ファントム・ペイン


1 :日原武仁 :2007/08/13(月) 11:48:24 ID:ocsFWGV4

 こんにちは、日原武仁です。
 旧小説広場からの引越し&投稿再開です。
 楽しんで頂ければ幸いです。


2 :日原武仁 :2007/08/13(月) 11:49:29 ID:ocsFWGV4

ペイン

 俺は大沢由梨が好きだ。
 腰まで流れるさらさらの髪にぱっちりした瞳に通った鼻筋。成績も優秀で運動も出来る。しかもそういったことを鼻にもかけず、誰とでも気さくに話し合うし、面倒見もいい。かてて加えて、何代も続く由緒ある貿易商のお嬢様ときては、健全な青少年が憧れないほうがおかしいだろう。
 とある情報筋によれば、彼女のファンクラブ『星屑の園』は――校長も入っているという評判だ――円海高校でダントツ一位の規模を誇り、大沢さんに告白した人数は今月だけでも男子十九人、女子四人にものぼっている。ちなみに、彼ら彼女らは全員玉砕している。
 容姿端麗、品行方正、完全無欠の大沢さん。
 そんな彼女と俺じゃ釣り合うわけないよなぁ……と、何も行動を起こさずただ眺めているというのが大沢さんに対する俺の日常だった。
 だが、そんな日常は三日前に終った。
 俺は見てしまったのだ。大沢さんの携帯のストラップ――“ペイン”を。
 そう、彼女は俺と同じ“ファントム”なのだ。
 俺は一種の認知障害の病気にかかっている。正式名称は非常に長く、面倒くさいので覚えてはいない。要は現実を現実として感じられないというか。これは夢だな、と思ってみている夢で生活しているというか。夢を第三者の視点で常に見ているような感覚が付きまとっているというような症状だ。この病気の発症者のことを“ファントム”と呼んだ。
 日常生活に支障は無い。ただ人よりも外部からの刺激……特に痛み対しての反応がかなり遅いというのがあるくらいだ。そしてこのまま放置しておくと無痛症となり、精神活動も衰え、最終的には動くこともままならなくなるらしいのだが……まだそこまで病状が進んだ者は確認されていないらしい。
 この病気の治療法には様々なものが考案され、その中にはゲームもあった。
 “ファントム・ペイン”。
 全世界1000万人がプレイするオンラインゲームだ。ここには“ファントム”専用のサーバーがあり、様々な情報交換や治療が行われる。このサーバーへのアクセス権を“ペイン”と呼んでいる。
 そして、大沢さんは“ペイン”を保持していた。
しかも目に付く形で。
 これは不思議なことではない。言い忘れていたが、実は俺もカバンに付けている。要はみんな不安なのだ。治療法も確立されていない病気にかかり、いつか何かがおかしくなってしまうんじゃないかという、漠然とした恐怖が拭いきれない。だから仲間を求め、探すのだ。だから一緒にいたいと思うのだ。
 現実が夢としか捉えられない、常に幻の中にいる俺たち――“ファントム”にとって“ファントム・ペイン”こそが現実なのだから……
 今日も俺はディスプレイの前に座り、パソコンを立ち上げる。
 ああ、そういえば昨日、大沢さんとメンバーアドレスを交換したんだった。メールを打とう。そして話そう。一緒に冒険してもいい。唯一の現実世界だ。楽しまなくては意味が無い。
 俺はログインする。そしていつものように架空世界の現実に身を躍らせた。


3 :日原武仁 :2007/08/20(月) 18:07:12 ID:PmQHQJsG

片方だけの翼

「きゃっ!」
 短い悲鳴に続いて何かが地面に落ちる音がした。
 そちらに目をやれば地面に倒れ、どこか苦しそうなユリの姿がある。《麻痺》状態であり体力ゲージは半分にまで減っていた。
「……よくもやってくれたなぁー!」
 叫び、俺は槍を大きく振りかぶった。と、同時。全身が紅い光に包まれた。コーヘイの《攻撃力倍化》の補助魔法だ。
「うおおおおおおぉぉー!!」
 裂帛の気合を込め、思い切り槍をサラマンダーへと叩きつけた。



「片翼の天使像?」
 “ファントム・ペイン”にログインし、ホームにしているルートタウン――仲間と待ち合わせをしたり冒険に必要な物を買い揃えたり余分なアイテムを預けたりするセーブポイントのような場所だ――に来て早々に告げられた言葉を俺はオウム返しに繰り返した。
「そう! 今日のマンスリーイベントのアイテムがそれなんだよ!」
 マンスリーイベントとはその名の通り、月一回行われる限定イベントのことだ。イベント毎に違うアイテムが用意されており、十二個全部集めると十三番目のイベントに参加する資格が得られるらしい。
「くぅ〜。今回もレアハンターの血が騒いじゃうよっ!」
 隣りに座る盗賊の――本人はレアハンターと言ってきかないが――少女は顔を輝かせて嬉しそうに手をばたばたさせた。
 いつも思うことだが彼女――ユリはよく動く。活発な小動物のようなモーションが多いのはよほど作り込まれている証拠だろう。プレイヤーである大沢さんは意外に凝り性のようだ。
(何にでも真面目に取り組む大沢さん……。うん。やっぱりかわいいよなぁ……)
 真剣な顔でディスプレイを見つめ、PC作りに専念する大沢さん。時々、モーション研究のために鏡の前に立ってはユリと同じ仕種をしてみたり…… 
 ……ちょっといいかもしれない。
 そんな彼女の姿を想像し、心なし口元がゆるんでしまう。 
「あぁー、シュージ君。またそういう顔をするぅ……。また私のこと子供だとか思ってるんでしょう?」
 どこかむくれた顔で言う大沢さん。
 しまった。にやけた口元が『顔』に出てしまったようだ。
 “ファントム・ペイン”は専用のディスプレイを使ってプレイする。ボイスチャット用のマイクが付いたそれはFMD(フェイス・マウント・ディスプレイ)と呼ばれ、顔半分を覆う大きなのゴーグルの形をしている。これにはある種の電極が内蔵されているらしく、脳波や顔を動かす筋肉の微細な電気信号を読み取り、その表情をキャラクターに反映させるという機能があった。だから時折り、こういう思考がだだ洩れしてしまうような表情が出る訳だ。
「い、いや。そんなことはないよ。本当に大沢さんはこのゲームが――」
 そんな言い訳じみた俺のセリフは唇に置かれた大沢さんの人差し指によって中断された。
「……『大沢さん』じゃないよ。私は『ユリ』だよ」
 子供を優しく叱る母親のように、大沢さ――ユリは言う。
 “ファントム・ペイン”をプレイする“ファントム”には共通した特徴がある。それはゲームのキャラクターに自分の名前を付ける、ということだ。
 ネット上に別人格を作り上げるのが世間一般の、もはや常識と言っても良いくらいなのに対し、俺たちはその真逆――ネット上に自分自身を作り上げる。もっと言うなら“ファントム・ペイン”の世界に自分を存在させようとするのだ。
 だから大沢由梨のPCは盗賊・ユリであり、俺の――川上修司のPCは槍使い・シュージなのだ。
 だけどやっぱりゲームはゲーム。そこにユリのような微妙なこだわりを持つ者も大勢いる。
「ああ、ごめん。つい、ね。次からは気を付けるよ。……ユリ」
「よろしい」
 どこか偉そうにユリは胸を張って見せた。
「でも、ユリは俺のこと学校でも『修司君』て呼ぶよね? で、こっちでも『シュージ君』。何か変化が欲しいな」
「うーん……、そう言われても……」
 ユリは困ったように眉根を下げ、首を小さく傾げた。そんな彼女に俺は提案するように人差し指を立て、
「じゃあ、こうしよう。ここでは俺のことは『ご主人様』と呼ぶ――」
 にこやかに語る俺の舌は凍りついたように動かなくなる。俺のほんの数センチ横の地面に何本ものダガーが突き刺さったからだ。
「シ・ュ・ー・ジ・く・ん」
 語尾にハートマークが付いていそうなくらい甘く優しい声。その顔を彩るのも輝かんばかりの笑顔。ああ、まさに地上に舞い降りた天使とは彼女のことを言うのだろう。だが、しかし。……彼女の背後に鬼神すら裸足で逃げ出しそうなオーラが立ち昇っているのは俺の気のせいだと信じたい……。
「……いっぺん、死んでみる?」
 ――すいません。地獄送りは勘弁してください……

 
 こんなホホエマシイやり取りの後、冒険仲間の呪文使い・コーヘイと合流し、マンスリーイベントへと俺たちは向かった。



 俺の渾身の一撃は今まで削りに削ったサラマンダーの体力ゲージを遂にゼロにした。マンスリーイベントのラスボスは全身を灰色へと変じ、砂の城のように一気に崩れ落ちた。
 灰の山から愛槍を引き抜き、すぐに俺はユリへと走る。すでにコーヘイがアイテムを使い、彼女を回復させている最中だった。
 ほどなくして、全ステータスを完全回復したユリが小さく息を付くのが聞こえた。
「ユリ、大丈夫か?」
 すぐ側に膝をつき、彼女の顔を覗き込む。
「う、うん。まだちょっと痺れてると言うかひりひりするけど全然平気だよ」
 ポーズを取り、笑顔を見せるユリ。心なしかその表情はつらそうに見えた。
 “ファントム”が“ファントム・ペイン”を現実だと口を揃えて言う理由がこれだ。
 PCが受けたダメージをそのまま自分自身の痛みとして感じ取ってしまう――ありえない痛みをリアルとして感じてしまうのだ。
 極端な自己暗示。行き過ぎた同一性。不可解なまでの同化性等、仮説は山ほど出てくる。しかし原因は今だ不明のままだ。しかも痛みを感じるのは“ファントム・ペイン”だけであり、他のオンラインゲームや普通のゲームでは一回もこの症状は表れなかった。
 文字通りの幻痛(ファントムペイン)の世界。それが俺たちの“ファントム・ペイン”。
 この現象が起こると分かった当初、俺たちは“ファントム・ペイン”を禁止するよう医者から言われた。だが、俺たちは無視した。誰一人としてログインすることを止めなかった。
 理由は単純にしてたったひとつ。
 俺たちにはここしかなかったからだ。ここだけが自分と言う存在を感じられる場所だったからだ。
 曇りガラス越しに見ているような風景。
 水の中にいるように聞こえてくる音声。
 全てが薄い膜に包まれたような感覚。
 空に浮いているような、ひどく現実感に乏しい世界を生きる俺たちにとって、ここで感じる痛みこそが存在を感じさせてくれる――まだ人間であると教えてくれるのだ。
 そしてそれから紆余曲折あり、治療という名目で俺たちはここにいられるようになった。
「ほら。そんな情けない顔しないの。せっかくの男前がだいなしだよ?」
 からかうようにユリは笑い、しっかりした足取りで立ち上がった。
「イベントクリアー! さあ、愛しのレアアイテムちゃんはどこかしら、と。……あ、見っけ!」
 言うなりユリは駆け出した。なるほど、確かにもう元気なようだ。
「急がなくてもアイテムは逃げないよ」
 俺も彼女に続き、アイテムの目印である蒼い正八面体に向かって駆け出した。




