地獄使い生誕


1 :異龍闇 :2006/05/23(火) 05:50:27 ID:QmuDsJYL

 さぁさぁお立会いお立会い。
 羽揺れる記憶の中、君と私が会えた事を感謝しよう。
 如何にも、ここは過去の記憶にして記録。彼が望んでも決して見る事の出来ない、封印された、いや、繋がりを絶たれた記憶の奥底だ。
 彼とはもちろん、狂気地獄(パラノイア・インフェルノ)に囚われた魔人、国定錬仁の事だ。
 知っての通り、彼は今代に置いて異論は色々とあるにしろ、多くの他者に認められる最強の魔人だろう。
 魔人とは自ら願い、そのために力を得たのに、その目的を忘れた悲しい生き物だ。彼ら魔人の殆どには前世との記憶の関連が作り出せず、幾度と無く自己消滅と自己転生を繰り返す。
 そんな彼らの内の一人、国定錬仁と呼ばれるもの前世を魔術で覗いてみようと言うのが今回の趣向だ。
 彼自身の身体に刻まれた記憶と世界に遺された記録、それらを総括して、真の物語を作り出す。

 今までの君たちの物語(http://www.jan.sakura.ne.jp/~colun/gaia/novel/05020069.txt)を覚えている者ならこの物語は大きな意味を持つだろうが、そうでないならまだまだ早い。
 君たちの物語(http://www.jan.sakura.ne.jp/~colun/gaia/novel/05020069.txt)に戻ってきっちり体験し直すんだ。

 さて、体験を経た者なら、

 赤き武者、山獣の王者、相撲の達人、童子切り安綱、

 これらのキーワードから既に彼が誰かと言う答えの出ている者もいるだろうが、ところがどっこい、真実にはまだまだほとほと遠い。

 さて、今回は君たちの【本当の敵の正体】も劇中で堂々と明かす気前の良さだ。
 人と物語の交錯の中で、真実は何ものにも耐え難く重要で、同時に瑣末な事。
 蓋を開ければ、意外にどうと言う事でも無いほど、呆気ないものかもしれない。
 まぁ、それを決めるのは君自身だが……。

 答えを得るまでは少し時間が掛かるだろう。
 何せ人一人分の人生だ。それは例え四十年に満たなくとも長く感じるはずだ。

 長らく待たせたが、真実の物語を始めよう。
 時代は遡る事、約千年。
 人と神が隔てつつ、同じ領域に生きていた数少ない時代で、同時にそこから徐々に双方が離れていった不可思議な時代だ。
 物語の起点は足柄山と呼ばれる、箱根付近の古い森林が鬱蒼と茂る山奥より始まる――


2 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/05/28(日) 04:07:14 ID:QmuDsJYm

 全ては、叶えられなかった夢
 全ては、永遠に続く復讐
 全ては、世界の秘密に執着した末路
 全ては、最後まで失敗した覚悟
 全ては、自分を悪と思い込むこと
 全ては、自ら科した業
 全ては、捨て去りたい過去
 全ては、死なない体
 全ては、死ねない心


 物語と呼ぶには偲びない。ただの事実。

 自分の都合の良い世界を求めた、男の話。

 ――今は昔、時の都、京より遥か東の地。

 鬱蒼と葛木の繁る未開の地。獣は獣らしく振舞い、山は名も無き神の領地だった。

 しかし、誰も、普段は人っ子一人でさえ居ないようなその地に、大鎧に大槍、大太刀を携えた徒歩(かち)の集団が獣道以下の道程を行脚していた。
 それぞれは黙しているように声を挙げない。それとも、それは己が任に非ずとしているのか?
 徳川以前を遡れば、侍と呼ばれた武闘集団は大抵山賊と代わり映えのしないものである。
 しかし、何故だろう? その集団には透破(すっぱ)乱破(らっぱ)などの盗賊に見られる荒々しさはありながらも、それとはまた違った統率性、統一性を見せていた。言わば、訓練のされた武装集団なのである。現在のように、何処ぞの国家のような強制的な兵役制で大量の兵士を生産するようなものとは訳が違う。彼らのはむしろ志願制、そして選抜制であった。幾千、幾万の若者がこの集団に関わる事を望み、心半ばで折れる者も多くあった。だが、それでもそれを貫き、辿り着いた彼らは生え抜きの、いや百戦錬磨の兵士達である。足運び一つとっても無駄は無く、その身に怖れも知らない。

 総勢百二十人の忠実な兵士達。
 その頭、主人はこのような人物である。



「ふぁぁぁ〜〜〜〜ッ、眠っ」
 顎が外れそうで外れないほどの欠伸。徒歩ばかりの集団で唯一、白馬に乗る鎧姿の者。肌は舶来の陶磁器のように白く、烏帽子に収めた髪は創世神話の鴉のように黒く、それでいて艶やか。眉目は宮廷でも天皇による選り好みの側女の如く美しい。欠伸で涙のかかる瞳は最高級の漆器のような煌びやかさを放つ琥珀色。うら若い少女のような容貌である。
(:)細身であろうその体躯を、白絹衣を通して赤銅色の胴鎧で堅め、腰に普通よりもやや小ぶりな太刀を帯びていた。そのなだらかな背中には、弓と矢筒が負われている。その矢の一本々々は最高級の鷲の羽根。意匠のみならず、その他の持ち前の気品を表し、位が他の兵装よりも明らかに高い。
 雅と美。その結集が都から遠く分け離れた地で馬に揺れていた。

頼光(よりみつ)様、そのような気の緩みでは奇襲の際に如何致しましょうか?」

 摂津河内源氏の祖となる  頼光(よりみつ)、と呼ばれる武者である。鎌倉幕府を作り上げた征夷大将軍 (みやもと) 頼朝(よりとも)、その弟であり同じく戦歴を称えた歴戦の武将(みなもと) 義経(よしつね)を遡ること百年近く前の、その先祖筋にあたる者だった。
 そして、頼光の名を当時轟かせたのは妖魔覆滅。つまり『人外狩り』である。
 民に仇をなす怪異を討伐する、現代風に言えば特殊部隊にあたる退魔特化武装兵団、【闇殺舎(あんさつしゃ)】があった。時の権力者の命によって編成された、今居る兵を含めて総勢千と一八十人の兵はどれも人外との闘争を前提に考えられ、誰もが怖れを内に秘め、指揮系統に忠実な闘犬、いやただ武器の刀剣となる荒武者だった。
 死神公社が出来る百二十七年前の、更に遡ること約八百年、人が人外と境界を引くためにその集団は居たのだ。
 その発足当時の総大将が源 頼光である。後に左馬権頭、馬の調教と支給を兼ねる馬術の専門政府機関長となり、日本で隠された戦歴と輝かしい政治歴によって正四位、帝の家系を除けば当時の権力の位で上から四番目に偉くなった人物である。当時、馬は貴重であり、貴族階級のモノの独占物だった。同時に騎射と呼ばれる、現在で言う所の流鏑馬(やぶさめ)にあたるモノのために馬は使役されていた。そして弓は平安貴族でも、後々武者の萌芽となる家系に広く根付いていた。つまり、そこを治める者は当然馬の達者であり、同時に弓などの武術の腕も達者であった。
 正規の古文書では頼光よりもその弟、頼信(よりのぶ)の活躍が目立つ。しかし、頼光は表沙汰には出来ない怪異討伐により、史実として記録に残される事は控えられ、代わりに伝聞流布された噂が人々の間で歪曲誇張した物語として目立つ形となってしまったのである。つまり、頼光は伝説ではなく実際に人外達の屍骸でその地位に上り詰めた、外見には似合わぬ豪胆な人物なのである。

 ちなみに平安時代は上司に当たる貴族の真名を呼ばず、役職などを通例では呼ぶものだが、やたらと親しさの助変数(パラメーター)が高い頼光は、公式の場でなければどう呼ぼうと気にせず、むしろ奨励していたのだった。頼光の『本名』を呼ぶ以外は。

 そして、その頼光の隣りを寄り添うのは白い口髭と顎鬚蓄えた独眼の老兵である。周りの兵よりも一回り大柄な体格の老人を、更に大きく上回る槍は鉄色の刃を除けば、全てが赤い色をしている。その老人の名は、
「坂田、このようなツマラナイ景色が続くからイカンのだ。海沿いを通れ。東海道の(さざなみ)を見た方がこの陰気な空気も何とかなる」
 と仰せのとおりである。先ほどのあくびとは異なる涼やかな声色は、変声期前の少年のような、まるで年若い娘のような声色だった。
「頼光様、樹木のささやかな違い、老いた身には十分眼の保養となりますが、何か?」
 しれっと返す、老人のとぼけた口調は長年の信頼に寄るところが大きい。
「眼の保養になるか、否かの問題ではあるまい。私の主観でつまらないか面白いかのだけの違いだ、なぁ、彪凪(あやなぎ))?」
 白馬は主の言葉に「そうだそうだ」と答えるように、ぶるる、と大きく鼻を鳴らした。
 ヤレヤレ、いつもの我侭が始まった、と髭で隠しながらブツブツと、いやモシャモシャと文句を繋ぐ。
「ところで坂田。我らの手勢であれば迂回せずとも、さきの山村を突破する事くらいは容易いはずだ」

 さきの山村とは斥候(せっこう)(偵察)にあたる者達が発見した、山間の間の平野に存在する比較的大きな村である。
 当時より更に二百年前、西暦八百年頃に桓武天皇は東北制圧のために出兵をしたが、逆にそれによって政治機構は疲弊し、出兵以降も民に圧政を敷いたために反逆される事も少なくは無かった。それを西暦九百九十六年現在まで引き摺る形と政治的になってしまった。つまり、個々の村が暴走して逆徒となる可能性は十分にあったのだ。
 だが、頼光の頭の中ではその程度のおもてなしを五倍にして返せる自信は有ったし、無論、それは無謀でなく、人よりも遥かな脅威である人外を相手にした実戦を経験した上での確信のつもりであった。
 しかし、近習(きんじゅう)と呼ばれる身近な護衛で、そして副将にあたる坂田はそれを渋ったのだ。
「先ほども申した通り、斥候の報告どおり、その付近の村は『 全滅 』致しておりました。それもつい昨晩の出来事かと」
「ふむ、確かにそこそこ大きな村だったが、それを全滅させるのは相当な武力であろう。組織化された盗賊か? くくっ、秀武(すえたけ)との戦を思い出すな。思えばあれ以来は人との戦はしてないな。で、斥候の事実報告では無く、その印象は?」
 頼光は片目を瞑り、その美麗な眉を片方上げる。考え事をしながら人の話を聞く時の癖である。
「一人の兵の見立てに寄れば、皆殺しをしたのは熊か何かが大集団で暴れたようだと」
「今の時期、腹を空かせた熊が、しかも集団で起きる時期ではあるまい。大体、腹が減った熊同士は普通は共食いをする」
 老兵を「やれやれ、耄碌(もうろく)したか?」と言うように馬上から睥睨(へいげい)する頼光。
 老兵はそれに構う様子も無く、淡々と続ける。
「もう一人の兵曰く、皆殺しをしたのは(まさかり)を担いだ童子(どうじ)だとも」
「鉞だと? 力自慢の兵でも三人がかりで無いと持ち上げられない、大木を倒すアレを子供が?」
「左様です。それを伝えた重傷の村人は同時に生き絶えたと……。まぁ、どう見ても素手で人の背中を(むし)ったようとの事で、ともかく、妖魔、人外の類では無いかと斥候は疑いを掛けていますが……」
 この老人は、それら怪奇と長年刃を交えた身である。都付近一帯を跋扈した鬼の集団を狩った際、片方の瞳を神格まで届きかけている鬼の大将の首と引き換えにした(つわもの)だ。
 その老人の、戦闘に先端化した理論が、『 それら 』とは違うと告げていた。
 人と表面上は交戦状態にある妖魔が、先に近くで闇殺舎と交戦を遂げ、一部を除いて全滅させた事を知らないはずがない。現在、人外どもは、神格のついた人側の守り神を除けば、幅広く種族を問わずに団結をしている状態だ。つまるところ無駄な戦力の消耗をするような戦はする事はないため、これは妖魔人外とは別の第三勢力であると考えうるのだ。
「面妖な、だが……」
 持ち上げた眉を定位置に戻し、チラリと赤い舌を出した口。それは軽く孤を描いていた。
「面白そうではないか。(つな)と秀武も連れるべきだったか? 貞光(さだみつ)はつまらない事しか喋らないからな、それでも置物代わりには出来ただろう。ククッ」
 危機感を楽しむ主人に老兵は大きく溜息を吐いた。


3 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/05/28(日) 04:11:11 ID:QmuDsJYm


 日が暮れ、野営の時間となった。月明かりのみの、暗闇に練られた中を手馴れた兵士達が蠢く。早々と渇いた保存食の握り飯、(ほしい)を水で軽く湿らして夜食を済ませると、互いの背を相手の背に押し付けて暖を取り、死角を消す。奇襲対策と体自体の代謝を高めていた。構えは円陣。自らの主を囲む陣形、防御の陣である。
 老兵はただ一人で、横になった馬の腹を枕に代わりに寝る主人の前で、大木を背に座り、一つとなった瞳を閉じている。だが肩膝を立て、大槍と太刀を傍に立てて置いた姿は常在戦場の構えである。完全に覚醒している監視も座って寝たような状態に見えるが、それは『ふり』だけであり、大抵は薄目で、暗闇をじっと監視している念の入れようだった。

 時は丑三つ時、現在で言えば午前二時を僅かに過ぎた頃。
 ピクリと彪凪の体躯が揺れた。
「――――! 敵襲ッ!!」
 彪凪の体躯の微震と同時、頼光は誰よりも早く飛び起きて叫び、太刀の鞘を腰に構えた。
 太刀専用の抜刀の型である。長めの刃から抜き出すため、やや、柄を下にし、刀その物の自重で抜刀速度と調子(タイミング)を見出すためである。刃を固定させるためである、鞘からの刃の出入り口、鯉口は僅かに外す、いわゆる鯉口を切った状態にされてある。つまり、太刀の自重を支える指先の力を緩めれば、一瞬にして自重で地の方向へと引かれながら、刃が閃くのである。そして、その型は何万回と繰り返され、何十匹の妖魔を塵殺してきていたのだ。
 しかもその太刀は蟲と呼ばれる巨大な昆虫妖魔を容易く切り殺した、現在で言う所の交霊武装に当たる、【蜘蛛切(くもきり)】と呼ばれる霊刀の一種である。
 老兵もほぼ同時。やや遅れて、監視の兵、続いて寝ていた兵士達は体勢を整えた。
 加えて言うなら、彼ら全てが同じような訓練を積んでいた。異能無き人が強大な魔に対抗するために、誰もが平均的にある程度の才と力と根気があれば修得出来る型、身体を効率的に動かし打倒する知識によって武装した結果、現在、彼らは妖魔を圧倒するほどの立場に立っていた。

 簡単に言えば、牙や爪、異能の代わりに、武器や技術を取った彼らは無敵だったのだ。






 静寂――。まだ若い兵の何人かが、何かの気のせいではないかと思った瞬間。


              突然、四方から大木が同時に倒れた。

 動揺、そして隊形の乱れ。
「――チッ! 子と午は構えを崩すな! 丑と虎と卯は散開、見敵殲滅ッ!! 残りは退路を確保!」
 十人ごとに一つの隊となった部隊。十二支の動物が割り当てられ、それぞれが厳密に役割を定められて展開する。日頃の訓練の通り、兵士達はいち早くそれに従う。
 指示の直後、闇の奥から何かが飛来する。
 人為的に尖った枝と幹を蔦に括りつけられた罠が二十五。
 ぞぶり、と肉に先端の突き刺さる鈍い音。
「丑、やまじ、さんたが負傷!」
「虎、気をつけろッ! 罠が仕掛けられているぞッ!」
「丑、崖側に敵影! 包囲! 包囲!」
 大柄な兵士達が崖側に殺到する。猛者達は大太刀を大上段に、重武装の苦もなく駆ける。
「嗚ォ」と猛々しく吠える様は並みの兵士では腰を抜かすほどの気合。
 隊の十人でも秀でた者は隊の独自の指揮をする十人長である。その独自の判断は戦況にいち早く対応する。しかし、今回はその判断系統の早さが仇になった。
 崖側への追い込んだのか? いや、違うと、頼光が気付いた時には始まっていた。
「それは罠だ! 追うな、ッぁ?!」
 轟音の饗宴。それは『先ほど倒された大木』が崖に向かって転がる音だった。
「虎、きしまるが谷に落ちた! 至急、増援!」
「巳は大木の道筋を辿れ! そこに罠はもう無い!」
 咄嗟の老兵の指示が奔った。大将ではなく副将の指示。何故なら、頼光は真闇に意識を集中していたからだ。
 老兵が気付いたように、頼光も気付いていた。
『敵は頭が良い。集団に少数が仕掛ける時には撹乱、兵力分散の次は……』

 遥か頭上、枝のしなりと同時に何かが地面に着地する。
 その背には、僅かな月光を返す、月よりも巨大だと錯覚させる刃物。ヌラリと刃を照り返す月光が頼光を舐め挙げた。

『大将の首を獲るッ!』

 暗闇を疾駆し、黒く飛ぶ影。視界の中で頼れるのは微細で、繊細な感覚のみ。その目標に向かって頼光は神速で抜刀して、頭上へと切り上げながら跳ね上げた太刀を更に振り下ろす。
 琥珀の瞳と太刀にわずかに映った、赤い衣。
「面ッ!!」
 頭頂から地面ごと斬断するような鋭い太刀筋と呼気。だが、暗闇の中では敵が大幅によく動けていた。
 何か、重い物が空気を割る音。上体を弓よりも柔らかく反らしてギリギリで避ける頼光。
 暗闇で頼光の頭の部分が欠けた。

「下郎がッ!!」
 その超大な武具の重さごと当然の如く弾く、独眼の老兵が密なる五月雨の突き。枝に阻まれた森林でも、その捌きに衰えはまったくない。
 迸る閃光を闇に紛れて敵はかわす。
 長大な槍の長さの理を取られ舌打ちをした、意外にも小さな敵は再び深い闇に身を投じる。
 大木へと背中から張り付き、そのまま幹を蹴って太目の枝へと飛び移る。
「頼光様!?」
「――私は大丈夫だ。『お気に入りの』烏帽子が壊れただけだ」
 いつも通りの口調の中に、わずかな不機嫌な声色。烏帽子から零れた、腰に届くほどの長い黒髪は、木の間から射す銀の月光を鏡のように返していた。
「敵は襲撃に失敗した。追い詰めるぞッ!」
「頼光様! 深追いは『今は』危険です!」
「馬鹿者! 敵は仕留め損ねて動揺している! 『今が』狩り時だッ! 辰、鶏、戌と亥の後に続け! 罠には構うなッ! 申と未は怪我人の収容、遅れるなッ!」
 男達の吠える声が山を木霊する。
 その時、樹上で小さな敵は今までは違う敵だと認識し、同時に恐怖に駆られた。
「坂田、援護しろ。彪凪、そこで待て」
「把ッ」と老人の短い返答と馬の鳴声が重奏する。

『逃がさないぞ……』
 頼光はペロリと舌先で、先ほど額をわずかに掠り、鼻の間を分かれるように流れ出た血を舐めあげた。


4 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/06/03(土) 23:24:28 ID:QmuDsJYm

 跳ぶが如く、敵が、魔性が跳ぶ。
 暗闇と地の利、この二つを手に小さな敵は大勢を相手に闘争を行なっていた。
 大木を人ならぬ身の軽さで駆け上がり、猿のように枝をしならせて、跳ぶ。
 時折仕掛けた罠や、敵自身のみが知りうる窪みや茂みで兵士達をやり過ごそうとした。
 だが、その尽くを兵士達は看破した。
 相手の指揮官は相当な者だ。下手すればこの山に住まう、どの獣よりも山を熟知した敵がそのあらん限りの地の利を使う。
 それでも雑兵の一人二人を仕留める事は出来ても、それ以上は無い。兵士の練度は並みの、麓の村を護って居た者達とはまるで違う。
 加えて、地の利を知りうるはずの敵が逆に追い詰められている。
 何故だ? 敵の問いに答えるのであればこうだ。
 敵に闇の利と地の利があるなら、彼らには知の利があった。
 老獪な、一人の兵士は地形の癖から地形の全容を把握する事が出来た。そして指揮官の繊細な感覚は敵の罠の仕掛ける頃合、機を読んでいた。
 闇に紛れてきた夜行性の獣。しかし、もう数刻もしない内に彼らに最後の利が移る。
 紫色に山の裾が割れ、朝陽が迎合する。
 闇の利が裏返った。
 同時に、頭上から何かの飛来する気配。鷲か? と、敵が身をかわすと地面に突き刺さったのは鷲の意匠を施した矢。
 続けざまに二度三度。
 樹から落ちて、地面を転がる影。
 敵の視線の先には弓を構えた琥珀色の瞳の若武者がすくっと立っていた。
 視線が合うと、ニヤリと目尻を挑戦的に下げた。
 何処かへと追い込もうとする先、敵の記憶が正しければ、その先は三方を崖に囲まれた崖である。
 追い詰めて仕留める気だ、と獣の一欠けらの心で納得した。しかし、獣性の敵に降伏の、従性の二文字は無い。
 ならば、ただ最後まで足掻くのみ――


 片手で支えた大きな斧。(まさかり)を肩に担いで、敵は、少年は、三十の重装兵に対峙していた。幾ばかの掠り矢傷を受けて、そしてそれ以前からの、他者の血で塗れた粗衣は赤く滴っている。
 背後でざあざあと飛沫を巻く滝は水気で潤わせるが、少年の内側はこの上なく乾いている……。
 身の丈、四尺(百二十センチ)と少し。兵の中でも、そこそこ年がいったら居るであろう我が子と大して変わらない年頃。
 だが、その肩には、表情すらひた隠すざんばらの髪と、その中のどの兵でもただ一人で持ち上げられるか曖昧なほどの超重武器。
 三十の内の五の兵が、顔のすぐ脇に太刀の柄を構える、八相の、守りの構えで輪を縮める。少年は身を縮め四つん這いとなり、あたかも獣が飛び掛かるように、力を込める。
 ざんばらの髪の間から垣間見える、獣の虹彩が小さく凝縮した。
「辰、動くな。下がれ」
 その時、玲瓏な、少年が自己も曖昧な幼少の頃、『ハハウエ』と呼んだ人の飼っていた小鳥の囀りを思い出した。
 その真綿のような声色に含まれた、針のような、圧倒的な、有無を言わせぬ命令。剛の者達は不満も、何も無く、それにただ従うように八相のまま下がる。
 むさ苦しい男達の輪が開いた。
 そこに居たのは、その男達よりも厳しい面をした髭だらけの老人だった。
『まさか、こいつがあの声を?』
 その男は横にズレると巨大な赤い槍を肩に立て、そのまま片膝をついて、それを迎えた。


 思考が止まった――

 少年にも、美しさを理解する心はあった。だが、それが、身体の奥底を破裂させ、自分と言う枠を飛び出すほどのモノだとは知らなかった。
 目の前の若武者は、少年の一握りの理性を破壊するほど、美しい侍だった。
 若武者は、少年には勝気に見える、女性のような笑みを浮かべた。

     「お前は熊でも投げ飛ばせそうな怪力だな」


 その言葉で未だ闘争の最中だと言うことを少年は思い出した。幸い、ざんばらの髪が表情の類を少年の敵に知らせないように出来ていた。
 少年は一人の眉目秀麗な、女性とも見紛う若武者と対峙していた。どの兵より小さく、それでもどの兵よりも侮れない相手でいながらも、少年に怖れはなかった。
 この者が他の者とは違う事は何と無しに分かった。だからこそ警戒と言う言葉が脳裏を踊っている。
 烏帽子の壊れたためか? 髪は額を一周して白い布で収められ、それでも粗暴な武士とは違う、統一された雅な節を魅せていた。
 口元に侮る気があるのか? ただ楽しんでいるのか分からない笑み。

「頼光様、ご自重くだされ。ここは老い先短い(わし)にお任せください」
 その後ろからヒョッコリと長大な唐色の槍を持った老人が出てくる。少年は脅威を感じた。
 何故なら今の今まで『そこに』踏み込んだ事に気付かなかったからだ。先ほどまで片膝を付いていたのを省略したような老人の奇を感じるほどに訓練された動きが獣の感覚を騙したのだ。
「坂田、我が部下の半数が手打ち受けて……、私が黙っていると思うか?」
 少年は再び聞いた若武者の声を、はばたく直前の小鳥か何かようだと思った。
「頼光様、相変わらず戯れが過ぎますぞ」
「坂田、戯れぬ人の世など詰まらないぞ」
 溜息と同時に老人は頭を振って下がると、それに合わせて若武者は地面に落ちていた、手になじむほどの木の枝を蹴って顔の前までに上げて掴み、それを持って構えた。
 少年は牙を剥く。刀代わりの棒切れで、我が身に対峙する蛮行に怒りを撒き散らす。
「お前はいい獲物だ、誰にも渡さないぞ」
 若武者の微笑に合わせて、何処からか赤い花弁が一片、風に流れる。
 それは口に引いた紅のようで、若武者を女性ではないかと思わせた。
 自身と得物、双方に風を纏って二人は重なる。

 飛び出し様に鈍重なはずの鉞が高速の円を作る。
 右から左。
 空気に重さをもたらすほどの金属の咆哮。

 先ほどの勝負は確実に少年が取っていた。
 しかし、闇に隠れた中で発揮された威力は太陽の威光の元、まさしく相手の名前の一文字と同じ、敵の陣では功をなさなかった。
 見切った敵は鉞を半歩、身を退くだけでかわす。
 音の後に僅かに遅れて、それでも絶妙な拍子(タイミング)で若武者は間合いを侵略した。
 あまりにも速過ぎる突撃。少年の鉞は振り切ったまま。
 焦り。
 引き戻す。
 鉞の重さは少年の怪力ならばどうにでもなった。
 だが、腕を引き戻すために、反対側に振り切った肘を若武者の手で抑えられては、幾ら戻す怪力でも戻す事も出来ない。

「胴ッ!」

 そこから片手で抑えられてがら空きになった胴の、特に肋骨の薄い、肺に近い部分を若武者は片手で激打した。
 息が全て抜け落ちる。
 膝をついて鉞を落とす少年から、若武者は残心で気を張ったまま離脱。
 突如、後ろの方に下がっていたはずの兵士達に囲まれて少年は一斉に殴られる。それは戦友を奪われた復讐の走狗の瞳。
 視界が拳で埋まると言うのは人生で滅多に無い機会であろう。
 彼らの拳を掻い潜って、最後に槍を携えた老人の蹴り。鳩尾への一撃を最後に、肺に残ったの空気と共に意識が抜け落ちる。
「少年、そなたの名は?」
 そんな崩れて重たく暗い視界の中で紅の蕾が名を問う。
 少年が獣となる少し前、鬼婆と近辺で蔑まれた、それに反して美しい母から名付けられたその名を少年は呟いた。

























「……金太郎」
 更に息を振り絞って、暫く、少年の意識は途切れた。


5 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/06/06(火) 06:52:07 ID:QmuDsJYL

「……で、頼光ちゃんの道中の御土産を期待して来て見れば、何ぁんで小汚ねぇ童子(ガキ)なんざ拾ってくるんっすか?」
「秀武殿、いい加減、上士(じょうし)へは口を慎めと!」
「るっせーな、良いだろうが頼光ちゃんが『何と口調を使おうが、何と私を呼ぼうが構わん』って言ってんだぞ? (さだ)ちゃん如き一介の兵卒が上士様の決定に口挟んで良いことなのか? ぁあ? そこんとこ、どうなのよ? え?」
「秀武殿、それとこれと別でございます。武士道に士は在っても『私』は在ってはならない! これぞ、武士、士道なりッ!!」
「カッ、一人で感動して咽び泣いてるよ。うぜぇ、これだからお堅い奴はよぉ……」

 何日か気絶し、それから眼を覚ますたびに理不尽な鉄拳を食らいつつ、それでも耳に残るあの声で、気絶する一歩手前で助けられる夢を何度も金太郎は見ていた。無論夢でなく、猛烈に痛い、腫れた顔が現実だと主張しているが。
 さて、身動きのまったく取れない上、目隠しをされてしまった金太郎はとりあえず、その場の会話にしか耳を傾ける事しか出来ない。口を挟めば今度は猿轡の出番か、またまた土砂降りのような鉄拳制裁の出番なのでいい加減懲りたと言う理由もある。

 先程から切り出した岩石の如き堅さをもった人物と、雨上がりに見られる猪の泥風呂の如きゆるゆるの軟弱さを持った口の悪い男、の二人が少年自身を何やら評しているようだ。会話から聞けば、何故かそこそこ歓迎のようなモノはされてはいるようである。
 一体誰が、在ろうことか帝直属の、しかも退魔兵団と戦闘を仕掛けた金太郎を取り成したのだろう? その辺りは大体予想はあの若武者だろうと検討は付くが、少年はその理由が分からなかった。
 何とも言いがたいが、土牢の中で無く、どうやら感触からすれば板の間の上と言うのは、縛られて目隠しされている事を除けば、かなりの高待遇のようである。
「――と言うことです。武士の素晴らしさ、その生き様。それを今こそ理解して、秀武殿、さぁ、僕と武士を謳歌しましょう!」
「一人でやってろ、ばーか。俺はてけとーに自分のやりたい事ができりゃいいーの、気まま勝手が俺の主義主張なの」
「秀武殿、未だ理解していただけないのか?」
「あぁ、魂の底からな」
 何故か、堅物の方が泣き出してしまった状況に秀武と呼ばれた男は「えー加減にせろ」と言い、それらの反応に対して、とりあえず、金太郎は戸惑った。
「秀武、貞光、やれやれ、お前等は目を離せばまたそれか」
 春風を吹かすように出てきた爽やかな声色。声の調子と言い回しから三人の武士の中では比較的年上に位置するようだ。
「訊いてください、綱殿、秀武殿が未だに僕を受け入れてくれないのです」
「テメー! 何勘違いされるような事言ってんだよ!」
「御前等、やっぱり仲悪いように見せて、そう言う(衆道)関係だったのか?」
「はい、そのような(親密な同僚)関係です」
「チゲーよッ!! テメーまったく理解してねーよッ!! 俺は女に溺れても、そんな邪道に反れても堕ちても囚われてもいねーよッ!!」








「プッ」
 あまりにも滑稽なやり取りに少年が『吹く』と、目隠しても分かる、あからさまにムッとした態度を秀武と呼ばれた男は見せた。ちなみに貞光と呼ばれた男はまだ泣いている。綱と呼ばれた音はただ気配を消し、いや、自らの風を凪いで何をしているのか覚られないようにしている。いや、微かに笑っているのかもしれない。
 そのまま声を殺しながらも笑っていると、気付けば、金太郎の笑い声にもう一つの、涼やかな笑い声が重なっていた。
「頼光ちゃん」
「頼光様」
「大将」
 秀武、貞光、綱と男の声に続いて、金太郎の耳に聞き覚えのある、あの若武者の姿が反芻される。
「よぉ、お主達はいつも面白いな」
「礼に及びません、大将」
「ヘッ、頼光ちゃん、勘弁してくれや」
「頼光様、東方僻地への人外討伐の任、御苦労様でした」
 それぞれの男の返答に「うむ」と短い言葉で応える美声。

 そして、突然視界が開けた。閃く光に眼を奪われて、金太郎は一度、目を閉じると、再び瞼を開けた。

 目前には、目隠し用の血の滲んだ布を持ち、白い仮絹衣のみを纏った、何とも乱暴な格好(無論、血と泥で汚れた赤黒い腰巻一枚の金太郎に言える事ではない)の頼光。
 その後ろに胡座(あぐら)をかいた眉毛の太い、更に口に比例してかついでに目付きも悪い長髪の男。この男が秀武だろう。左手には酒の臭いのする竹筒が握られている。
 その横に坊主頭の神経質そうな細目の男、もちろん座り方は正座、よってこの男は貞光に違いない。ちなみにまだ泣いている。涙もろいのだろうか?
 そして、その横に柱に寄りかかり、太刀を持って立つ眼帯をした先の二人よりも少し大人びた、それでも十分と若い片目の男が居た。女のような雅な容貌だが、底知れない実力を秘めているように思える。この男が綱に間違いない、と金太郎は検討をつけていた。
 男達は小柄な頼光の身長に眼を瞑っても、明らかに並みの男達より長身で身体の至る所が鍛え上げられている。少年は、彼等は若いながらも、あの山で闘ったどの兵士達よりも抜きん出て、あの老人のように強い事を見極めた。
 客間であろう場所。戸は開け放たれて、山の自然とは違う、精美を凝らした庭が見えていた。赤から黒へと充密した天蓋は、庭の外の灯り、都の灯りによって些か星は見難く、その代わりに、大きな白い満月が存在感を誇っていた。
「お主達はどう思う?」
 頼光は悪戯をする直前のような、子供じみた笑みを見せながら、少年を指差した。
「(なみゃいいきひょう:生意気そう)」
 竹筒を咥えながら、秀武は応えた。
「どうと言われましても、我が兵団に甚大な被害を与えた大罪人に他なりません」
 涙目を擦りながらも、そう貞光は答弁する。
「大将は、どうお考えなのでしょうか?」 
 風が柳を往なすように、綱は疑問に疑問で返した。
 その問いにニヤリと、「お前分かっているではないか」と笑った。



「いいか、今日からコヤツを、金太郎を我等が郎党の一員に加える」



 金太郎は何を言っているのか理解しかねた。
「……え? 何? コイツが俺達の『四人目』なんすか? こんな奴が?」
「そんな、僕は、反対です。子供ですし、無茶苦茶怪しいですよ!」
「……私は大将を支持しますよ」
 驚愕の後、二つの男の反対の声に一つの賛成。
「儂もそれには反対ですぞ」
 更に、この間の老人、坂田も何時の間にか板の間の外、廊下から顔だけ出して声を掛けている。反対足す一。
 一瞬何かを考えた頼光は辺りを小躯にも関わらず見下ろすように睥睨すると、片手を広げながら挙げて今度は男達に『宣言』をした。
「では、こうしよう。坂田を筆頭に、渡辺(わたなべ) (つな)卜部(うらべ) 秀武(すえたけ)碓井(うすい) 貞光(さだみつ)の四人でそれぞれ、彼を、金太郎を鍛え、錬磨し、我が郎党に相応しい一人前の武士にしろ。私の【四天王】に相応しい武士にするのだ。以上、異見は聞かない。逆らった奴は首ちょんぱだ。簡単に言えば、これ、【命令】だから守れ、いじょ」
 それだけ言うと頼光は『二コッ』と破顔一笑して、その場を去った。
「わーい、横暴だー」
 やりどころの無い怒りを飲み切った竹筒を庭に向かってブン投げて解消し、同時に「大馬鹿者」と坂田に殴られて床に叩き付けられる秀武。
「頼光様がまた訳の分からない事を……」と頭を抱えながら再び涙を流す貞光。
「んー、俺、明日早番だから寝るわ」とあくまで自分の調子を崩さない綱。
 一頻り秀武を殴ってふと我に返ると「頼光様、そのような事は儂が許しませんぞ」と、頼光を追い駆ける坂田。

 そして気付けば、今度は檜で組まれた風呂に金太郎は入っていた。
 湯浴みでは無いが、暑い時期は滝で水浴びをし、寒くなると近場の天然の温泉にボス猿と場所を争いながらも背中を付き合わせて浸かっていた金太郎は意外に綺麗好きだった。
 縄を解かれると同時に、何時の間にか現れた自分と同じ年頃の短髪の女の子に「何かあったら声を掛けてくださいねー」と何故か縄と同じ様にテキパキと服(赤い腰巻)を脱がされて、金太郎自身、今は湯船の中である。恥ずかしがる間も無い程の早業だった。
「なんだ、この状況は?」
 普段はあまり使わない、獣でなく人の言葉で金太郎は独白した。
 殺される危機は逃れたワケだが、どうやらそれ以上の危機に飛び込んでしまった感も無きにしも非ず。
 外には足音からして武装した衛兵が四〜五人に加えて、あの間抜けな茶番を見せた男達と侮れない老人、そして頼光なる若武者が十重に囲んでいるのだ。金太郎自身、得物の鉞の失した状況で、現状を打破出来るほど楽観視はしていなかった。
 つまり、こっそり抜け出るのも何とも難しい。しかも、自分の住み慣れた山の匂いのしない事から、自らの領地から大きく離れた事が分かった。
 兎に角、暫くは、ここに世話になろうと胎を据えた。幸い、目隠しをしながらも齧り付いた硬い握り飯はとてつもなく上手かった。山に住むからには狩りをしなければ飯も食えない。ここではタダで飯が出るのだから儲け物だ、と言う些か姑息で合理的な考え方だ。
 ……とりあえず、身体も十分温まったようだと判断し、水音を立て風呂からあがる。





 それと同時、引き戸が開かれ、そこには頼光が居た。
 いつものように結われた長髪は今は解かれ、腰ほどまで艶やかな色を保っている。乳白色の肌は些か見慣れた、自らの、獣との闘争で傷付いた金太郎の浅黒い肌からは程遠いところにある。
 ただ色々と頭の中で出来上がっていた金太郎の想像と違った。
 胸元から膝上まで巻かれた布の下、上半身には男性よりも女性の方が目立つものモノがささやかに、そのもっと下の方には男性には本来あるはずの二つの『モノ』が女性だから無い状態で。
 実際のところ、頼光は『彼』では無く『彼女』であった点だ。





「よっ、ちゃんと体洗って入ったか?」
「なっ!?」
 金太郎は妙な恥ずかしさを覚えて湯船に慌てふためきながら風呂場を四つ脚で急転身し、飛沫を上げて元に戻った。
 しかし視線を戻せば、飛沫の掛かって透けてきた頼光を包んだ布に『自分が見られた時以上に』ドギマギとしてしまう金太郎である。
「お主ー、道楽と言えど浸かれる程の湯沸かすの面倒なんだからな? 湯を零さないように静かに入れよ」
 そう言うと、桶で掛け湯を終わらして小さな一人では僅かに広い、小さな二人では僅かに狭い風呂釜に頼光は身を委ねた。
 先程まで、広広としていたはずの湯船が圧倒的な勢いで小さくなったように金太郎には感じられた。
「おいおい、何膝折って角で縮こまっているんだよ。仲良くしよーぜー」
 そう言って、嫌がる金太郎の肩を掴んで引き摺り、ついには同じ方向を向いて並んで浸かるようになっていた。
 肩越しに触れる柔らかい、自らの体とはまったく違う体。この相手に俺は負けたのかと、金太郎は自問自答を繰り返す。勿論、念仏などを知らないので気を紛らわして落ち着く代わりである。
「……びっくりしたか?」
 上気した頬で、にこやかに微笑む頼光に顔を合わせないように前を向きながら、視界を彼女の裸体から完全にそらして「当然だ」と応えた。
「……まさか、女人だとは、想像つかなんだ」
「まぁな、大抵は驚かれる。でもな、獣のお前なら分かるだろ? 裸の付き合いって重要だろ? 何かも晒せば、話しやすくなるってもんだよ。だが、坂田には内緒だぞ? アレはウルサイから内緒だからな」
 実はとっくの昔に気付いているのだが、もう何も言うまいと思っている。ちなみに、闇殺舎の構成員は誰しも一度は一緒に風呂に入っている。むろん、その後は坂田が怖くて、頼光に誘われても辞退する者の方が多い。ちなみに秀武の場合は「俺好みの体格じゃねーからいいや。やっぱ、ぼんきゅぼーんでしょ?」と意外にあっさりと止めている。
 とにかく、
「……俺の山の事なら知っているが、下界の事情は、よく知らん」
 予想以上にムスッとした少年の声にカラカラと笑い声を男装の少女はあげた。
「……何故、アンタは男の格好して闘っていたんだ?」
 金太郎は横目で盗み見るように頼光の顔だけに眼を定めた。ちょっと驚いたような顔をする頼光は、一転して少女らしい柔らかい笑みを浮かべた。
「少し長くなるが、いいか?」
 金太郎はゆっくりと頷いた。

 皇紀千六百三九年、同西暦九六十九年、千年弱前の日本は人と人外にとっての転換期でもあった。人は魔の住む領域まで侵食するほど発展し、ついには各地で突発的、散発的な小競り合いが起きた。人が団結し、その力を高めるように、人外も人に似た階級性、貴族階級の『魔族』と下っ端の『魔属』などのように分かれて、龍や山神、蹈鞴神のようにそれぞれのの種族ごとにまとまっていった。組織内での序列が決まったのだ。
 生命体の集まり、国家が出来れば、次に始まるのは、国家同士の資源の源である領地の奪い合い。戦、戦争である。
 山深い近江地方(現在の京都の北東の側、岐阜、長野付近一帯)に集結しつつある人外の集団にして、兵団。それに対抗するために十六年前、第一次対抗武装集団として坂田(さかた) 公時(きんとき)、つまり今の頼光のお目付け役の老人が選ばれたのだ。
 ちなみ下野 公時は当時の貴族の日記である【御堂関白記】などにたびたび登場する優秀な近衛兵であり、実際に源頼光に仕えたと言う記録がある。文中では『見目もきらきらしく、手利き、魂太く、器量ありて……』、つまり『器量に優れ、見栄えのする好男子で、かつ腕自慢の豪傑』と言われていたとの事だ。おそらく若い頃のことだろう。都から相撲使として、力自慢や腕自慢の兵を探しに大宰府(今の九州)へ出掛けるなどしていたため、力自慢や腕自慢程度の兵士に負ける事はないのは当然である。儀式偏重の中で唯一実力を公正に認められた兵である。 
 さて、話は戻る。熾烈な戦の末に遂に総大将同士のみが残る形となり、当時の人外の長としていた龍ノ目(たつのめ) 時雨(しぐれ)と長い交渉の末、無効二十七年の停戦条約を結ぶに至ったのである。
 その当時の三月頃、『安和(あんな)の変』と呼ばれる臣籍(しんせき)、天皇の家系でなく一般人の家系として下った大物政治家、左大臣の源 高明(たかあきら)が朝廷転覆を狙う狼藉者として無実の処罰を受けた。それは当時の人外との大戦を政界や民草から逸らすため、同時に政界での自らの力を確固たるものとするために藤原氏の上層部が練り上げられた代理脚本(カバーストーリー)であった。それほどの大事件を代理として必要とするほどの大事件だったのだ。無論、それは諸所の御伽噺へと流れ込んで、桃太郎などの鬼畜生を倒していく伝奇活劇の骨組みなったのだと思われる。
 そのため実際、平安時代に入ってから国の境界を守るための代表的な関所を越前の愛発関(あちらぜき)と言う場所から、もっと京都よりの決戦予定地である近江の逢坂(おうさか)へと移している。関所などが変えられるのは政変や帝の代がわりなどの儀式的な理由が多かったが、これだけは人外との戦争に備えるために、『聖帝』村上天皇の崩御の際に合わせて軍事目的で移行したようだ。
 ところで、その条約の無効後までの二十七年。人外は着々と都を乗っ取るために龍ノ目を中心に兵力を増強しつつあった。そこで、坂田と、ちょうど頼光の家から都の大路を挟んで反対側に住む、実力であれば京随一の陰陽師、安陪(あべ) 晴明(せいめい)以下数名の天文博士とで協議が開かれ、結論に至ったのはこうである。

 第二次武装集団を組織化し、戦争に供える。
 そこで出来たのが退魔集団【闇殺舎】である。呪術支援のための陰陽寮と法力の達人集団である延暦寺が組み合い、そして増兵鍛錬の要である侍院から兵を選抜し、加えて当時の戦車にあたる馬を駆使する馬寮を枢軸として機能する、帝公認にして直属の退魔戦特化集団が生まれたのだ。周辺の龍ノ目との関係の薄い人外を狩りつつ、敵を近江に追い込んで的を絞り、戦を決すると言う事だ。
 そして、その頭、大将に入るのは都でも認められた武の名家である源の家で、左大臣とも繋がりの深い源 満仲(みつなか)の嫡子(長男)が選ばれたのだ。
 それが源頼光である。

 だが、しかし、
「ところがどっこい、源 頼光は確かに武才に秀でていたけど、三年ほど前に突然の病で万年床についてしまったのだ。だが、帝の決定を覆せるワケでもなく、仕方なく、こっそりと源家の中から代役を立てなければならなかった。武才に秀でて、器量も良く、顔付きも似ている人物。と言う訳で私が、『源 頼光の双子の妹』源 (ひかり)、私が選ばれたワケだ」

 何だか、話途中から想像の尺度(スケール)がデカ過ぎて金太郎はついてはいけなかったが、とにかく目の前の人物が頼光と言う男でなく、その妹にあたる光と言う女の子なわけなのだ。そして、その女の子はどうやら恐ろしい妖魔と戦わなければならない運命にあるようだった。

 手でお湯を掬って自らの肩に頼光は、光は掛けると、そのまま話を続けた。
「兄上の病状は芳しくない。今のところ、ちょうど条約の終わる四年後には病状も良くなるはずだが、あくまで仮として、もし仮に病状が良好にならなかった時には私がその戦場に立たねばならないのだ。そのとき、『私の事情』を知り、補佐となる人物が必要だと坂田は考えた。それが『四天王』制度だ。私の直接の側近として、坂田に代わり、護衛としても、作戦立案、陣頭指揮、直接戦闘も個別に可能な特に優れた四人の武者が必要だと考えたのだ。
 今のところ、
 矢伏せの達人で武芸に通じた、私の腹違いの兄でもある最年長の渡辺 綱、
 二刀使いで地理掌握、陣地形成と諜報戦の長けたの元盗賊頭、卜部 秀武、
 攻性呪術や祈祷など、対魔術戦に専用に直々に陰陽寮長、賀茂殿からの指導を受けている碓井 貞光、
 が坂田の武術指導の下、訓練を受けている。そして、そろそろ最後の一人を見つけて、軌道に乗せなければならない頃だ」
「だが!」
 金太郎は反発するように光の眼を見た。
「だが、何故、俺を?」

 身元不明。名は金太郎の三文字。姓も無く、山を根城にする小童が何故眼鏡に叶ったのか?

