人類が起こした3回目の大きな戦争―
世界が破滅する寸前に、賢者が全ての知恵を人々に与え、再び生き物が生きることができる世界へと導いた。
それが、この王国の初代王の物語さ。
初代王の血を引く次期王は、成人しなければ皆の者の前には姿を現さない。そればかりか、政治の権力さえも強くはない。
さすれば、国は混沌へと進む一方の中へ王が成人する大祭が迫ってきた。
誰か王か、王の座を狙う者、王の秘密を知る者、そして王の立場に立つ者
全てが交差するとき、ついに王が現れる。
砂漠の国ユーロ王国には珍しく、雨が激しく国を襲うように降っているために空が暗い。
今の羅愛の心境と同じで、羅愛は目に溢れてくる水を下に流すまいと天井を見つる。
水が下に流れてしまったら、堤防に水が溢れるように気持ちが溢れそうになるから。
「ごほっかほっ、羅愛さん後は―」
上等な絹布で拵えた羽布団の中に、年齢の割に肉が付いてなくゲッソリとした男性が、
枯れ枝のような腕を羅愛へ差し伸べてきた。
微量な力でも折れてしまいそうな腕、羅愛は繊細な硝子細工を扱うように、そっとその手を羅愛の手で包みこんだ。
「大丈夫です、後はお任せください。命を賭けても、大祭まで国を維持してきます」
羅愛は精一杯の笑みを意図的に作り、壊れてしまいそうな男性を安心させようとした。
ベッドの主は、安心した表情よりも悲しげな表情を浮かべる。
「す…まない…、君に、げふがほっげほっ」
「無理しないでください。アタシなら大丈夫、だって最初からこのために生きているのですもの」
「そんなこと…言わないでくださぃ…。君は、無事にこの任務を終えたら、
ごほっ、幸せに…げふごほっ、なってください。決して、早まった考え方をしないでください」
「王?」
話すたびに空気が器官に入って苦しそうだが、男性は話すのを止めない。
「無理しないで―」
「いえ…、これは最後の、げふごほっ、お願いです。
貴方の…師匠みたいな、げほっ、考え方をしてはいけません。特に、命については― げほっがふっげほっ」
そう話終えた後、凄まじい発作に見舞われる。
「誰か!医者を―!!」
「発作が来たか?」
芸術品の総集りのような、または芸術品の倉庫のような煌びやかな部屋。
その部屋に相応しい、優雅な線で繊細な模様を描かれ綺麗な色彩で彩られた扉から、
美少年だが冷たい印象と右目の眼帯が印象強い10代半ばの少年が現れた。
「ユタカ、王が―」
「お前は、この部屋から出て待っていろ」
羅愛の両手の中には、力なくぐったりした手が小さな脈を打っていた。
「ら、羅愛さん…ゆ、ユタカと話したいから…、暫く外に―げふっごふっ」
「王!!」
苦しそうに布団の上で蹲る男を、片時も離れないと言わんばかりに男の背筋を一生懸命さすっている羅愛に、ユタカが止めさせる。
「羅愛、あとは俺に任せてくれないか?」
「ユタカ…?」
不思議そうにユタカを見つめる羅愛に、ユタカによって抱き起こされてそのまま廊下に下ろされた。
「ちょ、ユタカ!アタシだって、まだ王のそばにいたい」
「我侭言うな、王は俺に用があるって言っているのだ。それに、お前のその切なそうな表情は王に負担を与える」
自分がそんな表情をしていたのか。今言われると、塞き止めていた悲しみが急に溢れかえってきて、頬に水が一滴流れる。
「ほら、これ使え」
懐から鬼百合の刺繍が入った白いハンカチをユタカは取り出して、羅愛の頬に流れている一滴の水を拭った。
「暫く、そこにいろよ。王の状態が落ち着いたら、また傍にいさせてやる」
だが、その約束は叶えてもらえなかった―
ユーロ王国の18代目の王は、数分後に崩御した。
王の崩御は、国民を深い深い悲しみの底に突き落とすことになる。
愛すべき親が逝った悲しみ、親愛なる友人が逝った悲しみ、愛する恋人が逝った悲しみ―
全ての逝った悲しみを混ぜ合わせても、計れない程の悲しみが国民を襲うのだ。
次の王が成人し無事に王座を得るまで、この国民の悲しみは続くであろう―
遠くから童歌が聞こえてくる。
―王はだれだ?だーれーだ?
