空想活劇譚【パラノイア・インフェルノ】


1 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/11(火) 09:06:33 ID:WmknzDW4

 物語とは虚構である。例え、それが実在の人物の伝記だとしてもだ。

 例えば、ある書で英雄として扱われた者は、別の書では多くの人間を虐殺した大罪人としてしか扱われていないのかもしれない。
 例えば、世界中を混沌に巻き込んだと全ての書物に書かれる人物は、真実ではただ一人、自分だけの孤独な、完璧な秩序を知っていた人だったかもしれない。
 そんな話の真実に最も近い当人達でさえ、その本人が認識を誤ればその人生は悲劇にも喜劇にもなりさえする。
 さて、真実の物語とは何処にあるのだろうか?
 そして、真実とは何なのだろうか?
 時間と言う名の断絶。
 共感と言う名の幻想。
 神話と言う名の妄想。
 ……答えは、あなた自身が見つけるより他はない。
 さて、ココにある一つの書を取ろう。ページをめくるか、本を閉じるかはあなた次第だ。
 本を閉じたあなたはこの本の真実を知る事がない。ただ、それだけだ。





























 ページをめくり続けるならば、あなたは、最も物語の核心に近い者の書から開かれる……
 では、しばし奈落と暴虐の道を少し辿ろうか……


25 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 09:44:05 ID:o3teQDzJ

幕間 鉄囲線四


 夜が来る。
 欠け始めた月が澱んだ空で笑っている。
 男が悲劇の伴奏を始める。
 男は今宵から始まる事を知り尽くしている。


 生温い水槽を、巨大な、アロワナのような魚が悠々と泳ぐように、三つの影が歩みを進めていた。
 二人の女に一人の男。
 内、二人は大人で一人は子供。
 内、一人は片腕、片目で、後の二人は健常者。
 女性の隣にくっ付く様に足を進める子供は金髪に緋眼と言う瞳。故に、黒髪の日本人である男女からは生まれ出る事は些か難しく、詰まる所家族のようにはまったく持ってして見えない。
 しかし、彼らには目に見えない、同じような独特の雰囲気があった。
 何か決意を秘めた、空気と言うものか、そうとしか表現しえぬ何かが纏われている。
 チグハグな彼らに共通する言葉はただ一つ。

 魔術師、である事だった。

「在姫お姉ちゃん、結構、いい人だったね」
 金髪の少女、蘭の問いかけに、独眼を細めた笑みを浮かべ、石火は頷いた。
「ラン、私は前々から彼女に関しては『良い子だ』と何度か言っていたはずだが?」
「何さ、魔女を狩るって決意した直前まではあんなに嬉々とした顔していたのに、急に相手が在姫お姉ちゃんだって分かったらデレデレしちゃって。何だか、ちょっと妬ける」
 焼きたて餅のように膨れた面を浮かべる蘭を、荻と石火は柔らかい視線で見つめる。
「ふふ、彼女を非常識の世界の住人だとは分かっていたが、まさか狩る対象になるとは思わなかったさ」
「教師になって初めて質問しに来た子だって石火は言ってましたよね?」
「荻君、君はどうでも良い事を覚えているのだな? まぁ、偽造の教師免許で三ヶ月もったモノだとは私も思うさ」
「石火が優秀だからさ」
「ふふっ。世辞はそれくらいにしておけ」
「(あ〜ぁ、バカップルが始まったよ)」
 ちなみにそんな風に彼らがまったりとした空気を醸し出しているのは、先程在姫達が遊んだ海辺側の都市部にあたる神南町の小さな公園の一つである。
 彼らは無断で魔術師同盟を脱退したので、今までの住処とその痕跡を消して、ただ今宿無し街道をまっしぐらに進んでいる。現在は先程まで濃厚に感じた、おそらく牽制のために態と目立たせていた死神達の尾行は消え去り、緊張はしていても緊迫した状況ではなかった。死神達は人を守るための機関であるため、死神公社のお偉いさんの一人が同時に治める魔女協会所属の在姫を守ると言う名目で魔術師達を監視していた。しかし、本来は人である魔術師達も対等に守られるべきなのである。もっとも、彼らの同盟者達が出した被害、公共物(学校と道路の一部)と建造物の破損(季堂ツィンタワー)のペナルティと言う事で彼らは放免され、同時に魔術師同盟からの追撃による被害も、亡霊騎士さえ関わらなければ死神公社からは度外視されると言う状況に陥っている。仮に亡霊騎士が出なくても、魔術師同士の争いはイコール人同士の争いとなるので、結局のところ公社は介入すら適わないのである。
 未遂ながらも襲撃を行った蘭はともかく、荻は流水に抱き込まれただけであり、石火に到っては襲撃すらまだ加担していないために蘭達からのばっちりみたいな罰である。無論、それでも笑って許すのが、蘭と荻に対する石火の立ち方なのだが。
 ともかく、そのために彼らは魔術師同盟の追跡から逃れる手段の一つとして、ダンボールハウス群の中に身をしばらく潜めて、それから街を出ようと画策しているところである。
 つまるところ、リアルにホームレスな状態である。
「むぅ、……ブゥ太郎、喉渇いた。抹茶コーラでいいよ」
 蘭は唐突に渇きを訴えると、その台詞に「やれやれ」と頭を振りながらも少し遠めに離れた自販機まで荻は歩みを進めた。幸いお金だけは魔術師らしく非合法なくらいあった。この辺りも魔女や魔法使いとの違いとも言える。
 蘭と石火はベンチに腰を掛けて、身を寄せ合った。
 ムッとする真夏の空気すら介さずに、ただただ二人の間を埋めあう。
「ランはどうする? 私達と一緒に来るかい?」
 最近、欧州で予言の書が現れたと言う話で、教会と吸血鬼機関の間で緊張が奔っているとの事だ。おそらく、彼らの異界の理を狙って、隠者である魔女達も乗り出すはずだと荻と石火は睨んでいた。
「どうしようかなぁ? もう二人とも子供とか欲しいでしょ? 私とか居たら邪魔じゃない?」
 とぼけたように言う蘭に、石火は少し悲しそうな表情を浮かべる。
「邪魔だとは思わないよ。ランは……、私と同じだからね」
「…………」
 片腕のみでギュッと蘭を抱き締める。それは『孤独』を埋める為の方法の一つだった。
「あのね……、セツカ。在姫お姉ちゃんはね、私達と同じで、でも違うと思うんだ」
「私達と同じで……、違う?」
「うん、たぶん、在姫お姉ちゃんも、最初は『孤独』だっただと思うんだ。同じ匂いがするの。でもね、強いんだ。立ち向かうの、それでも、何だか知らないけど、とにかく根拠も無くガンガン進んじゃって、気付いたら、友達とか居るの。私達みたいに、似た者同士で身を寄せ合う必要なんて無いんだよ……」
 眼差し。魔眼とは関係無く、ただただ強い意志。挫けそうになっても、押し潰されそうになっても、何時の間にかケロリと克服する。そして、ただ単純に貫く。
「やはり魔女でなければ、出来ない事なのかも知れないな?」
「……うん。ところでさ、抱っこされるの好きだけど、ちょっと暑くなったの、セツカ」
「あぁ、済まない」
 身を離しても浮かされた温い空気が揺らいだだけで、むしろさっきと同じでも構わないように思えた。
 夏の熱気で妙に鮮やかな彩色を散らす月を見上げる。
「とにかく、二人でいる時間は作った方がいいよ。夫婦は夫婦でいるべきだぞっ?」
「私達は法的には、まだ赤の他人なのだがな」



 足音が高く鳴り響いた。公園のレンガを打つ皮のブーツの音。
 急に、予報では聞いていたはずの雷雲が、今まで気配すら見せなかったにも関わらず、それに引き連れられるように、従うように迫ってくる。
 雲が月の周りを包囲するかのように風が一陣と薙いで覆い出し、直後にまったく、自然すら緊張して動けないかのように全てが凪いだ。臥待月が、暗黒の雲海に囲まれ、逃げる事が出来なくなった。
 男が居た。
 その場に居たのが当然であるかのようにその男は居た。突然、男を照らし出したスポットライトであるかのように月明かりが降り注いでいる。煌々した月光で輪郭だけが縁取られて、巨大な黒い男が聳え立っていた。
 黒いローブは魔法使いらしく羽織られ、左右に伸びる鎖骨と白い肌が何かの祭壇のようにその狂った神性さを主張している。その祭壇さえなければ、影絵のような黒い男だ。
 男の左手には、全身が血塗れになった荻が首を掴まれて、白目を剥きながら痙攣を繰り返していた。
 誰も一言も発しない。発せられない。
 ただ周りの空気が鉛に変わったかのように、彼女らは眼球一つとして動く事が出来なかった。
「楽しい夢は見れましたか? 裏切り者ども」
 男は楽しそうな声色でそう言った。
「モ、脱皮者(モルター)……」
 搾り出すように、蘭は呟く。
 一度として、本当の声は聞いた事は無かった。だが、その声色は聞き覚えがあるようで居て、耳に覚えのある相手の印象とはてんで違っていた。だが、例えがこれが凶器だと教えなくても、ゾッとするような気配を感じるように、先ほど会った時とは違い、鞘から抜かれた血に塗れた刃物を曝すような、言い知れようのない明らかな存在感と圧迫感があった。
 この存在は議論する余地すらなく、中世の頃に常人と魔女を問わずに二万人超に実験をし、心臓を抉り出し、魔術師から魔法使いへとなった究極の実践者。魔術師の皮を脱ぎ捨てる事すら出来た最高の元魔術師。【脱皮者】。
 直後に、ゴミの回収員が投げ捨てるような気軽さで、百三十キログラムを超える男を片手で石火の足元まで放った。
 首から落ちた時に、彼の首元から、何かが不自然な圧力で砕ける嫌な音が響いた。
 彼女は思う。
 あれほど愛した男なのに、今は何も、何も考えられ無いほど、何も感じない。
 可笑し過ぎて笑っちまいそうなくらいなのに、何一つとして、心に去来するものがない。
 踏み潰すかのような圧倒的恐怖で心の機能が麻痺でもしたのだろうか?

 影のような男は白い歯を覗かせて哂った。
「おそらく、君が思っている事とは違うはずです。単純な事ですよ。君が愛していたと思っていた男とそれに伴う事象は、錯覚に過ぎなかったのです」

 魔法使いに口を押さえられて、無理矢理粘りつく濁った液体を飲ませられたような、胃の気持ち悪さ。
 思い出と名のつくモノが愛の名の下から地の底へと崩れ落ちていく。
 悲しみを思うはずの感情が狂って、あれほど近くにあったはずの存在感が急速に離れ離れになるように感じた。

「いや、錯覚に過ぎないが『愛』と名のつく仮初の衝動はあったかもしれませんね。それよりも、今の君を生かす、より強い衝動が過去にあったのを忘れたのではありませんよね?」

 その言葉が引き金となった。
 石火は頭蓋の内側から発する鋭過ぎる脳の痛みに片手で頭を抑えながら、ベンチから転がって地面に臥す。声すら挙げる事は出来ないほどの痛みともう一つの感情の嵐。
 いつもなら駆け寄れるはずの蘭は、無敵とさえ思っていた荻が廃棄物のように投げ出され、ただただ増大してく魔法使いへの恐怖に身を震わせて動けなかった。
 そして、石火の脳裏を抉るのは、いや『実際に抉られていた経験』で疼くのはあの光景(惨劇)



 吹雪く雪原、周りには何もなく、白い粉が肌に痛いほどの風で胎動する。
 それに混じる赤く湿った粉。
 それを発する中心には千切り取られた首から、鮮血をスプリンクラーのように振りまく、父と母と呼ばれたモノの抜け殻。
 その中心には血粉をただのシャワーのように浴びて、先程までの鋭い目つきを緩め、恍惚とした表情を浮かべるセーラー服姿の少女が立っていた。それを見つめるのは、まだ同じ程の少女と言っても過言でない頃の石火。
「気ぃん持ちいぃ〜〜、この暖かさ、最っ高」
 赤い舞台の上をくるくると少女が廻る。その両手には、掴まれ、砕かれ、捻り取れて、歪んだ、肉親だったモノの頭部。
 石火の口からガチガチと歯の根の音が絶え間なく流れ出る。両足は既に彼女に折られ、普通では曲がらない方向に曲がっている。逃げられはしない。
 辺りに散らばるのは大量の、既に消費された重火器とその残り香を発する薬莢、使えないほどの魔力の残滓しか感じられない魔女の遺産。そして、肋骨を素手で観音扉のように開かれて撒き散らされた母の臓物と、肩と股関節から先をそれぞれ虫のように捻り取られた父の残骸が白い野原に突き刺さって散らばっていた。
 ロシア、モスクワ郊外で暴れると言われていた魔獣。それを討伐し、サンプルを取るために大統合全一院、通称神秘院から三枝家の派遣の命が降りた。まだ中学を卒業したてにも関わらず、その魔術の頭角を同年代から引き離す程に現した石火を連れて、三枝家はその場に乗り込んだ。
 しかし、彼らに取って酷く残念な誤算があった。その場に居たのは魔獣では無く、もっと賢く、()きれるほど強く、そしてより残忍な生物だった事だ。
「見て見て、ほらほら、清里 鋼音(キヨサト ハガネ)のリアル首人形劇ぃ始まり、始まりぃ」
 そう言いながら、肉を掻き入れる鈍い音を立てて、首の切断面から頭部に向かって手を押し込んで鋼音が玩ぶ。手を押し込まれて反対にダラリと出てきた、母の舌。その下顎部が、イカレタ少女、鋼音の手でカパカパと、まるで手袋を使った人形劇のように動いた。
「『おねがぁっ、セツカをごろざないでぇぇぇ、げふ』、……ハイ死亡。ってこれって死んでるのか、もう。……笑えない。冷めた。あんた要らない、ぽぃ、さよぉならぁ」
 そう言いながら、片手を横に振って、雪原に石火の母の頭部を投げ捨てる。人を超えた力で投擲された頭部はあっと言う間に真っ白な背景からは見えなくなった。
「さぁ、次はお父さんだよぉ。『馬鹿な! 魔術が効かない、セツカ逃げろ、がはっ、ぎゃっ、痛ぃ痛い痛いいだ、ごぅっ、ぉ』……、逃げろ? プッ――、ごめん、無理。残念ですが、お父さん……この子、全然長生きできません。……ひゃは」
 鋼音は自分よりも明らかに大きな石火を、寝そべって動けない状態から片手で引き揚げる。
 彼女の顔の目前で、それぞれの目が意志を失って別の視線を向けている彼女の父だった肉塊を使い、垂れ出たままの舌と共にカパカパと口を動かした。
 石火は見る影も無い家族の姿に目を瞑って顔ごと逸らす。
「はぁいよく見てねぇ、て、目ぇ瞑っちゃダメでしょ。お父さんなんだよ、あなたのお父さんだったんだよぉ。そら、よく見なさいなぁ? ね?」
 固く瞑ったセツカの瞼に少女の細い指が引っ掛かり、勢い良く引かれる。瞬間、右目の奥まで何かが入り、そしてコードが切れるような音が耳の奥でした。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 雪原に埋まるように、ぽとりと落ちた彼女の一部。
「ほらぁ、ちゃんと目ぇ開けないから、指が入って眼球が抉れちゃったじゃん、あらら。えいっ」
 その落ちた球体を鋼音は踏み潰した。ぐじゅりと中の水晶体を撒き散らす。その動作は、あくまでついで、と言った感じの挙動だった。たまたまその場に有ったから踏んだ、その程度の理由だった。
 ピクピクと震えながら、セツカは両手でがらんどうとなった肉の穴を押さえる。
 眼窩に滑り込んだ際に目玉をぐるりと囲む、頭蓋骨の一部である眼底の骨すら砕かれ、脳も直接傷が付いていた。それでも生きていたのは運が良いとしか、いや悪運が強いとしか言いようがなかった。
 滂沱の血涙とただの涙が赤と透明の一筋の流れなって雪原を潤ませる。
 まるで世界の捩子が締め上げすぎて狂ったようだった。
 壊れる。
 彼女の心が壊れる。

 しかし、その確実に常識が狂った状況で転機が訪れた。圧倒的なまでの生命の蹂躙。尊厳の剥奪と陵辱にも等しい暴行。それに対して、心は抵抗を生み出すために恐怖の変わりに一つの感情を生み出した。

 殺意。
 恐怖を殺意で塗り潰した。
「……良ぃ感じじゃあん。人間だったら、あの当宮(すちゃらか)兄弟達を引いたら世界で一番強い殺意だよ。でも、そのままにしとくのもウザイから、終わらせてあげるね? きしししししししししししししししししししししししっ」
 もう一つの頭部が雪空を飛んでいく。父だったモノも無くなった。
 鋼音の指先が、人外の殺意として顕現し、その形状をそう言うモノだったかのように、『常識』を従わせるように形を凶器へと変えていく。爪が煙を上げ、音を立てて、指と一体化した獣の鉤爪のように変えていった。歯茎から抜けるように漏れる笑い声。まるで虫がゾロリと這いずるような、掻き毟りたくような笑い声。
 痛みは恐怖を塗り潰すと同時に、セツカの中で生まれた奇妙な脳の快感物質でとうに失っていた。しかし、気概はあっても、その暴力に立ち向かう術は無い。
 正しく、絶体絶命。

「じゃあ、死ん、うあっわ」
 鉤爪がセツカに届く刹那、鋼音の体が吹き飛んだ。
 少女の居た場所には、肥満、否、屈強な筋肉で覆われた男が飛び蹴りを終えて、赤い舞台へと乱入して居た。
 鋼音は倒れた状態から地面を叩いて、足を伸ばしたまま勢いだけで立ち上がる。
「――きみは邪魔するの? ねぇ?」
 男、斐川 荻は少女の問いに答える代わりに親指で後ろを指した。
 そこには枯れて年輪すら刻まれたような、それでも妙に筋骨の発達した小柄な老人が、僅かに老人よりも背の高い、一人の灰色のコートを着た女性の肩に手を置いていた。
 付け加えて言うならば、老人は肩を押さえている相手が身長と体重が三倍ほど違っても、軽く手を置くだけで体の自由の全てを奪い続ける事が出来た。
「鋼音、実験は終わりだ」
 老人の気が少しでも変われば八つ裂きどころかこの世から消滅させられる事すら可能なのにも関わらず、女性は、双葉宮 咲貴(フタバミヤ サキ)と呼ばれる最悪の研究者は表情を一つとして変えなかった。淡々と、惨殺のそれが実験である事すら疑わず、怒りを煽る事すら分かりながら、言い切ったのだ。
「えぇー、お母さん、こいつらぶっ殺しちゃってもいいんじゃない? ねぇ、殺しちゃおうよ、ひゃは」
 そう言う鋼音に「いや」と短く答える。
「鋼音は、まだこの老人、【大災害】に勝てるほど進化はしていない。大人しくここは退くんだ」
 彼女は常人では数日で発狂するほどの複雑な思考を持ちながらも、答えは簡潔なものしか言わない。そしてそこから導かれるのは全か無か、二者択一。そして、彼女の選ぶそれは大抵正答であり、覆された事は殆ど無いに等しい。
 つまり、鋼音はこの面子に勝てない、と世界で最も冷静な女がそう言い切ったのだ。
「む、それは遺憾。でもお母さんが言うならしょうがない、撤退、撤退、……とその前に」
 倒れたままの石火。右目を押さえていた右の腕が鋼音の見た目に似合わない豪腕で引き伸ばされ、そのまま二の腕を踏み潰された。
 千切れ飛ぶ。痛みは、悲しみは、今蹲る永久凍土よりも凍結していた。
 そして、ぶつ切りにした腕の断面から鋼音はボリボリと咀嚼し始めた。腕を食っているのだ。石火の指先はまだ反射だけを残しているのか? ピクピクと薬指が震えていた。
 石火は叫び声すら挙げずに、その光景を決して忘れないように瞬きすらせずに、鋼音を見続けていた。
 それと目を合わせながらウットリとした視線で、まるでこれから樽で熟成するワインの味を想像するような、目の前で膨れ上がり後々に爆発する憎悪をただただ楽しむように食事をしながら眺めていた。
 そして指先までを飲み込む。喉が揺れ動いて、三十秒弱で、少女の腕が同じく少女の胃の中に収められた。
「女の子の生の腕おいしぃー。じゃ……、お母さん。私は帰るね」
 そう言うが早いか、次の瞬間に、背中のセーラー服をズタボロにして、背中から捩子くれた、羽のような、同時に触手のようなモノが生え出でる。それが地面を扇ぐが早いか、一振りで風と雪が舞い踊る天空へと消えていった。
「治療しようか?」
 実験のために、とでも付け加えられそうな咲貴の言葉に、痛みと湧き上がる憎悪、甚大な被害で動く事すら適わない石火に変わって、大災害は「いらぬ」としゃがれて、それでも深みのある声で返答した。
 そのまま、徒歩で、ロシアの雪原から立ち去ろうとする咲貴が不意に立ち止まり、石火を見据える。
「この世界の常識では私の子供達は殺せないよ」
 彼女とその家族が、家に先代が魔女として残した遺産で作り上げた、世界の常識に属する魔術では役に立たなかった。
「魔法使いでもならなければ無理だ」
 雪原と向こうへ彼女は消えていく。同時に流れ出すぎた血で朦朧としていた中で、それでも三枝 石火はその凍った心に穴が開くほどに刻んだ。

 イカれた女の作った子供達。十二人居ると言われ、【死を裏切る者】と呼ばれる者たち。
 蟻登啄木(アリト キツツ)
 偶院刹那
 偶院未来
 偶院永久
 宗我部八重(ソガベ ヤエ)
 (真藤夏彦(シンドウ ナツヒコ)
 他の名も亡き者達に続いて、
 そして、最後の、最高傑作と呼ばれる、最悪な殺戮者、清里鋼音。

 こいつらを殺し尽くすと誓った。

 誰も邪魔させない。家族を奪い、腕を奪い、目を奪い、先祖の功績である魔術の意味を奪った女とその眷属達。
 奴らを殺す、と誓ったのだ。
 一人ずつ、殺す。
 同時に親類縁者形振り構わず殺す。
 出来る限り、生かしながら殺す。
 もったいぶったように最後に、傑作を殺す。
 そう誓った。
 穏やかな毎日で埋もれそうになる中で、決して、一時足りとも忘れ得ない執念。

 復讐を誓った。



「そんな貴女に朗報です。この街に、貴女の宿敵である眷属の男の一人娘が居ます」
 脱皮者の声に、たった一つの目が爛々と、月明かりすら無視するほどに明るく見開かれた。
「魔人殺し、漆黒の覇者、千の闇を飲む笑顔、そして、闇の神である事の知られている極悪兄弟テロリストの弟、偶院 永久に娘が居たとは誰が知りえるでしょうね?」
「名前を、言え……」
 スイッチが入る。そこに居るのは、知的な数学教師でも、恋人と戯れる女性でも無く、灰色の瞳をした復讐者にして、魔術師の(かお)をしたセツカが居た。
「母の名は、九貫 愛媛と言うのですよ?」
 はじめて、反応すらなかった蘭の顔が強張る。まさか、こんな偶然があるのか? まるで仕組まれたような、計画されたような、望むように切り取られ、分かったように嵌められるパズル。そして、知りえたように組み上げるような悪行の絵図。
























                「九貫 在姫、それが娘の名です」



 復讐者の歓喜の叫び声が、畜生のように、街を、月を揺らがせた。

 二十四分後、市内の緊急病棟に一人の異常に筋肉質の男性が搬送された。
 直後に、その男性を運んだ少女が病院から行方を絶った。
 男は七月二十四日、午前三時十四分現在、未だ昏睡状態のまま眠っている。



 When it come to push, memories alway betray me.
 Summer's memory begin to rest.
 I don't look back to her.
 I retrace once again deep past events...


26 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 10:06:09 ID:o3teQDzJ

大叫喚


 いざと言う時に、思い出はいつも裏切る。
 夏の眠りが午睡に沈み始める。
 彼女へは振り返らない。
 遠い過去をもう一度振り返る……
 
 七月二十四日

            −Side A−

 夢では無い、ただただ何処かに沈み込んで、それでもそのまま漂うような妙な感覚に私は浮かされていた。
 足元は定まらず、ただただ感覚に流されるままに、体を浮かせるようにゆらゆらと動かしながら保っていた。
 指先一つすら動く気配が無いので、仕方なくその任せるままに漂わせているしかない。
 そして、遥か遠くのようで、もしくは私の耳元でボソボソと囁く声達が聞こえる。

「……つまり、あいつの復活は……」
「……無理です。それに、出来たとしても遅過ぎるでしょう。彼はたぶん変わりません。魔人のままです」
「どうすんだよッ!! このまま、奴の思い通りになるのかよ?!」

 怒り、それと同じくらいに、それぞれの、三人の男の声は各々の感情を秘めていた。
 望み、諦め、怒り。
 何だろう? この声に懐かしさを感じるのは?
 そして、何だろう? 誰か一人、足りないのでは無いか、と感じる喪失感は?
 本当は四人だったのでは無いかと言う確信は?

