ホワイトキャットデイズ


1 :akiyuki :2013/01/26(土) 22:39:50 ID:P7PitFPL

 
 今から七年くらい前、いろんな人達からもらったアイデアを、形にするという企画。

 作りかけで終わったこの物語を、完結させたくなりました。


 噂を書き込む方はこちらに
  http://gaia.colun.net/nLounge/200603/06030004.html


2 :akiyuki :2013/01/26(土) 22:40:35 ID:P7PitFPLL7

前置き

 突然だけれど、僕は噂というものがあまり好きではない。
 面白半分に脚色された話題、信憑性の無い情報、人を貶めるために流布される誹謗中傷。
 そういうものは聞いていてあまりいい気分にはなれない。
 けれど、つい耳を傾けてしまう。聞いてしまいたくなる。脚色されているのは知っている。信憑性の無いのも解っている。そこに何の正当性がないのもわかっていても、興味というものは湧いてくる。
 なんだか自分が恥ずかしくなる。なんだかんだ言っても僕も凡人で、俗物で、普通などこにでも少年だ。噂を聞くと、ついつい知りたくなってしまう。
 そんなものは、大体嘘っぱちで面白おかしく言葉が並べ立てられているだけだというのに。
 しかし、世の中には臆面もなく憶測を大声で喋る人もいる。僕の親友のように。


 そんなことを考えながら一人朝食を取っていると、誰かが大きな音を立てて玄関の戸を叩いた。ドアの向こうから戸をぐーで叩きながら彼女は叫んでいる。
「おっはー、歯車君おっはー」
 両手で食べていたパンを皿に置いて玄関に近付き戸を開けた。戸の向こう側には、セーラー服(学生が着るようなのじゃなくて、本当に船乗りが着ているような水色のラインの入った奴である)を着た眉の太い少女が、肩に白い猫を乗せて立っていた。
「歯車君おっはー。みんなのアイドル、シロネコだよ」
 シロネコを名乗る彼女はにっこりと笑ってポーズを決めた。随分とやっちゃった感のある娘だよな、こいつも。僕はそれよりも気になることを注意した。
「おはようございますは構わないのだが、僕はその名前で呼ばれるのが嫌いなの知っているだろう?」
 僕の名前は歯車。何をトチ狂ったのかすでにこの世にいない両親は僕にこの家とそれなりに暮らしていけるだけの財産と、そしてこの変な名前を残してくれた。
「えー、だって加領郷君じゃ言いにくいよ」
 加領郷歯車(かりょうごう はぐるま)。それが僕の名前だ。苗字も名前もあまり好きじゃない。だから、僕は昔から人にはあだ名をつけてもらっている。
「いつも通りかーくんと呼べばいいじゃないか」
 みょうじの「かりょうごう」から取って、この幼馴染は僕をかーくんと呼んでいる。他にも『下僕』だの『ユゲ』だの『ドーベル』だの『探偵君』だの色々呼ばれているけれど、詳しくは割愛。
 彼女は少し悩んだ顔をする。そして言うことは
「うーん。でもそんな女の子にそんな呼び方を推奨するだなんて、ちょっとかーくんもやっちゃった感があるよね」
「人にシロネコと呼ばせるのもどうかな」
 彼女は眼をぱちくりとさせた。

 彼女の名は白川実子(しらかわ さねこ)
 この港町うみねこ町で共に十四年過ごしてきた友達だ。
 少し常識の通じないところもあるが、許容範囲の広い、誰とでも友達になれるいい奴である。毎朝戸をぐーで叩いたりしなければもっと仲良くなれるのだけれど。それと、もう一つあの癖を直してくれれば
「で、今日は朝から何だ」
「で、今日は朝から何だ、じゃないよかーくん! あの『噂』聞いてなかったの?!」

 いきなりだけれど、僕は噂があまり好きではない。
 理由はと訊かれると、例えばこの親友白川実子は噂が大好きで何かあるたびに僕を引っ張り出して遊びに行こうとすることとか、彼女が持ってくる噂は何故か知らないけれど本当だったりすることだ。(それが現実的であろうとも非現実的であろうとも)

 僕は噂というものを信じていなかった。
 大体嘘が多いと思っていた。
 実際嘘が多かった。

 けれど、ある日を境にこの町では噂が的中することが多くなった。いつからだろう。
 それは多分、あの日から。
 彼女にバレンタインのお返しをした三月十四日から。
 噂が大体正しいことが証明されていく。

「ねえ、かーくん。テレビ局が取材に来るんだって」
「何の取材だよ」
「んー、わかんない。噂だと昨日横溝のおじいちゃんが川で釣った四メートルの本マグロのことだって聞いたけど」
「うわ、嘘くさい」
 けれど、本当のことなのだろう。
「でね、そのマグロがなんか自然なんとか法って法律に引っかかるみたいで、警察も来てるんだってー」
 何の法律だ。っていうか、川でマグロは釣れない。普通釣れない。
「だからさ、かーくん見に行こうよ」
 何故「だから」の後にその言葉が続くのだろう。
「白川、残念だけれど僕は今朝ごはんの最中で、これから歯を磨いて服を着替えて食器を洗ってとすごく忙しいのだけれど」
「待ってるからさー、早くおいでよ」
 そういうや、彼女は駆け出した。
 海の見える町。レンガ敷きの道路を駆け出す彼女を見送りながら、僕は呟く。
「ごめんな、白川。実はそれもう知ってるんだ。っていうかそのマグロ昨日見たんだよ」
 しかしそれを言うのも可哀想なので知らないフリをしておいた。
 やはり見に行ったほうがいいのだろうか。



