【Gothic】ゴシック


1 :蒼幻 :2011/10/22(土) 17:53:08 ID:uGknWHV3

異世界FT(ファンタジイ)小説。
前作は没にしましたが、今作は続けたい。
一日4枚、一週間に5日間書いて、週当たり20枚ずつ書いていこうと思います。
目標は1000枚。ということで、必然的に50週、一年で達成しようと思ってます。
高いモチベーションを保って、書いていきたいです。
よろしくお願いします。


2 :蒼幻 :2011/10/22(土) 17:54:19 ID:uGknWHV3Yc

第一章 1

 ティリスは北地区に向かっていた。
 母から依頼された香辛料を購うためである。
 小さな街であった。そこに住まう人々の顔は見知ったものばかりで、皆、知り合いである。
「ティリス、今日はどうしたね?」と訊ねてくるのは材木店主のサビスである。
「〈食材店〉に用事があるのよ」
 ティリスは元気に答える。
「食材店……ははあ、ノエの料理は格別だからな。毎日彼女の料理を食べられるなんて羨ましい限りだよ」
「最近いいもの食べてないの?」
「昨日なんてカブのスープだぜ? それに麦が入ってるだけ。味気なくっていやになるよ」
「そんなこと云ってたらおばさん、料理つくってくれなくなるよ」
「くわばらくわばら」
 サビスは手を振ってそれ以上の会話を切り上げた。
 街は〈大荒廃〉の爪跡を色濃く残している。
〈大荒廃〉はこの街だけでなく、この世界が蒙った災厄だった。
 災厄という言葉で云い表せないほどの損害を与えた〈大荒廃〉は、それ以前と以後とで世界のありようをすっかり変えてしまった。
 ティリスは雑踏する通りを抜ける。陽光は雲に遮られて空気が重ったるくなってきた。天気が悪くなる前に用事を済ませないと、と彼女は考える。
 目的地である〈リノン食材店〉に辿り着く。表は重い木の扉で、それを押し開けると店内には蝋燭が灯されており、その弱い光が室内を照らしている。乾物や香辛料といったものを専門に扱う店である。青菜を売る店とは違う。
 光をそれほど必要としていない。それよりは綺麗に整頓されていることを最善と考える店造りである。
「ハラルさん、岩塩と胡椒とミックスハーブいただけますか?」
 ティリスは、店主のパラル・リノンに問いかけた。
「ああ、あるよ、待っとくれ」
 パラルは小太りのおじさんで、帳場を立つとひょこひょことコミカルな動きでティリスの前を通り、彼女の云った材料を揃えていく。
「ローズマリーが手に入ったんだがそれはいらないかい?」
 パラルが訊ねる。
「うん、今日はぎりぎりのお金しか持ってないの、遠慮しとくわ」
「そうか、ならちょっとだけど分けてあげるよ。料理上手のノエに使ってもらえるなら食材も本望ってものだからね」
「ありがとう」ティリスは礼を云った。
「いや、いつもお世話になってるお得意様なんだ、これくらいのことはさせてもらわないとね」
「ありがとうございます」
 ティリスはほほ笑んだ。
 材料をすべて袋に詰めてもらってティリスは代金を支払った。
 店主の善意に甘えて代金を安くしてもらったのである。
 店を出たとき、ちょうど雨が降りはじめた。

