Leliant U 〜愛ひとつ、護れず〜


1 :副島王姫 :2007/11/22(木) 22:04:25 ID:oJrGY3oG

 はじめに

 これは、以前「リーリアント 〜ただ翻弄されて〜」というタイトルで投稿したものの改稿版です。出すつもりはなかったのですが、以前のがあまりにも酷いので、これの公開に踏み切りました。

 お付き合い願えれば幸いです。 副島王姫。







 1 ―― 傲慢な王子

 別に、どうということもない。取り立てて言うことのない、小さな町だ。

 兄の支配下のその町を、彼はただ眺めていた。短めの黒髪にアイスブルーの瞳。背は高く、顔立ちは整っている。年のころは十八、九。細い体躯に、旅用の外套を纏っている。

 少しして、歩き始める。さっさと宿舎に戻り、明日に備えよう。だが、足はまた止まった。
「どうなさいましたか? リュシオス様」
「……いや、別に……」

 別に、という様子ではなかった。迷っていたようだが、ややあって歩き出す。先程とは違う方向だ。

 町の入り組んだ角を曲がるうち、騒ぎが聞こえた。人だかりをかきわけて進むと、兵士なのだろう、酔っ払った男が、栗色の髪の娘に絡んでいる。

「リュシオス様?」
 怪訝な声を他所に、彼は駆け出していた。大剣――ただし、鞘は外さずに――を構え、突き出す。酔っ払いは、壁にめり込んだ。

 咎めるように、側役が寄ってくるが、何か言われる前に、娘の腕を掴んで歩きだした。娘が抗議の声を上げるが、構いはしない。
 騒ぎが追いついてくる前に、宿舎に戻った。

「な、何なんですか? 一体」
 娘を無理矢理ソファに座らせ、自分も向かい側に座った。
「名前は?」
 アイスブルーの瞳で彼女を見据え、言う。
「え?」
「質問に答えろ」
 一瞬の沈黙の後、
「……リ、リリア……です」
「年は?」
「十八」
「この町の人間か?」
 矢継ぎ早に質問を続け、終わる頃には日が暮れていた。
「……分かった。もういい」

 紅茶を一口啜ると、彼は、
「今すぐ仕事先に辞表を出して住まいを引き払え」
 有無を言わさず、言い放った。

「……は?」
 思わず声を裏返した娘――リリアと名乗った――に、彼は、
「聞こえなかったか?」
 表情を変えず、面白くなさそうに言う。アイスブルーの瞳は、感情を映さず彼女を見つめていた。

「……な、何で?ですか?
 仕事やめろって……それじゃどうやって……」
「うるさい黙れ」
 面倒くさそうに彼が言うと、彼女は怯んだように一瞬黙る。
「逆らうな。言うとおりにしろ」

「あ、あなた一体何ですか? 何で私が仕事辞めてここから出て……、さっきも言ったけど、家は私が仕送りしないと……弟だって熱を出して……」
「うるさい」
 言いよどむ彼女に、きっぱりと言い、紅茶を飲み干し、

「百セメト……でいいか?」
 彼女が目を瞬かせる。彼女にすれば、手にするには途方もないような大金だ。

「お前の実家に月百セメト送る。ついでに、お前の村に医者を派遣する。それでいいな? 分かったらさっさと仕事を辞めて来い。言うとおりにしないなら、このままさらうぞ」
「……え? あの、どういう……」
「分かった。もういい」

 思い通りに動かない彼女に嘆息し、側役に向かって、
「こいつの部屋に行って、荷物を全部持って来い。仕事先と大家、それに近所の住人に、こいつのことは忘れろと通告もしておけ」

 大体彼の意図を察した側役が、何か言いたそうな顔をしつつも、従った。

「お前はこっちだ」
 彼女の腕を引きずって部屋から出て、自分の居室に向かう。ベッドの上に無理矢理座らせると、
「いいか」
 彼女の前に立ち塞がるようにして、アイスブルーの瞳で彼女を見下ろし、有無を言わさぬ口調で言い放つ。
「お前はこれから、俺の目の届かない所へ行くな。俺の指示に従い、逆らうな。お前が言うことを聞いていれば、お前とお前の家族の生活は保障する。それで文句ないな?」

 言い終えるなり、彼女から興味を失くしたようにクロゼットの方へ行き、外套を脱いで室内着に着替えた。
 書類にサインをする間も、視界の端に彼女の姿を捉えていたが。





「……ん……」
「やっと起きたか」

 ごとごとと揺れる振動。彼女は目をこすり辺りを見回し、状況を認識したようだ。ただ、乗合馬車や貨物馬車程度しか知らない彼女には、不慣れもいいところだったが。

 広い部屋に向かい合わせの長椅子があり、横には窓。彼女は椅子の片方に寝かされていた。向かい側には彼しかいない。

 窓の外は、もう昼近かった。

「だから寝ておけと言ったんだ」
 さらりと、呆れ気味に言われ、ぼんやりと昨夜の事を思い出し……
「あなたのせいで眠れなかったんでしょ!」
 唐突に、怒鳴る。

 昨夜、彼は彼女を部屋から出さず――離れたのはトイレと風呂だけだった――あまつさえ、眠るときに同じベッドに押し込んだのだ。彼女が床で寝ると言って暴れると、手枷を持ってきてベッドに繋いだ。おかげで彼女は、空が白むまで眠れなかったのだ。

「うるさい黙れ」
 すました顔で彼女を見ている彼には、悪びれた様子も無い。やあやって、椅子から立つと、馬車の扉のノッカーを叩く。
 扉が開いて、側役が朝食を並べて去って行った。
「さっさと食べろ」
 自分もパンをちぎりながら言う。

 昼の陽射し。

「どうした? 口に合わんか?」
 昨日の質問攻めで彼女の好みも訊いておいたのだが。だが、彼女は意外そうに、
「いや、そうじゃなくて……あなた……朝ごはん食べてないの?」
「お前が眠りこけていたんだろう。さっさと食え」

 ふと、彼女の表情が変わった。笑顔とまではいかないが、和らいでいる。
「ねぇ、名前まだ聞いてないけど……」
「リュシオス。お前はリュシーと呼べ」
 彼女の柔らかい表情を見ながら、言う。

 彼の名で、唯一彼が自分の名と認めている部分。そして、母と姉以外には許さなかった愛称。

「何してるの? やっぱり貴族……よね?」
 彼のいでたちをみれば、そういう結論に達するだろう。だが彼は、彼女の間違いを訂正しようとは思わなかった。思いたくなかった。

「黙って食え」
 彼女も朝食に手をつけながら、色々と質問してきた。だが彼は、それには一切答えなかった。





「ねぇ、リュシー」
 3日後。同じく馬車の向かい合わせに座り、リリアが声をかけてきた。だが、ここ数日の通り、リュシオスは何かのファイルから顔を上げず無視している。

「……リュシオス」

 ぴくり。彼の目が、目だけが動いた。リリアを凝視している。

「分かった。リュシー」
 目はファイルに戻った。

 母と姉と彼女以外は、愛称で呼ばせない。そして、愛称以外で呼ばれたくはなかった。

 この三日間。リリアは、色々な事を理解していた。見ていれば分かる。彼女の姿が自分の視界から消えないようにしているのも、一人で眠れないのも。淋しいのだ。彼は。

 強引に彼女を側に置いているが、それ以上は何もしない。まるで草食動物だと、リリアは思っていた。

 そして――傲慢でかなり我侭であることも事実。頼むよりも命令することが慣れているようだ。やはり、身分のある人物なのか。

 ――結局、名前以外は教えてもらってないな……。
 馬車の振動に揺られ外を眺めつつ、最初の日に質問攻めにあったことを思い出しながらリリアが胸中で呟くと、リュシオスが口を開く。

「リリア」
 リュシオスは、見ていたファイルを畳んでいた。
「次の町に寄る。一緒に来い」

 まだ日は高かった。






「急いでるのかと思ったわ。宿以外降りないから」
 かなり大きな町だった。煉瓦造りの建物が並び、町の入り口には店が所狭しと並んでいる。
「急いでいるが?」
 さも当然というように言い、繁華街とは別の方向へ向かうリュシオス。
「じゃあ、何か用事があるの?」
「うるさい黙れ」

 ……そういえば、今日は兵士がついてないな……。
 胸中でリリアは一人呟く。正確には側役なのだが、彼女は兵士としか認識していなかった。それほど知識がないのである。

 かなり歩幅の大きいリュシオスに、苦労して合わせながら付いていく。閑静な方へ向かっていた。行き着いた先は、リリアでもかなりのものと分かる店ばかりが並ぶ場所。

「……リリア」
「何?」
「…………」

 呼んだだけのようだ。リリアが立ち止まると、店の入り口でこちらを振り返っている。
「早く来い」

 小走りに店に入る。ここら一帯殆どがそうだが、白塗りの建物の洋装店だった。念のために述べておくと、吊るし売りではない。

 リリアはリュシオスに捕まった日にかなり高そうな服を渡され、今着ているのもその一着なのだが。

 リュシオスと何やら話していた店主が彼女に寄り、巻尺を当て、
「ええ、大丈夫です」
「急いでくれ。間に合わせは宿に」
「畏まりました」

 会話は終わったようで、慣れた調子で手近なソファに座る。彼女の採寸が終わると、
「予定が詰まっている。ぐずぐずするな」
 言うなり、リリアの手を引っ張って店を出た。






