空想活劇譚【パラノイア・インフェルノ】


1 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/11(火) 09:06:33 ID:WmknzDW4

 物語とは虚構である。例え、それが実在の人物の伝記だとしてもだ。

 例えば、ある書で英雄として扱われた者は、別の書では多くの人間を虐殺した大罪人としてしか扱われていないのかもしれない。
 例えば、世界中を混沌に巻き込んだと全ての書物に書かれる人物は、真実ではただ一人、自分だけの孤独な、完璧な秩序を知っていた人だったかもしれない。
 そんな話の真実に最も近い当人達でさえ、その本人が認識を誤ればその人生は悲劇にも喜劇にもなりさえする。
 さて、真実の物語とは何処にあるのだろうか?
 そして、真実とは何なのだろうか?
 時間と言う名の断絶。
 共感と言う名の幻想。
 神話と言う名の妄想。
 ……答えは、あなた自身が見つけるより他はない。
 さて、ココにある一つの書を取ろう。ページをめくるか、本を閉じるかはあなた次第だ。
 本を閉じたあなたはこの本の真実を知る事がない。ただ、それだけだ。





























 ページをめくり続けるならば、あなたは、最も物語の核心に近い者の書から開かれる……
 では、しばし奈落と暴虐の道を少し辿ろうか……


2 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/11(火) 09:10:37 ID:WmknzDW4

泥梨 (Niraya)


 求めを失いし束縛の王……

 天涯孤独。
 そこには何もなかった。誰も居なかった。 

 天涯地角。
 無限に続く紅い大地。彼方を忘れた赤い空。

 積年塋域。
 荒涼した風はすさばせ、過去を忘れさせる。

 無念遐域。
 果ての無い遠地は彼の未来を彼方に掻き消す。

 ココには何も無く、彼の物が全てある。
 Here is nothing, the sky is the limit.

 そして、彼などと言うモノはココにはない。
 Then, he is the one.

 彼はただ一人、この地の王として底に立つ。
 He is ONLY standing at own Inferno.

 故に彼はこう呼ばれる……
 Hence he was called ……


  Paranoia Sky, Paradise Lost, and Paradoxical Paragon.
  Twilight world is ancient deep dream.


3 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/11(火) 09:27:20 ID:WmknzDW4

等割(とうかつ)


 狂った宙、失われた楽園、そして矛盾した悪性。
 朧げな世界は古き深き夢。



 七月 十九日
 午後十一時三十七分 警察無線

[神南町(かんなみちょう)巡回本部より、三号車、三号車どうぞ]
[コチラ三号車、感度良好]
[通報のあった被害者(ガイシャ)の確認お願いします]
[ガイシャ、女性、遺体を激しく損傷しているため身元、年齢ともに不明。うわぁ、これ、ヒドイですね。この間と同じで『心臓がありません』。鑑識が入るまで現場維持します、どうぞ]
[本部了解、あー、今、応援がありました。別命あるまで待機、現場維持でお願いします]
[了解、――ンッ?!]
[三号車、応答願います。異常ありましたか?]
[いや、あ……、失礼しました。今、現場の聞き込みしていた巡査から、甲冑を着て剣を持った大男とドデカイ槍を持った同じく大男の二人が逃走していたと言う、また変な情報が入りました、どうぞ]
[……そうですか。……こちらも今、連絡入りました。署長からの通達で、今回もまた『黒半纏』の奴らの領分みたいです]
[じゃあ……、現場を維持する班長以外は解散ですね、どうぞ]
[それじゃあ、引継ぎまで現場維持、よろしくお願いします]
[三号車、了解しました。はぁ、もう五日間も続けてまた斬殺死体か]
[私も家に三日も帰ってませんよ。新婚なのになぁ……]



 同日
 午後十一時五十二分 和木市内(わきしない)

 視界が、前から後ろへ流れていた。
 暗色に練られた線路を電車が疾走している、静かな街の情景。
 線路脇に無言でそびえ立つ灰色のビル群。その窓から漏れる光は闇の中にありながら全ては埋没するほど無個性でなく、それぞれが各々の煌きを見せていた。
 日常を走る鉄の箱が暗闇の中でその銀色のボディを白く、その各々の輝きに任せて光らせている。
 電車の中では一人の泥酔した、中年のサラリーマンが眠りこけているのみ。
 他に乗客の姿はなく、電車の揺れに任せて酒で赤ら顔となったサラリーマンは首を前後に揺らしている。
 空調としてはあまりに些細な役割を持つ扇風機。古い車体だから、それとも管理を怠ったためなのか、不規則に点滅する蛍光灯の一つは薄暗い車内を助長するだけで、むしろ外から伸びるビルの方が光を強く感じさせる。
 日常を疲れたいびきをかくサラリーマンを、優しく包む光のカーテンが淡い炎のように揺れていた。






 その光のカーテンから一筋、紅の電光。
 風よりも疾く早く、アカイ、何かが薙ぎ。
 と、同時に、真逆の闇の間から二つの鉄色が閃く。

 互いに弾けて、火花を散らす。

 やや遅れて甲高い、金属の音色を響かせる。

 どちらも鮮烈な一撃だった。電車の中ではなく、その上の電車の上を、一本の槍と二本の剣が舞っていた。
 灰色のビルの間を走る鉄の舞台、強者が二人、対峙している。
 再び、始まる刃金(こうてつ)即興曲(トッカータ)

 最初の、その朱の一撃は槍。横殴りの薙ぎ、ややもすれば隙だらけの一撃が、疾走する列車よりも速く、もう片方の剣の主を切り裂かんと疾駆。
 だがそれを受けた二振りの剣も、槍の長さで増した力で負けぬよう、片方で打ち叩き、片方で打ち殺そうと奔る。
 線路と車輪、列車の電力を受けるパンタグラフと送電線、それらとは違う鋼同士の掠れる音色が異常な戦場を支配している。擦れ合う線路と車輪。パンタグラフと送電線。そして、剣と槍の刃金と刃金。

 あまりの速さ故にビル間の光を照り返す、武器の光の軌跡しか見えない。
 そして、光の芸術家達は視覚のみならず、音も支配する。
 その音色の奏者達の舞台は電車の天井と言う不安定な足場。尚且つ、時折その間を分かち、稀に自身らにすら弾けて迫る送電線。打ち込むのには明らかに邪魔なパンタグラフ。そして、元より動く鉄の箱。
 そのどれもが、彼ら、達人に取っては好機を作るための武器であり、無用の長物にはなり得ない。

 野獣の槍使いと西洋風の甲冑の騎士。もし、列車の天井、その上で戦闘をする強者の肉体を見える者がいたら、そう呼んでいただろう。
 野獣の槍使い、それは巨人と言って憚らなかった。甲冑の騎士とどちらが大きいかと訊かれれば男の方が大きいと言えるほど巨大な肉体。例えるなら、熊などの獣と人を比べるような単純な大きさの違い。二メートルと言う単純な長さの指標で示す事は出来た。だが、それ以上に男の、気合とか意思、そう言ったものがそれ以上に男を超然と大きさの違いを見せている。そして、その両手には男自身を越えるほどの長大な一本の槍が躍っていた。
 その槍は巨大で質素なデザインでありながら、何処かこの世のモノと違っていた。侵しがたい神性さを保つ『アカイ』色の槍。だが何故かその槍の先には『 突く部分 』がない。長い刃は明らかに鋭さを有する刃先を持つべきなのにそれが欠けていた。それは反りが無いために薙刀の刃では無く、その半端な長さ故に中国伝来の鉤状の矛でも無い事は明白だった。いや、そうではなく、武器自体が自身が『槍』であると主張していたからだろうか? それ故に元の形が分かれば、見る者が形を想像して補うように、見えない刃を加持させられた。しかしながら、強烈な武器固有の種類の主張とは正反対に、その『アカイ』色の槍には漠然としたアカと言う以外に色の統一性がなく、濃く、薄くと常に揺らいでいるように思える。それは魔性か、神性か?
 対して甲冑を着込んだ大男は、幅広の、そして剛直な二本の剣で討ちかかる。一刀の長さは一メートル程の、普通の剣と同じでありながら、普通の幅広など超えて尋常でない太さと幅を持った直剣である。普通の厚さの五倍に、幅が二倍。計十倍の大きさのそれを諸手にそれぞれ携えて、もう片方の男に躍りかかる。剣の重さは量り知る事は出来ない。切るや潰すと言った機能を無視して、その剣の当たった場所はスピードと、その重さ自身で爆発したように四散するに違いない。爆殺させる剣なのだ。金髪に碧眼の美青年、いや美中年だろうか? 何にしろ、年齢はあまりの速さでぶれて、もとい闇の中では顔細工の判別などつかない。
 槍使いのアカい槍が風を切って捨てるように振るわれる。男は身体を斜めにした半身で鼻先を擦った刃物を避け、返すように体ごと一回転しながら、走る電車に添う真上、送電線の間から剣を落とす。槍が刃を逸らす。瞬間に槍の柄と二つの刃で拮抗。

 電車が斜めに傾きながら、曲がる。
 車内のサラリーマンの首が、後ろに反り返る。
 同時に男たちの首も横に反り返る。

 最も人体で硬い、頭蓋骨を突き抜く一撃が互いに外された。決して電車の動きで外れたのではない、互いが首をそらし、見切ってかわしたのだ。
 槍使い自身の思考よりも早く、本能が、槍の石突、刃とは反対の部分が反転して下から甲冑の隙間へと突き上げる。左足付け根。狙いを見据えて騎士は剣で叩く。瞬間、花弁が散る。
 そこに、再び反転した槍の刃が上から円を描く。だが、騎士の剣は二振りなのだ。片方の受けに使った剣は下から突きに移行しつつ、片方で(かざ)しながら受けを取る。長さで槍が受ける。高く、より高く刃金の楽譜。

  ――(キン)――、
  ――(キン)――、
 と絶え間なく、幻想の如く、闘いの亡者達は死撃を打ち重ねている。音は何処かで指揮棒を振るわれているかのように調律されていた。
 打ち込みは際限りなく、この先はもう無いだろうと言うような、そのクライマックスの上限など打ち破って、その鋼の音符達は天井知らずに加速と連符を重ねていく。
 千紫万紅の火花が百花繚乱と咲き乱れる。ビルから零れる光のカーテンを、更に彩る花弁が破羅々々(バラバラ)と散らばる。
 素人から見れば、それは単純な、突きと振りの繰り返し。しかし、嗜む者なら確実に、時を経た達人なら嫌と言うほど分かるほどの人としての技量の隔絶ある連撃。高みを越え、神域を越え、最早魔域の戦闘空間。常識、常道、定石。あらゆる常にして定めるものを覆す。何故、円を描いて振る槍が突きより速い。何故、有り得ない重さの剣が持ち上がる。
 その答えは、ただ、彼らが『人ではない』と言う解を示すのみ。
 槍使いが、流水に笹を流すような、突きに似た撫で斬りを三度放つ。鎧の付け根、首と両肩。あまりの間隔の早さに槍が三つに増えたような錯覚を起こす。だが、騎士は首と片方の肩を狙った斬撃を二つの剣で打ち反らし、最後の突きを鎧の肩の部分で弾く。
 再び、剛剣は鼻先で笑うかのように槍使いに打ち込まれていく。だが槍使いも、その重さとそれを苦もなく卓越した技術で操る甲冑の騎士に、槍を天然の膂力と共に鮮烈に合わせている。槍の梃子と速度と力と技が双剣を自らが避けられ、なおかつもっとも反撃し易いようにギリギリまで、皮膚に薄傷を残すまで引きつけて落とす。
 互角、拮抗、見えない鉄線がいくつも緊々と音を立てて張り詰め、直前で切れないような、眼前で繰り広げられる、

           死闘。

 常人の刀の一振り、一合と呼ばれる中でその十倍の数を交わす刹那の打ち合い。
 それは常人の命を瞬時で奪い尽くす狂気でありながら、その立ち回りはなお、美しかった。
 黄金比。狂気と技の美しさの比率が凄惨さを一歩手前で芸術に変えるのだ。

 これが何処ぞの戦闘狂達の話で有ったなら、彼らは同時に、ニヤリ、と不敵かつ倣岸不遜な笑みでも浮かべただろう。しかし残念ながら今の彼らはどちらも悲しき運命(さだめ)の手に落ちた受難者達の足掻きだけであり、この一撃は無限に続く連撃の中の、更に一つにしかならない、ただの苦痛。つまりは合わせ鏡に囲まれた自身を罵倒する行為に似ているのだ。
 癒しは遠く彼方。千の年月の更に向こうの夢想。万の年月の更に向こうの回想。億の年月へと至る、それは己の無限の牢獄に囲まれた小さな幻想……

 それはただの亡霊の狂気(パラノイア)か、それとも咎人の地獄(インフェルノ)か……

 ふと、槍使いがコマ落としのように瞬時にさがる。一呼吸の十分の一で離された距離は七歩。次の一撃で殲滅すると、その槍の長さを生かすために離した間合いの利。そのしなやかな筋と肉の動きは容貌にも似た野生の獣そのものである。山獣の王の筋力に、猫科の肉食獣を彷彿とさせる滑らかで天然の動き。それは最早異形でなければ、決して立ち向かう事は出来ない圧力だろう。
 それに対して、異形そのものである甲冑の騎士は、右手の肘を伸ばし気味にして相手の右目を射抜くように、左手は相手の腹をぶち抜くように剣を向ける。蒼い瞳の騎士は貫かんとユラリと燃える意志を込める。
 それだけで大男は顔面を貫かれ、腹を三度刻まれたような感覚を覚えて冷や汗を感じた。しかし、それに対抗するように腹の奥底に裂帛の気合を込めながら、槍を地面に立てるように構え、さらに一歩踏み出す。騎士は大男の体が一回り大きくなったように思えた。
 それでも騎士も踏み出す。これで四歩。『貫』の機能を失った槍だが、残り一歩で重装甲の甲冑ごと、胴薙ぎに出来る間合い。
 だが騎士も、それを十分承知。先に槍の内側に踏み込んで、剣で切る、いや異常とも言える剣の重さで相手を爆殺させるのみ。
 思考が、意志が、仮想の刃が四歩の間を奔る。更に彼らは二十合重ねる、心理の内での殺し合い。彼らの心の中では既に何十回、何百回と相手が殺され、自分が死に掛けて、それでも生きている。身体は動かさずとも、心で機先を制する鬩ぎ合い……

 自然にその機先すら消え、どちらの汗と気息も冷え、ただ待つ。熟した機を、ただ待つ。

 偶然でも、一瞥でも電車の上を見る事の出来た人は驚いたであろう。その中空にはただ浮かぶ三つの刃。
 心の動きを消した結果、肉体にあたる部分は常人からは人の形だと感知されぬ程、達人の域に入った強者達。
 故に武器だけがその人物のいる虚空を示しながら、持ち主の心気を伝えるように呼吸に合わせて肥大と僅かな縮小を繰り返す。
 湖面の静水に映される月の如く、両者は動かない。
 古来、武芸者はその卓越した精神の段階を水月の位と言った。









 そして天頂にも、白く大きな、月。



 彼方から同じ路線の対向車、そして、夜間に使われる警笛が鳴る。

 どちらともなく、二つの影はぶつかった……






 The moon is only standing upon the evening air.

 Then, little wicth happens to meet the Devil.

 Now the crazy nights come again...


4 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/11(火) 10:01:09 ID:WmknzDW4

黒縄(こくじょう)1


 月が夜闇にただ一つ。

 そして、小さな魔女は魔人と出遭う。

 今、イカれた夜が再び降りる……

 七月 二十日

 遠くで奏でる鐘の音。それは終わりを明確に示しながら、私からは程遠いところに位置していた。
 鐘の音の終わりと同時に、今度は体の微震。誰かは分からないが私の身体を揺さぶっているみたいだ。
 もう少し、この心地よい体感を続けていたいのだから、暫くそのままにして欲しい。
 一昨日よりイギリスから帰省した師父(マスター)によって新しい理論に関する講義が続いている。そのせいか普段の睡眠時間をゴッソリ削られて、こっちは何とも言えないほど眠いのだ。眠りは至福だ。天の恵みだ。天の国は来た。ただどうでもいい事だが、寝る子は育つと言うのは最近になって嘘だと言うのが分かった。とにかく幾ら寝ても、大きくならないものは大きくならないのだ! 何しろ【実体験】に基づいているのだから。そうか、子供だけが入れるから天国なのかしら?

「……きろ、……くぬき。そろそろ起きたまえ、ありひめ。九貫 在姫。目覚めの時が来た」
「――煩い、私、寝てる」

 その私の天国を奪うのは目の前にいる女性で、高校の学友である斐川 常寵(ひかわ じょうちょう)と言う名だ。彼女は私の拒否権を無視して容赦無く揺さぶり続ける。まったく、私から眠りを取り上げるなど、拷問による虚偽の自白を通り越して、それどころか陪審員買収による無実の有罪判決だ。私刑を通り越して虐殺だ。民族浄化運動だ。地球破壊活動だ。やばっ、人類滅亡の危機? 銀河系が交差する?
 いくらジョウチョーが綺麗だからって許される罪ではない。その罪に、ささやかな反逆をする。
「私、もっと寝る」
 拒否権再発動。自由市民の力を思い知れ。そして世界は救われた。
「……ふむ、惰眠を貪る事は別に構わないが、既に施錠する下校時刻だ。残りの睡眠時間は自宅で存分に浪費したまえ」
「なぬ?」

 ――その言の葉で重たい瞼を開けてみれば、夕暮れが教室を薄い橙色に染めていた。橙色より赤に近づいていく教室だが、冷房の効いていない、外の初夏の気温を考えると思わずゾッとしてしまう。また寝苦しくてもっと寝れなくなるのかなぁと思うと、少々鬱になりそうだ。最近、変な夢も見ているし、疲れているのかな?
 顎が外れそうで外れない欠伸と縦方向への伸び、パキパキと背中側の関節が鳴る音が妙な心地よさを引き起こす。同時に、ところてんだった脳みそが皺を取り戻して本来の思考回路を呼び戻した。机に座って突っ伏したまま寝るとは、最近疲れがドッと押し寄せているのだろう。
 私の机の隣りに片膝を立てて(勿論下着は見えていない角度で)、机の上で本を読む文学美少女。その美少女、ジョウチョーの長く、黒い髪は腰まで伸びている。指を髪に差し入れてその流れに沿えば、きっとその白い肌と相余って清流のように感じるであろう。銀縁眼鏡越しの切れ長の瞳は、ただ真っ直ぐと何かを見透かすようでいて、初対面のそう言ったものに慣れない人は畏怖に似た感情を抱かせるだろう。この年頃の女性としては平均的な身長のはずだが、手足が外人か何かのように日本人の平均よりも長いため、スラリと高い印象を受ける。しかし、こう表現をすると彼女の場合はかわいいと言うより凛々しいと感じるだろう。実際、容貌の雰囲気は美男子に程近いが(その豊満な胸囲いや、脅威を除いて)、それでも女性らしい繊細さと愛らしさも同居している。だから、笑うと可愛いのだ、本当に、ズルイくらいに。
 ちなみに私の場合は、身長が平均よりも大幅に低い上に童顔である。胸もあるかないかと言われれば、……まぁ、まったく無いに等しいだろう。唯一、彼女に対抗出来るとしたら同じ位の長さを持つ黒髪くらいのものだ。おかげでジョウチョーと比較して、私を眺める男子は物珍しさのお陰だろうか? やたら多いのが悩みだ。あぁ、もっと背が高くなりたいです……
「で、何で私を早く起こさなかったのさ」
 自分でも驚くほど、ムスッとした声色だった。
 でもそれも当然だ。今日は本当ならば早く家に帰って、家政婦も雇いたくなるくらいの自宅を掃除したりしなくてはいけなかったのだ。しかも加えて洗濯と食事と買い物などなど、平均の高校生に比べれば遥かに忙しい中で、更にトビっきり一人暮らしの私は忙しいのだ。はぁ、何処かに掃除洗濯食膳をロハでやってくれるような奇特な人間はいないのかなぁ……?
 とにかく、スティック状のスナック菓子、ポッチーのストロベリー味をパクつきながら、理不尽にも私の眠りを覚まさせたジョウチョーに文句を言い立てた。本から眼を離さないところが余計に腹立ちを煽る。
「――本の中には、それを読んで学ぶためでなく、著者が何かを知っていたと言う事を我々に知らせるために書かれたと思われるような本がある。格言と反省より」
 革張りの本を閉じて、しばらく浸るように眼を閉じてからこちらを見据えた。
「……有無、やっと元の口調に戻ったな。先ほどの回答は簡単だ。君が下校時刻ギリギリまで起きなかったという客観的事実だけだ。証明終了」
「ムッ」
 色々と一言言いたいが黙っておこう。これ以上事態を拗れさせるのもなんだし。
「で、ジョウチョーはこんなところで何をしていたのさ」
「眠り姫の目覚めを待ちながらの読書だ。なぁに、詩文を愛でていれば、他愛も無く時間は消費されていくものだ」
 白魚のような手とはよく言ったもの、生きたビスクドールが交配して出来たような白皙の片手にはゲーテの作品、それも原文のヴァージョンが収められている。つまり、日本語ではなくドイツ語だ。彼女曰く、戸上と言うあの作家だかフリーライターだかすら分からないあの男を真似て多言語に精通しようとしているとの事だ。私個人としては、あの男はただの嘘吐きだけにしか思えないけど……
「で、ゲーテ(愛の詩人)だから愛でているんですか?」
「まさか、私は詩文を等しく愛する人間だよ。この世で面白くない本など無いからね。加えて君の可愛らしい寝顔を見ていればページも中々運びが良い、ふふっ」
 もしかして最近、長編伝奇モノでも読んだのだろうか? それよりも、自分より絵的に格下の女の子を褒めるのはとても良くない事だと思う。
「まったく、校内の運動テスト二位が薄暗い文学じゃぁ、体育課の先生方が挙って泣くのは当然だよね。教室で根暗に本読んでないで、若者らしく外を爽やかに笑いながら走って青春でもしなさい」
 目の前の彼女は見た目どおりのの知性の高さに比類して、運動能力も極めて高い。太極拳とか、八極拳とか、そう言う中国拳法の類を親類から習っているらしい。ちなみに実力の程は言うと、

 何処かの誰かが街角で転んで頭突きを『その身長』故にチンピラの一人の下腹部に食らわして、逆ギレさせてしまったチンピラ五人組の内三人を、『頭突きをしてしまった方の連れだから』と言う理由と暇つぶしの戯れでボコボコにするくらいは強い。
 ちなみに残りの二人は頭部に変なものを押し付けた罪過の返上なので左ハイキックと右ストレートで本人が責任を持って始末したらしい(本人談)。

「突然笑いながら外を走りだしたら、しばらくは白い部屋での生活を余儀なくされそうな気がするが……。ところで、私は文学部と言う団体に属して君の望むところの『青春的に』時間を有意義に消化しているが、帰宅部の、先日の期末考査が一位だった君はどう思うかね?」
「帰宅部で有る事に別に問題はないけど? 私は私で勉強したり何だりで有意義に過ごしているし」
 すると素直に顎に手を当ててジョウチョーは「なるほど、個人の満足の問題か」と頷いた。うーん、この女にはこう言うカッコイイ動作が似合う。可愛いだけじゃない女っていいですねぇ。でも、その煙草に見立てたようなスナック菓子がストロベリーじゃなくて『ビター』だったら及第点なんだけどな……。
「ところで君も食べるかね?」
 またしても煙草のように、箱から振って差し出す一本のピンク色のポッチー。
「あー、ゴメン。あたし、甘いのは一ヶ月に一度で良いわ」
「あぁ、君は確かそう言う習慣だったな。……さて、ところで君は帰宅するのかな? それとも一泊して我が(ひつじさる)高校の『八不思議』でも体験するかね?」
 机から飛び降りると、意地悪そうに口の端を歪めながらジョウチョーは言った。笑顔だけで悪役小説の主役でも十分張れるだけの度量を見せつけられると私は困る。
「……結構よ。それって確か、卒業生のトガミって人とサナキって先輩が全部見たって話しでしょ?」
「らしいな。だが、一見の価値ある摩訶不思議体験だと思うぞ?」
「結構よ。不思議体験なんてしたくないから。人生でそれなりの体験するには、人にはそれ相応の力が必要なの」
 私は通学鞄に教科書を詰めながら手をヒラヒラと振って返す。
 それに、それなりの経験は自分の分で十分間に合っているし。
「そうだろうか? 恐怖の一夜が明けた後、その安堵と共に湧き出る陽光との迎合。それは意味があると思うのだがな」
「はぁ、私は三連休を昼夜問わずに暫く、グッスリ寝て過ごしたいな」
「怠惰だな。結構結構。発展の絶頂は堕落と同義。君の感覚は頂点を極めて至極であろう」
「アー、ゴメン。意味全然分かんない」
「当然だ。瞬弁の戯言ごときで神域たる心象表現と情景描写が周知となるのは文壇の偉人、文学界のテスラと呼ばれる七歩御大(おんたい)の至芸のみ、私などは足元にも及ばない」
 助長過ぎたか、クッ、と己を食い入るように早口言葉のような台詞を吐くジョウチョーさん。まぁ、堕落の頂点を極めたのだろうと邪推しているのは何と無く分かるが流した。てか、テスラって偉人というより変人だったような気がするのだけど……
「あー、はいはい。もぅ適当に文学していて」
「雅に欠けるな」
「 ウ ル サ イ 」
(たわごと)を真に受けるな」
 欠伸と伸びを再び同時に行って、ジョウチョーが栞と本、そして独日辞書をしまうのを待って、短い歩幅で帰路に着く。
 斐川 常寵は学校での私にとって唯一、友人とも言える人間だ。思慮深く、無遠慮でありながら引き際を得ている。他人との深い係わり合いをゴメン被りたい私としては理想の友人である。別に彼女とは深く関わっても問題ないのだが『安全面を考慮すると』この学校だけに留まった関係は非常に都合がいいのだ。彼女もそれを感じ取っているのか? 私との距離を理性的に感じ取ってそこから先に踏み込もうとはしない。学校での行動を共にしたり、休日に買い物を連れたり、連れられたりはしても、互いの家族関係や普段は何をしているのかなどは自分から話さない限りは聞く事はない。
「つかぬ事を伺うが、君は文学に興味は無いのか?」
 何事も無く、その夕日を背に影の長さを比べるように二人で歩いていると、ふと思い出すようにジョウチョーは言った。
「んー、特には無いかな?」
 私は自分の性格上、実用的、あるいは即物的とも言える『意味のある文章』以外はあまり読まない。学校の勉強の成果もその自分の主義と目的を進んで学んだ上での、結果的な副産物みたいなものである。
「だが、君は確か、聖王小鍵典(レメゲトン)やら死霊祭記(ネクロノミコン)緑黄石碑(エメラルドタブレット)に類する、出自の如何わしい文書や月刊レムリアのようなオカルト系カストリ雑誌を愛読していたのを記憶しているのだが?」
 カストリ雑誌……って、一体何時の時代の話をしているのよ?
 ちなみにカストリは、戦後に流行った安物焼酎の別称、カストリのように早く酔う、早く堕ちる酒。つまり早く廃刊になりそうな雑誌を指す。んー、何だかかんだであぁ言うのも意外に愛読者は多いんだけどなぁ……
「そうかな? 変わってる?」
「あぁ。私の知る限り、実用主義の君とは思えないような行動だと感じる。二年の先輩にあたる『 魔女 』と呼ばれる千塚屋某。彼女とよく似通った趣味だな。私も、それが書店などで買えるような邦訳を施されたコピーモノであるのなら趣味の範疇と思えるがな。しかし、時代掛かった革張りの絶版本などは、本好きの私から見ればこれから本気で『魔術』を習得するようにしか見えないな」
 射抜くような、鋭い視線。まるで魂の内から見透かされるような、眼鏡のガラスが照り返す白銀色……
「…………そんな風に、見えるかな?」
 私は軽口を叩くように張り詰めた首筋を緩めながら年相応らしく微笑んだ。だが少し納得はいかないように、私は眉根を潜めていたかもしれない。何故なら彼女は私の分野からすれば素人らしい、致命的な間違いを犯したからだ。
「私の目にはな」
「そうかな? 私からは節穴のように見えるね」
「節があるなら竹か。私を二級品扱いとは良い度胸だな」
 何を言っているのやら……、あぁ、そうか。
「松竹梅のこと? でも松の眼って目にやたらと『やに』が付きそうで見た目上不衛生だけど?」
「察しの通りだ。私も竹よりむしろ可憐な梅の方が好ましい。ところで、君は信じてないようだが、私は本気を出すと凄いぞ?」
「眼鏡を取ると凄いとか?」
 眼鏡を取ると美少女。いや、もう十分なのでこれ以上のヴァージョンアップは止めてください、ホントに。
「……君は、勘がいいな。その通りだ。有無、……それでは、私はここまでだ」
 彼女は学校の近所に住んでいるため、電車通いの私とはこの五つの道の重なる五十字路で別れる事となる。

「――ところで帰り道は気をつけたまえ」
「何を?」
 ジョウチョーは格闘技の対戦相手のように背中を見せながら、こちらに顔を向けている。あんた、カッコ良過ぎ。
「最近通り魔が横行しているとの事だ。我が町の新聞の地方欄では全身を細切れに切られ、『心臓の抉られた』死体が昨日を持って四人目、だそうだ。人間とは思えない怪力で巨大な剣を振るっていた甲冑の剣士と巨大な槍を持った背の高い男を見かけたなど、色々な噂や憶測も飛び交っている」
 気をつけ給え、と食事中に塩を掛けるぐらいの気軽さで物騒な物言いの後に付け加える。
「最近は不可解な事が多い。猫を頭に乗せた自称美少女吸血鬼や、ツィンタワーを這う蜘蛛女とビルを這う黒服の男の話、『本気狩る(マジカル)』などとほざく奇怪な輩は序の口だ。断層とは関係の無いところでの地震騒ぎや、ゾンビの集団、幽霊の群体。街中にチーターが出て人を襲い、それをパンダが取り押さえるとか……、とにかくこの町は不思議な事が多いのだ」
「……ふーん、まぁ、ジョウチョーも気をつけて」
「ふっ、腕にだけ覚えならある程度ある。それでは、また明日に」
 背中向きのまま、シュタッと、片手を上げ、夕日を背景に艶やかな腰までの髪を揺らしながら彼女は赤に消えていく。

 彼女は襲われる心配は無い……。襲われた四人、四人は四人とも魔女だったのだ。
魔女協会、通称サバトからも既に厳戒令が通達されている。


 遅くなったが、九貫 在姫は【魔女】である。


 アブラカダブラだろうが、テクマクマヤコンだか、チチンプイプイだか、パイポィポイプゥワプゥワプゥだか、エロイムエッサイムだろうが、とにかく【呪文】を唱え、己の力で自己の内面を変革して行使する術を持つ者を【魔法使い】と呼ぶ。その中でも、代々その血脈を伝えている存在を古来より【魔女】と呼ぶのだ。
 【霊気装甲】と呼ばれる、体内に含まれる微妙なソレを血管に通して体内中に流し、呪文と共にイメージと結びつけて神秘を起こす術を、私たちの間では【魔法】と呼び、魔法を使うために専用に濾過した力を【魔力】と呼ぶ。【魔法】は【魔術】とはまったく別の類別とされるのだ。

 プラットホーム、とも言えないほど田園的な風景をバックに、私は駅のベンチに腰を掛け特殊な象形文字を組み合わせた本を読み耽始める。
 一見アラビア文字にしか見えないミミズののたくったような曲線の羅列は、協会の所属者のみに伝わる魔法継承の為の呪文集でありエノク語で表記されている。まぁ、教会の御人達は頑なに神の言語と信じられているけど、これはどちらかと言う『この世界以外の神』から伝えられたものなのだ。ちなみにイメージとしてはサンスクリット語とギリシャ語とアラビア語をごった煮にしたような感じである。
 むろん、書いてある呪文全てを私は使えるワケではない。私の許容量を満たし、尚且つ『身体に刻まれた』術しか使う事は出来ないのだ。
 身体に刻まれたと言うのは『記憶』よりも明確な段階を示す指標に過ぎない、私たち魔女は呪文としての言葉よりも確かに、そこに『魔法』が『ある』ことを体が知っているのだ。
 そう、魔法を覚えるのには何よりも反復反射、神経単位、脳でなく、体が憶える段階まで到達させるのが『魔法を使う』と言う行為なのだ。
 まれに言葉の意味を理解するだけで【言霊】の位相世界から認識空間を操る魔法使いも存在する。だが、手馴れた使い手は協会には所属せず、十年ほど前に亡くなったらしい。協会の調べでは最近、私の学校にその孫が転校生として一人来たらしい。だが一つの魔法と魔術的結界作用、エリクサーの作成程度しか出来ないと言う体たらくのため、私の中では『並以下』の魔女として登録されている。ちなみにそれは先ほど出た千塚屋と言う名である。
 ちなみに私はエノク語から直接呪文を使う事が出来ないので、私はエノク語に遠くて、それでも私の知る中で一番近い英語に変換して使用している。本当は大陸セム系の言語を使った方がもっと効率がいいのだが、梵字をそらで言えたり、ギリシャ語をペラペラに喋ったり、アラビア語の交渉が出来るようなのは……、知っている限りでとりあえず居るが、あまり会いたくないので、とにかくエノク語は修得していないのだ。と言うか、言い回しが難しすぎるので、世界でも名前を覚えられるくらいしか使用者はいないはずだ。

 まぁ、とにかく……
 歯で指先を食い破り、そこから一滴血を落とし、体の奥底から、呼び出すように唱歌する。

「I summon one from blaze universe in Nodence' name……Derive(我はノーデンスの名に於いて炎界より素を呼ぶ……出でよ)」
 誰も居ない駅。帰り道、長い電車待ちを潰すのに、魔法を覚えるのにはこの場所はちょうどいい具合なのだ、個人的には。
 無論、自分の周囲には結界魔術が敷いてある。この本が開いている間、私の姿を見ていようと、『本を読んでいる』と言う行為しか認識されないため、普通の人は見過ごしてしまう。まれに先天的、または後天的に【魔眼】と呼ばれるモノを生得、会得した者は『看破』することもあるが、とりあえず、自分の結界を魔眼で破られて、視線に曝されれば、流石に私は分かる。

 人にはそれぞれ得意な分野と言うものがある。それは四大霊素と空霊素のような【要素】に加えて、何かを混合するのが得意だとか、予言が得意とか言った【傾向】がある。だが【全要素保持者(オールキャリバー)】と呼ばれる全要素、火、水、風、土、空を網羅しているのであれば、普通なら自分と関係する要素にしか気付きにくい外界の、体外の魔力の揺らぎすら単純な業くらいなら感知できる。ちなみに私はその全保持者、それなのだが、何でも出来ると言う事は何でも手を伸ばして、全体的に底上げしなければならないと言う事で……。つまり器用貧乏の気があるのだ。ついでに言うとやたら高い呪術的物品を取引する普通の魔女より大幅に金銭的に貧乏なのは、ただの愚痴である。
 とにかく、才能のある人間はただでさえ学ぶ範囲が多いのだ。日常生活を言い訳に足踏みしているなどは、魔女として言い訳にもならない。
 ただでさえ、直接攻撃の苦手な私は火の要素を高めないと私の身体、の霊気装甲を狙う吸血鬼やらの敵対者を撃退するのが難しくなるのだ。ちなみ、どこぞのゲームでは無いが、火には神秘としての側面で、浄化、浄火の力があるために、物体を破壊したりするような力に長けているのである。面倒だから何時かメラとかファイガとか言うだけでそう言うだけで発動させたい。

「Derive:……Efreeti、Psalamander(出でよ……火素霊、火竜)」
 目の前では、私のイメージの、焔の鋳型を備えて形作られた流素(エーテル)がある。そして開かれた見えない【異界門】から出た【火素霊】が反応して、魂がその鋳型に個着し、私の血を元に現世に固着。つまりイメージとおりに形作られる。もちろん、それは水素と酸素の反応と同じくらいの短い単位での瞬間の出来事だ。
 その瞬間は爆発にも似た生命の発露。言わば、爆誕。圧倒するような七色にして極彩色の奔流が視界を埋める。
 まぁ、流素なんて常人の視力じゃ感知できないから、情報量の過多による視力の破壊を防ぐために肉体が自然と目を瞑ってしまう。だから、僅かに見える色は自分の瞼(まぶた)越しだけど。
 爆誕後、目の前には魔眼のあるモノで私の結界を突破できるのであれば、見えるであろう、巨大な火竜がいた。
「Gruhhhhhhhh……」
 やはり、火素霊の上級幻獣、火竜だけあってその攻撃的な存在は圧巻かつ圧倒的である。その地の底から湧き出るような、厳しい鳴声を挙げている。
 ……って、私は何をやっているのだ。真夏に火素霊を呼び出しても暑苦しいだけじゃない!
「Return(回帰)!」
「Gruhh……」
 気紛れで呼び出された事に対する不服を下がり調子で主張しつつ、自らの幻素界に帰っていく火竜。

 と、このように自らの霊気装甲を応用する事で出来るのが、一定の呪文からのイメージによって何かの結果を呼び出す魔法である。他にも体内と体外の霊気装甲を組み合わせて超常的な体術を為す【気功法】やら、触媒と儀式装置の共感作用によって行なう【呪術】、愛と勇気と乙女の貞操を自覚する思い込みで起動させる【本気狩る(マジカル)】なんて冗談みたいな方式やらがある。一体そんな方法を考えたのは何処の天才一歩手前(大馬鹿者)だろうか? とにかく、一般的に神秘との関わりの無い人からは想像も及ばないほど、神秘を起こす体系は無数に存在するのだ。
 ちなみに私の魔法である、歴史や想念を備えた概念の側面から事象を呼び込む魔法を召喚術などと霊気工学の体系で専門的に言う。
 もっと簡単に、そして乱暴に言うと、その世界の神様にムリヤリ「こっちに元になる身体(流素)(魔力)も、来るための()も用意したから部下(素霊)を送ってー」と異界に向かってアポ(呪文)を取って呼び寄せるものなのだ。そしてイメージ通りの部下、もとい素霊、魔獣やら聖獣やら神獣などを送ってもらうのだ。無論、キチンとした長いアポ、もとい呪文や儀式であれば成功率は高まるし、省略すれば失敗しやすくなる。それでも上手い人だと火竜のような(マイナードラゴン)でなく、人並みの意思を持った(グレートドラゴン)やら、麒麟のような幻想動物、魔人をも容易く一言で呼んでしまうらしい。その辺りまでいくとキャリアの差だから、私が後プラス十年くらいの年月が必要なはずだ。
 それでも『召喚術士(サモナー)』の在姫は、私の通り名のようなものだ。他にも協会では竜巻百殺だの、矮躯撲殺天使とか、マイ・シスなんとかなど、怖気や怒りを覚えるような不名誉なあだ名もあるが、早急に忘れたい。

 ところで、先ほどジョウチョーの間違えた【魔法】と【魔術】は根本的に違う。魔法は体内の霊気装甲を使う、つまり一定の才能が必要なモノだが、魔術は『体外』、自然の『石』や『樹木』などの霊気装甲を正しく、理論的に使えば誰でも出来るものなのだ。言わば、才能を扱う芸術家と積み上げた技術を使う職人みたいな違いだろう。
 そして死を賭してまで魔女、いや、この世で神秘を探求する全ての者が求めるは唯一絶対の神秘獲得。つまり、極端の極端、異端の異端、【大禁呪】を身に刻むためである。
 【大禁呪】は不老不死だったり、世界を思うがままに操ったり、巨大な惑星の軌道をズラしたり、何百年も前に死んだ人間を生き返らせたり、神や一つの宇宙を創り出したりするような、同じ神秘の範疇でもスケールがトコトン違う世界なのだ。それでも無論、霊気装甲が力を使い果たして空になるまでと言う制約もあるけど。
 とにかく勉学。その実、つまり魔法使いは神秘と言う観点に立っただけの、普通の科学者や研究者と変わらないのだ。つまり、私は探求者なのである。
 よく学び、よく遊べ、いや、よく魔法を使え、だったか?

 私を育てた義理の母。
 今は亡き、一代限りの魔法使いでありながら、今まで代々の協会長の魔女である待崎家を含めて五人だけが連ねた、魔女の最極位、大元級(イプシシマスクラス)にあったアノ人。
 大師(グレートマスター)アーキ・オリアクス・ゲヘン・ユキ・バシレイオス、人型核地雷、古い隠者、黒い魔法使いなどと呼ばれた人の格言だった気がする。

 と、一人で基礎的な事柄などを一秒弱で頭の中で反芻し、視線を本に戻した瞬間、それは聞こえた。


 列車の警笛。
 駅の時計は四時五分……
 ……おかしい、この時間に止まる列車は存在しないはずだ。いや、正確には存在してはイケナイのだ。
 いや、もっとおかしいのは時間だ。私は下校時間に学校を出たはずだ。なら、全ての時の刻みは『七時以降』になっていなければいけないはずなのだ。まるで、時を戻した、いや、その時間に止めていたような列車。

 神南町七不思議。
 地獄へ続く霊界の列車。そう、四時五分に止まる、いや四時五分に『止める』列車はそう呼ばれている。

 列車は至って普通の列車と変わらない。違うとすれば、何処からともなくこの静寂を持ち込み、暑さすら忘れ、周囲に冷気を帯びさせる異様な雰囲気だ。
 てか、学校じゃなくて、町の七不思議に出会ってしまう私は我なが異才を放つようだ。

[怪異と怪異は恋するように惹かれ遇う。いやぁ、す・て・き(星マーク) by 大師 ユキちゃん]
 そんな嫌な格言を思い出した。

 そして、気付けば、辺りは人だらけだった。
 自らの取れた首を持った男性。青白い顔をした眼窩の奥のない少女。全身を刻まれ、今だ血を垂れ流す女性。切断された下半身を右手で掴み、左手で白線まで這いずる少年、他にも、他にも、他にも、他にも、他にも、他にも、他にも、他にも……
 否、気付けば、辺りは幽霊だらけだった。
 魔女であるからには降霊儀式で幽霊の一つや二つを呼び出した事は何度かある。だが、これほどまで局地的に霊体が集中するのはおかしい。異常だ。
 故に、私は一歩も動く事は出来なかった。
 一つ思う事が、魔術結界が霊体にも有効でよかったと、安堵にも似た感情。そう思ったことだけだった。あんな死んで虚ろなで濁った眼で見られた日には食欲が減退して、御飯のおかわりが四杯から三杯に減ってしまう。
 霊たちは私に構う事なく、それぞれが思い思いに移動、あるいは転がったりしながら車両のドアから乗っていく。通り抜けたりはしない所は意外とおちゃめだと感じてしまう。
 そして幽霊が乗り終わり、警笛が再び鳴ると同時に、ドアからソイツは出てきた。
「え……?」
 頭から多量の紅を流しつづける黒髪、短髪の青年。顔までベッタリと真っ赤に染めながら私の前まで来ると、
「……か……り?」
 と何かを私を見ながら言って、そのまま仰向けに倒れた。
 ドアは彼の倒れると同時に再び警笛を鳴らして閉まった。
 そのまま線路の半ばで霞みの如く霧散していく列車……
 沈黙の統治は青年の呻き声で崩れた。
「ちょっ!」
 何々? 何々?! どうすれば良いの!? って、落ち着けって! あぁ、しまった! 空中に一人で突っ込んでる。
 深呼吸。今度は魔女として、研究者の如く、冷静に観察する。
 頭部の側面に裂傷、頭皮が打ち破れ、耳が裂け掛けている。
 鋭い刃物ではなく鈍器のようなモノがぶつかったように見える。頭蓋骨も割れて、ちょっと暫くは鍋物、特に白子とか食べたく無くなるようなモノが見えている。
 傍から見れば死んでいるようにしか見えないが、それでも彼は、荒く、不規則にも呼吸を繰り返していた。
 それにしても……
「デクノ坊だよね、コレ」
 百四十五ちょい……、以下の私が、二人で縦に並んでも大きいのでは無いかと思うほどのデカイ体だ。
 それに加えて、肉食獣の幼年期のように獰猛さと愛着性を発揮した不思議な顔だ。
 ジョウチョーが以前言っていた、燕頷虎頸の風貌とでも言った感じだ(説明を聞いてもまったくどんな風貌かは見当もつかなかったが)。
「失礼しまーす」
 脳の異常を確かめるのには瞳孔を見るのが簡単なのだ。と言うわけで、瞼をグイッと押し上げる。言い方が何処かの風俗嬢みたいだと思ったが、一ナノ秒で思考から打ち消した。


  ――世界が終わった。
 壊れる。全てが壊れる。しかも壊れて、また歪に改築される。壊れる。無限の円環。狂え、繰る絵、それを見て、観て、ひたすら狂え――


 ……あれ? 今、私は何を見ていたのだろう。一瞬だけ、何か捕らわれてはイケナイモノに捕らわれかけた。
 だが、魔女の意地って奴か? 「そんなワケの分からないものに負けて溜まるか」って深呼吸、もとい気合を掛けた途端に元に戻った。
 ……、瞳孔は光の加減でしっかり収縮している。では、輸送と治療手段だ。まさか、こんな所に怪我人を置いておいて死なれても寝目覚めが悪い。何よりも私は思った。こんな時に魔女が必要な力を使えなくてどうするのかと。

 浅慮な判断だったかも知れない。でも、魔女である以前に、私は人間だ。私は、そんな薄情には生きたくはない。そう、あの人のように……

 私は先ほどと同じ様に地面に一滴の血を垂らし、一瞬にして、
「I summon one from blow universe in Ithaqua' name. Derive Sylph, Hippogriff(我はイタクァの名に於いて風界より素を呼ぶ。出でよ、風霊素、ヒッポグリフ)!」
 前の詠唱より早く、素早い呪文の唱歌と共に、現実に異生物を呼ぶ。
 爆発と放射光。傍から見ると核爆発に毎回出くわしているように見えるかも知れない、なんてどうでもいい考えが浮かんだ。
 目の前に現れた、体高が私の視線よりもいくらか上にある生物は、胴体がヒッポ(ペガサス)で、頭と前足がグリフ()。その飛行速度は随一とも言われているギリシャの魔獣は、私に甘えるように目を瞑りながら擦り寄った。
「ヨシヨシ、じゃあ行くよ?」
 私の合図と同時に、爪の付いた前足で男を優しく掴み、私を背に乗せて暗色の彼方に飛び立つ。

 目指すは私の師父のお店、『ディープ・スタンド』。
 魔女、双珂院 生羅(ソウカイン セイラ)、もとい治療術の大家ならこの男を直せるはずだ。


5 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/11(火) 10:16:15 ID:WmknzDW4

黒縄2

 上空二百メートル、結界で目眩しをしていなければ、誰もが顔を挙げる幻想的な光景があった。
 夕暮れに染まりつつある空を背景に、神話から出てきた魔獣が大男と美少女を運んでいた……
 ……やっぱり美少女は却下。幽霊列車やら血だらけの男やらで頭の回路が焼き切れたに違いない。
 神南町駅から十分弱、街中のビルとビルの間にひっそりと、いや、『四方を囲まれて』城砦のように立つ魔女のお店。
『Deep Stand』。
 深海の奥底に立つような隠匿性にも関わらず、実は女子高生に本当に使える魔具のお店として大人気だったりする。最近は恋敵一撃呪殺クリスタルのキーホルダーとか有名らしい。何だ一撃呪殺って。
 ビルの合間に降り立ち、男を静かに横たわらせると同時にヒッポグリフの魔力供給を瞬時に解除。鷲羽と馬の掛け合わせの忠実な動物は、働けた事に満足するように傅きながら仮の肉体を失って虚空に霧散する。
「師父! さっきから監視しているのは分かっていますよ! 早く助けてください!」
 その声に合わせて、店のドアから静かに出て来たのは私の現在の師父、協会の番付で第七位、小達人級(アデプタス・マイナークラス)双珂院 生羅。
 私の担いだ怪我人に引けも取らないような威圧するような体格にファンシーな店のロゴの入った桃色の妙に可愛いエプロンをつけている男。神秘的な、真理を悟ったような静かな眼差し。痩躯でありながら華奢とは言えないような頑強な体。それらの威圧感を隠しこむように笑みを浮かべている。その清清しく端正な容貌は、黙っていれば女の子は自動的に寄って来させるだろう。


「騒がなくても大丈夫だ。 マ イ ・ シ ス タ ー ・ プ リ ン セ ス 」
「 黙 れ 、良いから何とかしろ、てかマイプリ(略)止めろ」

「ふむ、『私の』女弟子で在姫だから『 マイ・シスター・プリンセス 』、これは世界の真理ドブゴっ!! ……師の顎を問答無用で殴るのは魔女としての関係上どうかと思うが?」
 殴ってません。ただの回転『肘』打ちです。
「うるさい。あんた、死んでみるか?」
「やれやれ、感情が昂ぶると助詞諸々を抜くのは母上殿と同じか」
 と言いながら、師父は私の抱えてきた男の頭部を見る。
「ふむ……、唾をつければ、直るのではないか?」
「良いから直せ、このボケ」
「やれやれ、では『チチンプイプ、ィゴフッ!』 古今東西最高の治療呪文の詠唱を止めるとは何事だ!」
「 ア ン タ の 脳 が 何事だ! 真面目に直さないと……怒るよ」
 私がチラリと冷たい魔女の目で睨む。
 私が彼に、格上であるはずの師に対して手を上げられるのには魔女としての実力が格段なまでに段違いだからだ。治療術と治癒魔法では魔女随一と呼ばれ、治癒力では満月の吸血鬼と渡り会える程の男でも、――私、魔女協会認定の第二位、大魔導師級(メイガスクラス)の最年少取得者―― 魔女の階級から言えば、上から二番目の私を魔法戦で相手をしたいとは思わないだろう。
 しかし、私の才能があり過ぎるのもあるが、それでも彼自身はかの地、英国の倫敦の時計塔で正統に学んだ【魔法使い】である。そして本当に稀な事に魔法使いの最高位大元級(イプシシマスクラス)で戦闘能力も極位の、最初で最後の自称『大魔法使い』 ――弟子を取るのがメンドクサイので、その場で毎回シバキ倒してしまって無かったことにしてしまうエピソードで有名なアノ人―― の直弟子なのだ。それに治癒魔法にはトンと鈍い私にはそれなりに頼りになる存在でもあるのだ。ついでに16歳と言う清純な、法的に見ても年齢上は魔女としても人間としても、未だ幼い若さもある。
 ちなみに、男性でも血脈を伝える『魔法使い』は『魔女』である。魔男なんて言うのはない。
「ほぅ、魔法使いの存在を知られる事を知りながら助けたようだが……、まぁ、良かろう。後は君の好きなように記憶を消すなり好きにしてくれ。隠匿は発見者の君に任せるとしよう。それと先ほどのは冗句だ。久しぶりの再会に興が乗じただけだ」
 嫌な性格だ。てか、昨日今日別れたくらいで恋しくなるのかよ。
「で、容態はどうなの?」
「ふむ、出血は何故か既に止まり、さほど酷くは無いが。……脳への表層からは読み取れない障害があるかも知れん。一度、どの程度の記憶の損傷があるか調べてみないとな」
 口を開きかけた私を手で制すると、さすが男児だけあって片手で、しかも一挙動で気を失っていた男を持ち上げ、肩に乗せる。
「施術を始める。君は店内でも見ながら1時間ほど待っていなさい」
 個々の魔法、特に独自の体系で練り上げたモノはその個人を示す特別なモノであり、加えて協会で公開されている基本魔法を除いて他人には積極的に見せる事はない。それは師弟の場合でも論外ではないのだ。
「うん、分かった」
 師父が店の地下工房に向かうのを見届けると目を辺りに転じる。
 見慣れた店内には魔法使いが魔法や魔術、錬金術の触媒として使うアイテムが所狭しと並べられている。そう並べられているのだ。
 実際に使える呪具、魔具、それが、『一般人の手の触れる場所』にある。
 『ディープ・スタンド』、この魔女のお店は一般人にすら開放されている非現実の領域なのだ。
 でも、ほとんどのアイテムは正式な手順で無い限り発動しないし、霊気装甲がある程度ないと意味すらない。本当ならば、万が一と言う事を考えれば見過ごせるモノではない。
「置くならインチキなモノにしなさいよねぇ」とブツブツ言いながら道具を見渡す。

 地下からはまだ人は出てきていない。 

 ゲッ、『栄光の手』や『インプの小瓶』なんて本当にヤバイじゃない。あっ、でも欲しいかもとブツブツと言い続ける。
 彼自身の魔法使いとしての地位は大したものではない。しかし、その代わりとも言ってはなんだが、彼の治療術と治癒魔法。そして、魔法やら魔術を付け加えた道具である呪具などの保管と鑑定に関しては魔女協会(先ほども言ったが、隠語でサバトと呼ばれる)でも一目置かれている。それは大元級の魔法使いの弟子と言う名誉だけでなく、実力そのものを表しているのだろう。
 壁の一面には儀式用である剣が縦に凄然と騎兵のように整列している。う〜ん。
「あ、【儀礼剣(アゾート)】だ。うーん、そろそろ、自分用の【交霊武装】でも持とうかなぁ」
 自分の指先で一つ一つ手に触れながら、魔力の通りの良いものを確認していく。だが、私の眼鏡に叶うようなモノは中々ない。ある程度の物で無いと私の強力な魔力で砕けてしまうかもしれない。それでもココにある装備が一級品であるのは明白で、私自身が九貫の名に恥じずに特級品であるが上での悩みなのだ。

 地下からはまだ人は出てきていない。

 交霊武装とはその名の通り、万物の不可視深部、魂と深く交流する霊と感応する為の道具だ。
 概念の蓄積によって作られた武装は時に神の武器として認識され、神霊武装なんてモノになったりする(中には神様そのものから貰ったりなんて話もあるとか)。まぁ、攻撃力云々で言ったら死神の鎌の方がよっぽど強い気がするけど……
 だが、とにかく、通常は武器としてのみ認識される交霊武装は魔女に取っては都合のいい道具にすらなる。霊と感応しやすい武装で触れながら魔法を行なえば、通常以上の効率の良さを期待できる。
 そして、その武装に魂を通わせる契約さえすれば、その効率は何倍にも上がるのだ。
 【儀礼剣】は一定の規格によって大量生産される剣状の交霊武装の総称である。
 私は今までその効率に頼りすぎてしまう、甘えの可能性もあるので自制してきた。一人前の魔女として専用の儀式剣を持つのはある種の魔女のステータスであり、そろそろ私も持たなくてはいけないお年頃だろう。
「……それに、今日みたいに、治癒魔法が使えないからって言って、師父に毎回頼るわけにはイカナイもんね」

 何故かは知らないが、私の治癒魔法の系統は大師から今の生羅師父に移る頃に「君はこの方面の才能は諦めた方がいいかもね」と、自分の師でもある男、しかも治癒魔法のエキスパートに駄目だしされているのだ。儀礼剣で対象との関係性が高まればもしかしたら成功率が上がるかもしれない。
 とにかく、そろそろ、私も独り立ちをする事だ。そうでもしないと天国、いや『地獄の』母に申し訳が立たないだろう。
 と、思考の円環で誤魔化してきたが、私としては彼の事がずっと心配だった。

 地下からはまだ人は出てきていない。

 先ほどから何度確認したのか分からないが、私に出来る限りの事はしたまでだ。これで死んだりしたら……、気が沈むかも知れない。でも、それなら絶対に忘れてはいけない。私の通過した出来事、それを通り抜けた責任、そしてそれらを成し遂げた誇りを持たなければならないのだ。何かで誤魔化したり、自分を偽ったりなんて、私は出来ない。それが、私なのだから……

 窓から出てきて、さらに天井を飛ぶ魔法の鳩時計が既に二回も鳴っている。時刻は、師父の予測の二倍をも掛かっている。
 不吉な予感。
 それでも、無為に過ごしていても時は立つ。
 『座ると尻のデカくなる椅子』とやらに試しに座ってみたが、特に効果はなかった。不発か……。あぁ、凹凸のない体が悩ましい。ここまで来ると自分の体はスレンダーとか洗濯板とか、そう言う問題ではない気がする。
 居ても立ってもいられずにその椅子に何度も立ったり座ったり、店内を見廻したりと落ち着かない。

 ギシリと鳴った、階段の鍵盤に弾かれたように、その方向を見る。
 階段の前には生羅師父がいた。
「……施術は成功した」
 成功にも関わらず、普段は優しげな面持ちを微妙な苦渋に満たしている。
「何か、障害でもあったの?」
 私の震える声に答えるように、彼は、後ろに居る『彼』を見せた。
 身長は私よりも僅かに低い。140cmかそこら、野性的と言えばそう言えるが、逞しいと言うより可愛らしいと言った印象の方が強い、黒髪、短髪の男の子だ。ぶっちゃけて言えば、哺乳動物の幼少期に似ている。具体的に言えば、ライオンとか虎、熊の子供って感じ。



「……えっ、誰?」
 これは、私の放った言葉。

 そして、彼の放った言葉。
「……俺、誰だ?」
 私は、ただ混乱をするしかなかった……

 五分後、目の前では目が大きくクリクリとした少年が、椅子に座りながら届かない足をぶらつかせ、私と師父をじっと見ている。雰囲気は肉食動物の子供に似ているが、その形容通り、侮ると引っ掻かれるくらいの手厳しさも窺い知れる。
 着ている服は、私が昔、スカートが嫌いだったからと言う理由で着ていた、少し大きいサイズの青いパーカーに白い短パン。靴も私の昔のスニーカーを履いている。
 ちょっと待て。この服は一体何処から出したんだ。
 私は私で、色々と状況を理解しようと睨むように少年を見る事に努めたが、途中で溜息を吐くと再び睨むように、隣りで余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)と大量の砂糖をいれたミルクコーヒーを作っている変態男を見据える。
「どう言うこと?」
 私の問いに軽くコーヒーを飲んで「苦っ」(まだ苦いと言うのか)と吐き出すように言うと、こちらを柔らかく見つめた。
「この通りの状況だよ」

 大男の身体が治療中に縮んでしまった、と言う訳?

「裸だと君も困るだろ」
「いや、そっちじゃなくて……」
 笑みを浮かべた生羅師父が少年の頭を撫でようとしたが、手はあっさりと少年に空かされた。ジトリと、その手に向かって少年は不快そうな視線を向ける。
 私の読みとしては、少年は警戒しているが、状況理解ためにこの場から動かないと言う選択肢をとったように見えた。
「とにかく、何も無しに身体が縮むような、そんな事があるわけ……」

     「……君達は魔女だな?」

 師父はその柔和な顔に似合わず、軽く、そして不敵に笑う。
 私は不覚ながら、少年の、いや元は大人の、そのタイミングを謀ったような言葉に背筋がピクリと震えた。
「……あぁ、気にしないでくれ、俺も『怪異』に属する側だ。言っておくが、敵対派閥ではない。これは信用して欲しい」
 少年の、いや男だった少年の眼は、予想以上の理性の輝きに満ちている。身体は子供、頭脳は大人、ってやつ?
「先ほど『俺は誰だ』と言ったが思い出してくれたかな?」
 少年にミルクコーヒーを差し出すが、手をつける気配は零。無理やり、少年の手の届くような場所に予め置いた。無論、そんな甘ったるいのは女の私でも却下だ。
「あぁ、先ほどから記憶の混乱は続いているが、いくらかは回復した。俺の名は国定 錬仁(くにさだ れんじん)と言う、見た目通りと……、見た目に反して男性だ」
「私は双珂院 生羅、魔法使いだ」
「私は九貫 在姫、魔女です」
 自己紹介。一度、国定は驚くようにこちらを一瞬見て、しばらく硬直。



「で、それから?」
 私の促すような言葉に、国定と自己紹介した少年(元は大人)は我を思い出すと思案するように目を細めた。
「いや、君達に公開して良い情報とそうでないモノを懸案している。まず、その理由から話そう。その前に、そこの達人(アデプタス)、この工房の結界はどれ程度のものだ?」
 少年は一目で、師父の魔法使いとしての技量を大まかに見極め、工房の結界の度合いを聞いた。この分野でも得手なのだろうか? 魔を知ると言う事はやっぱり同業者(魔法使い)だろうか?
「消音結界、封鎖結界、外界に向けた攻性の防御結界、これの種類は明かせない。そして地下には無限牢獄。とりあえず、小規模だが龍脈と接続して店全体を聖域化してもある」
「なるほど、先ほどから体の具合の良いのは聖域のお陰か」

 例え、師弟の間でも自分の工房に張られている結界の種類は伝える事はあまり無い。結界とは特定の領域と隔絶する、魔法を使って一つの空間を創り出す『魔法結界』か、自然界の、外界の霊気装甲を利用した『魔術結界』である。『場』に掛ける術のため、よほど卓越したものでなければ霊気装甲をもつ人間からはプロテクトされてしまう。
 しかし、先ほど彼の言った、封鎖結界や無限牢獄は私ほどの位階でも解呪の難しい代物だ。
 それにしても、聖域化は呪術に掛かり難くするように装甲の通りを良くして心は清浄にするが、身体まで具合が良くなるようにはならないはずだ。まるで人間ではないような、そんな物言いだ。
「なるほど、小規模のワリに大した防備だな。魔法、魔術による両方からの盗聴の心配はないな」
「もちろん、『私の城』としての防御力もありますよ」
 城とはその名の通りだ。術者を守るための防御陣地。だが、防御と言うのは個々の攻撃意思を必要としない無差別魔法攻撃、と言う恐ろしい意味もある。
 彼はチラリと目の前の魔法使いを警戒するような目で見た。
 ん、……ってちょっと待て。
「なんでさっきから私には全ッ然ッ反応していないの!」
 ?を頭上に浮かべた、国定と言う少年はまるで「こいつ何言っているんだ?」と言う呆れ顔だ。
「当然だ。『未熟者』には無駄な注意を払う必要性は見出せない。認識の無駄だ」
 返す刀で言われた台詞にかなりムカッ、と薄っぺらい胸に何かが来たが、極力気にはしない。
「ははっ、君もそう思うかい? でも弟子としては誇るべき存在だ。私のかわいいマイ・シスっガボラ!!」
 スカートなんか気にせずに放ったドロップキックが師父の顔面に入ったが色んな意味で気にしない(もちろんスパッツは穿いてある)。
 私はその反動で椅子に座りなおすと寿司の横に添える茗荷のごとく、自然に笑顔を作った。隣りには不規則な痙攣を繰り返す師父。まぁ、治療術の得手だし、放っとけば勝手に自己再生するでしょう。
「続けてください」
 何かケダモノでも見るかのような目で見ているが、私は笑顔を続ける。
 気圧されたか、興味が無いのか? 咳払いをした後の国定の視線は今までの事は無かった事にしたようだ。
「……あぁ、まず、俺の身分から話そう。俺の身分はWBO、国連特捜室 東アジア担当の者だ」
 和やかに流れていた空気をその言葉は払拭した。

「ノーライフキングス?!」

 国連特捜室、世界天秤機構。WBO。国際的な超法規的武装諜報組織。国ごとの『闇』の固有戦力を把握、調査し、危険な固有国家戦力を排除、各国家間での闇の戦争を調停する最強の……ボランティア機関。
 別名、命知らず団体『ノーライフキングス』。たった一人で、生身ながら神域クラスに通用する人間達、超人の集団。
 いわば、人外テロリスト殲滅組織の国際機関ヴァージョンである。
 何でも資金は各国の政府から寄付で賄われているが、まったくもって全然足りてない、というのはどうでもいい話だ。私的には何と無く、足りない気持ちが分かる気がする。

「今回、当局から一つの指令が来た。それは日本国冥府からの依頼で、ある組織と和木市内での魔女での二日間連続での斬殺事件の関係を調査しろというものだった。だが前日、その関係者と交戦し、一度は迎撃した。しかし自らの不手際で負傷し、現在も一部の記憶を失っていると言う渋い状況だ」
「ちょっと、諜報機関がそんなに情報を漏らしてもいいの?!」
「問題ない。これは魔女らの沽券に関わる問題であり、本来は魔女のみで解決すべき問題だ。だが、肝心の魔女は『敵方』との相性が悪いためか、にっちもさっちもイカナイ状況だ。そこで冥府は特捜から俺と、魔女協会が独自にイレギュラーで一人、敵方に対するプロを一人雇った。魔女が解決出来ない問題を肩代わりしているんだ。ここは当事者と解決者として、双方が必要部分の情報交換をすべきところだろ?」
 なるほど、確かに的を射ている。しかし、その気になれば、魔女は【魔術】ではなく、自分の【魔法】による【結界陣地】を作成してその中に入っていれば、神域の存在でも、よほどの事が無ければ入れない。空間自体から作り出す陣地には、さすがに侵入さえ出来ないのだ。
 ちなみに私は習得する魔法のほぼ全てを召喚に手を回しているため、結界作成などは覚える気になるまでまるで使えない。だって、結界関係って設備投資するからお金掛かるし。
「ふーん、歴史と血脈を備えた魔女が対応できないなんて、敵方はどんな奴なのかな?」
「関係のあるその組織については幾らか調べがついている」
 少年は何を血迷ったのか、一口コーヒーに口を付けて、予想通り「甘っ」と横を向いて凄い勢いで吐き出すと、気を取り直してこちらを見据えた。


  「秘密結社『アイオーン』、『魔法使いを狩る』魔術師達の集まりだ……」


 魔術師。
 魔法に焦がれ、霊気装甲のない、魔法使いになれない出来損ない、魔法使いを最も憎む者達……

 しかし、
「霊気装甲もない彼らに魔女を倒すなんて出来るはずが、」

「いや、そんな事はない」
 今まで和やかにコーヒーに似た飲み物を飲んでいた生羅師父が突然言の葉を挟んだ。

「魔術師は魔法使いと違い、自らの内側に存在する内界の霊気装甲でなく、外界の、自然界に存在する、森の木や石に含まれた霊気装甲を理論と技術で使う。つまり、事実上、自らのバッテリー切れ、魔力切れを懸念しなければいけない魔法使いと違い、彼らには魔力と言うバッテリーの上限はない。むろん、我々も魔術を使おうとすれば使えるが、自身の結界作用の補助程度にしか使わない私達に比べ、それに完全に特化した魔術師には適う筈がない」
 ついでに言えば、先ほどからも何度か出ている言葉、【霊気装甲】は特別な、最近、あの神秘院が作り出した学術造語である。
 【霊気装甲】というのはあくまで今の物理で説明できない力を互換して説明する際に使われる霊気工学専門の学術用語であって、魔法とはたいして関係はない。
 霊気装甲を説明する際には二つの用語である【血管内の伝導率】【装甲濃度】に収束される。密度と言うのは、いわゆる潜在的なパワー。伝導率を運動能力とするならばこっちは基礎体力。これが高いほど、物理的な距離においても威力に置いても、高い展開が出来るのだ。
 伝導率とは運動能力、技術の限界値である。つまり、霊気装甲保持者の平均伝導率十四%と、霊気装甲を代重ねで増やしている平均的な魔女の六十%では魔法の憶えと発揮性能が四倍近く違うのだ。人間の最高値は魔女の統括者、待崎会長の 九十九,九九九九九九九九九%、イレブンナインと呼ばれる最高純度らしい。つまり、運動能力の優れた家系は大体優れた子が生まれるのだ……と言う理論で、まともに聞くと私でも眠くなってくる。
 ちなみに私は九十六,二%、上位五%に入る勢いだったりする、と言うのは蛇足。
 妖怪達の霊気装甲を使った威力から身を守るのには自分の霊気装甲が一番効果的と言うことだ。それゆえに『装甲』と呼ばれるのだそうだ。
 血管内の血潮の流動、いや魔力の『伝導』による焼け付くような独特の感覚。
 元々、妖魔跋扈に対抗するために生まれた能力だったモノは同じく、常軌とは異を為すモノ。故に人がその神秘に触れるたびに、血管の内側から焼き削られる。
 肉体を動かす『生命力』。魂の基礎となる『精神力』。そのどちらでもない、生きていくのには『必要のない』のに存在するもの、というのが定義で、霊気装甲は常時血管内を血液と共に流れているということは、エジプトのアノ天才神秘学者の手で判明している。(ただし科学的な方法では確認も検出も出来ないものをどう検出したのかは不明)そして、霊気装甲のある人間には妖怪や魔属の力に抵抗力がある。それ故に『装甲』と呼ばれるのだ。(以下、睡魔侵蝕前に基礎事項反芻終了)

「何だか、魔女は魔法を使っても魔術によっては魔術師には適わないような言い方だね」
 選民思想では無いが、明らかに世界の外側の力を使う魔女の方が若干贔屓目にでも強大に見える。
「だが、事実そうだ。君の母上の友人、大師も六百年の存命の中で十二度、魔術師に魔術戦で殺されかけたそうだ」
「えっ! だ、大師が!?」
 私は驚きを隠せない。
 一代限りの魔法使いでありながら、遺産と歴史の蓄積された魔女と等しくあり、大禁呪『ワールド イズ マイン』を習得していたあの大に大のつく大天才。おちゃらけ者、加えて捻くれ者で、終生道楽者だったあの、御気楽な人が死にかけるようには到底見えない。

「事実、大師は、それらの襲撃以降は地道に魔術の研究もしていた。大師、彼女が一般の魔女より優れていたのは魔法だけではなく、魔術も等しく研究していたと言うわけでもある」
「その通りだ。お分かりかな? 未熟者」
 魔術師を舐め切っていた発言を見下すように、私に向かって「やれやれだぜ」と国定は目を細める。その眼の形を敢えて表現するなら『ー』な感じだ。
 ムッとしつつも、話を拗れさせるのも何なので我慢する。
「ははっ、いつもは怒るのに今日は大人しいなぁ? どうしたんだ、私のかわいいマイ・シへボラッ!!」
 制服の形なんか気にせずに放った、飛び膝蹴りが師父の鼻っ柱に入ったが気にしない。
 私は椅子に座りなおすとケーキの上に乗った砂糖菓子のごとく、自然にとろけるような笑顔を作った。さり気なく膝についた血を、机の下のテーブルクロスで拭う。
「続けてください」
 何か猛獣でも見るかのような眼で見ているが私は笑顔を続ける。
「……あぁ、アイオーンについてはどの程度知っているのかがまず訊きたい」
「全然、魔術師なんかに興味ないもの」
 フム、と軽く思案すると「最初から話そう」と国定は続けた。
「アイオーンは調べでは七人の、魔術師でも最高である匠級(アーティストクラス)で構成される秘密結社で、それぞれの【魔術】を『刑罰』に準えたモノを使う者達だ。把握しているメンバーの限りで、

 轢刑(レキケイ)と呼ばれ、機像兵(ゴーレム)を使う摩壁 六騎(マカベ ムツキ)
 斬刑(ザンケイ)と呼ばれる、秘密結社きっての魔術戦士、オギ某。
 流刑(リュウケイ)と言う術を使うホズミ某、
 重刑(ジュウケイ)と呼ばれる不可視の術を使う少女、シャラン。
 刑罰不明、片目、片腕の女性、セツカ。
 磔刑(タッケイ)と言う術を使い、鞍路 慈恵(クラミチ ジケイ)と名前まで判明しながら、まったく素性の知れない男。
 そして、それらをまとめる『魔女狩りに成功したと言われる元魔術師』の【魔法使い】、特捜室が【脱皮者(モルター)】と仮称した計七人で構成される。

 むろん魔術師(かれら)の目的は魔法使いや魔女と同じだ。その身に【大禁呪】を刻みつけ、自身を神秘化することだ。しかし、先天的に神秘以前の問題で霊気装甲のない彼らは、神秘でなく技術で大禁呪を魂に刻もうとしている。そのもっとも簡単な方法が……」









      「魔女の心臓をもぎ取り、自らに移植することだろ? フッ、人体改造なぞ馬鹿げた手腕だ」

 両鼻にテッシュを詰めた師父は甘ったるいコーヒーっぽい飲み物を飲みながら、さも『魔術師の愚考』が面白いように笑う。……なんだか、気味が悪い。
「その通りだ。中世からの魔女狩りと同じ様に、今回の魔女狩りは彼女等の心臓目的だ。現に今までの五人の死体、全てに心臓が『無かった』」
「五人……!? 四人じゃなくて!?」
「昨日、俺の目の前で一人、奪われた。……俺の力が足りないばかりに、……残念だ」
 国定は顔を伏し、暫く沈黙を続かせる。
 そして、再び顔を戻した時には鋭い野獣の目つきが戻っていた。
「彼らは移植を求める伝導率の純度、九十五%以上を求めて、協会でも秘匿されている一定の伝導率以上の水準を見つけるまで狩り続けるはずだ。そして、結界魔法を習得していない魔女で九十五%以上に該当するのはただ一人」
 え、ちょっと待て。私の思考にある種の予感めいた言葉が見つかる。

「おそらく、次の狙いは九貫の最後の娘、つまり、偶然ながら……君だ」
 つまり…………、私の事だ。
「とにかく、魔術師だけなら俺単体でもどうにかなるはずだったが……、今回の事件が複雑で解決し辛いのは他にも理由がある。それは……」
「それは?」

 途端に国定と師父は立ち上がった。
 遅れて、私も外から湧き出るその禍禍しい気配に気付く。

「奴だ……」
 彼の見開かれ、戦闘状態に整った野獣の瞳は窓から外の一点を貫いている。
「奴の存在のお陰でもある」
 師父も、その迎撃準備のために淡々と詠唱と魔術結界の強化を始めている。

 闇夜にヒッソリと立つその存在。それは、つい先ほど私が体感したモノと同じだった。
「嘘、あんな強固存在の幽体なんて見た事ない」
 闇夜に立つ、鎖帷子のさらに上に重厚な板金の鎧を着込んだ西洋甲冑の騎士。それは紛れもなく幽霊だった。その朧な闇の中で強固でありながら、現実への存在観を歪ませるように、時折自身を陽炎の如く揺らがせる存在。それは単体でありながら、先ほど駅で見た幽霊達よりも身を凍らせた。兜のない顔、その瞳は鬼火の如く、蒼く燃えている。それは幽霊ではなく……、
「西欧で著名な【亡霊騎士】 元テンプル騎士団 騎士長 ガーブリエル・オギュースト。昨日は電車から突き落としてやったのに生きて、いや死に切れてなかったようだな……」
 と国定は言うと、椅子から飛び降りて、飄々(ひょうひょう)と外へと向かう。
「ちょっ、何処にいくの!」
 思わず、手を掴む。
「何をする?」
 ブスッとした顔で文句を垂れるガキンチョ。
「【亡霊騎士】は生を失った亡者、加えて、半ば自然と同化した呪いだ。故に自然界の霊気装甲に属する結界魔術は大した効果がない。紙の檻を引き千切るように押し入られるぞ」
 と言って、再び外に出ようとする。それでも私は手を離さない。
「何してんのよ! 馬鹿ッ! アンタ、よく分からないけど、子供のままでしょ? 死ぬつもりなの?!」
「未熟者、このままではどの道侵入される。そのためにも事前に出て迎撃した方が得策だ。魔法使いなら防御陣に入って、大人しく攻撃用の呪でも編んでろ。そして、危なくなったら逃げろ。矢面に立つ馬鹿な魔女は居ないだろ?」
 それでも、私は手を放すつもりはない。
「……時間が無い。手を放せ」
「国定。貴方、今の状況が分かっているの? 原因は分からない、けど今そんな小さな体でどうしようって言うの? いくらボランティアだろうが超人だろうがね、命をむやみやたらと賭ける必要は無いんだからね!」
 手首を掴んだ私の手首を掴む、反対の手。
「俺には……、任務とは別に、もう一つ使命がある」
 淡々とした口調で、終わりながらも強い意志の瞳で、それは告げられた。











                「君を命に代えても守る事だ」


 ………………ヘッ?

 驚きで弱まった瞬間に手を回転させて外す国定。
 私は、呆気に取られたまま、その言葉の意味が分からずにただ「え?」とか「ほぇ?」とか、変な声を出すくらいしかしていない。
「安心しろ……、俺は強い。だが、少しでも支援をしてくれると助かる」
 子供にも関わらず、圧倒的、かつ剛強な背中を見せ、中世の亡霊に少年は向かって行く。


6 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/11(火) 10:21:14 ID:WmknzDW4

黒縄3


 騎士の銀白の鎧が初夏の、やや欠けた月の光を返す。涼しげかつ、尊大、しかし、威厳に満ちた顔は目前の少年、の姿をした国定に向けられた。
 後方に撫で付けられた銀髪は肩口で切り揃えられ、耳の前側の右片方が三つ編みとなって垂れ下がっている。古来の騎士風、ケルトの風を魅せる漢。撫で付けられている点では短髪の国定にも似ている。だが、不帳面で無骨に見える国定に対して、亡霊騎士には、鎧に施された薔薇の意匠も相余って貴族らしい、気品と言うモノが見え隠れしている。対比してみれば二人は見れば見るほど似ているようで違う。

 二回りも一回りも違う身長差に体重差。いや、体重差に限っては幽霊であっても鎧を含めて三倍以上の差があるだろう。
 体格は鎧越しからも分かるような鍛えられた体に、相対するように少年の皮の下に眠る野獣の天然の筋肉。
 鋭い目付き。だがその内に描かれるのが、ジクジクと鬼火の様に燃えるような騎士の瞳に対して、ただ何よりも異質な、終わりとしか表現できない国定の、虹彩が縦に裂けた瞳。
 素手の国定に対して、その重さで垂らすように、騎士の両手には二振りの剣、いや鉄塊があった。

 騎士は下から上まで、上から下まで腕を組んだ少年を値踏みするように眺める。
「Qui …… tu? いや、失礼。よく似た者と間違えたようだ。無関係な子供は去るがいい。この夜の事は忘れることだ。騎士は女子供に手を掛けるつもりはない。……魔女以外はな」
 深みと余裕のあるバスの声がフランス語から日本語へと流暢な切り替えをした。その直後の冷徹な呟きと結界越しの視線に、私の心臓が鷲掴みにされた錯覚に陥る。
「気にするな。その本人だと嗅ぎ取ったのだから、貴様は俺を【魔人】と思ったのだろう?」
 目前の少年の、流れるような切り替えしに男は双眸を剥く。
「馬鹿な……ありえない! ……少年、いや貴公が?」
「その通り、俺が昨日の魔人、国定 錬仁だ。信じないのか? 古城に眠っていた呪いが魔術師と共に魔女、しかも子供(ガキ)の心臓を追い回すとは、心象穏やかな自体ではないな」
 今、『こども』って聞こえたはずなのに、違う意味のように聞こえたのは空耳だろうか?
 ワイルドな少年と静謐な騎士は続けている。
「ふむ、憶測など下らぬ。我が願い故に瑣末。たった一人。小娘の心臓を抜き取れればいい。それだけで積年永劫の悔恨も晴れると言うもの。そこを退くがいい、少年」
「フン、下らない願いだ。大の大人が六人も集まって、小娘の身体を奪い合うなんて……」
 国定が背中越しにも関わらずニヤリと、獣が牙を見せるように笑ったような気がした。
「――変態だな」
「……騎士への無礼は大きな代償だぞ。少年」
「その代価は貴様の命で払おう。見た目で侮ると、……後悔するぞッ!!」

 国定は無手のまま、騎士に向かって一直線に疾走。
 立ち止まったまま、騎士は大きな、大きな剣の片方を振り上げる。月を割るが如く、そこに竜を一撃で殺すような巨大さが厳然と存る。
 国定は進路を変えない。ただ、真っ直ぐと己の道であるかと言うように迷い無く進む。
 そして、満天より落つる彗星のごとく、それは飛来する。
 国定の体が真っ二つに割れた。

 そう、思った時には、既に国定自身によって防がれていた。

 斜めに、極太極厚の剣を、少年の身体には些かに似合わない長大な『アカイ』槍が防いでいた。
 何故だか、分からない。その瞬時の出来事にも関わらず、私は槍の刃先が無い事と妙に色が曖昧な事が気になった。

 反転。
 槍の刃よりも内側に騎士が居ながら、国定は爆発的な威力を柄で現し、敵を打ち払った。
 急激に弾かれた騎士は驚天動地と言った面持ちのまま、空中から、足場も無いのに、しかも鎧にも関わらず苦も無く一転して着地する。
「ヌッ?」
 亡霊が自らに眼を向ける。鎧の脇腹の部分は凹んでいた。霊の持ち物を壊すという事はあの槍も交霊武装なのだろうか?
 十二分に離れた間合いから轟風と共に旋転する大槍。仮に、国定が元の身長だとしても有り余るほどの槍。それでありながら、少年、国定の躯は槍を千変万化と苦も無く迸らせる。竜巻のような空裂の連なり。
「ぬっ……!! 神速の槍捌きッ!! あの魔人と同質!!」
 ピタリと、剛戻(ごうれい)の竜巻の如き演舞から、騎士を脳天から割るように垂直に立てられたアカイ槍。
「やっと信じたか。俺もどうしてこんな風に縮んだのかは分からない。が、十分貴様とは(やり)えるのは保証しよう」
「なるほど、手心は加えずとも良いと言うことか……」

                    その瞬間、辺りの空気が凍った。

 息が吐けない。詰まったかのように呼吸が苦しい。そうだ、亡霊騎士の根本は自然に固着した呪い。呪いに蝕まれた自然の霊気装甲は彼の支配下にあると言っても過言ではない。彼の居る間は、彼に許されたもの以外は自然の霊気装甲を、結界を編む事すら出来ない。
 そして外界の、自然界からの霊気装甲の侵蝕で、常人なら本当に呼吸が途絶えていただろう。僅かに震えるように血流の中を流れる自らの魔力など、私が呼吸をするために紡げる貧弱な装甲に過ぎない。

 自然を操る専門家の【魔術師】と自然に溶け込んだ呪いの【亡霊騎士】。まさか最悪のタッグとは気付きもしなかった。

「く、くに、さだ……」

 絞り出す声。その声が届くかは分からない。頼りなく小さな、逞しい背中は私を守ると言った。だったら……

 国定の槍が奔る。騎士の剣が振り上がる。
 十六夜月(いざよいつき)、満月より僅かに過ぎ、欠けた月が薄墨色のおぼろ雲に紛れる。

 薄い雲の層から漏れる朧の光、その薄暗がりの中を火花が咲く。華散る間も無く打ち付けられる刃金達。
 奮い、振るわれるごとに唸る疾風。小さな、魔女の店の窓を揺らすほどの旋風。人外の戦場。
 一撃はその両脇のビルを破壊するほど鮮烈で速いうえに早い。瞬く間に何度刃金が繰り出すのかなど見当もつかない。巻き込まれれば千殺される災害級の戦闘。

 頭、顔、転じて脚、翻って手首、突き込んで胸。しかし、防ぐ。詰め寄る間合いを長さで制する槍。
 斜めから切り返して、三連続の突き。小躯を利用して下から潜って突く。防がれる直前に刃とは反対の、石突きからの足薙ぎ。騎士が飛び上がって両刀を落とす。直前で国定は後退。
 国定は確実に防いでいる。だが、完全に攻めてはいない。十分な余裕がないのだろうか?

「違う」

 国定は私を守っている。守っているから無茶が出来ない。万が一、一歩踏み込んで、自らが傷つき、守りを突破されたらと、そう考えているに違いない。
 だったら……


 達人の所業としか言えない武闘。だが、騎士はそれをも知っている。小躯。その身が、身体に反していくら怪力とて、いつまでも続くモノではない。


 亡霊騎士の身体が前触れ無く加速した。眼にも、いや、光さえも届かない早さ。
(アン)(ドゥ)(トロワッ)(キャトル)ッ!!」
 双方からの斬撃。いや爆撃が二に掛ける事の四つ。そして、その一つの爆撃は通常の剣撃の十倍の威力。
「うぅッ」
 国定の膝が、力が抜けて折れるように曲がる。

「Finirhh(終わりだ)ッッ!!」
 騎士の剛剣が天から同時に二つ振り落される。国定は槍で受けた。
 かつて無い暴風。そしてスニーカーが悲鳴をあげながらゴムが擦れて削れ、鼻につく臭いを発しながら十メートル以上を衝撃で後退する。

 途端、国定が苦しげに膝をついた。手が震えている。あまりの衝撃に手がイカれたようだ。そんな! 手の甲からは皮膚を破って、折れた骨が見えてる!

 騎士がユラリと鬼火の気配を幻炎としながら国定に近づく。
 この闘いを止めることは普通の人間では不可能だ。

 だったら……

 だったら、守られたままでいいのか? 私は一般人ではない。 私は魔女だ! 何があろうと我が道を往き、是、立ち塞がるモノ打ち砕く意志!!
 私は、私はそんな、誰かに守られる弱い存在ではないッ!!
 国定、私は守られる人間じゃない。戦う人間なの!

 その気迫と咆哮に答えるように、血流がいつもどおりに流れる。私の中の、一つ一つの血管を不可視の力が奔流となり、侵蝕し掛けていた呪いを打ち砕いていく。
 霊気装甲起動。全血流正常。魔女心臓駆動。内界へと侵蝕された呪いを完全浄化、そして正常化。
 心臓(ハート)よ猛れ、もっと鼓動(ビート)も流れ、もっと力の灼熱(ヒート)を!

 魔女の店より出でる。八重歯で親指を噛み切り、その指先で流れるように血で古き契約、五芒星印(グレートサイン)の魔方陣を描く。
 騎士の、邪眼にも等しい眼が射抜く。耐える。装甲が軋む。でも、私の魔女の誇りが後退をさせない。
「I summon one from abyss universe in Cthulhu' name……(我はクトゥルフの名に於いて深界より素を呼ぶ……)」

「未熟者! 早く戻れッ!!」
 国定は軋んだ小さな身に体重を預け、槍を杖に立ち上がる。
 煩い! 今の私を止めることは誰も出来ないんだから!

「……Derive undine, Slime(出でよ、水霊素、スライム)!」
 エーテルの瞬着の爆発と共に、一トンはあるような巨大な緑色の塊が魔方陣からはみだし、溢れるように現れる。
「Go(行け)!」
 私の指が指し示すと同時に巨大な質量が予想もつかないほどのスピードで動き、広がりながら、津波のように瞬時に騎士を押し包んだ。
「ンヌッ!!」
 液体の中でもがく亡霊騎士。流石に既に呼吸はしてないせいか窒息はしないようだ。
 だが、いくら巨大な鉄塊とて、液体に近いを生物を切り刻む事は不可能なはずだ。

「国定ッ!」
 駆け寄る私。

      ――この時、何で駆け寄ってしまったのだろうと、後から例え様もないほど後悔した――

「馬鹿野郎ッ!」
「えっ」
 駆け寄る私よりも早く、私を抱きかかえる国定。乙女の恥じらいなど感じる間もなく、その身体を徹して人外の体当たりの衝撃と衝撃音。
 吹き飛ばされる。ビルの壁が迫ってくる。捻られる視界。再び、衝撃。視界が暗転と同時に朱に染まった。

 狂った色彩の中で騎士がコチラに向かってくる。なんて事だ。液体に近い、スライムの細胞を剣の横っ腹で全部『叩き潰した』というのか? イカレている。超人どころの騒ぎではない。常識が、非常識に生きる者の常識すら通用しない。

 身体は血の量に反して思った以上に動く。逃げないと、逃げないと、

                                コロサレル。

 朱の混じった視界を払う。これほどの出血でありながら軽傷だったのだろうか? それでも、逃げられるのか分からない。
 そのまま立ち上がろうと同時に抱き上げようとした、やけに動かない国定の体が、異常なくらい、軽かった。
「ニゲロ」
 国定が口から ア カ イ モ ノ を、泡と共に零しながら囁く。
 でも、ごめん。駄目なんだ。脚に力が入らない。
「逃げロ」
 国定も連れないと、でも、でも……

     私の身体を濡らしていたのは、全て、国定の暖かい血だった。

 彼は亡霊騎士のデタラメさが分かっていた。だから、瞬時に私を庇えた。だから、私は無事だった。
 でも、自分自身の事なんか考えてはいなかった。



 先ほどより酷く挫傷した頭部、ダラリと腹から垂れた腸、肝臓、膵臓、胃、遥か後方に、腸の一部と腰と脚。

 騎士の刃には拭いきれなかった血、ビルの壁には私のモノでない血。

               上半身だけになった国定は、やたら軽かった。


   「――――――!!」

 声にならない、その声はただ、自分の愚かさを呪った喉の、音の集まりだった。

 気付け、死ぬ、助け、無理、自業自得、犠牲、死線、怒号、悲鳴、鉄塊……
 飛躍した思考が生み出す脆い幻像。
 月光を背景に、黒い人影。

 大きく、鈍い銀光が大きく振りかぶらされた瞬間、私はそこで意識を失った。


 They are darkness,  and they have nothing.
 They are 7 of them, and they have Sin.
 They are Magician,  and they have Art.

 They have curse, and they are sufferer.


