海辺の青嵐


1 :桜臥 :2007/01/07(日) 15:17:59 ID:WmknPcun

乱暴な音を立てて、古ぼけた電車が走り去っていく。
俺は荷物をホームの地面に直において、硬い座席にずっと座っていたせいで凝り固まった身体をほぐすようにストレッチ。
気分が良かった。
空気も綺麗で、自然が多いここに来たからという理由もあったけれど、心も、最近の俺からすると驚くほどに澄んでいた。
存分に身体を動かすと、荷物を持ってホームから出る。
とりあえず別荘を見つけて、それからは…思いついたことをしよう。
足取り軽く、俺は砂利道を歩き始めた。


2 :桜臥 :2007/01/07(日) 15:38:33 ID:WmknPcun

海辺の別荘




俺は、瀬名睦月。”せなむつき”って読む。当然の如く、一月生まれ。
高校一年で、学校では成績優秀、品行方正で通っている優等生だった。
といっても、高校のレベルは低い。もとは女子高で、最近共学になった俺の通う高校はスポーツ推薦の連中を集めているので、自然に学力は下がっていく。
もっと上の高校も目指せたのにそうしなかった理由はひとつ。親が薦めたのと、高校と自宅の距離が近かったからだ。
一学年に一クラスある特別進学コースに入って、四年制国公立大学に行く。そんな理由をあげて志願したが、今の気持ちは全然違う。
俺の将来の夢は……、まあ、別にこれはそんなに重要な問題じゃない。
問題は、”どうして俺がここにいるか”だ。
きっかけは、兄貴のこの一言。
「僕、別荘買ったんだよ」
兄貴は俳優だ。それもかなり売れてる部類の。
顔はいいと思う。演技力は見たことがないからわからないけれど、穏やかな感じの美青年だ。顔は整っていて、肌は白いけれど髪は漆黒。目も茶色い部分がわからないほどに真っ黒で、いつも優しい笑顔を浮かべている。
特別仲がいいってほどではないけれど、俺は兄貴のことを理解しているし、兄貴も俺のことをわかってくれている。
…話を戻そう。
売れてる俳優である兄貴は、金を貯めて、海沿いのとある田舎に別荘を買ったらしい。本当は恋人と使うために買ったらしいが、兄貴の恋人は今年受験生で、学校も忙しい。
簡単にいえば「使っていないから使っていいよ」ということだ。
兄貴の優しげな微笑みの奥に秘められた思いに甘え、俺は黙ってこの町まで来た。ちなみに今日は平日。学校も普通にある。
荷物をまとめ、すぐにでも出かけられるように準備を整えた俺を、兄貴はそっと部屋から連れ出して駅まで送ってくれた。
「睦月、楽しんできなね」
言葉と一緒に差し出されたのは、可愛いイルカのストラップがついた携帯。
「これ、あげるよ。仕事中でもなるべくはやく返事するから、さみしくなったらメールして。一日に一回は電話して」
最後まで優しく微笑んで送ってくれた兄貴に、俺は頷いて携帯を受け取った。
簡単な使い方を教えてもらって、実際にボタンを押してみる。開いた本の絵が書いてあるボタンを押すと、ぱっと画面が切り替わって、画面の上の方に”001・瀬名皐月”とある。兄貴の名前は”さつき”。いわずもがな、五月生まれだ。
俺は上着のポケットに携帯を仕舞って、兄貴に柔らかい微笑みを向けた。
「ありがとう」
滅多に笑わない俺が微笑んだことに兄貴は少し驚いていたけれど、つられて嬉しそうに笑った。
兄貴は優しい。ほんのすこしだけ、兄貴を放っておいている恋人とやらに嫉妬する。
「じゃあ、電話してね」
車の中から手を振った兄貴に向かってもう一度微笑みを向け、俺は電車に乗ってここまで来た。


