間界にいた最後の記憶は。
「泣いていたんだ……泣き顔しか思い出せない……」
「そんなもんじゃよ」
 よしよし、とゲオルグが俺の頭を撫でる。それを振り払うことも今はできない。
 悲しい記憶はこの頃特に強くなってきている。
 思い出すのはあの悲しい悲しい青い瞳。
「……俺はやっぱりあの魔術師を愛していたんだ。もう少し早く気がつけば……」
「そうじゃの、ご先祖は愛を求めていたからの。そなたのものとなっていたかもしれんの。イーディリア。しかしそれはもしもの話じゃ」
「そうだな」
 俺は長い燃える真紅の髪を持っていて、青い空の瞳の色をしていて。
 漆黒のローブを羽織る魔術師と歩いては笑い会っていて。
 そうだ、確かに幸せだったのだ。あの時は。
「……まだか?」
 後ろを歩くトウゼがぼそっと小さくつぶやく。
「もう少しじゃの、というか幻の移動する湖がここにやってくるとはのう」
「……多分、アレイスタがらみだろうな……」
「そうじゃのう、多分の、性格悪い極悪魔術師といえばご先祖さまじゃしの。しかも数百年前、女が湖に身を投げて死んで、その湖が消えて移動する湖、幻の湖と呼ばれ、数十年に一度、この世界のどこかに出現するようになった。という伝説と一致するしの。
若い男の下にしか姿あらわさんというのもの。年のころ二十代前半から三十代半ばくらいの男、しかも黒髪……」
 おいおいおい、爺さん爺さん、それがわかっていたならなんで早く言わない! と俺は激怒する。顔を怒りで真っ赤にする俺を見て、ふぉふぉふぉとまた好々爺としての顔で爺は笑う。
「何もいわんほうが面白みを増すかと……直前のほうが」
「おい爺、いつか殺してやる! お前いつもいい加減じゃねえか!」
「リア、おぬし気が短すぎるぞ」
 煩い、と俺は頭を抱えて思う。
 その瞬間、俺の指先にはまっている銀の指輪の冷たさがちょっとだけ増したような気がする。
「それはどんなルーンが彫られているのかの?」
「守護のルーンだよ。安らぎの女王マブ、夢魔の女王がらみのルーンらしい。守護系だから、多分、襲ってきた相手に眠りをもたらすとかの効果だと思うが」
「ドロシードリーの主かの?」
「多分なあ、マブの呪文は闇だからな、アレイスタは得意とした。アレイスタから俺がもらった唯一の贈り物だったこれは。俺が幼いときからいつの間にかもっていたものらしい。……お母さんがよく捨てろといいましたわ。気持ち悪いものを持つなと。でも捨てられませんでしたの。どうしても」
 捨てられなかった。と私が言うと、ふんとちょっとだけトウゼが何か鼻をならすのがわかる。馬鹿にしている。というよりあきれたという感じだった。
 彫られたルーンは多分マブの守護。
 私はその銀の古びた指輪を見る。薬指にはめられた指輪をちょっとだけ興味深げにトウゼは見た。
「……七百年も前の魔術師の作か?」
「……ええ、そうです」
「そうか」
「あの人が私にくれた贈り物、十六の誕生日にくれたものです。昔の私は夏に生まれました。そして十四の夏に妖精の国のとこしえの森であの人と出会ったのです。彼は私を見て、とてもきれいに笑いました。『妖精も人の姿をしているのだな』といって」
 誰よりも無邪気で誰よりも残酷、誰よりも気まぐれで誰よりも慈悲深い魔術師、子供みたいな人だったと私は思う。
 私と一緒に人をからかっては楽しんで、争いを起こさせては愉しそうに笑った。
 でもそんなあの人が好きだった。と思う。
「……最近、記憶の戻りが早くて」
 私は遠い瞳でトウゼを見る。彼女はひっこんでしまって、今は私が主導権を持っている。
 でも私たちは同じもの、だから私と彼女は同一。
 ゲオルグはほらほらみえてきたぞい。と道の途切れた先を指差す。
 常緑樹が生い茂る山、そこの頂上にあったのは、深い深い蒼さを持つ、透明な湖だった。
「……ビンゴだ。間違いない、アレイスタがらみだ……」
 俺ははあと深いため息をつく。今思い出した。と思う。
 そのせいで『あいつ』は引っ込んでしまった。
 青い湖の上ですべるように俺は遊んでいた。その上に浮かび上がり。
 そして同じように浮かび上がるアレイスタと手を取り合って、面白半分にダンスを踊っていたのだ。


15 : :2008/09/20(土) 22:50:11 ID:mcLmLGt3

Fairy site 夢の行方 11 後



