恐竜元年


1 :3代目◆otukWsrP :2006/06/10(土) 16:07:33 ID:ommLuFun

人と恐竜が暮らす世界に訪れようとしている、終焉と始まりの生命達の物語……。

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かつて連載された故・語り部氏の「恐竜元年」改訂版です。
完成後の自費出版も視野にいれ、私3代目こと「えすてん」が加筆改訂を進めます。

語り部氏がこの作品のために残した設定メモ、プロット、以前の「小説ラウンジ」の批評や「感想室」でいただいていた感想などを参考にしつつ、「語り部氏がこの作品を通じて伝えたかったこと」を主軸に、「完結させたけれど、未完だ」と笑っていた言葉を引き継ぎ、本当の完成をめざして続けてゆきたいと考えています。

よろしくお願いします。


2 :3代目◆otukWsrP :2006/06/10(土) 16:09:05 ID:ommLuFun



その星は生命溢れる生きている星。

小さく、青く、強く、哀しい記憶を抱いて、

暗闇に眠る、美しい星・・・・・。


3 :3代目◆otukWsrP :2006/06/10(土) 16:10:12 ID:ommLuFun

最後の都市


 かつてこの世界にあったと伝えられる最後の都市の名前を、誰も覚えてはいなかった。栄華を誇った彼らを語るものは既に無く、彼らを知る者達の繁栄もまた、滅びゆく運命の歯車の小さな掛金。
 
 遠き記憶が時に溶け、永遠とも思えたその時間にさえも本当の終わりが見えた時、この世の果てを求める新たな命が五対の翼に抱かれてその壁を越え、その向こうに、その世界を知る。

そう、遡ること、数十億年。

ほんの小さな、ひと呼吸。


4 :3代目◆otukWsrP :2006/06/10(土) 16:15:28 ID:ommLuFun

アーシェント・タツマとシン・ユェズ


 荒野。灰色の土は固く、所々にほっそりと痩せた下草が風に無防備に揺れる。岩というには小さく、石と言うには大きな塊が横たわるその先の地平線、そこには確かに街が見えていた。
「あれが、エルデス?」
目指していたその街の影を遠く見渡せる丘で、手綱に獣竜を引き連れた2人の若者が旅の終わりを感じていた。一人は体格が良く優しさが自然と覗く漆黒の瞳をした印象深い顔立ちの青年、もう一人は同い年のようだが逆に華奢な体つきをしていて黒い髪を短く刈り込んでいる。どちらも乾いた砂埃にまみれていて長旅をしてきたことは容易に理解できるし、それぞれが後ろに連れている頑丈な獣竜の轡や鐙もかなりの傷みが見て取れた。
 「ああ、そうですね、昔、父に聞いたことがあります。エルデスは村の何倍にもなる大きさで、レックスの攻撃にもびくともしない壁に守られていると。」
どこかその「父」を懐かしむような口調で、華奢な方─少し高い声をしている若者が連れに答え、
「そうか……。ユェズ、ついに辿り着いたね。」
「はい、皇子。」
即座にこう呼ばれて、体格の良い方─束ねた紅い髪を肩に垂らす青年は苦笑する。
「皇子はやめよう。竜馬(タツマ)でいいよ、ユェズ。……うん、そうだな、タツマ、これで行こう。それから、その言葉遣いも。これからは主従関係は無しだ。」
そんな二人の間を抜ける、フゥーッっと一陣の風のような息。竜もそれに同意したいらしいのか、それとも甘えているのか主人に鼻面を押し付け、独特の皮の匂いが満ちて来る。
―シュジュウカンケイッテ ナァニ? ナニカ ナクナッタノ?
(人間だけの話さ。なんでもないよ。何も変わらないから。)
―ソウ。ニンゲンッテ ヘンナノ。キミハ キミナノニ。ナニモ カワラナイノニネ
(そうだね、君の言う通りだ。)
さらに苦笑が止まらないタツマの大きな手が、ポンポン、と優しく自分の竜の首に手をやる。
(もうすぐ、旅が終わるよ。わかってるだろうけど。)
―ウン。ワカッテル。ニンゲンノ ニオイガ タクサンスルモノ。
彼らの連れる竜は恐らく獣竜シノグナーサスの類のものだろう。大きさは馬より少し大きく斑混じりの褐色の毛足に覆われていて、どっしりとした背とバランスの良い四肢の作りは確かに乗用に向いている。気性もおとなしいらしく、竜はその分厚い皮膚を通して感じる主の愛情に応え、満足げに首を小さく上下に降っていた。
「しかし……。」
沈黙が耐えられない、といった様相のユェズの声。相手─ユェズにはこのタツマと竜のやり取りはわかるはずもなく、その僅かな沈黙は何かを思慮する時間でしかない。。
「しかし、それは畏れ多い事でございます、皇子。古き血筋の世継ぎの君にそのような……」
「もう、アーシェントは無いよ、ユェズ。」
穏やかな口調にあわない、少し厳しい視線。タツマがアーシェントであること、この世界にある全ての生命ある者と言葉を交わすことのできる種族の最後の一人である、ということは理屈でわかっているつもりでも、言われた方は思わず黙ったまま主を見、小さな、緊張を伴う呼吸。だがその次の瞬間には、
「だから、私はただのタツマだよ。」
笑う。
「もう、皇子は無しだよ、いいね?」
この顔、一種のカリスマさえ感じさせる皇子の屈託の無い太陽の表情にはどの家臣も勝てなかった。もちろん、今、目の前にいる乳兄弟もまた同じように彼には敵わない。
 「……わかりまし」といいかけて「わかったよ。タツマ。」
すこしぎこちなく、ユェズは答えた。その言葉に満足したのか、皇子、いやタツマは獣竜の首を抱き
「お前もだよ!」
明るい声。そんな主人が愛しいのか、
─キミハ ヤサシイ。スキ。
竜も喉の奥で静かに甘えたような低い響きが鈴のように鳴り、大きな鼻面が頬に触れる。
「さぁ、もう少しで休めるからね。後ちょっと、頑張ろうな。」
ワカッタ、と獣竜はもう一度大きな鼻息を一つして、
─ダカラ、イカセテ。
ふと、誰に告げたのかその首を遠くへもたげ、その主人の竜の動きにつられ、ユェズも、つと、その視線の先を自然に追う。
「タツマ、人だ。」
言い慣れないその名を呼んで腕をそっと引き、
「? こんなところに?」
2人が見上げるその先、娘というにはまだ少し幼い少女も確かにこっちを見ていた。長い蒼い髪がなびき、その彼女を護るように1頭の角竜─トリケラトプスがいる。
「……子供?」
視線があった瞬間、タツマはその紅い瞳に吸い込まれ、
(何?)
耳に静かな轟音が伝わり、厚着の下の肌にしっとりと汗がにじむ。
(?)
目を閉じているのか開いているのかさえ判らないほどの暗転した空間が広がると
「アーシェントよ、我らとの盟約を忘れるな。その門をくぐると言うのなら、我らは盟約のたがえぬことを願うまで。」
聞き覚えの無い声、一つではない合唱ともいえるだろう声が心臓に響き、動悸が唸るように全身をめぐる。
(盟約?)
「アーシェントよ、忘れるな。」
目の前に浮かぶのは、あの少女。彼女はすぐ間近で瞳を覗くかのように自分の顔を小さな手で捉えている、が、その手は、冷たい。 
(盟約とは何のことだ?)
言いながら、アーシェント、と彼女が繰り返す呼び名に震える。彼の問いに娘は答えず、遠ざかり、その影と入れ替わるように目の前の光る闇に一つの小さな丸い宝石が浮かび、紅く、蒼く何度か点滅をしながら近づいてくる。
(星?)
なぜか、理解できていた。今掌の中で踊る蛍火は幾千もの、いや幾万ともいえるだろう生命が輝いて塊となったものだと。
「盟約ある限り、お前達の未来は約束されよう。それがいかなるものであろうとも。」
何かを答えようとして、喉が渇き、言葉が詰まる。そんな戸惑う彼をあざ笑うかのように星は一瞬で消え果て、
「決して盟約をたがえぬことだ。遥かなる最初にして最後の末裔よ。」
静寂がこだました。
(だから、一体……!) 
─……ツマ!
「タツマ!」
何か冒涜ともいえるような言葉を叫ぼうとした彼に届いたユェズの声。現実が目覚め、タツマはゆっくりと振り返る。もうそこは暗闇でなく、遠く地平線が見える荒野。
(あの子は?)
タツマが再び娘を見、そこにあっただろう姿を探すと、大きな背が彼女を乗せて深き森へと戻っていく。丘の稜線に見え隠れする影は、もはや遠い。
「ああ、すまない。ちょっと見とれてた。」
誤魔化すようにおどけると、
「確かに、綺麗な子でしたね。」
ユェズも合わせる。が、ちょっと嫌味が入った口調。
「都市の子かな?」
尋ねておいて、違う、と本心は思っていた。あの子供は、違う。
「……でしょうね。」
ユェズが呆息混じりに返すと「行きましょう」と栗色の瞳で訴える。この彼の表情はタツマにとっては最も苦手なものだ。
「陽があるうちに街に入った方がよさそうかな?」
逃げるようにがっしりした肩が上がり、
「そうですね。この辺りには飢えたラプトルの群れがあるようです。夜になったら確実に彼らの餌食ですよ。御免こうむりましょう。」
真面目なユェズはそっと風に囁かれているかのような表情で答えた。 
「とにかく、街に急ぎましょう。この辺りはかなり危険な感じがします。」
「よし、行こう!」
タツマらしい快活な言葉。今はまだ、自分に起こった出来事を話すには至らないだろう。二人は元気良く獣竜の背に飛び乗り鐙を蹴る。長き旅の友はその動きに即座に反応するとその大きな四肢をゆったりと、しかし心なしか速く駆け出した。大地が揺れ、その足跡は静かに確実に、この世界の最後の都市エルデスへと真っ直ぐに規則正しい弧を描きながら伸びていき、流れを見守る地平線の色は見慣れた故郷への戻れない旅路を映し続けていた。


5 :3代目◆otukWsrP :2006/06/17(土) 00:27:42 ID:ommLuFun

白のソゥシと雷竜のトゥシ


 巨大な一枚岩で作られたエルデスの門は空に陽がある間だけ開かれていた。かつては交易のキャラバンが多く通り過ぎた門、今では難民たちが飢えた二本足の竜達から逃れて命からがらにたどり着く門へ、二人連れの旅人が一気に走りこむ。
「間に合いましたね!」
走ってきた割には息が切れてはいないようだ。淀みなく声は続く。
「これが、エルデス?ねぇ、トゥシ、こんなに広い街初めて見たよ!」
少年は嬉しそうに先に入っていた連れ合いに話し掛け、話し掛けられた方は長身で武骨な姿をそのままに少年を見下ろしている
「ああ」
生返事。彼らがたどり着いた午後の大通りは、人通りが少ない。太陽が空にある間、この地の気温は大地から蜃気楼や逃げ水があちこちに現れる程に高く、比較的涼しい朝や夕方まで静かなのが通例。その人影の無い、石を切り出して作られた都市の玄関口はとても整理されていて、今まで見たどの都市よりもここが豊かなのだとおのずと判る。
「キョロキョロするな、恥ずかしい奴だな。すぐにバードル様の屋敷を探すぞ」
危険な旅の終わり。最後の仕上げは、その人に会うこと。それまではまだ予断を許さないだろう、と男は気を引き締めているのだが一方の連れはそんな緊張感などまるで無い。キョロキョロとせわしなく周りを見ている。
「はぐれるなよ、ソゥシ」
名前を呼ばれて、
「はい!」
溌剌とした少年らしい返事。その懐から、翼竜のヒナも顔を出して同じようにキィと鳴く。
「あ、出ちゃダメだって」
彼が急いで菱形の頭を戻そうとする前に
「お前!なんで拾ってきたんだ、それを!」
思わず大声になり、往来の人目に気づくとすぐに口をつぐんで適当な路地へと少年を引きずりこむ。
「あのなぁ……お前なぁ……」
肩で息。 
「だって、あのままじゃ、ラプトルに食べられちゃいますよ」
相手は悪びれていない。ラプトル─群れで行動する危険な肉食竜、まるで人間のような頭脳をもつ狡猾で獰猛なハンターの名前を出して、
「戻そうとしたんですけど、近くに親がいなくて、巣も壊されていたんです。ヒナがたくさん死んでいて……あれはラプトルの仕業ですよ。そんな中にこの子を置いてくなんて絶対できません」
彼は彼なりの正論なのだろう言い訳をする。
「いや、そういうことじゃぁない」
ちらと見たその竜、というにはまだ迫力の欠片もない翼竜プテラノドンのヒナ、少年の懐に形良く収まっているチビは時々白い瞬膜の点滅をさせながら黒曜石の瞳で他人事だという顔。
「可愛いでしょ?」
天使の笑み。
「だから……そうじゃないっ」
血圧の上がった血管がこめかみに浮かぶ。確かに街道の途中、ソゥシが急に路を引き返し、楽しそうな表情で戻ってきたことがあった。十すぎて半ばといえば立派な大人の仲間入りだが、彼のその性根はまだまだ幼く、あちこちに好奇心むき出しで小さな冒険を楽しむ。まぁ大丈夫だろう、とトゥシは意に介さなかったのだが、まさかそれを拾ってきていたとは思わなかった。プテラノドンは成長すると子供を軽々と持ち上げるほどの大きさと力がある。そう、飢えた恐竜が増えている今、翼竜たちは不用意に都市を出た子供を食料とするようにさえなっているのだ。
「拾ってくるか? あの翼竜だぞ? 危険なヤツだぞ?」
繰り返して
「お前、判ってんのかっ!」
落雷。ソゥシは一瞬首を竦めたが、すぐに相手を睨み返し
「僕だってトゥシに拾われなかったらラプトルに食べられちゃってますよ! だからトゥシと同じように僕もこの子を置いていけなかったんです!」
「馬鹿野郎! お前育てる気か! そのチビを!」
「育てますよ! ちゃんと僕が面倒を見ますから!」
(まいったな……)
ひと呼吸。このひたむきで真剣な表情をトゥシは苦手としていた。こうと決めると動かない頑固な性格も良く分かっている。
「……そいつ、大きくなったら外へ返してやれよ」
ぶっきらぼうにそうとだけ言うと、真っ直ぐに前を向き大通りへと戻る。
「有難う!トゥシ!」
このキラキラした笑顔がソゥシの最強の武器だろう。
「大丈夫?」
懐を見つめると、ヒナが自分を見上げ、キィ、と鳴く。それがソゥシには、平気、と聞こえた。ごそごそと懐を直し、先に行く大きな背を見失わないように少年は小走りに追いつくと、
「ねぇ、トゥシ、この子の名前、何にしよう!」
「俺が知るかっ!」
どこから見ても、仲のよい兄弟にしか見えなかった。


6 :3代目◆otukWsrP :2006/06/29(木) 00:20:19 ID:ommLuFun

海人と独楽と六郎佐


 都市の南、今にも壊れそうなシダの幹を組み合わせただけの家屋が続く地域にある、ただ一つの木賃宿。とはいえ、ほとんど旅人が来なくなった今では、都市でも相当名の知れた悪漢が住み着く根城となっているが。
─ガタンっ!
不機嫌に外された高窓の木戸。
「で、用事は何だ?」
そこへだらしなく身体を預けている男は虫の居所がよろしくないらしい。
「お前らのせいで逃げられちまったじゃねぇか。久しぶりの獲物だったのに」
日に焼け若々しく逞しい四肢が着流した衣服から露呈していて、なんとも言えない色気があるのだが、
「あー、ひまだ」
そんな見た目とは裏腹に理不尽な程ふてぶてしい態度。
「海人(カイト)……」
来客の二人はその彼を前に困っていた。二人とも彼、海人と年の変わらない2人の青年で、全く同じ髪の色と瞳の色をしており、その顔立ちも双子かと思わせる程よく似ていた。ただ、片方を燃え盛る炎とするなら、もう片方は静かに凪る水面を思わせる空気を纏っており、その雰囲気の違いが見分ける方法になるだろう。
「どこから掻っ攫ってきたのか知らないがな、いいかげんにしとけって……」
急ぎの用があったらしい二人が海人の部屋を訪れると、海人に組み伏せられていた見知らぬ娘が泣き叫んでいた。思わず助けてしまったものの、それが相手には気に入らなかったのだろう。
「ぁあ?」
不満な声。
「あれだけ可愛いのにまだ男を知らないみたいだし、それじゃぁひとつ、可愛がってやろうかと……」
視線もあわそうとしない。
「お前な……」
口火を切った炎の青年が続ける。
「そんなことより、お前、竜子から剣を受け取ったというのは本当か?」
「竜子? ああ、あの蒼い娘ッ子か。まだあれはガキだぜ。後、数年もしたら、むしゃぶりつきたくなるような女になるだろうがな」
 「そういう事を聞いてるんじゃねぇ! いいかげんにしろ!」
沸点到達。どうやら性格まで炎のような男らしい。その横で静かに見守っていたもう一人が呟いた。
「独楽(コマ)、落ち着いて」
「何だよ、六郎」
荒れ狂う炎の親友を強く見つめ返すと、反する水の青年、六郎と呼ばれる彼、六郎佐がそのまま海人へ視線を流し、
「海人、竜子が人間じゃないことは判っていたでしょう? 彼女が持っている剣を手にしたら、今までのように気楽に暮らせなくなるとあれほど……」
溜息混じり。相手はフンとそっぽのまま。
「海人……剣を彼女に返せないのか? それとも、君がこの都市から出るか?」
強い意志が見え隠れする一滴の声。
「どっちも断る」
返す、不適な笑み。
「俺は俺の好きに生きるんだよ。第一お前らがそれぞれの主にどう働きかけるか知らんが、そのケチな権力争いでこの町が戦争になるんなら、それもそれで運命なんだろうよ」
「何?」
コマの瞳が火を噴く。
「お前! この町が無くなったら、俺たちにはもう生きる場所が無いんだぞ! そのチンケな剣が街に持ち込まれたせいで、町が戦争になろうとしてる。だから俺たちは!」
「ふん、そんなチンケな剣を奪い合う連中もさぞかしチンケだろうな」
間髪入れない。
「いぃんじゃねぇの? 滅びるんなら滅びちまえ。俺は退屈だったから、ちょっと遊んでみただけだ」
判っていたことだった。海人は欲しいものを手に入れられればそれで満足する。 
「……戦争にはなりませんよ」
六郎佐の声はあくまでも大人しく、そして冷たい。
「今、この都市で戦争をする事は、そのまま滅亡に繋がります。私達3人がそれをしてはならないんです。判っているはずでしょう? こうして出会って、友となってもう数年。お互いにこの町で何をするべきなのか、してはならないのか、判っているはずです。それを−」
「裏切るのか、とでも言いたいらしいなぁ? 六郎」
海人は我が意を得たりといった顔で六郎を遮った。
「俺が剣を手に入れたのは、この世界を変える為だ。滅ぼす為じゃない」
「理想かよ、いまさら!」
キレたような独楽。だが、六郎はその冷静な利発さで、
「……海人、君がやりたいことがそう小さな物ではないだろうと私は信じている。けれど、時期を見失うと、私は君を殺さねばならない」
二人をたしなめるように続けた。
「私の主人、ロード・奥羽様、独楽の主人、ヴィクトリア・シージップ様、それぞれにエルデスを支える権力者だ。それぞれの立場で、君を追うことは目に見えている。だから……」
「エルデスの三権者が敵か? それはそれで面白いだろうな」
にやり、と口が動く。
「面白いのかよ! 勝手だな!」
無頼の海人はともかく、独楽、六郎佐ともにそれぞれの主人がおり、普段は下男として働いている。この都市で権者の庇護や恩恵にあずかることの無い海人のような存在は相当に珍しいのだが、
「君はそれで良いのかもしれないけれど……海人、私も独楽も、そうはいかないんだよ……」
「六郎の、言うとおり、だな」
独楽も六郎と全く同じ顔をする。
「お前とやりあうか、それとも俺が主を裏切るのが早いのか……」
裏切れねぇくせに、と海人は確かに笑っていた。
「お前らはそれぞれに主ってモノをもっちまったよな。俺はそれが面倒なんだが」
吹き込んでくる乾いた暑い風。
「竜子は後2つ、剣を持ってる。こいつがあれば、あのデカイ化け物に怯えることの無い、望むままの世界を手に入れられるのさ。かつて、アーシェントが持っていた力、この世界を治めていた力があの剣にあるんだからな」
静かな間。
「俺がこの世界を変えてやるのさ、誰の指図も、庇護もいらないそんな世界を。そのためなら、こんな都市なんざ灰にしても構わんぜ」
その危険な言葉の響きも、海人の口を借りると甘美なものになる。
「・・・灰にする前に、よりよき道を選ぼう」
六郎佐はその静けさで答え、
「やってみたいな、俺も」
独楽はその単純さで答えた。


7 :3代目◆otukWsrP :2006/07/01(土) 00:45:40 ID:ommLuFun

ショウ・韻とシン・ユェズ

 もう、日が暮れようとしていた。平凡であるからこそ大切な日々、今日も近衛兵長は門を閉じるべく、部下達を控え室へと集め
「これより、閉門を行う」
毎日の申し送りの儀礼。整列した部下が目の前に一文字に並び、今日の担当班長が一歩前に出た。
「申し上げます! 本日の竜の来襲はありませんでした!」
「了解した。」
エルデスを守る門と宮殿を守る門の警備。この任務を負ってもう十年ほどになる。かつては角竜の部隊を率いて各都市を制圧してきた武人であったが、都市がこのエルデスだけになった今、部隊の竜は食料に変わり、兵士は衛兵となっている。刀を振るう相手も、同じ兵士から落ちぶれたならず者達に代わってはいたが、その心にある「都市の護りとしての自分」は失われてはいない。
「兵長」
若い兵士が名を呼び、彼も、うむ、と頷くと定例報告の続きを促していた。
「本日は、旅人が2名、都市へと入りました。男2名、ダブ・バードル様の客人との事です」
そうか、と、意に介さない風体ではあったが、
(バードル殿が雇い入れた兵士か?ここのところ、多いな)
少しきな臭い予感を抱く。三権者の一人、ダブ・バードルは血の気の多い武人でありかつての上司だが、都市が失われた今では権者とはいえ立場は一歩遅れている。その彼の屋敷に多くの流民が集まっていることはあまり良いことではないだろう。
「後は?」
それでも悟らせず、ゆったりと答え、若い兵士の声がその続きを発するその時、
−ドドドドド
走りこんでくる竜の足音。響くようなその低音は獣竜のものだろう。兵士達はいきり立つようにそれぞれに剣を手にすると、
「見てまいります!」
我先にと飛び出していく。それを見送り、彼は、ふぅぅ、と大きく長い溜息をついた。新たな旅人の到着、またエルデスの流民が増えるのか、と、

