戦国


1 :蒼幻 :2008/05/10(土) 21:04:07 ID:nmz3zmrc

第一編『初陣』
第二編『洗練』
第三編『改名』

浅井長政ものです。GAIAではあまり流行らない歴史物ですが、
精一杯頑張りますので、よろしくお願いしたします。


2 :蒼幻 :2008/05/10(土) 21:05:02 ID:nmz3zmrc

上 初陣



 ――さて、如何致したものか……。
 初陣の逸る気持ちを抑え、賢政は伝令からの報告を待った。
 いつでも出撃できるように、賢政はすでに連銭葦毛の騎乗馬の上だ。手綱は右手に、竜頭の兜に、赤地の錦の直垂、蝶の裾金物打った赤色縅の鎧に、白銀作りの太刀、切斑の矢と左手の重藤の弓を持った姿は颯爽たる若武者そのものである。
 祖父亮政の代から、領土を掠めようとこの北近江の地にしつこく侵攻してくる六角氏を幼い頃から憎んでいた賢政は、初陣の日を一日千秋の思いで待ち焦がれていたものだった。
 七年前の天文二二年(一五五三年)、講和条約を締結して一旦は六角氏と和睦した浅井氏ではあった。しかしそれは、和睦とは名ばかりの苦渋に満ちた降伏に近いものであったことはいうまでもない。講和条約の条件として、猿夜叉という幼名を改め、六角氏の首魁、義賢の一字を受けて、賢政と名乗らされたと同時に、六角家家臣平井定武の娘登代との婚約を迫られた。
 結局、登代とは六年後に婚儀を挙げることとなる。
 その結果――。
「我儕があの宿敵六角の風下に立つなど、到底我慢ならぬこと。あの登代とかいう姫も送り返すが宜しかろう」
「そうじゃ、そうじゃ」
 家臣浅井石見守、浅井玄蕃、赤尾美作守、木村日向守等の反対を受け、賢政は十二歳の登代姫を平井定武のもとに送り返した。
 それに激昂した六角義賢と平井定武は、翌五月、浅井方百々内蔵助の守る佐和山城を攻撃する。つまり、講和条約の破棄である。
 それからは佐和山城、高宮城、肥田城と六角氏は浅井氏の居城を攻め取ろうと果敢に侵攻し、浅井氏もそれに応戦した。
 賢政はその頃から、早く自身も戦場へと赴き、敵を倒して味方とともに戦勝を喜び合いたいと考えていたのだった。
 浅井軍は兵力こそ六角氏に劣るものの、先の浅井石見守、赤尾美作守、また、磯野丹波守員昌といった武を以て聞こえる将を多く有していたために、打ち続く戦乱の中にも、自領を守り通すことができていたのだった。
 永禄三年(一五六〇年)、賢政は十六歳で初陣を果すこととなる。
 相手は当然、六角軍。
 美しい若武者ぶりの賢政は初陣に逸る気持ちをどうしたものかと考えた。冷静になるために、頭の中で幼い頃から学んできた孫子の兵法を反芻していた。
『其れ兵の形は水に象る。水の行は高きを避けて下(ひく)きに趨く。兵の形は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて行を制し、兵は敵に因りて勝を制す。故に兵に常勢なく、常形なし。能く敵に因りて変化して勝を取る者、これを神と謂う。故に五行に常勝なく、四時に常位なく、日に短長あり、月に死生あり』(そもそも軍の形とは水の形のようなものである。水の流れは高い所を避けて低い所へと走るが、そのように軍の形も敵の備えをした実のところを避けてすきのある虚の所を攻撃するのである。水は地形のままに従って流れを定めるが、そのように軍も敵情のままに従って勝利を決する。だから、軍にはきまった勢いというものがなく、またきまった形というものもない。うまく敵情のままに従って変化して勝利をかちとることのできるものが、はかり知れない神妙というものである。そこで木・火・土・金・水の五行でも一つだけで勝つというものはなく、春・夏・秋・冬の四季にも一つだけでいつでも止まっているというものもなく、日の出る間にも長短があり、月にも満ち欠けがあるのだ)