 突然だが、僕は噂があまり好きではない。

 何故かこの町では、噂が現実のものになるのだ。




 その噂の中心にいつもいる少女白川実子
 下り道を駆けて行く彼女を見送りながら、僕は一日の始まりを感じた。


3 :akiyuki :2013/01/26(土) 22:41:29 ID:P7PitFPLL7

うみねこ町の噂

僕は夜更かしが好きじゃない。

 朝は日が昇る前に起きてする仕事があり、夜はほとんどすることがない。たまに本をゆっくりと読むこともするけれど、日付を変わるほど長く起きていることはない。
 太陽が沈み、月が顔を出して、そしてどこかで何かの遠吠えが聞こえるような時間には、僕は布団の中に入っている。
 僕自身、寝ないで居るのが辛いということもあるけれど、まず夜更かしをしても、うみねこ町ではすることがない。
 この町で盛んなのは漁と交易。
 ここは港町だから、船乗りが休む。
 酒場や宿は多いが、町の人間が何かするような場所というものはない。
 もう少し子供だった頃は夜の森に遊びに行ったり司祭様に連れて行かれた星を見に行ったり、あいつが泊まりにきたりした。色々と怖い噂があった港のコンテナ置き場や夜の波止場。そんなところばかりうろついたものだ。確か猫男を捜しに行こうとかいう話だった。(あの時はあいつが黙って家を抜け出してきたものだから大騒ぎになった)
 色々思い出はあるけれど、今はただ同じ色彩のない夜を繰り返す。
 それがいい。少なくとも僕はそう思う。

「歯車君! おっはー!!」

 それでも、彼女はそう思ってくれていないらしい。
「白川。今の時間帯はこんばんはだろう?!」
 深夜十一時である。ドアが大きく開けられて、玄関には一人の少女が立っている。
「こんばんみ」
 手をふりふりする。僕はそれを無視した。
「ついでに言うと、僕は名前で呼ばれるのが嫌いなの知っていてやってるな?」
 彼女は少し唸ってから
「私は歯車君ってすごく言いやすいのだけれどな。じゃあいいや。かーくん、こんばんみ」
「……こんばんみ」
 親友の白川実子である。寒がりで夜はいつも厚着しているが今夜は何故か南極探検隊にでも出てきそうな重武装である。
「なんでそんなに厚着しているんだ?」
「だって、今日はすごく寒いもん。それに外にずっといるんだから風邪引いちゃうし」
「寒いのに、どうして僕の家に来たんだ?」
「かーくん、呼んでも私の家に来てくれないから」
「そうじゃなくて、何の用。で、ドア開けっ放しは寒いから中に入れ。紅茶でいいか?」
「私、ブラックがいい」
「僕はコーヒー飲めないから置いてないぞ」
「えー、この前あげたじゃん。お客様用のコーヒー豆」
「二年前の話だろ。そして二年かけてお前がすべて飲み干しただろ」
 我が家に遊びに来るのは、白川くらいだ。
 白川は言われた通りに中に入ると防寒着を脱がずに椅子に座ると何やらにやにやしている。
 なんだか嫌な予感がする。とりあえず距離を取ろうと台所に足を伸ばすが呼び止められる。
「かーくん、飲み物はいいよ。すぐに出るから」
 嫌な予感だ。
 久しぶりに少し遅くまで起きていたのがあだとなった。こいつ。絶対僕を外に連れ出す気だ。昔のように。
「かーくん、猫男の噂知ってる?」
「知らない、眠い、お休みなさい、また明日、帰れ」
 白川はすごく大げさに喚く
「ひどい、友達の心を傷つける言葉五点セットだ」
「そういうお前は友達の睡眠時間をおびやかしているだろ」
 俺は棚をあさってクッキーをだした。飲み物はいらなくても、こういうものは食べたがる。
「わあ、ありがとう」
 そしてそこで手袋を外してクッキーをわしづかみにした。一気に頬張る。お前は猿か
「喰ったか? 喰ったら早く帰れよ。白川には両親がまだいるんだから心配かけるなよ」
「うん。じゃあ、猫男の話だけどね」
 どうやらごまかせなかったようだ。