 その湖の上での踊りを見たのが、近くの村に住むある娘。
 それが幻の湖の話の主となったフィオーレの正体。

「……やはりのう」
 はあと同じようにゲオルグもため息をつく。湖の近くには環になった赤いきのこがある。
「紫でないだけましじゃの」
「災いの証ではないですものね」
 紫のきのこは災いの証、赤なだけましか、と俺も思う。
「……ここにいるのはお前の知り合いか?」
「ああ知り合いだ、昔のな」
 俺はぽりぽりと頭をかく。そして相変わらず無表情の魔術師に言葉をかけた。
「とりあえず、お前……おとりな、お前湖の上は歩けるか?」
「ああ」
「……とりあえずゲオルグ、お前ひっこんでろ」
「わかった。リアはどうするかの?」
「……短時間なら、昔の姿を再現できるさ…今ならな」
 トウゼが頷く。俺はそれを見て、そうか。とつぶやいた。
 だいぶ昔の力が返ってきている。遠い遠い昔の魔力。
 記憶が戻ってくるたびに魔力も返ってくる。
 俺はまた深いため息をついて、青き憂鬱な空を見上げた。
 緑の木々がそれに映えてとても美しかった。あの時のように……。俺と主の魔術師が過ごしたあの至福のときのように。
「……いい女じゃ」
「幻だ所詮」
「まあ幻だな」
 指輪のマブの魔力を借りているとはいえこの幻は精巧だ。と俺は思う。
 ゲオルグが近くの木に隠れながら、目をまん丸にして俺を見ていた。
 俺は遠い瞳で相変わらず無表情のトウゼを見る。
「……どうだ。俺は美人だろう」
「あいにく、俺にはいつものお前にしかみえんな」
 紅の髪がふわりと腰のところで舞っている。青く染まった瞳で俺はトウゼを見ていた。背も高い、胸もある。腰も締まっている。
 昔の俺はとてもきれいだった。それは間違いない。
 しかし相変わらず興味なさげな表情のトウゼ。
「……あの今の私とどちらが美人だと思います?」
「お前はお前だ」
「そうですか」
 なんだか怒って彼女はひっこんだようだった。私は顔を赤らめてトウゼを見る。
 初々しい表情が似合ってないの、とゲオルグが小さくつぶやくのが聞こえてくる。
「トウゼ、あのその、あの……えと」
「なんだ?」
「私が今好きなのは違う人で、その人は私の近くにいて、えと私に優しくしてくれて。あのテレやさんだけどやさしい人なのですわ!」
「そうか、あのメノウとかいうお前の保護者か?」
「違いますわ!」
 からかうように言うトウゼに向かって私は抗議する。
 必死の思いで言った言葉をトウゼははっきりいって無視している。
「……トウゼのいぢわる……」
「そうか」
 ぶうっと頬を膨らませる私、それを見てやっぱり似合わんのその表情、と爺がつぶやいている。
「……そういえば湖の上を歩いた伝説の男は、神の使いだったそうですわぁ!」
 私は漆黒のドレスのすそを持ちながら、そして湖の上をすべるように歩き出す。
 それを見てトウゼのその後に続く。
 漆黒のドレスを昔の私は好んできていた。今はそれを身にまとっている。
「……そうか」
「……神の使いの男は水の上を歩いただけのペテン師だったそうだぞ」
 トウゼに白い手を俺は差し出す。そしてその手をトウゼはとり握り締める。
 俺はあでやかに笑う。昔の俺のように男をそれだけで誘う妖艶さをこめて。
「……そうか」
「……ペテン師を人々はあがめ、神の使いとよんだそうだ! あはははは」
 俺は愉快げに笑う。昔のように。
 トウゼは何が面白いんだ? というように呆れたという視線で俺を見ている。
 鈴のように高い声があたりに響き渡る。
 空は青く、憂鬱なほど青く。とても天は高かった。
『イーディリア……貴方、どうしてまた現れたの?』
「……久しぶりだな、ユーリア」
 冷たい女の声が湖の中心から聞こえてくる。俺は傲慢な笑みで女の声のするほうを見た。女は強い憎悪をその中にたぎらせ、俺へと呼びかけてきた。
『……私のアレイスタをまたとるの?』
「……ユーリア、お前、とりあえずアレイスタはもう死んでいるのを認めろ! あいつどっかの小娘とひっついてガキまで作って、百歳で死んだぞ、よぼよぼの爺になってな!」
 俺は悪態をつく。実際そうだったらしい。これもマスターから聞いた話だ。
 マスターはアレイスタの情報は逐一話してくれた。嫌がらせで多分。
『あの人は永久を生きるの、偉大なる魔術師なの!』
「だから所詮、人は死ぬ。王だって永遠じゃない」
