TADAAKI


1 :みーな :2007/02/05(月) 23:29:51 ID:ncPiW7P3

実体験に基づいた、謎のおはなし。
温かい目で見守ってやって下さいな。


2 :みーな :2007/02/05(月) 23:31:00 ID:ncPiW7P3

その男、ジュリーにつき

 その飄々として掴みどころのない男が初めて目の前に現れたのは、日もぽかぽかと暖かいうららかな春の朝、陽だまりの粒に彩られた大学の中庭ベンチでのことだった。まるで魚の白点病にかかったかのように、木漏れ日が点々と猫背の彼の背中に降りている。猫背。そう、彼はとんでもなく猫背で、それが第一印象だった。逆イナバウアーとでも言うべきか、くるりんと曲がった胴体を支えるように両肘を組んだ足につき、片手に本、もう片手の指の間に煙草を挟んでいた。時折その煙草の煙を吸い込みながら、猫背は黙々と木漏れ日の下で読書にいそしんでいた。何だこいつ、と私が思ったのは言うまでもない。
 というか、読書をするようなタイプに見えない。髭はきちんと剃っているけれど、髪が肩を越えるほど長くまるでヒッピーかパンクのギタリストに見える。誰かに例えるなら、沢田研二。ジュリーがいる、というのが第二印象だった。顔立ちが彼にそっくりである。着ている服も流行をとらえたカジュアルなものだし、モテるかと聞かれればモテそうだ。
 そんなやつが、木漏れ日読書。
 私は首をかしげた。こいつは誰だろう。新入生の中で、こんなに超然としてふわふわ浮いたような猫背男はいなかった。まるで今さっき別世界のトイレからひょいと出てきたばかりのような雰囲気で、近寄るとなんか変な匂いがしそうで、正直、気持ち悪い。正体不明なだけに、彼の輪郭はなお虚ろになり、手を差し出すとその猫背をすり抜けてしまいそうで。
 が、手を差し出すより、近寄るより前に、気がついたら彼は私のほうを見ていた。本ではなく、私をまっすぐに。猫背のまま、顔だけをこちらにむけて、ジュリーさながらの瞳で見ている。私は強張った。羊の顔をしていても、少し逃げようと足を引いた瞬間、狼のように噛み付いてきそうだったからだ。そんな私の不安とは相反し、羊の顔をした彼は心も羊だった。
「俺の顔に何かついてる?」
 めぇ、と鳴いている羊を思い起こさせる、少ししゃがれた声だった。歌ったら沢田研二になるかもしれない。顔のクールさとは違い、なんだか中身はおやじくさい。
 しかして羊は立ち上がった。直立すると猫背などどこへやら。大学教授のようにビシッとかまぼこ板立ちをしている。
 私は言葉を発するのもやっとだった。
「いえ、私、ぼんやりしてただけなので。そしたら、人がいるなーって」
「人がいるなー、か。いちいち存在認識しなくても、それに人じゃなかったらどうするつもりだったの、お姉さん」
 物凄い呼び名だ。
 新入生? と聞くと、彼は胸を張っておう、と答えた。声の渋さと外観の軽々しさに合わず、なんだか小さい男の子みたいだった。何故私はあの時、彼に惹かれてしまったのだろうか。理由を求められると、厳しい。猫背で、煙草を吸っていて、沢田研二に似ていて、飄々としている、少年のような人。
 よく分からないけど、それがTADAAKIとの最初の出会いの瞬間だったことは、はっきりと私自身が覚えている。


