Witch Love


1 :夕咲 紅 :2007/09/20(木) 10:35:11 ID:P3x7YnVm


 魔女――

 その言葉を聞いて、どんな想像をするだろうか?
 黒いローブ、黒いマント、黒いとんがり帽子。箒にまたがって空を飛ぶ。巨大な釜で得体の知れないモノを煮込んでる。後は変な笑い声とか……
 まあ、そういったことを思い浮かべるんじゃないだろうか。
 少なくとも、俺にとっての魔女のイメージはそんな感じだ。

 その夜、俺は小腹が空いた為コンビニへと出かけた。
 適当に惣菜パンを買い自宅に戻る途中、俺は出会ってしまったんだ……


 魔女。

 そう呼ばれる、一人の少女に――


2 :夕咲 紅 :2007/09/20(木) 10:38:46 ID:P3x7YnVm

第一話 空から降ってきた魔女

「秋に入ったとは言え、まだまだ暑いな」
 9月25日。二学期が始まってからもう直ぐ一ヶ月が経とうという頃のある夜。俺――早瀬 武人(はやせ たけひと)はビニール袋を片手に夜道を歩いている。
 いきなり大量に出された宿題に追われること数時間。少し前にようやくそれが終わった頃、腹の虫が鳴いた。ボロいアパートに一人暮らしをしている為、食事はもっぱらレトルトやジャンクフード、そしてコンビニ頼りとなっている。だってほら、俺料理出来ないし。
 そして残念なことに、部屋にカップ麺やらの類いは残っていなかった。大体いつもその日の分は買って帰っている為、割とこういったことは起こる。そんなこんなで、いつもと同じ様に夜中の買い出しに出たわけだ。今はその帰り。
 コンビニで買った惣菜パンがいくつか入った袋を片手に、アパートへと向かってゆっくりと歩く。小腹は空いているが、ずっと座って勉強していた疲れがあるせいか、こうして外の空気を吸っていると少し気分が良くなる。少し遠回りでもして帰るか? そんな風に考えながらも、足は止めない。気温は高めなものの、夜風が吹くとそれなりに涼しい。
「ま、その辺は一応秋ってことかな」
 勝手にそんな風に納得しながら、俺の足は自然と近くの公園へと向いていた。
 アパートとコンビニの間にある――とはあまり言えない、コンビニから迂回した所にある公園。割りと大きな自然公園で、名前は瑞ノ葉公園と言う。ここからならアパートより学園の方が近い。まあ、そもそも学園とアパートが近いんだから大した距離でもないけど。
 そんな瑞ノ葉公園の中をぶらぶらと歩く。夜風に揺れる木々に囲まれながら虫たちの鳴き声をBGMに、この街の中で一番澄んだ空気を吸い込む。
 ――ふと、どこからか風を切る音が聞こえてきた。気のせいだとも思える程微かな音。だけど、確かにそれは聞こえた。
 どこだ?
 足を止め周囲を見回すが、そんな音が聞こえてくる様なものはない。しかし、じょじょにその音は大きくなって――いや、これは近づいてきてるのか?
 上?
 その音が近づくに連れ、それが上空から聞こえてきているのだと理解出来た。
 空を見上げ、目を凝らす。
 そこには、異様な光景が……
「危ない! 避けて!」
 目の前に迫ってくるソレから、そんな言葉が聞こえてきた。自慢じゃないが運動神経は良い。けど、この時ばかりは身体が動かなかった。
 黒いマントを羽織り、黒いとんがり帽子を被った、竹箒に跨って急接近してくる女の子――
 いや、避けないと!?
 と思い直した瞬間、箒の柄が俺の腹に直撃した。
「っぐ……」
 思わず呻き声を漏らす。懸命に勢いを殺していてくれたらしく、直撃した時にはそれなりにスピードは落ちていたけど……
 猛ダッシュして突っ込んでくる小学生の突進。くらいのダメージは受けたと思う。局部的に。
「いったぁ〜」
 なんて声が近くから聞こえてくる。いや、痛いのはこっちだ。
「大丈夫か?」
 なんて本音は漏らさず、一応相手を気遣う。おお! 俺って出来た男だ。なんつーか紳士?
「大丈夫じゃないわよ! 避けてって言ったじゃない!」
 蹲っていたその女の子が、顔を上げて叫んできた。その内容は随分身勝手なものだったが、俺は直ぐには言い返すことが出来なかった。その余りに整った顔立ちに、思わず言葉を失ってしまったのだ。可愛いと言うよりは美人。美人と言うよりは可愛い。そんな曖昧な、俺と同世代くらいの女の子が持つ特有の艶がある顔立ち。怒った顔すら綺麗だと思える。ただ……
 その格好だけはやっぱり変だ。服装は良く見たらうちの学園の制服だ。だけどそれに合わない黒いマントと黒いとんがり帽子。あと箒。なんつーかあれだ。魔女みたいな格好?
「ちょっと、何か言いなさいよ」
「え? ああ……その、悪い」
 思わず謝ってしまった。
「いや、そうじゃなくて……あんなの急に避けられるかっての」
「あれくらい避けなさいよっ。どんくさいわね」
 うわっ。この子何気にひどっ……
「でも、俺が避けてたら地面に突っ込んでたんじゃないのか?」
「そんなわけないじゃない。ちゃんと軌道補正してたわよ」
 そんなもんなのか? ってちょっと待て!
「えっと……」
「何よ?」
「あんた、空飛んでなかったか?」
「あ」
 あ。って何だ、あ。って……
「そんなわけないじゃない。何言ってるのよ」
 あははー。と乾いた笑みを浮かべながら取り繕った様に答える女の子。
「いや、でもなぁ……」
「ちょっと木の上から飛び降りただけよ。ほら、何て言うの? 飛べる気がしたって言うか、飛べたらいいなって思ったって言うか……若気の至りってやつ?」
「今さっき軌道補正とか言ってじゃないか」
「いや、それはあの……」
 俺の的確なツッコミに言葉を濁す女の子。ちょっと可哀想になってきた……
「忘れなさい!」
「は?」
 なんて思ったのも束の間。いきなり強気な態度でビシッと指を差してきた。
「な、何だよ?」
「今見たことは全部忘れなさい! いいわね?」
「いいわね? と言われても……」
 今の出来事を忘れるのは、なかなか容易なことじゃないと思うぞ。
「いいから忘れなさい。あたし、物質操作系の魔法って苦手なんだから。あなたが忘れられないって言うなら、物理的に忘れさせることになるわよ?」
「それはあれか? 俺の頭を殴るとかそういう類いのことか?」
 言っている意味はよくわからなかったが、とりあえず身の危険を感じて質問してみた。
「えぇ」
 返ってきたのは予想通りの言葉。簡潔且つ明瞭な一つ返事だった。
 って言うか、今魔法とか言いましたよこの人。何て反応していいやら……
 と言うか、もはやあんまり関わりたくない感じになってきた。色々危なそうだから。主に俺の頭が。
「さあ、どうするの?」
 なんて言いながら詰め寄ってくる女の子。いや、近いって。
 そのあまりの近さにちょっとドキドキしながらも、正直者な俺は仕方なく妥協案を出す。
「努力はする」
「……まあいいわ。それでカンベンしてあげる」
「そいつはどうも」
 喜んでいいのか判断に困るところだが、とりあえず礼を言っておく。ここでツッコミを入れると厄介なことになりそうだと俺の勘が告げていたからだ。
「それじゃあ、もう会うこともないと思うけど……くれぐれも、今夜のことは人に話さないでよね」
「ああ」
 俺が頷くのを見て、女の子は手に持っていた箒に跨る。彼女はゆっくりと瞼を閉じ、深呼吸をする。
 ふわり。
 実際にそんな音が聞こえてきたわけじゃなが、イメージ的にはそんな音と同時に箒が浮き上がった。彼女の身体を乗せたまま。
 普通なら驚く場面かもしれないが、それ以上に今は呆れてしまった。
 だって、なあ……?
 飛んできたのを見たからと言うよりは、さっきまで必死に隠そうとしてた上に、俺に今見たことを忘れろって言ってきてたんだぜ? 誤魔化しきれなくなったとは言え、もう少し隠そうって気を持たないもんなのかね。
 そんなことを考えていると、女の子はパチリと目を開いた。俺の方に視線を向けたかと思うと、直ぐに前に向き直り――
 箒は勢い良く飛翔したかと思うと、直ぐに彼女の姿は夜空に溶け込み見えなくなった。そこで俺は、彼女の言葉を思い出す。「もう会うこともないと思うけど」って言ってたけど……
 彼女は、間違いなくうちの学園の制服を着ていた。ということは、学園で会う可能性があるよな。こっちは私服だから、まあ彼女にとって見ればさっきの言葉も当然かもしれないけど。
「まあともあれ……」
 帰るとするか。
 何となくどっと疲れが押し寄せてきて、とにかく直ぐに帰って休みたくなった。


 ある秋の日の夜、俺は魔女みたいな格好をした女の子に出会った。
 その子はまるで本物の魔女の様に箒で空を飛んでいた。
 見た目はいいけど、性格はあんまり良くなさそうだったな。なんて思うけど、彼女のことが妙に気になったのは事実だ。
 それでも、それ以上に今日という日が日常とは違うなんて言うことはなくて――
 この時はまだ、この先に訪れる不幸の連続などまったく予想していなかった……


3 :夕咲 紅 :2007/09/28(金) 04:40:32 ID:PmQHsJzH

第二話 転校生は魔女

 私立セントフレアス学園。
 この街で――いや、日本中でも最大級の規模を誇るマンモス校。初等部、中等部、高等部、大学部から成る学園で、俺はその高等部の2年生だ。
 特に進学校というわけでも、部活動が極端に盛んというわけでもない。どちらも公立校の上の下くらいのレベルだろう。それでもこの規模を維持し続けているのは、自由な校風と何よりも学園の設備の良さだろう。細かく語るときりがないから、その辺は割愛ってことで。
 因みに……
 敷地の問題から、初等部と中等部、高等部と大学部といった感じに学園の場所は別れている。
 俺の通う高等部は、街のほぼ中心にあると言っても過言ではない。しかも建物が目立つものだから、はっきり言って名物みたいな扱いを受けている。まあ、決して悪いことではないんだろうけど。
 ともあれ。
 今日も今日とて、俺は学園までやってきた。時刻はまだ朝の5時半。早朝と言える時間だろう。因みに、普段の俺の登校時間は8時頃だ。ならなぜこんな時間に学園まで来たかと言うと……
 全然眠れなかったから。
 昨晩出会った魔女みたいな女の子のことを考えていたら、気がついた時には日が昇っていた。それから寝たところで大した時間は寝れない。つーか絶対に起きれない自信があった為、そのまま準備をして学園までやってきたというわけだ。
「あっれー? 早瀬じゃねーか。珍しく早いな?」
 背後から声をかけられちょっと驚きながらも、何とかそれを隠して振り返る。
 そこに立っていたのは、クラスメートの赤木 英太(あかぎ えいた)だった。
「ああ、ちょっとな。そういう赤木こそ早いじゃないか」
「オレは朝練だよ。水曜と土日以外が6時から朝練があるんだ」
 そう言えば、赤木はサッカー部だったな。
「そうだったのか……意外と頑張ってるんだな、サッカー部」
「まあな。て言うか、早瀬もどうだ? お前だったらいつでも入部大歓迎だぞ?」
「サッカーは好きだけど、俺は朝は弱い。つーわけで遠慮しておく」
 赤木とは高等部に入ってからの付き合いだが、体育の授業で何度もサッカーをしている。元々運動は得意な方だし、特にサッカーが好きな俺はそれなりに頑張って授業を受けていた。その時にサッカー部員でもないのに部員並に動ける男として赤木に認定されたらしい。
 赤木はかなり上手いと思う。部でもレギュラーらしいし。そんな赤木曰く、俺はちゃんと練習すればかなり良い選手になれるんじゃないかと言うことだ。とは言え、しょせんは高校レベルの話。しかも同級生の言葉だ。そんなものを鵜呑みにする程俺はバカじゃない。
「そうか。まあ、別に無理に入れとは言わないからいいんだけどな。おっと。そろそろ時間だ。じゃあまた後でな」
「ああ」
 俺の返事を聞くよりも早く赤木は駆け出し、部室棟のある方へと去って行った。
 特にすることがない俺は、のんびりと校舎へと向かう。
 正直言って眠いし、教室で寝てるかな。
 そんな風に考えながら、俺は自分の教室へと向かった……


「転校生を紹介するぞ」
 教室で完全に熟睡していた俺だったが、担任のそんな声で目を覚ました。
「転校生だって、どんな奴だろうな?」
「女の子だといいなー」
「可愛い子限定でな」
 野郎共が好き勝手に言葉を交わし合っている。普段なら俺もあの中に加わるんだろうけど、生憎と寝起きの俺にそんな余裕はない。いや、結構意識はっきりとしてるけどさ。
「男子ってやーねぇ」
「でもさー、やっぱ格好良い男の子だったら嬉しいよね」
「うんうん。期待しちゃうなー」
 なんてはしゃぐ数人の女子もいる。
 どっちも大して変わらない反応だ。まあ、それが普通ってことか……
「ねぇねぇ、たけちゃん」
 などと考えていると、右隣りから聞き慣れた声が聞こえてきた。視線を向けると、そこには肩口くらいまで伸ばした黒髪、一見ぼぉ〜っとしてそうな瞳、それでいて無駄に姿勢良く席に座っている女子――俺の幼なじみである藤野 雅(ふじの みやび)の姿があった。当たり前だ。俺の右隣りの席は雅の席なんだから。
 因みに、「たけちゃん」って言うのは俺のことだ。この歳になってその呼び方は恥ずかしいから止めろって何度も言ってるんだけど、まったく止めてくれる様子はないのが現状だ。
「何だよ?」
 と、我ながら不機嫌そうな声で返す俺。意識して不機嫌そうにしたわけじゃない。寝起きだから当然の声音だろう。だからそんな涙目で見るな、頼むから。
「あ、あのね。そのぉ……」
 俺の声音にビクビクとしながら、言葉を濁らせる雅。
 相変わらずの小心者だな……
「怖がってんじゃねーよ。いいから早く言えって」
 極力優しく言う――なんて真似はしない。なぜならこいつは優しくすると直ぐ調子に乗るからだ。
「う、うん。ごめんね。えっと……」
 これはこれでちょっとイラつくぞ。
「転校生、どんな子だろうね?」
「知らねーよ」
「うっ」
 俺の素っ気ない返事に、またもや肩をビクつかせる雅。
 ……はぁ。
「何でお前はいつもそんななんだ……って、まあ今はそれはいいか。正直なところ、別に転校生なんかに興味はない」
 むしろ気になるのは、昨日のあの子のことだ。
「そうなんだ。良かったぁ」
 なんて安堵の言葉を漏らす雅。なぜか嬉しそうに胸を撫で下ろしている。
「お前ら、もう少し静かにしろー。転校生が入ってきにくいだろ」
 教卓を叩きながらそんなことを言う我らが担任。31歳独身男性、恋人いない歴ン十年。
「よし。入ってきれいいぞ」
 教室内が静まり返ったのを見計らって言った担任の言葉の直後、教室の前側の扉が開かれた。そこから入ってきたのは、一言で表すなら美人の女の子だった。
 腰よりも少し高い位置まで伸びた、透き通る程に綺麗な銀髪。歩き方はまるでモデル。全体的に清楚な雰囲気を醸し出している。今時と表現出来る丈の短いスカートから伸びるスラッとした脚はまさに美脚。と言うか隠して下さいと言いたくなる程眩しく映る。そして何よりも、驚く程に整った顔立ちをしている。少し棘がありそうなキツイ感じのする瞳がまた刺激的で――
 って、俺は何を言ってるんだ……
「それじゃあ、自己紹介をしてくれ」
「はい」
 教卓の横まで来た転校生は、担任に言葉に頷き正面を向く。俺たちとはちょうど向かい合う格好だ。
冴倉(さえくら)・アレーリア・南月(なつき)です。先週まではイギリスで暮らしていました。日本は久し振りなので、色々と皆さんにはご迷惑をおかけすると思いますがよろしくお願いします」
 そう言って一礼する転校生。
 礼をした後に顔を上げた転校生と、偶然に目が合った。なぜか向こうは驚いた顔をしている。
 ん……?
 俺の顔に何かついてるのか?
 なんて思った次の瞬間には、慌てた様子で視線を外す転校生。いきなり嫌われたか……?
「むぅ〜」
 なぜか隣りでむくれている雅。
 まったく、今日はついてないな……いや、今日というより昨日からか。変な女に会うわ、幼なじみは急に不機嫌になるし、転校生にはいきなり嫌われたっぽいし……
 ってちょっと待て! あの転校生、どこかで見たことある気がするぞ。そんなに前じゃない。最近のことだ。
 違う。そんな曖昧なものじゃなくて――
「あー!」
「どうした早瀬?」
 急に立ち上がり大声を上げた俺に、担任が心配そうに声をかけてきた。
「いや、何でもないです。すいません」
 そう言って座り直し、転校生に目を向ける。
 そうだよ。何で直ぐに気づかなかったんだ? あの転校生、昨日の魔女みたいな格好の女じゃないか……
 あんな綺麗な子、そう簡単に忘れるわけないのに……
 昨日起こった出来事は覚えてる。なのに、彼女の顔だけはスッパリと忘れてた。そんなバカな。もしかして、これもあの子の魔法ってやつなのか?
「そうだな。それじゃあ冴倉は、窓際の一番後ろの席に座ってくれ。あそこは今空いてる席だからな」
「わかりました」
 俺を見た時の驚きなんてなかったかの様に、教室に入ってきた時と同じ様に優雅に指定された席へと歩いていく転校生。
 後で問い詰めるべきか。でも、一応昨日のことは忘れるって約束だしな。うーん……
 まあ、なるようになるか。そのうち話す機会もできるだろ。
 そんな風に楽観し、俺は再び眠りに着くことにした。
 もう直ぐ授業も始まるわけだが……
 しょうがないんだ。俺はまだ眠いんだから。
 と、軽く現実逃避することで今日の学校生活が始まった……


「早瀬君、でしたよね?」
 転校生――もとい。昨夜の魔女風女がそうやって声をかけてきたのは、俺の眠気がようやく全快して昼飯を食いに行こうと立ち上がった矢先のことだった。
「なぜ俺の名前を知っている?」
「皆さんが教えてくれましたので。藤野さんと仲が良いことで有名だと」
 まあ間違ってはいないが……
 ああそう言えば、休み時間の度にクラスの皆に囲まれてたっけ。俺はほとんど寝てたから参加してないけど。その時にでも聞いたのかな。
「で、何かようか? 転校生」
「いえ、特別ようというわけではないんですけど……あとクラスでお話してないのはあなただけですので」
「ふーん」
 多分、真意は別のとこにあるんだろうけど……まあ、そこはお互い様か?
「んで、話したかったことは名前の確認だけか?」
 この言葉は、ある種の確認。俺が隠した言葉の真意を受け取ってくれるかどうかはわからないが……
 ふと、彼女の目つきが一瞬険しくなった。おそらく気がついたんだろう。
「やっぱり、覚えているみたいね」
 さっきまでのかしこまった口調とは違い、多少だが砕けた口調になった。昨日もそうだったが、こっちが彼女の地なんだろう。っても、まだまだ昨日に比べたら堅い喋り方だけどな。
「実力行使にでも出るつもりか? 俺はあくまでも努力はするって言っただけだぜ? いや、それよりも……」
 俺が彼女の顔を忘れていたことについてだ。せっかくこうして向こうから声をかけてきたんだ。確認する絶好のチャンス。なんだけど……
「ちょっと待ちなさい。ここでこれ以上そんな会話をしたら目立つわ。着いて来て」
 俺の言葉を遮ったかと思うと直ぐに教室を出て行く転校生。彼女の言う通り、周りの奴らがこっちの様子を伺っている。そりゃあ、話題の転校生といきなりヒソヒソと話してる奴がいたら気になるわな。
 軽く頭をかきながら、俺は彼女の後を追う様に教室を出た。ほんの少し足を止めていただけなのに、もう彼女の姿は近くにはない。
「こっちよ」
 そんな声が聞こえてきたのは、背後――俺が今出てきた教室の中からだった。
 驚きながらも振り返ると、やはり教室の中に彼女がいる。しかし、ついさっきまでいたはずのクラスメートの姿が全くない。
「一体どういうことだ?」
「ちょっと空間をイジッただけよ。いいから入ってきなさい。今あなたがいる場所はどちらにも属さない空間になってるんだから」
 その言葉の意味はよく分からなかったが、とりあえず危険があるということだけは察することができた。
 それにしても、空間をイジッただって? こいつは何でもありか?
 なんて考えながら、彼女の呼ばれた通り誰もいない教室に入ろうとする。
 は!
 待て。人気のない所で二人きりになったら、それこそ実力行使に出られるんじゃ……
「何もしないよな……?」
「男のくせに意気地なしね……何もしないから早くこっち来なさいよ」
 と、ちょっと苛ついた声を上げる転校生。俺は覚悟を決めて、今度こそその教室に足を踏み入れた。
「さて。改めて自己紹介でもしましょうか。あたしの名前は冴倉・アレーリア・南月。よろしくね」
「俺は早瀬 武人だ。よろしく」
 転校生――冴倉が手を出してきたので、それを取って握手を交わす。
「多分あなたが一番気にしてることから説明しておくわ。多分、あたしのことを完全に覚えてたわけじゃないんでしょう?」
「ああ」
「やっぱり……あたしが変に驚かなければちゃんと効いてたっぽいわね。ああ、とりあえず言っておくけど、別にあなたの頭をイジッたとかそういうことじゃないから。あれはただのお呪いみたいなものよ。催眠術に近いかしら?」
「あの時……目があった瞬間か?」
「ええ。結構冴えてるのね」
 褒められても嬉しくない。
 まあ、そんな間があったならあの時しかなかっただろうしな。
「参考までにどんな感じだったの?」
「ん? ああ、そうだな。昨日の出来事はちゃんと覚えてたんだけど、冴倉の顔だけがすっぽり記憶から抜けてたみたいだ。最初教室に入ってきた時に気づかなかったからな」
「やっぱりそんなもんか……まあ、魔素を用いない術じゃそんなもんよね」
「勝手に納得してるのは別にいいんだけどさ。結局、あんたは一体何者なんだ?」
 まさか、本当に魔女なわけないよな? でも、さっきから魔素とか術とかマンガに出てきそうなこと言ってけど……
「多分、あなたが想像してる通りの存在よ」
 っていうことはまさか……
「魔女。って言っても、まだ見習いだけどね」
 ああ、やっぱり……
 もはや、悪い予感しかしてこない。
「昨日も言ったけど、あたし物質操作系の魔法って苦手なのよ。だから――」
 ああ、その先は出来れば聞きたくないな。今度は身の危険じゃない。ただ単に俺の予感が告げてくる。関わっちゃいけない、と。
「あなた、あたしに協力しなさい」
 でも、そう簡単に逃げられるわけがない。だって相手は魔女なんだから。