 俺は深いため息とともに答える。そして俺はトウゼの手を振り払う。
 トウゼは声の主のことは少し興味があるようで、俺たちの会話を聞いている。
 怒りの声の主は、まだ姿を現さない。
『イーディリア、私は貴方と同じ妖精になったの、これでアレイスタに私も愛される!』
 だから違うって、と俺は深いため息をつく。
 どうも長い間生きすぎたせいで、どっか狂ってしまったらしいなあ。と俺は思う。
 アレイスタは己に恋した村娘が、恋に破れて、そのせいで湖に身を投げて死んだ。ときいても顔色一つ変えなかった。
 ユーリア、お前はあいつにとってはどうでもいい存在だったのだよ。と俺はさすがにいえない。
 道端の石ころほどにも思われてないものの気持ちはよくわかるから。
「ユーリア、とりあえず妖精界へと返れ。この湖あちら側に属するものになってるはずだろ? 門はどうやって開くかお前知ってるか? このフェアリーサークルはどうした?」
『知らない』
 ここに門が開くことはないのかと俺は思う。
 どうもユーリアは湖の主となったせいで湖から離れられない。
 その湖が彷徨うのは今は人間界。
 でも……それならどうしてフェアリーサークルがあるんだ? と俺は不思議に思う。
『知らないわよ。勝手に妖精猫たちがやってきて遊んでるみたいだけど。普通水を猫って怖がるものじゃないの? 自分たちの故郷に似てるからって理由で、ここへと遊びに来るみたいよ?』
 ああ、あいつらか、と俺はため息をついて思う。
 人間好きの不思議妖精猫、ケット・シーの配下。
 限りなく人間界に近い場所を管轄するカルナ・イザヤ。森と湖の国の主。
 そういえば妖精界のとこしえの森に似てるよここ、と俺は思い深いため息をひとつついた。
「ふみゃん、みゃううううう!」
「みゃん、ふみい!」
 うわさをすれば影、猫たちが集団の群れでフェアリーサークルから現れる。
 猫たちの鳴き声はどれも間抜け、どうもあのデブ猫の配下なのは間違いない。と俺は検討をつける。
「おい、お前ら!」
「みゃう?」「ふみゅ?」「みゃん?」
 猫たちは一斉に湖のほうへと見る。どうもなあ、黒いの、白いの、茶色いの、小さいの大きいの、毛が長いの短いのさまざまな猫たちが数十匹群れをなして鳴くさまはどこか奇妙な光景だった。
 あれえ、リアさまだ。といったように猫たちは言ってる。
「みゃん?」
 ケットさまはどこ? と茶色の小さい子猫がこちらを見て鳴く。
「……あのデブ今頃、ディアと遊んでるよ! 多分な……お前らなんでこんなところに?」
「みゃうう」
 ケットさまがこっちにでずっぱりで、つまらないから、遊びに来たの。
 こことても来やすい場所だよ。なんでかしらないけど、すぐ遊びにこれるの。と猫たちは口々に言う。
 どうもこの湖、妖精界に属ずるもの=猫たちのような低位のものでも遊びにこれる人間界の一部。ということになっているらしい。
「お前ら、ここからあちらへと戻る門は!」
「ふみゃん?」
 門なんて知らない〜。と猫たちは口々に言う。
 どうも……猫たちは勝手にきて勝手に帰っていく、ディアのようなものらしい。
 ディアはかなり人間に近い妖精だ。猫たちも人間界の猫がカルナに拾われ、妖精界へといった時点で妖精猫になっている。
 ということはかなりあちらとこちらのどちらの要素も持つということ。
 だから割と簡単に行き来可能。と俺は位置づける。
 ということは無駄足か、と俺はため息をついて猫たちを見る。
『……遊ぶのは勝手だけど、早く帰って、ここは私の場所よ!』
「ふみゃんん」
 おばさんおばさん、怒るのは体に悪いよ。と小さい白い猫が言う。
 それを聞いたユーリアは激怒の声音であたりに響き渡る怒号を響かせた。
『誰がおばさんよ!』
 湖の上に現れたのは水色の長い髪を持つ乙女、深い空色の瞳をした少女。
 白い衣装をまとった少女の顔立ちはまあ平凡、色彩以外はどこにでもいるような村娘。といった感じだった。
『私はまだ十六よ!』
「生きていたらだろうが……」
 俺ははあと深いため息をついて怒りで顔を真っ赤にするユーリアを見る。
 ユーリアは深い憎悪の瞳で、その瞬間俺を見た。
『また私のアレイスタをとるのね、イーディリア、あんた!』
「というかこいつトウゼっていうんだけど……」
『違うわ、私のアレイスタよ。黒髪も……黒い衣装も一緒よ。そのハンサムな顔も!』