2011.10.10

 ぽつぽつと降ってくる。大粒の雨だ。
 ぽつりぽつりはやがてざあざあになり、春にしては珍しい大粒の雨である。南の空に光がひらめく。地をどよもす雷鳴がなりひびく。
(やな雨だ……)ティリスは顔をしかめた。(でも、もう帰るしかないしね。走ろう)
 ティリスは雨の中を駆け出した。傘は持ってきていない。待っていれば雨も小止みになるかもしれないけれど、ティリスはそれを待っていられなかった。待つことのできない性分である。
 雷が怖いのか、傘を差している人も足早に立ち去ろうとしているようにティリスには見えた。
(いいなあ)ティリスは羨望のまなざしで傘の群を見た。
 ティリスのように傘がなくて駆け出している人物はひとりもなかった。
(あたしだけなのね……やれやれ)
 ティリスはもう他の人を見る気がしなかった。見ても自分のせっかちがわかるだけで、羞恥心に似たものを味わうだけだからである。
 ティリスは片道十分の家路を急いで、その間に雨は少しずつ歇みはじめていた。(なんなのよ)ティリスは信じられないと云う風に首を振った。(少し待っていれば歇んだんじゃないの)とまた裏切られたような気持ちになった。
 やがて家に辿りつく。
 玄関扉を開けると彼女は「ただいま」と声をかけた。
 家の奥から出てきた母親のノエは、娘の濡れた姿を見て「まあ」と声を発した。「どうして雨の中を帰ってきたのよ。待ってればすぐに歇むことくらいわからなかったの?」
 ノエは肩をすくめた。
「うるさいなあ」とティリスは口にする。面倒な母の叱言は聞きたくなかった。
「タオル持ってくるから、それで拭きなさい」
「うん……」ティリスは肩についた雨滴を手で払った。すっかり濡れており、湿っていると云うレベルではなかった。
 ノエは風呂の脱衣所へ向かうと、手にタオルを持ってすぐに戻ってきた。「はい」
「ありがと」ティリスはぶっきらぼうに云った。
 ノエは顔をしかめたが、ティリスが「はい」と云って包みのものを渡すと機嫌がなおったようだった。
「今日はテールスープにしようかしら」
「牛の尻尾?」
「そうよ」
「あたし、あんまり好きじゃない」ティリスは肩をすくめた。
 ノエは困ったという表情をした。
「なになら、いいのよ」
「タルタルとか、かな……」
「生じゃないの」
「それがいいの」
「まったく、困った子だね」ノエは眉間に皺をよせた。

2011.10.11

「ところでこんなの頼んでたかしら?」ノエはティリスから手渡された紙袋を開けて、中のローズマリーを取り出した。
「それ、サービスだって」
「まあ」ノエは明るい声を出した。「これでサラダのドレッシングを作るのもいいわね」
「そんなのできるんだ……」
「ええ、ローズマリーの風味を移してね」
「そっか」
 ティリスはノエの料理の腕は認めていた。
 母としての資質には疑問を抱いていたが、料理に関してはたしかに街の人たちが云うように優れたところがあると思う。
「母さん……」ティリスはノエに声をかけた。
「どうしたの?」とノエ。
「今度、料理教えてよ」
「珍しいわね。ティリスが料理をしたいなんて――」
「出来ないより出来た方がいいってことはあるしね」
「そうね……」ノエは頷いた。「でもどうして急にそんなことを云い出したの?」
 ティリスは返答に困った。なんとなくやってみたいと思いついたのが理由であったからだ。
「まあいいわ。教えられること教えたげるよ」ノエは云う。「ならさっそく今日からやりましょう」
「うん」ティリスは嬉そうに返事する。
 ノエの教え方は丁寧だった。
 ティリスは切り物をして、食材の火の通し方について学び、調味の仕方を覚えた。牛のテールスープは好きな料理ではなかったが、ひとりでも作れるくらいのレベルには到達したというお墨付きをノエからもらった。
「今度、タルタルの作り方、教えて欲しいな」
 ティリスはにっと笑う。
「お父さんに報告しないとね。『今日の料理はティリスが作ったんですよ』って。お父さん、喜ぶんじゃないかな……」
「そうかな」
「ええ、きっと。わたしもティリスが厨房に立ってくれて、そのことが嬉しいんだから」
「そっか……」
 ティリスは照れくさかった。母から褒められることがふだん少なかったからである。母はどうしてこんなにいつも怒ってばかりいるんだろうという思いのあったことも事実である。が、今日は自分が遣いに行ったこともあって上機嫌である。いつもこんなならいいのに、とティリスは思うのだった。
「父さんが帰ってくるまで部屋に行ってるね」
 ティリスはノエを見て、そのまま自分の部屋に引っ込むことにした。部屋は二階にあった。ティリスはベッドに腰を下ろしてそのまま考えた。
(自分が作った料理を見て、父さんはどんな反応をするだろう)
 今から楽しみだった。