7 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/11(火) 10:26:58 ID:WmknzDW4

幕間 (鉄囲線:てっちせん)


 彼らは闇、そして、彼らは空虚を懐く。
 彼らは七、そして、彼らは罪悪を抱く。
 彼らは魔、そして、彼らは魔術を擁く。

 彼らは呪いを携え、彼らは受難者である。


 底なしの暗闇の中、若い女の前には奇怪な人形達が居た。
 一目見れば、理系の女性と推察される鋭利な眼に冷徹な瞳。それらを覆うような薄い細いフレームの眼鏡。金髪短めのボブカットだけが彼女の唯一のおしゃれであると思われる。長年の室内作業によって保たれた白さは病的な部分を感じさせる。おそらく肌のほとんどは青く透ける血管が見えるであろう。それ以外は地味な事この上ない灰色のトレーナーと紺のジーンズ、そして白衣が微かなコントラストを醸し出していた。
 彼女はその理知的な容貌にも関わらず、丹念に、童女のように数多く並ぶ内の一つである人形に櫛を解いていた。優しく、その柔らかな、人の髪とも見紛う人工毛を解く。だが、彼女の瞳を見れば、それが『技術者が自分の完成品を愛でる』歪な輝きが見て取れただろう。
 それは年も幾つもいかぬ少女が愛でるような人形ではなく、殆ど人と見紛うような少女、芸術品のようなものだった。
 わずかに赤みを帯びた頬、それを軽く撫でれば薄っすらと眠りから覚めて起きるように感じるほど、それは人と見紛うほどの出来だった。
 そして、そこには、想像力豊かな者なら創造者の齎した神性を汚すほど、そこには人の冒してはならない領域、完璧さに裏付けられた危険性が見え隠れしていた。
 その常闇の中、唯一の光源であるワークステーションから発信音がなる。
 無表情のまま、櫛を掛けていた顔がピクリと、その作業を邪魔された事を鬱陶しいと、感じるように眉が微かにひそめられる。
 オフィス用の古い椅子を軋ませながら座ると、見た目通りに軽快にキーボードに指を走らせて、通信用の汎用アプリケーションを起動させた。
 顔前に位置するTFT画面の上方につけられたカメラの方向を一瞥すると同時に、左右に並べられた七つの画面もやや遅れて点灯する。
 それぞれの画面から動きは相当速い回線なのか、滑らかに動くことが分かる。だが、肝心のビデオ画像は一定のプロテクトを掛けて、それを解読して読み込んでいるようで、昔の8mmフィルムのようにかなり荒い。
 七つの画面には七つの異なる人物が映っていた。

 一つ目の一番右の画面には痩せすぎたゴーグル状のサングラスを掛け、その下に完全に覆面を装備した四十代ほどの男。それが首を一定のリズムで気味悪く動かしている。荒い画像と相余って気持ち悪さを倍加させているのに本人は気付いてはいないだろう。
 二つ目のその隣りの画面には目を閉じたまま、口を開き、舌の上に乗せたドロップ飴を荒い鼻息とともに玩ぶ三十代の、頬の張る程度に太った男がちょうど口の中に涎を垂らしながら飴を口にした。
 三つ目、その又隣りの画面には、十代かどうかすら疑わしい、先ほど女性の人形にも似た可憐な少女だ。少女は黒い布で目隠しをされた上、瞳の部分に釘の刺さった人形を大事そうに抱えている。見惚れるほど紅い瞳と短い金髪と共に、無邪気な、人によっては醜悪に見える、笑みを浮かべている。その美しさは例え少女趣味の無い男性でも、理性を破壊して堕落させる曲線と色彩の完璧な構成。意志があるだけに、人形よりも性質が悪いかもしれない。
 四つ目、一番左の画面には厳しい顔つきでカメラ越しから人を睨むよう、額に防具である鉢金(はちがね)を眼帯のように斜めにつけたの女性が画面の人物を窺っている。瞳はドロドロに解けた金属のような、濁った銀色。老人のように刻まれた皺は理性から遠く離れた、怒気しか表現しえない。
 五つ目、その隣りには軽薄さが顔から滲み出ている、口元に人を小馬鹿にしたような笑いを張り付かせている男。営業マンのようなスーツ姿の若い男が椅子の肘に自らの肘を乗せて指を組み、両方の親指を廻している。
 六つ目、そのまた隣りにはカメラに映るか映らないか位の薄さで映る金髪の騎士、ガーブリエルが沈黙を保つように瞼を閉じていた。
 そして、画面の真ん中に位置する最後のウィンドウ。そこにはただ、『オンライン』と書かれた青い文字だけが表示され、背後はテレビの砂嵐のようになっていた。

   [こんばんわ、魔術結社アイオーンの皆様。如何お過ごしでしょうか? 定例の魔術師集会にお集まり頂きありがとうございます]

 慇懃無礼な、形式的な挨拶。
 一言聞いただけで合成音声と分かる、甲高く機械的な音が『オンライン』の画面に付属するスピーカーから漏れた。

[どう言うことだ]
 開口一番、鉢金の女性が、ギラギラと照り付ける異様な銀色の瞳から、目に見える怒声を抑えたような声を挙げた。
[Excusez-moi(すまない)、マダム セツカ]
 それに答えるように亡霊騎士、ガーブリエルは沈痛な面持ちでセツカと呼んだ女性に謝罪を口にした。
[アァーー、せっかく、移植にピッタリの魔女さんを見つけたのに、ガッカリだよねー? ドロシー?]
 その答えに紅い瞳の少女が、くすくすと笑いながら手元の人形に話し掛けている。

 移植に十分な純度。検証と研究の結果、魔術師の間で知られるそれは95%以上。上位5%の未知の、可能性のつまった領域。それを未だ使い切れていない上、結界関係の魔法で引篭っていないのは魔女でもただ一人。九貫の才女。九貫 在姫。

[で、彼女をどうして『逃してしまった』のか。ガーブリエル君の謝罪が聞きたいなぁ?]
 軽薄そうな男がクククッ、と騎士の取り逃しを嘲笑うかのような、癪に障る声を挙げる。顔を伏せながらも片目を開いている笑みは何ともいじらしい。
[そ、そそ、そうだね。ぼ、ぼぼぼぼ、僕も、き聞きたいなぁぁぁ]
 指先に付いた甘味を貪るように、首のやたら太い男は、激しい舌使いで己の指をズビズバと無茶苦茶な音を立てながら舐めあげる。
[黙れ、デブ。貴様は鬱陶しい]
 言葉の端から軽蔑を読み取れる声を痩せすぎた男が掛ける。その声は何処の舞台俳優のような独特の渋い声色だが、己の首を、太った男の舌と同じくらい激しく振りながら答えている。紅い瞳の少女は「また発作か」と笑顔のまま溜息を吐きつつも、人形の首を締めたりしながら遊んでいる。いや、鬱憤を晴らしているのか?
 若干騒ぎ掛けて脱線し掛けた中を、鉢巻の女性が [ 黙 れ ] の一言で沈黙させた。
[いいか、ワタシが聞きたいのは貴様等の汚泥に塗れて地べたを這いずるような戯言ではなく、『欧州最大の呪い』と呼ばれる男の、たった一人の守護者に負けた騎士の釈明だ。それまで黙れ、私に闇討ちされて(はらわた)をブチ撒けたくなければな]
 呪いすら引き千切って殺すほど、憎悪の篭った濁った視線を向け、牙のような八重歯をギリリと鳴らす。女性の空間の軋むような迫力に気圧されて一同は静まり返る。
[Non(いや)。マダム セツカ。これはアナタ方、魔術師側からの情報提供不足と不確定的な要素による失敗であり、私の失態でないことを言明し、理解していただきたい]
 ガーブリエルはチラリと横にいるスーツ姿の男を制するように見る。
 それに合わせて、「本当はどうなのやら」と言いたげに口を歪ませるスーツの男。
[騎士の言い訳とは見苦しいにもほどがあるねぇ。【死神】だろうが、【闇殺舎(あんさつしゃ)】の元・無形だろうが。ボランティアじみた特捜室の一人や二人ごとき、撃退できなくて何のための亡霊騎士かなぁ?]
 スーツの男の苛めに対して、騎士の、瞼を閉じての僅かな沈黙。だが、それは名誉を汚された、既に有ってないような過去の汚れた栄光の一端にしか過ぎない怒りでなく、それは体内を、呪いに蝕まれた体の中すら這いずるささやかな畏怖にも似た感情だろう。しかも、それを楽しむ、待ちかねたと言うように楽しむ色を見せていた。
 その喜悦に嫌が応にも関心は高まる。
[……確かに、先日の決闘で『負傷』し、まともに動く事の出来ないのは私の失態だろうな。だが、一つ聞いて欲しい。これは重要な話である。








                   敵は【地獄使い】だ]


 やや遅れるように、図るように、ガーブリエルは、彼らにとって最悪の言葉を吐いた。
 今まで、僅かに弛緩していた雰囲気が張り詰めた弓のごとく、引き絞られた。それは先ほどの女性の迫力によるような沈黙ではなく、場合によっては絶望とも言える、ただ一人の規格外戦力に恐怖したものだった。
[ネェ、……まずいんじゃないの? 特捜室が大陸弾道弾級の化け物なんか放ってきたら、うちらも最終戦争するぐらいの武装じゃないと無理じゃない? 『アレ』のが放たれて、人外に侵略された街が地表からまるごと消えたりするのが当たり前なんでしょ?]
 今まで、笑顔を振り撒いていた少女が美麗な眉を潜ませて、不服そうに、あくまで不服そうに言った。
[ぼぼぼぼぼぼぼぼ僕、ここここ殺されたくないよぉ!!]
 太った男が明らかに見っとも無いくらい、ちょっとそれは大人としてどうなのか?と思うくらい、動揺しながら新しい色とりどりのドロップを連続して口に入れる。
[死を賭すしかないか…… なるほど、楽しくなってきたな]
 スーツ姿の男が目を細めて、己の不幸すら楽しむように口元に歪んだ孤を描かせる。唇の端を舐めるのは愉悦と歓喜の味見。何処までも、他人が侮蔑で怒りに満ちる姿から自分の体が陵辱するように殺されていくまで、ネガティブな、様々な不幸を哄笑する価値観を見せる。
[『地獄使い』だろうがなんだろうが、ワタシには関係がない……]
 鉢巻で隠した目越しに手を当て、それを、音を立てて歪むほど握り締める。両手を挙げるように掲げたにも関わらず、画面には片腕しか映っていないセツカ。憎悪すら越えて、怒りの矛先は全周囲に向けたそれはただの憤怒。しかし、視線は唯一つ。抑えきれない怒りを発散させて、怒りを重ね、それを周囲に放射する事で保つ理性。
[しかし、もしも、と言う事もある]
 ゴーグルの男がその暗いガラスを光らせながら気味の悪い視線を浴びせる。海千山千の魔術師の策謀と巡らしを暗示するかのような色合い。
[死んじゃうよぉ、ぼぼぼ僕たち死んじゃうよぉぉぉぉ]
 情けないことに太った男は滂沱の涙を零し始める。それでも、相変わらずドロップを口に入れるスピードは止まらない。
[うるさいなぁ、たかだか死ぬくらいでビビるなら魔術師になんかなんないでよねぇ]
 少女が己の髪を絡めるように弄くりながら、溜息を吐く。
「…………」
 先ほどから黙って画面の前に立つ白衣の女性も、その言葉に賛同するように僅かに目を細めている。



 [その点は心配ありません。彼は今では何らかの事故で力の殆どを失って、いえ『忘れている』ようです。力の発現は一時的なモノで不安定に他有りません。今なら、魔女を仕留めるには好機ですよ、みなさん]


 今まで沈黙を保っていたオンラインの人物が僅かな、言の葉と言の葉の隙間を見極めるようにそれを言った。

 [順番は構いませんね。心臓さえ、生きたまま取り出せればある程度は分けることができますからね。問題は一番初めに、『誰が』大きな心臓の欠片を手に入れるかです。How (如何に)なんて意味はありません。Who(誰)なのですよ?]

 場は静まり返り、誰が、もっとも大きな肉片(しんぞう)を手に入れるか、それだけを考える異常な空気に陥る。

 [だから決める方法は簡単ですよ。一番、最初の人物が最も大きな『肉塊』を手に入れられる。シンプルな事この上ないではないですか? 無論、二人同時に襲撃をして成功すれば、その二人にお鉢は廻りますがね。そうすれば、結社の契約の通り、ジャンケンでも何でもして、最初に手をつけた人物が半分の心臓を手に入れる。それが魔法使いの血の流れていない我々が持つ、血の契約であり、同盟なのです]

 オンラインの人物の高らかな、歌唱の如き演説の声色が、嫌が応にも妄執たる『魔法』への渇望を引き出す。
 無論、例えコンビで合っても、手に入れれば、始まるのは契約の執行ではなく、殺し合い。
 そして、同時に、それを過去に手に入れた血の獲得者、『脱皮者』の言葉は面白いほど甘く蕩けて、理性を、魔術師の脳を麻痺させる。

 [現在、負傷のため、騎士の加護はありませんが、それでも単独、もしくはチームで魔女に攻め入るのであれば、私には止める理由がありません。……それでは。私には自分の【魔法】の研究がありますので、お先に失礼します]

 中央のオンラインの表示が赤い表示のオフラインに切り替わり、それに合わせて次々と同じ表示に変わった。 

 全ての画面が暗転し、暗闇の中で白衣の彼女は白いクチビルを歪める。

「…………大きな心臓は私の物。摩壁 六騎が貰うから」

 そして、彼女はクスリと小さく笑うと、その音は最も濃い色の中に消えた……


 I'm dreaming about you.
 I'm wondering about you.
 I'm falling into you.

 Who are you?

 Are you still moaning, when the shining morning would be come?


8 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/11(火) 10:48:07 ID:WmknzDW4

(衆合:しゅうごう)


 あなたを夢を見てる。
 あなたを想っている。
 あなたに堕ちている。

 あなたは誰?

 輝く朝が来るまで、まだ嘆き続けるのですか?




 七月二十一日


                      ――昔の夢を見た――


 遠方から聞こえる蝉の大合唱。命燃ゆる、生死の狭間の合唱。頂点を迎え、それはより一層激しいものとなっている。
 何処までも続くような深緑の草原、その真ん中に一本の樹が立っていた。あまりにも大きな樹、まるで御伽噺(おとぎばなし)の中のような、記録に在って、記憶に無い、それでも懐かしい光景。そこまで現実離れをしていながら、違和感だけは無かった。
 その樹を境に分けて、対峙するように白い女性と黒い女性、そして、白い女性に隠れるように立つ小さな、子供の頃の私。
 麦わら帽子を被ったセミロングの女性。白いワンピースは同じ様に白い肌に吸い付くように羽織られている。私には、優しそうなお母さんに見えた。
 その女性に、私は手を握られていた。
 樹を境に反対側、目の前には蒼く長い髪をポニーテールにし、黒いタンクトップに、黒い皮のズボン、鰐皮のブーツを履き、何故か鉄パイプを肩に掛けた咥え煙草の女性。
 ……不良にしか見えなかった。

「もう、行っちゃうんだね?」
 突然吹いた風。浮き上がった麦わら帽子を押さえながら女性は言う。
「あぁ、もう行く」
 咥え煙草の女性は応える。女性の足元には魔女の工房作成のための道具が詰まったズタ袋。
 天に佇む蒼穹を銀色のプロペラ機が音と競うように駆ける。陽光を翼に返し、咥え煙草の女性は煙草を持った手でその反射光を遮る。 
 逆光になっているためか、それとも記憶が曖昧だからか? 女性の顔はぼやけて、とにかく鮮明ではない。

「死ぬよ、『  』に行ったら?」

 白い女性の言葉。プロペラの音で聞き取りきれなかったが、その単語に幼い私は震えた。
 それは、奥深く、無限に囚われる牢獄の名。
「その時は、その時。人間、誰でも死ぬ」
「あなたは、エイキュウが、あの『殺神鬼』が、この娘よりも大事なの?」
 逡巡。でも決意は、変わらない。
「……両方大切。失いたくない、本当に大切だから置いていく。……ダメか?」
 麦わら帽子の女性は長く、ひたすら長く、まるで世界記録でも作るような溜息を吐いた。
「……あーあ、六十年前から喋る時に助詞入れないところから全ッ然ッ変わってないし、もう【時守(ときもり)】にでも遇っていっぺんくらい殺されてきな、ばーかばーか」
 頬をリスのように大きく膨らました表情。
 不良な女性よりはいくら大人びたように見えたワンピースの女性。それはどうやら見掛けだけのようで、不良の女性よりも大きく子供じみていた。
「……あぁ、【夜の帳】、手に入れたら」
 静かに、大人らしく、不良な女性はプッと口元の煙草を吐いて掌の中に入れると、それを 【魔法】 を使ったかのようにそのまま消滅させる。
 ワンピースの女性が、膝を草原に降ろして、私の目線と合わせる。
「さ、在姫ちゃん。最後に……、今度会う時まで、お母さんにバイバイしよ、ね?」
「あなた、男出来て変わった」
「うるさいなぁ、いいでしょー、曼荼羅(まだら)ダーリン最高なんだからねー」
「……色ボケ?」
「アンタもでしょ!」
 私はおそるおそる、怖そうな不良の彼女、母に向かって小さく手を振ると、それまで表情に出さなかった目尻が少し下がった。
 逆光にあったはずの視界がクリアになった。魔女のような白い肌、薄い桜色の唇、そして、その澄んだ目、澄みすぎて、逆に心から済まないと、言葉数少ない母の思いを感じさせる、済まない眼。
「また、いつか会おう、在姫」

 あぁ、これだ。私が、魔女となった決定的な瞬間。
 魔性の瞳。
 母の瞳。

                        そして、優しい、女性の瞳。

 私は、本当に綺麗で、優しい眼に、狂おしいほどに憧れたのだ。

「……さらば、大魔法使いアーキ・オリアクス・ゲヘン・ユキ・バシレイオス。いや、戸上 悠紀(とがみ ゆき)が……、で、の、……でいいか?」
「どっちの呼び方でもどっちの日本語の使い方も、とにかくどっちでもいいよー。……では、さようなら。くぬきの魔女 九貫 愛媛(くぬき あやひめ)。貴女の進む道に幸福と安寧、そして更なる幸せのための闘争を……」

    そして、私達に背を向ける不良魔女、母が歩く先。そこには一人の巨人が居た。

 その巨人の後ろは、何故か蒼穹が壊れて、アカイ空が見えている。何処までも続く、何も無い、いや、何かも死んで、何も亡(な)い場所。

「『  』から王の持ち物を持ち出すのは重罪だぞ。古き付き合い故に、直々に門を開けてやると言うのに、俺の物を盗むとは不愉快な女だ」
 野獣にも似た顔で、『終わった瞳』の、何処か見慣れた顔の巨人はそう言った。
「その時は、その時」
 巨人を見上げながら母は続ける。
「人間、誰でも死ぬ。だから、『元は人間の』お前でも死ぬ」
「ふん、魔女如きが。門番にして、王となった【魔人】と闘り合うのか? 不愉快を通し越して愉快だ。この間の闇殺舎の男と女騎士を思い出すぞ」

 私の母は、おおよそ隙と言うモノが見つからないはずの、その男の不意をつくように、片手をその巨人の頬に掛ける。むろん背伸びをしながら。
 その表情は我が子を慈しむ、母親そのものだった。
 私の記憶では少し冷やりとする、それでも暖かい手。

「悲しい人。未だ……、囚われている」

 男の終わった瞳が、微かに揺れた。
 人を忘れた、自らを忘れた、忘れられる時を過ごした瞳は、その想いを言葉にして吐く。

「…………世迷いごとを……、俺は昔から、『  』の底に、奥底にただ独り、
 叶えられなかった夢のため、
 永遠に続く復讐を求め、
 最後まで失敗した覚悟によって、
 自らに科した業を背負い、
 過去を捨て、
 それらに続くモノを使って、ただ生き延びるのみ、
 故に俺は【『  』使い】と呼ばれるのみだ。貴様こそ、下らない世界の秘密に執着したまま、同じ底で死ぬがいい」


 何故かは分からない。私には、ただ、男は強がって、…………泣いているように見えた。
 何故かは分からない。
 だから、それが分かった私はいつか、その男を、途轍も無い勘違いを犯している大馬鹿野郎を、地上まで引きずり出して救わなくてはならないと思った。
 もしかしたら、何時か会える。いや、もしかしたら大昔に会っているかも知れない、その時からの再会のために。

「じゃあ、あるかもしれない決闘のため、約束。もし私、死んだら、『あの娘』、責任取って、―― 守って」
 私の母は私を見ない。目を合わしたら最後。もう、前に進めないから……
 その魔女の覚悟を見て取り、大きな男、境界の王、【『  』使い】は頷いた。
「了承した。王と、境界の門番たる【国定】の名にかけて、命を賭けてあの娘を―――――――


  ――目が醒めた。

 白い壁に、白い天井。本棚には摩導書が上から下まで積まれ、テーブルには霊薬の実験道具が重なっている。実験途中のフラスコがコポコポと音を立てている。
 私の家だ。
 ベッドに寝かされている。血の付いた服は壁に掛けられ、妙に身体の疲れた、大儀式を三連続でやった時くらいに疲れていた私は、下着姿で寝ていた。お陰で涼しく、グッスリ眠れたみたいだ。まぁ、今度からはお腹が冷えるから腹巻くらいは……

 下着姿?

「にょわぁぁ!? なんで、どうして!?」
 落ち着け、落ち着け、昨日から不思議な事が続いて、魔女にも関わらず混乱している。いや、魔女でも混乱するのは普通か? いや、普通は混乱する。魔女である以前に、私は女の子であります!
 ……昨日?

「国定ッ?!」
 あの負傷をした国定は何処に!?
「……なんだよ、朝っぱらからウっセェなぁ」
 私の叫び声が聞こえたのか? 何故か師父から渡されたペアルックの白いエプロン(フリル付き)にハーフサイズのジーパンの格好で国定が私の部屋に入ってきた。
「国定ッ!」
「ウワッ!」
 私は何故か顔を赤らめた国定に駆け寄って飛びつくと、勢いで地面に転がしてエプロンの更に下の赤いTシャツを捲くってみる。その下の上半身は眼を見張るほど古傷だらけだったが、昨日の、上下に分かれたグロテクスな傷痕はなかった。飛び出た(はらわた)も御腹に行儀良く収まっているようだ。まったく、腸をブチ撒けるのは少年漫画の中だけにしてもらいたいものだ。
「…………良かったァ」
 本当に良かった。あんな簡単な口約束程度で死なれたら、こっちだって目覚めが悪い。
 あれ、……口約束って、何だけ? 何だか寝ていた時の方が鮮明に覚えていたのだけれど、ぬるま湯に入浴剤が溶けるように、あの時の映像と説明出来る言葉が形から溶けていく。
「君は……、その、なんて言う格好をしているんだ」
 努めて無表情にし、顔を軽く背けながら、己の腹の上に乗っかる、国定の腹の上に乗っかる私の格好を指差した。

 着の身着のまま出た結果、下着姿。『性少年』の逞しい想像力を刺激する白黒でストライプの柄の上下。勿論、靴下と同色。わぁお。
「見るなぁァァァ!!」
 真空アッパーカット。非常警戒、矮躯撲殺天使降臨。
 天井に飛ぶ腹だし少年がさらに空中で錐揉み。某ワイヤーアクション系サイバーファンタジーなら、銃で撃たれて避けた時みたいに部屋の色んな角度から撮られているだろう光景。
 地面に不時着して一言。
「もしかして、その格好……誘ってるのか?」
 意識してしているだろう下卑た笑いに踵落としを喰らわせた。


「なぁ、だから許してくれって言っているだろう?」
 十五分後、私は一切の口を閉ざして、リビングのテーブルにつきながら、国定が作った朝御飯を食べていた。むろん、代えの制服は着ている。でもスパッツは破れていたし、替えは洗濯中なので今日は穿いていないけど。お陰でスカスカするのは乙女の秘密である。
 代々、九貫の魔女が管理する、自然の霊気装甲の大きな流れを持つ場所。大きな自然の霊気装甲の流れ、龍脈をおさえた曰く付きの、自分で言うのも何だが豪邸での食卓である。まぁ、品は質素だが。
 広すぎるリビングにポツンと、六人ほどの座れるテーブルを使って対面するように、国定は座っている。
 十八分前、暖か御飯に焼き鮭、小松菜を茹でて糸カツオ節を掛けた御浸し、目玉焼きが並んでいたがその殆どが胃の中にある。ちなみに御飯のお代わり三杯は通常仕様である。
 国定は僅か三分の間で二桁の中盤まで差し掛かった溜息を吐く。
「なぁ、いい加減に……」
「ごちそうさま、美味しかったよ」
 突然、礼を言われた国定が、それが皮肉でもなく心からの礼だと理解し、頬を掻きながら私から軽く顔を背けながら笑った。素直で宜しい。
 手元で急須からお茶を注ぐと、緑茶の渋みを噛み締めて言った。
「で、アレからどうなったの?」
「ようやく気付いたか。馬鹿者にして未熟者、飯を食う前に聞け」
 眼を『ー』の形にして、「オイオイ今更かよ」って感じで聞き返す男。……いつかコイツ生贄にする。
「君の気絶直後、君の師父が即席の治療魔法を飛ばしてくれてね。キレイに繋がったよ。直前の頭の時と違って意識を失うほどでは無かったからな。複雑な記憶復元の魔法など必要なかった。龍脈からの聖域作用を考慮しなくてもアレだけの詠唱と機転で役に立つ魔法使いはそれほど居ない。優れた魔法使いと言うのはあぁ言った人間を言うのだな」
「えぇえぇ、そりゃぁー、私はバカみたいに突っ込んで悪ぅございました」
「バカみたいじゃない。『バカ』そのものだ。後方支援と言っても過言でない魔法使いが、在ろうことか白兵戦に特化した騎士に突っ込んでいくなんて話は聞いた事がない。ハッキリ言おう。君はバカを通り越して大馬鹿者だ。何ならWBOの定例会議で世界クラスのバカ指定してもいいぞ」
 プチリ、とコミカメで、霊気装甲とか関係無しに血管が鳴った。
「バカバカって言っているけどね。アンタだって、バカみたいに死に掛けていたじゃない!」
 見下した視線に「これだから未熟者は……」と溜息を混じらせる子供。腹の立つガキだ……
「俺は君ほど絶望的でもない。俺の見せた隙は相手の攻撃のための的、それに攻撃を限定させれば、予測された攻撃は容易く避けられ、その自らの隙を相手の隙に転じられる。後の先と言う武道の、高度な駆け引きをしただけだ」
 「理解したかね?」と言うと、私が虎の子で残していた沢庵を目にも止まらぬ早さで奪い取った。しかも箸で。……あぁ、朝っぱらからその武道とやらにすら、殺意が芽生える。

 だが私は、それ以上に彼が自分の身を省みずに守ったあの瞬間を思い出してしまった。
 必死だった。あんな僅かな瞬間にも関わらず、焼き付いた表情。騎士の剣をまともに受けた痛みすら通り越して、私を救えた事に浮かんだ、小さな安堵の笑み。
 自らの苦痛よりも、失われる絶望の回避のために奔走した男。
 やっぱり、コイツの方が大馬鹿野郎だ。そう結論付ける。

 何故かその記憶に妙に動揺してきた私は、精神安定剤代わりに国定側の皿の縁についた、向こう側が透けて見えそうな薄い沢庵を口の中に放り込む。
「で、それはそれで、結局。騎士をどうやって撃退したの?」
 国定はユックリ、マッタリとした咀嚼を止め、一度眼を瞑る。
 さらに沈黙。流石に沈黙にしては長過ぎるだろ、と突っ込もうとした瞬間、
「分からない」
 なんて、意味の分からない台詞を吐きやがりました。
「目の前で見ていたんでしょ? 分からないなんてことはないじゃない?」
 苛立つ私に平然とした顔で国定が応える。
「昨日から記憶の混乱が続いていると言ったが、それは特に『俺の能力』について顕著だ。昨日の『槍』も無意識の内に呼び出したモノであるし、『ワケの分からない攻撃』もそうだ。俺のモノだとは分かるがそれ以上は分からない。ただ、確実に勝てると、そう言う自信は俺の記憶よりも、確かにあった」



  剣を振り上げた騎士を横殴りに吹き飛ばす、巨大な、騎士の剣とは比べ物にならない、硬い鋼鉄の何か……

  一撃、その一撃を喰らって、騎士は速やかに退散した。


 私の質問に確固たる意志を持って、野獣の面が答える。 
「安心しろ、憶測でも何でもない。本来より多少の遅れがある感があるが、やはり俺は強いぞ」
 腕を組んだ素振といい、むやみやたらと自信はあるのね。
「……ふん、まぁ、いいわ。とにかく、今はどうするかだね……」
「とりあえず、俺のお薦めは篭城して、君の自宅の結界を強化し……」
「じゃ、学校に行こうか」
 私の発言と同時に国定は頭をテーブルに打ち付けた。
「何してんの? 新喜劇なんて今時流行んないよ」
「君は、…………狙われているのに外を出歩くと言うのか」
 プルプルとテーブルに突っ伏して、拳を握り締めながら震えている。コイツ気付いてないなぁ。
「国定、【死神】がいるから、あえて私は外を歩くんだよ?」

 【死神】、太古から冥府に魂を運ぶ存在であり、厳密には一部の人外の一族、虚宮(うつろのみや)一族に継承された、生きているものに絶大的なアドバンテージを持つ種族である。
 百二十七年前、人を守る最大の魔『過日の魔王 鉄神 芭王(てつがみ ばおう)』と人外のカリスマ『非人食いの神 近江影 春(オウミカゲ ハル)』の集団がぶつかり合った、世界でも稀に見る大戦争が起きた。百二十七年前とは、魔に関係するものには大きな意味を持ち、他にも新しい【時守(秩序)】が生まれたり、欧州の吸血鬼が殺しあったりなんて事もあった。
 さて、三千世界を揺るがす、爆風雷火。人類への七つの反逆者に十五人の守護者。憎悪の饗宴と狂演のための憎悪。嵐が嵐とすら認知されず、ただ暴風のみが世界を砕き、潰し、蹂躙した混沌時代の黄金時代。
 激しい戦闘に次ぐ戦闘の後、【魔王】の勝利の後、人外から人を守るために、魔王は人外と人の均衡となるための対魔機関、魔を退けるモノでなく、共存のために対峙する機関、【死神公社】を作る事を決めたのだ。
 それ以降、死神公社は非公式ではあるが日本では最大の対魔機関として、警察官のように部署分け、階級分けされながら、警察官のように人外からの脅威に対して人を守っている。いや、むしろその役割を考えれば魔の為の警察官と呼んでも遜色はない。

 死神は、死神転生手術と呼ばれる――天才的な魔術師『偶院 鵺(グウイン ヌエ)』の手によって、唯一天然の死神である虚宮の身体を研究され、作られた――死神に生まれ変わる手術の体系によって、最低クラスでも下級神域の人外と同じ霊気装甲を持つ。また、その力を効率よく伝える対魔兵装【死神の鎌】、触れただけで並みの妖魔を蒸発させる【不壊黒縛衣】など、特異な力を持つ日本、いや、世界に誇る調停武装集団なのだ。


「【死神】は【亡霊騎士】みたいに自然界の呪いじゃないから、拙いながも【魔術結界】を張った私の工房には簡単には入れない。それなら死神が巡回する経路を常に取っていた方がいいじゃない? 運良く『現行犯斬殺』でバッサリ()ってくれるかもしれないしね? 彼らは魔術師が『人』だから手は出せない。でも、私は魔女だからね。私を狙う奴等は容赦しない。むしろ、同朋を殺ってくれた奴等なんて目にモノを見せてあげるつもりよ」
 私の不敵な笑みに、国定は吊り目気味の目を大きく開いて、頷いた。
「なるほど、その考えには賛成だ。君は思ったほど、未熟ではないようだな。分かった。君の意見に従おう」
「思ったよりってのが気になったけど、……それより、国定ッ! あんたなんで私のことを名前で呼ばないのよ!」
 私が箸の先でビシッと叩きつけると、それに反応するように箸を見て、私を見た。
「まったく、行儀の悪い。睨むな……あぁ、分かった。名前で呼ぶのだな? 確か君の名前は、九貫 在姫だったな」
「そうね、九貫でも何でも好きに呼びなさい」
 国定は私の言葉を無視してブツブツと呟いていた。それは紛れもなく、私の苗字と名前を言い比べているものだった。
「九貫、九貫、在姫、九貫、在姫、在姫、在姫。……では、在姫と呼ぼう。うん、この呼び方は気にいった。在姫、在姫。良い名だな」
 私の名前の呼び方を気に入りながら、笑みを浮かべた少年。
 何だか分からないけど、その少年、いや、男が、女の子の名前を普通に呼ぶのが久しぶりなのではないかと思って、急に胸が熱くなった。
 何だろう? この胸の高鳴りは? 魔女の律した流れでなく、無秩序な暴走。
「ん? 顔色が優れないようだが、どうした? 熱があるのか? 昨日の今日だ。具合が優れなければ休むといい。その間も俺が、命がけで守る」
 その言葉でさらに温度上昇、沸騰必死、カップラーメンは三分、カヤクは事前、お湯きり必須。
「ま、ま。まま、まさか、私、着替え、学校、行く」
 私はダッシュで自分の部屋に戻る。どうした、私? 顔が熱いぞ。止まれ、魔女の心臓、えぇい、うるさいぞ! 助詞が、名詞だけが、何て代物が母から遺伝したんだ!
 後ろの方から「既に制服に着替えているというのに……、変なやつだ」と言う声が聞こえた。

 ……落ち着いて学校の鞄を取り、私が戻る頃には、彼は皿洗いも終わっていた。
 ……魔術師が撃退し終わった後も家政婦として残ってもらっちゃダメかな? スゲェ役に立つんだけど。一家に一人くらい、いや魔人だから一家に一台くらいか?
「さて、行くぞ」
 私よりも先に玄関に出るチビッコ野郎。黒のスニーカーはいつの間にか履いている。
 ちょっと、待て。
「ねぇ、国定もちゃんと付いて行かなくちゃイケナイの?」
 すると、彼は不思議そうな顔をする。当然だろ? と言いたげだ。
「でもさ、高校生くらいの体格ならまだしも、そんな子供の格好だったら校舎内どころか、一人で道すら歩けないよ? 学校の外で待っていたら補導されるよ」
 まぁ、大人の格好であっても、外で待っていたら普通の警官に職務質問をされるけど。
「未熟者、昨日、俺は言っただろ? 俺は【魔人】だと」


 その瞬間に彼の姿が消えた。

「あっ、なるほど、付いて行くワケではなくて、憑いて行くワケですか」

 【魔人】。
 魔法使いの限界、霊気装甲の【伝導率】自体を、代を重ねる事で百%の直前までに近づけるのが魔女なら百%まで行き着いた者を【魔人】と呼ぶ。
 言わば、その身全てが霊気装甲。このように自然の霊気装甲に溶け込んでしまうことすら瞼の開け閉めより簡単に出来る。でも、そんな便利な【魔人】になるためには何か条件が……

「この姿なら大丈夫なはずだ。一流の魔女でも感知されず、特別級の魔眼持ちでない限りは俺を見つける事は出来ない。そう言えば、昨日のほどの大怪我でも時間を使えば、霊気装甲の流動で完全に自動で回復できる事もあの戦闘以降で思い出したしな」
 私の思索を邪魔するように「フン」と言う意味のない掛け声が虚空で聞こえた、大方腕を組んで踏ん反り返っているのだろうが、昨日の群体の幽霊や強力な亡霊騎士ならともかく、普通は不可視の霊体は私には見えない。あー、良かった。
 と言うか、回復なんて大事な事を忘れているあたり、実は間抜けではないか? なんて私は思ってしまった。何だか、それを考えると面白くて、普通に笑ってしまった。
「ハッハハ、はいはい、分かった分かった。じゃあさ、ピンチの時には助けてね?」
「? あぁ、了承した。君のために俺はこの身全てを賭けよう。君も未熟者なのだから俺の指示に従え」
「未熟者は余計だ、……バカ」
 私達は、ドアを開け、晴れやかな陽光のヴェールに踏み入れた。








「……ところで、私の制服を脱がしたの誰?」
「俺が重症だったため、君を運んできた師父だったが、問題が?」

   アイツ、あとでブッ殺す。


9 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/11(火) 18:06:26 ID:WmknzDW4

衆合2

       ―Side B―

 街を一望できる高台の一番奥に位置する、九貫の洋風の屋敷は二階建てだ。
 周りの住居や周辺の風景も、それに合わせたように同じような洋風の屋敷やレンガ造りの道などになっているため、異国風の情緒を醸し出しながらも違和感はない。
 魔女の管理する地、九貫の領地を囲む壁は薄くはない。だが一般人には視線を遮断することには使えても、常識外の魔術師や亡霊騎士には目隠し以外の役にも立つかどうか分からない。そして、高い壁の内側、魔女の庭には各種、霊薬の原料となる植物がこっそり植えられている。ユリ科水仙の一種であるアスフォデルやニガヨモギ、朝鮮朝顔、トリカブトなんかが群生し、って……、オィ、毒物ばかりではないか。捕まるぞ、在姫。
 嘆息しつつも、簡単な封印魔法で扉に鍵を掛けた在姫の隣りに俺は位置する。
「在姫、とりあえず襲撃を予測するためにこの街の地理条件を知りたいのだが、歩きながらでも話していいか? どうやら事前に採取した記憶も欠けているようだ」 
 虚空に突如浮かんだ俺の質問に「別に構わないけど?」と、何でそんな事を聞くのかと不思議そうな顔をしている。本当にコイツは自分が襲われそうなのだと理解しているのだろうか?
 思ったよりも早く起きたわりに、白色の太陽は天頂を目指して高々と昇りつめている。
 遠くに見える街、その先の水面では漣が陽光を同じ白色で照り返す。
 初夏か、思い出の一つでもあったら嬉しいのだがな……
「ここから見える二つの街の風景があるでしょ? 二つの町を分ける河が太臥河(たいががわ)で、その河を挟んで港側の発展している街が神南町で、反対側のな――んにも無いのが十院町(じゅういんちょう)って言うの」
「何もないのに町なのか?」
 俺の素朴な疑問に「なんでだろうね?」と、一本一本が絹糸のように細い黒髪を揺らしながら苦笑交じりに答える。
 あまり大きな声で話すと怪しまれると思うのだが……。まぁ、朝も早いせいか、誰も注目していないのでいいだろう。
「北は海、南はグルリと山に囲まれ、都会と田舎の二つの町を合わせたのが日本国冥府の政霊指定都市、日本で妖魔人外魔女鬼畜が住める、十七の街の一つ、和木市でございまーす……」
 神南町側となるこちら側は東西に、中国の伝説の大鳥、(ほう)のごとく広げられた幹線道路で、発展した街に存在する新興住宅街側の平地と山に合わせて段々となった古い住宅街と分け隔てている。戦闘の際はここでは避けるようにしよう。結界を張ったとしても、余波で住宅街には様々な被害が出そうだ。その更に外の山側、高速道路付近まで誘き寄せれば大丈夫かもな。と言うか、とりあえず突っ込むが、鬼畜は人外の鬼と関係はあまり無いぞ?
「……神南町の海側と十院町の山側を繋ぐのが私鉄東堂線で、国定を昨日拾ったのが南神南町駅。駅と河に挟まれた、西の方にあるのが、私の通う高校。私立 坤高校、近くにコンビニの道尊(どうそん)があって便利なんだよね。綱魔世(ツナマヨ)はなんと言おうと絶品」
「ひつじさるこうこう?」
「そうそう。ちなみにコレがうちの制服」
 白い前開きのセーラー服には黒い襟縁と半袖の縁には二本の白いラインが置かれ、絞られるように合わせられた襟の胸元にはスカーフ止めに収められた純白のスカーフ。車ひだの黒いプリーツスカートは、最近の女子高生らしく短めの仕様。下は『先ほども確認した』白と黒のストライプのソックスに黒のローファー……って。
「ちなみに、冬はブレザー。セーラーなのにブレザーで意外よね?」
「いや、別に見せびらかすように回転しなくてもいいぞ」
 胸の奥を突かれたかのように苦い顔を見せる少女。
「……いや、つい癖で。ほら、私って小柄だからさ。友達、てかある知り合いと洋服を買いに行くと『君はとても小さくて、本当に、可愛いな、ふふっ』て言われながら着せ替え人形にされるのよ。ははっ……、はぁ」
「……君は、友達をもう少し選んだ方がいいぞ」
「失礼ね。選ぶほど私は多くないのよ」
 そいつは失礼。
 それにしても、これは校長の、まさか教育委員会を通した公然の陰謀だろうか? 白いセーラー服は目を凝らせばその下の下着が透けるほど薄く、朝っぱらから照りつける日差しのためか、胸元の胸当ての部分を在姫は豪快に開けてある。まったく、ただでさえ貧相な体格だと言うことを考えてないのか? ……背が高い男なら上から見えるぞ。それに、薄いと言えば、スカートも黒にも関わらず、コレだけの生地の薄さでは……
「男子学生も勉学に励むのが大変だろうな……」
 初夏の太陽が……眩しいぜ。
「何言ってるの?」
「いや、学生の生活習慣と権力構造を憂いていただけだ。続けてくれ」
 首を傾げながら、高台の九貫の屋敷から長い急な坂を下る。人の身ならば帰りの事など考えたくもないだろうな。
「うちの高校と真反対にあるのが県立神南高校(かんなみこうこう)、一般の人には知られていないけど、基本的に人外が通う高校が神南で、人が通うのがウチ――」
 在姫が霊体と同じ状態である俺が見えないと知りながら、コッソリと僅かに覗き見るように改めて彼女を眺めた。
「――で、昨日行った師父のお店『ディープスタンド』はより市内の側のオフィス街のあの辺り。えっと……ウチの高校の、東の方にあのやたら大きな複合ビルが見えるでしょ? そうそうあれが『季堂ツィンタワー』ってやつで、その近くにあるのが地下に死神の和木市本部がある和木市市役所――」

 確かに小柄な部類に入る身体だ。眼を当てられるほどの成長も見れないかもしれない。

「――南の神南駅と同じ様に北の方にもちゃんと商用港と隣接した駅が北神南駅で――」

 だが、凛と意志を発するような大きな瞳、桜色の小さなくちびるに磁器のように白い肌。手足も細いように見えて、しっかり筋肉がついている。だが、それは女性としての美しさを損なわない、瞳は母親に似て、って俺は何をじろじろと眺めているんだ。

「――だから、神南座はダメなのよ! バカみたいにハリウッド大作〜、みたいな駄作ばっかり上映してッ!! たまにはキューバリックやティランターノ様を――」

 ……いや、確かに見惚れるのは仕方がないかも知れない。彼女は自覚していないが美少女の部類だ。本当に成長して大人になれば、本当に万人を魅了する、文字通り魔性の女となるだろう。

「――街には噂に寄れば、あの人喰いの神がバラバラにされて封印されて――」

 ルビー色の小さな球体のついたピンから洩れた、僅かな髪をかきあげる仕草も今でも大人然としていて、それだけで鼓動が早鐘を打つ。長い髪は魔性を腰まで蓄えて、質素な銀の髪飾りで止めた箇所が眩しく――

「――この間ニャスコに行ったら二週間前ぐらいに常寵が蹴散らしたチーマーが、って国定は話を聞い、ッアタ!!」

 ――千年の恋も冷めると言うのはこう言う所なのか? 在姫は話に夢中になり過ぎて電信柱にオデコをぶつけていた。星とヒヨコと、あとは名状しがたいスライムみたいなのが頭上を廻りながら飛んでいるのが俺には見える。魔人なのに疲れ目だろうか?
「未熟者」
 とりあえず、一瞬、見惚れていた自分が情けなく感じる。
「アイタタ……、もう、目の前に電信柱があるなら言ってよね!」
「仕方ないだろう、俺は――」
「俺は?」
 君の姿を――
「俺は――、君の未熟な姿が見たかっただけだ。予想通りで嬉しいぞ、未熟者」
「……最ッ悪」
 涙を溜めたままオデコを擦り、幹線道路脇の停車場からバスに乗って、南神南駅の隣りの駅である上四帖(かみしじょうえき)駅へ。乗り換え十分で電車内へと到達する。
「意外に人が少ない、と言うより俺たち以外はまるで人が居ないのだな」
「何だかんだ言って地方都市だしね。それに通勤ラッシュ前の朝だし人も少ないね」
 がらんとした電車内で気にもせずに喋り続ける。傍から見たら独り言を大声で喋っているようにしか見えないな。
「国定、そう言えば国定は魔人って言うくらいだから人間よりかは長く生きているんでしょ?」
「まぁな、今年で……大体千年くらいか?」
「千年?! 魔人でもそれって最古の部類に入るんじゃない!?」
「さぁな。とりあえず、知りうる限り、俺以外で息が長いのは後二人くらいしか記憶にないな。他にも世界を漂っている奴らも居るかもしれないが観測した事はない」
「ふーん。……で、昔は生きていたって事は、その子孫とかいるでしょ?」
 在姫のその言葉は虚空で暫く、俺の言葉を止めさせた。

 ――遥か遠くで霞む笑顔の稚児。そして、その母にして、妻。
 風景は霞んでいく――

「……、まぁ、おそらくな」
「ふーん、もしかしたら、君を祖先とする人が学校にいるかもよ?」
 何だか、他にも色々とイラナイ事を聞かれそうな気がしたので、ふと、疑問に駆られた事を口走ってみた。
「在姫、君は……無理をして色々と喋っていないか?」
 ピタリと、目に見えないはずの俺の方を見つめると、僅かに眼を反らして「そうかもね」と淋しそうに呟いた。
「……魔女だからさ。世界の神秘に触れる以上は危険と隣り合わせ出し、人と一線を引かなくちゃいけないんだよね。そのために付かず離れずの位置にいる人としか私はあまり付き合わないし、……それだからかな。自分の事とか気にせずにバーっと喋りたくなる時が、やっぱり……、あるよね」

 彼女は魔女である以前に年頃の女の子だ。それだけは、ハッキリしている。魔女である心と少女である心、不安定(アンバランス)不当性(アンビバレンス)

「あっ、駅についた」
 優雅に、電車の揺れにも関わらず立ち上がる。その姿はいつでもハキハキとした不思議で元気な魔女と言った感じではなく、冷徹な仮面を被った優等生に変わっている。変わり身が早過ぎる……。

「じゃあ、ここからは中々喋れないから静かにしていてね?」
「了承した。気兼ねせず、上手く猫を被ると良い」
「……後で、家に帰ったらお話があるので宜しく」
 その無邪気、に見せ掛けた魔の篭った笑顔に、思わず残った霊気装甲で生き残れるかと考えたのは言うまでもない。

      *         *          *

       ―Side A―

 流石に高校の前は駅と違い、朝の登校生達でごった返している。
 油蝉の奏でる旋律が、嫌が応にも今日の昼、最高潮までに茹だる暑さを高めていく。この間みたいに冷房が止まると死んでしまうから、特に一年D組の先生には逐一生徒を注意して頂きたい、マジで。

「ふぅ」
 既に自己主張など通り越して存在感を丸出しで照りつける太陽に蒸され、私は思わずスカーフ止めを持って、胸元をパタパタとさせる、アヂッ。
 並木道の樹木が時折、灼熱の暴力を遮ってくれるように歩む私の上に覆い被さる。
 そして、高校の校門まで後一歩の信号待ち。
 暴力を完全に遮るように、不意に私の身体を大きな影が覆った。

「おはようございます。九貫さん」
「おはようございます。国定先輩」

 頑強そうな面に、私と好対照を為す色黒の肌。百五十センチを切っている私からすれば見上げるような体躯。いや、むしろ意識して顔を見せなければ身長差で顔は見えない。短く刈られた髪に、柔和そうな表情は子供などに絶好の『玩具』とかで好かれそうだ。

 こんな事を言うのは何だが、うちの高校、坤高校は変な人間が多い。
  「あなたは、死について考えた事があるのか?」と、先代の校長の説教中に聞き返したと言う卒業生、遠谷。
  「クラーケンは時折、少女の心すら奪うのですか……」と、西洋の化け物級大烏賊と共に今の恋人に告白した卒業生、虚言師 戸上。
  「君の人生を何割か預かっても、たかが神如きは文句は言わないだろう」と、その告白を受けた卒業生、漫画家 谷津峰。
  「武器が人を殺すわけでない、人が人を殺すのだ」と、その告白を評した卒業生、自称多重人格者 当宮。
  「体操着を中にしまう、これ人類の悟りなり」と、その返答に何かを悟った在校生、自称有明は我が牙城の歌代。まぁ、これは変人じゃなくて、師父と同じ方向性の人間か。

 他にも、矢戸岐や、等々力など、教師や養護教諭と言う面の皮を被った変人も多数存在する。
 そして、うちらの一つ上の代でその頂点に君臨するだろう男が、この人。知り合いでも極少数からしか【怪人】と呼ばれないにも関わらず、何故かあだ名として浸透している国定先輩。変人、そして、フルネーム不明。
 弓道部の魔女(本当の魔女ではないらしいが)の葉桜先輩の恋人と噂される方である。ちなみに本人の方である弓道部の魔女は、挙動不審な動作を真顔でしながらそれを否定するとか。
「最近、夏の気配が急に近づいてきましたね、九貫さん」
「本当ですね。授業など先生方も熱心になさらずに、悠々と納涼などしながら教鞭を取れば宜しいかと私は思いますね」
 国定先輩はさりげなく、私の日陰となるように立って居てくれている。こう言う事を嫌味なく出来る事から、変人と言われつつも周りから好かれるのだろう。そして、弓道部の魔女にイジメられるのだろう。
「確かに、水桶に氷と井戸水でも入れて足元だけでも浸かりたいですね」
「えぇ、でも、教室でそんな事をしたら騒がしい生徒に引っ繰り返されるかもしれませんからね」
 ふと彼の手元を見た。皮製の鞄を持つ反対の手には網に入った……西瓜。
 現実を受け止めよう。
「私のような一生徒が有名人に声を掛けていただけるなんて思っていませんでした」
 なんで名前まで覚えていたか分からないけど。
「それは言うまでもないじゃないですか。校内テストで学年トップなら自然と目立ちますよ」
「そんなぁ、目立つお株はアノアマ、じゃなかった、島田さんにお任せしますよ」
 国定先輩の表情の乏しいパーツが驚きを示す。やばッ、魔女として目立たない事を目指していたのだが……ムムッ。感情制御は難しい。
 しかし、同じ一年の、副会長の『あの女』が二位だった時の悔しがる顔と言ったら、あんまり面白くて赤飯を小躍りしながら炊いて、鯛の尾頭つきまで晩御飯に添えてしまった。出費は重なって色々ヤバかったけど……、畜生。
「は、はぁ、そうなんですか?」
 しまった。日頃の隠していた、魔女らしい邪悪な笑いがつい素で出てしまったのかもしれない。変人にすら退かれてどうするんだ。
 慌てずに「彼女とはウマが合わなくて〜」と適当に誤魔化しながら長い信号待ちを待つ。

 赤から青へ。
「どうも、私の詰まらない談笑に付き合っていただき有難うございます」
 長い髪の重さを感じながら軽くお辞儀をしつつ、校門の前で別校舎の国定先輩と別れる。
 河に面した学校だけあって時折、吹く風は涼を帯びている。

「九貫さん」
 背後の変人が呼び止める。
 寥々とした、拙い風。

         「……悪霊などには、取り憑かれていませんよね?」


 背筋が凍った。鼓動が、魔女の心臓がサイクルを始める。変人、いや【怪人】は、【魔人】が私の背後に憑いている事に気付いたのだろうか?
 怪人の横を一般生徒が「国定君、おはよう」と言いながら私を抜くように通り過ぎ、「おはようございます、頼島(よりしま)さん」と怪人は、相も変わらず、普通の口調で問い掛ける。

 日常と非日常の狭間。
 早鐘を打つ魔女の心臓。
 ここで、……始まるのか?
 何が? 魔術師との殺し合い。







       そこで、目に見えない『誰か』の手が、落ち着けとでも言うように置かれた。

「……気のせいですよ。いくら夏だからって、伊奈川さんみたいな怪談話は流行りませんよ? 女の子は怖がらせるモノではありません」
 サイクルを強から弱に変えながら、怪人にユッタリと振り返りながら応じる。
「……あぁ、すみません。何かへんなモノが見えたような気がしたので……あっ、気を損ねたようでしたら、……西瓜、食べますか?」
 丁重に断った。
「じゃあ、甘納豆はどうでしょう?」
 なんでそんなモノを学校に持ってきているのか分からないが丁重に断った。
 お辞儀をして別れると一年生の学舎に入る。

 私のクラスがある二階への階段の踊り場で誰も居ない事を確認すると、国定は国定でも【怪人】でなく【魔人】の方に話し掛けた。
「なんで? もし魔眼の保持者なら必ず分かるはずなのに」
 ギリリと噛み締めた歯が鳴る。魔女同士が何と無く魔女だと分かっても、まさか【怪人】ごときに私が魔女だと気付かれたのはすごく屈辱だ。
「いや、アレは能力ではない。ただの勘だ」
「国定、貴方本当に霊体になり切っているの? そうじゃなかったらなんだか、怪しいもんじゃない?」
 突っ撥ねるように言う錬仁に怒りの矛先を向けた。
「未熟者。魔導師級の君でも見えない状態であるのを君は忘れたのか? それに、あの鞄の中以外からは交霊武装のような魔力は感じなかっただろ? しかもアレは、武器ではなくおそらく防具の類か? まぁ、気にするほどの事ではない。それに、彼からは純度の高い霊気装甲が魔人の目から見えた。彼は霊気装甲のない【魔術師】ではない。安心しろ」
「……でも、何で気付いたのかしらね?」

 階段を昇り始めた私に、
           「君の言っていた縁……、なのかも知れないな」
 と静かに言った。確かに苗字同じだし、祖先としての縁があるのかもしれない。


「おはよう、君が私よりも遅く来るとは珍しいじゃないか」
 私と同じ長さの髪、それでありながらまとめずに垂らし、それでもなお、一つのうねりとなった漆黒の瀑布。細いフレームの眼鏡からはみ出すのではないかと思うほど、大きく、吊りあがった理知的な目。その口元には常日頃から、まったく似合わないような甘いお菓子が捧げられている。
「おはよう、ジョウチョー。貴女が私より早く登校なんて珍しいじゃない」
「おや、君が早朝から言葉遊びモドキに興じてくれるとは、天変地異の前触れかもしれないな」
 クツクツと円筒状の『アポロ十三号』(バナナ味)を笑いと供に口の中に押し込むジョウチョーさん。
 それだけ甘い物を食べて太らないのは牛みたいに胃が四つくらい別にあるだろうか? 実際、ホルスタインのような羨ましい体つきだし……。
「なんて事ないってば、昨日は色々と所用で忙しかったから寝るのが遅かっただけよ。それなら、いつも夜更かしの多い貴女こそ、また何で早起きしたのか聞きたいね」

 なんて、冗談交じりに言ってみた彼女の顔は……。
「な、なんて、事はない。知り合いが家に泊まりに来た故に、騒がないように消灯を早めただけだ」


 ……スミマセン。その知り合いは鉄面のジョウチョーを顔を背けながら真っ赤にさせるほどのパワーを持っているのですか?
 ジョウチョーの美的センスはレオパルド・アカプルコなる俳優を「坊ちゃん野郎」と言うほどなのだから、当然身内であっても破壊力抜群な、相当な色男なのだろう。あぁ、そういえば、アカプルコも色男(ロミオ)を前の作品中で演じていたね。

 そのジョウチョーの顔を見て、「モエ――」っと聞き慣れない言葉を吐いた別のクラスの男子が居たが、二秒後、ジョウチョーの視線で圧殺された。


 そして、朝のHRも早々に一時間目。
「おはよう諸君。燦燦たる陽光を通り越して地獄の業火と化しているだろう今日この頃。そんな時に我々に必要なものは、なんだ? 勿論数学だ。人類が死滅してもこの真理は不変である事を憶えておきたまえ。さて、号令だ」

 予鈴とほぼ同時に、肩の所でバッサリと切った黒髪の女性が黒板の前に立つ。眼帯をつけ、夏にも関わらず長袖の内側。その右腕側を何も無い状態でヒラヒラと揺らす新任の教師、三枝 石火(ミツエ セッカ)非常勤講師。彼女は教職課程中に車の事故で片手と片目を持って行かれたのだが、今日もそんな事を感じさせずにハキハキと左手一本で数式と図形を書き綴っている。
 たまに、フェルマーの最終定理を「あれは大した事がない」と発作的に説明しだしたり、「素数を数えて心を落ち着かせろ」と何処かの神父みたいに言い出したり、ディラック作要素がツイスター理論、曲面論、部分多様体論と、数学の専門家じゃないと絶対分からない幾何図形と数式をドイツ語とかで書き出すのが珠に傷だ。(ジョウチョーは理論自体を理解していなかったが、ドイツ語で大体話は理解したとか)
 だが、それ以外は非常に分かりやすい指導にメリハリのある口調。それと思い出したように話す数学の小話(アラビア数字は実はインド数字だとか、三歳の時に親の計算間違いを指摘したガウス、自分が死ぬと予言した日に餓死したカルダーノなど)が生徒に受けているようで、C組の国語常勤講師 毒島とは段違いの圧倒的な人気を誇っている。何気に大人な美人だしね。日本人にしては珍しい、灰色の瞳が、たまに光の加減で銀色に見えるのが異国情緒な感触だ。もし、未だかつて見た事のない、最高の魔眼の持ち主ならこんな色だろうなんて想像も難くない。
 つまり、私も彼女に好感を抱いている一人でもある。教師としての情熱もある良い人だとも思う。てか、自分とは色々な面で掛け離れているからだろう。……大人な美人はいいなぁ。

「九貫くん、相変わらず良い成績を出しているようだね」
 授業が終わって休み時間に入ると同時に、三枝先生が不本意ながらもくじ引きで決まった、不良席(窓際の一番後ろ)に陣取る私の元に来た。担当のクラスとして何度も目には掛かっているが、こうして個人的に面識を交わすのは初めてだった。
 間近で見ても、独眼の、灰色の瞳が光の加減で艶めかしい銀色に見える。日常にハンディキャップを持つ教師と言うよりも、激動の時代を駆ける賢人と言った風情をかもし出している。そんな女性は同性からも憧れを引き出すだろう。ジョウチョーとは似ているようで似ていない。常寵が詩文の優雅さがあるなら、対照的にこの人は幾何学的な、あるいは一本の筋の通った大人の女性らしさを感じる。うわー、美人ってかっこいいなー。
「……三枝先生、何か御用ですか?」
 優等生のような独特の、「あたくし、下々の方とは違いますことよ」的な、隔たりを見せると、三枝先生はそれを気にせずに続けた。やっぱり大人の美人だー。
「いや、校内でも卓越して優秀な生徒がどんな者かと個人的な興味に惹かれただけだよ」
 その笑みはこの女性の雰囲気からおよそ量れない、冷たさよりも暖かさに満ちたものだった。いいね、大人の笑み。この先生なら絶対恋人とか居そうですね。
「九貫くん、君は私の個人的な理由から理数系のクラスに行く事を薦めよう」
「な、何ですか? 個人的な理由って」
 思考が大人の色気に女性ながらも囚われていて、慌てて口に付くままに言った。
「先ほども言っただろ? 『個人的な興味に惹かれただけ』だよ。将来的に君が、私が担任するであろうクラスで伸び伸びと勉学に励むと考えると喜びに満ちてくるのだよ」
 暖かい笑顔の背後。不謹慎なようだが、私は外でざわめく蝉の音が、何故か、それは違うと声高に言っているように聞こえた。それを頭の端で打ち消すように忘れる。
「――おや、しまった。学生の貴重な休息を奪ってしまった。私は教師失格だ」
「そんな事ないですよ。先生は生徒の事を考えて授業をしていると思います」
 毒島と違って、と付け加えるように私は小さく言うと「違いない」と彼女も苦笑をした。
「あと、数日で夏休みだ。それまでも、夏休み中も、気を抜かずに勉学に励みたまえ」
 その言葉で締めると三枝先生は休み時間で騒がしい教室を後にした。
 当たり前のように静かにしていた国定。それでも、何故か怖いくらい、無言だった……。

 時は変わって十二時。
 昼食は学食での日替わり定食、もし人目の無い自宅なら、豪快に焼肉定食と天丼とカツカレーをセットで、それぞれ大盛りで頼みたい。だがあくまでも目立たない生徒を意識して、私は空腹を抑えながら野球部と柔道部の猛者と同じ、通常の二倍の特盛カツカレーを頼む。ちなみにカツも二倍なのが学生に取って嬉しいところ。
 目の前のジョウチョーは小月見うどんを、耳から零れる髪を片手で抑えながら食べている。
「ジョウチョーがお昼をそんなに食べないのはお菓子ばかり食べているからじゃない?」
「君の胃袋が宇宙規模だからだ。比較対象は人類以外にしてくれ」
 などと軽口を叩かれた。
 その反応直後にカツが一つ、キャトルミュティレーションの如く消え去っていた。
 耳元の虚空で聞こえた、衣がサクサクと破れる咀嚼音。それと同時に、私の金属スプーンが魔法を超える己の不思議ハンドパワー(握力)で曲がる。


       ――国定、食べ物を恨みは怖いって意味は知っているのかな……? かな?――

 食事後、教室でギルガメッシュ叙事詩を解読しながら読むジョウチョーの対面で、知り合いの学生から少女漫画を借りながら「こんな展開ありえないなぁ」と評しつつ、まったりと過ごす。国定はおそらく学生の様子を珍しそうに眺めてでもいるのだろう。
 ハァ……、漫画に触発されるのもなんだが、私も、何か運命的な恋とかしてみたいな。
 もし、魔女で家族が居ないと言う境遇を許してくれるような、心の広くて、家事が全自動で出来て、年収二千万のキャリアで、長身で、誰から見ても男性的魅力に溢れている株式投資の出来る公務員の男性なら私は手を打つ。間違ってでも、一人で店番するような根暗で少女趣味(いや少女嗜好か?)な味覚障害男や、人を未熟者呼ばわりする子供戦士だけには、いくら身近で男分(?)が足りなくて切羽詰まって、人類と人外が残り一人と一台になっても絶対的に拒否したい。……乙女心は複雑なのだ。

 それにしても、国定か。あの先輩も何だか、昔話で有名な人の子孫だったから国定は、もとい錬仁の方はその本人かもしれない。何だっけな? 確か唄になるまで有名だった人物なんだけどなぁ。……ど忘れしちゃった、まぁいいか、国定だし。


 そして、昼休み後の授業。冷房の効いた快適な教室内で、昨日の疲れがまた出たのか?
 午睡と(うつつ)の狭間をテンポ八十のメトロノームの様に穏やかに揺れる。
 その白昼夢のような、淡い光の中、



                      ――昔の夢を見た――



     少年は一人だった。生まれてから何時の間にか野に伏し、彼の者は獣と戯れ、闇の狭間に生きた。
     人は『土蜘蛛』や『鬼童』などとその小さな人殺しを呼んだ。だが、彼に非はあらず。ただ、始めから孤独だっただけだ。
     やがて、人は少年を狩った。闇を怖れた古来の民族は、例え人でもそれは闇と変わらなかった。
     殺した。少年は生きるために狩り返し、借り返し、狩り尽した。殺した。善悪などは無い。殺そうとするなら生きるために殺す。
     だから、少年は守りではなく攻撃に転じた。生きるために。


     もし、それすら否定するなら、彼には生きる意味すらない。


     少年は一人で麓の村を全滅させた。


     時は微かな、闇の動乱の時。山中にすら徒歩の歩兵が蔓延り、少年の山も別の人間に侵されていた。
     少年は討ってでた。だが、相手は予想を大きく超える、百戦錬磨の兵士達。
     しかし、天性からの野生とその能力が彼を単独でありながら生き残らせた。
     多くの強兵を従えた、

     「お前は熊でも投げ飛ばせそうな怪力だな」



                一人の小さな運命に出会った――



 ――起きろ、未熟者。古文の教諭が君を注視しているぞ」

 耳元で囁かれた声に一瞬にして覚醒。
 現世と幽界の狭間、もとい寝惚け状態から抜け出す。
 窓際の席、そして一番後ろの席であることが幸いして、桟にもたれて考え込んでいたようにしか見えないだろう。
「ありがと」
 小声でお礼を言うと、私を見ていた国語教師と視線を合わせて微笑み返す。
 フン、教師のくせに目を逸らすなんてだらしない……。
 口元から仄かに垂れかかった涎を教科書で隠しながら、そう思った。

 放課後。
 だんだらに染まった橙色の図書室に残りながら、極限の集中で古文教師の捨て土産である最後の宿題を終わらせる。ジョウチョーは「家族との用がある」とかで心持ち浮付いた感じで帰っていった。やっぱり訪問者ってそんなに彼女にとって特別なひとなのだろうか?



 長い長い、無駄に長い宿題を終わらせた。
 シャーペンをノックして芯を内側にしまうと、椅子の上で背中を鳴らしながら伸び。
 それから、周りに誰も居ない事を確認する。
「国定、退屈した?」
 ……沈黙。何処に行ったんだ奴は?
 そして、机から立った時、その異様な気配に気付いた。
 下校時刻前。それにも関わらず、


                 ――人が誰も居ない。

 部活で遅くまで残る生徒。同じく、図書館に残って勉強する生徒。
 そう、人っ子一人、誰も居ない……。

「これは、『人払いの結界』?」

 外界が、別の外界を遮断する別の空気は間違いない。魔術による人の行き来を遮断し、音を回折し、視線すら惑わし、閉ざす領域。狩場。
 そして、遠くから(ジン)(ジン)と、金属同士がぶつかり合う音がする。
「国定ッ!?」
 私はその方向、体育館に向かって駆け出した。


10 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/11(火) 20:00:50 ID:WmknzDW4

衆合3

         −Side B−

 それに気付いたのは、蒼穹が朱を帯び始めたくらいだろうか?
 それに気付くに至るまでは、俺はただ一つ、あの光景を夢想の中、いや悪夢の中で繰り返していた。


 ――紅蓮に燃える焔、火影の狭間に揺れる人は奇妙で、自分と、相手の境が分からないほど周りは血塗られていた……。
   泣き叫ぶ赤子、俺はそれを踏み潰し、呆然とするその母親、俺はそれを斬り裂き、刃向かうその父親、俺はそれを砕き殺す。
          面白いように、まるで地を這い擦る虫の大群を土足で踏み潰すような容易さで……。
      吐き気がするほど、喜劇のように、屠、斃、顛、跋、蹂、躙、壊、握……殺戮の宴。

      赤い、紅い、朱い、ひたすらアカイ、赫怒を模した形相。
      それは正しく、人外。荒人神。鬼。

                遠い、遠過ぎる中天に向かって、紅い鬼が吼える、哭き喚く。

            心裂かれるほどの痛み、最後まで続かなかった思い……


                            ()が泣きながら、笑っていた――


「……ん? 已然形活用の活用は『ど』『ども』? 係助詞……、なむ? 南無? にゃむ?」
 気が付くと、何やら同じ日本語(と言っても俺が生きていた時代のような古語だが)で悩んでいる未熟者が頭を抱えていた。なるほど、学年一番の称号のわりに古文は苦手ときているらしい。溜息を小さくつくと教科書を覗く。なるほどそんな基礎から躓いていたのか。どうせ、学年一位とやらも丸ごと暗記をしていただけで、実は系統立ててまったく覚えていないのだろう。それは実用主義ではなく、拙速主義言うのだぞ、在姫?

「未熟者。『ど』『ども』に続く、係る結びは『ば』だ。
 係助詞の『なむ』は中位の強意表現、現代語で言えば『今日こそは』の『こそ』に当たる。例えば、

     恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ
 
 この句では『恋しい人のつれなさを恨んでは泣く、その涙で乾く間もない袖でさえ惜しいのに、浮き名が流れて朽ちてゆく私の名が、惜しまれてならない』のような『朽ちてゆく〜』にあたる場所、恨みがましいような言い方の部分だ」
 俺の説明に目を点にして見ている在姫。おいおい、これぐらいは教養として普通だぞ。最近の若者は古書にすら目を通さぬのだな。
「んー、尊敬」
「するほどの教養ではない。いいから続けろ」
 蛍光灯に照らされる机から、再び見えないはずの俺の方に小さな声で在姫は話し掛ける。
「でもさ、なんでこんな事覚えていたの? もしかしてそう言う昔の、連歌みたいの好きなの?」
「……あぁ、それは『縁があった』から覚えやすいと言うモノだろう。少しばかり自分の血筋とその歌仙に関わりが合っただけだ」
「ふーん」と何やら妙に納得した在姫。この話は突っ込まれると話が長くなるうえ、何分『実感』がないので終わりにしたかったので都合がいい。
 静寂に満ちた図書室。古い紙の持つ匂いが情感を引き立たせる。夕暮れに染まった校庭には人影はない。

 ……いや、何かおかしくないだろうか? 人がやけに少なくないだろうか?

 俺の思考を筋道立てて考えると、一つの結論が生み出される。
 そう、『人払いの結界』。霊気装甲の無い人間に外界、自然界からの作用で、その場に居づらいような違和感、突然帰宅を促す衝動、説明不明の思いつきによって、効果内の人と言う存在を追い出す精神的な作用の魔術結界である。
 この手練具合、魔術師であることは間違いない。強力な霊気装甲のブロックを持つ在姫と霊気装甲そのものの俺はその影響を受けなかった、いや、それとも『受けさせなかった』のだろうか? しかし、魔人に気付かせないとはまさに匠級だ。
 意思の網を巡らす。自身の霊気装甲を薄い和紙のように広げて、受動型のソナーのごとく、何かを拾う。


 西方、午の方角に、六十間(百八十メートル)に三つの交霊武装の気配。


 俺は古文の読解に熱中している在姫を視線に置く。
 外部の霊気装甲の流動は零。相手の術はまだ作動していない。先手を打つこともまた戦術。攻撃も最大の防御と言うのは実戦でいやと言うほど知っている。
「済まん、在姫」
 古文に没頭する、小さな少女が気付かれないように声を掛けると、図書室の壁をすり抜けて二十メートル下の地面に着地。霊体時よりも物理的な攻撃を与えやすいように実体化すると一陣の風となって猛る。
 と、そこで一度振り向いて『高さ』を思い出す。……うわぁ、こんな高いところから飛び降りたのか?
 間違ってもこの『弱み』は在姫にはバレないようにしよう。
 体育館、その横には立派な弓道場がある。夕暮れに満ちた校庭はダンダラに匂い立つほど赤い。
 その朱色の中心に一人、大人しそうな垂れ眼の少女が居た。
「こんばんは、【魔人】さんですね? あなたは?」
 その右横には筋骨猛々しい男が腰のあたりで三つ、百二十度間隔で開くように上半身だけが三体繋がっている。その腰辺りは人の足でなく蟹のような、十本の尖った足が等角に付いた厚い円盤の台座の上に乗っかっている。
 その左横には隣りの男に劣りながらも、十分な迫力を持った男。しかし、その腰から下である部分は首を切った馬にくっ付けられたようになっている。ケンタウロスと言う人外だろうか? 左手には弓が握られていた。背中に十分なほどの矢と矢筒がある。
 だがその猛々しさにも関わらず、そのどちらにも、『生』と言うモノが感じられない。虚ろな物体。そして青銅色の肌。

機像兵(ゴーレム)だな?」
「へぇ、私のオリジナルにも関わらず、よく分かりましたね?」
 白皙の肌の少女は長い、膝まで届くほどの黒髪を揺らす。あまりに磨き抜かれ、艶やかな髪は鏡の如く、茜色すらありのまま返した。
「当たり前だ。そいつら二体の額の防具。その下に僅かに見えるのはヘブライ語において真理を意味する『Emeth』の文字。それだけで十分断定は出来る。装甲に4インチIS製の対物理魔鋼と神経直結有線作動とは正しく戦闘向きの『動く交霊武装』だな」
「なるほど、視力と察しが良ろしいようですね」
 垂れた眼が細められる。その少女の両手首には、それぞれの機像兵を直接的に、末梢神経と繋げた線によって操るための極細糸が伸びていた。単分子結合炭素線(モノフィラメントストリング)か。槍の大雑把な刃での切断は難しいな。
 (がく)ッと重い金属が動き、頭をやや垂れていた鋼の兵隊が、目線で俺を捕らええる。

 外部霊気装甲流動確認。

  来る。

機像兵使い(ゴーレムマスター)と言う事は……、魔術師同盟、轢刑(レキケイ)の摩壁 六騎だったかな? なるほど、機像兵の怪力ならば、車に轢かれてグシャグシャになった轢殺体に見えない事もないだろうな」
「――少々喋りすぎたようですね。では、我が願いに置いて、邪魔者は轢かれなさい」
 細い両手が高々と、奏者のように舞い上がりながら俺自身を指す。
 それに合わせて、俺は中空から槍を握った。

      *         *          *

        ――Side A――

 その場所は、既に戦場だった。
 校庭のトラックでは突撃兵(トゥルーパー)狙撃兵(スナイパー)によって、戦場の最悪のコンビネーションが発揮されている。
 専門の魔術師でなくても分かる、あの疲れ知らず、かつ理不尽な機械的動きは機像兵に間違いない。
 鋼鉄の鉄拳は小躯を狙う。
 だが、小躯自身が驚異的な機動性を持って回避を繰り返す。
 頭を下げ、腰を開き、膝を落とし、身を半分の斜めにして、足を捌く。まさしく、神速の体移動。当たったと思えば、それは残像。そう、間近でなく遠眼で、それでも見間違えるほどに速い動き。
 以前の亡霊騎士ほどの技も無いためか、避けきれない攻撃を槍で合わせて逸らす事すら無く、寸前で見切っている。
 外れた拳は校庭に無数の拳痕を残しながら、後方、横方、前方、斜面、全方位に展開する魔人を追う。
 だが、驚異的な機動性を持ってしても、三方、全ての死角と隙をそれぞれの上半身で塞いだ機像兵に槍を当てる事は出来ても、致命傷、もとい壊すまでにも至らない。思いっきり踏み込もうとしても十本のカニに似た足が踏み込みの邪魔をする。かと言って、立ち止まれば、
 (シャ)ッ、と国定の僅かに立ち止まった瞬間と、心臓を狙うように放たれる人馬の矢。
 それを眼も使わずに分かり切ったかの如く背後からの矢を避ける国定。それは突撃兵の拳撃を避けながらの行動と選択である。
 コンマの先には穿つ矢と砕く拳。
 それでもなお、それが当然であるかの如く、国定は連撃の緊縛から抜け出る。
 それも、ある程度の余裕を持ちながら。
「……強い」
 思わず、言葉が洩れた。

 一騎当千、万夫不当、鎧袖一触、歴戦練磨。およそ国定を形容するような適切な言葉は見つからない。彼の自信はその眼に映されているのだから、それ以上の言葉なんて……。
 いや、でも、もし彼を一言で例えるなら名詞、ただ一つで事足りる。

  ――【英雄】。古代、千の悪鬼猛る戦場を、僅か一騎で駆け抜けた強者。まさしくそれだ――

 その小躯には、何らかの幻視だろうか? 一番初めに見た巨躯が重ね合わせられるように動く。そして、その身も私の子供時代の服ではなく古代の戦士である、唐紅の大鎧に脛当て、手甲、飾りを付けた鉄兜が浮かぶように眼に見える。
 しかし、優勢に見える彼でも、あくまでも現在の対処は防戦の一方通行のみである。
 機像兵の操者、美少女の魔術師は校庭のど真ん中に突っ立って優雅に旋律を、そして戦慄を伝えるように舞い踊る。
 私は指先に『呪い』を凝縮し、さらにそれに物理的ダメージすら与えた魔力弾、『フィンの一撃』でも加えてやろうかと思ったが、いかせん校庭の真ん中、三百メートル先は遠い。私は魔女なのだ、狙撃は魔弾の射手にでも任せよう。さて、それでも近い側の機像兵には意味がない。生物だけにしか、『呪い』は効かないのだ。
 勿論、当てる事は出来るが、彼らは魔法使い対策として霊気装甲の流動を職人的に感知するのに長ける。基本的な、霊気装甲での身体強化による十分な狙いと距離で減衰する威力のために『体外』で呪いを固定化させる十分な霊気装甲の流動は必須。さらに魔力弾が万が一にでも外れたら、こちらに弓矢の狙いが定まる。
 注意を惹きつける為に校舎影から出ようかと思ったが、ここで、この間のように出て行ったら亡霊の時の二の舞である。
 狙撃兵、ケンタウロスの矢が私の胸に吸い込まれるように当たるはずだ。国定に同意するようだが、不本意ながらわざわざ矢面に立つのは愚行以外の何ものでもない。


  それに、そんな事をしたらまた、

             ――途切れた上半身(からだ)――


                            悪夢の繰り返し……


 ――私の魔法の体系である召喚術は非常に援護には向かない。一部の交流の深い生命体を除いて、私の制御の手を離れてしまう事が多いのだ。下手すると、今ココで召喚をしても彼を傷つけるだけになるかも知れない。どうする?
 仮に一体を召喚したとしてもアレほどの攻撃力の機像兵。現実界にとどめて置けないほどのダメージを受ければ、異界に回帰せざるを得ない。そして、彼らの人形は一撃でその分の破壊力を表現できる細工である。獣人級の腕力なら耐えられる力があるのに。
 情けないッ。才能は有っても、今使えなくては意味が無いのだ。彼を少しでも援護する方法……。
 少しでも彼が踏み込みに専念できれば、少しでも彼に攻防を考える(いとま)さえあれば、生身の彼女に近づけ……。

「あれ? おかしい」
 おかしい、本当におかしい。なんで、彼女は『目の前に居る』のか?
 機像兵の操者はその性質上、二つのタイプに分けられる。
 一つは、有線の神経接続によって脳に直接信号を送りながら、視界を同時に確保して戦う方法。
 もう一つは、無線で擬似魂回路に生霊を憑依接続しての遠隔操作。魂の一部として生霊を乗り移らせて戦う方法。
 どちらに長短はあるにしろ、おかしいのだ。

 つまり、機像兵の操者が『その場に居る』必要はない。
 つまり、どちらにしろ『機像兵の操者が敵の目の前にいるのがおかしいのだ』。

「まさか……」
 いや、有り得ない事でもない。
 私の流れを感じ取る。
 静かに、覚られないように小さく、『体外に洩れないような』霊気装甲の流動で編んだ意思の糸を機像兵に這わせる。
 魔法の糸。精神を紡いだ、精神と接続するための糸。

 接続≫≫
 自分の思考が流れないように、注意をしながら、無意識に、手探りにその先を辿る。
 そして、二つの兵士達への精神の流れは一度少女に集まり、そこから『さらに外側に一本の線』が繋がっている。
 それは上へと向かって……。
 ≪≪解除

 体内に巡る小さな粒達、それで私の身体の『内側』を活性化させていく。
 校舎脇の影から校舎内へ。強い日差しで傾いた影を縫うように、闇に這う。
 その速さは魔人たる国定には及ぶ事すら適わないが、それでも常人の、いわゆる筋力のリミッター解除くらいは出来ている。
 波打つ、魔女の心臓。
 階段を勢い良く駆け上がる。そのスピードはジョウチョーの日頃のパートナーだけあって、私の普段の運動能力とは相余っても少女のモノとは思えないほどの速さと力強さ。
 そして、屋上の踊り場へ。
 いつもは開け放しの場所が、『結界』のように、人を拒むかのように閉まっていた。
「でぇぇやぁぁぁぁぁっ!!」
 ドアノブの一番脆い部分を梃子と限界まで引き上げた筋力で蹴破る。
 ドアが弾け飛ぶ。ドアはノブを壊すだけに留まらず、そのまま形を保って蹴った方向に移動し、縦に倒れた。
 熱い夏の風が一陣とその場所を薙ぐ。朱色から、ワインレッドに変わり始めていた空。
 それを仰ぐように見ている、暑苦しい白衣に、短めに切られた金髪の女性。
 屋上の校庭側に真の操者は居た。
 眼下に見える光景は、未だ繰り広げられる戦渦。ここなら戦況を見るのに不自由はしない。
 私は五指を広げて、その先に魔力弾を瞬時に溜めて、言い放った。
「魔術師の独奏曲(ソナタ)は終わりよ、葬送曲(フューナルマーチ)でも準備しなさい」
 振り返った女性は怜悧な目を僅かに伏せながら、未だに微かな笑みを浮かべていた……

      *         *          *

                −Side B−

 さて、困った事が起きた。
 六年前に、大馬鹿など超えて人類の禁治産者代表である俺の上司に召喚されて以来の困った事態だ。その時からは原因不明の魔法爆発やら失敗した実験爆発やら誤爆した核爆発やらなんやら困った事は日常茶飯事に無駄に起き続けているため、例え困った事でも本当に困った事なのかと確認してしまうのだが、即答でこんなに困ったと感じたのは召喚以来初めてだ。

 さて、困った時こそ冷静に分析してみよう。

 目の前に居るのは機像兵(ゴーレム)。通常なら傷つけることの出来ない、肉体を持たない物体、霊やらなんやらを傷つけるようにしたモノを交霊武装と呼ぶ。その一つでユダヤ教の秘術(カバラ)によって動く交霊武装でありながら、元の泥人形とはまったく掛け離れたオリジナルのデザインで造られたものである。無論武装なので、普通の武器としても傷付けられる。つまり、霊体の俺を傷付けられる。
 三体が各方向に均等に配備された、筋骨逞しい男が腰の辺りで蟹に似た十本足の物体に繋がれている。その上から下に至るまでIS製、イトッコサーカス製の特殊合金である。交霊武装を生み出す魔術師、その専門家を錬金術師と呼ぶ。イトッコサーカスはその中でも反死神派、【逆神】に属する最大の錬金術師団である。それが生み出した合金は自然界の霊気装甲処理、錬金術によって飛躍的に靭性と硬性を上げている。
 異形の殺人空繰(カラクリ)人形、機像兵。
 たった今の、俺のコメカミを紙一枚で走った拳の一撃は轟風のみで髪の毛が散る。散った髪は元々この世に無い物質として大気に溶けるように消えた。
 もし、一撃でも直撃すれば、俺の肉体も同じ末路を辿るだろう。だが、残念ながら機像兵の操者は操るのには長けているが、『戦闘』には上手のようではなく、俺の体捌きに翻弄されているようだ。
 同じ様に、上半身は優美な男で下半身は四脚の馬の機像兵も、弓を執って俺の身に矢の雨を降らせる。だがその殆どは外れるか、蟹男の機像兵の身体に当たるのみである。無論、IS製の装甲、うんともすんとも言わず、矢は火花を迸って弾かれる。


 それを操る黒髪の少女、
 ――の形をした『機像兵』の更に上。校舎の屋上にいる真の操者。


 その目の前に…………、何故あの『未熟者』が居るんだ?!

「あのバカ!!」
 激情とともに叩きつけた刃金が鋼と火花を散らし、奥まで届かずに尽きる。

 先に機像兵の前に来たのは失策だが、魔術師が直接操作するかも知れない結界に入り、それに囚われている間に機像兵で殺されるのよりかは幾分かマシだと踏んだのだ。
 それを回避するために、魔術師の武器、『機像兵』を先に叩いたのだが、それがどうにもこうにもなら無い。
 この槍は特別製だが、ある事情で槍の先を失っている。おかげで『貫』、刺し穿つ機能は無い。
 人の肌ならまだ傷つけるられるにしろ、相手は対物理衝撃に十分堪えうる重装甲、肌を刃で撫でるような小技が使えるはずもなく、必然的に大きく振り回すような『薙ぎ』になる。だが、それでも通常装甲の倍である守りをまったく傷付けられない。元の筋力であれば、三度で破壊出来ると言うのに。
 例え今の体格でも、もし、槍に一点を貫く機能があったなら、確実に魔力を制御する中枢刻印の『真理〈Emeth〉』を『死〈Meth〉』に変えていただろう。例え、金属でも、そこだけでも抉れば止まる。
 狂った戦士は嵐のごとく、豪腕を振り回す。操者の技量と機像兵の性能など関係なく、単純なスピードなら俺が上だろう。
 魔人であるために目に見えた疲れはないが、それでも刻一刻と俺の霊気装甲は削られていく。
 突こうにも先がない。立ち止まっても薙げない。

 だからこそ冷静に一計を案じる。

「そるァッ!!」
 刃から一転、その反対である石突を『機像兵の足に叩き付ける』。
 空を切る鋼色が夕日の残光を返してワインレッドに染まり、血を彷彿とさせた。
 複雑な関節の『最も柔な部分』が砕けて、脚が一本弾け飛んだ。
 残るは後九つ。
 耳元で風を切った矢を過ごしながら、とにかく目の前の空繰を倒す決意を固めた……。

      *         *          *

                −Side A−

 金髪の女性の着る白衣の色はワインレッドから徐々に明度が下がり、赤く、そして黒く変わっていく。
 短い髪は夏にしては生ぬるい風に晒されて、ユラリと静かに揺れている。
 天井には満月より二日過ぎた十七日月。夕方のそう早くない時期、立って待つほどの時間で変わる月のため、通称立待月(たてまちづき)とも呼ばれる。
 昨日の今日、早い段階から出現した敵、機像兵の操者には相応しい月の名ではないだろうか?
「さぁ、その擬似神経をととっと引っこ抜きなさい! そうでないと蜂の巣にするよ!」
 私の五指は容赦なく女性を狙っている。その気になればこの距離で胴体を内臓破裂させることだって出来るほど、凝縮された物理的な呪いなのである。ちなみに五本指それぞれから放つそれは、まさに円筒機関銃(ガトリングガン)である。
 それを前にして、操者は憮然とした、楽しみが邪魔されたかのように溜息を吐くと、初めて私に振り返った。
 理知的な、およそ、論理と呼ばれるもの以外は否定しているような鋭利な瞳。薄い黒縁フレームの眼鏡に、白衣の下のトレーナーとジーンズは研究者として如何に一般的生活と比較して『ずぼら』なのかと物語っているようだ。こんな蒸し暑い中で暑くないのだろうか? それでも白すぎる肌は血管が透けるほど薄く、真冬の寒さを覚えるほど病的とさえ感じる。
「在姫ですね?」
 確認とも取れる言葉。だが、私は答えるつもりはない。
 校庭を再び振り返ると彼女は続けた。
「あの、黒髪の子は私の傑作なの、素敵でしょう? 後の二人も私の力作なの」
 ふふふ、と自らに酔いしれるような言葉。
「止めなさい。いますぐに」
 静止を促す。意思の塊の一部である生霊を『黒髪の女の子の機像兵』に降臨させ、さらにそこから擬似神経回路で操る手腕。
 言わば、彼女は『同時に三体の機像兵』をタイムラグゼロで操っているのだ。並みの操者ではない。生霊によって全てに同じような命令を出し、三体以上を操ることは出来る。だが、彼女のように生霊という媒介を使いながら、さらに擬似神経で二体同時に操っているのだ。彼女はそれぞれを群体では無く、個々として扱っているのだ。その技量は魔術師でも極端中の極端、最高の部類に属する魔術である。匠級とは、マジで凄いようだ。
 擬似神経越しに送られる情報を確認しながら、同時に、上から戦場を直接眺める戦術。戦下手とて、同じ視点である平面(二次元)からよりも上空(三次元)から戦況を見る方が容易いのは当然である。
 私の方を向き直った白衣の女が白いハンカチを無造作に取り出した動作に身を固めてしまう。だが、それはただ単に額の汗を拭うだけだった。
「弱った魔人だと『彼』も言っていましたけど、あなたの彼も頑張ますね」
「彼氏じゃねぇ、勘違いするな、スットコドッコイ」
 思わず出た反応に「良い切り返しです」と分析するように、かすかに笑みを浮かべて楽しむ。
 なんでそんな風に言い返したのか、なんて考える間もなく、夏に似合わぬ冷風が私にそよいだ。

「で、私をどうするつもりですか?」
 決まりきった事、それを確認する女。
「撤退するなら、私を忘れて、この街からとっとと出て行くなら許すよ。けど、刃向かうなら――」
 一歩踏み出す。魔女に迷いは無い。
「――叩く」
 同時に完全に日が沈み。夜の帳が天幕のように空を覆う。
 暗さに馴れた目でも、硝子の如く反射する瞳と意思は読み取れない。

             「そうですか。でも、どっちにしろあなたの心臓を貰うのですから、死んでください」

 顔に似合わず、論理と倫理完全無視での発言。その次の瞬間、私の心臓が跳ねた。
 その本能の警告に従って、回転レシーブのようにタイルを真横に転がりながら『彼女の突進』を回避。真横から、突っ込んできた魔術師のどてっ腹に魔女の一撃を喰らわせる。
 開いた指先から五つの歪んだ空気塊。

 だが、白衣の操者はその呪いを『素手』で受け止めた。

「なっ!」
 次の瞬間、霊気装甲の流動で強化した、私の目にすらコマ落としのように映るスピードで肉薄する。
 左の拳ッ!
 避けた場所、背後にはコンクリートの壁。
 私は操者と交差するように、飛び込み前転の要領で回避する。
 直後、デタラメなフォームで、およそ格闘技とは掛け離れた崩れた動きで、女性はコンクリに拳の型を残した。
「『槍手』!?」
 一瞬、あの鈍器の拳を思い出した。だがそれとは違う。まるで、力に頼ったような動き。断じて、あの洗練された、凄みのある技とは違う。
「なるほど、さすが魔女。装甲での身体強化などはお手のものですか」
 機械、金属の軋み、歯車と歯車の音色、人工筋肉の唸る声。それはそれぞれの四肢から聞こえる。
 そんな、
「……信じられない、両手両足を機像兵用の手足と取ッ替えてある」
 生身への人工強化。病的なまでの繊細さ、あるいは神経質なまでの集中力。それがなければ、肩から先につけたクレーン車を操ることさえ出来ずに、力加減のミスで自ら胴体を引き裂く事となるだろう。それは彼女のような魔術師でなければ死んでしまう事を意味する。
 だが、「No,No」と私の言葉は間違いだと言うように、人差し指を立てて左右に振る。

「取り替えたのではありません。『私には元から無かった』だけですよ」

 え? 待って、元から無かったって……。
 私の口の開くのに合わせて、女性はコツコツと低いパンプスの音を立てながら中央に移動する。
「そう言うことです。言わば、奇形児と呼ばれるものですね。人によっては四肢の無い私を『不格好』だと嘲笑い、人、特に男性によっては私を都合の良い『玩具』かわりにしてました。まさに『手も足も出ません』からね。そして最後に、襲った人も、それを憐れむ人も、みんな言うんです。『可哀想ね』と」
「飽きちゃいました。同じ反応で」と過去を回顧するように、眼鏡越しに虚ろな瞳が映る。
 そして、私を見る、何も知らない私を打ちのめすような見下した目。
「でも、その惨めに『アザラシ』のように這いずっていた私に新しい手足を与えてくれた人がいるんです。本当に、この身体は素晴らしいんですよ? 不格好と言った人を『同じ不格好な姿』にさせたり、私を玩具にしたように、彼らの大事な場所を玩具のように『握り潰したり』する事が出来るんですからね……。しかし、その人の手でもこの身体を満足にはいきませんでしたからね。これ以上肉体と機械の齟齬のある歪なメンテナンスを続けると、自然に元の体の方がボロボロになると仰られました。そこから先は私の研究です。肺から心臓、脊髄から脳まで、『全てを変える必要』があったのです。私は『人の魂を機械の身体に完全に移植』しようとしているんですよ。そんな事が出来るのは【魔法】くらいですからね。私は、完全な体が欲しいんですよ。そんな辱めを受けた事、貴方はありますか? もし無くとも、その惨めな気持ちが分かるのなら、それを克服させてあげたいとは思いませんか?」
 確かに、私はそんな惨めな事を受けた事はない。でも……、
「……これが私の願い。誰も人並みに生きていたい、ただそれだけを叶えるための、行動」
 身体の欠損など分からない、その点では私は幸福に生きていた。でも……、
「そのために、貴女の心臓、いただきます」
 放っておけば、死ぬ体。そのヒシヒシと日々続く圧力すら理解は出来ない。
「私の手、私の足を、身体を下さい」

 ピタリと私の目と、その狂気の瞳を合わせた瞬間。


         「ふざけるな。これは私の心臓だ。誰であろうと命を粗末にするような人間に渡すつもりは無いッ!!」


 弾けるように、魔女の心臓は高鳴った。
 これだけはハッキリ言いたかった。確かに辱めを受けた事は同情できる。理解しがたい世界がある事、それを体験していないで言い返すことも出来ない。だが、『それ』と『これ』とは話しが違う。自分の望むモノのために他者を踏みにじることなんて、倫理とか、道徳とかで言い表せなくても、許せるはずがない! 何より、自分の幸福のために、他人に自分と同じ不幸を与えるのは矛盾以上の何でもない。全てが等価交換の世界であろうと、それは、等価交換を無視する、私の意思が許さない! それはただの当事者の認識の問題だ。

「……なるほど、これまで、三つ程狩ったの魔女とは些かと違いますね。天然お嬢様育ちの魔女の方々はコレを聞くだけで失神、嘔吐までして、無防備にしていたのですが……。やはり、私は精神系の結界を張るのが不得手ですね。精神に不当な呵責を受けるように設定したのですが……」
 理論立てて考え込む女性に言ってやった。
「当たり前よ」
 当たり前だ。魔女となると決めた『あの決意を持った済まない瞳と合わせた』瞬間から、私の心は揺らいでいない。
 だから研鑚を続けた。だから私は、魔女なのだ。だからこそ、

「アンタに負けるつもりなんてないんだからッ!!」

 その言葉と同時に、これまでの同朋の恨みを晴らすべく、怒りの鉄槌を投げかけた。
 呪い撃ちと呼ばれるガント撃ちでも最高の、物理レベルのフィンの一撃が、機像兵の腕でガードした顔と全身を物理衝撃で一歩後退させる。
 ガードした腕越しに見える歪な笑い。
「後悔しますよ」と唇の形は語っていた。


11 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/11(火) 20:14:06 ID:WmknzDW4

衆合4

                −Side B−

「なんて動きだッ!」

 勿論ながら、それについて語っているのは目の前の突撃兵でも、狙撃兵でも、その偽の操者でもなく、屋上の女の事である。
 突然、向かい合った在姫に突撃したかと思うと、コンクリの壁をぶち抜き、何かを喋った後、現在は『空中』にいる。
 超人的な跳躍能力。飛翔とでも言うべきか、と下らないことを悩んだ次の瞬間。在姫のコンマ一秒前に居た場所、その真下に十メートル飛んだ分の位置エネルギーを加えて、足の裏が押し潰す。穿孔音。
 在姫はそれを後退して回避しながら、魔女の嗜みとでも言うべき、魔力弾、フィンの一撃を送り返して、さらに後退。 
 透明な歪みを持った五つの魔力弾は交差した女の両腕に炸裂し、白衣の袖から、煙をあげさせている。しかし、その腕には支障はない。霊気装甲で強化した肉体の在姫を追い詰めるほどのスピードとパワー。改造と言う事か? いや、違う。生命体である限りは呪いを受けた瞬間に影響が出る。という事は、あの女は四肢を機像兵化したというのか?