1人目は、国一番の剣使い
2人目は、国一番の知恵を持ち
3人目は、国一番の慈悲深き者―
童歌が子守唄へと移り、羅愛を眠りを誘う。
「仕事が多忙すぎて寝る時間を惜しんでいるのに、
眠りを誘う歌を歌って遊んでいる悪い子供はどいつ?悪い子供はどこだぁ―!!」
遠くの方で、童歌を歌いながら遊んでいた子ども達を凄い形相で睨む。
それに気づいた子ども達は「鬼が出た!!」と、口々に叫んで逃げていった。
「鬼とは何!?鬼とは!?失礼ね、まったく」
一つ欠伸をしながら、羅愛は呟いた。
「あー、忙しい」
「そこの軍の人、ちょっと道をお尋ねしたいのでアルが」
足首までとどく薄茶色の薄汚れた、外衣を着た旅人が道を尋ねてきた。
羅愛は急遽背筋を伸ばして、普段はしない素敵な笑顔を作って旅人を見た。
「どこまででしょうか?」
フードを深く被っているため顔はわからない。声は男性であるが、
小柄で肌が黄色で、ちらっとフードの中から見える髪の毛が黒。それから、羅愛は彼が東洋系の人物であると推理をした。
(珍しい)
この国の人種の比率だが、人種のるつぼと呼ばれているのだが、
東洋系は比率は低いというデーターがある。彼らは彼らの国があり、自分達の国で暮らす東洋人が多いのだ。
「コットン食堂という場所をご存知ないでアルカ?」
このイントネーションは、どう聞いても東洋人のイントネーションだ。
「あぁ、それなら近くなのでご案内しますよ」
「悪いでアル、忙しいと先ほど口に出していたじゃないですカ?軽く口で言ってもらえればわっかりマスヨ〜」
「いやいや、この辺道が入り組んでいますから迷子になられる可能性もありますし、ついでに
パトロールが出来ます。是非案内させてください」
営業スマイルと言わんばかりの輝かしい笑顔で、旅人に申し出る。
旅人はすまなさそうに「お願いしますでアルヨ」と言い、羅愛の道案内を受け入れた。
「この国は忙しそうでアルが、何かありマスカ?」
「今大祭5日前のために、国民の皆様は準備をしているのですよ」
「大祭?」
「えぇ、毎年この時期は、王の誕生日を祝って祭りを行います。
今年は王が成人し、玉座を無事に得る年でもあります。大祭の時には国民の皆様は必ず、
自分の家のベランダに、国花であります“鬼百合”の花をプランターに植えて飾ります。花言葉はご存知ですか?」
羅愛は、石と日干し煉瓦で造られた建物のベランダに、植えてある鬼百合を愛おしく見つめながら、
観光客だと予測する旅人に観光話を披露し、退屈にならないようにと配慮して相手に質問する。
「知ってるでアルヨ、この国に相応しい花言葉であるネ“賢者”という」
「えぇ、賢者―この言葉は、代々我が国が大切にしている秘宝“賢者の石”を表します。
賢者の石は、青く輝く知恵のダイヤとして書物に書かれております。王は賢者の石から得る情報によって、
国民を善し道へ導くというのが代々伝わってきている伝承です」
「今や、世界中に知れ渡っている有名な伝承であるヨ」
「そうですね。今この世界に住んでいる人ならば、誰でも知っている物語になりました。
人類が犯した3回目の大きな戦争により、生き物が住めなくなった土地。
その土地を、この国の初代王が賢者の石の力を借りて生き物が住める土地にした。
初代王は全世界の英雄であり、恩人でもある。その子孫がいるこの国は尊き国として、
今だ他国の人間に崇められているくらいなんですから」
世界は一度滅びかけた。通称第3次世界大戦という戦争によって―
戦争前までは豊かだった世界が、戦争後は人類文明が低下の一途を辿り、
人間が―否、生き物がいつ滅んでもおかしくない世界になれ果てて行った。
そんな中、戦争前時代、テクノロジーが最高潮だった時代の知識を持った人間が現れた。
その人間は、罪滅ぼしの旅に出て、生き物が住める土地と知恵を人間に与えたという。
そして、次第に“賢者様”と崇められるようになった。
そのうち、神を崇めるように賢者を崇め狂信に至った人間が、各地で賢者を奪い合う事態にまで発展しする。
嘆き悲しんだ賢者は、人間に失望して誰もいない砂漠の土地で、数人の気の許した友人達と暮らすことになる。
この土地が賢者が最終的に落ち着いた所であり、ここの国民が賢者の子孫とも噂で囁かれている。
「他国には困った方達がいらっしゃって、賢者の石を狙う輩が後を絶たないとか」
「賢者の石は本当にあるのでアルカ?」
「まぁ、旅人様もそのようなことを気にしてらして?物語の賢者の石とは、
皆様の希望の光という例えですよ。初代王は皆様に希望を恵んでおられただけ、
その希望がやがて蕾となり実となり形となって結果が現れた、例えでございます。
賢者の石はないですが、代々王はそれはそれは賢い王達でございました」
「王と言えば、今の王は噂では“影王”と呼ばれているとか」
「影王、えぇ、呼ばれてますよ」
「それは、どういう意味であるカ?」
「王は成人の日を向かえなければ、王座には座ることができません。
しかも、公的な場にも出ることができず、5年間誰も見たことがないので“影王”と呼ばれているのですよ」
他にも様々な理由から呼ばれていたが、他国の住人である旅人の耳に入るのは平凡な説でよい。
悪い説など唱えたら、よそ様にどんな評判を言われようか。
「あぁ、ここがコットン食堂です」
この国の話を観光向けに解説しながら、入り組んだ道を歩きながらするうちに
あっという間に消え入りそうな文字で“コットン食堂”と書かれたボロボロの看板を見つけた。
留め具が壊れかけているのか、ドアは変に傾いてぴたりっと閉まっていない。なんとも寂れた食堂なのだろうか。
「やっとついたでアルヨ」
「では、アタシはこの辺で」
営業スマイルと営業口調は次第に頭痛を起こし、頭が混乱してくる。
普段しないことは、しない方がよいという言葉がある。まさに、そのことだ!