貞光(さだみつ)、奴のした【予測】は何処までだ?」
「千年後かと。私でも、それ以上は【予知】では見切れません」
「その時まで、あいつも生きているのか?! 奴を打ち殺した方が早いんじゃねぇか?」
「彼は、奴については公式上死んだ事になっています。足取りも既に掴めていません。おそらく大陸まで逃亡したのでしょう。加えて、千年後まで彼が生きているかどうかは分かりません。ですが、彼は【地獄使い】となったのです。おそらく、その時まで苦痛と忘却と殺戮を繰り返すのは確かでしょう」

 苦痛と殺戮。そのまま言葉どおりに考えれば相反する要素の言葉に思える。だけど忘却と言う中間要素によって、彼の言葉の重みが単純な話で無い事を容易に考えさせた。

「千年なんて、気が遠過ぎるぜ……」
「だが、俺達はやり遂げなければならない。大将とアイツをこのままにしていいのか?」
 沈黙。彼らの言い知れようの無い気持ちをその無音が代弁する。
「では、手筈通り。私の法力で時間を掛けて『  』様を少しずつ転生させます。千年後は、彼の力が最も弱まる頃、彼が気付けば、もしくは彼女が気付かせればどうにかなるはずです。それを秀武(すえたけ)殿には補正して戴こうかと思っています。次世代へと、己の血をもってして継承させていくのです」
「お、おいおい、よりよって俺を選ぶのか?! それなら(つな)の方が妥当じゃないか?」
「……実は、俺の命は長くないんだ。核の病だ。もって五年かそこらだろう。それに【繁殖】なら、お前の方が得意だろ?」
「わざわざお上品ぶって言うな、性交と言え」
 男達の場の空気に合わないような軽口で僅かに空気が緩む。こうやって、彼と彼らは乗り切ってきたのだろう。
「で、爺と同じ病に掛かってやがんのな。お前」
「黙っていたが、俺と翁は父子の関係だ。血の連鎖、病も血脈を通して伝染すると言う事だ。俺の子供達が繁殖する前に死んだらどうする?」
「父親?! 本気(マジ)かッ?! あの爺とか?! と言う事はあいつとは兄弟だったんだな! いや義兄弟か?」
「まぁ、普段の雰囲気からして今更と言う感じですが」
 緩んだ中で再び、緊張を走らせる三人の男達。
「そうだな。代わりに俺は、残りの人生を掛けて、アイツの息子に全てを伝えようと思う」
「お前の全て……、伝わるのか?」
「悪いが、アイツと才能は似通ったもんだ。筋が良い。三年もあれば『矢止め』と、その先も教えられるはずだ」
「矢止めの先、つまり、あれが、使えるようになるのか?」
「あぁ、あれはアイツの血筋なら出来るはずだ」
「……と、言うわけですが、相模(さがみ)さん。貴女はよろしいのですか?」

 そこで、私はもう一つの気配がある事に気付いた。翳りを感じる女性の気配。それは何故か、感覚的に言えば、私に凄く近い雰囲気に思えた。
「私は……、彼を貶めたようなモノですから償わなければなりませんでも。でも、それ以上に」
 愛しているから、と言うのもあるんですと、ただ真っ直ぐに、素直過ぎるくらいに、騙されてしまいそうなくらいに、彼女は言い切った。
「……と言うかよぉ、『  』ちゃんと同じくらいあの唐変木(とうへんぼく)から強い思いがあるのって相模ちゃんしか居ないんだけどな」
「まぁ、あいつの妻であるくらいだから当然だろう」
「あぁ、腹立つぜ。何であいつはこう良い女に求められるだろうな? 俺の出会いと春は何時じゃッ――!!」
「器の差では無いか?」
「うるへぇ」
「では、決まりましたね。相模さんを母体として、少しずつ『  』様を転写しながら、転生させていきます。完全な復活のそれまでは貴女は一本の木、【クヌキの木】となって、彼女を生産し続けるでしょう。完全な彼女を生み出すまではそのままです。その過程で貴女は少しづつ自我を転写で、分け与える形で失います。無論、最終的には彼女の中に霊的に溶け込む形となり、主人格は彼女のモノとなるでしょう。むろんの事、私達は『彼女の完全な転生』を望みますが、それは貴女が待ち続けなければならない苦痛となる可能性があります。貴女は、それでもいいのですか?」
 淡々と事務的な口調では続ける。それは、その法力を行う者として術自身の恐ろしさを知っている故の言葉だった。
 むろん、残りの二人の男達も彼女が拒否をしたとしても責めるつもりはまったく無かった。彼らは同罪だったからと言うのと、待ち続ける事の虚しさを知っているからと言うのが心の中にあるからだ。
 しかし、彼女は柔らかく、微笑んだような気がした。
「確実に訪れる幸せな時を、何故恐れる必要があるのか私はまったく分かりません。私の想いが、ちゃんと届かなかった想いが『  』様を通してあの人に届くなら、それは幸福と言うものです」
 彼女の決意が、千年の間待つ事への虚しさと自我を失っていく己、その全てを肯定した。
「……やべ、……俺も負けたわ。ならやってやるさ。俺の転生なら『  』ちゃんより簡単なんだろ? アイツらと相模ちゃんが幸せになるように千年後までせぃぜぇ女の尻の後ろでも駆けずり回ってやるさ」
 下品なようでいて、その癖やたらと陽気な笑い声を挙げる。
 先ほどまでの絶望的な声色の中に、微かな、希望の篝火(かがりび)がまだ奥底で燻っているかのように仄かに暖かさを感じた。
「では、彼の『呪い』を解いて、全てが元に戻るように――」



「どうした、在姫。朝から呆けて?」
 そこで私は覚醒した。左手には水の入ったコップ、右手には歯ブラシで、その先端はまごう事無く私の口内に納められていた。
 鏡には、起き立てたのまま、ぼんやりしている寝巻き姿の私の顔が映されている。左の頬が歯ブラシでプクリと膨らんでいる情けない顔だった。
「ヒョウチョ〜、おぁよぉ〜」
 しょぼつく瞼を起こして、鏡越しに映る友の名を呼びながら挨拶をすると言う面倒くささを見せびらかしてみてみた。
「どうした、在姫? 朝っぱらからスッキリしないのか? ……キスして欲しいのかい?」
「イランわ!」
 と、そんな朝っぱらからの寝惚けも覚めるあほなやり取りに、「朝御飯ですよぉ」と呼び掛ける本人自体が明らかに楽しそうな曲さんの声が聞こえた。

 今日は朝から雨。昨日から急にふって沸いたような台風予報。近年の異常気象によるモノとの予報らしいが、魔女が言うのもなんだけど、誰かが作ったような気配もしてきそうなくらいタイミングの怪しいものだった。ジョウチョー曰く、「気象なんてモノは混沌の学問だ。晴れを導く数式に気象予報士が匙を投げて、数学に転向するくらいだからな。その辺りは三枝先生の専門ではないかな?」との事。
 和木市は進路とその暴風圏からは多少外れるが、雨は降り頻っている。
 外の風景を透かす窓は灰色に塗り潰されていた。
「昨日の内に遊びに行って正解だったな」
 ジョウチョーは緑茶をまったりと啜り、そう、朝食後の会話を始めた。
 キッチンから几帳面に皿を磨く音をさせるのは国定である。
 曲さんは腰から首元まで包帯をきっちり巻いて、黒い半纏を羽織り、昨日の惚けた状態よりも些かに真剣な目付きをしている。どうやら包帯の巻き方で性格的な部分が変わるようだ。ところでその包帯を巻いた体付きが、昨日の恥ずかしがっていたスクール水着よりも非常にイヤラシイ気がするのは錯覚だと願いたい。
 ちなみにその妙に真面目な視線は、国定に「お残しは許さん」と言われたピーマンの肉詰め、の残りであるピーマンに向けられている。朝食終了したはずの時間から三十分ほど経っているが、曲さんはロダンの有名な彫像(考える人)の方が躍動的なくらいピタリと動きを止めている。将棋なら長考のし過ぎでアウトになりそうな時間だ。
「遊びか、まぁ、本当にパァッと遊べるのは、事件が終わってからだろうけどね」
 昨日のあの降って沸いたような馬鹿騒ぎが三枝先生の差し金と悪戯だと気付かないジョウチョーに苦笑しつつ、残りの魔術師と魔法使いについて考えた。
「奴ら、ここまで攻めてくるかな? 国定、残りの魔術師について何か知らない?」
 ちょうど洗い物を終えて、手をエプロンで拭く国定に問いかけた。
「鞍路慈恵についての情報なら昨日上書きされた差分がある」
 椅子に座って、食卓にごく自然に腕組みのまま腕を置く。ちなみに私と同じように身長が合わないためか、若干肘の位置が高めの気がする。
「奴の魔術の名は【磔刑(たっけい)】、奴が欧州で魔術を発生させた時に、その魔術を受けた者の体の何処かに『十字』の紋様(サイン)が刻まれる事から名付けられた。詳しい作動原理は分からないが、欧州ではその魔術によって千人単位で昏睡状態に陥り、二日程(うな)された後に衰弱死している。加えて、鞍路 慈恵と言うのも本名なのか怪しいらしい。どうも【双頭蛇(アヌピスバナブイエ)】と言う別の魔術師結社にも過去に属していたらしい。既に自ら破門したらしいがな」
「あー、聞いた事あるなぁ、それ」
 確か、人の体から人外へと転生させる方法を研究している大きな魔術師結社の一つだ。ちなみに人から人外へと転生に公式に成功しているのは、目の前にいる国定のような魔人転生と、その隣でようやく泣きながらピーマンを咀嚼し始めた曲さんの死神公社の死神転生、そして双葉宮 咲が行った純粋なエネルギーと概念の塊にする神転生のみだったはずだ。奇しくもその成功の二例が顔を付き合わせて、片方が御飯を作って、片方がそれを食べている図は結構凄いと思う。
 双頭蛇は神秘院に属する正式な団体であり、言わばモグリの魔術師が多い中で、きちんと組織に属した魔術師を輩出している結社であるのは魔女協会の中でも知れ渡っている。バイオなんちゃらとかを使って新しい転生生命体を作り出す研究だった気がする。
「でも、彼は人体改造系や環境操作系って感じじゃないよね。能力的に」
「どうもその様子だと記憶などを操る輩のように感じるな」
 ジョウチョーの眼鏡がキラリと光る。前から気になってるけど、それ、どんな作動原理なの?
「でも、記憶とか操るタイプの魔術師って人外とかに転生なんか出来るの?」
 その私の問いに曲さんが「可能だ」とようやくピーマンを飲み込んで口元と目元を拭きながら答えた。
「公社では『寄生』、『乗っ取り』、『肉体交換』などで実質上妖魔の体を我が物にしている奴らは少なくない。無論、私達によって彼らは『人外として』手配、検挙も、それ以上の事もされているがな、中々鬱陶しいものだ」
 曲さんは包帯の締め付けによる性格の引き締め効果(?)のためか、些か厳しい口調で返答をする。
「でも、磔刑に掛かった人は衰弱死したって話でしょ? 魔術って効果が限定指向性だから、一つの効果しか及ぼせないんじゃないかな? 衰弱死させる事と妖魔の体を手に入れることなんて関係あるかな?」
「未熟者、効果は一つでもそれを利用した『結果』は応用によって様々に引き起こす事が出来るだろう? 例えば、【轢刑】の摩壁 六騎は機像兵の使い手だが、それを利用して義手、義足を操作していただろう。同様に【流刑】の保隅 流水は物体をすり抜けると同時に、前回は気付かれなかれる事はなかったが、魂を直接見る【魔眼】以外の様々な電子、及び霊的な探知などをすり抜ける事で様々な探知を無効化していたのだ。偶々彼らが自然に魔術の効果を応用していただけだがそれぞれ実際は凄い術式なのだぞ。特に君は侮っていたようだが、保隅の魔術を使えば人体から血も一滴も出さずに心臓を瞬きの内に抜き出す事だって可能だったんだ。俺は魔術師の中で一番危険だと思っていたのは彼だったのだからな」
 ……マジですか? あのちょっと別の次元に逝っていたおっさんが本当の意味で危険人物だったとは(にわ)かに信じがたかった。
「戦力分析がどちらにしろ甘い。もっとよく考えろ」
 まったく、この三日間で進歩したかと思ったら、云々と続く国定の苦言にイライラを募らせながらも、コホンと咳払いをして「ところで今後の対策だけど……」と切り出す。それに合わせてさり気無く自分の履いていたスリッパを国定の脛に飛ばす事も忘れない。
「どうしたんだ、国定さん?」
 予想外の攻撃だったのか、それでも最後の砦のためか「別に何『とも』ない」と脛を摩りながら曲さんに返答するクールフェイスの国定。流石に「何『でも』ない」と言わずに、皮肉を返せるくらいの気力はあるみたいだ。
「私が思うに、積極的に魔術師を探した方が良い様な気がする。何ていうのかな? 何だか、魔術師とか、その背後に居る魔法使いとかを超えた、魔女狩りよりも、もっと大変な事が起こっているような気がするの」
 直感的にそう言う私に同意するようにジョウチョーと曲さんも相槌を打つ。
「魔女の予感と言う奴だな。確か、異世界の理を操る、この世界の外から外観を観測する事に長けた魔女の能力と言ったところか。公社でも信用に足るモノとして、魔女の予感による事件予知も有力情報として処理しているし、有力な判断となりうるな」
 曲さんの付け加えるような言い方にも関わらず、国定はウンともスンとも言わずに、眉毛の間をくっ付けるような難しい顔をしていた。
「……もし、在姫が自ら魔術師を足で探したいと言うなら、俺はその考えに賛成できない」
「なっ!!」
 何で、とも続けられない。彼の射抜くような瞳が私を見据える。
「魔女狩り以上に大変な事が起きる可能性があるなら尚更だ。魔人や死神のように霊的処理を施した体なら関わらず、君は生身なんだぞ? 流石に魔女狩りの枠組みを越えるなら、人の世界の事柄と言えども公社は動かざるを得ないはずだ。双葉宮 咲貴の事例もあるだろう。まぁ、あれは担当死神の暴走行為による無許可の【斬殺】だったらしいがな」
 死神の手によって人が死んだ事例が死神にとっても痛い事なのか、曲さんは口をへの字に曲げて納得のいかない表情をしている。私の方からしてみれば双葉宮は噂に聞く限りは色々トンでもない事をやった魔術師との事なので斬殺されても仕方がないだろうし、それの報いを受けるだけの事はやったはずだ。むしろ、殺される事位は彼女の想定の範囲だったかもしれない。公社が人が死ぬ事を気にする事の方がおかしいくらいだ。何でも噂では千年も生きている、実は妖怪だろうと言いたくなる様な魔法使いや魔術師もいるらしい。
 人にはそれぞれ、個人が選択した人生がある。それに後悔するのは、選択した時からの全ての自分とそれに関わった全ての人と事柄を否定しているに過ぎない、と私は思う。良い事だろうが、悪い事だろうが、それを完遂した、御祭りが終わった後のような、不思議な疲労感のような気持ち以外は私はいらないと思う。だから私は終わる瞬間まで駆け抜けていたい……
 と、少々思考が脇道に反れて転がってぶっ飛んだが、国定の続ける物言いをとりあえず聞く事にした。
「……と、まぁ、死神をとにかく責めている訳ではない。むしろこの段階では十分な抑止力になるはずだ。しかし、魔女であろうと在姫は諸々の部分に置いて人の領域を超える事は無い。大蛇どもが蠢く巣に裸足で歩かせる事など出来ない。ここは昨日も言ったとおり、曲さんに守られながら大人しくここに引き篭もっているんだ。昨日からの挙動を見た限りは常寵も信頼に値する。俺が魔術師と魔法使いを狩る間は大人しくしている事だ」
 何ですって?
「つまり、何? 私は魔術師に一般人を盾にされたり、学校に侵入を許したりされてコケにされたのに黙って、しかも指を咥えて家の奥で縮こまって見ていろって言いたいの?!」
「君は戦士では無い。戦で死ぬのは魔女の本懐では無いだろう?」
「そう言う事を言いたいんじゃなくて、それに、私は国定を一人にはさせられ……、え?」



 そこで、私は違和感を感じた。
 黒い金属をピタリと後頭部に突き付けられて、それが銃口だと分かるような、そんな硬く鋭い視線。
 それは流血の殺意を十分に含んで、生理的に受け付けられないケダモノがヌルリと撫で回す舌先ような嫌悪感すら感じた。
 私の感覚と、それを拡張する屋敷の魔術的な簡易結界が何かの襲撃を掴んでいた。それが異常なまでの、知覚出来るほどの襲撃者の攻撃衝動の正体だ。
 その視線とは別に、ほぼ同時に館の敷地に忍び込んだ小さな気配。それは玄関に手を掛けて、そのまま入ろうとしていた。封印魔法ごと破壊して押し入ろうとする者。
「どうしたのだ、在姫」
 私の硬直に気付いたジョウチョーがそう言った直後。
「! 伏せろッ!」
 国定もそれに気付いた。



 魔女の館に爆音が響く。
 私は衝撃でボールのように飛んで、床に強かに打ち付けられた。
 続けざまに振動がもう一度。
 ピンボールのようにまたしても吹き飛ぶ。
 余りの衝撃と空気の破裂に耳鳴りがして、周りの音も満足に聞こえない。
 ばしゃりと、何か熱いものが私の身体に掛かった気がする。
 爆炎による華麗な閃光のためか、衝撃のためか? 目元も白く濁ってチカチカとして定まらないうえに煙が濛々と漂っている。
「――PGだ、対戦車砲が――、在姫――連れて館の奥――」
 対戦車砲? 何でそんな戦場で使うようなモノが出てくるのだろう?
 衝撃でフラフラとして、残骸を手に立ち上がろうとしていた私の手が滑りつく感触を得た。
 私の身体に降りかかった紅い血潮。まさか、国定!
 それを確認する前に誰かが先に手を掴んで、玄関まで一直線に引っ張る。
「在姫お姉ちゃん、こっち!」
「あ、あなたは!」
 朦朧とする意識と私の寝巻きの袖を掴んだのは小さな魔術師だった。



            −Side B−

「国定さん、しっかりしろ!」
 痛み。
 転げ回りそうなほどの激痛。
 曲さんの言葉に白く濁りそうになった意識が再びはっきりと戻る。気を抜けば、今にも支えと雛形を失ってバラバラになりそうな俺の体と意志を纏め上げる。
 人間なら痛みだけで、精神が活動を拒否して死に向かいそうなほどの激痛を堪える。
 館の外から放たれた対戦車砲。簡易結界とは言え、物理的防護では無いそれはやすやすと弾頭の侵入を許し、さらに屋敷の壁を粉々に爆砕させた。
 その直後、もう一度放たれた、在姫に向かう弾頭を素手で受け止めたために俺の左手は吹き飛んでいた。骨は髄から露出し、肉が筋が垂れ下がるほどバラバラになった左手はもう残り少ない霊気装甲では戻らないが、代わりに霊気装甲を集中させた左手は戦車装甲よりも硬かったために弾頭の炸裂で吹き飛ぶ事以外は在姫に傷が付くことはなかった。傷つかない事は良かった。良かったが『奴らに在姫を奪われてしまった』。
「――大丈夫だ。意識はしっかりしている。右手もまだ使える」
 本当なら、あまりの痛みと不甲斐無さに怒り狂いそうだ。だが、爆煙の中から現れた小さな魔術師が在姫を連れ去ったのだ。早くしなければ、あの小娘と隻腕の魔術師に在姫の心臓が抉られる。ここは冷静にならなければいけない……。
 うつ伏せに倒れた状態から膝をついて一気に胴体の力だけで立ち上がる。

 ……死神が居るからと高に括っていたつもりはなかった。雨の日だから、襲撃もしにくいだろうと思ったのも言い訳にならない。ただ、居心地の良い、この場所に皆と居たかった。そう願って、見張りを怠ってしまった俺の大失態だ。
 そんな状態で、冷静になんてなれはずがないッ!
「畜生ッ!」
 残った右手で残骸となった食卓をぶっ叩いた。食卓が砕けて散らばる。
 しかし、いつまでも怒っている暇は無い。開いた壁から打ち降り注ぐ横薙ぎの風雨が、俺の体と荒れる心を冷やし、それに合わせて状況を見極める。
 いや、冷やす必要は無い、熱く焼けた鉄のように、痛くなるほど雪のように白く輝いて、キレた中で最速の手段で在姫を助ける。
 それにしても館の外から飛来した爆発性の弾頭の命中精度。混乱する俺達の隙をついての在姫の『拉致』。見事過ぎる連携の手際だった。
 そして、……奴らは俺達を騙したのだ。
「常寵さん! しっかり!」
「……うっ、拙い、な、……これは」
 キッチン側に横たわる常寵の鳩尾の下辺り、吹き飛んだ館の破片である、小さな鉄柱が刺さっていた。
 幸い出血は少ないが、動かせば鳩尾の真下にある胃の過敏な神経を刺激して、悪化するかもしれない。
 彼女もそれを知っているのか、身じろぎもせずに、目を瞑って静かにじくじくたる痛みに耐えていた。人間でしかも、戦闘はあっても戦慣れはしていない中で、この冷静さは逆に驚嘆させられる。
 死神の曲さんは黒い半纏、もといあらゆる物理的かつ霊的な攻撃に耐える不壊黒縛衣の守りのために、対戦車砲程度で傷ついてはいなかった。
 呼吸が整った。糸が更によれて切れそうなくらいの中で俺の意識と枠組みが整われた。
「……曲さん、在姫はどっちに!?」
「玄関を通ってそのまま南の高速道路方面に向かった。現在は道路工事と言う名目で封鎖中のために他に人は、あっ! 国定さん! 彼方も治療を!」
 曲さんの制止を振り切って、左腕の付け根から漏れる霊気と仮の肉体から零れる血とそして崩れていく枠組みを抑えながら在姫を追った。



            −Side A−

 空を飛ぶのは非常に難しい。
 昔の人は船により水の境界を乗り越える事は出来たが、気球や飛行機が出来る以前は空は隔たりよりも厚い異界と考えていたと言われている。届かない空は天空の、神の、人以外の領域だった。それ故に人は天にまで届く塔を作ったり、蝋で作った羽で飛んだりと、神のいる座まで届かせようと様々な努力をしていた。しかし、それは人故に道具を借りるのが常だった。
 何かの力を借りる、それが箒だったり、魔獣だったり、鉄パイプだったりするのが人の限界である。人が何の力も借りずに単体で飛ぶとしたら、それは魔法すら超えている。潜在意識化の頚木すら引き千切る、『人は何も無しに飛べない』と言う常識を打ち壊す。トンでもない大魔法に属するだろう。
 それを小さな魔術師である斜 蘭が必死な顔でしかも魔法よりも汎用性に劣るはずの魔術で行っている。作動原理が不明とは言え、見た目はただ彼女の力で飛んでいるようにしか見えない。
 私を抱えて山側の国道に沿って飛行を続ける。流石に私を持ち上げているためか、若干速度は以前見た時よりは遅い。それでも疾走する車よりは早いはずだ。
 私達の周りには不思議な事に雨が降ってきていない。見上げてみれば、雲の一部がポッカリと開いて、見えない何かの力が私達を牽引しているようだった。

 そして私達の沿う国道を疾走する一台の外車。その左ハンドル席に座るのは、三枝先生だった……。
「セツカは怒りに惑わされているの。今は誰も止める事が出来ない」
 斜蘭は私を抱き抱える事とは別の、他の苦痛に耐えるような顔をしている。
 私は訳が分からなかった。何故、昨日まで親密にしていた先生が仇でも追うように私を追うのか?
 私が何か悪い事でもしたのだろうか? そんなはずは無い、私は三枝先生を慕っていて、無礼を働いた事やましてや殺されるほど理不尽な事をした覚えない。
「どうなってるの? 本当に……」
 思考の迷宮とやらが存在するなら私は今現在彷徨っているところだ。私は一体どうすればいいのだろう?
 何気ない関係だったはずの教師が生徒の私を殺そうとしている、頭がこんがらかりそうだ。
「――在姫お姉ちゃん、今は逃げる事に集中して、お願い」
「……うん、分かった」
 その状況を察した斜蘭によって促され、ようやく気が動転している状態から抜け出した私は噛み切り馴れた親指から血を滴らせて詠唱を始めた。
「I summon one from blow universe in Ithaqua' name. Derive Sylph, Hippogriff! (我はイタクァの名に於いて風界より素を呼ぶ。出でよ、風霊素、ヒッポグリフ!)」
 世界に不可視の大きな扉を作り上げて、光の尾を引きながらヒッポグリフを呼び出した。
 羽ばたいて寄ってきたヒッポグリフ。
 しかし、斜蘭の負担を減らそうと彼に飛び乗ろうとした瞬間、彼は私を制するように鳴き声を挙げて旋回した。
「あれ?」
 その途端、彼と私を結ぶ線上を閃光が駆け抜ける。
 後ろを向けば、運転手側の扉を羽のように上に向かって開き、黒い車体から黒い銃身を先生は覗かせていた。
 ヒッポグリフの鋭い視線が彼女の発砲を見切ったのだ。片手での照準の保持に関わらず綺麗な射線。それは死を描くには、美し過ぎる殺戮の方程式だった。
「愛用のスコーピオン?! セツカ……、本気で殺す気なのね……」
 そう斜蘭は呻くと僅かに速度を挙げて、蛇行と旋回を混ぜ合わせるように立体的な飛行をする。
 そして、私も彼女に甘えてるだけにはいかない。
「Go!(ゆけ!)」
 私の魔力の篭った一言で全てを従者は理解すると、ベッドほどの面積もある片翼をそれぞれ翻して三枝先生、否、魔術師へと立ち向かう。
 射線外に相当する左の運転席の反対側、助手席の右側から回り込んで車の天井に降り立つと、私の胴体なら軽々と掴める前足の鉤爪を突き立てた。鋼鉄の天井にバターにナイフでも突くかのようにあっさりと抉りこむ。
 だが、天井が爪で捲り上がったと同時に、彼は勢い良く飛び立った。
 捲くれ上がった天井から光の線が十数発、映画で聞くものより甲高い銃撃音を立てて飛び出した。
 天井に向けられた銃口が硝煙を雨に吸わせていた。
 怒り狂った彼女を止める手段はあるのだろうか?
 車に体当たりして彼女を止めると言う手も考えたが、流石に時速百二十キロ以上で車が横転したら大惨事になるのは目に見えている。何があったのかは知らないが、彼女を殺す気には私にはなれない。
「まったくどうなっているのよ?!」
 悪態付いても仕方が無い。とにかく今は逃げるのが先決だった。
 風切り音。
 頭蓋を撃ち抜かんと迫る弾丸群を体を傾けて斜蘭は避ける。
 華麗なる機動性で魔術師が縦横無尽に飛び回る。
「セツカ、お願い、正気に戻って……」
 少女の小さな叫びは届かないのだろうか……。



            −Side C−

 彼女は右足でアクセルを踏み、ハンドルを左足で御しながら、残った左片手で、口にくわえた(さそり)の名の付く銃に、弾の詰まった弾倉を込めると言う器用な事をしていた。車の運転と弾込め作業である再装填(リロード)を同時に行っているのだ。
 それを終えると、銃の手入れのためにつけたあったガンオイルにも気にも留めずに、この五年間の今までで無いほどに潤った唇をぺロリと舐め挙げた。
 舌先が化粧っ気の無い口唇をなぞると、セツカは歓喜に震えた。
「あぁ――、やっと、ブチ殺せる」
 口に咥えていたガンオイルの光沢でギラギラと脂ぎった口唇が怖気を巻き起こすほど淫靡だった。
 興奮で鼓動は高まり、血流はアドレナリンをヘモグロビンと混ぜ合いながら、瞳孔を収縮させ、呼吸は性的な興奮を得たかのように明滅を繰り返していた。
 五年間。魔術の研鑽を積みながらも、あくまで確率の高い手段の一つである、魔法を捜し求め、それでも見つからずに奴らを倒そうと放浪を続けて、五年、ようやく手の届くところに獲物は現れたのだ。
 加えて獲物は心臓まで背負っている。
 彼女の活発な生体反応に比例しつつ、心が在姫の白肌を切り裂き、顔を砕き、命乞いの大叫喚(うた)を聞きながら(なぶ)り殺すと思うと、セツカは一種の快感にも似たおこりに応じて、身体も雨の冷気を吸ってゾクリと震えた。
 冷たい雨など問題にならないほどに、彼女の肉は燃えていると言うのに……。
 再装填終了。左肩からスリングベルトで銃を下げ、左足がギアをシフトさせるためのクラッチへ戻り、残った片手が猟犬の鼻先を決めるステアリングに添えられる。が、今一度ステアリングから離すと、額から眼帯のように右目のポッカリと空いた眼窩を隠すように袈裟懸けに掛けた、少年漫画の忍者のような鉢金を軋む音を立てながらながら掴んだ。残った左の瞳をいっぱいに開いて痛みに耐えるように鉢金を掴む。

