空想活劇譚【パラノイア・インフェルノ】


1 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/11(火) 09:06:33 ID:WmknzDW4

 物語とは虚構である。例え、それが実在の人物の伝記だとしてもだ。

 例えば、ある書で英雄として扱われた者は、別の書では多くの人間を虐殺した大罪人としてしか扱われていないのかもしれない。
 例えば、世界中を混沌に巻き込んだと全ての書物に書かれる人物は、真実ではただ一人、自分だけの孤独な、完璧な秩序を知っていた人だったかもしれない。
 そんな話の真実に最も近い当人達でさえ、その本人が認識を誤ればその人生は悲劇にも喜劇にもなりさえする。
 さて、真実の物語とは何処にあるのだろうか?
 そして、真実とは何なのだろうか?
 時間と言う名の断絶。
 共感と言う名の幻想。
 神話と言う名の妄想。
 ……答えは、あなた自身が見つけるより他はない。
 さて、ココにある一つの書を取ろう。ページをめくるか、本を閉じるかはあなた次第だ。
 本を閉じたあなたはこの本の真実を知る事がない。ただ、それだけだ。





























 ページをめくり続けるならば、あなたは、最も物語の核心に近い者の書から開かれる……
 では、しばし奈落と暴虐の道を少し辿ろうか……


34 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 11:18:55 ID:o3teQDzJ

大焦熱3


            −Side A−

 馬鹿みたいに突っ走って何時の間にか市内を半分横断し、神南高校に辿り着く頃には遅まきの夕暮れが血のような赤色を作り出していた。
 足は鉛のように重たく、身体は急に動かしたせいでギシギシと軋む。
 それでも夜に追いつかれないように駆ける。
 ただ駆け続ける。
 赤が徐々に色濃い紅を帯び始め、ついには星の光も弱弱しく、月明かりも無い夜の(とばり)を下ろした。

 確か、今宵から新月が始まったはずだ。
 月は古来より魔の象徴であり、それを受けて満月で狼男が遠吠えしたり、魔女が儀式を行ったりする。
 しかし満月に対して、朔月とも呼ばれる月明かりの無い夜は、殆どの場合は魔に属する儀式事は行われない。一般では月の満ち欠けが魔力にダイレクトに作用するように言われているがそれは違う。むしろ逆なのだ。溢れ出るような魔を塞ぐのが月の役目と考えられている。この新月に何らかの儀式を行えば、魔はまったく反応しないか、トラックの超重積載のようになって自ら潰れる。つまり、自らの限界を超えて、身体を破壊してしまう事があるようだ。

 つまり、新月の夜は何が起こるのか誰にも分からないのだ。

 そんな時にも関わらず大胆にも、校内をグルリと平気で人払いの結界で囲んでいる魔術師が居た。
 熟練の魔法使いでも、朔月では魔法が失敗すれば、力の元であり同時に魔に対抗する霊気装甲が防御反応として身体を守り、全身が焼かれたようになる。下手すれば魔法どころか、日常生活の使い物にならないような身体の状態にもなるのだ。そして、その抵抗力すらない魔術師が失敗すれば、何らかの静電気のような蓄電作用が体内に起こり、何かの拍子に点火、プラズマ融解を体内から起こすらしい。いわゆるオカルト雑誌で言われる人体発火現象も、超能力の暴走よりはむしろ、知らず内に魔術の儀式手順を行い、精密な操作も知らないために出来ずに死んだ潜在的魔術師の末路なのだ。

 学校の柵に沿ってその横に止められた白いバンを通り過ぎ、校門を潜り抜ける。むろん、校門の敷居を跨いだ時点で彼には気付かれたはずだ。
 だから、堂々と噛み切り痕のついた親指を食い千切りながら、召喚魔法の準備をしておく。
 魔女の血が濃く、決意する。
 鼓動が、戦のための銅鑼の如く打ち乱れる。
 呼吸を整えて、前を見据えた。

