桜色の奇跡


1 :蒼幻 :2008/02/10(日) 16:24:21 ID:nmz3zmrc



 戦国時代、毛利元就が自分の息子たちに説いたという三本の矢の話を聴いている最中に、どうしても眠気が襲ってきて、私はいけないと思いながらも、その目蓋の閉じるのを避けられなかった。抗いがたいその真綿のような心地よい感覚は、まるで私を恍惚境にでも連れて行こうとするかのように、波になって押し寄せる。そのうち、首がかくっとなって、眼を覚ます。そして、また教師の話を聴きながら、うつらうつらを繰り返す。もう何度目になるかわからないかくっをした後で、私は気分を変えて、視線を彼方へと彷徨わせた。
 チャイムが鳴る。起立、礼、着席。
 級長が声をかけて授業の最後を締めくくる。私は席につくと、あと一時間で今日の授業も終わるという事実に励まされ、帰ったら何をしようかと、いろいろ空想してみた。そのうち、親友の朱美が私の席までやってきて夢想気味の私に声をかけた。
「ねえ、理紗」朱美は私の名を口にした。
「うん?」私は魅力的に見えるよう、毎日鏡の前で練習している最高の笑顔を朱美に向けた。
「今日も直で帰るんでしょ? 時間があるなら、私に付き合ってほしいんだけど……」
 私は断わる理由もないので、朱美の申し出を受けることにした。
 でも、何の用事だろう? 私はちょっと考えてから訊ねた。
「いったい、何なの? 気になるんですけど〜」
「ふふっ、それは後のお楽しみ」
 朱美はそれだけ云うと、隣のクラスに帰っていった。
 朱美は小学校、中学校と、私と同じ学校に通っていた女の子で、私とは、いわゆる幼馴染というやつだった。小学校高学年のときに私がいじめられてクラスから孤立していたとき、そのいじめの撲滅を誓ってくれた朱美の勇気には本当に頭が上がらない。そのとき、私は朱美が友達で本当に良かったと感じたものだ。それは助けて貰えるからというような利己的な満足とは異なっている。いじめられても、いじめられなくても、終始一貫した態度をとってくれた朱美の人柄に惹かれ、朱美のためならなんだってやってやるという気持ちになるのは、なんといっても、私自身が朱美のことを無二の親友と思っているからに違いない。そんな気持ちは他の誰にも抱かない。
 私はこの高校に入ってからというもの、朱美と一緒の高校に入れたことに感謝している一方、いじめの主要メンバーだった同級生がみんな他の高校に進学したことを神にも祈りたくなるほど嬉しく思っていた。そして一年半、私はいま、高校二年生である。
 六時間目は退屈な英語のリーダーだった。教科書の文章を訳すことを毎日の課題――宿題ともいう――にしている英語のリーダーだけど、家で一通り文章を訳しておけば、あとはその繰り返しだから、授業に集中できないのは当然だった。私はなにか新しいもの、新しい知識を求めていた。私の知的好奇心は、多方面に向かっていたけれど、二度手間のリーダーの授業は、私の性格に合わなかった。
 五十分の授業は時が緩慢に過ぎていった。日本史の授業のように眠くなることはなかったけれど、退屈さ加減といっては、日本史とリーダーはいい勝負だ。授業時間が三十分を越えた辺りで我慢は限界に達し、私は窓の外の、体育でサッカーの授業を行なっている他のクラスの生徒を見て時間を潰した。残り五分はそれこそ途轍もない粘着力をもった緩慢な時間が流れていた。私はチャイムと同時に深呼吸を行なった。そして、教壇の前に立つ先生に全員で礼をして、今日は解散と云うことになった。
 授業を受けているときとは違って、放課後には独特の雰囲気がある。どう云えばいいのだろうか? どこか通気孔から空気が通ってくるかのような、何か真新しいことに直面しているときに感じるドキドキ感? そのようなものが身の回りに粒子となって漂っているような気がする。私は席に座って、しばらくそのまま、他の人たちの行動を観察していた。