 例えば、それは犬に噛み殺された親族と自らの噛み千切られた身体を心に刻み、世界の犬も、犬の子すらをも憎み、自ら牙を持って犬を追い回して惨殺する感覚に似ていた。
 まさしく、犬を憎みながら狗へと成り果てた復讐の走狗である。

 あくまで狩る側と言う圧倒的な立場にある彼女は、例え元凶で無くとも、更に子であるにも関わらず、在姫を酷く憎く感じられた。
 憎悪を憎悪で塗り固め、復讐の彼岸に旅立って対岸に降り立ち、殺意で殺意のキャンバスを狂ったみたいに塗り潰し、もはや、彼女は人のなりをしていながら、自身の執念に凝り固まった化け物だった。
 そう、彼女は魔術師で無く、化け物だった。
 その彼女の無くなった右目の奥で、その光景は何度も再生されていた。人形のようにバラバラに玩ばれた両親の骸、その一部始終を忘れずに、右目の奥が痛みとなって幻視させる。
 そして、痛み。踏み潰され、千切り取られた右二の腕の中心からチリチリと、成長痛に似た鈍い痛み、幻痛を感じている。
 いつまでも続く過去の疼痛。

 しかし、其処(右腕)とは違う痛みも何故か同時に体が覚えていた。心臓から広がる染みのような小さく、か細い(いたみ)

 だが彼女は、強烈な右腕の痛みと鮮烈なまでの右目の記憶と、信頼と友諸々の全てを裏切った小さな矛盾を無視するかのように獲物を見据えた。
 開かれた天井から左目が最適な仰角とタイミングを、左手が最速でアグレッシブな射線までを位置づけた。
 蠍が二十発の毒を放つ。
 前方から襲い掛かろうとしていたヒッポグリフが甲高い声を挙げながら、翼に走った痛みと負傷で飛翔を鈍らせ、そのまま高速道路の看板を避けきれずに激突。
 魔術師は絶妙な荷重移動でハンドルを切って、目の前の地に落ちたヒッポグリフを轢かんと後輪を滑らす。普通なら横転の危険もある事も、狂った彼女には邪魔する相手を殺す事しか思い浮かばなかった。無論、仮に横転したとしても今の彼女は在姫を殺すまで追い続けるだろう。
 しかし、ヒッポグリフはその巨体に似合わないスピードで転がり、その轢殺を回避した。
「…………」
「――――」
 一瞬の交錯。
 鷲の上半身に天馬の胴体を持つ魔獣。その異様な体には似使わない知的な鳶色の瞳がサイドミラー越しに隻眼と交わった。
 それはまるで悲しみを、狂気を理解し哀れむかのような瞳の色だった。
「そこに佇んでろ化け物、貴様の主人は私が殺す――」
 その言葉はまるで、決意を、無理に塗り固めるような、言葉の戒め。
 三ヶ月の教師の思い出を、八年に及ぶ復讐者の重さで押し潰す。
 小さな少女が、教師だった彼女に投げかけて憧れの視線を、頭から取り除く。
 その間の思考と言うには短過ぎる時間は雷鳴よりも早く頭から消え去った。
 高速道路の防音壁に軽く掠るボディはフットブレーキを駆使した高難度のドリフトとステアリングを切るカウンターでかわされる。片腕故にサイドブレーキの使えないセツカが体得したドリフトだった。雨が降り、必要以上に滑りやすくなっている路面を魔術師は確実にタイヤから情報を読み込んで、操作に反映させていた。
 再び、道路のど真ん中に戻る車体。
 左手を胴体に食い込ませるように窮屈にシフトレバーに伸ばして、利き手の反対に位置するギアを止まらない早さで一段階挙げた。
 一トンを越える黒い悪魔(ディアボロ)が更に甲高い咆哮を撒き散らし、エンジンの回転数と速度を上げた。


27 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 10:23:29 ID:o3teQDzJ

大叫喚2

            −Side X−

 空間作成は魔法でも奥義に当たる物である。
 通常空間とは僅かに異なる層である位相空間や、まったく別の地点と地点の距離感覚で騙す圧縮空間などがある。大抵の場合はその場にあるものを用いて、それを応用して感覚器官から受ける認識や印象を変える空間などの、有り合わせのモノで作られるのは空間魔術である。

 しかし、魔法による空間『作成』は違う。
 世界は無数の可能性とその分岐点と時系列によって成り立っており、そのどれかが違う世界を異世界(パラレルワールド)と呼ぶ。異世界は無限であり、同時に決して他の世界とは交わる事が無いために、その存在性を保っている。
 だが魔法は、その邂逅を、既存世界と異世界を接合する事を可能にする。
 魔法使い達は無数の特異点の中から自らの同期するモノを見つけ、それを魔力で引き寄せるのである。
 それはあたかも自らの望んだ世界を作るように見えるため、空間作成と呼ばれる、との事だ。

 身体の内の能力、零から始まる事が可能な魔法使い。
 身体の外の技術、コンマ壱からの飛躍をする魔術師。

 言うなれば才能のある芸術家と技術の有る職人のような違いだろうか?

 残念ながら、魔術によって空間を作成する事は不可能に近い。
 存在を証明し真似る事は出来ても、現実界と異界とを邂逅させる手段が無いのである。

 それを文字通り、容易に成し遂げる食人騎(しょくじんき)と言う異世界の騎士もいるが、彼らの場合は、それは魔力の制約のある魔法ではなく、ただの能力であり、彼らは呼び出されるのでは無く、望む世界へと侵入するのである。そんな事も思い出すのも、懐かしい過去、と言ったところだろうか?



「では、例えば、邂逅させる事無く、改変、つまりこの世界を再び創造する事は可能だろうか?」

 そんな疑問が魔術師の私の心の中に去来した。

 世界は何か、人などでは計り知れない、トンでもない何かの存在によって成り立っている。運命を定めたり、時に流れがあったり、記憶が失われたり、何かが簡単に滅びてしまったりする事。それらを司る【時守(ときもり)】と呼ばれるモノどもが世界の、秘密を支配しているようだ。
 しかし、彼らとて、むろん世界最大の宗教機関である教会の神とて、その名状しがたい、万物の根源とも言える存在を超えることは出来ない。彼らも、また人によって作り出された神も、その神とすら呼ぶにおこがましい、全ての一である夢幻にして無限の夢を見る【ジュー・ショクァッ・キュキ】と名付けられたモノを超える事は出来ないはずなのだ。

 だが、混沌で有る故に世界に綻びはある。

 それを利用し、まず、【私】はこの世界の【神】となる。

 私はこの三千世界を遍く統べる万能者と成り代わるのだ。
 神とは純粋な力である。
 雷神、風神、水神、守り神、邪神……。
 力の純な傾向を示すのに、その冒頭に自身を形容する言の葉が付くだけなのだ。
 そして、私が目指すのは【魔】、そのものの神である。
 神となり、巨大な魔の純結晶の概念と化した私は、世界の綻びに伝手に巨大な穴を開ける事出来るであろう。
 それは世界の望む場所を裏返すための穴。
 改変と同時に、私は名状しがたいもの【ジュー・ショクァッ・キュキ】を支配下に置く。
 そして、私は、私の知り尽くした世界も、その先の世界も統べる真の神と成り代わるのだ。

「まずはそのために、この肉体を捨てねばな」

 幾度と無く肉体を捨ててきたが、今度は人間である事が最後である。
 千年にも渡る計画も大詰めとなってきていた。

「六人中五つでも魔方陣の形に問題は無い。五芒星(セーマン)であることに変わりはないのだからな。神へとなるための、穴さえ開けられれば良い」

 この駆け引きで私の予測が想定範囲内であれば、今日中に彼らのうち、三人中二人は必ず死ぬ。
 志低き魔術師とは本当に小賢しく、それでいて愚かで、弄りがいのある玩具である。
 いや、玩具とは失礼か。むしろ奴らは道具だ。実用に適さない玩具と使える道具は分けるべきだろう。
 道具である者どもの、魔力の無い心臓が必要不可欠である。
 空洞の骸、空の心臓は無限の負の穴、そこを通すだけなら流れを作るのに都合の良い代物だ。
 空虚は無への奈落に結界を落とす綻びなのだ。

「逆月の宴まで、後、九日、……か」

 瞼を開けた瞳に雨が突き刺さる。その一つ一つの飛沫が、自然の事象が終わる事が、私の計画到達への秒読みのように感じられた。
 全てが満ちている確信をしながら、私は豪雨と暗雲の奥の、蒼天で白い隠する更待月(ふけまちづき)を見据えた。



            −Side B−

 走る。
 全力で走る。
 圧力で砕けかけている足が魔力の供給が追いつかずに一歩踏み出すごとに震える。
 既に人の出せる速度では無い。皮膚を叩く暴風と瞳に当たる雨飛沫を意に返さず走っている。今にも足場から砕けそうな脆い歪さ。それでも倒れない。それでも転げない。それでも崩れない。
 針一本の上に自らの爪先を合わせて乗るくらいのバランスで、拙いほどの感覚を手がかりに足を運ぶ。
 地面を蹴りこむような走りは身体を必要以上に浮かせてしまう。それでもそれを押さえつけるように獣の感覚で着地、同時に力の解放。

 車の走行能力など問題にならないスピードで俺は駆けていた。

 肉体の痛み以上の心の苦味。自らの油断が胸の奥の全てを掻き乱す。
 怒りだけに任せて、ただ猛り狂うように吼える事も出来たが、俺の一角の理性がそれを押し留めた。
 単純な衝動よりも優先させるモノが俺にあったからだ。

「在姫、在姫、在姫……」

 俺には生前の記憶が無い。故に、この身に時折甦るあの狂った記録が理解出来ない。
 実感のある俺の記憶だと断定できないものは例え、頭に残っていても何かに記しただけの記録と変わらない。
 歴史に名の残る人物でありながら、俺のその実態は判然としない。霞の掛かった山の麓のように、その裾を垣間見る事が出来ないのだ。
 魔人となり、一つを残して、全てを捨てた。
 ただ、その残した理由も目的も失い、存在するだけの者になってしまった。
 残る一つはただの狂気である。

 怒り、憤怒の記憶、悪夢。

 立ち塞がる父親を殴り殺し、呆然としながら子を抱く母親を切り倒し、残されたか弱い嬰児を踏み潰す。
 焔が舞う。狂った舞人は俺を焦がし、地に熱風を轟かす。
 広がっていく紅い風景。それはあまりの小気味の良さに喜劇のようで、

 顔に張り付いた笑みが零れていた。


 それ以前の何か、一つ、大事な事を忘れていたような気がするが、欠片も思い出す事が出来ない。
 そう、何かを失って、もう二度と失いたくなくて魔人となったのに、なった途端に、掌の指と指との間から水が毀れていくように足元へと消えていった。

 とにかく、今度は失ってはイケナイのだ。

 俺は、普通の魔人の分類とは異なる。
 通常、魔人は内部の魔力を失えば、その枠組みが崩壊して完全に消え去る。
 それは『菅原 道真』や『平 将門』、『織田 信長』や『天草 四郎』も例外では無かった。
 しかし、俺だけはどうやら別枠のようだ。
 地獄の門番と同時にその使い手である領主となった俺は、地獄の負の力によって引き寄せられて何度も魔人転生を繰り返すような摂理に囚われている。
 再び魔人となるからには、その力を再生されると同時に初めからやり直し。つまり転生前の記憶は全て失われるのだ。
 だからもし、俺と親しき人となった者でも、力を失って地獄で転生すれば、何も覚えていない。

 そのお陰で俺は何度も裏切りを繰り返したようだ。そのつもりはなかったのに、魔人として再び召喚された時には立場が変わっているのだ。そして、それも覚えてはいない。
 ある時は親しい友となった者を殺し、
 ある時は育てた子供を置き去りにし、
 ある時は慕っていた部下を裏切り、
 ある時は恋仲となった女を騙し、
 ある時は最も嫌悪した敵に捨て駒に使われた。

 俺は既に矛盾を何度繰り返したか分からない。
 一度で存在が消えれば良いのに、何度も繰り返している。
 存在の否定は認められない。終焉である死は在り得ない。存在の否定理由を俺は再認できない。それは何が間違いなのか分からないからだ。遠い過去、最も望みながら、最初に失った誓いの記憶。
 俺は何度も地獄の住人達に慟哭のように問うたが、彼の者は一様に「彼方が最も望んだものだ」と答えた。

 俺はそこまでして何を求めていたのだろうか?
 俺は何をしたかったのだろうか?
 俺は何者だったのだろう?

 記憶喪失とは違う。記録はあってもその記憶が無いのだ。俺には何も手がかりは無い。全てが知覚出来ないほど細切れで、しかも破片が足りない。
 例え記録があってもそれが俺だと断定できなければ、それは朝焼けと夕焼けが分からないと同じだ。記録と記憶は等しくないのだ。俺の転生の初めから続いている連続した感覚の記憶、実感が唯一俺自身だと断定できるのだ。

 だから、俺がまだ転生していない、この残された時間、と実感が全てだ。

 思えば十六年前、まだ特捜室でなく、特別捜査準備会と呼ばれていた頃の、十代で異例の大抜擢により室長となった馬鹿に間違って召喚されなければ、あの灼熱の大地の底で燻っていてあの魔女との出会いも無かったはずである。
 あのいつまでも柔らかな風の吹く幻想の大草原の真ん中に生えている、大きな『くぬき』の木の下で、二人の魔女と小さな魔女候補を迎えた。
 二人は見送り、一人は門を通った。
 その一人の女と俺は、俺自身の名を掛けて約束をした。


《地獄から王の持ち物を持ち出すのは重罪だぞ。古き付き合い故に、直々に門を開けてやると言うのに、俺の物を盗むとは不愉快な女だ》
《その時は、その時、人間、誰でも死ぬ。だから、『元は人間の』お前でも死ぬはず》
《ふん、魔女如きが。門番にして、王となった【魔人】と闘り合うのか? 不愉快を通し越して愉快だ。この間の暗殺者と女騎士を思い出すぞ》
 彼女は俺の不意をつくように、背伸びをしながら片手を俺の頬に掛けた。
 その表情は何故か記憶も無いのに懐かしく感じた。
《悲しい人。未だ……、囚われている》
 人を忘れ、自らを忘れ、誰からも忘れられる時を過ごした俺は、その言葉に、肯定するしかなかった。
《…………世迷いごとを……、俺は昔から、地獄の底に、奥底にただ独り、
 叶えられなかった夢のため、
 永遠に続く復讐を求め、
 最後まで失敗した覚悟によって、
 自らに科した業を背負い、
 過去を捨て、
 それらに続くモノを使って、ただ生き延びるのみ、
 故に俺は【地獄使い(ジャックインザボックス)】と呼ばれるのみだ。貴様こそ、下らない世界の秘密に執着したまま、同じ底で死ぬがいい》

 女は清々しく、俺の真後ろの赤い壊れた空よりも比較にならない、彼女の背後の、透けるような蒼い空のように笑った。

《じゃあ、あるかもしれない決闘のため、約束。もし私、死んだら、『あの娘』、責任取って、―― 守って》
 その魔女の覚悟に負けた俺は頷いた。
《了承した。王と、境界の門番たる【国定】の名にかけて、命を賭けて九貫在姫を必ず守ろう》


 彼女は死んだ。
 彼女の約束のため、いや、この残る記憶のために彼女は守らなければならない。

 また零れ落ちる事を俺は許さない。妥協しない。諦めない。
 途方も無い繰り返しを俺はしているはずだ。断片すら残らない記憶の中で、俺は何度も己の悪意に際悩まされる。
 それでも、俺はやらなければならない。
 俺は一本の槍にならなくてはならない。折れても、曲がっても、朽ちても、貫かねばならないのだ。
 たとえ刃先が無くとも、俺は貫く。
 意志の無垢なる刃を秘めて。

 雨が一段と酷くなった。
 下からも雨が降るような激しい豪雨。その路面で足元が滑り、俺は無様に転げた。
 四輪駆動の限界走行と変わらない速度で駆けていたのだ。それは形容すべき車体の座席から路面に放り出されたのと同じようなものだ。
 皮が背中から削げる。しかし、そのまま受身を取って転がったままから再び走り出す。
 曲がった道路標識、爪痕、道路に残るタイヤの跡。散らばる薬莢。
 それを手掛かりに彼女らを追い続ける。

 在姫は誰にも渡さない――。



            −Side C−

 私、斜 蘭の人生は生まれから狂っている。
 私は家族の繋がりを求めて、それを断絶された故に世界を彷徨う事を決めた。いつか、私が心地よいと思える繋がりを求める為に。

 私の家族はそれは仲が良かった。
 父は優しく、母は思いやり深かった。
 父はあの少しおかしくなってしまった物理学者の保隅 流水とも親しく、高名な物理学者として名を成し、母はそれを手伝っていた。
 共に愛し、睦まじかった。
 誰もが羨む家庭だったと思う。

 ただ一つ、夫婦二人が実の兄妹であると言う以外。

 何時だろう? 私の家族は突然狂った。
 母が父を罵り、父は母を皮肉った。
 愛情は憎悪の裏返しとも言えるが、激しい憎悪の棘が殺意すら巻き起こした。
 それは身内であるだけに近親憎悪と言うだけでは言い切れない、凄まじいものとなった。
 三人だけの小さな世界だったのに、その殻が壊れた。父が女に入れ込んだと母が言い、母が父に隠れて密通したと父は蔑んだ。私はそのどちらも目撃しておらず、どちらも奇妙に思えた。それを言っても互いは納得せず、互いと、それを指摘した私への憎悪だけが倍加していった。
 時に暴力が振るわれ、私はそれを受け入れた時があった。

 殴られ、時には陵辱すらされた。
 でも、良かったのだ。私が我慢すれば、再び二人は元に繋がり合うのだ、とそう盲目的に信じ続けた。それ以前に私は、信じる事しか出来ないほど幼かったのだ。

 両親は互いに刃物で刺し合い、私の目の前で死んだ。
 死ぬ直前まで、私すらを呪っていた。
 私はそれから、時が止まったかのように成長すらしなくなった。
 本当は二十代などとうに過ぎた年頃なのに、私の身体は大きな心のショックで、元々よりも更に壊れたようだった。



 見えない繋がりを信じていた。
 それは父と母が研究していた重力のようなもので、目には見えないけど、確かにあるものだと思っていた。
 とりあえず、埋葬も終えて誰も居ない家で、私は両親の研究を続けた。何もする事がなかったが、それでも両親との繋がりが欲しかったのだ。私は彼らの残した研究に没頭し、気付けば重力を自在に操れる装置を作り出していた。
 それでも、作り終えても繋がりは感じ取れなかった。
 それを知って茫然自失で佇んでいたところに、何処から嗅ぎ付けたのかは知らないが、悪い魔法使いは私の研究を横取りしにきた。
 別に取られる事はどうでも良かった。研究の成果は全て頭の中に入っていたし、繋がりはそこには無い事を知ってしまったからだ。
 ただひたすら老衰を待つ老人のようにそのまま終えるつもりだった。
 だが、繋がりを無い事を確認したそれを、そのまま自分だけの物にしようとした魔法使いを許せなかった。私の繋がりだと錯覚でも思ったものは私のものなのに、その見えない繋がりとそれを信じた、私の命すら奪い取ろうとした。

 許せなかった。
 でも、抵抗する力は無かった。
 繋がりなんて何処にも無いのだろうか?
 繋がりなんて幻想(たわごと)なのだろうか?
 そう、思っていたとき、悪い魔法使いの体が吹き飛んだ。
 散弾を喰らって床に叩きつけられ、更にそこから逃げようとした魔法使いを、身体の丸い男が太い足で繋ぎとめた。

 二人の魔術師、オギとセツカ。あの巨大な院に許可された、人道と魔道を無視した人間に対する各国家間の密約によって完全殺人許可を持つ三百六十五人の、国際的に合法化された魔術師と魔法使い専門の殺し屋の内の二人。
 体創術師(フィジカルメイカー)のオギと連続修士(コラテラルマスター)のセツカ。
 彼らが追っていたのはテンプル騎士団の流れを汲む極悪の魔法使いの団体で、その大元まで追いかけ、手掛かりまで近づいて来ていたと言うのだ。
 無論、それだけで無く、彼らには目的があった。
 『魔法使い』になる事。
 私の研究を横取りしようとした悪い魔法使いから心臓を取り出し、魔法使いに生まれ変わろうとしていた。
 しかし、私を殺そうとしていた魔法使いの心臓はもう使い物にならないほどのギリギリの許容量で、ぶっちゃけて言うならあまりにも魔法使いの才能は無くて、そのまま捨てられた。

 彼らに私は教えられた。
 『魔法使い』は見えないモノすら作り出せると言うのだ。

 私は彼らにくっついて行くことにした。
 彼らの見つめる先に、もしかしたら、見えない繋がりがある事を信じて……。

 子供のように狂ったように面白おかしく過ごす日々が楽しくも感じられた。
 いつしか演技は日常となり、それが私自身となった。
 最年長のはずの私が、何時の間にかセツカとオギの子供か妹のように、くっ付いて廻るだけの存在になっていたのだ。

 そして、私は在姫と出会った。
 彼女には見えない何かがあるように感じられた。
 確信にも満たない、それはただの予感。それを信じる事にしたのだ。

 私は、日常を捨てて、重層可変士(マルチレイヤー)シャランへと戻る事にしたのだ。



 雲の切れ目から光が降り注いでいた。私は橋上手前で在姫と分かれて、田舎町と都市部を分ける太臥河の橋の上に居た。辺りの道路から跳ね返る雨の冷気が火照った身体を灌ぐ。
 目前には狂ってしまった魔術師。いや、それは私もか。

 静止軌道上に打ち上げられた私の重力制御衛星が水を、雨を弾いている。
 グエーザーと呼ばれる重力の束。レーザーが光を励起させ位相を揃えたものなら、グエーザーは特定の重力子を励起させて位相を揃えたものである。物体の固有振動数に位相を合わせる事で特定の対象を分解させる事も出来る。一昨日、在姫に『警告』代わりに放ったのもそれだ。重力子は狙った物質以外は無傷で通り抜け、素粒子レベルまで分解させる。勿論、それを逆転させて、私の身体周辺などを対象にして重力の位相を反発させて無重力状態、そして牽引して空を飛ぶようにすることも可能だ。つまり衛星軌道上で捕捉させれば、例え核ミサイルでも放射性物質まで分解させ、無効化可能させたり、飛ぶ向きすら変える事も可能なのだ。

 それをセツカに放たなければならない。
 黒い、オギのランボルギーニ・ディアブロGTが文字通り悪魔のようなスピードで襲いかかってくる。
 完全に私すら轢く気だ。

「ぷあ・んくろ・ぶ」
 旧エノク語を通して衛星軌道上から黒い悪魔に狙いを定める。搭載済みの量子コンピューターでの軌道計算と地磁気やローレンツ力などの影響を受けない重力子の超直進性により、誤差の修正まで一秒以内に片を付ける。重力の影響は光の速さで伝わる。方向制御のための演算処理の一秒は流石に縮まらない壁とはなってしまったけどね。

 悪魔は音も立てずに崩れ、形を失う。
 鋼のみを分解した結果、エンジンと外殻を失った車体の残骸。
 衛星の重さの関係上、射出口は一つしか設けられなかったために、雨を弾くためのグエーザーの効果範囲から外れた私はバケツをひっくり返したかのように雨に塗り潰された。

「――――?!」

 車外に慣性の法則で放り出されるはずだったセツカが見当たらない。
 そうだった。
 日常から外れ始めた今頃になって、彼女の『魔術』を思い出した。
「とぴ・り、ど・んあどり・すれ・い」
 二節のみのエノク語で私の方へとすぐさまグエーザーを戻す。その際に弾く、いや消すのは水と鉛である。
 目前で鉛玉、もとい銃弾が粉以下の物質になって掻き消えた。

 どうやら直前で間に合ったようだ。

 時折横薙ぎに降りつける雨の中で、硝煙を漂わせる銃口を向ける親友(セツカ)と対峙した。


28 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 10:48:03 ID:o3teQDzJ

大叫喚3


            −Side A−

 橋の横に置かれた、その昔荒ぶる河の神様を鎮めるために建てられたと言う伝説のある石碑に私は隠れていた。
 水気を吸って張り付く髪と薄手の寝巻きが僅かな不快感を醸しだしていた。
 降りしきる雨でとっくに身体は冷え切り、私の小さな吐息は雨の音で掠れていた。
 石碑の陰越しに、そして霞むような視線の先に二人の魔術師がいた。

 雨に打たれる隻腕隻眼に見えない方の目ごと顔半分を額用の防具である古風な鉢金で覆った、黒ベースの軍服の女と、雨に濡れない領域に入っている制服のような服を着た女の子が橋上で対峙をしている。
 水かさの増えた河が豪々と橋梁へと打ちつけ、土を含んだ茶色い濁流が二人の今の関係を表しているようだった。
 彼女達の関係は分からない。ただ、昨日の様子を見る限りは、一朝一夕であれだけの打ち解けた雰囲気が築けるようには思えない。今では私自身の認識は改めたとしても、あくまで魔に属する中では彼ら、魔術師達は「無意味に足掻く者ども」ような形容をされる人種なのである。人の摂理に囚われながら魔道に入り、それ故に人の通らない道を通り、時に人自体を避けることとなる事は必死である。華やかな魔法使いに対して、彼らはその技量を持ちながら、何て日陰の立場に居るのだろう。そして、そんな互いの切磋琢磨ですら疎ましく思えるような魔術師達の骨肉の闘争の日々の中で、あろうことか奇跡的にその親交を深めていったはずの彼女らが、こうして対峙しているのは深く事情は知らないにしろ私はとても心苦しかった。
 決して信頼を取り持たない魔術師が、互いに心を許しあっていた関係が、私で崩されたのだ。

 魔道とは茨の道程である。古より伝わる魔道を歩む者達が噛み締めて言った格言である。
 時に人と決別し、時に自らの選択に苦渋を飲まなければならない時がある。それでも、私は生き残らなければいけない。母のような魔法使い、魔女になるには正に茨の道を時に裸足で踏まなければならないのだ。血が吹き出ても、痛みの嵐に晒されても前に進まなくてはならないのだ。でも、出来るなら犠牲は出さない。きっとそれを許したら、私は魔女でなくもっと卑しい存在になってしまうだろう。

 そんな時、ふと、我武者羅に進む彼の背中を思い出した。
 私よりも一歩も二歩も先を進む彼の巨大な背中を……。
 遥か昔から血塗れの裸足で魔道よりも茨な道先を歩き続ける、行き先の忘れた彼。

 何かを思い出しかけて千年前の記憶(そんな事)は無いはずだと思い直すと、私はセツカに手に添えられた、斜蘭が蠍と呼んだ毒針を見据えた。
 魔法使いに取って近代兵器は最大の敵である。引き金を引き終わり、火薬を燃焼させて、金属片をばら撒く時間の方が、呪文を、意識を現実に反映させる速度よりも早いのは当然なのだ。
 技術として発動の早さも到達の速さも突き詰めた魔術と違い、魔法使いは芸術に似て、その魔法の実効の遅さと言うハンデが付きまとうのだ。むろん、それすら突き抜けてしまう天才も中には居るが、言霊使いの殆どはエレンと言う魔女を最後に消えたはずだ。どちらにしろ、私の召喚術などは最も時間の掛かる術の一つで詠唱が覚られば、無効化(キャンセル)させられるのは目に見えていた。
 つまり、私が今で出て行ったとしても即狙撃されるのがオチである。
 魔術師になってしまった三枝先生、いやセツカは躊躇無く私の眉間を撃ち抜き、心臓を抉り出すだろう……。そこにはおそらく一瞬の予断も無く、最短最速で私を殺しにくる。

「――――」
「――――」

 二人の女の間を冷たい雨が風でカーテンにように吹き付けられてお互いを遮る。そのためか? カーテンが翻った瞬間、彼女らは双方の動きも表情も把握する前に先手を打ち合った。

 一直線。まるで槍で突くが如く、半身から肩に顎を乗せて、右腕を振り上げるように銃口を向け、セツカが銃身から火を吹かせる。直後に斜蘭の短いエノク語の、現実までの反応が零の詠唱によってふわりと体が浮かび上がり、それを回避しながら、まるで氷上を滑るかのように、水溜りに線を引きながら回避した。その後ろを飛び飛びに追いかける銃弾の足跡。
 五秒かそこらの間に空となった銃。それに合わせて斜蘭は身体を捻って、低く沈み、そこからバネで跳ね上がるように今度は爆発的にセツカへと向かう。
 空中で反転、くるぶしの見える革靴が翻る。
 昨日、二メートルの大男を薙ぎ倒した鋭い回し蹴りでセツカの頭部を狙う。
 刹那、セツカはそのまま斜蘭の間合いへと踏み込んで蹴りをかわし、軸足の裏側に足を掛けながら肘で顎を押した。プロレスで言うところのSTFの変形技みたいなものか。
 地面にそのまま叩きつけられる前に、持ち前の魔術でふわりと、セツカの腕と自らの顎を支点にして逆上がりのように回転する。
 互いに切り抜ける。
 宙に浮いたまま、無防備に背中を見せているセツカに斜蘭がその空中から後ろ回し蹴り。
 だが、その蹴り足の踵は目標を失って空回り。代わりに、地面にグッと沈んでいたセツカは銃を口に咥えたまま片手を地面について、そこから真上に伸び上がるように両足で蹴りを入れた。
「くっ!」
 胴体にまともに食らって吹き飛ぶ少女。空中で乱れた体勢を整える頃には、隻腕の魔術師は弾を込めなおして、構えていた。

 より一層強くなった雨のヴェールが互いの表情を覆う。
 すえた硝煙と雨の湿った香りが交じり合っていた。

「セツカ、もう止めよう? あなたが好きだった生徒でしょ? そんな、幾ら復讐相手だからって感情を殺して、その子供まで恨む必要は無いよっ」
「…………」
 セツカは表情一つ崩さない。
「確かに、あなたの大切な家族や身体は奴に、面白半分で奪われたのかもしれない。でも、彼女が、その兄弟の子供だからって、殺す必要は無いでしょ?」
「…………」



 ――――どう言う意味?
 私の両親のどちらかが、彼女をあんな姿にした狂人の同胞だと言うの?
 ありえない。他人の目や腕をただの楽しみで奪い、子供の目の前で殺す人間が居て良い筈がない。



「ラン、悪の子は悪なのだ。君も知らないとは言わせないよ? 清里鋼音の眷属、彼女の父親、偶院 永久(グウイン エイキュウ)が一体今まで何をしでかしていたのか?」



 偶院永久――?