 そっと、金太郎の顔が白い手に挟まれ、互いに眼を覗き込む形となった。
「お主の、眼が澄んで、活き活きとしていたからだ。お前なら、多くの人を救える。人が魔を退け、いや、人が魔と共存出来る『楽園』を作り上げられると、私は直感したのだ」
「……らくえん?」
「ああ、誰も戦う事も、飢える事も、蔑まれる事もなく、全てが公平で、誰もが幸福を感じる場所だ。獣が持っているのだ。人が努力して地上に極楽を持っても罰は当たらんだろう。そのために人外を虐げる事になるかもしれないが、仕方が無い。私は人よりだからな」

 光は湯船から上がる。胴に巻いていた布は取れ、その鍛えられても闇殺舎の誰よりも華奢な背には女性の身体に似つかわしくない、幾らかの傷痕が見えた。
 この傷痕は一体何時からのモノなのだろうか?
「少し長く話し過ぎたな。今日はここまでにしよう。湯冷めしないようにな。金太郎、お主もそろそろ上がれよ」
 引き戸が閉まるまでジッと光を見て、金太郎は口元まで湯船に沈み込んだ。
 ぶくぶくとお湯に息を吐きながら思った事は「色白の人の尻って、温まると桃みたいな色になるのだな」と言う、どうでも良い事だった。

「あがりましたねー。それじゃー、金ちゃんも拭き拭きしましょうねー」
 アンタ何様だと言う間も無く、体を勝手にいたる所まで拭かれて、白い、光と同じ仮絹衣を着せられて、今は寝床に寝かせられている。しかも、子守り唄を唄いながら添い寝され、気付けば甲斐甲斐しく世話していた方が寝ている。
 その女性は相模(さがみ)と言う名で、実は金太郎より三つも上なので十四、五のはずだが、見た目と言動がそれ以下だったりする。
 金太郎をしっかりと抱きしめていた腕を起こさないように静かに払うと、少し長めの絹衣を床に引き摺りながら光の住む本宅から少し離れた、相模などの世話をする端女が住む住居の縁側に出る。ちなみにそこが金太郎の与えられた住処となっている。
 縁側は春先とは言え、僅かに肌寒い。温もりと共に松明の光が煌々と火種を爆ぜさせながら周囲を照らしている。口から出た息が人の温もりを白く形作った。
「金太郎」
 気配をわざと気付かせながら、男は、綱と呼ばれた男は庭の樹の陰から出てきた。
「座っていいか?」
「好きにしろ。おまえは元々住人だろ」
 相変わらず金太郎のムスッとした口振りに、大人らしい苦笑を浮かべて単眼の男が横に座る。
 共に向かう視線の先は大きな、冷たい白月。
「大将の、光の決定であるから、私は文句を言わない。命令ともなってしまえば、坂田翁も、秀武も貞光も最後には従うしかない」
 何か、決意を求めるような口調を綱は続ける。
「だから、後はお前次第だ。望まぬまま、私等の郎党に組入るも良し。もしくは望むまま、このまま外に抜け出るのも、お前が望むなら私が今手伝うぞ」
 金太郎はハッと綱を見据えた。綱のただ一つの黒瞳が暗い中で何故か蒼く光ながら、金太郎の奥底を見透かすように見ている。
「お前は嫌な予感がする。眼は活き活きとしているだが、その先には、何とも言い難い、『終わり』に続いているように見える。私は片方の眼を失ってから、矢伏せ、射られた矢を空中で落とす事が出来るようになった。それは少し先の未来が見えるからだが、時々、ずっと先の未来すら見える時がある。こうして、お前の目の奥を見ていると本能が警告を発する。だが、理性ではお前の怪力や運動能力を大きく買っているのだ……」
「……俺は」
「何故こんな事を話したのだろうな」と綱は返答を聞く前に一言言うと、別れも早々に、出てきた時と同じ様に勝手に暗闇に沈みこんだ。
 一人残された金太郎はそのまま縁側にゴロリと転がった。冷たい床が未だ風呂でのぼせた頭に心地よく、久しぶりに夜行性の金太郎は夜中に寝てしまった。



「ハイハイ、起きてくださーい。朝ー、朝ですよー、起きなくちゃダメですよー」
 勝手気ままに過ごしてたいたはずの金太郎の日常はいつの間にか相模の制御下に置かれているような気がした。朝、妙な寝苦しさに起きてみれば何時の間にか縁側から寝床まで戻されて、しっかりと抱き枕にされていた。ムカついたので二度寝していると、暫くしたら今度は起こされた。かなり自分の意思を蔑ろにされているような気がした。
 その事実にむすっとした顔のままでいると、そのまま仮絹衣ごと背中側を持って引き摺らされ、屋敷でも些か高級であろう、畳張りの部屋に通された。
 目前には髪をいつものように若武者の如く結った頼光、もとい光の正座姿。昨日の今日の浴室での事を思い出して面食らっていると「何しているんですかー。ちゃちゃと座ってくださいよー」と相模に肩を押されて尻を着かされた。
 その横には「ねみー」と言いながら寝癖気味で整えたつもりなのかよく分からない、中途半端にボサボサの髪型の秀武と朝っぱらから御眼々と姿勢がぱっちりと整えられている貞光。そして、直衣と呼ばれる正装をした坂田と綱が同じよりに礼儀正しく正座をしていた。
 片足を立てて尻をついている金太郎の前には、相模によって御膳に乗っけられた朝餉(あさげ)が運ばれてきた。
 一般の貴族向けの、堅粥(かたがゆ)と呼ばれた今の御飯ではなく、武士向けの、顎を鍛えるためのただの玄米をそのまま炊いたものである。横には野葡萄を発酵させた地酒ならぬ、地葡萄酒(ワイン)が木の杯に満たされていた。隣の皿には昔の味噌である中国の(しょう)が鮭に塗り付けられている。 醤は、獣や魚の肉をつぶし、 塩と酒を混ぜて壺につけこみ、百日以上熟成させたものである。芹の若菜、煎り豆に、瓜のなます、小皿に塩が同じく膳に載せられていた。それとは別の膳に焼いた猪の肉が載せられていた。
 摂津河内の源家は当時の権力者に擁護され、国司(こくし)と呼ばれる、いわゆる地方知事などを頼光の父である満仲から歴任している。国司は当時の貴族間での人気職であり、一年間で現在にして億単位の財源を稼ぐ事が可能であった。それ故に食事などで困るはずが到底なかった。つまりがこの食事が平安貴族の上位の基準なのだ。平民などは米ではなく粟やひえ等の雑穀や下手すると木の根を食していた。むしろ当時としては十分な食事を郎党に賄う源の財力が窺える。武士の富豪と言えば源満仲の家系を指していた。だが言うなれば、武士は粗忽者であり、帝に直接仕える正式な近衛兵である坂田の翁など以外は現在での成金の暴力団と同じ認識だったそうだ。
 ちなみに当時は仏教が広く信じられていたが、彼らは本職は武士であると自覚していた。そのため、やっぱり肉を食わないと身体に筋肉は付かない。そのために彼らの中でも仏法を尊ぶ貞光も「猪さん、その生きた年月を宿した命を……戴き、ますっ、うぐっ」と言いながら、泣く泣く肉を日々食っていた。
 そんな複雑な宗教事情などを金太郎が考えられるはずもなく、狩りもせずにただ座っただけで飯が出た来た状態に唖然としていたが、思い出したような空腹と腹の音でそろそろと手が伸びる。が、その前に鈍器が肉を打つ音が鳴り響いた。金太郎の頬で。
「この野獣が、礼儀に従うことも出来ないのか?! 食事の前の礼くらいせんか馬鹿者!」
 煙をあげる老人の拳が金太郎を廊下まで弾き飛ばしていた。
 ぷっつんと何かのキレる音。
 間も置かずに老人との子供の取っ組み合いである。
 二十三貫(約八十キログラム)の老人を立たせたまま逆さまに持ち上げる金太郎に、その現代風に言うなればブレーンバスターに似た投げを空中で体勢を整えて逆に投げ返す坂田。
 返し技で庭まで吹き飛ぶ金太郎。
「この糞爺」と罵る子供に「掛かって来い獣が」と年齢を考えない闘争本能丸出しの爺さんが庭で暴れる。
 クツクツと笑う秀武に呆れたような貞光の溜息。
「ふむ、獣を飼い馴らすのは難しいようだな」と光は訊くと、綱は「まぁ、なんとかなるでしょう」と返答した。

 口煩い老人に口と鉄拳で注意されながらもがっつくように金太郎は飯を食い終わると、巨大な白馬、彪凪に光の後ろに乗って連れられて来たのは源氏の屋敷の一つだった。

 板張りの廊下を通って薄暗い床の間まで通される。
 そして、光に横に窮屈な正座で金太郎は座らされた。
 「兄上、加減は如何ですか?」
 金太郎の目の前に居るのは、光に似た風貌の、些かにやつれた床に就いた男性だった。
 おそらく、彼が本当の源 頼光なのだろう。
 顔は死人のように動く事は無く、あまりにも重たく、身じろぎのしない雰囲気に死人を想起させる。時折、喉がひゅうひゅうと鳴るのが、生きている証拠のように思えた。
「兄上、四天を治める持国天、増長天、広目天、多聞天の名を冠する四人、四天王をようやく見つけました」
 俺はまだその気は無いぞ、と言いたい金太郎だったが、あまりに深刻な雰囲気に突っ込む事さえ出来なかった。
「敵は強大ですが、まだまだ時はあります。養生なさってください」
 一礼をする光を見ながら、何故、兄の代役まで続けて戦うのか獣は不思議に思った。

 屋敷を後にしたのち、頼光によって京の様々な場所を案内された。
 帝の住む荘厳な、木造の精緻を極めた内裏に、様々な貴族の住む煌びやかな屋敷、内部からはお天道様の高いうちから宴の賑やかな喧騒。平安京の中心を貫く、二十八丈(約八十メートル)の朱雀大路の壮大さ。近場の鍛冶場で響く鍛造の小気味良い音。賑やかな市の光景。

 しかし、華やか街並みは南下すればするほど、道端に死体や乞食の広がる場所に変わっていった。そして、雑木林のような荒地に、枯れた田んぼなどが目に付いた。内裏より遠ざかった、四条大路以降の荒んだ光景である。
「例の戦争で疲弊して、民に廻すほどの余裕が無いそうだ」
 無言の続く中で、彪凪に揺られる頼光がポツリと言った。
 例の戦争、つまり、人外との戦である。
「まだここはマシな場所だ。戦のあった場所は……、地獄だ」

 地獄。

 その言葉の意味は、知らなかった。だが、全てが、彼の全てがそれを、拒絶していた。
 おそらく、極楽、楽園の逆。無限にして無限に続く、刑罰のためだけの悪夢。

 寂れた街道の両脇には転々と崩れた家屋が立ち並ぶ。夜盗の横行により、放火によって未だ燻る家もあった。
 気付けば、彪凪のすぐ傍に痩せこけた一人の女の子が立っていた。その後ろにはそれよりも僅かに小さな男の子も手を引かれて立っている。どちらも辛うじて引っ掛けた程度の、拾いものであろう袷着を着ていた。
 光は馬から軽やかに飛び下りると、懐を弄り、そこから魔法のように笹の葉に包まれた柔い握り飯を渡した。
 呆ける女の子と男の子に片目を瞑ってみせる頼光。
「姉弟は仲良くするだぞ? さぁ、大人に取られぬうちに行け」
 そう言って、頼光が彪凪に飛び乗る頃には弟は笑顔を見せながら、意外にも少女はペコリと礼儀正しくお辞儀をして、子供達は走って街の角に消えた。その瞳には僅かな涙が混じっていた。
「……私が始めて戦場出た頃、私が十五だったから二年前か。あの時はまだ突然戦争に出されて、その理不尽さに憤慨していた頃だな。兄上に倣って武術をやっていたとはいえ、女子の身だ。戦場では坂田に守られているに等しいモノだった。『もう二度と戦争には行かん』と腹に決めて命からがらに戦場から帰ると、一人の娘が赤子にも等しい小さな弟を連れていたのだ。……その娘はな、乳を出ないのに一生懸命に、路傍で母親がしていたように乳を吸わせようとしていた。何かに突き動かされるように私はあの子達を引き取れと坂田に命令した。そうだ、命令までしたが、ダメだった。理由は簡単だ。坂田は言ったんだ。『あのような娘達を増やさぬために、今は戦ってください』とな。それから、私は必死になって命を削る思いで強くなろうとした。戦場の角で重傷を負って死にそうになっても『あぁ、あの娘達や同じような子供はどうしているのだろう』と思うと不思議と力が湧いてきて乗り切った。それから戦場に帰る度にココに来る。あの娘達は見なくなったが、今でもこうして握り飯を似たような娘達に渡してしまうのだ。……気休めにしかならんが、これも私だ。焼け石に水。腹の虫が治まるとでも思えば、それで十分だ」
 遠い、何かを望むような視線。
「…………」
 踵を返し、北上、都の中心地である我が家への帰路へ向ける。
「後四年だ。戦争に勝てば、それでこの都も、いや、ここだけでなく至る所で人外との境界が出来れば、全ての人も人外も幸福に暮らせるそれぞれの【楽園】が出来るはずだ。そのためにお前の力が欲しい。当意即妙な風の如き綱の武術に、秀武の水のような柔軟さを持つ情報収集力と解析力、堅牢な大地にも似た貞光の魔法の結界形成能力、そして、燃え盛る炎のようなお前の闘争力が加われば、四つの柱が揃う。私に、力を貸してくれ」
 獣として生きていただけの少年に突然のように人のように生きる意味が与えられた。それは進化と言っても過言で無い程の激変である。未だ単に山に帰ると言う、ただ自分のためだけに生きている金太郎の人生に対して、全ての民を救うために、傷だらけになりながらも生きると決めた一人の少女。誰もが望む、ただ楽しく生きるための【楽園】。
 獣には有って、人に無いもの。
 今更のように、人としての生き方を示された少年の生きる道は――
「ひか……、頼光。犬は飯を食った恩を忘れないと言う意味を知っているか?」
 頼光の眉毛が「ほぅ」と意味を問うように掲げられる。
「山に帰っても特にやることも無いしな。飯も上手いし――、ちょっと付き合ってやるよ」
「……お主がここまで物分りが良いとは思わなかった」
 金太郎はフッと笑うと「獣から人となるのも悪くはない」と格好をつけてみた。


6 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/06/13(火) 01:19:03 ID:QmuDsJYm


 次の日、礼儀作法に口煩い坂田に色々言われるのは可哀相だろう、と言う相模の配慮で先に金太郎は朝餉を食べさせてもらった。二日に渡る満腹感に気を良くしていると、計ったかのように現れた光に中庭に連れられた。そこには長い木刀を担いだ綱や足の裏で座る、現代風に言うなれば愚連隊(ヤンキー)座りで左肩に二本の小太刀を載せた秀武。錫杖を持ち、そのまま黙想をしている貞光。刃に当たる部分に皮を巻いてある槍を持った坂田が居た。
「では、皆の衆。手筈どおりこいつを鍛えてくれ」
 そう言うが早いか、光は金太郎の背中を押す。
「ちょっ、得物も無いのに何をするもるさっ」
 反論する間も無く、綱から木刀での横殴りの一撃を受けて真横にもんどりを食らう。
「隙だらけだぞ」
 奮、と微風のような鼻息一つする綱を睨み付けると、手足と胴体の反動を使って起き上がる。
「くたばれッ」
 肩から振り回すように殴りかかろうとする金太郎が綱に拳が届く直前、もう一歩のところで何かが足を躓かせた。
「足元がお留守だぞ」
 と、嬉々とした表情で先ほど足を引っ掛けた膝から下を見せるように挙げてプラプラさせる秀武。
 顔面着地を見事に成し遂げたところから、土埃を挙げて金太郎は跳ね上がるように立ち上がる。
 目前には貞光が居た。
「さぁ、どうぞ」
 背格好も三人の若武者の中で一番一般人に近く、一見は飢餓に陥っていた金太郎よりややふっくらとした程度の細身の貞光。手加減無くやれば、一撃倒せるだろう相手に金太郎は獣が爪で襲い掛かるように掴みかかろうとした。
「あーぁ、やっちゃった」
 秀武の言葉と同時に、貞光はその場から眉間、鼻下、喉、鳩尾、臍下に息も吐かせぬ、連突きを放った。
 全ての直撃を受けて、金太郎はそれぞれの打撃箇所から煙を上げながらその場に仰向けに倒れこんだ。
「流石、俺達の中で一番容赦が無い」
「痛くなければ覚えませんから」
 さらっと後世の片腕の剣士みたいな怖い事を言うと貞光は錫杖の柄の先を地面に叩きつけ、幾つもついた鉄の輪を『しゃらん』と鳴らした。
「まだ終わっていませんよ、さぁ! さぁ!」
 そのまま、倒れたままの金太郎。
「なんだ、もうくたばったのか?」
 そう訊く秀武に応えるように、「ぬ?」と倒れこんだ金太郎を手近な綱は覗き込もうとした。
 瞬間、
「掴ーまーえーたーッッ」
 牙を剥きだしにした形相で覗き込んでいた綱の胸倉を両手で掴んだ金太郎。
「うらぁっ」
 立ち上がりながらぶんと音を立てて、綱を地面から引っこ抜くかのように空中に投げ飛ばす。
「甘い」
 だが、飛ばす直前に手首を逆に掴まれて、何時の間にやら空中でバランスを整えた綱は地面に着地すると、逆に横回転の竜巻のように空中で三、四回転をして金太郎は投げ返された。関節に逆らえずにふわりと浮き上がった金太郎を今度は綱は地面にうつ伏せに引き倒すと、そのまま綱の胸倉からすっぽ抜けて、掴んでいた直前の交差した手首をそのまま踏んだ。ちなみに金太郎にとっては投げた筈の相手に一瞬で手首を踏まれて束縛されている状態だった。
「うぉぉぉ、離せ、この野郎」
「戦場でそう言って離す奴は居ないな」
 やけくそになった金太郎はうつ伏せの状態から背を反らして綱の胴体に踵を叩きつけるような蹴りを浴びせる。だが、綱は分かったかのように真後ろからの避けようの無いはずの踵を掌でやすやすと受けて掴むと、そのまま足首を掴んで引っ張って金太郎をえびぞりの状態に持っていった。
「おっ、ぬっ、うぉ、なんで力、が入ら、ないんだよ」
「んー、煮るも焼くもお好きに感じだな」
 綱は余裕ぶっこきの表情で空いた片手で腰元から竹筒を取ると水を飲み始めた。
「綱の【触れ合気】か。あれやられると、触ってる場所から力が抜けるんだよな」
「えぇ、あれは綱殿独自の技ですからね、と言うか角度やばくないですか?」
「童子に手加減しないお前が言うな」
 かなりやばい角度のえびぞり金太郎を眺めながら暢気に解説する二人。
「んじゃ、金太郎が昼飯まで耐えられないに布一端」
「秀武殿、私は賭けは致しませんぞ」
「では私が一口のろう、耐えられるに米一石でどうだ?」
「光様! 賭け事はほどほどになされ、と私は常々と……」

 金太郎の努力も虚しく、四人の会話を最後まで聞く事なくそのまま気絶した……。

 彼が眼を開けたと同時に、勢いよく立ち上がった頃には既に夕方だった。夕暮れの遥か遠方から時を打つ法隆寺の鐘の音が聞こえる。
 辺りを見回せば中庭には誰もおらず、ただ無数の人の動き回ったと見られる足跡があった。
 呆然と今度は逆に尻を突き、そのまま金太郎は膝の間に顔を伏せた。
 あまりの寂しさと久しく感じなかった孤独感、そして、今まで獣にすら負ける事のなかった金太郎は圧倒的な強さに悔しさで自然と涙が零れてきた。押し殺そうにも後から後からポロポロと涙が零れる。
「く、くぞ、うくっ、ひっ、うぅぅ」
 初めての敗北。
 それにより近づく足音にも気付く事はなかった。
「金ちゃん」
 相模の呼びかけで、肩をびくりと震わせる金太郎。
「な、泣いてなんかねぇぞ」
 顔を隠しながら言う明らかに説得力の欠けた物言いに相模は苦笑すると、洗いざらしの白布を渡した。
「はい、泣いてなくても汗を掻いてますからね。少し顔を拭いた方が良いですよ?」
 しばしの沈黙の後に金太郎は布をひったくるように取ると、目元をゴシゴシと拭いた。
「悔しかったんですか?」
 拭きながら、コクコクと頷く金太郎に静かに相模は頷いた。
「男は悔しい時こそ、泣いた方が良いんです。きっと、金ちゃんは明日も負けるでしょう。でも、少し、今日より強くなります。また明日も負けるでしょう。でも、今日よりずっと強くなっています。今日の事は涙を流した時点で終りです。明日の涙を流さないように、何時か、あの三人に勝てるように頑張ってください」
 ピタリと頷きが止まる。いぶかしんだ相模が近寄ると、その胴体に金太郎はぎゅっと抱きついた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
 京の北東、頼光宅で野獣の慟哭が響いた。



「ち、何だよ。気になってきてみれば、相模ちゃんの年齢に合わない巨乳に必至と抱きつきやがって」
 邸宅の襖の影から覗きながら、邪な感情を抱きながら感動的なシーンをぶち壊す秀武。
「まぁ、いきなり全力でいったにも関わらず、三人とも手を合わせられたのですから、彼は才能が有ると思います。今までの兵士は綱殿に掛かる前に『参りました』ですからね」
 その頭の真上に位置する貞光。
「まぁ、負けん気だけは、今のところは優秀だな。翁、彼をどう見ますか?」
 稽古疲れで大の字に寝っ転がる綱を、今日の日記を書く坂田がちらりと外の金太郎を一瞥して、
「明日もぶっ潰すだけじゃい」
 とのたまった。

 一方、金太郎を慰めに一足遅れた光は相模に抱きつく金太郎を見てぽりぽりと頬を掻くと、口を窄めて少し不満そうに「ま、いっか」と言い捨てて、すごすごと私室のある本殿へと戻った。


7 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/06/17(土) 23:42:44 ID:QmuDsJYm

 次の日も金太郎はボロボロだった。その次の日もボロボロだった。一週間経ってもまだボロボロだった。
「くそ、何で全力で行っても掠りすらしないんだよ」
 いつものように夕方、獣は座っていつものように唸るでなく、人のように考え始めるようになった。
 (速度:スピード)、(筋力:パワー)は小さいながらも三人を驚かせるほどだった。しかし、それでも何か、彼らに到達するものが足りなかった。
「大体からして俺の方が速いのに何で当たらないんだよ」
 鬱々とした感情を夕暮れに、掠れた遠吠えのように解き放った。
「教えてやろうか?」
 ひょっこりとそんな金太郎の頭越しに出て来たのは、今まで教えたくてうずうずしていました、と距離感でバッチリと表す、おでこが金太郎の鼻にくっ付きそうなほど躍起になった光だった。
 絹糸よりも細く真っ直ぐな髪が金太郎の前にカーテンのように掛かる。本来なら顔を覆うように囲む、うざったらしく感じるはずのそれが、夕日の光を受けて髪と髪との小さな隙間から金糸のようにキラキラと輝いていて金太郎はそれを綺麗だと思った。
「何だよ、最近見ないと思ったら、急に出てきて」
 でも、何故かそれを口に出すには些か安っぽいように感じられて、何故か逆に突き放すような言い方を金太郎はしてしまった。
「ははっ、すまんな。私とて武官とは言え官人の端くれだ。一時は公務に追われる時だってあるものなのさ」
 むすっとする金太郎を面白がって頭を振って髪をゆらすと、前に立って金太郎の手を握って立たせた。
「さて、簡単な事さ。どうだ、私に全力で掛かってくれば、直に分かるはずだ。と言うか私は親切だからな、存分に教えてやるぞ」
 にこにこと楽しそうな顔でひらりと軽快に後ろに下がる。その間合いはいつもが金太郎が飛び掛るのと同じ間合いだった。
「女のお前に全力で掛かれるはず無いだろう?」
「その全力で女に負けたお前は女未満だな?」
 呆れた金太郎の口調を光はさらりと返すが、とうの言った本人が先にぶち切れた。
 (弾:ダン)っと地面を蹴って、縞馬に飛び掛る獅子の如く両手で光をわし掴もうと跳ぶ。
 しかしそれが届く前に光にあっさりと頭を片手で押さえられて、そのままその手を支点に回転して投げ飛ばされる。
「まず最初にお前の攻撃は馬鹿正直で真っ直ぐだ。真っ直ぐな事は良いが、相手には真っ直ぐには向かえていない。攻撃が荒いからだ」
 再び起き上がる。しかし、背中を可能な限り曲げて四つん這いに近い、野獣の構えを見せる。そこから、今度は真っ直ぐでは無く横に飛んで、斜めから鉤爪のように曲げた拳を振り回して突進した。
 しかし、光は金太郎に逆に真っ直ぐ向かう。だが、当たる瞬間に脇の下をするりと抜ける。金太郎はそれに呆気を取られていたら、そのまま光の真後ろにあった庭木に激突した。
「次に、お前の攻撃は何となく読み易い。反射だけで勝てるほど甘い人間にはここには居ない。考えて、それからそれを雷光の速度で実行しているから早く、そして確実なんだ。攻撃の到達する速さで勝負する前に技が出る早さに負けているんだ。云わば、武は後出しジャンケンなんだ。勝てる状態を読んで作ってから勝てる手段を実行しているんだ」
 庭木から顔を引き剥がすと、そこから庭木を登り上がって真上から飛び掛かった。落ちたとしても、光の真後ろは池で左手は雑木林。逃げる場所も足場の確実な、前か、右手しか無いと金太郎は考えた。
 しかし、光は動かなかった。
 そのまま、金太郎の掴みかかる両手を片手で腕を撫でる様に巻き込んで、そこから喉に手刀で打ち据えた。
「ガハッ」
「後は単純な事だ。お前は背が小さいのだから間合いの取れる武器を使え。鉞も良いが、振り回すだけの攻撃は反撃が簡単に取りやすい。本来なら小さい時には懐に潜り込んだ方が良いが、それは一対一の時だけ有効だ。お前の場合は力もあるし、それを揮う得物を小さくするのはおしい。以上だ。後は頼むぞ、相模」
 物陰に隠れていた相模は「バレちゃいましたか」と舌を出しながら金太郎を助け起こした。その横を光は晴れやかな顔で過ぎ去る。
「さぁ、金ちゃん、ぼぅとしてないで起き上がっ、熱っ」
 反撃を無防備な状態で受けて倒れた金太郎。しかし、彼の眼には、この間のような悔恨すらなかった。
 燃えていた。
 金太郎の体が焔のように熱くなっている。
 助け起こそうとした相模がその助け起こそうとした掌を見ると、少し火傷のように赤く腫れていた。
「金ちゃん?」
 人間では有り得ない、焚き火のような放射する熱を四方に撒き散らす金太郎がついに、笑い始めた。
「楽しいな」
 強い者と戦う事。一度敗れた事で余計な自尊心(プライド)を捨てて、金太郎は渦巻く力の方向が分かり始めてきたのだ。己と他の強さを比べる。敗れれば、それでも生きていれば、強くなってから挑む。弱さを臨む事で、強さの形が、そこへ到達するための最短手段が見出されてきたのだ。
 何よりも、渦巻く力を全力でぶつけられるのが楽しかったのだ。
「金ちゃん、そんなところで寝ていたら、風邪をひきますよ」
 そんな気もしらずに、ほかほかになった掌をふぅふぅ息を吹きかけて相模が冷ます。
「知るか。いや、今は動きたくて、動きたくてしょうがないんだ。何かに今は思いっきりぶつかりたい気分なんだ」
「……え、ぶつかるって、まさか、私を押し倒す気じゃ……?」
 窮屈そうな胸元を押さえて、金太郎から驚くほどの速さで後摺り去る。
「何だ? 押し倒すと何かあるのか?」
「いや、その、何でも無いのですけども」
「……あぁ、頼光は行ってしまったし、綱は自宅、貞光は読経をしに寺に行って、秀武は歓楽街か……。誰か他に今手合わせてしてくれる奴居ないかな?」
 童子に突然押し倒される妄想で悶々とする相模の気も知らずにそんな事を金太郎が呟いた時、稽古場のほぼ正反対にある表門から開いて、誰かが中に入る馬蹄音が聞こえた。
「あ、公時様がお帰りになられましたね」
「爺か、アイツくらいなら俺の相手にはなるだろう」
「何を言っているんですか、公務から帰ったばかりですよ? 大体からして急に言われても心の準備が、きゃぁぁぁぁぁぁ」
 突然、相模は真っ赤になった顔を覆っていた。何事かと寝っ転がった状態から飛び起きると、庭のど真ん中には(ふんどし)だけになった筋肉隆々の老人がいた。
「朱雀通りまで届くほど屋敷からとんでもない気を発しおって、久しぶりに、……騒ぐわい」
 むん、と胸を張りながら、両腕を掲げ、二の腕と胸筋、迫り出した腹筋を強調させるような独特な姿勢を作り出した。後世の肉体開発家(ボディビルダー)が見たら、元映画俳優である合衆国州知事の現役時代を思わせるような見事な体格だった。
 棍棒で殴られてもびくともしなさそうな太い首に、力が綺麗に抜けた、それでも肉が付いたために矢印に見えるでかい肩。矢が二、三本刺さってもびくともしなそうな厚い胸板。腹筋などは殴った相手の方が痛くなりそうな厚みを持っている。丸太のように太い腕に、それらの上体を支える足は野鹿のようだ。所々にある傷跡は様々な戦闘経験を経た事を暗に物語っていた。ほぼ素っ裸にも関わらず、重装備と形容できる肉体美を誇っている。
 体からは金太郎と同じように、言うなれば気のようなものがチリチリと放射されていた。
「ほれ、何時まで突っ立っておるんだ、(野獣:小僧)」
 坂田はやたらと楽しそうな顔で拳を作って、地面に付いた。
「禁じ手は拳と眼と玉だけだ。後は蹴ろうが地面に叩きつけようが何しようが」
 グッと地面に伏しながら、下から気合だけで吹き飛ばしそうな姿勢をつくる。
「自由じゃわい」
 坂田の言葉と同時に、今まで煩わしかった、とでも言うように着物を剥ぐと金太郎も同じように構えた。
 相撲だった。必要な距離である立ち合い線の間を身体で測って、七十を越える老人と十代が始まったばかりの子供が立ち合った。本来なら孫と祖父の楽しい戯れに見えるはずのそれが、周りをぞっとさせると殺伐とした空気を纏っていた。
 そして、何故かは知らないがやたらと熱い。二人のまだぶつかり合う直前にも関わらず、形容しがたい磁力のようなものがぶつかり合って膠着し、鬩ぎ合って二人を中心に熱を帯びていた。

            「発氣用意(はっきようい)……」

 老人の単眼と金太郎の未熟ながら燃える瞳が見合う。

                          「――残ったァッ!!」





 長徳元年(西暦996年)五月、内裏北東で鳴り響いた怪しい破裂音は肉と肉のぶつかりあう音だった。



 翌日、一番早く稽古場に来る貞光よりも早く坂田と金太郎が居た。金太郎は坂田の槍を持って延々と一定の動作を繰り返し、坂田はそれをじっと見つめている。
「おや、お二人とは珍しい。ところで御二方、その額の瘤はどうしたのですか?」
 ピタリと金太郎は止まって、貞光を見る。同じように坂田も見ているのに気付いて、流石に鈍感な貞光も「何かあったのだろう」と察して、杖術の型に没頭する事にした。

 その日からのは金太郎の日常は凄まじいものだった。
 ついに始まった老人の武術指導(鬼の扱き)は熾烈を極め、型に始まって、礼儀作法、一度でも受身やら受け手を仕損じれば「未熟者」と罵られながら更に拳骨の嵐を受けた。
 綱の『合気』とか言うシロモノは金太郎の熊を投げ飛ばす膂力を持ってしても、投げたはずなのにまるで赤子の手を捻るかのように逆に投げ返された。それ以上に太刀を持たせれば人とは思えない程の強さなのだ。本当に刀で矢を落とす、矢伏せの術を見せられた時には金太郎は唖然とした。四方から射掛けられながらもそれを竜巻のように落としてしまう。それでも、それ以上に調子の良い時には【矢止め】、矢を素手で掴めると言うのだ。その内には雷ですら止めかねないと金太郎は心底思った。
 秀武も秀武で軟派な態度と口の悪さをしながらも、二刀を持たせれば一つの凶器となった。流れる水のように攻め手は刻々と変化し、気付けば横、背面、間合いの内へ入り、一本取られていた。肝心なところで勝利を目前にしながら足場を取られるところに誘い込まれたり、砂を顔面に掛けられたりと、勝機を掴んだ瞬間に逆に奪い取る事に秀武は長けていた。「まだまだだな」と皮肉げな眼で語る秀武に負けぬように金太郎も掛かっていった。
 貞光も貞光であの性格だから手を抜く事はない。刃の無い棒が肉を裂いて骨を砕く凶器となるのを身を持って知った。お陰で貞光が「まだ終わっていませんよ、さぁ! さぁ!」と言う度に錫杖とそれに付けられた金属の輪が『しゃらん』と音を鳴らす癖が耳に残った。お陰で以後、道端を歩くまったく関係の無い僧兵が出すその音に微妙にビビッてしまう金太郎が居たりする。
 得物は超重武器の鉞から同じく超重武器の大槍に自ら金太郎は変えた。同じ超重武器なら短躯による間合いの不利を克服するためにも良いだろうと言うことだ。それに源の郎党では知る人ぞ知る大槍の達人中の達人でもある『神槍』と呼ばれる坂田からも指導を仰ぐ事が出来る。
 だが、何よりも金太郎が好きだったのは弓の時間だった。公務で忙しい光が合間を縫って手取り足取り教えられた弓は、気付けば都でも騎射で右に出る者は居ないと言われた光にも月に一度くらいで届くほどの的中率の技量となっていたのだ。
 光が「弟子が師以上に上手くなると妙に悔しくて嬉しくなる気持ち。私にも分かったぞ」とこっそりと金太郎の昼寝中に坂田へ語ったと言う。

 ともかく自然と、金太郎は日々ボロボロになる中で強くなっていったのだ。持ち前の運動神経の高さによって僅か六ヶ月で貞光に、九か月で秀武に即死と断言できる寸止めの一撃を与え、一年半を過ぎる頃には綱にも冷や汗を掻かせ、二年目には公時を唸らせる打ち込みを加えるほどまでになったのだ。十二、三の子供が、運動能力で勝る十七、八を圧倒し、経験を積んだ七十代に肉薄するのだ。尋常ではない。最初は敵意と殺意を持っていた闇殺舎の兵団員達も、その実力を認めて馴染むようになり、遠い未来を見越して四天王に相応しい南の方位と掛けて『南の若』やら『持国天様』、その誉れる怪力から【怪童丸】殿なんて呼ぶ者もいた。
 姓の無かった金太郎には『坂田』、老人の性が与えられた。都の役所には老人の妾との間に出来た隠し子とされたのだ。無論、老人に若い子供が居たと言う事になった(光の独断)ので、宮中で坂田に「若き元人妻歌人との愛びいき」や「実は先帝の妹の娘との悲恋」がなどの尾ひれや背びれ、オマケに触覚まで付く勢いで根も葉もない噂が何処からともなく立てられ、「本当にそちにそんな事があったのか?」と内裏で現帝である一条天皇に問い詰められて大いに老人は冷や汗を掻いたと言う。ちなみに翌週、ボコボコにされて逆さに木に吊るされた秀武が発見されたが、理由は言うまでも無い。口は災いの元である。
 ところで一番金太郎の教育で苦心したのは礼儀だった。食事はつい、いつもの癖で手掴み、鷲掴み、礼は無し、後片付け無し、素足で土足、夏の暑い日に床下に穴を掘って犬のように寝るなどの、獣っぷりの大盤振る舞いだった。老人の旨とする士道において無作法が断じて許されるはずも無く、「未熟者」の怒声と共に鉄拳と足蹴が飛んでいった。そんな事に一計を案じたのは光だった。相模の家事の手伝いをさせる、と言うトンでもない思いつきは功を相した。金太郎の視点からして、いつもヘラヘラしているように見えていたはずの相模の手際の良さ、食べ物を粗末にしない折り目の正しさや、光で無く、頼光として接する際の細かな礼儀は感嘆させられた。実は源家に拾われた没落貴族である女房、いわゆる現代で言う所のメイドに値する相模は元々の育ちの良さを持っていた。その礼儀と立ち振る舞いは劇的に作用し、金太郎は食卓を手伝いながらも礼儀を同時に学んでいったのだ。気付けば、炊事洗濯掃除を「金ちゃん、最っ高!」と親指を立てて相模に褒められ、「実は武術より才能があるのではないか?」と光にからかわれたりもした。
 そんな中、相模の影での炊事の苦労を見つめながら「お前も努力家なのだな」と不意に言って「金ちゃんも、裏手でよく一人で武術の稽古しているのだから同じじゃないですか?」と言い返し、お互い何時の間に見ていたのだろう、と逆にドギマギしてしまう場面があったのは二人の秘密である。


8 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/06/19(月) 14:25:10 ID:QmuDsJYm


 と、そんな今までの二年間を思い返しつつ、金太郎は風呂に入っていた。
 何時の間にやら、四天王で一番身長の低い貞光を追い掛けるように大きく成り始めている。今風に言えば成長期と言う奴だろうが、当時の近辺ではあまりに突然大きくなるので「実は鬼の子供ではないか」などと噂をされていた。実はただ単に栄養不足で成長しなかった分と成長期の時期が重なっただけだが、当時の事情と言うか、取り繕う理由としてはそれで十分だった。ちょうどその頃、「実は老人の子供は鬼婆との子だったらしい」と言う新しい噂が流れて、またボロクズ同然、死に体の秀武が頼光の庭の先の木に吊るされた。その時は金太郎が目の前で自分の作った飯を空腹の秀武の前で食う暴挙に出たが、老人の鉄拳はまったく無かったと言う。それに「おのれ爺が色気を見せやがって」と訳の分からない呪詛を秀武は吐いたと言う。
 金太郎の鍛えられた肉体はガリガリとは言わないが、子供時代の引き絞られすぎた身体に更に潤いが満たされ、そろそろ相模も赤らめた顔を隠しつつ「うわああ、色気感じてきちゃって私もう無理だわ、負けました」と何時の頃からか敗北宣言と共に拭き拭きを無くされたりした。「楽だし、結構気持ち良かったのになぁ」と金太郎がちょっぴりしょげたのは誰にも内緒だったりする。
 僅か二年で多くの物が変わった。
 それでも、変わらないモノはある。

 突然、引き戸が開かれ、そこには光が居た。
「よっ、ちゃんと体洗って入ったか?」
「いつも同じ台詞なのだな」
 いつも通りの展開に呆れつつ、風呂の隙間を空ける。掛け湯を済ませて入る光の挙動。触れ合う白い肌と浅黒い肌、そしてその隙間の温もり。
「ふぃー、日頃の疲れが取れるねぇー」
「今日も内裏に行ってきたのか?」
 肩に光と同じように湯を掛けながら金太郎は問うた。
「あぁ、明日頃にはお前の始めての帝のお目通しだ。正式に、とりあえず、綱の侍童(じどう)(身の周りを世話をする子供)として推薦した。帝の竜顔を拝するのだ。この間、覚えた正装の着方、忘れてないだろうな。現帝との御目通りだ。竜顔を歪ませるような、私に恥をかかせるなよ?」
「無論だ。もう着物の右前と左前を間違えたりはしない」
 その言葉にカラカラと笑う光にムッとしつつ、金太郎は返した。
「本来は十二からなのだが、お前には礼儀を教える方が難しかったからな、少し遅れたが、まぁ良いだろう。それにしても……」
 同じく肩を並べる金太郎の爪先から眼までを光は見つめる。
「大きくなったな」
 嘆息するように光は言った。
「頼光が小さくなった……、ワケでは無いな」
「馬鹿者、私を鈴繰の亜人のように伸縮自在のはずがあるか」
「何!? ダイダラボウシのような巨人やら逆に小人になると言う種族! あれは真実なのか?!」
 とぼけた顔で「どうだろうなぁ?」と光ははぐらかす。
 ムッとなった金太郎は光の顔にお湯を掛け、まともに掛かった光もそれに負けじと掛け返しを始め、気付けばお湯は肩口から鳩尾くらいまでに減っていた。
 ズブ濡れに成りながらも、金太郎と光は笑い、そして沈黙に戻った。
 ゆったりとした今でも変わらないモノを感じ取る。

「大きくなったと言えば、光の胸は全然変わらな、痛ッ」
「そこから先を言う事は命令する。禁句だ」
 光はむくれた顔で拳を湯船に戻す。
「了解。俺もジジイ以外からの拳はいらないからな」
「……私でも、少しは気にしているのだ。比べて相模の大きさはなんだ!? 何だか怪しい加地祈祷でも行なったのではないか?!」
「いや、個人的にはアレが普通の成長だと思うが?」
「むぅ、あれがやはり標準か」
 嘆息しながら自らの胸元に悲しそうな眼を寄せる。本当は標準よりも相模は遥かに上なのだが、光を落胆させないためにも黙っておく事に金太郎はした。実際は教えた方が良いのだが。
「確かに男性として変装する分には問題無い、と言うより都合が良いが……。十九女子(おなご)としてはまったくもって悲しいぞ」
「ご尤も」
 それだけ言うと金太郎はそそくさと上がり出す。
 何も変わっていない、そう金太郎は思っていた。
 しかし、金太郎の中ではムズムズとする、あまり良くない変化が最近起きはじめていた。
 それは身体でなく、心の変化。
「なんだ、もう少し浸かっていかんのか?」
「明日の朝餉の準備をする。相模だけに任せて置けない。唐土(もろこし)から土で作った鍋と言う物が届いてな。昨日鹿肉が届いたから、それでまた新しく創作料理を作ってみようと思う」
 背中を向けながら金太郎は顔だけ向けて返すと「おぅ、お主は時々変な事を料理でするが、全部上手いからな。料理は期待しておるぞ」とぼぅと湯に浸かりながら返した。
「では、また明日」
「あぁ、お休み」
 脱衣所に戻ると光の体の一部始終が鮮明に脳裏に思い出されて金太郎の体の奥が疼いた。自分が発情期の獣のようになるのかと思わず、人に成りかけていた理性が反応して顔が赤く染まった。
「確かに、そろそろ、ヤバイかもな」
 具体的にどうやばいのかは言えないが、とにかくそんな感じだったのだ。



 翌日、昇殿のその日。
 昇殿とは帝の御座所である清涼殿の南に殿上の間と言う控え室があり、ここに上ることが出来る資格である。位において五位以上、現代風に言えば公務員のキャリアとノンキャリアの境くらいから入る資格を有する。しかし、大変名誉でありながら平安時代の武士、大物に属する源や平の家系でも入った事は記録には残っていない。何故なら先に記した通り、この当時の武士は名誉職でなく暴力団扱いであり、狼藉者風情が天皇の膝元である清涼殿まで入る事は許しがたい事だったのである。
 しかし、ここで一つの特例が生じる。源頼光の郎党である坂田公時は近衛府に属する者である。近衛の名から察せられる通り彼は帝の本当の直属の護衛兵士の一人であり、当時の六衛府、近衛、兵衛、衛門の最上級に属し、内裏の最奥の警備をするエリート中のエリートなのである。その彼が、彼女、もとい頼光の下に就く事により、権力の不可思議な逆転現象が起こり、彼女ら郎党が嫉妬深い藤原実資(ふじわら さねすけ)に睨まれたりしながらも、清涼殿に入る事が出来るようになるのである。
 加えて坂田公時は平安後期の博識者である大江(おおえ) 匡房(まさふさ)の著書、『続本朝往生伝』に一条天皇によって二十の専門職から精選された八十六人の様々な技能の達人の一人として掲載されている。ちなみに、頼光もその一人として入っている事も付け加えておく。この昇殿は帝との直接の意見交換が必要とは言え、記録には残っていないにしろとても異例な出来事であった。

 目前には、人としての理性を圧倒する巨木の門。そして、その門は理性を極限まで高めた者のみがくぐる資格がある。建礼門と承明門の二つが目の前に立ちふさがる。
 獣の嗅覚が拒否の色合いを見せたが、それを理性で押し留める。
「怖気づいたか?」
 いつもよりも些か着飾った光の姿に、後ろには馬子にも衣装と言った感じの、意外に正装の似合う秀武。明らかに僧兵にしか見えない黒尽くめの貞光。いつもの格好にちょっとだけ洒落た、狂猛に睨む虎の柄が入った眼帯をつけた綱と、いつもはボサボサの髭を油で今回は固めてある坂田。
「ほら、とっとと行け」
 秀武からの尻を蹴り上げを前に出て避けて、そのまま金太郎は奥へと進む。
 人の持つ権威の重厚さが見られるような建物の造りを目の端で眺めながら、先頭を進む光を追う。


 帝との御目通りのための清涼殿に通じる紫震殿の出口前、右手に桜、左に橘の木の立つ間を大男が立っていた。
 身の丈は六尺六寸(約百九十九センチ)、烏帽子を頭に重ね、白い着流しに白い手甲、白い足袋。それだけ白に身を包みながらも、その全体の清純さに狂ったように逆らった、黒い印象の男が立っていた。
「これは、これは闇殺舎、もとい左馬寮の長、源 頼光殿では無いでしょうか?」
 嫌味ったらしい笑みを浮かべ、両腕を広げて男が迎える。
 まるで、それは闘争者を迎えるような……。
 演技なのか、素なのかを判別しないうちに金太郎は無意識の内に儀礼刀に手を掛けていた。
 その抜き打ちの構えの柄元を手で、さり気なく秀武は押さえていた。貞光と綱は何時の間にか金太郎の前に立ち、まるで飛び掛るのを止めるかのように立っている。
「これはこれは、安陪晴明どのではござらぬか。今日は帝への用でいらしたのであろうか?」
 安陪晴明。当時の都の陰陽寮の天文博士の一人であり、闇殺舎の呪術的支援を行なっている者の一人である。実力は折り紙つきだが、当時の権力構造は家柄が重視されたため、安陪氏より賀茂氏が陰陽寮の長として優先されていた。齢は坂田よりも多く、既に八十をとうに越したはずだが、まるで二十代か三十代のように見える謎多き男である。貞光の呪術の師の兄弟子でもあるが、兄弟弟子であるはずの貞光自身から見ても掴みどころのない人間である。
「再び、北東の方角の呪が歪みましてね。あそこの結界を強化するように、との申し付けがございました」
 一体どうすればこれほど下品に笑えるのか、理解出来ないほど小さな笑み。それは人を見下すかのように僅かな孤を描いていた。まるで、その結界を消して、周辺の人がどう死んでいくのかを見つめるのような禍った眼に金太郎は見えた。
「で、そちらの子は?」
 禍った瞳が向けられる。背骨の下から冷たい氷柱が捻りこまれたように金太郎は感じた。冷気が多足虫のごとく、ゾロリと這い上がる。そして、獣の感覚が告げた。この男の本性は『悪』だ、と。
「我が臣下の一人に過ぎませぬ」
 ピシャリとそれ以上の詮索は止せと言葉巧みに綱が切る。
「しかし、この面々の一員ともなれば、ただの殿上人(昇殿を許された上級役人)の付き人の一人とは思いますまい。噂の、頼光殿の拾いし『鬼子』、獣を、人外をも引き裂くと言われる怪力から『怪童丸』とも呼ばれる子だと思うのは私の思い過ごしでございましょうか?」
 如何にも玩具に飢えた子供のように、その悪は引き下がらない。
「詳細は帝よりお伺いください」
 切り札を出して坂田が最後を締めた。まさか帝の名を出して追求はしないだろうと言う見込みである。
「そうですか。それは……、楽しみです」
 クスリと笑う晴明は悪びれた様子を見せている。懲りてはいない。そのまま、音も無く光達の一団の横を過ぎる。

 彼の後ろには赤い、人が着るとは思えない奇妙な衣を羽織り、口元には上に向かってはねた髭を持つ男と、至って普通の、何故か妙にイヤラしい視線の男の二人が付き従っていた。
「なッ」
 何時だろうか? 何時彼らが現れたのか、最も感覚の鋭い金太郎も、未来すら見通す綱すらも気付かなかった。突然、『 異界 』から抜け出たように、まるでこの世の者とは思えないほどの性質を備えているように、その怪人達は見えた。
 そのまま、角を曲って三人は視界から消える。

「前鬼と後鬼」
 光の声。それは珍しく、畏怖の分かる声色だった。
「何だ、それは?」
「晴明が使役すると言う異界の鬼だ。何千里もの距離を飛び越えて現れる人喰い鬼、ショクジンキとも言うとか……」
 そんな、異界常識を従える狂った男……。
 その後の帝の御目通りも記憶に残らないほど、あの陰陽師は印象的だった。


9 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/06/19(月) 14:26:09 ID:QmuDsJYm

別幕

 ――蒼ひ焔が蝋燭の芯の上で踊る。その命尽きへるまで、踊り狂ふ。


 煤が閉じられた空間の中で所在無く上に舞い上がる。暖められた空気で舞い上がった煤は再び塵となって舞い落ちる。
 蝋燭に揺れる光の中では闇の中は完全には判別し得ない。正に混沌だった。
 その闇と光の境界に男が居た。
 目を閉じて語らうのは異言、大陸の詩。いや、そんな詩に似た、――呪詛。
 最後に「怨」と一声で世界の奥底、予め決められた法則を発動させた。

 陰陽道で【式】とは特別な意味を持つ。【式】は『物事の繋がり』で自然の運行や法則を読み込んで、人為的に干渉することである。しかし、その結果は至極まともなモノである。【呪い】と言う【式】を打つことで他者を意図的に精神錯乱(ヒステリック)にさせて、自殺や病気にさせることも【式】を打つと言う最古の【魔術】となるのである。星詠み、もとい太陽の黒点の具合による天候の変異や電磁波干渉を予測する事だって【式】を読むと言う、やはり【魔術】となりえるのである。言わば古代の【魔術】の一端は進んだ、進み過ぎた超科学(オーヴァーテクノロジー)の一つとも言えるのだ。

 そして、京で最も【式】を読める男はこの男を置いて右には居まい、と言われるのは安陪晴明と言う一介の天文博士である。陰陽寮の長では無いが、実力は形式で置かれた賀茂と言う呪術の師だった者、その息子である長を明らかに凌いでいると言われている。
 現帝からも頭蓋骨の軋む痛みを取り去って(実際はただの偏頭痛の催眠治療)からは、現在では事あるごとに現帝から信頼を置かれる男である。

  男が、目を開けた。

「前鬼 あるでひど、居るのであろう?」
「ここに」

 まるで空間を飛び越えてきたように、赤い見慣れない衣を羽織った男は片膝を立てていた。ピンと跳ねた髭は上方を向いている。
「『例の女』の息子は捕らえただろ?」
「はっ、我が身に留めております」
 時も場所も異なる場所から来た異次元の鬼、いや騎士は応えた。

 彼らは、次元も、空間も、法則も違う場所から召喚された騎士である。
 彼らの口は異次元と繋がり、王の命を尊守して、様々な接収、言わば、王のための話し相手を拉致ったり、異次元の品を無断で集める異次元の人間であり、彼の世界の言葉を訳すと騎士と呼ばれる、帝のような者に仕える武士の一人なのだそうだ。

 本来は彼らの、異界の騎士王の為に激務で謎の緑色の液を栄養剤代わりに飲みながらも飛び回る日々だが、騎士の掟である[ 呼ばれた者には終わるまで応えよ ]があるために現在は晴明に付き従っている。
 先の掟はつまり静養の意味でもあるのだが、それでも王からの激務と晴明の命令が大して忙しさが変わらないのは応える相手を間違えたと言った所だろう。個人的には彼は自らの世界である小さな騎士候補の女の子の召喚に応えたかったが、僅かなタッチの差だった。羨ましいです、騎士団の二位の男である上司のヴァカンスを思って心中に刻む日々。加えて、静養中でもくっついてきた騎士候補の男はどうしようもないくらいにだらしがないのだった。胃は無いが、同じような辺りが痛むのは万国共通、いや、全異世界共通と言ったところだろうか?