「着替えろ」
 リリアが、今まで見たことも無いような豪華な部屋――宿の一室である――に溜息をついていると、リュシオスが服を放って来る。

「……重い」
 その服の感想を正直に述べる。

「礼装だ。間に合わせだが。……ほら」
「な! ……ちょっと!」
 当然のように、彼女の後ろに回りこみ、背中のファスナーを下ろし始める。
「一人では着られないぞ」

「だからって……」
「うるさい黙れ。下着は取らん」

 冷たいアイスブルーの瞳に何の感情も浮かべず、さっさと彼女を着替えさせると、歩き方や礼の仕方などをはじめ、礼儀作法を教え始める。

「……こんなの覚えてどうするの……」
「俺が知るか」
 思わず呟いたリリアに、リュシオスが言い、
「こんな形骸的なこと……いずれ放逐してやる」
「……王様になるような言い方ね」
 実際、今までのリュシオスの態度が君主のようだと思えなくも無い。

「うるさい」
 こころなしか、いつもの「うるさい」とは違うような気がしていた。






「……で、分かるか? リリア」
 礼儀作法の次は歴史だった。外でリュシオスが買い込んできた本の一冊を開き、書いてある事を覗き込みながら、
「ん? この書き方は走り過ぎだ。……シデンの行政が寛容な民族性を持ち、テシアの特殊性を容認したために……」

 どうやら、歴史を暗記しているらしい。本は、彼女が後で思い出すためのものでしかないようだ。

 服装は、先程の礼装のまま。肩が凝るが、これに慣れないといけないと言って着替えさせてくれない。

 やがて、時計の鐘が鳴った。

「よし、今日はもういい。風呂に入って休め」
 言うと、リリアの礼装をはだけさせ、目もくれずにテーブルにつく。

 彼女が寝巻き姿で戻ると、部屋の明かりを落としテーブルのランプだけで書類を書いていた。

「……お風呂空いたよ」
「ああ。寝ろ」
「リュシーは?」
「これが終わったら寝る。先に寝ろ」
 リリアに視線も向けず、羽根ペンを走らせる。

「……忙しいんだ……」
「それがどうした」
 リリアがぽつりと洩らした言葉に、事も無げに言う。

「あたしに構ったから……」
「うるさい黙れ」

 それっきり、会話は無かった。リリアが横になってからも、紙をめくる音と羽根ペンの音は止まなかった。






「よし、少し休め」
 馬車の中で、文学のレクチャーに一区切り付け、リュシオスが言う。
「疲れたか?」

「リュシー、昨夜寝た?」
「ああ。何ならお前の寝言、教えてやろうか?」
「それ、寝てないってことだよ」
「うるさい」

 と、彼は一瞬物憂げな顔をし、
「もう半分か……」
 窓の外を見ながら言う。
「……え?」

「目的地まであと半分だ」
 顔は、もういつもの無表情に戻っていた。

「みんな……どうしてるかな……」
「家族か?」
「うん」

 家族に仕送りをするために一人で暮らしていたのを無理矢理引っ張ってきたことを思い出しながら、リュシオスは、
「会わせてやれないが手紙ぐらいは届けてやる。時間をやるから書きたければ書け」
羊皮紙と羽根ペンを寄越しながら言ってくる。

「う〜ん……」
 何から書くべきか迷う。実を言うと、彼女を自分と同行させる旨は、医者と最初の金を送った際に通達してあるのだが、それを彼女は知らない。

「ねぇ、今どこに向かってるの?」
「黙って書け」

 暫く、彼女は羽根ペンを動かし、
「はい」
 色々、思いつく限りをてんでばらばらに書いてリュシオスに渡す。下書き以下の落書きで、見たリュシオスが怒ること以外期待していない。

「封をしろ」
 中に目もくれず、当然のように言ってくる。
「見ないの?」
「何で俺がお前の家族宛の手紙を見るんだ?」
「だって、郷里の手紙は全部役所で……」

 彼女の村の辺りは、検閲が厳しかった。実際、郷里と手紙のやり取りをすると、封が切られ所々塗りつぶされた手紙が届いていた。

「一緒にするな」
「あ、珍しい」
「何がだ?」
「だって、リュシーが嫌そうにしてる」
 と、彼は、溜息をついて、

「そんなもの、これからいくらでも見せてやる」
 珍しく切なげに、彼はそう言った。






 彼の言葉通り、目的地が近づくにつれてリュシオスは不機嫌になっていった。

 リリアが朝起きると、旅用の外套ではなく、見慣れぬ格好をしている。男性の礼装かとも思ったが、何やら仰々しい。

「……何? その服」
「うるさい黙れ」
 言ってから、少し間をおいて、
「連中の目が多くなるからな。隙を見せられないんだ」
 ばつが悪そうに言い直す。

 籠の中の鳥という印象。それが、リリアが最初に感じたものだった。

「リリア」
 彼女を手招きし、横に座らせる。
「どしたの?」
「黙れ」

 それから出発まで、リュシオスはずっとリリアにもたれかかっていた。目的地まであと二日だった。






「……リリア……」
 いつもなら、同じベッドに居さえすれば触らないのだが。

 リュシオスは、今夜は珍しく、彼女から手を離さなかった。時々離しかけるが、すぐに埋め合わせるように抱き寄せる。寝言で名前を言うのも、以前は無かった。

「……リリア」
 彼女がそっと、彼の頬に触れると、落ち着いたように寝息が小さくなった。そして――
「……母さん……姉さん……」
 今まで聞いたことも無いリュシオスの言葉に驚くが、忘れることにした。

 彼が自ら話すまで待とう。

 彼の穏やかになった寝息を聞きながら、眠る。

 リュシオスの話では、明日の昼頃に目的地に着く予定だった。






「リーリアント」
「……え?」
 馬車の外に大きな街と城が見え始めた頃、不機嫌そうにリュシオスが呟く。

「お前の名前だ。リリアは愛称ということにする。
 表向きはカズラールの養女で、リーリアント・フォルデーク・カズラール。覚えておけ」

 リュシオスの言葉に、リリアは少し黙ってから、
「ねえ、ここって王都? もしかして」
 それが、リリアの乏しい知識から出た推測だった。

「ああ」
 やはり不機嫌に相槌を打つリュシオス。

 暫く進む内、王都の門に辿り着き、驚くほど早く通過した。





「ここ、リュシーの家……なの?」
 恐る恐るという風に、リリアが尋ねる。

 白亜の宮殿、とでも言おうか。王都の中でも特に豪華な屋敷が並ぶ場所にあり、周りと比べても遜色ないどころか際立っている。

「家出先だ。帰りたくないからな」
 言いながら、リリアの手を乱暴に握って馬車から降りる。初老の男が待っていた。

「……俺の母さんの弟だ」
 囁くように、言う。

「初めまして。リリア……えっと、リーリアント……」
「はい、存じ上げております」
 男は笑顔で、
「僭越ながら貴女様の後見人を務めることになりましたカズラールです。以後、お見知りおきを。
 お待ちしておりました。リュシオス様」

「陛下は?」
 早く済ませたい。その意思が強く現れた言葉だった。

「明日の朝に、とのお達しです。できれば今夜より……」
「行かんと伝えろ!」

 これ程苛立ったリュシオスを見るのは、リリアは初めてだった。彼に握られた手が、たまらなく痛い。

 その夜は、昨夜以上に彼女を呼び、決して離そうとしなかった。






「リュシオス・ゼル・フェルキンド・オーヴェ・ファイクリッド殿下、御帰城!」

 翌朝、馬車が向かった先は王城。そして門兵の上げた声に、リリアは驚愕した。

 この国の名はファイクリッド。殿下。城へ……帰ってきた。

「リュシー?」
 リュシオスはただ、リリアを抱き寄せた。

 彼女さえ側に居てくれれば――乗り越えられるような気がした。






 リリアにも、リュシオスが家族――寝言で呼んだ母と姉は別として――を嫌っているのは、明らかだった。すぐに謁見の間に通され、国王や王族と面会したが……リリアが抱いた印象も、最悪だった。

 リリアは、間に合わせでない礼装姿で、教えられた作法の通りに努力しながら、黙って話を聞いていた。
 リュシオスは、国王の誕生日の祭典に出席するために、自らの領地から出向いたのだ。今日は祭典の前の挨拶に来ただけで、すぐに退出しようとした。しかし、国王が引きとめた。城内のリュシオスの私室にて、後に面談ということになってしまった。

 何人もいる侍女を無視し、使われていない割には手入れの行き届いた彼の私室で、乱暴にソファに座るリュシオス。物憂げに、溜息をつく。

 ……本当に、辛そうだった。

「……リュシー……」
 リリアが彼の頬に触れようと手を伸ばすと、リュシオスはそれを掴み、

「しくじった」
 自嘲気味に、言う。
「やっぱり、ここの流儀じゃ向こうの方が上だ。俺は十の時にここから逃げ出しかたら、慣れていないし……」
「リュシー……」
「そんな顔しなくていい。お前は居るだけでいいんだ」

