Sの策略


1 :片桐 継◆otukWsrP :2007/06/16(土) 12:44:16 ID:n3oJmkuJ

 待ち合わせの教会前。ここは、いまでも語り継がれる伝説となったクエストで、装備を一新出来るほどの報酬とこの上ない名声を手に入れた記念の場所だ。今では平和なただの廃墟を前にして、俺はその時とは違う身軽な装備で相手を待っていた。
「待たせたな、シェクル」
程なく、律儀な彼らしいぴったりの時間に、相手はやってくる。
「セニエス! 時間ちょうどだ。問題ないぜ」
彼も軽装備だ。今日のクエストはそう大きなものでもないし、戦闘にもならないとお互いに判っている。二年前のあの凶暴なアンデッドの群れとの死闘以来、俺たちはいくつもの上級クエストをこなし、この世界で、「シェクルとセニエスって知ってる?」と聞けば誰でも「知ってる」と答えるほどに名コンビになっていた。元々の相性もあるのか、確かにお互い気心知れる仲となるには時間はかからなかったし、今では共に戦う心強い仲間とはっきりと言える。
「それじゃ、もう一度作戦を確認しよう」
俺は早速、話を切り出し
「了解」
いつもの冷静な態度で、セニエスも受けてたった。


2 :片桐 継◆otukWsrP :2007/06/16(土) 12:44:45 ID:n3oJmkuJ


「離婚してください、章介さん」
目の前に差し出された緑の紙と指輪。今の俺に反論の余地は無いらしい。
「理由は……言わなくても判っているわよね?」
こちらには否が無いのだ、といわんばかりの彼女は、同い年の俺の妻、沙耶。気が強い女だとは思っていたが、ここまで思い切るのか? 正直俺は混乱していた。俺たちは友人だった時代からかれこれ十五年にはなる仲だ。確かにここ三年すれ違ってはいたけど、必ず修復できると思っていた。
「……」
「できないの?」
詰め寄る。
「貴方は浮気したのよ、ウ・ワ・キ。判ってるんでしょ?」
確かにそうだ。たった一度、だけれど。けれど……。
「なぜ、浮気したのか、は考えないのか?」
「開き直るつもりなの? 最低だわ!」
吐き捨てる。女は感情的になれば勝ちだとでも思っているのだろうか?
「結婚してからいままで、君は何をしてた?」
「はぁ?」
般若の顔。結婚して五年、一戸建てを買い、一緒に暮らしている間、妻が僕に作ってくれた料理はこの半年の間のカレーライスだけ。週に一回の洗濯にアイロンがけもしないワイシャツ、給料日には妻の新しい服やバッグ、ボーナス月には妻専用の最新モデルパソコンやAV機器、最近ならプラズマテレビにDVDレコーダー。その一方で月3万の小遣いで何から何までを賄う自分。上場企業に勤めているとはいえ、平社員の俺は朝早くから夜遅くまで残業で、休日出社も多い。家にいない間、彼女は自分の時間をたっぷりと過ごし、友人とランチに出かけ、テレビ三昧で続かない趣味三昧。
――結婚しちゃいましょうよ
 お互いに気がつけば三十路で、気がつけば周りは皆片付いていて余っているのは俺たちだけだった。沙耶はそんな俺に気軽に声をかけ、気軽に付き合い、気軽に結婚を決めた。縁遠くてどちからというとモテないタイプの俺は、正直、舞い上がっていたんだろう。若気の至り、言ってしまえばそれだけの理由で。
 沙耶は日本でも指折りのグループ企業で部長を勤める父と専業主婦だった母の間の一人娘で小奇麗な容姿、何不自由なく育てられて手に入らないものは何もなかった。一つ不満があるとするなら、彼氏を作っても長続きせず、三十路になるまで結婚できなかった事くらいだ。だがそれも、一流大卒で上場企業勤務高年収の俺という夫と、都内に土地付の一戸建てを手に入れて溜飲を下げた。俺を愛する事よりも、羨望の的になれる結婚生活を手に入れることが彼女にとってとても大切だったのだな、と今なら判る。
「貴方のご飯も作ってたし、洗濯もしていたし、家を護っていたでしょう? 何か問題があると言うの?」
俺の恋を知ったここ半年だけだろう?と応えそうになり、黙った。何か一つ言うと、感情の機関銃が容赦なく飛んでくる。そんなのはもう勘弁だ。
「だいたい、勝手に会社を辞めて年収も下がって、月の稼ぎも減って、その上に浮気なのよ? 私は被害者よ、判ってるでしょ!」
どの面下げて、被害者、と堂々と言えるのだろうか。会社を辞める時、激怒して話を聞かなかったのはそっちだ。月々のお金が減る、それだけの理由で不満をぶつけ、どうして俺が辞めようと考えたのか、その先をどうしようと思っていたのかさえ聞く耳を持たなかったのは誰だ? 

