グルメイ


1 :四季条 ユウ :2011/09/14(水) 23:21:57 ID:rcoJmAVm

あ ら す じ

地元では有名な女子高生フードファイター、紅野林檎は、突如として現れた深山鶫に菓子パン早食い勝負を挑まれる。普段は目立たず大人しい鶫だったが、その実力は凄まじいものだった。それを切欠にして、林檎はプロのフードファイターも出るという、闘食杯の出場を決意する。森宮胡桃、春園小桃の二人を新たに仲間に加え、マネージャーには胡桃の幼馴染の真名上刃を迎えて、少女達は闘食杯の優勝を目指す!


2 :四季条 ユウ :2011/09/14(水) 23:24:34 ID:rcoJmAVmse

第一話 あなたが欲しい……

 紅野林檎(こうのりんご)は専用に使っている紅い箸を懐から取り出し、それを振り上げた。目の前には、赤髪をツインテールにした小柄な制服姿の少女には似つかわしくない、巨大な丼に具も麺もてんこ盛りのラーメンがあった。それから立ち上る湯気で少女の顔が霞んで見える。それもラーメンの巨大さを物語っていた。
「量を増やしてきたな」
「制限時間は三〇分だ」
「いつでもいいよ」
「スタート!」
 少女は高く掲げていた箸を丼の中に突き刺し、ものすごい勢いでラーメンを啜り始めた。その様子を見て店主は薄笑いを浮かべた。
 ――前回の三人前ラーメンはあっさり食われたが、今回の五人前は三〇分では食いきれまい。
 そう思った店主の思惑から、状況はどんどん外れていく。少女のラーメンを食べる勢いは衰えを知らず、巨大な丼の中身は見る間に減っていった。少女がスープまで飲み干し、最後に残った鳴門を口に放り込んだ時には、店主の顔は真っ青だった。
「ご馳走様っと、時間は…二二分か。まあまあだな」
「うぐぅ、ぬうぅ……」
「賞金ちょうだい」
「おのれ、次はこうは行かんぞ……」
「何度やっても同じだと思うよ〜」
 親父は極限の悔しさを渋面に浮かべつつ、金一封を少女に渡した。
「やったね!」
 少女は中に入っている五千円を確認してから、足取り軽く店の入り口の木戸を開けると振り返って言った。
「親父さん、挑戦なら何時でも受けてあげるよ。じゃあ、またね!」
 林檎は外に飛び出し、走りながら腕時計を見てもうすぐ夕方の五時になるのを確認した。
「うわ、やばい!? バイトに遅れる、また怒られる!」
 少女は学校帰りの中高生の間を避けつつ、バイト先にコンビニに向かって商店街を駆け抜けていった。

 昼休みを知らせるチャイムが鳴った。林檎が通っているのは宇都宮市内にある明凛館高校(めいりんかんこうこう)で、生徒数五千人以上を有する全国でも有数のマンモス高である。男子生徒は黒い学欄で、女子生徒は青いブレザーに紺と白のチェックスカート、白いブラウスの胸元には可愛らしいループタイを付ける。ループタイには様々な色があり、好きなものを選ぶ事が出来た。ちなみに林檎は赤いループタイを愛用している。
 昼になり林檎はバッグを開けてその中を見ながら、絶望の闇へと落ちていくところだった。
「弁当がなーーーいっ!?」
 林檎は頭を抱えて悶えるように叫んだ。
「うう、昼を抜くなんて考えられないし、仕方ない、学食にするか……」
 林檎は無駄金を使うやるせなさからため息を吐き、さらに紅野家の食べ物に対する厳しい掟を思い出して言った。
「はぁ、夕飯は玄関に忘れた弁当で確定だな……」
 林檎が席を立ったその時、いきなり他のクラスの生徒が教室に入ってきて、まっすぐ林檎の方に向かってきた。黒髪をボブにした林檎よりも小柄な少女で、他の生徒とは明らかに雰囲気が違っている。ループタイは黒で、ブレザーの襟に金色のバッチが輝いていた。このバッチは特進クラスの生徒である証だった。
 周りの生徒たちの注目を一身に集める少女は林檎の前まで来て言った。
「紅野さん……」
「特進クラスのエリートが、わたしに何の用だ?」
 林檎は特進クラスが生理的に嫌いだったので、かなりぶっきらぼうな調子で言った。黒髪の少女は気にした様子もなく静かに言葉を紡いだ。
「あなたが欲しい……」
「え?」
 一瞬、辺りの空気が凍りつく。林檎は急に絶望を投げつけられたような顔になり、後ろの椅子や机を蹴散らしながら後退した。
「ちょちょちょ、ちょーっと待った!? わたしにはそんな趣味はない!! 他を当たてくれ!!」
「あなたは勘違いをしているわ。わたしが欲しいのは、フードファイターの紅野林檎よ」
「どういうことだ?」
「わたしと一緒に闘食杯に出て欲しいの」
「なるほど、そういう事か。悪いけど、あたしは興味ないね」
「なら、わたしと闘食で勝負しなさい」
「本気? あたしが誰だか知らないのか?」
「知っているわ。あなたはこの辺りでは有名なフードファイターだもの」
「それを知ってて挑戦してくるってことは、よっぽどの馬鹿か、よっぽど自信があるか」
 林檎は目の前の少女の黒い瞳を見つめた。静かに佇む少女の中には、熱い闘志が漲っていた。
「…勝負の方法は?」
「パン勝負。十五分の間により多くのパンを食べた方の勝ちよ。わたしが勝ったら、一緒に闘食杯に出てもらうわ」
「面白い、その勝負受けた」
 事の成り行きを見守っていた周りの生徒達は、思わぬ展開に興をそそられ、積極的に勝負の準備をしてくれた。
 やがて三つの机が並べられ、右端には林檎、左端には謎の少女が座り、真ん中の机に様々な種類の菓子パンが山と積まれ、林檎と少女の席には五百ミリのミネラルウォーターのペットボトルが置かれた。
 この時、絵に書いたような美少年と美少女が、騒ぎの起こっている普通科一年七組の教室の前を通りかかっていた。学ラン姿の少年の方は大人しそうな感じで、髪は黒く背は中背と言った所、少女はパールのように白く滑らかな肌をしていて、ブロンドの長髪にソバージュをかけ、頭には翡翠製の葉っぱのヘアピンを付けていて、瞳は青色だった。ループタイは若草色で、ブラウスの下には豊かな胸の膨らみがある。そして、この二人の制服の襟には銀色のバッチが付いていた。これは特進科の次に優秀な進学科の証だ。
「まあ、何の騒ぎでしょう? 皆さんで集まってティーパーティーでもしているのでしょうか?」
「さすがにそれは無いと思うよ……」
「そうですわ、覗いてみればいいのですわ、そうしましょう、そうしましょう」
 そう言いつつ教室に入っていく少女の後を、少年は苦笑いしながら追った。
「なんだか面白そうな事になってるね」
「本当、とっても美味しそうなチョココロネですわね。頬ずりしたいくらいなのですわ〜」
「は?」
 少年が幼馴染の少女の目線を追うと、それがパンの山に注がれている事がはっきりと分かった。
「胡桃(くるみ)ちゃん!? 違うでしょ!? 見るのそこじゃないでしょ!?」
「刃(じん)様、どうかいたしまして?」
「いや、あの二人を見てなんとも思わないのかい?」
「二人で並んでパンを食べるなんて、きっと仲がおよろしいのですわ」
「あれはどう見たって勝負だよ……」
 その勝負は今まさに始まろうとしていた。
「勝負をする前に名乗っておくわ。深山鶫(みやまつぐみ)よ」
「じゃあこっちも、あたしは紅野林檎、さすらいの食(しょく)賞金(しょうきん)稼(かせ)ぎさ」
「始めましょう」
 側にいた男子生徒の一人が、ストップウォッチを持って言った。
「制限時間は一五分、菓子パンの袋をより多く積み上げた方の勝ちだよ」
 今や教室を埋め尽くすくらいに集まった生徒たちの間に緊張が走る。
「始め!」
 林檎が素早くカレーパンを手に取り、封を切ってかぶりついた。二口、三口と見ていて気持ちのよくなるような食べっぷりに教室が沸いた。同時に疑うような視線が林檎の隣に注がれる。林檎が気になって挑戦者の方を見ると、驚いて目を見張った。
 ―こいつ、なにやってんの!?
 鶫は両手を胸の前で合わせて深呼吸を繰り返していた。パンを手に取る様子はない。
 ―なんだ、口だけって事かい、がっかりだね。
 林檎は食べ終わった一つ目のパンの袋を机の上に叩きつけた。
 鶫はたっぷり三分も深呼吸をしていた。その間に林檎は四つ目のパンに取り掛かっていた。鶫に対するギャラリーの期待が萎んでゆくのが肌でも分かる。ただのはったりだったかと、誰もが息を吐いたその時、鶫は手近にあったクリームパンを一瞬で手にとって、何時動いたのか分からないような速さで封を切ってパンに口をつけていた。一口に林檎のような豪快さはないが、マシンガンを思わせるような速さで一つ目のパンを食べきった。急に沸きあがる生徒達、そして驚愕する林檎、つぐみの右手が円を描き、円の頂点で菓子パンの袋を手放し、元に戻る軌道の途中で菓子パンを掴み素早く封を切る。鶫が二つ目のパンに口をつけたとき、ひらひらと宙を舞っていた菓子パンの袋が机の上に落ちた。洗練されたまったく無駄のない動きに生徒達は魅入った。
――早い!!? こいつ、何者だ!!?
鶫は二つ目のメロンパンをあっという間に半分食べた。その時に林檎は四つ目の菓子パンの袋を叩きつけ、五つ目に取り掛かる。
――やばい、このままじゃ追いつかれる!
 五つ目のパンを食べている途中で、その焦りが出た。
「うぐっ!?」
 林檎はパンを喉に詰まらせ、慌てて水を飲み、自分に腹を立てる。
 ―何やってんの!? こんな事してたら…。
 生徒たちの間からまた声が起こる。鶫が三つ目のパンを手に取ったところだった。林檎はそれを横目で見て険しい表情をした。
 ―こいつは本物だ。こう言う手合いに焦りは禁物、あたしはあたしのやり方を最後まで貫き通す!!
 林檎が五個目のパンを食べ終わるのと鶫が三個目のパンを食べ終わるのは同時だった。それでも林檎はもう隣を気にしなかった。二つのパンの封を開け、交互にかぶりつく。
「おお、こっちは二つ同時だぞ!」
「どっちも頑張れ!」
 思わぬ大勝負に生徒達は興奮し、数人の教師が注意を促しに来たが、とても中に入れるような状態ではなかった。
 二人の間にあるパンの山がどんどん小さくなっていく。
 鶫が菓子パンの袋を放り、新しいパンを素早く手に取り、真剣を振るうような鋭さで封を切って一口食べる。それと同時に林檎も新しいパンを一口、その時に時間切れとなった。ギャラリーの視線はゆっくりと宙を泳いでいる菓子パンの袋に釘付けになる。それが鶫の前に積みあがった袋の山の頂点となったとき、鶫はペットボトルの水を飲んだ。周りは多くの生徒でひしめいているのに、勝負の終わりには嘘のように静かになっていて、鶫がペットボトルを机の上に置いた音が、林檎の鼓膜に高く響いた。驚いたことに、勝負が始まってから鶫が水を飲んだのは、これが初めてだった。
 ―同じ学校にこんな奴がいたなんて……。
 林檎は自分と鶫の前に小山と成したパンの袋を見比べて冷や汗をかいた。
 ―この勝負、負けたかもしれない……。
 ギャラリーの手によって、食べ終わったパンの袋の数が確認された。すると二人の前には、それぞれ同じ九枚の袋があった。それが分かったところで、刃と呼ばれていた美少年が出てきて言った。
「二人の食べたパンの数は同じ、それじゃあ勝敗を分けるのは…」
 刃はそれぞれ一口ずつ食べられたジャムパンとアンパンを見比べた。
「この勝負、君の勝ちだよ。こっちのアンパンの方が、より多く食べられているからね」
 刃は林檎に向かって言った。豪快にかぶりつく林檎の一口が明暗を分けたのだった。しかし、林檎はまったく勝った気にはなれなかった。
 ――後五分、勝負の時間が長かったら、あたしは負けていた。
 鶫の食べるスピードは圧倒的だった。四個もの差をつけていた林檎を、たったの一二分でぎりぎりまで追い詰めたのだ。闘食における実力は驚異的と言えた。
 負けた鶫は、無念そうに大きなため息をついてから立ち上がった。
「……残念、他を当たるわ」
 鶫が歩き出すと、集まっていた生徒達が出口までの道を開ける。林檎は真摯な面で立ち上がり、その背中に言葉をぶつけた。
「待て!」
 鶫が振り返ると、林檎はいかにも面白そうだという三日月のような笑いを浮かべて言った。
「あんたの言う闘食杯ってやつに興味が湧いた。あたしも混ぜてもらうよ」
 鶫は林檎の前まで戻ってくると手を差し出した。
「あなたとわたしは、今から戦友よ」
「よろしくな!」
 そして二人の少女は固い握手を交わした。
 戦友とは言ったものの、鶫にはそんな気など微塵も持てなかった。ただ鶫は、自分をまっすぐな瞳で見つめてくる林檎を疎ましく感じて思うのだった。
 ―わたしは目的を果たしたいだけ、その為にあなたを利用するだけよ……。
 鶫の心がほんの少しだけ痛んだ。
     
あなたが欲しい……終わり


3 :四季条 ユウ :2011/09/14(水) 23:26:14 ID:rcoJmAVmse

第二話 ケーキの声が聞こえるのです

「なぬーっ、賞金百万だと!?」
 学校帰りに鶫から闘食杯の優勝賞金を聞いた林檎が大声で叫だ。
アルテミスロードと呼ばれる大商店街を歩く少女たちに周りに注目が
集まる。林檎はそんな視線など気にせずに言った。
「最初に言ってよ。あんな食べ比べしなくても協力したのにさ」
「あなたの実力を知りたかったのよ」
「負けたら元も子もないじゃないか」
「でも貴方はわたしと共にいる。それに…」
「それに何だ?」
「賞金をちらつかせれば食いついて来る事も分かっていたし」
「お前、嫌らしい奴だな…」
「わたしは事実を事実として受け止めているだけよ」
「あーあ、どうせあたしは金の亡者だよ!」
 それから二人並んで少し歩くと、林檎が立ち止まって親指で古びた餃子店を指した。
「行こうよ」
 鶫は黙って従い二人で店に入った。林檎は席に座るなり言った。
「親父さん、名物超特大餃子ね」
「わたしは焼き餃子三人前」
「わざわざお金を払って食べるのか? お前だったら超特大餃子いけるだろ。食べきったら賞金三千円だぞ」
「わたしはお金を稼ぐ為に闘食はしないわ」
「それがフードファイターの仕事じゃないか。おかしな奴だな」
 それからしばらくして、店の親父が「制限時間二十分だよ」と言いながら、三人前の焼き餃子と、十人前に相当する五個の巨大餃子を出した。林檎は御酢と醤油をたっぷり入れたタレに餃子を付けて食べる。
「さっきの勝負での深呼吸、あれ何なのさ? ただの深呼吸じゃないよね?」
「あれは、中国拳法の呼吸法よ。体に流れる気を活性化させて、新陳代謝を活発にし、胃腸の消化力を高めたの」
「なんだそりゃ、反則じみてるぞ…」
「元々持っている力を使うのなら問題はないわ」
「じゃあもう一つ、ついでに聞くけど、闘食杯って何なんなの?」
「イーストフードカンパニーが主催する、闘食の王者を決めるトーナメントよ。東日本のフードファイター…そこでは闘食家と呼ばれるけれど、それが集まってくるわ」
「へぇ、そいつはすごいな」
「試合は三人でチームを組んで行われるわ」
「という事は、一人足りないな」
「出来ればセコンドとマネージャーも欲しい」
「セコンドって何だ?」
「何かがあった時に交代できる予備の闘食家よ」
「他に当てはあるのか?」
「目星を付けている人が一人いるわ。明日にでも交渉しましょう」
「また闘食でも挑む気?」
「いいえ、貴方とはまったく違ったタイプの人間だから、そういう単純な手は通用しないわ」
「それじゃ、あたしが単純馬鹿みたいに聞こえるじゃないか!」
「そうかもしれないわね」
「そこまではっきり言われると怒る気もなくなる」
 はたから見ると、二人の姿は他愛のない話をしている女子高生だが、林檎の存在が周りにいる客の視線を集めていた。
「ご馳走様。親父さん、一三分で食べたよ」
「なっ!?」
 店主は言葉を詰まらせ、これ以上ない驚きを顔に表していた。

 翌日の放課後、林檎は鶫と連れ立って街へ出た。今二人が向かっているのは、アルテミス通りから少し離れたところにあるケーキバイキングの店だった。
「ケーキバイキングなんて、あんな高いの嫌だよ」
「食べに行くわけではないわ」
「じゃあ何しに行くのさ?」
「リサーチよ」
「何を?」
「三人目の仲間よ」
「そいつ甘党なのか?」
「甘党なんていう言葉では片付けられないわ。人知を越えた存在よ」
「なんだそりゃ!?」
「すぐにわかるわ」
 林檎と鶫はメイプルハニーというケーキバイキングの店に入り、それぞれ注文した。
「紅茶を一杯」
「あたしは水でいい」
 店員が注文を聞いて去ると、林檎は辺りを見渡した。
「で、その人知を越えた存在とやらはどこにいるんだ?」
「そろそろ来ると思うわ」
 その頃、メイプルハニーに近づく少年と少女があった。
「胡桃ちゃん、本当にケーキバイキングに行くのかい?」
「もちろんですわ。これはわたくしのライフワークですもの」
「胡桃ちゃん、ライフワークの意味分かってないでしょ」
「まあ、失礼ですわね。食べる事はあらゆる人間にとってのライフワークなのですわ」
「それは命を繋ぐ為に食べるって意味で、君の場合は全然違うからね…」
「刃様、着きましたわ」
「ああ、魔の時が訪れる……」
 胡桃は待ちきれないと言うように、刃を置いて店の中に入っていった。
「店長さん、ごきげんよう」
「げっ、胡桃ちゃん!?」
 店の店長は胡桃の姿を見るなり、店が潰れるくらいの絶望感に顔を青くしてから、恐る恐る聞いた。
「小桃ちゃんは一緒じゃないのかい?」
「小桃さんはピアノのお稽古があるので、今日はわたくしだけなのです」
「は〜〜〜、よかった〜〜〜」
「今度来るときは必ずお誘いしますわ」
「い、いや、無理に誘わなくてもいいんだよ、小桃ちゃんにだって色々と都合があるだろうからね。そうだ、こんな店に誘われるなんて、きっと迷惑に違いないよ。うん、きっとそうだ、ははは……」
 店長は引きつった笑いを浮かべてから、後から入ってきた刃に走り寄って耳元で言った。
「頼むよ刃君、切りのいいところで胡桃ちゃんを帰らせてくれ。この店の命運は君にかかっている」
「いきなり変なプレッシャーかけないで下さいよ……」
 二人がそんな話をしている間に、胡桃は色とりどりのケーキが並んでいるビュッフェの前で手を組んだ。
「みなさん、ご機嫌よう。苺ショートちゃんは今日も素敵な白さですわね。紅い苺のアクセントも美しいですわ。黒くて艶やかなチョコタルトちゃんも綺麗ですわ。え? そんなに褒められると恥かしいですか? わたくしは本当の事を言っているだけですのよ」
「また変な独りごと言ってる」
「独り言ではありません。わたくしケーキの声が聞こえるのです」
「く、胡桃ちゃん、あんまり大きい声で言わないでよ」
「まあ、あなたたちを食べずに残して帰る人がいるのですね。本当に酷い人たちがいるのですね。わたくしは貴方たちを見捨てるような事はいたしませんから安心して下さいね」
「駄目だ、完全に自分の世界に入ってる……」
 周りの奇異に満ちた視線が刃と胡桃に突き刺さる。胡桃はまったく気にせずにケーキに向かって言葉をかけているが、一緒にいる刃方は圧し掛かってくるような恥辱に懸命に耐えていた。
 ――胡桃ちゃんとは小さい頃から一緒にいて奇特なところには慣れているけれど、これだけは何とかしてほしいなぁ……。
 一方、林檎は胡桃の衝撃的な行動に唖然としていた。
「た、確かにあれは人知を越えてるな、色んな意味で………」
「一緒にいる彼が無残ね」
「完全に巻添い食ってるな……」
 胡桃はそれからしばらくケーキに語りかけ、刃を散々憔悴させた後に、ケーキを山ほど皿に取って席についた。それを見ている店長の顔色は悪かった。
「さあ、頂きましょう!」
 驚くのはまだ早かった。胡桃はケーキを食べるのは遅い方だが、そのペースを落とさずに延々と食べ続ける。大きな皿に所狭しと敷き詰められたケーキの群れは消えて、また同じだけの量を取ってきては食べる。ケーキの一つ一つが小さめとは言え、その食欲は凄まじいものがある。幼馴染で慣れている刃でも、お茶を飲むのも忘れて呆然とするほどだった。
 胡桃が二度目に持ってきたケーキ達を食べ終えて席を立ったとき、刃は死にそうな顔をしている店長に気付いて、慌てて自分も立ち上がった。
「胡桃ちゃん、もうこれくらいにしておいた方がいいよ」
「何故そんな事を言うのですか?」
「いやあ、その、そんなにケーキを食べたら太っちゃうよ」
「心配してくれるのは嬉しいですわ。でも大丈夫です、わたくし食べても太らない体質ですから」
「とにかく帰ろう。もう十分食べたでしょ」
「駄目ですわ。あそこには、わたくしに食べてもらいたいと言っているお友達が沢山いるのです。まだまだ帰れませんわ」
 にこやかに応える胡桃に刃はたじろいだ。その様子を見ながら林檎は終始苦々しい笑いを浮かべていた。
「とんでもない電波だな……」
「電波だろうがパープリンだろうが、実力さえあればいいわ」
「あんた結構酷いこと言うね」
 鶫と林檎が話している間も、刃の必死の説得が続いていた。
「ケーキは胡桃ちゃんの友達なんだろう。友達を食べるなんていけないよ」
「あの子達にとっては、食べてもらう事が最大の幸せなのですわ。残されてしまうケーキほど可愛そうな子はいないのです。だからわたくしは、出来るだけ沢山のケーキ達を食べて幸せにしてあげたいのですわ」
 妙に説得力のある言葉に刃は撃沈された。
 ――店長さん、僕には胡桃ちゃんを止めるのは無理です。もうお店の事は諦めて下さい……。
 刃は今にも倒れてしまいそうな様子の店長に心の中で詫びた。それから胡桃は、店長が泡を吹くくらいにケーキを食べてようやく満足した。
「よくあんなに甘いものばっかり食えるな。さすがのあたしも、あれは真似出来ない。けど、あいつはフードファイトには向かないぞ」
「彼女は長時間、自分のペースを崩さずに食べる事が出来るわ。確かに制限時間内に競い合う闘食には難があるけれど、安定感は抜群よ」
 胡桃と刃が店を出て行くと、林檎と鶫はすぐに後を追った。
「森宮胡桃(もりみやくるみ)さん」
 鶫は店を出てすぐのところで声をかけた。胡桃は首をかしげて見知らぬ少女二人を見た。
「あなたは?」
「わたしは深山鶫、あなたを誘いに来たの」
「まあ、お茶のお誘いですか?」
「ちがうよ、あたしたちと一緒に闘食杯に出ないかっていう誘いだ」
「闘食杯? なんですのそれは? 甘くて美味しいものが食べられるのですか?」
「ええ、いくらでも食べられるわ」
 胡桃は柔らに手を合わせて言った。
「それは素晴らしい事ですわ。是非ご一緒させて下さいな」
「決まりね」
「ちょっと胡桃ちゃん!? そんな訳の分からない事を簡単に受けちゃ駄目だよ!」
 刃が慌てて割り込んでくると、林檎が彼の前にずいっと詰めて来て言った。
「うっさい、もやし!」
「も、もやし!? 失礼じゃないか!?」
「あんた男なのになよっちいんだよ! 見てるだけでむかつくんだ!」
「何て不条理な……」
「こう見えても刃様はとても男らしいのですわ。ケーキを沢山作ってくれるところなんて特に」
 胡桃がうっとりして言うと、刃の表情は何故かこの世の終わりを味わっているような恐怖に彩られる。
「どの辺りが男らしいんだよ!?」
「…ケーキね」
 突込みを入れている林檎の横で、鶫が目を光らせる。その後で鶫は刃の瞳をまっすぐに見つめた。
「あなたは料理をするのね」
「ああ、僕はパティシエを目指しているんだ。大抵のものなら作れるよ」
「あなた、名前は?」
「僕かい? 僕は真名上刃(なまがみじん)だよ」
 それから鶫は、悩ましげな輝きを帯びた瞳で刃をじっと見つめた。刃の方は小柄で可愛らしい少女の視線に当てられて胸が高鳴るのを感じていた。その様子を見た胡桃はむすっとして明らかに機嫌を損ねていた。
「真名上君」
「はい!」
「あなたの力が必要なの。一緒に来てくれないかしら」
「僕で役にたてるのなら」
 刃が思わず言ってしまうと、林檎が鶫に向かって親指を立て、鶫はそれにブイサインで応える。
「よし! マネージャーもゲットした!」
「え? マネージャーって何!?」
「これからよろしくね、真名上君」
「刃様もお仲間になりましたのね。素敵ですわ」
「ちょっとまってよ! 僕は君たちが何をしようとしているのかまったく理解していない! そして、胡桃ちゃんも理解してないでしょ!?」
「甘いものが食べられれば、細かい事なんてどうでもいいのですわ」
「良くない、全然良くないよ!!」
「うるさい、あんたはもうマネージャー確定なんだから、つべこべ言わずに黙って付いてこい」
「うう、何かものすごく大変な事に巻き込まれた気がする……」
 刃は胸に差し迫るような悪い予感に身を震わせる。これから恐ろしい事が待ち受けている気がしてならない。刃は、鶫にまんまと乗せられてしまった自分を恨めしく思うのだった。

ケーキの声が聞こえるのです・・・終わり


4 :四季条 ユウ :2011/09/14(水) 23:28:40 ID:rcoJmAVmse

第三話 ただ美味しそうだと思ったから

「今朝、軒庵楼の親父が挑戦状を叩きつけてきたよ。まったく懲りない親父だ」
 放課後に林檎は鶫と一緒に校庭を歩いていた。
「軒庵楼って、ペガサス通りにあるお店ね」
「そうさ、大盛りが売りなんだ。あたしそこで何度も賞金付グルメを制覇してるんだよ」
 林檎は「挑戦状」と書き付けられた紙を振って空を泳がせながら言った。
「どんな料理を用意してるか知らないけど、何度やっても結果は同じだ」
「油断はしない方がいいわ。たとえ戦歴の勇将でも、油断があればその首を取られる。それは歴史が証明している事よ」
「例えが大げさだなぁ。ま、このあたしに限って、賞金付で負けるなんてありえないよ」
「だといいわね」
 
 東武宇都宮駅を境にして、北側にアルテミス通りが、南側にはペガサス通りと呼ばれる商店街があった。軒庵楼はペガサス通りにあるラーメンショップである。
 鶫たちは四人で固まってペガサス通りを歩いていた。辺りには学校帰りの高校生や専門学校生がひしめくほどにいて、通りにある店々は賑わっていた。
「何で僕たちまで一緒に行かなきゃならないのかな?」
「チームなんだから、つべこべ言わずに、あたしを応援しろ」
「わたくしはラーメンよりもケーキの方がお好みですわ」
「あんたってもしかして、ケーキだけ食って生きてるんじゃないの?」
「その通りですわ〜」
「いやいや、それは否定しろよ!」
 林檎が胡桃に突っ込んだところで、先頭を歩いていた鶫が立ち止まった。
「着いたわ」
 林檎が暖簾をかき分け、勢いよく戸を滑らす。
「親父、来てやったよ!!」
 店は結構な人数の客で賑わっていて、全員の視線が林檎に集まった。白衣に白い頭巾姿の親父が、カウンターの奥でお玉を林檎に向けた。
「来たか。紅野林檎、今日が貴様の命日となる!」
「言ってくれるじゃないか!」
「命日って、殺しあうわけじゃないんだから…」
 林檎と店主の親父が火花を散らしている横で、刃がぼそりと言った。
「馬鹿野郎! これはあたしと親父の命をかけた戦いなんだ!」
「だから、命は必要ないよね」
 林檎は店の中に入り込むと、右手を高く上げて、カウンターを叩いた。
「さあ親父、このあたしをぶっちぎれる料理があるって言うなら、出してみろ!」
「よかろう、すぐに作ってやるから待っていろ」
 そして待つこと十分、林檎の前に巨大ラーメンが現れた。それを見た胡桃と刃は顔を背けるようにして言った。
「スープが真っ赤ですわ〜」
「なんか、湯気が目に染みるんだけど……」
「……親父め、味を変えてきやがったか」
「ふふふ、名付けて赤炎地獄ラーメンだ! これが三十分以内に喰えたら、金一万円を進呈してやろう」
「まじで!? よっしゃ、一万頂き!」
 林檎が真っ赤なスープのラーメンを一気にかき込む。次の瞬間、林檎は火を吹くような叫びをあげた。
「か、からーーーーっ!!!」
「うははははっ! 果たしてそれを食いきる事ができるかな? 時間内に食べられなければ、三千円頂きますよ、お客さん」
「くぅっ、姑息な親父め、負けるかーっ!」
 林檎は勢いづいてラーメンをすするが、また火のように熱い吐息を吐く。
「辛い、辛すぎるっ!」
 林檎がコップの水をぐいっと飲むと、黙って様子を見ていた鶫が言った。
「そんなに水を飲むなんて、闘食家としては失格よ」
「うるさいよ! こんな時に冷静に突っ込むな! あんたにはこのラーメンの色がみえないのか!」
「闘食でも普通の料理が出てくるとは限らないわ。特に闘食杯はチーム戦だから、様々なバリエーションの料理が出てくる。当然、辛いものもあるわ」
「うう、あたしは辛いのはあんまり得意じゃないんだよ…」
「林檎は辛いものが苦手なのね。早くしないと、もうすぐ十分になるわよ」
「くそ、この勝負絶対に負けらんない!」
 とは言うものの、林檎は食べては辛さに喘ぐ悪戦苦闘を余儀なくされた。その時に店の戸が開いて、明凛館高校の女生徒が姿を現した。
「こんにちは〜」
「へい、いらっしゃい!」
入ってきたのは大きな瞳の可愛らしい少女で、ショートの黒髪の右の鬢を小さなテールにして、ピンク珊瑚で出来た桃のヘアピンで留めていた。ループタイの色は髪飾りと同じ桃色だった。
「あれ? 胡桃ちゃん、それに真名上君も、こんな所にいるなんて珍しい」
「小桃さんではありませんか。奇遇ですわね」
「わたし良くここに来るんだ。何頼んでも大盛りだから」
 小桃は胡桃の隣に座って、必死に激辛ラーメンに挑む林檎を覗き込んだ。
「あ、それ美味しそう。わたしにもそれ下さい」
『な、なにーっ!!?』
 店の親父と林檎が同時に驚愕した。
「あんた、もしかして目が悪いのか? 大きさと色を見ろ! 何を好きこのんでこんな物を食おうとするんだ!?」
「ただ美味しそうだと思ったから」
「こいつマジだ、マジで言ってる………」
「小桃ちゃん、本当にいいんだね……?」
「おじさん、早く作って〜」
「わかったよ。どうなっても知らないからね」
 親父は小桃の希望通りに超大盛り激辛ラーメンを作って出した。
「うふふ、美味しそう」
 小桃はいかにも嬉しそうな顔で割り箸を二つに割った。林檎が箸を止めて、それを見ると、他のメンバーも注目する。
「いただきま〜す」
 小桃の箸先がラーメンの丼の中に消える。林檎たちの間に妙な緊張が走った。そして小桃が真っ赤なスープの中から麺を掬い上げて口に運んだ。
「うん、美味しい!」
 小桃は見ている者たちからは信じがたい感想を口にして、ラーメンを勢い良く食べ始めた。
「マジか!? この殺人的に辛いラーメンを、平然と…いや旨そうに食ってる。どういう味覚をしてるんだ?」
「林檎、もう二十分経ってるわ」
「やばい!!」
 林檎は慌ててラーメンを口にしたので、激辛のスープまで一緒に飲んで酷く咽てしまった。林檎は水を飲んで落ち着くと、涙目になった。
「うう、今日は厄日だ……」
「まだ半分もなくなっていないわね。残り八分よ」
「あたしは最後まであきらめない!」
 林檎は勝ち目のない敵に挑む手負いの戦士のような気迫で激辛ラーメンに立ち向かう。一方、小桃の方は大きな丼の中身を着実に減らしていった。さらに小桃は麺だけではなく、真っ赤なスープまでレンゲで掬って飲んでいる。それを見ていた親父は激しくうろたえた。激辛ラーメンを食べきったら一万円を進呈する事になっているのだ。これは林檎だけに限った事ではなかった。
 そして二十分後。
「ご馳走様でした〜」
 小桃は超大盛り激辛ラーメンをあっさりと食べ終え、鶫はその一部始終を一挙一動も見逃さずに見ていた。
「林檎さん、見事な討ち死にですわ」
「返り討ちだね」
「ぐは……負けた……」
 胡桃と刃が言う横で、林檎はカウンターの上に突っ伏して、本当に討ち死にしたように動かなかった。丼の中にはまだまだ麺が残っていた。
 親父の方は、財布を開く小桃を冷たい汗をかきながら見ていた。まるでこの世ならざる者を見るような目だ。いきなり現れた新たな脅威のお陰で、親父には勝利の余韻に浸る余裕などなかった。
「おいくらですか?」
「は、八〇〇円になります」
「八〇〇円でいいの? ちょっと安すぎません?」
「いやいや、常連の小桃ちゃんだからおまけだよ。ははは」
「またんかこらーーーーーっ!!?」
 いきなり死んでいた林檎が立ち上がり、親父を怒鳴りつける。
「どさくさに紛れて金を取ろうとしてんじゃない! あんたも自分が何の料理を食ったのか、しっかり確認しろよ!」
 林檎は小桃の後ろから頭を掴み、メニューのある壁の方を振り向かせた。
「あれだ」
「ふえ?」
 小桃の目に『赤炎地獄ラーメン! 三十分以内に食べきったら金一封』と大きく書いてある文字が見えた。
「へえ、あんなラーメンもあるんだ。今度食べてみよう」
「今あんたが食べたのがそれだよ! どこまで惚けりゃ気が済むんだ!」
「ちっ、余計な事を……」
「姑息な親父め、さっさと金を出せ!」
「お前は食べ切れなかったんだから、早く三千円払え」
 それを聞いた林檎は、鉄砲ででも撃たれたかのように胸を押さえ、戦場で討たれた武将のような無念な呻き声を上げながら、カウンターに倒れ込む。
「うう、鶫、お金貸してくれ……」
「持ってないのね。負けた時の事を何も考えていないなんて、そういう驕(おご)りが隙を作るのよ。典型的な負けパターンだわ」
 林檎は「ぐはっ」と刺されでもしたような声を出し、全身の力をなくした。
「鶫さんの言葉はナイフのように鋭いのですわ」
「完全に止め刺されたね」
 すぐ近くでは、小桃が親父の出した金一封を慌てて断っていた。
「いいんです。ラーメンがただになるだけで十分ですから。それじゃ、ごちそうさまでした!」
 小桃が小走りで店を出て行くと、鶫は黙って立ち上がり、その後を追いかけた。そしてペガサス通りを出る手前のところで後ろから声をかる。
「待って、小桃さん」
「ほえ? 貴方は胡桃ちゃんと一緒にいた……」
「貴方の力が必要なの。わたしと一緒に来て欲しい」
「え? そんな事言われると、何か照れちゃうな。今まで誰かに頼りにされた事なんてないから。わたしが何の役に立てるの?」
「一緒に、闘食杯に出て欲しいの」
 それを聞いた瞬間に、小桃の顔に嫌悪の陰が差した。
「それだけは嫌! ご飯は美味しく食べるものだもん。食べる事で競い合ったりお金を稼いだり、そんなの間違ってる!」
 控えめな小桃が急に強い口調になったので、鶫は驚いて相手の顔を見つめた。それに気付いた小桃は、鶫を傷つけてしまったような気がして焦った。
「ごめんね。これだけは曲げたくないの」
 そして、小桃は向こうにあるアルテミス通りの方へと走っていった。後から来た林檎たちが、立ち尽くす鶫を怪訝に見つめる。
「どうしたんだ? さっきの奴に何か言われたのか?」
 その時、すぐ側の電気屋の大型液晶テレビから、声が聞こえてきた。
『女王を相手に挑戦者はどう戦う! また病院送りにされてしまうのか!?』
 急に鶫の表情が鋭くなり、突き刺すような視線でテレビを見つめた。そこに大きく写しだされた美女を見て、鶫は忘れられない高笑いと、目の前に倒れている大切な人を呆然と見つめる自分を思い出した。それは鶫の心に深い傷となって残る闇だった。鶫の怒りと悲しみが言葉を突き上げる。
「華喰沙耶子(かじきさやこ)、必ず倒す」
 林檎たちは、寡黙な鶫が怒りに燃える姿を、目を丸くして見ていた。

