NAGA〜砂漠世界見聞録〜


1 :水佳 :2006/07/15(土) 20:28:01 ID:o3teQitc

勇者。悪を倒し世を救う、絶対的にして主観的正義の存在。その響きは、時代の流れの中、数多の男たちを魅了した。
彼等は、悪を倒すため体を鍛え、武具をそろえ、仲間を集めて旅に出た。
魔力を悪用する領主、火を噴き人を食らうドラゴン、森のモンスターのボス、ダンジョンの守り神。時代とともに悪は移ろい、そのたびに彼とその仲間たちに倒されてきた。
正義の名の元に繰り返された悪夢。光のオブラートに包まれた殺戮。そして残るのは、少しの名声と、殺した事実、そしてただの虚無。
しかし、それでも男達は。
夢に、金に、欲望に、得られる力に、そして善意に突き動かされ、勇者候補になる。数多いる候補たちの中でも、勇者となれるのはたったの一握りに過ぎないが。
勇者候補たちは、正当防衛にでた罪のない小さなモンスターを殺し、少ない所持金と遺物を残さず剥ぎ取る。もちろんそのたびに強さも増える。人間に同じ事をすればただではすまないが、正義であれば正当化される行為。
悪意もなく、自然に。魔物を殺す。
魔物を捕食する人間は居ても、人間を捕食する魔物は減った。
なぜなら、一人でも人間を殺したとあらば、怒り狂った勇者たちに、同種である事を理由に殺されるからだ。下手をすれば、種の存続にすらかかわってくる。
一方的な勝利。消えていく魔物。
――しかし。
もし、与えられた正義が、偽りだったとしたら?

それは、一人の男が原因だった。とある神託を受け、勇者となった男が。
彼に干渉したその存在は、神と名乗った。
神は言った。「世界を、救ってみないか?」
男は答えた。「如何すればいい?」
神は言った。「仲間を集めよ。その力を以ってして、×××××――。」
男は、かつての仲間にその事実を知らしめた。神の言葉を、一粒残さず伝達した。
仲間は、優秀だった。彼等は自分の職場に戻り、同志を募った。その同氏たちが、知り合いや友人に、また仲間を募る。そしてまた彼らが・・・・・・・・。
いつしか、一人の男から始まった勇者のネットワークは、じわじわと、確実に。仲間を増やし、噂はいつしか村を出、大陸に浸透していった。
じわじわと、確実に。(・・・・・・・)
勇者の住む小さな村は、拠点にするには、あまりにも小さすぎた。だから、彼等は、故郷をも捨て、居場所を変更する。
大陸一の大都市、キルケに。
そして勇者は、その組織をガルーディルスと名づけた。
蛇の敵である、神鳥ガルーダの名をとって。
彼らに与えられた敵は、倒すべき対象は、蛇の力を持った人だった。

神は言った。
「仲間を集めよ。その力を以ってして、蛇人を滅するのだ。」

水神とされる蛇神ナーガ族。唯一、乳海という名の混沌を出現させうる神にして、穢れた世界に、終末をもたらすとされる神。
そのナーガの中に、『アナンタ』という名前の者がいる。自らの出す乳海によって、世界を終わらせ、新しい世界が創造されるまで、創造神『ヴィシュヌ』の寝台となるのが、その役目。
何故終わらせる必要があるのか。それは、『基盤』を守るためである。
『基盤』は、神々が創造した世界を描くキャンバス。世界を成り立たせる最低基準面。
屈強にして貧弱。
温厚にして冷徹。
喧騒にして静寂。
曖昧にして明確。
明にして暗。
虚無にして存在。
漆黒にして純白。
零にして一。
濃厚にして希薄。
白にして黒。
+にして−。

罪 に し て 、 正 義 。

全ての相反する要素を持ち、全てが同一であるもの。混沌。完全にして唯一の根源、『基盤』。
神々は、この上に世界を描く。平和で、豊かで、永遠の世界を作ろうと。躍起になるが、上手くはいかないことのほうが多い。いつも、歴史に人類が現れ、全てを破壊して、世界の均衡を壊してしまう。現に、一つ目の世界は極度の大気汚染で、二つ目の世界は食物連鎖の崩壊で、滅びた。否、滅びかけた。
上に描かれた世界が崩壊すれば、同一に『基盤』も崩壊する。『基盤』の崩壊は、神々の死を意味する。だから神々は、世界が崩壊を迎える前に先手を打ち、『基盤』を保護している。・・・・・・・・世界を元の混沌に戻す事によって。
自らを守り、ユートピアを建設し、危険が近づけばリセットする。
神々にとって、人の世界と積み木は同義だった。
今回の世界もまた、終末を迎えるに等しい堕落振りを示した。極度の砂漠化。大陸の四分の三が砂に覆われた。海は消え、空いた場所には深い深い谷が横たわっている。
その中で、人々はわずかに残ったオアシスに、こびりつくようにして生きている。
その他の生物は、家畜と砂漠に適したものたち以外、人の保護を受けられるもの以外、全て滅びた。
『アナンタ』を使い、穢れに穢れたこの世界の終末を迎えるという、かねてから、神々の間で議論されてきた『終末計画』。その準備は、十六年前整った。
整った、はずだった。
『終末計画』の要となる『アナンタ』の、神界脱走という、たった一つの誤算を除いては。
『アナンタ』は、人間を愛していた。愛するものを、滅ぼしたくなかった。だから彼は、蛇人族として人界へと逃げた。それなりのリスクは、覚悟した上で。
神界は揺れた。『アナンタ』が居なくては、『終末計画』は実行に移せない。
『基盤』の崩壊が間近に迫った今、一刻も早い『終末計画』の実行が急がれる。
どんな手を使ってでも。
神の世界から逃げ、人の世界でのうのうと生きる『アナンタ』を。蛇人族に化けている『アナンタ』を。神界に引っ張り出す。それが決定事項。

たとえその所為で、『アナンタ』の精神が崩壊したとしても。


2 :水佳 :2006/07/20(木) 17:51:28 ID:m3knV4Q4

【砂漠都市キルケ 午前十時】
一人の人物がキルケの門を潜った。
百五十センチも無いであろう矮躯に痩身の少女だった。幼さと利発さが同居した表情を、黒のセミロングの髪で彩っている。
所持品は、小さな手荷物と、体の半分ほどの大きさはある、一冊の本のみだ。白い表紙に書いてある青い文字はデフォルメされすぎて読めない。角の部分には鈍く光る銀で縁取られ、丈夫そうな装丁をしている。旅に持って歩くためだからだろうか。リーク達のような旅装束ではなく、シルクのような上等の生地で作られた、白地に青ラインの僧衣をまとっており、旅なれない雰囲気を漂わせていた。
だからすぐに目つきの悪い輩に捕まった。
「俺ら、世界を救う勇者、『ガルーディルス』のメンバー。」
「以後よろしくぅ。でよぉ、俺ら世界を救うのに、チョー貧乏なわけよ。」
「俺らが腹空かせてたら世界救えねーじゃん。」
「で、聖職者のお嬢ちゃん、寄付金くれよ、世界を救うために。」
暫らくの間、少女は、自らを取り囲む四人の男の、下卑た笑い声を聞いていた。
が、瞳に軽蔑の色を濃く、口を開いた。
「よくもまあ世界を救うなんて臆面も無く言えますね身の程知らず。」
怯えた声音と札束を期待していた男たちの声が止まった。
「いい大人がこんな時間に職にも就かず子供を捕まえて金をせびるなんて元から無かったこの国の品位をさらに減少させるのに等しいですよ。第一あなたたちは愚鈍にも世界を救うなんてたわごとをしかし本気で実行する気で居る人についてきたただの取り巻きでしょうどうせ他にすることも無さそうだから仕方ないんでしょうけど。」
句読点の殆ど無い、聞く人のことを全く考えない話し方。
しかし男達は、少ない脳みそで一生懸命考えて、馬鹿にされている事を悟った。
だから無礼なガキに自分のした事を思い知らせようとした。
拳という名の万国共通語で。
しかしその直前に、視界の端を何か巨大なものがかすめた。残像のみでは、何がなんだかわからない。だから残像は残像のままで男達をなぎ倒した。
「ぐはぁっ!!」
情けない声を出し、地面を二転三転してから、男たちのうちの一人、ダスキー・ホトムは残像の正体を知った。
それは、少女が手にしていた巨大な本。青い文字がようやく像を結んだ。
『天空の音(アナハダナーダ)』
「聖書・・・だとぉ・・・・?」
ダスキーは呟く。キルケ国で最もメジャーな宗教である、ナーガ教の経典である。
だが、ダスキーの知る聖書は、掌サイズのコンパクトな本だったはずだ。
決してこんな馬鹿でかい、しかも他人を殴打するために使うような代物ではなかった。
「アホですかあなたたちは丸腰の女相手に少しは手加減ってものをしてもいいでしょうこれだからチンピラという種類の生き物は好きになれないんです。」
言葉を、紡ぐ。だらだらと、何時区切るかすらもわからない、一本調子の言葉を。
そして、言葉の端々に含まれる怒気と同調しているかのように、彼女の右手が、本のページをめくる。天空の音を、紐解いていく。
「あなた方には存分非礼を働かれましたし第一その調子ならほかの被害者もどうせ沢山居るのでしょうこのまま放って置くのもかまわないですし警察に突き出すのも悪くない考えだと思いますがとりあえず」

――鉄槌です。

その言葉が終わるや否や、「天空の音」が振動を始めた。視認すら出来ないほど小さな震えが、段々と、段々と、百人の管弦楽隊(オーケストラ)の急速なクレッシェンドの如く、振幅を増していく。振動、しかしそれは大きくなるに連れて力をつけ、音として、鼓膜を振るわせ始める。
共鳴、している。一冊の巨大な本が、『どこかに流れているこの世界の音楽』と、『天空の音(アナハダナーダ)』と共鳴し、重なり合い、この場の空気をも、その空間すらも震わせるような音色となり、びりびりと。びんびんと震えている。その音色は澄んだ笛の音とも、重厚なブラスの音色とも違う、しかし確かな甘美さと質量を持ってダスキー・ホトムの脳髄を席巻した。
震える。
体が、
まるで宇宙の音とも言える
天空の音と
共鳴したのを
感じた瞬間。
――――ダスキー・ホトムの脳は、水風船の如く破裂した。
「うわあぁぁぁっ!!」
誰の声だっただろうか。ともかく男たちの一人が、友人の死を前に、その情けない悲鳴を上げた。
「さっさと去りなさい世界は―――世界の音色はあなた方に救ってもらえるほど薄くは無いのだから。」
少女のかけた哀れみは、最早届かない。声をかけるまでもなく、チンピラたちは血相を変えて、もと来た道を駆け戻るのに必死だった。
「さて、」
誰にともなく呟き、少女は再び巨大なページをめくった。
そこには角の擦り切れた一枚の写真が入っている。ずいぶん古いものだろうか、その色あせ方は、十年近くの歳月を物語っている。
その写真の中には、見るものをぎくりとさせるほどに冷たく、暗く、しかし美しい無表情をした子供の上半身がいた。
その胸部を切断するかのような走り書き。そこには、