 これは、俺の不幸の始まりだった……


4 :夕咲 紅 :2007/10/06(土) 14:30:51 ID:P3x7YnVF

第三話 犬男注意報

 冴倉・アレーリア・南月。魔女見習いと言う彼女が転校してきてから一週間が経った。最初はお嬢様を装っていた感のある冴倉だったが、すでに多少だがボロが出てきている。というより、転校生が馴染んで地が出てきたっていうのが正解なんだろう。あいつは別にお嬢様を装っていたわけではなく、堅苦しいというか畏まった挨拶なんぞしてたら外見からそんな風に見えるだけなのだ。それだけあいつの見た目はいい! ただ、出会った時からわかってはいたことだがすこぶる口は悪いが……
「早瀬君、ちょっといい?」
 放課後の教室で声をかけてきたのは、くだんの冴倉だ。二人きりだとすでに呼び捨てにされているのだが、一応周囲の目がある時は早瀬君と苗字に君付けで呼んでくる。
「ああ」
 特に用事もない俺は、彼女の言葉に頷いた。
 協力を強要されてから何度かこうして一緒に行動している為か、周囲で少しだけ噂になっている様だ。直接聞いてくる奴も冷やかしてくる奴もまだいないが、雅なんかはしきりに非難の目を向けてくる。俺が何をしたって言うんだか。
「あれ? 今日はどっか行くのか?」
 今日も今日とて誰もいない教室に戻るのかと思っていたが、冴倉の後に続いて教室を出るとそこには普通に彼女の姿があった。
「ちょっとね。今日は実際に協力してもらおうと思って」
 それがどういう意味かはわからないが、どうやらただ普通の教室じゃダメだってのは理解できた。
 説明もなしに歩き始めた冴倉の後を追う様に俺も歩き始める。
 実際に協力してもらう。そんな彼女の言葉の通り、この一週間特に協力と言う協力はしていない。魔女の存在、そして魔法のこと。後は彼女がどうして日本にやってきたのかという理由を少しだけ教えてもらっただけだ。
 やがて辿り着いたのは科学実験室。なんつーか、魔女の実験にもってこいって感じか?
 実験室の鍵は開いていないはずだ。だが、冴倉が扉に手をかけ一呼吸置くと周囲の空気が一瞬歪む。その一瞬を認知するのは普通の人間には難しいらしいのだが、なぜか俺にはそれが視える。そのことを冴倉に話したところ、「才能あるんじゃない? あたしってば良い拾い物したみたいね」なんて言い放った。色々と言いたいことはあったが、俺はその言葉に対して何も言い返さないことにした。だって後が怖いし……
 などと考えている間に、冴倉は実験室の扉を開けていた。本来の実験室の鍵が開いたわけじゃない。空間をイジッたもう一つの実験室の扉を開けたのだ。彼女がそこに入っていくのを見て俺も続く。そこには、俺の知る実験室と全く変わらない空間が広がっていた。
「教室の時も驚いたけど、やっぱりすげーよな」
「何もすごくないわよ。ちゃんと説明したでしょ?」
「まあ、説明はされたけどさ……」
 空気中には魔素と呼ばれるエネルギーが霧散しているらしい。魔女と言うのはその魔素を操り様々な術を使ったり薬を作ったりすることの出来る人種のことだそうだ。その術の総称を魔法と呼び、いくつかの種類に分けたそれらを魔術と呼ぶそうだ。
 空間をイジる。それもその一つで、空間歪曲魔術と呼んでるらしい。空間歪曲なんて言っているが、決して大層なものではないというのは彼女の弁。元々意志のないものに対する術というのは簡単な部類に入るらしい上、空間歪曲というのは制約が多く出来ることが限られているとのことだ。
 そんな感じのことを言われたが、俺に理解できるわけなんてこれっぽっちもない。ただ、冴倉の言葉によると元々存在する空間そのものをイジッているわけではなく、今回なら誰もいない実験室という空間を再現しているというのが正しい表現だと言う。
「あたしが試験の為に日本に来たのは言ったわよね?」
「ああ」
 何でも、冴倉の師匠である凄い魔女に課せられた試験があり、それを受ける為に日本まできたそうだ。その試験は彼女が師匠に一人前の魔女と認めてもらう為の試験で、絶対に落ちるわけにはいかないとのことだ。
「その一つに、魔女の間で療薬と呼ばれる薬を作れっていうものがあるのよ」
「それで、今日はその薬を作るってことか?」
「ええ。基本的な材料は全てそろえてあるわ。後必要なのは大量の魔素なのよ」
「って言われてもな……結局俺は何をすればいいんだよ?」
「薬が出来るまではそこにいるだけでいいわ」
「は?」
 何を言い出しますかこの人は。いや、何もしなくていいならそれはそれで楽だけどさ……
「この一週間で分かったことがあるの。どうやら、武人の周囲には魔素が集まり易いみたいなのよ」
「は?」
 って、またもや何を言い出しますかこの人は。
「きっとそういう体質なんでしょうね。魔素による歪みを視ることが出来るのもそのおかげかもしれないわ」
 はあ。何と言っていいのやら……
「だから、あなたが近くにいればあたしたち魔女は困らないってわけね」
「それってかなり微妙だな……」
「いいじゃない。別に武人の身体がどうこうなるわけじゃないんだから」
 まあその通りなんだが……
 何となく釈然としないが、まあそれに関してはとやかく言ったところでしょうがないだろう。
 俺の言葉に律儀に返事をしていた冴倉だったが、すでに始めていた作業の手を一度も止めることなく進めている。実に器用な奴だ。
「それで、その療薬ってのはどんな薬なんだ?」
「名前の通りの薬よ。生物の細胞を活性化させて傷を治療する薬なんだけど……飲薬でいいわよね?」
「ああ」
 ……ん?
「ってちょっと待て! それどういう意味だ?」
「どういう意味ってどういう意味よ?」
「何で俺に飲薬でいいとか聞くんだよ? まさか俺に飲ませる気か?」
 魔女が作った薬を? それは結構な危険があるんじゃないのか?
「当たり前じゃない。誰かが飲まないと結果がわからないでしょう? 今日の配合はちゃんと控えてあるから、この結果を記しておかなきゃ。一回で成功するとは限らないんだから」
「それはなおさら危険だろ!」
「大丈夫よ。一応医療薬なんだから」
「そうは言ってもな……」
 何よりも不安なのは、こいつがまだ見習いということだ。
「協力してくれるんでしょう? 男だったら一度交わした約束は破らないでよね?」
「くっ……」
 男じゃなくたって約束は守るもんだって言いたいとこだが、そんなこと言ったらなおのこと俺の立場は悪くなる。
 何とかならないものか……
「覚悟を決めなさい」
「……わかったよ。ったく、ついてねー」
「何か言った?」
「いいえー、何もー」
 とりあえずは出来上がるのを待ってみよう。飲めそうなものだったら飲んでもいいし、そうじゃなかったら……ま、その時考えればいいか。
「それにしても……」
 しばらく沈黙が続いたが、フラスコやらビーカーやらに入った液体を火にかけている冴倉がそんな言葉を漏らした。それは続きのある言葉だと理解できた為、俺は口を挟まずにその続きを待つ。
「本当に凄いわね。これだけの魔素を集めるのに、普通だったら何時間もかかるのに」
 自分だったら。と言わないのはこいつなりのプライド故だろうか。とは言え、その凄さっていうのが俺にはイマイチ分からない。
「さて、出来たわ」
 最終的に一つのフラスコに混ぜられた液体を、そう言って中身の入っていないペットボトルに移す冴倉。ラベルは外されていて何が入っていたものかはわからないが、形とキャップを見てホット用のペットボトルだというのは分かった。
「後は冷やして飲みやすくするだけよ」
 そう言って俺にペットボトルを差し出してくる。とりあえず受け取ってみる。
 ……まあ、色はそんなに変じゃないな。別に臭いも今まで異臭とかはしてこなかったし……これは、一応飲めそうかな?
「帰って冷蔵庫で冷やして、明日持ってきなさい」
「それは別に構わないけど、魔法で冷やしたりとか出来ないのかよ」
「出来ないこともないけど、すでに魔法の影響下にあるものは他の魔法が効きにくいの。だからそこで余計な力を使うより、時間を置いた方が楽でしょう?」
 自分の都合かい。いや、まあ効きにくいってならその方が無難かもしれないけどさ。
「それじゃあ、今日は帰りましょう」
「そうだな」
 使った道具を片付けようともせずに実験室を出ようとする冴倉に少しだけ抵抗を覚えるが、それに関しては教室の時にすでに説明をされている。今俺たちがいるのは本来の実験室とは違う一時的な空間である為、誰もいなくなった時点で消失すると言うのだ。一度出てからもう一度誰もいない実験室を作り出し入り込んだとしても、ここに散乱している道具は全て元通りになっている。元通りと言うか、実際の空間の状況と同じ状況が再現されるというのが正しいらしいが。
 この仮想空間では何をしても現実の空間に影響を及ぼさない。と同時に、現実空間からの影響も作り出された瞬間以外には受けない。そういうものだそうだ。
 さて。そんなわけで実験室を出たわけだが……
「そういや。冴倉はどこに住んでるんだ?」
 この一週間、一度も一緒に帰ったことなどなかったが、特に示し合わせたわけでもなく一緒に外に向かう俺と冴倉。
 ちょうど校門に差し掛かった辺りで、俺はふと気になってそんな質問をした。
「瑞ノ葉公園の直ぐ近くよ。知らなかった?」
「そりゃあ知らないさ。初めて聞いたしな」
「そう? いろんな子に聞かれたから、武人にも聞かれてたかと思ったわ」
「まあ、その辺は転校生特権って奴だな」
「何よそれ?」
 言ってる俺もちょっと意味がわからなかったが、苦笑する冴倉を見て俺も苦笑を漏らした。
「何にせよ、あの公園の近くってことは方向同じみたいだな」
「武人もあっちの方なの? って、公園で会ったんだかた考えてみたら家近そうなものよね」
「そうだな」
 まるで普通のクラスメートとの会話をしながら帰路を歩く俺と冴倉。いや、実際にクラスメートではあるんだけど。
 とりとめもない会話をしながら歩くうちに、俺と冴倉が初めて会った公園――瑞ノ葉公園に差し掛かった。
 その時――
 公園の中から、一匹の犬が飛び出してきた。見た目は柴犬の様だが、少し体が大きい。雑種かもしれない。首輪をしていないし、野良犬なんだろう。犬はどうやら興奮状態にあるらしく、まるで俺たちを敵視しているかの様に唸っている。
「どうかしたのかね?」
 冴倉の意見を聞こうと思い振り返ると、そこにはガタガタを肩を震わせる冴倉の姿があった。
「おいおい、大丈夫か?」
「だ、大丈夫に決まってるじゃないっ。あたしが、あんな犬如き怖がるわけないでしょっ」
 ……どうやら怖いらしいな。これ程わかり易い奴はそうはいないぞ。
「きゃっ!」
 犬が俺たちに向かって吼えたかと思うと、冴倉は驚いたのか俺に抱きついてきた。
 なんつーか、これは恥ずかしいというか役得というか……ほら、だって、なあ? 柔らかいものが腕に当たってるわけですよ。
「ちょっと武人! アレ何とかしなさい!」
 そんな束の間の幸せは一瞬で消え去り、俺の首を掴んでグラグラと揺らす冴倉。
「ぐっ、ぐるじぃ……」
 ついには俺の身体全体が揺れ、その勢いで鞄から何かが落ちてしまった。
 あれは……ペットボトル?
 見覚えのある、しかし何かがおかしいソレは、よく見れば紛れもなく冴倉に渡されたペットボトルだった。だが、その容器は半端なく膨張している。まるで飲み終わったペットボトルに蓋をして、何ヶ月も部屋に放置しておいたかの様な膨張っぷりだ。言うなれば、爆発寸前?
 そう思った次の瞬間、目の前の犬がまるで標的は最初からソレだったかの様に、ペットボトルに飛び掛った。刹那、ペットボトルは破裂し、中の液体が犬にかかった。いや、かかっただけじゃない。ペットボトルを咥えようとしていた犬の口の中に、間違いなくその液体は入っていった。それでも爆発の勢いでその身を仰け反らせた犬だったが、直ぐに起き上がりこちらを睨む。
 いや、悪いのは俺たちじゃないだろうに……
 あれ? そう言えばいつの間にか俺の首を絞める力が弱まっている。って言うよりまったくない。ふと視線をずらすと、俺の身体にもたれかかる様な形で冴倉は気を失っていた。さっき犬が飛び掛ってきたのが原因だろうか? いや、そんな分析はどうでもいい。それよりもあの犬だ。冴倉の造った薬を飲んだわけだけど……一体、どうなるんだ?
 何の起こらなければいい。そんな淡い期待を抱きながらも、俺の予感は悪い方向にばかり良く働く。
「グルルゥゥ」
 犬の唸り声にしては、やけに野太い。だがそれは間違いなく目の前の犬から発せられた声だ。恐る恐る、顔を上げる――
「な!?」
 その犬を――いや、犬だったものを見て俺は思わず言葉を失った。
 目の前には、俺よりもふた回りくらいの巨体を誇る大男がいた。ただし、顔は犬。人間の様に二足で立ってはいるが、その全身は体毛に覆われている。そうだな。一言で表すなら、狼男――もとい。犬男と言ったところか。
 なんて冷静に分析していると、どうやら冴倉が目を覚ましたらしく俺に寄りかかっていた身体を起こした。そして視線を正面へと向け……
「ちょっと! 何よあれ!? あんた何したの?」
 今度は気を失わなかった。
「じゃなくて……俺は何もしてない。冴倉の造った薬のせいだよ」
「どういうこと……?」
「ペットボトルが破裂したんだよ。んで、拍子にさっきの犬が薬を飲んじまったんだけど……」
「その結果が、アレ?」
 そう言って犬男を指差す冴倉。俺は黙ったまま頷き、もう一度犬男を見据える。すると……
「あ、目が合った」
 さっきまでは虚ろだった犬男の目が、はっきりと危険なものへと変わった瞬間に目が合った。口が半開きになり涎を垂れ流している犬男だが、その目の鋭さ故に余計に怖い。
「つーか、俺たちもしかして狙われてる?」
「……多分ね」
「魔女さん、どうにかなりませんか?」
「あたし、犬だけはダメなのよ」
「あ、そう」
「…………」
「…………」
 一瞬無言になる俺たちだったが、直ぐに同じ意見が口に出る。
「逃げるぞ!」
「逃げるわよ!」
 と同時に頷き合い、俺たちは踵を返し走り出した。それを待ってくれていたわけじゃないだろうが、犬男もそんな俺たちの後を追う様に駆け出した。
「って、速っ!」
 駆け出した俺たちのスピードとは比べ物にならない。そのあまりの身体能力で、犬男はいっきに俺たちの前方まで飛び出てしまった。が、直ぐに足を止めこちらに顔を向ける。
「ホントどうにかならないのか?」
「……一つだけ、手があるわ」
「ホントか!? なら頼む!」
「……本当にいいの?」
 何を言ってるんだ、こいつは? アレを何とか出来る手があるなら迷う必要なんてないだろ。
 などと思っているうちに、犬男が再び地面を蹴った。
「迷ってる暇なんてねー!」
「わかったわよ! でも、あたしは本当は嫌なんだからね!」
 そう叫んだ次の瞬間、何が起こったのか理解出来なかった。目の前に、冴倉の顔がある。目は閉じられているし、心なしか頬が赤い。それはいい。いや、良くはない。近すぎる! って、違う! そうじゃなくて……
 俺の唇と冴倉の唇が触れ合っている。それだけじゃなくて……
「だあぁぁ!!」
 思わず固まってしまったが、犬男の接近とほぼ同時に羞恥に耐えられなくなり、俺は冴倉を突き放して叫び声を上げた。
「ちょっと、何するのよ?」
「それは俺の台詞だ! いきなり何しやがる!?」
「何って……き、キ――って、そのことについては後で話しましょう? 今はアレを何とかしないと」
 それはまあ、正論だ。だけど、冴倉が何とかしてくれるんじゃなかったのか?
 なんて思いながらも視線を犬男に向ける。そこには、ゆっくりとこちらに近づいてくる犬男の姿が――
 ん? 何であんなにノロいんだ? いや、それだけじゃない。冴倉の声も遠いというか、動きが緩慢に見える。だが、かろうじて冴倉の言葉を理解出来た。
 ――武人が、アレを倒すのよ――
 そんな無茶な……普通なら、そう思うはずだ。なのに不思議と、今の俺はそんな風に思わなかった。その風貌は変わらない。だけど、さっきまで凶暴で危険に見えた犬男が元々の野良犬くらいにしか思えない。
 自分の変化に戸惑うよりも早く、俺の身体が意に反して動いていた。考えながらも、俺の身体は自然と動く。まるで冴倉の言葉に従う様に。
 ……決着は当然と思える程呆気なくついた。何発か犬男の腹に拳を叩き込むと、犬男は気を失ったのかその身体を地に伏せた。すると薬の効果が切れたのか、犬男は元の野良犬の姿へと戻っていった……
「武人、おつかれさま」
「ああ」
 冴倉の労いの言葉は耳を抜けていった
 そんな言葉も、現状の説明もいい。
 それよりも今は、ただ休みたい。そう思った……


5 :夕咲 紅 :2007/10/21(日) 09:04:18 ID:PmQHsJxk

第四話 幼なじみに気をつけて

「さて、昨日のは一体どういうことだったのか……もちろん説明してくれるんだよな?」
 昼休み。恒例の誰もいない教室の中で、俺はちゅーちゅーとパックの牛乳を飲む冴倉に向かってそう言った。
 冴倉の造った薬によって凶暴化&人化した犬男。
 冴倉の突然のキス。
 その後の俺に訪れた変化。
 昨日の放課後に起こった出来事を思い返しながら、冴倉の言葉を待つ。
「じゃあ、まずは療薬についてからね」
 牛乳を飲み終えたらしく、冴倉はパックを綺麗に折りたたみながら話し始めた。
「療薬が生物の細胞を活性化させる薬だっていうのは昨日話したわよね?」
「ああ」
「その大部分を占めるのが、薬を作る時に収拾した魔素なの。材料は、薬の方向性を決める為のものと思ってくれればいいわ。集めた魔素自体は過剰なものではなかった。けれど、おそらく出来上がった後も勝手に周囲の魔素を吸収し続けていたんだと思う。それによって、過剰に細胞を活性化させる薬になってしまった。ペットボトルが破裂したのも、魔素を吸収したせいで膨張したと考えれば説明がつくわ」
「なるほどな。だけどさ、あくまでも細胞を活性化させる薬だったんだろ? だったらあの犬の変化は一体何だったんだ?」
「元々が人体に影響を与える為に造ったものだから、犬には効果があり過ぎたんじゃないかしら」
「だとしても、あれだけ凶暴だったのは関係あるのか?」
「わからないわ。だけど、細胞の変化に脳が追いつかずに混乱していたのか、もしくは脳細胞自体に薬の影響が出たのか……多分、そんなところだと思う」
 イマイチ理解しきれないが……
 まあ、そもそも魔女なんていう存在が目の前にいるんだ。理解できないものを完璧に理解しようとするより、そういうものなんだと思うしかないのかもしれない。
「それで、その……キ、キスのことなんだけど……」
「え? あ、ああ」
 小難しいことを考えようとしていたせいか、すっかり頭の中から抜け落ちていた。思い出すだけで顔が熱くなる。
 そっか……そうだよな。俺、冴倉とキスしたんだ……
「何赤くなってんのよっ」
「な、何でもない」
「もしかして、き――」
「何でもねーって! いいから続きを頼む」
 これ以上ツッコマレルとかなり恥ずかしい。何とか話を進ませようと続きを促す。
「……まあいいわ。昨日のキスと、その後の武人の変化は関係があるのよ」
「どういうことだ?」
「魔法っていうのは、基本的にあたしたち魔女の体液を媒介にしなければならないの。昨日の薬にも、あたしの血を入れてあったんだけど……血だと一回に使える量が限られてくるでしょう? それに昨日みたいな場合、いちいち用意する時間もないし。怪我でもしてたら楽かもしれないけど、あたしたちだって出来ることなら傷つきたくはない。だから、その……言わなくてもわかるわよね?」
「あ、ああ……」
 ようは、血の代わりに唾液を使ったと。って、待てよ? いや、わざわざ考えるまでもなくそれって……
「俺に魔法を使ったってことかっ?」
「そうなるわね」
「なっ……そうなるわね。じゃねーよ! 俺の身体、大丈夫なんだろうなっ?」
「大丈夫よ。契約魔術に失敗はないわ」
「契約魔術?」
「そっ。魔女の体液を意志のあるモノに送り込むことと同時に、相手がそれを受け入れる意志を持っている時にのみ成立する術。魔女の体液を取り込むことによって、契約者は自身と魔女の力に応じた能力を得る。代わりに、契約者は魔女の下僕となり命令には絶対服従。つまり、昨日の犬を何とかしたいという意志の元、あたしたちの間に契約が交わされたわけ」
 それってつまり……俺は冴倉の命令には逆らえないってことか? そういや、昨日は自然に身体が動いたよな。まるで、冴倉の言葉に従う様に……
「あたしたちが下僕に施すのは術ではなく、あくまでも力の源となる魔素。それによって起こる変化は決して有害なものではないわ」
「それはわかった。害がないってのは良い。だけどな、一つ疑問なんだ」
「何よ?」
「その契約ってのは、いつまで有効なんだ?」
 その期間によって、俺の今後の自由意志が左右される。そこんとこ重要。
「それは……」
「それは?」
「わからない」
 は? いや、何とおっしゃいましたかこの魔女さんは。
「またまた、そんな冗談いらないって」
「失礼ね。冗談なんて言わないわよ」
 それってつまり……
「本当にわからないってことか?」
「まあ、そうなるわね。厳密に言えば、契約に期間なんてもの自体が存在しないわ。契約と言っても、結果的には魔女が契約者を使役する形になるわけだから、その効力は魔女の力と契約者の力の差によるわ。後は、二人の相性なんかにもよるみたい。力の形質が似ている場合、契約は長く持つと言われているわ」
「……で?」
「まあ昨日みたいなことがない限り、武人を使役することなんてないと思うから気にしない方がいいんじゃない?」
 そうかもしれないけど……何となく、鎖を繋がれてるみたいな感じがしてイヤなんだよなぁ……
「武人は魔素を集めやすい体質だから、もしかしたら凄い能力を得られるかもね」
「そんなの嬉しくねーって……ったく、なんで俺がこんな目に合わなきゃいけないんだ……」
「いいじゃない。このあたしとキスできたのよ? 素直に喜んでおきなさいよ」
 何か軽く開き直ってないか? まあいいけどさ……
「あ。そういやさ」
 話し始める前まで食べていた購買のパンのゴミをゴミ箱に捨てる冴倉を見て、俺は不思議に思っていたことを聞いてみることにした。
「何?」
「ここに放置したものって、その存在自体がなくなる様なもんなんだろ? なのに何でわざわざパックを折りたたんだり、きちんとゴミ箱に捨てたりするんだ?」
 まあ、俺もちゃんとゴミ箱には入れてるけど。
「そういう武人だってちゃんと捨ててるじゃない」
「まあそうなんだけどさ。俺は最初そんなこと知らなかったわけだし」
「そうね……まあ、習慣ってやつよ」
 習慣、ね……まあそんなもんか。
「それで、何か他に聞きたいことはある?」
「……いや、とりあえずないと思う。また何か気になったら聞くよ」
「そう。それじゃあ、そろそろ戻りましょうか」
「そうだな」
 そんな言葉を交わして、俺たちは誰もいない教室を後にした。


