鬼神降誕−Xain Lucifert−


1 :wx3 :2007/05/18(金) 00:00:41 ID:rcoJsAtH

その時代。
数千年に渡る人類の歴史が……

――入力を確認しました。本システムを自動的にリロードします。なお、新たなログ
  インはこれ以降、不可能となります。新たな時代の幕開けには、恒久的人類の幸
  福を祈ります。……お幸せに。

終焉を迎えた。

――すまない。わたしが行うべき責務だった。君にこの罪を負わせるわたしを
  許し……。



それを決断したのは、たった一人の兵士。






カイン=ルシフェルト伍長に関する調査報告。

地球統合政府直下宙海軍。第七海兵隊師団スターメイカー所属。
第二次ボルド大戦中、偵察分隊にて哨戒、ボルドと遭遇。
ただ一人、戦闘離脱に成功し、ボルドの【アイスフィールド】突破を報告する。
数十時間後にボルド変異体が南極コロニーに到達。
人類の最後の激しい抵抗が続くも、数時間後、西暦3499年12月25日午前6時02分、人類は消滅した……。

――カイン、もうダメだ。俺の……俺の身体が侵ショクサレ……ル!

終わりを直感した。
それは死ではない。
我々、人類の定義が失われる瞬間である。

――まだ右手だけだ。すぐに右腕をさしだせ。

汚染された腕を引きちぎろうと、足をもごうとも。
それはやってくる、わたしの心に、肉体に、世界をとりまく禍々しき穢れが。

――中央はもう駄目だ。一番最初にヤツらがなだれ込んできやがった。今頃み
  んな……。

――バケモンに取り込まれちまってるってのかよ?

――い、いやだ! 俺はいやだ! あんなもんになりたくねぇ! あんなおぞましい
  もん……。

人として生きることの困難さに苦悩しようとも、人であることの喜びを、【彼】は教えてくれる。どれだけ自分が自分であることを呪おうとも、どれだけ自分が存在することに怒り、生きることへの憎しみの炎に焼かれようとも、その尊さを我々に伝えるために、【彼】はやってきた。
ならば、【かれ】は、何を伝えるために、何を望むために、生き抜こうとするのか。

――ヤツらを殺しつくすまで。

ただ、殺すために生きる青年がいる。
怒りと憎しみと悲しみだけで、血の海を渡り、身を切り裂く剣の道を裸足で歩き、それでもなお、その先にいる【彼】を殺すためだけに【かれ】は歩き続ける。

――これを……このディスクを……。

たとえ、自分の身もろとも宇宙を破壊しようとも。

――憶えているか?

最後の破滅は、その青年によってもたらされる。

――この俺を覚えているか?

想像を絶する巨大な火柱が銀河全体を覆い隠し、それが包み込む無数の太陽系、星々を呑み込んでいく。その炎は、あらゆる物質を焼き尽くし、数千年に渡って燃え盛り続けた。
爆発はあらゆる生命を巻き込んで、二つの悪、人類を滅ぼした青年とその物体を滅ぼしたのである。
……そのはずだった。

――かつてお前を殺した男だ。



1000年前――。
現代の地球。



――この子達は、わたしが守ります。あなたのような普通の人間には……。

冷たい鉄の塊が炎を吐き出し、熱を帯びる。
撃ち出される無数の鉛の弾丸が、雨のごとく魍魎たちの身に降り注ぎ、砕け散らせた。
噴出される血流が空を舞い、引きちぎられた肉片が飛び散る。

――あたしを前にして気が狂わない人間なんて、あなたが始めてよ。あなた、自覚があ
  るかどうかは知らないけど、そうとう狂ってる。ねえ、あなた、本当に人間?

――待ちなさい。あれはただの人間ではありません。まちな……。

引き金を引くのをためらうな。
まだ人間でいたいのなら……。

――ああいうのは慣れてる。まだ、まともなイキモノだ。

――あなた、何者なの?

――なあ、カイン、おまえ、時々、自分が人間だってこと忘れてないか? とりあえず、これでも観てみろよ。俺が『人間』を知るために最初に見た映画だ。タイトル?
 『十戒』さ。汝、殺すなかれ、だとよ。




人類滅亡後、宇宙を駆け巡る爆発の中、二つの絶対【悪】が過去へと遡り、新たな血戦が
巻き起こる。勝ち残るのは、どちらの悪か……。



『憶えているか? この俺を。かつてお前を殺したこの俺を。あのときの炎でもう
一度焼き殺してやる』






鬼神降誕−カイン=ルシフェルト−


 人類は、まもなく終焉を目にする……。


2 :wx3 :2007/05/18(金) 00:06:22 ID:rcoJsAtH

File 01:  ヒトであるが故に我は苦しみ

夜の帷が、空を包み込む。
世界を監視している月が、暗い影に覆い隠されていく。
広がっていく暗雲の片隅で、鳥が何羽か飛び去っていくのを見たが、それが本当に鳥だったのかどうか分からない。
ビルが建ち並ぶ通りの端に、人影を見たが、それが本当に人かどうかは分からない。
そこに異様といえるものなど、どこにもないにも関わらず、その時間、その街は別の顔を見せ、ずっと見下ろしているかのような錯覚を覚える。
我々が見てきた真実など、ほんの一元的なものの味方でしかないことを我々は本能で知る瞬間である。
生物が生物としてある基本的な能力。
自分の命を守るために最大限に働く感覚が、今は頭の奥で近づきつつある危機を予感させていた。
街の郊外にある旧工業地帯。
バブル期に急速に成長したある企業が、街の郊外にある広大な農地をそのまま買い上げて建築した工場群である。突発的にヒットしたある薬品を精製するための一連の複雑な工程をここでまかなうための都市型工業地帯であったが、まもなく、社長だった男が何者かに殺害され、その後に、その男が生前行っていた過去のきな臭い犯罪が暴かれ、会社の株は暴落した。むろん、ここで生成されていた薬品の売り上げも下落し、まもなく会社は倒産した。この広大な工業地帯もまた分割して売却されたが、なにかと曰くや噂が飛び交い、ほとんどの土地に買い手が着かずに現在まで放置されたままとなっている。今は廃れて錆びついたトタン屋根の建物が、すべての窓ガラスを割られたりラクガキをされたりしながらも、そのままの形で残り続けている。現代における忘れられた過去の遺跡であった。
しかし、こんなゴーストタウンのような場所ではあっても、物好きな人間が住んでいないわけでもない。
かつて、会社の事務管理を行っていた小さな薄汚く煤けたレンガ造りの、そう背の高いわけでもないビルが一件、この工業地帯の中心に建っている。
このビルをひとつ買った男が、現在は、小さな調査組織をそこで立ち上げている。



古びた室内には、明かりは灯されておらず、夜の闇が一帯を支配している。
事務所として使われていたビルというだけに、それほど大きなものではなくとも、人が一人住むには広すぎるくらいの室内において、懐古趣味といわざるを得ない古びた家具が無造作に設置されていた。
実にインテリアに凝った人間が住んでいるのかと思えば、壁にはコンクリートがむき出しになったままであり、そこには壁紙を張りなおすわけでもなく、絵画などを飾るふうでもない。ただ、ハリウッド俳優が映し出された映画のポスターだけは、ところどころに貼られており、時にはなんでもないモデルガンと思いきや、ファンであれば大金を投じてでも手に入れたい小道具など無造作に棚に置かれていたりする。
なんの飾り気もない裸電球が天井から吊るされており、いったいいつの時代のものかと思うほどの年代物の振り子のついた柱時計が壁の端に据え置かれている。そうかと思えば、カバーもされていない基盤がむき出しになったまま、様々なコードを繋げて独自の改造を施したかのようなデスクトップコンピュータがアンティークな丸テーブルに据え置かれ、その隣には、簡素な黒いパイプベッドが置かれている。
まったくインテリアとしてのセンスは、ほぼ皆無というべきだが、あえてこの状況をいうならば、中世のヨーロッパで生きていた人間が、現代まで生き続け、当時愛用していた家具とともにこのビルに移り住んできたといった感がした。
現在、一人の男が、エレベーターホールからフロアに入ってすぐの室内において、据え置かれた古びたソファで眠り続けている。
明かりもなく、静かな夜をそこで過ごしていた。
そんな時である。
ばきっという木材が砕け散る音が響き渡った。
暗く静かな夜に包まれた部屋で、突如、巻き起こった“変化”であった。
見ると、それは木製の古びたドアで、無造作に切り取られた新聞にマジックで乱暴にこう書かれていた。
『ドアは静かに開けること』。
現在、ドアの足元には大穴が開いており、そこからそれほど高そうには見えない皮靴覗いている。
その皮靴はすぐさま、引き戻され、ドアには穴だけが虚しく残された。
安物のスプリングが壊れたソファで寝込んでいた人物は、そんな状況などおかまいなしに新聞を顔の上にかぶせたまま眠り続けている。
そのうち、足をドアに突っ込ませた人間が、今度はノブを回してドアを開けようとするが、突然、端でドアを支えていた金具がはずれ、本格的に壊れてしまった。
砕け散るかのようにドアははずれ、壁にもたれかかるのを、静かに見据えていた来訪者は、どうでもいいような顔で中に入った。
黒いコートとスラックスに身を包んだ背の高い青年である。
黒髪であるところが日本人であるように思えるが、黒い丸淵眼鏡をかけており、顔つきがよく分からず、本当に日本人かどうかは判断しがたい。眼鏡の隙間から覗く肌は、異様に病的なまでに白い。硬く閉じられた口元から、青年の冷え冷えとした人格が伺えた。
恐らく、20代前半頃の青年である。
「ドアは開けるものだぜ」
眠っていたと思われた男が新聞の端から声を発して起き上がる。
年のころ20代後半。
黄金色に光る金髪。
繊細な内面を思わせる一見穏やかそうな青年である。
ヨーロッパ系白人男性だが、年齢は恐らく黒髪の青年よりやや年上に思われる。
流暢な日本語で彼は何気なく標語を語るような口調で言った。
青年は、黒いスーツを優雅に着こなし、洗練された身のこなしで、立ち上がった。
「だったら、ドアを直せよ。スンガ」
来訪者は、来ていた黒いコートを脱ぐと、傍らのコート掛けに吊るす。
するとコートの内側には、物々しいほどの黒い鉄の固まりが、青年の身体のいたるところに巻きつけられているのが見えた。
「いいんだよ。そのドアを見て普通の人間は入ろうとはしねぇからな」
少し悪びれたような笑みを浮かべながら新聞の下で眠っているように見えた男は起き上がった。
「ところで終わったのか?」
なにげなくそう聞きながら、起き上がった男は、ソファの前のテーブルに置かれたスコッチのボトルを開けた。
そのとき、スコッチの瓶の手前で、一丁の銃が無造作に置かれる。
「ああ」
べレッタと呼ばれる部類の自動小銃である。弾倉には、一発だけ消えていた。
それを確認すると、スンガと呼ばれた男は胸元で十字を切り、何かにむけて祈りをささげた。
「何をしているんだ?」
「お前には分からないかもしれねぇが、俺たちは例え敵であったとしても、殺した同族への敬意は失わない」
「……」
「まあいい。新しい仕事だ」
「スンガ、その前に言っておく。俺は……」
「ああ、分かってる。例のバケモンのことだろ?」
タバコに火をつけながら、スンガは軽く手を振った。
そして、古びたソファセットのテーブルには似つかわしくない高性能なノートパソコンを起動させる。
「カイン、おまえはいつもあのバケモンのこと考えてるのか? たまには息抜きして映画でも観に行ってこいよ。おまえが観ている現実よりは殺伐としてない現実が見られるぜ」
「映画じゃ、人間は滅んだりしない」
カインと呼ばれた黒髪の青年は、自分の身を包んでいたあらゆる武器や弾薬などを納めた大量のホルスターを外すと、それもコートの端に掛け、スンガと向かい合う位置のソファにゆっくりと座り込んだ。
「ま、あのバケモンを創ったのも人間だしな。俺たち一族も人間に滅ぼされかけている。要するに人間サマにゃ、敵わねぇってとこか?」
皮肉めいた笑みを浮かべて、スンガはノートパソコンのキーを叩き、何かのファイルを呼び出していた。
「その人間も同じ人間によって結局、滅ぼされるってのは……皮肉な話だよな」
「……」
カインは、スンガの言葉を気にするわけでもなく、脇に一つだけ吊るされたホルスターの銃を手にしてカートリッジを引き抜く。
「あったあった、こいつだ」
そういって、スンガは、ノートパソコンのモニターをカインの方に向ける。
そこに映し出されていたのは、どこか建物の屋上か窓からの高い位置から望遠レンズを使って撮影された何者かの横顔が写真である。
身なりのいい40代後半頃の少し小太りの男性が、高価なスーツに身を包み、通りの一端に立って、遠くどこかを見据えている。
「古河啓二(コガ=ケイジ)、ある信仰宗教団体の実質的トップだ。表向きはメンタルケアクリニックを装ってるが、実質は患者としてやってくる連中の臓器なり脳なり血なりをひっぺがして、別の【臓器】を移植して『何か』を創ってるイカれた儀式殺人専門の狂人集団だ」
実にのっぺりとした顔が画面上に映し出されている。
まるで、歪に創られた人間の顔の皮をかぶっているかのような男である。
「『何か』とは?」
「この事件を知ってるか?」
そういって、スンガは先ほどまで自分が顔の上に乗せていた新聞を手渡す。
そこには黒いマジックで囲まれた記事が眼に映る。
連続通り魔事件の続報を伝える内容である。
ずいぶん前に大きく報道された事件であるが、ほとんど証拠となる物品もなければ目撃証言もなく、遅々として捜査が進まない中、人々の関心が消え去り、現在のこじんまりとした記事へと収まっていた。
「街中の路地裏で、バラバラ死体が発見された事件か」
「それは新聞で公開された内容だ。実際にはバラバラという表現じゃ綺麗すぎるような状態だったのさ。まるで野犬にでも食い荒らされたみたいに『雑』な扱いだったらしいが、どういうわけか脳の摘出だけは、非常に神経質なまでに綺麗に切り取っていったってよ」
「珍しい話じゃないだろ。このへんじゃな」
「まあ、聞けよ。実はまだ報道されてないが、実は二日前にこの事件の犯人が捕まった。というより、捕獲された」
「新聞にはまだ出てない」
「できないのさ。見ろよ」
そのセリフを待っていたとばかりに、スンガは一枚のポラロイド写真を取り出した。
そこには、白い手術台のような場所に寝かされた死後数時間立っていると思われる紫色に変色した肌をした奇妙な生物が映し出されていた。
あちこち細かい傷跡からは、まだ赤黒い血が、今は凝固してどろりとした感覚を見せている。下半身には、そう大した傷跡はないが、上半身には無数の銃弾が貫いた痕が見えた。
傷跡の口径を見るに、拳銃だけではなく、マシンガンやショットガンなどの武器まで使用したのが見えた。傷の新しさからして、最終的には大口径シェルショットを用いてまでこの人物を殺そうとしたらしい。
普通の人間なら拳銃の弾丸数発で即死のはずが、こうまでして徹底的に肉体を破壊しようとした理由は、まもなく分かった。
首から上の頭部が異常そのものだった。
「なるほど……」
普通の人間の顔は、そこにはなく、まるで粘土を細長くひっぱりだしたかのような触手が伸びていた。
鼻や目や口のようなものはなくなっており、のっぺりとした肉の塊が伸びており、その先には、昆虫の複眼のようなものが二つ、今は青く光を失っていた。
さらにその複眼の端からは、昆虫の腕のように節立った外骨格に覆われた二本の腕があった。それは鋭く尖り、腕そのものがのこぎりのような形状をしている。
その両腕と複眼の間には、ぱっくりと縦に割れるような形で、口と呼べそうな鋭い牙に覆われた器官が存在した。
どうみても、これをただの人間と呼ぶことはできない。
「コイツの身につけていた服のポケットから、古河のクリニックの登録証のようなものが出てきた。どうだ? 人間のような怪物か。怪物のような人間か。どっちにせよ、興味があるだろ?」


3 :wx3 :2007/05/18(金) 00:13:33 ID:rcoJsAtH

File 02:  ミリアン・ローズ・ワルツ




火星独立戦争が勃発した当時から、いや、人類が火星への移住を開始したあの頃から、【ブラフマー】、【トラベラーズ】は、火星だけではなく、遠い宇宙への旅路に向けて歩み始めていたのかもしれない。
その歩みの先に何があったのか。
暗く冷たい宇宙の果てで、彼らは何を見たのか。
今はもはや知るものはいない。
一つ確かなことは、究極の【悪】が、人々の目覚めの過程から蠢き、覚醒の狼煙があがったと同時に、戦いは始まったのである。
二体の魔物。
二つの兵器。
そのぶつかり合いから弾け飛ぶ火花は、やがて世界を呑み込む劫火へと変わっていった。
街は燃え盛り、人々は焼かれ、生きとし生けるものすべてが、滅んだ未来において、片方の魔物は、もう片方の魔物とともに宇宙全体をも巻き込む爆発の渦の中に消えたはずだった。



だが現在、『彼』はまだ生きている。
ピーピーピー。
神経を逆撫でしようとしているかのように不快な電子音が響き渡り、青年は目覚めた。
現在の時間は、午前二時を回っている。
車のシートで少しの間目をつむっているだけのつもりだったが、いつのまにか本当に眠ってしまっていたらしい。
だが、そう長く眠っていたわけでもないようだ。
先ほど時間を見てから、まだ15分と経っていない。
夢を見るほど眠っていたにも関わらず。
「スンガ」
カインは電子音が鳴り響いていた携帯を手に取る。
『眠ってたのか?』
「少しな」
『珍しいな。お前は眠らないのかと思ってたぜ』
「早く情報をよこせよ」
『【ミリアン・ローズ】ってクラブに行け。そこのオーナーに会うんだ』
「分かった」
端的な会話ですべてを済ませると、カインはコートの内側の銃を手にする。
デザートイーグルAE50と呼ばれるこの自動小銃のカートリッジを引き抜き、弾丸を確認すると、再び、乾いた金属音を響かせて引き戻し、車のエンジンをかけた。



この世に神はいないかもしれない。
しかし、悪魔はいるはずだ。
誰かがそういった。
苦しみと絶望と憎しみ、そして怒り。
その声がこだまし、救いを求める手が、天に向けて突き出されようとも、そこにあるのは冷たく黴臭いコンクリートの天井しかない。
時折聞こえる水音は、コンクリートの間から染み出てくる汚水だが、それは、まるで誰かが流す涙のように思えた。
悲しみではなく、怒りと憎しみに滾ろうとも、どうすることもできずに、ただ呪い続ける涙の流れる音である。
そんな中、聞こえる叫び声は、まさに断末魔の叫びのように聞こえる。
しかし、彼らはそれを楽しんでいる。
冷たい現実の空気は針のように肌を刺すが、それらを忘れるために酒をあおり、快楽に身をゆだね、そして、脳の奥に得体の知れない科学物質を注入する。
恍惚とした無感覚の暗い回廊を歩き続けるアンデッドたちは、死へと向かいながらも激しく不気味に打ちつける心臓の音に耳を傾け、滑稽な踊りを踊っていた。
【ミリアン・ローズ】の店である。
蒼白い人工の閃光が、闇を飛び交い、耳を破壊するかのような暴力的騒音が、店中に響き渡り、それに合わせて溢れかえらんばかりの客たちが、蠢いている。
そんな中、黒いコート姿の背の高い青年が一人、カウンター席に向かって静かに歩いていく。踊るわけでもなければ、ほかの客のように笑い転げながら怪しげな煙を吸うふうでもなく、一番まともに見えることがまとめでない人間であるかのように、そこでは異様さを現している。
ほかの客たちも、いずれ彼の存在に違和感を覚え始め、彼が歩く先に道が出来ていく。
その先には、カウンター席に座る一人の女性の姿があった。
黒い亜シンメトリーのドレープスカートに、少しサイズが大きすぎる感がある白いブラウスをだらりと着こなしている。
数え切れないほどのベルドが組み合わされ、太ももまで届く黒いエナメル製のロングブーツをはいた長い足を組み、宙をぶらりと吊るしていた。
ストレートの長い黒髪は今、静かに酒を呷っている。
カインは、そんな彼女の背後に立った。
「あら、早いのね」
黒髪の女性は、背後を振り返るわけでもなく、まるで後ろが見えているかのように、何気なく言った。
「スンガから連絡を受けた。依頼人のミリアンだな」
その名を呼ばれたとき、彼女は初めて、カインの方に向き直った。
赤い液体の満たされたグラスを持つ彼女の瞳は赤く、唇はそれ以上に鮮やかに赤く濡れていた。
年齢10代後半頃に見えるが、その瞳の奥に見える鈍くどろりと歪んだ気配は、とても10代20代の女性とはとても思えないものだった。
豊満でバランスの取れた美しい肢体を持ち、深い栗色の豊かで少し癖の入った髪が肩に触れる程の長さでまとまっている。濁った灰色の瞳の奥には、とても十代とは思えないどろりと歪んだ挑発的な欲望が見え隠れする。
魔性を帯びた艶やかさの奥に光る危険な殺意を感じずにはいられないが、それでもどうしようもなくこの女性に惹かれる何かがあった。
彼女は最初、カインを見たとき、少し驚いたような表情を見せたが、すぐにくすくすと笑いながら興味深そうに見つめてきた。
「驚いたわ。あなた、人間……? いえ、人間じゃないのかしら? いったい何者?」
カインの瞳の奥をまっすぐに見つめ、まるでその奥の彼の真実を見透かそうとするかのように彼女はその瞳を覗き込む。
しかし、それでも彼女は何かひとつ釈然としない不可解さを覚えているようだった。
そのことがさらに彼女の興味を誘っている。
「仕事の話をしにきたんだ」
「スンガの紹介なら信用はできるようだけど、いかにもあなたは人間だわ」
「いやなら他をあたるか?」
そういって、彼女に背を向けようとしたとき、彼と彼女を取り囲んでいた店の客たちのうち、数人がカインに飛び掛った。
スキンヘッドの大男の異様に膨張した腕がカインの首に掴みかかろうとするが、それは直前になって、何か爆発物を仕込まれたかのように、一瞬にして爆散した。
肩から下が、引きちぎられたかのように消失し、そこから滝のように血が噴出す。
大男は叫び声を上げながらその場に倒れこみ、その男の血流に理性を失ったほかの客たちが、一気に瞳の色を死人のように真っ白に染め、口から赤い血をたらして獣と化す。そして大男に飛び掛って、その血をすすり始めた。
そうかと思えば、他の何人かが新たなにカインに向かって襲い掛かる。
そんな何人かに向けて、今度はコートの内側から黒く短い棒のようなものを突き出したかと思うと、その先端が突如、火を噴く。
スパス12と呼ばれるショットガンの12ゲージシェルショットの榴弾が、獣数体の身を一挙に肉の塊へと変貌させた。さらにいつの間にかもう片方の手にデザートイーグルを構えていたカインは、反対側から襲ってくる獣の脳天に向けて、なんの躊躇いもなく引き金をひく。ばしゃっという水音とともに、赤いどろりとした流動物が噴出された。
さらに、吹抜けの二階フロアからも飛び降りてきた獣たちだったが、そのまま、スパスの餌食とかし、その射撃の隙をついて襲い掛かってきた獣たちは、体勢をくるりと反転させたカインの袈裟蹴りによって顎を砕き弾き飛ばした。
とても常人とは思えない身軽さと洗練された体術によって、獣たちをさばいていく。
その時だった。
「やめなさいっ」
店中に響き渡る声で、ミリアンは叫んだ。
とたんに、店中の音楽が止み、獣たちは彼女の方を怯えるような目で見返して、その場に硬直する。
彼女はそんな獣たちを不愉快に睨みつけながら両腕を組んでいた。
「しょせん、下等なサルは変わらないわね。意地汚くて品位のかけらもない」
そういうと、彼女はゆっくりと獣たちの間を通っていく。
その彼女の前に道は開け、やがて、最初にカインに襲い掛かった大男の前に立つ。
男は今も床に倒れこみ、失くした片腕の傷の断面を抑えて、息を弱めていた。
何体かの獣に食われたのだろうか。
先ほどまで肩から下が千切れたようになっていたが、今は、首から下までを失っている。
その様子を氷のように冷めた目で見下ろす彼女は、腕を組んだまま、やがて、ロングブーツの踵を大男の眉間にあてがうと、最後に一言呟いた。
「あたしの店を汚して……」
そういうと、彼女は何の躊躇いもなく、大男の頭部をぐしゃりと踏み潰した。
黒いロングブーツがわずかに血を帯び、それをいささか不快そうに瞳を細めた彼女は、やがて、カインに向き直る。
「ごめんなさい。カイン=ルシフェルト。あたしの飼ってるケダモノは、意地汚くて血を見るとじっとしていられないのよ。これでもいつもちゃんと調教しているはずなのだけれど。どうしてかしらね」
そういって、微笑む彼女の表情に、先ほどの険しさはすでになく、不気味なほど無邪気な笑みが浮かんでいた。
「人間を喰うのはバケモノどもだが、バケモノを喰うのはいつもバケモノさ」
「古河啓二のおかげで、最近は、新鮮な食材が集まりにくくなっているのよ。あなたも見たでしょう? わざわざ、あんなモノに変えるなんて……。高級ワインをわざわざ安物ビンテージに変えるようなものよ」
そういって、彼女は赤い液体の満たされたグラスを手にする。
それは一見、赤ワインのようにも見えるが……。
「おまえたちの事情など俺の知ったことじゃない。情報をよこせ」
「ふふふ、噂通りね。魔族も妖魔も殺しつくす鋼の凶器。だけど、魔族にも妖魔にも興味なく、殺したいのは別の何か……。あなた、あたしの前に立ってずいぶん経つのに、一向に正気を失わないのね。それとももうとっくに狂っているのかしら?」
「……」
挑戦的な鋭い瞳で妖しく笑いながら、彼女は腕を組み、ひたすらこの興味の対象の内面を探ろうとしているかのようだった。
そんな彼女の周囲の空間が歪んでいるのではないかと思うほどに、彼女から放たれる邪悪で狂いきった波動は、常人の意識を狂気に駆り立てる。
「でもあたしは狂人は好きよ。ユーモアや個性は大事ですからね。古河啓二もあたしの邪魔さえしなければ好みのタイプだったのかもしれないわ。ただし、やり方に芸術性を感じないけれど」
「こいつに何を『植えつけた』なんだ?」
カインは彼女の言葉から、スンガから受け取った写真を見せた。
例の頭から先が触手のように伸びた化け物の写真である。
「あたしたち魔族の中には、気に入った者に自分の血や肉や骨を与えることがあるわ。時には臓器さえね。そうやって、ある意味では一心同体となって生きるのよ。もっとも、与える側は何も変わらない。与えられた側が肉体的に変質するのよ。時には精神的にもね」
「おまえの創ったアンデッドか?」
「人形といってちょうだい。ただね。与えた側の生命力が弱っていると、時々、不完全な変質を起すことがあるわ。この化け物の場合、内臓まで与えられたようだけど、細胞そのものが弱っていたために、途中で細胞融解が起こったんでしょうね。でも、驚異的な生命力が増殖を望み続けて、こんな中途半端な化け物に変わったんだわ。でなければ、この程度の弾丸を打ち込まれた程度で死なないものよ」
カインは彼女の言葉を聞きながら、化け物の死骸が映った写真を見据える。
見た限りでも『この程度』といえる銃創ではない。
普通の人間なら、まさに『肉片』と化すほどの弾丸を浴びている。
傷の口径を見るに、マグナム弾を使用した痕跡まであった。
しかし、それでも数十発のそれを受けて、ようやくこの物体は死亡している。
「こいつに内臓を与えた大本の化け物は、今、弱っているのか?」
「あるいは眠っている。それをどこかの誰かが、肉や内臓を削ぎとって他の生きた人間の肉体に移殖しているのよ」
「古河啓二か」
「彼が人間か妖魔かは分からないけど、あまりセンスがいいとは思えないわ。こんなやつにあたしのシェアまで邪魔されたんじゃ、不愉快じゃない?」
彼女は両腕を組み、やや眉を寄せた。
「古河はどこにいる」
「【アーリントン医科大学付属病院】よ」
「そこで何をしているんだ」
「分からないわ。彼のラボは、特に厳重なセキュリティーで保護されている」
その一言を聞いてすぐに、カインはミリアンに背を向けた。
そんな彼にびくりと反応するアンデッドたちだったが、もはや、彼に襲いかかろうとする意志はなかった。
ミリアンは、アンデッドたちに目配せし、それに反応してカインに道を譲っていく。
「カイン」
彼女は何かを思い出したかのように彼の名を呼んだ。
しかし、カインはそれに振り返ろうとすることもなく、「なんだ」と一言だけ言った。
「あなたが死んだら、その肉を食べてもいい? 本当なら生きたままがいいんだけど、そうもいかないでしょうから」
そんな彼女に、カインはドアを抜ける直前に言い残した。
「俺が死ぬときは、ヤツらを殺し尽くしたときだ」