 長い間生きると妖精もぼけるらしい。ぜんぜん違う、という俺のつっこみもきかず、怒りの攻撃をユーリアはしかけてきた。
 水の刃を見た俺はちっと舌打ちする。
 そしてそれを風の結界で打ち消した。
「……とりあえずお前、帰れ……」
『あんたなんて大嫌い!』
 俺も大嫌いだよ。と小さいため息をつく俺。トウゼはどこか面白そうに笑ってそんな俺たちの争いを見ていた。
 すごく性格悪いよお前、と少しだけアレイスタとの共通点を俺は見つける。
 そしてまたため息をついた。猫たちはどこか間抜けな表情でそれをゲオルグと一緒にぽかんと見ていた。
「……マイロード」
「ふみゃああああ♪」
 ぼそっと生真面目な声が聞こえると、うれしそうにそれに反応して、ぴょんぴょんと猫たちが飛び出してくる。
 湖の近くで私たちを見るのは平凡な顔立ちの青年。
 その周りに飛び交うように猫たちが踊っている。
 いきなり現れた青年を見てゲオルグはなんじゃ、今度は男かいの、とちっと舌打ちをしていた。
 踊る猫たちを少し眼を丸くして青年は見ていた。


『……アレイスタはもういないのか』
 さびしげにユーリアは笑う。するとトウゼが少しだけ興味深げにユーリアの方へと向かって歩き出す。
 にゃごにゃご猫たちは宴会を始め、たんばりんをもってぱんぱんとディアが踊っているのが見える。緊迫感がないやつらだ。と私は思う。
「ふみいいい」
 ケットがすりすりすり、と使い魔さんに甘え、抱き上げてもらっている。
 タンバリンをたたいて、今度は違う猫の上にのってディアが踊っている。
「ふみいい」
 またたび酒どうぞ、とまた小さい杯を猫は使い魔に進める。
 すると使い魔はどうもありがとうございます。と律儀に挨拶してそれを受け取りのみほした。
 地面に座って使い魔は今は猫たちに埋もれている。
「……お前が望むのなら、アレイスタになってやろう」
 私はトウゼの言葉を聴いて息をのんだ。
 ユーリアはトウゼが自分をまっすぐに見つめるのを受けて、ちょっとだけ頬を赤らめる。
『え?』
「お前が望むのなら……」
「トウゼ!」
 私の絶叫なぞなんのその、トウゼはユーリアに触れ、彼女を強く抱きしめる。
 私はトウゼを強くにらみつける。しかしトウゼはユーリアのあごをもって、その唇に自分の唇を優しく重ねた。
「……おいトウゼ……あいつ怒ってひっこんだぞ?」
『……あ』
 甘い吐息がユーリアから漏れる。俺は女たらし、と小さく舌打ちする。
 キスをしてみたかったの。抱きしめてほしかった。とユーリアは小さくつぶやく。
 トウゼの唇が離れた後で。
『……冥府へといけそうよ。夢が叶ったから』
「ああそうかい」
 俺はけっと悪態をつく。ユーリアの恋する乙女モードの表情がむかっぱらたつんだ。
『リアにそんな顔させることできたしね。悔しそうな顔、いい気味よ』
「……うるせえ、どこにでもいけ!」
 俺は大声でユーリアを怒鳴りつけた。トウゼはユーリアからゆっくりと手を離す。
 俺はひっこんでしまった『あいつ』のことを思いちょっとだけため息をつく。
『さようなら』
「ああまたな」
 俺は消えていくユーリアを見る。少しずつ、彼女の姿は青い湖に解けるように消えていく。
「はあ……」
 俺は深いため息をつく。ユーリアが成仏できたのはよかったよ。
 しかしな、しばらく多分あいつ出てこないぜ、と俺は飄々とした顔のトウゼを強くまたにらみつける。
「……おい馬鹿猫たち。いつまで宴会してるんだ? ユーリア消えたからここもうすぐ消えるぞ?」
「ふにゃああああああ!」
 あせった様子の猫たちを見て、ケットがふにゃん、と一声鳴いた。
 すると使い魔さんが困ったようにトウゼを見る。
「行って来い」
「ありがとうございます」
 一緒に妖精界へといこうよ。みんなこれから館で宴会するから、とどうもケットが誘ったようだった。
 使い魔は猫たちはどうも好きなようだ。
 うれしそうに笑いにゃごにゃご鳴きながらサークルへと向かう猫たちに続く。
 ケットを腕に抱きながら。しかしどちらかというとやさしい笑みは猫たちに向けたもの。少しだけ気の毒そうにその後に続き、リディアはケットを見ている。
「あいてにされてないわよ、この猫たち以上には」
「ふみいい……」
「まあファイトよ、ケット様!」
「ふにゃううう」
 ケットはさびしげに肩を落とす。しかしながら気を取り直したようにすりすりとまた使い魔さんに甘える。