「イエーイ! レアアイテム、ゲットォー!!」
 メニュー画面のアイテム欄に片翼の天使像を収めたらしいユリは右拳を天に突き出し、全身で喜びを表していた。
「ふう。これで六個目。ようやっと折り返しか……、ん?」
 呟きながら手に入れたアイテムを確認していた俺は思わず不審そうな声をあげてしまう。
「どうかしたの?」
「いや、これって特殊アイテム欄に入るんだよね? でもこいつ……通常アイテム欄に名前が書いてある……」
 基本的にいつでも使えるのが通常アイテム。それに対し、限定イベントでの賞品とか、ある一定の条件が揃わなければ発動しないアイテムが特殊アイテムなのだが……
「あ、本当だ……。バグかな?」
「そんな嬉しそうに言わないの。はてさて、どうしたものか……」
「簡単だ。使ってみればいいだろう」
 不意に背後から声が響いた。コーヘイだ。
「試しにユリ、使ってみろ。アイテムが無くなってしまったらおれのをやるから問題はあるまい」
「そう? じゃあ、ちょっと使ってみようかしら」
 言うが早いかユリの動きが一瞬止まる。きっとアイテムを選択しているのだろう。
「じゃあ使うよ〜」
 ユリが宣言した瞬間だ。

 ――世界が全ての色を失った。
 
「な、なんだ……?」
 いきなり無彩色の世界に放り出された俺は呆然と呟き、慌ててユリの方を見た。
 そこだけに色があった。
 純白の布を身体に巻きつけたような衣装を纏う、波打つほどに長い金髪の女性。その彫刻を思わせる優雅に整った顔は憂いに染まっていた。
「………………」
 彼女の唇が動く。だが、何を言っているのか聞こえてこない。
「………………」
 彼女は言葉を紡ぎ続ける。必死に何かを伝えようとしている。しかし、俺の元まで届いてこない。
「………………」
 彼女は口を閉じ――最後に小さく笑った。それは切なく哀しく、俺の心にわずかな痛みとなって響いた。
 彼女は白い光に包まれる。そして俺は見た。彼女の背後の大きな翼を。右にしかない白鳥のような白い翼を。
「ま、待ってくれ……!」
 思わず俺は呼び止めていた。どうしてだか分からない。ただそうせずにはいられなかった。
 光はどんどん強くなる。もう彼女の姿は輪郭しか分からない。
「待って……!」
 俺は叫んでいた。そして少しでも近付こうと手を伸ばし――
「……ジ君! シュージ君てば!」
 はっと我に返る。
 何だ? ……俺は何をしていた?
「どうしたの、シュージ君? 急に止まっちゃって……」
 あやふやだった視界が焦点を結び……ユリがすぐ目の前にいた。
「ユ、ユリ……?」
「うん。大丈夫? さっきの光すごかったもんねぇー。私もまだ目がちかちかしてるもの」
 でも像が消えなくて良かったよ、と付け加えるとユリは何回か瞳を瞬かせた。
「なあ、さっきのって一体……」
「なんだろうね。あ、きっと限定イベントも折り返しだから、その記念のための花火みたいなものかな?」
「記念……。その割には凝ってたよな。あんなグラフィックまで用意するなんてさ」
「グラフィック? それ、何の話?」
「え? 何って……いただろ? 片方しか羽根の無い天使みたいな女の人が……」
「シュージ君こそ何言ってるの? あれ片翼の天使像が光っただけだよ」
 ……何だって? 像が光っただけ? じゃぁ、……何か? ユリはあの白黒の世界も、金髪の女性も見てないっていうのか?
「あれじゃない? 光があんまりにも強かったからわたしのシルエットが天使に見えたんじゃないのかな? もう、シュージ君のエッチ」
 どことなく嬉しそうで、何となく恥ずかしそうな表情でユリがそんな軽口を叩く。が、彼女の声は耳に入っても脳には届いてこなかった。
 どういうことだ? 訳が分からない。俺だけなのか……? 
 ちらりとコーヘイの顔を見た。俺たち二人のやり取りが聞こえていたのだろう。彼の顔にはやれやれというか、何を言っているんだかとでも言いたげな表情が張り付いていた。
 俺だけらしい。俺だけが――彼女と出会ったのだ。
 バグ……、だろうか? もしそうだとするならば――ただのバグがあそこまで演出したものを作り出せるのだろうか? 偶然? それにしては出来すぎだろう。じゃぁ、あれは一体……
「おーい、二人とも。一度ルートタウンに戻ろうよぉ!」
 街へのゲートを開いたユリが手を振りながら呼びかけてきた。
「……あ、ああ」
 釈然としないものを抱えながら、俺はコーヘイと共にゲートへと向かった。


4 :日原武仁 :2007/08/23(木) 19:20:20 ID:PmQHQJsG

天文部へようこそ!

「と言う訳で。お月見を決行します!」
 凛々しく高らかに宣言する副部長である木月先輩に向け、俺は挙手して意見する。
「その前に『と言う訳で』の説明をして下さい」
 黒板前の教卓に奮然と立ち、部員を睥睨していた副部長は豪然と言い放った。
「わたくしがしたいからですわ!」
 臆面も無く、堂々きっぱり断言された。
 想像していた答えと一語も違わない回答に、この部に入って何度目か……それも数えたくないほど重ねたため息をついた。
 時は放課後。場所は天文部部室。俺の所属する部活動はまたもやこのお嬢様副部長――木月恭子(きづき きょうこ)の一言で決まったしまったのだった。
「部長。よろしいですわよね?」
 言いながら先輩は窓へと目を向ける。彼女の視線の先では窓辺に座り、静かにお茶を飲んでいた部長がどこかぼんやりとした眠そうな目で遠くを見つめ、
「うん。いいねぇ……。お月様の下でお茶を飲んだらきっとおいしいだろうねぇ……」
「当然ですとも。僭越ながらこのわたくし、木月恭子が最高級のお茶をご用意致しますわ。どうかご期待下さいまし!」
「うん。楽しみだねぇ……」
「はい! おまかせ下さいませ!」
 太陽のような笑顔で嬉しそうに木月先輩は言う。今日も部長に対する先輩の愛情は熱い。もっとも、いつもあんな感じの部長に彼女の気持ちが伝わっているのかは怪しいけれど。
「今日の木月ちゃんも部長にラブラブだね」
「ラブラブだよ」
「……まあ、いつものことだからな」
 甲高い女子の声に気だるそうな男子の声が続く。
 二年の麻生優希(あそう ゆき)、麻生優美(あそう ゆみ)の双子の先輩。そして同じく二年の神杉雅弥(かみすぎ まさや)先輩だ。ちなみに、木月先輩も二年生で部長が三年。部長は名前を榊原貴志(さかきばら たかし)と言う。
 そして一年の俺――川上修司とあと一人が加われば天文部の全員が揃うんだが……
 と、その時だ。部室の扉を開け、女生徒が姿を現した。
「お、遅れてすいませんでした……」
 頭を下げる彼女に木月先輩は微笑みかけ、
「待っていたわ、由梨さん。早く席に着いて」
 と、席に着くよう促がした。大沢さんは素直に頷くと俺の横の席に座る。
 ふふふふ……。何を隠そう実は俺――大沢さんと同じ部活だったりします。おっと、始めに断っておくけど、大沢さんが目当てで入った訳じゃないぜ? なにせ俺が先に入ってて後から彼女が入部してきたんだからさ。
 しかも、しかもだぜ? 俺が“ファントム”だと知り、一緒に“ファントム・ペイン”を冒険した翌週に大沢さんが天文部に入部届を出しにきたってことは……ちょっと期待してもいいかな、とか思わないか? 
 ……なんてね。実際、大沢さんにそんな気持ちはありはしないさ。俺達“ファントム”は仲間を作りたがる傾向……一緒にいたいと思う気持ちが強いからな。ある意味本能的なところからくる行動の結果でしかないんだろうけど。
 でもさ。大沢さんと一緒にいられる時間が増えるのを手放しで喜ぶくらいは構わないだろう?
「これで全員揃いましたわね? 確認の意味も込めて繰り返しますわ。今週の土曜日、午後の七時にお月見会を行います。詳しい準備等は追って連絡しますから今日はこれで解散とします。部長、よろしいですわよね?」
 弾んだ声で聞く木月先輩に部長は舟でも漕いでいるような動きで頷いた。
「はーい。部活しゅーりょー。優希ちゃん。これから何しようか?」
「うーん……。パフェでも食べて帰らない? あ、そだ。神杉くんも一緒に来る?」
「……おれは甘いものはあまり……」
「だーいじょうぶ。そのお店には激辛パフェもあるんだよぉ? 甘い物が苦手の人もばっちりフォロー!」
「……じゃ、行くか……」
 行くんですか!? と思わずつっこみを入れたくなる会話をしながら麻生・ツインズ・先輩と神杉先輩は部室を出て行った。
「戸締り、お願いしますわね」
 声の方に振り向けば、木月先輩と部長が並んで部室を出るところだった。
「ごきげんよう〜」
 本当に機嫌よさそうにして木月先輩は部長と共に帰って行った。ああして一緒にいる所を見ると、部長は何も言わないがきっとまんざらでもない気分なのだろう。……あの緩んだ顔からは全然判らないので完全な俺の推測だけど。
「……お月見かぁ……」
 ぽつりともれた呟きに目を戻せば、大沢さんが夢見る少女な表情を浮かべていた。
「楽しみだね、修司君」
「……そうだね。楽しみだ」
「うん!」
 強引に副部長が決めた行事だけど、大沢さんの笑顔が見られたからこれはこれでいいことだ。