「そうか、あの女も愛息子を捕られては流石に、手も足も、あるいは尾も出まいて」
 宮中では決して見せられないであろう、げらげらと下卑た笑いを晴明は挙げる。
「あとは【予測】と実践のみだ。これで戦を決する事が出来る。あの女は無駄に義理堅いからな。負けさせればその後は結果に従うだろうさ」
「左様ですか。その頃には、私はお役目御免と言ったところでしょうね」
「あぁ、俺としては君ほどの式神を手放すのは惜しいが、契約は契約だ。むろん我が家の十二、三の女中ばかりをたぶらかす幼女趣味の騎士候補とやらを一緒に連れて帰れ」
「分かりました」
「それと奴に言っておけ。アノ娘達は俺専用だ。手出しするな、とな」
「……わ、分かりました」
 その返事に機嫌を良くすると、自らに酔うように手で顎を撫でながら顔を傾け、晴明は呪文の効果を高めるために焚いた、香を含んだ蒼い焔の蝋燭を反対の手で摘んで消した。
 暗転――。


10 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/06/24(土) 10:13:57 ID:QmuDsJYm


 無数の手が褌のみの男達の間を走る。
 首の裏、脇の下、手首の周り、肘の外、腿の横。
 足元は高速で動きながらも砂埃すら立たず、二人の男の、互いの足を鎌のように狩ろうと動く。
 それは【相撲】だった。
 槍も、矢も、刀も無くなった時、最後に頼るは己が肉体。
 それを金太郎と坂田は鍛えていた。
 金太郎の握力は青々とした竹を握り潰しながら、引き千切るほどであり、妖とて掴まれれば大蛇の如く拘束され、そのまま地面へと叩きつけられるのだ。
 現代でも柔道の試合などと見ての通り、取っ組み合いなどの投げ極める術は相手の身体を音速で捉えるために、相手の掴もうとする手を叩き、逆に掴み返す場面などが見られる。その手の速さは時として、拳闘家(ボクサー)の左の拳を越え、眼で捉えるのも困難である。
 故にそこから先、相手の攻撃を捌くには、金太郎の如き動物的勘や坂田のような無数の戦闘経験から導かれる洞察力での先読みでしかない。
 ちなみにその技量はただ頼光のお墨付きだけであり、彼は未だ、一度も魑魅魍魎(ちみもうりょう)どもとすら戦った事が無い。
 金太郎がついに坂田の首と褌を掴み、地面へと叩きつける。
 二十貫を超えるの坂田の巨躯が蹴鞠(けまり)のように楽々と浮かび上がる。
 しかし、その直前、坂田は首の裏に回された手を、首を回転させながら解き、逆に金太郎の手首を掴んで、空中で金太郎の肩に乗っかった。
 音を立てて金太郎は顔面から地面に叩きつけられ、そのまま完全に肩を極められた。
 金太郎の投げに逆らわず、逆に金太郎の投げの勢いで逆に極めながら、坂田は投げた。
「くそ、まいった」
「いつも、言っておるだろう。貴様は膂力に頼り過ぎて、力に振り回されておる。残身、『投げ切る』までが相撲の極意だとな。それと、勘に頼りすぎるな。勘は一時的なものに過ぎない。戦闘に於ける理は最初から最後まで貫ける。槍の如く、意を集中させるのだ。戦闘のための理論が貫ければ、思考そのものが攻撃となる」
「…………。済まん、最近、何か集中力が欠けているんだ」
「……分かっているならもういい。儂も疲れたから休む。その場で槍の内受けと外受けを左右、両手と片手、それぞれ千回やったら上がっていいぞ」
「……分かった」

 金太郎から別れ、本宅へと荒布で傷跡だらけの身体を拭く坂田。
「(今まで、圧倒的に少ない経験を補うために『東』の、金太郎の妖魔覆滅の代わりは儂がしてきた。だが、この身体もそろそろガタが来ているみたいだな)」
 突然、坂田の手がガクガクと震えだし、布を取り落とす。
 それを取ろうと、膝を突いて、そのまま動く事も出来なかった。
「(やはり、儂も先は長くないのか? だが、大丈夫だ。金太郎はもう完成しておる。武士として、四天王として……)」
 坂田は「(ぬん)」気合を入れて、立ち上がると、そのままいつもの足取りで本宅へと隆々とした肉体を動かして戻った。

 金太郎はあの昇殿と呼ばれる稀なる帝との御目通し以来、ボォとした日々を送っていた。
 鍛錬は無論のこと熾烈を極めていていたが、それでも何処かあの【白くて黒い男】安陪晴明なる術師が気になったのだ。無論、その事を坂田も分かっているためか、自分の中で整理がつくまで放って置くつもりだった。
 獣の感覚があの男を敵だと断定していたが、人として培った理性がそれを押し留めていた。
 しかし、彼も内裏の最終防衛線の戦線に立つ者の一人である。いつまでも子供や獣のように感情に振り回されて敵意を見せても仕方がない。再び相手の意をよく見極めるべきであろう。簡単なのは相手と面を向かわせることだ、とやや早計に、しかし野生の本能に従って金太郎は敵ともつかない男と二度目の対峙をする事にした。

 宮中にほど近い、土御門大路北町小路西の一条戻橋を挟んで、安陪晴明とは向かい合う形で源頼光は邸を構えていた。そこは近辺の京都御所からすれば鬼門に当たる位置となっている。
 北東は陰陽道の理からすれば悪い氣、呪いの霊気装甲の生成されやすい、鬼の出づる方角と呼ばれるモノであり、同時に近江地方に近いこの方角は突然の人外からの襲撃に備えるために源頼光の家を中心に、防衛の要としても同時に機能していたのだ。

 金太郎は別に彪凪の伴侶にして金太郎の愛巨馬である『羅王号(らおうごう)』に乗る必要は無いだろうと、そのまま徒歩で晴明の邸宅へと向かう。
 黒籐に磨かれた正門に立つ。殿中にも上る貴族階級にも関わらず門番が一人として居ない。だが、晴れ渡る青空にその邸宅だけが薄雲が掛かるように影を落としている。場が乱れている、と野獣の直感が告げる。それもその通りで、魔術的な結界の一つ【尊大】によって近づく者を圧倒するようにその場は設定されていたのだ。しかし、立ち向かう事を前提した金太郎に取っては僅かに邸宅の雰囲気が違うと言う程度しか気に掛けないのだ。
「正四位が源 頼光様の郎党にして渡辺 綱殿の筆頭侍従、坂田 金太郎。天文博士 安陪 晴明殿に御目通り願いたい!!」
 金太郎の名乗りと共に、固く拒むように閉じられた扉が、獣が(あぎと)を開くように誰の手を借りる事も無く音を立てながらゆっくり開けられる。
「虎穴に入らんば、虎子を得ずか。問題は虎子でなく化け物虎が待ち受けているかも知れない、だろうか……」
 金太郎が喉の奥へと飲み込まれるように入ると、扉は同じく誰の手も借りる事も無く、顎のごとく閉まった。


 廊下も、居間も、金太郎の目に付く場所全てがガランとしていた。
 人のいる気配が感じられるにも関わらず、その姿形だけが写らない違和感を感じる。
 もしかしたら背中に張り付くように居て、そして耳元で囁くのを待っているかも知れないと金太郎の思った。
 ―― 矢先、
「その通りだ。待ち兼ねたぞ、小童(わっぱ)
 金太郎の体が硬直よりも先に、初めて背後に感じた気配に腰から短刀を抜く。
 振り返りながら背後への一閃。
 それはあろうことか、二本の剛直な指で止められていた。
 素人ならば腹が斬割。玄人でもかなりの刀傷となる一撃をまるで『そう来ると分かっていた』、【予測】したかのようにその男は止めた。
「無礼な、尋ねた人物に刀を向けるとは、あの老人の教育も大したモノではないな」
 金太郎の睨む先にはあの時と同じ白い絹衣を着た晴明が立っていた。
「無礼はどちらだ? 向かい入れた客人を茶化すのは大概にしろ」
 そこでクスリと白い歯を見せて、男は黒く笑う。
「決まっているだろ? 君の主人と同じだ。興だよ。ただのお遊びだ。それに本気になるとは、まだまだだね」
 短刀を指先から離す。流石に金太郎の剛力を受け止めきれなかったのか、血が滲んでいた。それをペロリと舐め上げる。
「だが、怖れる獣に噛み付かれたのは私の責任だ。気にする事はない。……客間に来たまえ、もてなそう。酒は呑めるな?」
「……そこそこな」


 一刻の時の間、二人は無言で何処から取り出してきたのか知れない新鮮な川魚の焼き物と、瓢箪に入れられた酒を、角が僅かに掛けた御猪口を持って飲み交わしていた。時折、視線だけが隣りの男をなぞる。
 敵意ともしれない感情を持て余すように金太郎は片膝を立て、落ち着かない様子を見せている。
 黒い男、晴明は悠々と胡坐を掻いて、御猪口を傾けている。


「神は何だと思うかね?」


 突然、白装束の男が放ったのは疑問だった。
 金太郎は、何かに後ろから押されるように衝動的に、それでも逡巡の後に澱み無く言い切った。
「力だ。圧倒的かつ抗い切れない力。それを(まつ)り、敬う事で人は神を作り出した。山の神秘と憧憬は巨人に、稲妻の轟きと畏敬は雷神になるように、力が神となったのだろう」
「……まさしくその通りだ。完璧な解答だ。坂田 金太郎殿」
 膝を叩いて、その事を喜ぶ晴明。
「そうだ。抗い切れない死を祀ったモノは冥界の領域では死神とも呼ばれたりするな。では、逆に人が祀られる事があれば、逆説的に『力を得て神に成ることは有り得る』かな?」
「…………」
 金太郎は答えかねていた。いや、答えは出ていたが、それを出すにはおこがましいような、そんな心境を湛えている。
「最近では菅野道真の神格化もあったくらいだからな。可能なはずだ。もし、人を生きたまま神として祀るほどになるには強い、人の感情を一点に集めるような感情が必要だろう。それは例えば、『恐怖』などが都合が良い。恐怖は魔そのものだ。魔性を帯びる代物だ。では、人が『恐怖自身』となった時、それは何と呼ぶべきだろうか?」
 金太郎は背中から電撃が走って、脳まで痺れるほどの衝撃を感じた。そして覚った。まさか、この男は本気で……
 そこで着物に隠れた晴明の袖の中で指がパチンと鳴らされる。
「それ以上を『考える必要は無い』。今日は、然る時までの役者の確認だ。君の持つべき力はここで私を相手に発揮するモノではない【予定】だ」
 脳に染み渡るように響く言葉が、波紋となって、これまで邸宅に入ってからの出来事を、いやそれ以前の決心した直前まで揺らいで消えていく。
「なるほど、強い『運命』だ。異界の隠者ども、時守(ときもり)の運命を作る筆が成せる御技か。さて、私はそれを乗り越える事が出来るか。予測は予言を、いや、神の作った『預言』を覆せるか? 神に、運命に挑む、か」
 そして、揺らぎは風呂から栓を抜いたように渦となって消えた。




 金太郎は気付くと大路のど真ん中に立っていた。手元には酒の入った瓢箪と桶がぶら下がり、桶の蓋をずらして見てみればその中には川魚の焼いたモノが入っていた。
「はて、これは?」
『君は鴨川に釣りに行った帰りだろ?』
 誰かが耳の後ろから囁くように声を掛ける。
「そうか、そんな事を忘れてしまうとは、日々の稽古で疲れたかな?」
 納得するように、誰かに糸を張られて、操られるように言葉を続ける。
 操縦者がクスクスと下品な笑いを挙げたような気がしたが、それは直後に馬蹄音によって遮られる。
「何をしているのだ? 金太郎?」
 そこには昇殿帰りの、金太郎が自ら絶対の忠誠と微かな思いを誓う大将が居た。
 騎馬である彪凪もデカイ舌でベロンと金太郎の顔面を撫で上げる。獣同然の金太郎は、人なら馬の口臭でムッとするところを平気で捉える。むしろ笑顔だ。少し前、山に居た頃なら何処かの動物の王様みたいに「よしよし」と言いながら逆に舐め返したくらいだろう。
「そうそう、鴨川まで行って釣りをしてきたのだ。そこで晩酌にコレを使わないか?」
 金太郎の申し出に嬉しそうに「いいな」と了承し、「乗れ」と言葉を続ける。
 金太郎は馬具も使わずに跳躍のみで光の後ろに飛び乗る。
 短い距離にも関わらず、光と金太郎は互いの体温を確かめるようにして、帰路に着いた。
 その後に金太郎の持って帰ってきた酒に触発されて、坂田が遠出をして居ないこと良い事に全員で酒宴を催された。
 見た目通り酒に弱い貞光はそのまま一杯目で意識不明になり、実はそれほど酒に強くない綱も秀武と光の「呑んで呑んで」の煽りを「いや、ほら、明日もあるし、あれ? 言いたい事は逆に呑んでからじゃないですか?」とノラリクラリと交わしながら自分の呑みたい調子で呑み続ける。秀武がいつか山賊時代にやったと言う呑み比べを光としている最中、金太郎は冗談で光が言ったつもりだった命令の樽の丸ごと飲みを二杯目まで進んでいた。相模もこの騒がしい面々を世話をしながら同時に混ざると言う離れ業をやってのけた。

 結局夜通しで起きていたのは樽四杯目でようやく酔いの廻ってきた金太郎と、途中で光の家の宿舎とは別の自宅にさっさと帰った綱だけだった。相模は途中から疲れてきていたようなので「先に寝ていろ」と金太郎に言われて「それじゃお言葉に甘えて」と女房の宿舎に向かった。
「んー、眩しぃ」
 金太郎の筋肉で硬い、それでも竹の枕よりは柔らかい膝枕をして貰いながら寝ている、無防備な光が呟いた。未だ微睡(まどろ)んで瞬く琥珀の瞳。
 秀武は都の南方の歓楽街にある一番可愛い女の子の名前を呼びながら……、貞光に抱きついて居る。ちなみにその貞光は応えるようにひっしと抱き返している……。論評(コメント)回避。
 とりあえず金太郎はその二人が寝ているのをしっかりと確認すると、光に視点を移した。
 髪留めを取った黒髪は乱れて顔に寝汗と共に張り付いている。琥珀色の瞳は白い瞼の裏へとひた隠しにされている。こうして見慣れても、未だ高鳴る金太郎の鼓動は、一つ一つが彼女のために奏でているようだ。
 そして、白い肌の中に浮かぶ赤いくちびる。
 眩しいと言う朝陽を、光の顔を覆うように金太郎が頭で遮る。
 鼻先と鼻先が触れ合うほど近く、そして、鼓動に合わせて、すこしづつ、くちびるとくちびるの間が縮まる。
 ピクリと揺れ動いた、光の睫毛も気にする事無く……。
「頼光様ー。お客様ですよー」
 相模の不躾な呼び掛けと足音でピタリと、金太郎は【間合い】への侵蝕を止める。
 頭をぴったり戻したところで、ひょいと顔を出す相模。
「あっ、金ちゃん、頼光様に膝枕してるー。ずるーい」
「……何がずるいのだ。で、客人とは?」
 必要以上にブスッとした、そしてやや慌てた、まるでムリヤリ背筋を伸ばしたような金太郎の態度と物言いに相模は首を傾げつつ、
「分からないのよー。『頼光殿に会えば分かるの一点張り』で」
 心底困ったと言う言葉使いと溜息をし、それを見ていた金太郎の強張った眉間を弛緩させた。
 時は『男尊女卑』の華々しい平安時代。男性の応対には男性が出るのが務めである。女性を軽視というワケではなく、そうである事が普通だった時代なのである。無論、頼光の場合は彼女が男性であると言う前提なのだが。
「分かった代わりに俺が出よう」
「お願いします」
 玄関を抜けると、牛車用のではなく、徒歩用の、貴族用で無い門の外で一人の男が待っていた。
 禿(はげ)だった。年は肌の張りと声色から三十歳と少し。それでも剃ったわけでもなくツルリと、額が干上がった湖のように毛髪が枯渇していた。それでも幅広の烏帽子で隠すこともなく、堂々と構えた恰幅の良い男だ。綱や秀武のように流線的な、速さを醸し出した筋肉のついた体つきではないが、ただ単にガタイが良い、骨格のしっかりとした男性である。太刀のような武具の類は身に付けていないようだから恐らくは武家の者でなく、文士の者だろうと金太郎は思った。
 徒歩で来て、しかも簡素な身なりのわりには要所要所がこざっぱりとしていて気品が嗅ぎ取れる。しかも、そこに貴族特有の嫌味ったらしさは無く、同じ武士と同時に貴族である頼光のように自然とした、生まれの良さが見受けられた。口元に生えた髭は切り揃えられているが、それは威厳よりも人の良さを見せているようだ。
「そなたは何者か?」
 が、山から人の住む【下界】に来てその辺りの感覚と日の浅い金太郎には、庶民風の禿たおっさんが何か来た程度の印象しかなかったので、片手を腰に当てながら不躾とも言えるような誰何(すいか)の声を挙げた。
「こいつぁ失礼。宮中で、ちょいとばかし頼光殿と交流のある『みちなが』と言うただのおぢさんだよ。ちぃとばかし、頼光殿が気になってな。こうして御目通りを希望したわけだ」
「みちなが?」
 何処かで聞き覚えの有るような名だったが、金太郎の脳裏には浮かぶ事は無かった。
「ふむ……、残念ながら、俺の記憶には無い名だ。素性の知れぬ者にこの門をくぐらせるわけにはいかない。今日はお引取り願おうか?」
 すると男は残念そうな顔をし、
「そうかい。ならまた機会があれば会うとしよう。と言うか君ぃ酒臭いぞ。程ほどにな」
 ってな具合に納得してそのまま歩き去った。
「変な禿だ」
「……聞こえてるぞぉい」
 八丈(三十メートル)も離れて居るのに聞きつけるとは、まさか妖怪の類では無いだろうか? 「すまん」と横柄に返して、「まぁ、光を煩わせるのも何だし、別に報告する必要も無かろう」とそんな益体のない事を考えつつ、金太郎は屋敷の内へと戻った。

 次の日は金太郎も含んだ昇殿の日程であった。参議と呼ばれる貴族達が無駄に凝った儀式に則って、やれこうだ、いやいやこうだ、と延々と理屈と屁理屈を繰り返す退屈極まり無いものだ。帝と言う最高責任者が居ながら、その命を受け取った後で、更に茶々を居れてツマラナイ時間の浪費を繰り返す時間だ、と金太郎は思っていた。綱の背後で、頼光の面目を潰さないように如何にあくびを噛み殺すか。その程度のものだ。同じように思っていただろう坂田の言葉を借りれば精神修養の時間でもあるだろう。こんな下らない牛の歩みのような儀式をしているくらいなら、そのうち部下になる予定の闇殺舎の兵士五人と同時に戦う時の戦術を頭で考えていた方が楽だと金太郎は思っていた。無論、彼を含めて、横で不精髭を弄りつつ、歓楽街の女の子をどう同じ夜に口説こうかと考えている秀武やら今日の晩飯のことを考えている綱と同列に非常に退屈な時間だった。
 真面目に聞いているのは、そろそろ統括者として、現場のお目付け役からは引退を考えている坂田と石細工のように硬く、まさにくそ真面目な貞光。そして最高責任者として真っ向から本気で真っ当している、一生懸命な頼光くらいのものである。
「――では、以上のように取り決める。それでは良い日頃を」
 ようやく日も明けて幾ばかもしないうちから天頂に昇るまでに至った会議が終わった。金太郎達は足の痺れを気にしつつ、立ち上がるとそこに、金太郎の目には見覚えのある人物がいた。
 紫の衣に狩衣を羽織った、先程まで一番上座に座っていた恰幅の良い男性。ちなみに昨日とは打って変わって、しっかりと幅広の烏帽子で額を隠していた。
「あ、昨日の禿」
 直後に反射的に暴言を吐いた金太郎の後頭部に思いのよらぬ衝撃が走った。
 その後ろには拳を握って嫌な汗を流している頼光の姿。
「ば、馬鹿者!! そこの方は我が直轄の上士にして、左大臣藤原道長(ふじわら みちなが)大殿(おおとの)だ」

 時の最高権力者、帝に次ぐ権力を持った男。数々の政敵を退け、宮を手中に治め、後に摂関政治を行なって藤原氏の栄華を誇らせる男である。
 現在彼の冠する左大臣は、『聖人君子』である必要もあるために不在の多い超名誉職である『太政大臣』を除けば、帝の家系以外の平民で頂点に立っているのである。
 そして、帝の意向もこの道長の手に掛かれば捻じ曲がってしまう事も政治の体系上罷り通っている。故に、実質の政権の最高権力者と言っても過言ではなかったのだ。
「そうです。このおぢさんが道長さんなのです、はははっ」
「…………………………………も、申し訳が無い」
 流石に金太郎も理解はしてはいなくても、耳がシュンと垂れた犬のように、頼光に掛けた迷惑を思って大いにしょげた。
「この馬鹿者」と金太郎の後頭部を持って光は、詫びをさせるようにがんがんと板の間に叩きつけた。
「うわははははっ、気にするこったぁない。おぢさんがちょーっと魔が差して若いのに悪戯をしてみただけやて」
 豪快に、無論の事ながら帝がその場におらず最高の権力者の一人だからこそ出来る、周りを気にしない笑いを放ち、頼光たちの気を和らがせる。
「……しかし、坂田の息子くぅん、昨日の今日の『禿』は、……戴け無いのぅ」
 一転してやたら低い声色に金太郎一同から汗が流れ出る。しかも、滝のように。
「これはのぅ、禿じゃないのだ。ちょっーーーーぴり色ーんな心労で髪が進退窮まっただけだ」
 前進どころかどう見ても全力で後退しているようにしかその場に居る人間には見えなかったが、突っ込んでも嬉しい事が何一つ無いので口を噤んでいた。いわゆる、どうみても禿です、ありがとうございました、と言う表現だ。いずれ出家する際にも頭を剃る必要が殆ど無いだろう、と彼の頭を一度でも見た人は統一の見解を持っている。
「いいけぇ? おぢさんの事を呼ぶ時は年長だから藤原さんかー、もしくはイカした良いおぢさんって呼ぶんだよ、分かった?」
 パッチリと現代風に言うなれば、ウィンクする姿はイカれた禿にしか見えなかった。
「左様でございますか……」
 頼光一同はふかぶかと、それこそ直立したまま額どころか後頭部まで付きかねないような礼をしていた。
 そこを公務用の狩衣の袖から洗練された動作で手をだして「まぁまぁ」と道長は諌める。
「そうそう、頼光殿にあった用が一つ有ってな。明後日に私の邸宅で宴を催すのじゃが、そこに『魔族』から脅迫状の類が叩き付けられての」
 頼光達に衝撃が走った。
「なんと」
「私も取り止めにしたいのは山々なのだが、ちぃとばかし身内だけでの宴のつもりが客が多くてな。遠客も含めて中止するには骨が折れるし、前『院』までお越しになるから中止自体も出来んのだ」
 当時、摂関政治の根幹となるように彼は帝に妻として自らの娘を差し当てたのだ。つまり前の院とは、つまり『先々代の帝』を指す、と言う事である。引退したとはいえ、やんごとなきお方の血筋である。それを狙ってくるのは、偶然か何かとは思えない。情報が漏れてるかもしれないにしろ、彼らには黒幕の検討すらつかなかった。
「それは……一大事ですね」
 唸る頼光に、
「うむ、そう言うわけで、宴の警護は宜しく」
「はっ?」
 満面の笑みで親指を立てながら命令する道長さん。
「うん、着飾って出れば武家の者とは人外も気付かぬはずだ。特に頼光殿、そなたは女性客を護衛するために『元々の女装』は必須ぢゃからな。……と言うわけで我等に紛れて屋敷の警護に当たってくれ。何も無ければ、特別に、まぁそれぞれ楽しんで貰っても構わん。それぢゃ」
 頼光の「ちょ、左大臣大殿、無茶な」と引き止めようとする言葉は、相手の「ぬはははははははっ」と言う快活な笑い声に塞がれてしまった。
「……あの御仁、大将に『女の格好』をして来いというのか?」
 そう一同にあえて聞く綱に誰も、俯きながら拳を握ってプルプルと震える頼光を見て答えようとは思わなかった。


11 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/06/26(月) 05:34:36 ID:QmuDsJYm

 そして当日。
 昇殿の時と大して変わらない窮屈な服装に身を包んだ金太郎が門の前に居た。ちなみに基本的に金太郎は裸族なので、素のままに鎧を直で着たり、何も着ない方が具合が良いらしい。
 羅王号も装飾のついた鞍を付けられて、同じく窮屈そうな顔をしながら金太郎を負っていた。
 いつものメンバーもそれぞれの愛馬に乗って、頼光を待っている。だが、雰囲気はいつもとは違った。
「……ぷふ、おい、金太郎」
「なんだ。秀武、普段以上に薄気味悪い笑みを見せるな」
「ばぁか、頼光ちゃんが久しぶりに『女装』してくれんだぜ? これが笑わずに居られるか?」
 クククッと音を立てて、歯茎を剥き出しにするような下品な笑いに金太郎と貞光は冷たい視線を向ける。
「秀武殿。いくら頼光殿がその……、お美しいからと言ってなじるような発言は聞き捨てなりませんぞ」
「おめぇ馬鹿か? ちゃんと褒めてるっつぅーの……ぷふ」
「秀武。貴様、今、笑わずにと言っていたではないか」
「さぁなぁ? 金太郎も気になるだろう、な?」
「知るか、ただの服装の変化だろうが動揺する方が阿呆だ。それに、俺は頼光の女の姿など見た事は無いから笑いどころが分からん」
「いや、笑いどころは関係無いですよ」
「大将が来たな」
 綱の呟きと共に、牛車用の正門が開かれた。
 赤を基調とした十二単を羽織る黒髪の少女、いや正しく美少女。もとから紅を注したような唇には、更に印象付けるように魔性の赤が上乗せされている。琥珀の双眸は胡乱げで、見た者自身が何かの目映さに当てられているようだ。
 当時は中肉中背で垂れ目、眉が太く、顎が丸い女性の方が好かれたようだが、そんな事を押しつぶしてしまうような圧倒的な輝く美貌が彼女にはあった。
 それと同時に出てきた坂田の無駄に厳しく顰めた爺っ面を見て、漸く呆けた状態から元に戻る一同。あまりの美観の差によって秀武は「うぉえ」と一度吐き気を催し、頼光の従者としてその後に出て来た、予想以上に着飾りの似合う相模を見直して、「うん、これもいいねー」と口直しをしていた。
 ちなみに相模は眉毛の太めで痩身だが、代わりに胸周りは当時最高峰だった。元々、凹凸の目立たない日本人らしい体型にあう着物が、胸元がきつめに感じられ、紙一重で神秘の領域だった。
「可憐だ」
 貞光の、いつもは何処かズレている発言が今回は的を射たと見え、続く「俺たち阿呆決定な」と言う秀武の発言に押されて、「うんうん」と一同は首を上下に振った。男とは皆こんな生き物なのだ。
「うぉぉぉ」と歓喜の声を挙げて目を輝かせる秀武。
「なんだ……、この感情は! ただの女官で見慣れているはずの(ひとえ)が俺の心を惑わせる、狂わせる。分かったぞ! この草の芽が自然に萌芽するようなこの感情! よし、俺がこれを【萌え】と名付けよう」
「誰か、この馬鹿を黙らせろ」
 光の冷ややかな突っ込みに「んじゃお言葉に甘えて」と気を取り直した綱が馬上から飛び蹴りで答える。蹴られながらも「ごふっ、どうやら俺の時代は早過ぎたようだぜっ」と無駄に爽やかに地面を転がっていた。ちょうど千年くらい早過ぎたようだった。
「こほん……、大将」
「美観についての意見は以降禁ずる。命令だ」
「りょ、了解」
 光は気丈に振舞ってはいるが、その姿に慣れていないせいだろうか? 若干心細そうに、そして同時に恥ずかしそうに顔を赤められると説得力と言う言葉からは程遠い。恐らく十二単の袖の下では固く拳を握っている、間違いない。
「それでは、留守は頼むぞ。……身体を大事にしろよ、坂田」
「……(はっ)、お任せくださいませ。ほれ、童子、とっとと行かんか」
「ほら、金ちゃん、もう行きますよ?」
 頼光が牛車に乗るまで見届けていた金太郎は、坂田と相模に声を掛けられるまで見届けるどころか魅入っていた事に気付き、それでも「あぁ」と分かったかのような返事をしてみた。
「童子」
 その背に、坂田は声を掛ける。
 金太郎が振り向くと布に包まれた、金太郎の身長よりも大きく、分厚く、重い何かを放り投げられ、それを掴んだ。
「これは――、まさか!?」
「『交代』の時間だ。後は、任せたぞ」
「……(かたじけ)い」
「馬鹿もん、渡すのが遅れたくらいじゃわい」
 そう言うと、何時の間にか持っていた杖をついて、邸宅の奥へと坂田は戻った。

 牛歩で揺られること四半時。邸宅の前には公務時の派手な紫とは対照的に、質素な黄土色の狩衣を纏った道長が喜悦を浮かべて待ち構えていた。
「ようこそ、お出でなすった頼こ、いやいや光女君(ひかりのにょくん)
「今回は女御かつ端者ながら土御門邸にお招き戴き、恐悦至極に御座います」
 いつも声よりもやや高めに、本来の女性らしい声色で光は応える。晴れやかな笑顔とは裏腹に、それでも精神的な重圧のせいか? こめかみに微かな青筋が浮かんでいるようにも見えない。
「ぬはははははっ、堅苦しい挨拶はまぁ、そこまでに。では舟を庭の池に出しました故、漢詩の舟、管絃の舟、和歌の舟の中から好きなモノを選んでくださらないか。今回は、諾子(なぎこ)女房や藤式部女君、赤染衛門の夫妻も呼んで、盛況も盛況。さぁさぁ、どれに致しますかな」
 金太郎は貞光の耳に口を寄せて問うた。
「道長様の仰った先の御仁達は何者だ? 赤染衛門の女房は【栄華物語】で名を聞き及んでいるが……」
「諾子女君は枕草子に名高い【清少納言】女君、藤式部女君は我らが郎党、綱殿の美麗な容姿を発想に得たと言われ、現在執筆中の【源氏物語】と言う作品の作者、【紫式部】女君ですよ、金太郎殿」
「あぁ、日記とも付かない悪口やら感性の華々しさを独りよがりに書いた雑記と同人官能文を道長大殿の支援の上、妄想で適当に公卿の爛れた生活を書いているらしいと言う腐れ女人どもか。確かお互い仲が悪いと聞いたような気がするが、顔を合わせて大丈夫なのか?」
 当時の主流文学のと言えば大陸流れの漢詩文を指すのであり、平易の文などで綴った物語はあまり公の舞台に出るものではなかった。いわば、現代で純文学が尊ばれ、ライトノベルや同人文学、二次創作が蔑まれるのと似た現象があり、金太郎の評価は割合平安のこの時代では一般的なものだった。
「き、金太郎殿、それは噂だけによる偏見と言うものですぞ。それに本人達はあちらで……、いがみ合っておりますなぁ……」
 先程から笑顔で向き合う先に挙げた二人の女性、どちらもこの時代の日陰の女性とは思えないほど、文才を放つ才媛として中心を作っている。しかし、その笑顔と沸き立つ集団の内側は棘どころか針のむしろ、と言う状況であり、双方の付き人があたふたしていて、更にそれに混じるのは高みの見物、もとい野次馬の貴族達である。
 二十代前半の紫式部は妙に大人の、余裕ぶった笑みを見せている。素直で冷静(クール)に何事もこなすタイプである。「君の事が好きかもしれない、性的に」と言ってくれそうだ、と秀武は思った。
 対して、そして年齢とは裏腹に逆に、勝気で強気の笑みを浮かべ、三十代前半の清少納言(バツイチ)。おそらく、清少納言はエビフライのように外はツンツンしていて内側はデレデレでは無いかと言う後世の私見もある。
「……あまり仲は良くないようだな」
「若い割りに余裕のある紫式部女君の方が若干上手のようですな」
 あまりに気の強く「一番じゃなきゃ何でも嫌なのよ」と言うちょっと自惚れ気味の清少納言の事を紫式部は嫌っていたらしく、『紫式部日記』で「何事も小難しく風流ぶって、行く末はろくでもないわ」ときっちりこき下ろしている。
 ちなみに後にその没落後の清少納言に出会い、ちょっとした記録に残らない恋愛劇を見せるのが杓子定規の貞光だったりするのが不思議な話である。ちなみにこの話はまた別の機会で話そう。
 さて、女御二人はそろそろ宴会の雰囲気になれようと無言で視線で合意して、同時に「ふん」と声を出しながら、逆方向に向かってそれぞれ一時解散をした。

 邸宅の外まで響く雅楽の竜笛や太鼓、笙の音色。それらに混じる僅かな美酒の匂いが華やかさを彩っていた。清酒の類はなかったが道長の手に掛かれば当時最高の発酵酒を揃える事は可能だった。
 ところが未だ楽しそうにどの舟を選ぶかと思案している頼光を眺めていた綱が、ちょうど隣りに居た金太郎くらいには聞こえるように「まずいな」と呟いた。
「何がまずいのだ」
 金太郎もその妙に危機感の迫る声色に何かを感じ取ったのか、隣りの人間にも聞こえるか聞こえないかの声で返した。
「人は良くて七癖、と言うが、大将の【音程】諸々の外し具合は並大抵のモノではない。あれは三十癖つけても釣りがくる」
「ま、まことか?」
 綱は静かに頷くと一人回想にふける。
「まさに――、音の刃物。常人の耳を引き裂き、大陸の虎を悶絶させ、渡り鳥の大群を地に落とす――。大将の最大の武器だ」
 サッと顔の体温が下がるのが分かるほど、金太郎から血の気が引いた。
「が、雅楽なら……。声を出さねばどうにかなるのでは?」
「ダメだ。例え楽器でも、俺が耳を塞いでいる横で、たまたま通りかかった猫が土塀から泡吹いて落ちた事があるからな。終わった後もしばらく痙攣していた。大将の音感は致命的に、絶対的に、非合理に、不可抗力に、無遠慮に、壮大に狂っている」
 金太郎の知る限り、和歌の代筆までも歓楽通いと軟派で鍛えたそこそこ上手い秀武に任せているのだから、実際のところはどの文芸、音芸分野も全滅である。天は人に二物を与えずと言うが、二物以上与えた分はきっちり引き算で回収するようだった。天もこんなところで妙な平等性を発揮して欲しくない。
「み、道長殿はそれをご存知なのか?」
「金太郎。今のご時世、昇殿する人間が詩の一つも読めなくては出世にも響くだろう。ましてや三十六歌仙や百人一首の名前入りの名人をこの通り屋敷に呼ぶほどの道長殿の歌好きだぞ?」
「……つまり、いままで隠し通していたわけか」
「その通りだ。まったく、あの河童親父め余計な事を」
「――何か言ったかにゃ? 綱殿」
 十間(二十メートル)先で頼光と話し込んでいたワリに道長は罠仕掛けのように、コワイ笑みを浮かべながら金太郎の方を拍子無しに向いた。目が笑っていない。
「「何でもないです、道長大殿」」と二人で冷や汗を掻いて二重唱しながら、これから始まる惨劇に頭を抱えていた。

 旬の山菜と熱心な仏教徒である道長の唯一好物である兎の肉、そして、金太郎が野生の血を最大限に活用して釣ってきた鮎を更に相模の味付けで仕上げた軽食を終えて、今日の主な催しである歌詠みなどが始まった。
 綱は持ち前の竜笛の腕前を利用して雅楽の舟に、貞光も日頃から読みこなしている漢詩の舟に、秀武と相模は二艘ある内の片方の和歌の舟に、そして金太郎は頼光に連れられて、あろうことか道長の乗る和歌の舟に乗ってしまった。
「(最悪の展開だ)」
 傍らには熱心に、その後は空回りどころか周りまで空回りの回転速度で引き裂きかねない読誦(どくしょう)、いや毒唱を引き起こす、その自作の和歌を一人でブツクサと今のところは小さく唱えながら考えている頼光。それは先程から季語や枕詞どころか「豆御飯」とか「絢爛武闘」とか「かつおの叩き」などと言うデタラメな語句しか聞こえてこない。まったく才能が無いと自覚している金太郎がそう思うのだから相当なものだ。と言うか、殆ど昨日食ったモノばかりじゃねーかと池に落とすくらいの勢いで突っ込みたかった。
 それでも、その姿を見て、その一生懸命な姿勢に心打たれながらも、後の展開で意識が朦朧としている金太郎はもう一度「(最悪の展開だ)」と胸中で呟いた。
 道長はニヤニヤと笑みを浮かべている。彼は恐らく、彼女の致命的なまでの技量を知らずに、ただ単に恥ずかしがっているだけだとでも思っているのだろう。それは安和の変以来の大きな間違いだと声高々に言いたかったが、それをやると金太郎の政治生命と頼光のコメカミの血管が音を立てて切れるような気がしたので、なおさら頭を抱えた。
 人はそれを板挟みと呼ぶ。
「(何か、何か止める方法は無いのか)」
 チラリと貞光の方を見れば、釈迦も驚くほど全てを諦めた顔でユックリと顔を振り、秀武は秀武で「あ・き・ら・め・ろ」と妙に楽しそうに口パクで伝え、綱は自らの持ってきた竜笛をそれだけに集中するように磨いて都合の悪い事を忘れていた。
 最後の頼みの綱にと相模に視線を向けるが「頑張(ガンバ)」と何か憐れなモノを見るような目と共に両拳を握る、精神支援だけだった。
「(ど、どいつもこいつも役に立たない!!)」
 心の中で毒づくも、宴会の最中ながら後の祭り、金太郎はただ静かに終わりを迎えるまでしかなかった。








 そこに突如、青天を遮るかのように邸宅全体に影が差す。
「(なんだ?)」
 狐の嫁入りならぬ突然の暗雲が立ち込めたように暗くなり、宴会に呼ばれた人々は、ふと空を見上げた。
 だが、その正体よりも早く、その邸宅全体を取り巻く違和感に気付いた五人が居た。
「「「「「(これはッッ、人払いの結界?!)」」」」」

 巨大な百足(ムカデ)がいた。
 禍々しいまでの多足は一本一本が家屋の(はり)ほどの大きさもあり、その百の足をそれぞれに不規則かつ不気味に動かしながら、巨大な、人など丸ごと飲み込むような複雑な顎を咀嚼するように動かしている。黒い甲質は磨かれた金属のようで、大抵の刃物を通さないような威圧感を感じた。身体をうねらせながら空中に浮く様はまさに人外の、人では贖いきれないような圧倒的に最悪な人喰い蟲だった。
 空に位置するその巨大な蟲の頭の辺りに、一人の男が立っていた。
 やたら手足のひょろ長い、目が鋭過ぎるほどに細い男。胴体に比べて異様に手足が長いためか、実際の身長以上の長さ以上に見える。七尺(二メートル十センチ)をやすやすと越える、柳のような細く、それでいて強靭な体の男だった。
 眉毛が薄く、髪の毛が短い。瞳は人ではありえないような濃緑色をギラギラと放っている。
 彼の着る灰色の粗衣は裾はボロボロにも関わらず、内面からは支配者のような威厳が垣間見えた。
 彼は周囲を睥睨すると、高らかと右手を下界に翳して名乗り挙げる。
「我が名ハ美濃の人外王、蟲魔の皇帝、和足霧宮(ワタリ キリミヤ)。猛将の坂田 公時トの不可侵の契約を我等蟲魔(ちゅうま)眷属は無効と見ナシた。よってココに、早々と宣戦布告を王直々に申しツカまった」
 蟲魔――、高度な知能と階級性と、肉食種の殺戮性を持ち合わせた虫に似た魔族達。
 戦の狼煙(のろし)
 図らずしもそれは、華やかな宴の最中で始まったのだ。
「マズは戯れに……、」
 ニヤリとやたら白くて歯並びの良い口と微妙に外れた発音を蟲の王が見せ、
「貴様等を皆殺シしよウか」
 と殺戮を始めようとした。

 次の瞬間、ビンと何かが弾けて音を出しながら空気を切るような音。霧宮は横の屋根伝いを向くと同時に左手でその何かを叩き落とした。
 それは鏑矢。開戦の印し。
「こノ矢筋、……頼光か?」
 しかし、霧宮はそれはすぐに間違いだと気付いた。
 視線の先には狩衣の上に、大きさの僅かに合わない、赤く塗られた皮の鎧を纏った二足歩行の野獣が矢筒を背負い、弓を手にして屋根に立っていた。
 第二射。
 弦音と共に、弓に二本の番えられた矢がそれぞれ霧宮と大百足の眼に奔る。
 二本の矢は大百足の体のウネリだけで避けられ、甲質の皮によって見た目どおりの鉄同士が打ち付けられるような音で弾かれた。

「(よっしゃ――――!!)」
 金太郎は心中で喝采。
 いつもならこんな(戦闘的な)展開にウンザリするところだが、この騒ぎで『 全 て 』(主に頼光の暴力みたいな歌唱とか)が有耶無耶になると思うと、金太郎を含めて頼光の配下は心の中だけでも叫ばずにいられなかった。

 加えて、これが金太郎の初めての人外との戦だった。

 和歌の舟に居た貴族達は突如現れた蟲魔族と、自らの舟に乗っていた『子供』が見せた陸まで大跳躍で腰を抜かしていた。
 たった二人、道長と彼とやたら親しくしていた謎の女君を除いて。

「源 頼光が郎党にして、その一番槍。怪童、坂田 金太郎」
 弓を屋根に捨てる。それと同時に牛車に隠匿するために巻いていた布ごと渦巻かせながら、大槍を振るって名乗り出る。布が背中側で広がって、怒涛の津波のように見えた。
 それは坂田より渡された、南の門を守護する四天王に相応しい、赤い槍だった。
「なルホど、貴様ガ【怪童丸】か」
 納得するような頷きと同時に、人では決して出来ないような、空を羽で舞うような急角度の跳躍と金太郎が仁王立つ屋根への柔らかな着地。まるで自宅に玄関から入るように気軽に、殺気立つ獣の前に降り立つ。
斗黒(とぐろ)、他の戦士達ノ相手をシろ。コやツは私が()る」
「オデ、ワガッダ」
 大百足の頭の悪そうな声の響き。直後に殻の内側の身体から怖気を及ぼすようなビキビキと筋の発する音。目前の三人の小さな戦士達を巨大な黄色い複眼で睨む。
「金太郎、てめー! 一人で気取ってんじゃねーぞ! こんなデカぶつなんか普通ヤラレ役だろうが! おい! そっちの主人公向けと変われ! 俺の出番を増やせこの野郎! てか一番槍とか勝手に名乗るな、この野郎」
 屋根に向かって訳の分からない事で憤る秀武の両手には太刀と短刀の間くらいの愛刀、備前吉岡守恒の二つで一つの名刀【字丸(あざまる)】と【友切(ともきり)】が構えられていた。
「まったく、演奏を披露する間も無かったな」
 ちょっとだけ悔しそうに呟く綱の両手には和足 霧宮の妻であり、蜘蛛女であった魔のモノを切った大太刀、名刀【髭切丸(ひげきりまる)】が緩やかに頭上に掲げられる。
「ここの結界を張るまで、二人ともあの巨蟲の相手、よろしくお願いします。くれぐれも舟には近づけないように」
 貞光の【石切(いしきり)】と呼ばれる錫杖が先に付けられた金属の輪を揺らしながら、蟲の禍々しい音と邪気を浄化するように鳴らす。



「お前等ならやれるはずだ。――行け」
 和歌の舟で唯一人震える事もしない見目麗しい、琥珀色の瞳の女性は、その容貌に相応しく無い、勝気な台詞を呟く。
 それと共に、二匹の蟲と四天を守る武の王達がぶつかり合った。

 大槍から突きが放たれる。心臓をまるごと消滅させるような技量と威力を持った槍は蟲の王の笑みと共に、手首から肘までの部分で弾かれる。
 蟲の王の両手首の外側には小指側から反り返った蟷螂のような鎌が生えていた。雷光の閃き以下の触れ合いの一瞬でそれを見て取ったのは金太郎の並外れた動体視力によるものだろう。
 続けざまに蟲に額、首、心臓と三連続の槍での突き。卓越した槍の技量は音よりも速く、三度、パンと大気を破る空裂音を発する。
 それは金太郎が終止、坂田から教え込まれた基本の攻めである。内側から外に弾く内受け、外から押さえつけて攻撃を打ち落とす外受け、そして、その螺旋の受けから超音速で放たれる突きである。
 火花に遅れて金属同士の擦れる音。無表情な、蟲の中に僅かに愉悦を浮かべた男は前進と全身で回転するように受けた。そして、その勢いのまま、それよりもなお速く廻る。
 先程の突きとは比べ物にならない、連続した空裂音と鎌の密集した塊。それは刃を巻き上げて動く、意志を持った竜巻のようだ。
「行くゾ、下等種!!」
 眼が廻る事すらなく、それどころか更に加速しながら、蟲の王が暴風となって襲い掛かる。
 圧倒的な回転速度に刃、当たれば即死。鎌鼬(かまいたち)も縮み上がるような斬撃の乱舞。
 足場に対して横に回転するその人外に、金太郎は槍を縦に、盾にするように回転させる。
 全てが鋼で出来た金太郎用の、猛将公時から賜った特注槍。大人が三人がかりでやっと柄の側が持ち上がるそれが暴風を止める。桜花のように鋼で橙色の火花が咲き乱れた。
 が一瞬の拮抗の間もなく、単純な体格差に負けて、金太郎の体が飛んだ。
 体は足場の外に。
 舟で見物していた貴族達の驚きの声。
 しかし、金太郎は大槍を宙で一振りすると同時に、その槍の重さで体勢を一気に立て直して、屋根の外側から内側へと舞い戻る。戻る間でも槍の先はピタリと蟲の王へと向けられて隙は無い。
 一度身体を止めていた霧宮は踏み込もうとした瞬間の、彼のその動きに「ホぉ」と感心をするような声を挙げると、少し離れた間合いから再び回転を始める。
 金太郎は屋根の縁。次に落ちて隙を見せれば後はない。
 ならば、
「だぁらぁぁぁぁぁぁっ!!」
 最強の一撃をかますしか無いだろう。
 金太郎の最大の膂力で長大な、本来なら馬上で使うはずの大槍が捻るように、そして大気を貫くように投げられる。その場の誰かが大陸の巨大兵器を知っていたなら、それはその兵器、石弓(バリスタ)以上の威力。巌で固められた城を破砕するための弓すら、その前には児戯に等しかった。
 しかし、近距離投擲と言う意表を突く離れ業でありながらも相手は人外。そう簡単に行くはずがない。
「馬鹿め、武器ヲ失って、何?!」
 両手の交差と同時に絡めて落とす。だが、あまりの威力で蟷螂の王が人生の中で始めて数歩のたたらを踏んだ瞬間でもあった。
 霧宮はその回転の勢いを投槍によって大幅に止められたが、未だ双つの鎌はいつでも踊れる凶器である。
 しかし、奥の手は別。そう、金太郎の真の凶器は、
「発氣用意……」
 その、如何なる獣でも魔でも止められない、
「――残ったァッ!!」
 超越した突進力。
 立ち合いから一気に、伸び上がるように獣が飛び上がるように突っ込む。
 事の重大さに気付き、『やっと動き始めた』鎌と鎌との間に体当たりで突っ切る。遅れて、屋根伝いの一部が最初の衝撃に耐えられずに盛大に吹き飛んだ。
 金太郎の額と肩を掠って赤い線が宙に引かれる。しかし、そのまま密着した蟲の王を抱き抱え、
「貴様、マさカ?!」
 自らを巻き込んで、屋根から地面に投げ飛ばす。
 それは極意。掴んで、投げ落とすまでは相撲は投げ終わらない。
 土煙と爆音。



 その戦闘の間、巨大な蟲を相手にしていた綱と秀武の二人は巨蟲の天空からの体当たりを何度も食らいながらも、刃を腹や甲質と甲質の間の柔らかい場所に突き立て、斬り付ける事で幾度と無く貴族達の乗る舟への侵攻は防いでいた。
 綱は当たる直前に一陣の風となって目前から消え、僅かにズレた場所から高速で通り過ぎる大百足の柔らかい部分だけを見極めて斬り付ける。
 そこまでの技量の無い秀武は片方の刀と腕で超重の突撃の衝撃を防ぎながら、自らの吹き飛ぶ瞬間、自らの体が蟲と当たる事で一体となり、ほぼ同じ速度となった状態で通り過ぎる大百足に刃で抉るように突き立てる。
「イデェェェェェェェ! イデェェェェェヨォォォォォ!! チビドモガァァァァァァ!!」
 黄色の体液を噴出させて身悶えをしながら空へと戻り、蟲魔特有のイカれた闘争心で大百足は再び突撃を繰り返す。無論、体が大きい分だけ生命力も旺盛で、人と同じ大きさの化け物なら七度は殺せる斬撃と刺突を幾たびも受けながら、些かも衰える事もない速さで迫る。
「綱よぉ、しばらく休ませてくれよぉ。突進を抑える時に受け止めた左手の青痣が痛ぇぞ、泣くぞ、喚くぞ、騒ぐぞ、このヤロウ!」
「泣き言を言うな。秀武の突きの方が俺の斬撃より効いているぞ。ちゃんと動け」
「どの動きを見て言ってんだよ、……って来るぞ」
「知ってる」
「ところでよ、なんか唾液が付いた時にデカイ奴の動きが止まった気がするんだけど、気のせいか?」
「……試してみるか」
 二人は同時に竹筒を開けて口に唾液と水を混ぜ合わせて含み、それを刃に吹き掛けた。
 直後、予め決められたような動きで、再び大百足に刺突と斬撃を浴びせる戦士達。
 巨蟲の動きが目に見えて減速した。

 その間、貞光は陰陽寮の者達が使う日本の呪とも大陸の呪とも異なった異言を唱えていた。
「い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす……」
 繰り返される異言に合わせて、複雑な図とも絵とも字とも似つかないモノを、屋敷の全てを囲むように錫杖で地面へと一心不乱となって描いていく。
 その線と音は世界に意志を響かせるために生まれた旧き言葉、慧埜駆(えのく)語である。陰陽寮長から直接その指南を受け、更に密教の高僧、万物を操る法力を使いこなす彼らは現代で言うなれば『魔法使い』である。その魔法使い達の中で一角の地位を築いた天候操作術の達人にして、今で言う魔女協会認定の第二位、大魔導師級(メイガスクラス)の仁海から「百年に一人の傑物」と言わしめられる素養を持った貞光にとって、自らの想像する魔法の効果を更に現実に深く広く及ぼすには絶大過ぎるほどだった。
 彼の組み上げているのは【溶解呪法】の一つ。自らの『養分』にするために、生物を、それこそ妖力や霊力などと呼ばれる霊気装甲の塊のような『人外』を溶かし尽くすための左法(さほう)、外道の術である。
「い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・ぶおどん――えじ」
 始まりと終わりが繋がる無限の円環。錫杖の先が描かれきった陣を突きながら、当時の日本最高の魔力を打ち込む。
 魔法陣が完成した。
 霊気のみの見えない、そして触れない強い風が渦を巻く。
 大気が澱む。急に大気中の水分濃度が四十倍に増えて、温度が春先から初夏に移動したような飽和感。そうとしか表現し得ない、肌を通しての胸糞の悪さを貴族達は感じた。
 種族の違う人にそれだけ影響を与えるのだから、
「アデ?」
 人外なら尚更である。
「ウギェァェェェェァルラォォォォォォォゥッ!!」
 甲質の体の内側が火脹れのように膨れ、同時に灰色に腐食して崩れていく。最も柔らかい部分だった片方の瞳が弾ける。触手と顎と無数の脚が痙攣を繰り返しながら、全身を掻き毟るように小刻みに揺れ動かしていた。殻の間から黄色い汁が音を立てて滝のように迸る。
 しかし、大百足が居住区である殿の一部を破壊しながら落ちると突然、その精気の吸収が止まった。
「ここまでが、限界ですか」
 その精気を吸っていた本人である貞光。彼の右半分の体は真っ黒に爛れて裂けた皮膚に変わり、片方が目玉は黄色く濁り、胴体と四肢のいたる所から皮膚が裂けて血が噴出していた。魔方陣の効果も止まった。
 異種である霊気装甲を略奪した代償は自らの身体に受け入れられずに毒となって自滅をし掛ける事となっていた。
「いやはや、流石に触媒無しでは無理のようで……」
「当たり前だ。バカたれ、無茶しやがって」
 そのまま倒れこもうとした貞光は秀武に受け止められた。流石に強力な魔法使いだけあって、その身体は既に自らの血で浄化され、罅割れた皮膚から血液を脈打ちながらも身体は再生を促している。
「金太郎の方も、終わったようだな」
 太刀を静かに納めながら、綱は獣と蟲の戦場跡を眺めた。



「蟲の王よ、貴公の自慢の鎌は腕の外側を向いている。故に突き抜ければ暴風圏からは過ぎていたのだ。その腕の内側に入ればコトは済んでいた」
 地面に大穴を開け、地面に形どおりにきっちりと埋まっていたのは霧宮。
「今ここで引けば、交戦規定通り、貴様の部下にもこれ以上は手は掛けない。さぁ、……()ね」
「……きんタ、ろう」
 荒い息を挙げながら蟲の王は地面から身体を引き抜きながら、その魔法陣の溶解などは自らの展開した装甲結界で歯牙にも掛けず、ただ禍々しい、殺戮に特化した憎悪の瞳で金太郎を見つめていた。
 だが、圧倒的な投げ技によって負った衝撃は身体に完全に伝播していた。大げさに言えば、富士山の頂上から二呼吸で地面に到達する速度で投げ落とされたくらいの衝撃である。技でなく、とにかく勝つ事を運命付けられたような、呪いのような相撲だった。並みの妖魔なら地面に叩きつけられた段階で全身が砕けて、体の部品が飛び散っていただろう。しかし、身に纏った驚異的な妖気が層を成した鎧、【装甲結界】がその身を辛うじて形を保っていた。しかし、それでも甚大な被害を受けた事に代わりは無い。
 無言の睨み合いは数瞬で終わると、部下である大百足の頭によろよろと四つ脚で寄りながらも乗って、大百足も満身創痍で飛んで逃げ帰った。



「流石だ! 素晴らしい! 一条天皇陛下に闇殺舎の設立を進言したのは無駄では無かったな! 十分な成果だ」
 常人なら夢まで見てビビるはずの化け物に席巻しながらも、手放しで部下を褒めている藤原道長の方が流石だと金太郎たちは思った。
 やっぱり、従兄弟の影を踏む勢いなら頭くらいも軽く踏めると権力簒奪宣言したり、京都を騒がす亡霊にばったり内裏で会って「あんた誰?」と訊けるほどの豪胆な男だ。
「被害はいかほどに?」
 澄ました顔で綱が問うと、馬鹿でかい百足に潰された本殿と馬小屋に居た護衛が二人が死んで、女中が三人怪我しただけだ、と答えた。
「被害が出たのですね」
 淡々と、努めた無表情で貞光は言った。頼光もわずかに眉毛を揺らした。
「なぁに、大事な賓客も、特に前院には怪我一つ無かったのだ。十分な働きだ」
「「…………」」
 喋るとボロが出ると分かっている金太郎と秀武はしっかりと口を結んでいた。
 しかし、それに目敏く道長は気付いて、「失礼した」と一言漏らした。
 流石に人の命に軽重は無いだろうと、当時の貴族としては理解はしかねながらも彼は察して部下に詫びた。
 この辺りが彼の強力な人望を支えている部分なのかも知れない。
「とにかく、お陰で租税の無駄使い、内裏のお荷物とも言われていた【闇殺舎】の実力を公で、しかし、陰ながら示すことが出来た、礼を言うぞ。皆の衆」
「はっ、(かたじけの)ぅございます」
 ようやく終わったんだ、と一堂は息をついた。
 惨劇は終わった。色んな意味で。
「例と言っては何だが、私個人の宴会の第二幕(二次会)にお主らも招待してやろう」
「ありがとうございます。道長大殿」
「「「「「………………………………えっ?」」」」」
「つまり、私の歌を披露出来ると言う事ですよね?!」
 喜びをキラキラと煌く瞳で現した光を誰も止める事は出来なかった。
 惨劇は終わることはなかったようだ。
 何故かその時、彼ら四人は脳裏に「私は頼光、侍大将〜♪」と邪威闇罹災足(ジャイアンリサイタ)ると言うよく分からない言葉が浮かんだと言う。

