■Baletto■


1 :華雫 :2007/02/10(土) 22:34:16 ID:kmnkzJte





 <彼の人の子守歌>



 山茶花 山茶花 紅差したまへ

 春夏過ぎて 木枯らし木枯らし

 山茶花 山茶花 首落ちえ

 白・紅落ちえ 川流れ

 秋冬過ぎて 桜の前にて 朽ちんとす

 山茶花 山茶花 啼け啼け 唄え





 −−−−−


 話の中に、一部グロテスクな表現が含まれる場合があります。(シリアス街道まっしぐらな作品にはならない予定ですが)。

 任意の上で、苦手という方には自重願います。華雫は責任を追いかねます。
 話の流れ上、やむを得ず場面・感情描写で書いてしまうときに限りますので、ご了承ください。

 繰り返しますが、シリアス路線一直線になるつもりはありません。


2 :華雫 :2007/02/11(日) 00:38:19 ID:kmnkzJte

<壱> 女郎化け −ジョロウバケ−




 夜のほうが明るい町、というところがある。
 ある人は遊里と言い、ある人は色町という。
 又あるときには、『浮世の憂さを晴らす場所』と呼ばれているのかもしれない。



 電光のまぶしいその町は、古風な佇まいの水商売の店が並ぶ。
 機械と木の組み合わせは一見不似合いだが、電光の成す鮮やかな色合いが全てを包み込む為に、夜に限ってはそう異様でもないらしい。


 数多とある通りの中でも、一際人通りの多い街道に、風が吹き込んだ。
 花柳姿の色女。
 けれど、客引きも声かけもしない彼女は、まさしく颯爽と吹き抜ける春の風だった。

 すれ違う男衆の熱のこもった視線は無視。 たまらず彼女の前に出て声をかけようとする男も、様々な思いで近づく同業の女郎たちも、彼女の足一つ止めることは叶わなかった。

 その見目と化粧からは想像もしなかった、無邪気な笑顔が息を止めたのだ。

 彼女は何も言わず、立ちふさがったうえに人の多さで歩きにくいこの通りを、滑らかに難なく歩いて行ってしまった。
 振り返ったころには、立ちはだかったはずの男や女郎たちのほうが、人の波に飲み込まれていた。


 彼女はその艶やかな着物の下に、白いうなじを、細い肩の半分を、引き締まった足を、綺麗にそろえられた爪を出していた。
 香水を振りまくほかの女郎よりは、露出が少ない。
 それは着物の下に黒いインナーを着ているからだ。胸の谷間を見せず、その下の又を隠していた。

 それでも漂わせる色香は、この盛んな街でも目を引いた。彼女の滑らかな身のこなしかが、血の気をしっかり保った頬が、何より美しく整った顔立ちが、露出度以前に他の女郎たちを上回っていた。――いや、上回ると言うよりは、言い意味で異質なのだ。


 また挑戦者が現れる。
 やはり彼女は何も言わずに、通り過ぎる。
 さらに回り込まれると、凛とした気からふわりと笑顔が生まれた。
 手で男の方だを除けるように押し出して、それでも滑らかに、彼女は立ち去っていく。
 撃沈の男は、唖然と背後を振り返るが―――やはり彼女の姿は、すでに無い。



 電光板の輝く軒並みの裏は、打って変わって薄暗い。

 ゴミアサリのスラム街住民が、野犬のように暮らすその一角には一人の男が立っていた。しっかりとした服装が、この世では高級品の眼鏡をすかして見える鋭い目が、腰に携えた刀が、明らかに場違いだった。

 男は目を閉じていたが、ふと空気の流れの異常を感じて瞼を上げた。
 眼鏡を押してかけ直すと、横目で大通りを見ていた。

 予想通りの姿が、そこに現れた。


「…花魁の様だな」

 呆れたように、けれど満足そうに男は言った。
 頭一つ半低いその色女に向けて、からかう様な笑みを浮かべて見せた。

「結構似合うでしょ?でも、ボクは好きじゃない」
 彼女が言った。

「女は化けるな」
「化けて何ぼの、女郎役。ってね」

 彼女は男にウインクして見せた。
 好きじゃない、といったときには口を歪ませただけの笑みだったが、男の素直な関心と呆れには明るく返した。

「武士が、きいて呆れるが?」
「武士だからこそ、使えた主君の願いは迅速にかなえるべきだろう?ボクはボクの女っていう利点を使用しただけさ。遊女なんかに落ちる気は、微塵も無いね。でも、まぁ…この街じゃあこういう格好が一番いいから、しかたな〜く化けてやったの。OK?]