Reek=Ananta

とだけ記されていた。
うつむくように首を曲げ、少女は写真に見入る。
「無の天使蛇人族リークそして週末の引き金となる蛇神アナンタ。これさえ見つければ、世界は。」
世界は。
少女は、脈絡なく唐突に、両手で本を閉じる。パンと小気味のよい音が鳴った。
そして彼女は歩き出す。彼女はかなり特異な格好をしていた。しかしキルケの町は、その賑わいは、彼女が入ったところでなんら変化はなく、むしろ少女の方が街の一部となってしまうようだった。
本を抱えなおし歩き続ける少女。
彼女の名は、タタラといった。

【砂漠都市キルケ 午後二時】
「うわ・・・・・・・。」リークは呟き、
「ふぅっ・・・・・・・。」エレナはため息をつき、
「さ、着いたぞ。」コアンだけが何事もなかったかのように先陣を切った。
彼らが到着したのは、このキルケ大陸最大の都市、キルケ。
この街はキルケ大陸のほぼ中央に位置し、大昔から、交易には欠かせない拠点だった。近代に入り、この大陸の大部分を占めるキルケ国でも、王政を取り入れた。都としての条件を完璧に満たしていたこの街は、ラーガから国名であるキルケへと名を代え、今でも大陸最大の王都として栄えている。
何しろ、モルガナやメイヨウなど、これまで通ってきた街とは、歴史の仕込みが違う。建物の中には、下手をすれば数百年の間使われ続けて来た物まで有るのだ。老若男女多種多様な人々が、狭い路地をひしめく。一日中、喧騒が耐えることはない。
そして圧巻なのは、その規模だ。もともとは小さな交易拠点から始まった宿場町ではあるが、次第に規模を広め、建物を増やし、それに比例して人が集まり、市場ができ、水道が通り、公共施設が整備され、また人が増え、増設に増設を重ねていくうちに、どんどん膨れ上がっていったのである。
この世界の町は、特殊なスタイルをとる。砂漠の中の街道に、ところどころ拠点としての町がある。さらにその町は、城壁で囲まれる。そのため、街の規模は城壁の大きさで判別できるのだが、キルケの城壁は、一般の街とは一線を画して居る。何しろ普通の街五、六個は楽に入るのだから。
と、言うわけで。キルケは、メイヨウからでた事のなかったエレナはもちろんの事、旅暮らしをしているリークですら度肝を抜かれるほどの大きな町だったのである。
「コアン、慣れてるみたいだね。」
エレナがリークに耳打ちする。街道を歩き、周りの高い建物を見るのに必死だ。リークも同じように見回しつつもうん、と頷き、
「俺と逢う前、何回も来てたんだって。」
と耳打ちし返した。
「お前ら、聞こえてるぞ。」
前を歩くコアンが振り返りざまに言った。
「そんなにこそこそしなくてもいいだろう。それにリーク、自分で話を作るな。確かに俺はキルケが始めてというわけじゃないが、これでもまだ二回目だ。何度も来た訳じゃない。それに、二人してそんなにきょろきょろおどおどしていると、田舎ものに見られるぞ?」
「そんなこと言ったって俺たち・・・・・・・。」
「田舎ものだもんねぇ。」
リークとエレナは困惑気味に顔を見合わせる。
コアンは脱力仕掛けたが、何とか踏みとどまった。新しい街に着いたと言う達成感は、人の忍耐力を大幅に増幅させる事が出来る様だ。
「あのなぁ、普通は田舎ものだって悟られないようにすんの!!」
コアンは、とりあえず普通について語ってみる。
その直後、リークが口を開いた。
「エレナは普通かもしんないけど、俺は普通じゃないよ。」
「・・・・・・・・・」
コアンは絶句する。
「なによー、それじゃまるで、あたしが無個性みたいな言い方じゃないの!!」
そういいながら、エレナがリークの首をしめる真似をする。「ぐえ〜」などと言いながらそれに応じるリーク。
コアンはそれを見ながら、冷や汗が出る気分だった。いつの間に、リークは他人と自分との間に線を引いてしまったのだろうか。普通の人間と、ナーガの血を引く被殺害性因子保持者。大きな線だが、気持ち次第でそんなものは関係がなくなる。そう信じてコアンはやってきたのだし、当然リークにもそう考えるように言い続けては来た。しかし、当のリーク自身がその線を一番感じて、無意識のうちに周りと自分に張っている。たとえ、あんなに近いエレナとの間であっても。
彼の天真爛漫な様子。それが、もし周りの者に、コアンに心の内を覗かせぬための演技だったとしたら。無表情を笑顔に変えただけで、リークが始め持っていた『無の天使』の本質は、六年前から少しも変わっていない、と言うことになってしまう。
コアンは身震いする。今までの六年間の思い出に、ふと陰りが差した気がした。
そんな彼の思案も知らずに、二人の(精神だけ)幼い仲間は、じゃれあっている。
頼む。今までの考えが、どうか全て間違いであってくれ。
コアンは、柄にもなく手を組み、祈っていた。それに気付き、苦笑する。
しかし。
今コアンが、恐れずにそれを聞いていたとしたら、そして、背後から三人を見つめる影に気が付いていれば、最悪の事態は防げたかもしれない。
あの結末だけは。
そこまで考えた時、背後の足音がコアンの思考を引き裂いた。「・・・・・・?」コアンは振り向くが、そこには誰も居ない。
「コアン、何やってんの?そろそろ自由行動にしようよ。」
リークがコアンにいうが、返事の歯切れは悪い。
「あ、ああ。そうだな。」
「はーい。あたし、服屋さんに行きたい。」
「あ、じゃあ俺も付いてくよ。荷物持ち、いるだろ。」
「そうだね。よろしく、リーク。」
「あんまり買いすぎるなよ、旅はまだ続くんだから。服も、買い換えるんだったら、今までの服は古着屋に売るんだぞ?」
「えーっ、この服、結構愛着があるんだよー?」
「エレナ、やっぱり、旅をしている時に、荷物が増えるのは考え物だよ。ウィンドウショッピングにしとかない?楽しいよ、結構。」
「うー、リークに言われたら仕方ないか。ちぇっ。」
「塔のところに太陽がかかったら、此処に集合な。昼飯は食っとくんだぞ?」
元盗賊は、てきぱきと指示する。
「「はーい。」」
二人は連れ立って雑踏に紛れ、コアンもため息をついて、それとは別の道に歩みだした。
しかし、この時にはもう、遅すぎたのである。

三人が視界から消えると同時に、彼らの様子を伺っていたその人物は、ずるずる、と壁にもたれかかった。
あと少しで露見するところだった。人物は、安堵とともに、音を立てた自分の迂闊さを呪った。あの盗賊風の男に気付かれる前に隠れることが出来たのは僥倖だったが。
一息つくと、人物は町の中枢に向けて走り出す。