「たけちゃん」
 昨日とは打って変わり、いつもと同じ様に冴倉と別れた後、本当の教室で荷物をまとめている所で背後から名前を呼ばれた。声でも誰か分かるが、そもそもそんな呼び方をするのは一人しかいない。
「何か用か? 雅」
 ちょうど荷物をまとめ終わった俺は、鞄を持ち上げながら振り返った。予想通りというか、やはりそこには雅の姿があったのだが、どこかいつもと様子が違う。
「最近さ、たけちゃん冴倉さんと仲良いよね?」
 どこか棘のある物言いでそんなことを言う雅。似合わない程に険しい(?)顔つきをしているが、まったく怖くはない。と言うか、ただの膨れっ面と言った方が正しいかな。
「まあ、悪くはないと思うけど……特別仲良いってこともないぞ?」
 あくまでも協力関係(一方通行の)に過ぎない関係だ。まあ、俺は向こうの弱みを握っている状態にあるわけだから、一応は対等な関係であると言えるのかもしれない。
「昨日は一緒に帰ってたよね? 今までそんなことなかったのに」
 何で知ってるんだ? 見られたのか、それとも誰かに聞いたのか……まさか、あの犬男のことは知られてないよな……?
「昨日は偶然一緒になっただけだ。方向も同じだったしさ」
 とりあえず、こっちから不用意な発言はしない様にしておこう。
「家の場所まで知ってるんだ……」
「いや、詳しい場所までは知らないって」
「でも、一緒に帰ってたじゃない……」
「途中までな」
 どうしたんだ? 珍しく随分と突っかかってくるな。
「最近、私とも一緒に帰ってくれないのに……」
 いや、それ関係ないだろ。そもそも。雅と一緒に帰ってたのっていつの話だ?
「なんて言うか、初等部の終わりくらいからずっとだよ?」
 そうか。そんな前になるか……ってそうじゃないっ。
「それって最近とかそういうレベルじゃないだろ……まあとにかく、雅が気にする様な関係じゃないから」
 って、何を必死に誤魔化そうとしてるんだ? 別に雅がどう思おうと関係ないじゃないか。
「むぅ〜」
「大体どうしたんだよ? 今日の雅ちょっと変だぞ?」
「おかしくなんかないもんっ。たけちゃんがかまってくれないからいけないんだもんっ」
 何か幼児化してないか……?
「構うも何も、普段からそこまで一緒にいないだろ。それこそ初等部の時以来」
「むぅ〜」
 俺の言葉に、またもや頬を膨らませる雅。ホント、ガキっぽいと言うか何と言うか……
「ねえ、たけちゃん」
「何だよ?」
「私にもキ――うぅん、何でもない」
 何かを言いかけて止める雅。だけど、それを言及してはいけない。俺の本能がそう告げている。
「そっか。それじゃあ俺は帰るけど、雅はどうする?」
「私も帰る」
「そっか。なら一緒に行こうぜ?」
「え?」
 え? って、俺驚く様なこと言ったか?
「いいの?」
「そんなん悪かったら誘わないって。イヤなら別に一人で帰るけど」
「イヤじゃない! 全然イヤじゃないよ!」
 ぶんぶんと勢い良く頭を横に振る雅。なんだか首痛めそうだなぁ。なんて思うのは俺だけだろうか。
「えへへ〜」
 なんて満面の笑みを浮かべて俺の腕に抱きついてくる雅。
 柔らかくて、それでいて張りのある感触が腕に……
 じゃなくて!
「おいっ、何してんだよ?」
「え?」
「え? じゃなくて、離れろよ」
「えー! イヤだよぉっ」
 なんて抗議の声を上げながら一層強く抱きついてくる。
 この弾力がたま――って何を考えてるんだ俺は! 雅だぞ! 相手はあの雅なんだぞ!? そりゃあ、確かに体型はかなり良い……じゃなくて、ダメだ。雅だけはダメなんだ……
「たけちゃん?」
「……いや、何でもない」
 そうだ。アレは忘れなきゃいけないんだ。思い出しちゃいけない。
 俺は軽く頭を振って掘り起こされかけていた記憶を底へとしまい込む。
「とりあえず、そろそろ離れようぜ?」
「えー?」
 まだ言うか……
「いいから離れろって」
 あまり感情のこもっていないその声に、自分の声だと言うのに少なからず驚いた。そんな冷たい声に怯えたかの様に、雅は一瞬ビクッと肩を震わせたかと思うとおずおずと離れていった。
 ……これで、いいんだ……
「それじゃ、帰るか」
「……うん」
 こうして俺と雅は数年振りに一緒に帰ることになった。
 しかし、道中一切の会話はなく静かなものだった。落ち込む様に俯いたまま歩く雅の姿を見るのは心苦しかったが、俺にはそんな雅にかける言葉が分からなかった。
 瑞ノ葉公園の前を通る辺りでビクビクしている様にも見えたが、それでも俺は何も言うことが出来ず――
「それじゃあ、私はあっちだから」
「ああ、そうだったな」
 公園を少し過ぎた辺りの分かれ道。それは俺の部屋と藤野家を隔てる道でもある。
 結局、何も会話らしい会話がないまま、俺と雅は別れてそれぞれの帰路へと着いた……


6 :夕咲 紅 :2007/10/28(日) 19:49:42 ID:P3x7YnVA

第五話 二人目の魔女

「それじゃあ、転校生を紹介するぞ」
 週明けの月曜日。教室全体が気だるい雰囲気だったのが、担任のそんな言葉でクラス中が騒然となったのは当たり前の反応だろう。
「せんせー、冴倉さんが転校してきてまだ一週間ちょっとですよー?」
「普通は違うクラスとかじゃないのか? まあ可愛い女の子だったら許すけど」
 とまあ、色々な言葉が教室中を飛び回る。先生なんか耳を手で押さえていらっしゃる。そりゃあこんだけ騒いでたら煩くてかなわんでしょうな。
「……静かにしろ!」
 あ、キレた。
 先生のブチキレタ一言で、一瞬にして教室中が静まり返った。おー、凄いな先生。
「なんでも冴倉の知り合いだそうで、本人たっての希望でこのクラスに割り当てられたんだ。まあそれはどうでもいい。入っていいぞ」
 先生のそんな言葉に従って教室に入ってきたのは、金髪の美少女だった。
 つかつかと歩き、教壇の横に立つ。正面を向くと、その顔つきが随分幼いものだと分かる。いや、顔つきだけじゃない。背も随分低いし、体型も……って、これは失礼か。
 目じりは少しつり上がっているが、ニコリと微笑んだその笑顔は十分に可愛らしい。
 髪型は……金髪ツインテールって本当にいるんだな……
「自己紹介を頼む」
「はい」
 担任の言葉に答えた彼女の声は、とてもキレイな声だった。冴倉の声もキレイだと思ったけど、あの子も劣らない良い声をしてる。
「アリア・エル・ファージアスです。日本は初めてですが、皆さんどうぞよろしくお願いしますね」
 そう言って微笑んだ彼女――アリアの笑顔に、一体何人の男子がヤラレタことか……
 念の為に言っておくが、俺は別にその気はないからな……


「アリアちゃんって、日本語うまいよね。初めて日本に来たとは思えないっ」
「冴倉さんとは知り合いって言ってたけど本当?」
「髪キレイだよねー。羨ましいなー」
 昼休み。転校生定例の儀式中だ。小柄で可愛らしい容姿のアリアに、男子どころか女子連中もヤラレテいる様だ。むしろ、女子の比率の方が高くないか?
「ああ、可愛いなぁ。アリアちゃん……」
 何せ、俺の隣りで雅までが呆けている始末だ。
 あれ? そう言えば冴倉の姿がないな。
「あの、ちょっといいかしら?」
 キョロキョロと教室内を見回していると、いつの間にか転校生が俺の目の前にやってきていた。
「あなた、南月と仲が良いらしいじゃない?」
 どこか冴倉を彷彿させる態度のでかさだ。いや、ちょっと傾向が違うか……って、そうじゃなくて。
「何か随分とキャラが違うな?」
「そ、そんなのどうでもいいじゃないっ。それにあたしは南月と違って猫被ったりしないわよっ」
 猫を被るというより、存在そのものが猫っぽい気がするんだが……
「何か言ったかしら?」
「いえ、何も?」
 ギロリと睨まれたかと思うと、ものすげー寒気がした。何と言うか、冴倉と同種の危険を感じた気がする。
「ん?」
「どうかしました?」
 こいつが冴倉の知り合いってことは、やっぱり……
「いや、何でもない」
 一応、他の人間にバレたらいけないことになってるって言ってたし、俺が知ってたらマズイだろう。
「それで、仲が良いっていうのは?」
「別にそんなでもないさ。たまたま家が近かったから、それで話が盛り上がっただけだよ」
 まあ嘘だけど。
「ふーん。そう……」
 納得はしてないみたいだけど、どうやらこれ以上は言及してくるつもりはないらしい。
「ならいいわ。じゃあね」
 そう言って教室を出ていく転校生。あれ? でもまだあいつの席には女子連中が集まってるみたいだけど……
 どういうことだ?
「たけちゃん」
「ん?」
 隣りから声をかけられ、そっちを向く。
「アリアちゃんには手出しちゃダメだからね?」
「……出さねーよ」
 まったく、こいつは俺をどういう目で見てるんだか……


 さてさて。気がつけば放課後だ。いつもなら冴倉の実験に付き合わされるところだが……
 昼休みの時もそうだったが、気がついたら冴倉の姿はもう教室にはなかった。
 アリアの姿もない。
「探してみるか……」
 なぜか、そんな気になった。
 一応鞄を持って教室を出る。一番可能性が高いのは、やはりこの教室そのものだ。だけど、あいつがもし誰もいない教室に入っているんだとしたら、俺にはその中に入る術がない。さて、どうする……?
 教室の前で考え込んでいると、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。そこまで慣れ親しんだ声じゃない。だけど、最近良く聞く様になった声――
「冴倉の声?」
 いや、間違いない。これは冴倉の声だ。そう理解した瞬間、教室の入り口が歪み始めた。まるで空間そのものが渦を巻く様に、その歪みは広がっていく。
 中の様子は見えない。だが、声だけはハッキリと聞こえてくる。
「あんた、何しに来たわけ?」
「そんなの決まってるじゃない。南月を倒す為よ!」
 これはアリアの声か……?
「あたしを倒すって……魔女同士が争ってどうするのよ……」
 呆れた冴倉の声が聞こえてくる。溜息まで聞こえてきて、さすがにちょっと驚いた。
「だって、このままじゃあたしが南月よりも劣ってるみたいじゃないっ」
「何言ってるのよ、もうエルの称号を得たんでしょう? だったら、まだ一人前とも認められていないあたしに突っかかる必要ないでしょう」
「大アリよ! 自分の師匠に一人前と認められていなくても、南月が里からエルとして相応しいと言われたのはいつ? それを辞退したのはどこの誰?」
「あれは、師匠がまだあたしには早いって言うから……」
「そもそも、あんたの師匠は規格外なのよ! 
「それはまあ、あたしも分かってるけど……」
 何だか、冴倉にしては珍しく弱気だな。それだけアリアが凄んでるのか、それともその師匠とかいう魔女が凄いのか……
「それはそうと……南月、誰かにバレたりとかしてないわよね?」
「え?」
「え? じゃないわよ。ほら、例えばあの……何て言ったっけ? 早瀬 武人だっけ?」
 アリアが俺の名前を口にした刹那、ただ歪んでいただけの空間がしっかりとした元の形――教室の入り口へと戻った。いや、変わったと言うべきか。その扉の続く先は、俺たちが普段授業を受けている教室じゃなくて、今まさに冴倉とアリアが話をしていた異空間なんだから。
「あ、武人」
「……早瀬武人。やっぱり知ってるみたいね」
 呆然と俺と見つめる冴倉と、何やら背後からゴゴゴゴなんて音が聞こえてきそうな程に険しい顔つきをしているアリア。
「歪曲された空間に入り込むなんて、どうやら普通の人間とは違うみたいだけど……それと魔女の掟とは関係ないわ。死になさい!」
 何やら物騒な叫び声を上げたかと思うと、アリアは手の平に魔素を集め出した。
 これは、何と言うか……
「武人! 避けて!」
 呆然と成り行きを眺めたままになりそうだった俺だったが、冴倉の声で我に返り横に跳んだ。次の瞬間、巨大な氷柱が俺の立っていた位置を通り過ぎた。
「何だよ、今の……」
「今度こそっ」
 って、呆けてる場合じゃない! 俺はアリアの魔法と思わしき追撃をから逃げる為に走り出した。
 一般生徒のいる前じゃ、魔法も使えないはずだからな。
 だが、俺の読みは外れた。と言うか、そんなに甘いもんじゃなかった。あの氷柱こそ放ってこないものの、アリアは俺を執拗に追いかけてきたのだ。
「待ちなさい!」
 どこから持ち出したのか、以前冴倉が乗っていた様な竹箒に乗って、勢い良く俺に向かって飛んでくる。
「そんな人前で空飛んでて良いのかよっ?」
「残念ながら、今のあたしは普通の人間には見えてないのよ!」
 それって、俺は無意味に声を張り上げながら走り回ってる変態に見えるってことじゃないのか……?
 って、考えてる暇なんかねー!
 向こうは飛んでいるとは言えここは校内。それ程自由が利くわけじゃない。何とか地の理を活かして逃げ切ろうと、必死に走り回るが……
 一向にアリアとの距離は離れず、全く休む暇もない。
 このままじゃ、俺の体力が尽きる方が確実に早い……
「冴倉ー! ちょっとは助けようって気はないのかよー!?」
 なんて叫んでみたが、もちろん冴倉に期待は出来ないよな……
「そんな大声出さなくたって聞こえるわよっ」
「うわっ!」
 いきなり目の前に冴倉が現れて驚きを隠せない。
「ってあれ? ここは……」
 誰もいない教室。どうなってるんだ?
「あたしたち魔女は、下僕を自在に自分の元に呼び寄せることが出来るのよ」
 俺の疑問に答える様に、冴倉はそんな言葉を口にした。
「それならもっと早く呼び出してくれよ……」
 おかげでこっちはヘトヘトだ。
「しょうがないじゃない。ある程度ここから離れてくれないと、直ぐにアリアも気づいて戻ってきちゃうかもしれないんだから」
 それもそうか。にしても……
「やっぱり、あいつも魔女なんだよな?」
「それを今聞く?」
 聞くまでも答えるまでもない問いかけ。ってか……
「まあそうだよな。それで、何であいつは俺の命まで狙ってくるんだよ?」
「前にも言ったでしょう。あたしたち魔女は、その存在を知られてはいけない。知られた場合は、その者の記憶を操作するか、それが出来ない場合は……」
 消す。ってことか……はぁ……
「それで、こういう場合はどうすればいいんだ?」
「どうするもこうするもないわよ。納得させるしかないんじゃない? あの子を」
「いや、だからそれをどうやって納得させるんだって話なんだけど……」
「うーんと……力ずく?」
 あ、そうですか……
「ってか、冴倉の下僕だから知っててもいいとかないのか?」
「そんなに頭の回る子じゃないわよ」
 そうですか……
「力ずくっても、俺にはあいつをどうこうする力なんてないぞ?」
「何言ってるのよ。今自分でも言ったじゃない。あたしの下僕だって」
「それって……ああ!」
 そうか。冴倉に魔素を注入してもらえば、俺の身体能力はあの犬男以上のものになるんだ。それなら、魔女相手にだって引けを取らないかもしれない。いや、絶対に勝てる!
「証明してやればいいのよ。自分じゃ、武人には敵わないってことを」
「わかった。それじゃあ頼む」
「はいはい。任せないっ」
 なぜかどことなく嬉しそうに近寄ってくる冴倉。その距離はどんどんと縮まり――
 気がつけば、その唇が触れていた……と同時に流れ込んで来る冴倉の――
「うわぁ!」
 思わず飛び退く俺。
「なななっ。何すんだよ!?」
「何って、武人の下僕化?」
「って、毎回しなきゃいけないのか?」
「そういうわけじゃないけど……その方が手っ取り早いし、何より新しい能力が得られるかもしれないから」
「そ、そうなのか?」
「そうなんです」
 って、どうしてこいつはこんなに楽しそうなんだ? 前回は結構嫌がってたと言うか、恥ずかしがってたはずなんだが……
「とにかくっ。アリアをやっつけちゃいなさい!」
「言われなくてもっ……」
 と反論しようとしたが、それよりも早く俺の身体を動いていた。マスターである冴倉の言葉に従ったのだろう。俺自身の思考が理解しないままに、気がつけばアリアの目の前に立っていた。
「どこに隠れたかと思えば、そっちから出てくるなんてね。覚悟でも出来たのかしら?」
 そんな声が聞こえてくるが、今の俺にとってはどうでもいい言葉だ。覚悟なんて必要ない。あるのはただ一つ。マスターの言葉に従うという意思のみ。
 俺の不穏な気配を察したのか、アリアはそれ以上無駄口を叩こうとはしなかった。彼女が唾を呑み込む音が聞こえた。だが、それすらも俺には緩やかに流れる俺以外の時に過ぎない。
 アリアが手の平に魔素を集めようとするが、それが終わるよりも早く彼女との距離を詰めた。アリアの驚く表情が目に映る。だが、それだけだ。
 俺は彼女の首を右手で掴み、箒から地面へと叩きつける様に下ろす。
「ちょっ! 何するのよっ? 放しなさい!」
 そんな言葉が聞こえるが、ただ音として認識するだけだ。それは、俺にとって何の意味も持たない言葉に過ぎない。
 苦しそうに表情を歪め、もはや声を出すこともままならない様子のアリア。必死に魔素を集めようとしている様だが、意識が集中出来ないからかそれすらも叶わない。
「まさか、体質とは逆に魔素を霧散させるなんてね……それが新しい能力かしら?」
 背後から、マスターの声が聞こえてきた。だが、任務遂行の前ではマスターの言葉ですら意味を成さない。それが命令ではない限りは。
「武人。もう十分よ。放してあげなさい」
「…………」
 俺は何も答えず、しかし命令には従う。
「武人?」
「え? あ、ああ……」
 あれ? 俺、今までどうしてたんだっけ?
 記憶が曖昧だ。いや、違う。俺は確かに自分の意思でアリアと対峙した。それは覚えてる。だけど、その間の意思が希薄なんだ。強化された身体能力を駆使して――いや、そんな表現はいらない程簡単にアリアを無力化した。だけど、その時俺は何を考えていた……?
「武人」
「何だよ?」
「しっかりしなさいよ。あなたが勝ったんだから」
 勝った? ああ、そうか。まあそういうことになるのか。
「けほっ」
 俺の背後で、アリアが苦しそうにむせている。
 ……ああ、俺がやったのか。俺が……アリアを、殺そうとした? いや、そんなバカな……
 だけど、確かにこの腕にはアリアを押さえつけていた感覚が残っている。
「あ――」
「あんた! 一体何なのよ!?」
 何なのと言われても……
「武人はあたしの下僕よ。だからあんたが余計な心配する必要はないし、手を下す必要もない。そもそも、あんたじゃ武人には敵わない。諦めなさい」
「うぅぅ……」
 冴倉の言葉に、俺をジーっと睨んでくるアリア。その視線が何を訴えているかは分からないが……
「まあ、手出ししてこないならこっちからやり返すこともない。つーわけで、これからよろしくな。アリア」
 何がよろしくなのかは自分でも分からないけど、何となくこいつとも長い付き合いになる気がして手を差し出した。
「ふんっ。あんたと馴れ合うつもりはないわっ。それと気安く呼ばないでちょうだい!」
「ああ……そういや、みんながアリアちゃんアリアちゃん言ってるから、自然と名前で呼ぶのが普通になってたわ」
 心の中でだけど。
「とにかく! 今日の所は見逃してあげる!」
 そんな捨て台詞を吐いたかと思うと、アリアは再び箒に跨りどこかに飛んで行ってしまった。
「あたしたちも帰りましょうか?」
「そうだな」
 色々と不安も覚えるけど……
 今はまあ、気にしない方がいい。
 そんな風に結論付けて、俺と冴倉も帰ることにした……