−ココ、コワイヨ。
シノグナーサスは夕暮れのエルデスの門の前で立ち止まると、その柔らかな夕日を背にためらうように鞍上の主人を見た。その視線を受けて、タツマも同じようにその門を見上げる。この大きな一枚岩はどれだけの人を迎え、見送ったのだろう。
「重いな、これは」
その独特の感覚で岩の悲鳴を聞き取ったタツマは自然とユェズを見る。
「この門がエルデスの入り口……」
対するユェズは別の意味で緊張しているらしい表情。
−ネェ、イコウヨ。ココ、コワイヨ。
「そうだね、早く抜けてしまおう!立ち止まっちゃいけない」
タツマは声と同時に振り払うようにシノグナーサスを促すと、彼らもその恐怖から逃れようとするかのように走り出す。
−アノ オオキナイシ、タクサン、オコッテルヨ。
(判ったよ、私にも。)
手綱を通じて、思わず想いを投げ、
(アーシェントを捨てようと、さっき思ったばかりなのに……!)
自然と使ってしまうその力に怯えるように瞳を閉じた。

(竜に乗って走りこむとは大胆だな)
怖いもの知らず、とも言える。しかし、彼はその見知らぬ旅人の行動をどこか憎めない様相で、先に飛び出した若者達の後に続いていた。
「待て!」
門をくぐった刹那、ガチャガシャと甲羅のすれる音を響かせて数人の兵士が駆け寄る。按上の2人は慌てて竜を止め、シノグナーサスが驚いて怯えた声をあげた。
「その竜は入れることはできない。ここで手放されよ」
前で交差する、部下達の槍。その先には研磨された刃が光る。
「しかし、彼らは共に旅をしてきた大切な……!」
思わず反論した片方を、華奢な方が押さえ、
「理由をお聞かせ願えませんでしょうか?この辺はラプトルの大きな群れがあるようなので、ここで放せば確実に彼らの餌食になってしまいます」
その丁寧な物腰と口調に、追いつき後方に控えていた彼は、ほう?と心惹かれて
「この都市は、皇帝陛下以外に竜を養うことが許されないのだ」
答え、ふと見やると、血気にはやる部下達は警戒心をぬぐえないらしい。確かに、これだけの大きさの竜は滅多に都市に入らないし、それを乗りこなしてきた旅人を警戒するのは至極当然ではあるが。
「それがここの掟、なのですか?」
それでも相手は引き下がりそうになかった。線の細い若者の栗色の瞳がまっすぐに自分を見ている。
「この都市に住むことは、皇帝の民となる事。申し訳ないが皇帝陛下以外に竜を持つことは許されない」
エルデスは皇帝の絶対的な庇護の元にある都市。だからこそ、この世界で生き残ってきた。その誇りにかけても、何人たりともその法に従わぬ事は許されない。その意思が伝わったのだろうか、旅人は静かに押し黙り、それぞれの背から降りるとバラバラと兵士に取り囲まれた。
「せめて、一晩。この門の内側においていただけませんか? 朝が来れば、彼らを放します。そうすれば、夜までには自分達を守れるような場所へ、その本能で帰るはずです」
彼らの気持ちは理解できた。今ここでこの2頭を手放したとして、彼らが無事にいられる確率は万に一つもない。この獣竜は大人しく、反撃の武器を持たない種類で、普段はラプトルの住まない砂漠の生き物なのだ。獰猛な飢えた猛獣の群れにかかれば、そのエサと成ってしまうのは目に見えている。
「私たちがここへ来たせいで、お前達は・・・・」
ガッシリとした方はよほど竜に思い入れがあるらしく、優しく旅の相棒の大きな顎を抱く。その仕草は優雅さがあり、どこかしら流民とは異なる空気を感じさせ、
(不思議な旅人だな。流民ではないのか?)
兵長に浮かぶ疑問。別れを感じ取ったのか、シノグナーサスは低く甘えた声を出し、咽の奥から湧き出るような心地よい音が夕暮れに響いた。
「夜を前に、旅を共にした彼らを放すことは、私たちにはできません」
その連れを見て、変わらぬ凛とした態度。
「ならば、お前達も外に行けば良いだろう?」
一人が小馬鹿にした口調で吐き捨てると、周りからは嘲笑が漏れる。一瞬浮かんだ屈辱の表情を、兵長は見逃さなかった。
「やめなさい」
(彼らは、そのような侮辱を受けるような人物ではない。)
老兵がその彼らを手で制し、
「その竜と共に旅をしたと言ったな」
相手は二人ともにゆっくりと頷く。
「ふむ。それにしては疲れを見せていないし、何より、お前達にとても懐いているようだ」
一歩巨体に近づくとその毛皮に包まれた身体を軽く叩き、ゆっくりと撫でる。驚いた竜が少し嫌がる素振りを見せると、主がその鼻面をそっとなだめ、竜はすぐに相手に身をゆだねた。
「うん。よく調教できている。それに、しっかりした身体だ」
終わりだ、と告げるようにそっと柔らかい毛足の首を撫でると、相手はもう嫌がりもしない。主人に忠実で、鍛えぬかれている良い竜とはこのようなものをいう。だが、これが、かのバードルが呼び寄せ集めている者共の一頭なのだとしたら、さらに話はやっかいだろうな、と嫌な不安もあった。
「エルデスには何用でこられましたかな?」
「……育った村がレックスにやられました。生き残ったのは私たちだけです。それで……」
ふと、故郷を思ったのか言葉が途切れた。エルデスへたどり着くほとんどは、心に深い傷を負う。生き残るために払われる犠牲はいつも大きいものだ。その表情に、彼らの心の豊かさが垣間見える。
「誰かを頼って、かね?」
投げてみる、問い。
「いいえ」
即答。
「そうか」
心からの安堵。そして
「……お気の毒に」
故郷を失い、エルデスに流れ着いた相応の身分の人間。ならば、確かに、捨て置くことはできない。
「……どうだ?私の元で働く気はないか?」
「え?」
思わず二人ともが声をあげる。
「有難うございます。ですが、私たちはまだ……」
華奢な若者の複雑な表情を読み取って、彼は満足げに
「それもそうだな、いきなりでは無理だろう。すまないね」
笑う。
「いいえ。お気持ちは嬉しく思います」
言葉遣い、身のこなし。教育と身分をもっていたことが予想から確信に変わる。
「だが、これはとても良い竜だ。確かにラプトルにくれてやるのが惜しい」
その本音を相手はどう捕らえたのか、
「……」
返答に困る顔をする。
「私はエルデスの近衛兵長、ショウ・韻。この竜は陛下にお仕えできるだけのとてもよく調教された頑強な竜だ。面倒を見てくれる者と共に私の元へ召抱えたいと思ってね」
(この二人はいずれ役にたつ。)
「お心遣い、痛み入ります。兵長殿。私はユェズ、こちらは幼馴染のタツマ。ともに村を失い、エルデスへ辿り着いた流民でございます」
 すかさずユェズが頭を下げて礼を尽くすとタツマも慌ててそのユェズと同じ動作をする。流民、といってもただの流民ではあるまいに、と老兵の笑み。 おそらくは……タツマは王族、ユェズはその家来。どの王族かは知れないが。
「異論はないな?」
「はい」
「ではこの2頭は皇帝陛下の竜としてうちで預かることとする。よろしく頼むよ。ユェズ、タツマ。私の娘が下宿を営んでいるから、住まいはそこにするといい。……よし、門を閉じよ!」
ショウの一言で、兵士達はその鎖を這わせ、大きな岩が軋みながら閉ざされてゆく。

エルデスにゆっくりと、夜が訪れようとしていた。


8 :3代目◆otukWsrP :2006/07/08(土) 23:52:38 ID:ommLuFun

ヴィクトリア・シージップと華奈と独楽


エルデスの北は、皇帝の宮殿を囲むように大きな屋敷が続いていた。南の貧民層からかけ離れた栄華の世界、貴族達が住むこの一角でもひときわ大きなそれは3つあり、三権者と呼ばれる人物達、ヴィクトリア・シージップ、ダブ・バードル、ロード・奥羽のものだった。そう、エルデスには明確な格差社会が存在する。皇帝を頂点としたその社会で、互いに干渉するでなく、緊張を隠しながら多くの者たちがその権者に仕え、庇護され、日々の糧を得て暮らしているのだ。
「独楽!」
明るく穏やかな主人の声が灯りの点る屋敷に響いていた。
「全く、どこへいったのやら……」
呆れたような独り言。
「独楽!」
再度の声は石造りの屋敷内で反響し、不思議な音を伴いながら消えていく。
「先程までおりましたのに・・・・・」
その傍らで彼の召使の若く美しい娘も同様に視線を泳がせて目的の男を探していた。
「しょうがないねぇ。お華奈、見つかったら私の部屋へ来るように伝えておくれ」
「はい、お館様」
頭を下げると、その美しい金髪がさらさらと肩から零れ
「お華奈、今日は一段と綺麗だね。独楽がうらやましいよ」
恋人の名を告げられて、娘は耳まで赤くなった。それを見てますます主人は面白いのかクスクスと笑いを漏らす。明るく気さくで屈託の無い一面を見せている彼、老年に手が届こうかという飄々とした彼は、古くからエルデスを護ってきた星見の種族の末裔で名をヴィクトリア・シージップと言った。エルデス三権者の一人であり、皇帝から全幅の信頼を得ている宰相であり、皇帝の正妃アンナトリア后妃の実兄でもある。
「お館様、お戯れを」
恥ずかしげに目を伏せるのは華奈。先に亡くなった妻が連れてきていた下女で、今も屋敷に勤めている。長く可愛がってきた下男の独楽との許婚が決まり、今はちょうど幸せの絶頂にあるだろう。
「その反応では、まだまだウブなんだね、君達は。良いねぇ、これからの明るい未来がある若者というのは」
シージップはまぶしそうに目を細めるとイタズラな表情をする。身分差がはっきりしているエルデスでは、主人に仕える下男や下女たちは生活の全てが主人の範疇であり、主人による干渉を当然としていた。華奈と独楽のことも、彼の許可無くしては想いあうことさえも許されない。
「お館様、意地悪はおやめください」
華奈もそんな主人に明るく答える。まるで父娘のようなこんなやりとりさえも、彼だからできることなのだろう。権力に媚びず、その立場にありながら幅広い身分の者たちを庇護し、支え、励ましてきた彼は多くの者たちに慕われている。
「悪い悪い。さて、オジサンは退散しよう」
お茶目な笑い。そして年には似合わない軽い足取りで廊下を進むと、階段を上がり、屋敷の天窓を支配する自らの部屋へと戻る。部屋は簡素で、床にシノグナーサスの毛皮があり、真中に鎮座するのは粗末な椰子の枝と切り出した岩でつくられた机。その机も上も今は亡き妻の遺影といくつかの本があるだけで彼の几帳面さをそのままにかなり整理されていた。
「さて……」
何を思うのか。その部屋の主は窓から穏やかな沈み行く夕紫の中にある都市、自分の愛する故郷を見下ろし、表情が曇る。
(どうしたものかな……)
長く仕えている下男、独楽は妻が知り合いからもらってきた子供でその出生はよくわかっていない。だが、数年前から南のよくない輩と付き合いがあり、その中には、あの容赦ならないロード・奥羽の下男もいる。それにあの地域は皇帝に従わぬ者やならず者がたむろし、決して良い場所とは言えないのだ。
「お館様、お呼びでしょうか?」
思考をさえぎったその声は確かに独楽のものだった。彼は部屋に入るとかしこまり、その膝をつく。炎のごとき荒々しい性格の男も、主人の前ではおとなしい。
「ああ、独楽、おかえり。友人達とは楽しかったかい?」
さりげなく言葉を心臓に突き立てる。
「……」
用向きに答えられない独楽を、主人はどう思ったのか
「何をコソコソとしているのやら……。この都市は広いようでとても狭いのだよ。自然と君の行動も見られているのだから、気をつけないとね」
あくまでも静か。
「お館様、……それは……」
縮こまるように、彼は動かない。
「君には可哀相だが、おのずと知れてしまってね。あの友人……海人と言ったかな?この都市には危険な存在だね」
南の無頼漢、都市でも名の知れた悪漢が危険な力を手にしたことは、昨日の星詠から明らかだった。長く保たれてきていた均衡、アーシェント亡き後の平和の均衡を破りかねない凶兆が起きようとしている。
「彼は、彼の良かれと思う道を求めております」
その言葉に、主は失笑した。
「果たして? 竜子の剣はおもちゃでは無いよ。あの不思議な少女が何を考えているのかは判らないが、どのようにしてあれを手に入れたのか……」
エルデスのはずれ、深い森に棲む少女。決して触れることも言葉を交わすこともできない不思議な存在である彼女が人間でないことは明らかで、今その手には、かつて世界を支配した力がある。
「あの男がこれ以上、都市にとって危険になってしまうのは、お前も心苦しいだろうに」
心そこにあらずな言葉。
「それは……」
目の前の独楽に、その事の大きさは理解できていないだろう、と主人は一歩近づき、 
「独楽、その者の剣、竜子に返せ。抵抗するようなら、その命を絶ってでも剣を彼女に返すのだ。良いね?」
真剣な声と目は、独楽に反論を許さなかった。
「……お館様」
「何だ?」
独楽は意を決したのか
「一つ、お教えください」
強い口調。思わず視線で承諾し、続きを促す。
「……竜子は……何者なのです?」
当然の疑問なのだろう。あの子供を知る者さえも少ない今では。
「この世界を護るために、必要な子だ。決して汚す事も、手を触れることも許されない、大切な子供だ」
静かに、できるだけの言葉を選んだが、当の下男は不思議そうに顔を上げる。
「気づいているのは、私だけだろうけれどもね。アーシェントが野にあれば、また話は違ったのだろうが……最後のアーシェントは後宮に閉じ込められて皇帝の慰み者だ……」
窓の遠く、宮殿が見える。今の皇帝では、という言葉を呑み
「独楽、私達は追い詰められているのだよ。それも、もはや、逃れる術の無い所まで。我らはね、大切な世界の鍵を自ら手折って滅ぼしてしまったのだ。だが、だからこそ私はこのか弱い者たちを護りたい。自分で自分を傷つけて追い詰めた哀しい私たちに、まだ希望があると信じたいのだ」
守らねばならない。都市も人も。それが自分の使命なのだ、と自分に言い聞かせ、再び下男を見ると、彼もまた何かを決意したような表情をしている。
「さ、お行き。お前とて友と戦うかもしれぬのだ。心構えも有ろう。暇をやるから、しばらく街に降りていなさい」
それは、遠回しではあるが恋人との別離を示唆するようなもの。本来であれば、二人には確かに幸せでいて欲しい、が。
「かの剣が戻るまで、ここに足を踏み入れることは許さない」
体の良い人質かな、と心は苦笑する。
「華奈は……」
「お前は、許されない事に足を踏み入れていたのだよ。本来なら相応の処罰をするつもりだった」
一刀両断。相手は少し身を堅くする。
「だがね、お前の話をする時のお華奈を見ていると、それをためらってしまうんだよ。美しいあの笑顔を失わせる訳にはいかないと思ってしまう」
その通りだった。独楽にとって大切な彼女は、自分にとっても大切なのだ。妻亡き後もこの家に残り、働き者で美しい下女はそのまま捨て置くには勿体無いほどの娘。主人としての気持ちと、父親のような気持ちが入り混じり、目の前の下男にはどうしてもつらく厳しく当たってしまう。
「こんな言い方はしたくないが、無事に戻ってきたら、お華奈と祝言を挙げると良い。お華奈にはお前に大切な任務を任せたと言っておくよ」
けれど、彼女の悲しむ顔は見たくない。ふとあった視線に、主人の精一杯の選択肢を嗅ぎ取った下男の尊敬が混じる。
「……賜りました。より良き道へ向けて、これより参ります」
独楽が深く頭を下げ、
「頼んだよ。これは、この世界そのものの根源を為すことだからね」
自分の表情がどれだけ硬いものなのか、シージップには良くわかっていた。だが、その賭けを降りるわけには行かない。アーシェントが失われた今、では。

「独楽!」
主人に呼ばれた彼が心配だったのだろう。華奈は戸口を出てすぐの廊下に控えていた。
「華奈」
申し訳なさげにあげた顔に
「……何か、良くないこと?」
悟ったらしい彼女の表情も曇る。
「いや」
似合わないほどに穏やかに独楽は頭を振り、
「大丈夫だ。心配するな」
と言っても無理だよなぁ、と自然と甘えたような瞳。華奈はそんな彼に走り寄るようにして困る手を握り
「お館様、何か怒っておいでだったの……。だから、私……」
さすがに良い勘をしている。長く仕えているだけのことがあるのか、華奈は主人の心の内を見透かす行動が多く、それゆえにまたシージップの信頼も厚いのだ。
「ああ、怒られた」
笑うようにごまかす。が、
「まぁ……」
冗談でしょ?と優しい笑み。二人は自然と廊下を歩き出し、灯篭がその過ぎる影を追う。
「……華奈」
なぁに?と彼女は無防備な返事。
「俺はしばらく、屋敷を離れる」
沈黙。通りぬけた廊下の先、よく二人が語らっていた庭の片隅の木陰。生い茂るシダの若い香りと濃色棕櫚の巨木の葉陰に囲まれたとても静かな逢瀬の舞台は、半月の下の薄明かりに隠れている。
「……そう、なの?」
太い鱗に覆われた幹にもたれるようにして、二人は寄りそう。
「……ああ」
握ったままの小さな手。すぐ横にある恋人と知り合ったのは、海人や六郎佐に出会う前、屋敷を出たこともなく、この庭と屋敷が彼の全ての世界だった頃。庭の常盤に囲まれていた華奈は、流れる金色の髪も、整った顔立ちも、優雅な姿も、全てが遠い世界の女神のようで、独楽には遠い憧れの存在だった。まさか、ここで、ここまで、心開いてお互いに想い合える時が来るなんて思ってもいなかった程に。
「華奈、俺は、お前に幸せになってほしい」
遠く重い言葉。今こうして向かいあう彼女はその時から全く変わらない。
「独楽が私を幸せにするのでしょう?」
返す、彼女。真っ直ぐに見つめてくる金色の瞳に戸惑う自分が映る。思わず伸ばす両手。腕の中に引き寄せる暖かく柔らかな、大切な、華奈。
「華奈! ごめん!」
戻ってくる、という言葉が言えなかった。こんな時、気の利いた嘘の一つでも言えたなら、どれだけ彼女を悲しませずに済むのだろう。そんな贖罪がますます力を強め、ただ、ただ抱きしめたまま
「華奈……」
繰り返す、名前。
「独楽……」
彼の不器用さを、彼女は良く判っていた。それだけに真っ直ぐで、荒々しい気性に眠る優しさも激しい熱さも。
「独楽、大丈夫よ。……私を幸せにできるのは、貴方だけなんだから」
その耳元に届く、囁くような彼女の声。愛しい声。ほんのすこしの間の、会話。ざわざわと葉が揺れ、夜闇は一層色を濃くして降り積もっていた。


9 :3代目◆otukWsrP :2006/08/11(金) 15:51:37 ID:ommLuFun

ソゥシとミササギ

 北三屋敷の一つ、ダブ・バードルの屋敷も夜を迎えていた。昼と見違うような灯りが贅沢に漏れ、月の光も星の位置もそこから見る事はできない。 
「お前は先に食ってろ。俺はバードル様と話がある。食事が終わったら部屋にいるんだぞ」
トゥシは部屋に通されるなりバタバタと身を整えながら、ソゥシに言い聞かせるように続ける。
「いいか、おとなしくしてろよ。お前は、お前の考えてない所でトラブルを起こすんでな」
「あ、はい」
ちょっと最後の一言は余計だな、と言いたい言葉を堪え、眩しい夜を初めて迎えた少年は少し戸惑いながら、トゥシを見送るようにして廊下を別れる。教えられていた角を抜けるとすれ違った下女に勧められるまま食堂へ通され、見回してみるとすでに多くの男達が銘々に粗末なシダの幹のテーブルに付き、食事を進めている。どうやら、酒は無いようだ。
(酔っ払いは嫌いだから、ちょうどいいや。)
静笑。
「こちらを」
彼に気がついたらしい別の下女が盆に並べられた一人分の食事を渡した。
「ありがとう」
明るく笑い、できるだけ端の見とおしのよい席を見つけるとチョコンと収まり、改めて目の前の盆を見ると一瞬にして深い藍色の瞳が輝く。
(うわ、イッパイだ。)
 それは彼らの主食である灰汁を抜いたシダの実の蒸し団子と何かの肉のスープ、無造作に盛り上げられた雌株の若芽を茹で上げたもの。この都市では決して豊かと言えない食卓もそれさえも口にした事の無い彼にとっては目を見張る贅沢な食事だったのだ。ソゥシは喜びを押さえきれないのか、その無邪気さで早速、好物の団子にかぶりつき、口の中に広がる柔らかな香ばしい味わいに目を細め、
「うま……っ」
その気分を失わないように、直ぐにスープに取り掛かり、これまた今まで憧れていた嘴のパラサウロの肉だと気づくとあまりの嬉しさに反芻せずには、いられないらしい。そのスープの一滴も逃すまいと、自然と木の匙をうまく使って慎重に口に運ぶ。
「あつ、はふ、はふぅ」
湯気の立つスープと若芽。熱さの後にくる旨みとほろ苦さの渾然とした味はこれまでにない感動に近い喜びだろう。
「ああ、幸せだなぁ」
一通り口にして半分まで来たところで、自然と彼の口から想いが零れた。
「今日入ったという田舎者はお前か?」
見るからに低教養で腕っ節の良さそうな男が影になり、降ってくるような声で語りかけながら子供の前に座る。
「はじめまして。ソゥシと言います!」
おいしい物を食べた上機嫌も加わって、その笑顔はやはり必殺武器である。相手は毒気を抜かれた顔をして、少年を見、
「お、おう。俺は陵(ミササギ)」
「凄いですね。こんなに夜でも明るいなんて。僕、初めてなんですよ、こんなに眩しい夜なんて!」
無邪気に、そして興奮気味に語る少年に大人のプライドは通用しない。
「お前……相当な田舎者だな」
「はい!村はほとんど灯りも無かったので!」
そして、嬉しそうに手元の団子を見る。
「それにこれも……こんなに沢山のシダの実を使っているのを初めて食べました。こんなにフワフワに膨らむまで蒸してあるなんて! それに、このスープも肉も、嘴のパラサウロのでしょう? 凄いです。本当にこんな贅沢がここにあるなんて!」
嘘でもおべっかでも無い事はその態度で明らかだった。
「えっと、ソゥシと言ったか?」
「はい」
気持ちの良い返事だ。
「お前、とんでもない辺境の生まれなんだな。そんな所から良くここまで辿り着いたもんだ」
「ええ、ここまで来るのに随分とかかりました。始めはもっと何人かいたのですけれど……」
急に視線が落ちる。
「ああ、ラプトルか?」
ラプトルは旅人の脅威であった。俊敏で群れを成して行動する獰猛な肉食獣で、特に大きな都市や村の近くに生息している。彼らはそこを旅人が通る事、そして彼らと家畜竜が通る事を自然と覚え、狩場として移動してくるようになっていたのだ。
「ええ、それに、レックス」
この世界の大きい者達の中でもひときわ大きく危険なレックスは旅人のような小さな獲物でなく、村や集落、キャンプに襲い掛かることが多かった。根こそぎ、という表現が似合うほど、一度食事を始めると容赦なく食い尽くすのだ。ソゥシは移動しながら糧を得る集落の生まれだったが、ある日、運悪く空腹のレックスに遭遇し彼を遺して全滅した。
「でも、お前はこうして辿り着いた」
「運が良かったんです」
翳りある笑顔で答える。
「何度か、危なかったのですが、無事に乗り切ることができました。トゥシもいてくれましたし」
その名前を口にした途端、なぜか幾人かが席を立ちこちらを向く。
「はい?」
言った本人はよく判ってないらしく、その違和感に不思議そうな顔。
「……トゥシ? ……雷竜のトゥシか!」
陵が声を上げ、厳しい表情をすると、部屋は一気に殺気立った。
「雷竜のトゥシだと?」
「まじかよっ!」
場が凍りつく。少年もその殺気に反応したのだが、本能か直ぐに微笑み、
「……あの、何か?」
その可愛らしさに、陵は子供の無知を見て取ったのか声を落とした。
「いや、すまない。別人だろう。雷竜のトゥシと呼ばれた男が子供を連れているなんて有りえない」
場は収まり、また男達は銘々に向き直る。ソゥシが来た当初のざわめきが蘇り、
「すまん、よく考えれば判ることだった」
その子供をあやすかのように、ミササギは無理に微笑んでいた。
「スープと茹でたのが冷めそうなんですけど、続きを食べても良いですか?」
覗き込むような視線には、子供らしさが全面に出ている。思わず陵は小刻みに首を縦に振り、申し訳無さげに席を立つと
「脅かすぜ、全く……」
独り言は聞こえていた。

