大学時代、とんでもない教授とその息子である聴講生の先輩と過ごした日々もそうだったが、高校生のあの頃も、今の平穏な生活に比べれば毎日が新鮮で新しい事に満ち溢れていた居た気がする。
毎度の事ながら僕は当事者を眺める立場の人間で平々凡々なのはしょうがない。それはそう言った役目として生きる人間として生まれたからなのだろう。
これから話す物語は僕が、高村くんのあの衝撃を体験してから二週間後に起こった話だ。
「お、俺、つかさくんの事が好きなんです」
短い髪の毛に華奢な体躯。ショートパンツを履いた円らな瞳の子に向かって頭を下げる必死な男。
その頭を下げる
「それで、もし、良かったら、色々な苦労するかもしれないけど、お、俺と付き合ってください」
おろおろとする幼いその子に絞るように言葉を重ねる僕の友人、吉田君。
「……気持ちは嬉しいです。……でも、僕の事、忘れてください」
吉田君が人生初めての渾身の力でした告白。
それが一瞬にして砕け散ったのを見届けたのは真夜中の公園での事だった。
時間は二日前に戻る。
厳島さんの手製弁当を横合いから摘み、もといパクリつつ、それを高村くんが意外なスピードで遮りつつと言うささやかな昼食を楽しんでいるところに、熱に浮かれたようにふらふらと教室に入ってきたのは吉田くんだった。
机に腰をぶつけながら、それでも気にも止めずに席と席の間をゾンビのように移動して、僕の斜め前、自らの席へと着いた。
マリアナ海溝も更に亀裂を深めるような溜め息。
……どうやら、お困りのようだ。
「恋の病かな?」
僕の言葉でうとうとしていたところを接近された野良猫みたいに飛び上がる吉田くん。
「ん、まぁ、その、うん」
とはにかみながら頬をかく、初々しい反応を見せてくれる級友。
「で、相手は?」
僕のその言葉と同時に吉田君は初々しい反応から一転して、暗い、何かを抱えたような表情に変わる。
「その、なんだ、……言えないんだ」
「おいおい、小学生じゃあるまいし、そんな言えないなんて事はないでしょ?」
妙に長い沈黙。
背景では「ムホムホ」と高村くんの楽しそうな咀嚼音が聞こえる。
幸い、安達さんも放送部のミーティングで居ないので特番を組まれる危険性もない。
吉田くんは一度、目を伏せ、何か決心したようにこちらを見据えた直後、
「……放課後、ちょっと付き合ってくれないか?」
彼の真摯な、それでいて一歩踏み込みきれない思いの詰まった言葉に押され、僕は部活をキャンセルして彼に付いていった。
市内の中学校、最近合計特殊出生率やらなんやらの諸々の影響による生徒不足のために女子中学校から男女共学へと変えた私立中学の、その校門から少し離れた場所に立っていた。
そわそわと落ち着かない吉田くんと共に、自転車のハンドルに寄っかかりつつ、僕の高校より一限遅い帰りを待つ。
さすが元お嬢様学校だけはあって、中学から進学にも熱心なのが見受けられる。実際、付属の高校より近郊の他校への推薦、受験などが多いらしい。ちなみにうちの高校もその学校から来る生徒も収容する、僕が人生を掛けて脳を使い切っても入れないような特別進学クラスなんてのがある。僕の知り合いもその中学校から推薦で進学し、そこで勉強している。
並木道の帰路を行く臙脂色のスカーフに膝下のスカート。加えて三つ折靴下にストラップ付きパンプスの子を見ると「お嬢様学校だったんだろうなぁ」と納得がいく。
時折、混じるアイビーシャツの少年達にも雑多な僕の高校とは格の違う品を感じさせる。
とそんな事をぼんやり考える中、頭頂からとびだした吉田くんの跳ねた毛が『びびっ』とレーダーのように高反応。
その反応と方向に合わせて視線を同じく定める。
