【Gothic】ゴシック


2 :蒼幻 :2011/10/22(土) 17:54:19 ID:uGknWHV3Yc

第一章 1

 ティリスは北地区に向かっていた。
 母から依頼された香辛料を購うためである。
 小さな街であった。そこに住まう人々の顔は見知ったものばかりで、皆、知り合いである。
「ティリス、今日はどうしたね?」と訊ねてくるのは材木店主のサビスである。
「〈食材店〉に用事があるのよ」
 ティリスは元気に答える。
「食材店……ははあ、ノエの料理は格別だからな。毎日彼女の料理を食べられるなんて羨ましい限りだよ」
「最近いいもの食べてないの?」
「昨日なんてカブのスープだぜ? それに麦が入ってるだけ。味気なくっていやになるよ」
「そんなこと云ってたらおばさん、料理つくってくれなくなるよ」
「くわばらくわばら」
 サビスは手を振ってそれ以上の会話を切り上げた。
 街は〈大荒廃〉の爪跡を色濃く残している。
〈大荒廃〉はこの街だけでなく、この世界が蒙った災厄だった。
 災厄という言葉で云い表せないほどの損害を与えた〈大荒廃〉は、それ以前と以後とで世界のありようをすっかり変えてしまった。
 ティリスは雑踏する通りを抜ける。陽光は雲に遮られて空気が重ったるくなってきた。天気が悪くなる前に用事を済ませないと、と彼女は考える。
 目的地である〈リノン食材店〉に辿り着く。表は重い木の扉で、それを押し開けると店内には蝋燭が灯されており、その弱い光が室内を照らしている。乾物や香辛料といったものを専門に扱う店である。青菜を売る店とは違う。
 光をそれほど必要としていない。それよりは綺麗に整頓されていることを最善と考える店造りである。
「ハラルさん、岩塩と胡椒とミックスハーブいただけますか?」
 ティリスは、店主のパラル・リノンに問いかけた。
「ああ、あるよ、待っとくれ」
 パラルは小太りのおじさんで、帳場を立つとひょこひょことコミカルな動きでティリスの前を通り、彼女の云った材料を揃えていく。
「ローズマリーが手に入ったんだがそれはいらないかい?」
 パラルが訊ねる。
「うん、今日はぎりぎりのお金しか持ってないの、遠慮しとくわ」
「そうか、ならちょっとだけど分けてあげるよ。料理上手のノエに使ってもらえるなら食材も本望ってものだからね」
「ありがとう」ティリスは礼を云った。
「いや、いつもお世話になってるお得意様なんだ、これくらいのことはさせてもらわないとね」
「ありがとうございます」
 ティリスはほほ笑んだ。
 材料をすべて袋に詰めてもらってティリスは代金を支払った。
 店主の善意に甘えて代金を安くしてもらったのである。
 店を出たとき、ちょうど雨が降りはじめた。

2011.10.10

 ぽつぽつと降ってくる。大粒の雨だ。
 ぽつりぽつりはやがてざあざあになり、春にしては珍しい大粒の雨である。南の空に光がひらめく。地をどよもす雷鳴がなりひびく。
(やな雨だ……)ティリスは顔をしかめた。(でも、もう帰るしかないしね。走ろう)
 ティリスは雨の中を駆け出した。傘は持ってきていない。待っていれば雨も小止みになるかもしれないけれど、ティリスはそれを待っていられなかった。待つことのできない性分である。
 雷が怖いのか、傘を差している人も足早に立ち去ろうとしているようにティリスには見えた。
(いいなあ)ティリスは羨望のまなざしで傘の群を見た。
 ティリスのように傘がなくて駆け出している人物はひとりもなかった。
(あたしだけなのね……やれやれ)
 ティリスはもう他の人を見る気がしなかった。見ても自分のせっかちがわかるだけで、羞恥心に似たものを味わうだけだからである。
 ティリスは片道十分の家路を急いで、その間に雨は少しずつ歇みはじめていた。(なんなのよ)ティリスは信じられないと云う風に首を振った。(少し待っていれば歇んだんじゃないの)とまた裏切られたような気持ちになった。
 やがて家に辿りつく。
 玄関扉を開けると彼女は「ただいま」と声をかけた。
 家の奥から出てきた母親のノエは、娘の濡れた姿を見て「まあ」と声を発した。「どうして雨の中を帰ってきたのよ。待ってればすぐに歇むことくらいわからなかったの?」
 ノエは肩をすくめた。
「うるさいなあ」とティリスは口にする。面倒な母の叱言は聞きたくなかった。
「タオル持ってくるから、それで拭きなさい」
「うん……」ティリスは肩についた雨滴を手で払った。すっかり濡れており、湿っていると云うレベルではなかった。
 ノエは風呂の脱衣所へ向かうと、手にタオルを持ってすぐに戻ってきた。「はい」
「ありがと」ティリスはぶっきらぼうに云った。
 ノエは顔をしかめたが、ティリスが「はい」と云って包みのものを渡すと機嫌がなおったようだった。
「今日はテールスープにしようかしら」
「牛の尻尾?」
「そうよ」
「あたし、あんまり好きじゃない」ティリスは肩をすくめた。
 ノエは困ったという表情をした。
「なになら、いいのよ」
「タルタルとか、かな……」
「生じゃないの」
「それがいいの」
「まったく、困った子だね」ノエは眉間に皺をよせた。