3 :桜臥 :2007/01/07(日) 23:02:12 ID:WmknPctG

道を歩きながら、重さはないがかさばる荷物を左手で持ち、空いている右手でポケットをまさぐる。
イルカの頭を掴むように引きずり出した携帯は、さんさんと降り注ぐ太陽の光を反射して煌いた。
高校生になっても携帯を持っていなかった俺には新鮮だ。手のなかにすっぽり入る大きさの青い携帯は、開かなくても時計が見えるように兄貴が設定していた。時間を見ようと携帯を手の中で向きを変え…

   『Eメール 有り』

黒い字。慌てて荷物を置き、携帯を開く。
真ん中のボタンを押すと画面が切り替わり、メール画面になった。閉じた封筒のマークが先頭についているものを選び、開く。


   『 そろそろ着いたかな?
    駅から真っ直ぐ海沿いにいって、すぐわかるところにあると
    思うけれど、わからなかったらメールして。

                     −皐月−            』


兄貴は心配性だと思う。
返事をしようか散々迷ってから、道の端まで移動してしゃがみ込んだ。


   『 いま着いた。
    することないから、ゆっくり探すよ。
    仕事、頑張って。

         −睦月−  』


慣れないボタンを一生懸命押して、書けたのはこれだけ。
それでもなにもかかないよりもマシだ。
送信ボタンを押し、携帯を仕舞う。
ざあ………と、波の音がした。意識しなければ聞こえないほどの大きさだけれど、塩辛い、少しべたつく風がここが生まれ育った街ではないのだと感じさせる。
俺が生まれ育ったのは、都会の街。詳しい場所は言わなくても、なんとなくわかるだろう。昼間は溢れるほどに人がいて、でも夜中になると奇妙なほどに静まり返る、この国の中心地。その中の、郊外と呼ばれる場所よりも中心に近い辺りに住んでいた。
ここ数ヶ月は、自宅に帰っていないけれど。
昔は吐き気がするほどに人ごみが嫌いだったけれど、いまはそれも懐かしい。
不意に、海が見たくなった。
横に置いてあった荷物を持ち上げ、携帯が落ちないかポケットのうえから触れて、歩き出す。
目指すは海だ。