 その日の二次会以来、光に歌の披露をさせる事を道長は固く禁じたと言う。


12 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/06(木) 05:07:56 ID:WmknzDW4

――近江の国、人外北方最前線要所


 暗澹たる闇の中でチロチロと舌のように遊ぶ蝋燭の紅い炎。その洞穴に影で写る、得体の知れない大きく胎動を繰り返す何か。
 その影の元に六尺一寸(百八十四センチ)の大柄な女が居た。
 とぐろを巻いた蛇のような、それ以上の圧倒的な威圧感(プレッシャー)を持ってして、岩で出来た玉座に自らが覇者であることが当然の如く座していた。
 妖艶さに加えて、規格外の女性として機能の比率。その胸は垂れ下がることも無く上へと吠え、それを薄い獣の皮の腰巻と胸当て、加えて外套のようなもので覆っていた。結い上げた髪を無造作に肩に掛けている。
 その左手には遥か彼方、この地の裏側にある大陸からの煙管。反対の手で新たにそこの野生の煙草を詰めて蝋燭に近づけると、再び紫煙が管先から挙げる。濡れそぼった口元に含めて、肺の中にその濁った煙を迎え入れて味わうと、ふっ、とやわらかく吐き出した。
 そのゆるゆると向かう煙の先、洞穴のもう一つの岩座に座るのは、満身創痍の蟲の王だった。
「和足 霧宮。今回の事、あんたはこのオレ様にどぅ筋通すんだい?」
 女は、龍ノ目時雨(タツノメ シグレ)は、人外の現在の総大将はそう、部下の一人に問うた。
 龍神の王者として、全ての人外を纏め上げる立場へと祀り上げられた女。
 その王者に同じく蟲の王は敗北をしても、あくまで一介の王として睨みを返す。
「筋もへっタくれも無イ、『人憎シ、皆殺し』と賛同者ハ数多と居タ。私はそレを代表者トしテ行動シただケだ」
 途端にギシリと空間が軋みをあげた。己の意にそぐわない事に怒る龍が柳眉を立てていた。
「それじゃぁ、筋が通らねぇぜ、蟲の大将。坂田の御仁との約束はまだ無効にはなってない。それを反故にして戦を仕掛けるのは些か卑怯じゃないかね? それにあんたは今はオレ様の配下だ。勝手な行動は戦の指揮系統の乱れ、ひいては軍団全ての士気に関わる。あんたも、頭ぁ張ってんなら分からないとは言わせないよ?」
 ニヤリと浮かべる怖い笑み。逆らうならここで殺す、と語っていた。
 流石に今、死ぬわけにいかないと冷静に、金太郎の矮躯を思い出して静かに燃える憎悪で判断すると、王は呟いた。
「以後慎モう。日に日二募る闘争本能に耐えラレなかッたこの愚鈍さ。こノ身に刻まレた(きず)を持っテ誓オう、王は誇リ高く、決メラれた戦のミでコノ研ぎ澄マシた鎌を振ルおうと」
 腕からにゅうと出した鎌が洞穴の中の冷気を更に荒ばせる。実力としてはわずかに上の戦力を持ちながらも、創だらけの身で龍神に適うとは霧宮も思ってはいなかった。蟲と言う他種の人外から疎まれる立場で無ければこの男が総大将となっていたはずだった。だが、現代的に言うなれば、彼は同属以外に指導力(カリスマ)がなかったのである。
「しかし、人の子があんたの鎌と立ち向かうとは、オレ様もうかうかしてられないねぇ。で、あんたは次の殺り合う時には勝てんのかい?」
 蟲は鎌を翳しながら、構えを取る。
「本性を見せナカったとハ言え、内側に入ラレたのは我ガ慢心と失策。内側に入る前に、倒ス。ソレには鎌以上に自在ナ凶器が必要だ。槍のよウニ鋭く、鞭のよウにシナるのは……。我が身以上に使エルのは我が身デしかない。ナラば、そレハ我が身が、我が指先が凶器とナレば良いのデハなイのか? 我が身の内側に、手首を曲ゲテ、もう一ツの鎌を……」
 ブツブツと呟きながら己の裡に埋没していく蟲。
 それを何処か遠い目で見ながらも、人外の総大将は遠く、失ったモノを求めるように、暗い中で見えない宙を仰いだ。


13 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/06(木) 05:10:34 ID:WmknzDW4


「頼光様、お疲れ様です」
 暗黒の二次会と道長のぶち切れ説教がようやく終わり、邸宅の風呂場でわしゃわしゃと頭を相模に洗われながら、光は「うむ」と頷いた。
 この時代、長く美しい髪と言えば、地面に着くくらいを意味していた。光は運動性重視のためにそれよりも些か短く腰くらいにしてあったが、それでも質から言ってもあまり手入れをしていないのが不思議なくらい艶やかな色をしていた。ちなみに現代の標準である肩くらいの髪型はその時代の尼になるために切るのと同じくらいの長さである。
 さて、昇殿し始めた年くらいから金太郎が急に「いや、そろそろ不味いだろう?」と訳の分からない風呂への同行の拒否の仕方を最近し始め、光が強制連行する前に羅王号に乗って逃げられたために「んじゃ、代わりに」と今日は相模を無理やり連れて入れたのだった。
 相模が音を立てて光に頭からお湯を掛けると「はー、やっぱ、女御の格好は疲れるからダメだわ」とお湯掛けられた格好のまま、目を瞑りながら言った。
 直後にパッと目を開くと「よしゃ、次は私が洗っちゃるぜ」と、文章表現をしたら発禁になりそうな、流石に不味いような事を一重に光はあれこれとしてから、湯船にゆっくりと浸かっていた。
「あぅー、頼光様ぁ、あんなところ弄るなんて反則ですよー」
「ふん、戦に汚いも何も無いもんね」
 その勝ち誇った笑みは、今日の不慣れな女御の格好と、「おんどれは歌を舐めているのか?!」と誘っておきながら理不尽なキレ方をした道長の叱責(と嫌がらせ)から解放された表情だった。
「まったくあの禿は、人が気持ち良く歌い始めたら急に止めやがって」とブツブツと続けた。だが、これ以上悪口を続けると何処でどうやってその情報を道長が仕入れるのか分からないので止めておいた。
 そして、あの場に同行していた相模としては愛想笑いをしながらも「道長大殿でなければあの形容しがたい音の凶器を止められなかっただろうなー、さすが左大臣、そこに痺れる、憧れるぅ」と胸中に残した。
「ところで、何で金太郎は入浴を拒否しはじめたのだろうな? あの野獣の臭いをそのままにしていたら清涼殿の公卿の鼻が曲がるぞ」
 妙にムスッとした顔で腕にお湯を掛ける光に不思議そうな顔で相模は返す。
「金ちゃんなら頼光様が入った後に、夜中にちゃんと入ってますよー。金ちゃんは案外綺麗好きですからね」
「なんだ、それは……? 別に風呂に入るのが嫌な訳ではないのだな?」
「つまり、あれじゃないですか? 金ちゃんもそろそろ大人なんですよ? 頼光様とお風呂にこれ以上入るのは教育上不適切と言うことです」
「私は一向に構わないのだが……、で、何がいけないんだ?」
「(この人は何も分かっていない……)」
 仕方なく、「んー」としばらく檜風呂の縁を眺めてからから、相模は口を開いた。
「金ちゃんは頼光様の事が好きだからなんですよ」
「私も好きだぞ? 綱だって、秀武だって、貞光だって、坂田もそうだ。あいつは良い奴だからな、よっぽどの事が無い限りは嫌う奴なんて居ない筈だぞ?」
「いや、そう言うことでは無くてですね……。だから、金ちゃんは、そのぉ……、男と女の関係として、頼光様が好き、頼光様と言うより『光様と言う存在』が、えっと、好き、になり掛けているんだと思います」
「は?」
 頼光の琥珀色の瞳が点になった。
「ぶっちゃけて言っちゃえば、光様と逢瀬を重ねたい、つまり身体が成長をしてきて性欲を持て余して始めているんですよ」
「――――――――」
「あれくらいの子なら性欲の塊みたいなものですからね。毎日、どんな気持ちで光様の裸体を眺めながらお風呂に入っていたんでしょうね?」
「……………………」
「たぶん、金ちゃんは獣系ですから直接的に『うぉっ、光様孕ませてー』とか思っていたんじゃないですか?」
「        」
「それなのに光様の女性としての考え方じゃなくて、頼光様の男の勢いで無理に誘うんですよ。理性とかそう言うのが切れて、いきなり風呂場で押し倒されてもしょうがないですよ。金ちゃんとしてはよく我慢した方です」
「――――…………    」
 相模の怒涛の『口撃』で頼光の魂魄が口から漏れて魂と魄に分かれ掛けていた。
「んにゃ――! 頼光様しっかりするのですー」
 相模が肩を持ってガクガクと揺さぶり、ようやく「経基大爺様が……河の向こうで手を振っていた」とかなり憔悴してから現実に戻ってきた。
「相模、私はその……、金太郎を男性としては見ていなかったんだ。あいつの事を部下とか友達とかそう言う風に思っていたんだ。それに私自身も、女だと言う事すら忘れていた」
 女も羨む容貌をしておきながら忘れるとは、生霊に祟り殺されかねない所業である。
「頼光様、いつまでもそう言うわけにはいきませんよ。金ちゃんだって男性になっているんですよ。そりゃ、秀っちみたいに欲望が態度や行動として全開じゃないですから分かりにくいかもしれませんけど。もう少し、金ちゃんの扱いを考えてあげないと金ちゃんを男性として逆に傷つけてしまいますよ」
 今日の相模は辛辣だった。それは主人の不甲斐無さだけでなく、何か別の感情が働いている事が光の目以外からは分かっただろう。しかし、この場にいるのは、そういった浮いた話の影も形も無い光だけだった。
「私は、どう接したらいいのだろう? 私はそういった形で人を好きになった事も、好きになられた事も無い。それをいきなり理解しろだなんて、奇襲よりも唐突だし、その敵には実体が無い。何だかもやもやして捉えどころがない。それに私は、今は武人だ。それがこ、恋をするなどちゃんちゃらおかしいではないか?」
 いつもはくつろぐ風呂の中で、彼女の小さな身体が金太郎が始めて入浴していた時のように更に縮こまった。
「そのままの……、頼光様で宜しいかと思います。貴女らしさを失うのは良くない事です。戦が終わったら……、頼光様も光様として戻ります。そしたら、金ちゃんのことを真剣に考えても良いのではないでしょうか? もし、真剣で無いのなら、それは金ちゃんを裏切っているようなものではないですか?」
 相模のやたら気迫の篭った物言いに光はしばし呆気に取られたが、それから持ち直すと微かに笑った。
「……何だか、年も位も上のはずだが、相模には私はいつも負けているな。今回は恋に関しても完敗か」
「経験の差ですよ」
「ふむ……。相模にはそう言う風な、人を想うような経験があるのか?」
 その言葉で逆に相模が虚をつかれた顔となった。予想外の問いかけのために顔の表情が薄れていた。
 だが、光はそれがただ単に、質問に驚いただけだと思ったのだった。
「まぁ……、そうですね。私にも好きな人は居ましたよ。『その人』が『他に好きな人』が居たから、諦めてしまいましたけど」
 それ以上訊くのは流石に野暮かと光も思い、「そうか、でも諦めない事も重要だぞ」と言って先に上がった。
 脱衣所から光の気配が遠ざかってから、
「好きな人が誰が好きか分かっているのに……、好きになり続けるなんて辛いだけなんですよ?」

 恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ

 そう雅に、同時に悲しく小さく詠んだ。


14 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/10(月) 09:15:17 ID:xmoJmDL3

そして、あの蟲の王の襲撃から二年後


 霧宮の道長土御門邸襲撃事件から後も、暴走した、幾らかの妖魔人外からの襲撃は幾度と無くあった。
 だが、そのいずれも闇殺舎の名を内裏の内から轟かせ、京の外のあやかしを慄かせるだけのモノだった。
 冷静な集団は着実に力を蓄えていた。

「戦場は目前である」
 琥珀色の瞳の武者が吠えた。その一段高い木組みの下には五千を超える完全武装の武者の集団が恭しく(ひざま)いている。
 戦の始まりだった。
「貴様らへの命令はただ一つ。勝てッ!! 以上」
 これまでで一番短い演説を終えると同時に、猛り切った武者達の「応ッ」と短く大きな返答が木霊した。
 戦勝祈願も終わり、残るは近江の地までの行軍のみである。
 この場に四天王の金太郎と秀武、貞光は居なかった。金太郎は斥候、つまり敵状、地形等の状況を偵察させるために既に近江の地、深くに潜っていた。秀武は斥候では無く築城、つまり要塞の建設とその警護のために既に最終防衛線である近江と都の境に構えていた。貞光はその要塞で祈祷や呪術戦の準備をしている。
「大将、時間です」
 いつもは薄い胸のみに当てる胴鎧だけである軽装のはずの綱が、戦のために兜や手甲まで付けた完全武装をしていた。
「――頼光様」
 彪凪に乗りかけた彼女を引き止めたのは杖を突き、相模に支えられながら出て来た、核の病(癌)に侵されて痩せた坂田 公時だった。
 少し前までの隆々とした身体はずの体に面影はなく、幽鬼の如く痩せ細っていた。
 頼光、もとい光は彪凪から飛び降りた。
「坂田、馬鹿者。御主と言う奴はッ! 今すぐ床に戻れ、命令だ」
 坂田はそのまま、手を地面につく。
「申し訳無い、吾が身一生の恥にして、屈辱。この大局に何も出来ないとは……」
 罅割れた巌から染み出す滴。
 それは公時が頼光に見せる初めての涙だった。
 それを苦笑しながら光は公時の些かに痩せた肩を叩いた。
「愚か者。坂田には御主が自ら育てた、誇るべき武者達が居るではないか? それを信用せぬとは御主の育てた武者、いや息子を信用しない事では無いか?」
 坂田は何も言わずに、独眼から流れ出る涙を拭った。
「宣言しよう。この戦は御主の息子らの勝利、言わば御主の勝ちだ」
 勝利宣言。震えるほどに健やかな笑顔。
「もし、この場でくたばっても安心して、逝って来い」
 カラカラといつものように笑う男装の麗人に独眼の老人はようやくいつもの「やれやれ」と言いたくなる笑みを浮かべた。
「頼光様がそう言うのであれば、老兵はただ去るのみ。まぁ、戦勝報告までは頑張って生きてみましょうか」
 と踵を返すが、何かを思い出したように再び頼光に向き直ると耳元に口を寄せた。
「光様と金太郎が契りを結ぶまでは生きた方が良いですかね?」
 その瞬間、頼光の顔がめったに無いくらいに紅くなり、「こ、この色呆けの老体がッ!」と返す。それを半ば嬉しそうに眺めて公時は先ほどとは打って変わり、病人にも関わらず跳ねるように自らの寝屋へと戻っていった。たぶん相模の入れ知恵だろう。
 頼光が「むぅぅっ」と悶々していると、綱が溜息を吐いて背中を押した。
「綱……」
「大将、出発の時間ですよ」
 うむ、と気を取り直して掛け声一声。彪凪に飛び乗る。
 前代未聞、王朝時代最大の千の騎馬隊を引き連れて走り出した。



 所変わって近江の地深く。
 獣がそのままの形で生きる場所を三つの影が疾駆していた。
 一人は狡猾そうな面をした顔に唇、鼻、額に三つの傷跡を持つ男、もう一人は顔の目鼻口、あらゆる部位が垂れた貧相な顔をした男である。しかし、どちらも体躯のしっかりした男で、あまり大きな男の居なかった時代でありながら六尺(百八十センチ)を軽々と越えた男である。
 それを先頭から引き連れる、さらに巨大な男、いや、少年が居た。三人は粗末な、森林に紛れられるようなくすんだ茶色の衣を羽織っている。だが、その下にはなめした皮の鎧が隠れて見えていた。
 止まれ、と先頭を走っていた男が手で合図をすると同時に、ぴったりと自ら予備動作も無く止まり、後ろの男達も慌ててたたらを踏んで止まった。
 巨大な男が地面にへばり付くように寝転がると、蛇のように音も立てずに枯葉の上を匍匐で前に進む。男たちもそれに習って、静かに進んでいく。
 木陰からフイに覗けば、下は千尋の崖。その目下には巨大な岩の要塞があった。
 霞む様な遠方には異形の者どもが不気味な戦渦の声を挙げていた。背筋を刃物で撫でるような、ゾッとするほどの大兵団が広がっている。切り出した石の尖塔を有翼の妖魔が取り巻いていた。
 金属を歯で噛むような、歯根から揺れるような居心地の悪さを感じる。
篤五郎(あつごろう)、見えるか?」
 先頭を直走っていた男の声に濁った声で「へぇ」と傷の付いた顔の男が返答する。
「西に烏族(うぞく)のモノが四百、具足がしっかりしてまっさ。飛び道具対策はバッチリみたいで。東に龍族のモノが二十、かなりの脅威となるでしゃろ。南に鬼が三千、オイラが思うにおそらく主力部隊かと。北は要塞に隠れてさっぱりで」
「ふぅん」と巨大な男はそれからもダラダラと続きそうな言葉を手で「もういい」と留めながら言うと「由近(よしちか)、何か気付いた事はあるか?」と垂れ顔の男に問う。
「ウチが思うに、北に何やどえらい感じがするけん。東の岩場の影にけったいな魔の力が渦巻いておりますな。それに南のウチら攻め寄る方に鬼達置くような遊びがあるき。ちょっと怪しいかと思います。あんな風に兵が居易い空きは普通は作らへんじゃろ、と。加えて、真下の方から気持ち悪いくらいの力を感じますねん」
「お前もそう思うかと」
 と、巨大な男はニヤリと笑った。
「で、奴らの本拠地は?」
 の答えに、
「「「この崖の中」」」
 と三人同時に、地面に指を指して答えた。
「俺が思うに、明らかにあの要塞は急造のものだな。組み方が怪しくて、東側なんか今にも崩れそうだ。岩の置き方が載せただけに見えるから、おそらくは小山に岩で小洒落た細工でもしただけだろうな」
 それぞれが別々の観点から一つの結論を持ち出してきた。
「つまり、金の旦那。オイラの居るこの山ん中に奴らの大将が居るって事で、合点っすか」
「若、今、三人で攻めませんけ? ウチらで今ならチョッパンと大将首挙げられるん違いますか?」
 二人の従者の言葉に沈黙で返すと、来た時とは逆方向に向かう巨大な男。
「若、攻めんのですけ?」
「今は無理だ、由近。やるとしたら、中の兵どもが居なくなった時だ。大将を取って、鬼に撲殺されても洒落にならん。生きて帰るのが原則だ。兵士が死ぬのは仕事ではない」
 二人の従者が顔を向け合わせると「あんなに気の早い旦那が自重してるぜ」と笑う。
「言ってろ」と二人を無視して先を行く巨大な男。
 と、林を抜けてバッタリと言わせた不運な、角ある異形。
「て、敵襲ぅぅぅ、ごぼっ!!」
 指を揃えた少年の貫手が鬼の喉に突き刺さっていた。鍛え上げた指先は分厚い皮を破き、肉を潰し、気管を破壊し、鬼を絶命させていた。
「何だ?! 敵か?」
 鬼の断末魔が山全体に伝播していた。先に倒された仲間である、手近に近づいた鬼を石で切り出した短刀を打ち込んで殺す篤五郎。
 背後からこっそり近づいて来た鬼のさらに後ろを取って、背を反り返して手近な岩に頭から叩き付けて倒す由近。
「ど、どないしやしょ?」
「まずいで、若」
 まだ息の残っていた、倒した鬼の首を踏み抜いて折ると、
「全力離脱ッッ!!」
 少年は皮の襤褸を雪崩出てきた鬼達に投げつけ、視界を封じると同時に飛び蹴り。
 群がる鬼どもを文字通り蹴散らす。


 皇紀千六百六十年、同西暦千年 卯月、陰暦四月の頃、近江の地の最奥で記録には残らない大戦争が始まった。
 人と人外の第二の戦争。後に近江の乱と呼ばれ、日本で人と神魔霊鬼が間近に暮らした神代の時、最後の人と人外の戦争が始まった。
 当時を持って本当に正式な元服(十五才の誕生と成人)を迎えた、金太郎は鬼を散らしながら獣のように吼え声を挙げた。


 その頃、その崖の中、真の砦の奥深く。
 鋭い目をし、鱗状の鎧を身に付けた精悍な士官が岩屋へと駆け込んだ。
 そこには悠々と石の玉座に身を湛えた大女が、龍ノ目 時雨が居た。
 恐ろしいまでの堂々とした光景にゾクリと一瞬恐怖を覚え、気配に押され伏すかのように士官の男は片膝と片拳をついて、「申し上げますッッ」と奉る。
「龍ノ目将軍に伝達。要塞の真上に鼠を三匹発見しました!!」
「報告は良い。――捕まえる必要は無い、即刻殺せ。我等の犠牲は出すな。拾った戦鬼どもを使え」
「ハッ」
 士官は再び戻っていく。崖の居城はあわや騒然の様相となった。
 その士官の帰っていく様子をつまらなそうに彼女は見つめると、片手で遊ばせていた煙管を思い出したかのように口元に咥えた。そして、戦渦の様子を感じて、思い出したかのように笑む。
「もう開戦(はじま)ったか――、今晩でも、『遊び』に行くか」
 禍々しい笑みを浮かべながら、フッと吹き出した煙草の煙で、岩屋の中の蝋燭がブルリと震えた。


 光が築城後間もない砦に辿り着くと、ちょうど何かの小競り合いが終わっていたのか? 矢がびっしりと突き立てられた鬼の死体から、まだまだ使える矢を丑の部隊に属する者達が胡坐をかいて抜いていた。
 彼らは光の姿に気付くと、直ぐに姿勢を正して正座をし、おでこを地面に擦り付けた。
「止めろ、指揮官を狙撃されたらどうする。で、何があったのだ?」
「斥候の途中で巡廻路を変更した鬼に見つかり、偵察をしていた金太郎様達が命かながら逃げてきたそうです」
 光の瞳が揺れた。
「誰か怪我人は?!」
「残念な事に先ほど一人が息を引き取り、あ、大将! 三番の救護所です!!」
 部下の言葉も早々に、馬を降りてただひたすら走る光。
「(うそだ、頼む。嘘だと――)」
 救護所から出てきた他人の血に塗れた救護兵の二人組みが「酷い傷だ」「顔の原型が」と物騒な言葉を投げ交わしていた。
 光の肩の後ろの辺りを冷たい風が撫で上げた。
 皮の前垂れを跳ね上げて、野営用の天幕の中、そこに赤黒く変色した男が横たわっていた。
 その横には、傷一つ無い金太郎と左肩を赤く血で濡らした篤五郎が並んで座っていた。
「自分の顔が不細工だから気に入らないとか言ってよ。こんな死に方をする必要ねぇじゃねーか」
 篤五郎の瞳からポロポロと滴がこぼれた。
 由近は近道のために崖から滑っていた時に、岩肌に取られて足を折り、最後に囮として、そして殿(しんがり)として奮戦した。絶命するまで石の短刀一本で奮戦したが、物量に敵うはずも無く、後ろからの不意打ちを食らい絶命。鬼どもに棍棒で何度も息絶えた後も、何度も叩き付けられ、神速で元に戻った金太郎と弓兵達が辿り着く頃には、鼻から上はただの肉塊と化していた。
 そして、怒りの射殺劇。二十匹近くの鬼に一匹頭二十本もの矢が穿たれたのだ。
 安堵と同時に、部下の死を悼み、そして数瞬で過ぎる慙愧の思い。だが光は敢えて、上司として心を凍らせて言った。
「……たかだか一人の兵のために二十の兵と矢を消耗するな」
「お頭!! うちらは(たま)ぁを張ってッ戦って! あんたには血も涙も無いん――――、旦那……」
 金太郎は掴みかからんとする篤五郎の肩を、万力のように掴んで押し留めていた。
「俺の部下が済まない、頼光」
「交戦規定の無視も有った。正式な開戦まではある程度は自重しろ。四天王の坂田 金太郎、夜半の開戦までお前は部下共々に夜間の巡廻歩哨。そして、そのものの(むくろ)を丁重に埋葬後、敵情偵察の報告をしろ。以上だ」
 宿舎に戻っていく光が一度、目深に被った兜越しに悲しげな視線を浴びせかけたが、それは僅かに一瞬だった。
「旦那、お頭のあの態度! 幾ら何でも酷過ぎるとは思いませんけ?!」
 噛み付く篤五郎をまぁまぁと駄目押しで押し留める、何時の間にか隣りに居た綱。
「大将、まるで泣いているみたいだな。初日から飛ばし過ぎなければいいが……」
 金太郎はその綱の言葉を気にせず、埋葬のために変わり果てた部下を持ち上げた。


15 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/12(水) 20:43:22 ID:o3teQDzJ

 その頃、内裏では今頃になって、会議中に第二次人外戦争の勃発の報を受けて、殿上人のしかも国政の中枢を担う公卿(くげ)である者たちが右往左往していた。
 国政を司る最高幹部達だが、どうしようも無い人間は何処にでもいる。例えば、道長の異母兄である大納言の二位の道綱とかはなまじ家柄が良いのに頭が悪すぎて逆に持て余すほどだった。「一ヶ月で良いから大臣成らせてー、そしたら辞職するからー」とか訳の分からない事を言い出したりして失笑を買うのは常日頃であり。この場で一番「うわー死ぬ、こうなったら左大臣になってから死ぬー」とか騒いでいるのはこの男である。と言うか、今の左大臣が道長なので後十五年くらいは役職が動く事は無い。
 無論、こんな事態が予測され、会議が乱れるから事前まで道長が伏せていた訳なのだが。
「あぁ、馬鹿な! 物の怪が攻めて来るだとぉ!!」
「やだぁ、死にたくない!! まだ逢瀬も重ねてないのに童貞のまま死ねるかぁ!!」
「済みません。明日辺りから物忌みなんで南西の実家に帰ります。後、それから二ヵ月くらい(有給)貰います」
 などと道綱以外でもただ自分の境遇を嘆く者、欲望を吐露する者、仕事を放り出して逃げ出す者と様々な中、ただどっしりと巌のように道長は構えていた。
 四納言と後に呼ばれる、彼と似た血統の公任(きんとう)斉信(ただのぶ)俊賢(としかた)行成(こうぜい)もその報を近親に伝えようとそわそわとはしているが、周りよりは歴然として落ち着いてはいた。
 前述の通り、道長は以前の為政者の影のみならず頭まで踏みまくるとか言って、権力簒奪の暴言を吐いただけはあり、肝も達者だ。何よりも、彼の手勢である闇殺舎に全幅の信頼していたのだ。
 その横に座して、戦報を伝えに来た今回の戦の呪術補佐で内裏まで来れない陰陽寮の長の代理の、天文博士安陪晴明は薄笑いを浮かべている。
「情っけない奴らだのぉ」
「おや、道長殿、もうこの世に見切りを付けたのでしょうか? お早いのですね」
 その晴明の微かに邪悪な笑いに負けず劣らずの腹黒い笑みを道長は返す。
「いやはや真逆(まさか)、私と御君の勅命を受けた九千の兵が物の怪の烏合の衆に負けるはずが有りますまい。ハッハハハ」
 互いに眼を合わさずに、機先を制する。
「(流石、内裏に胡坐する魔物、晴明。八十を越えたとの噂は伊達ではない。確か母は妖狐だったか?)」
「(ふん、齢たかだか三十四の癖に、この禿頭、中々やるな)」
 と冷ややかな顔で壮絶な水面下での探り合いを続ける。
 ちなみに間違えてはならないが、老け顔の禿頭の道長が三十四で、二十代後半に見える晴明が八十越えである。
「そう言えば、晴明殿。この戦、本戦には参加しておらんが、晴明殿は戦況をどう見るかね?」
「勝ちます」
 淀みなく、むしろ道長が戸惑うほどに言い切った。
「……その根拠は? 敵方は西方不敗、最強の魔、龍神。龍ノ目 時雨、傘下の兵力は人で換算して五万を優に越え、更に神魔霊鬼を問わずに勢力を未だ拡大していると聞くが?」
「最強の魔、…………ですか。この業界(陰陽道)で、その言葉を相手を知らずに与えるのは愚の骨頂と申すものです」
「ほほう、では最強は別にいると?」
「えぇ、その称号は唐土(中国)を越えて天竺(印度)、果てはそれより先の砂の国から、その先の『ぶりてん』なる島国まで果てし無く届いているとの事。まぁ、化の者は個人主義故に戦などには出ないでしょうがね」
「ほぅ、そんな遠方までか。して、その者の名は?」
 そう訊く道長をちらりと、意味深に晴明は横目で見る。
「秘密です。その者の名は魔に属する間でも禁句なので」
 そう、横目で見る晴明に同じく横目で視線を交わす道長。
「ほほう、それは残念だ。さて、会合も混乱してきたし、終わりにするかな」
「そうですね」
 晴明が【予測】して耳を塞いだ直後、内裏の木材と殿上人達が道長の一喝で震えた。


16 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/13(木) 13:34:34 ID:ommLmcWc


 夜半。一人、金太郎は城の外縁を歩いていた。勝手に兵を指揮した罰による歩哨である。
 あの場で由近を見捨てた事によって彼らは貧弱な装備で生き残れた。それを分かっていて、更にあそこに残ったのは死体だと分かりながらも、金太郎は彼の骸を見捨てたままに置けなかった。兵を連れて疾駆した。そして、嬉々として死体を玩ぶ鬼を見て、我を失った。
()ッ」と短い命令と同時に、同じく憤怒を感じていた射手達による一斉射。
 指揮官でありながら我を忘れた事は、由々しき事態だった。
 何処か遠くから「未熟者ッ」と叱咤の声が聞こえる。
 先日の元服を終えてからは綱の付き人である侍童では無く、一人の兵にして侍、そして闇殺舎を統べる四柱の一つ、頼光を守護する最強の四天王の一人と金太郎はなっていた。
 そう今は、一兵卒では無く指揮官、軽率に動くべきでは無い。
 グッと拳を握る。
 だが、フトした瞬間。忘我の勢いで溢れる殺意を制御出来なくなる。
 それは狂戦士と呼ぶに相応しい暴れっぷり。怪童丸と呼ばれるのはまだマシな方で、返り血を浴びて、自らの象徴である紅の鎧をドス黒く、そして赤く染めた姿は時折単純に【鬼】と呼ばれた。
 血に染まるたびに人としてあるべき倫理、もっと単純な理性。ここで止めるべきだと言う境界が、時に金太郎が分からなくなる時があった。特に成長が著しく始まった頃から、体が大きくなるに連れてその傾向が強くなってきた。まるで中で何か別モノが成長しているようだ。
 心を鬼してなどと言うが、人が規制しなければならない、躊躇ったり、後悔したりと、踏み止まらなければならない境界を軽々と越えていってしまう。
 鬼よりも鬼らしい獣。
 そんな自分の中でまさか本当の鬼が育っているのでは無いか、などと金太郎は思っていた。


「よぉ、オレ様と手合わせしてくれないか?」
 そんな事を考えていた矢先だった。
 忽然とそれは現れた。気配を探る事に関しては四天王の誰よりも動物的な金太郎は発達していた。だが、その女は一度、消えたはずの蝋燭がまた戻るように自然に、それ故に不自然に、風景に嵌っていた。金太郎の感覚を凌駕していた。
 首から下の全身を包む皮の襤褸。手、そして膝まですら隠れるほどなのに、それでも女性だと分かるほど魔性をもってして体を発達させている。裸足で地面を踏みしめている。
 彼女までの、三十歩なんて間合いは金太郎であっても矢を持ち出す距離で、切った張ったをするには遠過ぎた。
 だがそれでも、金太郎は身震いが止まらない。
 圧倒的な威圧感。離れているのに喉元に真剣を突きつけられているような戦意があった。
「あんたがあいつらん中で一番なんだろ?」
 兇器めいた雰囲気に似合わず、快活に笑顔まで向けながら、やたら女性として体の至る所が発達したその女が問い掛けた。
「残念ながら、俺は二番だ。四天王の一番は渡辺 綱だ。殺り合いたいのなら、何なら呼んでくるぞ?」
 そう言って踵を返そうとする金太郎に「チゲェよ」とその意味全てを女は打ち消した。

「一番ってえのは、そう言う意味じゃないよ、坊や。あんたが【こっち側】に一番近いってことさ」

 心臓が強く鳴った。
 こっち側、それは人外の血溜まり。

「嘘だッッ!!」
「嘘なもんかい。そんなことを怒るこたぁ無いさ。でも人みてぇに存在を主張するなら、ここまでゲロみたいにプンプン腐った人外の臭いを半分でも体に巻いていて、坊やは自分が属していると思っている、同属()として恥ずかしいとは思わないかい?」

 呼吸が間に合わない。動悸はますます強くなる。喉が空気を求めて音を立てる。

「人との合いの子だけど、中々だね。半端モノのくせにオレ達の中でもその力は一、二を争うよ。自分が、人としてそんな怪力を出すなんて不思議とは思わなかったとしたら、周りも馬鹿だね。でももしかしたら、彼らが気を使っていてくれたのかも知れな――ッ」

 張り詰めた刃金の音が遠い森林にまで反響木霊した。
 槍の穂先は、女の首筋の皮一枚まで肉薄していた。
 が、そこから先は皮の襤褸から始めて出た、同じく刃金の両拳を守る籠手で、手の甲と甲で挟んで受け止められていた。その籠手は棘の付いた殺戮用のモノであり、防具としてのナリは潜めていた。
 それの兇器を捻り潰すかのように金太郎は獣の総毛が逆立って、瞳で噛み付きそうなくらい睨んでいた。
「良い踏み込みだけどね……、遅すぎるよッ!!」
 受け止めたその場から槍の殺傷圏の内側に蛇のようにヌルリと入り込み、下から振り上げた、重たい、肉を潰す拳が金太郎の土手っ腹に炸裂する。
 しかし、重い音すら響くこと無く、後方に向かって華麗に金太郎は後退した。跳躍による、身の軽い金太郎ならではの回避術である。
 殴られるのに合わせて飛び上がり、拳に乗っかったような形だった。後にこれが【浮身】と呼ばれる打撃回避術や【八艘跳び】の跳躍力を生み出す技として知られるのだ。
 着地地点の真後ろには、先ほど金太郎が思いっきり踏み込んだせいで抉れた地面が見えた。
 金太郎は信じられない事に三十歩の間合いをほぼ一跳びで踏み込んだのだ。
 人外と戦い、人外の血に近づく事で、彼はその存在を人外に近づけつつあった。

「ハハッ、いいねぇ、オレ様の名は時雨、龍神にして、人外総大将、龍ノ目 時雨さぁ」

 片方の拳を掲げながら、総大将がノコノコと敵陣の砦目前まで出てきていた。

「四天王、南の闘将、坂田 金太郎」

 一呼吸の間と伴う痛いほどの静寂。
「「参るッ」」
 自らが鬼でも良い、ここでこいつをぶっ殺すと、金太郎は心に誓った。

 二つの強者が地を疾走する。
 長大な槍がその鋼鉄に意志があるかのようにのたくった。
 不可思議な軌道にも関わらず、その軌跡と速度は最短かつ最速。植物の、薔薇の棘のように触れれば自然に刺さる突き技。だが、華のような可憐さは無く、ただ死狂って裂く猛攻。
 金太郎は一呼吸で五月雨の突きを放つ。
 並みの魔であれば接触した瞬間に分解すらされそうな突き。
 しかし、それを時雨は単純な腕力と反射神経で、金太郎の化け物を殺すための武術に籠手と膂力のみで張り合っていた。
 女である事を忘れるようなデカイ体格のみならず、その力は魔族の力によって倍加され、拳の破壊力は尋常で無い様相となっている。
 外された金太郎の突きが地面を一度穿った。その時に巻き込まれて石の欠片が吹き飛ぶ。吹き飛んだ石がそのまま飛び続けて今度は大木に大穴を空けた。その大木が音を立てて倒れる。そんな大木が三〜四本。
 芯を外し、地面で減速した突きにも関わらず、その威力は落雷すら超えるほどの威力があるのだろうか?
 しかし、その超人の突きを笑みを浮かべながら、諸手で受け凌ぐ時雨。
 ある瞬間、彼女の待ち望んだ瞬間、目に見えて金太郎の突きの威力が弱まった。人外と半端モノとの持久力の差が見えてきたのだ。
「そるぁッ――、どうした、坊や? ヘバッたかい?!」
「―― 朱ッ」
 普段は決して疲れる事が無い故に見せなかった、小さな呼吸で喝を入れて、突きから急変更して薙ぐ。
 この場に来て、弓矢のような単純な点の軌道から、三次元の複雑な軌道を燕の飛翔のように描く。長い柄を利用して石突で牽制しながら、背中越しに体に纏わり付くように長い柄を回して、後ろ回し蹴りのように刃を叩きつける。完全に不可思議な軌道。
「征ッ!」
 時雨の闘気。拳を刃に打ち付ける。
 圧縮された空気と空気の振動と同時に甲高い金属の悲鳴。空間の圧縮、歪み、反動。
 全力でどちらも踏ん張ったのにも関わらず、同時に互いが吹き飛んだ。
 空中から猫のように体勢を変えて着地。
「へぇ」と半分まで砕けた、水魔一族の技術力の粋を結した自らの籠手を眺めている時雨を、金太郎は激しい衝撃でズルリと向けた手の皮ごと力強く握り、槍の柄から地面に血を滴らせて、睨む。
 砕けた彼女の籠手に対して、猛将坂田の赤い槍はその激しい打ち合いでもまったくの無傷だった。
 空気との接触点が痛いほど、肌に刺さるほどに金太郎の感覚が高まっている。目はこれ以上ないほどに吊り上って広がり、歯は音を立てるほどきつく固めているのに、緩んで同じく吊り上った歯茎までを見せる唇。薄皮の内側で、得体の知れないモノが出る場所を求めるように引っ掻き回していた。骨がギシギシと引き攣るほど、隆起した筋と肉に引かれて餌付くように震えている。それは正しく飛び掛る直前の獣のよう。
 笑うという行為は本来威嚇のためであると言うが、まさしくその時の金太郎は(わら)っていた。
「……あんた気づいているのかい? 人外と戦えば戦う程、力を解放すればするほど、アンタの理性は失われるよ」
 金太郎に彼女の声など聞こえない。
「…………――――はぁぁ、――ヘッヘ」
 蒸気が毀れるように、金太郎の歯の間から空気が漏れた。
 金太郎は無理やり力を抜いて、次の攻撃のために力を抜いて、抜け切れずに力で震える歯の間から舌を出して、ペロリと唇の横を舐めた。鬼のように振舞う槍使い。
 獣は狂喜を浮かべている。
 時雨もウットリと逢瀬でも交わしているような艶やかで甘美な笑みを浮かべて、同じく唇の横を赤い淫靡な舌で舐めて、二の腕を掴んで小刻みに震えた。
「まぁ、あんたの理性が無くなろうと。オレ様の格好を付けられれば、」
 金太郎の背後で突如生まれる大量の土砂。爆発的な加速と野獣の咆哮。
「構わないけどねッ!!」

 跳躍と共に壊れていない籠手を振り翳して、魔拳を振り被ろうとしたその時。
 突如踏みとどまった時雨は突進する金太郎をかわしつつ、一瞬で全身を回転させて、己に降り注いだ矢雨を身体を包む皮の襤褸で全て弾き落とした。

 時雨の右前方、左前方、そして、その間に程よく配置された、金太郎への誤射による相打ちもしないように計算にされた布陣の三百人の弓兵が、ただ一匹を狙っていた。
 楓の視界右の弓兵の僅か後方に、琥珀色の瞳の戦士がジッと時雨を見つめている。
 彼女は殺意を向けていた。もし、そいつにこれ以上傷つけたら殺す、と視線で語る。
 時雨は力を抜いた、狂気の消えた笑顔を向けた。
 金太郎は狼の大軍ですら総出で震えるような視線で睨みつけ、地面に伏しながら唸っている。
「やれやれ、良い主人を持ったな。お前がやばくなる直前まで戦わせられる事が出来る、信頼を寄せる主か」
 闇夜に広げるように脱いだ僅かな皮の襤褸の下は、僅かに胸に当てる皮の鎧と同じ素材の褌のみ。溢れんばかりの胸と尻を僅かな生地が包んでいる。
「流石に呪力処理された矢を何千本も食らったらオレ様でも怪我するからな。今日はここで御預けだよ、坊や。……次は今より容赦しないよ」
 言い終えると同時に、人の体を地面に引き倒すほどの異常なまでの禍々しい磁力。魔力の渦。人外の咆哮が超絶的訓練を受けた弓兵達すらを硬直させた。
 それでも咆哮を挙げて野獣が飛び掛る。
 次の瞬間、時雨の中心から突然弾けるよう竜巻が発生して視界が阻まれる。同時に蛇のような鱗に包まれた、何か巨大なモノが天へと昇っていた。
 それがもの凄い速度で山の、人外の居城へと消えた後には、竜巻の衝撃で全身を己が血で染めた金太郎と、壊れた籠手だけが陥没した大地に残っていた。
 ヒラヒラと蝶のように、居場所を失った襤褸が空を舞っていた。


17 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/13(木) 13:40:43 ID:ommLmcWc

遥か遠く頂の上から――

 一人の男がその光景を眺めていた。僅かな月明かりで照らされる大岩の舞台。
「おっもしれぇ、おっもしれぇじゃねえか」
 岩の上に胡坐をかいた男が居た。
 年の頃は四十を越えたところ。ザンバラの髪を頭頂よりやや後ろで纏め上げた髭面の、山賊の親玉ような男だ。黒い闇そのもののような、武骨で大雑把な攻撃的な棘の付いた鎧で身を固め、片手には酒を入れるための瓢箪、もう片方には白い、頭蓋骨の上半分のような、角の割れた御椀があった。
 さて、男は山賊の親玉のように見えるが、あくまでもそれはパッと見に見えるだけで、些かに雰囲気は違う。鎧の下には金太郎であっても目では無いほど、圧縮された筋肉がぎっしり詰まっている。
 赤い、滑りを持った液体を呑みこむ。

 ぐい、ぐい、

「ぶあっはああ」

 あからさまに怪しくて酒臭い息と供に、口先から黒い焔のようなモノが漏れた。
 それは人では決して見る事が出来ないはずの、しかしそれは霊的な才能が零の魔術師でも見えるまでに物質化された妖気だった。

 この男こそ、平安の代に最高と言わしめた陰陽師、いわゆる魔術師『安陪 晴明』が【最強の魔】と言わしめた魔王。二千年の月日など遠い昔に過ぎ越した鉄神芭王(てつがみ ばおう)だった。

「おやおや、何処に行ったかと思いきや、あんた、日本に戻ってたんだね」

 年寄りめいた言い方をして、まるで月光を裂いて割るように、赤い着物を着た幼い女の子が現れた。
 その年齢に合わぬ艶かしい瞳に、大気を歪ませるほどの強大な圧力を発するのは火龍の申し子。朱月 永女(あかつき ながめ)と呼ばれる、これまた強者の列に名を連ねる人外だった。

 後に人と魔を共存させるために奔走する死神公社の創立者達は、まだ影も形も無かった。
 時雨以上にただ己の欲望のままに動く魔だったのだ。
 彼らが人と魔を共存させる決意をするのは、また別の機会の話であり、本当の語り手が語るべき話である。

「永女ぇ、まぁた俺に付いて来てんのか、おめぇ?」
 しつこい奴だと言う様に鉄神は頭を振った。
「あんたの近くにいると面白い事が色々とあるからねぇ、退屈しないのさ」
「ちげえねぇ」
 と、芭王は笑う。大気すら恐怖で卑屈になりそうな、暴力的な笑みだった。
「……あの坊や、雷神の血筋だね」
「唐土では雷神を象徴する武具が鉞だったか? ははん、そいつを操るだけの怪力はあるってえ事か」
 幼少の金太郎の手に何時の間にか握られていた鉞は、自らの根源を司るものだったのだ。同じ龍と人との合いの子である永女は金太郎の中に残る龍族の因子を鋭く見抜いていた。
「大陸の方から雷神系列の龍、紅龍(コンロン)なんてのが権力闘争に負けて日本まで出奔したのが十七年前だったけか? 時を同じくして、東の国の豪族、酒田(さかた)の家系が一人の女を残して近隣の別の豪族によって滅亡したらしいね。それから暫くして、近隣の豪族との闘争によって龍はぶち殺されているみたいだね。まぁ、豪族も紅龍に暴れられて皆殺しにされたみたいだけど」
 鉄神は龍神が豪族に戦いを選んだ経緯は用意に推測できた。愛した女の復讐のために死ぬのが、男としての彼の本懐だったのだろう。まあ、それが鉄神にとって重要かはさして考えるほどの事では無かったが。
「酒田の家系は、当麻何とかの筋だったか?」
「ええ、隠してはいたようだけれど、確かに相撲王、(当麻 蹴速:たいま けはや)の血筋の奴らよ。ほら、最近(四百年前)垂仁(すいにん)院の前で殴り合いして土地の所有権を争ったじゃない。あんただって見て、勝った方に会ってたはずでしょ?」
 日本書紀にも残る、天皇による直接召喚で定められた殴り合いによる権力闘争である。無論、勝者の元に『殺し合いがしたくて』後々訪れた魔王が居たらしいが。
「蹴速は野見 宿禰(のみ すくね)に負けたんだっけか? よく覚えてねぇや」
「えぇ、当麻の土地、大江山一帯は昔から良い鉄が取れてた。それを狙う朝廷の陰謀のために天皇の配下が独断で毒を当麻に盛り、当麻は毒に蝕まれながら蹴りを食らって骨盤粉砕。まぁ、彼の怪力とそれで操られる相撲、そして彼に統率される強靭な配下も恐れたのかもね。まぁ、彼の相撲は【呪い】の域だからね、組んだら必ず相手が負けるのは当然だいね」
「毒さえ無けりゃ蹴速は勝ってた、てえのか? はん、勝負は水物、人、時、天の運次第ぇさ。まぁ、酒田の家やら大陸の龍神やら、坊主の血は陰謀による失脚が多いみたいだな? そいつも呪いか? おい?」
「さぁ、私には分からないわ。どちらにしろ、彼は良い血を持っているみたいね」

 雷神である龍と相撲王の名を冠した元名門の豪族の落とし胤。
 それが、金太郎だった。
 電光の如き早業に怪力。本人自身の素養もあるが、血に寄る補助があると言っても過言では無い。

「目ぇ覚まさしたら、面白えだろうなぁ」
 目を覚ます。それは、彼の中の人外の因子を覚醒させると言う暗示である。彼の中の大部分の才能は使われないまま眠っているのも同然なのだ。
「あれは起こしたら龍ノ目でも迷惑するよ、止めたげな。それに今、彼女は『あの状態』でしょ?」
 思い出したように、永女が戦の【裏事情】を促す。
 彼女はある事情で全力を出せない事は一部の人間、もとい人外から推測されていた。そう、どんな戦場でもいつも抱えていたはずのあの小さな子は何処に行ったのだろうか?
 それに僅かに納得がいかないようにしばらく顎髭を親指でゴシゴシと擦り、そして、にかっ、と魔王は気が強い人でも突然の変化に泣き出してしまいそうな貌で笑った。
「かかっ、この(いくさ)は面白えからな、しばらくは静観してやるさ。それから、だな」
 月が雲に塗れ、彼らも消えた。


18 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/15(土) 18:48:00 ID:o3teQDYk

「稚児よ眠れ安らかに、紅の父が鳴きます故。稚児よ眠れ安らかに、足柄山の山姥泣きますぞ。稚児よ眠れ安らかに、明日一人で歩けますように……」
 金太郎は昔の夢を見ていた。あれは指折りで三つの時、母が死んだ。
 銀のように白い髪に、赤い瞳、血管の透けた赤い妖艶な大きな唇。胸元に青筋の通る白い肌。死んだ父が母に言って教えたその容貌の理由は「色を表す体の要素が少し足りなかったから」であり、遺伝と言うものを知っていれば感染性の病気や気狂い、鬼化などではなく、とりわけ異常なものでも何でもなかった。むしろ容貌としては鮮烈なほどに、美化していようがいまいが、美しかったと彼は記憶していた。
 酒田の家系が滅び、足柄山に隠れ住むに至っても、彼女が母としている間は人里を離れ過ぎる事は無かった。
 父が死ぬ前に建てた木造の家屋にひっそりと金太郎と供に住み、偶に人里に袈裟を頭から被っては、母の一族の残した遺産の小さな金塊と引き換えに粟や稗などの穀物、野菜と交換して村の間を回って生活した。
 その個人には手の余る莫大な遺産を巡って邪な考えを抱いた者が居た。しかし、その考えを実行する前に、ヨチヨチ歩きの金太郎が熊を片手で放り投げるのを見、それを彼女が愛しいそうに抱きかかえるを見て逃げ帰ったのだそうだ。
 それ以降、怪童を産んだ山姥としてより疎まれる事となったが、彼女は気にも留めなかった。
 唯一、心配だったのは彼女自身の体調だった。今風に言えば、白子(アルビノ)種の風貌通り、彼女はあまり長い命ではなかったが、それを押してまで金太郎を、人と龍の合いの子を産んだために長生きするのは困難だった。
 それでも愛しい者のために生きた。