 ただ広い、寂しい校庭には、一人の男と奇妙な柱が立っていた。
 スーツ姿の男。セールスマンのような格好だが、その張り付いたニヒルな笑みは営業向けよりもその横に置いたトランクに核ミサイルの取引契約書でも入れた武器商人の方が似合うような皮肉れた面だった。
 その柱は斜めに立てられていて、そこから左右に翼を広げるように飛び出たもう一つの木に錬仁が釘で手足ごと打ち付けられていた。だが、左片手だけが無いために、彼は右手だけを広げ、手首に釘を打ちつけられていた。
 それは不自然な磔(はりつけ)にしか見えない。
 その身体には蝶になる前の、人面の白い(さなぎ)のような生き物やニヤけた人面の白い芋虫が数十匹、それこそ彼の身体を覆うように這いずり廻っていた。
「錬仁ッ!」
 私の声に、ピクリとも彼は動かなかった。
 そんな私の様子を男は声を押さえて笑いを堪えている。
 一つ一つの動作が神経を逆撫でする様な行動だ。
「おやおや、仮とは言え、私の居城に来たのですから主への挨拶の一つでもしたらどうでしょうか? 姫君」
 私の名前を掛けておちょくって言っているのか、大業そうな、大げさな仕草でサラリーマン似の男、外国人であるかのようには両手を肩の少し下辺りに置いて竦める。
「下賎な者に名乗る名は無いわ。魔術師・鞍路慈恵」
 苦々しい顔を向ける私に、一度大きく、それは面白いとでも言うように目を見開いてから、
「そう、その通り、この私が【磔刑】の鞍路慈恵ですよ。くぬきの木の魔女、九貫 在姫さん」
 胸に指先を当ててそう言った。
「本日はどう言った用件でしょうか? 貴女の願いを叶えたいのですか?」
「恍けるのは態度だけにしなさい。その柱の男を解放しなさい」
 その言葉に鞍路は首を傾けながら、同じ方向に「くっ」と唇を顔半分だけを不自然に吊り上げて笑う。
「面白い冗談ですね。守られる魔女が敵の前に出てくるなんて、愉快過ぎですよ。彼方には喜劇女優の才能がありますね」
 僅かな抑揚を付けた言葉は詩のリズムのようで、それは感情を動かすものだ。
 動かす感情は激情。効果的に人の心を付け入るような、嫌な言葉使いだ。
「……この魔術は一体何なの? 答えなさい」
 男のペースに巻き込まれないように、私は質問の矛先をダイレクトに変えた。
 その反応に「ふーん、そう言う反応、いや、戦術ですか。彼のお陰で成長、いや、思い出したのでしょうか?」と言うと、悠々と片膝をついてスーツケースを開けた。
 その動きに身構えるが、そこから出てきたのはあの蝶の入った小瓶だった。
「此処にご足労した御礼に教えてさしあげましょう。これは私の発明したものです。これは『幸せへの欲望』に『寄生』する生物(プログラム)なんですよ。人の欲望は果てしないものです。幸せを生み出す金、土地、地位、名誉、愛、もっと本能に根ざした身体、それ以上の形而上の人のそのもの、あるいはその人間の願う幸せの概念そのものにこれは寄生します。欲望に寄生する事で、その所有者に幸せな夢を見させるのです。そして、所有者自身が現実と判断すれば、夢と現実の等価式を作り出し、そっくり入れ替えるのです。この蝶は鏡の作用を持つのですよ」
 鏡の魔術。おそらく白昼夢を見させる魔術は幾つか聞いた事はあるが、幸せだけに限定する魔術も珍しいものだ。
「不思議そうな顔ですね。何故そうするのかといえば、人は頭の中に適度に歪んだ鏡を持ちます。自分が苦いと思う物が、他の人にとってはそうでも無かったり、時には幸せそのものだったりします。個人の差。それを延長させれば、例えば運動神経の良さもその現実を如何に自己の肉体へと反映させるか言う歪みの差なのです。その歪みを人は個性と言います。その通り、鏡とはつまり脳の事です。人は目で見たもの、耳で聞いたもの、鼻で嗅いだもの、舌で感じたもの、手で触ったもの、全てを直接感じ取る事は出来ません。それらは全て神経を通じて情報は再構築され、相似形を持ちながらまったく別の感覚を作り出します。私なりの見解であればそれは鏡へと投影される行為です。それが脳と言うものの機能です。歪みとは脳の神経ネットワークの僅かな本数と作り方と反応経路、そして偶然的な神経のスイッチのタイミング誤差などの個人の差だけです。ところがこの差がある事で私達は誰もが等しく本当に幸せに満足する事が無いのです。だって、人はその差によって情報を鏡でもう一度見直しているからですね。しかも個人の歪みはそれぞれまったく違うものです。それ故に、頭の外では『誰もが等しい幸福』なんてのは、まさしく脳だけの、歪んだ鏡を更に歪めて像を作る妄想みたいなものなのですよ。既に鏡が歪んでいるのにそれに合わせた幸せの外枠を作ろうなどと言うのはお笑いですね。だから、私は外枠ではなく、現実を個人のそれぞれが適度持つ感じ方を映す鏡をもう一度、今度は有りのまま脳へと返して映す綺麗な鏡を作ったのです。それが蝶です。ただ、残念ですが、脳が今まで映していた現実を現実でないと思いますと、鏡に映っていた現実の肉体を放棄してしまうのです。故に、脳に依存する肉体は死を迎えます。まぁ、当然ですね。目の前の都合の良い鏡を置けば、その裏側を見たいとは思わないでしょうからね。宗教やら何かの強力な存在に依存した者はその鏡を自ら作り出す事もありますけれど、私はそれが誰でも出来るように、幸せな世界を映せるように私の魔術で鏡を作ったのですよ」