2011.10.12

 父親のトバスが帰ってきたのは日も暮れたころだった。トバスは街の南側に広がる農場の責任者として職務に従事していた。この職がなければ、この街の食糧事情は荒廃していたにちがいない。なんとかこの街の住人千人弱の食糧をまかなっているのである。
 トバスは管理官であるから給金もよく、一家はそれなりの生活を営むことができたが、小作をしている者にとってはこの街の生活は決して快適なものではない。ティリスも、トバスとノエの会話を聞くことも多く、そのなかでこの街の貧困層の暮らしぶりにも着目することになったのである。
〈大荒廃〉から百年、街はさびれている。
 このミナスの街以外に人の住める場所はないとされていた。
 どこまでも続く原野の向こうにかつて繁栄をきわめた土地があったとのことであるが、いまは影も形もない。
 人はどんどん数を減らし、このミナスの街にしても平均寿命は六十歳ほどで、七十、八十まで生きる人は稀である。〈大荒廃〉前はその平均寿命も七十五くらいだったとの報告もある。
〈大荒廃〉がいかなるものであったか、光が人間の力を奪ったとしか文書には書かれていない。
 いったい何があったのか?
 それはこの街の数少ない学者が数篇の論文で言及していたが、決定的な意見が提出されているわけではない。光の明滅に立ち会った人物の証言、日記や、講談などでわかることは断片的で、多義的で、曖昧で、あやふやで、これという決定打がなかった。
 トバスはテーブルに就くと、料理の出てくるのを待った。
 牛のテールスープと、ローズマリー風味のサラダと、バゲットという食事だった。ティリスは家族の反応を待ってどきどきしていた。
 自分の作ったテールスープに父はどんな感想をつけるだろう。
「うん、いつもながら、美味いね」とトバスは一口スープを飲んでから云った。
「そう?」ノエはちらっとティリスを見た。
 ノエもそれからスープを口にする。
「うん、美味しい」ノエも云う。
「自画自賛か?」とトバスは笑った。
「わからなかったみたいね」
「なにが?」
「今日のスープはティリスが作ったのよ」
「えっ?」
「わからなかったのね」ノエは悪戯が成功した子供のような笑みを見せた。
「そうか、ティリスが作ったか……さすが母親の子供だな。料理の腕は母親譲りかもしれないな」トバスはそのことを見破れなかった罪滅ぼしをするみたいにティリスにお世辞ともとれるような発言をした。しかしそれは場の空気を整えようとする態度だとティリスには思えた。

