ピジョンブラッド


1 :akiyuki :2007/02/15(木) 18:50:57 ID:VJsFrmQG

 プロデュース 異龍闇
 キャラクターデザイン 間宮蛍
 本編制作 akiyuki        (敬称略)

 


2 :akiyuki :2007/02/16(金) 10:01:06 ID:VJsFrmQG

幕が上がる前に呟く語り部


 ついぞ五年ほど前のこと、とある町に『星』が落ちた。

 『星』

 もっと即物的に言えば、隕石

 ――――それは不思議な石だった。
 誰も予測できなかった。誰も回避できなかった。その隕石は、はるか遠くの宇宙空間から来ることなく、突然誰にも見つかることなく日本の空に現れた。そして誰もその恐怖を感じる暇も無いうちに大地に衝突し、町を廃墟に変換した。

 それが世間的な常識。


 ……正確には、隕石は落ちたのではなかった。
 厳密には『それ』は隕石ですらなかった。
 球体。
 光を放つ、謎の球体。流れ星はミシマの上空まできてそこで静止し――爆発したのだ。

 その強烈な光で夜の街を照らし、その爆風が同時に町を薙ぐ。

 そうして災害が終了したとき、その町は死者と瓦礫で埋め尽くされていた。

 死者      七二三〇人
 行方不明者  一〇〇〇四人
 被害総額     不明

 多くの人々が悲しみ、苦しんだ一夜。
 住人も、その悲劇を知った国内の誰もが町の復興を望み、政府も国土の回復に尽力した。

 ……星降る夜から三日後。
 生き延びた人々に追い討ちをかける出来事が起きた。
 その日、政府の調査団は隕石の落ちた、つまりは星が真上で爆発したと思われる地点の探索を行っていた。巨大なクレーターの痕。そこに何が落ちたのかを確かめるため百メートル四方の大きなクレーターの中に足を踏み入れた調査団が、行方不明となった。
 同時刻。クレーター、中心地から三百メートル離れたところに集まっていた被災者及びボランティア五十七名が、突然一人を残し失踪した。生き残った青年の証言ではなんでも

 みんな怪物に食べられた

 と言ったらしい。

 その二日後。
 謎の巨大生物がマスコミのカメラに映る。体長三メートルを超える、巨大な鳥のような、怪物。
 人を喰うこと。まだその町にしかあらわれていないこと。地球上のあらゆる生物に類似しないこと。星が降った時刻、午後十時から夜明けまでの間動くこと。星との関連性も考えられたが、最も注目すべきは、それらは人を襲う以外の破壊も活動もおこなわないということ。
 つまりそれは、人間の『敵』の出現を意味していた。
 
 
 



 しかしそれを外の世界の人間が知ることはなかった。
 その情報は秘匿され、あらゆる情報が外部に持ち出される前に消された。
 自分達の手に負えないと判断した政府はクレーターから四方数キロメートルを巨大な壁で囲み、隔離した。中に、人がまだ残っているままで。
 外の世界に『敵』が漏れないように。

 


 それから五年。
 星が落ちた町『ミシマ』
 生き残るには少し難しいその町で、人々は生き延びている。

 誰にも知られることなく。

 


3 :akiyuki :2007/02/16(金) 10:12:17 ID:VJsFrmQG

天使は空から落ちてくる(一)


 栄枯盛衰。
 この世に無限などはなく、すべてはいつか絶え尽きる。
 けれども例外というものはあり、その凡例。
 酒というものはいつの時代にも求められる。
 廃墟と化そうが、闇に包まれようが、そこに人がいる限り、酒の絶えることはない。
 何が言いたいかといえば、つまりいい値で売れるということだ。




 隕石が落ちた町、ミシマ。瓦礫撤去がまだ終わらぬうちにパワーショベルが帰っていった西地区。比較的治安のいい土地の、元公園だった広場に、屋台が一つ。
 闇の中に浮かぶ灯り、それにつられてよってくるのは、何も夏の虫だけではない。その夜も、男が二人『不退転』の三文字が書かれたのれんをくぐる、客席にはボロボロの衣服を身に纏う中年の男性と、老人の二人組み。災害の中を生き抜いてきたらしい、痩せた、しかしたくましい眼光。
 彼らの向かい年若い女性、つまり屋台主がそっぽをむいたまま声をかける。
「いらっしゃい」
 彼女はそんな客二人と対照的に、小奇麗な格好である。赤いバンダナを鉢巻のように額に巻き、その間からウェーブがかった金髪が覗く。長髪の先端をバンダナと同じ色の紐で古風に結わえ、ジーンズにタンクトップ、その上にエプロンと前掛けのつもりだろうか、白いノースリーブのブラウスとミニスカート。この町と、そしてこの屋台にどうにも似合わないおしゃれな格好。
 その美しい容貌に、ずいぶんと冷たく光るまなざしを携えた彼女をミシマにすむものは誰もが知っている。しかし、誰も彼女の素性は知らない。
 それゆえ、通り名がつく。

 遊び人 匿名希望(とくなのぞみ)

 本人も、そう名乗る。
「希望、今日は何売ってんだ?」
 中年男性の一声。楽しみにしていた、といった風に期待のこもる声。何か面倒くさそうに向き直り、希望は営業トークを開始する。
「今日は大根が手に入ったからおでん屋だ」
 おたまで湯気の沸き立つ鍋をかき混ぜてみせる。
 すると白髪の老人が、何かいぶかしげな目で聞き返す。
「ん?ノゾミちゃん、俺にはどうしても大根の姿が目に映らないんだけれど」
 確かにかき混ぜてもかき混ぜてもダシが混ざるだけで肝心の具がみえない。
 それを己の目で確認した後、思い出したように答える。
「ああ、すまない。さっきお腹が空いて全部食べてしまった」
「食べたのかよ!」
 男の突っ込み。多少オーバーリアクションな気もする。
 老人は何も言えず、その鍋を見やる。寸胴の、大きな鍋。話を聞けば、これにいっぱいの量の大根を、目の前のスマートな女性が食べたのだろうか?
 そんなシュールなことは考えない中年の男は席を立つ。
「なんだよ、それじゃあ、帰るよ」
「大の男がこんな健全な時間に就寝か?」
 希望の挑発。男は振り返り、
「することもねえ、金もねえ、ついでに体力もねえ、それに時間もねえ、ここでお前の話し相手しているほど……」
「そうか、残念だな、せっかくいい日本酒が手に入ったのだが」
 希望は机の上にどん、と封の解いてない酒瓶を取り出した。
「せっかくだからいただきます」
 男はいすに座りなおす。上機嫌。
 老人は思う。この町のどこをどう探したらこんなものが出てくるのだろう?
 しかしそんなことを思いもしない男は嬉々としてガラスのコップを受け取っている。
 この男も普段は物陰に座り込み陰鬱とした様相で日々を暮らしている。しかし、この年若い、自分たちにかまってくれる彼女の前に来ると……やはり、中年も老人も声を張り上げ活き活きとする。
「どうした、じいさん」
 老人がふと回想から戻ると、おそらく自分の分であろうガラスのコップを差し出す希望。
 どこか面倒くさそうな、しかし、どこにも嫌悪感のないその表情に、老人は笑みをかえしてコップを受け取った。


 そういうわけで、屋台がある。避難命令が出された時、町を追い出されたボランティアの使っていたものをそのまま拝借して、匿名希望は趣味で屋台引きをする。
 それは仕事ではない。
 ましてやボランティアというわけでもない。彼女は朝目覚めその日の気分で売り物の品と値段をきめているのでどこから取ってきたのかライターを二十円で売ったりどこからくすねてきたのかトカレフ(その筋に大人気の拳銃)をまとめ売りしたりして、つまりそれで生活するには採算があわないのだ。第一、生活用品は週に一度くらい外の世界から運ばれる支援物資でまかなっているので彼女のやっていることはほとんど遊びである。しかし、最低限度の生活で満足できるほど人間はストイックに出来ていない。やはり、美人で、話題に事欠かない匿名希望はこの隔離された町で人気者。今夜も今夜でどこから持ってきたのかわからない日本酒を屋台いっぱいに積んでおでん屋台を引いている。そして人は集まる。



 希望の屋台。
「ああ、酒なんて何年ぶりだよ……」
 男は少し涙ぐみながらエチルアルコールを楽しむ。その姿に希望は何か不思議そうに声をかける。
 「私にはよくわからないが、酒とはそんなにうまいものなのか?」
 十九歳の希望は、酒が飲めない。
 三十九歳の男は唸る。
「そりゃあうめえよ。……、なんて言うのかな、こうやって、おっさんや、希望と一緒に、飲む酒はうめえよ。二年前に、隕石降ってきたときに死んだカミさんや息子と飲んだ酒とおんなじくれえ、うめえよ」
 どこか震えの混じる声。
 その台詞に、老人も酒を飲む手を休めてしまう。
 ただ希望だけが、何もわからない、どうしたらいいのかわからない表情で二人を見つめ……、何も言わない。
 夜は続く。
「でも、あれだな」
 場の空気を戻そうとするように老人が話題を変える。
「どうして俺やこいつはともかく、ノゾミちゃんまでこんなところに閉じ込められているんでしょうね?」
 老人は後ろを向く。
 この公園の外、朽ちたビル群の向こう。数百メートル先に老人の注目しているものがあった。

 壁。
 そこに白い壁がある。
 高さ二十メートル。左右に延々と伸び、ミシマと隣町の境を壁はたどる。取り囲むようにして造られた、檻のような、コンクリートの壁面。
 ミシマは隔離されている。『星』が降り、『敵』が現れたことで拒絶された町。二年前避難命令が出される間もなくいきなりなかの住人ごと封鎖された廃墟。
 それ以来中と外の交流は政府の支援組織を通してのみ行われ、入ることも、出ることも禁止された。何故そんな理不尽が行われるのか、それを説明されることもなく、ミシマの人間たちは捨てられた町で生きている。中にはその自由度の高さに居心地の良さを感じている遊び人たちもいる。希望のように。
 希望は自分の希望でここにいる。
「出る機会はあった。なのに避難命令が出たとき私はここを出なかった。封鎖された後から何を言ってもそれはわがままだろう」
 男は食い下がる。
「違うだろ?あの時、お前は俺たちのために戦っていてくれたから」
「その話はもういい。さっさと飲め酔っ払いども」
 無理矢理空のコップに注ぎ足す。
「けどよお」
「泣くな」
「でもなあ」
「もう十時だぞ」
「もうそんな時間かよ……って」

 そこで男と老人は声を揃えて叫ぶ。

「十時??!!」
 希望は一人隠れて食べていたスルメイカを飲み込んで応じる。
「うるさいぞ二人」
 急にうろたえる男。
「な、な、なんでもっと早く言わねんだよ」
「涙を流す中年にはなんだか声をかけにくくてな」
 平然と言われては困る。この時計のなくなった町でも、『時刻』は命に関わる問題なのだ。
「かけてくれねえと困るだろうが」
 大の大人にそんなことをいわれてはどうしようもない。
「そんなこと言われて困る」
 掛け合いをやめさせる老人。
「と、とりあえず逃げましょ、あいつらが来ますよ」
 老人も声が焦っている。そして、そんな三人の中ただ一人冷静なままの希望が結論付けた。
「そうだな、その意見に賛成だ。敵に喰われるわけにはいかない」
 午後十時。ミシマにとってはその時間はとても重要な意味を持つ。
 老人は結局、町を出る云々の話をはぐらかされたような気もしたが、今は死なないことが何よりも重要だ。屋台を片付けるのを手伝っている。希望が十時という時間に対して鈍感なのはただ彼女が特別、いや特異なだけで、普通の人間、たとえばここにいる酔っ払い二人は、死活問題だ。
 酔っ払って動けない男を尻目に必死に片づけを手伝っている老人。
 その時、







































「こんちくしょーーーーー」



 なんだかすごい声が聞こえた。
「なんだ? 今の?」
 寝ていた男が起き上がる。
「ま、まさか誰かが『敵』に……?」
「しかし襲われる人間の出す声ではないな」
 屋台の主人は冷静だった。
 だが、次に聞こえてきた声は

「きゃあーーーーーー」

 今度こそ間違いなく確実に、悲鳴。
「あっ!」 
 そして、夜の闇の中、視力二.〇の老人の眼が、それを捕らえた。
 それは人だった。小柄というより小さい体躯。夜の海原を映したような暗い色の長髪を、ツインテールに結んでいる。長袖のセーラー服に濃緑色のスカーフ。袖や襟、スカートも同じ色で揃えてあり、学生服というやつだ。だが、この町に学生服を着た人間がいるということが、前提にありえない。しかも、その女の子が見えるのは、ミシマ名物白い壁よりさらに上、『地上五十メートル』の高さから、『自然落下』する姿。

 女の子が、空から落ちてくるのを目撃したのだ。

 しかも、落下地点は、この、ミシマの『中』
 あまりにありえないその現象に絶句しているうちに二百メートル先のビル群の中に消えていった少女の体。
 男は老人と、希望を交互に見る。
「お、おい今のまさか」
 希望は何も答えない。ただのれんをしまう。
「お、おい見てないのか今の! 今、今、今」
 椅子を片付けながら、人が落ちてきた空のほうも見ないで、そこでやっと希望の声が答えた。
「今落ちたのはどう見ても人だったな」
「じゃあもっと驚けよ!」
 酔っ払いは突っ込んだ。
「と、とにかく見に行こうぜ」
 酔いも醒めた男は希望に声をかける。
「無理」
 即答。
「なんでだよ」
 仕事着のブラウスとスカートを外しタンクトップにジーンズという夏の夜にも少しきびしい姿で答える。
「もう『敵』の時間だ。私はともかくお前たちは早く逃げるか隠れるかしないと……死ぬぞ?」
 なんでそんなこともわからないのか。そう言いたげな希望の台詞。
「け、けど、あの子のこと、心配じゃねえか」
 なんでそんなこともわからないのか。そう言いたげな男の台詞。頼りないが、しかし真摯な言葉。匿名希望は空を仰ぐ。
「やれやれ、なんで自分の心配をしないんだ。もう、奴らは来てるんだぞ」


 黒い影が、上空を通り過ぎる。


 希望が、中年が、老人がそれを見上げた。
 それを説明できる言葉は、ただ一つ。
 黒かった。
 その生き物は、果たして生物といっていいのかどうかも判らなかったが、その化け物は黒かった。黒い粘土をこね回し、くちばしと翼と尾を持った流線型の『烏』が、公園の上を飛んだ。巨大な、広げられた翼は全長五メートルをゆうに超える。
 影が通り過ぎた後、三者が同時に、同じ言葉を口に出す。
「……『敵』」
 あれこそが、人を襲い、人を喰う、人間の『敵』
 午後十時になると、どこからともなく現れて。人間を狙う巨大な烏。正体不明の怪物達。この町におそらく数十羽が確認された異形度も。
 しかしおかしい。何故『敵』が三人の人間を目の前にして、無視してゆくのか。人間を襲うからこその『敵』なのだから。
「大変だ」
 老人が気付く。
「どうしたよ、じいさん」
 男がいぶかしげに震える老人の顔をのぞきこむ。
「わからんか?あいつら、どっち行った?」
「どっちって…………」
 そこで顔面を蒼白にする中年。
 敵の向かった方角にあるもの。
 それは、敵を封じ込める壁の方。
 つまり、ビル群の方。
 つまり、空から落ちてきた女の子の落下地点の方。
 老人にさえ確認できたのだから、敵だって見たはずだ。
 匿名希望はぼそりと呟く。
「なるほどな、どうやらこの匿名希望はがんばって『敵』に追いつかなければならないシチュエーションということか」
 男二人が声に振り向く。
 そこには屋台にブルーシートをかけ終わった遊び人の姿がある。
 しかし、バンダナと髪をくくる紐。『仕事着』はまだ外していない。
 ポケットに手をつっこんだまま、『本気モード』を継続中で、
「の、希望。もしかして」
「行ってくれるのかい?」
 頷くのも面倒くさいというように、希望は言葉をつなげる。
「仕方ないだろう?じゃあ、行ってくる。お前たち。他の敵に見つからないように隠れていろよ」
 しかし、遅かった。
「ん?」
 再び上空を見ると。
 


 黒い影が上空を通り過ぎる。
 

 二つの大きな影。闇の翼を広げ、公園の上で旋回し、どうやらこちらを意識している。
「なんだ?」
 向こうに飛び去ったのとは別の、人喰い。新手の『敵』が、三人を狙っていた。
 それを確認後、
「ふむ」
 希望は視線を水平に戻し、男二人を見て、聞いてみる。
「やはり、あいつらからお前らを守ってから行った方がいいか?」
 二人は声を揃える。
「「できればおねがいします」」
 そこで初めて、この場面で初めて、匿名希望の表情に変化が起こる。
 どうにも苦々しい、やれやれといった、そんな顔。
「まったく、理不尽だな」
 午後十時、ミシマにとってその時間は重要な意味を持つ。


 


4 :akiyuki :2007/02/16(金) 10:14:50 ID:VJsFrmQG

天使は空から落ちてくる(二)


「ねえ、佐藤さん。やっぱりやめようよ……中学生がこんなことしちゃいけないよ」
「羽山君、ここまで来ちゃってそんなこと言わないでよ。私だって怖いけど……もう後戻りは出来ないもん」


 舞台は一旦十分ほど前に遡る。
 閉ざされた町『ミシマ』を囲む巨大な壁。
 その町は閉鎖され、もう、誰もいないことになっている。
 完全に沈黙し、静止した、終わってしまった町。
 あのマスコミですら立ち入ることができていない完璧に隔離された空間。そこでは何か如何わしいことが行われているのではと噂されながらその実態に近付いた話は一切されない。どこぞの掲示板やらゴシップ誌で思い出したように取り扱われるだけの、もう忘れられ始めている町。
 人々の心から、終わりかけている町。
 けれど、それはすべての人間にとってそうと言うわけではない。

 ミシマ。その巨大な壁のふもと、壁に触れることができるほどの位置。
「ねえ、上るの?」
「ここまで来てやめられないもん」
「でも、駄目だよ生、怒られちゃうよお」
「覚悟の上だもん」
「……佐藤さんって、時々無茶するよね」
「何か言った?」
「ううん、何も……」
 年若い男女が立っていた。
 一人は白いセーターにベージュのズボン。胸のマークが中学生、しかもこのミシマだった町の隣、サイジョウ市の学生のものであることを教えてくれている。おどおどとして、中途半端に持ち上がった手が彼の意思の弱さを示している。
「ねえ、本気なの? ミシマに入るなんて。絶対危ないよ、っていうより、無理だよ」
 少年、羽山翼(はやまつばさ)は目の前の少女に最後通告を敢行した。もちろん、それを相手が耳に入れてくれているとは思っていない。
「え? 今何か言った?」
 目の前の少女はこれから立ち向かう壁にすべての集中がいっていた。 
「いえ、なんでもありません」
 翼はちょっと涙ぐんでいた。
 にじむ視界に映る小柄というより小さい体躯。夜の海原を映したような暗い色の長髪を、ツインテールに結んでいる。長袖のセーラー服に濃緑色のスカーフ。袖や襟、スカートも同じ色で揃えてあり、学生服が当然に似合う幼い容姿。
 彼女の名は佐藤つぐみ。翼の同級生である。
 この目の前にいる、どこにでもいそうなこの少女は、これから前代未聞の犯罪を犯そうとしており、そして翼はその片棒を無理矢理担がされているのだった。
 
 昨日の放課後突然つぐみに呼び出された翼。クラスの中でも可愛いので有名なつぐみがこの優柔不断体力不足貧相華奢な自分に何の用かとドギマギしながら向かってみると突然手を握られ「お願い、あなたしか頼れる人はいないの」などと言われて、もうこれはやるしかないでしょうと二つ返事で了承したが、それが甘かった。
 つぐみの狙いは結構なお坊ちゃんである翼の財布(電車代)だったのだ。
 かくして気がつくとつぐみと共に結構な有名スポット、『ミシマ』の壁の本当に目の前に着ていた。調べは付いていたらしく立ち入りを禁止され普段から見回りの厳しいミシマに、なんと五メートルのところまで近付いている。一体何をする気なのかと聞いてみると、つぐみはわかりやすく教えてくれた。
「ミシマに入るの」
「だ、駄目だよお」
 もちろん、無視された。
「ところでどうやって中に入るの? この前は何か方法があるみたいに言っていたけれど」
 翼にはどうしても思いつけなかったのだ。
 純粋に考えて、こんな見上げても見上げたりないコンクリートの壁を相手にどうやって突破しようというのだろうか。唯一の門らしき検問所は随時大人がいるしそうでなくてももうすぐこの場所にも見回りの人がくるはずだ。まさか穴でも掘るのか? それとも爆発物でも持ってきているのか、それとも自分には思いも付かない裏技テクニックがあるというのか?
「とお」
 壁に飛びつくつぐみ。その後どうするのだろう。見ていると、
「うんしょ、うんしょ」
 二年、風雨にさらされていた壁はところどころへこみがあったりひび割れていたり。なるほど、鍛えた者なら上れるかもしれない……って
「上るのーーーーー?!」
「うんしょうんしょ」
 無視が肯定を示す。
「え、と、佐藤さーん。本気なのー。これ百メートルくらいあるんだよー」
 正確には五十メートルである。
 だが気付くともう十メートルは上っている。
「すごい、佐藤さんって力強かったんだ……」
 などと思いながら、あることに気付く。つぐみは制服を着ている。セーラー服にスカート。標準的なそれだが、とても困ったことになった。
 コンクリートの壁を登る女の子がスカートを履いていて、そしてそれを下から見上げるとどうなるか……?
「さ、佐藤さ〜〜ん」
 頑張って下を向いて叫ぶ。頑張れ未成年。良心がそう叫ぶ。上を向かなきゃ状況がわからないじゃん。悪魔の囁きのほうが年頃の男の子の耳には心地よい。
「大丈夫かなーー佐藤さーーん」
 
 スパッツだった。

「うわーーーーん」
「こら、そこで何をしている」
 後ろから突然かけられた声。振り向くと、そこには軍事演習でも行う気だろうか、黒い戦闘服に身を包んだ男が二人、翼に自動小銃のライトを向けていた。銃? なんでこんな町中、ではないが非戦闘地域で日本の警察が銃を? しかしそれよりももっと現実的な問題がある。
 どうしよう。翼は考える。中学生が夜中法律で来てはいけないという所で叫んでいる。言い訳が思いつけない。困った。しかしここで大人たちにつぐみを止めてもらうのも、一つの案ではなかろうか。結局なんでこんな壁を越えてまで中に入りたいのかを教えてくれてはいないが、ここは安全策を。
 と、ちらりと上のつぐみを見る。すると、その視線の動きを見て取った大人たちも壁の上を気にしだす。このままじっとしていれば、彼らがつぐみに気付きどうにかしてくれる。ほっと胸をなでおろす翼だが、その手をじっと見つめていると、昨日のことを思い出す。

「お願い、あなたしか頼れる人はいないの」


 そして、翼がとった行動は
「ごめんなさーい」
 逃げる。
「あ、こら待て!」 
 予想通り追いかけてくる警備員二人。
 これでいい。これでつぐみは邪魔なく壁を登れるのだ。
「佐藤さーーん、早く帰ってきてーー」
 全力疾走しながら、羽山翼はそう喚いた。
 しかし悲しいかな、つぐみの耳にはその声も届いていなかった。


 何故なら、ちょうどその時つぐみは、見たこともない巨大な烏と、目が合っていたのだ。


5 :akiyuki :2007/02/16(金) 10:18:51 ID:VJsFrmQG

空から落ちてきた鳩


「こんちくしょー」

 女の子の出す声でないが、この言葉を出すとなんだか力が三割増しな気がするのだ。日常においてもピンチの時や逆境ではこの言葉を叫ぶことにしている。だから、この状況でもその言葉は発せられる。
 つぐみは登る。壁を登る。突貫工事で作られて以来、誰も点検などしないのでひび割れやくぼみのたくさんできたこの壁を一心不乱に登っている。
 聞いている話ではこの中の住民は『死体以外』みな避難が済んでおり『生きている人間』は一人もいないという。しかも謎の病気か何かが発生したらしく完全に隔離され、遺体を家族の下に還す作業すら行われなかった。
 もちろんそのことに反感を示す遺族もたくさんいた(つぐみの両親もそれだった)が、何故かそれが取りざたされることも無く、まるで、そうその声は、握りつぶされていた。
 つぐみは思った。

 何かがあると。

 この中には、国民に知らせるわけにはいかない何かがあるのだと知った。
 だからつぐみは壁を登る。一生懸命に、登る。
 元々運動は大好きで見た目に反して体力少女だったつぐみ。
 この日のためにロッククライミング部に所属し力、特に腕力、握力を高めてきた。この壁を想定して、何度も予行を重ね、ついにこの日を迎えたのだ。
 ちょうど電車代を出してくれるスポンサー(同級生)を引き連れてここまできた。
 隔離された、町ではない町。ミシマ。
 そして、おそらくこの国では初めてではないだろうか? つぐみはそこに潜入しようとしている。それも、壁をよじ登るという方法で。
 共犯者である羽山翼を置いてきたのは彼なら囮になってくれるような気がしたから。我ながら酷い女だとは思うがここでつかまるわけにはいかないのだ。彼女の目的は、このミシマの中に入るだけではない。この壁の向こうがどうなっているかを見て、そして……。探すのだ。
 潜入は思ったよりも簡単だった。何故か誰もつぐみが壁をよじ登っていることに気がつかない。一人くらい警備が気付いてもよさそうなのだが、その時は、皆何故かミシマの壁のまわりをうろつく男子中学生を追いかけるのに総出で上を見上げている暇のある人物は、壁の外にはいなかった。
 疲労が溜まる。汗が噴出す。顔が埃る。けれどつぐみはただ上を目指す。どれくらいの時間そうしているのか忘れてしまった頃、気がつくと右手が、今までよりもしっかりと壁に手をかけていた。
 見上げると、それが壁でないことを認識した。それは、壁の上端を掴んでいた。つまり、頂上。
 ……。思ったよりも簡単に、つぐみは登りきったのだ。あと五十センチ体を上に持ち上げれば、それは眼下五十メートルに広がる町並みが見える。心臓の鼓動の上昇が、自分が興奮していることを教えてくれる。見たい。早くミシマの姿を見たい。

 けれど、躊躇いもある。もし、壁を登りきり廃墟となった町をみてしまったら。
ここが政府の言う通りで、人なんてもう誰もいなくて、自分の想像なんてなんの意味も無いことを、自分のかすかな希望が砕け散るのでは。そう思うと景色を覗くのが怖かった。
 一分ほど、つぐみは動けなかった。
 命綱もつけずに地上数十メートルに浮くつぐみは、必死に自分に言い聞かせる。
「頑張れ、頑張れつぐみ」
 何度も何度も自分に言い聞かせる。
「ここまで来たのは、確かめるためでしょ」
 何度も何度も、ここに来るまでも、いや、あの日、つぐみの住んでいたこのミシマに隕石が落ちた日から、ずっとずっと必ずこの町に帰ってくることを望んだ日から言い聞かせているのだ。
 もう、サイはずっと昔に振られていたのだ。つぐみはただ、サイの目を見ることを後延ばしにしてきただけで
 もう、戻ることは出来ないのだ。
「こ……」
 だから、体中に力を溜めて、
「こ……」
 思い切って、景色を見る。
「こんちくしょーー」
 そして壁の向こうに見える景色は




 上空を、黒い影が通り過ぎる。




「へ?」
 間抜けな声を上げた。
 本当は、結構感動的な場面だったのだ。
 眼下に望む町並みには、そう、灯りが灯っていた。
 焚き火か何かだろう、か細いけれど、確かに灯る火の色が、この町にはやはり人が生き残っていることを教えてくれたから。
 もしかしたら、『死んだことになっている人間が、本当はミシマの中で生きているんじゃないのか』というつぐみの疑問が、解消された瞬間だから、本当はとてもいい気持ちが胸の奥から湧きあがってくる状況だったはずなのだ。
 なのに、それを妨げてくれる物が、目の前にあった。
 黒い影が、壁の上端にやっとこさ座りこんだつぐみの目の前にあった。
「え、え、な、何これ」
 黒い影は、鳥だった。いや、それは俗に言うカラス、なのだと思った。けれど、目の前にいる、巨大な、三メートルはあろうかという巨大な物体が、烏であるというにはなにかおかしくて、つぐみは、それを説明する言葉として、二つの言葉を選んだ。

 翼とくちばしを持った黒い何か

 そして

 鳥のお化け


 人情的には後者の方が正しい気がした。
 鳥はつぐみを確認するや、なんの予備動作も無く、まるで『つぐみが人間であることを確認するや否や』というように、飛び掛ってきた。
 がっし

 捕まった

「えーーーーー」
 あまりに理不尽な展開に、ただ叫ぶしかない。しかし、叫んだところでどうしようもない。鳥は、つぐみの胴体にしっかり鉤爪で掴むと、飛び上がった。
「な、な」
 理解が追いつかない。
 状況整理をしようとも、できるだけの情報が無い。
 わからない。この町と、この鳥のお化けの繋がりが、わからない。
 なんで自分は、こんな状況に陥らなければならないのか。サイの目を確かめたら、七がでていたとでもいうような、いや、違う。
 ただ、つぐみは己の目的を邪魔するこの鳥さんにムカついた。
 そう、こういうときに自分が叫ぶのは、悲鳴でも、悲嘆でも、ましてや懇願でもないのだ。




















「こんちくしょーーーーー」

 体中の力を振り絞り、つぐみは背筋と首の力で頭を振り上げた。その後頭部を鳥の胸元にめり込ませた。

 ぐえ

 と奇妙な声を発した後、鳥は思わず足の力を弛めてしまう。とはいっても暴走モードの乙女はそんなこと知らずとにかく暴れて、体をぽかぽか、否、ドスドスと殴りつける。
 結果、鳥はつぐみを思わず落とす。地上四十メートルから。後悔先に立たないものである
 そしてつぐみは、町中に聞こえるような巨大な声で、叫んだ。

「きゃーーーーーーーーー」

 落ちた。
 落ちる。落ちる。落ちる。
 地面に向かって加速しながら、万有引力が荒々しくつぐみを引っ張り、地面に激突を狙っている。避わしようのない死が、目の前四十メートル先にある。
 恐ろしい速さで下から上に流れる景色。落下しているのだ。
 途中で誰かがこっちを見ているのを見た。白髪の老人だった。屋台が見えた。こんなところにも屋台はあるのか。
 他にもいろんな人がこちらを見ている気がした。まあ、無理も無いか、自分でもびっくりするくらいの音量で声をあげてしまった。
 涙があふれる。それはこの状況に対する死への恐怖。謎の存在に対する恐怖。けれど、一番の恐怖は、ここで死んでしまい、二度と会えなくなってしまうこと。
 もう、絶対にあえなくなること。もしかしたら、まだこの町で生きているかもしれない人に、もう、決定的に会えなくなってしまう事に
 だから、つぐみは死ねない。まだ、死ねない。だって、見つけたのだ。この町には、人がいるのだ。
 まだ生きているかもしれないのだ。だから……
「死にたくないよ……お姉ちゃん」
 そして廃ビルの密集する、人の眼の届かない薄暗い隙間に落ちていく。
 そして、何もかもを覚悟したつぐみが最後に見たのは……。








「まったく、無茶をする人が来たものだね」


 人がいた。いや、人がいるのはわかっていることなのだ。
 それは問題がない。しかし、なんでその台詞を聞くことが出来るのだろう。
 自然落下中のつぐみに、どうして声をかけられるのだろうか?
 だって、何故その少年は、自分の横で一緒に落ちているのだ。

 なんで、こんなところに

 どうやって、こんなところに

 いやそれよりも、いつのまに

 上空二十メートル。その少年は落下するつぐみを、空中で受け止めるように抱きしめた。
 そして、そのまま共に落下する。
「え、ちょっと、なんで、どうして?」
 どの瞬間からいるのか。それに、このシチュエーション。
「ああ、俺?」
 少年は、つぐみより少しだけ体躯が大きいらしく、まるで落ちるつぐみを庇うようにしっかりと体を覆っていた。質問になど答えない。
「じっとしてろよ、下手に動くと怪我するぞ」
 にやりと、少年はただ笑う。そして抱きしめる力を強める。何がなんだかわからず、もう目を瞑るつぐみ。
 三秒後、何か巨大で硬いものとぶつかった衝撃が来た。
 その四秒後、つぐみは目を開けた。
 どうやら、地面に追突したらしい。なのに、つぐみには怪我は無い。だって、自分と大地の間には衝撃緩衝材となった青年が横たわっているから。
「あ、あ……」
 なんということだ。自分なんかを庇って、誰かが名前も知らない誰かが……し、死んで
「ちょっと痛かったね、君、大丈夫?」
 死んでなかった。というよりピンピンしている。
 もう、つぐみは何がなんだかわからない。
「な、なんで平気なんですか? 怪我とかしてないんですか? っていうかこの町なんなんですか? あの鳥のお化けなんなんですか? あの、この町の人ですよね、じゃあ、一つ聞きたいことが……」
 そこまでまくし立てておいて、彼女の体が、ぐらり、と揺れる。
「あふ……」
 そしてばたん、と倒れこむ。
 この五分にも満たない時間の中で、つぐみの常識は二転三転してしまった。それに耐えられなくなった精神が選んだのは、とりあえず気絶。意識を失ったのを確認して少年は少女を仰向けにし、確かめる。どうやら肉体的には損傷は無いらしい。
「なるほど、正常な反応だ」
 少年は笑う。いや、それはよく見ると少年というには、少し年齢が高いようにも思える。黒いロングシャツの上に変型ジャンパー。膝下五センチ、といったところのカーゴパンツ。埃にまみれたキャップを逆にかぶった、一人微笑むその姿は、どこか大人びた雰囲気をかもしだす。ただ最も特徴的なのは、その目。
「君の質問に答えるのは次の機会だね」
 非日本人的な、赤い眼。宝石を埋め込んだような、紅石色(ピジョンブラッド)に光る眼をした少年はにやりと笑う。
「ま、もし次の機会があったならだけど」

 時刻は奇しくも午後十時。この町にとって重要な意味を持つ時刻に、佐藤つぐみは落ちてきた。




 


6 :akiyuki :2007/02/16(金) 10:24:47 ID:VJsFrmQG

アイアンレディ(一)

 世の中には知らないほうがよいこともある。
 世の中には知らなかったほうがよいこともある。
 世の中には、どうしようもなく後悔してしまうことがある。
 けれど、それを知ってしまえば終わりなのかといえば、そうでもない。
 だから、もう何もかも終わってしまうのかといえば、そうでもない。
 そんなわけが、ないのだ。





 目を覚ましたつぐみは、自分が布団に寝かされているのに気付いた。
 何故?
 ゆっくりと上体を起こしたつぐみは、そこがどこかの屋内の中と気付いた。
 屋内というのもおこがましい、窓のガラスはすべて破られ、壁という壁には亀裂が入り、床には砂利が散らばっている。
 まさに廃屋。
 つぐみの疑問その一は、
「あれ? 今何時?」
 そしてその二に
「ここ、どこ?」
 辺りを見回すため体を捻ろうとしたその時、
「起きたか」
 正体不明の声が、背後から聞こえた。
「うひゃあ」
 予期せぬ登場人物に驚き飛び跳ね、後ろにいる誰かと距離をとる。
「だ、誰ですか?!」
 それは予想に反して女性だった。ロングの金髪を先端で結わえた古風な結び。着ているものは今風のくたびれたジーンズにタンクトップ。偉そうな、何も考えてなさそうな、浮世放れした印象の表情を見せている。その誰何に少しも反応を見せず、その『彼女』は己のペースでこう言った。
「朝の挨拶は?」
「へ……」
 質問に質問で返されたことで思考が止まりかけたが、これまでの日常生活でも対応し切れる要求であったため、とりあえず、頭を下げる。 
「お、おはようございます」
「うむ、おはよう」
 すると、そのやり取りにこだわりがあったらしく、『彼女』はそこでつぐみの質問に答えてくれた。
「時刻は日本時間で午前七時十二分。ここはお前が落ちてきた地区の建物の一つだ。幸いにも空き部屋だったので使わせてもらった」
 なるほど、的確な答えだ。的確すぎて、足りないものがある。
「あの、一つ聞いてもいいでしょうか」
 少し警戒しながら、つぐみは『彼女』に決定的な質問を行った。
「なんで私ここにいるんですか」
「お前が落ちてきたんだろう」
 即答である。
 随分と荒い口調の女性だが、しかし悪意というか、害意のようなものは感じられない。多分、天然という奴なのだろう。
 って、そうじゃない。今の『彼女』の言葉には、ひどく大事な意味がある。
 落ちてきた。
 ということは、『彼女』は自分が落ちているのを、見たのだ。
 なら、ここが壁の中で、『彼女』は住人と考えていいのか?
 つまり、ここは。
 そして、自分は。
 だから、アレは。
「夢じゃなかったんだ」
「では私も質問していいかな」
 顔をあげると、いつの間にやら『彼女』は目の前にいた。距離十センチのところで目と目が合う。思わず悲鳴をあげそうになったがそんな暇を与えずに彼女の言葉が続く。
「怪我はないか」
「いえ」
「痛むところは」
「ありません」
「体が重かったり違和感は」
「ないです」
「元気か」
「はい」
 そこまで確認した後、本来の質問に移り変わる。