「金太郎さん、よく聞いてください」
 一月以上歩けなくなったある日、床に就きながら、母は訥々と語り始めた。
「あなたの父殿、時行(ときゆき)様は、大陸の方にありながら儒教の教えを持って礼を知り、仁義に溢れた尊いお方でした。そして、何よりも優しい方で、同時に自分自身にも厳しいものでした」
 瞼が釣鐘でも掛かったかのように重く、下りそうになるを堪えながら、母は語り続けた。
「あの方は侍でした。侍とは忠義をもって、あまねく人に仕える偉い方の事です」
 誰構わず人に仕えるのに偉いと言うのはどういう事なのか分からず、彼が難しい顔をしていると、「そうですね」とそれに気付いた母は続けた。
「人を幸せにし、その幸せを守るのが侍のお仕事でしょう」
「おっとうはおっかさんを守ってない、幸せなんかしてない。死んじまったのに、何で立派なのか、俺は分からん」と金太郎は言うと、彼女は静かに笑って言った。
「人を幸せにする方法は何事も一つではありません。あの方は自らの命と引き換えに金太郎さんをもたらしてくれました。それにあの方が亡くなってしまわれたのは、私の責任でもあるんですよ?」
 金太郎は納得がいかないように難しい顔を続けていると「そんな顔をしていると、時行様を思い出してしまいます」と、母は瞼を閉じた。
「金太郎さん、母の、願いです。立派な、侍となって、くださいまし……――」
 おっかあ、と金太郎が呼ぶと、
「稚ごよ、眠れ、安ら、かに、くれな、いの父が、鳴きますゆ、え。……ちご、よ眠れ、……やす、らかに、あしが、ら山のやまん、ば泣きますぞ。ち、ごよ、ねむ、れやす、らかに……、あし、た、ひとり、であるけ……、ますよぅ、……に……」
 静かに、いつも通り、金太郎が眠れるまでに謡っていた子守歌を静かに力無く謡った。
 金太郎の母、足柄山の山姥は謡い切って事切れた。
 その日に滾々と溢れ出る涙を声も出さずに、もうこれ以上彼女を起こして苦しめないように、静かに流して、流しきってから、金太郎は泣いた事は無かった。

 以後、彼は獣として、頼光によって目を覚めさせられるまで生きていた。



「金太郎」
 耳元で自らを呼ぶ声がする。そう思って金太郎は瞼を開けると、横に正座をした光が居た。
「ようやく起きたか、寝坊助」
 目元に涙を溜めた光を見て、あの日、母が起きなかった時と同じ自分の気持ちにさせたのだと金太郎は思い、「すまない」と短く、胸の奥が溢れて上手く言葉にならない気持ちを表した。
「おまえはいつも、簡潔に済ませるのだな、……だが、私は好きだぞ、そういうの」
 安堵の気持ちを語勢に見せながら、微かに光は笑う。
「頼光」
 不意に、金太郎は彼女を抱いた。
「なっ」
 突然の行動に光は戸惑う。
 具足越しにも感じる、金太郎の強力。しかし、その中には例えようの無いせつなさが感じられた。
「俺は、怖い」
 自分が何なのか、自分がどうなってしまうのか。
「俺は本当に武者、立派な侍に成りきれているのか? 俺は本当にはばらっ」
 耳の裏を殴られた。三半規管を揺らされて朦朧としている間に逃げられたため、抱きついていたのは三呼吸以下である。
「ばばばばばばばばば馬鹿、ひひひひひひひひひ人に見られたらどうするか考えられんのか! この未熟者! この未熟者! この未熟者! この未熟者ぉ!」
 色んな、押し倒されてそのまま孕まされる危機感とか感じて同様しまくって、さっきよりも更に涙目になった光だが、それにも金太郎は気付かなかった。
「…………済まない」
 声色から精神的な疲れが滲み出るほど、焔を象徴するはずの男が燻って疲弊していた。
 その様子を見て、光もぽりぽりと烏帽子の後ろ辺りを掻くと、何を言うべきか頭の中でまとめた。
「……良いか、愚か者」
 金太郎の俯いた顔を左右から『むに』と頬肉ごと潰しながら、金太郎の顔を自らの顔に向ける。
「お主は贅沢だ。本当は力が無くて悩むものが多いのに、何で力を持つことを恐れる? お主は昔から獣だ。だが、それは誇る事だ。野を縦横無尽に駆け、爪と牙を持つ。今更、額に角が生えようが、翼が生えようが、猿の尻尾が生えていて、実は他の星から来た人種だろうが誰も気にしない」
「…………、それはたぶん光だけだばらっ」
 座ったままからの蹴りから金太郎を一回転させていた。「真面目な話を混ぜっ返すな」と言うと、そのまま続ける。
 何故か、二年前くらいから妙に金太郎への光の当たりと言うか八つ当たりが多くなっている。金太郎が他の四天王に聞いても貞光を含めて「己の胸に聞いてみろ」の一点張りであり、心当たりはある事にはあったがまさかそれに光が単独で気付くはずが無いだろう、と金太郎は可能性を消していた。無論、その可能性は当たりであり、それの手引きをしたのが相模である事には気付いていない。
「まったく、次に戦場で私の真名を呼んだら暫く立てないくらいぶん殴るからな。……それに、お主が思うほど、周りは冷たい奴らではない。恐れる事は誰でもある。だが、私らも武器を取って戦う身だ。武器は持つ者にだって怖いんだ。ただ、それがお前の身体に元からあるだけだ。巨乳白刃取りが出来そうな馬鹿乳女に何を言われたか知らないが、獣である事を誇れ」
「…………、ところで今の馬鹿乳と言うのは頼光の一種の嫉妬なのだぼ、げは、やめ、ちょ、もう、なぐら、な」
 しばらく、「ああ」とか「うお」とか声を出していた金太郎が静まり、ただただ延々と続く打撃音が鳴り響くと、天幕で耳を澄ましていた兵士達が顔を見合わせて歯根を震わせて鳴らしながら蜘蛛の子を散らすように恐怖に駆られて逃げていった。
 たぶん、色んな意味で、彼らは今日は寝られない。
「ハァハァ、まったく馬ぁ鹿な部下どもといい、頭を悩ます事が多過ぎる」と光が嘆息しながら、その横でいつも坂田に殴られ慣れていた金太郎は「死ぬほど臣下を殴るなんてどんな大将だ」と直ぐに元に立ち戻った。光は少し考えるように俯いた姿をすると、やれやれ、ともう一度嘆息した。

「生憎それぐらいでくたばる様な臣下なぞ手元に置かん」
「あぁ、そうですか」と目を『ー』と細めて不満そうな顔をしていると光は笑い、そして真摯な瞳を向けた。
「……さて、お主に良い事を教えてやろう。――『悪』と言う言葉がある。この言葉には二つの意味があり、一つは良い事の逆だ。これは知っての通りだな。もう一つは『強い』、と言う意味だ。悪は弱い者を従える事の出来る強者なのだ。そして、魔に対抗する我らは常に『相手の正義に対抗する悪』の立場に立たねばならない。魔である人外達にも生活があり、そのための戦がある。それを侵す者は魔の有無に関わらず、彼らにとって良くない事なのだ。良いか? 彼らは私達の悪を恐れているのだ。強くある事を敵から指摘されたのだ。良くない事ではない、むしろ好ましいくらいだ。何よりも――」


 私はお前を信じているのだからな、と爽やかで柔らかな笑顔を魅せた。
 全てを許されたような気がした。


「さぁ、準備をしろ。戦の準備だ。飯を食う隙すら与えるな。奴らの大将に死神を拝ませろ。陣地の角に奴らを押し込めて、恐怖で震わせながら念仏を唱えさせるような命乞いをさせろ。良いか、悪が勝つ時だ! だから、今は勝つ事だけを考えろ、よいな?」
「分かった、頼光」
 ニコッ、と再び太陽のような笑みを魅せ、天幕の外へと出て行った。

「……そうだ。今は悩む時じゃない……奴らに尻尾巻かせて、俺達が人と魔が均衡を保てる国の境界を定める時だ……」

 頼光のために負けない、金太郎はそう誓った。



 半時(一時間弱)で金太郎は立ち直ると設営された天幕の中に入った。
 彼らの陣は、山脈が高らかに連ねる近江の地で敵方よりも高い位置に敷いていた。
 今回の戦は相手の陣地に如何に早く攻め込むかと言う侵略、攻城戦である。人外の屈強な岩石の天然要塞とは違い、彼らのは遠征によって急造で作られた城である。むろん、そのために堀を満足に巡らす事も出来ていない上に、垣根程度の柵しか作りきれていない。(やぐら)、射撃用の高台もそれほど高いものではない。
 しかし、これは問題にはならない。彼らは遠征での戦であり、兵糧、つまり兵士のための食料を多く携行する事は出来ない。腹は減っては戦は出来ぬ。故に、これは早々と成果をあげるべき短期決戦となるのである。そのために、長い時間兵士を留める事は出来ないため、城は攻め込まれたら放棄する程度のモノなのだ。だが城の内部に攻め込まれるまでは死守出来る様、敵方の陣地を一望でき、なおかつ、彼らの強みである遠距離兵器、弓の射程距離と目視の範囲を広げるために高い山の中腹に城を設置する形となっていた。無論、近くに最低限の湧き水や馬も通れる撤退路、城の真後ろからの攻め込みを防ぐ迂回の監視も出来る場所を秀武は何ヶ月も前から金太郎とその配下を斥候に使い、距離や角度を測りながら、見極め、見つけたと同時に敵方の妨害を受けないように一気に設置したのである。
 十五の候補から選んだその場所は、力による突破が原理であるはずの時雨すらも「攻め難いな」と言わしめる、地形の理を凝らした本当の天然要塞だった。敵方の岩の要塞に比べれば一見攻め易そうに見える脆弱な城が大陸の兵法を勉強した博士でも唸らせるほどの見事な設置場所だったのだ。

 そして、それは用兵、兵士の構成に置いても同様である。
 この時代は歩兵の未だ全盛期であり、槍や太刀を持った者が前面に二十〜三十人ばかりで立ち、それを七十〜八十の弓兵が後ろから援護する形だった。
 それでも戦においての華、上級兵士達は太刀による馬上からの斬撃の上手が多かった。大陸と違い、両手での斬撃を重視した結果、片手に楯を持つ戦法は廃れ、防護柵のような据え置きの楯以外は衰退したようである。つまり、騎馬兵の防御力は自然と低下したのである。
 その代わりに攻撃は最大の防御と言う言葉が生きてくる。
 古来、戦場では遠距離からは馬上からの弓射、もしくはもう少し近づいて短い槍を使った槍投げ、近距離では太刀を使う形となっていた。攻撃力のみの突出が自然と選ばれる。
 つまり、上級兵士は必然的に、戦術上では散兵と呼ばれる、あらゆる武器の得手である兵として求められるのである。
 そして彼らは、殺戮技術を専門に養育した闇殺舎は散兵である事が『最低条件』である。
 故に彼らは必要に迫られれば、馬を飛ばす事も、相撲を使う事も、弓、槍、太刀を使うことも出来た複合兵団だったのである。
 室町時代以降に形となる武芸十八番を、彼らは先取りし、既にどの兵士も実践レベルまで高めていたのである。
 それは現代風に言うなれば様々な技能に長けた特殊部隊のようなものである。

 それでも真っ向から人外と戦った場合、生命体としての潜在能力の低い人間は苦戦を強いられる。だが、人の強みは違う。個々でなら決して勝てないような化け物を、彼らは集団戦術によって決してきた。故に士気も、非常に連帯感も強い。例え人の兵団なら同規模で戦った場合、千年現在の段階で勝てるのは大規模な兵団を運用する唐土やその先の巨獣である象を従えた天竺、島国で鉄の鎧で固めた騎士を携えた英国すらも適う事はなかっただろう。

 こと集団戦闘の技術とその個々の強みを引き出す戦闘技術において、現在彼らは時代の先駆者を歩んでいたのだ。最新鋭の理論で作られた最強の軍団である。



 その彼らの相手は現時点において、
 空中機動を発揮する烏族が四百、
 古代印度より巨獣として猛威を振るった戦象にあたる龍族が二十、
 そして、主力部隊である千の鬼の歩兵団、

 数字上では少ないが、ただの歩兵である鬼を退治するのに闇殺舎での並みの兵士なら五人は必要とする。龍などは優秀な兵士、百人力が三十人で立ち向かっていくものであり、加えて、烏族は根っからの武の得手であって集団戦術も得意としていた。
 そのため、事実上彼らの戦力は五万どころか七万を超えると言っても過言ではないのだ。

 大して頼光側は闇殺舎の公時の手塩に掛けた騎射を生業とする千人の軽騎馬兵と、綱の選び抜いた生え抜きの五百人の大太刀による斬り込み隊。秀武の指揮する工兵にして散兵の歩兵実働部隊五千人に、貞光の二千人の僧兵集団。そして予備兵と呼ばれる、非常時の際に真っ先に駆けつける総鋼鉄の分厚い鎧を纏い、長槍を携えた電撃突撃戦特化の、戦闘膠着時の突破口を作る専門である重騎馬兵、金太郎を含めた五百人である。
 兵法上で戦力を概算した場合は、兵力は二乗し、互いのその比率を見る。単純計算でも七万の七万倍と九千の九千倍では、四千九百と八十一。約六十倍の戦力差となるのである。
 数字上の兵数は六倍であり、兵法上では敵兵力の三倍を出せれば勝てるものであるが、先に記したとおり、生物的な基本能力の差は天と地の分かつほどの差があるのだ。単騎で龍やら鬼と戦えるのは頼光と四天王、そして通常の千人長と百人長の兵士の内でごく一部のみである。戦力が乱れれば例え単騎では勝てても戦に負ける確率は倍増する。兵を均等に配置するのが重要だが、それでも何処かが足りなくなる事は必死だった。足りなければ、そこから陣形は崩れて敗色は濃厚となる。
 だが、彼らは綿密に情報収集を重ねていた。敵の動きも、そして、その性質も利用できるだろう。

 地形情報。
 南東に位置した人の居城、東の丘陵から流れる大河は北西へと走っている。西から南西へは森林と共に小高い尾根を連ねている。そして、北東、鬼門に位置するは怨敵の牙城である石塔と洞窟城。西の険しい連峰から大河の間は僅かに手狭ながらも平地を醸しだしている。おそらく、直接、歩兵同士がぶつかり合うのはここだろう。

 厄介なのは彼らの兵団の一つである烏族である。
 いわば、古き森人の一族である天狗の一派はその身を森深くに埋め、人とは関わらないように続けていた。しかし、政府の、もとい貴族達の課す様々な税金の類、米、材木、鉱石などが人の領土の拡大を余儀なくし、居場所を奪われた烏族達は着実に心に憤怒を募らざるを得なかった。烏族は元々猛禽類が長い経験と森と土の英気を受けて変化へと成ったモノどもである。純粋な森の化身である天狗に比べその血気は些かに盛んである。
 そして、何よりも危険なのは彼らの背中には翼があることである。
 この時代、一部の卓越した修験者や陰陽に通じるもの、仏法密教の秘を会得した貞光のような『魔法使い』以外で飛べるものは居なかった。当然ながら上空への攻撃は弓矢を持ってしても矢自身の自重によって貫通力は減少、または相殺され、致傷を与える事が出来ない。つまり、彼らが高低差を利用して射撃戦に持ち込んだ場合、味方の甚大な被害は免れない。
 現代では越南(ベトナム)戦争以来、航空戦力である戦闘機や武装ヘリによる上空と地上戦力である戦車や歩兵の地上との挟み込み作戦は勝利の大前提となっている。真上と横からの三次元の圧力には同じ次元の力で対抗しない限りは勝つ事は出来ない。故に現代戦では如何に航空戦力の空対地攻撃を防ぐかが要となる。そのために諸外国は如何に早く航空戦力の発着施設である空港を破壊するかや空対地攻撃からの弾頭迎撃、戦闘機による爆撃機撃墜の航空戦に尽力しているのである。
 しかし、それは現時点においてはそれは遠い未来の話である。飛べない人はただの人であり、残念ながら頼光の郎党の間に空を飛ぶほどの異能を持つ者は貞光を除いて居なかった。加えて、血気盛んな龍族に怒涛の突撃をされれば人は烏合の集も同然、一溜まりもないだろう。



 だが、それでも彼らは勝てるのだ。『勝算』があるのだ。


19 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 11:29:45 ID:o3teQDzJ

 日も明ける前から崖側に陣取った鬼の軍勢は、その自らの出撃を今か今かと待ち望んでいた。
 鬼の起源は人である。元は人の形をしていたものがその気性の荒さと同じ『臭い』のする同族以外からの孤立性によって、人から乖離したモノどもである。元から(あやかし)の生まれではなく、徐々に鬼へと変じていくのである。死後、人が鬼籍に入ると言うが、死んでも妖の(ことわり)に属した故に鬼となるからとも言われている。
 もしくは鬼子と呼ばれる、異常成長をした者達などは緩やかに人から排斥され、自然に同じ臭いのする鬼へと組み込まれていくのだ。
 さて、その鬼達は人から外れた事による妖の理へと踏み込む。鬼はその妖への進行度合いと諸々の力の強さが色濃く(はだ)に表れる種である。
 始まりである青鬼、最も多くの部類である赤鬼、人と同じ大きさで地上でなら最高の怪力を持つ黒鬼、そして神域であり、数えるほどの鬼神と呼ばれる白鬼である。奇しくも人の死体が経る腐敗過程と同じため、その力は地獄絵図にも描かれる通り、より人から忌避される。端的に死者が、死体が変じた者であるからと言うのもそう避けられる要因なのかもしれない。
 鬼の寄り合いと言うのは暴力を生業とするもので言ってみれば山賊や暴力団と似たようなものである。源などの武士と違いは人と協調性を保てるか否かと云えば微妙なものである。そして、鬼の独自の階級制度と兄弟盃制度があるが、末端の青鬼の事に長である白鬼が関与する事は滅多に無い。
 今回の戦では、人との境界に鬼なりの理屈では許せないモノがあるとして、青鬼と赤鬼の集団が団結がしたものであり、上級の鬼達である黒や白は関わりを持ってはいない。
 以前に吉備の国で白鬼の大将格とその一団が犬やら猿やら雉を連れた荒武者に打ち殺され、更につい最近は黒から白に変わりつつあった九比来梨(くびきり)峠の鬼を坂田 公時に例の第一次大戦で討たれたため、「人間達と戦りあうのは暫くやりたくないわい」と上級格の鬼達は静観状態に入っていた。
 それに反発する勢いなのか、逆に青鬼、赤鬼達は外と内の下克上に燃えて大多数が龍ノ目の軍門に下っていた。
 しかし、生粋の魔である龍や烏族に比べれば、彼らには立場と言うものが余りにも無さ過ぎた。いわば、エリートの魔族達に対して、神域の白鬼でも外れ者であり下っ端の魔属である。自然と鬼独特の烏合の集ぐあいから蔑まれ、疎まれた。誇りを旨とする龍ノ目にすら軽んじられ、先の彼女の士官とのやりとりの通り、拾いもの扱いをされていた。

 だからこそ、士気とはまた違った反逆的な闘争本能みたいなものは異様なほどに高まっていた。ただでさえ妖の力で倍増された怪力が千の津波となって襲い掛かるのだ。六尺を越える鬼の軍団が進撃したら、誰もが震え上がるのは間違いない。
 立ち塞がるものは何人も居らぬと、鬼はいきり立っていた。

 そんな中にいた先頭の鬼の一匹が、何かに気付いた。




 南東、巨馬に人が一人、朝焼けも始まる前から平原に佇んでいた。
 人を乗せるにしては大き過ぎる馬だろうが、乗っている本人には十分すぎる大きさだった。普通の馬の二倍はあろうかと言う巨躯の馬が似合い過ぎる馬上の戦士は、紅い装束を着た大男だった。上背は目測で六尺五寸は軽く越えている。
 総鋼鉄と言って良いほどの分厚い唐紅の鎧。赤獅子嚇しの胴丸に、天を突き刺すような赤銅色の角を付けたの兜、顔を鉄の仮面で覆い、太い上腕を囲う肩鎧に手足の具足ははち切れそうな野獣の筋肉をひた隠していた。
 そして、紅い長大な槍。

 それの柄の中ほどを持って宙に掲げ、一気に鬼の方へと振り落とした。

 黒穹を割る、音を鳴らす黒い鏑矢が一本。
 大きく弧を描いたその矢に合わせて、空はようように紫を含み、平原を取り囲む山の端から白を含み始めた。
 矢がその大男を見つけた鬼の手前に突き刺さる。
 それはあたかも、真っ赤な大男が日の出を引き連れ、勝利宣言をしに来たように鬼どもには見えた。

 ――明け方、日の出と鏑矢と共に盟約は終りを告げ、近江の地に殺意と戦叫が迸る。


 鬼どもが自然と駆ける。
 その勢いは怒涛。大地を震わせ、全てを恐怖で覆うがごとくである。
 血走った瞳、虎の皮などは下半身を覆うだけのための物で、頭蓋骨をほぼ一撃で砕く武骨な棘の付いた金棒に、その太さと凶暴さに劣らない太い筋骨と浮き出た血管。そして、妖だと誇示する膚は極彩色の青や赤で交じり合い、それは一つの巨大な斑な紫色の生き物が襲いかかってくるようだった。
 それが迫るだけで並みの人間なら心気を失い、茫然自失となるより他は無いだろう。

 だが、その大男は違った。
 巨馬の腹に軽く声を掛ける程度のように蹴りを入れると、あろう事かその鬼の進軍に真っ向から突っ込んできた。
 鬼どもは「馬鹿め」と心の中で笑い飛ばした。
 ただ一人の人間が、馬と高々槍一本で大軍に向かっていくのだ。
 痴れ者にも程がある。余程の愚者でも裸足で逃げる事は請け合いであり、それはただの自殺にしか見えない。
 鬼達はいつ尻尾を丸めて逃げるだろうと期待しながら、その足を緩めない。駆けるような轟来波動の進行に一人の兵が立ち向かう。

 一騎駆け。
 後方に兵団は零であり、まさしく男は、たった一人で鬼の大軍を相手取ろうとしていた。

「ぐぉぉぉぉぉぉぉっ」と空と大地を揺らすような鬼達の吼え声。
 胆を潰すような遠吠えとはこのようなことか? 空気の圧縮された咆哮はびりびりと大漢の兜を震わせる。
 しかし、馬が更に加速をした。
 男は無言で諸手で大槍を背中へと隠すように回す。

 狂った大軍の先端が男へと辿り着かん、正にその時だった。
 先頭の鬼達の四、五匹が何かの冗談のように吹き飛ばされた。
 いや、吹き飛ばされただけではない。上体と下体が斜めに分断されていた。
 男はまだまだ進む。
 その槍の刃先は先ほどとは逆の方向に回されている。
 今度は二、三匹。金棒でその音速の薙ぎ払いを受け止めた鬼どもがそのまま天空へと吹き散らされた。
 吹き散らされた鬼が更に吹き飛ばされた場所から十間(三十メートル)以上も外れた他の鬼を巻き込む。鬼達の進軍が総崩れとなり、たった一人のために進軍が止められた。

 それがわずか、馬が自分の鼻先が通過した場所から尻までの間に進んだ間に起こった出来事であり、時間にしては刹那にも満たない攻防。いや、鬼達が防御不可能な、圧倒的な攻撃だった。

 それを後方から見ていた鬼も、吹き飛ばされた鬼自身も信じられなかった。
 人が、ただの人が人外の大軍に楔のごとく食い込んでいるのだ。
 たった一人の進撃故に、それはにわかには信じられない出来事である。
 逆の光景なら彼らには見慣れたものだった。
 斬り掛かる武者どもを蹴散らし、叩き潰す鬼が一騎。
 それが、まったくの反対の状態となっていた。

 千の鬼どもの一部とは言え、進撃の圧力に真っ向から、強風に煽られた火勢のように一騎駆ける荒武者。
 普通なら恐怖の対象である鬼を馬も恐れるはずである。しかし、馬上の人物の絶大な信頼とこの場では不思議なほどの男自体の勇猛さが馬を奮い立たせて、化生(けしょう)へと突撃させるのだ。
 槍から先へは踏み込むものは鬼には一匹足りともおらず、ただただ骸を馬の進路の跡に曝していくだけだった。
 馬上から操るにしては僅かに短いような槍だ。おそらく、徒歩で操るためのものだろうが、それでも総鋼鉄の槍は両手やましてや片手で扱うなんて事は普通は出来やしないだろう。更に、巨体とは言え、馬の首越しにその走行を些かも妨害せずに槍を操るなど出来ようか?
 いや、出来るのだ。
 何故なら彼の者は内裏南門を守護する焔の武者、四天王と呼ばれる源 頼光の郎党の一人、坂田金太郎だからだ。

 三十ほど鬼を蹴散らした所で男は馬首を巡らし、今度は反転して逃げるように山側へと駆けていく。
 前方を僅かに遮る鬼を巨馬の馬蹄で逆に踏み潰し、あるいは驚異の曲乗りで六尺を越える鬼の頭上を飛び越し、まるで草か何かのように鬼どもを掻き散らしていった。
 唖然とした鬼どもも、その男の攻撃と切り替えの早さに目を疑いながらも、仲間の虐殺によって残すにしては少な過ぎる理性を切れさせて、荒武者の方へと襲い掛かるために追い駆けた。





「ふん、秀武の机上演習どおりか。誘いに乗るのは目算済みか」
 馬上の大男、金太郎は腰元の荒布で鬼の血と油で濡れた槍の刃先を拭いながら、愛馬の羅王号を腰と足だけで小刻みに左右に走らせ、鬼の大軍の頭上、空の烏族からの遠距離射撃を器用にかわしていた。
 雨のように降り注ぐ矢を、刃先を拭きながら、柄の方で円を描くようにして羅王号に当たらないよう矢をそらしている。自らに向かう矢は分厚い鎧に阻まれて貫く事はおろか、傷を付ける事も出来ない。頼光や金太郎の扱う三人引きの強弓ならまだしも、幾ら武の上手である烏族達でも、弓を引くためだけに鍛えた怪力やら専門の技で射る弓とでは雲泥の差があるのだ。ましてや、以前金太郎が「こんな襤褸(ぼろ)でも着るなら裸の方がマシだ」と言って最初に金太郎のために作った鎧を馬鹿にしたために、それを聞いて怒り狂った防具工が躍起になって総鉄鋼の重鎧を作ったのだ。それは金太郎が矢が十分に加速する五間(十五メートル)の距離から放っても傷一つ付かなかった代物なのだ。無論、それを着て自在に動ける怪力の金太郎とそれを乗せて駆け抜ける事の出来る巨馬の羅王号だけが出来る唯一の一騎駆け戦術である。
 最強の肉体と最強の槍と最硬の鎧だけで出来る一騎駆けなのだ。
「後は任せたぞ、頼光」
 そう呟いて、南西の山側の林へと金太郎は身を隠した。



 石の尖塔の真下、室内と同じように今度は外にある大岩に座した時雨が戦報を聞き届けていた。
「伝令より直伝。鬼どもの一部が当初の進撃路を外れ、山側へと向かっています」
「……、今日の戦は負けだな。まだ進撃していない鬼どもの後ろの八百と烏族は力づくで下げさせろ。前の二百は踏み込み過ぎだ、捨てて構わん。後は体制の立て直しに費やす」
「はっ?」
 鋭い目付きで空けた直後の空を見る。「昼前に勝負を決するとは人間どもも意地汚いな」と毒づいた。
 呆けた顔で負け越しの言葉を聞いた士官に、時雨は一人続けた。
「林に伏兵が居るのは見ても同然だ。幸先良く、我が軍に痛手と優位を見せ付けるために、陽動と伏兵を使いやがった。しかも朝駆け。人外の活動力が最も弱る頃を狙って、頭の鈍った鬼どもを坊やで引き連れて、林へと誘い込む。おそらく林の中に居るのは弓兵の軍団だ。馬の足に引かれて来た鬼どもがそれに気付いても駆け足を簡単に緩め、進路を変える事は出来ない。真っ直ぐ林に突っ込んでいこうとして、後は蜂の巣だ」



 鬼の頭が爆ぜた。
 強弓が鍛えられた荒武者の手で引かれ、矢が放たれる。
 呪力処理された矢、そこには人外を否定する言葉と荒ぶ魂を鎮める詞が刻まれている。それは人から外れた鬼にとっては猛毒のようなものであり、当たった瞬間に鬼をのた打ち回らせる痛みを引き出す。
 しかし人外にとってはそれは痛みだけであり、人のように絶命する事は頭や首、心臓などの本当の急所でもなければ無い方が多い。
 そのため、真正面から放たれた矢の痛みでのた打ち回る鬼どもを更に、林に隠れていた頼光の配下が斜めから太刀を携えて、鬼を斬り、倒し、ばらし、曝す。
 二百ほども居た鬼どもは一斉に放たれた矢に自ら突っ込んでいく形でバタバタとと倒れ、更に横から来る形で武者に挟まれて、細くなるように軍勢が散り散りに断たれた。散り散りとなれば、一体の鬼であれば、それはいつもの人外退治と変わらない。最後に頼光が小振りの太刀を振るって、逃げ帰ろうとした最後の鬼を背後から切り払って絶命させた。

 太陽が真上に着く前に、今日の勝敗は決していた。
 後は鬼の死体を数え、戦傷をした兵士を護送し、日の暮れる前にはおおよその局面を制していた。
 林には新たな櫓が急造で建てられ、夜間の烏族への警戒も怠らないものとなっていた。

 戦の始め、その勝敗は人の圧倒的な勝利と言えた。



「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおっ、俺の出番ねぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
 要塞の中心で自分の活躍を夢見ていた馬鹿(秀武)が順番待ちを叫んでいた。
 ちなみに秀武の役目は要塞の護衛であるため、彼の出番が来ると言うのは攻め込まれていると言うかなりの危機的状態である事は付け加えておく。
 そのため、現在優勢である戦況では、こうして、
「しかぁぁぁしっ、その出番の代わりと言っては何だが、ここで絶技『超級亜空間ぞろ目出し』ぃぃぃ!」
「何ぃ、ぶつかり合うさいころがそれぞれ最適な位置と回転を生み出し、とんでもないぞろ目出しなっているぅぅ!」
「しまった、小生の次の番で最下位だったはずの卜部兄貴が上がってしまう!」
「いかん、那波咲(なはざき)! ここは我輩では無理だ。殿(しんがり)を貴様に任せた、止めるんだ、死守だ、死守!」
「うはっ、雪円(ゆきまる)行念力(こうねんりき)に言いたいけど無理だお。このさいころ、絶対仕掛けあるはずなのにおいら全然たねが分からねぇっす!」
 双六と呼ばれた、現代で言うところのバックギャモンみたいなさいころ賭博でも歩哨休みの部下としないと大変暇が出来るほど退屈だったのだ。ちなみに秀武専属の軍勢の、しかも賭け事専門の仲間の面々だけあって、さいころの独特の振り方だけでインチキなほど高い目の出る手品、何時の間にか駒の位置を変えるいかさま、最初から何か空繰を仕込んでおく仕掛け、精神的な圧力を掛ける強請りや謀ったようにちょうど仕事が来る勝ち逃げ、罰遊戯(ゲーム)からの逃走などは寝起きの髪梳きくらいの勢いで軽く、しかも大人気なく本気でやってしまうダメ人間の集まりだった。ちなみに体術や武器術で綱や金太郎、むろん魔法においては天地よりも差のある貞光などの異能に近い四人の中で、唯一秀武が神がかっていたのはこの博打関係だった。このいつもの遊戯仲間が三人がかりでやっと卜部を最下位に留めて勝てるか勝てないかの境目なのだ。そして、ちょっとでも気を抜けば、先の通り、糸か何かで操っているかのようなぐらいのインチキさで彼らを翻弄するのだ。
「そして、主役交代を待ちわびながらも、上ッがりぃっ、ひゃほぉっい」
「うおっ、やべぇ、秀武兄貴ぃ、その上がりの金を持っていかれると子供を売りに出さないと我輩の飯が食えなくなるのであります」
「嘘付け馬鹿! 行念力、てめぇ独身男だろうが!」
「同じく、このまま負けると小生雪円、太刀一本で、しかも褌で戦場出る事になります」
「生き恥を晒せ! お前の男達の群がるいやらしい尻を晒してろ!」
「うはっ、おいらは逆、ふんどしどころか胴丸鎧しかない。下半身丸裸、日常生活どうしよう。頼光様に見られて怒られるちゃう…………、はぁはぁはぁはぁ、ふぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「知るか! このど阿呆ぅ、この俺だけが圧倒的に勝ちゃーいーんだよ。俺の足の裏に接吻するなら借金でもう一遊戯やるぜ。むろん、接吻は舌で舐れよ」
 ちなみにこの軍団、指導者である坂田の中で最も頭の痛い軍団だった。殆どが秀武が盗賊時代からの仲間なので、規律と言う基準が一番上の馬鹿に合わせたために下がもの凄く低いのだった。
「舌で舐れですとぉぉっ! この屈辱、必ず次の回で汚名挽回させたる!」
「ちなみにそれは汚名返上ね、と突っ込みつつ、この勝負、もう一度いかせていただきましょうか? ところで、そのさいころ、こちらに『たまたま落ちていたもの』と取り替えませんか?」
「いや、もう勝負とかどうでもいいから秀さんの悪臭のする足の裏より、頼光様の具足の中でむんむんに蒸れた足の指の間をしゃぶらせてくれ。おいらのおしゃぶりに『ん、あっ』とか艶っぽい声を挙げながら拳を口元に持っていて耐える頼光様、頼光様、頼光様ぁぁぁぁぁぁぁ!」
 この世の混沌がここにあった。



「ちょっとあなた方何しているんですか!」
 すぱーんといい音を立てながら引き戸が開かれ、坊主頭から湯気を立てている貞光を「あんた何言ってんのん?」みたいな顔で、双六を四人で囲みながらやっていた馬鹿軍団が眺めた。ちなみにその目を離した瞬間にさいころを自分用の仕掛け有りのと入れ替える激しい攻防が手元で行われたが、貞光ごときの素人には分からなかった。
 そんな本気の遊び心を戦場で全開の集団の、あまりの能天気さ加減に土床に音を立てて貞光が地団太を踏む。
「ここは決戦場ですよ! どうしてあなた方はいつもいつも緊張感とかが無いのですか。確かに緊張を解すのは重要な事ですが、『適度な』と言うのが接頭に着くべきです! 身体の緊張を解し、心の強張りを無くすのが脱力の基本ですが、あなた方は力云々以前に方向性を誤っています! 反省してください、反省をっ!」
 今度はばんばんと地盤が砕けそうな勢いで両手で地面を叩き、息を撒きながら馬鹿を正そうとするいつもの光景である。
 そこで秀武は至極真面目な顔をしながら、片方の掌を広げつつ、その掌の小指の第二関節だけを曲げて見せる。
「なぁなぁ、この状態で曲げた小指を反対の指で弾くと小指が全然力が入らなくてなんかムカつかね?」
「ちゅぁぁぁぁぁぁぁっっ!! ひ と の は な しを き き な さ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ い!!」
 正座から六尺くらい飛び上がって、今度は立ち上がる貞光。
「もう本当にっ、重大な勝利の分かれ道だっていうのに分かってないんですか! あなたがたは! あろう事か開戦の合図と同時に双六始める人たちがこの世の何処に居ますか。はい! そこぉ! 下らないのでここに居ますって、全員で手を挙げない! と言うか、那波咲さん! 何であなたは全裸の上から胴丸だけを着ているんですか! それに頼光様の足の指を何と言ったか判断しかねますが、金太郎さんが横に居たら投げ殺されますよ!」
「ふ、貞の兄者、頼光様の息も絶え絶えで恥らう姿の妄想で胸がいっぱいの今のおいらに如何なる障害も意味をなさないのさ」
「――そうか、那波咲、ちょうど今から話があるからちょっと本陣の裏に来い」
 むんずと下半身裸の那波咲の首根っこを掴んで、鬼の返り血で染まった金太郎が横合いから現れた。
「うぉ、金太郎氏帰ってくるの早ぇっす! うわ、ちょっ、そこは普通は掴んで引っ張るところじゃ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――」
 そんなこんなで緊張と言うのとは対極に位置する奴らが要塞を守っていたのである。

「……貞光、お前も少しは力を抜いたらどうだ? 短期決戦とは言え、心の労苦は重みになるぞ」
 同じく陣地へと帰ってきた、返り血すら無い剣舞を見せていた綱が貞光にぽんと肩を叩く。
「はぁ、綱殿、彼らの蛮行を見ていると本当に心労で心の臓がきりきりと痛みますよ」
 法衣の下に着込んだ鎖帷子ごと押さえつけるように胸に手を当てる。
 その様子を一通り眺めてから一人で納得するように「まぁ、お前のような硬さがあるからちょうどいいのだろうな」と複雑な心境を言い含めた。
 綱が奥に引っ込むのに合わせるかのように、代わりに光が入ってきた。
「秀武、明日の合図の確認をしたい、ちょっと来てくれ」
 脱ぎ捨ててある具足や褌を疑問に思いつつも、軽やかかつ速やかに鎧の音を立てて光が外へと出て行く。
「頼光ちゃん諒〜解。んじゃ、外回りに行くから今日はお開きな。と言う訳で、この場で途中退場した那波咲の全面的に惨敗で同意?」
 自分達は負けてないので「激しく同意」と適当過ぎる合意をして歩哨へと戻った。ちなみに、双六中に身包みを剥がされ、そして怒り心頭の金太郎に下半身丸出しのままで引き摺られた、那波咲の兵装やら褌までを戦利品で全て持っていく念の入れようだった。
 その様子を見て、柱に額をくっ付けて寄りかかりながら貞光は再び深いため息をついた。

 話は変わるが、妖魔がなおのこと強い状態である夜を人間が警戒してまくっている、と人外らは予想している。そう考えた頼光らは、初日の夜の襲撃は逆に無いと考えて、昼よりは僅かに弛緩した状態になっていた。つまり、裏の裏を読んだのだ。まさしく、時雨もそう考えさせられたのと、今日の痛手のために建て直しのために時間を取らざるを得なかったのだ。
 彼女らの予想と思惑通り、戦場に似合わないほどの穏やかな夜は徐々に更けていった。



 こうして、戦の初日は終わったのだった。



 ――人外北方最前線要所

 総指揮官たる時雨は忌々しいほどの戦術によって破れて苦渋を呑み、周りが気を使ってまるで彼女の部屋に来なかった。そして、逆に気を使われるほど人如きに大敗した事実が彼女を蝕んでいた。
「ふん、このくらいで……」
 人間にしてはやると少し驚いた程度。実際、兵力は減らされたとは言え、全体の一部であり、主力である鬼ども全ても、虎の子の龍族の突撃部隊もまるで活用していない。加えて、戦場に未だ隠れ、地下に潜っている【霧宮の部隊】も一向に出てきていないのだ。
 自陣の圧倒的過ぎる戦況を如何に演出する、いや『演出させられているか』と考えてみると、あの恐ろしい人間の男に怒りと同時にぞっとする何かが浮かんできた。

「大変そうダな。そロソろ出番か?」
 蝋燭の揺らぎと共に現れる蟲の王。
「まだ貴様を頼るほどでは無い。引っ込んでいろ、今日のオレ様は色々と癪に障る」
「随分と手前勝手ダな。(みやこ)カら老原なる亡霊ノ軍団が出陣しタソうだ。その報告でモ引っ込ンでいロト?」
「何……?」



 老原灼染(おいはら しゃくぜん)。霊帝と呼ばれる男。
 人がその名が何処から始まったのかを知る者が誰も居なくなる頃、未だ一人、ただ戦いだけを求めるその男が居た。
 男はただ体の熱が、それ以上に沸騰するほどに戦いだけを望んだ。
 しかし、長生きしたとは言え、それ以上に男は身に迫る老いがあった。
 それを悟った時、人は二つの行動を起こす。
 受け入れるか、反逆し続けるか。
 男の性格、いや、性質上、反逆する事は必死だった。
 仏舎利と呼ばれるものや月の使者が授けた不死の妙薬を求めたりした。
 しかし、どれも眉唾であり、例え手に入れても、僅かに老化を止め、若返る程度だった。
 生きたい、生きて戦い続けたい。
 そして、ある僧にあった時に全ての疑問は氷解した。
『それほど、戦う事に執着すれば、彼方様は永遠に戦う事だけとなる修羅と言う亡霊と成り果てるでしょう』
『――――! ならば、それこそが儂の生きる道』
 彼は寝食も忘れて忘我のまま戦いを続け、そして肉体を徐々に失いながら、戦うだけの魂が現世に影響させるほど亡霊になることが出来た。
 それが、都に巣食う戦の続行のみに特化した亡霊達の王、霊帝 老原灼染なのだ。

「で、奴はどちらにつくのだ」
「分かラン。どちラニしろ、戦いニ惹かレてやっテクるのだ。ドちらカに敵対はスるダろウ」
「こちらに来れば、握り潰すだけ。あちらに行けば、漁夫の利、だな」
「予測不可能だナ」
 そう、蟲の王は言った。


20 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/21(金) 19:32:51 ID:WmknPLki

獣の(あぎと)の奥深くで……

「【予測】するなら、亡霊は確実に頼光の軍と戦うだろう」
 闇の中、なお暗き底の自らの邸で、安陪 晴明は言い切った。
 その前には闇の中でもなお赤い、極彩色の衣を羽織った食人騎『あるでひど』がいた。
「それは何故ですか?」
 彼の世界のどろりとした、飲み物とは思えない緑色の液体を口に含みながら、あるでひどは聞き返した。
「単純な事だ。彼の性格上、草木も分けて何よりも早く戦場を目指すだろう。進路上、そこには大量の兵士の駐屯した陣地が目の前にある。好戦的な彼はどうするだろうか? 答えの示唆となる情報はこれだけで十分だろう」
「なるほど、『彼らに最も近い』からですか」
「そう言うことだ。戦場に向かって北東に進めば、京に近い側に設営した側に当たるだろう。まず、手近な彼らに亡霊達は襲い掛かると言うことだ。明日、明後日が一番厳しい戦いになるだろうな」
 白い装束の良く似合う、黒い男が空を御簾(みす)から見上げた。
「――明日は空の読みによれば、雨気を含んだ霞が月に掛かっている。雨、しかも豪雨と見たかな」
 夜気を掻き乱すかのように袖から手を出し、(るっ)と、空を撫でて混ぜた。


21 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/21(金) 19:50:49 ID:WmknPLki


 雨が降っていた。
 兵士達の視界を塞ぐ雨、そして何よりも彼らにとって雨が厄介なのは足場と矢筋を狂わせる事である。
 日本は湿気を多く含みやすい大地のために泥沼のような大地へとなりやすい。そうなれば、足自体の大きな鬼や、足どころか体が四〜五倍ある龍の方が接地面が多いために安定性が高いのは自明の理である。
 そして、それ以上に人側で深刻なのが弓矢である。矢には矢筋を整えるために羽が付いている。それは雨を含む事で濡れ、羽の形と重さを狂わして精妙な矢道から外れるのだ。羽自体が生きて羽ばたくならまだしも、そこまでの妖術を使う事が出来ない、もといそれだけの術を数多くの矢に施せないのだ。海と山を幾つも越えた国は天狗らに似た森人(えるふ)なる耳の長い人型の部族が居り、彼らは必中の弓を持つと言う。彼らのように呪いと祝福で当たる弓を持つならまだしも、技で当てる闇殺舎には視界の不明さも拍車を掛けている。
 人外の拳や鉤爪の届く距離の前に事を終わらすが最も効率的である。そのため、古来から遠い間合いから攻撃手段を持つ弓の上手を揃える事は戦では必要不可欠だった。
 それが非常に使いにくくなるのが雨と云う天候だった。雨用の、蝋や多少の油を羽に施した矢もあるが、本当に僅かなものである。後四百年後の戦国の世であれば、そう言った商品を提供する商人が現れるが、残念ながら現段階ではそこまでの文明の高さを日本は有していなかったのだ。

 そう、古代人の戦においては雨は大敵なのである。

 綱と光は先日布陣を敷いた林の影から、遠く彼方で蠢く人外の兵団を覗いていた。
「……やはり、視界が悪いな」
「雲の翳り、滝のような雨のせいですね。少し様子を見るのも必要でしょう」
「どちらにしろ、敵もそれで何らかの襲撃をしてくるだろう。それほど待てるものではない」
 光が獣道に待たせていた彪凪に乗り、馬首を巡らせようとして、不意に落馬しかけた。
 慌てて彪凪が自ら動く事で落馬を防いだ。
 それ自体は非常に珍しい事だった。
 だが月に何度か、光がそう言った激しい運動をしない日を決めて避けており、それでも人外討伐のため、その日に出兵した際には、四天王と後数名が分かる程度の身体の鈍りがあったのを綱は思い出した。
「大将、まさか……?」
「違う。水気の冷たさで古傷が痛んだだけだ。安心しろ。私は正常だ」
「……ご自重ください。この戦には我らが四人が支えます。頼ってください」
「ふん、まるで坂田みたいな口調だな。だが、困難な時こそ陣頭指揮は、指揮官に最も必要だ」
 そう気丈に振舞って光は言うが、よくよく見てみれば兜と髪の生え際の間に不自然な程多い汗を掻いている。
「しかし」
「もう良い。私とて私の体調は理解しておる。……それと、金太郎には言うな」
「誰もそんな事は聞いていませんが?」
「……いくぞ、布陣と戦術の確認を行う。歩兵十二支の各百人長と騎馬の千人長をそれぞれ櫓の傍らに呼ぶんだ」
 真っ赤になった顔を兜で隠しながら獣道を下る光を、綱は無言で追いかけた。



「まったく頼光ちゃんも頑張るねぇ」
 雑木林と巧みに同化され、隠された櫓から秀武は味方の進軍を眺めていた。
 彼らの進軍は大規模にも関わらず、同種の人間でなければ見極められないほどの静かな進撃である。通常大部隊であればその察知は容易いものだが、隠行に長けた彼らは歩兵の歩みは少なく、騎馬の音は小さく感じさせる事が出来るために、実際に運用する兵数よりも圧倒的に少なく感じさせる事が出来るのだ。
 簡単に言えば、突然二百かそこらだと思われた兵が森林から出た途端に十倍にも膨れ上がるのだ。
 戦術に置いての基本は、敵の少ないところに敵よりも多い兵を用いて素早く制するのが肝要である。故に、少ないと思われた所に突然大兵力が押し寄せれば、圧力に抵抗する術もなくそこから全体が瓦解するのである。その戦術の一つとして集団、いや兵団での隠行は前例の無い手段である。

 彼らが暗闇の中ともなれば、時に闇に身を置く妖よりも危険な存在となる。
 闇から闇へと静かに忍び寄り、何時の間にか死体を増やす。
 闇から殺す舎人(とねり)。舎人とは雑色とも呼ばれる貴族専門の下級兵の事。つまり、頼光の統率する機密機関【闇殺舎】とは退魔機関であると同時に、貴族の権力中枢を守るために動く専門の暗殺集団としても機能しているのだ。
 暗殺は通常複数の後方支援に寄るもので、一人で動く事は要人暗殺などでなければ滅多に有り得ない。その技能を高める為に、妖魔のみならず、時に人すら殺す集団は、凄味が違うのだ。

 それ故に、彼らの進撃は見破りにくいものだった。
 東の山側と南西の森林地帯を蛇の如く静かに進撃をする二つの兵団。
 大河を越えて平地に陣取った人外からは雨の不明瞭な視界では、けっして目立つ事すら無いのだ。
 烏族でも難しいだろう。この雨では暗がりとなり、鳥目の多い彼らでは鷹の双眸を持ってしても判別は不可能なのだ。
 最古において遊撃(ゲリラ)戦を兵団で発達させた例である。
 その作戦はどれもこれも秀武の立案によるものである。
 山賊として生まれ立てから長年の経験を積んだ戦術勘は誰よりも卓越しており、それに唐土から取り寄せた、かの太公望が書き上げた三略、そして羅馬(ローマ)と呼ばれる場所から流れてきたあれくさんどろすと言う大王なる人物やしーざーなる人物が使った戦術が記された伝書は彼の戦術を知識面からも支えた。
 単騎では四天王最弱でありながら、戦術を駆使する事により、時に単独で龍すらをも打倒する。それが四天王の頭脳にして、策士・秀武と言う人間である。

「あー、だりぃー、そっこーで歓楽街に帰りてぇや」

 無論、その戦術が大抵の場合において、自分が楽をするためと賭けで勝つためにしか使わないので周りからの非難轟々であるのは仕方が無い。
 こうして陣地の居城で護衛をしている間は、既に戦術での大方は決まり、後は彼よりも『指揮』の上手な頼光に任せた方が無難なのだ。優れた将は既に勝ってから動くのである。

 ふと、ダルそうに秀武は櫓から見える戦場から目を離し、真逆の京の内裏辺りを見据えた。

 彼は知っている。
 戦が終われば闇殺舎は解体されると言う事を。
 何故なら、明治以降になるまで日本では巨大な常備軍を維持出来るほどの生産力が無かったためである。大抵の戦は臨時の徴兵、もしくは傭兵となり、戦争以降はお払い箱となる。
 彼ら大軍が密かに維持できたのは、朝廷の権力者である道長と、それに付き従う有数の富豪である源家が支援したからである。
 しかし、それは戦が終わるまでの話しだろう。
 戦が決すれば、余分な兵力は削減され、そのために組織自体が弱体化、もしくは消滅をする。
 権力機構が完全に維持できる中で、海外への展開や憂慮をせぬ場合、常備軍は不要なのである。
 つまり、闇殺舎とは為政者の権力維持の都合で生み出された、その正統を認知される事のない、妖魔討伐のためだけに力のみを蓄えた鬼子のようなものである。
 権力者の多くは、戦が終わった後、彼らがその組織の存続のために、意思を持って牙を剥かないかと危惧しているのだ。組織化された暴力が自身の意思を持ってはならないのは原則である。もし、そうなるのであれば、それは己がままに動く、反乱組織などと変わらないものなのだ。
 その意思の中枢を、彼ら貴族は頼光だと考えている。
 無論、頼光の身近にいる秀武などの四天王や道長が頼光を反逆などを企む、そう言う人間だとは考えては居ない。
 それでも、彼女が常々言う楽園と言う思想は現在の世相は真逆に位置するものである。
 貴族が支配し、愚民が貢ぐ。それが古代の政治形態なのである。
 彼女がもし自らの戦力で打倒しようと思えば、現在の政権を完全に塗り返す事が可能だろうし、秀武もちょっと考えただけでも権力簒奪(それぐらいの事)は余裕で出来ると考えている。
 彼らの染み付いた血の中に彼女への絶対服従が組み込まれているのである。固有の意思を持った四天王でさえ、彼女の意向に逆らう気など毛頭として無い。
 闇殺舎にとって決断とは個々が考える事ではなく、身体に繰り返し教え込まれたきた血の作用であり、それを組み込んできた過程を否定する事、頼光に逆らうと言う事は彼らの存在そのものを否定するのに等しいのである。
 しかし、それでも、闇殺舎がそれだけの力とその意思を持っても彼女は反逆をしないだろう。
 戦で土地が乱れ、人民が疲弊する。
 京から離れた地でさえ、獣達の土地を荒らし、兵の犠牲を出すのだ。
 彼女は誰かに犠牲を強いるのに抵抗がある。人外からの脅威殲滅と言う大義名分すらなければ彼女は戦に立つ事は二度と無いはずだ。今の日本の脅威を鎮め、人と人外との区切りを設けた楽園のためだけに、強い意志を持って彼女は動いているのだ。
 闇殺舎はこの決戦場に立った時点で、組織としての緩慢な死を迎えたと言っても過言はなかった。

「……まぁ、組織が無くなっても、そこに居た人間と、その意思が消えるわけじゃねーからな」
 少し感傷気味になった自身の心に秀武は呟くように言った。



 と、そこで彼は何かに気付いた。遥か遠方、京から真っ直ぐと進撃してくる鬼火の大軍に……。


22 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/24(月) 01:42:55 ID:P3x7mDnJ


 南西の森林から北上していた綱と彼の切り込み隊、僧兵団と散兵団に緊張が走った。
 地響き。
 それは龍などが踏みしめる重厚な足音ではなく、地の底から這い出てくるような異質な音だった。

 綱が髭切丸に手をだらりと添える。
 突然、静まる音。
 雨音だけの響く一定の慌ただしさ。本来なら弛緩する所を、彼と彼に従う何人かはその静けさと同種の代物を知っていた。
 それは自然の動物が獲物を定める瞬間、金太郎が始めて襲ってきたのと同種の代物である!