――疲れた……
同僚、隅田苑子にそんな愚痴をこぼしてしまったのは、そんな俺が退職する日の夜。
「長い間、お疲れ様でした」
送別会の席、向かいに座った彼女はゆったりした微笑で、俺のグラスにビールを注ぎ
「会社、作られるんですよね? これからも頑張ってくださいね」
いつものように励ましてくれる。同じプロジェクトチームで修羅場をくぐってきた言わば戦友の彼女は妻と同じ年だが性格も雰囲気もまるで正反対といえた。毎日手弁当で料理上手、控えめで同僚を立て、縁の下で立ち回って皆を支えてくれているような女性。明るく前向きな美人だがでしゃばらず、チームでも社内でも上下関係なく頼りにされ好かれている。だが、就職直後に両親を亡くし、二年ほど前に夫を亡くして一人ぼっちという身の上の彼女には、どこか寂しげな影がある。身寄りのない未亡人、だがそれゆえに深い思いやりのある彼女を誰もが幸せになってほしいと思う反面、どこか触れる事ができずに見守っていた。
「隅田さんも、ですよ」
「はい」
波々としたビールの白い泡越し、彼女はそれでも笑う。心に焼きつく程に優しく明るい顔。傲慢な妻は欲しいものが何でも揃い、無欲な彼女は大切なものを多く亡くしてきた。世の不条理をふつふつと感じる。
「隅田さん、もう再婚はしないの?」
酔った勢いもあるのだろう、不躾だなと思いながらも、言葉は止まらなかった。
「え?」
「隅田さんは正直、美人だし、優しいし、料理上手だし、その気になれば放っておく男なんていないよ」
ええい、と半分自棄に近かった。最後の夜の送別会なのだ、これくらいは大目に見て欲しい。
「……私、夫が好きなんですよ、今でも。だからそんなの、考えてもいません」
聖女、とはこういう人を言うのだ、きっと。
「だめですよ! 死んだ人はそれまでで、今生きてる貴方をこれから幸せになんかできないんです! 貴方は幸せになるべきですよ!」
俺が独身なら、このままさらう。自分の結婚、既婚である自分をこんなに後悔したことはない。彼女となら、月3万の小遣いだけの生活にはなっていないだろうし、毎日手料理の詰まった弁当を食べる事だってできた。帰ってきたら暖かい夕食と妻の笑顔が迎えてくれて、きっともっともっと心が満たされているはずだ。
「……」
そんな想いを見透かされたのか、返答に困っている彼女。
「……すいません、酔ってますね、俺」
「くす。そうですね、酔ってらっしゃるわ」
サラリと受け流す所に、彼女の成熟した大人を感じ、湧き出てくるモヤモヤした気持ち。これはきっと、彼女という女性を妻にできた、今は亡き彼女の夫への激しい嫉妬、だ。その晩、俺はしたたかに酔い、お開きの後、それでもまだ炎は収まらずにいた。
「隅田さんはどちらなんです?」
「ここからなら……東急で横浜まで出るのが早いですね」
「じゃ、途中まで一緒ですね!」
同じ方向なのは二人だけ。そう、二人だけ。はけた居酒屋からの道は狭い路地のような犇めき合った裏通りで、駅まではまだ少しある。俺と隅田さんは並んで歩き、眩しく妖しいネオンの光が頭上を舞う。
「……隅田さん、俺、酔ってます!」
「はいはい、酔ってますね、確かに」
呆れたような返事。俺の足は時々もつれ、そのたびに素面の彼女にもたれかかる。
「俺! 俺! おれぇ!」
すいませんと謝っているつもりでも、心のどこかでポッカリ開いている穴からは何か熱いものが噴出して止まらなかった。そのまま済崩しにビルの陰に寄ると
「疲れたんですよ、もう! 隅田さん! 俺を癒してくださいっ!」
無理やりに彼女を抱き寄せ、
「あっ!」
彼女が抵抗しようとする前に、壁に貼り付けるようにして身体を押し付ける。
「いやっ、や、め……っ!」
無理やりの深いキス。そのままふと目だけで見上げた狭く明るい偽りの夜空に、ざまぁみろ、といるはずのない見知らぬ彼女の夫へと勝ち誇りながら、手が身体を探る。
「苑子っ!」
「いやっ!」
抵抗はさせない。俺は強引に彼女を……。 


