金色の魔眼


1 :副島王姫 :2007/10/20(土) 20:59:55 ID:oJrGY3oG

   プロローグ

「巫女頭! イリア様!!」
 金色の双眸に切迫したものを浮かべ、男がこの祭祀(さいし)殿(でん)に駆け込んで来る。年の頃は四十の半ばといったところであろうか。よほど急いで走って来たのか、やや白いものの混じりかかった茶色の髪はただ乱れ、声を出す合間には荒げた呼吸音が響いていた。
 駆け込んで来たのは、村人だった。彼は、祭祀殿に足を踏み入れると、一息つき――そして、はたと気づいた。
 中央の最も大きなものを始めとし、幾つもの祭壇が並べられた空間。壁に半分ほど埋め込まれた柱の列が、高い天井を支えている。祭祀殿に入って、ちょうど正面の奥まった所には、人が一人立てるだけの大きさの祭壇があった。
 だが、いつもその祭壇に立っている筈の巫女頭の姿は無く、それどころか常駐している筈の巫女たちの姿すらも見当たらなかった。
 ――誰も、いない。
 駆け込んで来た村人は一瞬唖然とし――やがて目を覚ました様に叫び始める。
「巫女頭! おられないのですか!? 巫女頭!」
 叫ぶまでもなく、そこには誰もいない。だが、彼は叫び続けた。
「巫女頭!! イリア様!」
 叫びは、聞く者もないまま、かき消える。
 狂ったように叫ぶ村人の背後には、既に殺戮が迫っていた。

 悲鳴、泣き声、断末魔。今や村中に広がったそれは、彼らの元にも届いていた。
「……お兄ちゃん……」
 震えた声が、隣にいる兄を呼ぶ。声の主は、まだ十五にもなっていないだろう。せいぜい十三かそこらの、少女だった。恐怖に縮こまり、必死に兄の服の裾を掴んでいる。
「大丈夫。お兄ちゃんがいるからな」
 少女の声に答えたのは、ようやく十五を越えた辺りの少年。だが、その声も、短剣を握り締める手も、わざわざ言うまでもないほどに、震えていた。
 部屋の隅に固まっている兄妹の他に、そこには一組の男女がいた。年齢からして、おそらく両親であろう。部屋の扉の両側に立ち、男の方は斧を、女の方は小型の猟銃を構えていた。
 どれも、武器と言うには頼りなかった。だが、これが彼らの手元にあった、ささやかな武装だった。
 彼らがそうして緊迫した時を過ごす間にも、村中の悲鳴や断末魔が響いてきていた。
 そうして――どれだけの時間が流れただろうか。階下で、扉の開く音がした。何者かが、玄関を開けて入って来たのである。
 そして――足音。慌てるでもなく、急ぐでもなく。音を消そうと努めている気配もなく、何に怯むこともなく近づいてきていた。
 音は、四人のいる部屋の前で止まり――扉が開いた。
「うわぁああッつ!!」
 父親が、開いた扉の後ろから、侵入者に斧を叩きつける。同時に、母親の方も、猟銃を発射していた。
 だが――それだけだった。
 斧は、入って来た男に触れるまでもなくその刃を欠き、弾丸は男の近くで一瞬制止し、ぽとりと落ちた。
 黒い髪を後ろに撫でつけた、おおよそ三十半ばくらいの男である。男の基準から言っても背は高い。衣類、外套、グローブ、ブーツ……それら全てが、漆黒だった。
 男は、たった今襲いかかってきた二人の事など気に留めた風もなく、部屋の中を見渡した。
 そして、その黒い瞳が、部屋の隅の兄妹の姿を捕らえた。何の感慨もない様子で、そちらに歩み寄る。
 短剣を握った少年の目が、瞬時に金色を帯びた。
「リーゼ! 逃げろ!」
 技も何もなく、ただ短剣を構えて走りだしながら、少年が叫んだ。
 走るその先にいるのは、無論歩み寄って来る男。
 だが、その剣の切っ先が男に触れる事はなかった。
 次の瞬間には、少年は男に首を掴まれ、持ち上げられていたのだから。
「お兄ちゃん!」
 部屋の隅でうずくまっていた少女が、慌てて走って来る。男の足にしがみつくと、
「離して! お兄ちゃんを離して!」
 金色に染まった瞳で男を見上げながら、叫ぶ。
 しかし、男はそれすら意に介さない様子で、雑務をこなすような表情のまま、手に力を込めた。
 鈍い音と短い悲鳴が、部屋に響く。
 男は、放り投げるように少年を手放した。
 それを追いかけるように、少女が駆け寄り、床に落ちた兄の身体を揺さぶる。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
 必死に呼びかけるが、あらぬ方向へ捩れた少年の頭を見れば、考えるまでもない。少年が答えることは、二度と無かった。
 男は、相も変わらずの無表情で次に少女に視線を移したが――そこで初めて関心を表に出す。やや足早に少女に歩み寄ると、腕を掴んで引き寄せ、顔を自分の方へ向けさせる。
「……リーゼ、というのか?」
 涙の溜まった瞳を覗き込みながら問うが、答えはない。代わりに  
「……む、娘を離せっ!」
 刃の欠けた斧を手に、父親が再び男に向かっていく。それとは別に、猟銃の発射される音も響いた。
「……やれやれ、邪魔だな」
 何の感慨も無い表情に戻ると、少女の腕を掴んだまま、男は無造作に片手を振った。
 男以外には、何が起こったか分からぬまま、何かが潰れるような音がする。
「お父さぁんっ!!」
 ややあって少女があげた悲鳴が、犠牲者の存在をようやく知らしめた。
 そして、もう一度、同じ音。
「来い」
「お母さん! お母さんッ!!」
 泣き叫ぶ少女を抱えると、男は、何事も無かったかのように部屋を出た。


2 :副島王姫 :2007/10/20(土) 21:01:14 ID:oJrGY3oG

 
   1、

 白く塗られた円形の壁と、青いドーム状の屋根とで出来上がったその建物は、頂上に王国の旗をなびかせて、厳粛に静まりかえっていた。
 だが、その厳粛な雰囲気は、中から響いた祝いの、そして席の終わりを告げるファンファーレと共に、消えた。ややあって、間隔をおいて幾つも並んだ扉が開き、中から人があふれ出て来る。晴れやかな笑顔を浮かべた人々は皆、同じブローチを誇らしげに身につけていた。
 青いクリスタルの中に、このセルドキア王国の紋章が彫り込まれたブローチである。この王国の王立アカデミーを卒業した証だ。
 だが、喜びに浸る人々に混じって、一人、何の感慨も表に出していない者がいた。女のように長い金髪を細い紐で束ね、整った顔立ちをしているが、その顔にはやはり喜びの色はない。厚い生地のローブをきっちりと着込み、上からマントを羽織ったその姿にも、やはり同じブローチはあるのだが。
 彼の青い瞳は、互いの卒業を祝いあう者たちの姿など入っていないように、虚空を物憂げに眺めていた。
「おい、ティーン!」
 背後からかけられた声に、彼はゆっくりと振り返る。馴染みの深い声ではあったが、彼は振り向き、声の主を確認してから口を開いた。
「……ウォルト」
 やはりどこか物憂げな調子で、駆け寄って来た友人の名を口にする。
 黒い髪を短く刈り上げた、やや痩せ気味の男で、ティーンの頭一つ分は背が高い。……もっとも、これはウォルトが長身というのではなく、単にティーンが小柄というだけのことであるが。
「どうしたんだよ? シケた面しやがって」
 ティーンと同じくブローチを身につけた彼は、ティーンの首に腕を回しながら尋ねてくる。
「別にどうもしない。ただ喜ぶだけの要素がないだけだ」
 首に回された腕を振り払う様子もなく、彼は淡々と答える。
「お前な……そんな人生見放したような事ばっかり言ってるから、彼女の一人もできないんだそ。顔はいいのによ」
「そんなもの、欲しくもない」
 と、今度はウォルトの腕を首から外し、スタスタと歩き出す。
「……それで人生楽しいか?」
 慌ててウォルトも歩き出し、尋ねるが、答えはない。彼は、溜め息混じりにこの友人の横顔を眺めた。
 金髪碧眼。背は低いものの、一見美女と見間違えそうなほどの整った顔立ちをしている。成績も優秀で、実を言えば、アカデミーに入ったのはウォルトよりも三年も後だ。確か、まだ十七歳の筈である。
 確実に、良い噂が流れている筈なのだが、ウォルトは彼が女性と親しくしているところなど見た事がなかった。それどころか、よくよく考えれば、自分以外に親しくしている友人も思い当たらない。
 それは彼の、妙に人生を突き放したような態度のせいだと、ウォルトは思う。友好関係の広い彼だが、ティーンのこの態度に馴染むのには流石に時間がかかった。それに、ここ数年の付き合いで分かったことだが、彼の瞳は、時折、暗いものを内から発するのだ。この暗い光のせいで、ウォルトは何度も、彼の素性を訊きそびれている。何年も付き合っていながら、未だに彼の出身さえ聞き出せないのだ。無論、その暗い瞳の理由も。
「お、そうそう、礼を言っておくぜ」
「……何の話だ?」
 唐突なウォルトの言葉に、ティーンは歩きながらも、訝しげに尋ねた。
「呪法院(じゅほういん)への特待が出たんだよ。第二級でだぜ。お前が勉強見てくれたお陰だよ」
 その言葉に、ティーンはふと立ち止まる。今まで歩いていた勢いで彼を追い越してしまったウォルトは、振り向いて彼に近づこうとするが、その時には既にティーンは再び歩きだしていた。
「呪法院へ行くのか」
「あ、ああ」
 てっきり冷たくあしらわれるものとばかり思っていたウォルトは、友人の意外な反応に戸惑う。
「奇遇だな。私もだ」
「やっぱりお前も特待出てたのか?」
 ウォルトの問いかけに、ティーンは軽く頷くと、
「ああ。呪法院と戦技院(せんぎいん)、両方な」
「……両方か……。流石だな。
 で、何級なんだ? 第一級か?」
「いや……いずれも特級だ」
「特級ぅつ!?」
 平然とした友の言葉に、ウォルトは思わず大声を上げていた。
「お前……特級呪法士になって、その上特級戦技士になるのか?」
「まぁな。先に戦技院に行って、呪法院は後のつもりだが」
「軍の特殊部隊にでも入るつもりか?」
「そういうわけでもないんだが……」
「しかしお前……アカデミー卒業に呪法院と戦技院の特級特待……これだけ揃って、一体何が『喜ぶだけの要素がない』なんだ? 俺なんか、第二級の特待決まった時点で、宴会開いてたぞ」
 確かに、このアカデミーの卒業生であっても、呪法院や戦技院の特待が得られることは滅多にない。せいぜい、ほんの一握りの者たちが、どちらかの特待をどうにか得る程度である。それも、ほとんどが第三級程度で、第二級・第一級、ましてや特級などは何年、十何年に一人といったところだ。実際、ウォルトなどは第二級の特待が決まった時点で、周囲からかなりの驚愕を向けられたのだから。
 ウォルトの言葉に、ティーンは暫し黙り込み、
「……ああ、最初の話か」
 合点がいったように頷いた。
「率直に言えば、だ」
 そう口を開くティーンの瞳に、あの闇があることにウォルトは気づいていた。だが、ここは話の続きを待つ。
「ここの卒業も、呪法院や戦技院に入ることも、私の目標ではないということだ。確かに目標に近づくための手段ではあるのだが……私の真意とはほど遠い」
「目標? 真意?」
「……………………
 そうだな……お前には話しておくか」
 首を傾げる友人に顔を向け、彼は非常に珍しい表情を見せた。
 ――微かに、笑って見せたのだ。

 「金色(こんじき)の魔眼(まがん)」
 アカデミーの敷地の隅にある、小さな崖の上に腰を下ろし、ティーンはそう呟いた。辺りに人の気配は無い。隣に座る友人に顔を向け、尋ねる。
「……知っているか?」
 ウォルトは、暫し視線を宙に漂わせてから、
「……ああ、思い出した」
 ティーンの方を向くと、彼の目に視線を止め、続ける。穏やかな笑顔を浮かべているものの、彼の青い瞳には、暗いものが宿っていた。
「確か、四年ぐらい前に『禁忌』に滅ぼされた村の話だろ? なんでも、村人全員が、神経が高ぶると目が金色になったって言う……。
 噂じゃあ、その目を見ると呪われるって話だったが……」
「飽くまで噂だった」
 ティーンは瞳を閉じ、俯きながら、呟くように言った。
「一部では、魔眼には呪殺効果があるとも言われていた。だが、それもただの流言……。実際には、ただ虹彩の色が変わるだけで、何の力も無かった……」
 俯いているので、その表情はよく見えない。しかし、僅かに覗く彼の口は、唇を噛み締めていたし、握り締めた彼の拳は震えていた。
「……だが……四年二カ月前……奴は来た。そして、殆ど無力に近い村人を惨殺したんだ。一族は皆、滅ぼされた……」
 そう言って、不意にティーンは顔を上げた。ゆっくりと、その双眸を開く。
 ――彼の目は、金色を呈していた。
「お前……その目……」
「――そう。私はその一族の……レクタ族の生き残りだ。
 奴らを、絶対に許さない。この手で一族の仇を取る……!」
 そこまで言うと、ティーンは再び瞳を閉じ、軽く嘆息する。次に目を開けた時には、彼の瞳は青に戻っていた。また、穏やかな笑みを浮かべると、
「……そういうことだ。私は仇を取るための力が欲しい。戦技院や呪法院へ行くのは、そのためだ」
 言って、身体を後ろに倒し、寝転がる。
 確かに、戦技士や呪法士になれば、同盟各国で様々な優遇を受けることができる。警察以上の逮捕権も得られるし、凶悪な犯罪者なら、発見次第殺害しても問題ない筈だ。
「……オレには想像もつかないような世界だな……」
 暫くしてから、ウォルトがぽつりと呟いた言葉に、ティーンは小さな笑い声を洩らす。 「どうした?」
「いや……」
 問われ、答える彼の顔は、こころなしか、普段よりも晴れやかに見えた。
「このことを人に話したのは初めてなんだ。……スッキリしたよ」
「……そうか……」
 空を眺めるティーンの目には、空の青と、流れ行く雲が映っていた。

「ティーン・フレイマ、十七歳、ホサイド領出身。王立アカデミーを主席で卒業。所要年数三年半。特級戦技士、及び特級呪法士の特待取得……」
 ティーンの目の前に座る初老の婦人は、そこまで資料を読み上げると机に戻した。机を挟んで真向かいに立つ彼に視線を移し、
「非常に優秀と言えるわね」
 無表情な彼の反応を窺うように言った。
「………………」
「……これが、第二級以下の特待なら、何の問題もなく戦技院や呪法院へ行ってもらうのだけれど」
 謙遜も自負も全く見えない、殆ど無反応と言えるティーンの態度を気にした様子も無く、彼女は再び口を開いた。
 机に両肘をつき、組み合わせた左右の手の上に顎を乗せ、彼の青い瞳を真っ向から見つめる。
「第一級以上となると、それなりの志望理由が必要となるわ。無目的に強大な力を持ってもらっては困るから」
 ティーンが呼び出されて訪れたのは、戦技院・呪法院の両院を統括する、セレネミア・ハウライド院長の執務室である。部屋自体は殺風景なものだが、机の隅に置かれた花瓶や、風に舞うレースのカーテン、壁に飾られた絵画などが、彼女の性格を物語っていた。彼女も若い頃は特級戦技士及び特級呪法士の資格を持ち、軍で「戦乙女」と呼ばれながら活躍していたと言うが……一線を退いた今では、こうして後進の指導に当たっている。
「勿論、志望動機はプライバシーとして絶対に公開しないから。
 話してもらえる?」
「はい、ハウライド院長」
 穏やかな彼女の声に、ティーンは頷き、
「私の目的は、リュシアの禁忌への復習です」
 はっきりとした口調で、答えた。
「リュシアの禁忌。……悪名高いわ」
 世界最大の宗教とも言えるリュシア教――そこから、一人の暴走者が出たのは、六年前のことと言われている。リュシアの教義を掲げ、それに反するものを悉く惨殺してきた。その活動範囲は、リュシアの権力外に及び、リュシアの教えなど知られてもいない地域でも、それに反するものを殲滅してきた。
 無論、リュシア教もこれを黙認した訳はなく、暴走直後に当時六つあった聖騎隊――リュシアの武力部隊である――のうち第三聖騎隊・第五聖騎隊の両部隊を合同で送りだし、討伐に当たったのであるが……両部隊とも全滅した。教団側は最後の手段として、当時最強と言われていた第一聖騎隊、及び《リュシアの雷》と呼ばれていた教団の特殊部隊を送り出したのだが、これも壊滅。以後、教団にはもう打つ手は無く、傍観せざるを得ない状況になっている。
「彼に何か恨みでも?」
 机の引き出しを開け、何かのファイルを取り出しながら、ハウライドはのんびりとした声で尋ねてくる。
「一族を滅ぼされました」
 ティーンの声を聞きながら、ハウライドはファイルを開き、
「リュシアの禁忌に壊滅させられた部族は多いけど……」
 と、そこでファイルからティーンの顔に視線を移し、続ける。
「あ、言わなくていいわ。レクタ族ね。……もう目の色が変わってるわよ。
 確か……魔眼の一族ね」
「はい、しかし……」
「わかってるわ。魔眼はデマでしょ。第一、本当にそんな力があるのなら、むざむざ惨殺なんてされなかったわよ」
「……はい」
 と、そこでハウライドは手にしたファイルをぱたりと閉じ、
「分かりました。その動機で、戦技院及び呪法院への入院を許可します。
 ……頑張ってね」
「ありがとうございます。……では、失礼致します」
 ハウライドに一礼し、ティーンは執務室を去る。彼が出て行った扉を見つめながら、ハウライドはぽつりと呟いた。
「復讐は辛いわよ……。耐えられればいいけれど……」
 無論、その呟きは誰の耳にも入らぬまま、カーテンを揺らす風に溶けて消えた。

 戦技院と呪法院。共に、同盟各国にある王立、または国立の機関で、戦技士や呪法士の養成を行っている。そのレベルは各国様々だが、一つだけ共通していることがある。普通に入るならば、貴族か大商人の家柄でないと不可能だということである。戦技院・呪法院共に定められた学費は途方もなく高額で、庶民の出の者には到底払えないのだ。しかも、高額な学費を納めて入った富裕層の人間も、大抵は挫折する。国によってその程度は様々だが、押しなべて教育のレベルが高すぎるのである。普通なら数カ月、忍耐の強い者なら数年留まり、何の資格も得ることなく退学するか、どうにか最下級の第五位の資格を取って去って行くかである。
 つまり、結論を言えば、戦技院・呪法院は学費を納めて入ってくる者たちのための機関ではないのだ。両院が教育の対象として定めているのは、特待を取得してやって来る者たちである。特待は、戦技院・呪法院のそれぞれの審査会で有望と――つまり、厳しい教育に耐えられると判断された者にのみ与えられるもので、これを得られれば、学費や寮費が一切免除され、かなり多めの生活費も支給される。両院は、このルートで入ってくる者たちのためのものなのである。
 生徒の数が少数なこともあり、平均して二人に一人の教官がつき、個人のレベルに合わせた教育が徹底して行われる。生徒がどのくらいの期間で院を去るかは、目指す階級や個人の能力により様々だが、最低でも一、二年は留まるのが普通である。

 広大な敷地の中に、やや大きめの建物が二つ、ぽつりぽつりと存在していた。正門は遠く離れており、正門からどちらかの建物に歩いて行こうとすると、三十分ほどかかる。そのためか、正門から二つの建物へ行く道と、二つの建物を結ぶ道とは、車道として整備されていた。
 そんな二つの建物のうちの一つ――白い石を積み重ねられてできたもので、半分は寮としてできており、もう半分に講堂だの訓練場だの教室だのといったものが集中している、呪法院と呼ばれるその建物に、彼らはいた。
 一人は、短く刈り上げた黒い髪と茶色の瞳の、やや痩せ気味の男。二十歳前後だろうか。少々ヨレたシャツに紺色のズボンといった軽装である。
 二人目は、まだどうにか少女と呼べるかといった年頃の女。赤い髪に赤い瞳。身を包むローブとマントも深い赤で、同じく深い赤の宝石の使われたピアス、ペンダント、指輪、バングル等を身につけている。一見して赤づくめの女である。一体どこに生息する生物なのか、牛ほどの大きさの鳥の上に座っている。
 三人目は、中肉中背、顔全体が笑ったようなつくりの男。こちらはマントはつけておらず、派手な色使いのローブを纏っている。左耳だけにつけた大きなピアスが印象的だ。
 他にも、あと五人ほど、この場にいた。これが、呪法院に現在所属する全てのメンバーである。ちょうど休憩時間なので、彼らはこの呪法院の屋外の、テーブルや椅子が設けられた休憩所に集まっていたのだった。
 と、椅子に腰掛け紅茶を飲んでいた黒髪の軽装の男――ウォルトである――が、視界の隅に車の姿を捉える。この辺りまで車道は続いていないが、辺りは草原である。車で入ろうと思えば入って来れるだろう。自動車は、一部の富裕層にしか浸透していないが、戦技院・呪法院の者となれば話は別だ。
 車は、少し奥まった所まで進み、森との境界線の前に止まった。この草原は森に囲まれるような形になっているのである。車からは、見覚えのある人間が三人ほど降りてくる。
「戦技院の奴らじゃねぇか……」
 ウォルトが呟く。この呪法院へ来て三カ月になるが、その間、何らかの理由で戦技院のメンバーと顔を合わせることも何度かあった。彼らは、その内の三人である。これで、戦技院の全メンバーの三分の一になるか。
「おい! お前ら、どーしたんだ?」
 ウォルトが声をかけると、三人はこちらに歩み寄りながら、
「暇なんでな。見物にきたんだ」
「暇?」
「休講なんだよ」
「休講って……お前ら全員か? 何でまた」
 問われ、三人は互いに顔を見合わせ、
「ま、じきに分かるよ」
 思わせ振りな事を言い、空いている椅子に座る。
「…………?」
 ウォルトが眉をひそめていると、また、車の近づいてくる音がする。見やると、二台の車がこちらに向かって来ていた。
 車二台は、彼らの前までやって来て、前後に並んで停まる。前の車から降りてきたのは、穏やかな笑顔を浮かべた、初老の婦人であった。
「ハウライド院長!」
 呪法院のメンバーの一人が声を上げる。彼女は、戦技院・呪法院の両方から離れた、院長専用の小さな別館に閉じこもっていることが多く、そこから滅多に出て来ないのだ。
「あ、いいのよ。緊張しないで」
 慌てて席を立とうとした面々に、おっとりとした口調で言うと、呪法院のメンバーの顔を一通り見てから、
「今日は、みんなの学友が一人増えるから、紹介に来たの」
 ハウライドのその言葉が終わらないうちに、後ろの車から一人の人物が降りてくる。
 男にしては小柄な体格。女のように長い金髪を細い紐でまとめている。厚手のローブをきっちりと着込み、上からマントを羽織ったその姿は――
「ティーン!」
 三カ月前に戦技院に入ったばかりの筈の、ティーン・フレイマだった。
 ウォルトが視線でハウライドに問うと、彼女は穏やかに頷いて、
「そうよ。彼が、今日から呪法院に入ることになった人よ。仲良くしてね」
 知り合いの子供に別の子供を紹介するような口調で言う。
「ティーン・フレイマだ。宜しく頼む」
 院長の横に来ると、ティーンは愛想のかけらもない口調で自己紹介をする。
「ティーン! お前、戦技院はどうした?」
 裏返った声で尋ねるウォルトに、ティーンは、落ち着いた仕草で懐からセルドキア王国の紋章の入った、赤を基調としたブローチを取り出し、
「昨日、終わった」
 それだけ言う。
 確かに、彼が手にしているのは、戦技院での過程を終了した者に与えられる終了証だ。
「お、終わったって……特級まで行ったのか 」
「行っちまったんだよ」
 ウォルトの問いに答えたのは、ティーンではなく、見物に来ていた戦技院のメンバーである。
「昨日ね、特級の最終試験とか言って、院長以外の教官が全員でティーンにかかっていったんだけど……」
「あっさり、全員のされちまってな」
「おかげで、教官はみんな病院送り。
 ……で、こっちは休講で暇を持て余してるってわけよ」
 口々に説明する戦技院の三人の声を聞いているのかいないのか、ウォルトはただ、あんぐりと口を開けていた。
「…………し、信じらんねー……。こっちなんか、ようやく第四級だってのによ」
「かなり優秀じゃないか」
「お前に言われても実感わかん!」
 冷静なティーンの声に、ウォルトが叫び返す。
「……ったく、化け物か。お前は……」
 なおもウォルトがぶつぶつと言っている側で、ハウライドが口を開く。
「ところで、ティーンの実力を測る上で参考にしたいから、ここにいる誰かと模擬戦をやって欲しいんだけれど……いいかしら?」
 誰も反対はしない。ハウライドは頷き、ティーンの方を向くと、
「じゃあ、好きな相手を指名して頂戴」
「戦技士としての技術は使ってよろしいのですか?」
「勿論、いいわよ」
 ハウライドの言葉を受けて、ティーンは呪法院の面々を見渡すと、
「では、そこの赤い髪の方。お手合わせ願います」
「え? あたし?」
 鳥に乗った赤ずくめの女が、自分を指さして聞き返す。
「おい! ティーン! そいつだけはやめとけ!」
 慌てて叫んだのは、ウォルト。
「そいつは一級だし、何より手加減って言葉を知らねぇ! ただの呪法おたくだぞ!」
「失礼ねー。手加減ぐらいできるわよ。……もっとも……」
 赤い髪の女は、横目でちらりとティーンを見やり、不敵な笑みを浮かべる。
「彼に関しては、あまりその必要はなさそうだけど」
「じゃあ、模擬戦はガーネットとティーンね。向こうの方でやってくれる?」
 ハウライドが草原の奥の方を指さし、二人はそちらに向かう。
 ガーネットと呼ばれた女は、鳥から下りると、ティーンの前に右手を差し出し、
「自己紹介しとくわね、フレイマ。ガーネットよ。……コードネームだけど。
 この子はスペサルタイト」
 最後に、ついさっきまで乗っていたオレンジを帯びた赤色の巨大な鳥を紹介する。
「……ティーン・フレイマだ。ティーンでいい」
 二人は握手をすると、間隔をおいて向かい合う。
「……では……始め!」
 ハウライドの声を合図に、二人は動き出した。

