23.4


1 :菊之助 :2007/10/02(火) 23:56:32 ID:mcLmLGuJ

●ワンコイン


 自動販売機の下にコインがころりと落ちたのを見て、ヒナが小さく「あっ」とつぶやいた。
「……どうしよう」
「放っておけ。小銭だろ?」
 こともなげに俺が言うと、彼女は金色と赤という不思議な色合いのオッドアイでギッとこちらを睨みあげた。可愛い顔でも、その迫力に一瞬俺はたじろぐ。

「知っているか、ストーク?」
「……なんだ?」
 俺が相手の機嫌を損ねないように慎重に聞き返すと、彼女はそれが嬉しかったのか形の良い眉を片方だけ器用に吊り上げて囁いた。
「ジャパンでは『一円を笑うものは一円に泣く』と云うんだぜ?」
「一円じゃないだろ、お前の落したのは」
「そういうのは『言葉のあや』って言うんだよ。それよりもオレ、コインとるから。お前、人が来ないか見張っておけよ」
「はぁ?」
 今度こそ思いっきり間抜けな声で聞き返してしまったが、そんな俺のことはお構いなしに、ヒナは見事に地面に這いつくばって、地面と自販機との狭いスペースに、その腕を突っ込んだ。その躊躇ない動きに、今度は俺のほうが慌ててしまう。昼下がりの裏路地だ。こんな場所、よほどの物好きでもなければ通らない。彼女が言うとおり、誰か来ないか見張っていたところで、どうせ人どころか野良犬さえも通らないことだろう。だが、それよりもうら若い乙女(に見える。少なくとも彼女の外見はティーンエイジャーだ。しかもローティーン)がジャケットを脱いでシャツを二の腕までまくりあげ、ひざまずいて自販機の下を探るなんて、とても直視しがたい光景である。
 少なくとも、俺はやめてもらいたい。

「おい、ヒナ」
「んだよ、ちょっと待って。あとちょっと、ちょっとで……」
 ジーンズの尻をこちらにむけたまま、ちっとも話を聞こうとしないヒナに、俺は早口で囁く。
「そんな恥ずかしいことはやめておけ。金ならまだあるだろうが」
「そりゃ、あるけど……そういう問題じゃ、くっ。ないんだよ」
「何も年頃の女の子が地面にひざまずいてやるほどのことではないだろうが」
 相変わらず自販機の下に手を突っ込む黒髪の少女に、俺は次第にしびれをきらしてくる。普段、どんな相手にも冷静でいられるよう訓練を受けているというのに、どうにもヒナには調子がくるわされてばかりだ。だが、当の本人は俺の苛立った声に不思議そうに振り返って言い放った。
「なんで?」
「なんでって、なにがだ?」
 質問の意味が分からず俺が再び聞き返すと、ヒナはグイッと体を自販機に押し付けて更に下をまさぐりつつ言った。
「自分の落したものを拾おうと思うの、なんで悪いんだよ」
「……は?」
「オレの持ってるものは少ないんだよ。だから一つとしてそのまんまに、どこかに置きっぱなしなんてしておきたくないんだ、よっ」
 言われた意味が分からず立ち尽くした俺の足元で、彼女はひとつ大きく気張ると一気にその手を隙間から取り出した。白い手は埃と泥で汚れていたが、確かに握られていたのはヒナが落としたはずのコインである。感触だけでなく、視覚でもそれを認めると、黒髪の少女は嬉しげに俺の方を振り返ると手を開いて見せた。
「ほらな、とれただろ?」
「……そうだな」
 
 俺はそれだけ呟いて、苦笑した。
 なにもヒナの貪欲さに苦笑したわけではない。
 失うものが多すぎた彼女の、それでも失うことを止めようとする精神に。
 一途というには直線すぎて、ひたむきというには曲線すぎる。
 だが、そうした彼女の心と笑顔に、俺はともすればすぐさま任務だからと切り捨てようとしてきた自分に、苦笑したのだろう。
 汚れてしまったヒナの手の中には、やはり同じように汚れてしまったコインが一枚。

 だが、それはどんなものよりも誇らしげに、銀色に輝いていた。


2 :菊之助 :2007/10/03(水) 22:25:18 ID:mcLmLGuJ

駆けた先にあるものは

●駆けた先にあるものは


 小さい頃は、走らされてばかりいたような気がする。
 そう言っても、オレにはそんな「小さい時」の記憶なんてないのだけれど。
 ある日目覚めれば、ゴミ捨て場の中に転がっていた。もとは黒かったのだろうと思えるシャツもズボンも、ゴミの中に紛れていた何かドロドロしたものですっかり変色していて、自分がどうしてこんな所で倒れていたのか、そしてどこから来たのかを知るための糸口にさえならなかった。
 
 そのシャツもズボンも、随分前に捨ててしまってる。

 目覚めた後の記憶は、ぼやけていた。
 何も思い出せないことは、本当に「恐怖」だ。
 怖い、とか、恐ろしい、とかそういうのではなくて、「恐怖」という単語でしかない。
 だから、オレはぼやけた感覚のまま駆けだした。あっという間にオレが倒れていたゴミ捨て場ははるか後方の景色となった。

 ああ、そうか。
 駆けて、駆けて、駆けて。
 そうした後に残るのは、オレの「過去」になるのかと、駆けながら思ったのが、もしかしたら目覚めてからのオレの初めての発見だったのかもしれない。
 駆けて、駆けて、駆けて。
 でも。

(でも、駆けたその先には、何かが本当にあるのだろうか?)