 リュシオスの手がリリアの頬に触れるか触れないかという頃、ノックが響く。
「リュシー、入るわよ?」

「これは姉上。どうなさいました?」
 勝手に愛称で呼ぶな。そうは口に出さず、静かに言う。

「あら、ご挨拶ね。一年ぶりに帰ってきた弟に会っちゃ、いけないのかしら?」

 リリアも良く覚えていた。この国の王太子。リュシオスの一番上の姉。
 彼女は、リリアに視線を移し、

「初めまして。リリアちゃん。部下から聞いているわ。リュシーの愛人だそうね」
「姉上。恋人のリーリアントです」
「あら、そうだった?」

 言うなり、リリアの左手を捩じ上げた。痛みに顔を歪めるが、声は出さない。

 彼女の薬指には、馬車の中で彼が捻じ込んだ指輪が嵌まっていた。それが王家の物であると、彼が王族だと知った後で分かったのだが。

「やっぱり物好きは母親譲りかしら? 王家の者という自覚と誇りはある?」
 言って彼女は、何人かの女の名前を出した。結婚相手に推したいらしい。丁重に断るリュシオス。

「……俺は直系の中では一番末席だからな」
 姉が帰った後、リュシオスが呟く。

「俺が王位を継ぐことなんてない。王位継承権なんてただの飾りだ。それでも、やっぱり王族以外から見ると魅力らしい。俺を娘婿にすれば、正統な直系王族の肩書きが手に入るからな……。

 道具だよ。他にも、外交とかに使えるらしい。人質とか」

 ――疲れている。
 彼の自嘲気味な言い方に、リリアはそう感じていた。初めて会った時に、いきなり無茶を言って彼女を困らせた人物とは思えない。

 と、リュシオスは微笑み、
「初めて会った時な」

 疲れた微笑。しかし、これがリリアが初めて見るリュシオスの笑顔だった。

「ちょっと困らせてやる……それだけのつもりだった。一目で気に入ったんだ。お前が。
 ちょっとからかって、お茶を濁して終わるつもりだった。

 でも……どうしてだろうな。気がついたら、お前の手を引っ張って連れて帰っていた。

 権力を振りかざして……。こんな力、まっぴらなのに、な。

 ……もっと他の手段でお前を口説いていたら、後悔も無かっただろうな」

 言い、彼女の頭に手を置いたとき、外の空気が変わる。
「親父が来る」

 言うなり、彼女を抱き寄せ、唇を奪う。

 今は、これで充分だった。父王との会話にまで同席させるつもりはない。

「ごめん」
 顔を離すなり言うと、奥の部屋に彼女を押し込め、
「父上が帰られるまで出すな」
 側にいた侍女に言う。

 その言葉通り侍女二人に阻まれ、リリアはただ、扉越しに話を聞くしかなかった。

 リュシオスが母親に似てきたと、王は言った。殺された母親。

 リュシオスの母親には、元々夫がいた。彼との間の娘も。しかし、彼女の美貌を気に入った王が、婚姻を無効にし、それでも従わなかったために夫を殺したのだ。彼女は、娘の存命を条件に王の側室となった。そして、リュシオスが生まれた。

 だが、リュシオスが十歳の頃、王は側室に飽きた。姦通罪を捏造し、処刑したのだという。その時に、リュシオスの父親の違う姉も殺されたらしい。

 残ったのは、末席王族のリュシオス一人。

 何故、王がこのような話をしているのか、リリアには最初は分からなかった。だが、すぐに理解する。

 リリアが――彼女自身が次にそうなると、言っているのだ。

 リュシオスが大人しく政治の道具になるなら良し、そうでなければリリアが母や姉のようになると、そう言っているのだ。

 リュシオスは国王たちの道具。玩具。そして、リリアが彼を縛る枷。

 リュシオスは、脅しを突っぱねた。毅然として。

 国王が帰ってから、リリアを奥の部屋から出し、左手に捻じ込んだ指輪を外し、投げ捨てた。抱き締めると、
「ごめん。連れて来るんじゃなかった」

 そう言って、また唇を重ねる。涙を流しながら。

 憎い男の息子でも、愛してくれた母と姉。そして、リリア。

 彼女が側に居てくれれば、乗り越えられそうな気がした。だが、独りよがりに気づく。

 どうすることもできない。ただ、彼女に不安を抱かせるだけだ。

 やっと、気づいた。

 リリアは、思いがけないファーストキスの感傷に浸る余裕も無かった。






 それから、リュシオスは方針を変えた。カズラール邸では、相変わらず彼女を離さず、側に置き……しかし、城には連れて行かなかった。

 行く前に決まって口付けし、愛していると言い……それだけだった。城から帰るなり彼女を抱き締め、泣きながら彼女に謝り……無茶苦茶な彼は、どこにも居なかった。

 ある日、丸一日帰ってこなかった。次の日の明け方帰ってくると、
「終わった。帰ろう」
 そう言ってリリアを抱き締め、そのまま眠った。彼女をきつく抱き締め、彼女と、時折母と姉を呼びながら。

 国王の誕生日の、翌朝だった。


2 :副島王姫 :2007/11/22(木) 22:06:03 ID:oJrGY3oG


 2 ―― 愛に飢えた子供


 ボールテックと呼ばれる領地。王都からは遠く離れたのどかな田舎。しかし整っており、穏やかに時間が流れていた。
 側の山から見下ろすと、眼下に領主の城と城下町、豊な田園と美しい湖が見渡せる、良い場所だ。

「何考えてんのよ? あんたはぁッ!?」
 その、領主の城で。
 リリアは一人怒鳴っていた。

 ――沈黙。

「上がったんなら行くぞ。さっきも言ったが時間が無い」
「待ちなさいッ!」

 リュシオスの無表情な、事務的な声に、リリアが待ったをかけるが、彼は部屋の出入り口に向かい、

「早くしろ」
 彼女が追いかけないので、そこで振り返って待っている。

「すまして言うなぁ!
 あんた、自分が何したか分かってんの!?」

 冷たいアイスブルーの瞳に、彼女の姿が映る。長い黒髪、黒い瞳。惚れているリュシオスに言わせても、大して美人ではない。

「何か問題があったか?」
「あったわよ!」

 彼は……リリアの風呂を覗いたのだ。彼女の、一糸纏わぬ姿を。

 先程のこと、彼女は、リュシオスに促されて入浴していた。身体を洗っている最中に、何を考えたか彼はドアを開けたのだ。

「急な用事が入った。今から向かうから急いで上がってくれ」

 それだけ言うと、唖然として硬直するリリアを残し、無表情なまま何事も無かったようにドアを閉めた。そして、先程の会話というわけなのである。

 述べておくと、この城には女官も侍女も大勢いる。彼女らに頼むなり、そうでなければ脱衣所から声をかけるなり、他に手段はあった。

「分かった。後で聞く。時間が無いんだ」
「ごまかすな!」

 リリアの側に来て腕を掴んだリュシオスに、彼女は抵抗し、

「だいたいその無反応は何なのよ!? 照れるとか、鼻の下伸ばすとか、顔を背けるとか……もっと色々反応はあるでしょ!?

 何? あたしそんなに魅力ない? 裸見ても何も感じない? あんたそれでも男!?」

 リュシオスは、少し思案して、

「リリア……お前、こう言っているのか?」

 リリアが殺意を抱くほど無表情だった。

「俺にお前を犯せ、と?」
「言うか!」

「なら気をつけろ。そう聞こえるぞ。
 ほら、来い。時間が無い」

 結局、時間が無いを繰り返し、リュシオスは彼女を引っ張っていった。

 ……結局、謝らなかったが。





 ――いい領主なのだろう。それが、リリアが抱いた感想だった。

 良い統治をしているようであるし、城下の人々には好かれ、今回のように小さな事故でも目に届くところなら駆けつける。

 馬車の馬がパニックを起こし、暴走したらしい。軽症が二人、馬の被害と折れた標識ぐらいで重大事故には至らなかった。馬車の御者と少し話し、後は役人に任せると、今は澄ました顔で城への帰路についている。

 二人並んで歩きながら、リリアはリュシオスを見た。二人とも、王都に居た頃のような畏まった服装ではない。彼は初めて会ったときのような――まあ、旅用ではないが――服装で、彼女も高くはあるがありがちな格好だ。

