哀しくて優しいお話〜送者〜


1 :空宮 彼方 :2007/10/13(土) 18:22:53 ID:onQHtFrJ

「送者」

それは、魂を送る者。
私たちの言葉で、「死神」といわれる者に等しい者。

でも、その「送者」は。

優しくて、不器用で、臆病で。
そして、とても哀しい存在だった。


2 :空宮 彼方 :2007/10/13(土) 19:17:49 ID:onQHtFrJ

(・・・あっけない、なぁ・・・)
血まみれで倒れている自分自身を見下ろしながら、藍璃は他人事のように考えた。

特別変わった日という訳ではなかった。
何の変哲も無く、今日という日が過ぎてしまえば忘れてしまう。そんな日だった。
道を渡っている最中に、車が自分に向かって突っ込んでくるまでは。

気付いたときにはもう、自分と車との距離は5mもなくて。
避ける暇もなく、藍璃の体は宙を舞っていた。

痛いとか、怖いとか、そういう感情は全く無く。
自分に車が突っ込んでくる瞬間の、運転手の恐怖と驚愕が入り混じった表情がやけに印象に残った、ただ、それだけだった。
あっという間に視界が真っ白に染まり、意識が闇に包まれて。

ふっと目の前が明るくなったと思って、目を開けたら、血まみれの自分が倒れていたのだ。

あぁ、もうだめだな。
藍璃には、多少医学の知識がある。ほんの少しかじった程度だが、目の前に倒れている自分がもう助からないことが、容易にわかった。
もっとも、例えそんな知識が無かったとしても、簡単に「死」を感じさせるようなケガではあったけれど。

取り乱したり、騒いだりはしなかった。目の前に倒れている血まみれの自分と、今此処で無傷で立っている自分。このことからわかる事実を、藍璃は冷静に悟った。

「そっか。私、死んだんだ。」

16年とちょっと。我ながら短い人生であったと思う。
藍璃は特別生きたいと思ってはいなかった。別に自殺願望があったわけではないが、生を願っているわけでもなかった。
それを差し引いても、短かったと思う。
だけど、これはこれでよかったのかもしれない。
(あの人たちに、利用される人生を送るくらいなら)

藍璃は、月宮家という日本でも有数の資産家の長女として生を受けた。
はっきりいって、藍璃にとって月宮の名は、忌々しいものでしかなかった。

幼いころから、礼儀作法から習い事から、様々なことを言われるがままに叩き込まれ、遊ぶことも友達を作ることも知らずに育った。
全ては、生まれる前に決められた婚約者の下へと嫁ぐために。
藍璃の両親はもう充分過ぎるほどの資産を持っているにもかかわらず、何が楽しいのか、お金を稼ぐことしか考えていないような人だった。
そしてそのためには、実の娘である藍璃ですらも、都合の良い道具に過ぎなかった。実際、この婚約も、世間で言う政略結婚に他ならない。
そのことを、藍璃はよくわかっていた。
その運命を、甘んじて受けるしかないことも。

だからといって、藍璃がその運命を心から受け入れていたわけではない。
一体誰が、顔しか知らない男の下へ嫁ぎたいなどと思うのであろうか。
一体誰が、強制させるだけの人生に満足するのだろうか。

いつも、逃げ出したいと思っていた。違う人生を送りたいと思っていた。
だが、藍璃はそこから逃れる術を知らなかった。
自由を求めれば求めるほど、それが自分から遠ざかっていくことがわかって。
結局、自分はこの世界で生きていくことしか出来ないのだと、ここから逃れることなど出来ないのだということを思い知らされただけだった。

それがどうだろう。

ほんの一瞬。ほんのわずかな時間で、両親が色々なことを必死に詰め込んだ藍璃の体は、もう二度と動くことは無くなった。
藍璃は、いとも簡単にあの世界から逃れてしまったのである。

「お金が何よりも強い。お金があればなんだって出来る」

それが父と母の口癖だった。
ならば、今此処で倒れている藍璃は、お金があればどうにかなるのであろうか?お金で生き返らせることが出来るのであろうか?

・・・そんなはずもない。もう、藍璃の生は終わってしまったのだから。
失われた命は、例えどんなことをしようが、二度と戻ることは無いのだから。


「ほんと、あっけない・・・」


3 :空宮 彼方 :2007/10/13(土) 19:45:03 ID:onQHtFrJ

「随分、落ち着いているんだね」
突然、自分の後ろから声が聞こえた。

驚いて振り向くと、3mほど離れたところに、自分と同じくらいの男の子が立っていた。
だが、その格好はひどく風変わりである。

少し長めの茶色い髪に、真っ白なローブのような服を着ている。肌は驚くほど白く、ローブを着ていてももわかるほど華奢な体つきをしている。まるで女の子のようで、さっき声を聞いていなければ、わからなかったかもしれない。
けれど、その整った顔の中で、最も目を引くのがその瞳だった。

右の瞳は、まるで夜空を切り取ったような澄んだ藍色。
左の瞳は、夕焼けの光を染め出したような鮮やかな緋色である。

そしてその手には、その身長よりも長い赤い鎌が握られている。だが、同じ赤でも、その子の瞳とは全く違う、まるで血の色のような毒々しい赤だった。

ひどく儚く、どこか神聖な雰囲気を纏うその男の子には、その鎌はあまりにも似合わない。藍璃は、何故かそのことをひどく惜しく思った。

「もう、自分の死を認めているんだね。驚かないの?悔しくは思わないの?」

さっきも聞いた、少年らしい少し高めのテノールの声がひどく心地いい。不思議と、心が落ち着いてくるようだった。

「・・・多少は驚いてる。でも、悔しくは思わない」
「どうして?」
「だって、悔しく思ったってしょうがないじゃない。私はもう死んだ。それは変えようの無い事実。死んだ命はもうどうしようもないもの」

だが、男の子は不満げである。「そんなことを聞いているわけではない」という雰囲気が、ありありと伝わってきた。

「確かにそう。でも、それと死んだことを悔しく思うのは別だよ。キミは・・・生きたいとは思わなかったの?」
「別に、生きたくなかった訳じゃない。ただ、特別生きたいと思っても居なかった。それだけ。だから、悔しくない。私は・・・生きることに執着が無かったから」