5 :日原武仁 :2007/08/26(日) 22:50:14 ID:ocsFWGV4

見上げる月のある空で

 あっと言う間に月日は過ぎて。今日はお月見会の当日だ。
 天気は晴れ。初夏の夜は涼しくて月見には絶好の日和。学校の屋上に設けられたお月見会場――コンクリートの床の上に運動会なんかで使う青いシートを三重に敷き、その上の折りたたみ式の机と座布団を置いただけのものだが――には天文部が揃い、各自のコップには色取り取りのジュースで満たされていた。
「細かい挨拶は抜きで参りましょう。お月様と皆さん全員に……乾杯ですわ!」
「かんぱーい!」
 木月先輩に続き、部員全員が唱和する。唇を軽く湿らす程度に口を付けると、各自コップから箸に持ち替えた。
 机の上には和洋折衷に中華を含め、様々な料理で埋められていた。これらの大半は部長と神杉先輩の二人が作ったものらしい。神杉先輩は自宅が中華飯店だから分かるとしても、部長はどういう経緯でこれだけのものを作るスキルを身に付けたのだろう?
「さすが部長ですわ。このおでんの絶妙な味加減! 天才的ですわ」
「いやぁ……。木月君が手伝ってくれたからねぇ……」
 何かを口にする度に感嘆の声を上げる先輩に、部長がマイ湯のみでお茶をすすりながらふらふら身体を揺らしながら答えていた。
 料理を作るとき、女性陣も手伝った。が、あまりの二人の手並みの良さに何も出来ず、ご飯を炊いておにぎりを作ることしか出来なかったらしい。大沢さんの手料理が食べられるかも! と少なからず期待していたんだが……非常に残念。なので目下のところ俺は大沢さんが握ったおにぎりはどれだろうと探索中だ。ああ、ちなみに俺は会場の設営と飲み物の調達係担当だった。結構なハードワークだったことをここに記しておく。

 ……変化が現れたのはお月見開始から一時間くらいたった頃だろうか? きっかけは優美先輩だった。
「いやー! 楽しいねぇ! 北上くん?」
 そう言っていきなり背中から抱きつかれた。その急激な勢いを殺しきれず、俺は手にしたウーロン茶をこぼしてしまい――その飛沫が前に居た優希先輩にかかってしまった。
「あ、すいません。先輩。すぐに拭きますから」
 言って俺はポケットからハンカチを取り出し……一瞬迷ったが先輩のスカートに手を伸ばした。
 いきなりだ。何の前触れも無く優希先輩が泣き出したのだ。
「あーん! 汚されちゃった……汚されちゃったよぉ! もうお嫁にいけないぃー!!」
 はい? ちょ、ちょっと待って下さいよ? 俺がこぼしたのはウーロン茶ですよ。しかもほんの二、三滴くらいですよ? どうしてそんな話になるんですか!?
「あーあ……。やっちゃったね、北上くん……。専門用語で言うところの若気の至り、てやつ? これはもう責任を取るしかないねぇ……」
 さっきよりも身体を密着させて背中から顔を出し、ニヤニヤニタニタ笑いながら優美先輩が言ってくる。
 ……先輩ってあれですね。小柄ながらにけっこうあって背中が微妙に気持ち良――じゃなくて! あー、でも先輩の熱い吐息が頬に当たって何というか――酒くさい……
 誰だよ!? 酒なんか持ち込んだ奴は! てことは優希先輩が泣いているのも酒が入っているからなのか……? 飲んだのか飲まされたのか分からないけど……味で気付いて欲しかった……。と嘆いても後の祭り。俺の立ち位置はかなりまずい。
 眼前には赤ちゃんのようにひたすらにエンエン泣く優希先輩。
 背中にはチェシャ猫のようにひたすらニヤニヤ笑う優美先輩。
 両極端な双子――しかも酔っ払い――に挟まれ、どうしたものか困り果てる俺に、横合いから力強い声が響いた。
「……どうした。何かあったのか……」
 声の正体は神杉先輩だった。これ幸いとばかりに助けを求める。
「あのね。北上くんが優希ちゃんをお嫁に行けなくしちゃったから責任を取らなきゃー、て話をしてたんだよ」
「ち、違いますよ! ただ俺は優希先輩にウーロン茶をこぼしてしまっただけですってば!!」
 人聞きの悪いことをさらりと言われ、俺は必死になって真実を伝えた。
「……そうか。分かった……」
 重々しく頷くと神杉先輩は持っていたコップの中身を一気に飲み干し、
「……それならば男らしく責任を取るしかないな……」
 だめだー! この人も全然分かってないぃー! しかもよく見れば左手に『大吟醸・天空』とか書かれた一升瓶を持ってるし。そんでもって今も手酌でもって勝手に飲んでるただの酔っ払いだぁ……。ねぇ、ここ学校の屋上だよね? バレたら相当マズくない?
「もう。さっきからうるさいですわよ。静かにお月見を楽しみなさいな」
 今度こそ天の助け。この時ばかりは木月先輩の不機嫌な声が女神の歌声に聞こえます。
「まったく。静かになさいませんと……わたくし、脱ぎますわよ?」
 は? ええ……と、ですよ? それはあれですか。服には鉛か何かが縫い込んであってそれを脱ぐことによってパワーアップした拳での鉄拳制裁をお見舞いするわよ、という婉曲的な意思表示ですよね?
 かなり前向きに好意的に解釈した――であろう俺は夜の静寂を壊している元凶に目を向けた。
 ……依然として泣き止む気配なし――
 俺は再び木月先輩を見た。先輩はふう、とため息をついた。
「仕方ありませんわね……」
 呟き、セーラー服に手をかけた。そのセーラー服はどこからどう見ても普通の布地にしか見えないものだったので、事ここに到って木月先輩も酔っていると気付く俺。
「ちょ……先輩。止めて下さいって!」
 少し見てみたいような気持ちを振り切って俺は腰を浮かす。が、 
「ダーメだよ。北上くんは私とい・る・の」
 甘い声で耳に囁く優美先輩。それと裏腹な強靭な締め付けで俺は身動き出来なくなっていた。
「止めたまえよ、木月君」
 リボンを外し、セーラー服を今まさに脱ごうとした先輩を制止するどこか芝居掛かった声が響いた。
 木月先輩の肩に手を乗せていたのは……部長だった。
「君が今ここでそんなことを行うのはもったいない。君にはもっと相応しい舞台がある。そう! それは世界だ」
 ……あー、部長も酔っていらっしゃる。なんだろうね。あの妙に熱血な部長と言うのは。そんなノリだからだろうか。木月先輩も瞳にめいっぱいの――洒落じゃないけど――星を浮かべて「がんばります、コーチ!」とかやってるわけですけれど――まあ、80年代熱血スポ根なら放っておいてもいい……よな?
 という訳で再び問題は振り出しに戻る。
「優希先輩。俺が悪かったですから泣くのを止めて下さい。ほら、先輩はどこも汚れてませんし、ちゃんとお嫁に行けますよ。それは俺が保証しますから」
 なだめるように言う俺の言葉に、ぴたりと優希先輩が泣き止んだ。ほ、とりあえずは一安心だ。散々泣きじゃくったせいでアルコールが抜けたとか? いづれにしても正常な思考力が残っていたことは喜ばしい限りだ。
 なんて俺が安堵したのも束の間、次の瞬間には大きな間違いだと気付いた。
「じゃあ……北上くんがお嫁にもらってくれる……?」
 ……何とおっしゃいました? いや、そんな泣きはらした潤んだ瞳と上気した頬なんかと一緒に切なそうに言われるともう、なんと言うか……
「あー、ズルーイ、優希ちゃんだけぇ。じゃあ優美も北上くんのお嫁さんになるぅ」
 そんなことをのたまうと優美先輩はより強く俺を抱きしめてきた。
 二人の美少女に挟まれ、天国な感触と地獄のシチュエーション……俺、もう泣いていいかな……?
 そんな弱気なことを考えていた時だ。今度こそ本当の救世主が現れた。
「二人とも止めてください。修司君が困ってるじゃないですか」
 そう言って割り込んでくれたのは誰あろう大沢さんだった。どういう風にやったのかは分からないが、いつの間にか俺は優美先輩から引き剥がされ、頭を大沢さんの胸元に押し付けるような格好で抱きかかえられていた。
 ……何かいい匂いと柔らかい感触が相まってここはもう天国だね。……まあ、なんとなく酒臭い天国なのはご愛嬌というか知らないフリをするとして……。ああ、畜生!“ファントム”でなかったらもっとこのふわふわ感を実感出来たんだろうに……! この時ばかりは我が身の病気を呪うね。
 俺を抱えた姿勢のまま、大沢さんは二人を睨み、口を開いた。
「それにこれは有史以来から私のものだって決まっているんです! お二人には渡せません!」
 声高に宣言する大沢さん。はて。彼女の言う『これ』とは俺のことであろうか? そんなことは一言も聞いたことのないのだが……? と言うか。大沢さんにとって俺はもの扱いなんでしょうか……?
 そんな大沢さんの主張を優美先輩は鼻で笑う。
「へへ〜んだ。それが私達のものなのは生物の発生時から決まってるんだも〜ん」
 残念でしたぁー、と付け加えて優美先輩は舌を出すと俺を取り返そうと手を伸ばす。
 大沢さんはそれをかわすように身を捻る。
「ならこっちは神話の時代からです!」
「ビックバン以来だも〜ん」
「天地開闢からです!」
 ……お気に入りのオモチャを取り合う子供のケンカみたいになってきたわけだけど。しかしなんだね。二人――正確には三人かな?――に取り合われるのは悪い気分じゃないけれど……俺の意思はどこにいってるんだろうね? あ、あと俺のことを『これ』とか『あれ』とか『それ』と言うのは止めてほしいなぁ……
 喜んでいいのか悲しんでいいのか考えていた俺は、ふと二人が静かになったのでちらりと覗き見る。二人は言う事が無くなったのか、ものすごい顔をしながら睨み合っていた。 
 さぁて、どうしたもんだろうね。問題の事の発端は間違いなく俺なのだけれど、だからと言って俺が何か言ったところで治まる雰囲気でもなさそうだ。このまま取っ組み合いにでもなったらどうしようか……。などと他人事のように本格的に危惧し始めていた時だった。不意に頭を拘束する力が弱まり、その代わりに重圧が加わってきた。 
 何だと思って俺が頭を起こすと――正直、少しばかり呆れたね。双子先輩は折り重なるように横たわり、大沢さんは俺にもたれるような恰好で気持ち良さそうに眠っていたからだ。きっと怒ったせいで一気にアルコールが回ったせいだからだろうけど……
「……はぁあ」
 俺は小さくため息をついた。ぐるりと周りを見回せば起きているのは俺だけで。部長は木月先輩と並んで眠り。神杉先輩は屋上のフェンスに背中を預け、三本の一升瓶に囲まれて寝息をたてている。
 食べて騒いで飲んで寝て……やれやれ、みんないい気なもんだ。どうやら俺だけ貧乏くじを引いたらしい。
 とさ、と何かが倒れる小さな音ともに下半身に重みが掛かる。見やると大沢さんが倒れ、俺の膝を枕にして静かに眠っていた。
 たまにはこんなのもいいかもしれない。彼女の頭が触れている感覚は薄いけれど、その心地好い重みと息遣い、染み込んでくるような温かさは悪く無い。
 初夏とはいえ夜風は身体に悪いだろう。全員を起こして回り、起きなかったら部室から毛布を持ってこなきゃいけない。ま、大沢さんを膝枕して――本当は逆を希望したかったが――間近でかわいい寝顔を見られたんだから、これからの手間は良しとしようじゃないか。カメラを持ってないのが悔やまれるぜ、本当にさ。
「見上げる月のある空で……なんてね」
 どこかで聞いた詩の一文を口ずさみ、俺は綺麗な満月を眺めていた。