ただ美味しそうだと思ったから…終わり


5 :四季条 ユウ :2011/09/14(水) 23:37:00 ID:rcoJmAVmse

第四話 あなたはどちらを選ぶの

 鶫は学校と交渉し、チームの拠点として家庭科室を借りていた。そこで鶫は胡桃から小桃の事を聞いていた。
「あの子の名前は春園小桃(はるぞのこもも)と言います。わたくし小学生の頃からお付き合いしていますわ。今は同じクラスですのよ」
「小桃さんを何とか説得できないかしら?」
「無理ですわ。あの子はああ見えても、とっても頑固なのです」
「そう……」
 その時に林檎が教室に入ってきて、コンロの前の椅子に座り、不機嫌そうにぶつくさ言った。
「最近そこいらの店で賞金グルメが出てきてるんだけど、挑戦しようとすると断られるって、どういう事なのさ?」
 それを聞いた鶫の顔つきが鋭くなる。
「…ついにこんな地方にまで触手を伸ばしてきたわね」
「あん? 何の話だ?」
「それはイーストフードカンパニーの仕業よ」
「イーストフードなんちゃらって、確か闘食杯のスポンサーの?」
「紅野さんは知らないのかい? イーストフードカンパニーは全国規模で展開している食の総合商社だよ。特に食材に対してすごい影響力をもっていて、今の日本の食材の流れは彼らが支配していると言ってもいいくらいなんだ」
「へぇ、すごいんだね。でも、それと賞金グルメは関係ないだろ」
 すると鶫が言った。
「奴らは裏で暴力団まがいの事もしているわ。その中の一つが、食による搾取よ。無理やり賞金付のメニューを作らせ、そこへ三人一組で闘食家を送り込み、一気に三人分の賞金を持っていく。飲食店が従わなければ、食材が手に入らないように市場に手を回す。東京や大阪なんかの都心部では、それで廃業に追い込まれた店が数え切れないほどあるわ」
「何だよそれ、何で訴えない!?」
「無理ね。賞金を出すのは店の意思だし、脅されたと言っても証拠など何も残さないから無駄だし、食材を回してもらえない事を証明しようとすれば、必ず妨害されるわ。中には大怪我させれた人もいるくらいよ。企業は裏の世界とのつながりも深いから、個人の力ではどうにもならない」
「それじゃ、飲食店の恐怖支配じゃないか……」
「何でそんな事をするのですか? 信じられない事ですわ」
「目的は三つあるわ。一つは闘食家が稼いだ賞金を企業の純粋な利益とする事。一つ一つは小さな額でも、全国規模で展開すれば企業の利益として十分に足るものとなる。二つ目は優良店舗の確保。立地の良い店舗を廃業に追い込み、そこにイーストフードカンパニーの息のかかった店を出すの。そして最後は、優秀な闘食家の発掘よ」
「闘食家の発掘って何だ?」
「その目論見が、わたし達にチャンスを与えてくれる」
「どういう事なのです?」
「商店街を守る為に、わたし達に出来る事があるということよ」
「なら膳は急げだ。後は行動あるのみ! さあ大将、命令を!」
 林檎が息巻いて言うと、鶫は頷き、大群を指揮する将軍のような厳格さと気迫をもって虚空を指差しながらチームメイトに言った。
「敵は飲食店にあり、わたしたちで撃退するわよ」
「意外と乗りがいいな」
「フッ」
 鶫は軽くあしらうように笑ってから言った。
「彼らは朝から何も食べずに、夕方以降に姿を現すわ。真名上君は胡桃と一緒にメイプルハニーに行って、胡桃をサポートしてあげて」
「サポートって言っても、僕には闘食なんて無理だよ」
「貴方が一緒に行かないと駄目なのよ」
「あたしは鶴川駅近くのむさしの餃子に向かうよ。昨日行ったら、賞金付があったからな」
「わたしは東武駅前通りのかつ元に行ってみるわ」
 そして少女達は教室を出ると、それぞれの戦場へと向かって散った。

 老舗のかつ元では、がたいの良い男三人が店のカウンターに陣取っていた。
「親父、いつもの頼むぜ」
 真ん中のプロレスラーのように肉付きのいい男が言うと、六十歳は超えているであろう白髪の主人は眉間にしわを寄せた。店の壁には『カツ丼五杯、四五分以内に食べたら金五千円贈付』とあった。老舗の豚カツ屋にはおおよそ似合わない貼り付けだ。
「何時までこんな事を続けるつもりだ?」
「何時まででもだ。この店がある限りはな。嫌なら止めてもいいんだぜ。この店に何も入ってこなくなるがな」
 大男が豪快に笑うと、他の二人も合わせて笑い出す。
「わしに死ねと言うのか……」
 その時、店の戸が開いて鶫が入ってきた。そして男達から一つの椅子を空けて座る。
「いらっしゃいませ。何にいたしましょう?」
「わたしが注文するのは」
 鶫はおもむろに男達を指差して言った。
「この男たちとの勝負」
「な、何だと!?」
「三対一でいいわ。わたしはこの店の代表として戦う。あなたたち三人のうち一人でもわたしに勝つことが出来れば、そちらの勝利よ。その代わり、ルールはこちらで決めさせてもらうわ」
 鶫は騒然とする男達をまるで無視して、淡々と言った。店主はあまりの驚きに声も出なかった。
「お嬢ちゃんが俺たちに挑戦すると聞こえたが、聞き違いだったかな?」
「勝負方法は時間無制限のカツ丼勝負。より多くのカツ丼を食べた人の勝ちよ。料金は負けた方が全てを負担する。いいわね」
「どうやら本気みたいだな。いいだろう、そこまで言うなら勝負してやる」
「では、始めるわ」
 鶫は箸立てから割り箸を取り、小気味良い音を立てて二つに割った。

 鶴川駅近くにあるむさしの餃子に行った林檎は、三人の闘食家たちと対峙しながら、店のカウンターに拳を叩きつけた。
「ここは安くて美味しい餃子を食べさせる店だ。十人前で金五千円なんて出せるような店じゃないんだよ。そこから搾取しようなんて、あんたらはフードファイターの風上にもおけない!」
「いきなり現れて、何だお前は!?」
 搾取に現れたリーダー格の痩せた男が言った。連れの後二人の男は肥満体で、いかにも大食漢といった様相をしていた。そして、餃子を食べに訪れた沢山のお客さんもいて、周りで林檎と三人の男たちの様子を見ていた。
「こういう所で食うならちゃんと金を払おうよ。あんたら三人とあたしで勝負しようじゃないか。負けた方が全額負担するんだ。あんたらはこの勝負を断る事は出来ないよね。この店に手出しできなくなるからな」
「なるほど、それを知っているということは、お前は闘食家という事だな。いいだろう、この勝負受けた」
「よし、時間無制限でより多くの餃子を食った奴の勝ちだ。さあ親父、どんどん焼け!!」
 周りで見ていたお客が熱くなり、次々と林檎を応援する声が上がっていた。

 ケーキビュッフェのメイプルハニーでも、まったく同じ様な事態が起こっていた。店の壁には『ケーキ二十個を三十分以内に完食できたら五千円差し上げます』という張り紙があったが、オーナが望んでしている事でないのは明白だった。
「三対一の勝負だから、ルールはこちらで決めさせてもらうよ。時間を無制限にするけど、いいよね?」
 刃が言うと、イーストフードカンパニーから派遣されてきた太った中年女の闘食家はあざ笑った。彼女の後ろには二人の若い女闘食家も付いていた。
「構わないよ。あんたが戦うのかい?」
「いやいや、戦うのは僕じゃなくてこの子だ」
 と言って刃が紹介しようとすると、胡桃の姿は忽然となくなっていた。刃が辺りを見ると、胡桃はケーキの前でなにやら喋っていた。それを見た闘食家の女達は、思わず失笑した。
「ちょっと、胡桃ちゃん、こっち来て!」
「刃様、大声をだして、どうかいたしまして?」
「頼むから勝手にどっか行ったりしないでくれよ……」
「ケーキたちが泣いていたからお話を聞いていましたの」
「ぷはは!! 何言ってんだいこの子は、完全に頭がいかれちまってるよ!」
「ケーキたちはあなた方には食べられたくないと言っていますわ。あなた方に食べられてしまった仲間が本当に可愛そうだと泣いていました」
 そう言われた中年女の闘食家は、無性に腹が立ってきて、胡桃を睨む。
「小娘、さっさと席につきな。あたしらと勝負するんだろう」
「勝負って何ですの?」
「胡桃ちゃんは、ケーキを好きなだけ食べてくれればいいんだよ」
「好きなだけ食べていいのですか?」
「そうだよ。何も気にせずに食べたいだけ食べてね」
「まあ! 嬉しいですわ!」
 瞳を輝かせて言う胡桃に、女闘食家たちは憎悪を募らせた。
「すぐに泣かせてやるよ」
「何でケーキを食べるのに泣かなければいけないのです?」
「お前ふざけているのかい!?」
「はいはい、勝負を始めますよ! それでは時間無制限ケーキ勝負始め!」
 刃は憤慨する中年女を遮って、無理やり勝負を始めた。
 店主は祈るような気持ちでケーキを食べる胡桃の姿を見つめていた。今までは店にとって胡桃は脅威でしかなかったが、今は救世主だった。
 女達がケーキを食べる速さは凄まじく、三人ともあっという間に二十個近くをたいらげて、マイペースで食べている胡桃を見下して笑った。その時は、胡桃は十個も食べていなかった。しかし、この勝負のポイントは時間が無制限というところにあった。胡桃はまったくペースを乱さずに、旨そうにケーキを食べていく。やがて胡桃が女たちに追いつくと、追われている方は慌てて胡桃のペースにあわせてケーキを食べ始めた。
 闘食において胡桃のバランスの良さは類を見ないものがあった。まったく同じペースを保ち、いくらでもケーキを食べるのだ。胡桃が二十三個のケーキを食べたところで、二人の若い女闘食家が脱落した。リーダー格の中年女の方は二五個まで頑張ったが、二十六個目を手に取った瞬間に、手を震わせてケーキを取り落とし、両手で口を押さえて急に立ち上がった。顔は蒼白で、戻しそうになっているのが誰の目にも明らかだった。そして彼女は躓いて転びそうになりながら、トイレに駆け込んだ。女は限界を超えても食べ続けていたのだった。胡桃の方はと言うと、周りの事など気にせずに、三十二個までケーキを食べた所で手を止めた。
「あらいけませんわ、もうこんな時間、今日はヴァイオリンのお稽古があるのを忘れていましたわ。これで失礼いたします」
 胡桃は急ぎ足で店を出て行った。
「お稽古がなかったらまだ食べたのかね……」
「まだまだ食べましたよ」
 引きつった顔の店主に、刃は当然とばかりに言った。その時になって、魂を抜かれたような顔になった中年女がトイレから出て来た。
「君たちの負けだ。今まで食べたケーキは単品扱いにして、胡桃ちゃんの分まで支払ってもらうよ」
 刃が言うと、中年女は悔しさのあまり両手両膝を床について呻いた。
「いい気になるんじゃないよ。分かってるよね、もうこの店はおしまいさ」
「君たちのような汚い輩に潰されるよりはましだよ」
 店主は、はっきりとそう言い放った。

 むさしの餃子では、林檎が十七人前、八十五個の餃子を食べて、男たちに圧勝していた。敵の方はリーダー格の男の一三人前が限界だった。彼らは林檎が食べた餃子の料金まで払わされ、張り裂けそうに苦しい腹を押さえて店から出ていった。
 かつ元でも勝負が進んでいた。かつ元の主人はカツ丼を作るのに忙しかったが、それでも目の前の状況から目を離す事が出来なかった。体の小さな少女が、凄まじい速さと抜群の安定感で出されたカツ丼を食べていくのだ。そして鶫は六杯のカツ丼を食べたところで箸を置いた。
「これで十分ね」
 男達は鶫の食べる姿に釘付けになり、あまり食が進んでいなかった。
「貴方たちは搾取をする為の手駒、搾取をする以上の力は持っていない底辺の闘食家よ。わたしに追いつくことは出来ない」
「ふ、ふざけやがって! こんなところで終わってたまるか! やっと、やっと、イーストフードカンパニーの闘食家になれたってのに!」
 男達は躍起になってカツ丼を食べていった。しかし、三者三様に五杯を越えた途端に苦しげな表情を浮かべる。
「食え、死んでも喰うんだ! ここで負けたら、お払い箱だぞ!」
 男達は無理やりカツ丼を詰め込んだが、そのうち一人は不意に席を立ちカウンターを挟んだ座敷に仰向けになって、あまりの腹の苦しさに唸り始めた。もう一人は完全に戦意を失って箸を置いた。リーダーの大男だけは何とか六杯目のカツ丼を食べ終えようとしていた。
「もう止めておいた方がいいわ。貴方の身の為よ」
「うるせぇガキっ!!! 見てろ、見てろよ!!!」
 最後の男は完全に自棄(やけ)になっていた。そして無理に残りのカツと飯を喉の奥まで詰め込む。そこで彼は妙なうめき声を出して座席ごと真後ろに倒れ、カウンターの上に積んであった丼も一緒になって転げ落ち、そのうちのいくつかが砕ける。男は息を詰まらせて白目になっていた。鶫が男を起こして背中に拳を当てると、男は口の中のものを吐き出して息を吹き返した。
「だから言ったでしょう」
「ぐう、ちくしょう……」
 惨敗した男達は料金を支払って大人しく出て行くしかなかった。後には鶫が店に残り、店主は彼女に向かって怒りを露にした。
「あんた、何て事をしてくれたんだ。これでもうこの店には一切の食材が回ってこなくなるんだぞ」
「潰されるのを待つか、潰されるのを覚悟で立ち向かうか、あなたはどちらを選ぶの」
 鶫に言われて店主ははっとなった。どちらを選ぶのかと言われれば、もう答は決まっている。冷静に考えてみればすぐに分かることだが、状況が状況なだけに、店主はそこまで深く考える余裕がなかった。
「……お陰で目が覚めたよ。ここいらの飲食店の関係者を集めて相談してみよう。一人では無理でも、皆の力を合わせれば何か出来る事があるはずだ」
「それがいいわ」
 鶫は微笑を残して店から出て行った。
 
「早く出せよ、五人前の大ラーメンをな。また賞金をもらっていってやる」
「もう許して下さい。これで三日連続だ。このままじゃ店がつぶれる……」
 軒庵楼の親父は涙目になって訴えた。髪を赤く染めた鋭い目をした若者は、他の二人の仲間の男たちと一緒に笑った。
「こいつ、いい年して泣いてやがる」
「十五年続いたこの店が、こんな形で終わっちまうのか……」
「最初にも言ってるが、そっちも闘食家を用意すればいい。俺達と勝負して勝てば、この店には手出ししない。その後の事はどうなるか知らんがね」
 親父は悔しさと悲しさのあまりに落涙した。
「その勝負、わたしが受けるよ!」
 全員の視線が声の方に集まる。店の入り口の戸が開いていて、そこに春園小桃が立っていた。
「気持ちはありがたいが、小桃ちゃんを巻き込む訳にはいかないよ」
 親父が言うのも聞かずに、小桃は中に入ってきてカウンターの席に座った。
「止めるなら今のうちだぜ。土下座して謝れば許してやる」
「貴方たちなんかに負けない」
「なんだとこいつ、いい度胸じゃねぇか」
「そっちは三人なんだから、わたしが勝負のメニューを決めていいよね」
「かまわねぇぜ、餓鬼に負けるようなメニューなんて何一つないからな」
「じゃあおじさん、あれお願いね」
「あれって、この前のあれかい?」
 小桃が笑顔で答えると、親父は心得てラーメンを作り始めた。
「勝負方法は、ラーメン早食い勝負だよ。出て来たラーメンを一番早く食べた人が勝ちだからね」
「馬鹿め、早食いは俺が最も得意とする勝負だ。お前は墓穴を掘ったぜ」
 小桃はそう言う茶髪の男に、ふやけたような笑みで答えるのだった。

 林檎はむさしの餃子を出ると、自転車で急いでペガサス通りに向かった。
「軒庵楼の事をすっかり忘れていたよ。もう流石に食えないけど、何とかして奴らを追い出してやる」
 林檎が軒庵楼の前に着くと同時に、鶫も反対側から走ってきた。
「あ、鶫も来たのか」
「行きましょう」
 林檎が店の戸を開けると、そこには予想だにしない光景が広がっていた。
「こんな辛ぇの食えねぇよぅ………」
「うるせぇ、いいから黙って食え!」
「食べ終わったよ。ご馳走様でした〜」
 涙を流しながら麺を啜る三人の男たちを尻目に、小桃が超大盛り激辛ラーメンを食べ終えたところだった。負けた瞬間に、男達はあまりの辛さと敗戦の衝撃でカウンターの上にダウンした。
「春園小桃さん……」
「あれ、あなたは確か、鶫ちゃんだったよね?」
 鶫が食い入るように見つめるので、小桃は恥かしくなって顔を背けた。
「おじさん、わたし帰るね」
「ありがとよ小桃ちゃん。すかっとしたよ」
 小桃は親父に笑顔で答え、それから店を出て鶫の横を通り過ぎる。鶫は小桃の手を掴んで引き止めた。
「まって」
「え?」
「わたしと一緒に来て」
「前にも言ったでしょ、わたしは…」
「戦わなくてもいい。ただ、わたしたちの後ろで応援してくれるだけでもいいの。貴方がいてくれるだけで、わたしたちは安心して戦う事が出来る」
「そんな、皆が頑張ってるのに、それを応援するだけなんて……」
「闘食杯にこだわる必要なんてないわ。チームには貴方の友達の胡桃や真名上君もいる。わたしや林檎とも友達になって、見ていて欲しい。それでは駄目かしら?」
「……わかったよ、そこまで言うなら。それに、鶫ちゃん真面目で良い人そうだし、わたしも友達になりたいなって思ってたんだ」
「ありがとう」
 鶫が微小すると、小桃も笑った。小桃は鶫の情熱に負ける形でチームに入った。何にせよこれで闘食杯に出られるだけのメンバーが揃ったのだ。

あなたはどちらを選ぶの・・・終わり


6 :四季条 ユウ :2011/09/17(土) 21:55:05 ID:rcoJmAVmse

第五話 友達ってそういうものよ

 東京新宿区のとある最高級ホテルの一室で、今年で二十歳になる桜子(さくらこ)は、お気に入りの駄菓子を食べながら五十階から見下ろす絶景を眺めていた。年の割には幼げなピンクのリボンで長い黒髪をポニーテルに纏め上げ、ピンクのタンクトップにジーンズのズボンというラフな格好をしている。見た目はただの女子大生でも、彼女は周囲の人間に一流のアスリートに似た圧倒的な力を感じさるのだ。
「大変、大変!! 大ニュース!!」
 いきなり桜小の部屋に少女が駆け込んできた。セミロングの黒髪をブルーサファイア製の星型のヘアピンで飾り、上は胸周りだけを隠す皮製の黒いチューブトップでその上に黒のジャケットを着て、タイトなミニスカートも黒い皮製のもの、それに黒いブーツを履いていて、黒ばかりで大人を感じさせる色彩だ。そんな見た目とは正反対に、少女は黒い大きな瞳を輝かせて、年なりに幼さが残っている。彼女の名は楠木彩(くすのきあや)といった。
「うるさい、彩」
「あう、ごめんなさい、桜子さん。でも、すごいニュースなんだよ」
 桜子は床に積んである箱の中から菓子を掴み取り、袋を開けて中のチョコレートを食べた。彩の言う事にあまり興味がないという様子だ。
「例の地方侵攻でさ、うちの闘食家がやられまくったらしいよ。しかもそいつら、一人で三人に挑んで、同時に何組も闘食部隊を倒したてっさ。桜子さんは栃木出身だよね、心当たりとかないの?」
「ないわね。それで、どうなったの?」
「東北担当の鷺沼常務が大変な事になってる。地方への進出なんて造作もないって言ってだだけにさ、いきなり出鼻を挫かれちゃって、さらにあんな田舎になんて闘食家はいないって高をくくって、スカウトを送っていなかったらしいの。だから、うちの闘食家がどんな奴にやられたのか、よくわかっていないらしい。あ、そうそう、全員高校生だって事だけは確からしいよ」
「鷺沼め、栃木を田舎と馬鹿にするからそういう目に合うのよ」
「でも、何で栃木なんだろうねぇ?」
「餃子で日本一の県だからでしょ。餃子ってどこにでもある食べ物だし、それを押さえれば、後々の展開が楽だと考えたんだわ」
「まあ、そういう訳で、敵の正体が分からないから、スカウトが例の闘食家たちを見つけてこっちに引っ張り込むまでは、手を出せないわけ」
「見つけたところで、こちら側につくとは思えないわね。同時に何組もやられたとなると、向こうはこちらのやり方を知っているわ。話を聞いているだけでも、敵対意識をびしびし感じるわね」
「相手は強敵だ、常務の懐刀、チーム龍餓(りゅうが)のお出ましか〜」
「出ないわね。彼らも私たちと同じで、テレビの出演やら闘食大会の出場やらで忙しいからね。どこにいるかも分からない闘食家を追いかけさせるなんて、会社にとっては損失にしかならないわ」
「だよね〜、栃木の田舎に行くような人たちじゃないか」
「田舎って言うな、わたしの故郷なんだから」
「だって、何にもないじゃん」
「色々あるわよ、馬鹿にしないで」
「例えば?」
「そうね、わたしの実家の近くではあらゆる種類の山菜が山ほど取れるわ。それこそ、このわたしでも嫌って言うくらい食べられるの。天ぷら、おひたし、胡麻和え、何でもござれよ」
「それって、めちゃ田舎じゃん、っていうか山奥だよ! 熊とか出ない!?」
「失礼ね、熊なんて出ないわよ。狐なら見た事あるけど」
「うあ、狐……。わたしには想像できない世界だな……」
「実家がたまたま田舎なだけで、都会だってちゃんとあるわよ」
「ふ〜ん。じゃあ、栃木で一番高い建物は?」
「十五階建ての県庁かしら……彩、何笑ってんのよ」
「だってさ、私たちが泊まってるホテルって、何階建てだと思う?」
「東京のビルが高すぎるのよ。高けりゃいいってもんでもないでしょ」
 桜子は不機嫌そうに言いながら、また箱から駄菓子を一つ取って袋を開ける。何故か彩も同じものを手にとっていた。
「こら、勝手に人のものを食べるな。しかも新しい箱開けたわね」
「いいじゃん。どうせ全部食べるんだから、どれ開けたって同じだよ。……むお、このチョコレート超美味しいんだけど!?」
「そうでしょう。ブラックスパークは駄菓子界の革命児よ」
 桜子が掌に収まるくらいの四角いチョコレートの塊を口に放り込むと、辺りに甘い香りが漂い、噛むごとにビスケットのさっくりとした、いかにも旨そうな音が聞こえる。彼女は全てを飲み込んでから言った。
「沙耶子は何か言ってた?」
「沙耶姉さんは、目の前の敵を叩き潰すだけだってさ」
「あの人は何があってもぶれないわね」
「天下の闘食女王ですから」
「あんたは昼からライブとか言ってたわよね。それ正装?」
「そう。マネージャー待たせてるの」
「さっさと行きなさい。遅れたら大騒ぎになるわよ」
「平気だって、まだまだ時間あるし」
 彩は駄菓子の箱を一つ両手で持つと、それを頭の上に乗せた。
「一箱もらってくね〜。移動の車の中で食べるから」
「ちょっと、こら、待て!」
 彩は桜子が動く前に素早く出て行った。
「まったく、油断も隙もないんだから……」
 桜子は地上五十階から見下ろす景色を見ながら、故郷に残した家族の事を思った。彼女の様子は心なしか寂しそうだった。

 家庭科室に備え付けてあった冷蔵庫は、突如として最新型の巨大な冷蔵庫に変わっていた。それが刃にとてつもない試練を与えることになった。
「な、なんだこの冷蔵庫は!!?」
「わたくしが学校に寄付いたしました。刃様の為に中にはあらゆる食材が入れてありますわ。心置きなく料理して下さいね」
「胡桃ちゃんは僕を殺すつもりなのかい……?」
「料理を作る事は刃様にとって人生そのものですわ。わたくしは少しでも刃様のお手伝いがしたいと思っていますのよ」
「僕は今ほどパティシエを目指したのを後悔した事はない……」
「何やってんの、さっさと作れよ!」
 林檎の檄が飛ぶと、刃は目頭が熱くなってきた。
「どうして僕が君たちの為の料理を作らなきゃいけないのかな?」
「マネージャーの役目は、チームメイトの精神的なケアよ」
「あたし達にとってそれはつまり食うこと、だから早く作れ」
 酷く控えめに聞く刃の身体に、鶫と林檎の言葉が矢のように突き刺さる。刃はもう逃げられない事を知って覚悟した。
「こうなったら、僕の持てる力の全てを、君たちに叩きつけてやる!」
「おお、真名上君が燃えてる〜」
「刃様、素敵ですわ」
 刃の悲愴な覚悟も知らずに、小桃と胡桃は喜んでいた。
「おお、神よ。あの四人を相手に料理を作るなんて、あなたはなんという試練をお与えになるのでしょうか。しかし、僕はこれを乗り越え、一流のパティシエになってみせます!」
 家庭科室の片隅で刃が必死に料理を作っている近くで、少女達は雑談の花を咲かせる。
「新しいの出てたから買ってきたんだ」
「表紙は小桃さんのお気に入りの方ですわね」
「それ何?」
 林檎が言うと、小桃が手に持っている雑誌の表紙を見せた。
「芸能雑誌だよ。この表紙の子がね、楠木彩ちゃんって言って、歌って食べれるアイドルフードファイターなんだよ。可愛いし、スタイルも良くてグラビアもやってるし、わたし大ファンなんだ」
「こいつがそんなに良いのか?」
 林檎は楠木彩の特集のページを開くと、読み進むごとに顔つきが険しくなっていった。
「顔が可愛くて、人気者、スタイルも良くて、女子高生最強の闘食家だとーっ!! ふざけんなーーーっ!!」
 林檎は雄叫び上げて、雑誌を真っ二つに引き裂く。小桃も胡桃も驚いて目を白黒させた。
「林檎ちゃん、ひどいよ〜。わたしの雑誌……」
「う、ごめん小桃。つい力が入った。この楠木彩って奴は、どうも相容れないものがある。アイドルで女子高生最強の闘食家とは笑わせる。闘食の道はそんなに甘くはない」
 そんな林檎の勢いを削ぐ様に鶫が言った。
「闘食家としての楠木彩を見れば、あなたの考えは変わるわ」
「お前が他人の肩を持つなんて珍しいな」
「全ての物事を正しく見極めなければ勝負には勝てない」
 そこへ刃がオードブルを運んでくる。
「楠木彩って、テレビによく出てるのに、紅野さんは知らないの?」
「あたしの家にはな、テレビなんてものはないんだよ!」
「テレビがないだって!!? 今時そんな家庭があるなんて!!?」
「あたしのお気に入りのチャンネルはLAC5だ! 文句あるか!」
「いえ、ありません……」
 刃が林檎の勢いにへこまされたその時、オードブルを食べた小桃と胡桃の間から美味しいという声が漏れた。
「あ、お前ら、あたしにも食わせろ!」
 刃が出来る限り数を作ったオードブルは瞬く間に消えていった。
「早く次の料理を作らないと、何を言われるか……」
 刃は台所にもどって手早く料理を作り始める。
「はぁ、そろそろケーキが食べたいですわ。それにケーキたちの喜ぶ声を聞かないと、心が荒んでいってしまいそうです」
「急に電波を飛ばすな。頭の中プリンで出来てるんじゃないのか?」
「頭の中がプリンだなんて、それは素敵な事ですわね」
「そう思うのはお前だけだ……」
 林檎と胡桃のやり取りを見ていた小桃が、何故だかさっきから溜息ばかりついている鶫に、会話に入ってもらおうとして言った。
「頭の中がプリンって、鶫ちゃんはどう思う?」
「頭の中がプリン………」
「頭の中がプリンだったら、遭難したらそれを食べて生き延びられるよね」
「でも、頭を開いた時点で死んでしまうような気もしますわ」
「あ、そっか。でも、一緒に遭難した人がいたら、その人の糧になれるよ」
「人助けが出来ますわね」
 胡桃と小桃が笑うと、それを聞いていた林檎がむかっ腹を立てた。
「そんなもん食うくらいなら死んだ方がましだーっ! っていうか、何でそんな理解不能な話で盛り上がれる!? 聞いてる方の頭がおかしくなる!」
「胡桃ちゃんと小桃ちゃんは何時もこんな感じだから、一々突っ込んでたらきりがないよ」
 そう言ったのは、新たな料理を運んできた刃だった。その後で林檎は刃お手製の山盛りパスタを食べながら言った。
「お前、昔からこの二人と一緒にいるのか?」
「小学生の頃からね。お陰であの二人の会話には慣れたよ」
「苦労してんな〜」
「その、ものすごい哀れみの目で見るのは止めてくれないかな…」
 その時、鶫が深い思考の末に口を開いた。
「色々考えてみたんだけど、頭の中がプリンの人は神経も通っていないわけだし、生きた屍になってしまうと思うわ」
「深山さん、そんな大真面目に考えなくてもいいからね……」
 その後で、またもや鶫は深い溜息をついた。小桃が心配そうに言った。
「鶫ちゃん、さっきから溜息ばっかりだね。何か嫌な事でもあるの?」
 鶫は見るからに気が進まないという様子で言った。
「姉さんが、あなた達を家に連れて来いって、顔を合わせる度に言うの」
「ほんと、じゃあ今度みんなで遊びに行こうよ!」
「鶫さんのお家ですか。一度お邪魔してみたいですわね」
「このままだと姉さんがうるさいし、明日にでも来るといいわ」
「鶫の家ってどこにあるんだ?」
「市内にある焼き鳥屋よ。姉さんが一人で切り盛りしてるの」
 焼き鳥屋というのを聞いたとたんに林檎の目の色が変わった。
「なに、焼き鳥屋!? 焼き鳥食い放題じゃないか!?」
「お店の商品を勝手に食べたりしたら叱られるわ。でも、姉さんが友達を連れてきたら、いくらでもご馳走してくれるって言っていたわ」
「よっしゃ! 小桃、手帳を開け! 明日のスケジュールを立てるぞ」
「そう言うと思ってもう用意してた」
「食べ物が絡んだとたんに、行動力が大幅に上昇するね……」
 呆れ顔で言う刃の事など蚊帳の外において、少女たちは真剣に明日の予定を話し合っていた。その時に林檎が不意に刃を見つめて言った。
「お前は突っ立ってないで、早く料理を作れ!」
「まだ作らなきゃ駄目なの……?」
「あたしらはまだ満足してない。話し合いが終わるまでに料理出せよな」
「わかったよ、作ればいいんでしょ!」
 刃は半ば自棄になって調理場に戻った。そして彼は、精も魂も尽き果てるまで料理を作らされるのだった。

 翌日の放課後、鶫はペガサス通りで先を歩いて仲間達を家に案内していた。はつらつとして元気な少女たちの中で、刃だけが疲れ果てた顔をしている。
「はぁ、昨日は酷い目にあった。右腕が痛くて上がらないんだよね……」
「まあ、刃様。どこでお怪我をなされたのです?」
「昨日倒れるまで料理を作らされたからだよ! フライパンの振りすぎで腕が筋肉痛なの!」
「あの程度で音を上げるとは、情けない男だ」
「君が何と言おうと、僕はあの苦行に耐え切った自分を褒め称えたいね」
 他愛のない話を続けている間に、鶫たちは商店街を抜け、やがて飲み屋の多く立ち並ぶ裏路地に入った。
「あれよ」
 鶫が指を差したのは、立ち並ぶ店舗の中でも特に小さな店だった。
「何か貼ってあるな。都合により今日は休むって書いてある」
「あなたたちが来ると聞いて、姉さんがわざわざ休みにしたのよ」
 鶫が店の戸を引くと、鍵はかかっておらず、すんなり横に滑った。
「いらっしゃい、待っていたわよ」
 店に入ってきた少女達を出迎えたのは、少し癖のある長い黒髪を後ろで結わえた割烹着姿の女性だった。少しカールのかかったような前髪がチャームポイントの可愛らしい顔立ちで、古びた店の雰囲気がさらに鶫の姉の美しさを際立たせていた。
「えと、初めまして、わたし鶫ちゃんの友達の春園小桃と言います」
 小桃が言うと、それに習って胡桃、林檎、刃も順に自己紹介していった。すると女性は、何が嬉しいのかと思うくらいの笑顔を浮かべた。
「わたしは鶫の姉の深山瑠璃(みやまるり)よ、よろしくね。さ、好きなところに座ってちょうだい。狭くて汚いお店だけど、味には自信があるわ」
「こういう店のカウンターに座ってみたかったんだよな」
 林檎がカウンターの席に座ると、他のメンバーも同じ様にカウンターの前に落ち着き、五人が横並びになった。
「へぇ、このお店では商品をガラスケースに入れてるんですね」
「まるでお寿司屋さんのようですわ」
「こうしておけば目で見て本当に食べたいと思うものを選べるでしょう」
「うわぁ、美味しそうだな〜」
「どれから食べるかな〜」
 小桃と林檎はガラスケースの中身しか見ていなかった。
「わたしのおごりだから、好きなだけ食べてちょうだい」
「そ、そんなことを言うと恐ろしい事になりますよ!?」
 本当に恐怖して言う刃に、瑠璃は笑顔で答える。
「大丈夫よ。あなたたちの事は鶫から聞いているわ。五十本でも百本でも焼いてあげるわよ」
「よし決めた。鳥もも十本と、鳥皮五本と、砂肝五本、あと軟骨五本、とりあえずそれで行く」
「じゃあ、わたしもとりあえず、鳥もも五本と、皮三本と、ぼんじり三本に、軟骨四本お願いしま〜す」
「わたくしはとりあえず、鳥もも三本に、鳥皮三本、ハツ三本、レバー三本、軟骨三本にしますわ」
「承りました。すぐに焼いてあげるわ」
 瑠璃は少女たちの注文に当然のように応じていたが、はたで見ている刃の方が青い顔をしていた。
「今の注文で五十本超えてる。しかも全員とりあえずと言っているのが恐ろしい………」
 それからしばらくして、大皿一杯に山のようになった焼き鳥が出てきた。
「地鶏を炭火で焼いて特製ダレをたっぷりつけた、自慢の焼き鳥よ」
 早速それを食べた少女たちは口々に言った。
「おいしい! こんなおいしい焼き鳥を食べたのは初めてだ!」
「もう死んでもいいっていうくらい美味しい!」
「地鶏は良く食べますが、こんなに美味しいものは初めて口にしましたわ」
「…おい、なんか一人だけ言ってる事がおかしいぞ」
「胡桃ちゃんは大金持ちのお嬢様だからね〜」
 みんなが盛り上がっている横で、鶫は姉の様子を気にしながら黙っていた。
「鶫、食わないのか?」
「わたしの事は気にしないでいいから、みんなで食べて」
 鶫は林檎にそっけなく言うと、何かを押し隠しているような様子で下を向いてしまった。
「みんなは鶫とどういうお友達なの? クラスメイトなのかしら? それとも何か目的があって集まってるの?」
 瑠璃が言うと、鶫の眉がわずかに眉間によった。それは鶫が最も聞いて欲しくない事だったのだ。
「クラスは全然違うよ。あたしは闘食杯に誘われたんだ。あの時は、いきなり勝負を挑んでくるから驚いたな」
「わたしもそう、応援担当だけど」
「わたくしは、甘いものが沢山食べられるとお聞きしましたので、鶫さんとご一緒しているのですわ」
「胡桃ちゃんはこのチームの趣旨を未だに理解していないんだね……」
 その時、瑠璃は急に悲痛な表情を浮かべて妹を見つめた。姉妹の様子がおかしいのと空気が急に張り詰めた事で、林檎たちは怪訝な顔をする。
「鶫、まさか沙耶子と戦うつもりなの!?」
「そうよ、あの女だけは許すことは出来ない!」
 いつも静かな鶫が激しい口調で言うので、他の四人はすっかり驚いてしまった。鶫は我を忘れたように、怒りを露にして言った。
「全力を尽くして最後まで戦った姉さんを、あの女は笑った。あの時の声が今でも頭の中で響いてる。あの女の姿も忘れられない。でも、何よりも許せないのは、あの時何も出来なかった自分自身よ」
「あの時の鶫は小学生だったのよ。そんなに気に病む必要なんてないわ」
「それでもわたしは華喰沙耶子と戦いたい。そして、わたしたちの全てをぶち壊しにしたあの女を倒したい!」
「鶫………」
 瑠璃は悲しそうに呟いた後、ぱっと顔を明るくして林檎たちを見た。
「ごめんなさいね、急に大声出したりして」
「その沙耶子って奴と鶫の間に何があったんだ?」
「人に話すような事じゃないんだけど、鶫と一緒に闘食杯に出る貴方達には聞く権利があるわ。今から五年前の事よ」
 瑠璃はしばらく目を閉じて、当時の事を思い出してから言った。
「わたしたちは元々東京の下町に住んでいて、やっぱり焼き鳥屋をやっていたわ。お店を経営していたのはお父さんだったけどね。あの頃わたしは闘食家だったの。有志を募ってイーストフードカンパニーに対抗する闘食団体を作ろうとしていたわ。神奈川や東京の目ぼしい場所にいっては、イーストフードカンパニーの闘食家たちを撃退したりもしていた。そんな事をしていれば、当然狙われるわ。あの頃のわたしは学生で考えも甘かった。イーストフードカンパニーの妨害にあって、うちの店は瞬く間に潰れる寸前まで追い詰められてしまったの。そんな時に華喰沙耶子が現れたわ。彼女は闘食で勝てばお店の妨害を止めるという条件を出して挑んできた。わたしはそれを受けて、限界を超えた闘食の末に、倒れて病院に運ばれたの。それからは坂を転げ落ちる小石よ。お店は潰れてお父さんは心労とショックで倒れるし、お母さんはお父さんに付っきりでいなければならなくなった。そうしてわたし達家族は、この栃木の地に逃げるように越してきたのよ」
 そこまで言うと、瑠璃は悲しげな目を妹に向けた。
「わたしと沙耶子の勝負を間近で見ていた鶫はトラウマを背負ってしまって、人間不信に陥ってしまったの。中学生の頃は誰とも馴れ合わず友達もいなかった。本当に可愛そうな事をしてしまったわ」
「姉さんは悪くないわ」
「いいえ、わたしが浅はかだったの。全部わたしのせいよ」
「違うわ! 姉さんは正しい事をしていた!」
「鶫、もういいのよ、ありがとう」
 それから瑠璃は元の柔和な笑顔を取り戻して言った。
「でも、よかったわ。鶫があなたたちと一緒に歩いているのを街で見かけた時は、本当に嬉しかった。みんな、これからも妹と仲良くしてあげてね」
 瑠璃がそう言うと、鶫は何故か姉から目を背けて黙っていた。
「沙耶子もイーストフードカンパニーも、絶対に許せないよ!」
「その話を聞いて、俄然やる気になった! 沙耶子を必ず倒してやる!」
「ええ…」
 怒りを燃やす小桃と林檎に、鶫は何か後ろめたい事があるような、はっきりとしない返事をした。
「暗いお話はここまでよ。さあ、どんどん食べてね」
 それから少女たちの追加の注文をする声が店を明るくした。
 やがて夕暮れ時になり、皆が帰って鶫と瑠璃だけが店内に残った。鶫は店の片づけを手伝い、店内を箒で掃いていた。カウンターの向こうで食器を洗っていた瑠璃が言った。
「みんな良いお友達よね。鶫の方から声をかけたというから驚いたわ」
「……わたしには、あの子達の友達になる資格なんてない」
「どうしてそんな事を言うの?」
 鶫は答えずに、ただ黙々と箒で床を掃いた。そんな妹の姿を見つめながら、瑠璃は微笑を浮かべて言った。
「鶫が何を考えているのかは分からないけれど、あの子達は貴方を慕って集まり、貴方の周りで楽しくお喋りしたり笑ったりしている。友達ってそういうものよ」
 姉の一言を聞いて、鶫はいくらか救われたような気持ちになり、顔を上げた。その時に店の前にある建物の隙間に沈んでゆく夕日が見えて、目を細めた。鶫は本当に美しい夕日だと、心の底から思うのであった。