 思考が止まった。
 それは、痛いほどに、嘘だと願いたかった。

 それは例えるなら「お前の父親はイカれた犯罪者だ」と言われ、認めたのも同然だった。

 百二十七年前の大戦で類稀なる戦果を挙げながら、死神公社に背信し、世界中であらゆる人殺しと人外殺しと神殺しを行った全ての生物の反逆者。
 常にその相貌は下卑た笑みに包まれ、特に意味も無く、陵辱と殺人と解体と遊戯をしていた男。
 笑う暗黒。千の闇を飲む笑顔、魔人殺し、漆黒の覇者、そして、闇の神。
 三人組テロリストの一人。
 禁忌の大罪者、【死を裏切りし十二人】の内の一人だった。
 禁固拘束年数十四万年で死神公社本部の最深部である闇の奥で佇んでいる、あらゆる活動、思考、知覚すら禁じられ、束縛された犯罪者の中の犯罪者。

 こんなエピソードがある。
 ある女の子が死神に追われて怪我をした彼を助けて、橋の下で匿った。彼女は彼女の友達の助けを借りながら献身に介護し、彼は九死に一生を得た。喋れない彼は身振り手振りで「君と君の友達に贈り物を挙げよう」と橋の下に呼び寄せた。
 彼は彼が呼び寄せた人喰いの魔物達に彼女らを殺すところを張り付いた笑顔で眺めてから、満腹になった人喰いを最後に殺して、立ち去ったと言う。
 その女の子はその無念さから、未だに魂がこの町を彷徨い続けていると言われている。

 とにかく、彼には禁忌と言うものが無い。
 面白いものは楽しみながら笑って殺し、つまらないものは勢いで笑って殺し、目に付いたものはたまたま笑って殺すのだと闇の奥で囁かれる。

 誰もが名を呼ぶことすら嫌悪し、秩序を狂わす鬼すら忌避する魔。

 それが、私の父親、……なの?

「でも、セツカは永久(かれ)にやられたわけでは無いでしょ! それに関係有るとしても在姫はただ彼の子として生まれただけじゃない! 子供に背負わせる罪なんてないっ、それは逆恨みだよっ!」
「では、反証してみよう。君は、両親を目の前で殺され、片目を抉られ、抉った目玉を勢いで潰して、腕を喰うところを見せられて正気でいられると思う、かな?」
「そ、それは――」
「そうさ、狂うだろう。狂うのさ。狂って狂い過ぎて、思考が捩子だとしたら捻じ切れそうだよ。いいかい? 私がブチ殺してやりたいと思っていた男達の娘がノウノウと才能ある魔女でいながら、日常生活に適応し、なおかつ友達まで作って生きていたんだよ? それを君はどう思うかね? 嫉妬と羨望で狂わない自信はあるかな? いや、無いね。憧憬にしては彼女は眩し過ぎるだろ?」
「…………」
「君も『そう過ごしたかった』はずだ。でも、ブチ壊されたんだ。何でもない、運命とでも言うべきものに圧解したのだ。君の時間も、私の時間も戻らない。唯一、私達のようにそのがらんどうになった心の隙間を埋めるとしたら、自らの成功と成功者への蹂躙のみだ。そして、彼女をブチ殺す事が唯一、私にとってその両方の気持ちを満たす最高の埋め合わせなのだよ」
「でも、彼女は――」
「彼女に関係無いとは言わせない。十六年も生きて父親の存在を欠片でも疑問に思わない方がおかしい。蛆やバクテリアであるまいし、複雑な生命体は湧いて生まれ出るものじゃない。誰かに催眠術でも掛けられて忘れさせられたのか? だとしたらそのメリットは? どちらにしろ、贖い切れない罪はその関係者が全員で償うべきなのだよ。罪はあるのだよ。背負わないなら、背負わせるのみだ。それが自覚する私は追い詰め、追い続ける。認めないなら首を掴んで縦に振って認めさせる」
「…………」
「言っておこう。この復讐は私の自己満足だ。そして、それが私の生き甲斐だと、君は知っているはずだ。誰にも邪魔はさせない。それは例え君でもだ」

 狂った灰色の瞳が銃口の方向を探り出す。
 背中越しから斜蘭の頬を雨とは違う雫が零れ落ちているように感じる。
 それはセツカの凍てついた心に触れて、斜蘭があまりの凍える痛みで涙したようだった。

「……それでも、セツカは言ってた。可愛い生徒だって。私は知っているよ。生き物は湧いては生まれない。そこに理由は有って無くても生まれる事はある。それが生命だからね。だからそこから生まれて、始まった因果は付きまとう。だからさ……、何かの感情は生まれたのに、理由が無いはずがない! 在姫を思う気持ちは偶然だけなはずは無いでしょ?!」



            −Side C−

 つっ、と銃口が始めてぶれた。
 それは年月と呼ぶ、不確かでそれでも確実に経ていた時間と言う経験が、彼女の頑なになった心に分け入ったものなのかも知れない。

 三枝 石火は天才と呼ばれる部類の人間である。
 連続修士の通り名の通り、彼女に霊気装甲を使う異端と人の身を超える特殊能力以外で、実戦レベルで使えない技術は無かった。
 射撃、狙撃、戦術、各種操縦技術から医術、薬学、心理学、流体力学、あらゆる分野の体系的知識と技術を彼女の魔術で圧縮学習、高速修得していったのだ。
 それは魔術でも同様であり、彼女は専門外の魔術を二十以上実践で遅滞無く動かせるほどマスターしていた。一つの魔術体系を実践レベルまで高めるのに十年を要する中で、彼女は彼女の魔術で二十三年の歳月の中で、魔術を極め始めた十年の中に個人では二百年近い分の経験を蓄積させていたのだ。
 先日、在姫を翻弄したのも『心の一法』や『空間合気』、『強制音声』などと呼ばれる誘導催眠術の魔術を言葉を通じて使ったものである。しかも、それは彼女の専門外の技術であった。それをまるで自分の修得した技術のように惜しげもなく、そして自然に使うのは最早才能にも等しかった。
 しかし、それは技術の話し。技術以外である心の有りどころ、置き方などは専門家が過ごす特有の時間、『馴れ』でしか克服できない。
 彼女が和木市で魔女を見つけるために、現代数学の基礎理論を四週間でマスターし、イスタンブールでとある魔法使いと交戦していた荻や蘭、それ以外の他の魔術師より先に坤高校に偽造教師免許と架空戸籍で潜り込み、数学講師として潜入していたのは、今年の春先の事だった。
 無論、様々な経験を高速でマスターする事が出来るのも彼女の魔術とは言え、独特の『慣れ』だけは年月の経過以外で経験させることは出来なかった。
 彼女はクールな見た目に似合わず、何事にも思い悩む方だった。
 仮の仕事だとしても手を抜くのは性分ではなかったし、それ故にいずれ居なくなるからとてそれを甘えにする事も出来ないために必要以上の緊張をしていた。

 初めての授業、しかも教育実習すらすっ飛ばした本当にぶっつけ本番の教師の真似事を終わらせて、その始めての授業の直後に、あろう事か始めての質問をしてきたのは生徒、九貫 在姫だった。

 ――九貫在姫
 伝来不明の魔女、クヌキの家系の長女。
 母、九貫愛媛 行方不明
 父、存在不明
 霊気装甲の上位五%に入る九十六,二%の到達者。
 魔術師から魔法使いへの転換手術後の適合可能率九十七%
 魔法適正不明。
 大禁呪継承可能者。

 当時の石火の脳内にもいずれは狩る予定の魔女として登録されていた。
 いつも彼女なら魔術によって冷静に挙動などから彼女の弱点やら何から何まで魔術で丸裸にする事が出来た。
 でもその時、ポーカーフェイスの彼女の仮面の下では「うわー不意打ちで初っ端から質問するなよー」と言う些か文句めいた言葉しか踊っていなかったのだ。
 授業終了で滅多に無い事に気の抜けた彼女には、在姫の奇襲に似た質問に対応するのは一苦労だったのは記憶に新しかった。
 授業以上に慌てながら、それでもその態度だけは見せずに見た目どおりにクールに行う事が出来たのは僥倖だった。
 質問を終えた後、在姫は飛びっきりの笑顔で言った。


「ありがとう、先生は教えるのが上手なんですね?」


 その言葉の瞬間、石火の胸の奥が何かがジワリと湧き水のように溢れた。
 生きていれば何時かは、いつでも聞く事が出来る言葉だった。
 しかし、復讐を始めた凄絶な暮らしの中でその言葉を真の意味で、荻や蘭のように親友としての偏りも無しに彼女に伝えたのは在姫が初めてだった。魔女ゆえに宿る言葉の魔力だったのか、何かのタイミングだったのかは分からない。
 在姫は覚えてないかも知れない。
 だが、それでも、石火の中ではそれは忘れられない出来事の一つとなったのだ。
 そのため、彼女は意識的に魔術師結社での活動を始めるまでは意図的に、それでも自然と、彼女を避けるようにしていた。
 もしも、彼女を狩る時に情に流されたくはなかったからだった。
 だから一角の親愛の思いを凍らせて、目覚めないように奥に仕舞いこんで。仮初の日々を続けた。
 ようやく亡霊騎士が和木市に侵入して結社として本格的に活動する時に、彼女は今一度、彼女の席へと夏休み直前の授業後に自ら訪ねた。

《九貫くん、相変わらず良い成績を出しているようだね》
 魔法にもおいても、体格は小さいながら運動においても彼女は優秀だった。そこに秘められた心臓の価値は、舌なめずりが出来るほどだった。
《いや、校内でも卓越して優秀な生徒がどんな者かと個人的な興味に惹かれただけだよ》
 個人的な興味どころではない、彼女は、悪の修羅道に落ちた者どもを狩る側に居たはずの彼女は、狩られる側の非人道的な、悪の魔道へと手を伸ばしてしまっていたのだ。そして、戻れないところまできてしまっていた。
《先ほども言っただろ? 『個人的な興味に惹かれただけ』だよ。将来的に君が、私が担任するであろうクラスで伸び伸びと勉学に励むと考えると喜びに満ちてくるのだよ》
 在姫の体内で生きる心臓が、その自らの糧となる瞬間を考えるだけでも、彼女の空虚な鼓動は高鳴る。
《――おや、しまった。学生の貴重な休息を奪ってしまった。私は教師失格だ》
 そう、教え子をこれから殺そうとする人間失格。それが彼女だった。僅かな休息の代わりに与えるのが永遠の静止。
《あと、数日で夏休みだ。それまでも、夏休み中も、気を抜かずに勉学に励みたまえ》
 他の魔術師に殺されないように気を抜かずに生きろ、とそんな思いも込めていた。

 でも、心の何処かには、あぁ、ここが彼女と私の分岐点なのだろう、と哀愁に浸る、自らが小さく裏切った気持ちがあったのかもしれない。
 小さな嘘がちくちくと痛む。

 そんな思いがちゃんと仕舞いこまれているか確かめるための行為だった。
 でも、それはあまり意味の無いものだった。
 仕舞いこんでいても、隠し切る事は出来なかった。憎み切る事すら出来なかったのだ。
 だから、彼女の銃口は揺れていた。
 既に経験した事を彼女は覆しきれなかったのだ。
 経験すれば、それは彼女の一部であり、隠す事は出来ない。
 そして……、



            −Side A−

 そして、彼女は斜蘭に向かって引き金を引いた。
 灰色の瞳が凍り付いていた。
 隠し切れないなら使わなければ良い。思わなければ良い。あらゆる人の心の動きを凍らして、セツカは瞬時に復讐の化け物に戻っていた。
「ぁがっ」
 今まで消滅させていた銃弾があっさりと斜蘭の魔術を通り越していた。
 今まで覆われていたはずの不可視のフィールドは術者の統制を失って途切れ、空中に居た斜蘭は水溜りに落ちた。上から降りしきる雨と下から染み渡る水溜りで少女はずぶ濡れになった。
 ゆるゆると雨気を吸いながら、硝煙が昇っていた。
「――非殺傷性のゴム弾だよ。鳩尾に正確に当てたから動けないはずさ。いつも金属弾だけを使うとは限らないのはランも知っていたはずだな。君の魔術はいつもごく一部の金属の分解しかしないからだ。まぁ、金属を全て分解したら君の体内の無機質も失う事になるし、いちいち飛んでくる物体の構成物質なんて考えていたらキリが無いから設定の変更が面倒なのは仕方がないけどね。まぁ、残念だったな」
 斜蘭は強い衝撃を胃のあたりに食らって、蹲っている。
 ヒュウヒュウと音にならない声を挙げ、口が音の形を作ろうとするがそれが形になる事はなかった。

「さぁ、闇の落とし子、出てくるんだ。出て来なければ――」

 口で銃を保持し、地面に非殺傷用弾を詰めた弾倉を落とし、腰のポシェットみたいなところから弾倉を入れ替え、殺傷用の金属弾に入れ替える。
 その狂った銃口を斜蘭に突き付けた。
「ランを殺す」



 ……無茶苦茶だ。
 復讐の化け物に友愛の倫理は無いのか。
 次の瞬間、雨音には著しく似合わない渇いた音が一つした。
 斜蘭は先のゴム弾の衝撃で動く事も叫び声も挙げる事すら出来ず、滂沱の涙を流しながら口をパクパクと動かすだけだった。
「私は本気だ。五秒後には今の左足の次に右足、右手、左手、頭の順で撃ち抜く」
 頭が混乱してくる。
 彼女は【死を裏切る十二人】の誰かに両親を奪われ、重症を負った。そのための復讐とは言え、ただ一時のために同じ時を過ごした者すらを手段の一つとして殺そうと言うか、そんな事が出来るのか?
 いや、出来るのだろう。元に、彼女は二発目の弾丸を斜蘭の右足に撃ち込んだ。
 赤い血潮が噴きあがる。
「次の五秒で右手だ。いや、待ちきれない、三秒にしよう、一、二、三」
 斜蘭の可憐な細い右腕を彼女は容赦なく撃ち抜いた。
 蹲った斜蘭の腕から赤い血が流れていた。
 陸に上がった魚のように斜蘭はピクピクと小刻みに動きながら、うつ伏せに震えた。
「彼女の命は後六秒だ、早く出てくるんだ、一、二、三、ほら、左手も終わったぞ」
「在姫、着ちゃダメぇぇぇぇ、うあぁぁぁっ!」
 そう叫んだ斜蘭の細い両肩を、セツカは有無を言わさず吹き飛ばした。
 二つの銃声と同時に赤い彼岸花がアスファルトに咲き乱れ、水溜りで散らばった。
「うるさいぞ、この裏切り者め。だが、安心しろ。私は友達思いだからな、頭をちょっと吹き飛ばしても生きているくらいにはしてやる。安心しろ、荻の真似事くらいは私は出来る」
 ピタリと斜蘭の頭部に突きつけた猛毒の、鋼鉄の毒針。
 彼女は手元の鋼鉄のように人ですらなくなったのだろうか?
 私は未だ傷のくっ付き掛けていない親指ごと握りこんで、何をするか分からない人間への恐怖と自分自身の出生の混乱でカタカタと動く歯を食いしばった。精神的ショックでフラフラとする頭を石碑に一度預けてから、勢い良く橋梁の影から出た。
 彼女は私を闇の落とし子と呼ぶ。だがその事実よりも、私は自らが魔女である確信を優先させ、同時に、私の理想を壊すつもりは無かった。
 斜蘭は私を守った。次は、私が斜蘭を守る番だ。
 魔女である私は、私の運命にすら抗ってみせる。闇の落とし子? 上等だ。その落とし子が人を守れるところを見せてやる!

「止めなさい、極道教しっ!」
 そう思いの丈ごとぶちまけるように言った直後、体が反応して右斜め前方へと、橋梁を乗り越えて汚す河の泥水すら気に止めずに転がった。
 風切音三発。
 私はかろうじて弾丸を避けた。

 通常、銃は脇を締めて撃つものだ、とどんな経験があるのかよく分からない、私の師父から聞いた事がある。

《そのため、拳銃は右利きなら相手から見て右手側に、左利きなら左手側に進めば、銃口の向きによって脇が自然と開く。そうすれば、普通は当たらない。拳銃などの短い筒の類は狙いのブレがシビアなんだ。動かない的で素人で十五メートル、玄人で五十メートル、自在に動く的で素人で五メートル、対テロも行う英国特殊空挺部隊(レジメント)やその専門であるデルタフォース、米軍の複合部隊であるネイビーシールズなどの軍の特殊部隊、米国諜報機関(ラングレー)以色列諜報機構(モサド)の諜報機関、そして国連管轄の特捜室(ノーライフキングス)初期対応部隊(カウンターレスポンスチーム)などでの射撃訓練を積んだ玄人で十五メートルから二十メートルと言ったところか。最近かの【峠事件】で、四百メートル先からオートマチックピストルで十五発の銃弾を七秒でピンヘッドさせた化け物が居るらしいが詳細は分からない。どちらにしろ、そんな四百メートル先から銃弾をトンカチ代わりにして七秒で全弾を釘打ち出来るような化け物級の狙撃手に出会う確率は億分の一のはずだ。とにかくは脇を締めた正しいフォームや射撃大会のように肩を一直線にするようにしない限りは当たりにくい。つまるところ、中途半端に脇を開かせれば、射線は簡単に乱れさせる事が出来る》

 素人離れ、玄人慣れした彼女は体勢を整え、二十メートル先からピタリと私の頭部を狙った。

《だが、稀に多少不自然な体勢でも、それでも当ててくる厄介な相手が居る。玄人以上のその道の『プロ』だ。奴らは敵に弾丸が絶対当たる距離まで気付かれずに接近する事に一番長けているが、むろん当てる事も『一般人』の玄人すら逸脱している。先の四百メートルの奴が極端な例だが『その類』だ。そのためにフォームを崩して相手に外させるのではなく、自ら避ける方法の修得が必要なのだ。》

 頭部を狙う銃口だと、私が感づくと同時に動いていた。

《銃が狙っている方向を、弾の出る銃口を観察して推理するんだ。銃口が真ん丸ならまっすぐ顔目掛けて狙いをつけている》

 左頬を伝う三つの金属の感触、そんな合間でも私は彼女の銃口から目を離さない。

《少し楕円なら、胸か腹か、あるいは手足か、ともかく顔以外のどこかに狙いをつけているんだ。まぁ、楕円の形を見れば大体は分かるがな。次に、射手がいつ銃を撃つかだが、これは目と肩の動きを見るんだ。何かしようと決意したときに人は目にその印を表す。それをしっかり読み取れば、銃を撃つ直前の目つきがわかるんだ》

 右斜め下を向いた銃口、狙いは右足。灰色の瞳のぎらついた輝きと同時に左後ろに飛び退いて避ける。続く左足も体重を移す前に動き出す。ジグザグに狙い続けた最後に右のお腹を狙い、それを背中をみせるようなターンで沈みながら回避した。その間も銃口からは目を離さない。

《また、肩がほんの少しだが、銃を撃つとき特有の筋肉の動きが現れるからそれも参考にする。銃の反動を抑えようと、または逃そうとすると肘が動いたりするからね。肘が動けば連動する肩にも兆候は現れる》

 肩の僅かな硬直に合わせて避け、肘のブレによって避け、指先の動きに合わせて避ける。

《つまるところ、見える範囲で拳銃を避けたいなら射手の反応を読み取る洞察力を鍛えろ、そしてそれを読み取って瞬時に避けるようにしろ、とこういう事だ。魔女ならガントの撃ち合いの決闘などもあるはずだからな。銃口を指先に置き換えれば代用は利くはずだ。鍛えておく事に越した事はない。熟練者はその兆候が読み取りにくいから、しっかり相手を見る事を練習しておくと良い。分かったかな? マイ・シスろべぎぁッ!》

 で、鍛えた結果。今のところ、九発の銃弾を避けていた。
 魔術師はそれくらいは予測済みのようで大した動揺も無い。

 魔女の心臓を限界まで駆動させ、運動能力と知覚、認識能力を火事場の馬鹿力で高めている。そんな風に感覚と筋力を高める事が出来るからこそ出来る、感覚と努力で何とか出来る魔女の才能だった。

 さきほどから数えていたところ、彼女が銃を撃てるのは二十発。それから先は弾倉を、弾の詰まった別の容器を入れ替えて、銃にセットしなければならない。何処ぞの弾幕ゲームでは無いのだ。弾切れをしたら取替えをしなければならないのは当然だ。

 残り五発。

 左肩狙いを避ける。右の脛を空中に引いて空かす。頭を沈ませてボクシングのダッキングみたいにやり過ごす。ブレイクダンスみたいに手をついて、横に転がりつつ頭を更に下げてやり過ごす。

《いたたた、……そうそう、それと跳弾(ちょうだん)なんてものもある。弾は壁などの硬い面に弾かれても、まれに弾丸は獣のように進行を続ける。リボルバー何とかと言う奴はその名手で、とある潜入任務のスペシャリストを苦しめた事があるらしい。だがその弾を変えられる角度は大抵は三度から八度と決まっている。何も無い場所なら地面に寝っ転がれば当てられる事はない。そうすればアスファルトの地面で無い限りは地面で跳弾は起きない。アスファルトの地面なら反射断面の粗さと侵入角度の開き方から予測出来る》

 検討違いの方向に向けられた銃口。アスファルトの地面を狙っている。
 跳弾だと確信して、私は最後の弾丸を更にもう一度横に転がってよけた。
 耳元を金属がアスファルトで弾かれる音。避けなければ、側頭部に当たる位置だった。

 彼女が口で銃身を咥えた。
 弾切れ!
 ここから勝負!

 再装填の際、弾の入った弾倉を入れ替えなければ、当たり前ながら銃は撃てない。むろん、それは弾が入っていないからでそれは当然のことだが、徒手空拳の私にはかなり重要なことだ。
 再装填の時の無防備な状態。ましてや魔術師セツカは片腕。もう片方の腕を使う事が出来ないために、装填は健常者に比べれば、何倍も細かい作業が難しいのは自明の理だ。しかし、それでも彼女の熟練具合をみれば、再装填も健常者の軍人並みに早いのかもしれない。
 しかし、再装填のこの瞬間だけは、彼女が最も無防備になる瞬間である。

 私は陸上選手のようなスタートの四つん這いから駆け出す。
 霊気装甲は駆動を始めて、高鳴る一方。

「I summon one from another universe in Azathoth' name. Derive, null――(我はアザートスの名に於いて無界より素を呼ぶ。出でよ、失名素――)」

 装甲で筋肉の『これが限界だ』という場所を突破させて、本当の全速で彼女に肉薄する。
 後、数歩もしないで彼女に辿り着く。魔女の渾身の左ショートアッパーを叩き込みながら、そこから影の兵士達で束縛させ、彼女を沈黙させる!