 猫たちと使い魔さん、そしてディアの姿がサークルへと消えていく。
 俺はトウゼへと手を差し出す。そして黙り込むゲオルグへと向けて怒声をあびせかけた。
「帰るぞ、爺!」
「ああ」 
 はあ、とゲオルグもため息をつく。ハーレムは遠いのう。と彼はさびしげに笑う。
 トウゼは俺の手をとることなく、湖を歩いていく。
 遠い昔、主と手をとって歩いた湖の上、しかし今は別々に歩く人影が見える。
 俺はそれをちょっとだけ今、さびしいと思う自分を感じていた。

「……とりあえずのう、はあフィラとしては、妖精に関する話をもっとあつめんとの」
「……そうだな」
 俺は黙り込む。そして相変わらず無表情で茶をすするトウゼを見た。
 ゲオルグの家に帰ってきてはいたが、どうもこうもない、あいつはひっこんだままだった。
「……おいトウゼ、あのな……」
「なんだ?」
「あのさ、あいつも一応女なわけ、だからなあのな……」
「それがどうした?」
 俺はただ黙ってかぶりをふる。何をいっても無駄だ。と踏んだからだ。
 俺はゲオルグがため息をつくのを見た。
 恋路はどうも難関なようじゃのう、とゲオルグはひげを撫でながら言う。
「……トウゼって性格悪いよな」
「……そうじゃの」
 俺たちの会話を聞いても平気な顔で茶を飲み干すトウゼ。
 俺たちはひそひそとトウゼの悪口を言い合う。
「……とりあえずさ、トウゼ」
「なんだ?」
「あいつがひっこんだ理由わかるか?」
「さあな」
 こりゃだめだよ。と俺たちは頭を抱える。脈なしだ。確実に。
 俺はアレイスタからもらった指輪を撫でる。どうもアレイスタのほうが人間としての感情はあった。と思う。
「……とりあえずこれからどうするリアよ?」
「……ファエアリーテイルを収集する。そして……お母さんとユスラさんを探しますわ。これまでもメノウと旅する間、そうやってきましたし」
 私はトウゼをにらみつけながら言う。しかしトウゼはやっぱりどこ吹く風。
 ゲオルグは痛ましげに私を見る。
「おぬしの母親とやら、どこにいるのかの?」
「……どうも娼婦をしていたらしいですわ。エリヤが調べたところによると。でもそこから先はさっぱりみたいですの」
 私はエリヤにも見つけられないなんて、どこにいるんだ。と思う。
 エリヤはふらふらいろいろなところに旅してる。情報収集も上手だ。
 なのにみつからないとは。と思う。
「……本当のユスラとやらは?」
「……魂のかけらさえ感じませんわ。どこかにいるはずなのですが。多分こちらに返されたか、あちらの世界に彷徨ってるか……」
 私はふうとため息をひとつつく。ゲオルグはかなり妖精については詳しい。
 彼は私の肩を優しくぽんぽんとたたいて言った。
「多分この世界に戻されておるじゃろうて。そうじゃのう……おぬしなら感じることができると思うがの。波動を……ユスラとやらの魂の」
 トウゼはちらり、とこちらを見る。私は初恋のレイヴンのことを少しだけ思い出す。
 ちらり、とこちらを見るときの視線がどうもちょっとだけ似てるのだ。
「……お母さんの行方は引き続き捜しますですわ。トウゼも知らないみたいですし」
 私とよく似た雰囲気の三十代後半ほどの年齢の女性を知らないか? とたずねたところ、知らない。という答えが返ってきていたトウゼから。
「トウゼ、私ね」
「なんだ?」
「お母さんにあったら謝りたいのですの。本当のユスラさんを探して、そしてあわせてあげたいですの」
「……そうか」
「だから力を貸してください」
「ああ」
 にゃごにゃご。という声がトウゼが頷いた瞬間、扉の外から聞こえてくる。
 ゲオルグは首をかしげて、小屋の扉を開けた。
 すると外から、ふみいい、と悲しげ鳴くケットの姿が現れた。
「ケットさまそんな悲しい顔しないで」
 どうもなあ使い魔に相手にされなかったらしい。猫たちの宴会から戻ってきたディアはケットの上にのってぽんぽんとその背中をたたいている。
「相手にもされてないからって」
「ふみゃん!」
 使い魔は不思議そうに肩? を落とすケットを見てる。どうも落ち込んでいる理由がわからないようだった。
 青年の姿をする使い魔を見て、ちっと爺が舌打ちする。
「女子の姿ではないのか、あああの尻と乳をまた触ってみたいのう」と。
「ふぎゃああああああ!」
 怒りの声でケットが鳴く。そして使い魔の腕から飛び降り、たしっと飛び上がり、鋭いつめでばりばりと爺の腕を引っかいた。
