想ヒハ龍ト成リテ


1 :夕咲 紅 :2009/01/10(土) 00:35:45 ID:WmknkmLA


 響き渡る剣戟の音。
 周囲に漂う血肉の臭い。生々しいモノもあれば、既に腐ったモノもある。
 火の手があちらこちらで上がり、嗅ぎなれない焦げた肉の臭いもした。
 息をするのも辛い。苦しい。自分ももう直ぐ周囲に転がる人だったモノの仲間入りをするのだと、ただただ疑わずにいた。
 恐怖はある。しかし既に絶望の淵に立たされている為か、ある種の諦めを覚えていた。
「お前は生きろ」
 誰かに、そう言われたことがあった。
 いつどこで言われたのか、誰に言われたのかも覚えていない。
 ただ、そう言われたことだけは覚えていた。しかし……
「もう、無理だよ」
 自分の口からそんな言葉が発せられ、ふと気がついた。
 ――それは、自分の声ではなかった。
「ファナ……ごめん……」
 そう呟く声も、自分のものではなかった。しかし、紛れもなく自分の口から発せられたその言葉は、自分の意思で発したものではなかった。
 自分が喋っているのだと理解出来る。だけど、まるで別人の視点で物事を見ている様な感覚。そう、まるでこれは――
「夢みたいだ」
 途切れかけた意識の中、その声と自分自身の声が確かに――
 重なった……


2 :夕咲 紅 :2009/01/10(土) 03:56:59 ID:WmknkmLA

第一章 日常の終わりを告げる鐘


 ―― 一 ――


「良く眠れた?」
 ベッドの中で目を覚ますと、目の前には見慣れた顔があった。まるで向かい合う様に横になっているその人物は、正真正銘実の姉――神樹(しき) 伊織(いおり)だ。
 当の俺はと言うと、神樹(しき) 士朗(しろう)。十八歳の大学1年生だ。
「なぜ俺のベッドの中にいる?」
「士朗の温もりが欲しかったの」
 妙なシナを作ってそんなことを言う伊織。これが恋人だったら言うことな――じゃなくて、別に問題ないんだろう。が、コレは俺の姉である。十人に聞いたら十人全員が美人だと納得する容姿であろうとも、血縁にそんなことをされても気持ち悪いだけだ。
「早く出てくれ」
「イヤ」
 俺の心からの要望に即答して下さったお姉様は、軽く頬を膨らませながらそっぽを向いた。横たえた体勢ではなかなかに難しい気もするが、まあそれはどうでも良いとして、俺の言うことなんて聞きません。というアピールのつもりなんだろう。
「何でだよ?」
 あまり絡みたくないというのが本音だが、相手をしないともっと我侭言い出すから放置は出来ない。
「だって寒いんだもーん」
 季節は冬。ここ最近の平均気温は七度。部屋にはエアコンがあるものの、寝ている間に切れる様にタイマーをセットしてある。朝は起きてから入れる様にしている。今部屋の中が何度なのかは分からないが、まあ寒いのは確かだ。
「なら自分の部屋に戻れよ」
 若しくはリビングとか。誰かが活動してる部屋ならここより暖かいはずだ。
「私の部屋も寒いからイヤ」
「ならリビング――」
「私は士朗の温もりが欲しいのっ」
「…………」
 言葉を失わずにはいられなかった。いや、伊織がこういう奴だっていうのは分かりきっている。なのに毎度毎度同じ様な感覚に陥るのは、決して俺の適応能力が低いからじゃないと信じたい。
 ともあれ、伊織の精神年齢が低いのは言動から察して貰えたと思うが、一応改めてきちんと紹介しておこう。
 神樹 伊織。十八歳の大学1年生。俺――神樹 士朗の双子の姉である。二卵性の為、それ程似てるわけじゃない。それでも姉弟だというのはパッと見で分かるくらいには似ている。両親のおかげか、俺たち二人の容姿は悪くない。いや、むしろ世間一般で言えば整った顔立ちをしている方だろう。そのおかげで良い思いをしてきたのは確かだ。両親には感謝している。だが、その反面嫌なこともある。主に伊織のせいで。
 自分の容姿が優れていることを自覚している伊織は、結構好き勝手やってくれる。その我侭放題の代償が、いつも俺に回ってくるのだ。そう考えると、いっそもっと普通の――平々凡々とした容姿に産んでくれれば良かったのに。と思わないでもない。
「勝手にしろ」
 最終的には大体俺のそんな言葉で収拾をつける。いや、ついてないかもしれないけど。
 俺はベッドから抜け出て、寝巻き姿のまま部屋を出ようとする。
「ちょっと待ってよぉ」
 と、情けない声が背後から聞こえてくる。それは当然伊織の声なわけだが、俺は立ち止まってやるものの振り返りはしない。
 布団の擦れる音から、伊織がもそもそとベッドから這い出たのだと判った。
 俺の温もりが欲しい。つまり俺がいなくなれば、しばらくは残っているかもしれないが、自然とそれは得られなくなる。
「まったく、士朗がそんなにケチだったなんて知らなかったわよ」
「それは悪かったな」
 改める気はないが、これ以上不機嫌になられても後が面倒だ。一応言葉だけでも謝っておく。
 振り返り、伊織の様子を見る。ちょうどベッドから抜け切ったのか、両腕を頭上に上げ筋を伸ばしていた。
「それにしても、士朗ってホント目覚め良いよね?」
「まあな」
 目が合った所でそんなことを言われ、俺は特に否定することなく頷いた。
 目覚めが良い。言葉にしてしまえば簡単な内容だ。だが、俺の場合はそれ以上の意味合いがある。起きようと思っていた時間に、目覚ましなどを必要とせず誤差五分以内に必ず起きることが出来る。そう躾けられたわけではない。だが、物心がついた時からずっとそうだった。意識せずに眠っても大体いつも起きる時間には起きる。余程疲れが溜まっていたり、寝不足だったりしない限りは間違いなく起きられる。嬉しいことに身体も丈夫に出来てるらしく、病欠したこともないし、この特技のおかげで遅刻したこともない。小中高とずっと皆勤賞だった。これは密かな自慢でもある。
「その特技、どうして私にはないのかなぁ」
 双子なのに。と、心底残念そうに俯く伊織。
「伊織だって悪くはないだろう」
「そうだけど、士朗みたいに目覚ましなしじゃ起きれないもん」
「別にいいじゃないか、それでも」
 身体が丈夫なのは伊織も一緒で、姉弟揃って皆勤賞だったりする。つまり俺の自慢話は伊織には通用しないというわけだ。いや、別に伊織に自慢したりしないけどな。
「それはそうと、そろそろ部屋から出てってくれないか?」
「えーっ」
「着替えられないだろう?」
「別にいいじゃない。減るものでもないんだから」
「お前には羞恥心というものがないのか?」
 確かにお互いの裸なんて嫌と言う程見てきた。だが、それはあくまでも昔の話だ。小さい頃。言うなればまだお互いに小学生に入る前くらいまでのこと。
「分かったわよぉ」
 俺の言葉尻の本気さに気がついたらしく、なぜか渋々ながら伊織は俺の部屋から出て行った。
 ようやく朝の平穏な一時が訪れたのだと実感した瞬間、自然と溜息が漏れた。
 とは言え、いつまでも呆けてはいられない。俺は伊織に言った通り寝巻きから普段着に着替え、ついでに今日の持ち物を確認する。
 ――今日の講義は二つ。どちらも筆記用具や参考書の類を必要としない講義だ。
 今日は手ぶらで行ける日だ。そのことを思い出した俺は、身だしなみを整えるべく洗面所へと向かうことにした。
 部屋を出ると、俺の部屋が角部屋だということが分かる。廊下の端にある扉が開いたことで、どこに何部屋あるかが一望出来る様になった。我が家は一戸建ての木造メインの家で、一階にはリビング、キッチン、客間、小さいが書庫がある。個人の部屋は全て二階にあり、俺の部屋とは反対の端にある階段を昇った目の前にあるのが両親の部屋。その斜め向かいには空きの和室があり、その向かいには伊織の部屋。そして角には俺の部屋があるといった造りだ。
 伊織が出て行った後に扉が閉じた音がしなかったから、多分伊織はリビングにでもいるのだろう。勿論他の部屋の扉も閉まっている。両親は共働きで朝早くから出かけるから、いつも通りならもう家にはいないはずだ。朝食は……伊織に期待しておこう。何せ俺は料理が出来ない。多分父親に似たんだと思う。
 まあそれはさておき、洗面所は一階にある。玄関から家に上がって直ぐ右側に、トイレと風呂に挟まれる様に洗面所があるのだ。その逆側にはリビングとキッチンがある。顔を洗いに行く前に伊織に朝食を作る様に頼んでおいた方が良いかもしれない。
 そんな風に考えながら階段を降り、リビングに顔を出す。案の定、そこには伊織の姿があった。ソファに座り、テレビを見ている様だ。テレビには朝のニュース番組が映されている。バラエティニュースとでも言うのだろうか、重苦しくはない、少し軽い感じのするニュース番組。いつも伊織が見ている番組だ。
「伊織」
「んー?」
 俺の呼びかけに、間抜けな声を出しながら振り返る伊織。口にはスティック菓子を咥えている。そのせいできちんと喋れないんだろう。
「太るぞ?」
「大丈夫っ。低カロリーだから」
 そうですか。
「まあそれはいいんだけど、朝飯って用意してあるのか?」
「母さんが作っていってくれたみたいだよ?」
 そう言ってキッチンの方を指差す伊織。
 キッチンと言ってもダイニングキッチンである。家族全員で囲うことはあまりないテーブルの上に、ベーコンエッグと焼き鮭が置いてあり、それぞれの皿にラップがかけられている。一人分しかないということは、伊織はもう食べたのだろう。
「冷蔵庫にサラダも入ってるよー」
 と、こちらを向くこともなく声をかけてくる伊織。
「おぅ」
 一言だけで答え、俺は冷蔵庫を開けた。伊織の言う通りサラダが置いてある。小皿に分けられたそのサラダにもラップがかかっている。元々食事時間がバラけている我が家では、大皿に乗せて皆で食べるなんて真似は殆どしない。いつもこうやって人数分小皿に分けておかずを置いている。
 俺はそのサラダを手に取り、1リットルパックの牛乳を一緒に取り出した。
 サラダと牛乳をテーブルに置いてから、食器棚を開けグラスと茶碗を取り出す。そのグラスに牛乳をなみなみと注ぎ、そのまま牛乳を冷蔵庫にしまった。
 茶碗に白米をよそってからイスに座り、かけられているラップを全て取る。
「いただきます」
「どうぞ召し上がれー」
 自分が作ったわけでもないのに、伊織が背中を向けたまま軽くそんなことを言ってきたが、特に相手にせずに母さんが用意してくれておいた朝食を食べ始めた。
 俺も伊織も何も話さない。テレビから漏れてくる音だけが唯一の音源と言うわけではないが、そう感じさせるくらい外は静かだ。もう少ししたら小学生の登校時間になり、少しは騒がしくなるんだろう。まあ、その頃には家を出るから外が騒がしい≠ニは感じないわけだが。
 それにしても、伊織がこうも何も喋らないのも珍しい。いつもなら、俺が食事中だろうが平気で話しかけてくるんだけど……
「なあ伊織」
 特に話したいことがあったわけじゃない。だけど、なぜか無言の伊織が気になって声をかけてしまった。
「んー?」
 さっきと変わらずに背中を向けたまま返事を返してくる伊織。どことなく生気が感じられない様な、ぼーっとしている様な声だ。
「えっと……」
 名前を呼んだものの、話しかける内容がない。言葉に詰まってしまった。
「ああ、なんだ……あ。そう言えば、今日って午後出の講義だけじゃなかったか?」
 今日が水曜日だと言うことを思い出し、何とかそんな言葉を紡いだ。俺の記憶が確かなら、水曜日の伊織の講義は午後からだったはずだ。
「そうだけど?」
 それがどうかしたの? とでも言いたげだ。
「それにしては早起きだな? 午前中に出かける用事でもあるのか?」
「んー、何にもないわよ」
「そうなのか? それにしては早く起きたよな」
 伊織は休日なんかは好きなだけ寝てるタイプの人間だ。その伊織が予定もなくこんなに早く起きるなんて……
「雨降らないよな?」
「何か言った?」
 今までずっとテレビに向けていた視線を、ようやくこっちに向けてきた。ただし、いつになく鋭い視線を。
「何も言ってません」
 普段は無害そうに見える伊織だが、怒らせると手に負えない程凶悪になる。まあさっきのくらいじゃ逆鱗には触れないだろうけど、一応不機嫌そうになったらフォローに入る様にしないと痛い目を見るのは俺だからな。
「さっきも言ったじゃない」
「は?」
「士朗の温もりが欲しかったの」
 何を言ってるんだ? まさか、俺の温もりが欲しかったから起きて俺の部屋まで来たとでも?
「何ぽかーんと間抜けな顔してるのよ? 格好良い顔が台無しだよ?」
「いや、だってなあ……」
「まあ、起きたのはたまたま。って言うか寒くて起きたんだと思うよ?」
「それで、暖房点けるよりは俺の所に来た方が早く暖が取れるとでも思って来たのか?」
「まあ、ご飯食べてからだけどね」
 それだったら飯食べ始める前にリビングのエアコン点ければ良かったんじゃあ……
 って、そんなこと言ったらどうせまた俺の温もりがどうとか言い出すんだろうけど。
「そうだ!」
 ちょっとだけ自分の思考に落ち込みそうになった所に、伊織の大声が聞こえてきて驚きの余り肩をビクッと震わせてしまった。
「ど、どうしたんだよ?」
「士朗、今日の夜暇?」
「何だよ突然……」
「いいからっ。時間ある?」
「……まあ、特に予定はないけど?」
「なら、ちょっと付き合って欲しいんだけど。いいかな?」
 伊織がわざわざこんな風に頼んでくるなんて……予定もなしに起きることより珍しいぞ。いつもなら問答無用でつき合わす癖に。やっぱ今日は雨か? 一応折りたたみ傘は持って行こう。
「何かとすごく悪意を感じるんだけど……」
「気のせいだろ」
「そう? ならいいんだけど。それで、いいの? ダメなの?」
 そうだな……伊織に付き合うといつも面倒事に巻き込まれるんだけど、放っておいたらどこまででも暴走しそうだしな……
「わかった。俺も男だ。覚悟を決めるよう」
「何だか良く分からないけど、付き合ってくれるってことでいいのかな?」
「ああ」
「ありがと。それじゃあ、こっちの講義が終わったら連絡するね」
「了解」
 そんな会話の後は特にこれと言った会話もなく、朝食を終えた俺は食器を洗ってから自分の部屋に戻った。
 大学に行く仕度をしようと思った所で、顔を洗うのをすっかり忘れていたことに気がついた。
 荷物(と言っても殆どないが)の確認をして、洗面所に向かう。リビングからはまだテレビの音がしてたから、伊織がまだ見てるんだろう。顔を洗った俺は、そのまま大学へと向かうべく家を出た。
「行ってきます」
 出る時に呟いたそんな言葉は、どうやら伊織には届かなかったらしく返事はなかった。