3 :みーな :2007/02/05(月) 23:59:05 ID:ncPiW7P3

その男、油につき

 その掴みどころのないTADAAKIという男は、出来れば二度と会いたくないというほど途轍もなく油っこくて水の上で浮いていた雰囲気があったのだが、神様はどんな試練を私に課したのか、同じクラスが何度も重なる重なる、見渡せばあっちにもこっちにもいる。何て奴だ。影分身でもしてるんじゃないだろうか。いつも声を張り上げて笑うし、周囲を取り巻く友達も多い。まるでクラスの班行動。新大学生というものは少なからず高校生っぽさをまだまだ残しているものだが、TADAAKIはそれもさらにタイムスリップして中学生のようだった。子供っぽい、もしくははしゃぎ魔。見ただけでは、成績優秀なのか不良なのか分からない。
 友人を多く持っていると分かるかたわら、TADAAKIの存在は油のようだった。本人が途轍もない油っこさを持っていることもあるが、彼は水の集団の中で一人だけてっぺんでくるくると回りながら浮いている、そんな雰囲気をかもし出していた。沢田研二そっくりのその笑顔は周囲になじんでいるのに、何故か、その存在が。
 入学式から随分たってもTADAAKIは随所随所に現れる。同じキャンパスなんだから仕方ないと言えばそれまでだが、しかしこのどでかい敷地内で、メガトン級の学生数の中、どう細工したらこんなにはち会えるようになるのか、裏で操作している人間がいたらつっかかりたい。
 その一例として、TADAAKIは私が学食で昼食をとっているところを必ず真正面の席に座る。「隣あいてる?」ならまだしも「よう、久しぶり」の言葉とともに。彼のプレートの上には、いつもてんこ盛り食事が乗っている。
「お姉さん、いつも同じ講義受けてるよね。意図的に?」
 そりゃこっちのセリフです。肩を落とす私などお構いなしに彼はどんどん定食を食べる。おい、TADAAKI、と遠くから友達に名前を呼ばれると、うどんを数本口の端から垂らしながら、うめくように返事をして片手を挙げた。変な奴だ。
 しかし、入学して数日であれだけ大勢の友達を作るのだから、カリスマ性はあるのだろう。人を惹きつける何か。すれ違う以外に接点の少ない私には到底理解できなかったが。
「あんた、本当に新入生なの?」
 首をかしげて、いかにも疑わしいといった表情で聞いてみた。が、彼はせっせとうどんを啜る口も手も止めず、やっと顔を上げたかと思ったら視線はあさってを向いていた。
「一浪してるよ。今年で二十歳。新入生だけど現役じゃないな」
「じゃあ、私よりおじさんね」
「随分極端だなあ」TADAAKIはあの少年っぽい笑顔を見せた。
「とんでもない怠け者のおじさんだぜ」
「不精って感じはしないけどね」
「ジュリーと黒澤明を永遠にリスペクトし続ける孤高のおじさん」
「うん、見たら何となく分かる」
 やっぱり沢田研二か。彼は私の反応を面白がっているらしく、食べながらやたらとつっかかる。お願いだからうどんを口の中で噛みながら喋らないで下さい。しかし正直なところ、TADAAKIの話は面白かった。口八丁の手八丁か。守備範囲は広く浅くといった感じで、いつも私の向かいに座っては何かと話題をふっかける。「昨日テレビでやってた映画、見た?」だの「今日は無駄に暑いな」だの「次の講義、何だっけ」だの。かくして孤高のおじさんとの接触は食堂がメインになってしまった。面倒くさがりなので私は彼を避けようとも思わない。少し食事のタイミングをはずして、彼が来たあとに離れた席に座ると言う手もあったが、これも仕組んだのか偶然なのか、必ずTADAAKIは私のあとに食堂に入る。厄介なことだ。
 別に私の邪魔をするわけじゃないから構わないのだが。