「ゆっくりと歩くのがここでのたしなみですわ」とでも言うようにスカート乱さないように静々と歩みを進める二人の少女とその間に挟まれた少年。校章の色から僕らより二つ下だと見て取れる。
楽しそうに談笑する姿から二人の女の子は真ん中の男の子と非常に仲が良いように見受けられる。
「確かにこれは難儀するね」
「あぁ、そうだね」
僕の言葉にも熱に浮かされたようなぼんやりとした反応しか返さない吉田くん。
ぼんやりと彼女らを眺める瞳。上流階級のお嬢様に加えて、男友達付きと有っては難しいはずだ。
まぁ、それはさておき、
「で、どっちの子?」
「……真ん中」
…………。ちょっと待て。
耳に掛かるほどに軽く揃った短髪、
「どう見ても男の子ですが?」
「分かってるよ!」
分かっていて好きになっているなら更に君は重傷だ。
加えて、今まで黙っていたけど中学生も流石に犯罪でしょ。
吉田くんは同性を好きになってしまうと言う生物学的な矛盾の前に頭を抱えて「うぉぉ! どうすればいいんだ〜!」と唸っているが、僕自身も突然そんな事を突然ぶっちゃけられて「今後、彼をどう言う風に見て、そして接したら良いだろう」と同じく頭を抱えたかった。
とにかく、ハッキリさせなくていけない事がある。
「君は、どちらかと言うと」
「女の子が好きです」
「そうか」
とりあえず、現在手近に居る僕や周りのクラスメイト(男子)への諸々の危険は回避されたようだ。
「でも最近……、あの子を一目見てから、何だか、変な気持ちに」
訂正。吉田くん、現在でもノーマル恋愛観から摂理も捻じ曲げる進化を遂げようとしている危険状態。
「か、勘違いしているようだから言っておくけど! 僕がこんな感情を抱くのはあの子だけなんだ」
「いや、それでも、世間体とか常識ってものがあるでしょ」
「それはそうなんだけど、何だろう。こんな気持ち始めてで俺、どうにも出来ないよ」
僕もこんなシチュエーションなんて初めてでどうにもならないんだけど。
「で、でも、純粋に好きなら、プラトニックな関係って方法もあるし」
って、僕はなんで火にニトロを注ぐような事を言ってるんだ……!
そんな頭を抱えたり唸ったりと怪しい僕らにも気に止めず、彼女らは少し離れた十字路で足を止める。
「それでは
「明日も宜しくお願いしますね?」
そう短髪の子に細やかな笑みを浮かべると、対して困ったような、それでも友人に対する柔らかい笑みで
「じゃあ、明日〜ね! バイバ〜イ」
と品の中にも元気を感じさせる笑みを返して、背を向けながら駆け出していく。
「多良木さん、本当にカワイらしいですわ」
「えぇ、本当にそうですわ」
うっとりとしながら三叉路で彼女達は別れていった。
「あの男の子の名前は多良木か。あれ? 多良木って……」
「えっ! 知り合いでもいるのか?!」
「うん、まぁ、ね」
その知り合いとは先ほど僕が思い出した、特別進学クラスにいる多良木 あすかと言う、高村くんからはやや遅れて中学校からの腐れ縁である。それにしても、あいつに弟が居るなんてのは初耳だ。
「なぁ、頼む! その知り合いに頼んで、僕と引き合わせてくれないか?!」
「うーん。まぁ、いいけど」
正直、あまり会いたくは無いのだが、吉田くんの生物の理念とかそう言うのを越えた愛ってやつに免じて、久しぶりにあいつに会ってみようと決心した。そう決心したのだ。つまり、決心しないとあいつには会いたくないのである。あいつの昔から人にベタベタとくっついてくるのが気に食わないのだ。
そんな僕の気を知ってか知らずか? 吉田くんは「多良木くーん」と到底現在の顔も想像している頭の中身も見せられない状態となっている。兎に角、明日あいつに会わなければいけない事を考えて僕はちょっと鬱に感じた。