「ほら、この前猫男を見に行ったでしょ? 覚えてる?」
「そりゃ覚えているよ。お前が夜中抜け出したのばれて町中の人が大騒ぎしたんだから」


 この町の噂の一つだ。
 この町には猫男というものがいるらしい。夜の波止場に現れるという、赤に身を包んだ怪人。見た目は普通の男なのに、耳だけが猫らしい。
 どういう風に『耳が猫』なのかはわからない。猫耳カチャーシャでもつけているのか、猫みたいに尖った耳をしているのか、わからない。誰も姿を見ていない筈なのに、噂だけが広まって、僕達の世代で知らないものはいない。そして、猫男は子供が大好きで夜中外にいる子供を見つけては近寄ってくるらしい。しかも、その姿を見た物には呪いがかかってしまうという。だから、夜子供は外に出てはいけない。
 見たことがあるという子供もいるらしいが、その子供が誰なのかは霧の向こう。そのこが一体どんな風に呪われたのかも、知らない。

 ただ、いるという噂だけがある。

 とてもスタンダードな怪人である。




「ほら、かーくんが私のことをさーちゃんと呼んでいた頃だよ」
「五年は前だな」
 確か、あの頃からこいつは探険とかが好きで俺を引っ張りまわしていた。
「で、なんで今更そんなもの見たがる」
「だって、私あの時は見れなかったもん、猫男」
「猫男なんているわけねーだろ。あれは大人が夜子供を寝かしつける為に言っている、いわゆる脅しなわけだから」
「でも、かーくんは見たんでしょ? 五年前だっけ? そんな噂流れたよ」
 知っている。けれど、それはただ僕の両親が僕が猫男を見に行ったのと同じ時期に死んだからだ。白川だって、知っているはずなのに。
「なんで今頃なんだよ」
「なんかね、噂が流れてんの。今日の夕方にね、誰かが、猫みたいな耳をした男の人を見たんだって」
「何だ? その猫みたいな耳って、それに誰かがって、実際誰のことだよ」
「そんなの私が知るわけないじゃん」
 それでどうして威張るのだろう、この人は。
「それで、噂を確かめに行こうと思うのだけれど、かーくんどう?」
「ぐーさんと行けよ」
 白川のペットの白猫(本人曰く飼ってはいないらしい)のぐーさんが今日はいない。まあ、ぐーさんだって眠いのだろう。僕も眠い。
「駄目だよ、かーくんじゃないと駄目なの」 
 そう言って、手を握る。
 冷たい手だった。僕は少し悩んでから、
「わかったよ、上着取ってくるから待ってろ」
 なんでこう、断れないのだろう。






 僕は夜更かしはできない。
 今が朝の早い仕事をしているという理由もあるし、寝ないでいるのが辛いのもあるけれど、やっぱり、夜は怖い。十四歳にもなってと言われるけれど、僕はこの色彩のない黒い世界が、駄目だ。
 綺麗な夜なのだろうけれど、怖い。
 
 二時間後、僕と白川は夜の波止場で並んで座っていた。

「くがー」
 座って三十分もしない内に白川は僕に寄りかかって寝てしまった。
「お前、誘っておいて先に寝るってどういうこと?」
 こういうことになるだろうと思って準備しておいた毛布を彼女にかけて、僕は月を探した。
 暗い。どうやら雲に隠れているらしい。視線を戻す。
 波と言えないほどの小さな海水の揺れが防波堤にあたる音がする。
 冷たい風が足元を通り抜けて、身震いした。
「やれやれ」
 溜息をつく。白い。僕の体の中の熱が、白いもやになっていく。
 そんなイメージ。
 そしてそのイメージが僕に思わせる。生きているんだなあ。

 そういえば、あの時も同じことを考えた。

 夜が怖くて、自分は生きていることを再認して、そしてあの時も無理矢理連れ出されてなんで断らなかったのだろうと思って、

 そして、それでも彼女が隣にいるから、怖くなくなったのだ。

 あの時は、さーちゃんと呼んでいた。
 噂の猫男を見に行くことになって、僕らは夜更かしをした。

 あの時は、さーちゃんと呼べた。 
 でも、今はそう呼べない。

 
 夜の中にも、明かりは見える。
 向こうの方の、灯台の光。町の方の、華やかな光。見上げる位置にある、電燈の光。
 
 電燈の上に、マントをたなびかせて怪人、一人。

 猫男。


 見た者に、呪いをかける噂の男。


 五年前、僕は猫男に呪いをかけられた。
 さーちゃんを、さーちゃんと呼べなくなる呪い。

「うん……」
 肩にもたれかかった白川実子が唸った。
「起きるなよ……」
 

 もう一度、見上げた。

 
 もう、何もいない。


 月は出ていないけれど、何故か安心した。
 
 白川の顔を覗く。本当に、呑気に寝ていた。
 こいつの聞いた噂は、こうなのだろう。
 
 夜の港で、子供にだけ見ることができるという猫男。猫男の姿を見たものは大事な物を盗られてしまう。それを取り返すには、もう一度猫男に出会う必要がある。けれど、一度大事な物を盗られた子供の前には現れない。
 誰か、違う子供が大事な物を盗られている間に取り返すしかない。


 やはり、白川は気付いていたのだろうか。僕が彼女のことをさーちゃんと呼ばなくなった日のことを。
 だから、僕の大事な物を取り返すために、来てくれたのだろうか。



「うん……かーくん……」
 白川が、眼を覚ました。
「猫男……出た?」
「出てないよ」
「そっか……」

 白川は空を見上げた。

「見たかったなあ、猫男」
「馬鹿、大事な物盗られたいのかよ」
 白川は唇を尖らせる。
「その為にかーくん連れてきてんじゃん」

 ……きょとん?!