「帝都ではもっぱら女郎と呼ばれてたそうだが?様にもなっている」
「ぶん殴られたいの?ユウガン。帝の命で仕方なかったんだよ。そのときも女郎化けしてただけ。ボクは厭くまで、一流の武士!」


 ユウガンと呼ばれた男は、ふくれっ面で言い返す女を見る。笑みが相変わらずなのは、このやり取りが日常茶飯事だからだ。そして、弁解するのに拗ねたような物言いをする彼女が、実のところ何とも思っていないことも分かっていた。

 己を 武士 と言う彼女は、子供っぽく独特な口調の割りに、淡々と冷めた冷静な本性を持っている。 言いがかりや嫌味・僻み・恨み言程度のことで、いちいち感情を噴出すような小物ではないと、長い付き合いでユウガンはよくよく理解していたのだ。


「はいはい。では一流殿。報告を願おうか」
「…かる〜く流された気がするんだけど。いつもの事ながら」

 そこまでは軽い調子。
 そこから彼女は変貌する。
 同じように、男からも親しい相手をからかって遊ぶ笑みを、刹那の間に消していた。

 獰猛な目の、歪んだ口。

 笑った。冷たい笑いだが、冷ややかというわけではない。
 獲物を捕らえる算段を話し合う、二匹の獣がそこにいたのだ。それはどこか楽しそうだが、先までの純粋な人間の表情とは似ても似つかない。

 女のほうは無邪気な物言いよりも、化粧をしている今は、こちらの顔のほうがよく似合って見える。


「瓶名美屋の二階、北側の階段を上がって三つ目の左の部屋。護衛が五人、どれも雑魚。標的はもう好みの女郎を連れ込んだから、今頃はお楽しみ中ってとこ」
「旦那の命は『再起不能にせよ』とのことだ」
「…殺すなってのが一番難しいって、分かってんのかなぁ?あの人」
「さぁな」


 二人は徐に天上を見上げた。
 星が瞬くものの、電光の光に負けて弱弱しい景色が広がっていた。


「アヤギ」


 ユウガンが隣の女に呼びかける。
 彼女が笑ったのを気配で感じる。
 二人の視線は、いまだ空。


「明け2つまでに、もどれ」
「かしこ」


 かしこ。賢いことだ、から彼女――アヤギ独特の承知を表す言葉だった。

 ユウガンは音もなくそこから離れた。
 離れる寸前に、一言囁くように言った。


「早めに終えろよ。ヤツの世話はお前の役なのだからな」


 ふ、とアヤギの周りに春の風が戻っていた。
 優しい微笑みが、浮かんだようにも見える頬の陰りが現れる。



「山茶花 山茶花 紅差したまへ―――」



 小声で子守歌をつむいでみた。
 あやす相手もいないが、自分に聞かせるように呟いていた。


 標的が女郎を傍らに眠る頃、春の風が動き出す。
 再び街の中を悠々と、サラサラと流れるように過ぎていく。
 その間も、子守歌をリピートしていた。口には出していなかったが。

 右手はゆったりとした着物の腰の辺りへ。黒いインナーの上に溶け込んだ、黒鞘の上に落ち着いた。





 


3 :華雫 :2007/02/13(火) 21:31:40 ID:ocsFWLWH

 足音は消さなかった。


 こちらを向いた二人の護衛が、厭らしく微笑んだ。けれど警戒は怠らずに、刀の鯉口に手をかける所は、彼らが刀になじんだ連中だという証だろう。

 アヤギは答えるように微笑んだ。
 優しくない微笑みは、背筋にクル美しさだった。
 そして、ずっと腰の辺りにしまっていた右手が、鯉口を切る。左手が柄を握り、体勢は至って自然な流れで低くなる。

 男たちは身構えた。
 ソレが抜刀の姿勢だと認めて、自分達も鯉口を切って刀を掴んだ。


「何者か!」
「自分で、考えろ」


 アヤギが駆け出した。

 一人目の男は刀を振り上げ、アヤギの頭上に落としてくる。黒鞘から走り出た刀でコレを止め、弾くとお互いに構えなおす。
 もう一人はその間に障子の中へ入り、主を大声で起こした。
 アヤギは突きの姿勢で男の懐へ、男はコレをよけて右肩を下げるが、思わぬ攻撃にあう。ひらりと舞った服装に隠れていた足が、避けた所へ勢いよく入ったのだ。首を横殴りにされた男はよろめきながらも、刀を持ち直すが、視界から女の体が消えていた。
「おやすみ」
 声は、左下から。
 基本の姿勢で構えていたところを、懐の下に潜り込まれた男は、最期に一閃を引く太刀筋を見た。