2011.10.11

「ところでこんなの頼んでたかしら?」ノエはティリスから手渡された紙袋を開けて、中のローズマリーを取り出した。
「それ、サービスだって」
「まあ」ノエは明るい声を出した。「これでサラダのドレッシングを作るのもいいわね」
「そんなのできるんだ……」
「ええ、ローズマリーの風味を移してね」
「そっか」
 ティリスはノエの料理の腕は認めていた。
 母としての資質には疑問を抱いていたが、料理に関してはたしかに街の人たちが云うように優れたところがあると思う。
「母さん……」ティリスはノエに声をかけた。
「どうしたの?」とノエ。
「今度、料理教えてよ」
「珍しいわね。ティリスが料理をしたいなんて――」
「出来ないより出来た方がいいってことはあるしね」
「そうね……」ノエは頷いた。「でもどうして急にそんなことを云い出したの?」
 ティリスは返答に困った。なんとなくやってみたいと思いついたのが理由であったからだ。
「まあいいわ。教えられること教えたげるよ」ノエは云う。「ならさっそく今日からやりましょう」
「うん」ティリスは嬉そうに返事する。
 ノエの教え方は丁寧だった。
 ティリスは切り物をして、食材の火の通し方について学び、調味の仕方を覚えた。牛のテールスープは好きな料理ではなかったが、ひとりでも作れるくらいのレベルには到達したというお墨付きをノエからもらった。
「今度、タルタルの作り方、教えて欲しいな」
 ティリスはにっと笑う。
「お父さんに報告しないとね。『今日の料理はティリスが作ったんですよ』って。お父さん、喜ぶんじゃないかな……」
「そうかな」
「ええ、きっと。わたしもティリスが厨房に立ってくれて、そのことが嬉しいんだから」
「そっか……」
 ティリスは照れくさかった。母から褒められることがふだん少なかったからである。母はどうしてこんなにいつも怒ってばかりいるんだろうという思いのあったことも事実である。が、今日は自分が遣いに行ったこともあって上機嫌である。いつもこんなならいいのに、とティリスは思うのだった。
「父さんが帰ってくるまで部屋に行ってるね」
 ティリスはノエを見て、そのまま自分の部屋に引っ込むことにした。部屋は二階にあった。ティリスはベッドに腰を下ろしてそのまま考えた。
(自分が作った料理を見て、父さんはどんな反応をするだろう)
 今から楽しみだった。