「こりゃ、このデブ!」
「ふぎゃああああああ!」
「やめろ!」
 俺がケットを静止すると、デブ猫はふぎゃあああああ、とまた怒りの鳴き声をあげた。
 かなり怒りまくっているようだ。
 ぱんぱんとタンバリンをたたいて踊っていたディアが「この爺えろすぎるよ」と小さくけっと舌打ちしている。
「……落ち着きなさい、ケット」
「ふぎゃん」
「……この爺は後でおしおきしておくですから」
「ふみ」
 すごすごとケットが尻尾を巻いて、また使い魔さんの所へと戻る。
 そしてふみゃ〜ん、みゃん。とまた甘えた声をだして擦り寄っていく。
「とりあえずケット様、これからどうする?」
「ふみゃううう」
「……使い魔さんと一緒にいるの? わかった。あたしもう少し猫たちと遊んでるよ」
「私もよければご一緒したいのですが……」
「ふみゃご」
 僕も一緒にいく、とケットが一声鳴く。つかケットって使い猫以下かもしれない。
 だって自分の意思で会いに行くなんて使い魔さんがいうなんて、初めてのことだもの。ケット相手にはない言葉だ。
「いって来い」
「ありがとうございます」
 トウゼが声をかけると、うれしそうに使い魔さんが笑う。
 はあとディアは深いため息をついて、そしてケットの上にぽんと飛び乗る。
 そのデブ猫を抱き上げ、使い魔さんは扉の外へと歩いていく。
「行くよ!」
「はい」
 そのまま彼らの後姿は消えていく。彼らに対しては妖精界の門は閉ざされていはいない。
 私は深いため息をちょっとだけついた。
「今日はとまっていくがいい」
 ケットにひっかかれた傷をちょっとなめてゲオルグはいう。
 痛いのう、と彼はひりひりする傷をなめなめ情けない顔をしてる。
「とりあえずケットは使い魔さんのこと好きだから、余計なことをしてはだめですわあ」
「わかったぞい」
 私は相変わらず無表情のトウゼをにらみつける。そしてぷいっと彼から顔をそむけた。
 しかし相変わらずの表情がない顔でトウゼは茶を飲んでいるだけだった。


「……完成ですわ!」
「今度はなにかの?」
「うふふふ、内緒なのですわ」
 私はゲオルグの部屋で、フラスコをまた揺らしている。
 彼の実験道具は割りと豊富で、私の実験道具よりももっといろいろそろっていた。
「…うふふふふ」
 怪しい笑いをする私を気持ち悪いものでも見る目で、爺は見ていた。
 私はフラスコの中で青い色に変化した液体を揺らし、怪しい笑みをくくくくと肩をふるわせて、し続けていた。
 これで明日の朝が楽しみですわぁ、と私はもう寝ているはずのトカゲ魔術師のことを思い、とてもうれしくてまた笑ってしまったのだった。

「……トウゼ、はい」
「ああ」
 翌朝、与えられた部屋から置きだしてきたトウゼに私は普通に接する。
 今日の朝食は私が爺にいって、作らせてもらったのだ。
 私は普通の顔をして、作ったサンドイッチを皿ごと手渡す。
「……おいしいですか?」
 にこにこと私は笑いながら、トウゼの反応を見る。粗末な木の机に私たち二人は向かい合って座っていた。
 ゲオルグは朝食はいらん、とかいってまだ部屋で寝ている。
 何か不気味なものを感じたからだろう、とは思う。いい心構えだ。と私は思う。
 だってこれからおこることはできたら爺には見せたくないから。
「……ああ美味い」
「トウゼ……」
「なんだ?」
 顔色ひとつ変えない魔術師をじっと私は見つめる。
 そして立ち上がって、彼のそばへと歩み寄った。
「トウゼ……あの」
 私はもぐもぐとサンドイッチを食べるトウゼの目をまっすぐに見つめる。
 トウゼは相変わらず無機質な目で私を見るだけだった。
「トウゼ、あの」
「美味かった」
 トウゼはサンドイッチを平らげ、にやりと笑う。
 私はトウゼをじっと見つめる。薬の効果は即効性のはずだが、と思う。
「……変なものがはいってなければ、だがな」
「ほへ?」
「……薬は俺には効かない」
 にやにやとトウゼは人の悪い笑みを私へと向ける。
 私はぶうっと頬を膨らませ、そしてトウゼを強い目でにらみつけた。
「……変なものなんていれてませんわよぉ!」
 私はどんとトウゼを突き飛ばす。トウゼをにらみつけながら、私はべえっと舌を出した。
「トウゼの馬鹿、馬鹿、馬鹿、無表情魔術師、女たらし、すけべ! 長もどき!」
「ああそうだな」