「昨日の晩、お前を助けたのは誰だ」

 その言葉に、欠けていたところに部品が差し込まれたような感覚と共に、記憶が蘇る。
 確か自分は禁じられた町の壁をよじ登って、巨大生物に捕獲されて、暴れたら落ちて、五十メートルの高さから落下して、そして、そう、あの突然現れた少年に……。
 そうだ、あの少年は、無事なのか?!
 自分を襲った黒い影。
 あれは一体なんなのだ。
 自分を庇ったあの少年。
 彼は、一体誰なのか。
 その前に、目の前にいる『彼女』は誰だ。
 ここは一体、どうなっているのだ。
「答えろ、誰だ」
「わかりません」
 正直に答えるしかない。
「なら、こういう質問はどうだ? 『そいつは、赤い眼をしていたか?』」
 それはキーワードなのかも知れないが、
「ごめんなさい。顔をあんまり見てなくて」
 本当である。
「そうか」
 すると、その『彼女』の呆けた表情が、少し落ち込んだ。
「しかし、あの落下をどうにかできるような奴は、数えるくらいしかいない。奴である可能性は高い」
 しかしすぐに調子を取り戻すと独り言と共に『彼女』は立ち上がり、出入り口へと歩き出す。
「あ、あの」
 声をかける。『彼女』はつまらなそうにつぐみの方を向きなおし、早口に喋る。
「なんだ、私はもうここには用がないので帰るぞ? まさかとは思うが私に頼ったりとかは考えないでくれ。お前を助けたのは別人で私が来たときには全てが終わっていた。私はただ通りかかっただけだからな」
 そこまでは考えていなかった。ただ、つぐみは気付いている。昨日の晩、助けてくれた(らしい)のは別人だろう。けれど、ここに自分を運んで介抱してくれたのは、こうして自分に布団をかけてくれたのは、誰だ?
 解答は一つしかない。だから言いたいことが一つだけ。
「ありがとうございます」
 もう一度頭を下げる。
 振り返り、つぐみの姿を見下ろす『彼女』は、どこか面倒くさそうな顔をしていた。
 そういうことをされるのが、本当に苦手だといわんばかりの、面倒そうな顔。
 『彼女』はそしてつぐみに声をかけた。
「ところで、お前名前は?」
 顔をあげた少女は自己紹介を行う。
「私は佐藤つぐみと言います」
 その名前を聞いた途端、『彼女』の顔に驚愕が走った。
「佐藤……つぐみ? それがお前の名前か? 本当に、佐藤つぐみと言うのか?」
 なぜそこにそれほど反応するのかわからないが、つぐみはとりあえず頷いた。そんなつぐみをまじまじと見つめ、そして何か思いに耽る様子を見せた後、
「理不尽だな」
 『彼女』はそう呟く。そして呟いた後に『彼女』は、建物の外に止めてある屋台車を一度覗いてから、自己紹介した。
「私は名前がない。しかし他の住民は匿名希望(とくなのぞみ)と呼んでいる。お前も好きなように呼べばいい。しかしノゾミンと言ったら殺戮が待っていると思え」
 そして彼女はつぐみに手を差し伸べた。


 ミシマの朝が始まる。


7 :akiyuki :2007/02/16(金) 19:46:26 ID:VJsFrmQG

アイアンレディ(二)



 今日も朝日が目にしみる。

 昨日の晩、機関銃を担いだ警備員に追われた少年、羽山翼は無事帰宅することが出来た。深夜、門限を守らなかったのは初めてでもう少しで警察に電話されるところだったが、なんとか穏便にすませることができた。
 あの場所は一体なんなのか、つぐみがどうなったのか、気になることはたくさんあったがとりあえず、今は保身を考えよう。
 次の朝。つまりつぐみと匿名希望が出会っている朝。
 翼は何事もなかったかのように登校して、着席していた。
 何の問題もなく始まる学校風景。日常に帰って来れたことに感謝をしつつ、始業のチャイムと共に教室に現れた里中先生(独身)を見やる。
「みなさんごきげんよう。早速ですが出席を取ります」
 担任の言葉に、翼は固まった。そう、忘れていた。自分は少しも日常に帰ってきていない。だって、非日常にIターンしてしまった彼女は……同級生なのだから。
「秋月くん、伊凪くん、氏家さん、江頭さん、笠島くん……」
 次々とクラスメイトの名が呼ばれていく。
「心根さん……は欠席と。斉藤くん、盃さん、佐藤さん……? 佐藤さん?」
 そこで先生は佐藤つぐみがいないことに気付いた。今まで一度も休んだことの無い優等生の佐藤つぐみがそこにいない。不思議に思った里中先生は全員に訊いた。
「誰か佐藤さんのこと聞いてない?」
「あ、あの!」
 立ち上がる翼。全員の視線が集まる中、アフターケアも頼まれていた羽山翼。たどたどしく彼は嘘をついた。
「佐藤さんは、エジプトへ遺跡発掘に行っていて今日は欠席するそうですっ!」
「へー、そうなの」
 それで納得してくれる先生であることを心より感謝した。
『佐藤さん、早く帰ってきてよー』






「佐藤つぐみ、お前向こうに帰る気はないのか?」
「はい、どうしても確かめたいことがあるから、それまではここを離れるわけにはいきません」
「そうか……で、佐藤つぐみ」
「あの、希望さん。その、フルネームで呼ばなくても、名前だけでいいですよ?」
「そうか……では佐藤」
「…………はい」
「さっきから説明しているように、そういうわけでこのミシマの中でも色々な種類の人間が住んでいる。男もいれば女もいるし、子供も、老いた人間も何人か生き残っている。強い人間も弱い人間も善人も悪人も、私のような遊び人もいる」
「希望さんは、善人だと思いますよ」
「私はそういう台詞が苦手で苦手で仕方がない」
「……ごめんなさい」

 終わらされた町。ミシマ。
 つぐみが侵入した壁の付近、元は上坂町と呼ばれていた、ミシマ西地区。
 町の中央だった場所まで伸びる幹線道路。そのもう車が走らなくなった道路の真ん中を、二人の女が歩く。
 一人は佐藤つぐみ。ツインテールの中学生。
 もう一人は匿名希望。屋台を引く、バンダナを巻いた今風の格好の女性。
 社会的にはまともな格好の二人の姿だが、廃墟と化したビル群の谷間にいるにしては、随分とまともでなく見えた。
「壁の向こうもそうだと思うが、ここも、治安の悪いところもあればまともなところもある。今私がお前を案内しているのは、私が知っている限り一番まともそうな集落だ。私の拠点もそこに置いてある。お前が何をしたくてこんな辺鄙なところにきたのか知らないが、まずは体制を整えることと、情報をそろえることが大事だ。何より朝飯はそこにいかないと準備できない。私は平気だが見たところ中学生のお前は朝を抜かないほうがいい。お前は何をしたいのかはその後の話だ。内容によっては手伝ってやってもいい。暇だからな……。ここまで理解できたか?」
 前を向いたまま、希望は言葉を放ち続けた。よってつぐみは彼女の横顔を見て話を聞くことになった。今更顔を確かめると、匿名希望と名乗る彼女はとても美人だった。赤いバンダナの間から見える金色の長髪。硬く、鋭さをもった面差し。しかし、その根底にはお節介なまでの優しさがあることを、つぐみは経験している。 
 美しい人間。そんな表現が、つぐみの脳裏に浮かんだ。 
「佐藤、聞いていたのか?」
「……ほえ?」
 ぼうっとしていた。
「……佐藤、聞いていないな」
「ごめんなさい」
 速攻で謝った。
 それから、二人の間に沈黙が流れる。とは言ってもつぐみは最初から何も言っていなかったし、希望もおしゃべりなほうではない。言うことを言って、これ以上は何もないということなのだろう。視線は少しも動いていないが、つぐみに対しての興味がなくなったらしい。ただ二人は廃墟の中を歩いていた。

 つぐみはあたりを見回す。
 本当に静かだった。ただ、屋台の車輪の音だけが空に響いている。 
 つぐみは静寂というものを知っていた。
 朝起きた時の朝焼け見える河原。
 期末テスト中の教室の中。
 放課後の図書室。
 お盆に家族と行ったお墓。
 夏休みに訪れた山。
 悪夢にうなされ目が覚めた夜。
 しかしそのどの無音とも違う。
 そう、今まで感じてきた音のない世界のようなものが、何かが感じ取れないのだ。
 ここには、人が住んでいないのだ。
 希望の言っていた、人が住める場所とは無縁なのだろう。
 きっとこの辺りには、何か理由があって人が住めないのだ。
「あの、希望さん」
「なんだ?」
 とくにこれといった感慨のなさそうな顔。無音の背景に、その表情だけがよく似合う。
「ここには、なんで人が住んでいないんですか?」
「いや、ばっちり住んでいる。ここはミシマで一番人口密度が高い」

「ほえ?」

 希望は足を止めた。つられてつぐみも停止する。そして、ここで初めて二人は視線を合わせた。希望はつぐみの目を見て一言。
「まあ本音を言えば、できれば近寄りたくない地区ではあるがな」
 二人揃ってあたりを見回す。
 しかしどこにも人が隠れている気配がない。物陰にも、窓の向こうにも、何にも。
「でも、人の気配がしませんよ?」
「悪人もいるからな、気配を隠す術くらい心得ているのだろう。それに……」
 つぐみが見たところをぐるりと追いかけて、
「気付いているか? 視線はたくさん浴びているぞ?」
「ええっ!」
 もう一度索敵を行うがやはり自分にはわからない。
 けれど、希望にはわかっている。ならば、今までの経験から考えられることはただ一つ。
 気配を消して、こちらをうかがう何者かがいる?!
 朝っぱらからまたしても危機がせまっていた。
 もちろん、つぐみにはその視線が冒頭から続いていることなど気付けなかったし、その何者かが、実は何者達であることや、具体的に言うと三十人の何者かなどいうことはわからなかったのだけれど。

 そして、この町に何年も住んでいる匿名希望の感覚は、それが物陰から飛び出す足音を聞いた。
「来る……」
「え? 何がですか?」
 身構える希望。それが、一体何を意味するのか一瞬理解できなかったつぐみは、次の瞬間で、昨日の夜自分に起きたことを思い出す。


 あの、上空でひるがえる黒い影……。

 つぐみは背後を見た。
 二人に飛び掛る、黒い影があった。




「希望のお姉ちゃーーん」
 それは、小さい、比較的背丈の小さいつぐみよりもさらに小さい、子供達。年はどれくらいだろうか? 多分、自分よりも五歳は下ではないだろうか? 自分の、壁の向こう側ならば、小学生だろう。鼻の赤い子や、歯の抜けた子。幼い、子供達。
 すこしボロボロで、所々穴の開いた服を着ていた。雑誌やテレビで見たことがある、難民キャンプの映像に出てくる子供達と、どこか似ていた。
 信じられないくらいににこやかに笑って、少年少女たちはつぐみや希望に、文字通り飛び掛り、抱きついてきた。
「ぐえ」
 潰れた蛙のような音を出して、飛び掛ってきた三人の子供達に押し倒されて潰された。
「希望のお姉ちゃーーん」
 別の子供達に飛び掛られながら、しかしこちらは平然とキャッチし、体に捕まらせたままで、
「子供ども、私は常々言っていると思うが……」
 最後まで言い切る前に、子供達が口を揃えて
「「「おはよー、希望のお姉ちゃん。とそのお連れの人」」」
 自分もしっかりカウントされていた。
「うむ、おはよう。で、これもいつも言っていることだが出会い頭に人に抱きつくのはやめておけ。私はともかく、普通の婦女子では……」
 自分は肩や背中に子供を五人は掴ませながら、三人にのしかかられて潰れているつぐみを見て、面倒くさそうに呟いた。
「潰れてしまう」
「の……ノゾミさん。ここは……」
 人の重しの下から、這い出るような声で質問する。
「ミシマ一番地区。ここも平和といえば平和なのだが、やかましいこいつらと一緒に住まなくちゃならないことを考えると、どうにも近寄りたくない場所でな。さて、お前たち、とりあえう朝飯だ。屋台の中にあるぞ」
 ビニールシートに包まれた自分の屋台を示す。
「色々積んであるから、適当に分けろ」
 アバウトな指示だった。しかしどうも毎度のことらしく子供達は攻撃対象を女性二人からリアカーへと変更した。
「あの、希望さん?」
 上に乗っていた子供がいなくなりやっとこさ立ち上がったつぐみは土ぼこりを払いながら聞く。
「あの、今手持ちがないって聞いたんですけど」
「ん、ああ。それはこいつらの分だ」
 すると、希望はどこからともなく、白い布を取り出した。いや、それは服である。白いノースリーブと、同色のフレアスカート。それを今の服の上からエプロンでもするように纏い、頭に巻いたバンダナを締め付け直す。雰囲気的に幼稚園の先生っぽい。今にも子供達に向かって行こうとする彼女に、つぐみは今一度訊いてみた。
「……あの、希望さん?」
 いつもどおりの無表情がこちらを向いた。
「どうした? 不服か?」
 ちょっと怖かった。
「あの、ここに来るのが嫌だって言ってましたけど、なんだかここに来る予定だったみたいですね」
 その問いに、希望は顔を引きつらせた。
「……まあな」
「やっぱり、希望さんっていい人なんですね」
 つぐみはかなり善意でそう言ったのだが、彼女の方はどうもそう受け取ってくれないらしい。無表情な彼女の顔に、また、どこかで見たような、面倒くさそうな、
「……だから、そういう言葉は苦手だと言っているだろう」
 しかしそんなに嫌そうな顔でもなく、リアカーに群がる子供達を掻き分けビニールシートを開けた。


 子供達はきれいに並ぶ。
 自分がこれくらいの年のときに、こんなに分別のある行動をとっていたのだろうか?
 こんな隔離された場所で、よく教育が行き届いているものだ。
「みんな、偉いですね」
「そうか? いいな、お前たち列を乱したら……潰す」
 なるほど、先生がこわいのか。
「やれやれ、ここまでしつけるのにかなりかかったからな」
「しつける……」
 子供達に何かパンのようなせんべいのようなものを手渡しながら、金髪の彼女は続ける。
「『星』や『敵』のせいで保護者を失った子供は多い。ここはそういうのが生きていくには少し難しい場所なんでな、こいつらもそれなりに悪はしてきたし、させられてきた。私がここいらを勢力下に収めるまで、一番治安の悪いところではあった。中には止められなかったガキもいるが、せめてこいつらには……」
「こいつらには……?」
 その表情は少しも変わることはなかった。
「やはり、今の話は忘れろ。その内ここを出て行く者に深入りさせるのも、な」
 それがどういう気持ちの言葉かは、つぐみには想像しかできなかった。だから。
「あの、希望さん。私も配るの手伝っていいですか?」
「……勝手にしろ」
 そういうことにしておいた。










「羽山、翼くんだね」
 震える羽山翼の目の前に一組の男女。カップルではない。授業始まった午前中の学校の校長室に、突然生徒を一人呼びつけるようなカップルなどいない。
 何故、自分が呼び出されたのか? 一体目の前の二人は誰なのか? 何故先生は同席してくれないのか? 色々な疑問が湧き上がりたい所だが、哀しいかな心当たりがありすぎた。
 男は黒いアンダーシャツに青い上着とズボン。顔の前で組む両手には白い絹の手袋。どこか几帳面そうな顔をした青年。おそらく、自分との年齢さもそれほどないのでは、と翼は思った。しかし、そんな彼の腰に吊るされた物が、この国ではたった一つの役職にしか持つことが許されないことを翼は知っている。
 なんで、この目の前の男は腰に拳銃を吊るしているのだろう。警察官だとでも言うのだろうか?
 どこか経験をつんでいそうな物腰の彼は、自分の名を聞いた。
「君が、羽山翼君だね」
「は、はい。ぼ、僕が、羽山翼でっす」
 彼の後ろ、直立不動で立ち尽くす少女がいた。それは明らかに少女といえる年齢で、そう、自分や佐藤つぐみとそれほどかわらないだろう。けれどやはり前に座る彼と同じ青い上着と同じ色のミニスカートを履いていた。それに、おかしいことだが、彼女の髪はその素肌のように真っ白だった。にも関わらず、その瞳は深い真黒。アルピノ、というわけではない。染色?
 それに上半身につけているのがチューブトップで、へそが見えていたりいなかったりしてついちらりと視線をやってしまう。すると目が合って思いっきり睨まれた。
 雰囲気を変えたくてこちらから質問してみる。
「で、あのあなた方は?」
「あなたに言う必要はありません。ただこちらの質問に答えてください」
 少女はきっぱりと言い切ってくれた。
「りっちゃん」
 彼女をたしなめる様に彼はそう口にした。名前だろうか? それに彼女は沈黙した。どうも彼の方が立場としては上らしい。その温和な口ぶりと知的な顔立ちに翼は心を落ち着けることが出来た。
「ごめんごめん、言っていなかったね。我々は……、ああ、特に名前はないんだ。存在自体が非公式だからね。だから、ただ『国家権力』と名乗らせてもらうよ」
 やっぱり翼の危険度レーダーがMAXで振り切れた。
 そんなものが、なんでこんなところに? そういうのは、もっと特殊な、こんな田舎町の男子中学生の前に現れるような者ではないはずなのに……
 男は軽く名乗った。
「俺の名は偶院友(ぐういんゆう)。変な名前だろ? で、後ろの彼女は虚海利奈(うつみりな)。俺に輪をかけて変な奴だけど気にしないで」
「偶院隊長。私たちの名前だって機密事項のはずですが? 舐めてます?」
 どうやら見た目通りのお嬢さんらしい。
「ああ、ごめんごめん。さて、羽山翼君」
 偶院友は気を取り直し、改めて、翼に詰問を開始した。一体何を訊かれるのか? プロの誘導尋問に耐えられるのか?!
「君、昨日ミシマの付近にいたね?」
 あっという間にばれていた。
「目撃者の証言によると、君のほかにもう一人女の子がいたらしいんだ。制服はこの学校のものだったと聞くよ。誰だい?」
 色々ばれていた。
「そういえば、今日は君のクラスの佐藤つぐみさんが欠席していたね。親しい仲だと聞いているが、何か聞いているかい?」
 っていうか、彼らは絶対怪しんでる。
「さ、佐藤さんは……」
 ここは嘘を突き通したほうが無難な気がした。
「佐藤さんは、エジプトに発掘にいったそうです」
 友は表情を変えず、利奈もまた、直立不動のまま。
 三人の間に流れる。いずらい間。
「そうかい……そのエジプトは随分近いところにあるんだね」
「今はグローバル化の時代ですから」
「電車賃三百二十円で行けるエジプトか……」
『佐藤さ〜ん、早く帰ってきて〜』

 翼が心の叫びを上げているとき、つぐみは閉ざされた町の中で、見覚えのある顔を見ていた。











 その顔を、つぐみは知っていた。というか、つい数時間前まで、その顔と一緒にいた。
「あ、あなたは……」
 その目を、確かにつぐみは見ていた。会話だって交わした。なんで、なんでこんな簡単に目の前に……。
 その顔は、つぐみの手から食料(匿名希望特製パンもどき)をひったくるようにとると、元来た道を走っていった。
 どうやら、ここにいる子供達とは別の団体らしい。他の子供達のようにここにたむろするわけでなく、ビルとビルの合間の中に、消えていった。
「ま、待って!」
 走る。手伝いそっちのけで、つぐみは走っていた。
 今のは、今の顔は……。
 もう一度確かめたくて、つぐみは追った。

 そして、つぐみが走っていくのを無視して、肩の上に乗せた七歳くらいの女の子に、希望はたずねる。胸のポケットにはタバコが一ダース入っているが、子供の前で吸うようなことはしない。未成年がタバコを吸うな、と口すっぱく言っているのは、十九歳の希望だったり。
「で、昨日は大丈夫だったか?」
「うん、お姉ちゃんの言う通りじっと隠れてたよ」
「そうか」
 周りではしゃぐ子供達を見渡す。
「うん、でもあのお姉ちゃんが落ちてきたんだよね」
「見ていたのか」
「うん!」
 すると、少し怒ったような口調で
「隠れていろといっただろう。『敵』に見つかったらどうする気だ」
 わずかな例外を除けば大人たちでさえ恐怖し、逃げ惑うしかない敵である。もし奴らに見つかればこんな子供達はひとたまりも無い。

 あの、黒い、鳥のような化け物。

 希望は怒っていったつもりだが、子供にはそれが他人を心配する女性の目に見えた。
 だから安心させるつもりで答える。
「お姉ちゃん、大丈夫だよ。だって、赤い目のお兄ちゃんが来てたんだもん」
「……ピジョンブラッドか?!」
「うん、さっきまで一緒に遊んでくれてたんだよ」
「今はどこだ?」
「わかんなーい」
「……理不尽だな」

 匿名希望の眼が、どこか白けた遊び人のそれになる。


8 :akiyuki :2007/02/16(金) 19:49:01 ID:VJsFrmQG

アイアンレディ(三)


 つぐみは走る。
「お願い、待って!」
 自分でも驚くほどの甲高い声。緊張と興奮が同時に押し寄せたことなど今まであっただろうか。多分生まれて初めて葉書を出した少女マンガ雑誌の応募者全員サービス『魔法少女本気狩る秋☆雪警棒』が届いた日以来かもしれない。
 それくらい、今必死になっている。自分の見間違い出なければ……
 自分の制止に答えてくれたのか、目の前の子は足を止めてくれた。
 希望と子供達のいる場所から随分離れてしまった。戻れるか不安だが、今はこれが何よりも優先されるべきだと思った。
 彼女は振り返る。それは……
「羽山くん」
 あの、壁の外側にいる羽山翼とそっくりな顔をした、女の子だった。
 しかし、どう見てもその姿形は羽山翼である。赤い髪をしていること以外、体のどの部品配置を見ても違和感が無い。もともと短身痩躯であり、女装させれば多分にあうだろうとは思っていたが、ここまで女の子するとは……。
「なんで羽山くんがここに……」
「私は、羽山じゃないわ」
 近付こうとしたつぐみの足が、その一言に止まる。
「え?」
 赤い髪の少女は、あの優柔不断そうな少年とまったく共通性を感じさせない厳しい言動で、言い切る。
「私は間宮。間宮蛍(まみやほたる)。誰と勘違いしてるのか知らないけれど。あなたの言っている人物とは、関係がないわ」
 マミヤホタル?

 どこかで聞いたような名前だが、自分の生活とは関係の無いところにいる人であろう。
「え、じゃあなんで逃げたの?」
 怒った風な顔をする。
「あなたが私の顔見て素っ頓狂な声あげて追ってきたからよ」
 なるほど、正しい理由だった。

 他人の空似。
 まあ、世の中自分と似たような人間が三人はいるというし、こういうこともあるだろう。しかしなんと言う偶然なのか。

 体から力という力が抜けた。
 冷静になれば多少はわかるだろうに。
 これから先、こんな風でやっていけるのか。不安に思いながらもまだパン配りが終わっていないことを思い出し
「怖がらせてゴメンね」
 謝り、元来た道を戻ろうと踵を返す。


 すると、
「待って」
 引き止められた。
「え? なあに?」
 振り返る。
 
 何故か、蛍を名乗る彼女は何故か、ナイフを構えていた。どこに隠し持っていたのだろう。
「あなた、昨日外から落ちてきた人よね」
 見られていた。けれど、手に握る刃の方が気になる。
「うん、そうだよ……けど、そのナイフ、何?」
「そう……なら、いいものも持っているのじゃないかしら?」
 疑問に間接的に答えてくれる。

 何かヤバイ気配がぷんぷんとしてきた。
 希望は言った。
『私がここいらを勢力下に収めるまで、一番治安の悪いところではあった。中には止められなかったガキもいるが、』

 多分、止められなかったガキの名前はマミヤホタルだったんだろうなあ、などと考えながら逃げる準備をする。(ここら辺の危機は慣れたもの)
 
 後ずさろうとすると背が壁にぶつかる。……あれ? 壁を背にしていただろうか。
 振り返ると、男が二人、立っている。少年漫画の悪役がしていそうな、凶悪な面相だった。
 蛍は二人に指示を出す。
五味(ごみ)言永(ことなが)、やっちまいな!」
 
 ピンチっぽかった。


 


9 :akiyuki :2007/02/18(日) 17:34:48 ID:VJsFrmQG


 それにしても何故自分の周りではこんなにもトラブルが多いのか。そんな星の下に生まれた憶えはちっとも無いのだが、このミシマに入り込んだときから奇妙に出くわしてばかりだ。
 飛び掛る二人の男。妙に体は大きいが、どこか幼いところが抜けない二人。
 襲い掛かられるは佐藤つぐみ。壁の向こうの異世界からきた少女。
 想像していたのとはぜんぜん違う危機を前に、ここで終わりかとも見て取れた。しかし、つぐみは正統派ヒロイン路線など踏まえたりはしない。すでに命の危機など通過済みのつぐみが、自分が一番変わっているなどということに気付いていない佐藤つぐみがこの程度のことで終わるはずが無い。ここで悲鳴をあげて持つものすべてを搾取されるようなキャラクターではないのだ。
 逆に、つぐみは
「こ……」
 かつて、自分を襲った黒い影にそうしたように
「こんちくしょー」
 しっかりと握り締めた拳を一つ持ち上げて、言永と呼ばれた男のアゴめがけて振り上げた。
「ぐはあっ!!」
 ロッククライミングで鍛え上げられたつぐみの体躯は、見た目は可愛い女の子にも関わらず、実は硬い筋肉が出来上がっていたりする。まともに大人とケンカするだけの力はある。
 さらに、大の男を不意打ちで殴りつけるくらいのノリと度胸はたっぷりあった。
 大の男が宙に浮く。


 やっちゃった。

 と少し後悔しながらもまあ仕方の無いことと諦めて次の標的に向かう。しかし、相手は二人がかり。
「お、おとなしくしてっ!」
 後ろから五味と呼ばれた方の男がつぐみを羽交い絞めにしていた。顔のごつさの割に柔らかい声だった。しかし力は流石に強く両手首をしっかりと掴まれて、つぐみは動けなくなる。
「は、放して下さいっ!」
 じたばたするが、効かない。
 そして、敵は三人いたりする。
 自分を押さえつけている五味と自分に打ちのめされた言永。
「無駄な抵抗はやめなさい」
 そしてその構図を見て赤髪の少女、間宮蛍がにたりと笑う。う、悪役の顔だ。
 しかし、つぐみの抵抗はまだまだ続く。
「こんちくしょー」
 足を、誰もいないのに大きく前に振り上げた。間宮も五味も怪訝な顔をする。
 そして振り上げた足を大きく後ろに振る。五味という男の足と足の間に、カカトがぶち込まれた。

「        」

 崩れ落ちる五味。背中から倒れている言永。
 チャンス。逃げるなら今しかない!!
「こんちくしょー」
 走る。
「使えないわね」
 聞こえる。
 そして、走る自分の背中に誰かが飛び乗った。
 誰?
 一人しかいない。
 背中に乗られるのは今日で二回目である。
「ぐえ」
 上に乗る蛍はつぐみの肩を掴み、ひっくり返す。仰向けで押し倒されるつぐみ。
 そして、再び抵抗の雄たけびをあげようとして……、つぐみは固まる。
「さあ、さっさと何かよこしなさい」
 間宮蛍という少女は、左手でつぐみの肩を押さえつけ、下半身でつぐみの胴体を固定し、その視線で彼女を射竦ませている。そして、それだけであきたらず、その右手に持つそれを、つぐみに向けて、差し出している。

 何?

 その、鈍く太陽光を反射する十センチ強の金属板……。

 ああ、ナイフか。


 そんなものがなんで? いや、武装強盗なんだから凶器くらい持ってる。でもこんな果物ナイフみたいな小さいもので役に立つのか? ううん実際に突きつけられれば、包丁だってとても怖い第一自分のようなか弱い女の子に向けるには充分でいや自分は何をそんな冷静に分析しているのか。

 ぬう、と蛍の手がつぐみの制服に伸びる
「いや、やめて。止めて下さい」
「言うとおりにすれば痛くはしないわよ」
 暴論である。
「止めて、どうして私みたいなか弱い女の子を」
「ウチの男二人ものしておいてか弱いもないわね」
 正論であった。
「男と言っても、あの二人私より年下だけれどね」
 目の前の彼女、一体何歳だ?
 それでも、目の前のナイフが怖かった。
 こんな状況を想定していない。
 体が、震える。
 抵抗できない。

 しかし何故だろう? 
 これよりもっと怖ろしい目には遭っているではないか?
 高さ五十メートルの壁を命綱なしで昇った。
 正体不明の黒い鳥に襲われた。
 五十メートルの高さから落ちた。
 それに何より、命よりも大切なものを失った。
 それよりも、たかが自分と同年代の女の子に刃物突きつけられているだけなことが……なんでこんなに怖い?
 
 そこまで考えると、考えてしまうともう佐藤つぐみは弱いままではいられなかった。

「ほら」
 赤髪の少女が、セーラーの前留めをむしりとったのとほぼ同時に、つぐみの抵抗は始まった。
「おりゃああ!!」
 この時点からの逆転など、誰も考えない。間宮蛍にしてもそう。だから、つぐみの握った拳がああも見事に顔面に入ったのだ。
「きゃ」
 つぐみとは違い女の子らしい悲鳴をあげてひるむ蛍。するとつぐみの突き出した右腕に走る痛み。何かにぶつけたのかもしれない。普段ならそこで腕をさするところだが、今はそれどころじゃない。そんなことを気にしない。そしてその一瞬にかけて、つぐみは体中の細胞に総動員令をかける。
「こんちくしょー」
 腕を大きく振り回し、馬乗りになった蛍に向かって拳を何度も振り上げた。あたらなくてもいい。とにかく抵抗した。
 突然の抵抗に驚いたのか怯んだ蛍のかける体重が軽くなる。その隙に彼女を跳ね飛ばし飛び起き、脱兎の如く駆け抜ける。
「ま、待て」
 そうは問屋が卸さない。
 つぐみは、今度こそ、もう決して追いつかれること無い速さで走りぬいた。
 そして、瓦礫にまみれ、風の音以外何もないそこには一人の少女と倒れている二人の少年のみが残るだけだった。

「何者なの?」
 これでも蛍達三人はこの『ミシマ』の中では名の知れた悪党だったりする。とはいっても流石に徒党を組んで鎬を削るだの、人攫いだの、土地の奪い合いだのはしない。あくまで不良少年と言ったところだが。そんな蛍達に、暴力で勝って、逃げてしまった。外の人間はみんなああなのだろうか? という偏見を持ちながら、蛍は仲間の様子を見た。
「五味、言永。生きてる?」
 二人の男はゆっくりと立ち上がる。
「うん……、なんとか」
「痛い……」
 あまり元気とは言えそうになかったが、死にはしないだろう。
 それに、二人はまだ十三歳と十二歳と若い。
 年齢の割に体と顔つきが異常なまでに発達している二人とチームを作って早一年。
 こういうことは何度もあった。けれど他の生き方などなかった。『彼女』に頼るのは嫌なので自分達だけで生きてきた。『彼女』にだ助けを求めないことが、三人がグループを作った理由である。
 どこかつまらないような眼をした『彼女』の支配の外にいるための……



「変な声が聞こえたから走ってきたが、やはりお前達か。理不尽だな」


 その『彼女』が、三人の前に立っていた。


「トクナ……ノゾミ」

 


10 :akiyuki :2007/02/18(日) 17:38:22 ID:VJsFrmQG



「トクナ……ノゾミ」
「二回も名を呼ばれるのは、奇妙だな」

 いつの間にか、いた。
 足音も、気配も、何もかも無く。誰もそこまでの接近に気付くことなく。
 赤いバンダナを鉢巻のように額に巻き、その間からウェーブがかった金髪が覗く。長髪の先端をバンダナと同じ色の紐で古風に結わえ、ジーンズにタンクトップ、その上にエプロンと前掛けのつもりだろうか、白いノースリーブのブラウスとミニスカート。ポケットに手を入れて、どうにも無気力的な視線を三人の少年少女に向けている。果たして、彼女と彼らを見て、何を考えているのかわからない。
 敵なのか、味方なのか、まったくわからない、遊び人。
「見ていたの?」
 得体の知れない
「見ていたの? って聞いてるのよ!」
 蛍の問いにも
「目上の人間にはもうちょっといい言葉遣いをしたほうがいい。それとも私を人間扱いはしてくれないか? 蛍」
 まったく応じていない。
 今起き上がったばかりの二人の少年、そして砂埃にまみれ、刃物を握っている蛍の姿に、頷く。
「質問に答えれば、私は立った今ここに着いたばかりなので一体何がどうなっているのか知らない。しかし何があったのかはわかっている。どうやらまだ五味と言永を連れて盗賊みたいなことをしているらしいな」
「正しく盗賊してるのよ」
 膝をはたきながら、視線を遭わせない様に答える。まるで嫌悪感を隠そうともしない態度に、それでも匿名希望は動じない。
「大丈夫か? 怪我しているようだが?」
「平気よ、私も、五味も言永も」
「お前達、本当か?」
 希望は質問の対象を二人の少年に変えた。
 子供というにはあまりに成長肥大した二人は、それでも子供のような顔をして頷く。
「う、うん。僕達は平気だよ、ねえ?」
「そ……そうだね」
 どうにも我慢している様子だったが、それを追求するようなことを、したりしない。代わりに
「ならいいが……、ところでこの頃ちゃんと食べているのか? 私が飯を持ってきても、お前達来なくなったがどうした? 他の子供共と一緒にとまでは言わないが、お前達の分だってあるんだぞ? 食うか?」
 後ろから取り出した食べ物で釣る。
 思わず手を伸ばそうとする二人の少年の手を、ぺしと叩く音。
 蛍は二人を牽制し、希望に鋭い視線を与える。
「私達に構わないでと言っているでしょう。あなたからもらうものなんて無いわ」
 赤い髪が、揺れる。まるで炎のような、熱い目。
 金色の髪が、たなびく。まるで海原のごとく、深い眼。
「そんなに私の庇護下は嫌なのか?」
「私達は、もう自分の足で歩けるわ。あなたにどうこうされなきゃいけない義務と理由はもう持ち合わせていないの」
「お前達、まだ十四じゃないか。言永に至っては十二だろう」
「充分よ。行くわよ、言永、五味」
 リーダーの命令に素直に従い、二人の少年、というには体の少し大きい二人は歩き出す。けれども、声をかけるのをやめない。

「怪我をしているんじゃないのか? そのナイフ。血がついているぞ?」
 蛍は自分の握る刃物の刀身を、確認した。


 赤い。


 確かに一筋、赤い液体が表面を流れている。
「誰か、怪我したのか? それとも、お前達『誰かを切ったのか?』」
「あ、あなたには関係ないでしょうっ?!」
 しかし、蛍の声には確かに震えが混じっていた。そして確実に希望を拒絶するものも。
 それでも、希望には彼らに言葉をかける責任と資格がある。
「無理矢理にでもお前達を引き止めておくべきだったな。あの時は私も弱気になっていたから、お前達の厚意に甘えてしまって……追い出してしまった」
「一つ言っておくわ。私達はね、自分の意思であなたの元から離れたの。あなたにそんな保護者ぶられたって、何も嬉しくなんて無いんだからね」
 言ってから、後悔する。年上の女性が自分の言葉に傷つくようなそぶりを見せて、蛍は少し動揺する。けれど、このやりとりももう何度と無く続けてきた。
 そう、何度も。
 星が降ってきて、街が閉鎖され、死に掛けて、匿名希望に救われて、パンをもらって、躾けられて、そして五味と言永を連れて希望の住処を抜け出した時から。
「蛍、啓二、幸正。困ったことがあったらいつでも来い」
 そしていつものように彼女は別れ際にそう言って、そしてそこで終わらなかった。

「ところで、鉄みたいな根性の娘がこっちにこなかったか?」

 遊び人は、盗賊にやっと尋ねた。

 盗賊は、もっと苦々しい顔をした。

 


11 :akiyuki :2007/02/18(日) 17:51:41 ID:VJsFrmQG

ピジョン来降(一)



 ミシマと外を繋ぐ入り口はたった一つ。

 慌てて建造されたコンクリートの壁にたった一つ取り付けられた、扉。車が三台通るので精一杯の、小さな門。
 一週間に一度だけ開かれるその扉から、政府の支援物資を運ぶ自衛隊のトラックと、青い制服の彼らの姿が現れる。
 それ以外に開かれることは、特に、内側から開くことは無い。 
 『日本国』側から使者だけを連れてくる。たった一つの手段。
 
 その青服の使者を、『ミシマ』の人間は嫌う。
 外の人々を嫌う。
 自分達を閉じ込め、エサだけ撒きにきて、そして命令規則を押し付ける。
 こんな『敵』の生息地の中で、自分達を置き去りにして。
 それでも時折、助けにくるから始末が悪い。
 恨みきれない。

 けれど、他に生きる道がないから、彼らの下に人々は集まる。
 その日も、門の開く日だった。夕暮れの、もう寒い風が吹く季節と時間帯である。
「隊長、例の噂は耳にしていますか?」
 青い制服を着た男に、青い制服を着た少女が尋ねた。
 救援物資を運び、作業に忙しい自衛官達とは毛並みの違う、若い男女だった。ゆっくりと進むトラックの右を護衛する形で、けれど緊張感などまるでなく、世間話のような声色で、少女は男に声をかけた。
 男は黒いアンダーシャツに清潔感あふれる青い上着とズボンという出で立ち。両手には白い絹の手袋をはめ、どこか几帳面そうな顔をしていた。年の頃は、まだ十代のようにも思えたし、もう少し経験を知っている顔にも見えた。
「どの噂? いろいろありすぎて把握してないよ。それよりもりっちゃん、そのミニスカート寒くないの?」
「私は現場の人間ですから。あんな長ったるいスカートなんて履けません」
「じゃあどうしてズボンにしないの?」
「配給がこれしかないからです。青服で政府と交渉できるのあなただけでしょうが、そういうところはさっさと気づいて報告してくれれば問題ないんですよ。それとも何か? 体調の好みとか言いやがりますか?」
 背筋を正しきびきびと歩く少女が瞬間にツッコミを入れた。 明らかに少女といえる年齢で、けれどその鋭い眼差しと脱色したように真白な髪が幼い顔に似合っていなかった。やはり前に座る彼と同じ青い上着と同じ色のミニスカートを履いている。
 それに上半身につけているのがチューブトップで、へそが見えていたりいなかったり。
「とにかく、私が言いたいのは」
「新しい『遊び人』の情報……かな?」
「わかってんなら最初から言え」
 急に口調が変わった。まるでこちらが素であるように、はっきりとした声で。
「……、りっちゃん。もう少し言葉遣いは改めた方がいいよ……。で、確認したいんだけれどその『遊び人』ってのは、どんなヤツだっけ?」
 少女は男の方を見ることなく淡々と述べた。
「外見は少年らしいですが年齢不詳。神出鬼没でどこに住んでいるのかもわかりません。一ヶ月ほど前突然現れて、午後十時以降のミシマ内にてのみ姿が確認できたということです。おそらく『敵』と遭遇しても生き残っているところを見ると『遊び人』である可能性は高いはずです」
「ふむ、また増えたか……、でそこまでならそれなりによく聞く話だけど?」
 ポリタンクに満杯の水を運ぶ自衛官が横を通り過ぎた。珍しいものでも見るかのように少女を見たが、男も少女も気にしなかった。
「そして、ここからがおかしなことなのですが、まあこちらの観念が通じる町ではないのですが、その少年は道行く人間に声をかけるそうです。なんでも、『自分を買わないか』 と」
「そ、それって」
 首を横に振る。
「売春行為という意味ではなく単純な行動力、労働力としての売買だそうです。実際に彼を購入した人間の証言は取ってあります」
「優秀だね。……で、少年の目的はなんなわけ?」
「お褒めに預かり光栄。で、証言を聞くと、その少年。単純にそれを仕事にしているみたいです。なんでも頼まれたことをしてくれる代わりにそれ相応の報酬をもらう。単純に、『何でも屋』をしているみたいです。それもすこぶる優秀な」
「ふうん。で、それが俺に報告しないといけないほどに問題なこと?」
「問題はここからです」
 声をひそめる。
「実際に町にこの噂が流れ出したのは、一週間前です。けれど、間違いなくミシマ全域のこの噂は届いています。