「慰謝料、払ってよね」
(え?)
「浮気したんだから当然でしょ」
不意に顔をあげた俺に即答。確かに、浮気、といえば浮気かもしれない。だがそれというのも、俺が欲しかった心の置き場所が妻になかったからに他ならないのであって、誰かに癒され、救われなければ俺は確実に心が壊れていた。
「金なんて……」
「あるじゃない、退職金。後、残りは月々5万、2年でいいわ」
俺の銀行口座は妻の座と共に彼女が今だ握ったままだった。そこにいくらの金があり、どう流れているのかも彼女はよく知っている
「それで許してあげると言ってるの」
精一杯の譲歩だ、と言いたげに強い視線。結局、金なのか。それでも楽しかったはずの日々、今までの結婚生活がセピアに変わっていく。会社を立ち上げて間もない今では、彼女を満足させるだけの月収は確かに無いだろう。これが隅田さん、彼女だったら手に手をとって頑張ろうと微笑んでくれるだろうに。
「そっちの世間体もあるでしょうし、表ざたにしたくないでしょ? 私から父には謝っておいてあげるから。払ってくれれば、裁判もしないし、弁護士も立てない」
『父』俺にとっての舅。もうすぐ定年を迎える彼、地位と名誉を重んじる彼にとって一人娘の離婚は社会的に相当な痛手だろう。こちらからすればこんな娘を育てた親にそれくらいのダメージは食らわしてやりたい、と思わないこともないが、その為に払う労力が見合わない。
「これは私のせめてもの情けよ、感謝しなさい!」
感謝? 冗談だろう。
「さ、サインして」
差し出されるペン、すでに朱肉がついている印鑑。
「これを役所に出して、お金を口座に移したらこのキャッシュカードは郵送してあげるわ」
上からの目線。彼女の中では全てが自分に都合の良いように解決されていて、そのシナリオに俺は否応無く組み込まれている。そこには俺の感情などかけらもなく、ましてや俺に対する思いやりや感傷なんてあるわけもない。自分では判っていないのだろうが、自分が中心でなければ気がすまず、自分の思い通りにならなければ不機嫌になる高いプライドの持ち主である女、どうしてこんな女と自分は出会い、結婚したのだろう。一瞬でも、彼女とうまくやっていける、と、幸せになれる、と信じた自分が愚かすぎる。


3 :片桐 継◆otukWsrP :2007/06/16(土) 12:45:33 ID:n3oJmkuJ


「これは慰謝料……。受け取ってくれ。嫌な思いをさせちまってすまないな」
リアルに進んでいたクエスト完了の目処がたち、俺はセニエスに約束通りの満額を渡す。キャッシュ受け渡しの処理画面が右隅に表示され、
「ああ、なんてことは無いさ。酔っ払いにやられるくらいのこと、ちょっと一晩我慢して、後は忘れれば良い」
セニエスが彼らしく冷たく答えると同時に、処理完了の効果音。
「示談金は受け取れたのか?」
つい気になって訪ね、
「ああ」
あくまでも静かな返答。
「さてシェクル。ここからどうするか、判ってるよな?」
「金には手をつけずにキャッシュカードを返し、届けはまだ出さない、だよな」
「そうだ。親兄弟が無い、土地と建物の名義は本人、保険金受け取りも法定相続人、確認済なんだね?」
「大丈夫。……明日の手配は?」
「万事、抜かりない。通勤時間帯だからちょっと迷惑になるかもしれないが、まぁ良くある話だし」
「そうだな、今晩はヤケ酒だろうから、きっとホームの端で足がふらついてしまうだろうね」 
主人を亡くし居場所を求めた女と夫に不満を募らせた妻が、その架空の世界で出会ったのは二年前、今では伝説となったクエストでの事。それ以来、彼らは互いに手を取り合い、どんな敵を相手にしてもひるむことなく、決して手を抜かず完膚なまでに叩き潰してきた。たとえそれが、リアル、であろうとも。


4 :片桐 継◆otukWsrP :2007/06/16(土) 12:46:22 ID:n3oJmkuJ




 「今朝8時20分頃、JR東海道線品川駅構内で横浜市戸塚区の会社経営、関本章介さんがホームから転落し、平塚発東京行普通電車に撥ねられ全身を強く打ち死亡しました。この影響でJR東海道線は今もダイヤが乱れ――」


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