「ん? 何? 僕は身代わり?」
「うん」
「え、俺の大事なものを取り返そうとかそういうことじゃなく?」
「そういうのじゃなく。っていうか、やっぱかーくんだったの?! 五年前に見たの」

 ああ、そうか。こいつは噂は好きだが、噂に疎いのか。
 僕は、溜息をついた。
 白い。
 その白いもやをみて、そういえば猫男の耳を確認するの忘れた、なんて思っていた。


「猫男ー、にゃー、寒いー」
 白川は、いつまでも文句を言っていた。
 

 僕はやっぱり夜更かしが好きじゃない。


4 :akiyuki :2013/01/26(土) 22:42:30 ID:P7PitFPLL7

うみねこ町の噂・肉球スタンプ


 少し、昔の話である。

 その男はその日もあてもなく町を歩いていた。
 彼は町役場で働く中年男性。普段通りに眼を覚まし、普段どおりに役場に出勤し、そして普段通りに書類に眼を通すはずだった。しかし、今は街中を歩いている。
 まあ、さぼっていたのである。
 過去十年、一度も遅刻すらしたことのない勤勉な男の初めてのサボタージュである。
 とは言っても本人にとってはそれは怠けているわけではない。机に座っているだけでは今の仕事は進まない。町を歩き、調べることで新しい刺激を得ようと、外に出たのである。気分転換なのだ。まあ、きっと役場では自分を探している人間がたくさんいるだろうし、本当は会議に出席するはずだし。
 まあ、見た感じはサボっているようにしか見えない。

 彼は今、大きなプロジェクトに参加していた。

 明治の時代から海の流通の中心地となっていたうみねこ町。
 多くの技術がここを中心に入ってきた。近代かの波に乗り、そのせいか外国人客や水夫の寝泊りする施設が多く建てられ、倉庫が乱立し、近海の中継拠点となっていた。
 しかし戦後も過ぎて、高度経済成長に突入する頃には、自動車の入りにくい開発整備されもっと大きくて安全な港ができてからは、ここはさびれていった。
 今でも残る日本家屋、レンガ道。昭和に作られたビルディング。何故か繁盛しているコンビニエンスストア。
 古すぎるものもないが、新しいものもない。
 色々と、中途半端なのだ。

 そんなこの町にもう一度新しい風を。
 それが男に任された仕事である。男はうみねこ町の再開発のために何か大きなイベントの企画を担当している。
 しかし、いいアイデアなど浮かばない。本来なら企画書を提出していてもおかしくない時期だというのに、男のパソコンに開かれた文書は白紙のままだった。
 男は本当はイラストレーターになりたかったのだ。しかしいつしか見切りをつけて、今ではこの辺境の町の役場に就職して、広報誌に挿絵を書く程度に抑えてつつがなく暮らしていた。
 それが何故か再開発委員会の一員にされてしまった。(理由は多分、彼が都会の出身だったことではないだろうか)
 そんなものを任されても、何の前情報もなくては足掻き方もわからない。

 ぶらぶらと歩いていると、港に出た。大勢の船乗りや港の人間が働いている。積荷が下ろされ、魚が氷付けにされ、猫が走り回っている。
 一人だけスーツ姿が浮いて、逃げるようにその場を去った。
 ここは港町だ。ずっと昔から、そういうことだけをやってみんなが生活してきた。らしい。
 男はたまたまこの町にやってきた。ここがどういう町なのかは、ほとんど知らない。

「暑いなあ。なんでこんなに暑いんだよ。今冬だろ」
 大抵、冬の太陽の光はどこか消極的なものである。人の感じる熱よりも、冷たい風が勝る。
 しかしその日の陽光はまるで夏場のそれのように存在感をかもしだしている。それが男のストレスを増徴している。
「こんな町に誰が来るんだよ」
 彼が来ている。
 町を歩き回りながらわかったことだが、この町に人はこない。というよりも来れない。
 この町にはバスや電車といった公共交通機関が存在しないのだ。
 面前には海が広がり、反対側には山。
 まさに陸の孤島と化している。
 なのに物流はしっかりとしていて月曜には少年ジャンプがコンビニで買える。
 ここに住んで三十年は経つが、本当に奇妙な町である。

 そこで男は思考の脱線に気付く。この町の奇妙なところではなく、見所である。
「この町の見所ねえ」
 気がつけば、公園の前に着ていた。ベンチに座り、缶コーヒーを飲んでいる。
 三毛猫が足元に来た。随分と人懐っこい。野生の猫と言えば、もっと人間から距離をとるものかと思っていたが、どうやら誰かに餌付けはされているらしい。