友達ってそういうものよ・・・終わり


7 :四季条 ユウ :2011/09/17(土) 21:57:23 ID:rcoJmAVmse

第六話 それでも胸を張って言える

 放課後の家庭科室はすっかり少女たちの居場所になっていた。今は鶫以外の四人がいて、唯一男子の刃は胡桃の隣に座っている。女子高生三人が無駄話をする中で、彼は居づらくてしょうがなかった。
「小桃は何で小桃なんだ?」
 林檎は鶫が来るまで暇だったので、何となく思ったことを小桃に尋ねる。
「え? 名前の事?」
「そうだ。暇だから名前のルーツでも探求しようと思ってな」
「えっとね、わたしが生まれた時は、お母さんすごく迷ってたらしいんだけど、大好きな桃を食べていたら閃いたんだって」
「それ閃いてないよ、そのままだよ!?」
 刃の突っ込みを無視して、少女達は勝手に盛り上がる。
「林檎ちゃんはどうして林檎ちゃんなの?」
「ああ、あたしが生まれた時にさ、母さんの実家の青森からお祝いに林檎と沢山送ってきたらしい。母さんはそれを見て、これだって思ったんだとさ」
「林檎ちゃんのお母さんのインスピレーションも中々だね」
「そうだろう。胡桃はどうなんだ?」
「わたくしは、生まれた時に丁度お庭の胡桃の木に沢山の実がついていて、お母様がそれを見て胡桃という名前にしたのですわ」
「胡桃の母さんも、なかなか良いセンスをしている」
「みんな名前が食べ物だね〜」
「運命を感じますわ」
「僕には名前を考えるのが面倒だったとしか思えないけどね……」
 刃が言っても少女達は話に夢中で気付かない。彼は妙な疎外感に苛まれて、いつの間にか胡桃から少し離れた席に座って窓から外を見ていた。刃が気になってちらと少女たちのことを見ると、林檎と目が合った。
「そこの捨てられた子犬のように寂しそうな目をした少年、可哀そうだからお前の名前の事も聞いてやるよ」
「そんな目はしていないし、聞かれたいとも思ってないから!!」
「何だと、この林檎様が優しい気持ちで聞いてやってるのに!」
 刃は林檎に睨まれると、仕方ないという様子で咳払いした。
「そんなに聞きたいと言うのなら、教えてあげよう」
「なんかむかついたから、もういいや」
「ちょっと、待って!?」
「刃様の事でしたら、わたくしからお話いたしますわ」
「いや、いいよ胡桃ちゃん! どうせ話すなら自分で話すから!」
「しょうがねぇな、聞いてやるからさっさと話せよ」
「うっ、何か一気に話す気がなくなったけど、話さない訳にもいかない状況だ……」
 そして、刃が口を開こうとすると、林檎がいきなり掌を刃の目前に近づけて、それを静止した。
「ちょっと待て」
「な、何!?」
「ジンってどういう字を書くんだ?」
「そこから!!?」
 唖然としている刃の代わりに胡桃が言った。
「刃(やいば)の一字をもって刃(じん)と読むのです」
「うわ、お前、名前負けしまくりだな」
「うるさいな!」
 刃はいきり立った後に、心を落ち着けてから言った。
「父さんは僕が生まれた時から料理人にしようと思っていて、美味しい料理が作れる料理人になれるようにと願いを込めて刃という名前を付けたんだ」
「なんだそれ、つまんない名前だな」
「君にだけは言われたくないよ!? その場の思いつきで考えた名前なんかよりもずっと奥深いでしょ!?」
「どうせなら包丁にすればよかったのに、真名上包丁君、ぷはは!!」
 林檎が自分で言って受けていると、小桃と胡桃も爆笑する。
「君たち、いい加減にしろーっ!!」
 その時、家庭科室の扉が開いて鶫が姿を現した。
「ごめんなさい、生徒会の会議が長引いてしまったわ」
「おお、鶫、いいところに来たな。今みんなの名前の話で盛り上がっていたところだ」
「名前の話?」
「そうだ。鶫は何で鶫って名前になったんだ?」
 鶫は電気コンロの前に椅子を持ってきて座り、鞄を床に置くと言った。
「鶫(つぐみ)って美味しいらしいわ」
『え!?』
 鶫が何の脈絡もなく言うので、全員が声をあげて驚いた。鶫はそんなメンバーの様子を気にもせずに淡々と話した。
「お父さんがいつかその手で料理してみたいって言っていたわ」
 それを聞いた小桃と胡桃は、顔を青くしてこれ以上ない恐怖をその表情に湛える。
「だ、だ、駄目だよそんなの!? 確かに鶫ちゃんはちっちゃくて、可愛くて、食べたら美味しいのかもしれないけど、自分の娘を料理したいなんて、そんなの絶対おかしいよ!!?」
「恐ろしいのですわ。そこまでいってしまうと、もう猟奇映画と同じなのですわ……」
「君たち!!? それは盛大すぎる勘違いだよ!! 深山さんが言っているのは、鶫って言う名前の鳥の事だからね!!」
「え? 鳥? そうなんだ〜。吃驚(びっくり)して心臓が止まっちゃうかと思ったよ」
「わたくしなんて、あまりの恐ろしさに足が震えていますわ」
「どう考えてもそれは有り得ないだろ。お前らはどうして毎度そんな阿呆な妄想が出来るんだ?」
「え〜、今のは誰だって勘違いするよ〜。それよりも、鶫ちゃんと同じ名前の鳥さんって、そんなに美味しいの?」
「ものすごく美味しいらしいわ。でも、それが原因で乱獲されてもう少しで絶滅するところだったのよ。今では狩猟禁止になって、日本では鶫料理を味わうことは出来なくなったわ。鶫は幻の食材よ」
 鶫が幻の食材と言ったところで、メンバーの間に電流のような衝撃が走る。そして、林檎がいきなり四つん這いになり、敗北感を露にして言った。
「あたしの負けだ…」
「完膚なきまでに負けたね…」
「完敗なのですわ…」
「何それ!? どの辺りで負けてるの!? 僕全然分からないんだけど!?」
 刃が言っている側で、林檎は敗色を吹き払い立ち上がって言った。
「鶫は親父が料理したい食材の名前を付けられた訳か」
「認めたくないけど、そうよ。由来はあれだけど、この名前は気に入っているわ」
「あたしたち全員、名前が食い物だな。もはや刎頚の交わりと言っても過言ではない」
「さしずめ僕は、君たちを料理するシェフと言ったところかな」
 刃が思わず口走った瞬間、少女達は時が止まったように固まって、氷付くような静寂が訪れた。そして次の瞬間、堰を切ったように騒ぎが起こる。
「お前に料理されるくらいなら、鳥にでも食われた方がましだ!」
「きゃーっ、真名上君、何かその発言すごく嫌らしいよ!」
「刃様にお料理して頂けるのなら、わたくしは嬉しいですわ」
「まじか!? お前らそういう関係だったのか!?」
「真名上君、胡桃ちゃんに破廉恥なことしちゃだめだよ〜」
「ちょっ、ちょっと君たち、話が飛躍しすぎだよ!!」
 刃が余計な事を言ったと激しく後悔したのは言うまでもない。
 林檎たちが大騒ぎしている横で、鶫は真剣に考えた末に言った。
「真名上君」
「な、何、深山さん?」
「鶫は小さな鳥だから、料理すると言っても串焼きくらいしか出来ないと思うわ」
「このタイミングでそんなに真面目に返されると、リアクションに困るよ……」
 小桃と胡桃は、串焼きと聞くと抱き合って震え出した。
「串焼き怖いぃ」
「何て残酷な仕打ちなのでしょう……」
「だから鳥だって言ってんだろ! 生々しい想像をするな!」
 林檎が怒鳴ると二人は余計にきつく抱き合って震えるのだった。

 無駄話の後、少女達はやる事もないので、帰る事にした。
 鶫達はバスの停留所に向かって校庭を歩いていく。その時に胡桃が言った。
「あまりの恐ろしさに糖分が減ってしまいましたわ。ですから、みなさんでケーキビュッフェに行きましょう」
「賛成〜」
「……恐怖で糖分が減るって、どういう事だ?」
「胡桃ちゃんは何でもケーキを食べる為の理由にするから、深く考えない方がいいよ」
 刃が耳打ちするように林檎に言ったとき、一番前を歩いていた小桃がみんなの方に振り返って言った。
「みんな行くよね?」
 刃はそれを聞いて周りのメンバーを見渡すと、途端に世にも恐ろしい事実に気付いた。
 ―まずい、このメンバーで行ったら、メイプルハニーの息の根が止まる!! しかし、慌てるな、僕には秘策がある。彼女に話を振れば、きっと止めてくれる。
「あのさ、みんな、こんな人数でケーキビュッフェは止めたほうがいいよ」
『何で?』
 胡桃と小桃が心の底から訳が分からないという顔をして同時に言う。
「君たちの反応は予想通りさ…。でも、深山さんなら分かるよね?」
「……え?」
「あ、あれ?」
「鶫ちゃんも行くよね、ケーキビュッフェ」
「ええ、せっかくだからご一緒するわ」
 刃は密やかに激しい打撃を受けながら心の叫びをあげた。
―深山さん、理解してなーーーいっ!? 馬鹿な、予想外過ぎる!? どうするんだ、どうやって止める!? っていうか、何で僕がこんなに悩んでいるんだ? どうでもいいと言えば、どうでもいい事じゃないか。いや、しかし、このままメイプルハニーが潰れるのを見過ごすわけにもいかない。それは人として許されない事だ!
 刃がなんだかよく分からない正義を燃やしている間に、小桃は林檎に言った。
「林檎ちゃんも一緒に行こうよ」
「いや、あたしはいい。お前達だけで行ってこいよ。じゃあ、あたしは自転車だから、また明日な」
 と言って、林檎は誘われるのを嫌うように自転車置き場の方に走っていった。林檎の走っていく後姿を見ながら、小桃は残念そうに言った。
「また嫌われちゃった」
「林檎さん、何度お誘いしても、お受けしてくれませんわね」
「一度くらいみんなでお茶したいよね」
「毎日あんなに急いで帰って、何をしているのでしょう?」
 二人の会話を聞いていた鶫は、突然思いついたように言った。
「気になるわね。探ってみましょう」
「探るって、どうするの? 林檎ちゃんは自転車通学で、わたしたちはバス通学だよ?」
「大丈夫、わたしに任せて」
「林檎さんがいないので、ケーキビュッフェはお預けですわね」
「そうだね、ビュッフェはそのうちみんなで行こうね」
「とりあえずバスに乗って東武宇都宮駅近くまで行くわ」
 三人の少女たちは小走りでバス停の方に向かう。その後に、刃は迷走する思考から現実に戻ってきた。
「やっぱり駄目だ! 僕は何としても君たちを止める! 例え変な目で見られようともかまわないさ、僕の行動に一人の男の人生がかかっているんだからね!!」
 刃が意を決して言った時、目の前には誰もいなかった。さらに刃の後ろから歩いてきていた何人かの女生徒が、通り過ぎる時に失笑していった。
「あ…あれ? みんな、どこいったの!? ちょっと待ってよ!?」

 鶫は東武宇都宮駅近くでバスを降りると、まっすぐにアルテミス通りに向かった。その足取りに迷いは感じられない。小桃と胡桃はただ何となく付いてくるだけだったが、刃はどうしても拭いがたい疑問があって、そのうち我慢できなくなって言った。
「あの、深山さん」
「何かしら?」
「君はどこに向かっているのかな?」
「林檎はまず、この辺りのお店で食賞金稼ぎをするわ」
「何でそんな事が分かるの…?」
「わたしはチームのリーダーよ。メンバーの事なら何だって分かるわ」
「ええ!? じゃ、じゃあ、わたしが小学校高学年まで怖い夢を見るたびにおねしょしてた事とかも!?」
「わたくしが夜おトイレに行くのが怖くて、未だに爺やに付き添ってもらっている事もですか!?」
「いえ、そこまでは知らないわ」
「二人共、華麗に自爆したね」
「有益な情報をありがとう」
『はうっ!?』
 小桃と胡桃が同時にショックを受けて放心している近くで、刃は少し胸の鼓動を早くしていた。
 ―まさか、僕の秘密の趣味までは知るまい……
「真名上君が、あんな趣味を持っている事なら知っているわ」
「な、何だって!!?」
 鶫が言うと、刃は息が止まりそうになった。
「お願いだ深山さん、それだけは誰にも言わないで……」
「大丈夫よ、真名上君。わたしは何とも思っていないし、小桃と胡桃だって、寛大に受け止めてくれる。だから怖がる必要なんてない。さあ、この場で打ち明けてしまいなさい」
「そ、そうか、そうだよね! 実は…」
 刃は言いかけて何だかおかしいことに気付いてはっとなる。
「ちょっとまって、何で僕が自分の趣味の事を明かさなきゃいけないの?」
 刃が言うと、鶫は残念そうに深い溜息をついた。
「おしかったわね、もう少しだったのに」
「何が!!?」
 鶫はただ刃を誘導尋問していただけだった。
「深山さんやめてよね! 君が言う事は冗談でも本気にしか聞こえないんだから!」
その時、放心していた小桃が急に正気に戻って言った。
「あ、林檎ちゃん発見」
 林檎は自転車を止めて、お好み焼き屋に入っていくところだった。鶫達は素早く移動してお好み焼き屋の中を外から覗いた。四人も固まっているので、傍から見ると結構怪しかった。
「七人前のお好み焼きに挑戦しているわね」
「鶫ちゃんの言った通りだね」
 その後、林檎は当然の如く七人前のお好み焼きを食べきって賞金を得て、店を出るとその足で靴屋に入り、賞金でアニメのキャラがプリントされた子供用の靴を買っていた。その後は、東武宇都宮駅に近いコンビニエンスストアに足を運ぶ。鶫達はこそこそとその後をつけていた。
「思ったんだけどさ、これって何か意味があるのかい?」
「林檎の秘密を色々と知ることが出来るわ」
 鶫の即答に、刃は苦笑いを浮かべる。
「これって完全にプライバシーの侵害だよ。もう止めたほうがいいよ」
「大丈夫よ。林檎はチームのメンバーだから問題ないわ」
「いや、問題ありまくりでしょう! 胡桃ちゃんと小桃ちゃんだってそう思うでしょ?」
 刃が言った時、胡桃と小桃は林檎の姿を真剣に目で追っていて、何を言われたかなど聞いていなかった。
「あ、林檎ちゃん出て来た」
「何か持っていますわね」
「どうやらバイト代をもらっていたようね」
「そっか、林檎ちゃん、アルバイトしてたんだ。だから、わたしたちとお茶する時間もなかったんだね」
「謎が一つ解けましたわね」
「先回りするわ、付いてきて」
『はぁい』
 三人の少女達は刃をその場に残して次の目的に向かって歩き出した。
「…女の子って、他人の秘密を知りたがる生き物なのかな……?」
 鶫たちはバスに乗り戸祭町へ移動する。そして彼女達は、古びた一軒家の前についた。
「ここが林檎の家よ」
「深山さん家まで知ってたの!?」
「さすが鶫ちゃん、情報通」
 刃が驚き、小桃が楽しそうに言う。
「古いですが、思っていたよりも立派な家ですわ」
「それは管理人の家よ。林檎の家はこの奥」
 その時、向こうのT字路を自転車に乗った林檎が曲がってきた。鶫たちは慌てて管理人の家の植木の後ろに隠れてやりすごす。林檎が管理人の家の脇にある細い通路に入っていった。四人は見つからないように後をつける。すると目の前に二階建てで四部屋のみのアパート現れる。
「…これは何とも風格のあるアパートだね」
「築二十年は堅いね〜」
 刃が気を使った言い方をしても、次の瞬間には小桃の発言がそれを台無しにする。アパートは全体が白く塗られたモルタル式だが、塗装があちこち剥げていて、全体的にくたびれた感じが漂っていた。
 鶫達がアパートに近づくと、一階の部屋から女の子の明るい声が聞こえてきた。
「おい、苺、お前が欲しがってた靴を買ってきてやったぞ」
「わぁい! お姉ちゃん、ありがと!」
 鶫達が正面のガラス戸から中を覗くと、紅い髪を小さなポニーテールにしている幼稚園児くらいの少女が、林檎からもらった靴をもって小躍りしていた。
「母さん、バイト代出たからさ、はい」
 林檎はバイト代を丸ごと母親に渡していた。林檎の母は長い赤髪が映える、高校生の娘がいるにしては若々しい人だった。
「少しは自分の為にとっておきなさい」
「いいよ、生活苦しいんだから、そんな事は気にしないで」
「いつも苦労をかけるわね」
 林檎の母が済まなそうに言う。鶫たちは夕刻のオレンジ色に染まりながらその様子を覗き見していた。
「林檎さん、素晴らしいのですわ。わたくし感動いたしました」
「紅野さん、実はいい子だったんだな。それと、本当にテレビはないみたいだ」
「なになに? わたし全然見えないよ!?」
 弾かれていた小桃がどうにかして中の様子を見ようと無理やり割り込んでくる。
「わ、ちょっと小桃ちゃん、危ない!?」
「きゃっ!?」
 刃と胡桃の声が上る。小桃はかなりの勢いで脇から突っ込んできて、その衝撃で後の三人は将棋倒しになった。倒れたときの音も声も、部屋の中まで良く聞こえた。
「誰だ!!」
 林檎がガラス戸を空けると、目の前にチームメイト達を見て、一瞬声を失う。
「…お前ら、何でこんな所にいる」
「わわ、どうしよう、どうしよう」
「大丈夫よ、わたしに任せて」
 小桃が慌てふためいていると、鶫が言って立ち上がった。そして鶫は、刃のみならず、同姓の少女たちまで魅了する滑らかな手つきで、夕日に赤く染まるセミロングの黒髪をかき上げる。一瞬、まったく穢れのない髪が宙を舞い、林檎にはその一本一本まで夕日で赤く輝いて見えたような気がした。そんな幻想的とも言える雰囲気を作ってから鶫は言った。
「ちょっとそこまで買い物に」
「うそつけ!!」
 林檎が全力で否定したすぐ後に、林檎の母が現れる。
「あら、どなた?」
「母さん、あたしの友達だよ。ちょっと前に話した例の」
「ああ、一緒に闘食杯に出るって言う。せっかくだから皆お上がりなさいな」
 林檎の母は、いきなり現れた鶫たちにさしたる疑問も抱かずに、それどころか娘の友人の来訪を喜んでいた。
 鶫たちは八畳一間にキッチンがあるだけの質素な部屋に招待された。皆が畳の上に座って真四角のテーブルを囲むと、すぐにお茶が出て来た。そのタイミングで林檎が言った。
「どういう事なんだ? あたしの後をつけていたのか?」
「さっき言った通りよ」
「明らかに嘘だろ!! 言っておくが、この辺りには個人経営のスーパーが二軒あるだけだ。お前が買い物をするようなものなんてどこにもない!」
「今夜のおかずにホウレン草の御浸しを作ろうと思って、それを買いに来たのよ」
「あくまでそれを貫き通すつもりか、いい度胸してんな、鶫」
「あの、わたしと胡桃ちゃんがね、林檎ちゃんっていつも何してるのかなって思ってて、それで鶫ちゃんが一緒に探ってくれたの」
 小桃が言うと、林檎は大体のことを理解することが出来た。
「そういう事か。だったら、最初からそう言えばよかったのに」
「ここは笑いを取って和やかな雰囲気を作った方がいいと判断したわ」
「効果はどうあれ、その努力は認めるよ…」
 それから少女たちは和やかな雰囲気になり、皆すっかりくつろいでいた。林檎はお茶を一口のみ、一息ついてから言った。
「見ての通りの貧乏暮らしさ。いつも小桃と胡桃の誘いを断るのは、金も時間もないからなんだ。悪いと思ってるよ」
「そんな、林檎ちゃんが謝る事じゃないよ」
「そうですわ。むしろわたしたちの方こそ、林檎さんの事を何も考えずにお誘いしてしまって申し訳ないと思います」
「それは気を使いすぎだ」
 刃は部屋の様子を一通り見た後に言った。
「生活はかなり苦しそうだね。お父さんはいないの?」
「親父はずっと昔に有り金全部持って蒸発しちゃってさ。それからは母さんが女で一つであたし等を育ててくれた。確かに生活は苦しいけど、貧乏も悪い事ばっかりじゃない。本当の幸せって言うのは、苦労の中から掴み取るって事が分かったからな」
 林檎の言葉に、他のメンバーは目の覚めるような思いがした。
「あたしを愛してくれる母さんと、可愛い妹がいれば十分だ。金もない、テレビもない、好きなものも食べられない。それでも胸を張って言える。あたしは幸せだ」
貧乏で苦労しているはずの林檎の姿は、少女たちの目に誰よりも力強く輝いていた。

 帰りのバスの中、胡桃と刃が先に下りて、後に残った小桃と鶫は、並んで席に座っていた。その頃にはすっかり夜の帳が下りていた。
「鶫ちゃん、ありがとう」
「何でお礼なんて言うの?」
「だって鶫ちゃんのお蔭で、林檎ちゃんともっと仲良くなれたもん。あのまま林檎ちゃんを疑っていたら、その内に良くない事になっていたかもしれない。鶫ちゃんはそれを心配してくれていたんだよね」
「…小桃は友達思いね。わたしはそんな事はまったく考えていないわ。チームワークが乱れるのは困るのよ。沙耶子を倒すまでは、貴方達にはチームとしていてもらわなければ、ただそれだけの事よ」
「嘘だよ。こうして一緒にいるだけでも、鶫ちゃんの優しさが伝わってくるよ」
「それは貴方の勘違いよ」
 鶫は小桃から顔を背け、バスのブザーを押して立ち上がる。
「わたしはここだから、さようなら」
 小桃は気になってバスを降りた鶫の姿を目で追っていた。鶫が街頭の下を通ったとき、少しだけその顔が見えた。いつも無面相な鶫が、胸を打つような悲しみに沈んでいた。
「鶫ちゃん……」
 どうして鶫がそんな顔をするのか、小桃にはその理由は皆目見当もつかなかった。ただ、鶫の悲しい姿だけが深く印象に残った。

それでも胸を張って言える・・・終わり


8 :四季条 ユウ :2011/09/19(月) 23:37:10 ID:rcoJmAVmse

第七話 底にあるものは同じさ

「予選突破、おめでとうございます」
「やった〜。お祝いしなきゃだね。皆でケーキビュッフェに行こうよ」
 家庭科室で小桃と胡桃が手を叩いて喜んでいた。そこに林檎が割り込んできて言った。
「待て待て、まるで苦難に打ち勝ったかのようなその達成感は何だ!?」
「だって、闘食杯出場決定だよ」
「あたしたちは何にもしてないぞ!」
「地方の闘食家はそれ程少ないと言うことね」
 鶫が言った。鶫のチームは予選なしで栃木代表として闘食杯への出場が決定していた。
「東京や神奈川では、予選でも甲子園並みのトーナメントが行われるわ。地方から闘食杯に出たチームは、大抵はひとたまりもなくやられてしまう。何はともあれ、闘食杯への出場は成ったわ」
「チーム名とか決めたのか?」
「明凛館高校で登録してあるわ」
「そのまんまかよ」
「でも、学校の名前で大会に出るとか、青春の1ページって感じだよね」
 小桃がはしゃいで林檎に言うと、少しはなれた席に座っていた刃がぼそりと口にした。
「大食いに賭ける女子高生の青春か、絵にならないなぁ」
「何か言ったか!」
「い、いえ、僕は何も…」
「ではお祝いに、皆さんでケーキを食べにいきましょう」
「胡桃、話を急に戻すな」
「賛成、行こう行こう」
「お前らケーキが食いたいだけだろ!」
 林檎が小桃と胡桃の二人に息巻いていると、刃が手を上げる。
「二人とも、ちょっといいかな」
「はい、刃様、なにかありまして?」
「メイプルハニーはケーキビュッフェじゃなくて、普通のケーキ屋さんになったらしいよ」
『ええぇっ!!?』
 衝撃的な事実を突きつけられ小桃と胡桃が同時に驚愕した。さらに胡桃は立ち上がり、悲しみにくれた瞳で何もない中空を見つめる。その姿は冷たい風が吹きつけて悲しみを誘う音楽が流れてきそうな程の悲愴に満ちていた。
「そんな、どうして……」
 胡桃は崩れ落ちるように再び椅子に座り、机の上に突っ伏して身体を震わせた。
「胡桃ちゃん!? そこまでショック受けることないでしょ!?」
「おい、泣いてるぞ……」
「ケーキは胡桃にとって、命を繋ぐ食べ物だから仕方がないわ」
「いや、それ色々間違ってるからな」
 冷静に妙な事を口走る鶫に、林檎は少し引きつった顔になって言った。
「あ〜あ、わたしと胡桃ちゃんのお気に入りのビュッフェって、なんですぐに普通のお店になっちゃうんだろう」
 小桃が残念そうに言うと、胡桃が起き上がってハンカチで涙を拭いた。
「くすん。そうですわね。二人で三ヶ月も通っていると、大抵は別のお店になっていますわね。不思議なのですわ」
「わたしたち呪われてるのかなぁ」
「それ君たちのせいだからね。自覚しようね」
 いつも胡桃と小桃に付き添っていた刃は、胡桃と小桃を恐れていた数多くの店員の青ざめた顔を思い出し、彼らを悼んだ。
「真名上君も私たちが呪われてると思うんだね。やっぱりそうなんだ…」
「恐ろしい事ですわ。近いうちに二人でお払いをして頂きましょう」
「うん、それは名案だね。いつにしようか」
「駄目だ、この二人には何を言っても通じない……」
 刃が今まで何度となく挑戦してきた幼馴染の少女たちへの意思の疎通は、いつのもように失敗に終わった。
「ビュッフェはなくなったけれど、とても美味しいケーキを作ると聞いたわ。おそらくこの前の闘食部隊の一件で、普通の材料が手に入らなくなって、イーストフードカンパニーの影響力がない個人生産している材料でケーキを作っているのだと思うわ」
 鶫が言うと、それを聞いた胡桃は涙を振り払って復活を遂げる。
「そういう事ならば、すぐに賞味しなくてはいけませんわ!」
 胡桃はiフォンを出して電話をした。
「あ、爺(じい)や、わたしがよく通っているメイプルハニーのケーキを買ってきて下さいな。学校の家庭科室までお願いしますわね」
 胡桃はそれだけ言って電話を切った。そこへすかさず林檎が突っ込む。
「爺やって誰だ!?」
「爺やは爺やですわ。わたくしがずっと小さい頃から身の回りのお世話をしてくれていますの」
「胡桃ちゃんのバトラーさんだよ」
「バトラーって、胡桃はどんだけのお嬢様なんだ……」
 それから間もなくして、年老いたバトラーが家庭科室に現れ、大きなケーキの箱を置いていった。
「ずいぶん大きい箱だね……」
 刃はテーブルの上におかれた白い箱の異様な大きさに圧倒された。
「みなさんで頂きましょう」
 胡桃が箱のリボンと包装を取って箱を開けると、予想外のものが中から出てきたので刃は思わず声を上げる。
「デコレーションケーキ!? しかも一番大きいサイズ!?」
「景気付けには丁度いいな。家庭科室だから包丁くらいあるだろ」
「わたし探してくる」
 小桃がそこいらを探して包丁を見つけてくると、柄の方を刃に差し出した。
「真名上君、よろしくね」
「いや、あの、君たちは疑問に思わないのかい? 誰の誕生日でもないのに、こんな巨大なデコレーションケーキが出て来たんだよ」
「胡桃ちゃんと一緒にケーキ食べるときは、これくらい普通だよね」
「小桃さんと一緒の時は、よく買いますわよね」
「ちまちましたケーキなんて食っても、あたしの胃袋は満足しない」
「真名上君、早く切って」
 刃は少女達からの波状攻撃に、最後は鶫の面倒だと言わんばかりの命令を受け、このメンバーの中において常識に囚われた自身に後悔しながらケーキを切らされた。
「面倒だから五等分にしろよ」
「僕はこんな巨大なケーキ、五分の一も食べられないよ……」
「男の癖に、女みたいに小食な奴だな」
「じゃあ君たちは何なの!?」
 間もなくほとんど四等分に近い大きさのデコレーションケーキが皿の上に置かれる。少女達はそれを当たり前のように食べ、しばらくはケーキの美味しさに感動する声で家庭科室が満ちた。やがてそれが落ち着いてくると、鶫がケーキを食べる手を止めて言った。
「闘食杯の本選は3日後に始まるわ。場所は東京ドーム、8チーム出場で、日に一回戦ずつ行い、休息期間の中日も一日入るから、決勝までいくとすれば六日かかるわ」
「それじゃあ、学校を休まなきゃいけないな」
「それは学校側と交渉してあるから問題ない」
「準備万端というわけか、流石は鶫だ」
「皆、頼りにしているわ。頑張りましょう」
「おう、この林檎様にまかせておけ!」
「わたしは応援しか出来ないけど……」
「よく分かりませんけど、皆さん頑張って下さい」
「お前も頑張るんだよ!」
 思わず声を荒げた林檎だが、胡桃はケーキを食べる事に集中して聞いていなかった。
「やばい、少し不安になってきたぞ……」
「大丈夫、問題ないわ」
 鶫は林檎に確信を持って言った。彼女はチームが持っている底力を知っていた。何せ鶫自身が作ったチームなのだから。

 鶫達がケーキを食べていた頃、新宿区にあるホテルの五十階の一室で、桜子が二つの駄菓子を片方ずつの手に持って真剣に見比べていた。
「おーい、桜子さーんって、何やってんの?」
 桜子は入ってきた彩には目もくれずに、駄菓子を交互に見る。
「桜子さん。ねぇってば!」
「うるさいわね、今大切な勝負の最中なんだから、邪魔しないで」
「勝負って、駄菓子見つめてるようにしか見えないんだけど」
「物心付いた頃から駄菓子を食べ続けて一八年、私が選ぶ駄菓子の王者を決める戦いよ。ブラックスパークは彗星のように現れた人気者、対するきび団子は深い伝統と精神性を持つ実力派よ」
「超高級ホテルの一室でやる事じゃないね……」
 彩はベッドの上に積んである白い箱を開けて中の細長い袋を一つ取り出す。
「また大人買いしてる。……なにこれお餅? なかなか美味しいわ、この柑橘系の香りがなんとも」
「また勝手に食べてる!?」
「いいじゃん、こんなに沢山あるんだからさ。それで、王様はどっち?」
「難しいわね…。人気だけならブラックスパークの方が圧倒的なんだけど、きび団子の持つ奥底にある伝統という壁は越えられないわ」
「あ、これきび団子なのに黍(きび)が入ってないじゃん。偽者だ」
「わたしの好きな駄菓子にけちを付けるんじゃない。三十円のお菓子に本物の黍なんて入れられる訳ないでしょ。味を似せているのよ。それと、はっきり言って本物の黍団子よりも美味しいわ」
「はいはい、桜子さんは本当に駄菓子が好きだねぇ」
「駄菓子は日本が誇る素晴らしい食文化よ」
「そんな事言うのは後にも先にも桜子さんだけだろうね」
 それから彩は、箱からもう一つきび団子を取り出して食べながら言った。
「桜子さん、もうすぐ闘食杯だよ。コンディションは大丈夫なの?」
「問題ないわ。それよりも、今はこの勝負を決める方が大切よ」
「いやいや、試合の方が絶対大切だから」
「そう言えば、闘食杯に栃木から一チーム出てくるそうね」
「それならもうチェック済みだよ。明凛館高校でチームのメンバーはほとんど女子だって。うちの闘食家をやっつけたのって、多分この子たちだよ」
「もしそうだったら、今年の闘食杯は嵐が起こるかもね」
 それから桜子は二つの駄菓子に集中して、彩は桜子が相手にしてくれないので溜息をついて出て行こうとした。その時、桜子が手に持っていたものを放り出し、全力で駆けてきてで彩の腕を掴む。
「その手に持っているものを置いていきなさい!」
「あちゃ、ばれた」
「あんたは平然と箱ごと持っていくな!」
「沢山あるから一箱くらい平気かなと思ってさ〜」
「分かるに決まってるでしょ!」
 桜子は彩を部屋から追い出し、ベッドに腰を下ろしてきび団子をかじった。
「……明凛館って、あの子が通ってる学校だわ。まあ、闘食が出来るような子じゃないけれど……万が一にも出てきたら強敵になるわね」
 桜子は独り言の後、最後に喧嘩別れをした妹の顔を思い出していた。