 最初に動いたのは、ティーンだった。
 大きく横に飛ぶと同時に、懐から取り出した針を数本、ガーネットに向かって投げる。
 後ろに身を引き、それらを躱すガーネット。
「炎の守護者よ!」
 ガーネットの声と共に、炎が螺旋を描いてティーンに襲いかかる。
「……だからやめとけって言ったのによ……」
 見物しながら呻いたのはウォルトだ。
 今、ガーネットが使ったのは、呪文の短縮詠唱というもので、よほど高位の呪法士でないと使えない。短縮詠唱は、呪文の一部だけで呪法を発動させるもので、無論、発動までの時間は驚異的に短縮されるが、その反面、効果が限定されてきたり、呪法の威力が弱まったりする。慣れていない者が行うと、期待していた効果とは全く逆の作用を及ぼしたりもする。
 もっとも、短縮詠唱に長けた者なら、無言で呪法を発動させることもできるが。
 だが、ガーネットは短縮詠唱には充分に精通していた。どのタイミングで呪文のどこを詠唱すれば何が起こるか、極めて正確に予想出来るのである。呪法院に来たばかりのティーンは、彼女に比べれば殆ど素人の筈。特級戦技士の技術があると言えど、分が悪すぎる。 だが――
「壁となりて護れ!」
 同じ短縮詠唱でガーネットの呪法を防いだのは、ティーンだった。間を置かず、
「雷光よ、撃て!」
 雷光を放つと同時に、自らも剣を抜いて斬りかかる。
「くっ!」
 大きく身を引いてそれらを躱すガーネット。が、次の瞬間には彼女の腕に鎖が絡み付いていた。
 鎖は――ティーンのローブの袖口から伸びている。 「……本気……出すわよ」
「そうしてくれ」
「金剛の刃よ!」
 鎖の戒めを解くと同時に、側までやってきていた鳥――スペサルタイト号に乗る。
 スペサルタイト号の背でこちらを見下ろすガーネットを見上げ、ティーンは次の術を放つ。
「我が名により汝を呼ばん!」
 ティーンの真横の空間が歪み、大型犬ほどの大きさの翼竜が現れる。
「行け!」
 ティーンの声に応じ、翼竜が舞い上がる。それとほぼ時を同じくして、上から氷の槍が降ってくる。
「炎よ、壁となれ!」
 蒸気となって消える槍。上からは、翼竜の断末魔が聞こえた。

「……どーなってんだ……こりゃ……」
 地上と空中で対峙する二人を眺めながら、ウォルトはぼそりと呟いた。
 一体どこで身につけたのか、ティーンは短縮詠唱を完璧に使いこなしている。それどころか、呪法院のメンバーで最強と言えるガーネットと互角に渡り合っているのだ。
「彼、かなりやるみたいだね」
 ウォルトの隣で呟いたのは、左耳にピアスをつけた、派手なローブの男。
「僕じゃ勝てないだろうなぁ……」
 話している間にも、二人の間で行使される呪法は、次第にエスカレートしていっている。ついに、呪法院の建物まで揺らす爆音が響き渡り、草原を囲んでいた森の一部が消滅する。「……なんか……避難した方がよくねーか?」
「僕もそう思うけど……院長、止めないんですか?」
 ピアスの男に問われ、ハウライドは呑気な口調で、
「このまま続けてもらうわ。みんなは建物の中で待ってて頂戴」
 二人から目を離さずに、言う。
 結局、ハウライドを残した全員が、呪法院の建物に避難した。

 ぱらぱらと、天井から埃と砂が落ちてくる。爆音と振動は、ここにも充分すぎるほど響いていた。
 呪法院のミーティングルームである。この建物も、決して脆い造りではないはずなのだが……もう何度目か数えるのにも飽きるほど、爆音に揺らされていた。
 と、部屋の扉が開く。建物の入り口に近い方ではなく、建物の奥につながる方の扉である。
「お前ら、この騒ぎは何なんだ?」
 部屋に入ってくるなり、尋ねてきたのはこの呪法院の教官の一人である。
「……戦技院からも何人か来てるみたいだし……」
「ガーネットが暴れてます」
 また振動が響く中、呪法院のメンバーの一人が簡潔に答える。
「ガーネットが? 何でだ? スペサルタイトに落書きでもしたのか?」
「まさか」
 左耳にピアスの男が答える。
「ただちょっと、院長の指示で、模擬戦をやってるだけですよ。……ティーン・フレイマと」
 男が答える間にも、二回ほど地震のような振動があった。
「ティーン・フレイマ? あの戦技院の化け物か?」
 「戦技院(こっち)は昨日終わって、今日から呪法院(そっち)ですよ」
 戦技院のメンバーの一人が言う。
「…………で、ガーネットとまともに渡り合ってるのか?」
「少なくとも、ガーネットは本気出すって言ってましたけどね」
 ウォルトが答えると、教官はよろめき、
「……何てことだ……ガーネット一人でも手に負えんと言うのに……」
 呟く。
 と、爆音が収まった。
 静寂が、部屋に落ちる。
「……終わった……のかな?」
「……そうかもな。
 外に出て見るか」
 一同は立ち上がり、外へ繋がる扉を開いた。

 荒涼とした風が吹く。
 かつては、そこは緑あふれる草原と、生命あふれる森であった筈だ。風が吹けば木々が揺れ、草が揺れ――多くの生きとし生けるものが、そこで安寧を得ていた筈だ。
 平和な――そう、平和な森と草原だった。
 しかし今は、そこには何もない。ただ、いくつものクレーターが重なり合い、地面に爪痕を残すのみである。
「………………」
 誰も、何も言わない。ただ一様に、顔を引きつらせてはいるが。
「あらあら、今、呼びに行こうと思ってたのに」
 目の前の荒れ地など意に介さないようなのんびりした声で話しかけてきたのは、ハウライドである。
「二人ともなかなかのものよ。見せてあげたかったわ」
 彼女の背後には全壊した椅子やテーブルの破片が散らばっていた。よく見れば、呪法院の建物の壁にも、焦げ跡だの亀裂だのが無数に入っている。
 ハウライドが視線を注ぐその先を見れば――事の元凶、ガーネットとティーンが、一際大きなクレーターの上で爽やかに握手などしているところだった。
「おい! ティーン! この有り様は何なんだ!?」
「なかなか手応えのある模擬戦だったが?」
 ウォルトの怒鳴り声に、涼しい顔で答えるティーン。
「そうそう。それに、周囲に被害が及ばないように、ちゃんと配慮しといたわよ」
「どこがだ!」
 上機嫌に言うガーネットに、ウォルトが怒鳴り返すが、彼女がそれを気に留めた様子はない。
「……ハウライド院長」
 呪法院の教官が、ハウライドの隣に来て話しかける。
「ティーン・フレイマの指導は、誰にやらせる御積もりですか?」
 何となく、声が引きつっていたりもする。
「さぁ……誰に頼もうかしらねぇ……」
 呑気に呟くハウライド。
「……院長」
「あら、何?」
「あの二人がいなくなるまででいいですから、教官の数を増やして下さい……」
 呪法院の教官は、涙声でそう訴えた。

 結局、ティーンの指導には、ハウライド自らが当たることで話はついた。
 その日の夕刻。ティーンは、大きな荷物を抱えて呪法院の寮の廊下を歩いていた。渡された鍵の部屋番号からすれば、この辺りの筈なのだが……。
 廊下の片側には窓が、もう片方の側には扉が並んでいた。どの階も同じ造りらしい。窓からは、夕刻の茜色の光が差し込んでいた。
 と、前方に人影が見える。中肉中背、派手なローブ、左耳の大きなピアス、顔全体が笑ったような造り。昼間、顔を合わせた呪法院のメンバーである。腕を組み、窓に背を預けている。
「ここだよ。君の部屋」
 ティーンが近づくと、彼は、目の前の扉を指さして言った。
「そうか。ありがとう」
 言い、扉に鍵を差し込むティーンに、彼は後ろから話しかける。
「自己紹介がまだだったね。僕はセイズって言うんだ。よろしく」
「セイズだな。私のことは、ティーンと呼んでくれ」
 肩越しに言ったティーンに、セイズは、元から笑っているような顔に更に笑みを浮かべ、「一つ訊いていいかな?」
 尋ねてくる。
「何だ?」
 ティーンが身体ごとセイズの方に向き直ると、彼は満足したように、
「君、ここに何しに来たの?」
「決まっている。呪法士の資格を取りに来たんだ」
「前に、別の国の呪法院にいたりしたんじゃないの?」
「そのような事実はない」
「ふ〜ん……」
 ティーンの答えに、セイズは少し首を傾げ、
「じゃあ、一体どこで覚えてきたのさ? 短縮詠唱とか。ガーネットともいい勝負してたし。彼女、僕らの中じゃ最強なんだよ。強すぎて教官が頭かかえてる」
「短縮詠唱は以前文献で読んだ。他の呪法も、文献の知識を元に我流で完成させた。誰かに師事したことはない」
「我流……ね。大した才能だね。僕の知っている人の中じゃ、二番目ぐらいかな」
「話はそれだけか? 悪いが、これから荷物の整理で忙しく……」
「あ、もう一つだけ」
 ティーンの言葉を遮り、セイズは指を一本立てた。
「君は、どうして呪法士の資格が欲しいんだい?」
「……悪いが、それを話す相手は慎重に選ぶことにしている」
「そっか。残念。でも、僕の動機は聞いておくれよ。
 僕は、お姫様を探してるんだ」
「お姫様?」
「そう。実は僕、ある組織に所属しててね。そこの隊長が、そのお姫様に心底惚れてるんだ。ところが、お姫様は行方不明。僕は、彼女を探すように命令されてるの」
 と、彼はそこで言葉を切り、ティーンの茜色に染まった青い瞳を見据える。
「君、知らない?」
「特徴を言ってくれないと答えようがないが」
「あははは。それもそうだね。
 実は……僕も知らないんだ。会ったこともない。
 でも、金髪に緑の瞳って聞いたけど。
 あ、それからもう一つ」
 言いながら、セイズはまた指を一本立てる。
「何だ?」
「名前は、リーゼ。
 聞いたことない?」
「……ないな」
 ティーンは、自室の扉を開き、閉めた。
 廊下では、セイズが、笑みを浮かべたまま佇んでいた。

 結局、ティーンは二カ月で呪法院の全過程を終了した。
「卒業おめでとう。はい、これが呪法院の終了証よ」
「お世話になりました」
 ハウライドにセルドキアの紋章の入った、紫のブローチを手渡され、ティーンは頭を下げた。もっとも、彼にはハウライドが今まで見てきた生徒のような、喜びに溢れかえる様子は微塵もないが。
 戦技院に入る前にティーンが呼び出された、ハウライドの執務室である。相変わらず、机の上には季節の花が飾ってある。
「それと……」
 ハウライドは机の引き出しを開き、一枚の封筒を取り出す。
「頼まれてた、コロネド王国呪法院への推薦状よ。向こうも特級特待で迎えてくれるそうよ」
「ありがとうございます」
 コロネド王国の呪法院は世界でもトップクラスと評判が高い。因に、戦技院でトップクラスと言われているのは、実はティーンが三カ月で終了した、このセルドキアの戦技院だったりするのだが。
「あ、待って、ティーン」
 挨拶を終えて退出しようとするティーンをハウライドは呼び止めて、
「……元気でね」
 それだけ言った。
「……はい。院長も、お元気で」
 部屋の扉が閉まる。
 一人残ったハウライドは、何げなく花瓶の花を眺めながら、呟いた。
「寂しくなるわね……」
 ガーネットがここを去ったのは、五日前のことである。何でも、急用ができたと言っていたが……コードネームを使っていた程である。ここに来ていたのも、誰かの命令だったのだろう。
 セイズも、去った。彼の場合は、きっぱりと、命令が下りてここにいられなくなったと言っていたが。
 そして今日。ティーン・フレイマが去った。ハウライドは、久々に自ら指導に当たったこの生徒を、それ以上のものに考えかけていたのだが。ただの生徒ではなく――そう、まるで孫のように。
 ハウライドは、机の上にあったティーン・フレイマに関するファイルを一通り眺め――引き出しの一番奥にしまい込んだ。


3 :副島王姫 :2007/10/20(土) 21:01:45 ID:oJrGY3oG


 宵の口。自室でテキストと向かい合い、眉間にしわを寄せていたウォルトは、ふと、ノックの音に顔を上げた。
 もう三、四週間前になるか――ガーネット、セイズ、ティーンの三人がいなくなってからは、残された呪法院の五人の生徒にとっては悪夢のような日々が続いていた。ティーンについては、指導に当たっていたのがハウライドだったため、いなくなっても、寂しくなったという以外、特に変化はなかったのだが――問題はセイズ、そして何よりガーネットである。
 セイズはただの優秀な生徒だったが、ガーネットは優秀すぎる生徒だった。何故彼女が第一級で留まっていたのか、不思議なぐらいである。ともあれ、今までは教官たちはこの二人の指導に集中せざるを得なかったのだ。セイズの才能をどう伸ばすか、ガーネットの暴走をどう抑えるか。
 だが、二人はもういない。こうなってしまえば、今まで、ともすればおろそかになっていた、他の生徒への指導を徹底するのが普通だろう。現実に、そうなった。
 つまるところ、残った生徒に向けられる教官の目が、今までの数倍になってしまったのである。講義は増える、実技は増える、課題は増える、補講は増える、それらの中での教官の目は厳しくなる……。教官たちにしてみれば、今までおろそかにしていたことへの詫びも含んだ結果なのだろうが……とにかくスケジュールが厳しすぎた。特にウォルトは、ティーンの助けがあって第二級の特待を得られたのだ。ティーンがいない状態では、まさにお手上げの事態である。
「……まさか教官がここまで補講に来たんじゃねぇだろうな……」
 呟き、ウォルトは戸口へ向かった。扉を開けた、その向こうにいたのは――
「ティーン!?」
 小柄な身体を包む厚手のローブとマント。女のように長い髪を束ねる細い紐。そして、青の双眸。間違いなく、三週間前にコロネドの呪法院に向かった筈の、ティーン・フレイマその人だった。
「久しぶりだな」
「お前、コロネドに行ったんじゃ……」
 ウォルトの呟きに、彼は無言で、ブローチを出す。コロネドの紋章の刻まれた、紫のブローチ。
「……お前……本当に人間か?」
「そのつもりだが」
「院長には会って来たのか?」
「ああ。さっき挨拶してきたところだ」
「……で、どうだった? コロネドは」
 ティーンを部屋に入れながら、ウォルトが尋ねると、彼は首を横に振って、
「噂は当てにならなかった。ガーネットの方がよほど手応えあった」
 淡々とした口調で言う。
 と、ティーンは、ついさっきまでウォルトが向き合っていたテキストに目を止める。アンダーラインがあらぬところに引いてあったり、何度もペンの先を叩きつけた跡があったりする。
「……つまっているのか?」
「ああ。もう何が何だかさっぱりだ。頭痛いぜ」
 ティーンは、側にあったペンを取ると、テキストに何か書き込みをする。
「おおっ! なるほど、そーゆーことか」
 合点がいったように書き込みを覗き込むウォルトに、ティーンは更に、
「紙はあるか?」
「ああ、その辺にあるの、適当に使ってくれ」
 机の隅の紙の束から二、三枚取り出すと、それに何やら書き始める。しばらくして書き終えると、
「それだけは優先して覚えておいた方がいい。応用が利くからな」
「ありがてぇ。他の連中にも配ってやろ。
 ……ところでお前、これからどうするんだ?」
「トースヴァイに行ってリュシアの禁忌に関する情報を集めて……後は、奴に狙われそうな人物の護衛について、奴らが現れるのを待つ」
「そうか……生き延びろよ」
「そのつもりだ」
 ウォルトの言葉に、珍しく微笑みを浮かべ――ティーンは去って行った。

 トースヴァイ……セルドキア王国のリュシア教の聖地である。本来の聖地は他国にあるのだが、リュシア教はこの国にも深く根を下ろしており、いわば聖地の支部という形でこの聖都市が築かれた。
 そのトースヴァイの中心部、この王国最大のリュシア教神殿に、ティーンは居た。何のことはない、ただの待合室である。ここへ来るなり、受付に三つの終了証を呈示し、リュシアの禁忌について話を聞きたいと告げてから――ここで一時間ほど待たされている。……無理もないことだ。事前に何の通達もなく突然訪れたのであるし、『禁忌』に触れられて喜ぶ筈はない。
 部屋にいるのは彼一人である。悪い部屋ではないらしい。手入れが行き届いているらしく、床に敷かれた絨毯には埃一つ見当たらない。壁には古びた大時計と、聖書の一部を描いたのであろう宗教画が飾られていた。座っているソファにもほどよい弾力性があり、目の前のテーブルも割と高級なもののようだ。
 もう三十分ほどが過ぎ――
「大変お待たせ致しました」
 老いた司祭が、従者らしき若い神官二名を連れて、この待合室の扉を開けた。
「司祭のエヴァーヌと申します」
「セルドキア王国特級戦技士・呪法士、コロネド王国特級呪法士、ティーン・フレイマです」
 ティーンが立ち上がって挨拶を返すと、老司祭――エヴァーヌは二人の神官に目配せをする。神官たちは、一礼すると去って行った。
 若い二人が立ち去って行くのを確認すると、エヴァーヌは、待合室の扉を閉め、
「そのままお掛け下さい」
 言い、自分もテーブルを挟んで向かい側に座った。
「『禁忌』に関する情報をお求めと伺いましたが」
「はい。突然で申し訳ありませんが」
「失礼ですが……何故、『禁忌』に興味をお持ちなのか……お聞かせ願えませんか?」
 エヴァーヌの言葉に、ティーンは一呼吸の間を置いて、
「私は、四年半前、奴に滅ぼされたレクタ族の生き残りです」
 それだけ、言う。
「特級戦技士に、特級呪法士でしたね……」
 エヴァーヌは、確認するように呟くと、席を立った。
「こちらにお越し下さい。詳しい話をお聞かせしましょう」

「『禁忌』については、本当に申し訳なく思っております。しかし、第一聖騎隊や《リュシアの雷》が敗れた以上、我々には奴らを止める力はないのです。……情けないことですが」
 神殿の奥に続く通路を歩きながら、エヴァーヌは言葉を続け、同じ内容を繰り返す。
「今、確かなのは、今の奴に勝る戦力は、我々にはないということです」
 ……しかし――」
 エヴァーヌは、ゆっくりとティーンを振り返り、言葉を続けた。
「奴の意図は察しがつきます」
「意図? 何です? それは」
 一瞬だけ青い瞳を金色に変え――ティーンは尋ねた。エヴァーヌは、自嘲気味に、
「我々を嘲笑っているのですよ。恨みでもかったのでしょうね」
 言うと、再び視線を前に戻した。
「奴の暴走以来、『禁忌』と我々リュシア教は断交状態にある……そう思われますか?」
「違うのですか?」
 前を歩くエヴァーヌの背中に問いかけると、彼はゆっくりと首を横に振り、
「確かに、我々の呼びかけには奴は応じません。ですが、奴は、一方的にこちらにメッセージを送り付けてくるのですよ」
 と、エヴァーヌは足を止めた。もう、かなり奥へと来たのだろうか。通路は狭くなっており、辺りには人の気配が全くない。
「こちらでお待ち下さい。資料をお持ちいたします」
 エヴァーヌは、そう言って、ティーンを書斎らしき部屋に案内し、去って行った。
 今は使われていない書斎のようである。壁紙の色も、床の絨毯の色もくすんでいる。古ぼけた棚や引き出しに全て鍵が取り付けられているところを見ると、おそらくは以前、ここは機密情報を扱う場であったのであろうが。
「お待たせしました」
 何冊かのファイルを持って、エヴァーヌは戻って来た。
「まず、これをご覧下さい」
 エヴァーヌが手渡してきたのは、一枚の封筒だ。宛て先は、この神殿の司祭長となっているが、差出人の名はない。一応視線で尋ねてから、ティーンは封筒を開いた。中に入っていたのは、一枚の便箋だった。
 瞬間、ティーンの双眸が金色に染まる。
『親愛なるトースヴァイ司祭長へ。
 ホサイド領のレクタ族は、呪殺能力をも持つ魔眼を持つと耳にしました。危険につき処分致します』
「……………………
 ……ドルティオーク…… 」
 便箋を握り潰し、呪詛のように、憎悪と憤怒のこもった声でその名を口にする。肩が、拳が、怒りのあまり震え、噛み締めた唇は白くなる。
「……奴の名も御存じでしたか
 やはり貴方は、四年前にレタックの神殿で保護された子供ですね?」
 エヴァーヌが呟くように言う。ドルティオークとは、件の『禁忌』の名である。その名を知る者はごく少数であるが。
「知っていたのですか!? 奴が我々の村に押し入ることを!」
 エヴァーヌの問いに答えることなく、目を金色に染めたまま問い詰めるティーンの声に、彼は気を悪くした様子もなく頷き、
「いつもそうです。奴は殺戮を行うおよそ三カ月前に、そのことを予告してくるのですよ。……止められるものなら止めてみろ……そう言うように。
 我々としても、出来る限りのことはしてきました。殺戮の対象となっている方々に警告を送ったり、こちらから戦力を送り込んだり……。
 しかし、結果として全て無駄に終わりました。どこに逃がそうと、どんな戦力を差し向けようと、奴は予告を実現するのです」
「……では、我々の村の時も……」
「勿論、警告はお送りしました。こちらからの戦力の派遣は、巫女頭のイリアという方に断られましたが」
「巫女頭が……?」
 ティーンは、青に戻りかけていた瞳を再び金色に染め、呟く。
「……我々レクタ族にとって、奴らの襲撃はまさに突然の事でした」
 金色の瞳のまま、落ち着いた口調でティーンは言う。
「当時、私はまだ十三の子供でしたが……襲撃の直前まで、大人たちにも変わった素振りは見られませんでした」
「警告が届いていなかったというわけですか?」
 意外そうに訊いてくるエヴァーヌに、ティーンは頷き、
「もしかして……警告は、村にではなく巫女頭に送られたのではないですか?」
 エヴァーヌは、ファイルを開き、ページを何枚かめくると、
「記録にはそうあります。実質的な村の統治者だという理由で」
「だとしたら……」
 ティーンは、ためらいがちに次の言葉を口にした。
「巫女頭が、警告を握り潰したことになる……。
 何故、そんな真似を……」
 瞳を青に戻し、考え込むティーンに、エヴァーヌは暫く待ってから一枚の封筒を手渡した。
「……これは?」
「二カ月前に送られてきたものです。
 このところ急成長している予言者を処分すると」
 第六聖騎隊は、リュシアの教義に反するものや異教を目標として殺戮を行うことが多い。レクタ族のように、特殊能力を理由に殲滅された者たちもいるが……大部分は、些細なことでもリュシアの教えに反する勢力である。
 確かに、リュシア教では予言の類いは禁じていた。未来は神のみが知るという教義故である。
「……よろしければ、その予言者についての情報を教えていただけませんか? 護衛につき、奴らを迎え撃ちたいのですが」
 予想していたその言葉に、エヴァーヌは頷いた。

 ――どういうことだ?
 予言者の情報を得て、トースヴァイの神殿を後にしながら、ティーンは考え込んでいた。
 何故、巫女頭は警告を握り潰したのか。
 いや、それ以前に、何故巫女頭が『禁忌』に敗れたのか。
 巫女たちもそうだが、特に巫女頭は強大な力を持っていた筈である。巫女たちは、今のティーンと互角かそれ以上。巫女頭に関しては、もっと上の力を持っていた筈だ。一族の村にいたとき、村の大人たちの話を聞いていたが、数百年前に溯って、巫女頭の力の強大さが噂されていた。
 代替わりで力が失われたのではない。巫女頭は、代替わりなどしていないのだから。
 そう。巫女頭は過去も未来もただ一人。悠久の時を生きてきた存在なのだ。
 その巫女頭が敗れたとなれば、ティーンに『禁忌』を破る力はない。しかし、それでも今以上の力をつけることはできなかった。今のままで、『禁忌』に立ち向かうしかない。
 ――おそらく、彼にはもう、残された時間はないのだから。