4 :wx3 :2007/05/18(金) 00:21:54 ID:rcoJsAtH

File 03:  ブラッディ・マリー




暗い。
朝と昼の時間が徐々に短く感じ、かわりに夜が長引いているのではないかと思う。
長い時間をかけて、この宇宙にこの惑星が生じた頃より、この二つの存在は対立してきた。
太陽ではなく、月が世界を支配しようとしている。
夜の時代が、優勢になりつつあるということが、果たして何を意味しているのか。
街を歩けば、廃れたスラムの角で、盲目の老人が呟く。
『死人が墓場から甦り、羊たちは沈黙する。腐った土から這い出るそれが、月の光を浴びて大地に長い影を落とす。血の匂いのする風は寂しく吹き、いつのまにか大地は沈黙する。その時は近い』
それを暗示するかのように、どこまでも続く灰色のハイウェイを照らす光は頼りなく、その先を見通すことはできない。
そこから覗く都市の一望は、まるで全世界の人間すべての死を示す墓標のようにのっぺりと建つビル群が、不気味にそそりたっていた。
『カイン、こっちは一段落つきそうだ。ガゼルの婆様を言いくるめるのにかなり苦労したぜ。そっちはどうだ? ミリアンの一味は、上得意なんだ。ちゃんと『お行儀』よくしてたんだろうな?』
「ちょっと『挨拶』しただけさ。古河の居場所について聞き出してきた。【アーリントン医科大学】に引き込んでるらしい」
カインを乗せたシルバーのビートルは、月の光を反射して現在、ハイウェイを東に向けて走っていた。その中で、携帯電話を片手にハンドルを握りながら話す。
すると、電話の向こうで、ほうっという一声が聞こえた。
「知ってるのか?」
『俺たちヴァンパイアが、同族にした元人間の根城だ。生粋のヴァンパイアたちに輸血用の血液の横流しをしている。ところが、どうも、最近、横流しされている血液にちょっとした問題が多く発生していてね』
「問題?」
『セロトニンという快楽物質が異常に多く含まれてる。俺たちヴァンパイアにとって、このセロトニンってやつは人間以上に強力な麻薬そのものなのさ。薬でこいつが異常に分泌された人間を喰うと、時として気がふれちまうヤツがいる。まぬけな連中だ』
身内の問題にもかかわらず、スンガの語り口調は実に軽快だった。
まるで、他人事であるかのように彼は語る。
「同族には敬意を払うのが御立派なヴァンパイアなんだろう?」
『こいつもお前には理解できないだろうが、俺たちは、『食事』には独自のこだわりを持つ。冷凍保存されたまずい血や肉なんかに満足してみろ? まるで、人間どもみたいじゃないか』
「お前たちヴァンパイアも近代化が進んだってことだろ」
『カイン、俺たちは、誇り高き種族だ。たとえ、人間の文明の影に生きることになろうとも俺たちの生き方は、やはりヴァンパイアだぜ』
「分かったよ、お前の『農場』は御立派だ。『添加物』にあたった間抜けどもとは違うんだろ? その立派な『農場』に一時間後に使いをよこしてくれ。ガゼルの婆様からの品物を受け取りたい」
『分かった。マリィを寄越す。一時間後に』
そう言った後、携帯の連絡は途切れる。
カインは、携帯を助手席に放り投げると、その片方の手をハンドルに沿わせて呟いた。
「……ブラッディ=マリィか」









そのビルは、街の中心に建つ最も背の高い建造物だった。
周囲を墓標のように取り囲む直方体の建造物がある中で、そのビルは、ほんの少しだけ両側面にでっぱりのごとく突き出しているフロアがあり、さながらそれは、十字架のように見えなくもない。
ただし、構造的にもその出っ張りの部分に人が行き来できるほどのスペースがあるわけでもなく、何かの簡単な倉庫のような部分か、さもなくば、なんでもない意味のないでっぱりなのかもしれない。
屋上には大型ヘリを着陸させることができるヘリポートが建造されており、ちょうど今まさに着陸したばかりのヘリが、今だ、プロペラを回転させたまま機能を停止させようとしていた。
そんなヘリから、十数人もの黒いスーツに身を包んだ強襲部隊が、訓練された足運びでライフルを構えて降り立つ。
その彼らのあとから、ゆっくりとした足取りで降りた一人の女性がいた。
年齢20代前半頃で、他の強襲部隊の隊員たちとは違い、紺色のスーツ姿である。
手にはクリップボードとアタッシュケースを持ち、細身の眼鏡をかけた姿は、理知的であり、理性的で怜悧な女性のように思われた。
女性は長い黒髪を、後ろで丸く束ねているだけで、あまり飾り気のない井出たちをしていたが、その透き通るようで雪のような白い肌や、ほっそりとしているが、慎ましやかなスーツ姿の上からでも分かるほどの豊満な肢体を持ち合わせている。
加えて、眼鏡の奥、漆黒の瞳は、常に落ち着き払った静けさとその内に秘める芯の強さが伺えた。そんな彼女を出迎えたやや小太りの中年の男が、ローターが巻き上げる強風を手で制しながら彼女を捉える。女性と違って、くたびれた既製品のスーツ姿で、茶色く色あせたコートを着ている。
その渋い表情は、あからさまに女性を歓迎していないことが伺えた。
「警視庁刑事部の捜査一課がウチになんのようですかな」
ローター音と激しい暴風の中で、ただ普通に会話しようと思えば、大きく声をあげて叫ばなければいけない。しかし、男と違って女性はそれほど大きく声を張り上げなくとも、声が響き渡った。
「御心配なく。あなた方の管轄を奪いにきたわけではありません」
中年の男の反応をあらかじめ予測していたかのように、女性は端的に答えると、彼女に続いて下りてきた何人かの黒いスーツ姿の男たちに目配せした。
男たちは、彼女に一例すると、すぐさま備え付けのエレベーターの方へと進んでいく。
そんな彼らを見回してから、改めて中年の男は女性を見返した。
女性は、そんな男に対して、クリップボードに挟んであった一枚の写真と共に、ある書類を手渡す。
「わたしが追っているのはこの男です」
「見ない顔だ」
男は数秒間、写真を眺めてから詳しい調査資料を見る。
ほとんどの項目で、不明という文字が並んでいた。
ゆえに結果的に男は女性に聞くしかなかった。
「何者なのかね、初音管理官」
男が女性にそう聞きながら顔を上げたときには、女性は捜査スタッフを引き連れて男の前を通り過ぎようとしていた。
そして、またもや男の問いかけを予測していたかのように即答する。
「まだ分からないわ」
「……」
男は呆れたわけでも、妙に感心する風でもなく、大きく小首をかしげ、女性のあとをゆっくりと追った。






ビル内では、すでにそれは完成しつつあった。
何十人もの捜査員が動員され、署内のあるフロアを完全に占領してしまっていた。
元々の所轄の署員たちは、それまでなかった物々しさに圧倒され、きびきびと動いていく彼らをあっけにとられながら見ていた。
それを厳しい表情で眺めていたのは、さきほど女性と共にヘリポートから下りてきた男である。
忙しない動作であちこちを歩き回り、重そうなダンボールを運んでいく人間がいる一方で、別のフロアでは、まるで軍隊のような強襲部隊の一段が、会議室を陣取り、何かの地図を広げてブリーフィングを行っているのがガラス張りの壁越しに見受けられた。
そうかと思えば、私服組は、ダンボールから取り出したコンピュータと電話回線の設置に忙しいらしく、また、すでになんらかの捜査方針を固めるべく幹部と見受けられる連中は、即席のテーブルを並べて書類を手にして何かを話し合っている。
そんな中、立ち上がってホワイトボードの傍ら、指導的立場で喋る先ほどの女性の姿があった。
「なんなんですか? あの連中は」
通りすがりの、やはりこの物々しさに圧倒された制服警官の一人が、男に尋ねる。
「警視庁から派遣された特別捜査チームだ。追っているホシに関しては極秘らしい」
「……なんか物々しいですね……」
警官がそういうのも無理のない話である。
かつてこの署で、これほどまでに大々的に捜査本部が設立されたことはなく、凶悪事件といえば、30年前に一度だけ起こった通り魔殺人くらいのもので、最近、また新たなに通り魔が発生するまでは、それこそ万引きくらいの犯罪しか起こったためしがない。
田舎というわけではないが、大都市というほどの都会でもなく、十数年前から開発が進みはじめたそこそこの商業地と工業地、それに群がる住宅街が広がっているというニュータウンである。
しかし、ここ最近、この街で起こりつつある異常な事態に関して、署内の警官たちも何かを感じていなかったわけでもないのが実状である。
ここ数ヶ月、いや、数年前から、奇妙な事件が多発するようになっていた。
最初は、空にUFOを見たという証言から、宇宙人と遭遇したという話が住民の間で出始め、それに群がる全国のUFO信者が、街に多く出入りし始めたせいか、軽微な犯罪が増えるようになった。
そのうち、そのUFO目撃証言に目をつけた怪しげな信仰宗教団体が根城を築くようになったかと思えば、今度のあの凄惨な通り魔殺人事件の発生である。
被害者の状況に関して、とても報道できるような状態ではなく、検死官ですら吐くほどの惨状が連続で起こった。
そこにきて、夜になると街を死人が歩いているだの、化け物が夜になるとスラムのどこかで人間を喰らっているだのの通報が多発しはじめた。この世の終わりを説いて回る狂信的ロックバンドが街のライブハウスで観客ともども集団自殺を図る事件が発生したのは、つい先週のことである。
そんな中、突如、警視庁の方から一切の詳細を説明されることなく、いきなり特別捜査チームが派遣されたのである。
まるで軍隊のような強襲部隊とともにやってきたのは、完全に外界と遮断された宇宙服のようなものを着て、人間一人を包み込めるようなカプセルのようなものと何に使うのかも分からない精密機械をいくつも運び込んできた奇妙な連中の姿であった。
何か異常な事態が発生しているのではないかと思わずにはいられない。
この宇宙服集団と強襲部隊、そして専任の捜査チームは、これから二日かけて、このなんの変哲もないのどかな街の警察署に輸送ヘリで送られてくることとなる。






一方、その頃、カイン=ルシフェルトを乗せたシルバーのビートルは、ハイウェイを下り、都市の中心へと向かうセントラルストリートを走っていた。
建ち並ぶビルは、重々しく彼を乗せた車を見下ろしている。
通りには、煌く街灯とひしめくネオンが、これからやってくる夜の時代の到来に歓喜しているようだった。
道路は渋滞しているわけではないが、深夜にもかかわらず、ずいぶんな交通量である。
沿道にはスーツ姿のビジネスマンの姿も多く見られるが、パンク系の奇抜なファッションで歩く若者の姿もあった。中には、角の電話ボックス寄り添うようにして立つ娼婦の姿もある。スラム化しつつある都市の一面が伺えた。
大半の人間が、まるで死人のように生気の感じられない目で月を仰ぎ、ゆらゆらと歩いていく様子は、確かに、死人が甦り、街を歩いているように見えなくもなかった。
やがてカインは、大通りの脇にある細い路地裏へと車を進入させる。
ほとんど、車一台半くらいしかはいらない通路で、切れかけの白い街灯が、ぽつぽつと立っている程度の明るさしかない。
道路には、ごみくずが風に乗って滑っていく様が見え、あちこちにゴミ用のバケツやら廃車が打ち捨てられているのが見える。
ほとんど人影といえるほどの人影はないが、時折、物陰から車のライトに驚いて出てくる怪しげな人間が、顔を隠して出てくることがあった。
恐らく、麻薬のブローカーである。
彼らが立ち去ったあとのゴーストタウンのような通りを10分ほど車で通っていくと、やがて、あるビルの裏側へと行き当たる。
カインとスンガの事務所が置かれている街のはずれにある工業団地のビルと比べても引けをとらないほどの汚らしいビルである。
一ブロック反対側には、近代的なオフィスビルが建ち並ぶ中にあって、こちら側には、ほぼ旧世代のレンガ造りのビルが軒を並べているが、その中にあっても、一番のボロビルではないかと思われる。
「……」
カインは、そのビルの裏側に車を停め、外に下りると、コートの裾を翻して、ビルの裏口に立つ。
入り口には、前時代的なネオンチューブで書かれた看板が、時折、パチパチと火花を散らして吊るされていた。
『DEVIL MAY CRY』
そう書かれた入り口の古ぼけていて、煤けた木製のドアの前に立ち、彼は錆びかけたドアノックを打ち鳴らした。
ゴン、ゴン、ゴン、という重苦しい音が、寒々としたその場に響き渡る。
とても、人が中にいるとは思えないほどの寂れたビルの入り口付近において、その音はいかにも虚しく轟いたが、ほどなくして、ガチャリというドアの鍵が開けられた。
「カインかい?」
中から顔を出したのは、いかにもアジア系と思われる茶色地に赤や青の文様が描かれた独特の布地を何枚もあわせた奇妙な服を着ている老婆だった。
カインの背丈の半分ほどもなく、遠くから見れば老婆はまるで子供のように見えたが、その爛れたかのような皮膚のしわを見れば、老婆の年齢は軽く100歳を越えているように思われる。
頭部と胴体のバランスが悪く、異様に頭部が大きい。
老婆は、特に化粧などをしているようには見えないが、唇だけは鮮やかな朱色を称えている。そのことが不気味に映った。また、右目は蒼く輝いていえるが、左目は瞳孔がなくなっており、眼球全体が血の色のように赤く染まっていた。視力が残っているようには思えない。とてもではないが、初対面で老婆を顔をあわせた人間の大半は、まず平静ではいられないだろう。それほど、不気味な老婆の顔立ちであるが、それが笑うとさらに背筋が凍るほどの悪寒を覚える。
今、老婆は、カインに対してそういう表情をしていた。
「急がせて悪いが、頼んでいたものを受け取りにきた」
平静とした表情のまま、カインは老婆に一言そういう。
「スンガから連絡は受けているよ、入りな」
服の端から葉巻を取り出した老婆は、糸のひく口に咥え、カインを中へと誘った。
「さっき、マリィがきて、【農場】の方にアレは持ってっちまったよ」
「分かっている」
老婆の仕事場といったところだろうが、この現代にあって、中世ヨーロッパの拷問部屋のごとく、むき出しのコンクリート壁で囲まれた室内には、針を仕込まれた高速椅子やら、中に無数の針を仕込んだ人形『鉄の処女』やら、さらし台やらが置かれている。
そうかと思えば、さまざまな形状をした巨大な刃物がところ狭しと壁を飾っていた。
それらすべてが単なる悪趣味な装飾品などではなく、ある程度の使用頻度が見込まれる古さが滲み出ていることに驚愕を覚えるが、カインはそんなことを気にする様子でもなく、乱雑に工具が並べられた奥の木製デスクに座る老婆を見据えた。
「欲しいのはアレに装填する弾丸だ。通常弾や9ミリじゃ心もとないんでね」
その一言に、老婆は可笑しそうにけらけらと笑う。
「お前さんの戦い方じゃ、弾丸がなんであろうと、相手が化け物だろうと、とにかくブチ込めばいいってもんなんじゃないのかね? 弾丸なんてこれまで注文つけたためしもない。あたしが選んでやったやつで十分満足しとったろうに?」
タバコから煙を吐き出しながら、老婆は見えないであろう赤い瞳を、ぼこぼこという音を響かせながらカインに向けた。
「今度の相手は、そのへんの化け物どもとは違うかもしれない」
「……ほう?」
老婆は可笑しそうにけらけらと笑い、タバコをまた咥えなおす。
「それともう一つ。例の【剣】を」
老婆の笑みが、そこで消えた。
咥えたタバコの火だけが静かにその場をたゆとう。
しばらく、笑みの消えた赤い瞳が、カインを捉えていた。
「スンガが許すとは思えないねぇ。【ガン・オブ・ザ・クレイジー】をあんたに渡すのだってずいぶん渋ってたんだよ? 歯止めが利かなくなるってね」
「前金で18000払う。残りはモノを受け取って仕事を終えてからだ。スンガがどうかしたか?」
「【剣】なら奥の金庫だ。666の番号、パスワードは【DEATH SCYTHE】」
先ほどの渋りようとは打って変った老婆のはっきりした口調だった。
カインは、そんな老婆の横を擦り抜け、奥の狭い倉庫のような部屋へと入っていく。
そこは、老婆と話していた室内よりもさらに暗い印象があった。
カインは、慣れた様子で暗闇から室内に入ってすぐの壁越しスイッチを見つけ出し、点灯する。すると、無骨で単純な鉄製パイプを組み合わせただけの棚が、室内を所狭しと埋め尽くし、さらに壁越しには、何十丁ものライフルやらマシンガン、マガジンカートリッジから防弾服などの類がかけられ、棚には壁にかえられないほどの数の拳銃が様々な製造元ごとにきちんと整理されて収納されていた。また手榴弾や弾薬やそのほかのサバイバルツールなども用意されており、まるで戦争でも始めようとしているかのような物々しさがそこにはあった。
そんな中、一番奥の棚には、なにやら金属製の金庫がずらりと並んでいるのが見える。
机の引き出しくらいの大きさの金庫もあれば、縦長のロッカーのような金庫など、大きさごとに金庫は整理されて設置されていた。
それぞれに番号が振られており、電子キーロックで厳重に保管されている。
現在、すべての金庫のロックランプが赤色を示していた。
そんな中、カインはロッカー型の666番の金庫を見つけ出すと、手早くキーを打ち込む。
ぴん、という小気味良い音とともにランプがグリーンを示した。
すると、ぷしゅー、と空気の抜けるような音ともに、ぞくりとするほどの白い冷気が内側から漏れ出す。
どうやら完全密閉した状態で冷凍保存されていたらしい。
中から出てきたのは、金属なのか合成プラスチックなのかまったく素材が分からない黒い物質で出来た奇妙な機械のアタッシュケースである。
そのケース自体にも厳重なロックがかけられているらしく、同じような電子ロックが側面に設置されていた。
ケースの表面には、何かは分からないが科学記号のような、それでいて何かのエンブレムのような奇妙な印が刻印されている。
「……」
カインは、それを持ち上げて、その重さを確認すると、黙って金庫を閉じると、部屋を後にした。
外では、それまでにない少し緊張した面持ちの老婆がカインを待っていた。
「いいかい、そいつは化け物が扱うにしても危険すぎる武器だ。アンタじゃ、もっとつらいよ」
「そういう武器が、俺の戦いにはちょうどいい」
「けっ、思い出したよ。『人間』って化け物もいたね」
そんな老婆の言葉を背に受け、カインはその場を後にした。







「時間通りだな。だが、お前にしちゃ、少し遅い気がするが。いつも15分前にはすでに到着してるじゃねぇか?」
地下駐車場の一角で、すでに到着して待っていた何人もの黒服連中を引き連れたスンガが、同じく黒い高級スーツにコートを羽織った姿で現われた。
その様子は、さながらマフィアのボスのような井出達だった。
もっとも、その比喩は当たらずとも遠からずである。
黒服連中の中に一人だけ、時代錯誤なほどにメイドよろしく使用人服を着た一人の少女をすぐ後ろに連れていた。
年の頃、10代後半ころで、死人のように白い肌をしており、髪は銀色に染まっている。
地味目のボブカットだが、理知的な少女の面持ちにはよく似合っている。
メイドという立場ではあるが、着る服を変えれば、良家の令嬢といっても通りそうほどに物腰に気品が漂う。
少女は、ほっそりとしたその身には酷に思えるほどに大きめの黒いケースを手にしていた。
黒服の男たちは、少女とスンガを囲んで守るようにして立っている。
「ちょっと寄り道をした。例のものは?」
ビートルの助手席のすぐ下に、ガゼルから受け取ったアタッシュケースを隠し、降りた彼は、何事もなかった顔で問いかける。
「……」
「お久しぶりです、カイン様。お求めの品はこちらに……」
スンガは後ろの少女に目配せをすると、少女はまるで人形の見せる作り笑いのような笑顔を浮かべて、手にしていたケースを持ち上げ、ゆっくりとケースを開けて見せた。
そこには、片手で持つには少し大きすぎる感のある一丁の黒い拳銃が納められていた。
いや、拳銃なのだろうか。
およそ現代のいかなる国の兵器産業を見ても、こんな型の銃は存在しない。
強いていえば、グロッグとデザートイーグルを合わせたようなモデルだが、銃口付近の四つの角にグリーンの小型ライトのようなものが設置されており、銃口直下の部位には、奇妙なわずかな出っ張りがあり、それが銃口から発せられる弾丸になんらかの影響を与えようとしているかのようなパーツがあった。さらに銃身のフレームには、それを覆いつくそうとする装甲版のようなものが貼り付けられており、フレームとその装甲版の内側を何か奇妙な電子コードがひしめき合っているように思われた。
実に未来的なデザインである。
しかし、そうかと思えば、グリップ部分には黒いラバーグリップが装着されており、そこには、十字架に絡みつく髑髏の様子が描かれたゴシック調のエンブレムのようなものが刻印されている。さらに反対側には、逆十字の紋章が描かれている。
「【ザ・ガン・オブ・ザ・クレイジー】……。お前にこれを渡すことがどういうことか……。
俺もある程度の覚悟はしてるがな……。だからってあんまり無茶するんじゃねぇぞ」
「これ以上強力な武器はないんだな」
カインはそういって、少女の持つケースから銃を取り出すと、軽くそれを片手で構え、照準を確かめる。
そんなカインを見て、スンガは心底呆れた様子で溜息をついた。
「お前なぁ、核弾頭でも持って来いってのか?」
「それはもう試した」
カインは、スンガの耳に届くか届かないかの小さな声で呟いた。
そんなカインの呟きなど聞こえないスンガは、そのままカインの問いかけに答える。
「とにかく、そいつは『お前』が持つことで最強の武器になるだろうよ。最凶って意味でもあるだろうけどな」
「分かった。ありがとう」
そういって、カインは再び銃をケースに直すと、少女はそれに合わせてケースを閉じた。
それからカインは、着ている黒いコートの内側からデザートイーグルを納めているホルスターごと外し、少女に手渡した。
少女はそれを受け取るのと同時にケースをカインに渡す。
「カイン様の銃は大切に預からせていただきます」
少女は屈託のない無垢な笑顔で、本当に大切そうに両手でカインの銃を受け取った。
それに小さく頷いたカインは、そのままスンガたちに背を向けて車へと戻っていく。
そんなカインの背に、スンガは言った。
「カイン、今回、【アーリントン医科大学】の方には俺も探りを入れてみよう。どういうわけか身内が絡み始めているようだからな」
「情報が入ったら、こっちにも連絡をまわしてくれ」
車に乗り込む直前、カインはそう告げた。
「分かっている」
荒い運転操作でターンする車を見つめながら、スンガは呟いた。
その隣に立つ少女、マリィは、相変わらずの笑顔でそれを見送っていた。


5 :wx3 :2007/05/18(金) 01:22:26 ID:rcoJsAtH

File 04:  回想記録 The Gun Of The Crazy(前篇)

回想編:THE GUN OF THE CRAZY(前編)






ああ 母よ 聞こえるだろうか わたしのこえが 崇高なる大地の神よ

聞こえるだろうか わたしの歌声が 風のざわめきが



昼に曇り

夜に雨降ろうとも

母よ やがてくる朝に あなたが

限りない光を与えてくれる



ああ 母よ 崇高なる大地の神よ

わたしは あなたに歌をささげよう



いつか眠るそのときまで……。






火星連合共和国
第17区域 スラムの民謡にて。 


6 :wx3 :2007/05/18(金) 01:32:35 ID:rcoJsAtH

File 05:  回想記録 The Gun Of The Crazy(中篇)

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【人類消滅に関する段階的記述】に関連するこれまでのログを開きます。








