生者よ


1 :蒼幻 :2009/09/12(土) 04:39:35 ID:tcz3sknm



 現段階で何ページになるか、まったく想像のつかない長編小説です。
 2009年09月12日現在で210枚まで書いています。
 第一部だけで500枚は書こうと思っているのですが、第何部まで続けるかは現在のところ見通しが立っていません。作品中における時間軸ですが、2000年の時点で真が8歳ということになっています。高校生になった時点で現代(2009年)に追いつく計算です。
 もちろんそれ以降も描いていくつもりでおそらくそれは未来の描写が必要になってくると思います。予言的な意味合いを持たせることは私の力量では不可能ですので、ごまかしごまかしになると思いますが、精一杯やっていこうと思いますのでよろしくお願いいたします。
 あと、感想、アドバイス等、頂けると、とても嬉しいです。
 では始まり、始まり!


16 :蒼幻 :2009/12/13(日) 03:50:18 ID:tcz3sknmPA

★ (2/5)



 澪は一年前の春の新学期、またも父親の仕事の都合で今度は青森に引っ越した。
 真はそれから今まで、別れるときに澪から聞いた住所へ頻繁に手紙を書き送っていた。小学生の恋心なんてあまりにも弱いものでしかないけれど、二人の意思は堅固だった。確かに三年生のころは同級生たちにからかわれたものだ。女と一緒に歩いてるなんて不潔だと云われて。でも、どうして不潔なんだと云いよると、要は上級生たちの受け売りで生理のことを云っていたのであるが、同級生たちがそのことをしっかりと理解しているはずもなく、しどろもどろになるしかなかったのである。
 そんなことは二人にとって、何の障碍にもならなかった。
 あるときは咲き匂う草花に溢れた春先の公園で、あるときは涼しげなせせらぎのある夏の川辺で、そしてまたあるときは冷たい風の吹く秋冬のすすきの原でかじかんだ手を擦り合わせながら、昨日感動したことや思い描いている将来の夢について語り合って時間を過ごした。澪は大きくなったらお菓子をつくる仕事に就きたいといった。
「父さんから聞いたけど、お菓子を作る人のことをフランス語で〈パティシエ〉って云うんだって」と澪はうっとりした表情で告げた。
 真はその〈パティシエ〉という響きに、一種の憧れを覚えた。これまでに習い覚えた日本語にはない独特のやわらかな語感。それはまだ知らないことの多い子供の心に、きっと素晴らしい仕事なんだろうなと云う思いを抱かせた。いつか真君の誕生日に大きなケーキを焼いてあげるから、と川に掛かった橋脚の下で澪は約束したものだった。
「真君はどんな仕事をしようと思ってるの?」と澪は目を輝かせて云った。
 小学三年の真はただ漠然とこう答えた。
「学校の先生になりたいんだ」
「立派な目標ね」と澪は云う。しかしその云い様にさほどの感動は見られない。
 真は本当に教師になりたいと思っていたわけではなかった。しかし、一緒に暮らしている母方の祖父正孝が高校の教師をしているのである。祖父を見ていると、いつもしっかりと前を見据えて、いかに生きるべきかと云うことをわきまえているようで、子供である真の目からでも、その生き方はとても素晴らしいものであるように見えていたのである。もちろん生徒を訓導するとか薫陶するとか、そういう教師職の本質について考えることは、まだ幼い真には無理だった。ただその祖父の姿が格好良い。そう思えるのだった。
 そんな互いの将来の夢を語り合った澪とも別れの時が訪れた。
 出発の前の日、真は澪のマンションに遊びに行った。
 そして連絡先を教えてもらって、きっと毎週手紙を書くから、と約束した。涙も流した。
 それから一年、真は律儀に澪に手紙を送りつづけた。子供の純真である。一度決めたら、余念を挟むことなく継続できることは子供の素晴らしい特質である。澪からも頻繁に手紙が届いた。母の雪美はその関係に心打たれているらしく、ときどき、「健気ね」とこぼすのだったが、真には〈健気〉と云う言葉の意味がまだはっきりとはわかっていなかった。
「ねえ、お母さん」真はある時、母に訊ねた。「澪ちゃんのお父さんやお母さんは仕事が忙しくてなかなか一緒にいられないのはわかるけど、どうしてうちはお父さんとお母さんが一緒に暮らさないの?」