 その時、何故か彼女が口に咥えていた再装填をしようとした銃が自然と口から落ちて、左手に収まり、自然に間近で魔弾が放たれた。


         ――――――。


 渇いた音と同時に胴体に広がる衝撃。大したダメージでも無いはずなのに、私の足元とそれに伴って視界が乱れて、そのまま、隻眼隻腕の魔術師の前に倒れこんだ。
 地面に倒れこんだら無い胸の下の、更に下辺りから熱い何かが込み上げてきて、続けようとしていた呪文の代わりに、思わず込み上げる物を口から吐き出した。
「かはっ」
 黒い塊のような血だった。
 お腹が痛くて、痛くてたまらない。
「程よい形で内臓に当たったみたいだな。ふむ、肺では無く、胃のようだな。どす黒い……、魔女と化け物らしい小汚い血が物語っているようだ」
 くすくすと灰色の目を細めて、半月よりも細く魔術師は笑った。
 何故? 私は弾丸が空になるまでちゃんと数えていたのに……。
「何故、無いはずの弾が撃てたのか? 気になるようだね。解答を教えよう。何、簡単な事だ。ランの左足に放った最初の弾丸は銃の中の薬室に入ったままの、先ほどの『ゴム弾』だったからだ。その証拠に血は出ていないはずだろ?」
 ……確かに、私は血を確認していなかった。最初の銃撃には血潮は飛んでいなかったのだ。
「薬室の中の残弾と弾倉の弾、賢い君ならこの足し算は分かるはずだ」
 一発のゴム弾足す事の二十発の銃弾。そう、私は単純に数え間違えていたのだ。
「まぁ、無理も無い。銃の構造を知らないと出来ない引っ掛け問題だったからね。テストの時もそうだ。優秀だが、君は非常に初歩的な間違いが多い」
 蹴り。
「あっ゛!」
 顔を蹴られた。私は撃たれたところを中心に一回転する。仰向けになったところに更に蹴り。爪先で更に撃たれた場所が抉れて痛い。
「途中式が間違う事も多々あるが、そもそも問題を取り違えていたり、見逃していたりなどもしている」
 鼻血が出ててる。以前に装甲の流動に失敗して、全身の穴と言う穴から血が吹き出た以来だ。今回は穴の無い場所から出ているために以前よりヘビーなような気がする。
 呼吸が苦しい。体が重たい。いつもなら気合で何でも無いはずなのに、まるで、知ってはいけないことを知って、私の中の思考も体の調子も狂ったみたいだ。
「そして最大の間違いは、この世に生まれ出たことだ」
「あ、このぉ、ごぼ――」
 何か言い換えそうにも、喉の奥から続きと流れ出る血塊に取られて、まともに喋れない。
 じくじくとした痛みは毒に体が侵されたように、滾る意志とは逆に無力感を伝播させる。
 そんな地に落ちた鳥のように足掻く私の前で、恍惚とした顔で悠々と、魔術師は再装填を終わらせて銃を構えた。
「間違いを正すのも教師の役目だ。最後の指導に取り掛かろうか?」


29 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 10:52:49 ID:o3teQDzJ

大叫喚4

            −Side C−

 石火の魔術はとても原始的なものである。
 【読解(よみとき)】と呼ばれる古い起源の魔術とそれに付随する【再現(ふたあらわし)】と言うものである。
 『読解』はあらゆる事象を法則の形で読み出して理解する。『再現』はそれを頭の中で【予測】、シミュレートするものである。
 この技術は陰陽道から深く続く、式を読むと言う技術である。
 式とは陰陽道においては『物事の繋がり』であり、式を読む事は自然の運行や法則を読み込む事で式を頭の中で再構築して、それをシュミレーションすることで森羅万象の出来事を予測することである。当時天文博士と呼ばれた陰陽道の博士は、星の運行から国の行く末たる吉凶を占っていたと言う。
 とんでも無い上級者ともなると意図的に自然の法則を人為的に捻じ曲げて望む結果を算出させながら、その自らの作った台本を正確に【予測】するという。

 さて、彼女の魔術は若いながらも卓越しているが、その領域に達したモノでは無い。それは技術や魔術であるものを【読解】し、【再現】する事で人より格段早く経験をすませたり、後の展開を高確率で【予測】する程度のものである。
 むろん、彼女でも【予測】しきれないことは多い。事象として現れない人の心や、その心の中での結果が現される魔法は彼女は理解自体が出来ないし、技術的に不可能なのだ。



 そう、だから彼女は左足一本で身体を引き摺り、泥まみれの傷だらけになって彼女の左腕にしがみ付く、殺そうともしていた友人の行動を理解出来なかった。
「セツカ、……止めて」
 路面に描かれた赤い軌跡。
 身体を引き摺って、彼女は復讐の最後の一コマを繋ぎとめた。
「邪魔をするな! 私は待っていたのだ! この時を! この瞬間を! この悦楽を!」
 凍った瞳で彼女は激情を吐き出す。
「こいつらの眷属は『死』が無い! だからこそ人も人外も関わり無く、玩ぶように殺し尽くす! そんな末裔は一匹足りとも人としても生かしてはおけない!」
 握る手に音を立てるほど銃を牙で噛み締めるように握る。今にも引き金は絞られて、在姫の頭を吹き飛ばしそうだ。
「あなたは、本当に……、復讐がしたいの?」
「あぁ、そうさ、復讐がしたい」
 彼女は澱みなく言う。
 それをボロボロになりながら縋りつく、彼女の友が否定する。
「違う。それはセツカの心が、その時から凍ったままなだけだよ! 復讐なんて無意味だって、不可能分かっている。セツカは復讐じゃない、ただ心が凍っただけの固執なの!」

「――――ッ! 違うッ、で……、出鱈目を言うな、……私を惑わすな! 私は、あの化け物に復讐しなければならないのだッ!」

 ――そうなのだ。彼女の本当の持つ感情は憎しみでは無かったのだ。あの怪物に殺される瞬間、心も殺されないように、硬くその時の状況のまま凍らせただけなのだ。
 たかが十五歳の復讐心が人類など圧倒的に超越した生命体に適うはずは無い。それは幾ら子供でも彼女は分かりきっていたはずだった。でも、それを納得していたら、その確実に来る死を受け入れていたら、彼女の心までも化け物に殺されて砕け散ってしまう。だから、彼女は途方も無い試みの不可能さを忘れるために、それを考えるための心を凍らせたのだ。
 彼女の心が凍っていたのは、必死にその事実を忘れようとして、復讐と言う行為だけを繰り返すものだったのだ。
 それはつまり、固執である。
 心の方向を一つに定め、それ以外の方向に動かないように全てを無視する状況を自ら作り続けていた。
 しかし、聡明な彼女は、斜蘭の大きな叫びで心が無視できないほど戦慄かされ、気付いてしまった。
 復讐をする行為の無意味に。

 心が砕けそうで、キシキシと軋んでいた。
 精神崩壊と固執からの解放の狭間で彼女の心はあまりにも脆く揺れ動いていた。

「違う! 固執じゃない! 私は、私はこの化け物の娘を殺したいんだ!」

 銃身が震えていた。今にも泣きそうな顔を、銃の握り手で必死で耐えている。
 それに震えながらも斜蘭は立ち上がり、全身でそれを押し留めていた。

「セツカは! これ以上時を止めて、心を凍らせる必要は無いの。動いて、動き出して! セツカと繋がりを求めている人がいるのだから!!」

 そこで始めて、子供と大人の狭間で揺れながら、それを拒絶して魔術師として歩み、そして死に掛けていた時に、助けてくれた彼を彼女は思い出した。

 凍っていたから、本当の意味で気付かなかったのかもしれない。
 昨日よりも前、全てが凍りついた雪原での惨劇から、彼はずっと隣に居た。
 あの時、あの場で、狂って捩子くれた爪が突き刺さるのを止めたのは、事実、彼だったのだから。
 心が凍った直後、それに体の反応も引き摺られて何も行動が出来なかった頃、それを献身に介護していたのは彼、荻だった。
 それからも彼は事あるごとに助けてくれた。復讐をするつもりだと言っても彼は黙って着いて来てくれたし、それに掛かる労力や負担にも不満を漏らすことは一度としてなかった。
 それでも率先はしなかったが、彼は復讐を快く思っていなかった。それ故に、彼を最後まで身体を受け入れたとしても心から受け入れる事は出来なかった。彼は復讐が無理だと分かっていて、それだから彼女を止めた訳ではない。純粋に彼女を愛していて、彼女の一挙一動が不安だったのだろう。
 彼はいつでも暖かかった。
 極寒のシベリアで、常春の太陽ように仄かに暖かい彼の優しい眼差しが彼女を照らしあげた。






 氷が、砕けた。






「荻……、私は、あ、……」

 軋んで壊れた灰色の氷の間から、暖かみで溶け出した液体が、ジワリと石火の目尻を伝って流れ出た。
 彼を何度「魔術師に似合わない」と蔑んだりしたのだろう。それを何度笑って誤魔化されたのだろう。彼は、彼女を暖かく包んでいた。それを硬く凍って拒絶し続けてしまっていた。魔術師として、それでも彼は同時に『人』としても生きていたのだ。
 そう、彼女の凍った心は人の温もりでしか解けなかったのだ。
 だから……、温もりで涙が止まらなかった。

「……あぁ、荻、……荻、……済まない」
 銃口が在姫からそれて、地へと向けられ、そのまま滑り落ちた。



            −Side A−

 左腕に巻きついた斜蘭も、そして私もようやく安堵した表情を見せていた。
 魔術師セツカでなく、私の父親の兄弟が与えた呪縛から溶け出した三枝先生はしゃくりを挙げて、子供のように荻さんに謝りながら泣いていた。
 ……加えて残念ながら、常寵には二人の間に入り込むような隙間も無いようだ。まったくもって、お騒がせなカップルだ。
 父親が大犯罪者である事は、……事実なら仕方が無い。どう足掻いても私はそう生まれたのだ。だったら受け入れるしか無い。それからどうするかは特に何も考えては無いけれども。それにしても母も、なんていう人と結ばれてしまったのだろう? その辺りの経緯は生きていたら聞いてみたいけど、まぁ、もう後の祭りだ。
 さて、そして私の知り合いが誰一人死ななかったのはとても幸福な事実だった。今回の私は少し無様かもしれないけれども、その幸福の形を掴み取ったのは私では無く、三人の魔術師達の絆なのだからしょうがない。これくらいの不幸は許せる範疇だろう。胃が凄く痛いけど。
 絆の強さ。三枝先生が見た目とは裏腹に危なっかしく、一番頼りなさそうに見える荻さんが外見に似合わず縁の下の力持ちでキーパーソン、そして斜蘭は何かがあるとちょっと口を出して全体の道筋を正していく。それを考えると、まるで斜蘭が最年長者みたいだ。それにしても全員、外見と構成する関係が全然違う。魔術師は魔法使いよりもその成合や素性を隠すけど、性格にいたるまでまるっきり違うのも珍しい。
 そんな彼らが色々と、父親が大犯罪者など、ビックリな落し物を残してくれちゃったが、激しい戦闘の中で誰も死ななかったのは凄い拾い物だし、大切にしたいと思った。
 そう思いながら痛むお腹を押さえて、「等々力医院って国民保険効いたかな」と金銭面での事へと考えながら、立ち上がった時だった。
 風雨の中で大翼の翻る音が響く。
 それは聞き慣れた、ヒポグリフィスの両翼の羽音だった。
 あの看板にぶつかってから、自分の異界へと戻らずに彼は留まっていた。それは何故?
「!? セツカ危ない!」
 その羽音の方向へと頭を巡らせる前に突如、斜蘭が三枝先生の腕を引いた。
 地面に倒れる先生をかばうように、傷だらけのまま両手を広げる少女が何かに立ちはだかる。




























               「るぁぁぁぁぁぁぁっぁ!」

 その場に残った斜蘭をアカイ槍が切り裂いた。



























 右肩から腰までを一気に切り裂かれて、左右に分かれながら彼女は崩れ落ちた。
 血みどろになって、ボロボロになって、同じ満身創痍のヒポグリフィスに乗ってきた紅の獣が飛び降りながら切り裂いた。
 獣の左肩から腕の先が無い。足はスニーカーの端だけでボロボロで、足の裏も背中も赤黒い、荒い息と血を吐き続ける口は獲物を喰いちぎった野獣の剥き出しの牙みたいで、胴体には鉄の破片とかの細かいものがびっしり刺さっていた。ギラギラと脂ぎったナイフみたいな終わった瞳が斜蘭の縦半分になった身体を睨んでいた。
 斜蘭を斬割した槍を途中で止まった腰辺りから無理やり引き抜くと、鮮やかなまでに赤い血をひいて今度は先生へと向ける。
 先生は驚いた子供のように目を大きく見開いていた。
「ラン……、え、何で」
 ドンと言う音がして、先生も心臓を抉られた。
 音を立てて槍は引き抜かれて、地面に点々と飛ぶ血の滑り。
 先生はよたよたと後ろ向けに後退りながら、橋の手摺りに手を掛ける。胸辺りを押さえた手からはどくどくと有り得ないほどの血が漏れ出していた。
 その胸から流れ出る、粘ついた血を手に翳してみると、先生は何か納得したように微かに笑って、
「九貫くん、……済まない」
 そのまま、橋から落ちて濁流に飲まれていった。






 私はその出来事の中で、体が麻痺したように動かなかった。
 幾ら血が足りなくても無理にでも動けたはずだった。それでも私は動けなかったのだ。

「在姫、……大丈夫か?」
 今にも何か飛び掛かりそうな、凶暴な、それでいて虚ろな顔で、紅色の化け物が槍を杖代わりにして近づいてきた。
 皮肉だ。復讐者が悔い改め、狩人の一人が獲物を守り、突然の自分の悪夢にも耐え切ったのに、そんな私の壊して欲しくない穏やかな日常を、そうなるかも知れなかった可能性の一部を、守るものが全て壊した。
 ――何よりもその姿が鬼のようで、あまりにも恐ろしくて、何かも壊してしまいそうで、私は耐えられなかった。








「近寄らないで! 化け物!」

 雨音がより一層強く降りしきる様に雨脚を挙げた。
 私と化け物の間が、目で見えるより……、遠い。

「……在姫、俺は……、君のためを思って」
 鬼がまるで人のように話しかける。
 ……いや、嘘だ。彼には人の心なんて無い。いや、『これ』は強き壁である守護者でも、人になつく事もある獣でもない。ただただ殺し尽くす戦鬼だ。
「いや……、もう、いや! 先生が折角正気に戻ったのに何でアンタは殺したの! おかしいよ。斜蘭なんか私を助けようとしたのに何で殺したの! アンタなんて、守護者でも何でもなくて、ただの狂った人殺しじゃないッ!」

 雨なのか、涙なのか、救われたはずなのに取り零れた事が納得できなくて、狂っていて、私の視界は世界ごと歪んでいた。
 鬼の顔も歪んでいる。

「アンタ、何て要らない! お願いだから……、もう誰も殺さないで…………。だから私の、そばにいないで……、う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」



 雨音に遠く慟哭が響く。
 あぁ、何て、理不尽。
 魔女でも、人を救いきる事が出来なかった――



「……………………分かった」


30 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 10:53:13 ID:o3teQDzJ

大叫喚5

            −Side C−

 斜蘭はおどろおどろしいほど渦巻く灰黒色の空から、必死になりながら満身創痍の魔人が落ちてくるのを見て、流石にこれは死ぬな、と納得していた。
 右肩から槍の鋭い刃で切り裂かれながらも、彼女はそれでも満足していた。

 繋がりはあった。
 見つけられた。
 既に、石火と荻の間にあったのだ。
 絶望的なまでに、世界の何処にも繋がりを意識できなかったのにも関わらず、彼女が引き金を引こうとしたあの瞬間に自然と、探していた彼女自身の言葉から出てきた。
 繋がりは感じていたのだ。それを気付かなかったのは斜蘭の鈍さだったのかも知れない。
 いや、もしかしたら、彼女と彼の僅かなわだかまりを逆に感じ取る事で、繋がりがまだ弱い事を敏感に感じていたのかもしれない。

 とにかく繋がりは愛情の結晶とか、見えるもののようなそう言うものではなく、彼の暖かさが彼女の凍った時間を動かした。そして、それに答えた彼女も、彼自身を受け入れたのだ。
 目に見える必要は無かった。検証するようなものでもなかった。ただ自然と二人の間に分かつものがその瞬間には感じられなかったのだ。それが事実だった。
 だから彼女は、在姫を守ろうと死に物狂いになる魔人に対して、ただ一つも恨み言はなかった。
 彼は在姫を守るためなら何でもするのだろう。そう思うと言い訳する間も無く殺されるのもしょうがないことだと諦める事が出来たのだった。在姫は斜蘭が殺された瞬間は、彼の必死さを理解出来ないかもしれない。でも、繋がりを感じる事が出来た斜蘭は、魔人と魔女の間に石火や荻よりも強い繋がりが感じられた。それが分かったのは、もしかしたら、死ぬ前に彼女が魔法を使えたのかも知れない。
 そして、憑き物の落ちた石火も今までの悪意を受け入れるように、儚げに笑いながら消えていった。
 それでもたぶん、死ぬのは自分が先だろうと、斜蘭は思っていた。
 自分自身の怪我の軽重は関係ない。濁流に流れる途中、病院に居る筈の『彼』が泳ぐ姿を彼女の視界が捉えていたからだ。
 彼女はきっと助かる。彼が彼女の命を繋ぎとめるはずだからだ。そう思うと安心して死ぬ事が出来た。生きる事を放棄しかけた人生が伸びに伸びて、最期に魔術師以外の、憧れである魔女で、それ以上に短い付き合いの友達まで出来たのだ。安寧と言うに等しい感覚だった。
 ただ、それでも彼女には残念な事が幾つかあった。
「もっと、在姫と遊びたかったなぁ……」
 その在姫が慟哭しながら斜蘭の死を悼んでいる時、国定が今にも泣きそうな顔で失意のまま在姫の元から歩き去る時、彼女は耳も目も満足に使えなくて、ゆっくりと暗闇と何かの繋がりを感じてその方向に意識を沈ませていった。






 濁流に飲まれたはずの石火は、周りを取り囲んでいたはずの自然の暴力を感じられず、ふと目を開けた。
 茶色の、自らの罪のような色に塗れてそのまま死ぬはずだった彼女は彼に救い上げられたのだ。
 だから、目の前にはこの世で一番会いたかった人が居て、彼女は自然と口が動いた。
「荻、済まない。二度、いや三度も、命を助けられてしまったな」
 子供のように素直な面持ちの彼女の、徐々に体の冷たくなり始めた体を荻は抱き締めていた。
「――喋るな、傷に響く」
 抱き締めながら、心臓から流れ出る血を大きな掌で止めながら、彼は真剣な瞳で見つめていた。
「ハハッ、ダメだ。幾ら現代医療でも、細切れになった心臓は流石に元に戻らないさ。……あぁ、もう諦めたはずなのに、こうして君に会うと何かも惜しくなってくる」
 瞼が緞帳のように閉幕を促す。
「私は、もっと君と居たかった。もっと君を抱き締めたかった。もう、抱き締めたいのに手には力が入らない。もっと君を心から愛したかった。復讐なんかしたくない、君ともっと一緒に居たい、……ずっと生きたい。あぁ、復讐の事を考えていた時は感じなかったのに、今は死ぬのがとても怖いんだ」
 彼は彼女の一言一言にいつものようにゆっくりと頷いていた。
「あぁ、私は欲まみれで我侭で本当に嫌な女だ。君の思ったことを一度も満足させたことが無いかもしれない……、済まない」
 彼女は口元から赤い血を吐き、瞳から未だ解け続ける氷の雫を零しながら訥々と語り続けた。
 国定の槍捌きが余りにも俊敏だったため、穂先は無いにも関わらず、彼女の心臓は綺麗に半分に分かれていた。断面組織は完全に死んでいて、手術で縫おうにも心臓の複雑な筋組織がズタズタで再生は出来かねる事は明白だった。何よりも病院や集中治療室に運ぶような時間はなかった。
 彼女自身の涙と死への思い出したような恐怖、そして着実に死に続けてぼやける彼女の視界の中、彼は覚悟を決めた精悍な顔をしていた。

 彼は最後の彼女の言葉に、始めて首を横に振って否定した。
「大丈夫だ、君は必ず生きる。それが……、君が叶える僕の望みだ」
 いつものように優しい笑顔で彼はそう言うと、彼女の残った片目を覆い隠した。
「……まさか? やめろ……、君の魔術を使うな……、お願いだっ」

 斐川 荻の魔術は人体を斬割する事が目的では無い。むしろ、その魔人を圧倒する肉体を作り上げた優れた、そしてそれを可能にした異常な程の医術が魔術だったのだ。
 医術を通じて自身の肉体を把握する事で栄養バランスもコントロールして強化を図り、その人類の究極に近い肉体で鉄の斬術までを素手で成し遂げるのが彼の魔術である。通常なら練習で明らかに必要な肉体の余暇も無くす事で百%の時間を使って肉体への技の刷り込みを行い、二十代半ばで拳術だけなら魔人や拳王にも匹敵する技術を完成させたのだ。解剖学的に人体の壊れやすい場所と角度を学ぶ事で、人体を無刀でバラバラにし、時にはそれを元に戻す。故に、彼は先々日の国定との戦闘の直後でも、遊びの過ぎた斜蘭を電線を全速で走りながら弾き飛ばす事が出来、その次の日には海水浴が楽しめるほど人体のダメージを回復させる事が出来たのだ。
 そして、今の彼の技術ならメスも何も無くても短時間で『心臓を入れ替える事』が出来た。

「石火、君をずっと愛している。僕の魔法使いの夢は君に託すよ?」

 彼は一度言い出したら、頑固者でどうしても考えを変えない男だった。
 義理の妹でも養うと決めたらロシアまで出稼ぎに行くし、魔法使いみたいになるために拳王に弟子入りする。決めた時には拳王自身に殺される危険があっても、ロシア軍の爆撃でも動かない。雪原で死に掛けの彼女を助けると決めた時に究極に近い生命体が眼前に立ちはだかってもドロップキックをする度胸があった。そして、彼女が復讐に生きると決めた時も、彼女を最後まで守るために自らの修行を投げ打って、一緒に生きると彼は決意していた。

 そして、今度は本当に命と魔法使いになる彼の人生の根幹たる使命を打ち捨てて、代わりに彼女の命を拾い上げるのだった。
 理由は説明するまでも無い。

 だから「(そんな頑固な彼の最期の決意くらいは私から受け入れよう)」と、彼女は思った。

「……私も荻を愛しているんだ」
「うん」

 額と瞳を覆う荻の手が震えている。当たり前だ。決意したとは言え、自ら心臓を引き摺り出したいとは思わないのが普通だし、それに伴う死を恐れない方がおかしいのだ。
 それでも、そんな最期まで魔術師に見えないほど一般人みたいに普通で、ちょっとだけ魔人より強くて、少しだけ勇気がある彼に愛されるのが彼女は嬉しかった。





「妹をよろしくね」

 最後に少しだけ妬いてしまった。
 本当に普通で、御節介で、彼女は少しだけそれが可笑しくて、愛しくて、それが最後だと思うと、止め処なく涙が零れる。

「……むろんだ。『私達』の大切な家族だからな」
「ありがとう、僕は、君と出会えて本当に良かった」

 その言葉と僅かな唇の感触を最後に、彼女は意識を失った。





 ――The sound of rain was like pain.
 They are laughing at pain which came from remained recollection.
 Thirst scratch thou throat.
 They are laughing at the scarcity.


31 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 10:55:05 ID:o3teQDzJ

幕間 鉄囲線五


 ――雨音は痛みのようだった。
 思い出が残す痛みを奴らが笑っていた。
 渇きだけが喉を掻き乱す。
 その渇きを奴らは楽しんでいた。


 雨の中、駅の売店で売っているような安い透明なビニールの傘を差して、二人の怪しい男が居た。
 二メートル近い、黒いローブを白い素肌の上に直に羽織った大男に、その横にへらへらとした笑顔を見せるサラリーマンのようなスーツを来た若い男が居た。

 その男の見つめる先には、荻が、荻だったものが河川敷で膝をついて座っていた。
 彼の右目と丸太のように太い右腕は無く、鍛え上げられた高密度な上半身には心臓のあるべき場所にポッカリと穴が開いていた。
 その足元には半分に分かれたズタズタの小振りな心臓はあったが、その持ち主の姿はなかった。

「どうやら彼、右腕と右目を彼女に挙げてから心臓を移植したみたいですね」
「そりゃ、先に心臓を挙げたら残りのパーツは挙げられないからな。まぁ、片手、片目で大手術を短時間で終わらせたのは彼の驚異的な集中力だろうね。【予測】どおり、彼女は自分の心臓は置いていったみたいだな。過去を捨て、自らの新たな生を得る、か。魔術師らしい」

 本来なら有り得ないことである。心臓を取り除いても、十五秒以上意識を保って生き続けた記録は医学上はありえる。しかし、それはあくまでの低次元での肉体の反応であり、人間的な、意志を持った活動が出来る事など到底有り得ない。ましてや、自らの心臓を自分の意志で引き千切り、他人に渡すなどは狂気の沙汰である。

 しかし、彼はやり遂げた。そこには彼女に生きてもらいたいと言う一身の願いがあり、同時に綿に包まれた中にある針のような、武人らしい剛毅な覚悟と彼女に対する強い芯のある想いがあったからだった。
 故に奇跡が起きた。
 彼は自ら瞳を抉り彼女に与え、腕を切り取り彼女に取り付け、最後に自ら心臓を取り出し彼女に詰め替えたのだ。
 その正座した膝の上に置かれた血塗れの左手には一種の、愛故に形作った狂気があり、同時にそこには神聖な、人として何か感動を与えるような、静けさがあった。
 黙した彼はまるで淡々と正座をして禅を組んでいるようで、死んだようには思えないほど穏やかで晴れやかな顔だった。
 たった今、心臓を愛する相手に与えたとは思えないほど、痛みの無い安らかな表情だった。

「……それにしても素晴らしい、彼は根性があるよ! 彼は誉むべき魔術師だ! その心意気、いや、その愛ゆえの狂気、この最高の『魔術師』である私が評価し、感動してやろう! 確かこの国の、今代の総理大臣も言っていなかったか? 痛みによく耐えた、とな」
 その彼だった骸にパチパチと拍手を巨大な黒い男、脱皮者が送り、それに申し訳程度にスーツの男、鞍路慈恵は続いた。
 不可視の神聖さを二人のイカれた男が穢していた。
 冒涜を文字通り、自らの(きょう)のために行っていたのだ。
 悪を行いたいが故に神聖さを汚す。悪のための悪があった。
 目的も、意味も無く、ただ純粋に悪になるための行為であり、在り方なのだ。
「……それにしても計画は怖いくらい【予測】通りに進んでいますね?」
「当たり前だ。この私が千年間も考えたのだぞ? あの自称『大魔女』の邪魔さえなければもっと早く始められたのだが、まぁ、『彼女』を『人質』に取る事で上手くいったようなものだがな」
 彼は白い歯を見せながら、ゲラゲラと、世界で隣に居る男くらいしか心地よいと思えないような黒い笑い声を挙げた。
「騎士もどきのアレはどうなっているのでしょうか?」
「私の居城にいる。魔人が来た時に捕らえて、魔人を君に渡す手筈だ。その後はどうでも良い。儀式に滞りさえなければ好きに弄って構わん」
「そうですか……、橋の上の彼女ですが、僅かながら蘇生処理は施しました。予定通り、魔女の戻り坂まで運び、それから『心臓』を摘出します」
「魔人が左手を爆砕した時は冷や冷やしたが、私の読みどおり、風の揺らぎで僅かにそれて心臓は無事だったようだな。逆に惜しいのはあの復讐鬼モドキの心臓だ。割れたのは惜しいが、あれだけ思いが強ければ組織片でも多少は使える。拾っておこうか。逆月の宴、その前日まで彼女が見つからなければ、儀式はドーマンで行う」
「……それなら後は私の『心臓』だけですね。で、どうしますか? 魔女(彼女)自身は?」
 黒い男は敢えて、答えは既に決まっているのに、意地悪くそれでも考えるような素振りをした。
 黒い影に白い、かみそりのように整えられた歯が下弦の月のように見えた。
「そうだな、君の魔術で魔人を捕らえて、彼女に彼の事を教えてあげるのはどうだろうね? 喧嘩別れしたままは可哀相だろ? 絶望する前に彼の事で希望を残さなければならないからね。絶望だけでは闇は出来ない。適度な希望の明かりがあるからこそ、その後の絶望がより暗くなるのさ」
「ふふっ、彼方は本当に弟子思いですね?」
「一度も魔法を教えた事が無いけどね」
 げらげらと嫌悪感を煽るような二つの声が木霊した。



 ――Well, Let me tell you one folktale.