 そして二日が経った。この日の天気は快晴で、イベントの開催には最高の一日となった。鶫たちはこの日から東京ドームに訪れていた。
 ドームの周囲には特設の出店がひしめきあう。屋台もあれば、プレハブ小屋で小規模な食堂を開いている店もあった。面白いのがどの店にも賞金付きの特大グルメがあって、さらに闘食での決闘も認められていた。決闘をする場合は負けた方は勝った方の料金まで支払い、店側は勝者に賞金を与えるというルールになっていた。
 立ち並ぶ店の間を、林檎と小桃が歩いていた。
「うーん、迷うな。どこの店を制覇してやるかな」
「お店によって、賞金が違うんだね」
「そうかい。だったら、狙うのは賞金が高いところだな」
 林檎が店を物色していると、急に近くで騒ぎが起った。
「おう、てめぇ! 今この俺を指差して笑ったな!」
「そ、そんな、笑ってなんていませんよ。いい体格をしていたもので、すごいなと思って……」
 何かと思って林檎が振り向くと、角刈りでジャージを着た巨躯の男が、観光客らしい男の子二人を睨んでいた。二人共痩せ型で一人は眼鏡をかけていて、見るからに草食男子といった風貌だった。
「指を差したことは謝ります。すいませんでした」
「いいや、我慢ならねぇ。そうだ、闘食で勝負しろや。俺様に勝ったら許してやるぜ」
「そんな無茶な……」
「ああん? 男なら売られた喧嘩は買いやがれ!」
 大男がメガネをかけた男の子の襟首を掴んで引き上げる。もう一人の連れの方は、オロオロするばかりだった。それを見ていた林檎と小桃は、傍若無人な大男の態度に憤った。
「あれって、恐喝だよね」
「だな。しょうがない、助けてやるか」
 林檎が出て行こうとしたその時だった。辺りが急に騒然となる。その少女が歩いてくる姿を目撃した者は自分の目を疑ったり、見とれたりした。ファンにとっては垂涎たる状況であった。
 唐突に現れた少女は、草食男子を脅している大男に近づいて言った。
「あんた自信あるんだ」
「おうよ、俺様に闘食で敵う奴なんて……」
 大男はその少女の姿を見ると、凍ったように固まって、掴んでいた眼鏡の男の子を手放した。草食男子二人の方も、脅されていた事など忘れて、その少女に見とれる。大男が近くの店の壁に張ってあるスポーツドリンクの宣伝ポスターを見る。そこに写っている目の覚めるような笑みを浮かべている少女は、目の前にいる少女と同じ姿をしていた。
「お、お、お前は……」
「彩ちゃん、サイン下さい!!」
 小桃が色紙を持って割り込んでくる。いきなり突撃してきた少女に、大男も草食男子二人もあっけに取られた。
「あ、ああ、今取り込み中だから、後でね」
「おい、小桃! いくらなんでも空気読めなすぎだ!」
「ごめんなさい。だって、いきなり彩ちゃんが目の前に現れるんだもん!
身体が勝手に動いちゃった!」
「あはは、変な子ね。ま、気を取り直してっと」
 彩は大男に向かって言った。
「そんなに自信があるなら、わたしが勝負してあげるわよ」
「面白い。アイドル闘食家と勝負出来るなんて、滅多にない機会だぜ。だが、ただ勝負するだけじゃつまらんな」
「じゃあ、あんたが勝ったら何でも言う事聞いてあげる」
「なに!!? 言ったな、負けて冗談でしたじゃ済まないぜ」
 男は今にも涎をたらしそうなだらしのない顔で言った。その時、彩はほんの一瞬だが、獲物を捕えた蜘蛛を思わせるような、異様で攻撃的な笑みを浮かべる。林檎はそれを見逃さなかった。
「あの男、地雷を踏んだな」
「え? 林檎ちゃん、どういう事?」
「アイドルなんてただのおまけだ。あいつは狼だ」
 楠木彩が現れたという噂を聞いて、辺りにどんどん人が集まってきた。
「勝負の品目は、あんたが決めていいよ」
「よし、じゃあ得意の丼物でいかせてもおう。そこの牛丼屋で勝負だ」
「じゃあ、行きましょう」
 有名チェーン店の味野屋の牛丼の特設店舗に二人は入っていった。
「あいつの実力をじっくりと見せてもらおう」
 林檎と小桃に彩を見に集まってきた人々も店に入る。カウンターに座った彩と大男の周りには人だかりが出来て、もはや一大イベントと言ってもいいくらいの盛況ぶりだった。
「勝負の時間は無制限、先にギブアップした方が負け。それにもう一つ、わたしの流儀を加えさせてもらうわ」
「お前の流儀だと?」
「注文した物は必ず完食する事、いいわね」
「何だ、そんな事か。何の問題もない」
「それじゃあ、勝負よ」
 彩が言うと同時に、牛丼並盛が二人の前に運ばれてくる。その瞬間に彩は箸を素早く取り、丼を持ち上げた。丼のせいで食べている姿は良く見えないが、彼女は二分もかからずに牛丼並盛を食べ終えた。
「はい、一丁上がり、次」
 大男の方が彩の早食いに驚愕し、自分も食べるスピードを上げる。自然、男は彩を追う形になった。彩は二杯目から三分程度の時間をかけて食べるようになった。二人の差はわずかなものだが、常に男の追う側という状況は変わらなかった。一見すると良い勝負で、ギャラリーはこぞって彩を応援した。
「彩ちゃん、がんばれー、負けるなー」
「えげつないな……」
 小桃は隣で眉を顰(ひそ)めている林檎を見て首を傾げた。
「林檎ちゃん、どうしたの?」
「小桃はわからないのか? あいつはわざと相手に合わせて食べているんだ。その気になれば、簡単にぶっちぎれるって言うのに」
 小桃には林檎の言っている意味が分からなかったが、やがて三杯、四杯と勝負が進んでいくうちに、その意味が知れた。五杯目辺りから大男の方が苦しげな表情を浮かべる。彩は平然と七杯目まで食べて、大男も負けじと七杯目を完食した。そして男は、何でも言う事を聞くと言った彩への未練から、限界にも関わらず八杯目の牛丼を頼んだ。もしかしたらこれで彩が参ったと言うかもしれないという、男の淡い期待はあっさりと叩き潰される。彩は八杯目の牛丼をさっさと口に運んで食べ終えた。
「八杯目、完食!」
 彩が食べ終えた丼を、積みあがった空丼の頂上に叩きつけるように置いた。彩の圧倒的な雰囲気に、応援していたギャラリーはいつの間にか静まり返っていたので、その時に起こった高い音がきんと響く。大男の方は手をつけていない八杯目の牛丼を前にして動かず、箸を持つ手が震えていた。
「あれ、どうしたの? もうお終い?」
「うぐ、ぬぐおっ」
 大男は目の前の牛丼を見ただけで嫌気が差し、吐きそうになっていた。
「わたしが言った事忘れてないわよね。ちゃんと全部食べなさいよ」
「む、無理だ……」
 男が言うと、彩は突然、箸を思いっきりカウンターに叩き付けて立ち上がった。大男もギャラリーもぎょっとして彩を見つめる。
「ふざけんじゃないよ、わたしの前で食べ物を残すな!! 闘食家なら、頼んだものは責任もって食べなさいよ!!」
 その時、彩が大男を見下ろす目は、恐ろしい憎悪と蔑みに満ちていた。男は蛇に睨まれた蛙の如く縮こまってしまった。
「か、勘弁してくれ……」
「世の中には食べ物がなくて飢え死にする人だっているのよ。それなのに、闘食家が食べ物を残すなんて、許される事じゃない。ねえ、皆もそう思うでしょ?」
 彩が言うと、集まっていた彩のファンは当然賛同した。そして『食え』コールが始まった。大男は冷や汗をかきながら、恥辱に震える。
『食―え! 食―え! 食―え!……』
「そうだ、彩ちゃんの言う通りだよ、ちゃんと食べろ〜」
「よせ小桃、お前まで乗せられるな」
「だって、彩ちゃんの言ってる事は正しいよ」
「そうかもしれないが、あいつは故意にこの状況に持っていったんだ。それに……」
 ギャラリーがコールして大男を攻める中、林檎は彩の前に出てきて言った。
「もうそれくらいで止めてやれよ。残すのがそんなに気にいらないなら、あたしが食ってやるよ。意地汚いと言われようが関係ない。食い物を粗末にされるのは見るに耐えないからな」
 林檎は大男の前にある牛丼を取り上げ、箸を持って素早く掻きこんだ。何と林檎は一分とちょっとで牛丼一杯を食べてしまった。ギャラリーから感嘆の声が漏れる。それだけで彩は林檎の闘食家としての実力を垣間見た。
「あんた……」
「これで満足したか?」
「林檎ちゃん、お腹が空いてるなら素直にそう言えばいいのに」
「ちがーーーう!! 話がややこしくなるから小桃は黙ってろ!」
 いきなり怒鳴られて、小桃は涙を浮かべたが、林檎は見なかった事にして話を続ける。
「楠木彩だったな。お前の闘食を見て分かったことがある。お前は食い物に対してかなりの執着を持っている。食い物で苦労してるはずだ。だから食い物を残したこいつに対して、あんなに怒ったんだ」
「ふん、田舎者のあんたに、わたしの何が分かるって言うのよ」
「田舎者で悪かったな。一つだけ言っておく、あたしとあんた、底にあるものは同じさ」
 それを聞くと、彩は人を食うような笑みを浮かべ、頭一つ分小さい林檎を見下げて言った。
「もしそれが本当なら、闘食杯でわたしの所まで来てみなさいよ」
「見てろよ、必ず…」
「彩ちゃん、ほっぺにご飯粒が〜」
 不意に小桃がハンカチで彩の頬に付いた飯粒を拭った。
「あ、ありがと」
「それと、サインお願いします」
 小桃が色紙を出すと、彩は周りに集まっているファンを見て苦笑いする。
「ごめん、ちょっと今は無理よ」
 彩はそっと小桃の制服のポケットに何かを差し込んでから小声で囁いた。
「後でこの携帯の番号に電話して」
 その後、彩はファンの開けた道を通って、牛丼屋から出て行った。
「う〜っ、彩ちゃん可愛いなぁ」
「小桃……」
「何、林檎ちゃん?」
「お前をエアクラッシャーと呼んでやろう」
「エアクラッシャー? 何それ? あ、それよりも見てよ。彩ちゃんのほっぺに付いてたご飯粒、もう一生の宝物だよ」
「そんなもん、さっさと捨てろ!!」
「いやだよ〜、そんな勿体無い事できないよ〜」
「まったくお前は…まぁいいや、とりあえず鶫のところに戻るぞ」

底にあるものは同じさ・・・終わり


9 :四季条 ユウ :2011/09/23(金) 18:35:59 ID:rcoJmAzeQA

第八話 これが華喰沙耶子だ!!! 前編

「いよいよ闘食杯の始まりが近づいてきた! 東京ドームは超満員、熱狂に包まれている! 今年はどのような激闘が繰り広げられるのか!!」
 闘食杯が行われるこの日、試合が近づくと、ドーム内の壁面にいくつか設置された巨大な液晶スクリーンからMCの声があがった。
「おい、まじか!? こんなに観客がいるのか!?」
「闘食は今やプロレスにも匹敵するエンターテイメントよ」
「イーストフードカンパニーの強力なプロモーションで、その人気は上がる一方なんだよ。それにしても、僕までここにいていいのかな?」
 想像もしていなかった観客の多さに林檎は驚くばかり、刃は自分の存在が場違いな気がして居ずらそうにしていた。その横に胡桃と小桃がいて、胡桃はあたりを見回しては不思議そうに首を傾げていた。
「小桃さん、どうしてこんなに多くの人が集まっているのです?」
「みんな試合を見に来てるんだよ」
「何か楽しい事があるのですね」
「まあ、そんなところ」
「では、わたくし達もあそこへ行って見学しましょう」
 胡桃が小桃の手を引っ張って連れて行こうとする。小桃は慌てて逆に手を引いた。
「だ、だ、だ、駄目だよぅ!? わたしたちも試合に出るんだから!」
「そうなのですか!? わたくし運動は苦手ですのに……」
「胡桃ちゃん、今頃そんなに驚かないで……」
 流石の小桃も胡桃の頂上的な惚けぶりにたじろいでいた。
「刃は胡桃がどっか行かないように、しっかり見張ってろよ」
「僕をここに呼んだのはそういう理由か」
「それ以外に何があるんだ」
「そうだね、それ以外にないよね。僕の思慮が浅すぎたよ、ハハハ…」
 林檎に言われ、刃は大会の間中、胡桃と一緒にいなければならないと思うと、乾いた笑いが出て来た。
 やがてMCからチームの紹介が始まる。まずは鶫たちにスポットライトが集中した。すると、制服姿の女子高生の登場に観客達は嬉々として拍手を送った。
「さあ、チームの紹介をするぞ! 活目せよ! まず最初に紹介するチームは、闘食杯へは初参戦、栃木代表の明凛館高校だ! 何とメンバーは全員女子高生! その力は未知数だ! どんな戦いを見せてくれるのか、今から楽しみなところだ! そしてお次は…」
 次のチームにライトが移動すると、観客だけでなく鶫達まで少し驚かされた。光の中に白いセーラー服姿の少女三人が立っていた。
「驚くなかれ! またも女子高生チームの登場だ! 福島代表、いわき青海高校! 誰もが忘れ得ぬ大震災の地から、奇跡の参戦だ! 彼女らの戦う姿で、被災地の人々に少しでも勇気を与えて頂きたい!」
 スポットライトに照らされる三人の東北美少女達、一人は浜崎空(はまざきそら)と言って、この場にいる全ての闘食家の中で最も背が小さいはしっこそうな女の子で、そんなに長くない黒髪を後ろで二つに結わえ、習字の筆のような可愛らしい小さなテールにしていた。真ん中の背が一番高く長い黒髪の少女は増子風美(ましこかざみ)と言い、顔立ちがおっとりとしているがどこか品があり、見るからにお嬢様という雰囲気が漂う。最後の少女は黒髪をポニーテールにしていて、大きな瞳に鋭い光を帯びて気が強そうだが、それにも増して陰に暗いものを持っていいた。何人かの感性の鋭い闘食家たちは、彼女から計り知れない悲愴を感じていた。その少女の名は西牧海宇(にしまきみう)と言った。
 小さな少女、空が歓声とどろく試合会場を見渡して思わずはしゃいで風美に言った。
「うわ〜、すごいな! あたしたち、こんな所まで来たんだな!」
「うん、びっくりだね」
「あたし少しわくわくしてきた」
「空ちゃん、あんまり張り切りすぎないでね」
 風美はそう言った時、はっとして海宇の顔色を伺った。
「海宇ちゃんごめんね、はしゃいだりしちゃいけないよね」
「いいのよ。ここまで来れたんだから、はしゃいで当然だよ」
 この時、観客席の一部からいわき青海高校の学生たちの声があがった。みんなが『海宇ちゃん頑張れ!』と声を張り上げていた。それを聞いたMCは言った。
「おおっと、これは東北の多くの友も応援に駆けつけているようです。いわき青海高校には是非とも頑張って欲しいとろこだ!」
その後も次々とチームが紹介されていく。そして最後に残った二チームが紹介されよういうとき、スポットライトが彼らを照らし出した瞬間に、観客は待ってましたとばかりに騒ぎ出し、爆風のような声援がドーム内に吹き荒れた。
「いよいよ残るは優勝候補の二チーム、凄まじい声援だ! 七番目のチームは、神奈川代表、龍餓(りゅうが)!」
 歓声の嵐の中で、胡桃と小桃はチーム龍餓の中で最も脚光を浴びている女性に見とれた。観客に向かって手を振る彼女の碧眼はスポットライトの光を吸い込んで宝石のように輝き、金糸のように光沢のあるブロンドを三つ編みにして、白いドレスを身にまとっている。背はそれなりに高く胸は豊かに張り出していて、その立ち居振る舞いはエレガントだった。
「すごく綺麗な人だ〜」
「本当ですわね。きっと、外国の貴族のご令嬢に違いありませんわ」
「あれはエイミ・リファールだよ! 闘食家だけど女優もやっていて、映画によく出てるんだ。僕大ファンなんだ!」
 刃がエイミを見つめていると、たまたま彼女と目が合って微笑まれた。刃の心臓の辺りに熱い衝撃が走る。
「うぅ、生エイミが見られるなんて、僕は何て幸せ者なんだ……」
 刃が感動に胸を震わせていると、いきなり太腿に痛みが走った。
「いたっ!? なに、胡桃ちゃん!? 何でつねるの!?」
「刃様がだらしのない顔をしているからですわ」
 胡桃は愛らしい顔の頬を膨らませて怒っていた。その横で林檎はエイミの姿を見ながら言った。
「鶫、あの女は何者だ?」
「日本在住のフランス人で、名前はエイミ・リファール。またの名を、甘味の女神」
「甘味の女神!?」
「そうよ。甘味勝負において、彼女の右に出るものはいないわ。闘食女王の沙耶子ですら、甘味勝負ではエイミに負け越している」
「そんなに凄い奴なのか…」
「彼女だけではないわ。右側にいる眼鏡をかけたスーツ姿の痩せた男の名は崔諭烏飛(ちぇゆうひ)、韓国人で辛味料理にはめっぽう強くて、闘食の世界では辛味太公(からみたいこう)と呼ばれている。そして三人目のあの男……」
 チーム龍餓最後の一人は、輝きを放つように笑顔を見せる美丈夫だった。黒いTシャツの上に革ジャンを着て、ズボンも皮製のものをはいている。Tシャツ越しに見える盛り上がりから、鍛え上げられた肉体を持つことが容易に分かった。
「彼の名は龍田雅樹(たつだまさき)、チーム龍餓のリーダーよ。この日本では、彼以上のバランス型の闘食家はいないわ。勝負の時間が長いほどに力を発揮する。長時間ものを食べ続ける彼の姿から、いつからかインフィニティ・イーターという渾名が付いたわ」
「やばそうな奴ばかりだな……」
「龍餓は要注意チームその一よ」
 そして、最後のチームにスポットライトが移動した。
「皆さんもお待ちかね、いよいよ最後のチームの紹介だ! 大会三連覇を狙う、史上最強の闘食チーム、イースト・イーターズ!!」
 スポットライトが数段高く設置されたステージの上を照らす。そこに彩が手を振りながら出てくると、ドームは瞬く間に熱狂的なファンの声援に包まれた。
「きゃ〜、彩ちゃ〜ん、すてき〜っ!」
「小桃のアホ! 敵に声援を送る奴があるか!」
「あうう、だって……」
 彩はステージの上から林檎に怒られている小桃の姿に気付いた。
「おや、あれに見えるは、前にサインを求めてきた女の子じゃないか。あの子も出場選手だったんだ。おーい!」
 小桃は彩が手を振っているのを見ると、一気にテンションが上がった。
「彩ちゃんがこっちに向かって手振ってる!!?」
 小桃は目の前の林檎を全力で横に押しのけて手を振り返す。
「うわっ!?」
 予想外の力で投げ出された林檎は、人口芝の上にダイビングヘッドした。
「小桃、お前なぁ……」
 林檎が起き上がり、怒り心頭になって近づいた時、喜悦を浮かべて手を振っていた小桃の顔つきが急に硬くなる。上から見ていた彩には、小桃の様子がおかしいのがはっきりと見えた。
「あれ、何? 急に後退りなんてしちゃって、もしかして嫌われた!?」
「わたしが現れたからよ」
 二番手に現れた桜子が、ステージの上から小桃を見つめた。
「まさか、小桃がこんな所に姿を現すなんて……」
「何? 知り合い?」
「妹よ」
 桜子を見る小桃の表情は強張り怒りに燃えていた。それは普段の彼女からは想像も出来ない姿だった。周りにいる仲間は戸惑った。
「おい、小桃、どうしたって言うんだ?」
「あれは桜子さんではありませんか。小桃さんのお姉様ですわ」
 胡桃が言うと、鶫と林檎の視線が小桃に集まった。
「名前を聞いた時からそうじゃないかとは思っていたわ。あの人の名は春園桜子(はるぞのさくらこ)、香辛(こうしん)の女帝という渾名で呼ばれている。その名が示す通り、辛味料理に対して圧倒的なアドバンテージを持っているわ」
「小桃と同じ嗜好じゃないか、さすがは姉妹だな」
「やめて、あんな人お姉ちゃんなんかじゃない!」
「小桃ちゃん、まだあの時のこと怒ってるんだね」
「当たり前だよ! みんなの期待を裏切って闘食家なんかになって!」
 小桃は刃に怒鳴りつけるように言った。その後すぐにすまなそうな顔になる。
「みんな、怒鳴ったりしてごめん……」
「事情は聞かない方がよさそうね」
「いよいよ最後の人が出てきますわ」
 胡桃がまったく空気を読まずに言った。だが、今回はそれが役に立った。小桃への疑念はそれで一旦は払拭され、全員が女王の登場に注目する。
 煌々と光の降るステージの上に、栗色のボブにソバージュをかけた足の長い女性出て来た。彼女は上が白いブラウスに下は黒いタイトスカートという、スーツを脱ぎすてて身軽になったOLと言った風貌で、この姿は沙耶子のもう一つの顔である、大企業の秘書という仕事を象徴するものでもあった。整端な顔にある目は切り長で鋭い眼光を放ち、薄笑いを浮かべる瑞々しい唇には赤い口紅を使っていて見る者に鮮烈な印象を与える。鶫にとっては忘れ得ぬ姿だった。
 華喰沙耶子が現れると、さらに会場は沸き立ち、自然に沙耶子コールが始まった。まるでプロレスの大スターが現れたかのような趣(おもむき)がある。
 明凛館高校の面々は凄まじい熱狂に圧倒されっぱなしだったが、鶫だけは冷静で、ただステージ上の沙耶子を睨んでいた。勘の鋭い沙耶子は、すぐにそれに気付いて睨み返す。
「面白そうな子がいるわね。このわたしにガン飛ばしてるわ」
「沙耶姉さん、何か恨まれるような事でもしたんじゃないの?」
「そんなの心当たりがありすぎて、どれがどれやら」
「うあ、罪悪感とかゼロだね」
「恨み辛みなど、所詮は負け組みの戯言よ。そんな事を一々気にしていたら、女王にはなれないわ」
「頼もしいお言葉だねぇ」
「あの子達は気をつけた方がいいと思うわ」
「あら、桜子がそんな事を言うなんて珍しいわね」
「あの中に、桜子さんの妹がいるんだよ」
「へぇ、例の桜子以上に資質があるって言う」
「小桃が闘食に出てくるとは思えないけど、もし出てきたら厄介な事になるわ。それにあの赤髪のツインテールと、あんたを睨んでる黒髪の子、あの二人も出来るわよ」
「それは楽しみな事ね。最近弱者ばかりで辟易していたところだから、是非この女王の前に立ちはだかって欲しいものだわ」
 やがてMCがステージに上がり、沙耶子に一言とマイクを渡す。
「よくお聞きなさい!!」
 沙耶子の一言で、騒然としていたドーム内が一気に静まり返る。
「我らイースト・イーターズにとって、闘食杯など掃討戦でしかない! わたしたちのする事と言えば、目の前に現れた獲物を喰らい尽くす事だけよ!」
 観客席から沙耶子を称える声が盛り上がるように起こってくる。林檎は恐ろしいものを見るような顔をして言った。
「なんちゅう自信だ、そこまで言うか!?」
「沙耶子にはそう言うだけの力があるわ」
「とんでもない奴だ……」
 また、女王の言葉を聞いていた龍餓の崔(ちぇ)が、眼鏡の位置を直しながらリーダーの雅樹に言っていた。
「獲物の中には我々も入っているのかね?」
「入っているだろうな」
「まったく、毎度の事だが不愉快な女だ」
「わたし達が目の前に現れたら、そんな事は言っていられなくなるわよ」
「エイミの言う通りだな。ここのところは負けてばかりだが、今回は勝ちにいくぞ」
「雅樹、女王の弱点でも掴んだのかね?」
「まあ、そんな所だ。決勝戦を楽しみにしていてくれ」
 観客の盛り上がりが最高潮に達する中で、MCが言った。
「いよいよ一回戦第一試合を開始するぞ! 最初のカードは、これだ!!」
 ドームの壁面にある大液晶画面に文字が現れる。
 『明凛館高校 VS 静岡闘食研』
「おおっと、いきなり来たぞ、栃木から来た女子高生軍団の登場だ! 対するは静岡代表闘食研!」
 鶫たちに向かって観客たちの声援が降り注ぐ。それがチーム明凛館高校への感心の高さを表していた。
「試合は十分後に始めるぞ、各チーム共に準備を怠るな!」
 鶫は一分ほどで闘食に出るメンバーの順番を決めた。それが終わるのを見計らうように、一人の若者が鶫に声をかけた。
「失礼、僕は青森食士団の村田と言うものですが…」
「何か御用ですか?」
「君たちは栃木代表と聞いたが、地方予選には出ていないね。かといって、明凛館高校なんて名前も聞いた事がない。どうしてシード権を得たのか、仔細を教えてもらえないか」
「地方予選? そんな話は聞いていないわ」
「予選がある事を知らされずに、いきなりここに来たと言う訳か。主催者側にミスがあったという事かな。何かの間違いとは言え、実に不愉快だ。東日本にいる全ての闘食家が闘食杯を目指し、多くのチームが脱落して涙を飲んでいると言うのに、君たちのように無名のチームがいきなり本選に来るとは…。まあ、ミスでは仕方があるまい。ほんの僅かでも健闘できるように、せいぜい頑張ってくれたまえ」
 男が去ると、林檎が眉を顰めて腑に落ちないという顔をして言った。
「何がどうなってる? 主催者側のミスってどういう事だ?」
「ミスではないわ。イーストフードカンパニーの中に、わたしたちを引き出したい人がいるのよ。恐らく前に宇都宮へ闘食家を送り込んできた元締めだと思うわ」
「だったら、教えてやろう。あたし達が全員ぶっ倒しましたってな」

 そして試合開始の時間になった。
「さあ、いよいよ試合が始まる。だがその前に、闘食杯のルールを説明しておこう。勝負の時間は二十分、ポイント制で行う。メニューを一つ食べ終わるごとに1ポイントが加算され、三人戦い終わって最終的にポイントがより多いチームが勝利となる。メニューの中には二つ食べて1ポイントになるものや、一定の量を食べて1ポイントとなるイレギュラーもあるぞ。お次は禁止行為だ。道具の使用はこちらで用意されているもの以外は認められない。食べ物の外観を著しく損なう行為は認められない。食べ物の味を変える行為は認められない。これらの行いがあったと判断された場合はポイントにならないから注意してくれ。さらに嘔吐またはそれに類する事をしてしまった場合は、マイナス3ポイントのペナルティを受けるぞ。相手チームに対して妨害行為を行った場合は、当然のことだが失格となる。説明は以上だ! 最初に闘食を行うチームの先鋒は席についてくれ!」
 最初に出されるメニューは特大シュークリームだった。明凛館側の先鋒は、もちろん胡桃である。相手チームは筋肉質の巨漢の男だ。後に控えている二人も似たような体格をしていた。
「胡桃ちゃん、行くよ」
「はい、刃様」
 胡桃は刃に引率されて席に着いた。向かいのテーブルに相手チームの巨漢が座る。常に相手が正面に見えるので、負けている方はかなりのプレッシャーに襲われる構成だ。
 早速、二人のテーブルの上にシュークリームの乗った皿が出て来た。
「胡桃ちゃん、まだ食べちゃ駄目だよ」
「合図があったら食べていいのですね」
「そうそう」
「そんなほんわかしたお嬢さんで勝負になるのかい?」
「いやぁ、僕には何とも」
「おいおい……」
 刃の答に巨漢は唖然とした。そんな状況を完全に無視して、五秒前から秒読みが始まり、そしてカウントがゼロとなる。
『READY、GO!!』
 女性の音声が言うと同時に、ドーム壁面の巨大液晶スクリーンに二〇分からのカウントダウンが表示され、巨漢の方が猛烈な勢いで食べ始めた。彼の前に次々と新たなシュークリームが投入されていく。一方、胡桃はすまし顔で座っていた。
「何やってんの胡桃ちゃん!? 早く食べて!!」
「え? でも、まだ誰にも食べて良いとは言われていませんわ」
「いいよ! 食べていいよ! 僕が言ったから! はい、食べて!」
 凄まじい惚けをかます胡桃と、慌てふためく刃の姿を目の前で見せつけられた巨漢の男は、耐え切れずに笑ってしまい口の中の物を噴き出した。
「おおっとぉ!? 静岡闘食研の先鋒、どうした事だ! いきなり噴き出してしまった! マイナス3ポイントのペナルティだ!」
「ぬお、しまった!!?」
「馬鹿野郎、何やってる!!」
 背中に仲間の怒りを受けて、巨漢の男は恨めしそうに胡桃たちを睨んだ。
「貴様ら卑怯だぞ!」
「いや、わざとじゃないんですよ」
「このシュークリーム、とっても美味しいですわ」
 最高の間の悪さで胡桃が言うと、男は顔を真っ赤にして、怒りに任せてシュークリームを貪り食った。シュークリームは二つ食べて1ポイントになるので、3ポイントのペナルティはかなりの痛手だ。
「ああいう攻め方もあるのね。勉強になるわ」
「何をどう学んだのかは分からんが、鶫には絶対に不可能な技だ」
「いいぞ、胡桃ちゃん、頑張れ〜!」
 そして二〇分が経ち、マイペースに食べ続けた胡桃は十個、相手の男は二十個食べたが、ペナルティがあるので6個分は無効である。ポイントにすると明凛館高校が5ポイント、静岡闘食研が7ポイントとなった。それからすぐに中堅戦が始まる。明凛館高校の二番手は林檎だった。
「よし、真打登場だ!」
 相手は先ほどの男と同じ様な巨漢だ。林檎は席に着くと、その男の顔をまじまじと見つめた。角刈りに紅いTシャツと短パン姿に、林檎は見覚えがあった。男の方は顔を見られまいと下を向いている。それを小桃が指差した。
「彩ちゃんにこてんぱんにされた人だ!」
「うるさい! 黙れ小娘!」
 男が小桃に向かって怒鳴ると同時にその顔も露見した。
「あんな醜態を晒して、よくこんな所に出て来たわね」
 別の方向から彩の声が飛んでくると、男は逆切れした。
「うるせぇ!! 昨日は油断したんだ! 今日の俺は一味違うぞ!」
「おいおい、敵はこっちだぞ」
「小娘、早食いだけでは闘食では勝ち抜けんぞ」
「それ以上はやめておけ、恥をかくだけだ」
「何だと!?」
「あたしは彩みたいに性格悪くないから、あんな面倒な事はしない、正面からいって叩き潰すだけだ!」
 林檎は掌に拳を打ち込み気合十分だ。戦いを前にして高揚する林檎の姿は、目の前の男を圧倒した。
「勝負の品目は太巻きだ! 二人の闘食家の前に、壮観な姿が現れた!」
 MCが言うと、長さ一メートルの太巻きがテーブルの上に置かれた。それを十センチ食べるごとに1ポイントが加算される。
 そして勝負が始まる。最初は大騒ぎしていた観客だったが、林檎の闘食を前にして、やがて辺りは静まり返り、MCまで言葉を忘れて呆然とそれを見ていた。林檎は豪快に太巻きにかぶりつき、見る見るうちにその長さが減っていく。相手の方も健闘していたが、試合終了三分前で目の前のプレッシャーに負けて、五〇センチほど残った太巻きを置いた。林檎の方は残り二〇センチ程度を豪快に二口食べては水を飲み、二〇分丁度でテーブルの上には何もなくなっていた。林檎が観客席の方に向かって親指を立てると、割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こる。
「ななな、何と!!? 紅野林檎、二〇分で一メートルの太巻きを食べ切ってしまった!! 今までこの太巻きを時間内に食べ切ったのは、前女王の深山瑠璃と、現女王の華喰沙耶子だけだ! 闘食杯史上三人目の快挙! 新たなルーキーの登場に、観客席も沸いている!」
 明凛館高校がこれで一五ポイントを得て、相手チームを3ポイント逆転した。無名チームの闘食家がいきなり台頭してきて、各チーム共に騒然となる。
 試合を見ていた龍餓の龍田雅樹は言った。
「常務の邪魔をしたのは彼女等で間違いなさそうだな」
「大将の子は何をやってくれるのかしら、楽しみね」
 難しい顔をする雅樹とは対照的に、エイミは本当に楽しそうに微笑を浮かべていた。そこへ神経質な顔の崔が言った。
「どんなに力があったとしても、準決勝止まりだろう」
「そうね、準決勝からはあれが出てくるものね」
 その時、楠木彩は、仲間のところに戻っていく林檎の姿を見ていた。
「なかなかやるじゃん」
「あんたと良い勝負じゃない」
「わたしはあんな奴には負けないよ」
 彩は桜子に絶対の自信を持って言った。
 いよいよ大将戦が始まる。相手チームは今まで以上の大男が出て来た。それと比べると鶫はまるで小動物だ。
「ぬうぅ、初戦のペナルティがなければ…」
「そんなもの、あってもなくても変わらないわ」
「このチビ、大した自信だな」
 相手の大男が脅すような調子で言っても、鶫はまったく相手にしていなかった。そして、二人の前に大盛りの蕎麦と箸立てが運ばれてくると、秒読みが開始された。
『READY、GO!!』
 大男の方は箸で一気に大量の蕎麦を取り、汁に付けて食べた。それを何度か返すと蒸篭の蕎麦がなくなる。男がちらと前を見ると、鶫は何もせずにじっと見ていた。そして…
「素人ね」
「何だとぉ!!?」
「ルールでは、用意された道具以外は使ってはいけない。言い方をかえれば、用意された道具ならどんな使い方をしてもいい」
 鶫は素早い手つきで箸立てから四本の箸を取った。それを見た人々は驚いた。
「二刀流!? 鶫は何をするつもりだ!?」
 林檎の問いに答えるように、鶫が華麗な箸捌きを見せる。二つの箸を交互に使う事により、鶫は断間なく蕎麦を食べ続け、男の方が二つ目を食べ終わる前に、一つ目の蕎麦を完食した。続いて二つ目、まるで昇り竜のように途切れなく鶫の口に蕎麦が運ばれていく。
「鶫ちゃん、すごい……」
「あたしが初めて会ったときも、あんな闘食を見せ付けられた」
「息継ぎはいつしているのでしょうか?」
「さあな…」
 胡桃が微妙に的外れな疑問を口にする。胡桃以外の会場にいる多くの者が鶫の闘食に魅入った。特にその中でも、雅樹が鶫を見る目には特別なものがあった。
「……同じだ。あの子は、先代の闘食女王と同じ技を使っている」
「あなたが闘食家になるきっかけを作ったって言う憧れの人?」
 雅樹はエイミに頷き、青春を謳歌する少年のように瞳を輝かせた。
「ああ、前女王の深山瑠璃は、身体は小さいけれど努力と技で女王の座を守り続けた、闘食家の鑑といえる人だ。あの人の闘食は美しかった。それを見て心の底から闘食家になりたいと思わされたものさ」
 その時、観客席から驚嘆の声が上る。鶫が相手の大男に対して、1ポイントの差をつけたところだった。男の方も必死に食べてはいるのだが、差は開くばかりだ。
 やがて男は六つめの蒸篭を空けたところで勝負を諦めた。同時に鶫も箸を置き、彼女の横には九つの蒸篭が積まれていた。これで明凛館高校は24ポイント、静岡闘食研は18ポイントとなり、勝負は決まった。
「……すごい。これは、とんでもないチームが現れたぞ!!? 明凛館高校、まさにダークフォースだ!!」
 MCの興奮に観客も答えて、辺りはにわかにお祭り騒ぎとなった。
「さすがだな、鶫」
「鶫ちゃん、かっこよかったよ〜」
「皆がいてくれたから勝てたのよ」
「どうして二人であんなにお蕎麦を食べていたのですか? 年越しには幾らなんでも早すぎますわね」
「胡桃ちゃん、勝負してたの、そろそろ理解しようね……」
 相変わらず胡桃がおかしな事を言うので、メンバーは笑っていた。
「ほほう、常務に泡を食わせただけはあるな」
「崔さん、感心している場合じゃないわ。次はわたしたちの番よ」
「最初のメニューはプリンパフェか。君が行って観客を楽しませてやれよ」
「ふふ、そうするわ」
 第2試合は龍餓対フード戦隊。埼玉代表のフード戦隊は、赤、青、黄の色分けされた服を着ていて、まずはその見た目で観客を盛り上げていた。
「甘味勝負ならこのイエローにお任せあれ。覚悟してもらいましょう、美しいお嬢さん」
「お互いに頑張りましょうね」
 イエローと名乗る小太りの男は、エイミの美しい笑顔を見て照れていた。
 やがて一番上に大きなプリンの乗ったパフェが運ばれてきた。
『READY、GO!!』
 エイミがパフェを口元にもっていく。そしてスプーンが高速で動き、あれよという間にガラスの容器が空になった。イエローの方はまだ半分以上残っている。それに明凛館高校の面々は衝撃を受けた。
「早い!? 何が起こったんだ!?」
「なんか、よく見えなかったね……」
「エイミは甘味においては、スピードと安定性、そして持続力と、非の打ち所のない闘食家になるわ。見た目に似合わず恐ろしい人よ」
 三人が真剣に試合を見ている横で、刃は見とれていた。
「エイミさんは食べてる姿まで美しいな〜」
「むぅ」
「何、胡桃ちゃん、何でそんなに睨むの?」
「刃様なんて嫌いです」
「大人の女性に憧れるくらい許してよ……」
 刃は胡桃にそっぽを向かれてしまった。
 試合は続く。十数分後には、大差がついていた。イエローが五杯パフェを食べる間に、エイミは十一杯目に突入、一ポイント差が開くごとに、観客席は沸いた。
「フード戦隊、もう時間がない! 優勝候補の龍餓相手にこの点差はもはや絶望的か!?」
 エイミがさらに杯を一つ空けてそれを観客席に向けて上げると、大喝采が起こった。小桃と林檎も思わず拍手していた。
「みんな楽しそう!」
「闘食家によって場の雰囲気がこんなに変わるんだな」
 そして時間切れ。エイミは十一杯、イエローは五杯のパフェを食べ、龍餓は相手チームに初手から6ポイントもの差をつけた。
「次はわたしの出番か。もはやこれ以上の点差は必要あるまい」
「ああ、俺たちは力を温存させてもらおう」
 二番手の崔も、最後に出て来た雅樹も、相手にペースを合わせて料理を食べて、龍餓はリード6ポイントのまま勝利を収め、圧倒的な安定感を見せ付けた。その試合が終わったとき、林檎ははっと気付いて鶫に言った。
「おい、次にあいつらと戦うのって、あたしらじゃないのか?」
「その通りよ。今頃気付いたのね」
「先鋒が胡桃じゃ大差を付けられるぞ。点差が大きくなったら、らあいつらには勝てない」
「それは大丈夫そうよ」
 胡桃はエイミを睨んで対抗意識を燃やしていた。エイミの方は何でそんな風に睨まれるのか分からずに苦笑いを浮かべるばかり、刃は焦って胡桃を諌めていた。
「それよりも問題は他にあるわ」
「何があるって言うんだ?」
「それはわたしが対処するから、林檎は気にしなくてもいいわ」
「気になるじゃないか、教えろ」
「試合が始まるときになれば分かる」


