Spring Vacation


1 :ちゅら :2011/05/30(月) 21:02:30 ID:PmQHLio4

 高1の春が終わった。束の間の休息が訪れて、僕らの高校は春休みに突入した。
終業式を終えた僕は、学校から500mほど北にあるコモヲ公園で開放感に浸っていた。

「春休みはどこに遊びに行こうか?」
 傍らには去年の夏から付き合っているあかねがいる。いつもの光景。
「なあ、あかね。大事な話があるんだ、聞いてくれるか?」
「うん、なになに?」
「別れてほしいんだ」
「わかれてほしい?……嘘」
 あかねは絶句している。つい先ほどまで穏やかだった表情は一変していた。そして
驚きに満ちている。

「どうして?別れる理由なんてないじゃない。他に好きな子でも出来たの?」
「そうじゃない」
「だったらどうしてよ」
 あかねは僕の肩を二度ポンポンと叩いた。
「理由を話しても、きっと理解してもらえないよ」
「やっぱり好きな子が出来たのね。私、直人のことずっと信じてきたのに」
 自分自身を一度清算したいから。
 こんな理由を述べて、誰が納得してくれるだろうか。だから僕は何も言わなかった。
「何か言ってよ。この仕打ちが私に対する答えなの?」
 問い掛けにやはり答えなかった。
「最低」
 彼女の言う通り、僕は最低だ。こんな形でしか、今の自分を表現できないのだから。
 しばらく僕を見つめた後、泣き崩れてあかねは公園を出て行った。

「塾をやめるってどういうこと?直人、一体どういうつもり?」
 母の抵抗は予想通りだった。塾をやめると言って、反対しない親は皆無に等しい。
「だからやめるってこと。理由は別に何もないよ」
「この大切な時期に……直人、何かあったの?あかねちゃんと仲が良かったのに突然別れ

って言い出すし。あかねちゃん、すごい落ち込んでいるらしいわよ」
 あかねの母と、僕の母は友人同士である。同じ料理教室に通っているから、すぐ母の耳

届くのは承知していた。
「あかねと今回の件は別問題だよ。とにかく塾はやめるから」
「ねえ、博人。何か直人に言ってよ」
 父は黙って新聞を読んでいた。それは返って僕には不気味だった。
「ねえ、博人聞いているの?」
 母の怒りは頂点に達している、これ以上溜め込むと、感情を制御するわけにはいかない

ら、父に助けを求めているようだった。

「好きにさせてやればいいんじゃないのか。直人に考えがあるんだろう」
「あなた何言っているの?まだ直人は高校生なのよ」
「高校生にもなれば自分の考えくらい持つさ。直人が何を考えているのかは知らないが、

せてみるのも一つの方法ではないのかな」
「もう、甘いんだから……」
 普段は寡黙な父の意外な言葉に、僕自身が驚いていた。
「悪いね、父さん。僕の好きなようにさせてもらうから」
 父に賛同をしてもらって、僕は正直安堵していた。この春休みで僕は僕自身を一度リ
セット
してみる。前から構想はあったが、実際に決めたのは2週間前のことだった。

 携帯電話の解約を済ませて、すべての作業が整った。これで友人から電話も掛かってこ
ない
し、あかねとのメールで気を紛らわすこともない。誰にも束縛されない生活。
 自室にある南側の窓を開けて見る。すがすがしい春風が吹き込んでくる。もうすぐ本格
的な
春がやってくる。
(高2になったら、新しい自分を見つける)
不安ながら今の支えはこれしか見つからずにいた。


2 :ちゅら :2011/06/02(木) 19:16:53 ID:PmQHLio4YG

 叔母から春休みの間遊びに来ないかと誘われた時、私は救われた気分になった。このと
ころ
ひどく混乱するような出来事が立て続けにあったから、尚更だった。
「お世話になります」
「葵ちゃん、そんな畏まらないで。佳代子が海外旅行行くなんて言い出すから、私が誘っ

だけなんだから」
 母は私が春休みに突入したと同時に、8歳年下の彼氏とアメリカへ旅行に出掛けた。おそ

く叔母が面倒を見てくれるのを見越しての計画だったのだろう。
「本当佳代子は母親失格だわ。自分のことしか考えていないんだから」
 叔母さんは頭を抱えて嘆いたが、慣れている私は何とも思わない。
「気にしないで、叔母さん。私はこうして誘ってもらえただけでも幸せ。一人で家に居た

なかったから、とても嬉しいの」
「葵ちゃんはいい子ね。佳代子が母親であることが信じられないわ」
 私は笑って叔母さんの話を聞いた。確かに母はまわりから見れば、ちょっと浮いた存在