2035年、惑星移民船団構想発表。
2049年、火星コロニー建設。
2051年、月面市街完成。
2054年、地球総人口100憶突破。
2060年、人類統一国家統合政府樹立。
2061年、宇宙移民化計画発表。【トラベラーズ】結成。反対組織による地域紛争勃
      発。
2063年、人類統合政府、脱退国が続出。
      アルマイア=ディアボロスによる人類帰還説が発表される。
      各地でテロが頻繁に行われることとなる。
2065年、人類総人口110憶突破。この頃より、奇形児、先天性の障害を持った
      子供の出産率が増加。
2072年、惑星開発事業団、一部民営化。
2074年、火星のテラフォーミング計画開始。第一段階スタート。
2085年、人類総人口45パーセントの火星への移送が完了する。
      当初の宇宙移民化計画の第一段階が終了。
      それとともに、計画発表より中心組織として設立された移民化計画推進
      委員会、通称【トラベラーズ】の委員長ガイナン=ゾルフが引退。
2091年、火星軌道上にて、小惑星【レオナルド】の工事計画着工。
2131年、火星コロニー第17区画のスラムで、歴史教師フォンセ=ドナウによる
      火星独立構想が提唱。
2133年、統合政府からの独立を訴え、市民運動が開始される。
2135年、小惑星【レオナルド】改造完了。
2136年、フォンセ=ドナウ率いるテロリストによって【レオナルド】襲撃事件が勃
      発。人質をとり、立てこもるものの、政府軍によって5時間後に鎮圧。
      その際、フォンセ=ドナウは射殺されるが、直前、火星のマスコミに向
      けて、小惑星【レオナルド】に隠されていた地表貫通型核弾頭がマスコミ
      に公表される。
2136年、7月7日、統合政府は、フォンセ=ドナウによるでっち上げを主張するもの
      の、火星自治政府の調査隊の派遣を拒絶。両者の緊張高まる。
2137年、12月14日、フォンセ=ドナウに同調していた組織の残留部隊が、再度
      【レオナルド】への攻撃をしかける。
2137年、12月15日、火星軌道上に存在していた【レオナルド】が突如、自爆。
      大量の隕石が火星市街を襲った。統合政府は、爆発物を使ってのテロリス
      ト側の壮絶な自決と発表。しかし、火星に落下した【レオナルド】の残骸
      からは大量の放射能が検出される。
2138年、【レオナルド】事件以降、火星側と地球側との事件の調査結果において、
       多くの相違点が明らかとなり、これ以降、両者の間に緊張が走り始める。
2139年、地球統合政府側による火星への経済圧力。治安維持名目で、火星軌道上に
      宇宙軍を駐留。
2140年、かつてのフォンセ=ドナウの後継者、トリッシュ=クロフォード
      による独立運動が開始される。
2141年、駐留部隊の軍備増強が開始。宇宙空間から高速で地上へ降下し、対象を破
      壊する41式強襲ヘリを正式採用。
2143年、惑星移民化計画の推進委員会【トラベラーズ】が解散。
      そのまま、職員を新組織【ブラフマー・ザイテス・メガフル】に異動。
      【ブラフマー】の設立目的は、火星独立にともない、火星国憲法の作成で
      あったが、事実上の独立推進派の広告塔。
2145年、議会内での独立反対派議員、ペドロ=ヴィバーチェを乗せた車が強襲され、
      ペドロは射殺される。
2146年、ペドロ死亡を皮切りに、火星内部で独立紛争が巻き起こる。
2146年、9月14日、金星開拓に伴い、15世帯の開拓使たちが金星に向けて出
       発。その際、地球のSETIが奇妙な素数のみを示す電波を受信。様々
      な論争を巻き起こすが、ほどなくして間違いであったことが証明されるが、
      それは地球統合政府の計らいであったことが後に明かされる。
2147年、火星内紛が鎮まり、火星議会は、独立政府として立ち上がる意志を決定
      地球統合政府との間に、より緊迫した関係ができあがる。
2149年、地球にて、火星と地球統合政府との間でサミットが開催される。しかし、
      地球統合政府は、一貫して火星の意志を拒否。
      火星特使、アナ=ディールは、地球の意志を確認すると、沈黙のまま、す
      ぐに会場を立ち去った。
2149年、11月24日、火星連合国が発足。それに伴い、火星軌道上の【レオナル
      ド】跡に駐留していた政府軍の駐留部隊を連合国軍の艦隊が撃破。
2150年、同年初頭、地球と火星の中間宙域にて、最初の政府軍と連合国軍の本格的
      な戦闘が開始される。その際、火星側の宇宙空間における機動性に特化し
      た最新兵器を前に、地球統合政府は敗北を余儀なくされる。
2151年、光学技術の発展に伴い、レーザー推進が開発される。
2153年、連合国軍兵器開発部門において、荷粒子技術の確立。
      荷粒子砲が完成。
2154年、アレックス=ボルドによる【ボルド進化論】が発表される。
      あらゆる生物の進化の先にある最終的帰結は、死ではなく、進化の樹形図
      は、再びただ一つの幹に収まろうとする仮説を打ち立てた。
2155年、第二次火星独立戦争勃発。
      宇宙工学技術の落差は、火星と地球ではすでに10年以上の開きがあり、
      完全なる地球側の敗北として終わる。
      同年10月11日、火星において地球統合政府との間に終戦協定が結ばれ、
      それに伴い、火星独立宣言が発せられた。
      フォンセ=ドナウの火星独立構想が発表されから実に20年以上が経過し
      ていた。
2156年、【ブラフマー】、火星連合国憲法を発表。
2211年、ソルティア=ロンドによって、あらゆる生物体の遺伝子内に潜むある特定
      の因子が発見される。進化の最終段階に至ったとき、この因子は、生物体
      に対し、劇的変化を発するものだが、その変化の過程で絶滅する種も多い
      とのこと。【ボルド因子】と命名される。
2355年、金星テラフォーミング計画完了。金星に最初の開拓移民が送られてより、
      すでに200年が経過していた。






そして、黄昏の時代は続く。

3151年、【ボルド因子】を用いた進化促進に関する実験が極秘裏に行われる。
      遺伝子改造によって強化された生体を使用し、【ボルド因子】を覚醒させ
      たものの、予想を超えた生体の劇的変化は、生体の形態を大きく変質させ、
      なお、凶暴な異形の怪物を創りあげてしまった。
      辛くも、この実験体を殺害せしめたものの、多大な職員の犠牲を払い、施
      設も大半が破壊された。マスコミには、爆発事故として発表され、あらゆ
      る実験データは公表されなかった。
      この実験に関して、裏側では【ブラフマー】が暗躍していたという噂だけ
      が残った。
3243年、抗ボルド安定剤が開発される。
3371年、ブレインリサイクル法可決。
      それにともない、過去、【ボルド進化論】を発表したアレックス=ボルド
      のクローンが極秘裏に生み出される。
3401年、惑星開発新技術【V.O.L.D】が発表される。
3415年、【生態侵蝕生命体】構想確立。
3424年、【V.O.L.D開発プロジェクト】発足。
3427年、信仰宗教団体【ルシフェル】によるボルド開発妨害計画が実行。
      フォンセ=ドナウ記念生物工学研究所が襲撃されるもテロリストを撃退。
3432年、キャスケード=ギリアムによって、空間を圧縮させ、それが戻る瞬間の反
      動を利用して爆発的エネルギーを抽出するキャスケードカタパルトが開発
      される。これによって空間航法が劇的に変化。
3478年、火星にてカイン=ルシフェルト誕生。
      同年、【生態侵蝕星団兵器ボルド】が完成。
3479年、初のボルド稼動実験が開始。
3481年、地球より300光年離れた惑星ケリシアにて、未知の知的生命体と遭遇。
      同年、知的生命体との初の接触。その時、着陸船に積載されていた【ボル
      ド分離体】をひどく警戒。異常な警戒心と敵対心の中、着陸隊は全滅。
3482年、火星連合国は、報復攻撃として惑星軌道上より兵器目的に調整し、無差別
      に生物を侵蝕する【ボルドの肉片】を投下。ほどなくして、惑星全体をボ
      ルド生態系へと変質させていった。
3483年、予想を超えたボルドの猛威に危機感を感じた火星連合国は、ボルドの再調
      整を試みる。同年、惑星ケリシアで178時間暴れまわった【ボルドの肉
      片】から発生した【ボルド神経体】のうち一体を捕獲。サンプルとしてケ
      リシア駐留艦隊内研究所に移送。
3484年、捕獲されたサンプルから研究員一人に【ボルドの肉片】が付着。
      わずか20分で死亡。さらに死亡したその遺体から、【ボルドの肉片】が
      炸裂。周辺にいた数名の医師が感染。14人中、12人が数十分で死亡し
      たが、うち二人が【ボルド神経体】へと変態。
      数時間後、駐留艦内全域が汚染される。
      汚染の事実を確認した艦隊が、汚染された艦そのものを破壊。
      この事実に驚愕した火星連合国は、早急に事態の深刻さを調査すべく、惑
      星ケリシアに調査隊を送るも、調査隊との交信は、一時間後に途絶える。
3485年、連合国のボルドに関する危機的状況を察知した地球統合政府は、これまで
      のボルドに関する研究資料の公表を要請する。火星側はこれを拒否。
3486年、連合国軍強硬派の暴走による惑星ケリシアへの核攻撃が行われる。
      しかし、地表を覆っていた【ボルドの肉塊】を消滅するに至るものの、即
      座に増殖を開始。軍内部での混乱が激化。
3487年、最初にボルドに汚染されたケリシア駐留艦隊の一連の汚染事故に関する事
      実がマスコミに流出。火星、ひいては地球全体でパニックが巻き起こる。
3488年、反応兵器を使用。惑星ケリシアを完全に消滅させる。
      同年、2月14日。惑星ケリシアを消滅させてから12時間後、火星のフォ
      ンセ=ドナウ記念生物工学研究所地下にて凍結されていたはずの【生態侵
      蝕星団兵器ボルド】が突如、覚醒。
      暴走を開始する。
3489年、12月24日。火星連合国国民の70パーセントが金星に向けて脱出。連
      合国軍は、侵蝕し、増殖していくボルドを消滅させるべくガンヘッド大隊
      を組織する。同年冬、ガンヘッド大隊とボルドの初の戦闘が行われた。
3491年、カイン=ルシフェルト、非合法の戸籍を得て地球に渡る。
3493年、火星の全域がボルドに侵蝕される。同年、カイン=ルシフェルト、地球統
      合政府宇宙軍に入籍。
3494年、地球統合政府による非常事態宣言が発令される。
3495年、汚染者を乗せたシャトルが地球に入港。
3496年、地球全域に汚染が浸透する。
3498年、人類の80パーセントが【ボルド神経体】へと変態。
3499年、同年初頭、すでに人類の生存は10パーセント以下に落ち込む。
      最後の抵抗戦線が形成。






そして……。


7 :wx3 :2007/05/18(金) 01:37:02 ID:rcoJsAtH






重苦しく分厚い二枚の金属プレートが、轟音を鳴り響かせながらゆっくりと閉じられていく。その狭間には旧世紀、火星と地球との独立紛争期に最新鋭機として活躍した小型宇宙艇が部品の大半を失った状態で無作為に横たわらされていた。船体全体が赤茶けた錆に覆われた鈍重な巨体には、コクピット部分だけをわずかに残して後は、失われていた。
それが今は巨大なプレス機に挟まれて鉄くずでさえない物体へと変わろうとしていた。
ここでは、そういった旧世紀の遺物から現代の最新鋭の構造体に至るまであらゆる金属物が山のように積まれて、それが地平線の彼方までどこまでも大地を多い尽くしていた。それらはただ、鉄くずのへと変わるのを待っている。
周りには灰色の煙を巻き上げている煙突が何本も建ち並び、重化学コンビナートが所狭しと軒を並べていた。
この星は今、そうした場所だけがどこまでも続いている。
西暦3494年。地球統合政府による非常事態宣言が発せられた。
「我々が生きる最後の場所は、我々が生み出したこの鉄くずの墓場とはな」
突き出た丘の上に立ち、男は一人その様子を眺めながら呟く。
その瞳は遠く、地平線の彼方、世界の終わりまでもを見つめているようだった。
少し冷たく、そして血の匂いのような錆びた金属の風が、男の頬をなでていく。
男は初老を向かえて久しい年齢を思わせる。
卸したての軍服を着ているが、年齢と階級を思えば男はもうすこし上位の現役を退いて軍規定の幹部用軍服を着ていてもおかしくないはずだったが、今現在、男が着ている軍服はミッドナイトブルーの野戦服だった。それもずいぶん戦場を駆けてきたと思わせるほどに少しくたびれており、またいたるところに綻びが目についた。
男のこれまでの戦いに明け暮れた日々を思わせる。
「墓場……とは申されぬほうがよろしいでしょう。我々の多くはまだ最後まで戦い抜くつもりです」
男の傍らに立つ男は、軍服を着た男とは違い、この時代の改まった場所に向かうのに適したスーツ姿だった。もっとも、こういったスーツを着ている以上、公の場に立つ者としての緊張感があってしかるべきだが、今の時代、そしてこの状況の中では、野戦服ではなくスーツ姿のこの男は、端から見ていて、ずいぶん緊張感にかけるものだった。
しかし、スーツ姿の男は丸淵のめがねの奥に表情を隠しながら、初老の男の背後に立ち、ひたすら何かを待っている。
「火星は?」
初老の男が、ふと思い出したかのように、ぽつりと呟いた。
「北極地点において、気温がマイナス以下の気候の中では、『あれ』の活動は鈍くなるようだということは以前より観測されていました。おかげで北極地点の開拓時代の基地には、まだ数十万の人間が生存、立てこもっていることが観測できていましたが、数時間前に『あれ』の活動が活発化、再度侵攻が始まり、二時間前に最後の一人の熱源が途絶えました」
男はそこまでを一呼吸が淡々と告げ、最後にこう答える。
「――いや、途絶えたのではなく、他のすべての熱源と融合した……というべきでしょうか」
「……」
初老の男は、その報告を聞き入りながら、鉄の廃墟を見つめ続ける。
やがて、再び小さな風が、初老の男の遠く力なげに向けられる瞳の前をかすめていったとき、呟いた。
「我々はいつの時代も孤独だった」
スーツ姿の男は、押し黙る。
「だが、それももう間もなく終わる。我々は新たな生物として一つになるのか。そして、我々という古い種はこの宇宙から消える。それが意志なのかもしれんな」
どこまでも鉄くずだらけの王国の中で、まるでこの二人の人間以外のすべてが死に絶えたかのような世界の中、スーツ姿の男は、長年、勇猛果敢、悪鬼のごとく戦いに明け暮れた男が、初めて口にする敗北宣言を聞いた。