 しばらくして、仕事にありついた。
 オレの「シンタイノーリョク」は、世間一般の人間よりもずば抜けていたらしい。
 幼い外見に馬鹿な大人たちは油断して、隙ができて、だからオレは本気を出さなくても楽々と頼まれたとおりにそいつらを倒すことができた。倒して、金をもらって、服を買って、でも少しすると裏切られる。
 裏切られるのが分かると、オレは駆けて駆けて、駆けた。
 殴るのも、けるのも、本当はきらいなんだ。痛いのは誰でもいやじゃないか。だから必要最低限に、己が傷つかない程度に人を昏倒させるようにして、そして暮したんだ。
 でも、何度も駆けて。
 
 ある日ふと気がついた。
 オレは駆けていたのではなくて、逃げていたのじゃないだろうか。
 でも、何から? 何から逃げていたのか? 
 思い出せないのは「恐怖」だ。そして、駆けたあとに残るのは「過去」だとしても、オレの駆けた先にあるのは何なのか。
 何もないかもしれない。
 何もないのだろう、きっと。
 だから「恐怖」なんだ。
 オレは、ずっとずっとビクビクしていた。
 駆けた先に何もなかったらどうしようと、いつからかそう思うようになっていたんだ。
 逃げていたのは、そんな現実が次第にはっきりと見えてきたから。
 駆けた先には何もない。
 何もない。
 何もない。

 だけど。

「? どうしたんだ、ヒナ?」
 
 呼ばれて前を見た。かなり前方に、背の高い男が立っている。
 こげ茶の髪に、緑の瞳。むさいから剃ったほうがいいというのに、いつも伸びている鬚。それはオシャレなのか、本当に?
 かなり離れているというのに、その声はしっかりとオレの耳に届いた。
 なので、オレも答えてみる。

「別に。ストークこそ、なんで立ち止まってんだよ」
「歩いてたら、お前が付いてこないのに気づいたからだろうが」

 少し不機嫌な顔をして、三十路の男は言い返してきた。その顔が、三十路の、ひげ面の、それこそオッサンとしか形容しようがないのに、オレは可愛く思えてしまったんだ。
 

 だから。
 
 オレは、駆けた。
 
 駆けた先にあるものが、そこでオレを待ってくれているから。


3 :菊之助 :2007/10/05(金) 23:17:46 ID:mcLmLGuJ

たんぽぽ日和

●たんぽぽ日和

「これはいったいなんなんだ?」
 腰にタオルを巻き付けただけの格好でバスルームから出てきた僕の相棒は、不機嫌としか思えない顔で手の中にある黄色い物体を僕に押し付けた。鍛え抜かれた鋼のような体には無数の古傷の跡があり、その顔は険しい。初めて出会った時、僕は彼の迫力に負けて泣きだしてしまったほどだ。
 だが、あれからもう4年である。共同生活により、すっかり彼の弱点も知っている今の僕は、恐れることなくやんわりとその手を押し返した。
「なにって、石鹸じゃないか」
「そんなの見ればわかる。俺が言いたいのは、昨日までバスルームに置かれていたのは、こんな花の形をした香りの強いものではなかったということだ!」
「花の形なんて失敬だな。これはタンポポの形をしているんだよ? 可愛いじゃないか」
「昨日まで使っていた石鹸はどこにやったんだ?!」
「ああ、なんかね。汚れ物ようの下洗いに使うとか言ってランドリーボックスの横に放置してるみたいだよ?」
 僕がすかさずそう答えると、相棒、ストークの眉間に深い深いしわが寄った。
「……置いたのはヒナか」
「ご名答! すごいねストーク。やっぱり彼女のことを一番理解してるのって君じゃない?」
 だが、僕の褒め言葉にも彼はさらに渋面になるばかりだ。彼にこんな顔をさせるお姫さまは、今頃近所を散歩していることだろう。先ほど、夜勤から帰宅してすぐさま自室のベッド熟睡しているストークを見て、「つまんねぇ。ちょっと出てくる」と言っていたから。といってもすでに3時間は経過している。まあ、随分と人間的に濃い彼らと同居できるのは、僕のように自分の趣味に没頭したら時間を忘れられるようなマイペース人間でなければつとまらないことだろう。
 だから、僕は目の前の屈強な男に微笑みかけた。
「でも彼女、嫌がらせや自分の趣味で、その石鹸を置いたんじゃないんだよ?」
「それ以外で何があるっていうんだ」
 寝不足で不機嫌な相棒をなだめるように、僕は今の自分にできる限りの穏やかな声音で答える。
「この前の任務で銃創を負っただろ、キミ」
「……ああ」
 触れてほしくない話だったのか、彼は気まずげに視線を横に流した。百戦錬磨と言われた屈強な元・傭兵のストーク。
「傭兵からは引退だ」
と言って一線から離脱したというのに、いまだに戦いの絶えない生活。そんな中で、以前ならばしなかったような負傷をしたことに彼は負い目を感じたのか。
 それともまだそんな場所にいる自分の人生に嫌気がさしたのか。
 本当の理由なんて、戦争に駆り出されたことのない僕にはわからないけれど。