誰も気付かないが、最悪の結末は、刻一刻と近づいている。緩慢に、静穏に、鷹揚に、無音で、しかし着実に距離を縮めながら。


3 :水佳 :2006/07/27(木) 17:24:13 ID:mcLmLix7

【キルケ市街中心部 ガルーディルス本拠地】
「ナミヤさん!!」
ラルーは叫ぶ。全力疾走が続いたので、息が切れかけている。あまり大声を出したい状況ではないのだが、今の状況は、それを許さない。その上での叫びなのだが、ラルーがナミヤと呼ぶ人物は、中年男性と話の途中のようで、気付いてくれない。
「ナミヤさん・・・・・・っ!!」
もう一度叫ぶ途中に、とうとう彼の背後まで走りついてしまった。
ラルーは背を折り、ゼエゼエと激しいペースで呼吸を繰り返す。肺の辺りが、針でちくちくと刺されているようだ。小さな身体に、日ごろの運動不足が祟ったらしい。
ラルーは、十六歳の女性。背が低く、顔立ちもあどけなくて、まだ少女といってもいいだろう。キラキラ、くりくりとした丸い紫眼と、緑のバンダナでくくった、斜めカットの特徴的な金髪が印象的である。
見につけているのは、黄色のタンクトップと、太腿までのホットパンツジーンズ。その他、腰だけでなく、ブレスレットやアンクレットなどにして、たくさんのベルトをつけている。
「・・・・っ・・・・・・・・・はぁ・・・・・・・。」
ラルーは、むき出しの肩を大きく揺らし、呼吸を整える。
「如何したのかな、ラルー。」
いまだに呼吸の整わないラルーの頭上に、優しく、のんびりした声が降ってきた。
ナミヤの声である。
「ナミヤ・・・・・さん・・・・・っ。大変・・・・なんです・・・っ!」
ラルーは、乳酸のたまりきった上半身を、無理矢理起こした。ナミヤの顔が思いがけずアップになる。ぎょっ、とした次に、もともと赤かったラルーの頬が余計赤くなった。
「おや、危ないね。ラルー、急に頭を起こしてはいけないよ。僕の鼻に頭突きをしてしまう事になるからね。そうしたら、君の頭と僕の鼻が可哀想だろう?」
彼女の心中を知ってか知らずか、ナミヤは、相変わらず春の日差しのような、優しい眼差しでラルーを見下ろす。
彼は、銀に近い灰色の髪に、緑色の優しい眼、そして柔和な顔に似合わぬ長身の持ち主だ。百八十センチは優に超えているのに、線は細い。その身体を、髪の色に近く、丈の長い灰色のサマーコートで包んでいる。
しかし、その外見からは想像し難いが、彼の正体は、半年前に神の啓示を受け、蛇人撲滅の役を負う勇者である。つまり、神様公認なのだ。
ラルーは、彼の腹心である。勇者の弟子、とでも言った所か。
ナミヤが戦士に見えないのには理由がある。
彼はもともと聖職召喚士(クレリック)系統の職業についていたので、戦いには不向きな細長い体つきをしているのだ。そのうえ、眼が少し細く、頭の横の髪が、丁度耳のように立っているので、ナミヤからは、戦士に似つかわしい獅子ではなく、猫のような印象を受ける。
この人には、月夜が似合うんだろうな、きっと。
と、見とれてしまっていたラルーは、あわてて、思考を現実に引き戻す。
「それどころじゃ、ありませんよ・・・っ!」
見上げながら、ラルーは強く訴える。
「何がそれどころじゃないのかな。頭と鼻よりも大切な事なのかい?順を追って話してもらわないと、僕には分からないよ。ほら、深呼吸して。」
律儀に深呼吸をするラルー。息を吸いながら気付いた。全力疾走のすぐ後に、あわてて話をしても、訳の分からない事を喋ってしまうだろう。ナミヤは自分のために、のんびりと話をして、落ち着けてくれたに違いない。
・・・・・決して彼が、普通の人とワンテンポずれているのではないのだ。
たっぷりと息を吐き、ラルーは言った。
「蛇人が、蛇人がキルケに入ってきたんです!」
その瞬間、場の空気が止まった。ナミヤの細い眼が開き、光が宿る。
「本当?何処で見たの?」
いささか早口で、きびきびとナミヤは問いただす。
今までの柔らかな表情は、もう跡形もない。
「西のゲートです。顔も服装も、人相書きのとおりでした!リークと呼ばれているようです。蛇人にはその他に二人、旅の仲間が居る様子でした。赤い髪の女の子と、黒い長髪の男の人です。服装から見て、男の人の職業はきっと盗賊です!」
「長髪の盗賊?」
ナミヤの形の整った眉が動く。
「まさかその人は、二十台の若さで、皮のベストを着ていないか?」
ナミヤの言葉の中に、焦燥感がつのる。
「そうですけど・・・・・・・。え、まさか、知ってるんですか?」
その静かな剣幕に、ラルーは少し体を引いた。冷や汗が背中を伝う。
今のナミヤ。その眼差しは、愛くるしい猫の物ではなく、獰猛で油断無く敵を見つめる、肉食獣(ライオン)のものだ。
今、ナミヤの眼は、完全なる戦士の、敵を見つめるそれだった。
「髪型は?三つ編みにしていたとか・・・・・・・。」
思わず、ナミヤはラルーのむき出しの肩を掴んでいた。その冷たい手の感触に、ラルーは、ゾクリ、と身体の奥底が冷えていくような感触にとらわれる。
「い、いいえ。普通に、髪の毛をこう、垂らしているだけでした。」
ナミヤは、震える手で、こめかみから肩にかけ手を撫でた。
「・・・・・・・・・・・そうか。」
ふっ・・・・・・・。ラルーが答えを出した瞬間、ナミヤから、毒気が抜けた。元のように、猫のような笑みが戻ってきている。
「報告有難う、ラルー。早速対策を立てないといけなくなったね。あ、丁度良いや。フィドー、みんなに至急連絡を取ってくれないかな?」
ナミヤは、ラルーを放すと、近くで所在なげに立っていた中年の男に、話しかける。改めて見直すと、さえないおっちゃんって印象だよな。とラルーは思った。中間管理職についているに違いない。
「ああ、わかった。いつもの場所で良いかな?」
フィドーに聞かれ、ナミヤは頷いた。フィドーはあっと言う間に走り去ってしまう。
後には、ラルーとナミヤだけ。
「ナミヤさん・・・・・・・。」
「なんだい、ラルー?」
普通に、何もなかったかのように答えられ、ラルーは面食らってしまった。しかし、どうしても聞きたいことがあって・・・・・・・。
「あの・・・・・・・、」
ラルーが口を開こうとした時、ナミヤが大きな声を出した。
「そうだ!ラルーにも仕事が必要だねぇ。君は、この蛇人討伐組織(ガルーディルス)で唯一の女の子だもんね。それじゃあ、蛇人の行方を知っているのは、ラルーだけだから・・・・・・、良し!君は、蛇人・・・・・・、リークだっけ、その人を尾行して。気付かれたら、戦ってでも良いから足止めしてよ。頼んだからね。」
「はい。ですが、あの・・・・・・・。」
ラルーはナミヤの眼を見る。
長髪の盗賊と聞いただけで、彼は異常なまでの動揺を見せた。
・・・・・・・三つ編みのその人は、どういう人なんですか?・・・・・知り合いなんですか?・・・・・・如何してそんなに怯えたのですか?・・・・・・あなたはいつでも私の一番強い人なのに・・・・・・。
言いたい言葉が、頭の中で渦を巻く。しかし、どう、伝えればいいというのだろう。
この目の前の、綺麗な緑の目の持ち主に。
どう、言えばいいのだろうか。
「『あの』・・・・・・?」
ナミヤが、首をかしげている。
その眼を見ているうちに、ラルーは、彼に拾われた日のことを思い出した。

十年前、親を亡くして、路上で生活を始めた。四年、そうやって暮らしてきた。食べ物がないから、盗んで食べた。時には、残飯すら口にした。でないと生きていけないから。食べ物がなくて死んだ子も居た。知らない大人に、たくさん殴られた。嫌なこともたくさん、されそうになった。逃げた。走った。殺されかかったのも一度ではない。痛かった。歩けなくて、ぼろぼろになって、仲間にも見捨てられた。
引き回され、砂漠の地面に倒れたまま、動けなかった。
砂漠の夜は冷える。放っておけば、飢えか、乾きか、魔物の腹に収まるかのどれかの方法で、死んでしまう。しかし、もう生きたいとは思えなくなっていた。

そのとき現れたのが、ナミヤだった。

ナミヤは、一人倒れているラルーを、優しく抱き上げてくれた。始めは、チェシャ猫のような笑顔が、少し怖かった。男の人だったから、殴られるのではないかと心配した。
しかし、ナミヤは、ラルーに食事を与え、一緒に旅をしてくれた。ラルーが寂しいと思えば、ずっと抱きしめていてくれたし、悲しいときは、何が何でもと笑わせてくれた。そういえば、ラルーという名前をつけてくれたのも、ナミヤだったような気がする。それからナミヤは、ラルーにたくさんの武術を教えてくれた。身体が鍛えられるたびに、ラルーの心も強くなっていった。
ナミヤは、ラルーに希望を取り戻してくれたのだ。
だから。

だからラルーは、告げる事が出来ない。
きっとこの問いは、ナミヤを傷つけてしまう。綺麗な目を、悲しそうに歪ませてしまう。
ずっとナミヤと一緒に居れば分かる。
うつむき、ラルーは言った。
「・・・何でも・・・・・・、ないです。」
「そう。じゃあ、頑張ってね。」
ラルーはきびすを返し、蛇人たちのところへ行こうとした。
「あ、ラルー。」
そこを、ナミヤが呼び止めた。

「くれぐれも、死なないように。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
ラルーは、聞こえなかった振りをした。気遣ってくれた事が、凄くうれしくて、頬が赤く染まった。恥ずかしくて、はにかんだ顔を向けられなかった。
そのままラルーは歩む。
何故この時、振り返り、「はい。」と答えることができなかったのだろうか。たったの、たったの一言だったのに。
これが、ラルーがラルーであるうちに聞いた(・・・・・・・・・・・・・・・・)、最後のナミヤの言葉だった。

ラルーが遠ざかると、ナミヤは一人笑った。
「三つ編みの盗賊・・・・・・、トラウマと言う形を取ってまで、まだあなたは僕を苦しめるんですね。」
自嘲も含まれた、笑み。
「あなたはいつも、僕の上にいて、しかしその地位を決しておごらなかった。分かりますか?その行為は、真下で見ていた僕の眼から見ても、凄く愚かしかったのですよ?」


4 :水佳 :2006/08/04(金) 20:14:12 ID:o3teQiuk

聖少女タタラは、繁華街を歩いていた。右を見、左を見、注意深く周囲を観察しながら、蛇人の姿を探す。
「たとえ十年絶っていようと居まいと人の容姿というものになんら差が生まれる事はなく・・・・・・」
喧騒を書き分け、進む。
「よって私が情報を得キルケに赴き調査しているからにはそのエリアは格段に狭まったという事で・・・」
喧騒は流れを無視し突き進むタタラを、何の悪意もなく押し戻す。
巨大な聖書は、今だけタタラの邪魔者だった。
「つまり手がかりもありエリアも限定されているのに見つからないということは誰かが陰謀をめぐらせたのであって私のせいでは・・・」
ふと、黄土色に近い金の髪が眼に止まった。
「あれは・・・。」
タタラは色あせた写真で見た無の天使の頭髪の色と、見つけた頭を比較した。
そう、その色は全く同じ。
「見つけタッ!!」
タタラはその頭髪の持ち主に近づいていった。しかし、声をかけてもわかるかどうかの微妙な距離まで来た時、その青年、否、まだ少年といったほうがふさわしい男は、タタラに屈託のない笑顔を向けてきた。
「な・・・。」タタラは戸惑う。
しかし彼女を押しのけ、その少年に近づく影が有った。
それはタタラと同じ年頃の娘。紅い天然パーマの髪を、一つにくくった、愛らしく健康そうな娘だった。
彼女が少年に話しかけているのを呆然と見つめ、タタラはようやく理解した。
今の笑顔は後ろの少女に向けられたものだという事を。
くるりと踵を返し、その場から逃げるように去る。
「あの人は無の天使に酷似していたがしかし無の天使の一番の特徴は笑わぬことでありよってあの人と無の天使はなんら関係もなく・・・・」
タタラのくせなのか、独り言をいつもより早口でまくし立てている。
しかし、どれだけ論理を振りかざしても、早鐘のように打つ心臓の鼓動は、説明の仕様がなかった。