 だが、俺が驚いているのはそんな事ではなく、そんな自分自身の攻防を繰り返しながら、『こちらの機像兵の動き』を怠っていない点だ。
 いや、些か鈍ったと言えばそうだが、それでも遜色は微々たるモノだ。 
 そう、つまり、あの女は『四つの肉体』を同時に操作しているのだ。常人の(わざ)とは思えない。
 それを相手にする在姫は普通の魔女と比べたら、コップとバスタブほどの差のある魔力の量だが、それとて無尽蔵ではない。
 ましてやあの小さな体、いくら伝導率が高くても魔力を通しすぎれば、魔人でも無い限り、人である身体は魔を忌み嫌う。結果、自身を魔力で傷つける。
 ピシャリと、突然、口元を抑えた在姫から鮮血が洩れた。魔力の通し過ぎで内臓、特に心臓に近い肺が傷つけられたのだ。
 大馬鹿者、張り切りすぎだ!
 それでも、在姫は躊躇わず、ゴクリと血を飲み込んで、一撃を放つ。
 クソ、未熟者がッ! 大人しくしていろと――
 俺の身体はそんな考えとは別に動いて、足をまた一つ砕いた。それでも続けざまとはいかず、次の一本からは警戒されているので中々手を出せない。
 もう一度――。
 俺は槍を地面に刺し、棒高跳びの要領で飛び越える。操者に合わせて、僅かに驚く刹那、振り向き様に回転しながら背後の足を砕く。後、八本。
 ――未熟者が、絶対に生きてろよ!

      *         *          *

                −Side A−

 本当に何やってんだろう。私。魔法使いが近距離戦をするなんて、また国定にどやされるな。
 悪意を持った機動性が白衣で翻る。夜闇にはためく金糸。
 そして今度こそ、魔力の通し過ぎで体が痺れ、足の止まった私の首を白衣の女が掴むだろう。
 もう少し、大人な体だったら、耐えられるのに、未熟な身体がこの時を含めて本当に恨めしい。

 暗闇から伸びる様に、
           白い手。

                ホラ、掴まれた。

「カハッ」

 気道と頚動脈を潰すように、右の魔腕が、魔手が私の首を握る。
 血を失った脳の反応なのだろうか? 空気中で、魚のように口をパクパクとさせて酸素の在り処を求める。
 足掻くための足は地面の所在を無くしている。解こうともがく手は力を無くしている。
「ここまでですね」
 金属の擦れる音。その首を持つ反対の手には同じ魔腕、魔手、揃えられた、抉るのに相応しい形の魔指。
 心臓がこれ以上打てないほど高鳴りを連続する。
 生きたまま、心臓を抉られる恐怖。
 あぁ、くそ、ここまでか。体の弱さが嘆かわしい。もっと私が大人の体だったら……。
 死線が近い。張り詰めた先、白い空気に埋もれる中で、私の意識は……。

      *         *          *

                −Side B−

  そんな光景を俺は見ていた。
 ――――何をやっているんだ?
 こんなデクノ坊に足手まといされ、守るべき対象を戦わせている。

   そして、今は、その最大の危機。

 ズキリと、前頭部が痛む。失われた、それ以前に失われた幻影が問い掛ける。
『戦え、――のために、力の限り』
 削れる体。
 そうだ。魔人とて、その魔力は制限無しに通せても、絶対量は決まっている。
 魔人の魔力を通す、それは自らを削り取る儀式。ヤスリを身体に当て、それを自らの手で、ゴリゴリと音を立てて、皮を、肉を、骨を、見えない魂を削ぎ落としながら擦る苦痛の儀……

                      だから、どうしたんって言うんだ。

 守ると、ただ決めた。はっきりと約束したあの時。
 それ以前の、曖昧な決意を忘却した記憶、その中ですら朱墨に落とした血のごとく、融和して消えた思い出。だが、その中でも感覚は残っている。約束は果たさなければならない。
 だからこそ、自らの身の消滅をためらってはならないッ!!

                  ――途端に、浮かぶ。自らの記憶の欠片――

 俺は唐突に機像兵の攻防から離脱すると、弓道場へと向かう。
 むろん、俺を突撃兵が追い駆けるが、霊気装甲を完全に使った獣の本来のスピード、加えて五本も折られた足が勝てるはずがない。
 槍は虚空に消す。今の俺には必要はない。
 弓道場正面の、弓を射つ側のシャッターを体当たりで破り、板の間を転がりながら手近な弓と矢を取る。
 無意識に取った弓。それは通常の二倍以上の握り、つまり、二倍以上の力を持って引く強弓(ごうきゅう)と呼ぶもの。
 矢を弦に(つが)える。おなじく、無意識に取った矢は計らずとも自らの身長に合ったものだ。

 シャッターの手前まで迫った機像兵。

 弓を射ること。射とは即ち理である。弓と言う利器に自らの技術で(あたり)を作り上げる技術である。
 八つの行程を持って作られる射の理合。それの射の道から外れる事がなければ、矢はその方向に然るべき業で当たる。
 八つの行程とは、【足踏(あしぶみ)】【胴造(どうつくり)】、【弓構(ゆがまえ)】、【打起(うちおこし)】、【引分(ひきわけ)】、【(かい)】、【(はなれ)】、【残心(ざんしん)】である。

 【足踏み】で大地に右膝を立て、左膝をつき、足が大地を踏みしめる。
 身体は天を貫くように真っ直ぐと立て、【胴造り】で体の、見えない芯を胴に造る。
 【弓構え】で左手の微少な形を整えて、右親指の付け根で、矢をごと、弦を引っ掛けるように捻り、弓を構える。
 狙いを定める。動くモノではない。既に俺の心の中では奴の身体は捉えられている。いや、既に、俺の中では矢は(あた)っている。
 高々と、矢を番えた弓を銃の撃鉄が上がるように【打ち起】こす。弓の本体がまったくぶれる事無く掲げられる。
 先に弓を持った左手を伸ばす。ギシリと反対の親指に鈍痛。皮の手袋、ゆがけで保護されるべき、右手親指の付け根の一転に重圧が掛かる。
 しかし、心象明快。既に、俺の心は決まっている。この程度のことで、俺は揺るがない。
 天と地を一本の垂直線で結び、それを陽光で分けるように弓を引き絞りながら、弓と弦を均等に【引き分】ける。
 ここまでに一息、無駄などない。幾千と戦場で繰り返し、命を賭けた技に無駄などない。
 そして、全ては整い、真が通り、美を享け、善を悟る。必ず矢の当たる筋力の微妙な計算の解を、【会】を得た。

  矢は【離れ】た。

 機像兵の体が大きく吹き飛ぶ、その矢は確認するまでもなく、装甲の奥に隠された額の『E』を潰している。

 甲矢(一番目)は中った。【残心】が、心を次の獲物へと残し、次への射へと予断を許さない。
 乙矢(二番目)を素早く構える。
 八工程が引き絞る弓。
 血潮が、剥き出しの親指から弦を伝って紅く染める。
 ほぼ同時、狙撃兵の矢と俺の矢は手元から離れた。
 俺は着撃すら確認をせずに、次の矢を番える。
 二つの矢は互いに先端をぶつけ合い、一方は逸らされ、もう一方が額の『E』を穿っていた。


 道場の外に出る。

 暗闇に凝らした瞳の先の校舎。黒髪の、少女型の機像兵が、恐怖に駆られたように俺に向かってくる。だが、それは的ではない。狙うはその先。

 番えた矢は二本、胴をくの字に曲げながら、それでも芯は保ったまま、『その方向』に向かって、天を射るように、上に向かって構える。
 対象は二つ。そして、それらは俺の心中(なか)では、既に中っている。

  矢は【離れ】た。

      *         *          *

                −Side A−

 私の意識は、突然正常値に回復した。

 突然、持ち上げられていた体が落とされ、脳に血が行き渡ったのだ。
 何が何だか分かったもんじゃない。だけど、今が貴重な勝機だと分かった。
 咳き込みながら指先を向け、至近距離で、
「このど畜生ッ!!」
 と私はフィンの一撃を放つ。
 女性は目を開きながら、腕を交差する。
 だが、五撃の内の一撃は腕の間をすり抜けて、吸い込まれるように額に当たった。
 眼鏡が砕けて、硝子が校舎のタイルを滑る。
 白衣の女の意識は一瞬でブラックアウト。身体が弾かれながら屋上の床に叩きつけられる。

 防がれるわけが無い。左肩と右手首。そこに『矢』が、『関節の間』に刺さっていたのだから満足に動かせるワケがない。

「国定ッ!」
 柵に体当たりするようにして見た眼下の校庭。
 暗闇に抱かれ、爆撃の後のようにボロボロになった校庭のど真ん中で、へたり込んだ国定がヘロヘロと手を振って、
「大馬鹿者」
       と親指を下に向けたやがった……。

 馬鹿はお前だ、と胸に刻むと、それでも私は笑顔で国定の元に向かって走った。

 天頂の立待月は雲の翳りを退けた。夜はいよいよ本番と言ったところだ。
 その月光のヴェールを校庭の真ん中で被せられ、野獣は肩で息をしながらもその瞳は未だ滑舌豊かに『大丈夫だ』と物語っていた。
「あぁ、まったく、未熟者のくせにたいしたもんだ」
 その発言に思わずスカートとその下を穿いていないこと(勿論スパッツを)など気にせずに、胡座をかいた国定の顔面に前蹴りを浴びせる。
 達磨のように胡座のまま後ろに転がりながらも屁でもないと言った顔つきで、勢いのまま元の姿勢に戻る国定。
「何をする痴れ者」
 ブスとした口調にフンと対抗する鼻息は私。
「名前で呼べと言ったでしょうが、バカ」
 その口調に朝に交わした約束を思い出したのか? 成る程、確かにそんな事も在った、と反芻するように巡らす。
「オメデトウ、未熟者だが運良く生き残ったぞ、在姫」
「実力だ、ドアホウ」
 もう一度、額に前蹴りを当てて転がしてやった。このまま転がしていけば、凸凹になった校庭も埋め立てられるかも知れないなどという名案も思いついたが、こんなバカを転がしても、頭が霊体でスッカラカンだから変な凹凸が増えるに違いないと一人合点した。
「何をする。暴力で自らの都合の良いようにするなど独裁者と変わらぬぞ?」
「バカ野郎、未熟者は余計だと痛みで痴れ」
 流石に次の蹴りからは余裕を持って、「そんなの当たるか」と避けられている。


「うーん、いいねぇ。君たちは青春をしているなぁ。私も若りし頃に立ち返りたいと思いますね」

 ――あまりの唐突さに、私たちはまったく同時に校門の方に顔を向けた。
 大した声調にも関わらず、その声色は、何故か空気を――震――と張るような緊張感を作った。
 薄雲の翳りの中、暗中でも分かる体格の良さ、人を食ったような顔と表情、雲の翳りと共に近づく、澱みない足取りは正しく私の師父。
師父(マスター)生羅。何故貴方がここに?」
 昨日のような店員姿でなく、表面に呪い除けの加工のなされた黒衣を着た、魔法使いの姿で来た男、双珂院生羅。
「うん、魔術師の襲来を予期してある程度の『隠匿』の準備をした事を伝えようと思ったんだけど……、既に入り用のようだね。妹弟子ながら、いやいや、参った参った」

 ボロボロになった校庭、砕けた弓道場の一部、そして機像兵の残骸。

 魔法使いや魔女はその性質上、世間に知られる事があってはならない。
 神秘は秘匿するからこそ、各々の蓋然性を持って世界が構築され、それを受け入れる者に力は享受される。

 言ってみれば、ただ単に自分達の功績やら何やらが『より多くの』世間様から認められないのを知っているため、それぞれの都合のいい場所に篭り、囲って、それらからの被害を受けないようにしているだけだ。『より多くの』世間の間に住む以上、『一般社会での神秘の隠匿』は避けられない事柄なのである。またパワーバランスという物もある。核兵器はそれを運用出来る必要な国だけが持っていればいいのだ、うん(勿論、無い世の中である方がはるかにマシなのは明白だとジョウチョーなら言うだろうし、私も同感だ)。

 そのために私たちは『人払い』、『記憶操作』を身に付け、『証拠隠滅』と『上位機関の圧力による報道抑制と操作』を使って、神秘と共に歩むのだ。

 そのための手助けをしてくれるのが、師父というわけなのだ。弟子の不始末は師の責任。甚だ申し訳ない気がする。むろん、死神にも頼めばやってくれるだろうが、今回は魔女間での独自の解決優先ゆえにあまり望むのも気が引ける。

「ありがとうございます」
「気にするな。マイ・シスべらッ!!」
 皆まで言わせず、ジェッツ・リー様を彷彿とさせるような身のこなしで蹴りたぐる。方位磁石のNとSがひっくり変えるように頭と脚の位置を上下逆さにする色ボケ。着地した首が百八十度以上の角度で曲がっているけど気にはしない。さすが、治癒魔法の達者だ。身をもって弟子に示すのは師の鑑だ。

 校庭の凸凹が少し増えたけど『元凶』がどうにかするので問題無いでしょう。

「ところで……」
 今まで沈黙を保っていた獣が唸るように言う。
「……高校生で動物柄の下着はどうかとおもうぞ?」
 嗜めるように言った国定は一人納得するように頷いている。


  ……あぁ、なんて言うんだっけ、このマグマが煮えたぎるような気持ち。
      この際、はっきり言ってやろう、うん。


「どさくさに紛れてスカートの中を見るなぁぁぁ!!」
「たまたま見えただギャラブッ!!」
 『熊の顔』を手で隠しつつ、ブルース・ルー師匠を彷彿とさせるサイドキックは国定の喉にまともに入り、バカ師父と折り重なるように倒れ伏した。

 ……と、言うわけで、師弟のよしみと言ったものか? 事後処理は身体をピクピクと痙攣させて、いつもとは違った首の角度で応対した生羅師父に全てを任せて帰路に着く。
 暗闇を駆ける獅子と鷹、そして馬の合成獣であるヒッポグリフに乗る、少年と少女。
 ビルの密林よりなお高く、ビジネス街から新興住宅へ。そして、新しき住人の町並みから古い家屋の集まりである私の家までと至る途中である。

 だが、飛行の最中、そこで一言だけだが、言いたい事がある。
 仮にも今はどうあれ私より年上の男性なのだから、もう少し男性との交際が今で経験上まったくない私の事を考えて貰いたい事が一つある。
 私は頬に熱いものを感じつつ、仕方なく顔を背けずに後ろに向かって言う。
「国定、……あなた、高所恐怖症?」
 人乗せと言えばヒッポグリフと呼ばれるほど、飛行生物としてヒッポグリフは安定している。その胴体に跨りながら、鷹の如き相貌の横の、ライオンの如きたてがみを手綱のように持つ私に、ちょっと苦しいんじゃないかってくらい国定は必死にしがみ付いて、と言うか腰に抱きついている。子供の見た目の割に発達した、男らしい肉体は女の子である私をドキドキさせる。加えて口には出さないが、国定も見れない顔では無いわけだし。


「そ、そ、そ、そんな事ないぞ?!」


 見る場所が無いためか、真っ直ぐと横目で確認する私の顔を見つめながら、蒼い顔をして不敵な笑み。メッチャ動揺してますな。
 何だか、旋回したり、宙返りしたりしたいなんて言う悪戯心が溢れてくるけど。
「……あのさ、キツイ」
 自らに流れる汗、ボロボロになったスカートやら制服は夜闇を駆けるたびにひらひらと揺れる。制服の代えってまだあったかなぁ?
 とりあえず、これ以上しっかり後ろから抱かれても恥ずかしいので、少し憮然としながら言ってみた。
 その言葉に気付いたのか、固くなった諸手を微かに緩める。
「スマン」
 国定も何故か憮然とした声色。
 ジワリと暑い夏が空を飛ぶ風で払拭されているはずなのに、少し、心地よいくらいの気持ちで日差しが暖かく感じた。




「運動して汗臭い事を気にしていたんだな」
「バ カ 野 郎 、叩き降ろすぞ」

      *         *          *

                −Side B−

「ほら、起きろ!」
 路傍の小石ほどの気軽さで蹴転がらされると同時に意識が覚醒する。
 在姫の暴力的な飛行、具体的に言うと七回ほどの宙返りで人事不省に落ちいっている間に、どうやら九貫の屋敷に到着したようだ。
「乱暴だぞ」と言ったところで人間性の解決にはならないだろうと思い、立ち上がるが……


 腰が抜けていた。

「うわぁ、情けなぁい」と言いたげな視線に対抗するように気合で立ち上がる。

 フン、在姫。君の思い通りにはならないぞ。


 熱帯夜を予感させる空気に反して、冷たさを保った床に俺は伸びていた。感覚器官を遮断しても良いが、気配が探れない。でも感覚器官をそのままにすると熱いわけで……、とにかく、俺は床に伸びていた。
「疲れたからシャワー浴びる」
 突然、肩にタオルを掛けた在姫が、微妙に間の抜けた状態の俺に声を掛ける。
 かなり、恥ずかしい所を見られたが在姫は気にしていないようだ。……案外、在姫も同じ事をやっているのかもしれない。
 シャワーと言うとアレか、西欧の逆式噴水の事か。
 確かに多少怪我をしたかもしれない。汚れを落した方が身体に良いだろう。
 肉体の構成を常に均一にする事の出来る魔人と違い、人はややこしい条件が多いな。
 いや、勿論、魔人として生きるのにもややこしい条件はある……。

「承知した。長風呂は控えろ。身体に良くないからな」
「アンタは私を高血圧の爺さんか何かと勘違いしていない? と言うか……」
 一拍、こちらを逡巡するように眺める。
 微妙な間。恥らった、それでも怒ったような表情。
 むろん、こう言うときの台詞は決まっている。

「覗かないで」
「覗かん」
 コンマ一秒で棄却。
 そんなことより魔術師の襲撃に備えろ。むしろ覗くくらいなら『実力行使』くらいはする。男だしな。
「そう言うことはもう少し……いや、酷だからよしておこう。色々と自覚したまえ」
 と皮肉で返すと「ウッ」と自分が未発達な事はよく分かっているのか、渋い顔をする在姫。
 まぁ、美人で十分守備範囲内だが、手を出すとしたらもう少し成長してからだな。
 身長は縮んだ俺よりも指一本上か同じくらいだが、それでも百四十の後半に届いているのか疑問に思うほどだ。
 女性としても魅力が、はっきり言うなら色気が足りない。巨乳白刃取りが出来るほどとは言わないが、せめて虚乳くらいからは脱却して欲しい。


 って何を考えているんだ俺は……、相手は護衛対象だぞ?
 第一に俺は……、まぁいい。魔力が少なくなったせいで少し飢えたのだろう。料理で少し補給するとしようか。
 では、在姫の入浴中に料理でも作るか。

 フム、御飯は炊いてあるな。冷蔵庫には鶏肉、卵、玉葱、……みりんと醤油、砂糖はあるな。では……煮干で出汁をとって、ワカメを戻して……、

「と、言うわけで、今日は親子丼にお吸い物を添えてみた」
「おぉ〜」
 風呂場から櫛で髪の毛を解きながら居間に来た在姫は、驚愕と言った面持ちでテーブルの上を眺めている。
 特盛り用の丼二つに、御飯はどこぞの日本昔話で見るような山盛りとなり、その山自体は黄色と出し汁の混ざった卵の間に透けた玉葱と鶏肉に隠れている。
 隣りには透った色の中に二点、緑のワカメと白い『ふ』が浮いている。
「勿論、つゆだくだ」
「……では、さっそく食べましょか」

 いや、箸を持ちながら言うな。

「挨拶はしっかりしろよ」
「PTAのおばさんじゃないんだからオアシス運動なんか流行らないよ」
「礼儀だ」
 意固地だが、ここは譲れん。
 食事の中途を邪魔されてムッとした表情の在姫だが、素直に挨拶をすると俺は食べるように促した。

 一杯目を食べ終えたところで二杯目の半分を食べかけている在姫がコッチをジロジロ見ているのが気になった。
「何を見ている?」
 その言葉に戸惑うように「いや、その」と言葉を詰まらせる。そんな勢いで御飯を飲み込んで喉が詰まらない方が俺の場合は不思議なのだがな。
「だって魔人って魔力、もとい霊気装甲だけで生きているんじゃなかったっけ? ってちょっと気になってね」
 もしかして、
「食費が増えるのが気になるのか?」
「そんな事ないッ!」
 炊飯器をチラチラ気にしながら喋られても説得力に欠けるな。
 俺はおもわず軽く笑ってしまった。
「いや、食うな。と言えば食わなくても動くことは出来る。魔人はその性質上、人間とは同じ生身を仮に構成する事が出来ながら、存在を異とする生命体だ。霊体になればそこらの幽霊や亡霊と同じ様に、現実界に干渉する必要もないから霊気装甲の消費量も微々たるものだ。だが、いつともしれない襲撃のために厳戒に実体化していた方が効率がいいと思ったんだ。そのために、普段の霊気装甲の消費を抑えるために食事と言うエネルギー摂取をするのさ」
「ふーん、つまりエネルギーの摂取方法が他に何もないから食事というわけね?」
「まぁ、それ以外にも『緊急の手段』はあるが、そこまで切羽の詰まる状況でもない。とりあえずは食事摂取が好ましいな」
 本当は食事と言うのは効率の良い手段では無いのだがな。一番は魔力を直接誰かから貰う事だ。
 大喰らいはしばらく箸を口に咥えながら、それなら仕方が無い、了承とでも言うように頷いた。

 そしてそれから暫く箸が進んで、ちょうど、在姫が三杯目のお代わりをしようと立ち上がったところだった。

 ――電話が鳴った。

 ピタリと、双方の箸が止まる。深夜十一時近い、こんな時間帯に何者だろうか?
 彼女の師父は連絡の必要はないと言っていたので、心当たりはない。とりあえず俺は頷くと、在姫はけたたましく鳴り続ける電話から受話器を取った。
 ゴクリと在姫の喉が鳴る。

「もしもし、九貫ですが……、なんだ。ジョウチョーか」
 ホッとするように壁に寄りかかる在姫。

 ジョウチョーとは、あの眼鏡を掛けた長髪の女性、斐川 常寵だったな。女性のわりに鋭い目付きをしていた。確か、コチラを妙に気にしていたような気がするが、気のせいだろう。霊体の俺を見えるはずがない。
 もし、仮に魔眼の類を所持しているなら、眼の周辺で霊気装甲の流動を確認出来るはずだ。彼女の眼鏡越しからは霊気装甲の確認は出来なかった。まぁ、あの眼鏡が錬金術師による一級の魔眼封じなら別だが、まさかそんな者が必要になるほど、常識外れの能力を持った人間がゴロゴロと身近に居ては溜まったもんではない。

「何どうしたの突然? 明日? まぁ、予定を見ないと分からないけど……?」
 と、思索をしていた俺を窺うようにチラリと見る。まぁ、現代に生きる魔女として、あまり人付き合いをあしらっては不自然なので不味いだろう、と俺は親指を立ててOKサインを出す。
「……うん、暇。暇だよ。あぁ、雑誌で見たツィンタワーの古書展覧会に行きたいの? あ、私も幻の植物ブースに行ってみたいなぁ」

 ツィンタワーとは朝に紹介されたあの高層建造物か。時代も変わったものだな。あのような、あまり高いところは苦手意識があるから昇りたくないのだがな。

「じゃあ、ホームルームが終わって、文芸部が終わるのは……六時だよね? じゃあ、その時間まで植物ブース回っているから、六時半に北ビルの大ホールで……、えっ、大ホールってあそこだよ。吹き抜けで大きなシャンデリアのあるところの階。三十七階だっけ? ホラ、髭面の市長が先週に非核都市宣言していた……あっ、思い出した? そう、そこだから。うん、それじゃ」

 受話器を置くと、手帳に予定を記す。
 少し、意外と感じるところを述べてみよう。

「長電話はしないのだな」
「電話代が勿体無いじゃない」
 話しより団子(食費)か。まぁ、納得だ。

 食事後、洗い物を終えた俺は情報収集代わりにテレビを付ける。高名な量子物理学者が自宅で密室自殺なんてぶっそうな特番のテレビを見ながら待っていると、歯磨きを終えた在姫がフラフラと戻ってきた。
「眠くなってきちゃった」
 目を擦る在姫。君は五歳児か?
 だが、今日の魔力と体力の回復が必要なのだろう。『治療魔法』は傷自体に粘土をくっつけるように出来上がった細胞などを補填するわけではなく、たいていは傷の治りを促進するものである。むろん、直す時は傷を治される側の栄養を急激に消費するのだ。在姫はいつも以上に腹が減り、睡眠も必要なのだろう。ちなみに手や足がまるごと吹き飛んだりした場合は傷を癒す『治療魔法』ではなく、魔力によって流素からまるごと手足を作り出す『再生魔法』などが必要だった、と理論だけは達者な俺の上司から聞いた覚えがある。

 二階に向かう在姫の後ろを俺は付いて行く。

「部屋の前は俺が守る。扉の外だが、もし何かあったら声を出せ」
「アンタが入って来ても大声出すけどね……」
 据わった目で返答。
 そんなに信用がないのか?
 別に過去に浮名を流した事は……、俺が『覚えている限りでは無いな』。

「……もういい。それじゃあ、おやすみ」
「ん、おやすみ」
 一日の終わり。今回はこの程度の被害で済んだが、次はどうだろう。

 部屋の中からゴソゴソとひとしきりベッドで体勢を整える音が続くと、続いて静かな寝息が聞こえてきた。
 さて、俺も一度霊体に戻って霊気装甲の消費を抑えよう……。
 本当は魔力の消費を減らすために寝た方が良いのだが、俺は寝る気はしない。

 繰り返されるあの光景は――に過ぎない。抜け落ちた記憶の残り滓……。

 狂うよりかは、幾らかマシだ――

 俺はギリギリ、思考が夢想に回帰する限界を保った……。


 The all ends justified the means. 
 Therefore, I was dead, then I am body.
 Provided he is saint, nobody commit guilt. 
 Ruin is nothing more than way to change an atonement.


12 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/11(火) 20:17:34 ID:WmknzDW4

幕間 鉄囲線二


 這いずる。
 惨めな姿、歪な体。足りない。足りない。

 手足は緩慢、意識は混濁、そして時折断絶。ずるずる。
 最悪だ。アイツは 人間 じゃない。悪魔だ。でも、悪魔は願いを叶えてくれる。でも、あいつは苦痛しか与えない。

 なら地獄の鬼か? 屍徒か? どうやら、私の思考は地獄に近づいたようだ。

 だって、こんなにも、ボヤけた地面が、近い。

 私は生き延びた。魔女の呪いは深刻なまでに私に痛手を与えた。
 でも、私はあそこから逃げ延びた。ずるずる。

 そのはずだった。両腕がつかえないため、矢を関節から引き抜いた口は血だらけで、眼鏡のない視界はボヤけて見える。ずるずる。
 私の後ろをアイツが眺めている。這いずる私を奇妙な見世物の動物のように眺めている。

 何故、私は這いずっているのだろう。負け犬、いや蝶になれない、醜悪な芋虫のように、惨めに私はただ手足で動く。ずるずる。
 いや……、大きな間違いを犯した、手足ではなく『胴体』である。顎を擦り、胸をひしゃげさせ、節々の骨の痛みを感じながら、地面を這いずる。ずるずる這いずる。

                   その遥か、私にとって遥か後方には、私の手と足があったから……


「貴女、面白いですよ」
 そんな私の姿を見ながら、ソイツは可笑しそうに、そして冒しそうに、声を殺しながら嗤っていた。
 手足のない、毛虫のような、『だるま』のような、不恰好な私を見下す。
 ただ『だるま』と違うのは私には立ち上がる足も支える手も無いと言う事実である。
 誰だろう、七転八起などと気安く言った屑は。

 そうだ。屑だ。死ね。屑、屑屑屑屑屑、ゴミクズ、屑。ゴミ。ゴメン、殺さないで、お願い。首を締めないで。死んで。私の代わりに死んで。生きたいの。ただ普通に生きたいの。だから、死んで、屑ども死んで。死にたくない、死にたくない、死にたくない……

「……あっ」

 気が動転していた中で、初めて私は声をあげた。ソイツは私の背に足を乗せ、まさしく蹂躙(じゅうりん)をしている。
 動かす胴体にはそれに抗う術もなく、水揚げされた魚のようにのたうち回る私。
 『むりやり捻り取られた』腕と脚の生え際から血が痛みと共に零れる。
 また、痛み。あの繰り返し。止めて。お願い。痛いのは嫌い。嫌い。嫌い。キライキライキライ。ごめんなさい。ごめんなさい、刃向かいません。もう噛みません。だから、叩かないで、蹴らないで。お腹に出さないで。いやだ、気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。私は人。人形じゃない。人形じゃない。だから――

「生かして、殺さないで……ぁあ、あぁ、う、うっ……」
 あまりの屈辱によって、恥も外聞もなく、涙は自然に零れた。
 噛んだ唇からは赤い色が地面を彩り、透明な液体と不定形に混じりあう。
 昔の自虐と陵辱の記憶が蘇る。

 なんて――、無様。

「……あぁ、『才能の無い』わりに貴女はよくやりました。無様ですが、同じ、魔術師として死ぬ前くらいは褒めましょう。まぁ、私は元ですがね……」


 目の前には機像兵、私の一部が残骸として鎮座していた。唯一、綺麗に残った黒い髪の最高傑作。擬似魂回路は取り払われたため、今はただの精巧な活き人形と変わらない。私の、身体になるはずだった、義体。
 その視線の先に何があるか分かると、男は口の端をいやらしく歪めた。
「あぁ、この人形でしたら、大人の娯楽代わりくらいには使えるでしょうね」

 心が、軋んだ。私の最高傑作。私の望んだ体。私の夢。

 そう言うと、意思のない偶像少女に近づき服の内側に両手を居れて弄り、舌を淫らに頬に這わせる。
 私の体が、もう一つの身体が軋む。泣いて、軋む。
 義体である少女の虚無を持った瞳はまるで絶望に満ちた私のようだ……

「劣等感ですかね? 貴女の容貌に反して、この傀儡は精巧で、美しい。それでも牡豚の性欲を処理する程度にしか、ぜぇんぜぇん役に立ちませんね。『何処まで精巧に出来ている』のか後で確かめてあげますよ。その程度の価値しかありません。――貴女と同様に、ね?」

 まるで、私の生き方、全てを否定するように、嗤う。
 まるで、私の生き様、全てが滑稽だと言うように、犯すように、嗤う。

「でも……この程度になるために、人生を掛けていたんですか? 貴女は、人としても魔術師としても無駄ですね。牝豚以下です。抱いて辱めてあげようかと思いましたが、残念ながら豚と交わる気はありません。くっくく、ぷっ、今の冗句、傑作じゃないですか? 豚が、豚が、ぷッ、がははははははははははははははッ!! ギャハハハハハ!!」

 私を打ちのめした…… もう、何かもがどうでも良くなって、生きる理由がなくなった瞬間、

「ぐひゃひゃひゃひひっーひーと、ご苦労様です。貴女はもう十分ですよ」

 ゾブリと言う音と供に、胸の真ん中から、少し外れた場所が、ポッカリ空いた……

 心臓が取られた。夢が奪い取られた。

 わ た し は 死 ん ――


13 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/14(金) 10:22:52 ID:WmknzDxc

叫喚(きょうかん)


 七月二十二日

 −Side A−


                      ――昔の夢を見た――

  少年は一人の眉目秀麗な、女性とも見紛う若武者と対峙していた。
  この者が他の者とは違う事は何と無しに分かった。警戒と言う言葉が脳裏を踊る。
  だが、少年に怖れはない。ただ一人、暗闇の山で山獣と戯れていた者。
  人とは異にする意思。
  相手の若武者は、額に巻いた白い布で長い黒髪は収められ、粗暴な武士とは違う、統一された雅な節が獣の眼からでも見て取れる。他の武士と比べて、明らかに小躯でありながら、その闘気は群を抜いている。
  少年の手には大きな斧。(まさかり)を肩に担いで、少年は対峙する。血塗れた粗衣は赤く滴る。
   ざあざあと傍で飛沫を巻く滝は水気で潤わせるが、少年はこの上なく乾いていた……
  「――様、ご自重くだされ。ここは老い先短い(わし)にお任せください」
   その後ろからヒョッコリと長大な唐色の槍を持った老人が出てくる。少年は脅威を感じた。
  何故なら今の今まで『そこに』居る事に気付かなかったからだ。獣の感覚を騙したのだ。
  「坂田、我が部下の半数が手打ちを受けて……、私が黙っていると思うか?」
   少年は再び聞いた若武者の声を、はばたく直前の小鳥か何かようだと思った。
  「――様、相変わらず戯れが過ぎますぞ」
  「坂田、戯れぬ人の世など詰まらないぞ」
  溜息と同時に老人は頭を振って下がると、若武者は地面に転がっていた木の枝を蹴って真上に上げ、それを持って構えた。刀と同じ構え。
  少年は牙を剥く。棒切れで我が身に対峙する蛮行に怒りを撒き散らす。

     「お前はいい獲物だ、誰にも渡さないぞ」
     若武者の微笑に合わせて、何処からか赤い花弁が一片、風に流れる。
     それは口に引いた紅のようで、若武者を女性ではないかと思わせた。

     自身と得物、双方に風を纏って二人は重なった――

「……暑ぃ〜」
 寝苦しさと暑苦しさ、その二つで私は夢のようなモノから覚醒した。
 ちなみに言うと『暑い』の『つ』は『つ』でなく『ぢ』である。
 本当ならクーラーをガンガン掛けて寝汗をひかせたいところだが、どうにも電気代が掛かって仕方がない。食費は元より、魔女を続けるには色々とお金が掛かるのだ。協会指定で正規の『違法ルート』から色々な魔薬を仕入れたり、希少品の無料サンプルを取り寄せたりしなければならない(無料サンプルなのに配送料が掛かるあたり、協会は詐欺だ)。
「うーん、儀礼剣もそろそろ欲しいからなぁ。色々と節約しなくちゃ」
 吹き抜けの階下では私がいつも使う踏み台を使って国定は朝御飯を作っていた。
 階段を下り切った段階で国定はエプロンで手を軽く拭くと、テーブルに手際よく配膳していく。
「おはよう、在姫。今日は炒り卵に佃煮、キャベツに黒酢を掛けてみたぞ。味噌汁はワカメだ。加えて、御飯は新しく炊いておいたから炊きたてだ」
 テーブル横の、自宅で常時付ける冷房器具、扇風機がこちらに首を振って垂涎物の匂いを運ぶ。
 あまりの手際の良さに閉口してしまう。いや、実際はあんぐり開いているのだが。
 こいつぁ、すげぇい。

「在姫? どうした?」
「国定、うちにずっと居て」

 そこ、しゃもじを落さない。

「き、君は何を言っているんだ」
 よく知らない者同士でイキナリ同棲とは時代も変わった、貴族の悪習か? とブツブツ呟きながら動揺している。いや、そう言うことじゃなくてね。
「いや、便利だから小間使いとか執事代わりに居て欲しいなぁ、って」
 その言葉と同時に目をお馴染みの『ー』の形にして眉根を寄せる。
「在姫、俺を奴隷か何かと勘違いしているだろう?」
「まさか〜、都合のいい男ぐらいだとは思っているけど?」
「くっ、不覚。親切心も過ぎれば蛇足か、俺がそんなにキライか」
「いや、私は国定は好きだけど?」

 今度は茶碗を落した、って今私はなんて言った?!

「ち、違う、違う違う違う! 私国定料理好き」
 私まで手をブンブン横に振って動揺してしまう。「私は国定の料理が好きだ」って言い直したいだけなのに!? 助詞が助詞が助詞名詞も名詞が動詞同士が……
「あぅあぅ」

 そんな様子を見て逆に国定はキョトンとすると、したり顔と言った笑みを浮かべた。
「食え」
「食う」
 ぶっきらぼうに、そしてその言葉に乗せられるように口を尖らしながら「いただきます」と自らに向かって(のたま)うと、目を合わせずに御飯をがっついた。御飯と同じ暖かさの頬が、やけに悔しい気持ちにさせた。
 しばらくして、味噌汁を飲み込んだところで、起きたばかりでの部屋の様子を思い出した。
「ねぇ、私の部屋にあった洗濯物は?」
「洗ったぞ? 放りっ放しで気になったからな。ちなみに言うが、下着は回収してないし、見てもいないぞ? まさか、昨日から穿いたまブッ!」
「昨日帰った時に穿き替えたつーの!」
 煙を上げる拳を無視しつつ、ある可能性について考える。
 もしかして……見られた?

「もー、なんで勝手に人の部屋に入るのさ!?」
「君は自己管理をとりあえず出来るが後回しにする気があるからね。そう言うのは個人的に気になるから整理させてもらった」
「いや、だからって、そんなに気になるなら勝手に入らないで一言声を掛けてよね! 仮にも女性よ、私!」
「何だ? 見られては気になる『モノ』でも部屋に置いてあるのか?」

 その『モノ』があるから言ってんでしょーがッ!! あるから!!
 まずい。『アレ』を見られるとマズイ。非常にマズイ。いくら劣等感があったとしても『アレ』はやりすぎたと思う。
 おそらく、『アレ』の存在を知るのは『もしかしても』師父くらいのものだ。

「全ッ然、そんな『モノ』は微塵としてないよ」
 朝から暑すぎるせいか、汗が止まらない。汗のワリにやけに冷たいが。
 沈黙すること十秒。
「そうか、別に今の状況を困難にするような『モノ』でないなら止しとしよう」
 そうそう、物分りがいいじゃない、と小さく息を吐く。
「ところで」
 思わず、箸を取りこぼす。落ち着け、私――!!
「ななななななな何?」
「DJの擦過技法(スクラッチングテクニック)ではないのだから……、在姫は普段はキチンと自分から『カジ』をしているのか気になったのさ」
「カジ? うちは陰陽道じゃないからそう言う呪いを扱ったことはないけど?」
「馬鹿者。それは『ち』に点々の、呪いや祝いを行う『加持』だ。俺が言っているのは家の雑事である方の『家事』だ」
 あぁ、なるほどと納得しながら、テーブルの下に落ちた箸を拾い、テッシュで拭く。
「それぐらいはしてるよ。失礼な奴だな。第一、これまで料理、洗濯、掃除、他全部を自分一人でやっていたんだからね」
 ない胸を反らしてみるが、相手は納得していないようだ。
「でも君がキチンと家事ができるまで監督をした人物がいるはずだろ? 魔女の家に一般人のお手伝いがいるように俺は見えないがな?」
「あ、そう言うこと。それは師父に教えてもらったけど? 料理以外をね」
「料理以外?」
「あの人、脳みそに砂糖が行き渡れば生きていける人間だから」
 あぁ、と国定もあの殺人的な甘さの、色だけが珈琲の名残を見せた飲み物を思い出す。
 食べる御飯の度に大学芋やら南瓜の煮物やら、何らかの甘い物が入っていて最後にデザートすら入るのだ。いや、量の配分から言ったらデザートが主食かもしれない。
 ちなみに私も女の子だから甘い物は好きだが、毎食キログラム単位で糖分の入った師父の食事は御免被りたい。私は若くして糖尿病で死ぬつもりは無い。
「おかげで、私は日常でお菓子は誰かがくれない限りあまり食べないし、師父の料理は参考にならないから殆ど独学だよ」
 とは言っても、パティシエ並とは言わないが、さりげなくお菓子つくりが上手いのはナイショである。
「なるほど。ところで在姫、お椀を差し出されても無い御飯は無いことを分かっているか?」
 …………そうですか。仕方なく、私は渋々と茶碗を片付けた。

 準備のために部屋に戻ると、『アレによる例の日課』をしていない事に気付いた。ここ数日は忙しかったため、ろくに日課をしていなかったからね。
「さて」
 ゴソゴソと、口うるさい魔人にバレないように『アレ』を部屋の魔術結界を施した隠し収納から取り出し、壁にぴったりと据え置く。
 喉が、ゴクリとなった。こんな事をするのも久しぶりだ。気になるのだからしょうがない、自分の価値観を位置付けるのに必要なことなのだ。
 私はそれにしっかりと身を寄せると、静かに『ソレの一部』を動かして、合わした。

「在姫、入るぞ」

 ……………………………………………………エッ?


 私の横では金属製の、一般的な目覚まし時計が規則的に歯車を動かし、秒針を進めている。外、私の庭先の木陰では小鳥が囀っている。
 陽光はますます角度を鈍角から直角に近づけ、天頂へと昇りつめていた。


 さて、そんな室内の様子は、白い壁に、白い天井。本棚には数々の言語から翻訳された魔導書が積まれ、テーブルには一般人にしてみれば、明らかに身体に悪そうな色合いの霊薬の実験道具が重なっている。

 こちらを見ているのは超絶的な戦闘技術と身体能力を持っていながら高所恐怖症の魔人、国定 錬仁。

 こちらを見られているのは昨日自分の戦闘経験と戦歴に、華麗なる勝利を初めて記した将来有望な伝統的美少女魔女(仮)、九貫 在姫。


 両者を比較すれば分かるとおり、私には『欠点はあっても弱点はない』人間だった。簡単に言えば、『弱みのない人間だった』のだ。

 私と国定は睨み合っている。いや、睨んでいるのは私だけで国定の視線は私が背にする『ソレ』を『信じられない』と言うように眺めていた。

 使用方法を考えれば、それこそ刹那の間に理解は出来たはずだ。が、『ソレ』は一般家庭にあるにしては、魔女の屋敷にあるにしても、てか、一般人が持っているにしてもおかしかった。似たような使用方法のモノなら他の家庭にあっても不思議とは思えないモノだが、それにしては『ソレはあまりにも場違いすぎたのだ』。









                   「なんで、家に『身長測定器』?」

 なんだか……泣きたかった……

 身長も変わっていなくて、もっと泣きたくなった……



「許してくれ、在姫」
 いつも通り、高校まで至る神南駅まで揺れる電車には魔道書を読み込む『私』しかいない。
 私の座る横から何やら喚く存在がいるようだが、私には見えないし、聞こえないし、答える必要も無い。
 その存在は何やら答えを求めているようだったが、別に私は怒っていないし、謝罪を受けて彼自身が赦免を受ける必要はないのだ。
 ただ、
「君が身長を著しく気にして居る事は誰にも喋らな……」
 私は清清しく、その誰かの居る方向に向かって笑顔を向けた。誰も居ないはずのその場所を錯覚なのか? 血の引くような音がした。
「……話題にすら挙げません。俺は何も見てません」
「宜しい、では高校に着くまで減らず口をジップロックみたいに固めておきなさい? 分かった? 了解?」
「りょ、了解」
「ふん」

 朝っぱらから泣き過ぎて痛くなった目を軽く擦った。……バカ。


 坤高校は今日も至って平和そうな様相である。殺し合いのあった屋上では遠目でも分かる巨人の二人組がボォッと雲を眺めているし、突撃兵の破壊したグラウンドは陸上部の男子がタイヤを曳きながら犬とランニングしても大丈夫なほど整備され、矢の刺さっていたサッカーゴールは毎日サッカーの練習に勤しむバスケ部員が使用しても分からないほど綺麗に元通りになっている。

           そしてチラリと見た弓道場、その空気が捩れて壊れていた。

「な、何?」
 このおぞましいまでの殺気は?
 思わずたじろぐ私。
 殺気は殺気でも、むしろこれは人外などとも相対出来る退魔師の『覇気』だろうか? いや、これはどちらかと言うと研ぎ澄まされた、刃物のような『剣気』だろうか? どちらにせよ。『見当は付く』にしろ、一般人のいる場所に似つかわしくない雰囲気だ。

「と、ともかく、行ってみろ、在姫」
 同じく、それに気付いただろう国定が促し、私はその場所へと向かった。

「あ、あぁぁ」

 『やっぱり』、私はそれしか声が出せなかった。いや、私以外の他の弓道部員や、殺気に巻き込まれた通行人は、その声すら出してないのだから……

 具体的に言えばこうだ。

               『(はかま)着た魔女がキレてる……』


 道場の前、板張りのゲタ箱前には一張りの弓があり、そこに仁王立ちをしながら、弓道着に弓の『弦』が当たらないようにする皮の胸当てをつけ、腕を組んだ私とは遜色の無いような小柄な女性が立っている。いや、仁王立っている。


 さて、私の学校には私の知る限り三人、本当に魔女かどうかはともかく、魔女と呼ばれている人物がいる。
 予言視の魔女、二年 千塚屋 御彫(ちづかや みほり)と、
 可能性の魔女、一年 黒伏 魅九(くろぶし みく)と、
 そして、今、弓道場の目の前で『ブチ切れ』てらっしゃる 弓道部の魔女、二年 葉桜 弓狩(はざくら ゆかり)先輩である。

 怖れ知らずと言ったモノか? 私は『昨日の件』と関係があることを考慮して私は恐る恐る声を掛けた。
「あの葉桜先輩?」
「あ゛?」

 な、なんか『あ』の横に点々のついた声だよぉ……。
 私はそれに気圧されながらも持ち直した。
「な、何かあったんですか?」
「……あぁ、いや、君か。最近、国定に国内チャンピョンも真っ青なガゼルパンチみたいなボディブローした後輩の……、九貫 在姫だったかな?」
 ジロリと横から「そうなのか?」と訴えかける視線を四方から(特に真後ろの肩辺りから)感じるが完全に流した。
「いや、あれは凶猛で被害妄想趣味な『副会長』との口喧嘩で国定先輩が詰め寄った時に肩がぶつかっただけなので、そんなの事実無根、清廉潔白ありえませんよ。幻痛ですよ」
「そうか。傷が痛むと言うので僕が診たのだが、指先で脇腹、その反対を拳で貫かれた傷痕があったが、あれはなんだろうな?」
 チッ、しつこい人は嫌われますよ、先輩? と言うわけでその『口撃』にカウンターを合わせる。
「葉桜先輩って『服の下まで』見せ合うほど国定先輩と仲がよろしいんですね?」
 うっ、と『痛い』ところを突かれた魔女は顔を少し、自らの苗字通りの桜色に染めながら動揺する。よし、ペースはこっちが握った。
「……ところで、そんなに怖ーい雰囲気なんか出してどうしちゃったんですか?」
 話題が変わった事を暗黙の了解と取って著しく葉桜先輩は真顔に戻ると、目の前の弓を人差し指で指した。
 見たところ、弓道の心得のない私の見る限り、弓を握る部分を含めて全体がやたら太い事と、下の方に『弓狩』と名前以外は彫られて居る事以外は気付かない。いや、もう一つ気付くなら、『弦の部分がやけに血の飛沫(しぶ)いたように赤いこと』ぐらいだろう。

「あ」

 何だか、小さな声が私の横から聞こえたが、幸い私以外には聞こえず、同時に私以外には何を小さな声が意味するか分からない。
 これは使う弓を誤った国定を責めるべきか? それとも証拠隠滅を取りこぼした師父を責めるべきか?
 本当は師父を責めたいのだが、この場に居るのは国定だけなので、後で国定を罵倒しよう(言い掛かりとも言う)。

「誰かは分からないが、僕の弓を『ユガケ』を使わずに引いたらしいな、勝手に」
 やたら語尾を強調して、弓を睨む葉桜先輩。ところで。
「『ユガケ』って何ですか?」
「あぁ、普通は弓を引くとき、矢の刺さる方、矢尻の反対には筈(はず)と呼ばれる溝があって、そこに弦をかませてからさらに弦を直角方向に捻って矢を固定させるんだ。その時、親指の付け根に弦の力が一点に掛かる。その力を安定させ、なおかつ技巧的に弦から【離れ】を得るために『弓』偏に『葉』と書いた皮の手袋、『ユガケ』と言う道具を使うのだが、私の弓を引いた人物はその『ユガケ』を使わずに引いたみたいなんだ」
 どうなるのか、弓の引いたことのあるジョウチョーならいざ知らず、私はあまり想像がつかない。
「その道具を使わずに引いたらどうなるんですか?」
「さぁ? 女子が引くような弓、13〜15kgでも親指の一点、しかも柔らかい掌の側の一点に弦が食い込むからね。掌の皮が厚くても鬱血しちゃうし、僕のは普通の男子の引く弓の重さの三倍、いわゆる三人がかりで弓に弦を張る『三人引き』だからね。たぶん、血が滴るほど皮とかが切れたと思うよ?」
 魔女がそんな冗談みたいな弓を引くのも驚くが、それを素手で引く魔人も驚嘆する。
「クンクン」
 そして、その血の匂いを嗅ぐ魔女。……実はこの人はいわゆる犬属性と言う奴だろうか?
「……しかもこの血、人間のモノじゃない」

 その言葉で、心臓が凍った。
 先輩、あなたは本当に犬ですか?

「なんだろう? とにかく、人間には似ているけど嗅いだ事のない匂いなんだ、よ……?」
 弓道部の魔女は私を見ると、スッとまるで瞬間移動のように私の前に移動して、私の前に立つ。背丈もそれほど変わらないはずだが、その気合のせいか、幾分か大きいように思える。
「クンクン」
 匂いを嗅ぎ始めた。それと同時に先ほどまで近くにあった、ここ数日間でやっと感じられるようになった国定の微妙な気配がすすっ、と離れる。
 それが正解だ、と私は心の中で嘆息して、殺気の薄れて動けるようになった人たちは退散し、後から来た登校中の学生の痛い視線を感じつつ身を任せる。
 ぐはぁ、目立ちたくないのに……
 てか、年頃の女の子がこんな風にやたら近すぎるのは道徳上良くないです。首筋に埋めるように嗅ぐ姿は在らぬ誤解を一身に受けそうな恐怖なのです。
「クン……気のせいか? 君から似たような匂いがしたのだが……」
「たぶん昨日は血も滴るようなレアのステーキを食べたからですよ」
 かなり苦しい言い訳だった。
「嘘をつくな。昨日は親子丼だっただろ? 九貫、嘘は感心しないな?」

 コンマ二秒で看破すると、ニヤリとコワイ笑みを浮かべる魔女と呼ばれる女性。心臓は早鐘が堤防の決壊間近のように打ち鳴らすが、本当の魔女ならばこうするのである。
「そんなふうに匂いを嗅げるなら、夜中に出歩く【怪人】の匂いでも追ってみたらどうですか?」
「なっ?!」

 仕方無しに、なけなしのカウンターを打つ。
 私はニッコリと笑う。相手は顔を先ほど以上に明色に染め、それでも柳眉を立ててこちらを睨む。
 再び、今度は二つの場所に殺気の嵐が吹き荒れる。
 しまったぁ――。今のはブラフだったか。でも、売られた喧嘩は買わなければならない。

 九貫家家訓 その三
 『売られた喧嘩は五倍買い、復唱。売られた喧嘩は五倍買い by 愛媛』

 通行人が凍る殺気で次々と金縛りに掛かる中、


                     「喧嘩しちゃダメだよー」


 のっそりと、あるいはのっしりとでも擬音で形容すべき巨大な影が真横に、その暴風の間を割るように現れた。
 独特の間延びする口語表現に、目の下の黒い『クマ』、やたら広い肩幅、白衣のような服を着込んだのは坤の有名人である。
「善通寺?」「会長?」
「二人ともー、仲良くしようよー」
 生徒会会長だけあって、戦闘意欲を効果的に削ぐ声の調子は神業的であり、作為的に感じる。または人徳とでも言うのだろうか?
 その声に乗せられて、周りで硬直した人々が邪眼から解けたように一目散に校舎へと逃げていった。
 ふん、観戦も出来ない根性無しどもめ。見なさいよ。あそこの私と同じクラスの藤城君なんて……、未だ恐怖に身が竦んで動けないみたいね……

「他ならぬ、善通寺が言うのであれば僕は退こう」
「依存はありません。葉桜先輩ゴメンなさい」

 ん、と短い返答。

 ――だが、彼女の敵意は薄れたはずなのに、今だ空間は捻れていた。

「会長、次の和木市自治連合会会合事前会議までのお時間がありません。そのような下級闘争程度には割く時間の無い事を重々ご存知でしょうか?」

 と、その真横からの冷徹な声は副会長の『アノ』女である。
 冷徹さを強調する縁無しの眼鏡。凶暴さを隠すように可愛さをムリヤリ形作ろうとしているお下げ髪。私よりも、僅かに、『 僅 か に 』高い小柄な体格と、それに反してやたらとドデカイ態度。それでも、てんで可笑しい事に私と同じ一年だと主張する胸元の名札。左手にはカッコつけているのか知らないが黒い手袋を嵌めている。切れ長の吊り上がった獣、ケダモノのような瞳。その奥には金色に見えるような――殺意。


  その視線と、胸の内の牙が噛み合って、ギシリと本格的に、空間が暖めた千歳飴のように捻れた。
  グニグニと熱湯と冷水を混ぜた水槽のように二人の間の景色が歪む。

「あら、『小さ過ぎて気付きませんでした』。ご機嫌よう、九貫 在姫さん、今度は葉桜先輩を巻き込んで、あろうことか会長の目前で『校内テロ』の準備中ですか?」
 フフッ、先制攻撃ですか?
「ご機嫌よう、島田 燕(しまだ つばめ)副会長、あなたのような政権簒奪(さんだつ)を目論む、いきり立った上昇志向の為政者と朝っぱらから顔を付き合わせるなんて終わり無い悪夢の欠片にも思いませんでしたわ」

 地響きが何処ぞから響き、流れるような清清しい朝陽が校庭を照らし、その場で固まったままの藤城君は、今度は泡を吹きながら痙攣して倒れている。
 乙女とアバズレの視線の間では文句無しに、容赦無く青天の霹靂もかく言う火花が散々と咲く。

 この女は、私には合わない。そう、体が拒否反応を起こしている。本能とかそう言うものではなく、魂が嫌悪を抱いているのだ。

 この女、島田 燕は私に合わない。戦場で背中を見つけたら敵だろうが、味方だろうが、一般人だろうが真っ先に撃ち殺したくなるタイプの嫌な女だ。有名無実な、別種の死神が人を殺すために使うと言われる死のノートがあったら、六十ページ以上を改行無しに死に様を埋め尽くしても飽き足りないだろう。

「喧嘩は止めよーよー」って声がどこからか聞こえるが、そんな事で収まるならいざ知らずと言ったところだ。『濡れ衣』を以前から着せられているのだ。誇り高い魔女が校内テロなどと言う暴挙に手を染めるはずが無い。
「平行線でも『歪んだ』平面上なら交わるって知ってますか?」
 私の言葉に的を射たようにニヤリと口の端をこころもち上げる大敵。三枝先生の授業を受けているだけはある、どうやら話は通じるようだ。
「ガウスの非ユークリッド幾何学ですよね? それが何か?」
「さぁ? 決着をつけるには時に『歪んだ』状態も必要なんですよ?」
 チリチリと髪の毛の芯に響く音。魔女の心臓に鼓動が始まる。無意識の内に人払いの魔術にも似た雰囲気でも出していたためか? その場には話題が急に変わって付いて行けずに何処となくいじけている葉桜先輩と慌てふためく善通寺会長、憎き宿敵と少し離れたところに「好きにやってろ」って感じの国定(と完全に気絶中の藤城君)しか周りに居ない。

 ここで、化けの皮を被った獣を仕留める!

 腰の発射台に拳を据え、体重をやや後ろに掛けた空手構えは坤高校副会長の()り手、いや今だけは『槍手』の島田 燕。
 対して顎に拳をそろえて体重を前に掛けた、師父直伝の『紳士と淑女』の古イギリス式ボクシングスタイルは私。
 ちなみに、古イギリス式ボクシングと言うのはつまり喧嘩殺法の事である。突き、蹴り、投げ倒し、頭突き、噛み付き。ヴァーリトードで紳士淑女な世界だ。

 どちらも拳の届く範囲内だが、度重ねる踏み込みと視線のフェイントは中々決着をつけようとしない。
 それはバズーカを互いの目の前で、引き金に指を掛けながら勝機を見る行動。
 しかし時は重ねる。雨だれから水滴が零れるように、善通寺会長が「もう止めようよー」と七十七回目に言った時、自然に同時に踏み込んだ。

                  「燕ちゃん、喧嘩はダメ」
                  「在姫、そこまでにしろ」


 私と島田 燕、二人の拳は何時の間にか割り込んだジョウチョーの掌によって完璧に、力を吸い取られたかのように止められ、それでも捌き切れなかった島田 燕の踏み込みを、背後から疾風、いや迅雷のごとく駆けて、後ろから抱き止めた女性によって止められた。

「えいねるお姉さまッ!」
「ちっ、いいところだったのに」
 これまた『前回』と、国定先輩が巻き込まれたのと同じ状況である。唯一違いがあるとしたら、『誰も怪我人が出なかった』事だけだ。
 助けた側にも関わらず、やたら会長に頭を下げている、普通、だけど変な先輩は頼島(よりしま) えいねると言うようだ。
 平平凡凡、並盛、普通定期。そんな言葉しか浮かばない、やたら外見の印象の乏しい女性の先輩。島田燕と比較するなら、悪逆非道な肉食動物に対して略取とか悲恋とか常に不幸を全うする草食動物のような、そんな女性だ。
 どうも島田 燕の『ロサ・何とか』様、つまり憧れのお姉さまのようだ。島田 燕は豹のように鋭かった瞳から、借りてきた猫のように大人しくなってやがる。
 なんつぅ変わり身の早さだ。やっぱり嫌な女だ。いつか化けの皮を三枚に下ろして剥いでやる。

「善通寺さん、遠吠、じゃなかった、えっと……携帯で、とにかく連絡していただいてありがとうございます」
「気にすることないよー、いつもありがとねー、えいねるさん」
 確か、携帯は校則で禁止だった気がするが、島田 燕の弱みを握るために、ココはグッと黙っておこう。私って……策士だ。
「いぇ…… で、燕ちゃん。また、お友達の在姫ちゃんと喧嘩したの?」
「お、お姉さま。私、我を忘れてしまい、お手数を掛けてしまいました、……が一言言わせてもらうと断じて、二度も言いますが、目の前の女は断じてお友達などでも、知り合いでもありません」
「え? そんな、だって、私と燕ちゃんみたいな仲良しでしょ」
「まさか!? それこそ天変地異が起こって、黙示録が実現して、アンゴルモアの大王が十四連続に繰り下げで落ちて、牛野屋の牛丼のネギだくが解禁になってもありえないことです。それに…… お姉さまと私は友達というより……」
 頬を桜色に染め、視線を僅かに逸らしながら頼島先輩をチラチラと見ている凶猛な、いや知ってはいけない世界に『狂盲な』島田 燕。
 頼島先輩は困って……、泣いていた。
 こ、これも……、弱みか……?

 どちらにしろ、とりあえず、場もまったり和んで来たので、
「……んじゃ、HR行こうか」
 退散することにした。
「待て、実行犯その二」
 グワッシと私の後頭部を鷲掴むジョウチョーの手。それは地面を掃く私の健脚を持ってしても一向に進まない握力、微妙に私を浮かしている筋力。あなたは花山組長さんですか?
「善通寺会長並びに関係者に朝から面倒を掛けた非礼を詫びたまえ、特に痙攣を起こし始めて保健室に運ばれた藤城君にもな」
「善通寺会長、葉桜先輩、頼島先輩、そしてひきつけを起こし始めた藤城君、ごめんなさい」
「――貴様、私に非礼を詫びぬつもりか」
 やたら鋭く見える犬歯を噛み鳴らす獣の如き女。
 謝る気など期待していたのだろうか? はっ、バカな女。

「元はと言えば貴女の方から牽制を仕掛けていたのに、責任転嫁甚だしいですね。失礼、転嫁なんて全国にいる健全な『花嫁』さんに対して失礼でした、ホホホホッ」

 唇を噛み締めて、憧れのお姉さまの前であるがために何も出来ない島田 燕。
 私の斜め上辺りでは今日で何回目になるのか分からない『憑き人』の溜息が聞こえる。

 さて駄目押しに「頼島先輩に迷惑だからとっとと離れて、神南高校に転校したら?」と最後に『色々な含み』を込めて言ってみよう。
 まぁ、微妙に言い過ぎかもしれないけど。

 そう言い放とうとした私の肩を、眼鏡を光らせながら、ジョウチョーはそれに続くはずだった言葉を止めた。

「在姫、そこまでにしておくんだ! これ以上の(いさか)いは御免被る。我々は学校と言う教育機関に来るために何故にこのような争いと諍いをするのか? 人類皆平等は未成年の幻想の中『だけ』の特権と産物だ。だから謳歌しようぞ、この小さな世界を。これ以上何を争う理由があるというのだ。否、断じて否。良いか、巨視的に見れば、そう、大宇宙の大いなる中点からすれば我々などちっぽけな、塵芥に等しい生命体に過ぎん。我々からすれば微生物など小さな存在だが、刮目せよ。この大いなる大地に立つ大地が如何にちっぽけか。天空にある恒星よりも、それが認識すら出来ないほどこの大地が如何にちっぽけなのか。その天空の巨星を巨大な蒼穹(そら)とそれに続く(そら)が如何に比べてちっぽけか。ちっぽけだ。あぁ、なんとちっぽけなことか? 天と比べれば、点にしかならないほど矮小すぎて呆れるほどの五分の魂だ。だが、我々がちっぽけな中でも更にちっぽけな小人なのだ。それ故に、全てが覆る。未成年だけでなく特権的に、普遍的に、広義的に、例外なく持ちゆるのは『意志』だ。その意志を何故わざわざ非建設的な騒乱行為、残虐的な行為へと何故に斯き立てる。それは悪なのか? 私達の内部構造にそれは存在するのだろうか? 人の本質たるモノ、根幹、起源は『悪』なのだろうか? 美点は何処に消えた? 我々に持ちゆる意志は崩壊と摩擦と拡散を繰り返すのか? 熱量力学第二則が精神界すら侵蝕するのか! 馬鹿な! ならば、我々は何故ここに立つ。そうだ!! ここで覆るのだ! 我々は! 長き積み重ねた歴史が破壊と言う『悪』を否定する! 積み上げた歴史が悪を凌駕、悪を駆逐する。散逸理論ではない! 君も、私も、貴女も、僕も、全てはここに立つと言う事実だけで全てが成り立つのだ。私が存在すると言うだけで悪と言う前提が覆される! 積み上げてきた歴史が破壊と言う悪そのものを、私達の存在自身に因って軽々と否定するのだ。だが、それを読み取る認識はどうだ? 誤解を何故に続けるのか? 我々の脳は正しく見ているのか? 脳が、箱の中の鏡である脳が現実と認識した出来事、いや、全てのモノゴトは正しいのだろうか? 私の見ている色は本当にその色をしているのか? 聞こえている音は空耳ではないのか? 何処までも続く草原はただの(幻想)で、その香りは偽りなのか? 唇に残る感触と舌に感じた相手の味は何だったのだろうか? 指先で撫でた自らの肌は牛肉のパックと成分と更に何処がどう違うのか? 正視、正聴、正嗅、正味、正触、五戒を持って偽りより解き放ったれよ。第三の眼を持って正しき世界を認識せよ! そうだ、思い出した。それはデカルトと仏法の八識が簡潔な答弁をする。そうだな、デカルト曰く、『我思う、ゆえに我あり』と定義した。『当然だ』と誤認をそこでするな、思考しろ、研鑚しろ。あらゆるモノを仮定と論理で筋立てろ。深淵な推察をするだけなら、あらゆる証明と、あらゆる過程と、あらゆる方法で『自分と言う存在』が本当にあるかを確かめ、それが証明出来なくとも、『疑う事を続ける自分はある』と言う事だ。深淵の縁で迷いかけた時にそれだけが真に正しいのかもしれない。つまり、『疑う事を出来る自分は真実だと当てた』のだ。更に付け加えるなら仏法を要約した般若心経から『空即是色』と……」


「在姫、どうしたらいいんだ?」
 そう幾分か、潜めている時より大きな声で私に語る国定。
 周りには、私と国定とトリップジョウチョー以外、誰も居ない。
「……行こうか」
 何処か、違う世界に飛んでしまったジョウチョーを『私たち』は放って置いて、そのまま訳の分からない段階に達した演説は誰にも聞かれる事なく、そのまま四十分ほど続いたそうな……、当然、遅刻だった。

 ちなみに、普通は怒るはずだが当の本人は全然気にせず、何か言い切れた事が嬉しいのか? 晴れ晴れとした顔でジョウチョーは二時間目に社長出勤してきた。


14 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/14(金) 10:35:38 ID:WmknzDxc

叫喚


 昼休みの屋上。階下に見える弓道場からは魔に属するモノなら分かる霊気装甲の弾ける音。それと共に一般人でも分かる、鉄塊がコンクリートを打ち付ける異様な旋律が支配している。
 おそらく、自分の弓を勝手に魔人に使われて怒った魔女が、射に熱を燃やしているに違いない。ちなみに、私が弓道用語に詳しいのは、新入生の当初に仲良くなったジョウチョーが体験入部したからである。三年生からの熱烈なアプローチ(例の魔女以外)を受けながら、それを蹴って正統な部活動の『文芸部』ではなく、あの坤歴代変人の一人 戸上 七歩、もとい大師の息子、私の義兄にあたる人が作った『同好会』の『文学部』に入っている。ちなみに私は大師の死の直前までは戸上 在姫と言う性だったが、生羅師父が引き取る頃に元に戻したのだ。ちなみに、あの頃の大師の家での事は…… 色んな意味で、思い出すのを躊躇われる。
 ……話しを戻すと、ちなみに文学部員、もとい『文学部』同好会は二名。一年の『自称非体育会系文士』斐川 常寵と、何故か金髪なのに髪型がちょんまげで語尾が『ござる』の英国帰国子女、ただ今色々な事で傷心旅行中の『自称蒼い瞳と(すずり)の似合うの部長』 三年 黒未 吾翻(くろひつじ あほん)だけで、目下壊滅中である。いや、その部長すら居ないのだから、もう瓦解したかも。
 と、これを言うと珍しくジョウチョーが不機嫌になるので止めておく。あの二人は仲が良いけどやっぱり恋仲なのかなぁ?

 何だかどうでもいい事を思い出しながら、屋上に職員室から失敬して作った合鍵を掛ける。前々から取っておいてある私の髪の毛を結んで、さらにそれを編み込んだ縄で屋上をグルリと囲み、私が幾つか知るうちの『魔術』、『人払い』と『普遍』の結界を掛ける。

 結界とはその名の通り、場を区切る『結ばれた、閉じた世界』、つまり『異界』である。『人払い』は文字の通り、人を寄せ付けない『異界』を作り出し、『普遍』は私が以前幽霊の大群に囲まれた時に使ったようなもので、結界内の『異常』を外に知らせない結界を作り出すモノだ。

「あ、在姫? 本当にやるのか?」

 こんな大掛かりな事をするのは訳がある。


  ――五分前――

 たった二人、昨日の戦闘を踏まえた屋上での魔人との一幕。
 片手には国定が早起きして作った純和風のお弁当。
 しかし、その穏やかな日常を、製作者本人がぶち壊した。

「在姫」
「何?」
「昨日の行動を見る限り、君は本当に魔女なのか?」
「……上等」


 以下、モノローグ終了。いつもながら直情的かつ、短絡思考なのは否めない。が、挑戦を受けた以上はそれに答えるしかない。
 母が『アノ場所』に行く前に教えてくれた数少ない教え。



 無論、九貫家家訓 その三である。


 あぁ、そんな言葉を残され、あの大師に教育され、そして期待に応えてしまった私を誰か罵ってください……

「挑発にあっさりのる君は馬鹿か?」
「見てろよ。コノヤロウ。あっ、と驚くんだから!」

 もう、どうでも良くなって来ました……

 私の召喚術は通常は刻まれる陣を使う必要はない。自らの血、九貫の代重ねをした血脈自体が既に身体の中に巨大な『魔方陣』として形成、圧縮され、血の『魔方陣』と『純度の高い血の霊気装甲』が瞬間契約を作成させる事が出来る。魔法使いには出来ない、血脈を重ねた魔女だから使えるトリックだ。

 だが、今回の召喚は以前に行なった、風霊種に属するヒッポグリフの簡易召喚とはワケが違う。

 召喚とは魔道の奥義の一つであり、素人が迂闊に手を出してはイケナイものの一つである。
 召喚は前述の通り、ムリヤリアポをとって、在り得ざる者どもを使役する乱暴な術なのだ。乱暴な言い方だけど、科学も似たようなものだ。何処か、ここで納得しろ、と言った線引きがしてあるのだ。それが世間の常識か、怪異の常識かの違いだ。

 むろん失敗すれば、魔方陣によって作られた『門』に『私』と言う概念が『あちら』に持っていかれたり、召喚されたのが気に入らない種による『報復行動』や、魂魄と流素の結合失敗の逆転作用、まんま『大爆発』をしたりだってありえる。

 そのため、十分な霊気装甲と『異界に飲み込まれない強固な意思』が必要な召喚術は一回でも使えるだけで魔法使い合格だろう。

 しかし、私は魔女であり、それに特化した『召喚士』である。召喚を専門とする手前、『合格点だけでは満足できない』。

「Highest lords are glorious asterisk. Sway of moment, twist of air, see with  gramsight, imagine the truth, then nameless entity arrive on the real――(至高神群は燦然たる星辰。時の揺らぎ、空の歪み、異を持って視、(ことわり)を(偽:いつわ)り、そして名も亡き名によって汝らが身を現せ――))

 魔女の心臓の鼓動、右心房、右心室、左心房、左心室の流れとは違う、力のうねり。血管を焦がすような感覚が全身を支配する。この間の戦闘のようにただ流すだけでなく、その流れを律する。熱とも流れともつかない力、それを自分でアルメデアゥと呼ばれる特殊な儀式用、製法は乙女の秘密、の粉で描いた四万三千九百五十六のエノク語の魔法陣に直接、血液として落す。


 門を開ける近い世界で、単体の魔女だけで開けられる門の異界は五つが確認されている。

 ノーデンスの名によって治められる 炎界      火
 イタクァ の名によって治められる 風界      風
 クトゥルフの名によって治められる 深界      水
 ニグラス の名によって治められる 孕界(ようかい) 土 

 そして、それらの上位に属する最高の異界、無境を治める万界の王、アザトースの空を持って四界一境を持って完成されるのが五大素式霊素置換法術式、召喚術なのだ。
 これ以外にも『世界』は確認されているが、それはよほど極端なまでに専門化しているか、その世界を知らない限りは契約を取り付けるまでが難しい。特に何とかと言う異界の、人を食う『騎士団』。彼らを例え偶然でも召喚できたら私は尊敬どころか五体倒地して、その後にバニー姿でリンボーしたって良い(行動に大した意味はない)。

 頭の端でしていた下らない想像を打ち消して、最後の一節を詠う。

「――I summon thee from another universe in Azathoth' name. Derive and repeat, whole five those!(――我はアザトースの名に於いて無境より素を呼ぶ。出で、そして再来せよ、四躯一心群!)」


 唱え終わる瞬間に、指先を指した針からルビーの粒のような血液が指先から零れ、
                              それが撃鉄となり、


  不思議な光を放つ魔法陣の上に落ちた。
          それが引き金となった。


 魔法陣から通じて私の魔力が奪われる。等価交換の原則によって、身体の火照りが冷水を浴びせられたように失せて、見えない門が開く。
 門と言っても視認できるものではなく、ただ『なんとなくそれが開いたかも』と言う憶測にも似た感覚だけだ。

 でも、それと同時に人体の自然反応によって目が閉じられる。流素と『門』から呼び出された『霊素』が融合する励起光が超新星の爆発のように放ち、あまりの巨大な質量の出現によって、『轟』と風が唸りを挙げる。同じ霊である魔人の国定はどう見えるのか気になったが、どうせ「普通だ」としか答えないような気もした。

 そして、眼を開けると、そこには一人の女の子が居た。
「な、なんと……!」
 ちなみに、これは国定の声。
 黒絹の髪、白い肌に、桜色の唇。坤のセーラー服。
 後ろでまとめた髪の毛を揺らし、
         「「どうよ」」
 ついでに言うと声もタイミングも同じで、まさしく私に『そっくりだった』。

「「大禁呪一歩手前の秘儀、自己召喚もどきよ」」
 口調も被っていた。
「なんて……、まさかドッペルゲンガーとは……」
 恐れ戦き、同時に感心するように眼を開いたまま、腕を組んでコクコクと頷いている男の子。
「「自分と同形質の存在を呼び出して、感覚同調、流素で固着させ、使役しているのよ。まぁ、感覚も思考も共有しているから単体としての私を作成しているわけじゃないけどね。異界から自分と同じ存在を引き出す秘儀なんて師父も知らないだろう、私のオリジナルの魔法よ」」
 フンとない胸を反らしてみる私。
「魔法使いは自らの魔法は明かさないのではないのか」
「いいのよ、この際、あんたを納得させられれば」
呆れるかと思った国定は、「あれ?」と突然一言言うと『もう一人の私』に近づいた。
「「な、なに?」」
 同調した感覚越しに見える国定。

                    フニ

 指先が、禁断の領域を侵蝕していた。
「やはり。うわべの服装だけで中身、もとい『パット』などまでは再現出来ていなかったようだ……な?」


        ――私はどうやら、唇の形から笑っている事が分かった――


 素敵な英国式殺人術の時間。
 爪先、拳、拳、肘、膝、投げ、さらに踵!!


          次の瞬間、『前後』からの連続攻撃が国定を屠殺した。

 好奇心などと持ったが故の蛮行と行為者の抹殺。

 胸とか、特に気にしていたのに……このッ、バカッ!

「うーん、今日も天気がいいな……ぁ?」

 そんな不可思議空間の中、突然の闖入者。


 晴れ渡る夏晴れ、真綿のような入道雲は空高く、日差しはそれでも強い。
 その空の下、頭から致死量並みの血を流している少年と、まったく同じ格好と顔の女の子が息をハァハァ言わせながら二人……

 私もこの人の名を覚えている。学校にいる、私の知る予言視の魔女の友人。

  坤高校の二年生 少し長めのツインテールの可愛い先輩。眞木 愛彩(さなき あや)

「ど」

 私の完璧の結界を当然のごとく破って、何を言い出すのかと思えば七音階の最初だ……、って現実逃避している場合ではない。

「「あの?」」

 とりあえず、エコーとかユニゾンしながら二人の魔女とそのドッペルちゃん(仮称)で近づく。

 すると愛彩先輩は、フッ、と悟ったように、「なんでこんなのばっかりなのかなぁ?」みたいな顔をすると、静かに、無言で戸を閉め、すごい音をたてながら階段を下りていった。

「ど、ドッペルゲンガ――――――――ッ!!」

 しかも叫び付き。

 あぁ、何だか、二人分泣きたくなってきた。

 実際、泣いていた。

      *         *          *

 −Side B−

 結局、何処をどのように逃げたのか? 先ほど目撃された少女は見つける事が出来なかったようだ。
 在姫は「やっぢまったー」とやたら動揺しているが、俺個人としては一人くらいの目撃なら闇から一般社会への支障は少ないかと思われる。

 実際、日本には戸上とか言う、あの奇特な作家が恐怖新聞だか何だかみたいな、人外との交流を事実の体験記として書いているようだが、現状では書籍の売上以上の社会的影響は特捜室では確認してない。まぁ、個人的には、あのような『真実を書き過ぎた作品』は時として『幻想を壊す』。
 適度に話を捻じ曲げて美化した方が民話や神話同様に信じられ易く、それらしく映る。

 例え、それが話を描かれた本人の意思と、事実とは違っていても……

「……はぁ、もういいや。落ち込むのは止め。ほら、ツィンタワーに着いたよ」
 バスから降りて、暗い空気を吐き出した少女はいつもどおりに俺に澄んだ瞳と笑顔を向けた。そうだな、君らしくしていた方が俺も精神的な負担が少ない。
 人込みも多いからブツブツと独り言も嫌だ、とごねるので霊体から実体化している俺。むろん、バスから降りた後である。料金が払うのがそんなに嫌なのか?
 そして、その手を掴んで、制服の少女が喜び勇んで引っ張る。
 本来は制服のままのお遊びはイケナイと俺は個人的に思うが、目前の彼女の格言では無いが、この際どうでもいい事である。
 ちなみに今日は黄色いタンクトップの上に、チェックの半袖のTシャツ、バミューダパンツ、バスケットシューズと夏らしく、適当に同年代とお遊びをしていても違和感のない格好にしてみた。
 おそらく、この体格からすれば弟か、……まぁ恋人と言う線も有り得るかもしれない。
 彼女を見つめる視線の先、夕暮れのビジネス街を統一色の人間が交差する密林の中、その建物はあった。

 一歩離れた、田舎の風情からはトコトン離れた工学的な、圧倒的な金属構造体。

 正式名称、季堂総合ツィンタワー。六十階建ての地下には関東の都内まで直通の、超電導磁気浮上式リニアモーターカーの実験施設兼、十年後に完成目処の駅。その上の地下六階から十階までは地元の総合デパート『ニャスコ』と対抗する総合店舗群『バットモール』、二十階の途中から二つに分かれて、三十五階までが総合ビジネスビルディングで、三十五階から四十階は大吹き抜けとなり、イベントホールとなっている。四十一階から五十五階までがホテル『黒羊(ムートンノワール)』で、それより上は季堂総合商社、いや、季堂財閥の関係の専用階層となっており、一般人は入る事は叶わない。
「ほら、いつまでエレベーターのボタンを見て、ボーっとしているのさ」
 まさかガラス張りのエレベーターとは聞かなかったからだ。そこに意識を集中するしかなかったのだよ。外見たら危険だろうが。
 四階ほどの高さまで吹き抜けのスロープとその横に広がる展示場、その上には豪奢なシャンデリアが吊られている。スロープの途中には大道芸をするピエロやら、バナナの叩き売りなどをしていて訳の分からない状況だし、シャンデリアが落ちてきたら大変だろうな、なんて下らない戯言を考えながら壁際を伝いつつ、俺は在姫の手に曳かれている。
「今は五時だから時間までは余裕があるな。で、何処を見たいんだ?」
 エレベーターの横に備え付けられた無料のパンフレット。それを片手に、立ち止まって眺め始めた在姫は悩んでいた。
 本当は護衛をする立場上、目立つ所への外出は避けたかったがこの際は仕方がない。いや、むしろ、人目があるのは好都合かもしれない。魔術師など、この世の理の外に身を置く者達はその性質上、その姿を世間に見せたがらない。世間から、いや、より多くの人々の常識から駆逐されないために、隠遁と沈黙と言う殻を被るのだ。いくら、魔女の心臓を求めて派手に動くと言っても、人目がある以上、派手な動きはしないだろう。
「そうだねぇ。植物ブースはさっきチラリと見たけど、目ぼしそうなのはなかったから……」
 目ぼしい、って、『天然記念物を買うつもりだった』のか? この魔女は……
「あ、日本の歴史展でも見に行かない? 交霊武装の参考になるかも知れないしね?」
 結局は本職(魔女)と一緒くたになるのだな、と口の先で止めておいて同意した。



「在姫、やっぱり……、止めにしないか?」
「えっ、何で? さっきまで喜び勇んでいたのにどうしたの?」
 訝しがるように眉根を潜める在姫に、俺は「別に喜び勇んではいないが……」と淡々と続けた。
「事情が変わったんだ」
 今回の展示物の内容は『――歴史の影に隠れた民、日本の鬼・展――』と掲げられている。
「 ? なーに、もしかして鬼が怖いの? 高所恐怖症で、さらに鬼恐怖症なんて冴えない男ねー」
 誰の物真似かは知らないが眼を『ー』の形にしているのはやたら腹が立つ。
「別に鬼が怖い訳ではない。率直に言って嫌いなだけだ。一言言っておくが対鬼戦闘は俺の特技の一つだぞ」
 人から離れた存在、それでありながら意思を持ち、身体を持ち、人と拮抗しようとしていた者達。鬼。
 社会不適合者でありながら同類で群れる者ども。孤立しながらの集合体。
 彼らだけの持つ楽園。そう、『 楽園 』。
 俺の全てが、『 それ 』を、否定する。
 脳ですら忘れた記憶でも、身体への拒否感として残っているのだろうか?
 楽園なんて……
「嫌いなだけだったら、別に見てもいいでしょ?」
 どうやら我侭魔女はどうしても行きたいらしい。
「分ぁった。分ぁった。そこまで言うならお供しますよ。いざ、鬼ヶ島に……」
 両手を掲げて、降参ポーズの俺を再び、魔女は引っ張って行く。乱暴だ。
 ……それにしても、男性経験の無いと自称する在姫の小さな手を俺みたいな穢れた【魔人】が、触られて良いものか。
 俺は真剣に、悩んだ……

      *         *          *

                −Side C−

 ツィンタワー地下二階 駐車場。そこには一台の黒の、サイドドアが羽の如く、上に向かって広がるランボルギーニ・ディアブロGTが鎮座していた。八十台限定のはずの高級車だが、そんな事よりも中に乗っている面子の顔ぶれは、その違和感よりも遥かに異常だった。
 助手席には全身を、口、鼻をを含めた頭部すらも黒タイツのようなモノで包んでいる、痩せ過ぎの男が座っていた。タイツのように見えるが、絹のそれよりも遥かに頑丈な繊維で出来ている事は不気味な光沢から想起される。ゴーグル状のサングラスはピタリと、眼球を密閉するかのように嵌め込まれている。男はそのタイツ越しの口辺りから、葉巻の紫煙を吸い上げ、肺に満たし、首を横に一定のリズムで気味悪く動かしている。年齢は不詳としか言い様が無い。ノッペリとして顔の無い状態にほぼ近い、低い鼻から紫煙が首に揺られて出るのは中々シュールである。
 その肝心の運転席には、持ち主であるにも関わらず、その席に不釣合いに、そして窮屈そうに押し込む三十代の男がいた。地味な長袖のTシャツにジーパンはLL、いやそれ以上のサイズである服のはずだが、その殆どが収めるのに苦労しそうな程の肉体である。男は、頬を揺らしながら、美味しそうにドロップをしゃぶっている。百七十cmほどだが、体重は百kgなどとっくのとうに越しているだろう。その証拠に車が横斜めに異様に傾いていたし、腹筋に力を入れたらハンドルが潰れてクラクションが鳴ってしまい、下手すればエアバックが作動しそうだ。

「……時間では、ないだろうか?」
 その風体からは想像も出来ないような張りのあるバリトンヴォイスが運転席の男に渡される。明瞭な音は感極まって舞台男優か、堂々とした識者とも思われる。男はそのどちらにもなれたが、今はどちらでもなる事はなく、ただの魔術師である。
「そ、そ、そうですね」
 オドオドとその身を揺らすのは何とも頼り無さげな男だ。が、誰も魔術師だと言っても信じなさそうなのも、ある意味美点かもしれない。
「本当に……、するんですか?」
 豊満な男の気弱な声に、痩せた男はギラリと、先ほどの穏やかな調子とは一変させて睨んだ。その瞬間にドロップを滑り込ませて、男の身体が窮屈すら通り越して、圧殺しながらシートに沈む。

「オイ、デブ。私が貴様に価値を見出したのはその『技術』についてだ。分かるな? その為にも休養中の亡霊などと言う『非科学的な者』まで連れてきたのだ。それは絶対的な、勝利の確信があって初めて出来た覚悟なのだ。貴様の染みっ垂れた『周りに迷惑を掛けないなどと言う』道徳なんぞは私の真理探究の道にはないんだよ? いいかね? 理解したかね? 君の脳に刷り込まれたかね? Do you understand ?」
「い、いぇす」
 鼻から抜けるような弱い声。
 自分への同意に満足のいった男は『二重人格』のように穏やかな、タイツ越しから分かる笑みを浮かべ直した。
「では、時刻が来たら予定通りに私の『手持ちの駒』と『亡霊』で事を運ぶ。では、君は、今から、君の事を成すために行くんだ」
 『手持ちの駒』と言ったところで、その隣の明らかに不審な白いワゴンを見る。
 そのワゴンには遮光フィルムが貼られ、車内の様子は分からないが、複数の人間が、否、生物が蠢いて居るのが見て取れた。
「…………」
「納得が行かないようだな? 君が上手くいけば、妹さんと鉢合わせする事もないはずだが、魔女狩りを失敗したいのかね?」
 ん? と自らの意見の正当性を主張するかのように言の葉を連ねる。
 ランボルギーニの扉が羽のように開くと、車体を大きく揺らしながら運転席の男が身体を引きずり出して出る。
 男は申し訳なさそうにランボルギーニを愛でていると、フロントガラス側から助手席の男がエレベーターに向かって指を差した。
 男は頷いて、その身体を揺らしながらエレベーターに向かう。
 男は途中、チラリと後方を振り返ったが、痩せすぎた男が助手席のダッシュボードをドンドンと叩いて促す。
 男は溜息をついた口に新しいドロップを含む。
 コロリと舌と歯に挟まれるドロップ。
 ちょうどよく着たエレベーターに乗り込むと、絞首台に立った死刑囚のように顔を伏せた。

 ドアが閉まった……


15 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/14(金) 10:49:08 ID:WmknzDxc

叫喚2


   −Side A−

〈 鬼――、その起源は古く日本書記(七二〇)の欽明天皇五年(五百四十四)十二月の項まで遡る。

 書に曰く、

『彼嶋之人、言非人也。亦言鬼魅、不敢近之。』
(その島の人、人にあらずともうす。また、おにともうして、あえて近づかず)

『有人占云、是邑人、必為魅鬼所迷惑。』
(人ありて占いていわく、必ずおにの為にまどわされん)

 と記されている。
 具体的にはここに出てきている「鬼魅(おに)」というのは外国人の海賊か何かをさしているのではないかと思われる。
 さて、現代の日本において、幽霊の存在は信じる人が多いが、鬼の存在を信じる人は非常に少数だと思う。しかし「鬼」と呼んでよいものは確かに存在しているようだ。これはたちの悪い悪霊の一種であると考えていただければよいかと思われる。
 鬼はよほど強烈なものでないかぎり、一般の人の目には見えない。通常描かれる鬼の姿というのは、こういったものを感じ取ることのできる人が感じ取った雰囲気を絵にしたものだろう。そういう意味では、あの鬼の姿は純粋な想像の産物とはいえない面がある。
 こういう霊感的な力というのは実のところ誰にでもあるが、こちらから相手が見えると、それに相手も気付くために、逆に危険で、普通の人の場合、小さい頃にそういう回路のようなモノは自然に閉じられてしまっている。しかしまれに、そういう回路が何らかの原因で閉じられなかった人たち、あるいは何らかのきっかけ(一般には大病や臨死体験など)でそれが突然開いてしまう人もいる。
 まれにこう言った鬼を見る力をある者を『視鬼(しき)』と呼び、鬼同様に敬い、忌避された。
 こういった純粋な意味での「鬼」以外に、過去の日本史の中で「鬼」として取り扱われてきたものがある。それは「よそもの」である。
 日本書紀の欽明天皇の巻に描かれた「鬼」は実際問題として外国人のようである。民俗学者の一部には、「鬼」というのは通常暮らしている共同体の範囲外に住む人のことである、と捉える向きがある。これは確かにそういう面があったようだ。
 一般に昔の日本の村では、村の一番外側のところに、道祖神・地蔵・あるいは巨石・古木などがあって、そこが一種の結界になっていた。そしてその結界の外側に存在するものは「鬼」として処理されたのである。
「おむすびころりん」の物語は心理学的にも面白いものである。おむすびがころがり落ちた穴。そこは外界に通じる、結界の外であると同時に、足元にあるもの、つまり心の中にあるものでもある。

 いくら外に結界を張っても、心の奥底には深い闇が広がっている。鬼は私たちの心の中にも潜んでいるかも知れない―― 〉

「以上、『民族学から見る鬼とは?』でした、と」

 展示場に備えられたパンフレットを読み終えると、私はボゥと暗闇の中に光の傘に入った展示品を眺めるガキンチョを、パンフの角で小突いた。
「何をする?」
 急に我に返ったように国定は、こちらをムッとした顔で睨んだ。
「人の解説を聞かないでヌボーっとしているから、現実に戻しただけ」
「別に殴る必要はないだろう?」
「……いや、目がちょっと逝っちゃってたから」
 その言葉に何か思い当たる節があったのか?
 「いや」と言葉を濁して眼を伏せた。

 彼の視線の先にあったのは虎のパンツや、金棒に紛れて陳列されていた『国宝・童子切り安綱』と言う名刀にして、霊刀のレプリカである。

 かの有名な、『こっちの世界で有名な』異端の交霊武装『七大魔王刀』と比較するのは躊躇われるが、最悪の鬼子『酒天童子(シュテンドウジ)』の首を切り落とした刀『童子切り』はその後に備わった想念と歴史によって一級の交霊武装へと昇華している。
 【人外】が通常の物理攻撃で傷付けられないと言われるのは、『装甲結界』という物があるからである。自らの根底に流れる、攻撃を受けつけないと言う強い意志が現実と自らの境目に張られた結界と化したもの、霊気装甲の亜種と言われている。それ自体を破るには死神の対魔兵装か、規格外の交霊武装、インチキめいた結界破りなどが必要なのだ。その規格外の交霊武装に『童子切り』は属するのだ。

 酒天童子と言うのはアレだ。
 私の微かな記憶が確かなら、源氏の電光だか、閃光だかが退治した、日本史上最大にして最強の鬼である。『表の歴史』では作り話と言う事になっているが、怪異の支配する『裏の歴史』では、どうも本当に居たらしい。
 作り話の方では、山に引篭りして、たまに村を襲う程度らしいが、真実の歴史の方は一味違う。

 数々の村を鬼の集団で組織化して襲い、蹂躙し、遂には時の皇帝の膝元、京の都まで出兵し、皇帝を幽閉し、一時は京を支配した鬼の総大将なのだ。
 時の、日本最高の魔法使い『安陪清明』とその源何とかが独自に作っていたと言う退魔集団、そして当時からこっそり力を振るっていたと言う噂の、三千年生きた、今は公社の死神の、魔王の協力で京を最終的に奪還したらしい。
 京を根城にしていた最後の鬼は、酒天童子を除いて全滅し、その酒天童子も、最後の抵抗も空しく斬首。その首を断ったのが『童子切り』なのである。
 その首は世を呪う言葉を溢れんばかりに吐き、その呪いで生じた瘴気で京の都で伝染病が流行ったとか、切られた首が飛んで源何とかの(かぶと)に噛み付いたとか、その身体が地獄に引き込まれたとか、とにかく最後の真実は曖昧で、酒天童子は死んだ、それだけが伝わっている。


「で、どうしたの? そんなに刀を見つめて?」
「…………」
 だ、だんまりですか?