 男は空を見上げた。この町のどこにも、開発の出来そうなところを見つけられなかった。そんなの必要ない気がするのだけれど、どうも町の人達はもっと開けた町にしたいらしい。
「いい所なのになあ」
「肉球スターンプ」
 呟きが、何者かの叫びに消された。

 思わず見やると、少女が一人先ほどの三毛猫を右足を捕まえていた。

 猫の模様のついた振袖を着た少女が、座っていた。

 座って、捕まえている猫の肉球を首からかけたメモ帳の一ページに押し付けた。
 放すと、足跡が綺麗にスタンプされている。

「な、なんだあ?!」
 少女は男の足元にいた。いつの間にか、突然である。
「な、なんで?!」
 それは何でそんなことをしているのか? という意味ではなく、なんで近付いたのに気がつかなかったのか? ということである。
 少女は顔を男の方に向けた。眉の太い、整った顔立ちの少女はにっこりと笑って
「おじさん、男ならブラック飲まなきゃ」
 男は右手に握る缶コーヒーを見つめた。

「おじさん、何やってるの?」
 その台詞はこちらが言いたかったのだが、奇をつかれ、主導権を握られている。男はたどたどしく今の自分の状況を説明してしまった。
 少女は三毛猫から手を放さずに驚いた。
「へー、じゃあ噂の都会者っておじさんなんだ!」
 噂になっているのか?! そういえば、取材のために町を仕事でよく歩き回っていた。その時に見られていたのだろうか。確かに、スーツはこの町では目立つ。
 しかし、街中で振袖着ているこの少女はもっと目立つのではないだろうか……?
 赤地に、白い猫の模様のついた服である。平日に着る服ではない。
「噂になってるもん。都会者がこの町開発して観光地にするって」
 コーヒーを吐いた。
「な、なんだそりゃ!」
 なんだかニュアンスが自分は悪人みたいだ。
「そ、そんなことしないよ。俺はあくまでイベントの企画をまかさてるだけで」
「そりゃそーだよ。なんで公務員が事業に手を出すのさ」
 よかった。見た目の割にこの子は普通に頭がいい。
 それにしてもいくつなのだろう。背丈は小学生高学年くらいだが、今の子供の発育はよくわからない。
「それに、ここ観光地になれないだろ」
「そう? ここ綺麗だよ?」
「綺麗なだけじゃ駄目なんだよ」
「ふーん。私は綺麗大好きだけどな」
 やっぱり、反応が子供である。
「私ももうちっと綺麗だったらって思うぞ」
 少女はそう言って溜息をつく。最近の子供はよくわからない。

 少女はそこでこの話に興味をなくしたのか、肉球をいじり始める。
「ふにふにー」
 仕草が可愛らしい。そこで、男も聞きたいことを訊いてみた。
「その、さっき猫の足型とってたけれど、何してんだ?」
 少女はその質問を待っていたかのように嬉しそうにメモ帳を開いて見せた。
「これはね、肉球スタンプ。私もよく散歩しているけど、ただ歩くだけは飽きたから猫の肉球をコレクションしてみることにしたのだ。猫はこの町中にいるから、探せば色んな猫がみつかるんだ。このうーくんとか、ミッキーとかは寝床が決まってるし近いから楽だけど、中には毎日決まった場所にいない猫もいるし、山のふもとに住む猫もいるからな、結構町中を歩き回ることになるんだ。とりあえず、このうーくんを押したから、後一匹でコンプリート」
 つまり猫の手形でスタンプラリーをしているのだろう。
 今の子供はそんなことして遊ぶのか。
「んにゃ、私だけだよ。みんなはちゃんとしたスタンプラリーに参加してる」
「……なんで一人で散歩してるんだ?」
「私はもうそっちはコンプリートしたから。それに、猫くらいしか友達いないから」
 猫を抱えて少女は笑った。
「本当はね、一人だけいるんだけれどこの頃一緒に遊んでくれないんだ。かーくんもそういう年頃なのかなあ」
 三毛猫(うーさん、か?)を降ろすと少女は
「さて、今日は後ぐーさんだけだ」
 自分の背中に手を伸ばし、そこに描かれた猫の模様を掴み、引き剥がした。
「え?!」
 驚きの声をあげる。模様が、取れた?!
 そこで気がついた。
 それは猫の模様だとばかり思っていた。けれど、厚みがある。捕まえられた瞬間、「にゃあ」と鳴く。それは、模様ではなく、張り付いた
「なんで背中に猫がくっついてるんだ?」
 首根っこを捕まえられた白猫が、出てきた。
「さあ? ぐーさんはここが一番落ち着くんだって」
 少女は普通のことのように言ってのけた。
「それにぐーさんが猫の場所を教えてくれるからね。一緒に散歩はするんだ」
「猫が?」
「人間の言葉では言わないよー」
 そしてそのぐーさんと呼ばれた猫の右前足をむんずと掴み、メモ帳の新しいページにぽんと、手形を残した。
「おーし、コンプリート」
 何かとても変であるが、初対面の女の子にそんなことを言うのも気が引けて、
「それ、何匹分なんだい?」
 と聞いてみた。
「さー、この公園の周りにいる飼い猫三百匹分くらいじゃないかな。この町猫多いから」
「そんないるのか」
「うん、探せば人口よりいるかもね。何しろ猫に縁のある町だし」
 その言葉が、少しひっかかる。
「猫に?」
「そだよ。猫は神様の使いだし、猫にちなんだ地名とか御伽噺もあるし、それに猫の噂がおおいんだよ」
「噂……」
 そこで少女はその今町に流れているという色々な噂を教えてくれた。