それを聞くと、男の子はわずかに悲しそうに目を細めた。只それだけの仕草が、とても様になっている。

「キミは、悲しいね」
「悲しい、か・・・。そうかもしれないね。だって・・・」

自分の生に、価値があるなんて思えなかったから。

「・・・あなた、何者?」
なんだか、とても今更な気がするけど。
この綺麗な存在のことを、もっと知りたかったから。

「僕は、送者」
「そう、しゃ?」
「そう」

そこでその男の子は、初めて藍璃の顔をまっすぐと見た。
藍と緋がかもし出す不思議な色彩に、藍璃は目が離せなくなる。

「僕は、魂を送る者。キミ達の言葉で言う、『死神』と呼ばれる存在」


4 :空宮 彼方 :2007/10/15(月) 13:58:53 ID:onQHtFrJ

「・・・死神?」

藍璃は信じられなかった。
藍璃のなかの死神は、死を呼び、容赦なく命を刈り取っていく邪悪な存在である。
そんな死神と、目の前に居る綺麗な存在とは、どう考えても結びつけることは出来なかった。
唯一、その手に握られている真っ赤な鎌のみが、この男の子が死神と呼ばれるに等しい存在であるということの証明であるかのように思われた。

「・・・私に何の用?」
あの世にでも送りに来た?と皮肉気な声を出す藍璃。だが、その男の子は気分を害した様子も無く、静かに首を横に振った。
「じゃあ何しに来たの?」
もし来たのがこの男の子でなかったら、自分を嘲笑いに来たのかと思ったかもしれない。事実、藍璃は今までそういう環境で生きてきた。
けれど、この儚い男の子の限って、そんなことはあり得ないように思われた。

しかし、男の子から返ってきた言葉は、多少意外なものだった。

「・・・わからない」
「わからない?」
「仕事で、ここに来たんじゃないんだ。何故だかわからないけど、ここに来なくちゃいけない様な気がしたから」
そう話す男の子は、僅かに顔に困惑の色を見せていて。
嘘をついている様子は無く、本当のことなのだ、と藍璃はすぐに納得することが出来た。

育った環境のためか、藍璃は人の表情からその心理を読むことに長けていた。
そしてその男の子からは、真実困惑しか伝わってはこなかった。

ふと、藍璃は懐かしいという念に駆られた。まるで、その男の子のことを前から知っていたかのように。

「・・・ねぇ」

自分でもわからない、不思議と胸が温かくなる感情の波の中を漂っていた藍璃は、突然近距離から聞こえてきた声に、急速に現実に引き戻された。

目線を上げると、1mと離れていない位置に男の子の整った顔があり、少なからず藍璃を驚かせた。でも、男の子はさっきの困惑の表情をしたとき以外、ずっと落ち着いているのに、自分だけ何かと振り回されるのはどこか癪に障り。
驚きを出来るだけ押し隠し、努めて冷静な声を出した。

「・・・何?」
「名前、教えて」
「はあ?」

だが、せっかく取り戻した冷静さも、あっという間に意味の無いものとなる。

「だから、名前」
何故だか、この男の子と会ってから、ずっと調子を乱されっぱなしのような気がする。
だけど、不思議と不快感は感じず、口からは、自分でも驚くほどするりと声が出て行った。

「・・・藍璃。月宮藍璃。あなたは?」

当然の疑問、だった。名前を聞かれたから、聞き返した。ただ、それだけだったのに。

「・・・無い」
「え?」
「僕に、名前なんて無いよ」

こんな答えが返ってくるなんて、考えもしていなかった。


5 :空宮 彼方 :2007/10/20(土) 14:46:40 ID:onQHtFrJ

「・・・な、い?」
「そう、僕に名前は無い。気が付いたときからずっとこの仕事をしていたから」
「・・・今まで、なんて呼ばれてたの?」
「呼ばれること自体が、ほとんど無かったから。たまに僕が送る人に呼ばれるときは、死神とか送者とか呼ばれてた」

まるで他人事のように淡々と語るその男の子。何の感情も込めてなんていないだろう。
なのに、藍璃には、その姿がとても寂しそうに見えた。
まるで、今にも消えてしまいそうな程に。

何故だかとても悲しかった。
男の子に、名前という、己の存在を証明してくれる唯一のものが無いことが。
そんな環境に、今までその身を置いてきたその男の子が。
なによりも、彼がそのことを受け入れ、諦めてしまっているらしいことが。
全てが、悲しかった。

何か話しかけないといけないと思うのに、まともな慰めの言葉の一つも浮かんでこない己がひどく腹立だしい。
何か、何か話しかけないと。
そう思った藍璃の口から飛び出た言葉は、自分でも驚くものだった。

「・・・しえん」
「え?」
「紫に苑で、紫苑。・・・あなたの、名前。私が、適当に考えた奴だけど」

嘘だ。考えてなんかいない。この名前は、自分でも言葉を発する瞬間に驚いたほど、無意識に出た名前だったから。
でも、その割には、この名前はひどくこの男の子に合っているような気がした。
なんだか、名前を「付けた」というよりも、彼の名前を「呼んだ」という方がしっくりとくるくらいだった。

「・・・紫苑。僕の、名前・・・」
紫苑、と口の中で何回も名前を繰り返すその男の子は、どこか嬉しそうに見えた。
それだけで、何でだろう、と頭をひねっていた藍璃はどうでもよくなった。

何故この名前が出てきたかなんて、どうでもいいか。彼が、嬉しそうだし。

そう思えてしまう自分がいることに、とても驚いた。
今まで、周りが自分のことをどう思おうが、周りがどうなろうが、全く気にもならなかったのに。
でも、不快な感じはしなくて、むしろその気持ちが暖かかった。
そして。