 
―キュゥ
部屋に戻ったトゥシはこっそり持ち帰った団子を手でちぎりながらヒナに与えていた。
「ほらっ」
小さな翼竜はもう半年もすれば飛べるようになるだろうが、今はその身体に不似合いな大きな嘴を上下させては親代わりの美少年に次をねだっている。
―ムニュミュ
必死に租借。トゥシはそんな雛が可愛くて仕方ないらしく、一口与えてはその目尻や首、頭を愛撫していた。
(?)
近づく足音に、その手がふと止まる。重くしっかりとした踏み込みの音は聞きなれたもの。瞬間で彼の緊張は溶け
「お帰りなさい!トゥシ!」
戸口へ駆け出して出迎える。ヒナも合わせてキィと鳴くと、トゥシは口に人差し指を当て、
「もう夜遅いぞ」
静かにするように2人?に命じた。彼らに割り当てられた部屋は屋敷の中ほどにある庭に置かれた離れで、籠のような形をしている。壁は編み上げられたシダの葉脈で覆われていて両端にそれぞれの寝間もあり、新しい編んだばかりのシダの繊維の香りがほのかに残る作りは、各都市で名を馳せた傭兵にして名将の「雷竜のトゥシ」を迎えるにふさわしい待遇だろう。
「大人しくしていたか?」
トゥシは戸口の代わりとなる天幕を引くと、締め付けられていた窮屈な上着を脱ぎに掛かる。ソゥシは急いで駆け寄るとその重い服を受け取りながら 
「ねぇ、すごいよ。夜でも眩しいし、フカフカの団子も食べた!」
その無邪気な明るい声はトゥシに笑顔を呼び込む。
「そうか!良かったな。ここの人たちはどうだ?」
上着に付いていた鎧竜の鱗細工が気になるのか、いじっていた手が止まり、
「うん。とても単純で、良い人たちだよ」
その言葉の含む意味に、トゥシはニヤリとする。
「そうか」
「トゥシの2つ名を知ってました。少なくとも今日、食堂で出会った彼らはすべて剣士ですね。でも僕たち程の腕じゃないし、知恵があるわけじゃない」
その瞳にはいつもの無邪気さは無い。
「使えるんじゃないでしょうか? 面白い人達ばかりですよ」
その悪魔の微笑みと眼光を知るのは今はトゥシだけかもしれない。思った通りのソゥシの反応に満足したのか、トゥシは粗末な皮の上に腰を降ろすとゆっくりと足を伸ばす。少年もヒナを膝に抱くとその側に同じように座った。
「さて、とりあえずはエルデスに入った。一つ目標は超えたな」
「はい。これから、ですけど」
トゥシはその大きな手でヒナの頭を撫でるが、当のヒナは自分の頭をすっぽりと隠してしまう手が恐いのか、少し怯えるように鳴いた。
「大丈夫だよ。トゥシは優しいよ」
諭すように言う。
「ねぇ、この子の名前……」
「まだ決めてないのか?」
「トゥシに決めてもらおうと思って……」
罰の悪そうに上目遣いをする相手に、トゥシは軽く溜息。
「それより、ここは皇帝以外に竜が飼えないぞ」
「えー?」
それこそ泣き出してしまいそうな顔をする。
「でもな、バードル様は来年、後見である皇帝寵后アーシェント様と皇子のお慰めにいくつかの小さい竜を献上するらしい。そのために何頭か子竜を集めている。俺たちはその中の一匹を養育することになった」
それを聞き、何を思うのか彼はそっとヒナを抱きしめて
「この子を後宮へ?」
「いや、どうせ献上できるのはわずかだよ。半分はそれまでに逃げたり、死んだりするらしいからな。こいつは後半年もすれば、たぶん、空へ逃げちまうんじゃないか?」
「トゥシ!有難う!」
晴れやかな笑顔が広がる。腕の中のヒナはあまりにきつく抱きしめられたので思わず悲鳴に近い声をあげた。
「ごめん、脅かしちゃった! トゥシ、有難う。バードル様を説得してくれたんだね。この子はここにいて良いんだね!」
「ティラ」
トゥシは静かに言葉を呟いた。
「ティ・ラ・ソゥト、でどうだ?。俺たちは空を飛べないが、俺たちの変わりに空へ行けるように」
「ティラ?」
ああ、と大きな手が膝の上のヒナを撫でる。
「ティラ。お前、ティラだって。綺麗な名前だね」
その声に合わせて、ティラも甘えた声を出し、まだ未熟な羽を大切そうに顎にこすりつけると眠たげに身体を丸める。
「ああ、後で籠に入れてやろう」
トゥシはソゥシを見るのと同じ優しい目でヒナを見ると少し態度を堅くした。
「近いうちにバードル様から沙汰がある。都市の部隊編成を本格化させるそうだ。皇帝陛下への謁見もあるだろう。忙しくなるぞ。……まずは明日、お前をバードル様へ目通りさせるから、そのつもりでな」
「楽しそうだなぁ、トゥシ。今日はずっとその話を?」
その言葉に思い出したようにトゥシは手を打ち、
「そうだ! プロトの肉を食ったぞ! それも子供のやつ。あれは柔らかくて肉汁がたっぷりあってうまいんだ!」
「えー! トゥシだけ? ずるいや!」
「食堂じゃ出てもパラサウロだろ? 好きなだけプロトとイクチオが食えるようになりたいなら、頑張って出世するんだな!」
もうその約束をとりつけているトゥシは余裕の顔をする。
「でも、お前なら、俺よりも上を狙えるさ。これからだ、お前は」
その視線に、ソゥシも同じ表情。そこには子供の無邪気なものはなく、トゥシのブレインとしての力を備えた一人の男のものだった。


10 :3代目◆otukWsrP :2006/09/02(土) 01:02:49 ID:ommLuFuG

海人と碧

 南の木賃宿の一室。星と月の明かりだけが差し込むその部屋はどこまでも静かだった。
「……お前、どこから来た?」
窓にもたれる海人の腕の中、一人の女がいた。二人とも生まれたままの姿で、その闇にいる。
「見かけない顔なんだがな……」
夕暮れ間近、この窓から見初め、無理やりに引っ張り込んできた女はとても小柄で、柔らかい肌と申し分無い身体付きをしており、予想通りの相性にとても満足がいく。
「……」
だが対する彼女は何も答えない。
(……ワタシ、ハナシ、ムリ……)
触れた指から、海人の頭に直接単語が流れ込む。
「はぁ?」
思わず覗き込んだ顔。月の光の中、相手の瞳が互い違いに光っている。紅と蒼。そう、この色と顔立ちには覚えがある。
「今日の朝、あるガキに会ったんだ」
さらに触れようとした指を拒むように、男はその手首を強く握り、
「黙って聞け!」
その力で黙らせる。
「……生意気なクソガキだ。偉そうな物言いも態度も気にいらねぇ、可愛げのないチビでな」
そう、この女をさらい、ここまで辱めて、いたぶりたくなったのは、その朝のせい。やっとそんな自分に気づいたらしい海人はさらに強く手首を締め、声の出ない彼女の顔に憐憫が深く刻まれる。
(……イタイ……)
自由なもう片方の手が、その腕に触れるなりまた「コトバ」が流れ込む。
「るせぇな……。大人しくしてろ!」
―ばん
振りあげた手甲が彼女の頬にささり、その勢いで女は無抵抗なままドサリと床に落ちる。
「二度と、その力を使うな……。そうしたら……」
言いつつ、にじり寄り、触れる。今度は、蕩かしてしまうかのように、優しく。相手は人形のように動かず、また小さく甘い息。
「感じてんのかよ……」
もう夕方から散々楽しんだ後なのにな、と笑い、これだけ抱いているのに不思議と飽きない女はこれで2度目かな、とふと、ほとんど思い出すことの無い昔が目を覚ます。
「お前、不思議だな。まるで、はじめっからここにいるみたいだな」
言いながら、また、一つになり、自分自身も喜んでいるのが判る。
「昔もあったな、こんなこと……」
生まれた都市は、ほとんど男がいなかった。なぜか女ばかりが生まれる都市で、その血もほとんどが同じ父親や祖父をもっている。その中で生まれた海人もまた十をすぎてすぐから、父や祖父と同じように、家族や姉妹や従姉妹達と……。
(そうだ……。)
そんな生まれ育った都市は今は無い。海辺にあった大きな街だったが、女ばかりの都市が戦争に敵うわけも無く、エルデスに攻められた時には無抵抗に蹂躙されわずか四日で廃墟と化した。その混乱の中、都市になだれ込んだエルデスの兵士達は老いも若きも街の女達を慰み者にし、殺戮を楽しんだのだ。
―海人! 隠れていなさい! 何があっても出てきてはだめ!
閉じ込められた奥の隠し間の扉の隙間、そう、彼の母親は……その光景が海人の目に焼き付いて今も離れない。
(この感触が……同じなんだ)
エルデスの女達に、彼は容赦が無い。好きにさらい、楽しみ、殺し、助けを乞い泣き叫ぶ姿に至福を感じる。目の前の女もそれと変わらず、同じはずだった。いつもならこのまま首をしめてしまうなり、へし折ってしまうなり、気ままに殴り殺すなり、朝まで生かしておくことは無いのだが。
「……お前の名前、俺がつけてやる」
(お前、同じなんだ……)
手のひらに余る柔らかい感触。肌の暖かさまでもが、似ている錯覚。
「碧(みどり)、と呼んでやるよ」
受け入れたまま、彼女はそっと海人を見つめ、やはりその瞳の色は双方に違う。
(ワタシ、ミドリ……)
重ねた指から流れ込んできた言葉は、不快ではない。むしろ、快感をさらに引き上げてくる。
「お前は殺さない。ずっと俺の傍にいろ」
そう、大切だった名前を付けたからには、と呟くと
「だから……もっとやらせろ」
声にならない声。その低い声の下にあった小さな言葉。
(母さん……。)

静かな夜が続いていた。


11 :3代目◆otukWsrP :2006/09/22(金) 23:15:23 ID:ommLuFun

タツマとユェズとまき


 街の喧騒と陽の眩しさで、タツマは目を覚ました。いつもと違って身体も軽く、気分もかなり良いようで、柔らかな毛織物に包まれたまま、もう少しだけ、その幸せな睡眠をむさぼりたい気持ちになる。そして光から逃げるように俯いてもう一度眠ろうと深い息をすると、
「タツマ!いつまでも寝てないで!今日は忙しいですよ!」
その安らぎを引き裂き、
「うん……あぁ、ユェズ」
起こした方は既に身繕いも終えていて、いつものようにきちんと衣服も整えている。
「さぁ、ごねないで。食事をしたらすぐに市に行きますよ。明日からは韻様の所で働くんですから、寝坊ではダメです」
その口調はユェズの父、自分を育てた「大ユェズ」と同じ物で、思わずタツマは苦笑した。
「まいったなぁ。叔父君がいるみたいだ」
その言葉にユェズは目を丸くしてから、噴出した。
「やめてくださいよ、僕はまだ若いんですから」
コロコロと笑うユェズを見て、タツマもあわせるように大笑いする。2人にとってこんなに気分良く笑える朝はどれくらいぶりなのだろう。すると静かに部屋の扉が開き
「お連れ様、お目覚めになりまして?」
澄んだ女性の声。この下宿の主、なつが新しい住人の様子を伺いに来たらしい。
「おはようございます」
ユェズが明るく挨拶をすると、タツマも即座に答えた。
「おはようございます。あまりに気持ちよかったので寝坊してしまいました」
その素直さと爽やかな笑顔は自然と育ちの良さを感じさせる。まぁ、と女主人は微笑み、
「お疲れはとれまして?」
頷くタツマに凛とした姿で合わせる。見栄えのする妙齢の美女で、明るい栗色の髪を形よくまとめ、細いうなじと清々しい色気のある顔立ちはいかにも女盛りで活気があり、見るものを惹き付ける魅力に溢れている。
「下で食事をしていただけますから、どうぞ、いらっしゃってくださいまし」
そして無駄の無い動きで一礼すると、静かに扉が閉まる。
「……エルデスには美しい人が多いな。あの蒼い子といい、なつさんといい」
ため息交じりでタツマは呟いた。ショウ・韻との話の後、彼に伴われてやってきた時にはすでに日が落ちていて、迎え出たなつが暗闇の中にいてよく判らなかったのだが、こうして太陽の元で改めて出会うと、さすがにため息が出るような高嶺の花といえる。さぞかし、下宿の男達もときめいていることだろう。そんな事を考えながらタツマゆっくりと身体を起こし身繕いに掛かり、いつものようにユェズが手伝おうとするが、彼はそれを拒否した。
「ああ、ユェズ。私はもうタツマなんだから、手伝わなくていいよ」
「しかし……」
「確かに、一人でしたことはないから、戸惑ってるけど……やり方を教えてくれないか?できると思うから」
言い出したら聞かないタツマを相手に、ユェズは少し不安げになりながら頼もしそうな表情をする。その顔もまた、タツマにとっては大好きだった「大ユェズ」叔父と同じだった。

 タツマとユェズの部屋は、なつの3階建ての下宿の2階の東の端にある。その軽い板扉を開けて2人が部屋を出ると、入り口近くに人がいる。どうやら彼らを待っていたようで、小柄な愛嬌のある顔立ちの同い年位の青年だった。
「やぁ。昨日やってきたのは君たち?」
視線が合うと、相手は気さくに手を上げた。
「はじめまして。タツマと言います。こちらは、幼馴染のユェズ」
「こちらこそ。俺は、まき。ちょうど君らの上の部屋なんだ」
明るく答えるが、舐めるような視線を忙しく走らせている。かなり落ち着きの無い男のようだ。
「長旅をしたって?」
「ええ」
「ふぅん」
意味ありげな返事。
「二人旅……か、それにしても……」
まきはその神経質そうな人差し指をユェズに向ける。
「君! ユェズ、といったっけ? まるで女の子だね。細くて華奢にも程がある」
「女の子?」
ピクリ、とユェズの形良い片眉が動く。
(それは、言っていけない……。)
タツマの嫌な予感。それは彼にとって一番勘に触る単語だった。確かに華奢で、手足も細い。育った村の子供は自分達二人だけだったし、旅に出た後もほとんど人に会うことが無かったため、そんな事は気にしなくてすんでいたのだが。
「……その言葉、撤回していただけますか?」
丁寧な物腰ではあるが、目の色が違う。
「ユェズ、相手は悪気はないよ」
タツマの言葉を、
「お、図星? 韻様にそちらの趣味は無いはずだし、どういった了見なんだろうね?」
からかうように笑う。
「いったいどうやって韻様に取り入ったんだい? 君達は」
「取り入る?」
言葉尻が自然とユェズを逆撫でる。
「韻様が直接召し上げるなんて、まぁ、無いんだぜ。俺達でさえ、この下宿を借りるのが精一杯だというのにさ」
(わざと、か……)
妬み、の言葉にありながら、タツマには別の感情が読める。そう、さりげなく、力がそうさせるのだろう。
「気に入らないんだ。 朝からなつさんが起こしに行く、なんてのもな」
そして中庭を指す。
「どちらかで良いよ。俺たちを納得させてくれ」
その声に合わせて、ぞろぞろと若い男衆が出てきた。
「何しろ、韻様が連れてくる男というだけで、気に入らない」
「そうだ。お前たちが何者なのか、俺達は知らないしな」
「悪いな。ちょっと手荒いぜ、ここは」
(納得させろって言われても……)
戸惑うタツマが制する前に、
「ええ、良いでしょう!」
ユェズは軽やかに身を躍らせて素足のまま中庭へ出る。
「ユェズ!」
「……タツマ、任せてもらえます?」
ここまで火がついてしまうと、この乳兄弟は止まらない。簡単に挑発に乗ってしまうのは素直さゆえなのか。
「私達は昨日、やっとエルデスにたどり着いた流民です。連れていた竜を韻様が召抱えてくださったので、こちらに参りました。これから共に暮らすなら、お互いに後腐れない方がよろしいでしょうね」
あくまでも丁寧。それだけに凄みもあるのだが。
「いいねぇ。そういうの」 
どうやら、まきはここのリーダー格のようだ。あわせるように庭へと飛び出していく。
「まき! 細っこいからって手をぬくなよ!」
一人がヤジを飛ばし、太い嘲笑が囲む。
「まき殿。先程の僕への侮辱、そのまま宣戦布告として良いですね?」
そして細くしなやかな指を鳴らし、足を軽く肩幅に取るとゆったりと構えた。
「ふん、良い構えするじゃないか。俺とサシだ」
全員が見守る中、まきとユェズが対峙した。一瞬で、ふざけていた空気が凍る。
「……さぁ、いつでもどうぞ」
ユェズは相手を一瞥すると、深呼吸して瞳を閉じた。その態度に、まきは軽蔑を感じ取ったのか声を上げる。
「何だよ!その態度は!馬鹿にしてるのか?」
そして深呼吸すると一気に踏み込み、
「はぁぁっ!」
拳をユェズの顔へと打つ。
―ゴリッ
鈍い、そう、鼻の骨が折れるような音がして、うわっと声を上げると同時にその成り行きを見たくないのか、一人を除いた皆が思わず顔をそむける。
「ユェズ!」
タツマは思わず声を出した。
「いけない!やり過ぎだよ!」
「やりすぎ?」
その言葉に全員が驚いて目を開けた。そこには、伸びて地上に転がるまきと、神秘的な栗色の瞳でそれを見下ろすユェズがいる。まきが走りこんだ跡と、ユェズが一歩だけ動いた跡を残して、足元の土煙はすぐに吹き込んだ朝の風に掻き消えていた。思わず周りから、ええーっという驚倒の声が漏れ、
「避けるかぁ?あのまきの踏み込みを!」
一人の男の呆れた言葉をユェズがジロリと睨み、その視線で黙らせた。
「……ユェズは、素手でラプトルやレックスと戦えるんです。見た目は華奢ですが、とても頼れるのですよ」
タツマは冷静に解説し、溜息や感嘆の混じったざわめきが続く。
「ユェズが本気になったら……相手が人では話になりません……」 
申し訳なさげなタツマはゆっくりと庭に降り、
「大丈夫ですか? まき殿」
「う……」
まきは低く呻くと起きようとするが、まだ動けずにもがいている。
「で、納得しましたか?」
ユェズは茶目っ気のある顔で言うと、タツマは呆れたようにまきを助け起こし、
「けれど、さすがです。骨を折ったかと思いましたが、寸前で受け流してくださったのは良かった」
「は、は……とんでもないなぁ。流せたかと思ったら別のが来てた」
切れ切れの息の下、まきは嬉しそうだ。
「強いな、ユェズ……。それに、タツマ、あんたもなかなかの人物らしい」
男達に異論は無い。
「認めるぜ。あんたら、悪い奴らじゃなさそうだ。 全く、今まではこっちが伸してたんだけどなぁ」
くるくると変わる表情。豊かな喜怒哀楽を持つ男なのだろうまきは、タツマの予想通り、好奇心から自分たちを試したかっただけだったようだ。
「……? どういうことです?」
ユェズは少し驚いたが、タツマは納得した表情をしている。
「やはりわざとでしたね?」
「何だ、バレてたのかよー」
一人が笑った。
「え? え?」
判っていないのはユェズ。 
「でも、ユェズは気づいてなかったので、本気になってました。黙ってた私も同罪です」
そして苦笑する。それを受けてユェズを除いて全員が高らかに笑った。
「何なんですか……。いったい……」
「まきは、悪気があってあんたを挑発したわけじゃなかったんだって!」
一人が答え、
「ちょっとからかっただけだって! マジでやっちゃうんだもんなぁ」
別の若者も大笑いする。 
「まきのやつ、返り討ちにあいやがってカッコわりぃ!」
さらに爆笑。タツマもさらにクスリと苦笑に近い笑い。
「タツマ……あなたまで……」
困った顔。
「敵を欺くには味方から、なんだろう?」
「全く、タツマはひどいやつだよなぁ、ユェズ!」
そう言いながら、もう大丈夫らしいまきは陽気にユェズの肩を親しげに叩き
「お前ら、最高だよ!タツマ!ユェズ!これからもよろしくな!」
本当に毒の無い、ついでに落ち着きも無い男のようだ。
「俺達はなつさんの親衛隊でもあるんだぜ。お前らもここに来たからには加われよな」
愛嬌のある笑顔。
「ああ、いいよ。光栄だ!」
タツマは明るく、本当に腹の底から笑っている。エルデスで居場所を手に入れた事の喜びがその笑顔をさらに輝かせていた。