2011.10.13

 気分よく部屋に戻る。
 父のトバスも満足してくれたようだし、母のノエも始終上機嫌だった。いつもこうならいいのに、とティリスは考える。
 たしかに夫婦喧嘩のない穏健な家庭であるとは思う。
 しかし子供であるティリスへの当たり方が彼女には納得がいかなかった。
 愛情を掛けてもらっている気はしている。が、その愛情の現われ方が気になるのである。功利的というわけではない。義務的というわけでもない。ただティリスに対して一種、冷めた視線を注いでいるように彼女には思えるのである。
 それは主にノエに対してだったが、どこか他人行儀なところがあり、その懸隔があまりに大きな淵である気がして、こちらから歩み寄ろうとしても、その淵に堕ちてしまうのではないかとの恐怖を覚えて足がすくむのである。
「はあ」
 ティリスは溜息をつく。
 その着想はティリスが小さなころからつきまとっていたものだった。その思いが自分と母とを隔てているのだ、と感じている。たしかに表面的には明るく振舞ってくれるし、なんの不都合もないように見える。が、根本的な、本質的なところでつまずいているのである。
「もう寝よう……」ティリスはいつもより早い時間であるにもかかわらず、眠ることに決めた。
 悩むより、さっさと眠って余計なことを考えるのを防ぐ。それがいいとティリスは考えて眠ることに決めた。
 ティリスは床に入ることにする。
 ベッドはふかふかのクッションのもので、横たえた身体をふんわり包みこんでくれる。
 ティリスはベッドの中で考えていた。
(父と母はわたしのことをどう思ってるんだろう……)
 それはおおぶりの疑問ではあった。
(わたしは父さんも母さんも嫌いじゃない。むしろ好き。でも愛情が芯のところでひっかかっていて、物足りなく感じているのも事実。これからの生活で、これが解消されることはあるのかな?)
 ティリスは目をつむった。孤独な気がして目に涙が溜まる。
(何、泣いてるの、わたし)
 ティリスは動揺する。
 それからも眠りはなかなか訪れず、自分の思いばかりが空回りする悪循環に陥る。仕方がないので、ティリスは部屋の本棚から一冊本を抜き取り、それを持ってきて蝋燭の光で本を読むことにする。
 ベッドに寝そべったままである。
 本は『ベルベットの炎』という恋愛小説である。
 一人の女性に二人の若者が求婚して、やがて、二人の男が決闘することになる、という筋である。ティリスはこの本をよく読んでいた。一度読み終えた本を何度も読み返すのが好きだった。
 読み疲れたころ、本を脇に置き、明かりを消して眠ることにした。

2011.10.14


3 :蒼幻 :2011/10/30(日) 22:28:16 ID:uGknWHV3Yc

第一章 2

 ソリルは落ちついて気を静めた。
 手に握るは木刀で、対するは師匠のサロウである。
「さあ、掛かってくるがよい」とサロウは告げる。
 ゆっくり息を吐くサロウに隙はなかった。
 ソリルはどこに打ちかかってもやられると思いながらも、勇を鼓して木刀を振りかぶる。
 踏みこむと同時に木刀を振りおろす。が、そこにはもうサロウの姿はない。かれはひらりと体を躱すと、自身の木刀をソリルの首元に擬した。
「ま、参りました」とソリルは口にする。
 かれは戦意を失って片膝をついた。
「敗因はなんだと思う?」サロウが訊ねる。
「敗因……」ソリルは言葉を繰り返した。しばらくそれについて考える。
「わからぬか?」サロウが云う。
「なんでしょうか?」とソリル。
「覚悟だよ」
「覚悟?」
「意地でも極意を習得してやると云う熱意か――」
「熱意……」
 ソリルは鸚鵡返しに答える。
「覚悟も熱意もありますよ」
「なら、それが不足していると云うことになるな」
「そんな……」
 ソリルはサロウをじっと見た。その言葉は意地悪を云っているのでないことはわかる。むしろこれからのソリルの発展を信じるが故の苦言であるのだろう。
 サロウは木刀を一度振ると、「今日はこれで終わっておこう」と告げた。
「もうすこし、やりたかったのですが……」とソリル。
「いや、根つめても、ダメなときはダメだ」サロウが云う。
「また明日、お願いします」
「ああ」とサロウ。「そうだ、親父さんとはうまくいってるのか?」
「親父ですか……可もなく不可もなくですね」
「そうか」
「はい」
「まあ、剣士として立つには経なければならない障害もたくさんあるのであって、鍛冶屋の息子に冒険者のまねごとをさせること自体、でたらめといえばでたらめであろうか。が、おれはソリル、おまえを見て、鍛えてみたいとの気持ちに打たれた。そのことはしっかりわかっておいてほしい」
「はい」
 ソリルはサロウに見いだされ、かれの一番弟子となっていたのである。
 サロウはこのミナスの街で何でも屋として働いている人物で、おそらく、この街の中で剣をつかわせたら随一であろう。
 そのサロウに眼を掛けてもらえるソリルの剣の腕もまた、そこらの小人物の技術に劣らないものがあるというものである。サロウに教えてもらうことで格段にスキルアップしたと云う側面もあった。
 サロウは〈無心〉になることをソリルに教えていた。
 相手を降そうとするのでなく、剣を自然に振うこと。
 そのとき剣は自分を裏切らなくなるだろう、と。