「・・・ありがとう。気に入ったよ。キミがつけてくれた名前、もらう。僕はこれから、紫苑だよ」

そういって、その男の子―紫苑は、とても、とても綺麗な笑顔を浮かべた。


6 :空宮 彼方 :2007/10/20(土) 15:31:54 ID:onQHtFrJ

藍璃が一番最初に見た紫苑の感情は、困惑だった。
そして、その次に見た感情は、混じり気の無い、純粋な歓喜だった。

「で?私は、これからどうすればいいの?」
ひとしきり紫苑の笑顔を満喫した後、藍璃はずっと疑問に思っていたことを問いかけた。
自分は今、俗に言う幽霊と呼ばれる存在のはず。
ならば、早々に成仏なり昇天なりしなければ、ずっとこの世界を彷徨い続ける、ということになるのではないだろうか?
生きることに執着が無かったとはいえ、さすがにそんな事態は遠慮願いたい。

「何も」
「は?」
「だから、何もしなくていいんだよ」

だが、紫苑から返ってきた答えは、多少意外なものだった。
何でも、体から魂が抜けてすぐ、つまり死んですぐ後は、生きていたときと大して変わらない状態であるらしい。
そして、その状態の魂を送る、つまり成仏させることは出来ないのだという。

「だからしばらく・・・少なくても1ヶ月、その状態でいてもらって、魂の性質を『生』から『死』へ変えてもらわなくちゃいけないんだ」
「その1ヶ月、私は何をしてればいいの?」
「さあ?好きな風に過ごしたらいいよ」
なにか、心残りなことを済ませる、とかね。

「そう、言われてもね」
正直言って、藍璃には心残りや未練といった類のものは、無いに等しい。

自分が育った、あの檻のような家にも。
自分を道具としかみなさなかった、両親を始めとする家族たちにも。
資産家の娘としか、1度として藍璃を藍璃として見なかった友人とは名ばかりの人たちにも。

思い入れなど、全く無かった。

「・・・まぁ、心残り云々はともかく、キミの好きな風に過ごせばいいよ」
そんな藍璃の心境を知ってか知らずか、その冷静な態度を微塵も崩すことなく紫苑は告げる。
その冷静さと、どこか他人を寄せ付けない雰囲気は全く変わることは無く。
藍璃はほんの少しでも、そんな紫苑のペースを崩してみたいと思った。

「・・・名前」
「?」
「藍璃って名前、教えたでしょ?あなた、じゃないか。紫苑が先に聞いてきたんだから、ちゃんと名前で呼んで」

そんなことを真顔で言ってやると、紫苑はその透き通るほど白い頬をわすかに赤く染めて。
藍璃はそこに、困惑や照れ、そして僅かな嬉しさを感じ取り、何故からかったのに嬉しさを感じるのかがわからず、少々驚いた。
それが、わざわざ言い直して自分の名前を呼んでくれたことに対するものだと、藍璃が知ることは無いけれど。

「ぁ・・・えと・・・」
「どうしたの?名前を呼ぶことが、そんなに恥ずかしい?それとも、私の名前、呼びたくないの?」
「そ、そういう訳じゃ・・・」
「じゃあいいじゃない。先に聞いてきたのはそっちなんだから」
「そ、それはそうだけど・・・」

僅かに頬を赤く染め、言葉を詰まらせながら必死にどういえば良いのか探している紫苑が、藍璃には初めて年相応の姿に見えた。
それまでの儚く、どこか神聖で、今にも消えてしまいそうに見えた紫苑に、初めて『人間らしさ』を見出すことができたのだ。

そして、とても澄んでいて綺麗であるのに、まるで硝子玉のように空虚であった瞳に、初めて感情が表れた。
それまでの人形のような瞳とは違う、宝石に命が宿ったらこうであろう、と思えるものになったのだ。

今までの人形のような紫苑よりも、今の感情ある紫苑のほうが、本来の紫苑の姿にずっと近いものであるように藍璃は感じた。

藍璃は決して勘は鋭い方ではない。だが、おそらくこの感じたことに間違いは無いであろうと、何故か自信を持っていうことが出来た。


7 :空宮 彼方 :2007/11/03(土) 16:02:06 ID:onQHtFrJ

「じゃ、じゃあ、僕はそろそろ行かないと・・・」

まだ顔をほんのりと桜色に染めつつ、紫苑は少し慌てたようにいった。
その表情からは何とか自分のペースを取り戻そうとしていることがありありと伝わってきて。
何だか、とても微笑ましいものを見ているような気分になってくる。

「行く?」
「・・・うん。仕事、だから」

だが、そう言った紫苑の表情は、また前の感情の無いものに戻ってしまった。
いや、むしろ、前よりもさらに冷たい雰囲気を纏っているようにさえ見える。

そこで、藍璃は初めて気が付いた。紫苑が、自分を使い分けていることに。
先ほどまで自分と話したいたのは、間違いなく「紫苑」だった。
だが、今目の前に居るのは紫苑ではなく、感情の無い「送者」なのだ。

紫苑は送者だ。送者とは、魂を送るのが仕事だという。その仕事は、決して気持ちのいいものではないだろう。

藍璃はそうではなかったが、世の中の人の大多数が、生に執着を持っている。
死にたくないと悲しむ者。
何故死ななくてはならないのかと嘆く者。
大切な者たちと別れたくないと惜しむ者。
そういった人たちを、間近で見続けなければならないのだ。

そのような仕事に感情など、自分を苦しめるだけの必要の無いもの。
もしこの仕事をしていたのが紫苑ではなく藍璃だったとしても、藍璃はきっと感情の無い自分を創り上げた。
自分の心を守る「砦」となる、もう一人の自分を。

そこまで考えたとき、藍璃は既視感を覚えた。

―私ハ前ニモ、同ジコトヲ考エタコトガアル?―

だが、そんな思いは、「送者」となって立ち去ろうとしていた紫苑に気が付いたとき、心の片隅に追いやってしまった。
後から、このときに深く考えなかったことを悔やむことになるとも知らないで。

このときの藍璃はただ、感情を再び押さえ込み、人形のようにただ仕事をこなそうとしている紫苑に、何か言葉をかけなければ、と必死だった。
何か言わなくては。何か・・・!
だけど、焦る気持ちと裏腹に、何を言ったらいいかは全く浮かんでこない。
どうしよう、どうしようと1人うろたえていた藍璃を、紫苑は振り返った。