4 :副島王姫 :2007/10/20(土) 21:03:58 ID:oJrGY3oG

 
   2、

「トースヴァイ教会からの推薦状は確かに受け取った」
 机ごしにティーンの前に座る男は、難しい顔をしてそう言った。
 トースヴァイで情報を得た、予言者の屋敷である。司祭エヴァーヌは、予言者に関する情報を提供するどころか、ここへの推薦状も用意してくれたのだ。お陰で、面倒な手続きは抜きで、予言者の護衛団のリーダーに会うことができた。どうやら、教会側としては、『禁忌』に敵対する者への援助は拒まないという姿勢らしい。
「推薦状には、この国の特級戦技士と特級呪法士、それにコロネドの特級呪法士と書いてあるが……本当なんだろうな?」
 護衛団のリーダー、ザストゥ・カズラール――年齢は二十代半ばぐらいか。件の予言者の従兄弟に当たるらしい――は、疑わしげな目をティーンに向ける。
「疑うなら調べればいい」
 言い、ティーンは三つの終了証をザストゥに渡す。
 彼は、それを改めてから、推薦状に手を伸ばした。最初の頁を見て、
「……十七歳!?」
 妙な所で声を上げ、ティーンを横目でじろりと睨む。
「何か問題でもあるのか?」
 平然と尋ねるティーンに、彼は、
「カイナと一つしか違わねぇじゃねぇか。おまけに……」
 突然椅子から立ち上がり、ティーンの顎に手をかける。
「こんな女みてぇな面の優男ときてる」
「もう一度訊くが……何か問題でもあるのか?」
「おう! あるとも!」
 飽くまで冷静なティーンの声に、ザストゥは声を荒げて怒鳴ると、ティーンに詰め寄り、「いいか? 絶対に、カイナに寄るな触るな手を出すな。コナかけようとかしやがったら、ぶっ殺すからな!」
 ……どうやら、ただの従兄弟バカのようである。因に、カイナとは、件の予言者の名前だ。
「生憎だが、そういうことには興味はない。それより話を続けてくれ」
 多少呆れ気味に言うティーンに、ザストゥは、未だ疑わしげな目を向け、
「そう言う奴が一番怪しいんだ。
 ……まあいい。確かに話の途中だったな。
 ………………
 戦技院を三カ月で終了だぁ!?」
 明らかに人間を見る目ではない視線をティーンに送ってから、残りの頁を乱暴にめくり、
「呪法院二カ月……コロラドは三週間だぁ!?
 ……本当に人間か?」
「そのつもりだが」
 もはや慣れた返答を返すティーンに、ザストゥは思い出したような口調で、
「ところで、推薦状に空白がやけに多いが……これは何だ?」
「私の出生に関わることだ。プライバシーと考えて欲しい」
「そうか……分かった。
 ついて来い。お前の実力を見たい。肩書だけでは信用できんからな」
 ザストゥは、ブローチをティーンに返すと、ゆっくりとした動作で部屋を出た。

 ザストゥ・カズラール。二十五歳。地元では名士と言えたカズラール家の長男として生まれる。一歳の時に母親を、二十二歳の時に父親を亡くし、現在残る肉親は、同じく幼いときに両親を失くした従姉妹――カイナ・プレテオルのみ。
 事前に調べておいた彼に関する情報を思い出しながら、ティーンはザストゥの後ろを歩いていた。
 茶色の短めの髪に緑の双眸。体格は、有り体に言えば人並みで、身のこなしも大したことはなさそうである。先程の面談で従兄弟バカと判明したが、それ以外、取り立てて説明するようなこともなさそうな男だ。
「ここだ」
 言ってザストゥが立ち止まったのは、裏庭らしき所である。この屋敷は、森を切り開いて造ったものらしく、敷地の大部分が森で埋め尽くされている。今、二人がやってきた場所も、片側には屋敷の背面があるが、その三十メートル先は森になっている。
 その、屋敷と森との空間に、彼らはいた。
 ざっと見たところ三十人ほどか。それぞれが、程度の差はあるものの何らかの防具を纏い、剣だの斧だの槍だのを手にして――要するに、武装していた。
「……で、私にどうしろと?」
 淡々とした口調で尋ねるティーンに、ザストゥは、さも当たり前といった口調で、
「決まってるだろ。今から、ここにいる連中と手合わせしてもらう」
 言いながら、ザストゥはティーンの姿を見る。厚手のローブに上から羽織ったマント。武器らしきものといえば、腰の剣以外に見当たらない。
「倒せばいいんだな?」
 確認するように呟くティーン。ザストゥは頷いてから、
「ああ、そうだ。
 見たところ、服も動きにくそうだし、大した武器も持っていないようだし、何なら呪法を使ってもかまわ…………」
「これでいいのか?」
 ザストゥの台詞が終わる前に。
 ティーンは、その三十人ばかりの相手をなぎ倒していた。
 素手で。
「………………
 ……いつの間に……」
「さっき、お前が頷いた時から動き出したが?」
 ごく当然のことの様に、さらりと言う。
「…………武器は? 呪法は?」
「使うまでもなかった」
「……………………」
「一つ、聞いていいか?」
 唖然としているザストゥに、淡々とした声でティーンは尋ねる。
「お前……特級戦技士がどういうものか知っているのか?」
「……どういう意味だ?」
 珍しく表情を見せ――呆れたあまり嘆息したのだが――ティーンは言う。
「お前は私の実力が見たいと言った。特級戦技士だということを知った上で、だ。にも拘らず、送り付けて来たのは、そこらの警備員程度――私から言えば素人同然の連中だ。
 私の終了証を偽物と思ったか、或いは特級戦技士のレベルを知らないか――そうでなければお前の行動の説明がつかない」
「…………」
 答えに窮するザストゥに、ティーンは更に、いつもの感情の感じられない声で言う。
「それに、お前に会った時から疑問に思っていたのだが、護衛団のリーダーという割には、さして強そうな気配は感じられない。お前の物腰にも全くそういったものはない。気配を隠しているのなら見事だが……」
「だぁああぁつッ! もういい!」
 嘲りも侮りもない、ただ冷静なティーンの口調が却って気に障ったのか、ザストゥは怒鳴りだす。
「そうだよ! 確かにオレは、戦闘訓練なんかろくに受けてないド素人だよ! はっきり言っちまえばそこに転がってる警備員の方がよっぽどマシだ!
 だけどなぁ! カイナはオレの妹だ! 正確に言えば従姉妹だが、あいつが小さかった頃からずっと一緒だったんだ! 妹も同然だ! それを『禁忌』とかいう奴らがいきなり殺すとか言ってきやがった! 許せるか!? 許せん!!
 カイナは絶対にオレが守る!」
 そこまで一気にまくし立てると、暫くぜいぜいと息を切らしていたが、やがて復活し、
「そういう訳で、オレはカイナ護衛団のリーダーになった。文句あるか?」
 事の成り行きを黙って眺めていたティーンに詰め寄る。
「別に文句はないが……」
「ないが、何だ? 言ってみろ」
「敵との交戦状態に入った時、お前に指揮を取られると困る」
 的確な、事実そのままの意見に、ザストゥは一瞬凍りつく。
「分かったよ! そんときゃお前らプロに任せる! それでいいんだろ!」
 もはやヤケになって言うザストゥに、ティーンは更に、
「……で、ここには一体どれぐらいの戦力がいるんだ? ガーネット以外にさして強そうな気配は感じられないが……」
「ガーネットの知り合いか? ……って、ちょっと待て! 何でガーネットがここにいることを知ってやがる?」
「ここに来た時から彼女の気配は感じていた。ついでに、彼女の愛鳥・スペサルタイトの気配もな。
 彼女も、私の気配に気づいている筈だ。そろそろ、彼女の方から接触してくるのではないか?」
 ティーンの言葉が終わって、数秒後。
 ザストゥが忌々しげに首を振った。
「何だ、どうした?
 ……その呼び方はするなと言っただろう!
 ……ああ、分かった。好きにしろ。
 ……ったく……!」
 一人で毒づく。……知らない者から見れば、ただの危ない人間に見えたかもしれないが……今のは、魔力を利用した会話である。ある程度なら離れた相手と会話できる。勿論、術者の能力にも依る。せいぜいが、同じ町、程度の距離が限界だ。
「……リュシア教の警告が来て以来、こいつといい、あいつといい、何でこんな奴らばっかり集まって来やがるんだ……」
 おそらく、『こいつ』がティーンで、『あいつ』がガーネットなのだろうとティーンは察したが、敢えて何も言わなかった。
 と、上空で、風を切る音がする。
 オレンジ色の牛ほどの大きさの鳥に、その上に乗った赤い人影――言わずと知れた、スペサルタイト号とガーネットである。
「ザトちゃん、お待たせ!」
「だからその呼び方はやめろ! ザトウクジラか! オレは!」
 スペサルタイト号ごと地上に下り、元気良く言ったガーネットに、ザストゥが怒鳴る。
 が、彼女はザストゥの言葉など意に介した様子もなく、スペサルタイト号から降りてティーンに向き合う。
「ティーン、お久しぶり」
「約一カ月ぶりか……相変わらずだな。
 ともあれ、これでまともな話ができそうだな。ここにいる戦力は、お前と私だけか?」
「スペサルタイトも忘れないで。
 ……まぁ、はっきり言っちゃえばそうね。あたしたち以外、ろくな戦力はいないわ。二、三週間後にはリュシア教の部隊が派遣されてくるらしいけど……当てにならないし。
 ……ところで、ティーン」
 腕を組んでティーンの問いに答えていたガーネットは、そこで不意にティーンの手を取り、
「久しぶりに手合わせしない?」
「私は構わないが……」
 ティーンは言い、二人の会話を呆然と眺めていたザストゥに視線を送る。
「ああ、ザトちゃんなら大丈夫」
「何でだ!?」
 きっぱりと断言するガーネットに、ザストゥが抗議の声を上げる。だが、ガーネットは、平然と辺りを見渡し、
「ここらに転がってる警備員、どーせザトちゃんがティーンにけしかけたんでしょ。実力を見たいとか言って。ザトちゃんってば、あたしにも同じよーなことして、同じよーな結果になったじゃない。
 結局、二回とも実力なんて見られなかったんでしょ。幸い、あたしはティーン相手なら本気出せるし……実力が見たいって言うなら、絶好の機会だと思うけど? ザトちゃん」
「ザトちゃんザトちゃん言うなッ!
 ……まぁ、確かにそれもそうだが……」
「なら決まりね。ザトちゃん、行くわよ!」
 言うなり、ガーネットは、ザストゥの襟首を引っつかむとスペサルタイト号に乗り、空に舞う。
「ちょっと待て、どこに行くうぅぅ」
 ザストゥの声が遠くなっていくのを聞きながら、
「風よ、運べ」
 ティーンもまた、飛行の呪法で空に舞った。
「はい、ザトちゃんはここね」
 言い、ガーネットがザストゥを降ろしたのは、屋敷の敷地の隅になる、森のど真ん中だった。
「お、おい、何だってこんな所に……」
「あら、決まってるじゃない」
 戸惑いがちに尋ねるザストゥに、ガーネットは、さも楽しげな笑顔を浮かべ、
「広くないと暴れられないもん」
 はっきりと、断言した。 
 ザストゥが二人を対戦させたことを後悔したのは、ティーンが巨大なクレーターを、森の中に出現させた後だった。それでも、二人の在学中に呪法院が受けた被害に比べれば軽微だったのだが――彼がそれを知る由もないし、知ったとしてもクレーターやら灰になった木やらが元に戻るわけではない。
「あー、すっきりした」
  この女(アマ)……ただ暴れたかっただけじゃねぇだろな……。
 気持ち良さそうに伸びをするガーネットを横目に、ザストゥは胸中で呟いた。

 その日の夜――ティーンは、屋敷の正門の前にいた。
 夜間の外部の警備を任されたのである。どうやら、本来この時間に警備に当たる警備員たちは、昼間ティーンが倒してしまったらしい。因に、ガーネットは屋敷の中――特に予言者カイナの警護に当たっている。あの従兄弟バカも、ガーネットが女性であることに安心して任せたらしい。案外、ティーンが屋敷の外の警備を任されたのも、カイナに男を近づけたくないという従兄弟バカの考えがあったのかもしれない。
 ともあれ、ティーンは正門の前に立っていた。呪法で生み出した光に、閉じられた正門が鉄格子のように映し出される。その、正門の鉄柵の間から外を見ながら――ティーンは、ただ立っていた。動かない。微動だにしない。細い紐でまとめた金髪やマントが、風に揺れるだけである。
「……何やってるんだ? あいつは」
 カイナの部屋のテラスから、ザストゥがティーンを見ながら呟く。
「ザトちゃん知らないの? 生体探査の呪法よ」
 同じくカイナの部屋のテラスから顔を出したのは、ガーネット。屋内でもスペサルタイト号に乗っている。
「生体探査?」
 おうむ返しに聞くザストゥに、ガーネットは人差し指を一本立て、
「つまり、一定の範囲にどんな生物がどれだけいるかを調べる呪法よ。術者の力量によって補足できる範囲や生物の精度が変わってくるんだけど……」
 と、ちらりとティーンに視線を送る。
「ティーンなら、やろうと思えば蟻の数も分かるんじゃないかな。あたしでもそれぐらいは分かるし。意味ないからしないけど」
「んなもん数えてどうすんだ」
「だから、しないってば。
 今、ティーンは多分……敷地全体を探査範囲に指定して、……そうね……犬か猫より大きな生物の動向を掴んでるんじゃないかしら。野犬の類いが屋敷に近づいて来たら即撃退、怪しい人間が近づいて来たら捕獲、ってとこかな。
 ……あ」
「何だ?」
「五、四、三、……」
 訝しむザストゥを尻目に、ガーネットは秒読みを始める。
「……一、ゼロ!」
 秒読みが終わるとほぼ同時に、やや遠い所から悲鳴が聞こえてくる。
「何なんだ?」
「屋敷に近づいた人間をティーンが捕縛したのよ。屋敷の周りの森を抜けた時点で、下半身を氷づけってとこかな? この反応だと。
 ちなみに、反応からして、捕まったのはただのコソドロ。大した戦闘能力はないわ」
「……そこまで分かるのか?」
「当たり前よ。相手の大体の力量は分かるわ。相手か気配を消していない限りね。知り合いなら、反応を見ただけで誰かまで分かるわよ。
 昼間、あたしがティーンが来たことに気づいたのもそのせい。あたしは、この呪法を屋敷の周辺に範囲指定して使ってるのよ。
 ほら、覚えてる? ザトちゃん」
「その呼び方やめろ」
「昼間、あたしがザトちゃんに話しかけた後、あたしはちゃんと裏庭に行ったでしょ。場所も聞いてなかったのに。あれも、ティーンとザトちゃんの気配を掴んでたからできたことなのよ」
「ザトちゃんと呼ぶなっつっとろうが!」
「照れない照れない」
「照れとらんわぁッつ 」
 けらけら笑うガーネットに、ザストゥが怒鳴る。と、その叫び声が流石に気になったのか、
「ねぇ、何の騒ぎ?」
 部屋から十五、六の少女が顔を出す。
 栗色の癖のある長い髪に、緑の双眸。無邪気に微笑むその姿には、どこか活発なものが感じられる。
 『禁忌』に処分を宣告された予言者、カイナ・プレテオルである。
 彼女は、その瞳を好奇心に輝かせ、
「何があったの? ねぇねぇ」
 ザストゥとガーネットの二人に問う。
「このおにーさんが、ザトちゃんって呼ぶと怒るのよ」
 ガーネットが、ザストゥを指さし言うと、カイナは大袈裟に驚いて、
「どうして!? お兄ちゃん! 可愛いのに!」
「……カイナ……お前な……」
 ザストゥの腕を掴んで揺するカイナに、ザストゥは苦虫を噛み潰したような表情で、
「大の大人がザトちゃんザトちゃん言われて喜ぶと思うか?」
「思う!」
 きっぱりはっきり断言するカイナに、ザストゥは、ただ頭を抱える。
「あー、分かった分かった。
 分かったからお前は部屋に戻ってろ」
 半分ヤケになりながら、ザストゥはカイナを連れて部屋に戻ろうとする。が、
「待って、お兄ちゃん。あの人、誰?」
 カイナが目ざとく、正門前のティーンを見つける。
「き、今日から入った護衛だ。気にするな。な?」
 明らかに狼狽した声で、ザストゥは注意を逸らそうとするが、そんなものは通用せず、カイナはテラスの柵まで出てしまった。
「もっと近くで見れない? ガーネット」
「見たい? それなら……」
「待たんかっ! ガーネット!」
 カイナに言われ、呪法を使おうとするガーネットに、ザストゥが待ったをかける。
「何よ?」
「見せるな! 命令だ!」
「カイナちゃんの命令が優先」
「わーい、ガーネット、話が分かるぅ」
「正式な依頼主はオレだ!」
 だが、ガーネットは当然のようにザストゥの言葉を無視し、
「光よ、映せ」
 短い詠唱を口にする。
 ガーネットの手元から現れた光の粉は、カイナの目の前で収束し、やがてティーンの後ろ姿に結像した。側では、ザストゥが、再び頭を抱えている。
「ねぇ、顔は見れないの?」
 等身大に映し出されたティーンの後ろ姿にはしゃぎながら、カイナが言う。
「ちょっと待ってね」
 言い、ガーネットは視点をずらす。ゆっくりと、ティーンの映像が回転し始める。
「きゃー! 美形!」
 ティーンの横顔が見え始めた辺りから、カイナが騒ぎ始める。映像が正面を向いた頃には、カイナはただきゃーきゃー騒ぐだけになっていた。
 と、唐突にカイナは騒ぐのをやめると、
「お兄ちゃん、あの人、ここに連れて来て」
 ザストゥの服の裾を引っ張り、言う。
「駄目だ駄目だ!」
 カイナの両肩に手を置くと、ザストゥは叫び始める。
「あんなのはどーせ女ぐせの悪い奴に決まってる! 弄ばれて最後には捨てられるんだぞ!」
「お兄ちゃん、いっつもそう言って男の人と会わせてくれないじゃない! あたしももう十六よ! 恋の一つや二つ、したっていい年頃じゃない!」
 従兄弟にそう言い返すと、カイナはガーネットの方を向き、
「ガーネット、命令! あの人呼んで!」
「こら待て、ガーネット! 絶対呼ぶな!」
 二つの食い違う命令に、ガーネットは腕を組み、
「やっぱりカイナちゃん優先かなー」
 呟く。
 ザストゥが顔をしかめ、カイナが勝利の笑みを浮かべた頃、ガーネットの頭に声が響く。
 見ると、カイナの前に映し出されたティーンの映像も、呪法を発動させていた。
「どしたの? ティーン」
『訊きたいのはこっちだ。一体何をやっているんだ?』
「カイナちゃんが、ティーンの顔を見たいっていうから……つい。
 あ、そーだ、カイナちゃんがね……」
「ちょっと待て! ティーンか!」
 ザストゥが、ガーネットの頭を押さえつけ、
「ティーン! お前はそのままそこにいろ! 命令だぞ!」
 叫んだところで聞こえる筈はないのだが。いや、テラスから正門まで響く大声を出せば話は別か。とにかく、ガーネットは、ザストゥを無視し、
「ティーン、カイナちゃんがね、こっちに来て欲しいって」
『私は一応、カイナ・プレテオルには近づくなと言われているんだがな……』
「んなもん無視無視。ザトちゃん怒っても怖くない。カイナちゃん泣いたら可哀想」
「こら! ガーネット!」
「お兄ちゃん……ホントに泣くわよ」
 慌ててガーネットを止めに入ったザストゥだが、カイナの呟きに硬直する。
「明日から口きかないよ。天国のパパとママに、お兄ちゃんがいじめるって報告するよ」
「ち、ちょっと待て、カイナ」
「恨んでやる呪ってやる。お兄ちゃんがあたしの青春を台なしにするんだ……」
 おろおろし始めるザストゥを見やり、ガーネットは、
「ティーン、ザトちゃんの方も了解したから。早くこっち来てね」
『……分かった。取り敢えずその映像を消してくれ』
 それだけ言うと、声は途切れた。ガーネットは、言われた通りに映像を消す。
「あー、もっと見たかったのに……」
「大丈夫。すぐに実物が来るから」
「本当!?」
 などと会話を交わしているうちに、ティーンがテラスの柵の前まで飛んで来る。
「……で、私に何の用だ?」
「きゃー! 本物ー! クールぅ!」
 あまり感情の感じられないティーンの態度をどう取ったか、カイナが叫ぶ。
「ティーンっていうの? あたしもそう呼んでいいよね? あたしのことはカイナって呼んで!」
 言いながら、ティーンの手を取ると、ぶんぶんと振り回す。
「年いくつ? 彼女いないよね? あたしが先約…………あ」
 不意に、カイナが電流に撃たれたように、動きを止める。
「どうした? カイナ」
「ティーン…………あなたに……運命の転機が……」
 ザストゥの呼びかけが聞こえないかのように、緑の双眸を大きく見開き、カイナは呟く。 ガーネットが、そっとスペサルタイトに目配せしたが、カイナの様子に気を取られているザストゥとティーンは気づかなかった。
「何かが邪魔して……よく聞こえない…………。近い……一週間もない……」
「何だ? これは」
「カイナの予言だ! ……だが、いつもと様子が違う」
 ティーンの問いに、ザストゥが答える。
 ガーネットの背後では、スペサルタイトがカイナに視線を集中させていた。
「……ノイズが……ひどくなる…………。待って……名前が聞こえる…………」
 うずくまり、両手で耳を塞ぐようにして、カイナが続ける。
 スペサルタイトの目が、大きく見開かれる。
「……誰……邪魔してるの…………。
 …………あ……」
 カイナが、耳を塞ぐのをやめ、立ち上がった。ティーンの瞳を見つめながら、
「……聞こえた……。
 …………ドルティオーク……」
 瞬間、ティーンは瞳を金色に染め、ガーネットの背後では、スペサルタイトが顔をしかめていた。


5 :副島王姫 :2007/10/20(土) 21:04:16 ID:oJrGY3oG

 その日の深夜。彼女らは屋敷の裏庭にいた。予言を終えたカイナは再びティーンを捕まえてはしゃいだ後、はしゃぎ疲れて眠っている。ティーンは、正門の前に戻り、警備を続行している。
「迂闊だった……。嘗めてたわ。あの子の能力……」
 呟いたのは、ガーネット。
「私もよ。まさか、私の妨害を破るなんて……よほどオーグリア神とセーロゥ神の加護が強いのね……」
 呟き返したのは、ガーネットと瓜二つの女性。ただ、全体の色がオレンジがかっている点のみが異なる。
「こうなったら……リーゼは……」
「いくら止めても無駄ね。突っ走るわよ。きっと」
 ガーネットは、嘆息し、
「仕方ないわ。スペサルタイト、あなたはイリアの所に戻って、指示を仰いで。
 あたしは一応、リーゼの様子を見るわ」
 スペサルタイトと呼ばれた、オレンジがかった女が頷く。
 ガーネットは、スペサルタイトに手をかざすと、
「セミープレシャス プロトタイプ〇三八 コードネーム《スペサルタイト・ガーネット》
 汝の名を以て、汝が地へと、汝を送らん」
 呟くように、詠唱する。
 スペサルタイトの姿が、光の粉となって、消えた。
「あー、頭痛い」
 一人残ったガーネットは、なげやりにそう呟いた。

「何か用か? ザストゥ」
 正門の前に立つティーンは、後ろから近づいて来たザストゥに、振り返りもせずそう言った。
「さっきのカイナの予言で、気になることがあってな」
 言いながら、ザストゥはティーンの横に並ぶ。
「カイナの予言は、いつも明瞭だ。今日みてぇに、何かが邪魔してる、だの、よく聞こえない、だの……そういうことは一切なかった。
 あれは一体何なんだ?」
「私も知らない。ただ、予言の内容はとんでもなかったがな」
「……確か……一週間もねぇって言ってたな。何が起こるんだ?」
「カイナが最後に言った名前、覚えているか?」
 青い双眸をザストゥに向け、ティーンは尋ねる。
「あまり覚えてねぇが……ドル……何とか……」
「ドルティオーク。『禁忌』の名だ」
 ザストゥの目の前で、ティーンの双眸が金色に染まる。
「『禁忌』って……ちょっと待て! リュシア教からの警告じゃ、まだ先……」
 慌てるザストゥに、ティーンは瞳を青に戻し、冷静に、
「近づいて来たからと言って、すぐに攻め込んで来る訳ではないだろう。事前に周囲に潜伏しておいて、時が来れば押し入る……恐らく、そんなところだ。
 カイナが言ったのは、奴らの接近に私が気づき、私の方が奴らの元へ出向く……その暗示だろう。事実、奴の居場所が判明すれば私はそうする」
「……勝てるのか?」
 ザストゥの硬い声に、ティーンは淡々と、
「カイナは、運命の転機だと言った。死相が出ているなどとは言っていない。
 私が勝つか、或いは――」
 ――奴の手に落ちるか、だ。
 ティーンは、最後の言葉は口に出さず、無言で、懐から指輪を取り出した。大きな赤い硝子玉の嵌められたもので、一見して大した価値はなさそうなものである。それを、左手の人差し指に嵌める。
「…………?」
 不意に、ティーンが裏庭の方角へ視線を移す。
「どうした?」
「スペサルタイトの気配が消えた」
「スペサルタイト? ああ、あの鳥か。どっか飛んで行ったんじゃねぇか?」
「気配が離れて行ったのではない。消えたんだ」
 言い、ティーンはまた魔力を操り、
「ガーネット、何があった? スペサルタイトの気配が消えたが」
『急にいなくなっちゃったのよ。さっきまでいたんだけど……』
「前から思っていたんだが……あの鳥は何だ? 戦闘能力がお前並に有りそうだが」
『友達よ。鳥鳥って言わないで。
 ……まぁ、強いのは事実よ。本気で戦ったことないけど。
 それにしても、どこ行っちゃったんだろ……。ティーン、見つけたら教えてね』
 それだけ言って、会話は途絶えた。
 多少腑に落ちないものを感じつつも、ティーンは、
「ところで、率直に訊くが……」
 ザストゥに話しかける。
「カイナはどう言っているんだ? 彼女自身やお前の死期が近いとは言っていないのか?」
「あ? そんなことは一言も言わないが……」
「なら、安心だな。どういう経緯でそうなるかは知らないが……結果的に、『禁忌』はここへは来ない」
「お前が倒してくれるのか?」
「……別の可能性の方が強い」
「別の? 何だ、そりゃ」
「今は言えない」
 素っ気なくそう言うと、ティーンは人差し指の指輪に目を落とす。
 ――絶対に、奴の手にだけは落ちない。
 赤い硝子玉に全てを賭ける思いで、彼は胸中で呟いた。

「あ、おはよ。ティーン」
 翌朝、一応仮眠室から出て来たガーネットは、朝食を食べ終えたところのティーンを見つけ、声をかけた。
 彼に近づきつつ、言葉を続ける。
「どう? あれからスペサ……」
 が、ティーンの姿が詳細に見える所まで近づいて、絶句した。
「どうした?」
「あ、何でもない何でもない」
 顔が引きつりそうになるのを必死で抑えつつ、ガーネットは取り繕う。
「それより、スペサルタイト、見つからない?」
「まだ反応はないな」
「……そう。これから寝るの?」
「ああ。何かあったら起こしてくれ」
「分かったわ。お休み」
 ――……ど、
 去って行くティーンの後ろ姿を見送りつつ、ガーネットは胸中で悲鳴を上げていた。
 ――どこで手に入れたのよ!? あんなモンーー!!