3 :夕咲 紅 :2009/01/11(日) 05:04:49 ID:WmknkmLA


 ―― 二 ――


「遅いな……」
 リビングの壁にかけられたアナログの時計を見て、俺は三度目になるその呟きを漏らした。
 今の時間は二十時半。伊織の受講している講義が最終までだったはずだが、それにしたってもう終わってるはずの時間だ。伊織の携帯に何度か電話もしてみたが出ない上に返事もない。一体何をしてるんだか……
 何か事件に巻き込まれた。そんな心配はあまりしていない。勿論可能性がないわけじゃないが、伊織が約束を放って何か別のことをするなんて日常茶飯事だからだ。
 と、そんなことを考えていると携帯から聞き慣れたメロディが聞こえてきた。伊織からの着信設定にしてある曲だ。
「もしもし」
『あ、士朗? ごめんねー。ちょっと教授に呼び出されちゃって』
 俺が非難の言葉を向けるよりも早く、言い訳を並べてくる伊織。いや、こういうことで嘘をつく奴じゃないから本当なんだろうけど。それにしても、珍しくまっとうな理由だ。いつもなら自分の楽しみの為に約束を破るのに。
『何か今失礼なこと考えたでしょう?』
 勘の鋭い奴だ……
「そんなわけないだろ。それより、結局俺はどうすればいいんだ?」
『んーとね。今から駅まで出れる?』
「ああ」
 何をするのか分からなかったから、一応出かける準備もしてある。
『それじゃあ、改札付近で待ち合わせね。時間は……九時で平気?』
「分かった。何か用意する物は?」
『大丈夫。特にいらないから。あ、でもお金は持ってきてね』
 それは俺にたかるってことか? いや、違うと信じよう。
「了解。それじゃあ、また後でな」
『はーい。じゃね〜』
 そんな言葉の直後に、電話が切れる音がして俺も通話を切った。
 待ち合わせ場所になった駅だが、駅名を言わなかったけど俺たちの会話で駅と言えば須賀駅のことだ。うちから一番近い駅で、歩いて十五分くらいの場所にある。
 まだ少し早いけど、もう出ておくか。遅れたら文句言われるのは必至だからな。自分が遅れても文句を言わせない癖に。
 大学に行く時にも着て行った冬用のジャケットを羽織り、テーブルの上に置いておいたサイフをジーンズの後ろポケットにしまう。つい先程まで手に持っていた携帯をジャケットのポケットに入れ、俺は駅に向かうべく家を後にした。


「寒いな」
 外に出て最初――と言うか直ぐに発した言葉は、無意識に出たそんなものだった。
 特別風が吹いているわけじゃないが、二月の空気はそれだけで冷たく肌に突き刺さる。これで風が吹いたらもう少し厚着をしないと風邪をひくかもしれない。昼間は日も出てるから多少は暖かかったんだけど……
 まあ、いくら何でもずっと外にいるってことはないだろう。そう判断して、俺はそのまま駅に向かうべく住宅街を進んで行く。
 うちを出て右に行くと駅方面だ。方角で言えば東。真っ直ぐに住宅街を抜ければ駅周辺のアーケード街に入る。住宅街を抜けるのに十分。アーケードから駅に入るまでが五分って所だろう。
 寒さのせいか、少しだけ歩調が速くなる。特に意味もなく夜空を見上げたりなんかするが、家々から漏れる光のせいか殆ど星は見えない。まあ、田舎に住んでた経験なんてないし、ずっとこれが当たり前の夜空だったから、特に寂しいとか感慨深いとか、そう言う感情は抱かないけど。
 気がつけば住宅街を抜けていた。時間を確認したわけじゃないが、多分十分も経ってないだろう。まだそれなりに賑わっているアーケードに入ると、ふと違和感を感じた。
「人が、いない……?」
 アーケードの入り口であることを示すアーチをくぐる前までは、確かに人の気配も、喧騒もあった。それなのに、アーケードと言うこの空間に入った瞬間に、全ての気配が消えた。明かりは点いている。なのに、道はおろか店の中にも人の気配が感じられない。
 気のせい?
 いや、そんなバカな……
 一番近くにあるドラッグストアーを覗いてみる。が、やはり誰もいない。
「すいませーん!」
 奥に誰かいるかも。そんな淡い期待を込めて大きな声を出してみるが、誰も出て来ない。
「一体どうなってるんだ?」
 不思議に思いながらもドラッグストアーを出ると、背中にゾクリと悪寒が走った。例えるなら、それは命を脅かす程の危機を感じたと言える。実際にそんな体験をしたことはないが、はっきりとそう言える類のもの。
 背筋に、嫌な汗をかく。だが、動けない。
 脳内では危機を報せる警鐘が鳴り響いている。にも関わらず動くことすら出来ない自分に焦燥感を抱く。

 カーン

 カーン

 カーン

 絶えず鳴り響く警鐘。脳内だけじゃなく、まるで現実にその鐘の音を聞いている様な錯覚すら感じる。
 ――その音は、確かに聞いたことのあるものだ。いつ、どこで聞いたかは分からない。だけど、確かに聞き覚えのある音……
「ようやく――」
 背後からそんな声が聞こえ、びくりと肩を震わせてしまった。
「ようやく見つけた。リーヴス=リィンハート」
 聞き覚えのない声。聞き覚えのない名前。しかし確かに、その声は俺に向けてその言葉を放った。
 恐る恐る、背後を振り返る。俺とドラッグストアーの間――と言うよりは店のほぼ入り口に、一人の女が立っていた。
 艶やかな長い黒髪は伊織と通じる所があるが、ストレートの伊織とは違ってポニーテールにしている。歳は俺と同じくらいだろうか。身長は俺と大して変わらないみたいだから、多分170はあるだろう。
 デニム生地のズボンを穿いていて、インナーまでは分からないが革製の黒いジャケットを着ている。そんな女が、何をするでもなく、言葉の通りただ立っているだけ。だと言うのにも関わらず、俺の身体は緊張しているのか上手く動かせない。何とかゆっくりと後ずさることが出来たものの、唾を飲み込む行為さえ苦に感じる。
「私の名はエルトリア。エルトリア=バルドバース」
 彼女が名乗ったことで、少しだけ緊張が和らいだのか多少だが心に余裕が出来た。
 見るからに日本人なのに外国人みたいな名前に疑問を感じた。だが、それを尋ねる程の余裕はない。
「……覚えていない様だな」
 俺が名乗りに反応しないのを見て、そんな言葉を続けるエルトリアと名乗る女。
「まあいい。思い出す必要もないし、新たに覚える必要もない」
 どう言うことだ? まあ、あんな名前一度覚えたらなかなか忘れないと思うんだが……
 などと少しずれた思考を巡らせていると、目の前の女の雰囲気が一変した。最初に感じた様な、命の危機を覚える程のプレッシャーを放つ。
「私は――私はただ、お前を殺す者だ」
 そんな言葉を発した刹那、いつの間に――どこから出したのか、女の手には一振りの日本刀が握られていた。その刀を真っ直ぐに構え、俺へと向かって突きを放つ。その様子を、俺はまるで他人事の様に見ていることしか出来ない。
 ――死ぬ――
 なぜか恐怖も感じずに、俺はただそう確信だけをしていた。
 だが……
「絶望よりも深き、絶望よりも凍てつく冷気よ。我が敵を阻め!」
 正確には聞き取れなかった。それ程に早い口調で、だけど確かに聞き慣れた声がした。そう理解した瞬間には、俺の心臓へと迫り来る刃を氷の塊の様なモノが防いだ。その一撃によって氷塊は砕け散ったが、直ぐに追撃が放たれると言うことはなく、むしろ女は俺と距離を取る様にアーケードの出口側へと跳躍した。まるで人間とは思えない様な距離を跳んだが、不思議とそのことに驚いたりはしなかった。感覚が麻痺してるんだろうか?
「士朗は殺させない。ファナの為にも、私の為にも」
 アーケードの奥――駅側から、さっきも聞いた聞き慣れた声がした。俺は日本刀を持つ女へと注意を払いつつ、それでも声のした方に視線を向けた。
 そこには、予想通りの人物が立っていた。長い艶やかな黒髪。女にしては割と長身なスラっとした体型。それでいて決して貧相な体型と言うわけではなく、おそらく女性としては理想的な体型の一種。そして見慣れた整った顔立ちの女――
「伊織」
「やっほ、士朗。元気?」
 俺の呆然とした呟きに、それを無視するかの様にいつも通り――むしろいつもよりも明るく振舞う伊織。
「お前……今何した? いや、それよりもこれはどう言うことだ?」
 自分でも何を聞きたいのかよく分からない。だけど、尋ねずにはいられない。今、一体何が起こっているのか……
 それを知ってどうなるのかは分からない。だけど、何も分からないままに殺されるなんて真っ平ゴメンだ。
「説明は後。それよりも、今はあいつを何とかしないとね」
 そう言って日本刀の女を指す伊織。
 いや、確かにそうかもしれないけど……
「一体どうするって言うんだよ?」
 相手は刃物を持っている。しかも動きが人間を凌駕している。そんなのを相手にして、俺や伊織が敵うとは思えない。いや待て。さっき伊織は何をした? 俺に迫り来る刀を、どうやって弾いた?
「まあまあ。士朗は下がっててね。今あいつをやっつけるから」
 その言葉に返事をするよりも早く、伊織は前に――日本刀の女へと向かって駆け出していた。
「少し予定が狂ったが……私の邪魔をするなら、お前も殺す」
 勢い良く距離を詰める伊織に向けて、女は静かにそんな言葉を漏らした。その口調も、目も、本気だ。間違いなく、あの女は殺意を持って俺たちを見ている。
 女は日本刀を構え直し、迫り来る伊織へと意識を向けている様だ。良くは知らないが、ああ言うのを正眼の構えと言うのだろう。真っ直ぐに構えた刀を、前方から近づく伊織へと向けて突き出す。
「音よりも速く、光と並びし疾風よ。我が敵を切り裂け!」
 人間の耳では聞き取れないんじゃないか? そう思える様な早い口調だが、今度は確かにその言葉を聞き取れた。
 伊織の言葉に呼応するかの様に風が集まり、伊織の眼前に迫る刃の方向を逸らす。女は直ぐに刀を引こうとするが、伊織の周囲に渦巻く風がその動きを阻む。
「絶望よりも深き、絶望よりも凍てつく冷気よ。我が敵を阻め!」
 一度手を翳し、振り抜きながら伊織がその言葉を紡ぐと、女の右腕が凍りついた。握っていたはずの柄と手の間さえも凍ってしまったのか、静かに音を立てて刀は地面に落ちた。その様子を女は信じられないものを見たかの様に視線を送るが、事実は変わらない。
「私は貴女と違って人を殺したいなんて思わないから、出来れば退いて欲しいんだけど?」
 そんな言葉を放つ伊織の口調には、有無を言わさぬプレッシャーが感じられた。俺に対して向けているわけではないのに、それでも畏怖してしまう。
 殺したいとは思わない。だけど退かないのなら殺す。暗にそう言っているのが分かるからこそ、俺も、あの女も唾を飲み込み何も言えない。
「……わかった。今日の所は退こう」
 少しの間を置いて静かにそう答えて、女は左手で日本刀を拾う。
「出来れば二度と来ないで欲しいんだけどね」
「……それは約束出来ないな」
 絶対的に不利な状況にあるにも関わらず、女は臆することなくそう切り返した。
「そう? なら次も返り討ちにしてあげる」
 伊織も負けずにそんな言葉を返す。しかも笑顔なんか浮かべてやがるから恐ろしい奴だ。
 女は伊織のそんな言葉に苦笑を浮かべ――それ以上は何も言わずに踵を返し、住宅街の方へとその姿を消した……
 気がつけば、アーケードには喧騒が戻っていた。人の姿もある。向こうからすればいきなり現れたであろう俺や伊織を不思議に思う者はいないらしく、ただ立ち尽くす俺たちを邪魔だと言わんばかりの視線を向けてくる者がいるだけだ。
「伊織」
 ……今度こそちゃんと聞かないとな。そう思い、伊織の名前を呼ぶ。
「何かな?」
「話してもらうぞ?」
「うーん……本当なら士朗には知って欲しくなかったんだけどねー」
「伊織」
 軽い口調で誤魔化そうとする伊織に、厳しい口調を向ける。俺が本気なんだと、それを分からせる為だ。
「分かってる。ちゃんと話すから。とりあえず、家に帰ろう?」
「用事はいいのか?」
「うん。こんなことになっちゃったしね。またの機会にお願い」
「……分かった」
 そんな、少しだけ日常と変わらない会話を交わしながら、俺たちは自宅に戻るべくアーケードを出る。
 帰路を歩く中、俺も、伊織も何も語らず、ただ冷たい空気だけが俺たちを包んでいた。


