片翼の女王


1 :時森遠子 :2006/12/03(日) 09:20:25 ID:n3oJt7oF

それは、はるかなる古。
国の荒廃を憂う一人の女は、やがて国を統一する、女王となった。
犠牲となった一人の男と、墓守となった一匹の魔物を残して。

残酷な石は謳う。

哀れなる魔物の詩を

古に滅んだ、王となるべき者の名を

残されし、人の片翼の王の伝説を―――――


2 :時森遠子 :2006/12/03(日) 09:21:56 ID:n3oJt7oF

プロローグ

それは、いつの間にか忘れられ、既に半ば地に埋もれた、小さな岩屋。
太陽の光も、月の光も、既に何もかもを閉ざした闇の中、ただ一筋、零れ落ちた光の隙間から、永遠の涙のような雫がゆっくりと滴り落ていった。
「私を、恨んでいるか」
長い年月、誰も足を踏み入れなかったその場所に立つ女の声は、こもることも、反響することもなく、ただ滴り落ちる雫と同じ、ただ地に消えてゆく。
答えはなく、女もそれを求めることは無い。
女の足元に、まるで消えていった雫がなした川のように流れ伝うのは、銀色の髪。
人のものとも思えぬそれは、美しさも輝きも少しも損なうことはなく、ただ長く、長く伸びて行く。
すでに、その髪を持つものの魂がそこには無いのだとしても、変わることはなく、長く。
「私は、お前からあの男を奪った。
それどこどころか、あの男の持つもの全て、命すらも私は奪った――――」
激しいものを秘めながら、一筋のぶれもなく、高ぶりもなく。
子守唄のような、優しささえも感じさせる声で。
女は、長い長い髪を辿りたどり着いた岩屋の奥に眠る、美しい一匹の魔物に向かい、静かにささやくと、地に這うその髪を一筋すくいとり、その髪に口付ける。
まるで砂のように、さらさらと指の間を流れてゆく髪を、愛おしげに眺めた、ほんの一瞬後。
その髪を己の腕に何十にも巻きつけると同時に、激しい摩擦音を伴って、女の手が高く振り上げられた。
「私はお前に勝ったと思っていた。
あいつは、私のものになったのだと、思っていた」
言葉の静けさとは裏腹に、女は乱暴なまでの力強さで、それを光の当たる場所、己の足元へと引きずり出す。
長い年月、誰にも省みられることはなく、伸びた髪はもはやその顔も何もかも多いつくしているというのに、女が知るころの「彼」よりも、遥かに美しい、その姿。
まるで聖母のように、己の腕に何よりも大切なものを抱きしめ、まどろむ。
女は、その、腕の中にある「大切なもの」の姿に、一瞬、息を詰める。
だが、すぐに吐息を吐き出し、そんな己自身を嘲笑っているかのように、言った。
「滑稽だろう?とんだ、思い違いをしていたものだ」
明るみの中に引きずり出された、美しくも異形の魔物の腕に抱かれた、"あの頃"から、何一つ変わらない、一人の男。
おそらくその姿は、彼の亡き後も、自ら墓守となり、彼を守り続けたこの魔物の存在なしには、この流れ伝う銀の髪のように、すぐにでもさらさらと指の間をすり抜けてしまうに違いない。
ここにあるのは、どこまでも激しく純粋な思いの抜け殻。
今となってはもう、何もかもが、女の手を虚ろに通り過ぎた後。
悔恨すらも、もはや彼女の触れられる場所にはない。
それでも、女は、ただ一人。
年月を経てもなお、気高く美しく、どこまでも変わらぬ強いまなざしで、前を見続けてきたのだ。
―――だが、今となってはそれももう、少し疲れた。
まるで長年背負い続けてきた重荷を、ようやく下ろせるとでも言うように、老いた女王は、その声にわずかな安堵さえ滲ませる。


「今だから言おう。
私は、お前をずっと憎んでいたよ」


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