4 :みーな :2007/02/06(火) 01:48:17 ID:ncPiW7P3

その男、木星人につき

 TADAAKIという名らしいその男は沢田研二に似ていて中身は男子中学生、しかし正直なところ年齢が彼の言葉どおりなのか疑わしいほど輪郭のはっきりしないやつだった。おまけに苗字を誰も知らない。TADAAKIという名前が本名なのか、そもそもひらがななのかカタカナなのか漢字なのか、漢字だとしたらそれはどれにあてられるのか、さっぱり分からない。一応パソコンで「タダアキ」を変換できる漢字は「忠明」と「忠昭」だが。私を含め、TADAAKIを取り巻く人間たちはみんな、アルファベット七文字のTADAAKIとして接している。苗字は何か、TADAAKIの名前は漢字で何か、年はいくつか、どこに住んでいるのか、誕生日はいつか、趣味や特技は何か、彼女はいるのか(いや、確実にいないだろう)、まったく教えようとしない。不思議な存在だった。私が一度メールアドレスを聞こうとしたら、
「携帯持ってないぜ。一人暮らしだけど、電話線ひいてるし」
 と、メルアドどころか電話番号すら暴こうとしない。ただ周囲の人間が知っているのは、彼の容姿と、TADAAKIというアルファベットのふざけた名前だけ。一体こいつは何者なのか。詮索するのも面倒くさいが、得体の知れない人間と毎日食事をするのも困りものかと思う。
 本当に、別世界の人間じゃなかろうか。
 ついこないだ宇宙からやってきました、なんて言われても疑わないかも知れないな。それならMIBの餌食になりなさい。突然腹から大口を開いて周りの人間を片っ端から飲み込む木星人、という肩書きは面白いほど合う。
 が、まさかそんなはずがなかろう。一応地球外生命体の存在は確認されているとはいえ、本当にMIBの如く地球で人間の姿をして普通に暮らしているなんて前例は聞いたことがない。そんなに極端にファンタジーな星じゃないはずだ、ここは。とにかくTADAAKIは雰囲気が宇宙人で、輪郭不明なところが単細胞で構成される微生物のようだった。いくら疑わしくても、
「この星は危険よ、木星に帰りなさい」
 とは、言うまい。
 講義の時間、前の席から回ってくるバーコードリーダーに、学生証をスキャンさせた。この大学の管理能力は一体どうなっているのか、こうやって出欠をとると後方の席に座っていた何人かが教室を抜け出す。さすが、「とりあえず出席はしていますよ欠席」の模範。今日も今日とてわらわらと脱走を試みるスティーヴ・マックィーンたちを、単位重視の思考回路じゃないのね、と思いながら横目で見ていた。
 が、急に視線が固まる。茶色い鞄を背負ったTADAAKIがどっこいしょと腰を上げ、そそくさと教室を退場なすっていた。おいおい、孤高のおっさん。脱走まで孤高ですか。TADAAKIの後姿を見ながら、この学校は、とつぶやいてため息をついた。
 そしてふと思い当たる。学生証には各学生の本名や現住所などの個人情報が登録されている。その際に必ず本人の自筆で学生証裏に氏名が書かれているはずだ。この輪郭不明のあやふやなアメーバ男。まさか現住所木星だの火星だのはないだろうが、学生証を確認の上の正体暴露作戦、その計画は一瞬にして私の脳内で組み立てられたのだった。
 私は教授がホワイトボードの方をむいた瞬間を狙い、TADAAKIの後を追って教室を早足に抜け出した。