一日前、もとい彼女らを覗き見した次の日、
「わっはー! これはこれは珍しい事にひーちんじゃないか! わざわざ私のクラスまで来るなんて殊勝な心掛けじゃない? ところで抱きついていい?」
『ところで』の『と』の字くらいで僕の否定の言葉が形作る前に、スカートを翻して抱きつくあすか。
絹糸のように長く、磨いたように黒い髪を揺らし、満面の笑みを浮かべて抱きついてくる。
あぁ、この妙に柔らかい身体が憎らしい。
「もういいから引っ付かないでくれ」
「んー、ひーちんのいけずー。私はひーちんの事が大好きなのに」
あすかは身体を押し退けられながらぶーぶー文句を垂れる。
…………、まぁ、いいや。とりあえず、用件を済まそう。
「確か、あすかに弟居たでしょ」
「弟?」と一瞬小首を笑顔のまま傾げると、数瞬後に「あぁ、つかさのことかー」と両手をパシンと合わせる。
「で、つかさちんがどうかしたの?」
「いや、それがつかさくんの事が好きな奴がいてね。おそらく、苗字が同じだし、君が居たのと同じ中学だから親族の方かなと思って」
「なるほど、私に引き合わせて欲しいと」
「そう言う事」
「ふーん」
妙に色っぽい流し目で見据えるあすか。見返りに変な要求をされないか、僕は心配で堪らない。
「ま、いいや。この借りは後々返してもらうとしてー。で、で? そのつかさちんが好きに成ったのって誰?」
やはり兄弟なだけあって年下の恋愛事情が気になるらしい。
「うちのクラスの吉田くん」
「えーっと、覚えてないなぁ」
「そりゃまぁ、クラス違うしね」
「なるほろ、とりあえず、告白のセッティングは私にどーんと任せて。そうか、つかさちんは今まで女の子にばっかり追っ掛けられていたからね。こりゃ面白いわー」
「…………」
あすかのおかげで吉田くんがどうにも止まれない領域にきてしまった次の日。
「あー、どうしよう。ドキドキするよ」
「そりゃそうだろうね」
同性に告白するなんて滅多に無いわけだし。
「あ、あれは、つ、つかさくん……い、居たー!」
「そりゃ頼んで来てもらったからね」
何度も女の子に告白されている、との事だが、まさか男に告白されると知ってほいほい来る奴はいないだろう。
どんな作戦か魔力を使ったか知らないが、恐ろしい奴である。
「……気持ちは嬉しいです。……でも、僕の事、忘れてください。ごめんなさい、あなたには僕みたいな人と付き合う事なんて貴方を不幸にするだけですし出来ません」
そして現在に至る。
吉田くんは呆然と佇んでいる。同性への告白なんて、相手が同じ性癖でなければ簡単に出来るものではないだろう。
誰かに想いを伝えるのにはエネルギーが要る。
それを、今年一年分以上は使ったためか、そのまま膝をついて倒れてしまった。
そして、告白された時よりもその反応にオロオロとするつかさくん。
仕方ない。夢破れた男を回収するとしますか、と僕が動いた時。
「ちょおおおおおおおおおおおおおおおっと待ったああああああああああああああッッ!」
いつの間にか滑り台の上に腕を組んで居るあすか。
器用にスカートの中身を見せずに着地すると、膝をついていた吉田くんをぐぃと立ち上がらせた。
「吉田くん! そんなのでいいの? 一生で一度の告白を高々一回の玉砕でエネルギーが尽きるなんて言語道断。ホントにそれがマジな告白なの! 気合入れてしなさいよ! 他人を好きになるってのはそれくらいのものでしょ! もっとはっきりしないからつかさが身を退いちゃうんでしょ!」
胸倉を掴まれたまま、突然のあすかの登場に吉田くんは間の抜けた顔を見せる。
ギロリと普段は柔和な視線を刃物みたいに鋭くさせて、若干心も体勢も引き気味だったつかさくんを視線だけで転ばせる。