 それは、恐ろしい事だった。
 彼の魔術は現実を否定させ、自らの都合の良い夢の中に埋もれさせるものだったのだ。
 そしてそれは夢の世界に依存する事で、肉体の生存活動すらも否定し、夢の都合の良い世界だけで生きる。いや、死に続けるものだったのだ。
 私には喫茶店で少し可愛げのあるように見えた蝶が薄気味悪いものにしか見えなくなっていた。
 蝶は私の見た時に比べて、今にもコルクの蓋を打ち破りそうなほど激しく動いていた。
「激しく動いている?」
 そう私が呟くと、ニヤリと彼は笑った。もしかして、この反応も奴らは七歩義兄が小瓶を見せる事まで何か【予測】した結果なのだろうか?
「何故、こいつの反応が激しいのか? 私の蝶は願いの強さに反応するのです。簡単ですよ、魔人は自らが願い、それによって願いすらも忘れるほどの力の手段を得て、その力の強さ故に目的自体を忘れて永遠に叶えられなくなった存在ですからね。詰まるところ、願いを叶えたくて仕方が無くて、それを克服する力が本当にあるのに、その叶えたかったこと自体を忘れてしまって、『願いを叶えたい』と言う気持ちだけになった生命体ですからね。言わば、願いにしてそれを叶える力を持った塊。あまりの魔人故の純粋さでこんなに蝶達は大騒ぎなのです」
 そう言うと彼はコルクを開けた。
 そこから身を捩るように、焦るように蝶は瓶口から抜け出すと、錬仁の身体に張り付いた。
 張り付いた瞬間に、それは羽を畳んで蛹へと戻り始める。
 それは夢から現実と至る覚醒へのプロセスを逆転するように感じられた。
 まだ可能性のあった夢のあった頃の卵へと孵る、真逆の生誕。
「ここから後は芋虫に戻って更に、鏡となる核の卵に戻れば良いだけなのですが、難しいですね。流石、千年も経ったせいか、記憶が劣化しているようですね」
「え?」
 今、彼はなんて言った。
 それは魔人には『記憶がある』と言う事か?!
「あぁ、君は知らなかったですか。魔人はね、記憶を消すわけでは無いのですよ。記憶との繋がりを失うだけなのです。ちょうど、ハードディスクからデータを消すのと同じ要領です。あれはデータ自体を消した訳では無くて、データとの繋がりを消しただけなのですよ。だから、データの復元が特定のソフトなどで可能なわけです。まぁ、その繋がりを消したデータの上に新たに上書きされたら元のデータすら無くなるのですがね。逆に中には繋がりを消したにも関わらず、頑固に『転生前の記憶』を持つ人も居るみたいですけどね。魔人は他のシステムの効率化のために、特定のデータ、とても強固な、けっして自らの外殻を失わないだろう悪夢だけにアクセスを留めさせて効率化した生命体なのですよ。だから、記憶が無いんじゃなくて、『記憶がどれだか分からない』だけなのです」
 魔術師は磔の錬仁に近づくとゾロゾロと動く無数の芋虫をいとおしいように撫で上げた。
「私の蝶はもっとも幸せを見せるために効率的な鏡を作り出すために、記憶を綺麗に、そしてドラマチックに繋げる事も出来るのです」
 彼は芋虫の一匹を摘み上げるとそれはジタバタと錬仁を求めて動く。その足掻きを無視して自らの口の中に放り込んだ。咀嚼。まるで躊躇いもなく、不気味な、蠢く芋虫を食った。
 喉を鳴らして、麻薬中毒の患者がやっと薬を手に入れたような、法悦の表情を浮かべた。
「あ、あぁ、なるほど、これが、生前の、『魔人になる前』の彼ですか。実に猛々しく、強く、そして最期は哀れです。涙を誘います。何故、獣でも、(つわもの)でもなく、ただの鬼と化したか納得がいきます。その純粋さは憐憫による感情だけでは表現しえませんね。八十%の記憶の復元といったところでしょうか。今まで二度魔人の人生を見てきましたが、彼ほど『真実を知らない方が良い魔人』は居ないですね。成る程、こいつは『幸せにしがい』がありますね」