見えるだろう。けれども母としての役割を放棄したわけではなく、しっかりと面倒も見て

れる。それに今の母は父と離婚して、活き活きしている。眉間に皺を寄せて暮らしていた

の頃とは違う。

「春休みの間だけの短い時間だけど、ゆっくりして行ってね」
 何気ない叔母の一言が身に染みた。こちらの言葉が今の私にはズシリとくる。春休みは
たった二週間だけの短い時間なんだ。また終われば私はあの場所に戻らなくてはならな
い。私の
呼吸はひどく乱れた。
「どうかした?私何かひどいこと言った?」
「ううん、平気。私二階に上がってくるね。窓から外の空気でも眺めてくる」
 気分転換のために、私は外の空気を吸ってみたいと感じた。重々しい気分を拭ってしま

たい思いもあった。

 外の景色を眺めながら、僕はぼんやりと考え事をしていた。あかねや塾と縁を切ったの

いい。だけどこの後、どうすればいいのか。僕は展開が全く描けずにいた。先程まで昂
ぶっ
ていた思いはどこかに消えてしまっていた。

 前方の家の固く閉ざされていたドアが、勢いよく開いた。住人のおばさんが出て来るの

と思いきや、現れたのは少女だった。年は僕と同じくらいだろうか。少女は驚いた表情を

せると、こう言った。
「すいません。すぐ閉めますね」
「ああ、気にしないで、こうしてボーっと空を眺めているだけですから。良かったら一緒

付き合ってくれませんか?」
 戸惑った様子を見せた少女であったが、小さく頷くと空を眺め始めた。視線は合わすこ

なく互いに思い思いにどこまでも青い空を眺める。このまま15分ほど会話もなく、ただひ

すら眺め続けていた。
 春の空気は生温かくすがすがしかった。これから桜が咲いて、一年中で最も華やかな季

となる。僕はこの時期が最も好きだ。それが理由というわけではないが、リセットするな

この時期しかないと前から考えていた。

「いい天気だったし、ここの景色はいつ見ても最高」
 最初に話したのは彼女だった。
「君はここの住人ではないよね?」
 隣の叔母さんに子供はいないはず。だとしたら彼女は姪か知り合いの子供となる。
「うん。春休みの間だけ、叔母さんの家に遊びに来ているの」
「そうか。普段見慣れないと思ったんだ」
「あなたは今日私と会うのが初めてかもしれないけど、私はあなたのことを前から知っ
ているわ。名前は確か直人くんだよね」
 いつから彼女は僕のことを知っていたのだろう。普段近所の家のことなんて気にして
いないから、全く気づかずにいた。
「ずっと見られていたんだ。気づかなかった……」
「私、冬休みの間ずっと暇だったからたまにこの部屋で観察させてもらっていた。変な
趣味とは言わないでね。ところで彼女はどうしたの?せっかくの春休みなのに、一緒に
過ごさないわけ?」
 あかねの存在を知っている。これには参った。


3 :ちゅら :2011/06/07(火) 20:59:27 ID:PmQHLio4YG

「あかねとは別れたよ」
「どうして、どうして?」
「どんな想像していたか知らないけど、そりゃ別れることもあるでしょう」
「残念だな。私応援していたのに」
 悔しそうな表情で彼女は言った。
「あかねのことは今度話すからさ、まず自己紹介してよ。僕は君のこと何も知らない」
「えっ、私?私のことなんて興味ある?」
「もちろん。興味が無ければ、こうして話さないよ」
「それはどうも。それじゃ簡単に自己紹介するね。私は本村葵。隣の埼玉の高校に通って
います。この4月から高2になります。自己紹介は以上」
 簡単な短いものだった。まあいい、徐々に相手のことを理解していけばいいのだ。
「葵っていうんだ。いい名前だね」
「ありがとう。だけど私はこの名前嫌い」
「どうして?」
「いい名前だと思う?葵って結構ありふれているし、それに父さんがつけた名前だから」
 父とは幼い頃からずっと会っていないと、彼女は言った。
 
「ねえ、こんなとこで話していても仕方ないから散歩でもしない?」
「あかねさんに申し訳ない」
「だから……あかねとは別れたの」
「ああ、そうか」
 何とか葵は了承してくれた。リセット初日に思わぬ出会い。僕は幸先いいスタートに
手応えを感じていた。

