小説家と批評家


1 :蒼幻 :2011/02/17(木) 11:42:40 ID:tcz3skkH

「筆者の才能の非凡なることは一読して明らかである。が、それゆえに、私はこの筆者の饒舌を憾む。言葉を切り詰めれば切り詰めただけ物語は引き締まり説得力を増すだろう。それのわからぬ筆者ではなかろうし、また今後のこの作家の筆業の進展を望むがゆえに、ここは敢えて苦言を呈したい。これは役目をこえたお節介かもしれぬ。が、私はこの言葉をもって、著者の今後に期待したいと思う。才に溺れぬよう気を引き締めてもらいたい、と。」

 私はそこまで書いてキーボードの上の手の動きを止めた。指が震えていた。なにをそんなにいらいらしてるのか……。私は気を落ち着かせようと、深呼吸を始めたが、その行為がますます自分の動揺を強めるようで、息をするのも尋常でない状況に陥る。
 慣れた書評である。確かに、ひとつひとつ書き始めるときには新たな緊張感を抱いてことにあたるのを旨としていたが、こんな風に動揺しているのは、書評の相手が、自分と同世代の、新進気鋭の作家であることに起因しているのか。
 ――なにをいまさら……。私は気持ちを抑えようと胸に手を置いた。
 ――落ち着いて考えてみよう。いったい何が問題なのだ――。
 私は静かに考える。
 相手はまだ駆け出しであるものの、着実に読者数を増やしている前途有望な作家である。作家と批評家と云う分かりやすい対立関係にある彼と私だが、問題はそこではない。
 私の文学への取り組み方、そこへ寄せる思慕の感情、それが不埒なものであることに起因しているのである。
 つまり、私はこの作家に嫉妬を覚えているのである。
 なぜ、批評家が作家を嫉視するのかと疑問に思う向きもあろう。
 が、私は批評家であるものの、この筆者が自分と同じくつい最近、この文学の世界に漕ぎだした新来の文学者であることを妬ましく思っているのである。
 私はもともと小説を書いてみたいと思って、文学の道に進んだのである。しかし、道は容易ならず、小説を書く才能は自分にはなかったのだと思いきって、学生時代に、批評家として身を立てようと決意するに至った。それまでに書いていた小説はすべて破棄し、それからはもっぱら分析を旨とする読書に修行のウェイトを移したのである。
 が、ときどきは小説家として立つ夢を未練がましく持ち直し、暇があったら、誰も読むことのない小説をこそこそと書いていたのである。そんな経緯もあって、小説を読むことを仕事にしている今でも、小説家に対する憧れがあったし、また、すべての小説家に対して羨望の眼差しを投げかけてもいたのである。批評家の立場から見ても、小説家という存在は光り輝いていた。
 いま、この批評をしようとしている新米の作家にしても、これからどんどん光を増して、輝いていくことだろうと思う。自分と同世代、そんな作家の成功を妬ましく思っている自分を思うと、自分はなんという小さな人間であろうかと云う気がしてくる。
 正しい視点で物事を視ることができなくなっている自分に気づく。
 こんな状態で書いたものは不備の塊でしかなく、駄文に傾くきらいがあろう。
 私はディスプレイに移っている文字列をすべて消した。
 息をつく。
 どうしたものか――。
 私は思い悩みながら、もう一度、著者の本を手にとって眺めてみた。
 端正な筆致である。無駄が多いと云ったのは、読者に媚びて、自分の良さを減衰しているところがあるからだ。俗な読者は豊富な描写に眩惑せられてそれを快とするものであるが、眼の肥えた読者はそれを無粋なこととして扱う。
 そういうきらいがないかどうかもう一度、精査する意味で文章を読んでみる。
 が、自分にはそれが媚びなのか、計算なのかよくわからなかった。
 あるべくしてある。と、思いこめればいいのだが、作品から受ける雰囲気をしっかりと感じ取って、目に見える形で文章にするのが批評の第一義である。私はこの著者が創作上の秘密を開陳してくれるまで、もう一度、じっくりとことにあたることに決めた。
 そのときには、この著者と対等の立場で、作品を通じて意思疎通できているだろうか?
 それは私を成長させてくれる布石であるような気もしている。
 私はじっくりと本にあたった。

「作者の狙いは那辺にありや?
 実際に物事に接しているような実感を孕んだ描写の数々に著者の並々ならぬ努力を感じる。しかしそれは物事の一半でしかなく、登場人物の真摯な本性が作中に大きな影響を及ぼし、この生動は他に類を見ないほどリアルである。動画を視るような思いのするこの実感は今後のこの著者の武器となるに違いない。小生は著者の今後の発展を信じて疑わぬものである。――(後略)――。」(二〇一四年六月 文芸誌「潮流」掲載)


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