 左脇から、右肩へ。
 刀は綺麗に肉を切り捨てた。


「何事ぞ!?」
「お逃げくださいっ」
 障子の前へもう一人の男が出てきた。

 返り血を浴びても、表情は変わらない。
 笑っている女を見て、男は悟った。
 こちらを人間とは見ていない、この女の目に映る自分は大鳥の類に見えているに違いない。 つまり、刀の切れ味を確かめる為の、贄に過ぎないということだ。


「そいつ、ちょうだい」


 アヤギが言った。

 ソレが主のことと知る男は、刀を構えて向かってきた。
 が、次の瞬間に男の首は階段の階下へ転がって落ちていった。


 アヤギは骸などには目もくれず、障子の向こうの座敷へ入った。

 引きつった悲鳴と、甲高く逃げ惑う声がした。
 半裸の女は女郎らしい化粧をし、薄着を羽織って窓へ逃げた。

 男は、ヒステリックになにやら言っているものの、要領を得ない。
 アヤギは落ちていた浴衣の片端を持って、刀を拭いた。
 血脂をとり、鞘に戻した。


「さて、と」
 よく馴染んだ鞘に手を置き、アヤギは主を見下ろした。
「こんばんわ、ご主人。暑い夜だと思いませんか?」
 手を広げて、芸事の前振りのような話し方をする女は、何とも場に合わない。その飛び散った血痕が無ければいかにも、といったところだが…現在の彼女は、華やかな衣装も、長い髪も、白い肌も、赤を気味悪く引立たせる部位でしかないのだ。

 赤い液の皮をかぶった中に、白い歯が笑う。
 赤い唇は、紅か血かはわからない。そもそも、衣の元の色も見えなくなっていた。


 主は引きつった悲鳴を上げた。すると、少し離れたところから残りの護衛が駆けて来る音がしてきた。

「…夜はお静かに、って言われたこと無いのかなぁ?」
 呆れたようにアヤギは言った。
 そして主に歩み寄る。
 切りそろえられたかのような上品な髭の顎を持ち上げると、喉から潰されたような声が漏れだす。
「目、閉じないでくださいね。――獲りにくくなるから」
 アヤギの指がパキ、と鳴る。
 指先に力が集中したのを目に留めた主は、逃れんとしてもがこうとしたが、出来なかった。アヤギはばたついた男の目を捕らえた。 鋭利な光の目から自分の目をそらせなくなって、主はその眼光に硬直させられたのだ。


 それが、男が見た最後の光となる。










 ユウガンは館の二階から、中庭の明るい光を見下ろしていた。
 背を柱にもたれながらも、ただ見下ろしているだけではなく、中庭の隅から隅まですばやく見渡しているのだ。

 その隣に、一人。
 男が胡坐をかいて、頭をたれている者がいた。
 背筋はピンと伸び、がっしりとした肉体には無駄なく満遍なく筋肉がついていた。


 中庭には一人の殿をもてなす、優雅な合奏が行われていた。

 その殿こそ、ユウガンを通してアヤギに命令を下した当人であった。
 ユウガンの隣の男を含め、三人の練達の士を従える、この立派な館の主だ。

 先ほどから中庭では季節の花を称えての宴が開かれているのだ。ユウガンは遠目から主の周囲の人間全てに気を配り、観察し続けている。少しでも不穏な気配があれば、すぐに飛び出して主を守れる位置に、二人はいるのだ。

 宴には大勢招かれる。
 護衛を怠ることの無いように、二人は交代で睡眠と見張りを繰り返しているのだ。そしてそれは、明日の昼時にすべての客が帰るまで変わらないのだろう。


 ふと、ユウガンの隣で静かだった男の面が上がった。


 気配で気付いたユウガンが、男と同じ方向を振り返ると―――下女のあわただしい声と、至って落ち着いて静かな足音が聞こえてきた。


「アヤギ様!本当にお怪我は無いのでいらっしゃいますか!?」
 視界に入ってきた一団を見て、ユウガンはため息をついた。
「だーいじょうぶだって!怪我してないから、血も乾いるでしょ?」


 血まみれの、しかも花柳姿の、さらに言えばやけに明るい声音の女が、堂々と中庭沿いのの廊下を歩いてきた。
 心底項垂れたい。その前に怒鳴ってやりたい。が、声を荒げれば中庭の上級連中に気付かれてしまうではないか。