 ――まったく、世話のやける……!
 ティーンと別れて三十分ほど経ってから。
 ガーネットは、仮眠室の方へ向かっていた。ティーンの気配のする部屋の前に立ち止まると、扉をノックし、
「ティーン、起きてる?」
 声をかけてみる。
 返事は、ない。
 ――眠ったかな? でも一応念のため……
 ガーネットは、ノブに手をかけるが、鍵がかかっている。鍵を外すことはできるが、それでは元通りに閉めるのが難しい。――と、なれば――
 ガーネットは、辺りを見渡し、誰の目もないことを確認する。元々、生体探査の呪法で近くにティーン以外の人間がいないことは承知済みだが……念のためである。
 誰もいないことを確認すると、ガーネットは、扉を素通りし、部屋の中に入る。
 別に何ということはない、ただの仮眠室である。ガーネットが昨夜の深夜から今朝まで念のために入っていた部屋と変わりない。ベッドがあり、テーブルがあり、椅子があり、そんな部屋だ。
 ティーンは、椅子の背もたれにマントをかけ、眠っていた。ガーネットは、眠っている彼に近づくと、額の辺りに手をかざし、
「眠りをもたらし、安寧へと導くものよ。暗き闇の中で安息をもたらすものよ……」
 眠りの呪法を、短縮せずに、眠っているティーンに更にかける。
 これで暫くは、よほどのことがない限り目を覚ますまい。
 用を終えたガーネットは、入って来た時と同じように、扉を素通りして出て行った。

 人気のない所――と言えば、彼女が昨夜も利用した裏庭だった。普段なら、警備員が何人かうろついている筈なのだが……昨日ティーンが倒してくれたお陰で誰もいない。
 その裏庭に、彼女――ガーネットは佇んでいた。瞳を閉じ、意識を集中させる。
 ――スペサルタイト
 ――スペサルタイト
 彼女の意識に自分の意識を同調させつつ、呼びかける。
 何度か呼びかけるうちに――
 ――聞こえるわ。ガーネット。
 意識の中に、声が響いてきた。接触に成功したらしい。
 ――イリアは警戒しながら現状を維持するように……
 ――それは後でいいから!
 スペサルタイトの声を遮り、ガーネットは言う。
 ――緊急事態よ。そっちに、ホーセルの粉末とレズラの実はない?
 ――ちょっと、それって……
 ――いいから早く! イリアに聞いて!
 暫し、声が途切れ――やがて再び聞こえてくる。
 ――両方あるって。
 ――じゃあ、それ持って、大至急戻って来て。大至急よ。
 ――何があったの?
 ――何でか知らないけど、リーゼがカイアスズリア持ってるのよ!
 ――分かった。急いで戻るわ。
 深刻な声を最後に、交信は途切れた。
 ガーネットは、嘆息し、
「あー、頭痛い」
 昨夜も言ったその台詞を、また口にした。

「来たわねー」
「来たな」
 カイナの予言から四日。ガーネットとティーンの二人は、顔を合わせるなりそう言った。 カイナの部屋の前である。カイナが懐いてしまったということで、ティーンもカイナの護衛にまわされたのだ。因に、カイナの部屋は二階にあるが、そのすぐ前の廊下がテラス状になっており、吹き抜けの一階のホールが見渡せる。
 二人は、その廊下から、並んで一階を見下ろしながら話していた。
「『禁忌』には、部下がいるみたいね。奴を含んで、あたしでも勝てそうなのが六つ。ティーンなら勝てそうなのが7つ、それから……」
 と、そこまでは世間話のような口調で話していたガーネットは、急に声のトーンを落とし、
「ティーンより明らかに強いのが一つ」
 『明らかに』の部分を強調し、釘を刺すように言う。
「本当に戦う気?」
「そのつもりだ」
 ティーンの言葉に、ガーネットは嘆息する。因に、スペサルタイトはまだ戻って来ていない。
「まぁ、二、三日は様子見ましょ。向こうが動き出さない限り。
 ……ところで……中にセイズの反応が混じってるの、気づいてる?」
「ああ。セイズも奴らの仲間だ。そうでないと知っている筈のないことを知っていた」
「いつから気づいてたの?」
「呪法院にいた時からだ」
「……よく放っておいたわね……」
 感心したように呟くガーネットに、ティーンは淡々と、
「呪法院での課程を全て終えてから、奴らのことを聞き出そうと思っていたが……その前にいなくなったからな」
「ま、取り敢えずは現状維持よ。
 どうしようか? ザトちゃんには報告しとく?」
「一応言っておいた方がいいだろう。どうせ、奴らの所に出向くときには伝えなければならない」
「そうね……。
 ザトちゃーん!」
 ガーネットは頷くと、カイナの部屋の扉を開き、ザストゥを呼ぶ。
「誰がザトちゃんだ!」
 まだ諦めていないのか、ザストゥは未だに抗議の声を上げながら出て来た。
「で、何の用だ?」
「近くに『禁忌』が来たみたいだから、報告しとこうと思って」
 妙に明るい調子でガーネットが言い放った言葉に、彼は暫し硬直した。

「勝てるのか? おい、勝てるんだろうな?」
 翌日の夜。雨音の響く中、揃って出発の準備をするティーンとガーネットに、ザストゥは上擦った声で問いかけていた。
「実を言うとねー」
 ガーネットが、昨夜帰ってきたばかりのスペサルタイト号を撫でながら、明るく言う。
「ティーンでも何やっても絶対に勝てそうにないのが、一人ほどいたりするの」
「何でそんなに明るく敗北宣言できるんだ? お前は!」
「――敗れるとは限らない」
 ザストゥの裏返った声に、いつになく鋭い声で答えたのは、ティーンだった。
 抜き放った剣に、自分の顔を映しつつ、
「少なくとも、奴の思い通りにさせるつもりはない」
 硬く、宣言するように言う。
「……じゃ、行こうか、ティーン。セイズも近づいて来てるし」
「……ああ」
 屋敷の扉を開けると、昏い空から降りしきる雨粒と、それが地面に触れ潰れる様だけが見えた。

 二人と一羽――ティーンとガーネットとスペサルタイト号は、夜の森の中を進んでいた。こちらに向かって来る、セイズの気配を目指して。
 暫く傍観を決め込んだ二人が突然動き出したのは、向こうに動きがあったからだ。向こうから一人――気配からしてセイズに間違いないのだが――が、こちらに向かって動き始めたのである。
 明かりは二つ。共に呪法で生み出したもので、一つは二人の側を漂い、もう一つは数メートル先を先行している。
 雨が木々を叩く音に混じる足音は、一つのみ。ガーネットは、いつもの如くスペサルタイト号に乗っていた。どうやらこの鳥、翼が濡れても平気なようである。
 三十分も進むうち――変化が起こった。先行する光が止まったのである。それに照らし出されるのは、一人の男。
 中肉中背、雨に濡れた派手なローブ、雨粒のしたたり落ちる、左耳の大きなピアス。
 間違いなく、二人の呪法院での学友・セイズだった。呪法の明かりに照らし出され、歪んだ笑顔が不気味に浮かぶ。
 雨が木々を叩く音だけが、暫く響く。
「…………やれやれ。
 予言者の屋敷の状況を見てくるように言われたんだけどね……」
 先に口を開いたのは、セイズだった。
「お姫様のお越しとあっちゃあ、そっちを優先すべきかな?
 ねぇ、リーゼ?」

「僕じゃ君たちに勝てない。それは充分わかってるよ。
 だから、僕は君たちと戦おうとは思ってない」
 無言の二人に向かって、セイズは一人、言葉を続ける。
「問題は、君たちが僕と戦おうと思ってるかどうかだ。けど……」
 セイズは、ティーンとガーネットを順に指し、
「僕と戦えば、君たちもそれなりに消耗するし、当然呪法の応酬になるから、僕の仲間も不審に思ってやって来る。
 そこで、君たちの選択肢は二つ」
 まず、指を一本立て、セイズは続ける。
「ここで僕を倒し、消耗した上で僕の仲間たちと戦う。これが一つめ」
 次に、指をもう一本立て、
「もう一つは、僕に案内されて僕の仲間たちの所へ行く。これなら、戦力の浪費は無しで僕の仲間たちや……勿論隊長にも会える。
 ……どっちにする?」
 どうやら、『隊長』というのが、彼らの中での『禁忌』の呼び名らしい。
「その三。あんただけ倒してとっとと逃げる」
「……二つ目だ」
 ガーネットの入れた茶々を無視し、ティーンが答える。
「……決まりだね。ついておいで」
 言うと、セイズは二人に背を向け、歩きだした。

 雨は、止みそうになかった。小降りになるでも、勢いを増すでもなく、ただ降り続いている。
 誰も、何も言わない。セイズの後を歩き、森の中を進む。『禁忌』と思しき反応は次第に近づきつつあった。
 そんな時である。
「……もう……やめなよ」
 ぽつりとした呟き――下手をすれば雨音にかき消されていたであろう――に、ティーンとセイズが振り返る。
「だめだよ……そんなの……」
 声の主は、ガーネットだった。スペサルタイト号に乗ったまま、俯き、呟いている。
「どうした? ガーネット」
 ティーンが尋ねる。俯いているせいと、呪法の明かりしかないせいで、彼女の顔は口元しか見えなかった。
「やめなよ。仇打ちなんて」
 今度は、はっきりとした声で、彼女は言った。顔の上半分を隠す前髪から、雨粒が落ちる。
「無意味だよ」
 暫し、雨の音だけが響く。三人の間の沈黙を破ったのは、ティーンの一言だった。
「無意味などではない。私は一族の無念を晴らす。
 ……仮令、返り討ちに終わろうと……私は行動する」
「そんなこと、誰も望んじゃいないよ」
 ガーネットの声に、ティーンの声が震え始める。
「私の家族は、私の目の前で皆殺しにされた。村中の、惨たらしく殺された骸も目にした。
 今でも、彼らの無念さが伝わって来る。生き残った私は、彼らの無念を背負っている」
「誰も無念に死んで行ったりしてないよ。みんなの望みは、生き残ったあなたが安らかに過ごすことだけ。
 復讐して欲しいなんて、誰も考えちゃいないよ。
 無念に感じるのは、あなたが怒りを通してしか見ていないからだよ。穏やかな心で見てごらん。死者は、平穏と、残された者の幸福を願ってる」
 ティーンの周りで、雨粒が弾ける。――彼が、大きく腕を振ったのだ。
 金色の瞳で、ガーネットを見据え、
「お前に何が分かる!? ただの噂で滅ぼされた一族が、何故無念に思わない!? お前が何を知っていると言うんだ!!」
「分かるから……知ってるから言うんだよ!」
 言い、ガーネットが顔を上げる。
 二対の金色の双眸が、対峙した。
 ――そう。顔を上げたガーネットの瞳は、金色に輝いていた。
「ガーネット……お前は……」
 戸惑いの色を見せるティーンの目の前で、ガーネットの姿が、スペサルタイト共々、足元から燃え始める。
 その身を炎と変えながら、ガーネットは更に言葉を紡ぐ。
「イリアも言ってたよ。生き残ったあなたには、あなたの幸福があるって」
「待て! ガーネット! お前は巫女頭とどういう……」
 ティーンの言葉が終わる前に。
 彼女の姿は、炎となって消えた。
「…………
 彼女……人間じゃないんだね」
 ティーンの瞳が青に戻った頃、セイズがぽつりと呟いた。

「もうすぐだよ」
 先行するセイズが言ってくる。
 ガーネットとスペサルタイトが消えた後、二人は暫し呆然としていたが、やがてどちらからともなく進み始めた。
 イリア――巫女頭の名が気にならない訳はなかった。しかし、今はあの気配が近くにある。あの、ティーンすら敵いそうにない気配。よく知っている。ドルティオークの気配だ。
 四年半前に彼から全てを奪った張本人。彼を目の前にして、他の疑問に構っている余裕など、ティーンにはなかった。
 セイズに言われるまでもなく、ドルティオークが間近に迫っていることは気配で分かる。ティーンは、黙って左手の人差し指の指輪を外した。
 赤い硝子玉を押すと、それは簡単に外れた。 無言で呪法を発動させ、硝子玉の上部を削り取る。中は、どろりとした赤い液体で満たされていた。それを、飲み下す。独特の苦みが、喉に刺さった。
 呪法の気配に気づいたセイズがこちらを振り返ったのは、その時だった。
「……なるほど」
 ティーンの手から、空になった硝子玉――実際は、硝子そのものは無色透明で、あの赤色は液体の色だったらしい――を取ると、しげしげと見つめる。
「ホーセルとレズラは? あるのかい?」
 それを懐にしまいつつ、セイズが尋ねてくる。
「準備していない」
「隊長が泣くよ。
 ……まぁ、もう手遅れだから、何も言わないけど」
 言って、セイズは再び歩きだす。その後を歩くティーン。
 気配は、もうすぐそこだった。

 どうやら廃屋のようだった。塗装の剥げた木の板、打ち付けたれた窓、もはや穴でしかない扉。
 その廃屋の中から、十二人ばかりの気配が感じられる。おそらく、『禁忌』とその部下が待機しているのだろう。
 そして、その廃屋の前に、彼は立っていた。 黒い髪を後ろに撫でつけた、三十代後半の、身長の高い男。身に纏う黒い衣服に黒いジャケット、グローブ、ブーツ……一見して丸腰である。
 『禁忌』ことドルティオーク。それが、彼を示す言葉だった。
 呪法の光で辺りを照らし出し、降りしきる雨に濡れながら、彼は立っていた。
「隊長、ただいま戻りました」
 セイズが、森から廃屋へ向かいながら、言う。
「残念ながら、例の予言者の屋敷には向かっておりません」
 命令無視とも取れるセイズの発言に、彼は怒った風もなく、
「事情は分かっている。セイズ、よくやってくれた」
 逆に労いの言葉をかける。
 セイズは、恭しく一礼し、身を横に引く。その後ろから、小柄な人影が現れる。
 細い紐でまとめた長い金髪、厚手のローブに、上から羽織ったマント、そして、金色の双眸。全身から雨粒を落としながら、ゆっくりとドルティオークに近づいて行く。
 そして、彼との間に五歩ほどの距離を残し止まった。
「四年ぶりだな。ドルティオーク」
 感情を押し殺した声で、そう呟く。
 一方、ドルティオークの方はというと、両手を広げ、歩み寄り、その小柄な身体を抱き締め、
「リーゼ。生きていてくれたか」
 囁くように、言う。
 一瞬、二人の間に沈黙が落ちた。だが――
「私に触れるな!!」
 声と共に小柄な人影――ティーンが、剣を抜き放ち、大きく振るう。
 寸前で抱擁を止め、後ろへ下がるドルティオーク。
 ティーンもまた、後ろへ身を引き、
「四年半前に滅ぼされた一族の恨み! 今ここで晴らさせてもらう!」
 剣を構えながら、叫ぶ。
「――絶対に、手を出すな」
 ドルティオークは、傍らに立つセイズと、廃屋を見やり、凍るような声でそう言った。

 焦燥が、ティーンを支配していた。
 武器を取り上げられたわけでもない。致命的な負傷を負わされたわけでもない。力を使い果たしたわけでもない。
 無傷で、余力は充分にある。
 にも拘らず、ティーンは追い詰められていた。
 この決闘は――決闘と呼べるかどうかは疑問だが――ティーンのみが攻めているのである。
 ドルティオークは、何も仕掛けて来ない。
 ただ、ティーンの攻撃を悉く防いでいるのだ。
 呪法は虚しくかき消され、剣は彼にかすりもしない。投げ付けた針やダガーは何本になるかも覚えていないが……全て、的から外れている。もはや、手持ちの針やダガーは三分の一も残っていないだろう。
 相手は丸腰。使う呪法も、ごく短い防御系の詠唱のみ。
 こちらが息を切らしているというのに、相手は平静そのものである。
「大海のかけらよ、大いなる恵みの雨よ、我が声に応え刃と化せ!」
 ティーンの声に応え、超高圧の水の刃が出現する。だが――
「消えよ」
 ドルティオークの一言で、それは消えた。
 短縮詠唱は、一般的に、語数が多いほど強力となる。ティーンの呪法をかき消したのはたった一語――差は歴然だった。
 不意に、ドルティオークが動く。一歩前へ出たのだ。
 反射的に、下がるティーン。が、
「リーゼ。もうよすんだ」
 ドルティオークは、殺意も敵意もなく、なだめるように言っただけだった。
 ――遊ばれている。完全に。
 ティーンは、奥歯を噛み締めた。実力差があるとは思っていたが、これ程までとは――
「もういいだろう。こっちへ来るんだ」
「黙れ!」
 萎えそうになる気力を奮い立たせ、叫ぶと、手にした剣に炎の呪法をかける。
 炎を宿した剣を右手に、ドルティオークに向かって駆けるティーン。
 相手が剣の間合いに入る直前に、左手を振り、袖に隠してあった鎖を伸ばす。
 完全な油断からだろうが――鎖はドルティオークの右手に絡み付いた。
 そのまま、燃える剣を振りかぶる。が、
 ドルティオークは事もなげに、ティーンの手から剣を奪うと、後方へ投げ捨てる。更に、鎖の絡まった右手を引き、ティーンの身体を引き寄せる。
 瞬時に、両手を後ろ手に掴まれた態勢となった。
「リーゼ。もう止めろ。お前では俺には勝てん」
 耳元で聞こえる、優しい声。
「……殺せ!」
 せめてもの抵抗で叫ぶ声。しかし  
「誰が死なせるものか。やっと帰ってきたお前を……」
 返ってきたのは、その言葉と、口づけだった。
 ティーンの手の戒めを解くと、ドルティオークは、ティーンの身体を自分の方へ向ける。 片手でティーンを抱き寄せ、もう片方の手で、ティーンの頬を撫でる。
「その金色の瞳……初めて出会った時のままだ。……美しい」
 ティーンは、彼の手を振り払おうとするが、彼の力は強すぎた。到底、振り払えない。
 ティーンの身体を、強烈な目眩が襲ったのは、そうしてもがいている最中だった。
 ――時間は、もうないらしい。
「猛き炎よ、全てを灰燼へと化すものよ、我が呼びかけに応えよ……」
 覚悟を決め、詠唱を口にするティーン。
「無駄だ。俺には効かん。分かっただろう」
 ドルティオークに効かないのは承知の上で、ティーンは詠唱を続ける。
「……今こそ一条の光と化し、我が敵を討ち滅ぼせ!」
 虚空に、光が現れた。それは、次第に収束しつつ、ドルティオークへと向かって行く。
「防げ」
 呟くような声。光は、その声を合図にしたかのように、突如進路を変えた。
 急速に加速しつつ、標的へと収束する。
 ――標的――すなわちティーン自身に。
「!!」
 間一髪、ティーンを抱え横へ跳ぶドルティオーク。すぐ側の地面が、オレンジ色に煮沸していた。
「リーゼ! お前は……」
 驚愕を隠し切れず、自分の腕の中のティーンを見るドルティオーク。だが、
「……もう……遅い」
 彼の声に応えたのは、不自然に息の荒い、ティーンの声だった。
「……一族の……無念を…………晴らせなかったのは……心……残りだ……が……」
 ドルティオークは、今更になって気づいていた。自分の腕にかかるティーンの重みが、次第に増していっている。
「私は……お前の……ものに…………なる……気は……ない…………。
 お前の……手に落ち……再び…………凌辱される……くらいなら……」
 言葉半ばに、ティーンは目を閉じた。その身体から、急速に力が抜けて行く。
「リーゼ! リーゼ!!」
 狼狽し、自分の手の中のティーンを揺さぶるドルティオークに、セイズが硝子玉を見せる。
「これは……まさか……」
 セイズの手からそれを取り、絶望的に見つめる。透明な硝子の内側に、赤い液体が微量に付着していた。
「飲んだのか……?」
 ドルティオークの呟きに、セイズは肩をすくめ、
「僕が気づいた時には飲み下してました」
「……何ということを……!」
 もう一度、空になった硝子玉を見る。このような強い赤の毒薬は、一つしかない。
「……カイアスズリア……」
 硝子玉を握り潰し、愕然とその名を口にする。
 極めて強力な毒薬で、独特の赤みと苦みがあるため、暗殺には向いていないが、自殺に用いられることは多い。解毒剤はあるにはあるが、カイアスズリア自体が希少性が高い上に、解毒剤の原料の希少性もカイアスズリア並に高いことから、まず手に入らない。解毒剤を作り出すには、ホーセルの粉末とレズラの実という二つの希少性の高い材料を捜しだし、それらを正確に調合しなければならないのだ。しかも、調合した解毒剤は一日と経たずに効果を失う。――つまり、解毒剤を予め作って保管しておくことはできないのだ。
 カイアスズリアならば、服用後五、六時間で死に至る。今から解毒剤を探したのでは到底間に合わない。
「リーゼ! リーゼ!!」
 いくら揺さぶろうが、微動だにしない。服用後に激しく動き回り、その上雨で体温を奪われているのだ。このままでは、五時間を待つまでもない。
「リーゼ……馬鹿な……」
 ドルティオークが、死体と化しつつあるその身体を抱き締めたとき、ふと、雨が止んだ。
 不審に思って見上げれば、空には星が瞬いていた。雨雲など元からなかったように。
「この解毒剤(くすり)は水に浸かると効果が薄れるのでな。雨雲には消えてもらった」
 突然の声。振り向けば、そこには、オレンジ色の牛ほどの大きさの鳥を従えた女が立っていた。
 深い赤の髪に、同色の瞳。身に纏うローブもマントも深い赤で、身につけた装身具も赤い石が使われている。
 女も、鳥も、全く雨に濡れておらず、それどころか気配もない。現に、目の前に存在しているというのに、である。
「調合済みだ」
 女は、それだけ言うと、小さなガラスの瓶をドルティオークに投げる。中に入っていたのは、微妙な赤紫の粘り気のある液体。
 迷わず口を開けさせ、その中身を、既に冷たくなった唇の間に流し込む。だが、それがそのまま、口角から流れ出る。飲み込むだけの体力も残っていないらしい。
 ドルティオークは、今度は自分がそれを口に含むと、口移しで飲ませる。完全に飲み込んだらしく、吐き出す気配はない。
「……礼を言う」
 ドルティオークが呟くと、女は、
「その者が死ぬと困るのはこちらも同じだ。人たることを捨てた者よ。
 我々は汝の味方ではない。中立、と考えて欲しい。今回はただ、利害が一致したのみ」
「……名を……聞かせてくれないか?」
 女は、ドルティオークの言葉に嘆息し、
「我々に汝らの言うような名は存在しない。
 ……だが、正式名称は伝えておこう。
 我は、セミ‐プレシャス プロトタイプ〇一三 コードネーム《ガーネット》」
「我は、セミ‐プレシャス プロトタイプ〇三八 コードネーム《スペサルタイト・ガーネット》」
 女に続き、彼女の傍らの鳥が口を開いた。
「では、我々は失礼する。もう留まる用件もなくなった。
 ただ、人たることを捨てた者よ、これだけは覚えておけ。
 我々にとって、その者の死は何をしてでも避けるべきこと。汝がその者を再び死の淵へ追いやるなら、我々は汝の存在を消す」
「言われずとも……二度とこんな目には遭わせん」
「……それでいい」
 ドルティオークの言葉に、そう呟くと、女は傍らの鳥ともども、炎となって消えた。


6 :副島王姫 :2007/10/20(土) 21:05:15 ID:oJrGY3oG

   3、

 ――身体が、熱い。
 熱にうなされることには慣れていた。幼い頃から幾度も繰り返してきたのだから。
 目を開ければ、いつでも誰かの姿があった。母であったり、父であったり、兄であったり……。何時目を覚ましても、誰かしらが側にいて、励ましてくれたのだ。生まれつき病弱な彼女に、大丈夫だ、すぐ治る、と。
 ――頬を、額を撫でる、心地よい感触。
 今も、誰かが側にいるらしい。母か、父か、兄か……。
 その誰かに会おうと、彼女はゆっくりと目を開けた。

