ふたり


1 :緋桜 :2007/11/09(金) 21:52:36 ID:ommLPmsk

 はじめましての方、そうでない方、この作品を読んでみようと思ってくださってありがとうございます。
緋桜と申します。

 現在別の作品を連載中ですが、思いの他長くなりだいぶ煮詰まってきたので、ちょっと気分転換に新しく連載を開始することにしました。
今回は一応短めの予定ですが、やっぱり暗いです。
時代としてはおそらく明治・大正あたりです。
多分……。
そんな緩い感じで始まる作品ですが、よろしければお付き合いください。


2 :緋桜 :2007/11/09(金) 21:57:45 ID:ommLPmsk

ふたり

 月明かりの元で、そっと寄り添い合うふたつの影。繋いだ手を指先まで絡め、ふたりは互いの温もりを分かち合う。
(れい)
「……何?(すず)
「愛してる」
 高低が異なるばかりのよく似た声が、闇夜に響く。囁くように小さなそれは、けれど互いの耳には確かに届く。
「愛してるよ、冷」
「うん、知ってる」
 甘く囁いた唇を、冷の瞼に寄せる。くすぐったい、と笑う冷に、涼はなおも口接けた。幼子がじゃれ合うように、ふたりは顔を寄せて笑い合った。
「私も、愛してる。涼のこと」
「うん」
「だいすき」
「うん」
 それは、二人だけの魔法の言葉だった。
 その言葉を紡ぐたび、強くなれる。胸の奥で、幸せが生まれる。二人は二人でいるときだけ、幸せになれた。
 神代涼と、神代冷。
 ふたりの面差しは、驚くほどよく似ている。それもそのはず。涼と冷は、双子の兄妹なのだから。
「あ……流れ星……」
「何か願い事した?」
 空を見上げていた冷が、ふと呟く。開かれた唇をそのまま笑みの形へと変え、優しく尋ねる涼の肩に己の頬を寄せた。
「涼と、ずうっと一緒にいられますように、って」
 温かい光を湛える涼の瞳が一瞬、切なげに細められた。
 途方も無い、願いに思えた。
 けれどその途方も無いことを、ふたりは本気で願っていた。いつまでも一緒にいたいと、ただそれだけを祈った。
「涼がいれば、何も要らないよ」
「うん」
「涼だけいてくれたらいい」
 この世界が、ふたりだけで構成されていたらいいのにね。
 微笑みながら、冷はそんなことを言った。
 途方も無い願いを、二人はいつだって抱いていた。

 