羅愛は心の中で「もう、限界だ!」と叫びながら、旅人に一礼する。
「軍人さん、ありがとうデアル」
「いいえ、職務ですから」
また一礼すると、旅人と別れた。
後ろを振り返り旅人の様子を確認すると、颯爽と建物の中に入ったのか旅人の姿は忽然と消えていなくなっている。
「大祭もわからないで今頃くる旅人って、観光目当てだったのかな?」
そういえば、旅人の目的を聞くのを忘れていた。
観光者だと思っていたが、今よく考えると気のせいか違和感を感じる。
「まぁ、いいや。考えるのは、メンドクサイな」
と呟いたとき、胸ポケットから機械特有の雑音が鳴り響き、『羅愛軍師長!応答お願いします!!』と声が聞こえた。
胸ポケットから喋る小型機械を取り出して、数回振ると口元に当てる。
「羅愛だけど、どうした?」
そう答えて耳元に当てる。
『大変です、D-19地区にて暴動の恐れあり』
機械の向こうの人物が焦っている気配がする。その人物とは、羅愛の頼れる部下の一人だ。
「またメンドクサイね、元気のいいことで。でも違うことにエネルギー使えばいいのに」
そうため息交じりに言って、羅愛はよいしょっと背伸びした。
「あたしが行くわ、皆待機してなさい」
『えぇー!?羅愛軍師長が行くのですかぁ!?はっきり言いますが、貴方はパトロールも
暴動押さえにも行かなくてもいい身分ですよ!!我々に指揮する身分ですよね!?』
「あーごじゃごじゃ煩いぃー!いいじゃない、アタシ動かないとブタになるぅぅ」
『違いますから』
くそ、真面目で融通の利かない部下だな。
しかし、この魔法の一言で大抵の部下なら引き下がる。
「命令だから、よろしくー」
そう、この魔法の言葉で会話を締めくくれば、大抵の部下は真っ青な顔をしてもそれでお終いなのだ。
極まれに、1名はその言葉が効かない部下がいるが…。
羅愛が意気揚々と問題の現場へと向かっている頃、城の広場では、規則正しく整列した兵が所狭しと綺麗に並んでいた。
その列の前で、行ったり来たりしながら、頭を抱えて嘆いて発狂しそうな青年がいた。
羅愛の部下の一人、ラルトだ。
「あぁ!もう!何であの人はいつも自分ばかり―」
あの人とは、もちろん上司の羅愛軍師長のこと。
軍の最高位に立ち、この国の軍を指揮する人だ。
各部署の隊長直々の上司であるので、命令を無視するわけにもいかない。
無理難題な命令でも「はい」と言わねばならない関係なのだ。
「お前達は待機だって!」
先ほど、羅愛軍師長と連絡を取り合っていた道具、無線機をブンブン振り回して列隊に命令内容を伝える。
その言葉に、ブーイングが来る。
ラルトの隊は、何故か血の気の多い野郎ばかりである。
戦いたくてウズウズしている、という野郎ばかりでどうしようもない。
半ば泣きたい。
いや、羅愛軍師長がどうのではなく、この血気溢れる団体を纏めるのは少々手にあまる。
ラルトにとって、隊のリーダーになるということが、少し以上に重荷である。
しかし、ここまで頑張ってこれたのは、羅愛軍師長のおかげだ。
たまに…いや、頻繁に無茶な命令と突っ走る行動がなければ、羅愛軍師長は部下思いの素敵な女性であるし、
この城ではムードメーカ的存在だ。
容姿は特別に美人ではないが、平凡以下でもない。
しかし、ラルトは他の女性と比べると、羅愛軍師長の方が素晴らしい女性であると思っている。
太陽のように輝く笑顔で部下を労い、くりくりと動く空色の瞳が表情を豊かにして、その場を和ませる。
そうだ、無茶な命令と頻繁な暴走は、どれも心配させるものばかりだが、
部下に気を使って危険な事件を一人で解決しようとしてのことかもしれない。
「このような列隊を組んで、どこに行くのだ?」
氷のように冷たい声、声だけでは表情がわからない話し方―
ここにいるはずもない第三者の声がして、ラルトは声がした方へとギギギギギギッ、
と油を指す前の機械人形のような首の回し方で後ろを見た。
「ゆ、ユタカ宰相!?な、なななな、何でこんなところへ!?」
首を回した先には、ユタカという青年が不機嫌を露にして立っている。
色素が薄い、青白い肌と雪のように白く絹糸みたいな長い髪、鋭い氷柱のような瞳。
人間を捨てて無表情な人形になったかのような、温かみのない表情。
こうした総ての事柄が、ユタカという青年の全体を冷たい印象へと結び付けている。
先ほど、羅愛軍師長のことを考えて心が温まったが、ユタカの登場に一気に心が冷えた。
ラルトは、何を考えているかわからない取っ付き難い人物として、ユタカを苦手な部類と位置づけているのだ。
「自分がここに居ては駄目なのか?」
ラルトの内面を見透かしているかのように、ユタカは言った。
しまった―
この人の目的は、たぶん羅愛軍師長であろう。
この国の王は、成人する日つまり王位を継ぐ日までは一切表舞台には現れてこない。
それ故、前王が崩御して5年、歴史上もっとも表に表れない時期が長い王となってしまった。
王の代わりには、王代理としてユタカ宰相が就いている。
ユタカは主に内政を担当としており、軍の方は羅愛に担当させている。
王の代わりに、内政と国政を指揮しているのは、ユタカと羅愛という組み合わせだ。
そのセット二人組の片割れが一人でいるということは、羅愛軍師長を探しているということだ。
「羅愛知らないか?」
ほら当たりだ。
ということは、羅愛軍師長はユタカ宰相に行き先を付けずに、城の外をうろちょろして
いるということか?結果を結びつけたとたん、ラルトは冷や汗がどっと湧き出た。
「あぁぁぁぁ、あの!」
ユタカは相手の焦った様子を冷淡に見た。
「何だ?もしかして―」
「あ、あのですね!」
ラルトは言葉を続けようとしたが、ユタカが急にラルトの襟首を掴んで揺さぶったために、苦しくて先が言えなくなった。
そして、鬼気迫る表情でラルトに問う。
「まさか、あいつ城の外とか言わないだろうな!?」
まさに、その通りである。
だが何故そのぐらいで、ラルトは苦しい思いをしないといけないだろうか?