 今日この後に交わされる会話を以って、俺が今まで日常だと思っていたモノが壊れてしまうなんて、この時はまだ、思ってもいなかった……


4 :夕咲 紅 :2009/01/19(月) 03:38:33 ID:WmknkmLA

第二章 刻まれた記憶

 ―― 一 ――

 その場を支配していたのは、ただただ時が過ぎ去っていく沈黙。俺は伊織が話し始めるのを待っているだけ。伊織は何から話そうかと悩んでいるのか、なかなか話し始めない。
 駅前のアーケードで謎の女に命を狙われてから、既に一時間以上が経っている。時間は夜の十時を少し過ぎた頃合。家に着いてからリビングのソファに向かい合わせに座った俺たちだったが、それからもう直ぐ一時間が経ちそうだ。それだけの間沈黙が続いたのも珍しいと言うか奇跡に近い様に思える。だが、それだけ伊織が語ろうとしていることは重く真剣なものなのだろう。だからこそ、俺もチャチャを入れずに待っている。
「士朗はさ」
 ふと、伊織の口からそんな言葉が紡がれた。勿論それで言葉が終わるわけがなく、俺はその続きを静かに待つ。
「前世――って言うか、生まれ変わりとかって信じる?」
「は?」
 いきなり何を言い出すんだ……
「そんなの――」
「信じてない。って顔してるわね」
 俺の言葉を遮って、その続きを言う伊織。そりゃあそうだろう。いきなり前世とか生まれ変わりとか言われてもな……そもそも、一体それがさっきの出来事と何の関係があるって言うんだか。
「うーん……士朗って意外と鈍感?」
「なっ……いや、まあ自分では何とも言えないな」
 そんなことはないと思いたいが、今までにも何度かそんな風に言われたことあるからな。
「これから話す内容はね。前世とか、生まれ変わり――輪廻転生って言われてる出来事が実際にあることが前程になってくるの。だから、今はとりあえずあるって思って聞いて?」
 急にそんなことを言われても、自分の認識をそう簡単に変えることなんて出来ないけど……とりあえず話を聞かないことには何も解決しない。そう思って、俺は黙ったまま頷いて見せた。
「私や士朗、それにさっきの人はね。昔――前世では、こことは違う世界の住人だったの。その世界では大きな戦争が起きていて、人の死が常に隣り合わせに存在していた。私たちは戦争の途中で死んでしまったから、結局その結末がどんなものだったのかは分からないけど……ただ、今も前世の記憶や力を持っていて、戦争の続きをしようとしている人たちがいる。さっきの人みたいにね」
 淡々とそんなことを言う伊織だったが、勿論そんな話を簡単に信じられるわけがない。しかし輪廻転生と言うものが実際にあるとするならば、さっきの女の言動も少しは辻褄が合ってくる。
「なあ伊織?」
「何?」
「仮に輪廻転生ってのが本当にあるとしよう。伊織の言ってることが事実だとも。それはひとまず置いておくとして、さっきの変な力は一体何なんだ?」
 伊織は、前世の記憶と力を持っていると言った。なら、さっきの魔法染みた力は前世の伊織が持っていた力なのだろう。そう判断することは出来るが、それはあくまでも伊織の言葉を信じるなら。というのが前程になってくる。それでも伊織が不思議な力を使ったのは事実だ。
「あれはね、人の想いを力に変える術で、想刻術って呼ばれてるものよ」
 人の想いを力に変える? どういうことだ?
「私の前世はその想刻術の使い手で、それで戦場に駆り出されていたの」
 俺が内心浮かべた疑問など当然お構いなしに、伊織は自分の言葉を続ける。
「私は士朗の前世――リーヴスよりも長く生きたけど、遠い戦場にいたせいでその死に目には立ち会えなかったわ。それが悔しかったからかな、今こうして貴方といられるのは」
 そう言いながらいつもとは違う、はにかむ様な微かな笑みを浮かべる伊織。その表情がどこか別人の様に見えて、正直惹き込まれてしまった。それが妙に恥ずかしくて、俺はふと思い浮かんだ疑問をそのまま口にする。
「ところでさ、どうして俺がそのリーヴスって奴の生まれ変わりだって分かるんだ?」
 伊織にしろ、さっきの女にしろ、俺自身にそんな自覚はないのに、まるでそれが当然の様に俺をリーヴスと呼ぶ。
「うーん……何でだろうね? 何となく――としか言い様がないんだけど、どうしてか自分の中では確信してるんだよね。多分、さっきの人もそうなんだと思う」
「理由はないのかよ……間違いって可能性はないのか?」
「ゼロ。とは断言しないけど、まず間違いないと思う。私が想刻術を何の迷いもなく使えるのと同じで、士朗をリーヴスだと思えるから」
「そうか……」
 そんな風に言われると、俺としてはもう何も言えない。
 だけど、俺はどうすればいい? 伊織の話を信じることは正直出来ない。それでも、俺が襲われたという事実があり、伊織が変な力――想刻術とか言う術を使っていたのも事実だ。そして何よりも……
「何となく……今の話が本当なんだって、頭の隅で判断してる俺がいるんだ」
「多分、それがリーヴスの記憶なんじゃないかな? 今はまだ覚醒していないけど、士朗は間違いなくリーヴスなんだから」
「そうなのかも、しれないな」
 まだ信じきれない。だけど、信じる他になさそうだ。
「かもじゃなくてそうなんだって!」
 そんな俺を後押しするかの様に、明るくそんな風に声を上げる伊織。
「……それで、俺は一体どうすればいいんだ?」
 伊織に聞いて答えが分かるのかどうかは微妙だが、少なくとも解決の糸口くらいは掴めるかもしれない。そんな淡い期待を抱いてそう尋ねた。
「さっきも言ったけど、士朗には知って欲しくなかったんだよね。そうすれば、私が頑張れば士朗は士朗のままでいられただろうから」
「それってどういうことだよ?」
「……私だって、物心ついた時から前世の記憶があったわけじゃないってこと」
 それはつまり、突然自分ではない誰かの記憶が――人一人の一生分の記憶や想いが入り込んできたということなんだろう。それを示唆するだけの哀しみを帯びた声と表情で、伊織がぽつりと呟く様に漏らしたことからそれが伺えた。
「だからこそ、士朗には知って欲しくなかったの。記憶の混乱もそうだけど、それよりもその先に待っている現実に直面して欲しくなかったから……」
 その先に待っている現実? どういうことだ?
「でも、今は少しでも早く覚醒出来る様にした方が良いかもしれない。勿論士朗のことは私が守るつもりだけど、この先ずっと一人で守り続けられるとは限らないし」
 それはつまり、俺自身にも戦う力が必要になる時が来るかもしれない。そういうことか……
 まあ、当然と言えば当然か。狙われているのは俺の命だ。自分の身も守れない様じゃあいつ命を落としても不思議じゃない。何せ、この先俺を襲ってくる奴があの女だけとは限らないんだからな。
「それで、どうやったら覚醒ってのが出来るんだ?」
「それは分からない。私の場合は自然にその時が来たし……私とリーヴスの共有する思い出話をすれば触発されて覚醒するかもしれないし、何か外的なショックを与えれば覚醒するかもしれないし……」
 外的なショック? 何だか凄く可哀そうな奴を見る目を向けてくるのはどういうことだ? 何だか凄く嫌な予感がするんだが……
「とりあえず、今日のところはもう休まない? 術を使ったせいで結構疲れてるし」
「そうなのか? まあ、もう直ぐ父さんたちも帰ってくるだろうしな。余計な心配はかけない方が良いか」
「うんうん。それじゃあ士朗、おやすみなさい」
 そう言って踵を返し、リビングから去ろうとする伊織。だが、俺はまだ伊織に言わなければいけないことがある。
「伊織」
 だから、俺はその名前を呼んだ。伊織が俺のことをリーヴスと呼ばない様に――いや、伊織がどう考えて俺を士朗と呼び続けているのかは分からないが、それでも俺にとって伊織は伊織であって、決して名前も知らない前世の人間じゃない。だからこそ、伝えていないあの言葉を伝えなければならない。
「どうしたの?」
 俺の呼びかけで伊織は立ち止まり、こちらに振り返った。
「助けてくれて、ありがとう」
 伊織がどんな真意を持って助けてくれたのかは分からない。だけど伊織が俺を助けてくれたことは確かな事実で、俺が伊織にお礼を言うには十分過ぎる出来事だ。だからこそ、その辺を疎かには出来ない。
「――うん」
 何を考えたのかは分からない。だけど一瞬の間を置いて、伊織はそんな風に答えた。
 ただ頷いただけ。だけど、それだけで俺の感謝の気持ちが伝わったのだと理解出来た。それくらいは分かるくらいに、俺と伊織は同じ時を過ごしてきた。
「おやすみ」
「うん。おやすみ」
 伊織は再び踵を返し、今度こそリビングを後にした。
 俺はその背中が見えなくなるまでの数秒間立ち尽くし――いや、見えなくなってからもしばらくの間その場に立ち尽くしていた。
 それから両親が帰ってくるまでは三十分とかからなかったが、それまでの間リビングでずっと思考を巡らせていた。俺自身のこと、これから先のこと。前世、今も続いている戦争……
 考えることはいくらでもある。両親の帰宅に合わせ自分の部屋に戻り、再び思考を巡らせている内に、いつの間にか眠りに落ちていた……


 ――気がつけば、ただひたすらに大声を上げながら駆け抜けていた。
 右手には一振りの剣を握りしめている。そのせいか上手く走れていない。だけどそんなことはお構いなしに、俺はただ走り続ける。
 腕が振られる度に同時に揺れる剣の先からは、その勢いに乗って血が飛び散っている。鮮血……
 ほんの少し前に、俺が斬った人間の血……
 初めて人を殺した。
 気がつけば始まっていた戦争。
 気がつけば戦場に駆り出され、戦うことを強要されていた。
 運が良いのか悪いのか、剣の腕にはそれなりに自信があった。そのおかげでこれまで生き抜いてこれたのだから良かったのだろう。だが、そのせいでこうして人を殺すハメにもなった。
 今までは適当にあしらうことが出来たんだ。相手も訓練された軍人などではなく、俺みたいに無理矢理徴兵された人間の様だったから。
 だけど、さっきの相手は違う。
 軍人――なのだろう。相手国の。それもかなり訓練の行き届いた……
 本気で戦わなければ、殺す気で剣を振るわなければ、俺が殺されていた。それが、ハッキリと理解出来た。だからこそ、俺は無我夢中で剣を振るった。雑にならない様に細心の注意を払いつつ、本気で。
 相手の武器はランスだった。そうじゃなければ、その軌道を読むことも出来なかったかもしれない。突きと言う直線的な攻撃だったからこそ対処が出来て、今の様な結果になった。相手の方が腕は上だったはずだ。それでも勝てたのは、相手に油断があり、そして軌道の読みやすい獲物を使ってくれていたからだ。
 軍人だとは思うが、騎士の様な男だった。歳は俺よりも少し上くらいの、まだ若い男。
 名前はそう……
 エルトリア=バルドバース。
 確か、そう名乗っていた……


5 :夕咲 紅 :2009/02/06(金) 00:32:14 ID:WmknkmLA

 ―― 二 ――

 良い目覚め……とは言えないが、それでもいつもの様に起きようとしていた時間の五分前に目が覚めた。
 今の今まで見ていた夢を思い返す。
 人を殺す夢――ある意味悪夢とも言えるその夢の内容。そしてその相手の名前……
 エルトリア=バルドバース。昨夜、俺を殺すと言った女の名乗った名前。
 伊織の話を本気で信じたわけじゃなかったが、あんな夢を見たとなるとそうも言っていられない。
 勿論、あんな出来事の後にあんな話を聞いたから、俺の脳がそれを整理する為に見せた夢とも取れないことはない。だが……
 その夢が、あまりにリアル過ぎた。
 鼓動の高鳴り、人を殺したという事実を突きつけられた焦燥感。人の肉を斬った時の感覚からくる嘔吐感と、自分への嫌悪感。それら全てが、今もまだ俺の中に残っている。夢を見ていた時程じゃないのがせめてもの救いだ。そうじゃなかったら、今直ぐにでも吐いていたかもしれない。
「士朗、まだ寝てるのー?」
 扉をノックする音と同時に、そんな声が聞こえてきた。伊織の声と似ているが、この声は伊織ではなく母さんの声だ。
「大丈夫。起きてるよ」
「そうよね。士朗が起きてないわけないわよね」
 そう言って扉の向こうで苦笑を漏らす母さん。
「下に降りて来ないから、少し心配になっちゃって」
 ああ……そう言えば、木曜日はいつもならもう直ぐ家を出る時間だ。
「今日は普通の時間に行けば大丈夫だから」
「そうなの? それじゃあ母さんたちはもう行くけど、二度寝したりしちゃダメよ?」
「しないよ……」
 まあ、母さんもしないって思ってるんだろうけど。扉の向こうから微かに笑い声がするから間違いない。
「それじゃあ、行ってくるわね」
「行ってらっしゃい」
 扉越しのそんな会話を終え、俺は一息吐くとベッドから起き上がった。
 普通の時間に行けば大丈夫。その言葉に嘘はないが、真実と言うわけではない。毎週木曜日は、大学に行く前にある場所に寄っている。寄らなければいけないわけじゃなく、あくまでも俺の意思で。だが、正直今日は行く気が起きない。そう分かっていたからこそ、こうして講義に間に合うくらいの時間に起きることにした。
 着替えを済ませ、部屋を出る。リビングに向かうべく階下に降りると、階段の下で伊織と出くわした。
「あ……」
 何と声をかければいいのか分からず、ただ息を漏らしただけの様な掠れた声を出してしまった。だがそんな俺の様子など気に留めた様子もなく、伊織はいつも通りの笑顔を浮かべ「おはよう」と挨拶をしてきた。
「ああ。おはよう」
 だからこそ、俺も何とかいつも通りにそんな言葉を返すことが出来た。
「伊織も一限からだっけ?」
「うん」
 そんな調子で続けたいつも通り≠フ会話。
「それじゃあ、今日は一緒に行くか?」
 今俺は日常の中にいるのだと、そう実感し安堵さえ覚える。
「うーん……そうね。八時でいい?」
 伊織と一緒に大学に行くことはあまりない。が、全くないと言うわけでもない。だからこそこの会話は自然であり日常と言える。
「ああ。それじゃあ後でな」
「うん」
 そんな会話を経て、俺たちはそれぞれの準備へと戻る。伊織はもう食事を済ませたのだろう。二階に戻って行ったから自分の部屋で身支度を整えるんだと思う。
 俺は洗面所へと向かい顔を洗うと、リビングへと入った。両親が家を出て伊織が部屋となると、そこには誰もいない――はずだった。
 そのありえない状況に、俺は思わず言葉を失ってしまった。
 リビングのほぼ中央――テーブルの奥に、一人の少女が立っていたからだ。亜麻色の短く切りそろえた髪。小柄で華奢な身体つき。優しそうな瞳。白い生地の清楚な服――司祭服とでも言うのだろうか。シスターなんかが着ているのとは違う、ファンタジーものなんかに出てくるクレリック系の服だ――を着ている。
 その慈愛に満ちた瞳を僅かに哀しみに染め、こちらをじっと見つめてくる。
 会ったことはない。だけど、俺はこの娘を知っている……
 見たことがあるのか? いや、本当はどこかで会っているのかもしれない。
「…………」
 俺は何も言えないし、動けないでいる。彼女もまた、何も語らず動く気配もない。いや、そもそも彼女は本当にここにいるのか?
 そんな疑問を覚えると同時に、彼女の姿が揺らいだ。
「なっ」
 驚きのあまり声を上げてしまったが、そんなことは関係なしに姿が――存在が薄くなっていく少女。そしてその姿は、一分も経たずに完全に消えてしまった。
「……一体何だって言うんだよ」
 一人そんな呟きを漏らしてはみるものの、勿論それに答えが返ってくるわけもない。
 少しの間呆然と立ち尽くす俺だったが、ふと我に返り時計を見る。
 七時半を回っていた。あの少女と見つめ合っていたのはものの数分だと思ったのに、どうやら二十分程が経っていたらしい。起きたのが七時頃だから、リビングに来たのは十分くらいだったはずだからな。
 ……今はそんなことを考えてる場合じゃないか。遅れたら伊織に文句を言われるのは必至だからな。
 そう頭を切り替え、朝食を取るべくダイニングや冷蔵庫の中を漁ってみる。
「……何もないな」
 いや、正確には用意された食事がない。材料ならあるんだけど……
 伊織に頼むか? いや、今から作ってもらっても時間がないか。仕方ない。今日はパンでも焼いて食べるか。
 ダイニングテーブルにほぼ常備されている十枚切の食パンを二枚取り、オーブンに入れて焼く。そのまま食べてもいいんだけど、せめてトーストくらいにはしないとダメな奴な気がする。そんなわけでパンが焼けるまでの間にインスタントコーヒーを作ってみる。たったこれだけのことでも、何となく自分で飯を用意したって気になるから不思議なものだ。
 ……ただの自己満足とも言えるが。
 トースト二枚とホットコーヒーを一杯。はっきり言って物足りないが、時間的にもこれくらいが限界だ。
 使った食器を洗い、部屋に戻って荷物を用意する。忘れ物がないかチェックした所で、時間は七時五十五分。部屋を出ると、ちょうど伊織も部屋を出てきて廊下で出くわした。
「準備出来たの?」
「ああ」
「それじゃあ、このまま出ましょうか?」
「そうだな」
 淡々とそんな言葉を交わし、俺たちは揃って玄関へと向かった。一応リビングなどの戸締りも確認してから、外に出る。伊織は先に外に出ていて、俺が出たのを見計らって玄関の鍵を閉めた。
「よしっ」
 なぜか誇らしげにそんな言葉を発する伊織を無視して、俺は駅へと向かって歩き始めた。伊織も特に俺に向けて言ったわけじゃなかったらしく、何も追求せずに俺の後に続く。
 アーケード街に入るまでは、お互い無言だった。いつもなら無駄に話しかけてくる伊織が黙っていたせいだが、その雰囲気に俺も声をかけることが出来なかったからだ。だが、アーケードに入った辺りで、意を決したのか伊織が沈黙を破った。
「士朗」
「ん?」
 出来る限り素っ気なく――と言うか普通っぽく、そんな風に聞き返す。
「昨日の続き……少しだけいいかな?」
 それはこっちこそお願いしたいくらいだ。だけど……
「こんな所でか?」
「大丈夫。大したことは言わないから。昨日も言ったじゃない? 私たちの共有する思い出話とか、ちょっとするだけだから」」
「そうか……歩きながらでいいよな?」
「うん」
 そんな風に頷いて、伊織はぽつりぽつりと前世の記憶を語り始めた……