 暗闇の中に立つ少年は、何だか、儚くて、脆くて、壊れそうだ。
 望郷よりも彼方の地を望む男。彼の瞳は真っ直ぐで、背伸びをして、決定的なまでに掛け離れた。
 何処かまでも続く、夢に見たあの日の、遠いあの場所。

 それを求めるために、人は今だ妬み、争い、焦がれて、そして、貴く、輝いている。

 それを昔の人は、なんと呼んだのだろうか?

「――昔を、思い出そうと思っていたんだ」

 静寂が耳鳴りをするまで続く。周りには多くの展示品を鑑賞する人が居たのに、自分と国定だけが薄紙一枚だけズレて、世界に取り残されているようだった。
 彼は再び目をダウンライトに照らされる、レプリカながらも白銀の刃に向ける。

「魔人になるには、全ての記憶を自ら捨てないとイケナイ。だから既視感を感じたモノを見ていたら、もしかしたら失った記憶が戻るかも、などと思ってみたりしたのさ」


「嘘吐き」


 私は一言、自分でも何故言ったのか分からない内に、その言葉を吐き出した。
「え……、お、俺が何の嘘を付いているって言う……」
「当たり前でしょ、魔人になるのは、全ての記憶を捨てるんじゃなくて、全ての記憶を『奪われる』じゃない」

 望むわけでなく、ただ『魔人となる』。

「それに、全てなんてのも嘘。だって……」

 最も、悪意を込めた、最悪な記憶だけが、残る。

 不可能を可能にするための代償。
 例え、伝導率1%以下の人間でも、生と死の狭間で渇望すれば、ほぼ霊気装甲を使う事で不可能のない、無敵の魔人となれる。
 魔人となるために、肉体でなく、魂の伝導率と純度を最高にするために、小さな、一欠けらの人間としての記憶を、何かが悪意を持って残したような初期化される。薄れ、色褪せる幸福に代わって、ただ日々色濃くなる陰惨な記憶の再生が、ただの魔力の塊でなく、人としての形を作り出す。
 結果、悪意を持った記憶の再生によって、狂い、さい悩まれながら魔人は生き続け、『回復できない』魔力で魔力自身となった体を削りながら、最後に『消滅する』。

 それは、甘い栄光をちらつかされて堕された、無限地獄のようなものだ。
 国定は既に狂い、苦しみ、消滅する恐怖を得ながら死ぬ事が定まっているのだ。

 例え、魔人となる事を望んだ理由が、綺麗だったとしても……


 そうだった。何故、私はこんなに簡単な、辛い事を忘れてしまっていたのだろう。
 この魔人は既にそんな恐怖と千年も一人で闘っていたのだ。

 そんな、色々な思いを言葉に口をしようとして、私は口を閉じざるを得なかった。
 国定はその瞳孔をキュッと絞り、睨むように私を見ている。
 私は怖くて、思わず、背後のショーウィンドウまで後擦り去った。

「く、国定?」
 私は恐る恐る、小さく口を開いてみた。
「在姫。こちらを先ほどから見ている人間がいる。俺を正面に午の方角、七時方向。つまり左斜め後ろだ」
 私は微かに動揺しながら、国定と同じ様に向き直り、ショーケースのガラス越しに反射した光景をさり気なく窺った。
 灰色と虹色に蠢く群衆の先に、柱から顔を出した太った男が視線を私達に収めている。
 ……どうも見ても怪しかった。
「非常に不審だ。俺は調べて見る。在姫はそのまま常寵を待って、そして二人で遊んでいろ」
 国定の、小さく囁きかける口振りに淀みはない。
 私は返答も返せなくて一人黙っていると、フンと鼻息を軽く、優しく微笑みながら国定は言う。
「気にするな。魔人となった事に俺は後悔していない」
 踵を返した、国定のシャツの裾が揺れる。
 それが、夢の時の紅い衣を幻視する……
「するとしたら――」


「えっ?」
 何かを呟き、それに問い掛けようとした時には、国定は駆け出していた。迷いを振り切るように、その身を闘争者へと変えて……
「国定……」
 私は、ただ呟くことしか出来ない、魔法使いでも、魔女でもなく、ただ少女だった。

      *         *          *

   −Side C−

「獣臭か」

 そう、一人の異様な風体の人物は、後部のドアの開け放たれた白いバンを覗いて言った。

 下はまともなベージュのズボンだが、黒く、吸い込まれそうな色の半纏。その下の上半身に、顔を含めて完全に包帯を巻かれ、頭頂の髪の毛だけがヤシの木のように立って、包帯の先から毛の見えている。背中には鎖で肩から掛けられた巨大な両手用の斧、(まさかり)が背負われている。
 閉鎖された空間にも関わらず、何か空気のウネリでも生じているかのように黒い半纏が揺れている。
 白いワゴンの隣り、黒い、死を運ぶ車、霊柩車、に似た巡回用の車にその人物は近づき、開いた窓から備え付けられた無線を取った。

「こちら四四号車、本部応答願います。類別不可、獣人種の被疑者は六〜七人、吸血種の臭いも同時に感知。他、空間の歪みから呪いの類と推測」
 小さい声にも関わらず、ハッキリと強い語勢の声。
「『例』の魔術師の件に荷担した亡霊騎士かと思われる。非番を解除、斬殺礼状の即時発行と葬査の許可を求む」
 ギョロリと、包帯の間の黒い瞳が動く。
 [非番解除、手当て支給、許可を受諾。礼状は追って発行、それまでは応援の来るまで順次待機]
 無線を無言で切ると、黒い半纏を揺らして口の先で「チッ」と、その人物は毒づいた。
「馬鹿が……、事件が起こってからじゃ、……遅ェんだよ」
 エレベーターに闇よりもなお濃い影を引き連れる者。

 若原 曲(わかはら まがり)
 日本国冥府所属 死神公社の死神はそう、包帯を歪ませて言った。

      *         *          *

   −Side B−

 人と言う水に囲まれた四海の視界。その中にただ一人浮かぶ島である異様な風体で、有体に言えば普通の男がいる。
 遠くから見ても、付近の人とは横幅を異にする男。その横幅に比べて身長はやや低く、形容するなれば『ガスタンク』のような球体にも見えなくもない。真夏にも関わらず、ロングの黒い星が真ん中に付いた白いTシャツにジーパンを着た暑苦しい男。
 俺が駆け出すのに合わせて、手元に持っていた飴のようなモノを取り落としながら、男は逃げ出した。
 俺は敢えて慌てずに、ユックリと獲物を詰めるように、狩りの場を定めるように男の後を追う。

 平日でも、流石に学業を終わらせた学生達や子供の居ない暇な専業主婦達、残業のない公務員の姿で溢れている。
 色とりどりの人々の間を静かに、太った男と少年姿の俺が追いかけっこするのは、上の階から偶然見つけた人には奇異に見えるだろう。
 人の波を掻き分け、ヨタヨタと走る男に対して、俺はその流れに逆らわないように身体を斜めにする擦りぬけるような半身や、身体の小ささのメリットを活用して男を追い詰める。


 ――にも関わらず、俺と男の間は一向に縮まらない。
「バカなっ……」

 自慢ではないが、魔人として記憶を失っていても、記録によれば俺はそんなに脚は遅くなかったはずだ。確かにあの時代では馬術に長けていたはずだが、この身とて野山を駆けていた健足である。いくら子供の四肢でも、現代人の足腰には負けない程度の自信はある。

 装甲をわずかに流動させて、スピードを上げたと同時に、魔術か何かで察知した男はヨタヨタからドタドタくらいまでスピードをむりやり上げていく。たるむ皮、揺れる肉、動く重心。
 それでも間は縮まず、男はエレベーター横の扉から非常階段に入る。
 まずい、早く辿り着かないと。ココはツィンタワーの内、片方の塔。ビルの途中から分かれたツィンタワーの片割れは途中で二つの道に分かれている。つまり、あまり逃げられてはもう片方の塔か、階下かと言う二択を迫られる。
「……これは、俺に対する挑戦状だな」
 俄然、やる気が無駄に沸いてきた。
 急激に後ろに四肢を跳ね上げるように加速。獣の俊足で扉まで追い縋る。
 それを見ていた何人かはあまりの速さに驚きで歩みを止めているか、あまりの速さで気付かないかのどちらかだ。実際、100mを六秒弱で走るスピードを、子供の姿の俺が出していたら驚愕か、見なかった事にするか、どちらなのは当然だ。
 その俺を振り切ると言うのは男の何らかの魔術だろうか?

 扉を素早く開けて見てみると、非常階段が肉の質量で揺れている。

「それにしても……、速過ぎないか?」

 あの男、あの巨体、もとい肥満体にしか見えない体で、階段の間から踊り場まで飛び降りたのだろうか?

「でも、俺はやりたくないなぁ」

 この間のように霊体でいくら着地の衝撃が殺せると言っても怖いものは怖い。機像使いの女と戦う直前は興奮していたから図書室からの高さには気付かなかった。だが、既にマジマジとその高さを見せつけられているビルに昇らされれば、まさに一目瞭然。階段を使わないと、とてもじゃないがこんな高い所からは下りたくない。
 と下らない事を考えている間に、肉による揺れが段々と遠ざかっている。
「逃がすか!」
 俺は手擦りに掴まりながら、一段ずつ、しかし高速で降りていった。

      *         *          *

   −Side A−

 巨大なシャンデリアが頭上で輝くその場所。頭上三階まで打ち抜いた造りは、こんなド田舎にビルを建設、設計した『遊び人』の心意気を感じる。そのお陰が否か? 建設してからは日増しに和木市の人口は増えているらしい。無論、人だけではなく、人外もいるけど。まぁ、それは日本国冥府の政霊指定都市だからかも知れないね。
 たくさんの人々、それぞれがそれぞれに幸せを携えている。それは日頃から歩きながらも熱中する携帯電話のゲームアプリだったり、両手に持った三段重ねのアイスクリームだったり、目の前を楽しそうに互いの幸せを手と手で絡めあって、乳繰り合っている恋人同士(バカップル)だったりする。

 で、ベンチに座った九貫の魔女である私は目下六人(マイナス一人)の魔術師から心臓を抉り出されようとしている不幸な少女である。ちなみに言うと雀どころかハチドリの涙に近い母の遺産(魔法の方ではなくの現金の方)をやり繰りしているため、お金が勿体ないので携帯なんてないし、アイスは家に特売日に買い置きしたのを帰ってから食べるために我慢しているし、家族はおろか、恋人なんて存在が居るはずも無い孤独な、幸せの枯れ井戸の状態。生活に、潤いがない。
「つまり、トータルで言えば凄く不幸なんだよね〜」

 溜息をつくと、頭から伸びた、不自然な一本の、アンテナのようなくせっ毛がピコピコと揺れた。頭の脇の髪はピンで、腰まで伸びた髪は九貫の護符の髪留めで押さえられるが、この一本だけはどうにもならないらしい。まぁ、同じクラスで前日にジョウチョーを「モエー」なんて命知らずな事を言った歌代くんにしてみれば、それこそ萌えなのかもしれないけど……、女の子である私の立場からすれば、まさに収まりのつかないだけである。

「……世の中不満だらけ」

 髪の毛はキチンとセットできないし、父親は誰だか分からないし、肝心のジョウチョーは未だ待ち合わせに来ていないし、その理由を携帯で問い正す事も出来ない。つまり、携帯が無いのは不幸だからであって、ついでにお腹が空いたのにアイスが無いわけで……

「うわっ、不幸で頭の中が循環しているよ、ってか、いくら小声でも」
 自分で自分に突っ込まない方が良いって。
 だが、いつものこの一人会話(?) に突っ込みをいれてくれる人物はこの場に居ない。あいつの事だ。突然帰ってきて、「未熟者が居なかったから余裕だったゼ、ハハハ」とでも言うに決まっている。アイツの事は放って置いていいや。てか、アイツが不幸の元凶と言う事にしよう。実際、アイツと遇わなければ標的にならなかったわけだし……
 んじゃ満場一致(一人)で国定 錬仁は極悪不幸運び屋と言う事で決定。

 それにしても……国定か、あいつの事はイマイチ謎だ。魔人って事で年齢は不詳。国定って苗字が正しいなら、かの地獄へと繋がる門を守護する一族である。

 【地獄】とは一般的に言われるような悪い事をした人間が死後に到達する場所ではない。

 【地獄界】とは人間の住む場所、分かり易く【人間界】と呼ばれる私達の住んで物事の起きる世界に最も近い、魂の集まる世界の事である。魂は、通常死後は昇華されて輪廻の輪に戻り、魂が循環する。しかし、まれに死の直前に『一定の未練』があった場合、地上に留まって死神公社によって昇天させられるか、もしくは別の物質界である『地獄界』に引き寄せられる。これをブラインドなんたら現象とか言うらしいが、私が幾ら天才でも変態の神秘院には関わりはないために良く知らない。悪人は現世への欲望が強いために地獄に落ちやすいのが業界の通説である。むろん、未練が強くあれば、誰でも落ちる場所。故に、その有り方がこの世界で定義された『地獄』と似ている為、そのまま【地獄】と言う名称になったのだ。
 一説に寄ると地獄は元々は『閻魔』と呼ばれる支配者によって治められていたそうだが、立て続け(地獄の時間にとってはの意味で)に第一次、第二次大戦での死者の大放出で地獄の人口爆発が始まった。自体を危惧した統治者である『閻魔』は、自らの無限転生の力を使って地獄をそのまま人間界の一部とドッキングさせたとか。無論、これで地獄の人口爆発による『魂同士の摩擦による本当の爆発』は防げたが、代わりに地獄の不死者である『屍徒』や、幽霊の『人間界への逆流』などエライ騒ぎが起きたなんてマメ知識がある。一体誰が今統治しているのやら?

 とにかく、繋がってしまったからには私達の世界には扉はある。
 特別有名で大きなのは『バミューダ三角海域』の【食宙門(くうちゅうもん)】である。おかげで、あの付近はやたらに失踪船と不思議な飛行機事故(百%乗客乗員全て行方不明)が多い。
 そしてもう一つ有名なのが、私がこの間遭遇した【四時五分に止まる電車】である。
 もしかして、あの『電車』は国定が国定の力で呼び出したモノだったりするのだろうか?

 ――亡霊騎士との戦闘。不測の事態で負傷した国定。何らかの形で起きた霊気装甲の不具合に、国定は最後の力を振り絞って、線路の上か何処かで召喚。

 でも、それはないだろう。私の推理は間違いだ。【国定】の名の通り、その身は『国の境界を定める事』を意味する。つまり、地獄との境を曖昧にして、死者を逆流させるような行為を国定の身は出来ないはずだ。
 と言う事は、彼は国定であって、国定ではない。不思議な関係だ。国定の名前は意味があるのだろうか?

 魔人はその気になれば、悪夢にさい悩まれる事を覚悟すれば何百年と言う単位で生きる事が出来たはずだ。しかし、人間としての器である以上、大抵の魔人は十数年で力を使い切ったり、教会の『ソロモン王より伝わる魔人使いの秘蹟』によって飼い殺されたりするのが通説だ。しかし、あの偉そうな口振りから、おそらく現世に百年以上に渡って現界を続け、教会の呪縛(いや、聖縛か?) を振り払って、轟然と存在しつづける男だ。

 国定 錬仁。あいつは本当に一体何者なのだろう? 驚異の武芸の達者で、家事万能、元は百九十を余裕で越える体躯なんて、まるで何処かの物語から出てきたみたいだ。もしかして、あいつ、日本の歴史に載るほどの有名人だったりして。

「だとしたら、武蔵坊弁慶だね。性格悪いし」

 でも弁慶は美形ではないからなー。義経かな? でも貴族っぽくなくて、むしろ品が無い。でも、子供の姿ってのもあるけど、女の子でも羨ましがるようなスベスベした肌をしているし、体の均整も取れていて子供ながらモデルのようだ。かと言って軟弱そうかと言うとそうでもなく、獣のよう、野生の狼とか子供ような逞しさが顔にも表れている。口の悪さと時折バカにする時に細める『ー』の形の目でも無くなれば、私はいい男だと思う、まぁ子供だけど。

 ……でも、そこまで魅力的でも、どんなに綺麗でも、彼の瞳は見れない。人の瞳、それに縦に亀裂の入ったような黒い瞳は、何故か終わった瞳としか言えない。見つめていると、彼の送った鮮烈な人生が流れ込んできそうで怖い。

 夢で見た、あの日の影の軍勢。届かない叫び。彼の戦う姿は苦痛を知りながらも、その先にあるのは更なる苦痛でも、今日の戦いが明日の戦いでも、その先にあるのは空っぽで、何も無くても、ただ一人で向かって行く。彼は人として生まれなかった。だから、人として拾われても、人としての幸せを放棄した。ハッキリ言ってバカだ。愚の骨頂、天然の真骨頂と言っても過言ではない。とにかく、彼は人生を他人のために無駄にし過ぎた。それだけは、夢の流れの中で、時折逆らうように見える残滓から読み取れる。

 『我、忌み、故に意味無し』なんてバカげている。

 ……もし、私が魔女だけでなく、人外との半々の出自でも後悔しないだろう。例え、それが人喰いだとしても、吸血鬼であろうと、私は受け入れる。この世に生まれたからには自分のために、目的を持って生きなければイケナイ。母とあの『大師』の言葉が正しければ、私は父と母が愛し合って生まれた子供だ。
 私の生まれを隠して、数年間魔女として行動せず、大師に匿われながら私を出産した。その事から私の父親はどんな人間なのかは想像くらい付く。私は父の手に抱かれた事はあるのだろうか? もし、彼が今だ犯罪者として活動していたらそれを許せるだろうか? それ以前に私が、私の生を許せるだろうか? 口だけでいくら決意をしても足りない。
 私は何かと対峙した事が少ない。現代の仙人、有体に言えば『引篭り』、結界を自宅に付けての『立て篭もり』をしている魔法使いや魔女にはよくあることだ。私が、本当に試されるのは目前で戦う、その時、その瞬間だけだ。

 ……て、既に待ち合わせ時間の六時半なのに、学校に五分前に登校するように「いや、在姫。待たせていたが、少女趣味な妄想はしていなかったかね?」なんて含み笑いをして、片手を地面と直角に上げながら戯言を言うジョウチョーの姿はまだ見えない。実質、約束の時間から十五分遅れだ。何だか珍しいなぁ。何か有ったのかな?

 ふと目を向けた、二つあるエレベーターが両方同時に上がっている。どちらかに乗っている可能性は高いだろう。私は暇な時間を持て余すのも何なのそちらに目を向け続けた。

 扉が開いた。

 異様な風体だった。全身をタイツのようなモノで包み、顔の中央には巨大な、ゴーグル型の遮光器が嵌められている。痩せ型よりも骨と皮と言った方が良いような、『魔術師』にしか見えないの男は、背後に捻子くれた体躯のエレベーターの『両方』から出てきた『獣達』を従えて、こう言った。

                  「さぁ、皆さん、人質の時間です」

 朗々と言った。


16 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/14(金) 11:01:45 ID:WmknzDxc

叫喚3


   −Side B−

 さて、このツィンタワーだが、あの吹き抜けには構造上一つの問題がある。

 途轍も無く、広いため清掃が追いつかない事があると言うのだ。無論、昼間の開店中は清掃員をあたら多く出す事は出来ない。

 その欠点を見越されたためか、ツィンタワーの反対側には同じ様に吹き抜けがあり、パンフレット曰く、それを四週間のローテーションで交換して使っているらしいのだ。今回使っているのが、その北側の塔である。

「さぁ、着いたぞ。魔術師。ここまで来るなら十分だろう?」

 俺は埃っぽい空気が充密して澱んだその場所についた。電灯の落されたその場所は、夕方である事と相余ってやたら暗い。全ての黒いモノが影絵のように意思を持って動きそうな程、そこには埃と同時に闇も充密していた。

 息を肩でついた男は、ちょうど北側と同じようにシャンデリアのある場所の真ん中に居た。

 俺は男から十歩以上離れた場所から睨みをつける、って何で(ひる)むんだよ。

「ここここ、ここここ、こここっここここ、こここ殺さないでくださぁい」
「…………」

 生理機能は人間と同じだが、それとは関係なく額を汗が伝った。何なんだ? こいつは?
 両手を掲げて、その後ろに隠れるようにしながら、俺から目を背けている。
 脱力感を全身に感じながら、溜息を吐く。とりあえず事が終わるまでは気を張ろうと思い、背筋を正した。

「お前は、魔術師だな? そうだろ?」
 そう言いながら、三歩間合いを詰めた。殺し合いをする気のない人間を殺るのも何なので、素手の当身でも中てて気絶させよう。それから、在姫の魔法で『誓い(ギアス)』の魔法でも掛けて、師父に何処かに捨てて置いて貰おう。

「はぁい、そそそそそそうですよぉ」

 やたらオドオドとした口調でコメカミに血液が溜まりそうなのだが、俺はもう一度怒りを吐き出すように溜息をして、また間合いを詰める。

 男は震える手でポケットから何かを出す。

 俺は一瞬身構えたが、それがただの甘味物、ドロップだと分かった。
 それを指ごと口に突っ込みながら満足そうに食べているのを見ていると、またコメカミの一部が膨れていくのがよーく分かった。
 と言うか我慢なら無い。
 後は大股で四歩弱、さっさと片付けて帰ろう。残した在姫も心配だ。

「で、お前の名前はなんと言うんだ」
 答えると同時に終わらせよう、そう思った。
























          「魔術師同盟 アイオーン 『斬刑』の斐川 荻(ひかわ おぎ)



 答えると同時に終わらせよう、そう思った瞬間。

             俺の胸に『強烈な打撃』、掌低が一瞬で打ち込まれた。

 このホールは三十メートル以上の広さがあり、そのほぼ中心に俺は立っていた。だから、何処ぞの騎士のように瞬間移動でも使わない限り、十五メートル先の壁に叩きつけられる事は有り得ない。

 有り得ない打撃で無い限り――

 コンクリートの壁に叩きつけられて瞬間的に途切れていた意識が戻ると、俺はその場から離脱した。前蹴り、俺の腰くらいを砕こうとして外れた打撃は、豪快にコンクリの破片を撒き散らした。
「このほら吹きがッ!!」
 左斜めに抜けて、男に身体を向けた俺に、ピタリと『槍を出したタイミング』で必殺を狙うように男はくっ付いてきている。先ほどの肉の暴れるような歩みでなく、オーケストラが著名な指揮者の手で高度な、一つの有機体となったような、動きと呼ぶのはおこがましい、まさに舞い。
 俺のお返しとばかりに放った拳が、円を宙に描くように廻された掌に柔らかく受け止められ、そこから続く片手の、僅かな指先の伸びだけで弾き飛ばされた。
 だが、今度は自らの掌でしっかりと受け止めて着地する。それでも、男は再びピタリと『槍を出させない』絶妙な間合いに陣取っている。掌には抉られた穴が二つ。

 まさしく、男はガラリと変わった。
「魔術師ですから……、ホラの一つや二つは当然です」
 遅れて、思い出したかのように『余裕』を持った笑みを浮かべた男。
 情報によれば、アイオーンで『最も戦闘力のある男』、斐川 荻。

 両手は僅かな捻れと相反するような余裕を持って掲げられ、手の小指側を向けた手刀で自分の中心を守りながら、こちらの体のど真ん中をポイントしている。胴体は腰の上辺りで捻られ、足先は俺ではなく、俺よりややズレた方向を指している。

八卦掌(はっけしょう)

 新しい中国拳法の一つ。縦横無尽の歩法の『走圏』と掌を使った柔らかい千変万化の攻撃である『手法』と修練によって力からより剛強かつ統合された力、『勁』を使う武術である。ちなみに歴代のマスターとなった者で敗北した者はいない、武術でも最高峰の部類にも属する中国武術。

 その実力と威力は咄嗟に後方に飛びながらも、既に半ダース折れた俺の肋骨からも証明できる。


「僕のは正確には(遊身八卦六十四掌:ゆうしんはっけろくじゅうよんしょう)です」

 男の上半身は先ほどのからの掌低で発した筋肉の流動力、発勁によってロングのTシャツが内側から引き裂かれていた。
 勘違いも甚だしい、何と言う筋肉の密度だ。腕は年輪を重ねた大木のように太く、胴体は薄い、引き伸ばされた脂肪の下からでも腹筋や脇腹の筋肉の、一筋一筋の厚さが伺い知れる。背中なんて正面から見えるほど広い。おそらく、脚も自分の体重どころか三百kgのバーベルを背負ったまま片足でスクワットが出来るほど鍛えられているはずだ。

 この男は『デブ』ではない、恐ろしいまでの肉の密度を持った熟練の『拳士』である。

 俺は胸に霊気装甲をより多く流動させて回復を促す。
 だがそんな時を待ってくれるほど、敵は優しくはない。
「では、自分が殺されたくないので、あなたから死んでください」
 微笑を浮かべた魔術師の体が突然視界から消えて、再び俺は弾き飛ばされた。

      *         *          *

   −Side A−

 吹き抜けは唖然となっていた。当然だろう。目の前には明らかに見覚えのない異形と奇人が存在しているのだから。
 二メートルすらやすやすと超える体躯。その人と同じ形の胴体には猪のような、あるい象、牛のような顔が乗っている。それらは一様に、元の生物なら持ってはいないはずの、牙と赤くギラついた瞳を持ち、辺りを眺め廻している。そこに理性のようなモノは感じられない。金属を身体に直接打ち付けられ、急所の大半、心臓、股間、背骨と言った場所を守らされている。その身体に鈍重さの欠片として見受けられず、力強さの大半をその外見から発散させている。
 それら、獣と呼ぶのはおこがましい生物が六体。
 その中心には、周りを囲む生物よりも明らかに、むしろここにいる人間の大半よりも貧弱に見える、異様な痩身の男。生きた黒蛇の鱗のごとく、奇妙に身体にフィットしたボディースーツに、目を丸ごと覆う遮光器はまるで男の異常性を表しているようだ。

「フム」

 男は軽く、周りを見渡す。
 周りの人々はあまりの、『常識を越えた』状況故に動けない。
 私も、『常識を超えた』存在である魔女、そして『狙われた獲物』故に動けない。
「皆さん、動かないように…… 死にたくはないでしょう?」
 首を斜めに、ユックリと傾ける。遮光器越しの視線は舐めるように群集から私を探そうとしている。
 無論、私は悟られないように、その脅威に対して反逆しようと駆動する魔女の心臓を必死に押さえつける。
 魔女や魔法使いの感性でなく、職人のような技術で磨かれた魔術師の、魔力の動きを捉える勘は容易に私の居る場所を見つけるだろう。
 だからこそ、私は今にも動きそうな自らの一部を必死に留める。
 暫くの沈黙、それと同時に、男が顎をしゃくった。
 視線の先には、警棒を構えて、それでもなお動けずにいる若い警備員。
 牛の形をした獣が、その巨躯からは計り知れない予想外のスピードで迫り、顔の強張った警備員の頭を、蹄でなく五指に分かれた手で、しかも片手で掴み上げる。
 警備員は突然の不条理にもがきながら、警棒をその豪腕に叩き付けるが傷どころか痛みすら与える事が出来ない。
「魔女、九貫在姫さん。いるのでしょう? 出て来ないと大変な事になりますよ? 制限時間は三十秒、です」

 狂気の宣言と供に何処からか出した懐中時計。それはやたらと大きな秒針の音を立てている。

 その言葉を聞き取った警備員は以前にも増して激しく警棒を打ち付ける。警備員が未知と暴力への恐怖でありったけの力を奮い、警棒がひしゃげても、獣の腕は皮一枚として傷付かなかった。

 ちょうど、その光景のあるエレベーターの斜め右。その近くのベンチに私は座っている。
 何も出来ない歯痒さを戒めるように歯を食い縛った。今、ココで名乗り出る事は出来る。だが、近接戦闘力に欠ける私が名乗りを挙げても心臓を抉られるのがオチかもしれないだろう。無論、名乗らない事だって出来る。魔女はその身を隠し、秘する者。そして、その身に払う犠牲、他の身に払う犠牲すら省みない者。
 しかしそれは、私の『他に犠牲を払わないで魔女でいた信条』に反する。勿論、そんな者は魔女として余計だ。意味すらない。

 それでも、私は、その『無意味』すら重要に思えた。
 魔女であると同時にある、人の理性。それと遥か昔に見た『澄んだ目、澄みすぎて、逆に済まない眼』。あの優しい魔女、母ならこんな状況にすらなる事を許さないはずだ。


       こんな時にアイツ(国定)がいたら……


「……三、二、一。はぁ、遅いですね。ペナルティです。その男の腕を折りなさい」

 その言葉に、片手で割り箸でも折るかのように無造作に獣は反対の方向を変えた。

「あぎゃっぁひゃぁぁぁぁあぁああぐぇああ」

 警備員は何かの引き付けようにビクンビクンと身体をしならせ、失禁しながらも、それでもなお、まだ無事な手で警棒を握っている。

「もう三十秒、待ちましょう」

 表情すら隠したスーツ越しに再びカウントダウンが始まる。警備員の男は再び狂ったように声を挙げ、唾を飛ばし、いや実際狂って、ひしゃげた警棒を打ちつける。
 突然と始まった圧倒的な、調律された暴力に子供は泣き叫び、大人は何も出来ずに佇み、あるいは隙を見て逃げ出そうと、もしくは、壁の影に隠れて超現実から逃避している。

「……ゴメン、国定」

 私は小さく呟いて、ベンチから「よっこらしょ」と微妙に年寄りじみて立ち上がる。私の小さな胸の奥には、力強く鼓動する心臓。それだけを根拠と勇気の頼りにして……
 拳から親指を覗かせると、その先端、噛み切り痕のついたその先端を糸きり歯で噛んだ。
 親指から血を滴らせながら、私は男に真っ直ぐ向かっていく。

「……四、三、にぃ?」

 男が、私に気付いた。
 我ながら小さい歩幅で、それでも拳を振りながら、その獣達の前に近づく。
 周りの人々は不思議な、そして呆けた顔をしている。獣人に、魔術師、そして、小さな魔女とくれば、常識の九十%は麻痺しているだろう。
 そしてとりあえず、男の五メートル手前で、国定の真似ではないが腕を組んで胸を反らしてみた。
「……何か、呼びましたか?」
 威厳も、この小さな身長(百四十四コンマ三センチ)(計測済み)では存在すらもしないだろう。
 それでも、私は負けるつもりはなかった。
 さて、どうしたものか。男は、私が魔女なのか納得し兼ねたように、一定の調子で、ユラリ、ユラリ、と首を傾けている。
「貴女が九貫 在姫ですか?」
 ユラリ、とその言葉を吐いた後に、首を左に四十五度傾けたまま言った。
「そう言う貴方は何処の何様よ?」
 男はユラリ、と右に四十五度の角度で顔を傾けた。
「魔術師同盟アイオーンの『物理学者』 保隅 流水(ホズミ リュウスイ)と申します」
 物理学者? この男は魔術師ではないのだろうか?
 私はその疑問を頭の隅に追いやって、再び自称物理学者の魔術師に鋭い視線を投げかけた。
「アンタ、何考えているの? 衆人環視で吸血種と獣人の『合成魔獣(モザイク)』なんて持ってくるのは協定違反、いえ、反逆行為じゃないの? しかも違法霊薬のドーピングして、アンタ、同盟からすら抹殺されるよ」
 その言葉に彼は何が可笑しいのか? シャックリの連続のような笑みをしばらく続けた。


「協定違反? 笑わせないで戴こう。元より、魔術師に協定など意味はない。歩んだ道のその先にあるのは山屍血河の領域。故に法も違反もない、何にもない」
 男は指を高々と上げた。

 やっぱり…… この男ッ!!

「それにね。『 皆 殺 し 』なら、目撃者も居ませんよ―― さぁ、喰い殺せ」

 指を鳴らす音に合わせて、獣達はググッと身を沈め、『私はそれより早く呪文を紡いだ』。

      *         *          *

   −Side B−

 一振りの鉄塊が胴体にめり込む。その一撃で常人なら内臓破裂、脊髄損傷、圧殺滅壊する衝撃。
 その鉄塊は人の技。指先を揃えた手刀、肉の刃である。
 だが、人体を構成する同じ肉でも、彼の拳は生物を確実に殴殺する鈍器と化していた。玄翁、ハンマー。手刀のような形容表現と同じ刃物とまでは言わないが、そんな殴殺器具にすら似ている。
 それでも俺が立っていられるのは、魔人と言う存在である事と残った霊気装甲、そして自らの体術に他ならない。

 刹那。魔術師の拳が、勁の作用によって体内で弾ける直前に、床の埃を巻き上げて宙に舞う。

 俺は大鎧を着たまま、海に並べた船の間を飛び交うような身軽さで、足の踏ん張りを零にして打撃とは逆の方向に飛ぶ事で軽減する。
 舞踏にも似た死の舞いは刻々と時と命と運を削りながら闇の充密したホールを廻る。

 俺には反撃の余地すらないに等しい。打撃殺人と間合いの詰め方は今まで出会ったどの武芸者よりも卓越している。いや、出会った中で一人だけ挙げるとするなら、俺を一撃で殺し去った最強の暗殺者がいる。拮抗すら問題なく、ただ最悪の戦況の中でのコンマ以下の勝率。あの暗殺者は絶望の中から勝利を掴み取った。能力無き、ただの人として今代は最強の武人として名高い【拳王】、もとい【大災害】すらあの動きを美しいと言うだろう神業の体術。あれほどの男が極東の島国で、無名のただの暗殺者としてしか居なかったことが異常だ。だから……

「ガァッ!?」

 僅かな回想の思いに浸らせる合間すらなく、間隙と感傷を肉で破壊するように魔術師が舞う。
 当たったのは顔面。野郎、手加減をそろそろ止めてきたようだ。速度がドンドン速くなっていく。あの鈍重にも見える体の中に凝縮されたスタミナは並ではない。軽自動車にポルシェのエンジンでもつけたような加速と馬力である。いや、装甲のような筋肉や鋼の拳足によって、もはや人サイズまで小さくした重装甲戦車に他ならない。
「シッ!!」
 俺は肺の空気を吐き出しながら拳の反撃。それを魔術師は背中を見せるように回転して避けながら、そのまま背中で回転の勢いでの体当たり、中国拳法風に言うなれば靠(こう)と呼ばれる打撃を炸裂させる。
 当たった瞬間は痛みよりも先に、浮遊する感覚が先行するほどの叩きつけられたスピード。再び迫る壁に、獣のようにフワリと、両手両足で猫のように『壁に着地』をする。
 そのまま重力に逆らって、壁の微妙な凹凸に指を引っ掛けて張り付く。

 再び、間合いが取れた。だが、彼の神速の歩法を持ってすれば瞬きほどの間に俺を三度即死させる事すら出来るだろう。
 彼は独特の胴体を捻った構えを見せずに、ただブラリと手を下ろしている。全身の緊張は完全に解かれている。だが、それは次にどんな動きをするかすら予測のまるで付かないほどの極まった真の脱力である。

 達人。この若さでここまで達しているのはこの時代では俺の知る限り【大災害】の直弟子である規格外の【小災害】くらいしか知らなかった。だが、無名とは恐ろしいと、肝に命じていたはずだ……

 俺は極東の暗殺者ギルド、【闇殺舎】の魔物【錆びた拘束(ラスティチェイン)】の美しい動きを再び思い返しかけ、回想を断ち切る。いくら、『元の身体』の頃を望んでも、削れ過ぎた霊気装甲故に仕方がない。だが、このままで必ず、勝利を持って在姫を守る。

 そう思いながら、無表情に徹した顔に反して、自然と壁を掴んだ手に力が篭った。

「彼女が、心配ですか?」
「俺は守護者だ。勘違いをするな」

 よくよく考えてみると『彼女の意味』を取り違えているが、男は大して構う事はなかった。
 男はこちらに顔を向けたまま、コロリと口と中にドロップを含んだ。いつの間に?
 雲が晴れ、いよいよと待ち望んだ月明かり。立待月よりさらに僅かに欠け、昨日より遅れて出た居待月(いまちづき)としてボォと燐光で辺りを照らす。
 淡い光に浮かぶようにただひっそりと微笑みながら居待つ男。
「運動すると甘いものが欲しくなりますからねぇ。私は常人の二十倍のカロリーは必要なんですよ?」
 言い訳をするような弱弱しい言い方に反して、その行動には隙が一片と見当たらない。
 そしてこの男の雰囲気は、ただ魔法を求める魔術師とは違って見えた。むしろ、このまま『武芸者』となれば【拳王】に成り変われるのではないかと思う。何故……

「何故、お前は魔法を求める?」

 俺の問いに、男はほんの僅かだけ隙を見せたが、俺はそれを狙う気にはなれなかった。

「【魔法使い】になりたい。ただそれだけですよ」

 二つ目のドロップを口に含む。回想でもしているのだろうか? 自然と視線は宙に定まらないように見える。気になったのだから仕方が無い。もしかしたらわざと見せているかもしれない隙と割り切り、俺は続きを問う。
「魔法使いになって何を求める?」
 三つ目のドロップは口に含まれなかった。

「……妹が、居ましてね。彼女は僕が【魔術師】なのに【魔法使い】だと思っていた。微妙な言葉の違いですが、『夢』を壊して、彼女をこれ以上悲しませたくありませんでした……」
 三つ目が口に含まれて、しばらく堪能すると再び言葉は切り出された。
「妹には幼い頃に一緒に居てやれなかったのです。その頃、僕は親の作ってしまった借金と妹の無事と引き換えにロシアに売り出されました。ウラン鉱採掘と木こり、他にも極寒での蟹漁など色々やっていましたね。お陰でこの通り筋肉は付きましたよ。あぁ、これは関係なかったですね。実はですね。妹は両親が亡くなった時の火事から僕が救い出して以来、僕を【魔法使い】だと思っていたんです。だから彼女の夢を壊さないようにしようと思いました。そして、いつか借金を返せたら、ロシアの素性も知れない荒くれ者達の噂に聞く【魔術師】くらいにはなれるだろうと思っていたんです」
 彼は弄っていたドロップ缶をポケットから出して振るが、音がしない。逆さまにして底を叩くと、大きな、色とりどりの塊が掌に出た。
 それを口に含み、缶を仕舞う。
「そして、ロシアで木こりとして出ている時に、見つけてしまったんです。陸上で最大の肉食生物『北極熊』を圧倒する『超暴力』を……、それは老人でした。痩せた手足が奮う拳。そして……、自分でも『何を見たか忘れてしまう』ほどの『(わざ)』を見せつけると、彼は僕を見つけて言いました。『知りたいですか?』と、日本語で。僕は魔法だと思ったのですが、ちょっと違ったみたいです。まぁ、色々と手順を少々変えて僕の魔術があるわけですが……」

 畏敬を持った沈黙の後、俺はそれを言葉にした。
「その、暴力の名は?」

「『大災害(オーヴァーハヴォク)』と、それしか聞きませんでした」

「貴様、だ、『大災害の直弟子』だというのか?!」

 霊気装甲を持たず、魔術すら使わず、交霊武装、そしてナイフ一本すら帯びるの拒否し、ただ肉体の一つを持って人外の戦場を狂わす【人類最強】。

 驚いた彼はその厚い皮に包まれた掌を振る。

「まさか! 大災害の直弟子はただ一人『捕食者(プレデター)』ならびに『小災害(デミハヴォク)』と呼ばれる彼だけです。僕はただ単に『イロハ』を学んだだけのペーペーですよ。確かに彼、【大災害】は『挑戦しますか?』と聞きましたが、僕は【魔法使い】を目指していたので断ったし、それ以前に無理だったんですよ」
 微笑み、その中にでも垣間見える自分の肉体と技への信頼。長年の技術と才能。加えて【大災害】に『挑戦を許可された』存在。『夢』を壊さぬため、故に【魔術】としてまで昇華した彼の技があの歩法と連撃だけに止まるはずがない。


         「――ところで、身体も冷めてきましたし、続けますか?」


 男の微笑みに俺は、【亡霊騎士】と対峙した時とは別の感情の高まりと共に笑顔を浮かべる。

「魔術師、【魔人】を舐めるなよ? そろそろ、お前の、【魔術】を見せろッ!!」

 壁を蹴って空中への疾走。死の舞は二度目の幕を上げた。

      *         *          *

   −Side A−


 『――I summon one from blaze   universe in Nodence' name  . Repeat, Efreeti, Psalamander !!
  ――I summon one from abyss   universe in Cthulhu' name . Repeat, undine , Slime       !!
  ――I summon one from blow    universe in Ithaqua' name . Repeat, Sylph  , Hippogriff  !!
  ――I summon one from deep    universe in Niggurath' name. Repeat, gnome  , Spriggans   !!
  ――I summon one from another universe in Azathoth' name. Repeat, null   , Shadow corps!!』


 私の喉が一度に『五つの呪文』を紡ぐ。急激に、いつもとは在りえない程の魔力が失われ、『私が地面に零しておいた血液が触媒となって』魔法を起動させる。

 それぞれの呼び声に応えて、世界の扉が開き、その場の空間を満たすエーテルによってそれぞれの仮の肉体を閃光と爆音と共に与える。

 ノーデンス、クトゥルフ、イタカ、二グラス、アザートスの世界から、火霊素、水霊素、風霊素、地霊素、そして失名素の力を持ってして、私の世界に五つの異生物召喚を成功させた。

 火竜、スライム、ヒッポグリフ、そして、久しぶりに召喚し直した地の守護妖精スプリガンに、実体を持たない影の兵士であるシャドウコープスが勢ぞろい。

「Go(行け)!!」

 私の意志を読み取り、火竜は伝承では数千度と言われる業火を撒き散らして獣達を後退させ、十t級の二体のスライムはその身を伸ばして業火の熱波から人質の人々を守った。
 緑色の帽子を被った老人の妖精は私の膝くらいの背丈からドンドン身体を巨大化させて、警備員を掴んでいた獣人を殴り倒す。獣人が取り離した所をすかさず、ヒッポグリフに騎乗していた私が警備員の人をキャッチ。それを追撃しようとした獣達を、薄い影が直立したようなシルエットの西洋の兵士三体とスプリガンが行く手を阻んだ。


「何ッ! 馬鹿な! 呪文は一つしか唱えられぬはずだぞ!!」


 その通り、魔術師の彼の言う通り、確かに一つしか呪文は唱えられない。人の口は一つで有る以上、言葉は一つに付き、一つの呪文しか紡げない。魔法を刻み付けられた身体は一つの呪文にしか反応しない。故に一つの呪文につき一つの召喚しか出来ないのは世界の理(ことわり)である。

 だが、何事にも『 例外 』なんてものを作り出すことは出来る。それが魔女ならなおさらである。

 九貫の秘法、『圧縮連法(パイルコマンド)』。
 二つの声帯を別々に震わし、横隔膜で音を作り、骨を震わせ、全身を口として同時に五つの呪文を唱えられる秘中の秘、理を偽る技法である。

 無論、どんな呪文でも唱えられたりするわけでない。予め、パソコンのプログラムのように決められた、選択して練習した呪文のみを同時に出すのだ。つまり、私は今召喚したのと同じ異世界の魔物しか毎回呼べないのである。言うまでもなく、一発で一日分の魔力の九割を持っていく技法のため、むやみやたらと使うわけにはいかないのも理由である。

 スライムの中に既に気絶した警備員を放り込んで避難させると、私はヒッポグリフを再び旋回させる。シャンデリアの真下、煌々と照らす灯りを受けて、私は魔術師を見下ろす。
 人質を避難させた今、やるだけやってやろうじゃない!


 獣人の背後に隠れ、恐れ戦く奇怪な男。
 私は口の端をニヤリと曲げて命じた。

「Beat up them all!! (ブチかましなさい!!)」

 火竜はその存在を心の底から震わせる雄叫びを挙げながら、今までで最大の火力を持って口腔から火焔を渦巻かす。


 だが、
             「やはり魔女、油断も隙もあったモノではないな」

 その業炎をまるで団扇で仰ぐように、二つの鉄塊が薙ぎ払った。

 業炎の『切り裂かれた』場所には溶けたタイルとショーウィンドウガラス。そこは人では決して歩めぬ焼却場を、甲冑を着た『呪い』が歩く。
 熱の巻き上がる風で棚引く黄金の(たてがみ)。その熱波すら凍らせて燃える蒼い瞳と銀白の鎧。その両手には『竜』すら打ち殺す刃物に似た爆発物。

 現代最大の【呪い】、テンプル騎士団の亡霊騎士。ガーブリエル・オギュースト。

「ガぁぁーブリぃぃぃエぇぇぇルぅッ!! 貴様、何処へ行っていたのだ!? 私と言う賢者を差し置いてッ――」
 そこから先の言葉はゴーグル型のサングラスに、ピタリと、傷付けずに当てられた剣が止めた。残念ながら私の目には、いつ動いたかのかすら分からなかった。
「【魔術師】、我が身は【地獄使い】の攻撃で傷付いていた。それを貴様が『勝算がある』と言うから乗ったのだ。――だが蓋を開けてみればなんだ? 貴様は無実の民を人質に取り、傷付け、あまつさえ皆殺しにしようと企み、あまつさえ失敗するとはなんと言う『体たらく』だ」
 剛剣がスルスルと引かれ、それは私に向けられた。
「だが、ココまで来たなら仕方ない…… 【魔女】、貴様の心の臓、意地でも貰うぞ!!」
 その言葉に反応して、五メートルをやすやすと超える火竜が地響きをあげて(あぎと)を開く。
 牙と言うより乱杭歯に近い、三十センチの刃物群が襲い掛かる。
 だが、騎士はそれを真っ向から、一瞬で、一撃で叩き切った。
 音も立てずに縦に頭が割れ、同時にこの世界に留まれぬほどのダメージを受けた火竜は風に吹かれた砂粒のように消えた。
 背後からのスプリガンの巨拳。それを騎士はまるで後ろに目でも付いているかのように鮮やかに交わし、振り向き様に胴体を上下に撫で斬る。
 僅か三秒かそこら、騎士は私の攻撃手段を二つも奪った。
 でも空中に居れば、亡霊は空を飛ぶ事は出来なかったはずだ。攻撃する手段なんかない。今のうちに、もう一度召喚を……
 だが突然、騎士は剣を逆手に持ち替える。一体何を?
 その問いの答えは、次の思考の瞬間には目前に有った。

 視界が意に反して動く。ヒッポグリフの羽が翻ったのだ。

 制服の上をスレスレで引き裂く白光。
 背後のシャンデリアが物凄い勢いで弾ける。
「剣投げた!?」
 驚きのあまりに助詞すら抜かす。
 レイザービームにも匹敵する投擲剣。ヒッポグリフが反応して避けなければ、確実に私の心臓を抉っていた。
 しかも剣は彼の呪いの霊気装甲から湧き出たモノ。次の瞬間には両手に魔力で作り出した剣を携えている。
 影の兵士達は獣人の牽制のために動けない。
 再び、騎士は剣を逆手に持ち替える。ちょっと待て、その攻撃は抉るとかそんなんじゃなくて胴体ごとブッ潰す気でしょ!?
 私はヒッポグリフの機動性を信じて、かわし続けるしかないのだろうか?

 いや、大丈夫。私は、いや、『私達』はきっと勝てる。
 今はそう信じて、私はヒッポグリフの鷲羽に今は身の全てを委ねた。


17 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/14(金) 11:31:32 ID:WmknzDxc

叫喚4

   −Side B−

 空中から襲撃。俺は全身のバネを使って飛び蹴りを放つ。狙うは顔面と顎の一点のみ。筋肉の鎧で打撃を止められる以上、顔面への、さらに一撃での気絶を狙う事以外に絶対の勝利はない。
 顔、顎、それに類する場所であれば脳を揺らす事が出来る。脳が揺れれば、意識の断絶、気絶させることが出来る。
 身長差のある以上、空中での攻撃なら高さでの利はこちらが持てる。
 俺はシャンデリアまで届くほど上に跳んで、その顔面を打ち抜くように落ちた。
 だが、その俺の機動性に男はやすやすと追いつく。飛び上がりながら、俺の蹴りを外側から魔術師の内回し蹴りが打ち落とす。
 俺がそれに対して、魔人の持つ驚異的な空中機動性を使って廻ると、反対の足での蹴りを出す。
 狙いはほぼ背中を向いている、がら空きの後頭部!!

 ――瞬間。
 魔術師の攻撃が『それだけではない事』に気付いた。

 蹴りを行なった足、その『反対』の足の踵が、横から竜巻のように渦を巻きながら迫る。
 二段回転蹴り、中国風に言うなれば旋風脚か。
 だが、そこまで分かっているのであれば避けるのは容易い。その足を手で払い落とすように受けるだけ。
 瞬転。真下から俺の下腹部に超絶の衝撃。何が起こったのか、俺はその相手の姿を見て、気付いた。

 ――なんて空中バランスだ。俺の蹴りを打ち落とした蹴りで、もう一度蹴りだと?!

 空中三段回転蹴り。それを使える人間、しかも実戦で、これほど使いこなせる人間がこの世界にどれだけいるのだろう? 一連の動きに遅滞はなく、ただただ洗練された舞いである事に変わりはない。人の身で魔人の運動領域にまで達する人間。

 俺には何故、そこまでの力が無かったのか? 何故、俺は何も出来なかったのか? 何故、願いは叶わないのか?
 混濁した意識は地面に、斜めに叩きつけられる事で再び回復した。
 受身など取る間もなく、ぶつかった勢いのそのままでゴロゴロと後ろに転がり、間合いを取る。
 優雅に、プリマのように着地した魔術師は、ユッタリとした歩みで隙無く近づいてくる。

 再び飛び掛る俺。
 俺の顔面に迸った男の掌低に合わせて、あえてぶつかるように額で受ける。額に留まったままの、掌低を行なった手首を両手で掴み、腕に密着するように飛んだ。
 両足を腕に挟み込み、同時に首と胴に掛け、手首を掴んだ両手と背筋で肘を逆方向に持っていく。
 関節技、飛燕腕十字固め。いや、固めるつもりはない。肘を逆に折る。

 だが、後ろに持っていこうとする腕は、男が掴まれたのとは反対の手で、俺が掴んだ手首の下辺りをガッチリと掴まれていた。
 つまり、俺はまるで抱っこちゃん人形のように魔術師の腕に抱きついているようにしか見えない……
 子供の体重とはいえ、ありったけの、魔人の筋力で関節の方向に逆らう動きを止め、さらに同時に支えている男の筋肉も凄まじい。だが、男は支えるだけでなく、そのまま俺を『地面に叩きつけた』。


「ガッハ?!」

 再び持ち上げる。先ほどよりも高く、落とすと言うより叩き付けるための上昇。落下に加えて、地面への急発進、急加速。
 内臓がそれぞれを固定する膜を破って、全てが飛び出るほどの打撃。俺の口から自然に出た、胃の破れたドス黒い血が魔術師の顔を染める。
 その中央の眼はただ破壊のためだけにあり、敵意も、驕りもなく、無機質な虹彩。
 五度の直撃を受けてから、数瞬。意識が白濁に濁った。
 そして、俺は朦朧とした意識の中で、自分が組み付きを解いて本能の内に後退した事に気付いた。
 慌てて、睨みつけると同時に構えた俺に男は超然と佇んでいる。

 依然として武器を取り出す暇も無いほどの緊張。男のダメージは零のまま、俺との間合いと呼吸、タイミングを計っている。
 男が狙うのは完璧なる勝利に他ならない。圧倒に次ぐ圧倒。凌駕する術を持って構築する戦闘支配。
 打撃も関節も勝負に、いや小話にすらならない。

 ふと、男の輪郭から僅かに外れた先には黒い、澱んだ空と車の証明が発する光の軌跡群が映った。
 鼠色の雲が緩々と中天を這いずる中で、俺も這いずり掛けている事を自覚してみる。
 空がやけに近い気がするのは何故だろうか? 俺の死期が近いからだろうか?
 いや、違う。そうか、ここは地上百メートル上空か……
 ――もし、ココで魔術師を投げ飛ばす事が出来れば、奴を窓の外に放り投げる事が出来れば、戦況は一気に逆転。それどころか打ち勝つ事すら一瞬で出来る。
 ……取っ組み合いか? 彼我の能力と彼の筋力の差、それを埋める事は叶うのか?

 記憶が蘇る。

 ――そうだ。俺にはあった。彼に対抗出来る技があったのだ。長い間、この二百年は使った覚えはない。身体に残っているのか、それすら疑問と疑念に駆られる月日。
 いや、それでも俺は負けるはずがない。特に取っ組み合いで俺が負けるはずがない。
 熊すら片手で投げ飛ばすと、歌にすら詠われた、俺の技が負けるはずが無い。


 俺は両足を開いて、身を屈める。両手は拳のまま、軽く地面に付ける。

「相撲ですか」
 男はちょうど、土俵の仕切り線と同じ位の所に立つ。そして、同じく、両足を開いて構えた。
「余興と言うか、貴方に挑戦してみるのも悪くないですね。ちなみに僕は身長こそ百七十センチかそこらですが、体重は六%の体脂肪を除けば百二十キロはやすやすと超えています。それは承知ですか?」
 相撲は最初の立会い。ぶつかり合いの衝撃で、頭部だけでも掛かる衝撃は一t近い。体重が違えばその全身に掛かる衝撃の量もまさに段違いに、桁違いに違う。

 それでも、

          「発氣用意(はっきようい)……」

 勝てる自信は有った。

 全身を巡る霊気装甲が今まで駆動しなかった人の神秘を為そうと漲る。
 それは俺の体内でしか伺い知る事しか無い事。体表からは計り知れないほど俺の『力』が体内で背骨を伝って螺旋し、隆起する。
 それは絶対的な勝利に結びつく、ただ一つの奇跡。

                          「――残ったァッ!!」

 仕切り線、七十センチ内での剛力と剛力のぶつかり合い。妥協の余地もなく、体一つを弾丸と化す最強の国技。
 百キロを超える男達が互いの腕力と突進力を信じて臨む神聖なる闘争。
 そしてぶつかりあった瞬間、勝負は決まった。
 魔術師は声を出す間もなく、『押されていく』。四捨五入すれば百キロ近い体重差を、俺は物ともせずに押していく。
 靴の摩擦係数など関係なく、二日前に嗅いだゴムの擦れる音と臭いが発生。彼の筋力全てに俺の突進力が反逆する。
 既に魔術師の背後、一メートルまで迫った一枚板のガラス、それより先は目下百メートルまでの垂直落下のコードレスバンジージャンプ。

「噴ッ!!」

 魔術師は気合と供に筋肉を全稼動させる。押し出す力に絶対的な体格の差が現れる。
 それでも、俺の突進力は些かも衰えない。肉体、技術、気力、そのどれでもない、絶対的な勝利の方程式を叩きつけていく。
 ゴムの臭いはますますきつくなり、さらに彼と俺の爪先の抉りこんだタイルが砕ける音を立てながら背後で弾けていく。

 覆い被さるように俺を止めようとしていた魔術師の体が、ついに俺の突進力で、完全に浮いた。

「しゃだらぁぁぁぁぁッ!!」
 弾ッ!
 子供の手垢のついた一枚板のガラス。そこにピタリと、魔術師はまさに肉薄した音を立てた。背中につくガラスの冷たさは死への冷たさを予感しているかもしれない。
 精緻なガラスに罅が入るかもしれないな、と思った瞬間、俺はそこで突進を止めた。
 濛々と煙立つ背後。俺が魔術師の攻撃を避けた結果、破壊され、竜巻に巻き尽くされたようなコンクリートの背景。それに比べれば、その線路のように刻まれた二本の線、爪先がめり込んだ痕など大した事はないだろう。


「何故、止めてしまったのですか?」

 魔術師は、あくまでも戦闘への中断へではなく、絶対的な勝利を持った技。それを止めた事について聞いた。
 俺は持ち上げていた魔術師の身体を下ろすと、魔術師に顔を向けたまま後ろに下がった。

                 あぁ、昔の悪い癖が出ちまったな。

 俺は皮肉げに口の端を歪めて、その問いに答える。
「あんたの技を見ない内に倒すのが惜しくなったんだよ。(ひた)ぶるに力比べけむ、って相撲の神様も言っていただろ? ただの殺し合いじゃなくて、熱くなったら互角にしないと詰まらないだろ? 日本書紀を読んだ事無いのか?」

 当代の天皇の名によって、最強と伝えられた二名が召喚された。最強に名高い相撲の達者、当麻 蹴速(たいまの けはや)を負かすため、出雲国より呼び寄せられた闘争者、野見 宿禰(のみ すくね)

 日本で最初に行なわれた打蹴投極、何でもありの、殺人すら許容された角力と呼ばれた頃の原始相撲、その最初の記録である。そして天覧試合で蹴速は腰を砕かれ討ち死に、最終的に神として祀られた相撲の神、宿禰。


「神様達が『等しく力を比べたい』って言っていたんだ。俺が相撲への恩寵(おんちょう)を受けて、それを使っている以上――」

 再び、架空の仕切り線に身を沈める。

        「――魔術師のお前も等しく【斬刑】を使わないと意味がないだろう?」

 在姫が目の前に居なくて良かった。実に馬鹿だ。救いようもない悪癖なのだ。それでも、その熱さが俺の、記憶以外に残った唯一のものである以上、俺はそれに従いたかった。

 熱く燃えるのも、長生きする秘訣だ。

「大陸では孔子が『礼記(らいき)』で「武を講じ、射御を習し、以て角力す」って言っているしな。ここは礼を持って、等しくしようでないか」

 未だに劣勢ながらも、思わず晴れ晴れと笑ってしまった。魔術師も苦笑とも何とも取れない表情を醸し出していたが、何かに納得するように頷くと、構えを変える。

 異様だった。八卦掌の構えではない。足先を俺からズラして、斜めから俺の攻撃を効率良く受けていたのが彼の技法だった。
 しかし、今や肩幅よりやや広げた両足先はコチラを向け、肉弾のようでありながら、筋肉塊の胴体が限界までに捻られている。柔軟性などとも言えない程、肩関節やら肋骨やら背骨の限界可動域を試す、そんな捩れ方。螺旋の力を効率よく使う『勁』の技法、纏絲勁(てんしけい)とはまったく異なる、中国拳法のどの構えにもない異常性が滲み出る。しかし、肘を天井に向けて鉤状に曲がった右腕の先と胸に添うように当てられたそれぞれの手は八卦掌で『牛舌掌』と呼ばれる『手刀』のままの形態だった。

 足だけをコチラに向けて、顔をコチラに向けてほぼ背中を見せた状態。これで必殺が繰り出せるのか疑問よりもインチキさの漂う体法。

 ……それでも、魔術師から発せられる殺気や兇気は尋常でなく、今までで一番強い。
 俺の戦闘思考が『 警告 』の二文字を浮かばせる。

 俺も顎を引きながら、必殺の構えを取った。次の一撃、俺が(はや)ければ魔術師が吹っ飛び、魔術師が疾ければ、おそらく名の通り斬殺されるのだろう。


                「発氣用意……」

 魔法使いの呪文にも似た言葉の暗示。それは再び俺を一つの弾丸へと変える儀式。山獣の王者を放り投げるほどの能力(ちから)、ここで見せてやろう!


           「魔人、首斬に(しょ)す」

 魔術師もそれと同時にまったく呼応するように、短く、謡うように自らの呪文を唱える。

 常人なら吐き気を及ぼすような圧迫感と危機感。お互いの額から汗が垂れる。
 肌の汗腺から、汗が滲む間にも視線で七度殺し合う。
 瞬きたりとも出来ぬ、緊張すら廃絶する圧迫感。
 お互いの言葉が、鐘の音のように――静寂、無と消えた瞬間に、動いた。


                       「――残ったァッ!!」
                       「――(シャー)ッ!!」

      *         *          *

   −Side A−

 粉雪が飛ぶ。それは幾千モノ、散り散りと舞う硝子の片。ホール照らす燐光に乱々と反射、屈折、光輝し、辺りに降り積もる。
 燦々と木っ端する硝子達の元は豪奢な、私の後ろのシャンデリアである。そのシャンデリアを撒き散らすのは一つの凶器。
 硝子とは対比にもならぬ荒々しさと重厚さを持つ鉄塊。それは剣と呼ばれる武器であり、人の手で振るわれる物である。
 だが、その凶器は振るう使用者の手中では無く、一つの弾丸となって宙を疾走している。
 投擲剣。実際にある技法にしろ、その威力は人の手で巻き起こせるモノではない、純然たる怪奇中の怪奇。

 【亡霊】、生前の思いを遂げられずに天使に回収される事も、地獄に堕ちることも無く現世に留まり続ける現象。不可視の束縛よりも強く、地上へと束縛される記憶の宿った力の塊。その最も強く、その思いによって【呪い】として現実に干渉、いや現実を掌握しようとする存在を【亡霊騎士】と私達、魔女は呼ぶ。

 その亡霊騎士でも西欧で最悪の部類に挙げられるのが、ガーブリエル・オギュースト。悪名高き『 テンプル騎士団 』の騎士長である。

 約六百年前、テンプル騎士団は教会の人間によって打ちたてられた騎士の組織である。しかし、何時からか? 教会の理念は失われ、象徴である赤い十字が象徴するものが罪を流す血でなく、罪、そのものであると知れる頃には教会が隠匿出来ないほどの事態にあった。

  曰く、神でなく、魔王に身を捧げた。
  曰く、儀式の為に妊婦の胎を裂いていた。
  曰く、その嬰児を取り出して魔王に捧げた。
  曰く、赤子の生き血を啜り、丸呑みにした。
  曰く、そして魔王の眷属となった。

 それが真実にしろ、虚偽にしろ、教会がそれを許す事なく、その組織は解体、全ての当事者と責任者は処罰された。
 その中の一人、高名な【責任者】の一人にして、その身を『本当に教会の目的のみに捧げた真の騎士』【ガーブリエル・オギュースト】は無実の汚名を着せられ、その断罪のために生贄の子羊となった。
 私財没収、縁者皆殺、名誉剥奪、汚名授与、そして、当時のあらゆる拷問刑を受けた上での首斬刑……

 その背後で手引したのはテンプル騎士団のあり方を変えた一人の【魔女】と言われていた。噂が噂を呼ぶうちに彼は【亡霊】として蘇生し、主人は無く、自らの復讐に従事する【亡霊騎士】となったのだ。
 海を越えた大陸では、殺した魔女は百年の間に千を超え、教会の昇天呪文【聖葬詠唱】すら断ち切り、斬殺を繰り返す悪鬼。

 その数にも比する魔女への怒りは凄まじいモノだ。怒りによって漲る力はランゲヴェリツ・プロセスなんか通り越して、限界どころか人外の所業であることは明白だ。
 自然界から怒りと怨念を持って、強制的に引き上げる力。そして、それをありのまま渦巻き、吐き散らしている。
 そして、散らすのは突風では無く、剛直な剣風。

 一直線に魔女を狙う剣は、心臓を抉ると言うより圧壊させると言うべきだろう。しかも、わずかに掠っただけでもその箇所が勢いで斬殺、爆殺させられる。

 それをヒッポグリフィスは鷹の双眸を持って、最初の動きを見切り、避け続けていた。召喚者を守るために双翼を翻す姿は、神話と同じ勇猛さと主への忠実さを表す。
 しかし、その身体は私のスッカラカンに近い、そこから僅かに流れるか細い魔力の維持のみで支えられているのだ。普段の百%の供給量なら悠々と避けられるモノが、時折白い羽毛や黄色の毛皮の下から細かな鮮血を撒き散らす。
 痛みが召還獣に感じられるかは分からない。彼の見て感じたモノを知覚することは出来ても、それをどう感じたかを共感する事は出来ない。だが、彼はその意思を言葉でなく、ただ回避と言う行動で表されている。
 私の頬も、後方のシャンデリアが砕ける度に硝子片で赤い糸を引く。しかし、そこに痛みはなく、ただ私の中に内在する魔力を流動、維持させる一つの機械となって私は、私の心臓は動いている。

 眼下では三体の影の兵士達はそれぞれの体が他と入り混じりながら、七つの獣との攻勢を続けている。魔術師の男はウロウロとただ右往左往するだけで何も行なってはいない。
 お陰で反対の非常階段からは、男が手札として残すべきだった人質、一般人達は逃げる事が出来ているようだ。あの警備員も神南高校の制服を着た学生達に、背負われ、運び出されている。
 イカれた獣達から私の兵士達には支障はない。ただ影、二次元の住人である彼らには三次元の物理攻撃は意味の無いモノだ。しかし、影に有りながら三次元への影響力を持つ影の騎士達は、硝子を爪で引っ掻くような音、奇声を挙げながら獣達の体を引き裂いていく。大して獣達はそれを引き剥がす事も出来ずに、それぞれの武器、棘の付いた球体や鉄爪と言った原子的な武器を自らの身体に叩きつけて自滅しかけている。
 それでも吸血種の因子を埋め込まれた彼らは、獣人種の生命力と合い余って全身から血噴を撒きながら生き続けている。影の兵士達が居なければあの狂戦士(ベルセルク)が解き放たれると思うとゾッとする。

 そしてその感覚と合わせるように、電気が背中を駆け上るほど、近くを飛び荒ぶ無骨な鋼。
 さっきよりも投擲の間隔が早いッ! 見れば猛り狂った亡霊は片手で剣を呼び、片手で投擲をしている。効率を上げてきているのか?!
 攻撃的な呪文を一通り考えたが、どれもビルを丸ごと吹き飛ばし兼ねない上に、霊気装甲としての格上の亡霊にはかすり傷さえ負わせる事は出来やしない。
 彼を傷つける事が出来るとしたらより上の、ハッキリ言って大禁呪級、大魔法級の存在消滅法か、己よりも強い者のみを斬ることのできる交霊武装、魔王刀でも無いとやってられない。

 もしくは彼と同じ霊体の【魔人】のような男でなければ倒すことは出来ない。

 まったく、あの高所恐怖症馬鹿は一体何をしているんだ!? か弱い魔女を一人置いて、デブちん如きにまさかボコボコにされて、あまつさえ余裕も無いのにその勝負を楽しんでいるのでは無いだろうか?!

 その私の怒りに血の昇り掛ける思考を、目の前の(げんじつ)が呼び戻す。
 頭を伏せる。轟音重来。
 頭の元々在った位置を凶器が通過。手を当ててみれば一本だけ出ていた癖っ毛が少しだけ短くなっている。

 あの野郎…… 女の()を切り取るとは何事だぁ!!
 私の微妙に泣きそうな気持ちとは裏腹に、蒼く燃える瞳が直視する。乙女の怒りを矮躯に秘めた、睨み返す私に尚のこと執念を燃やす。
 そこで私は気付いた。今まで片手で投げて、もう片方で作り出していただけの剣が、今は両手。その双拳に握られた剣は小指に刃を向けている。その先ほどのダーツに似た投擲スタイルに使っていた逆手ではなく、今は剣を振るのと同じ、親指に刃を向けた順手。いつかの国定と戦った時の構え。
 どれほどの怪力を秘めたのか分からない双腕が、苦も無く鉄塊を二振り、同時に頭上にまで上げられ、肩の、鎧の上に置かれる。重みで鎧を破壊しないかと、そんな下らない事を考える暇は一瞬しかなかった。

     そこから両肩に担ぎ上げた剣が、それまで真っ直ぐ、ダーツのように投げられた状態から『横に振られる』。

 斜めに、カーブするような変速的な軌道を持って迫る双つの剣。霊気装甲の作用を付加された剣は中途から、曲がった軌道からにも関わらず、それを無視して加速する。直線よりも速く、到達する時間も瞬きよりも早く。
 その片方が斜め右下と左真横から迫る。避ける暇なんて零、零、零、零、零、零、零、零……


                      熱い紅が、私を赤く染める。


 ヒッポグリフィスが鷹に似た甲高い悲鳴を挙げた。
 私のヒッポグリフィスは、その片方、斜め右下を振り切り、左真横に胴体から突っ込んだのだ。

 私の乗っていた、ヒッポグリフィスの背中からちょうど後ろが吹き飛ぶ。巻き上げられた血の量は消滅を意味するほど、それでも彼は最後にもう一度、千切れ掛けた羽を大きく動かし、スロープになった場所、逃げ遅れている人質からも、亡霊騎士から遠い場所に墜落した。

 背中から転がるように飛び降りて私が抱いた鷹の頭は、光の粉を飛ばしながら、短く「好(コゥ)」と鳴いて、重量を完全に無くした。

 悔しい。確かにこの世に仮初の肉体を与えられただけの、他の世界の住人だ。何度でも、呼び出そうと思えば呼び出せれる。それでも、私を慕い、私を命まで賭けて守った存在が消滅させられたのは、途轍も無く悔しい。

 眼に力を込めた私を、剣を投げた場所からまったく動く事無く、そのまま再び剣を持って佇む【亡霊】。


 生き残らしてくれた命を無駄に散らすわけにはいかない。

 それでも歯痒いほど、霊気装甲の薄くなった私を【呪い】が束縛する。必死に力を込めても鼓動は私の全体に響かない。


                      「爆砕しろ、魔女」

 二度を持って、担ぎ上げられた剣。それは再び回避不能な軌道を描きながら、私を爆殺するのを幻視する。
 本当に、どうにも、何か方法はないのか? 魔力の枯渇しかけた体が、少女としての心を取り戻して、ただ震えてくる。怖い、単純にあの巨大な刃が怖い。国定、お願いだから、意地悪しないで早く……、早く来てよ……


 亡霊の瞳が一際大きく輝いた時。


 些か間抜な、エレベーターの到着音。遅れて扉が開かれる。騎士はこの事態に驚いて、剣を僅かに挙げたまま硬直している。
 私はすかさず柱の後ろに隠れたが、騎士は反応すらしなかった。

 異様な人物だった。下はまともなベージュのズボンだが、黒く、吸い込まれそうな半纏姿。その半纏の下の上半身に、顔を含めて完全に包帯を巻かれ、頭頂の髪の毛だけがヤシの木のように立って、包帯の先から毛の見えている。両手には鎖のついた巨大な両手用の斧が握られている。

 黒い鹿皮のブーツが音を立てて亡霊に近づく。
影の兵士を無視して、その怪人に改造獣人が殺到する。
次の瞬きの瞬間には、獣人達、全てが斬殺されていた。再生能力を破砕する兵器によって回復は覚束無い。そして、最終的にはグズグズとミュータンジェンのような桃色の液体に変わってしまった。

 怪人は周りを見渡すと、騎士に、標的を定めた。
「日本国冥府所属 死神公社 死霊課 若原 曲 警視。ガーブリエル・オギュースト、魔女連続殺人容疑、及び不法越境に加えて私物損壊と魔女殺害未遂。死神公社の名の下【現行犯斬殺】する」
 騎士が剣を降ろす。それは降伏でも、剣を投げるためでもなく、唯一戦いのための洗練された構え。
 騎士は獲物の私よりも、目前の、自分を斬殺に追い込む脅威を殲滅する事を選択した。
「死神だな?」
 騎士の確認に、包帯越しの瞳が細められ、巨大な斧が無言で、両手で腰だめに構えられた。
「そうか……、私の邪魔する者は……、例え『死』でも踏襲しようぞッ!!」
 銀光が目映く煌めき、刃金と刃金がぶつかった。

      *         *          *


   −Side B−

 地面とほぼ平行。前に進める、足と言う支え棒がなれば、顎を着くほどの低い弾道で俺は突進する。
 一歩にして高速、二歩にして音速、三歩を経て、光速へと至らんと加速。
 体当たりと言うものほど、単純で、合理的で、これほど凶悪な打撃はない。全体重を持ってして、あらゆる古来の打撃技法で効率良く目標を粉砕し、転倒させる極技中の極技。
 その虎のように伏せた俺がそこから僅かに舞い上がると同時に、相手である魔術師が「()ッ」と短く呼吸をする。

 ――同時に、筋肉が弾けた。

 始めは、ユックリとした海の胎動のような動きだった。だが、それは俺が三歩目を踏み出す頃には津波のように、水面に隠された大きな対流が全身を流れている。知覚出来ないほど細かく分けられた筋力は、それぞれの方向性を持って正しい流れを定める。それは雷雲の彼方で今か今かと落ちるべき場所を静かに探している雷雲のごとく、その一撃はそれ以上の必殺。伝説にもある雷神を切った刀、『千鳥』のような研ぎ澄まされた技。
 俺の荒々しさに対抗すべく、電光の一撃のみに掛ける。

 そして、俺の小脇を締めた体勢の、額と掌が当たる直前。

 光が奔走した。

 視界の端に映った両腕の肘から先が、あまりの速さに見えない。
 単純な速さ、音速の手刀、首斬、斬撃、斬殺、斬刑。

 だが、頭で分かっていてもコチラも必殺となって居る事は分かっている。今更、攻撃の軌道は変える事は出来ない。出来たとしても更なる、追撃の的になるのみ。


――つまるところ、俺が光よりも速ければ倒せるという事だ。

 光を両手に纏った魔術師を突き抜けるような、強引な意念(イメージ)
 意識が気力を導き、気力が力を引き出し、力が技を変える。

 更なる加速。その加速で、スレスレで斬撃の結界の内に入った。
 横に振られた剛刀、左の手刀を直前で潜る。痛快な程に凶悪な空裂音は僅かに俺の背後。
 魔術師を轟然と吹き飛ばした。

 だが、その刹那、魔術師の、右の指先が俺の左腕を触れていた。
斬、と冗談のように骨と骨、関節の間を縫って手刀が左腕を吹き飛ばす。
 まるで本物の刃物のように、人の体が肉を斬った。筋や肉の吹き飛んだ腕はその身体を繋ぎとめていた圧力の反動でクルクルと回りながら、斬撃の衝撃によって後ろに戻っていく。二段構えだったのか?!