その表情は何の感情も宿しては居なかったが、藍璃は気が付いた。
そのオッド・アイの瞳に、僅かな感情―悲しみ、憂い、そして気遣い―が現れていることに。

その瞳を見た瞬間、藍璃の混乱した頭はスゥっと冷えた。
そして、不思議と気持ちが落ち着いた藍璃の口から出て行ったのは、先ほどの混乱とは程遠い、落ち着いた小さな声。

「・・・ねぇ。私は、送者じゃない紫苑を知ってる。だから、もし『送者』から『紫苑』に戻りたくなったら、何時でも来て。私は、この辺をブラブラしてるから」

独り言のように小さくつぶやいただけだったから、正直言って、本当に紫苑に聞こえているかどうかも怪しかった。

でもどうやら、ちゃんと聞こえたらしかった。
・・・まるで幻のようにふっと消えてしまう直前、こちらを見て、「紫苑」の顔で微笑んだから。


8 :空宮 彼方 :2007/11/03(土) 21:28:10 ID:onQHtFrJ

―自分がこの世の者でなくなり、紫苑と出会ってから3日が経った。
その間、藍璃は自分が宣言したとおり、特別目的もなくブラブラとしていた。

そうしていてわかったことは、魂だけの存在となったこの状態でも、生きている時とほとんど大差がないということだった。
死んだとき血まみれだったからといって、今の自分もそういう状態で居るわけではない。
服装は死んだときに着ていた制服だが、血の汚れもなく至って綺麗なものだ。
また、宙に浮くことも壁をすり抜けることも出来なかった。御丁寧に、ぶつけたときの痛みまでおまけについてきたほどだ。

生きているときとの違いは2つ。周りに自分の姿が見えないということと、生きるための本能ともいえる生理的欲求を感じないことだけだった。

よく心霊番組等である、「自分が死んだことに気づかないで彷徨っている幽霊」というのも、あながち間違いでもないのかもしれない。
それほど、今の自分と生前の自分には違いが無かった。

「好きな風に過ごしたらいい」という紫苑の言葉に従い、一昨日と昨日の自分の通夜と葬式を、藍璃は見に行った。

だが、やたらと騒々しく煌びやかな式に、はなはだ興ざめして。
本当の藍璃の気持ちも知らず、「娘も無念だったと思います」等と涙ぐみながらスピーチをしている両親が、やけに滑稽だった。

無念だったのはむしろ、両親の方だったのではないのだろうか?
自分達にとって都合の良い、「娘」という駒が消えてしまったのだから。

確かに、両親も自分に愛情を注いでくれてはいたと思う。
だがそれは、親から子に対する無償の愛ではなかった。
両親が藍璃に与えていたのは、自分に利益をもたらす見返りの愛だった。

無駄に資産がある家に良くある傾向だろう。
「あなたのためだから」と言いながら、同じように資産を持つ家の者と婚姻関係を結ばせる。そして親は、自分が望むものを手に入れるのだ。

それは、更なる資産であったり、社会的な地位であったり、世間に対する見栄であったりする。

両親の表情からは、娘を失った悲しみと同時に、それよりも大きな、駒を失った悔しさが滲み出ていた。
もうあの人たちに対して、親だとかいう感情は欠片も持っていなかったはずなのに、悲しみよりも悔しさがより強く伝わってきたことが、何故か悲しくて。

藍璃は両親のスピーチが終わるのを待たず外に出て、それから一度も家に行っていなかった。

生きていて、自分の感情を押し隠さなければならなかったときとは違い、今、藍璃は自分の感情と素直に向かい会うことが出来きていた。
だから、今自分の心が何を欲しているのかも、よくわかっていた。

何故だかわからない。でも、心がそう願っていた。

―紫苑に、会いたい。と・・・。


9 :空宮 彼方 :2007/11/03(土) 22:15:39 ID:onQHtFrJ

しかし、紫苑にはああ言ったものの、藍璃には紫苑の居場所等、さっぱりわからない。
探しに行ってもいいのだが、藍璃の言葉通り、紫苑が会いに来てくれたら・・・と思うと、遠くまで移動する気にはなれなかった。

結局、藍璃は近場でフラフラと紫苑の姿を探すに留まっていた。

何となく無駄な時間を過ごしているようで多少気は引けたが、生前は、何もせずにただぼーっとして時を過ごす、なんていう経験はしたことが無かったから、こういう過ごし方も悪くないと思っていた。

もっとも、本来それを必要とするはずの生きているときではなく、死んでから初めて体験するということを、多少皮肉に感じはしたが。

そんなふうに過ごし始めて2日目。
紫苑の姿を探し、まるで散歩のように気軽に歩き回っていた藍璃の目に、あの不思議な真白のローブが映った。
まさかと思って目を凝らして見ると、見覚えのある茶色の髪にオッド・アイの瞳、あの間違えようも無い真っ赤な鎌も見えてきた。

紫苑を、見つけた。

しかし、駆け寄ろうとした藍璃は、少し紫苑に近づいただけで、足を止めてしまった。

そこに居るのは、「紫苑」ではなかった。あの儚い感じも神秘的な雰囲気も無く。
ただひたすら、冷たく、重く、昏い雰囲気を纏った「送者」が、そこにいた。

自分が知っている「紫苑」とあまりにもかけ離れているその姿に、藍璃はかける言葉を失い、どうすれば良いのかわからず、ただそこに立ち尽くしていた。

そこで藍璃は、紫苑の目の前に1人の女性がしゃがみ込んでいることに気が付いた。
大体40歳前後だろうか?どこにでも居るような、極々普通の女性だ。

ここは街中の道。当然人通りも多く、ガヤガヤと騒がしい。だが、もはや藍璃には、紫苑とその女性のやり取りしか耳に入ってこなかった。

「・・・言った筈だよ。ここに居られる期限は、1ヶ月。それを過ぎたら、僕が送ることになる、と」
紫苑の声を聴いた瞬間、藍璃は背筋が凍りついた。温度を全く感じさせない、声。まるで、感情の無い機械のようだった。
「た、確かに言ったけど・・・。でも、やっぱり嫌よ!まだ38なのよ!?夫も、子供も居るわ!なのに、どうして・・・。どうして死ななきゃいけないのよぉ!」
対して、女性の声には痛い程感情が篭っていて。
感情を全く感じさせない声と、感情の迸る声が響き、どこかがズレているような、言いようの無い違和感を感じさせた。