 彼のことは全く知らないわけでないが、私はかなり緊張していた。男子と面と向かって
話すのは久々だからだ。発作的な衝動が起きなればいいけれど。
「手が震えている。そんなに緊張しないで」
 彼に指摘されるまで、全く気づかなかった。
「ごめんね。これでも人見知りなの」
「仕方ないよ。僕が急に誘ったんだから」
 彼にはなぜ私がこんなに緊張しているのか、悟られないよう振舞うだけだ。
「おすすめの公園があるから、そこへ行こう。君に見てもらいたいものがあるんだ」
 彼の目は澄んでいて、透明感がある。とても悩んでいる人の顔には見えなかった。
まあいい。とにかく話を聞かなければ、判断は出来ない。

「リセットしてみたいって考えたことある?」
 リセット?ゲームの話?
「やり直しってこと?」
「近いかな。人間関係を一度清算するの。今ある関係をすべて見直すの」
「そんなこと出来るの?」
「やり遂げてみせるのさ」
 彼は意気揚々であった。なるほど。あかねちゃんと別れたのも、「リセット」のせい
だと私は直感した。
「あかねちゃんと別れたのも、それが原因ね。ちゃんと理由は伝えたの?」
「いいや、伝えていない。話しても理解してもらえないでしょう」
「まあ、そうかも」
「最低な奴だと思ってくれた方がいいんだ。実際にそうであるし」
 自分に言い聞かせるように彼は話した。
「こんな僕を君はどう思う?」
難しい質問だ。人間関係をリセットしたいって思ったことは、私にだってある。だけど
実際に実行に移したことはない。だから私にはわからない。
「不安なのはわかるよ。だけど決めたんでしょう。だったらやり遂げたらいいんじゃな
い」
 彼は笑顔になった。こんなアドバイスで良かったのだろうか。
「正直吹っ切れていない部分があった。だけど君の一言で勇気づけられた。やるしかない

だよね」
 公園は高台にあって、街の風景が一望できた。とても綺麗な町並み。彼がお気に入りの
場所だと言うのも頷けた。

「君の住んでいる街は美しい?」
 彼がふと訊いた。さてどうだろう。最近は私的な事が多くて、街並みなんて気にしたこ

もなかった。苦難は人から余裕を奪ってしまう
「美しいのかすらわからない。あんまり気にしてなかったから」
「良ければ今度連れて行ってよ。君が住んでいる街を歩いてみたい」
「そうだね。また機会があれば」
 彼は少し元気になったみたいだった。リセットか。出来るなら私はこの記憶をリセット

てしまいたい。ゲームの記録みたいにすべて消えてしまったら、心身はどれだけ穏やかに
なれるのか。一度試してみたい心境だった。


4 :ちゅら :2011/06/17(金) 19:40:16 ID:PmQHLio4YG

 翌朝、思ってもみない客が訪れた。同級生の鹿島だった。母は笑顔で彼を迎え入れた。
鹿島
に何とかしてもらいたいという意志が見えた。
 鹿島は眉間に皺を寄せて、明らかに怒っていた。

「あかねと突然別れたり、携帯を解約するってどういうことだよ」
「何も話してなくて悪かった。色々あってあかねと別れることにした」
「あかねは泣いてるぞ。突然だったから動揺が収まってみたいだ」
「彼女には悪いことをした。すまないけど鹿島から謝ってくれないか」
「ふざけんな」
 襟元を鹿島が掴む。かなり力強いものだ。僕は抵抗することなく、されるがままであっ
た。
このまま一発殴られても仕方ない。
「あかねがどんな思いなのか理解してんのか。いくらなんでも自分勝手過ぎやしない
か?」
「だったら鹿島だけに事情を話すよ」
「いったい何なんだ?」
 鹿島は掴んでいた手を離した。僕はこれまでの経緯について話した。到底理解はしても
らえないと思っていた。僕の予感は当たる。

「リセットって俺とあかねをバカにしてんのか?俺らの存在は元から無かったとでもいう
のか。
リセットしましたから、後はよろしくって。俺あかねに何て話せばいいんだ?他に好きな
子が
出来たって言ってもらった方がまだ良かったよ」
 吐き捨てるように鹿島は言った。僕は彼の目を見ることができなかった。
「お前がそんな勝手な奴だとは思わなかったよ。好きにするんだな」
 辛辣な言葉だった。だが僕は安堵していた。不思議な感覚だった。