「……どうした?」
 その、冷たいアイスブルーの瞳に彼女を映し、訊いてくる。彼女が数歩遅れたからだろう。

「……別に」
 彼女が追いつくと、何事も無い無表情でまた歩き出す。その横顔を見ながら、彼女は胸中で嘆息した。

 王都を出てから、彼は見る間に元に戻っていった。泣く事も、哀しげな表情を見せることもなくなり、初めて会った頃の様に横暴で我侭になっていった。

 それはいいのだ。彼女とて、いつまでもふさぎ込んでいて欲しくはない。しかし、王都で見せた笑顔まで消えてしまった。

 疲れた微笑だった。それが良くなったという事は、少なくとも普通の笑顔を期待していいだろう。そう思う。

 だが、笑顔そのものを掻き消して無表情に戻ってしまった。王都に居た頃の方が、表情豊かだったと言えなくもない。

 ……まあ、また彼が辛い思いをしたり、苦しみを背負うよりはましなのだが。

「風呂に入りなおせ」
「いいわよ。別に」
 城の居室に戻るなりそんな会話を交わすと、リリアはベッドに座った。彼が浴室に入るのを待って、寝巻きに着替える。

 横になっていると、明かりが落ちた。リュシオスがベッドに入るところだった。
「……おやすみ」
 言って、あっさりと目を閉じる。王都を出て落ち着いてから、ずっとこうである。彼女を呼ぶことも、抱き締めることもない。

「……ねぇ、リュシー……」
 彼女が声をかけると、彼は目を開けた。そっと、包み込むように頬に手を当てると、それを振り払い、
「いい。必要ない」
 言って、目を閉じ、
「居てくれるだけでいい」

 寝息のような呼吸音を立て始めた。

 ――なんとなく、面白くない。

 彼女はリュシオスに背中を向けて横になっていたが、目が冴えていた。暫くしてベッドを抜け出し、部屋からも抜け出す。

 バルコニーで夜風に当たった。見下ろす湖面に、月の光が映り輝いている。
 静かに時間が過ぎる。だが、いきなり後ろから肩を掴まれた。

「……リリア……」
 手に込められた力が強い。半ば乱暴に彼女を抱き寄せ、目の前に顔を持ってくると、

「俺の目の届かない所へ、行くな」

 一言一言の息遣いが分かるほど間近で、彼女の黒い双眸を真直ぐに見据えながら言う。

 強い意志を宿した、瞳。

「……リュシー?」
「返事」
「……え?」
「返事をしろ」
「わ、分かった」

 それを聞くなり、彼女の目から視線を外し、手を引っ張って部屋に戻る。
「寝ろ」
 先程のように横になったが、すぐには目を閉じない。彼女が眠るのを待っていた。

 結局、少なくともリリアが眠るまで、リュシオスは眠らなかった。





「リュシー」
 翌日の午前中。リュシオスの執務室。

 簡素な部屋で、机と棚以外に大して家具もない。リリアは、彼が机の向かい側に置いた座り心地の良い椅子に座っていた。
「リュシーってば。聞いてる?」

 黙って羊皮紙に羽根ペンを走らせるリュシオス。顔も上げない。

「…………リュシオス」

 ぴたり。彼の手が止まった。
 顔は動かさず、目だけを動かす。

 ――見ている。かなり。

「……悪かった。リュシー」

 言い直すと、また視線を戻して手を動かし始める。暫く一方的に話しかけるが、彼は何も言わない。

「……ねぇ、リュシー。
 このごろ、うるさい黙れって言わないね」
「ああ」
 以前なら、ここまで側で喋れば言われていただろう。

「いつから言ってないかな……」
「最後に言ったのはいつか、覚えていないが……」

 インクの乾いていない羊皮紙を脇に除けながら、言うリュシオス。
「親父のところを出てからは言っていない」

 と、次の羊皮紙を広げたまま、動かない。顔を上げてまっすぐこちらを見ている。
「リュシー?」
 動かない。ただじっとこちらを見ている。
「どうしたの?」
 沈黙。
 ただ、アイスブルーの双眸で彼女を見ていたが、おもむろに動く。

 席から立ってつかつかと側に来ると、リリアの肩を抑えて顔を寄せ――迷うことなく唇を重ねる。
 そして、何事もなかったかのように机に戻ると、また羽根ペンを走らせ始める。

「……な、なに?」
「別に」

 王都以来、接吻されたことはなかったのだが。彼はそういう素振りを見せなかったし、彼女が素振りを見せると、決まって必要ない、しなくていいと言っていた。

 しかも……今までとは違っていた。何と言うか、王都では縋るようにしてきたのに、先程のは寧ろ傲慢さがあった。

「……どういう変化なの?」
「落ち着いたら話す」
 それっきり、彼は何も言わなかった。






「あんたいい加減にしなさいよ!」
 三日後。彼女は怒鳴っていた。彼の腕の中で。

「…………」
 無表情なアイスブルーの瞳で彼女を見つめてから、彼女を解放してソファの向かい側に座るリュシオス。
 なんとなく、ふてぶてしさがある。何だか、彼の無茶苦茶さに拍車がかかったような気がした。傲慢で我侭で無遠慮で……元からだが。

 リュシオスが、溜息をつく。
「何だか……」
 ソファの背もたれに背中を預け、天井を見上げる視線を自分の手で遮って、呟くように言う。
「馬鹿らしくなった」

 手に視線を固定し、顔の前に持ってきて見つめる。
「俺は、親父の言いなりの道中で、兄貴の土地で、親父の権力でお前を手に入れたことを悔やんでいた。だから、いつも遠慮してた」

 と、手を放り出して、また天井を見て、
「馬鹿らしい」

 呟き、リリアの方に来る。
「リリア」

 顔を間近に持ってきて、
「俺は決めた。欲しいものは欲しい。好きなものは好き。そう生きる。もう遠慮しない」

 以前、彼女は彼が草食動物のようだと思った。しかし、もうそんな雰囲気は微塵もない。

 ただ、傲慢で、我侭で、横暴だ。

「お前が好きだ。お前が欲しい。お前がいい」
 唇を重ねる間に、彼は言った。






「……暇」
 また、リュシオスの執務室。リリアはただ、彼が書類を処理しているのを見ていた。リュシオスの仕事は政治であるし、手伝おうにも手伝えない。

 リュシオスは、彼女の方に羊皮紙と予備の羽根ペンを寄越すと、
「家族に手紙でも書いたらどうだ? この頃書いてないだろう」
 顔を上げずに言う。

「よくご存知ですこと」
 言って、ペンを取るが、書こうとすると迷う。

 王都にいた頃は、手紙を書いていない。リュシオスの落ち込んだ様子など書きたくもなかったからだ。リュシオスが王位継承者だったことも書いてない。ただ、彼女を誘拐した無茶苦茶な貴族らしき男としか知らせていない。

 リュシオスの領地がここということは、この前書いた。傲慢さが増したと書けば、今までの経過を知らない家族には、リュシオスは更にわけがわからなくなるだろう。

 書くのをやめた。

「……ねぇ」
 羽根ペンを置いて、彼の作業を眺めながら、
「そういえば、リリアはもう勉強しなくていいの?」
「あれは忘れろ。もう親父たちの流儀に合わせなくていい」

 言いながら、彼は羽根ペンを置いて本棚の方へ行った。

「お前には大したことは求めない。そんなに暇ならこれでも見ていろ」
 リュシオスが持ってきたのは、表紙に手書きで数字の書かれた本。開くと、手書きの文字が並んでいた。

 ……リュシオスの字だ。

 どうやら、リュシオスが統治の心得をまとめたものらしかった。リュシオスの言葉で、書いてある。

「……リリア」
 読んでいると、顔を上げずにリュシオスが言う。
「お前がして欲しいこと、して欲しくないことは言え。俺はお前に遠慮しない。欲しいままに生きる。……だが、お前の望みは分からないからな」

「……だったら、一人の時間とか設けてくれませんかね?」
「駄目だ」
 リリアが嫌味たっぷりに言うと、やはり間髪入れずにきっぱりと、
「お前を放したくない。他のことにしろ」