7 :夕咲 紅 :2007/11/04(日) 09:10:14 ID:PmQHsJxF

第六話 幼なじみに気をつけて・リターンズ

「たけちゃんたけちゃんっ」
 昼休みに入った途端、隣りから子犬の鳴き声の様な声が聞こえてきた。
「何だよ雅、騒がしいぞ」
「あうぅ……そんなに邪険にしなくてもいいじゃない……」
 別に邪険にしてるつもりはないんだけどな。
「で、どうかしたのか?」
「今日の放課後って、空いてるかな?」
「えっと……」
 俺自身に特に用事はない。だけど冴倉からの呼び出しがないとも言い切れない。
 って、別にあいつに呼び出されたからって絶対に行かなきゃいけないわけじゃないんだけど……
「たけちゃん……」
 チラリと冴倉の方を見たからだろうか、雅はやけに哀しそうな目をして俺を見つめてきた。その目がほんの少しだけ潤んで見えて、俺は慌てて言いつくろう。
「大丈夫! 今日は空いてる。んで、買い物にでも付き合って欲しいのか?」
「うん。食材の買い出しに行こうと思ってるの」
 ああ。なるほどね。
「荷物持ちが欲しかったわけか」
「えへへぇ。こんなことたけちゃんにしか頼めないもん」
「そうか?」
 雅が頼めば、クラスの男子連中なら大概はOKしてくれると思うんだけどな。
「うんっ」
 って、そんな嬉しそうな笑顔を俺に向けないでくれ。勘違いしそうになるから。
「まあそれは構わないんだけどさ。いつもはどうしてるんだよ?」
「あ、うん。いつもは妹に手伝ってもらってるんだけど、今日はちょっと予定が合わなくて」
「それなら今日じゃない日にすればいいのに」
「だってそれじゃあたけちゃんと一緒に――じゃなかった。本当はもっと早く行こうと思ってたんだけど、ちょっと買い出しに行けなかったの。だから今日行かないと、もう今日の晩御飯も作れないんだよ」
 それはまた随分とギリギリだな……
「そんなに必死にならなくてもちゃんと手伝うって。今日の放課後だろ?」
「う、うん」
「わかった。そんじゃ、俺飯買いに行かなきゃいかんから」
「うん、行ってらっしゃい」
 いや、行ってらっしゃいって何か違うだろ。
 まあいいや。今は飯だ飯。
 出遅れた分を取り戻すべく、俺はダッシュで購買へと向かった。

「あの子、使えるわね」
 直ぐ近くで、そんな呟きがあったとも知らずに……


 放課後。
 俺は雅がやって来るのを校門で待っている。今日は用事が出来たことは冴倉には昼休み中に伝えておいた。てなわけで、ホームルーム終了と同時に雅に声をかけたら、アリアちゃんに話があるって言われたから校門で待ってて。とのこと。
 まあそれはいいんだ。呼び出し主がアリアってのが何となく嫌な予感もするが、昨日のこともあってか昼休みに冴倉から良い物を貰った。一見ただのアメ玉だが、実は魔素の塊という代物。作り手が冴倉ということもあり、冴倉自身の持つ魔力もきちんと含まれている。つまりこれを口に含めば、擬似的にではあるが下僕としての力を発揮出来るというわけだ。いつでも冴倉と一緒にいられるわけじゃないからな。これはかなりありがたい。
「雅の奴、遅いな……」
 腕時計を見ると、俺が校門に来てからもう30分が経つ。アリアの話ってのは、そんなに長くかかるものなのか?
「お待たせ、たけちゃん」
「おわっ!」
 顔を上げようと思った瞬間に声をかけられ、思わず驚きの声を上げてしまった。
 と、目の前には雅の姿があった。
「あ、ああ……」
 とりあえず頷いておいたが、何となく雅の様子が変だ。
 どこがおかしいとはハッキリ言えないけど、そうだな……いつもの様な朗らかさがなく、どことなく雰囲気が暗い。
「それじゃ、行こう?」
 と、笑顔を向ける雅。だけど、その笑顔にさえも何となく違和感を覚える。
「たけちゃん?」
 一向に動き出そうとしない俺に、一度は歩き始めていた足を止めて振り返る雅。
 いつもと変わらない笑顔。いつもと変わらない仕草。だけど、何かがおかしい……
 その違和感はじょじょに大きくなっていく。
 一歩、雅が俺に近づいてきた。
 思わず、一歩退く。
「どうしたの? たけちゃん」
 そのいつも通りの表情が、怖い。なぜかそう思う。
 いや、待て。いつも通りの表情? 違うだろ。雅の表情はこんな表情じゃない。
「大丈夫?」
 心配そうに俺の顔を覗き込む雅の表情が脳裏に浮かぶ。だが、今目の前にいる雅はずっと笑顔のままだ。その言葉に感情はこもっている様に聞こえるが、それが余計に怖い。笑顔で、心底心配しています的な声。その矛盾が、目の前にいる雅が普通ではないことを証明している。
「むしろそれは俺が聞きたいね……大丈夫か? いや、こんな質問は無意味か……」
「何言ってるの? 私はいつも通りだよ?」
 いつも通りじゃないから言ってるんだけどな……
「たけちゃん」
「……何だよ?」
「やっぱり、冴倉さんの方がいいんだね……」
「は?」
 いきなり何を言い出すんだこいつは。
「私のものにならないたけちゃんなんて……いらない!」
 訳の分からないことを言い出したかと思うと、雅は突然俺に殴りかかってきた。雅くらいとろい動きなら下僕化しなくても余裕でかわせる。そう思っていたんだが……
「おっと!」
 思いの他雅の動きは素早く、避けるのがギリギリになってしまった。まあ、それでも避けられない程じゃない。
「…………」
 雅が、ジッと俺のことを見つめ――いや、睨んでいる。いつもの膨れっ面じゃない。まるで親の仇でも見るかの様な目つきだ。
「雅……?」
 思わず息を呑む。だが、俺の心情などお構いなしに雅は再び襲いかかってきた。
「雅!」
 正気に戻ってくれればいいと必死に呼びかけるが、雅は何の反応も示さない。ただ俺に殴りかかってくるだけだ。
 雅の攻撃を何とかかわしつつも、俺は呼びかけ続ける。だが、効果は全くない。どうしたらいいんだよ……
「あーはっはっ。いい気味ね、早瀬武人!」
 そんな声が聞こえてきたのは、俺たちの頭上からだった。
「その声は……アリアか!?」
「その通り!」
 見上げると、自信満々に答えるアリアの姿が目に映った。竹箒にまたがり空に浮いている。
「さすがのあなたも、幼なじみに手は出せないでしょう? これであたしの勝ちは確実ね!」
「って、やっぱりお前の仕業か!」
「さあねぇ〜。あなたはせいぜい幼なじみと戯れていればいいのよ」
 アリアのそんな言葉で、俺は今雅に襲われているのを思い出した。ハッと視線を上空から雅に戻すと、もうその距離はないに等しかった。
 拳を振りかぶる雅。寸での所で飛び退き、何とかそれをかわす。
「ちっ。しぶといわね」
 くそっ。ここから届かない場所にいると思って……
 待てよ? 雅があんなんになってるのは、間違いなくアリアの魔法のせいだ。って言うことは、雅の身体には魔素が集まってるはず。それが見えないってことは、体内に入り込んでるんだろうけど……
 俺はポケットにしまっておいたアメ玉を取り出す。こいつを渡された時に聞いた俺の新しい能力。それは、魔素を霧散させるものらしい。っていうことはだ。魔女の魔法を無効化することも出来るんじゃないか?
「感謝しなさいよ? この辺り一帯は周囲から遮断してあげてるんだからっ」
 なんてアリアの嫌味な声が聞こえる。だが今はそんなことはどうでもいい。
 これは賭けだ。既に発動している術まで無効化出来るかどうか……
 最悪、上にいるあいつさえ何とか出来ればいいんだ。俺は覚悟を決めて、冴倉に貰ったアメ玉を袋から取り出し口の中に放り込んだ。
 丸呑みじゃ意味がない。かと言って舐めてる時間はない。つーわけでボリボリと噛み砕く。
 そんな間にも雅の攻撃は止んでいない。って言うか、多分アレって強化されてるんだよな? にしては、雅の動きはせいぜい一般高校生男子くらいの動きだ。我が幼なじみながら情けない。って、逆に助かってるわけだけど……
 と、無駄な思考を繰り広げている間にアメ玉の効果が現れてきた様だ。
 身体そのものには変化は見られない。だけど、ぼんやりと淡く全身が光に包まれている。
 ……違うな。これが、魔素だ。いつもの下僕化とは違い、俺の意識は完全にしっかりとしている。魔素に包まれている。と言うよりは、この魔素は俺から溢れ出ている様にも見える。雅に視線を向けると、雅も俺と同じ様に魔素に包まれている。
 なるほど。この魔素が身体強化をしているわけか。
 そんな思考を巡らせていたにの関わらず、いまだに雅は俺の元へは辿り着いていない。冴倉は俺の最初の能力をただの身体強化だと思ってるみたいだけど、こうして意識がハッキリしている今は、それが正確ではないことに気がついた。
 俺の最初の能力。それは、俺以外の時の流れを遅らせること。いや、俺だけが時間の流れから逸脱しているのかもしれない。どちらにせよ……
「この状態でなら、負ける気がしないな」
 雅が俺の元に辿り着くよりも早く、こちらから距離を詰めてやる。俺は雅にしてみれば一瞬の内に彼女の背後に回り込んだ。俺の姿を見失い、慌てた様に周囲を見回そうとする。だが、遅い。
 俺が雅の背に触れると、まるで俺のことを嫌うかの様に雅から漏れ出す魔素が散っていく。
「何あれ? どういうこと……?」
 上空で、アリアが信じられないものを見たかの様に言葉を漏らす。
 なるほどな。これも冴倉の読みは少し違ってたみたいだ。俺の第二の能力。魔素を霧散させるわけじゃなく、おそらく回帰させているんだ。だから術として形になっている魔素も大気中に帰っていく。もっとも、触れていないと効果は発揮されないみたいだが……
 十分、魔女にとっては脅威的な能力だろう。
「終わったな」
 気を失い、倒れかけた雅の身体を支える。そっと地面に横たえさせ、俺はキッと上空にいるアリアを睨む。
「術の無力化? そんなの反則じゃない……」
「反則なのはお前の考え方だろう? 無関係の人間まで巻き込みやがって」
「だ、だって……」
「だってもヘチマもねーんだよ! 降りてきな! 今度こそとっちめてやる!」
「うぅ……」
 何かアリアの奴泣き出しそうなんだけど……
 一瞬前までは本気で怒っていた俺だったが、目を潤ませて今にも泣きますよ的な雰囲気のアリアにそれ以上は何も言えないでいる。
「あたしが……このあたしが南月の下僕なんかに負けるわけにはいかないのよ!」
 泣き出しそうな瞳のまま、それでも今までの様に勝気な視線で俺を睨みつけるアリア。
 それは、俺に対する怒りではない。おそらく、アリア自身が自分に感じている怒り。そして……
「冴倉に、嫉妬してるのか?」
「そんなわけないでしょう! あたしはアリア・エル・ファージアス。ファージアス家の次期当主にして、エルの称号を持つ魔女なんだから!」
 アリアの言っている意味を理解することは出来ないが、それが彼女を支えている何かだと言うことは察することが出来た。だけど、それでも俺も負けるわけにはいかない。それは俺自身が感じているものなのか、それとも冴倉の下僕として感じているものなのかは分からない。だけど……
「お前が俺を倒そうって言うなら相手になる。だけどな……他の無関係な連中を――雅を巻き込むのは止めろ」
「……分かったわよ」
 意外にも、アリアはあっさりと頷いた。
「どういう風の吹き回しだ?」
「他の連中には手を出さない。それに、しばらくあんたにもちょっかい出すのを止めるわ」
「あん? まあそれはありがたいけど……信じていいのか?」
「ファージアスの名にかけて誓うわ。少し、あなたのことを観察することにするから」
「はあ?」
 何を言ってるんだこいつは……
「自惚れでも何でもなく、あたしと南月に魔力の差はそんなにないわ。それなのにあなたにそれだけの能力があるのは、多分あなた自身の潜在能力が高いから。だから、しばらくあなたのことを観察する。あなたの能力の秘密を明かせれば、対抗手段も出てくるかもしれないし」
 なるほどね……
「わかった。そういうことなら信じるよ。だけど、俺にそんな潜在能力があるとも思えないけどな」
「冗談でしょう? 魔素を回帰させるなんて芸当、今までに聞いたことないわ」
 へー。さっきので俺の能力の気がついたのか。ファージアスってのはどうやら魔女の名門みたいだけど、誇張でも何でもないみたいだな。その辺りは冴倉よりも秀でてるんじゃないかと思う。
「ともあれ、そんじゃあ改めてよろしくな」
「ええ。こちらこそ」
 昨日は出来なかった握手。それを今日は交わすことが出来た。これはきっと厄介事なんだろう。だけど、今はそれを受け入れてる俺がいる。これってやっぱり、冴倉の影響なのかな……
「うぅん……」
 と、背後で雅の呻き声が聞こえてきた。
 慌てて振り返り、雅の元に駆け寄る。背後でアリアが飛び去って行く気配を感じたが、あいつのことは心配しなくても大丈夫だろう。それよりも今は……
「大丈夫か? 雅」
「う、ん……? たけ、ちゃん?」
「ああ」
 目を覚ました雅の身体を起こしてやる。っても、途中まで起こしたら自分で起き上がったけど。
「私、今まで何してたの……?」
「さあな。貧血か何かで倒れたんじゃないか? ここに来たら雅が倒れてたから驚いたぞ」
 と、我ながら良くいきなりこんな出まかせ出るなぁ。
「そう、なんだ……?」
「ああ。それより、大丈夫か?」
「……うん。大丈夫。ごめんね? 心配かけて」
「気にすんなって。それより、買い物行けそうか?」
「大丈夫。それに今日行かないとどうしようもないし」
 たまには外食とかでもいいと思うけど……まあ、そういうのは言わない方がいいだろう。
「それじゃあ行こうぜ」
「うん。ありがとう、たけちゃん」
 それが何に対する感謝だったのかは分からない。だけど、それを追求するつもりもない。
 俺は雅の買い出しに付き合い、荷物を藤野家に届けてから自分の部屋へと戻った。
 とりあえずの難は、これで終わったのかな?
 そんな風に思うと、今日は良く眠れる気がした……


8 :夕咲 紅 :2007/11/09(金) 08:49:04 ID:P3x7YnVc

第七話 魔法禁止週間

 さてさて。
 魔女という得体の知れない転校生が二人もやってきてから、それなりの時が経とうとしていた。
 ここで少しばかりおさらいしておこう。
 俺の名前は早瀬 武人(はやせ たけひと)。ごく普通の高校2年生だった。少なくとも半月くらい前までは……
 俺の目の前には、透き通る程綺麗な銀髪を腰程まで伸ばした、一見どこぞの社長令嬢かと思う程の厳かな雰囲気を持ち、驚く程に整った顔立ちをしている美少女がいる。少しばかり目つきが鋭いが、まあそれも彼女の凛々しさを際立てているに過ぎない。その瞳が紅いことに気がついたのは割りと最近だ。今まで彼女の目を正面から見ることなど出来なかったのだが、先日とある事情により正面から向かい合うことになった結果、吸い込まれそうな程に深い紅色の瞳をしていることに気がついたのだ。
 そんな彼女の名前は、冴倉(さえくら)・アレーリア・南月(なつき)。信じがたいが、正真正銘の魔女だ。もっとも、彼女曰くまだ見習いとのことだが……
 彼女は見習いから一人前の魔女になる為の試験を受ける為に、わざわざイギリスから日本に渡ってきたのだと言う。その課題をいくつかは指定されているらしいが、試験官でもある彼女の師匠はまだ日本にはやってきていないらしい。
 そんな彼女の目標は、師匠が来日するまでに最終試験以外の課題をクリアしておくことだそうだ。
 んでもって……
 その隣りにはもう一人美少女がいる。
 金髪碧眼。そしてツインテール。モデル体型な冴倉とは打って変わって、こちらは言っちゃ悪いが幼児体型。一応はクラスメートなわけだが、冴倉から真実を聞かされた俺は思わず納得してしまった。
 彼女の名前はアリア・エル・ファージアス。彼女もまた魔女であり、魔女の世界ではかなりの名門と言われるファージアス家の次期当主だそうだ。正規の手続きを踏み転校してきた冴倉とは違い、アリアは違法的な手段でこの学園に滞在している。学園長の記憶を改ざんし、無理矢理転入手続きをしたことにしたのだ。
 人の記憶を改ざんするというのはかなり高度な術に入るらしいが、アリアはそれを平然とやってのけたわけだ。ファージアスの名は伊達じゃないと言うべきか。
 問題は、アリアが本当はまだ15歳ということだろうか。本来なら中等部3年の歳だが、こうして俺たちと同じ高等部2年に紛れ込んでいる。そりゃあ幼くも見えるさ。実際に年下なんだから……
 因みに、エルというのは一流の魔女として認められた者に贈られる称号の様なものらしい。
 そんな彼女が何の為に日本にやってきたのかと言えば、平たく言えば冴倉を倒す為。えらく冴倉のことをライバル視しているらしく、わざわざ日本まで追ってきたと言うのだから驚きを通り越していっそ感服する。
 んで、俺が普通の高校生じゃなくなった理由が、目の前の二人。というか、冴倉一人でもいいんだけど……
 とある事件をきっかけに、俺は冴倉の――魔女の下僕として生きることになった。別に普段から冴倉の命令を聞いたりしなきゃいけないわけじゃないが、結構精神的にはキツイもんがある。だって、下僕ですよ? 下僕。俺にそんな趣味はないんだけどな……
 まあそれはさておき。
 俺たちがいる場所。ぱっと見、普通の教室。なんだけど……
 ここがまた普通の教室とは違う。冴倉の使う魔法――空間歪曲魔術によって造り上げられた異空間である。元々存在する空間をトレースして、誰もいない≠アとを条件として再現している空間らしいのだが、まあそんな小難しいことは俺には良く分からないというのが本音。
 とりあえず、誰にも気づかれることなく魔女としての会話をすることが出来る便利な場所だと認識している。
 ああ、因みに……
 二人が魔女であるということは、俺以外には知らない。元々正体がバレてはいけないものらしいのだが、俺はまあ特別な位置にいる。それはただの偶然による産物なのだが、まあ今更そんなことを嘆いても仕方がない。
 それよりも、だ――
「二人とも、分かってるよな?」
 最初は無闇に俺と冴倉に突っかかってきていたアリアも、今では魔法を介することなく普通に冴倉に突っかかるくらいになっている。一見、姉妹のケンカの様に見えるから問題ない。と言いたいところなんだが……
 アリアは、魔法――術としては成り立たせていないものの、魔素を集め小さな爆発を起こすくらいのことは平然とやってのけてくれる。冴倉はそれを防ぐ時にカモフラージュもしてくれてるみたいだが、それも限界がある。
「多分、クラスに気づいてる奴がいる。いや、気づいてるって程じゃないかもしれない。だけど確実に怪しく思ってるはずだ」
 そう。そんな度重なるアリアの暴走で、おそらくクラスの何人かは二人が普通じゃないことに気づき始めている。それは、二人にとって良いことなんかではなくむしろ大問題なわけで……
「大丈夫よ。いざとなったら物質操作魔術使うから」
 とは冴倉の弁。物質操作魔術というのは、その名の通り物質として存在するものに魔素を流し込み操作する術らしい。その中には人間の記憶の改ざんなども含まれている。
「確か、冴倉は苦手って言ってたよな?」
「うっ……」
 俺の的確なツッコミに、思わずたじろぐ冴倉。
 ったく、誰の為にこんな話してると思ってるんだか……
「あたしは得意だけどねー」
 とはアリアの弁。それはそうだろう。そもそも学園長の記憶を改ざんしてここにいるのだから。だけど……
「一度に何人もの記憶は改ざん出来ないんだろ?」
 それはアリアのキャパシティの問題というより、記憶の改ざんに必要なルールに問題があるそうだ。記憶の改ざんを確実に行う為には、今回の様なケースの場合はかなり難しくなるらしい。それは、二人のことを魔女だと気がついた人間の記憶を同時に改ざんしなければならないからだ。記憶を改ざんする場合、そこに矛盾が生じてはいけない。少しでも矛盾が生じる場合は上手く作用しない。そういうものだと説明された。つまり、気がついた人間を一ヶ所に集め術を全員いっぺんにかけなければ、気がついた者がいるという事実を捻じ曲げられない。よって、改ざんを試みた者も気がついた者としてその記憶を有することになる。
 まあ、そんなとこだったか。それに、かなりの魔素を必要とするらしいしな。結構難しいだろう。
 だからこそ!
「こうして対策を練ろうとしてるんだ!」
 それなのにこいつらときたら……
「大丈夫よ」
「何とかなるって。武人は心配性なんだから」
 冴倉とアリアは、それぞれが適当にそんなことを言う。
 ったく、魔女っていうのはこんなんばっかなのか?
「ともかくだ!」
 近くにあった机をバンッと勢い良く叩く。
 ……ちょっと痛かったけど我慢しておく。
「とりあえず一週間、二人とも一切魔法は使うなよ?」
「えー?」
「それじゃあ試験課題出来ないじゃない」
「うるさい! そもそもお前らが魔女だってバレたら試験所じゃないだろうが! 何なら一ヶ月だって一年だっていいんだぞ?」
「えー?」
「横暴よ武人」
 ……いや、いっぺん殴っていいかな? こいつら……
「そもそも、あたしには試験なんて関係ないもの」
「魔女の掟はどうした?」
 自分勝手なことを言い出すアリアにすかさずツッコミを入れる。
「うっ」
 ったく、ホントにダメな魔女だ……
「で、どうなんだ? 俺の提案を呑むのか呑まないのか」
「まあしょうがないわね」
 小さく溜息を吐いてから俺の言葉に応える冴倉。いや、溜息を吐きたいのはこっちなんだけど……
「で、アリアは?」
「わかりましたー。一週間、一切魔法は使いません」
「分かればいいんだよ、分かれば。んでまあ、そういうわけだから無駄にいざこざは起こすなよ?」
「でも、いきなりケンカしなくなったらおかしいんじゃない?」
 俺の言葉に、的確な意見を出してくる冴倉。確かに、一理ある。だが……
「アリアが本気でケンカ始めて魔法使わずにいられるとは思えないんだよ」
「ちょっ。そんなことないわよ!」
「ほら、そうやって直ぐにムキになるところが信用出来ないっての」
「うっ……」
 俺の言葉に何も言い返せないアリア。まあそうだろうな。
「俺も出来る限りフォローするから、二人とも我慢してくれよな」
 俺のそんな言葉で、この場は解散となった。


