――君は、何だと思う?
それが、その人の口癖だ。
いつもいつも、誰かにそう尋ねては、滅多に本当の事は口にしない。
本当が知りたくて、執拗に問いただそうとはするものの、その笑顔と余裕の声音と、時々見せるいつもと違う表情の前に、どうしても閉口してしまう。
なんとなく、そうやってこちらの掴もうとする指の間を、見事にすり抜けられたような気もするのだが。。。
――所詮、世界はその人に見えるようにしか見えない。
だから、君がそう思うのなら、それが本当なのだろう。
――この言葉が真実かどうかも、君次第。
さて、
次は、何処へ尋ねにいこうか…?
弔いの鐘がなりました。
「でも大丈夫なのかい?アンタ、本当ならまだ寝てた方がいいんじゃないの?」
一人の少女が言いました。
金髪のセミロングで、毛先の方が針のように細く、真っ直ぐに下に降りています。
「いーいーの!…これだけは、この日だけはちゃんと“此処”に立っていたいのよ…」
「それは分かってるってば〜。でもさ、ほら。出産したばっかって、やっぱ辛いもんでしょ?アンタはこれから、しっかりとあの子を育てなくちゃいけないわけだしさ」
彼女は仁王立ちして、揺れる視界の中で、もう一人の少女に言ったのです。
揺れているのは、馬車の中だから。
もう一人の方の少女は、ふわりとした髪が可愛らしい印象を持たせ、服装も姿勢も女らしいおしとやかな印象でした。
けれど、ときどきお腹をさすります。
仁王立ちした少女が言うには、彼女はつい先日子供を出産したらしいのですが、少女はやや幼さの残る、せいぜい19・20といったところでしょうか。
母親というには、少しばかり華奢な印象が強いのです。
「エリカは心配しすぎよ?このくらいどってことないわ。戦場での私の姿、一番そばで見てたのは貴方じゃない」
「それとこれじゃあ、質がちがうっツーの。全く、ジュリアの頑固さは一年たってもかわんないかぁ」
「そうそう変われる頑固さじゃあないわ」
「なんたって、“精霊”になった《人》を最後の最後に泣かせたくらいだもんねぇ…」
エリカははぁ、とため息をついて。けれど優しい笑顔をすぐに浮かべました。
ジュリアも答えるように笑います。
その笑顔は、何もかもを包み込みそうなほど美しかったのですが、残念ながら見ているのはこの場ではエリカ一人でした。
ふと、馬車の外で笑い声が聞こえました。
二人とは違って、太い男の声です。
二人の会話を聞いていたらしく、ちょうどジュリアがビックリして笑顔を引っ込めたときに、幕を開けて中に顔を覗かせました。
二の腕は太く、丈夫な馬車の手綱が柔に見えてしまうほどでした。黒髪は短くてぼさぼさでしたが、無駄のない筋肉質の体には、丁度はまる風格でした。
「伝説の“聖なる乙女”の法力は健在か!」
「法力関係ないし」
すかさず突っ込んだエリカは、ようやく揺れる床に身を任せて座り、満足そうな笑顔を浮かべていました。
「はははっ!そうかぁ?はっはっは!!」
「笑いすぎよ?もう、何がそんなに嬉しいんだか」
「そりゃお嬢さん、一年ぶりに解体した軍の仲間が集まりやがるとなりゃあ、腕が鳴るってもんよ!」
「腕じゃなくて、腹だろ?酒飲み会長だっけ?」
再び笑いが生まれるが、今度は高い声も二つ一緒。
「なぁ、ジュリア。エルフィオナがこう…、歩けるぐらいに成った頃にゃ、王都へ連れてきてくんな。うちのも喜ぶぜぇ?なんたって、周りには剣もった騎士か杖を持った僧侶ばっかだからよ」
「…“蒼き影雄”と“コハイニスィドの女神”の希望、とはよく言ったもんだよねぇ。ゼイドは、元気なのかい?」
「はは、今から木刀振り回してら」
「あまり危ないことさせちゃダメよ? きっと連れて行くわ。エルフィオナ(愛の理)とゼイド(希望)、名前からして仲良くなれるんじゃない?」
「二人の最高の魔術師、そして、この世で最も大互いを信じあった二人の子。当然だね」
何故かエリカは自信満々に言い切って、何故か二人は待っとくし多様に頷くのでした。
弔いの鐘が鳴りました。
それは、まるで―――。
「あぁ、着いたね…」
夕暮れ時の空を二台の屋根の上で見上げていたエリカが、呟きました。
夕日を後ろに影で暗く、長く見えているのは、いかにも立派そうな城の輪郭。
周囲には小さくも、確かに分かる街並みが立ち並んでいます。
しかし、ふと車輪の下を覗いたエリカはため息を漏らしました。
見渡せば、地平線には山、森、間の平原が美しく金色に輝いているというのに。車輪の下は灰色の砂だらけでした。此処から城までの距離を丁度半径ほどに、四方一面が灰色の砂と、焼け焦げて倒れたままの大木が時々あるだけの、荒野になっているのです。
精霊に愛された緑と、畑や川がかつては此処にあったことを、エリカもジュリアも知っています。 しかし、今はポカンとそこだけが精霊に見放された地となっていました。
「ディズ?ディーズ!」
「はいよっ」
「こっちからは、城が見えてきたよ」
「やっと着いたか。んじゃ、もういっちょ頑張ってくんなよ、お馬さんら」
