【序章】
―――いいか。我らに感情はいらぬ。情はいらぬ。あるのは“仕事”のみなのだ。―――
物心ついたときから、耳にたこができるほど聞かされていたセリフは一生私の心に鎖として巻きつくであろう。
普通の子供ならひらがなやカタカナを習うはずの時期に、私は感情を失くす訓練や、人を苦しませずに殺める方法を徹底的に叩き込まれた。
私にとっての玩具はゲームや縄跳び、トランプなどではなく、人を殺すためにつくられた銃。
冗談を言い合える和気あいあいとした家族なんて、最初からいなかった。いるのはいつも無言で部屋へご飯を運んでくれる家政婦。
家なんてない。心を落ち着かせる場所なんて、存在しない。身体を休める唯一の居場所は――。私が所属する『Poison』という暗殺を専門とする組織。
いわゆる、殺し屋だ。
今日も客からの依頼を受け、血塗られた道を駆け抜ける。
そして、断末魔の叫びを上げる暇さえなく人を殺め、報酬を得る。
何ものにも動じず、何ものにも心動かされない。
組織の思惑通り、私は“生きる機械”になった。
心なんてあってないようなもの。
そう、思ってたのに―――。
あなたは私の前に現れた。
前ぶれもなく。安っぽいドラマのようにね。
光の粒のようなきらきらした笑顔と、決して折れることのない強い心を持って。
忘れはしないよ。
そう――あれは確か真冬の日だった。
鉛色の空はビルに衝突しそうなほど低く、突き刺さるような風はビルの合間を突き抜ける。
あなたは私の殺すべきターゲットだった。
【第一章:ターゲット】
夕暮れ時だというのに、辺りを紅色に染める夕日すら見当たらない。
あるのは、街を覆いつくすようにゆっくりと流れる灰色の雲だけ。風はそれほど強くないのに、久しぶりに外へ出たからか凍てつくような寒さに感じた。
生きる希望さえ吸い取られそうなこんな天気の日にも関わらず、学校帰りの学生はきゃっきゃ、とまるで猿のように騒ぎながら家路へと戻っていく。
笑うとはどういうことなのだろうか、と冷めた頭で考えていた。
感情がないわけではない。いらだつことがあれば怒るし、悲しいことがあれば泣く。
けれども、笑うことだけは知らないのだ。
生まれてこのかた、楽しかったことなど一つもない。
笑顔の練習にと、鏡の前で笑みをつくってみても、それはマネキンのように固定された不細工な笑みにすぎなかった。
悲しい奴だ、と自虐的に笑いながら、ポケットから一枚の写真を取り出ししげしげと眺める。
「久しぶりの仕事かと思ったら……。こんな餓鬼か。」
そこに写っているのは、端整な顔立ちをした男の子だった。
大学生だというのに、まだどこかに幼さが残っている。真っ黒な黒髪に、これまた真っ黒で大きな瞳。すっと整った鼻筋に、小さな顔。その顔は、女とは思えないほどごつい私の手にすっぽり収まるくらい小さいだろう。
彼は今すれ違っている高校生たちの誰よりも美しかった。
この子が私のターゲット。
そして、この少年の暗殺を依頼してきたのは、彼の父親。
彼の父親が、深刻な顔をして我が組織『Poison』に訪れたのは、今からちょうど三時間前にさかのぼる。