3495年、【汚染者】を乗せたシャトルが地球に入港。
ほどなくして、地球全域に汚染が浸透する。3498年には人類の80パーセントが変異。
人類の生存は10パーセント以下に落ち込んでいた。
最後の抵抗戦線が形成されてしばらく、不気味なほどの沈黙は続いた。
終わりの鐘は、もうとっくに鳴り響き続けている。
彼らは、その時がゆっくりと足音を響かせてやってくるのを聞きながら、本能的予感を感じ取っていた。
そして、四年の月日が過ぎ去った。
地球上の生物は、その大半が姿を変え、異形の生物と成り果てていた。
『それ』は、地上のあらゆる生物を取り込み、利用し、その侵蝕を続けている。
まだ、『感染』していないわずかな人間たちは、北極と南極とに分かれて戦線をなんとか維持しているが、もはや時間の問題なのは誰もが知っていた。
ここ、南極の最終防衛ラインを守る兵士たちもまた、日増しに戦意を喪失させていっている。
当初の兵員の15パーセントがすでに戦線離脱者となっている。
残っている兵士は、誰もが家族や友人、恋人を失った孤独な人間ばかりだった。
それでも彼らを戦いに向かわせているのは、もはや単なる生存本能ではなく、死なばもろとも、というヤケにも近いものだったのかもしれない。
実際、彼らを率いている分隊長などは叫ぶ。
『命などくれてやれ、だがヤツらに思い知らせてやれ』と。
そして、3499年12月22日。
この日、運命のこの日。
彼らはまだ、暗雲と硝煙、そして燃え盛る炎の中で戦い続けていた。
「何か見えるか?」
パチパチと炎が燃えている。
前哨部隊、偵察分隊の彼らは、旧ショウワ基地跡第二トーキョーシティーの廃屋となったビルが林立する中、比較的そう高くないビルの最上階で火を焚いていた。
地球の温暖化が進み、南極大陸もその大半が海に沈んだが、地球環境の保全を呼びかけた旧世紀の人間が、南極再生を目的としたプロジェクトの一貫で創りあげた街である。
しかし、今はもうその面影が無残な形で残っているだけである。
ちょうど、『あれ』との最前線の境目になっているこの街で、彼らの任務は、『あれ』の動向を探ることだった。比較的、寒冷地帯では『あれ』の活動は鈍くなり、一部では休眠してしまうことが分かったのは数年前のことである。もっと早くに知っていれば、まだしも作戦の立てようがあったのかもしれないが、今となっては無意味な想像である。
また、この事実を知りえたところで、果たして未来が変わっていたとも思えなかった。
「異常なしだ。相変わらず不気味な景色だよ」
ビルの屋上、コンクリートや鉄筋などがむき出しになり、窓はそのすべてが割られた中、一人の兵士が、高精度の望遠装置で遥か彼方を見つめている。
肉眼では、廃墟だけが見えるその彼方に、彼が見ているものがある。
どう表現すべきか。
薄ピンク色やら痛々しいほどの紅い色を交え、表面を奇妙な粘液で覆い、うねりながらビルよりも高く横たわっていたのだ。不気味なのは、その表面にぽつぽつと見える突起である。
のっぺりとした肉の塊に見えるが、実は表面は、薄い膜で覆われており、その中には薄ピンク色の半透明な液体やら肉の塊やら、内臓のようなものが泳いでおり、それと半分、融合するような形で、様々な生き物が癒合しているのである。それらは、まるで傷口のように癒合面を赤く染めており、血管が浮かび上がっているというよりは飛び出しており、肉塊と繋がっている。
また癒合面の肉体は、半透明に透き通っていて、露骨に臓器などが見えているのだが、それがそのまま肉塊と繋がり、その部分だけを見れば、あたかも元々一つの生物であったかのように見える。しかし、その癒合面から先には、まだ当初の生物の肉体が残されており、あからさまにそれは侵蝕され癒合されたのだということを物語っていた。
中には、人間の姿も見られた。
軍服を着ており、元は彼らと同様、『それ』から街を守る任務についていたのだろう。
腰から下が肉塊に飲み込まれており、完全に腸や血管などの臓物はそのまま、肉塊の中の奇妙な臓器と繋がってしまっているのが見えた。もはや足などはなくなり、腰から上の部分だけが人間部分となっている。目は大きく見開かれているが、左右の瞳がそれぞれ別の方向を見ており、血走った様は恐怖に満ちている。だらしなく開かれた口からは舌が垂れているが、まだ意識はあるのかもしれない。男はひたすら何かを呟いているように見えるが、ここからでは何を言っているのかは分からなかった。
いずれにせよ、男だけではなく多くの人間が彼と同じような状況になっており、腰から下か、腰から上か、あるいは左半分か。状況に差はあっても、もはや人間ではなくなっていた。
また人間だけでなく多くの動植物が同様の状況となっている。
怖ろしいこの生物体であるが、今は活動を休止している。
この低い気温の中では、そこまでがその生物の行き着ける場所だったのだ。
「毎日毎日、あんなものを見て過ごしてると気が変になりそうだよ」
五人ほどいる分隊のうち、銃を肩に当てて壁に背をついて座り込んでいる一人が呟いた。
ずいぶん消耗しているらしい。
「ここはまだマシな方さ。北極側は数日前についに通信不能になったって話だ。今頃、アレにみんな飲み込まれちまってるだろうよ」
火の側に座り、奇妙な流動食を口にしている一人が吐き捨てるようにして言う。
するともう一人が驚いた様子で聞き返した。
「なんだと? そんな話は聞いてないぞ! 大事件じゃないか!」
「大事件なんて……もう何が大事件で何がどうってことないのか分からねぇけどな」
「何言ってるんだ! 北極が堕ちたってことは、もう俺たちしかいないってことだぞ!」
「まだ金星があるさ。俺たちが、あのクソ兵器に飲み込まれてもな」
「その金星も、先月から連絡ができなくなったって話だ」
「噂だろ」
男たちは口々に噂を言い合う。
どれも司令部から正式に伝えられた情報ではないが、今や司令部でかなりの情報が隠匿されているのは周知の事実だった。そして、その反面、多くの秘密が流出してもいる。
もはや、情報を隠しきる意味もなくなりつつある。
それは、いよいよ終局の時が近づいていることを意味していた。
男たちにとっては、こうして不安な情報をただの噂として言い合っていることの方が、まだ気が楽だったのだ。
「おまえはどう思うんだよ? 新入り」
一人の青年兵が、他の兵士たちの会話に加わることなく、ずっと崩れた壁の隅に座り込み、ぼろぼろになったコートを頭からかけ、眠っているかのように見えた。
しかし兵士はひたすら何かを待っているかのようにコートの下で銃を握っていた。
「よせよ、そいつは何も話さねぇよ」
他の一人が言う。
「噂じゃ、火星のマーシャンズだっていうぜ? 戸籍を偽ってこっち(地球)に降りて来たってよ」
蔑みをこめた嘲笑とともに、兵士は言った。
それに動揺したのは他の兵士たち。
「マジかよ? あのバケモノを作った火星人か?」
「冗談じゃねぇ! なんでマーシャンズのクソ野郎と一緒にこんなとこいなきゃいけねぇんだよ! 胸クソ悪いぜ」
一転した雰囲気が場内を包み込もうとしている中にあって、青年はひたすら他人事のように様子が変わることはなかった。
そのうち、屈強な体躯をした一人の褐色肌の男が、青年に近づき、かぶっていたコートを引き剥がした。
「よぅ、怖くて顔も出せねぇってか? 新入り」
コートの下で銃を握っている青年を見て、褐色肌の男の背後にいた数人が一様に銃を抜こうとするが、褐色肌の男は臆することなく青年の銃を乱暴に抜き取った。
その時、青年の瞳が始めて動く。
長い間、宇宙で暮らしていた人間特有の病的なまでに白い肌をしたマネキンのような顔が見える。
まるで刃のような切れ長の瞳だけを上に向かせ、青年は褐色肌の男を見据えた。
脱色したわけではなく、自然な銀色の髪が崩れた壁の外から入り込んだ風に揺れている。
「けっ、気味悪いほど白いやつだな。やっぱりマーシャンズか」
吐き捨てるようにそういう褐色肌の男は、青年の首を掴み、無理に起き上がらせた。
「てめぇらが作ったバケモンのせいで、今じゃ、俺らは死ぬのを待つだけの毎日だ。仲間は大勢、あのゲロの中に包み込まれちまった。なのに、てめぇみてぇなマーシャンズだけが、のうのうと生きてやがる」
されるがままの青年は、力まかせに壁に叩きつけられるが、それでもなお無防備だった。
やがて、褐色肌の男同様に周りに兵士たちが集まり、青年を取り囲む。
「ちょっとは神様の天罰ってのを味合わせてやろうぜ」
褐色肌の男の隣に立った男が、にやにやと笑いながら言う。手にはタイマツを消した棍棒があった。
「さすがに殺すわけにはいかねぇがな」
そういうと間もなく、男たちによる一方的な私刑が始まった。
褐色肌の男の拳がまずは、青年の溝内を抉る。
青年の瞳が見開き、開かれた口からは声にならない悲鳴が発せられた。
思わず体勢を崩しかけた青年を横から手加減なしに右頬を殴りつけられ、さらに間髪いれずに背中を蹴り倒される。思わずバランスを崩した青年が膝をつくと、すぐさま棍棒を手にした男の一撃が、彼の後頭部を直撃した。
額が割れ、血しぶきが飛び散り、口からは大量の血液が吐き出された。
青年はそのまま、前のめりに倒れこむと、周りを取り囲んでいた兵士たちが、一斉に彼をただの石ころのように蹴りつけていった。肉を叩きつける鈍い男がそこかしこに響き渡り、それと共に、びちゃびちゃという水音もわずかながら混じっていた。
十数分後。
その場にいた全員が、肩で息をしながら、疲れきっていながらも、憎悪に満ちた形相で見下ろしていた。そこには、ほとんど虫の息となった青年が気を失っていた。
いや、あるいは死んでしまったのかもしれない。
「はぁ、はぁ、はぁ……クソったれマーシャンズが……」
「死んだか?」
「知るかよ! バケモンにやられたって報告しときゃいいのさ。こいつらにしちゃ、自業自得だ」
息を切らしながら、口々に言う彼らは、もはや青年の生死などどうでもよくなっていた。
彼らにはひたすら達成感だけが残る。
すべての災厄を生み出した元凶を打ち滅ぼしたという達成感が生まれたきがしたのである。
憎しみだけが生まれる中、ひたすら成す術もなく滅び行く中で、ほんの一時、何かをやり遂げたかのような感覚だったが、それが単なるその場しのぎの八つ当たりでしかなく、実際にはまったくどうしようもない中にあるということを彼らは間もなく知る。
「ルービックウッドの仇だ。ザマみや……」
褐色肌の男が何かを言おうとして、何かにそれを阻まれた。
男は黙ったまま、そこにそうして立ち続け、他の仲間はまだ、今この瞬間、何が起こったかも知らないまま、口々に青年に向けて罵声を浴びせかけていた。
「そうだ、ザマみやがれ!」
一人がそういった次の瞬間、彼のすぐ横に立つ褐色肌の男の様子がおかしいと気付いたのか、褐色肌の男の口から何かが垂れているのを見つけたときだった。
褐色肌の男の口から何か紅いものが垂れ堕ち、瞳が大きく見開いたまま、ぶるぶると震えている。
「おい、どうしたんだよ、ガルシュ……」
そういった次の瞬間、男は言葉を失った。
何か信じられないものが、ガルシュと呼ばれた褐色肌の男の後ろに立って、今、男を見下ろしていたのである。
それは、褐色肌の男よりも一メートル以上背が高く、褐色肌の男よりもずっと『大男』だった。
いや、大きな生物だったというべきだろう。
赤黒い肌は大きく盛り上がった筋肉質だが、胸から腹部にかけては、傷口のように大きくめくれ上がった穴があり、そこからは内臓や血管などがむき出しになっている。
いや、かろうじてむき出しにはなっていないようだ。透明な何かの膜が覆っており、その中で、臓物は今も、どくどくと脈打っていた。おぞましいのは、その内臓と一緒に人間のそれと思われる眼球とそれに直結していたらしい脳が一緒に取り込まれていることだ。
恐らく、その肉体の元の『人間』の頭部ということになるのだろうか。
そこから上に盛り上がった筋肉が、やがて新たな『頭部』となったのだ。
その頭部は、人間のそれとよく構造的には似ているが、上唇から顎にいたる筋肉を引きちぎったかのように、鋭い歯とその下の筋肉がむき出しになっている。片目は赤く血走っているだけの塊で、瞳孔などが一切ない。だが、片目には見開かれた眼球そのものが、あちこちを忙しなく見据えている。それはまるで動くものすべてを捉えようとしているかのように狂った動きをしていた。
さらにおぞましいのは、そうしたその生物の頭は、ぱっくりと開き、ピンク色の神経細胞の塊である器官、すなわち脳を露出させ、また臓器と等しく透明な粘膜で覆っているところだった。
それは赤いだけの球体である目をじっと男に向けている。
「あ、あああ……あ、ああああ」
男は悲鳴さえも思うように出せないまま、それを見上げている。
まるで現実感を感じさせないながらも、胸の奥から心臓を凍りつかせるかのような恐怖が男を襲う。これは夢ではないのか。
コレが今、ここに『いる』はずがない。
何かの間違いだ。
そうだ、コレは今、少しも動かないじゃないか。
そう思いかけたとき、生物の口からぐるるる、という呻き声のような声が漏れた。
そして、鉄をもとかすかのような熱い湯気が口元から吐かれる。
その時、他の数人の兵士たちが、ついに叫んだ。
「【ボルド】だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
その叫び声が合図だった。
褐色肌の男の胸部から、何かが赤い飛沫とともに突き出された。
それは、生物の赤黒いというよりは今となっては赤い血にまみれ、ピンク色の肉片にまみれた『手』である。その手の先には、何かの塊が握られている。それは今まさに、今なお鼓動を続けている褐色肌の男の心臓だった。
「あ、あぎ……が……げ、げげ……タ、助ケ……」
褐色肌の男は、目を白黒させながら焦点の合わぬ目を虚空に向け、胸からだけでなく口からも血を吐き出し、両手をぴくぴくと痙攣させていた。
「ガァァァルシュッ」
兵士の一人が叫び、抱えていた銃を構えたとき、生物は信じられない速さで、串刺しにしていたガルシュをいとも簡単に持ち上げ、銃を構えようとした男に向けて投げつけた。
男は焦り、銃の引き金を引くが、それはもはや、ぼろ布のように弾き飛ばされたガルシュの頭部をさらに、数発の弾丸で粉々にしただけだった。
首から下、大穴の空いた元ガルシュだった物体が、男に衝突し、盛大な血しぶきを浴びながら床に倒れこんだ。
「ひ、ひいいいいいいい」
思わず倒れてしまったその身に、首と胸部を失ったガルシュの肉体は重々しく乗りかかり、男はすぐさま起き上がることができなかったが、その瞬間に生物体はその男の頭を片腕で掴みかかり、いとも簡単にもぎ取った。
噴水のように首から血が噴出す。
「エッジィィィィィィィ」
そう叫びながら残った兵士が、半狂乱になってライフルを撃つ。
ぶつぶつと鈍い音を立てて生物体の肉体を弾丸が貫く。
そのうち、生物体のむき出しになった胸部の中、眼球と脳だけになって取り込まれていた部分に一発の弾丸が着弾し、元人間の脳を破壊した。
貫かれた脳から血があふれ出し、生物体の胸部を包み込んでいた透明な液体に赤い霧が浮かび上がる。その時、ぴぎぃという叫びが、生物体の口からではなく、胸部のどこかで聞こえたが、生物体そのものは、まったく怯んでいる様子はなく、痛覚がないのではないかと思うほどの勢いで、ライフルを斉射していた一人を掴み、その顎から下の首をリンゴを齧るような音を立てて、噛み千切った。悲鳴をあげる間もなく、ライフルを握っていた手だけが虚しく引き金を引き続け、そのうち一発が、今も撃ちつづけている一人の額を貫いた。
「マ、マーカス!」
ついに一人だけとなってしまった兵士が、完全に戦意を失い、その場に震えたまま立ち竦み、一瞬にして出来上がった惨状を見つめる。
「あ、ああ……た、助けてくれ」
男はもはや、その場にいることができなかった。
手にしていた銃を放り投げ、すぐさま逃げ出そうとするが、生物体の方が遥かに俊敏だった。
その巨体からは想像もできないほどの身軽さとスピードで、逃げ出した兵士に追いつき、鋭く伸びた爪が男の後頭部を貫いた。
しゃくっという音を響かせて額から生物体の爪が突き出された。
生物体は、その指先にだらしなくぶら下がる物体をしばらく観察するようにじっと見つめる。
目先の物体は、目を見開いてはいるが、すでに焦点は合っていない。
損傷を受けたのは、額の中央のたった直径1センチにも満たない傷ただ一つだが、その傷は頭部を貫通しており、他のいかなる傷を負っていないが、その兵士を絶命させている。
いや、肉体はまだしばらくその機能を維持していた。
生物体はその様子をしばらく見つめていたが、やがてふと興味をなくしたのか、それをさっさと放り投げ、壁に激突させた。
もはや、その場に立っている『人間』はおらず、そこには生物体、ただ一体のみだった。
生物体はしばらくの間、そこら中を見て周り、無残に倒れている死体のどれかを掴みかかろうとした。
その時だった。
生物体の後頭部に一筋の閃光が貫いた。そうかと思うと、一瞬にして額から何か赤黒い液体と共に飛び出した。
「グ、グロァぁぁ……」
何事か理解できなかったのだろうか。
自分の額に大穴が開いていることに気付いていないのか。それともその驚異的な生命力は、頭部を貫かれたところで問題としないのか、わずかな後に自分を撃ちぬいた何者かを探って背後を振り向いた。その瞬間、続けざまに胸に数発の弾丸を受けた。
それは正確にその生物体の『心臓』を撃ち抜いている。
わずかに怯み、生物体は後退した。
しかし、脈打つ心臓は赤黒い液体を吐き出しながらも、さらにその鼓動を速めるのが見えた。
そして、生物体は、ついに自分に攻撃している敵を見つけ出した。
それは自分が殺したのか、それとも最初から死んでいたのか、とにかく倒れていた何者かだった。
ありえないことだが、今もなお、起こってしまっている事実である。
この生物体が現われる直前まで暴行を受け、死んだと思われていたはずの青年が起き上がり、血だらけの中、倒れている兵士の一人から抜き取ったライフルを構えていた。
生物体は怒りを露わにするかのように、鋭く尖った牙をさらけ出し、その内側の血まみれの口を開け、とても人間には発音できない雄叫びを上げる。
だが、青年は次の瞬間、ライフルの砲身の下にあるもう一つの砲身に手をかけ、そのトリガーを引こうとしていた。
グレネード弾である。
「……」
地響きをあげ、赤い血を撒き散らしながら狂ったように雄叫びをあげる生物体だったが、青年はその生物体の胸部に向けて、トリガーを引いた。
次の瞬間、ぽしゅっという間の抜けた音ともに、砲身から爆炎が迸り、筒状の巨大な砲弾が生物体の胸部にめり込んだ。
そのとき、砲身の先から閃光が光ったかと思うと、かちりという音と共に突如、大爆発が起こった。砲身を胸部に約半分ほどめり込ませていた生物体の身体は、あとかたもなく吹き飛び、周囲に血肉を弾き飛ばした。
先ほどまで何気ない会話をしていた兵士たちの光景など微塵も残らぬ無残な光景が、そこに広がる。
たった数分内の出来事だったが、今や完全に自分以外の偵察分隊は全滅となってしまった。
この状況を前にして、青年はゆっくりとその場に休むわけでもなく、すぐさま、砕け散った窓辺に駆け寄った。
「……!」
その時、初めて青年の表情に表情らしきものが浮かんだ。
彼の眼窩に映る光景、それは、先ほどとそう変わらぬ廃墟の街であったが、先ほどとまったく変わっているのは、めくれあがったアスファルトを歩く者などまったくなかったはずが、今は何か黒い影がいくつも点々と浮かんでいるのが見えた。それは彼が今いる廃ビルのすぐ直下にも『いる』。
ゆっくりとゆらゆらとした鈍い動作で、しかし、確実にこちらに向かって何体もの物体が歩き続けている。
それは、今まさに彼が殺した生物体に似ているものの、先ほどの生物体とはまた違う生き物を取り込んだ怪物たちだった。
ありえないことだが、この低い気温に耐え切り、休眠せずにこちら側へ侵入を果たした個体がついに発現したのである。
「ちっ」
彼はその光景を見るや否や、すぐさま振り返り、手近にあった大きなバックパックを拾い上げ、ライフルを片手で構えて、奥の階段へと駆け出した。
鉄筋コンクリートがむきだしになり、半ば崩壊しているものの、なんとか使えなくもない。
彼はドアの向こうにあるその階段へと駆け出した。
とたん、遥か直下の階から、何か不気味な生き物の息吹が聞こえてきた。
駆け上がる足を休めることなく、彼は確かに螺旋に伸びている階段の下を見据える。
闇の奥に蠢く赤黒い何かが、奇妙に光っているのが見えた。
それはすぐ十数メートル直下をのんびりとした動作で上がってきているが、おそらく、彼の存在に気づけば、その鈍重さからは想像もつかないほどのスピードで狂ったように追いかけてくるだろう。
彼はなるべく自分の気配を悟られぬよう、しかし、全力で疾走する。
恐らく、今気付かれれば、異常に発達した脚力を持つ彼らには、一瞬にして追いつかれてしまうだろう。彼は必死に駆け上がり、屋上へと向かった。
十数階あるビルの屋上まで、あと3階といったところで、突如、階下のほうで不気味な雄叫びが響き渡った。それは人間の女性、その断末魔の叫びに似ている。
そして間もなく、先ほどまで緩慢な動作で登っていた彼らが、いっきに狂気にかられて駆け出してくる音が聞こえた。それも一体ではなく何体もの群れが迫ってくる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
青年は必死に走る。
背中に負ったバックパックが重く、これを捨て去りたい思いに駆られる。
手にしているライフルで何度か攻撃をしてもいいが、それだと速度が落ちる。また、数発の弾丸を浴びせたところで彼らはまったく怯まない。かえって追いつかれる隙を作ってしまうことになる。結局、彼はただ一目散に走るしかなかった。
まさに数メートル後ろ。
青年が階段の踊り場を駆け抜ける頃、すぐ下の踊り場を生物体たちが駆けているくらいにまで差が縮まったとき、ようやく彼の目の前に屋上への扉が見えた。
彼はドアを半ば蹴破るようにして開け、その身を外に滑り込ませると、すぐさま扉を閉じた。
幸運なことに扉は鉄製で出来ているのが、バリケードとなるための鉄製ではない。
閉めたとたん、ドアを破られることはなかったが、殴りつけられた部分が大きく突き出る。
青年は、軍服の脇にぶら下げていた卵型の黒い金属の塊をドアの取っ手部分に吊り下げ、赤いピンを引き抜いた。とたんに、ぴ、という何かの電子音が小さく鳴る。
それを確認するよりも前に青年は、屋上の中央に着陸している何かの飛行物体に駆け寄る。
黒い翼を背後に折り曲げるような形で、胴体も前部と後部とでは、やや折れ曲がっているような奇妙な飛行物体である。
ヘリに似ているが、プロペラなどはなく、後部には揚陸出撃口が大きく開くようになっている。
小型の戦車なども積載できるようにもなっているが、今回は8人の偵察部隊輸送のために戦車は積載されていなかった。
青年は、すぐさま前部のコクピットに乗り込み、離陸準備にかかる。
エンジンが動き出してすぐさま、強烈な突風がヘリの周囲で巻き起こった。
蒼白い灯火が、屋上とその周囲を眩いばかりに照らし出し、その間もエンジンのエネルギーはあがっていった。
そんな中、閉じられていた扉がに幾つもの突起が発生し、しまいに大きな穴があいた。
そこから怪物の手が貫かれ、まるでダンボールを力任せに引き剥がすかのように鉄製の扉が破かれていく。その内側では、まさに狂気に満ちた叫び声を発し、ひたすら力任せに扉を叩き破ろうとしている異形の生命体の姿が見え隠れしている。
「……くっ」
青年はコンソールパネルを流れるような動作で操作し、ヘッドセットを頭にはめ込んだ。
やがて、折り曲げられていた翼が開かれ、ヘリの真下から蒸気のようなガスが巻き起こった。
ゆっくり揚力が上昇し、ヘリを直上と上がらせようとする。
その間にも扉はもはや半分が砕け散っていた。
間もなく、異形の生命体たちはその姿を現すだろう。
そうなれば一斉にヘリに襲い掛かってくる。
時間がない中、やがてヘッドセットの中から何者かの声がした。
『こちら司令部』
「第18区域前哨偵察分隊より報告。【アイスフィールド】突破」
その声を聞くや否や、彼は怒鳴りつけるかのように叫んだ。
ヘッドセットの向こう側で、しばらくの間、声が途絶える。
その時である。
エンジンから得られるエネルギー量を示していたモニターが、ブルーサインからレッドサインへとついに変わった。
それと共に、彼は力まかせに手にしているレバーを引き戻した。
すると機体は、機首を大きく持ち上げるような形で一気に上昇し、強烈な重量を彼に感じさせた。
まさにその瞬間である。
半壊していた扉が突き破られ、怪物たちがその姿を現そうとした瞬間。
取っ手に取り付けられていた金属物体が落ち、床へと落下した。
その時、ピン、という音を響かせたかと思うと一瞬にして屋上全体を巻き込む大爆発を引き起こした。その爆風に煽られながら、ヘリは上昇する。
まさに床一枚下に爆炎を感じながら、青年はヘリの体勢を整えながら針路を定めた。
やがて遥か後方で、置き去りにしてきた武器に引火したのだろう。ビルはさらに誘爆に誘爆を重ね、完全に崩壊を始めていた。
「……」
青年は、吹き付けてくる風を感じながらそれを見下ろす。
『司令部より第18区域偵察分隊へ。生き残りは何人いる?』
すでに通信上の悲惨な状況に慣れきっているオペレーターの無感情な声が、ヘッドセット越しに響き渡る。
それとは正反対に、少し胸の鼓動を納めようと呼吸を整えようと努めながら、やがて答えた。
「自分ひとりです」
『君の名前は?』
「カイン=ルシフェルト。階級は伍長です」
再度の沈黙。
司令部側でも今頃は混乱しているのだろう。
やがて、再び通信が届く。
『無事でなによりだ。ルシフェルト伍長。すぐに帰投したまえ』
おざなりな無事を労う言葉だったが、すでに司令部側では事が動き始めているのだろう。
カインは、端的に返答した。
「了解。帰投します」
カインを乗せたヘリは、一路南極点へと向かった。



――人類最後の砦へ。





――起きて……。

数年前、あの日。
自分の中の何かを失い、そして新たに得たものがあった。
あれ以来、深く眠れる日々が来たことはなかった。
冷たく黒い金属の塊は、凍えるほどの冷たい死と孤独を与えるもの。
しかし、それがその力を発動するとき、鉄をも溶かす熱が迸る。

――起きるのよ、カイン。

その熱を解き放ったあの日以来、彼がぐっすりと眠れる夜が来たことはない。
絶えず身体の中の奥深くが燃え滾っている。
暗い闇の奥深くで、激しく燃え盛る炎は、天を焦がさんとその勢いを強めていく。
年月が過ぎ去れば過ぎ去っていくほど、それは彼の中の何かに飛び火し、そしてその勢いを強めていくのだ。
遠き落日の彼方。
太古の文明であった魔女狩りにも似たその光景は、長年、彼の精神を蝕み続けているものだった。
彼はすでに狂っているのかもしれない。
だが、完全に狂うことはできない。
いっそ狂ってしまえば、この苦しみも和らぐものの、彼の中にある魔獣のような憎悪は、彼の精神にその鋭い牙を打ちたて、痛みによって正常な意志を討ち震わせているのだ。
それは、それこそがすでに狂っているのではないかと思うほどに、凄烈な精神の葛藤であった。

――まだ、戦わなければいけない。まだ終わらない。

燃え盛る炎。
炎だ……。

――起きなさい。カイン。

燃え盛る炎神、揺らぐ大気のうねりの中で、ほんの一瞬、弾けて散らす火の粉のように、たった一瞬でも激しく燃え、命の限り戦う。
そう、運命付けられた人間がいた。






「カイン=ルシフェルト伍長からの報告では、【アイスフィールド】が突破されたと……」
一人の丸淵の眼鏡をかけたスーツ姿の男が、その会合の一番奥の席に座り、囁いた。
中央を束ねる初老の男は、彼と視線を交えながら静かに聞いている。
彼らを挟んだその周囲の将軍たちは、一様に同様を隠せない様子だったが、この二人だけはそうなることをまるで予測していたかのように表情に変化がなかった。
「いずれ順化することは目に見えていた」
「南極の気温が、あと1度低ければ、残り十年の猶予があったとの戦略考案当局の見解だが」
「皮肉なものだ。旧世紀の人類の行いが、今になってそのツケをまわされることになるとは」
「くだらん皮肉を考えている余裕はない。あの出来損ないどもは今もこちらへ向けて侵攻中なのだ。迅速に対処する必要がある」
一人がそういったとき、それに対して何か意見をいえるものはいなかった。
重苦しい沈黙が場内を包み込む。
その時、この会議室を包んでいた闇に、一筋の光が差し込む。
許可証がなければ入れないはずのその室内に、なんの前触れもなく侵入してきたのは、一人の女性だった。幹部士官の軍服を着た一人の若い女性であるが、その物腰は彼女の実年齢からは想像できないほどに落ち着いている。
長い宇宙での暮らし特有の病的なまでに白い肌をしているが、髪の色は黒い。
ほっそりとしているが、その冷徹な雰囲気には一切の隙がなく、うっかり彼女に触れれば一瞬にして切り刻まれてしまうのではないかという殺伐とした印象があった。
綺麗な顔立ちをしており、上級士官の中には彼女を欲しがる者も少なくはないが、ひとたび、彼女に接した者は、その多くが次に彼女と会うことさえ臆するようになっていた。
「おはよう、皆さん」
落ち着き払った高いトーンが響き渡る。
その声には笑みさえ浮かんでいるようだった。
「噂をすればなんとやらだな。マリア=ヴィンセント局長」
「分析の結果がでましたので、御報告に」
彼女を前に、両手を顎元で組んだ初老の男が、その影から鋭く瞳を開き、彼女を捉えた。
「待ちわびた。頼む」
「はい」
端的に答え、マリアは、彼女ために用意されていた席についた。
彼女が席についたとたん、中央の空間に蒼白い光の粒子によるモニターが浮かび上がる。
それはこの南極大陸の精密な地図を映し出しており、その大陸上に不気味な赤い斑点のような光点が表示される。それはちょうど大陸の北部全体を覆い尽くす形で、少しずつ南に伸びてきている様子を表していた。
「皆さんも御承知のように、寒冷地帯など、気温の低い地方では、比較的【VOLD】の活動は休眠してしまうという事実があります。これまで、この南極大陸では、一定の地点以降南には、『彼ら』の侵攻が抑えられていました」
そこまで彼女が言うと、モニター上の地図の上から重なるように新たな窓がいくつか表示され、その中で、またどこかで観測された【VOLD】と思われる巨大な街ひとつを飲み込む勢いの肉塊が映し出されている。ただし、それは静かに眠っているかのように一箇所から動こうとしていなかった。
「しかし、これは一時的なもので、いずれ【VOLD】が環境に順応してしまうことは予測されていたことでした。他生物を取り込んだ【VOLD変異体】などには、特にこれに順応する能力が最初から備えられています。温暖化によって気温があと1度低ければ10年の猶予が見込まれましたが、結果として、このほど、【VOLD】はついに環境に適応。5時間前に活動を再開しました」
彼女がそういうと、今度はヘリからの映像が映し出された。
それはまさに数時間前に回収された第18区前哨部隊偵察分隊の生き残りが、脱出の際にヘリが自動で撮影した様子である。
潜伏していたビルの屋上が爆発し、続いて何か発火物に引火したのか誘爆が続き、ついにはビル全体が炎に包まれていくのが見える。その周囲にぽつぽつと見える黒い影は、まぎれもなく、
【VOLD】に侵蝕された生命体なのだろう。
幹部たちから驚きの声が漏れる。
「順化した生体はごく一部ですが、一体が順化してしまえば、すぐにでも全体が順化してしまうでしょう。先ほど観測した結果では、【ボルドの欠片】が本格的に活動を再開するのは、遅く見積もっても12時間以内に……。そうなれば、ここ、南極防衛線にたどり着くまでをシミュレーションした結果……」
赤い斑点の広がっていく様が、一定時間ごとに表示され、モニターの脇にはタイムレートが表示されている。その赤い斑点は一時間ごとに驚異的速度でその支配域を広げていく。
やがて、それが大陸全体を覆う頃……。
「今から約72時間で到達してしまうでしょう」
それは何を意味しているのか。
ここにいる誰もが、いや、ここに立てこもり、最後の抵抗を続けている人間たちすべてが知っていることだった。
人類は滅亡する。
有史以来、より明確な予感としてここまで人々の眼前にその事実が吊り下げられたことはない。
彼らが目にしているのは、まさしく人類滅亡の予感なのである。
数回にわたる大規模な作戦が、すべて失敗に終わりそれでも戦い続け、しかし後退を余儀なくされてきた。そして地の果てに追われた彼らにとって、もはやその事実はそれほど驚くべきことではなかったのかもしれない。
ひょっとしたら、日増しにリアリティを増して近づく終焉に怯える日々に疲れきり、いっそその日がくるのを待ち焦がれていた者もいたかもしれない。
しかし、今、この会議室にいるのは、逃げることよりも戦うことを選んだ者たちだった。
「――オペレーターを残して、兵士たちに12時間の休暇を後退で与える。これから50時間以内に迎撃準備を……」
歴戦の勇士、初老の男は最後の命令を下した。


8 :wx3 :2007/05/18(金) 01:37:34 ID:rcoJsAtH










カイン=ルシフェルトが、地球に渡った当初、火星生まれである事実は呪いでしかなかった。
1000年前とはいえ、火星独立戦争以来、地球では火星人への根強い差別意識があった。
【マーシャンズ】という呼び方もまた、火星人に対しての蔑称だった。
【VOLD】暴走以降は、さらに地球人による火星人への差別、弾圧などは激化し、やがては社会問題へと変わっていったが、人類はほどなくして、それどころではない状況に遭遇することになる。統合軍の宇宙艦隊によって暴走した【VOLD】を最終的には破壊することが可能と見られていたが、その繁殖能力、増殖能力、凶暴性などは彼らの予想を遥かに超えていた。
気付けば星ひとつがたった一個の生物体に呑み込まれ、まったく新しい生態系が星全体を包み込んでいたのである。
それを人々は、【生態侵蝕星団兵器ボルド】と呼んでいた。
「相変わらずね」
ボルドの侵攻がついに始まってから7時間後。カイン=ルシフェルトは統合宇宙軍の南極防衛基地のロッカールームにいた。シャワーを浴びてバスタオルをかぶり、自分のロッカーから服を取り出す。そんな彼の背後で、壁に肩をあずけて立っていた人物が何気なく囁いた。
先ほど報告を終えたマリア=ヴィンセントである。
「ここは男子ロッカールームだと思いますが」
何げなくそういいつつも、カインは振り返ることなく着替えを済ませていく。
卸したての真っ白なシャツを羽織り、黒い何重にもパックやホルスターなどが吊り下げられたボトムスをはいた。
彼は兵士だが、鍛え抜かれた戦争のプロフェッショナルというには、あまりにもほっそりとしており、宇宙で生きてきたその肌は病的なまでに白く華奢で繊細な印象が拭えなかった。
銀髪の髪がまだ少し濡れていて、わずかにしっとりと揺れる。
そんな彼に、マリアはゆっくりと近づいた。
彼女の動向に気付き、カインは振り返る。
「マーシャンズだと気付かれないようにしようと思えばできることだと思うけど」
そういいながら、腕を組んだ彼女の片手が振り返った彼の髪に優しく触れる。
「……」
カインは黙ってされるがままに彼女を見下ろしていた。
マリアはそんな彼を見上げながら、わずかに微笑えむ。
公では、二人は上官と部下という立場にあり、マリアが年上でカインはわずかに年下ではあるが、この二人の間に、一瞬、それ以上の雰囲気が流れた。
やがて、その雰囲気を崩したのはカインの方だった。
彼は髪から頬へと流れてゆく彼女の手をそっと掴み、遠ざけると、再びロッカー向き直り、黒いボトムスと同じく黒いジャケットを着込む。
やはり様々なポシェットやホルダーなどが吊り下げられたジャケットで、彼はそれに拳銃などの武器や弾薬など、装備を手馴れた様子で納めていく。
「傷はまだ癒えていないのに、もう戦場に戻るつもりなの?」
少しいらだった様子で彼女は言う。
「俺はまだ死んでいません」
手を休めずにカインは答えた。
「死ぬまで戦うつもり?」 
「ヤツらを殺しつくすまで」
無感情なその言葉はまるで戦うために生まれた機械のようだった。
「……」
マリアは彼の脇に立ち、ロッカーのドアを閉じた。
「大半の兵士に、今、休暇が与えられているわ。あなたも命令は下っているはず。休みなさい。カイン=ルシフェルト」
リボルバーによく似たタイプの銃に弾丸を込めていたその手に、そっと彼女の手が添えられ、彼を制する。
そして、そのまま銃を手にしたままの彼の胸に、そっと彼女は寄りかかった。
「たとえ明日死ぬことになっても後悔しないでいたいの……」
「……」
ボルドによる人類への攻撃が始まる以前から、人々は漠然とした恐怖を常に抱き、生きてきた。
それは生きるための緊張感である。
人は緊張感という薪をくべ、命という火を燃やし続けて生きているのだ。
その緊張感が大きければ大きいほど、命という炎は燃え盛る。
マリア=ヴィンセントという一見、冷徹な女性であっても、それは変わらない。
生か死か。それだけではなく、ボルドは人間という生物の定義さえも侵蝕し、破壊しつくす恐るべき兵器なのだ。一個の生物として、人間として、男として、女として、最後に残された人類という種として、今そこにいる時間はごくわずかなのかもしれない。
そんな中で、最大限に命という炎は燃え盛る。
そして、男は女と出会い、女は男と出会い、その炎はやがて一つとなり、天さえも焦がすようになる。その時の火照りが、今だ肌に余韻として残る中、カインは眠れずに部屋の天井を見つめていた。飾り気のない兵士にあてがわれた部屋のベッドに、彼は横たわり、傍らで今も眠る女性の静かな寝息を聞いていた。
「……」
そして、静かに目をつむり、来ない眠りを待っていた。
安らぎなど、来るはずがないと知っていながら。






――またケンカ?