 だが、それでも俺の踏み込みは止める事は出来なかったが……
 地面と言う支えを失った魔術師の、吹き飛んだ体の制御など出来るはずはない。熊殺しの秘法とも言える体当たり、まともな人間が食らえばダンプカーの衝突、いや、飛び立つ直前の大型旅客機の衝突と変わらない。
 魔術師の男のぶつかった衝撃で、たわんで砕けた闇色のガラスが四散する。ガラス達は重力を忘れたかのようにそのまま同じ位置を留めて、やがて落下した。

「な!」

 肝心の魔術師は――、なんて奴だ!
 『先ほどの俺と同じ様に』、清和源氏に伝わる秘法である【浮身】で衝撃と共に飛んで、反対側のビルにまで跳んで移っていた。
 重力に引かれて落ちたため、彼は俺よりも僅かに下の階に留まっている。
 一瞬でもタイミングでもズレて、遅ければ体当たりの衝撃で頚骨くらいは粉砕され、早く跳び過ぎれば反対側のビルまで辿り着く加速を得られない中での、刹那の十分の一以下での判断。

 この男はヤバイくらいに強い。

 割れたガラスのコチラとムコウから、覗くように三度、魔術師と俺は睨み合う。
 だが、魔術師は体当たりで胸骨が凹んだためか? 先ほどの木目細やかな呼吸をせず、遠方から見ても分かるほどに肩を使って粗くしている。口の端から血をダラダラと垂らして、視線の方向を見失い欠けている。
 対して俺は、腕を切り落とされたとは言え魔人。この程度の負傷は障害にはならない。

 ――左肩関節神経群痛覚域遮断。一時的措置による部分循環止血完了。偽装措置。再生組織の為の器官措置組替え――

 視線を伏せるように背けた魔術師は胸元を抑えながら踵を返す。足も引き摺っているのは、やはり人の身体では落下と飛ばされた着地の衝撃に耐えられないと言うことか。膝くらいは壊しただろうな。
 あの負傷と機動性の度合いなら在姫のガントでも一撃で何とかなるだろう。

 俺も魔術師の退却に合わせて、振り返って自分の腕を拾ってくっつける。
 ――患部接合。全神経接続。霊気装甲復元、展開、流動。情報流転再開――

 途端に、我慢していた痛みが顕在化した。嫌な、熱を持った粘り気のある汗が額を通って首筋に垂れる。白目を剥きそうになったところで歯を食い縛って、右手で左肩を抑える。
 再生した細胞が熱を挙げて、白い煙を挙げていた。
 とにかく、荒い息を隠さないと後で在姫に何かを言われそうな気がした。

 在姫……

 振り返った、反対側のビルのガラス越し。そこには在姫と【魔術師】と【亡霊】と、【死神】が立っていた。


18 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/14(金) 11:40:51 ID:WmknzDxc

叫喚5

   −Side A−

 三つの鋼の舞踏曲(ロンド)
 打ち重ねられる音と共に、その見えない速さの刃と音を視覚化するように火花が散り散りと霧散する。
 二つの鋼の打楽器を遣うは亡霊騎士。なんど説明しようと信じてはもらえないような二振りの剛剣。一刀の長さは一メートルほどの普通の剣とは変わらない。しかし、その太さと幅は一つ半倍、いや二倍にまで重ねた鉄塊だ。それを両手に持って、身体を正面に向けたまま、肩から先の筋力だけで打ち重ねる。しかし、一見力だけの打ち込みに見えるそれは、そこには力だけでなく技の加味された至極の殺人撃が待ち構えている。生前に鍛えられた肉体は呪いと言うプロセスを経て、正しく最高最悪の亡霊の騎士へと達している。その肉体の大半を覆う白銀の、美しい薔薇の意匠を施した鎧は絶対の防御を施している。しかし、顔面には額当てすらなく、その凄烈とも言える異国の美しさを晒している。金髪の、右の片方のもみ上げをお下げのように結い上げ、金糸のような金髪を肩より上までに伸ばした碧眼の男性。いや、碧眼と言うよりも時折チラチラと光を上げる瞳は蒼い、呪詛の冷たい炎と言っても過言ではない。
 その炎を切り裂こうとするのは黒衣の怪人。おそらく、ほぼ全身を包帯で締め上げ、頭頂ではチョンマゲのように、あるいはヤシの木のように包帯でそのまま結い上げた髪が揺れる。闇を、夜の帳の一部を切り取ってつけたかのような半纏は怪人の動きに反して、まるで意志でもあるかのようにのたくり回る。アメコミのコスチュームかしら、アレ? そして、その怪人の両手には剛直な、亡霊にも負けない刃が携えられている。両手用の斧、(まさかり)が空気を割るように、横から振られる。あの細身の体の何処から力が湧き出るのか? 腕と同じくらいの長さと太さの鉞の柄と人の頭部より重たく大きな刃を持って、二本の騎士の剣を巧みに反らして打ちかかる。その動きは魔人と比しても劣らない。

 【死神】、魔術と錬金術の粋を規して造られた転生による人造の人外。下級の神、魔すら問わずに打ち殺し、昇天させる対魔組織の尖兵。

 打ちかかる騎士の剣に対して、身を屈め、同時に翻った半纏が騎士の足元を払う。布のように見えた断面はまるで意思を持って巻き付き、その足を掴んで転がす。しかし、転がる直前に騎士の肉体がボヤけるとそのまま霊体の形を変えて、直立の状態に戻しながら再び実体化する。その実体化と同時に唐竹を割るような、真上からの斧の斬断。しかし、瞬時に身を斜め、半身の状態に変えて、その場の勢いで片手での突き。それを斧の刃の横にある部分、刀と同じでそれよりも断然に広い(しのぎ)で斜めに弾く。

 と、ここまでが私の目で捉えられたところだ。それから先は魔力を通して強化した視覚にも捉えられない。例えるなら、走行中のタイヤのロゴを判別するのに等しい、それほどのスピードなのだ。少しでも好奇心で近づいて巻き込まれたら、あまりのスピードの凄まじさに弾けるように体が四散するに違いない。
 だが、亡霊騎士は下級の神魔にも通じる程だと言うのか? 一切の油断の無い変わりに、死神の挙げていく力とスピードと技に易々と着いていく。

 私はこのまま逃げるべきだろうか? 私の与えた魔力でなら、暫くは影の兵士達で獣人は足止め出来るだろう。
 だが……、

      「よくもここまで、やってくれたわね?」

 背後に近づいてきた、イカれた魔術師を逃すつもりは無かった。
 片手を腰に当てて振り向く。先ほどの秘術で魔力は細々としたものだが、まさか
 に負けるほどでもないだろう。
 加えて、スロープのお陰で些か視点が上のため、見下すように言えるのはやたら心地が良い。
 スロープ下、十五メートル先のモジモジくんもどきの変態全身タイツをどう調理しようか、と考えながら見据える。
 しかし、その魔女の不敵な視線にも関わらず、魔術師はクツクツと嗤い出した。
「何がおかしいの」
 私の睨みつける所作にも気に止めず、首を縦横に、いや回転させながら狂った嗤いを続ける男。
 そして、キッカリ五秒でピタリと嗤いと同時に珍妙な動きも止まると、魔術師は言った。
「これから魔女を殺す事が出来ると、楽しくてままならなくてな」
 色々と事前の準備が掛かるために元々から動いているはずである外部の、魔術を起動させるための霊気装甲の流動は無い。この距離なら魔術の発動の前に、フィンの一撃どころか、ガントの一撃で倒せるだろう。まったくおかしな魔術師だ。魔術師が準備無しに魔女の前に来るのは可笑しいとしか言い様がない。
「遺言は何かしら?」
 私の台詞に男は再び狂った嗤いを見せた。イライラする。
「一体全体、何が可笑しいのよ」
 私の殺意の篭った視線を、肩を震わせながらも視線を向け返した。
「まさか、一日に同じ台詞を二度も受けるとはな」

 男はカクカクと首を震わしながら、一歩踏み出す。
「どう言うこと?」
 私の問いに男は立ち止まった。それと同時に首を斜めに傾けて嗤いだす。
「昨夜の事件を知らないかな? 見せ掛けの実力を持った量子物理学者もどきを殺してやったが、どうやら無能な警察は自殺としか判断出来なかったようですな」

 ……そう言えば、そんな特番を見たと国定はさっきのバスで言っていたかもしれない。確か三年前に新しい物理理論を学界に突然持ち出して、無名からノーベル賞受賞で一躍有名なった人だったのは記憶に新しい。
「……まぁ、私の研究を盗んだ罰だ。まぁ、彼の実力では私の出した真の研究の成果を出す事が出来なかったようだがね」
「なっ、あ、アレは盗作だと言うの!?」
「その通りだ」
 私の声に男は指立てて肯定した。
「四十年も研究を続けてきた。妻も娶らず、子供作らず、私はただ一人研究に没頭し、ついに新しい理論とその研究成果を生み出したのだ」
 男の指先が拳と変わり、片方の手を後ろの腰辺りに当てて、演説のような自らの独白を繰り返す。
「大学からも見放され、隣近所からもイカレていると言われている事もまま在った。それでも私はただ一つの事実、真実のために、全てを犠牲にし……、それを全て奪われた」
 男が、ゴーグル型のサングラスを外して、頭のタイツを剥ぐ。その下は爛れて、蝋のように崩れ、一部の肉が剥がれた顔だった。瞼は肉が溶けてほぼくっ付いた状態のため、開けているのか閉じているのかも判別できない。頬の一部の穴から呼吸のために横から空気が漏れ、透けた肉がゴム膜のように膨らんだり、縮んだりを繰り返す。その肉の腐った臭気に思わず、顔をしかめて、背けたくなるのを我慢して睨みつける。
「奴は何処からか聞きつけて私の助手として志願した。資金作りと話術以外は無能としか言い様がなかったが、私の研究は大いに飛躍した。その完成と同時に奴は私を焼き殺そうとしたのだよ……。未だ体表の八十%が皮膚呼吸も不可能だがな。そこを私は【元魔術師】と言う男に偶然にも助けられた。そして、始まったのだよ。復讐が。そして、昨日呆気なくも終わったのだがな」
 男はタイツを被り直す。
「そして私にその元魔術師は言ったのだ。全てを元に戻すために時間を戻すのは現在の科学では不可能だ。だが、【魔法】なら可能だと」
 男は私に近づいてきた。
「研究と復讐に費やした私の身体は長くはない。願わくは私は元に戻りたいのだ。分かるか? 全ての無駄を削ぎ落とし、その費やしたモノを奪われ、それに朽ちる男の惨めさがッ!! 結果は全て分かっている。私はもう一度、別の人生をやり直したいのだよ。それが、科学に反するとしても願い、叶うなら欲しいのは当然であろう?」
 男は揺ぎ無く進んでくる。
「さぁ、この憐れな男に第二の生を与えられるのなら、ここで退こう。もし、叶わぬのなら……」
 男は腰に当て、振るっていた双方の拳を広げて、何かを、頭上から迎えるように広げた。
「私自身が、再び研究して叶えよう」

 ……なんと言うか、呆れて私は物が言えなかったが、ようやく口に出した。

「つまり、自分の研究が無駄だった事に気付いて、人生を無駄にしたと思ったからやり直ししたいってこと?」
「貴様」
 魔術師の首が、コキリと左斜めに傾いた。
「人生無駄にする研究だなんて気付くなら、最初からやらなければいいじゃない」
 私の人生は私が選択し、私が望み、私が目指し、私が叶える。
「今更自分のした事に未練を持つなんて男らしさの欠片も無いわね。だから、貴方について来るような女性もいないし、慕うような隣人も居ないし、隙だらけだから実験を奪われるのよ」
 私の、原初の理由が憧れだとしても、それを目指すのは私の意思に他ならない。だから、私は私のする事に後悔はない。
 と、言うわけで。
「とっとと未練を昇華させて、見逃してあげるから一人で整形外科病棟に行きなさい」
 私の溜息と同時に吐いた言葉に男はおこりに掛かったかのように震わせながら、コチラを禍々しい瞳で見入る。
「……そうか、ならば強制的に心臓は頂こう」

 ……アンタ、そんなカンシャク持ちだから友達居ないんじゃないの? と言って更に沸点を上げるのも可哀想に思えてきた。
「交渉は元から決裂してるのよ、惨めったらしい言い訳でも電波でも聞かせたいなら……」
 指先に溜める魔女の呪い。
「精神病院のカウンセラーにでも行きなさいッ!」
 打ち出す。反動は無く、ただ、脱力感と体の熱が奪われる感覚。
 凶悪なまでに凝縮した魔女の呪いが指先から放たれる。

 それを男は地面に『沈んで』避けた。
 男が完全に地面に『 沈み込む 』。
「……へっ?」
 と気の抜けた、実際何が起こったのか理解してない私の頭に、同時に危機感と言うものか? そんなモノを感じて飛び退くように体が無意識に後退する。
 ほぼ同時に、タイツの装着した手が水面から出るように私の居た位置を薙いだ。
 男は『顔だけ』を地面から出す。

「これが、私の研究成果の真価だ。全身のタイツの発する振動が他のあらゆる物体、微粒子の綻びの間を通り抜けさせる。つまり量子的な隙間に私が同時に存在すると言う研究の成果だよ。もっとも彼は『実演』をすることは出来なかったようだがね」

 そりゃそうだ。そんな気持ちの悪いタイツなんて誰も着たくはない。
「さて、私の【魔術】、いや、『 科学 』にどう対抗するのかな! 実験開始だ!」
 男は再び、地面に潜る。

つまり、私の残り少ない魔力によるガントを使ったモグラ叩きの開始を意味していた。

      *         *          *

   −Side C−

 死神は焦っていた。何を焦っていたのかは言うまでも無い。

 ――騎士のその技量。
 ――騎士のその速度。
 ――騎士のその膂力。
 ――騎士のその切迫。
 ――騎士のその存在。

 全て、死神として凌駕すべき要素を亡霊は追従してくる。

 その性質は死神の枢機、静謐の死に対して、激情たる憎悪。
 怨と殺を持って振るう凶器は、死神の、両手斧と言う特大の得物や最小の梃子の力で最大の力を引き出す槍を持ってしない限りは弾く事すら出来ないだろう。
 呪いとは二つある。相手に叩きつけるモノ、そして、自らを蝕むモノ。
 彼の中心にある呪いは、相手に叩きつけながらもその実は自らを未来永劫に渡って蝕むものである。
 呪いが狂気を生み、狂気は力と成り、力は凶器を振るう。

 殺意を振り撒く永久機関と化した者。

 戦う死神自身も、若原 曲もその本質はよく似ていた。曲の所属する家系、若原は古来より戦闘至上主義を旨とする武闘派集団にして、死神でも屈指の、最高の戦力とも言える【交通忌動隊】の面々を弾き出すエリートの血筋である。彼らは幼少の内に狂気を身に受け、その身を【亡霊】と化して、さらに転生して死神として永遠に戦う姿に変化させる。
 無論、曲も傍系の血筋。直系ではないながらも若原の名を受け、曲は死神公社の本部で、戦闘とは関わりの薄いながらも課長に冠するほどでもある。無論、本部の課長クラスとも言えば、中級から上級の神域にも手も届こうかと言う化け物の別称である。

 しかし――


「ぐっッ……」

 横殴りに頭と腹、同時に叩きつけられた場所を縦に構えた斧で防ぐ。しかし、その衝撃を感じたと同時に、軽装甲、低重量の曲は吹き飛ばされた。更に、空中に吹き飛ばした曲を追い駆けるように空を疾駆する騎士。その騎士の三度、両手のそれぞれの剛剣での突きを斧で回転させて受ける。飛散する火花。そして、僅かに二階のフロアに曲は先に着地。いや、接地したその場で斧を背中から、弾けるように斜め下から切り上げる袈裟懸け。
 空中の騎士は叩きつけるように双剣を振り下ろす。ならば、無論の事ながら宙にいる騎士が不利のはず。が、一瞬よりも僅かに長い拮抗。

 跳ね飛ばされた騎士は元の広間へと、金属の足鎧を僅かに音を立てて着地する。

 睨み合い……

 死神としての優位の見せつけられなかった曲は目に見えた疲労は無い。しかし、常日頃から蹂躙にも等しい制圧と斬殺を繰り返していた僅かな精神の欺瞞から、精神に微少にして微小の亀裂が走った。

 熱く滾る力が奔走し、身体に巻いた包帯を弾けそうな程である、自らの力の劣りに対する怒り。

 兜の被らない騎士の顔には、その冷徹な容貌にも似た余裕の空気が読み取れる。

 舌打ちをした事に曲は気付かずに、数瞬後、僅かに亀裂を増やしながら、二階から踊りかかった。
      *         *          *

   −Side A−

 人差し指の先から放たれた黒い燐光が、同じく黒い光の筋を引きながら疾走する。直後にちからと熱が私の体から奪われる。その燐光は黒いだけでなく、その燐光の周囲の風景を魚眼レンズのように禍々しく歪ませている。それは【呪い】。魔女の呪い。魔力によって凝縮された呪いが物理的圧力と攻撃力を伴っているの示す、魔女の即戦力である。
 ガント撃ち、強力なモノはフィンの一撃。その魔法はそう呼ばれる。かの大魔女、待崎死織のような鬼神の拳とは言わないが、その気になれば人の頭蓋骨を砕く事すら出来るほどの物理衝撃は私でもある。本来は凝縮した呪いで相手を即席の病や身体の悪変調を引き起こすモノだが、霊気装甲の密度と伝導率が極端に高い私は、生物に当たった時に物理的な反発、肉体的なダメージすら引き起こすのだ。
 勿論、同年代で、しかも攻撃呪文の不得手が使うのだから自分ながら大したものだと思う。それでもそれは『当たらなければ意味がない』。
 白い床から音も無く出てくる渇色の怪腕が、私が五秒前に居た場所を薙ぎ払う。その腕に向けて放った黒い呪いは、腕があった場所を通過し、無機物に当たる。瞬きの後にエノク語で記された藍色の文字の渦を巻きながら、呪いを辺りに拡散させる。霊気装甲の密度の薄い空気中ならまだしも、無機物、『物』として容(かたち)を為した物はその『物』の持つ霊気装甲によって呪いが解かれる。生物に作用する呪いは無機物には、魔力としての僅かな衝撃しか痕を残さない。
「このッ、うろッちょろッ、鬱ッ陶しい!」
 私の悪態を嘲笑うかのように水面、いや壁面、そして床面から顔を覗かせるしたり顔の男。ゴーグル型のサングラスがいつの間にか天頂から射した月光を鈍く照り返す。覆面の下の唇が孤を描いたように見えた。
 私の再び飛ばした一撃を奇怪に腰と頭を左右に揺らしながら悠々と避ける。イルカか何かのようなしなやかな動きで地面に向かって潜水を行なう。あの長身痩躯の何処に力があるのか気になるところだ。
 いつもなら膨大な魔力で円筒機関砲(チェーンガン)の様に両手の五本指で連射するのだが、今日は大魔術を使用したお陰でかなりセーブ気味である。
 私は頭に昇り上がる血と魔力を抑えて、冷静に敵を分析する。

 敵は一人の魔術師。物体を通過する【魔術】を行使。結界は皮膚表層のスーツ。未だ獣人を保有しているが、私の残存の魔力と召喚生物でギリギリの足止めが出来る。亡霊騎士と死神は私の見る限りは互角の戦いを見せているので、此方まで来るような事が無ければ剣風に巻き込まれて爆殺、細切れになる事は無いだろう。
 それにしても、魔術師は何故私を、『物体越しの私を物体の中から捕捉出来るのだろうか?』 透視の類である魔眼なら霊気装甲の流動が出来るため、つまり『魔法使いとはなり得る』。だが、奴は霊気装甲のまったく無い魔術師なのだ。魔術師はどんな手段で壁越しから私を見ているのだろう?
 X線? ソノブイ? ソリントンレーダー? とにかく、彼は何らかの手段で私の居場所を突き止めているのだ。
「気ッ色悪い」
 その言葉と同時に、魔力で強化した全身の受容器官に悪寒。魔力を足に込め、壁に向かってジャンプ。そのまま直角を保って二階に跳び上がる。
 私の踏み込んだ壁から二本の痩腕が飛び出る。B級のホラー映画、しかもゾンビ系で壁から手がウヨウヨと無数に出てくるのを思い出したが、二本の味気ない手が空振りをする。それは不気味と言うより、何処ぞの前衛芸術家が壁から生やすように作った彫像のようで、何処か陰鬱な気分にさせる駄作だ。
 空中から腕に向かって打った二連射のフィンの一撃を、魔術師は再び察知して壁の中に潜る。

 残るは影の兵士達を五分間維持するのと超人的な身体能力を発揮させる、ギリギリの魔力を除けば、フィンの一撃を放てるのは五発。
 焦らず、虎視眈々と、好機を窺う。この間のように精神の糸で網を作り、私の半径十メートルを覆う結界を作る事も出来るが、奴は魔術師。職人技で私の結界の(ほつ)れを見つけて、入り込むかもしれない。
 私は逡巡に入り込まれないように、動きながら考えている。そうでなければ簡単に取っ掴まる。
 魔力を通した体でスカートを抑えながら(しまった、今日はスパッツ穿いてない!)、後方宙返り。今度は片足に絞って狙ってきた手が空を切る。フィンの一撃の二連速射(ダブルタップ)は外れ、残弾数が三に減る。
 大量の魔力の通し過ぎで血管が痛み、太股の少し上が鬱血して青くなった。うぅ、ただでさえ美貌とは掛け離れているのに、青疸(あおたん)なんて出来たらますます惨めじゃない!
 ふと、掴まれる瞬間を狙う事も考えたが、今はそんなリスクの高い賭けをする機会ではない。
 どうする?
 白馬の王子様(むしろ年齢的には小公子様か?)を期待する案もあった。だが、『未熟者』呼ばわりされるのも癪なのと、同朋を殺した意味も含めて、魔女の私自身が魔術師だけでも断罪しなければならない。
 ともかく、先ほどの、亡霊に拘束された弱気など切り捨てて、私は今一度立ち向かわなくてはならない。
 ……そう言えば、あの魔術師は私の足を狙ってきているが、私の足を擦り抜ける事は無いのだろうか?
 『量子的な隙間に私が同時に存在する』と言った魔術師。スーツとゴーグルで塞がった全身のみは同時に存在すると言う状態なのだ。つまり、光の粒子、光子(フォトン)すらゴーグルを透過すると言う事は光を得られない。つまり視覚は塞がれている事と大して変わりはない。
 では何故、彼はそれが出来るのだろうか?
 その答えが、何かが閃こうとした瞬間に当事者の横槍、もとい腕が入り込む。
 白と黒のソックスを掠った指先が赤い線を宙に引く。
 痛っ〜〜! 微妙に引っ掻かれた。どうやら、結界の一部のオンとオフは自在のようだ。痛みの罰に比べれば安い情報収集だ。奴は確実に、私を触れる事が出来るのだ。しかも細身は霊薬のドーピングで強化してあるようで、私の胸から心臓を抉り出すのは恐らく造作も無いことだ。
 残りの呪いは後三発……

      *         *          *

   −Side C−

「……脆いな」
 騎士は、目の前に崩れ、倒れた死神をそう評した。
 鈍いくらいに、粘り気のある液体の落ちる音が二度、三度。
 死神の黒い、闇の帳のように黒い半纏が、腹の辺りで切り裂かれ、上半身を固めた包帯の一部を赤く滑らせている。
 荒く、未だ熱い息が包帯の間から漏れた。

 コロしアいのトチュウでタオれたら、シぬ。

 緩々と、その四肢に限りある力を込めて、立ち上がる。
 その姿は、満身創痍にして、窮地だった。斧の柄を握る指だけがやたらと固く締められている。それに続くように、曲の目元は鈍く、それでも奥底から鋭い眼光が騎士の蒼く、仄暗く燃える眼孔を射抜き返す。
「死神とは疾く速く、魔を風塵に帰す化け物どもだと聞いたが、私の聞き違いだったようだな」
 斧の柄に重心を幾ばか預けて、再び足元だけでも倒れないように固める。
 騎士の剣風が僅かに、触れたとも感じぬほどに掠ったその場所は、皮膚を抉り、筋を分け、衝撃で肋骨をすら砕いていた。
 口元まで巻いた包帯が一点に赤を注すと、そこから湿るように広がる。胃にまで達した衝撃が胃を破裂させ、血が逆流を繰り返す。音を立てて、口許まで血を飲み干した曲は斧を両手で掲げる。それは守りでなく、未だ攻撃を重視する型。
()ッ!!」
 倒れ込むようにしながら、死神は己ごと旋転させながら斧を振るう。
 僅か一歩、それを騎士が避けるだけで、斧の質量に、己が質量に耐え切れぬように倒れた。
 僅かながらに力を受けた斧が床を滑り、……回転して止まる。
「なりふりを構わなくなってきたか。だが……」
 次の一撃で終わりだと、蒼い焔が視線で答えた。
「……ンッ、ふ、……う」
 熱く漏れるのは血潮だけだろうか? 包帯から覗く目元が微かに潤む。
 悔しさ。ただそれだけを訴えながらも、曲の身体はそれ以上動く事は無く、意志を失った。
 振り上げられた刃金。
「…………」
 死神は死んではいなかった。ただ、騎士はこう考えただけだった。
『止めを刺すにも値しない』
 屈辱を唾棄する以外の、何物でもなかった。
 騎士はユックリと百七十年間も忘れた呼吸を思い出したようにすると、背もたれの些か壊れたベンチに腰を降ろして、しばし、【魔術師】と【魔女】の戦いを見る事にした。詰まらない戦いを忘れるように、彼は吸った空気をもう一度吐く。吐いた空気は呪いで穢れ、濁っている。
 その行為は騎士時代、一度も行なわなかった余興に過ぎない。無論、魔術師が倒れるようならば、それを叩く。無限の時を過ごす中でのイレギュラー、ただの余興なのだ……

      *         *          *

   −Side A−

 イレギュラーフリー、接合特異点、輪廻外。
 とにかく、魔女などが使う言葉で、これらはある専門的な事を意味する。大抵、普通の一般人は『そこに何かの意志があるように』その『怪異に触れる事はない』。怪異とは場が捩れない限りはそこに一般人を磁力のように引き付けるわけではない。大量殺人のあった怨念の溜まる場所、神隠しのあった山、自殺者のための崖。そう言った狂った場所は魔女などの常識から外れた、怪異側の人間しか訪れる事はない。
 つまり、常識の捩れた場所、『常識の軸』から外れた場所を【輪廻外】などと呼んだりする。
 本来は場に使うのだが、稀に物凄い、それこそ天文学的確率で『身体自体が怪異を引き付けてしまう』不幸な人もいるとの事。これは蛇足。
 先ほどの通り、怪異を磁力のように引き付けるのであれば、一般人を磁石のように跳ね除ける、斥力(せきりょく)を輪廻外は発揮する。人は常識の軸である【輪廻軸】に捕らわれて、怪異に出会う事は滅多にないのだ。

 さて、呪いの塊に魔人、魔術師、魔女。これだけの怪異が揃った中で……


「――遅くなって済まないな。少女趣味な妄想はしていなかったか? 在姫」

 何故、一般人の女はココにいるのだろうか?

「ジョウチョーッ!!」
「何だね?」
 走って学校から来て、更にエレベーターが止まっていたから非常階段を昇ってきて疲れました、と如実に汗の量で語る少女。空色のハンカチで額の汗を拭う右手。学校帰りのままの汗で透ける制服。

「う……ぉ」

 ――そして、左手には、壁から生えた魔術師の頭が握られていた――

 もう、ビックリだ。何が何だか分からない。魔術師に足元から詰め寄られて、突然、後頭部を強かにぶつけた、そのぶつけた本体、非常階段の扉から出て来たのはジョウチョーだったのだ。
 コンマ二秒以下、唖然とする私と魔術師の関係を把握すると既に無力化していた。
 魔力を通した私の筋力と同じでは無いか? そう思えるほどのあきれた膂力。
 確か、「冗句だ」と言って、一円玉を親指と人差し指で半分に折り曲げたのを見た事が有るかもしれない。それを目の前で見ていたナンパ師軍団は三秒で逃走した記憶もある。
 魔術師の鼓膜は骨を伝えて、頭蓋骨の軋みを聞こえさせているだろう。

 魔術師は両方の手刀を閃かせて、ジョウチョーの手を叩こうとする。その直前、魔術師の顔が吹っ飛んだ。
 発勁と言う奴だろうか? 指を離した瞬間に、頭部に零距離で加えた打撃は脳震盪とかじゃ済まされない凄みがあった。
 魔術師が弾け飛ばされて壁から出た魔術師と同時にジョウチョーは跳ぶ。倒れた魔術師の顔面に踏み降ろし。
 が、寸前に魔術師は床に沈みこんだ。
 ジョウチョーの顔が強張る。当たり前だ。一般人が魔術を見て平静で居られるはずがない。

「しまった、サービスで女子高生のスカートの中を見せてしまった!」
「ごっつ変な状況で普っ通ですな、貴女!」
 ジョウチョーは憮然とした顔で、それでも微妙に顔を赤らめつつ、スカートを押さえていた。そもそも、貴女は「蹴りも使うからスパッツ常着」と言っていたではありませんか? あっ、今度からもう一枚予備を買って私もそうしよう。
「で、これは一体どんな参加型アトラクションかね?」
「貴女、遊園地の戦隊物ショーと勘違いしていらして?!」
 混乱して自分でも何を言っているのか分からない口調で言いつつ、周りに気配を巡らす。
「こっちだ」
 私を人生で始めての『お姫様抱っこ』で抱えると、壁を足場にして香港映画のように駆け上がり、宙返りをして、さらに後退。魔術師の真下から突き上げた手先が空を切って、再び沈む。
「なるほど、あのような手口で婦女子に手を掛けるのか、犯罪だ」
「それ以前に突っ込みどころがドエライあるでしょうが貴女ッ!!」
「少し、落ち着きたまえ。あぁ、それにしても在姫。君は……、私の腕の中に収まるほど小さくて、可愛いんだね。ふふっ」
 うわぁー、こんな状態に関わらず背景で薔薇が咲き乱れるおかしな精神状態と情景描写になってるぅー。うひゃ! しかも、何で支えている手がさりげなく脇を通して私の胸辺りに?! 何で? 何で!? 何でッ!?

 混乱の絶頂の中で、互いに顔を赤らめて百合状態を維持しながらも、ジョウチョーは華麗な、舞踏のようなステップで魔術師の追撃を空回りさせていた。

 再びおかしな状況に引き摺られる前に視線を巡らすと、死神の倒れる傍には亡霊騎士。

 死神が、倒れている?
 ――嘘。魔獣、妖魔、人外、何でもござれの対魔の尖兵、死神が倒れている。
 私の絶望的な心境の中、騎士は双剣を床に突き立て、片方の剣に両手を掛けて寛いでいた。
 そして、その頑強な、過去は実直であった容貌をわざと歪ませるように笑みを浮かべた。
『楽しませてもらうぞ』
 そう、語るように聞こえた。
 絶望的な戦力を嘲笑うように、騎士の唇の片方、その端だけが上がった。

「ふむ、地面に潜って気配を消されると、中々難しいものだ」
 そんな私の失望と裏腹に、落ち着いた眼鏡越しのジョウチョーの表情。
 怪異にこれだけ反応したなら大したモノだ。でも、ここから先は私の仕事だ。だから――
「――を出す」
 遠くを見据えたまま、彼女は何かを言っていた。
「え? 何?」
「――を出す。私の眼鏡を取ってくれ」
「……えっ?」
「二の句は告げないぞ。『本気を出す』、眼鏡を取ってくれ」
 彼女は淡々と宣言した。
 何の本気を出すかは分からない。多少、と言うかかなり腕が立つと言っても、相手は【魔術師】なのだ。一般人が手を出せるような相手ではない。
 ……でも「本気を出す」と言う、その言葉に誘われるように、私の諸手はジョウチョーの眼鏡に手を掛けて、外した。

      *         *          *

   −Side B−

 恐る恐る下を見る……
 指先に触れた、割れていたガラスの小片が月光を吸い込みながら、闇に落ちる。
 車が何かの模型のように小さく、煌々と眼下を照らす光がやたら遠い。
 ……高ぇ。
 ほんの少し前にした決意が揺らぐ。
 言い訳がましい言い方だが、トラウマやら精神病、強迫観念の類は一人の手でどうにか出来るモノではない。
 以前、上司にムリヤリ付き合わされて見せられた映画は、恋人を助けるためにトラウマを克服、幸福、終章。と、言った構成だった。
 あまりのご都合主義な展開に、映画で眠れないのに大いびきをかいたフリをして、レンジン一行出入り禁止と映画館の看板になったほどだ。
 とにかく、強迫観念などの類は克服する事などは並大抵では出来ないのは臨床師が公認する事実である。

 だがそれでも、より大きな目的と言うもので、一時的に打ち消す事が出来る。
 俺はいつもそうして、仕事では平然としたフリをしている。
 今回はその決意が少しばかり大きい。いや、大き過ぎる。

 高所恐怖症一時的忘却の心得その一、ここは地上であると想像する。
 ……ほら、地面の感触が気持ち良い。このまま歩けば…………、百メートル下に真ッ逆さま……
 今のは無しだ。熟れたトマトがアスファルトに広がる不吉な想像、じゃなくて、これは妄想だ。

 鷹のように高めた双眸。もう一つのビルには、魔術師と戦う在姫。亡霊騎士は傍らで、優雅に観戦している。
 まさか、神殺しの死神が倒れるなどとは想像もしない展開だ。くそ、誰だこんなくだらない展開を考えた奴は?!

 悪態も程々に、俺はビルの内部の、もう一つのビル側の壁とは反対側の壁ギリギリまでに行く。
 もうここまで来たらヤケクソだ。こんな下らない事を考えた奴の鼻を明かすぐらいの展開を創ってやる!
 地面に手を付けて身体を倒す。足は前後に僅かに開いている。膝は折り畳まれ、顔は正面。陸上競技で見られる開始疾走(スタートダッシュ)の体勢。爆発的な、相撲の時よりも超爆な加速を得るための予備動作を用意。
 もう、後には退けない。呼吸と精神を整えて、後はただ真っ直ぐと進むだけ。
「在姫、先に死んだら承知しないからな……」
 霊気装甲の静かな流動を確かめながら、目を瞑る――

      *         *          *

   −Side A−

 白金(しろがね)の瞳は天を凍らす。
 魔を持つ瞳が空間を抉る。
 眼鏡が、否、強力な【魔眼封じ】が外れた瞬間、視界が凍った。
 騎士の蒼い瞳を圧倒する畏怖。
 白金の双眸。そこにいつもの、日本人らしい漆黒の瞳は無く、ただ他者を圧倒する異様な輝きが見える。
 全てが、物事の有らん限りが、服の下も、皮も、肉も、(はらわた)も、骨も、心もそして、魂すら見透かされるような極光の砲口。
 この魔眼。魅了や忘却の類でなく、この世界。すなわち本質そのものすら革変させる禁断級の魔眼。

 魔女の間の通称は、『秘眼(アイズ・オンリー)

「……見切った」

 一言、鮮烈なまでの異界の輝きで唯一、己の輝きを失わない可憐な、桜色の唇が動いた。
 次の瞬間、抱き抱えた私を放すと同時に、真後ろの壁に両方の掌を叩きつける強烈な掌打。
 女子高生だと言う事を忘れさせるような、強力無比な衝撃音の伝播。鉄球がコンクリートにそのままぶつかるような、そんな表現しか出来ない凄まじい轟音の響きが満ちる。
 それは魔眼封じが取れた瞬間に起こった霊気装甲の超流動。眼を媒介に全身に広がる膂力。
 鼓膜が破裂するほどの衝撃の直後、壁の中から鮮血が吹き出た。ホラー映画のワンシーンのような、それでいて間の抜けた画。
 壁から覆面の男の顔が出た。
「な、……何ッ……故?」
 コキリと魔術師の首が傾いた。
 ジョウチョーは腰に片手を当てながら、さも当然と言うようにもう片方の手をあげる。
「箱の中の猫みたいに誤魔化そうと、私の眼を誤魔化す事は出来ない。私の瞳は魂を見るための瞳。私の眼の前には如何なる視覚を対象とした幻術も、科学的な光学迷彩も、物理的な遮断物も意味が無い。視界、視野など関係無しに魂ごと、本質を捕捉するのだ。つまり、眼鏡を外した状態の私はな、三百六十度上下左右斜め、位相、異界、結界、『何処にも死角が無い』と言う事だ。どうしても私から隠れたいのなら、魂を亡くす事だな。まぁ、それは死と同義だがな」
 しかし、と白金の瞳の彼女は続けた。
「貴様の魂は腐って、濁り過ぎて、人とは認識しにくかった。目的を違え、冥府魔道に堕ちると言うのは、かくも醜き事か……」
 ゆっくり歩いて近づいたジョウチョー。微かに、撫でるように触れた程度の掌低は瞬時に魔術師に痙攣を起こした。壁に仰け反るようにして気絶をさせて、そのまま沈み込ませる。
 呆けかけていた私から眼鏡を受け取って掛け直すと、ジョウチョーは少し、体勢を崩した。
 慌てて支える私に「久しぶりに少し、見慣れないモノと認識()過ぎただけだ」と眼鏡の位置を直しながら、軽く笑みを浮かべた。
「……魔女として君に会うのは初めてだな。封印級秘眼の保持者、斐川 常寵。関係者には通称、王魂(おうごん)の賢察者の常寵と名乗るようにしている」

 魔眼には、見るモノを特化した魔眼と視界として認識した世界に影響を与える魔眼の二種類のタイプに分かれる。
 見るモノに特化した、遥か遠くを見通す千里眼や霊体などの見えないモノを視る妖精眼、未来を観る龍眼に結界を見通す見破の魔眼。
 世界に影響を与える、見た者を呪殺する邪眼や相手を催眠状態に陥らせる魅了の魔眼に、見たモノを石に変える石化の魔眼。
 この二種類に分かれるのだが、彼女の魔眼の特徴は基本的には前者であるのに加えて、前者と後者の特徴を多く保持している。保持者としても珍しい魔眼を同時に幾つも保持しているのだ。
 視界を拡大する魔眼に、透視を行なう魔眼、霊体などを含めて、魂を認識る魔眼、威圧を与える縛鎖眼などなど。
 もし、普段から常に魔眼を晒していれば、更に魔眼は強化を重ねていただろう。
「インチキだ」
 私は驚いた顔に反して吐いたのは、思わずムスッとした声。
 まったくインチキだ。そう、彼女はその眼で、私が魔女だと言う事に気付いていたに違いない。それに在りえない、いや、在ってはならない神話の類で語られるような魔眼の保持者が、魔眼封じを身につけて、魔女の目の前で隠れていたのだから。しかも気付かせないなんてインチキにも程がある。
「インチキとは……まぁ、失礼したね。実は大分前から君の事は魔女だとは知っていたのさ」
 口元に浮かべた微笑につられて、私もようやく苦笑が漏れた。
 私も中々未熟だ。仮にも友人の擬態に気付かなかったのだから、もう少し魔法やらの前に観察能力を持った方がいいのかもしれない。
 確かにそうだ。魔道書に対する言及に、帰り道の警告。全ては私の身を案じた事だったのではないだろうか?



「お嬢さんに加えて魔女。この世で語らう『最期の言葉』は吟味した方がいいぞ」
 タイルを叩く金属軍靴の音階。
 両手に携えた剣を揺らしながら、亡霊が迫る。
「ふむ、貴公が今までの連続殺人の、いや『魔女狩り』の主か」
 呪いで禍々しく威圧する蒼い瞳に対抗する眼鏡越しの峻烈なまでの白金の光。
 それを青い炎が否定する。
「残念ながら私は主に非ず。一介の雇われ騎士に過ぎぬ」
 遠くを見通すような瞳は何故か、残念そうだった。
「なるほど、魔術師が雇用者と言う事か。私の推理とは幾分か違っていたようだな」
 騎士の大双剣が持ち上がる。
「どちらにしろ。魔眼保持者は霊気装甲のある時点で魔女ともなり得る。抉り出すのは心臓の代わりにその眼だがな」
 頭の真上、大上段と肩と同じ高さに並んだ剣達。
「魔眼で動きを捉えられようと、今度は身体が追い付かぬだろう。死神を圧倒した私の剣技でその心の臓と両の眼、頂こうか?」

「貴公は何かをお忘れでないかな?」

 返す言葉。爆発直前だった噴火のような剣撃を、巫女のように鎮めるジョウチョー。
「……なに?」
「何かをお忘れではないかと言ったのだ。彼女には、『最強の守り手』がいるのだぞ?」
 皮肉げに曲げられた、美麗な唇が真実を紡ぐ。
 私も気付いた。そうだ、彼女は『彼』の事を知っているのだと。

 次の瞬間、何かが反対の塔から飛来した。


19 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/14(金) 11:51:03 ID:WmknzDxc

叫喚6

   −Side B−

 眼を再び開いた。目の先の先には守るべき人が友人と共に騎士と対峙している。
 俺の出番のようだ。
 人が敵わぬなら、人を超える者、魔を帯びた超人の出番だ。
 月明かりが分厚い雲のカーテンで遮られる。灯りのまったくないこの場所では視覚が遮断された事と同義である。それ故に体内の血の一滴までが感覚によって捕捉が可能である。
 軍用射出機(カタパルト)に備えられた戦闘機にように、魔力を全身に秘めながら静かに佇む。しかし、俺が戦闘機と違うのが、その攻性能力が護衛戦艦と変わらない事だ。

 通常、魔力や霊力を魔法の類によって使う際に効果を表すまでは、消費する魔力などは体内に留めておく。それは異種の霊気装甲が接触した際に起きる反応、『拮抗』を防ぐためのものである。例えば、低能力な術者が体外で魔力などを固定化させようとすると自然界の霊気装甲に反応し、強い方、大抵は自然界の霊気装甲によって反発され、押し潰される。在姫などの高濃度の装甲を持つならその圧力に均衡するだけの力を出せる。それは能力者同士でも起りうる現象でもあったりする。
 そして、俺が利用しようとしているのは……

 点呼開始(カウントスタート)
 ――伍、霊気装甲、全装甲駆動開始。
 ――肆、装甲濃度出力八拾七%
    誤差発見、装甲濃度出力低下状態、現最大値二十七%迄移行。
 ――参、対衝撃装甲結界展開。
 ――弐、同時展開、魔力放出走行準備。
 ――壱、肉体制御、推力、平衡感覚統制。
 ――零、発射。

 自らの霊気装甲を反応させて【推進起爆剤】にすることだ。

 急激な加速に負けそうになる身体。それを支える足で思いっきり地面を踏みしめる。地面から浮き上がらないようにするように。
 留まる事は無い。最初の一歩を踏み込めば後は容易いものだった。
 顎が摺れるほど身体を前傾させながらも、足が接地するより先の身体は揚力を受けた翼のように空気と密着しながら進んでいく。

 目前。崖の高さを考える前に、あの日、あの夜、傷付いた俺を見て、泣きそうな少女を思い出した――

      *         *          *

   −Side A−

「……なんだ?!」
 ジョウチョーの言葉で固まっていた騎士の動揺を、さらに何かが引き出した。
 反対側の塔からの爆発音。直後のあまりの衝撃に反対側の塔の内側から、それを越してこちら側の塔の外側から、ガラスの全てを破砕した。
それは何かと何かの霊気装甲が『拮抗』したモノだと、私は理解した。
 しかし、今までに見た事が無いほどの最終神話戦争(ラグナロク)級の反応規模だ。
 神話時代、神と呼ばれる存在同士が戦ったような戦争の咆哮。戦の始まるを示す鏑矢(かぶらや)

 眩みそうな光の中を小さな、速い何かが飛来した。

 着地。爆発には比べようも無いほど小さなモノだったが、人では到底耐えられないような圧力を両足に受けて、直前に、再び霊気装甲によって相殺する。
 濛々と立ち上がる煙と沸騰した空気熱がビル風で轟と吹き荒らされ、散らされる。
 その中心に居たのは、小さな魔人。

「未熟者が居なかったから余裕だったな。さて待たせたようだが在姫、後は任せろ」
「馬鹿、女の子を待たせるとは何事だ!」
 小さな魔人は苦笑する。
 その影で、蒼い炎が揺らめいた。
「国定、左ッ!」
 その私の言葉よりも早く、騎士によるタイルから更に下の階まで突き抜ける剣撃、爆撃を国定はかわす。
「くっ」
 吹き荒れる暴風が、魔人の戦闘域から離れた私達にまで風塵を巻く。
 風を受け止めるために交差した両腕の隙間では国定はまだあの槍を握っていない。
 徐々に、人の視認を超える動きを亡霊が見せ始めた。
 それは振り切った残像なのか、それとも振り上げた残像なのか分からない。ただ二つの剣があまりにも速すぎてより多く見えるだけだ。
 国定はその剣撃の範囲から僅かに抜け出すように後退しつつある。しかし幾ら抜け出せても、騎士にダメージを与えるのには徒手空拳では不可能だ。あの呪いの凝り固まった鎧ごと、貫く、もしくは破砕するような武器が必要だ。
 槍を出す暇は無い。

 もしも、私が『何かを作れれば、呼び出すのではなく作り出す事が出来れば』……。

 国定と騎士が止まった。国定の後ろには瀕死の死神が居る。後退は、出来ない。

「再び、終章(コーダ)へと導くぞ、魔人」
 必殺の一撃だと宣言する騎士に、
「いいだろう。亡霊への鎮魂奏(レクイエム)を奏でてやろう」
 国定は未だ素手で迎える。

 私達は手を出す事が出来ない。竜巻に生身で飛び込めば打ち砕かれるように、この闘いは超人同士、人外同士のみの殺し合いだ。
 でも、国定の手には何も無い。どうするの、国定?

 無音。しかし、物質的な段階でなく、心の水面下では闘いが繰り広げられている。
 素人の目にも見えるように、互いの見えない、心が打ちかかる残滓が見える。
 普通なら、武器の無い段階で負ける騎士の一閃を、国定の心が『何か』で受け止めて返す。

 騎士にもそれが掴めない様で、苛立ち、そして、遂に爆発した。
 あの時の、普通の剣撃の十倍の威力と速度に相当する爆撃が始まろうとしている。
 一撃でも、国定は素手で受ければ死ぬ。
 武器、何でも良い。あの超重武器である双剣を打ち落とし、なおかつ重装甲を叩く『 超重兵器 』が必要なのだ。あの国定ならどんな兵器でも扱える。長大な槍を奔らせる技量と膂力がある。後は、武器のみ。
 国定は身体を崩さずに後退する。初撃の、それ以前でさえ爆殺させることは必死の剣撃に怯まず、ただ直前に避けるためだけに後退する。
 だが、後はもう無い。国定の後ろには傷付いた死神が倒れていた。いくら死神とて、この剣撃をまともに受ければ斬殺される。

「いくぞ」
 双剣が莫大な呪いと魔力を纏って踊る。卑怯と言う間もない戦術。
「1(アンッ)、!?」

 その爆撃の直前、国定は身を屈めると同時に、『それ』を手に取った。
 直後に膨大な力と力がぶつかり合い、それが熱量に置き換わって二人の間にあった空間が広がるように胎動する。あまりの急激な空気の流動に私は眼を瞑る。爆風が髪とスカートをたなびかせ、駆け抜けた。

 ――静寂。国定の断末魔の叫びも、何も聞こえない。



 恐る恐る眼を開けた時には、双剣は同じく無骨な鉄塊に止められていた。
 無骨な、叩きつけるための武器は『 死神の使っていた鉞 』。
「どうした? 手が震えているぞ?」
 不敵に、いつも通り不敵に笑う国定だが、今回はいつも以上に相応しいものだった。
 この間とは逆転して、国定の握る鉞の圧力に堪えているのは亡霊の方である。双剣は唯一つの鉄塊によって止められ、身長も、体重も、武器の重さも、魔力も、全てが上回りながら、国定の鉞によって止められている。
「ばかなッ」
 つい先日までは圧倒に近かった実力は当然の摂理のように凌駕していた。
 千年の魔人と六百年の亡霊騎士では格が違うという事か?
「手元がガラ空きだぞ?」
 国定のその一言と共に火花が散る。
 鉞による零距離からの力任せの一撃で吹き飛んだ騎士は、両足と双剣を真下に突き立てて、タイルにしがみ付くようにしてギリギリ、ビルから飛び出る直前にその場に留まった。
 幾ばか離れた間合い、国定は鉞を肩に担いで、斜に構える。
「次はどうするんだ?」
 騎士の双眸が燃えた。呪いの大気侵蝕によって全てが歪んでくる。冷水の混ざった熱湯のように、異なる大気と瘴気が平衝して明確な境界が不明確な視界として表れる。
 そこに表れるはずの恐怖は最強の守護者が全てを受け止めている。
 大剣が磁石の両極のように呪いを渦巻いて、騎士は再び国定に打ち掛かる。
(アン)(ドゥ)(トロワッ)(キャトルッ)(サンクッ)(シスッ)(セートッ)(ユイートッ)(ヌツッ)10(ディスッ)!!」
 十連続の閃光。しかし、国定はそれを鉞の側面の鎬や柄で巧みに反らし、逆に騎士の体勢を崩した。
「であぁぁやぁぁぁッ」
 そこに獣声が轟いて、閃光を国定が掛け返す。
 身体を丸ごと捻りながら、駒のように、それ以上に速く廻る。打ち掛かる。
 疾風迅雷。超重武器には似合わない形容で身体ごと飛び込むように国定は刃を振るった。
 それに初めて畏怖した騎士は一歩下がりながら双剣を十字にして受け止める。
 しかし、氷の軋むような音と同時に剣が弾けるように砕けた。
輝ける陽光(セクトールオーブ)が?!」
 騎士の呟きは剣に付けられた名だろうか? 砕け散った剣は呪いと言う枠組みから消えて大地に塵以下になって落ちた。
 肩に鉞を担いだスタイルが当然であるように佇む国定から、素手の騎士は人外の速度で離脱する。後ろ向きにも関わらず、視界から一瞬で失せて、ガラスの割れたビルの縁に立っていた。
「逃げるのか?」
「負ける戦いはしない」
 騎士の国定の更に奥を見つめるような遠い目は、何故かは分からないが何かを憐れむようにも見える。
「終わりが近いのだな」
「…………」
 終わり? 終わりとは何のことだろうか? いや、本当は分かっている。私は、ただそれを認めたくないだけなのだ。
「敵ながら天晴れと言ったところか? その献身に私は称賛をし、今回はココで退こう」
「……能書きは良い。今ここで俺が妄執の亡霊を倒すだけだ」
「それは無理だ。ここで私を倒せたとしても後に残る魔術師から魔女を『誰が守る』?」
 国定は瞳孔を開きながら、獣の眼差しで騎士を威嚇する。その奥には終わった瞳。
「貴様――」
「分かっているはずだ。たかだか思いの塊が、六百年も恨むのも、あるいは千年も無意味に生きる辛さを。貴様のこの世界への固執も薄れ掛けている。加えてその霊気装甲、後五日間持つか否かと言ったところか?」
「……それだけで十分だ。最後の仕事を終わりにさせて、俺は」
「敗北思想だな。私も貴公も、この無意味な円環を断ち切ろうと言うのか……。忘却と呪詛、互い似て非なる、か……」
 遮るように語る騎士。国定が何かを言い返そうと噛み締めて固くなった口を開いた直後、騎士は流れるように後ろに向かって飛ぶと、階下へと重力に引かれていった。
 国定は追わない。いや、ビビッて追えないのか?
「在姫」
 鉞を肩から下ろすと、重い荷を下ろすと、国定は疲れたような笑みを浮かべた。
「……スマン、ちょっと限界のようだ」
 そして、そのまま地面に向かって倒れこんだ。
「なッ!? ちょっ、ちょっ、ちょっとちょっとちょっと!!」
 寸前で私が抱きとめるが、そのまま国定は眠ったように身動ぎもしない。
 ただ眼を瞑って、まるで止まったかのように。
「くに、さだ?」
 無言。しっぽを引っ張られた猫型ロボットのように、スイッチの切れたパソコンのように、発条(ぜんまい)の使い切った空繰人形のように、鳴声の止んだ蝉のように、国定は止まった。
 国定は止まった。魔人が止まった。
 ……死んだ?
「え、な、なに? どうし、え、ちょっ、まだ、私――」
「落ち着け在姫。私の『眼』では彼は生きているように見える。おそらく、ただの一時的な機能停止だ。とりあえず、今はココを去ろう。死神ならともかく、この騒ぎだ。人の警察に余計な記録は残したくあるまい」
 ジョウチョーの諭すような言葉に私は我を思い出す。確かにそうだ。このままゴタゴタに巻き込まれても都合が悪いだけだ。
 動揺する私に「私が死神の彼を負うから、君が彼を負え」と的確に指示をする。まったくこれではどっちが神秘に属しているのか分からない。だが指揮するほど統率力の無い私に比べて、ここはジョウチョーに従った方が無難だろうと、私は彼女に従う。
 私とさほど変わらない身長でありながら男の子だけあって国定の体は重たい。
 彼女ほどの筋力でも重いのか? 背中に死神を乗せたまま器用に、鉞の刃に近い重心の部分を気合と共に持ち上げて、両手で持ちあげる。
「むぅ……、これは、一苦労だな。うっかり足に落としたら開放骨折だな」
「表現がグロイって……、うーん、別に置いて行ってもいいんじゃないかな?」
「死神に助けられた義理もあるだろう? 彼……、とにかく死神に助けられたのだ。容疑者に逃げられて、死神の鎌の現場放棄、更なる始末書処分と言うのも可哀想だろう。死神に助力の一つは差し上げようではないか」
 それもそうだと納得するように頷くと、非常階段からこそこそと逃げ出した。
 階下で待ち構えていた警察の特殊車両群。大きな騒ぎになったためか? かなりの台数が待ち構えていた。機動隊の影もチラホラと見える。
 傷だらけの子供に包帯姿の怪人、加えてジョウチョーの両手には言い逃れの出来ないような凶器とくれば、職務質問や補導だけで済まされないだろう。
「裏口が確か反対側にあったな」
「えっと、あっちの方は鍵が掛かっていたはずだけど?」
「大丈夫だ。ヘアピンさえあれば魔眼で透視でも行使すればディスクタンブラー式の錠前は大抵開けられる」
 物凄くこの友人の将来が気になった。本を専門で盗む泥棒とかになったりはしないだろうか?
 途中の通路の角で遇った警察官達。指先を突きつけて残り少なくなった私のフィンの一撃で昏倒させたり、ジョウチョーの魔眼で目を眩ましたりと申し訳ないながらも色々な手段で回避をさせてもらった。まぁ、狐にでも化かされたと思ってもらえれば好都合だ。そんな保障は何処にもないが、まぁ、政霊都市和木市なのだから、それくらいの事例の一つや二つは有ってしかるべきだろう。
 裏道で見かけたタクシーの運転手にジョウチョーの魔眼で催眠を掛けて、色々と記憶に残りそうな事を真っ白にさせておく。
 帰り道の車内で私とジョウチョーは互いに無口になりながらも、大体は会話しているような状態だった。
 視線の先にはこれからの事をどうしようかと、ジョウチョーですら漠然とした不安として語ってはいた。
 いつもの乗降するバス乗り場の手前に何事もなく到着をする。財布の口がスッポンよりも固い私に代わって「釣りは取っておけ」と二倍近い金額を渡すジョウチョー。まぁ、シートが血で汚れたし、これくらいはサービスだ。私は払ってないけど。
 おかげでスムーズにあの昇り坂の手前は帰ることが出来た。ちなみにココから先は車両進入禁止であるためにタクシーが乗りつける事は出来なかったのだ。
「面倒だな」
「仕方ないよ。でもこの辺りは安心して。昔は今よりも多く魔女が住んでいたから、協会による普遍の結界が効いているよ」
「なるほど、不審な行動をしても気に止まらないと言う魔女の結界坂か」
「そう言うこと。まぁ、昔はそんな感じでもこの辺りで今も住んでいる魔女は……」

 私だけと、続けようとした。だが、それを遮るように、その音の届く先には一人の少女が立っていた。
 既に暗く濡れた夜の中で光る金髪。西洋の全寮制私立学園にありそうな、ネクタイ付きの黒い制服に身を包んでいる。その全体的な姿は私よりも幼いながらも、僅かな曲線を描いた胴体部や手足は危険な色気を発する。月明かりに照らされた紅い双眼が閉じられて、妖艶で無邪気な笑みを浮かべる。私達を、私を迎えるように両腕を開いた。
「待っていたよ、在姫お姉ちゃん」
 背筋を電気が駆け登る感覚が『彼女は敵だ』と告げた。
「――魔術師?」
「ありゃ、バレちゃったか。そうそう、私はシャラン。苗字は斜めで、名前は花の蘭って書くの」
 魔術師の彼女、シャランの手には、小さな人形が握られている。彼女をそのまま小さくしたような雪色の肌に淡い金糸の髪。しかし、双眸に当たる部分には黒い布を巻かれて、その上から釘が刺されていた。
「かぁいいでしょ? ドロシーって言うの、さぁ挨拶してドロシー」
『こんにちは、【魔術師】のお供の、忠実で矮小な下僕のドロシーなの』
 人形に語りに些か驚いていると背後のジョウチョーから「ただの腹話術だ」と覚らされた。
 その驚きが可笑しいかのように小さく笑うシャラン。
それにしても、こんなに、私よりも遥かに幼い少女が魔術師だと言うのだろうか?
「あぁー、その『こんな幼い可憐な美少女が魔術師なのか』ぁ、ってな視線はまるっきり私を子供扱いしているなぁ?」
 私の視線から考えている事を予測したのか? 微妙に違うけど。
 警戒する私達に対してシャランは人形を抱えると、突然クルクルと廻り出した。
「い・かすざぶ・おぷと・んおと・すえいはあぉ・よるぉこ・るぃういあ」
「旧エノク語?」
 私達魔女が使う簡素な現代エノク語ではなく、複雑な文法と難解な語句、加えて聞こえた音通りとしか言えない筆舌し難い発音を持って構成される難語である。身体性能を著しく拘束する【静止―レスト―】や全ての事象を停止する【停止―ハルト―】、力を持った言葉を使う魔法使い、物理系の言霊使いには劣るが、旧エノク語を操る魔法使いは私のように現代エノク語から更に英語に変換して呪文を使う魔法使いに比べて絶大な世界への影響力を持つ体系に属する。
 しかし、霊気装甲の無い彼女、魔法の使えない魔術師には意味が無いもののはず。……、いや、違う。旧エノク語に重ねられたもう一つの役割があった。その【星】との会話を求めた難解性は外界の霊気装甲へと直接の交信を図る記述式となる。つまり、旧エノク語そのものが【魔術】の装置となるのだ。そしてこの【音声魔術】の真骨頂は『外界の霊気装甲に音声を利用して、どんなに離れた場所からでも別の魔術結界などを起動させる事である。』
 つまり、生霊などの擬似生命体を使わずに行なう直接遠隔制御である。
 組み上げられた体系によって霊気装甲が共鳴現象を起こして、世界の隅々まで意志が響き渡る。
 身構える私。しかし、外界、周りへの変化はまるでなかった。
「在姫! 逃げろッ!!」
 その鋭過ぎるジョウチョーの言葉に突き動かされるようにして止めていた足を動かした。視界を後ろに向けると、何時の間にか眼鏡を外していたジョウチョーは重荷の鉞を投げ出して死神と共に飛びながら地面を転がっている。
 その僅かに闇に沈んだ光景が、ぐにゃりと『光ごと曲げられるように』歪んだ。
 熱で浮かされた光景のように白い明滅と背景が鍋をかき混ぜたように混濁する。
 かき混ぜるための熱も、混濁させる衝撃も無く、元居た場所には人が丸ごと入れるほどの大穴が空いている。
 ……洒落にならないッてば! 何、一体何が起ったの?
 爆風も何も無く、ただその場所は一瞬にして全てが分解して、空気に溶け込むように消滅したように見える。
「まだまだ行くよ〜〜! んし・りびえ・ぷあ・くぅろぶ」
 今度は私にも分かった。空気を破壊するように、厚い雲を散り散りに引き裂くように、渦巻く何かが中天から降り注いだ。
 それは待ちくたびれた月が布を引き裂くように哭いたような――
 先程から二割ほど回復した霊気装甲を走らせる。血管が警告を発しながら装甲を纏わせる。スレスレの離脱で、真後ろのレンガ作り道路が消滅する。
「うわぁ、こんなに活きの良い娘は初めてだぁ。狩り甲斐があるねぇ」
 何時の間にか、彼女は高い電信柱の上に立っていた。いったいどんな力で飛んだと言うのだ。翼の無い魔術師が飛ぶ。もしかして、この娘は魔術師ではなく人喰いなどの人外で無いかと錯覚させられる。
「うみゅ。もうこんな時間かぁ。良い娘は早く寝なくちゃイケナイしぃ……、終わりにしようかなぁ?」
 殺意の一つ無い狂った笑みを私に向ける。ヤバイ、さっきのダッシュで霊気装甲は空になってしまった、次は避けられない!
 彼女が不安定な足場で再び廻る。繰る繰る、狂々(くるくる)廻る。
「すんれと・すあぉよ・るお――?!」
 彼女が吹き飛んだ。魔術の失敗ではない。電線の上を、あの細い紐の上を有り得ない速度で別の【魔術師】が駆けてそのまま突き飛ばしたのだ。
 吹き飛んだ彼女は頭から真ッ逆さまに落ちる。
「いばい・らふ!」
 しかし、激突の直前に再び月が哭く。するとまるで魔法のように彼女は『空を飛んだ。』(ほうき)も無いと飛べない魔女とは違う、大禁呪一歩手前の大魔法に等しい行為。
 再びスカートを押さえながら重力を無視し、その先のもう一つの電信柱に自身の片足を委ねた。
「もぉ! 何すんのよ、このブゥ太郎!」
 彼女の視線と私の視線の先に交錯する人影。それは先程の挙動不審としていた太った魔術師だった。
 いや、今では挙動不審としていた所作は何処にも無く、一人の戦士として堂々と立っている。見た目に騙されると言うのはこの事を言うのだろうか?
「僕の親類縁者を危険に晒すのであれば、僕は如何なる者との敵となりましょう」
 威厳ある戦士の宣戦布告だが、仲間割れを起こすような家族などこの場の何処にいるのだろうか?




















「荻お兄様」

 私は、背中の国定を地面に落としてしまった。いや、何よりも、戦闘態勢にいる魔術師の前であろうが、その言葉が私は判断力をごっそり落としてしまった。それは地面に頭から落ちて「ぐぇっ」と呻き声を挙げた国定を気にも止めないほどの破壊力を持っていた。
 何よりも台詞は、頬を一刷毛の朱で頬を染めたジョウチョーの口から漏れたからだ。
 シスタープリンセスならぬ、ブラザープリンスだろうか? 先程まで私を狩ろうと画策していたはずの魔術師が離反をしてまで私達を、いや、巻き添えを食らいそうになったジョウチョーから守ろうとしていたのだ。
「僕は紳士からは程遠い者です。斜蘭、君が彼女、いや彼女達を殺すなら全力で巌の如き楯となります」
「同盟を抜けると言うのですかぁ?」
 少女の柳眉を立てた表情は、子供が約束を破られたような顔付きだった。
「元々僕は同盟に入ったワケではないですよ。保隅博士に付いて行ったのも彼女の一面においては師となる方だったからです。まぁ、あそこまで暴走をすれば呆れもしますが……、そして最後の理由は彼女にくっ付いて来た義理による忠義でしょうか。無論、このことで幾らか彼女からお叱りを受けるでしょうけど」
 しれっと言い返す魔術師に「うにゅぅぅぅぅ」とワケの分からない奇声を挙げてもう一人の魔術師が電信柱の天辺で地団太を踏む。
「もぉ怒った! 魔術師同盟を裏切ったらセツカの恋人だろぉが何だろうが、後でヒドイ目にあわせるからね! でも、今日は眠いから寝る。お休み、バイバイ、あばよ、くたばれ。……あい・はぷ・あい・みとふ・り」
 一瞬にして地上への拘束を失った少女はそのまま星の一つと変わらないほどにまで小さくなって消えてしまった。
 な、何だったんだろう? どちらにしろ、あの斜蘭と言う少女は生粋の実力を持った旧エノク語と遠隔操作による『無音の粉砕魔術兵器』を操る魔術師であり、加えて私の心臓を狙っている危険な一人であると言う事だ。
 ふと気付けば、電信柱の上と下でシェイクスピアの劇中のように兄妹が視線を交わしている。
「荻お兄様、あなたは在姫を狙っていたのですか?」
「そう言う事、になりますね」
 微笑みながら言う彼には悪意の一片も無く、ただ妹へと真実を伝える姿が垣間見える。
「でも、もう無理です。昨日の、常寵と在姫さんの電話を偶然聞いて思いついた計画ですが、既に失敗に終わってしまいました。僕は舞台を降りる事にします。……ごめんね。常寵。僕も君に憧れられるような魔法使いになれれば良かったけど」
「そんな事! お兄様、あなたからの罅割れ、渇いてどうしようもない私へと注がれる慈愛は止め処なく、私の全てを満たす馥郁(ふくいく)たる霊泉です。お兄様が魔法使いである必要は古き契約においてのみ。大人となった私にそんな幻想はもう無用なのですよ」
「でも、約束は守らなくてはいけません。兄妹なら、それは尚更です」
 指を立てて、月光を背景に語る男は容姿の考慮など入る余地もなく、ただ崇高で気高かった。妹のために魔法使いになる優しい兄。
「在姫さんの『鼓動』は諦めます。とりあえず、僕を同盟へと誘った彼女を説得してみようと思いますが、どこまで出来るかは私の交渉次第でしょうか?」
 ジョウチョーはしばらく目を伏せて、それから柱上の戦士へと尋ねた。
「互いに愛する仲でも、魔術師である事は枷となるのですか?」
 ジョウチョーは『愛する』と自らの口から放った言葉に瞼を震わせている。嫉妬では無く、ただ相手の穏やかな幸せを気遣うような視線を当てていた。
「えぇ。そして、これは共有する者でしか理解し得ない幻想(かせ)です。でもまだ別の、心臓を抉られても仕様が無いような悪い魔法使いを索敵する事はこれからでも出来るはずですからね。問題は彼女の深い業を、僕の拙い口先如きで止められるか……」
 魔術師の深い溜息と同時に、四散した雲が元の形へと戻り掛けて、徐々に月を覆っていた。
「今日は散々でしたでしょうね、在姫さん。でも、これからはあなたの親友である斐川常寵の愚兄、斐川荻が日陰と日向で一つの楯としてあなたを守ります。(よい)、夜を」
 優雅に一礼すると同時に月明かりが完全に閉ざされる。再び切れ目から漏れた白光は何もない電信柱を照らすだけだった。
「……ジョウチョー」
 何も掛ける言葉も無く、私は無体に彼女の名を呼んだ。ジョウチョーは考え込むように、地面の一点を見つめている。
 敵であり、同時にその敵の同盟を裏切って妹の友人の味方についた兄を、彼女はどんな複雑な思い出で見ているのだろうか。
 不意に、僅かに顔を俯かせていた彼女は顔を挙げて私を見た。その顔はいつも通りの不敵な笑みを浮かべていた。
「まったく、お兄様も強情だ。……さて、死神と魔人を連れて君の自宅、いや、魔女の工房へと向かおうか」
 ……心配させるほどか弱い少女では無かったようだ。まぁ、日頃の行動を見ていれば当然だろうけど。やっぱり、ジョウチョーはジョウチョーのようだ。
「うぅぅぅっ――」
 そろそろ熱気の未だ残るレンガへの雑魚寝を止めさせる頃合だろうと思い、国定を背負って自宅へと向かった。
 国定はどうも無事のようだ。

 でも、亡霊の言い放ったあの言葉。
「終わりが近い」が妙に私の心に根を下ろしていた。
 遠い日の約束、国定は、何故【魔人】となってしまったのだろうか?


20 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/16(日) 02:54:03 ID:o3teQDYk

幕間 鉄囲線三


 心が殺す。         Mind is killing me.
 体が殺す。         Body is killing me.
 罰が殺す。         Pain is killing me.
 牙が殺す。         Fang is killing me.

 我が身は永遠に冒涜される。 Violate me forever.
 永劫を望んだ。       I want to forevermore.
 しかし、存在すら無かった。 But I am nevermore.





 覆面越しの口腔から血塊を吐きながら、一人の魔術師は汚泥に満ちた円形の下水道に横たわっていた。
 その体から発する倦怠した気力は『 敗 北 』に他ならない。
 自然の霊気装甲とのリンクの切れたスーツは、元の素材が何であるかと言うのを思い出したかのように、錬金術の保護を無視して破れかけていた。
 魔女と魔眼持ち、まさか彼の妹がコチラ側の人間だとは想像も付かなかったのだ。しかもあの戦闘性能は彼の直伝と魔術師は見た。
 第五から第七頚骨まで粉砕される直前の打撃だったが、僅かに沈み込む事で回避する事が出来た。そして、沈んで、沈んで、遂には季堂ビルの地下、その下水道で息を長らえていた。
 だから、
「まだだ。我が身は未だ生にしがみ付いている」
 魔術師は独白しながらも、どん底に落ちながらも、次の策を練っていた。
 だが、朦朧とした意識の中で練られるモノは策と呼ぶにはおこがましいほどの単純な殺戮に過ぎない。
「ぐひ、げへはははははははは」
 あの魔女を剥いて、曝して、バラして、刻む。
 執着は既に魔法とは掛け離れた場所を行き来してそれは逆恨みにも等しかった。
 しかし、もはや生きるのも胡乱げな肉体が生き延びるのは妄執でしかありえないかもしれない。



「なんて無様なんだ。保隅くん」


 そこに、彼があのビルで言い放ったような、弱者を見下すような、朗々とした声色が響く。
 下水道の閉じられた空間で木霊を繰り返しながら、悪の呼び声がした。
 それは這い出てきた闇とそれと同じ色の法衣を纏った魔法使いの言葉だった。

「貴様は【脱皮者】!?」
「お目覚めはどうかね? 敗北の苦味は生温かい下水のようだろ?」

 そう言い放つと同時に巨大な手が魔術師の後ろ頭を掴んだ。そして排水溝の下水に魔術師の頭をむりやり浸す。
 もがく。息の詰まると同時に、口から鼻から、割れた頬から腐臭と粘性を帯びた下水が流れ込む。全身を重度の火傷で爛れ、腐りかけた体に拷問のように汚泥が流れ込む。巨体の引き出す剛力は霊薬の切れて枯れ枝よりも貧弱な肉体の魔術師には抗い様のないものだった。
 何よりも窒息と言う本能に訴える感覚が恐怖を煽る。
 汚泥とは真逆、白濁意識に溺れる直前に魔法使いは後ろ頭を掴んで下水から引き上げる。爛れていやらしく割れた頬から黒くヌメった液体がゴボリと音を立てて零れた。
 時折、痙攣する魔術師の身体は細身と合い余って糸の絡まったマリオネットのようにも見える。
 魔法使いは奇行を楽しむかのように下卑た笑いを浮かべて、元々は端正な顔を歪めた。
「どうしたのかい? お得意の魔術の【すり抜け】は? それとも、私の【体温】が高過ぎて意識してしまうのかな? ん?」

 彼の魔術は自らが物体を知覚しないと言う事で物体を無視して透過するものだった。そのために、ゴーグルが視覚、マスクが嗅覚と聴覚、スーツが触感を封じて、彼独自の、ただ一人、意志のみでスーツの中のみで存在しえる不可思議な自己存在空間を形成したのだ。自己の存在と言う形を自らの意志と知覚によって補い、存在すると言う状態を明確にするのが人と言う者だ。しかし彼はそれを封じて、自らの存在を知覚という本能から零に近づける事と同時に、ゴーグルと覆面とスーツの外側も知覚しないという事で両面から存在の濃度とでも言うべきモノ、特に自身を零の領域に近づけて結果的に『自らの存在を透けさせて』摺り抜けていたのだ。
 しかし、そのままでは全てを透過させてしまう事になる。つまり、彼自身が知覚する手段が一つでも何か必要だった。
 彼は閃いた。
 生物であれば必ず特有であるべきモノ。それは体温、赤外線と呼ばれる電磁波の一波長。それを自己発生させるモノのみを不気味なゴーグルの遮光器が収集し、演算し、知覚できるようにしていたのだ。
 つまり、彼は体温だけを見て獲物を追い詰めていたのだ。背格好がその熱の形でチビっこい在姫であれば、それは容易に判断できていたのだ。
 しかし、この魔術の機能の誤算は、一つの入力装置、つまり体温のみの視覚のみに敏感に反応する事で必要以上に意識してしまう事であった。
 そして、魔法使いは先程身体を動かしてきて、今はその巨躯から発せられる体温が異常なまでに高い状態だった。
 温められる事で凝固したような葛湯のように、それを魔法使いは生掴みにする。
 まさに取って食うには都合の良い状況だった。

「騒ぎを起こしたお陰で私の計画は大きく修正が必要になりました。死神はおろか他の機関や魔法使いにも覚られぬように長年辛苦を飲んできた、と言うのに……このド低脳が」

 通常はしないような、普通よりも固い瀬戸物が割れて砕けるような音と何か圧力の掛かったモノが内側から弾ける音が下水道に響く。

 魔法使いはおそらく今世紀でただ一人、科学の力のみで魔術へと至った男の頭脳を赤と灰色の液体へと変えた。
 そして間髪いれずにその反対の手が偉大な科学者の鳩尾を抉る。そして、拳よりもやや大きい、赤黒い心臓をゴムのように伸びた大動脈と大静脈を引き千切りながら取り出した。魔術師の心臓は生を貪るように拍動を繰り返す。
 黒い下水道管の一部が、深紅の丸い額縁の絵画へと弾けるように変わる。
 糸の切れたマリオネットが巨躯の手を離れた。粘液の汚泥が跳ねて魔術師だったモノの上半分を取り込んだ。
「なるほど。魂は汚れていましたが、霊気装甲に蝕まれていない分は存外に綺麗な血潮の色ではありませんか」
 魔法使いの男は弱まりながらも逝き惜しむかのように脈動を不規則に繰り返す心臓を胸辺りに掲げながら、両手だけを朱に染めて、法衣と同じ色の中へと馴染んでいく。
「残る【私の城】までは後四つ。私の予測が正しければ、新月までには数合わせできますね」
 魔法使いの声すら暗色に失せて、それでも残っていた骸も粘った下水が多数の恨みがましい亡者の群れのように飲み込みながら、押し流していった。

 そして、誰も居なくなった。


 Once upon a time, I am in you.
 You are still out of you.
 Lend me your ear. Ain't you againsting again?
 
 I am hear. Now immediately find and face with me.


21 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/16(日) 19:32:56 ID:o3teQDY3

焦熱(しょうねつ)

 悠久から私はココに。
 彼方は未だ己自身を背けている。
 耳を澄まして。彼方はまた戦いに行くのかしら?

 私はココ。さぁ、早く見つけて、私と立ち向かおう。


 七月二十三日

            −Side B−

 (からだ)が燃えている。
 全てを捨てて来て、それでも残り滓が燻っている。
 元の体温を思い出して、疼くように躯が呼吸と鼓動に似た燃焼を繰り返している。
 灼熱のようで、燃え残りのような、炎の織り成す呼吸と体熱の鼓動。
 燃えながら、そして、その燃え滓をボロボロと零しながら落ちていく。アノ感覚。
 俺は底まで永遠に堕ちている……





 目を覚ませば、天井に小さな、橙色の灯りが付いた和室に俺は寝かされていた。
 半自動的な霊気装甲の流動によって魔術師との戦いから体自体の調子は幾分か回復はしている。
 しかし、その流動に回復だけでなく丁寧に傷ついた脇腹と骨が肉から飛び出る開放骨折を起こしていた両腕にはきちんと骨が戻して包帯が巻かれて、昨日までは筋断裂によって酷い熱を持っていた頬などには湿布が貼ってあった。
 誰かによる丹念な治療が功を相したのか? 傷の具合はまったく戦闘に影響しないほどになっている。

 ……そうだ、在姫は何処だ?

 俺は布団を跳ね除けて立ち上がると、襖を開ける。
 急激な光が俺を駆け抜けて、同時に俺の眼が素早く対応する。
 そこには、日差しの具合から昼頃、その暑苦しい中で、扇風機にあたりながら食卓で極めて平和的にくつろいでいる湯呑みを持った在姫と常寵が居た。
「遅い、もう何時だと思っているの?」
 湯飲みから匂い立つ緑茶を啜って和み、目を細くして見つめながら在姫は俺を嗜めた。
「……すまん、寝過ごした。俺の失態だ、すまない」
 まったく、俺はどうした事だろう? 護衛対象を放置するとは特捜室官失格ではないだろうか?
 もし、この間に残った魔術師が総じてやって来たときには彼女を守る事なんて出来ない。
 幾度も失敗を繰り返すのだろうか? 失敗を忘れ、それを繰り返すのは懲り懲りだと言うのに、なんて俺は馬鹿なんだ。
「い、いや、別にそんな欝っぽい顔で素直に謝られても……」
 昨日はアレだけ頑張ったんだし、別に良いわよ、などとブツブツと在姫は顔を背けながら小さく言い放った。
 いつもは俺の上司でも軽く出来ない俺の心境を、たったそれだけの言葉で魔法のように胸を少しだけ撫で下ろさせる。俺はそれを微妙に不思議に思いながら、在姫の対面に座る。
 在姫は横に据え置いたポットから自分の分の新しいお茶と俺の分を入れ始めた。
「ふふっ、想像以上に二人とも仲がよろしいのだね」
「別に、普通よ」
 在姫はやたら不機嫌な表情で返した。何故そこで怒るか? それが現代の乙女の作法とやらなのだろうか?
 そしてその表情を導いた、何故か家長が座る、もしくはお誕生日席と呼ばれる位置にやたら堂々と座る常寵を俺は見つめてしまった。
「在姫。ところで何故、彼女はココにいるのだ?」
 在姫は熱過ぎた緑茶に息を吹きかけながら上目遣いに応対する。
「あぁ、昨日あんたが倒れてから季堂タワーの反対側で何が遇ったのか言っていなかったよね」
 そして、彼女は順序良く語り始めた。

 魔術師の改造獣人による空前の無差別殺戮劇を寸前に召喚魔法で止めた事。
 その魔術師には負傷したはずの、戦闘不能だったはずの亡霊騎士が護衛で付いていた事。
 それを死神が止めたが、逆に討たれて死に掛けてしまった事。
 その間に常寵と魔術師が戦った事。
 そして、俺が駆けつけて倒れた事。
 そこから上手く逃げ出した事。
 新たな魔術師との出会い。
 そして、俺の戦った魔術師にして、常寵の兄が同盟から離反した事。

「つまり、常寵。君は殺戮寸劇に参加しようとした魔術師の親類、と言う事になるのだな?」
 俺は話しの途中で、その眼鏡の奥に隠された金色の魔眼を射抜くように俺は視線を向けた。
「そうだ。……やはり、君は私を疑っているようだね」
 淡々と俺の睨みを外して語る常寵の反応を見ると、在姫はテーブルに両手を叩きつけて、
「ジョウチョーを疑うなんてどう言うことよッ!」
 と俺に啖呵を切った。お茶が零れてるぞ。
 まったく、この未熟者は何処まで暢気なのだ?
「当然だ。昨日今日で在姫に魔術師の関係者がいるのだ。間諜(スパイ)か何かだと思わない方がおかしいだろ」
 俺の核心を突いた物言いに閉口して、それでも在姫は「ジョウチョーが、……そんなはずがない」と言い訳がましく言い放つ。
「そこまで私を信じてくれるのも嬉しいが、彼の言う通り君も少しは私を疑って欲しいものだ。君はあらゆる意味で潔癖過ぎるのではないかな? 無論、私も疑われたら反論はさせてもらうがな」
 自信タップリに口元を歪めて常寵は湯呑みを啜り、そして反撃の狼煙を挙げた。
「さて根拠として、たかだか魔眼が使える程度の人間が【地獄使い(ジャックインザボックス)】の居るところに行く愚行をするはずが無い。そして、もし私が本当に在姫を狙うのであれば魔眼と言う切り札を見せる事は無いはずだ。切り札は最後の最後、敵の油断と隙を見せる直前までは取って置く物。まぁ、この状況ですらを演技と言うのであれば魔法でも何でも使って自白なり何なりさせると良い。それでも私がこうして余裕で居られるのは詰まる所、私は在姫側、『シロ(味方)』だと言う自信がある、と言う事に他ならない。以上だ」
 澱み無く言い切り、光の加減で眼鏡を光らせる少女。余裕ぶった態度が妖しさと清廉さを半分半分に醸し出す。俺と言う存在からしてそこにノコノコと出てくるのも珍しいと考えると、演技である可能性を考えて今はシロに限りなく近い灰色。敵味方不明と言う立ち位置に彼女を相関図の片隅に置いておいた。
「納得はいかないが、その言葉は考慮に置いておこう」
「物分りが良くて助かる」
 と、そんな会話を進める中で一人、首を傾げて躓いている未熟者がいた。
「あのさ……、じゃっきんだぼっくすって、何?」
 君は……本当に魔女なのか?
「その名は俺の二つ名、いわゆる仇名のようなモノだ。東西問わずに魔女から異常なまでに恐れられているはずだが、それを君は知らなかったのか?」
 あまりの知識面の薄弱さに俺は目を細めると、
「いや、意味は覚えているはずなんだけど、(もや)が掛かったみたいに上手く思い出せないのよね?」
 何でだろう? と不思議そうに再び短い首を傾げていた。
 それはこっちが聞きたいくらいだ。
「ところで、先程の話題で死神が出てきたが、彼はどうなったんだ?」
 在姫の指先が二階を指し示した。
「和室に国定が居たから私の部屋のベッドで一緒に寝かしたの」
「俺と違って随分待遇が良いのだな」
 ……ちょっと、待て。
「『私のベッドで一緒に寝かした』だと?」
「そうだけど? 何か問題が?」
 俺は恥ずかしげなく、小首を傾げて言い返す在姫に、逆に目を白黒させながら言い返す。
「だ、だから、君は死神と一緒に寝たのか?!」
「そうよ。霊気装甲が怪我で急激に低下していたから『一緒にくっ付きながら』寝て、直接身体を通して魔力で代わりに回復させてあげたの。言わば湿ったスポンジを乾いたスポンジにくっ付けて湿らせるような感じ? とにかく緊急手段なのだから仕方ないじゃない」
 大胆な事をした割にシレッとした物言いは脳を直接棍棒で強かに叩かれたような衝撃にも近く、俺は緑茶を一気に飲み干して湯飲みを静かに置く。
 そして、そのまま食卓に頭から倒れこんだ。その直前にしたり顔をした常寵の顔が見えたがどうでも良いものだ。
 しかしなんて事だ! 嫁入り前の婦女子が『見知らぬ者』と一夜を共にするなど、道徳が狂ってしまっている。まるであの頃の貴族達と変わらないでは無いか?! いや、自ら進んでやる分に彼らよりも問題だ!
 守る対象が、穢れてしまった……
「ど、どうしたの? ね、ね、国定」
 近代道徳観の破壊していた魔女があたふたと驚いているが、俺には毛ほども同調しえない。それほどまでに、打ちのめされた。
 君はもっと貞淑な人間だと思っていたのだが、失望した。
 あの包帯のざらざらした感触に特殊な感性が働いたのだろうか?
 何を持ってしてそんな下品な事が起きたのだろう?



                「一体、何事ですか?」



 男性っぽい女性の声が真上から響いた。俺は面を上げて見てみるとそこには見知らぬ女がいた。
 一重の少し垂れ眼気味の瞳に長い睫毛、紅を差したようにやたら厚く艶っぽい唇が日の光を浴びた事の無いような肌にボンヤリと浮いている。
 階段から降りてくる女性は黒い『半纏』を素肌の上に何も着ずにただ羽織っている。ヒラヒラと揺れる隙間からは在姫は論外として、発育の目覚しい女子高生の常寵ですら圧倒する体の凹凸具合が垣間見え、男性として目を釘付けにしてしまう光景は絶句と言う表現に相応しい。とりあえず、下は茶色のズボンを穿いているようだ。黒く、艶やかな髪は食卓に座る髪美人の二人に負けず劣らずの色合いで、その髪は二人よりは些か短く、肩より少し長いくらいまでで止まっていた。倦怠感の漂う妖艶な美女と言った感じだろう。
 とそこまで、あくまで人物の観察をしていると途端に額に打撃。額から衝撃を生じさせた物体が食卓に落ちる直前に受け取る。その猫柄の湯飲みは明らかに在姫のモノで、何をするのんだ、と問い質す前にその嫉妬に酷似した視線に口先から出る俺の言葉を止めさせられた。
「……えっち、どこ見てるのよ」
「これくらいの反応は正常な誤差の範囲内だぞ、在姫」
 嗜める常寵の意見、いや異見など露知らずに在姫は眉を潜めた視線を向けてくる。
 幸い、相手の女性は俺が僅かに向けた不躾な視線には構ってはいないようだ。
 ここまで勝手に暴走されると既に埒すらあかないので、ちょうど階段を降りきった女性に言葉を向けた。
「国連特捜室下の魔人、国定 錬仁と申す者。貴女の所属と名前を聞こうか?」
 彼女は無造作に、半纏の中に手を入れる。かなり危ういところまでギリギリ見えるほど開くと、半纏の内側のポケットから小さな免許書のようなモノを見せた。
「日本国冥府 死神公社 本社 死霊課 課長 若原 曲、と申します」




 …………何?
「黒い半纏……、死神?」
「だからそうだ、って言ってるじゃん。気付かなかったの?」
 在姫の言っている事はご尤もだが、
「昨日のように包帯を体中にグルグルギチギチに巻いて、まさか女性だと気付くはずも無いだろう!」
 その言い方に些か怒りでも覚えたのか? 在姫はその小躯をいっぱいに伸ばして俺に指を差し向ける。未熟者、俺にフィンの一撃を食らわせるつもりか。
「何それ、あぁ――――! もしかして、さっきしどろみどろになっていたのって私が、『男』の死神と一緒に寝ているって思ったでしょ?! こっんの不潔! そんなふしだらで猥褻かつ淫逸な繁殖未然行為を誰構わずするはずないでしょ!?」
 そう言われても男装を見抜けるほど、残念ながら俺は観察力のある人間ではない。
「女性と想像するのに(かた)かったのだ!」
「硬いのはあんたの頭の中身でしょ?! 何処をどう考えればそんな風になるのよ?!」
「それは『かたい』違いだ。この似非日本人が母国語をもっと勉強しろ」
「あの……、お二人方、高々私の事で喧嘩はしないで頂きたいのですが」
 昨日の僅かに垣間見た高圧的な印象とは思えない、肩を僅かに竦めてしょぼくれた死神の言い方に二人で思わず口を閉じる。加えて何時の間にか二人とも同時に立ち上がった状態からもう一度睨みあって、同時に席に付き直した。
 在姫は俺の方を納得のいかないように睨みながらも、丁寧な手つきでお茶を入れる。しっかり手元を見ろ、零れるぞ。
 急須から一度も茶葉を変えていないのは在姫の貧乏性だ。白湯になるまで使い切るに違いない。そこまで頑なで無駄な信念で、どっちが頭の硬い人間だか。
 そこまでで思考を区切る。
 死神は常寵の対面である一番下座に席を付き、俺は背筋を直して改めた。
「この度の件は特捜室の独断専行による越権行為と魔女協会サバト、三重遥(みえはる)派からの突然の要請に寄るもの。本来なら然るべき外交手続き後に【合同葬査】を行なうものでしたが、差し迫った事態故に甚だ申し訳ないと存じ上げます。今更と言った形ですが、死神公社としての意見を上司である貴女の立場からお聞かせ願えないでしょうか?」
 美しい死神は若干俯き加減で、こちらを前髪の毛の間から覗くように見ている。その様子がまるでこちらが叱っているようにも見えなくもない。
「公社本部の朱月 永女(あかつき ながめ)副総監はいつものように激怒しながらも、特捜室の、彼方の上司に当たる方との直接交渉で、現場の死神公社 神南支部との共闘を条件に今回の件を水に流していただくようです。今回、私は季堂のとある方に個人的な用事があって訪問しただけで私自身はその事情に聡いワケではありません。あくまで中間管理職者として情報を軽く通して貰っただけですので、この程度の情報しか知りません」
 なるほど、彼女はたまたま巻き込まれただけで、この事件とは関わりは無かったのか。
「ですが、私は結局関わってしまいました。公社の一定の規定で、非常勤であっても、少しでも関わった事件には例え労災無しのタダ働きでも管轄に協力しなくはなりません。それに……、これほどの多大な被害を出したままだとおそらく神南町の交通三課辺りに飛ばされるのも時間の問題でしょう。人にも、奇堂のおじ様にもご迷惑を掛けてしまいました」
 昨日と打って変わって、自信の無さが面に出ている女性に慙愧の思いを重ねてしまう。それもこれも、早目に魔術師達と亡霊騎士を仕留めなかった俺の責任とも言える。
「すまない。特捜室の一員として、今回の件を私的に迷惑を掛けた一個人である貴女に謝罪したい」
 彼女は長い睫毛を揺らし、「そんなに自分を責めないでください」と弁明の言葉を返してきた。
 何故か、見詰め合う形となってしまう。昨日の包帯越しには分からなかったが、綺麗な、深い瞳をしていた。
「……さて、在姫。かなり面白い状況だが、どうするかな?」
「知らない」
 お子様は一人だけ話に見ざる聞かざる言わざるの態度で緑茶を啜りながら、どこから取り出したのか少女漫画を開いていた。まったく、未熟者め。
「私たち公社側の情報網では敵の正体もまったくとして判然としません。唯一分かったのは敵に魔法使いの指導者と亡霊騎士が憑いていると言う事だけです」
「それは情報不足は当然でしょう。敵は海外から渡ってきているために海外の部署との兼ね合いが悪いと聞く公社では、島国である大和(やまと)の外から情報を仕入れるのは難しい事でしょうね」
 国内の情報と言えど死神公社はあくまで対魔機関。諜報機関とは違い、善悪問わずに各組織から柔軟に情報を仕入れて、さらに偽情報を流して内外から戦力を操作、相殺などと対応する、と言うのは特捜室と違って困難なはずだ。死神公社はあくまで妖魔人外による犯罪への対応力であって、事前抑止力、事件を未然に止める力になる訳ではない。犯罪が起こってから動き出す為に常に後手将棋をやるようなものだ。
 しかし、それでは情報戦と言う手段を無しに先手を打つにはどうするべきか? つまる所、地道な情報収集により相手より上手に立つしか方法は無い。
 さて、気は進まないが、手持ちから足りない情報を室長から聞き直すか。
「在姫、電話を借りるぞ」
 魔女は未だ少女漫画を睨むようにして見ながら、顔を合わせずに「好きにして」とのたまった。そろそろ大人になれ。
 千年生きた中で近年普及しているパソコンとインターネット並に使うのは電話である。特捜室としては次世代を担う汎用精神通信網を開発しているらしいが、まだまだ工作員の強行使用に耐えられるほどでは無いらしい。よって特捜室では独自の静止軌道衛星から電波送受信をする衛星携帯電話を支給されている。だが、どうも最初の騎士との闘いでその電話を落としたようだ。また経費で機体の代金が落ちる事を願いながら、受信者支払通話(コレクトコール)サービスに取り次ぐ。そして、オーストラリアの上級工作員のみが知りうる特捜室室長室への緊急用回線を開いた。本来はあのいけ好かない男から協力を仰ぎたくはないが、どうも差し迫った状況のようだから仕方ない。おそらく、電話番号への自動追尾機能で在姫の家から電話を掛けている事は覚られるはずだ。よって、その機能に連動した自動識別機能で滞り無く俺の上司、椋 緑牢(むく ろくろう)室長と電話が繋がる。
「室長、俺だ。国定だ」
[Hello, my friend. どうやら色々と梃子摺っているようだね。流石の魔人でも、また例の症状で、霊気装甲不足で縮んでは仕事がやりにくいかな?]
 まるで今までの事を見たように言うこの男は魔法使いだ。が、その技量は三流どころか地を這う勢いで、それに反比例して諜報能力と作戦指揮の絶妙に優れた出来る上司の鏡と国連の各機関で言われる。それでも人間としては一番最低の男である。
 おそらく自前の特捜室の最新の科学技術と最先端の錬金術の粋で組まれた偵察衛星で映像から密かに俺の仕事の様子でも確認しているに違いない。公私問わずしてあらゆる情報は『機関の内外の人、人外問わずに』この男に捕捉されているはずだ。俺を含めて、この男からしてみれば大抵の人と人外には私生活など有ってないようなものだ。
「そこまで分かっているなら再度情報交換をしたい。任務中の事故で幾つかの記憶に欠損が見られる」
[おやおやそれは大変だね。病院に行って注射でも脳に打ち込んでもらったらどうかな。まぁ、君は嫌いだったかな? それはどうでもいいか、ところで護衛対象の自宅から掛けているようだけど、情報漏洩諸々の危険性は無いかな?]
「それ以前に貴様は漏洩しても組織が痛く無い情報しか俺にすら渡さないだろうが」
[当然だよ。それが僕の危機管理と言うモノ。全体を把握するのが僕だけで、その僕自身が部屋から出なければまったく持って情報は機密性と蓋然性を保たれるのさ]
「俺にはただの引篭りと底意地の悪さにしか思えないがな。で、情報の再確認を願おうか」
[あぁ、ちょっと待ってくれ。うーんあのメモは何処に……、あぁ、有った有った]
 脳裏には特捜室の電子情報化が進む中で、覚書を記した紙のみのお箱庭を形成している室長部屋は特捜室の全体の情報改革に逆走を図った様相だろうと思い出された。あのアナログ人間め。俺ですら五年前から電子機器の使用を必死こいて覚えたのだから何とかして貰いたいものだ。おかげで長年の紙埃であの部屋にはあまり立ち入りたくはない。
[アイオーンについてのメモが十二項目まで全部、じゃなかった、これとこれを含めて十四項目全部あるけどどれが知りたい?]
「全てだ」
[切羽詰っているね。じゃあ、今から暗号化した音声データで君の脳内に直接ダウンロードするから受け取って]
「了解」
 受話器越しにキーボードを叩いて情報を直接入力する音。それと同時に受話器から不協和音に似た音の塊が零と一のデジタル情報として流素で生成された義体の耳小骨を通して、俺の脳内へと直接情報を送り入れられる。無論、こんな事が出来るのは魔人である自分くらいだろう。