「よっ、理紗! 待った?」見ると、いつの間にか朱美が教室に入ってきていて、私の正面に立っていた。
「ううん、待ってないよ〜」私はにっこりと微笑みながら、朱美に答えた。
「じゃ、行こっか」朱美は一度、教室をぐるりと見回してから、そう云った。
 私はカバンに教科書やノートを入れると、席を立った。
 朱美と階段を降りているときに、ふと気づいた。
 ――朱美……背が伸びてる。
 私の身長は一六〇センチ弱。その私から見ても、朱美の身長は、私のそれを超えていそうな様子だった。私は何も云わずに、朱美の後姿を凝視した。そして、何か、私はこの親友に置いていかれているような印象を持ったのだ。
「それで……どこ行くの?」私は自分のもやもやした気持ちを振り払って、朱美に訊ねた。
「ふふっ、後のお楽しみって云ってるでしょ」朱美は含み笑いを漏らす。
「うう〜っ」私は咽喉の奥を震わせて唸る。
 玄関で靴を履き替え、私たちは駅前に向かって、いつのも通学路を歩き始めた。そしていくつかの交差点を渡って、いつものように駅へと通じる陸橋を渡ろうとしたときに、朱美が声を掛けた。
「違う、違う。こっちだよ、理紗」見ると、朱美は陸橋を昇らずに、脇の道を数歩歩きだしているところだった。「私たちが行こうとしてるのは、こっちなのよ」
 私は戸惑いを覚えた。それは、歓楽街といっていいような、いかがわしいホテルや、スナックが乱立している区域がある方角だったのだ。
「えっ……?」私は声が出なかった。
 朱美は私が何を考えているか、お見通しというように、にんまりと微笑んでいる。
 私は胃がきゅーっと縮まるのを感じた。そして、なんだかもやもやしたものがその胃から咽喉の方へ向かってこみ上げてくるのを感じないわけにはいかなかった。――ねえ、朱美、私たちはまだ高校生なんだよ。そんなところを歩くのはちょっと早過ぎるんじゃないかな?
 私はそう云いたくて、すがるような目つきで朱美を眺めた。
「びっくりするのも無理ないか……」朱美は感嘆するように声をあげた。「でも、心配することはないよ。何も疚しいことをしようって云うんじゃないから。これは店に到着してから説明しようと思ってたことなんだけど、この先に、私の知人が経営しているお店があるのよ。それで、一人で行くには不安だったから、理沙を誘ったってわけ。その人には、今日の午後に伺いますって云ったから、取りやめってわけにはいかないの。ねえ、理紗……一緒に行ってくれるでしょ?」
 私は安心した。胸の奥の痞えがすっと取れていくのを感じた。
「それってなんのお店なの?」
 幾分気を落ち着けた私は朱美に訊ねる。
「ショットバー……」朱美は緊張したような色を声に滲ませながら、そう返答した。
「ショットバー……お酒を飲むところね……まさか、お酒飲むんじゃ?」
 私は思わず訊き返す。
「そんなわけないじゃない」朱美は即座に否定する。「実は、そのお店、内装とかが凝っててさ……。雑誌やテレビなんかでも紹介されるほどの人気なんだって。私もその話を聴いて一度見てみたいって云ったら、今度、来るといいよって気軽に答えてくれてさ……。私、デザインの方に関心があるから、こういう話には目がないのよね。それで、友達と一緒に行きますって即答しちゃって……それがおとといの話。理沙には突然の話で悪かったけど、いいでしょ? どうせ、家に帰ってもやることなんて知れてるんだし。絶対、これから行く店の方が、有意義な時間が過ごせるよ」
 私は朱美の云うことも尤もだな、と感じた。家に帰ってすることといったら、宿題か、テレビを観るか、ゲームをするか。そんな物足りない材料で私の日常は構成されている。
 私は最後まで、いかがわしいホテルの前を足早に通り過ぎることに慣れなかった。道を歩いているカップルの顔を観るのが恥ずかしくて、始終、俯いて歩いていた。辻を曲がるごとに路地は狭くなっていき、心なしか、周囲にゴミやよくわからないものが散乱しているのが目につくようになった。私はヤバイな……と感じ始める。そしてその気持ちを押し殺しながら歩いて行くと、朱美がある店の前で歩みを止めた。