軽口に、ディズと呼ばれた男性が言いました。
本当の名前はディーズルッデというのですが、長いので嫌いなんだそうです。だからディズです。
「ジュリアは?」
「寝てるな。強がってても、やっぱきついんだろう」
エリカの顔がやや曇ります。
「それでも、あの子は行くんだね。きっと、これから毎年毎年此処にくるんだ」
「オレも、お前さんもな」
「わたしは……」
胸元を触ると、ペンダントに下げた、緑の宝石の美しい指輪がありました。
「あの子ほど、強くないよ…。ここへは来れても、もうフロンディ峡谷へは…行けないと思う」
「………」
ディズは黙って、耳を澄ましました。
エリカの泣きそうな声と、諦めたような声と、吹っ切れたような声一つ一つを聞き逃すまいとしていました。
「愛する人を、失ったから…か。わたしにゃ、綺麗過ぎる理由だけどね。 ――でも、あの子にとってのあの城は、そっちの理由だってある。わたしだったら、行けないよ…」
「母親、ってのは強いんだな」
「は?」
「俺が知ってる、母親ってのになった女はよ。みんな、みんな強いんだ」
「――…あぁ」
エリカに声は、緩やかに伸びて消えていきました。
ディズの少し嬉しそうな顔を覗きこみながら、エリカはすこし困ったように笑います。
「お前も、強くなれるさ」
その言葉が嬉しいのか、すこし痛いのか、エリカには分かりません。多分両方なのでしょう。
夜中の前に着いた三人は、町に入り、この日のためだけに開かれた出店で、花とお守りとを買いました。
この日のためだけに集まった人たちは、町の門から城の門までの長く広い道を埋め尽くすほどの大勢です。
馬車のための細めの道を通って、城の門の前で、馬車を止めました。
降りると、そこはやはり大勢の人で混雑していましたが、門の中に入る人はそこまででもない。というのは、中に入れる人は少しばかり特別な人たちだからです。
ディズが馬車をつないでいると、エリカに起こされてそっと出てきたジュリアは、ぼんやりと城を見上げました。
明るい表情の多い彼女には、珍しい無表情です。悲しそうというわけでもなく、ただただぼんやりしています。
寝起きだからというだけではない、エリカはそれをよく分かっていたので、何もいわずに隣に並んで、一緒に城を見上げました。仲のいい二人は手をつなぐ。すると、かすかな震えがエリカの腕に伝わってきました。
「怖いかい?」
「…大丈夫」
短くジュリアは答えました。
「ここから全てが始まり、ここで全てが終わった。 人々を照らさんとす英雄は、人より離れたとも、人に灯をつけるための蝋燭を、確かに手渡した」
高めの声がしました。
けれどソレは女声ではなく、男声のよく澄んだ声でした。
二人が振り返ったすぐそこに、その人はいました。
「詩人ね、ハンス」
「冗談よせよ。今のはザイワード公がそこら辺の一般の参列者に、言って回ってたのさ」
「ザイワード様かぁ。聖騎士団創設のお祝いしなきゃ」
「あと、ディズを迎えにくれたお礼もね」
ふわりと、あのジュリアの笑顔が浮かびます。
「お祝いなら、むしろこっちからしなきゃだろう。ジュリア、無事の出産おめでとう」
「ありがとう」
そこへ、ディズが戻ってきました。
軽く眉を潜めてハンスを見た後、ディズは満面の笑みを浮かべました。
「よぉ、心の友よ!」
「だから、酒のだろ?」
「ってか心の友ってなんだ。オレはこんな怪獣男を飼いならした覚えはねぇぞ」
その、懐かしいやり取りを、心地よさそうにジュリアは目を瞑りました。
笑い声は温かく。
握ったエリカの手も、温かく。
目を開いたジュリアは、買った花を抱いて、エリカの手を引きました。
「さて、入りましょうか」
入り口には、聖騎士団の白くしっかりとした軍服の男性がキリとして立っていました。
ディズやハンスを見て、すぐに敬礼し、中へ通してくれる彼等は、ジュリアとエリカが通り過ぎるときに頭を下げました。
明らかに年下なのですが、上司である二人ではないのですが、頭を下げてきます。
「尊敬の意を。ディア・カーレンの英雄の皆様に」
「ありがとう」
それを当然のようにジュリアは応えました。
二人とも、そういうことには慣れているのです。
城の門を潜れるのは、一年前にようやく終わった広大な戦争を戦い抜き、生き残った者達に限られているのです。
一人の少年が起こした、反帝国軍ディア・カーレン軍は、多くの犠牲の上に勝ったのです。
一人の少年は、戦争が始まる前にこのラディアという国で生まれました。帝国が悪政になり、反対運動を起こす国もあったのですが、ラディアは中立を守っていました。
ある日、平和であったはずのラディアが、前触れ無しに帝国により落とされたのです。
たった一晩のうちに、ラディアの地は堕ちました。
ここが始まりの地でした。
一年前、この地で最後の帝国側の将があたりを火の海にしました。
最後の将は、一人の少年の前に、眠りに着きました。そして少年も、この地を最後の足跡に、人々の前から去っていきました。
ここが終わりの地でした。
ここは、多くの屍が、眠る地なのです。