 海辺の倉庫に現れる猫男 誰にもチェックポイントの捜せない山猫スタンプラリー 
 すごくバリエーションの多いアイス屋さん 子猫の里親を探すボランティア団体
 猫耳つけた郵便配達員 中学校の六つが野良猫に関する怪談の七不思議
 夕焼けに現れる『現れない男』 雨が降るジンクス 地下鉄の噂 

 それらの一つ一つを手振り身振りを加えて面白く話す彼女の言葉を聞いているうちに、男は自分もその世界に取り込まれていった。
「それでね、このぐーさんもね、私のいないところでは喋ってるって噂なんだよ」
「喋るのか?」
「さあ、わかんない。何しろ私のいないところでっていう噂だから」
「なんだそりゃ」
 つい、笑った。
「おじさん、笑ったね」
「ああ、悪い」
「いいよ」
 いつの間にか、白い猫は少女の背中に張り付いている。再び模様と化して、身動き一つしない。
「変な猫だな」
「変な猫だよ。名前もフレイムロード・グランドレイス卿だし」
「どこがぐーさんなんだよ」
「ほら、しかめっ面がじゃんけんのぐーみたいでしょ?
 もう一度笑った。
「あ、笑った」
「悪い悪い」
「いいよ、笑ってくれて」

「おじさん、噂になってるぞ。仕事が進まなくて公園でたそがれてるって」

 思わずコーヒーを噴出した。
「な、なんでそんな噂が」
 男が公園に来たのは、今日が初めてだ。なのに、そんな噂がどうしてたつ?!
「この町では、噂は本当になるし、本当のことはすぐに噂になる」
 振袖を着た少女は、立ち上がった。
「ま、楽しくいこうよ。私は、綺麗だとか、楽しいだとか、嬉しいだとか。そういうことを大事にしたいよ。だから、この町も、この町に住む人も、綺麗で楽しくて嬉しい気持ちでいて欲しいな」

 そして背中を見せて
「ばいびー」
 立ち去った。
「ねえ、君」
「はいな」
 振り返る。男は訊いた。
「例えばさ、君がこの町を盛り上げようとしたらさ、どんなことする?」
 少女は顎に指をあて。
「そうだねえ」
 またにっこりと笑って
「この町はお祭がないから、そういうお祭が欲しいなあ」














 こんな噂がある。
 三年前から始まっているうみねこ町・猫祭。
 そのマスコットキャラクターで、肉球模様の浴衣が可愛いと評判の『シロネコちゃん』は企画担当者がたまたま見つけた、この町に住んでいる女の子をモデルにしているらしい。


5 :akiyuki :2013/01/26(土) 22:43:20 ID:P7PitFPLL7

うみねこ町の噂・注文の多い猫


 この町の人は勘違いをしている。
 僕は確かに奇妙な隣人白川実子と仲がいい。
 彼女の奇行に巻き込まれることも多々ある(それはおいおい紹介するとして)。
 けれど僕自身はどこにでもいる普通の人間に過ぎない。
 なのに風の噂では僕は人々にとってその奇妙を構成する一人に見られているらしい。
 
 そしてここは噂が現実になる町、うみねこ町
 僕は十分、奇人なのだ。



 このごろ三時に休憩をとるようになった。
 特に何かきっかけがあったわけでもないけれど、午後の優雅な時間を楽しむ暇があることを確認するだけでも、甲斐がある。このごろは仕事もうまくいき、特に一日中慌てていることもなくなり、コーヒーを淹れるようになった。
 つい最近までコーヒーなんて飲めなかったのだけれど、ある日コンビににジャンプを立ち読みしにいった時に買った缶コーヒーが以外においしかったために最近中毒的に飲むようになった。その話をどこから聞きつけたのか、もともとコーヒー好きだったあの友人も、よく僕の家を訪れるようになった。
 おかげで午後の優雅な時間は日常に侵食されていたが、あの女はなぜか水曜日の午後にはうちには遊びに来ない。
 何をしているのかは知らないが、お互いのプライベートを知り合うような仲でもないので詮索はしないでいた。
 そして今日はその水曜日。
 静かな、いい午後を過ごしていた。