白衣を着た女性が柔和な笑みを見せた。
花など見たこともない彼だったが、彼女が笑ったときには、なぜか花が咲いたかのような印象を受ける。優しい笑顔だった。彼女はいつもボロボロになって帰る彼を責めることはなかった。
マーシャンズであるという事実を隠したくないと思う彼の気持ちを彼女はよく理解している。
そして、マーシャンズである彼に対して、一方的な虐待をする周囲がいることも彼女はよく知っていた。

――こっちにきて。もうすでにあなた用にエタノールを用意してあるのよ。

少し呆れた様子を演じつつも、彼女は柔らかく彼を迎えてくれた。

――このごろ、傷が深くなってきたわね……。

額の傷にそっとエタノールを染みこませたコットンを触れさせる。
それが傷に沁みてじっとしていられず、いつも彼女の手を跳ね除けていた。

――地球に行ったら、宇宙軍に入るんでしょう? このくらいガマンできなくてどうするの。

12歳の夏。
夏といっても、凍えるほど寒い宇宙の夏。
それは起こった。

――逃……逃ゲ……なサ……い。か、カイン……はや……ク、もう、トめラレナイ。

身体の右半分に大きな肉の塊が彼女に寄生していた。
それはまるで何かの内臓のように、どくどくと鼓動を繰り返し、何本もの触手が飛び出して、彼女の胸や腹部や身体のいたるところに突き刺さっている。
それらから何かが彼女の身に注入されているのか、あるいは吸い取られているのか。
当時の彼にはわからない。
だが、目に見えて『変化』はおきていた。
彼女の目が焦点をあわせられずに右や左を泳ぐようになっている。
その美しかった頬の皮下組織を何かが泳ぐように這い回っているのが見える。
それはまっすぐに彼女の脳を目指していた。
皮膚のいたるところから血が滲み、とても正常ではいられない状況の中、彼女はそれでもカインに向けて必死に叫んでいた。
『逃げろ』と。
「……ぁ」
目の前の現実を理解できず、信じられず、恐ろしくて彼は立ち尽くしていた。
耳の奥では、遠く非常事態を示すサイレンが鳴り響いているが、それは彼には何か遠い世界の出来事のように見える。
今、彼の目の前に映っている人が人でなくなっていく光景さえも、何か絵本か夢かで見た怖い話の中に出てくる怪物を見ているようで現実感を感じることができなかった。
そして、その醜く変化していく『それ』と、いつも優しく微笑みかけてくれた綺麗な彼女を繋げることがどうしてもできなかったのである。
やがて、ぷしゅん、という音を響かせて何人もの大人が室内に入り込んできた。
彼らは動揺し、露骨に恐怖に満ちた表情を見せ、それぞれに声を発しているが、何を言っているか分からない。一人が腰を抜かして彼の傍らに座り込み、また誰かが自分を部屋から出そうとしているが、彼はどうしてもその場から動くことができないでいる。
そんな時、一人がライフルを手にして銃口を『それ』に向けようとしたが、誰かがそれを制した。
「やめるんだ! もし、肉片が周囲に飛び散ったりしたら、艦内全域が汚染される!」
やがて、後から入ってきた全身を覆いつくす宇宙服のような防護服を着た者たちが、背中にタンクのようなものを背負って、それとゴム製のチューブを繋げ合わせて奇妙な銃のようなものを『それ』に向ける。それは火炎放射器だった。
「か……く……くか、カカカ……」
人間の言葉とそうでない普通では発音できない奇妙な声が混じった彼女の声が苦しそうにその場に響く中、彼女の意志かそうでないのか謎だが、突如、彼女は一歩前に出た。
その動きに恐怖を覚えて逃げ出す者たち。
宇宙服を着た連中だけがその場に残った。
カインは静かに彼女を見つめていたが、やがて火炎放射器を手にした宇宙服の男に掴みかかり、思いっきり頭からタックルを食らわせて相手を倒れこませると、無理やり火炎放射器を奪い取り、そして……。
「カ……カ、カ……イン………」
くぱっという音が聞こえそうな音とともに縦に割れるその手は、かつて優しく髪に触れてくれた彼女の手だった。
それは今、割れた断面から血と交じり合って奇妙な透明の液を垂らしながらカインに迫る。
それがまさに触れるか触れないかの瞬間。
カインは、引き金を引いた。



――きぃぃぃぃぃぃぃぃぃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ






「っ!」
目を覚ましたとき、そこはいつもの彼の部屋だった。
シーリングファンがゆっくりと回り続けている。
隣では今も眠るマリア=ヴィンセントの姿がある。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
呼吸が苦しくなるほどに胸の起伏が激しく、身体中に脂汗が浮かんでいるのが分かる。
夢を見ていたのだ。彼は何気なくそう心の中で呟いたが、やがて、
「いや、夢じゃない……」
それは過去の記憶だ。
初めてこの手で人間を焼き殺した記憶。
その時の引き金の感触は、まるでつい先ほどのことのように、今も手の中に残っている。
ようやく呼吸が整い始めた頃。
突如、基地内全域にサイレンが鳴り響き、それにともない放送が轟きわたった。
『【VOLD】数体が50キロ北部地雷原を通過中。強襲ヘリ部隊は待機』


9 :wx3 :2007/05/18(金) 10:13:19 ID:rcoJs4oJ

File 05:  回想記録 The Gun Of The Crazy(中篇)

「だいじょうぶよ。哨戒チームだけが出て行くだけだわ。【VOLD】数体なら突破は無理だし、まだ本体がここまで来るには早すぎるわ」
傍らで目を覚ましたマリアが、ブランケットで胸のあたりを巻きつけながら起き上がる。
彼女が言わなくとも、カインとてそれを分かっていないわけではない。
だが、彼の額には緊張を思わせる汗が滲んでいた。
それは恐れを意味する緊張ではない。やがて来る戦いの瞬間を待ちわびている凶戦士の歓喜の奮えだった。
「……」
そんな彼を黙って見つめるマリアの表情はまるで何か悲しい予感に不安を覚えているかのように切なかった。






3499年12月23日。午前6時23分。
まだ人類は存在している。






ぎぎぎぃ、という錆びた鋼鉄のドアを自分で押し上げながら、巨大な搬入用エレベーターを降りた。
もともと建設機械を搬入するために作られたもので、人が乗り降りするためのものでないため、実に実直な造りだが、ないよりはましである。
ろくに壁らしい壁も用意されておらず、錆びた鉄網の柵に天井には、露骨に巨大な鎖が、重々しくエレベータールームを支えている。
そのエレベーターを降りた先には、急遽、建設された空洞が広がっていた。
施設の中央に最初は全長400メートルの巨大なボーリングマシンを開発し、それによって地下に向けて掘り進めていく一方、その中央のボーリングマシンを軸として幾つもの巨大な橋をかけ、さらに他の巨大な橋と重なり合わせ、そこに居住区域や様々な施設を増設していったのである。
地下2000メートル、広さにして500ヘクタールに及ぶ巨大な都市型地下空間の建造が開始されたのは西暦3488年、連合艦隊が汚染された惑星ケリシアを消滅させた年である。同時に、火星でボルドが暴走を開始した年でもあった。
その頃から、すでに地球ではこの地下都市空間の建造に着手していたのである。
あるいは、その時すでに地球側は火星が公開を拒否していたボルドに関する資料をある程度入手していたのかもしれない。
今となっては、それも無意味となりつつあるが。
当初、生存していた人類をこの施設に収容しきることは不可能とされており、この施設に本格的に避難民を受け入れた頃には、基地外に仮設のキャンプを作ったが、3499年の現在、人類の生存率は10パーセントを切り、当時、溢れかえる避難民で歩く場所にも困っていたほどのこのあたりも、ずいぶん寂れた風景が広がるようになっていた。
様々な民族衣装を着た避難民がいるかと思えば、近代的なスーツを身にまとっている者もいる。
戦闘に疲れた兵士の姿もあるが、夫の帰りを待ち続ける女性が、通りの端でカインが降りて着たエレベーターをじっと見つめている。
総じていえることは、薄汚れた服を身のまとって、疲弊しきった死んだ目をして、来るべきときを待っているような様子である。
それは、犬と駆け回っている数人の子供たちですら同じことが言えた。
ボロ布を切り合わせたような服を着て、犬を追い掛け回しているが、カインが降りて着た瞬間、じっとこちらを見つめている。
数年前は、彼らに兵士である人間は、励ますための言葉をかけなければならなかった。
そして、避難民たちもまた、激戦を生き抜いて戻ってきた彼らを賞賛した。
しかし今、誰も戻ってきた彼らを称えようともせず、戻ってきた兵士たちもまた、誰も希望を謳うことはなかった。
そして、大人たちは皆、いつしか子供たちにかける言葉を失っていた。
子供たちももはや気付いているのだろう。
すべての終わりを。
「……」
そのとき、じっと自分を見つめてくる二人の子供と目があったカインだったが、何かをじっと待つかのように見つめてくる子供に、一瞬、歩みを緩めるものの、結局、何か言葉をかけることなく、そのまま歩いていった。
その子供は双子だった。
ボロ布を切り合わせて着ているように見えたが、実はそれは失われたどこかの国の民族衣装で、双子の子供は希望を失っているわけでも、また希望をもっているわけでもない、どちらともつかない目でカインを見つめていた。
やがて、遠くカインがその背を消そうとする頃になっても、じっと見つめていた双子たちのうち、片割れが呟いた。
「もうすぐだね……」
「うん、もうすぐだね」





彼の旅が……始まる。
長い長い……気が遠くなるほどに遠く長い旅が……。


10 :wx3 :2007/05/18(金) 10:15:56 ID:rcoJs4oJ

3499年12月23日。午前9時38分。




この世に神はいないかもしれない。
神を創ったのは人間だという者がいる。
では、悪魔を創った人間もいるということだ。
誰かがそういった。
苦しみと絶望と憎しみ、しかし、そこのはもはや怒りの炎は尽き掛け、変わりに闇が降り積もろうとしていた。嘆きの声がこだまし、救いを求める手が、天に向けて突き出されようとも、そこにあるのは冷たく黴臭いコンクリートの天井しかない。
時折聞こえる水音は、コンクリートの隙間から染み出る氷河の水音だが、それは、まるで生命全体が流す涙のように思えた。
怒りではなく、悲しみと絶望に滾ろうとも、どうすることもできずに、ただ願い続ける涙の流れる音である。
そんな中、聞こえる叫び声は、まさに狂気の叫びのように聞こえる。
しかし、彼らはそれを楽しんでいる。
冷たい現実の空気は針のように肌を刺すが、それらを忘れるために酒をあおり、快楽に身をゆだね、そして、脳の奥に得体の知れない科学物質を注入する。
恍惚とした無感覚の暗い回廊を歩き続けるアンデッドたちは、死へと向かいながらも激しく不気味に打ちつける心臓の音に耳を傾け、滑稽な踊りを踊っていた。
地下都市空間中央層にあるスラムの一角のバーである。
蒼白い人工の閃光が、闇を飛び交い、耳を破壊するかのような暴力的騒音が、店中に響き渡り、それに合わせて溢れかえらんばかりの客たちが、蠢いている。
そんな中、黒いコート姿の背の高い青年が一人、カウンター席に向かって静かに歩いていく。踊るわけでもなければ、ほかの客のように笑い転げながら怪しげな煙を吸うふうでもなく、一番まともに見えることがまとめでない人間であるかのように、そこでは異様さを現している。
ほかの客たちも、いずれ彼の存在に違和感を覚え始め、彼が歩く先に道が出来ていく。
その先には、カウンターに立つ一人の女性の姿があった。
黒い亜シンメトリーのドレープスカートに、少しサイズが大きすぎる感がある白いブラウスをだらりと着こなしている。
数え切れないほどのベルドが組み合わされ、太ももまで届く黒いエナメル製のロングブーツをはいた長い足を組み、宙をぶらりと吊るしていた。
ストレートの長い黒髪は今、静かに酒を呷っている。
カインは、そんな彼女の前の席に座った。
「見ない顔ね」
女性が後ろの棚からガラス瓶を一本取り出し、グラスに注いでいく。
その瓶には、年号が振ってあった。
【TRAVELLERS 2035】。
血の色のように赤いその液体がグラスに満たされていくのをじっと見つめながら、カインはその女性を見返した。
見ると、女性のほうがすでにカインをじっと見つめている。
その表情は、病的なまでに白いが、まるで肌の奥から銀色の光が滲み出ているかのように鮮やかに映る。そしてそれと同じく銀色の髪をボブカットにして、はっとするほどに繊細で美しい顔立ちをしている。唇はまさに血の色のように鮮やかに濡れており、瞳の色は黄金色をしている。まるで魔性の存在のごとく、危険な美しさとどうしようもなく惹かれる何かをその女性からは感じた。
ひどく穏やかではあるものの、その表情の奥には、遠い記憶を思い返し、懐かしむような笑みが称えられていた。
カインは一瞬、以前、どこかで会ったことがあるような気がしたが、それを女性に問いかけようとは思わなかった。
「軍の人間?」
「……」
彼女のその問いかけに対して、反対側のテーブル席で死んだように眠っていた客の一人が起き上がった。筋骨隆々の大男で、顔中にひどい火傷の痕がある。
その男が、一瞬、火傷で腫上った顔全体を無数の皺で覆いつくすほどに、何かの感情をカインに向けようとしたが、それを女性が静かに制した。
それを受け、男は犬が自分より強大な相手に対峙したときのように、弱々しく引き込む。
「ファイシュ、ファイシュ・ウォーナム・オゼルヒアよ」
女性はそういって、カインの前に注いだグラスをそっと置いた。
「カイン・ルシフェルトだ。前に会ったことが?」
「ずいぶん古典的な口説き方ね、ルシフェルトさん」
女性はクスクスと笑い、カインは、グラスを手に取りながら注がれた酒を一口、口に含んだ。
濃厚な甘さと熱が口いっぱいに広がっていく。
酒は強い方だが、それでもなぜか恍惚とした高揚感と、得体の知れない躍動感が全身に広がっていくのを感じた。
不思議な酒である。
「その名前は本名か?」
「ええ、昔のね……」
女性は、新たに酒をグラスに注ぎながら、少し掠れた声で答える。
「ずっと昔に捨てた名前だったわ。でも、最近、昔を思い返すことが多くなって……。それでこの名前をまた使うようになったの」
「昔?」
「この店もずいぶん古いのだけれど……。もうすぐ大口の『客』がたくさんやってくるから、昔馴染みの客も来れなくなるでしょう。だから、今のうちに昔の客を迎えているのよ」
少し遠い目でそういいながら、やがてそれはカインに向けられた。
年齢を思うに、カインよりわずかに年下の20代前半頃の女性に見えるが、その深い瞳と物腰は、まるでカインよりもずっと年上の女性であるかのように見える。
少し疲れているような穏やかさで、昔は激しい魔性を帯びていたが、今はどこかそれさえも激動の時代に磨きつくされ、もはや何かを越えた達観した者の遠くを見つめる視線がそこにはあった。
「……」
慈しみと、懐かしさ、嬉しさもわずかにあるが、それ以上に切なさと悲しさの入り組んだ複雑な感情すべてを受け入れ、長い時間をかけて何かを悟った瞳でカインを見つめる。
「これから戦うのでしょう? ルシフェルトさん」
「……もう街中に噂が?」
うんざりしたかのようにカインは答えたが、そんなカインに女性は笑った。
その笑みは、年下であるはずの彼女が、年下の少年に笑いかけるような微笑だった。
「いいえ、そうではないわ」
そういって、女性は静かに、カインのグラスに再び酒を注ぐ。
カインは女性の言葉を待って、黙り続けた。
そのまま、二人の間に沈黙が降り立つ。
その時間は、まるで長い長い時間を駆け抜けてきた二人の過去を思い返しているかのような感覚があった。なぜかは分からないが、カインは、過去、この女性と一緒にいた時間があったような気がするのだ。そして、その時間を今、思い返そうとしているのに、思い返すことができない。ただひたすら、感覚だけが暗い脳裏の中を波のように押し寄せてくる。
それは心地良い感覚だった。
そして、それを同じように女性も今感じていると分かる。
そのことが不思議だったが、彼はそれについて女性に問いかける言葉を持たなかった。
ただひたすら、時間だけが過ぎていく。
やがて、その沈黙を破ったのは、彼の腕に巻きつけられていた腕時計のようなモバイルキャッチからの通信を伝える電子音だった。
「……」
カインはグラスを置き、緑に点滅するキャッチに指を当てると、緑色に光る粒子が空中に飛散し、それがやがて何かの映像を構成するように引き付けられていく。
それはやがて、軍の規定の制服を着た若い女性の姿を創りあげて行くのに数秒とかからなかった。
『カイン=ルシフェルト伍長。ヴァラハム=リヴェルト大佐から、第七海兵隊師団のスターメイカー部隊に緊急招集がかけられました。至急、規定ブロックにお集まりください』
事務的な連絡事項を伝えると、通信は一方的に切られてしまった。
とはいえ、通信はすべてモバイルキャッチに自動的に記録されるので、あとで連絡事項を確認しようと思えば、データを呼び出すことができる。
「忙しいわね」
「そのようだ」
そういって、カインは腰のポケットから紙幣を取り出そうとしたが、それを女性は静かに制した。
「あたしからのおごりよ」
「ありがとう」
そういって、カインは立ち上がった。
倒れて眠っている客をまたぎ、不貞腐れた顔で睨みつけてくる連中の前を横切って、出口へと向かう。
そんなカインの背に女性の声が響き渡った。
「また来てね、ルシフェルトさん」
「……」
カインはその言葉に答えることなく、そのまま店を後にした。










「あなたが、一番の古馴染みね……」


11 :wx3 :2007/05/18(金) 10:16:21 ID:rcoJs4oJ






制服姿の人間が、通りを歩いていてもろくなことになったためしがない。
地下都市空間。マグマの河が流れる上にかけられた崩れかけの橋の上にある街は、もはや、死の色を帯びている。
ボロをまとった人々は、軍部の人間を見れば、まるで不吉の象徴と対峙したかのような顔でそそくさと立ち去っていく。
そうかと思えば、酔っ払いが時折、絡んでくることもあった。
彼らは常に同じセリフで殴りかかってくる。
『本当はお前たちが招いた災厄なんだろう。軍の実験の失敗で出来たバケモノで俺の家族や友人を奪いやがった』
行き場のない怒りが妄想を肥大化させ、彼らにもっともらしい口実を与える。
【VOLD】との戦闘でではなく、こうした市民の怒りの暴動によって死んだ兵士も少なくはなかった。
しかし、それさえももはや最近は減少傾向にある。
誰もが、憎しみをぶつける気力さえ失いかけていた。
そんな中、カインはファイシュの店を出て規定ブロックに向かおうとていた。
そのときである。
「おい!」
「?」
久々に何者かが乱暴に彼に掴みかかってきた。
カインは一瞬、狂った市民が久々に元気を取り戻して自分に襲い掛かってきたのかと身構えたが、相手からは攻撃の気配はなかった。
乱暴に自分に掴みかかってきたのではない。
倒れこむようにして、自分に寄りかかってきたのだ。
「カイン……、カインだな?」
「誰だ?」
本来なら美しかったのだろう金髪の髪をボサボサに伸ばし、まったく手入れされていない髭をふさふさと伸ばした、一見、中年にしか見えない男が、なぜか彼の名前を知っていた。
男はずいぶん急いだ様子で、周囲を気にしながら、カインの襟首を掴み、通りの端に引き寄せた。
「そんなことはどうでもいい。それよりよく聞くんだ。これまで何度もお前にコンタクトを取ろうとしたが、ついに今日までお前と接触することができなかった。おそらく【時間】の強制力で、今日、この瞬間になるまで俺はお前に会う予定ではなかったんだろう。今、お前と会うことができているということは、恐らく、今日か近い将来、俺は死ぬ。だが、その前にお前になんとしても伝えなければならないことがある」
男は早口でまくしたてながら、しきりに周囲を見回しながら、それでも何かを必死で伝えようとしている。しかし、男の口調はまるで、つい数時間前にとうとう【VOLD】がアイスフィールドを突破した事実を知っているかのような口調である。
一瞬、眉を寄せながら、とても普通には見えない男をカインは冷静に見据えた。
「何をいっている? 誰なんだ?」
「いいから聞け! いいか? お前はもうすぐあるボタンを押す。そのボタンはお前にしか押せない。【時間】による強制力によってそういう仕組みになっている。だが、いいか?
お前が押すそのボタンは……」
男がそこまで言いかけたときである。
突如、男の傍らに何人かの治安維持警察の制服を着た男たちが立ったかと思うと、数人がかりで男を取り押さえた。
金髪の男はなんとか逃れようとするが、押さえ込んでいる警察の連中はプロだった。
両肩を押さえ込んで、無理やり金髪の男を通りの反対側にある車へと引きずっていく。
しかし、男は、無理やり押さえ込まれ、口に手をあてがわれながらも必死でカインに向かって叫んだ。
「カイン! 絶対に恐れるな! 必ず押すんだ、そのボタンを! そして、間違うな! 必ず……必ず押すんだ!」
そこまで叫んだとき、背後で高圧電流を流し込んだ警防が、男の脊髄にめり込んだ。
一瞬、驚いたような表情を見せた男は、やがてぐったりと力を失って、取り押さえている男たちに身を預けるようにして倒れた。
そのまま、荷物を車のバックシートに押し込むような乱暴さで、男は車に乗せられていくのをカインは黙って見つめていた。
やがて、カインの傍らに同じように制服を着た一人の男が敬礼をして現われた。
「失礼。状況が状況だけに、最近はイカれた暴徒が急増していてね。制服の腕章を見るに第七艦隊の兵士の方だと思うが、一応、IDを確認したい」
カインは、連れ去られていく男を今だ見つめたまま、目の前の男に言われるまま腰ポケットからIDカードを取り出して手渡す。
警察の男はそれを手持ちの小型モバイルのカードリーダーに差し込み、空中に光粒子のモニターを表示させた。ほどなく、カインの写真が立体映像として映し出され、それにあわせた経歴と身分が表示される。
「なるほど、カイン=ルシフェルト伍長。手間をとらせて申し訳ない。あの男が何か言いませんでしたかな?」
「意味不明なことしか聞いていない」
男はしばらく、カインの瞳の色を試すかのように、じっくりと覗き込んだ後、すぐさまIDを返し、きっぱりとした笑みを浮かべた。
「ご協力感謝する」
そういって敬礼をすると、そのまま車のほうに駆け寄っていった。
それをしばらく見つめていたカインだったが、やがて、自分も規定ブロックに向けて歩みを急がせた。


12 :wx3 :2007/05/18(金) 10:17:53 ID:rcoJs4oJ












我々は一人ではない。
我々には家族がいる。仲間がいる。戦友がいる。
だから悲しむな友よ。
今日、別れた戦友は、明日、再会するだろう。
昨日、闘った敵は、明日、友人に変わるだろう
だから友よ、今夜、闘え。


13 :wx3 :2007/05/18(金) 10:18:34 ID:rcoJs4oJ










悠久の時を千億の夜を、それは我々、この星に生まれたすべての生命の体内で眠り続けてきた。その時がやがて来るのを待ち望み、新しい時代の到来を、ただひたすら待ち続けてきたのだ。
いつか我々と共に歌う日が来ることを待ち望んで。









「――本来なら、各分隊規模のブリーフィングを行うのが通例だが、今回は時間がなく、重要であり、かつ簡潔であることから、急遽、このような形で召集をかけた」
時間がないとはいえ、前置きに時間をかけるのが隊の通例というものである。
とはいえ、今回の分隊長、ディナン=カイクロンの前口上は、まさに簡潔そのものだった。
彼は、それまでのあらゆる戦闘前のブリーフィング時と何も変わってはいない。
常に、きっちりとした宙海軍規定の軍服に身を包み、完全にそり込まれた頭をしながらも見かけは四十代前半の鍛え抜かれた歴戦の勇士に見える。規律と礼節を重んじる古風な兵士であった。いかなる危機に陥ろうとも、常に冷静に事に対処し、確実に任務をまっとうしてきた。その並外れた指揮官としての能力ゆえに昇進の機会も何度かあったが、常に戦場に立つことを望み、現在の地位に納まりつづけている。
兵士たちからの人望も厚く、上層部たちからの信頼もある。
そんな彼が、これまでのいかなる危機にも変わることのなかった彼の通例を曲げた。
もはや、兵士たちの大半が目前に迫る危機を噂で知っており、それはもう民間人にまで広まりつつある。彼の、ディナンの行動は、その噂の真意を裏付けるものだった。
戦略考案委員会から派遣された士官が、彼の言葉に合わせて、兵士たちの目の前にスクリーンを投影させた。それは、グリーンの光粒子を空間上に浮遊させ、映像として構築するものである。
それは、まさに南極大陸を真上から見た映像を浮かび上がらせていた。
各地域に設置されたポイント要塞が青い光点で表示される。
そして、その直前で停止している赤い点の集合体がある。
それらは南極の北部全域を覆いつくし、まるで点にしか見えないほど小さな虫が蠢いているかのように、微妙に移動しながらも群体としての規律を本能的に維持している。
それはまるで一つの生物であるかのように、連動して南下しようとしているように見えるが、一定線から下への侵攻は阻まれていた。
その様子を見てから、ディナンは溜息をつき、仕官たちに手で制すると、それを受けた士官たちがそのスクリーンをただちに消した。
「諸君らの大半はすでに知っているだろう。今さら隠しても仕方のないことだ。十数時間前、最北部の哨戒ポイントが【VOLD】によって襲撃を受けた」
一瞬、静寂に包まれていたブリーフィングルームが、どよめきの声で埋まる。
兵士たちは口々に隣の仲間と何かを話し、今聞かされている事実と向き合うことに戸惑いがあるようだった。
そんな彼らのどよめきを、ディナンの一言が一瞬で制す。
「そうだ、ついに【アイスフィールド】が突破されたのだ」
その一言は、紛れもないただ一つの真実を示すのに十分すぎる言葉だった。
それはいずれやってくる未来だ。
避けのようのない未来なのだ。
人が人として生まれ出でてから、幾千、幾万の時を経てよりそれを『産む』ことを運命づけられてきた。
時間は問題ではない。
「南極の気温があと一度低ければ、我々の生存は10年見込まれていた」
状況さえも問題ではなかった。
「だが、現実として、それは来てしまった」
それはただ運命である。
「諸君、我々は決断せねばならん」
消滅の時がきた。
「生きるために闘うのか」
その戦いは『人』では到底、戦いぬくことのかなわぬ別の世界の闘いなのだ。
『人』では到底、あれと闘うことはできない。
あれと闘えるのは、まさに常人離れした『魔物』でなければできない。
「それとも今、死ぬべきか」