「早瀬くん」
 放課後になったと殆ど同時に、聞きなれない声が背後から聞こえてきた。座ったまま振り返ると、そこには見慣れない女子が一人。俺が座ってるから余計にそう感じるのか、かなり背が高い様に思える。少なくとも男子の平均身長くらいはありそうだ。染めているのか脱色しているのかは分からないが、やや茶色がかったショートの髪。その髪と背のせいでパッと見男子に見えなくもない。まあ、さすがに制服着てるから勘違いすることもないだろうが。いや、スイマセン嘘です。調子乗りました。こう、見上げた感じ身体のラインが十分女の子です。ハイ。
「えっと……ゴメン、誰だっけ?」
中津川 彩(なかつがわ あや)。君のクラスメート」
 クラスメート? 中津川……ああ!
 中津川って言うと、確か留年して同じクラスになった先輩か。
「思い出してくれた?」
「ああ。で、その中津川先輩が俺に何の用だ?」
「……先輩はいい」
 どことなく恥ずかしそうに、そんな風に答えてきた。
 やっぱり留年が恥ずかしかったってことか?
「じゃあ、中津川さん?」
「呼び捨てでいいよ。何なら名前だって構わない」
 いや、さすがにそれは抵抗が……
「なら、中津川って呼ばせてもらうよ。んで、何か用か?」
「一つ聞きたいんだけど……?」
 最後まで言葉は紡がれなかったが、おそらくそれは聞きたいんだけどいいか。という問いかけなのだろう。多分、その内容は俺が危惧するもので――
「冴倉さんとちびっ子って、一体何者?」
 俺が答えるよりも早く、中津川はそう聞いてきた。やっぱり、そういう内容か……
「何でそんなこと俺に聞くんだよ?」
「だって、二人と仲良さそうだから」
「それなりに話はするけど……そんなに仲良さそうに見えるか?」
 俺がそう尋ねると、中津川は全く考える間もなく頷いた。
「最近、早瀬くんは転校生と浮気してるって、もっぱらの評判」
「なっ……」
 何だそれ?
「中津川」
「うん?」
「それ、どういう意味だ?」
 そんな変な噂が流れてるんだとしたら、色んな意味で厄介だ。主に俺の尊厳が。
「早瀬くんには藤野さんがいるのに、最近は転校生にべったりー。みたいな内容だけど?」
「…………」
 はあ……なるほど。そういや周りの連中は、俺と雅のことをそんな目で見てるんだっけか。そもそもそれが間違いだって言うのに……
「とりあえず、そのことについては皆の勘違いだから」
「そう?」
「そうです」
 中津川自身はあまり気にしてない様だが、とりあえず強く断言しておく。これで、少なくとも中津川から変な噂が広まることはないだろう。その点に関しては。
「で、あの二人のことなんだけど」
「ああ……何者って聞かれたって、俺だって中津川や皆と同じだけの付き合いしかないんだぜ?」
「それもそっか……とは言え、あの二人が正直に話すとも思えないし……早瀬くん、本当に何も知らない?」
「案外しつこいな。何も知らないって」
 本当は知ってるけど。って言うより、俺より本人たちの方が簡単に口割りそうな気がするんだけどな……
「じゃあ、今度は本人に聞いてみるから。じゃあね」
 って、諦めないんかい。まあ、あれだけちゃんと言い聞かせたんだ。二人ともちゃんと誤魔化すだろう。
「ねえ、冴倉さん」
 窓際の自分の席に座る冴倉の元へ向かった中津川が、ちょうど立ち上がろうとしていた冴倉にそんな風に声をかけたのが聞こえた。
「たけちゃん」
 が、そちらに視線を向けようとした瞬間に逆方向から声をかけられ、反射的にそちらに振り返る。
「何だよ雅?」
「たけちゃんって、中津川さんとも仲良かったの?」
「お前は隣りにいて何を聞いてたんだよ」
「えっと、ちょっと考え事してたから」
 そうですか。
「中津川とは、さっき初めて話したくらいだよ。何か冴倉たちのことを聞かれたんだけどな。そんなこと俺に聞かれたって困るっての」
「しょうがないよ。たけちゃん、あの二人と仲良いんだもん」
「だから、そんな特別良くはないって言ってるだろ」
「そうかなぁ……」
「そうなのっ。大体、それなら雅との方が仲は良いだろ。幼なじみなんだから」
「え? あ、うん。そうだね」
 あれ? 何でこいつ顔赤くしてるんだ? 軽く俯くし……
 それよりも、今は冴倉だな。いくらなんでも普通に会話しててバラす様なバカはしないと思うんだけど……
「……気になるんだね、冴倉さんのこと」
「ん? 何か言ったか?」
「うぅん。それより、たけちゃんもう帰るの?」
「ああ……そう、だな」
 冴倉は中津川と話してるし、そもそも魔法の実験も禁止したんだ。あいつを待つ必要ないんだよな。
「それじゃあ、一緒に帰ろう?」
「ああ。わかった」
 少し不安もあり、後ろ髪を引かれる思いではあったものの――
 何も知らない。と答えた以上、二人の会話に関与するのはかえって怪しい。そう思い、俺は雅と一緒に帰ることにした……


9 :夕咲 紅 :2007/11/16(金) 07:16:39 ID:PmQHsJxF

第八話 心の傷跡

「早瀬君、ちょっと来て」
 朝登校するなり、キョロキョロと教室の中を見渡した後に冴倉がそう言いながら俺の腕を引っ張った。引きずられる様に教室を出ると、今度は再び教室の中に連れ込まれる。
 彼女の魔法によって造られたもう一つの教室へとやってきたとんだと理解した瞬間、冴倉は大きく溜息を吐き口を開いた。
「武人。昨日の子、何とかしなさい」
「いきなり何を命令しやがるんだ」
 下僕化していない今は、冴倉の命令に従う必要はないし従わされる様な強制力もない。
「って言うか、昨日の子って誰だよ?」
「忘れたの? あたしの所に来る前に、あなたの所に行ってたでしょう?」
 ん? ああ!
「もしかして、中津川のことか?」
「そうよ」
「って言われてもなぁ……」
 昨日何を言われたか知らないが、そこで俺が関与していくのはおかしいだろう。
「とにかく誤魔化すしかないんじゃないのか? あの様子からすると、多分一番冴倉たちのことを怪しく思ってるのは中津川みたいだし」
 中津川さえ誤魔化せれば、少なくとも表面的に疑問を口に出す奴はいなくなるかもしれない。
「武人が言い出した解決策でしょう。もう少し真面目に協力しなさいよ」
「俺は至って真面目だぞ。俺は昨日、中津川に何も知らないって言ったんだ。今更間に入るのはおかしいだろ?」
「そんなことは……」
「あるよ。例えなかったとしても、最終的には冴倉たち自身が普通の人間だって思わせないと意味ないんだ。まあ、それとなくフォローはしてみるよ」
「……お願いね」
「ああ」
 冴倉の表情はそこか冴えず、不安そうにしたままだったが……
 それでもこの場の会話は終わり、俺たちは普通の教室へと戻った。


 昼休みも間近という頃、始まりは分からない。だけどどこかの教室から声が上がり、それが次第に広がり今は教室中が大騒ぎになっていた。
「銃を持った人が校内に入ったらしいよ?」
 比較的その騒ぎに乗り遅れたうちのクラスは、イマイチ状況が掴めていなかった。どうやら他のクラスの誰かにメールで聞いたらしく、携帯を見ながら雅がそんなことを言った。
 騒ぎを沈静化させる為にと、さっきまで授業を受け持っていた物理の先生は今はいない。教室の中には生徒だけが残され、絶対に外に出るなと言われている。とは言え、本当に銃を持った人間が校内に侵入してきたのだとしたら、先生たちにだってどうしようもないはずだ。
「怖いね……」
 不安そうに呟く雅。だけど、俺にはその不安を拭ってやることはできない。
 むしろ不安を煽る様な考えばかりが浮かぶ。こうして教室にいた所で、安全かと言えばまったくそんなことはない。とは言え、銃を持った人間がいるかもしれない場所をウロウロと歩き回るのも危険だ。結局は、こうして教室の中で事態が解決するのを待つしかないわけだ。
「どうせ誰かの見間違いだった。で終わるさ」
 そうは言ってみたが、どうしても自分の言葉が現実味を帯びていない様に感じられた。その微妙な雰囲気を感じ取ったらしく、雅も「うん」と頷いたものの表情は晴れない。
 それはそうだろう。これだけの騒ぎになってるんだ。誰か一人が見間違えたとか、そんなレベルじゃない。大勢の人間が見て、それが事実だと認識されたからこそここまで大騒ぎになってるんだ。
「ねえたけちゃん」
「ん?」
「たけちゃんは、覚えてるかな?」
 いつもに増して弱々しい雰囲気の雅が、俺に問いかけてくる。それはきっと、あの時のこと……
「雅」
 それを口に出させてはいけない。アレは、忘れないといけないんだ。俺はともかく、雅は、絶対に。
 だからこそ俺は、雅の名前を呼んで言葉を遮った。
「俺、ちょっと様子見てくるわ」
「え?」
 雅にさっきの言葉を続けさせない様に、俺はそう言うと同時に立ち上がった。
「あ、危ないよ?」
「ここにいたって危険には変わりないだろ。ホントに銃を持った奴がいるんだったらさ。それに、早く状況が分かった方が雅も安心出来るだろ?」
 少しでも雅が安心出来る様に、俺はそう言いながら笑いかけた。だけどそれは、次の瞬間に響き渡った銃声によってかき消された。
 教室の前側の入り口に、青地のジーンズ、黒いジャンパー、黒いサングラスに黒いニット帽という格好の男が立っていた。その手にはライフルを持っており、今まさにそれを発砲したのだと言わんばかりに硝煙が微かに銃口から昇っている。ライフルだけじゃない。腰にはホルスターが取り付けられて、そこには当然拳銃が収められている。
「てめーら全員窓際に立て!」
 ライフルを俺たちに向けて構えながら、男はそんな風に叫んだ。誰一人として反抗も反論もせずに、男の言う通りに窓際へと向かう。最初の銃声で全員が萎縮してしまっているみたいだから当然か。ああ、それがあの発砲の理由だったのかもしれないな。
 こんな非日常な中でこんなにも冷静でいられるのは、きっと冴倉たちとの出会いがあったからんだろうな……
 ん? 待てよ……冴倉たちがあんなものにビビるとは思えないな。と言うことは、様子でも伺ってるのかもしれない。
 そんな風に考えていると、俺の右手を誰かがぎゅっと握ってきた。
 って、さっきから俺の隣りにいるのは雅なんだけど。因みに逆側にいるのは俺の前の席の岡島だ。
「どうした?」
 小声でそう聞いてみるが、わざわざ聞くまでもなく雅が怖がっているんだと俺は気づいていた。
 俺の手を握る手が震えていたし、そもそもこんな状況で怖がらない様な度胸を持ち合わせた奴じゃない。それに、今の状況はあの時のことを彷彿させる……
 俺の声が聞こえなかったのか、雅からは返事がこなかった。俯き、じっとしている。だけど、俺の手を握る雅の手に、さっきよりも力が込められた。痛くはない。雅もあの時のことを思い出しているんだろう。そう思うと、胸は痛んだ。
 ――俺たちが初等部に上がってしばらく経った頃、当時俺が住んでいた家(この時は当然家族全員で住んでた)の居間で、俺と雅は二人きりで遊んでいた。俺たちの両親はどちらも共働きだった為、初等部に上がってからはそういった状況が多くなっていた。因みに初等部に入る前までは、どちらの母親も仕事を休んでいたそうだ。
 雅のこと、お願いね。そう雅の母親に言われていた俺は、雅のことを守る騎士気取りでいたんだと思う。ちょうど、当時はそんなアニメが流行っていたし余計に。
 だけどそれは、子供ながらに自己満足の為にそう思っていただけであって、実際には雅のことを守るどころか軽くイジメていた節があった。それでも雅は俺と一緒にいることを嫌がらなかったから、俺も調子に乗ってたんだと思う。その日も、そんな日常と何ら変わらないものだと、信じ切っていた……
 いつもの様に少しからかってやるつもりで、俺はトイレに行くと言って部屋を出た。別にトイレに行くつもりなんてこれっぽっちもなくて、俺はわざと少しだけ開けておいた扉の隙間から雅の様子を伺っていた。気の小さい雅は、一人でいることをひどく嫌う。直ぐに俺が戻ってくると思っていた雅は、だんだんと心細くなってきたのかそわそわとし始めた。キョロキョロと部屋の中を見回し、その場所が普段と変わらない安全な場所だと思おうとする。泣きはしない。だけど必死に泣き出しそうになるのを我慢している表情で。そんな様子を見るのが楽しいと、当時の俺は思っていたんだろう。
 本当に泣き出すと面倒だから、その寸前を見計らって出て行こうと思っていた。だけど、異変はそんな時に起こった。
 俺の視線の先――庭に黒い影が見えて、扉を開こうとしていた手が止まった。その影が黒い服を着た人間の姿だと気がつくのには時間を要さず、俺の身体は固まった。
 黒い野球帽を深々と被り、サングラスをかけて顔を隠している。体型から察するに男。まだそんなに歳はいってなさそうだった。そんな男が庭から部屋へ繋がるガラスの扉に手をかけると、スゥーッとその扉が開いた。いつもは鍵がかかっていたと思う。だけどその日はたまたま、鍵がかかっていなかったのだろう。
 男は雅の存在に気づいていなかったらしく、その姿を視認した途端表情を変えた様に見えた。怖さのあまり言葉を失っていた雅へと近づき、隠し持っていたサバイバルナイフを取り出し雅の頬に押し付ける。
「お嬢ちゃん、痛い目にあいたくなかったらそこで黙ってジッとしてな?」
 そんな風に言ったと思う。
 泥棒だ。そう理解してからも、俺は動くことが出来なかった。居間の中を荒らし回り、金目の物を探す泥棒。居間を探し終えたら、他の部屋を探す為にこっちに来る。そう考えて、ようやく動くことが出来た。無謀にも立ち向かおうと思ったわけじゃない。誰か呼ばなきゃ。そんな一心で、俺はそこから離れようとしたんだ。だけど、緊張した足は言うことを聞かず、忍び足とは到底思えない足音が廊下に響いた。たった一歩。その一歩で、助けを呼ぶチャンスを失ったんだと、子供心に理解した。
 足音に気づいた泥棒が、廊下へと向かってきた。移動したことで部屋の様子は見えなかったけど、何となく気配でそう分かった。向こうからも、こっちは見えてない。それだけが、俺に残された希望だった。
 ほんの一握りの勇気を奮い立たせ、俺は泥棒へと立ち向かう決断をした。相手が見えなくなったことで、少しだけ恐怖が和らいだんだと思う。もちろんそれは無謀以外のなにものでもなくて、廊下に出てくると同時に泥棒に目を瞑ったまま体当たりをしようとした俺は、牽制のつもりで出していたであろうナイフに自らぶつかりにいく形になった。右腕を突き出す形でタックルをしていたその腕にナイフが刺さり、俺は痛みと同時に目を見開いた。その瞬間、俺は声を上げることすら出来ず――
 その様子を見た雅が大声を上げたことで、痛みから逃れる為の自己防衛が働いたのか、俺は倒れてそのまま意識を失った……
 後から聞いた話だと、雅の絶叫が外まで響き渡ったのが幸いし、泥棒は周囲に気づかれたこと悟り逃げ出した。
 近所の人が駆けつけ、病院に連絡してくれたおかげで、俺の右腕は後遺症を残すことなく回復した。もっとも、傷跡は今でも残っているが……
 一度、雅が傷跡を見てその時のことを思い出し、泣き叫んだことがある。それはまだ俺たちが中等部に上がる前、あんなことがあっても変わりなく俺に懐いてくれていた雅に対して、俺が好意を抱いた時のことだ。あれは夏。俺は雅に告白して、雅もそれを受け入れてくれた。だけど、俺の腕の傷跡を見た途端、急に何かを思い出したかの様に泣き出した。
 結局、次の日には何事もなかったかの様に俺に接してきた。だから、俺も忘れようと思った。告白したことも。あの日のことも……
 雅があの時の恐怖を思い出さない様に、それからの俺は雅と一定の距離を置く様になった。
 近すぎず、遠すぎず……ただ仲が良い、幼なじみとしての距離……
 今、右手に感じる雅の手のぬくもり。いつの日か、守ろうと誓ったモノ……
 雅は今、あの日のことを思い出しているんだろうか? いや、もしかしたらずっと覚えてるのかもしれない。毎日、ずっと、あの日の悪夢と戦って生きているのかもしれない。それは俺には分からないけど……
 俺は、強く握られた手をぎゅっと握り返した。
「大丈夫だから」
 俺が何とかする。とは言わない。魔女の下僕としての力を使えばどうとでもなるんだろうけど、そんなことを言えば雅は余計に怖がるに違いない。それでも、このまま無事に事態が解決されるとは思えない。
 俺が――俺たちが何とかする為には、警察の介入は逆に邪魔になる。冴倉たちの存在を隠したまま、事態を解決させる為には。
『武人』
 ん? 今冴倉の声が聞こえた様な……
『武人。聞こえてる?』
 間違いない。これは冴倉の声だ。だけど、耳から聞こえてくるんじゃなくて、頭の中に直接流れ込んできている様な感じだ。これも魔法だろうか?
『どうやら聞こえてるみたいね。さっきからずっと呼びかけてたのに、全然反応しないんだもの』
 そんなこと言われてもな……
『残念ながら武人の声はこっちには届かないみたいだけど……まあ、それもそのうちちゃんと会話出来る様になるでしょう。って、今はそれはいいのよ』
 何を一人で漫才してるんだ? この非常時に元気な奴だな。
『今何か失礼なこと考えなかった?』
 ……鋭いな。本当に聞こえてないんだよな? って言うか、俺の思考が垂れ流しだとすごく困るけどさ。
『こほんっ。まあ冗談はさておき』
 冗談だったのかよ。っと、思わず声に出しそうになったぞ……
『先に言っておくけど、これも主と下僕の間だけで出来る魔法だからアリアの協力は期待しないでね? いい? 多分武人も考えたと思うんだけど、この場であいつを何とか出来るのはあたしたちしかいないわ。もちろん、手を出す必要はないんだけど……いつまでもこんな状態でいたくないから、警察なんか頼らずにあたしたちで何とかするわよ。とは言っても、皆の前で魔法を使うわけにはいかないから、戦うのは武人ってことになるわね。あたしが渡した魔素のアメ、ちゃんと持ってるわよね?』
 あ……
『あたしが奴の気を引くから、その間に魔素を取り込みなさい。そうすればクラスの皆に気づかれるまでもなく奴をどうにか出来るでしょう?』
 待て。あのアメはもうない。アリアに襲われた日に使ったきりだ。どうにかしてそのことを伝えないと……
「ねえ」
 なんて考えているうちに、冴倉はもう行動に移していた。ヤバイ。ヤバイ……どうする? このままじゃどうしようもないぞ……
「あん? 何だ?」
「お手洗いに行きたいんだけど?」
 物怖じしない冴倉の態度に、銃を持った男もどこか感心した様に冴倉のことを見据える。
「気が強い女は嫌いじゃないが、立場ってもんをわきまえてくんねーかな? 今お前は人質なんだよ」
「別に逃げるつもりなんてないけど?」
 おいおい。そんな挑発する様な物言いして大丈夫か? って、冴倉の心配してる場合じゃないな。どうする? どうすればいい……?
「……ふんっ。いいだろう。だが……もしお前が戻ってこなかったら、その時は誰か一人の命がなくなると思え」
「……わかったわ」
 そう言って頷き、冴倉は教室から出て行った。男はその様子を見送った後、こちらへと視線を戻す――


「あ、れ?」
 ここは……教室? ああ、誰もいない教室だ。どうやら冴倉に呼び出されたらしい。
「あれ? じゃないわよ。魔素のアメはどうしたわけ?」
「前に言っただろ。アリアに襲われた時に使ったって」
「あ……そう言えば新しいのあげてなかったわね」
「そうだよ。ったく、ないってどうやって伝えようか悩んでる間に行動に移すんだもんな……」
「しょうがないじゃない。持ってると思い込んでたんだから」
「へいへい。そんなことより、いきなり俺が教室からいなくなって大丈夫か?」
「分からないけど、間違いなく悠長に話してる時間はないわね」
「なら、どうするんだよ?」
「こうするのよ」
 そんな言葉を放つと同時に、冴倉は俺の元へと近寄り――
 俺の唇を奪った……
「今から武人を教室に戻すわ。信じてるからね、武人」
 少しだけ照れた様な表情を浮かべながら、冴倉――マスターはそう言って、俺を教室へと戻した。
「お前っ、いつの間に!」
 いきなり教室の入り口付近に現れた俺に、男はおろか、教室内にいる全員が驚いたことだろう。だが、そんなことはどうでもいい。俺は突き向けられたライフルの銃口を見据えながら、その引き金が引かれるよりも早く男との距離を詰めた。ライフルを叩き落し、腰にある拳銃も預かっておく。
「雅、ごめんな」
 その言葉だけは、言わなくちゃいけない。そう思って口にした言葉を不思議に思いながらも、俺はホルスターから既にそこにない拳銃を抜こうとしている男へと拳を放った……
 一瞬で姿を消し、再び現れた俺を見たアリアが事態を察したらしく、認識障害の魔法を教室全体にかけておいてくれたらしい。そのおかげで人間離れした俺の動きは問題にならず、いつの間にか武道を嗜んでいることになった俺が男の隙を突いてやっつけた。ということになっていた。
 それで事件は解決したんだと、そう思った。だけど……
 その場には二人、アリアの魔法にきちんとかからなかった人物がいることに、俺たちは気付かなかった……