6 :日原武仁 :2007/09/03(月) 19:02:20 ID:PmQHQJsG

デッド・エンド・グラウンド

 様々な要因が重なって偶発的にエリアが生成されることがある。それらは不安定であるために数日で消滅、もしくはシステム管理者に消去される。だが稀に不完全ながらも安定し、消去出来ない――あらゆる干渉を受け付けないエリアが誕生してしまう。それがD.E.G(デッド・エンド・グラウンド)だ。確認されたものは八ヶ所あり、俺達は二週間前に発生したというD.E.Gに来ていた。
 ルートタウンとエリアを繋ぐゲートオーブからやたらに長い坂道を登りつめ、到着したのが何の変哲も無い二階建てのショッピングセンターだった。
「ファンタジーな世界に生活感溢れる建物ってのはシュールだな」
「D.E.Gでの建築物は五つ確認されている。いずれも神殿やダンジョンだが……これは何の冗談なのだろうな」
「この世界と現実はどこかで繋がっているんだー、とか考えれば楽しいと思うよ」
 苦笑気味に感想を言う俺とは対照的にコーヘイは真剣で、そしてユリのどこまでも気楽な様子はいつもと変わらない。
「早く入ろうよ。原因探しは運営会社の仕事だよ」
 中が見たくて仕方ないらしいユリに引っ張られ、俺達は探検を開始した。

 

 自動ドアを潜り、無人のレジを抜けたそこは商品棚が整然と並ぶ、特に代わり映えのないものだった。外見も一般的なら内装も普通。違いと言えば陳列されている品物がアイテムだというくらいか。価格は通常の三分の二前後。実際に商売が出来たらこの店はきっと大繁盛間違い無しだ。
 一階を見て回ったがモンスターは一匹も出ず、棚が続くだけで全く持って味気ないので二階へ移ろうとした時だ。階段脇の商品棚の裏側に、何か扉らしきものがあるのを俺は見つけた。
 その事を二人に告げると、俺とユリが見守る中、コーヘイは商品棚に手を伸ばした。
 と、棚は静かにスライドしたのだ。
「うわー! BBSに無い情報だ〜。レアアイテムが隠れてたりしてぇ〜?」
 誰も見つけていない隠し扉……ユリならずともドキドキものの展開だ。
 否が応にも高まる期待の中、現れたのは非常口のような黒い鉄扉だった。コーヘイは折りたたみ式のノブを慎重に回していく。鍵は掛かってないらしく、ゆっくりと扉は開いていき――
「……夕陽?」
 いきなりの光景に呆然となる。俺の眼前では半ばまで海岸線に沈んだ真っ赤な太陽が輝いていた。
 俺は慌てて振り返る。砂浜の向こうは壁のような断崖。やってきた扉はどこにも無く、それがあったと思しき場所にゲートオーブが置かれていた。
「閉じ込められたという訳ではないようだな」
 同じように振り向いていたコーヘイは安堵するような息をついた。
「ん? 何か光ってない?」
 ユリの指差す絶壁の隙間から光がもれて――違う。岩壁に突き刺さった何かが光を反射しているのだ。夕陽に照らされた世界の中、それはなお紅い光を放っていた。
 俺達は頷き合い、きらめく紅光へと歩を進めた。
 


 それは灼熱の炎を思わせる、妙に尖った形の弓だった。ルビーを溶かして作ったような紅玉の弓が夕陽を浴び、濃く紅い影を落としていた。
「……どこかで見たことあるんだけど……?」
 しげしげと眺めていたユリが難しい声を出し、腕を組んで考え込む。レアハンターと称し、あらゆるアイテムに精通している彼女がすぐに思い出せないものか……めがっさ興味あるね。
「“逢魔の弓”……」
 コーヘイが緊張と驚愕で顔を染め上げ、硬いものを飲み込むような声を出した。
「それだよそれ! ふわー、実在してたんだぁ……」
 ぽん、と手を打つユリ。
 ここで少し設定の話をしよう。
 “ファントム・ペイン”のPCの職業は全部で六種類ある。『剣士』『槍使い』『呪文使い』『精霊使い』『盗賊』『拳闘士』がそれだ。これらは世界を救った“六大頂”に由来し、盗賊の元になったのが《罠遣い(トラップマスター)》、《夕闇鬼光(ダブルマインド)》グラガルク。その彼が愛用した弓が“逢魔の弓”だ。この弓は設定グラフィックだけでゲームには無いという話だけど……どうやら存在していたらしい。
「こいつはまた最高クラスのレアアイテムが見つかったもんだ。日頃の行いが良いせい……コーヘイ? なんか顔色が悪いぜ」
 呪文使いの顔は酷く青ざめていた。まるで歴史に存在してはいけない遺跡を見つけてしまった考古学者のようだ。
「……すまない。……あまりに珍し過ぎるものを見たのでな。柄にも無くびっくりしてしまったようだ」
 そう言ってコーヘイは無理矢理笑ってみせた。
「そいつ取りなよ。盗賊しか使えないんだろ?」
 弓の周りを子犬のように行ったり来たりしていたユリは「分かったー」と答えると弓に手を伸ばした。
 弓はあっさりと岩壁から抜けた。そしてすぐに装備したのだろう。彼女の左腕に弓のグラフィックが固定された。
「ふわー! 全部のステータスが20%もアップしてるー!」
 それからユリは「すごい!」を十回くらい繰り返してはぶんぶんと弓を振り回した。
「さて。そろそろ帰るか」
「……そ、そうだな」
 俺の言葉にコーヘイはじっとユリを――“逢魔の弓”を見つめながらどこか上の空で答える。……もしかしてコーヘイ、あれが欲しいとか? まあ、これだけのレアアイテムだから無理も無い話だがそれは諦めてもらうしかない。でも、コーヘイが人のアイテムを欲しがるなんてものすごく意外なことだよな。
 ま、そんなことはどうでもいいか。コーヘイだって人間だ。意外な行動だってすることもあるさ。
 さて、とりあえず今回の冒険はこれで終わりだ。
 はしゃぐユリを呼び寄せ、俺たち三人は夕陽の沈む海岸を後にした。



 ――今にしても思えば、これが全ての始まりだったんだ。ゲームにしてゲームでない。本当の“ファントム・ペイン”のプレイヤーとしての。


7 :日原武仁 :2007/09/14(金) 12:56:53 ID:mmVcokYF

二人だけのソフトクリーム

「はい。お疲れ様。これで今回の定期検診は終了よ」
 須摩子さんは聴診器を耳から外し、くるりと椅子を回転させると俺に背中を向けた。
「いつもの通り悪化もしていなければ回復している兆しも無し。現状維持ね」
 デスクに向かい、カルテに書き込みながらさばさばと言う。曲りなりにも俺は病気で患者な訳だからもう少し気を遣った言い方をしても罰は当たらないんじゃないか? とか思いながらパジャマの上着を直している俺だけれど、今さら言っても仕方ないので結局口に出さないのもいつものことだった。
 俺達“ファントム”は二ヶ月に一回検査を受けることが義務付けられている。前日の夕方から病院に泊り込み、丸一日かけて検査を行う様はちょっとした人間ドッグだ。しかも検査の間はほとんど絶食状態なので育ち盛りの俺としては結構辛い。栄養価は満点だが、味気のない水みたいな流動食だけじゃ食べた気にもならないしな。
 で、その検診を一手に担っているのが目の前にいる白衣の女性――遠藤須摩子さんだ。俺の叔母さん――親父の妹だ――であり、俺の主治医であり、俺の病気の世界的権威でもある。普段は学会だか研究発表だかで世界を飛び回っている須摩子さんだが、検診の時だけは戻ってきて俺や他の“ファントム”の調子を診てくれる。心無い人達は自分の手でデータを収集をしたいからだ、とか言ってるみたいだけど、そんなことはないということを俺は知っているし、本人も気にしてないから問題にすらなっていない。こういうのを歯牙にもかけないって言うんだろうな。一流の大人て感じでちょっとかっこいいな、と俺は密かに思ってたりするんだけど、さすがに恥ずかしくて本人の前で口にしたことは一度も無い。憧れとか尊敬とか深い信頼みたいな気持ちを感じる事は多いけれど、表に出すのはどうにも苦手でいけない。
 須摩子さんは一通りカルテを書き終えたのか、椅子から立つと奥の流し台に行き、お盆に二人分の湯飲みを載せて戻ってきた。
 俺にひとつを手渡し、俺と向き合うように椅子に座るとお茶を一口飲み、何気なく口を開いた。
「そう言えば、修ちゃん。最近好きな子でも出来た?」
 湯飲みに口を付けていた俺は思わず吹き出してしまう。その上気管にお茶が入ったらしく派手に咳き込んでしまった。この状態でお茶を床にこぼさなかったのはまさに奇跡だ。
「ご、ごほ……。ううん……。な、何さ。急に……」
 平静を取り繕うとするが、吹き出した後のそんな演技が通用するわけも無く、どこかしら目元をにやけさせながら須摩子さんは言葉を継いだ。
「いえね? 修ちゃんの“ペイン”からPCデータやログを見たんだけど、ここ一月半くらい特定の人達と潜ってるでしょ? 今までずっとソロでやってたのに変だなぁー、と思って」
 それでカマをかけてみたということか。で、分かり易いほど簡単に俺は引っ掛かったと言う訳だ……
「………………」
 俺は何も言わず、そしてどんな顔をしていいのかも分からず、ただお茶をすすってやり過ごすしか思い浮かばなかった。
「イベントや人数のいるクエストの時くらいでしょ? 組んでたのって? しかもその後はその人達と連絡を取らないのが常だったもの。いい傾向よ。今の修ちゃんは」
 目を細め、須摩子さんは優しい笑顔を向けてくる。と、ふとその愁眉を曇らせ、
「でも、修ちゃん。男同士の恋愛はおばさん、どうかと思うわよ?」
 本日二度目の霧吹きだ。お茶を飲む度に爆弾発言するってことは絶対狙って楽しんでるよ! その証拠にほら、目元が面白そうに弓形になってるし。
 再び咳き込み、赤い顔で涙を浮かべる俺を見て須摩子さんは上品に笑った。
「ほほほほほ。良かったわ。修ちゃんがノーマルで。下手したらうちの直系が途絶えちゃうところだものね」
 かなり飛躍した話をしながら須摩子さんは椅子を立ち、奥の冷蔵庫から箱を取り出すと俺の顔の前に持ってきた。
「ソフトクリームよ。帰ってからゆかりちゃんと食べなさいな」