「・・・でも、それが決まり。あなたが死んだという事実は、変えようが無い」

ヒッと、女性は小さく息を呑む。その目からは、ボロボロと涙がこぼれていた。

「やめて・・・。せめて、そう!せめて、子供がもっと大きくなるまで、そばに居させて!お願い!」

ひどく、ひどく悲痛な叫び。こんなときであるのに、藍璃は羨ましく思ってしまった。
その女性から伝わってくるのは、真に子供を想う心。
それは、どんなに望んでも、決して藍璃にもたらされることがなかったモノ。
ごく自然にその心を持っている女性が、ごく自然にその心を受け取っているであろう彼女の子供が、藍璃はとても羨ましかった。

「それは、できない。これ以上此方に居たら、あなたはもう逝けなくなる」
紫苑はそう言って、その手に握った赤い鎌をゆっくりと振り上げる。
その瞳に見え隠れしていた、僅かな悲哀、躊躇いに、果たしてその女性は気が付いただろうか?
だが、決してその感情を表に出すことなく、紫苑はその女性に鎌を振り下ろした。

「化け物!いやああああアアアアアァァァ・・・!」

鎌がその女性に触れた瞬間、女性の体が光に包まれ、粒子となって消えていった。
その女性の断末魔とも言うべき悲鳴がその場に木霊し、僅かに余韻を残しながら消えていく。
そしてまるで何事も無かったかのように、その場にはなにも残らなかった。

その女性が消えてしまった後も、藍璃はその場から動くことが出来なかった。

初めて見た、「送者」としての紫苑。そこには、本来の紫苑の面影は全くといっていいほど無いに等しかった。―ほんの僅かな感情を見せた、その瞳を除いて。

だが、感情の無い「送者」を見たことよりも、初めて人が送られるところを見たよりも、藍璃にとって衝撃だったのは、女性が紫苑に向かってはなった言葉だった。

『化け物』
確かに、あの女性はそういった。自分を送ろうとした紫苑に向かって。

人は本来、自分と違う存在、異質と思う存在に恐怖を抱き、疎外しようとする生物だ。
本来の紫苑を知っている藍璃は、紫苑が異質な存在だとは思わない。むしろ、今まで出会ってきた誰よりも、心許せる存在だ。
だけど、あの女性が知っていたのは「送者」だった。
あの女性にとって、紫苑は何も感じずに己の務めを果たす、不気味な力を使う無慈悲な執行人でしかなかったのだろう。

おそらく、紫苑はあの女性の中で最も「異質」であった。自分と異なる存在であった。
そして、人はそれだけで、簡単に相手を嫌悪の対象に出来るのだ。

何故だか、藍璃はひどく空虚な気分になった。改めて、人間の愚かさ、浅ましさを突きつけられたような気がして・・・。

自分の考えに没頭していた藍璃は、目を見開き、驚愕の表情を顔一杯に広げて自分を凝視している紫苑に気が付かなかった。


10 :空宮 彼方 :2007/11/04(日) 17:05:23 ID:onQHtFrJ

―見られたっ・・・!
物心付いたときからこの仕事をしていると言うのに、まだ胸には僅かな躊躇いが残る。
それを心の奥に仕舞い、女性を「送った」紫苑は、10mも離れていない位置に呆然と立っている藍璃を見つけ、思わず顔を強張らせた。

数日前、仕事も無くぼぅっとどこかのビルの屋上に座り込んでいたとき、突如不思議な感覚に襲われた。
まるでどこかに導かれるような、呼ばれているような、不思議な感じ。
特別嫌な気配がするわけでもなく、抵抗する理由も無かったので、大人しく感覚に従ってビルから飛び降り、歩いてみることにした。

数分ほど歩いただろうか?最初に居たビルから1kmも離れていない場所で、自然に足が立ち止まった。

そこは、交通事故の現場だった。人の魂を送る「送者」であるため、このような現場は毎日のように見続けている。
だから、別に何の感情も持たず、僅かに目を細めただけだった。
もっとも、もう感情なんてものを感じなくなって久しいけれど。

そこで、車のそばに誰か倒れていることに気が付いた。
いや、正確には、もう「モノ」になってしまっていたヒトが。

着ている制服から判断すると、どうやら近くの高校の女子学生らしい。
だが、手や足があり得ない方向へと折れ曲がり、通常なら白を基調としているセーラー服も、今は自分が持っている鎌と同じ色に染まってしまっている。
どうやら黒だと思われる髪は血でくすみ、どす黒い色へと変わってしまっていた。

その姿を見たとき、何故か急に心臓が激しく動悸し始めた。
焦りや恐怖がないまぜになり、体がおののく。
混乱した頭の中に、自分の声が響いてきた。

―嫌だ!居なくならないで!

(!なに・・・コレ・・・)

―お願いだよ!一人にしないで!
―いっちゃ嫌だよ!  !!

(これ、は・・・)
僕ノ、キオク・・・?

聞こえてくるのは、自分のものとは思えないほど混乱し、けれど感情に満ち溢れている声。
でも、肝心の、自分がそこまで失いたくないと叫んでいる相手の名前が、聞こえない。
胸の中に、自分のものとは思えないほどの激しい感情が沸いてくる。
悲しみ、怒り、後悔、絶望・・・。
名を付けるとしたら、そんな感情たちだろうか?