 ……なんですって?

「もしかして、あんた。このまま記憶を戻しつつある錬仁を芋虫が作る鏡の牢獄に入れるつもりなの?!」
「それ以外に何をしようと言うのでしょう? 彼の人生は既に大過去、故に現実の手段で全てを叶える事が出来るはずが無いでは無いですか? 彼に幸せがあるなら私は叶えてあげるだけです。それが私の原則です」
「何故、そんな事を続けるの?」
 核心を、私は貫く。
「それは、私には『幸せ』の概念が無いからです」
 彼は掌に新しい蝶の瓶を載せた。
 確かに蝶は錬仁へと向かおうとするはずで、目の前の硝子一枚で隔てる彼には見向きもしていなかった。
「私は何を見ても、聞いても、嗅いでも、触れても、味を知っても『感じる事』しか出来なかったのです。無感動に近かったのです。私の脳が恐らく『幸福を感じる歪みを持ち合わせていなかった』のです。しかし、身体だけはそれでも生きれるように、不自然では無いように人と同じように笑う事だけを覚えました。まぁ、無様でしたけどね。私はそれによって人並みの生活は送れたつもりです。だけど、それを続ける事には飽き飽きとした私はふとした事から魔術を少しずつ学んでいきました。その間もこの姿どおり元はサラリーマンの営業でした。魔術によって人の『幸せ』だけは分かりますから、そのニーズに答えれば営業成績は上がり、小さかった会社は私の居ない今でも大企業と呼ばれるものにする取引をして会社から感謝をされましたし、それを通じて妻を持てましたし、子供も得ました。だけど、彼らを幸せに出来ても、自らの幸せの実感を得ることは無かったのです。だから、私は幸福の追求のために私は自殺を装い、全てを捨てて魔術師の道へと本格的に歩み始めました。私は以前、人間の身体に縛られているからだと思い、人以外に転生しようとしました。だが、途中でそれは『人の幸せでは無く、人外の幸せに摺り代わっている事に気付いた』のですよ。そして、私は本格的に魔術師になり、同じように他人を客観的に眺める事で、その人達の幸せの共通項から幸せの概念を抽出する事にしました。ですが、抽出すればするほど、それは絶望と変わらない事に気付きました。人を幸せにすればするほど、自らの不幸、いや『幸せの無さ』が浮き彫りとなっていくんです。幸せは個々に違うのです。それ故に、私の個であるはずの幸せが無いのです。それは十字架で高々と自らの幸せの無さを晒すような、奇妙な感覚でした。幸せを求めれば求めるほど、己の手足を束縛する、突き刺さった無意味さに気付いてしまうのです。私には不幸は無くても、同時に幸福も無かったのです」