 須摩子さんの診察室を辞し、泊まっていた病室に戻ると下着と洗面用具と暇つぶしの携帯ゲーム機を一緒くたにカバンに放り込んで荷物をまとめる。ナースセンターで世話になった看護師さん達に挨拶を済ませてエレベーターでロビーに降りる。その時、検査終了の手続きをしようと受付に向かう俺の目がある一点で固定された。
 それは砂漠に突如として現れた緑豊かなオアシス。
 それは焼け野原にひっそりと咲く小さな白い花。
 それは闇夜を切り裂くような鋭くも柔らかい星の瞬き。
 こんな病院のロビーには全然似つかわしくないのに、文庫本に目を落とす姿の何もかもが一枚の絵のように素晴らしい。
 待合室の椅子に大沢さんが座っていた。白いワンピースと上から羽織った薄紫のカーディガンが本当によく似合っている。
 俺は何気なさを装って大沢さんに近付き、努めて気軽さを演じながら声をかけた。
「こんにちは。大沢さん」
 子ウサギのような動作で大沢さんは首をこちらに向けると花のように微笑んだ。
「こんにちは。今日は修司君も検査だったの?」
「そうだよ。今ようやく終ってこれから帰るところ。大沢さんももう終ったんだろ? 誰か待ってるとか?」
 言いながら大沢さんの隣りに腰を下ろす。ロビーの――特に若い男の視線が注がれるのが分かるね。羨望と嫉妬、てやつかな? うん。なかなかに気持ちがいい。
「うん、そう。桂(かつら)さんを待ってるの」
「桂さん?」
 出てきた名前に眉をひそめる。はて、聞いた事の無い名前だな。
「桂さんは……んー、何て言ったらいいのかな? 私の世話係と言うか守ってくれる人と言うか……」
 形の良い眉をハの字にしながら大沢さんは言葉を紡ぐ。
 いやはや。流石と言うか何と言うか。大沢さんくらいのお嬢様となるとお付きの人みたいな人がいるらしい。正直、そういうことを仕事にしてる人を見てみたい気もするが……やっぱりあれかな? 筋肉質で執事を絵に描いたような初老の男性なんだろうか……?
 その辺りのことを聞こうか聞くまいか考えていると、大沢さんは左腕にはめた時計を見た。
「でも良かった。修司君が来てくれて。迎えに来てくれるまであと四十分もあるんだもの。持ってきた文庫本も読み終わっちゃたところだったし。本当、良かった」
 そう言って大沢さんはどこか照れたように笑った。
「そう? なら……これからちょっといいかな?」
 埃をかぶっていた勇気を叩き起こし、俺は中庭へと視線を向けた。



「あ、鈴宮洋菓子店のソフトクリームだ……」
 夕方とはいえ、まだまだ明るい中庭のベンチに俺たちは並んで腰を降ろした。
「有名な店のなんだ」
 やたらに詰め込まれた氷冷剤の中からソフトクリームを取り出し、ひとつを大沢さんに手渡す。
「うん。知る人ぞ知る名店。しかもこのお店のソフトクリームは数量限定でなかなか食べられないの」
 瞳を大きくさせ、頬をわずかばかり上気させて興奮気味の大沢さん。どうやらかなりレアなものらしい。須摩子さんからはゆかりと食べろと言われていたけれど……許せ、妹よ。
 でもあれだな。こういう姿を見ると大沢さんもユリと同じようにレアアイテムに弱いのかもしれない。元は同じなのだからそうなんだろうけれど……やっぱり新鮮さを感じずにはいられない。
 大沢さんが「いただきます」と律儀に小さく言ってから食べ始めるのを見、俺もソフトクリームに口をつける。
 美味い。
 味なんてものは分からないし頓着しない俺だけど……本当のソフトクリームはきっとこんな味なのだろうなと思わせる、そういう味だった。
 俺たちは無言でソフトクリームを舐める。本体を食し、コーンに噛り付こうか思案していると、不意に大沢さんが口を開いた。
「“ファントム・ペイン”は楽しいね」
 独り言のような口調のまま、大沢さんは前を向いたまま言葉を続ける。
「シュージ君もいるし、コーヘイ君やカナデちゃんにマイちゃんにヤマト君や数え切れないみんな。部活も楽しいよね。部長はいい人だし、木月先輩や優希先輩に優美先輩、神杉先輩も優しいし……」
 大沢さんはため息のように大きく息を吐いた。
「きっとこの世界にはもっともっと楽しいことがたくさんあるんだよね。それを全部楽しめたらいいのになぁ……」
 声にはどこか不安めいた響きが混ざっていた。
 俺たちは治療法も延命法も原因すら分からない未知の病気に侵されている。症状にこそ慣れてはいるが、現状を忘れている訳じゃない。今日の検診だってあてになるのかどうか分かったもんじゃないんだしな。
 だからって悲観的になるつもりもさらさらない。最後の一枚の葉を自分で描いてやろうくらいの気構えはあるつもりだ。
「楽しめばいいさ」
 隣りで大沢さんがはっと息を飲んで俺を見るのが気配で分かる。
 俺は視線はそのままで気軽な口調で言葉を続けた。
「違うな。楽しまないといけない。現実感が乏しい俺たちだからこそ楽しまないといけない。幻と現実が織り交ざり、逆転してさえいるのが“ファントム”の認識だろ? 洒落て言えば幻の現実――『幻実』とで言うのが俺たちの世界さ。一般人とは似て非なる世界にいるんだぜ? 楽しまないと損だと思うね」
 心の底からそう思う。どんな状況であれ、俺は生きていくと決めている。なら良い方に考え、楽しくしたいと思ったほうがいいだろう?
「………………」
 大沢さんは無言だった。本心とは言え、ちょっとカッコつけ過ぎたかな……? とか思いながら横目で彼女を見る。
 ……驚いたね。なんと、大沢さんは――泣いていた。
「え、え……? あれ……?」
 目を見開く俺の表情で気付いたのだろう。困惑するような声をあげながら白い指先で目元を拭う。けれど涙は溢れるばかりだ。
「あれ、変だな……。あれ…………」
 瞳からこぼれる真珠のような雫は止まらない。突然の出来事に俺は思考停止してしまい、情けないことに何をしてどうすればいいのか判らなかった。
 と、音も無く大沢さんの前に真っ白なハンカチが差し出された。その先に目を向けると、赤いスーツに身を包んだ美人な女性がいた。
「あ、桂さん」
 受け取ったハンカチで目元を押さえる大沢さんの声音は迷子が母親を見つけたような、そんな安堵を含んだものだった。
「お嬢様。お迎えに上がりました」
 スーツの女性は丁寧に頭を下げた。この綺麗な人が桂さんか。有能な秘書を絵に描いたような女性だ。
「それじゃ、また学校でね」
 大沢さんは涙の止まらない笑顔を俺に向け、桂さんと一緒に歩いて行った。
「……楽しい思い出を作ろうぜ。大沢さん」
 いつか目の前で言えたら良いなと柄にも無く考えながら、彼女の背中が門の向こうに消えると俺はぽつりと呟いた。


8 :日原武仁 :2007/11/10(土) 01:22:42 ID:kmnkzJxn

二人だけのデュエルゲーム

 振り下ろされる巨大な刃を横へ跳んでかわし、着地と同時に槍をリューナへ突き込んだ。女剣士は半身にして避けると大剣を跳ね上げて槍を弾く。空へ持っていかれそうになる勢いのままに後方へ跳ぶと俺は槍を構え直した。同時にリューナも体勢を整え、己の得物を正眼へと構えた。
 3rdD.E.G.“中空画廊”。額縁に入った巨大な絵がいくつも宙に浮かぶ草原のフィールドだ。
 俺達は今、決闘をしている。もっとも、感覚的には格闘もののゲームと同じノリだがな。
 “ファントム・ペイン”はPC同士で戦う事が出来ない。だが、決闘コマンドという例外がある。
 アドレスを交換した者が合意の元にこいつを実行すると、自分と相手以外を攻撃出来なくなる上に第三者からの呪文支援等の外的干渉を受けなくなる。完全な一対一の戦闘状態になり、勝利条件は相手の体力を一にすること。過度なダメージを受けても最低一は体力が残るから通常戦闘時の死亡にもならないし課されるペナルティも無い。レベルに応じた経験値も入ってくるので親切なシステムでもある。
 俺はモンスターを倒すのが好きなのであまり行使しないが、挑まれれば応じるくらいの男気はあるので基本的には誰の挑戦でも受けて立つ。
 このリューナとは週一くらいで決闘をしていたのだが……ここ二週間はずっと決闘漬けだ。彼女から『挑戦状』『決闘申し込み』『デュエルスタート』等と件名に書かれた決闘メールが届く度に辟易してしまうが、きっちり付き合ってる俺は相当に人が良いんだろうな。
 そして今、その決闘の真っ最中だった。
 お互いが対峙したのはほんの数秒だ。
 不意にリューナの姿が消えた。《透過》の呪文だ。俺は咄嗟に耳をすます。こいつの効果は姿のみ。透明人間にだって足音くらいはあるからな。
 ざっ、と右後方で音がする。コンパクトな円を描きながら槍を横へと薙いだ。
 手応えは無い。なら今の足音は――
「舞雷爪撃!」
 声は空から降ってくる。やはりジャンプしていたか!
 空中で大きく剣を振り上げる女剣士に槍を向け、俺は叫びを叩きつけた。
「ギルティ・サンダー!」
 リューナが雷撃を、俺が蒼い稲妻を放ったのはほとんど同時だった。