 こんな時は葵を頼りたくなる。僕は前面の窓に向かって、呼びかけた。
「ねえ、今大丈夫?」
「何かあったのかな、直人くん」
 窓がサッと開いて、葵が顔を出した。
「葵さんの言う通り。ちょっとありました」
 鹿島との一件をさっそく報告した。葵は黙って訊いていた。
「いい友達じゃん。本気で心配してくれているんじゃないの」
「そうかな?」
「そうだよ。わざわざ自宅まで押し掛けてくれるんでしょう。なかなかいないよ」
 葵なら違うことを言ってくれると淡い期待をしたが、結果は母と同じ意見であった。
「まわりから見ればいい関係にしか見えないんだろうね。実際はそうでもないんだよ」
「相性百パーセントピッタリの友人なんていないでしょう。どこかムカつく所は二つや三

誰にでもあるんじゃない。私だってそうだったし」
 葵の口から友人の話が出たのはこれが初めてだった。
「葵は友人関係うまくいっているの?」
「えっ?」
 葵の表情が固まった。僕は地雷を踏んでしまったのか。

 友人関係を訊かれるのは私にとって最大のタブーだ。それを尋ねるなんて何とデリカ
シー
がないのかと思ったが、直人に私の気持ちがわかるわけがない。私は笑ってごまかした。
「うまく言っているよ」
「そうか、ならいいね」
 私は動揺していた。この家なら梢のことは忘れられると思ったのに。「友人」という
テーマ
で話をしたのがいけなかった。
「でも女同士の友人関係って色々大変なんでしょう?」
「ねえ、私の話なんていいじゃない。もっと他に楽しい話があるでしょう」
 直人は私が苛立っているのに気づいたらしく、急に話題を変えた。
「ねえ、Magicっていうミュージシャン知っている?」
「知っているよ、私大ファンだもの」
「やっぱり。この間公園を案内していた時に、Magicの唄を口笛で吹いていたからそうじゃ
ない
のかなって思って」
「直人くんもファンなの?」
「もちろん。ファンクラブに入っているくらいだからね。明日良かったら、一緒にコン
サート
行かない?チケット2枚あるから」
「すごい、すごい。私電話予約したのに、取れなかったチケットなんだ」
 私は我を忘れて興奮していた。
「じゃー決まりだね。明日の午後4時、玄関前で待っているからね」
 直人は素敵過ぎる。沈み込んでいる私にとって、コンサートの誘いは寝耳に水であっ
た。


5 :ちゅら :2011/06/25(土) 00:16:21 ID:PmQHLio4YG

 コンサートチケットが二枚。Magicのファンになったのはあかねの影響だ。本来ならあか

と一緒に行くはずだった。彼女からCDを借りるうちにどんどんはまっていった。幅広い年
代層に支持される彼らのチケットを獲ることは非常に困難なことであった。取れた時は
昨日の葵と同様、あかねも飛んで喜んでいた。

 午後4時、約束の時間。葵は赤いコート、白いパンツを履いて現れた。Magicのライブと

うともあり、僕らは既に興奮していた。葵のことはあまり知らないけど、Magic限定であれ

グッと距離が縮まりそうな気がした。
「つまらない春休みになるかと思ったのに、Magicのライブに行けるなんて本当素敵。今日

心の底から楽しまなくちゃ」
 葵の表情は晴れやかだった。こんな彼女を見るのは初めてだ。僕も嬉しくなってきた。

うなると会話も弾む。
「僕は『No name』って曲が好きなんだけど、君は何が好き?」
「私は『証』かな。ドラマの主題歌だったんだけど、ちょうどその頃恋愛していて。当時

曲と私の思いがシンクロしていたんだ」
「彼とは今でも付き合っているの?」
「ううん、別れた」
 葵のことが知りたくて、つい尋ねてしまった。表情が曇ったりしないか心配したが、彼
女は終始笑っていたので安堵した。
「Magicは共感できる曲が多いよね。この前のアルバムも買ったけど、良かった」
 会場に着くまで僕らはアルバムの感想について語り合った。話は盛り上がり、あっとい
う間
にライブ会場に到着した。
 ライブ会場ではグッズの販売が行われており、既に多くの客で盛り上がっていた。僕ら

いったん二手に分かれて、それぞれ欲しいグッズを探すことにした。
 ライブ会場限定の携帯ストラップをとりあえず購入する。僕はふと葵がいる方向に目を
向け
た。すると彼女の前に見知らぬ男女が立っていた。女は葵と会話をしながら、ニコニコ
笑って
いた。恐らく葵の友人だろうか。
 隣にいる彼氏は頭を掻き毟りながら、非常に困惑している様子であった。困惑する葵と
男。
笑顔の女。少し変わった光景であった。
 葵はにこやかに語りかけると、すぐに走り去ってしまった。明らかに様子がおかしい。
僕は
慌てて彼女を追い掛けた。