2011.10.17

 父との関係は良好ではない。ソリルはサロウの訓練を受けたあと、いつものように小料理屋に入ることにした。〈大荒廃〉の前は料理のメニューも豊富だったそうだが、いまでは街でなんとか飼育されている牛が手に入るくらいで、他の動物といっては特になかったので、街で肉と云うと、牛肉をさす。
「肉汁と野菜サラダ、それとバゲット貰えるかな」
 ソリルは料理を注文し、それが運ばれてくるまでのあいだ、他の客の話し声に耳を傾けた。
「なあ、聞いたか」と一人の男が隣の男に話しかけている。
「なんだ」
「郊外に住んでたサビス一家が何者かに殺されてたんだとよ」
「殺人事件かよ――」
「どうやら、犯人は猟奇的な嗜好を持った人間らしくてな」
「猟奇的?」
「殺された死体の腕や腿から肉がこそげとられてたんだってよ。どうしてそんなことをしたのか、わからないってのが街の判断なんだけど、これってもしかして食用に供したってことじゃないのか、っておれは見てるんだ」
「ほんとかよ、ひでえなあ」
 男たち二人は労働者風の服装をしていた。仕事場から直行したという雰囲気である。酒が入り、口が軽くなっている様子である。
 ソリルはどう考えていいかわからなかった。
(死体から肉がこそげとられていただって……いったい何者がそんなことをしたのか?)
 ソリルには考えもつかないことだった。
「お待たせしました」と料理が運ばれてくる。
 肉汁というのは、いわば、牛肉の入ったスープのことで、肉を焼いたときに出る汁のこととはニュアンスが異なる。
 この店の名物料理であるのだが、この料理を目当てに通ってくる客は相当いる。この十席ほどの客席のうち、いまは七つまでが客で埋まっている。そのかれらの前に並んでいるのはもちろん名物の肉汁である。
 ソリルはスプーンでスープをすくって飲み始めた。
 熱くて、コクがあって、澄んだスープである。
 作り方は秘伝であるそうだが、おそらく、ティリスの母親のノエでも作ることはできない味だろうとソリルは思っていた。
 ノエはこの街の料理上手として知られている。その娘であるティリスとは同い年で、いい友人関係にあったが、この前、料理のひとつでも出来た方が可愛げがあると云ったのを根にもっているのか、それからしばらく、街で会っても挨拶ひとつ返してくれなくなった。
 確かに、云い過ぎたか、という思いはあった。
「いつも美味いね」とソリルはお世辞を云う。
 店主の妻であるザーヴが、「嬉しいこと云ってくれるね」と応じる。「でも、安くはしないからね!」と彼女が云うと、店の客の大半がソリルを見て笑った。
「ソリル、お世辞は利く相手にしかしちゃいけねえぜ?」
「美味しいって云ったら、余計に金取りかねないんだからさ」
 客たちは陽気に笑った。
 食事を終え、支払いを済ませる。この支払いのお金はすべて父親の財布から出ていた。ソリルは剣術修行以外に定職を持っていないからである。