「ここだ……」朱美は呟く。
 私はそのときの朱美の表情を見て、なんて大人なんだろう、と感じた。朱美は私と違って、この歓楽街を通るときも歩き方が機敏だったし、姿勢もしゃきっとして、どことなく、大人の雰囲気が滲み出ていた。私と同い年のはずなのに、同じ制服を着ているのに、どこにそんな肝の据わった面が隠れているんだろうと思った。そして、学校の階段を降りているときに気づいた朱美との身長差に、物理的な面でも、私と朱美の間には大きな隔たりがあるように感じられてならなかった。実際にはその隔たりは些細なものかもしれなかったが、今の私には、朱美が自分よりも数段上に位置する人間であるような気がしてならなかった。
 朱美は店の看板を二、三度眺めてから、その重厚な木の扉を開けて、中へと入っていった。
 私はふと気がついて、時計を確かめた。四時五十五分。まだ店は営業時間でないはずだ。
 でも、店にはしっとりとしたジャズ音楽が流れていた。
 ――どうして? 私はちょっと疑問を覚えた。
 朱美は私の気持ちもお構いなしに、すたすたとカウンターへと向かう。
 カウンターでは三十代前半くらいのスマートな男性がグラスを磨いていた。
「やぁ、朱美、来てくれたんだね」男性はグラスを磨く手を止めずに、朱美に声を掛けた。その声は深く澄み切った穏やかなもので、とても美しいと感ぜられた。
「来ちゃいました」朱美は私と話しているときには見せないような、大人びた笑みをその顔に浮かばせている。
 ――やっぱり大人だ……。
 私は再び、朱美との距離感を感じる。
「あ、座って。スペシャルカクテルをごちそうするから」男性はそう云うと、カウンターの席の方へ右腕を差し伸べた。「そちらのお嬢さんも」
 私は年上の男性にお嬢さんと云われて、悪い気がしなかった。それも、格別に声の良い男性に。
「申し遅れました。私は池上晴貴、三十三歳です」私が席に座ると同時に、男性は自己紹介を始めた。
「あ、佐伯理紗です、高校二年で、朱美の友人です」私も初対面の挨拶を済ます。自己紹介は苦手だ。私は必要最小限のことを説明して、自己紹介を終わらせた。
「へーっ、なかなか可愛いお嬢さんだ。朱美とは仲良くしてるんだね」
 私は男性が朱美のことを呼び捨てにしているのが気になった。気になったから訊ねた。
「あなたは朱美とどういう関係なんですか?」それはちょっと唐突で、ある意味、失礼な質問だったかもしれない。
「どういう……んー」池上晴貴はちょっと考え込んだ。
「ちょっと、そこで考え込まないでよ」朱美が中に割って入る。「晴貴さんは、私の従兄なのよ。お母さんの兄の息子さん。私の母は晩婚だったから、こんなに齢が離れちゃってるんだけどね」
「へぇ〜」素直に私は感心した。
 私が朱美に晴貴さんのことをいろいろ訊いているうちに、晴貴さんはシェーカーにいろいろと液体を注いでいった。
「あの……私、アルコールはちょっと」ちょっとというか、未成年はお酒を飲んじゃいけない。当然のことだ。私は焦って、晴貴さんに手を止めるように云った。
「心配要らないよ。君らに作るのは、アルコール抜きのフルーツカクテルだから……」晴貴さんは白い歯を覗かせながらにっと微笑む。
 私と朱美は晴貴さんが大振りのシェーカーに氷とさまざまなボトルから注ぎこんだ液体と、搾ったフルーツジュースを混ぜて、シェイクし始めるのを眺めた。それは当然の事ながら、様になっていた。毎晩振っているのだろうから、様になっていないわけがない。万一、様になっていなかったら、この店はとうに潰れていたに違いない。
 晴貴さんは私と朱美の前にコースターとカクテルグラスをおいて、そこにシェーカーから複雑な色合いの液体を注いだ。