 賢政は落ち着いて戦の現状を見極めようとした。折しも旧暦八月十五日、もう秋の気配も深まるススキの群生も目立ち始めた犬上近在の地勢であった。
 味方の軍一万一千。対する六角軍二万五千。
 どう考えても味方の劣勢である。
 戦いの始まりは宇曽川の両岸であった。浅井先陣百々内蔵助と六角先陣蒲生賢秀の衝突である。
 賢政は両軍が戦い始めたとの報告を受けただけで、肝心の戦闘は視界のはるか向こうで繰り広げられているため、目を凝らさないと、それとはっきり見えないでいる。
「百々内蔵助、討死!」
 その報告が飛び込んできたのは、戦が始まってから五時間もした頃だった。
 百々を討ち取られた浅井軍は勢いを無くし、六角軍に攻め寄せられる。
 ――やるなら今をおいて他にあるまい!
 賢政は声を出さずにそう断ずると、後陣の左右に下知して軍勢を二手に分ける。安養寺の一隊は蒲生軍にあたり。賢政を含む残りの精鋭は六角本体を急撃する。
 賢政は幼い頃から磨いてきた武芸の腕を恃んで六角の兵士をつぎつぎに屠っていく。
 まさに獅子奮迅の働きとでもいうもので、その猛将ぶりは、味方の士気にも影響を及ぼし、敗戦の気配濃厚だった浅井軍の心に再び火をつけ、六角氏を次第に劣勢へと追いやった。気がつけば六角氏は敗走しており、後には六角軍の屍が多数散乱しているというありさまだった。
 賢政はその白銀作りの太刀を鞘に収めると、勝鬨をあげた。
「我儕が浅井軍、仇敵六角を打ち破ったり! えい、えい、おう」
 それに鼓して味方が吼える。
 場は戦勝の祝い一色となり、味方はこれで意気揚々と城に引き上げられると喜んだ。
 しかし、賢政は今日の戦いの犠牲者、百々内蔵助のことを思い返す。
 浅井氏の先陣を勤めていたことからも、この百々が浅井軍のなかでも、非常に重用されていたことは想像に難くない。百々には幼い頃から文武に限らず、様々なことを教わってきた賢政だった。それは赤尾美作守にしても、磯野丹波守にしてもそうなのだが、とても大事な武将を失ったことに変わりはない。無念という他ないが、人の生死は戦の常であり、一人失ったからといっていつまでも慨き悲しんでいれば、そこを敵につけこまれて国全体を滅ぼしてしまうかもしれないのだ。それは解っている。解っているが、初陣にて同じ騎馬を並べた武将が果敢なく散っていったのだと思うと、賢政はどうにももやもやした、言葉で言い表すことのできない沈痛な感情に支配されるのだった。
 賢政はその夜、居城である小谷城の自室に帰ってからも、寝付けないでいた。
 吉凶禍福は世の常、それはわかっている。
 しかし、人の生死を軽々しく考えてはいけないのだとは、常々、思ってきている。
『怒りは復た喜ぶべく、慍りは復た悦ぶべきも、亡国は復た存すべからず、死者は復た生くべからず。故に明主はこれを慎み、良将はこれを警(いまし)む。此れ国を安んじ軍を全うするの道なり』(怒りは解けてまた喜ぶようになれるし。憤激もほぐれてまた愉快になれるが、一旦戦争をしてもし失敗したとなると、亡んだ国はもう一度たてなおしはできず、死んだ者は再び生き返ることはできない。だから聡明な君主は戦争に付いては慎重にし、立派な将軍はいましめる。これが国家を安泰にし軍隊を保全するための方法である) 孫子の一節を思い返す。
 賢政は本当にそのとおりだと、上古の兵法家孫子の言葉を実感する。
『死者は復た生くべからず』
 覆水盆に返らずともいう。物事には一度起こってしまえばどうしようもないことが沢山あるのだ。
 賢政は百々のことを考えるのはこれっきりにしようと思い切った。
 何もせずとも夜は更けていく。
 賢政はその夜、初陣でいつにもまして疲弊した肉体を床に横たえて、長い夜を睡りに睡るのだった。