「それで?」
 黙り込んだ僕の言葉を促すように、眉をしかめたままでストークが聞いてきた。その言葉に、僕は不毛な考えから脱却する。そして再び微笑して見せた。
「銃創に効くとはとても思えないけどね。その石鹸はオーガニック製品らしくてさ、火傷した肌をやさしく洗い上げるらしいよ」
「……だから?」
「ヒナなりの心配の仕方なんじゃない? そんな石鹸のことよりも、文字とおり埃だらけの格好のままヒナを出迎えないでほしいね。ここは年上の度量の深さを見せないと」
「……」
 黙り込んだ元・傭兵。彼は渋面のまま手の中のかわいらしい花形石鹸を睨みつけてから、バスルームへとしぶしぶ戻って行った。ドアが閉まるのを確認してから、僕はようやく自分の顔がに焼けているのに気がつく。
 ひょんな事から同居を始めてすでに四年だ。だが、その間、確かにストークは笑い、時たま怒りはしたものの、ここまで露骨に人間らしい表情を見せることはなかった。
 彼はいつも、自分を責めているような眼をしていた。
 僕に出会う前、彼が一体どんな生活をおくっていたのか、それはデータとしてはいくらでも知ることができる。情報だけでも十分わかる。ひどい生き方だ。人生の大半を戦場で暮すなんて、それこそ人間の生き方ではない。だが実際に彼はそうして、そうやって生きてきた。体についた無数の傷よりも、心についた傷のほうがはるかに多く、そして深いことだろう。
 僕にはその痛みが分からない。比較的恵まれた家庭で生まれ、育ち、己の好きなように暮らしてこれたと思う。少なくとも、直接的に人を殺したことは一度としてない。その苦しみは、どれだけ想像力を働かせたところで分かるわけもないのだ。
 四年間、僕は命の恩人であるストークが自ら命を絶たないか、それが心配で一緒に暮らしてきたのかもしれない。
 五感で太陽が昇ったことを知り、風に暖かみをかんじたとしても、彼の心はそれを受け入れようとはしなかった。彼にとって、彼の人生自体も情報の一つとなろうとしていたのかもしれない。だけど、そこに現れたのが、ヒナだ。
 その花は、彼と同じように多くの痛みを伴って生きてきたことだろう。だけど、その精一杯な生き姿は、多くのことをなくしかけていたストークを、もう一度人として蘇らせてくれた。
 いうなれば、ヒナは「花」のような存在なのだろう。
 春が来たということを肌で感じながらも、それを享受できない人の足元で、けなげに咲くタンポポのような、そんな存在。
 その直向な花の姿に、人はようやく「ああ、春がきていたのだ」と気がつくのかもしれない。
 ヒナは、そうやって短い期間の間にストークに多くのことを気づかせてくれた。少なくとも、僕の知っているこれまでのストークは、石鹸ひとつのことであんなに渋面になったりしなかったし、その上しぶしぶながらもそれを使用しようとは思わなかったことだろう。いらなければ、捨ててしまう。そうして切り捨てて生きてきた彼が、よもやあんな顔をするなんて。
 思い出して、僕の顔は再びにやけてしまう。
 そんなとき、玄関の扉が開いてヒナが入ってきた。

「ストーク、起きた?」
 第一声がそれなのだから、彼女も彼女で可愛らしい。僕はうなずく。
「起きたよ、今はお風呂。君の置いてった石鹸をしぶしぶながら使っているみたいだ」
 バスルームから聞こえるシャワーの音を耳にしながら僕が言うと、なぜかヒナの顔がこわばった。
「石鹸? あのタンポポの形した、あれ?」
「そうだよ。だって前の石鹸はもうランドリー用に使うんだろ?」
 僕の言葉に、ヒナは悲鳴に近い声をあげる。
「違うよ! 確かに前のやつは下洗いに使うけど、ストーク達には新しいこれまでと同じ種類の石鹸を出す予定で、あのタンポポの形のはオレだけが使う予定だったのに!」
「……あー……そうなんだ。でも、もう……遅いかも?」
 バスルームから聞こえるシャワーの音に、ヒナの顔がみるみる赤くなる。と思いきや、彼女は次の瞬間それこそ神速としか思えないスピードでバスルームのドアに駆け寄ると、思いきりそれを開いた!
「ストーク! オレの石鹸まさか使ってねーよな?!」
「ぬわっ!? なんだお前、人が入浴中に!?」
「ぎゃー!!? なんかすごいのがついてる!?」

 バスルームから聞こえる派手な悲鳴と怒声に、僕ははぁっと小さくため息をついた。ふと、足もとに日だまりが落ちているのに気がついて、視線をあげる。
 窓の外は、きれいに晴れた空が広がっている。
 やわらかく温かな光を降り注ぐ太陽のもと、きっと季節の花々が嬉しげに咲いていることだろう。
 その中に、先ほどの石鹸と同じ形をした花もあるのだろうな。
 背後でまだ繰り広げられている喧噪さえも、愛おしい。
 そう思わせる、穏やかな昼下がりだった。