「ユ゛ダカさ、宰相…く、ぐるじぃぃぃぃ」
「あ、すまない」
ラルトはやっと放してもらった。
すまないとか言って、この人絶対にわざとだろ!!という心の叫びは抑えつつ。でも、文句は言いたい。
ラルトは身の危険を覚え、数歩ユタカからよろよろしながら下がった。
「で、羅愛はどこに行ったのだ!?」
ユタカの鷹のような鋭い視線により、ラルトは身の危険をヒシヒシ感じたので、正直に報告することにした。
「暴動が起きそうなので、城の外に出ていた羅愛軍師長が一人で直接行くと―」
「あの、馬鹿何を―」
報告を聞き終えたユタカは眉を潜めて、ぶつぶつつぶやいた。
「あの…、ここで待機と命令されましたが、応援行ったほうがよろしいですよね?」
「いや、お前達は待機だ」
告げられたのは、予想にも無い命令だった。
「えぇ!?ちょ、ユタカ宰相!一人だけじゃ危険ですよ!?
最近大祭が近づくにつれて、治安が尚更悪化しているって報告したばかりじゃないですか?
あんなの一人じゃ太刀打ちできないっすよ」
「お前達、羅愛の実力甘くみてないか?」
「は?」
実力はわかっている。
そりゃ、なんでも女上司だからといって、非力だとは思っていない。
「何か策があれば、別ですけど!あの人だから、正面から突っ込むに決まってます!」
「そうだな、まず一人で突っ込むだろうな。だが、突っ込むだけ取り柄じゃないし、
あいつが本気になったら、100人相手だろうが倒せる実力だ」
そのユタカの言葉に、ラルトはぴたっと静止した。
あの噂は本当だったのか。
伝説の100人斬りの話は―
「確かに…」
国中で広がっている、とある噂の一つ。
あるところに、砂漠の国々の近辺を荒らしまわっている盗賊がいた。
その盗賊は、次第に勢力が大きくなり100人になる。事態を重くみたユーロ国は、
とある剣の達人を盗賊討伐に向かわせた。それが、まだ10代越えたばかりの羅愛軍師長である。
(行っても、足でまといになるだけだろう)
噂を思い返して、ラルトは身震いした。
こんな仕事についていても、ラルトは実は隠れ臆病だったりもするのだ。
「ということで、お前達はここで待機だ。私が様子を見に行ってくる」
と言い放って、ずかずかと歩いてしまう。
「え、ユタカ宰相、行かれるのですか?」
その言葉に振り返り、ユタカは無表情に怪訝な表情を薄く浮かべた。
「もちろんだ。万が一、あいつに死なれては困る」
はぁ―と、ラルトは息を吐いた。
もう一つの噂も本当だったのか?羅愛軍師長とユタカ宰相は―
「途方も無く忙しい中、あり得ないだろうが万が一、大怪我した想像をするがいい。
誰か羅愛の代わりに仕事をする?自分か?」
ユタカの鋭い瞳がさらに鋭くなり、ラルトを横目で見た。
決してラルトが今考えたことを読んだわけではないと思うが、否定したような瞳がとても怖い。
「ということで、他にも仕事があるだろう?」
「は、はい!ユタカ宰相お気をつけて!」
ラルトは敬礼し、黙々と歩き去る上司を見送った。
これから忙しくなる予感がする―事態が収まったら片付けに来い!
という命令が入りそうだから。あの人は、片付けをすることが嫌いらしい。
ユーロ王国の国土は、砂漠全体である。
何故、砂漠という住みにくい場所に王国が設立したか―設立者であり初代王である賢者が、
旅をしながら世界の人々に生きる術を教えていた。そんな中、各地の欲深い人間が賢者を奪い合ったために、
嘆き悲しんだ賢者がお隠れになった場所がこの砂漠というわけである。
幾人かの気心の知れた友人と招かれた人々で村を作り、子孫が増えて村が町になり、町がやがて国となっていく―
そのような自然な流れで創立された国である。
そうして創立された国が抱えている問題は、水不足や水の枯渇の問題だ。
水も限りある資源であり、永久に沸き起こることがありえない。
第三次世界大戦後の穢れた世界は、戦争のせいもあって環境が安定していない。
この地域はその影響が水にあるようだ。雨が不規則で、ようやっと降った雨は、
風向きのよって穢れた物質が入っている場合もあり、生活のために使う水にはできない。
それだけ、前時代の技術が破滅に導くものだったか―
このような汚染が広がった世界に人が生きられるのは、初代王“賢者”の知識のおかげである。
世界中の人々が、ユーロ王国を崇高な眼差しで見る理由がその事だ。
他国でユーロ王国出身なのだと言えば、天使を見たかのような眼差しで拝み倒される滑稽な他国の人間の行動に、
腹を抱えて笑いたいのを我慢しなければならい。
この国や国民だって、普通の人間でしかないのに。
栄えあれば滅びの兆候だってあり、今のこの国は滅びの兆候に直撃している。
前の王が崩御されてから、今の王が成人の日までの期間が長すぎて、
国民の不満が積もりに積もっているのを羅愛は知っている。
これも、王が表舞台に顔を出せば国民を安心させられるのだが、
この時期に乗じて不安分子をばら撒こうとしている反王制派もいる始末。
この国の緊張感が最高に高まっているのが事実である。
これから行くD−19地区という場所は、代7代王の時代に水の資源が枯渇したことで、
貧困地域へと落ちぶれることになった問題地区だ。
「水というのは恐ろしいものだ」
羅愛はダートトラックという、前時代の乗り物をアレンジしてこの時代に合わせたバイクを走らせながら、前方に目を凝らした。
遠くに小さな町が、蜃気楼の中から浮かび上がるように現れた。
スピードを上げて近づくと、日干し煉瓦で造られた簡素なアーチの門が見える。
門をくぐって、建物の間をすり抜けるように走らせ突き進めば、突き当たりに人で溢れ返る広場が見えてきた。
ここら一体の人口が全部広場に結集する様は、この区間の動力が中心に集まったような、
それとも蟻が甘いものに集まったようなそんな様子だ。
『だからであり― 我々の怒りは今最高潮に達しているのである!!』
木材で作られた高台が広場の中心にあり、そこからスピーカー演説をしている輩がいる。
『新国王はこの国の状態を見ておらず、ただ傍観するだけである!ここ数年水は法外な取引を
され、金のない者は干からびて死ねという』
拳を上げて声を張り上げた演説者に、広場に集まった人々は同調し気持ちを高波のように押し寄せる。
「なーんかさ、それって王がサボっているようじゃない?一応仕事しているのにねー」
羅愛はエンジン音を大げさにふかすと、この騒がしい広い空間全体にも響くような声を張り上げ、観衆に言った。
「この広場にいる人々に告ぐ!アタシはユーロ王国軍師長 羅愛・イシュナータである!