自分でもわからない突然の感情の奔流に苦しくなり、苦し紛れにふと顔を横に向けると、程近いところに少女が立っていた。
倒れている少女を、ぼんやりと見詰めている。

その姿を確認したとたん、嘘のように荒れ狂った感情の波が収まった。
強張っていた体が急速にほぐれていき、ようやく静まった心の中に安堵感が流れ込んでくる。
ほっと息をついたところで、その少女が今ここで事故にあった少女らしいことに気が付いた。

だが、事故による死者に良くある、事態が把握できないことや目の前に自分が倒れていることによる混乱がほとんど無いことを不審に思い、そっと近づいて、後ろから声をかけた。

「ずいぶん、落ち着いているんだね」


11 :空宮 彼方 :2007/11/04(日) 17:32:40 ID:onQHtFrJ

自分の後ろに人が居たことに初めて気づいたようであるその少女は、弾かれたようにこちらを振り向いた。

魂の状態である場合、肉体からの影響はほとんど無いに等しい。
少女は、本来の姿であろう状態のままだった。

髪はせいぜい肩に届くか届かないか位。
髪も瞳も同じ色で、深く艶のある、宝石のように綺麗な漆黒だった。
とても整った顔立ちをしているが、どこか人形のような印象も見受けられた。

藍璃、と名乗ったその少女は、とても不思議な少女だった。
生きることに執着がないと言い、自分のことを語るときはひどく無表情、無感動であるのに、話が此方のことに移ると急に生き生きとしてくる。
名前が無い、と言うことを話したら、名前すら付けてくれた。

『紫苑』

それが、藍璃が考えてくれた名前。彼女は適当に考えたと言っていたけど、これ以上無いくらい、しっくりとくる名前だった。

それほど長い時間話していた訳ではではなかったが、紫苑にとって、藍璃はどこか特別な人になっていた。

普段、決して「送者」としての仮面を外さずにきたのに、藍璃の前ではいとも簡単に「素の自分」が曝け出されてしまう。
しかも、それを不快とは感じず、むしろどこかで楽しいとすら感じるようだった。

また、常に「化け物」「死神」と恐れられてきた紫苑を、藍璃は受け入れてくれた。
それに加え、藍璃が紫苑に向かって言ってくれた、あの言葉。
とても、嬉しかった。いつから、どうしてこの仕事をしているかもわからない、不安定な自分の存在が初めて認められたような気がしたから。

そんな藍璃に、見られてしまった。
1番見られたくなかった、「送者」としての自分を。

そう思った週間、紫苑は藍璃が居る方向とは正反対の方へ走り出していた。
後ろから、紫苑を呼ぶ藍璃の焦った声が聞こえてきたが、到底立ち止まる気にはなれなかった。

送者である紫苑は、いくつか不思議な術のようなものを使うことが出来る。
その中には空間を移動できる、瞬間移動のようなものもあり、それを使えば、すぐに別の場所へ移動することも可能だ。

しかし、今の紫苑には、そんな術を使うこと等全く思いつかなかった。
ただ、「藍璃から離れなければ」という想いのみが、紫苑の頭の中を占めていた。

(・・・見られた!見られた!見られた!)

立ち尽くす藍璃の姿が、あの呆然とした表情が忘れられない。
嫌悪が湧き上がり、恐怖が溢れ出る。
嫌悪は、普通と違う、不気味な力を使う人外な自分に対する嫌悪。
恐怖は、初めて自分を受け入れてくれた藍璃に恐れられてしまうかもしれない恐怖。

今まで、人にどう思われようが気にもならなかった。
どのように思われようが、どう見られようが、自分が見える人はすぐに自分の目の前から消えていってしまうから。
そして、それは藍璃も同じこと。
後3週間もすれば、藍璃も自分の前から消えてしまうのに、藍璃に怖がられることが、拒絶されることが恐ろしかった。

(・・・消える?)

そこまで考えたとき、紫苑は自らの思考によって動けなくなった。

藍璃が、消える。
初めて自分という存在を認めてくれた藍璃が、後たった3週間で

―消える。

そして、その藍璃を消すのは。
送者である、「自分」なのだ。


12 :空宮 彼方 :2007/11/22(木) 18:32:43 ID:onQHtFrJ

「紫苑!」
ぐるぐると考え込んでいた藍璃の耳に、タッと何かが走り出すような音が聞こえた。
その音につられるように顔を上げると、紫苑がこちらに背を向けて走り出すところであった。


驚いて、咄嗟に紫苑の名前を呼んだものの、紫苑はまるで聞こえていないかのように、立ち止まることなく走り去って行く。


何故紫苑が自分から逃げるように走っていくのか藍璃にはわからなかった。
が、すぐに、自分に送者としての仕事をしているところを見られたからだと気づく。

(・・・あの、バカ!)

藍璃には、どうして紫苑が送者としての自分を見られるのを嫌がるのかがわかった。
さっき送られた女性を見ればすぐにわかることだ。
今まで紫苑が出会ってきた者達は、皆紫苑のチカラを見て、一様に気味悪がったのだろう。
きっと紫苑のチカラは、自分と違うものを認められない人たちにとって、一番の脅威だろうから。


それに繰り返し接してきた紫苑は、きっと思い込んでいるのであろう。

自分は、奇妙なチカラを使う「バケモノ」なのだと。

今まで紫苑が過ごしてきた環境を思えば、このように思考が自虐的に歪んでしまうのも仕方が無いのかもしれない。
むしろ、今までの環境で何の歪みもなしに過ごすのは無理な相談なのかもしれない。
そのことを、藍璃はきちんと理解している。
藍璃自身も、あの環境で育ってきた己がどこか歪んでいることを知っていたから。


それでも、藍璃は悔しかった。

紫苑は、藍璃に送者としてのチカラを使ったところを見られたから、逃げた。それは間違いないだろう。

だが、それは。
裏を返せば、藍璃のことを本当の意味で信じてくれては居なかった、ということだから。


はたから見ればおかしな話だろう。
紫苑と藍璃は会ってまだ一週間。その間、話しをしたのすら最初の一回だけなのだから、信じる信じない云々を言えるほどの関係なんてあるはずがない。