 真はこの前、甲本一郎に云われた〈おまえ、父さんがいないんだってな〉と云う言葉を気にしていたのである。考えてみれば子供は残酷だ。大人なら憚って絶対口にしないようなことでも考えなしに口に上す。真に対する一郎の言葉がそうであるし、雪美に対するこの真の言葉もそうである。
 雪美は困惑の表情を見せる。
「どうして一緒に暮らせないか、か。原因はあるんだけど、まだ真には早いわ。大人になったら説明してあげるから、いまはただ、父さんとは暮らせない、とだけ、わかってほしいの」
「でも、どうしてかくらい理由を教えてよ」真は悄[しお]れたような声を出す。
 雪美は口をうっすら開けて、そこから吐息を漏らした。
 沈黙は真の心に暗い蔭を落とす。
「説明できないんなら、我慢するよ」真は云う。
「ごめんね」雪美は泣きそうな表情で真を見つめる。
「母さんにもいろいろあるんだよね。そして、父さんにも」真はしっかりとした語調で云う。「でもね、クラスの男の子に云われたんだよ。『おまえの家には父さんがいないんだってな』、って。『父さんがいないからもモヤシみたいなんだよ』とまで云われて、僕、悔しかった。でも事実を変えることはできないから、どうすることもできない。ただ疑問だったんだよ。どうしてうちは父さんも母さんもいるのに、一緒に住まないんだろう、って」
「ごめんね」と雪美は繰り返す。
「でもいいんだ。喬兄ちゃんが僕と遊んでくれるしね。それに美都もいる」
 真の気丈な言葉に雪美は涙をこぼした。
「ごめんね、ごめんね」
 それから真は今日届いた澪からの手紙を雪美から受け取った。
 真は雪美を後に残して、美都と共同で使っている勉強部屋に引っ込んだ。
 美都が教科書を開いているその部屋で、さっそく手紙を開封する。
 読んでみると、そこには真の心を浮足立たせる報せが書かれてあった。
『今度の夏休みにそっちへ行けることになりました。お父さんが一日だけしずおか[・・・・]で仕事をすることになったんです。そしたら、真君といっしょに遊べると思うので、よかったら会いましょう。楽しみにしています。OKなら電話でれんらくしてください。電話番号は0×××‐5×‐2×××です』
 澪の手紙はそれからも他の話題が書かれてあった。しかし真は、また澪と遊べると思うだけでうきうきする気持ちをどうにも止めがたかった。
 真は階下に降りると雪美に許可を取り、指定の電話番号に掛けることにした。
 七回のコール音を数えたところで受話器が取られた。
「もしもし佐竹ですけど」電話口の声はすぐに澪のものとわかった。
「あ、澪ちゃん、僕、真だけど」
「ああ、真君!」澪は嬉しそうな声を出した。
 真は自分も嬉しいと云う気持ちを出したかったけれど、どう伝えていいかわからず、ただ要件を述べはじめた。「手紙読ませてもらったよ。今度、こっちに来られるんだって?」
「そうなの。パパの仕事でね」
「うん、どこで待ち合わせする?」真の声には張りがあった。
「そうね。大田公園がいいかなって思ってるんだけど」
「大田公園か。うん、わかった」
「時間は七月二十八日の朝十時がいいかな」
「十時か。ちょっと散歩して、それからごはんは……うちに食べにくる?」
 真は澪に訊ねる。
「んー、あたし、お弁当作って来ようって思ってるんだ。もちろん、真君の分もね。でもあの素敵なお母さんにも会いたいし、どうせなら、二つとも実行したいかな。お弁当外で食べてから真君の家に行くってのでどうかしら?」
 澪は嬉しそうに提案する。
「いいね、それにしよう」と真。「それで、何時頃までこっちにいられるの?」
「パパに聞いたんだけど、夕方までは大丈夫だって。だから、五時くらいかな」
「そうかあ、うん、わかった。なら七月二十八日の朝十時、公園でね」
「楽しみにしてるから」と澪が云うと、真も、
「うん、僕も楽しみだよ」と云った。
 真は名残惜しかったが受話器を置いた。雪美は遠方だから電話代がどうとか云うような親ではないけれど、少しでも澪の心象を良くしておくにはそういうことにも気を配っておくべきである。真はそう思い、積もる話もあったけれど、早々に話を切り上げたのだった。


