シチセキ


1 :月見人 :2007/07/07(土) 23:04:49 ID:nmz3rmz7

「あー、曇ってやがる」

 熱の籠もった寝室の窓を開け放ち、彼は空を見上げて感想を述べた。午前九時、雀か何かの鳴き声が何処からともなく耳に流れ込む中、清々しいレベルを地に落としかねる鼠空が、彼の重苦しい一日の始まりを告げたのだった。

 月は七月、日は七日、待ちに待った休日の土曜。世間一般に言う“七夕”の日である。




 織り姫と彦星が年に一度だけ対面を許された日とされる七夕は、恐らくこの国の人間であれば誰しも知る節句であろう。花より団子の現代っ子にとってはそんな伝説よりも給食に出てくる特別メニューの方が楽しみなのかも知れないが、信じてもいない神サマの誕生日だとか、お菓子会社の陰謀が囁かれているとか、そんな胡乱な臭いのしないこの日は、他と比べれば大分純粋さが漂っている気がする。まあ、神秘的な再会に肖ってついでに自分の願いも叶えてもらおう、なんて俗物根性に彩られた側面は無言で斬り捨てるとして。

 そんなこんなでこの七夕という日は、男と女が絡む話にしては実にローマンチックな素敵話なのである。が、その甘美感は恐らく、この伝説にまとわりつく儚さ故のものだろう。
 年に一度面会を許された日、だが、雨が降ると天の川の水かさが増して会えなくなってしまうと言うのだ。曇っていても会えない、などという地上人の自己中心主義的な意見もある訳だが、兎に角、地上からして、星空が鮮明に見える状態でなければ、織り姫と彦星は会えないのだ。

 だと言うのに昨今の情勢ときたら。ふと新聞に目をやれば、活発な梅雨前線の所為で大雨が降ったわ、一部地域が陥没したわ、あまつさえ村一つ二つ孤立して村人が出られなくなってしまったなどと、今日という日にとってあまりに不吉なニュースのオンパレード。七夕豪雨再来か、正しく洒涙雨、織り姫と彦星の泣き顔が目に浮かぶというものだ。




 その日の午後。まるで夕立のように降り出した雨は依然として衰えることなく、締め切った窓硝子をぶち壊しそうな勢いで叩き続けている。
 今夜の降水確率は全国的に百パーセント――という、正午の天気予報を思い出しつつ、彼は密かに溜め息を吐いた。

「やまないね」

 今朝と違い、部屋には二人の人間がいた。彼と彼の学友である。今日中に返して欲しいと頼まれていた借り物が漸く見つかったので、雨が降り始めない内に……と持ってきたそうなのだが、運悪くも此処に到着寸前、この大雨が到来してしまった訳だ。
 二人の家と家の距離は、自転車ならば十分程度のものとは言え、この猛雨の中を行くにはあまりに危険に思えた。歩いて帰らせるにしても、多分に傘は役割を果たさない。往来時に必ず通る道、その横に流れる川の荒れ様が、嫌でも頭に映し出される。

「これじゃ、会えないかな」

 その言葉の意味をすぐに理解した彼は、「そうかもな」と相槌を打ちつつ、窓の外を見た。

 景色は、夕刻とは思えない程の闇に包まれている。明るい室内からは何も見えず……ただ、雨が降っていることだけは確かに感じ取れた。朧気に見える民家の明かりが疎らに光り、それでも足りずと暗闇は膨張を続ける。
 何処からかサイレンが鳴り響く。ドップラー効果(真理)に準じた音が、耳鳴りのように脳へと届く。危機感はしかし、第三者的な意識の下に潰されている。平和を信じ、平和に縋り、平和に囚われた今を生きる者達にとって、それは計り知れない重量を孕んだ罪であり、自業自得の厄を招き入れる呪いであった。

 彼は、彼らは、決して気付かない。緊迫が影で口を吊り上げる、湿った密閉空間の中で、現実と夢の狭間でじっと佇んでいる。薄汚れた天井の上、分厚い黒雲の向こう側を、静かに想いながら。

「鵲さぁ、ちゃんと橋、作ってくれてるかなぁ」

 曇り空の下で鳴いていた鳥も、今ではその気配を断っている。空を自由に飛び回る鳥たちでさえ、この雨の中では束縛を余儀なくされる。雨は無情にも、更に大きく泣き始めた。

「今頃泣いてるのかな」

 寂しげに目を細くするその姿を見た彼は、胸を穿たれたような心地だった。予期せず訪れた幸せと、喜びに打ち震えながらそれを迎えた自分の、罪。自己を信じ、自己に縋り、自己に囚われた彼の、許されざる罪。
 彼は償いの手段を知らない。永劫、知ることはないだろう。天でも地でも、欲望のままに生きることは――裁かれてはならない罪なのだ。

 ……この雨は、かの罪人の涙だ。

 雷鳴が轟く。暗黒を裂いて、大地が鳴動して。それはまるで咎めるかのように。

 それでも、償う手段は何処にも有り得ない。

 ……この雨は、だからやまない。



 ――今日は、泊まっていかないか?



 彼は思う。織り姫も彦星も、会ってから雨が降れば、一夜とは言わず、もっと長く一緒にいられるのに、と。

 幸せが深まっていく。

 罪と、共に。



A temporary crime and happiness of the eternity...

What would they expect?

Temporary happiness and a crime of the eternity...

What will he expect?

(And , what I...?)


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