3 :蒼幻 :2008/05/17(土) 17:38:40 ID:nmz3zmrc

中 洗練



 伊吹山が薄っすら雪化粧し、大陸蛮土からの北風がこの小谷に吹き降ろす季節。
 一年のうちで最も厳しい季節の到来が察知され、今年もまた例年通り雪の日が多いのだろうかと賢政は思念する。
「あの六角も寒さには堪えられぬと見えて、あれから一度も攻めては来ませぬな」赤尾美作守が表情を緩めながら、主上である賢政に申し述べる。
「しかし休息は束の間。雪さえ解ければすぐにでも奴らは蠢動を始めるだろう」賢政は別のことを考えていたが、戸惑うことなく美作守の言葉にすぐに返答する。「美作守、越前の朝倉は頼りになる存在だが、いったい、朝倉はこの世をどうしたいと思っておるのだろうな?」話頭を転換して訊ねる。若干、十六歳の賢政も自身がこの北近江の支配者であるということを意識しているのか、近隣諸国の大名の動静には気を配っていると見え、その質問には真摯な響きが籠もっている。
「朝倉氏は公家の出」赤尾美作守は言葉を続ける。「義景殿は帝を奉戴しようとか、将軍になって天下に号令をかけようとか、そういった所謂覇業とは無縁の御仁でござる。儂は見たことはあり申さぬが、この小谷にやって来る行商人らから、越前の城下町は小京都と呼ばれ、それは見事な美しさと伺っております。朝倉は支配力の及ぶ今の土地を守りたいとの気持ちだけで一杯でおる様子」
「六角のような支配欲はないということか……」賢政は言わずもがなのことを口にした。「それでは京は? 美濃は? 尾張は?」
 賢政はつぎつぎと疑問を口にする。
 赤尾美作守は賢政の質問の真意を悟ったらしく、それに答える。
「京は先頃の打ち続く戦乱で民草の感情も蝕まれているとのこと。いまや将軍とは名ばかりで、京極やら三好やらが干渉しておるそうです。そして美濃は斎藤道三の息子義竜が家督をついで稲葉山城で諸国の動静を窺っておるそうですな。そして最後に尾張ですが、今年に入ってから駿河の今川義元を桶狭間にて奇襲し、これを討ち取ったとのこと。うつけとの評判は諸人の見誤りで、実は大器を隠しておったようにも見えまする。癇癖の持ち主とのことですが、それは非凡なる才能を内に秘めてのことやも知れませぬ」
「そうか……織田信長か……」賢政は心中にわだかまる彼に対する感情が否定的なものでないことを意識していた。