 大地が次々と爆ぜて割れた。
 そこから出てきたのは醜怪な蟲の大群である。
 二足歩行の蟻や団子蟲に酷似しているが、大きさが人ほどもあれば生理的気持ち悪さよりも何処か滑稽さが目立った。
 しかし、その見た目が戦力と一致して居る訳ではない。
 蟻に似た蟲魔が全身を鉄鎧で固めた男を軽々と片手で持ち上げて放り上げる。団子蟲が丸まって転がりながら、硬いなめし皮の胴丸ごと骨を砕く。
「蟲潰しの円っ」
 綱の号令と共に男達は身を寄せながら陣形を整える。二列縦隊が一瞬にして、槍や刀の刃を外側に向けた防御陣へと代わる。一番外側は刃を向けた四角形でその一つ内側は刃を八相の構え、耳の横に柄を添えたような構えで、最外殻が破られた際の二番手になっている。そのさらに内側には、先のように地底から攻撃に備えて槍を持った者が地面に気を配り、中心には先の戦闘での怪我人が居た。
 完全な防御態勢であり、上下左右前後の警戒に優れたものだ。

 そんながちがちの防御で固めた外側の陣に綱は居た。
 凪いでいる。
 台風の内側のような無風地帯に立つ綱。その刀が届くか届かないかのギリギリの領域には筋張った、甲冑のような体の開きどころから綺麗に斬断された蟲の残骸が転がっていた。
 近づけない。
 それが無風の理由だった。
 如何なる拍子、人数、飛び道具を持ってしても、綱に当たる事は無い。
 彼らは後半歩で近づくその前に切り落とされているのだった。
「野郎、化け物か?! 我等が五十の群体を持ってしても敵わないだと?!」
 指揮官に当たる蜻蛉(とんぼ)の兵が嘆く。
 三尺の太刀より内への不可侵領域を作り出す男。
「荒ぶ風は簡単に見て取れる。俺の太刀は中々鋭いぞ」
 そう、だらりと刀を垂らしたまま言いながら、綱はふっと唇を微かに上げた。
空尖(くうせん)、そノ男の相手は俺ガする」
「霧宮様っ」

 蟲王・霧宮は蜻蛉の横合いから音も無く地に降り立った。
「時雨かラ聞イタぞ。(なれ)は金太郎よリ強いらシイな」
「あぁ、そうだ」
 気負いも何もなく言い切る綱に、霧宮は無表情な蟲には似合わない、僅かな笑みを浮かべた。
「時雨に渡辺綱ノ討伐命令をサレタ時には腹立タシいだけダッたが、こうシテ奴以上の名手と会ウノも……」
 親指に添うように、人差し指と中指が伸ばしたまま合わせられ、薬指と小指が内側に畳まれる。腰を落とし、前足を僅かに出して、後ろ足を曲げ、引き絞った弓のように体勢を整える。両手がそれぞれ綱の上下の急所を狙う。
「……中々のモノだナ」
 その構えに合わせて、初めて綱はゆっくりと、それでも確実に正眼で構えた。
 構えとは本来、防御の『正統なくせ』を作り出すものと同時に、実戦に於いては相手に攻撃の筋を限定させる、云わば特定の手の形などへと注目させて逆に相手の特定の反応を引き出す為のものである。言わば相手を誘うのための身の使い方を構えと言う。
 綱の未来を見通す魔眼をもってしても曖昧になるほど、霧宮のその構えは異常な程警戒心を高めるものだったのだ。
 綱自身が構えを使う事は滅多にない。通常、筋肉を弛緩させた状態は最も早く動く事が出来る。それは現在使っている筋肉は弛緩をさせないと次の動作へと移せないからと言う単純明快な理由による。相手の動きを読む事さえ出来れば、構える必要も無く、ただ相手の動きに反応をすれば良いだけである。しかし、蟲の王の構えは弛緩して待ち構えた状態よりも、相手の行動を限定させなければ成らないほど反応し辛い、凶悪な代物だったのだ。
 始めての相手に、綱が構えたのはたった三度。
 公時に稽古を始めて付けられた時、頼光と過去に一度だけ立ち会った時、そして、今この瞬間のみである。

「装甲結界を指先に集中させて凶器としたのか」
然様(さよう)、新たナ我が凶器、蟷螂手(とうろうしゅ)とデモ名付ケヨうカ?」


 七百年後、霧宮が中国大陸でその技を披露した時、その技の一部始終を拝見し、人間でも使えるように高僧が練り直した実戦的拳法こそ蟷螂拳と呼ばれるものである。

 正眼と呼ばれる基本の構えのまま、綱が無造作に歩を進めた。一見細身ながら、自ら持つの刃のように粘く作られた肉体は筋肉が高密度に圧縮されている。故に一歩進めるだけで肉体から湧き出る力のような、後退させるような激烈な風圧のようなものが前面に押し出された。巨大な竜巻がずいと前に出たようである。闇殺舎の大部分はそれを可能とするが、四天王級の構えともなれば、相手へ踏み込みだけで敵の心意を萎えさせて挫くほどで、仮に向かったとしても全身からの熱風のように噴きつける闘氣に身が竦み、それに耐えられたとしても武器からの凄まじい殺意で武器が巨大になったように感じ、まともに相手にされることすらないのだ。
 そんな、並みの人外なら後退するだけの挙動を、蟲の王はそれに微かな笑みを浮かべながら逆に踏み出した。

 距離は三間(九メートル)。幾ら、霧宮の手足が長かろうと、届くような距離には見えなかった。
 だが、先に霧宮が一歩踏み込んだ瞬間、小蝿が跳んできたのを避けるように自然に綱は首を僅かに横に倒した。
 僅かに遅れて喉の横を何かが通り過ぎる。
 それは有り得ない事に霧宮の指先だった。
 無風のまま、斜め後ろに綱が後退して、首元の、この戦場に入ってから始めての傷を片手の親指で拭った。
「遠いな」
 ペロリと己から零れた唐紅の血涙を舐め挙げ、ぼそりと綱は呟く。綱は、この男は素手でなく、諸手は槍を持った金太郎と同じ間合いと凶器だと認識した。それでも、その彼よりも間合いが遥かに広い。
 傷つけられた時、彼は僅かに避けられた直前に指先を曲げ、僅かに綱の首を引っ掛けたのだ。
 その精妙さは固形である槍では決して及べない、技の変化に優れていた。
「さァ、どウスる。コノ狂気の内に踏み込ムか?」
「そうだな、そうするとしよう」

 直後に、無風の状態から突然、味方の闇殺舎達も驚く足捌きを見せた。
 それは普段の綱では決して見せない、秘技の中の秘である突込みだった。
 爆発性と突進力は金太郎に劣りながら、その突然の切り替わりで金太郎よりも目標へと到達するのは早い。速度ではない、突然の動きで相手を翻弄する技が出る早さ。武の真骨頂である。

 閃光の一太刀。
 眼には見えない。あまりの速さで頭が理解しきれず、その瞬間だけが消えてしまう脳天唐竹割りの一撃。
 その斬撃を有ろう事か、一つの瞳の中に千の瞳を持つ複眼で蟲の王は捉え、指先で掴みとっていた。
「(勝っタ)」
 と蟲どもの誰もがそう思った時だった。
 ぞぶっと音がしていた。
 蟲の王の脇腹、そこに動物的勘ならぬ蟲の知らせを感じて、反対側の手首から出た鎌で辛うじて止められた刃が切り込まれていた。
 直後、一撃でも当たればその部分が肉片となって消える霧宮の指撃を、綱が足を殆ど動かさずに身体の至る所を揺らさずに後ろ向きに下がって避ける。
 綱は単に後ろに下がっただけなのに、背景である森自体が滑り出して突っ込んできたように多くは感じた。身体を如何にして揺らさずに、隙を生まずに動くかと追求した結果が生み出すあまりに異常な光景である。
 だが、それ以上におかしい。
 確かに、彼の最初の一撃を蟲の王は止めて掴んでいた。
 それなのに、彼の一太刀が、その瞬間明らかに『二太刀』に増えていた。
「面妖ナ……」
「もう一度その総身で魂触(たまぶ)れるか? 言ったはずだ。俺は、――強いぞ」


23 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/30(日) 11:14:12 ID:xmoJmDL3


「何なんだ? てめぇらは?」
 秀武は時間稼ぎをしていた。
 眼前には顔面に矢が刺さり、腹を切られ臓物をはみ出し、片手、片足で、それでも戦い続けようとする武士達が居た。しかし、その姿は軽く千を超えながら、全てその群像の奥の風景が見えるほど透き通っている。
 亡霊。
 強い念により現世に囚われた者達である。
 その念は死を経て益々強くなり、人で太刀打ち出来るものは殆ど居ないだろう。
 山の裏、京の方角から来たのは老原の亡霊軍団である。
 別に彼らの存在自身は問う必要も無く、秀武ならすぐに気付きそうなものだ。だが、闘志を持て余す連中と事を構える危険性を危惧した秀武は口八丁で上手く乗り切ろうと企んだ。
 だから、誰よりも先に、たった一人で、亡霊達の前に立つ。
 自称他称共に己の肉体を酷使する武では四天王最弱の称号を持つ秀武だが、砦の中に並み居る兵士の誰よりも強い闘気を持つが故に注目され、砦へと攻め込まれるのを引き止めていた。
「(あーあー、やだねー。俺がちゅーと半端に強いのも。綱くらい強かったらカッコ良くこいつら倒せるんだけどねぇ)」
 心の中で嘆息しつつも、それを見せる事無く、彼はゆるゆるとした状態で腰の小太刀を構える事もなく、さて、どうするか、と考えていた。
「俺達よぉ、今は人外の集まりと戦ってっから暇無いし、悪いけど、後にしてくんね?」
 怨々と声にならない圧力が金縛り寸前になるまで秀武を攻め立てる。
「(砦の中にいるのは貞光だが、今あいつは外に出れねぇ。今、霊刀を持っていて、亡霊にまともに斬りかかれるのは俺だけだ。……仕方ない、上手く誤魔化すか)おぅ。お前ら、今、砦ん中で降魔調覆の祈祷の真っ最中だぜ。てめぇらみたいな雑魚は十杷一絡げに消滅させられちまうぞ。ここで待っても相手なんてしねぇし、それがやだったら、ととっと京に帰ぇんな」
 だが逆に、んなこと気にするか、と業を煮やし始めた亡霊達が各々の武器を構え始め、秀武が「やべぇ、煽りすぎて罠を踏んだ」と思った時だった。
《お前ら、そこから退け。勝手に攻め込むんじゃねーぞ。強いのにやる気の無い奴に本気を出させて、死力を尽くしてこそ、熱く血が(たぎ)るもんなんだからよ》
 不意に、心の中に声が直接響いた。亡霊の殆どは肉体に取り憑かない限りは意思を伝える事は困難である。しかし、魔の世界の専門家である貞光曰く、高位の霊体は直接心に明確な意思を伝える術もいるとの事だ。

 緑に溶け込んでしまうような深緑の和服姿の老人が居た。剃り上げた頭の下にある瞳は坂田と同じ鋭さのする霊だ。それは全周囲に気配を巡らす、緊張感をまとった瞳である。背は低いが横には広く太い。眼光も、首も、腕も、への字に曲げた唇も、そこから漏れる息ですらも太い老人だ。
 太い腹筋で覆われた腹を締めるのは灰褐色の帯で、そこには黒檀の色をした重厚な扇子とそれにくくり付けられた太い鎖が垂れ下がっていた。
 その姿は他の亡霊達と同じく透けているが、触れる事が出来るような重さが現身(うつしみ)にあった。
「(鎖が、武器か)」
 秀武が目聡くそれを見極めてから、その太い眼光に視線を合わせた。
 まともに合わせずに、透ける背景の山に眼を合わせるような視線の合わせ方だ。そうでもしないとまともに眼も合わせられない重厚な威圧感を感じる。
「あんた何処のどちら様だ?」
 秀武の飄々とした物言いにニヤリと太い笑みを浮かべて、亡霊は言った。
《儂はこいつら二千の亡霊の霊帝、老原、老原灼染だよ》



 雨脚が一層強まり、綱が蟷螂の王と戦い、秀武が逃げ出したい気持ちをばりばりに抑え付け、貞光がちょうど大祈祷の詠唱を半ばまで終わらせた頃だった。

 刃と手甲が交わった。
 刃金の澄んだ音色。
 飛び散る火花が雨を蒸発させる。
 見る者の闘争心を振るわせ、同時に刻々と流れるような剣舞だった。
 手甲の主は時雨である。
 大女が真上から叩きつけるような拳を放つ。
 それを受けるのは細身であろうその体躯を、白絹衣を通して赤銅色の胴鎧で堅め、腰に普通よりもやや小ぶりな太刀を掲げた武者、源頼光、もとい光である。
 受けた瞬間にその力を身体に当たらない程度にわずかに刃の横の部分、(しのぎ)で逸らす。最初に真っ向から、それでいて刃を欠けさせないように柔らかく相手の攻撃にぶつかれるからこそ、攻撃した直後のそこから身体に当たらない程度に僅かに外して、相手の姿勢を崩せると言う極意中の極意である。
 しかし、その首元に確実に飛ぶ太刀を人外の反射神経で身体を弓形に反らしながら、同時に蹴り。
 光は胴丸に泥の足型をつけただけで衝撃を飛んで殺した。
 離れた場所から太刀と両拳をそろぞれ構え直す。
 構えは奇しくも得物の違いだけで同じ形。
 今まで、聞こえなかった雨音が急によく聞こえるようになる。
「中々やるじゃないか、大将」
「……そっち、こそ」
 北東、大河の横たわる平原の端、山合いを通って人外の拠点へと隠行をしながら奇襲を試みようと移動していた途中、龍ノ目の率いる龍族の精鋭に襲われたのだ。
 龍族の精鋭には今、金太郎と彼の配下である最勇猛の突撃部隊が一歩も引かずに対峙している。
 地上兵力なら最強の騎馬隊でも、龍族の空中から攻撃に加えて、足場の悪い山中ではその真価である機動性を発揮できない。そのため、徒歩での白兵戦力として優れた金太郎の突撃隊を急造で最後尾で足止めを努める殿とし、騎馬隊に退却を命ずる他なかったのだ。
 そして、退却する彼女らに立ちはだかったのは、巨凶、龍ノ目時雨だった。
 彼女は騎馬隊を配下の千人隊長に任せ、この場で足止めをする事にしたのだ。
 この勝負、互角のように見えて、大きく息をしているのは光の方である。それは雨で体が冷えたためだけではない。

 しかし、何故これほどまで小さな体格でこんな化け物と戦えるのか?
 誰もが思う疑問である。
 それは彼女の見えない、体の中にある。
 心臓の鼓動と共に流動する小さな、血潮とも違う流れ。
 拍動に呼応して、流れが底無しの力を発揮する。
 それを意識する事で、彼女は綱の最速の攻撃を受けられるほど、集中力と敏捷性を生み出していた。
 そう、察しの良い者なら気付くとおり、彼女は【霊気装甲】を持つのだ。
 貞光のような呪術を知らないが為に体に直接作用させる方法しか使えない。それでも、彼女はそれを効率良く扱う術を妖魔人外との死闘で手に入れたのだ。
 陳腐な言い方をすれば、魔の法を操る魔法使いの貞光に対し、光は魔の法を刃に応用する魔法剣士とでも言ったところだろうか?
 しかし、大方の攻撃を受けたとは言え、彼女は不利中の不利だった。

「息の上がり方がおかしいな。もしかして……、貴様、アノ日か?」
「…………、はぁ……はぁ」
「無言は肯定と見なすぞ。そうか、それなら仕方が無い。俺様が言うのも何だが、大方の女には戦場は似合わん。高々月の体調で崩れるような強さなら意味は無い」
「…………、はぁ、……はぁ」
「退かないか、――もう無理は止めな。俺様は優しいからな、手加減が出来ない、さぁ、諦めろ。お前個人が戦いを続ける理由はない。それとも、戦う理由があるのか?」
 その言葉で、今まで頭痛と体の火照りで虚ろだった光の瞳が輝きを取り戻した。

「戦うと決めた。それだけだ」

 決意。断固たる意思は名のように閃光だった。
「そうか……、じゃあ、これ以上無理しないように、この場で殺してやるよ」
 そう言いながら見せた、人外に似合わない柔らかな笑みが地面を見て、それから瞬時に般若よりも恐ろしく切り替わる。
 下から上。離れた場所から振るった拳が突風を起こした。
 魔の力によって大気が呼応、鳴動し、彼女に従わされた。
 圧縮された空気が時雨の手元から加速を続け、それは彼女の目の前で炸裂した。
 激甚の暴風が光を巻き込む。
 体が浮く。
「(あ――、死んだ)」
 山の上、断崖絶壁から小さな光の体が弾き飛ばされる。
 目も眩むような眼下の光景と、身体を巻き上げる下からの風。数秒もしない内に、地面へと叩きつけられる事は目に見えていた。
 景色がゆっくりと見える。死を覚悟した戦闘でよくよくあった現象が現れた。詰まるところそれは、彼女の肉体が死を悟ったのだ。
「(戦う、と決めたのに、二呼吸で再起不能、か――。まだ、楽園のために戦いたいのに)」
 彼女の、黄金の闘志と理性は死に抗いながら、肉体はそれを享受する。
 憎いほどにあっさりとした最後。
 心は抗っても、現実は変えられない。あと少し、視界の先にある河に飛び込めば別だが、そんな事は空で方向を変えて飛ぶ事が出来ない限りは不可能だ。

「――ッ!!」
 何処か遠くから声が聞こえる。
「――りッ!!」
 次の瞬間に聞こえる声が徐々に鮮明になっていく。
「――かりぃッ!!」
 それは有り得ない速度で崖へと疾走する者の叫びだった。
 幻聴だと思った彼女が眼を閉じて、仕方なく死を受け入れようと瞼を開けた時、その馬鹿は目の前に居た。
「――ひかりッ!!」
 両手を合わせ、まるで飛び込みでもするかのように空気を割り、空中で光を強引に抱き締めた。
 離さない、死なせないと言う意志だけが伝わるしっかりとした抱擁。
 飛べない代わりに、彼が代わりに跳んで、方向を変えた。
 その強い力に応えるように、光は反射的に抱き締め返す。
 そのまま、金太郎と光は錐揉みしながら、そのまま落ちるはずの地点を僅かに外れ、眼下の大河の方に飲み込まれていった。


24 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/08/28(月) 17:42:29 ID:QmuDsJYm


 その頃、秀武は逃げていた。
 彼の背後では蛇のように宙でとぐろを巻きながら鎖が展開している。
 音を立てて鎖が絡まった大木を根ごと引き倒し、大岩を粉まで砕く。
 彼が山を駆け降りる間にいくつも、その傷痕は刻まれていた。
 必死に、それでも相手を納得させて『自分が』勝つ事を考えながら、秀武は走り回っていた。
「手加減してくれぇ!」
 それでも口角から泡を飛ばしながら、人にはあまり見せられないような酷い顔で走る。流石、山賊出身なだけはあって、金太郎のような異常な速度ではないが、それでも普通の人では決して追いつけないような速度で、ジグザグに、鎖の打撃をかわしながら走っていた。
《そんな熱血じゃない事は出来ないな。死力を尽くせっ! 【蛇絞(じゃこう)】からは逃れらんぞっ!》
 鎖が鎌首をもたげて、襲い掛かる。寸でのところで秀武は茂みに飛び込んで、横に転がった。
 茂みは巨大な鎌で刈ったかのように消えうせ、彼の視界から消えた秀武はごろごろと無様に転がりながら、大木の後ろに廻った。
《そこかぁッ!》
 ひぃ、と声を挙げて、反射的に秀武が頭を伏せれば、ちょうど頭の上半分の大木が真っ二つに折れていた。
 もし、そのまま突っ立っていたら、頭の上半分は『おしゃかに』なっていた。
「(死ぬ、今日こそ絶対死ぬ!)」
 と、心ではそう思いつつも、彼の策は半ば完成していた。
 折れた大木を片手で必死に抱きながら、四つん這いになって再び茂みに隠れ、隠行で気配を消す。
《さぁ、何処まで逃げるか若造。これ以上逃げれば、熱く血の滾った儂とて、……我慢ならんぞ》
 ひぃぅん、ひぃぅんと空を裂く音を立てて、超音速で鎖が飛び回る。
 普通ならそんな長大な兵器は草木に阻まれ振るう事は無理なはずだ。しかし、戦闘に戦闘を重ねた結果老原の内には燃え盛る闘志と共に現実を凌駕する力が生まれ、草木に阻まれるはずの鎖をぶつかろうともお構いなく振り切れるほどの縦横無尽の膂力で操れたのだ。
 鎖状自動鋸(チェインソー)のように、それ以上の破壊力で、阻む大木や岩石をも砕き散らす凶器を操る。
《さぁ、何ぉ処に隠れた若造?》
 ひぃぅんと音を立てて、隠れるのには手ごろな大木が引き倒される。
《ここかなぁ?》
 岩石が下から上に撒き上がって、下に潜むのには都合の良い岩が砕ける。
《それとも……》
 ひぃぅん、ひぃぅんと音だけが鳴り響く。その肉体では無い、虚像の瞳をちらちらと動かして辺りを睨みつける。
《ここかぁ?!》
 視界に入った全ての風景を鎖が薙ぎ倒す。
 その振り切った直後、倒れた大木の背後から鎧姿が躍り出てて、樹上から老原に飛び掛る。
《そう来る事も――》
 鎖を有り得ない速度で怪力を使って引き戻し、
《――読んでたわッ!》
 ぐしゃりと鎧ごと砕いた。



 じわりと汗が滲む動かない闘いが、綱と霧宮の間で行われていた。
 互いは僅かに手首の返して刃の角度を変え、錐のように尖らせた諸手の上下の位置を変えている。
 大型の肉食獣みたいにやたら頑丈な金太郎や怪我慣れをしていて傷への耐性の高い秀武、再生魔法を心得ている貞光とは違い、綱は四天皇では打たれ弱い部類に入る。むろん、それは並みの兵士に比べれば、意思の力である程度は克服する事が出来たが、それでも不意の一撃には人並みに弱いのである。
 その代わりに彼は『先』を取るのに優れていた。
 相手よりも技の出そのものが早い『対の先』。
 相手の技を出そうとした心を読んで先に打ち込む『先の先』。
 相手の技を出させて、予め予測されたその攻撃を反撃(カウンター)で潰す『後の先』。

 どの先も優れているが、敢えて言うなら彼は先の先が得意である。前述の通り、彼は未来を見通す魔眼である『龍眼』を得ていた。
 その結果、彼はどんな攻撃でも先に予測する事が出来たのだ。
 技の出が未だに早い、先に長けた坂田や頼光、普通の人なら意識不明になる攻撃を耐えられる頑丈な金太郎、何かと予測しても効果が分からない策の連続を仕掛けて煙に巻いてくる秀武や回避不能の広範囲攻撃を仕掛けてくる貞光など、その超人達の中なら偶に負ける事はありそうだが、それを常に寸前で回避し、勝ち続けているのが綱である。
 十歳の頃、初めて対峙した坂田と練習中に互角の拮抗の末、予想外の死闘を繰り広げ、後に龍眼となる片目を負傷して不戦敗となって以来、彼は一度足りとも負けたことがない。
 武士のとっての勝敗は生死に直結する。しかし、彼の中で美学とでも言った考え方の中では、己が何らかの形で自らの体現する体の動きが他人に劣る事を認めなかった。それが、年上の最強の武人だろうが、人外だろうが構う事はなかった。それが彼の矜持であり、生き様。
 詰まる所、彼は武で負けるのが嫌だった。
 彼は負けず嫌いなのだ。

 その彼が今一番苦戦しているのが、目の前に居る巨大な蟷螂だった。
 人の皮を被った状態で、この強さである。力を完全に解放すれば、人の反射神経でも捉えられるのが不可能である。
 彼のように未来を見通す瞳か能力を持たない限りは勝つ事は不可能、不可能と言うより比較の余地無しなのである。
 速さは力である。速ければ、拳そのものは到達する速度と同時に破壊力を生み出すのだ。
 蟷螂が獲物を掴むかのように掲げられた諸手。
 その諸手の本来の使い方は指を開いて即座に絡む関節技であろうと綱は気付き、同時に霧宮自身がまだその本来の姿に気付いてないように思えた。
 相手の腕を鎌で拘束し、打撃を加える。
 相手の攻撃手段を殺した上で打撃を加えるのが、真骨頂である。それを綱は霧宮自身が未だ模索中の完成形を霧宮の構えから読み取った。
「(長引けば、奴も気付く)」
 そう、まだその真の完成形に至ってないからこそ、綱は苦戦の最中でまだまだ『余裕』でいられるのだ。
 その精神的な余裕を切り詰めて更に張り詰めさせ、闘気を高めた。
 剣先がわずかに上がり、剣気が高まる打つ気配を見せる。

 無手が二つの鎌となって奔る。
 その間に切り込む刃、綱の身体。
 霧宮が片方の手のみを鎌に、片方を蟷螂手にし、綱の刃を鎌で受けながら、神速で綱の顔面へと突き込む。
 誤算。
 自然に動いた結果、霧宮は無意識で完成形の攻防を生み出していた。
 だが突如、遠巻きに見ている誰もが、眼前で闘っている霧宮すら、信じられない事が起こった。

 鎌で捉えられていたはずの刃が突きを受け、突きを受けたはずの刃が逆に突きで霧宮の胴体を抉っていた。
 鍔元まで掛かった突きの圧力で霧宮の身体が吹き飛び、肉から吹き出る液体が突き立てられた皮の端を揺らす独特の音を立てて、白色の体液が大地を汚す。
 再び、斬りつける綱。それを受けようとして、また違う方向から来る太刀に断たれる霧宮。
 一振りの太刀が分かれる、一太刀、二太刀、三太刀、四太刀、五太刀。
 全身から体液を噴出して、霧宮は地面に倒れ伏す。
 幾つも分裂したはずの太刀は再び一振りの太刀へと返っていた。

「秘剣、残剣散徹」


 今度は確実に、明らかに双方で対峙した格下の兵士達も霧宮ほどの動体視力の無い蟲達にも見えた。
 雨の水滴が作り出した一振りの刃の軌跡が五つに分かれて蟲の王に斬り込んだ。
 揮った太刀は霧宮に斬り込んだ時、確実に五つあった。

 事象同時進行。(ことわり)を限界まで高め、更にそこから先に挑戦した結果、彼は人類で始めて只の生身で、霊気装甲も無しに神秘へと至った。
 五回の太刀筋を一動作にまとめると言う脅威。彼は一振りで本当に五回相手を斬り殺す事が出来るのだ。
 威力を殺す事も無く、太刀筋を殺す事も無く、そして速度も殺す事も無く、勿論、捨て身で、自らを殺す事もなく、飄々と相手を殺すための極技である。

 無論、相手の装甲結界に斬り込める霊刀『髭切丸』だから出来る有り得ない技なのである。これがただの太刀だったら、木の枝で相手に打ち込むようなものである。邪を祓う事に特化した、霊刀鍛冶安綱の一品である。

「貴殿らの命が惜しければ、退け。人を甘く見るのでないぞ、蟲王」

 今にも霧宮の『化けの皮が剥がれそうな』勢いだが、彼の蟲が独特に持つ理性よりも確かな本能が、綱の刃によって蟲全体の士気が削ぎ落とされたのを感じた。如何に大軍があれど、それに殺る気がなければただの木偶人形と同じである。誘蛾の焔に惑わされた蛾の如く、高ぶった人の士気に焼き尽くされ、勢いで殺し尽くされるだろう。
 統括思考と呼ばれる強制命令で働き蜂よりも狂って戦わせる事が出来た。しかし、これは彼らの個人単位の私闘ではなく戦争である。主義や趣味では無く、利益で戦わなければならないものだ。無論、斬り倒されて朦朧とする思考の中で配下を上手く従えるとは思えない。またしても、引かねばならない時である。
 そう決断した王の無言の命を受けて、蟲達は機敏な動作で土に潜り、空を飛び、御簾を引くかのように森から瞬時に消えていった。
 一匹残る霧宮が立ち上がる。既に膨大な妖の力で止血はされていたが、霊刀によって見えない内部が切り裂かれていた。
「次こソ、次の決戦デ千の我等が殺シニ掛かルゾ。ダガ、そレトは別に、いツか、貴様を、もシクは同ジ外道を使ウ剣士を突キ殺してクれル」
「今の世に二人とて使えるものは居ない。何百年経ったとしても、十人にも満たないはずだ。だが、覚悟しろ。人を、武を舐めるな。思いつきで出来たような技で、人の刻苦研鑽である武の重みを突き崩せると思うな」
 霧宮は瞳を中心に背景が歪みそうな殺気を放ちながら、森の奥へ、雨の薄絹に紛れるように消え、殺気も霧の如く消え去った。
 綱は悠々と太刀を柄に収める。まさか、後もう一度、同じ技をしたら一月は動けない身体になるとは思えないほど、雨の中に映える雅な立ち姿だった。
 その姿を崩すような悲報。早馬での伝令が光と金太郎が崖から落ちた事を伝えた。



 砕けた秀武の大鎧。バラバラと乾いた竹で編んだ、刃ですら通すのが難しい鎧が粉微塵となった。雨よりも遅く落下するその欠片。
 その『身代わりの後ろから上半身裸の秀武』が躍り出た。
 時間差攻撃。
 身代わりの代わりに、長大な攻撃範囲を持つ霊体に、些かに短い攻撃手段を持つ秀武が肉薄するには攻撃を一時的にでも止めるしかなかったのだ。

「しゃ――――!」
 片手を刃に添えられた霊刀、双子の小太刀【字丸】が老原の喉元に食らい突かんと飛び掛る。
 その刃の届く直前になって、秀武は気付いた。思いっきり近づいたにも関わらず、何故俺の身体は『老原から離れていく』のだろうと。
 思考の後に続く強烈な、内臓が破裂したかのような痛み。
 それを自覚したと同時に大木に秀武の体が打ちつけられた。
 あまりの衝撃に頭に火花が散ったような意識を振り払い、老原を見た。

 右手に鎖、左手に鉄扇。

[馬手(めて)に蛇咬、弓手(ゆんで)に白龍。戦場に得物一つで行く馬鹿は居らんってことだ]

 馬手の鎖で遠距離の敵を足止めさせ、弓手で鎖の圏を突破した者を鉄扇で叩く。

「遠近自在ってことか、くそッ、……んぶっ」
 喉元からこみ上げてきたどす黒い血を吐き出す。それを見て秀武は安心をした。血は鮮やかなほど心臓などの呼吸器系に近いため致命傷であるが、黒い血ならばまだ動けると言う証だ。
 ふらつく身体を背後の折れ曲がった大樹に預けて立ち上がる。
 それを見て、ひぃぅんと死神の鎌のように鎖が再び旋回を始めた。
[いいねぇ、体の内から血が沸き立つのをひしひしと感じるぜ。それにしてもお前、あれを避けるたぁ運がいいじゃねぇか]
 鉄扇で打ち殺される瞬間、偶然にも字丸の鉄鞘が防いだお陰で左の脇腹に食い込んだだけで済んでいた。無論、秀武ほどの、普段の素っ惚けた姿には似使わない意志の力でなければ、その場でただ殺されるまで痛みで蹲るだけであろう。
「へへっ、こう言う何度も立ち上がる奴ぁは俺じゃなくて金太郎の仕事なんだけど、まっ、どうしてもってんなら、四天王の末席を汚す俺が、……てめえを調覆やんぜ、この野郎」

 染み出す痛みを抑えながら、秀武は凶悪な、何かを企んでいそうな笑みで刃を構えた。


25 :異龍闇 :2006/09/18(月) 14:28:41 ID:QmuDsJYm

《さて、手詰まりだぜ、兄ちゃん。こっからどう逆襲すんだい?》
 鉄鎖の蛇咬と鉄扇の白龍を携えて、秀武の前に老原が立つ。
 血反吐を吐きながらも立ち上がった男が最初に発した言葉は、
「夫婦剣って話、あんた知ってっかい?」
 と言うこの場に及んでの時間稼ぎの策だった。
 次は何をするのかと、それを楽しむかのように老原はにやりと笑って立ち止まる。
《干将莫邪。大陸の刀工の夫婦が正しく命を削って出来た二つ霊刀。切れ味は凄まじく、邪を退かせ、片方の剣のある場所へと必ず文字通り帰ると言われた、それがどうしたのかな?》
「似たような剣に兄弟剣てのがあるんだよ。それを知ってもらいたいって事を言いたかったのさ」
「で、それがどうした?」
「どうしたもこうしたもねぇ。策士が敵に策を明かすのは嵌ってくれた後だよ。つまり、あんたはもう俺の策に嵌ってんのさ」
 そこで、老原は気付いた。

 奴の腰に差さっていたはずの、もう一つの刀は何処へ行った!?

「来たれ、【友切】っ!」
 鋭い命令と共に音の壁を超えて背後から老原の霊体を刃が貫いた。
《ぬぅ、だが、これしきはっ! ……なんとっ!》
 京最強の霊帝が揺らいだ間に秀武は信じられない速度で手近に一番デカイ大木へと攀じ登っていた。それは逃亡でなく、あくまで立ち位置を変えるだけの移動。自らが優位に立てる場所への一人進軍である。
 それを見止めた直後に大量の土石流が彼らの、半ば実体化していた霊大群を巻き込みながら下ってきた。
《小癪なぁぁっ!》
 厚く凶暴な土砂の流れが老原を押し流さんと駆け抜ける。しかし、老原は鉄鎖を秀武の登った樹の太い枝へと鋭く絡みつかせて流れに抗う。老原の剛力で流れが意味を成さなくなろうとした瞬間、秀武はその太い枝の上に二つで一つの名刀【字丸】と【友切】を持って立っていた。

 妙に長い間。

《や、やめろ》
 いや、やる事は分かっている。この男は慈悲も糞も無いとんでもない野郎だ。やる事は一つ。
 無表情に、秀武は仕事であるかのように吐息共に枝を切断した。
《おのれぇぇぇぇぇぇぇぇッ!》
 土石流が老原を点になるまで流していくのを見届けると、樹上で秀武はやっと一息をついた。

 秀武の策はこうである。彼らの陣地を作成した時に、その出来た土砂で予め敵の軍を陣地から押し流す罠である土石流の仕掛けは大体は出来ていた。しかし、土石流を山の下まで効率良く流すために伐採をすれば妙に切り開かれた地形のために敵に感づかれる可能性があり、使われずにただ死蔵されていた。
 しかし、この場に自ら石を削り、大木を引き倒し、『土石流の流せる道』を作って、それに引っ掛かってくれそうな敵が来てくれたのだ。
 片割れ刀の【友切】を仕掛けに添えて、老原に開拓させながら、陣地から下まで駆け下りた。老原は土石流を流すための道を作らされているとは知らずに、彼を追い詰めたつもりとなって、血を滾らせていたのだ。

「やれやれ、一人で霊軍二千を倒したかな? さてと、あとは自尊心の高い霊帝様を口先で丸め込んで一丁上がり、ってとこか女の子達を抱きこむ小噺にするには上等なくらいだな」
 そんな下らない事を言っているうちに、老原の剛力と流れる土砂ですっかり傾いた大木が一緒に流されそうになってびっしょりと秀武は冷や汗を掻いたと言う。



 秀武の血と汗、それらが混ざり、最終的に辿り着く河川に金太郎は流れ着いた。
 轟々と豪雨で龍の鱗のように逆立つ濁流を、人を一人担ぎながら泳ぎきれたのは野性の本能のお陰なのだろう。
 第一の武装である槍は光を助けるために置いてきたため、腰元の短刀【陰落(かげおち)】を除けば丸腰に近い状態である。幸い、光は手で固く愛刀の【蜘蛛切】を握り締めていたために彼女の武装は保てていた。そう言えば先ほどの水中で、ぶつかりそうになった岩を撫で斬りにして真っ二つに割っていたよう気もするが、今の金太郎にはどうでも良いことである。背中にあった矢筒も流れ、弓も無い状態であり、とにかく敵に襲撃されたら困った事になるのは確実だった。
 ちらりと金太郎は、遥か遠方の山の高さを見てゾッとした。あの高さから落ちて水面に激突しながら殆ど無傷だったのは僥倖であり、同時に心に恐怖の疵を刻み付ける高さだった。あの浮遊感はとても形容しがたいほど気持ちが悪いものである。
「……もう二度と高いところから落ちるのは御免だ」
 そう言いながら、水を吸って重たくなった鎧姿の光を抱き上げた。
「おい、いい加減に人の肩に掴まるのは、って息してないじゃないか!」
 くたりと力の抜けた光を河川敷にゆっくり横たえ、口に息を吹き込んだ。
 一度、二度、三度……。
 五度目になってようやく光は水を吐き出して、呼吸を再開し、金太郎は雨に打たれながら、その場にへたりこんだ。
「まったく、今日は奴らの奇襲といい……、何だかやたらと気苦労する日だ」
 金太郎は光を抱きかかえ、手近に休める場所を探した。
 川でびしょ濡れになった鎧やら何やらを乾かさなければ、体力を消耗するばかりである。
 それに流されたり、何だりしている間に辺りはすっかり日が暮れてかけていた。意識の無い光を抱えたまま歩き回るわけにもいかず、野営の出来る場所を探さなければならない。
 幸運な事に河川敷の近くに天然の、土砂崩れなどの心配はなさそうな洞窟があったためそこに身を寄せる事にした。
 雨の中で乾いた薪を探すのに一苦労しながらも焚き火を始めた。
 横で未だうなされる光にどうしたら良いものか、と思いつつ、とりあえず服を脱がす事にした。濡れたままの服を着せているのは身体によろしくはない。
 鎧を外せば、先ほどの戦闘で負傷した箇所がそこかしらにあり、貴重な薬も無いので仕方なく金太郎は動物がそうするように光の身体を舐める事にした。
 体力を消耗して白い肌が青白くなるまで冷え切った光の身体を温めるために自らも鎧もその下も脱ぎ、金太郎は裸で抱き締めながら、光の血の滴る疵口を舐め上げた。
 何だか色んな意味で間違っている気もしなくも無いが、金太郎は隈なく血の跡を舐め続けた……



 光が目を覚ます頃には焚き火は四分の盛りであり、身体を包む暖かさに、もうオラは死んじまって極楽なのかと錯覚を覚えた。
「――やべっ、うとうとしちまった……。お、目ぇ覚めたか?」
 ちょうど斜め後ろ、耳元で囁かれたのは金太郎の声だった。
 胡乱な目元を擦りつつ、周りを見定めた。天然の洞窟の外は昨夜と打って変わって晴れ上がり、薄紫の空に小鳥の囀りが響いていた。焚き火は長い事維持されていたのか、消し炭が石の間で積もっている。その脇には濡れていた状態を乾かすために置かれた薪が積まれ、更に横には二人分の鎧と、その上に褌やら狩衣が広げて乾かされていた。
 ふと、光は胸元を見た。見慣れた、少し(彼女の解釈では)小さめの胸の見える全裸だった。そんでもって金太郎も全裸で、そのまま守られるかのように抱かれていた。
「やっと起きたか。うなされていたから心配したぞろばっ」

 顎を砕かんばかりに掌で打ち上げると腹を蹴り上げて後退し、目の据わった状態で刀を掴んで鞘から引き抜き金太郎に向けた(全裸で)。
「殺す」
「ちょっ、ちょっ、ちょ、とわったぁ」
 脳天をかち割らんとする白刃の唐竹割を両掌で瞬時に挟み込んで押し止める。調子を誤れば、実際に斬割されていたであろう、殺意の篭った攻撃である。
「さぁ、死ね。潔く死ね。そして、貴様を殺して私は生きる!」
「なんだその理屈は! 一晩うなされているを守ったってのに随分な物言いだな、この野郎!」
 剛力の金太郎は刃を挟んだまま、膂力と体の移動を使って刃を捻り上げ、柄から【蜘蛛切】をもぎ取った。
 刃を掴み取ったのも束の間、今度は光は金太郎の鳩尾に鉄拳を叩きつけた。常人なら血反吐を噴いてひっくり返る打撃だが、鬼の金棒のまともに食らっても立ち上がるだけあってびくともしない。しかし、それはそこに意識を集中させるだけの当身で、そのまま身長の差を生かして金太郎の脇の下を潜り抜けて背中側に回ると、膝の裏の蹴りと同時に肘を背中に近い脇腹に打ち込んだ。それでも金太郎は怯む事は無く膝への蹴りで体勢が崩れたと見せかけて、沈みながらくるりと反転して足払いを掛けて光を転がし、刃を首元に当てて大人しくさせた。
「いい加減にしろ、まったく助けたってのになんて事するんだ」
「うぅぅぅ、酷い。手篭めにした上でここまでの屈辱。武士の風上にも置けない」
「それは自分への台詞か? 人に助けられておいて恩を仇で返すなんて、そんな事を俺に教えたいのか? お前は、俺の大切な…………」
 ふとした逡巡の後、言い切った。
「大切な目標で、今は大将だ。そんな、ちょっと不測の事態くらいで慌てて、『頼光』、あんたの夢を、理想を遂げられるのかよ? 俺はあんたの刀だ。鞘のあんたがしっかりしてくれないと、俺は誰を相手していいのか分からなくて、誰も彼も傷つけちまいそうだ」
 その言葉ではっと気を取り直したのか? 金太郎が刃を離して柄から頼光に返すと、いつも通りの落ち着いた形で鞘に納め、目を背けながら「済まん」と一言謝った。
「何だか……、私は勘違いをしていたようだ」
 金太郎は、光として彼女の事を、女性として好いているのだろうと光は思っていた。無論、そう言った側面も多少はあるのかもしれないが、それ以上に、今の彼は彼女を一人の目標として見据えていたのだ。
 だから、勘違いしていた彼女は自分が身体を奪われたのでは無いかと危惧したのだ。
「勘違い?」
 子供のように首を傾げる金太郎に光は微かに笑いながら「気にするな」と言って着物に袖を通し、ふと、止まった。
「ところで、太腿の辺りが何か『てかてか』しているが、何故だ?」
「あぁ、それは俺の唾液だ。両足の根元の間から不自然な出血をしていたから薬代わりに舐めておいてやったんだ」
 再び、今度は霊気装甲まで使われて洞穴の中で刃で追い回されるはめに金太郎は陥ったと言う。無知とは言え、自業自得である。



 具足を整えて、洞穴から出でる。
 昨日の雨の名残か、まだ暗い雲も幾らか空に掛かっていたが、雨を心配するほどではなかった。ただ、時折響く遠雷が、龍神のあの女の力を現しているように思え、光はぞくりと震わせた。
 太刀を合わせる事が出来たとは言え、人の形態であの異常な殺戮衝動。自然を背景にし、生み出された化生の大将、龍ノ目 時雨。人の皮を被ってあの強さ。真の姿を解放した時に化け物に本当に敵うのかと、光は僅かに胸の奥が揺らぎ、いや、勝たなければならないのだと、心に言い聞かせた。
「――――、この川から秀武の悪臭がする。これを辿れば本陣に戻れるはずだ」
 地面に這い蹲っていた金太郎の超嗅覚に頷いて、河川を遡る。
 その途中、鷹などよりも遥かに大きな複数の羽音を聞き、金太郎と光は河川横の茂みへと身を潜めた。
「烏族ッ――ざっと四十って、部隊の五分の一じゃない?」
「ちっ、俺達が下流まで流されているのを知っているわけか」
 (からす)の頭に人の体。森霊種である天狗族の一派である。武装も虎の皮の腰巻の鬼に比べれば、ずっとましで、羽ばたける程度の重さの鎧を纏い、その彼らの手に在るのは弓と矢。空中より彼ら二人を見つけ、射掛けんと周回を繰り返していた。
「こんな時に槍があれば良いのだが。矢を弾いて投げれば隣山からでもブチ殺せるのだが」
「無いものを嘆いても仕方がない。静かに突破するぞ、私に続け」
 二人は彼らの視線から逃れるために木陰から木陰へと身を躍らせていった。



「時雨様、その赤い槍は一体?」
 いつもの玉座では無く、仮の石塔横に置かれた岩石に時雨は威厳を漂わせて座しながら金太郎の槍を見つめていた。それを些か何をしているのか検討がつかないと言うように付き人である士官は問うた。
「優れた武器には意志が宿る、と言うが、その意志は何なのかと見極めようとしていたのだ」
 その槍は金太郎の手を離れた際に山の剥きだしになった岩肌に突き刺さり、戦利品と言う事で回収しようとした鬼達が、その総力を結集しても岩から槍が抜けなかったので岩をまるごと抜き出して時雨へと献上したのだった。
 その岩の大きさは長身な時雨よりも二回りも大きなものである。流石にそれを岩窟の奥へは持ち込めないので、こうして自ら赴いて間近で観照しているのである。
「赤い槍、……人の血のような色ですね」
「無論だ。この色合い、人の血としか考えられない。だが、その色合いにも関わらず、人を殺めた邪悪さは無い。この神聖さ、見極められん」
 遥か西方の地に赴き、前時代の大戦で使われた神の雷槌や光の皇子の持つ突けば必ず相手の心臓を貫く呪いの槍、全ての苦難を分かつ征服者の剣に、投げ撃つものから全ての覆う無敵の楯、約束された勝利をもたらす光の剣などの様々な武具を彼女は見てきたが、その槍が一体何なのかまるで分からない。
 人の血を浴びた槍。その言葉だけに着目すれば、何処かで聞いた事があるような気がするが、まさかこの極東の地でその規格外の槍があるはずはないだろう、とそんな事を、自らを半信半疑とするように思索を繰り返していたのだ。
「あの獣の男の槍ですか。奴は生きているでしょうか?」
「奴が生きているからこそ、槍はその場を動こうとしないだろうな。くくっ、待っているぞ、半端者」
 いつものように煙管を咥えると、自らの闘気に呼応する雷雲の真下であの勇ましい獣を到来を時雨は待ちわびた。



 ぬぅと現れた金太郎の左手の短刀【陰落】が閃いて二度三度向かってきた矢を打ち落とす。直後に地面にあった石を掴むと金太郎はもの凄い剛速球で烏族へと投げ付ける。既に三十三度目の投擲だが、一匹だけその投擲に驚愕して鎧ごと粉砕されて地に落ちたが、それ以降は警戒されてまるで当たる気配が無い。慌てて、全方位に近い矢の集中攻撃に翻って岩肌へと戻る。如何に重武装の金太郎とて、千の矢で集中攻撃されれば鎧袖の空き所から痛い一撃を食らうだろう。ましてや武に長けた烏族がそんな隙を逃してくれる筈が無い。
 後は山を二つ越えれば本陣だと言うのに、烏族の鷹の如き驚異的視力によって彼らは見つかってしまっていたのだ。
 旋回をしながら飛びながらでも射れるように短くなった弓を持ち、烏族達は河川の岩肌に追い込まれてその近くの物陰に隠れた彼らをいつ穿とうかと待ちかねていた。
「絶体絶命の危機だな」
「くそっ、弓さえあれば射落とせるのにっ!」
「無いものを嘆いても仕方が無いと先ほど言ったのは何処の誰だ?」
「うるさい、ここは流動的に対処するのだ」
「隠れ続けるしか対処の方法は無いがな。残念ながら、当てても落とせそうな使える石は後四つだ」
 先ほどまでは雨よりも酷く降っていた矢は時折、彼らが焦れて動く時を狙うようになっていた。
 以前も言ったとおり、この戦は短期決戦でなければならない。一気に攻め込み、龍神と決着を付けるのが最善。しかし、ここで足止めをされ、光、もとい頼光が居なければ如何に天才的作戦力を持つ秀武とて、戦力十万超の悪鬼羅刹の圧力に対抗出来る指揮と士気を使うことが出来ない。優れた将の下では全ての兵は一騎当千だが、それを欠けば苦戦を強いられ泥沼の長期戦となるだろう。長期戦は消耗戦であり、それは個人の技では対抗出来ない領域となる。それは闇殺舎が潜在能力の違う人外に咀嚼されるのと同義である。
 しかし、頼光が居ればそれはその限りでない。きっと彼らは彼女のために獅子奮迅の死狂いとなって化け物を殲滅していくはずだ。
 そのためにも彼女が本陣へと戻る必要があるのだ。

「くそ、どうすれば……、ん?」
 ぴたりと苦渋に満ちていた金太郎の顔が変わった。
「どうした?」
「二頭の馬蹄の音が聞こえるっ!」
「まさか!」

 そのまさかだった。
 烏族の目にもあまりの速さにそれは黒と白の稲妻に見えたはずだ。

 白馬彪凪と黒馬羅王号。重武装の馬鎧で飾った、否、金太郎以上の重武装を施した彼らには矢の意味が無い。古代の機動力の要、それが馬であるのだ。
 岩肌へと滑り込むと同時に金太郎と頼光はほぼ減速もしていないのにも関わらず軽やかに飛び乗り、半呼吸遅れた射線から離脱する。
 そして、その背に括り付けられたのは強弓と烏族を射掛けるには十分な矢。加えて、その背に乗るのは京随一の弓の名手の二人である。
 馬に弓の名手が乗れば、騎射となる。馬はただの機動力でなく、敵を絶命させる戦車へと変わる。
「お前ら素敵過ぎるぜっ!」
「帰ったら毛並みを整えてやるぞっ!」
 二頭にひどく嫌われているために馬蹄を食らいながらも死ぬ気で装備を括りつけて放した秀武の苦労は彼らに察せられる事は無く、ただひたすら後方から迫り来る烏族達を二人は一方が構える間に一方が射ちと華麗に繰り返して烏族達を射ち落としていった。

 頼光の本陣への帰還。それは明日の総力戦を予期させるものだった。


26 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/10/11(水) 05:58:30 ID:QmuDsJYm

――闇の中で蠢く者ども


「時は来た」
 暗闇よりもなお暗き奥底で、その白い衣の男は呟いた。
 呟きは空間に震と響いて、大地から深くへ、天へと挑むように満たしていく。

「乾より来たりて坤に向かう、森羅万象万物流転。天球道より東、南、西、北の七宿から合わせて二十八宿。時を表し、十二直、六曜。四季に二十四節は通じ。人の生を六十干支より委ねられた金、水、木、火、地の五行は全てに相剋す。生と死の流渦は魂魄の(まろばし)。陽中陽、陰中陰、陽中陰、陰中陽は陰と陽とし、両義。陰と陽より太極、太極から無空へと至る。東方降三世夜叉明王、南方軍荼利夜叉明王、西方大威徳夜叉明王、北方金剛夜叉明王、中央二大日大聖不動明王」

 『豪』と舞を踊るかのように白い衣が翻って闇に映える。それはまるで、自らが闇の中での光の渦であると言うような、傲慢な輝き。

 反、と地への束縛を脱して反転し、再び地に戻って剣指で虚空を掻き乱す。



            バン・ウン・タラク・キリク・アク



 その指先が呪と共に描くのは彼が物事の全てを人に分かる様に凝縮した図。
 五芒星(セーマン)
 その理は絶対にして不変にして普遍。
 僅かな言葉で全てが彼の意志に優先され、物は語らせられる。