 ルナファリス=レイニーブルー。
 伊織の前世の名前。
 俺の前世だと言うリーヴスの一つ年上の女性で、リーヴスとは幼なじみ。
 ファナリリアと言う名前の妹がいて、三人は良く一緒に遊んでいたそうだ。
 いつしかリーヴスとファナリリアは恋に落ち、やがて恋人となる。二人は結婚の約束をしたものの、戦争が始まりリーヴスが徴兵されたことで式を迎える前に二人は離れ離れになってしまった。
 いつか戻ると約束したリーヴスだったが、結局その約束は果たされなかった。リーヴスが、戦場で散ってしまったことによって。
 その頃には想刻術の使い手であるルナファリスも徴兵されていた為、ファナリリアの当時の様子は伊織も分からないそうだ。だが、報せを聞いて何とか故郷に戻ったルナファリスを待っていたのは、既に敵の手に落ち無残な姿を晒す故郷の様子だったらしい。そこには生きている者などいるはずもなく、だからと言って死体が転がっているわけでもなかった。廃墟――そう呼ぶに相応しい場所。それが久し振りに見た故郷の姿。
 一体何があったのかは分からないし、ファナリリアがどうなったのかも分からないまま、ルナファリスは戦場へと戻された。
 それ以上のことを伊織は語らなかったが、おそらくは伊織も――ルナファリスもその後に命を落としたのだろう。
 思い出話を語ろうとしていた伊織を制し、リーヴスが命を落としてからのことを聞いたのは俺の意思だ。知りたいと思ったのは、ファナリリアのこと。そして、戦争の末のこと。結局知りたいことを全て知ることは出来なかったが、俺は不安と安堵の両方を感じていた。
 ファナが戦争で命を落としたとは限らないから。だがそれと同時に、故郷の滅びと共に命を落とした可能性もあるから。
 ……無意識に、そんな風に考えていた。
「ファナ……?」
 自分の思考に疑問を覚え、気がつけばそんな言葉を漏らしていた。
「ファナのこと思い出したの?」
「え? いや、そういうわけじゃないんだけど……」
 ファナリリア。その名前を聞いて、俺は自然とファナと言う呼び方を思い浮かべた。それと同時に、朝リビングで見た少女の姿を思い出した。
 ファナリリア=レイニーブルー。リーヴスの婚約者……
「そう……」
 どこかホッとした様な、それでいて残念そうな声で呟く伊織。だが、そんな伊織に気をかけていられる程俺の心中に余裕があるわけではない。
 一秒。
 一分。
 ほんの少しでも時間が経つにつれ、俺の中でファナと言う少女の存在が大きくなっていく。と同時に、リビングの少女の姿がハッキリと脳内で色を帯びていく。
 あの娘がファナなんだと、なぜか確信が持てた。
 気がつけば大学の最寄駅に電車が到着し、俺たちは電車を降りた。
「士朗、今日何限までだっけ?」
「四限までだけど?」
「良かった。一緒だ」
「それがどうかしたのか?」
「一緒に帰ろうと思って。ほら、帰りにあいつに襲われるかもしれないし」
 そうか……いつどこで襲ってくるかなんて分からないからな……
「分かった。それじゃあお互い終わったら連絡するってことでいいか?」
「うん」
 そんな会話を終える頃には、俺たちは改札を潜り駅を出ていた。ここから大学構内に向かうバスに乗って十分程で大学に着くんだが……
「伊織」
「何?」
「俺、やっぱ病院寄ってく」
「え? 士朗どこか悪いの?」
「違う違う。いつものお見舞いだよ」
 毎週木曜日の朝。俺は病院へと足を運んでいる。今日は止めておこうと一度は思ったが、やはり行った方が良いと思えてきた。いや、違うな……
 なぜかむしょうに、あの娘に会いたくなってきた。
「ああ……士朗が入院した時にお世話になったって言う娘の所ね。そう言えば今日は木曜日か」
「ああ。昨日あんなことがあったから、今日はそんな余裕ないと思ってたんだけど……随分落ち着いたし、顔出さないと不安がるからさ」
 前に一度行かなかった時は、その次の週には泣かれたくらいだからな。
「前から思ってたんだけど……士朗は、その娘のこと好きなの?」
 軽い口調。だが、思わず振り返った俺の視線に映ったのは酷く哀しげな伊織の表情だった。
「……分からない」
 伊織の悲痛にさえ思える表情を見た俺は、何故かハッキリと否定した方が良いと思った。だけどそれ以上に、嘘をついたらいけない。そんな思いに駆られ、正直な気持ちを打ち明けた。
「可愛い娘だと思うし、気にならないって言えば嘘になる。だけど、それが好きって気持ちと直結してるとは思わない」
「……そっか」
「まあ、お見舞いに行くって言うのは、あの娘との約束でもあるからさ」
 誰かと交わした約束は、極力守る様にしている。それを知っているからこそ、伊織もそれ以上は何も言及してこなかった。
「それじゃあ、また後でな」
「うん」
 ちょうど構内へ向かうバスがやってきたのが見え、バスロータリーへと小走りで向かっていく伊織の背中を見つめ、伊織を乗せたバスが見えなくなるのを見送ってから俺は病院へと向かって歩き出した。


6 :夕咲 紅 :2009/02/18(水) 06:54:36 ID:WmknkmLA

 ―― 三 ――

 (いつき) 零那(れな)
 東光学園大学病院の特別個室に入院している十六歳の女の子。
 色素が薄い為人一倍白い肌をしていて、どちらかと言えば小柄。顔立ちは整っているが、美人と言うよりは可愛い感じの娘だ。大人しそうな雰囲気をしているものの、見た目程柔らかな性格ではなく割りと活発な所もある。言いたいことがあればハッキリと言う娘だ。だが、心の根本に哀しみを抱えているのかもの凄く寂しがりやでもあり、割と泣き虫なところもある。
 髪は短い。入院生活を長くしていると、髪が長いと大変なだけだと以前言っていた。衛生面などから染めたことも脱色したこともない黒髪を、俺は綺麗だと思うが本人は髪を染めることに興味を持っているらしい。
 幼い頃から入退院を何度も繰り返してきた彼女だが、中学に上がった頃からは一度も退院していない。
 そう……ちょうど、俺と出会った頃から……
 零那と出会ったのは、中学三年に上がって直ぐのことだった。学校からの帰り道、車に轢かれそうになった猫を助けた時に大怪我をした俺は、全治六ヶ月の入院生活を送ることになった。その時に入院したのが東光学園大学病院。そして、同じくそこに入院している零那と出会ったわけだ。その出会いは、本当に偶然だった。俺が怪我をしたのは腕だったから、それなりに動き回ることは出来た。勿論安静にしている様には言われていたが、ただ病室でぼぉ〜っとしているなんて性に合わない。だからこそせめてもと思い病院内を散歩していた。そんな途中で、同じ様に暇を持て余し病院内を歩き回っている零那と出会ったのだ。
 同年代の話し相手が見つかったと、お互いに喜んだと思う。それになぜか、俺たちはウマが合った。持っている知識はお互いに違っていたものの、考え方そのものが似ていたのだろう。どこの病室の誰が看護師の誰に手を出したとか、あの先生は実はいつも病院で酒を飲んでるだとか、事実かどうかなんてまったく分からない噂話で良く盛り上がったものだ。
 完治するよりも早く俺は退院することになり、零那は自分のことの様に喜んでくれた。でも、その時にはそれが零那の本心じゃないということに気付けるくらいにはお互いのことを理解していた。いや、喜んでくれたのは間違いなく本心ではあったと思う。だけど、その裏には彼女の寂しさや哀しみと言った感情が隠されていると、俺はひしひしと感じていた。だからこそ、俺は彼女と約束を交わした。
「出来る限り頻繁に、お見舞いに来るから」
 笑顔の裏に涙を隠していた彼女に、俺はそんな風に言ったんだ。
 初めの頃はそれこそ毎日の様に来ていたが、高校受験を控えていた為じょじょにお見舞いの頻度は減った。それでも週に一回は必ずお見舞いに来る様にしていた。それを零那も望んでくれていたし、俺自身も彼女と会うのを楽しみにしていたからだ。
 そうか……零那と出会ってから、もう直ぐまる五年が経つのか……そう考えると、よくまあこんなにも付き合いが続いてると思う。実際問題、俺と零那には何の繋がりもなかったんだから。
 ――気がつけば、もう病院の目の前に辿り着いていた。駅から病院までは歩いて十分くらいの距離にある。病院から大学に行くにも構内経由の循環バスが出ているが、十分程はかかる。今日の一限は捨てだな。まあ出席日数に問題はないから大丈夫だろう。
 そんな結論を出して、俺は病院の中に入った。
 お見舞いの手続きを済ませ、何度も足を運んだ慣れた道程を進む。東館の、三〇二号室。そこが零那の病室だ。
 迷うことなくその部屋に辿り着き、俺は軽くノックをして直ぐに病室の扉を開いた。
「士朗?」
「ああ」
 聞き慣れた零那の呼びかけに、俺はいつも通り簡潔に答えた。だが振り返った零那の表情は険しい。
「どうかしたのか?」
「前にも言ったと思うけど、ノックして直ぐに扉開けるの止めてくれないかな?」
 少しだけ尖った口調でそんなことを言う零那。本人は凄んでるつもりなのだろうが、全く怖いとは思わない。むしろ微笑ましいくらいだ。
「ノックの意味ないと思わないの?」
「悪い悪い。つい癖で」
「本当に悪い癖よね、それ。で、直す気はあるの?」
「一応は」
「一応じゃダメっ。今度からは絶対に気をつけてね!」
「……分かったよ。気をつける」
 その言葉に嘘はない。それを感じ取ったのか、零那はコロリと表情を笑顔に変え口を開く。
「いらっしゃい、士朗」
「ああ。調子はどうだ?」
「いつも通り。良くなってもないし悪くもなってないよ」
 どこか自嘲染みた口調で苦笑を浮かべる零那。正直、零那にそんな顔をして欲しくはない。だからと言って俺にどうこう出来るわけでもない。少なくとも、今の所は……
「元気出せよ」
 今出来るのは、ただ零那を励ますことくらいだ。まあ、その為にこうして足を運んでるわけだしな。
「私は元気だよ?」
「そうか? ならいいんだけどな」
 深くは言及しない。零那が元気だと思っているのなら、それを不安に変える必要はないんだから。
「ねえ士朗、このあと学校だよね?」
「ああ。そうだけど……」
 零那がこんなことを聞いてくるのは珍しい。その口調がどこか寂し気なものだったから余計に、俺は零那のその言葉が気にかかった。
「どうかしたのか?」
 もしかしたら、やっぱりどこか悪くなったのかもしれない。そんな不安に駆られながらも、何とか平静を装って問いかける。
「うぅん、別にどうもしないよ。ただ、もうちょっと士朗と一緒にいたいなって思っただけ」
 
 ドクンッ

 その言葉を聞いた途端、胸の鼓動が高鳴った。それは一瞬だったものの、確実に俺の中で何かが変わった。
 零那の甘い言葉に驚いた。それは事実だ。だけどそれだけじゃない。何か、俺が抱いているのとは別の感情が生まれたかの様な、そんな感覚……
「士朗?」
「何でもない」
 俺の様子をおかしく思ったのか、心配そうに俺の顔を見つめる零那。俺は何とかそんな風に言葉を返し、これ以上心配させまいと言葉を続ける。
「昼にまた来る。それじゃあダメか?」
「え?」
 俺の言葉に驚きの表情を浮かべる零那。そんなに意外なことを言ったつもりはないんだけどな……
「嬉しいけど……いいの?」
「ああ。あんまり長くはいられないと思うけど……それでも、零那に会いに来るよ」
 それを零那が望むなら――いや、もしかしたら俺がそうしたいだけなのかもしれない。そうじゃなかったら、わざわざ毎週見舞いに来たりはしない気がする。
 士朗は、その娘のこと好きなの?
 今朝伊織に問われた言葉を思い出した。
 もしかしたら、その言葉は真実を捉えていたんじゃないだろうか。今は、そんな風にさえ思える。
「ありがとうっ。士朗!」
 昼も来る。たったそれだけの約束で、零那は今日一番の笑顔を俺に向けてくれた。
 零那が元気になってくれるなら、零那が嬉しいのなら、俺も嬉しい。
 だから、約束は守る。守らないといけない。いつもよりも強くそう心に誓い、俺はいったん零那に別れを告げ病室を後にした。
 また昼に。そんな言葉を嬉しそうに聞く零那を置いて――
 俺は、病院から大学へと向かった。


 ずっと、俺を監視する視線があったことにも気付かずに……


7 :夕咲 紅 :2009/03/02(月) 00:43:27 ID:WmknkmLA

第三章 過去の幻影

 ―― 一 ――

「だーれだ?」
 構内を歩いているところを突然背後から目隠しをされたかと思うと、そんな声が聞こえてきた。
 間違えるはずもない、分からないはずもない声――
「変ないたずらは止めてくれないか? 伊織」
「変とは何よ? 昔は良くやったじゃない」
 頬を膨らませながら、伊織がそんな風に言い返してきた。
 もう少し歳を考えて欲しいものだ。
「昔は昔。今は今。俺たちもうガキじゃないんだぞ?」
「何言ってるのよ。私たちくらいの人だってこれくらいやってるじゃない」
「いや、やらないだろ」
「やってるわよ。カップルとか」
「…………」
 言われてみれば、確かにたまに見るかもしれないな……
 って、そうじゃない!
「俺たちはカップルじゃないだろ。ただの姉弟だ」
「そうだけどぉ……別にいいじゃない。あれくらい」
「駄目だ。と言うか恥ずかしいから嫌だ」
 周りからどんな目で見られるか分かったもんじゃない。あんなことするのは子供がそれこそカップル――それも頭にバカが付く連中くらいだろうからな。
「仕方ない。今日の所はこれくらいで勘弁してあげる」
「って、もう一回するつもりだったのかよ?」
「まあ、似た様なことをね」
 拒否しておいて良かった……まあ、退いてくれなかった可能性もあるけど。
「それで、どうかしたのか?」
「士朗の姿を見かけたから、ついからかいたくなったの」
「……じゃあな」
 真顔で何を言い出すかと思えば、いつも通り下らないことだった。俺は直ぐに踵を返しその場を去ろうとする。
「ちょっと待って! 冗談よ冗談」
 そう言いながら俺の肩を掴んで引きとめようとする伊織。
「で、何か用でもあるのか?」
「用って言うか……士朗、気付いてないの?」
「何が?」
「どこからかは分からないけど、監視されてるわよ?」
「なっ――」
 監視だって? 俺が? 誰に? 何の為に?
 いくつかの疑問が瞬時に思い浮かぶが、それを口に出さない。いや、出せないくらい驚いたって言うのが正確な所だ。
「もしかしたらこの会話も聞かれてるかもしれないわね」
「大丈夫なのかよ?」
「多分ね。聞かれてたとしても、こっちにしてもあっちにしても余り問題ないと思う。あっちは士朗の動向を把握しておきたいだけみたいだし」
「動向……もしかして、あのエルトリアって奴か?」
「可能性はあるけど、何とも言えないわね。詳しいことは私も知らないんだけど、どうやら士朗――って言うより、リーヴスは何故か色々な連中から狙われていたみたいだから」
「そうなのか?」
「ええ。ルナファリスが噂に聞いた程度の記憶だから、実際の所は良く分からないんだけどね」
 だとしても、狙われてる事実がある以上全くのデタラメってことはないだろう。エルトリアは私怨っぽい感じだったけど……
 もし他の連中からも狙われるなら、本当に早く記憶を取り戻した方が良さそうだ。とは言っても、どうしたら良いのかは分からないんだけどな。
「とりあえずは次の講義に出るとするか」
「そうね。次が終わったらお昼だし、その時に合流しましょう」
「ああ……あ!」
「何? どうしたの?」
 突然声を上げた俺を不思議そうな目で見つめながら、伊織はそう尋ねてきた。
「いや、昼も病院に行くって約束したんだよ」
「――え?」
 一瞬、伊織の表情が翳った。だけど直ぐにいつも通り俺はからかう時の半笑いの表情に戻り、通い妻みたいねなんて笑う。その翳りが何だったのか分からず、又気に留める間もなく伊織のからかいで一瞬浮かんだ疑問は掻き消されてしまった。
「それで、どうしても行くの?」
「ああ。約束、破りたくないんだよ」
「……そう。なら、私も着いていく。それでいいでしょう?」
「まあ、伊織がそれで構わないなら」
 約束は破れないと言う俺に、伊織が折れた形になった。
 そう言えば、伊織は零那に会ったことなかったんだよな……
 なら丁度良いから紹介するか。
「それじゃあ、また後でね」
「ああ」
 そんな風に内心考えながらも、とりあえず次の講義に出るべく俺と伊織は一旦別れた……