 Once upon a time, one infaint who was like a beast lived in some moutain.
 He lived alone in the natural dark, feed on beasts, and they were followed as it like his shadows.
 Even though bear could not grapple with his force, he was top of lives in the moutain.


32 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 11:07:48 ID:o3teQDzJ

大焦熱


 ―― 一つ、物語を聞かせよう。
 
 昔々、ある山に獣のような子供が住んでいたそうな。
 彼は自然の闇に生きて、獣を主食とし、獣達は彼の影のように随っていた。
 熊でも取っ組み合いで勝つ事はなく、彼は山の王者だった。

 八月一日

            −Side A−

「……あ」
 何かが内側からドンドン失われていく。
 それは自制する事すら出来ず、ただただ垂れ流されていた。
 誰にも止める事も出来ず、まるで濡れたスポンジに許容できないほどの水が含まれ、そこから溢れ出るようだ。
 満たされていたはずの身体が周期的に、時に突発的に、零れ落ちる。
 一滴。
 二滴。
 三滴。
 一滴ごとに自らの境界から外へと、取り入れたはずの一部が解放されていく。
 雫は何時の間にか流れとなり、大河となり、怒涛の洪水となる。
 洗い濯ぐ物ではなく、氾濫による肉への反乱。
 私は徐々に自分の一部を失っている。
 しかもそれは与えられたものだった。
 その喪失によって、私は渇きを覚えた。
 求めるもの、得るもの、その大逆に拒むもの、失うもの。
 私の内側は何も求めていない。
 そう思わないと、自らの怠慢を認めてしまうようで怖い。
 恐怖は自らの変化。未知への絶望的な俯瞰。
 しかし、私の本性は留まる事を許さない。
 いつかは、いや、今ココで、私は真実を認めるしか無い。
 絶望は何処にでもある。例え、それが『立ち上がる』のに豪い努力が必要であってもだ。
 立ち上がるためのそれは、人が文明社会の中で多くが打ち捨てた、本能とでも呼ぶべき代物なのかもしれない。
 昔の、何と言う名前かは忘れたが、哲学者は言った気がする。
 本能とは、火事の時に食卓の昼食を忘れ、消した後の灰の上で飯を食べる事だと。
 私はきっと複雑な理解よりも前に明らかに分かっているのだ。
 現状を維持しているのが如何に無意味な事なのかを。
 それを認めないのはただ単に複雑さを求めようとしている小賢しい生き方なのかも知れない。
 そう思うと、私は腹が立ってきた。
 だから、瞳を開けた。





「暑ッッ苦しいっ!」
 あまりの寝苦しさとダラダラと止め処なく流れる汗にタオルケットを跳ね除け、ベッドから飛び降りる。
 枕元に置いてあったタオルを取ると、それで半ばやけくそ気味にゴシゴシと顔を拭いた。
 消し炭のついたカーテンを跳ね除けるとそこには一面の青い空――、ではなくブルーの工事用のシートで崩れた窓枠が覆われていた。
「……そうだった。まだ家、直ってないんだった」
 どんよりとした重たい入道雲がシート越しに見えたような気がした。

 事件から八日。
 あの日の爆発は館のガス管が老朽化したための爆発事故と言う表向きの原因となった。
 ジョウチョーは季堂ツィンタワーでの爆破テロ事件(と言う事になっている)以降、そのまま夏休みに入って偶々私の家に泊まっていたために、爆発事故に巻き込まれた事にさせてもらった。
 私はたまたま風呂側に居たために、構造上無事だった事になっていた。まさか、魔法で直したとは学校には言えない。
 あれ以来は事後処理のために曲さんにも会う機会も滅多に無く、常寵の携帯に来た連絡に寄れば、その後急遽正式に組み込まれた亡霊騎士の葬査展開と交戦経験を踏まえた陣頭指揮で忙しいようだった。
 そして、今日は少し早い時間にジョウチョーの陣中見舞いに行く予定だった。ん? 陣中見舞いで日本語的に合っていたっけ? 入院見舞いだっけ?
 斜め後ろを振り返る。
「ねぇ、どっちが正しいだっけ……、なーんて、訊く相手がいないから分からないよね」
 朝っぱら狂っている調子を正すために顔を洗いに向かった。



「よく来てくれたね。在姫、君の怪我の方は大丈夫かね?」
 と、まるで怪我人に見えない元気な様子で、雑魚寝をしながら本に目を落としていたジョウチョーは病院のベッドから身を起こした。

 起き上がった瞬間に僅かに顔を歪ませるが、意外と気丈に振舞っている。空元気では無いと良いけどね。
 一人部屋には何時の間にか病院の本を殆ど読破したのか、三日前に訪ねた時とは違うラインナップの塔が幾つも積みあがっていた。本を読むくらいの元気はそこそこあるようだ。
「私は全然平気よ。家帰って、怪我専用の霊薬(エリクサ)飲んだり、傷口の軟膏塗ったりしたし、病院にも行って診てもらったからね」
 手持ち無沙汰なので、クラス委員長の鳥越 九楼(とりこし くろう)君が代表で持ってきた、彼女へのお見舞い品のりんごを、椅子に腰掛けて剥く事にした。
 鳥越君は名が体を表す通り、心配性なだけはある。全身麻酔が切れ、ジョウチョーが普通に寝起きが出来るようになると彼は直接来たようだった。
 ちなみに私に対しては……、


 館の爆発事件から五日ほど経って、壁を直す大工作業中の私の家に鳥越君から電話が掛かってきた。
『も、もしもし、九貫さんの御宅でしょうか?』
 何やら後ろの方からクラスの男子達の声が聞こえた。たぶん、鳥越君が代表で電話を掛けてきたのだろう。
 それにしても《よし、今は傷心中だ。その事を念頭において好感度メーターを上げるんだ!》《敵要塞、クヌキバラードに侵入し、姫を奪還しろ》とか妙な盛り上がりを見せていたようだ。一体電話一本だけでどれだけ楽しんでいたのだろう?
 少し呆気に取られて閉口してしまったが、口に咥えていた釘を吐き出すと、片手にトンカチを持ったまま、応対をすることにしたのだ。
『はい、そうですけど』
『在姫さんはご在宅でしょうか?』
『私ですけど、何か御用ですか?』
『うぁ、え、その、お怪我は大丈夫でしょうか?』
 《馬鹿訊く事が違ぇだろうが!》《焦るな、お前には男子二十二人の魂が付いている!》などと言う意味不明の野次が聞こえていた。そう言えば鳥越君は赤面症で、私と目が合ったりするとすぐに顔が真っ赤になる。他の女の子では無いけど、一体どう言う事なのだろう? 取りあえず、彼を緊張させないようにゆっくりとした口調で、『えぇ、別に大して目立った外傷はありません』と返した。
『そうですか……(よかった)』
 《よし、そこだ。次のイベントへのフラグをすかさず立てろ!》《戦闘シーンにセーブ機能はない。慎重に言葉を選ぶんだ。シュネーク。》と何やらよく分からない事で騒いでいるみたいで少しうるさかった。
 もしかして鳥越君は罰ゲームか何かで私を不快にさせるために電話を掛けたのだろうか? だとしたら、私はそれに乗れるほどその時は気分は良くなかったので凄く不愉快だった。
『え? 今何か言いました?』
 少しきつめの声で言ったせいか、電話口の鳥越君は『あの、その』としどみどろになってしまった。受話器の口を押さえて『ねぇ、次はどう言ったらいいの?』と、情けなくも他の男子に助言を求めていた。……あのねぇ、たかだか女の子と話すくらいでここまで挙動不審にならなくてもいいのに。
 一度、軽い咳払いで息を整えると、彼はこう言った。
『え、いえ、その、在姫さんが何事も無くて良かったです』

 私は何も無かった。
 その代わりに失ったものが多過ぎた。
 冷たいアスファルトに横たわる赤く咲いた彼岸花。轟々と流れる泥水に落ちた白百合。
 そして、それを踏み荒らした鬼。

『……―― 何も無かった訳ではないです。ジョウチョーが大怪我しました。双方、大事には至りませんでしたが、正直、私も傷ついています』
 虫の居所が悪かったわけではないが、その時の光景がありありと思い出されて私は少し気持ちが沈んで、同時に腹が立った。
 電話口の後ろの方では『しまったブラフかー!』とか『ロードしますか? →はい いいえ』とか魔女の窯の中より混沌とした様子で更に私の気分の悪さを煽る形となった。
『あ、あの、別に気分を悪くしようとしたわけでは』
『分かっています。ですけど、ちょっと今日はあまり話をするような気分ではありません』
『……あの、実は、僕は』
『もう話しは終りですか? こっちも色々と忙しいので』
『はい、……ご迷惑掛けました、それでは』
 相手側から通話が切れると、他人に八つ当たりしたのが逆に腹が立って、トンカチを投げた。お陰で無事だった最後の窓ガラスが割れた。


「ちょっと彼には悪い事したかな、とは思っているんだけどね」
「誰の事を話しているんだい?」
「別に何でもない。……そうそう、昨日、院の執行部が斜蘭とお兄さんの遺体を引き取りに来てた」
「……そうか」
 その詳細を、ベッドを背もたれにしてニーベルンゲンの歌(ドイツ語版)を読む常寵に報告する事にした。

 荻さん達は詳しくは知らないけど、院のある特殊な暗殺機関(何でも日本の闇殺舎と言う暗殺組織よりも有名らしい)では有名な三人組だったらしい。
 佐武(さたけ)と言う偽名のような引き取り人が言うには院でも十本の指に入る忠誠と成果の持ち主の人達で、魔女狩りをするなどは考えもつかず、逆にショックだと語っていた。
 彼らの遺体はそのまま院の方で霊気装甲の研究のために回されるような契約をしていたらしく、常寵の事もあって何とか出来ないかと交渉してみたが、無駄骨だった。
『院の支援や資金提供を受ける代わりに、研究のためにその身を死後も捧げる事は規定になっています。それが出来ない場合には契約違反となり、他の家族の魔術師などが罰則を受ける規定となっています。彼らも死後までそんな事を望んでは居ませんでしょうし、分かっていただけませんか?』
 と、終始そんな口調で、丁寧にそれでも頑として私の交渉に屈する事はなかった。
 交渉の交換材料になるものの無かった私はそこまでで、まさか個人で巨大な院に逆らえる事が出来るはずもなく、膝を着くしかなかった。
『これも規定なんです。荻さんや蘭さんはその事を承知で、受け入れた上で院と契約しました。彼らの遺志を無駄にしないでください。誇り高い魔女の貴女にそれが受け入れられるか分かりませんが……』

 結局、彼らの遺体はエジプトへと送還された。
 執行委員の佐武さんは残りのメンバーである三枝先生の遺体を探すために残っているらしい。
 三枝先生はどうしてしまったのだろう?
 下流を流れ、彼女の遺体は何処へと流れたのだろうか……。

「兄の事は過ぎた事だ。私には過ぎた身内だった」
「ジョウチョー……」
 ジョウチョーは珍しく、章も変わらない途中で読み止め、栞も挟まないで本の塔へと積み上げた。
「可笑しいな、幾ら身内なのに、それを家族愛と言う気持ち以上に愛してしまって、やっと気持ちに整理がついて信頼できる人に預けられるかと思ったら、その人は消えて、兄は亡くなってしまった……」
 瞳を閉じて、点滴が抜けないように押さえながら横になる。
「私は滑稽なのかな」
 そのまま自嘲気味な笑みを浮かべて「今日は、疲れたから寝るよ」と言った。
 私は彼女をそっとしておこうと思って、「んじゃ、よく寝て、早く元気な姿見せてね」と、そう言ってそのまま部屋を出た。
 私に出来る事はこれ以上は何もないのだ。
 出来る事、それは、本当に無いのだろうか?

 病院の薄暗い廊下を歩くうちに、一週間以上前に一度だけ見た包帯姿の死神を見つけた。
「曲さん、お仕事は大丈夫なんですか?」
「あぁ、私は大丈夫だ。現場の連中と相変わらず反りは合わないが、まぁ、何とかやっている」
 若原と言う名家に生まれた、いわゆるエリートの曲さんと現場の叩き上げの人達とは色々と意見が対立するのだろう。
 事件は会議室ではなくて現場でとか何とか、って奴かな?
「ジョウチョーは今寝付いた頃なので、そっとしておいた方がいいかもしれませんね」
 彼女の本に目を通す瞳が赤く充血していた。おそらくあまり寝ていなかったのだろう。
「そうか」
 そう言いつつ、後ろ手に和木市の銘菓の袋を隠す曲さん。たぶん、この人は後々自分で食べるつもりなのだろう。
「そう言えば『あれ』以来から国定君の気配が無いけど、どうしたのかな?」
「…………」

 雨。去り行く背中。赤黒い幽鬼のような姿。
 そこから前後に有った事は、ジョウチョーにも、誰にも言ってはいない。

「ここだけの真面目な話し、特捜室と足並みを合わせないといけない事態に陥りそうなのだよ。詳細は話せないが、相当厄介みたいなんだ。もし、彼に会ったら私の無線に連絡をしてくれ。周波数は146.37、ジャミングコードはφ、コードネームはベンダーで私に通じる。宜しく」
 そう言うと、背を向けて病院の廊下を歩くうちに、彼女はその中に霧のように消えていった。忙しい最中にお見舞いにきてくれた事を後でジョウチョーに言っておいてあげよう。
 しばらくは、変な事に巻き込まれたくないから、ボゥとしたいな、と思った。



            −Side C−

 曲は黒い霊柩車に似た死神専用の乗り物に乗り込んだ。
 霊気装甲と組み合わせれば、その気になればマッハのスピードの出る乗り物である。課長クラス専用の最新の霊波探知機や電磁装甲結界発生装置、魔力妨害装置、はたまた前面のライト部分に吸血鬼を一発で焼却する強化紫外線放射機のついた戦闘機のような車だが、乗り心地は四年前、最後に座った学校の木製の椅子よりややマシであるくらいだ。
 曲は無言で紙包みを開けて、和三盆をポリポリと食べ始めた。ちなみにそれは常寵への見舞い品だが、渡せないなら仕様が無いだろうと食べる事にしたのだ。
 休暇中に、知り合いである季堂財閥の主に会いに行く途中に偶然巻き込まれた事件だった。
 現場は、現場にしては珍しく、シルクハットを被った男以外ヤル気が見られないし、その男も定時なったら『新婚』と言う免罪符を掲げて帰ってしまう。
 加えて、その上司のヤル気のない顔と言ったら……、
「どいつもこいつも! 気概を見せろッ」
 ハンドルを備品と言う事も考えずに殴りつけてしまう。
 そんな憤りはそれこれも、神秘院の遺体引取り人からのおかしな報告によって齎されたのだ。

『斜蘭の遺体は橋上でなく、魔女の戻り坂の手前、人払いの結界の掛かった林の中で、心臓を摘出されてみつかりました。また被害者側である魔女の報告にある三枝石火は見つからず、代わりに下流三百メートルで先月二十三日に病院に収容されていた斐川 荻の右腕、右目、心臓を無くした遺体を見つけました』

「……何なんだ。この事件は」

 最初は魔女が襲われていた事件だった。だが、気付けば、何時の間にか魔術師の行方不明者の方が増えている。
 七月二十日、ちょうど九貫在姫と国定錬仁が接触し、魔女の被害者が五人となったところでピッタリと魔女の被害は止まった。
 そして現在、斜蘭と斐川荻、それ以外の『在姫と国定が撃退したはずの魔術師達を誰一人見かけていない』。
 霊的な力で守られた政霊都市は霊紋など言うそれぞれの生物(時に交霊武装すらも)固有している指紋のようなものを一定の地域で調べている。魔女の被害と、その背後にある秘密結社である【アイオーン】の【脱皮者】以外のメンバーが判明して以来、出入りは厳しく調べられている。
 地域から出れば、彼の霊紋は死神公社の神南支部へと転送され、今、都市内に居るのか居ないのか簡単に判明するのだ。
 心臓を刳り貫かれて見つかった魔女五人と、同じ死因で見つかった斐川荻、斜蘭の両名の遺体に、摩壁六騎、保隅流水、三枝石火の三人の行方不明。そして、未だ活動を続けていると見られる鞍路慈恵。
 摩壁六騎の最後の事後処理は彼女の兄弟子で、現在は師父にあたる双珂院 生羅が担当したようだ。彼曰く、事後処理後に誓いの魔法を掛けて和木市外に追放したと魔女協会に報告している。
 だが、しかし、死体として見つかった彼ら以外は誰一人として、公社の葬査網に引っ掛かっていない。
 彼らは、突然消えたのだ。

 彼女はピラリと、神南支部のコピー機で刷った和木市全体の地図を見据えた。
「まず、摩壁 六騎はここ、和木市の西側に位置する坤高校のグランドで捕縛され」
 キュポンと音を立てて、赤いマジックの太い方の蓋を取って丸を付ける。
「次にそのほぼ東、在姫の住居である戻り坂を越えて反対側のツィンタワーで保隅 流水は行方不明になると」
 キュキュキュと音を立てて、ビル名の示された場所を丸で括る。
「次に斐川 荻の遺体が発見されたのが海際。北西に位置する太臥河の橋の一つの三百メートル下流」
 河の印である線の横、ちょうど見つかった辺りに彼女は丸をつける。
「そして、彼女、斜蘭が見つかったのが坤高校と季堂ツィンタワーの間、よりも魔女の戻り坂は少し南よりか」
 荻と同じく検討のついた場所を丸を記す。
「妙だ……」
 青いマジックを取り出し、彼女は今度は『殺された魔女』の場所に印を付け出した。
「馬鹿な、……同じだ」
 同じだった。坤高校、季堂ツィンタワー、太臥河の橋の下流、魔女の戻り坂、そして、この和木市に存在するもう一つの高校、ツィンタワーの北側、橋の東側に存在する神南高校。魔女の被害者も同じ場所で殺されていた。
 ただ、神南高校だけはまだ『魔術師の被害者』は出ていない。
 ただ違うのは順番。魔女達は神南高校、魔女の戻り坂、太臥河の橋の下流、季堂ツィンタワー、坤高校の順番で殺されていった。
「まさか、次の現場は神南高校か? ……いや、重要なのはそれだけではない!」
 そして、印にして始めて彼女は気付いた。青い五つとこれから赤丸の付く場所を含めた五つの二重丸はそれぞれが等しい距離関係にあったのだ。
「全て、現場が同じ距離にあるだと! 正五角形で形作られた現場。いや、【形が違う】。これは五角形ではない! そうか、その中心は……」
 その中心はビルが山を連ねた市街地、神南駅から十分ほどの距離だった。



            −Side A−

 しばらくは変な出来事に巻き込まれずにボゥと過ごしたいな、と思っていたのだが、病院を出て行くばかもしないうちに、今度は包帯ぐるぐる巻きの死神以上に変な人に会ってしまった。

「こんにちは。僕は戸上 七歩(とがみ ななほ)と言う小説家を営む者です。失礼ですが執筆協力のために取材のお時間を戴けないでしょうか? 大した事ではないのでお時間はそれほど取りません。個人的な質問を拒否する一切の権利の保障、プラバシー保護の確実性は僕の小説家生命を掛けて誓うのでご了承ください。そこで出来れば、人以外の生命体との遭遇や異星人による拉致、異次元人の自宅への押し掛けや神話級の拾い物、もしくは未来人に機械生命体からの抹殺(ターミネート)から守られるような経験、複数の呪いの対象になったり、地下帝国に投獄されたり、見た事の無い生物の居る無人島に漂着した生活の話、などのお話を聞かせていただけないでしょうか?」

 読者への説明だか、今までの自分の体験談なのだか分からないような事を途切れも無くスラスラと言ってきたのは一人の男だった。百七十センチの後半くらいの高い身長。それに対してひょろい訳ではないが、頼りなさそうな、しっかりしない立ち方。柔和な顔、と言うか『ヘタレ』と言う言葉を体現したような情けない面の男が居た。洗って薄くなった空色のTシャツに濃い柄のジーパン、白いスニーカーと言う装いである。空色のTシャツには白抜きで"Use your word"と小説家らしいような文句が書かれてあった。

 私はため息を吐くと、『久しぶりに』会ったその男に言ってやった。

「久しぶりですね。七歩兄さん、一時的とは言え、義理の妹の顔すら忘れてしまいましたか?」
「……げ。あ、あ、在姫ちゃん。お久しぶりです」
「ええ、本当に。あんまり久しぶり過ぎて殴りたくなるくらいですね」
 昔一緒に住んでいた仲と顔すら忘れる、取り繕った笑顔の義理の兄に心から悪態を吐いた。



 義理の兄による熱心な説得をされ、長年に渡る久闊を暖めるべく病院に程近い場所にある『時計堂(クロックハウス)』と言う喫茶店に案内された。
 硝子張りの床にはその中にショーケース状にズラリと大小様々な時計が並んでいる。壁にも、天井にも、窓ガラスにも透かして時が刻まれている。
 何処も彼処も針とそれを動かす歯車の音が響いている。
 どうやらこの店は兄のお気に入りのようで、彼の母、もとい私の本当の師匠である大師『戸上 悠紀』、魔女名『アーキ・オリアクス・ゲヘン・ユキ・バシレイオス』から紹介されたようだ。

 幼少の頃、私は母の旅立ちに合わせて大師の許に引き取られた。その間はしばらくは『戸上 在姫』として暮らしていたのだ。その頃に大師から多少の魔法の基礎を習ったが、召喚術を習う直前くらいに彼女が死亡して、私は彼女の最後の直弟子である双珂院 生羅に魔女になるために引き取られたのだ。
 つまり、彼は師父のようなおふざけ(本気かも知れないが)での義兄ではなく、れっきとした本当の義理の兄なのだ。本当の義理の兄と言うのも変な話だが。
 そして、対面に座す元義理の兄、七歩には魔女の、魔法使いの才能は無いらしい。
 代わりに【輪廻外】と言う、要約するなら超常的なものに出会う確率が極めて高くなる運の悪さを持っているらしく、私が居た一年の間に二回人外の女の子に失恋と生き別れして、三回UFOに攫われて、五回も別々の妖精の国まで理由無しに拉致られているナチュラル不幸男なのだ。
 どうやら先の話しを鑑みると、もっと余計な事に出会っているみたいだ。
 ちなみにその不幸をリアルに書く才能もあるらしく、零細ながら『怪人同盟』なんて言う小説を出版してそこそこ売れているらしい。ところでジョウチョーがこの義兄を師匠と仰いでいるみたいだが、書き物自体はどうあれ、本人の方は安い店屋物の割り箸の割れ方よりも微妙な性格と成りのためにあまり素性と関係を明かしたくは無いものなのだ。見てくれは出して恥ずかしい人間では無いが、彼の経験が特殊過ぎる上に、それを魔法も魔術も何も無しに彼の悪運の良さだけで乗り切っているために、大抵の人とは話が噛みあわないのだ。それ故に一般人並みの能力しかないのに異端視されているのである。
 ちなみに彼の上にもっと性格的にも人格的にも行動的にもハチャメチャな兄である戸上 熾盛(とがみ しじょう)なんて言うのが居るだが、彼は一体何をしているのだろか?



「そういえば、在姫ちゃんは学生だからアレでしょ? もう夏休みだよね? 僕みたいな小説家は年中休みだか仕事なのだか分からないからさ。日々の感覚が曖昧なんだよね」
「で、七歩兄さんはここで何をしているんですか? 私はミルクティとカスタードパイお願いします」
 喫茶店に訪れるのも久しぶりなので、師父にも最近会っていない事もあって、たまには甘いものを注文する事にした。
「あぅ、質問と答えが噛み合ってないよ。えぇっと、僕は最近少し面白そうな事件が起こっているような気がしたから、とりあえず市内を歩いてみる事にしたんだ。あ、店員さん、僕もいつもので」
 犬も歩けば棒に当たる。七歩が歩けば事件に遭遇する。『七歩き八転び』とは一番上の兄の熾盛義理兄さんがよくよくそう言っていたが、言いえて妙だったし、本人もその状況に慣れているようだ。
 長針のようなネクタイをつけたウェイトレスが注文を取って厨房へと静かに戻る。
「この間、ツィンタワーを歩いていたらさ。ケルト人っぽい顔した中年の甲冑姿の亡霊が空から落ちて来て、危うく鉄塊みたいな剣で斬殺されそうになったんだよ。近くに知り合いの死神さんが居なかったらやばかったね、うん」
 ……たぶんそれはビルの三十五階から逃げてきた人だと思うけど。
 三度も同じ相手に負けて殺気立った亡霊騎士に殺されなかったのは彼の悪運が強いとしか言い様が無い。
「まぁ、例のテロ事件って報告されている関係者に『遭遇』が出来ないから記事で書きようが無いし、どうしたものかなぁ、ってフラフラ歩きながらおかしなものに出くわそうと思っているんだよね。不思議な事に今回は収穫は零なんだよ。歩く方向間違えたかな? はぁ、このままだと来月の生活費が親父の借金で無くなっちゃうよ」
 実は既に事件の当事者の内、犯人にも被害者にもドンピシャで出会って、被害者の方は目の前に居るだが、自分の事をネタにするのはテレビのタレントだけで十分なので口を噤んでいる事にした。
 それにしても実はこの人、自覚していないだけで水面下ではもっと危険や事件の当事者に会っているのではないだろうか?