「気がついたか、リーゼ」
 彼女が目を開けたときは、ちょうど男が、冷水に浸した布で彼女の顔を拭いているところだった。
 病院のベッドの上らしい。古ぼけた天井が見えることから、よほど古い病院か医院のようだが。とにかく、そのベッドの上に、彼女は寝かされていた。長い金髪はほどかれており、寝衣姿である。そして、すぐ横の椅子に、男が座っていた。
 男――三十代後半で、黒い髪を全て後ろに撫でつけている。身長は高く、黒いシャツに黒いズボンと、一見黒ずくめの服装だ。彼が座る椅子には、彼のものらしき黒いジャケットが掛けられている。
 ――父でもなく、母でもなく、兄でもなかった。しかし、彼女の名を知る人物。
 ――誰?
 ともすれば虚ろになりがちな青い瞳で、彼を見ながら、心の中で繰り返す。
 知っている。自分は知っている筈だ。彼のことを。
「ここは俺の知り合いの病院でな。評判は悪いが腕はいい。お前を何度か診せただろう?あいつの病院だ。
 幸い、命に別状はないそうだから、ゆっくりと休んでいろ」
 布を水に浸しながら、彼は言ってくる。
 確かに、知っている筈だ。この面影は、どこか頭の奥に焼き付いている。
「リーゼ?」
 彼女の様子を不審に思ったか、男が、彼女の頬に手を当てながら、もう一度呼びかけてくる。
 ――誰なの?
 もう一度、同じ問いを繰り返す。
 自分を見つめる目。この目は、前に――ごく最近に見た。彼女の金色の瞳を見つめ、美しいと――
 瞬間、彼女の瞳が金色に変わる。
「……ドルティオーク……」
 憎悪のこもった声で、目の前の男の名を口にする。
 思い出した。全て。
 この男は、彼女から父も母も兄も奪った殺人鬼だ。父も、母も、兄も、もういない。四年半前、この男に殺されたのだ。彼女の目の前で。それどころか、この男は彼女の故郷を滅ぼしたのだ。
 『禁忌』――それが、彼を示す言葉。
 この男は、仇だ。彼女の家族と、故郷の。
 自分の名は、ティーンだ。もう、リーゼと呼んでくれる家族も、故郷の人々もいない。
「私に……触れるな……!」
 頬に当てられたドルティオークの手を振り払おうとするが、身体が思うように動かない。「……!」
 ただ、全身に激痛が走っただけである。
「無理はするな。まだ動けん。もう二、三日辛抱するんだ」
 相変わらず彼女の頬に触れたままのドルティオークに、ティーンは敵意のこもった眼差しを向け、
「何故……私は生きている……?
 解毒剤を……準備する時間は……なかった筈だ……」
「喋るのもきついだろう。黙っていろ。
 俺も、一時は絶望したよ。どう考えても、解毒剤を入手する前にお前が逝くのが確実だったからな。
 だが、わざわざ持って来てくれた奴らがいてな。その二人……まあ、ああいうのを一人二人と数えるのも適切ではないかもしれないが……彼女らから受け取った。
 向こうも、お前に死なれては困るそうだ」
「何者だ……?」
「黙って聞いていろ。確か……セミ-プレシャス プロトタイプ〇一三と〇三八。俺達が言うような名前はないそうだ。コードネームは持っていたが。
 俺から見ても奇妙な存在だったよ。気配がまるで存在しない。姿と声がなければ、そこにいることにすら気づかなかっただろう。
 力の程は定かではないが……水が邪魔だという理由で雨雲を消し去ったのは事実だ。並大抵の力の持ち主でないことは確かだ。
 それに……俺のことを何と呼んだと思う? 『人たることを捨てた者』だ。実を言えば、俺はそう呼ばれる心当たりがある。お前が何をやっても俺に通じなかったのはそのせいだ。俺のことを予め調べておいたのか、一目で見抜いたのか、それは分からんが……俺の本質をも知っていた。どう考えても、徒者ではないな。
 とにかく、彼女らが調合済みの解毒剤を持って来た。彼女らが言うには、お前の死は何をしてでも避けるべきこと、だそうだ。
 それから、彼女らは俺から言えば中立の立場にあるそうだ。今のところ、敵でも味方でもない。但し……」
 言いながら、ドルティオークは、もう一度彼女の顔を濡れた布で拭く。
「俺がお前を危険に晒せば、即座に俺を処分すると言っていたがな。だが――」
 ドルティオークは椅子から立つと、彼女の顔を覗き込むようにして、言う。
「お前が大切なのは、俺とて同じことだ。
 リーゼ。お前は俺が死なせない」
 言葉を終えると同時に、彼は、身動きできぬ彼女の唇に、自分の唇を押し当てた。

 次に目が覚めたのは、真夜中だった。どうやら月明かりらしい光が窓から差し込んで来ている。
「貴様……まだいたのか」
 その月明かりに浮かび上がった人影に、昼間と同じく憎悪のこもった声をかけた。人影――相変わらず、ベッドの傍らの椅子に座り、こちらを見つめるドルティオークに。
「お前が回復するまでは離れないつもりだ」
 言いながら、彼は彼女の前髪をそっと撫でる。
「触るな!」
 叫び、その手を払いのける。ぎこちない動作ではあったが、今度は身体が動いたようだ。「昼間よりはいいようだな」
 彼に向けられた憎悪にも、払いのけられた手にも気分を害した様子はなく、満足そうにドルティオークは言う。
「明後日には、ここを出られるかもしれん」
「私をどうするつもりだ?」
 警戒心を露にした彼女の問いに、彼は穏やかな調子で、
「別にどうこうするつもりはない。ただ、俺が使っている拠点の一つに来てもらうだけだ。
 リーゼ、お前の部屋も用意してある」 「私はティーンだ! 私をリーゼと呼ぶ人々はもういない! お前が皆、殺したんだ!」
 激昂し、叫ぶティーン。だが、ドルティオークはそれを意に留めた様子もなく、
「俺は、お前をそう呼ぶ気にはなれないな。
 ……そういえば、そろそろ教えてくれないか? リーゼというのは、愛称なのか? それとも本名か? ファミリーネームは?」
「答える筋合いはない。
 それに、お前なら、それくらいのことは調べれば分かるだろう」
「お前の口から聞きたいんだ」
「私の家族にでも訊いて来い」
 皮肉げにそう言うと、ティーンは彼とは逆の方向に顔を向けた。ドルティオークの嘆息が聞こえ、その後は沈黙が落ちた。
 かなりの時間、その状態が続いたが――不意に、ティーンが顔をドルティオークに向けた。
「……どうした?」
 ドルティオークが、ティーンの頬を撫でながら訊くが、ティーンは今度はそれに抗う様子は見せずに、
「……カイナたちはどうなった?」
 それだけ訊く。
 ドルティオークは、その手を彼女の頬から耳、髪へと移しながら、
「どうして欲しい?」
 逆に尋ねる。
「…………?」
 意味が分からずにいるティーンの長い髪をいじりながら、ドルティオークは続ける。
「お前が眠っていたのは一週間だ。まだ、カイナ・プレテオルを抹殺する期日ではない。 俺はこれ以上お前に嫌われたくないからな。カイナ・プレテオルについては、お前の意志を尊重しよう。
 ……但し……」
 ティーンの髪をいじるのを止め、再びその頬に手を当てる。彼女の顔を覗き込みながら、穏やかながらも硬い口調で、
「もう二度と、命を捨てるような真似はしないと誓うなら、だ」
「……分かった」
 彼の手を払いのけながら、ティーンは答えた。

 問題の二人がいなくなったことで、ようやく受けた被害の修復を始めたようである。クレーターだらけになっていた地面は、取り敢えず整地され、苗木や芝生が植えられ始めていた。被害が完全に回復するのに、一体何年かかるのかは、彼女らの知ったことではないが……少々調子に乗り過ぎたと思わないでもない。やろうと思えば、周囲に損害が及ばないようにすることもできたのだが……そういう配慮を全くしなかったのは、やはり問題だろうか。
 セルドキア王国・呪法院である。
 建物の外――彼女らがよく模擬戦と称して破壊活動を行った場所だ。その修復途中の草原と森(だった場所)に、彼女らはいた。深い赤の髪に同色の瞳。同じ色のローブにマント。これもまた深い赤の石が多用された、装身具の数々。傍らには、オレンジを帯びた赤色の、牛ほどの大きさの鳥がいる。
 時刻は早朝。学生も教官もこの辺りにはいないようだ。ただ一つ、こちらに向かって来る気配を除けば。
 彼女が呼び出したのである。彼は、やや急いで来た様子で、呪法院の寮の部分の扉から出て来た。
 短く刈り込んだ黒い髪。やや痩せ気味の体 。少々ヨレたシャツに、黒いズボン。――この呪法院の学生、ウォルトである。
「久しぶりじゃねーか。ガーネット」
 彼は、こちらに歩み寄りながら、声をかけてきた。
「お前とセイズがいなくなってから、こっちは大変だぜ。教官の目が厳しくなっちまって……」
「そういう世間話をするために呼び出したんじゃないの」
 ウォルトの声を遮り、ガーネットは言った。いつになく真剣な声である。初めて聞く声だ。少なくとも、彼が聞いたことのある声は、殆どがふざけ半分にはしゃぐ彼女の声だった。
「イリアから指示が来なかった? もう『ウォルト』の人格を被る必要はないって」
「…………?」
 突然の覚えのない名と、意味の分からない言葉に、ただ呆然とするウォルト。
「指示が届かなかったの?」
 飽くまで冷静な口調で、重ねて訊いてくるガーネットに、ウォルトは、やや動揺しながら、
「ち、ちょっと待てよ。何の話だよ? イリアって誰だ? 指示って何の?」
「……分からないの? まさか」
 声を発したのは、ガーネットの傍らの鳥だった。
「し、喋った……? スペサルタイト……が?」
 顔色を変えるウォルトの目の前で、ガーネットの愛鳥・スペサルタイトが姿を変える。
 数秒の後には、そこには、一人の女が立っていた。何もかもが、ガーネットと瓜二つの姿。ただ、全体的な色がガーネットよりもオレンジに近い点のみが異なる。
「……な、……な、な……」
 半歩下がり、スペサルタイトを震えた指で指さすウォルト。
「私のことも、覚えていないの?」
 スペサルタイトが声をかけると、彼は暫く息を荒げていたが、やがて、
「な、何なんだ!? 何が一体どうなってんだ!?」
 ガーネットとスペサルタイト、そのどちらに尋ねたのかは分からないが、とにかく声を裏返しにして叫ぶ。
「…………ウォルト」
 嘆息し、ガーネットが口を開く。 「忘れたの? あなたはリーゼの監視の為に、ウォルトに成り済ましたのよ」
「リーゼ?」
 その名は、ウォルトにも聞き覚えがあった。
「それって確か……セイズが探してた……」
「セイズは『禁忌』の部下。彼――ドルティオークの命令で、彼女を追ってたのよ」
「『禁忌』!?」
 スペサルタイトの言葉に、ウォルトは大声を上げる。
「ティーンが探してた仇じゃねぇか……」
 その言葉に、ガーネットがまた嘆息する。
「あー、頭痛い。
 つまり、あなたの記憶じゃあ、リーゼとティーンは別ってことね」
「どういうことだよ!? ティーンがどうしたんだ?」
「はっきり言うしかないわよ。ガーネット」
 完全に狼狽しているウォルトを見ながら、スペサルタイトが言う。
「……そうね」
 ガーネットは、三度嘆息すると、
「よく聞きなさい!」
 混乱するウォルトを一喝するように言い放った。
「あなたは、セミ-プレシャス 二四一 コードネーム《ブラック・オニキス》。
 あたしたち同様、イリアに生み出された、セミ-プレシャスの一員よ。
 これでもまだ思い出さない?」
「セミ-プレシャス……?」
 おうむ返しに呟き、暫く考え込むウォルト。だが、次には首を大きく左右に振り、
「何なんだよ!? イリアだのセミ-プレシャスだの……何が言いたいんだよ!?
 第一何だ!? そのブラック・オニキスってのは! オレはウォルトだ! コードネームなんか持ってねぇ!」
 一気にまくし立てる。
 その様子を、ガーネットとスペサルタイトは同じ表情で、黙って見ていた。
 ウォルトが、二人の反応を待って沈黙していると――
「『ウォルト』に成り済ましているうちに、ブラック・オニキスとしての意識が埋没したのかしら」
「或いは、何らかのきっかけで、ブラック・オニキスが『ウォルト』に取って変わられた。……でも……」
「あたしたちプロトタイプならまだしも……彼は完成形のセミ−プレシャスよ。普通なら有り得ないわ。
 稼働率が低かったのを無理に動かしたせいかしら」
「それとも……作り出した時点で何らかの欠陥があったのに、イリアがそれに気が付かなかったか……」
 ガーネットとスペサルタイトは、ウォルトにとっては意味不明の会話をし始めた。
「お前ら、何を話してんだよ?」
「いずれにせよ、イリアに報告しておく必要はあるわね」
「確か、パイロープかツァボライトが稼働しかかってたわよね。同調できるかな……」
 横からかかったウォルトの声を気に留めた様子もなく、二人はそのまま会話を続ける。
「できなかったら、私がイリアの所へ戻るわ。その間、一人でも大丈夫よね。ガーネット」
「リーゼの命に危険はなさそうだし……多分大丈夫よ。
 ……で、こっちの話はこれくらいにして……」
 スペサルタイトと向かい合っていたガーネットは、不意にウォルトに視線を向けた。
「ブラック・オニキス。今はあなたは『ウォルト』でいいわ。こっちでも原因究明を行うつもりだけど……もし自然に、ブラック・オニキスの自我が戻ったら、連絡を頂戴。……方法は、分かるわね。
 今日のことは、取り敢えず忘れてていいわ。混乱するだけだから。
 あなたが正常化することを祈ってるわ」
 ガーネットの台詞が終わると同時に、二人の姿が炎と化し、消える。
 一人残されたウォルトは、暫し呆然とした後、自分の頬をつねった。
 ――どうやら、夢ではなかったらしい。

「着いたぞ。リーゼ」
「ティーンだ!」
 飛行船が着陸するなりドルティオークが言った言葉に、ティーンが鋭い声で訂正を入れる。個人用の小型飛行船で、内部は操縦システムがその面積の四分の一ほどを占め、残りの空間に座席やテーブルが備えられているといった造りになっている。魔力制御に拠るところが大きなもので、こういったものを入手するには、金だけでは足りないのだが。
 到着した場所は、岩ばかりが鋭く突き立った山脈の一部である。その一部を削り取り、飛行船を置けるスペースを作っているようだ。到着した場所には、他にも大小三つの飛行船が置かれていた。
「ここは一応屋上でな。居住空間はこの下だ」
 言いながら、ティーンの真横に座っていたドルティオークは立ち上がり、彼女を抱きかかえようと手を伸ばす。
「触るな! 一人で歩ける!」
「……無理だと思うがな」
 ドルティオークは、言い、座席から立とうとしているティーンの姿を観察する。
 淡い緑のドレス姿で、長い髪には丁寧に櫛が入れられている。ドルティオークは、髪飾りもつけたのだが……それは彼女が外してしまった。
 とにかく彼女は、座席の背もたれを支えに、どうにか立ち上がっていた。そのまま一歩前へ進もうとし――そこで態勢を崩す。
「だから無理だと言っただろう」
 倒れそうになったティーンの身体を支え、ドルティオークは言った。
「本来なら、あと三日は病院のベッドの上だ。まだ身体の自由は利かん。おとなしくしていろ」
 言いながら、彼女の身体を抱きかかえ、飛行船から降りる。彼女の敵意のこもった視線が刺さるが、そんなことは気にも留めない。屋上の隅の扉を開くと、階段を下りる。
「早速にでも中を案内してやりたいんだが……それはお前が歩けるようになってからにしよう」
 ドルティオークが言う間に、階下へと着いた。どうやら、屋上とこの階しかないらしい。
 居住区は、呪法で岩山の内部を削り出して作られたものらしい。壁、床、天井共に、滑らかに削り取られた岩肌が見える。廊下を照らす明かりは、おそらく呪法で生み出された光だろう。ふわふわと、天井近くを漂っている。廊下の両側には灰色の扉が並び、その先は行き止まりになっている。
 と、階段に割と近い扉が開き、中から一人の男が現れる。
 中肉中背、派手なローブ、左耳の大きなピアス。『禁忌』の部下の一人、セイズである。
「いらっしゃいませ。お姫様」
 ドルティオークの腕の中のティーンに向かって、話しかけてくる。彼女の服装を見て、
「ああ、そういう格好の方が似合ってるよ。厚ぼったいローブ姿よりはさ。
 可愛いよ。年頃なんだし、お洒落の一つもしておかないとね」
「……黙れ!」
 苛立ったティーンの声を物ともせず、セイズは続ける。
「早くここに慣れるといいよ。何しろ、ここが今日から君の家になるんだしね。
 ここに住むのは、君と隊長だけ。僕は時々用があってここに来るけど……他の人は一切来ないよ。ごゆっくり、ね。
 あ、隊長。本は指示通りに整理しておきました」
「ご苦労だった。用があったらまた呼ぶ」
「では、失礼します」
「……待て」
 言って、先程二人が降りてきた階段に向かうセイズに、ティーンが声をかけた。
「何か用? お姫様」
「ティーンだ。
 それより、お前は、この男にとって個人的かつ重要な任務を任されているようだが……何故だ? 力がそれほどあるわけでも、頭が異常に切れるわけでもあるまい」
「はっきり言うねぇ」
 ティーンの言葉に、セイズは肩をすくめた後、
「よく言うだろ。長い物には巻かれろって。
 僕は余計なことはしない。指示を受けたら突っ込んだことは聞かないし言わない。指示された通りの事しかしないんだ。それ以上のことも、それ以下の事もね。
 便利なんだよ。要するに」
 それだけ言うと、セイズは階段を昇って去った。

 ――情けなかった。
 一族の仇を打つべく力をつけたつもりが、その仇には全く通じず――挙げ句、自殺を図ったことが裏目に出て、憎むべき仇に世話をされる羽目になるとは。
 彼女は、ベッドの上で、横になっていた。天蓋つきのもので、四方のカーテンは閉じられている。奴が彼女をここへ寝かせ――そのままの状態なのである。
 ゆっくりと、身を起こす。
 それだけでも、全身が軋むような痛みが走った。
 ――ひどく、不甲斐ない。
 奴に挑んだものの、戦いにすらならず――気が付けば、一週間以上も奴の介護を受けていた。今も、一人では立ち上がることも難しい。
 結局、奴から言えば、彼女が奴の元に戻っただけなのだ。思い通りにさせまいと、心に誓っていたにも拘わらず。
 だが、疑問は残る。常軌を逸した、奴の強さもそうだが……それ以上に奴の行動である。最初にセイズと会話を交わした時――奴が自分を探していることを知った。まさかと思いつつも奴に会ってみれば――奴はしっかりと彼女のことを記憶しており、あまつさえ抱擁で彼女を出迎えた。
 妙だった。
 今、彼女が知っているだけの力が奴にあるのなら――いや、あるのは紛れも無い事実だ。そうでなければ、ああまで情けない惨敗にはならなかっただろう――どうして四年前、奴は彼女を見逃したのか。
 四年前は、上手く奴の隙をついたと思っていた。半年間連れ回された末に、やっと見つけた隙だと。しかし、仇を取ろうと力をつける中で、気づいた。あれは隙などではなかったと。彼女の脱走を、敢えて奴が見逃したに過ぎなかったと。生体探査の呪法を使うだけで、彼女の脱走は防げたのだ。それを、何故か奴は見逃した。疑問に気づいた時は、結局奴にとってはどうでもいいことだったのだろうと結論づけた。彼女を半年間連れ回したのも、ただの気まぐれに過ぎず、逃げるものをわざわざ追うまでもなかったのだろうと。
 奴はただ遊んでいただけで、彼女の名も顔も、いなくなれば忘れるだけなのだろうと。
 だが、セイズに出会い、その結論に矛盾が生じた。
 ――何故、覚えている。
 ――何故、探す。
 そして、四年ぶりに顔をあわせた時。
 ――何故、抱き締めた。
 覚え、探し、抱き締めるぐらいなら、四年前に彼女の逃亡を防いだ方が話は早かった筈である。にも拘らず、何故奴は敢えて彼女を逃がしたのか。  考えても、答えが出る筈はなかった。
 と、不意に、ノックの音が部屋に響く。
「リーゼ。入るぞ」
 扉が開く音。続いて足音。ベッドを囲むカーテンの前で止まった。返事を返す気にもなれず、沈黙していると、
「……眠っているのか?」
 声から二、三秒の間を開いて、カーテンが開いた。部屋の明かりが差し込んでくる。
「まだ動かない方がいい。横になっていろ」
 上半身を起こした彼女の姿を見て、穏やかな口調でそう言い、彼女をベッドの上へ押し戻す。
 ドルティオークは、そのまま近くにあった椅子に座り、ティーンの顔を見つめる。姿を見せた時点から突き刺さってきている、敵意のこもった視線にも、全く気分を害した様子は見せない。
「…………
 ……何をしに来た?」
 刺々しい口調のティーンの問いに、先程と同じく、気分を悪くした様子は見せず、
「顔が見たくなってな。ついでに話でも、と思ったんだが……」
「話か……。なら丁度いい。訊きたいことがある。
 四年前、私がお前の元から逃げ出した時、何故捕らえようとしなかった?」
「…………リーゼ……」
 ドルティオークは椅子から立つと、彼女の前髪にそっと触れる。
「触るな!」
 叫び、その手を振り払おうとするが、できない。彼女の前髪を優しく撫でているだけなのだが、その手はいくら押しても動きそうになかった。
「……分かってくれ……。これでも……愛しているつもりなんだ」
「……愛している……だと?」
 声にこもる憎悪を深くし、呟き返す。前髪から頬へ移った手を退けようとする手に精一杯の力を込めるが、それでもその手は動かない。
「ああ。……愛している」
 開いている手で、自分の手を退けようとしている彼女の手を解くと、覆いかぶさるようにして彼女の青い瞳を見つめ、言う。
「お前が欲しかった。お前の全てを手に入れたかった。
 家族も、故郷も、お前から全てを奪って……俺はお前を手に入れたつもりになっていた。
 …………しかし……お前は逃げ出した。俺の元から。
 お前が去っていくと知ったとき、勿論俺は連れ戻そうとした。……だが……できなかった。お前の泣き叫ぶ声ばかりが耳について、離れなかったんだ。
 思えば俺は、お前がいくら泣こうが喚こうが、俺の欲望のままにお前の全てを奪い続けていた。お前が逃げ出すまで、それがお前を苦しめているだけだということに気が付かなかった。
 あの時、お前を追っていたとしても……合わせる顔など俺にはなかった」
 彼女の頬に当てた手を、そっと離し、自身も彼女から二、三歩の距離まで遠ざかると、ドルティオークは言葉を切った。
「……懺悔のつもりか」
「そんなもので許されるとは思っていない」
 小さな沈黙を打ち破った、ティーンの鋭い声に、ドルティオークは首を横に振る。
「ただ、聞いて欲しかっただけだ。それに、お前の問いに答える術は、俺にはこれしかなかった。
 ……分かってくれ。リーゼ。愛しているんだ」
「お前の歪んだ愛情などいらない。
 それに、あの半年間のことを愛だなどと言うなら……私は絶対にそれを許さない」
「……許されるとは思っていない。
 ただ、今は俺の側にいてくれ。四年前のようなことは、絶対にしないと誓う」
「馬鹿を言うな。誰がお前の側になど……!
 私はここから脱出してみせる。こんな場所に骨を埋めるつもりなどない!」
 ティーンの言葉に、ドルティオークは、一呼吸の間を置いて、
「……脱出は不可能だ。俺が引き留める」
 どこか申し訳なさそうに、呟くような声で言った。

 ティーンは一人、ベッドの天蓋を見つめていた。
 申し訳なさそうな一言を最後に、ドルティオークは去って行った。奴は脱出は不可能だと言ったが、勿論彼女はそれで諦めるつもりなどなかった。
 どうすれば、奴の隙をついてここから出られるか。思考は自然とそちらに向かう。勿論、身体もろくに動かない現在では、何も出来ないと分かっていたが、回復した時にどう動くか、それを考えずにはいられない。
 まだ、この拠点の詳しい情報などは手に入っていないが、それ以前に考えておかなければならないことがある。
 ドルティオークの監視の目を、どうやり過ごすかである。脱出しようとすれば、即座に気づかれるだろう。生体探査の呪法を使うだけで可能なことだ。生体探査にかからないように、自分の気配を消すことも、可能なことは可能だが……それは自分の呪法の技量が、相手と同等かそれ以上の時にのみ言えることである。自分の技量がドルティオークより上だなどとは、どうしてもティーンには思えなかった。
 そんな考えを巡らせているうちに、まさに唐突のことだったが、
「リーゼ。俺が憎いか?」
 カーテンの向こうから、声がした。
 声と同時に、ドルティオークの気配が現れる。一瞬前まで、何の前兆も無かったというのに。
「俺が、憎いか?」
 声は、繰り返し尋ねてくる。
「……憎くないとでも思うのか」
 半身を起こし、ティーンは呟く。彼女の瞳は、既に金色に輝いていた。
「……俺がお前にしたことは、そう簡単に埋め合わせられるものではない。それは、俺も分かっているつもりだ。だから……リーゼ。
 お前に、俺の命をやろう」
「……?」
「よく見ろ」
 声と同時に、カーテンが開く。その向こうには、二振の剣を手にしたドルティオークが立っていた。
 一振は、ティーンが所有していた剣。もう一振は、刀身がブラック・オニキスでできた短剣。
 ドルティオークは、短剣を傍らのテーブルに置くと、ティーンが所持していた剣を抜く。名刀と言うほどでもないが、質の良い剣ではある。
 それを右手に持つと、自分の左腕に振り下ろした。
「……!」
 剣が、ドルティオークの左腕を切り裂くことはなかった。
 粉々になったのだ。彼に触れた部分が。
「これで分かっただろう」
 剣の破片が落ちる音の中、彼は言った。
「俺には、普通の武器は通じない。この通り、武器の方が崩壊するんだ。
 だが――」
 彼は、砕けた剣の柄をテーブルに置くと、短剣の方を手に取った。先程と同じように右手に持つと、今度は左手を、浅く切りつける。 短剣の切っ先が動いた跡には、赤い線が刻まれていた。
「このブラック・オニキスの短剣なら、俺を傷つけることができる。無論、こんな浅い傷だけでなく、致命傷も負わせられる。俺を殺すことのできる、唯一の武器だ。
 リーゼ。この短剣をお前にやろう。俺を殺したいなら、これを使え」
 言い、短剣を鞘に収めると、ベッドの隅にそれを置く。続いて、
「ついでだが、これは返しておく」
 三つの終了証を、短剣と並べて置いた。
「お前のローブから出て来たものだが……大切なものだろう。持っておけ」
 それだけ言うと、ドルティオークはカーテンを閉めた。続いて、彼の気配が消える。
 残されたティーンは、暫くしてから短剣を手に取り、ブラック・オニキスの刀身を見つめていた。