3 :緋桜 :2007/11/16(金) 23:50:20 ID:ommLPmsk

* * *

 神代家の当主であったふたりの父は、冷たい男だった。人の好い先代とは違い、人を信じず、愛することさえ知らなかった。美しく貞淑な妻も、その妻との間に生まれた子どもさえも、愛そうとはしなかった。彼が欲していたのは富や地位、名誉だけで、家庭を顧みることも、わが子を抱きしめることも、一度も無かった。
 母は華族の令嬢で、厳格な夫に従順だったが、夫にも子どもにも愛情を向けようとしなかった。彼女は妻としての、母としての役目を淡々とこなしていたに過ぎない。母もまた、愛情を知らずに育ったから、愛し方がわからなかったのだ。人形のように整った美貌に笑みを浮かべるだけの、深窓の姫君。母にはそのような印象を抱いていた。
 そんな両親の子どもとして、ふたりはこの世に生を享けた。
 贅沢な、何不自由ない暮らし。きっとふたりは、望めば何でも手に入った。他人よりも多くの物を持っていた。
 けれど誰もが与えられる親の愛情を、知らずに育った。
 使用人も、学友たちも、みんな優しかった。だがそれはふたりが神代家の人間であるからだ。本当の二人を愛してくれる者など、誰もいない。
 ふたり以外には。
 生まれたときからふたりだった。ずっと一緒だった。互いの存在だけが唯一の救いだった。
 それなのに、父はふたりのことまでも引き離そうとした。
 三日前の夜、冷は父の自室に呼ばれた。それまで父と二人きり出逢うことなど、父が冷に関心を向けることなど、一度だって無かったのに。
 嫌な予感がした。
 そしてその予感は、当たっていた。
 父の部屋から帰って来た冷は自室に閉じこもってしまった。
『冷?』
 部屋の前でおろおろする使用人たちを制し、涼は冷の部屋に入った。豪奢なシャンデリアや絹のじゅうたん、天蓋つきのベッド。それらはすべて、冷が望んだものではない。冷が何かを望んだことなど、今まで一度だって無かった。
『冷……』
 怜は床に座り込み、ベッドに顔を埋めていた。細い肩が小刻みに震えている。
 泣いているのだろうか。
『冷……?』
『……涼』
『どうしたの。父様に、何を言われたの』
 傍にしゃがみこみ、冷の肩に触れる。自分のそれはきっとつくりからして違うのだろう。細く、華奢な肩。髪の隙間から覗く肌は白く、いっそ艶かしい。
『冷』
 もう一度名を呼ぶと、ようやく冷は顔を上げた。その瞳は、涼の予想通り涙に濡れていた。冷の泣き顔を見るのは何年ぶりだろう。そんなことを考えた。
『……冷』
『涼……、私……。私……』
 父の話は、至極簡単なものだった。冷の婚約者が決まった。相手は政治家の長男で、冷とは一回り以上歳が離れている。結納の日取りは一月後、婚儀の日は三ヵ月後。それだけ告げると、父は冷に下がるように命じた。
 その間、一度も父は冷を見なかった。
『お父様は、私のことが邪魔なのね』
『……』
『私は女だから、この家にいても何の役にも立たないから……』
 女である冷には、神代の家を継ぐことはできない。父には不要な存在だ。ならば早々に他家に追い出してしまった方が都合がいい。
 父の考えそうなことだった。
『でも、私、結婚なんてしたくない。……涼と離れたくない……だって……ッ』
 震える冷の唇を、自らの唇で塞いだ。その先は、聞かなくてもわかった。
 だってずっと、涼も同じ想いを抱いていたから。
 涼も、怜が欲しかった。
 互いの存在が唯一で絶対ですべてだった。そんなふたりが、いつしか互いを愛しく想い合うようになることは、きっと不思議なことではなかった。信じられる温もりが、それしか無かったのだから。
 今まで父に父親らしいことなど何ひとつしてもらった覚えは無い。覚えているのは、振り払われた手の冷たさだけ。彼はいつだって冷たく、無感動な瞳でふたりを見ていた。
 ふたりにとって、父は絶対的な脅威だった。父の機嫌を損ねないように。父に疎まれないように。ふたりは身を小さくし、父の言いなりになって暮らしていた。
 けれど。
『一緒に逃げよう』
 吐息も触れるほど近くで告げると、冷は瞳をこわばらせた。
『何……言ってるの……』
 問い返す冷の声は、かすかに震えていた。
『そんなこと、できるわけ……』
『できるよ』
『……ッ』
『父様も母様も、神代の家も要らない。冷がいればいい。冷さえ傍にいてくれれば、僕は生きていける。
 冷は?』
『私は……』
 差し出した手を冷がとってくれたとき、幸せだった。あの瞬間、世間が終わってしまってもかまわない―――終わってしまえばいいと思った。
 誰もいない、二人だけの世界にいきたいと。
 冷がいれば、何もいらなかった。
 冷がいれば、すべてを捨ててもかまわなかった。
 けれどそれは、冷のためではない。自分のためだ。
 ふたりに、お互い以上に大切なものなど無かった。
 冷さえいれば、涼は生きていける。
 違う。
 冷がいなければ、涼は生きてはいけないのだ。
 何も要らない。互いさえいればそれでいい。ふたりは、寄り添い合うことでしか生きていけない。
 使用人の目を盗み、ふたりは屋敷を抜け出した。もう二度と離れないように手を繋いで。神代の家も名も親も、すべてを捨てる代償に、ふたりは互いの未来を手に入れた。
 今頃ふたりがいないことに気付いて屋敷は大騒ぎだろう。だけどもう、そんなことふたりには関係無かった。
 つないだ手の温もりだけが真実で、すべてだったから。
 暗い海を見つめながら、ふたりは何度となく告げ合った。愛している、と。まるでそれしか知らないように。それだけが、すべてのように。
 すべてを捨てたふたりを待つものが何なのか。
 このときのふたりはもう気付いていたけれど。


4 :緋桜 :2007/11/20(火) 21:48:21 ID:ommLPmsk

* * *

「涼」
「うん」
「愛してる」
 先程囁かれた言葉とまったく同じ言葉を紡ぐ。それがふたりの想いだから。どちらからともなく微笑み、その唇を寄せ合う。
「涼のこと、すき」
「うん」
「ずっと一緒にいたい」
「……うん。ずっと、一緒だ」
 涼は冷の柔らかな髪を指で梳き、額にそっとキスを落とす。
 ふたりは暫く見つめ合い、取り出した薬をそれぞれ口に含んだ。
 母の寝室からこっそり持ち出した睡眠薬。
 このままふたりでいられるなら、もう目覚めなくてかまわないと思った。冷は目を閉じ、涼の肩にもたれかかる。互いの鼓動が伝わってくる。生まれたときから同じ速さで同じリズムを刻んできた鼓動。この音だけが、ふたりを安心させてくれる。
「涼」
「うん」
「すきよ」
「うん」
「愛してる」
「……うん」
 壊れたラジオのように、ふたりは言葉を繰り返し、何度もキスを交わした。
 だって他に知らなかった。溢れそうなこの想いを伝える術を。