 注ぎ終わると、晴貴さんは謎めいた笑みを顔に浮かべながら、云った。「何が入ってるかは内緒。飲んでいるときに、いろいろと想像してみて」
 私はそういう謎めいたことが好きだったから、その晴貴さんの演出に心惹かれた。カクテルを作っているときに見えたオレンジジュースとグレープフルーツジュースは当然入っているとして、後は何が入っているのやら――。
 私はカクテルグラスを手に取ると、その不思議な色に輝く液体をまるで宝石でも眺めるかのように品定めし、それから口へと運んだ。晴貴さんはシェーカーを流しに置くと、こちらを見たまま、それらを洗い始めた。
「……美味しい」私は思わず、声に出して云ってしまった。
「ほんと、これ、美味しいわ」朱美も声を出し、それから私の方を見て、微笑んだ。
 私は晴貴さんが云ったように、何が入っているのか、想像してみようとした。しかし、柑橘類のすっきりした味わいの他には、何が入っているのか、特に、何か南国風のイラストの描かれたボトルに入っていた液体とか、数滴加えられた手の平よりも小さなボトルに入っていた液体とか、それは私がこれまでに口にしたことのない種類の飲み物だったから、想像もつかなかった。でも、これだけはわかる。このカクテルはきっと晴貴さんのオリジナルだ。そして、それはどこに出しても恥ずかしくないほどの出来のカクテルである、と。
 そう、私が普段コンビニなんかで買っているペットボトルのジュースとは全然、比較にならないくらい美味しい。私は緊張しつつ、晴貴さんに訊ねてみた。
「これって何て名前のカクテルなんですか?」
 晴貴さんは洗ったシェーカーを布巾で拭きながら答えた。「桜色の奇跡」
『桜色の奇跡』……それでか……道理で華やかなイメージのするカクテルだ。でも、その華やかさの裏には、すべて物事には終わりがあるという金言を含んでいる様な、一抹の寂寥が感じられた。桜の散るのを見るのは華やかではあるが、どこか寂しいものだ。その桜の花びらから抽出されたような儚くも美しい液体がグラスの中に波打っている。私はこのまま全部を飲んでしまうのを惜しいと感じていた。
「素敵な名前のカクテルですね」私は素直にそう云った。そして、こうも付け加えた。「これって晴貴さんのオリジナルなんですか?」
 晴貴さんはしばらく考え込むような様子だったが、ややあって答えてくれた。「そう、私のオリジナルだよ」
「へぇ……こんな美味しいもの飲むの、初めてです」私は緊張しながら答えた。
「これは私がまだ学生の頃に考えたカクテルでね。それ以来、名刺代わりに初対面の人に飲んで貰うことにしているんだよ」
「へぇ〜」私は素直に感心した。
「ねぇ、晴貴さん」朱美は満を持してという感じで、質問をした。「晴貴さんはどうして結婚されないんですか?」
 晴貴さんは朱美のその唐突とも云える言葉にちょっとした眩暈を覚えているように見えた。「結婚……。んー、なんていうか柄じゃないんだ。家庭を作って、子供を養って、生活を充実させるというようなこと全般が……」
「どうして?」朱美はさらに突っこんで訊こうとする。
 私はちょっとした予感を感じていた。こんな質問をするなんて、朱美は多分、晴貴さんのことが好きなんだろう。それは年上の男性に向けての感情と云うことで、憧れなのか、思慕なのかはわからないけれど、確かに、朱美はこの晴貴さんのことが好きなんだ。私は朱美の質問攻めを目の当たりにして、そう確信した。
 朱美と晴貴さんは私を置いて、二人で様々なことを話し始めた。私は宙ぶらりんの状態になり、その間に、店のあちこちを眺めてみた。
 確かに人気と云うことで、この店の内装はとても素晴らしかった。グラスの置き位置から、カウンターの幅、厚み、材質、アンティークと思われる調度品の数々、どれをとっても一流というにふさわしいと感じられた。私は何も内装を評価する専門家ではないけれど、この店の内装のレベルがかなりの高みに達していることは分かった。そしてジャズ音楽が流れているけれど、私が自分の部屋に置いているミニコンポの音とは比較にならないくらい洗練された音を奏でている。私のミニコンポだって六万もしたソニーのミニコンポだけど、それとは正直、比較にならない。私はそういったいろいろなことを考えるのをやめて、この店の環境を楽しむことにした。