4 :菊之助 :2007/10/06(土) 23:13:42 ID:mcLmLGuJ

●搔き毟られる

●搔き毟られる

 手の中で硬直したのは、別の人間の手だった。 
 彼女はその手を離す事が出来ない。正確にいえば、硬直したその手が彼女の中指と人差し指を握りしめたまま離れないので、放してもらえないというのがただしいのかもしれないが。
 自由になるのは簡単だった。
 握った硬い手を、指を、折るか、切り落とせばいい。
 首を動かさず、目だけで周囲をうかがう。
 己と同じ格好をした人間は、誰も立ち止まることなく、自らに与えられた「的」なるものを打ち落ちしていく。だから、指を握られて動けない奴なんていない。
 わかっている。
 こんな姿、指導員に見つかれば、生まれてこなければよかったと思うほどの罰を自分は与えられることだろう。
 だが、折ることも、切り落とすこともできない指を前に、彼女は黙って立ちすくみ、その指の持ち主を見下ろした。
 ゆびの持ち主には、顔がない。
 いや、顔はあったのだ。
 ただ、爆風で「顔」と思われる部分のほとんどが吹き飛ばされた。
 そんな姿になっても、その人物は、近付いた彼女の指をつかんで離さなかったのだ。死ぬ間際、この人物は何を考えたのだろうか?
 何も考えてはいけないはずの彼女は、そこでふと疑問を抱く。
 立ちすくみ、疑問を抱きながら、胸の中に何かゾワゾワとしたものが浮かんでいた。
 痒い。
 痒くてたまらない。
 だがこの痒さは、虫に刺されたとか細い糸くずが触れたとかそういうのとは違う。どうしよもなく、痒い。
 

 不快感。
 
 そんな言葉を思い浮かべたが、どうしようもなかった。
 己の顔と言わず、手と言わず、足と言わず、彼女はすべてをかきむしりたかった。
 肉がちぎれ、血が滲み、白い骨まで到達しても、その欲求は満たされることはないのだろう。そう思えるような痒さ、だった。
 だが、彼女はそれを実行することはない。
 なぜならば。

 その不快感を瞬時に拭い去るかのように、横合いから現れた彼女の同士が、彼女の指をつかむ手を鋭いナイフで切り落としたから。
 彼女は。
 彼女は、それで。










「ヒナ?」
 呼ばれて、彼女は眼を覚ました。自分をやんわりと包み込むブランケットの温かさに、見ていたはずの悪夢が瞬時に忘却の彼方に飛んで行った。
 体に残ったのは、言いようのない不快感と、それからパジャマ代わりにしているシャツの湿り気だ。
 自分を覗きこむ緑の瞳に、彼女は己でも驚くほどかすれた声で、相手の名前をよんだ。
「……ストーク?」
「大丈夫か、うなされていたようだが。隣の部屋にいてもわかるくらいだったから、無断で入った。すまん」
「……」
 まだ夢から覚めやらぬ頭で、言われた言葉を反芻する。ようやく意味を理解して戸口のほうに視線をやると、なるほど、自室の扉が開いていた。廊下の電気は消しているらしく、そこから入り込んだ闇に思わずぞっとする。枕に頭を預けたまま、ヒナは自分を覗きこむその男に、掠れた声のままで呟いた。
「……なんでもない。大丈夫だ」
「……泣くほどの夢を見ていたのにか?」
 少しためらったような間を空けた後、ストークはそう言うと、ヒナの頬に指をあてた。その体温で、少女は初めて自分のほほが涙でぬれていたことに気がつく。 
 涙。
 泣けるのか、オレ。
 泣いていたのか、オレ。
 なんで?
 なんで泣いてたの?
 何も、何も何も覚えていないのに。
 濡れた頬がこわばるのを感じて、ヒナの呼吸は浅くなる。どうにかしようとするのに、思えば思うほど息が苦しくなった。 
(そういえば、前にもこんなのがあったな)
 もう一人の同居人であるルーファスには、この症状は過呼吸だと言われた。
 精神の不安定さが主な原因だろうと。でも仕方がない、キミはあまり気にしなくていいんだ。そのあとにつづけて言われた言葉も思い出す。
 だが思い出したところで呼吸が楽になるわけもない。吸い込んでいるのが酸素なのか、二酸化炭素なのか、吐いているのが何かもわからない。ただただ、苦しい。苦しみで新たな涙があふれ出る。己ののどに爪を立てた痛みにヒナが更なる焦りを覚えたとき、口元になにかがあてられた。
 吸って、吐いて。吸って、吐いて。

「……大丈夫だ。俺がここにいる」
 喉をかきむしりかけた手をそっとつかんで、ストークが囁いた。ヒナの口元には、発作が起きたと同時にすぐさま当てたらしい紙袋が押し付けられている。己の吐いた空気を何度か吸い込んでいると、あれほど感じた苦しさも次第に収まっていく。目の前にある緑色の瞳は、夜だというのにやさしい光をたたえてこちらを見返していた。
「安心しろ。俺は、いつもお前のそばにいるから」
 言い聞かせるように、ストークが言う。
 ヒナは何も言えない状態のままで、それでもどうにか首を縦に動かした。
 その様子に満足したのか、彼は落ち着いて、もう自分を傷つけないとわかった彼女の手をそっと開放して、そして空になった手で彼女の黒髪をやさしくなでた。
 その温かみが気持ち良くて、再びヒナは眠りの世界へと足を踏み入れる。