 汗をつたらせながら、舞を終えると暗黒を切り裂くように引き戸を開いた。
 黒い世界に浮かぶ、白く輝く月。
 その端は僅かに紫の、陽光の気配を感じて薄くなりつつあった。
「暁光と共に全てが終息する。未だかつて無い、私の、私による、全てのための世界の創造が始まる」
 再び、万魔殿の扉が閉じられた。

 ――黙。


27 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/10/11(水) 06:29:00 ID:QmuDsJYm


 風が鳴る。
 烏族の一匹は羽を風に任せ、その大地を一望した。

 平らな大地には双方ほぼ全ての軍団が集結していた。
 眼下には紫色に見える赤鬼と青鬼の歩兵団、すぐ真横には白い羽を持つ烏族の仲間達、後方には緑色の鱗を光らせる龍族が元々の小山のような龍の姿で待ち構えている。
 その反対側には大太刀を剣山のように頭上に掲げた最優秀の切り込み隊を先頭に、両脇に弓を主体とする軽騎馬兵団、後方に弓と槍と太刀をそれぞれ距離と戦略に応じて変える歩兵団と薙刀を携えた僧兵団が陣取っている。

 法螺貝の響かせる音色が人外の全軍を動かした。
 大地を踏みしめる轟きが地鳴りのように空まで揺り動かす。
 その空気へと伝達する振動を羽に受けながら、烏族達は彼らの頭上まで接近した。

 空中機動は地上の障害物の影響を受けないために最速で陣地へと到達し、陣地を掻き乱す。前述の通り、空と地上からの同時多角攻撃は相手が同じ攻撃手段を用いない限りは勝利にはならない。何故なら、三次元で戦う相手に二次元で戦おうとするのだ。前後、左右の方向は対応できても、存在しない次元からの上下からの攻撃には対応出来ない。弓は先ほどから言うとおり、天地の理である重力で上空に達した矢を地上に向かって加速させ、その『地上』の敵を貫く。しかし、『上空』の敵を十分な加速を得られる矢と腕で当てられるのは極少数であろう。だから、上空からの攻撃を加えられる烏族は実のところ主戦力と断じても過言では無い。そのため、彼らの多くは、この戦で挙げられる戦功を信じて疑わず、内心ほくそえんで彼らの頭上へと進軍を進めた。
 さて、彼らの次元である上下に対抗するにはどうするべきだろうか? むろん、彼らの中で飛べるほどの法力を持った僧は貞光のみであり、薙刀を携えた多くの僧兵は法力の欠片も無い、むしろ破戒僧と言った風体である。それを打破する方法はあるのだろうか?
 解答は至極簡単である。彼ら、烏族が空で戦えない状況を作ればいいのである。

 烏族の弓が射程距離へと近づくなか、彼らはまったくと言って良いほど動かなかった。制空圏を烏族達は捉え、弓鳴りがそこかしらになる。烏族達の射撃に幾人もの兵が矢に倒れるがそれでも動かない。その一方的な虐殺に莞爾を彼ら烏族が挙げようとしたその時だった。
 最後方、僧兵団の真ん中に座する男の異言と共に大気が鳴動し、風と共に彼らの間から濛々と急に濃い煙が立ちこめた。予期せぬ出来事に烏族が動揺する。それでも粘り強く、弓を射ろうとしていたのが彼らの末路だった。
 弓の弦音と共に彼らの身体に何かが絡まった。次の瞬間、物凄い勢いで三、四匹まとめて烏族達の多くは地上へと引き摺られた。
 矢に結び付けられた(つな)(あみ)。矢と共に放たれた網。それに絡め取られた烏族達を地上へと綱で十人掛かりで引き摺り下ろし、後は彼らの独壇場である。これによって部隊の中央に引き込まれた烏族達は瞬時に壊滅状態となった。
 濛々と立ち込めた煙は同時に歩兵である鬼達の進路と判断も混乱させた。その隙は切り込み隊と軽騎馬兵団は鬼達の正面でなく、僧兵団と歩兵団の斜め前へと静かに陣取る。
 次の瞬間、視界不明瞭の煙の中で鬼達と歩兵と僧兵の混合兵団が衝突した。
 鬼達の剛圧力。今回は射撃でちりぢりに逃げる鬼を追討するのではなく迎え撃つ形である。本来なら正面からの対峙を避けるはずのその圧力に、彼らは敢えて力で対抗する。鬼達が最も強く出てくる場所に、彼らは十人ごとに一つの隊となった、十二支の動物が割り当てられた部隊で動く。日頃の訓練の通り、兵士達はいち早く隊長格の指示に従い、時にはその戦況を伝達し、個々の隊長格が巧みにその圧力に最も強い力を当てて、鬼の進撃を一時的に止めた。個でありながら全となる集団戦での理想系である。
 鬼の大半は歩兵であり、多くは金棒での接近戦主体となる。そのため進撃を止められた軍団は四角形として前後左右中央と分けた時、前方の約二割のみが攻撃に当たる形となる。好戦的な鬼達はそれを良しとせず、次第にその軍団は横から戦いへと勇んで軍団は扇状に広がっていく。しかし、横陣の戦列である薙刀の長さで防御に徹する僧兵団に対して、歩兵団、もとい、遠間で弓、近場で槍、接近して刀を使う散兵団が、僧兵団の横合いから徐々に強い鬼の圧力を削いでいく。これによって鬼達の横列による停滞。
 それが闇殺舎の狙いだった。
 煙の中、全体の軍からそれぞれ広がる形で斜めに前に進軍した軽騎馬兵団。彼らの主武器は弓矢である。つまり鬼達は弓矢の大軍に誘い込まれ、挟撃を受ける形となったのである。横に長く伸びた鬼達に軽騎馬兵達は同士討ちの危険性を考える必要も無く矢を打ち込む事が出来るのである。突如として横合いから放たれた矢に混乱し、鬼達は統制を極度に乱した。
 矢が止むと同時に今度は馬蹄の轟音と共に勇ましい掛け声が後ろから響いた。
 大太刀を掲げた切り込み隊が彼らを回り込んだ後ろから突撃しながら切り裂いていく。

 歩兵団が敵軍の圧力を受け止める『鉄床』と成り、切り込み隊と軽騎馬兵が『槌』となって鬼の軍団を粉砕していく。
 これは紀元前二世紀に羅馬(ローマ)巨軍(レギオン)である必勝の密集陣形(ファランクス)を破った斜線陣と言う戦法である。敵を中央へと誘い込んでその真っ向から衝撃を受け止め、横に位置した騎馬兵が横撃を行い殲滅する。更に秀武は弓主体の軽騎馬隊が横から完全に彼らを撹乱させ、ちりぢりとなり始めた軍団を後ろから切り込み隊で攻める形としたのだ。戦意の猛々しい鬼達もすっかりその戦術で混乱し、戦力は削がれていった。

 無論、それを見て黙っている時雨では無い。煙幕の発生と同時に機を読み、彼女は遂に虎の子である龍の軍団を自らと共に進撃させた。その彼女の気配を読んで、蟲達も地中から進撃を始める。
 鬼達の追撃に掛かりっきりの今、彼らが龍と蟲の軍団の怒涛の反撃を違う角度から受ければ、逆に総崩れとなる。

 その時だった。彼らの軍に追い縋ろうとする東の横合いの森林から、鈍い色を放つ総鋼鉄の鎧を纏い、先日単騎で楔の如く鬼達に分け入った金太郎と、彼の率いる重騎馬兵団が待ち構えていた。
 先日の龍の攻撃も耐え切った少数精鋭である。切り込み隊のような華麗に斬殺する巧みさの無い代わりに、厚い装甲と愚直な突撃戦術が龍と言う人外の圧力に唯一対抗出来る戦力となるのである。
 しかし、今回彼らは馬には乗っていない。馬は巨大な獣には本能的に恐怖するものであり、羅王号と言う例外はあれど大部分はそうではない。ならば、もとより徒歩の重装歩兵へと急遽転換し利点を挙げるべきであったのだ。
 彼らの存在は予備兵力と呼ばれる。自陣の崩れに駆けつけ、時に戦局の膠着に対する一手となる攻性の守りとなるのである。補充戦力にも関わらず、その任務は重大かつ拙速、云わば切り札である。故に彼らの殆どは実戦経験豊富ないぶし銀の古豪で固められている。その頭が先日の一騎駆けでその勇猛さを知らしめた金太郎である。そしてそれは人外との小競り合いはあれど、戦での経験のない金太郎を古豪に認めさせる儀式の意味合いでもあった。その目論見が成功した結果、龍族と言う超越種に引けを取る事も圧倒される事もなく、最前線で駆ける若人、金太郎を追い掛けて味方の援護へと追従できるのだ。心気体の伴った突撃は一つの槍とも言える破竹の勢いで龍族へと突撃していった。
 敵陣、残る蟲の軍団である。こちらも彼らに言わせれば金太郎達と同じ予備隊に相当する。地中より深く進攻する三百匹。先日の蟲王の敗北を挽回すべく、彼らの陣地の背後へと駒を進めていた。背後から現れたら最後、鬼の歩兵団の圧力に僧兵団と歩兵団は負け、中央突破をされる事となる。中央に居るのは先日からの大祈祷を維持し、妖魔人外のあらゆる力の流転を封じている貞光である。彼が殺られれば、残った鬼、烏族、蟲、龍が束縛から除けてたちまちその力を取り戻し、人では抗えない領域へと現在の力から飛躍させるだろう。限界一杯一杯まで技術と鍛錬によって増幅された人間が呪術の枷を付けた人外にようやく対抗できるのだ。つまるところ後方に位置する、僧兵団の中央で慧埜駆語の大縛鎖結界を使って人外の力を大幅に封じる貞光を倒せば、彼らの攻勢の逆転はありえるのである。
 そのために彼らは地中をひた走る。古来より土蜘蛛などと呼ばれて、様々な政権から疎まれた蟲魔の一族の権力を作り出し、正統な勢力を生み出すための戦争である。彼らに恐るるものは無く、ただ人を蹂躙し、人を喰らい、人を殲滅させる次元でしか考えていない。
 大地が爆ぜて蟲達が後方に到達する。最後方に位置する貞光目掛けて蟲達はその怪力を揮う。

 そのはずだった。

 彼らの背後、そこには存在しないはずのもう一つの兵力があった。陽光の中でもなお暗く、透けた身でありながらなお強く、いくつもの矢と刀傷をこさえながらも、鬼火を携えてその身を現世へと永らえさせる戦を求める修羅の者ども。老原の亡霊軍団が居た。
 秀武の策略に感服し、彼らの闘争本能の他に心に残ったその侠気を見せるべく、二千の軍団が三百の蟲を押し止めた。
 しかし、後方のどの地点から出現するのかを見極め切れなかったために横に伸びた隊列となった。結果、一部の四百弱の亡霊達が三百の蟲達の進撃に耐える事となった。しかし、彼らは戦闘狂の亡霊軍団である。魔の持つ力で彼らが霊体に触れ、撃滅できるとしてもそれは彼らも同じ条件である。












 いくつもの人と人外の屍が大地に重ねられ、血の河を作り出していた。
 それを石塔の上から眺めていた時雨の足元から二つの声が聞こえた。
「従四位にして左馬権頭、闇殺舎総大将、源 頼光」
「同じく、その郎党にして一番槍、四天王の南門の守護者、坂c金太郎」
 刀を掲げた頼光に、槍でなく、自前の鉞を担いだ金太郎。ついに彼らは龍族の障害を突破し、人外の総大将である時雨の下へと辿り着いたのだ。そして、最強の人外、彼女に対抗できるのは四天王と頼光しか居ない。
「「貴様の首、貰いに来たっ!」」
「おぉ、待ちかねたぞ人間ども!!」
 潔い宣告に時雨は気をよくすると、自分の身長の二十倍はあろう高さから躊躇無く飛び降りた。
 爆音のような着地と同時に、昨日と同じように纏った襤褸を剥ぎ、殺人手甲を構えた。
「かかって来な、人間」
 手招きと同時に、鉞を文字通り振り回して金太郎が突っ込む。
 時雨はその突撃の早さに驚愕する。
「(こいつっ! 槍の時よりも動きが早ぇ!)」
 雷撃を身体から飛ばすように金太郎の周囲を巨大な鉞が駆け巡る。金太郎の上半身を軽々と隠すほどの巨大な鉞が常人の目には見えない。それを人外の時雨は両手の手甲で凌ぎ、むしろ攻めに転ずる。しかし、その合間を縫って、閃光のように頼光の太刀が奔る。金太郎の振りぬく鉞の陰から、その小柄な身体を生かして時雨の胴体を斬割せんと抜け出る。それも防ぐ。しかし彼女の防戦の一方である。
 大地は鉞に削られ、空を割る太刀、打ち付ける手甲の音は高らかな魂の響きを生み出す。

 誤算。
 頼光の強み。それは四天王の攻撃を補佐した時、それは絶大な心理効果と同時に、彼らの体へと無意識に自らの魔力を送り、身体能力を強化させていたのだ。

 敗北。
 それをはっきりと意識した瞬間、時雨の中で何かが弾けた。
「ららららららららららららららららららららっ!」
 突如、時雨の身体が加速する。視界を埋める拳。金太郎は幅広い鉞の鎬で頼光と自らの身体を守り、二人は同時に跳び下がる。

「くぅ……、いいねぇ。俺様を、ここまでコケにしてくさったのは手前らが始めてだよ」
「何だ。貴様をコケに出来るほどの人外は居ないだけなのだな。私なら人で三、四人は知ってるぞ。まぁ、一人は現在進行形で死に掛け、もう一人はあの戦場、残るは私とその横に居る獣だがな」
 頼光の涼しい物言いに「違ぇねぇ」とくつくつと笑いながら答える。
「いいねぇ。あんたらが気に入り始めたから、俺様はあまり殺したくないのさ。でもねぇ――、身体が抑えが利かなくなってきているんだよ?」
 ぎしぎしと音を立てて、時雨の革鎧が、いや、彼女の身体が膨張を始めていた。



「微塵と弄り殺してやるさ! 人間ども!」
 彼女の身体が巨大化した。革鎧が爆ぜると瞬時に蒼く尖った鱗が浅黒かった全身を覆い、胴は長く太く変形し、こめかみからは角が生え、口元から長い二本の髭が伸びる。赤く艶かしかった唇からは太刀よりも鋭い牙が生まれ、瞳は白目と関係なく赤く染められていた。短いながらも鋭い爪の四肢。体長四百間(二千メートル)はあろうかと言う化け物。自然界の権限、雷雲の彼方の畏怖から生まれた龍族の王にして神、龍神としての姿が龍ノ目時雨の真の正体である。



「ごあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」


 大地が崩れて、空間が歪むような吼え声。聞くもの全ての闘争心を萎えさせる。
 勝てない。
 幾ら戦で勝とうと、あの人外には敵わない。空中でとぐろを巻いて空のほぼ全てを覆う姿に幾百の人外と戦った闇殺舎の古豪さえも絶望感を抱かせた。
 人では無い。人が、神に敵うはずがない。
 それは間近である頼光も同じ心境だった。
 疑う余地すらなければ敵うと思っていた。だが、あまりの巨大さ。あまりの力強さ。あまりの神々しさ。冒してはならない領域へと踏み込んだような心境。
 刀を向けるその精一杯の虚勢も今では脆く崩れそうである。



「なぁ、頼光」
 そんな中、場違いまでに平静な声が傍らから聞こえた。
「こいつを倒せば、楽園が出来るんだろ?」
 全てを平伏させる絶対者の前で、頭を上げ、聞く者に勇気を与える声。



「俺に全て任せろ」



 古代よりこう呼ばれるものがいる。英雄。人から生まれし、神に唯一対抗出来る者ども。
 確信したからには、人は英雄の行動を賞賛しなければならない。

「……命令だ。――――勝てっ!」

 その言葉と同時に金太郎は雷雲と豪風の渦巻く、彼女の中心へと駆ける。
 途中、岩肌に刺さった赤い、あの槍を抜いた。
 それが抜けると同時に走りながら、槍が時雨の喉下へと投げ付けられる。それだけではない、何と彼は更に疾走を加速させ、その槍に飛び乗った!
 彼女の顎が大きく開かれる。その中心には稲光が迸っている。槍に乗って一直線に向かう金太郎に、電離した、人が触れれば溶解するほどの超高温の稲光が放射される。
 それをあろうことかただの鉞が弾く。それは自らの身体を傷つけさせないと、強い意志がまとった心の壁、装甲結界、それが鉞に層を成していた。体内に混じった(あやかし)の血がこの場で覚醒したのだ。
 喉下、そこに振り被った鉞の一撃が加えられんとした。

 だが、時雨も甘くはない。彼女にとっては豆粒のような金太郎をその長い、天を覆うほど長い尾の一部で打ちのめした。
 上空から地へと高速で叩き付けられる金太郎。
 岩石、いや地盤が山の彼方まで砕ける。
 頼光の叫び声。
 その上に駄目押しとばかりに時雨の巨大が押し潰すように圧し掛かった。
 地震。あまりに強い時雨の追突に遥か遠方、大陸までその震動は伝わった。






 ……………………。






 誰もが金太郎は死んだ。そう思った。
 時雨は勝ち鬨の鈍い吼え声を轟かせ、生き残った一部の人外達は愉悦の笑みを浮かべた。





 そんな中、何処からか声が聞こえた。



   その声は確か「発気用意――」とそう言っていた。



 微かな震動を大地が上げ始める。何か巨大なものが彼女の体の下から湧き上がるようなそんな音。
 時雨もその異変に気付く。空を飛ぼうともしていないのに、彼女の身体が持ち上がっている!
 ついには彼女の体が真下から何かによってむりやり旋回をさせられ始める。彼女もそれに抗おうと大地に爪を立てる。だが、その力もむなしく、大地に痕を残しながら開墾するだけに終り、彼女の体が竜巻のように旋回させられていく。止まらない、留まらない。怪力を超えた怪力、剛力の中の剛力が真下で彼女を振り回している。
 紅龍の半魔の力、相撲の神の力が渾然一体となった結果、この場で最強の獣が覚醒する!



「――残ったぁっ!」



 虚空を(つんざ)く鋭い呼気と共に、彼女の体は空の果てへと有り得ない速度で『投げ飛ばされた』。一瞬にして、天空を覆っていたはずの彼女の体が点、光となる。生き残り、愉悦を浮かべていたはずの化け物も、自陣であるはずの闇殺舎達の眼も点となる。
 その彼女が足掻き、鋭い爪で掴み、それでも抵抗できずに描かれた円、いや、【土俵】の中心には大きく息を荒げ、それでも立ち尽くす金太郎が居た。

 圧倒的な力に彼は力で打ち勝った。

 土俵の中心で高く片足を上げて、打ち下ろす。

 四股。古来、大地に滞る邪気を祓う儀式であり、彼の気迫は地を伝って響きとして味方に心気を与え、敵を気迫で打ち払う。
 あまりに俄然とした英雄の力の発露に全ての化け物たちは頭を垂れ、敗北を認めた。

 戦闘の直後、倒れそうになる金太郎を小柄な頼光が支える。
「……やるじゃない、金太郎」
「ふんっ、頼光。お前の兵が負けるはずがないだろう?」



 西暦千年、近江の乱はここに終結した。


28 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/11/11(土) 16:53:25 ID:QmuDsJYm

遥か彼方の大地で――


 赤い、派手な外套を纏った男と白い狭衣の男が枯れた草原の中央に立っていた。
 その赤い男の名は『あるでひど』、異界の世界に住まう、次元と空間の壁を越えて現れる騎士の一人である。
 白い男は安倍晴明、陰陽寮の実力者である。
 漠然と立つ彼らの横を風が一陣駆け抜け、凪いだ後に枯れ草の上に皮の襤褸を纏った女が居た。
「龍ノ目時雨君で宜しいのかな?」
「そちらの条件を満たす約束は果たした。……返してもらおうか?」
 問い掛けに女は殺気付いた声で返すと、その返答に対する殺気を気にも留めずにこちらを見るあるでひどへ、晴明は朗らかな笑みを浮かべて頷いた。

 あるでひどの口が開く。

 びきびきと音を立てて、唇が有り得ない伸びを見せて、人では到底広がらないような口からにょきりと子供の足が生えてきた。そのままずるりと藍色の着物の裾が垣間見え、歯にも引っ掛からずにスルスルと出てくる。
 そのままずるずると小さな、十歳にも満たない子供が出てきた。

 草むらにペタンと置かれた子供はしばらく不思議そうに辺りを見回すと、時雨を見つけて叫んだ。

「かぁしゃん!」
「たろちゃん!」

 二人は草むらを駆け抜けてひしっと抱き締めあう。

「三十年ぶりの親子の再会ですか。ふふふ、龍族は一生涯に一人しか子を孕めませんからね。大切にしなくてはなりませんね」

 たろちゃんを抱きながら、草木も平伏すほどの殺気で晴明を睨みつける。あまりの怒りに大気が胎動し、周囲には放電現象が始まっていた。

「私のお役目は終わったからな。貴殿の身は守らんぞ。好きにしてくれ」
「ご苦労でした。王によろしく」
「貴殿には紹介出来る身分ではない。図に乗るな」

 あるでひどはそう言うと、赤い衣で円を描くとその場から消えた。食尽騎の持つ空間移動能力である。
 一人、草むらに残った白い衣の男は顔を歪めて哂った。

「くくっ、一人子を守るために一万を超える魔の大群を見捨てるのですか。親子とは実に興味深い。いえ、褒めているんですよ。人類との共通する感情に」
「てめぇのお喋りは終りだ。その賺した顔もそれまでにしな」

 たろちゃんを自らの後方に下ろし、その諸手に紫電が弾ける。無手だった時雨の両手に籠手が装着された。瞳は金色。
 金太郎と頼光との死闘時で四割も掛けていた限界を外す。手加減では無く(かせ)。子供を人質に捕られたが故に負ける事を宿命付けられ、それ故に無意識に掛けていた枷が外された。それでも、金太郎が龍神に六割の内でのギリギリの力を見せさせたのは完全な実力である。彼は人としての範疇、現世の(たが)から外れて、明らかに魔や神と言った人外への道を辿り始めていた。

「今回の戦で様々な記録が取れました。私の辿り着くべき道へと近付く素晴らしい結果です」

 両手を大きく広げての拍手。
 次の瞬間、人の皮を被った状態での限界で彼女の体が地を蹴った。音の壁を軽く越えて殺戮拳が晴明に揮われ、歪んだ笑顔のまま彼の体は顔から真っ二つに裂けた。
 途端、血も噴かない彼の体は不自然な蠕動をし、その彼の体だったものは何時の間にか収縮されて人の形に切られた紙に変わっていた。


「式神……? くそ、偽者か……」

 恐ろしい相手だった。相手も最も弱い部分を突き、それで相手を操る。もしかしたら、人の宮中も実は奴の手にあるのではないか、と考え、彼女は恐ろしく思った。
 怖い顔のままの彼女の襤褸の裾を小さな子供がぐいと引っ張った。

「かぁしゃん、オラははらがへったのでしゅ」
「そうかい、じゃあ、今日は帰って芋粥にでもしようかい」
「うにゅ。オラ、べこのちちでにてほしぃ」

 まぁ、どうでもいい。しばらく懲りたから、三百年は人とは付き合わないさ、と愛息子を抱えて、その場を彼女は去った。


29 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/11/21(火) 17:34:03 ID:QmuDsJYm


 死者二千四百八十三人、重負傷者四千三百五十七人、軽負傷者二千七十三人、まったくの無傷で帰路を辿るのは九十人にも満たない。馬も千頭連れた内の五十四頭しか残っていない。まさしく天地を揺るがす大激戦にも関わらず、人の身でここまで人外を圧倒したのは前大戦を上回る成果だった。生きているものは自分でも生きているのが不思議なくらいで、実は本当は死に掛けていて、ふと気付けば実は死の淵であえでいるのではないかと勘違いしてしまうほどだった。彼らの殆どは志願兵であり、妻子ある身はほぼ極秘扱いとなっての出陣だった。中には遠い蝦夷の国から志願しながら、戦場に骨を埋めてしまった者もいた。しかし死んだ者も、一生の不具者となった者にも、それは誇れる戦だった。人の身で人外の神を打倒したのだ。出陣前に記した彼らの名、死者は英霊として名を連ね、生者は豪傑として身を正した。
 兵どもが夢の跡。大将を倒したが故に、残った人外達はその指揮官の補佐に従い全面降伏を受け入れ、今後人外の一切が限られた境界を越えない事を誓い、またその神域を侵さない事も人間からも誓う証文を交わした。人外の生息域は大きく狭められたが、頼光は内緒で温情を見せて、『闇殺舎の管理する村落において、人の姿形をし、またそれを人に覚られずに生活するのであれば良しとする』と言う『政霊村管』などと言う約束までも勝手に証文の隅に載せてしまった。それを後から知って「頼光様はよくよく命知らずですね」と貞光は呆れながら皮肉を漏らしたとか。無論、人外に対して余計で不当な圧力を与えれば、後がどうなるか分かりませんぞ、と日頃から坂田が昇殿の際に公家を脅しておいたのでどうにかなるだろうと言う目論みと最高権力者の道長が気楽に「了承」と言ってくれそうな気配はあったのだが。

 勝利者達の静かな凱旋である。北大路側の街道からひっそりと、それでも負傷者を抱えての行軍である。国家機密の大戦争をしておきながら、それでも秘密と言うのも可笑しいが、極力下々の民を動揺させないと言う配慮だった。
 都の手前、途中に待機していた薬師や医師が総出となって負傷者を看た。彼らを一時その場に残すと、馬に乗って頼光と四天王は内裏を目指した。
 宿直のために、いつ侵攻するとも知れない人外に怯えながら起きていた近衛の見廻りが彼らに気付くと、喜び勇んで早馬で各公家と天皇陛下に戦勝を告げた。あまりの喜びに宿直が誰も居なくなったので、頼光と他の四人が宿直したと言う。

 翌朝、一番に彼らの前に立ったのは道長だった。

 彼らに会って一番、あろうことか、現政権でのほぼ最高権力者が頭を下げた。
「?! 道長大殿!」
「この礼は」
 道長の重々しい声が五人の動揺を鎮める。
「この礼は、そなた達の功績と今までの刻苦に捧げるもの。それは人の身で語るにはおこがましいほどの苦行を成し遂げた。それに対しての礼である。そして、それに従じた、そなた達への信頼の証である」
 すっと道長の背が伸びる。
「大儀であった。さぁ、我が君がお待ちしておられる。昇殿なされ」

 我が君、それは現人神(あらひとがみ)たる懐仁(かねひと)親王、俗に言う現政権の真の権力者、一条天皇の事である。実際の政治の運営を司ったのが藤原道長であるなら、一条天皇はその権力を与えた立場にあたる。実際、彼らは道長が叔父、一条天皇が甥に当たる関係である。

 いや、それでも彼らの立場は対等ではなく、それ以前に彼と道長には絶対的境界がある。現人神とは読んで字の如く人の姿をした神である。例えその身に力は無くとも、神足る神性の発露は悉く人を凌駕せしめる。
 それだけに及ばず、一条天皇は英明の人と伝え聞く。先代、先々代と続いた二人は物狂いの節があり、それを度々摂政関白を付け狙うものにつけ込まれたが、一条天皇はそう言った点では逆であり、むしろ心情優雅で思いやり深く、かと言って情に流されすぎる事もなく、節度を備えていた。詩歌管弦の道にも通じ、学問にも草子が深い。また政治的な駆け引きも上手く、有能な道長を関白でなく左大臣に止めているのは権力の均衡化などの目論見があったのだろう。云わば、一条天皇は完璧超人である。

 御簾越しに分かる輪郭。その影に向かって四人は拝礼する。

「諸君、面を上げ給え。諾子女房、御簾を挙げよ。本朝を救いし、英雄の面を拝謁したい」

 厳かな声と共に御簾が掲げられる。
 眉目秀麗。当時の、まるで運動をしていない貴族にしてはすっきりとした面構えが現された。流石竜顔と称されるだけの美男である。

「この度の戦功、本朝八百万の神々の子孫、懐仁の名を持って礼を申す」
 再び、畳に五人は擦り付けるように頭を下げた。
「諾子女房、私の笛を」
「ならば、私は鼓を打ちましょう」

 その言葉に厳かな雰囲気と共に清少納言の手で小さな笛、宮中に伝わる名笛、大水竜(おおずいりょう)が一条天皇に、鼓が道長に掲げられた。
 静々とそれを受け取ると、その小さな笛に相応しい、緩やかで澄み渡る音が流れた。
 それに乗せるかように鼓が一つの音を拍子として、笛との合奏を見せる。
 どちらも宮中で美に拘る人の出す音色である。笛の途切れる事のない音と、鼓を打った直後の僅かな無音が雅な音を作り出していた。

 聞き惚れていた面々の間から、静かに金太郎が立ち上がった。
 獣が狂いだしたのか? 残る四人は驚愕した直後に、金太郎は腰元に差していた扇を開き、舞を見せた。

席田(むしろだ)の 席田の 伊津貫(いつぬき)川に や
 住む鶴の 住む鶴の
 千歳(ちとせ)()ねてぞ 遊びあへる
 千歳を予ねてぞ 遊びあへる」

 祝宴の席でよくよく歌われる席田と言う民謡を雅楽用に編曲した催馬楽(さいばら)と言うものである。美濃国席田郡の伊津貫川で鶴が千年の栄華を謳うと言う歌である。

 それは以前、近衛として公時が歌と共によくよく舞っていた音曲だった。

 音に合わせ、武の達人が見せる舞。獣にして人、人にして英雄が見せる仔細で優美な舞は神々しく、美しい。
 獣が翼を羽ばたかすかのように無拍子で諸手を広げて跳び、驚異的な、天に浮くように静止。再び歌にある千年の幸福を囀る、晴天を浮かぶ鶴のように舞う。日々の激烈な訓練によって鍛えられた呼吸で、大地に音を下ろすような深い声が宮中に響く。
 いつしか、綱も自らの竜笛を取り出して吹き出す。緩く高い音が天上へと端掛かる。
 四重奏となってその美を四人が表現する。

 遠い別の宮の蔵人達も、公務に疲れていた筆を止め、その音に聞き惚れていた。それは瞳を閉じれば、美濃の鶴が舞う風光明媚な景色を想像させる事は容易いものだった。

 残る秀武と貞光の二人は血迷って謡い出そうとする頼光を必死に止めていた。



 金太郎が翼を、扇を閉じると同時に、幻想的な空間が内裏の清涼殿へと戻る。

 笛の音には暗示を引き起こす波長があると言うが、それを差し引いても見る者、聞く者の心を振るわせる音曲だった。



「その者、名は?」
 金太郎は先ほど立ち上がった時と同じように、雅に音も立てずにふわり坐す。
 公時の教えた完璧な礼を調教された獣ように淡々とこなす。
「源頼光の朝臣の郎等、相模国足柄山の生まれ、四天王の南が増長天、坂田 金太郎にあります」
「おぉ、坂田公時の子か! そちの父は腕利きにして、魂太く、器量ある臣下であった。もう老い、あのような傑物は出ぬかと(ちん)は憂いていたが、そなたのような若人が本朝に居るならば国家は安泰であろう」
 喜色円満の笑みを浮かべて、転じてそこから一条天皇は思案顔となった。
「そういえば、お主。金太郎と言う事はまだ幼名であろう?」
「は、恥ずかしながら」
 本来、元服したと同時に新たに付ける名があるのだが、公時が「未熟者にはまだ早い」と付けるのを中々に渋ったのである。今更ながら、あの爺、と金太郎は胸の内で毒づく。
「ふむ、では……。護国の士足る者に、こう言っては何だが『坂田』では名の力が足りん。そうだな……、妖の国と人の国の境を定めし国士無双、坂田に代わり『国定』の氏を授けよう」
「はっ」
「さて、名だが……。国定、御主の父はまた別と坂田公時より聞いた。して(まこと)の父殿の名は?」
 一瞬、自分の名が現時点で変わったのだと気付かずに流しかけるが、頼光に促されて、再び金太郎は堂々と答えた。
「亡き父の名、同じく亡き母によれば、時仁(ときひと)と伝え聞きます」
「時仁! 奇しくも我が名と一字違いか」
「ははっ、ご縁がおありかと存じます」
「そして、やはり、金の字は名に遺したいだろうか? 戦場へと赴き、帰ってきた名であるからな。成る程縁起も良い」
「はっ、出来るのであれば」
「ふむ……」
 長考。
 英明の権力者が与えた文字は、
「よし、【金】の字、【東】に赴き、【錬磨】した技を揮う。その忠孝、【仁】を持って(さぶろ)うて表す『錬仁』と名乗るが良い。今日より、お主は護国の雄、四天王の増長天【国定 錬仁】である」
 彼のこれからの千年を共にする名だった。



「納得出来ん!」
 物凄い音を立てて、肘立てに拳を下ろされ、砕かれる。
 名づけからしばらくして、辞令を受けてから頼光の家へ帰り、自分の部屋で金太郎、もとい錬仁は怒っていた。
 突然、呑むぞ! と首根っこを捕まれて付き合わされた秀武は、綱に「こう言う怒りを静めるのはお前が適任だ、それじゃ」と勝手に一人で押し付けられ、「な、何が起こったのですか?」とうろたえる貞光に押し付けると、今度は流されて一緒に怒り出してとんでもない方向に行きそうなので、「やっぱりこう言う役は俺かよ!」と仕方なく貧乏くじを引いていた。
「ったく、金太郎、まだ怒っていたのかよ?」
 先ほどから秀武は酒樽から(あぶら)と呼ばれるやたら濃い酒を注いでぐびぐびと呑んでいた。
「金太郎ではない! 錬仁だ! まったく! 秀武は悔しくないのか? あれほど戦功を立てた云うのに即日、闇殺舎の縮小を命じられたのだぞ! 憤る事を通り越して呆れて、また怒りが溜まってきた!」
「しょうがねーだろーが、戦もねーのに大規模な軍備を無理に維持して意味ねーだろ? 代わりに闇殺舎の所属者には位田二町に、戦没者の家族には位封二戸分を国司から五年間も配当されるんだぞ? 参議のぐーたら親父達も貰えないような高給なんだぞ?」

 位田とは全収穫の五分の一が自らのものになる田であり、位封は位田などから徴収した玄米を配給される、云わば貴族の給料にあたるものである。
 秀武の言った通り、通常は国家の上級権力者でしか持ち得ない高給中の高給である。むろん、普通は五十町や百戸と言った大きな形で配給されるのだが、それでも何の位の無い者達が持つにしては破格である。簡単に言えば、住所不定無職の暴力団達に五年間国がただ飯を食わせるようなものである。

「しかし、それにしても突然過ぎる!」
 取り留めのない怒り方に秀武は舌打ちをしたが、嘴が黄色い錬仁に権力者の目の上のたんこぶになる可能性があろう、闇殺舎の政治的意義などを説明しても分からなそうなので止めた。
 代わりに溜息を吐いて、錬仁を諭す。
「とにかく決まった事で頼光ちゃんも了承してんだろ? お前、頼光ちゃんが考えも無しにそれを承諾すると思っていんのか? え?」
 光の名を出すと流石に錬仁もむっとした顔をしつつも、「それは……」とそれっきり押し黙ってしまった。
「お前、さっきからぐちぐち五月蝿ぇけど、本当は頼光ちゃんから離れるのが嫌なだけだろ?」
「んな! そ、そ、そんな事無いぞ!」
 しかし秀武は、錬仁が闇殺舎を縮小される事よりも憂いている事があるのを余裕のよっちゃんで知っていた。それは『四天王制度の解体』、つまり、光から四天王は離れろと言う命令だった。
 それは、五年後、禄、給料を失った後に山賊化する可能性がある闇殺舎の所属者を監督するためであり、同時に地方での未だ反発のある人外の小競り合いに対抗するために東西南北にそれぞれ派遣されると言う意味合いもある。それよりも、只でさえ恐ろしい牙を持つであろう光の手足を、部下の力をもぎ取る作戦でもあった。道長としては有能な随身(護衛)として彼らを光の下にいる者として更に召抱えたかった。だが、流石にそれをすると道長と一条天皇を含めて宮中全体から個人として持つには強過ぎる軍隊を備える事となり、逆に非難、そして彼の政権を揺らがせる原因へと成りかねないので、彼らを京内に留めるのを良しとしなかったのだ。
 それ以外にも色々と小難しい政治事情はあるのだが、錬仁の頭では理解させようとすれば混乱するだろうと思い、秀武は留めた。
「とにかく頼光ちゃんを信じろよ。それにずっと離れ離れって事もないだろ? 会いたきゃ何時だって馬飛ばして行きゃいいだろうよ。それに道長の旦那が執り成してくれりゃあ、まぁ、五年くらいすれば京に戻れっだろうよ。それにどうしても頼光ちゃんと一緒に居たいんなら手はあるぞ?」
「あるのか?!」
「あぁ、孕ませて、自分の嫁にしちまらびゃはっ!」
 錬仁の拳が顔面に直撃して部屋の外へと飛び出させられる。
 秀武は鼻血を出しながら部屋の中に足音を立てて戻る。
「殺す気か!」
「そのつもりだった! 何だその脈絡の無い考えは!」
「馬鹿か貴様は? 俺が何の考えも無しに言う訳無いだろう?」
 垂れる鼻血を胸元から取り出した自らのしくじった歌を書いた紙で鼻をかみ、丸めて捨てる。
「良いか? 頼光ちゃん、もとい光ちゃんは知っての通り、まぁ、年齢的にも適齢期ギリギリの女の子だ。加えて風の噂に寄れば、兄貴の『本物』の頼光殿の病状はこの場に及んで回復しているとの事だ。いずれ、二人は『入れ替わる』事は想像が付く。頼光として活躍していた光ちゃんはただの女房に戻る事になる。そうすれば、地位も何もかも剥奪される事は目に見えている。例え腕っ節は強くても、冠も何もかも剥ぎ取っちまえば、光ちゃんだって女の子だ。たぶん、今の状況から考えれば、『女が闇殺舎、戦の大将だった事を隠す』ために寺に閉じ込めておく出家か地方に流す都落ちの二つに一つにされるはずだ。でもな、お前は違う。『源頼光に仕えた四天王の一人』である事は変わらない。だから、都落ちするかもしれない彼女を守る事が出来るはずじゃねーか、と言うことだ。それを要約すると既成事実作って孕ませて誰も知らない田舎で暮らせばいいだろって話だ」
「いや、要約し過ぎてそこまで考えが回らないだろ普通」
 呆れる金太郎に、はんと反対側からまだ垂れる鼻血を手の甲で拭い、啜りながら、酒を口に含む。
「それは手前が子供なだけだ。石頭の貞光はともかく綱あたりだったらさらりと優雅にやっちまうだろうよ」
「止めろ、お前が『やっちまう』とか言うと下品に聞こえるから止めてくれ」
「この……、俺様がガラにもなく真面目に話しているっつーのに茶化すなよ」
「で、……その、何だ。いつ、その……、け、けけけけ結婚の事を言えばよいのだ?」
「ん? 何、錬仁、いや金太郎ちゃまは女の子に今すぐに告白出来ない程、玉が縮んで怖気づいちゃったんですかー?」
 弾と言う音と共に立ち上がる錬仁。
「お前、俺がその程度の事が出来ない男だと申すのか?」
「なんだよ、出来るのか子供んちょ」
「言ってくる。吼え面かくなよ、山賊もどき」
「だからもどきじゃなくて元だっつーの、早く行け」
 廊下をのし歩く獣に向かって嘆息し、まったく、お膳立ても大変だぜ、と策士は人心地と同時に酒を煽った。



「だめだ。緊張する……」
 有ろう事か、光の私室の前で躊躇して頭を抱えていた。
 胸の鼓動は錬磨をしている時よりも高まり、酒を呑んでいる時よりも紅潮している。
 意を決して入ろう、そうした時。
「金ちゃん」
 聞き慣れた柔らかい声を聞いた。
「……相模、どうしたんだ?」
「はい、公時様が話があるそうです」
 何故か心持緊張した顔のまま、相模はそう言った。
「爺が?」
「はい、死期が近いそうなので、今の内に話がしたいと」
「俺だけにか?」



 床に伏せているのは、過去、鬼を倒した豪傑でも、四天王を導く指導者でもなく、ただの枯れた老人だった。痩せ細った身体に、唯一覇気のある独眼が錬仁を射抜いていた。
「国定 錬仁か。陛下から良い名を貰ったな」
「あぁ、悪いけど、坂田の名は継げない」
「どうって事はない。この坂田公時、後にも先にも儂一人で十分だ」
 身体を走る痛みと喉を鳴らす浅い呼吸、それでも剛毅な笑みを老人は浮かべた。
「綱は息災か?」
「相変わらず、飄々としてやがる。ありゃ柳か暖簾だ」
「ふん、そうか。あやつの武才は古今東西においても肩を並べぬものだ。何か武で行き詰れがあれば、あやつに訊け。そして貞光は糞真面目か?」
「あの性格は直りそうにない。だが最近、何故か妙にぼぅとしているが、秀武曰く『こいの病』らしい。何だそれは、何処の風土病だ?」
「自分で調べい。そうか、あやつも岩にも色がつくようにようやくなったか。で、秀武の怠け者はどうした?」
「俺の部屋で今酒を呑んでる」
「真面目にしろと言っておけ。あの馬鹿がその気になれば、大陸の先まで物に出来る将の器だ。その内に儂ら武が政権を握る世代が来るはずだ。その礎を作れ、と言っておけ」
「指揮能力が無いが?」
「それを補うのも策士の才だ。怠けずに考えて、最良の一手を打つように言え。そうそう、最後の囲碁は儂は負けたとは思っておらんぞ」
「秀武よろしく碁盤をどさくまに紛れてひっくり返しておいて良く言うぜ」
「相手の勝ちがなければ負けもないわい。さて、貴様の事だが、『相模』をよろしく頼む」
「……はっ?」
 何故、そこで相模の名が出るのか? 彼には皆目検討がつかなかった。
「今更の話だが、彼女は……、源高明の娘と為平親王との娘だ」
「げ、それは……」

 源高明は安和の変以前の左大臣だった人物である。一条天皇に負けず劣らず、村上天皇と言う平安時代を象徴する帝から厚い信頼を受けていた有力者の一人だった。しかし、その事件当時、村上天皇は崩御され、関白太政大臣に藤原実頼、左大臣に源高明、右大臣には藤原師尹が就任した。また皇后安子の父で右大臣だった藤原師輔の娘を妻として親交があったが、既に亡くなり、宮中で孤立しつつあった頃合だった。そして天皇の地位には憲平親王(冷泉天皇)が即位した。しかし、冷泉天皇にはまだ子がなく、その天皇はかなり精神状態を患う事が多かった。そのため、遠からず世代交代がある事が見越された。次の世代の候補は村上天皇と皇后安子の間の皇子である冷泉天皇の同母弟の為平親王と守平親王であった。そして、為平親王の義父が源高明に当たる。細かい事を挙げれば錐が無いが、とにかく冷泉天皇が退いた後、どの天皇が就き、誰がその外戚、つまり操り糸の主になるか、と言う政治合戦が裏で色々と行われていたのだ。年長の為平親王が東宮となることが当然視されていたが、実際に東宮になったのは守平親王であった。
 むろん、順当に考えれば面白くないのは右大臣の藤原師尹である。あの手この手を回し、人と人外の境界にあった大戦の代理脚本として利用する名目を持って、藤原氏に対抗する源氏の政治勢力を潰したのである。
 為平天皇を擁立し、東宮となった守平親王に対抗するために東方で謀反を起こすと言う脚本が師尹の間で組まれ、源高明は嵌められた。
 左馬助源満仲と前武蔵介藤原善時が中務少輔橘繁延と左兵衛大尉源連の謀反を密告した。源満仲、頼光の実の父親である。武だけでなく政治力に優れていた彼は、貴族に対する自らの武士の地位を確立するため、京で源満仲と武士の勢力を競っていた藤原千晴を陥れる策もあったのだ。
 つまり政治家である源高明は地位を失って、藤原師尹が左大臣の地位を受け、武士の源満仲が京の荒事の専門家として地位を築き、藤原千晴が失脚すると言う、源藤の文武交代みたいな話なのだ、と錬仁は当時の一部だった頼光からその話を説明を受けていた。
 本当は関白の同じ筋の藤原実頼を内部抗争で蹴落とす予定だったのが、とばっちりを受けて、蹴落とされたのは源高明だけになったのが真相のようだ。
 源高明の館は、彼と彼の息子の流刑後に何者かに放火され、彼らの一族は何もかも失ったわけである。
 ちなみに藤原師尹は左大臣の地位を得た後、半年も経たずに病気で死んだらしい。源高明の生霊が祟ったのだと言われたとか。

「つまり、源 相模がここに居るのは?」
「頼光様の罪滅ぼしのつもりなのだろう。父親がめちゃくちゃにした人生を償ってやるつもりなのだろうよ。だがな、源満仲様がお亡くなりになり、頼光様の地位が危うくなる今、何も後ろ盾の無い相模は行く宛ても無くなるのだ」
「…………」
「頼光様、もとい光様なら道長様の愛護も受けている上に大丈夫であろう。四天王も帝より直々に信頼を得ている。だが、この家で何も後ろ盾が無いのは相模だけだ」
「何故、俺に……」
「仲自体が良いからな。貴様も相模が嫌いではないだろう?」
「あぁ、そうだが……」
「それに相模も好まざれば、貴様の事をいつまでも世話をする必要もないだろうさ。現に気立ても家柄も良いからな。道長様のみならず、後朱雀天皇の皇女祐子内親王に出仕しないかと言う話もあったが悉く断ったそうだ。その理由が分かるか?」
「いや」
 錬仁の中では言い知れようの無い気持ちが鬩ぎ合っていた。自らの心に強く残る光と自らを影から支えた相模。
「相模は『金太郎の傍に居たい』と言ったのだぞ。儂の心残りは彼女だけだ。貴様が誰に対してどう考えているかは分からん。だが、残される者がいると言う事を貴様に伝えたかった……」
「…………爺、いや、坂田公時。俺は、何がどう出来るかは分からない。ただ、俺は、女性を泣かしたくはない」
 昔の母のように、居ない父を人知れず嘆く姿。
「難しい顔をするな。貴様に話したのは間違いだったかもしれないな」
「いや、むしろ光栄だ。きっと、言われなければ、俺は気付かないままだった。あんたは、良い教師だよ」
「……そうか」
「うまく、俺に何か出来るかわからないけど、精一杯やってみるよ」

 公時は動かない。
「爺、後は任せろ……」
 布団に横たわっていた男の身体が少し軽くなったような気がした。



 心には二つの錘。
 光の象徴たる彼女に、影から支えた彼女。
 天秤はゆらゆらと傾き続ける。


30 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/12/01(金) 15:08:51 ID:QmuDsJYm


 黄昏の紅。黒よりも蒼い空が侵食する。
 天上よりやや西に望月。
 全ての望みは果たされた。
 少女は一人、白絹の薄い格好で光はぼんやりと空を眺めていた。
 若葉の匂いが庭に漂う。初夏の目前の夜。
 源 頼光だった猛者は、既にその身は光と言う少女に変じていた。

 闇殺舎の殆どは古参も新参も含めてそれぞれの帰路を辿り、彼女の許に残るのは四天王と相模、そして彪凪と羅王号のみである。
 無茶な闘いは何度もした。それもこれも民のためだった。妖魔の脅威が薄れた今、政治機構は安定し、貴族との隔たりのない(まつりごと)が行われるだろうと彼女は思っていた。
 全てが終わってしまえば、祭りの後の寂しさように感じられた。
 逆にその知らせを聞いて、安心した彼女の近所の貴族は宴会を始め、静かなのは彼女と向かいの安陪晴明の邸宅くらいである。
 囃子の音頭が遠く聞こえる。
 澄んだ空に僅かに掛かる絹のような雲。



 砂利を踏む足音。
「隣、座っていいか?」
 頷く光を見て、錬仁が縁側に腰を下ろした。
 巨体を縁側が重みを受けて、ぎしりと鳴る。
「……爺の埋葬が終わったぜ。懐仁親王もお越しになられてな。それは爺の人徳を垣間見る盛大で、それでもしめやかな葬式だった」
「そうですか」
 上流から引いた水が、庭園の一角である池へと注がれる音が静かにさざめく。
 池には錬仁が度々釣った魚が放され、水面に映る月を中心に回っている。
「頼光」
「私は光と申します。彼方様のようなご身分とはお話する事は、もう無いはずです」
 若葉を震わす風。
 それは通り過ぎる過去の音か――

「俺は、頼光を慕っていた」
「存じております。『兄上』とは、ほんに仲が良かったのですね」
「一緒に風呂にも入ったぞ」
「『兄上』の身長にも満たない頃でしたね。可愛いものだったそうですね」
「この家で食った飯は、やたらと美味かったな」
「相模様が作る膳はどれも一品だったようですね。彼方様の御作りになり始めた膳も大変美味しかったとお聞きします」
「……初めて、馬に乗った時は気持ち良かったな」
「彼方様がお乗りになろうとした羅王号は、非常に気性が荒かったらしいですね」
「でもあいつ凄ぇんだぜ。乗りこなして本気で駆ければ、牛車や土塀をぽんぽん飛び越すんだぜ」
「ふふっ、彪凪とは最初は仲が悪くてつんけんしていたのに、今では五匹も子を産んでますからね」
「初めて乗れた後後、調子に乗って酒を始めて呑んだ時は大変だったなぁ」
「あら? 呑み過ぎたのは『兄上』のせいではございませんでしょう?」
「さぁな、頼光が最初に一気呑みを煽った気がするぞ」
「気のせいでございましょう」
「さぁな」

 互いに笑う。本来ならば、源 頼光の妹とその臣下の国定錬仁は邂逅する事は無い。共有する記憶も、その身にそれぞれ残る傷跡も、同じ戦場に立った証で合ってはならない。


 様々な過去が巡る。
 弓を教えて貰った時の感触。味噌煮を美味いと言いながら綻ぶ笑顔。汗を隠す僅かな香の薫り。その汗の味。綺麗で澄んだ、雅な声。艶やかで黒い髪。
 光――


「なぁ、光」
「はい」
「俺の……」

 途中まで言いかけて、何故か、影から自分をいつまでも支え、叶わぬ思いを溜めていた、もう一人の少女を思い出した。


 初めて屋敷で柔らかく包んだ布と彼女の手の感触。疲れた錬仁を見て明け透けなく笑う顔。家事で少し荒れた掌。寝床で嗅いだ彼女の匂い。少し甲高く静かで透き通る声。同じく艶やかで黒い髪。
 相模――


 錬仁を信じた瞳が光なら、それを案じていたのは相模だった。



「彼方様には相模様がおわしますでしょう。互いに愛し合う身であれば、それはようございます」

 つと、光は自分の横に畳んでいた着物を羽織る。
 その場から離れる身体を錬仁の腕が抱き締めた。
 あの時、崖から落ちていく時と同じ力強く、熱く迸る感情。

「光、俺の傍に……」
「彼方様とは今晩初めてお会いしたばかりにございます。荒武者と呼ばれる方は、秀武殿を含めて、乱暴なのでしょうか? それとも、」



  あの日、あの晩、頼光を目標と仰ったのは嘘でございましょうか?