人に未来はない。
そして未来に人の進むべき道もない。
あるのは『今』だけだった。


14 :wx3 :2007/05/18(金) 10:19:59 ID:rcoJs4oJ





スクリーン上には現在、赤い光点で構成されたなんらかの生命体の映像が浮かび上がっている。ほとんどが赤い光点で描かれており、青い点やグリーンの点で構成されている部分は、ごくわずかである。
恐らく熱源反応によって描き出された映像なのだろう。
それは人の成人の姿によく似ているが、体温が異常に高く、青い点で構成された部分として、奇妙なノズルのような細い管が頭部から伸びているのが見える。さながら触手そのものである。
頭は異常に膨れ上がり、顔の構成もずいぶん歪に変形している。
目の部分が大きく尖り、鼻と呼べる部分が消失していた。
口となる部分には、すでに完全に人の面影はなくなっていた。
まるで昆虫のように幾重にも折り重なるようにして構成された顎が形成されており、その端からは尖った牙のようなものが突き出している。
全体の人の姿のバランスとしては異様に太く長い手が伸びており、足にいたっては、もはや骨格の構成さえも変形していた。
まるで犬のように人とは逆向きに間接が曲がっている。
また、外皮部分の構成としては普通に筋肉や皮膚で覆われているのではなく、まるで昆虫のような外骨格と呼べる甲殻に覆われている。
「元々、『彼ら』はそう人と逸脱した姿をしていたわけではない。最初の『感染者』は見た目上にはほとんど変わってはいなかった。――当初では、変態に耐え切れずに細胞融解を起し、死亡することをまず免れる段階だけで種の限界だったとされる」
ディナンが、その立体映像の周りを歩きながら話す。
すでに何度となく繰り返されてきた説明である。
兵士たちは、ただひたすらそれを黙って聞いていた。
今、まさに自分たちを滅亡へと追い込もうとしている『それ』は、元はただの……。
「惑星開拓を目的として創造されたまさに惑星規模の自立思考型のシステム。元は単なるそれだけの存在だったのだ。……いや、それだけの存在であると我々は思い込まされていた。35世紀。人類の科学力は、成熟期を越え、ついにひとつの結論へと至る。あらゆる地球上の生物の進化の最終的な結論は自滅ではなく、その結論へといたるための布石だった。人が人としてその『形』を得たのは、その結論にいたるため、地球上のすべての生物がその『形』をしていたのは、その結論へといたるため。人が人として出現したのは、あらゆる環境破壊によって地球そのものに死を与えるためではなく、新たな段階へと向かわせるために侵食していたのだ。さながらウイルスのように宿主とともに共存への道を歩み、新たな段階へと進化することが、人類が生み出された最大の理由だったのだろう。『それ』は、人類の誕生とともに、人類の細胞内に潜み、その瞬間が来るのを待ち望んでいた。人類が始めて火を手にした時、その火の中に潜み、人が始めて蒸気の力によって巨大な力を得たときには、その蒸気の中に潜んでいた。人が新たな力を得るごとに、『それ』は巨大に膨れ上がり、ついには地球そのものを破壊するに至る力を得た。しかし、『それ』はそれだけでは満足していなかった。35世紀の現在。宇宙物理工学、遺伝子工学、電子工学、あらゆる学問の最終的帰結は、『それ』の誕生を予測し予言していたのだ。生態侵蝕星団兵器ボルドと呼ばれる直径8000メートルほどの物体である。それは人工の生命体であり、精密機械でもある。それの目的は、あらゆる惑星内の生命体に侵蝕し、その構造を変質させ、惑星内の生態系そのものを自らの神経系に取り込み、無限に増殖していくことである。
当初、我々、人類は、外宇宙探査における惑星開拓を目的としてこれを創造した。人類が生存していくに、最適な生態系を創りあげ、惑星そのものを改造することにあった。やがて人類は未知なる新生物と遭遇することになるが、惑星内の生態系そのものを侵蝕するその技術に脅威を感じた『彼ら』は、人類に対し、戦争をしかける。しかし、生態侵蝕兵器【VOLD】は、惑星軌道上より【ボルドの肉片】を投下。落着地点より周囲10キロ圏内の生物をすべて飲み込み、融合し、3時間後にはボルド感染を起した異形の生命体が、地上を歩き回るようになった。ほどなくして、惑星内のほぼ半分の動植物が、ボルドによって異形の生物へと変質されたのである。この事実に驚いたのは、惑星の原住生物たちではなく、むしろ人類の方だった。まったく予測を超えた新生物が惑星内を跋扈し、狂ったように他の生物をむさぼり食っている。さらには、侵蝕を繰り返し、もはや元の生物がいったいどのような形態をしていたかなど分かりようもないほどに、異形の怪物が生まれ出ていた。そして、さらにその進化は加速を続けており、もはや暴走状態にあった。
まるで、ずっと檻に入れられていた怪物が、ようやく獲物を手にしたかのように、その獰猛なる食欲には際限がない。惑星全体をほぼ【ボルド変異体】によって覆い尽くした【ボルド】は、さらに星系内の他の惑星を侵蝕していく。もはや我々の制御が利かなくなりつつある頃、ようやく我々は、事態の深刻さに気付いた。しかし、その頃にはすでに【VOLD】の触手は、我々へと向かっていたのだ」
そこでディナンは言葉を切った。
そして、人を媒介として産まれ出でた異形の生命体の映像を消失させ、今度は惑星ほどの大きさを持つ巨大な球体状の物体を映し出した。
有機的な肉の塊のように見えるが、それでいて、複雑な構成をした巨大なパイプのようなものが入り組んでもいる。また黒く光る艶やかな素材で構成されたモノリス状の物体までもが埋め込まれており、それが生物なのか機械なのかの定義をあやふやにさせる。
「――次々と人類は【VOLD】に侵蝕され、ボルド寄生体を産み付けられ、異形の生物へと変質していく。そして、その侵蝕され【ボルド変異体】へと生まれ変わったそれは、新たに人類に襲い掛かっていた。【ボルド】が人類に牙をむき、人類そのものを飲み込もうとしてから数年の月日が経ち、もはや人類の総人口の90パーセントが【ボルド変異体】へと変質していた」
ディナンは、軍服のポケットから一本の小さな棒状の物体を取り出す。
それは彼のわずかな指先の操作で透明のフィルムのようなものを横に突き出した。
その薄い透明なフィルムの向こうに一人の女性の姿が浮かび上がった。
彼はしばらくそれを見つめ、そんな彼の様子を兵士たちも黙って見つめていた。
彼らのうちにも、ディナンと同じく誰かの姿を思い浮かべる者は多くいたはずだ。
やがてディナンは、ゆっくりと告げた。
「十数時間前には個体規模の順化だっただろうが、もはや現在では大多数の種が順化を終えている頃だろう。すでに強襲ヘリ部隊が【アイスフィールド】の境界線へと向かった。
それに伴い地雷の増設と自動追尾型攻撃機の設置も行われている。諸君ら機動歩兵部隊は、ただちに戦闘準備に入り、各小隊ごとに待機してもらう――」
そこまで言ってから、最後に彼は付け加えた。
「恐らく、これが最後の戦いになるだろう。願わくば……いや、これは願いではない。祈りだ。――人類、すべてが皆、幸福であるように……」
ほどなくして、召集されていた兵士たちは解散した。
それぞれが、それぞれの部隊、小隊へと戻り、そこで戦闘準備に入るだろう。
あるいは、家族や友人、そして恋人に会いに行く者もいたかもしれない。
彼らは今、ただの軍服を着ているが、十数時間後には、黒く分厚い第四層特殊合成プラスチックという素材で創られたスーツを着込み、冷たく重い銃器に弾薬などの火器を背負い込んで、目前に迫る恐怖と対峙する。
それはかつて、人類が対峙したことのない未知の敵である。
ただ殺そうとしているのではなく、増殖し、融合することを目的に自らの肉体を喰らおうとしている怖ろしい敵だった。
兵士たちは、死ぬことを恐れてはいない。
死ぬことさえかなわず、異形の怪物として生まれ変わってしまうことを恐れているのだ。
以前とは、遥かに変わり果ててしまった自分の姿を目にするのが怖い。
それによって本能のまま、食欲のまま、増殖欲の赴くまま愛する人を喰らうことが怖いのだ。
だから、闘う……。
だから銃を手にする。
自分が人であり続けるために……。
「わたしは、わたしさえも怖ろしいと感じている相手に兵士たちを戦わせようとしている」
誰もいなくなったブリーフィングルームで、疲れきったかのように椅子に座ってモニターを見ていたディナンが、独り言のように言った。
彼の目の前には、先ほど映し出しかけた南極に南下しつつある赤い光点の映像がある。
「誰もが恐れている。あなただけではない」
誰もいなくなったはずの室内で、聞こえるはずのない何者かの声がした。
戦闘時に身につける厚手の対侵蝕スーツではなく、その下に着込む黒いゴムのような素材でできたスーツを着て、その上にハンドガンなどの軽火器類をしまいこむジャケットを着ている青年がいた。
カイン=ルシフェルトである。
「君は恐れているようには見えんな」
ディナンは、特にカインの方に視線を向けるわけでもなく言った。
カインは黙って、ゆっくりと歩き、ディナンとは少し離れた後ろの席に腰掛けた。
その間も南極に南下しようとしている赤い光点の数は増えていき、それらは少しずつではあるが、確実に南下を果たそうとしている。
「カイン=ルシフェルト伍長。君は確か、元火星の生まれだそうだな」
「……」
「はっ、気にするな。今さら、火星の生まれだとかどうだとかなど問題にしても仕方ないだろう。君がどのような方法で地球に降りたにせよ、今は必要な戦力だ」
「……感謝します」
「だが一つだけ教えてくれないか」
その時、初めて、ディナンがカインに顔を向けた。
「君はどうして戦うんだ。誰もが君たち火星人をよく思っていまい。あのバケモノを創りだしたのは君ら火星人だと思いこんでいるからな」
「思い込んでいる?」
カインは、ディナンの目を見つめ返した。
ディナンは、疲れきった表情で笑い、再び、カインから目をそらした。
それは特に意味のない動作のように思われたが、ひょっとしたらそれは罪悪感からなる一連の無意識の動作なのかもしれなかった。
「我々、指揮官の間での噂だ。かつて【Brahma】がまだ、【TRBELLERS】として組織されてさえいなかった頃から、地球ではすでにその研究が行われていた――。彼らはそれを必死に隠してきた。いずれ火星でそれを創りあげるためにな」
「惑星開拓のために?」
ディナンは苦笑した。
「あれが単なる惑星開拓のためのシステムだと思うか? 開拓する惑星の生態を侵蝕し、呑み込んで融合し変化させるなど……正気の人間の考えることとは思えん」
「……」
「今にして思えば、今のこの状況さえもいずれ起こりうる事態として十分、予測できていたはずだ」
意味深なディナンの言葉は、何か不吉な意味合いを含んでいるような気がした。
この男は何かを知っているのだろうか。
一般の兵士たちには知らされていない何かを。
それを示すかのように、彼の表情はどこか冷め冷めとして諦観と疲弊を映し出していた。
「どういう意味ですか?」
「――いずれ分かるときが来る……」
このとき、カインは直感した。
この男は、もはや戦う意志を持っていない。
古参の歴戦の勇士の姿はすでにそこにはなく、知ってしまった巨大すぎる真実の重みに耐え切れず、恐怖し、震えて枯渇してしまった老人である。
彼は【VOLD】を恐れてはいない。
それが何かは分からないが、ただ、自らのうちに巣食う何かの罪の重さに恐怖しているのだ。
「……失礼します、ディナン中佐。戦場で会いましょう」
カインはそれだけを呆然とした様子の男に言うと、その場をゆっくりと離れた。


15 :wx3 :2007/05/18(金) 10:22:19 ID:rcoJs4oJ







ディナン中佐のブリーフィングルームをカインが出て間もなく、ぷしゅっという音と共に扉は勢いよく上から降りた。
完全に閉じられると、その先には日とが一人通るのがやっとの延々と続く回廊が何処まで伸びていた。
壁は鋼鉄製で、いたるところにパイプがいきわたっていたり、奇妙な凹凸が出来ているが、それには、ところ狭しと書類が張り巡らされている。
一日ごとに出撃して以降、行方不明の兵士の名簿が張り出されているかと思えば、巡回ポイントをまわる兵士の名前が入っている書類もある。
なんらかの調査に関する報告書や武器などの補充物資のリストもあった。
だが、それらの上に赤いマーカーで『神よ、お助けください』のラクガキなどがされているところも少なくはない。しかし、やがてそれらの上を塗りつぶして黒いマーカーで『くそくらえ』と書かれているところが目立つようになった。
カインは、今となってはそんなどこの分隊司令部にも見られるラクガキを無視して、薄暗い明かりの下を歩いていく。
やがて、背後のドアの向こうで、どん、という小爆発の音が響いたが、彼は振り返ることはなく、また歩みを緩めることもなかった。
長い回廊を出てすぐに、街一つ分を乗せきる巨大な『橋』の上に立ったカインを待っていたのは、市街地治安維持警察数名を乗せたホバークラフトとそれから降りてきた二人の警官だった。
宙海軍の制服は、基本的には黒を基調としたものが多いが、こちらは濃い蒼を基調としたデザインの制服である。
どちらにせよ、光り輝く宇宙をモチーフにしたデザインのエンブレムとは違い、こちらは、かつて地球上に存在した鷲をモチーフにしたデザインとなっている。
そのエンブレムが、彼らの制服やジャケットの背には目立って表示されているので分かりやすい。
「カイン=ルシフェルト伍長」
先ほど、奇妙な男に声をかけられたとき、それを追って現われた警察官だった男が、再びカインの目の前に現われた。
カインは静かにその男を確認すると、彼がその男を確認している間に、さりげなく自分の背後に立つもう一人の警官の存在を認識する。
さらに、ホバークラフトから二人の警察官が降り立ち、彼の両側に立った。
何かがおかしい。
「すまないが、先ほどの男に関して、いくつか聞きたいことがある。一緒に来てもらえると嬉しいのだが」
男はいたって笑顔でそう告げる。
カインは、目の前のその男の腰元に目をやった。
BR−9、通称、ナインブレイカーと呼ばれるハンドガンタイプの銃がホルスターに納められているのが見える。普通のハンドガンより一回り大きいそれは、【VOLD】による侵蝕を受ける前、元火星連合共和国の宇宙軍が正式採用していた強力な携帯銃である。
男はずっと腰に手をあてがうようでいて、そのホルスターの上に手をさりげなくかけていた。
「警察採用の銃は、確か、USP−97Fじゃなかったのか?」
男はカインのその問いかけに対して、笑いかけながら答えた。
「ははは、さすが普段からバケモノを相手に撃ちまくっている軍の人間だけあって銃器に詳しいものだ。我々はあまりこういったものは使わずに活動するのが理想なものでね」
そう言うや否や、男は素早く銃を抜き取り、カインに向けて構えようとしたが、カインの反応速度はそれ以上だった。
一瞬にして、身を反転させて男の構えるUSPの射線軸を避けると、それと同時にUSPの銃身を掴みスライドを固定させて引き金を引けなくする。
「な!?」
男が焦って言葉を発する頃には、そのまま、溝内に一撃を食らわされつつ、顎下からの一撃によって、数瞬とかからず身体が宙に浮き、そのまま脳を直接揺らされた彼は、吹き飛ばされた過程において、すでに意識を失っていた。
そしてその頃には、すでに背後から警察官がカインに背中から掴みかかり、動きを止めようと迫っていたが、それを予測していたカインの回し蹴りによって顔の一部を粉砕されつつ大きく、右に跳んだ。
「貴様!」
今度は両側の二名がカインを制止させようとして、銃を構える。
やはり同じくナインブレイカーを所持しているが、右側の男が引き金に指をかける以前に、素早く足元にもぐりこみ、右側に立つ男の足に引っ掛けて、男を転ばせる。
そして、今度は左側の男の持つ銃をカインの左手の外側の手首で押し分け、右手で男の銃を抜き取り、そのまま回転を利用して男の背後に立つと、奪った銃を男の後頭部に押し付けた。
それら一連の動作をまさに一瞬で行ったカインだった。
常人の身軽さを遥かに越えて、まるで踊るかのように彼の動きには無駄がなく、洗練されている。
「く、くそ……」
他の三人の男たちが、ようやく起き上がる頃には、完全に形勢が逆転していた。
「動くな」
男たちは、溝内を押さえたり、後頭部をなでさすりながら、苦々しい表情でカインを見据える。
「どうみても治安維持警察の連中とは思えない。何者だ」
そう問いかけるカインだったが、三人の男たちはひたすら沈黙したままカインを睨みつけている。突然、銃を向けてきたあたり、この連中は確かに治安維持警察の人間はないはずだ。
カインは、男たちが答える気がないのを確認すると、今、銃を突きつけている男の頭から銃を少しだけ離し、片方の手で男の首根っこを掴み、後ろへ下がらせる。
男は特に抵抗するわけでもなく、それに従った。
「よせ、動くな」
残りの三人は、一瞬だけ一歩前に出たが、カインが銃を静かにかちゃりと鳴らすや否や、男は両手で三人を制した。
カインは男の影に立ち、ほとんど自分の身を三人の前に晒さないようにしつつ、そのまま彼らの乗ってきたホバークラフトの方に向かい、一瞬だけ、車内を確認して誰も乗っていないのを確認すると、男を助手席の方から運転席に回るように指示した。
男はそれに従い、ゆっくりと運転席に回り、それに遅れないように監視しつつ、カインは助手席に座る。
その間も、残された三人への注意は怠らない。
「エンジンをかけてゆっくり車を走らせろ」
「……」
カインのその指示、男は黙って従った。
ホバークラフトは走り出し、三人の男たちは忌々しい表情を浮かべたまま、バックガラスの彼方に消えようとする頃になって、ようやく追いかけようと駆け出したのがルームミラーに見えたが、すでに追いつける距離ではなくなっていた。
カインは助手席から運転している男に銃を突きつけたまま、今後のことを考え始めていた。
とにかく、この事態に至った経緯がなんであれ、今は情報が必要だった。
何かがおかしい。
自分が【アイスフィールド】突破の報告をしてから、何かが狂い始めているような漠然とした不安が彼の中で沸き起こりつつあった。
「お前たちは何者だ」
「……」
再度の質問に、男はやはり何も答えずに運転を続けている。
やがてカインは男のこめかみに銃を当てる。
すると、男はとうとう口を開いた。
「我々は【ファーストソード】の者だ」
【ブラフマー】とは、前身組織だった宇宙移民化計画の推進委員会【トラベラーズ】のその後の組織の名称である。その歴史は古く、地球の人口増加における環境汚染から宇宙開発を推進し、人類の40パーセント以上を目標に火星への移民を計画していた頃より実に千年以上続く組織である。その後、火星への移民化計画が一応の終局を迎えて間もなく解体されるが、職員の大半をそのまま【ブラフマー】という名の新組織に移籍し、火星独立国家構想が提唱されて以後、独立推進派の広告塔のごとく活動を続けてきた。激動の時代が続く中、常に時代の裏側で暗躍してきた組織である。
その【ブラフマー】も、【VOLD】の暴走以後、火星全域における侵蝕の混乱の中、職員の大半が犠牲となり、また上層委員会のメンバーも生死が確認されずにいた。
もっとも、火星が侵蝕されて以後の地球には、すでに火星の悲劇が他人事ではなくなっていた。侵蝕された人間が、一般のシャトルに乗せられて地球に降下した。それ以後はもはや語るべくもない惨劇が現在まで続いている。
とにもかくにも、その【ブラフマー】の上層幹部組織の直下には、【セブンスソード】と呼ばれる七つの小委員会が存在しており、その中でも【ファーストソード】呼ばれる小委員会は、【ブラフマー】の最重要機密を取り扱う部署であり、様々な外部組織の諜報活動を受け持っている影の精鋭部隊と言われていた。
「【ファーストソード】だと? 【ブラフマー】の諜報員がここで何をしている」
「ある男が上層部の秘密を入手して逃走した。我々はその確保を命じられている」
「ある男? おまえたちが連行した男か。秘密とはなんだ」
「そこまでは我々も知らされていない」
「あの男は何者だ」
「不明だ。あらゆるデータベースにも記載されていない。我々には知りえない」
カインは押し黙り、男の言葉の真偽を確認するかのように見据える。
「本当だ! 上層部には我々にさえ明かしていない計画がある! 我々はただ命令されているだけだ!」
男は、カインが自分を用済みだと判断したのかと不安そうに一気にまくしたてた。
そんな男の必死の訴えを無視し、カインは車外の風景を見る。
遥か虚空に、もう一つの街を乗せた『橋』があること、それらが何層に渡り、地下へと連なっていること。それらの真実を忘れれば、ここは、まさにごく普通のビジネスビルや工場のようなものが建ち並び何処までも続く街並みと変わらない。
しかし、やがてここが確かに地下に建造された巨大な都市空間であることを実感させるものが見え出した。
街のハイウェイの入り口や出口に必ず、建造されているのが、上部区域や下部区域の『橋』に向かうための軌道エレベーターの入り口である。

たいてい数十台ものホバーがまとめてそれに乗れるくらいの巨大な軌道エレベーターが設置されており、それに乗るのは大半が軍の車両なのだが、ほとんど、今は道路を走るホバーはほとんど存在しない。
カインは入り口前のターミナルエリアにホバーを停車させると、最後に男に問いかけた。
「その男は今、何処にいる?」
「最下層区域の宙海軍総司令部だ」


16 :wx3 :2007/05/18(金) 10:22:53 ID:rcoJs4oJ




カインが車を変えて、地下都市空間の中央に位置する巨大なボーリングマシンでもあり、掘削機関制御塔としての機能を備えた中央へと向かい、そこから車両運搬用軌道エレベーターに乗り込んでいる頃、マリア=ヴィンセントは、最下層区域の地下都市空間最南端の巨塔最上階にいた。
地球統合政府宙海軍総司令部が置かれている建造物である。
今となっては、人類最後の兵力が結集している場所といってもいい。
司令部が置かれている巨大な橋の上にももちろん、街としての区画が構成されているが、そのほとんどが軍事施設となっており、周辺に住む人間もその関係者である。
地下都市空間は、基本的には外部から太陽光を取り入れ、それを増幅レンズで集中させたり、拡散させたりしながら、必要な太陽エネルギーを調節し、電力開発や光源としての役割を担っている。
しかし、最深部の軍事施設が連なるこの区画では、ほとんど太陽光が取り入れられておらず、ほとんどが電力による人工灯だけでまかなわれていた。
また橋の直下には、今なお、地下へと掘削作業を進める地下都市空間中央に建造された巨大ボーリングマシンが回転を続けているため、この直情の橋の区域よりも非常に騒音がよく響き渡っている区域でもある。
マリア=ヴィンセントがいる司令部の建造物には、防音措置がある程度とられているものの、絶えず、何かの震動音がここ、研究塔にまで轟いていた。
現在、彼女はこの地球統合軍の統括ビル最上階の研究エリアからエレベーターで直下の軍統合司令部へと向かっていた。
戦略考案当局の局長であるマリア=ヴィンセントには、統合軍司令部のおかれる統括ビルのいかなるセクションにも立ち入りが許可される最高位のクリアライセンスを持っている。
そんな彼女が向かう先は、彼女の研究エリアが最上階にあるのに対し、この地下都市空間でもっとも深い下層域に存在するいわれるエリアだった。
エレベーターは、統括ビル一階を擦り抜け、そのまま、彼女を載せて存在しないフロアへと下り続ける。
その間、彼女は苛立たしげにエレベーター内の壁にもたれかかり、到着を待った。
やがて、何階なのか、どれくらい深い位置なのかも定かではない位置で、エレベーターは停止し、ぷしゅん、と空気の抜けるような音ともに、素早くエレベーターの扉が開く。
そのとき、扉が開くのと同時に、その先から眩いばかりの光が漏れ出してくる。
あまりの強い光の洪水が、溢れかえらんばかりにエレベーター内に氾濫し、思わずその津波に押し出されるのではないかという錯覚に陥る。
彼女の闇に親しんできた目には、強すぎる刺激だった。
彼女は一瞬、片手でその閃光を遮り、その手の隙間から扉の向こうを覗き込む。
当初、白くぼやけた視界の中で、ゆっくりと光に慣れていく映像の向こうには、何もなかった。
ただ、どこまでも続く白い世界が広がっているだけである。
そこは、できたばかりの空間で、まだ、人がそこに何も描いていない白いキャンパスのようだった。その中を彼女は、ゆっくりと歩く。
どこまでいっても何もない世界は、その広大さゆえだろうか。
いかに空調設備が整った地下都市空間とはいえ、やはりくぐもった空気であったことを思い知らされるほどに新鮮で少し冷たい空気が広がっている。
ただ、何もないゆえに、歩いているそこが上なのか下なのか、はたまた右か左かも定かではない。
ふわふわとそた頼りない感覚が彼女を襲う。
真っ白い世界の中、真っ白い白衣を着た彼女が、亡霊のごとくその世界の中心を歩き始める頃、ふいに世界全体に届く神の声が響き渡った。


――なんの用かね、マリア。


それは、この世界の何処から発せられているのか分からない。
あるいは、この世界全体から発せられているのかもしれない。
その声は世界中へとこだましながら流れてゆく。
「なぜ、ルシフェルト伍長を追跡しているのですか」
彼女の冷静な、しかし、その奥に微妙な険のある声が、どこへともつかず発せられた。


――彼は“あの男”と接触した。なにか情報を掴んだかもしれん。すでに治安維持警察が彼の拘束に失敗した。


「感づかれたのですか?」


――旧組織からの慣習が抜け切れないらしい。彼らにも困ったものだ。


声の主は、どこか楽しげな様子で笑みを浮かべたような声調で話す。
それに対して、マリアは呆れたように眉を寄せた。
「【VOLD】の本体が完全に順応しました。現在、ゆるやかに南下を開始。地雷原でしばらくその侵攻を抑えてはいますが、あと数時間のうちに地上の機動兵器部隊と空戦兵器、強襲ヘリの部隊が接触するでしょう」


――間もなくだな。【VOLD】は地下都市空間のこの『場所』を目指し、突き進むだろう。
  『彼ら』がここに到達したとき、【ロストエルサレム】への道が開かれる……。


それは、長年夢見てきた儚い希望を望む遠い響きが込められていた。
ほぼ、不可能だろうと絶望してきた長い道のりが間もなく終わろうとしている。
その苦難の道のりの長さ、歴史の深さを物語るかのような深く重い沈黙が、その空間に降り立った。


「わたしたちは、ようやく解放される……」


――安心するのはまだ早い。【黙示録】には、【鬼神降誕】という言葉が記されている。
  何かは分からんが、何かが聖なる誕生の瞬間に現われ、災いを呼覚まそうとするかもしれん。
  不吉の前兆は、すぐにでも取り去るに越したことはないだろう。

