ちぃ太との日々


1 :片桐 継◆otukWsrP :2007/05/11(金) 17:27:40 ID:n3oJmkuJ

 今朝から、ちぃ太の具合がよくない。

 籠のすみに丸まっている灰色の毛玉が時々激しく蠢いて、苦しそうに震える。いつもの黒い筋もどこかくすんで見え、とても、辛そうだ。
(どうすればいいんだ……)
昨日の夜、寝る前に見たときのちぃ太は頬袋に好物の胡桃の欠片をぎゅうぎゅうに詰め込んで、元気いっぱい車を回していた。短い手足が見えないスピードでカラカラカラとひたすらに回し、止めた途端に慣性の法則で外に吹っ飛ばされながらも、それが楽しいらしい、キラキラした黒い瞳でいつものように暴走していた。
(なのに、今日は……)
小動物、特にハムスターのような小型げっ歯類はギリギリまで体調不良を隠しているのだという。自然界では動けない=死を意味する彼らにとって、それは当然の事なのかもしれない。が、ここは日本、誰もお前を食べようなんて思わないし、むしろ、大切な家族のつもりで接してきた自分に対して裏切られた感さえ覚える。
「ちぃ太……」
ぴく、と背中が動く。判っている、ちぃ太はとても利口で、自分をちぃ太だと判っている。今、いつもの声が自分を呼んだということも判っているのだろう。
―ちぃ太、掃除するんだ、ちょっと隅にいてよ
彼の無駄に蓄えた餌の回収と糞の掃除、敷き藁の交換は毎日のことだった。そんな時、敷き藁に潜っているちぃ太を掘り出して、そう言いながら隅に置くと、かのハムスターはとても不機嫌な顔で再び藁を掘る。時々、ほとんどの藁を入れ替えて大掛かりな掃除になると、ちぃ太はパニックになって匂いをつけまくり、こちらを見上げてヒクヒクと鼻で抗議する。
「ごめんよ〜」
清潔にしていないと病気になるから、と謝りながら渡すバナナチップ。ちぃ太は受け取って、今日のところは勘弁してやる、と言いたげに両手に抱いてその場でカリカリとかじり、その定期的な音が止む頃にはすっかり落ち着いていつもの隅にもぐりこみ、藁を掘り、黒い筋だけを僅かに見せて眠りに入る。
(そう、その毎日が……)
そんな昨日までがこんなにも大事だったのかと、改めて思う。こんな時、どうしたら良いのか、正直判らない。ちぃ太を掘り出して、身体のあちこちを弄り回して、あーでもないこーでもないと原因を探れば良いのだろうか? いや、そんな事はしたくない。そんな人間の身勝手をあのハムスターが良しとするわけがないのだ。
(あいつなら、知ってるかな?)
あいつ、ちぃ太をくれた生物学部の友人、外村なら何かヒントをくれるだろうか。携帯のフリップを開き、指が名前を探り出すとボタンを押す
―RRRRR
「よう、どした?」
いつもの甲高さは外村の声だった。
「外村、悪い、ちぃ太の様子がおかしくて、それで……」
「ちぃ太?」
「ハムスターだよ、お前がくれた」
「あー、あれ。 まだ元気だったのか」
「元気って……元気じゃないんだ、今日、急に!」
「って2年だろ? 長生きしてんじゃね?」
「昨日まで元気だったんだよ!」
「言ったろ? ハムスターだぜ、突然パタリいくよ?」
「でも……」
「あれ、いわくつきだからな、2年も生きたら奇跡だよ」
「いわくつき?」
「言ったろ? 実験中の親から生まれた奴だから、普通じゃネェって」
「ちぃ太は普通だよ」
「普通じゃねぇって、あいつ、お前の言うこと判ってただろ? お前嬉しそうに自慢してたけどさ」
「それがおかしいのかよ」
「きめぇよ、ハムスターがンなわけねーだろ?」
声の高さもあってか、かなり腹が立ってくる。ちぃ太は、それでもちぃ太だ。可愛くて大切な、家族だ。
「外村、ハムスターを見られる病院しらないか?」
「やめとけって。あいつ普通じゃねぇから、医者持ってっても何にもならねーよ」
「外村!」
「あいつの兄弟、みんな半年くらいで逝っちまってるんだ。そいつだけ2年? やべぇよ、それって」
なら、どうして、ちぃ太をくれたんだ?
―お前寂しがりやだもんなぁ、ハムスターどうよ? 今研究室で生まれたやつの里親探してんだ
箱の中で小さくなってこっちを見ていた濃灰色の毛玉。震えている小さな生命を預かった時に感じた想いさえも、外村には気持ちが悪いというのか?
「とにかく、あきらめろ。な、研究室に慰霊碑っつーか、そういうの、あるから。葬式くらいはしてやれるからさ」
外村なりの気遣いらしい。今の自分にはむかつく以外の何者でもないが。
「もう、いいっ!」
怒りに任せて、指が赤いボタンを押していた。
―あいつ普通じゃねぇから、医者持ってっても何にもならねーよ
籠のちぃ太は相変わらず震えている。確かにネットで調べても、本を見ても、それにあう症状は載っていなかった。実験室で生まれ、うちに来た見た目普通のジャンガリアンハムスター、本当に普通の濃灰色に黒い筋、大きな瞳に食いしん坊で好奇心一杯の……オス。もうすぐ2歳。大切な小さな家族。
(ちぃ太……)
何にもしてやれないのか? せめて、最後に大好きなヒマワリの種を持たせてやるくらいは……。手に取った餌入れにはとりどりのペレットと木の実。好き嫌いないらしく何でもかんでも頬袋に詰めてみたり、そのまま藁に潜れずに暴れてみたり、名前を呼ぶと面倒臭そうにこちらに振り向いてみたり、たまに籠から出して散歩させると嬉々として走り回り、ベッドの下に別荘を作ってみたり、新しく入れた冷たい水を幸せそうに飲んでみたり、よみがえってくる全部、全部のその仕草が気がつけば大切なものになっていた。だが、その大切なもの、は失われようとして初めて気づいたものだ。いま、まさにちぃ太は……。
「ちぃ太……」
「るせーな、一回呼んだら判っとるっちゅぅねん」
「?」
耳元で声がした。聞き覚えの無い、低い、親父の声。思わず声の方へ顔をやると、黒いカラスの羽を広げ、ハチドリのようにホバリングする、ジャンガリアンハムスター・ノーマル。
「ちぃ……太?」
「はい、ごくろーさん。ようここまで面倒みてくれやったな」
ニヤと笑う、ハムスター。
(え、えっと……)
「なにしろ、羽化するまでに2年もかかりよるねん」
(は、はい?)
「ま、こないして話できるんも、あんさんがようワイのこと見てくれやったからやしなぁ」
不敵なまでの笑い、そして、声。
「ち、ちぃ太、なのか?」
「何回も言わすなっちゅぅとるやろが!」
「す、すいませんっ」
親父の一喝に思わず謝るが、なんで、自分、謝ってる?
「無事に羽生えたさかい、こうして出てきてみましたわ」
豪快な口調。その向こう、たしかに籠の掛け金が外れて入り口が開いている。
「じ、自分で出たのか?」
「あんなんワケないわけない。何やったら知恵の輪でも解いたげまひょか?」
(ななななな)
「ま、ワイのことは、内緒にしておいたほうがよろしゅおまっせ、いろいろと、なぁ? 大人の事情ってやつやで? わかるやろ?」
そう言うと、翼の生えたハムスターは小さな手を合わせて目を細めた。
「……これからも、よろしゅう」
頷く以外できることは何も無かった。


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