10 :四季条 ユウ :2011/09/23(金) 18:37:14 ID:rcoJmAzeQA

第八話 これが華喰沙耶子だ!!! 後編

 試合は次々に行われていく。第3試合はいわき青海高校と青森食士団との戦い。
「次はいわき青海高校と青森食士団の試合ですが、いわき青海高校の西牧海宇選手の希望により、東日本大震災の犠牲者に黙祷を捧げたいと思います」
 MCの声が響くと、それまで熱狂していた会場は嘘のように静まり返った。試合に対する熱は一気に冷めてしまったが、文句を言う者などいようはずもない。
「黙祷!」
 重い静寂の中で、MCが率先して目を閉じると、観客から闘食家まで、全てがそれに習った。明凛館高校の面々から女王沙耶子までも、そこにいる全ての人間が東日本大震災の犠牲者の冥福を心から祈っていた。
 黙祷が終わると、一気に会場の雰囲気が変わり、再び熱狂のボルテージが上った。
「さあ、第3試合を始めるぞ! 栃木代表の明凛館高校が強力なだけに、こちらの試合にも注目が集まります。福島の少女達は何を見せてくれるのか!?」
 試合前、食士団のリーダー村田は渋い顔をしていた。それもそのはず、地方予選では二位のチームまで闘食杯に進めるのだが、彼のチームは二位で、一位のいわき青海高校に大差で負けていたのだ。
「ふ、リベンジか、それもよかろう」
 村田が言うと、今度は負けぬと食士団の面々に気合が入る。
 やがて試合の時間になり、いわき青海の先鋒、浜崎空が中央のテーブルの前に座った。対する青森食士団からは背は低いが体格の良い青年が出て来た。彼が目の前のテーブルに座ると、空はにっと得意満面の笑みを浮かべた。すると、男は眉間に皺をよせる。実は、空は目の前の男に対して、地方予選でもまったく同じ事をしていた。
 闘食のメニューは串に刺さった餡団子。これを三本一組で食べて1ポイントとなる。
 試合が始まる直前、林檎は腕を組んでいわき青海の闘食を見極めようとしていた。
「あたしたちと同じ女子高生のチームとはな。どんな闘食を見せてくれるのか楽しみだ」
「地方予選では、彼女達は圧倒的な強さだったという話よ」
「そんなにすごいのか?」
「それはすぐに分かること」
 そして第3試合が始まった。その直後に観客席が騒ぎ始める。その原因は、空の闘食にあった。串団子を両手に一本ずつ持って、凄まじい早さで口に運んで、素早く食べていく。お構いなしに水も飲んで、どんどん団子を流し込んでいった。
「おい、あいつ、とんでもない早さで食ってるぞ!?」
「あんな食べ方したら、お腹に負担がかかっちゃうよ」
「確かに無茶な食べ方だけれど、恐らくあれが彼女の闘食のスタイル」
 鶫は驚く林檎と心配そうな小桃に向かって言った。
 食士団といわき青海のポイント差が見る間に開く。空は残り六分のところで、九組二十七本の団子を食べた所で完全に止まった。
「もうたべれない〜」
 空は言いながらお腹を押さえてふんぞり返り、残りの時間は食べている相手をにやけ顔でじっと見つめていた。その時に食士団の先鋒は五組目を食べ終えたところだった。
 そこまで見て林檎は空の闘食を理解した。
「なるほど、そういうことか」
「競馬で言えば先行逃げ切りタイプね。前半で大差を付けることによって、後半で相手に大きなプレッシャーを与える事が出来る」
「確かに、ああも見つめられたらやりづらいだろうな……」
 食士団の先鋒は何とかして空に追いつこうと焦っていた。しかし、焦れば焦るほど、食が思うように進まず、七組目の途中で時間切れとなった。これでいわき青海高校は9ポイント、食士団は6ポイントとなった。
 続いて中堅戦は増子風美の登場である。食士団の方はサキという若い女性が出て来た。勝負品目は冷やし中華だ。
 試合が始まると、サキは猛然と食べ始めた。一方、風美の方はお上品に面を啜っていた。観客の視線は自然とサキの方に集中する。
「サキ選手、最初から飛ばしているぞ! もう間もなく一杯目を完食だ!」
 そして、テーブルの上に空になったガラスの器が置かれる。何と、それを最初に置いたのは風美の方だった。MCと観客は一瞬しんとなった。
「な、なんと!? 風美選手の方が早く食べ終えていた!? 何時の間にそんなに食べていたんだ!?」
「そんな馬鹿な!?」
 サキが思わず食べる手を止めて叫んでいた。
 風美には特に目立ったようなところはないが、二杯目では否応なしに観客に注目されたので、やがて驚くような早さで面を啜っている事が知れた。それを見ていた林檎は、鶫と初めて会ったときの菓子パン勝負を思い出した。
「なんというか、あいつの食い方からは鶫に似たものを感じるな」
「彼女はわたしと同じタイプの闘食家よ。計算に裏打ちされた闘食をするはず」
 サキは相手を出し抜こうと躍起になって食べるが、その差は縮みもいなければ開く事もない。風美は上品ながらも驚異的な速さで麺を啜り、敵を完全に押さえ込んでいた。サキは点差があるのでどうにかしてそれを縮めようと、無理をしてでも食べる速さを上げていく。そして、サキは七杯の冷やし中華を食べたところで崩壊し、箸を置いて俯き、苦しそうに呻きだした。相手を意識するあまりにペースを乱し、あっという間に限界を超えてしまったのだ。冷たい麺を一気に食べたので、お腹へのダメージも大きかった。
「そんなに慌てて食べなければ、まだまだ入ったのにね」
 同じく七杯目を完食していた風美は泰然自若として、まだ時間はのこっていたが、そこで食べるのを止めた。
「おっと、風美選手、ここでストップだ。時間はまだ残っているが、サキ先選手動はけない、本当に苦しそうだ!」
 そのままサキは一口も食べられずに二〇分が過ぎていった。これでいわき青海高校は16ポイント、青森食士団は13ポイントとなり、依然として3ポイントの差があった。
 そして大将戦に移る。食士団を村田は負けてなるものかと歯を食いしばった。
「地方予選の決勝では大差を付けられたが、3ポイントなら追いつけない点差ではない。後は得意の揚げ物が出ることを祈るのみ」
 いわき青海高校のベンチでは、風美が海宇の背中を叩いていた。
「海宇ちゃん、後は頼んだね」
「まかせて……」
 出て行く海宇の後姿を見て、空と風美はどこか悲しげな表情を浮かべていた。試合場に向かう海宇はその背中に、拭い難い暗さを背負っていた。
 ―まだ走れる。走り続けていれば、何もかも忘れることが出来る。走るんだ、どこまでも走っていくんだ!!
 海宇が内に抱く強い言葉には、呪詛に近い音律があった。
 そんな海宇の姿を彩が遠くから見ていた。今試合場にいるのは彼女だけで、予選などに興味がない沙耶子と桜子は控え室に引っ込んでいた。
「あの子に何が起こったのか、わたしには分かる……」
 彩は胸に何かが詰まるような思いで言った。海宇には自分と同じ敵がいる。彩にはそれがすぐに分かった。ただ、彩と海宇の間には決定的な違いがあった。
いよいよ試合が近づき、海宇を目の前にした村田は、相手の全身から漂う黒い気配に圧倒されて固まった。それから海宇がテーブルの前に座るまでの動作を、村田は思わず目で追った。
 ―なんなんだこの少女は……いかん、相手の雰囲気の飲まれるな。自分の闘食をすることに集中しなければ。
 やがてMCが言った。
「第3試合もいよいよ大詰めだ! いわき青海高校は3ポイントの差はあるものの、まだ油断はできない! 食士団は最後まで諦めるな! 勝負の行方を決める料理は、わらじ豚カツだ!」
 二人の闘食家の前に、通常の一.五倍はある豚カツが出て来た。
「このボリューム満点の豚カツを、華奢な体の女子高生がどこまで食べることが出来るのか、これは見ものです!」
 MCが言っている側で、村田は喜色を浮かべた。
「よし、得意の揚げ物がきた、まだ希望はある」
 そしてカウントダウンが始まり、試合が開始された。
 村田は得意と言っただけに、大きなカツを二切れずつ食べて、かなりのペースで食べ進んだ。そして二分もしないうちに豚カツ一皿を食べ終える。だが、彼の顔から得意な笑みは消えていた。一切れずつ食べていた海宇も、村田とほぼ同時に一皿目を完食するが、村田を驚かせたのは食べる速さではなく、彼女の姿だった。可愛らしい少女が阿修羅のごとき様相で食べているのだ。しかも海宇は村田の事などまるで見ていない。目の前に別の強大な敵がいて、海宇はそれと闘っているように思われた。それを目の当たりにしている村田は、少女のあまりにも異様な闘食に慄然とさせられた。
 村田は一気にペースダウンして、結局5皿目の途中で時間切れとなり、海宇の方は6皿の特大豚カツを完食していた。
「5ポイントの差をつけて、いわき青海高校が準決勝に進出だーっ!! 何と! 初出場の女子高生チームが二チーム共に準決勝へ進出しました! これは楽しくなってきたぞ! そして、一回戦最後の試合は、いよいよイースト・イーターズの登場だーーーっ!!」

 沙耶子と桜子は、第3試合が始まる前に姿を消し、控え室に引きこもっていた。試合が近づき、彩が控え室に駆け込むと、沙耶子は鏡に向かっていて、桜子はなにやら酷く悩んでいる様子だった。
「きたこれ、めっちゃやる気ないよ、この人たち……」
「一回戦なんて、燃えないわよね」
「燃えなくても行かなきゃだめでしょ。沙耶姉さん、お色直ししてる場合じゃないって」
「観客に美しい女王を見てもらいたいじゃない。まだ時間がかかりそうだから、二人で先にいってちゃっちゃと片付けてきちゃってよ」
「桜子さんは知恵熱が出そうなくらい悩んでますけど……」
「う〜ん、そう、そうよね。やっぱりそれで決まりよね! 勝負あった!!」
「うお、どうしたの桜子さん!? やる気になった?」
「今、歴史的な勝負に決着がついたわ。ブラックスパークときび団子の戦いは、きび団子の勝ち!」
「っつうか、まだそれ悩んでたの!?」
「ブラックスパークの人気だけでは、きび団子の伝統と風格には及ばないという結論に達したわ」
「左様ですか……それって、桜子さんの好みって事でしょ。ブラックスパークの方が全然売れてるし」
「売れてるとかは問題じゃないの。この三日間、あらゆる方向からリサーチをして、駄菓子としてどちらが優れているのか検証してきたわ。きび団子は伝統と風格もさることながら、災害で保存食として活躍していたという歴史的な事実が大きかったわね」
「たった三十円の駄菓子をそこまでリサーチするとは…さすが桜子さん」
 その時、沙耶子が鏡の前で異様な笑みを浮かべた。鏡越しに彼女の笑顔を見た彩はやばいと思った。沙耶子がこんな顔をするときは、決まって恐ろしい事を言い出すのだ。
「良いこと考えた。桜子の悩みも解消されたようだし、三人で記録に挑戦しましょう」
「記録って?」
「闘食杯史上、最大のポイント差は深山瑠璃のチームが叩き出した17ポイント差、それをわたしたちが塗り替えるのさ」
「まじで? それって、相手のチームが相当えげつない事になるけど……」
「観客は喜ぶわよ」
「う〜ん、そこまでしてお客さんを喜ばせなきゃ駄目なの?」
 彩が気乗りせずに言うと、沙耶子は見る者の背筋をぞっとさせるような獣じみた笑みを浮かべて言った。
「それがプロの仕事っていうものでしょう」

 第一回戦最終試合は、茨城代表のフードアタッカーと東京代表のイースト・イーターズの戦い。闘食女王が姿を現すと、観客達は水が瞬間的に沸騰するような勢いで沸いた。人々は沙耶子に何かを期待していて、観客たちの間に次第に異様な雰囲気が広がっていく。それは鶫たちにも伝わっていた。
「何か嫌な感じがするな」
「フードアタッカーの方は、戦う前から押されちゃってる感じだよ」
「相手は完全に沙耶子の空気に飲まれているわね。誰か病院送りになるかもしれないわ」
「病院送りは流石にないだろ。限界だったらギブアップすればいいだけだ」
「精神力の弱い人が沙耶子を前にすると、それが出来なくなる」
「出来なくなってどうなっちゃうの?」
「直に分るでしょう」
 鶫が言うと、林檎と小桃は固唾を呑むような思いで試合を見守った。
「一回戦もこれが最後、イースト・イーターズの先鋒は、高校生最強の闘食家、楠木彩だ!! フードアタッカーどう出てくるのか!?」
 相手方の先鋒は、彩と同い年くらいの少年だった。
「可愛そうだけど、沙耶姉さんに怒られたくないから、全力でいくわ」
「な、なにを! 可哀そうってどういう意味だ!」
「ボロ負けしても、泣いたりしちゃ駄目だよ」
「くそ、馬鹿にしやがって!」
 彩は憤る少年に向かって三日月のような笑いを浮かべ、その目に攻撃的な色を宿す。
「勝負の品目は、ショートケーキだ! 二つ食べて初めて1ポイント獲得になるぞ」
 試合開始五秒前になると、観客がカウントを数え始めた。
『5、4、3、2、1、READY、GO!!』
 彩はショートケーキを手づかみで食べ始めた。その速さときたら凄まじく、彩の傍らにショートケーキの皿が次々と折り重なっていった。一方、相手の少年も負けじと彩に合わせて食べていたが、それが悪かった。無理が祟ってあっという間に調子を崩してしまったのだ。フードアタッカーの先鋒は、八個目のショートケーキを食べ終わった後は、青い顔で冷や汗を流し、一口も食べられなくなっていた。
「馬鹿ねぇ。無理するからそういう事になっちゃうのよ」
 彩は相手を虚仮(こけ)にしてから、さらに勢いを増してケーキを食べていく。皿の枚数が新記録に近づいてくると、魅入っていた観客が騒ぎ始めた。MCも観客と同様に興奮して言った。
「どこまで伸びるんだ!? まったく衰える様子がない! 強すぎるぞ、楠木彩! 高校生最強の称号は伊達ではない!!」
 試合開始から二〇分が経つと同時に、彩は立ち上がって二十六枚目皿を両手で持って重ねた。
「そりゃ!」
 うずたかく積まれた皿が小刻みに揺れる。
「何と!? 楠木彩、二十分で二六個ものショートケーキを平らげたぞ!? これは大会新記録だ!!」
 彩は観客の興奮と声援を受ける中で、林檎の事を見て笑みを浮かべた。
「あなたを見てどや顔しているわ」
「なんかむかつくな…」
 イースト・イーターズは相手チームにいきなり9ポイントの差をつけ、二番手には春園桜子が出て来た。フードアタッカーの方からは背の高い痩せた男が出てくる。桜子は席について敵を目の前にすると、テーブルの上に両手を置いて、指で卓上を叩き始めた。その妙な行動に眉を顰めている男に桜子は言った。
「あなた、闘食って何だと思う?」
「何を言っているんだ?」
「ないの? あなたの闘食の持論とか、定義とかさ。そういうのを持たない闘食家って、雑魚しかいないんだよね」
「そんなもの、より多く食べて相手を出し抜くのが闘食だろうが!」
「分かってないわね。闘食とはリズムよ。自分に合ったリズムを見つけて、リズムに合わせて食べるの。最も早く食べられるリズム、より多く食べられるリズム、わたしの中ではいつも闘食の音が響いている」
 その時に男は、桜子の手の動きがピアノを弾く手つきだという事に気付いた。桜子は敵をそっちのけで上を見て、美しい音色に耳を傾けているような、うっとりとした表情になっている。
「ま、彩が9ポイントも先取してるし、緩やかなリズムでいくわ」
「訳の分からない事を…」
「とても大切な事なのに」
 会話出来たのはそこまでで、試合が始まった。品目はミートスパゲティだ。桜子は常に踵でリズムを取りながら料理を食べていく。食べる量も早さも一定で、桜子の闘食は整然としていて見る者に美しいと思わせる。だが、それだけではない。桜子は相手が食べるリズムも的確に掴んで、確実に差をつけられる速さで食べていた。敵との差はじわじわと広がり、試合終了時には相手が六皿、桜子は九皿のパスタを食べ、イースト・イーターズはさらに3ポイント差を広げる。
「あなたたち、上出来よ」
「今12ポイント先取だから、後6ポイントの上乗せで記録達成だね。沙耶姉さんだったら楽勝でしょ」
「6ポイントじゃ済まないわよ。奴らの心が砕けるまで叩きのめす」
 沙耶子は彩に恐ろしげな言葉を置いて出て行った。途端に沙耶子コールが観客席から沸き起こる。
 フードアタッカーの大将はもう席についていた。見た目は二〇代後半くらいの男で、体格はいいが、頬がこけていて気難しそうな顔をしていた。彼の前の席に沙耶子が座る。同時に男は沙耶子に見据えられて、一瞬、息が止まった。沙耶子は男なら誰でも振り向くくらいの美女だが、彼女の中にはそれを忘れさせる程の獣じみた凶暴性があった。
「さあ、楽しませてちょうだい」
 勝負の料理はホットドック。これは二つ食べて1ポイントとなる。
点差が大きい上に、全ての観客が沙耶子を応援している。フードアタッカーの大将はもう完全に諦めていた。
 一組二つのホットドッグが運ばれてくると、沙耶子は一つ目を口に入れ、次の瞬間にはホットドックの姿が口の中に消えていた。観客やMCがその凄まじい早さに驚く暇もなく、沙耶子は二つ目のホットドッグも見る間に食べてしまった。
「なんと言う早さだ!? ホットドッグ二つを一瞬で食べたぞ!? これは凄いを通り越して恐ろしいとさえ言える! これが闘食女王の実力だ!!」
 沙耶子は次々とホットドッグを食べていく。相手の方もこのままで終わる訳にはいかないので抵抗はしていた。だが、数分で沙耶子は八組のホットドッグを完食し、それに対して相手の方は三組、これで17ポイントの差が付いた。
「あなた、もっと頑張らないと、大変な事になるわよ」
「どういう意味だ?」
「あなたたちはこのままだと、闘食杯史上最低のチームとして名を残す事になる」
 獲物は追い詰めた。後は仕留めるだけ。沙耶子はこの状況にぞくぞくして、心の底から楽しいという笑みを浮かべる。
「よく聞きなさいよ。闘食杯で今までにあった最高得点差は17ポイントなのよ。後1ポイントでも点差が付いたその瞬間に、あんたたちには史上最低のチームの烙印が押される。そうなったらちゃんと宣伝してあげるわ。イーストフードカンパニーには、闘食関連の雑誌を出してる子会社が沢山あるから、わたしからお願いしてあげる」
「な、何だと!? ちくしょう、悪魔め!」
「嫌なら贖(あがな)いなさい! 女王に喰らい付いてみなさい!」
「くそ、やってやる、やってやる!!」
 相手は必死になって食べ始めた。沙耶子はそれに合わせて食べるので、ポイント差は縮まりもしなければ開きもしない。
「コール!!」
 沙耶子がそう言って指を鳴らすと、観客席のほうから『食ーえ!』という声が聞こえてきた。食えコールが一挙に渦となって試合場に降り注ぐ。フードアタッカーの大将は、異様な状況の中で沙耶子の狂気に晒されて、自分が何をしているのかも分からなくなっていた。彼は限界を超えても何かに取り付かれたようにホットドッグを食い続ける。まるで催眠術でも受けているかのようだった。それを目の当たりにして鶫以外の明凛館高校の面々は、沙耶子の非常さに唖然となり、小桃と胡桃などは酷く怖がっていた。
「おい、あいつ様子がおかしいぞ」
「酷すぎる。これじゃ無理やり食べさせられてるのと同じだよ……」
「あんまりなのですわ……」
「観客を利用してでも闘食を続けさせ、精神面と肉体面の両方を破壊する。これが華喰沙耶子という人間なのよ」
 鶫の言葉がメンバーの耳に重く響いた。
 試合開始から二〇分が近くなり、沙耶子は15組、相手の男は10組のホットドッグを食べていた。
「お、おっぐ、えあ……」
 ついに男は精神も肉体も耐え切れなくなって椅子ごと真後ろに倒れた。そして激しい嘔吐を繰り返し、観客席からそれを罵る声が飛んでくる。吐いている途中で男は突然仰向けになり、身体を痙攣させて人のものとは思えない叫び声をあげて苦しみの姿を晒した。
「これはまずい! 医療班! 早く!」
 MCが慌てて言うと、何人かが飛んできて、倒れた男はタンカーで運ばれていく。その時にペナルティの3ポイントがイースト・イーターズに加算された。フードアタッカーの残りの二人は、あまりの状況下に呆然とした。
「まったく、無様なものね」
 沙耶子は事も無げに言うと、信じられないことにホットドッグの追加を命令した。それを目の当たりにしたMCは、少し声を震わせて叫んだ。
「な、何と!!? まだ食べるのか!!? 徹底的に相手のチームを叩き潰すつもりだ!! 何という冷酷さ!! なんというえげつなさ!! これが闘食女王!! これが華喰沙耶子だ!!!」
 沙耶子がさらに二つのホットドッグを食べ終わったところで時間切れとなった。試合が終わると、沙耶子は立ち上がって美しい髪をかき上げた。イースト・イーターズはフードアタッカーに21ポイントの差をつけて勝利し、闘食杯史上に残る点差を叩き出したのだった。

これが華喰沙耶子だ!!!・・・終わり


11 :四季条 ユウ :2011/10/09(日) 12:56:53 ID:rcoJmAzeQA

第九話 大丈夫だよ!

 イーストフードカンパニー、東京支社のビルの最上階に、スーツ姿で髪が少し白くなっている強面の男がいた。鷺沼徹庄(さぎぬまてっしょう)、イーストフードカンパニーではナンバー3の男で、チーム龍餓の後ろ盾でもある。
「加藤、例の闘食家たちをこちら側に引き入れろ」
「承知いたしました。彼女らが受け入れない場合は如何いたしましょう?」
「そうなったら目障りなだけだ、潰してしまえ」
 鷺沼は後ろで手を組み、三三階の高さから遠方にある東京ドームを見た。
「わざわざシード扱いにしてまで引っ張り出したんだ。そうならない事を祈りたいがな」

 試合の翌日は休息日となる。明凛館高校のメンバーはイーストフードカンパニー側で用意している東京ドーム近くの高級ホテルに宿泊していた。
 午前中に鶫はホテルのロビーに呼び出された。そこで待っていたのは、スーツ姿の男性だった。顔は整っていて中々の色男で、髪は七十三に分けていて、見た目は真面目そうな会社員という様相だった。鶫はこの見知らぬ男が誰なのか、だいたいは理解していた。
「スカウトでもしに来たの?」
「これはこれは、話が早くて助かりますよ。わたしは加藤雄介と申します。イーストフードカンパニーで営業兼スカウトをやっていましてね」
 加藤は名刺を差し出して挨拶した。鶫は憮然としてそれを受け取る。
「もう何を言いたいのかはお分かりでしょう。あなたをイーストフードカンパニー所属の闘食家として迎えたいのですよ。もちろんただではありません。我社に所属する闘食家が給料をもらっている事はご存知でしょう。内々の話ですが、闘食家にはSからCまでのランク付けがされていまして、ランクによって給与も仕事の内容も変わってきます。あなたならば、Aランクからの待遇が可能でしょう。月の給与は五十万以上、女子高生にとってはそれだけでも破格の値段でしょう。しかし、それはまだ序の口、Aランク以上の闘食家になると、芸能界への進出やテレビの出演などを強力にサポートいたします。タレントとして我社の闘食家が活躍しているのは、誰でも知っている事でしょう。多くの闘食家が闘食杯を目指すのは、百万などという端金が欲しいからではありません。こういう理由があるのですよ。もっと分かりやすく言えば、あなたと同い年の楠木彩の年収をご存知ですか?」
「あなたの話には、一切興味がないわ。もう聞く気もない」
「おや、こんな良い話を断るというのですか? 愚かですね」
「あなた達はわたしが何者なのか、もう調べ上げているはずよ。それを知っていてこんな話をする方がよほど愚かだわ」
「知っていますとも。あなたは先代の闘食女王、深山瑠璃の妹です。姉妹揃って素晴らしい資質をお持ちだ。しかし、妹の方がもう少し利口かと思いましたが、姉と同じ轍を踏むとは残念ですね。深山瑠璃が我々に逆らってどうなったのか、あなたは良くご存知のはずなのに」
「それを知っているからこそ、あなた達には屈しない。もう話す事はない」
「後悔する事になりますよ」
 加藤は陰湿な蔭のある目で鶫を見下ろし、絶対的優位な者が持つ尊大な態度を持って言った。そんな加藤の目を、鶫は強い意志をと義憤を宿した目で見返す。その強烈な視線に射抜かれて、加藤はたじろいだ。鶫をこのまま放っておくのは危険かもしれない、彼はそう思わずにはいられなかった。

 翌朝、刃は胡桃を探してホテルの中を歩き回っていた。そして、胡桃がホテルの一階にある喫茶店でお茶を飲んでいるのを見つけた。
「いた、こんな所でお茶なんか飲んで、しかもケーキまで食べてるし……」
「モーニングケーキを欠かす事は出来ませんわ」
「胡桃ちゃん、毎朝ケーキ食べてるの……?」
「いつもなら三つは食べるところなのですが、今日は鶫さんに止められてしまいましたわ」
「そりゃ止めるよ、あと一時間もしたら試合が始まるんだから…」
 胡桃を放っておくとどこかへ行ってしまいそうだったので、刃はそのまま待ってから、胡桃と一緒に東京ドームに向かった。

 明凛館高校と龍餓の戦いが始まろうとしていた。ドームの観客席は朝から超満員、誰もがこの一戦に期待をしていた。
 試合が始まる直前に、林檎が試合のメニューを確認して眉を顰(ひそ)める。
「おい、この二番目の激辛マーボー丼って何だ!?」
「準決勝からは、辛味料理が投入されるわ。一般参加の殆どが、これに阻まれて負ける。結果的に闘食家を多く抱えるイーストフードカンパニーの闘食チームだけが勝ちあがる仕組みにもなっているわ」
「そうか、鶫が小桃を是が非でもチームに入れたのは、これを知っていたからか。だったら、小桃に出てもらおう」
「わたしは、ちょっと……」
「小桃は応援担当よ。それで良いとわたしは言った」
「鶫ちゃん、ごめんね……」
「いいのよ、気にしないで」
 林檎は、煮え切らない態度の小桃にいらつきながら言った。
「じゃあ、どうすんだよこれ!? あたしも胡桃も辛いものは苦手だ!」
「わたしが行くわ」
「やれるのか?」
「得意とは言い難いけれど、胡桃と林檎よりはましよ。もしここで負けるようなら、それまでだったという事よ。また出直すわ」
 そして、両陣営の先鋒、エイミと胡桃が出てくると、そこかしこから爆発するように声援が起こり始める。エイミはテーブルに着くと言った。
「お互いに頑張りましょうね」
 胡桃はそれにそっぽを向いて答える。
「わたくし、あなたにだけは負けたくありません」
「なんだかよく分からないけど嫌われているみたいね」
 エイミが困ったような顔をして言った直後、急に胡桃の様子がおかしくなった。胡桃の顔が見る間に蒼白になり、お腹を押さえて苦しみだす。何が起こったのか分からずにエイミは唖然とした。ついに胡桃は、椅子ごと横に倒れてしまう。
「ちょっとあなた!? どうしたの!!?」
 エイミが駆け寄った時、胡桃は尋常ではない苦しみ方をしていた。すぐに鶫たちも走ってくる。
「胡桃ちゃん!? しっかりして!!」
 小桃が呼びかけると、胡桃は大丈夫と言う様に微笑を浮かべるが、すぐその表情は苦悶で打ち消された。
「何だ!? アクシデントか!? とにかくタンカーを!」
 MCが言うと胡桃はタンカーで運ばれて、すぐにやってきた救急車で近くの病院まで搬送され、準決勝は一時中断となった。
 それからすぐに、龍餓のリーダーの雅樹は、加藤を控え室に呼び出した。
「加藤さん、彼女等に何をした?」
「何をしたとは、よく意味がわかりませんね」
 雅樹はいきなり加藤の襟を掴んで引き上げる。加藤は苦しそうな顔で彼を見下ろした。
「そんなに俺たちが信じられないのか!!」
「よせ雅樹!!」
 崔が雅樹を後ろから羽交い絞めにし、開放された加藤は言った。
「あなたたちが負けるなんて思ってはいませんよ。しかし、彼女らは一筋縄にはいかない相手だった。余計な浪費をせずに済むのなら、それに越した事はないでしょう」
「貴様らはいつもそうだ! 俺たちの気持ちなどおかまいなしに、自分たちに都合のいいように事を進める! いい加減うんざりしてくるぜ!!」
「あなた方にはイースト・イーターズに勝って、若社長の鼻を明かしてもらいましょう。鷺沼常務はそれを望んでいます」
「権力抗争など、社内だけでやってくれ!」
「忘れては困りますね。悪い言い方をすれば、あなた方は会社の駒なのです。もちろんわたしもね」
 そんな激しいやり取りをしている横で、エイミは鏡を見て髪型を整えたり香水を付けたりしていた。それを見かねた崔が言った。
「君はこんな時に何をしているんだ?」
「すぐに試合が始まるもの、お色直ししておかないとね」
「それはどういう意味だ?」
「きっと、わたしたちにとって、とても楽しい事になるわ」
 エイミは鏡を見ながら柔らかに笑った。崔にも雅樹にもさっぱり意味が分からなかった。

 胡桃は病院で薬の投与を受けて大分落ち着いたが、とても試合に出られる状態ではなかった。
 明凛館高校のメンバーは胡桃が寝ている病室に集まり、途方に暮れていた。
「胡桃はどうしちまったって言うんだ。何か悪いものでも食べたのか?」
「朝にお茶を飲みながらケーキを食べていただけだよ」
 刃が言うと、椅子に座っていた鶫は、膝の上でぎゅっと両手を握った。
「わたしの責任だわ。もっと気をつけるべきだった……」
「鶫、それはどういう意味だ?」
「胡桃は朝のお茶かケーキのどちらかに、盛られたのよ」
「毒を盛られたとでも言うのか!!? まさか、何でそんな事されなきゃならないんだ!!?」
「昨日、イーストフードカンパニーのスカウトが来たの。話など聞かずに追い返したわ。そいつは去り際に、後悔することになると言っていた。敵対するのならば、わたしたちは奴らにとって厄介な存在でしかない。こんな事態を想定する事だって出来たのに……」
「本当なの? 胡桃ちゃんは本当にそんな酷い事されたの?」
 小桃が信じられないという様子で言うと、鶫は確信を持って頷く。
「間違いないわ。闘食杯に関わる施設は、全て奴らの息がかかっている。これくらいの事なら簡単に出来る」
「だったら、警察に訴えようよ!! こんなの酷すぎるよ!!」
「そんな事をしても無駄よ。証拠なんてとっくに消されてる」
「試合はどうなるんだ?」
「胡桃は試合が始まる前に倒れたから、まだ負けてはいないわ。ただし、中断してから一時間以内に戻らなければ、わたしたちは不戦敗になる」
「そしたら、後十五分しか時間がないよ」
 刃が腕時計を見ながら言った。すると林檎が怒りのあまり部屋の壁面に思い切り拳を叩きつけた。
「ちきしょう、ふざけてる!!! このままじゃ引き下がれない!! あいつ等をぶちのめすには、闘食杯で勝つしかない!! 頼む小桃、あたしたちと一緒に試合に出てくれ、いま頼れるのはお前しかいないんだ!」
「わたしは……」
 小桃はこの状況でも迷っていた。悲しい涙を流す母親の姿が、彼女の後ろ髪を引いていた。その時、胡桃が目を覚まして小桃に向かって手を伸ばす。小桃は胡桃の手を包み込むようにして両手で握った。胡桃は搾り出すような苦しみの色が濃い声で言った。
「わたくしは小桃さんが闘食を嫌う理由をよく知っています。それでもお願いです。鶫さんに力を貸してあげて下さい。今だけで、この一度だけでいいのです。胡桃のお友達としてのお願いですわ」
「胡桃ちゃん……」
「わたくし、こんな目に合って鶫さんの気持ちが少しだけ分かりました。わたくしたちは、負けてはいけない…そんな気がします…ですから……」
 胡桃の瞳から涙が零れ落ちた。その瞬間に小桃の義憤が迷いを打ち砕いた。小桃は胡桃の手を握って言った。
「大丈夫だよ! わたしが胡桃ちゃんの代わりに出るから!」
 胡桃は安心した微笑を浮かべ、鶫と林檎の表情にも光が差したように明るさが戻った。
「よし、胡桃ちゃんは僕が見ているから、みんなは早く行って!」
 刃が言うと、鶫たちは頷いて病室から走って出ていった。

