屠龍訣


1 :蒼幻 :2008/10/18(土) 10:37:11 ID:rcoJs3VH



 祠の奥底で長い睡りを睡りに睡っていた存在。
 上古には神として人々に認知されていた存在。
 白き蛇を神蛇と崇める風習を持つ民族がいるごとく、この途轍もない能力を秘めた存在もまた力なき民衆によって神と同一視され、崇められているのであった。
 しかし――。
 俺達はいま、その神にも等しき存在に対峙しているのだ。

 俺はこの悪龍の前肢による薙ぎ払いの攻撃で藁屑のように壁まで吹っ飛ばされた。幸い身につけた特注のミスリルの鎖帷子によって肉体に損傷はない。しかし、自分の頭よりも大きな指を持ったこの悪龍の前肢の攻撃は俺の心を摧いてしまいそうなほど兇悪なイメージを植えつける。
 しかし悪龍の攻撃はぎこちなかった。
 それも無理はなかろう。俺達がここを訪れるまで、もう何日も昏迷の睡りの中に落ちていたのであろうから。まだ睡眠から十分に醒めきっていないのであろう。そこが俺達の狙い目でもあったわけだが、こうして龍にダメージも与えられないまま、戦闘時間ばかりがずるずると長引いてしまえば、やがて龍は完全に意識を取り戻し、俺達は絶体絶命の危機を迎えるだろう。そんなことになってはもはやこの祠を生きて出ることは難しい。この龍の守る祠の奥にある財宝を手に入れるなど夢のまた夢ということになる。
「アルム! 特攻をかけるぞっ!」同僚である騎士ゼニムスが両手剣を身体の正面に構えながら、俺に向かって指示を飛ばす。
「特攻って、この状態からどうするんだ?」俺は的確に指示してもらわないと動けないという意味でこの言葉を叫ぶように吐いた。
「私は右手からこいつに襲いかかる。お前は隙を見て左手からかかれ! で、リエーテは二方向からの攻撃に戸惑っているこいつに向かって、注意をさらに逸らせるような魔法を頼む!」
「了解!」と俺。
「わかったわ」と魔道士も答える。
 リエーテはむさい男たちである戦士の俺と騎士のゼニムスと行動を共にする女魔道士である。どうして俺達と一緒にいることを苦にしないのか……それは彼女がゼニムスと同郷であり、心を許せるような気安い感情を持ちながら冒険できるということに尽きるだろう。
 騎士のゼニムスの方はというともともと帝国の軍人であった。形式上騎士とはいっているが、現在では騎士職を解かれ、フリーランスの傭兵である俺と同級のその日暮らしの生活に就いているわけであった。装備は騎士時代のものを流用しているが、かなり激しい戦闘を繰り返してきたため、そろそろ装備の買い替え時だろうと俺は思っているのだが、それが彼の誇りの持って行きどころなのか、一向に新しい装備に乗り換えようという気がないらしい。それが不器用ではあるが、ゼニムスらしい考え方だという気もする。
「よし! では、かかるぞ」と騎士。
 悪龍が三手に分かれた俺達の行動に戸惑いを覚えているうちにゼニムスと俺は攻撃にかかる。
 悪龍は双方向から攻撃を仕掛けてくる俺達に完全に混乱をきたしているように思えた。ゼニムスの右手からの攻撃に備えようとそちらの方を向きながら前肢をぶんぶん振りまわしている隙に、俺が左手からちくちくと攻撃を加える。
 ちくちくというのは龍の巨大さに対して俺達の剣の小ささといったら、蟻がその顎で象を仕留めようという喩えに類似するものがあったからだ。さすがにそこまで大きさに差はなかったが、それでも顔の付いている位置は俺の身長の四倍くらいはあったし、前肢の五本ある指のうちのそれぞれは俺の首の太さよりも大きいのだ。屠龍というものはそのころ、この世界で流行ることのひとつであったが、もちろん、俺達は屠龍の仕事をするのは今回が初めてであったし、屠龍仕事を経験した他の同僚に訊いてみても、これくらいの龍の大きさはざらにあるらしい。これが特別というわけではないのだ。
 俺は完全に右手の騎士の攻撃に翻弄されている龍の隙をつき、できるだけダメージを与えられるようにこれまでの肢の指を狙うという手法を棄却して、肢の付け根であるその厚い胸板を狙うことにした。
 そこで俺は勢いよく突進して、その勢いで胸板に突き攻撃を試みる。
 そのとき、龍が一瞬、俺の方を見た気がした。
 俺は気のせいだと思いたかったが、上を見上げると確かに龍がこちらを向いている。
 そしてこれまでにない大きな咆哮。
 龍は頭をぐっと固定すると次の瞬間なにかを吐きだした。一瞬、それは霧のようなものに見えたのだったが、すぐにそれが何なのか判別がつく。
 まずい!