『午前零時。その少年はどこからともなく現れる。赤い目をした少年が。そして、彼を買った者は、どんな願いも叶えることができる』

 と」
「悪いこと?」
「気がつけこの野郎」
「キミツッコミが激しいね」
「だから、この少年に会いたいという人間はこの町には一杯いるんですよ。何かと物資が足りなくて、病気も蔓延して、子供が襲われる町です。私もついこの前まで『こっち』側の人間だったからわかります。一縷の希望に託したいって気持ちが」
 食料を詰め込んだダンボールが、全てミシマ内に入り終えた。先ほどからこちらをうかがっていた何人かの人影が、こちらに近付いてくる。
「そんな人間が、敵のいる『午前零時』なんて時間に町中を彷徨ったら、何人犠牲になりますか?」
 自衛官が先導して列を作らせ、物資を受け取らせてゆく。よくもまあ礼儀正しく並ぶものだ。まるで何かに怯えるように、大人も子供も決して列を崩さない。そしてその恐怖の視線は、彼ら青服へと向けられる。
「……なるほど、それはいけないね」
 男は頷く。
「じゃあ、それは今作戦の第二目的にすえておこう」
「てめえ人の話聞いてねえのか、緊急事態だって言ってんだよ」
「だから女の子が……、まあいいや。とりあえずりっちゃん。俺達の今最優先はね、『この町に侵入している外部の人間を保護すること』なんだ。上の連中はどうしてもここの正体を外部に知られて欲しくない。だから、何もかもを知られる前にその女の子を見つけ出したい。……俺達がこの門をくぐるのは、その命令を果たすためだ。そのための準備と装備しか用意させられない俺では、一隊員の杞憂を隊全員の安全と秤にはできないよ」
 少女は頬を膨らませた。
「まあ、なんとかなるさ。このミシマの中には精鋭である俺達と簡単に匹敵する『遊び人』達がうじゃうじゃいる。ましてやそんな危なっかしい噂を、あの匿名希望や奇堂川蝉丸が放っておくわけない。俺達は、俺達の仕事をさっさとして、そして君の不安を取り除こう」
 これ以上駄々をこねても通じないと判断して、頬をしぼませる少女。ため息をついて、そしてぼやく。
「でも、今更『遊び人』を新しく名乗るなんて、変わり者がいるんだね」

 最初にミシマの住人で『国家権力』に刃向かった者は、己を『遊び人』と称した。
 それ以来、遊び人と名乗りミシマの中で生きるものの中には、自らを『遊び人』ということが多い。
「元『遊び人』としてはどうだい? りっちゃん」
「そんな複雑なことを訊くんじゃねえよ」
 男は少し失言だったかな、と苦笑いして、そして別のことを訊いた。

「……で、その遊び人はどんな眼をしているんだっけ?」
 少女は忘れていたという顔をして、そして伝えた。
「真っ赤な、ルビーのように赤い眼をしているそうです。さながら、ピジョンブラッド」
紅石色(ピジョンブラッド)の少年、か」


 男は一つ伸びをして、腰に手をやる。ベルトに吊るされた、一丁の拳銃。
 彼が戦う仕事の持ち主であることを示している。
 少女はただ、彼の横に立ち尽くす。何もしない。彼の命令あるまで、少女は人形となる。
 そして、男の後ろには、同じ青い制服で身を包んだ、四人の男女。


 六人の青。


 横に居た自衛官一人に告げた。
「これより我々国家権力偶院隊は自衛隊の面々と別行動を取ります。もし我々が二十五時を迎えても戻らぬ場合、もしくは『敵』がこの門まで辿り着いた場合、直ちに門を封鎖してください」
 そして、了解の声を聞く前に、動き出す。
 トラックに列を作る住民達。彼らはこの青く光る制服を見るや身構える。
 確かに、暴動が起こったり、何かしらの調査の為にミシマ住民を連行するのは、彼ら青服の仕事である。嫌われても仕方ない。そして、そんなことをいちいち気にしている、彼ではなかった。

「偶院隊、出発する。第一目的は侵入者『サトウツグミ』の探索確保。第二目的は噂の元の調査だ。これより四時間後には『敵』が発生する時刻だ。全員、気合入れてちゃきちゃき動けよ」

 そして、夕暮れの廃墟を、偶院友は一歩踏み出した。


 


12 :akiyuki :2007/02/19(月) 15:37:18 ID:VJsFrmQG

ピジョン来降(二)



 夕暮れの教室に、男子中学生と独身女教師が二人っきり。


 羽山翼と、担任の里中教諭。
 二人は向かい合い、座っている。
 嫌な沈黙が流れる放課後。里中教諭はもう一度訊いた。
「さっき、佐藤さんのお宅に電話したの。佐藤さんの所のご両親、お二人ともお勤めがあるから、どうやらお留守のようだったわ。それで、仕事先に電話したら、ご両親共昨日は家に帰っていらっしゃらないって。だから、佐藤さんが家に帰ったのかどうかも誰も知らない。毎日行っていたって言うロッククライミングクラブにも連絡したけれど、昨日は来なかったそうよ」
「ゆ、行方不明なんですか?」
 できるだけ、平静を装ってみたが、翼は自分の心臓の音が聞かれていないか不安になった。里中教諭は少し間を置いてから続けた。
「行方不明であることは間違いないわ。……でもね、確かに昨日の夕方に佐藤さんが駅で切符を買っている姿を見ている人がいたのよ。部活動が終わる時間でもないのに、サイジョウ市の中学生のカップルが電車でどこに行くのか気になって、顔を憶えていた人がいるのよ」
 翼は震えていた。
「羽山君……佐藤さんはどこにいるの?」
 一度ついてしまった嘘は、突き通すしかない。
「だから……さ、佐藤さんはエジプトのついでにチョモランマの奥地にある遺跡を探索に行くのに必要なお土産のお菓子を駅で調達して……」
「羽山君、佐藤さんの命に関わることなのよ」

 沈黙はただ翼を責める。

「あなたを訪ねてきたあの青い服の人たちが何ものか知っている?」
「……警察の人たちじゃないんですか?」
 警察というには若すぎるし、制服のデザインも最新鋭すぎるがしかし、聞いてきたこと、身のこなし方は、それっぽかったのだ。
 けれど、先生は首を横に振った。
 その瞬間、その仕草に、翼は言いようのない不安を憶えた。
 それまでは翼と、そしてつぐみの問題だったのだ。彼と彼女の物語だったから、不安は薄かった。
 けれど、そこに第三者、大人の助言が入り込んだ瞬間、自分が何か決断してはいけなかったことをしてしまった気がした。
 あの時翼がつぐみを助けたことがまずかったのではないかと言う感覚が、翼を締め付ける。そして、先生は誰もいないことを確認して、翼に教えた。
「何故、『ミシマ』が隔離されているか知っている?」
「え、だって病気が流行って中の人がほとんど死んじゃったからって」
「だったら何故政府の調査団や自衛隊が毎週『ミシマ』の中に物資を届けるの?」
「え、だって国の研究施設があの中にあるって」
「何の施設? 隕石が落ちて、人がたくさん亡くなった町で、まだ多くの人が周りで生活している場所の真ん中だけを刳り貫いて隔離した場所でなければできない研究って、何?」
「……僕に言われても」
「私もね、あの町に娘を残してきたの」
「…………」
「でもね、遺族でさえあの壁の向こうに入ることは許されないのよ。本当は生きているかもしれないのに」
「……なんで、生きているかもなんですか? だって隕石にくっついていたウイルスでみんな死んだんだって……」
 生きているはずがない。
 翼の生きているこの世界の常識では、あの中に人などいないのだから。
 だってそうだ。中に人がいるかもしれないのなら、どうして『ミシマ』は隔離されなければいけない? その理由は、何だと言うのだ?
 つぐみだって、中を見ればきっと諦める。そう思ったからこそ手伝ったのに。
 里中先生は、翼を見据えて、本題へと突入した。
「羽山君、羽山君は五年前の『烏の写真』のことを憶えている?」










 翼は、ただつぐみの身を案じた。
 彼女は、どうしているのだろうか。
 彼女は、無事なのだろうか。
 彼女は、笑っているのだろうか。














「うう、痛い」
 つぐみは二の腕を触る。
 あの時、赤い髪の盗賊から逃げるために必死に腕を振り回したとき、偶然触れた刃物に制服が裂かれ、右の二の腕に違和感が走った。
 どれだけ走ったか、どこも同じに見えるがかなり走ったのだろう。息が乱れてうまく呼吸ができなくなり倒れるように地面に突っ伏し走るのをやめたつぐみはそこで腕を確認した。
 ぱっくりと、開いていた。
 思わず触る。
 痛みはない。
 やめればいいのに触っていれば、赤いものが染み出てくる。
 その赤いものにあわせて、逃げるのに必死で忘れていた、内側に蓄積された痛みがじわじわとにじみ出てくる。
 痛みがきた。
 深い傷ではなかったが、気が動転していたつぐみを恐怖のどん底に陥れるのにはちょうど良すぎる痛みが。
「血が、血が止まらないよお」
 涙目になりながら持っていたハンカチで傷口をぬぐうつぐみ。けれどそれは根本的な解決にはなっていない。しかしどうすればいいのかわからないつぐみには、他に行動の取りようも無い。
 もう、生来の強さをもってしても、叫んでみたところでどうしようもない状況に、つぐみは、つぐみは恐怖した。
 本当は、もっとどうにかなってもいかしくない状況をくぐりぬけてきているのに、つぐみには、どうしようもなかった。
 これほどどうしようもない状況を、一体、どうすればいいのかわからず、つぐみは隠れた。辺りを見回すと、瓦礫が積り山となった裏が、ちょうどよく死角になっている物陰を発見しそこに身を隠す。もっとも、人気はまったくないが、用心に越したことは無い。もしあの蛍達が追ってきていたら、今度こそ逃げる余裕も体力もなかった。
 だから、息を潜めて、体をできるだけ小さくして、心臓の音だけを大きくさせて、ただつぐみは隠れていた。
 そして不安になってはうろつき、物音におびえ隠れる。
 そうやって五、六時間は経つのではないだろうか。
 途中なんか以下うたた寝してしまいそうになりながら、耳をすませて辺りをうかがっていた。血はあっけなく止まったが、動かすと痛みは続く。
 何度様子を見に動こうかとも思ったが、必死の逃亡による心身の疲れと、もう丸一日食事も水分もとっていないことによる消耗と、そして人間への恐怖が彼女の体を釘つけにした。

 ただこの永遠のような長い時間を、つぐみは思考に用いた。
 この町には何故人がいるのだろう。
 何故、外ではここに人がいないことになっているのだろう。
 ここはもう人が住めなくて、国の研究施設だけがあるのではなかったのだろうか。
 匿名希望はもしかして自分を探してくれているのだろうか。
 あの黒い烏は、また現れるのだろうか。
 今度は、逃げられるのだろうか。
 あの自分を助けてくれた少年は何者なのだろうか。
 赤い眼、と希望は言っていた……。
 どうしてこうなったのだろう。
 自分は、死んでしまうのだろうか。
 お腹が空いたなあ。
 羽山君は、うまくごまかしてくれているだろうか。
 もしお父さんとお母さんが自分が家出したことを知ったら、どう思うのだろう。
 お腹が空いたなあ。
 そういえば、希望さんが配っていたの、あれパンなのかな。誰が作ってるんだろう。
 そういえば政府の支援があるって言ってたなあ。
 なんで私ここにいるんだろう。
 腕が痛い……
 お腹が空いたなあ。お腹が鳴るのって初めて聞いたよ。 
 なんで私ナイフで切られてこんなところに隠れてるんだろ



 ……何かを恨めば簡単だった。
 何が悪い? それはもちろんあの強盗を働いた間宮蛍という少女が悪い。その傍らにいた二人の男も悪い。それに彼女がそっくりだったから追いかけた以上、羽山翼がいなければ、とも思ったし、匿名希望のことさえ、恨んでしまいそうだった。彼女があんなに優しいから、自分は油断してしまったのだ。ここがどんなひどいところでも覚悟していたのに、あんな善意を撒き散らす人間がいたから、うっかりしてしまったのだ。そんな醜いことを考えていることも、もう気付けない。
 そして怨恨の対象は、ここに来ることになったそもそもの人物にまで及ぶ……
「なんで、こんなところで死んじゃったの……」
 つぐみの心を、闇が支配しかけていた。
「生きてるなら、助けてよ……。お姉ちゃん」


 その時、

「おい、ガキがいるぞ?」
 誰かの声がした。
 振り向くと、そこに二人の男が居た。一人はまだ働き盛りと言った風な中年男性で、もう一人は白髪をポニーテールにした老人。あの地区の子供達のようにボロボロの衣服を身に纏う痩せた、しかし健康そうな二人。辺りを見回すと、死角と考えていた場所は、思ったよりも見えていることがわかる、頭が働いてない時の行動など、頼りにはならない。そこまで考えて、ギアを『逃げる』に入れ替える準備が始まる。けれどかけられた言葉は
「おい、お嬢ちゃん。怪我しているみたいだがその腕大丈夫か?」
 中年男性が聞いてきた。
「あ、う……」
 言葉につまる。
「……喋れないのか?」
 中年が勝手に解釈する
 首を横に振った。すると横に居た老人が割り込む。
「駄目ですよ、俺達みたいな怖い顔二つ並べちゃあ喋れるものも喋れません」
「けっ」
 中年は反論ができないらしく悪態をつく。
 そして入れ替わるように今度は老人がこちらに近付く。思わず、腰を上げずに後ずさる。
「怖がらなくていいですよ。取って喰いやしませんて。とにかく怪我の手当てをしましょうや」
 優しい声だった。
「でも、俺達薬なんて持ってないぞ?」
「まあ、ノゾミちゃんのところにいけばどうにかなるでしょう」
 ノゾミ……?
「あの、それ匿名希望さんのことですか?」
 突然喋ったことに二人の男は少し驚いたようだが、落ち着きをすぐに取り戻し
「ああ、そうだよ。お嬢ちゃんだって名前くらいは聞いたことあるだろう? 遊び人の匿名希望。大丈夫、子供にゃあ甘いやつだからそんな法外な値段はふっかけられないさ」
 とできるだけなごやかに返した。
 すると老人の方がなにやら思案する。
「……もしや、ノゾミちゃんの世話してる子かい?」
 顔を背ける。何故か、答えられなかった。
「なんだ? どうしたんだよ」
「まあまあ、詳しく聞くのは今度にしましょう。この子、随分お疲れのようだ。こんなところにいるのとも何か関係があるのかもしれません」
「けっ、どいつも子供に甘いな」
「それはお互い様という奴です。ささ、お嬢ちゃん、ここはノゾミちゃんの勢力下ぎりぎりのところであんまり治安がよくないですから、変なのが来る前に帰りましょう」

 老人の手が、差し伸ばされた。
 そういえば、今朝も誰かに手を差し伸べられた。
 あの、何もかもにつまらなそうな、眼をした彼女が、手を差し伸べてくれていた。

 どうしようか迷った。
 人が怖くて仕方がない。
 けれど、優しい言葉をかけられて、あれだけ疑えと命令していた何かが頭の中から綺麗さっぱり払拭している。
 
 どうする? 信じるか? 信じないか?

 つぐみは考え、そして決断し心の中で叫ぶ
『こんちくしょおーーっ!!』

 老人の手を掴み返した。
「痛い痛い」
 かなり、強い力で。


13 :akiyuki :2007/02/19(月) 15:49:34 ID:VJsFrmQG

ピジョン来降(三)


 つぐみは迷っていた。
 色々なことがありすぎて、自信を失っているというだけのことなのかもしれなかったが。
 体力と精神力を使い果たして判断する力がないというだけのことなのだろうけれども。
 つぐみは潜入して一日も経たない内に、力を使い果たしていた。
 これでは先が思いやられる。
 どうしようか。
 つぐみは己に再度問いかける。
 答えは出ない。
 涙も、出ない。







 午後七時三十二分
 佐藤つぐみ『ミシマ』侵入よりおよそ二十一時間経過。
 ミシマ西地区。
「あれ、おかしいな」
「ええ、昨日はここら辺りで屋台開いていたのに」
 中年と老人は顔を合わせて首を傾げる。
 どこかの公園だったような開けた土地に、二人の男と一人の少女。
 普段ならブルーシートにくるまったり何人かでたむろっていたりするのが見かけられるのだが、今夜ばかりは違う。
 昨日の夜。この公園には『敵』が現れたのだ。
 そして、一人の人間が『敵』と戦った。
 敵は日の出と共に突然消える。煙のように突然。そして、次の晩の午後十時に、消えた場所に現れる。だから、今朝消失した敵は、今から二時間半後ここに現れる。
 そんな所にいつまでもいる一般人はいるわけもなく、敵に見つからない場所で隠れているのが常識である。けれど、その常識が通用しない人間というのもいて、匿名希望のように、敵と戦える人間はそんな公園でも普通に屋台を引いている。
 そう狙ってここまで一時間もかけて歩いてきたのだが、アテが外れた。
 そこには、誰の姿もない。
 匿名希望を捜してミシマを練り歩く中年と老人。いよいよここまで行き着いたのだが、当てが外れたことに苦い顔をする二人。そして一人の少女。夜の海原を映したような髪をゆらし、その眼には生気がない。一人で歩けないらしく、老人が肩を抱いている。
「多分ここにいると思ったんだけどなあ」
 中年は頭をかく。その焦るような顔から、完全に予想外のことだったらしい。
 老人が、つぐみの顔をのぞく。
「ツグミちゃん大丈夫ですかい? もうすぐ見つけますからね?」
「そうさ。ここも広いようで案外にせまいんだぜ」
「どうにもならなかったら、あっしらの寝床でも使ってくださいや」
 つぐみは無理矢理体を起こす。
「いいんです。私はもう平気ですから」
「いやいや、一人じゃ歩けないじゃないですか」
 その言葉の通り、老人の腕から離れると、いきなり膝から落ちる。老人は慌てて彼女の腕を掴み、
「ここは俺達を助けると思って助けられてくださいな」
 つぐみはそれに首を振って反応する。
「いいんです。私……探さないと」
「探す? 何をです」
「ここに……いるんです。私、探しに来たんです……ここにいるんです。探しに、行くんです……行かなくちゃ」
 少女の目が、焦点を定めていない。
「お嬢ちゃん、大丈夫ですか?」
 横で見ていた中年も不安になり、声をかける。
「おい、とりあえず座らせたほうがいいんじゃないのか?」
「そ、そうですね」
 そしてベンチにつぐみを乗せて、老人と中年は一息つく。
「どうする?」
「ノゾミちゃんはここら辺の地区を根城にしている人だから。すぐに見つかりますよ。でもそろそろ『敵』が来る準備はしておいたほうがいいし。もし見つからなかったら、あっしらの布団で我慢してもらいましょう」
 多分、そういうことになりそうだった。つぐみは自分のことのはずなのに、異国の言葉を聞いているように、意味の反芻を行わない。どうでもよかった。


 午後八時十二分
 佐藤つぐみ『ミシマ』侵入より二十二時間経過。
「落ち着きましたかい、お嬢ちゃん」
「はい、すみません。わざわざ運んでもらって」
 それでもある程度の休息をとれば、頭は落ち着く。自分の状況を踏まえ、そして彼らの親切を感じるだけの余裕が、戻ってくる。
「気にしなさんな。困ったときはお互い様よ。よその地区はどうかわからねえけど、ここはそういう隣付き合いがいいんだよ。青服の奴らもそんな来ないしな」
 つぐみはうつむいたままだった。
「どうしたんだい? もしかして腹減ってるのか?」
 否定も肯定もできなかった。今にも倒れてしまいそうだし、とてもお腹が減ったという気にもならない。
「かー、よっぽど腹空かしてんだな。あーこういうときに希望がいりゃあ食い物にありつけんだけれど」
「確か今日は配給の日じゃありませんでしたか?」
「かー、行きそびれたな」
 そんな彼らの会話に気付くことはまだできる。
「あの、もしかして私と居てくれたからですか? そのせいで何かできなかったんですか?」
 そういえば、政府の何やらがたまにミシマに入っているという話は聞いたことがある。あれは、もしやこのミシマの人々に何かを持っていっていたのかもしれない。
 中年が、笑顔で手を横に振る。
「そういうわけじゃねえよ。気にすんな」
「もう、言わなくていいことを」
「てめえが言いだしっぺだろーが」
 おどけてみせても、つぐみに笑顔は戻らない。その顔を見て、沈黙してしまう二人。
 けれど、つぐみの顔を見ていた老人が何かに気付く。
「お嬢さん、どっかで見たことある気がしますね。もしかして、会ったことありますかい?」
「い、いえ」
「そりゃそうだろ。こんな変わった服着てる嬢ちゃんがいたら、そら気付くわ」



 午後八時五十九分。
 佐藤つぐみ『ミシマ』侵入より二十三時間経過。
「というわけで、私も昔は医者でしてね、今ではこの『ミシマ』で最後の外科医というわけです。とは言っても何の道具もありませんから、傷口の消毒とかくらいしかできませんが」
 元医者だという老人がいろいろと喋りながら自分の腕を看てくれた。傷口をアルコール(なぜか老人は日本酒を所持していた)で消毒し、使い古した感のある包帯で傷口を縛ってくれた。
「ありがとう、ございます」
「いえいえ、傷口もそれほど深くないですし、一週間もすれば腕を動かすことに支障はなくなるでしょう。しかし傷口からばい菌が入っていなければよいのですが」
 老人はつぐみの容態についていろいろと説明してくれていた。しかし耳には入らない。疲弊しきっていたつぐみは、他人に優しくされたことで、どこか心が安らいだ。壁によって隔離された『ミシマ』。そこで襲われ、ナイフを突きつけられ、本当に怖かった。けれど、やさしくしてくれる人も確かにいる。そのことに、心が揺らいでいた。
 けれど、何か心の内にあるもやが消えない。
 その時中年が何かを見て声をあげた。
「ん、ありゃこの辺に住んでる奴じゃねえか?」
 青年が一人公園横の道を歩いていた。どうやら公園を根城にしているらしい彼を見て、中年は声をあげた。
「おおい」
 青年は三人の姿を捉えると、不思議そうな顔をした。
「おっさん達何やってんだ? ここ危ないんだぜ」
「知ってるよ。俺達もそろそろ逃げる準備してたんだ。なあ、ところで希望を知らねえか? 今週はここにいるって言ってたんだけどよ」
「ああ、知ってるよ。なんでも子供を捜してるんだとさ」
 つぐみはどきりとした。
「子供?」
「ああ、ほら昨日空から子供が落ちてきただろう? なんでもその子を希望が拾ったって話だぜ」
 何をしているだと? 子供を捜している? 誰を、捜しているって?
 中年は大事なことに気付かず大きく頷く。
「ああ、あの子か。俺は寝ててよく見てなかったんだけれど、その子が落ちてきたとき俺達希望と一緒だったんだよ。あいつは俺達守ってくれた後にその子を探しに行ってたみたいだけれど、見つかったのか。よかったな」
 すると青年が呆れたような顔で続ける。
「それがな、その子。朝方希望と会ったらしいんだけど突然逃げ出したらしいぜ。あいつ、朝飯も昼飯も食わないで走り回ってるみたいでさ、さっきもそこの角で屋台引っ張りながら女の子がいないか訊き回ってたよ。ほんと。遊び人ってどうでもいいことには体力使うよな」
 老人は、もう一度つぐみの顔を見ている。中年は訊く。
「どんな子供なんだ?」
「なんでもセーラー服着た背の小さな女の子なんだとさ。どうもどこかを怪我しているらしい」
 そこで、中年は何かを思い出す。
「あ、そうそう。確かすごい大きな声らしいぜ……たしか『あんちきしょう』だっけ」
「こんちくしょーです」
 思わず、反射的に答えたつぐみの顔が皆の視線を独占する。
 そして、つぐみの風貌に……、老人は昨日の晩に見たその記憶を思い出す。あの晩、しっかりと見た。空から落ちてきた女の子の風貌を思い出す。

 確か、小柄というより小さい体躯。夜の海原を映したような暗い色の長髪を、ツインテールに結んでいる。長袖のセーラー服に濃緑色のスカーフ。袖や襟、スカートも同じ色で揃えてあり、学生服というやつだった。



「お嬢ちゃん……どこかで見たことがあると思ってたんですよ」
 老人は気付いた。
「えっと……その……」
 どう言おう。もう、どうでもよくなっていた。
「もしかして、ノゾミちゃんを探していたのかい?」
 普通にそうです、と答えればよかった。
 けれど、つぐみはそれを言うことができなかった。自分は、ついさっき希望のせいにしてしまったから。彼女を恨んでしまったから。
 そのことを思うと、彼女の知り合いなどと、おこがましいことが言える気がしない。もしかしたら、彼女は自分に対して怒っているのかもしれないのだから。突然、消えた自分を恨まれても、普通なのだから。
 もう、世界が夜に沈み始め、誰もうつむいたつぐみの顔をはっきりと見ることはできなかった。陰に隠れて、困惑した表情のつぐみは、意を決して顔をあげた。
「私、希望さんとは何の関係もありません。あの人には……何も」



「佐藤つぐみっ!!!!!!!!!!」





 とてつもない、怒号だった。
 誰もが意識を奪われたその声に、誰もが視線を向けた。
 公園の入り口に、一人の女が立っていた。そこにいたはずの青年を押しのけて、屋台がどんと置いてあった。 
 そのまん前に、女が一人立っていた。
 そこには、久しぶりにみる彼女の姿があった。
 朝目覚めたら突然目の前に居て、そして一時間足らず一緒に歩いただけなのに
 たったそれだけの関係なのに、そんなに汗を流して、泣きそうになりながら自分を探してくれていたというのか。
 ジーンズにタンクトップ。額に巻いたバンダナがびっしょりと濡れていた。
 肩を大きく上下させ、息を何度も何度も吸って吐く。
 今まで見たことのないほどに、必死な眼をした匿名希望が、つぐみを睨みつけていた。
 屋台を置き、そして公園の中に向かって歩き出す。歩きながら、怒鳴る。
「貴様っ! 何故私のところに戻ってこないっ! 何故私に助けを求めなかった。貴様が一言私を呼べば私はどこにだって駆けつけるのにっ!!」
 無茶を言うが、もう彼女をなだめるのは無理な気もした。
 ずかずかと足音を立て、つぐみの目の前にきて彼女の体をすみからすみまで目視する。少し怖い。
「希望さん……」
「腕は大丈夫か、切られたのか? くそ。早く手当てしなければ」
「大丈夫ですよ」
「大丈夫なわけないだろう。ああ血が、血が出ている」
「もう止まりましたよ」
 老人から奪い取るようにつぐみを抱きしめ、本当に悲しそうに、本当に嬉しそうにつぐみを抱きしめた。
「まったく、何故子供は心配させるような真似ばかりするんだ」

 なんなのだろう。
 彼女の反応は。これでは、あんなに悩んでいた自分が馬鹿みたいだ。 
 なんでだろう。
 涙が出てきた。


14 :akiyuki :2007/02/19(月) 16:06:22 ID:VJsFrmQG

ピジョン来降(四)



 羽山翼は夜闇の中で考えていた。
 ここは彼の家。簡素な、彼の部屋のベッドの上である。
 もう日は沈み、バラエティ番組も波が過ぎた時間帯。
 寝床の上で、一人体育座りで考えことをしていた。
 つい四時間も前、担任の里中教諭に言われた、あの言葉を。



 放課後の教室。
「羽山君は、『烏の写真』を知っている?」
「……カラス?」
 首を傾げるしかなかった。
 五年前? 烏? 写真? 
 そのつながりが、わからない。里中教諭は周りに人がいないことを確認してから言い出した。
「五年前、三島町に隕石が落ちてきて、それでもまだ生き残った人がたくさんいた頃、まだ調査隊やマスコミがミシマに入っていくことができた時期のころね……、誰かが変な報告をしたの。『地下に巨大な鳥がいる』って。それで調査隊が結成されて探索に向かったんだけれど、一人を残して行方不明になるって事件が起こったの。そのときは、地盤沈下に飲み込まれたとか、地下水道を探しすぎて、戻れなくなったとか、色んな噂が流れたけれど、そんなことを否定するような一枚の写真が出回ったの。おそらく、調査隊の誰かが撮った写真。生き残った最後の一人の持って帰ってきたカメラに入っていたのはね、一枚の写真。ミシマの空を飛ぶ、黒い鳥。その大きさは尋常なものでなく、世界中のどの鳥とも違っていた。ただ一番近いものを言えばそれはカラス。巨大なカラスがミシマにはいた」
「ちょっと待ってください」
 翼は慌ててさえぎる。
「そんなの聞いた事無いですよ。本当にそんなのがいたらニュースに……」
「外に出せない理由があったのよ。そのカラスはね、人を食べるの」
 そんな物が、そんな現実が、あるというのか。
「そんな危険なものがあることを、世界に知らせたくなくて必死に隠しているの」
 そんな所に、つぐみは行ったというのか。(じぶん)の協力で。
「じゃあ、あの壁の中には、人を襲う巨大なカラスがいる、だなんて言うんですか?」
 里中教諭は、外を見た。その先遠くには夕日に照らされた白い壁面がある。
「あの青い制服の人たちはね、その情報を隠蔽するために組織された人たち。もし、佐藤さんがあの中にいるのだとしたら、あの青い服の人たちは、佐藤さんをどうする気なのか、わからない。だから、知っておきたいの。佐藤さんは、一体どこにいるのか。ねえ、佐藤さんは今、どこにいるの?」
 震えながら、翼は訊いた。
「ひとつ聞いていいですか? 何で先生はそんなこと知っているんですか?」
 先生は、もう一度辺りを見回し、誰もいないのを確認して小さく声を出した。
「私もね、五年前ミシマにいたの」
 翼の目が見開く。
「そして、実際に『敵』をみているのよ。奴等が空を飛ぶところも、人が襲われるところも。そして、娘を一人置き去りにしてこちらに戻ってきた。『敵』が発生した時、娘とはぐれて、捜していると無理矢理政府に外に出されて、娘を壁の中に閉じ込められているの。探し出したいけれど、中に入れてもらえない。侵入も試みたけれど、そんな危険人物だからかな、私は青服に監視されて、壁に近付くことさえできなかった。だから、せめて中で何が行われているのか、何が起こったのかを知りたくていろいろ調べたわ」
「あの、先生」
 授業中よりも活発に質問が行く。
「『敵』ってなんですか?」
 先生はその名前に、ほんとうに憎悪を込めて述べた。
「ミシマの人間はね、それを『敵』と呼ぶの。五年前から、ずっと」
「……」
「でも、私には戦うことも、娘の仇をとることもできない」
「……」





「佐藤さん……」
 翼は膝を抱えて考える。
「敵って何さ」
 もう、十時だ。

















「だから、『敵』だ」
「えー。だから、その『敵』ってなんなんですか?」
「だから、『敵』なんだと言っているだろう」
「だから、どうして『敵』なんですかあ」
 ぴし
「痛ったーい。希望さん、なんでチョップするんですかー」
「聞き分けのない子供は武力で説き伏せるのが私の教育方針だ」
 ミシマ内部。午前中に通ったミシマ一番街へと続く道路だった道を、屋台を引きながら歩く女性と、その横を歩く少女。
 匿名希望と、佐藤つぐみ。
 ついでに屋台車を後ろから押している中年と老人。
 四人は現在、寝床へと向かっている。
 元々は先ほどの公園をずっと寝床にしていたのだが、先日『敵』に見つかってしまったのであそこにいるのはまずい。そこで新しい隠れ家としてまだ『敵』に見つかっていない子供達の住む地区へと向かうことにした。確か今日は『外』からの配給があったはずなので医療品もあるかもしれないと、希望は言う。そして中年と老人の二人もせっかくだからと呼ばれているのだ。
 その道中、つぐみは聞きたくて仕方のなかったことを訊いていた。
 つまり、あの鳥のお化けのことを。
「私だって、知らん。とにかく、星が降ってきて町が壊れたと思ったらあいつらが沸いてきた。何故か知らんが夜になると現れて人を襲う。その生物的にありえない大きさ。目的もわからない。どこに生息しているのかもわからない。意思の疎通ができるわけでもない。抵抗する以外の道は無い。だから、先人がつけた名が『敵』。このミシマを壁で封印しなければならない怪物達を私達は『敵』と呼んでいる。昨日の晩、お前も襲われたからわかるだろう」
 頷く。あれは怖かった。
「しかし、お前の話を聞く限りだと独力で敵を切り抜けたのか。とんでもない女だな」
 誉められてるのだろうか? 多分違う。
 とりあえず、『中』の人間にも正体不明らしい。すると、
「でも、だったらどうしてミシマを壁で囲んだんですか?」
「だから、敵を外に出さないためだ」
「……おかしくないですか? だって、その、敵は人を襲うのに、どうして中に人が入ったままなんですか? なんで人を外に出さないんですか?」
「そんなこと、私が聞きたい」
 その時、希望の眼が少しだけ悲しそうになった。それは本の一瞬のことだったが、何故かつぐみには、ひどく印象に残る。
「昔、敵が三度目の現出をした頃だ。突然政府が退避命令を出してな。なにかしらの『検査』をして、外に出て行った。何故か知らんがそれ以降は検問が実施されて、外に出ることが出来なくなった。で、一年もしないうちにあの『壁』ができあがって、我々は閉じ込められた。」
「な、なんで?」
「だから私が聞きたい」
 それはそうだった。
「違うんだぜお嬢ちゃん」
 屋台を押している中年が割り込む。
「希望は、本当は外に出て行ったんだ。なのに、俺達のこと心配してくれてまたミシマに戻ってきてくれたんだ」
「いらないことを言うな」
「え、希望さんも壁を登ってきたんですか?」
 すると、希望は本当に呆れたような顔をした。
「お前、壁をよじ登って中に入ってきたのか」
 時間は、もうすぐ十時。
 百メートル向こうに、あの人気のないビルが見えてきた。
 朝も夜も変わらない、静かな町並み、むしろ廃墟。



 ……いや、何か聞こえた。
 朝とは打って変わって、そこには喧騒が在る。
「ちっ、あいつら何を騒いでいる。『敵』が来るときは静かにしていろと言っているのに……許さん」
「て、鉄拳制裁は駄目ですよう」
「ほっぺたをつねってやる」
 それはそれでどうかと思うが何かを口にしようとした時には希望はすでに子供たちのそばまで走っていた。
「何を騒いでいるっ! もう十時になるんだぞ」
 屋台を引いたまますさまじいスピードで歩き出す希望。屋台を後ろから押していた男二人は突然押していたものが軽くなり前のめりにこけた。
「あいたたた」
「いってえ」
「だ、大丈夫ですか?」
 駆け寄るつぐみに老人が笑う。
「まあ、いつものことですよ」
 中年が、希望の向かう先を見て、いぶかしむ。
「まあ、向こうはどうやらいつものことじゃないようだな」
 つぐみは二人の男が立ち上がると一緒に歩き出す。
 先にある、人だかりに向けて。