12 :3代目◆otukWsrP :2006/11/26(日) 01:44:35 ID:ommLuFun

キユラ・奥羽と六郎佐

 エルデスの北、ロード・奥羽の屋敷はいつもの華やかさと騒がしさで朝から元気が溢れていた。その元気の源、キユラ・奥羽は姉であり後宮の側室シェラ・奥羽から何かを贈られたらしく、昨日は夜遅くまで興奮気味だったが今日も朝から元気が有り余っているらしい。
「三郎佐!六郎を呼んで!」
やんちゃ盛りの姫はまだ十を越えたばかり。落ちそうになるくらいに部屋の窓から身を乗り出すと、すぐ下にいた背の高い下男を呼びつけ
「六郎佐でございますか?」
「そうよ!」
目的の相手を名指し、
「あ、お前達もここにいてよね!」
部屋にいる下女たちも引きとめている。そこへ新しい手水を汲み終えた六郎佐が通りかかると、三郎佐は深い同情を込めた目で声を掛けた。
「六郎、姫がお呼びだよ」
そして両手から手水を奪うように受け取ると、姫の下へ行くように促す。
「姫様が?困ったな……お館様にこの後、火をおこすように言われてるんだ」
とはいえ、主人ロードはこの末娘にことのほか甘く、その可愛がりようは大変なもの。下手に姫の機嫌を損ねるとそれこそ厄介事になるのも判っていた。
「諦めなって。姫はお前をお気に入りなんだから」
相手はもっと困った顔をする。確かに、六郎佐の屋敷での仇名は「姫のおもちゃ」。気が優しく寛大で、不相応を身に付けている六郎に対し、お転婆なキユラは何かにつけて相手をさせ、その度に彼を困らせている。とはいっても、キユラはとても子供でそれらしいイタズラが常なので、大人の六郎佐にとっては良い迷惑だがそう根に持つ程でもないのだろう。
「……わかった。」
溜息。
「六郎!」
頭の上から、高く元気な声が降って来た。
「六郎!すぐに上がってきて!」
その顔は何かをたくらんでいる。判っている六郎だったが、拒否は許されなかった。

「……でかしたぞ、シェラ」
ロード・奥羽は、昨日受け取った娘からの手紙に気をよくしていた。念願であったシェラ・奥羽の懐妊は、正妃アンナトリア・シージップより一歩先んじたことになる。アンナの正妃擁立ではしてやられた感の強かった彼もこれには溜飲を下げたし、何よりも次の目標への大きな足がかりなのだ。
(これで……あの皇子さえなければ……!)
とはいえ、野望には邪魔が多かった。ダブ・バードルが後見するアーシェント・祥子とその息子ラキア皇子。そして後見を持たないが、先の正妃と先帝の息子でその器は皇帝以上と言われているアトル皇子。いずれもどうにかしなくてはならない存在であるが、これらをうまく利用しない手も無いはずだ。
―あはははっ!
曇りがちな心に聞こえる、末娘の明るい笑い声。部屋が近づくと、その石造りの廊下に歓声が響き渡るかのように漏れており、やはり朝から娘は騒動を起こしているようだ。呆れながらも愛しさで一杯になりながら、父はその扉を開け、
「キユラ!ご機嫌はどうだね……?」
いつものように足を踏み入れ、その目の前に見たことも無い美女がいることに気づいた。その横でキユラが父親目には美女に負けないほどの笑顔で立っている。
「お、こ、これは……」 
「あ、お父様、おはようございます」
娘の挨拶もどこへやら、その視線は釘付けになっていた。彼女はきらびやかな綾を見事に着こなしており、真っ直ぐに立っている。少し背が高くは有るが、艶のある豊かな黒髪が一筋の乱れも無く結い上げられ、透き通るような白い肌に切れ長の色気溢れる瞳、薄化粧に引いた紅の印象は手をのばさずにはいられないような、かと言って手折るのは良心の呵責になる、そんな、たおやかさと華やかさはどうだ。
「いや……その……どちらの貴婦人でいらっしゃるのかな?」
さすがの館主もドギマギとして、少し、一息置いてから言葉を続ける。
「本日にかのようなお美しい客人が娘にあると知らず……失礼した」
照れを隠すような咳払いだが、うっとりとしてそれ以上は何も言えないらしい。妻を無くして2年。そろそろ後添いをもらい、今度こそ息子を持たねばならない。そんな現状を鑑み、思わずその本音が熱く見つめる視線に出る。その反応に、貴婦人は困った顔をして、姫と控えていた召使い達はついに耐え切れず、堰を切ったように笑いの渦を巻き起こした。
「おい! 何だ? お前たち、どうしたのだ!」
その中心が自分であろう事に気が付いた主人は一層らしからず、うろたえる。
「……お館様」
貴婦人の声は、その姿から想像もつかない程低く、そして聞き覚えのあるものだった。
「申し訳ありません。姫様のご命令で……」
「お……おま……」
ロードは思いっきり顔から火を吹いた。
「ろ、六郎佐、お前か!」
もう姫に至っては転げんばかりにお腹を抱えている。
「キ……キユラ! そなたはっ!」
さすがの父にもこの悪ふざけは見抜けなかったのだろう、完全に騙されていた。
「だって!お姉さまからお化粧道具と綾をいただいたのだけれど、私より六郎の方が似合いそうだったんだもの!」
「おまえ〜っ!」
「素敵でしょう? お父様がそんな風にお困りになる程、六郎は綺麗なのよ。さっき六郎の髪を結ったのだけれど、とても豊かで重くて艶があって、六郎ってとっても磨き甲斐があるの! ねぇ、お父様、六郎を私に頂戴!」
その無邪気な申し出には父もほとほと手を焼いている。
「キユラ……」
怒りを通り越して、どっと疲れが押し寄せる。
「……年頃の娘が下男を寵愛するなど、持っての他だと言っているだろう?」
「お館様。姫様は……」
「ああ、六郎。娘の命令では断れまいが、そなた、よく我慢できるな」
我慢したくないのですが、と顔が語った。
「まぁ、その……目のやり場に困るから、早く元に戻ってくれ」
ロードはそう言って、六郎を着替えさせるよう下女達に指示をする。当のキユラはもったいなさそうにそんな六郎を見送っていたが、
「全く……」
少し落ち着いたらしい父の声を聞き、その姿が隣室に見えなくなると、彼女は父のカミナリを覚悟したのか袖のすそをきゅっと握って、身を小さくした。
「さて、キユラ。人はおもちゃでは無いのだがな?」
父の言葉はゆっくりと、重い。この言い出しをするときには大概彼女が一日泣き暮らす位のカミナリが落ちるのだ。
「お父様……」
「言い訳はするな。シェラの綾を下男に着せるなど」
「でも、綺麗だったでしょ?」
キユラの甘えた視線。
「……それとこれとは話は別だ」
だが、父は耐えるようにかたくなに無視。
「皇帝陛下の寵妃様よりの賜り物に不敬な事をした馬鹿娘と世に笑われたいのかな? それとも、そんな事を娘に許すロード・奥羽は愚か者だと知らしめたいか?」
父はあくまでも静か諭し、身体をますます小さくする姫はじっと俯く。
「その上、下男を手元に欲しがるし、朝から大声で騒いでいつまでたっても子供だ」
そして小さなため息をつく。
「甘やかして育てたのは私だろうが、キユラ。今日の午後から、もう一度礼儀作法と手習い、それに綾織と絵、舞踏について学びなおしなさい」
「ええっ?お父様! 私、習い事きら―」
「許さんっ!」
一喝され、姫は涙目になる。
「いつまでも子供でいられると思うな! お前はしかるべき相手に嫁ぎ、この奥羽家を担う血筋を残さねばならんのだ!」
「お父様、ごめんなさい! もうしませんから……。だからここにおいて……っ」
そして大粒の涙が零れる。自分の生まれと運命は自分でどうにもならない。人がうらやむ三権者の娘、だが姫にとってはそれが重荷。
(私は、そんなの、どうでもいいの!)
その辛さが、清らかな瞳から雫となって溢れてゆく。
「キユラ、自覚しなさい。お前は奥羽家の娘、この都市の取るに足らぬ娘共とは違うのだぞ?」
父は諭すように容赦なく追い討ちをかけると、静かに隣室から出てきた六郎佐に気がつく。やはりその姿の方が安心する。ロードはまた小さなため息をついた。
「六郎、すぐに私の部屋へ湯を持て。それから、大切な話がある」
「賜りました」
大人しい下男は主人に付き従い、泣きじゃくる姫に後ろ髪をひかれながら部屋を後にした。


13 :3代目◆otukWsrP :2006/12/29(金) 22:01:02 ID:ommLuFun

トゥシとソゥシとミササギ


「お初にお目にかかります」
高くなる陽が差し込むバードル邸の主の一室。目通りされた美少年に、権者は正直戸惑っていた。雷竜のトゥシの推薦で現れた彼の副官は年端も行かない少年で、しかも強さよりも可憐さが前面に出ており、とても副官という地位が似合う姿をしていない。
「…う、うむ。ソゥシ、殿だな?……」
殿という言葉さえ、腹痒い。
「はい」
そんな彼の意向など霞むようなまぶしい笑顔。久しく見ない、人を惹きつける逸材とも言おうか。
「ソゥシは幼い頃より私の手元で育てた男です。年は若いですが、それを引いても余りある活躍ができましょう」
少年の脇にあるトゥシの言葉に、嘘偽りがあるようにも思えない。いくつもの都市を渡り歩き、強大なエルデスの軍勢を相手に戦い抜いてきた勇士を召抱えることができたのは何よりの収穫だが、そのおまけといっても良いだろうこの少年……。
「つまり、そなたが天塩にかけて育てた、ということか?」
複雑な表情の問いに、寡黙な相手は頷く。
「私は、そなたの副官にミササギを考えていた。エルデスの武門の出でなかなか腕っ節が良いし、思いきりもあるからな」
(あの、木偶の棒?)
ふと、ソゥシの口元が緩み、
「確かに、とても大きくて見栄えのする方でしたね。昨晩、お会いしましたが、とても良くしてくださいました」
―とても馬鹿にしてくれたよ。
心にも無い世辞と共に、にっこりと笑う。
「もう会ったのか?」
「はい」
素直な返事。
「では、話は早いだろう。ソゥシとミササギ、どちらが雷竜の副官にふさわしいのか、私には決め兼ねる部分がある。そなたらで一度、話おうて見て欲しい」
(……日和見ですか?)
ソゥシの軽蔑な光を一瞬で読み取ったトゥシはすかさず、
「お互いにとって納得の行く形……つまり、我々の流儀でよい、のですね?」
その気をそらすかのような言葉に
「流儀? 流儀か? 私にはとんと判らぬがな。……良いだろう、任せよう」
主の態度は退室を促していた。


屋敷の廊下、謁見を終えた二人はそのまま兵舎へと向かっていたが、
「何なんです? あれは!」
口では怒りながらも、ソゥシは確かに嘲っていた。
「自分の手はとことん汚したくないんですね。貴族っていうのはそういうもの?」
まぁそうだな、とトゥシは生返事。
「バードル様が決めると、後々遺恨になりかねない。昨日のお前の話だと、一発連中に知らしめてやれば自然と奴らはついて来る。」
説得するような言葉に、まぁそうでしょうね、とさらに冷たい笑い。
「そういう事なら、トゥシは黙ってみててくれるんでしょう?」
その言葉の含む所を判ってか、大柄な彼の眉だけが動き、
「判ったよ、ソウシ。」
言葉の消える前に、兵舎の扉に手がかかる。扉の向こうでは、男達の野太い声が響いており、どうやら剣の稽古中のようだ。
「ミササギ殿はおいでか?」
それらの音を凌ぐような雷竜の響く声。すぐに、おう、と返事があり、
「お会いできるとは光栄、雷竜のトゥシ殿」
ヌゥと影が答え、ミササギが出迎えていた。昨晩の灯りの中で見るのとは違い、たしかにバードルが推すだけの迫力を伴っている。背後には尖兵や雑兵達が集まり、
―あれが、雷竜のトゥシ……
怯えるように静まりかえる。
「……私が貴方の副官、お話はお聞きおよびと思いますがね」
ちら、と、ソゥシを見、鼻で笑う。
「その件で、お話に参りました」
受けて立つソゥシの微笑。
「坊や、お兄さんのお使いなのかい?」
挑発するような言葉尻。
「はやく、おうちにおかえりなちゃいねー。おけがしまちゅよー」
群れからクスクスと笑いが漏れるが、ソゥシは表情を崩さず、
「お気遣いありがとうございます」
と可憐に返し、
「でも、ケガするのはそちらなんですよね」
ニッコリと目を細めた。
「ほう?」
一瞬で火がついたらしいミササギの手が柄を握る。それをどう見てか、トゥシは
「……とりあえず、ミササギ殿。俺は、ソゥシを副官に、貴方を左翼指揮官に、と考えている」
「何? このチビが?」
張り上げた声に、周りの者達もただ事でない何かを感じ取ったらしく、ただ、遠巻きにする。兵舎にいるほとんどはミササギの強さも、雷竜のトゥシの恐ろしさも知っているが、その間にいる少年、可憐な美少年のことは当然のように知らない。
―なんだ? あの子供が副官?
―ミササギさんの立場が無いな、それじゃ
ざわざわとした嘲笑に近い好奇心に満たされた群衆の前、それでもトゥシはそれこそ雷竜のごとく
「こいつの肝っ玉と腕は、貴方自身で確かめていただきたい」
動じることなく流した視線、その先のソゥシは可愛らしくそこにいる。
「はは、これは傑作だな。このチビが、このミササギより優れている、と?」
「優れている、いないではなく、適性、と考えてもらいたい。貴方には前線で兵を率いる指揮官が向く」
トゥシの即答。そういうことか、と男は笑い、
「で、俺を納得させにきたわけだ。じきじきに」
「はい!」
元気なソゥシ。一瞬で戦意をそいでしまうような笑顔に、相手は侮蔑に近い目をする。
「……殺してもいいんだな?」
どうぞ、とトゥシの肩が答える。
「ということなので、ちょっとお手合わせをお願いします。ミササギ殿」
まるで遊びを許された子供のような態度。ふん、と男は答え、
「お前が俺に傷の一つでも付けられたら、お前を認めてやろう。雷竜殿も許してくださったことだし、俺は血を見るのは平気なんでな、容赦しない」
ええ、と少年は無邪気。
「ミササギ殿こそ、そのお言葉、お忘れなきよう」
瞬間で、二人はそれぞれに間合いを取りながら広い兵舎の中庭に走る。訓練所を兼ねた庭は広く、居合をするに十分な場所といえるだろう。
(なんだ、ずいぶんウスノロなんだな。)
ソゥシの顔から少年らしい輝きが消え、竜を相手に戦い抜いた剣士の闇に似た光が宿る。
「おらぁ!」
袈裟懸けを狙ったミササギの切っ先。確かに致命傷を視野に入れ、小さなソゥシを吹き飛ばさん勢いと速さがある、のだが、
―キンッ
受け流したソゥシの刃に
―クスッ
浮かぶ微笑。
(その程度で?)
本能のまま、厚い皮膚、その男の目の下から頬、顎までにザックリと光が踊る。
「ぐぁぁっ」
深手。
「そこまで!」
決着を始めから見透かしていたかのように雷竜が割って入り、返り血が遮った大きな背を染める。
「ソウシ! そこまでだ!」
ドウと倒れていくミササギ。集中していたらしい少年は息一つ乱さずそこに立ち、纏う殺気に人は固まる。
―な、何だ、こいつ?
その異様なまでの恐怖。ミササギを一刀に切り伏せ、微動差なく静かにそこにある美しい影は小鳥のように首をかしげ
「ん……遅すぎ」
嘲笑う。暑いはずの空間を支配する有り得ない冷たさ。
「ミササギ! 意識はあるか?」
倒れた彼に語りかけるトゥシの声で
「ミササギさん!」
「おい! だれか医者を!」
解き放たれたかのように、ある者は担架を探し、ある者は布を手に走る。その中、
「死なないでしょ? その程度で死ぬならトゥシの足手まとい……。」
ソゥシだけが静かに刀の血を振るい、鞘に収めていた。
「が、は……あ……」
さすがは、といって良いのだろう。ミササギは顔を切られながらも、意識を保っていた。だが、何かを知ったような恐怖に瞳孔が開ききり、もがくように怯えている。
「や……やつ……は……」
「大丈夫ですか? ミササギ殿」
駆け寄る少年の優しい微笑。だが、今となっては、その笑みは死神のそれに見える。
「う、うわあぁっ……く、くるなぁっ……っ」
彼にとって、恐怖の権化が降臨した瞬間だったのだろう。暴れる四肢を兵士達は押さえつけるようにして、持ちこまれた担架に乗せようとするが
「骨はいってないと思いますから、早く治して戻ってきてくださいね、指揮官殿」
(傷は死ぬまで消えないけどね、僕を馬鹿にした罰だよ、デクノボウ。)
見送るソゥシの、ぞっとする美微笑。
「あぁぁぁっ!」
言葉にならないような叫び。それを承諾、と取ったらしいソゥシは
「それじゃ、約束どおり、僕がトゥシの副官、でよろしいですね?」
自然と周りに同意を求め、異論があるはずもない。その沈黙の群集を抜け、何かを叫ぶミササギの声だけがゆっくりと遠ざかっていった。


14 :3代目◆otukWsrP :2007/01/14(日) 22:52:07 ID:ommLuFuG

独楽と海人

 頂点を越えた光がゆっくりと地平線に惹かれようとしていた。床に転がっている女は、すでに息絶えており、不自然に曲がっている首がその原因を物語る。
「碧(ミドリ)、後は任せた」
呼ばれた女は静かに頷き、嫌悪感を見せる表情のまま、哀しい骸を包むために大きな棕櫚袋を用意する。
「裏の路地広場に捨てとけ。そのうち、ケツァルあたりが持ってく」
朝、ふと見つけ、気まぐれにさらってきた女は慎み深く平凡に暮らす良き妻であり、母であった人だろう。ささやかな平和を踏みにじられていく女の必死の憐姿に猛り狂うように、海人は一晩中碧を抱いていたとは思えない無いほど衰えも無く弄び、またしても、頸いて殺しを楽しんでいた。
(あー、うぜぇ。)
傍にあるのは、ミドリと剣、やはり、それだけ。不意な空しさに何を想うのか、海人は剣を手に立ちあがり、
「出かけてくる」
昼を過ぎて再び活気を取り戻した慌しい市場の喧騒へと降りていく。運び出されていく彼女の遺体は、飢えた巨大な翼竜が喜んで持っていくだろう。
(いずれは誰もがあいつらの血肉ってやつか……)
つい浮かぶ自嘲。ここにはそれに抗う自分がいる。だがその為に得たはずの力は今だ沈黙し、先が見えないのも事実だった。
 
 市の人通りは相変わらずで、だらしなく上着を羽織っただけ海人はその剣を手に人ごみを縫うようにのんびりと歩いていた。朝からそこそこ楽しめた満足感も手伝って足取りは軽く、交わすように間を抜け、
「海人!」
そんな背に声をかけたのは独楽。
「よう!独楽!こんな所で会うか?」
偶然ではないよな?とその視線が語っている。どちらとなく何かを感じ取ったのか、自然に人波を外れて近くの路地へと避難した。
「声を掛け辛くてさ。朝からとは思わなかった」
「この間の腹いせだ」
やはりこの男は理不尽だ。呆れたような独楽に、
「穴は開いてたけどな、なかなか良かったぜ」
海人は意地悪く続ける。
「女は抱ける時に抱いておかないと、さっさと別のに食われちまうよ。気をつけな」
「……華奈は、譲れない」
真面目な言葉。
「あー、好きに言ってろ。あんなネンネは俺の範疇じゃねぇよ」
海人はそれこそ豪快に笑った。
「まぁ、お前が食って男に練れて来たら話は別だ。あれはあー見えて良い肌してるからな」
「何?」
つと燻る。
「あはは、冗談」
どこまでそうなのかは不明だ。だが疑わしいようで、実際、海人が独楽の宝に手をかけることは有りえない。彼らの繋がりはそれよりも大切で強いのだ。

―……ろう!
「六郎! お前こんなところで何してる?」
それは初めて街に出た日、自分に掛けられた声。エルデスの南、その端にある薬師へあるものを届けるように、と主人から言い使っての帰りのことだった。
「六郎?」
振り向くと、そこには見知らぬ男がいる。少し年長だろう彼のギラギラとした目が真っ直ぐに自分を見、昔からの知り合いだとでも言いたげな顔で立っていた。
「ん? 六郎ってのは誰だ?」
その答えをどう取ったのか、相手は、はっ、吐き出すように笑い、
「人違いだってのか? また冗談きついぜ」
その顔は無邪気な子供のようにも思える。
「いや、冗談じゃないんだが……」
戸惑う。
「海人!」
その時、その背から第三者の声。とても落ち着いていて穏やかで、どこか聞いたことあるような懐かしい感じさえする。
「お、六郎!」
目指すその相手だったようだ。やはり人違いじゃないか、と独楽が向き直ったとき、
(あ、)
目が合った二人が二人とも、凝視。
「やっぱり、そっくりだな、お前ら」
にやつくのは海人。
「六郎、俺、こいつとお前を間違えちまった」
そして悪びれず、笑う。
「そっくり、だな……」
六郎、と呼ばれる、自分にそっくりな男は、
「名前を……いいかな? 私は六郎佐。ロード・奥羽様に仕えている下男だ。……君は……」
「独楽。ヴィクトリア・シージップ様に仕えてる」
ほう、と海人はますます楽しいらしい。
「奥羽とシージップ、あの最悪な二人の下男が同じ顔かよ。こりゃいーわ」
いかにもな視線で二人をジロジロと見、
「独楽っていったよな? 確かによく見りゃ、少し六郎とは違う。それにお前はこの辺りで見ない」
初めてだからだ、と答えそうになり、独楽はその本能で答えを呑む。目の前の海人という男は油断ならない、と強い警戒心と悪い予感で心騒ぐのだ。
「だんまりか」
その沈黙をどう取るのか。
「海人、もう、構うな」
優しさなのか、無関心なのか、六郎佐という男の本音も良く見えなかった。
「そうだな」
瞬間で消えたらしい好奇心。男はまたその路地の奥の闇に消える。そう、その背中……。

「お前、後ろから刺されないように気をつけろよ」
あの時から変わらない背中に、話し掛ける独楽の心配そうな口調。だが当の相手はやはり不敵な笑いを浮かべ
「俺を刺したら、刺し違えられてあの世行きだぜ」
その自信は海人らしいもので、彼の危うい部分でもある。独楽はその心に秘めた想いと使命を打ち払うかのように笑うと、二人は再び歩き始めた。といってもあては無いので、市を見て回る位だが。
「で、朝から俺を尾けてたわけは?」
さりげなく海人は独楽にネタを振るが、彼は巧みにかわすかのように側で売られている大ぶりの裸種子に気が行くフリをする。これは今で言う椰子の実に当るもので、中には甘い果汁がたっぷりと詰まっているのだ。
「ああ、コレはそのまま日に当てておくと酒になるんだ」
海人ののんびりした言葉をわざと無視して、独楽はその実をいくつか叩き、中でも特に低く響いた音のしたものを2つ選ぶと店子に貨幣を払う。エルデスでもそう流通していない高級な貴族階級の貨幣に相手は驚いていたが、
「じゃぁ、海人、一つは帰ってすぐ飲むとして、一つは干しておこう」
それを無視して独楽は釣りはいい、と手を振りながら彼の元へ戻る。
「……そうか。じゃあ、帰ってから聴こう」
独楽の意図する思いを汲み取った海人はすんなりと提案を受け入れ、人ごみの中きびすを返した。
―タツマ、あれは使えそうですよ!
―ああ、そうだね、ユェズ。
ふと、通りすぎざま聞こえた、二人の声。紅い髪をした若者と黒髪の華奢な若者の二人組みとすれ違い、そのすれ違い様、なぜか、海人は、振り向いた。
―なんだ?
判らない。だが、何かが、自分を振り向かせた、気がする。
「海人、どうした?」
「いや、なんでもない」
また、歩く。