5 :緋桜 :2007/11/30(金) 20:38:28 ID:ommLPmsk

* * *

 私たちは、ふたりで生まれた。
 生まれたときからふたりだった。
 私は誰よりも涼を理解し、涼は誰よりも私を理解している。
 お互いがお互いの半身で、私たちはそれがまるで必然のように惹かれ合った。愛し合うこと、触れ合うこと。少しも悪いことだなんて思わなかった。
 当たり前だ。
 私たちはふたりでひとりなのだから。
 「ふたり」に生まれてきたこと自体間違いだったのだから。
 欠けたものを繋ぎ合わせるように私たちは寄り添った。
 他には何も要らなかった。生きていくうちに人はたくさんのものを得るけれど、私たちが求めたものはお互いだけだった。
 他者を遮断し、ふたりだけでいることでひとりに戻ろうとした。
 ふたりは別々の人間で、だからこそ惹かれ合ったのに。
 私たちはそのことに気付けなかった。


6 :緋桜 :2007/12/04(火) 21:03:25 ID:ommLPmsk

* * *

 目の前に広がったのは、白い天井。
 喚く父の声がどこか遠く聞こえた。
 ――あぁ、生きてる。
 解かれた指を見ながらぼんやりと思った。
 胸の中で生まれた感情は、安堵ではなく絶望だった。
 冷の世界は、涼がすべて。涼がいないと冷は生きていけない。そしてそれは涼も同じ。だから共に生きることができないならせめて同じ時、同じ場所で死んでしまいたかった。
 そうすることで永遠を手に入れることができると思った。
 けれど現実には、冷はまだ、こうして生きている。
 きっと涼も生きている。それは確信だった。涼のことだからわかった。
 そして、永遠なんてどこにも存在しないということも。
 退院するとすぐ、冷は嫁ぐこととなった。きっと妙な噂が立つ前に、他家に追い出してしまおうと父が考えたからだろう。
 屋敷へ帰っても、涼に会うことはできなかった。同じ家に住んでいるのに。冷は婚儀まで軟禁され、部屋から出ることは赦されなかった。
 最初の内は嫌だと泣き喚いていたのに、次第にどうでもよくなっていった。
 そう。もう、どうだっていい。涼でないのなら誰だって同じだ。生きていても死んでいても、同じことだ。
 きっと、もう二度と涼には会えない。
 そう思っていた。
 けれどある夜、奇跡が起こった。
「冷」
 部屋で一人ぼんやりとベッドに横たわっていた冷は懐かしい声が聞こえ、思わず顔を上げた。
 まさか。そんなはずない。
 頭で否定しながらも、逸る心を抑えきれず、カーテンを開けた。
 月明かりが部屋の中に差し込む。
 満月の夜がこんなにも明るいなんて、忘れていた。
 部屋の中に、冷のものではない影が伸びる。
 窓の外に涼がいた。この世で一番大切で、ただひとりの愛しい人。
「涼……どうしてここに……」
「もう……会えないかと思った……」
「……ッ。涼……人に見つかったら……っ」
 続くはずの言葉はそこで途切れた。
 気が付けば冷は、涼の腕の中にいた。懐かしい温もりが、冷の身体を包み込む。愛しさが、全身を駆け巡る。何かを言おうとして、けれど唇が空回る。何か、とても言いたいことがあったはずなのに、胸が詰まって何一つ言葉にならない。代わりに想いは堰を切ったように溢れ出し、制止の言葉の代わりに涙が溢れた。冷は抱きしめる腕に縋って声を殺して泣いた。
 あの夜から三ヶ月。どうして涼がここにいるのか。そんなことはもうどうでもよかった。ただここにある互いの温もりだけが真実だった。
「会いたかった……」
 今にも消え入りそうな声が耳朶を撫ぜる。
 吐息のような声とは裏腹に、腕にこもる力は強くなる。
 このまま、ひとつになることができたらいいのに。身体なんてなければいいのに。
 どうして人はひとつになれないのだろう。
 どれほどそうしていただろう。永遠にも一瞬にも似た時間が終わる。
 痛いほどの沈黙の後、涼がそっと口を開いた。
「……冷、一緒に逃げよう」
「涼……っ」
「もう一度、ふたりで」
 冷を抱きしめた涼は、あの夜と、同じことを言った。
 冷は、涼と一緒にいたかった。涼さえいれば何も要らなかった。その心に、嘘など無い。
 けれど。
「……行かない」
 絞るように答えを返した。
 けれどどんなに小さな声も、こんなに近くにいれば届いてしまう。その証拠に、冷を抱く涼の手がピクリと動いた。