 あれは、子供達。
 今朝朝ごはんを配った子供達だ。それに見覚えのある顔も……。
「あっ!!」
 向こうも気付いた。
 あれ、自分を襲った盗賊、間宮蛍の子分。
「確か、五味くんと……言永くん……」
 とりあえず、年下らしいのでくんづけ。二人もつぐみを見ると驚いた顔をして、どこかばつの悪い顔をした。片方が股間を思わず押さえたのをみて、そういえばひどいことしたかもと思い出す。そんなやりとりに少し?マークを浮かべながらも希望は二人の少年に質問する。
「啓二、幸正……。どうした? 蛍は一緒じゃないのか?」
 二人の少年は、そのいかつい顔を涙でにじませ、希望にすがる。
「希望さん……蛍ちゃんが、蛍ちゃんが」
 何かおかしい雰囲気を感じ取った希望は少し興奮交じりで詰問する。
「落ち着け。蛍が、どうした?」
 そして五味幸正が答えた。
「蛍ちゃんが、昼間の女の子を捜しに行ったまま帰ってこないんだ」
 昼間の女の子は驚いた。
「な、なんで私を?!」
「え、だって、お姉ちゃん怪我してるみたいだから」
 ということは何か、みんなでよってたかって私を捜していたのか
 つぐみは、口が塞がらない。
 希望はそんな少女の肩に手をぽんと置き、子供達に伝える。
「とにかく、お前達隠れろ。もう『敵』の時間だ。蛍だってそれくらいわかっている。そろそろどこかに隠れるだろう。それにきっと、私がこいつを見つけている情報も伝わっているはずだ」
 希望はそれほど心配はしていないようにも見えたが、しかしよく見ればそのポーカーフェイスが崩れかけているのがよくわかった。しかしそれも一瞬。匿名希望の顔が、どこかつまらなそうな表情を取り戻す。
「あいつは、放っておいても平気だろう」
「あの、ノゾミちゃん?」
 老人が、なにやら思惑ありげに発言する。
「どうした? じいさん」
 いつものように希望は振り返る。
「ホタルちゃんは、知っているのかい?」
「なにをだ?」
「ノゾミちゃんが、ここにいること」
「知らん」
「……まずくないかい?」
「何故だ?」
「もし、ツグミちゃんがいることを知ったら、会いに来るんじゃ」
「だろうな」
「それなら、ホタルちゃんどこに行くと思う?」
「公園だな、私は今週あそこで暮らす予定だった」
「ホタルちゃんは知っているのかい? 昨日の晩、あの公園に『敵』が出たこと」
 一瞬、希望が動揺した。
「知っているだろう。これまでたった三人で町で暮らしていた蛍だ。情報には聡い。そうだろ? 幸正、啓二」
 二人は頷く。
「うん」
「公園には近付いちゃ駄目だって、蛍ちゃんに言われた」
「ということだ、大丈夫だろう」
「で、でも万が一のことも」
「子供を心配させるようなことを言うな」
 そして希望は子供達の方を向く。
「ほら、何をしている。さっさと動け。敵に見つからないように隠れろ」
 そして後ろを向く。
「ほら、お前達も隠れろ。そうでないと私は心配でおちおち自分の屋台車も隠せない…………、佐藤? どこだ? 佐藤?」

 つぐみが、いなかった。
 中年も、老人も気付かなかった。
「……佐藤?」
 予測はつく。
「ま、まさかあのお嬢ちゃん」
「ホタルちゃんを捜しに?」
 希望は、頭をかく。
「言ったそばからこれか……。あの少女、どうやら私を困らせたいらしい」
「でも、助けに行くんでしょう?」
「行かない」
 青ざめながらも、希望は言う。
「まずは、ここにいる子供共と、お前らを安全な場所に移してからだ。勝手に、言うことも聞かずに飛び出した命知らずよりも優先しないといけないものが私には多くてな」
 老人は、再度確認した。
「いいんですかい?」
「……」
 答えなかった。
「ほら、いくぞ。もうすぐこの上空を『敵』が三体飛んでくるはずだ。さっさと隠れる準備をしろ。早く私の仕事を終わらせて、佐藤と蛍を探しに行かせてくれ」


 希望は屋台を動かした。


 


15 :akiyuki :2007/02/19(月) 16:24:36 ID:VJsFrmQG

ピジョン来降(五)



 来た道をたどるのは楽だった。
 元々ここまでは一本道だったし、道路はひび割れているもののアスファルトの舗装が残っており、足には優しい。何も考えなくても道なりに走っていれば、さっきの公園までいくのはたやすいことだ。
 とは言っても、つぐみは何かを考えて走っていたわけではない。
 気がついたら、走っていた。何の理屈も理由も無く、足が勝手に公園へと向かっていた。
 それまでの道のりで誰とも会わない。おそらく希望たちの言っていた『敵』がでるから隠れているか、離れている。わざわざ命の危険を冒そうとする間抜けはこの町にはいない。いるとしたら……。
「間宮さん……」
 自分を捜してくれているだろう、あの子だけ。
 しかしそれは自分の思い込みだ。彼女はとっくに命の危険を感じて隠れているか逃げているかしているかもしれない。(きっとそうしているとつぐみは考えている)普通、そうだろう。(えん)(ゆかり)もない自分を助けに、人喰いの出る公園をうろつくなんてことは、生来するべきことではないのだから。
 つぐみは心の底から、あの盗賊の少女が自分のことなんて放っておいて消えていることを望んでいた。
 自分の命の心配だけをしていてほしかった。
 さっきまでの自分のように、逃げてほしかった。
 けれど、そうはいかない。
 だから、何もしないでいられない。
 つぐみは走る。今の時間が何時なのかも確かめず、ひたすら彼女と匿名希望との再会の場所を目指す。
 そして、その開けた公園へと辿り着く。
 つぐみは息もままならず、膝に手をつき前かがみになる。目を開けられず、呼吸を抑えられず、動悸に体を制限されながら、まぶたとくちびるを噛む歯に力を入れながら、回復を待つ。
 どれくらいの時間、頭をさげていたのか、次第に呼吸が正常になり、汗が引き、湿った衣服からひやりとした寒気を感じるようになる。今日は汗を流しすぎたせいか喉が異様に渇く、痛みさえ覚えながら、つぐみは嘔吐感を我慢しながら目を開き人影を探した。

 公園には、誰もいなかった。

 何か拍子抜けした感もあったが、これでいいのだとつぐみは思う。
 これでいいのだ。後は自分が希望のところに戻りほっぺたをつねられながらどやされれば、それでいい。つぐみは元着た道の方を向こうとして、立ち止まる。
 ところで、どの道から来たんだったかな。
 つぐみは辺りを見回す。
 なんと言うのか、そう。全部同じ道に見えた。旅行者にはどの通りも同じに見えるというが、そんなことがあるのだろうか? ある。
 つぐみ暗闇であったこと、つぐみは激しい疲労から判断力を失っていたことなどを差し引いても、やはり知らない土地というのは、人間には不利なものである。
 そうして頭を抱える。
「こんちくしょー」
 思わず唸る。
 こんちくしょう。本当にどうしよう。
 髪をかきむしる。
「どーしよーかなー」
 思わず空を仰ぐ。昔の人なら星座から自分の位置を割り出し帰る方向がわかるのにな、などと考えながらつぐみはため息をつく。オリオン座しかわからない少女にはなんでもない話である。第一今の状況では方角はあまり関係ない。
 とりあえず、星空を仰ぐ。
 そう、その灯り少ないミシマの中からは満面の星空が……





 黒い影が、上空を通り過ぎる。





「……へ?」
 今、何が通り過ぎた?
 つぐみの視界の真ん中を、何か大きなものが通り過ぎた。
 つまり、今。
 この上空を、巨大なものが飛んでいったと、そういうことなのか?
 音はなかった。風もなかった。影だけが、通った。
 なんだというのか? 今のが、生物の影とでも言うのだろうか?
 嫌な予感を感じて、つぐみは左腕に巻きつけた時計を確認した。
 長針と短針が、十時であることを示していた。

 午後十時。

 つぐみは、急いで公園を飛び出し今飛んでいった影の消えた方向を探した。 
 もう一度その姿を見ようと、建物の裏に消えていった影を追いかけた。

 自分の後ろ、飛びかかろうとする影にも気付かずに。



 物音。

 振り返る。


「あなた馬鹿のレベル高すぎよ」
 赤い髪の彼女が自分の手を引いた。
「間宮さん?!」
 こちらの都合も聞かずに自分の手をひっぱり物陰に押し込める少女、間宮蛍につぐみは素っ頓狂な声をあげる。と、やはりいきなりに蛍の手がつぐみの口に押し付けられる。
「静かにして、奴らに聞こえるわ」
 そして上空を睨みつける。つられてつぐみも上に視線をやるが、そこには何も無い。空が延々と広がっているだけだ。小声で、訊いた。
「いるの?」
「今はいないわ、けれどあいつらは町中を巡回しているだろうから、またここまで戻ってくるだろうし、別の群れが来る可能性も。これだけ広い公園ならあいつらが着地して休むかもしれないし……、ああ、もう。最悪」
 一人悪態をつく蛍に、つぐみはなんとなくわかっていることを聞いてみた。
「ねえ、間宮さん。もしかしてそのあいつらって、『敵』のこと?」
「他に何かいる?」
 正解だった。
 そして、もう一つ。
「ねえ、間宮さん」
 蛍は随分といらだった顔でこちらを向く。
「何よ、今の私達の状況わかってるの?」
「もしかして、私を捜してくれていたの?」
「そ、そ、そんなわけ……」
 どうやら正解らしい。
「だ、第一なんで私のことさん付けなのよ。私はあなたを襲ったのよ」
「うん、そうなんだけれど、ちょっと年上っぽいし」
「私は十五よ、本当なら中学二年。あなたいくつ?」
「十四、早生まれだから……じゃあ同級生なんだね、私と間宮さん」
「だ、だから何よ。私はあなたをナイフで刺したのよ?! ……大丈夫?」
「あ、うんちょっと痛いけど、えーと、その内治るって言われたような……あれ? なんて言われたっけ?」
「……ってそんなことはどうでもいいのよ」
 蛍は何か苛立ちを表して、その後冷静に言った。
「とにかく、死にたくなかったらここから先は私の指示に従って動くこと。いいわね?」
 蛍はきつく注文をつける。薄い雲がかかり、月の光も鈍くはあるが、淡く光るように目立つ赤い髪が、まるで怒りの炎に照らされているように錯覚してしまうほどのその目の鋭さにたじろぎ、うなづく佐藤つぐみ。
「わ、わかりました」
「じゃあ、まずは隠れるわよ」
 蛍は辺りを見回し、今いる物陰よりも隠れよいところはないものかと検索する。こちらには公園があり、道路を挟んだ向かい側には草だらけになった荒地があるのが見うけられる。
「あそこに隠れようかしら……でもあれくらいの草本の高さじゃあ上から見れば見つかるだろうし、この物陰で隠れていたほうがいいのかしら……」
 大きな独り言をつぶやき、アゴに手をやる。膝立ちで思案に耽る蛍に、つぐみは小声で話しかけた。
「あの、間宮さん。そんなに体を出してたら見つかっちゃいますよ」
「わかってるわよ。でも今は奴らの羽音が聞こえないから大丈夫よ」
 羽音? してたっけ?
 しかし、思い出せば『ここ』とつぐみのいた環境は大きく違う。ここには音が少ない。そして常に命の危険が横にあるのだから、感覚が敏感であっても何もおかしくはないのだ。
 ここで何年も生き延びているということは、生き延びる術を持っているということ。そういえば蛍は『敵』が空の向こうに消えていきもう何もこないのを確認してから越えの大きさが元に戻った。今は、平気な状況なのだろう。
「ちょっと、そこを動かないでね」
 そう言うや、何の前触れもなく蛍は二人の隠れる物陰(ボロ切れをかぶせてカモフラージュしている)から飛び出し公園に向かった。
「ちょっと、間宮さん?!」
 思わず声を上げると、蛍は人差し指を口にあてるジェスチャーを見せた。さすがにそんな闇に響くほどの大声はまずいらしく『静かにしなさい、『敵』が来るでしょうが何度言ったらわかるのよ』と、表情が言っていた。

 そして辺りをきょろきょろと確かめながら公園の中に入っていき、ベンチに於いてある何かを拾い上げて戻ってきた。
 つぐみが被っているボロボロのシートの中に潜り込んできた蛍の手にあったのは、ズタ袋のようなそれは、まごうことなくズタ袋だった。
「静かにしなさい、『敵』が来るでしょうが何度言ったらわかるのよ」
 帰ってくるなり小声で怒鳴りつける蛍に誤りながら、彼女が何を持ってきたのかを尋ねてみる。
「間宮さん、それ何?」
「見ればわかるでしょう? 私の荷物よ」
 中を開けて貰うと、荷物としか言いようがなかった。
 タオルやら、何か食べかけの食料、使い古した感のあるビニール袋に歯ブラシ、ゴム手袋に穴の開いた靴下、包帯。そして……、ナイフ。
 つぐみは右腕がちくり、と傷むのを感じて傷口に目をやった。
 その視線の動きと荷物の中身に、蛍は反応して慌てて袋の口を閉めた。
「み、見世物じゃないわよ。『外』の人には珍しくないものなんでしょうけれど、ここで生きていく人間には貴重なものばかりなんだから」
「うん……」
 そして、沈黙してしまう。
 とはいっても、二人とも黙るところの意味は違う。
 つぐみにとってはまた何かを喋れば怒らせてしまいそうな気がして
 そして蛍は、言いたいことを言い出せずに……
 ……その沈黙がいたたまれなくなったのだろう。蛍の方から、沈黙を破るために切り出した。
「あなた、いい匂いよね」
「な、何を突然」
「こんなところだからかな、鼻もいいのよ。だから、そんなに石鹸の匂いをさせている人にあうの久しぶりだから、気になったの」
 そうは言ってもこの一日かなり走って汗臭いのを気にしていたのだが。しかも血の錆鉄の臭いさえ気になる。けれど、その蓄積量はここにいる人間とは違う。
「私と同じくらいの年齢の子が、外ではこんなに体を清潔に保てるのね」
 その言われ方は、色々なところで聞く。世の中には、満足な食事を得られない人たちや、病気になっても貧しさのために医者にも見せられない人もいる。つぐみが当たり前と思っていた生活水準が、どれだけ恵まれているのか。
 そんな話はよく聞いていたし、知っている。でも、それは結局どこか遠くの国のことだった。自分とは、まだかかわりのない世界の話のはずだった。
 そんな台詞を、同じくらいの子から言われてしまった。
 そのことに少なからずショックを受けているつぐみに、蛍はため息をつきながら答える。
「単なる嫉妬よ、気にしないで。それになんだかんだ言いながら私だって月に一回くらいは石鹸の配給もらってるから衛生には気をつけているけど」
 しかし、話題を降ったのはいいが、再び沈黙が場を包む。
 こういう場合アクションを起こした方が気まずい思いが強い。蛍は再び思案して、そして少し本気な目をして尋ねた。
「……あなた、外から来たのよね?」
「……うん」
「確か、それ西条南中学校の制服でしょ? 確か緑のスカーフは」
 驚き、顔をあげるつぐみ。この場所で、そんな現実的な質問をされるとは思っても見なかった。
「なんでそれを?」
 すると呆れた風に言う。
「ミシマの人間は元々みんなミシマに住んでいたんだから、隣町のサイジョウのことくらい知ってるわよ」
 それもそうである。これ以上沈黙が嫌だった蛍は、次々とまくし立てる。
「で、なんで? なんであなたはここに来たの? よく覚えていないけれど、確かこうなる前はもっと町って住みよいところだった。あなたはそんないいところから何のために壁を越えてやってきたの?」
 つぐみは、答えなかった。
「言いたくないなら別にいいわ」
 蛍もそれほど知りたいとは思っていなかった。たとえ、どんな理由であろうとも来てしまったものはしょうがない、仕方がないから手助けを少ししてやろう。傷の借りもあるからね。そう続けるつもりだった。
 雲の隙間から、綺麗な月が顔を出し、辺りを青い光に包む。蛍は横に座るつぐみの顔を、まじまじと見た。向こうは、空を見ていた。
 光に映されてはっきりと見えるつぐみの顔は、どことなく本気だった。
「間宮さん?」
「蛍でいいよ」
「じゃあ、蛍さん?」
「さん付けで呼ばなくてもいい」
「……ホタリン」
「……何?」
「私がここに来たのはね、人を捜すためなの」
 そこで、つぐみは俯いた。

「私ね、五年前ミシマに隕石が落ちた時、ミシマに住んでいたの」

「……どういうこと?」
「私の家は、ミシマの中にあったの。私はこの町で生まれて、この町の小学校に通っていて、この町の中学校に入るはずだった。……でも、その日は恋浜まで家族みんなで出かけていて、帰り道、夜も遅くなって、でもまだミシマまで距離があって、遅くなりすぎたねって、言って、晩御飯どうしようか、って話をしてて、車のなかでうとうとしていたら、何かが光ったのが見えたの」
「……」
「ここまでつくと、もう人だかりが凄くて、色んなところで火事になってるし、テレビでいつか見た地震の後みたいに……結局その後お祖母ちゃんのいるサイジョウに避難して、もうミシマには入れないってことになって、私はサイジョウの中学校に通うことになったの……。でも、いつか必ずここに帰ってくるつもりだった。お父さんも、お母さんも諦めていたけれど、私は絶対にここに帰ってくるつもりだった。そして、今ここにいる」
「……なんで……」
「私には、お姉ちゃんがいるの。お姉ちゃんは、あの日中学の部活動があってお留守していたの。この街に、いたの」
「……」
「ミシマの中は、もう人が生きてはいないって外の人たちは言っている。私は、それが何か信じられなくて、この中に入ってみた。ここには人がいた。蛍ちゃんや、希望さん。五味くんに言永くん、おじさんやおじいちゃん、みんな生きていた。だから、私のお姉ちゃんも生きていると信じている。ここのどこかに、お姉ちゃんが生きている。それを確かめたくて、私はここへ来たの」
 そして、少し顔を笑わせる。
「でも初日から泣いてばかり……ちょっと、甘かったかな」
「あなたの」
「へ?」
 蛍の声が震えていた。
「あなたの名前は、なんて言うの?」
 そういえば、言っていなかった。
「佐藤つぐみです」

 何か衝撃を受けたような表情を、蛍は隠しきれなかった。

 そして俯き、何かを決意したかのように振る舞い顔を上げた。
「昼になったら、人の多い集落を案内してあげるわ。あなたみたいな滅茶苦茶な人のお姉さんなら、私の耳に入っているはずだから、私の行かない地域にいる可能性が高いわね。あまり女二人で行くのは薦められないけれど、もうなりふり構っていられないし。もう青服も動いているだろうから、時間はないわ」
 突然の思案に、つぐみはきょとんとする。
「どういうこと?」
 蛍は何か恥ずかしそうに頭をかきながら
「手伝うって言っているのよ。あなたの人探し。その、傷の借りもあるから……」
 つぐみは、どうしようもなく微笑んだ。
「ありがとう」
 少し照れくさそうにして蛍は切り返す。
「おしゃべりは終わり。さ、こんなところでぺちゃくちゃしている状況じゃないのよね。奴らの気配はしないけれど、そろそろ現れてもいいころだから」
 蛍は立ち上がる。辺りを見回し、やはり何も変化ないことを確認するとつぐみに手を差し出す。その手を掴み立ち上がるとつぐみも辺りを見回した。
 静かなものである。そう、午後十時を過ぎた街に徘徊するような不良少年少女は少ない。そんな遊び人は、そうはいない。
 音はしない。
 つぐみは、気になることがある。
 それは第六感とでも言おうか、何かおかしい気分。
 たった一つの疑問。佐藤つぐみの人生に、順調なんてありえるのだろうか。



 黒い影が、上空を通り過ぎた。




 すた……と、それは着地した。


 あまりに自然に、その黒い何かはアスファルトの上に立った。
 何故、このタイミングで? 
 ありえない物、もともとありえない物であったそれを、ありえない表情で見る蛍とつぐみ。
 


 『敵』が、突然現れた。
 


 


16 :akiyuki :2007/02/19(月) 16:36:37 ID:VJsFrmQG

ピジョン来降(六)


 あまりに自然に、その黒い何かはアスファルトの上に立った。
 何故、このタイミングで? 
 
 もっと、前兆があってもいいはずだ。

 こんな唐突に、こんな簡単に危機が訪れていいのだろうか。
 いや、訪れるからこその、危機なのか?
 この五年間を生き延びた蛍の感覚に捕まらずに接近した鳥。
 自分達は、何かまずいことをしていたか?
 それを考えると、ミスをしたのは自分ではないかとつぐみは考える。自分がいらないことを喋りすぎて、話しかけすぎて蛍の気をそらしてしまったからではないかと考える。
 自分のせいではないのかと、考える。
 しかし、今はそんなつまらないことを考えている場合ではない。『敵』がすぐ目の前に降りてきた。つまり見つかったということなのだから。
 蛍とつぐみが並んで立つ。
 そしてその目の前に、二人を見下ろす黒い影。
 三メートルを越える翼。全身黒く塗りたくられて、顔の形も起毛も見えない。本当に、空間にその形だけを切り抜いたように錯覚する、漆黒。
 黒い烏が、こちらをうかがっている。
 心臓は普通に動いている。興奮して脈拍が増えてももおかしくないのだが、あまりに突然すぎて、心はわかっていても、体が危機を感じ取れていないらしい。
 ……ナンなのだ、この状況は?



「つぐみ」
 その時、蛍がつぐみの手をぎゅ、っと握った。その感触に我を取り戻し、今自分が何をすべきなのかを思い出す。
「いい? 多分こいつ、あなたの腕に惹かれてきたみたいよ」
 思い出す。自分の右腕は今、血塗れている。出血は収まったものの、着替えなど準備しておらず、白いセーラー袖はヘモグロビンで染色されている。
 腕……血の匂い……。
 ならば狙いは自分ということか?
「でもなんで気付かなかったのかしら」
 口元だけ笑んで舌打ちする蛍。わかってる。油断していたからだ。あまりに長く話してしまった。こんなに誰かといる時間で我を忘れてしまったのは、何年ぶりだろうか。蛍は、人生何度目かの命の危機だというのに、なぜか、嬉しくて仕方なかった。
 

 ぐえ?



 敵が、鳴いた。
 自分たちを確認して、不思議がっているのだろう。
 何故、逃げないのかと。
 『敵』は人間が隠れる動物だということを知っている。だからこそ、『敵』
「逃げるわよ。私がこいつの注意を引くから、ひるんだ隙に一気に走ってそこの草むらに隠れて。こいつらはこう見えて鈍感で、人間を眼で捕捉するまである程度音を立てても把握できないの。隠れたものを捜す能力が低いのが、『敵』の弱点。一度逃げ切れば、私達の勝ちよ」
 つぐみは敵から視線をそらさずに、尋ねる。
「……蛍さんは、どうするの?」
「私はあなたが逃げて後に隠れるわ」

 嘘だ。

 蛍が今言った作戦は、つまり。
「囮になる気?」
「そういうことよ。大丈夫よ、あなたよりは慣れている」
 その通りなのだろうけれども、つぐみは気になることがある。
 先程から、蛍は握った手を放さない。つぐみの左手を、しっかりと掴んで離さない。
 もう、これで触れることがないと言う様に。
 震えをごまかすために、強く握っているかのごとく。

「腕の傷の借りよ」

 『敵』が、嘴を細め少女達を突こうとした。
 蛍は、つぐみの手を放すと同時に彼女を突き飛ばし、『敵』に飛びついた。
 『敵』のこめかみの部分向かって、慎重に正確に、しかしあらん限りの力を込めて、その手にいつの間にか握られていたナイフを振り下ろした。
 刺さらない。
 しかし、痛みを感じたのか悲鳴を上げながら敵は二散歩後ずさる。
「今よ、逃げなさい。つぐみっ!」
 つぐみは、すべて理解し蛍に言われた通りに、走り出す。
 蛍は第二撃を与えんがために敵へと迫る。
 そうしてそれぞれの少女が駆け出すのと同時に、


 上空に、黒い影が通り過ぎる。



 ああ、敵が一匹であるなどと、何故勝手に認識してしまっていたのか。
 蛍がナイフを持って牽制している黒い影とは別に
 上空十五メートル。
 もう一匹の鳥が、空より狙っていた。
「しまっ……!」
 蛍は慌ててつぐみに警告を促す。もう一匹が、あなたを狙っていると。
 しかし、それは違った。
 その嘴は、間宮蛍を狙っていた。
「え? 私……?」
 その時、反撃を食らった前方の『敵』もまた体制を整えて、二つの嘴が同時に蛍を襲った。
 反応できなかった。蛍は、そこで終わる。


「こんちくしょー」
 しかしまだ終わらない。
 『敵』に喰われるよりも先に彼女の体に飛びつき、地面に押し倒した者がいた。
「……つぐみ、あなたどうして逃げないの」
 つぐみは、逃げるために走っていた。けれど上空の『敵』に気づき蛍の元に駆けつけ飛びついた。
 地にいた『敵』は嘴が空を切ったことにまた首をかしげ空よりきた『敵』は再び上雨空へと戻る。次の落下のために。
 赤い髪の少女は手にナイフを掲げていた。そう、つい数時間も前に今自分を助けてくれた少女の右腕から血を流させたあのナイフで。蛍は立ち上がると『敵』に向かって
「来いっ! お前の相手は私だ」
「蛍さんっ!」
「あなたは逃げなさいっ!」
「蛍さんもっ! 一緒に!」
 きっ、とつぐみを見据えて、そして蛍はにっこりと笑って諭すように言う。
「いいから逃げなさい。お姉ちゃん探すんでしょ?」
 その言葉は、叱咤よりも効いた。
 つぐみは駆け出した。今度こそ、逃げるために。













 それを確認して、蛍は満足して自分もすぐに反対側に駆け出した。
 目の前にいる『敵』は今の攻撃で的を自分に絞ったであろうことと、上空から狙う方はやはり蛍が目的ということがわかったから『敵』達には、つぐみははなから眼中にないことがわかった。
 好都合だ。
 蛍は自分にひきつけて、走り出す。追いかけてきた『敵』が飛び掛る瞬間、右に曲がり建物と建物の隙間に飛び込む。
 敵もまた追いかけるが、その路地が微妙に入れない幅の為に入り口で首だけ突っ込んでいる。

 ぐぎゃあ

 威嚇の声が聞こえるが、蛍は逃げない。
 今、反対方向に逃げているはずのあの子が逃げ切るまで、自分は囮になる。そう決めたのだから。頼むから今度こそ逃げていて。そう願わずにはいられない。
 それまでは、精一杯戦わなければ。
 少女は狭い道の中から、明るい大通りからこちらを見つめている二匹の化け物を睨み返した。


 


17 :akiyuki :2007/02/19(月) 16:42:06 ID:VJsFrmQG

ピジョン来降(七)



 青い影が二つゆらめく。
 ミシマ内にある数少ないビル。その屋上に二つの影。
 青い服を纏った男女。
 片方は男で、片方は女。
 数時間前ミシマの門をくぐり一人の少女を探すためにやってきた『青服』。
「状況報告」
 男はそれだけ口にすると、女は答える。
「鹿島、安藤、柘植、古舘らが捜索開始してから六時間が経過しましたが、未だに第一目標『サトウツグミ』は発見できていません。ただ彼女、こちらが考えているよりも活動的な人間らしく、町中を歩き回っていたという目撃証言をいくつか得ました。しかし『遊び人』匿名希望と並んで歩いているのを見た。血を流しながら一人で走っていた。あんちきしょうと叫びながら泣き喚いていた。男二人に連れ去られていたなど、証言が多すぎて逆に信頼性に欠けます。どれを信用したらいいものかわからず、どれも違うようにも思うし……。失礼、今のは私の主観を述べてしまいました。とにかく、報告としては『サトウツグミ』の現在状況は不明ですが、ミシマにいるのは間違いない。ということです」
 男は薄暗い町を見下ろしながら襟を引き寄せる。少し、風が冷たかった。
「……つまり、詳しいことは全然わかっていないということだね」
「ムカ」
「……いや、りっちゃん。そういうのは心の内だけで言っておこうよ。一応相手は上司なんだしさ」
「あえて言ってるんです」
「なお悪いじゃん」
「……ぷん」
「萌えキャラ気取っても駄目だよ」
 その瞬間女の目に殺気が宿る。
「ごめんなさい」
 男が謝ったところで会話が再開された。
「私もこの町の住人でしたから、それなりにツテがあるんです。けれどそれを持ってしても今回は情報が確定しません。情報が足りないんじゃなくて、多すぎるんです。ミシマの外からやってきた少女の噂が、街中を駆け回っています」
「噂になるだろうね。外から入ってきたってことは、それは出入り口があるかもしれないということだから」
 つまり、ここから出ることが出来るかもしれないということ。この、『敵』の巣から。
「その、サトウツグミの行動だけれど、証言を実際に時系列にそって並べてみれば、案外得心のいく答えが見つかるかもしれないよ」
「どれだけ荒唐無稽な生活送れば気が済むんです」
 偶院友は少女の方をここでやっと見て、確かめた。
「大体の目星はついているのだろう? 何かこの街の空気が騒がしい」 
 虚海利奈は、それまで男を見ていた視線を街に移し、どこか遠くを見つめる。何かが見えているように、何もないところを。

「……『敵意』が五つ。見えます」

「『敵』かい?」
「敵のものと思われるものは三つ。それに抗うような人間のものが一つ。そしてその場に向かって進む何者かのものが一つ」
「三体か……」
 友は腰に吊るした拳銃を抜いた。弾倉を確認し銃弾を込めてあることを確認する。
「……実弾ですか?」
 利奈の少し不安そうな問いに友は苦笑して答える。
「俺は『遊び人』みたいに敵とやりあう法がないからね。それにこれで人を撃つ気はないから安心してよ」
「いえ、そうじゃなくて……」
 利奈は冗談などではなく、本当に心配した様子で
「隊長の腕前だと、人に当たりそうだから……」
「さらっとひどいこと言うね」

 次の瞬間。

 二つの影が同時に消えた。






 ずっと走ってばかりだなあ。
 つぐみは一日を回想する。
 蛍を翼と見間違えて追いかけて、そしたら彼女は強盗でそこからも逃げてきて。それでやっとこさ希望のもとに帰ってきたら今度は蛍が自分を捜していてくれていて、それを止めにここまで走ってきて、そして今は『敵』から逃げる為に走っている。
 つぐみはランナーではなくクライマーなのだが、文句を言っている暇は無い。
 今は、走らなければいけない。体の耐久力はもうなくなり、地面を蹴るたびに関節に痛みが走る。踏みしめるたびに体がよろける。
 いくら鍛えているといっても、現代人の能力の限界はとっくに超えていて、それでもつぐみは走り続ける。
 まだ、死ぬわけにはいかなくなった。
 もう、死ぬわけにはいかなくなった。
 一度だけ振り返る。
 二つの巨大な影が、建物と建物の間に首を突っ込んでいる。
 あそこに、いるんだ。間宮蛍は、あそこに隠れているんだ。
 そして振り返るのをやめた。








「わああ!」
 蛍はナイフを振り回し、声を荒げて威嚇する。
 巨大な鳥二匹はその刃をよけるように後ずさり、そして雄たけびを上げる。

ぐぎゃあ
ぐぎゃあ

 だが、その叫び声は蛍を恐怖させはしない。なぜならその声を発する原因は、狭くて通れない路地の向こう側にいる人間へのいらつきの声なのだから。
 嘴の届かないところにいる人間への悪態。
 蛍は、にやりと笑う。笑うところではないのに、思わず笑ってしまう。これまでもそうだった。蛍は今までの人生(とはいってもミシマに取り残されてからのことだが)で『敵』に襲われたのはこれで四度目だ。一度目は母親の死体を担いで逃げた。二度目は商店街跡。突然現れた『敵』の群れに一緒に暮らしていた集落の人々が死んでいった。蛍自身はアーケードと街道を埋め尽くす店舗に素早く隠れることが出来(若い女の人が自分をダンボールの中に押し込めて蓋をした。次の日その人はいなくなっていた)運よく逃げ切ることが出来た。三度目はいよいよ駄目だと思ったが、『遊び人』匿名希望に助けられた。それが三年くらい昔。それ以降、『敵』を目で捉えることはあっても、敵に見つかるような間抜けな真似はしたことがなかった。そして、今。
 四度目。たった一人で敵に立ち向かうのは、これがはじめてのことだった。
 しかし怖くは無い。これまで、この瞬間のために鍛えてきたのだ。
 まだ、怖がるわけには行かない。
 もう、怖がるわけには行かない。
 今度こそ、自分は無事に逃げ切ってみせる。
「わあ゛あ゛」
 自分を奮い立たせる為に、雄叫びを上げた。
 そして、今の状況に意識を戻す。現在蛍の体は二つの建造物の狭い隙間にある。二体の『敵』はこの隙間に入れず首だけを突っ込んで嘴を開く。この黒い烏達も生物である以上まさかコンクリートの壁を破壊して体を隙間にいれるなんてパワープレイはしないだろう。ならば、どうなる? 先程から続く無意味な攻撃の繰り返し。そして、伸びた烏の顔めがけ刃物を振り回す。
 それを延々と続けていた。
 しかし、その行為は第三者から見るとどこか疑問の浮かぶところもある。
 状況を見れば、つまり『敵』はもう蛍を追ってこれないのだから、蛍は逃げればいいのだ。入ってきたのとは逆の方向に向かって走り、そちら側の道から逃げ出すということもできた。なら、なぜそれをしないか。
 それにはいくつか理由がある。
 第一に、もしかしたら、この反対側にも『敵』は存在するかもしれないということ。先程、『敵』がさったと勘違いし、外に飛び出し、別の敵に狙われるというミスを犯している。今もここで、『敵が目の前の二体だけ』だと判断することは危ない。
 第二に、逃げているのは自分ひとりではないのだ。もう一人、逃がさなければならない人間がいる。佐藤つぐみだ。先程、この目の前の『敵』を相対したとき、二体ともが蛍を狙っていた。ならば、二体とも自分に引き付けておけばいい。それでつぐみの危険が少しでも減るならば、できるだけ『敵』に目立って、ここいら一帯の空を飛ぶ影を自分に集めればいい。つぐみは敵から逃走している。しかし蛍は、防衛しなければならないのだから。
 第三の理由は、これはかなりつまらないことかもしれないが、蛍は慌てて走り出したため、生活用品を詰め込んだ袋を……、置いてきてしまったのだ。それは今、鳥の股下を通して見える、先程隠れていたところに落ちていた。
 確かに命がかかっている状況ではあるものの、あれが手元にないと蛍は少し不安になる。何しろ、間宮蛍は、ここから生き残って明日からも生きていくことを考えているのだから。
 そのような理由のために化け物相手に大立ち回りを演じている蛍。それで一分くらいの時間が経過しただろうか。いまだに首を出したり引っ込めたりしている『敵』に、その行動の稚拙さから苦笑する余裕も出てきた。
 実は、この狭路が完璧な要塞な気がしてきた。ここで朝まで待っていれば、敵は朝日に消え、自分は助かる。そんな考えも脳裏によぎるが、とりあえず今は、つぐみと合流するまでは活動的でいようと思う。
 何もしなくても匿名希望辺りが飛び出してきて助けてくれそうだが、自分も動く。
 しかし、なんでこう自分はつぐみに関わろうとするのか。
 まったくわからない。
 しかし、関わってしまったら無視できない。それが、人間ってものなのだから。 
 彼女を育ててくれた匿名希望は、昔そう言った。
 自分も、そう思う。
 そこで、蛍はそろそろこの場から立ち去る準備をする。
 このまま反対側から突き抜けて、つぐみが逃げただろう方向に向かって走る。なあに、土地勘はある。つぐみの逃げそうな方向もなんとなく予想はつく。
 なんとかして合流して、今度こそ隠れる。きっとあの子はどうしていいかわからず突っ走ったままだろうから。などとお姉ちゃん風を吹かせながら敵を一瞥する。敵は不思議そうな顔(とはいっても烏に表情があるわけはないので、不審そうに硬直しただけだが)をして、

 ぐぎゃ?