「うわー、やっぱり違うなぁ・・・・・。」
エレナは、キルケの繁華街をとてとてと歩く。後ろをリークが、肩を落としつつも追いかけた。先ほど、無理に食べさせられた胃の中身が、激しく自己主張している。
「ま、待ってよエレナぁ・・・・・・。早いって。」
リークの顔色は悪いのだが、エレナは気にしない。
「リークが遅いんだよ。ほら、早く早く。次、このお店がいいなぁ。」
振り返って、リークのほうを見るも、すぐに雑貨屋のショーウィンドウに張り付いてしまう。気楽なものだ。
リークの体調が悪いのは、先ほどの昼食に原因があった。リークは、大の鳥嫌いなのである。しかしエレナが・・・・・・。
―三十分前―
『ねえ、お昼、フライドチキンにしよう!美味しそう!』
『え・・・・・・、お、俺は鳥はちょっと・・・・・・。』
『何でよぉ。好き嫌いって、身体に悪いんだよ?・・・・・・そうだ!今日を期に、好き嫌い、直そうよ!』
『駄目駄目駄目!絶対駄目!!俺は鳥は嫌いだ鳥は駄目なんだ好き嫌いなんてレベルじゃないんだ、そうだ!俺はアレルギーなんだ。鳥アレルギーだから、フライドチキンだけは止めよう・・・・・・・、』
『バカ言ってんじゃないよ。大丈夫!美味しいお店があるって、旅人さんから聞いてたんだ!「建託奇異(ケン○ッキー)」だっけ?お店の名前。憧れだったんだぁ。さ。行こう!』
『ああああああああ!!連れてかないで食べさせないで襟をつかんで引きずらないでぇ。』
と、言うわけで。リークの腹の中には、泣きながら食べた(エレナに口の中へと突っ込まれた)ケ○タッキーのフライドチキンが、これでもかともたれているのだ。
「・・・・・・ねえ、俺、疲れたから、どこか椅子の有る所に居るよ。」
「うん。じゃ、適当なベンチにでも座ってて。もう少し見てから行くから。」
「迷子にならないでね。」
「大丈夫!赤ちゃんじゃないんだから。」
そんな会話の後、リークは行ってしまった。ふらふらと。
「あ、あれ、かわいい!」
エレナはふと、ショーウィンドウの隅にある、小さな瓶を見つけた。
もともとは化粧品を入れるものだったらしい。掌サイズで、薄桃色をしており、繊細な細工が施してある。蓋も、コルクではなく、ガラスだ。
キラキラと輝くそれは、瞬く間にエレナを魅了した。
「ほ・・・・・・、欲しい。」
ごくん。つばを飲み込み、エレナは値札を見た。
その眼が、瞬時に喜びに満ちる。故郷から持ってきた、お小遣いギリギリの金額だ。
「「やたっ・・・・・・。買える・・・・・・。」」
思わずガッツポーズをしたが、その声が他の誰かとハモった。男性の声だ。「・・・・・・?」エレナの見上げる先には、長身の若い男の顔があり、彼もまた同じように、手はガッツポーズを決めつつも、怪訝な顔でエレナを見ていた。
灰色の、横に向かって撥ねた耳のような髪。優しそうな細い緑眼とあいまって、まるで猫だ。
「今日は・・・・・・。」
とりあえず、エレナはお辞儀をしてみる。
「あ、こんにちは。・・・・・・あの、あなたもこれを買うんですか?」
唐突に、男は切り出す。とても優しそうな眼が、三日月のようだ。
「え、あの、見てただけですから・・・・・・。」
あわてて、エレナは手を振る。つい、心にも無い事を言うのは、エレナの悪い癖だ。
「いや、こちらこそ名乗りもしないですみません。僕はナミヤといいます。」
「あたし、エレナです。」
思わずまた、お辞儀をしてしまう。ナミヤは、変わらぬ、優しい笑みのまま言った。
「エレナさんとお呼びしてもかまいませんか?」
にこ・・・・・・。二人は、笑顔になった。
「はい。あのナミヤさん、もしかしてこのビン、誰かへのプレゼントにするんですか?」
「え・・・・・・?どうして分かったんです?」
ナミヤは、吃驚した表情を作る。
「なんとなくなんですが。」
「凄いですね。実は、僕には義理の妹が居て、もうすぐ彼女の誕生日な訳ですよ。で、いいプレゼントになるかな、って思って。」
「仲がいいんですね。うらやましいなあ。」
「そうですか?でもあの子は血の気が多いから。」
「え、そうなんですか・・・・・・。」
と、まあたわいも無い話をし、「じゃ、これで。」とナミヤが言ったので、エレナはショーウィンドウから離れ、別の店を探しに行こうとした。
振り返ると、ナミヤが店内に入っていく。
そして気が付いた。もう後の祭りだったが。
「しまった、小瓶、取られた!!」


5 :水佳 :2006/08/12(土) 19:08:36 ID:m3knVkWL

キルケも、昼の住宅街となれば人気が無くなる。
「あのさぁ、君、いい加減俺の後つけるの止めない?」
そこで、リークは、振り返りつつ言った。
後ろにいたラルーは、隠れ場所を見つけられず、棒立ちになる。
「何で・・・・・・。」
少年は向き直るなり、まくし立てた。初対面の人間に対し、少し行儀が悪い。
「悪いけど君の気配が、びんびんなんだよねー。しかも少しだけ殺気めいてるよ。これじゃ、尾行なんて成り立たないね。気が付くのなんて簡単だよ。」
ラルーは唇をかんだ。焦燥感が、顔に浮き彫りになる。
一方リークは、先ほど、エレナにあっさりと見捨てられたので、ご機嫌斜め。したがって、いつもより攻撃的だ。
「俺、リーク・・・・・・・、ああ、尾行するぐらいだから、俺の名前ぐらい知ってるか。いつもなら尾行されても放っとくんだけど、今日の俺、ちょっと機嫌が悪いんだよねー。君の存在、結構迷惑かな。君も俺の被殺害性因子に吊られて来たの?それともお金目当て?悪いけど、どっちも外れだと思って。お金はそんなに持ってないし、君にみすみす殺られてやる気なんて、これっぽっちも無いから。」
ふーんだ。とばかりに、リークはそっぽを向いてみせる。
ラルーは腰を落とし、深く肺に息をためる。
「あれー、ばれたから実力行使ー?そりゃ無いよ。いくらなんでも大人気ないもん。ねぇ、君は何が狙いなのさ。」
リークの問いに、ラルーが、初めて小さく口を開いた。

「お前に流れる、蛇人の血だ。」

ラルーの紫眼は、油断無くリークを見つめる。リークもその眼を見返す。微動だにしない。暫らく二人は見詰め合う。そして。
「ふーん・・・・・・。そんな人、初めてだ。」
リークは笑った。
「俺は被殺害性因子保持者(ナーガ)だから、いっつも一方的に殺されるばかりだったけど、君は違うって見ていいんだね。本当に初めてだ。俺の中のナーガに戦いを挑むなんて。」
「ばれたのなら、戦ってでもここに留めろと言われた。」
「つまり、君に命令する、絶対的君主さんがいるわけだね。うわー、組織的ー。・・・・・・いいよ。その挑戦、乗ろうじゃんか。ただし俺も、手加減はしたくない。君って、相当の手馴っぽいからね。ねえ、君、ナイフ持ってる?」
出し抜けにリークは問うた。予想外の質問にビクッ、と、ラルーは後ずさる。
「だって君ってば強そうなんだもん。俺は、格闘苦手だし。それぐらい(・・・・・)のハンデだったら、つけてくれてもいいだろ?そうだ。いつまでも君、君って呼ぶのも他人行儀だなぁ。君の名前教えてよ。」
「・・・・・・ラルーだ。」
ラルーは、右太腿につけたベルトポーチから、一本のハンティングナイフを取り出した。握り手は革で巻かれており、多少反身で刃渡りは二十センチぐらいだろうか。黒を基調としたシックなデザインで、趣味がいい。しっかりと鞘に収められたそれを、リークに向けて投げた。
「サンキュ、ラルーさん。」
リークはそれを受け取ると、鞘を投げ返した。
「ねえラルーさん、ヒーローの変身中に攻撃なんて、無粋な真似だけはしちゃ駄目だよ。」
リークは言い、ウインクした。手の中のナイフを、逆手に持ち替える。
「変身シーンは重要なんだから、ね。」
そして、何の前触れも無く喉を掻っ捌いた。
「な・・・・・・、何をしている!!」
これにはラルーも驚いて、あわてて止めようとした。こういった血みどろのシーンを見慣れているわけではないが、それでも気絶しなかったのは、それよりも死なせるものかという思念が働いたからだ。
「だから、ごぼっ、来ちゃ、ごぼごぼっ、駄目、だって。」
血交じりの声で、リークは言う。喉を切ったといっても、声帯は傷つけぬ様気を使っているようだ。
リークは、ラルーの大袈裟な対応に、半ば呆れてしまった。いつも近くにいたのは、傷つけて喜ぶ最低の輩達だった。だからリークは知らない。本来ならば、こうあるべきだということを。
リークは、ラルーが五月蝿いし、仕方が無いのでもっとショッキングな場面で灸をすえてやろうと思った。おどけた仕草で、もう片方の脈も、ためらい無く切断する。
結果としては、余計五月蝿くなったが。
「馬鹿!!自分の命を粗末にする奴がいるか!早まるな、止めろ!今すぐ手当てしてやるから・・・・・・、死ぬなよ!!」
「ラルーさんって、ごぼっ、すっごく、ごぼごぼっ、変わってるね。ぶふっ・・・・・。」
「無駄話をする暇があったら、先ず助かる事を考えろ!!それよりも先ず喋るな!」 
ラルーはあわてて、別のベルトポーチを探った。そこには救急セットがある。しかし、この状況で、小さな絆創膏が何の意味を持つというのだろう。
「そうだ、ベルトで止血すれば・・・・・・、」
などと言いかけたそのとき。
カッ!!
視野の外で、突如閃光がひらめいた。
「え・・・・・・・、」
あわててそちらを見る。相変わらず、リークの顔からは笑みが絶えない。唯ひとつの変化は、安心したように眼を閉じただけ。
「止めろ、眼を閉じたら、・・・・・・・・・・!!」
呼びかけようとしたラルーは、ぎょっとして、眼を剥く。
光は、彼の傷跡から漏れ出していた。血液よりも何倍、何十倍もの力を持って・・・・・・。しかし溢れ出方は、血と同じ。ぴゅっ、ぴゅっと、心臓の動きにあわせて、毎回毎回、同量、同程度の光が溢れ、こぼれ、消えていく。光の余波がまるで火の粉のように立ち上った。蛍のように舞い上がった。
どれだけその光景が続いただろうか。一分足らずの時間が、ラルーには一時間にも思えた。いつしか光は、半球となってリークの体を包み、彼に吸収されるように、消えた。そして、
ピシッ・・・・・・。
突如、異様な音を立ててリークの頬の皮膚がひび割れた。乾燥した地面が割れていくように、幾つも、幾つも、正確な繰り返し模様をもって。
「鱗・・・・・・。」
そう、それは鱗の模様。魚や蜥蜴の身を覆う繰り返し。交わり枝分かれし交わり枝分かれしそして交わり枝分かれし、尽きる事の無い一面全てを埋め尽くす同じ形。その始まりは始まりであると同時に終焉であり、途中である。終わる事の無い、立体のメビウス。
それらはまるで細胞のように、出来立ての胚の様に、分裂を繰り返し、増殖を繰り返し、リークの皮膚全面に模様を描いた。
リークは、すっと眼を開いた。すっかり気圧された様子のラルーを視界の隅に捉える。
凛、とした。
深い深い、緑の眼。
突如その虹彩を、漆黒の光が切り裂いた。瞬時、ブラインドの面が変わるように、周りの色も変化する。漆黒の光に見えたものは、瞳孔。そして、その周りを彩る虹彩は、琥珀のような、硬質の黄色。
リークの眼は、爬虫類のそれに似ていた。いや、蛇そのもの・・・・・・。
さっと、彼の皮膚のひび割れ全てが緑色になる。エメラルド色。先ほどまでの彼の目の色。
鱗が完全なものとなったと同時に、顔のつくりにも変化が見られた。
口が裂け、鼻が低くなり、顔全体が流線型に近くなる。ちろちろと出入りするのは、また別れした、舌。そして、蛇特有の四本の牙。
これで、変異は完了。
ナーガの血を色濃く残した蛇人が、そこに居る。