だが、それでも藍璃は紫苑を信じていた。
そして、紫苑にも藍璃を信じて欲しかった。


今までずっと1人で過ごしてきた自分がこう思うなんて、笑える。
そう思い、藍璃はクスリと苦笑を零した。

だが、すぐに表情を引き締め、猫のようにグっと伸びをする。
そして、もう影も形も見えなくなってしまった紫苑が居るであろう方向へ、顔を向けた。
その顔には、楽しそうな、それでいてどこか悪戯気な表情が浮かんでいる。


紫苑が藍璃のことを信じられないというのなら、信じられるまでくっ付いてやろうではないか。
決して藍璃が紫苑のことを嫌ったり、ましてや気味悪がったりすることなどないのだということを、紫苑が嫌でもわかるように。


紫苑は自分からの信頼を受けていると言うのに、それがわかっていない。
そして、ある程度は藍璃に気を許しているのだろうが、紫苑はまだ藍璃のことを信じては居ない。

自分にはこれだけ信じさせておいて、そっちは自分を信じてくれない。
これはアンフェアであろう。


以前の自分には全く縁のない強引な思考であることは自覚していたが、それでも止める気などさらさらない。


「・・・絶対、私のこと、信じさせて見せるからね!」


―さあ、まずは、明らかにこちらの考えを勘違いしているであろう送者さんの捕獲から始めるとしよう。


そう考え、藍璃は口元をニヤリと楽しげに歪めた。


13 :空宮 彼方 :2007/11/24(土) 17:49:15 ID:onQHtFrJ

一方、紫苑は、いまだ自分の考えに囚われ、身動きできないで居た。

(藍璃を、消す・・・。僕が、藍璃、を・・・)

送らなくては、消さなくては、ならない。それが、『送者』として存在している紫苑の役目なのだから。
だが、そう考えている自分とは、まったく別のことを考えている自分も、いた。

―本当に、それでいいのか?
頭の中で、そう問う声が響く。

―藍璃は、初めて自分を受け入れてくれた。そんな彼女を、消すことが出来るのか?
声は、なおも問う。紫苑の中の躊躇いを、迷いを、心の中から引きずり出すかのように。

「・・・でも、消さなくちゃ、ならない」

紫苑は、無意識に声に出して、呟いていた。
小さく、口の中で転がされるように出した声は、自分自身に言い聞かせるような響きを帯びていた。


「例え、誰だろうと。だって、僕は」

―『送者』なんだから・・・。


そう口に出した瞬間、何の前触れもなしに、紫苑は耐え難い頭痛に襲われた。
環境ゆえ、ほとんどと言って良いほど感情を表に出すことの無い紫苑が、思わず膝をつくほどの、痛み。

その、あまりの痛みに耐え切れず、膝をついた紫苑は、そのまま意識を失い、地面に向かって倒れこむ。
そして、その体は。
紫苑と同じくらい華奢な、細く暖かな腕に抱きとめられていた。




暗闇に引きずりこまれた紫苑の意識は、急速に覚醒した。
いや、どうやら目が覚めた、と言うわけではなさそうである。

自分の前には硝子のような透明な壁が存在し、その向こう側では、何故かもう1人の自分が歩いていた。

現実感があるような、無いような。
そんな不思議な感覚に、紫苑は、「これが夢か」と呟いた。

今まで、夢と言うものを見たことが無かった紫苑は、少々意外に思いながらも興味深そうに辺りを見回した。

―が、次の瞬間。
向こう側の自分を凝視して、紫苑は驚いて固まってしまった。
向こう側で、誰かと並び、共に歩いている自分を見て。

向こう側の自分は、隣を歩いている人物を見て僅かに顔を綻ばせる。
それは非常に僅かな変化ではあったが、今現在の紫苑からしてみれば、あり得ないほど感情豊かである。

そして、向こう側の自分が見つめている人物は、自分とは正反対な色彩だった。

白いローブに赤い鎌、茶色の髪の自分と並んでいるのは。

漆黒の、浴衣にしてはしっかりとしていているが、着物にしては薄い、2つの中間のような装束を纏い。
その手に空と海を混ぜたような、透き通った蒼の刀身の長い日本刀を持ち。
烏の濡れ羽色と評するにふさわしい漆黒の髪を揺らす少女だった。


だが。
何故か、その少女の顔だけは、黒いもやにかかったように、見えなかった。


14 :空宮 彼方 :2007/11/24(土) 21:17:57 ID:onQHtFrJ

その少女に向かって、静かに何か語りかけている向こう側の自分。
こちらまで声は聞こえないから、何を話しているかはわからないが、随分と柔らかな表情をしている。

顔が見えないからなんともいえないが、その少女からも穏かな雰囲気が伝わってきた。

これは、本当に自分なのだろうか?
そう紫苑が疑ってしまうほど、あちらの自分は今の自分と異なっている。

なのに。
なのに、何故。
この光景はこんなにも懐かしいのだろうか。


そこで、唐突に紫苑は理解した。
―ああ、そうか。これは・・・。

僕の、キオクの欠片・・・。


自分にこんな穏かな記憶はない、とか、ずっと1人で生きてきてて、誰かと共に生きてきた記憶もない、とか、思うことは山ほどあったけど。

それでも紫苑は、これが自分の遠い記憶であることを心のどこかで確信していた。

そう思い、ぼんやりと目の前の光景を見つめていると、突然、壁の向こう側が白い霧に包まれ、何も見えなくなる。

だが、それも一瞬のことで、またすぐに壁の向こうが見え始めた。
あの、不思議だけど、暖かい光景に、どこか安心感を覚えていた紫苑はそっと息を吐く。

もう少しだけ、この優しい雰囲気を感じていたい。

そう思い少し伏せていた顔を上げた紫苑は、自分の目に映りこんだ光景に、凍りついた。


そこには、あの暖かく優しい情景は欠片もなくなっていた。

そこにいたのは。



血に濡れ、体中にひどい傷を負って倒れている少女と。
そんな少女を抱き、必死に呼びかけている自分の姿だった。



さっきまで僅かな物音さえも聞こえてこなかったのに、今紫苑のいる空間には、以前藍璃に会ったときと同じような声が響いていた。

『な、んで・・・なんで、どうして!』

『―・・・』

『何言ってるの!何でこんな・・・!』

少女を抱いている紫苑は顔を歪め、瞳には零さんばかりに涙を溜めている。
それでも、その少女から目を離すことは、決してない。
少女も途切れ途切れに何かを言っているが、もう話すのもつらい状態らしく、何を言っているのかまでは聞き取れなかった。


『嫌だ!居なくならないで!』

「!」

『お願いだよ!一人にしないで!』

「こ、の、会話・・・」
前に、藍璃を見つけたときと、同じ・・・。
あのとき聞こえてきた声は、このときの・・・?