 俺は龍のブレスを避けるためになんとか回避行動を取ろうと思ったが、龍の胸に向けて突進をかけているいまの行動を途中でやめて引くなんていう芸当は無理だった。どうするか悩む時間など俺には残されていなかった。そして俺の身体は龍のブレスに包まれる。
 身体が灼けるように熱い……と思っていると、その痛みがやけに心地よく感じられた。
 思い当るところがあって後ろを振り返ると、魔道士のリエーテが呪文の詠唱を終え、その魔法の杖を身体の正面から離すところだった。
 これはリエーテの魔法の加護か……。
 俺はこのときほど持つべきは魔道士の友だという金言を思い出したことはなかった。
 自分で自分の身体を観てみると、何か発光体ででもあるかのように身体を優しく包むベールが白金色に輝いている。
「いまのうちよ、アルムハイド! その魔法の効果は数分しか持たない。肉体攻撃には効かないけど、龍のブレスなんかの間接攻撃には完璧な防御能力を持ってるの。この魔法が効いている間になんとか突破口を見つけるのよ!」魔道士のリエーテはそう叫ぶと、いつでも次の魔法を詠唱できるように、再び魔法の杖を身体の正面に構える。
 ゼニムスはその悪龍の攻撃に遭い、防戦気味になってきた。
 俺はこのままではゼニムスが負傷するのも時間の問題だと感じて、どうすれば龍に最大のダメージを与えられるかを考え始めた。
 しかし最適な方法が見つからない。
 とりあえずなんらかのアクションを起こしたくて、俺は先ほどの攻撃を繰り返すことにした。
 つまり、胸板への刺突。
 ゼニムスが奮闘してくれていたおかげで、この龍に気づかれることなく、俺は攻撃を敢行することができた。
 しかし――である。
 俺は確かに胸板を貫けると感じていたのに、その攻撃は龍の皮膚にあたるとするっとその向きを逸らされてしまった。それは奇妙な事態だった。確かに龍の身体を貫けるという自信があったために、肩すかしを食らってしまったような形である。
「ゼニムス! リエーテ!」俺は咄嗟に思い当ることがあって二人に叫ぶ。
「どうしたんだ?」ゼニムスが龍の攻撃をなんとか躱しながら返事を返してくれる。
「だめだ、ゼニムス! こいつにはなにか強力な魔法が掛けられている。物理攻撃を完全に防いでしまえるような強力な魔法だ……」俺はこの龍に掛かっている魔法の偉大さに慄きながら、なんとかこの場から逃げ出したいという気持ちを押し防いだ。
 しかしいまの俺の姿を見て、無様と思う人間の方が多いだろうことは容易に想像がつく。だが考えてみてほしい。完全なモンスターであるクリーチャーに継続的に魔法を掛けるやつがいるとは思えない。つまり、この龍に掛かっている魔法は恒常的に効果を継続する類のものであるはずなのだ。しかし、俺はこれまでにこんなに強力で有用な魔法を常に帯び続けている存在を見たことがない。中堅どころよりもさらに経験を積んでいる仲間のリエーテにしたって肉体防御の魔法は頑張ってみても五分がせいぜいだし、他の魔道士にしたって――そう史上最強の魔道士と昨今噂されている白の大魔道士ゼディクスにしたってこのような強力な魔法を張ることは不可能だろう。つまり、この龍に掛けられた魔法は途轍もなく強力ということがいえるのだ。
 龍――ドラゴン――史上最強のモンスター――クリーチャー。
 このような存在に魔法を掛けている可能性のある存在と言えば、これはもう造物主しかあるまい。造物主の意思がどのようなものであるか浅薄なる知識しか持たぬ我々人間には想像することすらできないことであるが、しかしこれだけは言える。
 龍は悪だ。悪に加担するということはいくら造物主であろうと許すわけにはいかない。しかしこうも思う。果たして悪とは一方に偏る歪んだ思想なのだろうか? このところ流行るものに小説というものがある。そこでは世界の大いなる天秤を秩序と混沌という二元に凝縮し、そのつり合いを保つところに世界の妙味があると記されていた。存外、善と悪というのもその世界の釣り合いをとっている天秤の双方ということになりはしまいか? しかし、それは戦士である自分には必要のない知識だと思われた。いまは命を賭けた戦いを行っている。気を抜けば自分という存在が無くなってしまうのだ。永遠の闇に覆われる昏迷の精神。死後人はどこへいくのだろう? そんな不謹慎なことを考えていると知ったら、ゼニムスもリエーテも俺の戦士としての能力を疑うだろう。
 いまは決められた仕事を行うべきなのだ。
 俺は剣が効かないと知ると、リエーテの魔法能力に頼ることにした。
「リエーテ! 弱点と思われるところに狙いを絞って攻撃魔法を掛けるんだ!」俺はこれだと思い、しっかりとした語調でそう叫んだ。
 その時だった。
 重厚なというか、荘重な雰囲気を帯びた声が頭上から降り注ぐ。
「お前たちは神々を冒涜するかのような行いをしているということに思い当らぬのか?」
 それは確かに頭上から降り注ぐ声だった。
 しかし冷静になって考えてみると、それはどうやら龍のいる辺りから聴こえてくる。
「戦士よ! そなたにはもう少し知恵が必要なようだな」