ピクリと、聖職者の肩が動いた。
タタラは、ただならぬ様子で周囲を見回す。
「世界の音楽が変わった・・・・・。」
彼女が先ほどのように、人を殺せるほどに強い『奇跡』を行使出来るのには、理由がある。耳が、違うのだ。感覚の鋭さ、という意味ではない。彼女は、絶対音感を持っておらず、百メートル先のありの屁の音が聞こえるわけではない。
強いて言うならば、大きすぎて聞こえぬ音、つまり、絶え間なく響き過ぎていて、有る事にすら気付かない世界の音楽を、聞き取れる耳をしているのだ。
その彼女の感じた異変は、そのまま蛇神の覚醒と同義である。
「何だこの音はまるで」

――崩壊に向かう音色のようじゃないか。

真実を確かめる術は、ここにはない。
そう判断したタタラは、音を感じた方角へと歩き出す。
たった今感じた違和感が偽者であってほしいと願いながら。

「・・・・・・・・ああ、ラルーさん、ナイフ有難うね。ちょっと汚れちゃったけど。」
「ちょっとどころの騒ぎじゃないだろう。」
とりあえずラルーは、自我を保つ事に成功した。そして、深呼吸をする。
「これからの戦い、異存は無いな。」
「うん。いつでも掛かって来なよ。」
蛇になったリークの声は、普段のそれと違って、少し低く、淡くエコーがかかっている。それが、ラルーの緊張を余計に引き立てていた。
大丈夫、大丈夫。こんなの見掛け倒しだよね・・・・・・。
少女らしい口調で自分を鼓舞し。
「では、行くぞ・・・・・・・・・!!」


6 :水佳 :2006/09/06(水) 20:21:47 ID:m3knVkx7

「・・・・・・お前、フィドーか?」
コアンは、街道を横切っていく、中年の男性に声をかけた。ついでに肩も掴む。
彼はびくりと肩を震わせた後、おどおどとした様子で振り返り、コアンを見ると安堵の表情を浮かべた。
「・・・・・・・コアンくん?」
「やっぱりフィドーじゃん!懐かしいなぁ・・・・・。最近どうだよ。仕事、順調に進んでるか?誰か、仲間たちには会ったか?あー、レパードん時の思い出がよみがえってくるぜ!」
オーバーアクションで、コアンはフィドーの背中をバシバシと叩いた。
彼は、盗賊団レパードの古株だった男で、コアンの父親時代から、レパードでやってきた。主な仕事は鍵開け。基本的に、肉体労働は嫌いな奴だった。だが、コアンはこの男を、父親の次に好いていた。彼の、その優しい性格による。
「コ、コアンくん、静かに・・・・・・。保安官なんかに聞かれたら・・・・・、」
「相変わらず心配性だなぁ。大丈夫だよ、この喧騒だ、誰も聞いちゃいねえ。第一、聞かれたとしても、もう時効だ。手も足も出せねえよ。」
「それもそうだね。心臓に悪いよ、全く。コアンくんはね、もう少し慎重に物事を判断するって事を、学ばないといけない。」
フィドーは、喋り方からしてレパード時代と、全く変わっていない。
「そうか?これでも俺は、慎重なつもりなんだが。」
「私の目には、慎重じゃなくて、軽率と映るんだけど・・・・・・・。」
「かっちーん!それちょっと言いすぎじゃねえのか?」
「本当の事だよ。」
さらりと受け流されたその光景がどこかと重なって・・・・・・。
「あ、あれ、何か既視感(デジャウ)が・・・・・・・。」
コアンはふらりとよろめく。と、頭の中に、ギャグ漫画のごとき三頭身のリークがとことこと現れ、にっこりと笑った。
「あいつか・・・・・・。」
「何だい?コアン。疲れたような顔をして。」
「いや、こっちの話だよ。ところで、フィドーは如何してキルケにいるんだ?初めの職場は砂漠街ミルナだったと思うんだが。」
コアンが首をかしげると、フィドーが、「やばい!」と言った感じの顔をした。
「じゃ、じゃあ、これで。」
ぎこちない笑顔を向け、フィドーはそそくさと背中を向けた。
で、間髪いれずコアンに襟首を掴まれた。
「止めてくれ!ナミヤに叱られ・・・・・・・・・・・・」
フィドーはハッ、と口を押さえるが、後の祭り。
「ナミヤ?ナミヤがどうしたんだ?!」
ナミヤ。彼は盗賊団レパードにおいて、コアンの参謀役であった。
「ナ、ナミヤ君が懐かしいなぁーって・・・・・・・・・。」
「とぼけるな!!何か、たくらんでいるのか?」
「いや、あの・・・・・・・。」
「たくらんでいるんだな(・・・・・・・・・・)。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい。」
すごまれ、フィドーは抵抗を放棄した。元盗賊にしては、あっけない口の割り方だった。
もちろんコアンは詰め寄り、彼の口から全てを聞き出すのだった。

「さて、蛇人とラルーは何処でしょうか。」
ナミヤは呟いた。今、ラルーを探してうろうろしているところである。
とりあえず、戦い始める前だといいのだが。ナミヤは、腰のベルトポーチを見下ろした。先にこの小瓶を渡してしまいたい。
「困った子ですねえ。メインストリートに居てくれればいいのに。」
メインストリートを始め、商店街も、行政区画も、観光区画も見てまわった。後は、住宅街を残すのみである。
何気なく、サマーコートのポケットからペンダントを出し、鎖に指を入れてくるくると回してみた。これは、ナミヤの組織するガルーディルスの紋章、鳥の羽をかたどった銀製のものだ。
「♪ハッピミーチュー、ラールー、ハッピミーチュー、ラールー♪」
誕生日の歌にあわせて、口ずさんでみた。
ラルーは気付いていないようだったが、今日はナミヤがラルーを拾った日だった。出会い記念日、とでも言うべきだろうか。
「全く、蛇人も蛇人です。本当なら今日はみんなでサプライズパーティをする予定だったのに、よりによって何で今日を選んでやってきたんでしょうね、全く。」
眉をひそめてナミヤは呟く。そしていきなり、ポン、と肩を叩かれた。親しげに、何の脈絡も気配も事前動作もなく、普遍性に満ちた手つきで。
「っ!!?」
途端、ナミヤの全身を悪寒と驚愕が駆け抜けた。
気付かなかった。勇者、そして元盗賊のナミヤが。
ばっ、と振り向こうとしたが、それよりも速く、肩を叩いた手が頚椎を押さえつけた。後ろでは高濃度の殺気が渦巻いている。下手に動けば、首の骨を砕かれるだろう。
「・・・・・・・・・・もしかして、コアンさんですか?こんな恐ろしい事をするのは。」
「恐ろしい事をしてんのはお前のほうだろが。ナミヤ!!」
怒号を浴びせかけられ、ナミヤは身がすくみそうになるのを必死でこらえた。
「何の話でしょうか。」
内心の狼狽を押し殺し、何とかいつもの自分を取り戻す。しかし、コアンが居るのは背後。せっかくの猫のような微笑も、見られていないのでは、相手を撹乱する事が出来ない。
「いつまでもお前は変わらないな。気の抜けそうな笑顔と、優しげな言葉遣いで相手の戦意をそぎ、信用させた後勝利を手にする。俺はそのやり方が大嫌いだったがな!」
苦々しい声。それは、ナミヤの全身に生えた産毛をびりびりと逆立てさせる。
「随分と昔の話をするんですね。それに、その言葉は間違いですよ。僕が、コアンさん相手に勝利なんて有り得ないではないですか。」
言葉が震えていない。その事にナミヤは少し安心した。これで確認できたのだ。以前の自分とは違うことを。彼に怒られただけで行動も、思考すら放棄していた自分とは。
しかし、コアンの脳裏にそれは、白々しい見え透いた演技と映る。
「『そうでもない。』そう思ってたんだろ?でなきゃあんなこと、計画しねえもんなぁ、思い上がりも甚だしい『勇者』さん?」
カッ!ナミヤの中を、怒りの衝動が駆け抜けた。自分のしている行為全てを否定されたような気がした。嘲られた気が、そしてほんの少し裏切られた気が。
身体の心がぐっと熱くなり、目の前が暗く染まる。頬が高潮するのは防げたが、全身を駆け巡る怒りが、指先までびりびりとしびれさせる。自分の身体が、まるで別の何かになったかのように熱い。
ナミヤは反射的に拳を作り、きつく握り締めた。彼の長い爪が、掌深くまで食い込む。
しかし、ギリギリのところで、ナミヤの拳から血が一筋こぼれ、一滴の雫となって地に滲みた。ぽた・・・・・・・と言う音が、ナミヤの脳裏で幾度も、幾度も回転する。
「・・・・・・・・・・・・っ!!!」
その音と痛みでナミヤは我を取り戻した。
「フィドー辺りに聞いたんですか。全く、おしゃべりな部下を持つと苦労しますね。」
ようやく普段の自分になることができた。その事実が、ナミヤに自信を作り出す。
しかし、これ以上自己のコントロールに時間は掛けられない。
「苦労しますね、じゃねえ。あいつはもともとお前の部下じゃねえだろが。と言うか、蛇人を取っ捕まえて、お前らは何をしようとしている。」
何をしている!!と怒鳴られたわけではない。口調はあくまでも穏やかだ。だが、その言葉の重みは、込められた力は、ナミヤの全てをかけても遠く及ばず。
「・・・・・・・・・・・・ふう。」
ナミヤを嘆息させた。
その行為は、簡単にコアンの逆鱗を刺激する。
「ナミヤ、真実を話せ。」
重々しい声が、これでもかというほど脳髄を駆け巡る。
ナミヤは、鷹揚な動作でコアンの手をどけると、振り向いた。
「解りましたって。焦らないでくださいよ。答えを急いでも不十分な説明しか出来ませんからね。」
コアンは、ナミヤを直視した。真意の見えない、深い深い淵のような微笑が、コアンを吸引力と共に見つめる。彼の微笑に隠されて居るのは、相手をたじろがせる気迫。ナミヤにとってこれ以上に強い味方は居ないが、コアンにとってはやりにくくなっただけだった。
「その前に、あなたの質問ですが、質問自体が成り立ちません。」
ゆるりと、ナミヤは眼を閉じ、次の言葉を選ぶ。
「なぜなら、蛇人の捕獲および殺害は、過程でなくて、僕たちの求めて止まない結果だからなのです。」
「どういうことだ。」
コアンは、ゆったりとしたペースに巻き込まれぬよう、間をおかず次の言葉をかける。だが、彼の脳裏は徐々に靄がかかり始めたかのようにかすみ始め、的確な判断力が失われているのではないかという気になってくる。
自信の喪失は、時として死を招く。
ナミヤの戦術に、ゆるりゆるりとコアンは落ちつつあった。
「真実なんて、ありません。裏も表もありえません。僕たちは僕たちの目標である蛇人殺害を、徐々に実行に移しているだけですよ。なぜかって?神から、啓示を受けたのですよ。分かりますか?この、僕が。あなたでなくて僕が、神の声を聞いたのです。絶対的悪である蛇人を滅せよと、ね。」
ナミヤの口調が熱を帯びてくる。コアンは、何とか次の言葉を見つけ、話し出したのだが、ナミヤの作ったゆったりとしたペースにいつしか歩調が合わさっていた。
「蛇人は、絶対的悪なんかじゃない。お前の言うのは、十中八九神とやらが言うところの、主観的悪だろう。そんなことにも気付かないのか?神とやらにお前は利用されている可能性もあるんだ。蛇人を殺す道具としてな。」
コアンの指摘に、ナミヤは笑んだ。その微笑をますます深くし、彼の真意どころか現在の感情すら読み取る事は出来ない。
「知りませんよ、そんなこと(・・・・・)。僕は神の啓示を受けた。それだけで十分でしょう?十分信用に値します。利用されているつもりなんて、毛頭ありません。神の言うとおりに動き、神に認めてもらう。簡単な心理ではないですか。」
ナミヤは笑んだまま返答した。
信じてくれるから、信じ返す。簡単な図式である。だが、始めから信じる振りをされているとしたら・・・・・・?
「そうそう、コアンさん。三つ編みはやめたんですね。決行様になってたのに。でも、堅気になった気で居るのなら、その長髪も止めたらどうです?」
完全予想外の質問。
「・・・・・何の話だ・・・・・・・・!?」
「じゃあ話を戻して、あなたがそこまで必死に蛇人をかばう訳、当ててあげましょうか?」
コアンを撹乱したのをいい事に、ナミヤは畳み掛けた。
「被保護者への情ですね。可哀想に、あなたも何かに情を移す事があるのですねぇ。この場合、蛇人ですか。報告によれば、蛇人には長髪の盗賊が同行していたそうですが、あなただったのですね。あなたは、何かの縁によって蛇人と行動を共にしたのでしょう?そして、彼を保護するうちに連帯感もしくは親としての意識ですか?そういったものが生まれた。それはそれで結構なこと、美談です。しかし、よく考えてみてください。レパード時代から、随分変わりましたよね、本当に。」
ナミヤは此処で言葉を切ると、笑顔の質をかえぬまま、コアンの眼を見た。コアンもそれを見返す。ナミヤの眼の奥は、幾重にも続く合わせ鏡のよう。
コアンは眩暈に似た何かを感じた。
「あなたは盗賊でしたね。確かに極悪非道ではなかったし、義賊をしては居ましたが、盗賊は盗賊です。私たちは常に横暴もののみを襲うようにはしていましたが、冤罪も多々有りましたよねぇ。それにお父様が死去なさる前は、それ相応の盗賊を組織していた。」
「昔の話だろ。」
「今、あの子をどれだけ甘やかしたところで罪が消えるはずも無いのに?」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「あの子は咎人です。あなたもまた、咎人です。しかしあなたの犯した罪のほうが、蛇人が蛇人として存在する罪より、格段に軽い。その罪を完全に消し去る方法が一つあります。我らが神に蛇人をささげる事です。解りますよね?許しを請うために、神に捧げ物をすればいいのです。世の中、ギブ&テイク。それ相応の利益は期待していいのではないでしょうか?例えば、罪を帳消しにしてもらう、とかね。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
暫らくの沈黙の後、コアンは口を開いた。
「別に、お前の信じる神とやらに許してもらう気はない。俺に向けて、贖罪なんて汚ねえ手はちらつかせるな。」
ナミヤは笑った。
「無理しちゃって!コアンさんらしくないですよ、本当に。如何したんですか?蛇人に懐柔された結果でしょうか?」
「無理など、していない。無理しているのはむしろお前のほうじゃないか?俺に離反しようとしておきながら、その反面、俺を駒の一つにしようと頑張っている。悪いが俺は、お前の細腕じゃ扱いきれないほどでかい駒だぞ?解ってんだろうが。」
「・・・・・。」
ナミヤの沈黙は、先ほどのコアンの三分の一以下で終わった。
「ばれましたか。というか、あなたには全てお見通しなのでしたね!失念失念。僕とあろう者がうっかりしていました。ならば、あなたの大きさなど、度外視して問いましょう。僕らと一緒に、神についていく気はありませんか?」
「断る!」
一刀両断、といった感じだった。一部のすきもない回答を、むしろ爽快さを持ってナミヤは迎えた。
「なら、交渉決裂ですね!残念、本当に残念です。あなたのような大物が連れないなんて。本当に残念、でも潔くあきらめましょう。」
ナミヤは頭を横に降った。コアンが、大きく頷く。
「あ、そうだ。最後に言っておきましょう。」
「何だ?」
怪訝そうなコアンに、一言一言区切ってナミヤは言った。