こんなところで不満ぶつけるなら、アタシに直接ぶつけてきなさいよ!!意気地無し!!!!」
『何!?国の犬だと!?』
役人嫌いの人間が役人を“国の犬”と侮辱する。その侮辱は、羅愛の気高さに怒りへ続く導火線の火をつける。
「誰か犬だ!誰か!!!今そこに行くから待ってなさいよ!」
バイクのスピードを上げて、羅愛は広場に突進した。
人が密集し、バイクによって轢かれたとしても今の羅愛には気にも留めない。
「轢かれたくなかったら、どきなさいよ!ほら、ボサッとしていると、大怪我しちゃうよぉぉぉぉぉ」
一応警告した、警告したのにどかないやつが悪いのだと言わんばかりに、
バイクのエンジンを爆音の如く響かせ、暴走族のようにスピードに乗って広間に突っ込んで行く。
「はいはい、羅愛様が通るよー♪」
モーゼが海を割って道を作ったエピゾートがあるが、羅愛の目の前に広がる光景はまさにそれだ。
人の海が割れて、羅愛のために道ができる。その光景に、羅愛は気分を良くし、
調子に乗って道をバイクでぶっ飛ばし走ると、広場の中央に聳え立つ高台の麓に着いた。
憎ったらしい相手に宣戦布告をするかのように、ビシッと人差し指を高台の相手に向けて言った。
「よいご身分だこと、あんたは上から自分の好き勝手な事を叫ぶしか、能がないのね。
そういうの、負け犬の遠吠え?東の島国の言葉であったけど、それに当てはまるのではないか?」
『貴様に何がわかるー!!』
「いやいや、スピーカーという前時代の人々が残してくれた便利な技術を使っているのに、
わざわざ叫ぶ必要もないじゃない?アタシがそっちに行く方が早いから叫ぶな。アンタちょっと待ってなさい!」
宣戦報告を言い終えると、羅愛はこれでもかっ!と言うほどのエンジンを吹かすと、
アクセル最大限にしバイクを走らせ高台へと突っ込んだ。
この光景に誰もが高台の粉砕をイメージしたが、その心配を余所にバイクは重力の関係を無視し、
梯子を道路に垂直に走らせた。手品か?イリュージョンか!?なんという、不可解な現象だ!!
あっという間に羅愛は頂点へと到着した。
「ふっ、今日も我が愛車は絶好調」
「おいおいおいおいおい、それはあり得ないだろ!!」
「え?このバイクのこと?アタシの愛車の“天かける馬”という名がついている、
前時代の技術が搭載されているバイクなのだ。これぐらい出来て当たり前」
「「「いやいやいやいや、それはないだろ」」」
この場にいた数人かは否定した。
重力を無視して壁等垂直に走るバイクを今初めて見たものは、羅愛を除いて全員だった。
「あっそうか、田舎者は見たことない人いるのか。前時代のテクノロジーを復旧したものでも最高潮である
“魔法レベル”に位置づけられている一品よ。その“魔法レベル”の中でも上級クラスに輝いているわね。
まぁ、使い方が難しいという評価で、上級クラスなんだけど〜」
羅愛は、愛車を自慢げに説明する。
「なっ、魔法レベルだと!?」
「しかも、魔法レベルの中でも上級!!?」
「小娘が何でもっている!?」
驚くのも無理がない。
第三次世界大戦によって人間の文化レベルが低下したと同時に、テクノロジー技術レベルも低下したのだ。
国々は便利なテクノロジー技術が国力を向上させると見込み、テクノロジー復旧作業を国の威信にかけて行っている。
だが、失われた知識はそう簡単に取り戻せないまま―今の人々の技術理解は、
技術の最高潮の時期に追いつくのはいつになるだろうか?