 ライブ会場周辺を色々探し回ったが、結局葵は見つからずじまいだった。これだけ多く

人がいたら、簡単に見つかるはずもない。こんな時に携帯がないと本当不便だ。解約した
こと
が恨めしい。
 僕は開場ギリギリまで葵を待ったが、彼女は戻ってこなかった。チケットは既に手渡し
ている。申し訳ないと思いながらせっかくの機会なので、先にライブ会場に入った。
 ライブ会場は既に暗くなっており、スクリーンからはMagicのプロモーションビデオが流
れて
いた。彼らが登場するのを今かと待ち構えるファン達。まだ始まっていないのに、会場は
大盛
り上がりだ。
 メンバーが一人ずつ紹介され、壇上に上がっている。そのたびに会場は大喝采。僕もそ
れに
釣られるように、拍手を送る。オープニングは僕の大好きな『No name』。一気にテンショ
ンは
上がる。日頃の嫌なことを忘れさせてくれる、何て素晴らしいのだろう。
 2曲目、3曲目とロック系の少し懐かしめの曲。僕はこの曲は知らない。あかねからす

てのアルバムを借りたわけではないから、致し方ない。だけどいい曲に変わりはない。
 やがてライブは進行していき中盤以降を過ぎたが、葵は戻ってこなかった。隣にポツン

一つ空いた座席。まわりは友人やカップル達で盛り上がっている。相変わらず音楽は良
かった
が、葵が戻ってこないのでさすがに不安になってきた。
 
 ついに葵が大好きな『証』の曲の演奏が始まった。ピアノ演奏のオープニングの後、
ボー
カルがしっとりと唄い始める。会場も同じようなムードが漂う。すると隣から女性の泣き

が聞こえてきた。横を見ると葵がいた。あまりに夢中になって聞いていたので、声は掛け
られ
なかった。
 『証』の演奏が終わると、葵は何事も無かったかのようにジャンプを始めた。会場も大
盛り
上がりだ。曲自体がノリノリなので、いつもライブ後半に唄われる彼らの代表曲だ。
「葵が戻ってこないから、心配していたんだよ」
「ごめんね。せっかく誘ってもらったのに、途中からなんてね。でも楽しい、サイコー」
 エンディングまで葵は終始ノリノリだった。先程までの涙が嘘みたいだった。

「良かった。いい経験させてもらった」
「本当だね。また来ようって気になるね」
 葵は満足そうな顔をしていた。涙あり笑いありと今日の彼女は感情が豊かだ。ライブ前

涙の訳を聞きたかったが、僕は黙っておくことにした。


6 :ちゅら :2011/07/03(日) 23:38:23 ID:PmQHLio4YG

 まさかあの二人に会うとは思っていなかった。これが神様のいたずらだとしたら、悪ふ
ざけ
にしか思えない。彼らのおかげでライブの半分を台無しにしてしまった。
 今の私を直人はどう感じているだろう。いいように思っているわけはない。せっかく
誘って
もらったのに、申し訳ないことをしてしまった。なぜこうなったのか説明した方がいいだ
ろう。

「この後まだ時間ある?」
 直人が腕時計に目をやりながら、私に尋ねた。
「平気だよ。おばさんには遅くなるって伝えてあるから」
「そうか、だったら良かった。あの観覧車に乗らない?」
 直人が指差した方向に目をやる。こんな所に観覧車があったんだ。私は即座にOKする。
「乗ろう乗ろう。今日はこのまま帰りたくない」
 私から直人の手を引っ張って、観覧車乗り場に引っ張っていく。彼は驚いた様子であっ
た。
確実に私は今日の出来事を引きずっている。少しでも和らげて叔母の家に帰りたかった。

 入場券売り場でチケット二枚を購入して、私達はさっそく観覧車に乗り込んだ。私と直

は正面向かいで座った。ビル群の灯りが点っていて、非常に幻想的な雰囲気だ。少しでも
嫌な
ことを忘れればいいと私は思った。
「きれいだね。他に言葉が見つからない」
「本当だね。何か癒されるね」
 てっぺんに上るまで、私達はただ黙々と景色を楽しんでいた。直人はあえて気を配って
くれて
いたのだと思う。

「今日の事、やっぱり気になる?」
 観覧車はゆっくり下ろうとしていた。
「そりゃそうさ。気にならない人はいないんじゃない?」
「そうだよね。だったら話す。直人くんには理解してもらいたいから」