 
「帰ったぞ」
二階のいつもの部屋。海人の声に、碧は傅いてこれを迎えた。朝の女はすでにおらず、部屋は片付いておりその残り香さえ感じさせない。
「片付けたのか」
碧は何も言わず、頷く。
「良い手際だな。これなら、また何人でもやれるな」
ニヤリ顔。この鬼畜な面さえなければ、と独楽はいつもの顔をし、初対面の目の前の小柄な女に気がつくと不思議そうに見る。
「ああ、碧だ。俺の女だ」
端的な答え。
「あ、はじめ、まして」
静かな女に戸惑う独楽は素直に挨拶を交わそうとする。
「碧は話せねぇよ、ほっとけ」
「ほっとけって、お前!」
予想通りの炎の反応。それを見て面白いのか、海人は買ってきた実を碧に渡した。
「独楽が買ってくれたものだ。開けてくれ。一つは窓に干しておいてくれよ」
奴隷のように感情を見せない碧に、独楽は違和感を覚えながら働いてくれる彼女に礼を言い、渡す。女はそのまま階下へと行き、部屋は独楽と海人の二人だけが残された。
「で、あのお茶目オヤジ、気づきやがったか?」
さっきまで女を楽しんだ床に海人はやる気なさげに横たわると、畏まって座ったままの独楽を見上げた。
「より良き道を選ぶと、約束してきたよ」
「ふぅん。六郎の受け売りか。どっちにしろ、お前、華奈とはもう……」
「覚悟は出来てる」
硬く、重い返事。
「ただ……」
「……ただ?」
小さな沈黙。その心には鮮やかな彼女。
「俺よりも、華奈を幸せにできる男が現れて欲しい、とも思う」
「お前以外にいるんだろうかなぁ」
惚けるように海人は言うと、ボリボリと身体を掻く。
「お前の事だ。華奈は手付かずだろう?俺がさらってきてやろうか?」
「それでは意味が無い!」
独楽は真剣に答える。やはり熱い男だ。
「俺は、華奈を幸せにすると誓った。それがどんな形であっても!」
「だったら、俺を殺せ」
できるだろう?と尋ねる視線。
「俺は剣を返す気どころか、残りもいただくつもりだぜ。竜子は誰の女にもならないが、俺が竜子の男になることだってできるんだからな」
「お前!」
「手に入れるものいただいたら、あのガキは用済みなんだよ」
「まさか……おまえ、その剣を手に入れるのに……」
「まさか?あのガキが足を開くかっての。取引したのさ」
間を読むように、碧が整えた膳をそれぞれに並べ始め、二人は一息入る。石をくりぬいた杯が三つ、中にはあの実の果汁。
「……海人。俺は、華奈を幸せにする。その為に、ここへきた」
「お前以外の男があのお嬢ちゃんをモノにするくらいなら、俺がもらってやるよ」
身体を起こし、碧の手から石の杯を取ると
「焦ることは無いぜ、独楽。そう、遠い話じゃない。俺と竜子の取引が終われば、この世界は俺のもので、華奈はお前の物だ」
その自信と過信はどこから生まれるのか。独楽は戸惑い気味に同じように杯を取る。まさに杯を合わせようとするその時に騒がしい足音が響き、もう一人が飛び込んできた。
「独楽!海人!やっかいな話が!」
六郎佐は直ぐに扉を閉め、ゆっくり息を入れると話を続ける。
「シェラ・奥羽が懐妊した」
「へえ、ついに奥羽も動き出すのか?」
「独楽、それもあるが……それよりも大変な情報だ」
「情報?」
「……アーシェントが……生きてた」
場が留まる。
「な……何?」
「まじかよ、六郎!」
碧がさりげなく杯を渡し、六郎佐は礼をして一気に飲み干すと続けた。
「一郎佐……ロード・奥羽の密偵が、アーシェントが生きていたことを突き止めたんだ」
「で、そいつは?」
「……わからない。里ごとレックスにやられたらしいが、生き残りがいれば、そしてこのエルデスに入っていれば……」
「三権者も潰しあいしてる場合じゃなくなるな」
独楽がその続きを言う。
「ち……だとしたら、そのアーシェントは一人残らず殺す」
変わる海人の鋭い眼。
「取引が中止になっちまうのは、ごめんだぜ。……六郎、詳しく聞かせろ」
思わず、二人が二人とも、射られたように動けなくなる。まだ下がらぬ気温。が、部屋に漂う緊張はそれ以上に思えていた。


15 :3代目◆otukWsrP :2007/01/21(日) 20:57:35 ID:n3oJmku4

アーシェント・祥子とクロト・エルデス皇帝とラキア・アーシェント・エルデス


 エルデスの全てを統べる皇帝は、巨大な切り立つ岩をくりぬいた宮殿に多くの者達にかしずかれて暮らしている。今恐らくこの世界で最も強く、そして巨大な権力を持つ存在は、二十歳を越えたばかりの、運動不足から崩れてしまった体型を持て余すその年齢に不似合いなほどに幼い男でもあった。
「会議なんて、出なくないなぁ」
甘ったれた口ぶりはいつもの事。
「陛下、ご気分がすぐれないのでしたら、おやめあそばしては?」
皇帝の我侭をきいてくれるのは宰相ヴィクトリア・シージップの妹、正妃のアンナトリアだけだった。アンナはどんなことでも聞いてくれ、手伝ってくれる。先の正妃が邪魔だといえば殺してくれるし、かの娘が欲しいといえば、たとえそれがアーシェントの不可侵の巫女姫でも調達してくれる。皇帝はいまやアンナ無しではいられなくなっていた。だからこそ正妃に据えたのだし、自分が何をしても怒ったりせず、誉めてくれる彼女こそが理想の女性なのだ。
「そうしよっか……」
宮殿最上階の皇帝の居室、玉座に座るアンナとその膝に甘える皇帝、そして侍らされた華やかな衣装の後宮の女たち。それぞれの膳には贅沢を極めた料理が捨てられるのを待ち、生気の無い瞳の半裸の低俗な女達がその真中で適当に踊っている。その中で、イライラを募らせていたのは一人ではないだろう。
「陛下。せめてお顔だけでもお見せになるほうがよろしいのでは?」
正妃に甘える皇帝に苦言するのはいつも、末席に背筋を伸ばして鎮座する、皇帝によって汚された巫女、アーシェントの娘、この人だった。
「だって……退屈だもん」
上目遣いに答えると、皇帝はまたアンナのひざを撫で、その大腿に手を伸ばす。アンナは、まぁ、と俗笑。
「……陛下はこのエルデスの皇帝陛下でいらっしゃいますのに?」
赤い髪に黒い瞳、その気の強さを顔立ちに出し、この見ていられない光景にかなり頭にきている様子だが、その態度を彼もそっくり返した。
「ああ、皇帝だ! だからこそ、朕は何をしても良いんだ!」
「……」
相変わらずな、と生まれながらの皇巫女の冷たい目に何を思うのか
「そんな顔するな、祥子。どうせ、夜には男を咥え込んでもだえまくってるくせに。」
そして向き直るとアンナの白い肌を舐め、眼だけがギョロリと睨む。
「陛下ったら……。」
と、アンナは勝ち誇ったように祥子を見ると
「アーシェントのお方。陛下はこの世界の支配者、我らはみな、陛下の物なのですよ。そのように澄ましていても、陛下のご寵愛の夜には、それはそれははしたない声をあげていらっしゃるとか? アーシェントの女性は生まれながらにして男無しではいられないとも聞きますしねぇ!」
かん高く笑う。
「最近はご無沙汰でいらして、代わりにバードル殿を御召しとか? 彼はいかがですの?」
「バードル? あんな無粋な男より、朕の方がずっといいだろ? あの時のお前の喜びようったらなかったからなぁ。何なら今夜、抱いてやっても良いぞ。お願いします、と頼んでみろ。」
好色な皇帝の表情と、低俗な正妃の表情が重なる。
「……何を誤解していらっしゃるのかは存じませんが」
泣くでなく怒るでなく、冷ややかに祥子は情けない主を見た。
「今宵のお召しは辞退させていただきます。月の障りにございますので」
立ち上がると、その裾から光が零れた。
「なんだ、障りか。朕は子供が好きだ。もっとたくさん欲しいぞ!」
皇帝の呆れた声を背に、
「失礼いたします。気分がすぐれませぬので」
敢然としたまま、彼女は汚らわしい部屋を出た。どこ当てと無く少し進み、ふと、何かに呼ばれたかのようにその廊下にあるくりぬいた窓から遠くを見つめる。
「ここも……時間の問題かもしれないわ」
渡る風に乗る独り言。その先にはかつて、遠い故郷の面影が見えていた。
「私に……私に力が残っていたら、まだ、道は残されていたものを……」
返す流れが、少し細くなった後れ毛を空へと持っていく。エルデスの軍勢によって拉致された自分は、その力故に幽閉の身となっていた。アーシェントの血筋の者はこの世界のあらゆる生命と心交わす力をもち、エルデスの先帝がその力を自らの野望の為に使わせようとしていたが、頑なに拒否しつづけた彼女はそのまま一人牢獄で朽ち果てる運命を選んでいた。まさか……まさか、先帝の次男、今の皇帝がその牢獄に押し入り、こんなことになるとは……。
「許せない……力ずくでアーシェントを、この世界に生きる生命達を汚す者達」
―全ての生命はアーシェントが齎し、アーシェントが護り、アーシェントが導くもの……
その力の封印と盟約、アーシェントの自分とその一族はずっとその封印と盟約を護りつづけていたのだ。少なくとも、あの時までは。
―祥子!生きよ!アーシェントはまだ滅びてはならない!
最後の父の言葉、だがもはや、アーシェントは失われていた、憎しみが再び湧きあがる。
「かーたま」
幼子の声が、祥子の足元に聞こえた。見下ろすと今年3つになったばかりの我が子が自分を見上げている。
「かーたま、おかお、こわい」
息子、ラキア。あの時の牢獄で身ごもった子は、耐えられない事にとても皇帝に良く似ている。アーシェントの女性全てが等しく巫女と呼ばれる所以は、望む望まざるにかかわらず、どの男性や種族が相手であろうと必ず子を設けることができる能力があるからに他ならない。そしてその力ゆえに、彼女は皇帝の子、この皇子を産んだ。
「ラキア……」
溜息。
「どうして部屋から出たのです?」
そういうと、追ってきた息子に付き従う女官を見た。エルーメラという名の彼女は失われた都市の姫であった娘で、生まれつき子供を産むことができない身体であったことから、側室から祥子の女官へと格下げされていた。彼女にはかえってそれが良かったのか、生来の穏やかな気性と真面目な性格も手伝って、ラキアと祥子の世話を取り仕切っている事実上の女官長である。
「エル。なぜこの子を出したのです?」
「申し訳ありません。母君さまの元へ行くとおっしゃって……」
エルーメラはそっと腰を落とすと深々と頭を下げた。
「我慢することを教えるのも、そなたの役目ではないの?」
厳しい口調。 
「かーたま、いっしょ」
それでもラキアは彼女の裾をしっかりと握り、母を放すまいとしている。
「皇子様は、お方様をずっと探しておいででした」
侍女は母とは逆に深い愛情の瞳で子供を見る。
「独りに慣れてもらわねば困るのです」
しかし、后はますます冷めた目で
「これでもエルデスの皇子なのですから」
―そう、アーシェントではないわ。私が、決して認めない。
見下ろすと、ラキアは少し怯えるような瞳をしたが、小さな手がその布の皺に隠れてしまいそうになりながら、だが、それでもただ何も言わず静かにすがり付いていた。
「……ラキア。いつまでそうするのです?」
「かーたま、いっしょ」
「ここは王宮の廊下。いつまで私を立たせておくつもりなのです?」
「さ、皇子」
思わず抱き上げようとするエルーメラを
「自分の足で部屋に戻しなさい」
彼女は毅然と制し、その声に顔を上げた皇子と再び視線が合うと、
「ラキア、後から行きます。先に戻りなさい」
「あい。かーたま」
幼子は寂しげに手を離す。
「よろしい。自制することが、王として必要なことですよ」
抑揚のない、言葉。
「そして、この王宮で、そのような真似は今後しないように」
意味が判るのか判らないのか、皇子は悲しげに頷く。
「皇子、参りましょう。お方様はご用事がおありです」
エルーメラが諭すと、潤んだ瞳が振り向き振り向き歩き出す。
「……あの男の子供」
祥子の呟き。
「おぞましい血を受けた、私の子」
蘇る屈辱の記憶。その母親である自分が彼女にとっては最も憎く許せない存在だった。そして、自らで生命を絶つことができない、臆病な自分が。
―汚らわしい……。
寒気が走る身体を自分で抱きしめて、もう一度祥子は空を見た。かつてこの空を、女神がアーシェントと共にこの世界に降りた。そして、盟約と封印を剣に刻んだ。
「そう……あの剣……」 
アーシェントの人間だけが持つ封印と盟約は、その剣に眠る。かつて自分が父とユェズの家長から聞かされた、遠い世界の話。
(今……どこにあるのだろう……)
そっとその上空を、一頭の翼竜、巨大なケツァルコアトルスが恐らくは人のような影を掴んだまま、高く長くその声を響かせながら影を映して横切り、静かに夕紫の空はアーシェントの色、その紅に染まろうとしていた。


16 :3代目◆otukWsrP :2007/02/16(金) 17:19:41 ID:n3oJmkuJ

タツマとユェズ

─誰?
薄明かりの中、誰かが自分を呼んだ気がする。タツマはふと目が覚め、顔を上げた。市から帰って皆と夕食を取って湯浴みを終え、ほっとしたのだろうか、そのままどうやら寝てしまったらしい。肩に毛布が掛かっていたところを見ると、ユェズが気遣ってくれたようだ。
「……ユェズ、いるかい?」
返事が無い。見回す、今は慣れた部屋。色々と買い揃えたとはいえ、それでも質素で、壁には明日から身につける衣服、下男の作業着が二振りかかっている。
(独り、か……)
どこか孤独な影を持つ乳兄弟は時々ふらりといなくなるので、そう驚きはしない。だが、今日はちょっとだけ寂しさが襲ってくる。慣れていたはずの事に対して、恐怖心を覚えた自分に戸惑いながら身体を起こし、すっかり夜になっている窓を開けると、吹き込む風を吸い込んだ。
「向こうが、宮廷なのか……」
窓辺の薄暗い家並みと、遠くに見える輝きの雫。迷うようにめぐる視線が呼ばれるように、ふと、もう一度空を見、
─やはり、誰か、見ている?
何かと視線があった気がする。が、それはもう、今は捨てると決めたはずの力のなす事なのだと、振り払うように溜息。
「……姉上は……お元気なのだろうか」
今日、さりげなく後宮にいる姉、アーシェントの姫の消息を聞いた。巫女の強い感応力を持つ彼女を恐れた先のエルデス皇帝が、宮廷の奥深くに幽閉した後、今の皇帝が自分の後宮へ召し上げ、皇子を産んだのだと言う。
「……どんな方なんだろう」
アーシェントが攻められた時、祥子は7歳、タツマは1歳にもならなかった。その姿も声も全く記憶には無いが、恐らくは同じ髪の色、瞳の色、互いに強く惹きあう力があるはず。それさえも感じない今、やはりアーシェントの未来は絶望的なものなのだろう。
(確かに……このままアーシェントである必要はどこにも……)
アーシェントであり続けること、はユェズ叔父からも強く言い聞かされてきた。この世界の希望なのだ、と。だからこそ遠い昔から、アーシェントの人間はその力を引き継ぐ為に子を残しても、人であること、―特定の存在を愛し愛されること―、はあってはならない。
(それが……盟約……)
あの時の少女の言葉。
―盟約ある限り、お前達の未来は約束されよう。それがいかなるものであろうとも
姉が人となった今、確かに、残るアーシェントは自分とその皇子だけ。ユェズもアーシェント直系に生まれたが、不思議なことにほとんど力がなく、姿までもがアーシェントらしくない。
―アーシェントはもう……
幼いエルデスの皇子はタツマの甥にあたり、アーシェントの血を引く大切な存在となる。しかし、最後のアーシェントの女性である姉の力を簡単に手折ってしまうこの世界で、はたして自分は人として未来を預けられるのだろうか。その幼い子は、はたしてどんな生涯を……。ふと単純な疑問が湧き出でて、タツマはそっと独り微笑んだ。
「私は……タツマなんだろうか。それとも……」
「本人はどうありたいとお思いなのですか? 皇子」
声はユェズだった。湯浴みを終えて戻ってきたらしく、黒い濡髪の艶が月明かりに浮かび、少しほてったかのように頬が赤い。改めてみると、本当に華奢で線が細く、まきが指摘する気持ちも判らなくはなかった。
「ユェズ、いつのまに湯浴みに?」
「うたた寝しておいででしたので、声を掛けませんでした。すいません」
素直に頭を下げる。
「いや、いいんだよ。いつもお前は独りで行ってしまうから慣れてるけれどね」
その口調は自然にかつての皇子のもの。
「……皇子。これからどうなさいます。このまま、ショウ・韻の部下として、竜使いの下男として一生を終えるおつもりなのですか?」
返すユェズの言葉もまた、侍従のもの。
「ああ、そうかもしれない。」
ふと、遠い視線。
「実際には……判らないがね。嫌かい?」
「まだ、覚悟がありません」
覚悟?、と尋ねたタツマに、相手はゆったりと口を開く。
「下男として働くことは、それこそ……どんな屈辱が待っているのか……」
視線を外したユェズの気持ちが、タツマは理解できた。最初にエルデスに入ったときの兵達の嘲笑と、その時に見たユェズの表情は確かに、強い覚悟を持ってこれからも耐え忍ばねばならないと教える。だがそれ以上に、タツマの中に生まれていた想いは哀しく、そして強い。
「私は……タツマでありたいんだ」
「皇子!」
「アーシェントであることは、同時に人では無いと言う事だろう? 叔父君の話を借りれば、アーシェントは全ての生命に対して平等でかつ、生命の媒体としてその生涯を終えなければならない」
ふと吹き込む微かな風。タツマは少し耳を傾けてから続ける。
「今日、街へ出たときにね、韻殿、まきやなつさん、ここの皆、市の人たち、出会って良かったと思った。そしてこの感情が、アーシェントには許されないと言う事も、わかった。これが、人としての枷、なんだと、今日初めて理解したよ」
ユェズは少し驚いて相手を見る。
「不思議だね。エルデスの入り口であの蒼い子に会ってから、私はアーシェントでなくタツマとして生きることを選んだような気がするんだ」
あの時に見た一粒の宝石と心に響いていた叫びが何なのかは判らなかったが、とても愛しく、大切な物なのだろうと本能は理解している。だがその本能は、タツマが人でありたいと思うたびに悲鳴を上げて血を流していた。
「……何を見たんです。あの子供に」
痛むような傷は、もう一度眠る街角を見ることで不思議と収まっていた。今まで気づくことのなかった想いが、今ようやく形と色を見せ始めたのだろう。
「改めて考えてみると……ユェズ、君が好きだよ」
いつもの屈託の無い笑顔で、タツマはそういうと、少し近づいてじっと相手を見つめた。血の気がひいたらしいユェズは少し後ずさりすると、次の瞬間には顔を真っ赤にする。
「お、皇子! 僕は男です!」
「そうじゃないって! 私は君もこのエルデスの人達も好きなんだ。自分が生きている今が大好きなんだと気づいたんだよ!」
が、すぐに言葉を落とし
「この思いが、……人の枷、なんだ。アーシェントが恐れる、枷だ」
その時、風が確かに何かを囁いた。受けたタツマは静かにまた空を見る。人の枷を知ることは、同時に人への無防備を呼び、開いた心に流れ込んでくるだろう様々な人の心、生命の声はまさしくアーシェントにとって自身を切り刻む刃となる。
「けれど私は……タツマは、この枷を背負う事を望んだ」
語りかける夜空。ユェズがただ静かに傍らのタツマを見たが、その横顔は確かに王のものだった。
「私は、アーシェントでは無く、人としての一生を歩んでいきたいと思う。それが盟約を違えるというのであれば、それは何時の日か私でなくとも誰かがなすだろう事。人は、かのように素晴らしい。私は、人も、女神も、この世界にある生命全てを信じたい」
(この空のような闇に、誰も何も見出せないとしても。)
「明日になれば……もう、アーシェントは……無い」
姉という巫女が失われた今、最後のアーシェントの望みはもはや、ない。
(盟約を、たがえてしまうのかもしれないけれど……)
窓から囁くものと同じ風がゆっくりとタツマの心の涙を払う。
「皇子……いえ、タツマ」
その叫びを知るかのように、ユェズもそっと呟く。
「どんな時に、どんな立場でどんな生き方をしようとも、あなたがあなたである限り、私も私であり続けます。これからも……シン・ユェズは、生まれた時より、あなたの友であり、『しもべ』です」
「ユェズ……」
その彼の表情、切ないまでに悲しげな顔、に、タツマは言葉を捜せなかった。
(ありがとう……)
「ユェズ、もう一眠りするよ。君も休むだろう?」
気を取り直した言葉尻は友人に対するものだった。受けたユェズもそれを理解すると、迷いを振り切る。
「ああ、そうしよう。明日は早い、今日みたいに寝坊しないでくれよ、タツマ」
「う……やぶ蛇だ」
笑いあい、閉じられる窓。