 翌永禄四年春二月――。
「我儕はこれより、六角と一戦交えようぞ!」
 賢政はそういうと、南進を試みた。
 しかし、急遽国許から伝令が到達し、美濃から斎藤の軍勢が攻め込んできて上平寺の刈安尾城を落とされたと報告した。
 それを聴いた賢政は即、南進を取りやめ、父の久政らを小谷に残留させたまま、佐和山、高宮、肥田の各城の防備を整えた上で、兵七千を率いて美濃路へ出陣する。
 先陣は浅井軍が誇る戦上手磯野丹波守員昌、賢政は本陣である五番隊に位置する。
 刈安尾城はあっという間に落ちる。浅井軍は敗走する敵軍を追って関ヶ原、垂井、赤坂と進み、方々に火を放っていく。これまでほとんど戦争という戦争をしてこなかった斎藤軍と毎年六角軍と戦っている浅井軍とでは、戦にかける意気込みも雲泥の差である。浅井軍は斎藤軍を凌駕し、大垣城をいまにも落とさんとする勢いである。
「この城は早晩落ちましょうぞ。残る軍といえば、稲葉山城の六千。美濃など怖れるに足らず。美濃を支配下に置けば、我が国は近在に稀に見る大国となりましょうぞ」舌鋒爽やかに語り、口辺を緩めて笑う赤尾美作守は本陣に付いて戦況を窺っていた。
 浅井、斎藤両軍は美江寺川付近で衝突し、川を両軍の血で染める結果となった。それでも浅井軍優勢は変わらず、百七、八十を討ち取る。
 数日の激戦の後、斎藤義竜は稲葉山城の運命も旦夕に迫ったと覚悟し、和議申し立てを行なうことにした。
 しかし、泡を食ったのは浅井軍だった。
 国許からの知らせで、六角軍一万が犬上に進軍してきたというのだ。
 賢政は即断する。
 ――美濃を支配しても佐和山城を奪られては小谷城も危うい。城主の磯野丹波守はこの美濃攻めに連れて来ているし、いまのままではむざむざ佐和山城を六角の手に明け渡すようなものだ。
 賢政は赤尾美作守を殿(しんがり)の大将とし、一路、北近江へと向かう。
 美濃から取って返した浅井軍を待っていたのは、佐和山城占領の報せだった。
 報告によると磯野丹波守の留守を守っていた百々壱岐守が自害に追い込まれたらしい。六角軍は美濃からとって返してきた磯野丹波守の旗印を観て、味方との連絡を分断されて佐和山の城に残されることを怖れたらしく、すぐに南方へと退却を始めた。
 磯野軍は逃げ遅れた兵士十数名を討ち取っただけで、あとは佐和山へと入場し、味方の被害を検分するのだった。
「今回は六角にしてやられましたな……」
 小谷の居城に戻った浅井賢政が椀で湯を飲みながら一息ついていると、頼りになる家臣赤尾美作守が全く以て忌々しいというようにいった。
「まさしく傀儡を操る巨悪。このような卑劣な業を思いつくとは、油断ならぬ」賢政は今の心境を明らかにする。
 ――確かにあの美濃の斎藤勢が我が領土に攻め込んできたときに気づくべきであった。これまで一度たりとも領土に攻め込んでくることのなかった斎藤軍が浅井に対して悪感情を持っていたとは考えにくい。計略の怖れあり、とその時に悟るべきだったのだ。確かに己は一時、美濃一国を支配できるのではないかと考えていた。あのときの美作守の話にもあったように、北近江と美濃、この両国を手に入れることによって我が浅井軍は近在にも稀な大国となるだろうとの欲心を起こしていた。してみると、現在のこの状況は浮かれていた己れの心を戒めるための試金石か?
 賢政は落ち着いて考えてみた。
 ――現在、六角軍に太尾山城を奪われたままである。佐和山城は立地条件もあって早々に我が軍に明け渡した六角軍ではあったが、太尾山城は六角の領土に近く、その城を奪った六角軍にしてみれば、得意になるのも仕方のないというものか……。
 賢政はそれから味方の失策のことに思いを馳せる。
 ――伊賀の忍者を用いて火をかけ、夜襲を決行しようとしたまではよかった。しかし、その内容が目も当てられない。
 それはこういうことだった。
 まず箕浦城主今井定清に作戦の指揮権を与え、そこに島秀安、岩脇筑前守、神田修理亮らの四百八十の兵を率いさせる。そして定清は佐和山城主磯野丹波守員昌に援軍を頼み、与力二百名を供出してもらったのだった。
 作戦は七月一日の深夜、敵の城深くに忍び込んだ伊賀忍者の部隊が火を放つ手筈であったのに、丑の下刻になっても一向に火が上がらない。痺れを切らした味方は浮き足だったが、そのとき、島秀安が今井定清に進言した。
「約束の時刻を過ぎたというのに、一向に火の手が上がりませぬ。何かあってはなりませんから、今井殿はひとまず、退却なさっては?」
 その言葉を受け容れた今井定清は箕浦城に取って返そうとしたが、その途上、太尾山城から火が上がっているのを見つけた。引き返してきた今井定清は島秀安に出し抜かれたことを不覚に感じていたから、磯野軍の誰何する声にも返答しなかった。磯野軍は途中から現れた今井の軍勢を敵の加勢と勘違いして倒し始めた。
 やがて夜が明ける。すると倒れているのは味方の軍勢ばかり。その時になって、同士討ちの不覚に陥ったことに気づいた磯野、今井両軍であった。
 賢政はその報告を聞いたとき、これは天地人のなかの人の被害であると感じた。天にも地にも不備は無かった。ただ味方の誰何する声に返答してさえいえば防げた被害である。しかし、極限状態にある戦争という状況に身を置いているとき、人の心は予想もつかない力に影響されてしまうのだ。それは電撃に感電するかのように、一人の心に生じれば、全軍がそれに影響されてしまうような、途轍もない力を持っているのだ。
 賢政は磯野員昌に不覚にも討ち取ってしまった今井定清の一族に対して起請文を送らせたが、今回のことといい、美濃のことといい、仕方のないこととはわかっていても、その苛立ちをどこにぶつけていいのか分からない。
 兎角、この世は度し難い。
 そう思わずにはいられなかった。