「あの二人はどちらも私の知り合い。同じ高校に通っている同級生なの」
「あんまり顔はよく覚えてないけど、あの二人はお似合いのカップルには見えなかったけ
どね」
「ありがとう」
 何となく直人は察知しているだろうか。」
「そっか。しかし神様もひどいよね。何もライブ会場で巡り合わすこともなかったのに」
「私も同じ事考えた」
 直人に話すことで、私の不安は少しずつ消えていってくれたらいい。やがて忘れられた
らいい
のだが、それは困難だろう。

「別れて大分経つのに私は何しているんだろうって思える。あの二人は学校で会うわけだ
から、
慣れなくちゃいけないのに」
「そう簡単にはいかないよね」
「受け止めないといけないんだけど、なかなか」
「まだ忘れられないの?」
「さあわからない。自分では大したことないって思うんだけど、今日の出来事を振り返っ
たら
まだ傷は癒えてないみたい。私も情けないよね。あの場から逃げてしまうんだから。堂々

するべきだった」
 観覧車はゆっくりと円を描いて、最初の地点に戻った。私達は静かに下りた。
「今日は話を聞いてもらえて、うれしかった。モヤモヤしていたものが少しだけ晴れた気

する」
 直人は海を見つめていた。船が汽笛を鳴らしながら、航行していた。
「また今度こうやって時間があったら、遊ばない?」
「うん、そうしよう」
 最後は楽しい時間を過ごせた。いったいいつ以来だろう、心の中から楽しめたのは。春
休み
が終わらないで欲しい。本気でそう思えた。

 夜遅くまで葵と過ごしたせいで、今朝は寝坊してしまった。母からはみっちりと叱られ
た。
相変わらず父は黙っていた。かえってそれが不気味であった。
「あんたに手紙が来ているよ。誰からか知らないけど」
 母から受け取ると、さっそく封を開ける。それはあかねからの手紙であった。彼女から
の手紙
だとわかって、何だか重たい気分になる。しかしこのまま置いていくわけにもいかない。
来月から
はまたあかねのいる高校に通わなくてはならないのだから。鹿島の言ったとおり、リセッ
トして
も関係が終わったわけじゃない。

「鹿島から携帯を解約したと聞きました。メールで連絡を取れないので、手紙という形で
今の私の
気持ちを綴りたいと思いました。迷惑かもしれないけど、ぜひ最後まで読んで。
直人がリセットの一環で、私と別れることを決めたと鹿島から訊きました。何があったの
かは
わからないけど、直人の決断を私は尊重します。
 でも正直言ってショックでした。何の相談も前触れも無かったから、私は全く気づいて
いなか
った。私は直人に甘えてばかりいたから、きっと嫌気が差していたんでしょうね。
 今は毎日が辛いです。きっと学校でもうまく顔を合わせることができないかもしれな
い。だけど
今は鹿島の手を借りながら、懸命に立ち直っている段階です。
 一つだけお願いをしてもいいかな。リセットするなんて悲しいことを言わないでほし
い。リセット
って、今まで過ごしてきた時間が無駄であったって言われている気がして。失恋したこと
よりも
こちらの方が悲しいし、苦しい。きっと鹿島も同じ気持ちだと思う。どうか春休みの間に
考え直し
てみてください」 あかねより

 捉え方が違っている。あかねは何も悪くないのだ。たとえあかねとは違う女性と付き
合っていた
としても、僕は別れていた。何の説明もなかったのがいけなかったのか。リセットする難
しさを痛
感させられていた。


7 :ちゅら :2011/07/11(月) 22:19:18 ID:PmQHLio4YG

 4月8日。カレンダーに大きくマルが書かれている。新学期が始まる日だ。あと一週間
で、学校
が始まってしまう。そう思うと憂鬱だ。今年の冬休みだってそうだった。あと何日かで学
校が始まる
と思うと胸が痛んだ。どうして3学期は乗り越えられたのかはわからない。強いて言え
ば、自らに
暗示を掛けたから、乗り越えられたのか。さあ今度はどうだろうか。どうかあの二人とは
違うクラス
になりますように。そう祈るほかない。
 
梢が和真と交際するようになってから、彼女は大きく変わった。今まで何をするにして
も、私に
相談しなければ行動できなかったのに、今の梢は堂々としている。この前のライブ会場で
会った時も
そうだった。私を見る目が明らかに違っている。上から見下ろすような視線、私を蔑んで
見ている
に違いない。

「これまでいつも葵を追いかけてきた、何もかも。葵についていけば、何でもうまくやっ
て来れた
んだから」
 入学式の時、梢はこう言った。友人からこう言われるとは考えていなかったので、私は
面食らった。
葵は私をそう捉えていたんだ。そして梢はこうも付け加えた。
「これからは葵に頼ってばかりじゃいけない。私も葵に頼られる存在にならなきゃ。そう
でないと
友人とは言えないでしょう。私高校に入ったら、しっかりするんだ。ちゃんと見ていて
ね」
 力強く梢は宣言した。私は非常に戸惑った。今までの関係で特に不満はなかったから。
梢が変
わるのはいいとして、それは果たして二人の関係が良い方向に向くのかと。