「お や す み な さ い 。」

「てめっ・・・・・・・・・。」
コアンが反応するより早く、一発の破裂音が場を引き裂いた。
「ぐあぁっ!!」
苦悶の声。それが自らの喉から出たものだと知って、コアンは驚きを禁じえなかった。いまや右の上腕部には、熱く熱く痛む穴が穿たれていたのだ。
「銃・・・・・・。」
「さすがに苦労しましたよ、これを手に入れるのは。」
ナミヤは、たとえ人を傷つけるときでも、笑みを絶やさない。
コアンの額に、いまだ熱の取れない銃口を押し当てつつ、ナミヤは言った。
「人間を撃ったのは初めてですが、どうでしょう。」
「銃の取引は禁止されているだろうが!」
「法律を作るのが政治家、法律を守らせるのが警察です。ならば法律を破るのは、盗賊の役目でしょう?・・・・・・・・さらにっ!」
その声が合図だった。
ザ・・・・・・・・・・。
「いつの間に・・・・・・・・。」
屈強な男たちが、十重二十重にコアン達を取り囲んでいた。
「盗賊団レパード、再び集結です。ただし目的はリンチですが。」
その言葉に、完全に理性を失した様子で、レパードの団員だった、現『ガルーディルス』のメンバーたちは、色めきたった。
その中には、申し訳なさそうな顔をしたフィドーの姿も混じっている。
「ここまで堕ちたか・・・・・・・。」
コアンは空を仰ぎ、慨嘆した。
どうやら、絶体絶命のピンチが到来してくれたらしい。
「野郎共、掛かれぇえええ!!」
指令を出すナミヤは、いつしか盗賊の長者にふさわしい風格を備えていた。


7 :水佳 :2006/09/28(木) 13:02:08 ID:kmnkz4QL

「・・・・・・・・・・・・・う・・・・。」
エレナは、棒立ちになっていた。当然だろう。
待ち合わせ場所に行っても誰も居なかった為、探しに来たのだ。ふと思い当たる事があって、路地裏へ行ってみた。
探していたうちの一人が、タコ殴りにされた後を残して、横倒しになっているとも知らずに。
エレナはコアンに駆け寄り、服が汚れるのも気にしず、脇にしゃがみこむ。
「酷い・・・・・・・・。」
コアンの顔は、変形を留めぬほどに腫上がっていた。骨格も破壊されたのか、顔の形が変わってしまっている。彼のひきちぎられた、見る影もない唇から、虫が囁くような声が漏れでた。
「頼む・・・・、リークを。・・・・・リークが・・・・・・死ぬ、かも知れない・・・。」
エレナは息を呑んだ。
「あいつらは・・・・・、妄信している・・・・・・。神の為なら、何でもする気でいる・・・・・・。危ない。何をされるか・・・・・・・。」
「解った、解ったからもう、喋らないで!」
コアンを揺さぶろうとしたエレナは、骨折の事を重い、躊躇した。
「リークを、頼む。今、住宅街にいるはずだ・・・・・・。」
コアンは、盗み聞いていたリークの居場所を告げた。エレナは深く頷く。
「うん、解った、いってくる。だから・・・・・。」
「頼んだぞ・・・・・。」
それだけ言うと、コアンは眼を閉じた。寝入ったようだったが、エレナには、もう、このまま彼が眼を覚まさないように思えた。
「・・・・ッ!!」

その感情は、恐れだったのかもしれない。身近に垣間見た血と死のにおいへの。
その感情は、怒りだったのかもしれない。コアンをこんな目にあわせた者への。
その感情は、妬みだったのかもしれない。自分の獲物を横取ろうとする者への。
その感情は、悲哀だったのかもしれない。共に旅した仲間がいなくなる事への。

その感情は、畏れだったのかもしれない。死に掛けて尚仲間を思う気持ちへの。

身体の奥が、しびれたようになった。何がなんだか、もうわからなくなった。
ただ、ふらり、と少女は立ち上がり、駆け出した。
後に残った盗賊よりも、リークのところに行かねばなるまい。それは、何よりコアンが一番望んだことだ。独りぼっちに、しては置けない。
残された、言葉。それに従うしかないのである。

エレナは走った。走りに走った。裏路地を抜け、メインストリートの端を、駆け抜けた。
周りは全て風景だった。建物は風景だった。店は風景だった。すれ違う人々もまた、風景だった。路地の近くには、今にもかどかわされそうな女がいた。道端では、一人きりで泣く子供がいた。どうでもよかった。ただ、リークがあのように、コアンのようになっていないか、それだけが心配だった。
心配だったのに。

――お待ちなさい、お嬢さん。

呼びとめる、その声だけは耳に残った。
反射的に、少女の足が止まる。
老婆だった。ローブをまとった占い師の老婆が、エレナを手招きしていたのだ。
そのしわがれた声は、そのしわだらけの指の光沢は、なぜかエレナの視覚を、聴覚を捕らえて離さなかった。
ぞわりと、あわ立つ肌が、エレナに警告をする。これ以上近づくなと。
「や・・・・。」
エレナは、恐怖した。戦慄した。逃亡を願った。
しかし意思に反して脚は一歩一歩と老婆のところへ向かいつつあった。まるで、何者かに操られているように。
今度は周囲の人間がエレナを風景にした。
誰も気に留めなかった。誰も見さえしなかった。皆、自分の都合が最優先だった。先ほどまでの自分と同じ。なのに。
「いや・・・・。」
フードの隙間から見え隠れする老婆の眼。
慈愛に満ちているというのに、なぜか、エレナを脅かす。
たった今風景にした、女の顔が、子供の涙が、脳裏をよぎった。
「いやっ・・・・・。」
エレナは手を差し出した。そうしたいわけではなかったのに。その細い指を、老婆の、そこだけ、赤く美しいマニキュアに塗られた爪が、絡み取った。
冷たい手。血の気など、どこにもない。
「嫌だ・・・・・・・・・・!!!」
エレナが手を引っ込めようとした時、老婆の口から言葉がながれ出た。