 魔術師能力。既知の背後関係。亡霊騎士戦力。魔術師の履歴。統率者情報、現段階での『A計画』詳細……


「情報受信完了。まったく負傷によって記憶破損があるとは初めての経験だ」
[あまり聞かない事例と症例だね。特研のエヴァちゃんに魔人体組織や生体反応でそんな現象が起きるのか調査しておこう]
「あぁ、頼む。ところで死神公社との連携は? 正式な交渉はしたのだろ?」
[勿論ね。ただ、あ〜んな漫画でしか見ないような押しの強い婆さんに会った事ないよ。TV会議なのに画面越しに雷が落ちるかと思って冷や冷やしたね、クワバラクワバラ]
「朱月副総監は火龍系の龍人だから、怒りを表すなら落雷より火山爆発の方が適切ではないか?」
[どっちでもいいよ。まぁ、早く仕事終わらせて帰ってきてくれ]
 早く、終わらせる……か。残り戦闘で、俺の霊気装甲が持つか、持たないか……。
 ダンマリする俺に室長が続ける。
[これは……、命令だからね。命令無視して勝手に敵と刺し違えたりしたりなんてしちゃダメだよ。君は特捜室の貴重戦力で僕の所有物なんだからね。まともに戦えるのが魔人だけ、ってのも国連の組織としてはしょぼ過ぎるとは思うけどね。あそこに戻ったら『これまでの二の舞』だよ。はぁ……、『アノ計画』が成功していればなぁ]
「エヴァさんを責めるな。あの人は努力をしていたのだろ?」
[簡単に言うけどね。うちは研究機関じゃなくて諜報組織なんだから、努力をしても結果を出さないと意味が無いの。そんな姿になって思考まで子供に戻ったのかな?]
「理解はしている。だが、現状でエヴァさんを言葉で貶める理由にはならないはずだ」
[まぁね。彼女も最近は開発部長として失地挽回しているみたいだし、上司としては責める理由は何も無いけどね]
「だったら何故責める?」
[ただの愚痴だよ。現段階ではこの『最重要案件』の不安要素は解決されていないからね。イライラするさ。『尻尾(魔術師)』よりも危険なのは、『(魔法使い)』の方だ。『魔法使いの例の計画』が匿名の情報の通りなら世界規模で……]
 例の計画、その言葉が『何かの呪文(キーワード)』であるかのように、突然電話の音が紙を丸めたかのように割れて歪みだす。まさか、魔術師達はこの辺り一体の電子情報関係まで把握しているのか?!
[特定の波、帯に……電、ぱ攻撃……、以、降の特、そぅ室のバッく、アッぷ……皆無ぽ……任、務の遂、行を……続、こぉ]
「了解した。後は任せろ」
 皆まで言わせずに俺は受話器を下ろした。
 ――厄介な事になったな。
「どうかしたのか?」
 常寵が聞き質すが、この怪しい女の子を信じるには俺の中で至らず、「別に」と素っ気無く返した。
「ところで、二人とも学業の方はどうした?」
 二人は高校の二時限目の始まる時間にも関わらず、暢気に緑茶をしばいている。
「昨日の事件、死神と師父が事件を目撃した人への記憶操作と治療とか器物の修繕とかの隠蔽工作はある程度したみたいけど、ちょっぴり、『無関係者』に漏れたみたいでね。と言うわけで、公社を通して学校とかで戒厳令みたいのを敷いて、ほら、例の二人組テロリストの時みたいに人も人外も満足に外に出れないような厳戒態勢、って訳。つまり、今日からもう夏休みなの。このままの勢いで先生達も宿題を全部忘れてくれたらいいね」
「その事についてだが、先日、兄から私の携帯に連絡が有ってな。私の自宅にFAXの受信が有ったらしい。毒島教諭からの宿題範囲通知だそうだ」
「……うちにはFAXがついてないって事で最後まで押し通そうかな」
「そんな事をしたら休み明けにはここぞとばかりに追求されるぞ」
「あぁー、もっと愛されるキャラになりたいわ、私」
 在姫は食卓に力無く倒れる。死神の曲さんはこの学生をどう受け止めていいのか? そう判断しかねているのか、無表情の顔で微妙に慌てている。その証拠に意味も無く勝ち誇った顔をした常寵と食卓に接吻をしている在姫を忙しそうに見比べている。……意外に良い人なのかも知れない。
「ところで」
 立ち上がった常寵は空の湯呑みを洗い場の水桶に付けながら、こちらに問い掛けた。
「今の在姫の口から出た二人組テロリストとは一体何なのだ? 無政府主義でも気取った低脳集団か? それとも例の北朝せ」
「残念ながら、違います」
 その問いに遮るように答えたのはやはり、と言うか、死神である曲さんだった。
「百年以上前、三人の『人』が死神公社に襲撃を掛けていました。彼らは人でありながら破格の、十五禁名にも等しい霊気装甲と特殊能力で公社に致命的な痛手を与えてきていました。その彼らの名が兄、偶院 刹那(グウイン セツナ)と弟、偶院 永久(グウイン エイキュウ)、妹、偶院 未来(グウイン ミライ)。彼らの内、弟の永久は偶然にも、副総監の曾孫まで殺す暴挙に出て冥府全体に悲しみを与えたのです。六年程前、ラスヴェガスからロシアまで逃亡した未来を現地の機関と協力で封じ、そして今年の初めに中華人民崇神会の、とある要人を拉致しようとしていた二人を拘束し、封じました。……忌まわしい事件でした。私の友人もそこで負傷をしたりと、まぁ散々な事がありました。嫌な事件です、はい」
 死神に逆らうと言う意味で、【逆神(ぎゃくしん)】と自らを呼んでいた彼らは特捜室でも監視をしていた。無論、その気になれば『俺』と言う手段で彼らを拘束する事も出来た。だが、彼らが過去に失われた十五禁名、偶院の名で近江影との魔王大戦の戦線に加わっていた事。そしてその内一人が、たった一人で、十五禁名の三眷属を相手にしていた、近江影七人衆の一人だった【魔人】である『彼』に止めをさした事。その二つの事実が魔人である俺と彼らとの交戦を室長直々の命によって禁止する理由だった。
 今の状態でも、おそらく吸血鬼達の、例の西欧攻性機関をまるごと相手に出来るだけの実力を俺は持っていると思われる。しかし、それでもあの室長は却下したと言う事は、彼らには魔人を即死させるだけの何かがあると言う事なのだろう。どちらにしろ、現在は公社に彼らは拘束されている以上は公社側に分がある上に、現在の敵とはまったく関係は無い。つまりは脳内シミュレーションの無駄と言うものだ。
「なるほど、あの頃に妙なところで道路工事で封鎖などがあったアレがそうだったのか」
「あら、ジョウチョーってば鋭いんだね、ビンゴ。焼き物は備後」
「その冗句はもう少し捻りを入れた方が良いように思えるな」
「んじゃ、白猫のタンゴは?」
「彼は現在ではむさ苦しいおっさんだから少年少女の夢を壊すべきではないだろう」
 まったく訳の分からない会話を繰り返しているが、どうでも良いだろう。
「ところで朝食は何を食べたい?」
 そう聞いた俺に髪の毛の生え際から一本、はみ出た毛を揺らしながら在姫は一歩先に台所に向かった。
 疑問に思いながら俺も立ちかけたところで、
「あっ、国定は座ってていいよ。まだ昨日の今日でしょ。私が作るから休んでて」
「わ、私も戴いてよろしいのですか?」
「勿論ですよ、曲さん」
「ふむ、私も手伝おうか?」
「ジョウチョーもお願いだから座ってて」
「大丈夫だ。この間の調理実習の時のようにバックドラフトを起こしたり、鶏を蘇生させたりはしない」
 およそ料理とは無縁な不吉な言葉がもたらされたが、在姫が黒糖味のカリントウを常寵に与えて収まる所に収まった。
 では在姫の待つとしよう。それまでの間は、まぁ、色々と情報を集めるかな。
「ところで常寵、君はどうやって、初めて在姫と出会ったんだ?」
 常寵は不満そうにカリントウを咥えていたが、記憶を反芻させるように心持ち上目使いとなる。
「そうだな……、この通り、私の【眼】は魂の色を観る事が出来る。『異を持つ者は異を引き寄せる』。いわゆる『因力(いんりょく)』とか、『縁』とかそう言ったものが私に有った。スタンド使いみたいなものだ。正式な言い方は『輪廻外』だったか? 知らないか? まぁ、故に昔から様々な事件に巻き込まれてきた。だから私は『誰』とも一切関わり合いを持つ気が無かったんだ。坤高校の噂は、いや、政霊都市の噂である『異形の集まる』と言う秘密のようなモノはある程度は知っていた。兄がそれを聞いて普通の街から『ココ』に移り住む事にしたんだ。私に『異を持つ者でもいいから』友達が出来るように、とな。内心『なんて余計なことを』と思った。私の引き寄せるモノで人に迷惑を被るのが嫌だったのだ」
 その瞳に映ったのは慙愧の思い。迷惑だけでは言い尽くせないような、それは『喪失』。
「だから今年の入学式の時、私は『拒絶の仮面』を被った」
 想像に難くない。彼女の冷徹な視線で、まるで出エジプト記のモーセであるかように人波が音を立てて割れていく。整然と、常寵は颯爽と、その人垣で出来た道を通っていって、
「そこで、」
 彼女に会った。
「在姫に会った」
 割れた人波のど真ん中でただ一人だけ、腰に手を当てまるで小さい子供が背伸びをするように、それでもただ一人何かに逆らうかのように在姫は立ちはだかっていた。
「そこで彼女はなんと言ったと思う? 『この身長だから人に巻き込まれて大変だったのよ、じゃ、先導してくれない? 私の名前は九貫 在姫。貴女は?』。そして、手をムリヤリ掴んで握手」
 仕草は子供のようで、態度は怖れを知らぬような魔女の風格。瞳は何よりも意志が強く、気高く。例えるなら大胆不敵。
 彼女は生まれながらに自然と荒野に目立つ、宝石のような輝きと強さを持っているからだ。
「思わず『仮面』を取り落としたわけさ」
 クツクツと思い出して笑う常寵は本当に楽しそうである。どうでも良いが握手のときに別に俺の手を使う必要性は見受けられない。
 とにかく、彼女は出会えたのだ。条件や馴れ初めや、当人の思惑は何にしろ、最高の友に。
 料理を製作中の本人は集中しているようで一切こちらに顔を向けない。しかし、チラリと見えた横顔が心なしか、恥ずかしがっているかのように赤かったが、突っ込んでも玉葱を切っている包丁を顔面に向かって投げられるだけなので止めておこう。


22 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/16(日) 19:34:13 ID:o3teQDY3

焦熱2

「五目御飯に冷シャブサラダ、ワカメの酢の物お待ちぃ」
「「「おぉ」」」
 俺は常寵と、死神で声を挙げて思わず驚嘆した。
 色合いから見受けられる味の濃淡、配膳と量の配分まできっちり終わらされ、ついでに洗い物も済ましてある。
「すごく、おいしそうです」
 死神さんの口から涎が垂れている。
「ふふん、魔女ですから」
「安易に魔女の名を引き合いに出すと質が落ちるぞ」
 俺の皮肉に子供のような膨れっ面を見せる。
「食・べ・た・く・な・い・の?」
「戴きます」
 両手を付いて、俺は礼を済ますとやや先駆けするように食べ始めた。
 その様子に死神の曲さんは呆気に取られつつ、常寵はクツクツと何かを噛み殺すように笑いながら膳を取った。

 ちなみに在姫の料理の評価は、無理にケチつけようと思えば言える程度の、おおむね合格の、言わば美味いと言える腕前だった。あぁ、残念。

「で、今後の予定だが、何か提案はあるだろうか?」
 本日始まって二杯の出涸らしの緑茶(曲さんは猫舌なので冷たい麦茶)を飲みながら、今後の対策を練る事とした。
「私は」
 緑茶の熱さを絶叫して以来、終始無言だった曲さんの口が開かれた。
「公社に、あくまでも護衛と葬査の一任をして、特捜室に撤退してほしい、と思っています」
 俯きながらも視線を逸らし、口を一文字に結んでから、への字を作り、そこから僅かに歪ませた。
「死神では一度関わった仕事には『最期』までやり遂げる、気風のようなものがあります。だけど私は……、実戦の肉弾戦ではまるで役に立ちません。私の所属する派閥である若原は最も武闘派で、それを鳴り物にしている分家でした。私はその家系でも底辺。下手すれば、そこらの巡査クラスの一級死神に負けるかも知れません。課長とは肩書き上では名乗っていますが、私は……。その資格などまるで無いほど、――弱い死神です。私は無力でしたが、それでも、死神として職務を全うしたいのです」
 ポタリと閉め切ったはずの水場の蛇口から、水滴。滴って、皿をくべた水桶から溢れる。
「無力だなんて言うな」
 俺はその言葉が自然と口について出た。
 そうだ、誰であろうと、小さな力は持っている。そうでないと悲しすぎる。
「曲さんは、曲さんのやれる事をやればいいじゃないか。俺は曲さんがキチンと仕事を果たせるように手伝うよ。それが『若原 曲のお仕事』じゃないか?」
 それしか出来ないほど、人間は不器用で、目の前しか見れなくて、……傷つく。
「弱い強いなんて事は関係無い。何かをしなくちゃいけない時に出来るか、出来ないか。それだけだ。曲さんは俺が来るまでに在姫をしっかり守っていてくれたじゃないか?」
 例え、それが出来なくても、それには意味が無いと空しい……。
「じゃあ、つまるところ公社と特捜室が正式に手を組めば万事OKじゃない?」
「…………」
「在姫、それが出来ないから曲さん達率いる死神の方々は苦労しているのではないかな?」
「ジョウチョー、それを出来るようにするの。現場の状況を理解出来ない上司なんていらないって。まぁ、ぶっちゃけ私もちょっと状況に混乱しているけど、その辺りを踏まえて報告すれば考慮してくれるんじゃない? どうよ? 国定もそうするんでしょ?」
「……ではその報告の前に、在姫の小さな頭脳が混乱してきたからそれぞれの戦力解析と情報分析をしようか」
 両肘を食卓について、手の上に顎を乗せる常寵の眼鏡が光った。君は凄く司令官らしいね。

 自他ともに認める(自らの比率三割り増し)一流の魔女候補である九貫 在姫の心臓を狙った魔術師結社『アイオーン』。そして、それを護衛するのは彼らから不穏な空気を予感し、調査し、確信した室長の命を受けた千年級の魔人である国定 錬仁、つまり俺だ。
 対抗するのは六百年級の亡霊騎士、ガーブリエル・オギュースト。現在は俺の致命的な一撃を二度も受けて離脱中。
 例の結社では六人中二人、摩壁 六騎、保隅 流水の両名は迎撃し、在姫の師匠の双珂院 生羅からの連絡によると彼の城で現在【拘束】されているらしい。
 また、魔眼使いである斐川 常寵の兄、斐川 荻は魔術師であり、彼自身は彼の恋人らしい人物に誘われて同盟を組み、現在は妹を想って同盟から離反中。無論、誰が裏切るか分からない状況下で常寵ですら本当に味方になのか、そもそも兄の命で最初から在姫に取り入っているのではないのかと、失礼ながら疑問に思う。
 未見の敵として存在するのは『斜 蘭』、『女性魔術師 セツカ』、『鞍路 慈恵』。そして、彼らを纏め上げた元魔術師の魔法使い『脱皮者』。
 そして、保隅との戦いで偶々戦闘に巻き込まれ、あえなく負傷した死神の若原 曲さん(女性)。

「と、いう感じかな?」
「あ、後は曲さんが業務連絡で聞いたって言う、魔術師殺しのプロの二人組は?」
「どうも直接的に関わっている要素とは考えづらい。ここまで事態が発展して私達に関わって来ていないのだから、この際は俺達とは無視した形で考えた方がいいな」
 何より、もしこれを物語にして外で見ている人がいたら、登場人物がただでさえ多いのだ。混乱する要素は出来るだけ省くべきだろう。
「とりあえず、当面の敵は亡霊騎士に、斜 蘭、セツカ、鞍路 慈恵だっけ?」
「在姫さん、黒幕である脱皮者の存在を忘れてはいけません。彼を取り逃がせば、同じことは再び起こるでしょう?」
 曲さんが食卓に乗り出して力の篭った宣言をする。
 室長辺りならあえて逃して裏から手を回して知らない内に操る形にするぐらいはやりそうだ。が、俺にはそこまで考える案もやり方も思いは浮かばない。それに珍しく室長が「奴を必ず殺せ」と言っていたので遠慮なくそうさせてもらう。
「では、今後の対応について何か意見のある者は?」
「夏休みにも半ば強引になったし、私の屋敷に死神のバックアップを入れて引き篭もると言うか立て篭もるって言うのは?」
「それが一番安全だな。だが、ある程度は積極的に打つ手を考えないと季堂ツィンタワーでの件もある。君を誘き出す強硬手段に訴える可能性も捨てきれないがな」
 君が、在姫が一般人への被害を度外視出来るなら別だが。
「じゃ、じゃあ! 何処に居るとも知れない敵と戦うために徘徊やら探索をするとでも言うの?」
 一般人の被害などは毛ほども考えていない。むしろ、目撃すらされずに討つ。そんな考えなのだろうか? 未熟者め、そんな事が通用するか。
 ふと、何かに思いついたように緑茶を飲もうとして在姫は目を向け直し、常寵の目をじっと見る。
「私の眼、千里眼の能力で見つけようと言うのか? なるほど、確かに『見つける』『見分ける』事に関しては私の眼ほど都合の良いモノはないな」
「別に、私はジョウチョーを道具みたいに見ているつもりなんて……」
「いや、私をあてにしてくれた事にむしろ感謝しているくらいだ。だが、私の眼は一日三分、いや一分持てば良い方だ。充電のようなモノが必要で、それに使った後は極端に視力も視野も色彩感覚すらも失う。探索だけにあてるのには時間制限が不利だ。それに私は正面からの殴り合いの方が性に合う。光の国の使者以下の活動時間だな、うん」
 騎士は無理にしろ、作動原理が不明である事が強みであり、それを隠す事が勝利である事が多い魔術師に絶大な優位を誇る魔眼使いの常寵を探索にあてるのは勿体無さ過ぎる。だからと言って敵方と通じている可能性を捨て切れない俺はどうしても俺が探索をして、在姫を常寵が守るとは選択できない。死神が居るとは言え、目の前の魔女を半年も一般人として誤魔化してきた女だ。信用が何よりも置けない。それに俺の代わりになりそうな死神さんも結構騙されやすそうな顔もしているしな。
「あの、何か?」
 じっと俺が曲さんを見つめていると、熱風の中で必死こいて回っている扇風機だけでは涼み足りないのか? 何故か顔を赤らめて逸らしながら、長い睫毛を瞬かせて視線だけこちらを見返した。
「で、結局どうすんのよ?」
 在姫は明らかにイラただしいと短い足を突然組んで、踏ん反りかえりながら座りなおしている。一体何がしたいんだ君は?
「敵の動向が分かるまでは暫く待機を」
 しよう、と言う直前。ワレキューレの行進が何処からとも無く携帯電話の着信音として流れてくる。
「誰だ?」
「私は持ってないよ、お金無いし」
「無線なら持っていますが……?」
「私だ」
 それぞれのズレた発言を構う事無く、常寵が昨日からそのままである制服のポケットから携帯を取り出した。二つ折の携帯の背面の常時表示画面を見て着信相手を確認すると、
「……荻お兄様?」
 いきなり背景が桃色で薔薇とかの花に変わりそうな常寵の声色のおかげでで、在姫は緑茶を噴きかけていた。……初めて聞くが、破壊力は抜群だ。しかし、このタイミングで兄からとは? どういうことだ?
 俺の疑惑の視線には眼もくれず「いや、困っ、どうしよう」と片方の拳を口元に当てて、顔を赤らめていわゆる在姫のよく閲覧している日本の漫画で言うところの乙女状態を満喫している常寵。ちょっとばかり普段との差が大き過ぎる。二回ほど落ちた事のあるナイアガラの滝ぐらいの落差はある。
「いいから早く出なよ。お兄さん困るよ?」
 呆れたように息を吐く在姫に軽く同意。
「あぁ、でも、こ、心の準備が」
 今更、何を言っているのか、この娘は。
「……とりあえず、掌にレモンって書いて落ち着いて」
「れ、檸檬だな? れ・も・ん、じ・ょ・う・し・ょ・う・ふ・は・い、……よし」
 難しい漢字で頭が冷えたのか? 十八回目の着信音で着信ボタンを押す常寵。電話連絡に勝敗なぞが関係あるのか甚だ疑問だが、また慌てられると困るので黙っておこう。
「も、もすもし、ひ、斐川 ジョウちょでっす」
「声が裏返っていますね」
「ジョウチョー、言い方もおかしいよ」
 それよりも相手も分かっているのに本人だと名乗る必要は無いだろう。
「あぁ、はい。うん。お兄様も息災で何より。あいや。うん。しかし……」
 二十分ばかり中身が訳の分からない、たまに裏声(女性本来の声か?)の混ざる会話を俺と在姫と曲さんは聞いている。早く、終わらせてくれ。
「分かりました。記憶しました。脳に深く刻みました。思い出になりました。御尤もです。はい、お兄様」
 会話を切ると、盛大に詰まっていた息を吐き出す常寵。何をそんなに苦しがっているんだ。
「で、そのお兄様は何と?」
 死神さんの問い掛けに常寵は訝しがりながらも、こういった。





        「スクール水着を持って海水浴場に来てくれだそうだ」




 俺は椅子を巻き込みながら後ろ向けに倒れ、しばし呆然とその意味を考えると、その意味自体すらまったく理解出来ない事に気づいて椅子を綺麗に戻して座りなおした。
「で、なんと言っていたんだ?」
「だ、だからスクール水着を持って海水浴に来てくれと」
 そんな! と突然大きな声を挙げる曲さん。
「スクール水着なんてもう五年も着てません!」
 死神って年齢不詳だけど、意外に若いんだね、……とそう言う事では無くて。
「しかも、サイズの合うのあるかしら」
 と敵意を持った視線で曲さんの胸元を注視、いや凝視する在姫。……確かに丈の合うのはなかなか無さそうだが。
「いや、そう言う意味では無くてだな」
「私もこんな事があろうかと、スクール水着は常備していた」
 と、眼鏡馬鹿が鞄から本当に『一ねんBぐみ ひかわ じょうちょう』と白い布を付けられた紺色の水着を出してきた。どんな事を予測していたのか?
「くっ、旧式スクール水着とは、ジョウチョー、やるじゃない!」
「ふっ、お子様体型の君の方がお似合いさ」
「それは認めるしかないね、残念ながら」
「貴様ら落ち着け!!」
 俺の悲痛な叫びによって、常寵が後ろから曲さんを羽交い絞めにして常寵のスクール水着を当てて大きさの違いを測ろうとしていた在姫を止めた。何だ、この空間。それよりも、死神があっさり後ろを取られるな。
 早くもこの面子で、魔人にも関わらず、夏風邪をひいたかのように頭痛がした。


23 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/16(日) 19:38:55 ID:o3teQDY3

焦熱3

            −Side A−

 潮騒の流れる和木市海水浴場は九貫の屋敷よりバスに乗って二十分ほどである。
 中都市に程近いながら、環境に関する様々な取り決め(おそらく近くの河川を取り締まる口煩い河童の一族によるもの)によってパッと見た限りはゴミ一つ無いキレイな海岸を形作っている。夏休みも始まったせいか小学生とその子供の保護者達、ちち繰りあっている腹の立つカップル達が群雄割拠していた。
「本当にココなのか?」
 お弁当とスイカ、木刀とその他諸々を持って更にパラソルを肩に下げて、場に似合わない緊張感を持った発言をしたのは実体化している国定だ。ちなみに白いタンクトップに麦わら帽子、競泳用水着(短パン型)と言う完全装備である。
「あぁ、間違いない。あの海の家『江頭』で待ち合わせと言う事になっている」
 白色の光を照り返す眼鏡。そしてその豊満かつ悩殺で、その肉を分けろと恨みがしい視線を投げ掛けたくなるような体をスクール水着に包んだのはジョウチョーだ。
「本当に彼らはいるのでしょうか?」
 そんな気弱な発言を投げ掛けたのは、私とジョウチョーで嫌がるのも無視して剥いで着させた同じくスクール水着姿の曲さんである。普段から日の当たらない格好をしているせいか、青い血管の浮きそうな白い肌に紺のスクール水着はやたらと映えている。加えて、ジョウチョーをあっさりと超えた大人のボディラインは道行く男性が首の向きを固定するような事態へと発展している。と言うか、その肉分けろ。
「居ようが居まいが、この布陣と攻撃力(色んな意味合い)で負ける事は無いわ」
 そして腕組みをして、一番貧相な体を意識的に隠しているのは私である。無論、スクール水着である。何やら視線を一番集めているような気がするけど、おそらく奇異の視線に違いない。

 で、私達が海水浴場に来たのは訳がある。
 遡る事三十五分前。
 海水浴場に来てくれ発言の後に常寵が補足したのは衝撃の事実だった。

「お兄様が魔術師一人と停戦の交渉機会を設けてくれた。その際に人目について、更に余計な武装の出来ないように海水浴場を指定したのだ」

 この時期であれば、プライベートビーチでもなければ何処の海水浴場も満員御礼である。加えて『常識の外側』にいる私達はむやみやたらな戦闘や秘術を尽くすことの出来ない、持ち札を潰し合った五分五分の状態に持ち込める訳である。無論、それを誤魔化す事の無いように最小限の服装である、水着での謁見を双方が納得の上で望んだわけである。
 人払いの結界と言う手段も閉鎖しやすい学校や廃屋などの一定の空間で有効になりやすいモノなので、開けた海の場合は、沖までまるごと魔方陣でも描かなければ発動はしないだろう。
 幸い、曲さんが応援を入れているのでそこかしらから強い力の圧力を感じる。たぶん、死神の何人かが補助の監視をしているのだろうか? 曲さんのお陰である。
「焼きそばが美味しそうですね、じゅるり」
 昨日からの死神の見た目とテンションを豪快に崩している死神さんの腹ペコ発言を無視しつつ、海の家へと入る。
 あまりの外と中の光量差に、僅かながら暗がりとなった海の家の中は誰が居るのかを判別しがたい。
「突っ立ていても暑さで体力を消費するだけだ。奴らの狙いかも知れん」
 こんな時にも物事を裏返して考える国定に呆れつつ、店内へと入っていた。
 最初に目に付いたのは座席に、脂肪、否、筋肉で弾けそうなアロハシャツを着た常寵の兄、魔術師である荻さんだった。何ですか、机の上に鎮座している腕。二の腕が私のウェストよりもあるんですけど?
「やぁ、どうもお待ちしていました」
 この人の柔和な笑みを見ると、昨日国定と死闘を繰り広げ、更に同盟に離反した剛毅な男とは疑わしく思う。まぁ、世の中には身長僅か百四十五センチ以下の魔女だっているのだ。不思議に思う事なんて無い方がいいのだ。
 その隣に、三枝先生。本名、三枝 石火(ミツエ セッカ)先生が、いつもの眼帯を付け、白いセパレートの水着とフードの付いた空色の薄手のジャンパーを着て、荻さんに寄り添うように座っていた。
 ……えっ、――石火? まさか!

「やぁ……、君達に学校外で会うのは、そして『こう言った形で会う』のは初めてかな? アイオーンへと荻を誘致したのは私、連刑のセツカに他ならない」
 理知的に見えた灰色の瞳が、圧倒的な勢いで凶器に染まっていくように感じられた。
「やはり、一般人よりも遥かに低い装甲濃度だと思ったら……」
 低い声と同時にパラソルを槍に見立てて構え、体を僅かに沈めた国定は明らかに戦闘態勢だ。
「待て待て錬仁くん、だったかな? 折角の交渉機会を潰すとは、特捜室の浅はかさが滲み出るぞ」
 灰色の、理知的な瞳を国定に向けた三枝先生。
「浅はかさと、ここまで来て言える神経の方が感慨深い」
「まぁまぁ抑えて抑えて」
 いつの間にやら『椅子に座っていたはずなのに国定の背後に居る』荻さんが国定の肩をポンと叩いた。その動作には友愛を示すものしか感じられない。視線では何とか追いつつも、反応する事が出来ずに後ろを取られた国定はしぶしぶと、不機嫌そうに戦闘態勢を解除した。
「さっさっ、皆さんもリラックスして座ってください。冷たいジュースに焼きそばと焼きトウモロコシを頼んでありますから、遠慮なく、召し上がってください。無論、僕の保障する限りで毒など入っていませんが、信用出来ないのでしたらお好きなようにしてください」
「今日は私の奢りだ。学生の身分に景気良く甘んじたまえ」
 ニコリと微笑みかけた三枝先生に、「じゃあ、お言葉に甘えて」と眼前の席に座る。それに納得がいかないながらも、国定は私の横に座る。ちなみに向かいは荻さんで、その更に横には曲さん。荻さんの隣をちゃっかり取って、それでもやっぱり誕生日席にジョウチョーは座った。
 しばらくは無言で食事だった。食事中、国定と私は繁々と、ジョウチョーは努めて無表情で見つめ、曲さんは構うこと無く黙々と食べながら、三枝先生の食事風景を見ていた。
 三枝先生には右手が無い。そのために先生は左手が『荻さんによって』おかずを盛ってもらった皿を持ち、『荻さん』によって食べさせてもらっている。
「(やべぇ、これがバカっプルってやつか?)」
 些か違う気もするが、本来なら左手だけで箸を持って食べればいい訳だし……、やっぱりバカっプルなのだろう。
「荻くん、私はピーマンは常日頃から肌に合わないと主張しているのだが、その箸の間にある緑色の固形物を帰納的に解釈するならば、聞き入れてもらえないと言う意味なのかな?」
「健康に良いですよぉ」
 箸で摘んだ焼きそばのピーマンを三枝先生に三センチ近づけると、その分同じ距離だけ後ろに上半身を退いた。
「健康とかそう言う関係ではない。私はピーマンが生理的に嫌いなのだ」
「好きとか嫌いとかどうでもいいんです。ピーマンを食べるのです」
「荻、私は君の事を愛している。だが、それでも断る。私が好きなのはニンジンなのだ」
 何か、私の想像していた先生のイメージが砂上の楼閣よりも、波打ち際に作った砂のお城よりも早く崩壊しているのですが……。
 食事が終わって暫く、誰と言う訳でも無く、波の音に聞き惚れていた。
 漣。九十九(つづら)に重ねた潮。
 潮間に消えた残響を耳で浚う。そして、
「……本題に、入りましょうか」
 私は切り出した。先生は答えるように頷いた。
「確かにお腹も満たされて、消化も十分に行われた……、うむ、次はスイカ割りの時間だな」

 浜辺に据え置かれたスイカ。
 自称他称ともに心眼使いの錬仁と荻さんはメンバーから抜かされている。木刀をたどたどしく構えた曲さんは見事に外し、私は微かに掠った。そして、最後のジョウチョーの一撃。『手刀』で真っ二つに割れたスイカを更に空中で細かく荻さんが手刀で分けると、各自に配られた。
「うん、スイカに塩は美味い…………って違うだろっ!!」
 国定が物凄い勢いで地面に白い部分まで食い終わったスイカをぶつけた。その後ろでは『浜辺の美観を守りましょう』の看板が寒々しく揺れている。
「ちょ、国定!」
「なんだい、次は泳ぎたいのかな?」

 カナヅチの曲さんは浮き輪を腰に回して気楽そうに漂い、私は同じく実はまったくカナヅチのジョウチョーにバタフライを教えた。荻さんと国定は泳ぎ対決をし、途中から何故か水面走行対決に変わっていた。と言うか、人って水面って走れるんだ。
「え?! ……ちょっと、何で私達泳いでいるの?」
 国定もその言葉に気付いて急に水面で我に帰って立ち止まって何か言おうとしたが、そのまま海面に沈んでいった。
 私は不甲斐ない国定を無視して、国定が立てたビーチパラソルの下で何やら分厚い本を読んでいる先生へと歩み寄った。
「……先生、先生はこんな衆人環視と死神監視の最中で【魔術】を使いましたね?」
 眉毛を少し挙げて、意外に気づくのが遅かったね、と口元でほくそえんだ。
 予想外の、まさかこう言った形での魔術だとは思わなかった。このタイプの魔術なら人に覚られる事無く、人を陥れる事が出来る。
「いやいや、食事の段階から簡単に魔術に掛かるからついつい遊んでしまったのだよ」
 私の僅かに敵意の篭った視線を独眼の女教師は、若いな、と言う様に目を細める。ところで、女教師って響きは妙に卑猥だね。
「九貫くん、ここまで余裕を持ちながらも、手を掛けてないのだから友愛の証とでも思ってくれても良いものだが?」
 片手で本を保持しながら口で器用にページを捲る。
「人を小馬鹿にするのも大概にしてください」
「ふふ、若いうちは幾らでも失敗出来るのだ。だから馬鹿みたいな失敗や馬鹿自体の内の一つや二つは有って然るべきさ。最もそれは取り返しの付かない失敗には当てはまらないがね」
 本からパタンと空気を漏らすと、今度は浜辺で何処からか持ってきた地引網を対抗するように曳く国定と荻さんを見つめた。
 仕方なく私は質問の矛先を変える事にした。
「……先生は何故、魔術師なんかに?」
 眉毛を微かに挙げて「やれやれ、人の身のみで人外の術に手を出す狂い者だぞ? 普通ならば、その意味の存続理由などは聞き難い台詞では無いかな?」と苦笑をもらした。
 一際高い波音を身体に染み込ませるように先生は目を閉じた。
「私の家系は珍しい事に魔術師の家系だったのさ。エジプトにある、世界規模に展開する巨大研究施設【大統合全一院】の事は知っているだろ? 私の家系はそこに所属する元々は魔女だったらしいが、ある日を境に霊気装甲の因子が急激に退化してしまったのだ。本来なら次世代の血統を弄ることで多少は存続が出来るはずだったが、先代の、私の母の段階で私の家系から全ての霊気装甲が消えてしまったのだ。しかし、私の家系に魔女であった事によって溜まった膨大な【遺産(アーティファクト)】が残っていた。それからだ。私の家系は魔女では無く魔術師を目指し始めたのだ」
 有り得ない話では無い。元々は魔女の才能、もとい霊気装甲は著しく劣勢遺伝に属するモノだから契りを結ぶ相手を間違えればそう言う事は多くある。そのために魔女は血縁間での婚姻、もしくは『出産だけ』などは多々にあるらしい。そのために遺伝的に先天性の肉体異常、つまり奇形を含んだ子供を孕む確率は非常に高いとの事だ。もしかしたら、先生の片目、片腕も本当は事故ではなく遺伝に寄るモノなのかも知れない。
「つまり、先生は魔術師から魔法使い、魔女の家系に戻したいと思っているのですか?」
「うん、そのつもりだよ。荻くんも『魔女を嫁に貰う』なら魔術師のままでもいいか、とか言っていたしね。魔女の心臓は君のでは無くて、別の、悪い魔法使いのでも戴こうと話をつけたのさ」
 ……どうやらジョウチョーの禁断の兄妹エンドは免れたようだ。アブねー。それにしてもこれは『ゾッコンLOVE』と言う境地では無いだろうか?
「私も彼も、別になりたくて魔術師になった訳では無いからね。気付けば目的と手段が入れ替わっていた観も無きにしも有らず、と言ったところか……」
 そう言うと私の腰辺りで潮風に揺れていた髪をクリクリと指に巻きつけた。
「ちょっ、先生ッ」
 何と無しに気恥ずかしい気持ちになっていると、それを分かっているのか、先生も笑った。
「それに君のハートを奪おうにも、こんなに可愛いければ虐める事なんて出来るはず無いだろうしね。代わりに苛めさせてはもらうがね」
「せ、せんせぇ」
 と、恥ずかしがっている私を笑って見ていた先生の視線が突然、奇妙なモノを見るように私を、いや、私の斜め後ろ辺りを見つめた。
「私のセツカに何してるのよー!!」
 私の身体が何かによって『く』の字に折れながら飛んだ。って、痛ぇぇぇぇぇぇぇ!!
 スナを盛大に撒き散らしながら、二転三転と回転を繰り返した。

 沈黙。
 ――再起動。

 ……何者かは知らない。ただこれだけは言える。次に相手が目の前に立った時、私は『ブッチン』とするだろうと。
 顔を砂地から抜き出して、やや上を見上げてみれば金髪緋眼の少女が、やたら黒と白で統一されたやたら際どい水着で私を見下ろしていた。仁王立ちで。
 それで、ブッチィィィィィィィィィンと、来た。
「中々しぶといじゃない。私の回転飛び蹴りを食らって息をしているなんてやりゅバラッ!!」
 台詞の途中でクルリと前方に回転しながら、その勢いでそのままアッパーカットを見舞わせた。
 若干軌道を変えて斜めから入ったアッパーで、錐揉んで砂地を転がっていく魔術師、斜蘭。
 私と同じように砂地に突っ込んでしばらく倒れている。私は近寄らずにその場で生羅師父直伝のボクシングでシャドーを繰り返して身体を温めた。二秒にも満たない程で砂に埋まっていた金髪を抜き出し、砂を撒き散らし、柳眉を立てた表情を見せた。
「このッ! 人が喋っている時に殴るなんてどぉ言う了見よっ。普通悪人とか正義の味方の口上の時には攻撃しちゃいけないんだからねっ! セオリーでしょ! セオリー!!」
「知るか! 不意打ちした人間に言える事柄か! このパープーリン魔術師。あんたなんて私に飛び蹴りしくさってくれたじゃないの!」
「知らない! 心臓さえ無事なら他はどうでもイイもん」
「そんな適当な考えだから荻さんに横から知らない内に突っ込まれたりするのよ!」
「ブゥ太郎の事なんかどう良いじゃないっ、ハハン、もしかして何? 年上とか他に人が居ないと何も出来ないくち?」
「あんたに比べられれば子供に見えないよ。人をどうこう言う前に態度から滲み出る子供っけを抜いたらどうかしら」
「何だと、言わせておけばくぬぬぬ、そりゃ!」
 よく分からない口喧嘩の末、業を煮やした斜蘭はテコンドーのような片足立ちから中段、上段と分けた二段蹴りを放つ。お腹を狙う中段を私は後ろに仰け反るスウェーバックで避け、反動で戻った頭狙いである斜蘭の上段の踵蹴りを、両拳を顎近くにくっ付けたピーカーブーのガードスタイルのまま右に振り子のように頭を振って避けてから、
「うりゃッ」
 振り戻す勢いでカウンターの右フックをあわせる。しかも拳の捻りと変則的な軌道の加わった裏拳気味のロシアンフック。
 それをニヤリと笑みを浮かべながら、片足立ちで蹴りを加えた足を折り畳んで脛辺りを使って受ける魔術師。
 私はそのまま後ろに二、三歩ステップを使って後退した。
「ふふん」
「ふふん」
 あんまり書くのが早く無い格闘小説の先生とかが好きそうな展開だった。と、なると――
 互いにどちらとも無く自分の間合いに向かって飛び込む。
 振り上げられた斜蘭はその足が指し示す空で故アンディ様が笑っていそうな踵落とし、対して私は死神が背後で笑っていそうな肩越しから拳を切るように打ち込むチョッピングライト。
 互いの全力の攻撃を止められるのはどちらも皆無。だからこそ――

「やぁ、僕のプリンセス達痴話喧嘩は止めぐぼぉあ!!」

 ――無粋な闖入者がそれを止められる唯一の人物くらいだろう。

「師父!」
「あっ!」
 妙に黒光りするビキニブリーフだけを履いて、この場に出現した師父は前後から威力重視の攻撃でサンドイッチされた。
 実は視界の端で大体分かっていたが、止める気はなかった。
 たぶん、斜蘭もなかった。
 変な当たり所のせいか? 水面を切るように横回転を繰り返して弾んで行くと言う、不恰好で不自然極まりない勢いで二メートル近い男が海原を飛んでいった。

 小休止。

「そう、つまり彼女を私が捕らえた事によって在姫の心臓を取られる事が出来なくなったのだよ」
 口から不自然な程に大量の血を吐きながら師父は腕組みをして立ち、私たちを睥睨して『斜蘭を捕らえて無効化した事』を報告した。
「そう言う事! 残念ながら在姫の心臓は取れないんだよね! 本っ当に残念」
「本ッ当に残念、捕虜をネチネチと虐め抜く事が出来ないなんて」
 互いに睨み合って「んふっ」と笑みを浮かべ合う。国定が何故かその様子を見て、肩を縮めてブルリと背中を震わせた。
「まぁ、そう言う事だ。君達も仲良くしたまえ」
「誰が」
「こんな子供と」
 ギリギリと空間が圧縮されるようなプレッシャーを掛けつつ、互いに睨み合う。
「急展開だな。今日に入って三人も魔術師を無効化させるなんて、すると、後は鞍路と脱皮者のみか……」
 と中々ブツブツとモノを考えている少年が一人。
「で、師父。コレをどうするつもり何ですか?」
 ビシッと指先を銃口のように突きつけると、相手の小娘はムッとした表情を醸し出した。
「そうだねぇ。私が…………うふ」
 その『うふ』に到るまでにどんな妄想があったのかは与り知らないし、計り知れないが、その時だけはちょっと斜蘭が可哀相に思えた。
 実際、その妙に男の癖に似合わない白い肌に黒い笑みを粗雑に貼り付けられると性犯罪の常習犯にしか見えなかった。
「ウワ――――ン、セッカー!! 助けてー、犯されるぅぅ!!」
 本気で怖がっていた。
 師父はそこに追い討ちを掛けるように、やたらと猥らに指のそれぞれ別に動かして迫る。
「だ、大丈夫、い、痛く、しないからね……――、はぁはぁ」
「うわぁぁぁぁぁ――――ん!!」
 滂沱の涙を浮かべて、恐怖に仰け反る女の子。足に力も入らないのか。そのままヘタリと座り込んでいた。……まったく。
「いい加減に止めんか、ド変態」
 師父の後ろからサッカーボールでも蹴り上げるかのように違うボールを蹴った。
 一瞬、呆けたような顔になりながら後ろに居た私を見て「マイシスター、マジですか?」と呟いて、そのまま砂浜に倒れこんだ。
 KO――、別名再起不能。
「正義は勝つ」
「暴力にしか見えないがな」
 ジョウチョーの冷静な突っ込みに言い返すのも束の間、私に抱き付いて来たのは斜蘭だった。
「えぐ、怖かった。怖かったよぉぉ」
「ちょ、ちょっとぉ」
 困った。さっきまで敵対雰囲気バリバリに出していた魔術師が、こうも無防備に抱きつかれると非常に困った。ちょうど私の状況を例えるなら、先程まで噛み付いていた小さな動物が、逆に服に潜り込むほど親密になった感触を受けているのだ。
「うぐ、在姫は、在姫お姉ちゃんは斜蘭の事、虐めない?」
「…………えっと」
 上目遣いのまま、私の顔をジッと見つめる女の子。白に近い金髪のさらさら髪に、人とは違う種とも言えるアルビノの紅い瞳。小さな顔に均整の取れた体は、同性から見ても可愛いものだ。
 敵意も無く、こうして見てみれば保護欲をそそられるような素敵な女の子な訳で、ここで「だが、断る」などと戯言を言える筈もなかった。
「べ、別に苛めないよ。貴女は、斜蘭はもう私の事を狩らないんでしょ? 三枝先生にちゃんと保護してもらうように言ってあげるから泣かないの、ね?」
 私の目前で斜蘭はコックリと黙って頷く。うわぁー、その動作だけで、今までの事が全部許せそうだね。
 その様子を国定は色々と含めたかのように、それこそ「それは罠だぞ」とでも言いたげに、目を細めて見ていた。
 でも、国定。この可愛さには逆らえないよ。魔性だよ。魔性。魔女の私にも無い部分だよ、これは!
「えへへ、さっきはごめんね。改めて、在姫お姉ちゃんは斜蘭の友達」
 ニコニコと擬音が伝わってきそうな笑みを浮かべて、ぎゅっ、と抱きつく斜蘭。思わず、撫で撫でしてしまう私。かわぇぇ。
「ちなみに私は友達でなく、親友だがな」と、何故か海原を腕組みして眺めながら、勝ち誇った笑みを浮かべているジョウチョー。
 それに何故かカチンと来たのか、眉根を顰める斜蘭が反撃を切り返した。
「じゃあ、私も親友だもん」
「では、私はここで親友の一線を越えようか」
「じゃあ、私はそれすら越えるッ!」
「越すな、バカモノ」
 と、お馬鹿なやり取りをフフッと笑いながら、同じようにホフォと謎の笑い声を挙げながら、二人のカップルが腕を組んで見ていた。

 気づけば橙に染まった夕暮れ時。大禍時(おおまがどき)、輪廻の軸とその外に向かう力が交錯する一瞬だった。
 そこから、切り取られたように、切り離されたかのように、自ら拒むように、周りから退いて見ていた国定と私の視線がぶつかり合う。
 相変わらずのように、今度はジョウチョーを攻撃対象と認めたのか? 斜蘭は私の胸元で口喧嘩を始めたがその罵詈雑言すら音にもならない。
 私は、ただただ一人佇む、寂しげな国定を見つめていた。
 潮騒がただの一つの境界かのように私達の間を通り過ぎる。
 国定は私の目を見ていない。何処か遠く、億戦を過ぎたの戦場跡を見つめる孤独な戦士の瞳。だが、戦士が本当に渇望する光景はその戦場では無く、戦場の先、人々が求めるあの――――。

「タースーケーテークーダーサ――――イ」
 その間抜けでハスキーな声にようやく気付いた。遥か沖に点になるほど流された、浮き輪付きのカナヅチの曲さんが一生懸命に、半泣きになりながら手を振っていた。
 二人で見詰め合っていたのを思い出したかのように再認して、妙に気恥ずかしくなったので、テレを隠すかのように泳げない死神を助けに行った。



「じゃあ、さようならだ。九貫くん」
「バイバイ、在姫お姉ちゃん」
 何故か白衣を羽織っている三枝先生に、例の外国の制服のような私服を着た斜蘭。
 その後ろにはこの蒸し暑い夕方に、未だに長袖を着ている荻さんが居た。
「常寵は今日も九貫さんのところに泊まるのかい?」
「は、はい、そうです。お兄様」
 何だ。この夕暮れとかで情感を高めるトーンは。
「そうか、僕らはさっき言った通り、このまま欧州に向かおうと思う。どうもきな臭い事が起きそうな気がするんだ。たぶん色んな魔女とかが集まるだろうし、狩りの絶好の時だから、次に帰れるのは何時になるのか分からない」
「はい」
「何か、僕に言っておく事はあるかい?」
 ジョウチョーは少し下を俯いて、チラリと三枝先生を見ると、
「……三人とも生きて、帰ってきてください」
 小さく呟いた。
 荻さんは丸い顔を更に丸く見せるように円を描いた笑顔を見せた。
「約束するよ」

 闇が天蓋を覆う。何かが急いで、カバーを掛けるかのように広げていく。
 ふと、それに気を取られていた瞬間、魔術師達は忽然と目の前から消えていた。

 彼らは本当に行ってしまったようだった。
「気を抜いているようだが帰りも気をつけるぞ。魔術師を敢えて離反させて、隙を作る作戦かもしれない」
「国ぃー定ぁー、あんたの頭には陰謀とか、そう言う言葉しか無いの?」
「可能性の話だ。無論、離反した彼らも、俺は未だ敵だと思っている」
「何さ、あーんなに楽しそうに荻さんと遊んでいたくせに」
「違う。技と力に勝負を掛けた時に真剣にならないのはおかしいだろ?」
「論点がズレてるってば、楽しかったんでしょ、ホレホレ」
「どうでもいいだろ」と無愛想に、パラソルとその他諸々を担いだ国定は言うと先を争うように歩き出した。
 まったく、素直じゃないなぁと感慨に耽っていると「あの」と海に浸かり過ぎて唇が青くなっている死神が私に静かに問いかけた。
「九貫さんは、国定さんの事がお好きなのですか?」
 …………………………………………はっ?
「曲さん、それはどう言う意味で?」
「……昨日から見ていて、在姫は国定さんの事を意識しているように見えて、まるで長年連れ添った夫婦のような雰囲気を感じたので」
 その口ぶりを聞いてクツクツと笑って見ているジョウチョー。貴女は後で荻さんのことを『詳しく、そしていやらしく』聞くから待っていなさい。
「そんなのは誤解ですよ。だって私は国定と会ったのは初めて――」

 何故か脳裏に浮かぶ、三日前のあの草原の夢の光景。本当に私は、いや、その光景よりももっと昔の、一昨日みた夢の、あの若武者と対峙していた光景の頃から、彼の事を知っているのでは無いだろうか?

 遠い昔、千年以上も前の……。

「――そう初めて何だから、別に凄く仲が良い訳では無いですよ」
「あ、そう、なんですか。でも仲が良き事は良い事です」
 その言葉と自らの胸中に釈然としない物を抱えながら、「早くしないと置いて行くぞ」と呼ぶ国定を追って、久しぶりに何事も無く自宅についた。


24 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/16(日) 19:45:08 ID:o3teQDY3

焦熱4

 国定が夕飯を作り、その間に今日のノリで調子にのって三人でお風呂に入る。
 曲さんが半泣きであがる頃には、国定は何処で見つけたのか捻り鉢巻をして鍋奉行をしていた。
「うむ、土用丑の日に鍋とはこれ如何に?」
「常寵、元々丑の日は平賀源内が鰻屋のために作った宣伝文句だ。元々は精の付くものを食べるための風習だっから、鍋物でも問題は無い。むしろ正解だ」
「確かにそうだったが、あぁそうか、この海では鰻は取れなかったな」
「なんでジョウチョーはそんな事知っているよ」
「……精の付くモノ……、つまり今晩はお盛ん、ムグッ」
 ポロっと言ってはいけない事を言いそうになった曲さんを慌てて止める三人。何処で誰かが聞いて見ているか分かったものじゃないのだから、余計な事は言わないのが吉だ。
 気を取り直して国定が網で揚げた海鮮類の鍋物を突っつきながら、四人で談笑やら学校の愚痴(主に目の敵にする教師に関して)やら、仕事の愚痴(主に自分の失敗や上司に関して)やら、恋の愚痴(主に鈍感な親類に関して)やらを繰り広げられ、
「在姫、中々良いものを持っているではないか」
 と、仕舞いには常寵は私が奥底に秘蔵していた焼酎を持ち出してきた。
「ちょっと、それ。私専用で高いんだからね!」
「あ、在姫さん、並びに常寵さん、貴女方は未成年では無いのですか?」
 曲さんは鍋の湯気のせいか結露して、汗のようなものをだらだらと大量にかいている。
「悪い魔術師達が四人から二人に減ったんだから、パッと少しは羽目を外してみようではないですか? さ? 固いことは言わずに、まぁ、部長、さぁさぁ御一献、御一献」
「私は課長ですッ! はっ! いつのまに私はお猪口をッ!? く、国定さんも何か一言言ってください!」
「ん……、程ほどにな」
 意外な事に青少年育成の為の飲酒は魔人にも認められているらしい。
「な! 国定さん!」
「正気を失うほど呑むのは素人のやる事、この程度で警戒が解けるくらいでは寒空での夜警などは務まらんのです。記録が確かなら、夜警中の適度な飲酒で恐怖を消し、新陳代謝を高めていたものだ。過度でなければ、多少は問題ない。今晩も俺が夜警を兼ねるし、在姫達は羽目を外しても構わないし、俺も多少なら大丈夫だ」
 国定は今日は妙に物分りが言いみたいだけど、もしかして今日の遊んだ反動だろうか?
「国定くんの言う通りだ。と言うわけで、聞き分けの良い魔人にも、さぁさぁ、在姫、ボォとしていないで国定くんに注ぎ給え」
「え、あ、うん」
 いつの間にか用意された徳利を傾け、これまたいつの間にかお猪口を掲げた国定へと注ぐ。
 国定はぬめった液体を一口で呑み干し、僅かに、笑みに見えない程度に口の端を曲げる。
「ん、中々の味だ」
「芋焼酎、九州の富野宝山(とみのほうざん)。高いんだから味わって呑みなさいよ」
「あ、在姫さん! そんな事に使っているからエンゲル係数でも金銭的に圧迫されているんじゃないですか?!」
 う、その感も無きにしも非ず。しかし、習慣と言うものは中々変えられないものですよ、と心の中で二秒掛かりで反省して、私もお猪口を傾ける。……くぅー、たまんねー。あれだけ、鍋物食べたのに胃がカッカと熱くなってくる。
「うむ、まぁ、曲さん、反省はとりあえずそれを飲み干してからにしないかね?」
「な、何を!? はっ! いつのまに私は置いたはずのお猪口をッ!? しかも注がれて! ちょ、死神を馬鹿にすると――」
 その時、私はタイミングを見計らったかのように、わざとらしく常寵に問いかける。
「あっれ〜、ジョウチョーさん、死神さんが何か言いたいようですね〜」
「ふむ、と、言う事は、言いたいことは『呑んでから』ですよね〜、在姫さん」
 独特の手拍子と共に一体私達は何処で憶えたのか? クラブなどの盛り場でありがちな一気呑みのコールを掛ける。
「今〜なんて〜今なんて〜」
「え、あの、うぇ、うわ」
「言いたい事は呑んでから! あ、それ」
「パ〜ラパ〜!!」
「私、弱いので、あの一気飲みは本当に……。そ、そうだ、国定さんも何か言い返して、って何で『ぱ〜らぱ〜』って国定さんも混じっているんですか?!」
 このまま呑まないと場が冷めると言う無駄に大きなプレッシャーに負けたのか? 曲さんはまるで敵でも見る様に水面に写った自らの顔を睨むと、
「も、もぉ、知りませんからね」
 ぐぃ、と一息で呑み干す。
 そして、その呑んだ合間よりも短い時間で最高の笑みを浮かべて、
「やっぱり、無理です」
 真横に倒れて、真っ赤になりがら、曲さんは目を回し始めた。
「ふむ、一杯でバタンキュウとは、死神もこんなものかな? このまま漏斗を口に咥えさせて注ぎ込んでみたらどうなるだろうね? ふふっ」
 妙に黒い笑みを張り付かせてジョウチョーは楽しんでいるが、流石にそれは犯罪である。でも、死神って戦闘以外で死ぬのかな? 急性アルコール中毒で等々力医院に担がれていく死神もそれそれで面白いかもしれない。
「まぁ、色々と想像通りで良かったけどね、……あのさ。徳利ごと下げて要求って事は、国定はもう一献? 早過ぎじゃないの? 私のなんだから呑み過ぎないでよね!」

 その後よく分かった事は、国定はザルで、ジョウチョーはそこそこで、死神でも下戸は居ると言う事だった。
「では私と曲さんは隣の部屋を借りよう」と取り付く島の無いうちに顔を桜色にしたジョウチョーは未だ顔を真っ赤にして「私ぁ、もぉ、呑めまっせぇん」と唸る曲さんを嬉々とした表情で小脇に抱えながら、部屋に入っていった。あの部屋で何されるのかしら、一体?
 二階の廊下に佇むように残された私とあれだけ呑んだのにも関わらず素面顔の国定。
 頭が酔いで蕩けているせいか、小さな守護者である国定とじっと見詰め合う。
「……今晩はきちんと在姫を守るから安心して寝てくれ」
 始まりの日から変わらない真摯な瞳。
 でも私にはその奥の、底の無い終わった、絶望の続く物悲しい瞳の理由をまだ問う事は出来ない。
「毎晩、そんな事まで心配されなくてもグッスリ寝るんだけどね」
 そう何とか言葉を整えて言う私に柔らかく、今日の中で一番緩んだ顔を国定は見せて「君らしい」と頷いた。妙にくすぐったくなるような、居心地の良いのか、悪いのかよく分からない気持ちが疼いた。
 この男に、もっと素直に笑って欲しいと、私は思った。
「じゃあ寝るね、国定もちゃんと休みなさいよ? いい? 分かった?」
 感情がなみなみのコップから零れる前に慌てて飲み干すように、私は早口で捲くし立ててみた。
「分かっている」
「それから……、色々と……、ありがと。お休み」
 私は頬っぺたが急に熱くなるのを感じて、そしてそれが恥ずかしくて、自室へと駆け足で入っていく。
「……あぁ、お休み」
 国定が扉に背を向けながら私に声を掛けた。ちらりと垣間見た表情は、私の名前を初めて呼んだ時と同じだった。
 私は寝室の扉を押さえるように閉じて、そのまま国定の声に軽く後押しをされて、そして倒れるようにベッドに泳ぎ疲れた体と悶々とする心を預けた。
 寝室の扉に体を預ける音。隔てるモノは壁だけで、それでも、国定は何か別の壁を作っているような気がした。
 今夜は臥待月(ふしまちづき)、ちょうど寝具に潜る頃、床に臥して待つ頃合に月が顔を出す。
 誰もが見向きもしない頃、ようやく彼が少しだけ本来の顔を見せた気がした。



 The night has come.
 Waning moon is laughing above the stagnated sky.
 The man start to accompany them on tragedy.
 He knows what will happen through and through after this tonight.


25 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 09:44:05 ID:o3teQDzJ

幕間 鉄囲線四


 夜が来る。
 欠け始めた月が澱んだ空で笑っている。
 男が悲劇の伴奏を始める。
 男は今宵から始まる事を知り尽くしている。


 生温い水槽を、巨大な、アロワナのような魚が悠々と泳ぐように、三つの影が歩みを進めていた。
 二人の女に一人の男。
 内、二人は大人で一人は子供。
 内、一人は片腕、片目で、後の二人は健常者。
 女性の隣にくっ付く様に足を進める子供は金髪に緋眼と言う瞳。故に、黒髪の日本人である男女からは生まれ出る事は些か難しく、詰まる所家族のようにはまったく持ってして見えない。
 しかし、彼らには目に見えない、同じような独特の雰囲気があった。
 何か決意を秘めた、空気と言うものか、そうとしか表現しえぬ何かが纏われている。
 チグハグな彼らに共通する言葉はただ一つ。

 魔術師、である事だった。

「在姫お姉ちゃん、結構、いい人だったね」
 金髪の少女、蘭の問いかけに、独眼を細めた笑みを浮かべ、石火は頷いた。
「ラン、私は前々から彼女に関しては『良い子だ』と何度か言っていたはずだが?」
「何さ、魔女を狩るって決意した直前まではあんなに嬉々とした顔していたのに、急に相手が在姫お姉ちゃんだって分かったらデレデレしちゃって。何だか、ちょっと妬ける」
 焼きたて餅のように膨れた面を浮かべる蘭を、荻と石火は柔らかい視線で見つめる。
「ふふ、彼女を非常識の世界の住人だとは分かっていたが、まさか狩る対象になるとは思わなかったさ」
「教師になって初めて質問しに来た子だって石火は言ってましたよね?」
「荻君、君はどうでも良い事を覚えているのだな? まぁ、偽造の教師免許で三ヶ月もったモノだとは私も思うさ」
「石火が優秀だからさ」
「ふふっ。世辞はそれくらいにしておけ」
「(あ〜ぁ、バカップルが始まったよ)」
 ちなみにそんな風に彼らがまったりとした空気を醸し出しているのは、先程在姫達が遊んだ海辺側の都市部にあたる神南町の小さな公園の一つである。
 彼らは無断で魔術師同盟を脱退したので、今までの住処とその痕跡を消して、ただ今宿無し街道をまっしぐらに進んでいる。現在は先程まで濃厚に感じた、おそらく牽制のために態と目立たせていた死神達の尾行は消え去り、緊張はしていても緊迫した状況ではなかった。死神達は人を守るための機関であるため、死神公社のお偉いさんの一人が同時に治める魔女協会所属の在姫を守ると言う名目で魔術師達を監視していた。しかし、本来は人である魔術師達も対等に守られるべきなのである。もっとも、彼らの同盟者達が出した被害、公共物(学校と道路の一部)と建造物の破損(季堂ツィンタワー)のペナルティと言う事で彼らは放免され、同時に魔術師同盟からの追撃による被害も、亡霊騎士さえ関わらなければ死神公社からは度外視されると言う状況に陥っている。仮に亡霊騎士が出なくても、魔術師同士の争いはイコール人同士の争いとなるので、結局のところ公社は介入すら適わないのである。
 未遂ながらも襲撃を行った蘭はともかく、荻は流水に抱き込まれただけであり、石火に到っては襲撃すらまだ加担していないために蘭達からのばっちりみたいな罰である。無論、それでも笑って許すのが、蘭と荻に対する石火の立ち方なのだが。
 ともかく、そのために彼らは魔術師同盟の追跡から逃れる手段の一つとして、ダンボールハウス群の中に身をしばらく潜めて、それから街を出ようと画策しているところである。
 つまるところ、リアルにホームレスな状態である。
「むぅ、……ブゥ太郎、喉渇いた。抹茶コーラでいいよ」
 蘭は唐突に渇きを訴えると、その台詞に「やれやれ」と頭を振りながらも少し遠めに離れた自販機まで荻は歩みを進めた。幸いお金だけは魔術師らしく非合法なくらいあった。この辺りも魔女や魔法使いとの違いとも言える。
 蘭と石火はベンチに腰を掛けて、身を寄せ合った。
 ムッとする真夏の空気すら介さずに、ただただ二人の間を埋めあう。
「ランはどうする? 私達と一緒に来るかい?」
 最近、欧州で予言の書が現れたと言う話で、教会と吸血鬼機関の間で緊張が奔っているとの事だ。おそらく、彼らの異界の理を狙って、隠者である魔女達も乗り出すはずだと荻と石火は睨んでいた。
「どうしようかなぁ? もう二人とも子供とか欲しいでしょ? 私とか居たら邪魔じゃない?」
 とぼけたように言う蘭に、石火は少し悲しそうな表情を浮かべる。
「邪魔だとは思わないよ。ランは……、私と同じだからね」
「…………」
 片腕のみでギュッと蘭を抱き締める。それは『孤独』を埋める為の方法の一つだった。
「あのね……、セツカ。在姫お姉ちゃんはね、私達と同じで、でも違うと思うんだ」
「私達と同じで……、違う?」
「うん、たぶん、在姫お姉ちゃんも、最初は『孤独』だっただと思うんだ。同じ匂いがするの。でもね、強いんだ。立ち向かうの、それでも、何だか知らないけど、とにかく根拠も無くガンガン進んじゃって、気付いたら、友達とか居るの。私達みたいに、似た者同士で身を寄せ合う必要なんて無いんだよ……」
 眼差し。魔眼とは関係無く、ただただ強い意志。挫けそうになっても、押し潰されそうになっても、何時の間にかケロリと克服する。そして、ただ単純に貫く。
「やはり魔女でなければ、出来ない事なのかも知れないな?」
「……うん。ところでさ、抱っこされるの好きだけど、ちょっと暑くなったの、セツカ」
「あぁ、済まない」
 身を離しても浮かされた温い空気が揺らいだだけで、むしろさっきと同じでも構わないように思えた。
 夏の熱気で妙に鮮やかな彩色を散らす月を見上げる。
「とにかく、二人でいる時間は作った方がいいよ。夫婦は夫婦でいるべきだぞっ?」
「私達は法的には、まだ赤の他人なのだがな」



 足音が高く鳴り響いた。公園のレンガを打つ皮のブーツの音。
 急に、予報では聞いていたはずの雷雲が、今まで気配すら見せなかったにも関わらず、それに引き連れられるように、従うように迫ってくる。
 雲が月の周りを包囲するかのように風が一陣と薙いで覆い出し、直後にまったく、自然すら緊張して動けないかのように全てが凪いだ。臥待月が、暗黒の雲海に囲まれ、逃げる事が出来なくなった。
 男が居た。
 その場に居たのが当然であるかのようにその男は居た。突然、男を照らし出したスポットライトであるかのように月明かりが降り注いでいる。煌々した月光で輪郭だけが縁取られて、巨大な黒い男が聳え立っていた。
 黒いローブは魔法使いらしく羽織られ、左右に伸びる鎖骨と白い肌が何かの祭壇のようにその狂った神性さを主張している。その祭壇さえなければ、影絵のような黒い男だ。
 男の左手には、全身が血塗れになった荻が首を掴まれて、白目を剥きながら痙攣を繰り返していた。
 誰も一言も発しない。発せられない。
 ただ周りの空気が鉛に変わったかのように、彼女らは眼球一つとして動く事が出来なかった。
「楽しい夢は見れましたか? 裏切り者ども」
 男は楽しそうな声色でそう言った。
「モ、脱皮者(モルター)……」
 搾り出すように、蘭は呟く。
 一度として、本当の声は聞いた事は無かった。だが、その声色は聞き覚えがあるようで居て、耳に覚えのある相手の印象とはてんで違っていた。だが、例えがこれが凶器だと教えなくても、ゾッとするような気配を感じるように、先ほど会った時とは違い、鞘から抜かれた血に塗れた刃物を曝すような、言い知れようのない明らかな存在感と圧迫感があった。
 この存在は議論する余地すらなく、中世の頃に常人と魔女を問わずに二万人超に実験をし、心臓を抉り出し、魔術師から魔法使いへとなった究極の実践者。魔術師の皮を脱ぎ捨てる事すら出来た最高の元魔術師。【脱皮者】。
 直後に、ゴミの回収員が投げ捨てるような気軽さで、百三十キログラムを超える男を片手で石火の足元まで放った。
 首から落ちた時に、彼の首元から、何かが不自然な圧力で砕ける嫌な音が響いた。
 彼女は思う。
 あれほど愛した男なのに、今は何も、何も考えられ無いほど、何も感じない。
 可笑し過ぎて笑っちまいそうなくらいなのに、何一つとして、心に去来するものがない。
 踏み潰すかのような圧倒的恐怖で心の機能が麻痺でもしたのだろうか?

 影のような男は白い歯を覗かせて哂った。
「おそらく、君が思っている事とは違うはずです。単純な事ですよ。君が愛していたと思っていた男とそれに伴う事象は、錯覚に過ぎなかったのです」

 魔法使いに口を押さえられて、無理矢理粘りつく濁った液体を飲ませられたような、胃の気持ち悪さ。
 思い出と名のつくモノが愛の名の下から地の底へと崩れ落ちていく。
 悲しみを思うはずの感情が狂って、あれほど近くにあったはずの存在感が急速に離れ離れになるように感じた。

「いや、錯覚に過ぎないが『愛』と名のつく仮初の衝動はあったかもしれませんね。それよりも、今の君を生かす、より強い衝動が過去にあったのを忘れたのではありませんよね?」

 その言葉が引き金となった。
 石火は頭蓋の内側から発する鋭過ぎる脳の痛みに片手で頭を抑えながら、ベンチから転がって地面に臥す。声すら挙げる事は出来ないほどの痛みともう一つの感情の嵐。
 いつもなら駆け寄れるはずの蘭は、無敵とさえ思っていた荻が廃棄物のように投げ出され、ただただ増大してく魔法使いへの恐怖に身を震わせて動けなかった。
 そして、石火の脳裏を抉るのは、いや『実際に抉られていた経験』で疼くのはあの光景(惨劇)



 吹雪く雪原、周りには何もなく、白い粉が肌に痛いほどの風で胎動する。
 それに混じる赤く湿った粉。
 それを発する中心には千切り取られた首から、鮮血をスプリンクラーのように振りまく、父と母と呼ばれたモノの抜け殻。
 その中心には血粉をただのシャワーのように浴びて、先程までの鋭い目つきを緩め、恍惚とした表情を浮かべるセーラー服姿の少女が立っていた。それを見つめるのは、まだ同じ程の少女と言っても過言でない頃の石火。
「気ぃん持ちいぃ〜〜、この暖かさ、最っ高」
 赤い舞台の上をくるくると少女が廻る。その両手には、掴まれ、砕かれ、捻り取れて、歪んだ、肉親だったモノの頭部。
 石火の口からガチガチと歯の根の音が絶え間なく流れ出る。両足は既に彼女に折られ、普通では曲がらない方向に曲がっている。逃げられはしない。
 辺りに散らばるのは大量の、既に消費された重火器とその残り香を発する薬莢、使えないほどの魔力の残滓しか感じられない魔女の遺産。そして、肋骨を素手で観音扉のように開かれて撒き散らされた母の臓物と、肩と股関節から先をそれぞれ虫のように捻り取られた父の残骸が白い野原に突き刺さって散らばっていた。
 ロシア、モスクワ郊外で暴れると言われていた魔獣。それを討伐し、サンプルを取るために大統合全一院、通称神秘院から三枝家の派遣の命が降りた。まだ中学を卒業したてにも関わらず、その魔術の頭角を同年代から引き離す程に現した石火を連れて、三枝家はその場に乗り込んだ。
 しかし、彼らに取って酷く残念な誤算があった。その場に居たのは魔獣では無く、もっと賢く、()きれるほど強く、そしてより残忍な生物だった事だ。
「見て見て、ほらほら、清里 鋼音(キヨサト ハガネ)のリアル首人形劇ぃ始まり、始まりぃ」
 そう言いながら、肉を掻き入れる鈍い音を立てて、首の切断面から頭部に向かって手を押し込んで鋼音が玩ぶ。手を押し込まれて反対にダラリと出てきた、母の舌。その下顎部が、イカレタ少女、鋼音の手でカパカパと、まるで手袋を使った人形劇のように動いた。
「『おねがぁっ、セツカをごろざないでぇぇぇ、げふ』、……ハイ死亡。ってこれって死んでるのか、もう。……笑えない。冷めた。あんた要らない、ぽぃ、さよぉならぁ」
 そう言いながら、片手を横に振って、雪原に石火の母の頭部を投げ捨てる。人を超えた力で投擲された頭部はあっと言う間に真っ白な背景からは見えなくなった。
「さぁ、次はお父さんだよぉ。『馬鹿な! 魔術が効かない、セツカ逃げろ、がはっ、ぎゃっ、痛ぃ痛い痛いいだ、ごぅっ、ぉ』……、逃げろ? プッ――、ごめん、無理。残念ですが、お父さん……この子、全然長生きできません。……ひゃは」
 鋼音は自分よりも明らかに大きな石火を、寝そべって動けない状態から片手で引き揚げる。
 彼女の顔の目前で、それぞれの目が意志を失って別の視線を向けている彼女の父だった肉塊を使い、垂れ出たままの舌と共にカパカパと口を動かした。
 石火は見る影も無い家族の姿に目を瞑って顔ごと逸らす。
「はぁいよく見てねぇ、て、目ぇ瞑っちゃダメでしょ。お父さんなんだよ、あなたのお父さんだったんだよぉ。そら、よく見なさいなぁ? ね?」
 固く瞑ったセツカの瞼に少女の細い指が引っ掛かり、勢い良く引かれる。瞬間、右目の奥まで何かが入り、そしてコードが切れるような音が耳の奥でした。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 雪原に埋まるように、ぽとりと落ちた彼女の一部。
「ほらぁ、ちゃんと目ぇ開けないから、指が入って眼球が抉れちゃったじゃん、あらら。えいっ」
 その落ちた球体を鋼音は踏み潰した。ぐじゅりと中の水晶体を撒き散らす。その動作は、あくまでついで、と言った感じの挙動だった。たまたまその場に有ったから踏んだ、その程度の理由だった。
 ピクピクと震えながら、セツカは両手でがらんどうとなった肉の穴を押さえる。
 眼窩に滑り込んだ際に目玉をぐるりと囲む、頭蓋骨の一部である眼底の骨すら砕かれ、脳も直接傷が付いていた。それでも生きていたのは運が良いとしか、いや悪運が強いとしか言いようがなかった。
 滂沱の血涙とただの涙が赤と透明の一筋の流れなって雪原を潤ませる。
 まるで世界の捩子が締め上げすぎて狂ったようだった。
 壊れる。
 彼女の心が壊れる。

 しかし、その確実に常識が狂った状況で転機が訪れた。圧倒的なまでの生命の蹂躙。尊厳の剥奪と陵辱にも等しい暴行。それに対して、心は抵抗を生み出すために恐怖の変わりに一つの感情を生み出した。

 殺意。
 恐怖を殺意で塗り潰した。
「……良ぃ感じじゃあん。人間だったら、あの当宮(すちゃらか)兄弟達を引いたら世界で一番強い殺意だよ。でも、そのままにしとくのもウザイから、終わらせてあげるね? きしししししししししししししししししししししししっ」
 もう一つの頭部が雪空を飛んでいく。父だったモノも無くなった。
 鋼音の指先が、人外の殺意として顕現し、その形状をそう言うモノだったかのように、『常識』を従わせるように形を凶器へと変えていく。爪が煙を上げ、音を立てて、指と一体化した獣の鉤爪のように変えていった。歯茎から抜けるように漏れる笑い声。まるで虫がゾロリと這いずるような、掻き毟りたくような笑い声。
 痛みは恐怖を塗り潰すと同時に、セツカの中で生まれた奇妙な脳の快感物質でとうに失っていた。しかし、気概はあっても、その暴力に立ち向かう術は無い。
 正しく、絶体絶命。

「じゃあ、死ん、うあっわ」
 鉤爪がセツカに届く刹那、鋼音の体が吹き飛んだ。
 少女の居た場所には、肥満、否、屈強な筋肉で覆われた男が飛び蹴りを終えて、赤い舞台へと乱入して居た。
 鋼音は倒れた状態から地面を叩いて、足を伸ばしたまま勢いだけで立ち上がる。
「――きみは邪魔するの? ねぇ?」
 男、斐川 荻は少女の問いに答える代わりに親指で後ろを指した。
 そこには枯れて年輪すら刻まれたような、それでも妙に筋骨の発達した小柄な老人が、僅かに老人よりも背の高い、一人の灰色のコートを着た女性の肩に手を置いていた。
 付け加えて言うならば、老人は肩を押さえている相手が身長と体重が三倍ほど違っても、軽く手を置くだけで体の自由の全てを奪い続ける事が出来た。
「鋼音、実験は終わりだ」
 老人の気が少しでも変われば八つ裂きどころかこの世から消滅させられる事すら可能なのにも関わらず、女性は、双葉宮 咲貴(フタバミヤ サキ)と呼ばれる最悪の研究者は表情を一つとして変えなかった。淡々と、惨殺のそれが実験である事すら疑わず、怒りを煽る事すら分かりながら、言い切ったのだ。
「えぇー、お母さん、こいつらぶっ殺しちゃってもいいんじゃない? ねぇ、殺しちゃおうよ、ひゃは」
 そう言う鋼音に「いや」と短く答える。
「鋼音は、まだこの老人、【大災害】に勝てるほど進化はしていない。大人しくここは退くんだ」
 彼女は常人では数日で発狂するほどの複雑な思考を持ちながらも、答えは簡潔なものしか言わない。そしてそこから導かれるのは全か無か、二者択一。そして、彼女の選ぶそれは大抵正答であり、覆された事は殆ど無いに等しい。
 つまり、鋼音はこの面子に勝てない、と世界で最も冷静な女がそう言い切ったのだ。
「む、それは遺憾。でもお母さんが言うならしょうがない、撤退、撤退、……とその前に」
 倒れたままの石火。右目を押さえていた右の腕が鋼音の見た目に似合わない豪腕で引き伸ばされ、そのまま二の腕を踏み潰された。
 千切れ飛ぶ。痛みは、悲しみは、今蹲る永久凍土よりも凍結していた。
 そして、ぶつ切りにした腕の断面から鋼音はボリボリと咀嚼し始めた。腕を食っているのだ。石火の指先はまだ反射だけを残しているのか? ピクピクと薬指が震えていた。
 石火は叫び声すら挙げずに、その光景を決して忘れないように瞬きすらせずに、鋼音を見続けていた。
 それと目を合わせながらウットリとした視線で、まるでこれから樽で熟成するワインの味を想像するような、目の前で膨れ上がり後々に爆発する憎悪をただただ楽しむように食事をしながら眺めていた。
 そして指先までを飲み込む。喉が揺れ動いて、三十秒弱で、少女の腕が同じく少女の胃の中に収められた。
「女の子の生の腕おいしぃー。じゃ……、お母さん。私は帰るね」
 そう言うが早いか、次の瞬間に、背中のセーラー服をズタボロにして、背中から捩子くれた、羽のような、同時に触手のようなモノが生え出でる。それが地面を扇ぐが早いか、一振りで風と雪が舞い踊る天空へと消えていった。
「治療しようか?」
 実験のために、とでも付け加えられそうな咲貴の言葉に、痛みと湧き上がる憎悪、甚大な被害で動く事すら適わない石火に変わって、大災害は「いらぬ」としゃがれて、それでも深みのある声で返答した。
 そのまま、徒歩で、ロシアの雪原から立ち去ろうとする咲貴が不意に立ち止まり、石火を見据える。
「この世界の常識では私の子供達は殺せないよ」
 彼女とその家族が、家に先代が魔女として残した遺産で作り上げた、世界の常識に属する魔術では役に立たなかった。
「魔法使いでもならなければ無理だ」
 雪原と向こうへ彼女は消えていく。同時に流れ出すぎた血で朦朧としていた中で、それでも三枝 石火はその凍った心に穴が開くほどに刻んだ。

 イカれた女の作った子供達。十二人居ると言われ、【死を裏切る者】と呼ばれる者たち。
 蟻登啄木(アリト キツツ)
 偶院刹那
 偶院未来
 偶院永久
 宗我部八重(ソガベ ヤエ)
 (真藤夏彦(シンドウ ナツヒコ)
 他の名も亡き者達に続いて、
 そして、最後の、最高傑作と呼ばれる、最悪な殺戮者、清里鋼音。

 こいつらを殺し尽くすと誓った。

 誰も邪魔させない。家族を奪い、腕を奪い、目を奪い、先祖の功績である魔術の意味を奪った女とその眷属達。
 奴らを殺す、と誓ったのだ。
 一人ずつ、殺す。
 同時に親類縁者形振り構わず殺す。
 出来る限り、生かしながら殺す。
 もったいぶったように最後に、傑作を殺す。
 そう誓った。
 穏やかな毎日で埋もれそうになる中で、決して、一時足りとも忘れ得ない執念。

 復讐を誓った。



「そんな貴女に朗報です。この街に、貴女の宿敵である眷属の男の一人娘が居ます」
 脱皮者の声に、たった一つの目が爛々と、月明かりすら無視するほどに明るく見開かれた。
「魔人殺し、漆黒の覇者、千の闇を飲む笑顔、そして、闇の神である事の知られている極悪兄弟テロリストの弟、偶院 永久に娘が居たとは誰が知りえるでしょうね?」
「名前を、言え……」
 スイッチが入る。そこに居るのは、知的な数学教師でも、恋人と戯れる女性でも無く、灰色の瞳をした復讐者にして、魔術師の(かお)をしたセツカが居た。
「母の名は、九貫 愛媛と言うのですよ?」
 はじめて、反応すらなかった蘭の顔が強張る。まさか、こんな偶然があるのか? まるで仕組まれたような、計画されたような、望むように切り取られ、分かったように嵌められるパズル。そして、知りえたように組み上げるような悪行の絵図。
























                「九貫 在姫、それが娘の名です」



 復讐者の歓喜の叫び声が、畜生のように、街を、月を揺らがせた。

 二十四分後、市内の緊急病棟に一人の異常に筋肉質の男性が搬送された。
 直後に、その男性を運んだ少女が病院から行方を絶った。
 男は七月二十四日、午前三時十四分現在、未だ昏睡状態のまま眠っている。



 When it come to push, memories alway betray me.
 Summer's memory begin to rest.
 I don't look back to her.
 I retrace once again deep past events...


26 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 10:06:09 ID:o3teQDzJ

大叫喚


 いざと言う時に、思い出はいつも裏切る。
 夏の眠りが午睡に沈み始める。
 彼女へは振り返らない。
 遠い過去をもう一度振り返る……
 
 七月二十四日

            −Side A−

 夢では無い、ただただ何処かに沈み込んで、それでもそのまま漂うような妙な感覚に私は浮かされていた。
 足元は定まらず、ただただ感覚に流されるままに、体を浮かせるようにゆらゆらと動かしながら保っていた。
 指先一つすら動く気配が無いので、仕方なくその任せるままに漂わせているしかない。
 そして、遥か遠くのようで、もしくは私の耳元でボソボソと囁く声達が聞こえる。

「……つまり、あいつの復活は……」
「……無理です。それに、出来たとしても遅過ぎるでしょう。彼はたぶん変わりません。魔人のままです」
「どうすんだよッ!! このまま、奴の思い通りになるのかよ?!」

 怒り、それと同じくらいに、それぞれの、三人の男の声は各々の感情を秘めていた。
 望み、諦め、怒り。
 何だろう? この声に懐かしさを感じるのは?
 そして、何だろう? 誰か一人、足りないのでは無いか、と感じる喪失感は?
 本当は四人だったのでは無いかと言う確信は?