 ユウガンは早歩きで近づいてゆき、アヤギを中庭から隠す形で立つ。そのまま襟首を掴んで顔を寄せて叫んだ。
 実際は小声で、だが。

「何考えているんだ、お前はっ」

 だが、アヤギには全く効果がないようだった。
「あ、只今〜。獲ってきたよ、殺さないで」

 開こうとしたのは、左の手のひらだった。
 が、ユウガンは迅速にその手を自分の手で握りこんで、開かせないようにした。

「お前は、また…。土産はいらんといつも言っているだろうが」


 アヤギは苦笑した。
 そして開こうとしていた手はそのままで、引っ込めた。

「癖で、つい」
「面倒な癖だな…」
「いやはや、全くだねぇ。ホント」

 ユウガンはしばらく晴眼でアヤギを睨みつけていたが、やがて下女に目配せした。
「こいつの血を落とすように」
「かしこまりました、ユウガン様。さ、アヤギ様」

「…ちょっと待って」

 アヤギは大人しく従う素振りだが、少しの猶予を求めた。
 その視線の先には――見つめ返すものがあった。


 眠たげな眼差しで、けれど真っ直ぐに男はアヤギを見ていた。
 アヤギはかすかに微笑む。
 愛想笑いのふわりとしたものではなく、つい零れ落ちたといった感じの薄い笑みだった。


4 :華雫 :2007/02/15(木) 22:14:53 ID:mcLmm3zF



 天然の温泉はこの館の評判の一つだった。

 湯船からあふれ出したお湯は気作りの溝に落ち、道に沿って流れていく。
 その道はシャワーというものが無いこの世では、わざわざ桶で湯を汲む手間を省いてくれるものだ。

 アヤギはその道に長い髪の毛を浸すと、細かい繊維の櫛で丁寧に血の塊を落としていく。
 体に纏うのは、白い湯気のみ。
 すでに体にへばりついた血は落とし、白い肌が戻っていた。






「ねぇ、アヤギ様。湯殿の前にユウガン様のお部屋によりません?」
 それなりに砕けた口調で言うのは、アヤギ付きの下女の中でも年上の女性だ。名をシンラという優美な女性だ。
 下女の質素な服装より、よほど花柳姿の方が似合うだろうに、彼女は興味が無いという。元々は流れ者の端くれで、以前は何をしていたかは分からない。

 数年前からこの館の殿付きとなったアヤギが、街をフラフラしているうちに衰弱した彼女を目に留め、世話をしたことがきっかけとなり、それ以来アヤギの身の回りを手伝うようになった。 同じ女という点からか、アヤギの他に無い性分のためか、下女達と何かと親しくなるアヤギにしてみても、シンラは特別に気兼ねなく話せる友だった。


「はいはい。血なまぐさいってんでしょ」
「ユウガン様ではありませんが、あまり良いとは言えない癖ですよ。毎度毎度、見せられる殿がお気の毒」
「…あの男が思い上がらないようにするには、必要なんだよ」
 アヤギはかすかに、あの尖った冷たい笑みを含ませて唇を歪ませる。

「あの男、だなんて…。ご自分の主君を意地悪に蔑むのは、一種の愛情と解釈すればいいのでしょうか…。まったく」
 寺子屋で成績の悪い子供に言う母親のような、女性らしさのあるため息だった。
「ま、そういう事にしておいてよ」
 アヤギはパッと明るく言う。
 もう、と優しく微笑むシンラに、いつもの無邪気な笑みを投げかけた。


(――あの木偶の坊が、“主君”ねぇ…)


 腹のそこの本音を、シンラは知っているのか、否か。
 アヤギは自嘲ぎみに、胸の中で呟いた。

 アヤギの先を行くシンラが、足を止める。


 止まったのは障子襖の前。館の裏側に面したその部屋は、ユウガンが私室として使っているところだった。
 めで「早く」と言われ、肩をすくめたアヤギは何の支障も無く襖の中へ入っていった。
 下女と呼ばれえるものたちは、本人の了承無く私室に入ることは出来ない決まりだ。


 アヤギはユウガンの部屋を真っ直ぐ突き進み、反対側の狭い部屋に入る。
 そこには小さな木の窓が一つ。その前には大きな鳥かごが置かれていた。
 中にいる白い鳥は、鷹より大きい。目だけが赤く、血走っているようにも見える。
 鳥はアヤギを見ると、長い首を持ち上げて嘴を叩いて挨拶してきた。アヤギの突然の来訪には随分慣れている様子だ。
「やぁ。おやつだよ」
 アヤギも慣れた手先で左手の中身を、かごの中に放り投げた。

 二つの目玉と――人間の舌。

 刃物は無く、素手でアヤギが抉り出したもの。

 殺すな。指令がソレに沿っているときには、誰がしたかを漏らさぬよう舌を抜き、二度と邪魔にならないように両の目玉を奪う。
 ここに使えるようになる前からの、アヤギの常套手段だった。