それに、万が一理解できたとしても、使用方が難易度になる物、燃料が手に入りにくい、
使用法が分かっても仕組みが分からない、という事柄により私生活に普及できないテクノロジーが多数ある。
テクノロジーにいは、難易度によってレベルを振り分けられている。
生活の中でも問題なく普及できるものを“一般レベル”、
国の技術者の補助なしでは使用でいないものを“公共的レベル”、技術者でしか扱えないレベルを“魔法レベル”という。
他にも。詳細にレベル分けがなされているが、なにぶん専門的言葉になるために、
市民には大抵この3つのレベルがあると理解されている。
「だから、アタシは軍師長だから持っているの!そこ、小娘とかいうんでない、失礼な」
「小娘、一人で何しに来た?」
「だーかーら、小娘ではないっ!!わからぬ、デブオヤジだな」
脂ぎり偉そうに踏ん反り返った中年男性、たぶんリーダーであろうオヤジが羅愛を睨みつける。
暫くの沈黙後、羅愛は高台から身を乗り出して、広場に集まっている人々へこう叫んだ。
「みーなーさーんっ、国からの補助金でぇーす!!これで、水でも美味いものでも買ってくださいねー!!!!!」
羅愛が高台から投げた物
それは―
「お、お金?」
「おい、お金が振ってくるぞ?」
「うっそ―」
「天からの恵みじゃー」
「ありがたやー」
お金だった。
この国の紙幣がパラパラと、雪のように降っている。そんな、光景に一同どよめく。
そして、降ってくるお金を必死に取る人々。
そんな人々を眺めながら、羅愛は深いため息をついた。
この国の民は疲労の末飢えている。
「あ、そこ取り合いしない!」
羅愛はまた札束をばら撒き、公平に人々に当たるようにしてやる。
それでも奪い合う様は、貧しく他人を思いやる気持ちの余裕をなくしている人間の姿だ。
この国をこのような浅ましい姿にしているのは、
王が表舞台に出られない期間を利用した腐敗し堕落した役人のせいかもしれない。
だが、あともう数日を越えれば光が見えてくるはずだ。
「このお金はアタシの貯金からなのよ、偉いでしょう?」
羅愛は振り返って、胸を張ってリーダーのオヤジに言う。
「だからさ、暴動止めてくれる?大祭前の5日間くらい仲良くしよーよね?折角のお祭りも台無しにしないでさ」
予想にもしなかった行動に、高台にいた人間はぽかーんっと口を開け、間抜けな顔で羅愛を見つめているだけだ。
今や暴動の集会所は羅愛の独壇場になってきている。
「ちょっとリーダー?貴方一体何しているわけ?」
羅愛にこの場の先導権を取られ、アホ面をさらしているリーダーに一喝する声がした。
「まぁ、人間の欲に見事漬け込む貴方もさすがですけどね、羅愛」
「ん?」
どこかで、聞いたことがある声だ。声した方へと視線を向けると
「あ、アンタは!!」
羅愛は移動した目線の先の人物に驚いたため、素っ頓狂な声を上げることになる。
そこには、天使のような純白な女がいた。
透明感溢れる白い肌、太陽の光を反射し神々しく光る金色の髪、純白の外衣は上質な布で滑らかに風になびいている。
女の表情は聖女のように慈悲深い。だが、羅愛を見ている目は慈悲深い眼差しに、闘争心がスパイスのようにあるのだ。
「お久し振り、羅愛。ユタカも一緒なの?」
聖女のように微笑みを浮かべる女は、羅愛に挨拶した。
「マリア・テレアージ!!!!!」
周囲を見て羅愛を再度見た次の瞬間―
バシュッッツ
空気を裂く音が鳴り響き、マリア・テレアージが放った鞭が羅愛を襲ったが、羅愛は素早く刀を抜きガードした。
「久し振りの感動もつかの間、これはどういうことだね?」
羅愛は旧知の知人の手荒い再開の儀式に、残念そうに嘆いた。
「あら、貴方が悪いのよ。いつも何時も私の邪魔をして」
「マリア・テレアージ、この騒ぎはアンタのせいなの!?戦い好きは直ってないわね」
彼女マリアは聖女の様な女性だが、戦いを非常に好む性悪女であることを羅愛は知っている。
人々の慈悲深き助けといっては手を組み、最終的には戦いに発展することはしばしばあった。
今回のことも、マリアが裏で操っていた騒動だと結論つけると、成る程、彼女らしいシナリオである。
羅愛は旧知の手荒い再開の儀式に、残念そうに嘆いた。
「勘違いしないで頂戴、私のせいじゃないわよ。
貴方達、城に居残り組がしっかりとした政策をしていれば、このような結果にはならなかったわ」
悲劇のヒロインの如く嘆くマリアを、羅愛は胡散臭そうに横目で見た。
「無理言うでないよ、あの政治家達がアタシ達の言うこと聞くと思うか?
大祭前の混乱は付き物だ。確かにアタシらも、もっと何か出来ることがあったかもしれないが、
王が皆の前に出られない時期は不安で混乱するだけさ」
「ユタカはどうなの?あの子は王代理じゃないの?
あの子が王代理であるから、私たちは安心して各地を出てこの時期に備えていたのよ」
「政治は所詮数だ」
「甘いわね、裏で手を回せばいいじゃないの?こんな風に」
ふっと後ろから気配がして、羅愛は体をねじって後ろを振り向いた。
「この役人めがぁぁぁ!!!!!」
少年がナイフを振りかざして、羅愛の方へと突進してきたのを察知した。
「ほ、ほんとーにアンタって名前がマリアなのに、汚い手段使うのが好きだわね!」
少年の手を狙って蹴りあげナイフを落とすが、その間に隙ができる。
「そうやって、敵を倒すのが楽なのよ!」
出来てしまった隙をカバーしようと、右半分の身体を捻るが、
その隙へとマリアの鞭は瞬速に蛇が獲物に飛びつくかの如く攻撃をする。
こんなのありかよ!と心の中で叫んで、重症につながる衝撃を覚悟したその時だった―
「ん?」
予想していた衝撃が未だにない。ただただ、衝撃に備えていたために自然と硬直していた肩が痛いだけ。
目を細めて前を見ると、そこにはいない筈の男性が、羅愛の前に立っていた。
「二人ともいい加減にしろ」
予想した衝撃が来ないのは、羅愛とマリア・テレアージの間に入ってきて、マリア・テレアージの攻撃を防御した第三者が現れたからだ。
「ユタカ!!」
「なんて運がよろしいやつなのでしょう」
ユタカは静かな眼差しを羅愛に向け、何か訴えたがっていそうな表情をした。
「う、ユタカ君や、コミュニケーションも大切ということを毎回話しているだろうに?