「あのカイン=ルシフェルト伍長がそうだとおっしゃるのですか?」
マリアは訝しげでありつつ、不快であるといわんばかりの表情で言う。
彼女にとってカインという青年を否定の対象にしてしまうことは、非常に困ることだった。
それを知ってか知らずか、声の主は沈黙する。
それに苛立った彼女は、再び口を開いた。
「定められた運命の『強制力』には、何人も抗えないはず」


――非合法の手続きで火星から降り立った青年だ。取るに足らない一兵卒など、現段階ではどうでもいい。
  それゆえに我々もあえてこの男を検挙しなかった。しかし、数十時間前に奇跡的に一人で前哨基地か
  ら脱出し、【アイスフィールド】の突破を報告した。それ以後のこの青年の動きには、驚愕を覚えている。ただの偶然ではないのかもしれない。
  『強制力』によって、彼は歩むべき時間を歩んでいるのかもしれない。もしそうならば……。


声の主は、話しながらもその過程で同時に思案を続けているかのように支離滅裂な言葉を告げる。しかし、マリア=ヴィンセントは、『彼』が何を危惧しているのかを理解していた。
それゆえに、彼女の不安は助長される。
「それはありえません」
彼女は声の主の最終的結論を今だ、声の主が言い切らぬうちにはっきりと言い切った。
声の主は、彼女の言葉に消されながらも、その先の結論を思案しているかのように沈黙する。
そして、短い沈黙の後、再度、声の主は口を開いた。


――拘束している“あの男”を尋問し、なぜ、ルシフェルト伍長と接触したのかを吐かせるのだ。


すでに下っていた命令だが、それをマリアは改めて受ける。
握り締められている彼女の拳が、その時、一瞬、震えた。


17 :wx3 :2007/05/18(金) 10:23:34 ID:rcoJs4oJ





軌道エレベーターが地下都市空間最深部の区域へと到着してすぐ、カインは、一緒にホバークラフトに乗っていた【ファーストソード】の諜報員を拘束し、道端に停車されていた別のホバークラフトに乗り換えた。
その際、諜報員の懐からIDカードとナインブレイカーのマガジンを奪っている。
橋の上とはいえ、街一つ分を裕に包み込むこの橋上都市の中を彼を乗せた超伝導推進の銀のホバークラフトが丸みを帯びたフォルムで空を泳いでいく。
周囲には、高々と並ぶビル群が見られ、それら一つ一つが恐らくは軍の研究棟であったり、各軍司令部の中枢としての機能を持たせているのだろう。
民間人の姿など、そうそうあるものではない。
いや、あるものではないと思っていた。
軌道エレベーターの発着場を出てすぐに、カインは、それまでの状況とは一変していることに気がついた。
普段は軍用車しか通らないはずの道路を数百台もの民間車輌が、十数キロに渡って犇めき合っていたのである。
いっこうに前へと進みそうにない現状に諦め、徒歩で車の脇をすり抜けていく人々もいる。
それらは、ただ一つの建造物へと向かって歩み続けていた。
そして、それらの人々に対して、いつ目的地に着くともしれない迂回路を指示したり、軍用車が通過するための車道を保持するために派遣された兵士が、忙しなく、指示器を振り回している。
黒を基調とした兵装をしている上にここは軍施設だ。
おそらく統合軍の兵士なのだろう。
やがて一人がカインの乗っているホバークラフトに駆け寄ってきた。
「聞くまでもないんだろうけど、どこへ行く予定?」
「統合軍司令部だ」
それを聞くやいなや、やっぱりと言わんばかりのうなだれた表情が露骨に兵士の顔に浮かんだ。
「見ての通りの信じられない渋滞だ。全部司令部直下のシェルターに向かってる」
「どういうことだ?」
その問いかけに対して、兵士はあからさまに呆れた表情を浮かべた。
「あんた知らないで司令部に向かってるのか? 【VOLD】の【アイスフィールド】突破の噂をあんたも聞いてやってきたんじゃないのかよ?」
それを聞いたとたん、カインは舌打ちした。
最高機密であるはずの情報が、すでに駄々漏れとなっているらしい。
かつてないほどの賑わいを見せる街並みを眼前に見据えてから、やがて、一方で鳴り響くクラクションに反応して足早に去っていく兵士の後姿へと視線を向けた。
そんな時である。
カインの右腕に装着された一見、なんの変哲もない黒いブレスレットのようなモバイルキャッチの一部が、グリーン点滅しながら電子音を響かせた。
コールを見るに、軍用回線を通したものではない。
さらにいえば、発信元が不明となっていた。
「……」
数秒間の躊躇の後、彼はそれに出る。
ふぃん、という音と共にグリーンの光粒子がその場に小さくモニターを構成していく。
どうやら、相手は顔を映し出したくないらしい。
音声専用と表示された文字が浮かび上がり、続いて雑音混じりのひどい音声が響き渡った。
『よかった、通じたようだな……』
その声には聞き覚えがあった。
ファイシュの酒場の前で会ったあの怪しげな男の声である。
「あんた、いったい何者なんだ」
『それはまだ言えない。だが、お前に会うのはこれで二度目になる』
「何を言っている? あんたに会ったのはあの時が始めてのはずだ」
意味不明な男の言葉は相変わらずだった。
普通とは思えない男の言葉だが、ここに来て、現状の異常さにあっては、男の異様さはむしろ、何かを知っている予感を感じさせる。
男は何か重要な情報を持っているのだ。
『いいからよく聞くんだ。そう何度もお前に連絡できはしないだろう』
「【ブラフマー】か?」
『は、喋らない俺のかわりにお前を追い始めたか』
ここにきて、ノイズと思われていた雑音が、男の荒い吐息であることにカインは気付いた。
かなり男は消耗しているらしい。
「だいじょうぶなのか?」
『ああ、今はだいじょうぶだ。しかし、時間がない。カイン、急いで軍総司令部に向かうんだ』
「今向かっているが、ひどい渋滞だ」
『【アイスフィールド】突破か? あの情報を流したのは俺だからな』
溜息まじりに言うが、男の言葉はカインにとって驚愕に値した。
【アイスフィールド】が突破された事実は、軍の最高機密として取り扱われており、各分隊の兵士たちに通達されたのは、つい、さきほどだったはずだ。
軍の防衛戦術ネットワークのデーターベースに格納された情報など、普通の人間や並みのハッカー程度では、とても侵入できるものではない。
「なぜだ。なぜ、あんたにそんなことができる」
『軍内部に“友人”がいる。カイン、お前のIDをこっちで改ざんしておいた。軍関係者のアクセスプライオリティーをレベル5にしてある。それを使って最深部の機密エリアに侵入するんだ』
「そこに何があるんだ」
『おまえはそこであることをしなければならない』
「例の“ボタン”の話か?」
『そうだ。それはお前にしか押せない。そういう仕組みになっている。行くんだ』
「なぜ、それを俺がしなければならないんだ。それを押すとどうなる?」
『今、それを知る必要はない』
カインは押し黙った。
その沈黙に、声の主がどうしたと問いかける。
やがて、カインは口を開いた。
「俺がお前の言うとおりに行動しなければいけない理由があるのか? 言っておくぞ、今、俺が司令部に向かっているのは、お前に会って、なぜ、俺が【ブラフマー】の【ファーストソード】に追われなければいけないのかを聞き出すためだ。お前の駒になるためじゃない」
すると、通信の向こうで、男は苦笑を浮かべた。
カインは、男の次の言葉を静かに待つ。
その間も、男が通信の向こうで笑い続け、ひとしきり満足したところで、男は懐かしそうに言った。
『懐かしいな。お前と組んだ頃、よく衝突した。俺が情報を与え、お前が動くのが俺たちの基本スタンスだったが、いつもお前は俺の指示をはねて無茶をやってた……』
「お前とパートーナーを組んだ覚えはない」
男の言葉は、相変わらずカインの記憶にはないものだった。
あるいはワナかとも思ったが、男の言葉には、虚偽を感じない。
あるいは狂人なのだろうか。
しかし、ただの狂人を【ファーストソード】が追まわし、それに接触した自分をああも強引な手法で拘束しようとするとは思えない。
やはり、この男には何かあるのだ。
『いいだろう。一つだけ教えてやる。【ブラフマー】が俺を追っているのは、俺がヤツらの機密情報を盗んだからだ。そして、それは今、お前の手にあると連中は思い込んでいる。その機密情報は、ヤツらが人類が惑星移民化計画を推し進め始めた当初から千年以上の間、隠し続けてきた【VOLD】に関するある情報だ。いいか? 俺がお前を急がせるのは、ヤツらが統合軍司令部を懐柔しているからだ。ヤツらは統合軍司令部の一部の勢力と結託してある計画を進めている。そのために、連中は【VOLD】の侵攻を建前では食い止めようと軍を動かしているが、裏では【VOLD】の侵攻を抑えるつもりなど、まったくない』
早口で男はまくしたてる。
その内容のほとんど、カインは理解しきれていないが、男は最後にこう付け加えた。
『まもなく、ヤツらは【VOLD】をこの地下都市空間へと迎え入れるだろう。そうなる前に行動しなければならない』
「どういう意味だ。迎え入れるだと? 確かに軍がアレの侵攻を抑えきれる確率は少ないが、それでも【VOLD】の侵攻を食い止めようと動いている」
『そんなつもりなど、連中にはまったくないんだよ、“ルシフェルト伍長”』
「ある計画とはいったいなんなんだ?」
『ここでそれを説明してもお前は信じない。自分の目で確かめるんだ』
「俺が行くと思っているのか?」
『行かないでどうするつもりだ? どっちみち、【ファーストソード】はお前を追っているんだぞ』
そこにきて、カインは沈黙する。
今度は、男が通信の向こうでカインの次の言葉を待っていた。
カインは、溜息をつき、ホバークラフトのフロントガラスの向こうで今だに少しのも動かない渋滞の向こうを見やった。
車の上を歩いて先を行く者もいれば、脇道ですでに歩いている人間の列が幾重にも重なっているのが見える。
皆、それぞれが何かを叫んでいるのが見えた。
赤ん坊を抱いた母親が、兵士に講義しているのが見える。その間で赤ん坊が泣き叫んでいるのが見える。
(ヤツらを迎え入れるだと? 防衛するつもりがない?)
男が正気とは思えない。
しかし、現実に事は起こっている。
【ファーストソード】なる怪しげな組織が動いていることにも気がかりだった。
そしてカインは、自らのIDをチェックする。
男が言っていた通り、いつの間にか軍関係施設へのアクセスプライオリティーがレベル5になっていることを示す表示がついていた。
やがて、カインは再度、溜息をつき、男に言った。
「今日は長い一日になりそうだ」
そういって通信を切り、ハンドルを切って、まったく車の並んでいない車道へと侵入した。
軍関係車輌のみが通行を許されている通行帯である。
すぐさま、先ほどカインに話しかけてきた兵士が前に立ちはだかった。
「おいおい、いったなんのつもりだ! こっちへは侵入するな。軍の緊急車輌が通行する。一般の車輌は、入らないでくれ!」
そういう男に対して、カインはモバイルからIDパスを呼び出して男に提示した。
男は一瞬、押し黙ってIDとカインの顔を見比べながら不思議にあっけにとられた表情を見せる。
「た、大佐? ラディヒル=コーエン大佐? し、失礼しました……。どうぞ、お通りください」
そういって、男はさっさと道を明ける。
その間も、ずっとカインの顔を見つめて、納得のいかない顔をしているものの、事実、IDではそうなっていることから道をあける他なかった。
カインは、開けた道路の地平線上から貫かれるかのようにそびえ立つ巨搭に向かい、車を走らせた。
それを見送るMPの兵士は、どうして最初からIDを提示せず一般車道を通ろうとしたのだろう、という当然の疑問を浮かべていたことだろう。


18 :wx3 :2007/05/18(金) 10:23:51 ID:rcoJs4oJ




――そうだ、カイン。今日という一日。それは永遠とも思える時間になるだろう。
  お前にとっても、そして世界にとっても……。


19 :wx3 :2007/05/18(金) 10:24:26 ID:rcoJs4oJ

地下都市空間地上部。
そもそも、【VOLD】が単なる惑星開発を目的として創造された惑星型生体兵器であった頃、それは兵器という名を関するものではなく、機関と呼ばれていた。
惑星開発生態侵蝕機関である。
宇宙物理学、遺伝子化学、生命工学、化学、電子工学、あらゆる学問の最終的帰結として誕生したのが、この惑星ほどもある巨大な物体だったのである。
それがどのような経緯を経て、このような無差別に、貪欲にあらゆる生物をそれこそ喰らうかのごとく無限に融合し続けているのか今もなお謎である。
生体部品を多く閉めるこの物体は、ある意味では生物ともいえる。
つまり、人類が想像もしなかったなんらかの突然変異を、時代のあらゆる地点において行っていたのかもしれない。
それはもはや、誰にも分からない事実だった。
「シミュレーション通りだな」
一つ分かっていることは、どのような能力によってかは不明だが、それは本能的に生物の存在を感知し、それと共に凄まじいまでの増殖欲によって、素早くその生体に近づき、捕食してしまうのだということだ。
どのようなカムフラージュも通用しない。
この星のどのような場所においても、それはやってくる。
ただ、一つ。
異常に気温の低い寒冷地帯では、その活動を急速に弱め、やがては休眠してしまうという特性があった。
それゆえに、まさに、南極地点と北極地点が、人類が唯一最後の生存のための砦だったといえるだろう。
そこで、残り十数パーセントとなってしまった生存者をかくまったが、ほどなくして、【VOLD】は南極と北極に向けての侵攻を開始したのである。
最後の衛星写真が捉えた地球の姿には、南極と北極、そしてわずかながら北アメリカの一部の地域を除いて、不気味に赤黒く蠢きながら光る肉塊の様子が映っていた。
それはまるで、かつて地球の大気の様子をうかがわせていたものが、変わりに赤黒いのっぺりとした塊に代わったかのように、衛星から見るそれは、少しずつ動いている様子が見て取れる。
それはいうなれば、健全な細胞に取り付いたガン細胞の活動を見ているかのようだった。
そのまさに侵蝕されようとしている細胞のごく一部において、地上部で都市を築いた人類は、その地上部に迎撃要塞都市を創りあげた。
「人はいつも、悪い予感には敏感なものだよ」
「臆病者の方が長く生き延びられる。一番残酷なのは臆病者だからな」
「だが、いずれ終わる日もくる」
「1986年以降、実にほぼ2000年の月日か……長かったな」
高く建てられた鋼鉄の壁は、あらゆる化学物質に対しても融解することなく、どのような熱や衝撃にも耐えうる強度を持っている。
さらに、その壁には、巨大な砲台が幾つも設置され、大型ともなれば、1000ミリ砲弾
を射出できるものさえあった。
さらに各種の生物兵器や化学兵器を積載したミサイルは数万を超え、数億を越える銃座が配備されている。
そして、上空からは無人戦闘機が旋廻を続けており、地上部には、有人型機動兵器の
【TMA】と呼ばれる二足歩行戦車が数百台、100ミリ弾を数千発装填したチェインマシンガンを両肩に装備していた。
その防御陣の向こうには、100キロ以上に渡る地雷原が続いている。
仮に寒冷地帯の気温の低さによる休眠という特性、【アイスフィールド】を克服したとしても、そう簡単には突破できるものではない。
しかし、それも時間の問題といえた。
地下都市空間地上部の迎撃要塞都市。
その北方50キロの地点で、現在、すでに戦闘が行われていた。
衛星軌道上からは肉の塊に見えたそれは、歪に変形してそれが元、何の生物であったかの判断も難しい得体の知れない生物たちの群れが、地平線いっぱいに広がって迫ってきていた。その数は数万数億を越え、それぞれに意味不明の呻き声をあげながら、一心に南へと進んでいた。
時折、地雷を踏んだ個体もろとも、その周囲の生物たちが爆発に巻き込まれて吹き飛ぶが、後を行く生物たちが、その肉塊を踏みしめて前進していく。
やがてそこかしこで爆発が起こり、生物たちは悲鳴を上げながらその容赦ない爆風の中を散っていったが、その爆風さえも後からくる生物たちの群れによって塗り固められていくかのように消されていった。
やがて、空を飛び交う数百もの無人戦闘機群が、ローター音を響かせてやってくると、一気に地平線上の生物たちの群れに目掛けて強化連装ナパーム弾を射出する。
とたんに、当たり地面が一気に火の海と化し、巨大で獰猛な炎の魔物は、大地を嘗め尽くすかのように荒れ狂う。
そこには、完全に焦土と化した消し炭しか残ってはいなかった。
だが、それでもなお、生物たちの群れは後から後からやってきて進み続ける。
無人戦闘機群が、しばしらくの沈黙の後、やがて、個々が散開して多方面に向けてのナパーム弾を射出した。
それでもやはり状況は変わらない中、爆撃ミサイルに切り替えての攻撃が始まる。
そうやって、装備された武器を徐々に使いきり、最後には機関砲によって攻撃を終えるころ、地上には、余すところなく埋め尽くされた【VOLD】変異体の屍が累々と横たわる情景が残されていた。その様子をしばらく眺めてから無人戦闘機群は、列をなして帰還していく。【VOLD】変異体なる生物たちは、その背を追うかのように前進を続けた。
だが、すぐさま第二陣の無人戦闘機群がその後ろに控えていた。
それらは先ほどの無人戦闘機群と同じく、ナパーム弾を射出しての攻撃を繰り返すが、やはり効果はそれほど見られなかった。
その様子を地下都市空間最下層部の司令部では、スクリーン上の映像として見ていた。
明かりの抑えられた状況の中で、中央の光粒子による立体映像を眺める者たちがいた。
それぞれの席にあるモニターから、あらゆる防衛措置が無に帰していくのを見据えている。
軍部の上層部は、長年、備蓄してきたあらゆる戦力をここぞとばかりに惜しむことなく、【VOLD】体へと差し向けていくが、もはや、通常兵器に対して【VOLD】は完全に抵抗力を尽けてきている。
時間稼ぎにしかならないことは自明の理であった。
「我々としても、今だ、時間が必要ではある。彼らには、存分に人類の最後の砦であり、始まりの城であるこの都市を防衛してもらわねばならん」
「それはけっこうだが、例の【イレギュラー】についての処理も考えねばならん」
一人がそれについての一言を呟いたとき、最奥に座る老人が、小さく溜息をついた。
ふさふさとしたこの時代には珍しく延びはやされた髭は、白く脱色しており、彫りこみの深い顔つきが、老人の若かりし時代の激しさを感じさせるが、今は、疲れきった老木のように痩せこけている。
しかし、その瞳の奥に光る鋭い眼光は衰えていない。
「いつの時代にも現われるな……。例のケリシア駐留艦隊で起こった事件の極秘ファイルにも関与の痕跡が見られる。いったい、何者なのだ。あの男は」
「2000年初頭から、名前は不明ですが地下で【鬼神】と呼ばれていたある黒髪の男と共に活動を続けていたそうですが、それ以降、現代までの2000年の間に、我々の計画の重要な時点において、必ず現われています……。常識から考えて同一人物ではなく、我々に反対する組織の密使かと……」
「2000年も生き延びられる人間などおらんだろうからな」
「我々くらいものだ。しかし、不気味なのは、この男が所属する組織の全貌がいっこうに明らかにならない。旧【ブラフマー】の子飼いの組織【ファーストソード】の情報力をもってしても、まったく何の手がかりも出てこんのだ。異常としか考えられん」
「常に一人の密使の影しか残さず、その背後の存在がまったく明るみに出ない」
「いや、まったく情報がないわけではない。恐らく組織の名称だが……【Sunga】という名で連中が連絡を取り合っているという情報が入っている」
「スンガ?」
「現在、調査中だが、数時間前に第七海兵隊の偵察分隊【スターメイカー】の隊長でもあるカイン=ルシフェルト伍長と“あの男”が接触を取ろうとしていたとのことだ。その後の調査で、カイン=ルシフェルト伍長の個人メールに何度かアクセスしようとした形跡が見られる。その時のIDにはスンガという名前が使われていた」
「どういうことだ?」
「分からん。現在、尋問をしているところだ」
「急ぐのだ。もはや時間がない。災いの芽は早めに摘み取らねばならん」
「承知している……」


20 :wx3 :2007/05/18(金) 10:24:59 ID:rcoJs4oJ







スンガ=クライフ=オービタルより、“友人”へ


とうとう、約束の日が来た。
あのとき、お前が空から降ってきた夜から続く試練の日々は、今、佳境を迎えようとしている。
この数千年の間、俺は俺なりに運命に抗おうとしてきた。
しかし、それはことごとく虚しい結果に終わっている。
俺程度の存在では、この宇宙を変えることはできないらしい。
事実、俺は……そのすべてを知りながら、今なお、迫る事態になす術もなく、呆然としている。
時間は変えられない。
どうしたって俺たちにはこの宇宙の理を変えることはできない。
なあ、もしかしてお前はあのとき、とっくにこのことを知っていたのか?
おまえがどんなひどい世界を観てきたのか、あのときの俺は知らなかった。
しかし、その事実は歴然とそこにあったものだ。
それはそこにあった。
それを今、俺は思い知っている。
お前が見てきたものをこうして数千年に渡って見てきて思うことは、人類の、いや、人類だけではない。この地球に存在する俺たち知性体の想像を絶する愚かさだった。
知ってしまうことになんの意味がある?
ただ、どうしようもなく重い業を背負うだけだ。
だが、俺はそれを選択した。
知ってしまった俺には、他に選ぶ道はなかった。
なあ、カイン。
俺はこの数千年間、無駄なことをしてきたのか?









いや、カイン。
お前はそれでも戦ったな。
たとえ、避けられない未来があると知っていながらもお前は戦った。
あの化け物と――いや、運命と、お前は血まみれで戦い続けた。
ならば、俺も戦おう。
たとえ、勝ち目のない戦いであっても。
たとえ、変えられない運命であっても。
最後の最後まで。


21 :wx3 :2007/05/18(金) 10:26:15 ID:rcoJs4oJ







激戦の咆哮は、間もなく、地下都市空間の底にまで響き渡るようになっていた。
地上部迎撃要塞の長距離射程弾道弾が、数十キロ離れた地点に向けて、一斉射撃を繰り返しているのだ。つまり、それだけ【VOLD】の侵攻が近づいてきている。
ずずん、という地響きが、そこかしこで響き渡り、そのたびに天から土ぼこりが降り注いでくる。この地下都市空間が建造され、そして地上部に長距離射程弾道弾の砲門が幾つも建造されて始めての咆哮と地下深くにまで響き渡る衝撃におびえる声が、そこかしこの街から聞こえてきていた。
すでに上部三部の【橋】からはすべての住民の退避が完了しており、ここ最深部の軍関係施設を多く配備された【コアシェルター】と呼ばれる避難区を目指し、多くの人々が街中の道路をふさいで列を成していた。
最後の人類である。
3499年12月24日午後9時06分。
人類滅亡まで、あと9時間。
「おい! シェルター区画には、いつ入れるんだ! まだ子供だって幼い。こんなところでいつまでもいられないぞ!」
「統合政府から現状についての声明はいつ出されるんだ!?」
「ボルドが環境に適応したっていうのは本当なの? もし、そうなら、いつまでもこんなところにいてもだいじょうぶなの?」
口々にとばされる質問に対して、避難確保に当たっている治安維持警察の職員たちはひたすら列を乱すな、まもなく現状説明の声明が出される、など曖昧な返事しか返せていないのが実情である。
当然だ。
彼らとて何も知らされてはいないのだ。
市民もまたそれを理解していないわけではなかったが、ここにきて、滞る事態から積み重なってきた不安と苛立ちの矛先が職員たちに向けられていた。
あちこちから罵声や怒声が飛び交っている。
もはや、暴動が発生する直前にまで緊張が高まってきていた。
カイン=ルシフェルトを乗せた車は、軍部の車輌のみを通す通行帯を通って、順調に統合軍司令部の置かれる最奥のビルにまで到達しつつあった。
軌道エレベーターから続く長蛇の列の終着点である。
ここまでくると市民の苛立ちも少しはマシのように思われた。
ビルの直下、軍車輌が出入りする地下の入り口へと向かう直前、MPからの検問を受けたが、あの謎の男が改ざんしたデータは完璧だった。
ラディヒル=コーエンの記録には、大佐クラスのアクセスプライオリティが付加されており、カインは難なく、ビル内部に侵入を果たすことができたのだ。
軍関係というより幹部を乗せた公用車輌が、その大半を埋め尽くす中、近くの駐車場にホバークラフトを停車させ、カインは奥のエレベーターへと向かった。
その間、いくつかのカメラチェックと各種センサーによる走査が行われていたはずだが、そのどれにも引っかかることなく、彼はエレベーターへと乗り込むことに成功した。
ガラス張りの電磁誘導エレベーターに乗り込むカインは、そこから見る外の風景を眺める。
この広大な地下都市空間にそびえ立つビル群の隙間を余すところなく、埋め尽くす生物たちの群れ。それが救いの塔に向かって一様に歩み寄ってくる。
死にたくはない、と口々に叫びながら。
「……」
すでにその身体の大半を失い、生物として醜いまでに歪み、欠けてしまった腐れた肉体を引きずり、天からの制裁を恐れながら地中深くに潜り、怯えながらそれでも生を渇望する生き物の姿がそこにあった。
そんな中、時折、このエレベーター内ですら感じるわずかながらの震動は、まさに今迫る絶対の死を予感させた。
カインは、何を呟くでもなく、そのままひたすら沈黙し続けていた。
やがて、彼の右腕のモバイルが青く点滅してコール音が鳴った。
『着いたようだな』
「ああ、今、最上階の総司令部に向かっている。直接、第七艦隊総司令部の司令官、ウォルディック=ノイアに会う」
『ははは! 司令官か。偵察分隊のスターメイカー小隊隊長のお前が?』
「【ブラフマー】がまだ存在して、【ファーストソード】が動いている事実は見過ごせない。直接、報告する」
『やめろ、カイン。上層部は、とっくにその事実を知っている。言っても無駄だ。お前が捕まるだけだ』
「どういうことだ?」
この名も知らぬ男の言葉は、ことごとくカインの神経を逆撫でするものだった。
それは何か意図的ともいえるほどにカインの思考の奥にある暗い部分を的確に抉り出していくかのような痛みを伴う。
『総司令部は【ブラフマー】と繋がってる。それどころか地球統合政府は、最初から【ブラフマー】の言いなりだってことさ』
「ふざけるな!」
『本当のことだ。【ブラフマー】が地球統合軍司令部をたきつけて、お前の捜索に当たってる。連中、【VOLD】が迫ってる今この状況だってのに、お前を見つけることで頭いっぱいのようだぜ』
そういいながら、通信の向こうの男は、軍内部のネットワーク上にカインの顔と詳しい身体データを記した逮捕命令を出している情報を浮かび上がらせた。
確かに軍部のネットワークプロトコルを介した情報であるということが見て取れる。
「どういうことなんだ。なぜ、俺が?」
『カイン、これからお前に大事なデータを送る。こいつはお前が何がなんでも守り通すんだ。これまで連中の攻撃になんとか俺の対抗電子神経細胞素子が守り抜いてきたが、それももう限界だ』
「人工組成の神経細胞素子を脳に植えつけてUEPEO酵素を作り出させ、電脳ハッキングに対抗するシステム? なぜ、お前がそんなものを脳に移植されているんだ?」
対抗電子神経細胞素子とは、脳内の記憶情報をスキャンして特定の電気信号を読取る脳神経化学と生体機械工学によって、人間の脳をデジタル化し創りあげてしまおうというプロジェクトの中の副産物として生み出されたものだった。
人間の記憶情報をある特定の機械デヴァイスを使用するこによって、スキャンされることから重要な情報を守るために創り出された防壁である。
『俺の【ICE】も、いよいよ溶けかけている。ヤツらが俺の心の中に侵入する。その前にお前に……』
「それを狙っているのか? いったい、なんのデータだ?」
『2000年前に存在したある双子の生体データだ。遺伝子情報から過去、現在に至るまでの家系図と研究レポートまでを克明に記録している』
「誰だ? その双子は? なぜ、その双子のデータが狙われるんだ」
『ヤツらは恐れている。双子がもたらす変化に。いや、変革といっていい。【VOLD】がこの地下都市空間に到達する前にその情報を消し去りたいんだ』
そういっている間に、カインのモバイルになんらかのファイルデータが転送されてきているというサインが浮かび上がった。
膨大な情報量である。それはまさに国立図書館まるまるすべての情報を送りつけられているかのような情報量だった。モバイルの記憶容量ぎりぎりである。
「その双子の情報には何が記されているんだ?」
いかに高速化の進むネット社会であろうとも、かつてないほどのゆっくりとした転送状況を示すグラフは、100パーセントにまで到達するまで今少しの時間を要した。カインは改めて問いかける。
『福音だよ、カイン。俺たち人間、いや、地球上に住む生物に向けられた宇宙の彼方から送られてきた神からの贈り物。福音だよ。いいか、よく聞くんだ。1980年代から【ブラフマー】の前身である【トラベラーズ】。いや、さらにその前身組織は、ある極東の島国のある家系特有に見られる遺伝的特質に注目していた。彼らの遺伝的特性を後のアレックス=ボルドは……その遺伝的特性に気付いたアレックス=ボルドは、ブレインリサイクル法が可決される以前から……だから、カイン、やつらは……最初から……宇宙の……陰陽……影……』
いつの間にか、通信にノイズが入るようになり、男から送られてくる声が急に遠くなり始めた。
「おい! どうした!?」
『……ずい……、通信……妨害……いる。早く……最下層区域……むかえ!』
その最後のノイズまじりの通信を最後に、男からの連絡は完全に断たれた。
カインは、モバイルの転送状況を急いで確認する。
どうやらなんとかデータの受信には間に合ったようだ。
完了を示すコードが記されている。
それを確認して間もなく、エレベーターは最上階に到達し、扉がゆっくりと開かれた。