2011.10.18

 家に着くと、父のユガは仕事をしていた。もうすぐ夕刻である。
 いつものこと。ソリルは〈触らぬ神にたたりなし〉とのことで、声をかけず、自室に引っこむことにした。父の鎚を揮う、乾いた音が家のなかに響いている。
 その音は子供のころからなじんできたもので、懐かしい音でもあった。まだこの世に母がいたころ、背中におぶわれながら聞いてきた音だった。あの母の背中の優しいぬくもりはもうどこにも求められない。自分はあれからひとりで過ごすことが多くなった。それは悲しいことであるが、現在の自分を形作っている大切な要素である気もする。
 次第に暗くなっていく外の景色を窓越しに眺める。
 ガラスの窓は外の景色をくっきりと見せてくれて、ソリルの好きなもののひとつだった。窓をあけて外の空気を入れることにする。
 狭い部屋に息を押し殺して、じっとしているなんてことは、ソリルには似合わない。
 かれは溜息をつく。
 と、父の、鎚を揮う音が消えたのに気づく。
 父は居間に行き、そこでカンタンなものを作って食べるだろうか、とソリルは考える。親子で違う食事をするのが通例になっている。
 ソリルは外で食べ、ユガは家で食べる。
 同じ食卓を囲めばいいのに、とは幼馴染のティリスの談である。
 ティリスの云うことも一理あるとは思う。が、ティリスのなかで家族は一緒に食事をするものと云う意識ががちがちに固まっているのも、なにか許せないことのように思えて受けいれがたい。
「ソリルの家は別々の生活をしている者同士が、寝るところだけ共有している家庭の気がするな。ちょっと他人行儀だよ」
 ティリスはそう云ったものだ。
「そうかな」ソリルに自覚はなかった。
「一緒に食事をして、その日にあったことなんかを共に語らうとかさ。そういうのないかな。生活に潤いは必要だよ」
「そうだな」ソリルも彼女の言葉に納得する。
「ところで、ティリスは将来何になりたいとか、あるの?」
 ソリルは彼女にこうも尋ねていた。
「わかんない」ティリスは答えた。そして反対に訊ねる。「ソリルは鍛冶屋?」
「まさか」ソリルは自分の考えを表明する。「おれは鍛冶屋にはならないよ。サロウのように冒険者になろうと思ってる。それで、いまは剣の腕をもっと磨いて、弱きを助けられるような人間になりたいと思ってる。そして、〈大荒廃〉以降、荒れて人も住まなくなった土地を縦断して、どこかにいるだろう、他の市民を探したいと考えてる」
 ソリルの言葉にティリスは落ちついていられなかった。
「荒野を縦断して、他の民族を探すですって? そんなことができるの?」
「やってみたいと考えてる」
 ソリルはティリスの不安を解消することは考えていなかった。自分がいまやりたいと考えていることを素直に説明しただけだった。
 そのときのティリスの表情に現れた動揺は大きなものだった。
 ソリルはそのことを思い返し、ティリスが自分のことを心配してくれているのだということを強く感じた。
〈大荒廃〉後の世界を生きるソリルたちにとって、その爪跡を確認し、生存者を確認することは大切な任務と考える風潮があるのも事実だった。

2011.10.19

 ソリルは父との語らいの時間を持たなかった。
 口を開けば、云い争いになるのは目に見えていたからである。
 ソリルはこのまま剣術修行を続けたい、父は息子を鍛冶屋の跡取にしたい。自然、議論は平行線になる。
 かれは自室でベッドに横になっている。このまま寝てしまってもよかった。が、かれにしては珍しく、父と話そうと思い、ベッドから起き上がると、部屋を出てリビングに向かった。
 父のユガは葉タバコを喫っている最中だった。
 ソリルが降りてくると、父の眉間に皺がよった。
 やや痩せ気味の、しかし筋肉質で、しなやかな体躯の父。
 ソリルはがっしりしたタイプであるので、同じ血が通っているとは思えないほどである。
「父さん」とソリルは声をかけて、父の座っている向かいに腰掛けた。
「どうしたんだ?」父はあまり感情を表に出さない風に訊ねてきた。
「うん、ちょっと話そうと思ってね」
「珍しいな」
「そうだね、面と向かって話すのって、何日ぶりかな……」
 ソリルは肩をすくめた。
「で、話ってなんだ?」父が訊ねる。
「うん、剣術のことなんだけど――」
 ソリルが剣術と云う言葉を口にした途端、父の表情に苦いものが走るのがわかった。やはり、剣術修行のことを快く思っていないのは、強烈な事実であるようだ。
「父さん」ソリルはどぎまぎした。
「続けてくれ――」ユガが云う。
「剣術修行は誰がなんといっても続けるからね。それは自分の中で決めてることだから。中途半端はいやだし、ここまでやってきたんだから、これからもサロウの指南は受けるからね」
「そうか」父は寂しそうだった。
「サロウは筋がいいって褒めてくれるんだ。おれは絶対この道で成功しようと思う。父さんがおれに期待してくれてもそれに応えることはできないからわかっておいてほしい。いまは剣術のことしか考えられない」
「なるほど」父は目をしばたたいた。
 ソリルはなにか自分が無駄なことをしている気がした。
 落ちつかない気持ちになってしまう。
 父に自分の意見を云うだけだったが、それがなにか、父を無言の内に責めたてているような、いまの父の地位を蔑んでしまっているような気がして、自分で自分が許せない心持ちになったのである。
「父さん」ソリルは父に声をかける。
「なんだ?」ユガはあらためて息子を観た。
「父さんはおれに要求することはなにもないの?」
「要求か……」
「うん」
「要求してほしいのか?」
「そう云うわけじゃないけど」
「なら、それは訊ねるべきじゃないな」
「そうだね」
 ソリルはそのまま話を終えて、自室に引っ込んだ。