「だったら聞かなくても同じじゃない」

 リュシオスの手が止まった。

「あたしに遠慮しないんだったら、好きにすれば? 好きなようにすればいいじゃない。

 襲いたきゃ襲えば?」

 がたん。

 リュシオスが立った。

 立ち上がって、リリアの肩を掴むと、

「いいんだな?」

 彼女を見据え、襟元をはだけさせながら言う。

 見たこともない目。……怒ってるのだろうか? リュシオスのタイが、滑り落ちる。

 リリアは返事をする間もなく、床に押し倒された。リュシオスの本が落ちた。

 唇を唇でふさぎ、上着のボタンを外し、手を中に入れてまさぐってくる。

「ちょ……やめ……」
 リリアがやっと言うと、リュシオスは、手を止め、唇を離し、彼女をただ組み伏せた。

 そのまま、その顔を見つめる。

 リュシオスの目を見て、彼女は戸惑う。

 そして、リリアを解放して立たせると、彼女の服のボタンを留め直し本を拾い、また席に戻って書類に向かい合った。

 何も言わない。
 時間が来るまで、ただ沈黙だけが流れた。彼女の目を見ない。

 ――傷つけちゃった……かな……。

 床に落ちていたリュシオスのタイを、彼女は拾った。

 ――見上げたリュシオスのあの目は……泣きそうだった。






 リュシオスは、まだ口をきかなかった。

 その日の夜。リリアはベッドに横になって、浴室から響く音を聞いていた。

 いつもは、風呂に入れとか言うのだが……彼が言うのを待っていて、かなり遅くなってしまったし、結局それすら言ってくれなかった。

 彼も早く寝ないと、明日に響くのだが。

 ――おやすみも、言ってくれないかな……。謝ってみようか……。謝って済むなら……。

 水音が止んだ。少し目を閉じていたら、頬に手が当てられた。やけに早く出てきた彼に一瞬疑問を覚えたが、すぐに分かった。……濡れた手だ。

 目を開けると、リュシオスの顔が間近に迫っていた。そのまま唇を重ねる。リュシオスの短い、濡れた黒い髪が彼女の頬にかかる。

「……リリア」
 不安げな、声で彼女を呼ぶ。
「リリア……」

 彼女は身を起こした。薄明かりに、一糸纏わぬリュシオスの姿が浮かぶ。
「……リリア……」
 薄明かりの下、リュシオスの目が彼女を見つめる。

 リリアが手を伸ばしてリュシオスの頬を包むと、弾かれたように彼の目が見開かれた。

「……大丈夫。そんな目しなくていいから」
 彼はただ、彼女に覆い被さった。






「……ねぇ、リュシー……」
「……何だ?」
「年、いくつ?」
「……十六」
 リリアはまどろみから飛び出た。年下だったのか。しかも子供。

 リュシオスは、ベッドから降りてガウンを着ると、棚の方へ行った。何か、鍵をいじるような音。ややあって、戻ってきた。

 指輪が二つ。

「……結婚してくれ」

 言いながら、リリアの左手に指輪を嵌め、もう一つを彼女の手に握らせる。

「……大丈夫。側にいる」
 彼の左手に、彼女の手で指輪を嵌めると、それを待っていたように口づけしてきた。

 薄明かりの下で、微笑みながら。






 翌朝。起きると、リュシオスは既に着替えて机に向かっていた。羽根ペンを走らせている。

「…………」
 リリアは、自分の格好――昼間の服装をきっちり着ている――を見ながら立って、リュシオスの前に行く。

「一つ、早急にはっきりさせたいことがあるんですけどね」

 リュシオスが、感情のないアイスブルーの瞳でこっちを見る。

「最初にあった日――あの晩よ。あの時、リリアは寝巻き姿だったけど、次の日の朝っていうか昼にはあなたがくれた服を着てたわ。
 あれ、一緒にいた女性が着替えさせたのよね?」

 目に、何の感慨も見せず、
「いや、俺だ」
 あっさりと、事も無げに言い放つ。

「どうかしたか?」

「こ、こ、こ……」
 暫く、リリアは言葉を詰まらせていたが、

「この変態!」
 次の瞬間には彼の澄ました顔の下の首を絞めていた。

「最初っからそういうつもりだったのね! 何? 昨夜は純情そうな顔しといて? そんな顔して一体何人抱いてきたのよ?」

「……言いたい事がよく分からないが……」
 彼女の手を振り解き、一つ一つ確認するように、

「最初からそういうつもりだということが分からなかったか?

 普通、その気もないのに女を――しかも嫌がる女を無理矢理同じベッドで寝かせたりしない。

 それから、寝た女はお前だけだ」

 感情のないアイスブルーの瞳で彼女を暫く見てから、

「それより、父さんたちに手紙を書いてくれ。これに添える」
「……え? 国王様に? リリアが?」
「違う。お前の家族だ」

 言いながら、さっきまで書き込んでいた羊皮紙を見せる。立派な紙で、金の箔押し。正式な命令書のようだ。

 彼女は目を通し、顔を引きつらせた。中には、嫁にするから彼女を寄越せと書いてある。

「……あんたねぇ……」
 澄ました顔に指を突き付け、

「礼儀って言葉を知ってる?
 普通、命令書じゃないでしょ! 手紙で、お付き合いしてます結婚させて下さいって言うでしょ!
 見下してどうするの?」

 リリアを見つめるアイスブルーの無表情な目。……こいつ分かってない。そう彼女は理解した。

「……いいわよ。もう」
 彼女は、彼の正面から横に回り込み、
「ほら、紙出して。書き方教えてあげるから。
 常識ってもんを考えなさい」

 彼は、素直に手紙用の羊皮紙を出した。

 ……上に立つことばかり強制されて、虚勢ばかり教えられて、知らなかったのだろう。確かに子供だった。






 リュシオスのスケジュールにも、謁見があった。リリアは、その時ばかりはドレスを着せられ、リュシオスが座る椅子の隣にある、小さめの椅子に座っていた。

 ……この椅子は、長いこと空席だったそうだ。

 何人か謁見者が来た後、最後の名前が読み上げられた。

「よう! 久しぶり!」
 神官らしかった。くだけた調子で入ってくると、リュシオスが席を立って降りていく。振り返って促すので、彼女も続いた。
「ほう、聞いたとおりだな。おめでとう」

 無表情なまま、リュシオスは応対していた。別段、いつもと変わらないようだ。

 彼女に紹介する気がないらしく、一人で話を進めるリュシオス。やがて、話は終ったらしい。

 帰るかと思ったら、彼女に近づき、
「本当にあんたに気を許してるな。こいつのこんな緩んだ顔は久しぶりだ。
 こいつ、我侭でしょ〜?」

 彼女がその意味を問うより早く、
「ヴァセッタ!」
 リュシオスが慌てて彼女の前に入り、男に怒鳴りつける。

「おう、恐い恐い。
 また来る。今度は紹介してくれよ」

「王都を出る前からの知り合いだ」
 彼の姿が見えなくなってから、リュシオスが言う。

「悪い奴じゃないんだが……見ての通りのお調子者だ。……有能なところも否めないな。
 あいつも必要になる」

「リュシーに?」
 リリアが聞くと、彼は、暫くためらってから、

「次の五月で十七になる。そうなったら、王位継承権を返上するつもりだ」

 確かに、貴族社会では十七で成人となる。自己決定権も広がるだろう。だが、
「そんなことして、大丈夫なの?」
「その為だ」

 リュシオスは、溜息をついて、

「その為にあいつらの助けが要る。俺が元王族な方が都合のいい連中もいるんだ。そういう連中の助けを借りて、このふざけた因縁を断ち切らないといけない」

 彼が助けと言うことに珍しさを感じていると、

「そうすれば、お前とも……」
 と、彼は彼女の顎に手をかけ、
「俺には、お前も要る」

「……分かった」
 リリアは、自分から唇を寄せた。
「側にいる」

「おう、お熱いことで」
 いきなりな声に振り向けば、さっきの神官。戻ってきたらしい。

「……ヴァセッタ……貴様……」
「おう、お前が怒るなんで珍しい。
 邪魔されてご立腹ですかな?」
「去ね!」

 今度こそ、男は帰っていった……のだろう。

 リュシオスは、忌まわしげに、急いで彼女を連れて謁見の間を出た。機嫌を直すのが大変だった。






 翌朝。向かい合わせで食事をしていたが、口数が少ない。

「リュシー? まだ機嫌悪いの?」
「うるさい」
 言ってから、息を呑み、
「……ごめん」
 落ち込んだ声で言う。

「……調子悪いね」
「あいつが来るといつもこうだ。散々人を引っ掻き回して……」
 舌打ちし、早々に食事を終える。

 何やら、思案げな顔をしていた。






「リリア。お前にだ」
 リュシオスが、手紙を渡してくる。家族からではない。

 差出人はアラン・ドルセ。宛名は何と書いてあるか分からない。共通語ではないというのが、リリアに分かった精一杯だった。

「ホル・ティート・レーンと読む。神聖語だ。未婚の妻という意味で……お前のことだ」

 納得した。リュシオスが王位継承権を持っている限り、彼女とは結婚できないのだ。王家の道具としての意味がなくなるのだから。

「俺が王位を棄てるには、程度の差はあれ神殿の庇護が必要になる。お前も、俺と一緒に神殿の保護を受けることになる。

 そういう意味で、お前のことは神殿にも話してある。

 ……今度、神聖言語を教えよう。儀式に使われるしな。

 ん? どうした?」

 リュシオスは、硬直している彼女の脇から手紙を読み、
「ヴァセッタの奴……!」
 また機嫌悪く悪態づき、彼女の手から手紙を取ると、ざっと目を通し、怒りを噛み殺した顔で、

「悪かった。これから用心する」
 言いながら手紙をぐしゃぐしゃにして放り投げた。






「やあやあお二人さん、元気かな? 仲良くしているかな?」
 忘れるはずもない。二日前リュシオスを不機嫌にさせた張本人が、夕食が終ったばかりの部屋に来た。

「ヴァセッタ! 誰が入っていいと言った?」
「ワタクシです。王子殿下」
「黙れ!」

 リュシオスが王子とか殿下とか言われるのをひどく嫌っていることは、周知の事実だ。

「何をしに来た?」
「様子を見にでございま〜す」

 言いながら、彼女の手を取る。
「リリア、そいつに構うな!」
「初めまして。コレンティア。ああ、喋らないで下さいね。こういう状況では、夫のリュシオスが紹介してくれないと会話しちゃいけないんですよ。神殿ってのは堅苦しくていけない……。ああ、コレンティアってのは花嫁って意味です。お名前は存じ上げておりますが、何分リュシオスの紹介がないと名前を呼ぶのも失礼にあたって。私めはヴァセッタ・トルメリア。しがない神官でございます。昔は王城に……」

 リュシオスが、ヴァセッタの腕を掴んだ。
「離れろ!」
 突き飛ばすと、胸倉を掴み、

「人の妻にちょっかいを出すな。昨日の名前も筆跡も違う手紙……お前だな?」
「おうおう、怒ったか」
「質問に答えろ!」
「だって、俺の名前と筆跡じゃ、お前が用心するだろ? ちょっと人に頼んだのさ。なーに、軽いイタズラだよ。本気じゃないさ」

 がつっ!

