23.4


1 :菊之助 :2007/10/02(火) 23:56:32 ID:mcLmLGuJ

●ワンコイン


 自動販売機の下にコインがころりと落ちたのを見て、ヒナが小さく「あっ」とつぶやいた。
「……どうしよう」
「放っておけ。小銭だろ?」
 こともなげに俺が言うと、彼女は金色と赤という不思議な色合いのオッドアイでギッとこちらを睨みあげた。可愛い顔でも、その迫力に一瞬俺はたじろぐ。

「知っているか、ストーク?」
「……なんだ?」
 俺が相手の機嫌を損ねないように慎重に聞き返すと、彼女はそれが嬉しかったのか形の良い眉を片方だけ器用に吊り上げて囁いた。
「ジャパンでは『一円を笑うものは一円に泣く』と云うんだぜ?」
「一円じゃないだろ、お前の落したのは」
「そういうのは『言葉のあや』って言うんだよ。それよりもオレ、コインとるから。お前、人が来ないか見張っておけよ」
「はぁ?」
 今度こそ思いっきり間抜けな声で聞き返してしまったが、そんな俺のことはお構いなしに、ヒナは見事に地面に這いつくばって、地面と自販機との狭いスペースに、その腕を突っ込んだ。その躊躇ない動きに、今度は俺のほうが慌ててしまう。昼下がりの裏路地だ。こんな場所、よほどの物好きでもなければ通らない。彼女が言うとおり、誰か来ないか見張っていたところで、どうせ人どころか野良犬さえも通らないことだろう。だが、それよりもうら若い乙女(に見える。少なくとも彼女の外見はティーンエイジャーだ。しかもローティーン)がジャケットを脱いでシャツを二の腕までまくりあげ、ひざまずいて自販機の下を探るなんて、とても直視しがたい光景である。
 少なくとも、俺はやめてもらいたい。

「おい、ヒナ」
「んだよ、ちょっと待って。あとちょっと、ちょっとで……」
 ジーンズの尻をこちらにむけたまま、ちっとも話を聞こうとしないヒナに、俺は早口で囁く。
「そんな恥ずかしいことはやめておけ。金ならまだあるだろうが」
「そりゃ、あるけど……そういう問題じゃ、くっ。ないんだよ」
「何も年頃の女の子が地面にひざまずいてやるほどのことではないだろうが」
 相変わらず自販機の下に手を突っ込む黒髪の少女に、俺は次第にしびれをきらしてくる。普段、どんな相手にも冷静でいられるよう訓練を受けているというのに、どうにもヒナには調子がくるわされてばかりだ。だが、当の本人は俺の苛立った声に不思議そうに振り返って言い放った。
「なんで?」
「なんでって、なにがだ?」
 質問の意味が分からず俺が再び聞き返すと、ヒナはグイッと体を自販機に押し付けて更に下をまさぐりつつ言った。
「自分の落したものを拾おうと思うの、なんで悪いんだよ」
「……は?」
「オレの持ってるものは少ないんだよ。だから一つとしてそのまんまに、どこかに置きっぱなしなんてしておきたくないんだ、よっ」
 言われた意味が分からず立ち尽くした俺の足元で、彼女はひとつ大きく気張ると一気にその手を隙間から取り出した。白い手は埃と泥で汚れていたが、確かに握られていたのはヒナが落としたはずのコインである。感触だけでなく、視覚でもそれを認めると、黒髪の少女は嬉しげに俺の方を振り返ると手を開いて見せた。
「ほらな、とれただろ?」
「……そうだな」
 
 俺はそれだけ呟いて、苦笑した。
 なにもヒナの貪欲さに苦笑したわけではない。
 失うものが多すぎた彼女の、それでも失うことを止めようとする精神に。
 一途というには直線すぎて、ひたむきというには曲線すぎる。
 だが、そうした彼女の心と笑顔に、俺はともすればすぐさま任務だからと切り捨てようとしてきた自分に、苦笑したのだろう。
 汚れてしまったヒナの手の中には、やはり同じように汚れてしまったコインが一枚。

