エアル(春)にはタロ(芽生え)とタレイア(花盛り)の祝祭を。
テロス(夏)にはアグライア(輝き)の晃夜祭を。
プティノポロン(秋)にはカルポ(収穫)とエウプロシュネ(喜び)の舞踊祭を。
ケイモン(冬)にはステュクス(誓いの女神)の聖水で禊の儀式を。
我ら(人間)の中から生まれし神の代行者を選ぶため、季節は巡りめぐる。
100巡目のケイモン(冬)に、ステュクス(誓いの女神)の河へ行けるのはただ一人。
我ら(人間)は作る。
神に等しき者たる資格を勝ち取るため、石を喰らう子供らを。
石に喰われる子供らを。
まだ肌寒さの残る風が、まっすぐに草原を駆け抜けた。
一台のバイクが曲がりくねった一本道を、スピードを落とすことなく逆走してゆく。夜の帳が下りてしばらく、暁の予兆がもうじきかと思われる時刻。辺りには街灯もないと言うのに、危なげなく疾走している。
運転手は暗闇の背後をミラーで確認しながら、尚もライトをつけようとはしない。
心臓が破裂しそうになる。
緊張と恐怖、不安と安心を渇望する思いに、気持ちは焦りをましてゆく。
―――来たよ!
「!!」
頭に響いた声に弾かれたように振り返る。
「…っ」
視界の隅に、車のライトが見えた。
一本道では、逃げる先は前しかない。
―――早くっ。
―――はやく!
―――急いで、急いでっ!
促されるまま、最速でバイクを走らせた。
車は時々ライトを広げたり、伸ばしたりして辺りを探る。見つかる前に、夜が明ける前に、草原を抜けなければならない。
―――こっちへどうぞ!
―――こちらへどうぞ。
―――こっちにおいでっ!!
声は幾重にも重なり、バイクを案内してくれる。
草原のざわめきが、風に従って合唱する。
心臓の音が、ヘルメットの中を木霊する錯覚。
―――もうすぐですよ、我らのクロリス。
そしてその言葉の言うとおり、バイクは国境を越えて草原を抜け出した。
その日、ありえないことが2つ起こった。
春が訪れたばかりの丘に、騒々しいエンジン音が響き渡る。
綺麗な制服をきっちり着こなす生徒達がその音に振り返ってみると、厳ついオートバイが艶やかな黒いボディに朝日を反射させながら、横をものすごい勢いで駆け抜けていった。
「なんだ、あれ…」
誰もがそう思ったに違いない。
普通の学校ならば不良だの暴走族だのがいたとしても、そう気をとめる事も無いだろう。ただ関わらないように、目を合わせないようにすればいいのだから。
しかし、ここは違う。
ある条件を満たした者しか入れない―――否、その能力を持つものが集められた教育施設であるため、不良じみたものがいたとしても、近隣の迷惑になるようなバカな真似はしないし、出来ない。
そんな命知らずなこと、出来るわけが無い。
では、朝っぱらから生徒達の通学路を猛スピードで駆け抜けるあのバカはだれだ?