 正座して足が痺れて立てなくなったり、触られると剣山で刺されたような痛みが走るだろう? 今の俺がその状態だ。但し部位は全身で程度は五倍くらいだが。
 勝負はドロー。放った攻撃はお互いを貫き、体力は共に一。それに加え特殊効果の麻痺状態。
 針のむしろに包まれる? 熱い風呂をじっと耐えるが正確か? と痺れを少しでも紛らわせようと正確な表現を模索していた時間がようやく終った。
 ステータス異常が消えたのを確認するや決闘コマンドを解除。引いていく痺れを感じながらアイテムでステータスを最大値に戻した。
「……引き分けね」
 俺より早く復帰したリューナは草むらにあぐらをかき、どこかバツの悪そうな顔をして呟いた。
「初めて引き分けたな。二〇三戦一〇一勝一〇一敗一分か」
 リューナの横に立つ。と、メールの着信音が響いた。……ユリからだ。
「メール? 例のユリって子から?」
 俺の動きが止まったことで察したのだろう。リューナは片眉を上げるような表情をし、
「カワイイ彼女だわよね。二人でソフトクリームを舐めるくらい仲も良いようだし」
 な!? なんでその事を知ってるんだ……? お前はいつからテレパスのエスパーになったんだ。
 驚愕する俺にタネの知れた手品を見るような顔を向け、
「二週間前に検査を受けたでしょ。病院にママの忘れ物を届けに行ったの。そしたらどう? 中庭に鼻の下を伸ばした誰かさんがいるじゃない」
 みっともないったらありゃしない、と付け加えるとリューナはそっぽを向いた。ママとは須摩子さんの事で俺とリューナは従妹になるのだがまあそれはいい。
 それにしても何だ? 憮然として不機嫌そうな表情はいつものことだが……何をこいつは怒ってるんだ……?
「早く行きなさいよ。女の子を待たせるなんて最低な男のすることなんだから!」
 急き立てるリューナに困惑を覚えつつゲートオーブを発動させる。転送される間際に見た従妹の顔はやっぱり不機嫌そうだったが……俺にはなぜか泣いているような気がしてならなかった。



 月曜はただでさえ憂鬱なのに、昨日のリューナの顔がちらついてその度合いは三割増だ。
 様子が気になったのであの後携帯にメールしてみたが返信はない。もう一回くらい送ろうかと思案していると担任の三岩(みついわ)先生が教室に入ってきた。委員長の号令を手で制し、女性教諭はニンマリした笑顔でクラスを見渡した。
「喜べよ男子ぃー! カワイイ女子の転校生だぞ!?」
 おぉー!? と生徒の半数がざわついた。転校生? 一週間もしたら夏休みだと言うのに?
「……はぁ!?」
 入ってきた女生徒を見るや否や思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。……何だこの展開は……?
 転校生は名前を黒板に書くとくるりと振り向き、
「遠藤流菜です。これからよろしくお願いします」
 従妹の少女は大輪のひまわりのような笑顔で自己紹介した。


9 :日原武仁 :2007/12/17(月) 23:09:01 ID:kmnkzJxn

シンフォニーは奏でられ

 “ファントム・ペイン”は本当によく出来たゲームだ。キャラクターには数万通りの組み合わせがあり、表情や音声を忠実に反映し、作り込めばあらゆる動作が可能となる柔軟性。味覚や嗅覚、触覚の再現は今現在では無理なようだが、ここまで現実を投影出来れば立派な仮想現実――独立した世界と言っても過言では無いだろう。
 その証拠のひとつにここでは経済活動が存在する。当初、それらは商店と呼ぶにも幼稚なママゴト以下でしかなかった。だが、それはあるシステムの導入により飛躍的に進歩した。
 ギルドシステム。
 基準を満たしたコミュニティに与えられる優遇制度だ。ギルドに認定されるとゲーム内に『ホーム』を持つことが可能となる。『ホーム』の内装は時間と金さえかければ相当の自由がきく上、仲間しか入れないものと一般に開放出来るものと二種類が用意されている。この、一般に開放できるものが大きな要因になったのだ。
 内装と商品と接客。これらを完璧に揃えた店が客を集め、優位に立つ。巨大なギルドを築き、規模の経済で利益を上げる集団もあれば、一度来た客を逃さずにリピーターとして育てる店もある。価格競争にサービス合戦が行われるのはリアルもここも変わらない。
 そんな群雄割拠を勝ち抜いた店のひとつが“シンフォニー”だ。
 その店は表通りから一本道を隔てた路地にあり、濃い青に白抜きの文字とパイプオルガンが描かれた看板を掲げている。
「あ、コーヘイさん。いらっしゃい」
 涼やかなカウベルの音と共に中に入ると、レジにいた少女が明るく声をかけてきた。
「久しぶりだな、マイ。今日も繁盛しているようだ」
 二十人も入ればいっぱいという店内は今日も全ての席が埋まっている。
「うん。毎日うれしい悲鳴だよ。だけどもう少し人手が欲しいかなぁ……」
 小遣いをねだる子供のような目でマイは俺を見る。その視線に嘆息でもって応え、
「しばらくは無理だ。お前達のように器量と実力を持った人材はそうそういないからな」
 通路を奥へと進みながら言う。
「あ! コーちゃんおひさー!」
「コーヘイさん、いらっしゃい」
「あらコーヘイ。しばらくお見限りだったじゃないの」
「……こんにちは」
 すれ違う店員が挨拶してくれる。ここの共同オーナーとなって三ヶ月が経つが、未だに彼女達の服装には慣れていない。
 簡潔に言おう。ここの制服はメイド服だ。妙にフリルの付いた黒を基調にしたエプロンドレスは胸を強調するデザインのミニスカートであり、腿の辺りにピンクのリボンを通した白のニーソックスとブーツで足元を固めている。
 この派手な衣装を身に纏い、働くのは以下の五人だ。
 ショートカットで気立ての良いマイ。金髪のツインテールで背の低いミカ。長い黒髪でクールなチハヤ。店内一のスタイルを誇り、それを惜しげも無くさらす陽気なマドカ。無口で感情を滅多に表さないサツキ。いずれも美形揃いで魅力的な個性を持った彼女らはメイド服が非常に様になっている。
 そんな彼女らに加え、サービスある接客と雰囲気のある内装があれば客が来ない訳が無い。様々な努力の末、メイド喫茶“シンフォニー”はファントムサーバーで最高峰と言われている。
 俺はカウンターの一席に腰をおろした。俺は――形だけとは言え――ここの共同オーナーの一人だ。どんなに混んでいようが俺の席は確保されている。
「いつもので構わないわよね?」
 カウンターの向こうからマイが訊いてくる。頷きで答えるとすぐさま目の前に紅茶が出される。この辺りの手際は見事のひとつに尽きる。
 当然だがここはゲームの中だ。だから味も臭いも伝わらない。だからこそ演出となりきりが重要になるというもだ。と、俺がカップに手を伸ばすとディスプレイの端が点滅した。“ウィスパー”の要請だ。
 “ウィスパー”とは特定の人と話せるチャットのモードであり、外部に会話が漏れないようにするものだ。
 表示された相手を確認し、モードをオンにする。
「あのね、コーヘイさん……」
 ウィスパーモードの相手であるマイが何かを躊躇うような、逡巡している様子で話し掛けてくる。
 表も裏もなく、隠し事を良しとしないマイが非公開を求めてくるとはよほど言い難いことなのだろうとは思っていたが……どうやら当たりのようだ。
 マイは迷い、言葉を選びながら口を開く。
「さっき話していた人手不足のことなんだけど……」
「それはさっきも言ったがお前達のような人材はそんなにいないのだ。おいそれと補充は――」
「ううん。違うの。違わないけどそうじゃないの」
 マイは全身を使って否定する。はて? マイはこんな持って回った言い方はしないと思ったのだが……?
 首を傾げる俺に、マイは慌てたように言葉を続ける。
「ああ、ええと、ね……? 今から話すことは私を含めた五人が考えた総意であって結論であって希望なんだけど……」
 先程からやけにチハヤ達がこっちを見ている気がしていたがそういうことか。どうやら何か大きな話のようだが……?
 店内を見回していた顔をマイへと戻す。その面には何やら決意めいたものが浮かんでいる。どうやら本題に入るようだ。
 マイはひとつ息を吸い、覚悟を決めたように口を開いた。
「で、でね。つまり……コーヘイさんと一緒に働きたいなぁ……て、こと」
 顔を真っ赤にして俯き、上目遣いで俺を見るマイ。
 ……俺はどんな顔をしているのだろう。陳腐だが鳩が豆鉄砲を食らったような、呆気に取られた顔だろうか。
 俺はしばらく何も言えなかった。ある意味、思考停止していたのだろう。俺は三度呼吸する時間を得た後、ようやく言葉を紡げた。
「また……随分と突飛な発想だな……」
 さっきまでの沈黙はマイに取って永遠に感じられていたのかもしれない。堰を切ったように早口でまくし立てるようにマイはしゃべり始めた。
「う、うん。変で奇妙でおかしなこと言ってるのは理解してるつもり。だ、だってコーヘイさんはこのお店のオーナーさんだしお門違いもいい所なんだけど……だけど店長がもっと幅広い人にお店に来て欲しい、て言ってたでしょ? 見ての通りお客さんの九割以上が男の人だから、ここでコーヘイさんが働くようになれば女の人も増えると思うんだよね。それにコーヘイさんがいればみんなのやる気も違うと思うし……て、あ、あははははっ、な、何を言ってるんだろうね……」
 照れ隠しのように笑うとマイは俯き黙り、しばらくして顔を上げた。
「ど、どうかな……?」
 遠慮がちに訊いてくる。どこか潤んだ瞳と上目遣い気味の表情は勇気を振り絞って告白した相手の答えを待つ女生徒の風情がある。
 さて、どう答えたものだろうか。実際問題、人手が足りないのは事実だ。店員候補の目星が無いでもないが、今日明日という訳にもいかない。とりあえずの場繋ぎというの意味では妙案ではある。……どうしてここで出てくるのが俺なのかは置いておくが……。ふむ……?
 しばらく考えた末、俺はこう答えた。
「……俺一人がどうした所で女性客が増えるとは思えんが……まあ、週二回くらいなら手伝うことも出来るだろう」
 途端にマイの顔に笑顔が広がっていく。不意に視線を感じて後ろを振り向くと――マドカ達と目が合った。
 ……なるほど。俺達のやりとりは筒抜けか。マイから何かの端末で聞いていたのだろう。全員が全員――あの鉄面皮と無表情を信条としているサツキでさえ、どこかうれしそうに頬を上気させている。
 変な感覚だ。職場に一人男が増えるだけなのに何がそんな嬉しいのか。彼女らがその気になれば男などよりどりみどりだろうにな。
 視線を転じ、壁に掛けられた時計を見る。そろそろ本題の時刻か。
「マイ。悪いがそろそろ時間だ」
 告げる。彼女は花のような笑顔を若干しぼませ、
「あ、そうなんだ……。せっかくシフトの話をしようと思ったんだけど……仕方無いね」
「また連絡をくれるとありがたいな」
 言いながら俺は席を立ち、スタッフオンリーと書かれた奥の扉へ向かう。
「分かった。絶対に連絡するよ」
 背中に当たるマイの声に片手を上げて応えると、俺は扉をくぐった。