 ユウガンが面倒な癖と称したのは、このことだ。

 殺せ。指令がその時には、殺した証に首や内臓を持ち帰ってくる。


 まるでねずみの死骸を、あえて飼い主に見せる猫のようだ。と、殿が呟いたことがある。

 何故それが身に付いてしまったかを知る者は、少なくともここにはいない。聞こうともしない。アヤギが普段隠す、歪んだ残忍さを自ら進んで目の当たりにしようという者はいないのだ。

 鳥は一息に目玉を飲み込んで、喉を鳴らす。
 アヤギは食べ終わるのを見届ける前に、踵を返してしまった。






 湯殿から上がると、突き出された布で丁寧に体の水滴をふき取っていく。
 その間にシンラは、アヤギの普段着ともいえる黒い丈夫なインナーと、同素材で作られたフリル的なスカートを持ってくる。
 素早く身に付け、アヤギは白い肌にラフな漆黒の服を纏った。

 肩、肘、腹、足以外は夜の黒。
 さらに水気をふき取った長い髪を、アヤギはツインテールにまとめた。

 そんなに背が高いわけでもないアヤギは、先ほどまでとは打って変わって、子供っぽい印象を与える姿になっていた。
 こうなると、ようやく邪気の無い笑顔がピッタリとはまり込むのだ。


「花柳姿もいいですが、アヤギ様はコウでないとしっくり来ませんね」
「あははっ。それ、暗にボクがガキっぽいって言ってるでしょ?否定は、しないけどね」
 ウインクも様になる。
 最後に黒さやを低い位置のベルトに挟み、右手を落ち着かせたアヤギは、さっさと脱衣所を出て行った。


「シンラは他の子にもう休むように伝えて。君も部屋に帰っていいよ」
「かしこまりました。アヤギ様は、この後どちらに?」
「殿のところに戻るよ。ユウガンにお土産は昂鳥にあげたよ、って言っとく」




 ――春夏過ぎて 木枯らし木枯らし



 この季節にしては、少し肌寒い風がアヤギの素肌を叩いて行った。









5 :華雫 :2007/02/16(金) 22:55:40 ID:kmnkzJtA

<弐> 武士 −モノノフ−




 宴もお開き。


 客を客間に通したり、大浴場に案内したりと下女達の行き来が頻繁になってきている。

 中庭で酔い覚ましに花茶を啜る己の主を、寡黙に見つめる男がいた。
 先ほどから交代した為に、今度はユウガンが横で座ったままの姿勢で眠っている。男は立つと長身で、その鍛え抜かれた体にしても、かもし出す雰囲気にしても、人を寄せ付けないものがあった。

 尤も、この世には物好きと言われるものがあるように。
 この雰囲気こそを目印に、歩いてくる者がいたりもするわけだが。 あえて言うが、例外の中の例外だ。 普通は触らぬ神にたたりなし、と避けて通るのが道理だ。


「…言いたいことが有るなら、言え」


 物音一つ無い背後に、男は低く囁くように言った。今この場では、それでも十分に響いて届いた。
 身じろぎ一つせず、警戒するでもなく気を許すでもなく、感情のこもらない声だった。

 クス、と控えめな笑みが浮かんだ。月を背に、瓦の上で足を組む女は、そんな男の背を見つめていたのだ。花柳姿よりも露出のあるラフな格好で、年よりも幼げに、普段見せる性分にピッタリとはまった姿のアヤギだった。
 腰の刀を腹に抱え込み、手の甲に顎を押しつけるしぐさは板についており、どの格好の時でもアヤギには合っていた。


「用が無くちゃ、ダメなのかな?」
「殿は、寝ていない」

「寝てても護衛してるくせに。君とゆっくり話せたことなんて、数えるくらいしかないよ?ユウガンとは週に一度、お酒とつまみで話せるのになぁ…」
 語尾を上げて、皮肉のように言ったアヤギだが、彼を責めているつもりは微塵にも無い。そういう男なのだと、出会ったその日から思っていたし、ずっとそうだったのだから、もはや暗黙の了解の域で静かに見守っているのだ。