2011.10.20

 ソリルは部屋に戻ると、眠ることにした。
 なにが問題なのか、ベッドに横になってもなかなか眠れない。
(ティリスが云ってたな)ソリルは考える。(おれは考え過ぎるって……)
 ティリスはソリルのことをよく見ていた。子供のころは近所に同年代の子供が少なかったので、それで頻繁に遊んでいた。そのころからの知り合いであるので、いつ、どこで、どのような失敗をしたかとか、そんなことをよく憶えているのである。ソリルにとってティリスは、ある意味、母親の代わりと思えるくらいにかれのことを観てくれている異性であった。
 ――異性。
 ソリルはそのことを意識したことはない。
 ただ穏やかな気持ちをもって、柔らかい眼差しで互いを見つめあうような、そんな印象のある関係であった。もちろん、特別になんらかの感情を持っているわけでなく、通常一般の友人同士と云われる関係にあるような感情の枠を飛び出す物ではなかったけれど。
(それにしても、ティリスは最近、おれを避けてるのかな……)
 ソリルは考える。
 足の先が暖かくなり、蒲団の中で熱を帯びたようになった。足指が熱いと感じるくらいに熱を帯びている。なにか身体のバランスが崩れたような、奇妙な感覚だった。
(どうしたんだろう)
 とソリルは考える。
『この数日のうちにあなたには大きな変化が訪れるでしょう』
 街の占い師、サキアがかれに告げた言葉である。
(〈大きな変化〉っていったいなんなのか……)
 朝起きて、父と少しの会話をかわして、日がな一日剣術の訓練に明け暮れ、日が暮れたら食事をして家に帰る。そんな変化のない生活を送るソリルにとって、その占い師サキアの言葉は一種、無気味にも聞こえた。
『あなたは大いなる変転のとばぐちにいます。まだその運命の渦は視界に入っていませんが、いずれ、自分からそこへ飛びこまねばならなくなるでしょう。そのとき、あなたは必要な覚悟が持てるでしょうか? それにはまだ不足している面があります。あなたのなかに責任、忍従、捨身、そのような感情が生まれねば、大きな力は発揮できないでしょう。しっかりと観ておくのです。自分の進まねばならない道と、どのように変わっていきたいか、その希望とを』
 占い師サキアは三十代の女性で結婚はしていない。
 占いを澄明なものにするには、男との関係を控えねばならないとされているから、まだ処女であるのにちがいない。
 ソリルはサキアに神秘的なものを感じていた。
(サキアはおれに助言を与えてくれたわけだ。いったいおれはその助言を活かすことができるのか、それとも無駄に捨ててしまうことになるのか……)
 ソリルは瞑っていた眼を開いた。
 蝋燭を消しているので部屋は暗いままである。
 ソリルは落ちついて考える。
「父さん」声を出す。
(運命が本当なら、おれはどこへ行くんだろう。そして、何をするんだろう。この街にいて変転に巻き込まれるのか、それともどこか遠くへ行かねばならないんだろうか)ソリルは不安に押し包まれながら、眠れぬ夜を過ごすのだった。

2011.10.21


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.