 うんざり、といったようにトウゼは次の瞬間いつもの無表情に戻って私を見た。
 私は泣きそうな顔でトウゼを見る。
「私はガキじゃないですわ。今年で十七になりますのよ! 私は……私は!」
「俺から見ればガキだ」
 私はうわ〜んと泣きたい気分だった。ほれ薬も効かない。ちょっとだけでよかったのだ、愛の言葉をささやいて、キスしてくれて、抱きしめてくれて……。
「アレイスタのほうがもっと人間らしかったですわよ。ちっとも貴方とは似てませんわよ!」
「そうだな」
「……でも私はアレイスタより貴方のほうがいいのですわよ!」
 しまった。と私は口をつぐむ。トウゼの顔はいつもの無表情、私の言葉の意味にはどうも気がついてはいないようだった。
「俺を変な薬の実験台にはするな」
「……もう知りませんわぁ!」
 私は顔を真っ赤にしてトウゼに怒鳴りつけた。
 そして私は脱兎のごとくトウゼにくるりと背を向けて逃げ出す。
 やっぱりトウゼは意地が悪い笑みを浮かべて、私を見るだけだった。

「……私はやっぱり一人ぼっちですわ……」
「そんなことないよ、多分……ねぇ、泣かないでよ」
 私はゲオルグの家から荷物だけもって、トウゼを置いて、今は村へと続く街道をとぼとぼと歩いていた。
 ゲオルグには後でいきなり姿を消したことは手紙でも書いて謝るつもりだった。
「……私はどうせ一人ぼっちですわ」
「リアってばさ」
 私の肩にはちょこん、とディアがのっている。どうも猫たちと遊んでいたが、それに飽きて帰って来たらしいと思っていたが……。
 どうも私を心配して戻ってきてくれたようだった。
 泣いてはいない、泣きそうな顔を私はしてるだけだ。
 とぼとぼ、と私は村へと続く街道を歩いていた。
「いまからでも遅くないよ、トカゲのところへと戻ろう? リア一人だけじゃあ危ないってば」
「……私なんてトウゼにとってはただの観察動物みたいなものですわあ」
 私はとぼとぼとした足取りで街道を歩いていた。すると前からなにやら人相の悪い顔をした集団の男たちがやってくる。
「リア、逃げよ。なんだかあいつら危ないよ!」
「……おお、きれいな姉ちゃんこんなところに一人で泣いてどうした?」
「……うるせえ」
 ディアの忠告を聞いても俺は引かなかった。あいつをひっこませて、酒臭い息をした十人ほどの男たちを俺は強くにらみつけた。
「……威勢がいい姉ちゃんだなあ、俺たちの相手をしてくれよ!」
「……俺はいま非常に機嫌が悪いんだ。嬲り殺されたくなければどっかに消えろ、虫けらども!」
 俺の言葉を聞いても、にやにやと男たちは笑うだけ、酒臭い息をさせて、俺の手を無理やりとろうとする。
「エア!」
 俺が短く詠唱すると、手をとった男が風の刃をうけて吹っ飛ぶ。
 それを見た男の一人が「能力者か?」と小さく叫んで、逃げる体勢をとる。
「おいなんでこんなとこにいるんだ。能力者が?」
「……踊れ、焔の精霊たち!」
 俺はすごく機嫌が悪かった。普段ならまあ、こんな小物相手に魔術は使わない。
 しかし男たちが焔に囲まれ、そしておびえる表情をするのを見ると、俺は自分の心が高揚するのを感じていた。
 焔の環が男たちを包み込んでいた。俺はにやり、と笑い腕組みして男たちをただ見ていた。
「あはは、大の男が女一人にやられるとはなあ」
「リア、やりすぎだよぉ」
「……嬲り殺すか、生きたまま焼いて……」
 あはは、と俺は愉しげに笑う。するとその瞬間、焔が消える。
 男たちは恐怖のまなざしを俺へと向けていた。恐れの表情を色濃く残し、男たちは来た方向へと逃げていく。
 街道はとてもさびしい道、ここは辺境に属するからだ。
 この先にある村もとても小さく寂れた村。男たちはまあ山賊といったところだろう。
 どうも焔を消したのは「あいつ」らしかった。
「何で消すんだ……」
「争いはいけませんもの」
 意識が切り替わる。私は心配そうに私を見ていたディアに笑いかけた。
「申し訳ありませんでしたわぁ」
「これからどうするの? 村はこの先だよ。リアってすっごい方向音痴じゃん。あたしもあんまり人のこといえないけどさ、あの魔術師いなくてメロウってとこに帰れるの?」
「帰りませんわ、私……どうせなら、知り合いの魔術師とか情報やすべてにあって帰りますわよ。後東に住んでいる情報やが残ってますわ。そいつにあって帰りますわ」
 私はきついまなざしで街道の先を見つけた。