10 :夕咲 紅 :2007/11/22(木) 15:12:59 ID:PmQHsJxe

第九話 魔女になりたいお年頃

「早瀬くん」
 銃を持った男が校内に侵入するという大事件が起きた翌日の放課後、今まさに席を立とうとしていた俺に声をかけてきたのは、ついこの前も同じ様に声をかけてきた中津川 彩だった。
 何だか嫌な予感がするんだけど……
「何か用か?」
「用がなきゃ話しかけちゃいけない?」
 それってすげー意味深な発言なんだけど……
「別にダメってことはないけど。用もないのに話しかけてくるタイプには見えないからさ」
「そんなことはないけど……まあいいわ。用ならあるから」
 まあそうだよな。無駄に雑談する程仲が良いわけじゃない。そもそも初めて話したのがつい最近のことなんだから。
「で、どうかしたのか?」
「昨日のことなんだけど……」
 昨日のこと。中津川がそう言った瞬間に俺は立ち上がり、その場から離れようとした。が――
「待って!」
 そう言いながら俺の左腕をつかむ中津川。引っ張られる様な形になり、倒れそうになったが何とか堪えた。
 大した運動神経してやがる。
「逃げるっていうことは、やっぱり何か知ってるのね?」
 ……どうやら、アリアの認識障害がきちんと働いていないらしい。いや、他の奴らにはしっかり効いてたみたいだけど。中津川は人一倍冴倉たちのことを怪しく思ってたからな。効きが弱いんだろう。
「さ、さあ? 何のことだ?」
 首を傾げてとぼけてみるが、どこまで通用するやら……
「皆は納得してるみたいだけど、どうにも記憶が曖昧なのよね」
「痴呆でも始まったのか?」
 なんてボケてみたが、すかさず中津川のチョップが俺の頭に炸裂した。
「今のは伝家の宝刀、トリ――」
「そういう一部の人間しか分からないネタは止した方がいいわよ?」
 それもそうだな。って、中津川は分かるのか……意外だ。
「それと、変に話を逸らそうとしても無駄よ。さあ、知ってることを全部話してもらいましょうか?」
 そう言いながら妙に迫力のある表情と言うか雰囲気で俺に寄ってくる中津川。
「って、近い! 近いから!」
 あまりの顔の接近具合に、初めて冴倉とキスした時のことを思い出してしまった。ああ……多分今の俺顔真っ赤なんだろうなぁ……
「……ああ、なるほど」
 そう言いながら手をポンと叩く中津川。どうやら俺が顔を赤くした理由に気がついたらしい。
「意外」
「あん?」
 唐突な一言に、思わず素で返してしまった。
「何がだよ?」
「いろんな子に手出してるから、もっと女の子に慣れてると思ってたんだけど……」
「だからそれは誤解だって前に言っただろ!?」
「そうね。でも、浮気してるのが勘違いとしか言われてないと思うけど?」
 それは雅とのことを言ってるのか? それこそ勘違いなんだが……
「どれも勘違いだよっ」
 ああもうっ、面倒くさいっ。
「まあいいわ。で、白状する気になった?」
「そんな話の流れじゃなかっただろうに……」
「いいから。白状するの? しないの?」
 何て強引な奴なんだ……
「だから――」
 白状するもしないもない。そう言おうとした俺の言葉を遮って、帰ったと思っていた雅がいつの間にか戻ってきていて横から口を挟んできた。
「もしかしてそれ、昨日の話?」
「……ええ、そうよ」
 一瞬何かを考えた様な間を置き、中津川がそんな風に頷いた。
 これは、雅を味方につける気だな……
「そう言えば……たけちゃん、いつの間に武道なんて習ったの?」
 あ……
「藤野さん、その話もっと詳しく聞かせて?」
「え? あ、はい」
 しまった。雅ならこっちの味方についてくれると思ったけど、こいつはこいつで天然っぷりを発揮してくれそうだ。もしかしたら、雅にもあまり認識障害が働いてないのかもしれない。
 ただ皆が俺が武道を習ったとか言い出したからか、それとも昨日の動きのことをある程度覚えていて言ってるのかは分からないから判断は出来ないけど。
「いつも一緒にいるわけじゃないけど、毎日真っ直ぐ帰ってたみたいだったし、そんな素振り全然なかったんですよ。それに、面倒くさがりのたけちゃんがそんなに続けられると思わないし」
 何気に失礼な奴だな……いや、まったくもって否定出来ないけど。
「それに、もしも続けてたら、そういう話は進んで誰かにしてると思うんです」
「へぇ……」
 雅の言葉になぜか満足気に頷いて、こちらに視線を向ける中津川。反論があるなら聞くけど? とでも言っているかの様だ。
「で、白状する気になった?」
「案外しつこいな……」
「そうかもね」
 その言葉の真意はつかめないが、どちらにせよ俺から言えることは何もない。俺からバラしたなんてことになったら、あの二人に何をされるか分かったもんじゃないしな。
「とにかく。俺は何も知らない。行くぞ、雅」
「え? あ、うんっ」
 これ以上雅が余計なことを言わない様に、雅を連れて教室を出る。中津川は諦めたのか、それ以上は何も言ってこなかった……


「あ」
 雅と一緒に校門を出た所で、俺は教室に忘れ物をしたことに気がついた。
「悪い。今日出された宿題忘れてきた」
「それって、藤村先生のやつ?」
「ああ」
「それじゃあ、取りに行った方が良いね」
 そう言って苦笑を漏らす雅。
 その反応は当然だ。藤村先生というのは数学の教師のことで、俺の知る限り高等部一宿題を出すのが好きな先生だ。突然宿題を出し、それをやってこなければ必殺のチョークが飛んでくる。ただしチョークは本物じゃなくて奴お手製のゴムチョーク。体罰問題防止の為の最終兵器だそうだ。宿題さえ出さなければ面白い先生なんだけどな……
「無理矢理連れ出したみたいなもんなのに、悪いな」
「うぅん。気にしないで」
「そっか? まあ、あんまり謝っても雅が困ってパニックになりそうだからな」
「そっ、そんなことでパニックにならないよぉ」
「だといいけど。って、そんなこと言ってる場合じゃないか。のんびりしていると宿題やる時間なくなるからな」
「そうだね。どうする? 私ここで待ってる?」
「いいよ。先に帰っててくれ」
「そう?」
 何かちょっと残念そうなんだけど……まあいいか。
「ああ。それじゃあ、また明日な」
「うん。また明日」
 そう言って手を振って、俺は踵を返して教室へと戻った。


 えー……
 たった今、戻ってきたことを後悔した。
 俺は今、教室の外にいる。廊下から教室の中を覗き込んでる形になってるわけだが……
「二人とも、そろそろ正体を教えてくれてもいいんじゃない?」
 と言うのは、ついっさきまで俺に突っかかってきていた中津川の声。
「いい加減にしてくれる? 一体あたしたちの何が知りたいって言うの?」
 明らかにイライラしたこの声は冴倉のものだ。
「思い出したの。昨日、ここで何が起こったか」
「そりゃあ、あんなことがあったんだから誰も忘れないんじゃないかしら?」
「そうね。クラスメートが突然消えたと思ったら、次の瞬間には教室の扉の前にいて、あっと言う間に銃を持った男を倒したなんて、普通は忘れないと思う」
 でも、忘れてた。そんな意味を含めているんだろう。覚えていたのは、ただ俺がいつの間にか習っていた武道で犯人を倒したということだけ。そしてそれで納得しているクラスメートたち。気がついてしまえば、その状況がいかにおかしなものであるかハッキリとしてしまう。
「まるで、クラス全体が魔法にでもかかったみたい」
 まさしくその通りだ。だけど、それをあの二人が明かすわけにはいかない。
「あのさ、さっきから何を言ってるの? クラスメートが消えたとか、魔法とか。そんなのあるわけなじゃない」
 これはアリアの声だ。今まで黙っていたのが不思議なくらいだが、アリアが言うと説得力が感じられない言葉だな……
「……あのね」
 アリアの言葉にしばらく黙っていた中津川が、ふとそんな言葉を呟く様に言った。
「わたし、昔魔法使いに会ったことがあるの」
「え?」
 中津川の言葉に声を発したのはアリアだ。冴倉も驚いた表情を浮かべてはいるが、声は何とか抑えたらしい。
「車に轢かれそうになった所を助けられたの。その時、助けてくれた人は確かに空を飛んでた。わたしを抱えたまま、箒に乗って……そう、まるで御伽噺に出てくる魔女みたいに」
 冴倉たちの他にも、この街に魔女がいるのか? いや、昔の話だって言ってたし、もういないのかもしれない。
「その時から、わたしも魔法使いになりたい。そう思う様になったの。そういった類いの本もたくさん読んだ。だけど、結局何も分からなかった。だから、あなたたちは最後の頼みの綱なの。ねえ、教えて? あなたたちは魔法使いなの?」
 いつも俺に話しかける時の様な口調じゃない。ものすごく真剣な口調だ。だからそれは、きっと嘘なんかじゃない。中津川の本心なんだろう。
「……なるほどね」
 少しの沈黙の後、それを破る様にそんな言葉を発したのはアリアだった。
「藤野雅に効きが悪い理由は分かってたけど、あなたも昔魔法の影響を受けてたのね」
 ん? それってどういう意味だ?
「その言葉、じゃあやっぱり……」
「一つ忠告しておくわ」
 その幼い外見とは裏腹に、ひどく冷たい声を発するアリア。魔女として――ファージアスという名門に生まれたが故か、厳格な雰囲気をまとっている。
「あたしたちには、命を賭けなければならない使命があるわ。この世界に足を踏み入れれば、二度と真っ当な世界には帰れない。それでも、あなたは知りたい?」
「……ええ」
 少しだけ逡巡し、中津川はしっかりと頷いた。何がそこまで中津川を駆り立てるのだろうか? それ程までに、魔女なんかになりたいのか? ただ、幼い頃に魔女に助けられたというだけで。
「あなたの覚悟は分かったわ。南月、あの方が日本に来るのはいつ?」
「予定では十日後よ」
「そう……十日後、あたしたちの里で実質最高位にある魔女が来日するわ。その方に伺いを立てるから、それまではこれ以上あたしたちのことを詮索するのは止めてくれるかしら? もちろん、今日話した内容を他の人に吹聴するのも」
「分かったわ」
 何だか良く分からないけど、中津川とのことは決着が着いたらしい。
「あと、そこに隠れてる早瀬武人。出てきなさいよ」
 あ、バレてたのか。
 アリアに言われるままに、俺は教室の中に入る。
「あんた、盗み聞きが好きなの?」
「いや、たまたまだからな?」
「まあいいけど……聞いての通り、中津川彩は一応関係者になったから」
「みたいだな。でも、信じていいのか?」
 俺の場合は脅されてるし、今はもう残念ながら無関係とは言えない状態だ。だが、中津川には何の強制も働いていない。
「大丈夫でしょう。さっきの目、本気みたいだったし」
 そう言ったのは冴倉だ。どうやらアリアが話してる間、ずっと中津川のことを観察していたらしい。
「あたしもそう思う」
「二人がそう言うんなら俺は構わないけど……」
 そんな風に言いながら、視線を中津川に向ける。
 あ、何だか非難の目を向けられてるなぁ……
「やっぱり、早瀬くんは知ってたのね?」
「まあな。むしろこの二人よりよっぽど口堅かったと思うぞ」
「そうね」
 俺の言葉に魔女二人は軽く睨みを効かせてきたが、中津川はそんな風に言って苦笑を漏らした。
 まあ、これでクラスの中ではあまり気を遣わなくて済みそうだな。そう思うと、気が楽になる。
「ところで、武人は何しに戻ってきたわけ?」
 冴倉のそんな言葉で、俺はそもそも何の為に教室に来たのか思い出した。
 危ねー。本気で忘れるとこだった……
「宿題忘れたから取りに来ただけ」
「あ、そうなんだ……」
 呆れ混じりに冴倉がそう言った。アリアと中津川も同じように溜息を吐いている。
「何だよ。別にそれくらいいいだろ? 大体文句を言われることでもないし」
「誰も文句なんて言ってないでしょう?」
 まあ確かに。
「お前らも早く帰って宿題やった方がいいぜ? 二人は知らないだろうけど、藤村は宿題忘れてきた奴にはゴムチョーク飛ばしてくるからな」
「何それ?」
 食いついてきたのはアリアだ。ま、性格的にそうだろう。
「知らないか? 昔のマンガとかに出てきてたんだけど、悪さをした生徒に教師がチョークを飛ばす奴」
 俺のそんな言葉に、魔女二人は首を横に振る。知らないのか……
「まあ、そんな定番ネタがあるんだが、藤村はそれを実際にやってたらしい。だけど体罰とかの問題が出てからは使えなくなったから、自分でゴム製のチョークを作ったんだよ。いや、チョークって言っても形だけなんだけどさ。それを代わりに飛ばしてくるんだ。藤村曰く体罰問題防止の最終兵器らしいんだけど……あれも結構痛いんだよな……」
 経験者は語るって奴だ。
「へぇ、あの人面白い先生だったんだね」
「まあな。宿題を出すことを除けば人気高いぜ? な? 中津川」
「そうね」
 俺の言葉に、おかしそうに笑いを堪えながら頷く中津川。それは、藤村が面白いからではなく、俺たちの会話や様子がおかしく思えたから出た笑いだろう。
 ま、暗くなられるよりはいいかな。
「とにかく、俺も帰って宿題やらなきゃいけないから。今後のことを話すなら明日な」
「はいはい。前から思ってたけど、武人って勉強出来ないみたいだもんね」
「そう言う冴倉は随分勉強が出来るみたいで、羨ましいこった。中津川も出来そうだし、アリアは……」
「あ、ちょっと今こいつは頭悪いな。みたいなこと考えたでしょっ?」
「いや、そんなことないぞ? 被害妄想だ」
「うぅ……言っておくけど、あんたよりは頭良いからねっ」
「そんな自信あるなら、次のテストで勝負でもするか?」
「のぞむところよ!」
 かくして、俺とアリアは次のテストで勝負をすることになった。
 その詳しい話も後日ということになり、俺たちは帰ることにした。
 中津川の家は校門を出ると反対方向。アリアは冴倉と一緒に住んでるらしく、途中まで3人で帰った。
 少しだけ今後のことも話したけど、まあ詳しいことはまた今度。ということで二人と別れた。
 今は宿題のことを考えないと……
 はぁ……
 ま、何とかなるだろ。
 はじめて冴倉と会った時のことを少し思い出しながら、俺は一人帰路に着いた……


11 :夕咲 紅 :2007/11/29(木) 17:40:22 ID:PmQHsJxH

第十話 小さな魔女の大失敗

 中津川や他のクラスメートを気にせずに魔法の実験を行える様になった。中津川が一応は協力者となった為、俺の提案した措置を行う必要がなくなったからだ。冴倉やアリアにしてみればそれは嬉しいことなんだろうが、俺にとってはあまり良いこととは言えない。せっかく前の様に普通の暮らしが出来ると思ってたのに、直ぐに元通り。今日から俺は冴倉の魔法実験の手伝いに逆戻りだ。
 そんな憂鬱さを感じながら、俺はいつも通りに登校した。
「おはよう、たけちゃん」
 席に着くと、隣りから雅が笑顔で挨拶をしてきた。教室に入ったときは何やら鞄の中を漁ってたみたいだったから気がつかなかったのかもしれない。何せ天然だし。
「おはよう」
 そう返事をしながら、鞄の中から昨日の宿題を取り出す。
「あ、ちゃんとやってきたんだ?」
「当然だろ」
 何の為にわざわざ教室まで取りに戻ったと思ってるんだ。
「そうだよねぇ。数学一限目だもんね」
 そうなんだよ。一限じゃなかったら、最悪今日来てからやるっていう手もあったのにな……
 それから他愛もない話をしている内に、担任が来てホームルームが始まった……


「勝負は期末テスト。全教科の合計点数が高かった方の勝ち。それでいい?」
 昼休み。昼飯を食べ終えた後、俺とアリアは教室で昨日の口論から出た勝負の内容について話し合っていた。
「望むところだ」
「負けた方は、一つだけ勝った方の言うことを聞く。OK?」
「ああ。ふっ、今から何をさせるか考えておかないとな」
「それはこっちのセリフよ。今から覚悟を決めておくことねっ」
 火花を散らすかの如く睨み合う俺とアリアを見て、呆れる者数名。何事かと思って行く末を見てる者数名。残りは全員関わり合いになりたくないとばかりに遠ざかっていく。
「武ひ――早瀬君、大丈夫なんでしょうね?」
 しばらく睨み合った後にアリアが教室を出て行くと、今度は冴倉が近寄ってきてそんな風に声をかけてきた。
「何が?」
「本当に勝てるの?」
「負けるつもりはないぞ」
「言っておくけど、あの子頭良いわよ?」
「え? マジで?」
 それは聞き捨てならないな。
「あたしたちの里では、何よりも最初に基本的な勉学から学ぶから……こういうちゃんとした教育機関に比べたら大したことはしないけど、少なくとも早瀬君が言う様なバカな子じゃないわ」
「……どうしよう?」
「はぁ……今はカッとなってどうでもいいことしか考えてないみたいだけど、もしかしたらとんでもないことを言ってくるかもしれないわね」
「とんでもないことって何だよ?」
「それは……聞かない方がいいと思うわよ?」
「……そうしとく。それにしても、そうするとマズイな……今からちゃんと勉強しておいた方が良さそうだな」
 幸いなことに、テストまではまだしばらくある。何とかなるかもしれない。いや、何とかしないとな。
「あたしの試験が終わった後なら、勉強見てあげるけど?」
「ホントか!?」
 あまりに嬉しい申し出に、思わず冴倉の両手を取り握ってしまった。でも今はそんなこと気にならない。それよりも希望が見えてきたことの嬉しさの方が大きい。
「助かるよっ。よろしく頼むな?」
「わ、分かったから……手、離してくれない?」
「え? ああ、悪い」
 今更ながらにちょっと恥ずかしくなってきて、俺は慌てて冴倉の手を離した。
「……ちゃんと、見てあげるから」
 もっと何か別に言いたいことがありそうな目をしながら、それでも冴倉はそう言ってくれた。
 その真意は分からないけど……
 聞いちゃいけない。そんな気がして、俺は発せられた言葉に対してだけ頷いた。
「ああ。ありがとう」


 午後の授業が始まり、既に十分程が経った。
 教室の中には、一つだけ空いている席がある。アリアの席だ。俺と睨み合って出て行ったきり、戻ってきていない。テストで勝負することになったのに授業に出ないとは、やっぱりバカなんじゃないかと思う。いつもなら、これで一歩リード出来る。くらいにしか思わなかっただろう。だけど、なぜか嫌な予感がした。
「先生」
「どうした? 早瀬」
「トイレ行ってきていいですか?」
「……今度から授業始まる前に行けよ?」
「はーい」
 なんて典型的な手を使って教室を抜け出す。
 アリアの身に何かあったとしても、俺が心配する必要はない。魔女の下僕化しない限りは、俺は普通の高校生だ。魔女であるアリアの手に負えない様な事態になってるとしたら、そこには俺じゃなく冴倉が行くべきだろう。だけど、まだ何かあったと決まったわけじゃない。むしろ何もない方が可能性は高い。
 それでも、嫌な予感程当たるものだ。教室を出ると、より一層嫌な予感が増した。
 どこかで、何かあったとしか思えない。だとしても、闇雲に探して見つかるわけもない。
 どうしたもんか……

 ――けて――

 ん? 今何か聞こえた気が……

 ――助けて――

 確かに聞こえた。これはアリアの声だ。でも、どこから……
 そう考えて、俺は直ぐに答えに至った。誰もいない教室。いつも冴倉が魔法を使っていたから直ぐに気がつかなかったけど、アリアだって魔女だ。空間歪曲魔術を使えても何もおかしくない。
 背後にある教室。中からはさっきまでと変わらない授業の声が聞こえてくる。それを見てもしょうがない。思い出せ。魔素を見て、アリアのいる誰もいない教室を思い浮かべろ。
 教室の扉をジッと見据え、そこに変化が生じるのを待つ。以前、冴倉とアリアが口論していた時の様に、外から干渉することが出来るはずだ……

 ――誰か……たす、け――

 聞こえてくるアリアの声が、さっきよりも弱くなってきた。一瞬、向こうとの繋がりが弱くなったのかと思った。が、その次の瞬間には歪みが見えた。俺は歪みごと扉を開く。その先には、授業中の風景ではなく――
 巨大な、タコの様な化け物と、その足に巻きつかれているアリアの姿あった。
「アリア!」
 思わずその名前を叫んだことで、扉を開けただけでは気づいていなかった化け物がこっちに視線を向けた。
 やべぇ……
「はやせ、たけひと……?」
「お、おう」
 アリアの弱々しい呟きに応えるが、はっきり言って俺にはこの状況をどうすることも出来ない。
 けど……
 アリアなら何とか出来るかもしれない。今は奴につかまっているみたいだけど、少なくとも俺よりは可能性が高いのは確かだ。
「この……化け物め!」
 一番近くにあったイスを持ち上げ、化け物に向かって投げる。が、鞭の様にしなる足によって弾かれてしまった。
 ……マジでどうしよう……
「魔素を、回帰させて……そうすれば、こいつは消えるわ」
 掠れそうな声で、俺にそんなことを言うアリア。それはつまり、こいつは魔素の塊みたいなもんってことか?
 とは言ってもな……
 考えながらも、俺はもう一度イスをつかみ投げつける。今度はアリアを捕らえている足を狙ったものの、他の足で簡単に弾かれてしまった。と理解した瞬間には、もう一本の足が俺の身体を薙いだ。
「ぐっ……」
 壁に叩きつけられ、思わず声が漏れる。背中に訪れた衝撃はかなりのもので、何度かむせた。
「どう、したの……? なんで、力を使わないのよ……?」
「使いたくても、使えないんだよ……」
 何とか立ち上がるものの、化け物は完全に臨戦態勢だ。いきなり襲いかかってくる様なことはしないが、もう受け身ではいてくれそうにない。
「マスターから魔素を貰わないと、下僕の力は使えないもんなんだろ?」
「あ……でも、あたしが藤野雅をけしかけた時は自分で使ってたじゃない」
 化け物がなぜか警戒してくれてるおかげで、こうして何とか会話が出来ているものの……
 このままじゃやられるのは目に見えている。
「あの時は、冴倉が魔素を込めて作ったアメがあったからな。ドーピングみたいなもんだ」
「……じゃあ、魔素の回帰は……」
「んなもん出来ん」
「…………」
 俺の素直な返事に、アリアは言葉を失った様だ。呆れ返る程の余裕はないみたいだが、呆れてないわけでもないだろう。
「こんなこと言っても信じられないかもしれないけど……お前はちゃんと助ける。だから、安心してくれ」
「え?」
 アリアの返事は聞かない。俺が言った意味を理解できてなかったみたいだけど、それを説明している余裕はない。
 振り上げだれた化け物の足を見て、俺は駆け出した。一本目の足を何とか避けて、化け物の本体へと向かう。
「危ない!」
 そんなアリアの叫びを聞いて、俺は反射的に身を屈めた。その真上を二本目の足が薙いでいった。それを視認した瞬間には、三本目の足が横から俺に迫っていた。直ぐに駆け出し、その足もかわす。残りの四本は奴の身を支えている為、直ぐに次の攻撃はこない。そう踏んだ俺はいっきにスピードを上げる。全速力で走り抜け、化け物に体当たりをかます。大して効きはしないのは分かっているが、一瞬でも怯んでくれれば十分だ。
 アリアをつかまえている足が、僅かだけど緩んだのが分かった。俺はその足の付け根に噛み付いた。
 化け物は奇声を発したかと思うともがき、アリアをつかんでいた足が完全に緩んだ。天井近くまで持ち上げられていたアリアが、床へと向かって落下していく。その身をキャッチする為にもう一度駆け出し、何とかアリアの身体を支えた。
「大丈夫か?」
「う、うん……」
 気まずそうに頷くアリア。だけど、今はそんなことを気にしてる場合じゃない。
「アレ、何とか出来るか?」
「それが、あいつ周囲の魔素を吸収してるみたいで……」
「魔法が使えないのか?」
「まったく使えないわけじゃないけど、あいつを何とか出来る程の魔法は使えないわ……」
 悔しそうに下唇を噛み、俯くアリア。
 これって、絶体絶命……?
「あ」
 そんなことを考えていると、アリアがいきなり声を出した。刹那、俺はアリアごと吹き飛ばされた。
 化け物の足にやられたんだと理解した瞬間には、壁が迫っていた。俺は何とかアリアの身体を抱きこみ、衝撃を全て受ける。
「っ……」
 もはや痛みは声にならない。
「早瀬 武人……」
「アリア、逃げろ」
「え?」
「逃げるくらいなら簡単だろ?」
「ダメっ」
「何でだよ?」
「あたしがここから出たら、あいつは現実世界に具現化するわ」
 なっ……それじゃあ、ここで何とかするしかないってことかよ……
「あたしがあいつを食い止めるから、あなたが逃げて。南月なら、この空間ごとあいつを封じることも出来ると思うから」
 冴倉に頼れってことか……でも、今の言葉をそのまま受け取ると……
「それって、アリアごとってことだよな?」
「…………」
 俺の質問に、アリアは何も答えない。それはつまり、肯定ということだろう。
「そんなこと出来るか!」
 ケンカしてたみたいなもんだ。だけど、俺はアリアが嫌いなわけじゃない。そんな見捨てる様なマネ出来ない。
「いいから! それしか手はないんだからっ」
「くっ……」
 それでも、それでも俺は……
「そんなもん納得できねーんだよ!」
 立ち上げると同時に、駆け出す。近くのイスを手に取り、襲いかかってくる足に投げつける。足はそれを絡み取り、こちらに投げ返してきた。今度机を持ち上げ、そのイスを防ぐ。あいつを弱らせれば、今のアリアの魔法でも倒せるかもしれない。体当たりも噛み付きも効いたんだ。弱らせることくらい出来るはずだ。
 そう思った瞬間には、もう一本の足が俺の身体を再び薙いでいた。
 ドンッ。そんな音と同時に、三度目の衝撃が背中に走った。
「ぅ……」
 脳が揺さぶられたからか、意識はあるものの視界が暗転した。立ち上がることも出来ない。
 ちくしょうっ。分かってた。役に立たないってことくらい。でも、でも……
「早瀬 武人……うぅん、武人」
 耳元で、アリアの声がした。いつものツンとした声じゃなく、哀しげな、それでいて優しい声音。
「南月は納得しないと思うけど、あたしの案を聞いてくれる?」
 俺は答えない。いや、答えられない。意識はあるが、じょじょに朦朧としてきていた。
「武人と、契約を交わすわ」
 契約? それって、もしかして……
「武人が力を使えれば、あいつなんか目じゃない。だから……」
 声が、さっきよりも近い。いや、耳からは離れた。だけど、直ぐ近くにアリアの息遣いを感じる。
「武人が嫌だったら、ゴメンね……」
 そう言ったアリアの唇が、俺の唇に触れたのが分かった。それだけじゃない。俺の唇をアリアの舌が開き……
 俺の――普通の高校生としての俺の意識が、途絶えた……