 しかし、招かれざる客というのはこういう時に訪れるものだ。いや、こういう時に来るから招かれざるというのかもしれないが、とにかく。

「加領郷くんー」
 シェフっぽい格好をした童顔の若者がノックもせずに僕の家に飛び込んできた。
「……なんだろう、この非日常」
 少しため息をついてから、極限までミルクで薄めたコーヒーを口にした。
「そんな厭世観出してコーヒー飲まないでよ。大変なんだよ」
 童顔の彼は必死にわめきながらにじみよってきた。彼の名は菅原。僕の同級生であり、今は小さな軽食店の運営を任されているなかなかに立派な人物だ。その頼り無さの割りになかなかいいものを出すので放課後女子高生とかが溜まると評判だ。噂できかなくても、いい店なのだと思う。そんな彼が久しぶりに僕の家にやってくる。それはそれでいいのだが、この時間帯に慌てて何をしにきたのだろう。
 すると菅原は白いコック帽を脱いで叫ぶ。
「助けてよ、加領郷くん。僕の店に『注文の多い猫』が出たんだー」

 脱力してみた。

「ふうんそうなんだよかったね」
 とだけ返答して椅子に座りなおすと、菅原は泣きながらすりよってくる。
「やめてください僕男色の気ないですから」
「どうしてそんな他人行儀で喋りだすのさ」
「係わり合いになりたくないからに決まっているだろうに」
 僕は三時のお茶を続けることにした。

「そんなこと言わずに助けてよ」
「助けるも何も、大体なんだいその『注文の多い猫』って」
「え、知らないの?今うみねこ町で噂になっているんだよ」

やはりそれ系か……。
僕は溜息をついた。
「最近ね、うみねこ町の食事店を食べ荒らしている猫がいるんだって」
「まず猫に料理を出していることにツッコミを入れていいか?」
「しかもすごく味にうるさくて、そのお店の一番自信を持ってる料理をずばっと当てちゃってそれを注文するんだよ」
「いい客じゃないか」
「なのに、食べ終わった後に作った人を呼びつけて料理に注文をつけるんだ。火加減が足りないとかもっと味は薄いほうがいいとか」
「なかなかに舌の肥えた猫様だな」
「それでね、最初は港町のレストランとか食堂とかばっかり狙っていたのに、つい最近から、民家の多いところの喫茶店とかアイス屋さんとかにも出てきてたらしくて、やっぱり当店の自慢メニューを食べ歩いては文句をつけたりこんな田舎町ではおいてないような料理をわざと注文するんだって」
「ふむ、随分とインテリな感じの割りに性格悪そうだな……うん。大体わかった」
「そ、それじゃあ」
ぱあっと顔をあげる菅原に
「じゃあ、頑張っておいしい料理を作ってやってくれ」
励ましのエールを送ってみた。
「な、なんでさ」
ずっこける奴なんて始めてみた。
「だって、その猫……、猫なのか? それがまあ、料理を注文してそれを食べていちゃもんをつけた。そういうことだよな。それで? 無銭飲食だとか、営業妨害だとかがあったのか?」
「な、ないけど」
ないのか。しかし、一体どうやって勘定をしているのだろう。
「ちょっとグルメな客が味に文句つけてるだけだろう? だったら、僕が入る余地はないよ」
「け、けれど」
「五月蝿いなあ。何がいけないんだ」
「だって、猫が食べに着てるんだよ?!」

固まる。


うん、そうだ。おかしい。
注文の多い猫がいたらおかしいんだ。
危ない危ない。
一番大事な部分を気にしないでいた。
「それで、ついに来ちゃったんだ」
「何が?」
「だ、だから『注文の多い猫』だよ」
それはさっきも聞いた。
「……じゃあ、今お前の店に?」
こくりこくりと二回も頷いて菅原は続ける。
「なんか、タキシードみたいな服を着たしっぽの長い猫がやってきて『あの日当たりのいい席に×××を運んでくれたまえ』って言うんだ」
「なんだ×××って」
「僕も知らない国の言葉だったからわからない。きっと僕の知らない料理なんだよ」
「そんなの出せるわけないだろ」
「うん、だからどんなものなのか見た目と味を教えてもらって作って出してみたんだ」
「君、何気にすごい腕だね」
「そうしたらなんだか味が違うって」
「そりゃそうだ」
「だから、助けてー」
「なんで?!」
「僕、これ以上猫と料理の話なんてしたら頭おかしくなっちゃうよ。どうか、一緒に来て『注文の多い猫』の注文を取って欲しいんだ」

なんだか、奇妙なことになった。
「大体みんな勘違いしているけれど、僕はそういう奇妙なこと専門の何でも屋じゃあ、ないんだけれどなあ」
「でも、噂になってるよ、加領郷くんのこと」
「知ってるよ」

この町では、噂になったことは現実になる。

僕にそういう噂がたっているのなら、自然と僕はそういう風になってしまう。
自分の意志に関わらず。
そう、それはちょうど彼女がそういう噂を立てられたから、あんな風になってしまったように。