 それは、あまりにも悲しい話だった。誰よりも、おそらく他人の、その人自身の幸福を理解しながらも、ちょうど硝子越しの蝶のように、触れようと思っても触れられない、自らの幸福だけは実感できない男。それは己の人生を無感動な悪夢として見続けるのと同じ事だろう。

「そして、『慈善事業』はもう終りにしよう。そう思った時に【脱皮者(かれ)】と会ったのです」

 絶望だけの空虚な男の前に現れたのは、動く悪夢だった。

「彼は言いました。『私の計画を手伝え。私のためにその捨てた命を預けろ。忠実な駒となれ。盤上を【予測】して支配する、『私の願う幸せの一つ』と成れ……』そう、それは表現するなら、甘美でした。脳が蕩けそうなほど、甘い誘惑でした。だから私は選択したのです。私に幸せが無いなら――


           ――私は誰かの幸せの一つとなろう。
           ――私が幸せそのものになるんだ、と」



 それは、最悪の出来事だった。よりにもよって、親でも、友達でも、会社の同僚でも、妻でも、自らの子供でもなく、彼は幸せと同一視するべき人間の、最悪の選択肢を選んでしまったようだ。
 もし、魔術師を選択する事なくそのまま生きていれば、彼は例えようも無いほど、他人の幸福を本当に追求する人格者となっただろう。きっと、家族を、同僚を、友を、親を幸せにする純粋な意思を見せただろう。
 だが彼が選んだのは、魔法使いとなるために手段を選ばない、人として最低最悪な人間の屑を崇拝対象として選んでしまった事だった。



「魔女が五人、いえ、それ以前に何人も死んだのは」
「彼と私の幸せのためです」
「じゃあ、欧州で千人以上の人が死んだと言うのも」
「彼と私の幸せのためです」
「あなたが、もし彼のために自ら死ぬ事があっても」
「彼と私の幸せのためです」

 彼は両手を広げて、ちょうど磔にされている国定と同じような形になりながら、
「今、彼の使命を遂行している私は、とても幸福なのかも知れない」
 そう、言葉と涙を零していた。
 今まで、歪んで見えたはずのその笑い顔は、今まで無理をして、幸せがあるふりをしていた悲しい笑顔だったのだ。


 狂っていた。否、狂わされていた。
 まるで『計画したかのように』、予め作ったパズルのピースを嵌めるようにしていく元魔術師の魔法使い【脱皮者】は、幸福の感じられない、他者の幸福を叶えるための人間で、いずれ人との幸せで幸福分かち合うはずだった男を、知らずうちに歪んだ道へと堕落させたのだ。
 恐ろしい男だ。
 今まで、誰にも姿を見せず、奴は【予測】して、全てを駒のように操っているのだ。
 私自身にも、その操り糸があるのかも知れないと不吉な事を考えると、ゾッとしてしまった。

「ほら、見て御覧なさい。卵が幾つか出来てきました。これだけの蝶を二日間、フルで記憶の復元に使ったのは始めてでした。千年前の叶えられなかった幸せを私が叶えないと……」

 ……拙い、余計な感傷を持ってしまった。
 今、ここで【魔女の呪い】をぶっ放す事も出来る。だが、初めて、こんな道先を間違っただけの綺麗な人間に危害を加えようとするのが躊躇われた。
 指先に呪いの魔力を込めるだけで出来るものの筈なのに、その呪いの枠組みさえ、男の前では作れない。
 幸せを求める事が当然である事を如何にして否定しようか。
 どうすれば、良いんだろう。





