「ねぇ、キョウジ。いつかさぁ、一緒に帝都に行かない?ここのゴロツキより、皆、ずっと強いよ」


 淡い期待と、大分の諦めを含ませてアヤギは問う。
 背中は、やはり動かない。


「お前よりか」
「…残念。ボクが一番強い」


 短い問いに、素直に答えた。
 どうやらアヤギの願いは、彼の興味を引くことでは叶えられそうも無い。

「あ、でも―――」

 思い出したように言い、アヤギはひょいと瓦から飛び降りた。彼の隣に降り立った柔らかな長い髪が、ふわりと風に流れた。


「昔、殺されかけた相手がいるよ。それ以来会ってないけど…帝都のどっかには、まだいるんじゃないかなぁ?槍の達人でね。肩に一発、秒で吹っ飛ばされちゃった」


 苦笑いでキョウジの顔を覗き込むと、視線が合う。すぐに彼の視線は中庭に戻ってしまったのだが。
「いつかおいでよ。ボクが案内してあげるから」
 たぶん、その日は来ない。
 アヤギはそう思いつつも、重ねて誘った。
 どうしてこうまでも連れて行きたいのかは、自分でも分からない。

 キョウジは強い。
 アヤギには男女の肉体の差で勝り、ユウガンには単純な剣技で勝り、他の誰にも折れない絶対の精神力があった。
 腕に、惚れた。
 アヤギにとって、彼との出会いほど旋律を覚えた経験は無かったと言ってよい。

 ソレゆえだろうか。
 自分が彼の傍にいたいと思い、暇を見つけては近づくようになったのは。



 不意に、キョウジがタンっと跳ねて、手すりを飛び超えて中庭に下りていった。
 危なげなく、当然のように何メートルも下の地に足を付いた。

「ユーガーンっ」
 アヤギが声をかけると、静かな寝息を立てていたユウガンが覚醒した。
「先行くよ」
 続いて降りたアヤギを見、深呼吸一つついてユウガンは立ち上がる。


 三人が降り立つと、待っていた殿が近づいてきた。
 キョウジとユウガンは頭を下げ、アヤギは軽く会釈した。帝都から送られてきたアヤギは、実際には他の二人よりいくらか上の位で、殿も立ったままのアヤギをしかることは無い。
「…風呂に入ったか」
「えぇ、お土産はユウガンの昂鳥にやったので、手元にはありませんが」
「喜ばしいことだ。酒の後に見るものではないぞ。あれは」
「つまみに食べたら、美味しいですよ」
「…そなた、口にした事があるのか」

「昂鳥がいつも美味しそうに食べているので。言ってみただけです。冗談ですから、気にしないで下さいよ、殿」

「そなたが言うと、冗談に聞こえないのだが?」
「良い心がけだと思います」


 こんな主従間の会話があるだろうか。
 アヤギの馴れ馴れしさには、はじめ誰もが肝を冷やして見ていたが、今では見ものの一つといって、過言ではないだろう。

 下を向いたまま、苦笑したのはユウガンだった。キョウジは軽く瞼を閉じたままだった。


「余は自室に戻るゆえ、ユウガン、キョウジらは共に。アヤギ、そなたは眠れ」

「御意」
「かしこ」


6 :華雫 :2007/02/24(土) 22:19:06 ID:ocsFWLzL



 ――武士足る者、如何様な時でも刀を手放すな。

 その刀は、そうも大事なものだと申すか?


 ――誰にも気を許すな。他人を信じるな。私すら敵であるやもと、常に疑え。

 その生き方は…、さぞ疲れるのであろうな。


 ――敵は切れ。生かすなら光を奪え。

 そのような行為は、お主には似合わぬよ。


 ――女だというのなら、男には出来ない罠を張れ。

 これ以上、己が身を傷つけるな…っ!!








 あぁ、懐かしいな…。

 何度あの人を泣かせたのだろう。
 ボクは、この般若面を捨てられぬまま、またあの人を泣かせるのだろう。


 それでもあの人は、何度も何度も、ボクの般若面を叩き割る。

 いくら壊しても消えることの無い、残虐なボクの厚い面。
 気がつくと、その面は微笑んだ表情で、また血の雨をかぶってしまう。


 それでも、何度も何度も―――。









「帰ろっかなぁ…」

 朝一番の台詞は、そんな呟きだった。


 床から起きたアヤギは、素早く髪を束ね上げ、寝間着からインナーへと着替えた。
 いつの間にか腰には刀が携えられ、朝からの客人の話し声が耳に入った。普段、アヤギやユウガンら仕えの者は、本殿とは別の棟に部屋がある為、かなり静かだ。朝から音が耳に入るというのは珍しい。

 だからだろうか。
 久しぶりの夢を見てしまったのは。


「シンラ」
「こちらに」


 アヤギに素早く応じた声は、いつものように落ち着き払っている。
 自室から出た先に、彼女は礼儀正しく座っていた。

「殿はもう起きてるのかな?」
「えぇ、先ほど朝餉を召し上がられました」
「話は出来るかい」
「今はユウガン様とキョウジ様がお付になり、お客人方が帰り前の挨拶をしておられますから…、すぐは無理かと」