「と言うわけで仕方ないからね。僕は先ほど女子高生にあって色々と別の噂を聞いたけど、三つくらいしか収穫は無かったね。その一つは、白い蝶が願いを叶えてくれるって話しなんだ」
「ふーん、それってどんな話し?」
 時間が狂っているんじゃないかと思えるくらい早く、ミルクティとカスタードパイを運んできた店員に会釈しつつ、食べながらでも暇潰しに彼の話を聞いてみる事にした。

「確か、公立の、神南高校だっけ? 襟や袖が緑に染められたセーラー服で原色の赤と緑のチェックのスカートの可愛い奴」
「ムグッ、なんで、そんな女子高生の制服ばかり覚えているんですか?」
 思わず、私はミルクティを口から零しそうになる。
「僕の友達が制服マニアだから詳しくなっただけだよ。あいつの今の彼女も高校生らしいし、まったく犯罪だね。剣呑剣呑。まぁ、とにかく話を聞いてよ。そこでね、スーツ姿の男が校門の前にひっそりと立っていて言うんだ。『あなたの願いを叶えさせていただけませんか?』ってね」

 そう言うと、彼は横に置いた車のセールスマンが使うようなトランクから、掌よりも小さい硝子の小瓶に入った白い蝶を渡すらしい。
 アゲハチョウよりも一回り小さい蝶。間近で見れば醜く感じるはずの昆虫の外見が、僅かに人の顔のように感じて生理的な違和感が無いそうだ。瓶の口よりかは蝶自体は大きいはずなのに、どうやって収まったのか分からないけど、その蝶は生きたままでいるのだとか。
 その蝶の入った瓶のコルクを開けたまま、願い事を口にしながら寝るとまず夢を見るらしい。最初はおぼろげだけど、段々それは自らが望んだ願いの通りだと気付いて、そしてその夢を見続けて、七日目で願いが叶うと言う話しらしい。実際、叶ったものは居ないのにその噂はどんどん広まっている。いわゆる、学校の教室で聞きかじった事のある携帯のチェーンメールみたいなものだろう。私は携帯すら持っていないけどそれは概念的には似たようなものだろう。努力をせず、僅かなメールをコピーして貼り付けるだけの労力で願いを叶えると言う下らない迷信に、魔術によって幻覚でも付加されたのだろう。

「それにしても、妙に瓶とかの描写が詳しいですね」
「えぇ、調査のために僕もその人から一瓶貰ってきました」
「って既に巻き込まれているのかよ!」
 そんな私のドスのような鋭い突っ込みも何処吹く風で、彼はジーンズの小さいポケットの方からその硝子の小瓶を出した。

 小瓶の中で、白い蝶がゆっくりと羽を広げている。透き通った檻の中で夢を叶える蝶、願望機が生きていた。
 二本の触覚が蠕動しがら頭を巡らし、羽をゆっくりと上下させていた。
 羽が、人の顔のように一瞬見えた。

「……魔法、じゃないみたいね。魔力は感じない。でも、何か別の術式かな? 魔術?」
「不思議でしょ。まぁ、これも十分面白いんだけど、もう一つ面白い噂が合ってね。何でも、最近夏休みに入って、急に寝込む女子高生が出始めたらしいんだ。正確には、僕がさっき在姫ちゃんが出てくる前に病院で照会してもらったデータと合わせると八日前から六日前からだね。まず、五人の女の子が病院に原因不明の昏睡状態で収容されて、今では三十人くらいになっているのかな? 首筋か、何処かしらに『十字のような痣』が出来るのが徴候らしいね。病院は夏風邪の変種型ウィルスによるものじゃないかとか、異常気象に伴う身体の変化や社会不安による精神病じゃないかとか言っているね。偏見かもしれないけど大半の女子高生は社会不安なんて感じる子は少ないと思うけどなぁ。まあとにかく、医師も原因は特定はしていないみたいだね。でも、僕は思うに被害者はまだまだ増えると思う。おそらく『百二十四人以上』にね」
 そう言いながら、コーヒーカップの縁に橋掛けにしたスプーン。それに乗った角砂糖にブランデーを少し垂らしてマッチで火をつけ、蒼い炎を揺らがせる。カクテル扱いであるコーヒーにスプーンの横合いからミルクを入れた。それって確か香りを楽しむものなんじゃ無いの? ミルクでコーヒーの味を潰すのを見ると、砂糖漬けの師父を思い出した。
 エグイと言うように思春期の豊かな表情で極度の甘党への嫌悪を見せつつ、「ところで、何で百二十四人なんて人数が分かるの?」と聞いてみた。
「簡単な事さ。『スーツの彼が配った小瓶が百二十四個以上』だからさ。患者、いや、『被害者』で運ばれた子の家には何処にもベッド際に『空の小瓶』があったみたいだね」
 炎は消え去り、解けた角砂糖をそのままコーヒーに入れて掻き混ぜ始めた。
「まぁ、それ以上は調査とそれからの推測でしか僕は分からないし、仮に因果関係が分かっても解決する手段がない。ただの小説家だからね。とりあえず、友達のそう言う関係に抜群に役に立って詳しい友達に声は掛けたけど、生返事だったからねぇ。はぁ、彼女の制服を拝みすぎて頭がおかしくなったのかな? あいつ。ちょっと前に比べて殺気とか殺伐とした雰囲気が無いんだよね。でもそれで一般生活が送りやすくなっただろうから良いと僕は思うけど」
 どうやら、制服好きの友人と怪奇系列解決専門の友達は同一人物のようだ。流石、義理兄の友人だけあってダメ人間のようだ。
「……言っておくけど、魔女に出来る事は限られているからね? あてにはしないで」
「そりゃ当然だよ。元でも、家族を矢面に立たせる奴は居ないさ。でも、世の中には赤の他人の矢面に積極的に立っていく酔狂者も居るらしいね。僕の見解だとそういう人は自分の命を軽く見ているから、助ける人間の命を重く見過ぎて、助ける人以外の命の重さや自分自身の存在の重さを忘れる事が多いみたいだけどね」
「…………」
「んー、ブランデーの良い香り。ちょっと話が脱線しちゃったね。やだね、年を取ると説教臭くなって。まだ十代ギリギリなのにこんな風に老成するのは良くないかな」
「程ほどの方が良いと思います。恋人とかが居たら口うるさいとうざがられますよ」
「あぁ、そうだね。そんな気がする。(ゆき)にも爺むさいってこれ以上言われたくないから気をつけるよ」
 そう言って、七歩兄さんはカップを口に含む。と言うか、あれだけフラれても恋人出来たんだ……。

 ……そう言えば、今、七歩義理兄さんは何か大事な事を言った気がする。
 そうだ。あの日も、館が爆発する直前、『彼』は確かこんな事を話していたはずだ。

 魔術師、鞍路慈恵。正当に人外へと転生させる研究を行う魔術結社【双頭蛇】の元一人。【磔刑】と言う魔術を使う男。欧州で千人以上の『昏睡患者』を作って、その魔術の発症から二日で衰弱死させている。
 彼はその時、続けてこう言ったはずだ。
『奴が欧州で魔術を発生させた時に、その魔術を受けた者の体の何処かに『十字』の紋様(サイン)が刻まれる事から名付けられた』


 もしかして、彼の魔術でこの犠牲が出ているのだろうか?
 分からない。そうだとしても、ここまで被害が拡大されると私みたいな未熟者の魔女の介入では死神の葬査妨害になるだけだ。
 身の程を知った訳ではないが、物事を何かするにあたって躊躇するだけの理由が夏休みになってから出来すぎたのだ。
 魔女が森深くに結界を敷いて隠遁する理由も、何となく分かったような気がした。
 きっと、魔法の限界を知ったから、自分の能力の限界を知ったから、その無力感に溺死しないように、きっと人から遠ざかるのだ……。
 テーブルの下で、軽く無力な拳を握った。
 私は何も出来ないほど、無力なのだろうか?


「そうそう最後の噂だけど、この一週間の間、君が住んでいる戻り坂の辺りで、甲冑を着た男と槍を持った傷だらけの少年がずっと戦っているんだってさ」

「なんですって!!」

 あまりの大声に、しかも魔力も何時の間にか込めたせいかお皿とコップが砕けていた。
 七歩兄さんは木っ端微塵に砕けて取っ手だけになったカップを持ったまま、フルフルと生まれたての小鹿みたいに震えている。
 無表情なだけにそれが、逆に本気で怖がっている様子に拍車を掛けていた。
 その無表情な顔のまま、取っ手だけで機械仕掛けに何度も飲むような仕草をしている。
 むろん、カップは砕け散って、中身は台いっぱいに広がっているので飲めるはずが無い。
 短針のようなネクタイをした店員さんが慌てて台拭きを携えて、店内は一時騒然となった。



 二杯目のコーヒーが来る頃には七歩兄さんの震えも納まっていた。
「一週間前から彼らは戦っているらしいね。決まって夜、人が寝静まる頃に彼らは戦うらしい。彼らは武人らしく、コンビニに行こうとした人が居るとちゃんと止まって間を空けて、彼が逃げるまでどちらも手を出さないらしい。変な話しだよね。たまたまそこでランニングしていたランキングにも載るボクサーの人が一昨日の夜に見たらしいけど、少年の方がかなり苦しげだったらしいね。片腕のまま、大人でも振り回されるようなドデカイ槍を振るうんだけど、その騎士には圧倒されっぱなしなんだよね。でもさ、そのボクサーの人が言うには、気迫、って言うか、『こっから先は通さんぞー』みたいな何かを守るような気合が見えたんだって。不思議な話し、それの気迫だけで騎士が何度も攻撃を躊躇したんだってさ。その人も今度全国三位のランカーと闘う試合直前でナーバスになっていたんだけど、我武者羅になるのも大事なんだなーって、立ち姿だけで感動させられたんだって。不思議だな、戻り坂なんてもう在姫くらいしか魔女は居ないでしょ? 一体、その侍の少年は誰を守ろうとしていたんだろうね?」



 そんな事は決まっている。言うまでも無く、彼は約束に忠実で居ただけだったのだ。



「昨日、僕はそれらしき人物を探しに行ったけど、結局会う事は出来なかったな。どっちかはもうやられちゃったのかな? って、在姫ちゃん、あれ、ど、何処? ふむ、入り口のドアは開いている。と言う事は……。ぼ、僕の奢りなんですかー! ちょっと、勘定! 家族間でも明朗会計!」



 彼の全ての言葉を聞く前に私は駆け出していた。



 私は、馬鹿だった。
 彼の必死さを全然理解していなかった。
 彼は、傷つく事も、再び死ぬ事も恐れずに今でも戦っているのだ。

 能力の限界?
 無力感からの逃避?

 馬鹿な事を言うな。だって、元にそんな苦しみを千年続けた男が未だ私を守っているじゃないか!

 謝らなきゃ。
 一言でも、彼に伝えなくてはいけない。

 一週間、彼はどんな気持ちで、坂の下で立ち続けたのだろう?
 一週間、彼はどんな気持ちで、坂の下で守り続けたのだろう?
 一週間、彼はどんな気持ちで、坂の下で待ち続けたのだろう?



 背中からじゃなく、真正面から、色々と伝えなくちゃいけない事がある。
 中途半端に、誰も彼も幸せになろうと帳尻を合わせようとして果たし切れなかった自分と、真剣にただ私のためだけに守り切って、未だ立ち続ける彼、国定。
 国定 錬仁。
 私の覚悟なんて霞んでしまうくらい、彼は真剣だった。何よりも子供のように無垢だった。人に始めて懐いた獣のように純粋だった。そして、約束を果たすために孤高だった。

 そして同時に、今私は気付いた。
 彼の事を国定と呼ぶばかりで、ただ一度も名前で呼んだ事が無い事を――。

 何故だか、その事実が悲しくて、涙が溢れ出そうになるけど、堪える。
 まだ、泣いちゃダメだ。
 いや、後でも泣いちゃダメだ。笑ってやる。アイツの、『錬仁』の前で飛びっきりの笑顔を見せるまでは泣いちゃダメだ。

「待ってなさいよ、ポンコツ魔人。勝手に死んだら、許さないんだから!」


 陽炎を突っ切るようにアスファルトの道を我武者羅に走った。
 目指すは神南高校の校門、あそこに魔術師と亡霊騎士と、魔人はいるはずだ。


33 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 11:17:11 ID:o3teQDzJ

大焦熱2

            −Side C−

 曲はただ一人で、敵の魔法使いである脱皮者の居城と思われる場所を詮索していた。
 彼女の知識では五角形、いや街全体を形作る巨大な図形は魔法陣。儀式によって何かを成す為のものだと思われた。
 いや正確には五角形はただの外側の殻に過ぎない。
 魔女の殺害は神南高校に始まり、魔女の戻り坂、太臥河の橋の下流、季堂ツィンタワー、坤高校の順番で行われていた。
 そして、行方不明の魔術師達はそれぞれ坤高校に始まり、季堂ツィンタワー、太臥河の橋の下流、魔女の戻り坂、そして、神南高校で締められるようだった。
 それぞれの点、それを結んだ時に、驚くべき図形が現れた。

 五芒星。



 その昔、陰陽道と言う魔術の一派の鬼才、安陪晴明がセーマンと呼ばれる星型(☆)、五芒星とも言われるの呪術図形を生み出したと言われている。
 剣指(けんし)と呼ばれる、伸ばした人差し指と中指で『バン・ウン・タラク・キリク・アク』と真言を唱えながら形作るものだ。
 地図上と同じように、五つの頂点はそれぞれ自然界を概念化させたものと見なされる。
 土、金、水、木、火の五つが象徴である。
 土に始まり、(金属)が土より堆積して生まれ、金が結露し水が生まれ、水が木を育て、木のより火を燃え上がらせ、火の灰から土を作る一つの円環を成す。これをそれぞれの特性が最も生き合う事から相生(そうしょう)と呼び、この繋がりが外側の円、正五角形を作り出す。
 その真逆に、土が水を止め、金が木を切り倒し、水が火を消し、木が土を縛すること、これを生きる事の反対に停滞、それぞれの属性の削る死を意味する事から相剋(そうこく)と呼ばれた。そして、その形は正五角形のそれぞれの頂点を結んで出来た星の形をしているのだ。
 これほど巨大な、都市丸ごとを殆ど覆う術式で死神にも悟られずに書いたのは始めての事だった。しかも、死神が管理をする政霊都市の内側で、である。
 いやむしろ、膝元にあるからこそ灯台下暗しと言ったように、術者は計画的に、そして、それ以上に大胆に呪術図形を作り上げたのだろう。
 本部の死霊課の記録によれば、六百年前に大魔女・戸上 悠紀が打ち砕いた、正体不明の魔術師が同じような計画をしたはずだ。
 確か、今回追っている亡霊騎士。テンプル騎士団の騎士団長、ジャック・ド・モレーと共に処刑された騎士長 ガーブリエル・オギューストもその渦中の人物だったはずだ。
 彼らは当時から生きる敬虔な信徒の『吸血鬼』達の一派の調査に寄れば、当時のテンプル騎士団の指南と儀式を司る教会司祭長補佐を行ったヨハネス・ウルベスと言うのが怪しいらしい。そして同時に詳細に調べた結果、なんとその男はテンプル副騎士団長バネッサ・バシコフとも名も変えて同時に騎士団内部でも暗躍していたらしい。ヨハネス・ウルベスとバネッサ・バシコフの二人は同一人物で、それは東方の魔術師ザイン・ウロボロスと自ら称する男によってテンプル騎士団は崩壊を起こしたらしい。つまり、ヨハネス・ウルベス、バネッサ・バシコフとザイン・ウロボロスの三人の男は全て同一人物だったのだ。何ともややこしい話しだ。
 敬虔な活動の裏で魔術師は異端審問を行い、その異端者の身体で様々な魔術を履行していた。
 つまり、彼は自ら指南した教義を自ら行い、それを全て、自らの所属する団体の責任にして、その国に処罰させて自分はトンズラをこいたのだ。
 彼の異端審問で膨れ上がった騎士団の私有財産目当てで国は動き、取り潰され、搾取され、無実の団員の殆どはガーブリエルと共に証拠隠滅のために処刑されたのだ。
 彼らはその魔術師が行っていた魔術を証拠にされ、闇に葬られたのだ。
 その魔術師が最後に、仕上げとして異端審問に似せて同時に行っていた儀式も今回と同じ方式だったはずだ。
 心臓を抉り、それを使って築き上げた五芒星の呪術図形で『何かを行おう』としていた。
 ただその時はセーマンを欧州のほぼ全域を対象にしたため、その当時に欧州にぶらり途中討伐の旅を行っていた大魔女に計画をあらかたブチ壊されたらしい。
 それ以降、彼の消息は掴めておらず、魔女に殺されたとか、逆に弟子になって助かったとか、日本まで実は来ているとか、色々と噂されているらしいが、それ以降は足取りを消されたために詳細はまったく不明となっている。
 とにかく、セーマンは効果範囲とそのための呪術式を描いた内部に属する生贄の対象を広げるものとして使えるのだ。実際は小さな紙片に掛けるほどのモノだが、それを作り出した安部晴明の様々な補正の入った強力な術式の理論では都市を丸ごと包むのは容易い事の様だ。それは京の街並みが作り上げた霊的な都市配置が彼の理論を物語っているのである。無論、そんな事を正確に成し遂げるのは彼本人くらいでしか有り得ないのだが、どうやらそれをやってのける天才が他にも居るようだ。
 しかも何故か今回は二度、霊気装甲のまったく無い空の身体の魔術師の心臓と魔法使いと魔女の心臓で、星型のみを作る外側の円の無い、相生のまったく無い相克のみの図形を二度も、反対側からそれぞれ作り出しているのだ。

 それの真意は分からないにしろ、彼女には何処にその儀式の張本人が居るのか分かっていたのだ。

 さて、何故彼女がその図形の中心に居るのか?
 それはセーマンは口伝によると『五芒星の中心に点を打つ』と言うのだ。
 概念の中心にして、力点の中心。
 五つの大自然の霊気装甲による力の流れの最中でありながら、同時に特異点として介在する奇妙な場。
 それが、このビル街の中だった。



 神南町駅付近は大都市では無いがビジネスビル街で構成され、近代的な町並みを作り出している。
 駅前にパチンコ屋と言うのはもはや仕様のようである。あれほど、堂々と違法のはず賭博(内実はパチンコ屋の敷地に『偶然』ある質屋での換金行為)をしているのは日本が狂っている証拠なのだろう、と生真面目な公務員らしく彼女はそんな感想を思った。
 路上は地方都市なりにスーツ姿のビジネスマン達が革靴を削って闊歩している。
 その中をこんな茹だるような雑踏の中心を、上半身包帯グルグル巻きに黒い半纏と言う奇妙な格好でありながら彼女には誰一人として視線が向けられていない。
 それは視線遮断と言う魔術の類であり、誰もそこに意識を向けることが出来ないのだ。それは眼球を通じて観測者の脳みそにそこに人が居ると認識出来ないようにする事で『人が見ていない』のと同じ状況を作り出すものである。ちょうど、本や漫画を真剣に読んでいると横に人が居ても気付かないのと同じ理屈である。

 そして、彼女は同じような魔術がある付近一帯に掛けられている事に気付いていた。
 道行く人、それ以外の視線が彼女とそれ以外のビル間の一点に向けられていないのだ。
 暑苦しい天気のためか、時折立ち止まりひぃひぃ言うような恰幅の良い男性が居るが、その彼がその一点に視線を向けようとすると何の気紛れか、その方向には向かずに、わざわざ太陽に顔を向けてポケットからハンカチを出して汗を噴出すのだ。
 それと同じような行動をしたのが、今までその場所に六人。統計上のサンプルとしては少な過ぎる方だが、偶然にしても太陽に顔を自ら向けて日焼けを促進させる営業の人達は居ないと思われるので、確実に考えられるのは、その統計を操作する何かの必然があると言う方が結論が早いのだ。
 明らかにそこは、魔術師や魔法使いが嗜む、魔術が掛けられた場所だったのだ。
 実際、魔女や魔法使いの人口はそう多い者では無いが、霊的な優位性などから指定政霊都市へと人口は集中しやすい。
 おそらく人数は十万人に対して一人ほどだ。しかし、政霊都市による偏向が起こり、一つの都市に潜在的な者も含めて二百人ほど居る事はざらである。
 彼女らは闇の隙間に佇み、その(ねぐら)と存在をひた隠す。
 彼女らの塒は廃坑や廃校、使われなくなった駅舎、殺人現場や行方不明者の多いマンションなど人があまり来ないような場所が普通だが、まれにこのような街のど真ん中を操作をして人の出入りを制限している場所があるのだ。
 彼女はビルとビルの谷間、死の谷を髣髴とさせる場所に同じく死の象徴である半纏を揺らして入り込む。
 そこは四方を城壁のように囲んだ要塞のような場所だった。
 聳え立つコンクリートの壁。そこはつい最近何かの戦闘があったようで、砕けたアスファルトと強い霊気装甲の残滓、そして血の跡がそのまま残っていた。
 彼女は慎重に、その都会の街に些か似合わない木造建築へと侵入する。
 静かに敵に気付かれないように侵入する。
 無論、これは礼状の無い葬査のために下手をすれば、減給、停職ものの処罰受ける違法行為である。しかし、この数日在姫達とのわずかな生活を通して、始めて、彼女は死神として役に立ちたいと思った。

 彼女は以前在姫達に独白した通り、武人的な性格である若原でも下から数えた方が早い死神だった。それは若原でも珍しい女性と言う不利であり、同時に彼女には死神としては体術の才能に乏しかったのである。両親、特に武を継承する大本である父からは何も言われなかった。それは優しさで無く、彼女自身の存在に対する諦めに近かったように思えた。それからも家族に認められようと数々の武術的な努力をしたが、それは全て、若原と言う名前にそのまま帰っているだけに彼女は感じた。彼女自身の居場所は徐々に無くされ、死霊課と呼ばれる、本部でも零細の部類に属する役職に追い込まれたのだった。
 だからこそ、世界規模で畏怖される魔人に認められ、魔女に頼られた事は彼女の中で大きな変化だった。
 友達の、私を認めた人の役に立ちたい。
 だからこそ、彼女の手で犯人は捕縛しようと思っていた。
 魔法使いの城に入れば思ったとおり、室内は呪術製品で溢れかえっていた。
 壁一面に掛かる無数の儀礼剣(アゾート)、罪人の手を触媒にして強力な呪いを掛ける栄光の手(ハンズオブグローリー)が机に置かれ、人工魔人を作り出して陶器の瓶に封じたインプの小瓶が棚に並んでいる。扉の直ぐ横には体の形状を変化させる呪いの椅子、吸血鬼の血を注入する事で吸血鬼に変えてしまう石仮面が何気なしに置かれている。
 そして、巨大な(あぎと)のように開いた地下室への喉。
 そこに足を踏み入れようとして、何か奇妙な音がした。

 慌てて鉞を構えれば、それはただの魔力仕掛けの鳩時計だった。鳩は台座から離れて、天井をデポポプッポウソーと鳴きながら飛び回っている。

 ホッとするのも束の間、彼女は構えたまま、暗く広がる暗黒の喉奥へと誘われていった。

 それを闇の奥深く、石仮面に取り付けた小型監視カメラから眺める男が椅子に身体を預けていた。
 煌々と光る液晶ディスプレイが男の祭壇のように白い肌を照らす。
「ようやく来たか、【予測】どおりだが、予定より二十秒早かったな」
 男が哂った。


34 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 11:18:55 ID:o3teQDzJ

大焦熱3


            −Side A−

 馬鹿みたいに突っ走って何時の間にか市内を半分横断し、神南高校に辿り着く頃には遅まきの夕暮れが血のような赤色を作り出していた。
 足は鉛のように重たく、身体は急に動かしたせいでギシギシと軋む。
 それでも夜に追いつかれないように駆ける。
 ただ駆け続ける。
 赤が徐々に色濃い紅を帯び始め、ついには星の光も弱弱しく、月明かりも無い夜の(とばり)を下ろした。

 確か、今宵から新月が始まったはずだ。
 月は古来より魔の象徴であり、それを受けて満月で狼男が遠吠えしたり、魔女が儀式を行ったりする。
 しかし満月に対して、朔月とも呼ばれる月明かりの無い夜は、殆どの場合は魔に属する儀式事は行われない。一般では月の満ち欠けが魔力にダイレクトに作用するように言われているがそれは違う。むしろ逆なのだ。溢れ出るような魔を塞ぐのが月の役目と考えられている。この新月に何らかの儀式を行えば、魔はまったく反応しないか、トラックの超重積載のようになって自ら潰れる。つまり、自らの限界を超えて、身体を破壊してしまう事があるようだ。

 つまり、新月の夜は何が起こるのか誰にも分からないのだ。

 そんな時にも関わらず大胆にも、校内をグルリと平気で人払いの結界で囲んでいる魔術師が居た。
 熟練の魔法使いでも、朔月では魔法が失敗すれば、力の元であり同時に魔に対抗する霊気装甲が防御反応として身体を守り、全身が焼かれたようになる。下手すれば魔法どころか、日常生活の使い物にならないような身体の状態にもなるのだ。そして、その抵抗力すらない魔術師が失敗すれば、何らかの静電気のような蓄電作用が体内に起こり、何かの拍子に点火、プラズマ融解を体内から起こすらしい。いわゆるオカルト雑誌で言われる人体発火現象も、超能力の暴走よりはむしろ、知らず内に魔術の儀式手順を行い、精密な操作も知らないために出来ずに死んだ潜在的魔術師の末路なのだ。

 学校の柵に沿ってその横に止められた白いバンを通り過ぎ、校門を潜り抜ける。むろん、校門の敷居を跨いだ時点で彼には気付かれたはずだ。
 だから、堂々と噛み切り痕のついた親指を食い千切りながら、召喚魔法の準備をしておく。
 魔女の血が濃く、決意する。
 鼓動が、戦のための銅鑼の如く打ち乱れる。
 呼吸を整えて、前を見据えた。