 だが、それはどんなものよりも誇らしげに、銀色に輝いていた。


32 :菊之助 :2017/05/13(土) 16:24:42 ID:P7PiVLL7xJ

 体調よりも心の調子というものが直接表面に出ることがあるのは、過去何度も受けたカウンセリングで知っている事だった。たかが数杯の軽いアルコールで、今の俺の足取りはおぼつかず、視界は妙な歪みを見せている。

「今、博士に連絡した。20分以内に迎えにくるらしい」
 
 タブレットを優雅に操って、サラリと言い放ったハルシオンが憎々しい。
 この「長年の先輩」による誘いがなければ、俺はこんな無様な状況になりもしなかったものを。
「それにしても、本当に弱くなったなストーク。数カ月前は酒瓶三本空けてもケロリとしていたのに」
「……黙れ」
「いや、ケロリとはしていなかったな。あの時はとんでもなく気落ちしていたから、アルコール検知も体が出来ていなかっただけか」
「……」
 何を言っても冷静な声で言い返されるだけだと思い、俺はそのまま口をつぐむことにした。下を見ると、胃の中でドロドロした黒い淀みがそのまま食道を駆け上がって口から飛び出しそうな感覚に襲われる。ひどいもんだ。
 数カ月前、とハルシオンは言ったが、確かにそうだった。
 数カ月前、俺は仕事のない日に限っていたものの、毎日大量のアルコールを摂取していた。それこそ仕事自体においてなんら支障をきたさなかったから上も特に何も言ってこなかったが、医師であり潔癖なパメラは毎朝顔を合わせる度に眉をしかめて
「ちょっとストーク、あなたタバコ臭いし、酒臭いわよ? おっさん道まっしぐらじゃない!」
と怒鳴られたものだ。
 実際年齢よりも上に見られがちな俺としては「おっさん道まっしぐら」と言われても、何をいまさらと気にもならなかったが、同室のルーファスがとにかくそんな俺を気にしてくれたものだった。

「今の君を見たら、ヒナが怒るよ」
「ヒナだったら、このよどんだ空気の部屋には入りたがらないだろうね」
「ストーク、君、ちょっと臭いよ。ヒナの嫌いな臭いがしている」

 ……ちょっと待て。
 思い返してみると、ルーの発言の端々に必ず「ヒナ」という単語が出ていなかったか?
 なんだそれは、訳が分からん。
 いや、それよりも今更になってそんなことを思い出して気が付いた俺がおかしいのか。
 そうなれば、当時は全く酔っていないと思っていたのに、あれはあれで強かに酔いつぶれてていたという事ではないか? え? え? それで、俺はいったいなんて言い返していたっけか?
 数カ月前の自分の行動を再度思い返そうとして、今度こそ胃の中の淀みが喉を駆け上がる感覚を覚え、俺は慌てて空を見上げた。
 狭い都会の空には星なんてものは見えるわけもなく、深夜帯に入った為か街灯もまばらだ。
「吐くなよ。清掃員に迷惑がかかるからな」
 横でハルシオンが相変わらずの冷たい声を出す。ついでにハルのいう「清掃員」というのは「町の清掃員」という意味ではない。俺達が所属する会社の「特別清掃員」のことだ。個人データを無暗やたらに残してはならないと言われ続けているが、実際うっかりして痕跡を残そうものならば、それら「特別清掃員」が文字通り清掃にやってくる。なかなかに面倒な職場に勤めたものだと、たまに思うことがある。

「来たぞ。あの車だろう」
 静かな街の中に軽いエンジンの音が響く。ハルシオンンに言われて視線を前に戻すと、大きなカーブを描き反対車線からこちらに向かってくるワンボックスが見えた。
「博士は運転が下手だな。あれに乗ると余計に吐くかもしれんが、まあ身内の車の中ならいいだろう」
 ふらふらと路肩に停車した車を眺めて、無責任にハルシオンがつぶやいた。ホイールキャップに新たな傷が増えたことを黙視した俺は、ゲンナリしながら聞き流す。ただ、次の瞬間中から出てきた意外な人物にさらにゲンナリすることとなったのだが。