 待ち焦がれる日があると、時間の経つのは早いもので、あっという間に澪との約束の期日が訪れる。夏休みに入る直前、クラスメイトはみんな陽気に、開放的に、夏休みの予定を話し合っていた。クラスの中で除け者にされていた充は自分の席に座ったまま身動き一つせず、何を考えているのかよくわからない難しい表情をしている。真はその日ももう二十八日のことで頭がいっぱいになっていて、知らず識らず顔がにやけていたのだが、そのような充の姿に出会うと、彼の力になってやれない自分の無力さを思って、卑下感が強まる。あの充のお姉さんである楓にも、充と仲良くしてやってね、と依頼されたのだ。たまに一郎が充を摑まえて難癖をつけているところに出会えば、真はすすんで一郎に喰ってかかり、争いの矛先を自分へ向けて助けてやった。最近では、一郎は真が強情なのをよくよく承知しているので、真がトイレに立ったときや図書室へ本を借りに行っているときを選んで、充に突っかかるのだった。そんなことが繰り返されていたから、充は終業式の日もひとり椅子に座って暗くうち沈んでいたのだった。
 真はその日も充と一緒に下校した。
「夏休み中、充君家[ち]に何回か遊びにいくからね」真がそう云うと、充は蔭りのある表情を少しやわらげて云った。
「うん、いつでも待ってるよ」
 それから充は腹の中に収めていたものを吐き出すように言葉を継いだ。
「真くんはオリエンテーリングには行くの?」
「ううん、いかないよ。充君は?」
「うん、僕もいかない」
「どうして?」と真は訊ねる。
「だって、一郎君参加しそうだったじゃない。僕、いつもあんなだから、もしそこで鉢合わせしたら、酷い目に遭わされると思って」充は泣きそうな表情でそう云う。
「そうだよな。一郎君、どうしてあんなに充君のことを目の敵のように扱うんだろう?」
「わかんない」充は声を落とした。
 真はその彼の様子に言葉を失った。
 やがて、互いの通学路の別れる場所に差し掛かった。
 二人は「また」と云いあい、それぞれの帰路についた。
 真は一抹の淋しさを覚えながらも、もうすぐ澪に逢える喜びを想起してほほ笑んだ。