 梢は率先して私をグイグイ引っ張った。ショッピングでは雰囲気のいい店を探してく
れ、私を
連れて行ったり、ネットで流行しているホームページを紹介してくれたりと、明らかに積
極的に
なった。私はこれを肯定的に捉えた。
 ちょうどその頃私も転機を迎えていた。高1の5月であった。同じテニス部の和真から、
交際
を申し込まれたのだ。突然のことで私は驚いた。中学の時から和真とは友人であったけれ
ど、
まさか告白されるとは考えていなかったのだ。このことはすぐに梢に相談した。

「私、男子から告白されたの」
「すごいすごい。それで相手は誰?」
「安藤和真。ほら同じテニス部の」
「ああ、安藤なんだ。良かったね……」
 私はすっかり舞い上がってしまっていて、細かな梢の表情に気づいていなかった。とに
かく
梢に話を聞いてほしかったのだ。
「どうしよう。告白受け入れた方がいいのかな?」
「いいんじゃない。葵は安藤のこと嫌いなの?」
「いや、そういわけじゃないけど。あたし告白されたの初めてだから、よくわからなく
て」
「嫌いだっていう表情には見えないけど」
 梢に確認したことで、私は和真と交際することを決めた。和真はとても喜んでくれた。

 和真との交際はけんかが絶えなかったけど、とても楽しかった。私が和真と付き合うと
同時に大切にしたのが、梢との時間である。せっかく梢が積極的になってくれたのだ、断
るわけなんていかないし、私も彼女との時間を大切にしたかった。
「ねえ、今日も相談に乗ってよ」
「また恋愛相談?」
 ファッション雑誌を片手に、今度どこ行こうかと梢と思案しているところだった。
「ねえ、聞いてよ。梢しか話せないのよ」
 初めは話を真剣に聞いてくれたのだけれど、話す内容が同じになってきて梢はうんざり
して
いる様子であった。それでも私はお構いなく、相談し続けた。
「私にはケンカしているようには見えないけどね。順調ってことでしょう?」
「そうなのかな。ねえ、梢は好きな人いないの?」
 私の話ばかりしていても仕方ないので、今度は梢に尋ねてみた。
「えっ?」
 梢は固まった。どうやら図星のようだ。
「ねえ、誰なのよ」
 さらに梢は固まった。
「私は叶わぬ恋だから」
「もしかして先生とか?」
「さあ。これだけは葵にも話せないよ」
「そう、叶うといいね」
 梢は黙って話をファッション雑誌の話に戻した。彼女の淡々とした仕草が印象的だっ
た。


8 :ちゅら :2011/07/17(日) 23:57:31 ID:PmQHLio4YG

 しばらく経ってから、梢は私と会うのを避け始めた。休み時間になっても、梢から近づ

てくることはしなくなった。私から話しかけても素っ気無い返事しか返ってこない。なぜ

のか私は理解できなかった。

「ねえ、梢。私の事、最近避けていない?」
「忙しいかなって思って。ほら和真くんと付き合っているしね」
「全然平気だよ。和真は和真だし、梢は梢だから」
 すると梢は不機嫌そうな表情をした。明らかな冷たい視線である。
「私に構わなくていいから、和真くんと一緒に過ごしたらいいじゃない。私のことは放っ

おいて大丈夫だから」
 梢の口から出た衝撃的な言葉。
「ねえ、もしかして……」
「それ以上言わないで。それ以上言ったら、絶好だから」
 初めて私は梢の気持ちを知った。梢は和真のことが好きだったのだと。
「私、気づいていなくて。だから……」
「だから同情はしないで。葵が逆の立場なら、わかるでしょう」
 梢は行ってしまった後、私は呆然と立ち尽くしていた。これ以降私と梢の関係はぎく
しゃく
してしまった。
 
 梢との関係がおかしくなって、和真との交際もぎこちなくなった。一つの大きな支えを
失った
私は、いとも簡単に崩れていった。和真はこんな私を必死に支えてくれようとしたが、無
理だった。
「ねえ、どうしたんだよ。何があった?」
「ううん、別に」
「岩城とはあんなに仲良かったじゃん。二人で喧嘩でもしたの?」
 和真は心配してくれていた。気持ちは有難いが、何も言えない。
「まあそんなところかな。和真は気にしなくていいから」
「そんなわけにはいかないよ。良かったら僕が仲介してもいいけど?」
「絶対ダメ。余計こじれるだけだから」
 和真は残念そうな顔をした。
 あの時私がきちっと方向性を出しておけば、今のようになっていなかったかもしれな
い。