「君は非常に初歩的な間違いが多い。解答が分からなかったら適当にマークをすればいいのだよ。どちらかは正解だ」

 その声と同時、癇癪玉の弾けるような音と共に、幸せそうな男の身体が前のめりに崩れた。
 その後ろには、眼帯のように鉢金を斜掛けにし、『白衣』に身体を包んだ、
「三枝先生?」
 が左手に硝煙の漂う銃を構えていた。
「先生! え、し、死んだんじゃ、無かったんですか?」
 銃を片手での華麗なガンアクションと共に腰の右ホルスターに収めると、敵意の無い、むしろ荻さんのように穏やかな笑みを浮かべた。
「ふむ、指導不備が有ったようでな、冥界から職務怠慢で送り返されてきたんだ。最後まで職務を果たせ、と言う事さ。さぁ、この男は終わった問題だ。次は国定君を助ける方程式を立てるんだ。これは非常に難解だ。私も手伝おう」
「は、はいっ!」

 そうだ。重要な事を、優先順位を間違えそうになった。
 私が大事なのは今、錬仁を助ける事だった。
 そのための障害を突破する事を小賢しい、大本の魔法使いの姦計に引っ掛かって見失う事だった。
 確かにそうだった。
 それはそれ、これはこれだった。
 他者と自分を混同してはいけない。
 他者を尊重する事は自由だ。でも、自分と他者の理屈(イデオロギー)が対立する時には両方が妥協するか、双方が戦うしかない。そして、同じ土俵でなければ、それはただの一人相撲なのだ。
 私のやるべき事は錬仁を助ける事、揺らいではいけないのだ。

「記憶層の第六層までの侵食か、進行度が酷い。私はこれに似た魔術を知っているが、これ程多くては卵を全て取り除く事は出来ないだろう」
「チクショウ! 先生、どうすればいいんですか?!」
「質問の際に下品な言葉遣いは改めたまえ、淑女らしく、魔女らしくするんだ。まぁ、同時に君らしくと言うのも忘れてはいけない。君は可愛いのだからな。さて、回りくどい言い方になったが、君は魔女だ。彼の話し振りからする彼の技術に対する【予測】と私の知識から導かれる方程式で、ベストなものは一つだ。魔女には『魔法の紡ぎ糸』と言ったか? 初歩的な精神ハッキングをする魔法があったはずだ。あれで、国定君の精神にコンタクトして、内側から彼を揺り起こすんだ。おそらく、君もコンタクトする事で彼の悪夢に引き摺られる可能性があるかもしれない。だが、あらゆる時間と労力を【予測】した限り、これがベストだ。目覚めれば、彼の防衛反応で卵と芋虫は一瞬で焼き切れるはずだ。さぁ、解法の手順は用意した。そして、それが出来(答えられ)るのは、魔法の使える君だけだ。私は魔術で精神を観測する事は出来ても、鏡のように全てを返す事無く、それに特定の対応が出来るわけではない。出来るのは魔女の君だけなのだ」

 私はその言葉に頷くと、儀式を始めた。
 聖別された釘を抜いて柱から彼を下ろす。その身体は亡霊騎士、いやそれ以前からの戦闘のためか? 未だ癒えていない、傷の無い場所の方が少ない、痛ましい身体をしていた。
 彼を地面に横たえると、常時携帯していた、正確な儀式のためのアルメデアゥの粉で四万三千九百五十六の現代エノク語を使い、魔法陣を描く。
 『魔女の紡ぎ糸』。
 それは一週間以上前、初めて魔術師、摩壁 六騎の居場所を探るために使ったのと同じ技だった。
 心臓の緩やかな高鳴り。それと共に両手の間にアヤトリのように、意思の、魔女の紡いだ糸を巡らす。
 その両手の間に錬仁の頭を添えた。
 瞼すらも動く事なく、小さな魔人は眠る。
「彼は魔人化した事で、身体を全て霊気装甲に置き換えられた。いわばそれは全身が脳になるのと同じだ。全ての魔人はそのようにして、自らを回路のようにして世界に刻まれている。だから、仮に彼らが全てのエネルギーである霊気装甲を失っても、何者からか魔力やら霊力やら妖力やらを与え直せば再び彼らは召喚され、蘇る。パソコンのフラッシュメモリーのようなものか? そう、だから彼は魔人の特性のために記憶を忘れている、いや『判別出来ない』だけなのかもしれない。だが全ての記憶は霊気装甲を通じて全身に刻まれている。脳の十倍もある全身が全て脳にもなっているのだ。失われる事はない。だが、そこから真実を得るのは鳴門の渦よりも壮大で過酷なものとなるだろう。君は千年分の記憶から彼の本質となった記憶を見つけて、彼を『白い蝶』の誘惑から解放しないとイケナイのだ。そうしないと、彼は千年前の、彼を魔人へと決意させた時より最悪な事となるだろう」