 廊下を歩くとすぐに目的の部屋に着いた。『店長室』と書かれたドアに蒼いカードをかざす。
 これがギルドシステムのもうひとつの機能だ。ギルドマスターが発行したカードを所持しない者は部屋に入ることが出来ない。この中にはオーナーしか入ることは出来ず、従業員のマイ達でさえ入ることは許されていない。
 カチリ、と歯車が噛み合わさったような音がし、ドアが無音で開いた。
「やあ、コーヘイくん。待っていたよ」
 出迎えたのは温かな男の声だった。
 部屋の中は中世の王侯貴族の城にある書斎のような内装だ。これで陽光の差す大きな窓が彼の座る執務机の後ろにでもあればそのままなのだが……背後に広がるのはただの暗闇。そして部屋の至るところに空中投影型のディスプレイが浮かんでおり、様々なプログラムが走っている。
 目の前で微笑む部屋の主の名前はラスティン・ワード。“ファントム・ペイン”開発チームのチーフプログラマーであり、運営会社“Worlds(ワールズ)”の役員を務める俺の上司だ。
 ラスティン・ワードは偽名だ。はるか昔の何とか言う、今は再現不可能な技術の創造主の名前らしいがよくは知らない。思えば、ラスティンとはリアルで会ったことが無い。連絡は全てメールだし、合う必要がある時はいつもゲームの中でだ。同じ職場なのに彼の本名も素性も知らないというのはいささか問題ではあるのだろうが……円滑に仕事が進んでいるのも事実だった。
「報告書は読ませてもらったよ。なかなか愉快な体験をしたそうじゃないか」
 本当に嬉しそうに言う。愉快な体験とは8thD.E.G.『ショッピングセンターの島』で見つかった本来は存在しないアイテム――“逢魔の弓”に関する一連のことを差す。
 俺は一般のプレイヤーでは無い。“ファントム・ペイン”の全体を統括する役目を負うシステム管理者だ。
 システム管理者はユーザーが安全かつ快適にプレイできるようにするのが仕事だ。
 俺が担当し始めた頃のファントムサーバーのユーザーは全体の十分の一にも満たなかった。それが今や三分の一以上を占めるほどに参加者は多い。それだけ発症者が増えていると言うことなのだから憂えるべき事態なのかもしれない。
 “逢魔の弓”は明らかにバグだ。バグは存在するだけでシステムの負担となる。すぐにでも消去すべき対象なのだが、“逢魔の弓”に関しては何の指示も出されていない。ただ静観せよ、というものを除いて……。
「僕はこのシステムに自律進化を望んでいる」
 俺の表情から心情を読み取ったかのように、ラスティンは口を開いた。
「そのためにプログラムに色々な因子を組み入れた。D.E.G.もそうだし、逢魔の弓――僕はこれを“輝神具”と呼んでいるけれど――の発生もそのひとつさ」
「……全て仕様とおっしゃるのですか?」
「そうだとも言えるし違うとも言える。言うなればファントム・ペインの意志――思考実験の結果さ」
「意志、ですか?」
 話がおかしな方向に行こうとしてないだろうか? ラスティンの言う事が事実ならばこのゲームは巨大な人工知能だとでも言うのか。与えられたプログラムを忠実に実行するのではなく、自己の判断でプログラムを組替えて最適化していくような……
「少し論点を変えようか」
 沈思する俺に気を遣ったのか、ラスティンはそんなことを言った。
「知っての通り“ファントム・ペイン”は情報の収集と蓄積。解析と最適化を常に行っている」
 ラスティンは言葉を切ると自分の頭を人差し指で突付き、
「言うなれば人間の脳と同じ作業をしている訳だ。脳は得た情報を眠っている間に整理し、そのカケラが夢となる」
「発生したバグはゲームの見た夢だと……?」
「ファントム・ペインは常に『起きている』状態だからさながら白昼夢というところかな? だから夢と現実がごっちゃになってバグとして世界に現れるのさ」
 突飛過ぎる発想だ。仮説の前提からして怪しいのにそれをもっと加速度的に飛躍させ過ぎだろう。
 俺は少なからず唖然とした表情をしていたのだろう。ラスティンは喉で小さく笑った。
「正直、バグの発生原因なんていうのはよく分からないのさ。多分こうだろうと予測してプログラムを修正すること。そしてバグ自体をデリートするくらいしか僕らに出来ることは無い。だから僕はさっき言ったように考えている。責任転嫁も甚だしいし、職務放棄と言えるかもしれない。適度に修正を加えるさ。ま、D.E.G.や輝神具の出現は予想外だけど、面白いから今のところは放置。危険と判断したらすぐに削除はするけどね。だからこの件に関してコーヘイくんは何もしなくていい。引き続き彼の監視と動向を報告して欲しいだけさ」
 彼とはシュージ――川上修司のことだ。俺の仕事はバグの消去が主なものだが、シュージの監視という任務もある。ラスティンに言わせるとシュージは“ファントム”達の治療法確立のためのたくさんいる鍵の一人らしい。
 シュージとは半年ほどの付き合いしかないが、ゲーム内で見る限り、他のプレイヤーと違うようには思えない。医療的でデリケートな問題と思い、疑念は胸の奥にしまっておいたのだが――最近はそれ以外の要因があるように思えてならない。ラスティンも薄々俺が何かに気付きつつあることに感付いているはずだ。何も言ってこないということは俺が知るべきことでは無いのであり、彼に取って俺などどうとでも出来るということなのだろう。
「……ラスティン様」
 奥の闇から人影が姿を現す。これもメイドだった。ただ、店のメイド服と違い、露出を抑えた実用的で地味な装いだ。
「……間もなく会議のお時間です」
 メイド――ラスティンの秘書であるアイルコットは静かに告げた。
「分かったよアイルコット。ありがとう」
 ラスティンの言葉に頭を下げ、背後の闇に溶け込むように古風なメイドは後ろに下がった。
「久しぶりに会ったのだからもう少し話をしたかったがすまない。何かあったら報告を頼むよ」
 それだけ言うとラスティンは姿を消した。ログアウトしたのだろう。
 やれやれだ。何やらきな臭い感じがしてたまらないが、宮仕えの身の上では仕方ないことかもしれない。少なくとも仲間達に迷惑がかからないようにしないといけないようだ。
 俺は踵を返すと店長室を出る。
 とりあえず紅茶でも飲んでゆっくりしよう。“シンフォニー”で飲む事は出来ないが、オフィスの冷蔵庫にペットボトルの紅茶があるはずだ。リアルで飲んで、ゲームで雰囲気を楽しむくらいはいいだろう。
 俺はコーヘイをそのままにFMDを外して席を立つと、隣りの部屋へと紅茶を取りに歩き出した。


10 :日原武仁 :2008/05/29(木) 22:24:39 ID:kmnkzJxn

天文部夏合宿と水着に対する考察

 俺の上げたトスを流菜が打つ。それなりの勢いを持ったボールはしかし、優希先輩にレシーブされる。それを優美先輩がトスし、神杉先輩がアタックするために腕を振り上げた。俺はボールが来るであろう場所にダッシュをかける。と、その時だ。
「えっくすこーげきぃ〜」
 優美先輩が右斜め上方、優希先輩が左斜め上方へ――つまり空中で交わるように大きく跳んだ。その接点にはボールがあり……一瞬だけ視界からボールが消える。
 二人が失速し、ビーチボールが見えた時には遅かった。俺とは逆側――大沢さんと流菜も中間に神杉先輩のアタックが突き刺さった。
「ばっちり成功〜」
「やったよ〜」
 双子の先輩は嬉しそうにハイタッチ。くっ! 小柄なその身体のどこにあんなバネを内蔵しているんだ?
 これで得点は七対四。十点先取ルールで少しキツイがまだまだいける! 俺は気合いを入れると神杉先輩のサーブに身構えた。