22 :wx3 :2007/05/18(金) 10:26:56 ID:rcoJs4oJ





モバイルから聞こえてくる音声にノイズが走る中、やがてそのざわめきの向こうに、カインは確かに聞いた。
それは、人間の声のようで決して人間の声ではない声だ。
悲鳴にも似た叫びだが、それには、確かな殺意と憎悪に彩られた狂気が滲み出ている。
定められた運命によって生み出されたものではない。
確実に何かが歪み、ねじれてしまったかのようにありえない不可思議な存在の声が聞こえた。
「おい、どうしたんだ? 何があった?」
『……げろ。やつら……おまえ……くるぞ!』
その断片的な声を最後に、完全に雑音の向こうに男の声は消え去った。
そして、それと同時に最上階へと到着したことを告げる電子音が小さく響き、目の前の扉が開かれる。
カインは、扉が開かれていく中、まだモバイルの通信帯をサーチし、男の声を拾おうと模索していた。
その間も、彼の目の前にあるドアが開かれ、それと共に、ドアの向こうに立つ何かの存在がゆっくりとさらけ出されて行く。
それは最初、まるでひどい火傷を負った人間の脚のように見えた。
いたるところにケロイド状に爛れた皮膚が見え隠れし、赤黒くてかる筋肉は、時折透き通って見える。その内側に、不気味なほどに激しく鼓動を繰り返す血管や神経の連なりが見える。
普通ならこれほどの異常な状態にある人間が、そこに普通に立っていられることなどありえないことだが、その『人物』は、しっかりと立っている。
そして、その足の上を見ていくうちに、皮膚を突き破って奇妙な電子コードが腹部へと向かい、また腹部を貫いて内部の臓器と直結しているのが見えた。電子コードの付け根は、赤く血が垂れ流されているが、ろくな処置がされているわけでもなく、とてもではないが、まともな医療行為がなされているようには見えなかった。
さらに電子コードは、その『人物』の背中に杭で打ちつけられた何かの制御版のような電子機器とも繋がれている。
様々な電子機器との接合を、まるで粘土か何かに繋ぎ合わせるかのように、この肉体には突き刺され、さらに脊椎付近には、細かい針が神経との融合しようとしているかのように何千本と打ち付けられ、そこから奇妙なアーム型のマニピュレータ装置が繋がれていた。
そして、驚くべきは、その『人物』は元人間であったことを思わせる『顔』の部分があるのだが、その『顔』のある首の付け根部分から、まるで茸が生えるかのようにのっぺりとした肉の塊が生え出しており、その太い肉の塊を支えるために、『顔』の部分が無理に横にそらされる形となっていた。その太いのっぺりとした『肉』の塊には、血にまみれ、時折、それを垂らす赤黒い眼球が二つあった。瞳孔などなく、ただ血まみれの球体が二つあるだけである。その下には削ぎ取られたかのような鼻のようなものがあり、さらにその下には、やはり唇と顎を削ぎとられたかのように荒くそそり立った歯がむき出しとなる口があった。
それはもはや、人間と呼ぶにはあまりにも異質な物体である。
それは、完全に扉が開かれるのを待ちながらも、待ちきれないといった様子で、荒い息を何度となく吐き散らし、その中に赤いしぶきを散らす。
やがて、カインは、今、自分の目の前に立つ別次元の存在を認識した。
モバイルから目を離し、ゆっくりと開かれた扉の先を見る。
「……な……」
それは言葉失うほどに信じられない光景だったが、信じられないと思いながらも歴然としたリアリティを持って、それはそこにある。
なぜ、地下都市空間の最下層区画にある、それも軍関係施設に、こんな物体がここにあるのか理解できない。
受け入れがたいその光景にカインは愕然とする。
二メートル以上を越す巨大なこの物体は、今、まさに自分を見下ろして立っていた。
だが、次の瞬間、

――ぐるるるるるるるぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

とても人間には発音できない雄叫びとともに、肉をむき出しにした皮膚のない太い腕が、カインに向けて
突き出された。
巨体に似合わぬその俊敏な動きは、一瞬にしてカインの身体を捉えたかのように思われた。
「くっ」
しかし、その腕をなんとか交わし、出口いっぱいに立つその物体の脇をなんとかすり抜けて廊下に飛び出した。
勢いあまった彼は、そのまま床に倒れこむものの、物体に向き合う体勢は維持していた。
「な、なんなんだ?」
そう叫びながら、必死で起き上がり、彼はジャケットの内側にある銃を手にした。
【ファーストソード】から奪ったBR−9は、あくまで携帯用のハンドガンである。
人間ならまだしも、この常軌を逸した物体を相手になんとも頼りないものだった。
しかし、それでもカインは銃を引き抜き、周囲の様子を確認した。
いつもとなんら変わらぬ最上階、幹部フロアの様子が広がっている。
ただ一つ、職員の姿がまったく見られないことを覗いては。
各区画に分かれて様々な部署のセクションが用意されており、簡易オフィスが形勢されている。前線から流れる情報がリアルタイムで行き交うここは、機密情報を扱うことの多い。
それらが常に流動しているゆえに、情報分析官や司令部直下の将校などが雑然とした様子で行き交っているのが常だったが、不気味なほどに現在は誰の姿もなく、変わりに、先ほどまで誰かがいたと思わせるかのように、まだ湯気がたゆとう飲みかけのコーヒーなどが放置されていたりする。
「どういうことなんだ」
そんな疑問が口をついて出たが、彼にはそんなことを考えている余裕などはなかった。
すぐさま物体が、カインの方に振り返った。

――ぐぅぅぅぅぅぅぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ

憤怒と憎悪が激しく吐き出され、赤い眼球がカインを捉えると、再び倒れているカインに向かって飛び掛ってきた。
それをすんでのところで起き上がったカインは走り去り、避ける。
物体はそのまま勢いあまってオフィスを形作るガラス張りの壁にぶち当たり、一瞬にして粉砕した。砕け散ったガラスの破片が、物体の肉を切り裂き、突き刺さるが、血にまみれようとも、そんなことなどお構いなしに咆哮をあげてカインを追いかける。
もはや本能で動いているかのように物体の動きは直情的だった。
「くはぁっ、まずい」
カインは、壁際の隅に手近にあった消化剤タンクを拾い上げ、物体に向けて投げつける。
それが物体の身にぶち当たる以前に、BR−9で打ち抜いた。
内部の気圧が急激に下がったことによって、一気にタンクが爆発し、中かから真っ白い消化剤が吹き上がった。
それは当たり一面をスモークのように覆い隠し、物体からカインの身を隠す。
そのすきにカインは一気に駆け出した。


23 :wx3 :2007/05/18(金) 10:27:36 ID:rcoJs4oJ

スモークが拡散し、視界が回復する前に素早く、手近なデスクの影に滑り込み、身を隠す。
幸いというべきか、“物体”の視力はそれほど良くはないらしい。
いくらスモークによって身を一瞬でも隠せたとはいえ、恐らく、どちら側に逃げたかの判別なら通常の人間ならついたはずだが、“物体”は最早、カインの姿を完全に見失っているようだ。
エレベーターを出てすぐの通路で立ち往生しながら、カインを必死に探し回っている“物体”の様子が見えた。
その間に、カインはBR−9のグリップを両手で握り締め、次の行動を模索している。
(【VOLD】か……。しかし、なぜ、こんなところに? まだこんなところまで到達できているはずがない。まさか、感染者が!? いや、仮に【感染者】が出たとしても群総司令部のスキャンは完璧なはずだ。こんなところに感染者が来る前に隔離されているはず……それに……)
カインは、そっと“物体”の様子を窺う。
明らかに異様なのは、“物体”の肉体に、半ば寄生するかのように繋ぎあわされている夥しい電子機械群だ。それらはまるで、物体の肉体の生命活動を補完しているかのようでもあり、また何かの記録装置のようでもあった。内臓と直結しているとも思われるチューブは、一定周期で物体の鼓動や脈拍に連動しているかのように、びくりと振動する。
明らかに何かの人為的措置が加えられているのだ。
「……」
とにかく、アレがなんであれ、【VOLD】であることは確かである。
うかつに発砲すれば、四方に肉片や血液が飛び散ることになるだろう。
そうなれば、防護服などの防御措置のない地下都市空間内部において、瞬く間に感染が広がることになる。
ここでの戦闘は避けるしかないだろう。
しかし、軍内部の施設である以上、有事に備えての隔離機構があらかじめ備えられている。
なんとか、あの“物体”をこの区域に隔離しなければならないだろう。
ではどうするべきか……。
「……」
カインは、このフロアの天井に一定面積ごとに設置されている小さな白い円形のアンテナのようなものを見つけた。それはちょうど“物体”の真上に設置されており、アンテナ本体がぴっちりと天井に張り付いているかのようなそれは、まさしく有事に備えて取り付けられたセンサーであった。
空気中の気体組成の微妙な変質から、気体中にある物質の分子構造、熱感知、はたまた空気中を飛びかう微生物までをも走査することが可能である。
また、その状況が施設中心部のホストサーバーに送られ、常にスキャンされて環境データの一部としてデータベースに保存されている。
つまり、いつ、如何なる場合、どのような誤算によって【VOLDの欠片】が施設内を流出するようなことがあろうとも、被害を最小限に抑えるために各区画で完全に隔離してしまうことが可能なのである。もちろん、その場合、感染ポイントの生存者ごと、【VOLDコロイド】に封じ込めることになる。
カインは、区画の境界を探した。
どうやら、オフィスエリア5つ分向こう側の床面に赤いラインが示されているのが見えた。
どうやら、そこが境界ということになるらしい。
カインは、グリップをゆっくりと構えながら、身を乗り出して“物体”の様子をもう一度窺う。“物体”が、カインがいる方向とは別の方角へと進み始めたとき、カインは再び走り出すために足を起した。その時、床に飛び散ったガラスを踏みつけたせいで、わずかに、ぱきりという音が響いた。
その瞬間、歩み始めた“物体”の動きが止まる。
(まさか……、視力がない分、聴力が発達しているのか?)
その疑問に対しての答えはすぐに出た。
方向転換した怪物が、再び激しい怒声を轟かせてカインがいる方向へと突進してきたのである。
「まずい」
そう呟くや否や、カインは一気に飛び出した。
次の瞬間、カインのいたその場所が彼の身を隠していたデスクごと驚異的な力によって粉砕される。カインはそれを紙一重で交わしつつ、回転して体制を整えると間髪いれずに走り出した。
そして、5区画向こうの赤いラインに向かって走りだすが、すぐさま彼のあとを追って、“物体”が飛び掛ってくる。その巨体とは裏腹に、まるで猫のようなしなやかな動作で身をくねらせ、信じられない速さでカインを追いかけ始める。
その速さは歴然で、瞬く間にカインのすぐ後ろにまで迫ろうというとき、カインは、一気に赤いラインに向かってジャンプしつつ、その空中で反転させて背後の“物体”に向き直ると、そこではすでにカインを掴みかかろうと太い腕を振りかぶっている“物体”の姿があった。カインはその物体に向けて、BR−9を構えるが、狙いは“物体”の遥か後方の天井に設置されたセンサーだった。
カインはそれにむけて、素早い動作で照準を合わせ2発の弾丸を撃ち出した。
その2発の弾丸は、爆発する銃口から撃ち出され、周囲の期待に衝撃を震わせながら“物体”の首筋のすぐ真横を通り過ぎる。
まさに刹那の間、スローモーションされる一連の動作の中で正確に狙撃されたセンサーは、見事に2発の弾丸によって完全に破壊された。
その瞬間、カインの身は後ろ向きに銃を構えた体勢のまま床に転げ落ちる。
そして、そのカインに向かって飛び掛ろうとする“物体”は、途中、突如、天井から瞬間的に下ろされた透明の隔壁に空中でぶち当たることとなる。

――ぐろぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

いったい、何が起こったのか分からぬ“物体”は、目の前にある透明の隔壁に向かってその太い腕で殴りつけるが、ガラスのように見えながらもその250倍の強度を誇る隔壁を打ち破ることはできない。
すぐ後ろでも、側方にも、すでに隔壁は下ろされていた。
完全に“物体”は封じ込められてしまったのである。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
カインは倒れこんだまま、荒く上下する胸の呼吸を整えようとしながらも、目の前の“物体”を見上げる。
どうやら、“物体”の怪力を持ってしてもこのシールドを破ることはできないことを確認すると、カインはBR−9をジャケットの内側になおしながら緩慢な動作で起き上がった。
すでに、いつの頃からか鳴り響き始めたアラームが耳障りなほどに聞こえている。
すぐにMPと特捜部隊が駆けつけるだろう。
本来ならば……。
だが、アラームがなり始めて2分ほど経ったが、いっこうに誰かがこの場にやってくる様子はなかった。本来、こういった『事故』は時間との戦いであり、封じ込め作業を一分でも早く行わなければならない。初動措置がセンサーに呼応して自動ですぐさまシールドが張られる機構となっているとはいえ、その後の諸作業は一分以内に処理部隊がやってきて行わなければならないはずなのである。
にもかかわらず、一向に何者かがやってくる様子はなかった。
「やはり、何かがおかしい……」
カインは、しばらく自分を睨みつけながら今なおシールドを叩き破ろうとしている“物体
“を静かに見つめながら、やがて、それに背を向けた。
その時、目の前の通路を何者かが走って横切るのが見えた。
「誰だ?」
カインが再びBR−9を構えてその影を追う。


24 :wx3 :2007/05/18(金) 10:28:15 ID:rcoJs4oJ

その人物は、オフィスを通り抜けて別区画へと向かう通路に出て行った。
“物体”との死闘を終えたオフィスエリアと完全に区画分けするかのように張り巡らされた通路は、ちょうど、第七艦隊総司令部の司令官、ウォルディック=ノイアとその直下の上層幹部の人間が集まる機密情報部の境目になっている。
本来なら、その通路のいたるところに警備の人間が立ち、何重ものセキュリティーが用意されているはずだったが、やはりそこも無人となっていた。
カインは、すぐさまBR−9を構えてその人物を追う。通路へ出る直前、壁に背を預けて、通路全体の気配をうかがい、素早く身を乗り出した。
すると、次の瞬間、カインが顔だした端の壁に火花が飛び散り、金属と金属が高速で衝突して砕け散る爆発音が響き渡った。
何発かの弾丸が跳弾となって弾ける。
カインは、素早く身を引き戻し、弾道から相手の位置を推測した。
「……」
どうやら、機密情報部へと繋がる入り口前で、そのセキュリティーを解除しようとしているようだ。しきりにセキュリティーネットのアクセスを試みている。
物陰に隠れながら、こちらへのけん制として射撃を繰り返している。銃の扱いは心得ているようだ。
数発の銃撃の合間を見計らって、カインが一気に躍り出た。
その瞬間、相手の驚愕した様子を見て取り、そのまま、向かい側の壁に置かれたモノリス状コンピュータの陰に隠れる。
女だ。
銃口から吐き出される爆炎によってはっきりと顔を見ることはできなかったが、黒いスーツ姿に身を包んでいたあたり、ここの職員なのかもしれない。
カインは、今もなお、銃弾が浴びせかけられる中、BR−9のマガジンを引き出し、手馴れた動作で、マグチェンジした。
「総司令本部の人間か? それとも【ファーストソード】か?」
カインが声を張り上げてそう問いかける。
すると、興奮した女性の声が返ってくる。
「ふざけないで! 【ファーストソード】ですって? 火星と一緒に消えた旧世紀の得体の知れない組織が今ごろどうして! あなたこそ、いったい何者なの? 本部のセキュリティーを狂わせたのもあなたなの?」
気の強い女性だ。
強がっているわけではない。
射撃もかなり正確に狙いを定めている。
銃の構える体勢と基本的にセーフティーコンバットは、十分に訓練を受けた者のそれであることは、明らかだった。
軍関係者だろう。
それもかなり高位である。
そして何より、カインはこの女性の声をよく知っていた。
「マリア=ヴィンセント局長?」
その問いかけに、女性の方もまた反応を示した。
コンソールパネルに意識を集中させながら、絶えず、カインへの銃口の向きを厳しく定めていた彼女だったが、その瞬間、わずかに銃を下げ始めて、こちらへと顔を向ける。
「カイン? カインなの?」
自分の名前を聞き返してきた時点で、カインは確信した。
こちらへのけん制攻撃をしながらもウォルディック=ノイアのオフィスに侵入を果たそうとしていたのは、戦略考案当局の局長であり、カインの上司でもありながら、実は恋人でもあったマリア=ヴィンセントである。
黒いタイトなスカートに一部の上層幹部のみに定められた腕章をつけたスーツを着込んでいる。軍属の分析官である証だった。
しかし、軍属の人間とは思えないほどにマリアのその身は華奢であるが、洗練された一切の無駄をそぎ落としたかのような麗しい肢体は、制服の上ですらその悩ましさを隠しえない。白く整った綺麗な顔立ちは、理知的であり、聡明な女性であるように思えたが、過去のカインとの関係の中で、その情熱は、まさに炎のようでもあったと記憶している。
その細身の眼鏡は、まさにそんな彼女を覆い隠す仮面のようでさえあった。
「なぜ、こんなところに?」
カインはモノリスの影から身を引き出し、BR−9をホルスターに納めて彼女に歩み寄った。彼女もまた相手がカインであることにほっと胸を撫で下ろして、銃を下ろす。
「あなたこそ、どうしてこんなところにいるの。今頃は、各分隊ごとで戦闘準備が行われているはず。――スターメイカーの小隊長でもあるあなたなら、部下をまとめて……」
過去に互いの身を寄せ合った関係を微塵にも見せることなく、毅然とした表情で話すマリアだったが、カインはそんな彼女を押し分けてコンソールパネルの前に立つ。
本来、上層幹部のバイオコードを元にセキュリティーチェックがなされる仕組みになっているが、今現在、そのセキュリティーは解除され、別の端末からの操作以外にアクセスを受け付けない設定となっている。
このようなことは本来ありえないことだった。
「カイン!」
「緊急事態です。ウォルディック=ノイア総司令官以下、上層幹部の方々に急ぎ報告しなければならないことが」
「いったいどういうことなの?」
そういって、顔を覗き込んでくる彼女を改めて見たとき、カインは彼女に問いかけた。
「あなたの方が詳しいはずです。職員はどこへ? あの化け物はいったいなんです?」
「化け物? さっきの【感染者】と遭遇したの?」
どうやら、彼女も先ほどの『物体』の存在を知っているようである。
しかし、彼女の言動は何か不自然だった。
カインの脳裏に先ほどの『物体』の姿がはっきりと映し出される。
本来、【VOLD】に侵蝕された生命ではない。
あれの肉体には、はっきりと分かる人工的な器具が、肉体のいたるところから突き出されていた。
そもそも、この総司令本部において偶発的にでも発生した【感染者】をスキャンできないはずはないのだ。
確実に人為的な意図をもって生み出された人工物である以外において……。
「【感染者】じゃない……」
カインはマリアを見つめながらそう応えた。
その瞳には、はっきりと欺瞞の色が色濃く映し出されている。
「どういう意味なの?」
そう言うマリアに対して、やがてカインはゆっくりとBR−9を引き出した。
「なんのつもりなの、カイン!」
「【ファーストソード】か? それとも【ブラフマー】の別の組織か? 他の職員はどうなった? 何が目的なんだ」
そういって銃を構えるカインに対して、マリアの表情がわずかに強張っていく。
それはなぜ、自分が銃を向けられなければいけないのか理解できない人間の表情としては、申し分なくそれらしいといえるだろう。
しかし、それはあまりにもそれらしく見え、カインの目には逆に演技として映った。
「やめなさい! 誰に銃を向けていると思っているの? ルシフェルト伍長、あなたは今、普通の精神状態ではないはずよ。でなければ……」
「だまるんだ!」
それまで一定の低いトーンで話し続けていたカインの急な怒声が、マリアを強張らせた。
その時である。


25 :wx3 :2008/05/18(日) 01:27:04 ID:ncPiWeum

――がごん、という分厚い金属が重苦しく持ち上げられる音が、通路内に響き渡った。
「動くな、といったはずだ!」
機密情報部区画へとつながる隔壁が、突如として勝手に開かれたのである。
厚さ数十センチにも及ぶ分厚い金属の壁が、ゆっくりと持ち上げられる。
カインはすぐさま、マリアとの距離を獲りなおし、まっすぐに銃を構えながら、彼女と隔壁とを交互に向けながら状況の変化に驚きながらもなんとか平静を保って対処しようとする。
「か、隔壁が……誰が解除したの?」
マリアが驚きつつも、隔壁の向こう側へと視線を向け、カインよりも一歩前へと足を向けた。
その様子から見て、彼女が開けようとした隔壁、そのロックを解除したのは彼女自身ではなかったように見える。
しかし、カインは慎重に彼女の様子を観察しつつも、隔壁の向こうへと警戒を強めていく。
やがて、隔壁の向こう側にある闇からグリーンの強力な光点が見えてかと思うと、それは一斉に分散し、幾本も束になったレーザーとなって、カインやマリアへと向けられていく。
「!?」
その瞬間に即座にカインは動いていた。自分より一歩前に出ていたマリアの腕をつかみ、一瞬で自分の後ろへと引き込んだ。
「カ、カイン!」
その瞬間的な動作は、マリアの細いその身に対してあまりに乱暴な扱いだったのだろう。
彼女の華奢な身が、大きく傾き、強くつかまれた腕の痛みに彼女自身が抗議の声を上げる頃には、カインの背に寄りかかるような姿勢となっていた。
「……」
カインは、そんな彼女の様子など気にも留めず、ただ前方一点を静かに見据えながら、しっかりと銃を構えている。
そんな彼にグリーンのレーザーもまた素早く反応し、彼の左胸と頭部に分かれて収束していく。
その時点で、カインはすでに悟っていた。
これはレーザーサイト。
相手は人間だ。
それも大勢の人間が銃を構えて闇の向こうに潜んでいる。
その素早い動きからして、訓練された兵士なのは間違いない。
そこまでのことを把握するまでに一秒とかからなかった。
そして、相手の動きもそうだ。
素早く闇の向こうから、カシャカシャと装備のこすれる音を響かせながら、漆黒の強化プラスチック繊維製の対V.O.L.Dミッションスーツに身を包んだ特殊部隊が、1ミリもカインに向けている照準をずらすことなく現れ、包囲した。
全員ミッションスーツに身を包み、何重にも武器や装備を装着し、顔はのっぺりとした黒い強化合成樹脂で構成されたマスクをかぶっている。
さまざまなセンサー類をたったひとつ右耳の後ろから伸びたセンザーバーで感知し、どんな闇の中や分厚い壁の向こうにいる相手の動きを正確に認識できるものだ。
マスクの右側から飛び出たレンズが、相手の情報を読み取ろうと動く。
見ようによっては、まるで武装したアンドロイドの集団が、人間を包囲しているように見えた。
アンドロイド兵達は、静かにライフルを構えて、カインの動きをけん制している。
「……」
カインも、銃を下しこそしなかったが、それでもどう動くべきか考えあぐねていた。
先ほどのがしゃがしゃという音は止み、凍えるほどの静寂がその場を包みこんでいく。
その時だった。
「……なるほど、マリア=ヴィンセント。君か。まさか、カイン=ルシフェルトといっしょとは……」
兵士たちの後方から、ゆっくりとのんびりした口調で、初老の男の声がした。
カインには、その声の人物が誰か分かった。
そして、マリアもまたそうだっただろう。
その人物こそは……。


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甘辛流小説家ギルドGAIA
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