7 :副島王姫 :2007/10/20(土) 21:06:05 ID:oJrGY3oG

 着信音。彼女は、意識を繋いだ。
『ガーネットか? 俺だ』
「ブラック・オニキス……自覚が戻ったの?」
 そんなは無いことは分かっていた。それなら、こんな方法で連絡を取ろうとする筈は無い。今、彼は、彼女の自宅として登録されているところに電話をかけただけで、彼女がわざわざそちらに意識を繋いだのである。
『また訳の分からねぇことを……オレはウォルトだ。何なんだよ、ブラック・オニキスって』
「自覚が戻ってないなら何の用?」
 彼女は、憂鬱に嘆息し、尋ねた。
『ここのところ、ティーンの奴と連絡が取れねぇんだけどよ……』
「そりゃ、取れないでしょ
 『禁忌』に捕まったもん」
 事もなげに、あっさりと言い放つ。
『……なっ! ……それで、ティーンは生きてるのか!?』
「心配しなくても、丁重に扱われてるわよ。
 じゃあね」
 言い、一方的に電話を切り、意識も絶つ。
 彼女の目の前には、ドルティオークの拠点で過ごすティーンの姿が映し出されていた。
「あの剣……もしかして……」
 ティーンが手にした短剣を見つめながら、ガーネットはぽつりと呟き、かぶりを振る。
 「……まさかね。プロトタイプ(あたしたち)じゃあるまいし……」

 目を覚ますと、カーテン越しに薄い光が入ってきていた。
 ティーンは、起き上がり、カーテンを開ける。カイアスズリアの影響も、ようやく消えてきたらしい。まだ少々痛みは走るが、動くのに支障はなかった。ベッドから下りると、室内用のスリッパに足を入れ、床に敷き詰められた絨毯の上を歩き、クロゼットの前へ行く。中には、ドレスばかりが入っていた。どうやら、ドルティオークは、彼女にこれ以外のものを着せるつもりはないらしい。肩の出るものが一着もないところを見ると、あの一件については反省しているのかもしれないが。
 ドレスには、それぞれ揃いの装身具や靴も用意されていた。無論、彼女はこんなもので着飾るつもりは毛頭なかったが……まさか寝衣でうろつく訳にもいくまい。仕方なく、ドレスの中から最も地味な物を選び、ドレスと靴のみを身につける。装身具は無視である。それから、鏡台の前へ行き、髪をとく。髪飾りも用意されていたが、無論これも無視である。
 着替えを終え、一息ついて部屋を見渡す。この部屋だけは、この拠点の中で全く違う様相を呈しているようだった。どこの令嬢の部屋かと思うほどである。壁は剥き出しの岩壁ではなく、その上に壁下地が塗られ、白く塗装されていた。床には絨毯が敷き詰められ、天井のシャンデリアには幾つもの呪法の光が固定されていた。広さも尋常でない。そもそも、天蓋付きのベッドが全く違和感なく見える広さなのだから。家具は、クロゼット、箪笥、鏡台、ソファ、ベッド、テーブル、椅子、飾り棚などが一式揃っており、書棚は二つあった。一つは本がびっしりと並んでおり、もう一つは空である。書庫から好きな本を選んで持ち込めとのことだった。彼女の本好きを、しっかりと覚えていたらしい。
 部屋には、一つの壁に集中して存在する二つの扉と、一つの大きめの扉とがあった。二つの扉は、浴室と化粧室、一つの扉は、言うまでもなくこの部屋の唯一の出入り口である。
 ティーンは、椅子に座ると、テーブルの上に置いてあったブラック・オニキスの短剣を手に取った。不思議な印象を受ける剣である。前から知っているような気がしてならない。――それに。この剣は、思い起こさせるのだ。一族の村で過ごした十三年間や、仇討ちを目標に動いていた日々を。たった一人の親友のことが気にかかる。ウォルトはまだ、あの呪法院で苦労しているのだろうか。
 と、ノックの音が響く。続いて  
「リーゼ。起きたか?」
 声と共に、扉が開く。無論、ドルティオークだった。トレイを手にしている。
「朝食の時間だ」
 無視していると、ドルティオークはこちらの方へ歩み寄り、テーブルの上に朝食を置き、自分はそのままソファに腰を下ろした。
「……俺を殺すのか?」
 抜き放った短剣を見つめて動かないティーンにそう問いかけると、彼女は鋭い眼差しを彼に向け、 「この剣でお前を殺せば、お前を許したことになりかねない」
 それだけ言い、短剣を鞘に収める。
「命を差し出しても許す気はない、か……。
 ……それでもいい。とにかく俺の側にいてくれ」
「断る」
 間髪入れずにそう言うと、目の前に置かれた食事に手をつける。奴が用意した物を食べるのも癪だったが、体力をつけないことには行動出来ない。
 彼女が食事を終えると、トレイを下げるためか、ドルティオークはテーブルの側までやって来た。そこへ――
「……一つ、訊きたいことがある」
 珍しく、ティーンの方から声をかける。
「何だ? リーゼ」
 言いながら髪に触れてくるドルティオークの手を払いのけながら、彼女は言葉を続ける。「巫女頭のことだ」
「……巫女頭?」
「四年半前、お前たちが私たちの村に攻め込んだ時――どうやって巫女頭を倒した? あの方は、お前と比べても遜色ないほどの力を持たれていたと思うが……」
「心当たりがないな。村にいたのは、殆ど無力に近い村人だけだった」
「おられた筈だ。祭祀殿に、巫女たちと共に……。
 巫女一人にしても、今の私と互角以上の力があったはずだ」
 ティーンの言葉に、ドルティオークは暫し黙考し、
「……祭祀殿というのは、祭壇ばかりが並んだ建物のことか?」
「……そうだ」
「なら、なおのこと心当たりがないな。そこには誰もいなかった。逃げ込んだらしい男が一人、居ただけだ。……殺したが。
 それに、繰り返すようだが、今のお前以上の使い手など、村には一人もいなかった。いたのは、何の力も持たない村人だけだ」
「…………
 ……馬鹿な……」
 ドルティオークの答えに、ティーンは呆然と呟くしかなかった。

 ティーンは自室の扉を開き、外に出た。翌日のこと、今日は白いドレス姿である。廊下は相変わらずの岩壁だった。
 昨日の巫女頭の話のことは気にはなるが、考えてどうなるものでもない。それより今は、ここから脱出する手段を考えなくてはならない。
 まず、彼女の部屋の真向かいの部屋。これはドルティオークの部屋である。非常用の脱出ルートはあるのかもしれないが、入るのは愚の骨頂としか思えなかった。現に今も、彼の気配はそこにある。
 気配と言えば気になることが一つあるが……彼女はそれを後回しにすることにした。今気にするよりも、分かりやすい結果になると思ったからだ。
 この拠点の構造は、昨日大体把握した。五つの書庫と、一つの資料室が、彼女の部屋とドルティオークの部屋以外に存在する。昨日大雑把に見たところでは、書庫はただの書庫で、資料室にはドルティオークが裏の世界で活動した際の文書の類いが置かれていた。裏ではかなり大きな顔をしていると噂される男である。実際にそうであるか、それ以上なのだろう。
 残るは階段である。これを使えば、屋上へ行けるが――昨日の経験では、ここを昇ると、何故かドルティオークが屋上で待っていた。その直前まで、彼の気配は彼の部屋にあったというのにである。ここを通って脱出するのはまず不可能だろう。
 脱出するなら、ドルティオークの部屋と屋上以外の場所に脱出ルートがあることを祈るしかない。仮令あったとしても、発見した途端にドルティオークがあらわれるという可能性も充分に考えられるが……それを恐れていては何もできない。
 彼女はまず、廊下を調べることにした。特に、階段から降りてきて突き当たりになる壁である。ドアも何もない、ただの壁だ。あからさまに怪しいが、あまりにあからさまなので、まず何もないと思えてならない。一応、手で叩くなり、呪法で密度を調べるなりしてみたが、結局徒労に終わった。残りの廊下の壁も同様に調べたが、同じことだった。
 次に、書庫に入り、中を調べる。四つの書庫を調べ終えた時点では何も発見できず、五つ目の書庫にさしかかる。この書庫だけは他の書庫では起きないことが起こると分かっていたが、ためらわず扉を開ける。
 途端――
「ぐあぁつ!」
 苦悶の叫び声が響いた。
 ティーンが張っていた結界に、大男が正面からぶつかって来たのである。
「何の用だ? かなり長い間そこに潜んでいたようだが」
 冷静に、彼女は問う。この大男の気配は、彼がここへやって来た時から捉えていた。
「き、決まってるだろ! てめぇを殺しに来たんだよ!」
 結界から二、三歩後ずさると、息を荒げ、結界に真正面からぶつかった左の拳を押さえながら言う。
 どうやら、結界に拳をぶつけただけで、かなりのダメージになったようである。ティーンにしてみれば、大した結界でもないのだが。
「見たところ、実力は二級戦技士並だな。それでどうやって私を殺すと?
 それに、何故私を殺したがる?」
「てめぇが来てから隊長はすっかり腑抜けちまった! あの予言者は殺さねぇって言うし、当分殺しはしねぇとも言いやがった!」
 大男の言葉に、彼女は視線を冷たくし、
「……なるほど。『禁忌』のメンバーか。様子からして新参者だな。
 殺すことしか頭にないのか?」
「殺しがしたくて入ったんだ!
 てめぇさえ殺せば、隊長は元に戻るに決まってる!」
 言いながら、先程のことを忘れたのか、また左手で殴り掛かってくる。だが、ティーンの方は単調な対応はしない。結界を粘性のものに変質させ、大男の腕を取り込ませる。
「ドルティオークも分からないな。何故こんな単細胞の役立たずを部下にしたんだ?」
 言いながらティーンは、腕を結界に取り込まれてもがいている大男の真横に回り込む。
 極力冷徹な声を出し、
「さて……どうする?
 このままお前を殴り殺すことも、呪法で存在した痕跡すら消し去ることも可能だが?」
 言いながら、掌の上に放つ寸前の呪法を待機させる。男の顔に、初めて恐怖の色が浮かんだ。
 その時――
「失せろ」
 声と共に呪法が発動し、断末魔を上げる間すらなく、男の体が一瞬で灰となる。
「…………な……」
 一瞬唖然とし、視線を灰の山から声の主に移す。
 声の主――たった今、呪法で自らの部下を葬り去った、ドルティオークに。彼の顔には、何の感情も浮かんでいなかった。
「どういうことだ? お前の部下だろう!」
「ああ。部下だった」
 問いただすティーンの声にも顔色一つ変えず、ドルティオークは続ける。
「そして俺はセイズ以外の部下に、二つの命令を出した。ここへは来るなということと、リーゼ、お前に手を出すなということをな。
 そいつはその両方を無視した」
 言うと、ドルティオークは、もう一度呪法を使い、灰を消し去り、部屋に戻って行った。 ティーンが張った、粘性の結界に空いた穴だけが、男が存在した痕跡を残していた。

 また早朝に呼び出され、彼は急ぎ、外に出た。服装はいつもの通り、少々ヨレたシャツにズボンである。シャツもズボンも何枚か持っているのだが、全て似たような物のためにバリエーションに乏しくなっている。
 外に出てみると、彼を呼び出した相手は既にそこで待っていた。いや、ここに着いてから魔力で話しかけてきたという方が自然か。
「スペサルタイトに戻ってもらって調べてもらったんだけど」
 彼女――ガーネットは、挨拶もなしにそう切り出した。
「あなたからの定期報告は、きちんとイリアのところに送られてるっていうの。つまりあなたは、自覚が無いにもかかわらず、正常に稼働してるってことね」
「まぁた『ブラック・オニキス』か? だからそれは何なんだよ?
 それより、ティーンはどうなってんだ?」
 ウォルトの言葉に、ガーネットは僅かに首を傾げて見せ、
「……まぁ、ブラック・オニキスの件は置いとくとして……ティーンに会いたい?」
「会えるのか?」
「ええ。会いたいなら、スペサルタイトに乗って。あたしは自分で飛んで行くから」

 昼前になるまで飛び続けて、到着したのは切り立った岩山の上だった。岩山の一部が水平に切り取られており、飛行船が止められている。
「この下にティーンがいるのか?」
 飛行艇に驚きながらいうウォルト。
「正確に言えば……」
 ガーネットは飛行の呪法で、屋上から少し離れた岩山の上に行く。スペサルタイトも彼女に続き、岩山の上すれすれの所で止まった。
「ここの真下の部屋ね。……あ、生体探査は無駄よ。『禁忌』が、この拠点の中と外とを隔てる結界を張ってるから」
「……で、どうやって入るんだ? まさか、あの階段使う気じゃないだろうな」
 ウォルトの言葉に、ガーネットは意地の悪い笑みを浮かべ、
「そんな回りくどいことはしないわよ。
 ついでだから、見せてあげる。あなたがセミ-プレシャスだって証拠を」
 言うと、ウォルトをスペサルタイトの上から突き落とす。
「……う……」
 悲鳴を上げる暇すらなく、ウォルトは岩山に激突――せずに、岩山を素通りして落ちて行った。

「うわああぁあぁッつ!!」
「……ウォルト!?」
 突然の悲鳴に振り向けば、見知った顔が一人、天井から降って来たところだった。
「無事か!? 何があった!?」
 床に激突したウォルトを助け起こす。
「何が何だかオレにもさっぱり……」
 ティーンに起こされながら呟いていたウォルトは、彼女の姿を見て言葉を止める。
「……どうした?」
「お前……ティーンか?」
 問われて初めて、彼女は自分がドレス姿だということに気づいた。
「ああ。ティーンだ」
「女だなんて聞いてねぇぞ……」
「言わなかったからな。悪かった。
 それより、どうやってここを突き止めた?」
 問われ、ウォルトは床に激突したときに打った場所をさすりながら、
「ガーネットだよ。あいつが、お前に会いたいなら来いってんで、ついて来てみたら……」「ガーネットが……?」
「そう。あたしたちが連れて来たの」
 唐突に、声は天井からした。見上げていると、スペサルタイトに乗ったガーネットが、天井を素通りして現れた。
「ガーネット。ここは危険だ。ウォルトを連れてすぐ、出て行ってくれ」
「え〜。せっかく来たのに〜」
 ティーンの硬い声に、半分ふざけているような声で応えるガーネット。
「ティーンだって、あたしに訊きたいことがあるでしょー。ウォルトとも久しぶりだしー」「そんなことを言っている場合じゃない。殺されるぞ」
「殺されるって……この滅茶な気配の持ち主にか?」
「ああ。『禁忌』――ドルティオークだ。奴は二日前にも、命令に背いたからと言って自分の部下を殺している。奴が来る前に逃げろ」
「逃げろって……お前も一緒に逃げたらどうだ? あの天井、擦り抜けられるんだろ?」
「あ〜、それボツ」
 ウォルトの提案を、どこか面倒臭そうにガーネットが却下する。
「言ったでしょ。『セミ-プレシャスだって証拠を見せる』って。
 これは普通の……って言うか、呪法でかなり強化されてるから普通じゃないけど……とにかく普通の天井。抜け穴なんか一切なし。セミ-プレシャスに物体透過能力があるから出来たことよ。
 セミ-プレシャスでもプレシャスでもないティーンには無理なの。分かった? ブラック・オニキス」
「またブラック・オニキスか? 一体何なんだよ? それは。セミ-プレシャスだのプレシャスだの……分かりやすく説明……」
「話は後だ! 逃げろ!」
 ウォルトの言葉を遮り、ティーンが叫ぶ。向かいの部屋にいるドルティオークの気配が動き始めたのだ。
「大丈夫よ。あいつがそのつもりでも、あいつはあたしたちを殺せない。その時は返り討ちよ」
 ガーネットが自信たっぷりに言う中、ノックの音が響き、扉が開く。
「ドルティオーク!」
 瞳を金色に染めたティーンが、ブラック・オニキスの短剣を構え、ドルティオークの前に立ち塞がる。
「私の友人だ! 殺すな!」
 一方、ドルティオークは、侵入者をガーネット、スペサルタイト、ウォルトの順に見渡して、
「リーゼの友人か。なら、ゆっくりとしていくがいい。
 リーゼを連れ出すなら声をかけろ。同伴する」
 それだけ言うと、扉を閉め、去って行った。 安堵の溜め息を洩らし、ブラック・オニキスの短剣を収めるティーン。彼女が部屋の中を振り返ると、何故かガーネットが頭を抱えていた。
「……どうした? ガーネット」
「………………
 ……あーもー、頭痛い……」
 ティーンの声に、小さな呟きを返し、彼女は、
「ちょっとその剣貸して」
 ティーンからブラック・オニキスの短剣を受け取り、刀身に触れる。
「……やっぱり……」
 絶望的な声で呟くと、
「何考えてんのよ!? あんたはっ!」
 やおら、短剣の柄でウォルトに殴り掛かる。
「な、何だ!? いきなり」
 ぎりぎりのところで躱し、ウォルトが叫ぶが、ガーネットがそれに応じる気配はない。
「無駄よ。ガーネット」
 もう一度殴り掛かろうとするガーネットを止めたのは、ティーンでなく、人間の姿になったスペサルタイトだった。
「彼に言っても分からないでしょ? 抜け殻なんだから」
「それはそうだけど……」
 渋々、ウォルトへの襲撃を諦めるガーネット。
「抜け殻でも殴っとかないと気が済まないと思わない?
 あたしたちプロトタイプならまだしも……こいつは完成形の筈よ」
「……多分、イリアが欠陥に気づかなかったんじゃないかしら」
「……あー、頭痛い。
 ティーン、この剣、元の場所に戻すけど、いい?」
「あ、ああ」
 呆然と事の成り行きを眺めていたティーンの許可を取ると、
「封じよ」
 呪法でウォルトの動きを封じ、その胸に深々と短剣を突き立てる。
「……な……
 ウォルト!!」
 慌てて駆け寄ろうとしたティーンだが、すぐに異変に気づき、足を止める。
 刺されたウォルトに苦しんでいる様子はなく、刺さった短剣は、砂が崩れ落ちるようにして消滅していっている。
「……一体……?」
「まぁ、在るべき処に還るってことで」
 ティーンの隣に来たガーネットが気楽に呟く。スペサルタイトは、既に鳥の姿に戻っていた。何を考えてかは知らないが、呑気に絨毯を啄んでいたりする。
 短剣が完全消滅した後、唖然と自分の胸に突き立った剣を眺めていたウォルトは、ゆっくりと頽れていった。ティーンが安否を確かめたが、ただ眠っているだけだった。
「どういうことか説明してくれ」
「それよりも……訊きたいことが別にあるでしょ」
 ウォルトをベッドに寝かせ、ティーンが言った言葉に、ガーネットは茶目っ気のある声で応える。
「教えてあげるわ。イリアとあたしの関係。話の中でウォルトのことも出て来るし」

「まず最初に言っとくけど……イリアは生きてるわ。他の巫女たちもね」
 ティーンと向かい合ってソファに座り、口を開くガーネット。
「イリアはあたしたちの生みの親よ。正確に言えば、創造主ってとこかしら。
 イリアは、自らの手足として、あたしたちセミ-プレシャスやプレシャスを創造したの。あたしは、その中でも一番の古株。最初の成功例。それでも、プロトタイプだけどね。次の成功例が、スペサルタイト。あたしのサポートを主な目的として創造されたわ。
 あたしの正式名称は、セミ-プレシャス プロトタイプ 〇一三 コードネーム《ガーネット》。スペサルタイトは、セミ-プレシャス プロトタイプ 〇三八 コードネーム《スペサルタイト・ガーネット》」
「〇一三に〇三八……?」
 それまで黙って聞いていたティーンは、ぽつりとそう呟き、
「お前たちか? カイアスズリアの解毒剤を調達したのは」
「ま、そーゆーこと。
 カイナちゃんのところで、あなたがカイアスズリアを仕込んだ指輪つけてるのを見てね……慌てて解毒剤準備したの。
 あたしとスペサルタイトは、あなたを監視・誘導する目的で派遣されて来たわ。勝手に死なれちゃ困るのよ。
 ま、それはそれとして……ウォルトも人間じゃないわ。さっきので分かったと思うけど。正式名称セミ-プレシャス 二四一 コードネーム《ブラック・オニキス》。あたしたちと違って、完成形のセミ-プレシャス……の筈だったんだけど……ねぇ」
 ちらりと、眠っているウォルトを見やり、嘆息する。
「どこかのシステムにでも異常があったんでしょうね。独断で自分の存在の核と言える部分を抽出・具現化してたのよ。さっき戻しといたから、何十年かすれば正常に戻ると思うけど」
「あの短剣か?」
「そういうこと。
 とにかく、ブラック・オニキスは今まで……まぁ、これから暫くもだけど……中途半端な状態で稼働してたわ。友人としてあなたに接触し、行動を定期的にイリアに報告する――その目的で本物のウォルトと入れ替わって……結果から言えば、ブラック・オニキスとしての自我を失っちゃったのよ。完全に『ウォルト』になっちゃったわけ。……もっとも、あなたの行動をイリアに報告するっていう任務の方は、無意識にこなしてたみたいだけど。
 ……何か訊きたいこと、ある?」
「本物のウォルトと入れ替わったと言うが……なら、本物はどこで何をしているんだ?」
「死んだわよ。
 彼が、王立アカデミーに入る直前、重い病気で入院したのは知ってるでしょ? その時に、本物は病死したわ」
「なら、ウォルトは、私と出会った時は既にブラック・オニキスだったというわけか」
「そーゆーこと。本物はイリアが供養してるわ。ブラック・オニキスが成り済ましてるせいで、親も供養してないから。
 ……どうしたの?」
 ガーネットが、俯いたティーンの顔を覗き込む。
「……私は……いつから巫女頭の監視下にあったんだ?」
「最初っからよ」
 絞り出すようなティーンの声に、ガーネットは、事もなげに答える。
「セミ-プレシャスが派遣されたのはブラック・オニキスの時からだけど……イリアは、千里眼も持ってるから。ついでに予知能力もね。
 ……ところで……訊かないのね」
「何をだ?」
「イリアの居場所」
 一瞬、場の空気が重くなる。
「……お会いするつもりはない」
 呟くように、ティーンは答えた。
「理由は……ずっと監視していたのなら知っている筈だ」
「あたしとスペサルタイトは、あなたをイリアの所へ連れてくように言われてるんだけど」
 ガーネットが不満げに言った言葉に、ウォルトのうめき声が重なる。――どうやら、意識が戻ったらしい。
「ま、今はそれはいいわ。
 あたしたちは、ドルティオークに話があるから」
 言って、席を立つガーネット。鳥の姿をしたスペサルタイトがその側に来る。
「それから、ウォルトにはブラック・オニキスの自我は全く無いわよ。今まで通りに接してね」
 小声でそう言うと、扉を素通りして出て行った。

「つまり……セイズの言ってた『お姫様』は、お前だったのか?」
「ああ」
 意識の戻ったウォルトに、ティーンは自分の過去を説明した。こうして話すことにいちいち反応を見せるところを見ると、ガーネットの言う通り、ブラック・オニキスとしての自我はないのだろう。
「……でもなぁ……お前、十七だろ?」
 先程ガーネットに刺されたことも覚えていないらしいウォルトは、少し首を傾げながら言葉を続ける。
「あいつ一体、年いくつだ?」
「訊いていないから知らないが……三十代後半なのは間違いないだろう」
「二十も離れてるじゃねぇか……。ロリコンか? あの男」
「そんなことはどうでもいい。私にとって重要なのは、あの男が一族の仇だということ、それだけだ」
 一瞬だけ、瞳を金色に染めてティーンが言った言葉に、ウォルトは神妙な顔つきになった。
「……なぁ、ティーン。
 一緒にここから出ねぇか? ガーネットが妙な力使うみてぇだし、それを利用すれば……」
「駄目だ」
 ウォルトの言葉を遮って言い、ティーンは続ける。
「お前たちが殺される。
 奴がおとなしいのは、私がここに居るからだ。私の逃走に手を貸そうとしたと知れば、奴はためらいもなくお前を殺すだろう。
 幸い、命の危険はない。私は、自力でここから出る道を探すことにする」
「でもなぁ、命が無事だからって言って、何もされないとは限らねぇだろ」
「貞操のことか?」
 あっさりと言った言葉に、ウォルトが間を置いて頷く。
「それなら心配する必要はない。……と言うより、手遅れだ。私は、十三の頃にとっくに身体を奪われている。
 奴は、私の目の前で家族を殺し、私を連れ去り――その日の内に、私を侵した。半年ほど奴に連れ回されたが……その間に何度も身体を奪われた。
 今は手を出してくる様子はないが……今更どうということもない」
 ティーンが言い終わる頃には、ウォルトの顔は、義憤に赤く染まっていた。黙って立ち上がり、部屋の扉に向かおうとする。
「止せ!」
「黙ってろ! オレがぶっ殺してきてやる!」
「無理だ! それに……」
 声のトーンを一つ落とし、
「私のことで奴に関わるな」
「……?」
 ウォルトが足を止めた隙に、ティーンは言葉を続ける。
「奴は私に、異様なまでの執着を見せている」
 と、ティーンは後ろを向き、背中のファスナーを下ろし始める。
「お、おい、何を……」
「見ろ」
 慌てるウォルトとは対照的に、冷静にティーンは右肩を外に晒す。彼女の右の肩甲骨の辺りに、焼き印があった。
 ドルティオーク。そのスペル。
 ファスナーを閉じ、ウォルトの方を振り返る。
「これで分かっただろう。奴の執着ぶりが。
 私に構うな。これは私の問題だ」
「んなこと言われて……」
 ウォルトがなおも言おうとした時、また扉を開かずにガーネットが戻って来た。
「ウォルト。帰るわよ」
 言い、スペサルタイトに乗り、有無を言わさずウォルトの腕を掴む。
「ちょっと待て! まだ話が……」
「じゃ、元気でね。ティーン」
 必死にガーネットの手を振りほどこうとしているウォルトを下げて、ガーネットは去って行った。
 一人残ったティーンは、無言のまま、その場に頽れた。


8 :副島王姫 :2007/10/20(土) 21:07:06 ID:oJrGY3oG

 
   4、

「どうしたんだ? リーゼ」
 昼食にも夕食にも手をつけなかった彼女に、ドルティオークは慎重に尋ねてみた。が、返事はなく、沈黙が落ちただけである。
「……リーゼ?」
 もう一度声をかけるが、やはり返答はない。いつものように睨みつけてくることもなく、ただ、テーブルに肘をつき宙を眺め、ぼんやりとしている。
「…………昼間のことか?」
「お前には関係ない」
 やっと返ってきた言葉は、どことなく上の空のものだった。
「…………」
 暫し黙考した後、彼は彼女の腕を掴み、椅子から立たせる。
「出掛けるぞ。準備をしろ」
 それだけ言って、部屋から出て行った。