 二十八日の朝、真はいつもよりも早く目が覚めた。
 遠足の前の日のような高揚感がここ一週間続いていた。それは恋愛の初期症状だったが、もちろん、真は世の中にこんな感情があるなんてことは知らなかった。ただ気持ちが綿菓子のようにふわふわして、とりとめなく、空想の羽で大空を飛んでいるかのような、そんな印象である。朝食を急いで食べて母に叱られたが、落ち着かない真にその言葉は意味をなさない。顔を洗ったり歯を磨いたりと、朝の準備をしてそわそわしだす。雪美には今日が大切な日であることを知らせていた。三時のおやつに手製のデザートをふるまってくれるらしい。いま母は真が小さい頃にやっていたレジ打ちのパートをやめて、知りあいのつてでフリーライターとして身を立てていた。もともと大学でそういう方面の勉強をしていたらしく、世間の評判もなかなかいいらしいということを叔父である喬兄さん[・・・]から聞いていた。
 あまりに落ち着かない真の様子を見て思うところがあったのか、雪美は自分のCDの一枚をプレーヤーに入れて部屋に流した。
「これでも聞いて落ち着きなさい」
 それはサティの『ジムノペディ』だった。
 真はときどきこの音楽を母がかけるのを横で聴いていて、確かに落ち着く曲だ、と感じていた。そんなことを母に一言も云った覚えはないのにどうしてわかったんだろう、と真は怪訝に思ったが、それも母親だからこそかな、と無理から納得した。
 囲炉裏の前に座って曲を聴く真に雪美は砂糖の少なめのアイスコーヒーを作ってくれた。
 真はそれを飲みながら、一年ぶりの澪の姿を想像して心をどきどきさせた。
 ――澪ちゃんはどんな女の子になってるだろう? 手紙のやり取りからも真に寄せる気持ちは純粋なままであることに変わりないのはわかっている。しかし、真は、それ以上に実際に逢ってその人を感じると云うのはまったく別物であるような気がした。それは期待と恐れの入りまじった複雑な感情だった。
 音楽が一周半したところで約束の時間が近づいてくる。
 真はコーヒーのグラスを流しに持って行き、「いってくるね」と母に告げる。
 真は靴を履くのももどかしいと云う様子で慌ただしく玄関を出た。
 途中、何度も早足になり過ぎて、何もない平坦な道で転びそうになった。その様子を人に見られていないかと気にする余裕は真にはなかった。予想以上に心臓がばくばくする。待ち合わせ時間の十分前に公園に到着したけれど、澪は先に来て待っていた。
 澪の姿はあの一年前の澪を縦に引き伸ばしたままで、あの魅力的な優しげな顔立ちは若干大人びてそこにあった。真はその様子を見て、安堵の吐息を漏らす。
「澪ちゃん……」と真は呟くように云う。
 白のワンピースが風に揺れる。一年前より伸びた肩甲骨までの髪をすべらかな手でかきあげる。ふっとほほ笑む。そして声を発する。
「……真君」澪は魅力の増した声で真の名を呼んだ。
「おひさしぶり」と真。
「おひさしぶり」澪はにっとほほ笑む。そしてしばらく真をじっと見て、言葉を紡ぐ。「なんかあんまり変ってないけど、ちょっと男らしくなったみたい」澪は顔を赤くしながら云った。
「そう?」と真。「この一年いろいろあったけど、でも、澪ちゃんの姿を見ると、それまでの逢えなかった時間があっという間に過ぎ去った気がするよ」
「そうだね」
 真と澪はしばらく無言で互いの顔を見かわしあった。
「お弁当持ってきたから、あとで食べよ」澪は手にしたバスケットを胸元に引きあげた。
「ありがとう、お弁当、結構、楽しみにしてたんだ」
「いろいろ作ったんだよ。でも、これまでにあまり作ったことなかったから、失敗してたらごめんね」
「ううん、作ってくれただけで嬉しいんだから」真は肩の力を抜いて澪に告げた。「じゃ、しばらく歩く?」
 澪はそれに同意の頷きを加えた。
 二人は公園の周囲を大きくぐるりと廻ることにする。
 斜面になっている坂をずんずん登って行くと、遠くまで景色を見渡せる高台に出る。からっと晴れた夏空から適度な風が降りて来る。土産物屋の暖簾がはたはたと揺れ、澪の髪も細かくふるえながらもてあそばれた。白いワンピースの裾がふわりと膨らんで、澪はそれを手で押さえる。
「いたずら好きな風ね」と澪は頬を膨らませる。
 真は澪との再会を心から喜んでいた。
 高台を降りると、小さな田畑の続く農地に出る。そこの脇をかすめて建物のある方に一キロほど歩いて行くと、洋品店や雑貨屋、本屋などの並んでいる商店街になる。そこをまた曲ってしばらく歩くと公園に戻って来る。
 真は澪に「どこに行きたい?」と尋ねたが、澪は、
「断然、真君のおうち」と声を張る。
 真はふっとほほ笑んだ。
 ――澪ちゃんは変わってない。――それに僕も変わってない。
 ――僕たちはいつまでもこの関係を続けていられるんだ。


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