「ストーク! 飲み過ぎてつぶれたって?!」
 助手席から怒声と共に飛び出してきたのは、黒髪の少女だ。知ってる。今一番顔を合わせたくなかったヤツ、ヒナだ。こちらに駆け寄ってきたヒナの後を、自分の運転に酔ったのかふらふらした足取りでルーファスが追いかけてきた。
「僕だけで迎えにこようと思ったんだけどさ。よく考えたら、僕だけだと部屋に君を挙げられないかと思ってね。ほら、階段を上るのに、僕一人の体重では君を支えるのはムリだから」
 嘘くさい笑いを浮かべて、ルーファスが頭をかいた。
 そんなのハルに同乗してもらったらいい話だろうが! 叫びたいのを必死にこらえて、恨みがましい目でにらみつけると、奴はすぐさま視線を外して空を見る。この野郎。
 無言で蹴ってやりたかったが、俺が何かするよりも先に俺の体は軽々と背負われた。そう、今この場で一番不釣り合いな、ヒナによって。
「ば、お前、こら、何するんだ」
「だって足取りも不確かだし、酒臭いし、その状態で車まで行くのしんどいだろ?」
 こちらの気持ちに気づいていないのか、シレッとヒナが言い放つ。 
俺のガタイはかなりでかい。でかい方だし、顔もいかつい。それが、ぱっと見ティーンのヒナに背負われるというのは、顔から火が出るほど恥ずかしい。
しかも、ヒナの足取りはまるで真綿を背負っているかのような軽い足取りで、停めたワンボックスまで問題なくスタスタと歩いていくではないか。
 慌てて振りほどこうとするのだが、体の不調も相まって力が入らず、また小さな体の割に異常なまでの力強さで脚をホールドされて、文字通り俺は手も足も出ない状態だ。背後では仲間の笑い声が聞こえる。更にシャッター音まで聞こえた。どうにか動く首を精一杯後ろにやったら、慌ててルーがタブレットを背後に隠す様子が見えた。あの野郎、データ削除だけで済まさないからな。
「はい、後ろ乗って。吐きそう? ビニール持ってきた」
 器用に車のドアを開けて、後部座席を俺を下したヒナは、悪ふざけの様子もなくてきぱきと自分のジャケットから色々なものを取り出して俺に渡す。紙袋で覆われたビニール袋に、ミネラルウォーター、それを言われるままに受け取る、情けない、俺……。

「クッションいれといたから、とにかく到着するまで横になってなよ。ルー、運転頼む」
 まだニヤニヤ笑いを浮かべているルーファスに、ヒナが声をかける。
「ハルも、ごめんね。連絡くれて助かった」
「どういたしまして」
 まるで姉のような口調でハルシオンにヒナが礼をいうと、やつはいつもの通りの無表情でそれにこたえていた。
 マテ。それじゃハルシオンが連絡したのは、ルーファスでなくヒナだったのか?!
 今更ながら、俺は俺の「先輩」の底意地の悪さを思い出した。そうだ、俺がどんなに酔いつぶれた時も、ハルはこれまで何かしてくれたことはなかったじゃないか。それなのに、今日に限って同室のルーファスに連絡を取ったというのは、今更ながらおかしな行動だった。
 畜生めが。
「気持ち悪い? 吐いた方が楽になるかもよ?」
 悪い大人二人に気付かず、ただ一人本気で心配してくれているのが、ヒナ。
 自らも助手席に乗り込んで、こちらに声をかけてくる彼女の首には、二連のリングを通したネックレスが見えた。
 こんな真夜中に、慌てて部屋を出てきたというのに、なんでちゃんとそれを首からかけているんだよ。
 そんな心配そうな顔をするなよ、こちらが情けなくなるじゃないか。
「ストーク?」
「それじゃ車動かすよ」
 ようやく運転席に乗り込んだルーファスが危なっかしくアクセルを踏んだので、俺はそのまま目を閉じてしまうことにした。
 
 淀みはいまだに腹の中。
 時折助手席から感じる視線に気づかないふりして、俺は口を真一文字にむすぶ。
 そうしていないと、酔いや体調不良とは関係がない、情けないため息が漏れそうになってしまうからだった……。


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