「どこへ向かうつもりだ?」
 飛行船の中。魔力介入による自動航行で行き先を設定してきたドルティオークに、ティーンは険しい声で問いかけた。
「着けば分かる」
 予想通り彼女は先程の服装のままで、出掛ける準備などかけらもしていなかった。装身具やハンドバッグ、カクテルバッグの類いは、充分に用意してあるのだが。
 ティーンはそれ以上の追求はせず、座席を立って窓際に行った。窓の外に呪法で明かりを生み出すが、瞬時に後方へ遠ざかり消えて行った。かなりのスピードで飛んでいるようである。
 ――沈黙が、その場に落ちる。
 元よりティーンは必要が無い限りドルティオークには話しかけないし、今日は何故かドルティオークの方も言葉を控えている。飛行船が出す音を無視すれば、その場は静かだった。
 だが――
「……どういうつもりだ?」
 二時間ほど経ってから、ティーンが沈黙を破る。
 飛行船の速度が落ち始めた頃である。つまりは、この近くに目的地があるということなのだが――ティーンの視線の先には、夜の闇に包まれた、セルドキア王国呪法院があった。彼女の予想通り、飛行船は呪法院の敷地に降りる。
「何を考えている?」
 沈黙を守るドルティオークに詰問すると、彼は呟くような声で、
「行って来い」
 それだけ答える。
「……何……?」
「後から迎えに行く」
 呆然としたティーンの声に、また呟くような声で応じると、彼は再び口を閉ざした。

 呪法院の寮は、閑散としていた。五十名ほどを収容できる規模にも拘わらず、現在は数名しか収容していないためである。元々この収容定員は、戦時に、少々質が劣っても呪法士を大量に養成するために定められたものであるから、戦争などという言葉が縁の薄いものになっている現在では、この閑散とした雰囲気が然るべき状態なのだろう。
 暗い廊下を、明かりも灯さずに歩き、やがて光が洩れている扉の前で足を止める。
 軽くノックすると、やや間を置いて、
「ティーンかっ?」
 勢いよく扉が開く。この驚き方から見て、ノックの音を聞いてから生体探査の呪法を使い、こちらの気配を感じたようだ。
「解放されたのか?」
「まさか」
 一呼吸置いて落ち着いたウォルトの問いに、ティーンは首を横に振る。
「後で迎えに来るそうだ」
「今のうちに……逃げるのは無理か」
「おそらくな」
「まぁ、とにかく入れよ。昼間の話の続きもあるしな」

「しかしお前、何だって男の振りなんかしてたんだ?」
「男装した覚えはない」
 話の途中でウォルトが切り出した問いに、ティーンは涼しい声で答える。
「男と言った覚えもないし、ただ厚手のローブとマントで体型を隠しただけだ。公式に提出した書類には、きちんと女と記入していたしな。
 もっとも、誤解を解こうともしなかったのは事実だが」
「……そーかい。
 で、何で誤解を放っておいたんだ?」
「…………
 女と思われたくなかったのかもしれない」
 呟くように答えた彼女の声は、どこか沈んだものだった。
「我々レクタ族の女は、生涯に一人の男としか交われないようになっている」
 先程の呟きからやや間を置いて、平静とあまり変わらぬ声で彼女は言った。
「掟か何かか?」
 ウォルトの言葉に、首を横に振りながら、
「確かに掟でもそう定められていたが……それは不可能だったからだ。レクタ族の女は、一人の男としか交われない。それ以上は身体が受け付けないんだ」
「受け付けない……?」
「二人目と交われば、即座にその女は死ぬ。そういう体質なんだ。
 実際に、それで死んだ女の話も聞いたことがある」
「それじゃあ……お前は……」
「ああ。
 奴に侵された以上、私の女としての身体機能は死んだも同然だ。確かにプラトニックな愛情なら育めるかもしれないが……私にとっては復讐の方が重要だ。
 つまり、私には女として生きるつもりが全くなかったということになる。男と思われても何とも思わなかったのはそのためだ」
「……復讐か……」
 ティーンの言葉が終わって数秒の間を置いて、ウォルトは呟くように言った。
「お前もあいつも復讐のためだけに生きてんだな……。
 なんか……虚しいよな」
「……あいつ?」
 おうむ返しに問われてはじめて、ウォルトの顔に戸惑いの色が広がる。
「誰だ? あいつって……
 今……オレ、何て言った……?」
 ――ブラック・オニキスの記憶か……?
 困惑するウォルトを見ながら、ティーンは胸中で呟き、声をかける。
「気にするな。今、お前が気にしても仕方がない。
 それより、私は復讐を虚しい行為だと思ったことはない。このままでは殺された者たちの魂が報われない」
「いーえ、虚しいわ」
 ティーンの言葉に反論したのは、脈絡もなく響いてきた、ガーネットの声だった。
 辺りを見渡すが、姿はおろか気配すらない。ただ、声だけがそこに在った。
「復讐して何が残るの?
 残るとすれば自己満足ぐらいなものよ。
 誰が復讐を望んでるの?
 誰も望んでなんかいない。唯一、望んでるとしたら――怒りに我を失った生き残りぐらいなものよ。
 死者が望むのは残された者の幸福。一族の仇討ちなんて重荷を負わせたりしない」
「…………
 ……前にも、お前はそう言っていたな」
 どこにいるとも知れぬガーネットに、ティーンは瞳を金色に染めて言葉を返す。
「いくら議論したところで、お前も私も意見を変えないのだろうな。この件については、平行線だな」
「まぁね」
「……で、何の用だ?」
 外にいるドルティオークの気配が動き出したのを感じつつ、尋ねる。
「別に用ってほどの事じゃないけど」
 一見呑気な口調で彼女は言う。
「レクタの地に戻るつもりも、イリアに会うつもりもないわよね?」
「知っている筈だ。私は二度と故郷の地は踏めないし、巫女頭にお会いすることもできない」
「やっぱり? まぁ、それならそれでいいわ。 後はドルティオークね……」
 ぽつりとした呟きを最後に、ガーネットの声は途絶えた。そして、それと入れ替わるように、ノックの音が部屋に響いた。

「先に戻っていろ」
 ドルティオークの言葉に、部屋を出かけていたティーンは逆に足を止めた。
「俺はこの男と話がある」
「ウォルトをどうするつもりだ?」
 険悪な声で尋ねるティーンに、ドルティオークは嘆息混じりに、
「話を聞きたいだけだ。危害は加えん」
「信用できるか」
「……分かった。なら、そこで聞いていろ」
 言うと、ウォルトの方に向き直る。 「一つ、尋ねたいことがあるが……」
 絶対に答えないという意志を顔全体で表現しているウォルトに構わず、ドルティオークは言葉を続ける。
「リーゼの瞳は何時から青い?」
「…………何……?」
 顔に出した意志を消し、思わずウォルトが呆然と聞き返す。
「リーゼの瞳は何時から青いかと訊いているんだ」
「……ん、んなもん、生まれつきだろーが!」
 ウォルトの声に、しかしドルティオークは首を横に振り、
「四年前、俺から離れて行った時は、緑色だった」
「……緑……?」
 部屋の戸口に立つティーンに視線を移し、
「……んな……目の色が変わったりするかよ。 確かに金色に変わるのは見たけどよ……」
「そうか。知らないのならいい。
 リーゼ、戻るぞ」
「ちょっと待て……!」
 ウォルトの制止は無論聞かず、ドルティオークはティーンを連れて去って行った。

「4年半前――いや、もう五年前になるか――あの日――お前は我々レクタ族の村に押し入った」
 真っ白なクロスが掛けられたテーブルを挟み、ドルティオークと向かい合いながらティーンは淡々とした口調で言葉を発した。
 静謐な怒りを宿したティーンの声に、ドルティオークは悪びれた様子も見せずに彼女の言葉を聞いていた。
「お前は、それまでに行ってきた虐殺と同様に、無力な者・無抵抗な者も老若男女も構わずに、目につく端から村人を殺していった。お前が一仕事終えた後には――村には骸ばかりが転がっていた。しかもその半数は原型を留めていなかった。よく覚えている。私はお前に抱えられてその骸の道を通ったのだからな……」
 葡萄酒を注ぐ手がそこはかとなく震えている。――まぁ、嫌でも彼女の話が最初から耳に入っているのだから無理もないことではあるが。
 ティーンは自分の目の前のグラスに葡萄酒が注がれるなり、それを無反応のドルティオークに向かってぶちまけた。
「悪戯が過ぎるぞ。リーゼ」
 瞬時に発生させた熱気で葡萄酒を蒸発させ、気楽な調子でドルティオークが言う。彼の前――白いテーブルクロスの上に、葡萄酒だった粉が舞い落ちる。
「お前と顔を突き合わせて食事などできるか」
 二人がついたテーブルに付いていたソムリエが、ついに逃げ出した。周囲の目を気にしてか、飽くまで冷静を装った去り方ではあったが。
 ――そう。ここは、いつものドルティオークの拠点ではなく、某大都市の一流レストレンだった。一月前にガーネットたちが訪れて以来、ドルティオークは彼女を二、三日に一度の割合で食事、買い物、観劇などに連れ出すようになっていた。無論、四六時中ドルティオークがつきまとっているのだから、ティーンにすれば拠点に軟禁されているのと何ら変わりはないが。
 食事と言ってもいつもこの調子で、結局拠点に戻ってから各自食事を取り直すことになる。買い物に出ても彼女が何かを欲しがる筈もないし、観劇は、最初はおとなしくしているのだが、ドルティオークが指一本でも触れようものなら即座に退出してしまう。
 はっきり言って、連れ出す意味など殆ど無かった。それはドルティオークも分かっている筈なのだが――
「一体どういうつもりだ?」
 帰りの飛行船の中で、ティーンが口を開く。ドルティオークからは離れ、窓際で腕を組んで立っていた。
「お前の訳の分からない余興には、いい加減に飽きた」
「……リーゼ。
 俺はただ、お前に喜んでもらいたいだけだ」
「嘘だな。
 最初はそうでもなかったが……この頃、お前は船の行き先を設定する時に、一瞬だが逡巡を見せる。何故、こんな余興で誤魔化す? お前の本当の目的は何だ?」
「…………」
 暫しの――いや、かなりの躊躇を見せた後、
「……分かった」
 ドルティオークは、呟くように答えた。
 ティーンに歩み寄ると、腕を掴み、その青い瞳を見据えながら、
「覚悟はいいな?」
 通告するように、言った。

「お前が拒むようなことはしたくなかったのだがな……」
 呟きつつ、ドルティオークは船の誘導システムを操作する。
 その表情には、今もなお戸惑いが残っていた。
「どこへ向かうつもりだ?」
「着けば分かる。俺の口から言うつもりはない」
 船はドルティオークの戸惑いを表すかのように、ゆっくりと進んでいた。呪法で飛んだ方が速いぐらいである。
 やがて――朝日が昇る頃。目的地が姿を見せはじめた。
「――!」
 その光景を見るなり、ティーンは瞳を金色に染め、
「引き返せ!」
 ドルティオークに向き直り、叫んだ。
 朝日を浴びているのは、木造の住宅群。そして、その周囲の農作地らしき場所。そのどちらも、何年も人の手が入っていないかのように荒れ果て、朽ちている。
「聞いているのか? 進路を変えろ!」
 だが、ドルティオークは椅子に座り、目を閉じたまま。動こうともしていない。
「……っ!」
 ティーンは、操縦システムの方へ走り、船の進路と速度を変えようとするが、魔力制御である。強制侵入を試みるが、彼女の魔力では及ばない。
 彼女が、もう十数回目になる強制侵入の試みを行っている最中に、軽い振動が船を包んだ。
 ――着陸したのである。
「リーゼ」
 振り向けば、ドルティオークが真後ろに立っていた。
「着いたぞ。船を降りろ。俺はここで待つ」
 抑揚のない声で、言う。
「――断る」
 金色の瞳のまま、呟くようにティーンは答えた。ドルティオークの顔を見上げるその目には、いつものような覇気はない。
「何を恐れることがある。五年ぶりの故郷だろう。思い残したこともある筈だ」
「私はもう二度と故郷の地を踏めない。引き返せ。拠点に戻るがいい」
「リーゼ」
 ティーンの言葉に応じる筈もなく、ドルティオークは彼女の両腕を掴む。
「降りるんだ。リーゼ」
「離せ! お前に何が分かる!」
 抗うが、ドルティオークの手は外れそうにない。仕方なく、言葉だけを続けるティーン。「一族の仇に――お前に汚されたこの身体で、故郷の地が踏めるものか!
 ここに私の居場所はない! そんなものはどこにも有りはしない!」
 不意に、ドルティオークが片手を離した。
「……?」
 沸き上がった疑問も束の間で――
 どっ!
 ドルティオークの拳を、みぞおちに受ける。
「……ぐっ……」
 動けなくなった彼女を、ドルティオークは、船の出入り口から放り出す。
「……許せ……リーゼ」
 地に這う彼女にそう呟き、ドルティオークは船を急浮上させた。
 彼女がようやく立ち上がれるようになったのは、ドルティオークの船がどこかへ去った後だった。

 ホサイド領はセルドキア王国の辺境に位置する。中でもここ、レクタの地は、辺境中の辺境、フォーセランという地域の奥地にあり、外界からは完全に隔離されていた。外から人間がやって来ることも滅多になかったし、村の者が外に出ることは全くなかった。――レクタ族は、村から出ることを固く禁じられていたのである。
 彼女が立っていたのは、村の裏門の外だった。優に十歩は距離を置き、廃村を見つめている。外れかけた裏門の小さな扉が、風に揺れる音だけが響いていた。
 彼女はそのまま、無言で飛行の呪法を発動させようとする。一瞬の間もなく、身体は浮遊感に包まれる筈だった。
 だが、彼女の足は地についたまま。呪法は発動しなかった。再度、今度は正式な詠唱を経て試みるが、結果は同じ。
 仕方なく、辺りを見回す。当時の面影を残したままの廃墟。木造の家々が並び、遠くに一つだけ、石作りの建物が見える。
 ――ふと、違和感に気づく。
 骨が無い。血の跡は残っているが、見渡す限り、人骨は一かけらも無かった。五年近く前のあの日――ここは骸の村と化したのに、である。
 改めて辺りを見渡し――気づいた。
 村の周りの農耕地の一部に、何かが集合して立っているということに。
 近づいて見ると、それは墓標だった。三百ほどはあろうか。誰かがあの惨事の後に立てたらしい。ドルティオークは、村人は殺したが巫女たちには会っていないと言った。とすれば、巫女たちが亡骸を葬ったのか――。
 墓標には、村人一人一人の名が刻まれていた。その名を一つ一つ、目でなぞっていく。
 やがて彼女は、墓標の前を歩く足を止めた。彼女の前には、同じ名が刻まれた三つの墓標があった。
 フレイマ。
 ――トニー・フレイマ。
 ――ネス・フレイマ。
 ――ツーヴァ・フレイマ。
 その三つの墓標の前に立ち尽くし、やがて頽れるように膝をつく。
 本来なら、ここには四つ目の墓標がある筈だったのだ。
 濡れた感触が頬を伝い、雫が一つ、地面に落ちる。
 愛情に溢れていた十三年間。心から笑っていられた日々。
 それを打ち砕いた、たった一日の悪夢。
 もう、二度とは戻らない。
 俯き、幾つもの雫を落とすうち、ふと、何かが彼女の耳に入った。
 ――人の――声?
 振り向くと、廃墟の筈の村の家々から、朝餉のそれのように煙が立ちのぼっていた。
 立ち上がり、村へ近づき  
「……!」
 今度こそ、彼女は愕然とした。村を歩く人の姿が見えたのだ。
 吸い寄せられるように、裏門に近づく。門は壊れてなどいなかった。見える限りの家々も、朽ち果ててなどいない。
 ――駄目だ。行ってはいけない。
 裏門を開こうと手を伸ばす中、心のどこかで声が響く。
 ――この身はもう、かつてのものではないのだから。
 ――五年前の、清らかなものではないのだから。
 ――あの殺人鬼に、汚されてしまったのだから。
 ――行ってはいけない。もう戻れないのだから。
 だが、その意志とは無関係に、彼女の手は裏門を開き、彼女の足は一歩ずつ進んでいった。
 病弱なため屋外に出ることは少なく、そのため知り合いも少なかった彼女だが、すれ違う人々の中には、確実に知った顔があった。
 引き付けられるように、のどかな村の中を歩き――一軒の家の前で足を止める。
 別に、他の家と何ら変わりない、木造の住宅だ。その家の戸口の前まで行き――立ち尽くす。
 ――どうすることもできない。
 戸口を叩くことも、ここから立ち去ることも。
 ただ、そこに佇み――時間が過ぎる。
 どれぐらい時間が経っただろうか。やがて、家の中からこちらへ足音が近付いてくる。
 彼女は小さく身を震わせたが立ち尽くしたままだった。すぐに、扉が開く。
 家から顔を出した女性は、彼女の姿を見て一瞬呆然とし、
「…………
 ……リーゼ……かい?」
 ぽつりと呟く。
 彼女は、答えなかった。代わりに、一筋の涙が頬を伝う。
「リーゼ!
 リーゼなんだね!」
 持っていた水桶を落とし、彼女を強く抱き締める。
「ああ……やっと……やっと帰って来てくれたんだね……。リーゼ……」
「……お母……さん」
 母の腕の中でそう呟き、彼女は意識を失った。

「……妙だな」
 廃村の中を歩きながら、ドルティオークは小さく呟いた。
「人間はおろか、動物や虫の反応もないとは……」
 中に入ってみれば何ということもない、ただの廃村だった。あちこちに血の跡らしき染みが残っているが、骨などは転がっていない。
 この廃村を作り上げた張本人でもある彼は、罪悪感のかけらも見せず、しげしげと辺りを観察しながら、記憶を頼りに道を歩く。
「何考えてんのよ、あんたは」
 声の主と鉢合わせしたのは、角を曲がった直後だった。
 前方には三人の女がいた。両端の二人は見知らぬ顔だが、二人共似たような服装をしている。五年前には見なかった服装だ。とすれば、これが『巫女』なのか……。
 そして中央の一人。
「……プロトタイプ〇一三……」
 何の気配も帯びずに立っている三人に驚いた風もなく、ドルティオークは、中央の女の名称の一部を口にする。
「あんたは入って来るなって言っておいた筈でしょ?」
「そのつもりだったが、こういう事態は聞いていなかったからな。
 リーゼの気配が消えた。一体どこへ行ったんだ?」
 問われたガーネットは、面倒臭そうな口調で、
「心配しなくてもこの村にいるわよ。あんたの生体探査じゃ反応を感知できないだけ」
「リーゼでは俺の生体探査にかからないほどに気配を消すことは出来ない筈だ」
「……ま、確かに、リーゼじゃ無理ね」
 思わせ振りに言うと、ガーネットは踵を返して歩き始める。それに続く巫女二人。
 背を向け、歩きながら話すガーネット。
「何があったかは後でリーゼに直接訊くのね。
 ……それから……すぐにここを出ること。
 イリアも今回は大目に見るって言ってるから、まぁいいけど……今度忠告無視したら、とんでもない目に遭うわよ。
 ――いい?」
 ガーネットは振り向き、金色に染まった瞳でドルティオークを睨みつける。
「これは警告よ」
 場の空気が一気に冷え、辺りに荒涼とした風が吹いた。

 最初に知覚したのは、手の温もり。
 彼女の手を包む、温かい手の温もり。
 ゆっくりと目を開けると、見た目三十代後半の金髪碧眼の女性が彼女の手を握っていた。その隣には、これまた見た目十五前後の、金髪に緑の瞳の少年がいる。
「リーゼ……」
 彼女が目を開けたのを見て、女性が呟き、覆いかぶさるようにして彼女を抱き締め、言ってくる。
「お帰り」
「……お母さん……」
 母の抱擁が終わってから身を起こすと、彼女を見つめていた少年と目が合う。
「お兄ちゃん……」
 その声を聞くと、兄は安心したように微笑みを返した。
 彼女は、自分の部屋のベッドの上にいた。
 自分の部屋――生まれた村の、生まれた家の、十三年間を過ごした部屋である。服装も、気を失った時のドレス姿ではなく、着慣れた肌触りの寝間着姿だ。 「本当に……お母さんとお兄ちゃんなの?
 だって……あの時……」
 不安げに呟く彼女に、母が微笑みを返し、囁いてくる。
「心配しなくていいよ。
 詳しいことはね……イリア様が教えて下さるよ。明日にでも祭祀殿に来るようにって、おっしゃってたから。
 安心して、ここで休んでていいんだよ。ここがリーゼの家なんだから」
 もう一度、彼女を抱擁すると母親は席を立ち、
「おなかすいただろ? 今、シチューを温めて来るからね」
 そう言い残して部屋を出る。
 残ったのは、母の傍らで彼女を見守っていた兄。すぐに側に寄って来ると、
「リーゼ、身体、大丈夫か?」
 慎重に尋ねて来る。
「…………うん」
 頷くが、内心、『今だけは』と告白したくてたまらない。そんな彼女の葛藤を察したか、「無理するなよ。どこが悪いんだ?」
「大丈夫。本当に、何でもないの」
 溢れそうになる涙を、必死でこらえる。こうして話していると、命を代価とした自分の行為が、ひどく虚しく馬鹿げたことに思えてくる。
 分かっている。今更手遅れなのは分かっている。
 だが、どういういきさつかは知らないが、彼女の家族はこうして生きていた。
 失うものが、あった。
「……リーゼ……」
「本当、何でもないから」
 ついに涙が流れ始めた。兄は一瞬戸惑った後、側に置いてあった布で彼女の涙を拭い、空いている手で彼女の手を握り締める。
「お兄ちゃんがついてるからな」
 それは、兄の口癖だった。昔から、看病の最中や彼女が不安になっている時に、必ずと言っていいほど口にしてきた言葉だ。
「…………うん」
 やっとそれだけ返すと、また涙を流す。暫く無言で、兄はそれを拭っていた。
 静寂を破ったのは、母だった。温めたシチューを持ってきたらしい。母は、二人の姿を見るなり、持っていた食器を傍らに置き、彼女に近付き抱き締めると、
「どうしたんだい? リーゼ。トニーが何か言ったのかい?」
「あ、母さんひでぇ! 僕は何も……」
「分かってるよ。冗談だよ」
 さらりと言うと、置いてあった食器を持って来て、
「ほら、リーゼ、食べられるかい?」
「……うん」
 言って彼女は、一口シチューを啜ると、
「……おいしい……」
 戻って来て初めて微笑みを見せ、言う。
「ああ、やっと笑ったね。身体はどうだい?きつくないかい?」
 母もまた、体調を心配してくる。以前ここにいた時は、二週間に一度の割合で高熱を出していたのだから仕方のないことではあるが。
「大丈夫。何ともないよ」
「そうかい。それじゃ……」
 母は言いながら箪笥の所へ行き、中から服を取り出す。母や兄が着ているのと同じ、レクタ族の民族衣装だ。
「それ食べ終わったら普通の服に着替えようね。お前の服、ちゃんと縫っておいたからね。……サイズ合うといいけど」
 ベッドの上に服を置くと、今度は兄に向かって、
「ほらほら、そういうことだから、男は出てな」
 言い、半ば強引に兄を部屋から追い出してしまう。不満そうな兄の声に苦笑を浮かべていると、
「ほら、冷める前に食べちゃいな」
 母に背中を叩かれる。
 苦笑を浮かべたまま、彼女はシチューにスプーンを入れた。

「良かった。サイズ合ってたね」
 彼女に服を着せてみて、開口一番、母は言った。
「似合ってるよ。リーゼ」
 約五年ぶりの民族衣装に、やや戸惑いを見せる彼女を、母は暫く眺めた後、
「胸が小さいの、あたしに似ちゃったねぇ」
 ぽつりと洩らす。
「気にしてないよ。そんなこと」
「そうかい?
 ……あ、そうだ」
 何かを思いついたらしく、母は急に、彼女の手を引いて部屋を出た。
 部屋の外も、彼女の記憶にあるまま。木の壁や床、天井。部屋を出てすぐのダイニング。他の場所と同じく木造の階段を上り、母の部屋の前で止まる。
 母の部屋も、記憶の通りだった。彼女の部屋と大差ない。木製の家具――ベッドや箪笥など――があり、窓にはカーテンがはためいている。違いと言えば、書棚が無く、普通の鏡の代わりに鏡台があるところだろうか。
 その鏡台の前に彼女を座らせ、化粧用具を取り出す。
「せっかくこんなに綺麗になって帰って来たんだからね。ちょっとお化粧してみようね」
 綺麗――そう言われ、彼女はびくりと身体を震わせる。
 違う。綺麗などではない。この身体は、もう汚されてしまったのだ。
 母や兄の愛情で忘れていた思いが、まざまざとよみがえる。
 自分にここにいる資格などない。この村に戻る資格すら無かったのだ。
 それを、戻って来てしまった。母や兄の愛情を受けてしまった。
「リーゼ……?
 どうしたんだい? リーゼ!」
 彼女のあまりの様子の変化――きつく歯を噛み締め、僅かながら涙を流している――  に、気づいた母が、慌てて声をかけてくる。
「リーゼ! しっかりおし! リーゼ!」
 ぼんやりと母を見上げる彼女を、母は揺さぶり、抱きしめる。
「…………お母さん……」
「どうしたんだい……ほら、言ってごらん!」
「……お母さん……」
 僅かな沈黙の後、彼女は、母の胸に顔を押し付け、大声で泣きじゃくった。