 鳴いた。
「じゃあね、次はもっとスリムになってきなさいよ」
 そして踵を返し、敵に背を向ける。その背中を『敵』は見つめる。
 なぜか、狭路に首を入れるのはやめている。何か監察するように、蛍を見て、そしてその自分の体を通すのを邪魔する二つの壁に気付いて、まるで、

 ああ、壁があったのか。

 というように首を、ぐるり、と回して再び鳴いた。

 ぐぎゃあ
 ぐぎゃあ

 蛍は立ち止まる。そう言えば、荷物を忘れていた。どうしよう。迷う。
 取りに行こうにも入口は物理的に封鎖されていて取りにいけるわけも無い。
 やはり明日の朝一番に取りに行くしかないのかな。
 そんなことを考えて後ろを、『敵』を振り返った。
 そして、時が凍る。
 ……例えば人間が狭い道を歩くとき、前から人が来る。どうするか? それは半数以上の人間が、肩を前後動かして避ける。できるだけ、ぶつかる面積を少なくすれば、通れなくも無いということはよくある。肩をすぼめるだけなのだから。
 『敵』が、体を無理矢理狭い間に押し込んでいた。
 それは先程までのものよりも、もっと奥まで。翼の付け根までがねじ込まれている。体をこすりながらも、体をせばめて、ぎりぎりの幅に収めている。そして、鳥類の体型でもっとも幅の広い部分が入ったということは、全身が入るということ。
「なぁぁぁ?!」
 素っ頓狂な声をあげた。おかしい。それはおかしいって。だって、この道幅は、そんな多少無理してもどうにかなる広さじゃないし、『敵』だってそんな小さくは無い。二回りは小さくならないと、こんなところ……入るわけない。
 しかし、思う。それは『敵』が生物的な骨格や筋組織を持っていたらの話であって、もし、これはあくまで想像にすぎないが、『敵』の【中身】が形をもっていないのだとしたら、それは……。水に抜けられない隙間はないということ。
 そこまで考えて、蛍は馬鹿馬鹿しい。と自分で自分を否定した。
 馬鹿馬鹿しい。今は、そんなことを考えている場合ではない。
 『敵』が隙間を通って自分の目の前にきているのだ。
 逃げるしかないではないか。
「あ、う、うわあああ」
 反射的に右手のナイフを突き出した。それは向かってくる一匹の敵に交差攻撃をしかける形になり、嫌な感触と音がした後、『敵』の眼球を刳り貫いていた。
 そして、これも交差攻撃。
 代わりに蛍の腕を、『敵』の嘴がえぐる。

 


 ――激痛

 


18 :akiyuki :2007/03/04(日) 16:03:47 ID:VJsFrmQG

ピジョン来降(八)


 影が二つ。走りながら会話している。
「しかし、この方向に本当に佐藤つぐみはいるのでしょうか?」
「この時間帯に『敵意』を持つのは、『敵』か『敵』に襲われている人間くらいだろう? 何にも知らずにミシマに侵入した佐藤つぐみ嬢なら、そんな現場に居合わせてもおかしくない。それにいなかったとしても人命救助もまた俺達の仕事さ、ところで」
影の一つが後方の影に問うた。
「この先にある『敵意』は五つ、と言ったね?」
「はい、『敵』のものが三。それに立ち向かう人間が一、それに、そこに向かってかなりの速度で走るものが一つ」
「今の時間は?」
「あ、はい……午前零時七分です。まさか?!」
「そうか。例のなんでも屋の時間だね」
「では、そこの例の男が向かっているのでしょうか」
「いや、心当たりが一つある」
「誰です? こんな時間に出歩こうなどという大馬鹿者は?」
「一人、いるだろう? ここを縄張りにしている女が」
 影は戦場にむかって走り続ける。




 蛍は、痛みのあまり
「うぎゃあああああああ」
 叫んだ。
女性のあげる悲鳴ではなかった。赤い液体が、空に舞うのも初めて見た。
 痛い。何が? やられた。痛い。血が流れる。血管がやられた。この出血量。まずい。よくわからないが何かまずい。痛い。痛み? 大丈夫。まだ耐えられる。痛い。動かなければ。ナイフは? 刺さったままだ。荷物は? この際仕方ない。もう一匹来る。逃げなくちゃ。壁に血が飛び散って、あんなに飛ぶものなの? どれだけ出血したの? 一体どんな怪我を? 見るの怖い。傷口見るの怖い。でも見なくちゃ。手当て。止血。止血? どうする。とにかく逃げなくちゃ。痛い。痛い。つぐみ。そういえば、あの腕の傷。痛い。きっと彼女も。痛い。逃げなくちゃ。腕が赤い。赤い。赤い。痛い。赤い。痛い。ああ、混乱してる。でも、逃げなくちゃ。

 逃げないと、私喰われる。肉の一部だけじゃなくて、私全部食べられる。

蛍は、それでも自分を取り戻し、後ろに飛ぶ。
狭い路地を、体の径をぐにゃぐにゃと動かして、『敵』が体をねじ込んでくる。溶けたゴムのような動きをさせて、ゆっくりと迫ってくる。
『敵』の一匹が、蛍から一メートルの距離で立ち止まる。
左目を潰されながらも、二の腕の一部をかすめとったそれは、口を動かし始めた。その口の中には、たった今、間宮蛍の腕から掠め取った肉があり、それを何回か顎を動かして、器用に嚥下した。
蛍は、その場に座り込んでしまった。歯ががたがたと震え、足が言うことを聞かない。
これが、怖いという感情なのかと、蛍は思った。

ぐぎゃあ

烏が、叫んだ。
 そして今まで忘れていたことを、思い出す。
『敵』は、人を食べるのだということを。
そしてあの日の恐怖が蘇る。かつて敵に襲われたときのこと。



『て、敵だあ』
『逃げろ。屋内に、狭いところに逃げ込め』
『きゃあああああああ』
『誰か、手を貸してくれ』
『娘が、娘が』
『くそ、警察はどうしたんだよ』
『なんで、なんで、何でこんな目に』
『もう三匹くるぞー』
『弾はないか!』


 ぐぎゃあ



『ホタリン、ここに隠れてるんだよ』
 一人にしないで
『ごめんね、もう少し奴らと戦ってくるよ』
 駄目だよ××さん死んじゃうよ
『大丈夫。こう見えても結構タフなキャラクターで売ってんだから』
 ――さん
『もう少し、一緒にいたかったなあ』
 ――みさん
『蓋を閉めるから、百くらい数えたら出ておいで』
 ――ぐみさん
「ったく、こんちくしょーって感じだよね」



「あ、そうか。つぐみって、あの人の妹なんだ」
 烏の右眼が、蛍を捉えた。

 蛍の中の時間が、再び動き出す。
 そして、



「蛍っ! 右に曲がって走れ!」



 突然、怒号が聞こえた。
 誰が言ったのかはわからない。どこからした声なのかもわからない。
 けれど、それは間違いなく自分にかけられた言葉で。
 その世界中に響いたような大きな声を、自分は知っている。
 『敵』が二体向かってきていても関係ない。後ろを向いて、一気に加速。体中の力を瞬発力に変えて、その狭い路地を飛び出し、そこに左右に走る大きな道路を、声の通りに右に曲がる。
 全速力で走る。走る。走る。
 ああ、今日は走ってばかりだなあ、などと考えて。
 二百メートルは走る。

 やはりあの路地はせまかったらしく、入ったはいいが抜けられなくなっているらしい。そのおかげで『敵』には追いつかれてはいないが、しかし、どうする?
 すぐに敵がくるだろう。
 追いつかれてしまったら、どうやって対処するのだ? 
 逃げても、その先がない。
 逃げても未来はない。
 独力で敵を切り抜けられるはずがない……一人ならば、無理だ。


 道路の途中で建物の群れは終わる。
 原っぱになった空き地に出た。それは、先程つぐみと共に逃げ込もうとしていた、あの荒地。
 月の光に照らされた草原は、青く淀んでいた。
 そして、その中に、赤いものが一つ、揺らめいている。
 火だった。
 空中に、火が浮いている。
 それが何か、蛍には最初判断がつかなかった。それが何かなのかはすぐにわかる。けれど、それがなんでそこにあるのかがわからなかった。でも、そこにいるのが誰なのかは、よくわかる。

 煙草の火。
 照らされる、顔。頭には赤いバンダナ。
 『彼女』がする、赤いバンダナ。
 金色の髪。

 敵が二匹、壁の隙間から這い出て、蛍を捕らえていた。翼を広げ、人間を襲う為に飛翔する黒い影。しかし、蛍はもうそんなことを気にかける余裕もない。
 今きになるのは、目の前の彼女。
 
 咥え煙草に、右手と左手にそれぞれ一丁ずつ拳銃を構えた、彼女の名は?

 蛍は、声を漏らすしかない。
「トクナ……ノゾミ」
どことなくつまらなそうな目つき。それが、今は金属の冷たさをかもし出す冷徹な視線へと変貌する。
「私の妹分に手をだすな、私の敵」
  蛍の背後、今にも襲いかかろうとする敵に、彼女は静かに吼えた。
 そして引かれた引き金。その数四回。
 銃声四つ。
 その二発ずつが二匹の敵に命中し、衝撃で地面に叩き落した。
「な、な、なんで銃?!」
 驚き、つっこむ。確かにここは崩壊し、ルールの無くなった町ではある。しかし、それでもここは日本なのだ。なのに、拳銃。
 しかも、かなりの間一緒にいた女性が、それを構えている。どこかつまらなそうな、しかし確実に殺気のこもったその眼が、蛍の方を向いている。否、彼女の視線が射抜くものは、蛍の背後の二つの影。
 そこには、二匹の烏。さっきから、少女の命をつけ狙っていた化け物。
 蛍が振り返ると、すでに烏たちは飛び上がろうとしていた。
 撃たれたのに?
 しかし、考えるとそれほど疑問符をつけるほどのことでもない。
 拳銃で熊が死ぬことはほとんどないだろう。そして、『敵』は熊よりも大きい。
「蛍、走れ!」
 こちらに銃口を向けて、彼女は叫んだ。
 ジーンズにタンクトップ。バンダナを風に揺らしながら、構えるその姿。
 希望のことはよく知っている。
 この町の顔の一人にして、『敵』に対抗できる力を持った、不思議な眼の女。
 遊び人(せいぎのみかた) 匿名希望。    
しかし、やっぱりツッコミを入れてしまう。
「な、な、なんで銃?!」
「ここで敵にやられた警察の拳銃だ。拾っていた。敵とやりあうには、これくらい必要だから、な!」
 さらに放たれた六発の銃弾。
 その三発ずつが敵の体を貫く。

 悲鳴をあげる『敵』

 しかし希望は警戒を解かず、銃口と視線を敵に向けたまま、こちらに走ってくる蛍を呼ぶ。

「蛍、こっちに来て私の後ろに隠れろ」
 言う通りにした。 すれ違う瞬間、希望は蛍の腕をちらりと見て、その手で押さえた下から流れる血を見て顔をしかめた。
「痛むか?」
 『敵』を前にしながらも、つい後ろに隠れる少女の方を向いて訊く。蛍は強く、首を横に振る。
「こんなの平気」
 その気丈な立ち振る舞いに頷き、そして再び視線を敵に戻す。その顔の表情に、その眼の中に、新たな色が湧き上がる。
「貴様ら、よくも蛍を」
 その台詞で、赤髪の少女の心から、恐怖と戸惑いが消えた。
 彼女が何故銃を持っているのかなど、どうでもよくなった。
 果たして、こうして対峙して、希望は『敵』と渡り合うことなどできるのか、どうでもよくなった。
 自分のためにやってきて、自分のために怒ってくれる。眼に冷たい炎を宿らせて敵に立ち向かう。まるで戦女神のように……。
 地面に倒れていた二つの影が、震えながら立ち上がる。
 その外観に変化はまったく見られない。傷ついたのなら、血を流しても外傷を見せてもいいはずの表面に、なんの変化もないが、確かに銃弾は命中していた。
 そして、その動きの鈍さから与えたダメージが大きいということも見て取れる。
 それは確実に急所を捉えたということ。本来拳銃の命中率とは低いものだ。それを、全弾殺せる位置に撃ち込んだということの非常識さを、蛍が理解できるはずもない。
 ただ、銃で撃たれてもまだ活動ができるという『敵』の性質に恐怖したし、拳銃というのが、大体五発から六発しか装填できないということも知っている。
 今、希望は十発は撃った気がする。ならば撃てる銃弾はあと一、二発。(もちろん弾丸の再装填という考え方もあるが、今にも襲ってこようとする『敵』の前でそれをする気にはなれそうもない)一体どうする?! いや、しかし少しも心配はしていない。
 多少は怖い。
 けれど、今蛍の目の前に立って庇ってくれている彼女がいるから、おかしな話だが、安心できる。
 きっと、なんとかしてくれる。そんな図々しいことを考えて……

 希望が銃口を降ろした。そして、今にも回復しとびかかろうとする『敵』の前で二丁の銃をジーンズのベルトに挟みこみ、蛍の方を向く。
「ど、どうしたの?」
 何をする気だ?
 希望はこともなげに答えた。
「うむ、弾切れだ」
「ど、どうするの?」
 つまらなそうな顔で
「逃げるぞ」
 蛍の手を取って、走り出した。
「ええっ?」
 怪我をしていない方の手を強く引っ張られて走り出す蛍と希望。
 草原の中を駆け抜け、腰の高さまである柵を飛び越え、道路に出る。
「仇討ってくれるんじゃないのっ?!」
 すると少しむきになった希望が叫んだ。
「馬鹿者、あんな化け物相手に真面目に戦う必要あるか。あとお前はまだ生きているだろう。倒す必要はない。生き残る為には、逃げればいい」
 そして二人が飛び出た道路は、どこか見覚えのあるものだった。
 道路の向こう側に、公園。
 ん?
「あれ、ここはさっきの。……じゃあ、私一周してきたの?」
 眼をやると、さきほど隠れていたおおきなボロ布も落ちていて、そして自分のズタ袋も。
「あ、あれ」
「ん? これか?」
 走りながら袋を掴む希望。しかし走るのは辞めない。
「……蛍、お前の荷物か?」
「うん、拾ってくれてありがとう……それよりもこれからどうするの」
「どうするの、と言われても困るな。佐藤が突然いなくなったものだから準備もろくにできなかった。まったく、一人で独断専行して。蛍、お前もだ!」
 何故か怒りの矛先がこちらに来た。
「な、なんで私のせい? そりゃ十時が来たのに外にいたけど」
「もともとお前が強盗なんてしなければよかった話だろう!」
 しかし、希望の声と表情は怒りとは少し違った。
「私の負担が少しでも減るように、自分達だけで生活を始めたんだろう?」
 それは、蛍と、五味と、言永のことだった。
「お前達が出て行ったあの時は、門の向こう側の奴らと折り合いも悪く、食料も足りていなかった。この地域にはまだ外道どもがたむろっていて、私に守れるものなんて少なかった。自信を失っていて、お前達が出て行くのを引き止められなかった。少しでも私の負担を減らそうなんて考えて、町を出て行くお前達を私は……見捨ててしまった。あの日のことを悔やまなかったことは無い。いつもそうだ。私はこの町で色んなことを失敗している。自分にできないことを抱え込んで、色んなことを失敗して、その結果がどうだ! くそ、子供に血を流させて、こんなことになってしまって……。もう、決めた。お前達には悪いが、蛍も、啓二も幸正も。三人とも私が引き取るからな。嫌だといっても抱え込んで、まっとうな仕事につかせて、二度と離さないからな!」
 一息で、それだけ言った。
「無職のくせに……何言ってるのよ」
 蛍も、自分の声が震えているのに気付いた。


 ぐぎゃあ


 現実に引き戻す、烏の咆哮。
「それで、そのことは保留しておいても、これから先の具体的な行動は?」
 希望はもう元の表情に戻って、淡々と答えた。
「とりあえず隠れて奴らを引き離して、それからつぐみを追う」
 蛍はやっとそのことに思い至る。今、自分は一人ではなかった。
「そうだ、希望! 私、つぐみとさっきまで一緒にいたのよ。あの子、今一人で逃げているの。早く、早く助けてあげて!」
 さっきまで自分の力で彼女を守るつもりだったが、すでにそれは無理なことに気付いている。希望はその情報に大体想像がついていたのか
「ああ」
 と静かに返すだけであった。
「私が着いた時にはもうお前しかいなかったことを考えると、どうやらすれ違いになったらしいな。
 蛍は地理を思い出す。
 公園前の大きな道。そこを通ってつぐみはやって来て、そしてその道から逃げていった。その平行して隣にもう一つの道。先ほど蛍が狭路を通って出てきて、草地に出たもう一つの道。
 つまりはその道を通って希望は来たのか。
 そして公園に姿が無いので(おそらく自分達が隠れているときだろう)そのまま通り過ぎてしまい、行過ぎたところで叫び声を聞いて戻ってきたということか。
「……あれ? じゃあ戻ってきてすぐに草原に来た希望はどうして私の姿を確認してないのに私が路地にいるのがわかったの?」
 そこで、蛍は希望の目を見た。
 それは、いつも見ているものと同じ、遊び人の眼だった。
「あれだけひどい悲鳴をあげれば嫌でも私にはわかる」
「でも、あの時言ったでしょう?『右に曲がれ』って。敵も隙間に入ってきて、外からは何も見えないはずなのに、希望には、『私がどちらから入ったのか』がわかったの?」
 それに答えようとして、希望は後ろの気配を感じる。
「説明は後だ。とにかく今は姿を隠して、敵をやり過ごす。その後つぐみを追う。問題あるか?」
「つぐみがどっちに行ったのか、わかるの?」
 どこかつまらなそうな顔をして、必死に走っているのがわかるほどに汗を流す彼女は、例のとぼけた『眼』をして答えた。
「ああ、つぐみの『軌跡』が見える」

 二人は闇の中に走っていった。













ぐぎゃあ
ぐぎゃあ

 それを追い求めるような、二つの獣の声。
 体に異物を射出され、じたばたと暴れている烏二匹。
 なんとか起き上がるもののまだ、飛び立とうとはしない。しかし、
「銃弾で撃たれても、時間が経てば再び活動できる……まさしく化け物なのね」
  『敵』に、声をかけるものがいた。
 二体の敵の三つの目が、それを捉えた。
 人間だった。それも女性。少女と言っても差し支えのない、そんな人間だった。チューブトップにミニスカート。その上から青いジャケットを着ているだけの格好。そしてベルトには、拳銃が吊るされていた。
とても白い肌。その素肌のように真っ白な髪にも関わらず、その瞳は深い真黒。
 月の光に照らされる彼女の肌は、ほんのりと光っていて。どこまでも光を吸い込んでしまい暗黒の『敵』と対比していた。

 ぐぎゃ?

 『敵』は戸惑った。さっきまでいたのとは違う人間。自分から近付いてきた人間。
 おかしい、と思った。いや、『敵』にそれだけの知能と心があるのかは知らないがきっと、認識にこまったことだけは想像できる。
 『敵』にとって、人間とは追い回すものだった。
 『敵』にとって、人間とはこの壁の中に存在する、自分達に食われるものなのだ。
 ならば、、先ほどから現れる、この抵抗をおこなう者達は、そしてあまつさえ自分達を振り切るこの人間達は、人間なのか?
「言っておくけれど、私はあなたから逃げ切ろうとか、振り切ろうとかそういうことは考えていないわ」
 まるでこちらの考えていることをわかっているかのように、少女はぼそりとつぶやいた。

 ぐぎゃ?

『敵』達は、しかし決めたのだろう。目の前のものが何であろうと、喰うことには変わりない。
 その本能に忠実に従い、傷を引きずりながらも、少女に対し嘴を、向けた。

ぐぎゃあ
ぐぎゃあ

 最後の一声。そして、少女の柔肌にむかって鋭利なものが二つ、飛び込んで





 



 二匹の間を、白い影がすり抜けた。
 
 それは、ただよけただけである。敵が襲ってきたから、その攻撃をよけた。それだけである。しかし、そのそれだけを行うものがいただろうか?
 この町の人間にとって、『敵』とは逃げるものなのだ。戦うものではない。
 ましてや、全長五メートルを越える怪物に、白兵戦を挑む人間など。
 少女の手に握られた一丁の拳銃。(それは希望が持っていたものとは大きさも破壊力も違う、完全な戦闘の為の銃)
 それが、また正確に敵を撃ち抜いた。
 大口径の、近距離射撃。
 正確に慎重に二匹の敵に一発ずつ撃ち込む。
 敵は悶絶し、倒れた。
 するとどうしたことか、『敵』の一匹が、急に薄くなってゆく。
 それは表面の色の暗黒が薄くなることでもあったし、もっと根源的な、そう存在感、生命力さえも消えていくように見えた。
 それは先刻、蛍のナイフにより眼を潰されていた方の、ダメージの大きかった方の『敵』が、まるで煙のように、薄くなっていく。どんどんと、透明になっていく。
「なるほど、すでに誰かによりダメージを受けていたということね。やはり『敵』その辺りの倒される為の法則(ルール)は心得て、いる」
 その言葉と同時に、敵が消えた。まだ真夜中だというのに、『敵』は朝になり消えていくように、その姿を煙のごとく消滅させた。 
 その光景を見てもなんとも思わず、それはまるでこんなことには慣れているかのように拳銃を腰のホルスターにしまうと、腰に吊るした別のポーチから何かを取り出した。
 その何かは、何かというには露骨すぎた。
 それは、金属の、鈍く光るメリケンサックで、すでに拳に装着している。
 そしてその足で、今倒れているもう一匹の『敵』を見下ろす位置にまで近付いた。そして、顔を見える位置までしゃがみこみ、痙攣する烏に向かって(そう、それはとても当然なこと)ただ、その凶器付きの拳を『敵』の頭部に

「お前達なんて誰も必要としてねえんだよ。さっさと滅びやがれ。消えろ。私に殴られて消えろ、消えろ消えろ消えろ消えろ!」

 振り下ろした。





それから、数秒して、その場に黒い影は消えていた。
 ただ一人、虚海利奈が草原に立つ。
 そこにいた『敵』は最初からいなくなったように、もうそこにはいない。
 死んだのではない。
 ただ、消えただけ。また明日の夜になれば奴らは蘇る。
 それでも、それでも
 利奈は胸の上に手を置き、息をついた。
「よかった……。今日も生き残れた」
 そのことによる安堵が、先ほどから波打つ心臓を抱えた胸に残る。
 そして、少しの間うずくまった後、利奈は立ち上がり、おそらくここにいたであろう誰かが逃げたのと同じ方向に向かって走り出す。
 つい、二、三分前の会話である。
「隊長、『敵』は三匹いると言いましたが、どうやら二手にわかれているようです。二匹はこの先にいますが、もう一匹は別の方向に向かいました」
 彼の上司は一秒ほど考えた後、聞いてきた。
「他に『敵意』は見えるかい?」
「いえ、現在見えている『敵意』はそれだけです。『敵』が三匹とそれと交戦する人間のものが二つ。これは……匿名希望ですね」
「そうか……、ならば誰かが敵に襲われて、今逃げていて、それを助けに希望が這入って、しかし一匹が別の場所で全然違う人間を襲い始めた、ということかな?」
「おそらくは。襲われているというのに敵意を視ることができないということは、その一人は無抵抗である可能性も高いですね……どうなさいますか? 援軍を呼ぶにしても、ここから一番近いところにいる古館でも二分はかかります」
「りっちゃん、行ってくれ。俺はその一匹の方を見に行く」
「匿名希望の助けをしろと言うのですか? あの女なら『敵』が一匹二匹いようと平気だと思います」
「嫌かい?」
「命令ならばもちろん行きますが……そうなると隊長一人で『敵』とやりあう可能性も」
「え……、何、俺そんなに信頼されてないの?!」
 利奈は首を振る。
「いえ、この程度のことで隊長が終わるとは思いませんが、それでもたった一人でだなんて……、心配します。隊長にもしものことがあれば、私は」
 男は少し笑って、
「じゃあ、頑張って片付けて合流してくれよ」
 道を分かれた。







「行かなくては」
 ポーチから取り出したのは弾丸。それを先ほど使った拳銃に再装填する。今夜はまだ、これを使う機会がありそうだった。そして、体中に仕込んだ武器の点検をした後、利奈は歩き出す。歩きながら、まるでこの世の何もかもに敵対しているような尖った眼をして、闇を睨む。
 そうして、利奈は見る。
 かつて、遊び人といわれていた頃と同じ様に、どこか遠くを見つめる。
 その眼に映るものは、黒い世界と、青い月。そして『敵意』


19 :akiyuki :2007/03/04(日) 16:12:01 ID:VJsFrmQG

ピジョン来降(九)


 佐藤つぐみの姉と、佐藤つぐみには血の繋がりは無い。

 つぐみがそれを知ったのは小学校六年生の、夏のことだった。
 つぐみの両親は適齢に達しながら子供がいなかった。そのことを悩んでいた。
 不妊治療も行った。けれど、子供が生まれることはなかった。
 だから、養子を迎えることにした。
 それがつぐみの姉である。
 それで、すべてが上手くいくはずだった。


 けれど、姉が佐藤家にやってきてから七年後。
 佐藤つぐみはこの世に生を授かった。

 その時、つぐみの姉が何を思ったのかはわからない。
 見た目は全く変わらなかった。妹に慕われる姉の姿を見せていた。家族仲も上手くいっていた。
 けれど、それは確かに無理を生じていて、可愛がられる義妹を見て、その光景に自分の居場所を取られてしまったかのような途方に暮れた感覚を覚えていて……
 

 両親と義姉の仲にひびが入ったのは、その事実をつぐみが知ってしまってからである。

 つぐみは両親が好きだった。

 そして、姉のことさえも大好きだった。


 最も悲劇なるところは、家族の中の誰も彼もが佐藤つぐみを愛していたことだった。


 だから、つぐみは悩む。
 家族が仲良くなることはできないのか?
 何故、父と母と姉は仲良くしてくれないのか?
 そこにあるはずの絆を、守れないのか?


 星が降り、ミシマは隔離された。

 父と母の悲しむ姿を見て、つぐみは決めたのだ。
 必ずや、取り戻してみせる。

 いつかあの壁の向こうに行き、真実を見る。
 もう、姉は生きてはいないだろう。しかし、生きていた証拠はある。
 絆となるものがあるはずだ。
 それを捜す。
 何が何でも。

 ボロボロになっても、血を流しても。


 それは、妹である自分にしかできないのだから。





 間宮蛍と別れた後、佐藤つぐみは一心不乱に逃げていた。
 どこまで逃げただろうか。
 そこは幹線道路だったであろう道幅の広い直線の真ん中で、つぐみは走るのを一度止めた。いや、それは止めたと言うよりも、止まるしかなかった。
 精神的には平気でも、肉体が悲鳴をあげもうこれ以上走ることができなかった。
 まるで膝から先の神経が切れたように、感覚が伝わらず命令が届かない。正座して足が痺れた時に似ている、とも思ったしそれは昼間蛍から逃げていた時に感じた肉体疲労と同じものであるとも思った。
「ちょ、ちょっと休憩」
 足が、動かない。しかしそれが意味することは逃げることができないということ。それでは、追いつかれる。
 ずっとそうしていたように、もう一度後ろを見る。
 そこには、何の影もない。ただ闇が広がっている。
 普通の、暗黒があるだけだ。
 そんな開けた場所に立ち止まることの愚かしさを身をもって体験しながらも、何もない光景に安堵してしまい、これで何度目だろうか、つぐみは膝を落とした。
「よ、よーし」
 なんとか逃げ切った。それほど逃げ足が速いはずのないつぐみだが、やはり尋常ならざる局面により引き出された潜在能力か、火事場の糞力か、つぐみはわずかな時間の間に公園から一キロメートルは離れた場所に来ていた。
 もちろん、そんな距離のことも、この場所のこともつぐみは知らない。とにかく、あの場所からできるだけ離れたところ、ということだけしかわからないし、それだけで充分だった。
 とにかく、つぐみは再び生き延びることに成功したのだ。これ以上の結果などない。
 ……ないのに、つぐみは考えてしまう。
「蛍さん」
 彼女は、どうしたのだろうか。
 短い間の付き合いだったが、わかったことが一つだけある。
 彼女は逃げろと言って逃げるような女の子ではない。
 そして、あの状況。つぐみは彼女が逃げないのをわかっていて「逃げろ」と叫び、そして自身も逃げた。なにもかも振り解いて、走った。
 人を見捨てて逃げたのだ。
 もちろんそれは側面的な見方でしかない。間宮蛍は最初から最後まで自分の責任で動いている。間宮蛍は勝手につぐみを捜して、勝手につぐみを助けて、勝手につぐみを庇って、勝手につぐみを逃がすために『敵』に立ち向かった。
 勝手につぐみを傷つけた己の贖罪の為に。
 それはつぐみには何の責任もないことだ。本当に、つぐみさえ了承してしまえば許される事実だ。
 けれど、つぐみ自身がそれを許さない。
「あー、しんどいなあ。もうちょっと持久力のつくスポーツやっとくべきだったかなあ」
 壁を越えるなら、という単純な理由でフリークライミングに手を出してきたつぐみだが、今頃そんなことを後悔している。最も、登山、岩登りというのは体力(とくに精神的な)を極度に必要とする技術であることには思い至っていない。そもそもこんな町の中で二十四時間以上粘っていること自体がどれだけ怖ろしいかを、そもそも人間を襲い人間を喰う人間の『敵』からすでに二度も逃げ切っているということがどれだけの力量を必要としているかの理解に及んでいない。
「あー、やっぱこんな見えやすいところで座り込んでるのって危ないよねえ。もしまた『敵』が来たら、今度こそぱっくんちょだもん」
 しかし立ち上がれない。体がまだ休息を必要としていた。
 だが、化け物にみえないところに隠れるためにほうほうのてい逃げ隠れる。それほどの体力を必要とするだろうか?
「でもまだ、隠れるわけにもいかないし」

――なぜ?

 誰かが聞いた。それはつぐみの考えていた疑問と同じものだった。つぐみは心の中で反芻していたその問いに答える。
「走るだけの体力が戻ったら、蛍さんを迎えに行かなくちゃ」

――危険だ

「でも、私は蛍さんを連れて帰る為に希望さんのところを飛び出したんだもの。色々あったけれど、私はそれをまっとうしたい」

――その……蛍はそれを望んでいないと思うよ?

「そうだよね。結局、私を逃がすために逃げるのをやめて残っているんだから。でもね、ほんとうはそんなの関係ないんだよね。蛍さんは、私を助けたくて無茶をした。だから、私も蛍さんを助ける為に無茶をする」

――今更何ができるだろうか

「うん、きっと、ここまで走ってきておいて何を今更って思われるよね」

――君は蛍を見捨ててきたのだろう?

「うん、私はまた人に非道いことをした。……けれど、ここで動かなかったらもっと後悔するってことをさっき希望さんから学んだから。正義っていうのかな。そんなものを見たから、私はもうちょっとやってみたい。これは本当に、私のわがまま。さっきからふらふらと方針を変えてばっかりだけれど、これで最後。これが、私の決断」

――彼女、きっと死んでるよ

「そんなのわかんないよ……。でも、きっと生きているって信じてる」

――人間はキミが思ってるほど強くは無いよ

「そんなこと言われたって、生きててくれなきゃ困るもん」

――我侭だね。とてつもなく我侭だ。

「仕方ないよ。ここまで逃げておいてなんだけど。私は自分の正しいと思うことをしたい」

――普通思いつかないよ。ここまで逃げておいて、やっぱり気になるから戻るなんて

「気になるんだもん」

――どうしても、行くのかい?

「心が、止まらないもの」

――けれど、

 そこで、質問する声が止まった。

 つぐみはいぶかしむ。

 そういえば、何故先ほどから質問を受けている?
 ここであまりにも突然、当然な疑問が沸き起こる。誰の声だ? 
 自分はさっきから独り言を言っていたのか? 違う。確かに誰かの質問に答えていた。
 誰かと問答していた。
 誰だ?
 そんな登場人物は、ここには登場しないはずだ。

 声が、再び聞こえた。

「けれどさ、君。そんなボロボロで助けになんてなるの?」















 少年が、立っていた。





 何故、ここに人がいる。
 何故、このタイミングで現れる。
 先ほどから自分に質問をしていたのは、彼なのか? しかしそれよりも何よりも
『正義って言うのかな。そんなものを見たから』
『私は、自分の正しいと思うことをしたい』
『心が止まらないもの』
 さっきからの自分の声がリフレイン。
「ぐはあ」
 つぐみは恥ずかしさのあまり赤面した。恥ずかしい台詞を他人に聞かれた。
 悶絶する少女をくすくすと笑いながら見つめる少年。
 つぐみはもう一度少年の方を確認する。少年というには、少し年齢が高いようにも見て取れる。しかし、黒いロングシャツにジャンパー。膝下五センチ程度のカーゴパンツ。埃にまみれたキャップを逆にかぶった様子は少年の様相を見せている。
 しかしその顔のデザインは自分よりも年長であるらしくも見え、それは
 年齢不詳
 と言ったものだった。
 まるで滑稽なものでも見ているかのように薄く開いた眼は、どうやらつぐみを見ているらしい。
「何か、おかしいですか?」
「いや、君のさっきからの行動諸々が」
 ちょっと傷ついた。
「さっきからって、どこから見ているんですか」
「見たのはそこで座り込んだところから。何をしていたのかは空から落ちてきたところからずーっと知ってるよ」
 何故に?
「遊び人ってそんなものさ」
「心の中を読まないでください」
 遊び人。無職。ニート。暇人。様々な呼び方はあるだろうが、果たしてこんなにも不思議な人だったか?
 少年は薄く笑ったまま器用に喋る。
「ああ、多分キミの考えているようなフリーターチックなものとは違うよ。それを言えばこの町の人間全員無職だからね。この町の、ミシマで言われる『遊び人』はそういうものとは、違う。俺や奇堂川蝉丸。それに匿名希望女史のようにね」
 希望さんを知っている?(多分この町の人間は誰でも知っている)
「その……遊び人ってのが何なのかよく知りませんが、あの、あなた誰ですか? なんでこんな時間に出歩いているんですか?」
「じゃあ、簡単な質問の方から答えよう。それは匿名希望女史が夜な夜な出歩いているのと同じことさ」
「全然答えになってないです」
「そうかな」
「そうです」
「じゃあ君がこんな夜中に出歩いているのと同じで、まだ眠るわけにはいかない理由がある、ってのでいいかな?」
 息が止まりそうになった。
「匿名希望が君を捜して走り回っていたように。今も町中を走り回っている『国家権力』の彼らのように。そして今の君のように、まだ止まるわけには行かなくて、そして止まらずに済む『敵』と渡り合うだけの技量を持った者」
 少年はつぐみから少し離れて、道脇のガードレールに腰をあずけた。
 見えない壁にもたれかかるように反り返った背。薄く開いた眼と合わさって少しにやついているように見える。
「だから『敵』の夜にも歩き回る人間のことを『遊び人』というのさ」
 この街で幾度か聞いた、遊び人。
「じゃ、じゃあその遊び人というのでも、あなたは何をしようとしてるんですか?」
 すると少年は少しおどけたように言った。
「俺のこと知らない? 結構有名人だと思っていたけれど、まだまだだね。俺はね、人の望みをかなえるのが趣味なのさ。大体こんな時間に外にでているような心の隙間のあいた人間に近付いて、とりあえず質問する」
「はあ……」
 字面だけ追うと、あんまりいい人っぽくなかった。
「簡単に言うと、女の子が暇を持て余していそうだったからね、ちょっと声をかけてみたくなったのさ」
 こいつ、ナンパ目的か。
 少年が、反らした背を戻し、歩き出す。
 座ったままで少年に警戒を残したままのつぐみに向かって、歩き出す。
 そして、距離二十センチ。見下ろされる形になって
「ねえねえ彼女」
 何を言う気だ。
「俺を、買わないかい?」
 ずっこけた。
「俺結構本気で言ってるんだけど」
「な、なんば言よっと」
 思わずエセ方言。
「買うって。なんですかそれは、こ、こんな健全な女の子捕まえて何を」
「別にそんなやらしー発想で言ってるわけじゃないんだけどな」
 少年は残念そうに空を仰いでつぐみから少し離れた。
 そしてその微笑みと薄く開いた目でつぐみを捉えて、警戒しっぱなしのつぐみに再び言った。

「君は何かを望んでいるだろうけれど、それをかなえる力がないんじゃないかい?」

 どきりと、した。
「何度も言うけどさ。君、そんなボロボロの体で助けになんかなるわけ?」
「ぜ、全然平気です。無問題です」
 そんなことは、少年には関係ない。
「多分、さっきから座りっぱなしだけれどさ。実は体が動かないとか」
 どきり、とした。自分ではまだ休憩中だったから動かないでいた。少年が近づいても立ち上がって離れたりしなかったのは、それだけの理由だ。けれど、もし彼の言う通り体が動けないから動かないのだとしたら。
「そ、そんなこと無いですよ」
 慌てて立ち上がる。ほら、立ち上がれた。
 しかし膝を伸ばしきった瞬間、つぐみは地面に伏していた。
「あれ?」
 倒れていた。
「あれあれ?」
 おかしい。確かに力尽きたことは何度もあるけれど、こういう倒れ方はしたことがない。
 こんな、体が危険を通り越してしまったような、スイッチの切れたような倒れ方をしたことは……ない。
「なんで……」
「君さあ、それに気付かなかったの?」
 少年が指さした。
 少女は、その指差された、自分の右腕を覗いた。
 赤い。
 黒を帯びた赤。
 制服を何か赤い染料が染めていた。
「何……これ?」
「君の血だよ」
「何で……さっき止まったのに」
「素人目だから、正確には言えないけど、君のその腕、傷口が塞がりかけていたのにまた開いたって感じだね。気付かなかったの?」
 気付かなかった。他に考えなくてはならないことが多すぎて、走っていて気付かなかった。
「それにほら」
 少年はもう一つ指差した。
 それは少女の左足らしかった。
 怖かった。その指差されたところがどうなっているのか。
 しかし、見ないわけにはいかない。いや、見なければならない。
 
「何……これ……」

 赤い、線が走っていた。
 闇の向こう側。自分が逃げてきた方向から、何か赤い線が走っていた。
 量はそうでもなかったが、赤い物をぽとぽとと落としながら走っていれば出来るだろう軌跡が、そこにあった。
 そしてその線は、つぐみの太股の辺りまで続いていて、思わずつぐみはスカートの中を覗き込む。
 太股が裂けていた。
「嘘……」
 それは見た目よりも軽い外傷ではある物の、それだけの出血をみたことのないつぐみにとっては、そして精神的な消耗の激しい今のつぐみにとっては……絶望的だった。
「多分、敵にかすったんだろうね」
 そういえば、蛍を『敵』から庇ったときに、少し痛みが走った気もする。
「それでも走れたところを見ると致命的な傷ではないだろうけれど、止血しないと危ないだろうね」
「う……」
「血の出しすぎで体が動かないんだね。それでもそんなに正気を保ってる君の根性がどうかしてる俺なんかは思うところだけれども」
 つぐみは、せめて、と再び上半身だけでも起こす。
「俺さっき危険だって言ったよね。それは『そういう意味』なんだよ」
 そういう意味。 
 自分では気付いていない。
 けれど、もしかしたら、今つぐみは大変な岐路に立たされていないだろうか。
 警戒心が、消えていた。
「そのことを言う為に、私の前に現れたのですか?」
「まあ、それもあるかな。ただ言うとしたらならだよ、もっと別のことさ。君、さっき『敵』から逃げてきたんだろう?じゃあ、奴らの習性も少しはわかるんじゃない?」
「……血?」
 そういえば、ついさっきの『敵』の遭遇も、自分の流した血につられてやってきたからで……
 しかし少年はそれを否定する。
「奴らは血の匂いなんか嗅ぎ付けないよ。俺は君の断片的な証言からしか事実をつかめないから正しくは言えないけれど……、その敵は蛍を知っていて、追いかけてきたんだろう。だから、その敵が追いかけるのはその蛍だ」
 そういうルールだからね。と付け加える。
 では、なんだ。その時蛍の言葉を思い出す。
――人間を眼で捕捉するまである程度音を立てても把握できないの。隠れたものを捜す能力が低いのが、『敵』の弱点
 ならば、目印となる物は人の残した足跡。
 この血の跡を追って、別の『敵』が来る。
 少年は再び否定する。
「いや、もう来ているよ」