5 :みーな :2007/02/07(水) 02:18:52 ID:ncPiW7P3

その男、ギタリストにつき

 そのTADAAKIという名らしい謎の宇宙人まがいの男はどこかふわふわ浮いていて、見ためはジュリー、頭脳は不明、存在感は木星人という、どこぞの少年探偵よりもずっと、はるかにずっと怪しかった。なぜか私の昼食時に必ず居合わせ、博識なのか守備範囲の広い情報網を持っているだけなのかよく分からない話題をただ交わす。いやしかし、博識というのは少し褒めすぎたか。何しろTADAAKIは百人以上は参加しているであろう大事な講義に、出欠確認だけとるとスティーヴ・マックィーンさながら中腰で脱走をしてのけたのだ。本名も年齢も住所も、何もかも一切明かそうとしない謎の青年。
 私は彼の正体を暴くことだけに興味を注がれ、刑事ドラマ気分でTADAAKIのあとを追いかけた。講義が入っていない他の生徒に混じって、何食わぬ顔で廊下をほいほいと歩いてゆくその猫背。余裕かましやがって、ホントに。私は呆れに肩をすくめ、それでも彼の追尾に余念を許さないまま隠れ隠れに後を追った。
 どうせまた中庭で煙草でも吸うのだろう、と思っていた当初の私の予想は実に見事に打ち砕かれ、彼が向かったのは講堂の裏側、テニスコートに隣接した裏口の階段だった。そこで彼は背負っていたギターケースを下ろし、中からオーソドックスな型のアコースティック・ギターを取り出したのだった。あのケースがギターだということを私は初めて知った。彼はその大きなギターを抱え、調律を始めた。開放弦を鳴らしながら音を合わせていく。決して稚拙なものではなく、十分に馴れたギタリストの手つきだった。一体いつからギターをやっているのだろう。私は素直に疑問に思った。
 彼が音楽をやる男だということは、最初からなんとなく感づいてはいたが。
 そうか、木星では誰もがみんな、子供の頃からギターを教え込まされるのね、と私が勝手に思い込み、愕然としてため息をついた直後。
「お姉さん、隠れていないで、こっちに出ておいでよ」
 気色悪く空気を震わすTADAAKIのしゃがれヴォイス。私はびくりと肩を震わせ、強張ってしまった。ああ、そうか、尾行がばれてたんだ。後をつけることに十分注意を払ってきたつもりだが、どうやら宇宙人の前では無意味だったらしい。スキャン能力でもあるのか、あのジュリールックスに。
 このままばれていない振りをして講義に戻るという手もあるが、それは頂けない。これまでのTADAAKIの行動パターンからして、「適当に言ったらホントにそこにいた」なんていうあてずっぽうなやり方はしない、と大体見当がつく。観念して私は講堂の影から身を出した。ギターを抱えたTADAAKIが私に向かって、来い来いと笑顔で手招きをする。あの、子供の頃、初めて包丁を持つ時に教えられた左手の「猫の手」で。ああ招き猫がいる。私はその迷信にばっちりはまった客か。
「尾行してたの、分かってたのね」
 肩を落としながらTADAAKIの隣に座る。私は階段に座り込んだことがなかったので、ちょっと不良気分だった。
 TADAAKIは少し首をかしげた。
「分かってたって言えば分かってたけど、誰かまで判断できなかったよ。そこまで俺は超人じゃないしね。マトリックスかターミネーターでもない限り」
 なんとなく近い気がするのは大いに錯覚だと願いたい。いや、TADAAKIがもし未来のサイボーグか何かだとしたら納得するかも知れない。彼は本当にそういう人物だった。やけに人間臭いサイボーグ。
 これまで最も近くに接近したのなんて、毎日の食事の時の向かい合わせ状態が最短だったけど、いざ隣に座ってみればTADAAKIは私より背が高くて随分がっしりした体つきをしている。運動は、してなさそうだけど。私がこれまで見てきた姿よりずっと、どこか人間臭くて、まともに見えた。
 彼はおもむろに解放弦を弾き、何か聞く? とリクエストを求めた。
「どうせ、講義に戻る気なんてないでしょ」
 TADAAKIの笑顔は、いつだって中学生のようだ。