「ぁちゅじょれいれ、ふぃあいぇさう、いぇやんじぇんっんー、んゑりちゅいつんば。」

耳慣れぬ語調。それもそのはず、その言葉はすでに、科学すらない時代に消滅している。魔術であった。闇に葬られし者たちの力を、借りるものの言語だった。
その言葉に、エレナの脳は揺さぶられた。浸された。組み替えられた。同化された。
そして次に、壊された。もう二度と戻らないほどに。
少女はへたり込み、次の瞬間すっくと立ち上がった。
「巻物(スクロール)巻之十二、作成者モコ=ヴィジュン。術名――借体形成。」
呟いた唇は、血染めの如く赤い。比喩などではなく、眼の色が変わっている。
先ほどまでの透き通った群青色がまるで冗談のように、その色は黒く黒く黒く・・・・・。
そしてそこに湛えられるのは、万物をも包み込む慈愛。
何時しかそこに老婆の身体は消えうせ、汚れたローブだけが残った。少女は、とてつもなく妖艶な笑みを浮かべ、汚いローブを拾い上げ羽織ると、颯爽と歩き出した。
――彼女の敵の在る所へと。


8 :水佳 :2006/11/18(土) 19:57:22 ID:nmz3mHx3

「はあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああっっっ!!!!!!!」
烈拍、と称するに相応しい気をまとい、少女は蛇人に左右正拳突きに加えて掌底をお見舞いした。頬を殴打されても、蛇人はひるむ様子も無く、拳を繰り出してきた。打撃が効かぬとなれば。ラルーはとっさに、その拳にナイフを突き立てた。
緑の鱗と、銀の刀身が、残像を伴い交錯する。
軍配は蛇人に上がった。その鱗は鉄をもはじく。
ラルーの身体に当たることは無かったが、その代わりナイフを弾き飛ばした。象牙の柄が乾いた音を立てる。だが。
その程度でひるまないのはラルーだって同じだった。
蛇人が体勢を整える暇を与えず、脚払いに続くみずおちへの肘鉄を食らわせる。
重力に乗せた会心の一撃。小柄な女性とはいえ、人一人分の体重が、重力を乗せ、一点に凝縮されて急所にダイレクトヒットしたのだ。
ここまですれば、いくら蛇人といっても、反撃される恐れは無いであろう。
その予想はニヤリ、と頬を歪ませた。
だがラルーの目に飛び込んできたのは、先ほどと全く変わらない蛇人の表情だった。
横倒しになり、組み伏せられ、それでもなお蛇人の顔には、苦痛はおろか、一片の意外性すらも読み取る事は出来なかった。
おかしい。驚愕せねばならないのは、恐怖せねばならないのは、畏怖せねばならないのは、蛇人のはずである。
ラルーは思わず、眼前の敵をにらみつける。
蛇人の瞳にラルーが映った。
自らの顔を、その上の表情を、再認識しつつラルーは舌打ちをした。なんて頼りない顔。なんて・・・・・、小さい。
それに引き換え、蛇人のなんて大きな事か。
肉体ではない。物理的なことではないのだ。
精神の。器の、とてつもない器の話である。
目前の死にすら、恐れぬとは。畏れぬとは。
何がそうさせているのか。なぜ恐れぬのか。
蛇人の魂のおかげか。もともとの人間性か。
それすらも、解らぬとは。
歯軋りしたラルーの腕の下で、突如、氷点下の声がした。

「あ・・・・・、やっぱつまんねーや。」

その声は、場の空気を転換した。陽から陰へ。オレンジから寒々しいダークブルーへ。
ぴしりと、空間までもが停止しそうな。指の一本ですら、二度と動かなくなるような。そんな空気が、少女を包んだ。
蛇人の瞳。光の反射で生まれた、小さなラルーの小さな瞳の奥に、彼女は、ラルーは自らの未来を見つけた。
「ひうッ!!」
ようやく理解した。瞬間、息を呑んだ。全身ががくがくと痙攣を始めたみたいだった。
苦悶せねばならないのも、敗北せねばならないのも、

死を、受諾せねばならないのも。

ラルーに、決まっていたのだ。
最初から、気付くべきだったのだ。いくら自分が優位にいるといっても、この体勢。酷く、酷く酷く酷く、至近距離であることに代わりは、無い。
――離れろ離れろ離れろ離れろ。
警告を発しているのは、理性なのかそれとも本能か。
その判断よりも前に、脊髄反射で、地面をけり

蛇人の、その細い細い腕が、閃く。

「・・・・・・ッ!」
飛びのこうとしたラルーの視界が反転した。
何が起こったのかを把握する暇も無く、頭部に衝撃が走り、それは徐々に鈍痛に変わって行き、思考能力が根こそぎストップした。
視界を覆っていた黒いもやがようやく晴れた時、相変わらず目の前には蛇人の顔が有った。ただ、一瞬前と違うのは、蛇人の肩越しに、やるせないほど青い空が見えること。そして、ラルーが背中に、地面を感じていること。
瞬時にして、優劣は逆転した。
「というわけだから僕の勝ちだね。」

リークは、恍惚としていた。戦闘に楽しさを見出していた。
今までは暴力を受諾するしかなかった。身を守り、コアンを守りエレナを守り。人を守る事が戦闘の意義だった。
しかし。
命を掛ける、その駆け引きのなんと楽しい事か。
蛇人の姿で、人にはない最高の力を手に入れた喜び。それが全身を浸して居た。

アナンタは、人界へと逃げた際、一人の蛇人族女性の子宮を苗床に選んだ。
特に理由はない。しかしそこには、体内ですでに骸となった身体があった。
天界に見つからぬためには、人の皮を被り、人として生きる必要が有った。
だが、すでに骸となっていたのに、その肉体に宿るべきだった生命は強く。
蛇人たるはずのアナンタの意識を封じ込め、自らの人格を顕現させたのだ。
その人格の名はリーク。だが彼は、アナンタを内在させるのには弱すぎた。
優しすぎたのだ。例えば、友人達が、狂気のようないじめを施したときも。
へらへら笑っていられるほど優しかった。殺されて仕舞うほど、弱かった。
内在するアナンタの力を使い、他人を傷つけることなど出来なかったのだ。
なぜこんな奴に。なぜ、こんな奴に縛られねばならぬ。アナンタは思った。
その歯がゆさは、その葛藤は、その苦しみは、その妬みは嫉みは、やがて。
アナンタの力へと変換され、蓄積された。いつ何時でも開放できるように。
そしてアナンタは、リークの危機のみに顕現し、暴れまわるようになった。
好都合な事にアナンタが顕現するだけ、リークの理性は消えるようだった。
幾度と無く、顕現と復活を繰り返した。そして十の時、少年は無になった。
何らかのきっかけによりもう一度顕現すれば、肉体はアナンタの物になる。
そこまで漕ぎ着けたのに。盗賊が邪魔をして、少年を助け出して仕舞った。
リークはアナンタの力を使うことを、覚えてしまった。人を、助ける事を。
暗黒のような日々が始まった。個が確固とした事で、顕現の余地が消えた。
顕現しようとしても力を使役されるのみで、意識は封じられたままだった。
アナンタのストレスは、以前と比にならなかった。そのまま年月が流れた。
だが異変はたった今訪れた。リークの心がアナンタの精神と同調している。
背反して、重なり合わなかった二つの精神が今、痛いほどに共鳴している。
今なら。そう今なら形勢を逆転する事が出来る。肉体を、手に入れられる。
ほんの一瞬で良い。リークの意識が消えるような事があれば、そのときは。
そのときは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

いまや身動きの取れないラルーは、それでも、必死にもがいた。生に執着した。その向こうには、ナミヤの顔が有る。ナミヤ。ナミヤ。ナミヤナミヤナミヤナミヤ・・・・・。
『くれぐれも、死なないように。』
別れ際に聞いたナミヤの言葉。頭蓋の中を、何度も何度も反響する。
なのに目の前の現実。それは蛇人の形を取り、少女に覆いかぶさる。
ラルーは恐慌に陥った。
「う、あ、あ、あ、あ、あ、ああああああああああああああああああ!!」
ただただ、意味の無い攻撃を仕掛けるだけ。
蛇人のほほを叩く。つねる。身体をゆする。蛇人を振り落とそうとする。膝で股間を蹴り上げる。つま先を、思い切り相手の脛に叩きつける。
生き抜く術を、模索している。再びナミヤにあえる運命を、手に入れるために。
生きたい生きたい生きたい生きたい、死にたく、死にたくなんか無い!!!
泣き喚いて、ラルーは抵抗していたが・・・・・。
蛇人の目が、すう、と、細まった。
瞳は、心の奥を移す淵。だが、蛇人のそれは、澄んでこそ居たが、暗く暗く、光の、全く無い――。
不意に指先が何かに触れた。手になじんだ象牙の感触。その先には、鋼の刃。
無我夢中で。
次の瞬間には、酷くやわらかいものを貫き通す感触があり、頬に温かい血が飛び散り、見上げると、蛇人の片目が。
状況を把握しきる暇はあっただろうか。

「っぎゃああぁぁぁっ!!」

醜いまでの叫び声が聞こえ。
今一度、蛇人の腕が一閃した。
その一撃は、たった一度で、たった一回のくせに。

ラルーの全てを もぎ取っていった。


9 :水佳 :2006/12/28(木) 21:30:39 ID:m3knVkxe

「・・・・・・・・・・。」
横たわるコアンの傍らに、人影が一つ。
タタラという名の聖職者だった。
タタラはコアンを見下ろしていた。無数の銃創と、打撲傷を無感動に見つめていた。
「何で生きてるんでしょうか。」
呟く。
西日が、タタラの顔に陰影をもたらす。
路地裏には、二人だけ。時が止まったかのように、夕焼けの一部となったかのように。
この場所に、二人きり。
コアンに、視力はすでにない。右腕もない。聴覚も消えつつある。
しかし彼は喋った。
かすれた声で。
ただ一言。
「助けてくれ。」
「なぜ。」
タタラは答える。
いかなくてはならない。と、コアンの唇が動いた。音声にはなっていなかった。
助けなくてはならない。救い出さなくてはならない。でないとあのときの恐怖がまた。
タタラにコアンの心情は見えない。
しかし打算はあった。
「いいでしょう助けますしかし覚悟してください。」
タタラは返答する。