 漆黒の闇は月を抱き、見慣れた星座が街を見下ろす夜。その張り詰めた静けさを隠すように時を刻んでいた。


17 :3代目◆otukWsrP :2007/03/17(土) 12:26:24 ID:n3oJmkuJ

アトル・エルデスと竜子

 気がつくと、彼は空にいて、その都市を見下ろしていた。自分が生まれ育った故郷、今では世界で唯一つの都市であり、それこそ父が望んでいた「理想郷」なのだと、人は言う。
「なら、どうして?」
父が聖域とさえ言われたアーシェントの国を攻める直前、自分は生まれた。勢力が絶頂期ともいえたエルデスは万全の体制でその聖域を攻めたが、勝利を収めるまでには4年を要した。正妃であった母は、その戦争のさなか、何度も同じ夢を見たのだという。
「美しい女神が空にいらして、たくさんの光を引き連れているの。その中にひときわ綺麗な光があって、若者の姿をしていたわ。きっと、これはあなたなのよ。」
「僕?」
優しい母はアーシェントの血を引くエルデスの貴族の出で、その薄い茶の髪は光の具合で時々、紅にも見えた。エルデス皇帝の正妃として、気高く美しい彼女は民に慕われ、皇帝の正妻の座にふさわしい女性だったと今でも思う。
「……」
見渡す、夜景。光に溢れる宮殿とそれを囲む貴族達の館。薄暗くなりながら灯りは徐々に減り、闇しか見えない南端。その間には人々の暮らしがある。
―たくさんの人の……エルデス……
時々、この世界の人間の全てがここにいるのだ、という現実が夢物語に感じる。いや、かつては……。
「遠い昔、アーシェントと呼ばれる人々が女神と共にこの大地に降り、たくさんの都市を築いたの。私達は、その都市で生まれて育った人間なのよ」
「僕も?」
微笑む面影。
「そう、あなたも。皆、アーシェントの子孫であり、友であるものなのよ。私たちは人間同士だと判りあおうとできるけれど、竜達や植物達とはできないわ。私たちがこの世界でたくさんの生命たちとずっと仲良くしていくためには、アーシェントの力が必要なの」
「ずっと?」
確かに自分は竜や植物と話すことはできない。それは自分が人間であって、アーシェントではないからなのだ、と理解することはできても、実際のところ母のいうアーシェント、は良くわからなかった。
「そうね……私たちが変わらなければ、ずっとそうね。だからこそ、アトル、貴方がエルデスの王になったら少しだけでも良いから、変えていってね。人が争わないように。人とこの世界が争わないように……」
優しかった日々、彼女の願うように争うことの無い平和な世界が続く中、エルデスが満を持して勃発させた戦争。少なくなる資源の確保とさらなる豊かさを求め、父と祖父はその手に剣を取り、竜を従えて各都市を襲い奪い滅ぼした。日々の戦争に心痛める母の傍で、息子はただ
―くだらない
戦いに明け暮れる父と祖父を静かに見ていた。やがて子供時代が終わる頃、エルデス皇帝が二代続けざまに没し、国が揺れる。
「確かに継承順はアトル様、クロト様と続きますが、立て続いた皇帝陛下のご崩御はアーシェントの呪いだと皆が騒いでおります。この事態の中、アトル様のご即位では問題がありませんか?」
機先を制したのはダブ・バードル。彼の従姉妹と先帝の間に生まれていた一つ違いの弟クロトと自分との後継者問題は当然のように起きた。
「クロト様ご即位の折には、ご正妃はシージップ殿の妹、アンナトリア様が良いとの皇子直々のお願いでしてな」
アトル即位を推すヴィクトリア・シージップも、バードルが薦める皇帝の義兄という地位を手に入れることに依存は無いだろう。そしてロード・奥羽はそれにあわせるように、娘をクロトへと嫁がせ、その即位を後押しする。
「はてさて……アトル様とクロト様、エルデスの皇帝としてふさわしいのはどちらか、明確ではありますまいか?」
微かに笑っていたシージップは、最後まで手の内を見せなかった。だが、エルデスを真っ二つに割った泥沼の三権者の陰謀と諍いは数ヶ月を待たずあっけなく決着する。突然の正妃の死、頓死によって。
―后妃さまのご逝去もきっとアーシェントの呪いでしてよ、恐ろしいことですこと!
―アトル。皇帝はこのクロトだ。お前はもう兄でもなんでもないんだからな!
そう、あの女と弟の高笑いと共に。
(アンナトリア、あの女は自らの欲望のためなら手段は選ばない)
母の死の真実。それを知る自分にはあの宮廷は魑魅魍魎達が跋扈する喜劇にしか見えなかった。その中で皇帝として飾られ、我慢も知らず、節度も知らず、ただ本能のままに生きる愚かな弟。
―ばかばかしい
彼は今、街を見ながら、そう思っている。
―母は国を思っていた、誰よりも! なのに……
「本当にアーシェントの呪いだとお思いなのですか?」
その茶番、詮議の席に引き出された美しいアーシェントの巫女。
「アトル様、貴方もまたアーシェントの血を持つもの。真実はご存知でしょう」
長く牢獄に繋がれていたとは思えない、強い意思を抱く気高い瞳に射抜かれ、母の色を思わせる紅の姿は今も心に刻まれている。
「アーシェントには、呪う力などございません」
―その通りだ。
判っていても、自分は逃れることだけを考えていた。その争いの網から抜け出すために、慣例を無視し、儀礼を外して、自らを演じようとした彼を、彼女だけが見抜いていたのだ。
―祥子様……。
ただ一人で戦っていた巫女。たった一度きりだけ垣間見た聖なる女神にさらなる悲劇がある事を、どうして考えることができなかったのか。
―アトル、あの女は良いぞ。男を知らぬしたり顔で、いざ事となるとなんと乱れることか! 私の子を産むのだぞ!
その宴のさなか、玉座で笑っていたのは愚帝。そう、彼女は無理矢理に穢されて後宮へと堕ちた。
―エルデスの皇帝は朕だ。お前じゃない。
彼はどこまでも突き進む。それを操り、奴らはほくそ笑む。
(誰を護ることもできず、誰を信じられるわけもなく……こんな世界なぞ……)
自らの命さえも薄氷の上にある今、ぶつけようの無い哀しみと怒りは、その空の上にあっても消えそうにないだろう。
「アトル、貴方がエルデスの王になったら少しだけでも良いから、変えていってね。人が争わないように。人とこの世界が争わないように……」
今では空しい母の言葉。
─いや、もう、いい……
閉ざす心。
「だったら、ここへ来るといいわ。」
響く少女の声。声は都市のはずれ、深い森から聞こえた。
「貴方を待っているわ。」
ふと目があったのは、濃紅の瞳。
―君は……誰?

 目が覚めた。降り注ぐ光は朝が来ていることを知らせる。
(夢?)
耳に残る、かの少女の声。
「……あの森を……確かに私は知っている……」
呼ばれたのだろうか? 彼はすこし鳥肌を立て、それでも、判っている気がしていた。そう、自分は呼ばれたのだ、あの森に。


18 :3代目◆otukWsrP :2007/03/29(木) 19:06:42 ID:n3oJmkuJ

タツマとユェズとなつとまき

「おはようございます」
今では慣れた朝の下宿の食堂に、ユェズとタツマは現れた。すでにまきはいつもの落ち着きがない動きで朝食に手をつけていて、二人を見つけるなり手を振り、頬張ったまま前に座れと合図する。
「おはよう、まき」
タツマが挨拶をするのと、まきが咀嚼を飲み込むのは同時だった。
「やぁ、今日からだろ?タツマ」
タツマは腰掛けると真中に据えられた皿の蒸し団子に手を伸ばす。
「ああ。何か、気をつけることとか、あるかな?その……仕えるのが初めてで」
慎重に言葉を選びながら、タツマは丁寧に教えを乞う。
「は? お前、仕官したこと無いのか?」
素直に頷く。
「参ったな。マジの流民か。……だったら、韻様以外の人間、特に身分の高い人間との会話には気をつけろよ」
「気をつける?」
「お前とユェズは韻様の下男だから、韻様が許可しないと、身分の違う相手とは会話できない」
タツマは一口ちぎった欠片を放り込むと口を動かしながら真剣に聞く。
「エルデスは身分がハッキリしてる。皇帝、貴族、侍従、侍女、下男、下女、市民、流民。上の身分の人間と話すことは基本的にできないぜ。上から話し掛けられた時にもな。主がある場合は、主が許す行為以外はタブーになる」
確かにユェズ叔父の話に聞くアーシェントの平等な国風とは根本的に違うようだ。タツマがまきの言葉を胸に刻もうとしている横に、二人分の碗を持ったユェズが座る。
「身分かぁ……難しい話だね」
割って入ると同じように団子を取り、その優雅な身のこなしを見届けるようにして
「といっても、そんなの護ってるのは北の連中だけだな。」
まきは続けた。
「南に至っては身分どころか人殺しや手篭めなんていつものことだし、ここ東は市民しかいないから」
「南?」
「そうだよ、ユェズ。お前みたいなの、南に行ったら厄介な連中が寄って集ってくるぜ。気をつけろよ。大通りから、南へは、行くな」
ユェズの強さを知っているはずのまきの忠告は、それこそ大切にするべきだろう。二人は静かに態度で礼を述べると続きを口にした。
「タツマ、ユェズ」
声をかけたのはなつだった。2人は元気良く返事する。すると彼女は大きな包みをタツマに渡し、
「……これを、お父様に」
「賜りました」
つい、言葉尻が出てしまうようだ。その瞬間ではあるが、確かにタツマの生まれついての気品が見え隠れする。なつは相手をすこし羨むような視線で見つめてから
「ええ、お願いいたします」
やはり、文句無く美しい。軽く会釈をした彼女がまた台所へと戻ると、収まらないのはまきだろう。
「あー、タツマ……」
咳払い。
「ひとつ、言い忘れたけど」
「何か?」
「俺たち親衛隊はなつさんを護るんだぜ。抜け駆けは無しだからな」
クスリ、と相手は
「ああ、判ってるよ」
と答えるが、まきの方はクルクルと動く疑い深い視線。呆れたようなユェズは黙々と食事を続けていた。


19 :3代目◆otukWsrP :2007/04/08(日) 19:53:24 ID:n3oJmkuJ

ダブ・バードルとロード・奥羽とヴィクトリア・シージップ


「この都市は多くの民を受け入れすぎました。今問題となっておるのは、それら流民による治安の悪化です」
皇帝不在の議会は、実質3人によって進められていた。宮殿の中心部、窓の無い、冷たい石で囲まれた広間には大きな円卓が据えられ、それぞれの席にはエルデスの北の貴族達。上座となる玉座は空席で、今の皇帝が即位してから、その座が暖められたことはない。ダブ・バードルはそんな殺伐とした空気の議会で都市の治安向上の提案を声高々に演じる。
「そもそも、民が流れ込む原因は、この都市の周辺に第2の都市、もしくは集落を築くことが出来ないからに他ならない。この都市以外に安全な、生活を営むことができる場所が無いからです」
そして手元の杯、貴重な銅を使った高価な背の高い杯から水を一口含み、興奮で乾く咽を癒す。
「同じく、都市の拡張工事も進めることができない。全ての原因は一つ、この世界に住む、この都市付近を縄張りとするラプトルとレックスの存在です。そして、それらの恐竜と暮らす竜子、あの者によってこの都市は脅かされておるのです」
議場は静まり返ったままだった。石造りのホールには彼の声だけが響く。
「一人の子供と、知恵も持たない猛獣どもに、我らが蹂躙されるなどもってのほか。ここはエルデス。皇帝のおられる都市なのに、ですぞ」
一呼吸。
「私は、都市周辺部のラプトル、レックス、そして竜子の討伐隊を組織し、この都市の未来と民の安住の地と幸福を約束したい。異議はありますかな?」
ヴィクトリアとロード以外の貴族達は決して口を開かないだろう。その為に費やした金と時間は相当なものだったのだ。
「竜子をねぇ……」
学者肌の星見の末裔はのんびりと言う。
「ラプトルやレックスも、我らと敵対したくてしているわけではあるまいし、竜子も実害を及ぼしている証拠も無い」
「実際に、民が奴らに食われ、集落も村も滅びたというのにかね?」
バードルは呆れたように反論するが、のらりくらりとシージップは続ける。
「そもそも、護ってくれるべき都市がここしか無い事も原因なんだが……。この世界で生きる人間はここに集まる以外に生き残る手立てはもはやありませんしね」
「ああ、確かに。」
不用意なバードルの同意。
「まぁ、そうした流民のほとんどはここに来るまでに彼らの餌だが……」
ロードは困ったような物言いをする。
「だが辿り着いた連中もいる。こうして都市が膨れ上がり、今のような事態が―」
「では、その連中の取締りを強化するのも並行した方がよろしいのでは? バードル殿」
上手い誘導だった。バードルはそれに賛同せざるを得ない。
「バードル殿はそういう者たちを更生させようとなさっておいででしょう? ご自分の屋敷に多くを養い、鍛えていらっしゃるし」
嫌味のような奥羽。
「う、うむ。彼らは私の元で陛下にお仕えする兵士となるように日夜訓練し、組織できるよう準備しておりましたからな」
「軍事に関しては、バードル殿でなければ、お任せできないのも事実でしょうね。判断は陛下にいただかなくてはなりませんが」
シージップが呟くように締めくくるとゆっくりと息をする。そんな空気の中、 
「一人の権力の下に、それも皇帝陛下でない貴族の下に、軍隊が組織されるのはあまり良い話ではありませんぞ」
ロードの危惧。
「近衛隊の別個隊として組織し、陛下直属とさせていただきたいと思っていますが?」
バードルの買い言葉に、一瞬全員の視線がショウ・韻に集まるが
「私の師団とは別……第二師団、ということですかな?」
彼はそうとだけ言うとまた黙った。
「それならば……私に推挙したい人物がいる」
にやり、とバードル。
「雷竜のトゥシ。彼が今、私の元へ来ております。折を見て、陛下の近衛隊にと、機会を見ておったのですが」
その名前に、座の下級貴族達はオオとどよめきと共に感嘆の声を上げた。
「かつて、いくつかの都市でその名を馳せた名将ではないか!」
「さすがバードル殿。養う者の格が違う!」
鼻が高い彼は得意満面。
「……で、彼に別個隊を組織させる、と」
シージップは驚く風もなくそのままいつもの調子だった。
「しかし、シージップ殿、陛下ご不在ではこれ以上議論も進みませんな。バードル殿のご提案は理解しました。陛下のお沙汰を待ちましょう」
ロードは形ばかりの結論を出し
「……そうですね。もう少し精査が欲しい所です」
宰相も同意した。 少なくとも2人の意見は一致したようだ。
「……あいわかった」
渋々のバードル。三権者の鍔迫り合いの終焉を知ってため息をつく下級貴族。今では、皇帝の決断など不要で、この3人で討議できれば済むはずなのだ。事実上の、棄却、だった。


20 :3代目◆otukWsrP :2007/04/13(金) 23:53:35 ID:n3oJmkuJ

タツマとユェズとアトル皇子とショウ・韻


 二人の竜の厩はすでに宮廷の裏庭の隅に据えられていた。裸子の巨木を切り出して組み合わせたように創られた厩舎は俄にしては良く出来ていて、中に収まる2頭の獣竜は主人に会えるのが嬉しいらしくまた咽を鳴らしている。
「おはよう。すぐに磨いてあげるよ」
汲み出してきた泉の冷たい水が洗う手に気持ち良い。桶にゆっくりと乾燥させた裸子実を浸すとそれは冷気を吸いこんで柔らかく膨らむ。もう一度手に力を込めて絞ると、太陽の光が滴る水に吸い込まれ、真下の波紋に反射した。
「昨日はよく眠れたかい?」
つい、話しかけ、
─ウン
首がゆっくりと上下する。
─ネェ、ハヤクハヤク
ねだられ、柔らかい皮膚と毛皮をその波にあわせて力をこめて磨くと、拭かれる方も気持ちがよいらしく、瞳が、モット、とねだる。村で共に育ち、長く旅をし、やはり、一番分かり合える竜は彼らなのだろう。
―ニンゲン、クルヨ
不意に、竜が首を上げた。
「新しい竜はこちらか?」
見知らぬ声がした。2人が頭を上げると、確かに人がいる。透き通るような金髪に深い緑色の瞳。男性にしては小柄だが、いかにも王族といった空気を持っていて、身に付けている衣服や宝石の輝きも町で見かけるものとはかなりかけ離れていた。
「始めまして。私はアトル。 この宮廷では皇子ということになっていますが、お気になさらず」
思わずユェズが膝をつき、タツマが同じように付こうとするのを視線で止めながら
「私はユェズ、こちらはタツマです。 エルデスの高貴な方の来訪、心よりお礼申し上げます。ですが……」
相手、アトル皇子はユェズの意図を理解すると、すぐに彼に立つように手が命じ
「ああ、そうだね。王族がこんな所にフラフラと、では確かに様にならない。それに、いきなり下男に話し掛けるのも、礼儀がない」
立ち上がり膝の埃を払うユェズを見ながら、それこそ王族らしい微笑が返る。
「良い竜が入ったと韻から聞いて、つい、見に来たくなったんだ」
2人は頭を下げた。それこそ間に困るとはこの事なのだが
「アトル様っ!」
走ってきたのはショウ・韻。
「アトル様、このようなところへ!」
かなり慌てている。確かに、王族、それも皇子が宮廷裏の厩に一人で何の前触れも無く現れたのだ。焦るのが当たり前だろう。
「韻。なかなか良い竜と下男を手に入れたね」
悪びれず、皇子は答える。
「恐れ入ります。」
礼を尽くす、韻らしいキビキビとした態度。
「……ですが、いきなりでは二人が不憫でございますよ。まだエルデスに入って間もないのですから」
気配りの効く人物だ。エルデスでの厳しい身分制度を知らないだろうタツマとユェズをさりげなく庇う。
「ああ、それなら気にしないよ。かえって新鮮だった」
相対して、皇子の方は楽しいらしい。
「私にまだ権力というものがあったなら……二人とも私の侍従にもらうのだがな」
そう言って大人しやかに、どこか謎めいて皇子は微笑んだが、その視線はしっかりとタツマを見ている。
―その髪の色はアーシェントかい?
「!」
心に流れ込んできた、アトルの言葉。タツマは瞬間で、彼に僅かながらもアーシェントが息づいている事を知るが
―いえ、私はもうアーシェントではありません
思わず否定した。が、その声は相手には届かない。
(そうか……彼の力は……)
「皇子!」
ショウの叱責に近い声に、一方通行だった流れが遮断された。
「韻、私は……」
静かな皇子の
「後見も権力も無い王族だから、何もしないし、できないよ」
自嘲。
「タツマ、ユェズ、良い竜を有難う。これからも弟を助けてやってくれよ」
―あんな男でも、皇帝なのだから
流れ込んでくる深い憐れみ。
「では、退散だな。韻の次の雷が落ちる前に」
軽く手を振ると、肩を竦めてから来た道を戻っていく。その背中を見ながら
「……全く。あれでは、やはり、皇帝には似つかわしくないお方だ……」
韻の深いため息。
―いや、彼は国を憂い民を思う、生まれながらの王族
タツマは正反対の印象を本能で嗅ぎ取っていた。彼、アトルもまた天分を持っている。それは王家、王として生きる人間だけが感じ取ることのできる感覚に似ていた。
「タツマ、困らせてすまないな。気にせず、続きを」
韻は考え込むタツマを困っている、と取ったようだ。
「……近いうちに、この竜を下賜することになりそうだから」
「下賜、ですか」
「うむ、ユェズ。エルデスでは、軍隊位の授与を受ける場合には必ず陛下から竜を賜るのが慣わしなのだよ」
(あのバードルのことだ。このまま引き下がりはすまい)
この杞憂がそのままであってくれれば、と思いながらも、ショウには判っていた。


21 :3代目◆otukWsrP :2007/04/20(金) 21:06:12 ID:n3oJmkuJ

まきと華奈

 バタバタとその門弟はシージップ邸へと走りこんでいた。宰相である師が午前の会議を終えた後、午後からの講義で新しい章の解説をすると前から判っていたというのに、やはり落ち着きの無いこの門弟は時間ギリギリになっていたようだ。
「ちょっと待ったぁ!」
講義室へ続く廊下の扉を閉めようとする下女に叫ぶと、一気に飛び込む、が、無常にも閂は下ろされ、彼は直前で見事に扉に遮られていた。
「勘弁してくれよ……」
拳で、コン、と軽く木の扉を叩くと、
「入れてください」
と不機嫌に彼女に頼む。
「お館さまより、遅刻の者には容赦するな、と承っておりますから」
あった視線は金色。シージップ邸の門弟達が「目の保養」と呼ぶこの下女が、一筋縄ではいかない頑固さも持っていることは先刻承知だが、
「単位危ないんですよ、僕は」
「私に申されましても……」
彼女は下女、自分は侍従の息子にして門弟。立場的には強いはずなのだが
「先生には内緒にしておくからさ」
美女には弱いらしい。クルクルと忙しい目の動き。
「……以前もそのように言われて、二度としないから、と……」
こうして向かい合ってみると、確かに彼女はとても美しい。亡くなった兄の妻であった人に負けずとも劣らないだろう。エルデスでも評判の美女は多くは無いが、その内の二人とこうして話ができる自分は本当に幸運にある、と思わずそちらへ意識が飛ぶ。
「とにかく、まき様、諦めてくださいませ」
しっかりとした物言い。
「いや、そうもいかないんだって」
彼は彼女を突き飛ばすようにして、閂に手をかける。
「先生が来るまであと少しの時間はあるのだし、その間に席につけば問題ない。それとも、君は僕の将来に責任を取ってくれるのかい?」
冗談めかして、だが半分は本気で彼は閂をゴトリと抜き始め、
「この扉のことは、お館さまより申し付かっている大切な役目です」
彼女はその彼の腕に手をかけて
「おやめください!」
止めようとした手を、逆に門弟が捕らえた。
「だから、入れてくれればそれで良いって。君は扉を護ったさ。僕が勝手に開けるだけだし、僕が入った後でしめておけばそれで済む話じゃないか」
「それは……」
「どっちにも悪くない話なんだぜ?」
と近づき、その白い肌とほのかな春羊歯の甘い香りに心奪われつつ、
「なっ!」
悪びれず、笑う。
(全く、これでこの子が下女でなかったらなぁ)
勿体無いのは、彼女が下女であり、自分とは身分が違うことだろう。少なくとも市民の娘か、侍従の子、侍女であれば、自分も放っておく手はないのだが。
「いいえ!」
きっぱりと、それでも彼女は自分を見据えている。
「お館さまのお言いつけは、どんなことをしても破るわけには参りません!」
「気が強いなぁ」
参った、という口調だが、
「―でもっ!」
「きゃっ!」
彼はこなれた動きで彼女の腕をひねるようにして封じると素早く閂を抜き、
「ってことなので、悪いね!」
「いけません!」
まだ抵抗する彼女を締め上げる。
「痛っ!」
「すぐ離してあげるから、大人しくしてて!」
―独楽! 助けて!
華奈の形良いふっくらとした唇がそう叫ぼうとした時、
「乱暴だねぇ、君は元々荒っぽいったら……」
呆れたような、いつもの飄々とした口調。
「あ、せ、先生!」
争う廊下に、竜皮の上質な書物と幾つかの巻物を手にした師が立っていた。
「まき、お華奈を離してくれないか?」
あくまでも優しいお願い。
「今この子に何かあると、君が明日の朝を迎えられなくなるよ……」
(この場に独楽がいなかったことを感謝したまえ。)
穏やかな脅し。急ぎ、彼女から離れて姿勢を正す。
「い、いつもの入り口からでは、無いのですかっ!」
師であるヴィクトリア・シージップに現場を押さえられてしまったのは、何よりの失態、だろう。顔から血の気がひいている。
「誰かさんがまたしても遅刻の気配だったものでね」
いかにも宰相らしい洞察力と嫌な笑い。
「全く、こんな事は言いたくないけれど、これでは君の兄君の名誉も危うくなってしまうよ?」
まきの兄、まと、はシージップが右腕にと賞した程の優等生で、貴族のショウ・韻に気に入られ、その身分を越えて彼の娘婿になった男だった。穏やかで勇気があり人の為に良かれと進んで行動した兄と、短気で落ち着きが無く何かと人の上に立ちたがる弟。どこかの兄弟と同じだな、と苦笑しつつ、
「華奈は下女だから、お前からすれば格下なのはわかる。だが、だからこそ、やってはならないこともあるのだと心しておかねばならないのではないのかい?」
あくまでも諭す。一方の華奈はその細い腕をさするようにしてから、主人を見、
「お華奈、痛い思いをさせてすまないね。この失礼な男には私からよく言っておくから」
父親の笑み。よく言っておく、の言葉の真の意味を知る彼女はすこし憐れみの表情で
「いいえ。お館さま、大丈夫でございますから」
伏せる視線。
「ああ、私も大丈夫だとは思うけれど、一応のこともあるから膳所のゴローから痛み止めの薬をもらっておきなさい」
行って良い、という主の視線に促され、下女は頷くと屋敷へと向かい、
「まき」
その遠くなる金色の影をみつめたまま、師は静かに門弟を呼ぶ。
「とりあえず、今日の講義は受けなさい。本当なら、お前の兄がしたやもしれぬ講義なのだから」
「え?」
「あの事故さえ無ければ、まとは間違い無く私の代わりに講壇に立てた男だったのだよ」
2年前、彼は街の大通りで起きた奥羽夫人の角竜の暴走に巻き込まれ死亡した。ショウ・韻の一人娘、都市でも評判の美女と結婚して僅か5ヶ月目の出来事で、その悲劇は親族友人は元より都市の人々の涙を誘い、後、都市の竜の扱いに付いて律が改正されたほどの影響力を残している。
(……兄さん)
そう、その兄を慕い、兄に憧れて、まきはシージップの門弟となり、兄の妻であったなつの下宿へと移って来た。兄が何を見、何を知ろうとしていたのかを知りたかったから。
「先生」
うん、と受けた師の視線に
「申し訳ありませんでした!」
背をしゃんと伸ばし、両手を揃えて深々と頭を垂れる。クスリ、と師は笑い、
「今度やったら、破門だよ、さすがに」
「はいっ!」
「おやおや、素直だね。いつもそうだと、こうも心配しないのだけれど」
明るい嫌味とも冗談とのつかない言葉。
「せ、先生……」
困る門弟。
「さて、少し遅れ気味だが、始めるとしようか」
シージップはその飄々とした動きそのままに、外れてしまった閂をどけると講堂への廊下の扉を開いた。