6 :みーな :2007/02/11(日) 14:18:53 ID:ncPiW7P3

その男、人間につき

 誰もその正体を知らないTADAAKIという男は、大学のあちらこちらに現れては私の視界に容赦なく入る、掴みどころがなく世俗から果てしなく外れた奴だった。一体どこの星から来たのか。地球なんて見かけは綺麗だけどそこに住んでる人間という生き物は愚かでくだらないから侵略なんてやめなさい、と何度言おうと思ったことか。昼食の時間に必ず私と相席するTADAAKIは何故か今日に限って、食堂以外の場所で私と肩を並べることになった。
 いや、この場合受け身か。私が受けるほうで。
 決してアマチュアとは罵れない手つきでギターを操るその男。ギブソンのアコースティック・ギターがTADAAKIの手によって乾いた音楽を奏でる。彼の「リクエストは?」という質問に、私は絶対無理だろうと思って坂本龍一の「エナジー・フロウ」を告げたところ、彼はその場で音を拾い即興で演奏し始めたのだ。ギター一本で。とんでもなく、たまげた。
 私はギターなんて弾けないし、音が鳴る仕組みもさっぱり分からないが、しかしピアノで奏でられるあの美しい音楽がギターで生まれ変わろうとは予想だにしなかった。それなら最初から連弾の「東風」をリクエストしていただろうに。こいつは本当に、何者だろう。
「これぐらい楽勝だよ」
 私の思考を読んだかのように、弾き終えたTADAAKIがこちらを向いて言う。そもそも何で宇宙人が坂本龍一を知ってるんだ。そう訊きたい欲求を必死に抑えた。私の考えなど構わず、TADAAKIは一人喋り続ける。
「音楽だったら広く何でも聴いてるから、お姉さんの好きな曲、教えてよ。弾いてあげる」
「それは嬉しいけど、お姉さんっていう呼び名はやめてもらえないかしら」
 初めて示す拒否反応。TADAAKIはまさに「鳩が豆鉄砲を食らった」呆然とした表情でいたが、すぐに声を上げて笑い出した。それもそうだ、と暴れる腹から声が漏れる。
「じゃあ、何て言う名前なの」
「私は高橋よ。高橋菜穂。忘れたら百叩き」
「菜穂さんか。今度からそう呼ぼう」
「苗字も連絡先も教えないような宇宙人に、いきなり下の名前で呼ばれる義理はないけどね」
 言葉が途切れる。思わず口を塞いだ。彼の前で宇宙人発言をしたことはなかったからだ。ああ、馬鹿だ、私。TADAAKIがぽかんとしてこちらを見ている。恥ずかしさと自分の愚かしさに目を伏せ、階段に立てた両膝に顔を埋めた。まさか本当に宇宙人だったら、とは思わないが、しかし途轍もなく後悔した。
 頭上からTADAAKIの笑い声が降ってくる。
「そうか、俺は宇宙人に見えてたのか。手足が八本あるわけでも、UFOに乗ってきたわけでも、額の間から光線が出るわけでもないのに? それだったらピンクレディーの世紀の名曲“UFO”は俺にとっては屈辱的な曲になるんだろうな。残念だけど俺は人間だよ。ちゃんと地球で生まれ地球の恩恵を受けて育った、生粋で純血のホモサピエンス」
 色々と長い言い訳を並べて存在を主張するTADAAKI。恐る恐る顔を上げると、彼は優しい表情でギターを抱えたままだった。別に手足が八本の宇宙人に変化しているわけではなかった。目を細めて、嘘つけ、と一言吐き捨てると彼は吹き出した。
「そう思うんだったら俺のどこかを殴ってみたら? 人間に変身してるんだったら、それで元の姿に戻ると思うけど」
「人情溢れる菜穂サンがそんな暴力行為をしてのけるはずがなかろう。私はね、別にあなたの正体を暴いてMIBに連行しようっていうつもりであんなことを言ったわけじゃないのよ」
「そうだね。菜穂は真面目って感じがするもんね。こんなふうに人を疑ったのも、初めてじゃないの? 友達多そうだし、可愛いし。話してる限り、知識も広いしね」
 何言ってるんだか、褒めたって何も出ないわよ。多少照れて、多少呆れて、私は階段の上で背伸びをしながら、もう一曲聴かせてよ、とギターソロを求めた。TADAAKIは一瞬珍しい生き物を見るような目をしたが、すぐに笑顔に変わり、もちろん、と明るく返事をした。
 中学生のようで、宇宙人みたいに正体不明で、けれど間違いなくこの人は、他人に好かれる素質がある。
 それに引っかかりかける私も私だけど。
「エリック・クラプトンの“ティアーズ・イン・ヘヴン”をお願い」
 これならまだ簡単か。オッケー、と言いながらTADAAKIはギターで音を真剣な目つきで拾っている。ギタリストっていうのは、こんなにかっこよく見えるものなのかと、私はその時初めて知った。本物のギターを見るのも初めてだったし、TADAAKIとこんなに長い間話したのも、多分初めて。今日は講義の代わりに色んな事を知った。どうでもいいかも知れない情報が多すぎる気もするけど。
 ギターを弾く彼の横顔が、ひどく美しいことに気づいた。
 彼は最初のバースを確かめながら、菜穂はクラプトンが好きなのか、いい趣味してるね、と言って笑った。次に彼の口から紡がれる歌声は、よく晴れた空に高く響き渡る、澄んで美しい音色だった。