4 :蒼幻 :2008/05/18(日) 13:58:40 ID:nmz3zmrc

下 改名



 折しも、時は永禄四年、五月初旬。
 美濃の大返しを成功させた賢政は、井口越前守、赤尾美作守ら重臣たちと会議を開いていた。そのなかで赤尾は、「美濃での采配、見事でござった。この際、賢政様のお父上久政殿にはご隠居いただき、我儕は若殿に三代目を継いでいただきたく存じまする」と申し述べた。
 賢政は逡巡する。
 ――確かに父上は政治にも疎く、秀でた武勇があるわけでもなく、国内の統治を行うのにも手一杯といった様子である。しかし、だからといって、親子の則(のり)を越えてこの賢政が一国の統領となってよいものだろうか?
 賢政はその申し出を断ろうとしたが、引き続き美作守が進言する。
「真昼間から能楽に現(うつつ)を抜かし、夜は都から城下町に流れてきた白拍子の遊女を抱いて放蕩三昧、とてもではないがこんな婆娑羅好みの久政さまでは、一国を保つのも危うかろうと思われまする」
 賢政はしばらく考えた。
 その様子を見て、美作守はさらにもう一歩踏み込んで日ごろの鬱憤を晴らそうとする。
「それにつけても、若殿の名前じゃ。賢政さまの名は、地頭山の敗戦後の屈辱的な条件下にてやむなく名づけられたものであるからにして、六角と断交した今であれば、改名をなさるのがよろしいかと……」
 賢政は少し表情を曇らせながらも、一時の緊張の面持ちは消えていった。
「それは私も考えていた。しかし、どのような名をつければ良いであろうか?」
 美作守が続ける。
「それならば、現在、若殿から見られて、心に通じるもののある武将はおられませぬか?」
 賢政は今度は間髪をいれずに答える。
「それならば、昨年五月に桶狭間の合戦で今川義元を討ち取った尾張の織田信長であろう。織田信長こそ、私が武勇にあやかりたい名将であると思うがいかがか?」
「それは良き思し召しでござる」赤尾美作守は声を張って宣言した。「儂も常々、尾張の織田信長とは手を携えて美濃の斉藤を打ち滅ぼすべきと心得ており申した。つきましては、我が浅井家の一人(いちにん)に安養寺三郎左衛門という男がおり申す。その男の知人に不和河内守という男がおって、この男、織田家の家臣でござる。よって彼に使いして此度の改名のこと、許可を求めるということでいかがでござろう?」
「良きに計らってくれ」賢政はそういうと、すべてを美作守に任せたと言い置き、その話はそこまでとなった。
 賢政は会議が終わった後もしばらくその場に残って、今のことを考えていた。
 織田信長は強敵今川を奇襲にて破ることとなった。翻って、この江北の周辺にそのような勇を持って鳴る武将が居るだろうか、と考えた。朝倉にしても斉藤にしても六角にしても、どこか小人という気がして、この戦さの世を渡って行くには心許ないところがある。強敵に出くわしたなら、すぐに滅してしまうような存在だと思われて仕方ないのである。しかも敵方に攻めこまれたとしても、恥を受けるのを嫌って自刎する勇気もないのではないかと思われてくるのである。
 自分はどうだろうか、とも考える。確かに城の周りを敵に取り囲まれ、進退窮まったと思ったら、自刎して果てることが出来るだろうか? それは自分にもわからないことだった。しかし、この戦続きの世の中で一国の主ともなるのであれば、いつでも自刎できるだけの覚悟は持っておかねばなるまい。そう考えると、いまの会議の父久政を隠居させるという美作守の考えも視野に入れておくべきであろう。あの美作守の剣幕を見れば、早々に跡目を引き継ぐことになるのは目に見えている。
 賢政は清水谷の浅井邸を出ると、気分を落ちつけようと小一時間ほど近在を馬で駈けるのだった。