 黒い影が、闇に見えた。
 

「……『敵』だね」
「に、逃げなくちゃ!」
 つぐみは立ち上がり走り出そうとする。が、先ほどの講釈通り、彼女には立ち上がるだけの体力すら残されていない。
 もう、膝から下には力が入らず、そして傷に気付いたからか、激痛が走った。
「あうっ」
 ぐらり、と揺れ地面に抱擁したが、まだだ。まだ止まらない。
「とりあえず、現状回避」
 つぐみは這いずる様に、否、這いずって道路の中央から道端の物陰になりそうなところを見つけはいろうとする。しかし、間に合わない。
 黒い影が、どんどんと近づく。
 少年は声をかける。
「無駄だよ。君の這いずった跡に血痕が残っている」
 振り返ると、確かになめくじが通った跡のように赤い線を引きずっていた。
 これほどの液体が己の体から出ているという事実に少し恐怖したが、しかし現在進行形の命の危機はそれどころではないのだ。
「君、さっきの話だけどさ」
「なんです! 今それどころじゃないですよ」
 つぐみは少し声を荒げる。さすがに、可憐なキャラクターを維持しているだけの余裕はなくなっていた。いや、それよりも。この少年は何を考えているのだろう。自分に忠告にきたかと思えば逃げるのを手伝うわけでもなく、みじめに這いずるつぐみを見下ろすだけ。しかし一人で逃げるわけでもない。まるで、つぐみの何かを待っているかのように。
「はっきり言って、君がここで逃げ切れたとしても、そこで終わりだよ? 君にはこの状況を打破する力は残っていないのだから。おそらく朝日が昇る前に、君は死ぬ」
「そうかもしれないけれど、だからなんなんですか。ここにいたら、どっちにしろ死にますよ。あなたも私を見ている暇があるなら逃げてください」
 この少年は、先程言った。人の望みを叶えるのが趣味。何がしたいのだろう。この少年自体は何をしたいのだろう。つぐみの、『何をするのを望んでいるのだろう』?
「俺を買わないかい? 値段は要相談、依頼はなんでも。クライアントの望むようにしてみせる。なんならこの状況をどうにかしてあげられるけれど」
「なんでもいいから逃げるなり隠れるなりしてください。お願いだから私と関わった人が傷つくのはみたくないんです!」


 黒い影が上空を通り過ぎた。

 そして、つぐみは空を仰いで、黒い影の中から見える二つの眼が地べたに這いずる少女を捉えたのを見た。
「ひっ……」
 そして、つぐみは初めて悲鳴をあげた。
「ひぃっ!」
 まだだ、まだ終われない。終われないのだ。
「だ、誰か助けてよお、お姉ちゃん、お母さん……希望さん」























「『なんでもいいから逃げるなり隠れるなりしてください。お願いだから私と関わった人が傷つくのはみたくないんです!』  オーケイ。君のその願い、俺が引き受けた」

 そして現れた救世主は、そのどれでもなかった。
 少年が、つぐみを見下ろす位置にまで戻っていた。
 いや、それは違う。
 つぐみと、『敵』の間に割り込む位置に、入ってきた。
 それはまるで
「お嬢さん、お名前は?」
「……え?」
「お名前は? フワッチュユアネイム?」
「さ、佐藤つぐみです」
「ふむ、佐藤つぐみ。よいお名前だ。佐藤めぐみと一文字違いなところが良いね」
「あ、あなたどうしてお姉ちゃんの名前を」
「それは置いといて、ところで君は今誰かの助けを欲したね? しかしこの場にいて君の力となれるのは残念ながら俺だけだ。さあ、君はどうする」
 そう、さっきから言えなかった言葉だ。この少年には、それを言ってはいけない気がした。けれど、けれど。背に腹は代えられない。
「助けてください」
「俺を……買うかい?」
「……学割効きますか?」
 それで、契約成立。
 少年は、黒い影にむき直す。
 佐藤つぐみを、守るように。
「というわけで、彼女はたった今を持って俺のご主人様になった。そしてご主人様を喰おうとするお前は……『俺の敵』だ」
 それまでの薄い笑いを消した、真剣な目つきが、敵を刺している。
 見開いた、二つの瞳が、敵を睨む。
 そして敵は二人目掛けてその大きな爪を繰り出し

 次の瞬間、




 赤い光が、空を走った。

 少年は、その爪を避けていた。
 それは、先程の虚海利奈のような、紙一重の見切りとは違う。
 たった一瞬で、たった一瞬でつぐみを担ぐと飛び出し、十メートル以上離れていた。
 たった一瞬で、たった一歩で、これだけの距離を移動したのか?
 そんな馬鹿な。何をしたのだ。速いし、強すぎる。
 原理はわからない。しかし、少年が今、敵からつぐみを守ったのだ。
「あ、あ、あなたは」
 少年の眼を見た。ここで初めてまじまじと少年の顔をみて、つぐみは少年の眼に気付いた。

 それは真っ赤な眼だった。

 少しも鮮やかさはなかった。光に照らされてもそれを吸い込んでしまうような、黒を帯びた赤。どこまでも深く、どこまでも赤い。まるでつぐみが流したのと同じような、赤い色。
 いつか美術の教科書に載っていた宝石を思い出す。
 それはルビーの色だった。それも、もっとも濃い色の。
 その宝石は鳩の流した血流の色に等しき赤を備えていた故に、それはこう呼ばれた。
「ピジョンブラッド……」
「次に会うときは、質問に答えると言ったっけ。この町の名は『ミシマ』。奴らの名は『敵』そして俺は『遊び人』……なんだ、もうどれも知ってることばっかりだね」
 ピジョンブラッドの色をした、二つの瞳を持つ少年。
 そして、匿名希望の声を思い出す。
――なら、こういう質問はどうだ? 『そいつは、赤い眼をしていたか?』
 そして、自分の記憶を手繰り寄せる。あの夜。最初に落ちてきたとき自分を助けてくれた少年の声。
――まったく、無茶をする人が来たものだね
「そういえば」
 つぐみをお姫様抱っこしたまま、少年は不敵に笑った。
「さっきの質問の、もう一つに答えていないね。俺は誰なのか。突然だけれど自己紹介。俺の名前はピジョンブラッド。本当の名前は他にもあるけれど、他人が俺を呼ぶときはそう叫ぶ。午前零時を回っても町をうろうろするお馬鹿さんに雇われて、なんでも屋を営むのが今マイブームの暇潰し。今日は君の相手をしよう。俺の名前はピジョンブラッド。紅石色の眼をもつ遊び人。まあ呼びにくいらしいからピジョンでもいいよ?」
「で、あの、ピジョンさん」
「はいな」
「ちょっと、降ろしてもらえませんか?」
 実は、ピジョンと名乗る少年は結構ルックスがいいことに気付いて、この至近距離は何か恥ずかしくなった。しかし
「ご主人様、恥らってる暇は無いみたいだよ?」
 顎で示す。そこには黒い影一つ。一瞬で逃げたとは言っても、『敵』の可視領域から消失したわけではない。
 敵は再び照準をつぐみに合わせる。
「どうする? このままだと喰われちゃうね」
 そこで、何故か。つぐみに力が戻ってきた。活力、とでも呼ぼうか。そんなものがピジョンブラッドの方から、流れ込んでくるような感じ。これは……匿名希望から感じたものと、同じだった。何故か、安心してしまう。
 大きく息を吸い込んで、つぐみは叫んだ。
「喰われてたまるかこんちくしょー」
 その命令に、少年はまた少年らしくにっこりと笑って
「威勢のいい子だ、惚れ惚れするよ」
 黒い影が飛び上がる
「オーケイ、マスター。まずは俺とご主人様しかいない世界にレッツゴー」
 敵に思いっきり背を向けて、その凄まじい脚力で駆け出した。


20 :akiyuki :2007/07/16(月) 03:59:34 ID:VJsFrmQG

三者交錯(一)


 これは如何なる事か。
 つぐみはお姫様抱っこをされたまま考える。
 そう、ここはすべて常識などでは収まるところではなかった。
 閉鎖された町。異形の生物。そして赤く赤い血。己の信じるものすべてが通用しない町。
 何かがおかしい。

 けれど、けれどこの町ではそのすべてが機能していた。
 すべての違和感がうまく組み合わさり、まるで妖精の里のように、上手い具合に閉じられた町、ミシマとしての役割をとげていた。
 けれど、これは違う。
 この青年は。自分を助けたこの青年は何かが違う。



 自分を抱きしめたまま怖ろしいまでの速さで走り抜ける青年。
「あ、あのピジョン……ブラッドさん?」
「なんだいご主人様。ちなみに俺のことはピジョンでいいよ」
 赤い瞳の青年、ピジョンブラッドは走りながら、にかりと笑った。
 紅い眼。つぐみはアルピノというものを思い出した。生まれながらに色素が足りないために肌が白く、目が赤く見えるという例。
 しかし、彼はそれとは違う。彼の髪は真っ黒だし、肌は自分と同じ色。そして、その眼は網膜の色素が足りないというようなものではない。
 ほんのりと、光っていた。
 紅く、ぼやけていた。

 その眼に見とれていると
「どうしたの? ご主人様」
「え? あ、いやなんでもありません!」
 少し顔が赤くなった。
 こんなことは初めてだ。
 あんまり公言したくないことではあるが、その幼稚な肉付きの割に筋肉密度が半端でないつぐみの体重は結構重い。
 しかしそんなこと気にする様子もなく、軽々と持ち上げる力。そして、そんな錘をつけながらも追いつかせない、脚力。

 しかし、最も驚くべきは

「とりゃ」
 その跳躍力

 青年は、跳び上がった。跳び上がり、障害物を乗り越え、近道をする。
 急な曲がり角も壁を蹴り、無理矢理方向転換することで減速しない。
 まるで猿か何か獣のような動きで跳び回る。

 スタントマンが映画の中で見せるような動きですらない。つぐみでも体調が万全なら己の体重を指一本で持ち上げる。しかし、ピジョンの身体能力はそんな一般人のぎりぎり一ミリメートル上をいく、人の限界以上の動き。

 そこまで見事な跳躍だった。

 三次元的に逃げるピジョン。
 しかし、敵もまた翼を持つもの、高低差を利用した逃走は、距離を保つことは出来ても、突き放すことができない。
 つぐみは後ろを見ない。けれど、わかる。


 ぐぎゃあ


 一匹の黒い怪鳥が、追ってくる。
 走っても走っても追いかけてくる。
 それはそうである。今の今までつぐみは敵から逃げ切ったことはない。あくまで戦ったり隠れたり、囮を使ったりであり、逃げ切った経験などなかった。逃げ切れるなんて想像すらしなかった。そんなことできるはずない、と。

 なのに、今自分の従僕とかした青年はそのままに逃げている。
 このままでは追いつかれる。

「ピジョンさん、普通に逃げても駄目ですよ。早く、隠れるなりしないと」
 しかし、ピジョンはどこ吹く風といわんばかりの余裕顔。
「まあまあ、今に逃げ切れるからそんな心配そうな顔しないでよ」
「ピジョンさん、全然逃げきれてないですけど」

 ピジョンブラッドは本気で走っているのだろう。だからこそ、追いつかれない。
 けれど、引き離せない。このパラドックスを解決する答えなどあるのか?
 ピジョンは簡単に回答した。
「逃げる必要さえないさ」


 広い道路に出た。
 一直線に伸びる幹線道路。どこかで見たことがある気がした。
 もちろん、つぐみは知らない。
 この道こそが、先ほど蛍とつぐみが『敵』に襲われた公園に続く道であることなど。

 そして、その方角から希望と蛍が向かっていることも。

 そして、その二人よりも先に、佐藤つぐみを追いかけている男がいることにも。



「敵は、彼がなんとかしてくれるよ」
「彼って……仲間がいらっしゃるんですか?」
「いいや、彼は俺の敵さ」


 何かが立っていた。
 月明かりの下に、何か棒が立っているように見えた。
 だが、ある程度近付くとそれが人であることがわかった。
 青い服に身を通した、男が立っていた。
 男の顔を見た。若かった。二十代くらいの、目鼻立ちの整った。
「彼は、『敵』の『敵』でもある」
 直感で彼は決して笑わない男だと思った。
 笑うところを想像できない。それほどまでに、つまらなそうな表情をしていた。
 彼が誰かに微笑むことなどないだろう。そう思わせるほどの冷たい
「怪我をしているのか。サトウツグミ」
 冷たい声が、言った。
「え?」
 つぐみには聞き取れなかった。しかし、ピジョンには聞こえていたらしい。
 ピジョンは、急停止して男の前で止まった。
 男は、腰に吊るした拳銃を抜いた。

「え、わ。なんで銃?! う、撃たないで」
 つぐみはパニックに陥った。確かに今までこのあたりでは拳銃を使う場面が多くあったが、つぐみ自身がその武器を見るのは初めてだった。
 それに、先ほどのピジョンの言葉。
 つぐみが恐怖を感じてもおかしくはない。

 だが気付く。
 しかし、男は拳銃をピジョンにもつぐみにも向けてはいない。
 もちろん、銃口の角度から射線が見えるなどというつもりはない。ただ、彼の貌が物語っていた。男の視線は、自分達を捕らえていない。
 男が見ているのは、闇。
 自分達がやってき方向を、じっと見ている。

ぐぎゃあ

 声がした。
 彼が狙っているのは、ピジョンたちを追っている『敵』だ。

「…………まえ」
 男は、何かを言った。
「え、なんですか?」
 男は、言った。
「聞こえなかったか? 逃げたまえ」
「だってさ、どうするご主人様。逃げて、いいかい?」
 ピジョンが奇妙な質問をした。
 それは、つまりこの男を置いて、見捨てて逃げていいのか。ということ。
 本来のつぐみならば、ノーと応えるだろう。
 しかし、今は違う。
「逃げましょう、ピジョンさん」
「オーケイ」
 迷いなく言った。


 何故? それは決まっている。
 この男は、誰も見捨てることなどできない。
 見捨てようにも、彼は自分でどうにでもできる。自分なんかが手伝えば、逆に足手まといになる。
 彼は戦士だ。自分は邪魔にならないうちに逃げなければならない。
 男は、右手をズボンのポケットに入れて、左手だけで大きな拳銃を構え、まるでそこにいるのが邪魔なようにピジョン達に言った。

「さっさと行きたまえ」


 ピジョンが駆け出した。





 そして男は一人になる。
 先ほどまでと変わらず、立ち尽くし、闇の中より現れるだろう怪異を、待ち受ける。
 銃口を向けて、待つ。
 しかし、
 その表情だけが、苦く笑っていた。
「うーん、格好つけたのはいいけれど、やっぱり『敵』とタイマンはなあ……りっちゃん早く来てくれないかなあ。やっぱり、佐藤つぐみちゃんを見逃したこと怒るかなあ」
 戦士の名は、偶院友と言った。









「ピジョンさん。あの人も……その『遊び人』ですか?」
 二人きりになりながら、それでも加速は続く道路上。
 ピジョンブラッドは首を振る。
「いいや、あれはその逆だよ」
「逆?」
「あいつらは、ミシマの外から来たのさ。ミシマの中の『遊び人』とは全く逆の<組織>。『敵』を排除し、秩序を構築するためにやってきた戦士」
 芝居がかった紹介だった。
「外の世界で、敵と対抗できる力を持った奴ら。『国家権力』」
「へえ、でも。私達の味方ですよね」
 なんだ、そんな味方がいたんじゃないか。つぐみは少し安堵した。
 この土地は、まだ見放されていないのだ。それを知って、少し安堵した。
 だから、彼は助けてくれたのだろう。

 しかし、ピジョンは少し苦い顔をして、笑った。
「ところが、そうでもないんだな」
「へ?」
「彼らにとっての任務とは、ミシマに法律を取り戻すこと。荒れに荒れて強盗やら敵やらが蔓延しているこの空間を排除するのが、仕事なんだよ」
 ピジョンが、また停止した。


 今度は、誰もいない。
 何の声も聞こえない。


「俺達みたいに夜中徘徊する遊び人なんて、大嫌いだろうね」
「動くな。私の拳があなたを狙っています」
 白い髪の少女が、目の前にいた。
「……!!」
 つぐみは、声を失った。

 いつ、どの瞬間で現れた。
 まばたき一つした間に、いつの間にか、現れていた。
 どこから、どうやって。
 
 わかるのは、彼女が先ほどの男と同じ青い服に身を包み(しかし丈が短いのかヘソが出ていた)、敵意に満ちた怖ろしい眼をしていて、

 なぜか構えた右手にメリケンサックを嵌めていることくらい。


 距離五十センチ。

 
 どうやら、まだ朝を迎えるには時間が必要らしい。


21 :akiyuki :2007/07/21(土) 17:26:24 ID:VJsFrmQG

三者交錯(二)


 目の前である。目の前に仁王立ちして、彼女はそれを突きつけていた。
 ……しかしこういう場合、後ろから突き付けるものではないだろうか? さらに言うなれば、突きつけるものは本来、銃器などではないだろうか?
 彼女が脅しのために見せ付けているものは、拳だった。
 白い肌の彼女の、やはり決め細やかな白い指を握りこんだ右拳がメリケンサックを嵌めて、ピジョンの眼前に突きつけられている。
 それはまるで銃口のごとく、ピジョンを狙っていた。

 一番最初に目に付いたのは、その拳である。しかし、第一印象を決定付けたのはそれではない。
 チューブトップにミニスカートと露出の結構大きい服装でもない。腰につるした口径の大きな銃(不似合いに大きかった)でもない。ましてやそのまるで絹糸のような、最初からそうだったのかと思わせるほどの脱色された白髪ですらない。そして、それらすべてを差し引いても余り切る彼女の容貌の美しさでもない。
 眼である。
 真っ黒な、黒すぎる眼。
 グランドピアノの外装のような、真黒な眼。
 そして、見た瞬間に理解させる眼。

 敵意の感じられる眼。

 なんと言うか、その少女はあからさまに敵対心をむき出しにしてピジョンとつぐみの目の前に現れた。
「だ、誰ですか?!」
 つぐみはピジョンに抱きかかえられながら、その恐ろしい眼つきをした少女に問いかけた。問いかけて、間抜けなことを聞いたことに思い至る。
 この展開で、しかも彼女の衣服を見てみれば、わかるではないか。さっきすれ違った男と、その衣装のデザインが一緒だった。青と黒で統一された制服。さらに、拳銃。
 そして、たった今。佐藤つぐみやピジョンのような異端児だけが街中を歩くはずのこの 時間帯に堂々と道路の真ん中に両足で立つという事実。
 どう見ても、遊び人という風ではない。
 まさに、その真逆。
「動くな、私の拳があなたを狙っています」
 誰ですか? と聞いているのに再び警告を発する。そして、右拳で牽制を利かせながら左手でなにやら腰のポーチをまさぐっていた。そして何かを掴むとそれをつぐみに、いやピジョンに向けて見せ付けた。なにやら手帳のようなものである。……ああ、あれだ。警察手帳だ(刑事ドラマで見るものよりちょっと大きかった)そして、自己紹介。
「『国家権力』偶院隊 虚海利奈隊員」 
 それだけだった。すると、ピジョンもなにやらにやりと笑って語りだす。
「それじゃあこちらも自己紹介。俺の名前はピジョンブラッド。本当の名前は他にもあるけれど、他人が俺を呼ぶときはそう叫ぶ。午前零時を回っても町をうろうろするお馬鹿さんに雇われて、なんでも屋を営むのが今マイブームの暇潰し。今日は君の相手をしよう。俺の名前はピジョンブラッド。紅石色の眼をもつ遊び人。まあ呼びにくいらしいからピジョンでもいいよ?」
 それはつぐみに対しての前口上と一緒だった。マニュアル化しているらしい。
「存じています、知らないわけないでしょう馬鹿馬鹿しい」
 なんだかきっぱり言われて、ピジョンはちょっとしゅんとなった。
 それまでピジョンの方を凝視していた利奈がちらりと左手の手帳に眼をやった。つぐみの視線からは見えないが、ちょうど手帳と共に写真を一枚取り出している。
 その写真には赤いハチマキを締めたブルマ姿のつぐみ(去年の体育祭の写真である)が写っていたのは、つぐみにはわからなかった。
 
 何かを頷く利奈。
 そして
「サトウツグミ、ピジョンブラッド発見」
 一人呟いた。
「……あの」
 何か、おかしい。何が変なのだろう。何かが、うまく噛み合っていない。会話はできているのに、意思の疎通ができていない……。
 ピジョンが軽口を叩くように聞いた。
「それで、俺達は敵に追われて逃げてるんだけれど、助けてくれたりしないのかな?」
「もちろん助けます」
 即答し、利奈と名乗った彼女はその右手を下ろして制止をやめる。
 つぐみはほっとした。よかった。普通だ。
 通してもらえると思い、ピジョンを促し、歩き出そうとしたその時。

 ピジョンの赤眼は、利奈が拳を中腰に構えているのを捉えた。

 ???
 利奈は、呟いた。
「もちろん、二人とも拘束し我々の保護下に置くつもりですよ。最初から」
「え? 今なんて……」
「なるほどオーケイ」
 二人がリアクションをとった次の瞬間。



 風を裂く音がして、ピジョンが空を跳んでいた。

 つぐみは思った。
 何が起きやがったこんちくしょう。
 しかし、今の状況を省みるところ、こういうことらしかった。
 まず、利奈が突然ピジョンに殴りつけた。
 ピジョンはそれを避けて垂直に跳び上がった。そして少年はそのまま地上五メートルほど跳びあがって、ピジョンに担ぎ上げられていたつぐみも一緒に空中散歩していたのだ。
 つまり……なんだ。
 結論。『国家権力』虚海利奈は突然『遊び人』ピジョンブラッドを殴ってきた。

 先生、やってることの意味がわかりません。

 ピジョンはさっき言ったではないか。国家権力とは『敵』から人々を守るのが仕事ではなかったのか? まるで前振りなしで、ピジョンがピジョンだと確認するや否や撃ち込んで来た。
 確かにピジョンは言った。国家権力は遊び人が大嫌いだと。なるほどそうだろう。けれど、じゃあ。さっきの青年はなんだったのだ?! ピジョンとつぐみに逃げろと言って『敵』に立ち向かった青年は、あれも国家権力ではないのか? 
 何なのだ 
 たった今ピジョンに出会ったばかりで、彼のことを信用してもいいのかどうかも見極められていないというのに。
「さて、ご主人様。説明をして差し上げたいところなんだけれど、ちょっと困った障害だね」
 上空。重力に掴まる寸前のピジョンはそれでも少し余裕のある苦笑いだった。
「ピジョンさん。あの子も国家権力なんですか? なんでいきなりバトルになってんですか?! あなたやっぱり悪い人なんですか!」
「簡潔に言うと。どうやらあの『国家権力』さんの狙いはご主人様っぽいよ?」
「……なんで」
 いや、しかし。先程利奈は、サトウツグミと自分の名を呼んだ。自分は一度も名乗っていないのに。相手は、自分のことなんて知っているはず無いのに。まるで、自分の素性を知っているかのように名を呼んでいた。

 佐藤つぐみ  学校をサボって立ち入り禁止区域に極秘潜入中の女子中学生 
 虚海利奈   国家権力。つまり、いけないことをしている人を捕まえる人

 やばい。心当たりありすぎである。あまりにも噛み合いすぎるキャラクター設定だ。
 真下を覗くと五メートル下の地面で自分の拳が空を切ったことに呆然としている利奈がいる。
 あの子は、やばい。
 つぐみの直感は理性にそう告げ口した。 
 この一日での出来事から、逃げ癖のついていたつぐみはもう何の迷いも無く(若干は躊躇したが)ピジョンへと命令を下す。
「逃げて下さい!」
「オーケイ」
 ピジョンは空中で体勢を変えた。

 ピジョンは垂直に跳んでいたわけではなかった。
 わずかに角度がつけて跳躍し、横に移動を行っていた。地上五メートルの地点で、移動して存在するもの。近くにあった、古電柱である。
 その柱に両足の裏で衝突する。
 ぶつかる瞬間に壁を蹴って、もう一度跳躍。
 ピジョンはそのまま、空中を駆けて逃げようとする。
 つぐみは、先ほどの青服の少女から逃げることに集中していたために、その異常なまでの脚力、跳躍力については考えていなかった。後にそれを悔やむことになるのだが、今はそれどころではない。ただ、「この高さ、距離ならば彼女は追ってこれまい。彼女のメリケンつけた拳は、こんなところまで届かないのだから」とだけ思っていた。






 ――火薬音がした。


 電柱の、ついさっきピジョンが蹴りつけたあたりが『えぐれて』、弾け飛んだ。


 つぐみは、下を覗き込む。
 そこには先ほど利奈と名乗った少女が、腰に吊るしていた拳銃を両手で構えているのが見えた。
 今度は、ななめ下を見る。
 そこには破壊力をもった何かがぶつかった後のように電柱が削れていた。


 うーん……
 発砲してますよお嬢さん。
「待ちなさい。止まらないと撃つわよ」
 もう撃ってますよお嬢さん。
「二発目を」
 ああ、今のは威嚇射撃ということだったらしい。
「次は足を狙う」
 マジですか?! 
 ……しかし、ならば狙えば撃てるというのか?
 あんな大きい銃を? あれならば、『敵』さえも打ち倒せるのではないかという黒塗りの凶器を?
 ピジョンが感想を述べた。
「あんなモノで撃たれたら、ご主人様下半身が吹き飛ぶね♪」
「逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げてーーーーーー」
 逃げてを八十四回も言ったのは生まれて初めてだった。
「オーケイ」
「待ちなさい!」
 屋根の上から逃げようとするピジョン達に拳銃の狙いをつけるが、その時にはすでに物陰へと半分体が隠れている。二発目を撃とうとして、指を引き金にかけていたのだが、それはもう命中しないことを悟り銃身を下げた。無駄弾は撃てない。すでに先程の戦闘で1度リロードしている。確認のために顔を上げると、すでに二人は視界の外へと逃げていた。二人を追いかけようとしたが、すぐに足を止めた。ふと周りを見やると、ここいらはまだ破壊が少なく廃ビルなども多く残っている。裏道も多く、隠れる場所も多い。残念ながら、ここいらは任務でもあまり来たことがなく土地勘が働かない。闇雲に追いかけても追いつける見込みは無い。攻撃力ならば自信はあった。『敵』をも屠るその戦闘力ならばひけを取らないが、三次元的に逃げられては、機動力の差が大きすぎる。
 銃をホルスターにしまいながら、一息吐いた。
 追っていけるものなら、追っていた。
 今回の任務は、あの少女を救出し、あの少年を捉える事。
 そのための、虚海利奈。
 ……しかし。
「五メートルもジャンプする奴終えるわけねえだろ」
 
 あの少年。まるで普通なことのように飛び跳ねていたが、あれは簡単にできることではない。さらに、彼は子供とはいえ、少女を一人担いでそれをやっているのだ。つまり腕を全く使わずに、跳躍を繰り返していた。人間にできる動き方では無い。そんなことは、野生動物でもできない。この世で最も過酷に動けるはずの利奈の筋肉をさえ、超えている。
「ピジョンブラッド。話には聞いていたが、まさかここまでの力とは……一体奴には『何』が視得ているの?」
 逃げられてしまった。脅し、奇襲し、攻撃し、あまつさえ一般人に銃火器を使用してなお逃げられた。二発目を撃とうとした。しかし、照準を合わせる前に、夜の闇に消えてしまった。
 サトウツグミを保護することも、ピジョンブラッドについて調査することもできなかった。逃げ切られた。
 ……というか、なんで自分はいきなり二人を攻撃したのだろう。ああいう時はまず任意同行を求めなければいけないのに、緊張してしまい地が出てしまった。これでは、チンピラだった頃と変わらない。自分はもう国家権力なのだ。つまらないミスをして、偶院友の足を引っ張ることはできない。
 利奈は苦々しい顔をして、しかしすぐにその貌を消す。
 ……しかしながら、追跡ができないというわけではない。
「『敵意』は、まだ見える」
 たった今、ピジョンとつぐみを見つけて目の前に現れたように、再び二人を見つけることは可能である。
 まだだ。虚海利奈は諦める気など毛頭ない。
 ホルスターを右手でさすりながら、空を見つめた。
 見つめる場所はどこでもいい。どこともなくただ一箇所を見つめていた。
 そして息をもう一つ吸い込んで、吐く。利奈は次の行動のために足を踏み出そうとして……背中に何かを感じた。
「!!」
 振り返る。しかし、何もない。夜道が延々と前後に続いているだけである。

 けれど、果たして戦士としてか、国家権力としてか、元遊び人としてか、何としての勘か

 遠くから、風に乗って何かの気配を感じた。
 そしてその気配に遅れて数秒。





 

 だん、だんと

 火薬音が聞こえた。

 それは、先程ピジョン達がやってきた道の先。
 その音を、利奈はよく覚えている。それは、自分の銃の発砲音と同じである。そして、これと同じ型の拳銃を使う人間は……。
「偶院隊長……?」
 交戦しているのか?!
 利奈は夜闇を、見つめる。すべてに敵対しているようなその鋭い視線で。見えないものを見る。
 見える『敵意』は二つ。
 一つは人。一つは『敵』



「まったくあの人は……。戦うな、つってんのに」

 利奈は二、三度。ピジョン達ターゲットの逃げた物陰と銃声の聞こえる夜闇を見直して、ターゲットが逃げたのと逆方向、『敵』と一緒であろう偶院友の下へと疾走した。


22 :akiyuki :2007/07/21(土) 17:30:09 ID:VJsFrmQG

三者交錯(三)


 虚海利奈は、その夜を境新しい『眼』を得た。

 見えるとは言っても、それはただそうとしか表現する方法がないからそう言っているだけで、利奈自身には何も普通の人間が見る景色と何かしら変わっているモノが見えたりはしない。
 ただ、利奈は他人の『ある感情』に対し激しく敏感になった。
 それは何か目の前のものを拒絶するような、遠ざかりたいというような、屈服させたいというような、そういうネガティブな感情。そういうものを、利奈はいかなる距離からも感じることができた。
 何故? それは利奈にはわからない。
 どんな感覚? 説明しきれない。しかし、わかる。見得る。
 星の降った町ミシマ。星降る夜。
 利奈にはその受容を開始した。
 
 目の前にあるものを拒絶し、否定し、屈服させようという感情。それを察知できるために利奈は逃げ続け、危険をさけることができた。そんな彼女の力を知り、崇める者、厄介がる者、利用しようとする者。様々な人間が利奈の前に現れた。そういう感情には、鈍感だった。悪から逃げ続けるうちに自らも悪と化して行ったのを、責めることはできない。こうして夜のミシマの遊び人、虚海利奈は町を色々な感情から逃げるように彷徨っていた。

 ただ、後に彼女を保護し、大きな研究所で肉体を精密検査し、彼女からその能力(?)の説明を受けた偶院友が表したその言葉こそが、最も内海利奈の感覚に当て嵌まるだろう。


 遊び人虚海利奈には『敵意』を見ることができる。


 その彼女が言ったのだ。

「『敵』には私達への敵意が見えます」


 故に、奴らは『敵』なのだ。

 


23 :akiyuki :2007/07/21(土) 17:39:37 ID:VJsFrmQG


 利奈が銃声がしたのであろう現場にたどり着くと、そこには一人の青年が立っているだけだった。
 背筋を伸ばして立っているその背中を利奈はよく知っている。自分と同じ青いジャケット。黒い靴。そして、だらりと垂らした左手には自分と同じ大口径の拳銃をぶら下げている。
 少女はこの男が誰なのか知っている。
「隊長。偶院隊長」
 彼の上司に当たる偶院友はゆっくりと体ごと振り返り、利奈を見つめた。その眼を見て少女は

 少し、身を震わせた。

 怖い。その眼を見る度に、思う。
 普段はおどけた様子ばかりを見せ、自分がしっかりしないといけないと憤慨させるような男なのに、こうしてこの町の中に入ると急に怖くなる。
 彼女の前では普段見せることの無い、拒絶の視線。
 すべてに敵対しているような眼。それは利奈のそれとは違う。積極的な敵意ではない。
 もっと、醒めた、見下したような眼。
 戦う為の、眼線。
「……りっちゃんか」
 友は利奈の姿を確認すると、体勢を直し背中を見せた。
 目の前に広がる闇を、見つめていた。
「は……はい」
 名を呼ばれ、ひきつった声で肯定するのがやっとだった。その視線は利奈に向けられたものではない。しかし、利奈はその眼を見るたびに体の芯が冷えるのを感じる。もう何年も一緒に戦ってきたというのに、『敵』と『ミシマ』に関わる時の友には、何故か近寄るのが怖い。
 まさしくこの時。偶院友はミシマに悪名轟く『青服』の一員なのだ。そして、利奈もまたその軍門にいる。
「偶院隊長。散開命令により目的を調査していましたが、銃声を聞きつけましてただいま、戻ってまいりました」
「二人を……逃がしたのかい?」
 心拍数が跳ね上がる。こちらの報告など無視して、突然の詰問。もちろんこの二人とは先程まで対峙していたあの青年と少女のことだ。どうして、そのことを知っているのか。だが利奈はそのことを疑問に思うこともないくらい、動揺している。
「も、申し訳ありません。サトウツグミを発見捕捉したのですが……彼女はすでにピジョンブラッドと接近しており……」
「ああ、知っている。つい五分も前にこの前を通っていった」
 虚をつかれた顔をした。
「……まさか、隊長は追わなかったのですか?!」
「ああ」
「ああ。って。追わずに、ここで何を……」
「ところで、君は民間人相手に発砲しただろう?」
 狼狽した。
「し、しかし現在は午前零時を軽く回っており、射撃許可も降りています。そ、それにあれは威嚇射撃……」
「わかっている。そんなことを訊きたいのではない。ただ、あれが誰の発砲音なのかを確かめておきたかったんだ。ならば、向こうの方でピジョンブラッドと接触し発砲したのは、君一人でいいんだな」
「は、はい」
 何が言いたいのだろう。
「ならば……。我々の目標は例の二人の調査だが、今は仕方ないだろう」
 友は肩をいからせ、拳銃を掴んだ左手をゆっくりと持ち上げた。
「今、この場にいるのが二人では、彼らを追いかけるのは止めたほうがいいだろう」
 銃口は、闇を向いた。
「鹿島や古舘からは、連絡がないのだろう?」
 そこでやっと彼の言いたいことがわかる。
「は、はい。どうやらここから距離のある所をにいると思われます。あいつらが銃声に気付きここに到着するのは、まだ先です」
 つまり、今、この近くには、利奈と友しかいないのかということを確認したかったのだろう。
「りっちゃん。そろそろしゃきっとしたらどうだい?」
 ちくりとした。一々言葉にとげが入るが、しかし言っていることはもっともだ。さっき、友は二人を逃がしたと言った。そして、やって来た。利奈に対しても「あの二人を追え」という命令を行わない。この偶院友が目的を発見しておきながら見逃すほどのことが、ここにはあるということだ。
 いつもののんびりとした笑顔も、怒鳴りつけてしまいたくなる呑気な口調も何もない。
戦う為の、視線が、態度が、殺気が。この場を呑み込んでいた。
「隊長、銃を持つと性格変わりますよね」
 友は、そんな言葉には無反応に呟いた。
「来るぞ」
 確かに、気配はする。
 それは、気配などという透明なものではない。

 利奈にだけ解る。色付いた、『敵意』

「りっちゃん。近くに『敵』がいる」  
 その声に弾かれたように、利奈は駆けた。
 駆けて、三歩で友の背後にたどり着き、反転。男の背中に、自分の背中を併せる。
お互いのジャンパーが触れ合うくらいまで近付き、その時にはホルスターから拳銃を抜き取り、目の前の闇に向けた。
 お互いの背後を見合う形で二人は同じ様に武器を目の前に突き出していた。
 二人は背中を合わせる。そこは開けた場所で四方八方上空まで見通しがよい。月が照っている今、夜であってもはっきりと物の輪郭が見て取れる。逃げるならば、さっさと物陰に隠れるなりその場を移動するなりあるだろう。
 けれど、この二人は違う。『敵』と戦う為にその場に立っているのだ。
「敵はどこですか?」
 視線を動かしながら利奈は尋ねた。
「それは君が解っているのではないのか」
「私の眼は『敵意がある』というところまでで、正確な位置まではわかりません」
「そうだったな……で、いくつだい?」
「な、何がですか」
「『敵意』の数に決まっているだろう。俺と君以外に、ここに敵意を発しているものはどれだけいる?」
 利奈は少しだけ眼を瞑り、そしてすぐに開眼して答えた。
「……一体です」
「そうか」
 数は合っているな。と友は呟いた。
「この一帯に現れた敵は全部で三体。先ほど向こうの方で銃撃音がした。君が二体は倒しただろう」
 確かにそうである。
「どうして二体と?」
「君の銃の音だと思えたものが、二発だったからだ」
 まさか、君が外すはずも無いからな、と付け加えた。
 何故か、言葉の節々が怖い。友は続ける。
「で、ピジョンブラッド少年とサトウツグミは残る一体に追われていた。で、俺がかばったら、どうやら『敵』は俺を獲物にしたらしい。一撃加えた後、また闇に消えた。おそらく、空中で旋回した後に俺を攻撃するだろう」
 どうやら、すでに敵と友は遭遇しているらしい。なるほど、先程ピジョンブラッド達と交戦中に聞こえた銃声はどうやら戦闘の音声で、感じた敵意は、文字通り戦いの最中のものだったのだ。……ならば。
「隊長、お怪我はされていませんか?」
 友は突然緊張感のない声を出した。
「してないよ」
 少女は少しだけむっとした。
「嘘をついていますね」
 しかし、友の声は再び無感動なものになる。
「なんでさ」
「右手、さっきから動いてませんよ」
「俺は左利きなんだよ」
「私達の銃は、片手で狙えるような口径してませんから。それに、『敵』と一人で戦う時って隊長は必ず怪我しますから。いつも一人で戦うなって言っているのに……」
 友は、一つため息をついた。
「……かすり傷だ」
 白状した。
 きちんと後ろを向いて確認したかったが、今は戦闘中だ。
「後で治療しますからね」
 それだけ言って、友の出血しているだろう右手(想像)を忘れることにした。
「来ます」




 ぐぎゃあ


 声がした。
 夜闇の中に、何かが蠢いても見える。
 しかし、何もないように見える。
 だが、確かにいる。

 黒い影が上空を通り過ぎた。


 巨大な烏。


 『敵』


「隊長、後ろです!」
 友はその声に後ろを振り返り、つまり利奈の正面にいるその烏を見た。
 二人の青服が銃口を烏に向けた。


 ……それは一瞬の交差だった。
 黒い怪鳥が二人に向かい襲いかかるのとほぼ同時に友の水平に傾けた友の拳銃と、両手でしっかりと照準を合わせた利奈の拳銃が、弾丸を吐き出した。
 