確かにアンタの無言の圧力はよく効果があるよ…。はいはい、すいませんでした、勝手に城抜けて」
特有の無言の圧力攻撃に、羅愛はタジタジになった。
「あと、誤ることありますよね?」
腕組をして考えるが、全然出てこなく「なんだっけ?」と呟くと、ユタカの鉄拳が飛んできた。
「痛いじゃないか!!」
「一人で危険な場所へ突っ込んで行ってごめんなさい、という言葉が足りませんでした」
丁寧に言う言葉のわりには、大吹雪のような冷たさが含まれている。
「貴方に何があったら、誰か仕事するのでしょうかね?貴方の分まで―」
「わー、仕事の鬼ぃぃぃぃぃ。普通に心配しないか!仕事のためか!?この冷血鬼!」
相手は本当に仕事の鬼だ。
羅愛とユタカが言い争いし始め、マリア・テレアージは無視されたので、二人に突っ込んだ。
「私がここにいるのに、無視してくださらないで欲しいですわ」
「忘れていた、ごめんごめん〜。はははははっ〜」
何だか馬鹿にされているような言い方に、マリアは少々腹が立つ。
「ユタカ、お前の説教は後だ後!この暴動の中心人物のあの男とマリア・テレアージを重要参考人として確保!
それから、とりあえず一時金給付金としてこれぐらいの金をばら撒くぞ!!」
テキパキと現場の収集に向けて指示して、懐から取り出したのはかなりの札束。
「ら、羅愛!お前、これって―」
「何勘ぐっているのだ?不正なお金じゃない、これはアタシのヘソクリだ!
ヘソクリを分け与えるのだから、アタシは偉いのだ。どうだ?褒めていいぞー」
微妙に絶好調すぎるテンションの羅愛は、バイクに乗り高台からバイクごと飛び降りた。
見事着地すると、バイクを走らせながら羅愛はお金をばら撒く。
「さぁ、下々よ金が欲しかったらここまでおいでー」
高い所からその光景を見ると陳腐で痛々しく感じ、ユタカは頭痛を酷く感じる。
「とりあえず、あの馬鹿はほっといて―」
ユタカは深い深いため息をついて、羅愛からマリアへと視線を移す。
「私達は拘束でしょうね」
「何で、暴動起こした?大祭前にメンドクサイことをしでかしてくれたな」
羅愛に対して恭しく丁寧な口調が一変、冷たく素っ気無い言い方に変わった。
マリアが知っているユタカの口調だ。長く会わないうちに、この二人の関係の何かが変わったということか?
マリア・テレアージはユタカの質問を肩を竦めて答えた。
「これだけ暴動起こしたら城の堕落した奴らが震えあがるでしょ?やつらに注意したほうがよいわ。この時期に、裏で動いている者達がいそうだから」
ユタカは思わず一歩下がってマリアを見た。
「どっから仕入れた情報だ?」
「ふふふふっ、それはじきにわかるわねー」
「まぁ、出所はわかるような気がする」
「それにしても、気苦労耐えないわね〜。貴方、羅愛の世話係りが仕事みたいに見えるわよ?」
「断じて違う、否定する」
しかし今の状況から見たら、羅愛がトラブルメーカーに見え、ユタカはそれに巻き込まれる哀れな被害者の一人としか見えない。
「ご愁傷様」
ユタカの苦悩のオーラが身にヒシヒシ感じ、マリア・テレアージは目の前の男が物語の悲劇な役者のようで可愛そうになってきた。
一方羅愛は、自分が原因で苦悩している人がいるとは知らず、楽しげに愛車を走らせてお金をばら撒く。
「いやー一度やってみたかったのよね。お金ばら撒くって理由がどうあれ、リッチな感じ?」
この国の問題児なのかもしれない。
広々としているこの空間は、この国最高の職人に作らせた一級品の家具が品よく並べられ、どのような人が訪れても、美しさのあまりため息しか出てこない空間になっている
そこは上級官僚の職務室よりもっと特上の部屋になっていて、この国を代表する者だけが使用できるようになっている。
そんな天に昇るような素晴らしい部屋で、感嘆な声に代わり欠伸をかみ締めながら羅愛は仕事に熱中するフリをしていた。
「聞いていますか?」
机を挟んで向かい側に立っているユタカが、姑のように説教している。
その説教を羅愛は右から左へと受け流すために、熱心に仕事をしているフリをしているのだ。
「貴方はまだ公表はしていませんが、王なのですよ」
「いや、まだ王じゃないし?5日後?」
ボォォォーンボォォォーン・・・・・・・
西国の文化から伝わったデザインが施された大きな時計の鐘が、低い音で重たく鳴り、日付が変わっ
たのを部屋の主たちに伝える。
「訂正、4日後だね」
「もう4日後しかないのですよ、しっかりと自覚を持ってください」
羅愛は座っている椅子を回転させ、まだまだ暗い窓の外を見た。
外の暗闇を見ているうちに、窓ガラスに映っている自分の姿とユタカの姿に目が移る。二人の姿を無意識に眺めているうちに、意識は5年前に移った。
(もう、5年か―)
5年前の国民が悲嘆にくれた年。第8代王の崩御が国民全員に伝えられた年であった。
思い出す、第8代目の病気で弱っていった姿を―
思い出す、何も出来なかった自分の無力さを―
思い出す、深い深い奈落の底の悲しみを―
次期王については、第8代王の2通目の遺言書に従って羅愛になった。
遺言書は、第8代王は4通書いてあった。それは、次期王の成人までの間が長いために混乱が予想されたため、時期に応じて必要なことを順追って開封する形を取っている。
第8代王の崩御後に開封された、1通目の遺言書には王代理という役割を担うのに相応しい人物を公表し、2通目王代理だけ目にすることが可能な遺言書の内容は次期王についてだった。
―次期第9代目の王は、お前だ。
飾りっ気もない淡々とした言葉で、ユタカによって告げられた言葉は羅愛にとっては重たかった。
王は全てを守るが、結局守られるもの。
その道理が許せなく、羅愛の反発心を強く植えつけるものであった。
