キャシードラル・スクエア


1 :みーな :2007/01/23(火) 01:50:27 ID:ncPiW7P3

まだ高校生の分際で生意気な文章を書いています。

多少稚拙でうっとうしい表現もあるかもですが、どうぞ最後までよろしくお願いします。

お話の場所は、ニュージーランドです。


2 :みーな :2007/01/23(火) 02:10:10 ID:ncPiW7P3

 気がつけば陽は首をもたげるほど高く、よほど自分が時間を無視して平然と風にさらされていたということが、腕時計から嫌というほど分かった。かすかに聖歌隊の歌声が聞こえる。空気を浄化する、聖堂の音。一体何人の子供たちが楽譜を前に、その自慢の喉をめいっぱい震わせて歌っているのだろう、今日はひときわ多いような気がする。それほど何度も来ている聖堂じゃないので、音で判断できるほど私は器用じゃない。
 ここの高さは何メートルあるのだろう。フェンスから少し顔をのぞかせるだけで、シティ全体が一瞥できる。高く、風も強く、オゾン層に遮断されない太陽の紫外線をもろに受ける。人々は町を行き交い、互いに言葉を交わし合い、そして入り組んだ目に見えないネットワークがみるみるうちに絡まってゆく。自動的に組み合わされる関係。なんとなく、笑えた。このシティを見下ろすキャシードラルの展望台で、地上を見下ろして、私は神になった気分でいるのだろうか。キャシードラルはそんな場所じゃない。ニュージーランドの象徴、日本にとっての東京タワーか富士の山。私はこの国の壮大さに、とっくに心を打たれていた。それで、キャシードラルの背に僭越にもよじ登り、クライストチャーチを見下ろすのはいささか、愚かなものではなかろうか。
 いや、でも私には、日本にはないものが見える。この目で、網膜にはっきりと焼き付けられている。
 トラムが鐘を鳴らしながら発車する。聖歌隊の声もやむ。私はフェンスから乗り出していた身を引っ込めてきびすを返し、キャシードラルの階段を駆け下りていった。通路を通って出口に向かおうとすると、聖歌隊の声を起立して聞いていた礼拝客が、私のことを興味がなさそうに一瞥する。目ざとい者たちは、あまりに機敏な東洋人の異質さに首を傾げただろう。別に気にはしていない。私だって、だてにニュージーランドで長年暮らしていない。
 外に出ると、展望台にいた時よりも視野が低くなる。急に目の前に立ちはだかる建物。ついさっきまで見下ろしていたものたちが、今は私と同じ目線でいる。キャシードラル前のスクエアも、トラムも、数多くの人種が入り乱れた人々の姿も。そう、私は本当はこの位置にいるはずなんだ。キャシードラルに登って、改めて自分の小ささに愕然とする必要はない。矮小な存在は、とうの昔から気づいている。
 私は紫外線を浴びないようにキャップを深くかぶり、スクエア前のホットドッグ売り場で、ソーセージにマスタードがたっぷり塗りつけられた熱々のホットドッグを5ドルで買い、それを食べながら町を北へ歩いていった。トラムの線路を横断し、土産物屋の間をぬってどんどん進む。日本ほど視界は狭くない。むしろ人々の活気が肌でぴりぴりと感じられる。時間と金の亡者と化している日本をあまりにも息苦しく思うとき、ここはまるで桃源郷のように見えるかもしれない。哀れなものだ。私はずっと前から日本に戻るまい戻るまいと思ってきたせいか、あまり東洋のニュースを耳にすることがなく、余計にエコノミック・アニマルたちの愚かさが理解できなくなっている。
 別にそれで構わない。英語が話せて、超カロリーのニュージーランドの食べ物に慣れさえすれば、ここは羽を伸ばすに十分な空間だ。日本と同じ国土面積を持ちながら、この国の人口は大阪より少ない。羊の方が過密しているかも知れない。あな、恐ろしや。私は、故郷の日本という国を捨てたも同然かもしれない。そこに何があるか、知っている人間だからこそ、安息の地を求めようとする。
 比べるのは嫌いだけれど。


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.