4 :桜臥 :2007/01/07(日) 23:48:47 ID:WmknPctG

海まではそんなに遠くなかった。
さっき立っていた場所から見えなかっただけだったらしい。波の音の大きさはたいして変わらなかったけれど、少し歩いただけで海面が見えた。
壮大、という言葉は、こういうことを指すんだ。
無駄に広い蒼い場所。この広い地球の七割を占める、海。滅多に見る機会のない俺には、とても大きなものに感じられた。
海から目をそらし、道を見る。歩いてきた道は、堤防に沿って真っ直ぐ続いていた。道が分かれているのはずっと先……百メートルほどだろうか。そのまま堤防沿いに行く道と、左に折れる道。左には山があって、その麓に何軒かの建物が見える。あそこが別荘の位置だろう。
さて。
俺は海に視線を戻す。
堤防はだいぶ高い。いま立っている道の先に、俺の腰くらいの高さのコンクリートの壁がある。
あそこを乗り越えようと思って近付いて、俺は荷物が邪魔なことに気付いた。少し迷って、五十センチくらいの厚みがある壁の上に置く。
「よいしょ…っと」
腕の力で身体を持ち上げておいて、片足を振り上げる。壁の上に足をかけ、後は残りを上にあげるだけ。
上に乗ってみると、さらに海が大きく見えた。
しばらく見惚れて見て、それからさらなる問題に直面した。
壁と同じ高さの地面が二十メートルほど続いて、その下はすっぱり途切れている。慌てて駆け寄って、下を覗き込む。
その下は、崖だった。
崖…といってもそんなに高くない。五メートルくらいだろうか、砂利と大きな石で出来た岩の斜面には少し跡が残っていて、そこを滑り降りればいいらしい。
俺は、自分の身体を見下ろす。
運動靴と、茶色い長ズボン。紺の長袖シャツに、黒の上着。首から下げているのは兄貴にもらった、大きめの銀の指輪が吊るされた鎖。
脚力に自信はない。長いこと運動をまともにしていない身体は、なまりきっているだろう。
それに、左足はただでさえ”使えない”のだ。
どうするべきか。
迷った俺は、とりあえず斜面に足をかけてみた。ばらばら、と嫌な音がして、足元の石が下に転がり落ちていく。
「う……」
嫌な汗が流れる。暑くも寒くもない快適な気温で、汗が流れるのは普通じゃない。
足を下げようとして、……滑った。
「っ、き」
「危ない!」
叫びそうになった瞬間、崩れそうになった俺の身体を支えた手があった。
ぐい、と後ろに引っ張られて、崖から少し離れた地面に尻餅をつく。
なにが起こったかいまいち理解できない。頭を振って、心を落ち着かせて見る。
…滑って、落ちそうになって、引っ張られた。あれは誰かの手で、その誰かに助けられたということで。
「大丈夫?」
太陽の光を遮ってたった”誰か”の顔は、逆光で見えない。髪が長いようだけど、少しかすれたような声は、確かに少年のそれだった。
差し出された手を取って、立ちあがる。ずきん、と嫌な感じに痛んだ足は、気にしない。
「あ、ありがとうございました」
「いえいえ。それより大丈夫? だいぶ強く引っ張っちゃって…ごめんね。痛くない?」
「大丈夫、です」
「そう? ならよかった」
立ち上がると、助けてくれた少年はにこっと笑った。
ようやく顔が見えた。さっと、無意識に少年を観察してみる。
背が高い。並んで立って見ると頭ひとつ分くらいは違う。身に付けているのは、制服だろうか。黒のズボンと、白いワイシャツ。
髪は肩につかないくらいの長さ。長いと思ったけれど、単に量が多く、ぼさぼさだっただけだった。肌は健康的に日焼けしていて、黒い髪とちょうど良い感じだ。
懐かしいような気がして、じっと見つめて見る。
誰だろう…似たような人を見たような。
「あっ」
思わず声が出た。
兄貴、だ。黒い髪、黒い瞳。優しい笑顔。
兄貴はもっと驚くくらいに真っ黒で、笑顔もこの少年ほどに元気そうな感じ、というよりも穏やかな感じだけれど。
「どうかした?」
「いえ…」
言いかけて、口を閉じた。兄貴に似てた、なんて、初対面の少年に言うことではないような…。
俺は昔から人付き合いが下手だ。変なことを口走ったり、話せなかったり。そもそもの理由は、人見知りがひどくて緊張しすぎるからなんだけど。
「なんでもないです」
俯きそうになるのを堪えて、俺は真っ直ぐ目を見て答えた。
少年は、少し真面目な顔で俺を見返して、またすぐに微笑んだ。今度は、穏やかな感じの微笑み。
「君、ここは初めて?」
「え、あ、はい」
「じゃあ、仕方ないね。ここ、階段あるんだよ」
「…え」
にこにこ笑いながら、少年は海の方を指差した。指差す先は、同じように切り立った崖…じゃ、なかった。ほんのわずかだけれど、コンクリートのような灰色のものが見えたような…。
駆け寄って、見る。階段が海岸まで続いていた。
「うわー…」
おもわずため息が出る。
「ちょっと見ただけじゃわからないんだよ」
「本当に、すいませんでした」
素直に頭を下げる。雰囲気が兄貴と似ているからだろうか、話しやすい。
「ううん。でも、君が怪我しなくて本当によかった」
微笑んだ少年につられるように、俺も軽く微笑む。驚いたように、少年の表情がかたまったのは…気のせい?
「じゃあ、俺、学校あるから」
そういって背を向けた少年は、動きを止めて振り向いた。
「俺、二ノ宮海都。海に、都心の都って書いて、かいと。
…君の名前、聞いてもいいかな?」
「あ…と、瀬名睦月、です」
少年、海都さんはにこっと笑ってから、時間に余裕がないのか、腕時計を見て、慌てたように走り去った。
それを見送ってから、俺はゆっくり階段を下りていった。


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