 午前中の講義を終えた俺と伊織は、直ぐに合流してそのまま病院へと向かうことにした。
 構内にあるバスロータリーに向かう途中のコンビニでおにぎりを幾つか買い、バスを待つ間に食べる。いつもならもっとしっかりと昼食を取っている所だが、今日は急がないと午後の講義に遅れてしまう為軽食で済ますことにした。まあ、伊織には付き合わせて悪いと思ってる。口に出したら調子に乗るから言わないけどな。
「士朗」
「うん?」
 ふとベンチの隣りに座る伊織が声をかけてきた。その声色にどこなく沈んだ空気を感じたが、特に気にせずいつも通りに淡々と言葉を返した。
「……何でもない」
 決して何でもない様な雰囲気ではないが、それを問いただそうとは思わなかった。何となく、伊織が聞いて欲しくなさそうだったから――いや、きっと俺自身、聞くのが怖かったんだろう。それを聞いてしまったら、俺の中の伊織と言う存在が揺らいでしまいそうで……
 きっとそれが、伊織の中にいるルナファリスと言う存在なのだろう。
 それから俺たちは一切言葉を交わすことなく病院まで移動した。
「伊織」
 病院の入口を入った辺りで、伊織を先導する様に歩いていた俺は一度足を止めた。通行人の邪魔にならない様に壁際に寄っておく。
 伊織もそんな俺に倣って壁際に寄る。
「どうしたの?」
「丁度良い機会だから、零那に伊織のこと紹介しようと思うんだけど、いきなり顔出すのも何だし伊織は後から入って来る形で良いか?」
「私は別に最初から一緒に行っても気にしないけど……士朗がその方が良いって言うなら従うわよ?」
「そうか? まあ、どっちも人見知りする様なタイプじゃないけど……一応、いきなり知らない奴と一緒に行くよりはワンクッション置いた方が良いだろう」
「分かった。ならその案でいきましょう」
 そんな伊織の言葉に頷き、俺は止めていた足を動かし始めた。
 零那の病室は三階となかなかに微妙な階にある為、エレベーターを使うか階段で昇るか悩む所だ。いや、俺一人だったら階段で昇る所なんだが……伊織の奴はアクティブな性格なのに面倒屋だからな。文句を言われる可能性が高い。なんて考えていたら、無意識にエレベーターに向かっていたらしい。気がついたらエレベーターの目の前までやってきていた。
「何やってるの?」
 と言うより、既に伊織はエレベーターに乗っていた。
 エレベーターに乗らずぼぅっとしている俺を、伊織が不思議そうに見ている。
「……何でもない」
 他に人がいなくて良かった。と内心思いつつ、平静を装いエレベーターに乗り込む。
「何階?」
「三階」
「おっけー」
 なぜかノリノリで返事をする伊織。いや、まあ良いんだけどさ。
「それにしても士朗、少し鍛えた方が良いんじゃないの?」
「何でだよ?」
 何となく言わんとしていることを察することが出来たが、敢えて尋ねる。
「だって、たった三階に昇るのにエレベーター使うなんて体力ないとしか思えないもの」
 やっぱりか。
「俺は伊織に気を遣ってエレベーターにしたんだぞ?」
「そうなの? でも残念ながら私はそんなに軟弱じゃないのよねー」
「知ってるよ。でもどうせ、階段で昇ろうとしたら面倒とか言うつもりだったんだろう?」
「あら、分かる?」
「分かるさ。何年一緒に住んでると思ってるんだよ」
「生まれてからずーっと」
 いや、それは間違いじゃないけどさ……
「その言い方には語弊があると思う」
「気のせい気のせい。ほら、着いたわよ」
 そんな伊織の言葉の途中でエレベーターが止まる音がし、直ぐに停止した為、話を紛らわせる為か伊織は俺を急かす。
「まだ扉開いてないから押すな」
 そんなやりとりをしている間にエレベーターの扉は開き、それ以上ここで問答しても仕方ない。と、俺たちは並んでエレベーターから降りた。
 ここでも周囲に人がいなかったことに、何となく安堵を覚えた。


8 :夕咲 紅 :2009/03/12(木) 04:46:34 ID:WmknkmLA

 ―― 二 ――

 エレベーターを降りた俺と伊織は、相変わらず俺の先導で零那の病室へと向かう。
 零那の病室である東館の三〇二号室に向かう為には、エレベーターを降りてからまず左手に向かい、直ぐ突き当たる壁を右に曲がる必要がある。エレベーターは東側に入口があり、出た先は簡易的なホールになっている為エレベーター以外には何もない。左右のどちらに向かっても病室やナースステーションがあるが、目的の病室は東館北側の端から数えて二番目の部屋である。
 俺がエレベーターホールを出て右に曲がった瞬間、何となく違和感を感じた。それは今朝リビングで感じた感覚に似ている。否――
 俺の視界に移った人影を見て、俺はその感覚が今朝感じたものと同じものだと判断した。今朝も見たあの少女が、今朝と同じあの司祭服を着てそこに立っていたからだ。一瞬目が合ったと思った。だけどその次の瞬間には彼女の視線は目の前にある病室へと向いてしまう。それを理解した時には、彼女はゆっくりと病室の中に消えていった。
「どうしたの?」
 突然足を止めた俺を不思議に思ったのか、そんな風に聞いてきた伊織の声で我に返った。
「いや、何でもない」
 そう答えて足を動かす。そうして零那の病室の前までやってきて、さっきの少女が消えていったのが零那の病室だったことに気がついた。しかも、扉が開いてない。勿論誰も出入りはしてないし、扉が開閉された音も何もなかった。
 ……まあ、常識が当てはまる相手じゃないんだから気にするだけ無駄か。
 そう頭を切り替えて、伊織に向き直る。
「それじゃあ俺は先に入るから、少しここで待っててくれ」
「はーい」
 伊織の軽い返事に何となく嫌な予感がしたものの、一応大人しくしてると信じて目の前の病室の扉を叩く。
「どうぞー」
 そんな零那の声が聞こえ、俺は扉を開いて中に入った。
「本当に来てくれたんだねっ」
 病室に入った俺を出迎えたのは、嬉しそうな零那のそんな言葉だった。
「ああ。約束したからな」
「うん。ありがと」
 満面の笑みでお礼を言われ、何となく気恥ずかしい気持ちになる。
「どういたしまして」
 とりあえずそんな風に返したものの、照れが表に出てたのか零那はくすくすと笑い声を零していた。
「まあそれはそれとして、ちょっと人を連れてきたんだけど……紹介しても良いか?」
「……まさか、恋人?」
「そんな訳ないだろう」
 どこか悲しそうに聞いてきた零那に、俺はそんな風に即答した。するとホッとした様に息を吐き、再び笑顔を浮かべる零那。
「誰?」
「俺の双子の姉。前にも零那に会わせろって言われたことあって、何となく恥ずかしいから断わってたんだけど……今なら時間が合わないとかってこともないし、断わり切れなくて」
 前に会わせろと言われたのは本当だが、別に今日会わせろと言われたわけではない。とは言え、本当のことを言うわけにもいかないしな……
「へぇ〜。士朗にお姉さんなんていたんだ?」
「言ってなかったか? まあ、双子だから歳は一緒なんだけど、一応いるんだよ」
「あはは。何か嫌そうだね?」
「まあな。色々と苦労させられてきたからさ」
 何て溜息を吐きながら言った刹那――
「へぇ、そうなんだー」
 背後から、どこか冷たいそんな声が聞こえてきた。
「どうもー。私が士朗の姉の伊織です。よろしくね――」
 俺の背中からひょいと顔を出して零那に挨拶をした伊織だったが、その語尾が不自然に切れた。
 不思議に思い後ろを見ると、やけに複雑そうな表情を浮かべる伊織の姿があった。
「斎 零那です。こちらこそよろしくお願いします」
 零那の返事は普通だ。おかしいのは伊織だけ。
「どうかしたのか?」
「……うぅん、何でもない」
 そう答えて、伊織は俺の背中から逸れて零那の正面に立つ。
「ごめんね、無理矢理押しかけてきて。士朗が通い妻してる相手を一度は見ておきたくて」
「通い妻って何だよ……」
「うん、納得した。零那ちゃんくらい可愛い子だったら、士朗が骨抜きにされてもしょうがないかな」
 俺の言葉を無視して続けたそんな言葉も、やっぱり納得のいかないものだった。
「別に骨抜きになんてされてない」
「まあまあ。私が可愛いのは事実なんだから良いでしょ?」
「零那も悪ノリするなよ……」
「えーっ。それじゃあ士朗は私が可愛くないって言うの?」
「いや、そう言うわけじゃないけど……」
 駄目だ。この二人が揃うと手に負えない。何で初めて会ったのにこんなに息が合ってるんだよ……
「って言うか、何時の間に中に入って来たんだよ?」
 扉の開く音はしなかったと思うんだが……
「入ったのはついさっきだけど、扉は士朗が閉めようとしたのを途中で止めておいたの。だから殆ど最初から二人の様子は見てたことになるわね」
「うん。だからずっと誰だろうって思ってたんだ」
 伊織の言葉にそう続ける零那。
「……ああ。だから恋人かとか聞いてきたのか」
 俺は相手が男とも女とも言ってない。それなのに恋人って思ったってことは、相手が女だって言うのが分かってたってことだ。最初は当てずっぽうかと思ったけど、伊織の姿が見えてたなら納得だ。
「そう言うこと」
 なんて、なぜか嬉しそうに零那が答えた。
「さて、と……私はそろそろ戻らないと」
「え? そうなんですか?」
 せっかく知り合ったのに大した話も出来ていないことを寂しく思ったのか、零那がそんな言葉を漏らした。
「うん、ごめんね。私次の講義もあるから。士朗は確か三限は空いてたわよね?」
「ああ」
 って言うか何で知ってるんだ?
「気にしちゃ駄目よ」
「って、心の声を読むなよ!」
「何のこと?」
 ……駄目だ。いや、本当に気にしたらいけない気がしてきた……
「まあ、士朗の考えてることくらい分かるってこと。意外と顔に出るタイプだしね」
「……そうか」
「因みに、士朗の履修状況は全部把握してるからね」
「おいおい……って、でもたまに聞いてくるよな?」
「流石に休講とかまでは知らないもの。そういったことを含めて一応の確認。それと、弟との円滑なコミュニケーションの為の手段?」
「いや、疑問系で言われても……まあいいや。それじゃあ、俺はしばらくこっちに残るってことでいいのか?」
「そう言うことは女の子の前で聞かない。例え理由があってもね」
「そんなもんか……?」
「そんなもんなの。ね? 零那ちゃん」
「えっと……はい」
 うーん……まあ、二人ともがそう感じるんならそうなのかもな。気をつけよう。
「それじゃあ、またね」
 そう言って踵を返す伊織。下まで見送りに行こうかとも思ったが、そのままここで見送ることにした。何となく、伊織もそうして欲しいんじゃないかと思ったからだ。
「いいの?」
 伊織の姿が見えなくなった所で、零那がそんな風に聞いてきた。
「ああ」
 どうやら気を遣わせてしまったらしい。零那にも、それに伊織にも。
 多分、あいつは次の講義をサボるつもりだろう。俺が襲われても直ぐに助けに来れる様に、近くで待機してるつもりなんだと思う。
「所でさ」
 何となく暗い雰囲気になったのを払拭する様に、明るい口調で零那がそう切り出した。
「ん?」
「最近は何か面白いことあった?」
「面白いことねぇ……正直特にないな」
「えー。それじゃあ話が広がらないよ」
「悪い」
 まあ、全然面白くないことならあったんだけどな……
「よし! それじゃあ私がとっておきの話をしてあげる!」
「とっておき?」
「うん! ここ最近の病院内の話。色々と進展があったんだよー」
「そうなのか? そりゃあ楽しみだな」
「あのね――」
 ……それから嬉々とした表情の零那の話を聞き、四限に間に合う時間には零那の病室を後にした。
「もういいの?」
 病院の入口には案の定伊織がいて、顔を合わせるなりそう尋ねてきた。
「ああ。ありがとうな」
「いえいえ。それじゃあ戻りましょうか」
「ああ」
 伊織の言葉に頷き、俺たちは来た時と同じ様に一緒にバスに乗り、大学まで戻った……


9 :夕咲 紅 :2009/03/30(月) 00:54:38 ID:WmknkmLA

 ―― 三 ――

「何だよ、これ……」
 そこは廃墟だった。
 前に来た時は、故郷である村と良く似た雰囲気の平和な村だった。それなのに、今は何もない。いや、正確に言えば瓦礫などの家屋が崩れた残骸はある。あちらこちらに人々が生活していた痕跡が残っているのに、人は全くいない。人だったモノさえ、今はその姿がない。
「何なんだよ……」
 もう一度、そんな言葉を漏らした。
 自身の目に映る光景が信じられず、しっかりしたとは言えない足取りで村の中を歩く。
 これが戦争か?
 ここで何が起こったのかは分からない。だけど、今この景色を見てここで戦いがあったとは思えない。ここで起こったのは、ただ単に一方的な虐殺でしかない。そんな風に思える。
 そんなことを考えながら歩いていると、気がつけば村のほぼ中心地までやってきていた。村の中心であることを示す噴水が――噴水だった物が目に付き、そのことに気がついた。
「……何だ?」
 ふと、違和感を覚えた。
 何――とは言えない。単純に、何かが引っかかった。
 刹那、身体が――いや、世界が揺れた。
 地震だ。そう理解した時には完全にバランスを失い、噴水跡に倒れ込んでしまった。何とか受け身は取ったものの、それなりの衝撃を受け思わず小さく呻いてしまった。
「――え?」
 だがしかし、それすらも一瞬。倒れ込んだ噴水跡の底が崩れ、地面よりも下に落下する。
 一瞬、奈落の底へと落ちてしまうんじゃないかと思った。しかしそんな訳はなく、噴水の下に地下室があったのだと直ぐに理解した。
 運が良かったのか、地下室の床に着く前には体勢が着地するのに丁度良いものになっており、殆ど苦なく着地することが出来た。
「ここは……」
 地下室。と言うのは直ぐに分かった。だけど、何かが違う。いや、その言葉には語弊がある。そうだ……さっき感じた違和感。それが物凄く強い。
 周囲を見渡すと、奥に続く道が一本あった。違和感は、その奥から感じられるみたいだ。
「行って、みるか」
 そんな呟きを漏らして、地上からの明かりが届かない通路へと進んで行った……