「で、菅原君、君のお店ってあれだっけ?」
「うん、あれだね」
 そこには小奇麗な店が一つ。町並に溶け込んでいた。
『甘味処 ルーズリーフ』
「火曜日がお休み。まあ、創作料理などもやっています。要予約ですが、ランチなんかもできますよ」
「どうしてそこで営業トーク」
 店にさらに近付くと、店内からこちらが見えて、どうやら店員らしい少女が一人、菅原の姿に気付き大声をあげた。
「あー、この忙しいときに敵前逃亡した店長代理―、お帰りなさーい」
「ちょ、ちょっと添水(ししおどし)ちゃん、そんなまぎらわしいこと言わないでよ」
「だって、今からお客さんが来るって時にうちの料理人はそんな得たいの知れない人を連れて帰ってくるんですもの」
 ああ、得体の知れない人よばわりだ。
「そ、それは失礼だよ」
 ああ、菅原くん、君のような普通な反応をしてくれる友達を残しておいて、僕は本当に嬉しいよ。
「この人は、さっききた『注文の多い猫』の対応にきてくれたボランティアで悪霊退治をしている新興宗教団体の教祖様で……」
「いやちょっと待てなんだそれは」
「え? だってそういう噂が」
「誰だそんな噂流したのは」
くそう、また修正せねば。
「そ、それよりも『注文の多い猫』をどうにかしてよ」
 そうだった。それをさっさと解決して
「店長代理、さっきから『注文が多い猫』って言ってますけれど、なんですかそれ?」
「え?」
「え?」
「いや、さっきお店に来たあの変な南国風のお菓子を注文した猫だよ」
「何寝ぼけたこと言ってるんですか? 猫がお菓子注文するはずないでしょ」
「いや、してたじゃん。僕、さっきまでその猫と話してたでしょ」
「私ずっと厨房で昼寝ってましたから。それでそろそろ休憩が終わると思って店に出たら、店長代理が泣きながらお店を出て行くところでしたから」
「その時、ほらあの日当たりのいい席に」
 菅原の指し示すその先を僕と店員らしき女の子が見るとそこには

「あ、歯車君ハロー。みんなのレジェンド、シロネコだよ」
タキシードっぽい黒い上着を着た、白川実子が座っていた。
「……白川、お前何してるの?」
「何って、どうみてもお菓子食べてるじゃん」
 確かに白川の目の前にはシュークリームとショートケーキとモンブランとドーナツとチョコドーナツとツナサラダとチーズケーキとカレーパンと当店オリジナルメニュー豆腐ドーナツとホットココアが並んでいる。
「珍しいね、かーくんがこういうお店に来るなんて」
「ああ……。それにしてもよくもまあそんなに頼んだな」
「注文の多い女と呼んでくれたまえ」
 僕は菅原を引っ張って店の奥へと入る。

『菅原、まさかあれが注文の多い猫とか言うんじゃないだろうな』
『ち、違うよ、本当にあの席に猫が座ってたんだってば』
『確かにあいつのあだ名はシロネコだし、俺も一緒にいることはあるけれど、別にあいつ専門というわけではないんだよな』
『いや、本当に猫が喋ってたんだってば』
『店長代理、何の話してるんですか?』

 三人がひそひそとしていると、後ろから声がかかる。
「かーくん、どーせ暇でしょ? これから遊びに行っていい?」
「それは構わないが、さっきのシュークリームはどうした?」
「? そりゃ食べたけど」
「食べるの早いな……。それじゃあ菅原、僕帰るから。実はそんなに暇でもないんだ。あんまり嘘大げさ紛らわしい頼みごとは勘弁な」
「いや、ちょっと待ってよ。本当に猫が」
「店長代理、さっさと働いてください」
「違うんだって、本当に……あー。あれ!」
 菅原が指し示した先、店の玄関口に、一匹の黒い猫がねっころがっていた。
 背中が黒くて内側が白い。まるで黒い上着を着ているような。
「あ、あの猫だよ」
「かーくん、この人どうしたの?」
「いや、別に」
「……店長代理、疲れてたんですね。でも私がいるから安心してくださいね」
「ちが、違うんだってばー」


 そうして、僕と白川はルーズリーフを後にした。
「白川、その紙袋は何?」
「ああ、これ? さっきお店で頼んだお菓子。せっかくだからかーくんの家で食べようと思って袋に詰めて貰ったの」
「ふうん、もちろん僕も食べていいんだろうね」
「いーよ。でも何か飲み物くらいだしてよね。ところでかーくん、『注文の多い猫』の噂知ってる?」
「知ってるよ。色んな店に行ってしつこい注文をつけてくる猫だろ?」
「うん。徳のある料理人のところに現れて、料理のアドバイスをくれたり新メニューを教えてくれたりする猫って話だよ」
 どうやら、菅原は噂を勘違いしていたらしい。
 そして勘違いした噂を信じた菅原の前に現れた『注文の多い猫』は、イタズラだけして、去っていった。
 ということなのかな。

 世の中の人は、勘違いをしやすいものだ。


 そこで、コーヒーを飲みかけにしてしまったことを思い出した。

「ううん、冷めているだろうなあ、あのコーヒー」
「えとさ、かーくん」
「ん?」
「かーくんが今飲んでるあれ、コーヒー豆じゃなくて、黒豆ココアだけど」
「え?!」


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.