22 :片桐継◆otukWsrP :2007/04/26(木) 22:53:54 ID:n3oJmkuJ

アトルと竜子

 都市を見守る森は、今日も静かに時の中にあった。
「全く、アーシェントがいるのかと思った……。」
朝から韻の新しい下男をからかったつもりだったが、驚きの方が大きい。出会った下男、タツマという名の男は、どこかしら不思議な雰囲気をもつ、そう、あのアーシェントの巫女姫にとても似ている。
「……っと!」
揺れる枝がその顔を掠め、驚いた青年はその細い葉を払うとその先にある泉をめざす。朝の夢が現実なのだと自覚したのは、この森に足を踏み入れてからだった。都市を出れば途中、朝の空腹を抱えたレックスやラプトルに出会う。いつものなら襲い掛かってくる飢えた猛獣が、今日は何故か彼に敬意を表するかのように大人しく頭を垂れると自分を無視してどこかへ行ってしまうのだ。
「私を導いているのだろうか……」
独り言に答える者は無い。シダの葉擦は自分の歩いてきた道を隠すように揺れて、何かが一声鳴いたが、その位置はかなり離れている。
「なぜだろう。泉の位置がわかる気がする」
真っ直ぐに自分の思う方向へと進む。ますます深くなる森、高さを失いはじめる若いシダと裸子植物の茂み。掻き分けるように歩くと、目の前を小さな恐竜達が怯えるように走る。
「……あれか」
ついに辿り着いた泉には、確かに、目指す少女がいた。一頭のトリケラトプスの背に、蒼い髪をたなびかせる子供がいる。年の頃なら十過ぎといったところで、よく見ると紅の瞳が美しい。その彼女を囲むように、それは信じられない数の大小取り混ぜた恐竜達が自分を見上げ、見下ろしている。
「む……」
さすがに彼はちょっと怯んだが、すぐに背を伸ばした。
「私を呼んだのは……あなたですね?」
相手はそっと頷きその手を伸ばすと、思わず走り寄った若者はその手を取った。
―そうよ! 
一瞬にして彼を取り巻くのは森でもなければ恐竜でもなく、何も無い闇であった。そしてその手に青い小さな宝石がある。良く見ると白い微かな帯を纏う美しい色をしていて、所々に緑色や茶色が混じりながらゆっくりと回っていた。
「……美しい……」
彼らしい鷹揚さなのか、周りの激変に驚くことなく目の前にある石に心惹かれ、そのままずっと眺めていたい、そんな思いで心が一杯になっていた。が、刹那、宝石に小さな光が走る。そして最初の一つだった光が数個に増え、次第に数を増やしながらその表面を蔽い
「何が?」
光に包まれた青い石はその靄が晴れた後には灰色に変わる。輝きを失い恐らくは死に絶えたかのような石を、その理由が判らないままに彼は抱きしめ、
―?
その彼の腕の中、灰色の石がゆっくりと光りながら形を変える。彼の手の中から横に伸び、形をなしながら、遂には、
「剣!」
気が付くと森の中だった。泉には誰もいない。さっきまでの体験は、現実なのか、夢なのか? 若者はもう一度その剣を見、
「いや、私はわかっている」
気配を感じて振り向くと、確かに彼女がいた。そう、竜子。謎の子、竜の子と人が噂する、森の神秘の子供。
「その剣を、あなたに託すわ」
その声は人ではない。
「なぜ、私なのです?」
「その答えは、あなたが探して」
若者は返答に困った。
「あなたは……誰なのです?」
答えない相手はそのまま背を向け、恐竜達と共に森へ消える。
「待っ……」
「その剣を託したら……もう、私は止めない。」
「!」
「さまようエルデスの皇子よ、あなたに剣を託すわ」
心に響く声を自分を知っている。
「いかにも……私はエルデスの皇子、アトル・エルデス」
汗ばむ手の中の古びた剣をそっと握り直し、確かにそれが現実だと、もう一度、深く息をする。
「……あの夢のとおり……」
もはや秩序の無い宮廷に身を置くことにさえ嫌悪を覚えている自分がここに導かれたのは偶然ではないのだろう。
「しかし……私には人を導く器はありません! 何を……何を私に望むのです?」
森は答えない。
「竜子!」
遠い叫びが恐竜達の嘆きに似た音を伴いながら森へと吸い込まれていった。


23 :片桐 継◆otukWsrP :2007/05/04(金) 20:50:19 ID:n3oJmkuJ

六郎佐と海人と独楽


「紅い髪に黒い瞳、それだけがアーシェントの手がかりですよ」
一通り話終えた六郎は静かに佇む。判っているのは、アーシェントの生き残りがひっそりと小さな里で暮らしていたが、レックスに襲われて全滅したらしいという情報だけ。
「年もわからない、男か女かもわからない、第一、ここにいるのかどうかもわからない」
困ったような独楽。
「女だったら、俺のものだ」
ボソリとした海人に
「「海人!」」
思わず同時の火と水。
「あぁ、アーシェントの女ってのは美形らしいな。生まれついての床上手だというし、男だったら一度は抱いてみたいだろうよ。あの豚野郎が祥子をやりまくってるって話も判るってもんだ」
舌なめずり。溜息と共に呆れる二人。
「そういう話しではないでしょう?」
六郎の視線に、海人は笑っている。
「男だったら殺す。女だったらもらう。それだけの話しだろ?」
「簡単に言うんだな」
吐き捨てるような独楽。だが海人は
「エルデスの軍ってのは、やるときは徹底的なんだぜ。」
「?」
「大人は皆殺し、女子供も容赦しねぇ。そんな中で生き残ってるとしたら、よっぽどの手練れか、運良く逃げられたガキかどちらかしかねぇ。俺はガキだと見てるがな」
「海人……」
「エルデスがアーシェントを攻めた時、ガキだったアーシェントの姫が戦利品だった。つまり、それ以外のアーシェントは全部エルデスがぶっ殺したってことだ。あいつらはそういうことをやる。そんな中生き残れるとしたら……」
−俺は、母さんがいたから生き残れたけどな
「アーシェントが生きてたとするなら、身を隠せた子供。俺はそう考える」
−そのアーシェントも俺と同じさ、きっと。
「ふむ」
「なるほどね」
「だとしたら、そのアーシェント、年は多分俺達とそう変わらんぜ。それで女だったら、それもアーシェントの女だったら……ゾクゾクすらぁ。」
ニヤニヤと目がぎらつく。
「で、男だったら殺す、と」
「当たり前だろ、六郎。男はいらん。」
「めちゃくちゃだな、お前。」
「おい独楽、俺は真面目だぜ、大真面目」
(いや、お前は元から不真面目だ)
海人の態度には思わず二人で同調する。
「……それじゃ、そろそろ、私は屋敷に戻る。この件はここまで、ということで。」
「ああ」
「じゃぁな、六郎」
立ちあがった六郎は、ふと、そんな独楽の表情を読み取ると
「お前は……帰らないのか?」
「……」
独楽は視線をあわさない。
「こいつは帰れないさ。お茶目オヤジから俺を殺すまで帰ってくるなと言われたらしくて」
代わりに答えた男は肩をすくめるようにして
「結局、ネンネの華奈ちゃんとは何もなしだとよ!」
からかう口調だが、目は優しい。
「私も、同じことになるやもしれないな。実際、私達の関係については、主もそろそろ気づいてもおかしくない状況だから」
他人事でないらしい六郎だが、冷静さは変わらず
「……とりあえず。では。」
きびすを返し、控えている碧に気がつくと
「海人と独楽をよろしく頼みます」
と律儀に頭を下げる。海人には不似合いな程に良くできたこの友人に彼女は少し驚いてから、すぐにハイと態度をあわせた。

 夕暮れに近づく風は、大通りを駈け抜けて北の屋敷にまで続いていく。雨季が近づいているらしい柔らかい空気を吸い込み、六郎佐は南を抜けて、いつもの裏路地の風景の中にいた。そう、独楽と初めて会ったのはこの辺り。
「……ハチロー、そろそろ出てきませんか?」
ここで、彼はゆっくりと歩みを止め、自分にずっと張り付いていたらしい影の名を呼ぶ。
「姫のおもちゃは、どうもクセモノだよなぁ」
笑う歯だけが闇に浮かぶ。
「奥羽様を裏切るとは、おもしろい。」
「そうだろうね」
自分の中にある、本当に大切な絆の価値など、この男にも主人にも判るまい。今は亡き奥羽先代の稚児として囲われ育てられた自分は一度たりとも奥羽への忠誠など誓ったことがないのだから。
「あれだけ、先代にも『お世話』になっておきながら、それなのかあ?」
刻まれた皺から放たれる知性の低い言葉尻。彼の「お世話」という語句に含まれている意味が何なのかは良く判っている。この男、奥羽家に長く仕える密偵の一人八郎佐はかなりの年長で、六郎を幼い頃から知っているのだ。
「ああ、可愛がっていただいたけれどね」
先代奥羽が六郎を『可愛がった』理由。それは六郎が、彼が長く恋慕したある女性の子供であったからであって、それ以上のそれ以下の理由もない。かなりの年を召していたはずの先代奥羽だが、なぜかその欲は衰えを知らなかった。
「ああそうだよなぁ」
毎夜毎夜に弄ばれ、その夜半に涙した日々。ハチローはその彼を知りながら、それでも嘲笑う。
「裏切るのかぁ、それでも。」
声が消え入る前に、影は覆い被さるようにして飛び掛る。
「死ねやぁ!」
確かに、刃の光が見える。六郎はそれでも臆することなく動かず、
「!」
その黒髪だけがうねると、その髪の間から細い数本の長い鉱石針を抜く。
―ぴしッ
八郎佐の刃が身体に届く前に、彼の額と両目と喉に針は突き立っていた。
―へ?
相手は何が起こったのか、理解していないだろう。瞬間、真っ直ぐな切っ先を避けた六郎が飛び込みざまに胸倉を掴み、そのまま地面へとドスンと引き倒したが
「が、ががが」
八郎佐の声は、出ない。声帯を破壊し、気管まで貫いている針には返しがあり、刺されば二度と、抜くことはできないのだ。
「……甘かったですね。私に何ができるのか、本当は誰もご存知ない。」
海人と独楽以外はね、という言葉を呑み、眼下に転がり呻く男を無表情に蹴り上げると、手の刃を奪い取り
「そっくりその言葉を返しますよ」
真っ直ぐに地面まで、左胸に突き立てる。
「死んでください、ここで。」
大きく開いた男の口は、悲鳴を上げているつもりなのだろう。黒く広がっていく土の滲みが池を描き、手応えの後、彼はそのまま情事を終えた女性のような優雅さで身を返すと
「ハチローが誰にやられたかなんて、私には知らぬ事です」
静かに帰路へとつき、その後を追うように太陽が地平線へと吸い込まれようとしていた。


24 :片桐 継◆otukWsrP :2007/05/12(土) 01:01:09 ID:n3oJmkuJ

タツマとなつ

 すっかり日が落ちた下宿の庭。夕食を終えたひととき、タツマは濡れ縁に独り居て、繁る羊歯と棕櫚を見つめながら風の音を聞いていた。
―あーしぇんとノケハイ、ヒサシブリ
ふと植物達の喜びが流れ込んでくる。
(私は、アーシェントを捨てたんだ。答えることはできない。)
そっと目を閉じ、そんな彼らの歓喜を押しつぶすように深呼吸。
「タツマさん、どうなさいましたの?」
声の元へ視線を流すと、なつが大きな桶を両手に抱えて庭に居た。闇に黒く影を映す中、そこだけが光っているかのような印象。
「あ、なつさん」
思わず庭へ降り彼女の手から桶を奪おうとして、
「おっと、これから、水汲みでしたか?」
桶は空だった。いきなりで失礼だったか、と気まずい顔をすると、ええ、と相手は怒ってはいないようだ。
「これから汲みに行きますの。井戸は庭の奥ですから」
敷地内に井戸を置く。それだけでもこの下宿が非常に贅沢な建物だと判る。皇帝直属近衛師団の隊長の私有地であり、その彼の愛娘の暮らす家が貴族たちのある都市の北でなく、市民が暮らす東にある方が不自然なのかもしれないが。
「よろしければ、手伝わせてください」
あら、と彼女は
「今日は一日中働いてクタクタでいらっしゃるのではありませんか? 家の事は、女がするべきことなんですのよ」
そこは貞淑で規律正しい貴族の出らしい言葉が返る。
「けれど、力仕事は男だと、まき殿から聞きましたよ」
ユェズが聞いたら、逆の事を言うだろう。
―アーシェントの世継ぎの君が水汲みなんですか?
結局、今日の仕事も大半はユェズが片付けてしまっていた。
(小さな頃から従者だった彼に、いきなり主従を捨てろというのは残酷なんだろうな)
自分をタツマだと言いながら、なかなかうまくは切りかえられない不器用さがユェズらしい。ふと浮かんでしまう苦笑。
「タツマさん?」
その表情を、彼女はどう読んだのか
「……わかりました。では、お手伝い願えませんか?」
爽やかな笑み。
「賜りました。」
恐らく、自分は今彼女と同じ表情をしている。
―不思議な方ね
無邪気で優しい彼女の本音。タツマは聞こえないフリをして、では、と桶を受け取り、彼女の後を追った。

「タツマさんは、旅は長かったのですか?」
庭の井戸、石を組合せた掘り下げの手水に手桶を沈めながら、彼女はふと、問い掛けてきた。
―私、貴方がどこか他の方と違う気がしますの
「そうですね、一年ほど、でしょうか」
二頭の竜とユェズとの旅。その間にたくさんの生命と出会ってきたが、終ぞ人に会うことは無かった。
「そんなに長く……」
―でもご無事で良かったですわね
貴族の娘である彼女は恐らく都市の外のことを何も知らない。竜に脅えることの無い平穏な日々を当たり前のようにすごしてきたのだろう。
「いかがですか? このエルデスは」
無邪気な問い。
「人が多くて、正直、まだ戸惑ってはますが……とても良い所だと思います」
ごまかすように笑い、沈黙。エルデスに入り、多くの人を知り、確実に言えるのは自分は……。昨日今日とタツマは多くの人の意識を感じとり、同時にその力の恐ろしさを思い知らされていた。アーシェントの多くが同種族で集まりあまり人と交わることがないのは、恐らくはこのように流れ込んでくる多様過ぎる人の心のせいなのだ。実際、人という特殊な存在に囲まれている環境で生きていくには、アーシェントの精神力はあまりにもか弱い。恐らくはユェズやアトル皇子のようにその力を秘めながらも目覚めぬままか、姉のように失ってしまうかのどちらかでしか自我が保って生きていくことはできないだろう。
―人であるアーシェントは有り得ない。
大ユェズ叔父から聞かされていた、父の言葉。
(確かに、そうだ)
水面に浮かぶ月と星が、ふと触れた棕櫚の葉先の波紋に揺れる。静かに流れていく時間。
「……タツマさん」
―こんなこと、話してもよいのかどうかわからないのだけれど、誰かには聞いて欲しくて
なつの心の悲しげな声。耳に届く彼女はどこまで明るく活発ささえ感じるのだが、そこに秘めているものまでも彼は感じ取ってしまう。
―ただ、ただ聞いて欲しいの
滑り込む、彼女の悲痛。
「なんです?」
「……明日で、夫が亡くなって丁度2年目に当たりますの。この水は、明日の為のものなんですのよ」
―私を遺して逝ってしまった、憎い人の。
裏腹な言葉。
「夫?」
「夫は……奥羽夫人がご趣味で買いつけた角竜に殺されましたわ」
―どうして夫でなければならなかったのかしら
「竜は……皇帝陛下以外には持てないと聞きましたが……」
「それは、今のお話ですわ。当時、貴族の間で角竜を飼うのが流行りましたの。大きくて角の多いものほど良いとかで、奥羽夫人はとても大きくて角がたくさんある角竜を買いつけてこのエルデスへ連れてこさせたのです。」
「……」
「ところが、その角竜は都市に入ったとたんに暴れだし、巻き込まれた子供を助けようとした主人は……」
―どうしてあの人はそんなことを
「……優しい、勇気ある方だったんですね」
何気ない彼の言葉に、ふと、彼女の瞳が潤み、
―無謀で馬鹿な方ですわ。私を置いていくなんて
「な、なつさん?」
不意にもたれかかってきた彼女は、その細い肩を震わせている。
―私を置いていったのです、あの方は!
「……」
―酷い人なのです!
女の、子供のように泣いている心。彼女はその夫の死を毅然と受け止め、恐らくは「人前で泣くような、はしたない真似をしない、忍耐強く、良くできた貴族の娘」を必死に演じてきたのだろう。夫を奪われた怒りと哀しみをどこにも吐き出せずに。
「……なつさん、その方は、とても幸せな方ですよ」
見下ろしたうなじと後れ毛。タツマは普通の男なら保っていられないような理性も平然と、たしなめるように
「貴方をこうして泣かせてしまうのは、頂けませんが」
精一杯の言葉。
(そうか……この屋敷は、その彼と貴方が暮らした大切な場所なのですね?)
流れ込んでくる、なつの思い出なのだろう暖かな心の感触。
―誰かに話したかったのです。私は、本当は泣きたかった。
ほんの数呼吸の間、だったのかもしれない。彼女は溢れてしまった涙をゆっくりと拭い、
「……タツマさん、ありがとう」
一歩、離れる。
「ごめんなさい、はしたない真似を。つい、思い出してしまって。」
―貴方は聞いてくださる、そんな気がしたから
「私でよければ、いくらでもお聴きします」
穏やかな笑み。この場に、かの大ユェズ叔父がいれば「父君と同じだ」と感涙するほどに優しく、愛する民に向けるだろう王のそれが自然と出る。
―貴方はやはり、他の方とは違いますのね
(仕方ありません。自分が望んだわけではないのですが)
「……ありがとう、本当に」
そして細い腕が桶を引き上げようと伸び、咄嗟にタツマは駆け寄ると代わりにその水を桶へと流す。ザァッと響く音と共に先ほどと同じ位に距離が縮まると、ふと、彼女から爽やかな夏羊歯が香る。
「その時、夫を始め、奥羽夫人や下男下女、市民にも多くの犠牲者が出ました。それで、竜は皇帝陛下以外に持つことはならぬ、と取り決められたのです。」
ぼんやりと過去を見通す桶の月。
「そうだったのですね」
「父は仕事が増えた、と冗談のように言っておりましたけれど」
─それは恐らく、私の悲しみを知っていて……
優しい父と勇気ある夫、多くの人から恵まれ、愛されてきた彼女。その豊かな心から多くの人の愛情が溢れているのが判る。都市の人に生まれ、生きて、死んでいく生命の流れがここにもある。そう、同じように、この世界に生きる恐竜達にも。
「ところで……なつさん」
「何ですの?」
「その時、まだ都市には竜達も?」
「ええ。でも、殺されましたわ。陛下の竜であると決められたもの以外は全て。だって、外に出しても私達に危害を加えることは変わりありませんし、家畜竜でもありませんから、食べるわけにはまいりませんでしょう?」
―二度とこんな事が起きないよう、当然の事ではありませんか
都市の人間としての明るい笑み。瞬間、タツマにぞっとする恐怖が走り抜ける。
(当然のこと?)
それでも水に満たされた桶を支えている両手。
「タツマさん?」
瞬間で変わった顔色をどう見るのか、不思議そうに覗き込んだ女に、
「いえ、何でもありません」
(そうか……エルデスにとって、アーシェントも竜も……)
なぜ聖域とまで呼ばれたアーシェントを攻めることができたのか。タツマはその理由を理解し、屈辱に近い哀しみの波を被りながらもそれに耐えた。
「さ、参りましょう」
促され、
―オヤスミナサイ、あーしぇんとノヒト
植物達に送られながら、最後のアーシェントは再び屋敷へと戻っていった。