穏やかな日常が約束されているかのように見えるこの学校で、新学期早々、ありえないことが起こっていた。
これが、一つ目。
ほぼ毎日、通り過ぎる生徒の制服を見ながら挨拶するだけの風紀委員が、ふと眠そうな顔を上げた。
この学園に入って、(バイクのエンジン音が初めてとは言わないが、それでも)初めての朝もやを吹き飛ばす轟音を耳にして、顔をしかめる。
「カーシュ、この音って?」
「…バイクだな。多分」
困惑を隠せない少年が、傍らの友人に尋ねる。
その友人が車やバイク、飛行機にまで詳しい事を知っているものは多い。そのため、少年以外にも彼の意見を待っていた委員が視線を送ってきていた。
「バイクって、もう少し静かなんじゃ?」
「この音はわざと大きく聞こえるように細工されているものだ。町で暴走族の走る音ぐらい、聞いたことあるだろ」
なるほど、と少年は納得して頷いた。
「…誰だろうね。ここに入ってきたら、即行先生に捕まるだろうなぁ」
カーシュは無言で同意を表す。
一体どこの誰かは知らないが、と胸中でため息を吐く。
(仕事を増やされるのはご免だな)
入ってきたバイクに声を掛ける事は、絶対に自分ではしまいと決意した。
そこへ、耳を叩く音が校門を潜った。
黒のボディはいっそ気品があるとも取れるが、その形はレーサーの扱うそれのようではないか。
しかもシートの横のスペースには、ご丁寧に―――。
「ライフル…っ!?」
急ブレーキで停止したバイクを目前にして、少年が上ずった声を出す。
いくら銃の保持が認められているとはいえ、教育施設に、しかも朝の登校ラッシュ時には衝撃的過ぎる装備だった。
運転手はバイクに跨ったまま、片足を地に付いていた。
肩が激しく上下しているようにとれる。息が上がっているらしいその人物は、学校の校舎正面の大時計を見上げて、時間を確かめたらしかった。
風の抵抗を受けない黒のスーツが全身にぴったりと張り付き、白と青のノースリブのベストを着ていた。バイクの割には、意外と華奢な体型に見える。
風紀委員が唖然として、声をかけるとこを躊躇っている時、運転手が不意にカーシュを振り向いた。理由はない。
ただ一番近かったというだけで。
「……」
「カーシュ…?」
どうしよう?優しい印象を与える少年は、不安そうにこちらを見上げてきた。
関わりたくないと、たった今願ったばかりだったというのに…。
カーシュはため息をついながらも、自分の職を全うするという勇敢な判断を下して、一歩前へ歩み出た。
この迷惑な運転手に、内心毒を吐きながら。
「バイクでの登校を規制する校則は無いが、登校中の生徒の安全性と騒音による周囲への迷惑を考慮し、問題有りと判断するが、依存はないか?」
すると、運転手の首が倒れる。
きょとんと首を傾げる仕草のようだが、思ったより子供っぽい反応に、カーシュは眉を寄せた。
「君は生徒か?それとも部外者か?どちらにせよ、教師の前へ出て行ってもらうが」
すると、今度は手のひらに拳を押し付けた。
解釈としては「あ、そっか」でおそらく合っていると思われるが。
カーシュは何かに合点が言ったらしく、
思わず苦笑した。
「カーシュ…?」
それを認めた少年は、ワケが分からないとさらに困惑するが。
彼は笑みをかみ殺して、先より穏やかな口調で告げる。
「ヘルメットを取ってもらわないと、声が聞こえないぞ?」
「あ」
少年は目を見開いて、運転手を見る。
普通なら聞こえてもいいのかもしれないが、エンジンの轟音と警戒して距離をとっていいるために、声が届かなかったのだろう。別にジェスチャーで意思表示していたわけではないらしい。
驚いたのだろうか、少しの間硬直した運転手は、やがてグローブを外してヘルメットを押し上げて外した。
「―――…」
ゆっくり上がってゆくヘルメットの中から、鮮やかなカーキ色の長髪があふれ出した。
春の風に流れて、現れた白い肌を生えさせる。
綺麗な萌黄の虹彩が、少し照れたような表情の中で輝いていた。
上がった息に、上気した頬がうっすら赤い。
幼さの残る成長期の少女の容貌が、まっすぐにカーシュに向けられた。
「ごめんなさい」
彼女は、バイクに絶対似合わない。
驚きの中で、カーシュはそう思っていた。
「登校時間わかんなくて、焦りました…。転校初日に、遅刻はしたくなかったものですから」
彼女はバイクのエンジンも切って、シートから完全に降り立った。
「国境越えるまで追われてたので、こんな格好のままなのですが…」
満面の笑顔が、朝日に照らし出されていた。
「校長室は、どこでしょうか?」
これが、二つ目。