7 :みーな :2007/02/27(火) 23:16:37 ID:ncPiW3n3

その男、大食いにつき

 宇宙人疑惑が学内で持ち上がって久しい正体不明の男、TADAAKIと私が教室棟に戻る頃には、当然のことながら講義はとっくの昔にお開きとなり、サボリに気づいていたTADAAKIの友人が彼をからかう。女の子を連れてデートでもしてたのか? など、当の私を差し置いて好き勝手。数人の友人たちにもまれていたTADAAKIは、昼飯食うから、と叫んでそのもみくちゃの中から這い出てきた。
「彼女と食べるから、お先に失礼。みんなは次の講義が入ってるだろう? 俺のプライバシーに直接手を下さず、棒でつつくんだったら、干渉せずとりあえず教室に入ってろよ」
 意味が分からない。TADAAKIの右手の指先は私に向いている。
 しかし彼の友人たちは爆笑したのち、じゃあな、と口々に叫んで教室棟の中へ消えていった。笑顔で彼らを見送ったTADAAKIは私に向き直り、食堂に行こうか、と促した。呆然としている表情を気にかけないまま。本当にこいつは訳が分からない。電話番号も住所も、本名すら教えようとしない存在茫漠たる男。
 昼食の時間には早めなので食堂はさほど混んでいなかった。彼は自分のプレートを一枚取った後、私にも手渡してくれた。ありがとう、と素直に言うと、彼は男子中学生さながらのあどけない笑顔を見せた。実年齢、十歳はごまかしてるんじゃないだろうか、この人は。もちろんあえて口には出さない。
 そしてTADAAKIはカウンターで次から次へと料理名を挙げる。偏ってはいないが、どんぶりだのサラダだのコーンスープだの、和洋中入り混じっている上に量が多い。どれだけ食べるのか検討もつかない。私は背後でため息をつきながら、日替わり定食をもらって先にお金を払った。
 席はどこもがらんどうに空いていたので、一番手近な席に座ると、すぐにTADAAKIもプレート片手にやって来た。そういえば、こうして同時に席を取るのは初めてだ。いつも、私が食べているところへこのTADAAKIがやってくるから。
 いただきます、と二人同時に言ったあとは、ほとんど何も喋らなかった。それも珍しい。いつもならTADAAKIの方から機関銃のように喋くりかけてくるのに、彼は静かに、何も語ることなく、黙々と食べている。その静寂に逆に気味が悪くなってきた。背筋の寒気を抑えるように、私はひどく久しぶりに自分から話しかけた。
「TADAAKIさんは、なんていう苗字なの?」
 そういえば、「学生証から身分をばらしましょう作戦」はいつの間にかどこか忘却の彼方へ吹っ飛んでいた。彼はごまかすように笑い出し、何だろうね、と答えた。
「俺の存在を証明するのはTADAAKIだけだよ。家族と同じように使ってる名前は必要ない」
「じゃあ、TADAAKIっていうその名前は漢字でどう書くの?」
「教えない。当社の企業秘密」
「一人暮らしって、どこに住んでるの?」
「引っ越したばかりだから住所なんて覚えてない」
「本当に二十歳?」
「女性にトシを訊くのは失礼よ、アナタ」
 気色悪い。TADAAKIの妙に高いオネエ言葉に尚一層寒気が走り、反射的に両腕を抱くと、彼はけらけら笑って、嘘だよ、と手を振った。誰もいない食堂の寂寞の中、彼の笑い声は高く響く。それにしても、彼は実に良くこちらの質問をかわす。これまでも似たような手法でひょいひょいとデッドボールを避けられてきた。何とかしてこの背番号一番に見事な超内角ストレートをぶつけられないものか。しかし、TADAAKIの正体があまりに曖昧すぎて、下手にストライクゾーンを投げるとそのままピッチャー返しを食らいこちらが怪我をしそうで、怖い。ああ、誰か、私をリードしてくれるキャッチャーはいませんか。
「あんまし自分を語りたくないんだ。自分以外の人を信用しないたちだから」
 笑いを堪えながら淡々と並べられた言葉は、寂しくも、つとめて無理に明るく振舞っているようにも聞こえた。その真意は今の私には分からない。ただ、このTADAAKIという宇宙人まがいの男の背後に、何かどす黒い、彼を虎視眈々と狙っているような影が見えたのは、気のせいだと願いたい。


