現在という空白


1 :ハル :2008/12/16(火) 04:44:25 ID:scVcxAWG

はるか。
その名をぼくは忘れない。

ケヤキ通りの信号の前で佇む白い服を、濃い緑の葉影が映りこむ図書館の窓際の机を、
暑く風の強い夜にはためくカーテンを、その名は一瞬にして思い起こさせてしまう。

きみは過ぎ去った夏の全てだった。
ぼくは著しい感傷とともに、きみの存在とありし日の夏を溶け合わせ、その全体にし
てしまった。
振り返れば美しく見えるのは、ノスタルジーでしかないと痛いほど理解していても。

はるか。
ガラス越しに差し込む太陽光とアイスコーヒーのグラスのかく汗、イチョウ並木のベ
ンチに置かれた読みかけの本(確か『ガラスの動物園』だった)、博物館前の噴水の
水をすくう白い腕。

はるか。
きみを思うときのぼくは、いつも幸福と、過ぎ去った時の長さへの感傷でいっぱいに
なってしまう。
ぼくはきっとまだ、現在を過去と同じくらいには、愛せていないのだろう。

はるか。


2 :ハル :2008/12/16(火) 04:54:49 ID:scVcxAWG

現在という空白

【説明】

この『現在という空白』は、一編ごとに完結する散文です。
「現在」を置き去りに、あるいは見失ったり、目を瞑ったり、軽んじたり、
不在にしたりしながら、時を刻む人をテーマに書いていきます。
「今を生きていない」人が、「今語ること」こそここに描く内容です。

現在という空白に、彼らは何を埋めていくのか、考えながら書き出していき
ますので、応援よろしくお願いします。

最終的には、「現在という空白」について考えていけたら…と思いながら。


3 :ハル :2008/12/19(金) 04:08:04 ID:mcLmLGtH

右手の拒絶

気付けば、シャープペンを持つ手が震えていた。
傍らの本棚の上にある置き時計は、午前三時を指している。
十一月も半ばになると、深夜はさすがに冷え込む。私は椅子を引き、ひざ掛けをも
う一度深くかけ直した。つま先がしびれるほど冷たくなっていることに、そのとき
やっと気付く。
――今日のノルマが終わるまで、あともう一息だ。

学校と塾の予習と復習を終えた後は、ひたすらセンター用の問題集をこなす作業だ。
レッドシートでやり込む勉強法は肌に合わなくて、いつもがりがりと答えをノート
に書き込んでいる。
おかげで中指のペンだこは膨らむばかりで、見ための悪い指になってしまった。集
中するとついペンを強く握り締めてしまうのも、原因の一つになっている。

少し目を閉じて眉間を押さえる。
蛍光灯の明かりが、まぶたの裏に残像を作った。
この前の懇談のことを思い出す。

「数学がねぇ……」
眉間に皺を寄せ、担任は顎に手をやった。成績表に三人で頭を寄せ合う構図は、我
ながら可笑しい光景だと頭の片隅で思う。
母は隣でため息をついた。
「今何時に寝ていますか」
「二時、くらいです」
「それなら、あと二時間勉強できるじゃないですか。受かりたいでしょ」


目を開ける。シャープペンを握り直した。
回想を振り払う。

出窓から夜の冷気が侵入する。寒さにつま先を摺り合わせながら、私は再び問題集
へと身体を向けた。
シャープペンを握りなおし、ノートに書き込もうとする。
不意に手が、またぶるぶると震えだした。
――あれ。
確かに室内は冷えているが、格別寒いというわけではない。
暖房を点けると眠くなるからと、いつもこの室温の中でやっているのだ。身体も慣
れているのに。

左手で、少し右手を温める。
手は凍えるどころか、じんわりと汗をかいていた。べたつく嫌な汗だ。
すう、と胸に穴が空いたような、変な気分になる。なぜか心臓が早鐘を打ちはじめ
ていた。

少し深呼吸して、気を取り直し再びノートに手を向ける。また、手が震えだした。
今度は一層激しく。
我ながら異常だった。
震えを抑えられず、シャープペンを取り落とし、肘の辺りにあったプリントがばら
ばらと床に散る。
呆然とし、思わずカッとなった。震え続ける右手を容赦なく机に叩きつける。何度
も何度も。痛覚が麻痺して、ただジンジンと熱くなっても叩く。
叩きながら、嗚咽がこみ上げると同時に泣いていた。唸るように泣く。
どうかしている、と頭の片隅で冷静に自分を見つめる声が告げる。しかし止められ
なかった。

胸に空いた穴はもう、広がり続けるばかりだった。


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.