 突然だが、俺達天文部は木月家所有のプライベートビーチに来ている。正確に言うなら小島だな。白い砂浜に澄んだ海に青い空。まさに観光パンフレットの表紙のような海岸だ。海岸の反対側は小高い丘になっており、洋館風の屋敷が建っているのだが……この屋敷がまた奇妙だった。屋敷の壁のあらゆるところに向日葵の絵が描かれているのだ。形も大小様々、壁ごとに印象的なものや写実的なものと画法も変わっていたりする凝り用。それに加え、屋敷の裏側には向日葵畑が広がっていると言う徹底振りだ。
「コンセプトは向日葵祭りですわ」
 とは、木月副部長の談。
 まあ、そんな色々な意味で夏のためにあると言っても過言ではない島だった。
 思い返せば、今年の夏休みは出かけてばかりだ。二学期最後の日、木月副部長が発案した『夏休み満喫計画』と称するものに端を発し、盆踊りや夏祭り、ハイキング、花火大会と四日に一回くらいは天文部で一緒に遊んでいる。そして今回は海水浴と言うことでここまで来た訳だ。あと、肝試しが残っているのかな?
 実を言うとこの企画には裏がある。裏があると言っても陰謀とか策略とかそういうダークなものでは全く無く、言ってしまえば微笑ましい部類になるんだろうな。
 それは部長と木月副部長の進展についてだ。部長は三年生であり、今年で卒業となる。残された期間でもっと仲良くなりたいと思った副部長が一念発起して提案したらしい。そんな理由があるなら二人で旅行でも何でも行けばいいと思ってしまうのだが、そこは木月副部長。
「なっ! そ、そんな二人きりでなんて……! それは……まだ早いと言いますか、わたくしの方からお誘いするなんて……。あ、でも部長がどうしてもとおっしゃるのならわたくしは応えておみせしますけれど……ああ、でも心の準備が……!」
 と、相談を受けた優希先輩が「本当、しちめんどくさい夫婦だよ」と苦笑いしながらこっそり教えてくれた。
 変に潔癖と言うか可愛らしいと言うか。いつもは強気で豪気なお嬢様なのにこと部長に関しては慎重……いや、デレデレなんだよな。裏っ返せばそれだけ好きな証拠なんだろうけど……端から見てるこっちとしてはやっぱりもどかしい。……ま、人の事は言えないんだけどね。
 そんな裏事情は置いといて。
 何にしても海は良い。心底そう思うね。俺は夏より冬派だが、海は別だ。なんてたって水着が見れる。これ以外の楽しみは無いと言っても言い過ぎじゃない気持ちは分かるだろう?
 そんな訳で部員の水着を紹介しよう。
 大沢さんは白いワンピース。彼女らしい清楚さがあって非常に似合っており、またその背中が大きく開いていてものすごくセクシーでもある。
 木月副部長は濃い青地に白い花をあしらったビキニに同色のパレオを巻いていた。性格同様に自己主張の強いボディラインは目に毒だが……こういうのももちろんいい。
 優美先輩と優希先輩は……あー、学校指定の水着――いわゆるスクール水着だ。と言うか、だ。うちの学校の女子指定水着は競泳用に似たものだったはずだが――二人が着ているのは旧スクと分類されるタイプだった。しかも優美先輩が白色で優希先輩が紺色だ。
 明らかにわざわざ用意したであろう代物なので、さすがに気になって訊いてみたところ、返ってきた答えは――
「だって、わたし達プロだもんねー」
「ねー」
 ……と言うものだった。一体なんのプロだか知らないが、いかがわしい類では無いようなので心配はしていないが……少しばかり気になるのも事実だ。
 そして流菜が――と、忘れていた。そう、流菜も天文部に入ったのだ。理由は知らない。転校初日に部室に現れ、さっさと入部してしまった。しかも俺のいないうちにだ。この辺りに策略めいたものを感じてしまうのは俺の考えが歪んでいるからだろうか?
 まあ、そんな訳で流菜も赤いビキニで俺達とビーチバレーをやっている訳さ。
 ちなみに男子陣はと言うと、俺は明るい緑のサーファーパンツ。神杉先輩は黒のトランクス。部長もトランクスタイプで色は鮮やかなオレンジ。こう言っては何だが、部長はもっと奇抜と言うか、懐古主義的なと言うか、オールドタイプなものと言うか。具体的に言えば明治だか大正だかの横縞の入った全身タイツみたいなものを着てくると想像していたんだが――認識を改めないといけないな。
 とまあ、そういうことで。俺達は海水浴を十二分に楽しんでいた訳さ。


11 :日原武仁 :2008/10/01(水) 03:09:58 ID:ocsFWioH

夏に似合う花

 窓から入ってくる風は涼やかで上質な――ものだろう、きっと――レースのカーテンが波立つように揺れている。用意された部屋は質素な造りながら上品でしっかりしたものだということが素人目にもよく分かる。そんなちょっとした一流ホテルのような部屋のベッドで俺は横になっていた。
 足を挫いてしまった。
 ビーチバレーでアタックを打った時、少しバランスを崩して着地したのが悪かった。確かにその時、足を捻ったような感じはした。だがたいして痛みは感じなかったし――まあ、多少動きづらかったが――そのまま続行した。
 これが良くなかった。俺達“ファントム”は痛覚が常人より酷く鈍い。この当たり前の現実をつい失念していた。気付いていた時にはすでに遅く――痛みに耐えられなくなった時には足首が一回り大きく腫れ上がっていたのだった。
 幸い骨や筋に異常は無く、しっかり固定しておけば二、三日で治る程度のものらしい。右足首を包帯でがっちりと固められた俺はコートから強制退場を強いられたのだ。
 暇だった。
 予定では今頃みんなスイカ割りに興じているはずだ。その場にいても良かったのだが、怪我人がいたのでは興が削がれると思い、俺は部屋で休むことにした。次に大沢さん達と合流するのは夕食時だから――三時間後くらいか。一眠りしようとも思ったが困ったことに全然眠くない。なのでひたすらに天井を眺めながらぼんやりしていた時、不意にノックの音が耳を打った。
「どうぞ。開いてますよ」
 ベッドから半身を起こして返事をする。
「お、お邪魔します……」
 遠慮がちにそう言って入ってきたのは大沢さんだった。
「どうしたの、大沢さん? スイカ割りは?」
「ちょっと休憩。あと二十分くらいしたら三回戦が始まるよ」
 水着の上に薄手のピンクのパーカーを羽織った大沢さんはどこかはにかむようにしながら言葉を続ける。
「足の具合はどう?」
「んー? まあ、悪くは無いよ。痛みも引いてるし。神杉先輩に感謝かな?」
 捻挫の手当てをしてくれたのは神杉先輩だった。その手並みは鮮やかと言う他は無く、一体どこで身に付けたのか尋ねたところ、
「…………少し前にな」
 とだけ答えてくれた。何か人には言えないエピソードがあるのか、それとも単に口下手なだけか判然としなかったが何となくそれ以上聞いちゃいけないような気がした。
「ほんと良かったね。神杉先輩がいなかったら歩けなくなっていたんだし」
 真剣な顔で言う大沢さんに俺は軽く笑い声を上げ、
「あははは。大袈裟だなぁ、大沢さんは。それにしても神杉先輩といい部長といい。うちの先輩方は変なスキルを持っているもんだ。見習いたいよ」
 考えてみれば木月副部長も――正確には『木月家』だけど――大沢さんには劣るものの、多方面に影響力を持っている。もしかしたら双子の先輩も何か特殊なスキルを持っているのかもしれない。なんせ自称『プロ』らしいからな。
 ……俺だけ何も無い。勉強が出来る訳でも、運動が得意な訳でも、何か技能が秀でていることも無い。全てが良く言って中の上。人に誇れる確固たる何かも無い。流菜にも異能と呼んで差し支えない技能があるのに俺には何も無い。
 劣等感を感じてしまうな。考えても詮の無いことだし、部長達との関係がこれが原因で壊れるとも思えないし、先輩達がこのことを意識しているとも思えない。全ては俺の被害妄想だ。そんなことは分かっている。十も百も千も承知さ。だけど……万にひとつも無いと言い切れるのか?
 下らなく取るに足らない悩みが顔に出ていたのだろう。いつの間にか近付いていた大沢さんが心配そうな顔で俺を覗き込んでいた。
「足が痛むの? 急に辛そうな顔になったから……」
 俺は小さく頭を横に振る。それから笑顔を作ろうとして――失敗した。
 気が弱くなっていたのかもしれない。変に気持ちが緩んでいたのかもしれない。様々なことに対する不安が爆発したのかもしれない。意味も無く誰かに甘えたかったのかもしれない。
 全部が理由であり、どれもが見当違いだ。
 気付くと、俺は口を滑らせていた。
「大沢さんや先輩達と違って俺には何も無いなぁ、とか思ったら――俺はここにいてもいいのかなぁとか思ってさ」
 苦笑気味に言ったつもりだった。だが、実際はどんな顔をしていたのかは分からない。ただ目に映る全てが歪み、頬を何かが流れるかすかな感覚があるだけだった。
 と。
 不意に俺は柔らかく、温かいものに包まれた。
 大沢さんに抱きしめられていると理解するまでに数瞬の時間が必要だった。
「……お、大沢……さん……?」
 いきなりなことに身体は硬直し、心は情けないくらいに動揺してぎこちなく名前を呼ぶのが精一杯な俺だった。
「そんなことないよ」
 耳元で大沢さんが囁く。
「自分に何も無いなんて哀しいことを言わないでよ。私は修司君の良い所をいっぱい知ってるよ? それじゃ駄目かな?」
 大沢さんは一度言葉を切り、小さい子供を優しく叱るような口調で言葉を紡ぐ。
「ううん。きっと部長も木月副部長も優希先輩も優美先輩も神杉先輩も。それに流菜ちゃんだって修司君の良い所をいっぱい知ってるよ。それでも修司君は自分はいらないと思うの?」
 目の前に大沢さんの顔がある。真剣で、そして今にも泣き出しそうな大沢さんの顔が。
 情けない話だ。俺は悲劇の主人公でも気取りたかったのか? しっかりしろよ俺。そして思い出せよ川上修司。恥ずかしいと思わないのか? 天文部のみんなはそんなに薄っぺらい人間なのか? 違うだろ? 
 そうだ。全く関係無い。くだらないこと考えてるなよ。らしくないぜ? なぁ、俺よ。
 どうやら意味も無くナーバスになっていたようだ。少し怪我をして、少しみんなから離れただけでこれだ。やれやれ。本当にらしくない。
 俺は心の中でもやもやした何か吐き出すように嘆息した。ふぅ、もう大丈夫だ。
 と、急に顔が熱くなっていく。正常な精神状態に戻ったことで身体の機能が今の状態を正確に認識したのだ。
 俺のどぎまぎした表情で気付いたのだろう。瞬間湯沸し機もかくやというスピードで頬を真っ赤にすると、大沢さん素早く俺から身体を離した。……むぅ。それはそれでちょっと悲しかったりする微妙な男心である。
「あ、あの……! ご、ごめんなさい! わた、私ったら何て……!」
 顔中を真っ赤に染めて俯く大沢さん。やっぱり意識しての行為じゃなかったのか。その場の雰囲気とか流れは非常に重要なんだなぁ、とか考えながらとりあえず俺は笑顔を作った。
「いや。こっちこそごめん。なんかものすごく大沢さんに心配かけたみたいで。うん。もう大丈夫。ありがとう、大沢さん」
「あ、いや、その……私は何もしてないし……」
 口の中でもごもごと言う大沢さん。照れる大沢さんはものすごく可愛い。このまま家に飾っておきたいくらいだ。
「よいしょ、と」
 意識して明るめの声を出し、俺はベッドから立ち上がった。
「やっぱ部屋に一人でいるのはよくないね。スイカ割りに参加するのはちょっと無理だろうけど、見てる分には問題無いからさ。行こう、大沢さん」
 大沢さんに右手を差し出す。大沢さんは少し躊躇った後、優しく俺の手を握った。
「うん。きっとみんな待ってるよ」
 俺達は並んで部屋を出た。まだまだ夏は終らない。



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