 それからどうなったのかを、俺は覚えていない。
 気がついたら自分の部屋にいた。ベッドに仰向けになった眠っていた様だ。
 覚えている記憶を繋ぎ合わせると、一つしか答えが出てこない。
 俺はアリアの下僕となり、あの化け物を倒したんだろう。これから先、一体どうなることやら……
 見慣れた自分の部屋の天井を眺めながら、俺はそのままもう一度眠りに着いた……


12 :夕咲 紅 :2007/12/05(水) 16:59:56 ID:PmQHsJzn

第十一話 素直になれない四角関係

 俺とアリアが契約を交わしてから一週間が経った。
 あの日のことをアリアに問い詰めたところ、あの化け物はアリアが魔法を失敗したことで間違えて呼び出してしまったそうだ。
 深淵世界――魔女たちがそう呼ぶ、ありとあらゆる情報が存在する空間があり、そこから勉学に関する知識を手に入れようとし、失敗した。というのが事の顛末。それを聞いた冴倉はかなり本気でアリアのことを叱っていた。何でも、深淵世界への干渉は基本的には禁止されており、どうしても必要な場合は長老会という魔女の里のお偉いさんたちの承認が必要だそうだ。それなのに勝手に深淵世界に干渉したもんだから大激怒。そのせいか俺と契約を交わしたことは伝えていなかった。俺からも伝えてない。何を言われるか分からないしな……
「だからね。冴倉さんはたけちゃんのことをどう思ってるの?」
 そんな雅の声で俺は我に返った。いつもの雅とは雰囲気が違う。精一杯に険しい顔つきで、冴倉に噛み付いている。いや、言葉通りの意味じゃないぞ?
「あたしは別に……」
「だったら、これ以上たけちゃんを振り回さないでっ」
 それは自分を構う時間が少なくなってるから。という理由からくる言葉だろう。決して俺の自由を説いてくれてるわけじゃない。
「武ひ――早瀬君は、自分の意思であたしに付き合ってくれてるのよ。ねえ? 早瀬君」
 ああ、俺に振らないで欲しいんだけどなぁ……
「そんなことないよねっ? たけちゃん」
 何なんだ、この状況は……
「ちょっと! 二人とも、武人が困ってるじゃないっ」
 一瞬救世主が現れたかと思ったその言葉は、アリアから発せられたものだ。何となく嫌な予感がするぞ……
「アリアは関係ないでしょうっ」
「アリアちゃんは関係ないでしょっ?」
 冴倉と雅の声が重なった。流石のアリアもたじろぐかと思ったが、むしろ火が点いたらしい。
「そんなことないわよ! あたしと武人はキ――」
 そこまで言って、アリアは慌てて自分の手で口を塞いだ。
「アリア、今何て言おうとしたの?」
 冴倉が凄みを効かせるが、アリアは首を横に振りながら「何でもないっ」と答えるだけだ。
「まさか、この前の時に……」
 いい勘してるなぁ……
「何だか楽しそうね?」
 そんな風に俺に声をかけてきたのは、我関せずとしていたはずの中津川だった。
「どこが?」
「あの三人の様子が」
「そうか?」
「ええ」
 そうかな……? パッと見修羅場みたいなんだけど……
「ねえ……アリアちゃんって、皆のことフルネームで呼んでたよね?」
「ええ。親しい人はファーストネームで呼ぶけど、それ以外の人はいつもフルネームで呼ぶわね」
「少し前までは、たけちゃんのこともフルネームで呼んでたよね?」
 そういや、あの時以来武人って呼び捨てにされてるな……俺もアリアって呼んでるし、特に気にしてなかったけど。
「そう言えば、あの時からずっと呼び捨てにしてた気がするわ」
「たけちゃんと何があったのっ?」
 冴倉の言葉で、我を失ったかの様にアリアに飛びつく雅。
 って言うか、本当に何でこんな状況になってるんだ?
「ねえ早瀬くん?」
「ん?」
 ワイワイと騒ぎ立てる三人の傍ら、俺に話しかけてくる中津川。
「誰が本命なの?」
 そんな中津川の言葉で、今の今まで騒々しかった三人の声が一瞬でピタリと止んだ。
「何を言ってるんだか……」
 そりゃあ、三人とも女の子としては魅力的だと思うけどな。冴倉と俺とじゃ見た目が既に釣り合ってない。雅はそういう対象に見るわけにはいかない。アリアも……まだ実際は中学生だしなぁ。可愛いのは認めるけどガキみたいなもんだ。
「あ、実はわたしとか?」
 そんな一言で、三人の視線がいっせいに中津川に向いた。かなり敵意のこもった視線だ。
「……ナンデモアリマセン」
 何なんだ、一体……?
「って言うか、南月は武人のことどうとも思ってないんでしょう? だったらあたしがどう思ってたって関係ないじゃないっ」
「それは……ほら、あたしと武人は契約関係にあるからっ」
 あーあ……冴倉まで熱くなっちゃって……もう早瀬君ですらなくなってるぞ。
「契約って何?」
 雅よ。その疑問はお前にしたらもっともだ。でも冴倉が俺のこと名前で呼んだことはスルーなのな。
「だったらあたしだってそうだもん!」
「やっぱりしたんじゃない!」
 思わず(?)本当のことをバラすアリアと、それに対して激昂する冴倉。
 ……冴倉があんなに感情剥き出しにするのも珍しいな。ホント、何か今日はおかしいぞ?
「だから契約って何?」
 雅が話に置いてかれてる……まあ無理もないけど。何たって魔女に関する話だし。
「早瀬くん」
「何だよ?」
 いつの間に立ち直ったのか、再び中津川が声をかけてきた。
「契約って、何?」
「それ、さっき雅が使ったネタだぞ?」
「いや、ネタとかじゃなくて……」
「なら、詳しいことは言えない。この前アリアと約束してただろ? アレに触発するぞ」
「……そう」
 俺の言葉に心底悲しそうな表情を浮かべる中津川。何だか可哀相になってきたな……
 まあ教えないけど。
 だってなあ……あの二人とキスしたなんて言えないだろ。マジで。
「とりあえず、現状をまとめてみようと思うんだけど、いい?」
「なぜそんなことを俺に聞く?」
「……何となく?」
 いや、聞かれても……
「藤野さんは、誰がどう見たって早瀬くんのことが好き」
「そんなことないだろ」
 少なくとも嫌われてはいないのは確かだ。だけど、あの日のこともあるしな……
「そんなことあります。はい次。ちびっ子だけど、多分早瀬くんに好意を持ってる」
「何でまた?」
「理由なんて知らないわ。でも、あれは間違いなく恋する乙女の目よ」
 ホントかよ……
「まあ、わたしは恋をしたことないから確証はないけど」
「おいおい……」
「そして冴倉さんだけど……」
 ゴクリ――って、何で俺唾なんて呑み込んでんだ? 冴倉が俺のことどう思ってたって関係ないだろ。つーかむしろ今言ってるのはあくまでも中津川の考えに過ぎないわけで、冴倉の本心というわけじゃない。って、そんな風に考えてること自体がおかしいだろ。俺、やっぱり冴倉のこと意識してるのかな……
「多分、早瀬くんのことが気になってはいるんだと思う。でも、その気持ちが何なのか自分でも分かってない感じ」
「それは占いか何かなのか?」
「うぅん。わたしの勘みたいなものよ。でも、人間観察は得意だから」
 得意ってもな……
 まあ、何か信憑性なさそうだし、あんまり気にしない方がいいか。
「それで、早瀬くんの本命は?」
「だから、そういうんじゃないって」
 今の俺には、そんな返事しか出来なかった……


 昼休みに何だか分からない展開になった後、俺は放課後の廊下を一人で歩いていた。
 冴倉は来る最終試験に向けての準備で、今日は先に帰った。と言うか、夜に外で実験するからその時に手伝えとのこと。雅は職員室に呼ばれたとか何とかで、俺は暇を持て余してる状態だ。いや、先に帰ったっていいんだけさ……
 何だか最近は誰かしらと一緒にいることが多くて、それが当たり前の様になっている。そのせいか、何となく一人でいると空しく感じる。
「あ、武人」
 廊下を曲がった先に、見慣れた金髪ツインテールが――もとい。アリアがいた。
「何してんだよ、こんなところで」
「それはこっちのセリフよ」
「……お互い様だな」
「……そうね」
 と、何となく空しくなり溜息を吐く俺とアリア。
「もしかして、手空いてる?」
「もしかしなくても空いてる」
「なら――」
「却下だ」
「ちょっと! まだ何も言ってないじゃないっ」
「言わなくても分かる。どうせ魔法の実験を手伝えとか言うんだろ?」
 俺の存在は魔女にとっては都合が良い。いつの間にかそのことを冴倉から聞いたらしく、たまにこうして俺に協力を要請してくる。まったく、迷惑な話だ。
「分かってるなら話が早いわ」
「だから却下だ」
「何でよ? 手空いてるんでしょう?」
「空いてるけど却下。俺はあんまりお前らの実験に付き合いたくないんだよ」
 何が起こるか分からないからな……
「あたしはファージアスの次期当主にしてエルの称号を持ってるのよ? そう簡単に失敗なんかしないから大丈夫よ」
 俺の心配を察したのか、そんな風に言ってきた。でも、その言葉を鵜呑みには出来ない。
「この前大失敗してたのはどこのどいつだ?」
「うっ……あれはほら、禁忌と言われるくらいに難易度が高いものだったから……」
「って言うか、そもそもその称号を貰ってる奴ってのは一人前なんだろ? そんな実験とかする必要あるのか?」
 冴倉の場合は、試験の為に色々やってるみたいだしな。
「大アリよ! むしろまだ見習いの南月よりも、あたしの方が多く実験とかしてるんだから」
「そうなのか?」
「そうよ。あたしたちの責務と言っても過言じゃないわ。日々常々、あたしたちは新しい術や秘薬の開発に力を注いでいるの。あの時の化け物みたいに、今自分に出来る術では対処出来ないモノが深淵世界から出てきても困らない様にね」
「そういや、中津川に説明する時にも命を賭けないとどうとか言ってたな。深淵世界ってのは、そもそも何なんだよ?」
「深淵世界……あたしたちにも、その全てが分かっているわけじゃないわ。分かっているのは、そこにはありとあらゆる事象が情報として存在しているということ。そして、あたしたちが使う魔法も深淵世界が存在するからこそ成り立っているということ。そして……ごく稀に、深淵世界からこの現実世界に何かしらの情報が漏れることがあるということ。それくらいしか分かっていないわ」
 情報が漏れる? さっきあの時の化け物が出てきたらとか言ってのと関係あるのか?
「あたちたち魔女の役目は、漏洩した危険な情報を捕縛、あるいは抹消すること。その為に日々研究に打ち込んでるのよ」
 それって、様はあの時の化け物みたいなのが出てきた時に対処するのが役目ってことか? だとしたら――
「偉いんだな」
「え?」
 人間を……いや、そうじゃないか。この現実の世界を守る為に、魔女たちはその力を使っている。今のアリアを見ていても実感は湧かないけど……
「な、何よ急に?」
「いや、ただそう思っただけだ」
 わたわたとするアリアに、俺は少しだけ恥ずかしい気持ちを感じながらそう答えた。
「褒めても何も出ないからねっ」
 アリアを褒めたわけじゃないんだけどな……まあ、似た様なもんか。
「分かってるよ」
 それからくだらない話を少しして、俺はこれから一人で実験をするというアリアと別れて帰ることにした……


「たけちゃん!」
 校門を出ようとしたところで、後ろから聞き慣れた雅の声が俺を呼んだ。足を止めて振り返ると、パタパタと足音が聞こえてきそうな小走りをしながら雅が駆け寄ってきた。
「よぉ」
 軽く右手を上げ挨拶をする。が、ちょっとばかし校庭を走っただけで息を切らす雅には届いてないっぽい。
「はぁ……たけちゃん、今帰りなんだ?」
「そういう雅こそ」
「うん。先生にお手伝い頼まれちゃって」
 あー、そういや職員室に呼ばれてたっけ。
「先生に頼られるなんて、雅は生徒の鏡だなぁ」
「な、何言ってるのたけちゃんっ。私、全然そんなんじゃないよっ」
 何を慌ててますかこの子は。褒め言葉じゃないんだけどな……
「で、でもっ。たけちゃんは何かしてたの? もう帰ってると思ってたんだけど」
「ああ……ちょっとアリアと話してた」
「アリアちゃんと? そう、なんだ……」
 ん? 俺何かおかしなこと言ったか?
「それより、もう用事終わったんなら帰ろうぜ?」
「え? あ、うん。そうだね」
 何か様子が変だな……そういや昼も何か変だったけど。
「最近、一緒に帰ることが増えてきたよね?」
 並んで帰路を歩く中、ふと雅がそんな言葉を口にした。
「そうか?」
「うん。まるで、昔に戻ったみたい」
 昔に戻ったみたいで嬉しい。そんな風に聞こえた。何となく今の雰囲気がむず痒くて、慌てて話をはぐらかそうとする。
「そういやさ、先生に何頼まれたんだよ?」
「えっと、教材の整理とか」
 とかって何だよ……
「それって、重いものとかあったんじゃないか? そういうのを女子――それも雅に頼むなんてバカな先生だな。誰だよ?」
「えっとね、あんまり先生をバカとか言わない方がいいと思うな?」
 いや、自分がバカにされたことに怒ろうぜ? まあ事実だから何も言い返せないのかもしれないが。
「いいから誰なんだよ? 今度文句言ってやるから」
「え? それって、私のこと……うぅん。えっと、大丈夫だから。そんなに重いものなかったし」
 ? 何だ? 何か言いかけたみたいだけど……
「雅がそう言うんならいいけどな。もし無理なこと頼まれたらちゃんと断れよ?」
 人が良いからな、こいつは。
「うん。心配してくれてありがとう」
「別に心配なんか……」
 ――してなくもないか。
「あ……ここでお別れだね」
 いつの間にか別れ道までやってきていた。どことなく寂しそうな雅の言葉を聞くまで、俺はそのことに気がつきもしなかった……
「そうだな」
「それじゃあ、また来週ね」
「ああ」
 何となくお互いに気まずい思いをしながらも、俺たちはそれぞれ自分の家へと向かって別れた……


「で、何をするつもりなんだ?」
 夜の8時。場所は瑞ノ葉公園。俺は冴倉との約束通りこの場所に来ていた。目の前には当然冴倉もいる。
 実験に付き合う。そうは言っても、俺に出来ることなんて何一つない。強いて言えば、俺がいるだけで効率が良くなるというくらいだ。
「もうじき、あたしの師匠が来日するのは知ってる?」
「ああ。一応は」
 中津川と話してた時にそういう会話をしてたはずだ。
「実はね。それまでにどうしてもクリアしておかないといけない課題があるの」
 なら今までのは何だったんだ? と聞きたくなったが、あまりに真剣な表情の冴倉にそんなツッコミは入れられなかった。
「秘薬の類いは、師匠が来てからでも成功させれば問題ないのよ」
 心でも読まれたかの様な冴倉の言葉に、少しばかり驚いた。
「でも、これだけは師匠が来日する前に成功させないといけないの。言うなれば、最終試験をする為の条件みたいなものね」
「それをこれからやろうってのか?」
「そういうこと」
 なんか割りと簡単に言ってくれるな。それって、結構大変な内容なんじゃないのか?
「今から、深淵世界に干渉するわ」
「は!?」
 何だって? それって、禁じられてるんじゃないのか?
「長老会の承認は得てるわ。今日、日本時刻にして20時から21時の間。魔法を使って師匠と連絡を取ること。それが最終試験の条件なの」
「それと深淵世界との干渉と何の関係があるんだよ?」
「……あたしたちの使う魔法には、情報伝達をする為の術がないのよ」
「なら、どうやって……」
「だから、深淵世界への干渉を行うのよ。深淵世界は、時間や場所という概念を持たないわ。その性質を利用して、あたしと師匠が同時に深淵世界に干渉をすることで連絡を取るの」
「そんなこと、可能なのか?」
「可能よ。簡単なことじゃないわ。だけど、出来ないことじゃない」
 そう言う冴倉の表情は今も真剣そのものだ。つまり、今から行うことがそれだけ大変だということなんだろう。
「武人に来てもらったのは、失敗した時の保険よ」
「は?」
「今、この公園には結界が張ってあるわ」
「んで?」
「あたしが失敗して、深淵世界から危険なモノが出てくる可能性があるでしょう? その時に、もしかしたら武人の力を借りるかもしれないから」
 それはつまり、アリアの時の様な化け物が出てくるかもしれないってことか?
「これ、渡しておくわ」
 そう言いながら冴倉が差し出してきたのは、いつぞやのアメ玉。
「いきなりあたしがやられちゃう可能性もあるから」
「……そんなこと言うなよ」
 一応は魔素でできたアメ玉を受け取りながらも、俺はそんな言葉を口にしていた。特に意識して言った言葉じゃない。だけど、これは俺の本心で――
「絶対に、何かあっても冴倉のことは守る」
「武人……ありがとう」
 どこか照れくさそうにしながら、冴倉はそう言った。今更ながら、俺も恥ずかしくなってきた……
「それじゃあ、始めましょう」
「ああ」
 そんな言葉を交わし、儀式へと入る冴倉。俺はその姿を後ろから見つめることしか出来ずにいた……


 ――俺は有事に備えて気を張ったものの、結果から言えば冴倉の魔法は成功に終わった。
 じっと目を閉じたままだった冴倉がその目を開いたのは、多分10分くらい経ってからだろうか。もしかしたら、俺には初めて向けるんじゃないかと思うくらいとびきりの笑顔で、冴倉は口を開いた。
「ありがとう」
 成功したのは、俺のおかげだと。まるで、そんな風に言われた気がして……
 顔が熱い。多分、俺の顔は真っ赤なんだろう。変にドキドキしてる。
 そんな気持ちを誤魔化すかの様に、「良かったな」とだけ何とか答え、それ以上言葉を交わすことなく、俺たちはそれぞれの帰路へと着いた……