 指でそっと触れる彼の幼い顔。
 苛烈な闘争に矮躯で挑む勇者。
 夢に敗れて彷徨う、まつろわぬ者。

 その彼の正体と本質を取り戻させる。


「『白い蝶』によって、おそらく記憶が判別出来ない彼のために、御伽噺(おとぎばなし)のような形式になっているはずだ。そのようなタイプの記憶操作には読み手が登場人物に同化しようと思うために、同調しやすい。引き込まれれば、君も蝶に囚われる。良いかい? 私が言うのも何だが、過去を振り返っていけない。それはただの事実の確認のためのものだ。流されるな、君なら出来る」


 私は錬仁の中へと入り込んでいった。
 次の瞬間、超新星の爆発のように、魔法の時に感じるような、あまりの日常ではありえない情報量の多さに脳神経がパンクしそうになった。

 ノイズの掛かった景色と彼の激烈なまでの心理、感情、本能。
 それは自己矛盾との攻防の記録だった。
 過去へと怒涛の大河に抗う鮭の如く遡っていく。


 ある記憶では彼は無数の零戦の間に佇んでいた。
 戦争末期、最後の決戦の望みのために、彼は地獄から召喚された。
 敵国により、全ての物資を封鎖され、彼らの国はただ緩慢に死を迎えるものとなった。だから彼らは戦う事を決めた。そのために彼は呼ばれた。
 南国の陰鬱なジャングルの中を、護国のために駆け回る槍兵。
 時に空母を真っ二つにし、零戦を足場にして戦い、戦艦を投げ飛ばす人知を超えた戦い。
 それに対抗するためにあらゆる世界の魔人が召喚された。天地を揺るがす戦い。その全てに赤い槍の兵士は勝利していった。
 その姿に突き動かされ、兵士達は獅子となって戦っていた。
 ――霊気装甲がゼロに成った時、彼は再びリセットされ、地上へ全ての記憶を失って戻った。
 マンハッタン計画。
 敵国が進めていた『原爆製造計画』。彼は、敵国だった国に二つに原爆を落とすための地上戦力からの護衛として、その被害を間近で確認させるためだけの存在として、敵国に捨て駒として使われた。
 二度の、当時最高の悪夢の被害を受けて、彼は地獄に戻った。

 ――ある時は最も嫌悪した敵に捨て駒に使われ、


 ある記憶では、一人の女が居た。
 西欧と侍が邂逅する最中、当時の幕府は権力の維持のため、西欧の悪鬼からの侵略に対抗する兵器として呼ばれた。それは正式な手順を踏まなかった不完全な召喚だったために、彼は歴代の召喚で最弱となった。それでも、西欧からの進出を目論む吸血鬼の軍団に負ける事はなかった。
 その件とは別に、人知れぬ山間に静かに暮らしていた女とひょんな事から会った。
 彼女は過去に彼に会ったと言い、彼は魔人故に思い出すことは無かった。
 それでも彼は彼女の楽しそうな思い出の話し振りと、不思議と明かさない好意の理由に自然に惹かれていった。彼は彼女を好いていた。
 しかし、蜜月は突然と途切れる。
 不完全な召喚は地獄へと帰還を促された。
「再び会ってもオレを忘れないでくれ」
 そう彼女は告げた。
 ――霊気装甲がゼロに成った時、彼は再びリセットされ、地上へ全ての記憶を失って戻った。
 戻った時には彼は開国派の手に落ち、その尖兵として戦い尽くしていた。
 古きを尊ぶ彼女がもう一度目の前に現れた時、彼は彼女を敵と認識した。
 壮絶で、それで居て物悲しい戦いがあった。
「やっぱり、オレとお前は敵同士なんだな」
 そう、地面に倒れた彼に、互いにボロボロの姿のまま彼女は言い放っていた。