「起きた?」
 目を覚まして顔を上げると、そこには伊織の姿があった。
 病院から大学に戻った俺たちは四限目の講義を受けるべく別れた。それから講義を受けて……
 ああ、そうか。途中で眠りに落ちたのか。
「おはよう」
「おはよう。それにしても珍しいじゃない。士朗が居眠りなんて」
「……だな。やっぱ疲れてるのかもな」
 特にそんなつもりはなかったけど、命を狙われたのなんて初めてのことだ。講義中に居眠りするくらい疲れていたとしても不思議じゃない。
「携帯かけても出ないから、もしかしたらと思って来てみたら案の定。まあ、私としては士朗の寝顔が見れたから良いんだけどね」
「……聞かなかったことにしておく。まあ、何にせよ悪かったな」
「いいのいいの。それじゃあ帰りましょうか?」
「ああ」
 俺の返事も聞かずに踵を返した伊織に続き、鞄を手にして講義室から出た。
 ここは文学部の棟の一つで、六号館と番振りされている建物だ。五階建ての棟で、今俺がいたのが三階。棟の端にある階段を使い階下へと向かう伊織の後を追う。
「真っ直ぐ帰るんだよな?」
 階段を下る途中、なぜか無言な伊織にそう声をかけた。
「そのつもり」
 階段を下ってる最中なんだから当然だが、振り返りもせずに淡々とそんな返事を返す伊織。どことなく冷たいその口調に違和感を覚えた。いつもの伊織ならもっと明るい口調で話す。これは……そうだ。俺が襲われた時に、相手に向けていた時の口調に近い。いくらかあの時よりは柔らかいが、それでも普段俺に向けるものよりは硬く冷たい感じがする。
「……どこか寄りたいの?」
「いや。そう言うわけじゃない」
 ――多分、近くに何らかの気配を感じるんだろう。
 前世の因縁だが何だか知らないが、相手にだって今の生活があるはずだ。そう考えると、やっぱり昼間とかよりこういう時間の方が手を出し易いんだろうな。なんて、今更ながらに思う。
「士朗」
 数瞬思案に耽っていると、伊織が声をかけてきた。
「ん?」
「前に襲われた時の状況って覚えてる?」
 その質問の意味をどう捉えて良いのか迷い、直ぐに返事が出来なかった。
「えっと……一応は」
「ごめん。聞き方が悪かったかな」
 どうやら俺がどう答えて良いのか分からないと察してくれたらしく、そんな風に言う伊織。
「あの時、普通の空間とは遮断された空間にいたのは分かる?」
「……そう言えば、俺たちの他に誰もいなかったな。しかも、あいつがいなくなった後急に人波の中に放り出された様な感覚だった」
「うん。あれって、俗に言う結界って奴なのよ」
 結界……って言うと、ファンタジーとかで良く出てくるアレか。
「その結界も、想刻術って言うので作ってるのか?」
「いいえ。正直、あの結界がどんな仕組みで作られるのかは分からないの。でも確かなのは、近くにあの戦争に関わった前世を持つ人間が二人以上いる時に、誰かが意識すれば作れるって言うことね」
「って言うことは、伊織が傍にいれば俺でも作れるってことか?」
「そう言うこと。まあ、記憶が戻ってない士朗でも作れるかどうかはやってみないと分からないけどね」
「そうか……で、今俺たちはその結界の中にいるのか?」
 あの時と同じ違和感はないが、伊織の表情からそうなんじゃないかと思った。
「うぅん。今はまだ入ってないわ」
 今はまだ。そんな言葉に僅かに拍子抜けしたものの、しかしいつ結界内に入ってもおかしくない状況なのだと直ぐに気付き気を引き締める。
 とは言っても、俺に何か出来ることがあるわけじゃない。出来るとすれば、精々必死に逃げ回って死なない様にすることくらいだろう。
 それから俺たちは無言に戻り、ゆっくりと階段を下り終える。そして建物の出入口に差し掛かった瞬間、軽くめまいを感じると同時に違和感を感じた。
「もしかして……」
 そんな俺の呟きに、伊織が黙ったまま頷いた。どうやら結界内に入ったらしい。いや、今作られたのかもしれない。俺たちが外に出るのを見計らって……
「士朗はここにいて。向こうが外にいるのは間違いないだろうから」
 遮蔽物があった方が安全ってことか。
「分かった」
 俺がそう言って頷くと、伊織はどことなく寂しげな笑みを浮かべた。それも一瞬のことで、直ぐに何時になく真剣な表情を浮かべる。それは俺を守りたいと言う気持ちからくるのか、それともリーヴスを守りたいと言う気持ちからくるのか……
 いや、今はそんなことを考えるのはよそう。伊織は伊織だ。俺は、あいつを信じていればいい。
 そんなことを考えている内に、気がつけば伊織は外に出ていた。想刻術の力なのか、相手の場所を探り当てたのか隣りの棟に向かって駆けている。
 刹那、伊織に向かって何かが飛んできた。それを目視したのか感じ取ったのかは分からないが、伊織は加速することで飛来物をかわした。飛んできたのが何かは分からないが、それがこの世界の常識で考えうるものでないことは分かった。いや、大した音も立てずにコンクリートが抉れるなんて有り得ないだろうからな。
 と、飛来物に視線を巡らせている間に伊織の姿を見失った。どうやら相手は隣りの棟の屋上にいるらしい。想刻術で空を飛ぶことは出来ないらしく、伊織はどうやら中に入って階段から昇る様だ。
 この間に相手が何らかの手段で伊織を避けて降りてきたら、俺ってかなりヤバイんじゃないかと思うんだが……
 伊織の奴、そこまで考えてるんだろうか。
「……えっと、どちら様?」
 ふと首筋に冷たいモノが当たるのを感じ、俺はそんな風に尋ねてみた。
「名乗った所で意味はないが、一応答えてやろう。俺の名はタイラント=レイズワース。別に忘れてくれても構わないぞ?」
 なんておかしなことを言う様に苦笑しているが、背後から感じる気配はとてもじゃないが穏やかなものではない。
「で、何かご用でしょうか?」
 敬語になってしまうのは、やはり命を握られているからだろうか。いや、どうでもいいかそんなことは。それよりも、今はどうやってこの場を切り抜けるかだ。
「言うまでもないだろう。龍石はどこだ?」
 龍石? 何だそれ……
「死にたくなかったら、龍石の在処を吐け。いや、むしろ渡せ」
「と言われても……」
「知らないとは言わせないぞ、リーヴス=リィンハート」
 知らない物は知らない。と言いたい所だが、はっきりとそう言っても信用はされないだろう。
 推測するに、俺――リーヴスが狙われていたのはその龍石って奴のせいみたいだな。だとしたら、その存在を利用するしか生き残る術はない。
「今は持ってないし、場所を言った所で今解放はしてくれないだろう?」
「当然だ」
 と、俺の言葉に背後の男は即答してきた。まあそれもそうか。
「なら言えないな」
「……死にたいのか?」
「まさか。そんなわけないだろう。けど、今俺を殺せば龍石は手に入らない。絶対にな」
 これは賭けだ。相手によっては簡単に俺を殺す決断を下すかもしれない。だけど、おそらく龍石の在処を知っているのはリーヴスだけ。なら、この賭けはそんなに分の悪い勝負じゃないはずだ。その証拠に、何も言ってこないし動く気配がない。多分、次の俺の言葉を待ってるんだろう。
「一週間後に用意する。今――いや、今後一切俺たちに関わらないって言うなら、その時にお前に渡す」
「それをどうやって保障する?」
「あんたらがどうなのかは知らないけど、俺にとっては今の生活の方が大事なんだ。それを守る為って言うのじゃ、保障にはならないか?」
 難しい理由かもしれない。だけど、少なからずこいつらだって今の生活が大事なはずだ。
「……良いだろう。だが、待てるのは三日だけだ」
「近くにはないんだ」
「……なら五日だ。それ以上は待てないな」
「……分かった。五日後の同じ時間、この場所で渡す。それで良いか?」
「良いだろう」
 そう答えて、男は俺の首元に当てていた刃物を下げた。真後ろに感じていた気配も遠ざかる。俺は相手の顔を確認しようと直ぐに振り返ったが、もうそこには誰もいなかった。
「顔は見れなかったか」
 まあ、これが交渉材料になる可能性もある。良しとしておこう。
 いつの間にか結界を解かれていたらしく、もうあの違和感はなかった。とすれば、伊織も直ぐに戻ってくるだろう。
 ……はぁ。それにしても、今日は濃い一日だ。外に出た俺は、空を見上げてそんな風に思った……


10 :夕咲 紅 :2009/06/28(日) 00:11:39 ID:WmknkmLA

第四章 龍石


 ―― 一 ――

「士朗!」
 結界が解かれてから少しして、伊織が慌てた様子で戻ってきた。
 ついさっきまで感じていた緊張が解れたのか、俺は全身の力が抜けていくのを感じながらも何とか伊織に手を振る。
「大丈夫!?」
「まあ何とかな」
 肩で息をしながら俺の身を案じてくれる伊織に内心感謝の言葉を送りながら、俺はそんな風に答えた。
「まさか二人いたとは思わなかったよ」
 少し考えればその可能性は思い浮かんだのだろうが、何だかんだで余裕がなかったんだろう。
「私も、そういう可能性を完全に失念してた。ごめんね……」
 なんて弱々しい口調で、俯きながら呟く伊織。
「気にするなよ。何とかなったんだからさ。それに、伊織には十分感謝してる」
「士朗……うん、ありがとう」
 どことなく儚い雰囲気で微笑みを浮かべる伊織を見て、思わず胸が高鳴った。
 ……いや落ち着け俺。相手は伊織だぞ? いくら可愛いって言ったってときめいて良い相手じゃない。
「どうしたの?」
「何でもない」
 よし。落ち着いた。
「ところで……どうやって退けたの? 記憶、戻ってないんでしょう?」
「ああ――」
 ついさっき襲撃者と交わした言葉をそのまま伝えようとして、しかしその言葉を飲み込んだ。
 奴らの求めている物が一体どういう物なのかは分からない。伊織がその存在を知っているかどうかも分からない。それなのに、伊織を巻き込んで良いものかどうか……
 いや、それは建前なのかもしれない。俺は、どこかで伊織を――ルナファリスと言う存在を恐れているんだろう。もしルナファリスが龍石のことを知ったら、他の連中みたいに俺に襲いかかるかもしれない。そんな風に、心のどこかで考えてしまった。だから伝えられなかったんだ……
「士朗?」
 黙ってしまった俺を見て、不思議そうに声をかけてくる伊織。
 ……そうだ。俺は何を考えているんだ……俺の目の前にいるのは伊織だ。決してルナファリスなんて言う相手じゃない。俺を見つめる伊織の瞳を見て、俺はそう思えた。
「伊織、龍石って聞いたことあるか?」
「龍石……勿論見たことはないけど、その存在は知ってるわ。もしかして、リーヴスが狙われてた理由が龍石だって言うの?」
 信じられないという表情で、伊織はそんな風に聞いてきた。それに対してとりあえず無言で頷き、一息吐いてから言葉を返す。
「さっき、龍石はどこだって聞かれた。どうやら、さっきの連中が龍石ってのを狙ってるのは間違いなさそうだったな」
 俺のそんな言葉に、腕を組んで考え込む様な仕草を取る伊織。そんな伊織に、俺は率直に疑問をぶつける。
「龍石って、一体何なんだよ?」
 少し長くなるけど、良い? なんて前置きを置いてから、俺が頷くのを見て伊織はゆっくりと話し始めた。
「……龍石は、想刻術の元となった物よ。周囲の存在の想いや願いから生まれるエネルギーを吸収して、強い力を持った石なの。生き物の想いや願いはそもそも強い力を持っているんだけど、普段はそれが外に出ることはないわ。でも魔力を介することによって、その力を放出させることが出来るの。それが想刻術なんだけど……龍石は、元々強い魔力を持っていて、しかも周囲の想いや願いを吸収する性質を持っているから、魔力をある程度扱える人間が手にすれば絶大な力を得ることが出来るわ。しかも……龍石は想いや願いの辿った果てを記憶し続けるの。つまり、その龍石に込められた過去を知ることが出来て、それらから推測される未来を予測する能力もある。そんな凄い物だって聞いてるわ」
 長々と龍石について説明してくれる伊織だったが、最終的には曖昧な言葉となっていた。どうやら、ルナファリスも龍石について確かな情報を持っていたわけではない様だ。
「そもそも、龍石なんてほとんど伝説上の物なんだけどね」
「伝説上?」
 気にかかったそのフレーズをオウム返しに尋ねる。
「えぇ。その性質とかは記述として残っていたから、想刻術を学んだ人間ならどういった物かは知っているわ。だけど、実際にそれを目にした人間は過去に一人だけと言われているの」
「その一人が記述を残したって言うことか?」
「そういうこと。さっき想刻術の元になったって言ったでしょ? つまり、龍石を偶然発見した人こそが想刻術の開祖ってわけ」
 なるほど。龍石の特性を知り、それを扱う術を編み出したのが始まりってことか。
「その龍石はどこかに隠されて、誰にも発見されていないはずなの。それに、他の龍石が見つかったなんて言う話も聞いたことないわ」
「と言うことは、リーヴスが偶然想刻術の開祖が隠した龍石を見つけてしまったってことか……」
「その可能性が高そうね。でもだとしたら、リーヴスが誰かに殺されたとは思えないわね」
 それだけ凄まじい物なのだろう。伊織はやけに真剣な表情を浮かべ、再び何かを考え込む。
「それで、結局どうやって退けたの?」
「……言い難いんだけど、龍石を渡すって言った」
「へ?」
 今までに見たことないくらい唖然とした表情で変な声を出す伊織。
 うん、まあ……やっぱそんな感じの反応するよな……
「何考えてるの!? って言うか、そもそも士朗は龍石の在処を知ってるの!?」
 伊織は声を荒げて、俺に掴みかからんばかりの勢いで迫ってきた。
「在処なんて知ってるわけないだろう。そもそも龍石なんて物自体知らなかったんだから」
「だったらな――」
 なんで? そう言おうとした伊織の言葉を遮り、俺ははっきりと言葉を紡ぐ。
「それしかあの場をやり過ごす方法が思いつかなかったんだ」
「……ごめん」
 俺の言葉に、俯きながら伊織は謝ってきた。自分が不用意に離れたせいで俺が危険な目にあった。そんな風に考えたのかもしれない。
「謝ることなんてないさ。ただ、これからどうするべきか一緒に考えて欲しい」
「それは勿論」
「ありがとう。とりあえず、期限は五日後の同じ時間だ。ここで落ち合うことになってる。って……そういや、この会話は聞かれてないよな?」
 監視さててる。そんな話を思い出し、慌ててそう尋ねた。
「多分大丈夫。今は何の気配も感じないから」
「そうか。帰りながらか、帰ってから話した方が良い気もするけど……せっかく監視の目がないなら、今ここで話した方が良いか?」
「うーん……帰ってからにしましょう。例え監視されてたとしても、家の中にいれば聞かれる心配はないだろうから。盗聴器とかしかけられてなければだけど」
「…………」
 いや、それはないだろう。と思いたい。
「分かった。なら、とりあえず帰ろう」
「えぇ」
 伊織が頷いたのを合図に、俺たちは帰路に着くべく同時に歩き出した……


 改めて考えてみると、リーヴスたちが住んでいたのはこことは違う世界だ。となると、そもそもこの世界に龍石なんて物が存在しているのかどうかも怪しい。何せ、ファンタジーな代物だしな。
 伊織と今後の対策を考えた後、俺は自分のベッドで仰向けに寝転がりながらそんなことを考えていた。
 伊織との話し合いの結果、俺と伊織は別行動を取ることになった。他の連中が襲って来ないとは言い切れないが、それでもあの連中が五日間襲って来ることはないだろうから。と言うのが理由だ。
 とは言え、あのエルトリアって奴のこともあるし、俺は外に出ず家で過ごすことになっている。勿論、ただ引き篭もる訳じゃない。明確な手段があるわけじゃないが、何とか前世の記憶を取り戻そうと言う魂胆だ。そうすれば戦うことも出来るし、もしかしたら龍石のことも何か分かるかもしれない。そんな算段だ。
 家の中にいれば絶対に安全かと言えばそうじゃないが、そこは伊織が想刻術を使って守りの結界みたいなものを張っておくらしい。
 と、その伊織が何をして過ごすのかと言えば、簡単に言えば味方探しだ。前世での戦いはそもそも個人単位の戦いではなく、国と国との戦争だ。俺を――リーヴスを狙っているのが敵国の人間のはずだから、自国の人間だってどこかにいるはず。と言うのが伊織の弁だ。
 ただ……もしかしたら伊織も考えているかもしれないが、リーヴスを狙っているのが敵国だけとは限らないと言うのがネックだ。もし自国の軍も龍石の存在に気付いていたとしたら、みすみす放置しておくとは思えない。となると、純粋な味方と言えるのは限られてくる。まあ、元々伊織の――ルナファリスの身近な人間を探すらしいから、おそらく大丈夫だと思うんだが……
 とまあそんな訳で、伊織は仲間探しをする運びになった。それと同時に、この世界にも龍石があるのかどうかも探りを入れると言っていた。
 俺も伊織も大学を休むことになるが、今はそんなことを気にはしてられない時だと俺たちは理解していた。
 伊織には随分と負担をかけることになる。だけど、今は頼らせてもおう。
「……ありがとう」
 この場にはいない伊織に向けて感謝の言葉を呟き、俺はそのまま眠りに着くことにした……


11 :夕咲 紅 :2009/07/23(木) 20:51:10 ID:WmknkmLA


 ―― 二 ――

 そこは小部屋だった。
 ほんの数歩で端から端まで行けてしまうくらいの狭い部屋。その東側一杯には古ぼけたベッドがあり、土台である木は所々腐っている。布団部分は不思議とカビ等は生えていないものの、長い間使われていないのが瞭然な程に埃の山が積もっている。
 西側にはベッド同様に腐りかけている木製の机と椅子。そして北側――通路のある南側とは反対の、部屋の奥側には鉄か何かで出来た土台があり、その上に青白い淡い光を放つ物体があった。
 その光は決して強い光ではないが、それでも部屋の中を見渡せば何があるのか分かるくらいには部屋中を照らしている。
 ほぼ正方形の部屋に足を踏み入れた瞬間、先程よりも強い違和感が襲ってきた。自然と、視線は正面の発光物へと向く。
 それは石だった。無骨な形をした石。なのに、なぜかそれが神聖な物の様に見える。まるで石に誘われているかの様にゆっくりと近付き、そして手で触れる――
「!?」
 刹那、淡い光を放っていただけの石が突然強い光を発し、反射的に目を瞑った。その光の中で、様々な知識が頭の中を駆け巡る。どこかで聞いたことのある様な内容から、全く知り得ないはずのものまで。
 そして最後には今触れている物が何なのかを知る。そして、それを手にした者の末路を……