貞光(さだみつ)、奴のした【予測】は何処までだ?」
「千年後かと。私でも、それ以上は【予知】では見切れません」
「その時まで、あいつも生きているのか?! 奴を打ち殺した方が早いんじゃねぇか?」
「彼は、奴については公式上死んだ事になっています。足取りも既に掴めていません。おそらく大陸まで逃亡したのでしょう。加えて、千年後まで彼が生きているかどうかは分かりません。ですが、彼は【地獄使い】となったのです。おそらく、その時まで苦痛と忘却と殺戮を繰り返すのは確かでしょう」

 苦痛と殺戮。そのまま言葉どおりに考えれば相反する要素の言葉に思える。だけど忘却と言う中間要素によって、彼の言葉の重みが単純な話で無い事を容易に考えさせた。

「千年なんて、気が遠過ぎるぜ……」
「だが、俺達はやり遂げなければならない。大将とアイツをこのままにしていいのか?」
 沈黙。彼らの言い知れようの無い気持ちをその無音が代弁する。
「では、手筈通り。私の法力で時間を掛けて『  』様を少しずつ転生させます。千年後は、彼の力が最も弱まる頃、彼が気付けば、もしくは彼女が気付かせればどうにかなるはずです。それを秀武(すえたけ)殿には補正して戴こうかと思っています。次世代へと、己の血をもってして継承させていくのです」
「お、おいおい、よりよって俺を選ぶのか?! それなら(つな)の方が妥当じゃないか?」
「……実は、俺の命は長くないんだ。核の病だ。もって五年かそこらだろう。それに【繁殖】なら、お前の方が得意だろ?」
「わざわざお上品ぶって言うな、性交と言え」
 男達の場の空気に合わないような軽口で僅かに空気が緩む。こうやって、彼と彼らは乗り切ってきたのだろう。
「で、爺と同じ病に掛かってやがんのな。お前」
「黙っていたが、俺と翁は父子の関係だ。血の連鎖、病も血脈を通して伝染すると言う事だ。俺の子供達が繁殖する前に死んだらどうする?」
「父親?! 本気(マジ)かッ?! あの爺とか?! と言う事はあいつとは兄弟だったんだな! いや義兄弟か?」
「まぁ、普段の雰囲気からして今更と言う感じですが」
 緩んだ中で再び、緊張を走らせる三人の男達。
「そうだな。代わりに俺は、残りの人生を掛けて、アイツの息子に全てを伝えようと思う」
「お前の全て……、伝わるのか?」
「悪いが、アイツと才能は似通ったもんだ。筋が良い。三年もあれば『矢止め』と、その先も教えられるはずだ」
「矢止めの先、つまり、あれが、使えるようになるのか?」
「あぁ、あれはアイツの血筋なら出来るはずだ」
「……と、言うわけですが、相模(さがみ)さん。貴女はよろしいのですか?」

 そこで、私はもう一つの気配がある事に気付いた。翳りを感じる女性の気配。それは何故か、感覚的に言えば、私に凄く近い雰囲気に思えた。
「私は……、彼を貶めたようなモノですから償わなければなりませんでも。でも、それ以上に」
 愛しているから、と言うのもあるんですと、ただ真っ直ぐに、素直過ぎるくらいに、騙されてしまいそうなくらいに、彼女は言い切った。
「……と言うかよぉ、『  』ちゃんと同じくらいあの唐変木(とうへんぼく)から強い思いがあるのって相模ちゃんしか居ないんだけどな」
「まぁ、あいつの妻であるくらいだから当然だろう」
「あぁ、腹立つぜ。何であいつはこう良い女に求められるだろうな? 俺の出会いと春は何時じゃッ――!!」
「器の差では無いか?」
「うるへぇ」
「では、決まりましたね。相模さんを母体として、少しずつ『  』様を転写しながら、転生させていきます。完全な復活のそれまでは貴女は一本の木、【クヌキの木】となって、彼女を生産し続けるでしょう。完全な彼女を生み出すまではそのままです。その過程で貴女は少しづつ自我を転写で、分け与える形で失います。無論、最終的には彼女の中に霊的に溶け込む形となり、主人格は彼女のモノとなるでしょう。むろんの事、私達は『彼女の完全な転生』を望みますが、それは貴女が待ち続けなければならない苦痛となる可能性があります。貴女は、それでもいいのですか?」
 淡々と事務的な口調では続ける。それは、その法力を行う者として術自身の恐ろしさを知っている故の言葉だった。
 むろん、残りの二人の男達も彼女が拒否をしたとしても責めるつもりはまったく無かった。彼らは同罪だったからと言うのと、待ち続ける事の虚しさを知っているからと言うのが心の中にあるからだ。
 しかし、彼女は柔らかく、微笑んだような気がした。
「確実に訪れる幸せな時を、何故恐れる必要があるのか私はまったく分かりません。私の想いが、ちゃんと届かなかった想いが『  』様を通してあの人に届くなら、それは幸福と言うものです」
 彼女の決意が、千年の間待つ事への虚しさと自我を失っていく己、その全てを肯定した。
「……やべ、……俺も負けたわ。ならやってやるさ。俺の転生なら『  』ちゃんより簡単なんだろ? アイツらと相模ちゃんが幸せになるように千年後までせぃぜぇ女の尻の後ろでも駆けずり回ってやるさ」
 下品なようでいて、その癖やたらと陽気な笑い声を挙げる。
 先ほどまでの絶望的な声色の中に、微かな、希望の篝火(かがりび)がまだ奥底で燻っているかのように仄かに暖かさを感じた。
「では、彼の『呪い』を解いて、全てが元に戻るように――」



「どうした、在姫。朝から呆けて?」
 そこで私は覚醒した。左手には水の入ったコップ、右手には歯ブラシで、その先端はまごう事無く私の口内に納められていた。
 鏡には、起き立てたのまま、ぼんやりしている寝巻き姿の私の顔が映されている。左の頬が歯ブラシでプクリと膨らんでいる情けない顔だった。
「ヒョウチョ〜、おぁよぉ〜」
 しょぼつく瞼を起こして、鏡越しに映る友の名を呼びながら挨拶をすると言う面倒くささを見せびらかしてみてみた。
「どうした、在姫? 朝っぱらからスッキリしないのか? ……キスして欲しいのかい?」
「イランわ!」
 と、そんな朝っぱらからの寝惚けも覚めるあほなやり取りに、「朝御飯ですよぉ」と呼び掛ける本人自体が明らかに楽しそうな曲さんの声が聞こえた。

 今日は朝から雨。昨日から急にふって沸いたような台風予報。近年の異常気象によるモノとの予報らしいが、魔女が言うのもなんだけど、誰かが作ったような気配もしてきそうなくらいタイミングの怪しいものだった。ジョウチョー曰く、「気象なんてモノは混沌の学問だ。晴れを導く数式に気象予報士が匙を投げて、数学に転向するくらいだからな。その辺りは三枝先生の専門ではないかな?」との事。
 和木市は進路とその暴風圏からは多少外れるが、雨は降り頻っている。
 外の風景を透かす窓は灰色に塗り潰されていた。
「昨日の内に遊びに行って正解だったな」
 ジョウチョーは緑茶をまったりと啜り、そう、朝食後の会話を始めた。
 キッチンから几帳面に皿を磨く音をさせるのは国定である。
 曲さんは腰から首元まで包帯をきっちり巻いて、黒い半纏を羽織り、昨日の惚けた状態よりも些かに真剣な目付きをしている。どうやら包帯の巻き方で性格的な部分が変わるようだ。ところでその包帯を巻いた体付きが、昨日の恥ずかしがっていたスクール水着よりも非常にイヤラシイ気がするのは錯覚だと願いたい。
 ちなみにその妙に真面目な視線は、国定に「お残しは許さん」と言われたピーマンの肉詰め、の残りであるピーマンに向けられている。朝食終了したはずの時間から三十分ほど経っているが、曲さんはロダンの有名な彫像(考える人)の方が躍動的なくらいピタリと動きを止めている。将棋なら長考のし過ぎでアウトになりそうな時間だ。
「遊びか、まぁ、本当にパァッと遊べるのは、事件が終わってからだろうけどね」
 昨日のあの降って沸いたような馬鹿騒ぎが三枝先生の差し金と悪戯だと気付かないジョウチョーに苦笑しつつ、残りの魔術師と魔法使いについて考えた。
「奴ら、ここまで攻めてくるかな? 国定、残りの魔術師について何か知らない?」
 ちょうど洗い物を終えて、手をエプロンで拭く国定に問いかけた。
「鞍路慈恵についての情報なら昨日上書きされた差分がある」
 椅子に座って、食卓にごく自然に腕組みのまま腕を置く。ちなみに私と同じように身長が合わないためか、若干肘の位置が高めの気がする。
「奴の魔術の名は【磔刑(たっけい)】、奴が欧州で魔術を発生させた時に、その魔術を受けた者の体の何処かに『十字』の紋様(サイン)が刻まれる事から名付けられた。詳しい作動原理は分からないが、欧州ではその魔術によって千人単位で昏睡状態に陥り、二日程(うな)された後に衰弱死している。加えて、鞍路 慈恵と言うのも本名なのか怪しいらしい。どうも【双頭蛇(アヌピスバナブイエ)】と言う別の魔術師結社にも過去に属していたらしい。既に自ら破門したらしいがな」
「あー、聞いた事あるなぁ、それ」
 確か、人の体から人外へと転生させる方法を研究している大きな魔術師結社の一つだ。ちなみに人から人外へと転生に公式に成功しているのは、目の前にいる国定のような魔人転生と、その隣でようやく泣きながらピーマンを咀嚼し始めた曲さんの死神公社の死神転生、そして双葉宮 咲が行った純粋なエネルギーと概念の塊にする神転生のみだったはずだ。奇しくもその成功の二例が顔を付き合わせて、片方が御飯を作って、片方がそれを食べている図は結構凄いと思う。
 双頭蛇は神秘院に属する正式な団体であり、言わばモグリの魔術師が多い中で、きちんと組織に属した魔術師を輩出している結社であるのは魔女協会の中でも知れ渡っている。バイオなんちゃらとかを使って新しい転生生命体を作り出す研究だった気がする。
「でも、彼は人体改造系や環境操作系って感じじゃないよね。能力的に」
「どうもその様子だと記憶などを操る輩のように感じるな」
 ジョウチョーの眼鏡がキラリと光る。前から気になってるけど、それ、どんな作動原理なの?
「でも、記憶とか操るタイプの魔術師って人外とかに転生なんか出来るの?」
 その私の問いに曲さんが「可能だ」とようやくピーマンを飲み込んで口元と目元を拭きながら答えた。
「公社では『寄生』、『乗っ取り』、『肉体交換』などで実質上妖魔の体を我が物にしている奴らは少なくない。無論、私達によって彼らは『人外として』手配、検挙も、それ以上の事もされているがな、中々鬱陶しいものだ」
 曲さんは包帯の締め付けによる性格の引き締め効果(?)のためか、些か厳しい口調で返答をする。
「でも、磔刑に掛かった人は衰弱死したって話でしょ? 魔術って効果が限定指向性だから、一つの効果しか及ぼせないんじゃないかな? 衰弱死させる事と妖魔の体を手に入れることなんて関係あるかな?」
「未熟者、効果は一つでもそれを利用した『結果』は応用によって様々に引き起こす事が出来るだろう? 例えば、【轢刑】の摩壁 六騎は機像兵の使い手だが、それを利用して義手、義足を操作していただろう。同様に【流刑】の保隅 流水は物体をすり抜けると同時に、前回は気付かれなかれる事はなかったが、魂を直接見る【魔眼】以外の様々な電子、及び霊的な探知などをすり抜ける事で様々な探知を無効化していたのだ。偶々彼らが自然に魔術の効果を応用していただけだがそれぞれ実際は凄い術式なのだぞ。特に君は侮っていたようだが、保隅の魔術を使えば人体から血も一滴も出さずに心臓を瞬きの内に抜き出す事だって可能だったんだ。俺は魔術師の中で一番危険だと思っていたのは彼だったのだからな」
 ……マジですか? あのちょっと別の次元に逝っていたおっさんが本当の意味で危険人物だったとは(にわ)かに信じがたかった。
「戦力分析がどちらにしろ甘い。もっとよく考えろ」
 まったく、この三日間で進歩したかと思ったら、云々と続く国定の苦言にイライラを募らせながらも、コホンと咳払いをして「ところで今後の対策だけど……」と切り出す。それに合わせてさり気無く自分の履いていたスリッパを国定の脛に飛ばす事も忘れない。
「どうしたんだ、国定さん?」
 予想外の攻撃だったのか、それでも最後の砦のためか「別に何『とも』ない」と脛を摩りながら曲さんに返答するクールフェイスの国定。流石に「何『でも』ない」と言わずに、皮肉を返せるくらいの気力はあるみたいだ。
「私が思うに、積極的に魔術師を探した方が良い様な気がする。何ていうのかな? 何だか、魔術師とか、その背後に居る魔法使いとかを超えた、魔女狩りよりも、もっと大変な事が起こっているような気がするの」
 直感的にそう言う私に同意するようにジョウチョーと曲さんも相槌を打つ。
「魔女の予感と言う奴だな。確か、異世界の理を操る、この世界の外から外観を観測する事に長けた魔女の能力と言ったところか。公社でも信用に足るモノとして、魔女の予感による事件予知も有力情報として処理しているし、有力な判断となりうるな」
 曲さんの付け加えるような言い方にも関わらず、国定はウンともスンとも言わずに、眉毛の間をくっ付けるような難しい顔をしていた。
「……もし、在姫が自ら魔術師を足で探したいと言うなら、俺はその考えに賛成できない」
「なっ!!」
 何で、とも続けられない。彼の射抜くような瞳が私を見据える。
「魔女狩り以上に大変な事が起きる可能性があるなら尚更だ。魔人や死神のように霊的処理を施した体なら関わらず、君は生身なんだぞ? 流石に魔女狩りの枠組みを越えるなら、人の世界の事柄と言えども公社は動かざるを得ないはずだ。双葉宮 咲貴の事例もあるだろう。まぁ、あれは担当死神の暴走行為による無許可の【斬殺】だったらしいがな」
 死神の手によって人が死んだ事例が死神にとっても痛い事なのか、曲さんは口をへの字に曲げて納得のいかない表情をしている。私の方からしてみれば双葉宮は噂に聞く限りは色々トンでもない事をやった魔術師との事なので斬殺されても仕方がないだろうし、それの報いを受けるだけの事はやったはずだ。むしろ、殺される事位は彼女の想定の範囲だったかもしれない。公社が人が死ぬ事を気にする事の方がおかしいくらいだ。何でも噂では千年も生きている、実は妖怪だろうと言いたくなる様な魔法使いや魔術師もいるらしい。
 人にはそれぞれ、個人が選択した人生がある。それに後悔するのは、選択した時からの全ての自分とそれに関わった全ての人と事柄を否定しているに過ぎない、と私は思う。良い事だろうが、悪い事だろうが、それを完遂した、御祭りが終わった後のような、不思議な疲労感のような気持ち以外は私はいらないと思う。だから私は終わる瞬間まで駆け抜けていたい……
 と、少々思考が脇道に反れて転がってぶっ飛んだが、国定の続ける物言いをとりあえず聞く事にした。
「……と、まぁ、死神をとにかく責めている訳ではない。むしろこの段階では十分な抑止力になるはずだ。しかし、魔女であろうと在姫は諸々の部分に置いて人の領域を超える事は無い。大蛇どもが蠢く巣に裸足で歩かせる事など出来ない。ここは昨日も言ったとおり、曲さんに守られながら大人しくここに引き篭もっているんだ。昨日からの挙動を見た限りは常寵も信頼に値する。俺が魔術師と魔法使いを狩る間は大人しくしている事だ」
 何ですって?
「つまり、何? 私は魔術師に一般人を盾にされたり、学校に侵入を許したりされてコケにされたのに黙って、しかも指を咥えて家の奥で縮こまって見ていろって言いたいの?!」
「君は戦士では無い。戦で死ぬのは魔女の本懐では無いだろう?」
「そう言う事を言いたいんじゃなくて、それに、私は国定を一人にはさせられ……、え?」



 そこで、私は違和感を感じた。
 黒い金属をピタリと後頭部に突き付けられて、それが銃口だと分かるような、そんな硬く鋭い視線。
 それは流血の殺意を十分に含んで、生理的に受け付けられないケダモノがヌルリと撫で回す舌先ような嫌悪感すら感じた。
 私の感覚と、それを拡張する屋敷の魔術的な簡易結界が何かの襲撃を掴んでいた。それが異常なまでの、知覚出来るほどの襲撃者の攻撃衝動の正体だ。
 その視線とは別に、ほぼ同時に館の敷地に忍び込んだ小さな気配。それは玄関に手を掛けて、そのまま入ろうとしていた。封印魔法ごと破壊して押し入ろうとする者。
「どうしたのだ、在姫」
 私の硬直に気付いたジョウチョーがそう言った直後。
「! 伏せろッ!」
 国定もそれに気付いた。



 魔女の館に爆音が響く。
 私は衝撃でボールのように飛んで、床に強かに打ち付けられた。
 続けざまに振動がもう一度。
 ピンボールのようにまたしても吹き飛ぶ。
 余りの衝撃と空気の破裂に耳鳴りがして、周りの音も満足に聞こえない。
 ばしゃりと、何か熱いものが私の身体に掛かった気がする。
 爆炎による華麗な閃光のためか、衝撃のためか? 目元も白く濁ってチカチカとして定まらないうえに煙が濛々と漂っている。
「――PGだ、対戦車砲が――、在姫――連れて館の奥――」
 対戦車砲? 何でそんな戦場で使うようなモノが出てくるのだろう?
 衝撃でフラフラとして、残骸を手に立ち上がろうとしていた私の手が滑りつく感触を得た。
 私の身体に降りかかった紅い血潮。まさか、国定!
 それを確認する前に誰かが先に手を掴んで、玄関まで一直線に引っ張る。
「在姫お姉ちゃん、こっち!」
「あ、あなたは!」
 朦朧とする意識と私の寝巻きの袖を掴んだのは小さな魔術師だった。



            −Side B−

「国定さん、しっかりしろ!」
 痛み。
 転げ回りそうなほどの激痛。
 曲さんの言葉に白く濁りそうになった意識が再びはっきりと戻る。気を抜けば、今にも支えと雛形を失ってバラバラになりそうな俺の体と意志を纏め上げる。
 人間なら痛みだけで、精神が活動を拒否して死に向かいそうなほどの激痛を堪える。
 館の外から放たれた対戦車砲。簡易結界とは言え、物理的防護では無いそれはやすやすと弾頭の侵入を許し、さらに屋敷の壁を粉々に爆砕させた。
 その直後、もう一度放たれた、在姫に向かう弾頭を素手で受け止めたために俺の左手は吹き飛んでいた。骨は髄から露出し、肉が筋が垂れ下がるほどバラバラになった左手はもう残り少ない霊気装甲では戻らないが、代わりに霊気装甲を集中させた左手は戦車装甲よりも硬かったために弾頭の炸裂で吹き飛ぶ事以外は在姫に傷が付くことはなかった。傷つかない事は良かった。良かったが『奴らに在姫を奪われてしまった』。
「――大丈夫だ。意識はしっかりしている。右手もまだ使える」
 本当なら、あまりの痛みと不甲斐無さに怒り狂いそうだ。だが、爆煙の中から現れた小さな魔術師が在姫を連れ去ったのだ。早くしなければ、あの小娘と隻腕の魔術師に在姫の心臓が抉られる。ここは冷静にならなければいけない……。
 うつ伏せに倒れた状態から膝をついて一気に胴体の力だけで立ち上がる。

 ……死神が居るからと高に括っていたつもりはなかった。雨の日だから、襲撃もしにくいだろうと思ったのも言い訳にならない。ただ、居心地の良い、この場所に皆と居たかった。そう願って、見張りを怠ってしまった俺の大失態だ。
 そんな状態で、冷静になんてなれはずがないッ!
「畜生ッ!」
 残った右手で残骸となった食卓をぶっ叩いた。食卓が砕けて散らばる。
 しかし、いつまでも怒っている暇は無い。開いた壁から打ち降り注ぐ横薙ぎの風雨が、俺の体と荒れる心を冷やし、それに合わせて状況を見極める。
 いや、冷やす必要は無い、熱く焼けた鉄のように、痛くなるほど雪のように白く輝いて、キレた中で最速の手段で在姫を助ける。
 それにしても館の外から飛来した爆発性の弾頭の命中精度。混乱する俺達の隙をついての在姫の『拉致』。見事過ぎる連携の手際だった。
 そして、……奴らは俺達を騙したのだ。
「常寵さん! しっかり!」
「……うっ、拙い、な、……これは」
 キッチン側に横たわる常寵の鳩尾の下辺り、吹き飛んだ館の破片である、小さな鉄柱が刺さっていた。
 幸い出血は少ないが、動かせば鳩尾の真下にある胃の過敏な神経を刺激して、悪化するかもしれない。
 彼女もそれを知っているのか、身じろぎもせずに、目を瞑って静かにじくじくたる痛みに耐えていた。人間でしかも、戦闘はあっても戦慣れはしていない中で、この冷静さは逆に驚嘆させられる。
 死神の曲さんは黒い半纏、もといあらゆる物理的かつ霊的な攻撃に耐える不壊黒縛衣の守りのために、対戦車砲程度で傷ついてはいなかった。
 呼吸が整った。糸が更によれて切れそうなくらいの中で俺の意識と枠組みが整われた。
「……曲さん、在姫はどっちに!?」
「玄関を通ってそのまま南の高速道路方面に向かった。現在は道路工事と言う名目で封鎖中のために他に人は、あっ! 国定さん! 彼方も治療を!」
 曲さんの制止を振り切って、左腕の付け根から漏れる霊気と仮の肉体から零れる血とそして崩れていく枠組みを抑えながら在姫を追った。



            −Side A−

 空を飛ぶのは非常に難しい。
 昔の人は船により水の境界を乗り越える事は出来たが、気球や飛行機が出来る以前は空は隔たりよりも厚い異界と考えていたと言われている。届かない空は天空の、神の、人以外の領域だった。それ故に人は天にまで届く塔を作ったり、蝋で作った羽で飛んだりと、神のいる座まで届かせようと様々な努力をしていた。しかし、それは人故に道具を借りるのが常だった。
 何かの力を借りる、それが箒だったり、魔獣だったり、鉄パイプだったりするのが人の限界である。人が何の力も借りずに単体で飛ぶとしたら、それは魔法すら超えている。潜在意識化の頚木すら引き千切る、『人は何も無しに飛べない』と言う常識を打ち壊す。トンでもない大魔法に属するだろう。
 それを小さな魔術師である斜 蘭が必死な顔でしかも魔法よりも汎用性に劣るはずの魔術で行っている。作動原理が不明とは言え、見た目はただ彼女の力で飛んでいるようにしか見えない。
 私を抱えて山側の国道に沿って飛行を続ける。流石に私を持ち上げているためか、若干速度は以前見た時よりは遅い。それでも疾走する車よりは早いはずだ。
 私達の周りには不思議な事に雨が降ってきていない。見上げてみれば、雲の一部がポッカリと開いて、見えない何かの力が私達を牽引しているようだった。

 そして私達の沿う国道を疾走する一台の外車。その左ハンドル席に座るのは、三枝先生だった……。
「セツカは怒りに惑わされているの。今は誰も止める事が出来ない」
 斜蘭は私を抱き抱える事とは別の、他の苦痛に耐えるような顔をしている。
 私は訳が分からなかった。何故、昨日まで親密にしていた先生が仇でも追うように私を追うのか?
 私が何か悪い事でもしたのだろうか? そんなはずは無い、私は三枝先生を慕っていて、無礼を働いた事やましてや殺されるほど理不尽な事をした覚えない。
「どうなってるの? 本当に……」
 思考の迷宮とやらが存在するなら私は今現在彷徨っているところだ。私は一体どうすればいいのだろう?
 何気ない関係だったはずの教師が生徒の私を殺そうとしている、頭がこんがらかりそうだ。
「――在姫お姉ちゃん、今は逃げる事に集中して、お願い」
「……うん、分かった」
 その状況を察した斜蘭によって促され、ようやく気が動転している状態から抜け出した私は噛み切り馴れた親指から血を滴らせて詠唱を始めた。
「I summon one from blow universe in Ithaqua' name. Derive Sylph, Hippogriff! (我はイタクァの名に於いて風界より素を呼ぶ。出でよ、風霊素、ヒッポグリフ!)」
 世界に不可視の大きな扉を作り上げて、光の尾を引きながらヒッポグリフを呼び出した。
 羽ばたいて寄ってきたヒッポグリフ。
 しかし、斜蘭の負担を減らそうと彼に飛び乗ろうとした瞬間、彼は私を制するように鳴き声を挙げて旋回した。
「あれ?」
 その途端、彼と私を結ぶ線上を閃光が駆け抜ける。
 後ろを向けば、運転手側の扉を羽のように上に向かって開き、黒い車体から黒い銃身を先生は覗かせていた。
 ヒッポグリフの鋭い視線が彼女の発砲を見切ったのだ。片手での照準の保持に関わらず綺麗な射線。それは死を描くには、美し過ぎる殺戮の方程式だった。
「愛用のスコーピオン?! セツカ……、本気で殺す気なのね……」
 そう斜蘭は呻くと僅かに速度を挙げて、蛇行と旋回を混ぜ合わせるように立体的な飛行をする。
 そして、私も彼女に甘えてるだけにはいかない。
「Go!(ゆけ!)」
 私の魔力の篭った一言で全てを従者は理解すると、ベッドほどの面積もある片翼をそれぞれ翻して三枝先生、否、魔術師へと立ち向かう。
 射線外に相当する左の運転席の反対側、助手席の右側から回り込んで車の天井に降り立つと、私の胴体なら軽々と掴める前足の鉤爪を突き立てた。鋼鉄の天井にバターにナイフでも突くかのようにあっさりと抉りこむ。
 だが、天井が爪で捲り上がったと同時に、彼は勢い良く飛び立った。
 捲くれ上がった天井から光の線が十数発、映画で聞くものより甲高い銃撃音を立てて飛び出した。
 天井に向けられた銃口が硝煙を雨に吸わせていた。
 怒り狂った彼女を止める手段はあるのだろうか?
 車に体当たりして彼女を止めると言う手も考えたが、流石に時速百二十キロ以上で車が横転したら大惨事になるのは目に見えている。何があったのかは知らないが、彼女を殺す気には私にはなれない。
「まったくどうなっているのよ?!」
 悪態付いても仕方が無い。とにかく今は逃げるのが先決だった。
 風切り音。
 頭蓋を撃ち抜かんと迫る弾丸群を体を傾けて斜蘭は避ける。
 華麗なる機動性で魔術師が縦横無尽に飛び回る。
「セツカ、お願い、正気に戻って……」
 少女の小さな叫びは届かないのだろうか……。



            −Side C−

 彼女は右足でアクセルを踏み、ハンドルを左足で御しながら、残った左片手で、口にくわえた(さそり)の名の付く銃に、弾の詰まった弾倉を込めると言う器用な事をしていた。車の運転と弾込め作業である再装填(リロード)を同時に行っているのだ。
 それを終えると、銃の手入れのためにつけたあったガンオイルにも気にも留めずに、この五年間の今までで無いほどに潤った唇をぺロリと舐め挙げた。
 舌先が化粧っ気の無い口唇をなぞると、セツカは歓喜に震えた。
「あぁ――、やっと、ブチ殺せる」
 口に咥えていたガンオイルの光沢でギラギラと脂ぎった口唇が怖気を巻き起こすほど淫靡だった。
 興奮で鼓動は高まり、血流はアドレナリンをヘモグロビンと混ぜ合いながら、瞳孔を収縮させ、呼吸は性的な興奮を得たかのように明滅を繰り返していた。
 五年間。魔術の研鑽を積みながらも、あくまで確率の高い手段の一つである、魔法を捜し求め、それでも見つからずに奴らを倒そうと放浪を続けて、五年、ようやく手の届くところに獲物は現れたのだ。
 加えて獲物は心臓まで背負っている。
 彼女の活発な生体反応に比例しつつ、心が在姫の白肌を切り裂き、顔を砕き、命乞いの大叫喚(うた)を聞きながら(なぶ)り殺すと思うと、セツカは一種の快感にも似たおこりに応じて、身体も雨の冷気を吸ってゾクリと震えた。
 冷たい雨など問題にならないほどに、彼女の肉は燃えていると言うのに……。
 再装填終了。左肩からスリングベルトで銃を下げ、左足がギアをシフトさせるためのクラッチへ戻り、残った片手が猟犬の鼻先を決めるステアリングに添えられる。が、今一度ステアリングから離すと、額から眼帯のように右目のポッカリと空いた眼窩を隠すように袈裟懸けに掛けた、少年漫画の忍者のような鉢金を軋む音を立てながらながら掴んだ。残った左の瞳をいっぱいに開いて痛みに耐えるように鉢金を掴む。

 例えば、それは犬に噛み殺された親族と自らの噛み千切られた身体を心に刻み、世界の犬も、犬の子すらをも憎み、自ら牙を持って犬を追い回して惨殺する感覚に似ていた。
 まさしく、犬を憎みながら狗へと成り果てた復讐の走狗である。

 あくまで狩る側と言う圧倒的な立場にある彼女は、例え元凶で無くとも、更に子であるにも関わらず、在姫を酷く憎く感じられた。
 憎悪を憎悪で塗り固め、復讐の彼岸に旅立って対岸に降り立ち、殺意で殺意のキャンバスを狂ったみたいに塗り潰し、もはや、彼女は人のなりをしていながら、自身の執念に凝り固まった化け物だった。
 そう、彼女は魔術師で無く、化け物だった。
 その彼女の無くなった右目の奥で、その光景は何度も再生されていた。人形のようにバラバラに玩ばれた両親の骸、その一部始終を忘れずに、右目の奥が痛みとなって幻視させる。
 そして、痛み。踏み潰され、千切り取られた右二の腕の中心からチリチリと、成長痛に似た鈍い痛み、幻痛を感じている。
 いつまでも続く過去の疼痛。

 しかし、其処(右腕)とは違う痛みも何故か同時に体が覚えていた。心臓から広がる染みのような小さく、か細い(いたみ)

 だが彼女は、強烈な右腕の痛みと鮮烈なまでの右目の記憶と、信頼と友諸々の全てを裏切った小さな矛盾を無視するかのように獲物を見据えた。
 開かれた天井から左目が最適な仰角とタイミングを、左手が最速でアグレッシブな射線までを位置づけた。
 蠍が二十発の毒を放つ。
 前方から襲い掛かろうとしていたヒッポグリフが甲高い声を挙げながら、翼に走った痛みと負傷で飛翔を鈍らせ、そのまま高速道路の看板を避けきれずに激突。
 魔術師は絶妙な荷重移動でハンドルを切って、目の前の地に落ちたヒッポグリフを轢かんと後輪を滑らす。普通なら横転の危険もある事も、狂った彼女には邪魔する相手を殺す事しか思い浮かばなかった。無論、仮に横転したとしても今の彼女は在姫を殺すまで追い続けるだろう。
 しかし、ヒッポグリフはその巨体に似合わないスピードで転がり、その轢殺を回避した。
「…………」
「――――」
 一瞬の交錯。
 鷲の上半身に天馬の胴体を持つ魔獣。その異様な体には似使わない知的な鳶色の瞳がサイドミラー越しに隻眼と交わった。
 それはまるで悲しみを、狂気を理解し哀れむかのような瞳の色だった。
「そこに佇んでろ化け物、貴様の主人は私が殺す――」
 その言葉はまるで、決意を、無理に塗り固めるような、言葉の戒め。
 三ヶ月の教師の思い出を、八年に及ぶ復讐者の重さで押し潰す。
 小さな少女が、教師だった彼女に投げかけて憧れの視線を、頭から取り除く。
 その間の思考と言うには短過ぎる時間は雷鳴よりも早く頭から消え去った。
 高速道路の防音壁に軽く掠るボディはフットブレーキを駆使した高難度のドリフトとステアリングを切るカウンターでかわされる。片腕故にサイドブレーキの使えないセツカが体得したドリフトだった。雨が降り、必要以上に滑りやすくなっている路面を魔術師は確実にタイヤから情報を読み込んで、操作に反映させていた。
 再び、道路のど真ん中に戻る車体。
 左手を胴体に食い込ませるように窮屈にシフトレバーに伸ばして、利き手の反対に位置するギアを止まらない早さで一段階挙げた。
 一トンを越える黒い悪魔(ディアボロ)が更に甲高い咆哮を撒き散らし、エンジンの回転数と速度を上げた。


27 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 10:23:29 ID:o3teQDzJ

大叫喚2

            −Side X−

 空間作成は魔法でも奥義に当たる物である。
 通常空間とは僅かに異なる層である位相空間や、まったく別の地点と地点の距離感覚で騙す圧縮空間などがある。大抵の場合はその場にあるものを用いて、それを応用して感覚器官から受ける認識や印象を変える空間などの、有り合わせのモノで作られるのは空間魔術である。

 しかし、魔法による空間『作成』は違う。
 世界は無数の可能性とその分岐点と時系列によって成り立っており、そのどれかが違う世界を異世界(パラレルワールド)と呼ぶ。異世界は無限であり、同時に決して他の世界とは交わる事が無いために、その存在性を保っている。
 だが魔法は、その邂逅を、既存世界と異世界を接合する事を可能にする。
 魔法使い達は無数の特異点の中から自らの同期するモノを見つけ、それを魔力で引き寄せるのである。
 それはあたかも自らの望んだ世界を作るように見えるため、空間作成と呼ばれる、との事だ。

 身体の内の能力、零から始まる事が可能な魔法使い。
 身体の外の技術、コンマ壱からの飛躍をする魔術師。

 言うなれば才能のある芸術家と技術の有る職人のような違いだろうか?

 残念ながら、魔術によって空間を作成する事は不可能に近い。
 存在を証明し真似る事は出来ても、現実界と異界とを邂逅させる手段が無いのである。

 それを文字通り、容易に成し遂げる食人騎(しょくじんき)と言う異世界の騎士もいるが、彼らの場合は、それは魔力の制約のある魔法ではなく、ただの能力であり、彼らは呼び出されるのでは無く、望む世界へと侵入するのである。そんな事も思い出すのも、懐かしい過去、と言ったところだろうか?



「では、例えば、邂逅させる事無く、改変、つまりこの世界を再び創造する事は可能だろうか?」

 そんな疑問が魔術師の私の心の中に去来した。

 世界は何か、人などでは計り知れない、トンでもない何かの存在によって成り立っている。運命を定めたり、時に流れがあったり、記憶が失われたり、何かが簡単に滅びてしまったりする事。それらを司る【時守(ときもり)】と呼ばれるモノどもが世界の、秘密を支配しているようだ。
 しかし、彼らとて、むろん世界最大の宗教機関である教会の神とて、その名状しがたい、万物の根源とも言える存在を超えることは出来ない。彼らも、また人によって作り出された神も、その神とすら呼ぶにおこがましい、全ての一である夢幻にして無限の夢を見る【ジュー・ショクァッ・キュキ】と名付けられたモノを超える事は出来ないはずなのだ。

 だが、混沌で有る故に世界に綻びはある。

 それを利用し、まず、【私】はこの世界の【神】となる。

 私はこの三千世界を遍く統べる万能者と成り代わるのだ。
 神とは純粋な力である。
 雷神、風神、水神、守り神、邪神……。
 力の純な傾向を示すのに、その冒頭に自身を形容する言の葉が付くだけなのだ。
 そして、私が目指すのは【魔】、そのものの神である。
 神となり、巨大な魔の純結晶の概念と化した私は、世界の綻びに伝手に巨大な穴を開ける事出来るであろう。
 それは世界の望む場所を裏返すための穴。
 改変と同時に、私は名状しがたいもの【ジュー・ショクァッ・キュキ】を支配下に置く。
 そして、私は、私の知り尽くした世界も、その先の世界も統べる真の神と成り代わるのだ。

「まずはそのために、この肉体を捨てねばな」

 幾度と無く肉体を捨ててきたが、今度は人間である事が最後である。
 千年にも渡る計画も大詰めとなってきていた。

「六人中五つでも魔方陣の形に問題は無い。五芒星(セーマン)であることに変わりはないのだからな。神へとなるための、穴さえ開けられれば良い」

 この駆け引きで私の予測が想定範囲内であれば、今日中に彼らのうち、三人中二人は必ず死ぬ。
 志低き魔術師とは本当に小賢しく、それでいて愚かで、弄りがいのある玩具である。
 いや、玩具とは失礼か。むしろ奴らは道具だ。実用に適さない玩具と使える道具は分けるべきだろう。
 道具である者どもの、魔力の無い心臓が必要不可欠である。
 空洞の骸、空の心臓は無限の負の穴、そこを通すだけなら流れを作るのに都合の良い代物だ。
 空虚は無への奈落に結界を落とす綻びなのだ。

「逆月の宴まで、後、九日、……か」

 瞼を開けた瞳に雨が突き刺さる。その一つ一つの飛沫が、自然の事象が終わる事が、私の計画到達への秒読みのように感じられた。
 全てが満ちている確信をしながら、私は豪雨と暗雲の奥の、蒼天で白い隠する更待月(ふけまちづき)を見据えた。



            −Side B−

 走る。
 全力で走る。
 圧力で砕けかけている足が魔力の供給が追いつかずに一歩踏み出すごとに震える。
 既に人の出せる速度では無い。皮膚を叩く暴風と瞳に当たる雨飛沫を意に返さず走っている。今にも足場から砕けそうな脆い歪さ。それでも倒れない。それでも転げない。それでも崩れない。
 針一本の上に自らの爪先を合わせて乗るくらいのバランスで、拙いほどの感覚を手がかりに足を運ぶ。
 地面を蹴りこむような走りは身体を必要以上に浮かせてしまう。それでもそれを押さえつけるように獣の感覚で着地、同時に力の解放。

 車の走行能力など問題にならないスピードで俺は駆けていた。

 肉体の痛み以上の心の苦味。自らの油断が胸の奥の全てを掻き乱す。
 怒りだけに任せて、ただ猛り狂うように吼える事も出来たが、俺の一角の理性がそれを押し留めた。
 単純な衝動よりも優先させるモノが俺にあったからだ。

「在姫、在姫、在姫……」

 俺には生前の記憶が無い。故に、この身に時折甦るあの狂った記録が理解出来ない。
 実感のある俺の記憶だと断定できないものは例え、頭に残っていても何かに記しただけの記録と変わらない。
 歴史に名の残る人物でありながら、俺のその実態は判然としない。霞の掛かった山の麓のように、その裾を垣間見る事が出来ないのだ。
 魔人となり、一つを残して、全てを捨てた。
 ただ、その残した理由も目的も失い、存在するだけの者になってしまった。
 残る一つはただの狂気である。

 怒り、憤怒の記憶、悪夢。

 立ち塞がる父親を殴り殺し、呆然としながら子を抱く母親を切り倒し、残されたか弱い嬰児を踏み潰す。
 焔が舞う。狂った舞人は俺を焦がし、地に熱風を轟かす。
 広がっていく紅い風景。それはあまりの小気味の良さに喜劇のようで、

 顔に張り付いた笑みが零れていた。


 それ以前の何か、一つ、大事な事を忘れていたような気がするが、欠片も思い出す事が出来ない。
 そう、何かを失って、もう二度と失いたくなくて魔人となったのに、なった途端に、掌の指と指との間から水が毀れていくように足元へと消えていった。

 とにかく、今度は失ってはイケナイのだ。

 俺は、普通の魔人の分類とは異なる。
 通常、魔人は内部の魔力を失えば、その枠組みが崩壊して完全に消え去る。
 それは『菅原 道真』や『平 将門』、『織田 信長』や『天草 四郎』も例外では無かった。
 しかし、俺だけはどうやら別枠のようだ。
 地獄の門番と同時にその使い手である領主となった俺は、地獄の負の力によって引き寄せられて何度も魔人転生を繰り返すような摂理に囚われている。
 再び魔人となるからには、その力を再生されると同時に初めからやり直し。つまり転生前の記憶は全て失われるのだ。
 だからもし、俺と親しき人となった者でも、力を失って地獄で転生すれば、何も覚えていない。

 そのお陰で俺は何度も裏切りを繰り返したようだ。そのつもりはなかったのに、魔人として再び召喚された時には立場が変わっているのだ。そして、それも覚えてはいない。
 ある時は親しい友となった者を殺し、
 ある時は育てた子供を置き去りにし、
 ある時は慕っていた部下を裏切り、
 ある時は恋仲となった女を騙し、
 ある時は最も嫌悪した敵に捨て駒に使われた。

 俺は既に矛盾を何度繰り返したか分からない。
 一度で存在が消えれば良いのに、何度も繰り返している。
 存在の否定は認められない。終焉である死は在り得ない。存在の否定理由を俺は再認できない。それは何が間違いなのか分からないからだ。遠い過去、最も望みながら、最初に失った誓いの記憶。
 俺は何度も地獄の住人達に慟哭のように問うたが、彼の者は一様に「彼方が最も望んだものだ」と答えた。

 俺はそこまでして何を求めていたのだろうか?
 俺は何をしたかったのだろうか?
 俺は何者だったのだろう?

 記憶喪失とは違う。記録はあってもその記憶が無いのだ。俺には何も手がかりは無い。全てが知覚出来ないほど細切れで、しかも破片が足りない。
 例え記録があってもそれが俺だと断定できなければ、それは朝焼けと夕焼けが分からないと同じだ。記録と記憶は等しくないのだ。俺の転生の初めから続いている連続した感覚の記憶、実感が唯一俺自身だと断定できるのだ。

 だから、俺がまだ転生していない、この残された時間、と実感が全てだ。

 思えば十六年前、まだ特捜室でなく、特別捜査準備会と呼ばれていた頃の、十代で異例の大抜擢により室長となった馬鹿に間違って召喚されなければ、あの灼熱の大地の底で燻っていてあの魔女との出会いも無かったはずである。
 あのいつまでも柔らかな風の吹く幻想の大草原の真ん中に生えている、大きな『くぬき』の木の下で、二人の魔女と小さな魔女候補を迎えた。
 二人は見送り、一人は門を通った。
 その一人の女と俺は、俺自身の名を掛けて約束をした。


《地獄から王の持ち物を持ち出すのは重罪だぞ。古き付き合い故に、直々に門を開けてやると言うのに、俺の物を盗むとは不愉快な女だ》
《その時は、その時、人間、誰でも死ぬ。だから、『元は人間の』お前でも死ぬはず》
《ふん、魔女如きが。門番にして、王となった【魔人】と闘り合うのか? 不愉快を通し越して愉快だ。この間の暗殺者と女騎士を思い出すぞ》
 彼女は俺の不意をつくように、背伸びをしながら片手を俺の頬に掛けた。
 その表情は何故か記憶も無いのに懐かしく感じた。
《悲しい人。未だ……、囚われている》
 人を忘れ、自らを忘れ、誰からも忘れられる時を過ごした俺は、その言葉に、肯定するしかなかった。
《…………世迷いごとを……、俺は昔から、地獄の底に、奥底にただ独り、
 叶えられなかった夢のため、
 永遠に続く復讐を求め、
 最後まで失敗した覚悟によって、
 自らに科した業を背負い、
 過去を捨て、
 それらに続くモノを使って、ただ生き延びるのみ、
 故に俺は【地獄使い(ジャックインザボックス)】と呼ばれるのみだ。貴様こそ、下らない世界の秘密に執着したまま、同じ底で死ぬがいい》

 女は清々しく、俺の真後ろの赤い壊れた空よりも比較にならない、彼女の背後の、透けるような蒼い空のように笑った。

《じゃあ、あるかもしれない決闘のため、約束。もし私、死んだら、『あの娘』、責任取って、―― 守って》
 その魔女の覚悟に負けた俺は頷いた。
《了承した。王と、境界の門番たる【国定】の名にかけて、命を賭けて九貫在姫を必ず守ろう》


 彼女は死んだ。
 彼女の約束のため、いや、この残る記憶のために彼女は守らなければならない。

 また零れ落ちる事を俺は許さない。妥協しない。諦めない。
 途方も無い繰り返しを俺はしているはずだ。断片すら残らない記憶の中で、俺は何度も己の悪意に際悩まされる。
 それでも、俺はやらなければならない。
 俺は一本の槍にならなくてはならない。折れても、曲がっても、朽ちても、貫かねばならないのだ。
 たとえ刃先が無くとも、俺は貫く。
 意志の無垢なる刃を秘めて。

 雨が一段と酷くなった。
 下からも雨が降るような激しい豪雨。その路面で足元が滑り、俺は無様に転げた。
 四輪駆動の限界走行と変わらない速度で駆けていたのだ。それは形容すべき車体の座席から路面に放り出されたのと同じようなものだ。
 皮が背中から削げる。しかし、そのまま受身を取って転がったままから再び走り出す。
 曲がった道路標識、爪痕、道路に残るタイヤの跡。散らばる薬莢。
 それを手掛かりに彼女らを追い続ける。

 在姫は誰にも渡さない――。



            −Side C−

 私、斜 蘭の人生は生まれから狂っている。
 私は家族の繋がりを求めて、それを断絶された故に世界を彷徨う事を決めた。いつか、私が心地よいと思える繋がりを求める為に。

 私の家族はそれは仲が良かった。
 父は優しく、母は思いやり深かった。
 父はあの少しおかしくなってしまった物理学者の保隅 流水とも親しく、高名な物理学者として名を成し、母はそれを手伝っていた。
 共に愛し、睦まじかった。
 誰もが羨む家庭だったと思う。

 ただ一つ、夫婦二人が実の兄妹であると言う以外。

 何時だろう? 私の家族は突然狂った。
 母が父を罵り、父は母を皮肉った。
 愛情は憎悪の裏返しとも言えるが、激しい憎悪の棘が殺意すら巻き起こした。
 それは身内であるだけに近親憎悪と言うだけでは言い切れない、凄まじいものとなった。
 三人だけの小さな世界だったのに、その殻が壊れた。父が女に入れ込んだと母が言い、母が父に隠れて密通したと父は蔑んだ。私はそのどちらも目撃しておらず、どちらも奇妙に思えた。それを言っても互いは納得せず、互いと、それを指摘した私への憎悪だけが倍加していった。
 時に暴力が振るわれ、私はそれを受け入れた時があった。

 殴られ、時には陵辱すらされた。
 でも、良かったのだ。私が我慢すれば、再び二人は元に繋がり合うのだ、とそう盲目的に信じ続けた。それ以前に私は、信じる事しか出来ないほど幼かったのだ。

 両親は互いに刃物で刺し合い、私の目の前で死んだ。
 死ぬ直前まで、私すらを呪っていた。
 私はそれから、時が止まったかのように成長すらしなくなった。
 本当は二十代などとうに過ぎた年頃なのに、私の身体は大きな心のショックで、元々よりも更に壊れたようだった。



 見えない繋がりを信じていた。
 それは父と母が研究していた重力のようなもので、目には見えないけど、確かにあるものだと思っていた。
 とりあえず、埋葬も終えて誰も居ない家で、私は両親の研究を続けた。何もする事がなかったが、それでも両親との繋がりが欲しかったのだ。私は彼らの残した研究に没頭し、気付けば重力を自在に操れる装置を作り出していた。
 それでも、作り終えても繋がりは感じ取れなかった。
 それを知って茫然自失で佇んでいたところに、何処から嗅ぎ付けたのかは知らないが、悪い魔法使いは私の研究を横取りしにきた。
 別に取られる事はどうでも良かった。研究の成果は全て頭の中に入っていたし、繋がりはそこには無い事を知ってしまったからだ。
 ただひたすら老衰を待つ老人のようにそのまま終えるつもりだった。
 だが、繋がりを無い事を確認したそれを、そのまま自分だけの物にしようとした魔法使いを許せなかった。私の繋がりだと錯覚でも思ったものは私のものなのに、その見えない繋がりとそれを信じた、私の命すら奪い取ろうとした。

 許せなかった。
 でも、抵抗する力は無かった。
 繋がりなんて何処にも無いのだろうか?
 繋がりなんて幻想(たわごと)なのだろうか?
 そう、思っていたとき、悪い魔法使いの体が吹き飛んだ。
 散弾を喰らって床に叩きつけられ、更にそこから逃げようとした魔法使いを、身体の丸い男が太い足で繋ぎとめた。

 二人の魔術師、オギとセツカ。あの巨大な院に許可された、人道と魔道を無視した人間に対する各国家間の密約によって完全殺人許可を持つ三百六十五人の、国際的に合法化された魔術師と魔法使い専門の殺し屋の内の二人。
 体創術師(フィジカルメイカー)のオギと連続修士(コラテラルマスター)のセツカ。
 彼らが追っていたのはテンプル騎士団の流れを汲む極悪の魔法使いの団体で、その大元まで追いかけ、手掛かりまで近づいて来ていたと言うのだ。
 無論、それだけで無く、彼らには目的があった。
 『魔法使い』になる事。
 私の研究を横取りしようとした悪い魔法使いから心臓を取り出し、魔法使いに生まれ変わろうとしていた。
 しかし、私を殺そうとしていた魔法使いの心臓はもう使い物にならないほどのギリギリの許容量で、ぶっちゃけて言うならあまりにも魔法使いの才能は無くて、そのまま捨てられた。

 彼らに私は教えられた。
 『魔法使い』は見えないモノすら作り出せると言うのだ。

 私は彼らにくっついて行くことにした。
 彼らの見つめる先に、もしかしたら、見えない繋がりがある事を信じて……。

 子供のように狂ったように面白おかしく過ごす日々が楽しくも感じられた。
 いつしか演技は日常となり、それが私自身となった。
 最年長のはずの私が、何時の間にかセツカとオギの子供か妹のように、くっ付いて廻るだけの存在になっていたのだ。

 そして、私は在姫と出会った。
 彼女には見えない何かがあるように感じられた。
 確信にも満たない、それはただの予感。それを信じる事にしたのだ。

 私は、日常を捨てて、重層可変士(マルチレイヤー)シャランへと戻る事にしたのだ。



 雲の切れ目から光が降り注いでいた。私は橋上手前で在姫と分かれて、田舎町と都市部を分ける太臥河の橋の上に居た。辺りの道路から跳ね返る雨の冷気が火照った身体を灌ぐ。
 目前には狂ってしまった魔術師。いや、それは私もか。

 静止軌道上に打ち上げられた私の重力制御衛星が水を、雨を弾いている。
 グエーザーと呼ばれる重力の束。レーザーが光を励起させ位相を揃えたものなら、グエーザーは特定の重力子を励起させて位相を揃えたものである。物体の固有振動数に位相を合わせる事で特定の対象を分解させる事も出来る。一昨日、在姫に『警告』代わりに放ったのもそれだ。重力子は狙った物質以外は無傷で通り抜け、素粒子レベルまで分解させる。勿論、それを逆転させて、私の身体周辺などを対象にして重力の位相を反発させて無重力状態、そして牽引して空を飛ぶようにすることも可能だ。つまり衛星軌道上で捕捉させれば、例え核ミサイルでも放射性物質まで分解させ、無効化可能させたり、飛ぶ向きすら変える事も可能なのだ。

 それをセツカに放たなければならない。
 黒い、オギのランボルギーニ・ディアブロGTが文字通り悪魔のようなスピードで襲いかかってくる。
 完全に私すら轢く気だ。

「ぷあ・んくろ・ぶ」
 旧エノク語を通して衛星軌道上から黒い悪魔に狙いを定める。搭載済みの量子コンピューターでの軌道計算と地磁気やローレンツ力などの影響を受けない重力子の超直進性により、誤差の修正まで一秒以内に片を付ける。重力の影響は光の速さで伝わる。方向制御のための演算処理の一秒は流石に縮まらない壁とはなってしまったけどね。

 悪魔は音も立てずに崩れ、形を失う。
 鋼のみを分解した結果、エンジンと外殻を失った車体の残骸。
 衛星の重さの関係上、射出口は一つしか設けられなかったために、雨を弾くためのグエーザーの効果範囲から外れた私はバケツをひっくり返したかのように雨に塗り潰された。

「――――?!」

 車外に慣性の法則で放り出されるはずだったセツカが見当たらない。
 そうだった。
 日常から外れ始めた今頃になって、彼女の『魔術』を思い出した。
「とぴ・り、ど・んあどり・すれ・い」
 二節のみのエノク語で私の方へとすぐさまグエーザーを戻す。その際に弾く、いや消すのは水と鉛である。
 目前で鉛玉、もとい銃弾が粉以下の物質になって掻き消えた。

 どうやら直前で間に合ったようだ。

 時折横薙ぎに降りつける雨の中で、硝煙を漂わせる銃口を向ける親友(セツカ)と対峙した。


28 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 10:48:03 ID:o3teQDzJ

大叫喚3


            −Side A−

 橋の横に置かれた、その昔荒ぶる河の神様を鎮めるために建てられたと言う伝説のある石碑に私は隠れていた。
 水気を吸って張り付く髪と薄手の寝巻きが僅かな不快感を醸しだしていた。
 降りしきる雨でとっくに身体は冷え切り、私の小さな吐息は雨の音で掠れていた。
 石碑の陰越しに、そして霞むような視線の先に二人の魔術師がいた。

 雨に打たれる隻腕隻眼に見えない方の目ごと顔半分を額用の防具である古風な鉢金で覆った、黒ベースの軍服の女と、雨に濡れない領域に入っている制服のような服を着た女の子が橋上で対峙をしている。
 水かさの増えた河が豪々と橋梁へと打ちつけ、土を含んだ茶色い濁流が二人の今の関係を表しているようだった。
 彼女達の関係は分からない。ただ、昨日の様子を見る限りは、一朝一夕であれだけの打ち解けた雰囲気が築けるようには思えない。今では私自身の認識は改めたとしても、あくまで魔に属する中では彼ら、魔術師達は「無意味に足掻く者ども」ような形容をされる人種なのである。人の摂理に囚われながら魔道に入り、それ故に人の通らない道を通り、時に人自体を避けることとなる事は必死である。華やかな魔法使いに対して、彼らはその技量を持ちながら、何て日陰の立場に居るのだろう。そして、そんな互いの切磋琢磨ですら疎ましく思えるような魔術師達の骨肉の闘争の日々の中で、あろうことか奇跡的にその親交を深めていったはずの彼女らが、こうして対峙しているのは深く事情は知らないにしろ私はとても心苦しかった。
 決して信頼を取り持たない魔術師が、互いに心を許しあっていた関係が、私で崩されたのだ。

 魔道とは茨の道程である。古より伝わる魔道を歩む者達が噛み締めて言った格言である。
 時に人と決別し、時に自らの選択に苦渋を飲まなければならない時がある。それでも、私は生き残らなければいけない。母のような魔法使い、魔女になるには正に茨の道を時に裸足で踏まなければならないのだ。血が吹き出ても、痛みの嵐に晒されても前に進まなくてはならないのだ。でも、出来るなら犠牲は出さない。きっとそれを許したら、私は魔女でなくもっと卑しい存在になってしまうだろう。

 そんな時、ふと、我武者羅に進む彼の背中を思い出した。
 私よりも一歩も二歩も先を進む彼の巨大な背中を……。
 遥か昔から血塗れの裸足で魔道よりも茨な道先を歩き続ける、行き先の忘れた彼。

 何かを思い出しかけて千年前の記憶(そんな事)は無いはずだと思い直すと、私はセツカに手に添えられた、斜蘭が蠍と呼んだ毒針を見据えた。
 魔法使いに取って近代兵器は最大の敵である。引き金を引き終わり、火薬を燃焼させて、金属片をばら撒く時間の方が、呪文を、意識を現実に反映させる速度よりも早いのは当然なのだ。
 技術として発動の早さも到達の速さも突き詰めた魔術と違い、魔法使いは芸術に似て、その魔法の実効の遅さと言うハンデが付きまとうのだ。むろん、それすら突き抜けてしまう天才も中には居るが、言霊使いの殆どはエレンと言う魔女を最後に消えたはずだ。どちらにしろ、私の召喚術などは最も時間の掛かる術の一つで詠唱が覚られば、無効化(キャンセル)させられるのは目に見えていた。
 つまり、私が今で出て行ったとしても即狙撃されるのがオチである。
 魔術師になってしまった三枝先生、いやセツカは躊躇無く私の眉間を撃ち抜き、心臓を抉り出すだろう……。そこにはおそらく一瞬の予断も無く、最短最速で私を殺しにくる。

「――――」
「――――」

 二人の女の間を冷たい雨が風でカーテンにように吹き付けられてお互いを遮る。そのためか? カーテンが翻った瞬間、彼女らは双方の動きも表情も把握する前に先手を打ち合った。

 一直線。まるで槍で突くが如く、半身から肩に顎を乗せて、右腕を振り上げるように銃口を向け、セツカが銃身から火を吹かせる。直後に斜蘭の短いエノク語の、現実までの反応が零の詠唱によってふわりと体が浮かび上がり、それを回避しながら、まるで氷上を滑るかのように、水溜りに線を引きながら回避した。その後ろを飛び飛びに追いかける銃弾の足跡。
 五秒かそこらの間に空となった銃。それに合わせて斜蘭は身体を捻って、低く沈み、そこからバネで跳ね上がるように今度は爆発的にセツカへと向かう。
 空中で反転、くるぶしの見える革靴が翻る。
 昨日、二メートルの大男を薙ぎ倒した鋭い回し蹴りでセツカの頭部を狙う。
 刹那、セツカはそのまま斜蘭の間合いへと踏み込んで蹴りをかわし、軸足の裏側に足を掛けながら肘で顎を押した。プロレスで言うところのSTFの変形技みたいなものか。
 地面にそのまま叩きつけられる前に、持ち前の魔術でふわりと、セツカの腕と自らの顎を支点にして逆上がりのように回転する。
 互いに切り抜ける。
 宙に浮いたまま、無防備に背中を見せているセツカに斜蘭がその空中から後ろ回し蹴り。
 だが、その蹴り足の踵は目標を失って空回り。代わりに、地面にグッと沈んでいたセツカは銃を口に咥えたまま片手を地面について、そこから真上に伸び上がるように両足で蹴りを入れた。
「くっ!」
 胴体にまともに食らって吹き飛ぶ少女。空中で乱れた体勢を整える頃には、隻腕の魔術師は弾を込めなおして、構えていた。

 より一層強くなった雨のヴェールが互いの表情を覆う。
 すえた硝煙と雨の湿った香りが交じり合っていた。

「セツカ、もう止めよう? あなたが好きだった生徒でしょ? そんな、幾ら復讐相手だからって感情を殺して、その子供まで恨む必要は無いよっ」
「…………」
 セツカは表情一つ崩さない。
「確かに、あなたの大切な家族や身体は奴に、面白半分で奪われたのかもしれない。でも、彼女が、その兄弟の子供だからって、殺す必要は無いでしょ?」
「…………」



 ――――どう言う意味?
 私の両親のどちらかが、彼女をあんな姿にした狂人の同胞だと言うの?
 ありえない。他人の目や腕をただの楽しみで奪い、子供の目の前で殺す人間が居て良い筈がない。



「ラン、悪の子は悪なのだ。君も知らないとは言わせないよ? 清里鋼音の眷属、彼女の父親、偶院 永久(グウイン エイキュウ)が一体今まで何をしでかしていたのか?」



 偶院永久――?





 思考が止まった。
 それは、痛いほどに、嘘だと願いたかった。

 それは例えるなら「お前の父親はイカれた犯罪者だ」と言われ、認めたのも同然だった。

 百二十七年前の大戦で類稀なる戦果を挙げながら、死神公社に背信し、世界中であらゆる人殺しと人外殺しと神殺しを行った全ての生物の反逆者。
 常にその相貌は下卑た笑みに包まれ、特に意味も無く、陵辱と殺人と解体と遊戯をしていた男。
 笑う暗黒。千の闇を飲む笑顔、魔人殺し、漆黒の覇者、そして、闇の神。
 三人組テロリストの一人。
 禁忌の大罪者、【死を裏切りし十二人】の内の一人だった。
 禁固拘束年数十四万年で死神公社本部の最深部である闇の奥で佇んでいる、あらゆる活動、思考、知覚すら禁じられ、束縛された犯罪者の中の犯罪者。

 こんなエピソードがある。
 ある女の子が死神に追われて怪我をした彼を助けて、橋の下で匿った。彼女は彼女の友達の助けを借りながら献身に介護し、彼は九死に一生を得た。喋れない彼は身振り手振りで「君と君の友達に贈り物を挙げよう」と橋の下に呼び寄せた。
 彼は彼が呼び寄せた人喰いの魔物達に彼女らを殺すところを張り付いた笑顔で眺めてから、満腹になった人喰いを最後に殺して、立ち去ったと言う。
 その女の子はその無念さから、未だに魂がこの町を彷徨い続けていると言われている。

 とにかく、彼には禁忌と言うものが無い。
 面白いものは楽しみながら笑って殺し、つまらないものは勢いで笑って殺し、目に付いたものはたまたま笑って殺すのだと闇の奥で囁かれる。

 誰もが名を呼ぶことすら嫌悪し、秩序を狂わす鬼すら忌避する魔。

 それが、私の父親、……なの?

「でも、セツカは永久(かれ)にやられたわけでは無いでしょ! それに関係有るとしても在姫はただ彼の子として生まれただけじゃない! 子供に背負わせる罪なんてないっ、それは逆恨みだよっ!」
「では、反証してみよう。君は、両親を目の前で殺され、片目を抉られ、抉った目玉を勢いで潰して、腕を喰うところを見せられて正気でいられると思う、かな?」
「そ、それは――」
「そうさ、狂うだろう。狂うのさ。狂って狂い過ぎて、思考が捩子だとしたら捻じ切れそうだよ。いいかい? 私がブチ殺してやりたいと思っていた男達の娘がノウノウと才能ある魔女でいながら、日常生活に適応し、なおかつ友達まで作って生きていたんだよ? それを君はどう思うかね? 嫉妬と羨望で狂わない自信はあるかな? いや、無いね。憧憬にしては彼女は眩し過ぎるだろ?」
「…………」
「君も『そう過ごしたかった』はずだ。でも、ブチ壊されたんだ。何でもない、運命とでも言うべきものに圧解したのだ。君の時間も、私の時間も戻らない。唯一、私達のようにそのがらんどうになった心の隙間を埋めるとしたら、自らの成功と成功者への蹂躙のみだ。そして、彼女をブチ殺す事が唯一、私にとってその両方の気持ちを満たす最高の埋め合わせなのだよ」
「でも、彼女は――」
「彼女に関係無いとは言わせない。十六年も生きて父親の存在を欠片でも疑問に思わない方がおかしい。蛆やバクテリアであるまいし、複雑な生命体は湧いて生まれ出るものじゃない。誰かに催眠術でも掛けられて忘れさせられたのか? だとしたらそのメリットは? どちらにしろ、贖い切れない罪はその関係者が全員で償うべきなのだよ。罪はあるのだよ。背負わないなら、背負わせるのみだ。それが自覚する私は追い詰め、追い続ける。認めないなら首を掴んで縦に振って認めさせる」
「…………」
「言っておこう。この復讐は私の自己満足だ。そして、それが私の生き甲斐だと、君は知っているはずだ。誰にも邪魔はさせない。それは例え君でもだ」

 狂った灰色の瞳が銃口の方向を探り出す。
 背中越しから斜蘭の頬を雨とは違う雫が零れ落ちているように感じる。
 それはセツカの凍てついた心に触れて、斜蘭があまりの凍える痛みで涙したようだった。

「……それでも、セツカは言ってた。可愛い生徒だって。私は知っているよ。生き物は湧いては生まれない。そこに理由は有って無くても生まれる事はある。それが生命だからね。だからそこから生まれて、始まった因果は付きまとう。だからさ……、何かの感情は生まれたのに、理由が無いはずがない! 在姫を思う気持ちは偶然だけなはずは無いでしょ?!」



            −Side C−

 つっ、と銃口が始めてぶれた。
 それは年月と呼ぶ、不確かでそれでも確実に経ていた時間と言う経験が、彼女の頑なになった心に分け入ったものなのかも知れない。

 三枝 石火は天才と呼ばれる部類の人間である。
 連続修士の通り名の通り、彼女に霊気装甲を使う異端と人の身を超える特殊能力以外で、実戦レベルで使えない技術は無かった。
 射撃、狙撃、戦術、各種操縦技術から医術、薬学、心理学、流体力学、あらゆる分野の体系的知識と技術を彼女の魔術で圧縮学習、高速修得していったのだ。
 それは魔術でも同様であり、彼女は専門外の魔術を二十以上実践で遅滞無く動かせるほどマスターしていた。一つの魔術体系を実践レベルまで高めるのに十年を要する中で、彼女は彼女の魔術で二十三年の歳月の中で、魔術を極め始めた十年の中に個人では二百年近い分の経験を蓄積させていたのだ。
 先日、在姫を翻弄したのも『心の一法』や『空間合気』、『強制音声』などと呼ばれる誘導催眠術の魔術を言葉を通じて使ったものである。しかも、それは彼女の専門外の技術であった。それをまるで自分の修得した技術のように惜しげもなく、そして自然に使うのは最早才能にも等しかった。
 しかし、それは技術の話し。技術以外である心の有りどころ、置き方などは専門家が過ごす特有の時間、『馴れ』でしか克服できない。
 彼女が和木市で魔女を見つけるために、現代数学の基礎理論を四週間でマスターし、イスタンブールでとある魔法使いと交戦していた荻や蘭、それ以外の他の魔術師より先に坤高校に偽造教師免許と架空戸籍で潜り込み、数学講師として潜入していたのは、今年の春先の事だった。
 無論、様々な経験を高速でマスターする事が出来るのも彼女の魔術とは言え、独特の『慣れ』だけは年月の経過以外で経験させることは出来なかった。
 彼女はクールな見た目に似合わず、何事にも思い悩む方だった。
 仮の仕事だとしても手を抜くのは性分ではなかったし、それ故にいずれ居なくなるからとてそれを甘えにする事も出来ないために必要以上の緊張をしていた。

 初めての授業、しかも教育実習すらすっ飛ばした本当にぶっつけ本番の教師の真似事を終わらせて、その始めての授業の直後に、あろう事か始めての質問をしてきたのは生徒、九貫 在姫だった。

 ――九貫在姫
 伝来不明の魔女、クヌキの家系の長女。
 母、九貫愛媛 行方不明
 父、存在不明
 霊気装甲の上位五%に入る九十六,二%の到達者。
 魔術師から魔法使いへの転換手術後の適合可能率九十七%
 魔法適正不明。
 大禁呪継承可能者。

 当時の石火の脳内にもいずれは狩る予定の魔女として登録されていた。
 いつも彼女なら魔術によって冷静に挙動などから彼女の弱点やら何から何まで魔術で丸裸にする事が出来た。
 でもその時、ポーカーフェイスの彼女の仮面の下では「うわー不意打ちで初っ端から質問するなよー」と言う些か文句めいた言葉しか踊っていなかったのだ。
 授業終了で滅多に無い事に気の抜けた彼女には、在姫の奇襲に似た質問に対応するのは一苦労だったのは記憶に新しかった。
 授業以上に慌てながら、それでもその態度だけは見せずに見た目どおりにクールに行う事が出来たのは僥倖だった。
 質問を終えた後、在姫は飛びっきりの笑顔で言った。


「ありがとう、先生は教えるのが上手なんですね?」


 その言葉の瞬間、石火の胸の奥が何かがジワリと湧き水のように溢れた。
 生きていれば何時かは、いつでも聞く事が出来る言葉だった。
 しかし、復讐を始めた凄絶な暮らしの中でその言葉を真の意味で、荻や蘭のように親友としての偏りも無しに彼女に伝えたのは在姫が初めてだった。魔女ゆえに宿る言葉の魔力だったのか、何かのタイミングだったのかは分からない。
 在姫は覚えてないかも知れない。
 だが、それでも、石火の中ではそれは忘れられない出来事の一つとなったのだ。
 そのため、彼女は意識的に魔術師結社での活動を始めるまでは意図的に、それでも自然と、彼女を避けるようにしていた。
 もしも、彼女を狩る時に情に流されたくはなかったからだった。
 だから一角の親愛の思いを凍らせて、目覚めないように奥に仕舞いこんで。仮初の日々を続けた。
 ようやく亡霊騎士が和木市に侵入して結社として本格的に活動する時に、彼女は今一度、彼女の席へと夏休み直前の授業後に自ら訪ねた。

《九貫くん、相変わらず良い成績を出しているようだね》
 魔法にもおいても、体格は小さいながら運動においても彼女は優秀だった。そこに秘められた心臓の価値は、舌なめずりが出来るほどだった。
《いや、校内でも卓越して優秀な生徒がどんな者かと個人的な興味に惹かれただけだよ》
 個人的な興味どころではない、彼女は、悪の修羅道に落ちた者どもを狩る側に居たはずの彼女は、狩られる側の非人道的な、悪の魔道へと手を伸ばしてしまっていたのだ。そして、戻れないところまできてしまっていた。
《先ほども言っただろ? 『個人的な興味に惹かれただけ』だよ。将来的に君が、私が担任するであろうクラスで伸び伸びと勉学に励むと考えると喜びに満ちてくるのだよ》
 在姫の体内で生きる心臓が、その自らの糧となる瞬間を考えるだけでも、彼女の空虚な鼓動は高鳴る。
《――おや、しまった。学生の貴重な休息を奪ってしまった。私は教師失格だ》
 そう、教え子をこれから殺そうとする人間失格。それが彼女だった。僅かな休息の代わりに与えるのが永遠の静止。
《あと、数日で夏休みだ。それまでも、夏休み中も、気を抜かずに勉学に励みたまえ》
 他の魔術師に殺されないように気を抜かずに生きろ、とそんな思いも込めていた。

 でも、心の何処かには、あぁ、ここが彼女と私の分岐点なのだろう、と哀愁に浸る、自らが小さく裏切った気持ちがあったのかもしれない。
 小さな嘘がちくちくと痛む。

 そんな思いがちゃんと仕舞いこまれているか確かめるための行為だった。
 でも、それはあまり意味の無いものだった。
 仕舞いこんでいても、隠し切る事は出来なかった。憎み切る事すら出来なかったのだ。
 だから、彼女の銃口は揺れていた。
 既に経験した事を彼女は覆しきれなかったのだ。
 経験すれば、それは彼女の一部であり、隠す事は出来ない。
 そして……、



            −Side A−

 そして、彼女は斜蘭に向かって引き金を引いた。
 灰色の瞳が凍り付いていた。
 隠し切れないなら使わなければ良い。思わなければ良い。あらゆる人の心の動きを凍らして、セツカは瞬時に復讐の化け物に戻っていた。
「ぁがっ」
 今まで消滅させていた銃弾があっさりと斜蘭の魔術を通り越していた。
 今まで覆われていたはずの不可視のフィールドは術者の統制を失って途切れ、空中に居た斜蘭は水溜りに落ちた。上から降りしきる雨と下から染み渡る水溜りで少女はずぶ濡れになった。
 ゆるゆると雨気を吸いながら、硝煙が昇っていた。
「――非殺傷性のゴム弾だよ。鳩尾に正確に当てたから動けないはずさ。いつも金属弾だけを使うとは限らないのはランも知っていたはずだな。君の魔術はいつもごく一部の金属の分解しかしないからだ。まぁ、金属を全て分解したら君の体内の無機質も失う事になるし、いちいち飛んでくる物体の構成物質なんて考えていたらキリが無いから設定の変更が面倒なのは仕方がないけどね。まぁ、残念だったな」
 斜蘭は強い衝撃を胃のあたりに食らって、蹲っている。
 ヒュウヒュウと音にならない声を挙げ、口が音の形を作ろうとするがそれが形になる事はなかった。

「さぁ、闇の落とし子、出てくるんだ。出て来なければ――」

 口で銃を保持し、地面に非殺傷用弾を詰めた弾倉を落とし、腰のポシェットみたいなところから弾倉を入れ替え、殺傷用の金属弾に入れ替える。
 その狂った銃口を斜蘭に突き付けた。
「ランを殺す」



 ……無茶苦茶だ。
 復讐の化け物に友愛の倫理は無いのか。
 次の瞬間、雨音には著しく似合わない渇いた音が一つした。
 斜蘭は先のゴム弾の衝撃で動く事も叫び声も挙げる事すら出来ず、滂沱の涙を流しながら口をパクパクと動かすだけだった。
「私は本気だ。五秒後には今の左足の次に右足、右手、左手、頭の順で撃ち抜く」
 頭が混乱してくる。
 彼女は【死を裏切る十二人】の誰かに両親を奪われ、重症を負った。そのための復讐とは言え、ただ一時のために同じ時を過ごした者すらを手段の一つとして殺そうと言うか、そんな事が出来るのか?
 いや、出来るのだろう。元に、彼女は二発目の弾丸を斜蘭の右足に撃ち込んだ。
 赤い血潮が噴きあがる。
「次の五秒で右手だ。いや、待ちきれない、三秒にしよう、一、二、三」
 斜蘭の可憐な細い右腕を彼女は容赦なく撃ち抜いた。
 蹲った斜蘭の腕から赤い血が流れていた。
 陸に上がった魚のように斜蘭はピクピクと小刻みに動きながら、うつ伏せに震えた。
「彼女の命は後六秒だ、早く出てくるんだ、一、二、三、ほら、左手も終わったぞ」
「在姫、着ちゃダメぇぇぇぇ、うあぁぁぁっ!」
 そう叫んだ斜蘭の細い両肩を、セツカは有無を言わさず吹き飛ばした。
 二つの銃声と同時に赤い彼岸花がアスファルトに咲き乱れ、水溜りで散らばった。
「うるさいぞ、この裏切り者め。だが、安心しろ。私は友達思いだからな、頭をちょっと吹き飛ばしても生きているくらいにはしてやる。安心しろ、荻の真似事くらいは私は出来る」
 ピタリと斜蘭の頭部に突きつけた猛毒の、鋼鉄の毒針。
 彼女は手元の鋼鉄のように人ですらなくなったのだろうか?
 私は未だ傷のくっ付き掛けていない親指ごと握りこんで、何をするか分からない人間への恐怖と自分自身の出生の混乱でカタカタと動く歯を食いしばった。精神的ショックでフラフラとする頭を石碑に一度預けてから、勢い良く橋梁の影から出た。
 彼女は私を闇の落とし子と呼ぶ。だがその事実よりも、私は自らが魔女である確信を優先させ、同時に、私の理想を壊すつもりは無かった。
 斜蘭は私を守った。次は、私が斜蘭を守る番だ。
 魔女である私は、私の運命にすら抗ってみせる。闇の落とし子? 上等だ。その落とし子が人を守れるところを見せてやる!

「止めなさい、極道教しっ!」
 そう思いの丈ごとぶちまけるように言った直後、体が反応して右斜め前方へと、橋梁を乗り越えて汚す河の泥水すら気に止めずに転がった。
 風切音三発。
 私はかろうじて弾丸を避けた。

 通常、銃は脇を締めて撃つものだ、とどんな経験があるのかよく分からない、私の師父から聞いた事がある。

《そのため、拳銃は右利きなら相手から見て右手側に、左利きなら左手側に進めば、銃口の向きによって脇が自然と開く。そうすれば、普通は当たらない。拳銃などの短い筒の類は狙いのブレがシビアなんだ。動かない的で素人で十五メートル、玄人で五十メートル、自在に動く的で素人で五メートル、対テロも行う英国特殊空挺部隊(レジメント)やその専門であるデルタフォース、米軍の複合部隊であるネイビーシールズなどの軍の特殊部隊、米国諜報機関(ラングレー)以色列諜報機構(モサド)の諜報機関、そして国連管轄の特捜室(ノーライフキングス)初期対応部隊(カウンターレスポンスチーム)などでの射撃訓練を積んだ玄人で十五メートルから二十メートルと言ったところか。最近かの【峠事件】で、四百メートル先からオートマチックピストルで十五発の銃弾を七秒でピンヘッドさせた化け物が居るらしいが詳細は分からない。どちらにしろ、そんな四百メートル先から銃弾をトンカチ代わりにして七秒で全弾を釘打ち出来るような化け物級の狙撃手に出会う確率は億分の一のはずだ。とにかくは脇を締めた正しいフォームや射撃大会のように肩を一直線にするようにしない限りは当たりにくい。つまるところ、中途半端に脇を開かせれば、射線は簡単に乱れさせる事が出来る》

 素人離れ、玄人慣れした彼女は体勢を整え、二十メートル先からピタリと私の頭部を狙った。

《だが、稀に多少不自然な体勢でも、それでも当ててくる厄介な相手が居る。玄人以上のその道の『プロ』だ。奴らは敵に弾丸が絶対当たる距離まで気付かれずに接近する事に一番長けているが、むろん当てる事も『一般人』の玄人すら逸脱している。先の四百メートルの奴が極端な例だが『その類』だ。そのためにフォームを崩して相手に外させるのではなく、自ら避ける方法の修得が必要なのだ。》

 頭部を狙う銃口だと、私が感づくと同時に動いていた。

《銃が狙っている方向を、弾の出る銃口を観察して推理するんだ。銃口が真ん丸ならまっすぐ顔目掛けて狙いをつけている》

 左頬を伝う三つの金属の感触、そんな合間でも私は彼女の銃口から目を離さない。

《少し楕円なら、胸か腹か、あるいは手足か、ともかく顔以外のどこかに狙いをつけているんだ。まぁ、楕円の形を見れば大体は分かるがな。次に、射手がいつ銃を撃つかだが、これは目と肩の動きを見るんだ。何かしようと決意したときに人は目にその印を表す。それをしっかり読み取れば、銃を撃つ直前の目つきがわかるんだ》

 右斜め下を向いた銃口、狙いは右足。灰色の瞳のぎらついた輝きと同時に左後ろに飛び退いて避ける。続く左足も体重を移す前に動き出す。ジグザグに狙い続けた最後に右のお腹を狙い、それを背中をみせるようなターンで沈みながら回避した。その間も銃口からは目を離さない。

《また、肩がほんの少しだが、銃を撃つとき特有の筋肉の動きが現れるからそれも参考にする。銃の反動を抑えようと、または逃そうとすると肘が動いたりするからね。肘が動けば連動する肩にも兆候は現れる》

 肩の僅かな硬直に合わせて避け、肘のブレによって避け、指先の動きに合わせて避ける。

《つまるところ、見える範囲で拳銃を避けたいなら射手の反応を読み取る洞察力を鍛えろ、そしてそれを読み取って瞬時に避けるようにしろ、とこういう事だ。魔女ならガントの撃ち合いの決闘などもあるはずだからな。銃口を指先に置き換えれば代用は利くはずだ。鍛えておく事に越した事はない。熟練者はその兆候が読み取りにくいから、しっかり相手を見る事を練習しておくと良い。分かったかな? マイ・シスろべぎぁッ!》

 で、鍛えた結果。今のところ、九発の銃弾を避けていた。
 魔術師はそれくらいは予測済みのようで大した動揺も無い。

 魔女の心臓を限界まで駆動させ、運動能力と知覚、認識能力を火事場の馬鹿力で高めている。そんな風に感覚と筋力を高める事が出来るからこそ出来る、感覚と努力で何とか出来る魔女の才能だった。

 さきほどから数えていたところ、彼女が銃を撃てるのは二十発。それから先は弾倉を、弾の詰まった別の容器を入れ替えて、銃にセットしなければならない。何処ぞの弾幕ゲームでは無いのだ。弾切れをしたら取替えをしなければならないのは当然だ。

 残り五発。

 左肩狙いを避ける。右の脛を空中に引いて空かす。頭を沈ませてボクシングのダッキングみたいにやり過ごす。ブレイクダンスみたいに手をついて、横に転がりつつ頭を更に下げてやり過ごす。

《いたたた、……そうそう、それと跳弾(ちょうだん)なんてものもある。弾は壁などの硬い面に弾かれても、まれに弾丸は獣のように進行を続ける。リボルバー何とかと言う奴はその名手で、とある潜入任務のスペシャリストを苦しめた事があるらしい。だがその弾を変えられる角度は大抵は三度から八度と決まっている。何も無い場所なら地面に寝っ転がれば当てられる事はない。そうすればアスファルトの地面で無い限りは地面で跳弾は起きない。アスファルトの地面なら反射断面の粗さと侵入角度の開き方から予測出来る》

 検討違いの方向に向けられた銃口。アスファルトの地面を狙っている。
 跳弾だと確信して、私は最後の弾丸を更にもう一度横に転がってよけた。
 耳元を金属がアスファルトで弾かれる音。避けなければ、側頭部に当たる位置だった。

 彼女が口で銃身を咥えた。
 弾切れ!
 ここから勝負!

 再装填の際、弾の入った弾倉を入れ替えなければ、当たり前ながら銃は撃てない。むろん、それは弾が入っていないからでそれは当然のことだが、徒手空拳の私にはかなり重要なことだ。
 再装填の時の無防備な状態。ましてや魔術師セツカは片腕。もう片方の腕を使う事が出来ないために、装填は健常者に比べれば、何倍も細かい作業が難しいのは自明の理だ。しかし、それでも彼女の熟練具合をみれば、再装填も健常者の軍人並みに早いのかもしれない。
 しかし、再装填のこの瞬間だけは、彼女が最も無防備になる瞬間である。

 私は陸上選手のようなスタートの四つん這いから駆け出す。
 霊気装甲は駆動を始めて、高鳴る一方。

「I summon one from another universe in Azathoth' name. Derive, null――(我はアザートスの名に於いて無界より素を呼ぶ。出でよ、失名素――)」

 装甲で筋肉の『これが限界だ』という場所を突破させて、本当の全速で彼女に肉薄する。
 後、数歩もしないで彼女に辿り着く。魔女の渾身の左ショートアッパーを叩き込みながら、そこから影の兵士達で束縛させ、彼女を沈黙させる!

 その時、何故か彼女が口に咥えていた再装填をしようとした銃が自然と口から落ちて、左手に収まり、自然に間近で魔弾が放たれた。


         ――――――。


 渇いた音と同時に胴体に広がる衝撃。大したダメージでも無いはずなのに、私の足元とそれに伴って視界が乱れて、そのまま、隻眼隻腕の魔術師の前に倒れこんだ。
 地面に倒れこんだら無い胸の下の、更に下辺りから熱い何かが込み上げてきて、続けようとしていた呪文の代わりに、思わず込み上げる物を口から吐き出した。
「かはっ」
 黒い塊のような血だった。
 お腹が痛くて、痛くてたまらない。
「程よい形で内臓に当たったみたいだな。ふむ、肺では無く、胃のようだな。どす黒い……、魔女と化け物らしい小汚い血が物語っているようだ」
 くすくすと灰色の目を細めて、半月よりも細く魔術師は笑った。
 何故? 私は弾丸が空になるまでちゃんと数えていたのに……。
「何故、無いはずの弾が撃てたのか? 気になるようだね。解答を教えよう。何、簡単な事だ。ランの左足に放った最初の弾丸は銃の中の薬室に入ったままの、先ほどの『ゴム弾』だったからだ。その証拠に血は出ていないはずだろ?」
 ……確かに、私は血を確認していなかった。最初の銃撃には血潮は飛んでいなかったのだ。
「薬室の中の残弾と弾倉の弾、賢い君ならこの足し算は分かるはずだ」
 一発のゴム弾足す事の二十発の銃弾。そう、私は単純に数え間違えていたのだ。
「まぁ、無理も無い。銃の構造を知らないと出来ない引っ掛け問題だったからね。テストの時もそうだ。優秀だが、君は非常に初歩的な間違いが多い」
 蹴り。
「あっ゛!」
 顔を蹴られた。私は撃たれたところを中心に一回転する。仰向けになったところに更に蹴り。爪先で更に撃たれた場所が抉れて痛い。
「途中式が間違う事も多々あるが、そもそも問題を取り違えていたり、見逃していたりなどもしている」
 鼻血が出ててる。以前に装甲の流動に失敗して、全身の穴と言う穴から血が吹き出た以来だ。今回は穴の無い場所から出ているために以前よりヘビーなような気がする。
 呼吸が苦しい。体が重たい。いつもなら気合で何でも無いはずなのに、まるで、知ってはいけないことを知って、私の中の思考も体の調子も狂ったみたいだ。
「そして最大の間違いは、この世に生まれ出たことだ」
「あ、このぉ、ごぼ――」
 何か言い換えそうにも、喉の奥から続きと流れ出る血塊に取られて、まともに喋れない。
 じくじくとした痛みは毒に体が侵されたように、滾る意志とは逆に無力感を伝播させる。
 そんな地に落ちた鳥のように足掻く私の前で、恍惚とした顔で悠々と、魔術師は再装填を終わらせて銃を構えた。
「間違いを正すのも教師の役目だ。最後の指導に取り掛かろうか?」


29 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 10:52:49 ID:o3teQDzJ

大叫喚4

            −Side C−

 石火の魔術はとても原始的なものである。
 【読解(よみとき)】と呼ばれる古い起源の魔術とそれに付随する【再現(ふたあらわし)】と言うものである。
 『読解』はあらゆる事象を法則の形で読み出して理解する。『再現』はそれを頭の中で【予測】、シミュレートするものである。
 この技術は陰陽道から深く続く、式を読むと言う技術である。
 式とは陰陽道においては『物事の繋がり』であり、式を読む事は自然の運行や法則を読み込む事で式を頭の中で再構築して、それをシュミレーションすることで森羅万象の出来事を予測することである。当時天文博士と呼ばれた陰陽道の博士は、星の運行から国の行く末たる吉凶を占っていたと言う。
 とんでも無い上級者ともなると意図的に自然の法則を人為的に捻じ曲げて望む結果を算出させながら、その自らの作った台本を正確に【予測】するという。

 さて、彼女の魔術は若いながらも卓越しているが、その領域に達したモノでは無い。それは技術や魔術であるものを【読解】し、【再現】する事で人より格段早く経験をすませたり、後の展開を高確率で【予測】する程度のものである。
 むろん、彼女でも【予測】しきれないことは多い。事象として現れない人の心や、その心の中での結果が現される魔法は彼女は理解自体が出来ないし、技術的に不可能なのだ。



 そう、だから彼女は左足一本で身体を引き摺り、泥まみれの傷だらけになって彼女の左腕にしがみ付く、殺そうともしていた友人の行動を理解出来なかった。
「セツカ、……止めて」
 路面に描かれた赤い軌跡。
 身体を引き摺って、彼女は復讐の最後の一コマを繋ぎとめた。
「邪魔をするな! 私は待っていたのだ! この時を! この瞬間を! この悦楽を!」
 凍った瞳で彼女は激情を吐き出す。
「こいつらの眷属は『死』が無い! だからこそ人も人外も関わり無く、玩ぶように殺し尽くす! そんな末裔は一匹足りとも人としても生かしてはおけない!」
 握る手に音を立てるほど銃を牙で噛み締めるように握る。今にも引き金は絞られて、在姫の頭を吹き飛ばしそうだ。
「あなたは、本当に……、復讐がしたいの?」
「あぁ、そうさ、復讐がしたい」
 彼女は澱みなく言う。
 それをボロボロになりながら縋りつく、彼女の友が否定する。
「違う。それはセツカの心が、その時から凍ったままなだけだよ! 復讐なんて無意味だって、不可能分かっている。セツカは復讐じゃない、ただ心が凍っただけの固執なの!」

「――――ッ! 違うッ、で……、出鱈目を言うな、……私を惑わすな! 私は、あの化け物に復讐しなければならないのだッ!」

 ――そうなのだ。彼女の本当の持つ感情は憎しみでは無かったのだ。あの怪物に殺される瞬間、心も殺されないように、硬くその時の状況のまま凍らせただけなのだ。
 たかが十五歳の復讐心が人類など圧倒的に超越した生命体に適うはずは無い。それは幾ら子供でも彼女は分かりきっていたはずだった。でも、それを納得していたら、その確実に来る死を受け入れていたら、彼女の心までも化け物に殺されて砕け散ってしまう。だから、彼女は途方も無い試みの不可能さを忘れるために、それを考えるための心を凍らせたのだ。
 彼女の心が凍っていたのは、必死にその事実を忘れようとして、復讐と言う行為だけを繰り返すものだったのだ。
 それはつまり、固執である。
 心の方向を一つに定め、それ以外の方向に動かないように全てを無視する状況を自ら作り続けていた。
 しかし、聡明な彼女は、斜蘭の大きな叫びで心が無視できないほど戦慄かされ、気付いてしまった。
 復讐をする行為の無意味に。

 心が砕けそうで、キシキシと軋んでいた。
 精神崩壊と固執からの解放の狭間で彼女の心はあまりにも脆く揺れ動いていた。

「違う! 固執じゃない! 私は、私はこの化け物の娘を殺したいんだ!」

 銃身が震えていた。今にも泣きそうな顔を、銃の握り手で必死で耐えている。
 それに震えながらも斜蘭は立ち上がり、全身でそれを押し留めていた。

「セツカは! これ以上時を止めて、心を凍らせる必要は無いの。動いて、動き出して! セツカと繋がりを求めている人がいるのだから!!」

 そこで始めて、子供と大人の狭間で揺れながら、それを拒絶して魔術師として歩み、そして死に掛けていた時に、助けてくれた彼を彼女は思い出した。

 凍っていたから、本当の意味で気付かなかったのかもしれない。
 昨日よりも前、全てが凍りついた雪原での惨劇から、彼はずっと隣に居た。
 あの時、あの場で、狂って捩子くれた爪が突き刺さるのを止めたのは、事実、彼だったのだから。
 心が凍った直後、それに体の反応も引き摺られて何も行動が出来なかった頃、それを献身に介護していたのは彼、荻だった。
 それからも彼は事あるごとに助けてくれた。復讐をするつもりだと言っても彼は黙って着いて来てくれたし、それに掛かる労力や負担にも不満を漏らすことは一度としてなかった。
 それでも率先はしなかったが、彼は復讐を快く思っていなかった。それ故に、彼を最後まで身体を受け入れたとしても心から受け入れる事は出来なかった。彼は復讐が無理だと分かっていて、それだから彼女を止めた訳ではない。純粋に彼女を愛していて、彼女の一挙一動が不安だったのだろう。
 彼はいつでも暖かかった。
 極寒のシベリアで、常春の太陽ように仄かに暖かい彼の優しい眼差しが彼女を照らしあげた。






 氷が、砕けた。






「荻……、私は、あ、……」

 軋んで壊れた灰色の氷の間から、暖かみで溶け出した液体が、ジワリと石火の目尻を伝って流れ出た。
 彼を何度「魔術師に似合わない」と蔑んだりしたのだろう。それを何度笑って誤魔化されたのだろう。彼は、彼女を暖かく包んでいた。それを硬く凍って拒絶し続けてしまっていた。魔術師として、それでも彼は同時に『人』としても生きていたのだ。
 そう、彼女の凍った心は人の温もりでしか解けなかったのだ。
 だから……、温もりで涙が止まらなかった。

「……あぁ、荻、……荻、……済まない」
 銃口が在姫からそれて、地へと向けられ、そのまま滑り落ちた。



            −Side A−

 左腕に巻きついた斜蘭も、そして私もようやく安堵した表情を見せていた。
 魔術師セツカでなく、私の父親の兄弟が与えた呪縛から溶け出した三枝先生はしゃくりを挙げて、子供のように荻さんに謝りながら泣いていた。
 ……加えて残念ながら、常寵には二人の間に入り込むような隙間も無いようだ。まったくもって、お騒がせなカップルだ。
 父親が大犯罪者である事は、……事実なら仕方が無い。どう足掻いても私はそう生まれたのだ。だったら受け入れるしか無い。それからどうするかは特に何も考えては無いけれども。それにしても母も、なんていう人と結ばれてしまったのだろう? その辺りの経緯は生きていたら聞いてみたいけど、まぁ、もう後の祭りだ。
 さて、そして私の知り合いが誰一人死ななかったのはとても幸福な事実だった。今回の私は少し無様かもしれないけれども、その幸福の形を掴み取ったのは私では無く、三人の魔術師達の絆なのだからしょうがない。これくらいの不幸は許せる範疇だろう。胃が凄く痛いけど。
 絆の強さ。三枝先生が見た目とは裏腹に危なっかしく、一番頼りなさそうに見える荻さんが外見に似合わず縁の下の力持ちでキーパーソン、そして斜蘭は何かがあるとちょっと口を出して全体の道筋を正していく。それを考えると、まるで斜蘭が最年長者みたいだ。それにしても全員、外見と構成する関係が全然違う。魔術師は魔法使いよりもその成合や素性を隠すけど、性格にいたるまでまるっきり違うのも珍しい。
 そんな彼らが色々と、父親が大犯罪者など、ビックリな落し物を残してくれちゃったが、激しい戦闘の中で誰も死ななかったのは凄い拾い物だし、大切にしたいと思った。
 そう思いながら痛むお腹を押さえて、「等々力医院って国民保険効いたかな」と金銭面での事へと考えながら、立ち上がった時だった。
 風雨の中で大翼の翻る音が響く。
 それは聞き慣れた、ヒポグリフィスの両翼の羽音だった。
 あの看板にぶつかってから、自分の異界へと戻らずに彼は留まっていた。それは何故?
「!? セツカ危ない!」
 その羽音の方向へと頭を巡らせる前に突如、斜蘭が三枝先生の腕を引いた。
 地面に倒れる先生をかばうように、傷だらけのまま両手を広げる少女が何かに立ちはだかる。




























               「るぁぁぁぁぁぁぁっぁ!」

 その場に残った斜蘭をアカイ槍が切り裂いた。



























 右肩から腰までを一気に切り裂かれて、左右に分かれながら彼女は崩れ落ちた。
 血みどろになって、ボロボロになって、同じ満身創痍のヒポグリフィスに乗ってきた紅の獣が飛び降りながら切り裂いた。
 獣の左肩から腕の先が無い。足はスニーカーの端だけでボロボロで、足の裏も背中も赤黒い、荒い息と血を吐き続ける口は獲物を喰いちぎった野獣の剥き出しの牙みたいで、胴体には鉄の破片とかの細かいものがびっしり刺さっていた。ギラギラと脂ぎったナイフみたいな終わった瞳が斜蘭の縦半分になった身体を睨んでいた。
 斜蘭を斬割した槍を途中で止まった腰辺りから無理やり引き抜くと、鮮やかなまでに赤い血をひいて今度は先生へと向ける。
 先生は驚いた子供のように目を大きく見開いていた。
「ラン……、え、何で」
 ドンと言う音がして、先生も心臓を抉られた。
 音を立てて槍は引き抜かれて、地面に点々と飛ぶ血の滑り。
 先生はよたよたと後ろ向けに後退りながら、橋の手摺りに手を掛ける。胸辺りを押さえた手からはどくどくと有り得ないほどの血が漏れ出していた。
 その胸から流れ出る、粘ついた血を手に翳してみると、先生は何か納得したように微かに笑って、
「九貫くん、……済まない」
 そのまま、橋から落ちて濁流に飲まれていった。






 私はその出来事の中で、体が麻痺したように動かなかった。
 幾ら血が足りなくても無理にでも動けたはずだった。それでも私は動けなかったのだ。

「在姫、……大丈夫か?」
 今にも何か飛び掛かりそうな、凶暴な、それでいて虚ろな顔で、紅色の化け物が槍を杖代わりにして近づいてきた。
 皮肉だ。復讐者が悔い改め、狩人の一人が獲物を守り、突然の自分の悪夢にも耐え切ったのに、そんな私の壊して欲しくない穏やかな日常を、そうなるかも知れなかった可能性の一部を、守るものが全て壊した。
 ――何よりもその姿が鬼のようで、あまりにも恐ろしくて、何かも壊してしまいそうで、私は耐えられなかった。








「近寄らないで! 化け物!」

 雨音がより一層強く降りしきる様に雨脚を挙げた。
 私と化け物の間が、目で見えるより……、遠い。

「……在姫、俺は……、君のためを思って」
 鬼がまるで人のように話しかける。
 ……いや、嘘だ。彼には人の心なんて無い。いや、『これ』は強き壁である守護者でも、人になつく事もある獣でもない。ただただ殺し尽くす戦鬼だ。
「いや……、もう、いや! 先生が折角正気に戻ったのに何でアンタは殺したの! おかしいよ。斜蘭なんか私を助けようとしたのに何で殺したの! アンタなんて、守護者でも何でもなくて、ただの狂った人殺しじゃないッ!」

 雨なのか、涙なのか、救われたはずなのに取り零れた事が納得できなくて、狂っていて、私の視界は世界ごと歪んでいた。
 鬼の顔も歪んでいる。

「アンタ、何て要らない! お願いだから……、もう誰も殺さないで…………。だから私の、そばにいないで……、う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」



 雨音に遠く慟哭が響く。
 あぁ、何て、理不尽。
 魔女でも、人を救いきる事が出来なかった――



「……………………分かった」


30 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 10:53:13 ID:o3teQDzJ

大叫喚5

            −Side C−

 斜蘭はおどろおどろしいほど渦巻く灰黒色の空から、必死になりながら満身創痍の魔人が落ちてくるのを見て、流石にこれは死ぬな、と納得していた。
 右肩から槍の鋭い刃で切り裂かれながらも、彼女はそれでも満足していた。

 繋がりはあった。
 見つけられた。
 既に、石火と荻の間にあったのだ。
 絶望的なまでに、世界の何処にも繋がりを意識できなかったのにも関わらず、彼女が引き金を引こうとしたあの瞬間に自然と、探していた彼女自身の言葉から出てきた。
 繋がりは感じていたのだ。それを気付かなかったのは斜蘭の鈍さだったのかも知れない。
 いや、もしかしたら、彼女と彼の僅かなわだかまりを逆に感じ取る事で、繋がりがまだ弱い事を敏感に感じていたのかもしれない。

 とにかく繋がりは愛情の結晶とか、見えるもののようなそう言うものではなく、彼の暖かさが彼女の凍った時間を動かした。そして、それに答えた彼女も、彼自身を受け入れたのだ。
 目に見える必要は無かった。検証するようなものでもなかった。ただ自然と二人の間に分かつものがその瞬間には感じられなかったのだ。それが事実だった。
 だから彼女は、在姫を守ろうと死に物狂いになる魔人に対して、ただ一つも恨み言はなかった。
 彼は在姫を守るためなら何でもするのだろう。そう思うと言い訳する間も無く殺されるのもしょうがないことだと諦める事が出来たのだった。在姫は斜蘭が殺された瞬間は、彼の必死さを理解出来ないかもしれない。でも、繋がりを感じる事が出来た斜蘭は、魔人と魔女の間に石火や荻よりも強い繋がりが感じられた。それが分かったのは、もしかしたら、死ぬ前に彼女が魔法を使えたのかも知れない。
 そして、憑き物の落ちた石火も今までの悪意を受け入れるように、儚げに笑いながら消えていった。
 それでもたぶん、死ぬのは自分が先だろうと、斜蘭は思っていた。
 自分自身の怪我の軽重は関係ない。濁流に流れる途中、病院に居る筈の『彼』が泳ぐ姿を彼女の視界が捉えていたからだ。
 彼女はきっと助かる。彼が彼女の命を繋ぎとめるはずだからだ。そう思うと安心して死ぬ事が出来た。生きる事を放棄しかけた人生が伸びに伸びて、最期に魔術師以外の、憧れである魔女で、それ以上に短い付き合いの友達まで出来たのだ。安寧と言うに等しい感覚だった。
 ただ、それでも彼女には残念な事が幾つかあった。
「もっと、在姫と遊びたかったなぁ……」
 その在姫が慟哭しながら斜蘭の死を悼んでいる時、国定が今にも泣きそうな顔で失意のまま在姫の元から歩き去る時、彼女は耳も目も満足に使えなくて、ゆっくりと暗闇と何かの繋がりを感じてその方向に意識を沈ませていった。






 濁流に飲まれたはずの石火は、周りを取り囲んでいたはずの自然の暴力を感じられず、ふと目を開けた。
 茶色の、自らの罪のような色に塗れてそのまま死ぬはずだった彼女は彼に救い上げられたのだ。
 だから、目の前にはこの世で一番会いたかった人が居て、彼女は自然と口が動いた。
「荻、済まない。二度、いや三度も、命を助けられてしまったな」
 子供のように素直な面持ちの彼女の、徐々に体の冷たくなり始めた体を荻は抱き締めていた。
「――喋るな、傷に響く」
 抱き締めながら、心臓から流れ出る血を大きな掌で止めながら、彼は真剣な瞳で見つめていた。
「ハハッ、ダメだ。幾ら現代医療でも、細切れになった心臓は流石に元に戻らないさ。……あぁ、もう諦めたはずなのに、こうして君に会うと何かも惜しくなってくる」
 瞼が緞帳のように閉幕を促す。
「私は、もっと君と居たかった。もっと君を抱き締めたかった。もう、抱き締めたいのに手には力が入らない。もっと君を心から愛したかった。復讐なんかしたくない、君ともっと一緒に居たい、……ずっと生きたい。あぁ、復讐の事を考えていた時は感じなかったのに、今は死ぬのがとても怖いんだ」
 彼は彼女の一言一言にいつものようにゆっくりと頷いていた。
「あぁ、私は欲まみれで我侭で本当に嫌な女だ。君の思ったことを一度も満足させたことが無いかもしれない……、済まない」
 彼女は口元から赤い血を吐き、瞳から未だ解け続ける氷の雫を零しながら訥々と語り続けた。
 国定の槍捌きが余りにも俊敏だったため、穂先は無いにも関わらず、彼女の心臓は綺麗に半分に分かれていた。断面組織は完全に死んでいて、手術で縫おうにも心臓の複雑な筋組織がズタズタで再生は出来かねる事は明白だった。何よりも病院や集中治療室に運ぶような時間はなかった。
 彼女自身の涙と死への思い出したような恐怖、そして着実に死に続けてぼやける彼女の視界の中、彼は覚悟を決めた精悍な顔をしていた。

 彼は最後の彼女の言葉に、始めて首を横に振って否定した。
「大丈夫だ、君は必ず生きる。それが……、君が叶える僕の望みだ」
 いつものように優しい笑顔で彼はそう言うと、彼女の残った片目を覆い隠した。
「……まさか? やめろ……、君の魔術を使うな……、お願いだっ」

 斐川 荻の魔術は人体を斬割する事が目的では無い。むしろ、その魔人を圧倒する肉体を作り上げた優れた、そしてそれを可能にした異常な程の医術が魔術だったのだ。
 医術を通じて自身の肉体を把握する事で栄養バランスもコントロールして強化を図り、その人類の究極に近い肉体で鉄の斬術までを素手で成し遂げるのが彼の魔術である。通常なら練習で明らかに必要な肉体の余暇も無くす事で百%の時間を使って肉体への技の刷り込みを行い、二十代半ばで拳術だけなら魔人や拳王にも匹敵する技術を完成させたのだ。解剖学的に人体の壊れやすい場所と角度を学ぶ事で、人体を無刀でバラバラにし、時にはそれを元に戻す。故に、彼は先々日の国定との戦闘の直後でも、遊びの過ぎた斜蘭を電線を全速で走りながら弾き飛ばす事が出来、その次の日には海水浴が楽しめるほど人体のダメージを回復させる事が出来たのだ。
 そして、今の彼の技術ならメスも何も無くても短時間で『心臓を入れ替える事』が出来た。

「石火、君をずっと愛している。僕の魔法使いの夢は君に託すよ?」

 彼は一度言い出したら、頑固者でどうしても考えを変えない男だった。
 義理の妹でも養うと決めたらロシアまで出稼ぎに行くし、魔法使いみたいになるために拳王に弟子入りする。決めた時には拳王自身に殺される危険があっても、ロシア軍の爆撃でも動かない。雪原で死に掛けの彼女を助けると決めた時に究極に近い生命体が眼前に立ちはだかってもドロップキックをする度胸があった。そして、彼女が復讐に生きると決めた時も、彼女を最後まで守るために自らの修行を投げ打って、一緒に生きると彼は決意していた。

 そして、今度は本当に命と魔法使いになる彼の人生の根幹たる使命を打ち捨てて、代わりに彼女の命を拾い上げるのだった。
 理由は説明するまでも無い。

 だから「(そんな頑固な彼の最期の決意くらいは私から受け入れよう)」と、彼女は思った。

「……私も荻を愛しているんだ」
「うん」

 額と瞳を覆う荻の手が震えている。当たり前だ。決意したとは言え、自ら心臓を引き摺り出したいとは思わないのが普通だし、それに伴う死を恐れない方がおかしいのだ。
 それでも、そんな最期まで魔術師に見えないほど一般人みたいに普通で、ちょっとだけ魔人より強くて、少しだけ勇気がある彼に愛されるのが彼女は嬉しかった。





「妹をよろしくね」

 最後に少しだけ妬いてしまった。
 本当に普通で、御節介で、彼女は少しだけそれが可笑しくて、愛しくて、それが最後だと思うと、止め処なく涙が零れる。

「……むろんだ。『私達』の大切な家族だからな」
「ありがとう、僕は、君と出会えて本当に良かった」

 その言葉と僅かな唇の感触を最後に、彼女は意識を失った。





 ――The sound of rain was like pain.
 They are laughing at pain which came from remained recollection.
 Thirst scratch thou throat.
 They are laughing at the scarcity.