2011.10.12

 父親のトバスが帰ってきたのは日も暮れたころだった。トバスは街の南側に広がる農場の責任者として職務に従事していた。この職がなければ、この街の食糧事情は荒廃していたにちがいない。なんとかこの街の住人千人弱の食糧をまかなっているのである。
 トバスは管理官であるから給金もよく、一家はそれなりの生活を営むことができたが、小作をしている者にとってはこの街の生活は決して快適なものではない。ティリスも、トバスとノエの会話を聞くことも多く、そのなかでこの街の貧困層の暮らしぶりにも着目することになったのである。
〈大荒廃〉から百年、街はさびれている。
 このミナスの街以外に人の住める場所はないとされていた。
 どこまでも続く原野の向こうにかつて繁栄をきわめた土地があったとのことであるが、いまは影も形もない。
 人はどんどん数を減らし、このミナスの街にしても平均寿命は六十歳ほどで、七十、八十まで生きる人は稀である。〈大荒廃〉前はその平均寿命も七十五くらいだったとの報告もある。
〈大荒廃〉がいかなるものであったか、光が人間の力を奪ったとしか文書には書かれていない。
 いったい何があったのか?
 それはこの街の数少ない学者が数篇の論文で言及していたが、決定的な意見が提出されているわけではない。光の明滅に立ち会った人物の証言、日記や、講談などでわかることは断片的で、多義的で、曖昧で、あやふやで、これという決定打がなかった。
 トバスはテーブルに就くと、料理の出てくるのを待った。
 牛のテールスープと、ローズマリー風味のサラダと、バゲットという食事だった。ティリスは家族の反応を待ってどきどきしていた。
 自分の作ったテールスープに父はどんな感想をつけるだろう。
「うん、いつもながら、美味いね」とトバスは一口スープを飲んでから云った。
「そう?」ノエはちらっとティリスを見た。
 ノエもそれからスープを口にする。
「うん、美味しい」ノエも云う。
「自画自賛か?」とトバスは笑った。
「わからなかったみたいね」
「なにが?」
「今日のスープはティリスが作ったのよ」
「えっ?」
「わからなかったのね」ノエは悪戯が成功した子供のような笑みを見せた。
「そうか、ティリスが作ったか……さすが母親の子供だな。料理の腕は母親譲りかもしれないな」トバスはそのことを見破れなかった罪滅ぼしをするみたいにティリスにお世辞ともとれるような発言をした。しかしそれは場の空気を整えようとする態度だとティリスには思えた。

2011.10.13

 気分よく部屋に戻る。
 父のトバスも満足してくれたようだし、母のノエも始終上機嫌だった。いつもこうならいいのに、とティリスは考える。
 たしかに夫婦喧嘩のない穏健な家庭であるとは思う。
 しかし子供であるティリスへの当たり方が彼女には納得がいかなかった。
 愛情を掛けてもらっている気はしている。が、その愛情の現われ方が気になるのである。功利的というわけではない。義務的というわけでもない。ただティリスに対して一種、冷めた視線を注いでいるように彼女には思えるのである。
 それは主にノエに対してだったが、どこか他人行儀なところがあり、その懸隔があまりに大きな淵である気がして、こちらから歩み寄ろうとしても、その淵に堕ちてしまうのではないかとの恐怖を覚えて足がすくむのである。
「はあ」
 ティリスは溜息をつく。
 その着想はティリスが小さなころからつきまとっていたものだった。その思いが自分と母とを隔てているのだ、と感じている。たしかに表面的には明るく振舞ってくれるし、なんの不都合もないように見える。が、根本的な、本質的なところでつまずいているのである。
「もう寝よう……」ティリスはいつもより早い時間であるにもかかわらず、眠ることに決めた。
 悩むより、さっさと眠って余計なことを考えるのを防ぐ。それがいいとティリスは考えて眠ることに決めた。
 ティリスは床に入ることにする。
 ベッドはふかふかのクッションのもので、横たえた身体をふんわり包みこんでくれる。
 ティリスはベッドの中で考えていた。
(父と母はわたしのことをどう思ってるんだろう……)
 それはおおぶりの疑問ではあった。
(わたしは父さんも母さんも嫌いじゃない。むしろ好き。でも愛情が芯のところでひっかかっていて、物足りなく感じているのも事実。これからの生活で、これが解消されることはあるのかな?)
 ティリスは目をつむった。孤独な気がして目に涙が溜まる。
(何、泣いてるの、わたし)
 ティリスは動揺する。
 それからも眠りはなかなか訪れず、自分の思いばかりが空回りする悪循環に陥る。仕方がないので、ティリスは部屋の本棚から一冊本を抜き取り、それを持ってきて蝋燭の光で本を読むことにする。
 ベッドに寝そべったままである。
 本は『ベルベットの炎』という恋愛小説である。
 一人の女性に二人の若者が求婚して、やがて、二人の男が決闘することになる、という筋である。ティリスはこの本をよく読んでいた。一度読み終えた本を何度も読み返すのが好きだった。
 読み疲れたころ、本を脇に置き、明かりを消して眠ることにした。

2011.10.14


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
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