「出て行け」
 殴ってからそれだけ言うと、リュシオスは黙った。
 王城にいた時を除けば、一番怒っている。

 ヴァセッタが出て行かないのを見て、リュシオスは無言で彼女を連れて部屋を出た。






 剣がうなる。
 城の中庭。リュシオスは、ただ闇雲に剣を振り回していた。訓練とか言っていたが、誰も居ない。

「……あの人、リュシーのこと、リュシオスって呼んでたね。やっぱり、仲のいい人じゃないの?」
「俺をリュシーと呼んでいいのはお前だけだ」
 剣を動かす合間に、リュシオスが言う。

「お前で三人目。後は母さんと姉さん……もういない」

 そういえば、それはリリアには話していなかった。彼から直接、母や姉のことを話したこともない。

「あれ? でも、王都で……」
「あの連中が勝手に呼ぶだけだ」
 剣を水平に動かし、何かを見定めるように左右に振る。
「許可した覚えはない」

 びんっ! 剣が、離れたところにある木に、真直ぐに突き立った。

 無力さ故に母と姉は殺され――同じく無力さ故に彼だけが生かされた。

「リリア」
 しばらくして、リュシオスが言う。視線は、木に突き立った木に固定されたまま。

「お前は……お前こそは守る。だから安心しろ。
 俺はお前を巻き込んだ。だから、この命に代えても責任は果たす」

「ふざけないで!」
 リリアは怒鳴っていた。リュシオスが驚いたように振り返る。

「あたしはリュシーに死んで欲しくない! 命に代えてもなんて言わないで!

 あたしはもう、リュシーがいないと……」

 そこまで言って、勢いを失って、彼女は足元を見た。

「リュシーが、あなたがいないと……あなたを失ってまで……」

「……ごめん」
 うろたえて、狼狽して、困っているような声だった。






「……悪かった」
 ぽつりと洩らす。

 ベッドの上で、リリアの胸に頭を乗せて。

「……お前を失えば、俺は悲しい。でも、逆は……考えてなかった。ごめん」

 リリアの服を握り締めて、
「母さんと姉さんが亡くなって……遺される悲しみは分かってたのに……」

 彼女の胸に顔を埋め、泣き始めた。
「……母さん……姉さん……」

 彼女がリュシオスの頭を抱き締めると、手を伸ばし、彼女の唇に触れる。

「……俺から離れないでくれ。俺を置いていかないでくれ……
 ……もっと、お前に甘えさせてくれ……ずっと……」

「……大丈夫」

 リリアが言うと、彼は安心したように呼吸を落ち着けた。

 彼の目をなぞると、残っていた涙が指に触れた。






 翌日、いつものように執務室に二人でいると、ドアのノックの音。リュシオスが出て、険しい顔で書簡を持って帰ってくる。

「親父からだ」
 言いながら開き、
「……どういうつもりだ?」
 顔をしかめる。

「何を考えているか分からん。お前との婚姻を認めるそうだ」

 書簡を放り出し、
「リリア。対応を協議するから、すまないが我慢してくれ。退屈だがな」
 言って、人を集め始める。

 しかし、その後すぐに、リュシオスの二番目の兄が来るという知らせが来た。王の使いらしかった。






「これだ! あの連中ッ!」
 メモが入るなり、リュシオスが声を荒げる。

 世界地図を引っ張り出し、テーブルに乱暴に広げた。急いで赤で印をつけ、

「……若で乗り切る気ですか」
「おそらく」
「何しろ直系の王族だ。不足はあるまい」
「ちっ!」

「……リュシー……?」
 リリアにちらりと目をやると、
「すまない。すこし休会だ」
 言って、彼女を連れて会議室から出た。






「レクゼリアとワーテンドルが陥ちた」
 苛立って、言うリュシオス。
「これで、オーヴェルトの国力が強化された。名実共に大陸最大の国家になったわけだ」

 彼女の顔を見て、
「大きな国が攻めてくる。多分勝てない」

 内容とは裏腹の、優しい声で言い直す。

「――それで」
 リュシオスは嘆息し、
「俺を、ご機嫌取りに差し出そうという腹だ。連中はな」

 ぽんぽんと、彼女の頭を叩く。

「この前の書簡も、俺を懐柔する為だったんだ。多分、今度来る兄貴で圧力をかけて……俺に人質になることを納得させる。

 俺が国の為に身を犠牲にすれば、連中は安泰というわけだ」

 疑問という顔で、リュシオスの顔を見上げた。
「……分かんない……」

 呟くと、相変わらず優しく、
「後で詳しく説明する。悪いが、会議の間我慢してくれ」

 そう言って、彼女の額に軽く接吻した。





 つまり。
 勝てない国が攻めてくるから、リュシオスを人質に差し出して、危険を回避しようということ。
 それを理解するだけで、かなりの時間がかかった。

「人質って……」
「都合が悪くなればすぐに切り捨てられるな。連中にすればいい取引だ。元々俺が抜けても王室に損害はない」
 事も無げにリュシオスが言う。

「でも、大事な人じゃないと人質とは……」
「正統直系の王族なら充分だ。オーヴェルトも納得する」

 言いながら、リリアの横に座り、
「大丈夫か? 少し休むか?」

 優しい声。

 ――こんな時に……

「何でそんなに落ち着いてるの?」
「…………さあな。分からない」
 リュシオスは、少し悩んで、
「王族としての教育の賜物かもな。危機はこれが初めてじゃないし」
 無感動に言う。

 ――落ち着き払って……

「それに、受け入れる側は、人質には傀儡にし易いのを歓迎する。……子供とか」
 リュシオスは、肩をすくめた。

「直系の、子供だ」






「無論、連中は重要視していないが、人質は強国の道具でもある。喉元にナイフを突き付けるとか、そういう使い方だけじゃない。

 例えば、人質を都合よく味方にして、傀儡として国を統治させる。

 小国の反乱分子を全て潰して、内政が滅茶苦茶になっても、きちんと整備した後に傀儡を使えば問題ない。

 滅びた国の純正のパーツだ。敗国の不満も逸らせるし、吸収しなくても属領にできる。……吸収すると後が面倒だからな」

 リリアの周りを歩きながら、リュシオスが淡々と続ける。マントが、動くたびにはためいた。

「小国側も、そういうリスクを受け入れるから、忠誠が示せるんだ。下手をすれば自分たちを皆殺しにできる手段を渡すわけだからな。

 まぁ、親族の情愛を利用ということも、ないことはないんだが……俺のケースには関係ない。オーヴェルトも、俺が冷遇されていることは知っている。だから、忠誠心だな。俺を差し出して、あなた様の国の属国になりますと言うんだ。

 無条件降伏や、戦ってからの敗戦よりはマシだ。連中は、もう負けるのを見越しているのさ。その上で、被害を最小に抑えるために俺を使いたいらしい。

 向こうが滅ぼすつもりなら、どの道皆殺しなのにな。おめでたいことだ」
 リュシオスは、できるだけ分かり易い言葉を選び、彼女に優しく言う。

「リュシーは……どうするの?」
「俺は弱い」
 リュシオスは、立ち止まった。

「親父たちが本気になれば、俺を連行するぐらい造作もない。納得していようがいまいが、オーヴェルトに引き渡しさえすればいいからな。

 ……生きていればいい。俺の身柄があればいいんだ」

 つかつかと窓辺に行くと、
「さて、兄貴がどんな条件を持ってくるか……。今人質になれば、幾分権利を保障するというところだろうが……果たしてどの程度か」

 辺りを見回し、
「……ここで生活できるのもあと僅かだな」

 そして、リリアを見据えると、
「例え連中が取引で、お前との婚姻を認めても、オーヴェルトが無効と判断すれば同じことだ。俺は、オーヴェルトの都合のいい相手と結婚させられるかもしれん」
「リュシー!」
「大丈夫だ」

 リリアの顔の高さまでもってきて、微笑む。
「お前に操を立てる。仮令この国を滅ぼすことになろうが、この身の破滅を招こうが、お前以外の女は抱かん」
 言って、そっと彼女を包み込んだ。

 リュシオスの兄が、国王の条件ではなく、オーヴェルトが示した人質の身分保障協定を持って来たのは、その翌日だった。






「ご親切なことだ」
 リュシオスが言う。広げた書簡を眺めながら。
「オーヴェルトの名の下に生命と財産を保障する。このボールテック領もオーヴェルトの治外法権か。……まあ、連中に渡るよりはいい」