31 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 10:55:05 ID:o3teQDzJ

幕間 鉄囲線五


 ――雨音は痛みのようだった。
 思い出が残す痛みを奴らが笑っていた。
 渇きだけが喉を掻き乱す。
 その渇きを奴らは楽しんでいた。


 雨の中、駅の売店で売っているような安い透明なビニールの傘を差して、二人の怪しい男が居た。
 二メートル近い、黒いローブを白い素肌の上に直に羽織った大男に、その横にへらへらとした笑顔を見せるサラリーマンのようなスーツを来た若い男が居た。

 その男の見つめる先には、荻が、荻だったものが河川敷で膝をついて座っていた。
 彼の右目と丸太のように太い右腕は無く、鍛え上げられた高密度な上半身には心臓のあるべき場所にポッカリと穴が開いていた。
 その足元には半分に分かれたズタズタの小振りな心臓はあったが、その持ち主の姿はなかった。

「どうやら彼、右腕と右目を彼女に挙げてから心臓を移植したみたいですね」
「そりゃ、先に心臓を挙げたら残りのパーツは挙げられないからな。まぁ、片手、片目で大手術を短時間で終わらせたのは彼の驚異的な集中力だろうね。【予測】どおり、彼女は自分の心臓は置いていったみたいだな。過去を捨て、自らの新たな生を得る、か。魔術師らしい」

 本来なら有り得ないことである。心臓を取り除いても、十五秒以上意識を保って生き続けた記録は医学上はありえる。しかし、それはあくまでの低次元での肉体の反応であり、人間的な、意志を持った活動が出来る事など到底有り得ない。ましてや、自らの心臓を自分の意志で引き千切り、他人に渡すなどは狂気の沙汰である。

 しかし、彼はやり遂げた。そこには彼女に生きてもらいたいと言う一身の願いがあり、同時に綿に包まれた中にある針のような、武人らしい剛毅な覚悟と彼女に対する強い芯のある想いがあったからだった。
 故に奇跡が起きた。
 彼は自ら瞳を抉り彼女に与え、腕を切り取り彼女に取り付け、最後に自ら心臓を取り出し彼女に詰め替えたのだ。
 その正座した膝の上に置かれた血塗れの左手には一種の、愛故に形作った狂気があり、同時にそこには神聖な、人として何か感動を与えるような、静けさがあった。
 黙した彼はまるで淡々と正座をして禅を組んでいるようで、死んだようには思えないほど穏やかで晴れやかな顔だった。
 たった今、心臓を愛する相手に与えたとは思えないほど、痛みの無い安らかな表情だった。

「……それにしても素晴らしい、彼は根性があるよ! 彼は誉むべき魔術師だ! その心意気、いや、その愛ゆえの狂気、この最高の『魔術師』である私が評価し、感動してやろう! 確かこの国の、今代の総理大臣も言っていなかったか? 痛みによく耐えた、とな」
 その彼だった骸にパチパチと拍手を巨大な黒い男、脱皮者が送り、それに申し訳程度にスーツの男、鞍路慈恵は続いた。
 不可視の神聖さを二人のイカれた男が穢していた。
 冒涜を文字通り、自らの(きょう)のために行っていたのだ。
 悪を行いたいが故に神聖さを汚す。悪のための悪があった。
 目的も、意味も無く、ただ純粋に悪になるための行為であり、在り方なのだ。
「……それにしても計画は怖いくらい【予測】通りに進んでいますね?」
「当たり前だ。この私が千年間も考えたのだぞ? あの自称『大魔女』の邪魔さえなければもっと早く始められたのだが、まぁ、『彼女』を『人質』に取る事で上手くいったようなものだがな」
 彼は白い歯を見せながら、ゲラゲラと、世界で隣に居る男くらいしか心地よいと思えないような黒い笑い声を挙げた。
「騎士もどきのアレはどうなっているのでしょうか?」
「私の居城にいる。魔人が来た時に捕らえて、魔人を君に渡す手筈だ。その後はどうでも良い。儀式に滞りさえなければ好きに弄って構わん」
「そうですか……、橋の上の彼女ですが、僅かながら蘇生処理は施しました。予定通り、魔女の戻り坂まで運び、それから『心臓』を摘出します」
「魔人が左手を爆砕した時は冷や冷やしたが、私の読みどおり、風の揺らぎで僅かにそれて心臓は無事だったようだな。逆に惜しいのはあの復讐鬼モドキの心臓だ。割れたのは惜しいが、あれだけ思いが強ければ組織片でも多少は使える。拾っておこうか。逆月の宴、その前日まで彼女が見つからなければ、儀式はドーマンで行う」
「……それなら後は私の『心臓』だけですね。で、どうしますか? 魔女(彼女)自身は?」
 黒い男は敢えて、答えは既に決まっているのに、意地悪くそれでも考えるような素振りをした。
 黒い影に白い、かみそりのように整えられた歯が下弦の月のように見えた。
「そうだな、君の魔術で魔人を捕らえて、彼女に彼の事を教えてあげるのはどうだろうね? 喧嘩別れしたままは可哀相だろ? 絶望する前に彼の事で希望を残さなければならないからね。絶望だけでは闇は出来ない。適度な希望の明かりがあるからこそ、その後の絶望がより暗くなるのさ」
「ふふっ、彼方は本当に弟子思いですね?」
「一度も魔法を教えた事が無いけどね」
 げらげらと嫌悪感を煽るような二つの声が木霊した。



 ――Well, Let me tell you one folktale.

 Once upon a time, one infaint who was like a beast lived in some moutain.
 He lived alone in the natural dark, feed on beasts, and they were followed as it like his shadows.
 Even though bear could not grapple with his force, he was top of lives in the moutain.


32 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 11:07:48 ID:o3teQDzJ

大焦熱


 ―― 一つ、物語を聞かせよう。
 
 昔々、ある山に獣のような子供が住んでいたそうな。
 彼は自然の闇に生きて、獣を主食とし、獣達は彼の影のように随っていた。
 熊でも取っ組み合いで勝つ事はなく、彼は山の王者だった。

 八月一日

            −Side A−

「……あ」
 何かが内側からドンドン失われていく。
 それは自制する事すら出来ず、ただただ垂れ流されていた。
 誰にも止める事も出来ず、まるで濡れたスポンジに許容できないほどの水が含まれ、そこから溢れ出るようだ。
 満たされていたはずの身体が周期的に、時に突発的に、零れ落ちる。
 一滴。
 二滴。
 三滴。
 一滴ごとに自らの境界から外へと、取り入れたはずの一部が解放されていく。
 雫は何時の間にか流れとなり、大河となり、怒涛の洪水となる。
 洗い濯ぐ物ではなく、氾濫による肉への反乱。
 私は徐々に自分の一部を失っている。
 しかもそれは与えられたものだった。
 その喪失によって、私は渇きを覚えた。
 求めるもの、得るもの、その大逆に拒むもの、失うもの。
 私の内側は何も求めていない。
 そう思わないと、自らの怠慢を認めてしまうようで怖い。
 恐怖は自らの変化。未知への絶望的な俯瞰。
 しかし、私の本性は留まる事を許さない。
 いつかは、いや、今ココで、私は真実を認めるしか無い。
 絶望は何処にでもある。例え、それが『立ち上がる』のに豪い努力が必要であってもだ。
 立ち上がるためのそれは、人が文明社会の中で多くが打ち捨てた、本能とでも呼ぶべき代物なのかもしれない。
 昔の、何と言う名前かは忘れたが、哲学者は言った気がする。
 本能とは、火事の時に食卓の昼食を忘れ、消した後の灰の上で飯を食べる事だと。
 私はきっと複雑な理解よりも前に明らかに分かっているのだ。
 現状を維持しているのが如何に無意味な事なのかを。
 それを認めないのはただ単に複雑さを求めようとしている小賢しい生き方なのかも知れない。
 そう思うと、私は腹が立ってきた。
 だから、瞳を開けた。





「暑ッッ苦しいっ!」
 あまりの寝苦しさとダラダラと止め処なく流れる汗にタオルケットを跳ね除け、ベッドから飛び降りる。
 枕元に置いてあったタオルを取ると、それで半ばやけくそ気味にゴシゴシと顔を拭いた。
 消し炭のついたカーテンを跳ね除けるとそこには一面の青い空――、ではなくブルーの工事用のシートで崩れた窓枠が覆われていた。
「……そうだった。まだ家、直ってないんだった」
 どんよりとした重たい入道雲がシート越しに見えたような気がした。

 事件から八日。
 あの日の爆発は館のガス管が老朽化したための爆発事故と言う表向きの原因となった。
 ジョウチョーは季堂ツィンタワーでの爆破テロ事件(と言う事になっている)以降、そのまま夏休みに入って偶々私の家に泊まっていたために、爆発事故に巻き込まれた事にさせてもらった。
 私はたまたま風呂側に居たために、構造上無事だった事になっていた。まさか、魔法で直したとは学校には言えない。
 あれ以来は事後処理のために曲さんにも会う機会も滅多に無く、常寵の携帯に来た連絡に寄れば、その後急遽正式に組み込まれた亡霊騎士の葬査展開と交戦経験を踏まえた陣頭指揮で忙しいようだった。
 そして、今日は少し早い時間にジョウチョーの陣中見舞いに行く予定だった。ん? 陣中見舞いで日本語的に合っていたっけ? 入院見舞いだっけ?
 斜め後ろを振り返る。
「ねぇ、どっちが正しいだっけ……、なーんて、訊く相手がいないから分からないよね」
 朝っぱら狂っている調子を正すために顔を洗いに向かった。



「よく来てくれたね。在姫、君の怪我の方は大丈夫かね?」
 と、まるで怪我人に見えない元気な様子で、雑魚寝をしながら本に目を落としていたジョウチョーは病院のベッドから身を起こした。

 起き上がった瞬間に僅かに顔を歪ませるが、意外と気丈に振舞っている。空元気では無いと良いけどね。
 一人部屋には何時の間にか病院の本を殆ど読破したのか、三日前に訪ねた時とは違うラインナップの塔が幾つも積みあがっていた。本を読むくらいの元気はそこそこあるようだ。
「私は全然平気よ。家帰って、怪我専用の霊薬(エリクサ)飲んだり、傷口の軟膏塗ったりしたし、病院にも行って診てもらったからね」
 手持ち無沙汰なので、クラス委員長の鳥越 九楼(とりこし くろう)君が代表で持ってきた、彼女へのお見舞い品のりんごを、椅子に腰掛けて剥く事にした。
 鳥越君は名が体を表す通り、心配性なだけはある。全身麻酔が切れ、ジョウチョーが普通に寝起きが出来るようになると彼は直接来たようだった。
 ちなみに私に対しては……、


 館の爆発事件から五日ほど経って、壁を直す大工作業中の私の家に鳥越君から電話が掛かってきた。
『も、もしもし、九貫さんの御宅でしょうか?』
 何やら後ろの方からクラスの男子達の声が聞こえた。たぶん、鳥越君が代表で電話を掛けてきたのだろう。
 それにしても《よし、今は傷心中だ。その事を念頭において好感度メーターを上げるんだ!》《敵要塞、クヌキバラードに侵入し、姫を奪還しろ》とか妙な盛り上がりを見せていたようだ。一体電話一本だけでどれだけ楽しんでいたのだろう?
 少し呆気に取られて閉口してしまったが、口に咥えていた釘を吐き出すと、片手にトンカチを持ったまま、応対をすることにしたのだ。
『はい、そうですけど』
『在姫さんはご在宅でしょうか?』
『私ですけど、何か御用ですか?』
『うぁ、え、その、お怪我は大丈夫でしょうか?』
 《馬鹿訊く事が違ぇだろうが!》《焦るな、お前には男子二十二人の魂が付いている!》などと言う意味不明の野次が聞こえていた。そう言えば鳥越君は赤面症で、私と目が合ったりするとすぐに顔が真っ赤になる。他の女の子では無いけど、一体どう言う事なのだろう? 取りあえず、彼を緊張させないようにゆっくりとした口調で、『えぇ、別に大して目立った外傷はありません』と返した。
『そうですか……(よかった)』
 《よし、そこだ。次のイベントへのフラグをすかさず立てろ!》《戦闘シーンにセーブ機能はない。慎重に言葉を選ぶんだ。シュネーク。》と何やらよく分からない事で騒いでいるみたいで少しうるさかった。
 もしかして鳥越君は罰ゲームか何かで私を不快にさせるために電話を掛けたのだろうか? だとしたら、私はそれに乗れるほどその時は気分は良くなかったので凄く不愉快だった。
『え? 今何か言いました?』
 少しきつめの声で言ったせいか、電話口の鳥越君は『あの、その』としどみどろになってしまった。受話器の口を押さえて『ねぇ、次はどう言ったらいいの?』と、情けなくも他の男子に助言を求めていた。……あのねぇ、たかだか女の子と話すくらいでここまで挙動不審にならなくてもいいのに。
 一度、軽い咳払いで息を整えると、彼はこう言った。
『え、いえ、その、在姫さんが何事も無くて良かったです』

 私は何も無かった。
 その代わりに失ったものが多過ぎた。
 冷たいアスファルトに横たわる赤く咲いた彼岸花。轟々と流れる泥水に落ちた白百合。
 そして、それを踏み荒らした鬼。

『……―― 何も無かった訳ではないです。ジョウチョーが大怪我しました。双方、大事には至りませんでしたが、正直、私も傷ついています』
 虫の居所が悪かったわけではないが、その時の光景がありありと思い出されて私は少し気持ちが沈んで、同時に腹が立った。
 電話口の後ろの方では『しまったブラフかー!』とか『ロードしますか? →はい いいえ』とか魔女の窯の中より混沌とした様子で更に私の気分の悪さを煽る形となった。
『あ、あの、別に気分を悪くしようとしたわけでは』
『分かっています。ですけど、ちょっと今日はあまり話をするような気分ではありません』
『……あの、実は、僕は』
『もう話しは終りですか? こっちも色々と忙しいので』
『はい、……ご迷惑掛けました、それでは』
 相手側から通話が切れると、他人に八つ当たりしたのが逆に腹が立って、トンカチを投げた。お陰で無事だった最後の窓ガラスが割れた。


「ちょっと彼には悪い事したかな、とは思っているんだけどね」
「誰の事を話しているんだい?」
「別に何でもない。……そうそう、昨日、院の執行部が斜蘭とお兄さんの遺体を引き取りに来てた」
「……そうか」
 その詳細を、ベッドを背もたれにしてニーベルンゲンの歌(ドイツ語版)を読む常寵に報告する事にした。

 荻さん達は詳しくは知らないけど、院のある特殊な暗殺機関(何でも日本の闇殺舎と言う暗殺組織よりも有名らしい)では有名な三人組だったらしい。
 佐武(さたけ)と言う偽名のような引き取り人が言うには院でも十本の指に入る忠誠と成果の持ち主の人達で、魔女狩りをするなどは考えもつかず、逆にショックだと語っていた。
 彼らの遺体はそのまま院の方で霊気装甲の研究のために回されるような契約をしていたらしく、常寵の事もあって何とか出来ないかと交渉してみたが、無駄骨だった。
『院の支援や資金提供を受ける代わりに、研究のためにその身を死後も捧げる事は規定になっています。それが出来ない場合には契約違反となり、他の家族の魔術師などが罰則を受ける規定となっています。彼らも死後までそんな事を望んでは居ませんでしょうし、分かっていただけませんか?』
 と、終始そんな口調で、丁寧にそれでも頑として私の交渉に屈する事はなかった。
 交渉の交換材料になるものの無かった私はそこまでで、まさか個人で巨大な院に逆らえる事が出来るはずもなく、膝を着くしかなかった。
『これも規定なんです。荻さんや蘭さんはその事を承知で、受け入れた上で院と契約しました。彼らの遺志を無駄にしないでください。誇り高い魔女の貴女にそれが受け入れられるか分かりませんが……』

 結局、彼らの遺体はエジプトへと送還された。
 執行委員の佐武さんは残りのメンバーである三枝先生の遺体を探すために残っているらしい。
 三枝先生はどうしてしまったのだろう?
 下流を流れ、彼女の遺体は何処へと流れたのだろうか……。

「兄の事は過ぎた事だ。私には過ぎた身内だった」
「ジョウチョー……」
 ジョウチョーは珍しく、章も変わらない途中で読み止め、栞も挟まないで本の塔へと積み上げた。
「可笑しいな、幾ら身内なのに、それを家族愛と言う気持ち以上に愛してしまって、やっと気持ちに整理がついて信頼できる人に預けられるかと思ったら、その人は消えて、兄は亡くなってしまった……」
 瞳を閉じて、点滴が抜けないように押さえながら横になる。
「私は滑稽なのかな」
 そのまま自嘲気味な笑みを浮かべて「今日は、疲れたから寝るよ」と言った。
 私は彼女をそっとしておこうと思って、「んじゃ、よく寝て、早く元気な姿見せてね」と、そう言ってそのまま部屋を出た。
 私に出来る事はこれ以上は何もないのだ。
 出来る事、それは、本当に無いのだろうか?

 病院の薄暗い廊下を歩くうちに、一週間以上前に一度だけ見た包帯姿の死神を見つけた。
「曲さん、お仕事は大丈夫なんですか?」
「あぁ、私は大丈夫だ。現場の連中と相変わらず反りは合わないが、まぁ、何とかやっている」
 若原と言う名家に生まれた、いわゆるエリートの曲さんと現場の叩き上げの人達とは色々と意見が対立するのだろう。
 事件は会議室ではなくて現場でとか何とか、って奴かな?
「ジョウチョーは今寝付いた頃なので、そっとしておいた方がいいかもしれませんね」
 彼女の本に目を通す瞳が赤く充血していた。おそらくあまり寝ていなかったのだろう。
「そうか」
 そう言いつつ、後ろ手に和木市の銘菓の袋を隠す曲さん。たぶん、この人は後々自分で食べるつもりなのだろう。
「そう言えば『あれ』以来から国定君の気配が無いけど、どうしたのかな?」
「…………」

 雨。去り行く背中。赤黒い幽鬼のような姿。
 そこから前後に有った事は、ジョウチョーにも、誰にも言ってはいない。

「ここだけの真面目な話し、特捜室と足並みを合わせないといけない事態に陥りそうなのだよ。詳細は話せないが、相当厄介みたいなんだ。もし、彼に会ったら私の無線に連絡をしてくれ。周波数は146.37、ジャミングコードはφ、コードネームはベンダーで私に通じる。宜しく」
 そう言うと、背を向けて病院の廊下を歩くうちに、彼女はその中に霧のように消えていった。忙しい最中にお見舞いにきてくれた事を後でジョウチョーに言っておいてあげよう。
 しばらくは、変な事に巻き込まれたくないから、ボゥとしたいな、と思った。



            −Side C−

 曲は黒い霊柩車に似た死神専用の乗り物に乗り込んだ。
 霊気装甲と組み合わせれば、その気になればマッハのスピードの出る乗り物である。課長クラス専用の最新の霊波探知機や電磁装甲結界発生装置、魔力妨害装置、はたまた前面のライト部分に吸血鬼を一発で焼却する強化紫外線放射機のついた戦闘機のような車だが、乗り心地は四年前、最後に座った学校の木製の椅子よりややマシであるくらいだ。
 曲は無言で紙包みを開けて、和三盆をポリポリと食べ始めた。ちなみにそれは常寵への見舞い品だが、渡せないなら仕様が無いだろうと食べる事にしたのだ。
 休暇中に、知り合いである季堂財閥の主に会いに行く途中に偶然巻き込まれた事件だった。
 現場は、現場にしては珍しく、シルクハットを被った男以外ヤル気が見られないし、その男も定時なったら『新婚』と言う免罪符を掲げて帰ってしまう。
 加えて、その上司のヤル気のない顔と言ったら……、
「どいつもこいつも! 気概を見せろッ」
 ハンドルを備品と言う事も考えずに殴りつけてしまう。
 そんな憤りはそれこれも、神秘院の遺体引取り人からのおかしな報告によって齎されたのだ。

『斜蘭の遺体は橋上でなく、魔女の戻り坂の手前、人払いの結界の掛かった林の中で、心臓を摘出されてみつかりました。また被害者側である魔女の報告にある三枝石火は見つからず、代わりに下流三百メートルで先月二十三日に病院に収容されていた斐川 荻の右腕、右目、心臓を無くした遺体を見つけました』

「……何なんだ。この事件は」

 最初は魔女が襲われていた事件だった。だが、気付けば、何時の間にか魔術師の行方不明者の方が増えている。
 七月二十日、ちょうど九貫在姫と国定錬仁が接触し、魔女の被害者が五人となったところでピッタリと魔女の被害は止まった。
 そして現在、斜蘭と斐川荻、それ以外の『在姫と国定が撃退したはずの魔術師達を誰一人見かけていない』。
 霊的な力で守られた政霊都市は霊紋など言うそれぞれの生物(時に交霊武装すらも)固有している指紋のようなものを一定の地域で調べている。魔女の被害と、その背後にある秘密結社である【アイオーン】の【脱皮者】以外のメンバーが判明して以来、出入りは厳しく調べられている。
 地域から出れば、彼の霊紋は死神公社の神南支部へと転送され、今、都市内に居るのか居ないのか簡単に判明するのだ。
 心臓を刳り貫かれて見つかった魔女五人と、同じ死因で見つかった斐川荻、斜蘭の両名の遺体に、摩壁六騎、保隅流水、三枝石火の三人の行方不明。そして、未だ活動を続けていると見られる鞍路慈恵。
 摩壁六騎の最後の事後処理は彼女の兄弟子で、現在は師父にあたる双珂院 生羅が担当したようだ。彼曰く、事後処理後に誓いの魔法を掛けて和木市外に追放したと魔女協会に報告している。
 だが、しかし、死体として見つかった彼ら以外は誰一人として、公社の葬査網に引っ掛かっていない。
 彼らは、突然消えたのだ。

 彼女はピラリと、神南支部のコピー機で刷った和木市全体の地図を見据えた。
「まず、摩壁 六騎はここ、和木市の西側に位置する坤高校のグランドで捕縛され」
 キュポンと音を立てて、赤いマジックの太い方の蓋を取って丸を付ける。
「次にそのほぼ東、在姫の住居である戻り坂を越えて反対側のツィンタワーで保隅 流水は行方不明になると」
 キュキュキュと音を立てて、ビル名の示された場所を丸で括る。
「次に斐川 荻の遺体が発見されたのが海際。北西に位置する太臥河の橋の一つの三百メートル下流」
 河の印である線の横、ちょうど見つかった辺りに彼女は丸をつける。
「そして、彼女、斜蘭が見つかったのが坤高校と季堂ツィンタワーの間、よりも魔女の戻り坂は少し南よりか」
 荻と同じく検討のついた場所を丸を記す。
「妙だ……」
 青いマジックを取り出し、彼女は今度は『殺された魔女』の場所に印を付け出した。
「馬鹿な、……同じだ」
 同じだった。坤高校、季堂ツィンタワー、太臥河の橋の下流、魔女の戻り坂、そして、この和木市に存在するもう一つの高校、ツィンタワーの北側、橋の東側に存在する神南高校。魔女の被害者も同じ場所で殺されていた。
 ただ、神南高校だけはまだ『魔術師の被害者』は出ていない。
 ただ違うのは順番。魔女達は神南高校、魔女の戻り坂、太臥河の橋の下流、季堂ツィンタワー、坤高校の順番で殺されていった。
「まさか、次の現場は神南高校か? ……いや、重要なのはそれだけではない!」
 そして、印にして始めて彼女は気付いた。青い五つとこれから赤丸の付く場所を含めた五つの二重丸はそれぞれが等しい距離関係にあったのだ。
「全て、現場が同じ距離にあるだと! 正五角形で形作られた現場。いや、【形が違う】。これは五角形ではない! そうか、その中心は……」
 その中心はビルが山を連ねた市街地、神南駅から十分ほどの距離だった。



            −Side A−

 しばらくは変な出来事に巻き込まれずにボゥと過ごしたいな、と思っていたのだが、病院を出て行くばかもしないうちに、今度は包帯ぐるぐる巻きの死神以上に変な人に会ってしまった。

「こんにちは。僕は戸上 七歩(とがみ ななほ)と言う小説家を営む者です。失礼ですが執筆協力のために取材のお時間を戴けないでしょうか? 大した事ではないのでお時間はそれほど取りません。個人的な質問を拒否する一切の権利の保障、プラバシー保護の確実性は僕の小説家生命を掛けて誓うのでご了承ください。そこで出来れば、人以外の生命体との遭遇や異星人による拉致、異次元人の自宅への押し掛けや神話級の拾い物、もしくは未来人に機械生命体からの抹殺(ターミネート)から守られるような経験、複数の呪いの対象になったり、地下帝国に投獄されたり、見た事の無い生物の居る無人島に漂着した生活の話、などのお話を聞かせていただけないでしょうか?」

 読者への説明だか、今までの自分の体験談なのだか分からないような事を途切れも無くスラスラと言ってきたのは一人の男だった。百七十センチの後半くらいの高い身長。それに対してひょろい訳ではないが、頼りなさそうな、しっかりしない立ち方。柔和な顔、と言うか『ヘタレ』と言う言葉を体現したような情けない面の男が居た。洗って薄くなった空色のTシャツに濃い柄のジーパン、白いスニーカーと言う装いである。空色のTシャツには白抜きで"Use your word"と小説家らしいような文句が書かれてあった。

 私はため息を吐くと、『久しぶりに』会ったその男に言ってやった。

「久しぶりですね。七歩兄さん、一時的とは言え、義理の妹の顔すら忘れてしまいましたか?」
「……げ。あ、あ、在姫ちゃん。お久しぶりです」
「ええ、本当に。あんまり久しぶり過ぎて殴りたくなるくらいですね」
 昔一緒に住んでいた仲と顔すら忘れる、取り繕った笑顔の義理の兄に心から悪態を吐いた。



 義理の兄による熱心な説得をされ、長年に渡る久闊を暖めるべく病院に程近い場所にある『時計堂(クロックハウス)』と言う喫茶店に案内された。
 硝子張りの床にはその中にショーケース状にズラリと大小様々な時計が並んでいる。壁にも、天井にも、窓ガラスにも透かして時が刻まれている。
 何処も彼処も針とそれを動かす歯車の音が響いている。
 どうやらこの店は兄のお気に入りのようで、彼の母、もとい私の本当の師匠である大師『戸上 悠紀』、魔女名『アーキ・オリアクス・ゲヘン・ユキ・バシレイオス』から紹介されたようだ。

 幼少の頃、私は母の旅立ちに合わせて大師の許に引き取られた。その間はしばらくは『戸上 在姫』として暮らしていたのだ。その頃に大師から多少の魔法の基礎を習ったが、召喚術を習う直前くらいに彼女が死亡して、私は彼女の最後の直弟子である双珂院 生羅に魔女になるために引き取られたのだ。
 つまり、彼は師父のようなおふざけ(本気かも知れないが)での義兄ではなく、れっきとした本当の義理の兄なのだ。本当の義理の兄と言うのも変な話だが。
 そして、対面に座す元義理の兄、七歩には魔女の、魔法使いの才能は無いらしい。
 代わりに【輪廻外】と言う、要約するなら超常的なものに出会う確率が極めて高くなる運の悪さを持っているらしく、私が居た一年の間に二回人外の女の子に失恋と生き別れして、三回UFOに攫われて、五回も別々の妖精の国まで理由無しに拉致られているナチュラル不幸男なのだ。
 どうやら先の話しを鑑みると、もっと余計な事に出会っているみたいだ。
 ちなみにその不幸をリアルに書く才能もあるらしく、零細ながら『怪人同盟』なんて言う小説を出版してそこそこ売れているらしい。ところでジョウチョーがこの義兄を師匠と仰いでいるみたいだが、書き物自体はどうあれ、本人の方は安い店屋物の割り箸の割れ方よりも微妙な性格と成りのためにあまり素性と関係を明かしたくは無いものなのだ。見てくれは出して恥ずかしい人間では無いが、彼の経験が特殊過ぎる上に、それを魔法も魔術も何も無しに彼の悪運の良さだけで乗り切っているために、大抵の人とは話が噛みあわないのだ。それ故に一般人並みの能力しかないのに異端視されているのである。
 ちなみに彼の上にもっと性格的にも人格的にも行動的にもハチャメチャな兄である戸上 熾盛(とがみ しじょう)なんて言うのが居るだが、彼は一体何をしているのだろか?



「そういえば、在姫ちゃんは学生だからアレでしょ? もう夏休みだよね? 僕みたいな小説家は年中休みだか仕事なのだか分からないからさ。日々の感覚が曖昧なんだよね」
「で、七歩兄さんはここで何をしているんですか? 私はミルクティとカスタードパイお願いします」
 喫茶店に訪れるのも久しぶりなので、師父にも最近会っていない事もあって、たまには甘いものを注文する事にした。
「あぅ、質問と答えが噛み合ってないよ。えぇっと、僕は最近少し面白そうな事件が起こっているような気がしたから、とりあえず市内を歩いてみる事にしたんだ。あ、店員さん、僕もいつもので」
 犬も歩けば棒に当たる。七歩が歩けば事件に遭遇する。『七歩き八転び』とは一番上の兄の熾盛義理兄さんがよくよくそう言っていたが、言いえて妙だったし、本人もその状況に慣れているようだ。
 長針のようなネクタイをつけたウェイトレスが注文を取って厨房へと静かに戻る。
「この間、ツィンタワーを歩いていたらさ。ケルト人っぽい顔した中年の甲冑姿の亡霊が空から落ちて来て、危うく鉄塊みたいな剣で斬殺されそうになったんだよ。近くに知り合いの死神さんが居なかったらやばかったね、うん」
 ……たぶんそれはビルの三十五階から逃げてきた人だと思うけど。
 三度も同じ相手に負けて殺気立った亡霊騎士に殺されなかったのは彼の悪運が強いとしか言い様が無い。
「まぁ、例のテロ事件って報告されている関係者に『遭遇』が出来ないから記事で書きようが無いし、どうしたものかなぁ、ってフラフラ歩きながらおかしなものに出くわそうと思っているんだよね。不思議な事に今回は収穫は零なんだよ。歩く方向間違えたかな? はぁ、このままだと来月の生活費が親父の借金で無くなっちゃうよ」
 実は既に事件の当事者の内、犯人にも被害者にもドンピシャで出会って、被害者の方は目の前に居るだが、自分の事をネタにするのはテレビのタレントだけで十分なので口を噤んでいる事にした。
 それにしても実はこの人、自覚していないだけで水面下ではもっと危険や事件の当事者に会っているのではないだろうか?

「と言うわけで仕方ないからね。僕は先ほど女子高生にあって色々と別の噂を聞いたけど、三つくらいしか収穫は無かったね。その一つは、白い蝶が願いを叶えてくれるって話しなんだ」
「ふーん、それってどんな話し?」
 時間が狂っているんじゃないかと思えるくらい早く、ミルクティとカスタードパイを運んできた店員に会釈しつつ、食べながらでも暇潰しに彼の話を聞いてみる事にした。

「確か、公立の、神南高校だっけ? 襟や袖が緑に染められたセーラー服で原色の赤と緑のチェックのスカートの可愛い奴」
「ムグッ、なんで、そんな女子高生の制服ばかり覚えているんですか?」
 思わず、私はミルクティを口から零しそうになる。
「僕の友達が制服マニアだから詳しくなっただけだよ。あいつの今の彼女も高校生らしいし、まったく犯罪だね。剣呑剣呑。まぁ、とにかく話を聞いてよ。そこでね、スーツ姿の男が校門の前にひっそりと立っていて言うんだ。『あなたの願いを叶えさせていただけませんか?』ってね」

 そう言うと、彼は横に置いた車のセールスマンが使うようなトランクから、掌よりも小さい硝子の小瓶に入った白い蝶を渡すらしい。
 アゲハチョウよりも一回り小さい蝶。間近で見れば醜く感じるはずの昆虫の外見が、僅かに人の顔のように感じて生理的な違和感が無いそうだ。瓶の口よりかは蝶自体は大きいはずなのに、どうやって収まったのか分からないけど、その蝶は生きたままでいるのだとか。
 その蝶の入った瓶のコルクを開けたまま、願い事を口にしながら寝るとまず夢を見るらしい。最初はおぼろげだけど、段々それは自らが望んだ願いの通りだと気付いて、そしてその夢を見続けて、七日目で願いが叶うと言う話しらしい。実際、叶ったものは居ないのにその噂はどんどん広まっている。いわゆる、学校の教室で聞きかじった事のある携帯のチェーンメールみたいなものだろう。私は携帯すら持っていないけどそれは概念的には似たようなものだろう。努力をせず、僅かなメールをコピーして貼り付けるだけの労力で願いを叶えると言う下らない迷信に、魔術によって幻覚でも付加されたのだろう。

「それにしても、妙に瓶とかの描写が詳しいですね」
「えぇ、調査のために僕もその人から一瓶貰ってきました」
「って既に巻き込まれているのかよ!」
 そんな私のドスのような鋭い突っ込みも何処吹く風で、彼はジーンズの小さいポケットの方からその硝子の小瓶を出した。

 小瓶の中で、白い蝶がゆっくりと羽を広げている。透き通った檻の中で夢を叶える蝶、願望機が生きていた。
 二本の触覚が蠕動しがら頭を巡らし、羽をゆっくりと上下させていた。
 羽が、人の顔のように一瞬見えた。

「……魔法、じゃないみたいね。魔力は感じない。でも、何か別の術式かな? 魔術?」
「不思議でしょ。まぁ、これも十分面白いんだけど、もう一つ面白い噂が合ってね。何でも、最近夏休みに入って、急に寝込む女子高生が出始めたらしいんだ。正確には、僕がさっき在姫ちゃんが出てくる前に病院で照会してもらったデータと合わせると八日前から六日前からだね。まず、五人の女の子が病院に原因不明の昏睡状態で収容されて、今では三十人くらいになっているのかな? 首筋か、何処かしらに『十字のような痣』が出来るのが徴候らしいね。病院は夏風邪の変種型ウィルスによるものじゃないかとか、異常気象に伴う身体の変化や社会不安による精神病じゃないかとか言っているね。偏見かもしれないけど大半の女子高生は社会不安なんて感じる子は少ないと思うけどなぁ。まあとにかく、医師も原因は特定はしていないみたいだね。でも、僕は思うに被害者はまだまだ増えると思う。おそらく『百二十四人以上』にね」
 そう言いながら、コーヒーカップの縁に橋掛けにしたスプーン。それに乗った角砂糖にブランデーを少し垂らしてマッチで火をつけ、蒼い炎を揺らがせる。カクテル扱いであるコーヒーにスプーンの横合いからミルクを入れた。それって確か香りを楽しむものなんじゃ無いの? ミルクでコーヒーの味を潰すのを見ると、砂糖漬けの師父を思い出した。
 エグイと言うように思春期の豊かな表情で極度の甘党への嫌悪を見せつつ、「ところで、何で百二十四人なんて人数が分かるの?」と聞いてみた。
「簡単な事さ。『スーツの彼が配った小瓶が百二十四個以上』だからさ。患者、いや、『被害者』で運ばれた子の家には何処にもベッド際に『空の小瓶』があったみたいだね」
 炎は消え去り、解けた角砂糖をそのままコーヒーに入れて掻き混ぜ始めた。
「まぁ、それ以上は調査とそれからの推測でしか僕は分からないし、仮に因果関係が分かっても解決する手段がない。ただの小説家だからね。とりあえず、友達のそう言う関係に抜群に役に立って詳しい友達に声は掛けたけど、生返事だったからねぇ。はぁ、彼女の制服を拝みすぎて頭がおかしくなったのかな? あいつ。ちょっと前に比べて殺気とか殺伐とした雰囲気が無いんだよね。でもそれで一般生活が送りやすくなっただろうから良いと僕は思うけど」
 どうやら、制服好きの友人と怪奇系列解決専門の友達は同一人物のようだ。流石、義理兄の友人だけあってダメ人間のようだ。
「……言っておくけど、魔女に出来る事は限られているからね? あてにはしないで」
「そりゃ当然だよ。元でも、家族を矢面に立たせる奴は居ないさ。でも、世の中には赤の他人の矢面に積極的に立っていく酔狂者も居るらしいね。僕の見解だとそういう人は自分の命を軽く見ているから、助ける人間の命を重く見過ぎて、助ける人以外の命の重さや自分自身の存在の重さを忘れる事が多いみたいだけどね」
「…………」
「んー、ブランデーの良い香り。ちょっと話が脱線しちゃったね。やだね、年を取ると説教臭くなって。まだ十代ギリギリなのにこんな風に老成するのは良くないかな」
「程ほどの方が良いと思います。恋人とかが居たら口うるさいとうざがられますよ」
「あぁ、そうだね。そんな気がする。(ゆき)にも爺むさいってこれ以上言われたくないから気をつけるよ」
 そう言って、七歩兄さんはカップを口に含む。と言うか、あれだけフラれても恋人出来たんだ……。

 ……そう言えば、今、七歩義理兄さんは何か大事な事を言った気がする。
 そうだ。あの日も、館が爆発する直前、『彼』は確かこんな事を話していたはずだ。

 魔術師、鞍路慈恵。正当に人外へと転生させる研究を行う魔術結社【双頭蛇】の元一人。【磔刑】と言う魔術を使う男。欧州で千人以上の『昏睡患者』を作って、その魔術の発症から二日で衰弱死させている。
 彼はその時、続けてこう言ったはずだ。
『奴が欧州で魔術を発生させた時に、その魔術を受けた者の体の何処かに『十字』の紋様(サイン)が刻まれる事から名付けられた』


 もしかして、彼の魔術でこの犠牲が出ているのだろうか?
 分からない。そうだとしても、ここまで被害が拡大されると私みたいな未熟者の魔女の介入では死神の葬査妨害になるだけだ。
 身の程を知った訳ではないが、物事を何かするにあたって躊躇するだけの理由が夏休みになってから出来すぎたのだ。
 魔女が森深くに結界を敷いて隠遁する理由も、何となく分かったような気がした。
 きっと、魔法の限界を知ったから、自分の能力の限界を知ったから、その無力感に溺死しないように、きっと人から遠ざかるのだ……。
 テーブルの下で、軽く無力な拳を握った。
 私は何も出来ないほど、無力なのだろうか?


「そうそう最後の噂だけど、この一週間の間、君が住んでいる戻り坂の辺りで、甲冑を着た男と槍を持った傷だらけの少年がずっと戦っているんだってさ」

「なんですって!!」

 あまりの大声に、しかも魔力も何時の間にか込めたせいかお皿とコップが砕けていた。
 七歩兄さんは木っ端微塵に砕けて取っ手だけになったカップを持ったまま、フルフルと生まれたての小鹿みたいに震えている。
 無表情なだけにそれが、逆に本気で怖がっている様子に拍車を掛けていた。
 その無表情な顔のまま、取っ手だけで機械仕掛けに何度も飲むような仕草をしている。
 むろん、カップは砕け散って、中身は台いっぱいに広がっているので飲めるはずが無い。
 短針のようなネクタイをした店員さんが慌てて台拭きを携えて、店内は一時騒然となった。



 二杯目のコーヒーが来る頃には七歩兄さんの震えも納まっていた。
「一週間前から彼らは戦っているらしいね。決まって夜、人が寝静まる頃に彼らは戦うらしい。彼らは武人らしく、コンビニに行こうとした人が居るとちゃんと止まって間を空けて、彼が逃げるまでどちらも手を出さないらしい。変な話しだよね。たまたまそこでランニングしていたランキングにも載るボクサーの人が一昨日の夜に見たらしいけど、少年の方がかなり苦しげだったらしいね。片腕のまま、大人でも振り回されるようなドデカイ槍を振るうんだけど、その騎士には圧倒されっぱなしなんだよね。でもさ、そのボクサーの人が言うには、気迫、って言うか、『こっから先は通さんぞー』みたいな何かを守るような気合が見えたんだって。不思議な話し、それの気迫だけで騎士が何度も攻撃を躊躇したんだってさ。その人も今度全国三位のランカーと闘う試合直前でナーバスになっていたんだけど、我武者羅になるのも大事なんだなーって、立ち姿だけで感動させられたんだって。不思議だな、戻り坂なんてもう在姫くらいしか魔女は居ないでしょ? 一体、その侍の少年は誰を守ろうとしていたんだろうね?」



 そんな事は決まっている。言うまでも無く、彼は約束に忠実で居ただけだったのだ。



「昨日、僕はそれらしき人物を探しに行ったけど、結局会う事は出来なかったな。どっちかはもうやられちゃったのかな? って、在姫ちゃん、あれ、ど、何処? ふむ、入り口のドアは開いている。と言う事は……。ぼ、僕の奢りなんですかー! ちょっと、勘定! 家族間でも明朗会計!」



 彼の全ての言葉を聞く前に私は駆け出していた。



 私は、馬鹿だった。
 彼の必死さを全然理解していなかった。
 彼は、傷つく事も、再び死ぬ事も恐れずに今でも戦っているのだ。

 能力の限界?
 無力感からの逃避?

 馬鹿な事を言うな。だって、元にそんな苦しみを千年続けた男が未だ私を守っているじゃないか!

 謝らなきゃ。
 一言でも、彼に伝えなくてはいけない。

 一週間、彼はどんな気持ちで、坂の下で立ち続けたのだろう?
 一週間、彼はどんな気持ちで、坂の下で守り続けたのだろう?
 一週間、彼はどんな気持ちで、坂の下で待ち続けたのだろう?



 背中からじゃなく、真正面から、色々と伝えなくちゃいけない事がある。
 中途半端に、誰も彼も幸せになろうと帳尻を合わせようとして果たし切れなかった自分と、真剣にただ私のためだけに守り切って、未だ立ち続ける彼、国定。
 国定 錬仁。
 私の覚悟なんて霞んでしまうくらい、彼は真剣だった。何よりも子供のように無垢だった。人に始めて懐いた獣のように純粋だった。そして、約束を果たすために孤高だった。

 そして同時に、今私は気付いた。
 彼の事を国定と呼ぶばかりで、ただ一度も名前で呼んだ事が無い事を――。

 何故だか、その事実が悲しくて、涙が溢れ出そうになるけど、堪える。
 まだ、泣いちゃダメだ。
 いや、後でも泣いちゃダメだ。笑ってやる。アイツの、『錬仁』の前で飛びっきりの笑顔を見せるまでは泣いちゃダメだ。

「待ってなさいよ、ポンコツ魔人。勝手に死んだら、許さないんだから!」


 陽炎を突っ切るようにアスファルトの道を我武者羅に走った。
 目指すは神南高校の校門、あそこに魔術師と亡霊騎士と、魔人はいるはずだ。


33 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 11:17:11 ID:o3teQDzJ

大焦熱2

            −Side C−

 曲はただ一人で、敵の魔法使いである脱皮者の居城と思われる場所を詮索していた。
 彼女の知識では五角形、いや街全体を形作る巨大な図形は魔法陣。儀式によって何かを成す為のものだと思われた。
 いや正確には五角形はただの外側の殻に過ぎない。
 魔女の殺害は神南高校に始まり、魔女の戻り坂、太臥河の橋の下流、季堂ツィンタワー、坤高校の順番で行われていた。
 そして、行方不明の魔術師達はそれぞれ坤高校に始まり、季堂ツィンタワー、太臥河の橋の下流、魔女の戻り坂、そして、神南高校で締められるようだった。
 それぞれの点、それを結んだ時に、驚くべき図形が現れた。

 五芒星。



 その昔、陰陽道と言う魔術の一派の鬼才、安陪晴明がセーマンと呼ばれる星型(☆)、五芒星とも言われるの呪術図形を生み出したと言われている。
 剣指(けんし)と呼ばれる、伸ばした人差し指と中指で『バン・ウン・タラク・キリク・アク』と真言を唱えながら形作るものだ。
 地図上と同じように、五つの頂点はそれぞれ自然界を概念化させたものと見なされる。
 土、金、水、木、火の五つが象徴である。
 土に始まり、(金属)が土より堆積して生まれ、金が結露し水が生まれ、水が木を育て、木のより火を燃え上がらせ、火の灰から土を作る一つの円環を成す。これをそれぞれの特性が最も生き合う事から相生(そうしょう)と呼び、この繋がりが外側の円、正五角形を作り出す。
 その真逆に、土が水を止め、金が木を切り倒し、水が火を消し、木が土を縛すること、これを生きる事の反対に停滞、それぞれの属性の削る死を意味する事から相剋(そうこく)と呼ばれた。そして、その形は正五角形のそれぞれの頂点を結んで出来た星の形をしているのだ。
 これほど巨大な、都市丸ごとを殆ど覆う術式で死神にも悟られずに書いたのは始めての事だった。しかも、死神が管理をする政霊都市の内側で、である。
 いやむしろ、膝元にあるからこそ灯台下暗しと言ったように、術者は計画的に、そして、それ以上に大胆に呪術図形を作り上げたのだろう。
 本部の死霊課の記録によれば、六百年前に大魔女・戸上 悠紀が打ち砕いた、正体不明の魔術師が同じような計画をしたはずだ。
 確か、今回追っている亡霊騎士。テンプル騎士団の騎士団長、ジャック・ド・モレーと共に処刑された騎士長 ガーブリエル・オギューストもその渦中の人物だったはずだ。
 彼らは当時から生きる敬虔な信徒の『吸血鬼』達の一派の調査に寄れば、当時のテンプル騎士団の指南と儀式を司る教会司祭長補佐を行ったヨハネス・ウルベスと言うのが怪しいらしい。そして同時に詳細に調べた結果、なんとその男はテンプル副騎士団長バネッサ・バシコフとも名も変えて同時に騎士団内部でも暗躍していたらしい。ヨハネス・ウルベスとバネッサ・バシコフの二人は同一人物で、それは東方の魔術師ザイン・ウロボロスと自ら称する男によってテンプル騎士団は崩壊を起こしたらしい。つまり、ヨハネス・ウルベス、バネッサ・バシコフとザイン・ウロボロスの三人の男は全て同一人物だったのだ。何ともややこしい話しだ。
 敬虔な活動の裏で魔術師は異端審問を行い、その異端者の身体で様々な魔術を履行していた。
 つまり、彼は自ら指南した教義を自ら行い、それを全て、自らの所属する団体の責任にして、その国に処罰させて自分はトンズラをこいたのだ。
 彼の異端審問で膨れ上がった騎士団の私有財産目当てで国は動き、取り潰され、搾取され、無実の団員の殆どはガーブリエルと共に証拠隠滅のために処刑されたのだ。
 彼らはその魔術師が行っていた魔術を証拠にされ、闇に葬られたのだ。
 その魔術師が最後に、仕上げとして異端審問に似せて同時に行っていた儀式も今回と同じ方式だったはずだ。
 心臓を抉り、それを使って築き上げた五芒星の呪術図形で『何かを行おう』としていた。
 ただその時はセーマンを欧州のほぼ全域を対象にしたため、その当時に欧州にぶらり途中討伐の旅を行っていた大魔女に計画をあらかたブチ壊されたらしい。
 それ以降、彼の消息は掴めておらず、魔女に殺されたとか、逆に弟子になって助かったとか、日本まで実は来ているとか、色々と噂されているらしいが、それ以降は足取りを消されたために詳細はまったく不明となっている。
 とにかく、セーマンは効果範囲とそのための呪術式を描いた内部に属する生贄の対象を広げるものとして使えるのだ。実際は小さな紙片に掛けるほどのモノだが、それを作り出した安部晴明の様々な補正の入った強力な術式の理論では都市を丸ごと包むのは容易い事の様だ。それは京の街並みが作り上げた霊的な都市配置が彼の理論を物語っているのである。無論、そんな事を正確に成し遂げるのは彼本人くらいでしか有り得ないのだが、どうやらそれをやってのける天才が他にも居るようだ。
 しかも何故か今回は二度、霊気装甲のまったく無い空の身体の魔術師の心臓と魔法使いと魔女の心臓で、星型のみを作る外側の円の無い、相生のまったく無い相克のみの図形を二度も、反対側からそれぞれ作り出しているのだ。

 それの真意は分からないにしろ、彼女には何処にその儀式の張本人が居るのか分かっていたのだ。

 さて、何故彼女がその図形の中心に居るのか?
 それはセーマンは口伝によると『五芒星の中心に点を打つ』と言うのだ。
 概念の中心にして、力点の中心。
 五つの大自然の霊気装甲による力の流れの最中でありながら、同時に特異点として介在する奇妙な場。
 それが、このビル街の中だった。



 神南町駅付近は大都市では無いがビジネスビル街で構成され、近代的な町並みを作り出している。
 駅前にパチンコ屋と言うのはもはや仕様のようである。あれほど、堂々と違法のはず賭博(内実はパチンコ屋の敷地に『偶然』ある質屋での換金行為)をしているのは日本が狂っている証拠なのだろう、と生真面目な公務員らしく彼女はそんな感想を思った。
 路上は地方都市なりにスーツ姿のビジネスマン達が革靴を削って闊歩している。
 その中をこんな茹だるような雑踏の中心を、上半身包帯グルグル巻きに黒い半纏と言う奇妙な格好でありながら彼女には誰一人として視線が向けられていない。
 それは視線遮断と言う魔術の類であり、誰もそこに意識を向けることが出来ないのだ。それは眼球を通じて観測者の脳みそにそこに人が居ると認識出来ないようにする事で『人が見ていない』のと同じ状況を作り出すものである。ちょうど、本や漫画を真剣に読んでいると横に人が居ても気付かないのと同じ理屈である。

 そして、彼女は同じような魔術がある付近一帯に掛けられている事に気付いていた。
 道行く人、それ以外の視線が彼女とそれ以外のビル間の一点に向けられていないのだ。
 暑苦しい天気のためか、時折立ち止まりひぃひぃ言うような恰幅の良い男性が居るが、その彼がその一点に視線を向けようとすると何の気紛れか、その方向には向かずに、わざわざ太陽に顔を向けてポケットからハンカチを出して汗を噴出すのだ。
 それと同じような行動をしたのが、今までその場所に六人。統計上のサンプルとしては少な過ぎる方だが、偶然にしても太陽に顔を自ら向けて日焼けを促進させる営業の人達は居ないと思われるので、確実に考えられるのは、その統計を操作する何かの必然があると言う方が結論が早いのだ。
 明らかにそこは、魔術師や魔法使いが嗜む、魔術が掛けられた場所だったのだ。
 実際、魔女や魔法使いの人口はそう多い者では無いが、霊的な優位性などから指定政霊都市へと人口は集中しやすい。
 おそらく人数は十万人に対して一人ほどだ。しかし、政霊都市による偏向が起こり、一つの都市に潜在的な者も含めて二百人ほど居る事はざらである。
 彼女らは闇の隙間に佇み、その(ねぐら)と存在をひた隠す。
 彼女らの塒は廃坑や廃校、使われなくなった駅舎、殺人現場や行方不明者の多いマンションなど人があまり来ないような場所が普通だが、まれにこのような街のど真ん中を操作をして人の出入りを制限している場所があるのだ。
 彼女はビルとビルの谷間、死の谷を髣髴とさせる場所に同じく死の象徴である半纏を揺らして入り込む。
 そこは四方を城壁のように囲んだ要塞のような場所だった。
 聳え立つコンクリートの壁。そこはつい最近何かの戦闘があったようで、砕けたアスファルトと強い霊気装甲の残滓、そして血の跡がそのまま残っていた。
 彼女は慎重に、その都会の街に些か似合わない木造建築へと侵入する。
 静かに敵に気付かれないように侵入する。
 無論、これは礼状の無い葬査のために下手をすれば、減給、停職ものの処罰受ける違法行為である。しかし、この数日在姫達とのわずかな生活を通して、始めて、彼女は死神として役に立ちたいと思った。

 彼女は以前在姫達に独白した通り、武人的な性格である若原でも下から数えた方が早い死神だった。それは若原でも珍しい女性と言う不利であり、同時に彼女には死神としては体術の才能に乏しかったのである。両親、特に武を継承する大本である父からは何も言われなかった。それは優しさで無く、彼女自身の存在に対する諦めに近かったように思えた。それからも家族に認められようと数々の武術的な努力をしたが、それは全て、若原と言う名前にそのまま帰っているだけに彼女は感じた。彼女自身の居場所は徐々に無くされ、死霊課と呼ばれる、本部でも零細の部類に属する役職に追い込まれたのだった。
 だからこそ、世界規模で畏怖される魔人に認められ、魔女に頼られた事は彼女の中で大きな変化だった。
 友達の、私を認めた人の役に立ちたい。
 だからこそ、彼女の手で犯人は捕縛しようと思っていた。
 魔法使いの城に入れば思ったとおり、室内は呪術製品で溢れかえっていた。
 壁一面に掛かる無数の儀礼剣(アゾート)、罪人の手を触媒にして強力な呪いを掛ける栄光の手(ハンズオブグローリー)が机に置かれ、人工魔人を作り出して陶器の瓶に封じたインプの小瓶が棚に並んでいる。扉の直ぐ横には体の形状を変化させる呪いの椅子、吸血鬼の血を注入する事で吸血鬼に変えてしまう石仮面が何気なしに置かれている。
 そして、巨大な(あぎと)のように開いた地下室への喉。
 そこに足を踏み入れようとして、何か奇妙な音がした。

 慌てて鉞を構えれば、それはただの魔力仕掛けの鳩時計だった。鳩は台座から離れて、天井をデポポプッポウソーと鳴きながら飛び回っている。

 ホッとするのも束の間、彼女は構えたまま、暗く広がる暗黒の喉奥へと誘われていった。

 それを闇の奥深く、石仮面に取り付けた小型監視カメラから眺める男が椅子に身体を預けていた。
 煌々と光る液晶ディスプレイが男の祭壇のように白い肌を照らす。
「ようやく来たか、【予測】どおりだが、予定より二十秒早かったな」
 男が哂った。


34 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/07/17(月) 11:18:55 ID:o3teQDzJ

大焦熱3


            −Side A−

 馬鹿みたいに突っ走って何時の間にか市内を半分横断し、神南高校に辿り着く頃には遅まきの夕暮れが血のような赤色を作り出していた。
 足は鉛のように重たく、身体は急に動かしたせいでギシギシと軋む。
 それでも夜に追いつかれないように駆ける。
 ただ駆け続ける。
 赤が徐々に色濃い紅を帯び始め、ついには星の光も弱弱しく、月明かりも無い夜の(とばり)を下ろした。

 確か、今宵から新月が始まったはずだ。
 月は古来より魔の象徴であり、それを受けて満月で狼男が遠吠えしたり、魔女が儀式を行ったりする。
 しかし満月に対して、朔月とも呼ばれる月明かりの無い夜は、殆どの場合は魔に属する儀式事は行われない。一般では月の満ち欠けが魔力にダイレクトに作用するように言われているがそれは違う。むしろ逆なのだ。溢れ出るような魔を塞ぐのが月の役目と考えられている。この新月に何らかの儀式を行えば、魔はまったく反応しないか、トラックの超重積載のようになって自ら潰れる。つまり、自らの限界を超えて、身体を破壊してしまう事があるようだ。

 つまり、新月の夜は何が起こるのか誰にも分からないのだ。

 そんな時にも関わらず大胆にも、校内をグルリと平気で人払いの結界で囲んでいる魔術師が居た。
 熟練の魔法使いでも、朔月では魔法が失敗すれば、力の元であり同時に魔に対抗する霊気装甲が防御反応として身体を守り、全身が焼かれたようになる。下手すれば魔法どころか、日常生活の使い物にならないような身体の状態にもなるのだ。そして、その抵抗力すらない魔術師が失敗すれば、何らかの静電気のような蓄電作用が体内に起こり、何かの拍子に点火、プラズマ融解を体内から起こすらしい。いわゆるオカルト雑誌で言われる人体発火現象も、超能力の暴走よりはむしろ、知らず内に魔術の儀式手順を行い、精密な操作も知らないために出来ずに死んだ潜在的魔術師の末路なのだ。

 学校の柵に沿ってその横に止められた白いバンを通り過ぎ、校門を潜り抜ける。むろん、校門の敷居を跨いだ時点で彼には気付かれたはずだ。
 だから、堂々と噛み切り痕のついた親指を食い千切りながら、召喚魔法の準備をしておく。
 魔女の血が濃く、決意する。
 鼓動が、戦のための銅鑼の如く打ち乱れる。
 呼吸を整えて、前を見据えた。

 ただ広い、寂しい校庭には、一人の男と奇妙な柱が立っていた。
 スーツ姿の男。セールスマンのような格好だが、その張り付いたニヒルな笑みは営業向けよりもその横に置いたトランクに核ミサイルの取引契約書でも入れた武器商人の方が似合うような皮肉れた面だった。
 その柱は斜めに立てられていて、そこから左右に翼を広げるように飛び出たもう一つの木に錬仁が釘で手足ごと打ち付けられていた。だが、左片手だけが無いために、彼は右手だけを広げ、手首に釘を打ちつけられていた。
 それは不自然な磔(はりつけ)にしか見えない。
 その身体には蝶になる前の、人面の白い(さなぎ)のような生き物やニヤけた人面の白い芋虫が数十匹、それこそ彼の身体を覆うように這いずり廻っていた。
「錬仁ッ!」
 私の声に、ピクリとも彼は動かなかった。
 そんな私の様子を男は声を押さえて笑いを堪えている。
 一つ一つの動作が神経を逆撫でする様な行動だ。
「おやおや、仮とは言え、私の居城に来たのですから主への挨拶の一つでもしたらどうでしょうか? 姫君」
 私の名前を掛けておちょくって言っているのか、大業そうな、大げさな仕草でサラリーマン似の男、外国人であるかのようには両手を肩の少し下辺りに置いて竦める。
「下賎な者に名乗る名は無いわ。魔術師・鞍路慈恵」
 苦々しい顔を向ける私に、一度大きく、それは面白いとでも言うように目を見開いてから、
「そう、その通り、この私が【磔刑】の鞍路慈恵ですよ。くぬきの木の魔女、九貫 在姫さん」
 胸に指先を当ててそう言った。
「本日はどう言った用件でしょうか? 貴女の願いを叶えたいのですか?」
「恍けるのは態度だけにしなさい。その柱の男を解放しなさい」
 その言葉に鞍路は首を傾けながら、同じ方向に「くっ」と唇を顔半分だけを不自然に吊り上げて笑う。
「面白い冗談ですね。守られる魔女が敵の前に出てくるなんて、愉快過ぎですよ。彼方には喜劇女優の才能がありますね」
 僅かな抑揚を付けた言葉は詩のリズムのようで、それは感情を動かすものだ。
 動かす感情は激情。効果的に人の心を付け入るような、嫌な言葉使いだ。
「……この魔術は一体何なの? 答えなさい」
 男のペースに巻き込まれないように、私は質問の矛先をダイレクトに変えた。
 その反応に「ふーん、そう言う反応、いや、戦術ですか。彼のお陰で成長、いや、思い出したのでしょうか?」と言うと、悠々と片膝をついてスーツケースを開けた。
 その動きに身構えるが、そこから出てきたのはあの蝶の入った小瓶だった。
「此処にご足労した御礼に教えてさしあげましょう。これは私の発明したものです。これは『幸せへの欲望』に『寄生』する生物(プログラム)なんですよ。人の欲望は果てしないものです。幸せを生み出す金、土地、地位、名誉、愛、もっと本能に根ざした身体、それ以上の形而上の人のそのもの、あるいはその人間の願う幸せの概念そのものにこれは寄生します。欲望に寄生する事で、その所有者に幸せな夢を見させるのです。そして、所有者自身が現実と判断すれば、夢と現実の等価式を作り出し、そっくり入れ替えるのです。この蝶は鏡の作用を持つのですよ」
 鏡の魔術。おそらく白昼夢を見させる魔術は幾つか聞いた事はあるが、幸せだけに限定する魔術も珍しいものだ。
「不思議そうな顔ですね。何故そうするのかといえば、人は頭の中に適度に歪んだ鏡を持ちます。自分が苦いと思う物が、他の人にとってはそうでも無かったり、時には幸せそのものだったりします。個人の差。それを延長させれば、例えば運動神経の良さもその現実を如何に自己の肉体へと反映させるか言う歪みの差なのです。その歪みを人は個性と言います。その通り、鏡とはつまり脳の事です。人は目で見たもの、耳で聞いたもの、鼻で嗅いだもの、舌で感じたもの、手で触ったもの、全てを直接感じ取る事は出来ません。それらは全て神経を通じて情報は再構築され、相似形を持ちながらまったく別の感覚を作り出します。私なりの見解であればそれは鏡へと投影される行為です。それが脳と言うものの機能です。歪みとは脳の神経ネットワークの僅かな本数と作り方と反応経路、そして偶然的な神経のスイッチのタイミング誤差などの個人の差だけです。ところがこの差がある事で私達は誰もが等しく本当に幸せに満足する事が無いのです。だって、人はその差によって情報を鏡でもう一度見直しているからですね。しかも個人の歪みはそれぞれまったく違うものです。それ故に、頭の外では『誰もが等しい幸福』なんてのは、まさしく脳だけの、歪んだ鏡を更に歪めて像を作る妄想みたいなものなのですよ。既に鏡が歪んでいるのにそれに合わせた幸せの外枠を作ろうなどと言うのはお笑いですね。だから、私は外枠ではなく、現実を個人のそれぞれが適度持つ感じ方を映す鏡をもう一度、今度は有りのまま脳へと返して映す綺麗な鏡を作ったのです。それが蝶です。ただ、残念ですが、脳が今まで映していた現実を現実でないと思いますと、鏡に映っていた現実の肉体を放棄してしまうのです。故に、脳に依存する肉体は死を迎えます。まぁ、当然ですね。目の前の都合の良い鏡を置けば、その裏側を見たいとは思わないでしょうからね。宗教やら何かの強力な存在に依存した者はその鏡を自ら作り出す事もありますけれど、私はそれが誰でも出来るように、幸せな世界を映せるように私の魔術で鏡を作ったのですよ」

 それは、恐ろしい事だった。
 彼の魔術は現実を否定させ、自らの都合の良い夢の中に埋もれさせるものだったのだ。
 そしてそれは夢の世界に依存する事で、肉体の生存活動すらも否定し、夢の都合の良い世界だけで生きる。いや、死に続けるものだったのだ。
 私には喫茶店で少し可愛げのあるように見えた蝶が薄気味悪いものにしか見えなくなっていた。
 蝶は私の見た時に比べて、今にもコルクの蓋を打ち破りそうなほど激しく動いていた。
「激しく動いている?」
 そう私が呟くと、ニヤリと彼は笑った。もしかして、この反応も奴らは七歩義兄が小瓶を見せる事まで何か【予測】した結果なのだろうか?
「何故、こいつの反応が激しいのか? 私の蝶は願いの強さに反応するのです。簡単ですよ、魔人は自らが願い、それによって願いすらも忘れるほどの力の手段を得て、その力の強さ故に目的自体を忘れて永遠に叶えられなくなった存在ですからね。詰まるところ、願いを叶えたくて仕方が無くて、それを克服する力が本当にあるのに、その叶えたかったこと自体を忘れてしまって、『願いを叶えたい』と言う気持ちだけになった生命体ですからね。言わば、願いにしてそれを叶える力を持った塊。あまりの魔人故の純粋さでこんなに蝶達は大騒ぎなのです」
 そう言うと彼はコルクを開けた。
 そこから身を捩るように、焦るように蝶は瓶口から抜け出すと、錬仁の身体に張り付いた。
 張り付いた瞬間に、それは羽を畳んで蛹へと戻り始める。
 それは夢から現実と至る覚醒へのプロセスを逆転するように感じられた。
 まだ可能性のあった夢のあった頃の卵へと孵る、真逆の生誕。
「ここから後は芋虫に戻って更に、鏡となる核の卵に戻れば良いだけなのですが、難しいですね。流石、千年も経ったせいか、記憶が劣化しているようですね」
「え?」
 今、彼はなんて言った。
 それは魔人には『記憶がある』と言う事か?!
「あぁ、君は知らなかったですか。魔人はね、記憶を消すわけでは無いのですよ。記憶との繋がりを失うだけなのです。ちょうど、ハードディスクからデータを消すのと同じ要領です。あれはデータ自体を消した訳では無くて、データとの繋がりを消しただけなのですよ。だから、データの復元が特定のソフトなどで可能なわけです。まぁ、その繋がりを消したデータの上に新たに上書きされたら元のデータすら無くなるのですがね。逆に中には繋がりを消したにも関わらず、頑固に『転生前の記憶』を持つ人も居るみたいですけどね。魔人は他のシステムの効率化のために、特定のデータ、とても強固な、けっして自らの外殻を失わないだろう悪夢だけにアクセスを留めさせて効率化した生命体なのですよ。だから、記憶が無いんじゃなくて、『記憶がどれだか分からない』だけなのです」
 魔術師は磔の錬仁に近づくとゾロゾロと動く無数の芋虫をいとおしいように撫で上げた。
「私の蝶はもっとも幸せを見せるために効率的な鏡を作り出すために、記憶を綺麗に、そしてドラマチックに繋げる事も出来るのです」
 彼は芋虫の一匹を摘み上げるとそれはジタバタと錬仁を求めて動く。その足掻きを無視して自らの口の中に放り込んだ。咀嚼。まるで躊躇いもなく、不気味な、蠢く芋虫を食った。
 喉を鳴らして、麻薬中毒の患者がやっと薬を手に入れたような、法悦の表情を浮かべた。
「あ、あぁ、なるほど、これが、生前の、『魔人になる前』の彼ですか。実に猛々しく、強く、そして最期は哀れです。涙を誘います。何故、獣でも、(つわもの)でもなく、ただの鬼と化したか納得がいきます。その純粋さは憐憫による感情だけでは表現しえませんね。八十%の記憶の復元といったところでしょうか。今まで二度魔人の人生を見てきましたが、彼ほど『真実を知らない方が良い魔人』は居ないですね。成る程、こいつは『幸せにしがい』がありますね」

 ……なんですって?

「もしかして、あんた。このまま記憶を戻しつつある錬仁を芋虫が作る鏡の牢獄に入れるつもりなの?!」
「それ以外に何をしようと言うのでしょう? 彼の人生は既に大過去、故に現実の手段で全てを叶える事が出来るはずが無いでは無いですか? 彼に幸せがあるなら私は叶えてあげるだけです。それが私の原則です」
「何故、そんな事を続けるの?」
 核心を、私は貫く。
「それは、私には『幸せ』の概念が無いからです」
 彼は掌に新しい蝶の瓶を載せた。
 確かに蝶は錬仁へと向かおうとするはずで、目の前の硝子一枚で隔てる彼には見向きもしていなかった。
「私は何を見ても、聞いても、嗅いでも、触れても、味を知っても『感じる事』しか出来なかったのです。無感動に近かったのです。私の脳が恐らく『幸福を感じる歪みを持ち合わせていなかった』のです。しかし、身体だけはそれでも生きれるように、不自然では無いように人と同じように笑う事だけを覚えました。まぁ、無様でしたけどね。私はそれによって人並みの生活は送れたつもりです。だけど、それを続ける事には飽き飽きとした私はふとした事から魔術を少しずつ学んでいきました。その間もこの姿どおり元はサラリーマンの営業でした。魔術によって人の『幸せ』だけは分かりますから、そのニーズに答えれば営業成績は上がり、小さかった会社は私の居ない今でも大企業と呼ばれるものにする取引をして会社から感謝をされましたし、それを通じて妻を持てましたし、子供も得ました。だけど、彼らを幸せに出来ても、自らの幸せの実感を得ることは無かったのです。だから、私は幸福の追求のために私は自殺を装い、全てを捨てて魔術師の道へと本格的に歩み始めました。私は以前、人間の身体に縛られているからだと思い、人以外に転生しようとしました。だが、途中でそれは『人の幸せでは無く、人外の幸せに摺り代わっている事に気付いた』のですよ。そして、私は本格的に魔術師になり、同じように他人を客観的に眺める事で、その人達の幸せの共通項から幸せの概念を抽出する事にしました。ですが、抽出すればするほど、それは絶望と変わらない事に気付きました。人を幸せにすればするほど、自らの不幸、いや『幸せの無さ』が浮き彫りとなっていくんです。幸せは個々に違うのです。それ故に、私の個であるはずの幸せが無いのです。それは十字架で高々と自らの幸せの無さを晒すような、奇妙な感覚でした。幸せを求めれば求めるほど、己の手足を束縛する、突き刺さった無意味さに気付いてしまうのです。私には不幸は無くても、同時に幸福も無かったのです」

 それは、あまりにも悲しい話だった。誰よりも、おそらく他人の、その人自身の幸福を理解しながらも、ちょうど硝子越しの蝶のように、触れようと思っても触れられない、自らの幸福だけは実感できない男。それは己の人生を無感動な悪夢として見続けるのと同じ事だろう。

「そして、『慈善事業』はもう終りにしよう。そう思った時に【脱皮者(かれ)】と会ったのです」

 絶望だけの空虚な男の前に現れたのは、動く悪夢だった。

「彼は言いました。『私の計画を手伝え。私のためにその捨てた命を預けろ。忠実な駒となれ。盤上を【予測】して支配する、『私の願う幸せの一つ』と成れ……』そう、それは表現するなら、甘美でした。脳が蕩けそうなほど、甘い誘惑でした。だから私は選択したのです。私に幸せが無いなら――


           ――私は誰かの幸せの一つとなろう。
           ――私が幸せそのものになるんだ、と」



 それは、最悪の出来事だった。よりにもよって、親でも、友達でも、会社の同僚でも、妻でも、自らの子供でもなく、彼は幸せと同一視するべき人間の、最悪の選択肢を選んでしまったようだ。
 もし、魔術師を選択する事なくそのまま生きていれば、彼は例えようも無いほど、他人の幸福を本当に追求する人格者となっただろう。きっと、家族を、同僚を、友を、親を幸せにする純粋な意思を見せただろう。
 だが彼が選んだのは、魔法使いとなるために手段を選ばない、人として最低最悪な人間の屑を崇拝対象として選んでしまった事だった。



「魔女が五人、いえ、それ以前に何人も死んだのは」
「彼と私の幸せのためです」
「じゃあ、欧州で千人以上の人が死んだと言うのも」
「彼と私の幸せのためです」
「あなたが、もし彼のために自ら死ぬ事があっても」
「彼と私の幸せのためです」

 彼は両手を広げて、ちょうど磔にされている国定と同じような形になりながら、
「今、彼の使命を遂行している私は、とても幸福なのかも知れない」
 そう、言葉と涙を零していた。
 今まで、歪んで見えたはずのその笑い顔は、今まで無理をして、幸せがあるふりをしていた悲しい笑顔だったのだ。


 狂っていた。否、狂わされていた。
 まるで『計画したかのように』、予め作ったパズルのピースを嵌めるようにしていく元魔術師の魔法使い【脱皮者】は、幸福の感じられない、他者の幸福を叶えるための人間で、いずれ人との幸せで幸福分かち合うはずだった男を、知らずうちに歪んだ道へと堕落させたのだ。
 恐ろしい男だ。
 今まで、誰にも姿を見せず、奴は【予測】して、全てを駒のように操っているのだ。
 私自身にも、その操り糸があるのかも知れないと不吉な事を考えると、ゾッとしてしまった。

「ほら、見て御覧なさい。卵が幾つか出来てきました。これだけの蝶を二日間、フルで記憶の復元に使ったのは始めてでした。千年前の叶えられなかった幸せを私が叶えないと……」

 ……拙い、余計な感傷を持ってしまった。
 今、ここで【魔女の呪い】をぶっ放す事も出来る。だが、初めて、こんな道先を間違っただけの綺麗な人間に危害を加えようとするのが躊躇われた。
 指先に呪いの魔力を込めるだけで出来るものの筈なのに、その呪いの枠組みさえ、男の前では作れない。
 幸せを求める事が当然である事を如何にして否定しようか。
 どうすれば、良いんだろう。





































「君は非常に初歩的な間違いが多い。解答が分からなかったら適当にマークをすればいいのだよ。どちらかは正解だ」

 その声と同時、癇癪玉の弾けるような音と共に、幸せそうな男の身体が前のめりに崩れた。
 その後ろには、眼帯のように鉢金を斜掛けにし、『白衣』に身体を包んだ、
「三枝先生?」
 が左手に硝煙の漂う銃を構えていた。
「先生! え、し、死んだんじゃ、無かったんですか?」
 銃を片手での華麗なガンアクションと共に腰の右ホルスターに収めると、敵意の無い、むしろ荻さんのように穏やかな笑みを浮かべた。
「ふむ、指導不備が有ったようでな、冥界から職務怠慢で送り返されてきたんだ。最後まで職務を果たせ、と言う事さ。さぁ、この男は終わった問題だ。次は国定君を助ける方程式を立てるんだ。これは非常に難解だ。私も手伝おう」
「は、はいっ!」

 そうだ。重要な事を、優先順位を間違えそうになった。
 私が大事なのは今、錬仁を助ける事だった。
 そのための障害を突破する事を小賢しい、大本の魔法使いの姦計に引っ掛かって見失う事だった。
 確かにそうだった。
 それはそれ、これはこれだった。
 他者と自分を混同してはいけない。
 他者を尊重する事は自由だ。でも、自分と他者の理屈(イデオロギー)が対立する時には両方が妥協するか、双方が戦うしかない。そして、同じ土俵でなければ、それはただの一人相撲なのだ。
 私のやるべき事は錬仁を助ける事、揺らいではいけないのだ。

「記憶層の第六層までの侵食か、進行度が酷い。私はこれに似た魔術を知っているが、これ程多くては卵を全て取り除く事は出来ないだろう」
「チクショウ! 先生、どうすればいいんですか?!」
「質問の際に下品な言葉遣いは改めたまえ、淑女らしく、魔女らしくするんだ。まぁ、同時に君らしくと言うのも忘れてはいけない。君は可愛いのだからな。さて、回りくどい言い方になったが、君は魔女だ。彼の話し振りからする彼の技術に対する【予測】と私の知識から導かれる方程式で、ベストなものは一つだ。魔女には『魔法の紡ぎ糸』と言ったか? 初歩的な精神ハッキングをする魔法があったはずだ。あれで、国定君の精神にコンタクトして、内側から彼を揺り起こすんだ。おそらく、君もコンタクトする事で彼の悪夢に引き摺られる可能性があるかもしれない。だが、あらゆる時間と労力を【予測】した限り、これがベストだ。目覚めれば、彼の防衛反応で卵と芋虫は一瞬で焼き切れるはずだ。さぁ、解法の手順は用意した。そして、それが出来(答えられ)るのは、魔法の使える君だけだ。私は魔術で精神を観測する事は出来ても、鏡のように全てを返す事無く、それに特定の対応が出来るわけではない。出来るのは魔女の君だけなのだ」

 私はその言葉に頷くと、儀式を始めた。
 聖別された釘を抜いて柱から彼を下ろす。その身体は亡霊騎士、いやそれ以前からの戦闘のためか? 未だ癒えていない、傷の無い場所の方が少ない、痛ましい身体をしていた。
 彼を地面に横たえると、常時携帯していた、正確な儀式のためのアルメデアゥの粉で四万三千九百五十六の現代エノク語を使い、魔法陣を描く。
 『魔女の紡ぎ糸』。
 それは一週間以上前、初めて魔術師、摩壁 六騎の居場所を探るために使ったのと同じ技だった。
 心臓の緩やかな高鳴り。それと共に両手の間にアヤトリのように、意思の、魔女の紡いだ糸を巡らす。
 その両手の間に錬仁の頭を添えた。
 瞼すらも動く事なく、小さな魔人は眠る。
「彼は魔人化した事で、身体を全て霊気装甲に置き換えられた。いわばそれは全身が脳になるのと同じだ。全ての魔人はそのようにして、自らを回路のようにして世界に刻まれている。だから、仮に彼らが全てのエネルギーである霊気装甲を失っても、何者からか魔力やら霊力やら妖力やらを与え直せば再び彼らは召喚され、蘇る。パソコンのフラッシュメモリーのようなものか? そう、だから彼は魔人の特性のために記憶を忘れている、いや『判別出来ない』だけなのかもしれない。だが全ての記憶は霊気装甲を通じて全身に刻まれている。脳の十倍もある全身が全て脳にもなっているのだ。失われる事はない。だが、そこから真実を得るのは鳴門の渦よりも壮大で過酷なものとなるだろう。君は千年分の記憶から彼の本質となった記憶を見つけて、彼を『白い蝶』の誘惑から解放しないとイケナイのだ。そうしないと、彼は千年前の、彼を魔人へと決意させた時より最悪な事となるだろう」

 指でそっと触れる彼の幼い顔。
 苛烈な闘争に矮躯で挑む勇者。
 夢に敗れて彷徨う、まつろわぬ者。

 その彼の正体と本質を取り戻させる。


「『白い蝶』によって、おそらく記憶が判別出来ない彼のために、御伽噺(おとぎばなし)のような形式になっているはずだ。そのようなタイプの記憶操作には読み手が登場人物に同化しようと思うために、同調しやすい。引き込まれれば、君も蝶に囚われる。良いかい? 私が言うのも何だが、過去を振り返っていけない。それはただの事実の確認のためのものだ。流されるな、君なら出来る」


 私は錬仁の中へと入り込んでいった。
 次の瞬間、超新星の爆発のように、魔法の時に感じるような、あまりの日常ではありえない情報量の多さに脳神経がパンクしそうになった。

 ノイズの掛かった景色と彼の激烈なまでの心理、感情、本能。
 それは自己矛盾との攻防の記録だった。
 過去へと怒涛の大河に抗う鮭の如く遡っていく。


 ある記憶では彼は無数の零戦の間に佇んでいた。
 戦争末期、最後の決戦の望みのために、彼は地獄から召喚された。
 敵国により、全ての物資を封鎖され、彼らの国はただ緩慢に死を迎えるものとなった。だから彼らは戦う事を決めた。そのために彼は呼ばれた。
 南国の陰鬱なジャングルの中を、護国のために駆け回る槍兵。
 時に空母を真っ二つにし、零戦を足場にして戦い、戦艦を投げ飛ばす人知を超えた戦い。
 それに対抗するためにあらゆる世界の魔人が召喚された。天地を揺るがす戦い。その全てに赤い槍の兵士は勝利していった。
 その姿に突き動かされ、兵士達は獅子となって戦っていた。
 ――霊気装甲がゼロに成った時、彼は再びリセットされ、地上へ全ての記憶を失って戻った。
 マンハッタン計画。
 敵国が進めていた『原爆製造計画』。彼は、敵国だった国に二つに原爆を落とすための地上戦力からの護衛として、その被害を間近で確認させるためだけの存在として、敵国に捨て駒として使われた。
 二度の、当時最高の悪夢の被害を受けて、彼は地獄に戻った。

 ――ある時は最も嫌悪した敵に捨て駒に使われ、


 ある記憶では、一人の女が居た。
 西欧と侍が邂逅する最中、当時の幕府は権力の維持のため、西欧の悪鬼からの侵略に対抗する兵器として呼ばれた。それは正式な手順を踏まなかった不完全な召喚だったために、彼は歴代の召喚で最弱となった。それでも、西欧からの進出を目論む吸血鬼の軍団に負ける事はなかった。
 その件とは別に、人知れぬ山間に静かに暮らしていた女とひょんな事から会った。
 彼女は過去に彼に会ったと言い、彼は魔人故に思い出すことは無かった。
 それでも彼は彼女の楽しそうな思い出の話し振りと、不思議と明かさない好意の理由に自然に惹かれていった。彼は彼女を好いていた。
 しかし、蜜月は突然と途切れる。
 不完全な召喚は地獄へと帰還を促された。
「再び会ってもオレを忘れないでくれ」
 そう彼女は告げた。
 ――霊気装甲がゼロに成った時、彼は再びリセットされ、地上へ全ての記憶を失って戻った。
 戻った時には彼は開国派の手に落ち、その尖兵として戦い尽くしていた。
 古きを尊ぶ彼女がもう一度目の前に現れた時、彼は彼女を敵と認識した。
 壮絶で、それで居て物悲しい戦いがあった。
「やっぱり、オレとお前は敵同士なんだな」
 そう、地面に倒れた彼に、互いにボロボロの姿のまま彼女は言い放っていた。

 ――ある時は恋仲となった女を騙し、


 ある記憶では男は戦場を騎馬で駆けていた。
 それは怒りを自ら示すような、自暴自棄にも見える戦い方だった。
 侍の大将に仕え、彼の手足となり、同時に彼に付いた十人の部下の長となった。
 熾烈になる戦いで、彼は十人の頭となり、侍の見本となって戦い、尊敬された。
 ある時、天下を取るために自ら魔人と成り果てた男と直接剣を交え、死傷を負った。
 ――霊気装甲がゼロに成った時、彼は再びリセットされ、地上へ全ての記憶を失って戻った。
 戻った時には戦国は終り間際、彼は部下だった部隊を掃討する任務を与えられ、彼らの断末魔の悲鳴と口惜しいと嘆く声を聞きながら戦場の幕を下ろした。

 ――ある時は慕っていた部下を裏切り、


 ある記憶では彼は子供を連れていた。
 彼は同じように、私を守ると言った時のように、子供を守っていた。
 その子は禁断の子だった。有ってはならない、帝のもう一つの家系を作り出す血筋。
 時の権力者達は血眼になって探し出し、子供を殺そうとしていた。
 彼は守り続けた。
 背中の稚児のために自らに矢が当たる事すら厭わない。
 そして逃亡の日々の中、時に飢えと渇きを凌ぐために自らの霊気装甲を削って分け与えた。
 しかし、それは子供を連れると言うハンデ故の無限の消耗戦だった。
 権力者は幾度と無く何百人の暗殺者をあてがい、徐々に、効果的に疲弊させていった。
 そして、それは蝋燭がフッと消える瞬間のようにあっけなく来た。
 泣き叫び、彼を呼ぶ幼子の声。
 ――霊気装甲がゼロに成った時、彼は再びリセットされ、地上へ全ての記憶を失って戻った。
 彼は以前の記憶と繋がる手掛かりを得て、稚児を探し回った。
 探し続け、自らが来た場所の木の根元に、小さな石が墓標として立っている事に気付いた。
 そのまま、彼は巌のように、戦場で騎馬を駆るまで動かなかった。

 ――ある時は育てた子供を置き去りにし、


 ある記憶では一人の破戒僧が居た。
 地上を彷徨っていた彼に出会い、巨躯の破戒僧は契約を交わし、友にして、彼の武器となった。
 彼は主君を守るために、橋の上で荒法師から武人へとなった。
 錬仁は彼の持つ七つ道具の一つとして、動く武器として、そして、その者の友として動いた。
 時に互いに舞いを踊り、橋の上で友が敗れた主人を鼓舞し、互いに称え合った。
 ある戦で、彼は友を守るために自らを盾にした。身体にびっしりと刺さった矢。
 ――霊気装甲がゼロに成った時、彼は再びリセットされ、地上へ全ての記憶を失って戻った。
 そこには主君の兄である男が、彼と彼の主君ごと殺そうと目論んでいた。
 そして、錬仁は弓を執り、友だった男に幾度と無く矢を打ち込んだ。
 奇しくも、男は守られた彼に矢を突き立てられながらも、主君を逃しながら、立ったまま死んだ。

 ――ある時は親しい友となった者を殺した。



 それはどれも彼の責任では無かったように思えた。
 それでも足枷はあまりに重く、彼を引き摺り続ける。
 魔人となった故に彼らに出会い、魔人となった故に彼は自らとその周りを傷つけた。

 彼が魔人となったのは何時からなのか?
 そして、何故なのか? 何を求めるのか?
 それが今、明かされる――



 Every thing, never coming true dream.
 Every thing, eternal ending avenge.
 Every thing, freeze on forbidden secret.
 Every thing, failed preparedness at last.
 Every thing, imagined vice by himself.
 Every thing, own charged causation 
 Every thing, past cast away from him.
 Every thing, never killing body.
 Every thing, never dead soul.


 It was a what truth was in the memory of his story.

 The story is just wanted by all he want.


 接続≫≫

 ――地獄使い生誕へ
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