そして、確かにあの時聞こえてきた声が、辺りに響く。

『いっちゃ嫌だよ!』

だが、あのときとは、たった一点。
全く違っていたところがあった。

それは。





『藍璃!!』





「!あい、り・・・?」



あのときには聞こえなかった、紫苑が決して失いたくないと叫んでいた相手の、名前だった。


15 :空宮 彼方 :2007/11/24(土) 21:56:28 ID:onQHtFrJ

「な、んで?どうして、藍璃が・・・?」
紫苑は、突然向こう側の自分が少女に向かって藍璃の名前を叫んだのかがわからない。
だが、そんな紫苑の困惑をよそに、壁の向こう側ではあのときには聞こえなかった会話が続いていく。

何故かはわからないが、今度はしっかりと、か細いながらも少女の声も聞こえてきた。
その声は、藍璃に非常に似た声だった。いや、ほとんど同一といっていいほどだ。
だが、紫苑は心のどこかで、それが藍璃の声だと認めることが出来なかった。

『藍、璃・・・!』

『し・・え、ん。ごめん・・・ね?』

『なんで、謝るの!』

『さ、きに・・い、っちゃう・・から・・・』

『嫌だ!藍璃が居なくなったら・・僕は・・・』


そう言った声は、震えていた。
そんな紫苑の顔へ、少女は、もう動かすのさえもつらいであろう腕を持ち上げ、手を伸ばす。

『だ、い・・・じょう・・・ぶ』

『藍、璃・・・?』

『わた、し、は・・もど、って・・くる・・よ・・・ゴホッ』

そこで、口から血を吐く。
もう、その命の灯火が消えるのも、時間の問題であった。

『ッ!藍璃!』

『だ・・か、ら・・・』

『!?』

そこで、ずっと紫苑の頬に添えていた手に、淡い蒼の光が灯った。
驚いた表情の紫苑が声を発する前に、光が紫苑の全身を包み込む。

『ま、た・・・あえ、る、ま・・で・・・わすれ・・て・・て、ね・・・?』

そういった瞬間、紫苑の体は崩れ落ちる。

ごぽり、とまた血を吐いた少女は、不意にこちらへ顔を向けた。
そうして見えた顔に、もうもやはかかっていなかった。

初めて見た、その少女の顔は。
まさに藍璃だった。

ただ、その瞳だけが違っていた。
自分の知っている、あの黒曜石のような漆黒の瞳ではなく。

自分と同じ、藍と。
少女の持つ刀に似た、蒼だった。

今まで見た光景を頭が処理しきれず、呆然としていた紫苑に、壁の向こう側にいるはずの少女は声をかけてきた。

『あな、た・・も・・・』

「!」

『ま、だ・・おも・・い、だす・・のは・・は・・や、いよ・・?』

今まで向こうから此方は見えていなかったはずなのに、しっかりと此方を見て話す、少女。

『もう、すこ・・しだ・・け・・』

―忘れててね?

その言葉を、最後に。
紫苑の意識は、再び闇へと引きずり込まれていった。


16 :空宮 彼方 :2007/11/26(月) 18:43:14 ID:onQHtFrJ

―どうしよう・・・。
今現在の自分の状況に途方に暮れながら、藍璃は少し前を思い出す。


ようやく紫苑を見つけ、自分の想いをありったけぶつけてやろうと思い、紫苑にそっと近づいた藍璃は、次の瞬間、息の止まる思いをした。

急に紫苑の体がグラリ、と揺れたと思ったら、地面に向かって倒れこみ始めたのだ。

咄嗟に手を伸ばし、紫苑の体を受け止める。
のぞいた顔色は白を通り越して青白く、額には脂汗が浮かんでいた。
紫苑のあんまりな状態に、紫苑の態度に怒りを感じていたことなどすっかり忘れてしまい、どうにかして紫苑の体を休ませようと、藍璃は考えた。

自分が受け止めた状態では紫苑の体に負担をかける。
だが、近くには横になれるところはおろか、ベンチすら見当たらない。

そうして迷っている間にも、紫苑の顔色は刻一刻と悪くなっていく。
とにかく紫苑の体を休ませることが先決、と考えた藍璃は、仕方なくある手段に出た。


いくら見えないとはいえ、人が多く通るところはあまり良いようには思えなかったので、道の端の方に紫苑の体を運ぶ。

そして、紫苑の体を仰向けに横たえ、その頭を、座り込んだ自分の足の上にそっと降ろした。

つまり、今、藍璃は紫苑に膝枕をしている状態にあるのだ。

誰も見ていないとはいえ、自分と同じくらいの異性に膝枕をしている、という自分の状況は羞恥心をあおる。


だが、横になって休んだからか、紫苑の顔色は先ほどよりも大分良くなってきており、藍璃はほっと息をついた。

「・・・捕まえたら怒ろうと思ってたのに、これじゃあ怒るに怒れないじゃない」

ポソリ、と藍璃は呟く。
確かに紫苑の態度には怒っていたが、こんな状態を見せられては怒ることなどできない。
むしろ、心配する気持ちの方が先立ってしまう。


「・・・何に、そんなに苦しんでるのよ」

さっきまでの紫苑の状態は、明らかに只の体調不良とは異なっていた。
実際、紫苑が藍璃から逃げるときまで、紫苑は哀しそうではあったが、特に体調に不良は見られなかったのだ。

それが、藍璃が追いつくまでのほんの僅かな時間でここまでひどい体調になっていた。

それは、つまり。
この不調は心理的なものである、と言うことに他ならかった。


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.