 ようやくすすり泣くほどにまで落ち着くと、彼女はあの半年間のことをぽつりぽつりとだが母に語った。
 全てを告げ終え、未だにすすり泣いている娘に、母――ネスは、
「……リーゼ。リーゼはその人のこと、好きかい?」
 慎重に様子を伺いながら、尋ねてみる。
 娘は首を横に振り、
「だって、あいつは一族の仇…………」
 やっとのことでそう呟く。
 そんな娘を抱き締める手を、ネスは強くし、
「誰もそんなこと思っちゃいないよ。だから、ね、リーゼがその人を好きかどうか、それだけ教えておくれ」
「……やだ……大嫌い……あんな男……」
「……そうかい。
 じゃあね、リーゼ、ずっとこの村から出なきゃいいよ」
 ネスの腕の中で、娘が顔を上げてくる。ネスは、そんな娘の頭を撫でながら、
「ここにはその人は入って来れないよ。
 だから、ね、ここでずっと一緒に暮らそ。
 もし元気になったら巫女にしてもらうといいよ。ね?」
 ネスの言葉に、娘は、再び母の胸に顔を埋め、小さくだが嗚咽しはじめた。
「よしよし。もう離さない。……離さないからね」
 ネスは、自分の腕の中の娘を、いつまでもきつく抱き締めていた。

 未だ日が昇らない明け方の頃。
 彼女は、誰かが戸を叩く音に目を覚ました。
「何? お兄ちゃん」
 生体探査の呪法で扉の外の相手が兄だと分かっていた彼女は、目をこすりつつ扉を開けた。
「しー! 大きな声出すなよ」
 囁くような声量でそう言うと、兄は、
「着替えろよ。すぐ出かけようぜ。
 母さんたちには内緒な」
 そう言って、扉を閉めた。

「どこ行くの?」
 前を小走りに行く兄に尋ねるが、
「行けば分かるって」
 そうはぐらかして答えてはくれない。仕方なく、兄の後をついて行く。
 村の裏口から農耕地へ出て、そこからさらに山奥へと向かっていく。もう、森の中を歩いていた。狩りに来る村人がいるので、どうにか道と呼べるものはあるにはあるが……獣道と言った方がふさわしいかもしれない。
「下、崖になってるから気をつけろよ」
 視界が開け、夜明け前の空が見える。たどり着いたのは、崖の上の小さなスペースだった。兄は無言で、そこに腰を下ろす。
 彼女も兄に倣い、腰を下ろした。そうして静かな時が流れるうちに――夜明けが来た。
「……きれい……」
 朝日を浴び、昇りくる太陽を見つめながら、思わず彼女は呟いていた。
「きれいだろ?」
 そんな彼女の横顔をのぞき込みながら、上気した声で兄が話しかけてくる。
「二年ぐらい前にここ見つけてさ、リーゼが帰って来たら絶対見せようと思って……」
 兄の言葉は、途中で止まった。彼女の頬を伝う涙を目にして。
「……リーゼ?」
「何でもないの。ただ……嬉しかっただけ」
 半分は事実。半分は偽り。
 彼女は、悔いていた。
 もう失うものは何もないと思い込み――取り返しのつかないことをしてしまった。
 彼女の身体は弱かった。そのままでは一族の仇は取れないと判断した彼女は――独学で得た知識を元に、ある呪法を完成させたのだ。
 ――肉体強化の呪法を。
 呪法が成功した証しに緑の双眸は青へと変わり、病弱な身体は人一倍の健康さを手にした。だが、払った代償も大きかった。
 彼女は、自分自身の命を、その代償にしたのである。正確には分からないが、彼女の寿命は、もう何年も残ってはいまい。
 ――ひどく、馬鹿なことをした。
 朝の光を浴びながら、彼女は一人、密かに悔いていた。

「よく戻りました。リーゼ・フレイマ」
 日が完全に昇りきってから、一人祭祀殿を訪れた彼女を、数人の巫女と、巫女頭が出迎えた。
 輝くような金色の髪に金色の瞳。白い法衣には、金の装飾。全身から金色の光を発しているような印象を受ける、見た目二十代半ばの女性だった。
「……お久しゅうございます。イリア様」
 祭祀殿の一番奥の祭壇に立つ巫女頭の前に膝をつき、彼女が言うと、巫女頭は立つように促しながら、
「あなたからこの五年間のことを説明する必要はありません。プロトタイプ〇一三からも聞いたでしょうが、私たちはあなたを監視していました」
 どこかおっとりとした口調――これが地なのだ――で言う。
「しかし逆に、あなたは訊きたいことがあるでしょう。例えば――何故この村が存在するか」
 イリアの言葉に、彼女は無言で頷く。
「ではまず、この村が生まれたいきさつを話しましょう。
 この村が生まれたのは、五年前――あなたたちの言う現実の世界で、あの村が滅びた時です」

「ここはいわば死者の世界。この村は、魂のみの死人の村とも言えるでしょう」
 おっとりとした口調で、イリアは言葉を続ける。
「私は、あの日、巫女たちを総動員して、あの村に結界を張りました。死者の魂が冥界ではなく、私があらかじめ準備しておいた、この村に向かうように。
 この村の中では、魂は実体となります。つまり、あなたが昨日から接してきた人々は、魂だけの存在だったのです。今、この村で肉体をもっているのは、あなたと、巫女たちだけです。
 この話は、そういうことで理解していただけましたか?」
 彼女がまた無言で頷くと、イリアも一度、頷いて、
「では、本題に入りましょう。何故私たちが五年間、あなたを監視するに留めていたかにも話はつながります。
 結論から言えば――
 リーゼ・フレイマ。あなたはドルティオークと結婚なさい」

「な…………」
 イリアの言葉の後に落ちた沈黙の中、彼女はやっとのことで声を絞り出していた。
「……何を……」
「この五年間は、あなたを彼に委ねられるか判断するための期間だったのです。
 委ねられる。それが私の結論です。
 ドルティオークと結婚なさい」
「――……い…………!」
 両手で自分自身を抱き締めるようにし、彼女は叫ぶように答えた。
「嫌です!! あんな男と……!」
「彼はあなたを愛していますよ。それを伝える術は、あまり持っていないようですが」
 相も変わらずおっとりとした口調で言うイリア。しかしその口調には微塵の迷いもない。「嫌です!」
「あなたも分かっているでしょう?
 あなたの夫となる資格を持つのは、今や彼だけ……」
「嫌です!!」
 ついに、涙がこぼれはじめた。涙が嗚咽へと変わるのに、大した時間は掛からなかった。
 彼女の嗚咽だけが、祭祀殿に響く。
 どれぐらい時間が経っただろうか。やがてもう一人、訪問者が現れた。
「イリア様、もうお話はお済みでしょう。娘を引き取って構いませんか?」
 父の姿を見るなり、彼女はすがりついて泣き始める。そんな娘を抱き締めながら、彼はもう一度呼びかける。
「イリア様。お願いします」
「いいでしょう。ツーヴァ・フレイマ。伝えることは伝えました。
 少々早いですが、五日後に成人の儀を行いましょう。それが済めば、リーゼ・フレイマには現実の世界に戻ってもらいます。
 以上です」
 巫女頭の無情な宣告を受けつつも、ツーヴァは娘を連れて去って行った。

 すすり泣く声だけが、部屋に響いていた。
 母は泣く彼女を抱き締め、兄はただ側に佇み、父は握り締めた拳を震わせている。
 誰も、逆らえないのだ。巫女頭の宣告は、絶対である。仮令それを受け入れようとする者がいなくとも。
 昨日は母と兄に微笑みを返したその部屋で、今日は彼女は泣くことを止めなかった。
 と、玄関で呼び鈴が鳴る。心配そうに振り返りながらも、兄が玄関に向かった。
 戻って来たときには、兄は、見た目はまだどうにか少女と言えるような女を連れて来ていた。
 深い赤の髪に同色の瞳。身に纏うローブもマントも、装身具に使われている石も深い赤。一見して赤づくめの女である。
「……二人だけにしてもらえる?」
 その言葉に、やや間を置いて、母と父と兄は部屋を出た。
「……リーゼ」
 ベッドに座って泣く彼女の横に座り話しかけるが、反応はない。すすり泣くのみである。それでも彼女――セミ-プレシャス プロトタイプ 〇一三 コードネーム《ガーネット》は言葉を続ける。
「分かったでしょ? 誰も村を滅ぼされたことなんて恨んでないって」
 すすり泣き。
「あたしはね、仇討ちなんかに手を貸すつもりはないけどね……」
 と、ガーネットは、彼女の手を取り、言う。
「自分の為の戦いなら、喜んで手を貸すわよ」

 儀式用の民族衣装――これも、母が彼女が帰って来ることを信じて縫っていたものだ――に身を包み、彼女は祭祀殿に向かった。
 五日後のこと。今日は家族も同伴している。
 祭祀殿では、既に成人の儀の準備がされていた。儀式が始まる前に、巫女頭が彼女に歩み寄り、自分がつけていたネックレスを外し、彼女につける。
「自分というものをしっかりと見つめなさい。答えはそこにあるのですから……」
 彼女の瞳を見据え、しかしながら相変わらずのおっとりとした口調で言うと、中央の一際大きな祭壇を目で指し、
「さぁ、そこに横になってください」
 儀式の開始を促した。

 家族が見守る中、儀式はつつがなく進行し  
「我が名、イリアの名の下に、ここに汝、リーゼ・フレイマをレクタの成人と認めます」
 イリアのその言葉を最後に、儀式は終わった。
 祭壇の上で仰向けに寝たまま――意識が遠のいていく。
「この祭祀殿を現実の世界と繋ぎます。
 皆さん、出て下さい」
「…………リーゼ」
 兄が、ぽつりと声をかけてくる。
 両親の方は、かけるべき言葉も見当たらないのか、何も告げてはこない。
 遠ざかって行く、複数の足音。
 ――お父さん、お母さん、お兄ちゃん……
 ――やだ……行かないで……
 彼女の意識は次第に薄れ――やがて白濁色の海に落ちた。

 最初に感じたのは、誰かが頬を撫でる感触だった。
 やがて――唇に生温かいものが押し付けられる。
「――……!」
 一瞬でそれが何であるか知覚し、とっさに拒絶する。
 祭壇から降り、相手と数歩の距離を取ってから、
「ドルティオーク……」
 呟くように、言う。
「リーゼ。約一週間ぶりか……。
 どうだった? 里帰りは」
 その言葉に、ティーンは何ら怯む事なく、
「家族に会えたのは良かったが……巫女頭からお前と結婚しろと言われたのが最悪だったな」
 ありのままの事実を告げる。
「結婚か……。
 ……で、お前はどうする? その言葉に従うか?」
「巫女頭の言葉は絶対だ」
 何のためらいもなく、ドルティオークの問いに答える。
「だが、私はお前と結婚するくらいなら死を選ぶ。
 しかし――」
 ティーンは、その青い双眸でドルティオークの瞳を真っ向から睨みつけ、
「私が死ねば、お前はまた無用な殺戮を繰り返すだろう」
「……そうだろうな。手初めにあの予言者を殺し――異教徒や異端者たちを狩り続けるだろう」
「お前と結婚しないという前提でそれを防ぐ手段はただ一つ」
 ティーンは、ゆっくりとした口調で、宣言した。
「今ここで――お前を殺すことだ」

「俺を殺すか……。しかしどうやって? もうブラック・オニキスの短剣も無いんだろう?」
「手段はある。
 魔眼だ」
「……魔眼? 噂は本当だったのか?
 呪殺効果があるとでも言うのか?」
「そんな効果は無い。魔眼の効果は――『契約』による力を無効化することだ」
 一瞬だが、ドルティオークの表情に驚愕が混じる。
「お前の人間離れした力が『契約』によるものだということは聞いた。
 魔眼で『契約』の力を断ってしまえば――私にすら勝てないのではないか?
 今度は、一族の仇などではない。
 他でもない、私の為に、死んでもらう」
 そしてティーンは――その双眸を金色に変えた。

 周囲の空気が一変したことは、ドルティオークにもすぐに分かった。
 次いで――
「我が敵を灰燼と化せ!」
 聞こえるティーンの短縮詠唱。
 ドルティオークは、とっさに身を躱したが避け切れす、右腕を失った。
 ジャケットの袖から、ばらばらと粉が落ちる。
 ――体術は持ち前のものか……。
 呪法を放ったティーンは、内心舌打ちしていた。
 ドルティオークが呪法を避けた動き――あれはどう見ても常人のものではない。
 となれば、接近戦は避けるべきだが――魔眼の効果範囲には限界がある。
 ティーンの半径五メートルでしか、魔眼はその効果を発揮しないのである。
 接近戦で、呪法で倒すしかない。
 殴り掛かられるリスクはあったが――それしかなかった。
「炎の飛礫よ!」
 ティーンの周囲に発生した数十の炎が、それぞれ異なった軌跡を描いてドルティオークに向かっていく。
 だが、ドルティオークはそれら全てから身を躱し――ティーンに肉薄する。
 ティーンも後ろに下がるが、ドルティオークの方が上だった。
 もう距離は一歩もない。
 ドルティオークからの攻撃を警戒したティーンだったが――一瞬の後、違和感に気づく。 抱き締められていたのだ。
 ドルティオークに。残った左手で。
「……な!
 何を考えている?」
「言った筈だ。リーゼ。
 俺の命はお前にやると」
 耳元で囁く、ドルティオークの声。
「お前の為に、お前の手で死ねるなら本望だ。
 さあ、殺すがいい」
「……………………」
 一気に士気が失せる。
 ティーンとて、無抵抗の相手を殺せるほど非情ではない。こうなれば、彼女にできることは何もなかった。
 その沈黙をどうとったか、ドルティオークは、彼女の唇に自分の唇を押し当てる。
「………………」
 ティーンは、今度は抗うことなく、その金色の双眸をゆっくりと閉じた。


9 :副島王姫 :2007/10/20(土) 21:09:17 ID:oJrGY3oG

   5、

 ドルティオークの拠点に戻ってくるなり、ティーンは、部屋に置きっ放しになっていた終了証を回収した。
「行くのか? リーゼ」
「ああ」
 部屋に一緒に入って来ていたドルティオーク――ちなみに、魔眼の効果が消えた時点で腕は再生した――の問いに、平然と答える。
「もうお前に私は止められない」
「…………少し待て」
 言って部屋を出たドルティオークは、戻って来た時には一枚の紙を持っていた。
 婚姻届、と書いてある。
「………………
 何の真似だ?」
「こういうことだ」
 言い、ドルティオークは、懐から取り出した指輪をティーンの左手の薬指に嵌める。
 間髪入れずそれを外し、放り投げるティーン。
「リーゼ」
 ドルティオークは指輪を拾い、もう一度彼女の指に嵌めながら、
「頼む。持っていてくれ」
「…………
 ……分かった」
 暫し黙考した後、ティーンは、
「ただし、一つだけ条件がある。
 私の死後も、もう殺戮は行わないと誓え」
「……分かった。誓う」
 彼女の寿命が後何年もないことを聞いたドルティオークは、沈痛な面持ちで頷いた。
「そうか。なら……」
 ティーンは、ドルティオークの手から婚姻届を取ると、サインをし、
「これでいいな」
 ドルティオークはサインを見ると、
「ティーンは偽名ではなかったのか?」
「ああ、改名した」
「リーゼに戻すつもりは……」
「ない」
 ドルティオークの言葉を遮って言うと、部屋の出口に向かって歩きだす。
「待て。リーゼ。
 お前が使った、肉体強化の呪法の詳しいデータを教えろ。解析する」
「……無駄だと思うがな……」
 言うと、ティーンはテーブルの所へ戻って来て、数十枚の紙にびっしりと文字を書く。
 そしてそのまま去って行こうとするティーンの背中に、ドルティオークは再び声をかける。
「式はお前の誕生日に行う。それまでに一度は戻って来い」
 返事は聞けぬまま、扉が開いて閉まる音だけを聞いた。

「……で、婚約してきちゃったわけ? ドルティオークと?」
「ああ」
 予言者カイナの屋敷で、カイナの部屋の前のテラスに並びながら、ティーンはガーネットと話していた。
 『禁忌』の脅威は去ったが、カイナの予知能力が日増しに増してきており、通常でも強力な護衛が欲しいというのがカイナの従兄弟・ザストゥの弁だった。そういうわけで、ここの護衛に戻ってきたのだが……カイナもザストゥも、ティーンが女であることに驚かなかった。どうやら、カイナが、ティーンが女でここに戻ってくることを予知していたらしい。
「あんなに嫌がってたのにねー」
「仕方あるまい。無抵抗の相手は流石に殺せない。
 それに、私さえいれば、奴は殺戮を行わない」
 因みに、ティーンの服装は、以前のようなローブ姿ではなく、赤いジャケットに白のパンツスタイルである。
「約束破るかもしれないわよ?」
「私の延命に必死になっている奴に、そんな暇があるとは思えない」
 と、二人の後ろの扉が開く。
 出て来たのは、カイナだった。二人ばかり侍女がついてくるが、それに構う様子はなく、「ねぇ、ティーン」
 ティーンに声をかける。
「何だ?」
「結婚おめでとう」
「…………」
 唐突なその言葉に、暫しの沈黙が落ち、
「話を聞いていたのか?」
 カイナは首を横に振る。
「なら、これのせいか?」
 左手の婚約指輪を見せるが、また首を横に振る。
「……まさか……そこまで予知能力が上がったのか? 式は二カ月以上先だぞ」
 今度は頷くカイナ。
「カイナちゃんの能力、日増しに伸びてるわねー」
 まるっきり他人事の口調で、感心したように言うガーネット。
「式の様子も、少し分かるよ」
「…………」
 カイナの言葉に、ティーンは真面目な面持ちで沈黙し、
 ――これは、今まで以上に護衛に力を入れる必要があるな……。
 カイナの顔を見ながら、胸中で呟いた。
 ――ドルティオークではないが……異端者狩りを誘発しかねない能力だ。

 トースヴァイ。セルドキア王国のリュシア教の聖地である。この国最大の聖都で、最大のリュシア教会が存在する。  その、トースヴァイのリュシア教会にて――
「リュシア最大の禁忌がリュシア最大の教会で挙式とは滑稽だな」
 式の開始時間ギリギリに、花嫁衣装ではなく儀式用の民族衣装で現れた花嫁は、花婿と顔を突き合わせるなりそう言った。
「……リーゼ。
 二カ月以上顔を合わせなかった上に、再開の台詞がそれか?
 俺も式の準備で忙しくて会いに行けなかったが……お前は場所選びにも衣装合わせにも顔を出さずに、おまけに招待状も出さない始末だ。……まぁ、式の場所は俺が決めたし、招待状は交流関係を洗って出しておいたが」
「余計なお世話だ。お前との挙式など、誰にも見られたくはなかった」
「……おいおい、随分とぎすぎすしてるな、ティーンの奴」
 ぽつりと呟いたのはウォルト。新婦側の参列席に座り、新郎新婦のやりとりを眺めている。
「仕方ないわよ。あれだけ嫌がってたんだし」
 呟き返したのはガーネット。他にも、新婦側の参列席には、カイナやザストゥ、戦技院・呪法院の関係者などがいる。
 因みに新郎側の参列席には『禁忌』のメンバーはいない。もともとドルティオーク一人の力で存続してきたような団体であるし、新婦の招待客に戦技士や呪法士などが多数おり、来れば逮捕されるか最悪殺されるかするのが分かっているからである。
 その代わりにと言ってはなんだが、新郎側の参列席には証拠不十分で逮捕できない大物マフィアが何人かいた。
「お、お二人とも……そろそろ式を……」
 司祭が、目の前で言い合っていた(と言っても、新婦が一方的に新郎を突き放した態度を取っていただけなのだが)二人に恐る恐る言うと、意外におとなしく、二人は司祭の方へ向き直った。
 それから式はつつがなく進行し――
「ティーン・フレイマ。汝はこの男を夫とし、生涯苦楽を共にし、支え合うことを誓いますか?」
「………………」
 ――沈黙。
「誓いますか?」
 ――沈黙。
「嫌だ、とか言い出しそうだな……」
 ぼそっと、隣にいるガーネットにだけ聞こえるようにウォルトが呟く。
「大丈夫よ。ね、カイナちゃん」
 ガーネットの囁きに、カイナが無言で頷く。
 やがて、カイナの予告通り、
「不本意だが誓う」
 ティーンがぽつりと宣言する。
 司祭は内心胸を撫で下ろし、式を進行していった。

「……行ったか……」
 ティーンとドルティオークの乗った飛行船が飛んで行くのを眺めながら、ウォルトはぽつりと呟き――
「ああ、行ったな」
 隣に立ち、呟き返したティーンの姿に驚愕する。
「な、ななな、テ、ティーン!」
 ティーンと飛行船を何度か忙しく交互に見て、飛行船を指さすと、
「乗っただろーが! ついさっき!」
「今降りた」
 首から下げたネックレスをいじりながら平然と答える。
「どーすんだ? 新婚旅行は?」
「一人で行かせておけばいい。あんな奴と旅行なんかごめんだ
 ……さて……」
 ティーンは、カイナの手の中に持っていたブーケを落とすと、
「カイナの屋敷に戻るか……。護衛の仕事がある」

 夜中にティーンが目を覚ますと、隣にいる筈のリサも、ドルティオークもいなかった。
 起き上がると、隣の部屋から明かりが洩れていることに気づく。
 そちらの部屋に向かうと、ドルティオークがリサを抱いてソファに座り、夜景を眺めていた。
 一年三カ月程前に、ドルティオークが建てた屋敷の中である。もともとこの屋敷は、妻が一向に拠点に戻らないことへの対策として、妻の勤務先の隣に建てたものだが……今となっては、ここが彼ら夫婦の住処となっていた。
「どうした? 疲れているだろう? 寝ていろ」
「そうもいかない。ミルクの時間だ」
 ドルティオークの隣に座ると、彼の手からリサを受け取る。
「それくらい、俺がやっておく」
「母乳の方がいい」
 言いながら、娘に母乳を与えはじめるティーン。
 金色の双眸に黒の髪。まだ生まれて間もないその生命は、必死に糧を飲み込んでいた。
 と、ドルティオークが立ち上がり、ティーンの後ろに立つ。
 ソファごしに、妻と娘を抱き締めると、
「護ってやりたい。お前たちを…………」
 痛恨の響きを込めて、呟く。
 妻の延命法を探ったはいいが、まったく手掛かりすら掴めず――業を煮やした彼は、妻の故郷へと向かった。
 巫女頭イリア――彼女の知識に賭けたのだ。
 しかし、イリアには会えたものの、返ってきた言葉は、死は避けられないというもの。
 もはや彼には成す術がなかった。
「……私の過ちだ。お前はもう過ちを繰り返さなければそれでいい」
 ティーンが呟いた言葉の後には、沈黙が落ちた。

 病室のベッドの上。様々な計器をつなげられ、彼女は横たわっていた。
 側で彼女を見守っているのは、彼女の夫に、ガーネット、ウォルト、カイナ、ザストゥ、そして、彼女の腕の中の娘。
 今はまだ、計器類は何の異常も示していない。
 が、――
 ――分かる…………。
 ――もう……時間がない……。
「……ドルティオーク……」
 傍らに座り込み、彼女の髪に触れていた夫に、彼女は声をかける。
「リサを……頼む……」
 その呟きの直後。
 彼女の身体が大きく震え、瞳が緑と金色の間を行き来する。
 それが終わった頃には――計器類は、揃って平坦な反応を見せていた。
 計器類の、臨終を示す音が気に障ったのか、もはや力を失った彼女の腕のなかで、リサが大声で泣き始めた。
 享年十九歳。僅かな知り合いに見取られ、彼女はこの世界を去った。

 亡骸は故郷に――それが、故人の遺志だった。
「リーゼ……」
 墓標の並ぶその隅に、彼が呪法で生み出した氷に亡骸を包み――彼はその場に立ち尽くしていた。
「安らかに……眠ってくれ……」
 溢れそうになる涙を必死にこらえ、呟く。
「また、会いに来る」
 この氷は、溶けることはない。彼の命が続く限りは。
「リサ、母さんとお別れだ」
 腕の中の娘に言うが、当然ながら、彼女にその意味は伝わらなかった。何年か後に、これが母親だと言い聞かせることになるのだろう。
 全ては終わった。だが、立ち去ることもできない。
 そんな彼の耳に――村の喧噪が入って来た。

 ――以後、ドルティオークは、公の場から忽然と姿を消した。
 そのまま王国暦九五八年に彼が犯した全ての犯罪の時効が成立し、それ以後のドルティオークに関する記録は公式・非公式を問わず存在しない。
 ティーン・フレイマの娘、リサ・フレイマに関しても、唯一、セルドキア王国戦技院・呪法院で、母を超える短期間で特級の資格を取ったことが記録に残っているのみである。
 


   エピローグ

「これで……良かったんでしょうか?」
 ぽつりと呟いたのは、眩い金色の髪に金色の双眸の女。石造りの建物の裏の空間。大きな木に身を預けている。
「良かったんじゃない?」
 そんな声が、返ってくる。木の上から。
「魔眼を受け継いだレクタ族は、二週間に一度は寝込むような病弱な身体しか持てない。それが分かった時点で、レクタ族を存続させる必要はなくなったんだから」
 あっさりとした、声だった。まだ若い、少女と言ってもいいだろう。
「……でも……」
「グダグダ言わない!」
 と、木の上から降りてきた。赤づくめの、少女。
「そもそも、もっと力を入れないと。魔眼を扱えるのが、イリア以外じゃ、あたしとリーゼだけなんて、考えものよ?」
「……不思議ですね」
 ややあって、女がぽつりと洩らす。
「こんなことの為にあなたたちを生み出したんじゃないのに……相談に乗ってもらうなんて」
「ま。予期した通りって訳にはね」
 言って、肩をすくめる少女。
 と、足音が聞こえた。こちらに近寄ってくる。
「ブラック・オニキス。再調整はどう?」
「ええ。今のところ順調です。
 ご迷惑おかけしました。姉様。イリア様」
 言って、一番の古株の姉と、創造主に微笑んだ。その姿は――
 黒尽くめの、身体のラインに沿った衣服がよく似合う、長いストレートな黒髪と黒い双眸の――若い女だった。
 ただ、晴れ渡った空の下、大地は広がる。遥か上位にある神――慈主神スクーバルの名の下、この地の守護を任された、大地母神イリアの下に。


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.