 計三発の弾丸はすべて敵に命中した。
 
 人体さえも容易に吹き飛ばす威力を持つその弾丸は、敵の肉体をえぐり、一弾が左翼を貫通した。くるくると回りながら地に落ちる『敵』。
 利奈は地面に激突した敵に向かって走る。武器は腰のホルスターに収められており、代わりの武装が右手にはめられていた。

 メリケンサックである。
 そして大きく息を吐き、大きく息を吸い、利奈はあらん限りの音量と共に、拳を振り上げた。
「くたばりやがれ! 消えろ! 私に殴られて消滅してしまえこの敵があっ!」

















 大きく肩を揺らし荒い呼吸をする利奈に、友はゆっくりと近付いた。

「お疲れ様」
 そこで、利奈は安堵した。もう、今の友は優しいいつもの上官に戻っていた。
「まだです。まだ邪魔な敵を倒しただけ……早くあの二人を追いましょう」
「ああ、そうだね。でも、君は少し休んだほうがいい。今日は二回も放ったのだろう?」
 確かに、一晩に二回も『敵』と戦うことなど、しばらくなかった。

 『敵』はある法則により与えられたダメージが一定量を超えると消滅する。

 もちろん、消滅と言っても次の夜になればまた同じ場所から煙のように現れる。朝が来るのを早めるだけなのだ。敵を完全に消し去る方法は、今のところない。
そして、敵を消滅させる法則に則ることができる者も、国家権力の中でさえ、数えるほどしかいない。
 彼らは守り、防ぐしか術はないのだ。

 だからこそ、守らなければならない。逃がさなければならない。
 あの異常なまでの身体能力を保持した青年 ピジョンブラッド
 あの危険なこ行動ばかりとっている少女 佐藤つぐみ

 あの二人を保護しなければならないのだ。



 
 月が、隠れ始めた。


24 :akiyuki :2007/07/21(土) 18:26:31 ID:VJsFrmQG

三者交錯(四)




 この町に、一人の少女がいた。
 星が降り、敵が現れたとき、人とは違う者を見る力を得た。
 見得ないものを視る、異端の町の異端。

 超能力者、魔女、怪物、遺伝子異常、変質。

 どれも違う。
 この町の人間に付けられた名は、もっと近しいもの。
 そろいも揃って見えるものが違う、別の生き方をする人間たち。
 けれど、彼女は違うと思う。確かに違うのだろう。同じミシマの中にいても、忌み嫌われることもあった。持つ雰囲気が違うと言われた。この、無気力な町で、それでも生き残ろうとするお前達は何者だと言われたことがあった。
 でも、この眼に見えるものは、皆と同じなのだ。
 皆と同じ様に生きて、皆と同じ様にこの災厄に巻き込まれて、『敵』が現れた夜に、視界が少しずれてしまったのだ。
 見えなくていい物を見てしまった。
 ……本当のことは、全部知っている。本当の名前は、別にある。すべて知っている。
 ……ここにどうして廃墟が出来たのか。ここにどうして『敵』がいるのか。
 
 けれど、それを言ったところで何にもならないことを、彼女は知っている。彼女の力で根本を解決はできない。誰も、信用できない。してくれない。
 ならば、今ここにある現状を守るしかないのだと思う。自分たちは、閉じ込められた。
 ここで生きていくしかないのだ。だから、もう。
 


 つまらない。



 すべてをそう思うことにした。
 











 敵意を見る能力を持つ少女 虚海利奈

 『敵』と呼ばれる異形の烏、国家権力『青服』に恐怖を抱く人間、何かと戦い興奮状態にあるすべての生物の『敵意』をある程度の位置まで捕捉する異能の持ち主。
 夜、ミシマに現れては出現する『敵』を察知し、内部の人間を把握する、レーダーのような感覚の持ち主。
 国家権力の偶院友の監視下に置かれる元ミシマの遊び人。

 彼女の魔眼を逃れることは不可能……と思われているが彼女の眼を防ぐ方法は、一つある。


 少女は、敵意を視るのだ。
 それ以外は、普通の人間の視力と変わらない。
 彼女は感情の昂りを察知するわけではない。あくまで敵対するものへの嫌悪感がいるのだ。
 そういうものを持たずに接近する者に対して、彼女はあまりにも鈍感である。
 簡単な話、『敵意』を持たない者にはさっぱりと気付けない。
 
 その女が戦いを終えたばかりの二人の目の前に立っていたことも、彼女が声をかけてきたことでやっとわかったのだった。






「その娘、辛そうだな」
 顔を下に向けて肩で息をしていた利奈は、眼を見開いた。
 その声と台詞は、友のものではない。
 ならば、一体誰のものだと言うのか。つい十秒も前まで敵のいたこの空間に突然浮き出てきたその存在感に、利奈は上体をあげて誰何した。
「何者だ」
「知っているだろう」
 女が一人立っていた。ジーンズにタンクトップと夜の町並には少し寒そうな衣服。金色の髪を平安女性のように先端で結んだ、美しい顔の女。
 利奈達の方からは見えないが、ベルトの後ろに拳銃を二つ差し込んでいた。それはこの町で『敵』に喰われた警察官の持っていた拳銃であった。そのことを利奈は知っている。
 ひどく、つまらなそうな眼が印象づく女。
 女。
「貴様……」
「それほど邪険にしなくてもいいだろう。それよりも私としては言っておきたいことがある」
 女は頭を下げた。挨拶をする癖がある、この町でも有数の夜を歩く者。彼女は利奈の名を呼んで、そして言う。
「こんばんは」
「……」
 利奈は息を無理矢理整え、身構えた。この女は敵よりも遣り難い。それが少女の態度であった。
「挨拶くらい、返してくれてもいいだろう」
 困ったような表情でそう言い、女はけだるそうな視線を少女から、その傍らでじっと立っている男へと移した。男はそれまで女の方を見ていたが、少女に声をかけた。
「りっちゃん。座っていなさい」
 利奈は友の顔を見上げた。
「え?」
「疲れただろう、少し休むといい」
 そう言って肩に手を置かれた。力はかかっていなかったが、掌に力を奪われるようにゆっくりと腰を下ろしていた。
「私はお前と戦うつもりはないぞ」
 女はそういうが、男は決して油断しない。
「でも、このタイミングで現れるってことは、何かする気だろう?」
 視線を女の方へと再び向ける。その突然の出現に対してもまったく動じることなく、いや、まるでそこにいるのを知っていたかのように、そこに現れるのを予測していたかのように台詞を言った。
「そうだな、じゃあまずは言わせてもらおっか」
 それは笑ってはいないが、ひどく落ち着いた声を出していた。少なくとも先ほどの烏を相手にしていた態度ではない。『敵』ほどではないにしても、国家権力のやることを邪魔する『遊び人』であるのに、友は利奈と話すように、友達と話すように続けた。
「こんばんは、律子(りつこ)」 
 リツコ? 
 それが、この女の本当の名前なのだろうか。
「隊長、その名は……」
「りっちゃんは知らなかったかな」
 なぜ、知っているのだろう。この町で、『遊び人』として生きていたこともある利奈でさえ、彼女のことは匿名希望としてしか知らない。彼女自身がそうとしか自分を呼称しなかったのに。
「偶院。いつからお前は私を呼び捨てにできる立場になった? もう、その名を呼んでいい人間はこの世にはいない。少なくとも、私達をここにおいていった外の人間が、そう呼ぶな」
 女は、ひどく気分の悪そうな眼をした。男は、少し悲しそうな眼になった。
「じゃあ、昔みたいにりっちゃんって呼んでいいのかい?」
「今は、その隣の少女がりっちゃんなのだろう? 私のことは、通称で呼べばいい」
 そして、女は両手をポケットに入れて、見得を切る。 
「私はただの遊び人、名前なんてとうに捨てた。それでも呼びたければ、『軌跡の魔眼』の匿名希望と呼べばいい」
 日の出る内は屋台を引いて、午後十時になると敵のうごめく町に現れ敵に襲われる人々を助ける、自称遊び人。
 遊び人は戦士二人を前に堂々と、立っていた。
「俺達相手にそう堂々としている人間もそういないんだけどな」
「私からすれば、お前たちを必要以上に怖がる必要もないというだけの話だがな。少なくとも建前としては、お前たちはミシマに取り残された外に隔離処置者を守るために派遣されているわけなのだから」
「だが、なかなか信用はしてもらえないよ。巷には俺達が横暴に住民を扱っているとか、住人を拉致して実験に使っているとか思われているみたいだな」
「事実だから、仕方ないだろう?」
「お前がそんな噂を流していることは調べがついているんだぞ」
 希望の頬が、ぴくりと動いた。
「お前が俺達嫌いなのは知っているよ。確かに犯罪の可能性のある住人を保護したり、検査のために封鎖をしたりするよ。だけど、それと俺達をまるで『敵』のように扱うのは違うだろう?」
「同じだ。少なくともこの町に住み、お前たちに追われたことのある人間にとってはな」
「やましいところがあるからだろ」
「この町に生きていくのなら、汚いことも必要だ。なのに、お前たちは町の外の基準でここを計る。だから私は不用意にお前達に近付かないように子供達に教えているだけだ」
「だからと言って誤った情報を流し続けていて、正しい判断のできるようになるのか? 上の連中はお前のことを危険視しているぞ。四年前のように、この中に組織をつくり外の世界に攻め込もうとしているんじゃないかとな」
「私はそんなつまらないことはしないよ。それに四年前とて、『敵』の大発生に対抗して徒党を組んだだけだ。私達はそんなことをしたつもりはない」
「でも、人は死んだ」
「そうだ。あの時、私の名を呼んでいい人間はみんな死んだんだ。……お前だって知っているだろう。あの時、偶院も川蝉もそこの虚海も、みんなミシマにいたのだから」
「ああ。忘れてなんかいないよ。でもな、外の世界ではあれはそういうことになっているんだよ。もう、この町には人は住んでいなくて、誰も入ることはないと。それでもここに俺達がいるのは、ここに住む人を守るためだ。俺だって、そのために入隊した。お前だってわかっているだろう? 何かしなくちゃいけないんだ。このままここで時間の止まった生活しているわけにはいかないだろう」
「もう、希望なんて捨てたよ……。私は、この町に住む人として、お前たちを拒絶する」
 そこで二人は押し黙る。しかし、すぐにその沈黙を破られた。
「いつまでも同じ議論をしていても仕方がない。俺はミシマを守るためにこの道を選んだし、お前はお前でそうすることがミシマのためと思ったのだろう。だから、今はそこに決着をつける場所ではない。それよりも訊きたいことがある」
 
 友の眼が変わる。


「ピジョンブラッド」
 その名に利奈は反応した。反応して、友の顔を見る。そこには、再びあの戦う為の表情が覗いていた。
「この町に現れた新しい『遊び人』。お前が屋台を引くように、そいつは何でも屋をやっていると言う。国家権力でも高い戦闘能力を持つ虚海隊員を退け、ミシマ内部に侵入した佐藤つぐみを拉致したまま逃亡中の少年」
「拉致ではないよ。私も会ったことはないが、他人の願いを叶えるのが趣味だそうだから、おそらくつぐみに助けを求められたと見るべきだ」
「そこが問題なんだよ。夜に出歩くことも、以前に探索した別働隊が接触した時の言動からも、『敵』を退けたことからも、『遊び人』なんだろう。けれど、遊び人が、今頃増えるはずないだろう。四年前、今遊び人と呼ばれている奴らはそのすべてが集結した。その中には、彼はいなかったはずだ。だから、ピジョンブラッドを名乗る彼が『遊び人』であるはずない」
「遊び人だろう。夜中ふらふらと遊び歩いているんだから」
「そういうことじゃないよ」
「それに、この町にいる人間は皆ふらふらと暮らしているのだから全員が遊び人と言ってもいいだろう」
「全然違うよ。お前らは、被災者だ」
「被害者だ」
「……そういう議論はなしだ。とにかく彼は遊び人だと言う。自分自身で『遊び人』と名乗っている。けれど、ここの遊び人とは、突然なるものではないだろう?」
「なるものだ」
 希望は断言した。
「道なんて、突然なくなるものだ。私も、この町にいる誰もが、望んでここにいるわけではないように、私だって、見たくて見得ているんじゃない。その隣の娘だってそうだ。私達は、たまたまそうなって、そう選ぶしかなかった。私だって本当は今頃大学生だ……。でも今はここで生きている。他人と同じ様に生きられなかった。けれど、それを個性と言い張ったって誰も認めてはくれない。そういう生き方を一つの生き方として認めてくれなかった。だから、私達は自分達に名前を与えて、責任の所在を自分自身からそれに移した」
「そういう概念的な話はいいよ。実際に、『魔眼』を持つ人間が増えることはあるのかということだ。俺の知る限り、それは無い」
「別に魔眼を持つ必要はないだろう。彼が自分をどう名乗っても、そこにどういう問題が発生する?」
「あるさ。尋常ならざる力を持つ者が遊び人を名乗ることを、俺達は恐れる。この町の『遊び人』とはつまり、『敵』に対抗する力を持つ人間のことを言うのだから」
「……」
「それだけの力を、野放しにはできない。この町に、あの女の残した意思がどれだけ残っているのか、管理する必要が俺達にはある」
「私達は、お前達にとって守るべき国民ではないのだな……」
「……彼がミシマに噂と共に現れるまで、どこでどういう風に暮らしていた?」
「そんなことはわからん。しかしこの町のどこかにいたのだろ。私だってこの地区のことしか知らない、それに今でもミシマの中心地は『敵』の巣だから誰も近寄らないし、第四地区などは刑務所があった辺りでは潜伏している奴もいると聞く。誰も確認していなくたってそこに潜んでいることは、不可思議ではない」
「あの少年は、この子の魔眼によって『敵意』を確認された。しかし、彼はただ逃げただけだった。見たところ、この子にはその戦闘でダメージを負った様子もない。つまり、本当に戦わなかったのだろう。けれど、『敵意』は持っていた」
「それが何だ?」
「彼は俺達を敵だと思っている。ここだけの話だがこの虚海隊員は敵意を識別できるんだ。俺にもよくわからないが、敵意にもいろいろと特徴があるらしい。そして、これまでこの町の全域で活動していながら、一度も彼のような人物の敵意をこの町で捉えたことは無いという……。そこで考えた。つまり、彼はこの五年間一度も夜に出歩いたことはなかったのではないのか。そこで考える。彼は、本当にこの町に隠れていたのだろうか。もし、隠れていたとして、それはつまりこの五年間目立ずに生きてきたということだ。なのに、今更になって何故突然現れたのか。だったら、彼は一体……何者だ? 何の為に現れた? 君の言うように遊び人にそんな理由なんて求めることがおかしいのかもしれない。でも、あれだけの力を持ちながら誰にも気付かれずに生きることが出来る人間が、自分から世に出たりするのだろうか。彼は、それまで一体どこにいた?」

 一呼吸置く。
「彼の存在そのものに俺は疑念を抱いている」
 そして続ける。
「それに、タイミングがタイミングだ。彼が現れたのはつい数週間も前のことだろう。ちょうど今、彼の噂がミシマの全域に広がっている。そして、それを待っていたかのように佐藤つぐみはこの中に侵入した。なぜ佐藤つぐみはこんなところに入ってきたのか。そして、何故ピジョンブラッドと一緒に行動をしているのか……。佐藤つぐみが来ることを待っていたかのような登場だと思わないか?」
 そこで、発言権を彼女に移し、友は希望の反応を待った。
 希望は、悩んだ顔をしていた。
「私だってそれくらい考えている。あの少年の正体は私にもわからない」
「ピジョンブラッドの『軌跡』は、見えているのだろう」
 その質問に、さらに困った顔をする。

 しばしの沈黙の後、
「ああ」
 肯定した。
「大体、彼が何者かの予測はついている」
「教えてはくれないのか?」
「教えられない。私は、佐藤の味方だ」
「つまり、ピジョンブラッドは佐藤つぐみの味方と考えていいんだな」
「さあ、な」

 
 そして……、友の眼が元に戻った。
「やはり、あの二人に実際に会ってみない事にはよくわかんないみたいだね」
「放っておけ。佐藤は自分の目的を果たせばおとなしくここを出て行く」
「知ってるの? 彼女の目的を」
「わからないのか?」
「わかっているよ、ただ納得できないだけさ。こんなところに来るほどのことかなって」
「来るよ。それだけの理由でも。……お前は一人っ子だからわからんかもしれんがな」
 ふう、と友はため息をついた。どれくらい喋ったか。そう、一分か、二分か。
 あのピジョンブラッドが全力で走っていれば、もうたどり着けないほど遠くまで行っているだろう。
「足止め……ということか」
「そういうことだ」
 彼女は、友達をつぐみとピジョンから引き離すために、ここに現れたということだろうか。
「自分の身も省みず……か。君らしいね」
「だからさっきも言っただろう? 私はお前たちを必要以上に怖がらない。お前が、この善良な一般市民を無実の罪で逮捕したりはしないと確信しているだけさ」
「公務執行妨害で緊急逮捕もできますが」
 そこで、白髪の少女は座ったままコメントした。
「どうしますか? 隊長」
「ん」
 友は少し悩んだ振りをして
「今日はやめておくよ」
 と答えた。
「どっちにしろ、今夜はもう無理だろう。もうすぐ門を閉める時間だ。それまでに俺達はここを早く出よう」
「退却……ですか?」
「彼の敵意は覚えているだろう? なら明日、彼を追いかけよう」
「私は犬ですか」

 そして利奈は立ち上がる。


「というわけで、俺達は今回は撤退する。もしあの二人にあとで合流する気なら、投降をお勧めする旨を伝えてくれ」


 そして、あっけなく男は後ろを見せた。
 それにいぶかしみながらもついていく白髪の少女。

 その二人の背中に
「偶院」
 希望は声をかけた。振り向く友に訊いた。
「腕の傷、大丈夫か?
 それは、彼が先ほどの『敵』との戦いで負傷した右腕のことらしい。
「ああ、こんなの大丈夫だよ」
「本当か?」
 その時の希望の眼は、ひどく悲しそうだった。腕の傷と言ったって、たかだか擦過傷くらいだ。なのに、みょうに希望は心配していた。怪我が、そんなに怖いのだろうか。
「……そういえば、佐藤つぐみも腕を怪我していたな」
 友は自分の腕を見て、それから希望の方を見て笑った。
 希望は、悲しそうな眼をしていた。


「心配してくれてありがとう、りっちゃん」
「もう、そう呼ぶのは止めて下さい。私は過去と思い出を捨てたんです。友先輩」








 十分後、道路だった道を歩く男女の姿があった。
 一人は切れ長の目をした、クールな風貌の青年。
 一人は白い髪で、何かすべてに敵対しているような眼をした少女。
 二人は同じデザインであるだろう青いジャケットを身にまとい、腰に大口径の拳銃を吊り下げていた。
「本当にこのまま退却してよろしいのですか?」
「もしあのまま行けば、匿名希望は俺達相手に襲い掛かっていたよ。そうなれば俺達はあいつを逮捕しなければならない」
「りっちゃんを逮捕するのはいやですか」
「……りっちゃん。何でそんな不機嫌なの?」
「別に? 私は虚海隊員ですから。りっちゃんはあの女なのでしょう?」
「いや、それは昔のあだ名で」
「いいですよ。私も昔のことをいちいち穿り返したりしませんから」
「あのですね、俺とあいつは同じ中学の先輩後輩だっただけで……」
「ふうん」
「……もしかして、妬いてるの?」
「んなわけねえだろっ!!」
 突然怒り出した部下に、友は困った顔をした。
「まあ、とにかくあいつはああ見えて影響力が強いし、このあたりの治安を守っているのは匿名希望のカリスマだ。……彼女との敵対はしたくない」
「そうですか、敵でいたくない間柄ですか」
「……鹿島達は、もうそろそろ門に集合しているだろう」
 無視することにした。
「まずは準備だ。そして、彼女達を追う」
「隊長」
 そこで利奈は立ち止まる。
「なんだい? 別にあの子とは何か特別な関係というわけでは……」

「隊長にとって、私は部下ですか? ミシマで手に入れた戦力なのですか?」

 風が、吹いた。


 友は、立ち止まらなかった。

「いつか、ちゃんと話すよ。ただ、もう少し、待って……。結構、凹んでるから」


 利奈は空を見上げた。

 月は雲に隠れたままで、そのせいか視線を友の背中に向けても闇は一層濃く見えた。

 


25 :akiyuki :2007/07/22(日) 02:11:09 ID:VJsFrmQG

三者交錯(五)


 
 月の隠れた空は、昏い。
 特にこの明かりの灯らないミシマの中では、そこに広がる闇もまた深い。
 それでもその上空に飛び交うものを見逃すことない。
 上空にひるがえる黒い影
 それは、人を喰う異形の烏『敵』
 その影を見間違える者はいない。それは、とても邪悪な黒。
 ……しかし、今上空にある『それ』は、何なのだろう。


 上空を黒い影が通り過ぎる。しかし、それは人の形をしていた。




 建物の屋根から建物の屋根へと、けものが跳ねるように移動する影が一つあった。
 正確には、二つ。一人の少年が一人の少女を抱きかかえ、高所を飛び移って走っていた。三階建てのビルディング。生花店。魚屋。看板のはがれたパチンコ屋。二階に開放的なラウンジのあるファーストフード店。どこまで来たのだろうか。ここは商店街だろうか。そんな大通りの屋上から屋根へと、屋根から屋上へと、そして出っ張ったベランダへと青年が、少女を両腕に抱きかかえて、走っていた。
 全速力で、走り、飛び跳ねる。それはまるで空を駆けているように見える。
 ピジョンは走り続ける。あの白髪の少女から逃げてもう何分が経つのか。それでも速度を変えることはない。スタミナやペース配分など関係ない。すべてが全力の移動が行われる。
 そんな彼に抱きかかえられたままの少女、佐藤つぐみは自分達が逃げてきた闇に眼をこらす。まだ、誰か追ってきているというのか。いきなり拳銃を出してきた少女のことを思い出す。たしかに全速力で追って来そうなキャラクターをしていた。
 それに『敵』から逃げていた時に囮になってくれたあの男性。
 彼だって自分の敵なのではないだろうか。

 これまで、希望やそしてこのピジョンのように自分を守ってくれるものがいたから忘れていたが、やはり自分はここにいてはいけない人間なのだということを思い出す。何がいけないのかはわからない。けれど、ここには自分が知ってはいけないことがあるらしい。
 例えば、『敵』 あんなものが、この世にいることはおかしい。でもいるし、実際襲われている。この町になぜあんな壁が作られていて、遮断されているのか疑問だったが、今ならはっきりとわかる。あいつらを、外に出さないためだ。そして、この町のことを知らせないために、中の人間まで一緒に閉じ込めているのだ。そしてそれを知ってしまったつぐみは、狙われる。
 例えば、この青年。一瞬で少女の前に現れた。あの空を飛ぶ怪物から逃げることができた。あの拳銃を持った白髪の少女から跳躍力を以って逃走した。まさに、つぐみの希望通りに、あらゆる危機から逃げてくれた。
 希望通りに。
 そしてつぐみは思う。こんなことが、できるはずがない。普通の人間には有り得ない。

 その紅い眼をした青年は、いてはならない。
 
 何故か、そう思った。
 そして、いつの間にか彼に抱っこされているのが普通になっている自分に気付く。
「あ、あのピジョンさん」
「なんだい? ご主人様」
 ご主人様呼ばわりに違和感を持たなくなっている自分にも気付く。
「いや、あのですね。まずそのご主人様をやめてください」
「お嬢様ってキャラでもないし、旦那様って性別でもないだろう?」
 そういう問題ではない。あってたまるものか。
「違います! その、そういう関係でもないんだから私を偉い人みたいに言うのやめてください」
 ピジョンはその足を止め、つぐみの顔を覗き込む。
「君は、俺を買っただろう。だから、あの瞬間に俺は君の所有物だ」
 何を言ってるざますこの人は?!

 しかし、確かにつぐみはそんなことを言っていた。『敵』に襲われながら、混乱した頭で言ってしまったのだ。「学割効きますか?」と
「で、でも私は学割効きますか? と尋ねただけで買うとは一言も言っていませんよ。なのに勝手に私が購入決定しているみたいに話勝手に進めちゃって! そんな詐欺の手口みたいなのにひっかかりません。口頭契約は無効なんですよ! 知ってますか?!」
 つぐみは必死に弁明する。何しろここ一日変な奴らにしか遭っていない。この男が悪い奴でないという証拠もないのだ。今更になって怖くなってきた。そして何故かいまだにお姫様抱っこから介抱されていないことに思い至る。そろそろ降ろしてもらわないと。
 だが、ピジョンは開き直るように言い切った。
「でも、俺は君の願いを叶えてしまったから」
「な、何を叶えたって言うんですか?!」
「君は言ったじゃないか。『なんでもいいから逃げるなり隠れるなりしてください。お願いだから私と関わった人が傷つくのはみたくないんです!』って」
「で、でもそれはあなたが勝手に」
「そう、勝手にその願いを叶えただけさ。でもね、君はあの時俺が現れなかったら死んでたよねー」
 ぐっ。
「そ、それはそうですけど」
 つぐみは気付いていない。そこで少しでも認めてしまえば後は相手のペースに嵌ってしまうことに。
「だったら、俺は君の命の恩人なわけで。ちゃんと助けてもいいのか確認を取ってから君を助け出して、その後十分以上も怪我で動けない君を運んでさらに今も君を担いであげている俺は、お礼を言われても言いと思うんだけどなあ……。それを無理矢理恩を着せてるみたいに言って、若い青年の心はブロークンしそうだよ」
 心の中ではそのままブロークンしてしまえと思うが、確かにその通りなのでつぐみは反応に困ってしまう。
「う……ま、まあ確かに助けてもらったんだから、お礼は言いたいんですけれど。まずは下ろしてもらえませんか?」
 とりあえず、相手の手中から逃れよう。しかしピジョンは首を振る。
「ご主人様。自分が立ち上がることもできないほど弱っているのわかってる?」
 つぐみは、それを言われて自分の体の損傷を思い出す。抱きかかえられていたために忘れかけていたが、確かに自分は動けないでいた。血を流しすぎて、地面に倒れていた。今でこそ喋る元気は残っているが、いざ突き放された時、今までどおりの運動力を発揮できるようにも、確かに思えなかった。逃げるのに精一杯で、止血をする暇さえなかったのだから。……止血。そこで、ふとピジョンの衣服を見る。腹の辺りにできた大きな赤い染み。
「ピジョンさんっ! 血が」
「ん? ああ、これは平気だよ。ご主人様の血だから」
 彼が抱いている間中も、自分は血を流していたらしい。
「ご、ごめんなさい」
 急に恥ずかしくなり、つぐみは頭を下げる。それに対してピジョンは笑って答えた。
「いいよ、そんなの。それよりもそろそろ休憩しようか。ここまで来れば敵も諦めるだろうし。ご主人様の手当てもしないといけないからね」
 つぐみは床に下ろされた。

 そこで、その場所がビルの屋上であることを知った。
 何もない。ただ昔冷房として働いていただろう風送機が遺物のように鎮座していた。
 周りが開けていて翼を持つ敵になど簡単に見つかってしまいそうな場所だったが、ピジョンは少しも構わなかった。
「あの、ピジョンさん」
「ああ、いいよ。夜だからわからないだろうけれど、俺の服結構汚れてるんだぜ。今更血痕が増えたことくらいじゃダメージゼロさ」
「そうじゃなくて。いえ、それもごめんなさいなんですけれど」
 つぐみは座り込む自分の前でかしずき、傷を調べているピジョンに言った。
「言い遅れてごめんなさい。あの、助けてくれてありがとうございました」
 そこで驚いた風に顔をあげる青年。まるで想定の範囲外の言葉だったらしい。そんなに薄情な奴に思われていたのだろうか。これでも礼儀はしっかりしているつもりなのだ。助けてくれたらしい匿名希望にも言ったし、それに姉探しを手伝ってくれると言ったあの娘にも……。
「佐藤つぐみさん」
 ピジョンはそれまでと違う少し真剣な眼をしてつぐみを見た。それは、初めて呼ばれた自分の名前だった。
「は……はい」
 ピジョンブラッドは、その赤い瞳をつぐみに向けて、告白する。
「あなたは、突然現れた俺を信頼できないだろう。けれど、俺があなたを助けたのは、ただ純粋にあなたの願いを叶えたいからだ。この町に残ったのも、ただひとえにあなたが来る日を待っていたからだ。それが四年前、俺の最初のご主人様の望みだったからだ。だから、あなたに害を与えるつもりは一切無い」
「よ、四年前? なんでそんな昔に私がここに来るって。一体、どういうことなんですか?」
「今はまだ言えない。けれど、俺は君の敵ではないことは事実だ。無理かも知れないが、そうかすれだけは信じて欲しい」
 信じろと言われても、つぐみはここに来てから信じられないことばかりに遭遇している。この青年の存在自体、今の発言で信じられなくなってきている。このミシマに侵入しようとする前に、つぐみのことを察知していたというのか? 一体誰が? それに、彼は?
 世界が、ぐらりと揺れた。
「ご主人様。信じれなくてもいい。俺は君の望みをかなえるだけだ。だから、言ってくれ。ご主人様の望みは、ただ敵から逃げるだけでも、俺の正体をしることでもないはずだ」

 つぐみの望み。それは、姉に会うこと。姉がここにいるかどうかを確かめること。


 でも、今は違う。その時のつぐみの脳裏には、一人の人間の姿が思い浮かぶ。あの、赤い髪の、刃を携えた少女が。

「ご主人様は今、誰に会いたいんだい。俺は誰を捜せばいい?」
 その質問に、つぐみは反射的に答えた。
「間宮蛍さんに、会いたい」

 『敵』から庇ってくれたあの人に会いたい。

 佐藤つぐみの中に、再び炎が灯った。ピジョンはその変化を見やると口元を綻ばせ、例の台詞を口にした。
「オーケイ、その願い叶えよう」

 そして先程の大型の室外機の陰から、一人の少女が現れた。赤い髪をした、ボーイッシュな風貌の少女。
「な、なんでそんなところにいるのっ?!」
 つぐみの質問にも気だるそうに
「希望がね、多分ここら辺にあなた達が来るから待ち伏せておけって言ったのよ」
 腕に、包帯が巻かれていた。おそらくは、あの後についた傷だろう。
 それにしてもこれは詐欺だ。ピジョンはきっと彼女がここに隠れていることに気付いたのだ。だからここに立ち止まったに違いない。それなのにまるで彼が本当に願いを叶えてくれたみたいだ。これは、偶然に過ぎないのに、偶然なのに。
「間宮さん……」
 眼に涙を蓄えるつぐみに、間宮蛍はぶっきらぼうに
「蛍でいい」
 そう言った。つぐみは続けた。
「私がピジョンさんに抱っこされて口論してるの、知ってて盗み見てたんですね」
「……そっちなわけ」
 少し、拍子抜けした。

 つぐみは立ち上がる。膝が伸びきった瞬間に体が揺れる。
 ピジョンが彼女を支えようとするよりも早く、蛍が彼女に駆け寄り、倒れる前に抱き締めた。眼が合う二人。第一声 
「蛍さん、傷は大丈夫なんですか?」
 次の台詞としてつぐみが選んだのはそれである。
 他にも色々という言葉は準備していた。けれど、蛍の姿を見て、その腕に巻かれている包帯を見た時に、そんな準備はすべて消し飛んでいて、ただ、彼女の怪我を案じた。
 佐藤つぐみは、そういう女である。
 蛍は、眼をそらして、けれど少し微笑んで「平気よ」と答えた。
 つぐみの横に控えていたピジョンブラッドは二人を見比べて、頷き後ずさった。
「ご主人様、俺は向こうの方にいるから、心行くまで話をするといいよ」
「ありがとうございます」
 ピジョンはその感謝の言葉ににこりと笑ってその場から消えた。十メートルほど離れた所にある階段入口の裏。あれだけ離れていれば静かな夜でも会話など聞こえない。

 蛍はそれを確認して、そしてつぐみの横に座った。
「座るわよ」
 座ってから言う。しかしつぐみがそれを拒否するわけもなく、ただ嬉しそうに笑うだけ。
「蛍さん、大丈夫ですか?」
「ああ、この腕? 止血もしたし大丈夫でしょ。それよりあんたこそ大丈夫なの? ついさっき一緒だった時よりも、服の染みが増えてるけれど」
 地面を転げまわった時の砂埃、それに、『敵』にえぐられたもも。
 肉体は傷つけられて、それでもその瞳に宿る光は変わっていない。
 一時間も経っていないはずなのに、半年近く離れ離れになっていたような気分でさえある。
「生きててよかった」
 つぐみは蛍の問いに答えず、言いたいことばかり言う。



 赤い髪の少女は、そんなつぐみの性格を思い出し、溜息をついた。
「ねえ、つぐみ」
「はい?」
 そして蛍は、再び出会ったならば、言おうと決めていたことを口にした。
「聞いてもらいたい話があるの。あなたは聞きたくないかもしれない。私のわがまま……」
「はい」
 それは肯定。
 それを確認して、蛍は切り出した。
「私ね、弟がいたんだ」
 




「私の家族はね、あんまり仲がよくなかったかな。父親がね、結構偉かったらしくて。ほら、あっちの方に大きな煙突あるでしょう。あっこら辺の工場で働いていたみたいなんだけど」
 その煙突というのを、つぐみも知っている。全国規模の製紙会社の工場だったはずだ。ミシマが栄えたのはあの会社が来たからだという話も聞いている。ただ流石にこの間宮蛍がその経営陣に名を連ねる男の娘であることはわからないし、蛍自身もそんなことは知らない。
「結構お金持ちで、家も大きかったかな」
「お嬢様だったんですね」
 そんな風には全然見えない。蛍は、何と言うか、おしとやかと最も離れたところにいる。もちろんつぐみの偏見だけれども。
「私はお嬢様じゃあないよ。父親は私をそういうのにしたかったみたいだけれどね。何なのかな。あいつは自分が中心で動かないと落ち着かなかったのかもしれない。母さんにも私にも弟にも自分の命令通りに生きることを強要してたよ。そのくせ、自分からは関心を示さないんだ。少なくとも私は愛情なんてもらった覚えはないよ」
 今ならわかるけどね。と蛍は続けた。
「それでもその時はそれ以外の父親を知らないんだから、それが普通なんだと思っていた。そうやって命令されて、その通りに生きていれば叱られないし、母さんが怒鳴られることもない。だから、我慢してた。お稽古事に行って、毎日塾と家を往復して、あいつの自慢の娘になることが、普通なんだと思っていた。そうやって、私は小学生の間を過ごしていた。でもね、いつだったかな。私は一度だけ反抗したんだ。すごく、どうでもいいことだったんだ。でも、私は父親に反抗した。すごくどうでもいいことだった。何だったかのかは覚えていないけど、生まれた初めて父親に反抗したんだ」
 その時のことを、蛍はよく覚えていない。けれど、あれだけ子供に冷淡な反応しか示さなかった父親が信じられない程に激昂したのだけは鮮明に覚えている。
「すごく、快感だったんだ。それまで溜まってたものを、全部洗い流した感じ。すっきりしたよ。そりゃその後はとうとうとお説教されたけれど、それで溜まったものもまた吐き出した。そうやって口喧嘩になって、私はぶたれた」
 少し悲しいことなのに、蛍は少し嬉しそうに言っていた。ああいう反応は初めてだったからね。とう付け加える。
「またしばらくして、今度は塾を休んだ。そうしたらあいつ、また怒り出して。そういえばあの時は母さんにも怒られたなあ」
 やっぱり、蛍は少し嬉しそうだった。家族の話をすること自体が、すごく久しぶりなのだ。
 だって、蛍はこのミシマの中に閉じ込められて、五年の月日を過ごしているのだ。ならばその間、ずっと、一人。そこで共にいるはずの家族は……
「ちんけな悪戯ばっかりしたよ。でもあの時はすごく悪いことをしているように思ったんだね。とりあえず、色々した。流石に万引きとかかつあげとかはしなかったけれどさ。うん。ただ、悪いことをしたらあいつは私の方を見て喋ってくれた。だから、かな。私はどんどん問題児になっていった」
 そこでやっと、彼女はつぐみの顔を見た。
「弟がいたんだ。名前は翼。私と顔がそっくりで、年が一緒。二卵性双生児だったんだけどね。今生きていたら中学二年生だよ」
 中学二年生。つまり、つぐみと同い年である。つぐみと同年齢で羽山翼という少年なら……。
「弟は、真面目な子だったし、すごくおとなしい子だったから、父親に反発なんかしないで、素直に育ったよ。優しい子だった。私が父親と喧嘩している時は怖がってるのになんだかんだ言って止めに入ろうとしたし、母さんのことも大事にしていた」
 そうか。
 つぐみはそこで、この目の前の少女と友人の顔がそっくりな理由を知った。
「偶然ですね」
 つぐみはそのことを言いたくて、口を開いた。なんとなく嬉しくて、そのことを告げようと思った。あなたの弟は生きている。と。しかし

 何かが腑に落ちない。


「だから、母さんが羽山の家を出るときも、翼は残った」


「え?!」
 羽山?! それに、家を出る?
「ああ、間宮ってのは母さんの旧姓。五年前に離婚したから」
「離婚……」
「母さんは、私のせいじゃないって言っていたけどね。……その頃には、私はいい加減見切りを付けられた。もう、何をしても避けられるようになっちゃった。だから、私は母さんについていくことにした」

 蛍の顔に翳りがある。つぐみも、やり場を失っていた笑みを慌てて消した。
「偶然だね。本当に偶然」
 つぐみの顔を見ることが出来ず、何もない方向に視線を動かす蛍。
「五年前。母さんに手を引かれて、引越し先のミシマに、私は来た」