 つぅ、と錬仁の頬から月明かりを反射する一滴。
「『兄上』は常に彼方様の憧れで在って下さい。……『兄上』を宜しくお願いします。相模様とお幸せに……」
 彼の、この地に比類なき怪力の縛めをあっさりと外すと、しずしずと礼をして縁側を去った。

 その錬仁と同じく、頬を流れる雫を隠して……



「あぁぁ」
 分からない。憧れだったのか? 恋心だったのか?
 彼の頭は混乱の一途を辿り、涙が止まらない。
 錬仁は思う。俺が光に抱いていた思いは何だったのだろう、と。



「金ちゃん」

 流れる涙を掬ったのは、彼が案じていた瞳の女だった。
 あの、まだ彼女よりも小さく、ただの獣だった頃に、その身体を拭った布のように柔らかく、彼を正面から抱き締める。

「俺は、爺からお前を頼まれたのに、それを無視しようとした」
「はい」
「そんな俺に、お前に対して何が出来るか分からない」
「構いません」
 涙で霞む彼の瞳に、微笑を帯びた少女の顔が映る。
「私は金ちゃんの傍に居られさえすれば、それ以上望む事はございません」
「俺は頭は悪いぞ。きっと位田を与えられても上手くはいかん。畑なんか耕した事がない。お前を養っていけるかどうかも。それにお前を愛せるかどうか――」
 そこから先の言葉を彼は紡ぐ事は出来なかった。
 相模は彼の言葉を押し止めた唇を拭う。
「金ちゃんが……、錬仁様が私を愛せるように努力してはいけませんか? 錬仁様が光様を忘れるまで。私には、」



  それだけで十分です。



 その彼女の強い感情に答えるように、錬仁はしかと、彼女を強く、離さないように抱いた。



 光を京の外へと連れ出す牛車。
 その前に、月影に縁取られた一人の男が居た。
「あら、綱お兄様、久方ぶりですね」
「光、良いのか?」
 そう言う独眼の男に少女は涼やかに笑う。
「公時様の遺言ですので。彼方様もご存知でしょう。元は公時様は為平親王の隋人。名も無き、内裏に侵入した賊が、地位を認められ出世したのですから、その恩を親族に返したいのは道義でしょう」
 眼を伏せて思い返す。

 床に伏せた老人がよろよろと起き上がり、頼光の前に頭を擦りつける姿。
 その昔、京を荒らした名も無き賊がいた。身の程を超えた思いあがりに遂には内裏に侵入して手傷を受け、思いがけぬ事に、侵入した殿の皇子に助けられた。そして氏を与えられ、それに報いるために鬼を討伐し、内裏に名を掲げる兵となった。しかし、その思いは届く事無く政敵により恩人は散らされ、彼の手には恩人の娘だけが残った。
 恩人の娘であれば、その娘は我が娘も同然。
 その心を奥に秘め、死に際で、目の前に相対する彼女の思いも知りながらも懇願したのだ。
 その覚悟を受け取らずして、武士としての頼光の最後はどう飾るべきか。
 彼女は老人の想いに応えたのだ。

「頼光は四天王の心の中に、それぞれ生き続けるでしょう。私、光は今日(こんにち)(みやこ)を去ります」
 牛車に、昔培った、娘らしからぬ身のこなしで乗り上げる。

「錬仁様には居場所を告げずにいてください」
「本当にいいのか? それで? お前は金太郎の事を……」
 彼の、先を見通す独眼にも彼女の未来は見えない。
 それでも、その先の見通す事も出来ない霧も晴れるような笑みを彼女は見せた。
「もう決めました。来世で見まう縁があれば、それが救いとなるでしょう」
 単と袷の音も立てずに頭を下げ、牛車を何処知れずに走らせた。



「来世か……、本当にそんなものはあるのか?」
 もし、綱の刀が月まで届いたならば、きっと真っ二つに割っていたであろう、そんな夜だった。


31 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/12/30(土) 13:17:19 ID:P3x7mDnJ

十年後――


 男五人が転がるように逃げていた。
 ほっかむりにくすんだ色合いの袷。どう見ても盗賊である。
 その諸手に担ぐのは米俵やら瓜やら魚、食べ物ばかりである。
 男達が平生のように生きるものでは無いにしろ、その逃げ方は異常だった。
 命懸け、表情と行動でその刹那の魂を映すかのような必死さだった。

 男達は東国を荒らし回るならず者である。そこそこ腕は立つが武士の集団に溶け込めるかと言えば、そうとも言えず、かと言って強盗まで出来るほどの手練れかと言えばそれほどでもなく。どちらとも言い難い境界をちゅうぶらりんとしているのがこの男達だった。
 孤児だった男達が寄り集まって出来るのがかっぱらいや強奪で、今まで何度か検非違使に追われても、持ち前の機転と土地勘で逃げ切っていた。
 しかし、近年の、仏教的に言えば末法、この世の終りとでも言った様相か? 不作のために彼らの縄張りでも食い扶持を稼ぐ程の盗みが出来なかった。かと言って調子に乗ってやり尽くせば、国司に眼を付けられて山狩りの上、斬首曝し首くらいはさせられるだろう。そこまでやるほどの度胸の無かった五人は自分達の縄張りを鎌倉の辺りから足柄山の方面へと向けたのだ。
 その山付近は、肥沃だが入り組んでいた土地を京から派遣された監督者の指示によって綺麗に整えられ、ここ数年の干ばつなどの災害を無視する豊作続きだとの事だ。
 それでも盗賊が寄り付かないのは、数少ない盗賊仲間から聞くに、曰く、麓には足柄山の鬼が住む、とか。

 何でも、その監督者は鬼とも呼ばれるほどの剛の者らしく、干ばつの時には地下水を止めていた岩盤を打ち砕き、洪水の時には荒れ狂う大水を大岩で堰き止め、盗賊が出た時にはそれを悉く一人で駆逐する、と言う噂だった。

 しかし、何を思ったのか。むしろ、何も考えていないのか? 男達はただの噂が噂を呼んだものだろうよ、と鼻で笑い、鬼の棲む山へと足を運んだのである。
 確かに、噂どおり、ここ数年の不作とは思えない程の恵みに満ち溢れていた。地方では自粛していた祭りを民は気にせずにその自らの豊作を喜び、感謝するかのように、山から見下ろす男達の眼下でちょうど行っていた。
 祭りで浮かれている間ならしめたものと、男達はさっそく、手近なデカイ邸宅へと手っ取り早く忍び込んだ。
 んでもって、調子に乗って、その邸宅で大口を開けて寝ていた巨乳の美女を押し倒そうとした時、



















                 鬼 を 見 た 。








 殺される。間違いなく殺される。弁解も謝罪も土下座の余地も無く、踏み砕き、千切り殺されると確信した。
 押し倒した女に「こんな事して、亭主に八つ裂きにされても知らないわよー」と、寝惚け眼でまるで何も危害が加えられないと確信したような言い方をしている時点で気付くべきだった。



 神様、仏様、道祖神様、御神木とか地蔵に立ちションとかしてごめんなさい。

 だから、

「こ の ど ち く し ょ う ど も が ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ! !」
「だ れ か た す け て ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ! !」

 後ろから迫る鬼をどうにかしてください。

 無論、その願いを叶えてくれるほど、神様や仏様や道祖神様は暇でも寛容でも手ぶらでもなかった。



 書に曰く、国定錬仁、その妻、相模を襲いし盗賊を捕縛す、と記されている。

 その後、男達は錬仁の大地を砕く拳で三途の川に四度、五度沈められ、その後彼の領地で馬車馬の如く働かされてから、聖人君子もかく言う真人間になったのは言うまでも無い事である。



「はい、あなた。お仕事お疲れ様」
 玄関で返り血(男五人分)の掛かった錬仁を迎えたのは押し倒されたのにも関わらず、のんびりのほほんとしている相模だった。
 濡れ絞りを彼女は錬仁に差し出し、うむ、と彼は一言返すと、顔にまで飛び散った血をゴシゴシと拭った。

「さぁ、もうお仕事も終りでしょ? 湯浴みにする? 夕餉にする? それとも、あ た し?」
「じゃあ、相模で」
 そう平静を装って(特に今にも綻びそうな口を我慢しながら)金太郎は言うと、音を立てて相模の顔は紅く染まり、「れ、れ、錬ちゃんは激しいから明日足腰立たなくなちゃうよぉぉ〜」と顔を錬仁に埋めるように隠しながらポカポカと腕を叩き、見ているこっちが恥ずかしいくらいの、新婚気分の抜けない十年目の妻の顔を見せた。本当に十年目かコノヤロウ。
 ちなみに妙に肌の艶が良いのは錯覚ではない。盗賊達が思わず本能にずきゅーんと滾るほどの艶かしさなのだ。
 ほぼ毎晩、錬仁と元服前のお子様にはうふーんであはーんな筆舌しがたいあれこれをしているおかげで、素肌の手入れなんて言葉の無い時代でお肌の曲がり角はずの二十ン歳にも関わらず、十代前半と言っても差し支えはない張りを保っている。ちなみにそのあれこれについてどれほどの効能があるのか分からないが、お父さんお母さんにバレずに『房中術』と言う言葉で書物などを紐解いてみたりしてみていただこう。ちなみにそれによる様々な被害などに関しては己が身の内に止めておく事を願う。
 さて、今日はどんな行為をどれくらいしようかと巡らせている、発禁寸前にえろえろで性欲を持て余している相模に軽く咳払いをする。
「ごほん、……期待するのはいいが、でもたぶん今日も無理だ」
 そう言う錬仁に、咳払いでようやく桃色で排他的な妄想世界から戻った相模は「んー、確かにそうよねー」と口元に指を立てながら、不満そうに、でもしょうがないのねーと言うように嘆息する。
 二人で玄関から庭先を見ると、巨馬、羅王号によく似た黒馬に乗る、いや乗せられて、むしろ遊ばされているおちびちゃんが居た。
 巨体の馬にまったく似合わない小さな男の子は、必死に手綱を握りながら叫んでいた。
「こら。覇王丸、おいらの言う事を、聞け! 真っ直ぐ、行って、あの盗賊、どもを、うわ、と。おわわわ!」

 そのまま、錬仁の邸宅前を流れる川へと音を立てて振り落とされ、馬、羅王号の息子である覇王丸に舌を出して馬鹿にされる。
「……うわぁぁぁぁん、おとぉちゃーん、おかぁちゃーん」

 その甘えん坊で、泣き虫の我が息子、金平(かねひら)の情けない姿に、髷を結った頭を錬仁は掻き乱しながら溜息をついた。
 盗賊を追おうとして馬に乗る事だけに梃子摺り、先ほどから本末転倒になって落馬を繰り返す我が子に、相模は苦笑しながらも渇いた布を持って川岸まで迎えに行った。

 負けん気だけは誰に似たのか? 金太郎譲りの怪力も武の才能もあったが、錬仁や相模の子供時代のために些か両親と共にする時間が長かったためか? 心の何処か部分で誰かに頼る気性が抜けなくなり、直ぐに錬仁や相模を頼る様で『泣き虫金平(きんぴら)』などと言う不名誉な仇名を着せられていた。

「金ちゃん、いつまでも私達に頼っていてはだめでしょ。覇王丸ちゃんに馬鹿にされるのはそんな風に気弱なところを見せるからですよ。堂々と乗りなさい」
 濡れた頭をゴシゴシと擦り、顔を挙げてさせてから指先でめっ、あまり怖くなく叱る相模に錬仁は更に嘆息を重ねる。
「だって、お父ちゃんに追いつこうと思って焦って」
「だっても糞もないだろ? 戦場で馬に乗り遅れたから戦に間に合いませんでしたじゃ済まないだろう」
「うぅぅぅぅ」
「なんだ、親父に逆らうと言うのか?」
 その言葉にずぶ濡れの犬も唖然とするほどの全身に及ぶ首振りを見せて「そんなことないです」と形ばかりの言葉を吐き出す。
「もう錬ちゃん、怖がらせちゃだめでしょー? さぁ、金ちゃん、夕餉食べたらお祭り行きましょ?」
「うん、……あの、お父ちゃんは?」
「俺は祭りで今日みたいな不届き者はいないか見回りをしている。まぁ、祭りの後半に入ったら、篤五郎とでも交代して一緒に観てやるよ」
「え、じゃあ、お父ちゃんの舞見れるの?」
 眼を輝かせながら見る金平の頭をくしゃりと大きな手で撫でる。
「見るだけじゃない。お前も舞台で舞うんだよ」
「え、でも……、おいらはお父ちゃんみたいに上手くないからさ……」
「上手い下手は見ている人間が決める事だ。それに何、他は下手だが、まぁ、他のがきんちょに比べて舞はぴか一だ」
「他は、って……」
「まるで取り得が無いよりはいいだろう?」
「うーん、遺憾」
 その言いがかりにかちんと着た錬仁は音が鳴るほど金平の尻を引っ叩く。
「ほらっ、がたがた言わずにとっと袷着替えてこいっ!」
 ふぇぇんと泣きながら、尻を引っ叩かれた勢いで自室へと金平は戻る。
 まったく、と嘆息するが、そこでくすくすと笑う相模に「なんだよ」と更に口を尖らせる錬仁。
「だって錬ちゃんががきんちょなんて事言い出すんですもの。わたし、おかしくって」
「一体何年前の話を出すのかな? 君は? ほほぅ、後で、どうやら痛い目に会いたい娘が一人いるみたいだねー」
「いっやぁだぁ。そぉんなはしたない事言わないでよー」
 と、錬仁の気を知ってか知らずか、ぺちぺちと腕を平手で叩く相模。
「あー、いや、別に、そう言う意味で言った訳じゃないのね」
 それとも先週の『あんな事』がお好みだったのか、としばし思いを巡らせ、あまりの想像に鼻血が出そうになったところで、大戦以前からの部下である篤五郎が邸宅の前に到着した。
「旦那ぁ、顔が緩んでますぜ。また昨日の晩はお楽しみでしたかい?」
 にたにた笑う篤五郎の言い草に、家族専用のでれでれ状態からいつも領内を回るときのぶすっとした顔つきに戻し、勤勉な領主へと顔を切り替える。
「ふん、最近、あのばか息子の夜尿が酷くてな、夜伽どころじゃないさ。それよりお前のところはどうなんだ?」
「いやー、どうにもこうにも。旦那の家と違って十人家族ですからねー。暇も何もあったもんじゃないですよ。毎日馬車馬のごとく働かされてます」
「おぉ、そうだ。さっき、捕まえた強盗。あれをお前の家で使わせてやる。家でこき使ってやれ」
「無論、逃げたら『死ぬよりも酷い目に合わせる』と、言い聞かせておけばいいですね」
 うむ、と首肯し、覇王丸の横で、何か言い聞かせているような羅王号を指笛で呼ぶ。
 羅王号は、動物の言っている事は大体分かる錬仁でなくてもおそらく説教しているのだろうと言う感じだった。だが、それこそ馬耳東風と言った形で息子の覇王丸はまるで聞く耳を持たず、錬仁に呼ばれた羅王号は仕方なく(うまや)を離れる。ちらりと羅王号は息子の姿を見たが先ほどの説教を気にせずに干草を優雅に食んでいた。
「お互い息子に苦労しそうだな」
 そう乗り込んで言った錬仁に、鳴き声を挙げて同感の意を羅王号は表した。


32 :異龍闇◆AsVGmnGH :2007/04/16(月) 17:01:31 ID:QmuDsJYm


「ところで、旦那。京の近況をご存知ですかい?」
「いや、俺が京の(まつりごと)が性に合わんことを知っておるだろ? で、何のことだ。事情通のお前なら色々聞いているだろ?」
 錬仁は次々と頭を垂れるすれ違う民に馬上から片手で礼を返しながら、篤五郎に聞き返した。
「はぁ、晴明殿も当の昔にお亡くなりになり、京の政は乱れるかと思いましたが案外大丈夫なものでした。こちらにも聞き及ぶほどの帝と大殿(道長)の治世を敷いてますなぁ」
「確かに、晴明殿は亡くなったらしいな……」
 十年程前、ちょうど晴明の邸宅に雷が落ちた頃から、晴明は体調を崩して塞ぎこみ、西暦にして一〇〇五年、ちょうどこの祭り日のの六年前に亡くなったと言う。人々は雷神、菅原道真か、もしくは龍神 龍ノ目 時雨の祟りではないかと噂した。
 晴明には法力僧のような力、魔力は無かったが、理を読む能力、魔術によって京随一の遣い手として多くの貴族から信頼を置かれていた。それこそ妖の力が蔓延る時代。後から討って出る武士よりも彼らを影から御し、退け、先手を読む専任の退魔師、陰陽師の方がより心強く感じられたのだ。それこそ様々な呪を遣い、好敵手である芦屋道満に首を刎ねられ、バラバラにされても五体満足に生き返ったと言われる最強の陰陽師安陪 晴明。錬仁は千年くらい生きるかと思っていたため、その死は意外と呆気ないとすら思っていた。しかし、事実上坂田よりも長生きしたため、当時としてはかなりの長寿の部類だった。
「懐仁親王様(一条天皇)の御息子、敦成親王様も先年度には誕生されましたし、天下太平と言ったところでしょうか?」
「どこでもそうという訳ではない。我が(くに)や京の外は飢饉や疫病も蔓延し、透破や乱破の類も今日のように頻繁に横行しているとの事だ。国司との連絡を密にして徐々に豊かさを広げていかねばならん」
「へぇへぇ、相変わらず望みの高い旦那でさぁ。ところで他の三人の方々は?」
「綱は香取だかどっかで政務は切り込み隊の部下に任せて刀を一人で振って道楽をしているらしい。悠々自適だな。貞光は一度、比叡山に戻ってから地方行脚の旅に出たとかで行く先々で法力を使って度々空海に間違えられているらしい。阿呆の秀武は民と上手くやって丹波か何処かの方面でやっているらしいな」
「全員お元気そうですね」
「……ん、あぁ、そう、だな」
「…………」
 そんな事を話している内に村の見回りを一通り終え、錬仁の家の前には彼の重騎馬兵団の隊長格の何人かが居た。
「旦那、残りの見回りはオイラ達にお任せくだせぇ」
「しかし、残りもう一回りするのが慣わしだぞ」
「旦那ぁ、旦那の奉納の舞が見たくて近隣から来ている方もいらっしゃるんすよ? 宮中で帝の笛で舞って、そしてお褒めを頂いた事があるなんて聞いて、一月掛けて京からいらしている貴族の方も居ますんで、後でオイラ達が政務で引き釣り廻したなんて文句言われたら敵わんですぜ」
「ふん、貴族もそんなに暇なら仕事しろってんだ」
「旦那ぁ、仕事をしないと仕事が無いのはえらく違いまっせ。それに奉納の舞、後半は金平殿と舞うそうではないですか?」
「馬鹿息子だがな、ま、舞の才は無いわけでもない」
「ま、とにかく旦那を待つ人は多いんですぜ? さぁ、後はオイラ達に任せて。民に顔見せしてきてくださいなぁ」
「あーあー、わーったよ! ったく、おまえと来たら……、あとで、おまえも家族んところ行ってやれよ?」
「……へぇ!」

 馬首を巡らし、彼が統治する村の中心へと向かう。
 行く先々でチャンバラで遊ぶ子供、大量の稲を背負子に担ぐ家族達に「錬仁様だぁ」「なぁなぁ、金平もっといじめていいんかぁ? お館様ぁ」やら「おぉ、お館様がいらしましたか。ありがたやありがたや」と礼を交わされる。
 村の中心では祭りのための(やぐら)が組まれ、その脇には彼が舞うのための舞台が置かれていた。
 祭りともあって隣の村、またその隣の村の人々まで来る盛況さである。
 また先ほどの遠方からの貴族達も慢性的な飢えなどに塗れている京とは違い、酒などを呑み喰らいながら村の女子を口説いている。
 彼は舞台の裏に回ると、簡易な鎧を脱いで、舞人のための装束を着た。

 村の音楽名人達による音の紡ぎが始まり、老若男女、貴賎を問わずに、静かに舞台の前へと座す。



 微塵の揺れも無く、上座から舞台の中央へと足を進め、客席の前で突如跳ぶ。
 静が強調される舞の中。
 彼の舞はピタリと止まる見栄をきる最中でさえ、肉食動物がじわじわと間を詰めるような静の中の動があり、激しい体の躍動の中にも芯の通った何かがあり、まるで動の中に揺るがない静があった。


 そして、音楽が一度止み、上座からまた一人、舞人が参上する。

 二つの太刀を携えた子供、金平である。

 普段、彼を馬鹿にする子供達が「なんでアイツが!」と言った驚き顔で舞台に釘付けとなる。

 それに気付いたのか気付いてないのか? 金平は太刀を舞う錬仁へと静々と捧げ、錬仁は舞いながらも華麗に太刀を、目の前の息子と互いに輪を作るかのように抜き放つ。

 先ほどのどちらかと言えば落ち着いた心持の音楽が突如として激しい、豪雨のような音楽へと転じて響きを齎す。

 太刀が奔る。空かして突く。跳ぶ。逆さのまま、太刀の峰に手を掛けて更に跳ぶ。着地する場所への切り付け、回りながらもまるで体勢を変えずに下がる。
 白刃が舞い、祭りの篝火(かがりび)に照らされて光を照り返す。一歩間違えて踏み込めば、一拍子でも間違えれば、肉親を傷つける狂気の中で、人々は国定の親子の剣舞に魅入っていた。

 いつしか音楽はピタリと止み、それと同時に彼ら親子も太刀を鞘に納めた。

 観客は呆気に取られていた。毎年見ている者も、始めて見る者もその美しさとそれに逆に位置する命を掛ける行為に絶句の他ならない。


 歓声も束の間、儀礼的な礼も早々に舞台を抜ける錬仁。慌てて金平も下座との境でこけながらも後を追う。

「何度しても人に見せるのは慣れぬものだ」と舞台裏で一人心地となる錬仁に、金平が「お父ちゃん、オイラの舞は……」と声を掛けようとした時だった。

 騒がしい馬蹄と共に篤五郎が息を切らせて現れた。

「……どうした騒々しい」
「北部の山から五十人の見慣れぬ兵団を発見。誰何の声を掛けたところ、突然射掛けられ、現在鷲見麻呂(すみまろ)の五人部隊が街道手前の堀で交戦中」
桐佐間(きりさま)らを連れて応援に向かえ。巽の方角も警戒しろ。あそこは遮蔽物が多くて抜けやすい。祭りに来た人々に動揺を見せるな。馬から降りて徒歩で応戦しろ。静かに的確だ。久しぶりの戦だ。抜かるな!」
「了!」

 さっきほどまでの、真面目ではあったがやる気の無く、倦怠した雰囲気は何処へ行ったのか? 生き生きとした表情で指揮をする錬仁。

「金平。館に戻ってお母ちゃんを守れ。敵は少数で、祭りに乗じて潜入しているかもしれん」
「っ!? う、うん」
「うんじゃない! 足柄峠の邑頭、国定 錬仁の命令だ。忠を果たせ!」
「りょ、了!」

 錬仁は金平から儀礼用の太刀を取り上げ、舞のための仰々しい衣装を脱ぎ捨てるが早いか、褌のみとなって羅王号に跨る。
 その体は長年戦から離れていたにも関わらず、それを忘れていないかのように太く、強靭に鍛え上げられていた。
 金平の何か言おうとした様子に目もくれずに、羅王号の腹を蹴り、馬蹄の音を立てない独特の走法であっという間に村の端まで消えていく。

 村との境である道祖神の塚を越えた途端、野生の勘が思考よりも早く命じた。
 儀礼用の太刀とてそれは装飾ではなく、歴戦を繰り広げた彼にとっては万敵を悉く塵殺し切り倒す兵器に他ならない。故にそれは飛来する矢を弾くのとて他愛もない。
 黒い空から季節柄の豪雨の如く降り頻る矢尻。
 それを片手で、造作も無く掃い、馬身を守りつつ進めながら錬仁は吼えた。

 主の遠吠えの如き気魄に今まで物陰に隠れて縮こまり震えていたはずの彼の家臣達は、その勇ましさに応えて矢面に身を晒した。
 忘れていた。長い農耕生活、幸せな家族との団欒と武器を纏わぬ日々によって。
 日々の鍛錬とて、それは心と身体への備えにしかならないこと。
 矢が飛交い、刃が猛る中で唯一己の戦意が身体を突き動かす確かなものだと言う事を。
 彼ら自身が戦人であること。

 闇殺舎の錬仁の部下にとって武器とは各々が振るう事ではなく、身体に繰り返し刻み込まれてきた血の作用であり、それを組み込んできた過程を否定する事、主である錬仁の後に続かないと言う事は彼らの存在そのものを否定するのに等しいのである。

 五十人の手勢に対し、僅か七人。

 岩盤に楔を打ち込むように、錬仁を先頭に矢の嵐を突き切る。掠ろうと刺さろうと意に介さず、ただただ敵に突き進む。
 愚直にして剛直。
 愚昧にして剛毅。

 しかし、どちらが大きな損害と名誉の損失を戴くかと言えば、言及するまでもない。
 手勢、武器の双方で勝ろうと、闇を彼岸へと屠ってきた狂獣、闇殺舎の大きな牙に噛み砕かれてしまうのだ。



 戦いは一方的に終わった。
 錬仁とその部下の狂気の如き突撃に恐れをなし、泡を食って逃げる彼を背中からバッサリ切り落としていく。

「うわぁぁぁっ! 寄るな、貴様、寄るな!」

 顔面蒼白となり、今にも暴発しそうな弓を引き絞る男。このならず者の指揮官に錬仁は虎の歩みのように緩やかにそれでいて力強く追い詰める。
 男の後ろは大木。間合いは十歩。目前の武士が聞きしに勝る獣ならば、矢の速度と獣の踏み込みは互角。中らねば、死あるのみ!
 もう後は無いと気づいた瞬間、男のゆがけから弦が離れた。
 狙い過たず、軌道は錬仁の眉間へ。
 次の瞬間、無造作にその軌道上に出された二本の指が矢を挟み込み、手首を返して射手の胸に刺さっていた。

「ぎゃあぁぁああぁぁぁぁぁ、がっ」

 叫ぶ喉元を獣の握力で締め付けられる。

「騒ぐな下郎。貴様、この俺の領が闇殺舎のものだと知っての所業か?」
 その言葉に閉口し、その事実がとんでもない思い違いだと言うように首を振る。
「し、知らねぇ、俺たちゃ、お役人様に盗賊の村があるから掃討するようにとお達しがあっただけだぁ! 大層強い盗賊で、捕らえれば褒賞が与えられるって」
「……お役人?」
「そうだよっ! 何でも、居貞(いやさだ)親王の勅命だと言っ、ガハッ」

 ギリリと青竹を握りつぶす指先が一層強く閉じられる。

「ふざけた事を抜かすな下郎……、親王は懐仁親王陛下唯一人であろうがッ! 伯父の居貞陛下が何故そこで出てくるっ!」
「ふざ、けて、な、……がひっ」
 一層強く食い込んだ指先が牙の如く首を引き裂きそうなほど絞られる。
 口を開ければ絞られすぎた首のせいで舌が飛び出そうなほど、顔は紫色に染まっている。
「旦那落ち着いてくだせぇ! そんなに締めたら声も出せませんぜ!」
 五人掛りで錬仁の片腕に捕まって、男は三途の川の手前で事なきを得た。




 二週間ほど前、千十一年、六月二十二日の頃、

          露の身の 草のやどりに 君をおきて 塵をいでぬる 事ぞかなしき

 その遺詠を口ずさんだ後、懐仁親王は崩御なされたのだった。

 その後世は改まって、居貞親王が治世を敷くこととなったのだ。
 直後、何者かの随身の筋から闇殺舎を襲撃するような命が出たとの事だ。

「だが分からん。何故、東宮(天皇)が我々臣下を襲撃するのか?」

 羅王号のみで三十人の負傷者を含めた捕虜に綱を付けて引き摺り、館にあるお仕置き用の小屋へと引っ立てていく。
 あらかた吐かせてから、館へと帰る道程で錬仁は篤五郎へと問うた。

「んー、何だかんだ言いつつ、我々の戦力は驚異ですからね。おそらくそれが原因かと。一応、我々はまだ天皇の直属の随身扱いですが、懐仁親王陛下の、もとい『道長大殿の』派閥の勢力に我々の戦力が移る事を危惧したんじゃありませんかね? それに居貞親王と言えば、懐仁親王陛下より年上でしたし、確か、陛下はお子様の敦成親王もお生まれになってましたから、実質、道長大殿の勢力に『挟み撃ち』にされているわけですからね。おそらく、我々の勢力を削ごうとしたんじゃないですかね?」

「ふん、愚かな。並みの兵が俺達を押さえられるか」

「でも、この調子ですと、綱の兄貴や、秀武兄貴のところにも兵が出てるでしょうね。まぁ、貞光殿も坊主紛いの根無し草で放浪中らしいですし、万が一本山に居ても流石に延暦寺を焼き討ちするような罰当たりな事を陛下もしないでしょう」

「だろうな。あいつらにも未だに臣下の兵は多く就いている。ならば数で攻められようと負ける事はあるまい……」


 そこまで言い切って、錬仁の心臓に槍が刺さったかのような衝撃が襲った。
 綱や秀武は良い、自身も腕が立つ上に兵も居るだろう。法術の使える貞光も一人なら幻術なり何なりで逃げ切れるだろう。



 だがもし、平和な村を襲い、略奪を始めた下郎から民を守るために、一人でも戦う少女が居たらどうなるだろうか?
 兵も無く、武器も無く、味方が居なくても、最後まで戦ってしまう少女はどうなる?



 早鐘よりも錬仁の鼓動が五月蝿く鳴る。眩暈がして視界が真っ白になる。

「旦那、珍しいっすね。顔色が悪いっすよ」

 誰の声も聞こえない。
 守らない、と。
 その強い衝動が、体を突き動かす。

 羅王号もその強い気配に気付いて彼を止めようとする。だが、三十人の惰弱な下郎を引き止める事は出来ても、衝動の爆発した獣を止める事は出来やしない!



 後ろから叫ぶ部下の声も、民も、家族でさえも何も後ろ髪引かれるものは、……ない。

 走る。二本足で、大地に跡すら残さず、疾風の如く。
 途中からはまどろっこしくなって、昔のように四つ足で駆ける。

 崖から崖を跳ぶ、鬱蒼とした森林を舗装された道があるかのように駆け抜ける。
 河なぞ流される間も無く、直角に突っ切るように泳ぐ、いや水の上を走る。

 最悪の事態を回避しなくてはいけない。ただ、その想いだけが、一度たりとも訪ねる事の無かった、彼女の居場所へと吸い寄せられるように駆ける。

 昼夜を問わず、駆け抜ける。ひたすら、しゃむにに駆け抜ける。

 本州を殆ど縦断してしまう距離を水一滴、一息の休みも無く駆ける。
 目は一度たりとも瞬きなく、彼女が戦っている地を睨む。
 岩肌で擦れた肌は細かな傷で真っ赤に染まり、大地の素足での蹴り方を忘れていた手足は大地に点々と紅い華を咲かせていた。

 それでも、頭の中身が馬鹿になって、彼女に会った以前のように、痛みも忘れて単純な事しか考えられなくなっていた。

 彼女の真名だけが、心の中で共鳴してより強く錬仁の中で意識されていく。


 そして――


33 :異龍闇◆AsVGmnGH :2007/07/05(木) 23:30:26 ID:ommLPFx4

地獄転落


 周防国(山口県の東南側)の国分寺付近は、唯一朝鮮半島と相対し国防の要ともなる近隣の長門国(山口県の西半分)に比べれば、萎びた、人気の無い場所と言えるだろう。

 日本列島の中間位置に当たる京からすれば、当時の流刑地である土佐国(高知県)や国内北方の大敵が潜めている出羽国(新潟県)と大差の無い場所である。

 むろん、そんな場所でも住む者は居り営みを育んでいた。

 山間の小さな村、人口は三十から五十といったところ。
 その近くの山際に籠を背負い、崖にも近い角度の斜面を軽快に一、二の、三と跳ねながら山菜を積む女人が一人居た。

 人の手が元々入らない場所のためか? 豊富な山菜が籠に入っている。アケビ、茸、ウド、芹などなど。
 女人は胸元の発育の悪さを除けば、大人の部類に入る年頃、年にして二十の後半だろうか?
 肌は山間に手馴れてる様子にも関わらず、舶来の陶磁器のように白い。眉目は整い、際立った波のように美しい。瞳は大和の民にしては珍しい琥珀色。黒い髪は鴉のように黒く、艶やか。しかし、髪だけはその時代の世捨て人である尼の如く、短く耳が覆える程度まで切られていた。
 この年齢でこの髪の長さとは、まるで、何かを決意して男人を絶っているかのようである。

「うむ、この蕨は美味そうだな」

 そんな事を呟きながら、せっせと素手で山菜採りに勤しむ女人の背後に、黒く、大きな影がぬぅと現れた。
 乱杭歯に崩れた顔と視線とは合わない黄色い瞳。厚ぼったい唇に隆々とした筋と肉は赤黒く塗られている。そして額には二対の角。

 鬼。
 足音を潜めるかのようにこっそりと忍び寄る。
 山菜採りに夢中な女人は気付かない。
 斜面を音も無く、滑り降り、足音をそろりそろりと殺して近寄る。

 舌なめずり。牛のように大きな舌が牙のような歯の間から岩肌から出るなめくじのように這い出る。
 その鬼は虎のように鋭く、大雑把にでか過ぎる指先で鷲掴みにした!


 籠の中の茸を。


「頼光さまぁ、オイラんこと置いてかないでくださいよぉ。それにぃ、そっちゃあ行ったら崖から落っこちて危ないですよぉ」
「ははっ、スマンスマン喜散太(きさんた)。つい、夢中になってしまってなぁ。って、またお前は我慢できずに勝手に食うておるのか!」
「背後が甘いですよぉ、光さまぁ。ガハ、ガハハハハハハハハハハ、あれ? ハハハハハハハハ、なんで、ハハハハハハハハ、笑いが」
「あ、スマン。お前が食うとるそれは私が間違えて採った笑い茸じゃないか?」
「ガハハハハハハハハハハ、そんな、ハハハハハハハハ、なんで、ハハハハハハハハ、入れっぱなし、ハハハハハハハハ」
「ふん、少し反省しとれい」

 彼らの居る斜面から除く風景。
 そこには鴉天狗、鬼、蟲魔、そして人達が分け隔てなく暮らしている楽園があった。

 京を西に下った光は僅かな手勢も連れずに出雲へと渡り、そこで大国主神の託宣を受けて各地を周り、そこで虐げられていた妖魔、人との混血である半魔の子達を集め、この西の外れの奥地でひっそりと住んでいた。

 山菜を背負って山を下り、村の近くまで光が辿り着くと角の折れた鬼の子や鱗が所々剥げた下半身が蛇である蛇神の子供、片翼の鴉天狗や身体の左半分が甲虫のように殻で覆われた子などがワッと集まって、取り合うようにして光の荷物を分けて持ち歩く。

「やれやれ、お前達は私を年寄り扱いするつもりか?」
「きししし、おら達は光様の事大好きじゃからの。このくらいは当然じゃあ」
「そかそか」
「どれくらい好きかってぇとこれくらいじゃあ」

 と角の折れた、文字通り悪餓鬼が光の尻を触り「こらーッ! 叩き斬るぞ! 小僧ッ!」と大人げなく光が追い掛け回す。

 村の中には先の戦や仲間同士での抗争、交霊武装を所持した人間の討伐隊に執拗に追いかけられて、手足や目、翼などを失い、妖気を減じて生きるのもままならないような妖魔や霊格が低くなり過ぎて死期となった守り神が住んでいた。
 その中でも鍬が使えるものは畑を耕し、もう余命幾ばくもない守り神は小さな雨雲を呼んで畑に雨を降らし、人に狩られて目の見えぬようになった巨人は子供達に指図をされながらも岩を運んで土地を切り拓き、半分呆けて年老いた河童の老人が京や未だに有力な力を持つ妖に献上する薬を作り、あるものはまったく別の種族の子を育てて過ごしていた。

 京には人の住む村と言う事となっているが実際に住んでいる人間は光の他は戦争や飢餓で親を失った、十代に近い子供ばかりで、後は人のように見える半魔や妖どもが半分以上である。

 彼女が望んだ小さな楽園は出来ていた。

 最初は彼女を人間と言う事で信用せず、ましてや闇殺舎の元総大将だと惜しげもなく明かし、それによって罵倒され蔑まれ、時には恐れられて彼女を亡き者にしようと言う妖もいた。

 それでも彼女は決して刀を握る事はなかった。
 傷つく事を恐れていなかったと言えば嘘になるが、彼女は常に菩薩のごとく慈悲を持って彼らに接した。それは今までの闘神の如き戦いを経て、修羅道から人道を越えて天道に至った仏のようである。どちらも献身にして滅私の道程であり、そのために徹底するのが彼女の生き方なのだ。



 そして、誰かが意図したのか? 今宵は彼女を讃えての祭りが催される事になっていたのだ。図らずしも、それは錬仁の領地で定めた祭りの期日と同じ日。



 そしてまさか、彼女の村に近年獄死したとされた凶悪な山賊の頭、藤原保輔(ふじわら やすすけ)率いる五百の兵が迫っているとは知らなかった。
 『今昔物語集』などに見える盗賊の袴垂(はかまだれ)と同一視されており、袴垂保輔という伝説的人物となっている盗賊である。
 官位を右兵衛尉正五位下と持ちながら、『尊卑分脈』によれば、「強盗の張本、本朝第一の武略、追討の宣旨を蒙ること十五度」とある犯罪者である。西暦九百八十五年に傷害事件を起こし、さらに九百八十八年には強盗などの罪を重ね、逮捕の際自害を図り、翌日獄中で没したという。だが、事実は違った。恩赦により、『ある人間』を通じて兵を与えられた保輔は悪鬼にも程近い下劣な魂を震わせて、二つの命をこなそうとしていた。

 隻眼隻腕、鉤鼻に加えて口元には下卑た笑みを浮かべたその男。
 己の欲求を、殺しと人心蹂躙の満たすがために動く人の形をした悪鬼。

 その二つの命。
 一つ、妖の村の虐殺に取り掛かる事。
 もう一つは……、

「いいかぁ! 野郎共! 女っ子の光様を見つけたら、俺様の前に生きたまま連れて来い。生きていれば、手足の一二本は構うこたねぇ! 切り落として引き摺ってきな! なんなら犯してもいいぞ!」

 ゲラゲラと兵達と共に笑う狂人。

 その兵達の手には人の手に余る、何処から仕入れたのかすら分からない、太古からの大量の交霊武装。
 獣にも劣る人間達が妖の村を完全に囲み、一斉に襲い掛かった。


34 :異龍闇◆AsVGmnGH :2007/12/16(日) 18:57:07 ID:QmuDsJYm

――三年後、八月の頃、(みやこ)の相撲節会(せちえ)にて


 居貞(いやさだ)親王、もとい三条天皇は天覧(てんらん)相撲の席でビクついていた。

 辣腕を振るう道長に度々、親王の譲位、言うなれば天皇の辞任を迫られていたのだ。

 二十年以上前に、当時七歳の一条天皇の対抗馬として藤原兼家、道長の父に同時に推されて皇太子となった経緯が三条天皇にはあった。彼は精神薄弱の気があるといわれた冷泉の血筋。それに対して強い政治力を持つ円融天皇の血筋を持つ一条天皇とは何かと比較されていたのだ。しかも、年としては四つばかり一条天皇を上回り、三十六歳で一条天皇から譲位を受け、即位をした際にも『さかさの儲けの君』ともいわれた。
 帝としての政治を固持したい三条天皇に対し、とっとと知恵と権力を付けない内に引退をさせたい道長との激しい政治抗争があったのだ。

 そして、最近では今年の初め、一月二十七日には凶事を示す彗星が降り、暫くして二月九日には内裏の北に位置する登花殿からは出火が起こり、三条天皇は心身とも衰弱し精神病により眼病を患い、片耳すらも聞こえない状況となっていたのだ。
 折角手に入れた権力をむざむざと譲ってしまうのは腹立たしい事この上ないに加え、情けない。『さかさの儲けの君』と呼ばれる帝であるならば、その力の一片とも使えずに退散するのは些かに心許ない。それ故に、三条天皇は相撲の勝敗に拠る願掛けにすら奔ってしまったのである。この勝負を良き力比べと観ると言う泰然自若の権力者ではなく、自らの願の掛ける方が如何に勝つかと言う、博打に溺れ掛けて藁を掴む者の様相を醸し出していたのだ。

 東西対決もここに来て二対二の均衡の様相を見せ、いよいよこれからどうなるかと分からない、進退窮まった状況。そうとも成れば、正しく神頼みに加える神頼みに他ならない。
 西の大関は薩摩の生まれ。薩摩は旧称では唱更(はやひと)国と呼ばれ、唱更とは辺境を守ると言う意味がある。この場合の辺境からの侵略者とは大陸からの海賊などであり、そう言った土地柄からか、薩摩の国は多くの(つわもの)を輩出していた。そして、西の大関である彼も多分に漏れず、大関を任せられるだけの度量と技量と体格を備えていた。六尺三寸(百九十三センチ)、体重は三十貫(百十一キロ)を超えようかと言う偉丈夫である。仕切り線の前にどっしりと腕を組んで構え、東からの対戦者を待ち構えていた。
 自信と言うほどでは無いが、東の田舎から来た世間知らずに相撲を教えてやろうという気位で粛々と居座る大関の風格に、西を応援する貴族達(申し入れもなく、三条天皇の敵対派)は勝ったものと確信した。あまりの気位の高さに、これは負けたかと、目元を伏せ、失望を隠す三条天皇とその配下。その背後、東の大関の入り口がざわめいた。

 通常の天覧相撲、帝の拝謁する相撲には土俵を設置した会場の玄関から帝の座る貴賓席までを横綱以下の役力士全員が出迎える。この際、十両以下の取組は観戦しないので影響がないが、幕内では土俵入りが普段の俵にそって丸く並ぶ略式のものではなく御前掛(ごぜんがかり)と呼ばれるものとなる。そして全員が正面を向いて並び拍手を打った後に右二回左一回の四股を踏む本式で行なわれるのだが、本来の儀式に間に合わなかったため、これは大変な狼藉となる。しかし、それでも参戦して、いや参戦を許可されてくると言う事は、東側に取って必要不可欠な人材であると言う事なのだろう。

 身ほど六尺(百八十センチ)にして、やや西の大関より小さな体格の大関の若い男。そう、あろう事か、西の相手である東の大関は元服も間もないであろう少年だったのだ。しかし、そこで冗談であろうと漏れる失笑も忍び笑いすらも起こらなかった。

 視線。

 視線が矢であれば眼前の敵を悉く射抜くまでに凄まじい。馬すらもろくに乗らない怠惰な貴族すらも戦場に居るかのような錯覚を起こさせた。

 傷痕。

 身体を走る無数の(きず)。若い身空にも関わらず、どれだけの死線を潜り抜けたのであろうと思わせる狂気の如き、傷痕。

 気魄。

 何よりも全身を覆う何かの磁力のようなものがあらゆるものを弾き、東の大関を肉食獣か何かのように二回りほど大きく見せている。


 その大関は口をへの字で結んだまま土俵に立つと腰を落とし、四股を踏み始めた。
 打ち下ろす。
 地の奥底まで地鳴りが通り、見ている者の(はら)まで返ってくる四股踏みだった。


「始めましょう」と強面とも言える風貌に反して若過ぎると言える西の大関の声に、東の大関は僅かに戸惑いながらも構えた。
 見合う。相手の心理の裏。呼吸。拍子。筋と肉の動き全てを見切らんばかりに双方は見合う。

 ――発氣用意 で全身から発していた気魄を内部へと押し留め、
 ――残った の一言で空気が動き始めた。

 激突の衝撃で空を通じてビリビリと震える周りの木造建築。土俵の中心へと圧縮された氣と大気が一度に解放され、砂塵が舞い、貴族達の着物と弛んだ頬を揺らした。

 中央で動かない木彫りのように動かない二人の巨漢。

 しかし、膠着のように見えているそれは、西の大関からしてみればあまりにも巨大な山の一部にしがみ付いているような気がした。大自然の如く圧倒的な岩塊。(けわ)しい山岳の如く切り出された大地。大関の男は世界を抱いて持ち上げるような無謀さを皮膚を通して感じていた。
 大地が動転する。否、彼の身体が浮かび上がれば、地に落ちる(ことわり)のように自然に大地に持ち上げられていた。
 力ではない。完全な理の世界。同じ境界に立たねば決して分けえぬ地平線。
 そして、大地が裏返った。

 両腕の下に腕を通される、(かんぬき)と呼ばれる状態から東の大関は背面へと反って西の大関を投げ飛ばしていた。一瞬の出来事にも関わらず、彼のみならず周りの人間も、一連の動きが余りに自然なためにゆっくりとしているのにも関わらず早く感じた。急いでいない。せせこましくない彼の動きは人間の感覚を無意識に騙し、一日が過ぎるのが当たり前のように早く、それで居てごく普通であるかのように彼らに体感させていた。

 背面投げ。相当の力差が無ければ決まらないはずのそれは、鬼の怪力をも鼻で笑うかのような暴力で成し遂げられた。

 拍子抜けするほどの力差に辺りは水を打ったような静けさを醸し出し、行事すらも呆けていた。

 東の大関からの無言の視線に我に帰った行事は、粛々と東の大関、国定 金平の勝利を三条天皇へと奉った。

「……お主、坂東(あづま)の武士か?」
 三条天皇の声掛けに土俵から降りて恭しく頭を垂れる金平。
「はっ! 東国の彼方、足柄山より源頼信(みなもとのよりのぶ)様の命を受け、この地の守護を任せられました。そして、若輩ながらも他称覚えがあります故、帝の勝利のために東の相撲人の大関を勤めさせていただきました」
 その潔さと先ほどの勝ちっぷりに三条天皇はいよいよこの少年に共感を持った。
「国定か、……まさか、お主は?」
「父君の国定錬仁であるならば、何処とも現在行方の知れぬ身。己が身の程は弁えてます故、何卒比較するのはお許しくださいませ」
「良い、朕であればこそ、何事も比較される事の辛さは心得ておる。今後の活躍、期待しておるぞ?」
「はっ、身に余る幸せ……」

 青葉のように若き(つわもの)、国定金平の名を胸に三条天皇は刻むと、意気揚々と内裏へと帰っていった。
 源頼信は源頼光の弟に当たる人物である。後の河内源氏、現在の大阪一体を支配する源氏の一派であり、東国進出の鍵ともなる武装兵団の親玉である。藤原道長に仕えた為、頼光の二番手とも言える位にあるため、亡き頼光の後、鞍替えと言う訳では無いが、同じ源氏として彼を頼る者も多かった為に、実質、『彼女』ではなく『彼』となった頼光の代わりに、闇殺舎を支配、統括しているとも言える状況だった。


 金平が塗れた荒布で身体を擦っていると、背後を黒い影が覆った。
 背後へと閃く荒布。武に通じた者であれば、布一つとて、骨を砕く狂気になり得る。
 しかし、常人であれば手首を砕くであろう荒布の一撃を、掌でふわりと受け止めて握り、逆に螺旋を加えて布を操る金平を投げ飛ばした。宙で身を整えて、金平は膝立ちで敵手に構える。そこに居たのは、単眼の武士、渡辺綱だった。

「よぉ」
「師匠!」
「相撲を見ていたぞ。随分と腕を挙げたな」
「いえ、師匠のようにはまだまだ、粗が節々に目立つ始末です」
「いやいや、同じ頃合いの中では頭五つは抜けているさ。暫くすれば俺くらいの使い手にはなれるさ」
「…………」
「心配すんな、親の背中がでかく見えるのは誰しも同じだ。俺だってそうだったんだからな」

 手近な石垣に腰を下ろす綱。
 主だった仕事は殆ど頼信へと任し、殆ど後進、特に金平の指導に当たっているのが彼の近況である。

「相模殿は息災かな?」
「はい、村を篤五郎さんに任せて、俺の京上に同行してからは久しぶりに京に来るのが懐かしいらしく、方々の友達に会っているそうです」
「そうか、元気でいらしたか……」
「秀武のおっさんと貞光僧正は?」
「秀武の奴は貞光の恋愛相談にのっているらしくてな。ノリノリで貞光の居る西に遊びに行っているぞ」
「……確か、あの人闇殺舎の後継者教育代表だったような……」
「代表だから何もしなくても良いと言う理屈らしいな」
「んな馬鹿な」
「お前の面倒ならお前が見てやるさ」
 綱は立ち上がってポンと金平の背を叩く。

 思えば二年前、足柄山から馬とはぐれ、一人でこの京まで泣きながら辿り着いていたはずの小僧が今では素手で蛇神の夜刀の使いを締め上げ、五又の大百足(むかで)のを一人で調伏する闇殺舎筆頭の使い手になるとは綱ですらも思いもよらなかった。流石に大英雄の息子と言ったところか? しかし、当人は居なくなった父親の穴を埋めようと必死になっているためか? 時折、死線のギリギリを通過してしまう事があり、綱はそれを危惧していた。
 縮小した闇殺舎とて、今でも怪異を滅殺させる任務を帝や道長から課される事はままにある。規模は大幅に減じたとは言え、未だにかつての戦場で名の挙がる事の無かった妖魔の姿は幾つもおり、人々、特に京の貴族達を脅かす事はよくあった。そこに古参の使い手に頭を下げ、自ら死地へと赴く金平の姿はむしろ強迫観念の類と言っても過言ではない。
 ただ、父親の影を越える。そう一念を賭す少年は綱の眼から見ずともあまりにも危うかった。

 面倒を見る。今は亡き、彼女と彼に代わって直向な少年の成長を負う事はとても難しく、それで居て綱でしか成し遂げる事は出来なかった。

「ところで、頼信様から聞いたのですが」
「ん? もしかして蝦夷(えみし)の事か?」
「はい」

 蝦夷とは現在の東北地方辺りに属している場所である。古事記や日本書紀などに垣間見れる通り、元々の先住民族を排して日本は制定された。そのため蝦夷は先住民が追いやられた魔の住む(けが)れた場所とされ、未開地と同時に闇殺舎には魔界として認識されていた。近江の乱以降、異形の者達は人と境を作ったとは言え、消えた彼らの大将の時雨に代わって兵を挙げて小競り合いをする者は多く、特に蝦夷は多かったのだ。

「関所の逢坂(おうさか)からの報告に拠れば、鬼の勢力の報告をよくよく聞くそうです」
「警戒した方が良いようだな」
「鬼の二十や三十なら構う事ありません。斬って捨ててみせましょう」
「刃は己を過信する者に牙を剥く事を忘れては駄目だぞ。お前の力も分かるが、大兵力や伝説級の輩には何処まで通用するか分からないぞ」
「でも……、父はその伝説に真っ向から立ち向かいました……」
「……………………」

 劣等感。あまりにも偉大すぎる父の功績を越えることが出来ないかもしれないと言う不安。
 父の後を継ぐと意識してから掛かる重圧を必要以上に金平は捉えていた。

「(どうにか、ならないもんかね? このままだととんでもない事になりそうだな……)」

 諦めて宙を仰ぐ綱。そして、その不安は近い内に的中する事となった。


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