 とたんに、アヤギはう〜と唸りだす。



「しょうがないか…。しょうがないから――」


 足を止めて、アヤギは少し考えこんだかと思えば、パッと明るい笑顔でシンラを振り返った。


「ボク、お土産買ってくるわぁ」


「は?」
 コレに対し、シンラは目をむいた。

 アヤギがお土産を買う相手など、限られているからだ。

「ちょ、それって・・・、まさか―――」

 嫌な予感がする。
 シンラは慌てて、答えを求めた。




「帝都に戻る!」


7 :華雫 :2007/04/05(木) 11:53:49 ID:ocsFWmWA



 シンラには、たった今耳にした内容が理解できかねた。


 意気揚々と歩き出す(見た目)少女は、訂正しようだとか、いい間違えたなどという雰囲気は無い。 ともすれば、ともして――。


「今、帝都に、とおっしゃられましたか…?」
 シンラは訝しげに問いた。


「うん。言った」
「帝都というと、帝の元へということですか?」
「もちろん」


 アヤギの返事はいたって平静であり、聞き間違いなどではないと思い知らされてしまったシンラは、顔を歪めた。 不安のそれだった。

「次の迎えが来るには、まだ間がありますよ?」
「待てない」

 即答だった。


 アヤギは定期的に訪れる帝都からの迎えに応じて、数日間里帰りをする機械が年に数回ある。 けれど、そう多いわけではなく、次の迎えまでには、まだ数ヶ月あるはずだった。


「帝に会いたい。…一刻でも、早くにね。だから、ちょっと遠いけど自分で行ってみるよ」
「どうして…?急すぎます。殿のご予定や、ユウガン様のご意向もありましょう」



 アヤギが振り返る。
 笑顔で、けれど目は真っ直ぐに言い返した。




「関係ないね」




 その一言が、どれほど問題なことか、分かっていただろうか。


 自分の今の主君に対する、冒涜と不忠の宣言のようなものだ。

 この世に刀で主君に仕えるというものは、どのような相手であろうとも、自分が主と決めた相手には全力で従うのが武士の誉れというもの。

 それが例え、元々は自分より目下の者であったとしても。
 頭を下げずに、無礼な物言いで会話することが許される相手であったとしても。



 関係ない。とは、彼の者は自分の意思に対し、微塵にも影響が無いということだ。


「シンラ」


 アヤギの無礼な物言いや、突拍子の無い発言が波紋を呼ぶことは間々あった。
 それでも主の命に対しては、正確にこなすし、最低限の礼もしてきていることから、帝都にいたものとしての矜持があるのだろうと解釈されてきた。


 それはシンラも同じ。
 ときどき見せる獰猛な目も、残忍さも、彼女の生きる上で培ったものだと思い、殿には忠誠心のあるものだと思ってきた。

 事実、彼女は歯向かったり、侮辱したりなどしたことはなかった。
 文句があっても、殿の命にはしっかり従ってきていた。
 彼女は列記とした、臣下であったはずだった。


 それが、「関係ない」の一言で、ひっくり返ってしまった。





「ボクは殿のことなんて、どうでもいいのさ」





 それを確信付けるように。
 考えすぎか、と逃げようとしたシンラの思考を止めるように。

 アヤギは余裕の笑みで、歯切れのいい発音で、公言した。





「ボクの主君は、帝だよ」





 揺らいだ精神を正すように、シンラは深呼吸をした。

「そう…でありましたか…」

 それ以上は言葉がなかった。


 意外そうにアヤギは言った。
「そんなに驚くことかなぁ?ボク、今まで一度でも殿のことを主だなんて、思ったことないんだよ。気付かなかった?」


 複雑なシンラをよそに、アヤギは迷いなど無い発声をする。

 
「ユウガン達は気付いているよ。だからボクを殿の護衛に引っ張り出さないんだ。いつもユウガンかキョウジが殿に付いてる。ボクが同僚であっても、味方で無いことを知ってるからね」



 あぁ、そういえばそうだ。
 シンラは納得したように、胸の奥で頷いた。

 それが本気で無いのは目で見て取れたが、手合わせのときなどで、キョウジはいつもアヤギに勝っていた。アヤギが降参してしまうのだ。
 最初の手合わせのとき以来、キョウジは殿の護衛の時間が日の8割占めるようになったと聞く。それは、アヤギのこの本心を見抜いたからか。

 大抵の外での仕事はユウガンがしていたというのも耳にしている。
 アヤギがそうするようになったのは、彼女が殿といる時間を短くするため?それが安全と踏んだため?