「――ははっ、そうですね。確かにケイコ伯母さんはちょっとヒステリーの気があるかもしれませんね」朱美と晴貴さんは面白おかしく、共通の話題で盛り上がっている。伯母さんってことは、晴貴さんのお母さん? それとも、両親どちらかの他の姉妹? 私は疑問に思ったけど、二人の話に水を差すことを怖れて、何も云わなかった。
 それからややあって、私はもう一度、自分の時計を見た。五時四十五分――。
 私が時計を気にしたのを朱美が気づき、「そろそろ営業の時間じゃないですか?」と晴貴さんに訊ね、晴貴さんは「そうだね」と答えた。
 そして、私と朱美は営業の邪魔にならないように、これで帰ります、と晴貴さんに伝えた。
 晴貴さんはまたいつでも来てね、と云っていたけれども、私は多分、この店に来ることはもうないだろうな、と心ひそかに感じていた。朱美はどうだろう。朱美が来たいというのなら、私もついてきてもいいけど、朱美も今日の話を聴く感じ、晴貴さんには好意のようなものは持っているけれど、それは生徒が教師に対して抱くような憧れの域を出るものではないような気がした。
 こういうときの私の感は良く当たる。学校でも、誰にも気づかれないようにひそかに付き合っている男女の関係を一番に見破るのは私だ。それはいじめられていたときの経験から、人が普段表に出さない感情を密かに見抜く能力の鍛えられた私だからできる芸当だった。
 でも、この私たちの年頃の女の子は、憧れを恋と勘違いしてしまう傾向にある。朱美の晴貴さんへの思いだって、いつ恋愛感情に変わるかわからないという気がする。しかし、晴貴さんはきっぱりと家庭には興味がないと云い切っていた。朱美にはどうすることもできないのだろうか。でも――。
 でも、朱美の思いが晴貴さんの凍結した心を融かすということだって有りうる。こればっかりは神様でも予測することは不可能だろう。私はそんなことを思いながら、朱美について、駅までの帰り道を急いだ。
 帰りは行きほど緊張することはなかった。でも、辺りが暗くなって、店のネオンがちかちか瞬いているのをみると、私は自分が今、とんでもないところを歩いているのだという実感を覚えた。私たちには早すぎる、そんな気がした。何が早すぎるのか、よく分からなかったけれど、なにか、心の疼きのようなものを感じていた。それは早く大人になりたいという密やかな焦りから来る物かもしれない、と私は思う。
 私たちの年頃は青春というあやふやな物に彩られている。時に子供扱いされ、時に大人として見られ、そのあやふやな正体のつかない物に私たちは踊らされている。いい加減、目覚めなければいけないのかもしれない。しかし、どうやって――。私は晴貴さんの、カクテルをシェイクする姿を思い浮かべた。晴貴さんは充分、大人だ。晴貴さんにも私たちの年頃のころがあったなんて、俄かには信じがたい。しかし、あったんだろう。私は早く大人になって、あの店でアルコールを飲んでも不自然じゃない成熟した女性になりたいと感じた。でも、その隣には誰か男性を連れていなければいけないのだろうか? 難しい……。私はひとりでカウンター席に座る自分を想像する。なんだか、その方が自然な気がした。そして、私はちょっとだけカウンターの向い側にいる晴貴さんに憧れる。それは恋の感情の萌芽かもしれない。でも、それは一方的な片思い。思春期に見る一抹の夢。
 私は帰りの電車の中で、そのことに思いを馳せて、ふっと微笑んだ。

(了)


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