 ただ広い、寂しい校庭には、一人の男と奇妙な柱が立っていた。
 スーツ姿の男。セールスマンのような格好だが、その張り付いたニヒルな笑みは営業向けよりもその横に置いたトランクに核ミサイルの取引契約書でも入れた武器商人の方が似合うような皮肉れた面だった。
 その柱は斜めに立てられていて、そこから左右に翼を広げるように飛び出たもう一つの木に錬仁が釘で手足ごと打ち付けられていた。だが、左片手だけが無いために、彼は右手だけを広げ、手首に釘を打ちつけられていた。
 それは不自然な磔(はりつけ)にしか見えない。
 その身体には蝶になる前の、人面の白い(さなぎ)のような生き物やニヤけた人面の白い芋虫が数十匹、それこそ彼の身体を覆うように這いずり廻っていた。
「錬仁ッ!」
 私の声に、ピクリとも彼は動かなかった。
 そんな私の様子を男は声を押さえて笑いを堪えている。
 一つ一つの動作が神経を逆撫でする様な行動だ。
「おやおや、仮とは言え、私の居城に来たのですから主への挨拶の一つでもしたらどうでしょうか? 姫君」
 私の名前を掛けておちょくって言っているのか、大業そうな、大げさな仕草でサラリーマン似の男、外国人であるかのようには両手を肩の少し下辺りに置いて竦める。
「下賎な者に名乗る名は無いわ。魔術師・鞍路慈恵」
 苦々しい顔を向ける私に、一度大きく、それは面白いとでも言うように目を見開いてから、
「そう、その通り、この私が【磔刑】の鞍路慈恵ですよ。くぬきの木の魔女、九貫 在姫さん」
 胸に指先を当ててそう言った。
「本日はどう言った用件でしょうか? 貴女の願いを叶えたいのですか?」
「恍けるのは態度だけにしなさい。その柱の男を解放しなさい」
 その言葉に鞍路は首を傾けながら、同じ方向に「くっ」と唇を顔半分だけを不自然に吊り上げて笑う。
「面白い冗談ですね。守られる魔女が敵の前に出てくるなんて、愉快過ぎですよ。彼方には喜劇女優の才能がありますね」
 僅かな抑揚を付けた言葉は詩のリズムのようで、それは感情を動かすものだ。
 動かす感情は激情。効果的に人の心を付け入るような、嫌な言葉使いだ。
「……この魔術は一体何なの? 答えなさい」
 男のペースに巻き込まれないように、私は質問の矛先をダイレクトに変えた。
 その反応に「ふーん、そう言う反応、いや、戦術ですか。彼のお陰で成長、いや、思い出したのでしょうか?」と言うと、悠々と片膝をついてスーツケースを開けた。
 その動きに身構えるが、そこから出てきたのはあの蝶の入った小瓶だった。
「此処にご足労した御礼に教えてさしあげましょう。これは私の発明したものです。これは『幸せへの欲望』に『寄生』する生物(プログラム)なんですよ。人の欲望は果てしないものです。幸せを生み出す金、土地、地位、名誉、愛、もっと本能に根ざした身体、それ以上の形而上の人のそのもの、あるいはその人間の願う幸せの概念そのものにこれは寄生します。欲望に寄生する事で、その所有者に幸せな夢を見させるのです。そして、所有者自身が現実と判断すれば、夢と現実の等価式を作り出し、そっくり入れ替えるのです。この蝶は鏡の作用を持つのですよ」
 鏡の魔術。おそらく白昼夢を見させる魔術は幾つか聞いた事はあるが、幸せだけに限定する魔術も珍しいものだ。
「不思議そうな顔ですね。何故そうするのかといえば、人は頭の中に適度に歪んだ鏡を持ちます。自分が苦いと思う物が、他の人にとってはそうでも無かったり、時には幸せそのものだったりします。個人の差。それを延長させれば、例えば運動神経の良さもその現実を如何に自己の肉体へと反映させるか言う歪みの差なのです。その歪みを人は個性と言います。その通り、鏡とはつまり脳の事です。人は目で見たもの、耳で聞いたもの、鼻で嗅いだもの、舌で感じたもの、手で触ったもの、全てを直接感じ取る事は出来ません。それらは全て神経を通じて情報は再構築され、相似形を持ちながらまったく別の感覚を作り出します。私なりの見解であればそれは鏡へと投影される行為です。それが脳と言うものの機能です。歪みとは脳の神経ネットワークの僅かな本数と作り方と反応経路、そして偶然的な神経のスイッチのタイミング誤差などの個人の差だけです。ところがこの差がある事で私達は誰もが等しく本当に幸せに満足する事が無いのです。だって、人はその差によって情報を鏡でもう一度見直しているからですね。しかも個人の歪みはそれぞれまったく違うものです。それ故に、頭の外では『誰もが等しい幸福』なんてのは、まさしく脳だけの、歪んだ鏡を更に歪めて像を作る妄想みたいなものなのですよ。既に鏡が歪んでいるのにそれに合わせた幸せの外枠を作ろうなどと言うのはお笑いですね。だから、私は外枠ではなく、現実を個人のそれぞれが適度持つ感じ方を映す鏡をもう一度、今度は有りのまま脳へと返して映す綺麗な鏡を作ったのです。それが蝶です。ただ、残念ですが、脳が今まで映していた現実を現実でないと思いますと、鏡に映っていた現実の肉体を放棄してしまうのです。故に、脳に依存する肉体は死を迎えます。まぁ、当然ですね。目の前の都合の良い鏡を置けば、その裏側を見たいとは思わないでしょうからね。宗教やら何かの強力な存在に依存した者はその鏡を自ら作り出す事もありますけれど、私はそれが誰でも出来るように、幸せな世界を映せるように私の魔術で鏡を作ったのですよ」

 それは、恐ろしい事だった。
 彼の魔術は現実を否定させ、自らの都合の良い夢の中に埋もれさせるものだったのだ。
 そしてそれは夢の世界に依存する事で、肉体の生存活動すらも否定し、夢の都合の良い世界だけで生きる。いや、死に続けるものだったのだ。
 私には喫茶店で少し可愛げのあるように見えた蝶が薄気味悪いものにしか見えなくなっていた。
 蝶は私の見た時に比べて、今にもコルクの蓋を打ち破りそうなほど激しく動いていた。
「激しく動いている?」
 そう私が呟くと、ニヤリと彼は笑った。もしかして、この反応も奴らは七歩義兄が小瓶を見せる事まで何か【予測】した結果なのだろうか?
「何故、こいつの反応が激しいのか? 私の蝶は願いの強さに反応するのです。簡単ですよ、魔人は自らが願い、それによって願いすらも忘れるほどの力の手段を得て、その力の強さ故に目的自体を忘れて永遠に叶えられなくなった存在ですからね。詰まるところ、願いを叶えたくて仕方が無くて、それを克服する力が本当にあるのに、その叶えたかったこと自体を忘れてしまって、『願いを叶えたい』と言う気持ちだけになった生命体ですからね。言わば、願いにしてそれを叶える力を持った塊。あまりの魔人故の純粋さでこんなに蝶達は大騒ぎなのです」
 そう言うと彼はコルクを開けた。
 そこから身を捩るように、焦るように蝶は瓶口から抜け出すと、錬仁の身体に張り付いた。
 張り付いた瞬間に、それは羽を畳んで蛹へと戻り始める。
 それは夢から現実と至る覚醒へのプロセスを逆転するように感じられた。
 まだ可能性のあった夢のあった頃の卵へと孵る、真逆の生誕。
「ここから後は芋虫に戻って更に、鏡となる核の卵に戻れば良いだけなのですが、難しいですね。流石、千年も経ったせいか、記憶が劣化しているようですね」
「え?」
 今、彼はなんて言った。
 それは魔人には『記憶がある』と言う事か?!
「あぁ、君は知らなかったですか。魔人はね、記憶を消すわけでは無いのですよ。記憶との繋がりを失うだけなのです。ちょうど、ハードディスクからデータを消すのと同じ要領です。あれはデータ自体を消した訳では無くて、データとの繋がりを消しただけなのですよ。だから、データの復元が特定のソフトなどで可能なわけです。まぁ、その繋がりを消したデータの上に新たに上書きされたら元のデータすら無くなるのですがね。逆に中には繋がりを消したにも関わらず、頑固に『転生前の記憶』を持つ人も居るみたいですけどね。魔人は他のシステムの効率化のために、特定のデータ、とても強固な、けっして自らの外殻を失わないだろう悪夢だけにアクセスを留めさせて効率化した生命体なのですよ。だから、記憶が無いんじゃなくて、『記憶がどれだか分からない』だけなのです」
 魔術師は磔の錬仁に近づくとゾロゾロと動く無数の芋虫をいとおしいように撫で上げた。
「私の蝶はもっとも幸せを見せるために効率的な鏡を作り出すために、記憶を綺麗に、そしてドラマチックに繋げる事も出来るのです」
 彼は芋虫の一匹を摘み上げるとそれはジタバタと錬仁を求めて動く。その足掻きを無視して自らの口の中に放り込んだ。咀嚼。まるで躊躇いもなく、不気味な、蠢く芋虫を食った。
 喉を鳴らして、麻薬中毒の患者がやっと薬を手に入れたような、法悦の表情を浮かべた。
「あ、あぁ、なるほど、これが、生前の、『魔人になる前』の彼ですか。実に猛々しく、強く、そして最期は哀れです。涙を誘います。何故、獣でも、(つわもの)でもなく、ただの鬼と化したか納得がいきます。その純粋さは憐憫による感情だけでは表現しえませんね。八十%の記憶の復元といったところでしょうか。今まで二度魔人の人生を見てきましたが、彼ほど『真実を知らない方が良い魔人』は居ないですね。成る程、こいつは『幸せにしがい』がありますね」

 ……なんですって?

「もしかして、あんた。このまま記憶を戻しつつある錬仁を芋虫が作る鏡の牢獄に入れるつもりなの?!」
「それ以外に何をしようと言うのでしょう? 彼の人生は既に大過去、故に現実の手段で全てを叶える事が出来るはずが無いでは無いですか? 彼に幸せがあるなら私は叶えてあげるだけです。それが私の原則です」
「何故、そんな事を続けるの?」
 核心を、私は貫く。
「それは、私には『幸せ』の概念が無いからです」
 彼は掌に新しい蝶の瓶を載せた。
 確かに蝶は錬仁へと向かおうとするはずで、目の前の硝子一枚で隔てる彼には見向きもしていなかった。
「私は何を見ても、聞いても、嗅いでも、触れても、味を知っても『感じる事』しか出来なかったのです。無感動に近かったのです。私の脳が恐らく『幸福を感じる歪みを持ち合わせていなかった』のです。しかし、身体だけはそれでも生きれるように、不自然では無いように人と同じように笑う事だけを覚えました。まぁ、無様でしたけどね。私はそれによって人並みの生活は送れたつもりです。だけど、それを続ける事には飽き飽きとした私はふとした事から魔術を少しずつ学んでいきました。その間もこの姿どおり元はサラリーマンの営業でした。魔術によって人の『幸せ』だけは分かりますから、そのニーズに答えれば営業成績は上がり、小さかった会社は私の居ない今でも大企業と呼ばれるものにする取引をして会社から感謝をされましたし、それを通じて妻を持てましたし、子供も得ました。だけど、彼らを幸せに出来ても、自らの幸せの実感を得ることは無かったのです。だから、私は幸福の追求のために私は自殺を装い、全てを捨てて魔術師の道へと本格的に歩み始めました。私は以前、人間の身体に縛られているからだと思い、人以外に転生しようとしました。だが、途中でそれは『人の幸せでは無く、人外の幸せに摺り代わっている事に気付いた』のですよ。そして、私は本格的に魔術師になり、同じように他人を客観的に眺める事で、その人達の幸せの共通項から幸せの概念を抽出する事にしました。ですが、抽出すればするほど、それは絶望と変わらない事に気付きました。人を幸せにすればするほど、自らの不幸、いや『幸せの無さ』が浮き彫りとなっていくんです。幸せは個々に違うのです。それ故に、私の個であるはずの幸せが無いのです。それは十字架で高々と自らの幸せの無さを晒すような、奇妙な感覚でした。幸せを求めれば求めるほど、己の手足を束縛する、突き刺さった無意味さに気付いてしまうのです。私には不幸は無くても、同時に幸福も無かったのです」

 それは、あまりにも悲しい話だった。誰よりも、おそらく他人の、その人自身の幸福を理解しながらも、ちょうど硝子越しの蝶のように、触れようと思っても触れられない、自らの幸福だけは実感できない男。それは己の人生を無感動な悪夢として見続けるのと同じ事だろう。

「そして、『慈善事業』はもう終りにしよう。そう思った時に【脱皮者(かれ)】と会ったのです」

 絶望だけの空虚な男の前に現れたのは、動く悪夢だった。

「彼は言いました。『私の計画を手伝え。私のためにその捨てた命を預けろ。忠実な駒となれ。盤上を【予測】して支配する、『私の願う幸せの一つ』と成れ……』そう、それは表現するなら、甘美でした。脳が蕩けそうなほど、甘い誘惑でした。だから私は選択したのです。私に幸せが無いなら――


           ――私は誰かの幸せの一つとなろう。
           ――私が幸せそのものになるんだ、と」



 それは、最悪の出来事だった。よりにもよって、親でも、友達でも、会社の同僚でも、妻でも、自らの子供でもなく、彼は幸せと同一視するべき人間の、最悪の選択肢を選んでしまったようだ。
 もし、魔術師を選択する事なくそのまま生きていれば、彼は例えようも無いほど、他人の幸福を本当に追求する人格者となっただろう。きっと、家族を、同僚を、友を、親を幸せにする純粋な意思を見せただろう。
 だが彼が選んだのは、魔法使いとなるために手段を選ばない、人として最低最悪な人間の屑を崇拝対象として選んでしまった事だった。



「魔女が五人、いえ、それ以前に何人も死んだのは」
「彼と私の幸せのためです」
「じゃあ、欧州で千人以上の人が死んだと言うのも」
「彼と私の幸せのためです」
「あなたが、もし彼のために自ら死ぬ事があっても」
「彼と私の幸せのためです」

 彼は両手を広げて、ちょうど磔にされている国定と同じような形になりながら、
「今、彼の使命を遂行している私は、とても幸福なのかも知れない」
 そう、言葉と涙を零していた。
 今まで、歪んで見えたはずのその笑い顔は、今まで無理をして、幸せがあるふりをしていた悲しい笑顔だったのだ。


 狂っていた。否、狂わされていた。
 まるで『計画したかのように』、予め作ったパズルのピースを嵌めるようにしていく元魔術師の魔法使い【脱皮者】は、幸福の感じられない、他者の幸福を叶えるための人間で、いずれ人との幸せで幸福分かち合うはずだった男を、知らずうちに歪んだ道へと堕落させたのだ。
 恐ろしい男だ。
 今まで、誰にも姿を見せず、奴は【予測】して、全てを駒のように操っているのだ。
 私自身にも、その操り糸があるのかも知れないと不吉な事を考えると、ゾッとしてしまった。

「ほら、見て御覧なさい。卵が幾つか出来てきました。これだけの蝶を二日間、フルで記憶の復元に使ったのは始めてでした。千年前の叶えられなかった幸せを私が叶えないと……」

 ……拙い、余計な感傷を持ってしまった。
 今、ここで【魔女の呪い】をぶっ放す事も出来る。だが、初めて、こんな道先を間違っただけの綺麗な人間に危害を加えようとするのが躊躇われた。
 指先に呪いの魔力を込めるだけで出来るものの筈なのに、その呪いの枠組みさえ、男の前では作れない。
 幸せを求める事が当然である事を如何にして否定しようか。
 どうすれば、良いんだろう。





































「君は非常に初歩的な間違いが多い。解答が分からなかったら適当にマークをすればいいのだよ。どちらかは正解だ」

 その声と同時、癇癪玉の弾けるような音と共に、幸せそうな男の身体が前のめりに崩れた。
 その後ろには、眼帯のように鉢金を斜掛けにし、『白衣』に身体を包んだ、
「三枝先生?」
 が左手に硝煙の漂う銃を構えていた。
「先生! え、し、死んだんじゃ、無かったんですか?」
 銃を片手での華麗なガンアクションと共に腰の右ホルスターに収めると、敵意の無い、むしろ荻さんのように穏やかな笑みを浮かべた。
「ふむ、指導不備が有ったようでな、冥界から職務怠慢で送り返されてきたんだ。最後まで職務を果たせ、と言う事さ。さぁ、この男は終わった問題だ。次は国定君を助ける方程式を立てるんだ。これは非常に難解だ。私も手伝おう」
「は、はいっ!」

 そうだ。重要な事を、優先順位を間違えそうになった。
 私が大事なのは今、錬仁を助ける事だった。
 そのための障害を突破する事を小賢しい、大本の魔法使いの姦計に引っ掛かって見失う事だった。
 確かにそうだった。
 それはそれ、これはこれだった。
 他者と自分を混同してはいけない。
 他者を尊重する事は自由だ。でも、自分と他者の理屈(イデオロギー)が対立する時には両方が妥協するか、双方が戦うしかない。そして、同じ土俵でなければ、それはただの一人相撲なのだ。
 私のやるべき事は錬仁を助ける事、揺らいではいけないのだ。

「記憶層の第六層までの侵食か、進行度が酷い。私はこれに似た魔術を知っているが、これ程多くては卵を全て取り除く事は出来ないだろう」
「チクショウ! 先生、どうすればいいんですか?!」
「質問の際に下品な言葉遣いは改めたまえ、淑女らしく、魔女らしくするんだ。まぁ、同時に君らしくと言うのも忘れてはいけない。君は可愛いのだからな。さて、回りくどい言い方になったが、君は魔女だ。彼の話し振りからする彼の技術に対する【予測】と私の知識から導かれる方程式で、ベストなものは一つだ。魔女には『魔法の紡ぎ糸』と言ったか? 初歩的な精神ハッキングをする魔法があったはずだ。あれで、国定君の精神にコンタクトして、内側から彼を揺り起こすんだ。おそらく、君もコンタクトする事で彼の悪夢に引き摺られる可能性があるかもしれない。だが、あらゆる時間と労力を【予測】した限り、これがベストだ。目覚めれば、彼の防衛反応で卵と芋虫は一瞬で焼き切れるはずだ。さぁ、解法の手順は用意した。そして、それが出来(答えられ)るのは、魔法の使える君だけだ。私は魔術で精神を観測する事は出来ても、鏡のように全てを返す事無く、それに特定の対応が出来るわけではない。出来るのは魔女の君だけなのだ」

 私はその言葉に頷くと、儀式を始めた。
 聖別された釘を抜いて柱から彼を下ろす。その身体は亡霊騎士、いやそれ以前からの戦闘のためか? 未だ癒えていない、傷の無い場所の方が少ない、痛ましい身体をしていた。
 彼を地面に横たえると、常時携帯していた、正確な儀式のためのアルメデアゥの粉で四万三千九百五十六の現代エノク語を使い、魔法陣を描く。
 『魔女の紡ぎ糸』。
 それは一週間以上前、初めて魔術師、摩壁 六騎の居場所を探るために使ったのと同じ技だった。
 心臓の緩やかな高鳴り。それと共に両手の間にアヤトリのように、意思の、魔女の紡いだ糸を巡らす。
 その両手の間に錬仁の頭を添えた。
 瞼すらも動く事なく、小さな魔人は眠る。
「彼は魔人化した事で、身体を全て霊気装甲に置き換えられた。いわばそれは全身が脳になるのと同じだ。全ての魔人はそのようにして、自らを回路のようにして世界に刻まれている。だから、仮に彼らが全てのエネルギーである霊気装甲を失っても、何者からか魔力やら霊力やら妖力やらを与え直せば再び彼らは召喚され、蘇る。パソコンのフラッシュメモリーのようなものか? そう、だから彼は魔人の特性のために記憶を忘れている、いや『判別出来ない』だけなのかもしれない。だが全ての記憶は霊気装甲を通じて全身に刻まれている。脳の十倍もある全身が全て脳にもなっているのだ。失われる事はない。だが、そこから真実を得るのは鳴門の渦よりも壮大で過酷なものとなるだろう。君は千年分の記憶から彼の本質となった記憶を見つけて、彼を『白い蝶』の誘惑から解放しないとイケナイのだ。そうしないと、彼は千年前の、彼を魔人へと決意させた時より最悪な事となるだろう」

 指でそっと触れる彼の幼い顔。
 苛烈な闘争に矮躯で挑む勇者。
 夢に敗れて彷徨う、まつろわぬ者。

 その彼の正体と本質を取り戻させる。


「『白い蝶』によって、おそらく記憶が判別出来ない彼のために、御伽噺(おとぎばなし)のような形式になっているはずだ。そのようなタイプの記憶操作には読み手が登場人物に同化しようと思うために、同調しやすい。引き込まれれば、君も蝶に囚われる。良いかい? 私が言うのも何だが、過去を振り返っていけない。それはただの事実の確認のためのものだ。流されるな、君なら出来る」


 私は錬仁の中へと入り込んでいった。
 次の瞬間、超新星の爆発のように、魔法の時に感じるような、あまりの日常ではありえない情報量の多さに脳神経がパンクしそうになった。

 ノイズの掛かった景色と彼の激烈なまでの心理、感情、本能。
 それは自己矛盾との攻防の記録だった。
 過去へと怒涛の大河に抗う鮭の如く遡っていく。


 ある記憶では彼は無数の零戦の間に佇んでいた。
 戦争末期、最後の決戦の望みのために、彼は地獄から召喚された。
 敵国により、全ての物資を封鎖され、彼らの国はただ緩慢に死を迎えるものとなった。だから彼らは戦う事を決めた。そのために彼は呼ばれた。
 南国の陰鬱なジャングルの中を、護国のために駆け回る槍兵。
 時に空母を真っ二つにし、零戦を足場にして戦い、戦艦を投げ飛ばす人知を超えた戦い。
 それに対抗するためにあらゆる世界の魔人が召喚された。天地を揺るがす戦い。その全てに赤い槍の兵士は勝利していった。
 その姿に突き動かされ、兵士達は獅子となって戦っていた。
 ――霊気装甲がゼロに成った時、彼は再びリセットされ、地上へ全ての記憶を失って戻った。
 マンハッタン計画。
 敵国が進めていた『原爆製造計画』。彼は、敵国だった国に二つに原爆を落とすための地上戦力からの護衛として、その被害を間近で確認させるためだけの存在として、敵国に捨て駒として使われた。
 二度の、当時最高の悪夢の被害を受けて、彼は地獄に戻った。

 ――ある時は最も嫌悪した敵に捨て駒に使われ、


 ある記憶では、一人の女が居た。
 西欧と侍が邂逅する最中、当時の幕府は権力の維持のため、西欧の悪鬼からの侵略に対抗する兵器として呼ばれた。それは正式な手順を踏まなかった不完全な召喚だったために、彼は歴代の召喚で最弱となった。それでも、西欧からの進出を目論む吸血鬼の軍団に負ける事はなかった。
 その件とは別に、人知れぬ山間に静かに暮らしていた女とひょんな事から会った。
 彼女は過去に彼に会ったと言い、彼は魔人故に思い出すことは無かった。
 それでも彼は彼女の楽しそうな思い出の話し振りと、不思議と明かさない好意の理由に自然に惹かれていった。彼は彼女を好いていた。
 しかし、蜜月は突然と途切れる。
 不完全な召喚は地獄へと帰還を促された。
「再び会ってもオレを忘れないでくれ」
 そう彼女は告げた。
 ――霊気装甲がゼロに成った時、彼は再びリセットされ、地上へ全ての記憶を失って戻った。
 戻った時には彼は開国派の手に落ち、その尖兵として戦い尽くしていた。
 古きを尊ぶ彼女がもう一度目の前に現れた時、彼は彼女を敵と認識した。
 壮絶で、それで居て物悲しい戦いがあった。
「やっぱり、オレとお前は敵同士なんだな」
 そう、地面に倒れた彼に、互いにボロボロの姿のまま彼女は言い放っていた。

 ――ある時は恋仲となった女を騙し、


 ある記憶では男は戦場を騎馬で駆けていた。
 それは怒りを自ら示すような、自暴自棄にも見える戦い方だった。
 侍の大将に仕え、彼の手足となり、同時に彼に付いた十人の部下の長となった。
 熾烈になる戦いで、彼は十人の頭となり、侍の見本となって戦い、尊敬された。
 ある時、天下を取るために自ら魔人と成り果てた男と直接剣を交え、死傷を負った。
 ――霊気装甲がゼロに成った時、彼は再びリセットされ、地上へ全ての記憶を失って戻った。
 戻った時には戦国は終り間際、彼は部下だった部隊を掃討する任務を与えられ、彼らの断末魔の悲鳴と口惜しいと嘆く声を聞きながら戦場の幕を下ろした。

 ――ある時は慕っていた部下を裏切り、


 ある記憶では彼は子供を連れていた。
 彼は同じように、私を守ると言った時のように、子供を守っていた。
 その子は禁断の子だった。有ってはならない、帝のもう一つの家系を作り出す血筋。
 時の権力者達は血眼になって探し出し、子供を殺そうとしていた。
 彼は守り続けた。
 背中の稚児のために自らに矢が当たる事すら厭わない。
 そして逃亡の日々の中、時に飢えと渇きを凌ぐために自らの霊気装甲を削って分け与えた。
 しかし、それは子供を連れると言うハンデ故の無限の消耗戦だった。
 権力者は幾度と無く何百人の暗殺者をあてがい、徐々に、効果的に疲弊させていった。
 そして、それは蝋燭がフッと消える瞬間のようにあっけなく来た。
 泣き叫び、彼を呼ぶ幼子の声。
 ――霊気装甲がゼロに成った時、彼は再びリセットされ、地上へ全ての記憶を失って戻った。
 彼は以前の記憶と繋がる手掛かりを得て、稚児を探し回った。
 探し続け、自らが来た場所の木の根元に、小さな石が墓標として立っている事に気付いた。
 そのまま、彼は巌のように、戦場で騎馬を駆るまで動かなかった。

 ――ある時は育てた子供を置き去りにし、


 ある記憶では一人の破戒僧が居た。
 地上を彷徨っていた彼に出会い、巨躯の破戒僧は契約を交わし、友にして、彼の武器となった。
 彼は主君を守るために、橋の上で荒法師から武人へとなった。
 錬仁は彼の持つ七つ道具の一つとして、動く武器として、そして、その者の友として動いた。
 時に互いに舞いを踊り、橋の上で友が敗れた主人を鼓舞し、互いに称え合った。
 ある戦で、彼は友を守るために自らを盾にした。身体にびっしりと刺さった矢。
 ――霊気装甲がゼロに成った時、彼は再びリセットされ、地上へ全ての記憶を失って戻った。
 そこには主君の兄である男が、彼と彼の主君ごと殺そうと目論んでいた。
 そして、錬仁は弓を執り、友だった男に幾度と無く矢を打ち込んだ。
 奇しくも、男は守られた彼に矢を突き立てられながらも、主君を逃しながら、立ったまま死んだ。

 ――ある時は親しい友となった者を殺した。



 それはどれも彼の責任では無かったように思えた。
 それでも足枷はあまりに重く、彼を引き摺り続ける。
 魔人となった故に彼らに出会い、魔人となった故に彼は自らとその周りを傷つけた。

 彼が魔人となったのは何時からなのか?
 そして、何故なのか? 何を求めるのか?
 それが今、明かされる――



 Every thing, never coming true dream.
 Every thing, eternal ending avenge.
 Every thing, freeze on forbidden secret.
 Every thing, failed preparedness at last.
 Every thing, imagined vice by himself.
 Every thing, own charged causation 
 Every thing, past cast away from him.
 Every thing, never killing body.
 Every thing, never dead soul.


 It was a what truth was in the memory of his story.

 The story is just wanted by all he want.


 接続≫≫

 ――地獄使い生誕へ
 http://novel.colun.net/past_paranoia/


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甘辛流小説家ギルドGAIA
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