―羅愛、国が無いということは、無秩序になるということだ。人は国に属してこそ、平和というモノが手
に入ることができる。だから、人は国に命を賭けて守らなければならないのだよ。
師匠の言葉をふっと思い出した。
今の羅愛は国を宝と思い、総てを国のために身を挺している。それが王であるからか?否―王ではなく
とも、羅愛はこの国と人々を愛している。その愛国心から、師匠のように命を賭けて国を守り抜こうという志がある。
それに、第8代目王には恩がある。
王からの恩は国からの恩。今亡き王に恩を返すのは、国を命賭けで守るということに繋がるのだ。
「貴方に万が一のことがありましたら、誰が賢者の石を守るのですか」
次期王が成人になるまで、全ての人々を欺き続け次期王が誰なのか悟られないようにする。
それは単に掟だけの問題ではなく、この国の伝承に様々な場面に登場する“青き石または賢者の石”といわれる、強力な力を与えてくれる石を守るためでもあった。
人類が滅亡しかけ戦争、戦争前の時代はテクノロジーが最高潮であった時代。その時代に作られたとされる、情報機器システムが“賢者の石”である。
何故、“賢者の石”と呼ばれているかというと、この代物に選ばれた人間が蓄えられている膨大な情報を駆使できることから呼ばれている。
賢者の如く膨大な知識を持つことができると―
王は常に国と世界の平和のためだけに、賢者の石を活用しなければならない。でなければ、あの悲惨な戦争時代へと戻ることになるだろう―
一通り考えを廻らした後、羅愛はまた椅子を回転させてユタカへと向き合った。
「しかしだな、アタシが急に引きこもりになれば、勘付く輩は多いと思うよ?」
ユタカの几帳面で氷のような冷たさのような顔が、羅愛を鋭く睨みつける。
「そういう顔しても、駄目なものは駄目なのですー。いい?王候補で疑われているのは誰だと思う?あ、アタシはもちろん疑われているけど」
「この年に、成人になる人全て」
「そりゃ、そうだわ。まさか、王がこの年に成人するっていう情報を流しているのに、おじさんといえる程の歳の人間でした〜なんて、笑えちゃうよね。そこで、憶測する人間はこう思う、この年は“伝説の子供達”が成人する年でもあるってね」
「自分達ですか?」
「知っているか?城下町で、子供に歌われている童歌。ご丁寧に、我ら7人を童歌にしてくれた人間がいるな、しかも詩が上手い具合に我らの特徴を掴んでいる。いや〜、有名人は辛いねぇ〜。何も考えずに、変な伝説なんて残すのではなかったよ」
これ以上難しい話はごめんだ、と言わんばかりに、後半を茶化して笑った羅愛は背伸びをした。
「結局さ、じっとしていてもしていなくても、次期王候補は我ら7人だって疑っている人間が多いから、意味がひじょ~にないと思うんだよね。むしろ、今からアタシが慎重に行動すれば、城の者達が不気味がられるでしょう?」
「確かに…、道端に落ちている物を拾って食べて、食中毒になった挙句に悪い病気に罹ったと思われますね」
「なんじゃい、その酷い予測はっ!アタシは、拾い食いするような人間だと思われているの?さすがに、それはしないけど〜」
「昔3秒ルールと言って、落としたお菓子食べていた人は誰ですかね」
「それは、昔だ!しかも、3秒ルールは拾い食いではないぞ」
「知らない人から見れば、拾い食いですけどね」
「3秒ルール知らないって、ユタカ君くらいじゃないか」
「そんなのはどーでもいいことですが」
「いくないぞ」
まだ、反論しようとした羅愛を横目で睨み、黙らせたユタカは自分の意見を述べた。
「第8代目王が崩御なされた後、各地に散った義理兄弟が、この時期に向けて一斉に城へと集まってきま
す。この際に、邪魔者を始末しようと裏で動く者も出てきましょう」
その言葉に、時計の針が規則正しく動いている音しか聞こえない程、静寂が空間を支配した。
「ぷっははははははっ」
支配した静寂を破ったのは、腹を抱えるほど笑っている羅愛の笑い声だ。
笑い死ぬのではないか?という程、ゲラゲラ笑った後、急にピタリっと止んだ。
「おい、本気で言っているのかね?」
羅愛の普段の声色よりも低いトーンの声が、室内の空気を裂いた。
「本気で言っているのならば、ユタカはあいつ等の実力を忘れてしまったということになる」
鋭い声で、先程のユタカの発言を裂く。
「我々はそんな簡単に殺されるように教育されたか?我々は簡単に犬死するような教育をされたか?我々はひ弱なモノだったか?」
椅子から立ち上がり、机の周辺を迂回してユタカへと詰め寄る。
「ユタカ、過保護な考えもいい加減にしろ。我々、全員を甘く見るな」
「失礼致しました」
ユタカは床に片膝をつき、ひれ伏す。
「ただ、自分が言いたかったのは、貴方はあまりにも自由奔放すぎます。命かいくつあっても足りない
ほど、自分は気が気でないということを、どうか心に留めていてください」
・・
ユタカが少し目線を上げて自分の主人を見たときには、机の上に行儀悪く座ってシェシャネコの笑み
の如くニヤニヤとユタカを眺めている。
「何?それって告白?」
ぽんっと机の上から床に着地して、ユタカのそばに座って肩をぽんぽんっと叩く。
「なんで、そうなるのですか。私の話、聞いておりました?」
そうユタカが聞くと、羅愛は真剣な顔してこう答える。
「ユタカ君が心配性のあまりに、禿になりそうな感じの話し?それはそれは、とても恐ろしい」
「ハゲっ、人をからかうのを止めてください!」
「リラックスリラックス、あまり拳に力入れて握りすぎると肩凝るのだよね。わかっているよ、でもね、アタシが逃げるわけにはいかないじゃない」
一人だけ安全な場所へ隠れるのは、例え自分自身のことを世間が“影王”と言っていても、本当にそ
の名前通りに影に隠れていては、国のためにはならないのだ。