「……どうして」
「……」
「冷」
 どうして。
 名前を呼ばれるだけで、こんなにも愛しさが胸を広がるのだろう。
 こんなにも愛しいのに、どうして冷はこの手を拒まなければいけないのだろう。ずっと一緒にいられたら、他には何も要らないのに。
 ずっと一緒にいることなんてできないということに、どうして気付いてしまったのだろう。
「……逃げて、どうするの」
「え…」
「また、同じことをくり返すだけでしょう?」
「冷……」
 すべてを捨てた二人を待つものは、永遠なんかじゃない。すべてを捨ててしまえば、数ヶ月前と同じように、死を選ぶことしかできなくなる。在りもしない永遠を求めながら。
 すべてを捨てても、二人の望む未来を手に入れることなんてできないということに、冷は気付いてしまった。
「……怖いの?」
「え……?」
「冷は、怖くなったの?死ぬことが。僕が傍にいるのに、ずっと一緒にいるのに、死ぬのが怖いの?」
「違う……ッ」
「じゃぁどうして……ッ」
 問う声は、悲鳴に似ていた。まるですがりつくように、冷を抱きしめる涼の腕が強くなる。けれど冷は、涼の胸を押し返した。
 きつく抱きしめていたはずの腕は、いとも簡単にほどけてしまった。
「冷……」
 呼ぶ声は、見つめる瞳は、まるで道に迷った幼子のようだった。
「……怖いよ」
「……ッ」
「でも、怖いのは、死ぬことじゃないの」
「……」
「怖いのは、涼を不幸にすること。私のために、涼が幸せになれないことの方がずっと怖い……ッ」
「そんなの……ッ」
 痛みに耐えるような表情を見せる涼をじっと見つめる。久しぶりに見た涼は、以前より少し大人びたように感じた。
 これから先もきっと、冷の知らない涼がふえていく。ずっと一緒にいられるわけないのに、ふたりはまだ子どもだったから、途方もない願いを、真剣に信じていた。愛し愛されたあの瞬間が永遠のものになると、本気で想っていた。
 だけど。
 涼と離れてひとりになり、考えてみた。
 冷は、涼さえいれば生きていける。涼と一緒ならば、死ぬことさえ怖くない。
 けれどそれは、本当に幸せだろうか。
 ふたりはふたりでいることで生きてこれた。だけどそれは幸せではない。
 ふたりがふたりでいるかぎり、幸せになれない。
「それでもいい。幸せなんて要らない。怜が傍にいてくれたら何も要らない。だから……ッ」
「……もう、無理よ」
「―――ッ」
 涼なら、きっとそう言うと思っていた。
 だって冷も同じだから。涼と一緒にいられるなら、幸せなんて要らないと。
 けれど冷は、涼には幸せを掴んで欲しい。
 どうしようもない矛盾とエゴで、この愛情はできている。
「無理だよ、もう」
 冷は、知ってしまったから。あの夜の絶望を。永遠なんてどこにも無いと。
「涼も、もうわかってるんでしょう?」
「……」
 冷の問いに答えず、涼は黙って俯いた。沈黙が何よりの答えだった。
 もう子どもには戻れない。甘い、優しい夢は、子どもの時間はもう終わったのだ。
 だから。
「……さよなら」
 ふたりは互いを何よりも強く愛していたから。
 離れることを決意した。


7 :緋桜 :2007/12/11(火) 14:35:59 ID:ommLPmsk

* * *

 貴方と一緒なら、死すらも幸せに変えられると思ってた。
 けれど本当は、幸せも哀しみも、この世界の中に在る。生きることでしか、人は何かを掴めない。


 さようなら、愛しい人。もしもまた誰かを愛することができたら、今度こそ幸せになって。
 どこにいても誰の傍にいても、あなたの幸せを祈ります。


8 :緋桜 :2007/12/11(火) 14:38:58 ID:ommLPmsk

あとがきに代えて

 ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございます。

「ふたり」、一応完結です。

短編を書こう!と思って書いたので本当に短いです。

短い話をテンポよくまとめられるようになりたいです。

あとオチとかなくてすみません……。


 それではまたいずれかの作品でお会いすることを期待しつつ。


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.