 東京ドーム内では観客たちの間からどよめきが起こっていた。間もなく時間切れになるところだ。MCは神経質になって足を踏み鳴らしていた。そこへ鶫たちが入ってくる。
「おお!? 戻ってきたぞ、明凛館高校!! これで試合続行だ!!」
 MCの声を皮切りに、観客席から声援の雨が降る。その中で鶫は言った。
「二番手は小桃で確定よ」
「後はどうする?」
 林檎が言うと、鶫は少し考えてから答えた。
「わたしが最初に出るわ。大将戦は林檎に任せる」
「本当にそれで良いのかい?」
「それで良いというよりも、それしかわたし達が勝つ方法はないわ。龍田雅樹はバランス型では最強の闘食家、同じタイプのわたしでは勝てない。だから彼とはまったく違うタイプの林檎をぶつけるのよ。勝機を見出すとしたら、それしかないわ」
 それから鶫は試合場に向かう前に言った。
「ショックを受けないように最初に言っておくけど、わたしは負けるわ」
「おいおい、いきなり敗北宣言か」
「でも、希望は繋ぐ。後は仲間の力を信じる」
 ずっと前から待っていたエイミの前に鶫がやってくる。
「言い訳をするつもりはないけれど、内の者が余計な事をしたみたいね」
「借りはこの闘食で返すわ」
 時間一杯になり、MCの声が響く。
「明凛館高校は、初戦で大将を務めた深山鶫を出してきた! 対するは甘味最強の闘食家、エイミ・リファール! 試合のメニューは杏仁豆腐だ!!」
 二人の闘食家の前に出て来たガラスの容器に入った杏仁豆腐は、よく見る角切りのものではなく、豆腐に似た正方形の白い塊で、その味もプリンのように濃厚な本格的なものだった。これを二つ食べて1ポイントとなる。
「甘味勝負で、わたしにどこまで対抗できるかしら、楽しみだわ」
「わたしたちは負けない」
 そして観客席からカウントダウンの声が上った。
『5、4、3、2、1、REDY、GO!!』
 鶫は素早く杏仁豆腐の容器を取り、スプーンを逆手に持ち替える。何をするのかと思えば、柄の部分で杏仁豆腐を縦長に三等分にして、それらを立て続けに口に運んで丸の飲みにした。鶫はあっという間に一つを食べ終えると、エイミは感心して言った。
「あなたの闘食の技術には驚かされるわ。でも、負けないわよ!」
 エイミの食べ方には別段変わったところはないが、それでいて恐ろしく早かった。すぐに鶫がエイミについていくような形になった。
 二人は次々に杏仁豆腐を食べていき、テーブルにあれよという間に空の容器が積み重なっていく。
「これは凄い戦いだぞ!? 甘味でエイミにここまで対抗する闘食家は、わたしは華喰沙耶子以外には知らない! こんな闘食家が栃木にいたとは!?」
 MCが声をあげると、エイミ一辺倒だった応援が、鶫に傾いてきた。間もなく会場はエイミと鶫への声援が拮抗して勝負もヒートアップしてくる。
 勝負開始から十分が過ぎると、エイミが杏仁豆腐一個分の差をつけていた。その時になって、エイミはスプーンを手の内でくるりと回して、杏仁豆腐の上に突き立てる。
「これからが甘味の女神の本領発揮よ!」
「まだ本気ではなかったと言うの」
「ついてくる事が出来たら、貴方は本物だわ」
「これ以上の点差は与えない」
 さらにエイミのペースが速くなり、つぐみもそれに合わせる。戦いは決勝戦と言ってもいいくらいに激しさを増していった。しかし、試合が終わりに近づくに連れて、鶫のペースが少しずつ落ちてくる。鶫の実力を信じきっていた小桃と林檎は少なからず衝撃を受けた。
「鶫ちゃん、ちょっと苦しそうだよ」
「エイミの方は顔色一つかえてない。何て奴だ……」
「あ、1ポイント差がついた!?」
「残り3分か。ペースダウンしたら、一気にもっていかれる」
 これ以降は点差が開いていくかと思われたが、鶫は決死の覚悟で喰らい付いた。いつも寡黙で表情を変えない彼女が、最後はかなり苦しそうな顔をしていた。そして試合終了を知らせるブザーが鳴る。
「試合終了―――っ!!」
 MCが言うと同時に、戦っていた二人はスプーンを置いた。すまし顔のエイミに対して、鶫は肩で息をしていた。
「ここまでついて来るなんて、正直驚いたわ」
 エイミが食べた杏仁豆腐の数は32、対する鶫は28、ポイントにすると現時点で龍餓が16ポイント、明凛館高校が14ポイントとなる。
「2ポイントの差はついたものの、甘味最強のエイミを相手に、深山鶫よく健闘したぞ! 初戦から素晴らしい試合だ!」
 鶫は林檎と小桃のところに戻ってくると、申し訳なさそうに下を向いた。
「ごめんなさい、2ポイントも差をつけられてしまったわ」
「何言ってる。あんなとんでもない奴相手に、よくやった」
「次はわたしの番だね」
「頼んだぞ、小桃!」
 小桃が液晶スクリーンに映し出され、観客席はひそひそと話し合うような声がそこかしこから起こる。誰一人としてその少女の名も姿も知らなかった。一方、龍餓の崔諭烏飛(ちぇゆうひ)が出てくると、人々の声は歓声に変わった。
 その時にスカウトの加藤雄介が、雅樹のところに来ていた。彼は雅樹の横で小桃の姿を見てあざ笑った。
「苦し紛れに数合わせのお飾りを出してきましたか。ほんの少しでも点を稼ごうという魂胆なのでしょうが、闘食杯の辛味料理はそんなに甘くはない」
 雅樹が煙たそうに加藤の姿を見ると、その横で鼻歌を歌っているエイミの姿が目に付く。
「エイミ、何がそんなに楽しいんだ?」
「さあ、何かしらね」
 両雄が向かい合って席に着くと、観客席の興奮が一層高まる。崔は目の前の少女を観察していた。
 ――前の試合では後ろで応援していた少女か。
 その時、小桃はテーブルの上を両手の指で叩き始めた。それを見た崔は、最初は怪訝な目をしていたが、すぐに背中から脳天まで怖気が走るような感覚に見舞われた。
 ――これは春園桜子と同じ仕草!!?
 崔の脳裏に桜子に惨敗させられた苦い記憶が蘇る。この行動は、桜子が闘食のリズムを掴むと称して必ず最初にやる事だった。観客の多くもそれを知っていた為、辺りは急に騒然となった。
「明凛館高校から、謎の少女、春園小桃の登場だ! 彼女の実力はまったくの未知数、激辛料理を前にして、韓国最強と謳われた崔諭烏飛にどこまで対抗できるのだろうか!?」
 ――春園小桃、春園だと!? この子は桜子と関係があるのか!?
  そして試合が始まる。崔は蟠りを胸に蓄えたまま小桃との試合に突入する事になった。
 試合の品目は激辛マーボー丼、真っ赤なマーボーのかかった丼を、二人は同時に持ち上げて食べ始めた。小桃は食べている間も踵で床を打ってリズムを取っていた。
 崔は初手から小桃の闘食に驚かされた。
 ――何だこの子は!? わたしの事をまったく意識していない、これで闘食になるのか?
 闘食とは読んで字のごとく、食で闘うという事だ。闘う以上は、相手を意識するのは当たり前の事だが、小桃はまったくそれを度外視していた。普通なら素人と言う所だが、崔は尋常でないものを小桃から感じていた。
「ご馳走様、次!」
 小桃が空の丼を置いた時、まったく予想していなかった状況に、観客席もMCも静まり返る。小桃が二杯目を食べ始めた時、一杯目を食べていた崔の丼の中身はまだ少しだけ残っていた。その時になって、ようやくMCが息を吹き返して言った。
「な、なんだこれは!? どうなっているんだ!? 春園小桃がいきなり先手を取ったぞ!? この激辛マーボー丼を前にしてまったく怯まないどころか、崔の先をいっている!! 予想外すぎる展開だ!!!」
 そして観客席から熱い声援が轟く。その殆どが小桃に向けられていた。
 ――これはいかん!? 全力を出さなければ負ける!!
 小桃の実力を理解した崔は、食べるスピードを限界まで上げた。
 観客の大声も、崔の焦りも、小桃には伝わらない。彼女はただ食べる事だけに集中している。
 ――わたしは最高のリズムで食べるだけ。二十分で一番早く、沢山食べられるリズム……うん、もっともっと早くてもいいな。
 小桃の足踏みが早くなり、それに合わせて食べる早さも増した。そして、空になった二つ目の丼を小桃は静かに置いた。
「次!」
 崔との差がまた少し開いた。
 桜子と彩は、その試合の様子を少し離れたところから見ていた。
「桜子さんの妹、すげぇ……」
「あの子は沙耶子に似ているわ」
「え? どの辺りがあの凶悪な沙耶姉さんに似ていると……?」
「もちろん、性格も闘食の性質もまったく違うわ。ただ、闘食家として天性の才能を持っているところは同じよ」
「確かに、小桃は普通じゃない感じがするよ」
「鷺沼のじじいも、余計な事をしてくれたわよね」
 桜子はそう言いつつも、嬉しそうな顔をしていた。
 そして試合開始から十分が過ぎた時、観客からわっと声があがった。崔と小桃が同時に空の丼を置き、掲示板に映し出された数字は5対4だった。小桃がちょうど一杯分の差をつけていた。焦りを隠せない崔はハンカチでしきりに顔の汗を拭っていた。彼は辛いものには慣れっこだが、小桃から受けるプレッシャーが半端ではなかった。
 小桃の闘食に驚いたのは敵ばかりではない。
「あいつ、相手の事をまったく見ないで食ってるぞ」
「闘食のセオリーをまったく無視しているわね。小桃はただ、目の前にある食べ物に全力を傾けているわ。夢想食いとでも言ったところかしら」
「本当に周りを意識せずに全力を出せるとしたら、相手は精神的に相当きついはずだ」
 小桃と崔の差はさらに広がっていた。いつも通りのほわんとした表情の小桃に対し、崔の顔が苦しげに歪んでいた。
 そして二〇分が経ち、試合が終了する。小桃にとってはあっという間に過ぎた時間だったが、崔にとっては途轍もなく長い時間となった。
「あれ? もう終わりなの?」
 小桃がふと目の前の崔を見ると、彼は悪戦苦闘の末に疲労困憊の様子で、眼鏡を取って顔に吹き出た汗を拭っていた。そして、崔のテーブルには七杯分の丼が、小桃のテーブルには九杯分の丼が積まれていた。崔は理解を越えた闘食の前に惨敗し、小桃は鶫が失った2ポイントを見事に取り返していた。
 MCと観客が大騒ぎする中で、エイミは微笑を浮かべて言った。
「何であの子が後ろで応援していたのか、ずっと疑問だったのよね」
「エイミはあの子の力を知っていたんだな」
「一目見た時から、すごい子だと思っていたわ。それは兎も角として、次の試合、頑張ってね。本気出さないと、わたしたち負けちゃうわ」
「ああ、全力で行くさ。久々に燃えてきたよ」
 そう言う雅樹の近くで、加藤は呆然としていた。
「そんな…馬鹿な……」
「加藤さん、今はあんたに感謝しているよ。彼女達をベストメンバーにしてくれたんだからな」
 雅樹は加藤を皮肉ってから出て行った。崔は雅樹が来ると、敗北に耐えないという渋い顔をして言った。
「すまん、雅樹」
「気にするな、後は俺に任せろ」
 小桃が戻ると、林檎はそれに抱きついた。
「すごいよ小桃!! 2ポイント取り返しやがった!!」
「ありがとう、あなたのお蔭で希望が見えてきた」
 鶫が言うと、気恥ずかしそうな顔をした。
「よかった、みんなの役に立てて嬉しいな」
「後は林檎に任せる」
「おう、安心しろよ鶫、必ず女王様のところまで連れてってやる!」
 大将戦が近づくと、林檎が出てきて雅樹の前に腰を下ろした。その時に林檎の発する覇気が、雅樹に痺れるように伝わる。
 ――この子は、既に一流の闘食家としての空気を持っている。何でこんな子が地方に引っ込んでいたのか……。
 観客席は準決勝で最高潮の盛り上がりを見せる。龍餓のリーダーである雅樹は、美丈夫なので女性を中心として絶大な人気を誇っていた。だが、林檎への声援も少なくはない。優勝候補の龍餓に迫る無名の少女達のインパクトは、多くの観客を魅了しつつあった。
 林檎は雅樹に向かって言った。
「あんた強いらしいな。まあ、相手が誰であろうと関係ない、あたしは自分にとって最高の闘食をするだけだ」
「それは楽しみだ。君の闘食をじっくりと見せてもらうよ」
 対戦メニューのカツ丼が、二人の前に運ばれる。そしてカウントダウンに入った。辺りに緊張が走る。
『5、4、3、2、1、REDY、GO!!』
 試合が始まると同時に、林檎は猛烈な勢いで食べ始めた。
「そんなペースで食べていたら、あっという間に調子を崩してしまうぞ」
「うるさい、これがあたしの闘食だ!」
 林檎は雅樹の言う事など聞こうともしない。雅樹は明らかな林檎の暴食に眉をひそめた。
「まあ、君が勝手に潰れてくれるのなら、こちらは有りがたい」
 雅樹は堅実に自分のペースを守って食べ続けた。彼が得意とするのは長期戦だが、それでもかなりの速さだ。
 林檎は十分そこそこで、カツ丼七杯完食という驚異的は速さをみせるが、そこでテーブルの上に突っ伏して動かなくなってしまった。
「うぅ……」
「言わんこっちゃない。この勝負はもう見えた」
 雅樹が四杯目に突入する。林檎はまったく動けない。肩で息をしている様子からも異常が伺えた。
「どうしたの林檎ちゃん!? しっかりして!」
「まずいわ……」
 鶫と小桃に成す術はない。鶫には林檎がこのまま終わるとは到底思えなかった。見守っていると、時間が過ぎていくごとに、肩で息をしていた林檎の様子が次第に落ち着いていく事に気付いた。
「林檎は何かするつもりよ」
「本当に?」
 鶫が小桃に頷く。時間は残り五分となり、雅樹は七杯目のカツ丼を完食し、八杯目に移ろうとした。無名の少女たちの健闘もここまでかと、観客達が落胆したその時、林檎が目前のカツ丼を取り上げて跳ねるように起き上がった。
「追いついてきたな。ここからが本当の勝負だ!」
「まさか!? 君は暴食で明らかにダメージを受けていたはずだ!?」
「確かに少し苦しかったけどな、もう平気さ。あたしの胃袋は、消化するのが早いんだ!」
 林檎が雅樹と同時にカツ丼を食べ始めると、萎んでいた歓声が活気付く。
「限界まで飛ばす!!」
「くっ、仕方がない!」
 雅樹は必然的に苦手な早食いを強いられる事になった。しかしここはプロの意地を見せる。林檎と雅樹はまったく同じ速さでカツ丼を平らげていく。5分間、二人の限界を超える闘食が繰り広げられた。試合終了直前で、二人は同時に十杯目に突入する。そして、試合終了を知らせるブザーが鳴った。
「おおっと、二人が食べているカツ丼の数は同じだ! では、九杯目の残りを確認していきましょう」
 MCが二人の前にある丼の中身を見ていく。
「ううむ、林檎選手の方がカツを一切れ多く食べているが、雅樹選手の方は飯の方をより多く食べているように見えます。これは計量の必要がありそうです」
 二つの電子計量器がテーブルに置かれ、それに二つの丼が同時に乗せられた。計量器の数字がめまぐるしく変わる、緊張の一瞬だった。二つの計量器はほぼ同時に数値を示した。それを見たMCは目を大きく見開いた。
「あ、ああ!? あああっと!!? これはなんという事だ!!? 紅野林檎の丼の方が、わずか5グラム少ない!!? という事は、明凛館高校、決勝進出だーーーっ!! これはとんでもない番狂わせだぞ!!」
「イエス!!」
 林檎がガッツポーズをすると、観客席は大盛り上がり、小桃は喜びのあまり鶫に抱きついた。同時に雅樹が立ち上がり、林檎に手を差し出す。
「完敗だよ。いい勝負だったな」
「今回は、あたしたちの運がよかったんだ」
 二人が清々しく握手を交わすと、歓声はさらに大きくなった。それを観客席の方から見ていた彩は言った。
「あいつ、インフィニティ・イーターに勝ったよ」
「決勝が楽しみになってきたわね」
 桜子が言うと、彩は怖い顔をしてそれを見つめた。
「まだ準決勝があるよ」
「わたしたちが負けるとでも?」
「福島から来たあの子達は、死ぬ気で食らいついてくる。油断したら、わたしたちでも負ける!」
 彩は軽はずみな桜子に対して本気で怒っていた。彩の真剣な姿は、桜子に次の試合で何かが起こると予感させた。

大丈夫だよ!・・・終わり


12 :四季条 ユウ :2011/10/14(金) 00:44:50 ID:rcoJmAzeQA

第十話 どこまでも走りぬいて!!

 西牧海宇は浜崎空の家に下宿しながら高校に通っていた。その日、海宇はどうしても母の顔が見たくなった。その時は何故そう思うのか、よく分らなかったが、とにかく母に会いたくて、学校とは逆方向の電車に乗った。数時間後には相馬市内の実家に着いていた。母の香代(かよ)は、娘が突然帰ってきて驚くと同時に学校はどうしたのかと怒った。
「どうしても、お母さんに会いたくなったの」
「何を言っているの、おかしな子ね。……まあいいさ、来てしまったものはしょうがない。夕方になる前に、電車に乗ってお帰り」
「うん」
「お昼ご飯は食べていきな」
 最初は怒った母だったが、その後は優しかった。急いで出かけたと思えば、空の好きなものを作る為に近くのスーパーで買い物をして帰ってきた。
 海宇は中学まですごした自分の部屋に入ると、窓を開けて冷たい空気を吸った。まだ冬の終わりなので寒さが身に染みるが、潮の香りがなんとも懐かしく思えた。下宿先の四ツ倉も海は近いが、潮が匂うほど目と鼻の先にあるわけではなかった。
「海宇、ご飯出来たから降りてきなー」
「はーい」
 それから母と二人だけの昼食を取った。テーブルには刺身や煮魚など海の幸が並び、海宇は喜んでそれを食べた。たった二人だが、それが逆に何だか楽しかった。
「静かで変な感じだね」
「食事時はみんなで集まるもんねぇ。二人だけでお昼なんて、滅多ないね」
 海宇は母とこうして二人きりで話が出来るのが嬉しかった。彼女は帰る間際まで、母と他愛のない話を過ごすのだろう。それが日常というものだ。
 だが、昼下がりに起った地震が、その日常を粉々に打ち砕いた。建物を倒壊させるほどの強烈な地震ではないが、大きな揺れが何分も続いた。
「これはまずい、絶対に津波が来るよ。逃げなきゃいけない」
 香代は地震が収まる前からそう言った。その声を聞いた海宇は、心臓の鼓動が早くなり、今までに経験したことのない大きな胸騒ぎを感じた。
 地震が収まるや否や、二人は車に乗り込んで家を飛び出した。海宇の実家は高台から少し離れていて、通りには既に多くの車が出てきていて道を塞いでいた。
「このままじゃ間に合わない」
「平気だよ。幾らなんでも、そんなすぐに津波来ないでしょ」
「何だか嫌な感じがする」
 香代は車窓から辺りを見回して、一際高い雑居ビルを見つけると、車を歩道に乗り入れる。
「お母さん、こんな所に車おいてくの?」
「今は避難する方が先よ、早く降りて!」
 母の鬼気迫る声に、海宇は叩き出されるように車から飛び出した。
「ほら、あのビルの屋上に避難してる人が見える。あそこに行こう」
 香代は娘の返事を待たずにその手を引いて雑居ビルに向かった。辺りにはまだ車に乗っている人たちが沢山いて、時々クラクションも鳴っていた。
「津波が来るぞ!!!」
 誰かがそう叫んだ。香代と海宇は同時に振り返る。黒い濁流がうねりを上げ、建物や車を飲み込みながら迫っていた。香代は呆然としている海宇の手を無理やり引っ張って駆け出した。
「諦めちゃ駄目よ!」
 海宇は香代と一緒に、後ろを振り返らずに必死に走った。後ろから全てを砕く波の音と、人の悲鳴が聞こえてくる。雑居ビルはもう目前だ。
「走れ!! 走れ!!」
「はやくこっちさ来い!! 急げ!!!」
 ビルの屋上に避難していた人たちは、まるで自分が津波に追われているかのようは必死さで叫んでいた。しかし、その思いは届かなかった。彼らは津波に飲み込まれる親子を目の当たりにする事になった。無慈悲な現実の前に、誰もが悲愴に打ちひしがれた。
 あまりにも早い巨大な津波の襲来、こんな事態が予想できる者などいるはずはなかった。

 海宇は津波に飲まれた時の事は良く覚えていない。ただ、母が手を離さずに握っていて、その手にある消えぬ温もりだけが鮮明だった。
 水面に浮かんだとき、海宇は大量の泥水を飲み咳き込んで苦しかったが、すぐ側に母の姿があったので安心した。濁流に流される二人、その時に香代は言った。
「最後まで諦めるな! 何があっても希望を持つの!」
 何があっても希望を持つ、というのは香代の普段からの口癖だった。こんな状況でもそれを口にする母が、海宇には頼もしかった。お母さんと一緒なら、死んでも悔いはないと海宇は心の底から思った。あらゆる物を破壊する濁流の砕ける音が耳に直に響き、氷のように冷たい海水に晒され、もう手足の感覚もなく、どこに流されていくのかも分らない。助かるはずがない。わたしはお母さんと一緒に死ぬんだ。海宇は覚悟をした。
 だが、香代は諦めなかった。倒壊した家の屋根が近くを流れて来た時、彼女は残った全ての力を振り絞り、屋根の端に取り付いて、海宇を樋(とい)に捕まらせた。
「早く!! 上に乗って!!」
 海宇は、母に押し上げられて、何とか屋根の上に乗ることが出来た。
「お母さんも、早く!!」
 海宇が手を伸ばした。香代も手を伸ばす。二人の手がもう少しで触れ合うというところで、流れてきた木材が香代と海宇の間を遮った。もはや力を使い果たしていた香代は、木材に弾かれ屋根から離れていく。
「お母さん!!! お母さん!!!」
 血を吐くように叫ぶ海宇に、母は力強く言った。
「どこまでも走りぬいて!! その…に……ある!!」
 濁流の水音に遮られて、最後の方の言葉は良く聞こえなかった。それが海宇が見た、母の最期の姿だった。香代は黒い波に流されて、やがて海宇の視界から消えていった。
「うあああああああぁっ!!!」
 海宇の悲痛な叫び声が天を裂き、彼女は流れ行く屋根の上で泣き崩れた。何がどうなっているのか、訳が分らなかった。この状況で、自分が生きるか死ぬかという事すらも考えられなかった。ただ母の最期の姿だけが、瞳の奥に焼きついていた。

 それから何日かして、空と風美はある避難所で海宇を見つけ出した。震災の影響で被災地に通じるあらゆる交通機関は麻痺し、二人は途中から自転車を使って悪戦苦闘の末にここまで来た。未だに混迷が深い被災地で海宇を見つけられたのは奇跡と言ってもよかった。海宇の無事に二人は大喜びしたが、すぐにその様子が異常であることに気付いた。二人が声をかけても海宇は答えず、目は空ろでまるで生きた屍だ。あらゆる希望を失い、最悪の絶望に身を沈めた少女がそこにはいた。
「海宇ちゃん、しっかり! お母さんはどうした?」
「お母さんも、お父さんも、きっと帰ってくるよ。海斗だって、きっと……。だから、わたしはここで待っていなきゃ……」
 魂が抜けたようなか細い声で海宇は言った。その時に空と風美は、海宇に何が起こったのか分かってしまった。二人はそれだけはどうか嘘であるようにと、心から願わずにはいられなかった。
「…もう闘食杯に出るのは無理だね」
「うん。それよりも、海宇ちゃんを助けてあげなきゃ」
 空と風美は、しばらくは海宇の側にいることにした。学校の出席日数や成績など気にしているような状況ではなかった。親や担任の教師から度々携帯に電話があり、帰ってくるようにと言われても、何としても親友を救いたいという信念の下に、二人は帰らなかった。

 海宇が母と再会したのは、薄暗い体育館の中だった。辺りには啜り泣きや叫び声などの悲愴が渦巻き、体育館は悲しみの砦と化していた。そこには津波で亡くなった多くの遺体が運び込まれていた。被災で亡くなった人間があまりにも多く、このような場所まで安置所として使わねばならない状況だった。
 海宇の後ろで、空と風美は呆然としていた。友の背中に、どう声をかけたらいいのか分らない。それどころか、二人共今にも悲しみに押しつぶされてしまいそうだった。
 海宇は横たわる母の亡骸の側に両膝をついて、その顔を覗き込んだ。
「綺麗……」
 空ろな瞳の海宇は、心の底からそう思った。水死体というものは、大抵は良い状態とは言い難いものが多く、さらに激しい津波に巻き込まれて亡くなったのだ。損傷を受けていてもおかしくないのに、海宇の母は顔から体までまったく傷がなく、微笑まで浮かべていた。安らかに眠っているだけのようにすら見えた。
「お母さん、笑ってる……ああ、そうか、お父さんと、海斗も一緒だからだね。みんな一緒なら、寂しくないね……」
 海宇は一滴の涙も流さず、虚ろなままに言った。後ろの空と風美は堪えきれずに抱き合い声を上げて泣いた。どうしようもない悲惨、これ以上ないほどの悲劇に、耐えることは出来なかった。たった一人残された少女が背負うには、あまりにも無情な現実だった。
 その日の昼下がり、海宇は避難所となっている学校の教室の隅に座り、食事も取らずに呆然と時を過ごしていた。そこにボランティアに来ていた中年の女性が現れて、海宇に話しかけた。
「あなた、ご両親を津波で亡くされたんですってね。可愛そうに。貴方は幸せにならなければ駄目よ。ご両親の分まで長生きしなきゃいけないわ」
 その女性は心から海宇の状況を悲しみ、涙すら浮かべていた。その時に、海宇は女性を見上げる。虚ろだった目が光を取り戻し、その奥には自分ではもうどうにもならない憎悪が燃えていた。
「幸せになれって、どうすればいいの!! 教えてよ!!」
 激昂する海宇に女性は唖然とした。海宇はあふれ出す憎悪が抑えられずに、火を吐くように言った。
「わたしは一人だよ!!! お父さんやお母さんや弟の分までなんて、生きられないよ!!! わたしはどうすればいいの、教えてよ!!!」
 その声を聞きつけた空と風美が教室に駆け込んでくる。
「海宇ちゃん、落ち着いて!!」
 空に抱きつかれ、少し我を取り戻した海宇は、母の口癖を思い出した。母は何があっても希望を持てと言っていた。その言葉はまるで、耳元で囁かれているかのように鮮明で、海宇の心に重くのしかかった。
「お母さん、無理だよ…希望なんて持てない……」
空見は泣き崩れる海宇を尻目に、女性を廊下に連れ出した。
「驚かせてごめんなさい、あの子はお話なんか出来る状態じゃないんです」
「いえ、いいのよ。余計な事を言ったわたしが悪いんだから」
 女性は申し訳なさそうに言ってから、自分に出来る仕事を求めてその場を後にした。
 海宇はその日はずっと塞ぎ込んで、空や風美にすら口を開かなかった。

 海宇は翌朝早くに、誰に何を言うこともなく避難所を出て、瓦礫の原と化した街中を、実家に向かって歩いた。近いはずの場所だが、震災後の町は道なき道を行くようなもので、着くまでにだいぶ時間がかかった。
 ようやくたどり着いたその場所には、何もなかった。津波は、父、母、そして弟との思い出ごと、家をさらってしまっていた。海宇に残されているものなど一つもなかった。
 海宇が避難所に戻る道すがら、先ほどの自分と同じ様に、何もない場所に佇む小学校低学年くらいの幼い少女がいた。ここまで苦労して来たのだろう。全身が泥だらけだった。親はどこにいるのかと、海宇は辺りを見たが、誰もいなかった。ふと少女の顔を見ると、海宇は胸を刺すような悲しみに襲われる。少女は声も上げずに静かに涙を零していた。
 ―この子は、わたしと同じなんだ……。
こんな幼子が声も上げずに泣くとは、津波に与えられた悲惨が少女の精神を成長させたのだろうか。一体どれほどの悲しみなのだろう。海宇はそれを考えると、全身の力が抜けて、泥の上に両膝を付いて項垂(うなだ)れた。
 ―この世界は、何て不公平なんだろう……。
 どうしてこれほどの不幸を背負わなければいけないのか。安穏と暮らしている人間と、震災で苦しんでいる人間との差はなんなのか。それを考えると海宇はたまらない気持ちになった。その時になって、母の最期の声を思い出す。『どこまでも走りぬいて!!』母の声が今でも耳に聞こえるような気がした。
「…そうだ、走るんだ。走っていれば、苦しみも、悲しみも、忘れていられる」
 海宇は携帯電話を取り出すと、何かに取り付かれたようにメールを打ち出す。
 それから、空と風美の携帯にメールが届いた。二人は避難所から姿を消した海宇を探しているところだった。メールの差出人が探している当人だったので、慌てて携帯を開いてメールを調べると、二人は驚いて顔を見合わせた。『闘食杯に一緒に出てほしい』携帯電話の画面に短くそう書いてあった。
「海宇ちゃん、本気なの…?」
 風美にはそれが嘘のように思えた。