 ゆっくりと目を覚ます。異様なまでにゆったりとした目覚めの中、俺は今まで見ていた夢の内容について考える。
 今までにも何度か見た、おそらくはリーヴスの記憶であろう夢。今まではあまり気に留めていなかったが、リーヴスの記憶を思い出そうと言う意識を明確に持ってからは、この夢がかなり重要な物なのではないかと考える様になった。
 ここ最近の夢は、おそらくリーヴスが龍石を見つけた時のモノだろう。いつも夢の最後の方はぼやけてしまい覚えていないが、覚えている限りのシーンを繋ぎ合わせるとそんな答えに辿り付いた。
 おそらく、こうして寝起きを繰り返していればその内全てを思い出すのかもしれないが、あまり悠長なことは言ってられない。となれば、夢の内容を手がかりに何とか思い出さなければならないだろう。
「って言ってもな……」
 相変わらず、どうすれば思い出せるのかなんて分からない。昼寝でもすればまた夢を見れるかもしれないが、あまり建設的ではないだろう。
 とりあえず着替えを済ませ、リビングへと向かう。
 ……誰もいない。父さんと母さんはまあ仕事だろうが、伊織は……もう出たのか。声くらいかけて行ってくれると思ってたんだが……
 なんて考えていると、玄関からドアの開く音がしてきた。リビングから廊下に出て玄関へと視線を向けると、そこには伊織の姿があった。伊織は丁度靴を脱いでいる最中だったが、直ぐに脱ぎ終え家の中に上がる。と同時に顔を上げ俺と視線をぶつける。
「あら、おはよう士朗」
「ああ、おはよう」
 既に家を出たと思った伊織の姿を見て、何となくホッとした。あまり気にしない様にはしているものの、命を狙われていると最近実感してきたせいだと思う。
「今結界を張ったから、私よりも強い術を使える人間以外は家の中に入ってこれないわ。但し、外と繋がっている窓や扉は全て閉まってないと効果がないから気をつけてね」
「……その結界って、物理的な破壊とかにも効果があるのか?」
「勿論。それと、士朗の部屋にはもっと強い結界を張っておいたから、もし家の中に侵入されそうになったら部屋に逃げ込んでちょうだい」
「どうして部屋の方が強いんだ?」
「単純に範囲が狭い方が強固に出来るってだけよ」
「そうか。分かった。ありがとうな」
「それじゃあ私は行ってくるけど、外に出ちゃダメだからね?」
「分かってるよ」
 そんな軽い会話を交わし、伊織はリビングに置いてあったボストンバッグを抱え家を出て行った。
 伊織の結果次第によっては、俺の人生が終わってしまう。そんな状況にしては、本当に軽い会話だった。多分、俺に気を遣って普段通りに振舞ってくれたんだろう。
 伊織を見送った後、俺はリビングにあるソファに腰を下ろした。
 考えなければいけないことは多くはない。重要なのは、俺がリーヴスとしての記憶を取り戻すことだけ。記憶さえ戻れば、おそらく龍石の問題も解決するはずだ。なら、どうすれば記憶が戻るのか……
 それは今までにも何度か考えてきて、そして簡単な解決策が一切思い浮かばなかったことだ。
「地道に探っていければ楽なんだけどな」
 今まではそれでも良かった。いや、出来る限り早く思い出すに越したことはなかったが、切羽詰まっていたわけじゃない。だが、今は違う。でも、どうすれば良いのかなんて分からない。考えれば考える程、泥沼にはまったかの様に思考がぐちゃぐちゃになっていく。
「……はぁ」
 息を吐き、一度立ち上がる。とりあえず、今の自分が分かっていることを整理しようと、紙とペンを用意する。ソファに戻り、目の前のテーブルに紙を置く。
「よし」
 何となく気合を入れて、頭の中で夢の内容や伊織から聞いた話をまとめていく。
「リーヴス=リィンハート。ファナリリア=レイニーブルーと言う婚約者がいたものの、戦争による徴兵で式を挙げることなく戦地に赴く。偶然、龍石を見つけた為に命を狙われた……? 戦争によってか、龍石関係でかは分からないが、故郷に戻ることなくその命を落とす。剣の腕前は相当だった……って所か」
 言葉に出しながらメモに内容を書いていく。俺の知っているリーヴスの情報はそんなにないってことが良く分かる。後はそうだな……エルトリア=バルドバースと言う男を殺した。ってことくらいか……
「伊織からもっと色んなこと聞いておけば良かったな……」
 ルナファリスとリーヴスの共通の思い出話を聞けば、記憶を取り戻すきっかけになるんじゃないか。そんな風に前に話していたことを思い出した。今更だな……
「でも、メールくらいはしておくか」
 文章で読むだけでも違うかもしれない。そう思って、伊織に昔話をせがむ内容のメールを送る。
「これで良し、と」
 直ぐに返事が来るってことはないだろうから、何か他に出来ることをしよう。
 なんて考えたら、腹の虫が鳴いた。そういや、まだ朝飯食ってなかった。とは言え、今日は何も準備されていないらしい。外に出るわけにはいかないし……とりあえず、カップ麺でも探すか。
 基本的に、うちには非常食やレトルト等の食品は常備されていない。親父には母さんがいるし、俺は伊織と一緒にいることが多いからだ。それでも、今みたいに誰もいない場合もある。そういう時の為に、母さんが何かしら買っておいてくれる時があるのだ。とは言っても、そういう時は大体前持って話してあるから、今回みたいに突発的な状況では用意されている可能性は低い。
「あ」
 なんて考えながらキッチンの戸棚を漁っていると、一枚のメモと一緒にいくつかのカップ麺を見つけた。
「話は伊織から聞きました。本当なら手料理を用意しておいてあげたい所だけど、とりあえずこれで我慢してね。母より……」
 メモの内容はこんな感じだ。
 昨日の内に連絡したってことか。伊織の奴、いつの間に……まあ、結果的に助かったわけだから、ここは素直に感謝しておこう。
 ……俺、その内伊織に頭が上がらなくなりそうだな……
 軽く鬱な気分になりながらも、見つけたカップ麺を開けてお湯を注ぐ。待つこと3分。出来上がったカップ麺を食べながら思考は巡らせる。やっぱり今の俺に出来ることは、寝ることだけな気がする。俺が自分で得られるヒントは、あの夢にしかない。となると……
「いや、急には寝れないって」
 誰もいないリビングで自身にツッコミを入れる。結局、今は伊織からの返事がくるのを待つしかなさそうだ。
 出来ることがないということは、暇を持て余すということだ。買い物に行けるわけでもなく、家にある物で時間を潰さないといけない。と言っても、特にしたいことはないし……
 まあ、テレビでも見てるか。
 そんな結論に至りテレビを点ける。やっているのは伊織がいつも見ているニュース番組だった。その画面をしばらく見ていると、ふと違和感を覚えた。最初は勘違いかとも思ったその違和感が、少しずつ強くなっていき正体に気がつく。番組の司会を務めるキャスターの名前だ。藤本 誠二と言うまだ若いそのキャスターのことを、名前くらいではあるが俺は知っている。知っているはずなのに、俺はこの男の名前を別の名前で認識していた。
 ――ミレリア=ファグオース。と……


12 :夕咲 紅 :2009/09/10(木) 19:48:51 ID:n3oJYDmH

 ―― 三 ――


 都心に向かう電車に揺られながら、私は士朗から届いたメールを確認して携帯を閉じた。
 直ぐに返事をしてもいいけど、どうせなら他の情報も一緒に教えてあげた方が良い気がしたから。
 私は今、東京で働いている友人――と言っても、今の私と彼とには本来なら接点はない――の元へ向かっている。彼も――うぅん。彼女もリーヴスのことを知る人物だから、彼女の記憶にあるリーヴスのことを話して貰えれば士朗の要望により応えられる気がする。そう結論付けて、私は携帯を上着のポケットにしまい、外へと視線を向けた。扉に寄り添う様に立っている為、流れる景色がはっきりとこの瞳に映る。考えなければいけないことは多い。たった一つの失敗で、士朗が命を落とすことになるかもしれないのだから、その一つ一つの答えを慎重に出さなければならない。
 まずは仲間を集めること。ルナファリスが信頼していた人は少なくはないけど、今の私が信頼出来る相手はそう多くない。その中でも確実なのが藤本 誠二。ただ、彼は忙しいから直接的に手を借りることは出来ないと思う。でも、情報を貰ったり他の仲間との連絡役になって貰ったり、間接的には協力して貰えるハズ。彼を除いて信頼出来る相手は後二人……その二人の協力を得られれば、少なくとも士朗を守ることは出来ると思う。
 この三人のうちの誰かか、その仲間で龍石について情報を持っている人がいれば良いんだけど……まあ、そこは余り期待しないでおこう。
 そんなことを考えている間に、気がつけば下車駅に到着していた。慌てて電車を降りて、ホームから出る為に改札へと向かう。そう何度も通った道じゃないけど、記憶力には自信がある。記憶の通りに改札を潜り、目的地へ向かう為の手段を考える。バスで行くか、それともタクシーで行くか。ここから目的の場所までは車ならそんなに遠くはない。タクシーに乗っても動くメーターは二つくらいだと思う。
「とは言っても、バスの方が断然安いんだけど……」
 一時期バイトをして貯めたお金があるから、少しくらいは楽をしても良いかもしれない。そんな風に考えて、結局タクシー乗り場へと向かう。
 タクシーに乗り込んで早々に目的地を伝え、車を出して貰う。別にそこまで急いでる訳じゃないけど、彼は時間には厳しい人間だから余裕を持っておきたい。
「お嬢さん、芸能人さんかい?」
 タクシーの運転手が、突然そんなことを聞いてきた。
「違いますよ。何でですか?」
「いや、随分綺麗なお嬢さんだったんでね。芸能界には疎いが、テレビ局の近くが目的地だろう? だからもしかしたらと思ったんだが……すまなかったね」
「いいえ。むしろ褒めて頂いてお礼を言いたいくらいです。ありがとうございます」
 笑顔を浮かべながらそんな風に言葉を返す。運転手のおじさんが少しだけ顔を赤らめているのがルームミラー越しに見えたけど、勿論それに関して反応したりはしない。もう会うこともないと思う相手に猫を被るのも面倒だけど、だからと言って心象を悪くするのも嫌。まあ、適度に相手をしてあげれば、大抵相手は満足してくれるものだ。
 それからも運転手のおじさんの言葉に適当な相槌を打っていると、それ程時間がかからずに目的地へと到着した。予想通りの金額で何となく嬉しくなりながら代金を払うと、運転手さんが少しだけ名残おしそうな視線をこちらに向けていることに気がついた。最後にもう少しサービスしてあげようと笑顔で手を振ってあげると、運転手さんも恥かしそうに笑顔を浮かべ手を振り返してきた。
 まあ、そんなタクシー内でのやりとりなんてどうでも良い。ここからは交渉事になる。気合を入れないと。
「ああ、意外と早かったな?」
 なんて思っていると、後ろからそんな風に声をかけられた。テレビで聞くよりも少しだけ高いその声の主は、私が振り返ると本当に意外そうな顔で私を見ていた。
「失礼ね。私はいつだって時間を守る女よ?」
「そうだったのか? 前に会った時は遅れてきた気がするんだが……」
「何言ってるの? ちゃんとぴったりに着いたじゃない」
「……そうだったな。だけど、僕は常に少し早く行動するべきだと考えているんでね。時間丁度、と言うのは遅れた様に感じるんだ」
「それは貴方の都合でしょう? こっちはちゃんと時間を守ったんだから、それを責められる謂われはないわ」
「分かってる。別に責めているつもりはないさ。それよりも……余り長く時間は取れない。とりあえず中に入ろうか?」
「そうね」
 そう彼の言葉に答えて、私たちは目の前にある喫茶店に入った。元々この店が会う約束をしていた場所なのだから当然の流れだ。
 店員に案内され、一番奥の席へと腰を落ち着かせる。奥まった場所に案内して貰えたのは丁度良い。無関係の人には良く分からないとは言え、これから話す内容は余り普通の人には聞かれたくない類の話だ。
 私は紅茶、彼はコーヒーを頼んで、それが届くまでは当たり障りのない雑談を交わす。飲み物が届いて店員さんがいなくなったのを確認すると、彼がゆっくりと口を開いた。
「それで、僕に協力して欲しいことって言うのは?」
「前に私の弟の話をしたのは覚えてる?」
「勿論。弟の自慢話と、その弟君がリーヴスだと言う話もね」
「貴方が――いいえ。ミーアが知っていたかは知らないけど、どうやらリーヴスは龍石を見つけていたらしいの」
 ミーアと言うのは、彼――藤本 誠二の前世であるミレリア=ファグオースの愛称だ。
「龍石だって? アレはただの伝説だろう?」
「そう言う物言いをするってことは知らなかったのね。私も実際の所は分からないし、士朗も記憶を取り戻してないからその存在の有無を断言は出来てないわ。でも、リーヴスが龍石を手に入れたと信じている者は確かにいるの」
「どう言うことだ?」
「先日、士朗が襲われたわ。その時に、相手が龍石を求めてきたらしいの」
「……なるほどね。大体事情は理解したけど、それで僕に何を求めているんだ? 前に話したと思うが、僕はこれでも忙しい身だ。それに、過去のことは基本的に僕自身には無関係だと思ってる。そんな僕に、一体何を?」
 それは、どこか自嘲めいた言葉だった。だけど、彼の言葉そのもの程彼はミーアとしての記憶を軽視していない。こうして私に会ってくれることこそがその証明になる。
「分かってる。私から貴方にお願いしたいことは二つ。一つは、信頼出来そうな仲間との橋渡し。もう一つは、ミーアの記憶にあるリーヴスの情報」
「……なるほどね。君の考えは良く分かったよ。だが残念ながら、一つ目のお願いには応えられないな」
「どうして?」
「僕からコンタクトを取れる相手で、君が信頼出来そうな相手はいないからだよ。ミレリアは元々軍属だ。ルナファリスとの友好関係は特別なもので、それ以外の知人は皆生粋の軍人たち。君だって考えているんだろう? もし仮にリーヴスが本当に龍石を手に入れていたとしたら、それを狙っていたのが敵国だけとは限らないことくらい」
「それはそうだけど……本当に、一人もいないの?」
「言ったろう。ミレリアにとってルナファリスは特別だったんだ」
「……分かったわ。ならそれは諦める。けど、もう一つはお願い出来るでしょ?」
「そうだな……今夜までに記憶を整理して、メールを君に送ろう。それで良いか?」
「そうね……直ぐに話して貰いたい気持ちはあるけど、きちんと整理して貰った方が良いかもね……分かったわ。それでお願い」
「ああ。他ならぬ君の頼みだ。せめてそれくらいは聞いてあげないとね」
「――ありがとう」
 そんな言葉で会話を締めて、残っていた紅茶を飲み干す。「ここは持つよ」なんて彼の言葉を素直に受け取り、ご馳走になっておく。
 喫茶店を出た私が、「それじゃあ」と言って踵を返した彼の背に、「頑張ってね」と伝えると彼は背中越しに手だけを振りそれに応えてくれた。
 ミーアにとってルナファリスがそこまで特別な相手だとは思っていなかったけど、結果的には最低限の情報を得られることになったんだから満足しておかなきゃね。
 さあ、次はあの人の所ね……
 私は次の相手の待つ場所へと向かうべく、ゆっくりとその場を後にした……