 トウゼなんて知らない。と思う。私は一人で旅くらいできる。と思う。
 トウゼについてきたかった。トウゼにいつか振り向いてもらうために。
 でも頭にきている状態で、そんなことできない。と思う。
 頭を冷やすために、私は街道をとことこと独りで歩く。
 大丈夫だ。彼女がいる。危なくなっても大丈夫。と思う。
 私の後ろから、黒い人影がついてきているのを、このときの私は気がつかないでいた。
 つかずはなれず、といった感じのその人影は、この先の村を目指す私のことを見守るようについてきているようだった。


16 :西 :2008/09/20(土) 23:40:46 ID:mcLmLGt3


――間幕劇――



「ユスラ様に声をかけて差し上げなくてよろしいのですか?」
 不貞腐れた少女の後を追い街道をぶらぶらと歩く魔術師に、ふわりと風のように現れた
使い魔は聞いた。
「しばらくは放っておけばいい」
 進むしろ戻るにしろ見当違いの方角に進みはじめた少女にため息をつき、トウゼは言
う。何やら前を歩く少女はたちの悪い男たちに絡まれていたが、逆に散々ぶちのめしてい
たので心配することもなかろう。
「これからメノウさんにユスラ様の近況のご報告に参りますが、なんとお伝えすればよろ
しいでしょう」
「適当にしておけ」
「適当……」
 それは困ったというように使い魔は首を傾げる。適当。テキトウ。使い魔にはそれが一
番難しい。真面目すぎるのだ。
「……それよりも、お前」
 転けそうになりながらふらふらと歩く少女から目を離し、トウゼは渋い顔で使い魔に視
線を移す。
「その格好でメノウのところへ行くのか?」
「はい。メノウさんのご要望ですし、何より喜ばれますので」
 にっこりと微笑み、使い魔。レースのたくさんついたドレスを着た、愛らしい栗毛の美
少女。トウゼは思いきり顔をゆがめる。
「お前がどんな姿をしてどんな衣装を纏おうが勝手だが……」
 だからと言って八歳から十二歳までの美少女、もれなくふりふり衣装つき、というのは
どうかと思うぞ。トウゼはその言葉を飲み込んでかぶりをふった。何を言っても元は感情
など持たない存在なのだ。意味はあるまい。
 しかし、街道ですれ違う人々が怪しげな魔術師とふりふり美少女の二人を横目にちらち
らと見ていくのはいただけない。トウゼはがらにもなくまた小さなため息をついた。
「猫たちの宴会は楽しかったのか」
 しょうもないので話題を変える。ロリコン変態にしろ何にしろ、本人が嫌がっていない
のだから放っておくしかないのだろう。
「ええ。とても楽しませていただきました」
 使い魔はうなずく。そして許可して下さりありがとうございました、と深々と礼。
「カルナ様の使い猫さんたちは皆とても気さくな方ばかりで、しきりにお酒やお菓子を勧
めて下さいましたし、たくさんお話も聞かせていただけました。また一緒に騒ごうと誘っ
てまでくださいました。本当に良い方たちですね。楽しかったです」
「カルナ自身はそうでもなかったようだがな」
 トウゼが冷たくそう言うと、使い魔は「そうなのです」と怪訝そうな顔をした。
「何か私が失礼なことをしてしまったのでしょうか。カルナ様は妖精界の重鎮であらせら
れますし、粗相のないようにと気を配っていたつもりなのですが。至りませんでした」
 何故だか分かりませんが、これからはしっかりと注意いたします、と使い魔は恐縮する
ように言う。どうしてあのデブ猫が気落ちしていたのか、使い魔には理解できていないの
だ。
 所詮、妖精のお偉い猫様はお偉い猫様。ただそれだけの認識。尊敬もするし尊重もする
が、それだけだ。それ以上でも以下でもない。
「俺にとっても似たようなものだな」
 たぶん前を行く少女が聞いたら泣きそうな冷淡な声で、魔術師はつぶやく。
「からかってやるのは楽しいが、さすがにそれも鬱陶しくなってきた」
「どうなさるのですか。我が主よ」
「何もしない。一人で空回りさせておけ。俺の仕事はやつを妖精国へと導くことだけだ」
「それでは私は定例の報告へ行って参ります」
「ああ」
 美しい少女は幻のようにかき消える。
 魔術師は感情のない人形のような瞳で、小妖精とふらふら歩くユスラの後ろ姿を眺め
た。


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.