 大した荷物は持っていなかったと思う。と言った。蛍は当時十歳にも満たない。家を出てそれから先のことなど何も知らない。けれど母親は何かしらの準備をしていて、どこかへと向かっていたはずなのだ。蛍の手を引いて。
 向かった先が、これから滅びることなど、知るはずもなく。

 その夜、星は地上へと落下した。
「昼だと思ったわ」

 突然、明るくなったらしい。
 何か太陽光のようなものが空に輝かなければ、こうはならない。

「やっぱり子供だからわかってなかったのね。……流れ星かなって思ったの。大きな流れ星が降って来て、明るくなったのかなって……。後はよく覚えていない。気がついたら周りは瓦礫だらけで、炎に包まれてた。母さんは私を抱きしめて震えていた。人がたくさん逃げていて……、あんなに怖かったのは生まれて初めてだった。怖くて、私は母さんの腕の中で震えていた。その内、母さんは私を放して、倒れた。その時やっと母さんが大火傷しているのを知って……なのに、私は倒れた母さんの側で泣いていることしかできなかった」
 その時つぐみは、家族と共にその光景を見ていた。はるか三十七キロ先の幹線道路から。
「初めて父親の助けを願ったよ。嫌いな……ううん。なんとも思っていなかった。無関心だと思っていたあいつが突然現れてお母さんのことを助けてくれないかって、思ってた」
 髪の毛をいじる。
「その時に、髪の毛の色が変わっちゃった。なんでかはわからない。この前会った藪医者は強いストレスがどうのこうの言ってたけれどよくわかんない。なんだか焦げたみたいよね」
 その赤い髪の束が、指の合間から滑り落ちた。

 つぐみは、ただ黙って聞いていた。

「だから、あなたが家族の為にこのミシマにやってきたって聞いた時、すごく、やるせなくなった。……ごめんなさい。ナイフなんかで刺したりして。怖い思いをさせて、本当にごめんなさい」
「もう、いいですよ」
 つぐみはわざとらしいほどにへらへらと笑って、それを許した。

 蛍は、笑い返すことができない。
 話は、まだ続く。
「つぐみ。聞いて欲しい話があるの」



 間宮蛍がこんな話を始めたのは、つぐみがこのビルに降りてくるのを待ち伏せていたのは、このことを言うためであった。
「星が降ってきた夜。私が母さんの横で泣いていた。あのまま私は死んでいた。でも、『その人』が私の前に現れた」






 それは、ちょうど今のつぐみや蛍と同じくらいの年齢の少女だった。
 母親と自分を見ている姿に、蛍は気付いた。
 多くの人々が他人を省みる暇もなく、逃げ惑っていた。
 炎が、迫っている。
 星の光が消えても、炎が空を照らして、昼のような夜が続く。
 そんな中で、彼女は一人、蛍と母親を見下ろしていた。

 どことなく、つまらなそうな眼をしていた。
 それはただ無表情だったからかもしれないし、本当につまらなかったのかもしれない。
 誰もがパニックを起こしているというのに、その人は至って当然の如く、聞いてきた。

『後悔してるの?』
『……え?』

「なんで、その言葉だったんだろうね。大丈夫? とか怪我してない? じゃなかった。後で聞いたら、本当はそういうことを言いたかったのに、その人には、後悔しているのが見得たんだって」
 後悔が見得るという表現が何か辺な気もしたが、そこに違和感を感じた理由は、さほど今は気にならなかった。一体、誰のことを話しているのか、それこそが一番大事である。 

『その人は、お母さん?』
『そうです』
『何かはわからないけれど、お母さんは後悔してるね』
『お母さんが?』


「その人は、どうしてそんなことを言い出したのかはわからないけれど、私にはそれが事実だと思ったわ。それで、その時にやっぱり私のことでお母さんは私を家から連れ出したんだと思った」

『ま、今はそれどころじゃないか』
 あまりに冷静なその人になれてしまっていたが、依然危機はさっていないのだ。
『逃げようか。でもどこに逃げたらいいのかな』
『お母さんが、動かないの』
『だからこそ、その人は後悔してるんだろうね』
『……何を、言ってるの?』
『その人は、もう誰にも謝ることができないから、だからすごく死にたくないって気持ちを残してる。ああ、そっか。それが私には後悔に見得るのか……』
『……何を、言ってるの?』

「本当は、わかってたんだ。母さんが、もう息をしてないの。でも、認められなかった」


『でもここで君が死んだら、お母さんは後悔したまま死ぬことになるよ。それでいいかい?』
 蛍が首を横に振るのを見て、その人は蛍の手を掴み、走り出した。
 共に逃げようという意味。
 その手をにひきつけられるように、間宮蛍(当時の名は羽山蛍)は駆け出した。

「私は逃げたわ。その人と一緒に、火の手の届かないところまで。河原まで来て、他の逃げてきた人達と一緒に、町が炎に包まれるのを見ていた。もう、隣にいないけれど、私はそれでも母さんの名を呼んで、泣いていた」
 泣き叫んだ。何がいけなかったと言うのだろう。こんなことにならなければならない理由など、あっただろうか。何で、何で今夜なのだ。何で、何で母さんなのだ。
 
 もし罰せられるなら、それは私ではないのか?
 散々家族に迷惑をかけてきた、私こそが死ぬべきではないのか?
 もっと早く、こうなる前に、家族が一緒だったときに、どうして。

 何で、後悔する前に、

 泣き叫んだ。
 だから、忘れていた。あの人が、自分と母を見て、そして空を見て、何か違うものを見て、
『こんちくしょう。何で、何で今夜なんだよう』
 その人の呟きを、思い出した。

「何か話をしたけれど、よく覚えていない。次の朝には、もうその人の姿はどこにもなかった。お母さんの亡骸は探したけれどどこにもなくなっていた。誰かが亡くなった人の墓を作ったって話も聞いた。それから私は、同じように家族を亡くした子達と、一緒に暮らしていた。生きるのに忙しくて、ずっと忘れていた」
 
「でも、ある日聞いたわ。深夜、弱い人の為に敵と戦う女の人の話。自分のことを『遊び人』と名乗る、とても、とても綺麗な人」



 そこで一息ついた。
 つぐみは考える。蛍は、何故そんな昔話をするのだろう。その人。蛍を助けて、町にいた、その人の話が、一体何の結論につながるのか?
「弟がいたの。私はいつか、弟にもう一度会うわ。父親に会うわ。そして会って、謝りたい。でも、まだ会えない会わす顔がないよ。私には、ここで会わなくちゃいけない人がいるから」
「その人に、また会えたんですか?」
 蛍は、頷いた。
「四年前。敵の大群が現れて、ミシマの生き残りの数が、半分に減る事件が起きた」






『て、敵だあ』
『逃げろ。屋内に、狭いところに逃げ込め』
『きゃあああああああ』
『誰か、手を貸してくれ』
『娘が、娘が』
『くそ、警察はどうしたんだよ』
『なんで、なんで、何でこんな目に』
『もう三匹くるぞー』
『弾はないか!』


 ぐぎゃあ


『ホタリン、ここに隠れてるんだよ』
 一人にしないで
『ごめんね、もう少し奴らと戦ってくるよ』
 駄目だよ××さん死んじゃうよ
『大丈夫。こう見えても結構タフなキャラクターで売ってんだから』
 ――さん
『もう少し、一緒にいたかったなあ』
 ――みさん
『蓋を閉めるから、百くらい数えたら出ておいで』
 ――ぐみさん
「ったく、こんちくしょーって感じだよね」




 

「その人は、私のことを覚えていてくれて、私をゴミ箱の中に隠して、逃げる人達を助けに行ったわ。それから」




 もう、二度と見ていないらしい。

「その後、匿名希望に保護されて、私はしばらく過ごした。五味と言永と出会ったのはその時。あの二人も、その人に助けられたクチだったみたいね。きっと、ミシマの外にいるという妹さんと、私達を重ねていたんだと思う」
「その人は」

「その人の名前は?」

 つぐみは、自分の声が震えているのを知った。

 蛍は、ただ自分の生い立ちを言いたくて、喋っていたのではない。この、『その人』のことを言いたいのだ。

 蛍は、つぐみの目を見て、

「その人は言っていた。町の外に、その人は家族がいるって。自分一人が留守番をしていて、ミシマの中で、もう家族に会うことなんてできない。って言っていた。そして、その妹の名を一度だけ教えてくれた。それが」

 蛍は、つぐみの両肩を掴んで、しっかりと名を呼んだ。
「佐藤つぐみ」
「はい」

「あなたのお姉さんは、私とお母さんを助けてくれた。ありがとうって言いたかった。だから、あなたはきっとお姉さんに会って」
「お姉ちゃんは、お姉ちゃんは生きている……の……?」
「四年前、私はめぐみさんと離れ離れになった。それから何度か町中を探して回った。けれど、結局見つけることはできなかった」


 蛍は、つぐみと眼を合わせたまま、自分に言い聞かせるように
「でも、あの人は生きている。だって、言っていたもの」



『まだ、死んでたまるかこんちくしょう。私は、もう一度つぐみに会うんだ』

「私は、まだ会うことができない。でも、生きているって信じている。きっとあなただったら……つぐみ?」
 つぐみは、顔を下げたまま、震えている。震えて、呟く。
「こんちくしょう……。会いたいよう」


 蛍は、嗚咽を漏らすつぐみを抱きしめた。





















 二人を見る影が二つ。

 一つは赤いバンダナを巻いた金髪の女性。
 もう一つは、赤い瞳をした青年。
 二人は向かい合っていた。
「ピジョンブラッドと言ったな」
「そう、はじめまして、匿名希望さん」
「ああ、はじめまして。そして質問だ。貴様、何者だ。佐藤を、どうする気だ」
「どうするも何も、彼女は俺のご主人様さ。一度主従の誓いを立てたのだから、彼女が願いを叶えるのを手伝うまでさ」
「この町にいる遊び人も国家権力も、どうしてもわからないことがいくつかある。佐藤めぐみの行方は、その筆頭に当たる最大級の謎だ。お前は、それを解決できるのか?」
「さすがに俺も、あの人の居場所はわからない。けれどやるだけの意義と物語はあるんだよね」
「お前は、どこまで知っている」
「何も知らないよ。ただ、もうすぐ日が昇ることは確かだね」

 どこかつまらなそうな視線と、自信にあふれた紅石色の眼球は、いつまでもお互いを見詰め合っていた。




 


 夜明けまで、あと三時間。


26 :akiyuki :2007/07/23(月) 23:24:33 ID:VJsFrmQG

かくして夜の帳と幕は上がり


『青服』は偶院隊を含めて全部で八隊存在する。八人の隊長の下に数名の隊員がつき任務にあたる。平均年齢は若く、行動を共にすることの多い自衛隊や境界警備員にもその正体を知る者はいない。
 ミシマに関わる者は決して口外してはならない秘密。
 『敵』『ミシマの生き残り』、そして『青服』
 正体不明の彼らに対する憶測は関係者の中で広がり、その管轄外の能力、権限を行使する若者達は忌み嫌われていた。中には、国家権力を持つ者が身寄りの無い子供達に特殊訓練を施し、戦闘部隊に仕立て上げている。ミシマはその彼らの訓練所なのでは? という噂さえある。

 拳銃を所持し『敵』と戦う『国家権力』を名乗る者は、総勢四十名を越える。
 
 その全員が、元々ミシマに住んでいた若者であるという事実を知る者は限りなく少ない。
 

 午前四時。
 ミシマの外。
 終わらされた町を取り囲む白い壁の、外側に建てられた仮設キャンプ。その脇には装甲車が一台止まっている。そして機関銃を担いだ迷彩服の男が二人、キャンプを護衛するように立ち尽くしていた。
 彼らが守っているのは、背後にあるテント。その中にいる、任務を終え帰還した六人の男女。
 入口を守るように佇む迷彩服の男二人。しかし、一体彼らは誰から身を守ろうと言うのか。
 本来なら、護衛する必要は無い。彼らの敵対するものは『敵』であり、『敵』は決して、『壁』を越えることはできない。それにこの辺りは一般人は近付くことなどできるはずもない。
 誰一人としてだ。(ただ、つい昨晩中学生のカップルが近付き、あまつさえ一人はこの壁を越えてしまったのだが)

 だから、彼らの仕事は見張りである。ミシマから戻ってきた、彼ら青服の。
「嫌な気分ね」
 嫌でも見える、入り口の男達の『敵意』に、テントの中で虚海利奈は一人ごちた。今は、制服である青いジャンパーを脱ぎ去り、ミニスカートとチューブトップだけの露出の激しい姿である。その肌は健康加減を通り越した作り物めいた白さを持っている。国家権力に所属する女性隊員は普通、黒いアンダーシャツを着る。しかし利奈だけはその白い肌を曝け出す。
 ミシマの中でも数少ない、外見に異形の現れた女である利奈はその外見も武器としてい使っている。自分はただの女の子ではないということを示すために。
 威圧感を与える為に、異形の純白を見せ付ける。人々を律するために存在する者の武器として、外見を使う。その効果は抜群に存在した。元々利奈は元『遊び人』でありながらミシマの外側についた裏切り者として名を上げていたが、さらに国家権力で最も有名な女となり、多くの者を圧倒してきた。
 それはミシマ内部の人間だけでなく味方にも恐怖を与えた。
 白髪に白肌。敵意を見るという超能力(?)。そして『敵』を倒すことができるルールを知る者。
 自衛隊の面々、代議士、それに同じ国家権力の人間も彼女のことを畏怖し、噂し、軽蔑している。
 キャンプの前に立つ二人の自衛隊員も門から帰ってきた利奈を見て何やらと話をしていた。どうせまた自分の噂をしていると思い無視していたが、それでも彼女とて年頃の娘であり、傷つくこともある。
 本当は、辛い。

 ……なんだ、よくよく考えれば自分も同じ様なことをしているではないか。
 ミシマの中に住む人間達を、取締り外部に逃げ出さないように封じ込めている。銃と威圧感を持って歩き回り見張っている。変な動きを見せないように、おとなしく政府の言うことをきかせるために。そうすることが、ミシマのためになると信じながら。
「りっちゃん、大丈夫?」
 自分がどんな顔をしておたのかわからないが、優れた顔をしていなかったのだろう。同じ部隊の安東が、声をかけてくれた。
「ええ、ちょっと疲れたけど、大丈夫です」
 頑張って、微笑んだつもりだったが笑えなかった。
 安藤はその顔にどこか陰のある笑みを返してくれた。
 ここには、敵意はない。それが心地よかった。

 あの日、星が落ちてから、逃げ惑い、閉じ込められ、色々なものを奪われたと思う。それでも、死ぬのは嫌で、生きることを辞めなかった。
 そして、自分の眼がおかしくなっていることを知る。自分から何かを奪おうとする者や傷つけようとする者の周りを包み込む変な色。
 世界は敵意に満ちていた。
 それが見得る人間は敵なのだと悟り、抗い逃げた。武器を持った奴は敵。こちらをじろじろと見ている奴も敵。目がぎらついている奴も敵。近付く奴は敵。目に映る奴はすべて敵。死んだ奴だけが、敵じゃない。死ねば、誰も敵じゃなくなる。

 いつの間にか、利奈の髪の毛は白く染まっていた。その肌も、まるで作り物めいてきた。何故かは不明である。研究所では敵意という常人の感知しないストレスを浴び続けることによる肉体の変化とも、星の光に混じっていた放射線を大量に浴びたことによる細胞の変異とも言われてきたが、本当のところはわからないし、それは利奈も今更知ろうとも思わない。
 ただ、その白い肌は目印となり、敵は誰もよってこなくなった。
 そして、もう誰もいなくなった。
 利奈はすさみきっていた。味方はいない。
 信じたら、『敵意』に殺されてしまう。



 その頃、彼女は現れた。
『ああ、君は後悔の塊だね。だから自分が笑って生きることを許せないでいる』
 暗闇でうずくまっていた自分に、その人は声をかけてきた。
 黒いセミロングの髪。どこから拾ってきたのか男性物のパーカー。そして右耳に赤い宝石のような石のついたイヤリング。
 三島市がミシマになってから半年。
 初めて自分の前に現れたその人は、出会って突然に、手を差し伸べた。人と話したのは一週間ぶりで、言葉が出てこない。
『聞いてるよ、この辺で一番のワルらしいね。しかも、変な力があるって言うじゃない』
「あなた、誰?」
 その人はにっこりと笑った。爽やかな笑みを、久しぶりに見た。その笑顔は、利奈の心にある敵意を、薙ぎ払ってしまった。
『私かい? ……そうだね、暇人……旅人……。うーん。あ、そうだ。いい言葉思いついたよ』
 彼女は

『私はね、こんな町をぶらぶら歩き回って新しい友達探してる遊び人さ』

 そう名乗り、利奈の前にいた。
 そう、敵意なんてまったく感じさせずに、目の前。


 その人が集めたという『友達』に出会った。
 自分よりも年上なくせにいつも泣いてばかりいる黒髪の綺麗だった女の子。彼女は『軌跡』が見得ると言っていた。
 それに、『運命』が見得るという目つきの悪い大柄の男。『空隙』が見得るという黒尽くめの服を着た男。『友愛』が見得るスキンヘッドの女。

 全員が全員、見得ない物を視るという症状を抱えていた。
 それゆえ他人と馴染めないでいる彼らは、その人の作った居場所に集まった。『遊び人』の仲間達。ゆえにその集合に属していた者達も『遊び人』と総称された。
 どん底から引き上げてくれた、その人の名は聞いた事が無い。ただ周りから呼ばれていたあだ名だけを知っていた。
『そだねー、周りはメグミンって呼んでるよ、リナッピ』
 その呼び方はやめて欲しかった。
 集まって、何かをしたわけではない。ただ、適当に遊んで暮らしていた。
 ただ、そうしている時だけ、自分も笑えそうな気がして、その人について回って暮らしていた。
『敵』の出現する夜。無法の集落。半壊した教会に住む修道女。それに死体。
 様々な危険をかいくぐった。その人が何故それほど危険に首を突っ込もうとするのかはわからない。けれど、その人となら、その人と一緒なら自分も笑顔でいられるかもしれない。

 それが『遊び人』達の望みになった。 


 そして四年前、星降る夜から一年後。
 それまで、かすかに目撃されていた程度の『敵』が、大群でミシマに現れ、本格的に人を襲い始めた。
 いまだ『国家権力』すら発足しておらず自分で身を守るしかない世界。
 それに立ち向かったのは、自警団的な活動をしていたその人と十三人の遊び人。

 
 その戦いでその人は行方不明となり、遊び人達は散り散りになった。


 それからどうなっただろう。よく覚えていない。
 その人という、「つなぎ」のおかげで町に馴染めていた利奈達は再び自暴自棄な生活に戻っていった。
 もうここは自分のいる場所ではない。

 もう、笑えない。


 その頃、ミシマの門が開き外から人が入ってきたという話を聞いた。
 その人間たちは、揃いの青い制服を着ているというのも、聞いた。
 利奈には、どうでもよかった。






 そして、偶院友に出会った。






「いやー、参った参った」
 テントの中に、脳天気な声が響く。
 利奈を含む五人はそちらを向くと、男が一人テントの中に入ってきた。黒いアンダーシャツに青いズボン。両手に白い絹の手袋を嵌めている、几帳面そうな青年。
 偶院隊々長 偶院友。
袖の下から腕に包帯が巻かれていることがわかる。数時間前の戦闘による負傷だ。
 彼の手には書類が握られており、それを見て苦笑いをしながら利奈の元に歩み寄る。
「いやね、上層部から電話でこってり絞られたよ」
「申し訳ありません」
「いや、別にりっちゃんのせいだとは思っていないよ。そういうこともあるって」
 自分たちの今夜の任務はミシマの外の人間でありながら壁を乗り越えて(手段はまだ判明していない)きた女子中学生佐藤つぐみを捕まえることである。
 偶院隊は、その任務を見事に失敗したことになる。
「友、どうするんだ?」
 隊長が来たことで口喧嘩をやめたらしい鹿島が、聞いた。どうも二人は五年前同じクラスだったらしく口調が軽い。友の方も、いつものような軽口で、軽く答えた。

「とりあえず、明日りっちゃんを連れてミシマに入るよ」

「さらりと言いますね」
 利奈は呆れたように応える。元々そのつもりではあった。事態は緊急である。すぐにでも態勢を整えて出撃する必要はあった。
 だが、『国家権力』いくらその力があろうとも、それを行使するには様々な手続きをパスする必要がある。ミシマの門を開けるだけで三種類の申請が必要で、その他にも捜査、逮捕、交戦、それぞれに手続きが居る。それだけで一日は使ってしまうものだ。
「ああ、そこら辺の手続きはたった今済ませたよ。これでりっちゃんは銃器の携帯、魔眼の開放、四十八時間に渡ってすべての権限の行使を認められる」
「……早いですね」
「まあ、そういうのが俺の仕事だから」
 自分たちが帰ってきてから、まだ三時間も経っていないはずだ。その間に次の手を打っているこの男に、改めて畏敬の念を持つが、それを表には出さない。
「……で、今言いましたよね。『りっちゃんは』って。……他のみなさんは?」
 すると、苦い顔になる。
「それが、緊急だからね、今回許可が降りたのは俺とりっちゃんだけなんだ」
 まあ、そんなものだろう。利奈も納得しながら文句を垂れた。
「まったく。だから詰めが甘いとか言われるんですよ。それで……出撃はいつですか?」
「今より六時間後の午前十一時。食料配給のトラックと共に中に乗り込む」
「わかりました。じゃあ私は寝ます。どこか仮眠の取れるところはありませんか? なければ外で寝ますけど」
「表の門番が怖がるよ」
「いいじゃん、あんなのほっとけば」
 思わず素が出た。
 そんな二人のやりとりを聞いていた安藤が恐る恐る声をかける。
「あの、りっちゃん? 隊長? 私達が、ここ出ますから休憩に使ってください」
 そう言うと安藤達は立ち上がり外に出て行く。どうする気なのだろうかと利奈は気になったが、多分その足で訓練所へと帰るのだろう。
 そうでなければ一緒にここで仮眠を取ればいいのだから……。

 テントの中には、利奈と友の二人。そこで気付く。
 ……、ああそうか。気を使ってくれたのか。
 急に上着が欲しくなった。
「ねえ、りっちゃん」
 友が椅子に座り名を呼んだ。
「はい、なんでしょうか」
「コーヒー入れてくんない?」
「さっさと寝ろよ」
「いや、だから上官に対する口答えというものが……。俺はまだ仕事が残ってるんだ」
「……今淹れます」
 確か、バッグの中に持ってきたインスタントコーヒーが……。
「りっちゃんさ……青服になって、よかった?」
 背を向けた途端に、そういう声がかかった。利奈は、いつも通りに受け答えする。
「はい」
「俺は『遊び人』だった頃の君を知らないけれど、悪い子じゃなかったのはわかる。君の仲間も、きっと悪人じゃないよね。少なくとも俺の知る匿名希望は、人が傷つくのを何よりも嫌った」
「はい。そんな人でした」
「なら……、君はこんな憎まれ仕事よりも、内側で人を守る為に力を発揮したっていいんだよ?」
「隊長無駄です、もっと建設的な話をしましょう」
 一蹴されたことに少し驚いて……友は少し考えた。
「ミシマの中にいたころ、君を助けた女は知っているね」
「……めぐみさん、ですね」
「佐藤つぐみがその妹であることも、知っているね」
「はい、予想はしていました。顔は、全然似て無かったけれど、雰囲気がどことなく……」
「では、ミシマの現在の状況に佐藤めぐみが大きく関与していることは知ってるね」
「はい、私も当事者でしたから」
「だったら、佐藤つぐみが来たことには大きな意味があることもわかるね」
「はい。あの人は生前仰っていました。妹に会いたい。必ず会う。その時まで死ねるかこんちくしょう。と」
「そう、必ず会うと言っていた。だから、どうあるにしてもきっと彼女は妹にメッセージを残しているはずなんだ。この町の根源に関わる、大事なメッセージを」
「そうですか。例えば何です?」
「俺は、それは敵の正体ではないかと睨んでいる」
 インスタントコーヒーの素が見つかった。そうだ、友は甘党で砂糖をたんまり入れる。だったらコーヒー飲むなよと思うが、それはまた次の機会に文句を言うことにする。
「飛躍しすぎでは?」
「では何故めぐみは魔眼を持つ者を集めて「敵」と戦ったのだろう」
「……あの人は、正義感が強い人でしたから」
「それだけだろうか」
「それだけですよ。隊長だってミシマにいた時にはめぐみさんと会ったことあるのでしょう? あの人は、そういう人でした」
「過去形だね」
「あれだけ探し回っていなかったんです。死んでますよ。もし生きていたなら、私や他の子供達を、今まで放っておくはずがありませんもの」

 沈黙。

「俺もね、めぐみさんに助けてもらったことがあるんだ」
「そうだったんですか」
「その時に、こちら側に、青服になることを決めた」
 内側から武力を以ってしても何も変えられない。
 だから、外側から権力を以ってして、このミシマを開放するために戦う。
「回りくどいけれど、俺はそれが一番だと思っている」
「そうですか」
「四年経つけど、何も変えられないでいる。その内、ここは忘れられてしまうんじゃないかって、少し怖い」
「私達がいる限り、絶対にそんなことにさせません」
「……だね」
 お、砂糖が出てきた。確か水筒にお湯を入れてきていたから……。カップがないな。
「ごめんね、なんか、俺の愚痴になっちゃった」
「……隊長の好きにしてください」
 カップが出てきた。
「昔言った通りです。私の居場所はもうあなたの隣しかありません。あなたの望むことが私の望むこと。ただ命令すればいいですから」

 そう、それだけが利奈の望み

「私が、あなたの拳になります」

 利奈はゆっくりとコーヒーを二杯入れた。
「二つ?」
「私も飲むんです」
「ありがとう、りっちゃん」

 友はそれを受け取りながら、ふと思い出した。






 匿名希望は、どうしているのだろう。














 つまらない。

 すべてをそう思うことにした。
 絶望を捨てる為に、希望も捨てた。
 自分はもう、何者でもない。
 この町に生き、この町に生きる人々と共に死のう。『敵』と戦い、いつか喰われよう。
 だから、遊び人になった。
 星の降った町ミシマ。星降る夜より数日後。
 『敵』が初めて現れた夜。希望は人生を諦めた。
 諦めたのだ。
 だから、彼女はここに残った。
 そして希望は戦った。『敵』と、そして悪と。
 いつの間にか、彼女の住む辺りは、比較的治安のよい場所となった。
 いつの間にか、彼女の周りには人々が集まってきた。
 そうして、少しずつ人々の心の中に『希望』が戻り始めていた。


 でも、彼女は本当は心の中で思う。
「希望なんて持ったって、苦しいだけじゃないか」
 なのに、彼女は必死になって人の為に動く。
 走る。走る。走って、泣く。
 匿名希望。トクナノゾミ。あの時、あの人が付けてくれた名前。
 希望は捨てたはずなのに。
 その名だけは捨てられずにいた。
 本当は、誰よりも『希望』にしがみついていた。

 午前五時。
 匿名希望は煙草を吸っていた。タンクトップにジーンズ。その時は、トレードマークのバンダナをしていない。
 子供達の前では見せないが、希望はこの煙が好きである。支援物資にも煙草なぞ入っているはずもなく、限られた貴重な品で希望の数少ない趣味である。
 ここは希望がねぐらにしている廃屋の一室。二十四時間前、つぐみを保護し寝かしつけた部屋である。そして、今もまたそのボロ布団には少女が一人。
「ん……」
 少女は体を揺する。どうやら目覚めたらしい。
「……あれ?」
 少女は匿名希望を見て、不思議そうな顔をした。
「私、どうして」
「あの後お前は意識をなくしてな。私のねぐらに運んだ」
「そっか……運んでくれたんだ」
「おかげで公園に屋台を置いてきてしまった。やれやれ、明日取りに行かなければ」
「あ……、煙草」
「いいだろう? お前の前なら」
 希望は口から白い煙を吐き出した。
 少女の口からも白い吐息。
「寒いか?」
「ううん」
 少女は首を横に振る。

 希望はふと思い出して腰のベルトに差していた二丁の拳銃を抜き、柱の穴の中に隠した。
「もう、こんな物使いたくはなかったのだがな」
「それでも」 
「ああ、残していた。使う日はきっと来るから」
「そんなことを青服に見つかったら」
「捕まるだろうな」
「それでも」
「ああ、それでも私はこの武器を捨てることができないでいる。これにすがることで、自分の強さを維持できる」
 愚かな女だ。そう言ってから、希望は口を閉ざした。

 少女は、薄暗闇の中、顔を下に向ける彼女に声をかけた。
「ねえ、希望」
「なんだ、蛍」
 布に包まれ横になっていた赤髪の少女は、希望の顔を覗き込む。
「どうして、希望は強いの?」
 希望は、そこでどうにもひきつった顔になる。
「私が、強い?」
「うん。ただ力が強いとか、銃が使えるとかじゃなくて、うん。希望はどうしてそんなに心が強いの?」
「私が、強い?」
 思ってもみなかった。そういう風な顔をした、ように見えた。
「強いわけ、ないだろう。私が強ければもっと」
「だって、あなたは諦めないじゃない」
「違う、私は諦めたのだ。生きることも、何もかも」
「ううん、少しも諦めてないじゃない。私のことずっと探してくれた。守ってくれた」
「それとは違う。私は、自分自身のことを諦めている。だから、生きるということに関して他人より劣っているよ。間違いなく」
「生きるってことがどういうことかわからない。けれど、希望がそれを諦めては見えないよ。だって、あなたのお陰で私……」

「それは、つぐみのお陰だ」

 希望は組んでいた足をほぐした。
「もしそういう風に見えるのなら、あの娘の笑顔が私を動かしたに過ぎない。蛍、今お前が心を動かされたとしたら、それはあの娘の笑顔を見たからだ」
「つぐみ……」
 蛍はそこで思い出す。そうだ、あの時、意識を失う前に自分はあの子と一緒にいた。
「つぐみは、どこに?」
「あの娘は、隣の部屋で寝ている」
「一人で?! ……。そっか。もう一人じゃないんだね」
「らしいな。先ほどからあの男が護衛に立っている。何も動く『軌跡』は見えないから無事だろう」
 ピジョンブラッド。蛍も噂には聞いていた。国家権力や遊び人と向こうをはれる何かをもった少年。それが、今は佐藤つぐみの味方をしている。
「……あの子、怪我は大丈夫だった?」
「あまり大丈夫とは言えないが、手当てはした。ほら、お前も知っているだろう。私の屋台の常連の爺さん。あの男は元々医者でな、さっき叩き起こして連れてきた。お前の怪我も診て貰っているぞ」
 あの老人か。そういえば、昔自分も世話になった。(今もだが)確かに、自分の体には包帯やら何やらが巻かれている。薬などはどうしたのだろう。
「済まないな、包帯が足りなくて」
 そんな言葉をかけられて自分の姿を見直す。よく見ると、包帯のほかにも色とりどりの布が巻かれている。見たことがある。希望のバンダナコレクションにも、こんな色があった。
「希望、これあなたの……」
 つまらなそうな眼をした女は、何も言わなかった。
 話題を、変える。
「希望……。めぐみさん、生きているのかな」
「わからん」
「ねえ、希望はどうやってめぐみさんと出会ったの?」
 少しの沈黙があった後、語り始めた。
「その頃は私もまだ染めていなかった」
「あ、やっぱその髪染色してるの?」
「私の地毛を知っている人間はミシマにはもういないからな」
「……」
「あの時は、中学生だった。どうしようもなく泣き虫で、いつもグズだのノロマだのと苛められていた……。ん、どうした?」
「いえちょっと意外」
「……私の母は中学の教師でな、だから私のことを鍛えようとした。教師の子供が不登校なんて話にならないからな。でも、私は母の望むようにはなれなくて、その時に私は諦めた」
 あの頃から、諦めていたのだな。
「何を諦めたの?」
「幸せをだ」
 沈黙。
「母は私を好いてはくれないことがわかったから」

「だから、星が降っても私は別に辛くもなかった。最初から諦めていたのだから。でも、彼女は諦めてくれなかった」

 やはり、皆と同じである。
 やりきれなくて、地面に座り込んでいた自分の前に現れた。配給でもらってきた乾パンを分けてくれた。一時間ほど一緒に座っていた。
『君、名前は? あり? 黙秘? まあいいや。じゃあ匿名希望さんってことで』
 その後も、しつこく話しかけられたが、決して応えなかった。応えたくなかった。
 諦めたのだから。なのに、彼女はしつこく、何度も話しかけて、だから応えた。
「私に構わないで。そう言った。嫌われたくて、きつい言い方をした。なのにあの人はいきなり言うんだ」

『困ったなあ。困ったよ。そういう君のもう一度笑うところをが見れないと、私幸せでいられなくなっちゃたよ』


「何も知らないくせに。私の笑ったところなんて見たことないくせに」
 そして、希望は匿名希望(とくなのぞみ)を名乗り始めた。
「私はあの人のようになりたくて、お前たちを保護した。けれど、あの人のようにはなれなくて、何人も死なせてしまった。気がついたら、笑えなくなっていた。笑顔を、子供達にあげられなくなった。そんな私のことなんか褒めないでくれ」
 それで、話は終わり。希望は煙草を呑み始めた。

 希望が自身を責め立てて四年。
 蛍はそれまでの希望の気持ちを想像した。
 そして、今まで一度も言えなかったことを、言うことにした。 
「ねえ、希望」
「お話は終わりだ。もう寝ろ」
「お願い、一つだけ聞かせて」
「……なんだ?」
「あのね、希望は……私といて楽しかった?」
「……」
「私ね、めぐみさんに会えたとき、嬉しかった。でもね、希望が助けてくれたこと、もっと嬉しかった。一緒に生活できて、本当に楽しかった。でもね、希望が私達のために戦ってくれて、守ってくれて、それで傷ついて……。私このままじゃいけないって思った。めぐみさんがそうしたように、あなたがそうした様に、私もみんなを守れる女になりたかったの。だからあなたの元から離れたの。これは希望が弱いから出て行ったんじゃないよ……。私は、本当なら一緒にいたかった」
「……」
「だから、だから希望」
「もう寝ろ」
「お願い、もう一度、ここにいさせて」
 希望は答えない。ただ、口に加えられた煙草の炎だけが、暗がりに動揺するように震えているのが見えた。
「なんで……」
 希望は、誰にともなく言う。
「なんで、みんな諦めさせてくれないんだ」
 誰も、答えない。
 蛍は、静かに寝ることにした。
 まどろみの中で、もう、記憶にかすかに存在する弟のことを思い出していた。







 翼……。













 羽山翼は、その晩眠れずにいた。
 思い出すのは、あの少女のこと。
 自分と同じ様に、家族をミシマで亡くしたという同級生。
 一方的にだったが、繋がりを感じていた。
 この人なら、自分の気持ちを理解してくれる。双子の妹(本人は翼のことを弟と言っていた)と母親をなくした気持ちを、彼女ならわかってくれる気がしていた。
 そしてある日の夕方呼び出され、頼みごとをされた。ミシマの見えるところまで連れて行って欲しいと言う。
 本来ならばミシマ周辺は立ち入り禁止区域となっていて近付くことすら許されないが、この辺り一帯に影響力を持つ製紙会社の重役の息子である彼ならばぎりぎりまで近付くことが許された。(家族をそこで亡くしているということも聞いて情にほだされた警備員が肉眼で観察できるところまで近付かせてくれた)
 
 人の目が途絶えた瞬間、つぐみは走り出した。
 慌てて追いかける翼。
 そして、追いついたときには、ミシマをぐるりと囲い込む『壁』の前にまで来た。
「駄目だよ佐藤さん、こんなに近付いちゃ」
「だって、近付かないと中に入れないもん」
「……中?」
 耳を疑った。
「佐藤さん……何をする気なの?」
「私、確かめてくるね」
「何をですか?!」
「お姉ちゃんが、本当に死んでいるのかどうか」
 その言葉に、翼はぐらりと揺れた。
 自分は、一度も考えなかった。
 妹と母親が死んだと聞かされて、少しも疑わなかった。そういうものなのだと理解し、ただ泣いただけだった。
 彼女のように、反抗することなんて、思いもしなかった。
 彼女の言葉は、翼にも衝動が沸いてくる。
 妹が……蛍が生きているかもしれない?
 だから、翼はつぐみに手を貸した。
 もしかしたら、彼女は探し当ててくれるかもしれない。
 
 妹を……。


 けれど、少女を一人不明の地に送りやったことは果たして正しかったのだろうか。
 あの青い服をきた男女、そして先生とのやりとり。翼の中には後悔が渦巻き始めている。
「佐藤さん……。ごめん。……どうか、無事に帰ってきて」
 翼は、眠れずにいた。











 同時刻
「ぐがーすかぴー」
「俺の御主人様は随分と豪快な寝息をたてるねえ」
 ピジョンブラッドは、佐藤つぐみに膝枕をしながら、空を見上げていた。

 もうすぐ、日が昇る。


                            一日目・終了


27 :akiyuki :2007/07/23(月) 23:40:21 ID:VJsFrmQG

あとがき



 このお話を作り出したのは、僕がまだ大学一回生の頃。
 当時結成されようとしていた創作系サークルにおいて盟友異龍闇氏が『絵師と文章書きをコラボさせよう』という企画を立ち上げられた時のこと。
 今はすっかりお会いする機会もなくなってしまった絵師『間宮蛍』様がアップしてくださった一枚のイラスト。
 それを見たとき僕の中にミシマとピジョンブラッドが誕生しました。

 あの時のグループはもう色あせてしまったけれど、この作品が出来上がったら、その集まりも無駄ではなかったという証明になるんじゃないかなと思ったり思わなかったりしながら、ピジョンブラッドは2日目に突入します。
 
 足掛け四年。
 なんとか一日目が終了。
 つぐみとピジョンの冒険がやっと始まるわけです。
 姉佐藤めぐみを見つける為、張るだけ張った伏線を回収するため、彼女達の冒険をもう少し見守ってやってください。



 それではまたまた。




                akiyuki


    


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
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