13 :夕咲 紅 :2009/11/20(金) 03:48:36 ID:n3oJYDmHzm

 ―― 四 ――


 ミレリア=フォグオース。その名前には聞き覚えがあった。いや、これは俺の記憶じゃない。リーヴスとしての記憶だ。ミレリア=フォグオース。その名前を頭の中で繰り返し呟く。これはきっかけだ。もし藤本 誠二の前世がミレリア=フォグオースなのだとしたら、そう認識出来たことは大きな進歩だ。前に送ったメールに伊織からの返事はないが、一応藤本が本当にミレリア=フォグオースなのかをメールで聞いてみることにした。
 前の返事同様直ぐに返ってくる気配はなかった為、もう一度自分の中で情報を整理してみる。
 そう考えて思考を巡らせようとした刹那、僅かに頭痛を感じた。いや、その痛みは少しずつ増していく。
「……何だよコレ……」
 まだ耐えられる範囲だから良いものの、このまま痛みが増し続けたらとてもじゃないが正気でいられるとは思えない。そんな風にさえ考えたものの、それは杞憂に終わった。気がつけば痛みは引き、むしろ清々しい気分だ。いや、まだ少し頭の中に違和感が残っている。しかし今は、それ以上に気分が良かった。まるで、今まさに自分自身を取り戻した様な感覚。
「これは……」
 そう呟き、察した。
 リーヴスの記憶。その全てではないが、一部が蘇ったのだ。
 肝心な龍石についての記憶は……ない。だが、一部でも記憶を手に入れたのだから、絡まった糸を解く様に他の記憶を取り戻すことも出来るかもしれない。
 今蘇った記憶。それはフォグオースと初めて会った時のことだ。
 徴兵され初めて軍に出頭したリーヴスは、そこで一人の想刻術士と出会った。同年代――と言っても少しだけ年上の女で、名前はミレリア=フォグオース。若いながらにその才能を買われた立派な軍人で、今回の戦争で無理矢理徴兵された一般人とは佇まいからして違った。しかし、一般人を見下した様な態度を取る他の軍人とは違い、徴兵された者たちにも普通に接する数少ない良識人でもあった。女にしては長身で、それなりに整った顔立ちをしている上に性格も良い。そんな彼女は、周囲の人間から好かれる人物だった。リーヴスもまた、そんな彼女を信頼していた。
 一緒に何度か前線にも駆り出されたが、ある日リーヴスが前線から姿を消したことで二人の接点は無くなった。
 細かい会話の内容なんかは覚えてないが、それが俺が思い出したリーヴスの記憶だ。前に見た夢と繋ぎ合わせると、おそらく前線から姿を消したのがエルトリアとの戦いの後。そして、龍石を見つけたのはそれよりも後のハズ。ということは、今必要なのはもっと後の記憶……
 エルトリア=バルドバース。もう一度、あいつに会ってみるべきかもしれないな。とは言え、命を狙われている以上簡単に会う訳にはいかない。そもそも、どこにいるのかなんて全く知らない訳で……
 まあ、もう少しここで思い出せないか記憶を探ってみよう。
 なんて考えていると、携帯から聞き慣れた着信音が聞こえてきた。この着信は伊織だ。
 俺は慌ててテーブルの上に置いてある携帯を手に取り電話に出た。
「もしもし?」
『士朗!? 記憶、戻ったの?』
 電話に出るなり、慌てた様子で伊織がそう聞いてきた。
「メール送った時はまだ……と言うか、今もきちんと戻ったとは言えないな」
『どう言うこと?』
「待て伊織。そんなに慌てるなよ。とりあえず確認しておきたいんだが、電話に出るなり開口一番あんな風に聞いてきたってことは、やっぱり藤本はミレリア=フォグオースなんだな?」
『そうよ。ついでに言うなら、ついさっきまで会ってた相手』
「そうなのか?」
『彼女とは同じ部隊にいたから。残念ながらあまり良い返事は貰えなかったけどね。でも、リーヴスと接点があったのは知ってたから、そのことを聞いてメールで送ろうと思ってたんだけど……もう必要ない?』
 同じ部隊、ね……だから良く藤本の出ている番組を見てたのかもしれないな。
「――いや。俺が思い出したのはフォグオースと出会った時のことくらいなんだよ。何となくは頭に浮かぶんだけど、会話の内容とか、そう言うのは全然思い出せてないな」
『だったら伝えた方が良さそうね。とは言っても、彼女――うぅん。彼もきちんと記憶を整理してから私にメールをくれるって言う話だからまだ無理なんだけどね』
「そうか。えっと、ルナの方は?」
『え!?』
「どうかしたのか?」
 急に不思議そう――と言うか驚いた様な声を上げた伊織に、俺はそう聞き返した。
『……うぅん、何でもない。えっと、私の方もミレリアの話と合わせてメールしようと思ってたの。あ、そう言う風に返事しておいた方が良かったかな?』
「まあその方が分かりやすいけどな。そこまで気にしないさ」
『ありがと。士朗のそう言う所好きなのよね』
「何言ってるんだか……」
『あら? 割と本気だけど?』
「余計に悪いわ」
 伊織のこう言う所は困った所だ。まあ、そんなノリのおかげで気が楽になることもあるから、強く止めろとは言えないんだけどな。
『まったく、士朗はツレナイんだから』
「はいはい。そろそろ真面目な話に戻そうぜ?」
『そうね。それで、肝心の龍石については?』
「全くと言って良い程分からない。ただ……」
『ただ?』
「何となく、色々な奴と会っていけば思い出せるんじゃないかって気がするんだ」
『どう言うこと?』
「藤本を見て、藤本の前世であるミレリア=フォグオースのことを思い出した。となると、出会った相手に関することなら思い出していけるんじゃないかって気がするんだよ。だから――」
『ダメ』
「――まだ何も言ってないぞ?」
『どうせ、あの女に会うとか言うつもりだったんでしょう? そんなの認める訳ないじゃない』
「良く分かったな。まあ、簡単に納得して貰えるとは思ってないさ。でも、出来ることは可能な限り試しておいた方が良いと思わないか?」
『言いたいことは分かる。けど、わざわざ危険なマネをすることはないでしょう?』
「でも、伊織が守ってくれるだろ?」
『……士朗って、時々ズルイわよね』
「そうか?」
 まあ、我ながらこの言い方はズルイとは思うが……
 それでも、俺は記憶を取り戻す必要がある。
『そうよ。とりあえず、その話は私がそっちに戻ってからしましょう』
「まあ、流石に一人で会いに行こうとは思わないさ」
『分かってる。士朗がさすがにそこまでバカじゃないことくらいね』
「おいおい。ヒドイこと言うな……」
『そう? わざわざ命を狙ってる相手に会おうって言うのは十分バカだと思うけど?』
「……そうだな」
 伊織の言う通り俺はバカだ。けど、今は四の五の言ってられない状況だ。必要ならいくらだってバカにだってなってやるさ。
『とりあえず今日、明日は帰れないから。その間は大人しく家にいてね。後、母さんたちが家に出入りする時は必ず自分の部屋にいないとダメだからね?』
「ああ。伊織の結界が解かれる瞬間だもんな。分かってるよ」
『なら良いんだけど……士朗。気をつけてね?』
「伊織もな」
『……ありがと。それじゃあ、また』
「ああ」
 そんな言葉で会話を締めくくり、電話を切った。
 さて。それじゃあ伊織からメールが届くまでの間、もう少し自分なりに記憶を探ってみるか。
 そう考えて、俺は再びリビングのソファに深く腰かけた――


14 :夕咲 紅 :2010/10/07(木) 06:27:43 ID:n3oJYDmHzm

第五章 覚醒の刻

 ―― 一 ――


「……朝か……」
 昨日は結局あれ以上リーヴスの記憶を取り戻すことは出来なかった。自分自身でも、伊織からのメールでも。
 ミレリア=フォグオースの記憶にあるリーヴスとフォグオースとの関係も、俺が思い出した内容とほとんど変わらないものだけだった。ルナの記憶にあるリーヴスとの思い出も、結果的には記憶を呼び起こす材料にはならなかった。もしかしたら、伊織と直接会うことで何かを思い出せるかもしれないが、それは伊織が帰ってこないことにはどうしようもない。
 部屋を出て階下に降りる。既に両親の姿はなく、リビングに入るとテーブルの上にメモが一枚置いてあった。
「朝食は冷蔵庫の中、ね……」
 そんな母親の残したメモを見て、俺は苦笑を浮かべた。もうこんな生活が続いて長いと言うのに、こうしてわざわざメモを残してくれる辺りがやけに律儀だ。伊織もそういう面はあるから、その辺は母さんに似たんだろうな。その点、俺は父さんに似て結構いい加減だからそういうことは気にしない。
 俺は用意されていた朝食を食べながら、今日一日はどうしようかと考える。と言っても、昨日と同じ様に記憶や情報を整理したり、また夢を見れないかと眠ることくらいしか俺には出来ない訳だが……
「後は、身体を鍛えたりとか……」
 などと自分で言って少しだけ哀しくなる。運動は嫌いじゃないし、それなりに運動神経も良いと思うが、俺自身には戦う術など何一つない。リーヴスの記憶が戻ったとして、本当に直ぐに戦えるのか考えてみればそれも素直には頷けない。リーヴスには剣術の心得があった様だが、仮に俺がその技術を得たとしても身体が動くとは限らない。と言うことは、やっぱり剣を振るって戦える様な身体造りをしておく必要があるんじゃないだろうか。
「って言ってもなぁ……」
 型なんか知らないし、精々柔軟とか筋力トレーニングとかか。まあ、しないよりはマシかな。
 そんな結論に至り、とりあえずスペースを確保して柔軟を始める。どちらかと言えば身体は硬い方だから、入念に身体を解す。腕立て、腹筋、背筋、スクワットと続け、休憩を挟みもう一度同じことを繰り返す。体力には自信があったものの、普段使わない筋肉を使うことで身体が悲鳴をあげ始める。
「結構キツイな……」
 各二十回ずつのセットが五回目に入った頃には体力の限界を感じ、腹筋の途中でばたりと倒れ込んでしまった。天井を見上げながら息を整え、数分の間身体を休める。火照った身体から熱がなくなっていくのを感じながら、せっかく暖まった身体が本当に冷えてしまう前にゆっくりと身体を起こす。途中だった腹筋を再開し、残りの背筋やスクワットもこなす。最初の頃に比べれば断然ペースが落ちたものの、何とか五セット目を終えると端にどかしたソファに座り込む。再び熱を持った身体を今度は完全にクールダウンさせ、瞼を閉じる。疲労の溜まった身体が休息を求め始めたのか、起きてから殆ど時間が経っていないにも関わらず眠気が襲ってきた。眠れるのなら好都合ではあるものの、汗を掻いたまま寝るのは身体に良くない。気だるさを感じながらも身体を起こし自分の部屋に戻り、着替えを持って風呂場に向かう。シャワーだけ浴びて汗を流して、水分を取る為にキッチンへと戻る。グラスを出して氷を入れ、浄水器の着いた蛇口から水を注ぐ。水を冷やす為に中身を混ぜる様にグラスを回す。直ぐに口を付け、丁度良い冷たさだと判断し一気に飲み干した。
 グラスを流しに置いて、深く息を吐く。シャワーを浴びる事で一度飛んだ眠気がまだ残っている。これならもう一眠り出来そうだ。そんな風に考えながら部屋に戻り、ベッドに横たわる。思った以上に強い眠気があったらしく、俺の意識は直ぐに沈んでいった……


 頭の中で声が響く。否、声とは呼べない音の集まり。それが人の発する言葉だと言うのは認識出来るが、何を意味しているのかまでは分からない。だからそれを表現するのなら、騒音としか言えない。それはずっと語りかけてくる。望んでもいないのに、あらゆる事を頭の中に植えつけようとしてくる。いつ気が狂ってもおかしくはない。そう思うのに、何かが気が狂う事を防いでいるかの様に精神は穏やかだ。
 龍石――
 たった今俺が手に入れた物は、そう呼ばれる代物だ。俺自身は龍石の事など知りもしなかったが、龍石から与えられる知識の中にその存在も含まれていた。
 地下室から何とか這い出した俺は、とにかく本陣に戻るべくこの場を離れようとする。
「そこのお前」
 弱々しく歩き出した所で、背後から声をかけられびくりと肩を震わせる。直ぐに振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
「その服装は……どうやら味方の様だが、階級と配属先はどこだ?」
 男の言葉は味方の振りをした敵かどうかを見定める為の問いかけだった。そう言うあんたは? と聞きたくなったがそれをぐっと堪える。階級や配属先を聞かれ聞き返すのは御法度だからだ。少しでも情報を得ようとしている敵と思われない為だ。
「レザール部隊所属の義勇兵、リーヴス=リィンハートだ」
 義勇兵と言うのは軍が付けた建前の言葉。実際は無理矢理徴兵された面々の事を指している。だから、正直この階級を口にしたくはない。
「レザール……あのハイウェン=レザールの部隊か。前回の衝突で撤退を余儀なくされたと聞いたが……敗走してこの地に辿り着いたのか?」
「その通りだ。けど、そんな事よりあんたは名乗ってくれないのか?」
「……失礼した。私はタイラント=レイズワース。この地域を任されている部隊長だ」
 流石に軍人の名前を全員把握している訳じゃないから、タイラントと名乗ったこの男が本当に部隊長なのかどうか俺は知らない。だが、それを知りたいと俺が思った瞬間、龍石からタイラント=レイズワースと言う男についての情報が頭の中に流れ込んできた。
 その情報に寄れば、確かにこの男は同国の軍人で部隊長だ。頭に浮かぶ容姿と目の前の男の容姿も一致している。この地域を任されているのだから、周囲のあらゆる情報を記録し続けると言うこの龍石にタイラントの事が記録されていてもおかしくはない。だからこの情報を龍石から与えられた事は何ら不思議ではなく、不審にも思わなかった。続けて、この場所でこの男が何をしたのかと言う情報が流れて来なければ……
「この近くに我々の陣営がある。そこに来ると良い」
「…………」
「どうかしたのか?」
 軍人にしては優しげに、俺を保護しようとするタイラント。だが、俺はそれには応えられない。否、その前に確認せずにはいられなかった。例えそれを聞く事が、俺にとって不利に働くとしても――
「あんたは……龍石を探す為にここに来たのか?」
「何?」
「龍石を見つける為に、この村を焼き払ったのか!?」
「なぜ貴様がその事を知っている……? まさか、見つけたのか?」
「だったらどうした? それよりも答えろよ! あんな石ころ一つの為に、この村の人達を殺したのかって聞いてるんだ!」
「国の命令だ。それよりも、見つけたのなら寄こせ。それは貴様の様な凡庸な輩が持っていて良い物ではない」
「渡せる訳がないだろう。お前なんかに――こんな事をする国なんかに!」
「ならば、力ずくで奪い取るだけだ!」
 そう叫びながら腰の剣を抜くタイラント。その瞬間に怒りで湧き上がった頭が冷え平静を取り戻した。だが、何を言う間も考える暇もない。応戦するべく剣を抜こうとするが、それだけじゃあ既に斬りかかってきているタイラントの斬撃を避ける事は出来ない。そう判断し、柄に手をかけたままタイラントの一撃を横に避ける。その動作で剣を抜き、瞬時に向き直る。
「少しは出来る様だな。敗戦の中生き残ったのは逃げ腰だったからではなさそうだ」
 剣を構える俺を見て、見下した様な口調でタイラントはそう言った。それは、タイラントに俺を仕留める自信があるからだろう。けど、俺も負ける気はしない。俺とタイラントに圧倒的な実力差があるのならともかく、今の俺はタイラントに関するあらゆる情報を知っている。戦いにおける弱点や癖、それを知りながらも負ける程に大きな差などない。そう確信が持てる。
 俺は、自信たっぷりに待ち構えるタイラントに向かって地を蹴った。
 奇襲と言う程ではないかもしれないが、それでもタイラントの予想とは違った動きになったのか奴の動きにも若干の動揺が伺えた。流れ込んで来るタイラントの情報よりも反応が遅かったが、それでも俺の斬撃を自身の剣で受け止めるくらいの余裕はあったらしく、難なく防がれてしまった。とは言え、この一撃で決めようだなんて最初から考えていない。と言うよりは、最初からタイラントを殺すつもりなんかない。この場から逃げ出す事が出来ればそれで良い。その為には、タイラントをある程度行動不能に追い込まなければならない。
 剣を防がれると同時に反動で直ぐに振りかぶり直し、再び剣を振るう。時間をかければ応援が来るかもしれない。そう考えると逸る気持ちは抑え切れない。それでも冷静に、隙を与えない様に攻撃を繰り返す。
 何度目になるか分からない剣の交差。それでも勝敗は着かず、おそらく奴の中で俺に対する認識は改められているだろう。最初の時の様な俺を見下した目ではなく、真剣な目をしている。焦っている様にも見えるが、それは俺を簡単に倒す事が出来ないという点に置いてのみで、おそらく大局を見ればまだ余裕だと思っているはずだ。だから無理には攻めて来ない。時間を稼げば良いとでも思い始めているのかもしれない。だったら――
 俺は後ろに跳躍し、タイラントと距離を取る。真っ直ぐに奴を見つめ、剣を構える。
 次で決める! そんな意思を込めて、そんな風にタイラントが受け止める様に。おそらく成功だ。奴は身構え、俺の攻撃に備えている。その隙を見逃す訳にはいかない。
 俺は瞬時に身を翻し、それと同時に剣をしまい一目散に駆け出した。
 奴が呆気に取られ動きを止めた事を龍石が伝えてくれる。直ぐに我に返った様だが、全速力で走り瓦礫を利用して移動した事で奴の視界からは外れていた。とりあえず直ぐには追って来ないだろう。そう思い走るのを止め、今度は見つからない様に慎重に移動する。
 当面の危機は脱したと思う。けど、俺は奴に名乗ってしまっている。おそらく直ぐに指名手配されるだろう。
 いや、俺の事は良い。だけど、ファナが心配だ……
 俺に関する細かい情報が出回る前に、何とかファナに報せないと……

 ――そう考えた刹那、俺の意識が途絶えた――


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