(だけどな、ストーク)
 現実から遠のく意識の中で、ヒナは思う。
 オレが怖いのは、過去が見えないからじゃない。
 見えない過去が、この手が、あんたの首をかきむしってしまわないかが、それが怖いんだ。
 それが。 


 ただそれだけが。





 怖いんだ。


5 :菊之助 :2007/10/08(月) 19:26:45 ID:WmknYkPe

コール

「……なんだ?」
「驚いたな、まだ起きてたのか」
「今何時だと思ってる。もう3時だぞ? 昼じゃない、夜のだ!」
「……待ってたのか?」
「違う。たまたま深夜番組見てた。でも見てみたら最低だった。オレの睡眠を返せ」
「なら、なんで寝てないんだ?」
「……番組の最後まで見てみないと、面白いかそうでないかわからねーじゃん。……なんだよ、何電話口で笑ってんだよ!」
「いや、お前、案外素直だな」
「っもういい、 切るぞ! 次は出ないからな!」

「わかった。それならなるだけ早く帰るから、ヒナ」


6 :菊之助 :2007/10/09(火) 22:21:22 ID:ncPiPLxm

切っ先

●切っ先
 
 ショッピングモールから飛び出してきた影に、彼女は正確に照準を合わせて発砲した。
 タンタンタンッ。
 あまりにも軽い音だったが、相手には確実にダメージを与えたようだとわかったのは、相手の体が振動したからだ。しかし、視覚で相手の姿を確認できたというところで、相手はまだ動き回るだけの力を持ち合わせ「影」とならないところまで進んできたのだろう。
 彼女は内心あわてた。そのまま同じ姿勢で続けざまに発砲しようとしたが、それよりも先に相手がこちらにまでたどり着く。
 悲鳴を上げる暇もない。
 そうして彼女は、相手が突き出した刃渡り50センチもある日本刀の切っ先に頸動脈を刺しぬかれ。
 その場で力尽きたのである。



 テレビ画面の中、黒い背景の中心で倒れる女兵士の姿の上に「YOU DEAD」という文字が浮かび上がるのと、ヒナが横で自分と同じようにゲームのコントローラーを握る男に怒声を上げたのはほぼ同時だった。
「ルー! あんた、大人げない!」
「ゲームの世界までそんなこと言われるとは思わなかったな。むしろ実世界じゃないだけ、ましと思わないと」
 知れっと言い放ったのは、彼女の同居人の一人である、ルーファス・J・バインである。いつもの温和な顔はどこへやら、二ステージ目が開始されるまでの画面を瞬き一つせず凝視する姿は「常人」の目からみれば、思わずゾッと息をのむことだろう。
 ついでに。
 ルーファスの姿は屈強な男とはかけ離れ、かといって潔癖症的な政治犯とも違う。
 細っこい長身に癖の強いボサボサの栗毛。度のきついメガネの奥では、少年さながらのキラキラとしたグレーの瞳が、今は真剣な表情で画面を見つめていた。
 これでも、それこそその道の世界では彼の名を知らない技術者はいないほどの腕前を持つ、プログラマーなのである。何に対してのプログラマーかは、数か月生活を共にするヒナはまだよくわかっていないのだが。それでも現在「ルーファス・J・バイン博士」は、世間では「失踪」して「行方不明」となっているらしい。とりあえず、彼の名前をインターネットで検索すると、あっという間に五千件以上のヒットページが出たほどだ。
 その男がなぜ今自分の横で、本日発売されたばかりの対戦型アクションゲームに熱中しているのか。
 自分と、そして自分より以前から彼の相棒であるストークはというと、今朝は早くから「次の任務のための下調べだ」と言って外出したが、あれは間違いなく嘘だったのだろうと今のヒナは思う。
 今朝からすでに半日以上、ヒナはこの最新ゲームに付き合わされていた。しかもルーファス博士は大人げなく、それこそコントローラーの握り方も知らないようなヒナに、以前からネットや情報誌で調べていたのであろう、コンボ技をこちらが軽く人間不信になりそうなほどに仕掛けてきた。
 今も気付けば第二ステージが画面上で展開されているわけだが、辟易するヒナをよそに、ルーファスは淡々と次なるコンボを繰り出すためにアイテムを集めている最中である。
 普段は必要以上に饒舌なくせに、今日は不気味なくらいに無口なルーファスに対して、ヒナは己のほほをひきつらせないよう細心の注意を払いつつ言葉を選んで彼に話しかけた。

「なあ、ルー?」
「何?」
 帰ってきたのは、無機質な声である。思わず「やべぇ、こいつマジいっちゃってるかも?」と口に出しそうになるのを必死にこらえながら、ヒナは相手をできる限り刺激しないよう穏やかな声で呟いた。
「もうそろそろ、終わりにしない?」
「何を? 人生を?」
「そんなもの突然終わりにされたら困るだろ?! 違うよ、オレがいいたいのは!」
「あと少しで隠しステージに行きそうなんだよヒナ。だからもう少し僕に付き合って」
 その間少しもこちを見ずにルーはつぶやきながら、コントローラーを握る手が「これでもか!」と華麗に動く。
 やべぇよストーク。
 これは目がなんかいっちゃってるぜ?」