 五月十六日の正午から、賢政の改名披露を兼ねた浅井家繁栄の祈祷会が、木之本地蔵尊にて執り行われた。それに先駆け、赤尾美作守は尾州の織田信長に次のような内容の文を宛てた。
 曰く、信長殿の長の一字を頂き、長政と名乗りたい、と。
 その文を受け取った信長は喜んでこれを承諾した。
 賢政改め長政は家臣皆の前で、これから長政と名乗ることにしたから、そのつもりでいてほしいと宣言する。そして、浅井家家臣のたっての願いから、長政は浅井家の三代目を継ぐことになった。長政十七歳、蝉の声も煩くなりはじめた夏のことである。
 それから祈祷会は佳境に入り、襲名披露、相続のあとに、長政の発起によって百韻の連歌会を催すことになった。
 初めは地蔵尊住職の浄亜が発句を詠む。

   近き江は陰さえなびく柳かな

 近き江とは近江のことであり、柳とは木之本ゆかりの木である。
 次は長政の番である。長政も自身、幼い頃から習い覚えた文芸を披露するかのように、見事な付け句を創出する。

   朝日長閑に映る真砂地

 朝日とは浅井のことであり、長閑の長と真砂の政で見事に浅井長政という名前を句に詠みこんだのである。その場に居並ぶ家臣一同はその長政の文武両道に秀でた才能に感嘆させられた。長政はその他にもさまざまな佳句をこの祈祷会の連歌会にて残したのであった。

 永禄五年四月、浅井長政はある一つの驚きに遭遇する。
 家臣安養寺三郎左衛門が織田家家臣不破河内守の訪問を受け、信長の意向を伝えたらしい。
 いま安養寺は浅井邸に参上して、そのことを主君に申し上げているところであった。
「殿、またとない良縁でござる、尾州の織田信長殿の妹御お市さまを殿の嫁にといってきておるのでござる」
 長政は嫁と聞いて、六角家家臣平井定武の娘登代のことを思い出す。
 思えば、自分は結婚に対してこのときから否定的な考えを持つようになったのだ。
 しかし――。
 長政も諸国の大名のお市を所望したいとの声が大きいことを知っていた。そのお市を自分の嫁にという織田信長に対して親密な感情を覚えるのは自然なことだった。それに、登代のときは殆ど強制的な取り決めによるものであったが、今回は違う。断ろうと思えば断ることも出来るし、万事を決める権利は自身にあるのだ。そのことは長政を少なからず安堵させた。
 そして長政は決心する。改名の折にも武勇にあやかりたい名将として信長の名を挙げたほどである。その信長と義兄弟になる願ってもない好機なのである。長政はその申し出を受けることにした。
 そのように安養寺に伝えていると、先に隠居した久政が部屋に入ってきて、申し述べた。
「美濃の斉藤、江南の六角を討つには織田家との同盟は好都合じゃが、我儕には先代よりの越前の朝倉との固き盟約がある」
 その場に同席していた木村日向守が口添えする。
「仰せはごもっともでござる。その点は織田殿にご了承頂き、朝倉とは事を構えぬよう確約を取り付けた上で受諾するがお家のためでござろう」
 それらを申し伝えた上で、不破河内守は安養寺三郎左衛門と河毛三河守、中島惣左衛門の三名を同行して清洲城で信長と面会し、織田・浅井同盟の誓約書に調印し、両家の婚約の成立を伝えた。
 四月下旬、お市の方は小谷城に輿入れをした。
『(彼女の)顔色の麗しいことは芙蓉の露にいたむ風情』(太閤記)と記されている。
 この小谷が織田家の手によって落ちるのはこれより十一年後のことである。


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.