「いよいよ準決勝第二試合が始まるぞ! 第一試合に続き、こちらにも注目が集まります!」
 MCの声が球場内に響き渡り、観客席の熱が上る。耳を劈くほどの歓声の中、いわき青海高校が先に姿を現した。空と風美は、どうして海宇が急に闘食杯に出るなどと言ったのか、最初は不可解に思っていたが、ここに来るまでに、海宇が闘食杯に出たいと言った意味を知った。海宇は目の前にある闘食杯に全力を傾ける事で、少しでも悲しみを忘れていようとしていたのだ。二人はそれで友の悲しみが少しでも紛れるならと、一つでも多く勝てるように全力を尽くすことにした。
 さらに歓声が爆発的に高揚する。最強の闘食チーム、イースト・イーターズの登場だ。
「イースト・イーターズが出て来たぞ。闘食女王華喰沙耶子、香辛の女帝春園桜子、高校生最強の楠木彩、この三強を相手に、いわき青海高校はどう闘う!!」
 彩は戦いの場に出ると沙耶子に言った。
「沙耶姉さん、わたしに海宇と戦わせて」
「それはつまり、あんたが大将になるって事ね。闘食に出てくる食材の事を考えると、必然的にわたしが先鋒になるわ。観客にとっては酷く面白くない展開になるわね」
「そうかな。わたしはそんな簡単にいかないと思うよ」
「へぇ、わたしを信奉している彩が、そんな事を言うとはねぇ」
「沙耶姉さんは、命がけで向かってくる人間の怖さを知らないんだ」
 沙耶子は彩の表情を見て眉を顰めた。深遠を味わった人間のみが持つ、暗くも力強い魂が、彩の中には燃えていた。
「…まあいいわ。わたしには順番なんてどうでもいい。目の前の敵を叩き潰し、絶望を味合わせてやる事が出来れば満足よ」
「あの子達に絶望を与える事なんて出来ない、絶対に」
 沙耶子は彩の言う事にあざ笑ってから言った。
「桜子、そういうわけだから、いいわね」
「ええ、沙耶子がいいなら、わたしから言う事は何もないわ」
 いわき青海高校のベンチでは、先鋒の空が出て行くところだった。
「空ちゃん、頑張って!」
「まかせといて、最強だか何だかしんないけど、泥を塗ってやる」
 空が出て行こうとすると、後ろから海宇が声をかけた。
「空」
「うん? どうした、海宇ちゃん」
「空も、風美も、こんなに弱くて情けないわたしの為に、ここまで一緒に来てくれて、本当にありがとう、感謝してる」
「わたしたち友達じゃない。そんな事気にしないでいいんだよ」
「まだまだこれからさ。わたしたちは優勝するまでとぶんだ」
 風美と空の優しさが、身寄りのない海宇にとっては何よりも温かく、頼もしかった。
 そして、空が試合の行われるドーム中央のテーブルまで行くと、急に観客が騒ぎ出した。最初は期待と驚きを混ぜ合わせたくぐもった声が辺りから聞こえてきたが、それらはすぐに女王を称える歓声に変わった。その女がテーブルに向かって歩いてくると、空は狼狽えた。
「なしてあんたが……」
「よろしくね、浜崎空ちゃん」
 沙耶子の微笑には見る者を凍りつかせる深遠なる冷徹さが隠れている。ほとんどの闘食家はこれでやられてしまうが、空は唇の端を吊り上げて挑戦的に笑った。
「いきなり闘食女王のお出ましとは、ちょっとびっくりだな。けど、誰が来たって関係ない。あたし達は勝って決勝まで行くんだ!」
「いい心意気だわ、潰し甲斐がありそうね」
「やれるもんなら、やってみろよ」
 空が言うと、沙耶子は異様な笑みを浮かべた。さすがの空もそれにはぞっとした。
「何と!? イースト・イーターズはいきなり華喰沙耶子を出してきたぞ!? これは作戦なのか!? 初戦から波乱が巻き起こりそうだ!」
 試合開始の時間が迫ると、MCは高らかに叫ぶ。
「準決勝第二試合、先鋒戦はロールケーキ丸々一本だ! かなりきついメニューだが、両雄はどこまでやれるのか!! さあ、時間一杯、皆さんもご一緒に! カウントダウン!!」
『5、4、3、2、1、REDY、GO!!』
 代液晶画面の数字が二〇分までの時を刻み始める。沙耶子と空は、向かい合ったテーブルに座り、既に用意してあったロールケーキ一本を同時に手にとって食べ始める。最初は両者共に同じくらいの速度で食べていたが、二本目から観客席からどよめきが起り始めた。空が沙耶子に差をつけ始めていたのだ。しかし、空は沙耶子よりも頻繁に水を口にしていた。それを見ていた桜子は厳しい表情を見せた。
「沙耶子にとっては良くない展開だわ」
「どういう意味?」
 彩が言うと、桜子は黙ってしまった。何かを隠しているような感じだった。
 沙耶子は多少先行されたところで、どうと言う事はないという余裕の顔でロールケーキを食べていた。その時に彩は気付いた。これまでに相手に先行されている沙耶子など見た事がなかった。超先行型の空だからこそ、沙耶子から先手を奪うことが出来たのだ。
 ―かなり無理をしなきゃならないけど、先行しなきゃあたしの闘食は始まらない!
 空はいつもよりも格段に早いペースで食べていた。そうしなければ、沙耶子からの先行を守ることは出来ない。
 三本、四本と、勝負が進むに連れて、観客席のどよめきが大きくなっていく。やがて空が五本目を完食した時、沙耶子は五本目を食べ始めたところだった。
「何と!? 浜崎空が、女王沙耶子を相手に、ロールケーキ一本分の差を付けたぞ!! これは意外な展開だ!!」
 MCがそう言ったのを皮切りに、沙耶子のペースが上った。観客もMCも、沙耶子が演出していることは分っていた。だが、先手を取られた沙耶子など滅多に見られるものではない。興味深い勝負であることは確かだった。
 ロールケーキ七本目に入ったところで、沙耶子は空に追いついていた。残り時間はあと五分程だ。先行を守る為に水を多量に飲んでいた空は、この時点で苦しそうな顔をしていた。
「空ちゃん、頑張って」
 ベンチの風美は祈るような気持ちで言った。海宇は黙って見ていた。
「どうした、その程度なのかい?」
 沙耶子が揺すりにかかると、空は俯いたまま言った。
「ざけんなよ」
 沙耶子はそれを耳にした瞬間、はっとさせられた。空の短い言葉の中に、気迫のようなものを感じた。
 そして、限界に近いはずの空がさらに勢いを増して食べだした。
「何!?」
 予想外の事に、さすがの女王も慌てる。
「馬鹿な!? お前はもう限界のはずだ!!」
「死んでも勝つ!!」
 限界を迎えたはずの空の闘食が衰える様子はない。沙耶子の脳裏に、先ほど彩が言っていたことが否応なしに思い出された。こうなれば、沙耶子も本気を出すしかなかった。
 女王がこんなところで負けるなど、あってはならない事だ。沙耶子が全力を出し始めると、流石に空は後続になったが、僅かな差でしつこく喰らい付いてくる。
 両者ほぼ同時に八本目を完食し、残り時間僅かで九本目に入る。沙耶子は猛烈な勢いで食べて、あっという間に九本目のロールケーキを完食した。その離れ業に歓声が起り、さらに畳み掛けるように、次の歓声が起った。残り十秒のところで、空が九本目を完食しようとしていたが、一瞬動きが止まる。もうとっくに限界を超えていた空は、気力だけ食べていた。
「負けない!! ここで負けたら海宇がとべなくなる!!」
 空は最後の欠片を口に詰め込み、水で流し込んだ。その瞬間に、試合終了のブザーが鳴った。両チームのポイントを示す掲示板の数は9対9、それは観客席にしてもMCにしても、信じがたい結果だった。
「何という事だ!! 浜崎空が最後まで女王沙耶子に食らい付いた!! よくやったぞ浜崎空、凄まじい健闘だ!!」
 MCが叫び、観客席から拍手喝采が起る中で、俯いていた空は椅子からずり落ちて人口芝の上に倒れた。
「空!!?」
「空ちゃん!!?」
 海宇と風美がベンチから空のところに駆け寄る。それとほぼ同時に医療班がタンカーを持ってやってきた。空はタンカーに乗せられると、片目を瞑り苦しげな表情で言った。
「大丈夫だ、ちょぺっと食いすぎただけさ」
 それから空は笑みを浮かべて言った。
「風美、後は頼んだ」
「任せて、空ちゃんの戦いは絶対に無駄にしないから」
 風美が言った後、空はタンカーで医務室に運ばれていった。
 沙耶子は釈然としない面持ちでベンチの方へ歩いていく。戻ってくる沙耶子を見ながら彩は言った。
「沙耶姉さんなら、軽く十本は食べると思ったけど、調子悪いのかな?」
「油断しすぎよ」
 と桜子は言い放った。
 戻ってきた沙耶子は不機嫌そうな顔で椅子に座って言った。
「あの子達、何だか妙な感じだわ。今まで闘ってきた闘食家とは何かが違う」
「言ったでしょう、それが命がけで闘ってるって事だよ」
 彩が強く言うと、沙耶子はそれを憤然と睨んだが、反論はしなかった。
 続く中堅戦、桜子が立ち上がる。
「彩の言ったことは本当ね。わたし達でも、油断すれば負けるわ」
 桜子と風美が同時に出てきて、声援を受けながら、中央のテーブルを挟んで対峙する。
「わたしは相手がどうであろうと、全力で戦う」
 桜子から放たれる圧力の前に、風美は何も言えなかった。それから二人はテーブルの前に座った。すると、桜子はテーブルを指で叩き始める。それを見ていた風美の頬に、汗が伝った。
 ――辛味料理においては、この人は女王よりもずっと恐ろしいわ。わたしでどこまでやれるんだろう……。
 風美がプレッシャーに負けそうになったその時、観客席の方から声が聞こえてきた。
「風美、頑張れ! 海宇、頑張れ!」
「負けるな!」
「香辛の女帝なんて、ぶっ飛ばせ!」
 見れば、観客席の一角で学校の同級生達が一群となり、いわき青海高校の旗を掲げて応援していた。
「みんな」
 それを見て、風美は恐れを吹き飛ばした。
「恐れることなんてない、わたしができる最高の戦いをすればいいんだ」
 風美の雰囲気ががらりと変わったのを見て、桜子は言った。
「人間ってさ、誰かの為に戦う時の方が、大きな力を出せるのよね」
「貴方は何を言っているのですか?」
 このタイミングで、真っ黒のルーがかかったカレーが運ばれてきた。
「続く中堅戦は、超激辛黒カレーだ! この激辛料理を前にして、増子風美は香辛の女帝に対抗できるのか!?」
 そしてカウントダウンが始まる。緊張の一瞬、試合開始の合図と共に、両者は同時にスプーンを取ってカレーを食べだした。
 様々な香辛料がかもし出す辛味は普通の辛さとは世界が違う。強烈な辛味はじわりと後から襲ってきて、体の底から燃え上がるように熱も上る。辛味に耐性があったとしても、一筋縄にはいかない料理だった。
 二分少々が経ち、両者は同時に食べ終えた皿を置いた。すかさず次のカレーが横から差し込まれてくる。両者二杯目へと突入、その時に観客席がざわめき、MCが吠えた。
「何と、増子風美、春園桜子に喰らい付いている!? 多くの一般参加が脱落する激辛料理をものともしていない!! 一戦目に続き、二戦目の激辛対決も白熱しそうだ!!」
 二枚めの皿が同時に重ねられ、三杯目のカレーが出てくる。
「やるわね」
「わたしはいつも辛さ五十倍のカレーを食べているわ。カレーは、わたしの最も得意とする料理よ!」
「上等!」
 桜子は楽しげに言って、食の勢いを増す。風美もそれに寸分野狂いもなくついていった。そして、四枚、五枚、六枚と二人の皿が同時に重ねられていく。
 ―このままついていって、最後に差し抜く。見ててね海宇ちゃん、必ず決勝に連れて行ってあげるから!
 そんな風美の考えを見抜いたかのように、桜子は攻撃的で鋭い笑みを浮かべた。
「あなたの考えていることは分るわ。香辛の女帝を舐めるんじゃないわよ。あなたのリズムは掴んだ、これで終わりだ」
「終わり!?」
 桜子は足踏みしてリズムを取り、その途端に食べる速さが飛躍した。
「おおっと!? 春園桜子が凄まじい早さで食べている!! 増子風美との差がひらいてきたぞ!! これまでなのか!?」
 焦る風美、残り数分のところで、桜子が九枚目の皿を置いた。同時に風美の皿も置かれる。これは八杯目を完食した皿だった。わずかな時間で、桜子は一杯分のリードを奪っていた。
「そんな……」
 桜子の強さを見せ付けられ、風美は絶望した。さらに限界も来ている。いくら辛いものに強いとは言え、これだけの量の激辛カレーを食べたダメージは大きかった。体中から火が吹き出ているかのように熱く、滝のように汗が流れ、息も苦しかった。
 桜子は時間ぎりぎりに十杯目を完食する勢いで食べている。一方、風美の方は精根尽き果てたかのようにぐったりして動いていなかった。桜子は笑みに余裕を湛えた。その時だった。
「海宇ちゃん」
 風美の瞳から涙が零れた。それを見た桜子は眉をひそめた。途端に、風美はテーブルを叩き、カレーの皿を持って立ち上がった。
「何だ!? 風美が立ち上がったぞ!? 何をする気だ!!?」
 呆気に取られるMCと観客、残り時間は一分を切った。その土壇場で、風美は皿を鋭角に傾けて、口の中に一気にカレーを流し込んだ。誰もがまさかと思った。桜子まで手を止めて風美の姿を見つめた。残り時間十秒とちょっとで、風美は九枚目の皿を重ね、後は椅子に崩れるように座って動かなくなった。
「馬鹿な!!?」
 桜子は慌てて十杯目の完食を目指す。だが、残り一口か二口というところで、試合終了のブザーが鳴った。
 あまりの出来事に、MCすら声が出なかった。
 奇妙な静寂の中で、桜子は微笑を浮かべて風美に近づき、肩を貸した。
「あなたの強さを見せてもらったわ」
「桜子さん……」
 桜子がいわき青海高校のベンチまで風美を連れて行く。明凛館高校のメンバーは拍手をすると、それを合図に観客席から拍手喝采が起った。
 桜子に連れていかれる風美の姿を見ながら林檎は鶫に言った。
「どうしてあそこまで戦えるんだ?」
「浜崎空も、増子風美も、西牧海宇の為だけに戦っているわ。ちゃんと団結していれば、イースト・イーターズにも勝てたかもしれない」
「どういう意味だ?」
 鶫はそれには答えなかった。
「なんか、あの海宇って子は見ているだけで胸が痛くなるような、悲しくなるような、そんな感じがするよね」
 小桃は海宇を見ていると、訳もなく心配になってくるのだった。
 桜子がいわき青海高校のベンチに風美を運び込む。海宇が駆け寄ってきて風美を椅子に座らせた。
「風美、大丈夫?」
「平気よ。心配しないでいいから、海宇ちゃんは思いっきり戦って」
 その言葉とは裏腹に、風美はかなり辛そうに見えた。それを見た桜子は言った。
「彩は貴方から何かを感じたみたいだけど、わたしには何も分からない。けれど、一つだけ言っておくわ。さっきの子も、この子も、貴方の為に体をはって戦った。だったら、貴方はそれに答えなければいけないわ」
 桜子はそう言うと、自分の陣地へ戻っていった。
「この時点でイースト・イーターズと、いわき青海高校のポイントは18対18の同点、女王沙耶子、春園桜子、イースト・イーターズがリードを許してもらえないとは!? だれがこんな事態を予想しただろうか!! 勝敗は大将戦までもつれ込んだぞ!! イースト・イーターズが王者の意地を見せるのか!? いわき青海高校が快挙をなしとげるか!?」
 桜子がベンチ向かう途中で彩が出てくる。二人はすれ違い様にタッチした。
「後は頼んだわよ」
「まかせて」
 彩が出てくると、歓声が大きく膨らむ。観客の中には、アイドルとしての彩を見に来ているファンも多く、その人気は沙耶子以上だった。
 海宇も出てきて、二人は試合が行われる中央のテーブルを挟んで対峙する。
「わたしさ、あんたを見ていたら分かっちゃった。あんたは大切なものを失くしたんだ」
「うるさい……」
 彩の言う事で、海宇の顔つきが険しくなる。それを見た彩は笑いを浮かべて相手を見下ろす。海宇は眉をひそめた。
「わたしはあんたを可哀想だなんて思わない。敵である以上、全力で叩き潰す」
「……」
「必死になった方が、生きてるって実感できるでしょ」
 準決勝第二試合、いよいよ決勝のカードを決める大将戦も目前となり、会場のボルテージは一気に上っていく。
「両チームの大将が向かい合い、いよいよ準決勝も大詰めだ! 高校生最強の楠木彩に対するは、西牧海宇! その実力は謎に包まれているが、前の試合で戦っている風美、空の実力からすれば、彼女も相当な力をもっているのは間違いないでしょう! どちらが勝つのか、まったく予想がつきません! さあ、はじまるぞ!! 勝負料理は、釜焼きピザだ!!」
 両者のテーブルに勝負料理が運ばれてきた。釜焼きピザは木を丸く繰り抜いた皿に乗っていた。
「さて、お手並み拝見といきますか」
 彩が余裕の笑みを浮かべて言っても、海宇は黙って席に座るだけだった。
 両チームの命運を掛けた最後の戦いが、いよいよ始まる。
「カウントダウン!!!」
 MCの声を合図に、音声に合わせて観客達が秒読みを開始した。一秒ごとに緊張が走る。明凛館高校の面々も試合場の出入り口のところで、神妙に見守っていた。決勝進出を決めている彼女等にとっても、重要な一戦だった。
 カウントダウンの終了と共に、彩と海宇は同時に動いた。
 彩はピザの端っこを摘むと、そこから一気にピザを丸めて棒状にしてから食べ始めた。海宇の方は素早く四つ折にしてから食べる。この二人にとっては、生地の薄い釜焼きピザなど、取るに足らないものなのか、両者共に一枚目のピザは一分もしないうちに消えた。観客の間から感嘆の声が漏れた。
「やるじゃん」
 彩が声をかけても、海宇はまるで聞いていなかった。ただ黙って、ピザを四つ折にしていた。
 勝負の展開が恐ろしく速く、ものの数分で互いに五枚のピザを完食する。六枚めのピザが運ばれてくる前に、彩は言った。
「あんたと戦ってても面白くない」
 彩の言葉に、これまで俯き加減だった海宇が顔を上げる。
「あんたは相手を倒そうと思っていない。いい加減にしてくれない? そんな奴に勝ったって、何の自慢にもなりゃしない」
「わたしは、目の前の戦いに全力を傾けるだけよ」
「全力で逃げるの間違いでしょ」
 その瞬間、海宇は彩の事を、今にも殺したいような目で睨んだ。
「あんた、何があったの? 津波で家族を亡くしたとか?」
「うるさい!!!」
 海宇がヒステリックに叫ぶ。とっくに六枚目のピザは運ばれて来ていたが、二人ともそれに手をつけようとはしなかった。試合が停滞して観客席からどよめきが起り始めるが、彩はお構いなしに言った。
「試合に集中して、少しでも悲しいことを忘れようっての? 迷惑なのよね、そういうの。やるなら真剣にやってよ」
「あなたに何が分る!! 目の前で流されたて死んだんだ! お母さんが、目の前で!! お父さんも、弟も、みんな死んだ! あなたには分らない、わたしの悲しみなんて、絶対に分らない!!」
「残念ながら、分らないよ。わたしはあんたじゃないんだからね。ただ、真剣に戦う気がないのなら、こんな所に出てくるなって言ってるんだ!」
「お母さんが最後に言ったんだ! どこまでも走れって! だからわたしは、その通りにするんだ! どこまでも走っていくんだ!」
「苦しみと悲しみから、どこまでも走って逃げようって言うの。それって違うでしょ」
「黙って、黙ってよ! 何も知らないくせに、分らないくせにっ!!」
「……わたしも、血の繋がった家族はいないんだ」
「え?」
「父さんは物心つく前に蒸発した。母さんは育児不適合者で、育児のストレスで頭がおかしくなって、三歳のわたしを押入れに閉じ込めて、出られないように板を打って、その後どこかへ行ってしまった。それから三日後に、わたしは瀕死の状態で発見されて、何とか一命は取り留めたけど、母さんはどっかの山奥で首を吊っているのを発見された。忘れられない。忘れられるような事じゃない。わたしは死んだ母親を、今でも恨んでいる」
 海宇はそれを聞いて衝撃を受けた。海宇と彩が抱えている悲惨は同じものではないが、母親に殺されかけ、死んだ母親を今なお恨むと言った彩のもつ闇も深かった。
「その後もろくな目に合わなかったよ。何度も人生やめちゃおうかって思ったけど、でも諦めちゃいけないって言ってくれた人がいて、わたしはとにかく全力で前だけを見て走ってきた。そして、ここまでたどり着いた。今立っている場所から昔の自分を見つめると、今のわたしになる為に、あの時の酷いわたしがいたんだって、分かるようになった。あんたのお母さんが言った走れって、そういう事でしょ」
 海宇は口を開きかけたが、言葉が出なかった。反論したいけれど、何も言えない。そんな苦渋が表情に満ちていた。
「逃げる為に走るんじゃない。突き進む為に走るんだ。前を向いて、走り続けたその先に、何かがある。それが何なのかはまだ分らないけど、わたしはそれを見つけるまで走り続ける。今までも、これからも!」
 彩がた立ち上がり、ジャケットを脱ぎ捨て、上半身チューブトップだけの身軽な姿になった。
「見せてあげるよ、逃げる者と、追う者の差を!」
 残り時間十分のところで、再び試合が動き出す。彩が6枚目のピザを丸めて瞬時に完食する。海宇には彩の言ったことを考える余裕など与えられなかった。何処か釈然としない気持ちのまま、彩の後を追う形になった。
「負けんな、海宇!」
「頑張って、海宇ちゃん!」
 仲間の声援が、海宇の背を打つ。彼女が一瞬振り向くと、医務室に行ったはずの空もベンチにいて、風美と一緒に応援していた。観客席のほうからも、同級生達が声の限り応援してくれた。中には泣きながら応援している女子が何人もいた。心強いはずの声援が、海宇には何故だか苦しかった。何かがおかしい、海宇は戦いの中で感じ始めた。
 彩のペースが上り、海宇との差を少しずつ広げてきた。そして、彩が十枚目のピザを完食した瞬間、声援に様々な感情が入り混じる。その時点で海宇は九枚目を完食、ピザ一枚分の差がついていた。
「飛べ、海宇、飛べーーーーーっ!!!」
 涙交じりの空の応援が海宇の心を打った。
「そうか、やっと分った……」
 海宇は違和感の正体を知った。空も風美も、そして高校の同級生達も、海宇の試合を応援しているのではなかった。頑張って生きてほしい、希望を持って生きてほしいと言っているのだ。しかし、全てを失った海宇に、それを声に出して言う事は、傍観者の無責任な言葉にしかならない。だから空と風美は黙って後についてきて、海宇の為に必死に戦った。一人になってしまったからこそ、海宇には幸せになってほしい。二人はその思いを胸に、闘食女王や香辛の女帝にも一歩引かずに戦った。
 海宇の心に迷いが生まれた。彼女は空と風美の思いに、答えられる自信がなかった。その迷いは海宇の闘食を足踏みさせる事になった。
 残り時間三分のところで、彩は二枚の差を付け、十二枚を完食、ペースダウンしていた海宇は、そこで桜子の言ったことを思い出した。すると息を吹き返し、ペースを一気に上げる。彩との差が少しずつ縮んだ。
「ようやくやる気になったか。そうこなくっちゃね!」
 彩も最後のスパートをかける。残りの時間で海宇が勝てる見込みはほとんどなかったが、そんな事はどうでもよかった。
―せめて今目の前にあるものと、全力でぶつかろう! 空と風美の戦いに、答えるんだ!
海宇は猛烈に追い上げるが、ついに試合終了のブザーが鳴った。彩は十四枚の釜焼きピザを完食し、海宇は差を縮めはしたものの、十二枚半の完食に止まった。わずか2ポイントの差で、イースト・イーターズの決勝進出が確定した。
 観客席から降りてくる怒涛のような歓声の中で、彩は立ち上がって海宇に言った。
「あんたは生き残ったんじゃない、生きろって言われてんだ。前を見て走っていけるかどうかは、あんた次第だ。敵はあんたの家族を殺した津波じゃない、あんた自身なんだ!」
 彩に言われると、海宇は座ったまま目を閉じて、天上を仰いだ。すると、闇の中に何故か最後の母親の姿が映った。何でこんな時に思い出すのか、不思議な事だった。脳裏に描かれる、あの時の水の砕ける音や凍える寒さ、そして深遠の恐怖、母は津波に流されながら最後に言った。
「どこまでも走りぬいて!! その先に希望がある!!」
 海宇は目を開け、何かに突き動かされて立ち上がった。あの時、波の音にかき消された母の最期の言葉が、今確かに聞こえた。あの状況でも、母は唯々、一人残される娘に、生きて幸せになってほしいと願っていた。海宇がそれに気付いた時、誰かが後ろからそっと抱きしめてくれた。誰も居ないはずなのに、確かな温もりを感じた。
「お母さん………」
 海宇がその場に泣き崩れると、風美と空が走ってきた。
「だいじか、海宇!?」
「しっかりして!」
 両側から風美と空に抱かれて、海宇は立ち上がった。彼女は泣きながら言った。
「二人共、ありがとう。本当に、ありがとう」
 今の海宇には、それだけ言うのが精一杯だった。

最後の瞬間、母は死ぬことを恐れただろうか。否、唯残される者を思い悲しんだだろう。唯残される者の幸せを願っただろう。その思いは永遠に消えることはない。何者も贖えぬ大自然の驚異とて、母の強さを消すことなど出来ないのだ! 母よ、永遠なれ!

どこまでも走りぬいて!!…終わり


13 :四季条 ユウ :2011/10/16(日) 09:40:29 ID:rcoJmAzeQA

第十話 とても言えない

「ルンルルル♪ ルンルー♪」
 準決勝から一夜明けた中日、午前十時ちょうどに小桃はホテルのロビーに出てきて、上機嫌に歌を口ずさんでいた。そこに林檎が通りかかる。彼女はドーム周辺の出店で賞金稼ぎをしようと出て行くところだった。
「いよう、小桃、何だか嬉しそうだな」
「うふ、分かる? 実は昨日の夜に勇気を出して彩ちゃんに電話してみたの。そしたら、遊びに来ないかって言われちゃった。もしかしたらお友達になれるかも、そしたらシャメとかも一緒にとってもらったりして、あーっ! もうどうしよう!」
 一人で盛り上がっている小桃を見て、林檎は唖然としていた。
「あのバカドルに会いに行くって、お前何を考えてるんだ? 明日には敵として戦う相手だぞ」
「そんな事どうでもいいよ。彩ちゃんに会えると思ったら、もう嬉しくて。あ、そうだ、色紙も忘れないようにしないと!」
「こいつ、どうでもいいと言い切ったぞ……」
 林檎は少し考えてから、怪しげな笑いを浮かべる。舞い上がっていた小桃はそれには気付かず、時計の針を気にしていた。
「そろそろいいかな〜」
「なぁ、小桃、あたしも連れてってくれ」
「へ? 林檎ちゃんって、彩ちゃんのこと嫌いじゃなかったの?」
「そんなことないさ。超有名人だからな。あたしもサインの一つでも欲しいと思ってな。他の奴らに自慢できるじゃん」
「うん、うん。その気持ちよく分かるよ。じゃあ、一緒に行こう」
 ―ふふ、単純な奴め。
 林檎は心の中でほくそ笑んでいた。

 彩の宿泊しているホテルも東京ドームの程近くにあった。林檎と小桃はそのホテルの前にくると遥か上まで聳える階上を見上げた。
「うお、でかい!? あたしたちのホテルなんて目じゃないでかさだな…」
「さすがに人気アイドルだから、待遇が違うね」
「むかつき度が増してきた」
「え?」
「なんでもない、行くぞ」
「彩ちゃんのお部屋は二十八階だよ」
「へぇ……」
 そして高速エレベーターで二十八階へ。彩の部屋は2807号室だった。その部屋の前で小桃は携帯を取り出して電話をした。
「彩ちゃん、着いたよ」
『わかった、今空けるわ』
 オートロックが外れる音がすると、小桃はノブを回して扉を開けた。中にいた彩は、星型のストラップの付いた携帯を机の上においてから小桃を出迎えてくれた
「おじゃましま〜す」
「いらっしゃい。まぁ、適当に座ってよ」
「うわぁ、すごく広い!?」
「さすが、アイドル様の泊まるホテルは一味違うな」
「って、何であんたまで来た!?」
 彩が後から入ってきた林檎を指差して言う。彩にとって林檎が現れるなど、あまりにも予想外だった。
「決まってるだろ、うちのメンバーをたぶらかそうとするバカドルの顔を見に来たんだ」
「そりゃどういう意味だ。あと、バカドル言うな!」
「林檎ちゃん、いきなり喧嘩腰!?」
 林檎は不敵な笑みを浮かべながら、ベッドの上にあった大きな熊のぬいぐるみを持ち出して、それを弄りながら言った。
「小桃は騙されやすいからな。それを利用して明日の試合に勝とうなんて、せこいにも程がある」
「あんた何言ってんの!? わたしがそんな事するわけないでしょ!」
「そうだよ、彩ちゃんはそんな事するような人じゃないよ!」
「どうだかなー。試合直前に敵のメンバーと会うってどうよ」
「そ、それは、この子は桜子さんの妹だからさ、仲良くなれると思っただけなんだから……」
「なるほど、あの桜子って奴と共同の作戦ってわけか」
 林檎は言いながら、熊のぬいぐるみに腹パンチを連発する。
「んなわけあるか! あと、わたしのぬいぐるみにボディーブローするな! あんたは嫌がらせに来たのか!?」
「見ていたら何となくむかついただけだ。おまえごとき(・・・)に、何でそんな嫌がらせしなきゃならないんだ」
「あったま来た…」
 彩は完全にカチンときて立ち上がり、林檎から熊のぬいぐるみをもぎ取る。彼女はそれを机の上に置き、振り返って腕を組むと、林檎に向かって侮るような笑みを作った。
「ふん、あんたごとき(・・・)を相手にするのに、何でそんなに頭使わなきゃならないのよ。あー馬鹿らしい、被害妄想の激しい女っていやだわ」
「なんだとこら…」
 林檎はこみ上げる怒りを何とか抑えて、引きつった顔に笑みを浮かべる。
「よく言うな。小桃がここに来た時点で、お前の思惑の半分は成功したようなもんだ」
「何だよその思惑って、言ってみろよ」
「小桃とお友達になって、明日は優勝しちゃおう作戦だ」
「何なんだよその作戦!? そんなのしらないよ!!」
「二人とも、もう止めようよ。喧嘩は良くないよぅ」
 小桃が恐る恐る二人の間に介入すると、彩に睨まれて思わずびくついた。
「あんたは何でこんな奴を連れてきたの?」
「そ、それは、林檎ちゃんが…」
「馬鹿め! 小桃はこう見えても策士なんだぞ!」
 林檎は小桃の声を完全に遮って言った。彩は意味が分からずに怪訝な顔をする。
「小桃の方からお前の陰謀を暴いてやろうと言ってきたのさ。あたしたちは作戦を練ってここに来たわけだ」
「何言ってるの林檎ちゃん!!?」
 彩の突き刺さるような鋭い視線が再び小桃を捕える。小桃は本物の刃物を突きつけられたような恐怖を覚えて言葉も出なくなった。彩はしばらく小桃を見つめてから言った。
「それはさすがに嘘だと分かるわ。この子の頭は完全に春だもの」
「チッ、小桃のふわふわオーラの前では騙しきれないか」
「誤解されないのは良かったけど、何か嬉しいような悲しいような……」
 そこで林檎は力強く彩を指差した。
「とにかく、お前に小桃は渡さん。変なことしようったって、そうはいかないぞ」
「変なことって何だよ!? 誤解を招くようなことを言うな!」
「林檎ちゃん、もうやめてよぉ」
「お前の方こそ、明日闘う敵と友達になろうとするな。過ちに気づけ」
「何でいけないの!? 明日の敵は今日の友って言うじゃない!」
「待て、それを言うなら昨日の敵だよ」
 彩の突っ込みに小桃は一瞬考えてから首を傾げた。
「……あれ?」
「流石は小桃だ、国宝級のボケだな」
「思いっきり力込めて言ってたわね。いいもん聞かせてもらったわ」
「やめてやめて! そんな事で感動されても嬉しくないぃっ!」
 小桃のボケで一瞬和やかな雰囲気が漂うが、林檎と彩の目が合った瞬間に、再び殺伐とした空気が惹起する。
「あんた邪魔だから出てってよ」
「おやおや、ついに本性を現したな。あたしを追い出して、小桃にあんな事やこんな事をするつもりなんだ」
「いい加減にしないと殴るわよ!!」
 小桃は林檎の言葉からインスピレーションを得て、リアルに状況を想像して、茹蛸のように顔を紅潮させていた。
「あんな事や、こんな事……はうぅ…」
「あんたも顔を赤らめていらん想像をするな!!」
「まったく、よくお前みたいながさつな女がアイドルなんかになれたな。どうやってここまでのし上がって来たんだ」
「うっさいわね、あんたには関係ないでしょ」
「どうせ事務所の社長の前でパンティ脱いだりしたんだろ」
「り、り、林檎ちゃん、なんて事を!!?」
 その瞬間、殺意にも似た凄まじい怒りが彩を包み込んだ。小桃と林檎の目に、燃え上がる赤炎が目に見えると錯覚させるくらいに凄まじいものだった。
「お前、いい加減に、出ていけーーーーーっ!!!」
 彩の怒声に叩き出されるように、林檎と小桃は2807号室の外に飛び出した。
「もしかして、当たっちゃったのか、ピンポイントか?」
「そんな事あるわけないよ! 絶対にないよ! 彩ちゃんは絶対に絶対に、そんな事しないよ!!」
「小桃、わかったから泣くな」
 それから小桃はホテルの廊下ですっかり意気消沈して呆然となってしまった。林檎はそれに向かって親指を立てて言った。
「彩の奴に多大な精神ダメージを与えたぞ。やったな、小桃」
「なに親指立ててるの!? 全然やってないよ!! 林檎ちゃんのせいで滅茶苦茶だよ!!」
「まあ、そう怒るな」
「怒るよ! 彩ちゃんとお友達になれそうだったのに、林檎ちゃんのバカバカバカーッ!」
「もうあいつの事は諦めろ」
「あうぅ、諦めきれない……」
「言っておくが、彩はあたしに対して出て行けと言ったのであって、お前まで出いく必要はなかったんだぞ」
「あう、そうだったんだ……」
「今更戻れる雰囲気でもないな、帰るぞ」
「あうぅ……」
 さっさとエレベーターに向かう林檎の後を、小桃は今にも倒れそうな足取りで付いていった。
 彩は林檎たちが出て行った後、二十八階の窓辺からの景色を見下ろしながら言った。
「まったく、嫌なこと思い出させやがって……」
 彩の中で燃え上がっていた林檎に対する怒りは、すぐに別の感情によって消火されていく。
「明日の敵は今日の友か……ぷっ、まじ笑える」

 小桃は自分のホテルに戻るといじけてベッドの中に潜り込んでしまった。一人静かに本を読んでいた鶫は、すぐにそれを見止めて、もの問いたげに林檎を見つめる。
「実はこういう事があってな」
 林檎は包み隠さず、さっき彩とやりあった状況を話した。鶫は全てを聞き終えるまで、黙って耳を傾けていた。林檎の話が終わると、鶫は言った。
「林檎の言う事が正しいわ」
「うう、酷いよ、鶫ちゃんまで一緒になって……」
 小桃が布団の中から顔を出して悲しそうな顔をすると、鶫はそれを諭すように話し始めた。
「小桃は友達をとても大切にしているでしょう」
「うん…」
「そんなあなたが、友達を敵に回して、本気で闘うことが出来るの?」
「あ、それは……」
「出来ないでしょう。だから林檎は、あなたの不興を買ってまで邪魔をしたのよ。今あなたが楠木彩と友達になってしまうと、明日の戦いではそれが枷になってしまう。それに対して楠木彩の方は友達だからと言って遠慮するような性質ではないわ。戦いになれば誰であろうと全力で叩き潰しにくる」
「うう、ごめんなさい、わたしよく考えもせずに……」
「彼女と友達になるのは、決勝が終わってからでも遅くはないわ」
「うん、そうだね」
 小桃は元気を取り戻して布団から出てくると、ベッドの上に座って林檎に言った。
「林檎ちゃん、ごめんね。わたしの為にあんな事をしていたんだね。わたし鈍感だから、全然気付けなくて」
「いや、気にするな。分かってくれればいいのさ」
 林檎は純真な小桃の姿が眩しくなって、少しだけ目を逸らして思った。
 ――鶫がうまくまとめてくれたが、彩(あいつ)をからかってみたかっただけだなーんて、とても言えない。


14 :四季条 ユウ :2011/10/26(水) 21:08:23 ID:rcoJmAzeQA

第十二話 悲しみも、苦しみも

 決勝戦当日の夕方ごろ、入院中の胡桃が刃と病室で話をしていると、誰かが部屋の扉を叩いた。もう間もなく決勝戦が始まるので、刃はメンバー以外に誰が訪ねてくるのかと思いながら言った。
「どうぞ」
 その女性が満面の笑みで入ってくると、刃は感動に胸を打たれ、胡桃は急激に機嫌を損ねる。
「ど、ど、どうしてエイミさんがこんな所に!?」
「お見舞いに来たのよ。胡桃さん、身体の具合はどう?」
「ふん、あなたなんかに心配されたくはありませんわ」
「胡桃ちゃん、そんな露骨に嫌わなくても……」
 その時、胡桃の耳に今までに聞いた事のない歌声が聞こえてきた。
「はっ、この声は、何て美しいのでしょう!?」
 胡桃はすぐにエイミが持っている箱の存在に気付いた。何せ声はそこから聞こえてくるのだ。
「その美しい包装と可愛らしいリボンで飾られた箱はもしや……」
「ああ、これね、銀座にあるアンリ・ロアーヌのケーキよ」
「やはりそうなのですね、何て素晴らしいのでしょう!!」
「胡桃ちゃん、急にどうしたの!?」
「アンリ・ロアーヌと言えば、長蛇の列が出来て何時間も並ばなければ買えないという伝説のケーキ屋さんなのですわ。わたくし、どうしてもここのケーキが食べたかったのですが、宇都宮から銀座まで行くわけにもいかず、何とか手に入れようとして権力を行使してまで裏工作をしましたけど、結局失敗してしまいましたの」
「ケーキの為にそこまでしたんだ、しかも失敗したんだ……」
「わたしは顔が利くから割と簡単に手に入るの。沢山買ってきたから、よかったら食べてね」
「ああ、もうお姉様と呼ばせて下さい!!」
「胡桃ちゃんの人生がケーキを中心に回っている事が良く分かるよ」
 胡桃はエイミからケーキの箱を受け取ると、それに耳をつけて陶酔した。
「何て美しい声なのでしょう。まるでオペラを聴いているようなのですわ」
「何を聞いているの?」
「わたくしケーキの声が聞こえるのです」
 刃は肝を冷やしながら胡桃の会話を聞いていた。すると、エイミは驚きもせずに言った。
「どんな声なの、教えてくれないかしら?」
「え!? 胡桃ちゃんの言う事にまともに取り合う人は初めて見ました…」
「スイーツの女王としては気になる所だわ」
「エイミさんまでケーキの声が聞こえるようになったら嫌ですよ僕は…」
「さすがにそこまでの才能はないと思うわ」
「才能ではなくて奇特な能力です……」
 エイミは微笑を浮かべてから腕時計を見て言った。
「その話は後にして、そろそろ決勝が始まるわ。みんなで明凛館高校を応援しましょうね」
 エイミがテレビを付けると、ちょうど試合が始まるところだった。

「ついに東の闘食最強チームを決定する戦いが始まる!! 王者イースト・イーターズの前に、無名のチームが立ちはだかる!! 準決勝での龍餓との戦いは素晴らしいものだった! 決勝戦も期待しているぞ、明凛館高校!!」
 観客席から割れんばかりの歓声と七色の紙吹雪が飛ぶ。そんな中で二つのチームのメンバーは、それぞれ意中の相手との間に火花を散らしていた。
「ここで我々が独自に手に入れた情報を公開するぞ。龍餓との辛味勝負で驚くべき強さを見せた春園小桃は、香辛の女帝こと春園桜子の妹。そして、明凛館高校の大将、深山鶫は先代の闘食女王、深山瑠璃の妹だった!! これは何と因縁の深い対決なのだろうか!!?」
 観客がさらに盛り上がる中で、沙耶子は鶫を見つめて嘲笑う。
「なるほどね、そういう事だったの。そう言えばあんな子いたような気がするわねぇ」
 鶫は沙耶子を鋭い目で見返す。すると沙耶子は、目の前の少女が深山瑠璃であるような気がして楽しくなってきた。
 各チーム共に、一旦ベンチに入り、試合が始まるまで暫しの休憩となる。その時に、彩が明凛館高校のベンチに入って来る。林檎は立ち上がって言った。
「何しに来た」
「一応知り合いだから、挨拶に来てやったよ。久しぶりだね」
「こいつ何言ってんだ? 昨日会ったばかりじゃないか。あ、そうか、若ボケだな。可愛そうな奴だ」
「んなわけあるかーっ!! あんたじゃない、そっちの子に言ってんの!」
 彩は鶫を指して言った。
「何だ、知り合いだったのか?」
「去年のジュニアフードカップ関東大会の決勝で、彼女と戦ったわ。結果は負けだったけれど」
「負けだって? あんたのそういう空かしたところは嫌いだね」
「わたしを倒したから、貴方は全国大会で優勝したのでしょう」
「…まあいいさ。そんな事を言いに来たんじゃない。あんたが沙耶姉さんを倒す為にここまで来たことは知ってる。けど、あんたじゃあの人は倒せない、諦めるんだね」
「わたしは、いいえ、わたし達は勝つためにここまで来た。貴方の言う通り、わたしだけの力では沙耶子には勝てない。けれど、チームの力を合わせれば、不可能を可能にする事が出来るわ」
「ふん、せいぜい頑張りなさい」
 彩は悪態をついて明凛館高校の陣地から離れていった。
 試合が始まる前に鶫は林檎と小桃に言った。
「二人共、頼みがあるわ」
「改まってどうしたんだ?」
「何でも言ってよ」
「1ポイントでもいいからもぎ取って欲しい。そんな事が簡単に出来る相手でない事は分かっている。それでもあえてお願いするわ。沙耶子を倒す為には、どうしても先制点が必要なの」
「小桃はともかく、この林檎様にまかせておけ!」
「酷いよ! わたしだって頑張るよ!」
「ありがとう、あなたたちを信じているわ」
 林檎と小桃は黙って頷き、そしてMCの声がドーム中に響いた。
「さあ、いよいよ先鋒戦が始まる! 高校生最強の称号を持つ楠木彩は、中高生を対象にした全国ジュニアフードカップで強豪の関西勢を次々と倒し優勝した記憶は新しい! 一方、彗星のように現れたルーキー、紅野林檎は今までの闘食でその実力は証明済みだ! この戦い、どうなるのかまったく予想がつかない!! 歴史に残る闘食になる事だけは確かだろう!!」
 それぞれの選手が前に出てくる。彩と林檎は同時にテーブルの前に座った。
「いよう、約束通り来てやったぞ」
「うん? あんたと約束なんてしたっけ?」
「小桃が途中で邪魔したから微妙なところだけどな……」
「一つだけ言っておくけどさ、あんたじゃわたしには絶対に勝てないよ。食べ物への渇望が全然違うからね」
「お前の方が、今までに色々なものを乗り越えてきている。前の試合でそれが良く分かった。実力でも、お前の方が一歩上だろう」
「おや、素直に認めちゃうんだ」
「けどな、あたしには仲間がいる。仲間の為に戦うのなら、あたしは負けない」
「仲間ね……」
 そこで勝負料理の大盛りクリーム白玉餡蜜が出て来た。そしてカウントタウンと一緒に観客席からも声が上った。
『5、4、3、2、1、REDY、GO!!』
 彩と林檎は同時にスプーンを取って、互いに凄まじい勢いで餡蜜を食べ始めた。そして、すぐに二人同時に空になったガラスの器を横に放り出す。
「二人共凄まじい速さで食べている! これはスピードが明暗を分ける勝負になるか!?」
 MCの声を聞いて、林檎はそれを心の内で否定した。
 ――勝敗を分けるのはスピードじゃない、あたしと彩の持っている力はほとんど互角だ、勝利は限界を超えた先にある!
二人はペース配分などまったく考えない速さで、ほとんど同時に食べていく。そして、七杯目に突入する前に、彩が立ち上がった。
「くーっ、燃えてきたーっ!!」
 彩がジャケットを脱ぎ捨て、上半身チューブトップのみのセクシーな姿になると、ファンは大いに盛り上がった。
「これからが本番だよ!」
「来るか!」
二人は更にペースアップして、七杯目、八杯目と同時に完食していく。そして、十五分で大盛りクリーム白玉餡蜜を二人同時に十一杯完食という離れ業を見せる。しかし、そこで二人同時に動きが止まり、彩は椅子の背もたれに寄りかかって全身の力を抜き、林檎はテーブルの上につっぷした。
「さすがに、きつい……」
「うう…ここまでついてくるなんて……」
「おおっと、どうした二人共!? まったく動かないぞ、もう限界なのか!?」
 MCが言うと観客席からもどよめきが起こる。そのまま刻々と時間は過ぎていった。
「試合終了四分前、どうやらこのまま引き分けで試合は終わりそうです」
 液晶スクリーンのカウントダウンが四分を切り、沈黙の中で異様なほどに緊張が高まる。両チームの面々はこのまま二人が終わるなどと露ほども思っていない。観客も何かが起こる事を予感していた。そして、試合終了三分前となったその刹那のこと。
「勝負をかけるなら今だ!!」
 林檎は目の前に餡蜜を手にとって持ち上げる。彩の方もまったく同時に動いていた。
「考えている事は同じか!!」
「これからが本当の勝負だ!!」
 まるで今試合が始まったかのように、二人は猛烈な攻勢をかける。十二杯目を一分も掛からずに完食し、続く十三杯目、流石に二人共本当の限界が近づいていた。それでも彩は少しずつ白玉や寒天を口に運んでいた。林檎の方は苦しそうに両目を閉じて動けないでいる。時間は残り二分を切った。
「……鶫、見てろよ、必ず約束は守ってやるからな」
 林檎が言った。次の瞬間、彩の目の前で信じられない光景が展開される。林檎が次々と餡蜜を口に運び始めた。今にも死にそうな顔をしながらも、その勢いは衰えない。
「そんな、嘘だ、もう限界のはずなのに!?」
 彩は高校生最強の誇りにかけて、林檎の後を追った。
「ちくしょう、負けるもんか!!」
 林檎は残り時間三十秒で十三杯目を完食した。
「ぐあ、これ、まじで、死ぬ……」
 林檎が苦しそうに片目を閉じて彩の方を見ると、相手の餡蜜の量が半分ほどまで減っていた。
「追いつかれるのか……」
 残り時間二十秒を切った時、彩の瞳から涙が溢れた。それは悔し涙とは何処か違う、もっともっと深い場所から流れ出てきたものだった。
「負けるはずない! わたしが負けるはずないんだ! だって、わたしは……」
 彩の思考が暗転する。彼女は幼少期に戻り、目の前で自分に呪詛を叩きつける母を見た。口汚い罵りは聞くに堪えないもので、小さな子供にはあまりにも辛辣だった。そして彩の母は、押入れの戸を閉めた。真っ暗闇の中で、彩は押入れの戸に板を打つ音を聞いた。どうしてこんな目に合わされるのか、意味が分からなかった。
「……暗いよ、おなか空いたよ」
「何だって?」
 林檎は彩のことを見てぎょっとした。彩は俯き加減で異様な笑みを浮かべていたのだ。
「お前……」
 残り時間が十五秒になる。土壇場で、彩は猛然と残りの餡蜜を食べだした。今までの苦しみ方からすると、とても考えられない勢いで、その姿はまるで地獄に住む餓鬼のように異様だった。それを目の当たりにした桜子は慌てた。
「彩が暴走した!? ここのところ、なりを潜めていたのに!!」
 桜子がベンチから出て行こうとすると、沙耶子がその腕を掴んだ。
「何をするの!?」
「止める必要はないわ。あの子だって、あのまま負けたくはないでしょ」
「放して! あの状態になった彩は、歯止めが利かないのよ! 下手をしたら死ぬわ!!」
「負けるくらいなら、死んでしまえばいい」
「沙耶子!!!」
 桜子が平手を振り上げたその時に、試合終了のブザーが鳴った。桜子は沙耶子の手を振り払い、試合場の方へ走っていく。
 林檎は目を見開き、俯いて異様なうめき声を上げている彩を見つめていた。彩の前には空になった十三杯目の餡蜜の器があった。時間切れと同時に、彩は林檎に追いついていた。
「くそ……」
 桜子が走ってきて、ぐったりしている彩を抱き起こす。
「彩、大丈夫!?」
「ああ、何とか……」
「そいつに何が起こったんだ?」
「彩は、追い詰められると過去の記憶がフラッシュバックして、暴走してしまう事があるのよ。あなたは彩にとって、それだけの強敵だったということね」
 彩は疲弊しきって半分死んだような目で、林檎の事を見た。
「昔の事を思い出すのは嫌だ。でも、そのお蔭であんたに負けずに済んだ」
 林檎は悔しそうに歯を食いしばり、仲間のいるベンチに戻っていった。