 味方で無い以上、いつ敵になるか分からない彼女を、警戒したから。


「殿を、裏切ると?」
「まさか!」

 シンラは不安をそのまま述べた。
 しかし、アヤギはそれを否定した。


「ボクが殿に付いたのはね、シンラ。帝の命なんだよ。殿を主とは思わないけど、彼に従うは帝のため。 帝都にもどるって言うのは、別に裏切るとか解約とかじゃなくて、自分の主が今元気かどうか見てきてやろーってこと。道理は通るでしょ?」


 シンラは頭痛がした。

 自分が恩を感じ、下女として付いてきたアヤギの本心を、このときまで全く知らなかったことへの落胆と、彼女が、どうしようと自分の考えが追いつかない思考回路を持っていることへの、自分に対する失望だった。




「と、言うわけで。ボクは町に行ってくるから、殿に時間を空けて置いてくださいって言っておいてね」


「……かしこまりました、アヤギ様」


 その低い背を、いつもとは比べ物にならない焦燥感を抱きながら、見送ってしまった。










8 :華雫 :2007/04/15(日) 21:17:54 ID:ocsFW4tD




 ボクは別に、殿が能無しだとは思ってはいない。
 でも、主君と認めるには器が小さすぎて、部下任せの木偶の坊といわざるを得ない。


 ユウガンやキョウジに忠を誓わせただけの力量はあるのだろうが、ボクの真の主・帝とは大差があった。


 彼は―――泣かない。
 それに、なかなか笑わないし、笑っても偉そうだ。

 いざと言う時は緊張した面持ちで、型にはまった指揮を執る。


 うん。武士としては文句無い殿だ。
 二人の猛者が、ボクを遠ざけて守ろうとするだけの事はある。



 だが、彼は所詮己と部下の理想を映す鏡に過ぎない。
 本や伝聞で語られる者、そのままの姿を演じる薄い鏡。





 帝はそんな者たちを纏め上げていた。
 理想通りであろうとする彼らを、帝は見事に手におさめる。
 優しい笑顔の裏はいつも鋭い策謀家で、必要ならどんな者も切り捨てる様に命じてきた。



 その割りに、ボクが般若面をかぶって嬲り殺しにした人間を見ると。 
                  持ち帰った土産を見ると。
                  それで「ただいま」と声をかけると。



 息が苦しくなるくらいに、ボクを抱きしめて離さない。
 「水溜りが出来てしまうよ」といっても止まらない程に、ボロボロ泣いてしまう。



 強く賢くある分、弱く優しい面を持った人だから。



 強く、強く、強くといって上しか見ない男には、到底追いつけ酔うも無い大器のぞんざい。だからこそ、ボクは彼を認めた。 心のそこから、彼を愛した。



 いつも思う。―――イトオシイ、と。


 あの泣き顔を見た瞬間。
 夢の中で、鮮明に浮かび上がった刹那。

 会いたい と。



 あの腕に包まれて、泣かして、泣きやませてやりたいと思った。
 賢い瞳を覗き込んで、彼の口から命令を聞きたい。
 それでまた「すまない」というだろう面に、ワタシ(・・・)の最高の笑顔で答えてやりたい。



 それが二人の、絆だから。


9 :華雫 :2007/06/23(土) 09:22:40 ID:PcWAs4mk

 長い付き合いの中で、その女の真意はともかく、どういう行動でどんなバカをやらかすか位は予想できるようになってきた。
 だが今回は、さすがに唐突すぎた。


「…そうか」


 殿が呻くように答えた。
 ぺったりと伏せて頭を下げたままのシンラも、戸惑っている様子を隠せない。

「今、街に出ておいでですが…」
「そのまま出て行くということもあるまい。帰りを待ち、本人から聞こう」

 殿はどちらかといえば諦めや呆れのため息だ。
 できればユウガンとて、頭を抱えてしまいたい。

「どうなさるおつもりで?」
 ささやくように、ユウガンは聞く。

 傍らのキョウジは静かに瞼を閉じている。
 彼の放つ雰囲気のおかげで、場をいつもの重たさを失わずにすんでいるのようだ。


「あれは帝が遣した武人。帝都の噂では実の娘にも劣らぬ寵愛を受け、一説では帝の懐刀として絶対の信頼を寄せられているとも言う。それがここに何年も居座るのは、何かしらの目的があってのことだとは思っていたのだがな。今回のことが、その目的に関わりがないとも限らん」
「…ただの気まぐれのような気も否めませんが…」
「……」


 殿の口も重たかった。


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.