 溜息をついて、リリアを見た。
「お前も、連れてこいとある」

 リリアの肩に手を置き、
「俺さえ行けば、お前ぐらい見逃してくれる」
「……あたし、一緒に行く」

 手を、一瞬引っ込め、
「駄目だ」
「卑怯なこと言わないで」
「駄目だ」

「一緒にいろって言ったのはリュシーよ! 離れるなって言ったのも!
 ずっと一緒よ! 離れないって約束した!」

「……でも……お前が……」

「リュシー一人で行かせられない!」
 ぼろぼろと、リリアの目から涙がこぼれた。しかし、リュシオスの目から視線は外さなかった。

「リュシーは一人にしたら死んじゃうわよ!」
「…………」

 黙って、唇を重ねながら、リリアをベッドに押し倒した。ごめんとありがとうが、耳元で聞こえた。


3 :副島王姫 :2007/11/22(木) 22:07:37 ID:oJrGY3oG



 3 ―― 壊された傀儡


 リリアとリュシオスを乗せた馬車は、王都ではなく港に向かった。陸路もあるが、海を渡った方が早いのだ。

 オーヴェルトの馬車。王族の衣装を着せられたリュシオスが、リリアの前に座っている。馬車の中には、オーヴェルトの役人がいる。

「リーリアント殿下はこちらへ」
 港に着くと、女性に先導されて船に乗った。

 リュシオスと引き離さされたのは、彼と会って以来初めてだった。






 リリアの方は、何もなかった。もともと、彼女は血筋もなくて、何も期待されていなかったのだから。
 ただ、女官と話すだけで時間が過ぎ、五日後に船は着いた。

「あら、リーリアント殿下。リュシオス殿下ですよ」
 慌ててそちらを見ると、港から出発する馬車で、若い女性と親しげに話しているリュシオスがいた。

 良かった。――まだ何もされてなかった。安堵しながら見つめる。

「さあ、リーリアント様?」
 リュシオスが側にいたら、彼にすがり付いて泣いたのに。

 リリアは、平静を装って促されるまま別の馬車に乗った。






 リュシオスに会えないまま、時間が過ぎる。

 一ヶ月が経った。リリアは、女官や貴族と意味のないお喋りで時間を過ごす。やれ恋だの政略結婚だの、そういう話題ばかりだった。話し相手は全部オーヴェルトの人間で、この建物には他の国の人質もいると思ったのだが、誰にも会わない。

 何度か、リュシオスの噂を聞く。誰と仲がいいとか、そんな話ばかり。一週間ごとに相手が変わっていた。

 しかし、ぱたりと聞かなくなる。

 それから一ヶ月後――
「リュシー!?」

 車椅子に乗せられて連れて来られたリュシオスにリリアは駆け寄る。外傷はない。でも、それだけ。
 頬はこけて、髪は伸び放題。今は意識がない。

「医者の話では、二週間もすれば回復するということです」

 ――それだけか……

 事務的な口調の兵士には構わず、リリアは彼を部屋に寝かせた。
「……リリア……?」
「リュシー!?」

 しばらくして聞こえた声に振り向けば、開いた、虚ろなアイスブルーの瞳でこっちを見ていた。
「リリア……来て……」
 リリアが言われるままに側に行くと、
「……俺は……生きてるのか……?」
「リュシー、大丈夫、大丈夫だから!」
「こっちに……」

 リュシオスは、横になったまま、リリアを抱き締めた。
「リリア……リリア……」

 眠りに落ちるまで、そう、呪文のように繰り返しながら。






「リュシー?」
 翌朝。目を覚ました彼は、ぼんやりと宙を眺めていた。リリアの声にも反応しない。

 しかし、一瞬、アイスブルーの瞳に意思が走り、
「リリア!」
 弾かれたように、リリアの腕を慌てて掴む。
「リリア……リリア!」
 リリアの腕を抱き締めて、

「……リリア」
 そこでまた虚ろになった。リリアの腕を放さないまま。

「……リュシー……」

 ――どうして……どうしてこんな……

 ――リュシーが何したっていうのよ……。






 一週間後。リュシオスの外見はまともになった。幸い、食事は取ったから顔色も良くなったし、髪も整えた。……しかし、髪質は滅茶苦茶だ。

 時々発作的にリリアを呼ぶが、それ以外は虚ろの一言。

 黙って抱き締めていると、声がした。
「リリア……すまない」

 慌てて顔を見ると、疲れた顔をしていた。

 物憂げな、しかし優しい瞳。

「ごめん。心配かけた」
 言うと身を起こし、リリアの肩に手を置く。

 アイスブルーの瞳には、意思があった。






 それから三日。リュシオスは、何があったか話さなかった。時々、悲しそうな目でリリアを見つめ……しかし、何も言わない。

 ベッドで上半身を起こして、本を読んでいたが、不意に、
「リリア。キスしたいからカーテン閉めてくれ」
 顔を上げて言ってくる。まだ立つほどの体力はない。

 ……? 怪訝な顔をするリリア。

 確かに女官が二名いるが、リュシオスはそんな性格ではない。しかも、声も必要以上に大きかった。

 取り敢えず、言われた通りにカーテンを閉めると、
「ありがとう。こっちに」
 言って、本当に唇を重ねる。いつもより長かった。

「気分も良くなったし、久しぶりに一緒に寝よう。抱きたい」
 唇を離しながらまた言う。耳元で言うにしては大きな声。

「……合わせてくれ」
 顔を離しながら、どうにか聞こえるような小声で囁く。

「う、うん。リュシー」
 リリアが言うと、リュシオスは小さく頷いて、
「愛してるよ」
 言って、リリアを抱き寄せた。

「おやすみなさいませ」
 夜。
 女官が二人とも出て行くと、リュシオスは身体を起こした。

「カーテンはいつも閉めておけ。ただの布切れだが、ないよりマシだ」
 言うと、リリアの服を脱がせ始める。脱いだ衣類を、必要以上に遠くに放る。
「ごめん。我慢してくれ」

 リリアを一糸纏わぬ姿にすると、自分も脱いで、リリアをベッドに引きずり込んだ。

「抱いてる様子を見せないと、薬を盛られる」
「薬……?」
「興奮剤や催淫剤。ひいては麻薬。
 ……大丈夫だ。本当に抱いたりしない」
「でも……何で?」
「今話す。女官は夜しか離れないから、今しか話す時間がない」

 言いながら、ちらりと出入り口を見る。

「オーヴェルトはあの国を滅ぼすつもりだ。かなりの優先順位で。

 オーヴェルトは、最初に俺を傀儡にしようとしたが、向かないと判断したらしい。

 次に、俺に子を設けさせようと考えた。でも、お前に産ませるより、オーヴェルトの身分のある女に産ませた方が都合がいい。……それから見合いの連続だ。どうやら、手が早いと思われたらしいな。十六で結婚だし。

 一ヶ月が過ぎ、二ヵ月が過ぎたとき、徹底した女に出くわした」

 リュシオスは、溜息をついた。ろくに動けない状況だから、彼の声だけが響く。

「まず、酒に溺れさせ、最初は興奮剤だった。次に催淫剤。それでも俺が思い通りにならないものだから、麻薬まで使い始めた。

 そしてあの夜――俺は浴びるように飲まされ、薬を盛られたうえであの女とベッドにいた」

 また溜息をついて、

「その状況で、俺がお前の名前を呟くだけで何もしなかったのが、よほどお気に召さなかったらしい。あとは気晴らしの拷問だ。

 どうやら、俺の利用価値が生命線になったようだな」

 リリアが何も言わないと、軽く口付けて、
「貞操は何とか守った。約束したからな」

「……馬鹿……」
 リリアが、微笑んだ彼の顔に手を当てて言うと、
「ごめん」

 言ってから、入り口を振り返る。
 有無を言わさず、リリアを枕に押し付けるように唇を重ねてきた。
 扉の、小さな音。
 ゆっくりとリリアを放すと、
「大丈夫だ」
 言って、起き上がる。

「今度はお前だ」
「……え?」
「俺のあまりの身持ちの固さに根を上げた。それで、お前なら大丈夫と踏んだ。
 俺がこうしてお前を抱かないと、また薬なりなんなりして……まあ、お前も被害を受けるな」
 と、端正な顔をしかめた。

「俺の子を産まないとなれば、お前は殺される。……最初からこういう事態を考えていたわけだ」

 疲れたように寝転がるリュシオス。

「……唯一の救いは、相手がお前だということか……。
 でも、子供ができたらあの国は滅びる」
「護るの?」

「……どうした?」
 リリアは、彼の胸板に頭を置きながら、
「リュシー、王様たちのこと嫌いでしょ。どうしてそこまでするの?」
「……あの連中のためじゃない」

 リリアの耳を撫でながら、言う。

「あの国の……民のためだ。国が滅びて困るのは、あの連中より国民だからな」
「……変なところだけ王族っぽいんだから。そんなんだから利用されるのよ」
「……ごめん」
「でも、そんなリュシーが好き」
「……リリア」
「何?」
「愛してる」
「うん……ねえ、リュシー」
「どうした?」