25 :片桐 継◆otukWsrP :2007/05/18(金) 21:00:34 ID:n3oJmkuJ

アンナトリア・シージップとヴィクトリア・シージップ

「お久しぶりですわね、兄様。こんな夜更けに」
后妃の部屋、煌びやかな光に包まれた浮き彫りに飾られ、彼女は女王然と兄を出迎えていた。
「ご機嫌麗しゅう」
からかうように彼は浅く会釈すると妹の手をとる。
「すこし痩せたかな?」
「さぁ?」
弱みを見せない彼女は冷徹に答えると
「ご用向きは何ですの?」
あごをしゃくるようにして視線をはずす。
「シェラ様の産儀があってね。陛下にお祝いを申し上げてきた帰りなのだけれど、素通りするわけにもいかないだろうと思って。」
産儀、という言葉が気に障ったのか、ふん、と
「どうせ私にはあるはずのない儀式ですものねぇ。まぁ、兄様にもなさそうですけれど?」
妹の嫌味。
「まぁまぁ、そう言わず」
兄が呆れたように笑い、妹も同じ顔をするや並び立ち、侍従や侍女達が遠巻いて深く頭を下げる中、二人は奥の間へと歩む。調度や飾り、全てが彼女の感性で彩られた正妃の部屋は三間でできており、一番奥にある彼女の居間では宰相の来訪にふさわしく膳がすでに整えられていた。夜食に、と気を利かせたのだろう色取り取りの小鉢と細工を凝らした料理は、それを見ただけでも彼女のこの宮殿の権力の程が見える。
「ほう、この器は……」
識者の彼にはその一皿にさえも感じる所があるのだろう。
「先日、焼かせたばかりのものですわ。陛下にもご献上いたしましたの」
「シェラ様が陛下から賜下いただいたという綾留はこちらの出というわけかい? 同じ人の手によるものだね」
「いやだわ、兄様ったら。相変わらず重箱の隅がお好きですのね」
ホホホと笑い。
「こらこら……」
呆れるような兄に妹は機先を制し
「誤解なさらないで。私なりに、奥羽姫のご安産を願っているからこそでしてよ?」
と射る目。
「昔から出産は命がけなのですもの。皇帝陛下にとってもご待望の第二子でいらっしゃるのですし」
「命がけ、か……悪阻がひどくお辛いらしいし、確かに心配ではあるねぇ」
「女は大変ですのよ」
アンナの言うとおり、この世界の女性にとって出産は命がけのものといえた。エルデスに限って言うなら、子供の数が極端に少なく昨今では産褥で死亡することを恐れるあまり産婦の数までが減っている。その世の流れにおいても皇帝は子供を欲しがり、多くの女性を孕ませてきたのも事実だが、無事に生まれたのはラキア一人のみ。恐らくはそれも母親がアーシェント皇女であったからなのだろう。
「とにかく、奥羽姫には何とか頑張っていただきたいけれどね」
柔らかく優しい言葉。そう言いながらも宰相の瞳は鋭く周りをぐるりと見回していた。その奥羽の現当主が街はおろか宮廷にまで間者を放つ痴れ者なのだと自覚しているのだろう、目だけが笑わない。
「けれど、皇統の御為には男子を望みたいでしょう?、ご無事に、というのも判りますけれど……兄様」
その言葉の臆するところ。奥羽の姫に万が一にでも男子が生まれれば、アトルに加えてアーシェントのラキアとその子、と皇位継承はさらなる泥沼が予想される。同じ権者でも正妃の兄と皇太子の外戚では立場も逆転するだろう。
「おいおい、気持ちは判るけれど男子か女子かは誰にも決められるものではないよ、アンナ」
笑わない笑顔。確かに男子が生まれてしまってはたまらないだろう、だが皇女が生まれたとしてもその降嫁先によってはやはり厄介な事になる。つまりは……。
「ねぇ兄様」
「何かな?」
「奥羽姫に悪阻のお薬をお渡しくださらない? 私の為に雇ってくださっている腕の良い薬師がいるでしょう?」
「ふむ」
「私は正妃、奥羽姫は側室。私から直接のお渡しでは波風もたつでしょうし。かといってこのままお辛いのを見ているのも心苦しいですもの」
─良いお酒が手に入りましたの。正妃様にお兄様からお渡しくださらない?
「……」
甘えた物言い。この時の彼女に何があるのか、兄は十分に理解していた。アトルはまだ切り札になるやもしれないが、あのアーシェントの皇子はすでに障害。もうそこに新たな帝子の余地はない。
「すまないね、アンナ。気を遣わせて」
いいえ、と黒く微笑む妹。あわせる兄。
(そうだな、今はまだ、お子様が増えられては困るな)
これが宮廷に生きるということ。目的は違えど、同じ標的を狙う兄妹はその手に杯を取ると、静かに重ね合わせていた。
「そういえば、兄様」
特に気に入りらしい薇根の小鉢に手をつけたアンナが
「近衛師団の韻のお嬢様ってご存知でしょう?」
唐突に尋ねる。
「ああ、弟子の妻であった人だからね。気立ても良いし、たいそうな美人だよ」
「……」
「どうかしたのかい?」
「陛下がご所望ですの」
沈黙。留まること無き盛りの若者は美女の言葉に相当の引力を感じるらしく、またしてもそれを彼女にねだるという暴挙に出ていた。
「……そうか」
その上にショウ・韻まで出てこられては堪らない。とはいえ、あの男がおおよそこのような寵争を好むとも思えないが。
「まぁ、近々話はしてみよう」
いつものやる気のない返事。
(馬鹿の相手は程々が良いのだがなあ)
声にならない声に、自然と妹が同調している。やはり血は争えないようだ。


26 :片桐 継◆otukWsrP :2007/05/25(金) 21:34:13 ID:n3oJmkuJ

竜子


 アーシェントを呼びとめてから、月が一巡り。彼女の周りにはいつも生命があふれ、産まれ、死んでいく。
「あと一つ……どうしようかな」
誰に問うわけでなく、彼女はただ、晴れた空を見ていた。今年、雨季は来させない。この森も、泉も、竜達も、このままでは長くもたないかもしれないが、それは返せば、新しい生命への階段を上る一歩にもなる。
「そうね……。なんとかしなくてはね」
ほう、と溜息。彼女の瞳は多くを見、多くを知る。いつもの海の呼吸、大地の嘆き、風の旅。異質な生命とあるべき存在たち、今ある自分の仮の姿を捨て去れるのはいつの事なのか。
「……そもそもは……」
投げてみる、意識。かのアーシェントは人としての道を選び、終りの力を託した男は女に耽るのが見え、
「……だめね」
だが、引き続きに見えた始まりの力を託した皇子は疑念の渦にあるらしい。
「そうでなくちゃ」
人は人に滅ぼされる。何も手を下さなくとも、彼らは自らを殺せる愚かなものたち。貧弱な力で築き上げられた都市の壁、抜けて通る石畳、囚われの明日無き草食竜たち、繋がれている悲しげな鎧竜、玉座にある飾られた人間、そして……
「?」
その先、穢された巫女が真っ直ぐに自分を見ている。
「また貴方なの?」
冷笑。
─ええ。私にも貴方が見えているわ
「でも無駄よ、貴方には何もできないでしょ?」
勝ち誇る。アーシェントはいらない、この世界に。


27 :片桐 継◆otukWsrP :2007/06/03(日) 12:05:42 ID:n3oJmkuJ

トゥシとショウ・韻


 トゥシとソゥシはこの日のために誂えた新しい服に袖を通す。重く、けれど煌びやかなそれはこの日の為の特別なもの。
「時間です!」
声をかけた若者は、つい先日まで共に庭で鍛錬に出ていた仲間。今日を境に、彼らとは規律という一線が引かれるのだ。
「行くぞ」
「はい」
全員が背筋を伸ばし連れ立ってバードル邸の門を出ると
(来た!)
噂が現実となった、新しい軍の誕生。その光景を見た朝市の人々はその手を止め、ある者は家へと走りこみ、家族を呼んでいるようだ。彼らがその都市の大通りに出る頃には、すでに人々が鈴なりで彼らを迎え見守っている。その人ごみを見、思わず緊張した2人だが今はそれ以上に誇らしい気持ちにあふれ、決して俯くことはなかった。
――第二師団、か。期待しているぞ。
エルデス皇帝近衛部隊第ニ師団は、都市外の恐竜の討伐と都市内部の治安を護る役目を担う特別編成部隊として、皇帝の一声で誕生した。その新しい制服、両肩につけた鎧竜の鱗を加工した紋章には新しい印が刻まれ、その肩から腰にかけて巻きつけられた綾には贅沢を尽くした虹色が見事に朝の光に反射して美しい。そして大柄でいかにも武人らしさを全面に見せるトゥシよりも、危うさと可憐さと知性を秘めた美少年の方が遥かに人目を引いていて、どうやら一日にしてエルデスには新しい英雄が誕生したのかもしれない。
(お前、目立ってるな)
(そんなに、僕はおかしいでしょうか?)
(逆だ。似合いすぎる)
並んで前を見据え歩きながら、2人は静かに会話していた。群集の見守る中、彼らとその後ろに付き従う1部隊30人は真っ直ぐ宮殿へと進み、
「……あれが雷竜のトゥシだよ」
人々が畏怖を込めて囁くのが聞こえた。かつていくつかの都市を渡り歩き、その都市の陥落を数日遅らせた程の武将にして名将。一人でレックスと戦い勝利したという話は語り草だ。その男がエルデスで竜やならず者と戦い、彼らから自分達を護ってくれる。都市の弱き者達はそんな希望をこの行列に見出しているのだろう。
――そう、この都市を護り、皇帝を護るのが俺達の役目
注がれる人々の視線を集めながら、自然と身体が熱くなる。やがてたどり着く大通りの北の終点、その宮殿の門の前で、皇帝近衛隊第一師団、ショウ・韻が彼らを待っていた。
「おはようございます。韻殿」
「おはようございます。トゥシ殿」
ひと通りの挨拶をすると、韻は後ろに控えていた2人の下男に何かを命じた。程なく彼らがそれぞれに獣竜を連れてくると、その良さがわかったのか、トゥシは、ほう、と呟き、
「これは……見事ですね」
「身体ががっしりとしているし、毛艶も素晴らしいですよ。あなた達が世話を?」
無邪気な笑顔でソゥシは竜の手綱を持つ華奢な下男に声をかけ、
「ソゥシ。 気安く声を掛けるのは止せ。彼らは韻殿の下男だ」
戸惑う下男を前にトゥシが思わず語気を強めた。近衛隊副長と下男とでは会話どころか対等に顔を合わすことさえ許されないほど身分に差がある。ましてや自らの下男で無い者に声を掛けるなど、礼儀知らずも甚だしい。
「韻殿。申し訳ない。弟には改めて礼儀作法は仕込みます。お許しいただきたい」
いやいや、と相手は
「お気になさるな。思わず聴かずにはおれぬ程の竜ですからな。 私も今朝、陛下の御前で思わず声をかけてしまい、なかなか恥ずかしい想いをしてしもうた」
さりげないフォローと気遣いはさすがだ。そのままでは部下達の手前、確かにソゥシの立つ瀬がなくなっていただろう。
「この2頭は陛下よりあなた方への賜り物です。お使いくだされ。後、世話はこれからも、彼らに任せるつもりですが、よろしいですかな?」
「もちろんです。我ら一層、皇帝陛下の為に勤めを果たしてご覧に入れます」
トゥシは経験豊かな武人として颯爽と答え、名にふさわしい存在感が漂っていた。


28 :片桐 継◆otukWsrP :2007/06/08(金) 16:12:56 ID:n3oJmkuJ

カイトと独楽


「居やがった」
群集を見ながらエルデス第二師団の行列を追い、その宮廷前の門のやり取りを遠くから見ていた男はニヤリと笑う。獲物を見出した猟犬の興奮が覚めやらぬのか、まんじりともせずに目的の相手、見事な紅い髪をした竜の下男を見据えていた。
「あれが……アーシェント、なのか?」
囁くような独楽。
「あれだけ紅い髪はそうないさ」
自信に満ちたカイトの言葉。
「見たのは一度だけ、それも後ろ姿だからな。……ああ、あいつは、見ない」
――ああ、お前は、見ない。
初めて独楽とカイトが出会ったときも、カイトはその言葉を使った。彼はいったいどれだけのエルデスの人間を知るというのだろう。謎めいているカイトの力、その勘の良さに戸惑うが
「殺るのか?」
独楽の問いに、友は、当然だ、と口元だけで笑う。
「人違いだったらどうする?」
「だったら何だってんだ?」
愚問だった。激しく後悔する友人を前に
「野郎なんざ知ったこっちゃねぇ。ヤバイのは殺っとけば良いんだよ」
小さな子供がその欲望のままに壊す玩具に対する物言い。だが、ふと、
「横のやつ……」
「あの黒髪?」
「ああ、あれはなかなか綺麗な顔をしてるし、細くて女みたいだ、が―」
「が?」
「あいつは……強い」
鋭い勘を働かせ、警戒心を強める。
「ショウ・韻の下男、だな。あれは」
明らかな身分制度は、返せば明確な身分区別の材料となる。彼らの動きからそう読み取った独楽が補足すると
「仕事を終えたら、屋敷に戻るはず。」
ふふん、とカイトは今度は鼻で笑い
「あの細いのと紅いのを引き離せばいいだけのこと、か。韻の下男なら、あの美人の下宿だろうしな……。」
何か策があるらしい。
「独楽、あいつから目を離すなよ」
「どうするんだ?」
「やるなら、早いほうがいい」
そう言いながらも、鋭い視線は動きそうになかった。


29 :片桐 継◆otukWsrP :2007/06/16(土) 12:10:35 ID:n3oJmkuJ

ヴィクトリア・シージップとアトル・エルデス

 
「お館様。アトル皇子様がご来訪にございます」
その行幸騒ぎも無関心に、静かに部屋にあった主人へ下女は用向きを伝える。独楽に会えない日々が続き、寂しさの募っている華奈は明るく振舞うように告げるとゆっくりと膝をついた。
「ああ、お華奈。すぐにお茶を用意して」
まるで予定していたかのような彼の態度に、華奈はそっと頷くと戻っていく。一方シージップは掛けてあった上着を羽織るとその綾紐を結び直しながら客人の待つ部屋へと階段を駆け下り、足早に向かった。昨晩に見た、これまでに無い星の配置は、自分と、この国の行く末を見せた気がする。歴史が動く、そんな期待で高鳴る胸を押さえながら自然と足が逸る。
「皇子! ご健勝のこと、何よりでございます」
扉を開けると同時に感嘆に近い声を上げた。
「シージップ。私の来訪を知っていたような口ぶりだ」
「昨晩、星見をしていましたのでね」
らしからぬ鋭い瞳を見せると、華奈の茶を受け取って人払いを命じ、側の編んだ椅子を促した。皇子はゆっくりと腰を降ろす。クロト擁立の後、こうして向かい合うことはなかった二人だったが、その空気はどこまでも自然で、隔てた時を感じさせない。
「ご用向きをお伺いいたします。皇子」
「……実はここ数日、あることに悩んでいた。結局は、そなたに頼るしかないのだと思ってね。」
かつての自分の後見。今では敵ともいえる弟の妻の兄ではあるが。
「私は皇帝の正妃の兄ですぞ? 皇子にとっては……」
自嘲。
「判っている。あの時、そうする以外にそなたが生き残る道が無かったことも。」
ほう、と相手から笑みが消えた。
「そなたが宰相の地位にあるから、今のエルデスがある。あの愚かな弟と調子者の取り巻きだけでは、今のエルデスは、無い」
「アトル様……」
その口調は、かつて後見であった頃の彼のものに戻っていた。
「シージップ、感謝している。お前のおかげで、私は今もこうして生きているし、エルデスも栄えているのだから」
自然と彼も庇護の元にあった頃に戻り、
「だから……これをお前に渡したくて」
アトルはそっと手に合った粗末な布を解くと、中から古い剣を示した。
「これは……」
震えるような手で、シージップは皇子から剣を受け取る。何の変哲も無い、抜けそうもない、錆びた鞘に崩れたような柄、誰も見向きもしないボロボロの剣は、ずっしりと重く、手触りが悪い。
「竜子から受け取ったのです。青い美しい石が変化して、私の手に」
聞きながら、宰相は剣を凝視する。
「あなたを……選んだのですか……竜子は」
感慨深いらしい声。
「シージップ。竜子を知っているのか?」
皇子の問いに彼は答えない。その代わりに、そっと皇子に剣を返した。
「あなたがお持ちください。アトル様。私は、これを預かるには年をとりすぎました」
「シージップ!」
「私に出来ることはアトル様の後見となること。妹には申し訳ないが、剣を受けた以上、あなたがこのエルデスの皇帝となり、民を導かねばなりません」
その真意はそのまま謀反を意味した。アトルはその言葉の重さごと剣を受け取る。
「アトル様なら、きっと、できます。……残る剣もほどなく、きっとあなたの下へ集まりましょう」
その彼の想い。読めない宰相の表情は、皇子を緊張させた。
「アーシェント亡き今、この世界の命運は剣の主に託されています。あなたの望む未来を、皇子」
シージップの瞳には、かすかな希望が見え隠れする。
「いったいこの剣は……」
「かつて、アーシェントとよばれる国と人々がありましたこと、ご存知でしょう? 後宮のアーシェント・祥子が最後の生き残りで、その子ラキア皇子が、実質のアーシェントの世継ぎですが。」
宰相は皇子に茶を勧め、皇子は軽く口をつけた。
「……ああ」
弟の世継ぎ。年端もいかないあの子供が、アーシェントの世継ぎであり、エルデスの世継ぎであることは明白だが、それゆえに後々の遺恨となるだろうことも予想できている。かつてアーシェントの呪いで死んだとされる皇帝の孫、今の世継ぎが、そのアーシェントであることは皮肉以外の何物でもない。
――愚かな話だ
その皇子をどう捕らえたのか、
「ですがアトル様、あなた様もまた、生き残りでいらっしゃる」
「それは……」
自分に眠る、アーシェントの血。
――美しい女神が、若者を連れているの。きっと、これはあなたなのよ。
かつて母が教えてくれた、夢の話。
「アーシェントは人ではありません。ですが、宮殿にあるのはアーシェントという名だけの人。……アーシェントは直系のラキア皇子と、傍系の貴方様を残して、もはや滅亡したと言ってもよいのです。」
かの女神がアーシェントの巫女とすれば、その若者はラキアなのか、自分なのか?
「だからこそ、その剣はある。失われた彼らの力は剣に込められ、目覚めるときを待っているのですよ。」
迷う皇子と眠る剣をじっと見据える宰相。
「この剣?」
促されるように、改めて皇子は剣を見る。何の変哲も無い、いやそれどころかボロボロの、剣。
「まさか……まさか、こんな瓦礫のようなこれが、アーシェントの……?」
「そう申し上げてよろしい、かと」
困ったままの若者を前に、宰相は続けた。
「この剣の本当の姿、力、何を起こすのかは、今では祥子しか知りますまい。ですが、言えることは、竜子から剣を託されるということは、この世界の命運を託されるということです」
「シージップ!」
「導いてご覧なさい、アトル様。あなたには、王としての天分がある」
真剣な、そしてこれまでに無い強く冷たい視線。
「私は貴方様の後見となり、皇帝とすることをこれからの目的とせねばなりません。これは世界の意思、エルデスの為に取らねばならぬ最良の道です。その剣を持つことの意味は、そういうことなのです」
「……」
皇子はゆっくりと息を呑み、
「……判った……」
覚悟の言葉は短かった。


30 :片桐 継◆otukWsrP :2008/02/24(日) 20:42:50 ID:n3oJmkuG

タツマとユェズとショウ・韻


「雷竜のトゥシ。名前は聞いたことがあったけど……」
ユェズはお披露目を終えた竜を労いながら厩舎で呟く。一方のタツマは飼葉の準備をすると、そっとその柔らかい首を撫で、
「よく我慢したね。そんなに何に怯えていたんだい?」
――コワカッタヨ、アノコ、コワイヨ
竜は低く唸るような声を咽から鳴らす。
(怖い?)
――アノコ、コワイヨ
(でも、その人がお前の主人だよ。もう、私じゃない)
――アノコ、イヤ
思わず使ってしまう力。ふとユェズを見、そんな自分に気づいてないことを確認すると、そっと飼葉桶を置いてやる。竜が怯えていたのは、トゥシが連れていた年端も行かない少年。可憐で、思わず見入ってしまうような魅力に溢れた彼ではあるが、タツマも言い知れない何かを感じ取っていたのは確かだ。
――ズット、イッショダヨネ? キミ ガ スキ
(私もだよ)
――イッショニ、イテ
哀しげな瞳の汚れなき魂が懇願するようにタツマの手を舐め、
「随分な懐きようだな」
朝の一仕事を終えた韻がその姿に何を見たのか、穏やかに現れる。
「韻様!」
二人が二人とも慌てて手を止め頭を下げると
「ああ、そのままでいい。今日はご苦労だったな。有難う、君たちのおかげでとても良い竜を渡すことができた」
韻は主人らしい労いの言葉をかけた。が、その表情が曇ると、
「だが……正直、彼らを歓迎してはいないのだ。注意してくれ」
潜む声。驚くユェズと、納得した顔のタツマ。韻はその反応も予想済みなのか続けた。
「バードルの息のかかった荒くれだからね」
「はい」
タツマが静かに返事をする。
(確かに、彼はとても危険な人間です) 
「しかし、一人は子供でしたね」
と、ユェズ。
「ああ、彼の弟だそうだよ。まぁ、恐らくは引き取って育てている子供だろう。彼が育てる子供というだけで末恐ろしいものがあるけれどもな」
と続けながらも
「あの見かけだ。今日の行幸で、あっという間に都市の人気をさらってしまったようだし、陛下や後宮の女達も大層な気に入りだよ」
困った顔をする。しばらく都市はこの第2師団の話題で持ちきりになるだろう。
「あまり良い事ではないのだがな。いたずらに軍を強めたとて……」
言いかけて、
「ああ、これは、ここでの話にしておいてくれ。取越苦労であればそれに越したことはない」
やはり気配りの利く人である。すぐに話題を切り替えた。
「……ところで、住まいの方はどうだね? 半ば無理矢理に娘の元へ決めさせてしまったが……。まきとその取り巻きの連中ともうまくやっていると聞いているが」
「はい。とても良くしていただいてます」
気持ちの良いタツマの返事に、何よりだ、と満足げな主人。
「さて、おしゃべりが過ぎたな。今日は、もう良い、早く帰って休んでくれ」
襟を正してきびすを返すと、挨拶代わりに軽く手を上げて宮殿へと戻っていく。タツマとユェズは深く頭を下げて主人が去りゆくのを見送り、その態度はそれこそ、主人と下男の日常の風景そのものだった。


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甘辛流小説家ギルドGAIA
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