今のあなたには、もう二度と戻れませんから。


「ラルーっ!!」
ナミヤは、声を張り上げつつ路地に入ったところで、血にまみれた蛇人と邂逅した。
彼は飄(ひょう)、として立っていた。
背筋を伸ばすでもなく。うつむくでもなく。虚空の、どこかすらも判別の付かない、否、つける必要性すら皆無な場所を見つめたままで。
まるで、西日の作った人影のように、笑うでもなく怒るでもなく悲しむでもなく悪びれる様子なんて露とも見せずに、血濡れた赤い掌をして、赤い肉塊の脇に立っていた。
肉塊が、元は人間で、蜂蜜の如く透き通ったブロンドの髪を持ち、所々にベルトを模したアクセサリーをつけた女だということは、ナミヤの視力でわかる全てだったが、その肉塊をラルーと判断するのには、十分すぎるほどだった。
彼女は、ぼろぼろだった。
腕がありえない方向を向いていた。わき腹に穴が開き、白いものが見えていた。白磁の皮膚は赤くすりむけ、生前の持ち物である血まみれのナイフが、引き抜いてくれる者をなくし、地に付き刺さったまま困ったように佇んでいた。
そして、紫の虹彩を持つ瞳の周りは、やるせないほどに充血し、肌理細やかな髪は結うものをなくし、ばさばさとはだけたまま、自らの母体の、鉄を多く含む体液に浸っていた。
そしてそれらを載せた首だけが、まるで冗談のように、少しはなれたところで、こちらを見ていた。頭蓋には穴がうたがれ、首からはまだ血液が染み出していた。切断面から、繊維をひきちぎり、力に任せて引っこ抜いたのだと知れた。
息をしていないのなんて明白である。
――何と言う死に様。
朝別れたばかりの者が、今はもう魂を抜き取られている、その事実が、現実を見つめる眼をナミヤから奪った。
「ぉまえええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇええええええええッ!!!!!」
咆哮のつもりか、絶叫なのか。
脚で地を蹴り、腕は拳銃を抜き放ち、二発、四発、八発。
肉薄しつつの、容赦のない弾丸は、正確に蛇人の急所を捉えたが、彼は否それは振り向きざまの腕の一閃のみで全弾と、ナミヤの頬を、振り払った。
前方に向かっていたエネルギーを無理矢理捻じ曲げられ、ナミヤは顔から地面と接吻した。火花が散るような映像が瞬時浮かび、歯の何本かは折れ、割れた額から鮮血が噴出した。
それでも痛みに浸りもせず、ナミヤは次の一手を出すために立ち上がった。
その動作の最中、不意に蛇人と片目が合った。片目しか、合わなかった。
ナミヤと、合っていないほうの目。
愕然とした。

――蛇人の片目は、潰れていた。

左の、黄金とも見まがう虹彩とは対称に。
光を吸い取られたかのように、右目だけが、暗い。
眼窩が見えるほどではない。体組織の断面などのグロテスクなものもない。
しかし確かに、その眼は神々しいまでの金の光を失い、そして光を認識する事も二度とないであろうと思われるほど、酷くくすんだ、黒をしていた。
ナミヤは、全て悟った。
ラルーは、おそらく、最後の一瞬まで蛇人と戦い続けたのだ。
まるで主人の危機を眼前にした飼い犬の如く、命を駆けてまでナミヤの敵と戦う事を選んだのだ。
だが、死は、覚悟できていたのだろうか。
ともあれ彼女は、窮鼠猫をかむ、この諺の通りに、最期の最後、一振りの刃に一縷の望みを託したに違いない。
刃は蛇人の眼球を貫いたが、その代償は大きかった。
「ラルー・・・・。」
丁度手元に、彼女の愛用していたアンクレットが落ちていた。アイボリーの皮ベルト。
今は血に染まって遺品としての意味しか持たない。

――否、遺品としての意味しか持たぬからこそ。

ナミヤは、アンクレットを握ると立ち上がり、額からいまだ流れ続ける血液をぬぐった。ゆらり、と体が揺れる。口の中の折れた歯や、入ってきた土を、唾液ごと外に吐きだす。
意識は半分のみ。後は感情に任せる。今にも飲み込まれそうな、深く暗く不安定な感情。
対峙するのは、何にも裏づけされぬ、空洞のごとき無感情を湛えた、金色の隻眼。
蛇人の目の焦点が、合う。すう、と、ナミヤに固定される。
初めて、ここへ着てはじめて、ナミヤの存在は認識された。物体ではなく。人として、敵として、認識された。
耳まで裂けた口をゆがめ、蛇人は笑った。
否、最早それは蛇人ですら、ない。人の皮を被ってはいても。内在する魂は。
魂魄は最早、蛇神のそれだった。彼からは、酷く禍々しい気が漂っていた。
蛇神は、片目と引き換えに肉体を得た。
「フン、遅かったな客人よ。」
蛇神が、口を開いた。先ほどまでその肉体に宿っていた、ナミヤの知らないリークという名の蛇人の声で、姿で、驚くほどに冷酷な物言いをしている。
あざけるような口調で、さらに続けた。
「先ほどまで付きまとっていたそれは、そなたの犬か?よく躾けてあるな。―――片目を、持って行かれたわ。」
そうは言っても、痛みを感じている様子はない。
鱗の生えた手が、黒い右目を撫でた。
「だが――」

人間風情が、よくも舐めた真似を。

音声を発する事無く、生々しい息遣いを持って、蛇人はそういった。
「そなたらの事は、そこの犬に聞いて居る。否―――正確には祖奴の海馬に、な。」
蛇人は、掌の中で弄んでいた肉塊を示した。
ナミヤは、反射的にラルーの頭蓋を顧みた。確かに、孔。その孔の奥は、形容しがたい、――ラルーのものだというのに、それを差し引いてもおぞましい様相を呈しており、蛇人のした事と、その情景を反射的に想像したナミヤは、先ず吐き気をもよおさねばならなかった。
「なにが勇者だ。なにが世界を救うだ。なにが『ガルーディルス』だ。あの鳥の名を冠した程度で、ナーガが敗れるとでも思うたか。それに世界を滅ぼそうとして居るのは、むしろそなたたちのほうであろう。」
そんなナミヤをあざ笑うかのように、蛇神は言葉を紡いだ。
一つ一つ計算ずくで、ナミヤのプライドや、信念を踏みにじっている。
なぜか、目の前の蛇神が、嘘を言って居るように見えない。
しかし、ナミヤは思考する。欠片の意識で、考える。
嘘であるはずだ。根拠は何一つないが、あの日の神の言葉のみが真実に決まっている。
もし仮に蛇神の言うように、ナーガを滅ぼせ、あの言葉の真意が、ナミヤに知らされたそれとは大きく違っていたとしたら――何のためにコアンは死なねばならなかったのか。
「神託でもしたか。フン、奴も柄にも無い事をする。――若造よ、よいことを教えてやろう。そなた達のして居るのは、私を探し出す事であろう?」
対する蛇神は、淡々と、冷静に真実のみを語る口調をしている。それもそのはず、彼は真実しか言っていない。ナミヤがどうしても知ることの出来なかった、そんな真実を語っているだけに過ぎないのだ。
しかしナミヤは――認めなかった。
「ええ、そうです。そしてあなたは見つかった。この、大陸最大の都市であるキルケで。私に見付かったからには、どのような手を用いても無駄です、あなたはここで何をしようと、あの方に摑まる。あの方に捕らえられる。たとえ、私たちをこの都市で皆殺しにしたとしても。ラルーを――殺しても!!」
ナミヤの言葉に含まれた怒気と悲しみは、それだけで、聞く人の心をずたずたに引き裂くだけの、そんな迫力があった。
同時に、肉体に力が入る。銃を構える。足の筋肉が膨らむ。三白眼を見開く。
そして、総開放。
文字通りグワリと土をけり肉薄する。怒りと、怒りと、怒りと怒りと怒りと怒りと怒りと怒りと怒りの全てをその脚に乗せて!
しかし蛇神は、人ではない。
「すまぬが、そなたには最大級の阿呆という称号がよく似合う。よく考えてもみよ、そなたに神託した奴は、そなたに何を望んだ?最終目標は私かも知れぬが、世界の救済という名目の元、破壊と暴力しか成して居らぬだろう。そなたたちは、奴に利用されておるのだ。」
そして蛇神はナミヤにかまわず、目蓋をふさぎ言葉を紡ぐ。

「―――ヴィシュヌの――したことだ。」

「何故貴様があの方の名を知っているッ!!」
撃鉄を起こし引き金を引く。ナミヤが初弾を撃った。蛇神にとって、避けるも裁くも自在のはずだった。しかし。
ガツン!!
頭蓋がぶれた。そう認識したのはずいぶん後になってからである。
視神経が誤作動し眼前に火花が散り瞬時に――瞬きすらする事もなくすることも出来ず蛇神は地面に叩きつけられた!!
「グはっ!!?」
ゆらりとナミヤが体を起こす。その拳からは、新しい鮮やかな赤い血が、今も尚どくどくとあふれ出している。
(殴ったというのか?!蛇神を?この―――無敵の存在をッ?!)
蛇神は半分しか開かぬ左目を開け、ナミヤを仰ぎ見た。自身の呼吸音が、荒い。ほほが腫れてずきずきと痛んだ。虎の子だった牙も殆どがかけている。はがれた鱗も十枚二十枚では利かないだろう。
「黙れ馬鹿が」
ナミヤの声は低い。
「貴様なぞに生きる価値はない。何だこの世界で自分が最強だとでも思ったか?どちらが最大級の阿呆だ。驕り高ぶり人をも殺す、それが神のする事か。貴様のしたいことはそれだけか。なぜ自分のことしか考えない。なぜ周囲のことを考えない!なぜ平和に暮らそうと思えない!なぜ人の命の大切さを理解しようとしないんだ!! 仮にも神だろ?貴様は、蛇神だろうがッ!!!」
たとえ無力な人の身であっても、心と信念を持つものの拳は岩をも砕く。
拳銃の一発は完全な罠。人間につりあわぬ武器の速さを持って蛇神の眼をくらませる。銃の弾に集中する蛇神に拳を叩き込むのは、造作もないこと。

「そろそろ後悔しろッ!生きるな!!死ねッッ!!!」

その声と同時に再びナミヤが加速する。
その時、ドクン。蛇神の心臓が、一際大きな鼓動を発した。
「なっ・・・・・・?!」
アナンタの内部で、リークの呼び声が木霊した。
《―――ろ。》
ボキリ。蛇神の背骨が異様な音を立てた。瞬時蛇神が背を折り絶叫した。
《――――――んでろ。》
「ぐああああぁああぁぁぁぁぁっ??!」
蛇神は仰け反ったまま胸部を掻き毟り、未だに眼を見開いて、あらん限りの声を絞り出していた。思わずナミヤが立ち止まるほどの音量。
その瞳には、涙が。苦しみの所為か悲しみの所為か何があったのか。

「あああああああああああああぁぁっぁああがあああぁぁぁ》
《引っ込んでろアナンタァァァァァァァァァァァぁぁぁぁああああああッッ!!」

――瞬時に、鱗が引いた。
眼の金色が白と、鮮やかな緑の虹彩に変異し、みずみずしい人の肌と、相も変らぬ金に近い黄土色の髪がきらめく。
変異は、一瞬の事。
肉体の主導権をもぎ取ったリークは、跪いた格好のまま、荒い呼吸を繰り返した。


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.