 リリアは、リュシオスの上で身を起こして、
「抱いていいよ」
 リュシオスが、息を呑んだ。





「眠いなら寝ろ。夜が夜だからな」
 チェスの駒をいじりながら、リュシオスが言う。

 あれから二日。夜は話ばかりしていたので、あまり眠っていなかった。話が終わってからも、内容を理解するので精一杯で眠れなかった。

 以前なら、リュシオスは仕事ばかりしてたのだが……人質になってからはやることもないようだ。

「……リリア。来い」
 側にリリアを座らせて、笑顔を向ける。
「……お前がいれば……俺は……」
 と、物音。

 鎧に身を包んだ、人影があった。兵士ではないことは、リリアにも分かる。
「リュシオス殿下。皇帝陛下がお目にかかりたいとのことです」

「……わかった。伺う。
 リリア。待っててくれ」





 リュシオスが出て行ってから、彼女は一人で椅子に座っていた。女官と話す気にもならない。
 こんこん。音に振り向けば、四十ぐらいの男がドアの枠を叩いていた。服装からして貴族だろう。
「君にお話があるんだが……いいかね? リーリアント君」






「リュシオス君がいないと淋しいね」
 気さくな調子で、男は言う。

 廊下を歩いていた。どこへ向かっているのかも分からない。

「彼、大丈夫かい? 回復したって聞いたけど」
「え?」
「バネットの奴に閉じ込められてたんだろ? 噂になってる」

「そう……ですか。もう大丈夫です」

「話は聞いたよ。国元じゃあまり大事にされてなかったんだろ? お母さんとお姉さんもお気の毒に。

 何でそのリュシオス君が祖国を守ろうとするんだい?」

 リリアは足を止めた。
「つまり、こういうことですか? リュシーが国を売るよう、あたしから言えと」

「話が早い。そういうこと。
 君が言えば、ね。彼は君しか愛してないみたいだし。例のバネットのせいで有名だ」
「お断りします」

「おや、考える暇もなしかね」
 男は、肩をそびやかせた。

「リュシーは国民を守ると言っています。彼の意思なら、あたしも従います」

「愛は強し、かい? 若いね。
 まあいいや、なら戻ろう」






 帰ってきたリュシオスは、不機嫌だった。
「……また懐柔だ」
 ややって、呟くように言う。

「うん、さっき……」
 リリアが、さっきの男のことを話すと、

「それだけじゃない」
 緊迫した声で呟く。

「……それだけじゃないんだ」






「お前を取引に使ってきた」
 夜。リリアを腕に抱いて、リュシオスが言う。

「お前が惜しければ言うことを聞け、だそうだ」

 リュシオスの手に、力が入った。
「……喪いたくない」

「駄目だよ。リュシー」
 リリアは、彼にしなだれかかりながら言う。
「あたしは、あなたの重荷になりたくない。あなたの意思を曲げさせたくない」
「……だが……」

 弱気になっている。

「駄目だよ。リュシー」
 リリアはまた言う。

 まだ、戸惑っている。

 彼の顔を覆って、唇を寄せた。
「明日、皇帝陛下にお断りして」

 一晩話したが、結局、彼はそうした。

 ――傲慢で我侭で、意味もなくふてぶてしかった彼が、懐かしかった。






 二日後。皇帝は何も言ってこない。時間だけが過ぎていた。
 リュシオスは、まだ迷っている。

 と、聞き覚えのある音。振り向くと、またあの男。
「リーリアント君。ちょっといいかな?」
「俺も……」
「君は駄目だ。いいね?
 さ、リーリアント君」

「……リリア……」
「大丈夫。行って来る」






「え〜と、お気持ちは変わってないかな?」
「お断りしたはずです」

 また、どこか分からない廊下を歩きながら、男が言ってくる。今日は、兵士が二人ついてきていた。男は、ぶつぶつと、それじゃしょうがないと繰り返す。

「まあ、君に見せたいものがある。それを見れば君も意見が変わるだろう」
「変わりません」
 また肩を聳やかし、
「気丈なことで」

 と、側の部屋の扉を開けて中を覗き込み、
「うん、ここでいいや。入って」
 リリアが中に入ると、男は扉を背に立った。

「実はね、リリアちゃん。君に犠牲になってもらいたい」

 男は、上着を脱ぎ捨てた。

 兵士が、左右からリリアを抑える。

「あの王子様を殺さず壊せ、って言われてね。
 愛に飢えた子供だ。拠り所を壊すのが一番いい」

 ベルトが、外されて落ちる。

 兵士の手は、振り解けなかった。

「彼の拠り所は、君しかないね?」

 黒い瞳に、怯え。

 ――……や、……やだ……助けて……
「リュシーーーーー!!」






「リリ……」
 帰ってきたと、振り返ろうとし、リュシオスは目を見開く。

「……リリア!?」
 虚ろな顔、涙の跡、乱れた衣服。状況は――認識できた。ただ、声を荒げる。

「あ……そんな……リリア! リリア!」
 震える手と声で彼女を抱き締め、
「何とか言ってくれ! リリア! リリア!」

 と、突然、リリアを離した。そのまま、彼女をここまで連れてきた将軍に詰め寄る。

「……皇帝陛下にお話したい」
 静謐な、怒り。

「殿下の件は、今朝から全て私の一存で判断するようになっております。お取次ぎは致しかねます」
「貴様!」

 将軍が手を挙げて制した。指し示した先には――兵士に、喉元に槍を突きつけられたリリア。
 状況が分かっているのかいないのか、彼女に反応はない。
「どうなさいますか?」

「貴様らぁッ!!」
 慌てて兵士からリリアを取り戻すと、ただ叫んだ。

「リリア……畜生……畜生」
 将軍が去ってから、リュシオスオスはただ呟き続けた。起きているが意思の無い、妻を抱き締めて。






「……ごめん……」
 ――夜。
 もはや抱いている演技をする必要も無く、彼女をすがるように抱き締め、祈るように言う。
「……ごめん……リリア……」

 泣いていた。

「守れない……守れなかった……俺は……俺は……
 リリア……リリア……」
 虚ろな、彼女の顔を覗き込む。相変わらず、表現というものがない。

「寝ようか……」
 ぽつりと言って、彼女をベッドに寝かせる。彼も、いつもの――いや、かつてのように横になった。

 小さな子がぬいぐるみでも抱き締めるように、ただただ抱き締める。

「……抱いて」

 やがて聞こえたリリアの声に、リュシオスは急いで顔を上げた。
 久々に――遠くから聞こえた彼女の声。

「リリア! 喋った? 今なんて……」

「抱いて」

 アイスブルーの目に一瞬宿った希望が、消える。

「リュシーなら良かった! なのに……なのに……
 リュシーが抱いて! リュシーならいい!」

「あ……あ……リリア……」
 怯えたようなアイスブルーの瞳に、恐怖を宿し、目を見開いていた。
 あれほど愛したリリアが……。あれほど愛してくれた、包んでくれたリリアが――。


 傷ついた、――瞳。


 ――あなた一体何ですか?――あなたのせいで眠れなかったんでしょ!――リュシーってば――あたしに構ったから――寝てないってことだよ――リュシーが嫌そうにしてる――どしたの?――ごまかすな!――別に――リュシオス――うるさい黙れって――襲いたきゃ襲えば?――そんな目しなくていい――年、いくつ?――側にいる――この変態!――ふざけないで!――分かんない――一緒に行く――一人にしたら死んじゃうわよ!――そんなリュシーが好き――駄目だよ。リュシー――


 その目は、もう彼の知るものではない。彼を、安心させてくれない。彼を、甘えさせてくれない。


 ――リュシー――大丈夫――愛してる――リュシー……――


 ――リュシー――


「……あ……ああ……」

 どれぐらいそんな時が流れたか。リュシオスは、ただ、恐怖を写した瞳を閉じ、彼女の身体を抱き締め、

「……母さん……姉さん……」
 泣きながら、呟いた。

 いくら強がっても。いくら責任を背負っても。

 彼は――拠り所を失くした、十六の少年だった。






「陛下」
 将軍が報告に来た。うっすらと、笑みを浮べている。
「リュシオス殿下よりご伝言です。陛下のご提案を受け入れると」

「……ガレーン卿のご計画通り、ですね」
 ガレーン卿――そう呼ばれた男は、肩を聳やかせ、
「所詮は子供。扱い易いものです。……それに、まだあの小娘の生命もありますし。いくらでも利用できますよ」

「ああ、あと、もう一つご伝言が」
 将軍の言葉に、一同が注目し、

「放って置いてくれ、だそうです」
 誰からともなく、嘲笑が洩れた。







 オーヴェルト帝国がファイクリッド王国に宣戦布告したのは、その2ヵ月後。3ヶ月を待たず、フェルキンド・オーヴェルト公国が生まれた。ファイクリッドを裏切った、ファイクリッド最後の王族、リュシオス・ゼル・フェルキンド・オーヴェ・ファイクリッドの手によって、オーヴェルトの属国として。以後、フェルキンドは、ファイクリッドの名を取り戻せないまま、1300年にわたる服従の歴史に甘んじることになる。



 ―― Fin ――


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.