13 :夕咲 紅 :2007/12/12(水) 07:43:26 ID:PmQHsJxG

第十二話 魔女認定最終試験

 10月28日、日曜日。もう直ぐ日も沈む夕方。冴倉の話では、今日冴倉の師匠が来日しているはずだ。そして、冴倉が一人前の魔女として認めてもらう為の最後の試験が行われる。
「試験は、一人で受けないといけないから」
 冴倉のそんな言葉で、近くにいることすらも拒まれた。細かく教えてはくれなかったが、それだけ危険があるのかもしれない。なら余計に……とも思うけど、近くにもっと頼りになる人物がいるんだから俺がでしゃばるところではないんだろう。
 ……って、俺が気にする様なことか?
 いや、普通するよな。ここまで付き合ってきたんだ。そりゃあ、俺はただ魔素を集める為にいただけってことの方が多かった。でも……
 はぁ……
 俺、何考えてんだろ……
 ベッドに仰向けで寝転がり、見慣れた天井を見上げる。
 今日の冴倉の試験。受かったらこれから先どうする気なんだろうか? それに、落ちたとしても。
 俺はあいつの考えを何も知らない。いや、それだけじゃない。たかだか一ヶ月くらいの関係だ。俺は、冴倉のことを何も知らない。知っているのは、あいつが魔女見習いだっていうこと。そして、魔女になる試験の為に日本にいるということ。それだけだ……
 こうやって自分の部屋で過ごしていても、思い浮かぶのは冴倉のことばかりだ。
 ついこの前までは、こんなことなかったのに……
 それどころか、魔女だ魔法だなんて嫌で、関わり合いになりたくないって思ってて……
 ただ、平穏に過ごしていたい。
 そう、思ってたはずなのに……
「くそっ!」
 イライラする。理由は分からない。でも、胸がモヤモヤとしたモノに包まれてるみたいで、どうしようもなく悪態をつく。
 ……情けない。本気で、そう思う。
 何でもない、いつもと同じ休日。それなのにこんなにも落ち着かない。感情が不安定になる。
 冴倉・アレーリア・南月……あいつの存在が、こんなにも俺をおかしくさせる。
 最近は少し疎遠だった幼なじみがいて、学校には悪友もいて、普通の高校生活を送っていた。それが俺にとっての日常で、冴倉の試験が終わればそんな日常に戻るんだと思っていたのに……そんな日常を、望んでいたはずなのに……
 思考が似たようなものでループする。その中心には、冴倉の存在がある。
 俺は……
「あーあー、何難しそうな顔してんのかね? 青少年」
「え?」
 直ぐ近くから声が聞こえてきて、驚きのあまり素っ頓狂な声を出してしまった。
 声がしたのは窓の方だ。恐る恐る、そっちに視線を向ける……
 いつの間にか窓は開いていて、その縁に足をかけている女がいた。冴倉と同じ様な髪型。でもその色はアリアと良い勝負なキレイなブロンド。シックな黒いローブを着ている。それでもと言うべきか、だからこそと言うべきかは分からないが、雅と同等かそれ以上に豊満な胸だと良く分かる。頭には黒いトンガリ帽子。やけにピンと張った背筋が印象的というか、彼女が自分に多大な自信を持っていることが伺える。
 名前も知らない。当然会ったこともない。だけど、俺にはこの人が誰なのか理解できた。
「はじめまして。私の名前はイリス。イリス・エル・ナートカス。南月の師匠ってことになってる者よ」
 ああ、やっぱり……その砕けた話し方が随分イメージとは違ったけど……
 彼女が放つ圧倒的なまでの存在感が、それを察せさせた。
「は、はじめまして」
 何とかそう返すだけで精一杯だった。
 プレッシャーを感じている。冴倉の師匠――イリスさんは微笑んでいる。口調とはあまり合っていないが、優しい笑顔だ。それにとびきり美人。冴倉が大人になったら、こんな感じになるんじゃないだろうか。なんつーの、大人の魅力ってやつ? いや、そうじゃなく。いやいや、それもある意味プレッシャーあるんだけど。それ以上に、そして笑顔と口調のギャップ以上に、単純に彼女の放つ存在感がプレッシャーを与えてくる。
「さて、いきなりで悪いんだけど……」
「はい? 何でしょう?」
 思わず敬語になる。
「南月がピンチなんだけど、助ける気ある?」
「な!?」
 いきなり何を言い出すんですかこの人は!
「って、冴倉がピンチ!? どういうことですか!?」
「あらあら。思ってたより良い食いつきね」
「それはいいですから、詳しく教えて下さい! いや、それよりもそれなら何であなたはここにいるんですかっ?」
「それはほら、今は試験中だからね。私は手出し出来ないわけよ」
「俺なら出来るって言うんですか?」
 冴倉は、試験は一人で受けないといけないって言っていたはずだ。
「出来るわよ?」
「え?」
 またもや素っ頓狂な声をあげてしまった。いや、お恥ずかしい。って、俺意外と余裕あるな……
「いやー、君のこと聞いておいて良かったわ。このままじゃ、あの子失格確定だから」
「なっ――」
「でも、君がいるなら何とかなると思う」
「……どういうことですか?」
「魔女の試験――って言うか内容自体は私が考えたやつだけど、まあ南月に課した試験ね。要はあの子が魔女としてある契約を交わさないといけないってものなんだけど、あの子の力に基づくものなら手を出しても問題ないのよ。つまり――」
「冴倉の下僕である俺なら、冴倉を助けられるってことですか?」
「その通り。飲み込み早くて助かるわ。私もこれでもあの子のことを心配してるからね。出来れば、合格して欲しいじゃない?」
 いや、じゃないとか言われても……って言うか、判断するのはあなたではないんでしょうか?
「で、助けに行く気はあるわけ?」
「当然!」
「なら、ちゃんと説明しておかないとダメか……」
 この人、何で面倒そうなんだろう……
「あんまり時間ないから手っ取り早く言うけど……試験の内容は、私と同じ土台に立つこと。それだけ」
「いや、全然手っ取り早くないですけど……?」
 全然理解出来ん。
「そっか。じゃあもう少し詳しく言うと、試験の内容は深淵世界に簡易干渉する術を得ること。あ、深淵世界は分かるよね?」
「一応……って! それってかなり危険なんじゃないんですか!?」
 簡易干渉っていうのがどれ程のことなのかは分からないが、深淵世界への干渉が危険なものだっていうのは重々理解しているつもりだ。
「もちろんそれなりに危険よ。今それが出来るのは、うちの里じゃ私だけね。だけど、それが出来ないなら私に弟子入りした意味がないのよ。いいえ。あの子にはそれが出来る。だからこそ私はあの子を弟子にしたんだから」
 だけど、それが今とは限らない。現状を考えれば、そういうことなんだろう。そして今℃ク敗を犯すということは、冴倉が命を落とすということにも繋がる可能性がある。
「瑞ノ葉公園っていったっけ? 今、あの場所には結界が張ってあるの。あの子と同じ魔力の波長を持つ者しか入れない。そういう結界が」
「分かりました。瑞ノ葉公園ですね!」
 これ以上は何の説明も要らない。今俺に出来ること。それは、冴倉を助けることだ。
 だったらやらなきゃいけないだろ。俺にしか出来ないことがあるんだったらさ!
「行ってらっしゃーい」
 そんなイリスさんの軽い言葉を背中に受けながら、俺は慌てて部屋を出て瑞ノ葉公園へと向かった……


 瑞ノ葉公園へと辿り着いた俺を待っていたのは、それこそ信じられない様な光景だった。
 地面と、冴倉以外の全てのものが燃えている。赤い、風景……空気さえも燃えいるかの様に、俺の視界に映る全てのものが赤く見える。
「何だよ、コレ……」
「た、武人……?」
「冴倉!」
 普段からは想像出来ない様な弱々しい冴倉の声が聞こえて、俺は近くにうずくまっている冴倉の元に駆け寄った。
「おか、しいな……何で、武人が、こんなところにいるんだろう……」
 そうか。冴倉は下僕ならここに来れるっていうことを知らないんだな。
「ああ……幻かぁ……どうやら、もうダメみたいね……」
「何言ってるんだよ!? まだ終わっちゃいないだろ!」
「なん、で……幻の、武人は……こんなに、優しいんだろう……?」
 切れ切れに、そんな言葉を呟く冴倉。
 目立つ外傷はない。だけど、間違いなく冴倉は傷ついている。
「そう言えば、この前の夜も優しかったか……あたし、迷惑しかかけて、ないのにね」
 そう言って、自嘲気味に苦笑する冴倉。
「そんなことない! 迷惑とか、最初の頃は思ってたけど……でも今は、冴倉の力になりたい。力になれることが嬉しいんだ!」
「たけ、ひと……?」
「少し待っててくれ。アレ、何とかすればいいんだろ?」
 最初は気づかなかった。でも、冴倉と話してる内にナニと戦っていたのかが理解出来た。
 それは、炎。深紅に燃え上がる炎が、中空で揺らめいている。アレに意志があるのかどうかは分からないが、少なくとも今敵対しているのがアレだということは分かった。
 いつぞやの様に冴倉から貰ったアメ玉を取り出し、封を開け口に放る。ボリボリとアメを噛み砕くと、冴倉がアメに練り込んだ魔素が俺の体内に流れ込む。
 擬似的な下僕化。直接冴倉から魔素を貰う時とどれ程の差があるのかは分からないが、少なくとも今までに得た能力は発現出来た。なら……
「あいつを倒すことだって出来るかもしれない……いや、倒す!」
 全身に魔素が巡り、簡単な身体強化がなされ、また周囲の時の流れから逸脱する。深紅の炎が魔素によって形成されているのは想像出来たし、実際にそうなのだと下僕化したことで確認出来た。だからこそ、俺は勝利を確信した。アレを回帰させれば、それで終わり。それは確実に直ぐに訪れる未来なのだと、そう思ったのに……
「なっ!?」
 気がつけば、俺の右腕が燃えていた。今の今まで痛みも熱さも感じていなかったのに、激しく燃え上がる炎を見た瞬間に思い出したかの様に熱さを感じた。いや、それすらも一瞬のことだった。熱いと思った次の瞬間には燃え上がっていた炎は消え、俺の右腕は一切力を入れることが出来ずダラリと垂れ下がった。外傷はない。にも関わらず、まるで神経がなくなったかの様に痛みも何も感じない。
「武人……」
 少しは回復したらしく、よろよろとした足つきで俺に近寄ってくる冴倉。
「大丈夫か?」
「それはこっちのセリフよ……大丈夫?」
「まあ、一応はな。動かないけど、痛みはないし。冴倉は?」
「おかげさまで。元々外傷があるわけじゃないから、少しでも休めたおかげで動ける様になったわ」
 口調もしっかりしてるみたいだしな。これなら安心かもしれない。
「って言うか、こんなまったり会話してて平気なのか……?」
 恐る恐る、中空に揺らめく炎に視線を向ける。何かしてくる気配はない。どういうことだ?
「大丈夫よ。こっちから手を出さなければ――いいえ、敵意を持たなければ何もしてこないわ」
 そうなんだ。まあ、ならこうしてる間は安心か?
「でも、どうやって――うぅん。どうしてここに?」
「いや、突然冴倉の師匠――イリスさんだっけ? あの人がうちに来てさ、冴倉がピンチって教えてくれたんだよ」
「そういうことじゃなくて……」
「助ける気はあるかって、そう聞かれたんだ。さっきも言ったけど、俺は冴倉の力になりたいんだ。冴倉の下僕である俺なら、この試験にも力を貸せるって聞いてさ、居ても立ってもいられなくなった」
「そ、そう」
 そんな風に答える冴倉の表情はどこか嬉しそうで、それを見て俺も心なしか嬉しくなる。
 でも今は、冴倉の試験のことを考えないとな。
「で、アレは一体何なんだ?」
「何って聞かれても……見たままのモノよ」
 炎ってことか?
「アレは何かを燃やすという現象そのものよ。その性質上見た目は炎になってるけど、元々は形あるものではないわ」
 見たままでもなくないか? まあいいや。
「で、何でまたそんなもんと戦ってるんだよ?」
「アレと契約を交わす為よ」
 契約……そういや、イリスさんがそんなこと言ってた気もする。
「深淵世界への簡易干渉――自分の力の性質に最も近いモノ限定で、深淵世界に干渉する術。それを得ることが試験の内容なの。魔素に熱を持たせる力に長けたあたしの性質上、呼び出せたのがアレっていうわけ」
「契約を交わすとどうなるんだ?」
「あたし自身がどうなるというものではないわ。ただ、契約を交わしたモノのみだったら、簡単に深淵世界に干渉することが出来る様になるの」
 つまりは、アレを自在に操れる様になるってことだろうか?
「契約を交わす為には、あたしの力が上回っていると認めさせるしかない。アレそのものに意識があるわけじゃないから、単純に力量の勝負になるわけだけど……」
「なるほどね」
 理屈は分からない。だけど、やるべきことは分かった。
「それじゃあ、俺たちの第二ラウンドといきますか?」
「作戦会議とかはなし?」
「そんなもんあっても役に立たないだろ?」
「……それもそうね」
 俺の言葉に頷く冴倉の表情はどこか清々しく、それでいて柔らかな笑みを浮かべていた。
「武人」
「ん?」
 名前を呼ばれ、冴倉の方に振り返った瞬間――
 俺の唇に、冴倉の唇が触れていた。
 一瞬、頭の中が真っ白になった。だけど、今までみたいに慌てたりしないし、逃げもしない。
 嬉しい。そんな風に感じている俺がいる。出来ることなら、ずっとこうしていたいとさえ思う。
 俺の唇をノックする、冴倉の舌。俺はそれに応える。それは下僕としての本能なんかじゃなくて、俺自身の気持ち……
 そんな気分とは関係なしに、魔素が――力が流れ込んでくる。無くなっていた腕の感覚も戻ってきた。
 そっと、間近にあった冴倉の顔が――身体が離れた。
「行くわよ、武人」
「おぅ!」
 俺たちは同時に揺らめく炎に視線を向け、頷き合った。
 もう、負ける気はしなかった……


14 :夕咲 紅 :2007/12/18(火) 17:38:22 ID:PmQHsJxD

最終話 二人が出した答え

「おめでとう」
 瑞ノ葉公園を出た俺と冴倉――いや、冴倉を出迎えたのは、イリスさんのそんな言葉だった。
 イリスさんの表情は明るい。そしてそのセリフ……いや、そんなことを確認するまでもなく、結果は俺たちがよく分かっていた。
「ありがとうございます、師匠」
「これで南月も一人前の魔女ね。もし望むなら、一度は断らせたエルの称号を申請してもいいけど?」
 笑顔と真顔が混ざった様な何とも言えない表情で、イリスさんはそんなことを言った。
 どうでもいいけど、冴倉ってミドルネームあるよな……エルって名前、どこに入れるんだろう?
「それは、遠慮しておきます。もしまたその名を頂けるなら、それはあたしが……あたし自身の力で、長老会から頂きます」
「そう?」
 そう答えるイリスさんの表情は、少しだけ柔らかいものに変わっていた。師匠という立場ではなく、まるで冴倉のことを自分の娘でも見るかの様に優しさに溢れた目をしている。
「南月なら、直ぐにあんなババアども納得させられるよ」
「そうですか?」
 ハッハッと豪快に笑うイリスさんに、何と答えていいのやらといった感じに聞き返す冴倉。
「まあ、長老会への報告は私からしておくから、南月はこの街を拠点に頑張りなさい」
「え?」
「え? じゃないでしょう。せっかく男が出来たんだから、ちゃんと捕まえておかないとね」
「「なっ!?」」
 俺と冴倉の声が綺麗にハモッた。それはもう、ぴったりと。
「なななっ、ナニを言ってるんですかっ? あたしと武人はそんなんじゃ……」
「そうですよイリスさん! 俺はただたまたま冴倉の事情に巻き込まれただけで……」
「巻き込まれただけで、あつ〜いキッスをした上に命をかけてまで力を貸したと?」
 それは俺に対する言葉だ。そうだ……最初はただ嫌がっていただけなのに、今は違う。その事実は理解出来るし、自覚もしている。だから、イリスさんの言葉に何も言い返すことが出来なかった。
「契約魔術ってね、未だに分かっていないことが多いの」
 何も言えない俺と冴倉に、イリスさんは急にそんな言葉を発し、俺たちが何も言わないのを確認して言葉を続ける。
「主従間の相性、力量差。契約期間を決めるのはこの二つだと言われてるけど、つい最近私はもう一つの答えに辿り着いたわ。それは、主従間の意思や意識そのものが関与しているということ。お互いが望むなら契約はいつまでも続くし、お互いが――もしくは片方が契約を望んでいないのなら、その終わりは早くなる。つまり、下僕と言う程の強制力は本当はないのかもしれない。そんな答え……もっとも、力を与えている最中は強制力が働くみたいだけどね」
 えっと、それはもしかして……
「少なくとも、二人とも今の関係を維持することには納得してるってこと」
 もしくは、それ以上を望んでると……?
 いや、でも……
「まあ、今すぐにその答えを出せとは言わない。ただ、あの南月が男のことを気にかけるなんて思ってもいなかったからね。師匠としては是非頑張ってもらいたいと思ってるっていうのも本音」
 なんて言いながら大笑いするイリスさん。どこまで本気なのか分かり難い……いや、全部本気か?
「まあ私もしばらくこの街にいるから。何か困ったことがあったら頼ってくれて構わないよ」
「はい。ありがとうございます」
 それから少しだけ言葉を交わし、俺たちは去って行くイリスさんを見送った。
 どうやら街一つ分くらいの範囲なら、魔女同士居場所を探ることが出来るらしい。ということも聞き、どうやって連絡取るんだろう? という素朴な疑問が解決したりもした。
「武人」
 イリスさんを見送った後、少しの間を置いて冴倉が呟く様に俺の名前を呼んだ。
「ん?」
「ありがとう」
「何だよ、急に」
「急じゃないわ。初めて会った時から、あたしは武人にずっと感謝してきたんだから」
 そうだったのか? あんまりそんな気はしなかったけど……
「周りにあたしのこと黙っててくれたし、アリアが来た時も協力してくれた。中津川さんにバレそうになった時もそう。それに……今日のことも」
 俯き気味に頬を赤らめながらそんなことを言う冴倉。
 そんな表情されたら、勘違いしそうになる……
「努力はする。って、最初に言ったしな。約束は守るし、自分自身で決めたことも守る」
 それは、俺が自身に誓った決意。冴倉の力になる。冴倉のことを守ると――
「だから、ありがとう」
 柔らかな笑顔を浮かべ、冴倉はもう一度礼の言葉を紡いだ。それを素直に受け止めるのは気恥ずかしかったけど、ないがしろにするのも引ける。
「ああ」
 気にするな。いつもならそう言ってたかもしれない。だけど今は……
 ただ、冴倉の言葉を心の中で噛み締めた。
「それとね」
 そこで会話が途切れる。何となくそんな風に思っていたけど、冴倉は尚も言葉を続けた。
「あたし、武人のこと嫌いじゃないから」
「え?」
 それって、どういう意味だ?
 その真意を確かめようと思ったが、それを聞こうとした時にはもう冴倉は駆け出し、この場から去ろうとしていた。
「待っ――」
 待ってくれ。そう言おうとした。だけど、それを口にすることは出来なかった。
「じゃあ、また明日ねっ」
 去り際に一度振り返り、笑顔を向けてくれる。正直、その笑顔に心を奪われた。それ以上何も言えないくらいに。
「冴倉……」
 多分もう結界はないんだろう。それでも、俺以外には公園周辺には誰もいない。イリスさんも、そして冴倉も。
 ただ一人、俺は公園の入り口でしばらく立ち尽くしていた……


 自分の中で色々な感情が渦巻いていた。
 悶々とした夜を過ごし、朝を迎え――
 今日もまた、いつもと同じ一日が始まった。
 俺の中で一つの答えが出そうで出ない。それでも、いつも通りに学校に向かう。
「あ」
 瑞ノ葉公園に差し掛かった辺りで、冴倉の姿を見つけた。俺の出した声で気がついたのか、冴倉もこっちに視線を向けた。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
 自然な笑みで挨拶をしてきた冴倉。俺は必死に平然を装い、何とか挨拶を返した。
 何だよ、冴倉にとって昨日のことは大したことじゃなかったのか? そう思えるくらい、冴倉の態度はいつもと同じものだった。
 ……いや、そんなことない。今までなら、あんな笑顔を俺に向けてはくれなかった。
「あ、あのさ冴倉」
「な、何?」
 お互いに少しだけ上擦った声。やっぱり、冴倉も意識してくれてるんだろうか。
「俺、色々考えたんだけど」
 一晩かけて、自分の気持ちを整理しようとした。一晩じゃ足りなかったけど、今何かを言葉にしておかないと、何も変わらないんじゃないか。そんな風に思えて、俺は必死に言葉を紡ぐ。
「俺さ……」
 何て言えばいいのか分からない。だけど、それでも言わなくちゃいけない。
「俺、冴倉のこと――」
「たけちゃーん!」
 俺の言葉を遮る様に、そんな声が響き渡った。それは聞き慣れた声。
「おはよう、たけちゃん。それに冴倉さんも」
 少し遠くから駆け寄ってきた雅の姿が、今は軽く恨めしい。
「おはよう、藤野さん」
「おはよう」
 雅に返事を返す冴倉に続き、俺も挨拶を返した。
「たけちゃん」
「何だよ?」
 少しキツイ言い方になったと思う。雅が少し怯んだことからそう思った。いつもならそれで萎縮してしまう雅だったが、今日は違った。
「待ち合わせしてたわけじゃないよね?」
「あ? ああ」
 冴倉と。ということだったら待ち合わせはしていない。まさか学園に着く前に会うとは俺も思っていなかった。嬉しい誤算と言うべきか……
「ならいいんだ」
 嬉しそうに笑顔を受かべる雅。
「あら武人、奇遇ね」
 雅とは逆に複雑な気持ちで表情を歪ませる俺の背後から、そんな声が聞こえてきた。
 最近聞き慣れたこの声は――
「アリアか」
「ええ。おはよう」
「おはよう」
 振り返って声の主を一応は確認してから言葉を交わす。
「ちょっとアリア。あたしたちは無視?」
「あ、いたの?」
 挑発的な奴だな……
「アリアちゃん、おはよう」
「おはよう」
 笑顔で挨拶をする雅に、アリアもきちんと返事をした。雅には多少なりの負い目があるんだろう。少しだけ気まずそうな表情を浮かべている。
「アリア、おはよう」
「はいはい、おはよう」
 アリアの挑発には乗らずに挨拶をする冴倉に、興味なさそうに挨拶を返すアリア。
 ちょっと前まではアリアから突っかかってたのになぁ。何か心境の変化でもあったのか?
「みんなお揃いなのね」
 わいわいと騒ぎながら歩いている内に、気がつけば校門まで辿り着いていた。揃って学園内に入ろうとしていたその背後から、そんな声が聞こえてきた。
 今日はよく背後から声をかけられる日だな……
「おはよう、中津川」
「おはよう。みんなも」
 中津川の返事に、皆もそれぞれ挨拶を返す。
 雑談を交わしながら皆で下駄箱まで向かう。最初に着いたのはアリア。早々に靴を履き替え、「お先に」なんて言いながら教室へと向かう。
「あ、待ってよアリアちゃん」
 なんて言いながら、その後に続く雅。
「……先行くね」
 俺と冴倉に視線を向けてから、一瞬何かを考えた様な仕草をして中津川がそう言った。俺たちが返事をする間もなく、靴を履き替えて行ってしまったけど。
 気を遣ったのかな……
 まあどっちにしろ、せっかくチャンスがきたんだから言っておかないとな。
 決意を固め、俺は冴倉に向き直る。
「冴倉――俺、冴倉のこと嫌いじゃないから」
 俺がここに来るまでに必死で導き出した答えは、昨日の冴倉の言葉を借りることだった。
 俺も、同じ気持ちだと。ただ、そう伝えるだけ……
 それだけで今の俺には精一杯だったし、今はそれでいいと思えた。
「あたしも、武人のこと嫌いじゃない」
 昨日と同じ言葉。そして眩しいばかりの笑顔で、そう返された。 
 出会った時よりも間違いなく近く、それでも恋人と呼ぶにはまだ遠い。
 友達以上恋人未満。そんな曖昧な距離感のまま、俺たちの日々は続いてゆく――


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.