8 :みーな :2007/02/27(火) 23:19:31 ID:ncPiW3n3

その男、アナログにつき

 何故、何も教えようとしないのか。正体不明の猫背男はTADAAKIという名前以外の全ての個人情報を一切晒さない。自分を語りたくないだって? 何だ、そりゃ。私は肩を落とす以外に何も出来なかった。
「だから何も言おうとしないの?」
 TADAAKIはただでさえ丸くなっているその背をさらに丸めて、腹を抱えて笑い出した。
「“だから”って何、接続詞になってるの、それ」
「なってるとは思うけど」
「自分を語りたくない、っていう部分じゃなくて、人を信用しない、から繋がってることになるよ」TADAAKIは笑いすぎて目の端に涙を滲ませている。「別に菜穂を信じてないわけじゃないんだけどね。世間一般が嫌いなんだ、俺は。この国も、世界も、時代そのものが。出来ることなら古き良き六十年代ぐらいに生まれたかった。安保以外はほとんど平和だろう。テクノロジーが生活に埋め込まれてないとほとんど生きていけないような時代では、俺は少しずつ滅びていくしかない。この世界で、俺は茫漠とした存在のまま生きていきたい。認められたくないんだ」
 菜穂の言うように、宇宙人だったらいいんだけどね。TADAAKIは最後にそう付け足した。しかし文章の意味はさっぱり不明である。
 テクノロジー、滅びる、茫漠とした存在。なんだかよく分からない。こいつはやっぱり宇宙人だ。私はため息をつき、聞かなきゃよかった、と呟いた。
「何、それ」
「だって、TADAAKIさんの言うこと、全然意味が分からないんだもの。それで結局、確固とした結論はあるの? 支離滅裂で、次元が違ってて、よく理解できないわ」
「そのままじゃないか」TADAAKIは超然としている。「世界の中で、俺の存在はあやふやなままでいい。“ここ”という場所に“俺”がいるままでは生きていきたくない。色んなものが怖いんだ。“ここ”にいる“俺”が別の場所にいる“何か”によって、崩れるのが怖くて仕方ない。感情を持たないロボットになりたいと思うぐらいだよ。だから俺は携帯電話も持たないし、インターネットもしない。名前とか、必要最低限のもの以上は口に出したくない」
 抽象的すぎ。私はそこまで頭がいいわけじゃないのに。
 単刀直入に言おうとしたが、TADAAKIの方が先に食事を済ませてしまい、立ち上がってプレートと食器を片付けようとしていた。私は思わず、これからどうするの? と訊いた。彼は立ち止まって、肩越しに振り返った。
「どうするのって、次の講義」
「夕方、また話が出来ないかしら」
「ああ、ごめん、今日は同好会行かなきゃならないんだ。たまには顔を出さないと、他のみんなが怒るしね」
 同好会? と私は首をかしげた。そんなことは初耳だ。そもそもTADAAKIが同好会などという集団に足を突っ込んでいるという事実すら、受け入れがたいことだった。
 お先、と一言残してその場を立ち去ろうとしていたTADAAKIは、私より少し離れたところで歩を止め、気づかないぐらい小さな溜め息をついた。
「日常が突然崩れるっていうのは、想像以上に辛いことなんだ」
 そう呟き、彼は早足に食器置き場の方へ歩いていった。残された私はしばらく彼の背を見つめていた。やっぱり何か、背中に見える。途轍もなく重い、彼一人では支えきれないような黒い渦が。私は目をそむけ、気のせいだと自分に必死に言い聞かせた。