 俺は驚く。声とともに龍の禍々しい牙の立ち並んだ口が動いている。この龍がしゃべっているのだ。俺は驚きを隠せなかった。確かに小説では龍が人語を解するという話を読んだこともあったが、まさか本当にそんな龍が存在していたなんて……。あながち小説も嘘ばかりついているわけではないのだ、ということをこのときばかりは信じる気になったものだ。
「龍よ、そなたの存在は邪悪だ! ここで止めを刺させていただく!」騎士のゼニムスはこの龍が喋れると分かった後でも対立する意識を収めず、持っている両刃剣を思い切り振りかぶって力任せに龍の後ろ足の付け根に振り下ろす。
 しかし両刃剣は硬質なキィィィーンという音を立てて根元からぽっきり折れて向こうの方へと飛んで行ってしまった。俺はゼニムスの唖然とする顔に出会い、なぜか微笑みが顔の表面に上ってくるのを感じていた。
 直感的に、この龍は悪龍ではないと感じたからかもしれない。物理攻撃が効かないのなら頼りはリエーテの魔法だけだったが、彼女も龍の言葉を聞いて、それ以上攻撃をする気をなくしたようだった。
「ねえ、あなたに名前はあるの?」女魔道士は女性らしい柔らかな語調で自分の杖を身体の正面から離しながらそう訊ねる。
 龍は心地よさげに目を細めた。これまでにない寛ぐような態度だ。
「吾が名はアラドール。真実の門という意味の古語だ」
「古語!?」リエーテは徐に反応する。
 龍は怪訝そうにさらに目を細めて、一度、口を大きく開いてまた閉じる。サメの牙でもここまで凶悪そうではない。俺はそんなことを考える。
「古語と言えばもう限られた人以外使えないんじゃないかしら。それも古代の洞窟なんかに描かれた石削文字を研究しているような一部の学者……。あなたはその古語をいろいろと知っているの?」
「吾はもう数千年を生きてきた存在だ。吾が一族は神々とともに繁栄してきたといわれている。吾が生まれたときにはもう神の片鱗などどこにも見られなかったが、先ほどもそなたらが試した通り、吾が肉体には絶対神の祝福ともいえる神通力が込められている。そなたらの剣が無用の長物となるような強力な神通力だ。吾が一族にはそのような魔法の庇護のもと生活をしているものが多数ある」
「龍とは本来神に祝福された存在ということですか?」リエーテは思うところがあるのか、この問題についてやけに食い下がろうとする。
「そうだな……そうありたいとは思うのだが、残念ながらそれだけではないのだ」神龍アラドールは語りにくいことを語るときのあの深刻なまなざしをしながら口を開く。「もともとの吾が一族の中に性根はまじめだが野心を抱いていた者がいた。そいつがその心の暗部をとある女魔道士に見透かされ、誘惑された。そいつは群れから離れ、まだ子供だった多数の雌のドラゴンまで連れて行ってしまった。そいつはそこで女魔道士の言いなりになりながら子孫を増やし、生まれてきた子ドラゴンに女魔道士直伝のこの世に対する悪意というものを植え付け、世に放した。上古には確かに龍は神の使いとして崇められる存在であった。しかしそのような悪意をもった龍が世に放たれるようになって、人々の龍に対する評価は失墜した。それが現在の屠龍観となってそなたたちもここへやってきたのだろう」
 そういわれて、俺達はぐうの音もでなかった。
「しかし――そんなことはどうでもいい。悪龍はやがて人間によって駆逐されるだろう。それはもう心配の要らぬことだ。だが――。そのことに怒りを覚えている龍もいるのだ。善龍も悪龍もひとつの種族、その龍族を蹂躙するような真似をする人間を許しておくわけにはいかぬ、と考える過激派勢力だ。吾は彼らの動きに対して牽制をかけたい気持ちがある。どうだろうか? 吾に協力をしてもらえぬだろうか?」
 龍アラドールの申し出は奇妙なものだった。だが、この神龍がせっぱつまった立場に置かれていることも推測することができた。もしその話が本当なら、人間はいま種の危機を内包していることになるのだ。もし数多いる龍族が一致団結して人間に牙を剥いたら? 想像するだに恐ろしい出来事だった。だが、疑問も残る。いったいこのアラドールは俺達に何を望んでいるのだろうか?
 しかし、その疑問はすぐに解消された。
「この祠の奥の宝物庫に神々に祝福された装備が睡っている。それをそなたらに譲ろう。その装備を持って、悪にそそのかされた龍を目覚めさせてほしい。それは難しく、そしてとても酷なことかもしれない。でも、誰かがやらねばならぬのだ。吾も有事には戦闘に参加しよう。もちろん味方としてな。さあ、吾が後ろの扉より進み入るがよい。くれぐれも注意してくれ。どれも吾が命を瞬時に奪えるようなドラゴンバスター用の装備だ。そなたらがそれを持って活躍する日を心待ちにしている」そう言うと、龍は口辺を歪めて笑ったように見えた。
 俺たち三人は洞窟の奥へと向かう。そこに置かれている古代の遺物。神々の聖戦に用いられたとされるオリハルコンの武器が眠っているとも知らずに。
 そしてそれがこれから始まる俺達の長く激しい戦いの幕開けでもあったのだ。


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