「すまん鶫、約束を守れなかった……」
「いいえ、そんな事はないわ。むしろ点を取られていてもおかしくない試合だった。これは勝利に繋がる引き分けよ」
「鶫、ありがとうな。後は小桃に任せるぞ」
「うん、みんなの期待に答えて見せるよ」
 それから林檎は、酷く苦しそうな顔でベンチの椅子に座って言った。
「まじできつい…己の限界を知ったな……」
「林檎ちゃんが今限界を知った事に驚きだね〜」
「まぁな……」
 小桃のとぼけた突っ込みに、苦笑いを浮かべる林檎であった。
 ここで液晶スクリーンのポイント表に、明凛館高校に13ポイント、イースト・イーターズに13ポイントが入った。
「よ〜し、頑張るぞ〜」
 小桃は気合の入らない間延びした声を出して右手を突き上げた。それを見ていた林檎は、どうしても心配になってしまう。
「何と先鋒戦は凄まじいデッドヒートの末、引き分けと相成りました! 凄い展開になってきたぞ!! 続く中堅戦、注目の好カード、春園桜子対春園小桃の姉妹対決だ!! 品目は超有名店の夕(せき)から提供の特製激辛味噌ラーメン!!」
 両陣営から小桃と桜子が出ていく。林檎はベンチに座り苦しいお腹を押さえながら鶫に言った。
「あの二人の前では辛さと熱さは問題じない」
「そうね、勝敗を分けるとしたら、それは闘食家としての純粋な力よ」
 桜子と小桃が歩いてきて向かい合う。
「あなたが闘食に身を投じるなんてね、驚きだわ」
「お姉ちゃん、ずっと聞きたかった。何でピアニストを止めてまで闘食家になったの? みんな期待してたのに、喜んでたのに、それなのに何も言わないでいきなり闘食家なんて……」
「わたしはね、沙耶子の闘食を見て心が震えたのよ。そして分かったわ、これがわたしの行くべき道なんだってね。目の前にあるものを食い尽くし、そして目の前の敵を倒す。わたしの中には沙耶子と同じ様に獣がいる。ピアニストなんてやってらんないわよ」
「じゃあ、お母さんの気持ちはどうなるの!!? ずっと小さい頃から一生懸命ピアノを教えて、お姉ちゃんがピアニストになった時は誰よりも喜んでたんだよ!! お姉ちゃんがこんなになって、お母さんは泣いたんだよ……」
「…知っていたわ。あんたはそれが一番許せないのよね。自分の事はいい加減な癖に、他人の為には馬鹿みたいに怒ったり悲しんだりする、相変わらずね。あんたがここに立っているのも、どうせ誰かの為なんでしょう」
 桜子は下らないと言うような目で妹を見下ろした。
「わたしはわたしの為に生きる。わたしが選ぶ人生よ、誰にも文句なんて言わせない。母さんには悪いとは思っているけど、ピアノは無駄にはなっていないわよ。おかげで闘食のリズムを悟る事が出来たわ」
 それを聞いた小桃の中に怒りの炎が燃え上がる。母が懸命に教えたピアノを侮辱する事だけは許せなかった。しかし、小桃はぐっと拳を握って気持ちを抑えた。
「言いたい事は沢山あるけど、今はただ、友達の為にお姉ちゃんと戦う!!」
 小桃の強い意志と言葉が桜子の胸を貫く。こういう時の小桃が一番恐ろしいと、桜子は良く知っていた。
「面白いわ。ならば、この香辛の女帝を倒してみなさい!!」
 桜子は目の前のテーブルを思い切り叩いて言った。それから二人は同時にテーブルの前に座り、指を叩いてリズムを取り始める。テーブルに真っ赤な汁のラーメンが運ばれてきて、そこでカウントダウンが入った。観客席からも声が上る。
『5、4、3、2、1、REDY、GO!!』
 二人は同時に割り箸を取って食べ始めた。二人共同じ様に踵で床を打ってリズムを取りながら、流れるように麺を啜る。桜子はすぐに妹のリズムを掴む為に、前の様子を見た。
 ――やはり、こちらの事をまったく意識していない。こんな闘食をされたら、大抵の闘食家は心が折れてしまうわね。
 桜子は当然、妹の小桃がどんな闘食をするのかを知っていた。食べることに集中すると、他のことがまったく気にならなくなる。小桃はずっと小さい頃からそうだったのだ。
 ――小桃のリズムを掴んでしまえばそれまでよ。後はそれを凌駕する速さのリズムを作るだけ。
 一方、小桃は闘食が始まった瞬間からトランスしていた。自分と目の前のラーメンだけが、小桃の世界だった。
 ――このラーメンすごく美味しい!? けど、味わってる暇なんてないんだった。今は無理してでも早く沢山食べられるリズムだよ。そう、鶫ちゃんの期待に応える事が出来るリズムは、これだ!
 小桃の足踏みが格段に早くなると、ラーメンを食べる速度も上った。桜子の方が自然とそれについていくような形になった。その時になって、桜子は焦り始めた。
 ――小桃のリズムが掴めない!? こんな事、初めてだわ!?
 小桃が早くも三杯目のラーメンを完食する。桜子はそれに少しだけ遅れて三つ目の丼を置いた。小桃のリズムが掴みたくても掴めない、その焦りが小桃と桜子の差を広げていた。その様子を見ていた沙耶子は言った。
「闘食に迷いがあるわ。あんな桜子は見た事がないわね」
「小桃って本当にすごいんだ……」
 桜子が四杯目を完食したとき、もう小桃は五杯目を食べていた。その時になって、桜子は自分の犯していたミスに気付いた。
 ――そうか、そういう事か、わたしとした事が……。
 そして五杯目から、桜子は自分の闘食だけに集中した。小桃のことは気にせずに、自分が持てる力を最大限に発揮できるリズムに変える。
「おおっと、なんと言う事だ!? 小桃の方ラーメン半杯程リードしてきているぞ!? 辛味料理で香辛の女帝の先を行くとは、天才少女闘食家の登場だ!!」
 MCに呼応して、観客がこぞって小桃の応援を始める。だが、このまま終わる桜子ではなかった。
「あっと、桜子が追い上げている!! 少しずつ差を縮めてきているぞ!! これぞ、香辛の女帝!」
 残り時間五分のところで、桜子と小桃は七杯目のラーメンを完食した。この時、桜子の方が僅かに先行していた。
「まずい、桜子は残り五分でポイントをもぎ取れるような相手じゃないぞ」
 ベンチから試合を見ている林檎の表情が険しくなる。鶫は黙って試合の推移を見守っている。その瞳には、どこまでも仲間を信じぬく純粋な輝きがあった。
 小桃の闘食は、常に自分との戦いとなる。故に小桃は思った。
 ―まだいけるよ。わたしはまだ全力を出していない。林檎ちゃんや、前の試合の福島の女の子達みたいに、死ぬ気で頑張らなきゃ、そうでなきゃ、鶫ちゃんに答えられない!
「小桃のペースが飛躍的に上った!? この熱くて辛いラーメンを、これ以上早く食べられると言うのか!!?」
 MCに続いて、観客達も驚愕する。先鋒に続き、中堅戦でも接戦が繰り広げられた。
 二人のテーブルにさらに丼が積み重ねられ、やがて二〇分が経って試合終了のブザーが鳴った。それを聞いた小桃は驚いて身体をびくつかせ、自分の世界から抜け出して辺りの様子が見えるようになった。
「う〜っ、お腹が苦しいよぉ……」
 小桃の口からそんな間の抜けた言葉が出てくる。前にいる桜子の方は、神妙な顔をして下を向いていた。
「あ、そうだ、試合はどうなって……」
「あなたの勝ちよ。見事だったわ、小桃」
 小桃の顔が明るくなる。小桃は九杯、桜子は八杯のラーメンを完食したが、桜子の九杯目の丼の中身には、一口か二口分の麺が残っているに過ぎなかった。本当にぎりぎりのところで、小桃が1ポイントをもぎ取っていた。
「わたし、勝ったんだね」
「他人の為に何かをする人って強いものなのね。だからあんたが勝ったんだと思う。それが幸せになる為の、一番の近道なのかもね。わたしには真似出来ないけど」
「お姉ちゃん……」
 桜子は微笑を残してベンチの方に去っていった。それは小桃が良く知っている愛情のこもった姉の笑顔だった。
 現在のポイントは、明凛館高校が22ポイント、イースト・イーターズが21ポイントとなった。


15 :四季条 ユウ :2011/10/26(水) 21:09:42 ID:rcoJmAzeQA

「香辛の女帝が負けたーっ!? 明凛館高校、中堅戦で1ポイントを奪取したぞ!? これは快挙中の快挙だ!! しかし最後に残された大将戦では、女王沙耶子が出てくる!! 女王の前では1ポイントなど無きにも等しいぞ!! 先代の闘食女王を彷彿とさせる深山鶫は、どう対抗するのだろうか!? いよいよ因縁の対決が始まる!!!」
 小桃が戻ってくると、鶫は小桃と抱き合い、林檎が親指を立てて見せた。
「ナイス闘食だったぞ!」
「うん、お腹がちょっと苦しいけどね」
「ちょっとかよ、あたしなんてもう死にそうなのに……」
「二人とも、もう言う事はないわ。林檎と小桃がここまで頑張ってくれた、勝たなければ嘘よ」
 反対側のベンチにも、桜子が戻ったところだった。
「言い訳はしないわ。完全にわたしの戦略ミスよ」
「あんたは妹のリズムを取ろうとしたけど、妹の力は桜子と同等かそれ以上だった。リズムなんて掴めるわけなかったのよ」
「流石は沙耶子ね、その通りよ。わたしは最初から全力を出し切って闘うべきだった。そうすれば、少なくとも引き分けには持っていけたわ」
「まあ、いいんじゃないの。これくらいの方が燃えるわ」
「沙耶子、油断しては駄目よ。あの鶫って子が深山瑠璃の闘食を踏襲しているとすれば…」
 桜子が言いかけた時、いきなり沙耶子が手を伸ばして桜子の首を掴んだ。
「敗者がのたまうな! わたしに指図など必要ない!」
 沙耶子が手に力を入れると、桜子は息が止められて顔を歪める。驚いて呆然としていた彩が、立ち上がって沙耶子の腕を掴んだ。
「止めてよ沙耶姉さん!? こんなの駄目だよ!!」
 沙耶子が手を離すと、桜子は特に気にした様子もなく首をなでた。
「あんたの性格を忘れていたわ」
「敗者はわたしの闘食をここで見ていなさい」
 沙耶子が出て行くと、桜子は言った。
「この状況はあまり良くないのよね」
 明凛館高校のベンチでは、目を閉じた鶫が手を合わせて深呼吸をしていた。
「出たな、闘食呼吸法」
「鶫ちゃん、何してるの?」
「あたしとの闘食で見せた技だ。新陳代謝を活発にする中国拳法の呼吸法らしい」
「よく分からないけど、深呼吸で強くなるんだね」
「まあ、そんなところか…」
 試合開始直前で、鶫が目を開けて立ち上がる。
「行ってくるわ」
「後は任せた!」
「頑張れ鶫ちゃん!」
 それから鶫と沙耶子が同時にテーブルの前に座り、睨み合って火花を散らす。
「深山瑠璃の妹がわたしを倒しに来るなんて、面白いサプライズね」
「あなたはあの時、唐突にやってきた。姉さんはベストの状態ではなかったわ」
「だから負けたと言いたいの? そんな下らない事を言いにきたわけ?」
「わたしがここに来たのは、深山瑠璃と華喰沙耶子の闘食はまったく違うという事を教える為よ」
「そんな事、教える間もなく潰してあげるわよ。姉と同じ様にね!!」
 沙耶子は凄まじい覇気を発するが、鶫はそれには飲まれず澄ましていた。そこへ対決の料理が運ばれてきてテーブルの上に置かれる。それを見た鶫は、同時に忌まわしい記憶を呼び起こされて息を飲んだ。
「これは、焼き鳥丼……」
「あらぁ、奇遇ねぇ。あなたのお姉さんを倒した時と同じメニューが出てくるなんて」
「わざとらしいわね。あなたの差し金でしょう」
「せめてもの慈悲よ。この料理で負けるなら本望でしょ」
 いよいよ試合の時間が近づき、観客は怒号のように沸きあがり、沙耶子コールが起こる。その後に観客席に向かってMCが叫んだ。
「恒例のカウントダウン!!!」
『5、4、3、2、1、REDY、GO!!』
 沙耶子は救い上げるように焼き鳥丼を取って、恐ろしい速さで食べ始めた。鶫は常に相手の様子を伺いながら食べていた。沙耶子は一分足らずで一杯目を食べ終えて、テーブルが震えるくらい強烈に丼を叩きつけた。続く二杯目、沙耶子が食べている姿を見ているだけでも、その強烈な存在感によって熱風が吹き付けてくるような感覚を受けて、鶫は思わず目を細めた。
 沙耶子が早くも杯目を完食し、丼を重ねる音が木霊する。その時、彼女の視界に鶫が丼を置く姿が目に入った。何と、鶫も二杯目を完食したところで、驚異的な速さの沙耶子にぴったりくっついてきていた。
「ほう」
 感心したような声を出した沙耶子を、鶫は黙して見つめる。
「深山鶫、激烈な速さの女王にしかりついていっているぞ!? リードしている1ポイントを守りきろうという作戦か!?」
 MCの声がドーム内に響いた。観客席はしんとして、誰もが観戦に集中していた。
 両者が三杯目の焼き鳥丼に突入する。それを半分ほど食べたところで、沙耶子は相手の挙動に違和感を覚える。一方、鶫の方は沙耶子の動きを常に見ていた。
 ――みんなが取ってくれた1ポイントは活かしきって見せる!
 そして二人同時に三杯目を完食。沙耶子が手を高く上げて四杯目の焼き鳥丼に箸を突き刺す。鶫も手を高く上げて四杯目の焼き鳥丼に箸を刺した。沙耶子はそれを見て眉を潜めた。それから二人同時に四杯目を食べ始める。沙耶子がもしやと思って不意に食べるのを止めると、鶫の動きも止まった。沙耶子が怪訝な顔をしながら一口食べる。すると、鶫もまったく同じタイミングで一口食べた。鶫が何をしているのか理解した沙耶子は激昂した。
「お前、何のつもりだ!!」
 沙耶子が勢いを増して食べると、鶫は恐ろしいくらいの精密さで沙耶子と同じ動きをする。そして二人は四杯目の丼を同時に空にした。沙耶子は屈辱を感じて憎悪の深い目で前にいる小柄な少女を睨む。
 ベンチで見ていた桜子は彩に言った。
「深山瑠璃もあれと同じ技を良く使っていたわ」
「あのまま時間切れまで頑張れば勝てるって事か。同じ位の力を持った闘食家が相手なら話は分かるけど、沙耶姉さん相手じゃ無理だよ」
「それはあの子だって分かっているわ。狙いはリードを守る事じゃない。あの子の狙いは……」
 桜子が彩に言った時に、観客席が鶫の機械のように精密な闘食を称える歓声が巻き起こった。桜子の声はそれにかき消されたが、間近で聞いていた彩は信じられないという顔をしていた。
 その時、顔を憎悪で歪めていた沙耶子は、急に笑みを浮かべて言った。
「面白い! どこまでついてくる事が出来るかしら!」
 沙耶子は猛烈な勢いで食べ始めた。鶫もそれと同じペースで食べる。MCはあまりに凄まじい二人の闘食に唖然として言った。
「これは、ものすごい事になっている!? 二人共、なんと言う早さで食べるんだ!? 人間業じゃないといっても過言ではない!!!」
 明凛館高校側のベンチでは、林檎と小桃が思わず立ち上がっていた。
「おい、あんな食い方したら、体がもたないぞ!」
「鶫ちゃん、頑張れ! 頑張れっ!」
 二人は瞬く間に七杯目の焼き鳥丼までを完食した。その時点で残り時間は七分になり、鶫のペースが徐々に落ちてきた。そして、八杯目を半分ほど食べた時点で、鶫は丼を置いて苦しそうに目を閉じた。途端に沙耶子が高笑う。
「それで終わりなの? 大したことないわね!」
 沙耶子はさらに食べるスピードを上げた。すると彩は、沙耶子の様子がいつもと違うので心配になった。
「何か、沙耶姉さん、変じゃない? いつもあんな滅茶苦茶な食べ方しないよね……?」
「沙耶子には一つだけ弱点があるのよ」
「沙耶姉さんに弱点!? 嘘でしょ!?」
「沙耶子に勝った経験がある闘食家じゃないと気付かない事よ」
「っていうと、桜子さんとエイミさんくらいだけど……」
「エイミも多分気付いているわ。この弱点は滅多なことでは露見しないんだけど、この闘食は最初から沙耶子にとっては最悪の条件よ」
 その時、沙耶子が八杯目の焼き鳥丼を完食して会場を沸かせた。鶫は懸命に食べていたが、まだ八杯目を完食できていなかった。
「さあ、これで追いつくわよ!」
 沙耶子はさらに速さを増して食べた。ここまでくると、もはや人間業ではない。沙耶子ならではの早食いだ。そして、鶫が八杯目を食べ終わるのと同時に、沙耶子は九杯目を完食して1ポイントの差を相殺する。この時点で残りは五分を切った。それぞれの前に新しい焼き鳥丼が出てくる。
「これで逆転よ! これから地獄を味あわせてあげるわ!」
「いいえ、まだよ」
 林檎と小桃の限界を超えた闘食を思い出す。鶫の胸に勝利への執念が燃え上がった。その源泉は姉の仇を討つことではなく、仲間に答えたいという強い思いだった。
 鶫が九杯目の焼き鳥丼を、まるで今闘食が始まったかのような勢いで食べだす。彼女もまた仲間達と同じ様に、限界に挑戦した。
「小賢しい!!」
 沙耶子はさらに鶫を上回るスピードで食べていく。苦しげな鶫に対して、沙耶子の方はまだまだ余裕があるように見えた。
 沙耶子が十杯目の丼を重ね、それに少し遅れて鶫は九杯目の丼を重ねた。続いて新しい焼き鳥丼が二人の前に出される。鶫は肩で息をしながら、それを少しずつ口に運び、水で流し込む。沙耶子はそれを見下して笑った。
「アッハハハハ!! 終わりだ! お前も姉と同じ様に、わたしの前にひれ伏せ!」
 沙耶子に睨まれても、鶫は構わずに食べていた。ほんの少しずつだが、確実に焼き鳥丼の量を減らしている。そんな鶫の目を見て、沙耶子は眉を潜めた。
「こいつの目は、まるで…」
 鶫の目は諦めていないどころか、勝機があるとでも言うように、強く輝いていた。
「馬鹿め、すぐに思い知らせてやる!!」
 そして、沙耶子が十一杯目の焼き鳥丼を一口食べたその時だった。急に彼女の動きが止まった。
「な、なに、こ、これは……」
 沙耶子は急に痛み出したわき腹を押さえ、顔は青ざめていく。その間に鶫は、片目を閉じて相当苦しそうな様子で、水と共に焼き鳥丼を少しずつ飲み込んでいた。
「どうしたんだ? 女王の様子がおかしいぞ!?」
 MCが言うと多くの視線が沙耶子に集中した。沙耶子は焼き鳥丼を前にして、顔を歪めて苦しみを露にしていた。
「こんな、馬鹿な、この程度でどうして、こんな……」
 どんどん時間は過ぎて、残り二分の時点で鶫は焼き鳥丼を四分の一ほど食べて、そこで限界に達して箸を置いた。沙耶子は言う事を聞いてくれない体を鞭打ち、丼を持って叫ぶ。
「わたしは女王よ!! 負けることなど、あってはならない!!」
「もう止めなさい、あんたの負けよ」
 桜子が出てきて言うと、沙耶子はそれを殺したいような目で見た。
「うるさい、邪魔するな!! わたしは勝つ!!」
 沙耶子が意地になって焼き鳥丼を食べて飲み込む。その瞬間に、彼女は目を大きく見開き、口を押さえて蹲った。
「う、ぐっ、くぅぅ……」
 沙耶子が戻しそうになるのを何とか堪えて起き上がった時、試合終了を知らせるブザーが鳴った。沙耶子も、そして観客とMCも呆然としていた。その時に鶫が立ち上がってMCに言った。
「判定を」
「あ、ああ、はい! ただ今!」
 MCが勝機に戻って沙耶子と鶫の丼の中身を確認する。
「これは、明らかに深山鶫の方が多く食べている!? 何と、女王沙耶子が敗れた!!? 信じられないことが起こった!! 闘食女王が負けたのです!!!」
 観客席から戸惑うようなどよめきが起こり、それが次第に鶫を称える声に変わっていく。沙耶子はまだ信じられないという顔で立ち尽くしていた。
「そんな…どうして…」
「華喰沙耶子、あなたには決定的な弱点がある」
「何ですって!?」
「あなたは確かに強いけれど、常勝と言う訳ではないわ。エイミ・リファールや春園桜子には、それぞれの得意分野で稀に負けている。わたしはその時の闘食を徹底的に分析したわ。そして貴方が負ける時は必ず相手を追いかける闘食になっている事がわかった。つまり、貴方は強すぎるが為に、ほとんどが相手を出し抜く闘食になり、後を追う闘食には慣れていないのよ。仲間がもぎ取ってくれた先制点が、既に貴方に楔を打っていた。わたしはそれを最大限に生かすだけでよかった。あなたはわたしを出し抜こうとするあまり、無茶なペースで食べて自ら破綻したのよ」
「そ、そんな事が……」
「それだけではないわ。わたしはこの日の闘食に備えて、何ヶ月も前からコンディションを整えてきた。だから貴方のスピードにある程度ついて行くことが出来た」
 鶫の徹底振りに沙耶子は絶句した。沙耶子にとってはとても考えの及ばない闘食だった。
「今のわたしは、あなたが倒した時の姉さんにまだまだ及ばないわ。それでも勝つことが出来たのは、対戦相手の徹底した分析と綿密な戦略、自らが持てる技、そして仲間の力、全てを最大限に活かす事が出来たからよ」
 そして鶫は、沙耶子をまっすぐ指差して言った。
「これが、深山瑠璃の闘食よ!!」
 沙耶子は鶫に槍で突き刺されでもしたような衝撃を受け、崩れ落ちて地面に両膝を付いた。そして、今まで味わったことのない敗北感に襲われ、止め処なく涙が溢れた。華喰沙耶子は深山鶫に負けると同時に、深山瑠璃にも負けたのだ。それを思い知らされた。
「決まったーーーっ!!! 東日本最強の闘食チームは、何と、無名の女子高生軍団、明凛館高校に決定した!!!」
 MCが優勝を宣言すると、林檎と小桃が走ってきて鶫に抱きついた。
「やった〜、すごいよ鶫ちゃん! 優勝だよ!」
「お前なら必ずやると思っていた」
「みんながいてくれたから、ここまで来ることが出来たのよ」
 観客の声援の全てが明凛館高校に降り注いだ。そんな中を、沙耶子は桜子と彩に支えられて、子供のように泣きじゃくりながら退場していった。
 止まぬ声援の中で、鶫は優勝したと言うのに、あまり浮かない顔をした。
「二人とも、本当にありがとう、お蔭で沙耶子を倒すことが出来たわ。これでお別れよ。チームも解散するわ」
「おいおい、いきなり何言い出すんだ」
「そうだよ、これで鶫ちゃんとお別れなんて嫌だよ!」
「わたしには、あなたたちの友達になる資格なんてないの……」
「どうしたの? 何をそんなに思いつめてるの?」
「わたしは人間嫌いなのよ。林檎に近づいたのも、小桃を引き止めたのも、ただ沙耶子を倒したかったから。馴れ合うつもりなんてなかった。みんなのことを、沙耶子を倒す為の駒くらいにしか考えていなかった。だから、わたしは……」
 鶫が言うと、林檎は酷く呆れて、小桃は微笑した。
「変なところで不器用な奴だな。確かに最初はそうだんたんだろう。けど本当にお前がそう思っていたら、あたし達は力を合わせてここまで来ることは出来なかったさ。それに、お前があたしたちを信じていると言った時の目は、仲間を信じる目だった」
「鶫ちゃんは人間不信でずっとお友達がいなかったから、どうしていいのか分からないんだよ。鶫ちゃん、わたしたちはずっと前からもう友達だったんだよ。だから、そんな風に思いつめなくてもいいよ、安心して」
 鶫は自分がチームメイトと、友達と言えるのだろうかと、今までずっと思い悩んでいた。それが払拭されたとき、鶫の瞳に自然に涙が溢れた。どうしても沙耶子を倒したいという思いから始まり、鶫は今こそ多くの仲間を得たのだと分かることが出来た。
「何で泣くんだよ、優勝してめでたいって言うのに」
「だって………」
「きっと、うれし泣きだよ」
 そこにMCが来て、鶫達をステージに促した。観客も、テレビを見ていた刃や胡桃、エイミも、みんなが拍手を送っていた。
 観客席の一角に深山瑠璃がいた。闘食杯が始まってから今までずっと、妹のことを見守っていたのだ。彼女はステージに上る鶫の事を見つめて言った。
「悲しみも、苦しみも、友情の前では色あせるものなのね」
 瑠璃にとって、沙耶子との闘食で、鶫を苦しめ、人間不信にまでしてしまったことが何よりも辛かった。鶫はそれを自らの力で克服し、それは同時に瑠璃の闇をも払ってくれたのだ。瑠璃の瞳にも自然と涙が溢れた。
「よかった、本当によかった」

悲しみも、苦しみも・・・終わり


16 :四季条 ユウ :2011/10/30(日) 19:21:29 ID:rcoJmAzeQA

最終話 僕って不幸だ

  ここは宇都宮市内のとある高級レストラン。床には赤い絨毯が敷かれ、カウンターとテーブル合わせても二十人程度しか入れない小さな店だが、有名人の御用達になるほどの伝統と味をもっていた。ここで最近、父に認められて厨房を任されるようになった刃は、メンバーが来るのを待っていた。彼は鶫達に闘食杯優勝祝いとして食事を振舞うと約束したのだ。大食い少女四人を相手に料理を作る覚悟を決めての事だった。
 刃が料理の準備をしていると、夜の七時きっかりに店の扉が開いて少女たちが入ってきた。
「おお、こんな高級感満点の店に入るのは初めてだ」
「落ち着いてて綺麗だし、良いお店だよ」
「わたくしのお気に入りのお店ですわ」
「お気に入りか…大金持ちのお嬢様は言う事が違うな」
「やあ、いらっしゃい」
 刃が厨房から出て行くと、鶫の隣には瑠璃がいた。
「真名上君、今日は招待してくれてありがとう。姉さんも連れてきたのだけど、まずかったかしら?」
「いや、全然かまわないよ。むしろ瑠璃さんも一緒に祝ってもらうべきだよ」
「呼ばれてもいないのにごめんなさいね。わたしは皆と違ってそんなに食べないから心配しないで、せいぜい三人前くらいが良いところだから」
 十分すぎますよ、と刃は言いかけたが、それは飲み込んだ。
 林檎が刃の白衣にコック帽の姿をまじまじと見つめて言った。
「馬子にも衣装とはよく言ったものだな」
「うるさいよ!」
「お前がこの店の厨房を任されているって本当か?」
「ごく最近の事だけどね。君たちに大分鍛えられたからね、そのお陰さ」
「そうかそうか、あたしたちに感謝しろよ」
「感謝していいのか、よく分からないところだね……」
「ともあれ、刃様の夢に一歩近づきましたわね」
「ああ、今日は腕によりをかけるから、楽しみにしていてね」
 鶫達がテーブルの前に座ると、ウェイターがお茶を用意する。その間に小桃は携帯のメールを弄っていた。それを見て林檎は言った。
「こんな時にメールか?」
「うん、彩ちゃんにメール送ってるの」
「何であんな奴にメール送ってるんだ?」
「だって、お友達だもん」
「なにぃ、友達になったのか!?」
「うん、闘食杯の後にメール交換したんだ」
「まじか……」
「もうすぐ来るって」
 それを耳にした刃が厨房からすっとんでくる。
「小桃ちゃん、それどういう意味なの!!?」
「どう言うって…」
 小桃が言いかけたその時に、店のドアが勢いよく開く。
「高級フレンチ食べ放題と聞いてやって参りました!」
 勢いよく飛び込んできた彩に続き、二つの駄菓子を真剣に見つめながら、桜子も入ってくる。刃は人生ここまでかというくらい青ざめた顔になっていた。
「おお、皆の衆、集まっとるな〜」
「何でお前が来るんだ! 帰れバカドル! しっしっ!」
「うっさい! あんたに指図されてたまるか!」
 いきなり激突する彩と林檎、刃にとっては即倒ものの状況だった。
「お姉ちゃん、彩ちゃん、こっちこっち」
 空気を読まない小桃は、勝手に椅子を増やして彩と桜子を促す。更に恐ろしいことに、小桃の隣にいる胡桃も携帯でメールを打っていた。
「胡桃は誰を呼ぶの?」
 鶫は完璧に先読みをして、もう誰かが来ることが確定しているという聞き方をする。陣は更に残酷な現実を目の当たりにする事になった。
「わたくしのお姉様です」
「胡桃ちゃん、お姉さんなんていないよね」
「心のお姉様ですわ」
 にこやかに胡桃が小桃に答える。それを聞いた刃は頭を抱えた。
「うう、胡桃ちゃん、それは駄目だよ、反則だよ、反則すぎるよ……」
 そして、本日八人目のお客様が来店した。
「こんばんは、真名上君」
「エ、エ、エイミさん!!?」
「胡桃ちゃんに呼ばれてきたのだけれど、お邪魔だったかしら?」
「何を言われますか! そんなわけありませんよ! ささ、どうぞこちらへ!」
 刃は自ら席を用意してエイミを座らせる。胡桃の放った最後の一撃が、刃を後戻り出来ない状況に追いやった。
 悲劇的な現実に立たされた刃に、エイミが一筋の光明を与える。
「さすがにこの人数の料理を作るのは大変でしょう。デザートにどうかと思って、アンリ・ロアーヌのケーキを沢山買ってきたわ」
「まあ! それは楽しみです!」
 胡桃が瞳を輝かせる。刃はエイミが買ってきたというケーキを探した。
「えっと、そのケーキはどこに?」
「外に待機させている軽トラックに積んであるわ。後でお店に運ばせるわね」
「軽トラック!? 流石はエイミさん、分かっていらっしゃる」
「伊達に闘食家はやっていないわよ」
 これで少しは刃の肩の荷が降りたものの、まだまだショックは大きい。何せ全国トップクラスの闘食家が三人も加わってしまったのだ。彼の前に立ちはだかる壁はあまりにも高かった。
厨房に入ると刃は言った。
「今日はもう閉店だ! 早く看板を出して!」
 ウェイターが驚きながらも言う通りに出口の方に向かう。刃は他のコックが見ているのも構わずに、何かに押しつぶされるかのように床に四つん這いになる。
「うう、何で勝手に呼ぶんだよ……ああ、僕って不幸だ……」
「真名上君」
「え?」
 鶫がカウンター越しに情けない姿の刃を覗き込んでいた。
「深山さん!?」
刃は慌てて立ち上がる。
「大丈夫?」
「う、うん、大丈夫さ、多分……」
 刃はなんとも情けない返事をした。すると、鶫は彼の瞳を貫くように見つめる。刃は思わず居を正した。
「真名上君、これは試練なのよ。貴方を一流のシェフにする為に、神が試練を与えているの。これを乗り越えれば、貴方の夢は一気に前進するわ。栄光の階段は、もうすぐ目の前なのよ」
 そこへ林檎と彩も来て言った。
「そうだ、お前なら絶対に出来る! 今までだって乗り越えて来たじゃないか!」
「少年よ大志を抱けだ、男なら立ち上がれ!」
「おお! みんな、ありがとう! お陰で目が覚めたよ!」
 刃は腹の底から力が湧き上がるのを感じて意気を取り戻した。
「今美味しい料理を出すから、待っててくれ!」
 刃は厨房の奥に飛び込んでいった。それを見送りながら、林檎が言った。
「…鶫、うまく乗せたな」
「貴方達もね」
「ここまできて高級フレンチおじゃんなんて、洒落にならないもんねぇ」
「あいつ、明日は学校休むな」
「過労で死なないことを祈りましょう」
「あんたら、無情だな」
 彩は少し刃の事が可愛そうになった。

 三人が席に戻ると、料理が来るまで取り留めのない話が始まる。若い娘が八人も集まると、流石に騒がしい。お店にはいつもとは違う、底抜けの明るさが広がった。
 彩は隣で黙して二つの駄菓子を見つめる桜子に言った。
「桜子さん、ここまで来て駄菓子勝負ですか……」
「今日のは凄いわよ。いまや伝説となっている駄菓子同士の勝負よ」
 桜子は右手に『蒲焼さん太郎』を、左手に『モロッコヨーグル』を持って見比べていた。この二つの駄菓子に関して、結構真剣な議論が展開される。まずは林檎が言った。
「蒲焼さん太郎か、懐かしいな。子供の頃は誰もがお世話になる駄菓子だよな。十円だし、美味いし、値段の割には食べでがあるしな」
「どんな味がするのですか?」
「ここに例外がいやがった……」
 不思議そうに蒲焼さん太郎を見つめる胡桃に桜子は言った。
「蒲焼さん太郎を知らないなんて、日本人じゃないわね」
「桜子さん、日本人じゃないって、そこまで言いますか!?」
 彩の突っ込みの後に、今度は小桃がヨーグルを見て言った。
「わたしはそのヨーグルトみたいなお菓子の方が好きだな〜。あの甘酸っぱさと、お砂糖のシャリっと感がたまんないよね。量の少なさがちょっぴり泣けるけど」
「これはモロッコヨーグルって言うのよ。名前くらい覚えておきなさい!」
「正直、どうでもいいと思う」
 彩が言うと、桜子が凄まじい怒りをもって鋭く睨む。彩は慌てて取り繕うようにして言った。
「あ、でも、それさ、ヨーグルだっけ? 何のクリームなのか未だに分からないんだよね」
「生クリームとヨーグルトを合わせてるのかな?」
 小桃が言うと、桜子が得意な顔になる。そして説明をしようと口を開きかけたとき、先に鶫が言った。
「それは植物性の油をクリーム状にして、酸味と糖分を加えたものよ。だから乳製品ではないわ」
 鶫の見事な回答に、桜子は深く感銘を受けて言った。
「あなた、良く知ってるわね! 実は駄菓子通とか?」
「それはありません…」
「流石は特進クラスのエリート、無駄知識も豊富だな」
 林檎の言う事に、鶫は特に感想は言わず、桜子は再び二つの駄菓子を見比べ始めた。
「内容ではヨーグルの方が上なんだけど、値段が二十円っていうのがね。十円と二十円の差は大きいわ」
「それ、わたしが子供の頃は十円だったのよね」
 瑠璃がヨーグルを指差して言うと、桜子は知られざる真実に胸を打たれて思わず立ち上がった。
「何ですって!!?」
 隣の彩は苦笑いを浮かべつつ、そこまで驚かなくてもという顔をする。
「わたしが小学校に上るくらいまでは十円だったかしら?」
「何という事なの!? 今もヨーグルが十円だったら、圧勝だったわ…」
「そんなに迷っているのなら、わたしが決めてあげる」
 と言ったのはエイミだった。彼女は優雅な線の細い指先でヨーグルの方を指した。
「こっちの勝ち」
「あんたが選んだら、絶対甘い方になるでしょ!」
「そりゃもう、甘いは正義ですから」
「駄目よそんなの! 勝負は公正でなければいけないわ!」
「結局は桜子さんの好みになるんじゃないの?」
「彩、前にも言ったわよね。わたしはこの駄菓子たちの原材料から生い立ちに至るまで、あらゆる方面をリサーチして結論を出すわ! そこに不公平性など有り得ないのよ!」
「おお、お姉ちゃんかっこいい〜」
 小桃が燃え上がる桜子に拍手を送りながら言う。胡桃と小桃以外は桜子を呆れ顔で見ていた。
「左様ですか…もう勝手にして下さい…」
 彩は燃え上がる桜子を放っておくしかないと思った。
 駄菓子議論が一段落したところで、オードブルが運ばれてきた。海老や蟹などの様々な海産物をゼリーで固めたもので、見た目にも美しく、美味しい食事が乙女達をさらに楽しい会話へと誘う。
 刃は少し離れて彼女たちを見ていた。その中でも時折浮かべる鶫の笑顔が眩しかった。
「深山さんって、あんな風に笑えたんだ」
 刃の料理もその笑顔に一役買っているだろうが、それは些細なものだ。人間嫌いだったはずの鶫が、いつの間にか多くの仲間に囲まれていた。鶫自身の努力と、仲間の思いやりが、全てを変えたのだ。
「大変な事も多いけど、このチームに入ってよかったな」
皆の笑顔を見ていると、刃は何だか嬉しくなり、料理人を目指してよかったと、心から思うことが出来た。
次の日、刃が過労で学校を休んだことは言うまでもないが、他のコックまで倒れてしまい、店は臨時休業を余儀なくされてしまうのだった。

僕って不幸だ・・・終わり

グルメイ・・・完


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