 ――ある時は恋仲となった女を騙し、


 ある記憶では男は戦場を騎馬で駆けていた。
 それは怒りを自ら示すような、自暴自棄にも見える戦い方だった。
 侍の大将に仕え、彼の手足となり、同時に彼に付いた十人の部下の長となった。
 熾烈になる戦いで、彼は十人の頭となり、侍の見本となって戦い、尊敬された。
 ある時、天下を取るために自ら魔人と成り果てた男と直接剣を交え、死傷を負った。
 ――霊気装甲がゼロに成った時、彼は再びリセットされ、地上へ全ての記憶を失って戻った。
 戻った時には戦国は終り間際、彼は部下だった部隊を掃討する任務を与えられ、彼らの断末魔の悲鳴と口惜しいと嘆く声を聞きながら戦場の幕を下ろした。

 ――ある時は慕っていた部下を裏切り、


 ある記憶では彼は子供を連れていた。
 彼は同じように、私を守ると言った時のように、子供を守っていた。
 その子は禁断の子だった。有ってはならない、帝のもう一つの家系を作り出す血筋。
 時の権力者達は血眼になって探し出し、子供を殺そうとしていた。
 彼は守り続けた。
 背中の稚児のために自らに矢が当たる事すら厭わない。
 そして逃亡の日々の中、時に飢えと渇きを凌ぐために自らの霊気装甲を削って分け与えた。
 しかし、それは子供を連れると言うハンデ故の無限の消耗戦だった。
 権力者は幾度と無く何百人の暗殺者をあてがい、徐々に、効果的に疲弊させていった。
 そして、それは蝋燭がフッと消える瞬間のようにあっけなく来た。
 泣き叫び、彼を呼ぶ幼子の声。
 ――霊気装甲がゼロに成った時、彼は再びリセットされ、地上へ全ての記憶を失って戻った。
 彼は以前の記憶と繋がる手掛かりを得て、稚児を探し回った。
 探し続け、自らが来た場所の木の根元に、小さな石が墓標として立っている事に気付いた。
 そのまま、彼は巌のように、戦場で騎馬を駆るまで動かなかった。

 ――ある時は育てた子供を置き去りにし、


 ある記憶では一人の破戒僧が居た。
 地上を彷徨っていた彼に出会い、巨躯の破戒僧は契約を交わし、友にして、彼の武器となった。
 彼は主君を守るために、橋の上で荒法師から武人へとなった。
 錬仁は彼の持つ七つ道具の一つとして、動く武器として、そして、その者の友として動いた。
 時に互いに舞いを踊り、橋の上で友が敗れた主人を鼓舞し、互いに称え合った。
 ある戦で、彼は友を守るために自らを盾にした。身体にびっしりと刺さった矢。
 ――霊気装甲がゼロに成った時、彼は再びリセットされ、地上へ全ての記憶を失って戻った。
 そこには主君の兄である男が、彼と彼の主君ごと殺そうと目論んでいた。
 そして、錬仁は弓を執り、友だった男に幾度と無く矢を打ち込んだ。
 奇しくも、男は守られた彼に矢を突き立てられながらも、主君を逃しながら、立ったまま死んだ。

 ――ある時は親しい友となった者を殺した。



 それはどれも彼の責任では無かったように思えた。
 それでも足枷はあまりに重く、彼を引き摺り続ける。
 魔人となった故に彼らに出会い、魔人となった故に彼は自らとその周りを傷つけた。

 彼が魔人となったのは何時からなのか?
 そして、何故なのか? 何を求めるのか?
 それが今、明かされる――



 Every thing, never coming true dream.
 Every thing, eternal ending avenge.
 Every thing, freeze on forbidden secret.
 Every thing, failed preparedness at last.
 Every thing, imagined vice by himself.
 Every thing, own charged causation
 Every thing, past cast away from him.
 Every thing, never killing body.
 Every thing, never dead soul.


 It was a what truth was in the memory of his story.

 The story is just wanted by all he want.


 接続≫≫

 ――地獄使い生誕へ
 http://novel.colun.net/past_paranoia/


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