(だからあいつは今朝から逃げたわけだ)
 今更ながら、相棒の朝のあわてぶりを思い出して、ヒナは苦々しげに奥歯をかんだ。
 画面上では、彼女の操るキャラクターが、再びルーファスのキャラに切っ先を突き付けられているところだった。
 
 ああ、ストーク。
 知っていながら逃げたのだとしたら、今度はオレの方があんたののど元に何かの切っ先を突き付けそうだ。
 思いつつ、ヒナは渋面で画面を睨む。

 この勝負、どうやらまだまだ終わりそうになかった。
「……


7 :菊之助 :2007/10/12(金) 23:21:36 ID:ncPiPLxm

沈丁花

 沈丁花


「なんか、いいにおいがする」

 俺の横で、ヒナが歩きながらふんふんと鼻を鳴らした。いわれて俺も大気のにおいをかぐ。
 甘い、やさしい香りが、春先の公園に漂っていた。ふと微笑して、俺は答える。
「沈丁花だな」
「じんちょうげ?」
「春に咲く花のことだ。公衆トイレのそばに植えられているんじゃないか? 香りが強いから自然の消臭剤としてつかわれることが多い」
「なんか、その説明、やだな」
 言ってヒナは露骨に眉をしかめた。だが、実際に沈丁花はトイレのそばに植えられている確率が高い。香りが強いというのは、人間社会ではそういう使いからしかなされないのだ。
 何かある一芸を、それが最も発揮されるところで発揮されて何が悪い。
 思ったところで、ヒナが俺の袖を引っ張った。
 そちらを見下ろすと、なぜか彼女は微笑んでいる。しかも、ちょっと何か思いついたかのように。
「なんだ?」
 聞き返すと黒髪の少女は口を開いた。
「ストーク。今日はあの店でランチするのやめて、デリカか何か買ってさ、公園で食べようよ」
「はぁ?」
 互いに久しぶりの休暇である。同僚のパメラに教えてもらったという、デザートまで一品のイタリアンの店に、ランチを食べに行こうと言い出したのはヒナのほうだった。にもかかわらず、この変わり様。
「俺はいいが……お前は、それでいのかよ?」
「いのいいの。それよりさ、そのジンチョーゲ探しにいこう。オレ、それが本当にトイレの脇に植えてあるか見てみたい!」
「はぁ?」
 ある意味「やはりな」と思える展開だったが、ヒナの金と赤の眼はキラキラと好奇心で光り輝きながら俺を見上げている。
 最近、どうにもこんな感じである。
 何か突発的なヒナの欲求に俺が付き合うという形。第一、俺は花になんて興味はないのだ。ただ知識として覚えてはいるものの、それについてどうこう思う気は全くない。ないと思っている。
 だが、ヒナの欲求よりも何よりも問題なのは、それに付き合うのに俺が悪い気分ではないということである。
 こんなこと、かつての戦友や敵となった凶悪犯たちが聞いたら大笑いすることだろう。特に俺の兄弟は「お前はついにそんなガキに骨抜きにされたのか!」と破顔するに違いない。考えれば実に腹立たしいことだ。
 
 だけどまあ、それはそれで仕方ないか、と思えるようになってしまった。
 悪い気分になっていないのは事実なのだから。
 俺の考えなんぞ知らないのだろう、ヒナは見上げた姿勢のまま更に俺に話しかける。

「な? そんじゃ何か食べよっか? ここいらだったらバーガーか?」
「……通り向こうに新しいテイクアウトカフェができたらしいからな。そこで何か買っていこう」
「決まりっ。なら早くいこうぜ!」
 いって、ヒナは俺の袖をひっぱりながらズンズンと前に進んでいく。
 引っ張られるのも悪くないかもしれない。これはこれでいいのだろう。

 大気にはまだあまり香りが漂っている。
 今の俺にはそれを「良い香りだ」と思えるだけの心がある。
 そうだ、悪くない。
 そんな風に思える自分も、悪くない気分だ。
 
 空は高く、大気は春の匂いが満ちている。
 世の中には必ず喜びというものがあるのだろうと、そう思わせる昼時だった。


 余談だが。

 沈丁花はやはり、公園の隅に据え付けてある公衆トイレ脇に植えられていた。
 それを見た時のヒナの顔と言ったらもう。今思い出しても、笑ってしまえる代物だった。


8 :菊之助 :2007/10/13(土) 22:43:34 ID:ncPiPLxm

死ぬ時は一緒

●死ぬ時は一緒

 ぼんやりとした視界の先に誰かがいるのに気がついた。
 ああ、これは誰だったか。
 思い出そうとしても思い出せない。
 ただ、その顔が。
 ぼやけた視界の先に見える顔が、泣いていた。
 その事実に気がついたとき、その顔だけがクリアに見える。
 泣いている。
 眉をよせて、唇をひんまげて、耐えているかのような顔なのだが、その眼からは透き通る雫が零れおちていた。
 なぜ泣いているのだろうか?
 泣かないでくれ。
 その唇が何か呟いた。
 聞こえない。
 だけど何を言っているか分かる。
 そんな風に言うなよ。
 お前は、もっと生きて、幸せにならなきゃならないんだから。