9 :みーな :2007/07/18(水) 02:42:31 ID:ncPiWHxA

その男、嘘つきにつき

 TADAAKIが集団に手を染めるような人間じゃないということはとっくの昔から気づいていたことだ。常に孤立無援、孤高のおじさんというイメージがまとわり付いて離れなかった。水の中でただ一つ水面に浮く油。それは世俗から大いに外れているように見えて、真実だった。
  他の人と一緒にされたくない。みんなと同じような服を着て流行に合わせたくない。自分に嘘をつきたくない。こんな理由で、自分自身に正直に生きている人が「変わり者」と呼ばれてしまう時代になっている。TADAAKIはその代表格と呼ぶに相応しい。
 からかわれようが、自分らしく生きて周りの人と疎遠になろうが、それでも己の意思を貫く人間がなかなか少なくなっている。TADAAKIがそんな人なのかどうかは分からないが。
 ただ、どうしても、彼が同好会などといった集団行動に両足を突っ込むようなタイプに見えないだけだ。
 私は四限の講義の後、学内のラウンジでぼんやりしていた。さほど弾力があるとも思えない安物丸出しのソファに浅く座り、見るというよりかはただ視界に入っているだけのテレビを見つめていた。芸能人が集まって社会情勢について辛口トークをする番組が、見ているものの意思とは無関係に漠然と、何も知らないように流れている。こういうふうに、何と無しに止まったような時間を租借するのが私は好きだ。
 TADAAKIに何を聞くべきか。もう既に終わりが見えているような気がするんだけどな――って、何の終わりだよ、私。自分にツッコミを入れながら頭を軽く振った。ちょっとばかし思考回路が変になってきてるなあ、やばいなあ、それもこれもぽやーんとしてるTADAAKIのせいだ、絶対。人に罪をなすりつけて適当に言い逃れをしながら、私は考えた。
 あいつは、きっと、嘘つきだ。
 何をどう嘘をついているか、なんて、まだ明瞭には分からない。まだ、直感の域から出ていない。きっと、誰にも自分のことを知られたくない、認められたくない、という項目か――あるいは、TADAAKI自身が。この世界は嘘を真実で塗り固めているだけの下らない投資社会なのだ、そういった疑いすらも。私にはきっと、どう自分の心を左右されても、他人に認められたいという気持ちを抑えることは出来ない、それが本能で分かっていた。
 誰にも認められたくない人なんているのだろうか? 人として、あるいは幸か不幸か感情を持った生き物として、愛されたいと願うのは切なるものであり、誰もがそうであって当然なものではないのだろうか。TADAAKIの言動からそんな様子は微塵も見受けられない。人を突き放し、簡単には信用せず、何事も「それなりに」こなす八方美人で、故に己に嘘をついている。そんな気がしてならない。出来れば、というより強く絶対の言葉をもって、他者に自分を受け入れてもらうという普遍的なコミュニケーションを欠いて相容れない、心に何重にも錠をかけ、自分が傷つかないために理解者というものを得る可能性を永久に失おうとしている、ように見える。
 あのTADAAKIは。
 私は急にいたたまれない気持ちになり、ソファから立ち上がって、キャンパス北側にある部室棟へ向かうためラウンジを早足に出た。渡り廊下を通って、学生の間を抜けていく。不思議と、身体は軽かった。
 きっと彼は嘘だらけなんだ、嘘をエンジンに走ってきただけの人なんだ。直感的にそう感じていた。ギターで「ティアーズ・イン・ヘヴン」を弾いているときの彼の横顔。それが言葉で表現できる限界を超えているほど深く、それでもオブラートに包まれた悲しみで形成されたものだと、ふと思い出した。


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甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.