-どちらもうまく収めたい-
 あっさりと和真は言った。そして彼は怒っていた。なぜなのか、私はわからなかった。
「怒っている?」
「怒っているというより、僕は悲しいんだ。どうして言ってくれなかったの?」
「だから何のこと?」
「まだ黙っているつもり?それじゃ僕から話すしかないね。葵と梢がの仲が悪くなったの
は、僕が
原因って聞いたんだ。本当なの?」
「そんなの嘘に決まっているじゃん。どうして私と梢が和真のことで喧嘩しなきゃいけな
いの?」
 私は二人の友情と名誉のために、決して話したくはなかった。

「なぜだか理由はわかんないけど、これは岩城から聞いた話なんだから間違いない」

 和真から発せられた言葉に、私は胸を打ちひしかれた。体全体の力が脱力していくのが
わかった。
言葉に言い表せないほどショックであった。
「岩城はちゃんと話してくれた。理由までは教えてくれなかったけどね。彼女は隠し事を
しない人
だよ、君と違ってね。だから岩城さんの方が信頼できる」
「ちょっと待って。本当に梢から聞いたの?」
「ああ、聞いたよ。僕はガッカリしたよ。そして傷ついた」
 こんなことになるなら、話しておけば良かったと私は思った。そして梢に裏切られた思
いに
なった。なぜ彼女が和真に話したのかはわからない。でも聞いてみたいとは思わない。聞
けば
さらに私は狂ってしまう。もうあの学校に戻れなくなってしまう。

 しばらくして梢と和真は付き合い始めた。私は彼の中で、信頼できない女になった。真
相はどう
なのか。聞いてみたいが怖かった。

ダメで元々。僕は葵にある提案を考えていた。それは期間限定の恋人になること。馬鹿げ
たこと
だと言われることは覚悟していた。今の現状を考えると、これしかないと考えたのだ。
葵を近くのファーストフード店に呼んだ。彼女も僕に何かの用事があるようで、ちょうど
いい
ということで会うことになった。

「春休みもあと一週間で終わりだね」
  注文したコーラをすすりながら、葵は言った。
「何か変わるかなって思ったけど、大して何も起こらないね」
「こっちから行動を起こさないといけないってことかな」
  葵は前向きな姿勢を見せている。これはいい機会かもしれない。
「ねえ考えがあるんだけど、聞いてくれるかな?」
「なになに、何か妙案?」
「妙案かどうかはわからないけど、まあ聞いてよ」
  僕は例の期間限定交際について葵に提案した。期間は始業式が始まるまでの一週間。そ
の間
どちらからでも交際を打ち切ることができるというもの。あまりにも無謀な提案を葵は聞
き入
れてくれるだろうか。
しかし彼女は特別驚いた様子もなく、淡々と聞いていた。頬杖をつきながら、真剣にこの
提案
を考えていた。
「いいかも。私どうせ暇だし」
「本当に?良かった。断られるんじゃないかって思っていたんだけど」
「それでどんな企みがあるの?」
 いたずらっぽい笑顔で、葵は聞いた。
「企みってそんな。まあ全くないってことはないけど。とにかくよろしくね」
 僕は手を差し伸べた。葵も応じて、手を差し伸べる。固い握手。こうして僕と葵の期間
限定
交際がスタートした。

「せっかく交際するんだから、お互い実現したいことをそれぞれやろう。さっそくだけ
ど、僕
は葵が住んでいる街に行ってみたい。どんな所で過ごしているのか見てみたいんだ」
「つまらない街だよ、本当に何もない」
「行ってみないとわからないからね。ところで君は何をやりたいわけ?」
「それは秘密。言ったら面白くないでしょう」
 葵はニヤニヤしていた。企んでいるのは葵じゃないか、そう言いたかった。
「どちらから実現する?私はちょっと時間が掛かりそうだから」
「あっ、そうなの。だったら僕から実現させてもいいかな?」
「えっ?私、地元に帰りたくなんかないよ」
 怪訝そうな葵。このままであれば、僕一人だけで訪れることになる。それでは意味がな
い。
僕は必死に彼女を説得した。
「何を企んでいるのか知らないけど、約束だから仕方ないね」
 最終的に葵は了承してくれた。さっそく明日行くことになった。


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.