 思ったところで。

 そこで意識が途切れた。




 目が覚めたら、次にうつったのはぼさぼさくせ毛の青年というには少しオッサンが入った眼鏡男の顔だ。
「ストーク! わかるかい、僕のこと?」
「……ルーか……俺は……?」
 己の声に、のどが痛かった。水分をとっていなかったからだろうか? 掠れた声を目の前の相棒は涙目のまま必死にうなずく。
「君は四日前、ベルリーニ社潜入の際に、脱出間近で突然爆発したビル四階部分の下敷きになったんだよ。幸い階段部分にいたから瓦礫で轢死することは免れたけどね。重症だったのは間違いない」
 できる限り冷静に話そうとしているのだろうが、俺の視界に入るルーファスの顔はほぼ泣き顔だった。まばらにのびた奴の不精鬚が、おそらくこいつはほぼ不眠のままで病院につめていたのではないかと推察させるに十分だ。
「ろっ骨が二本折れてるって言ってた。でも脳には今のところ問題は見つからないらしいし、擦過傷と重度の打撲は至る所にあるけれどね、いまのところは慌てる傷はないらしいよ」
「……そうか」
 道理で胸に圧迫感があるはずだ。だが静かに寝ていられるうえ、視界に映る天井からして、どうやらここは通常の病院ではなく、自分が所属する施設の病院なのだと、俺は短時間に推理した。ならば安全だな。
 そこまで考えて、俺はまともに動かないのに強張っていた体の緊張をほぐす。俺が色々と考えている間にも、非戦闘員に属する相棒は鼻をすすりながら言葉を続けていた。

「ホントに心配したんだよ? 君、爆音とともに連絡してこないし。爆破した犯人も誰かわからないし。急いで探しに行ったんだから。警察や消防隊が到着するよりも前にね」
「……そう、なのか?」
 掠れた声でどうにかそう聞き返すと、相棒は涙ながらに深くうなずいた。
「そうだよ。無線機を通して爆音が聞こえた瞬間に、ヒナが飛び出したんだから」
 聞きなれた名前が耳に入った瞬間、俺の視界に浮かんだのは泣き顔だった。

 そうだ、あの泣き顔は、顔は、泣いていたのは。
「……ヒナ」
「なんだよ」
 思わず呟いた名前に、意外にも近くで返事する声がした。不機嫌きわまりない声の持ち主が俺の視界に入ったとき、やはり不機嫌極まりない顔をしていた。
 記憶にある表情とはえらい違い。
 眉をよせて、こちらを睨むその顔に、涙なんてものはみじんも感じられない。苦笑しかけたが、それもできずに俺はベッドの上でぼんやりと少女の顔を眺めていた。
「よくもまあ、四日ものうのうと寝ていたな」
 先に口を開いたのはヒナだ。その横でルーファスが困った表情のまま、俺と彼女との顔を見比べる。だがヒナはそんなこと気にもせず、動けない俺に詰め寄ると耳元で叫んだ。
「この馬鹿! オレはもう、お前なんて知らんからな!」
 それだけだ。
 そういったかと思うと、彼女はくるりと踵をかえし、ずんずん進んで俺の視界から消える。数秒後、大音量で病室の扉が閉まる音が俺の耳に届いた。その音に肩をすくめたルーファスは、苦笑しながら俺に向き直る。

「……ものすごく心配してたんだ。ヒナは、キミのことをね」
「……」
「災害としか言いようのないほどのがれきの中から、迷わず君のことを探しだして、搬送した。すごかったよ。ハルもパメラも、それから中佐も驚いてた」
「……そうか」
「あんな風に言ったのも、照れ隠しだと思う。だって、キミが意識不明の間、医師が大丈夫だと判断するまで、あのこ、一睡もしないで君のそばから離れなかったんだよ?」
 ああ。
 ああ。そうか。
「あ、もちろん僕らも君の心配はしてたさ。嘘じゃないよ。何より、目覚めてくれて本当にうれしい。生きて戻ってくれ、ありがとう、ストーク」
「……悪運だけは……強いからな」
「ホントだね」
 泣き笑いの顔でルーファスが俺の言葉に同意した。

 だけど俺は、三年来の相棒よりも、先ほど怒って出ていった少女のことを思い出していた。
 ヒナは、きっと、泣いていたのだろう。
 俺のために?
 俺のために。
 だって。覚えている。
 ぼやけて意識の中、耳も聞こえなかったが、でも彼女の言ったことを。
 そんな風に考えるな、ヒナ。
 お前はもっと生きて、幸せにならないと。
「大丈夫かい、ストーク?」
「悪い……また、少し、眠らせてもらう」
「そうしなよ。もう脈も安定してるし。起きたころ合いに今度はパメラもつれてくるからね」
「……ああ、楽しみにしている」
 言って、俺は目を閉じた。
 投薬の関係か、すぐさま意識は夢の世界へと遠のいていく。
 だが、夢の世界に入っても覚えていた。あの子の言葉を。悲しいのに、なぜか涙が滲みそうになる言葉だ。どこまで真実かわからないが。
 言ったんだ、あの時、ヒナは、俺に。