「つかさもつかさでしょ! 昨日までやっと男の人に告白されるって舞い上がっていたのになんで急に退いちゃうのよ!」
「だって……」
「だってもヘチマもヒジキもないでしょ! あんたの事好きになるくらい大した事無いでしょ!」
「でも……」
「でもでもテモテでもない! 乗り気ならなーんで断っちゃうのよ! おかしいでしょ! ん? ……なんだ、吉田くんって私好みのけっこー精悍で良い顔しているじゃない。はじめまして、あすかでーす」
と言って吉田くんの胸元に手を置いて子猫のようににじり寄る。吉田くんはあすかの容貌に蜘蛛の巣に捕らわれた虫の如く動く事が出来ない。確かに見た目だけならそのまま捕らわれてしまうだろう。
そろそろ暴走するあすかを迎撃するために飛び膝蹴りの準備でもしようと、助走をとろうとした時、先に動いてあすかを突き飛ばしていたのはつかさくんの方だった。
あすかの方はひらりと見た目どおりの猫のような身のこなしで自然と着地。
「あれあれ? つかさは吉田くん付き合わないつもりじゃなかったの?」
「そんな事、僕だって突然言われて混乱してるんだ。でも、自分みたいな子じゃ、吉田さんと釣り合わない」
「気に入っているのに付き合わないなんて変なの」
その言葉に、意を決したようにつかさくんは言葉を発した。
「だ、だって、僕みたいな『男装』が好きな『女の子』と付き合うなんておかしいじゃないか!」
「「はっ?」」
断言しよう。確実に吉田くんと僕は同時に今世紀史上稀に見る阿呆な声を出していた。
話を整理しよう。
吉田君は女の子が好きだけど、つかさくん、もといつかさちゃんを見て男の子を好きになったと悩んでいた。
一方、女の子にモテモテのつかさちゃんは男装好きの女の子で吉田くんに告白された。
あれ? 別に何の障害があるんだ?
「いや、俺は別につかさちゃんと付き合うのはおかしくないと思うよ」
精彩を欠いてきた吉田くんの瞳が自らが吐いた言葉と共に生き生きと復活していく。
「正直言って、俺は最初君の事を男の子だと思っていた。それでも君を一目見て、性別なんて関係くらい好きになったんだ。だから、男装くらい、性別の違いに比べれば些細なもんだよ。だから、つかさちゃん、俺と……」
――もう、最後まで結末は見る必要はない。
あんな、泣きそうで、それでも幸せそうな顔の女の子が、本気の男の真摯な申し出を断わる理由はないだろう。
そう思って踵を返すと同時に背中に衝撃。
「あすか、いい加減に抱きつくの止めてくれないか?!」
「へっへー、いーじゃんいーじゃん。可愛い妹に出来た彼氏の事で嬉しくてしょうがないんだから」
「まー、そうだね」
ほうほうと梟の啼く夜。
ちらりと足元を見れば、遠い外灯の明かりで一つになった男女の陰影。
「はぅぅ、青春ですね、ですね」
「半ば強引極まりなかったけどね」
「ひーくん、青春とは読んで字の如く青い春。芽吹く青葉の如く勢いがなければにゃらんのだよ」
「あー、そうですね。と言うかいい加減に離れてくれ」
「んもー、けちけちしないでよー。減るもんじゃなし」
いや、突然抱きつかれると主に僕の寿命が縮む。
離れたあすかは二人の様子に見入っている。
さて、そろそろあすかが変な気を起こさないうちに逃げよう。
「うわー、見てみてひーくんひーくん、もう二人ちぅしてるよ! ちぅ!」
「だー。もう二人の事なんだからどうでも良いでしょ!」
何だか、頬を赤らめてこっちを切なそうな表情で見るあすか。
「…………、何だか二人を見ていたらドキドキしてきちゃったからちぅして良い?」
「全力で断る」
そうして僕は、つかさの『兄』、並みの女の子より何故か可愛い多良木あすかのアプローチから死に物狂いで逃走した。