 死ぬ時は一緒だって。 

 だからだろうか。
 俺はそのあと夢も見ずに、ただ深く、眠り込んだ。


9 :菊之助 :2007/10/16(火) 10:12:37 ID:ncPiPLxm



 病室には窓がない。
 窓がないので、内部にてたばこを吸えば一発で喫煙したことがばれてしまう。
 仕方がないのでストークは、リハビリと称して包帯だらけの体を引きずり屋上までやってきた。
 長い階段を上っていくと、意外なほどあっさりと屋上へと通じるドアは開いて彼を外へといざなった。
 夕刻の屋上には、無論人影はない。
 ストークはこれ幸いとばかりに、屋上の鉄柵にもたれかかり煙草の一本に火をつける。
 二週間も吸えなかった。
 そんな思いからか、苦い煙が灰を満たし再び外部へ放出されるのは実に早かった。
 紫煙は風に流され、茜色の空に一瞬白い筋を浮かばせ、消える。
 ああ、うまい。
 どうにも新しい同居人は嫌煙家で困る。
 自宅にいても最近ではベランダに追いやられての喫煙ばかりだ。
 ああ、だがどうだ。
 重傷による入院患者だというのに、隠れて煙草を吸うという行為。
 隠れて、というところに自分でも引っかかるものがあるが、この背徳感。
 そして背徳により生まれる何らかの達成感。
 子供の時に、監視員に隠れて煙草に火をつけた時のスリルが、ふと思いだされて、ストークは我知らず微笑した。
 気がつけば、一本目は吸いきってしまっている。
 では、二本目にいこうか。
 ウキウキとケースからたばこを取り出そうとしたところで、屋上への扉がバンッと開いた。
 あまりの音と、そして扉の向こうから登場した者の正体に、ストークの体が固まる。
 恐ろしい雰囲気に、冷たい表情を浮かべたヒナは、低い低い声で尋ねる。

「……何してんの、ストーク?」
 だから彼はひきつった表情でこう答えた。
「……風にあたりに……?」


10 :菊之助 :2007/10/20(土) 23:30:37 ID:ncPiPLxm

プラスマイナスゼロ

プラスマイナスゼロ

 From: Halcyon
  Date: 20XX.5.22:27:28
 To: Lofas J Bain
 Subject:  馬鹿後輩の件


 ひさしぶり、ルー。
 俺が北欧に出張している間に、FSのやつらは元気していたか?
 とりあえず、今回の出張先で得たデータをプレゼントしよう。解析はいつもの通りでよろしく。出来上がった頃には俺もそちらに戻っているだろうから
詳しい現地説明と状況報告はあんたの解析を元に説明しよう。

 それで、馬鹿後輩の話だけど。
 数日前、パメラから定期チェックを兼ねてストークの状態をメールで聞いたよ。
 なに? あいつ、入院中にたばこ吸っていてチビスケに見つかったんだって?
 病室に戻ってきたときには、顔にあざが一つ増えていたとか聞いたけど、それは本当の話なのか? 本当なんだろうなとは思うけどね(パメラはそういうことで嘘が
つけないから)。

 というか、実際あの二人の関係ってどこまで進んでんのか知りたいんだけどさ。
 お前、二人と同居してるから何かわかってんだろ?
 はたから見てたら恋人でもないし、友人というには親密だし、職場仲間というにはどうにも不釣り合いだしな。
 パメラは少佐の命令で二人が共同生活を始めてから、チビスケにもストークにも好影響が出始めたとか言っているけれど、実際のところはどうなんだ?
 俺の見解としては、確かに馬鹿後輩の行動は最近とみに人間らしくなったが、その分人間らしい失敗も多くなったように思う。
 まあ、プラスマイナスゼロというのが総合的な判断かな。

 ところで、パメラのメールでは「顔のあざ」としか言ってなかったけど、実際顔のどこにどれくらいの痣ができたのか報告してくれ。
 帰国する前に、あざの位置と大きさでいかにしてストークをからかうか考えておくからな。

 それじゃ、とりあえず今日はこれまで。
 ストークとヒナによろしく伝えといてくれ。

P.S
 土産はスモークサーモンにした。税関で引っかからないことを祈っていてくれ(ジョーダンだ)。


11 :菊之助 :2007/10/24(水) 23:06:17 ID:ncPiPLxm

あなたはいつも眩しくて


 四回にわたる『精密検査』は、大の大人でもしばらくの間気分が悪くなり起き上がれないほどの疲労を催すというのに、検査室から出てきたヒナは白い検査着のままですぐさま私のもとに駆け寄ってきた。
「パメラ! 何かわかった?!」
 見たところローティーンの女の子。いや、本人には失礼な話だから言わないのだけど、彼女は「女性」としては未発達で見たところ少年ともとれる外見をしていた。可愛らしいという点を除けば、普段の彼女の口調と仕草、そして何より好む格好を総合してみると、たいていの人が「男の子?」と思うことだろう。
 事実、ストークに拘束されて研究所に連れてこられた時の彼女は、ふてぶてしい表情にぼさぼさの黒髪、ハッキリ言って「女の子」からはかけ離れた存在だった。
 今も、その口調や趣向は女の子より男の子よりであるが、もともと顔は可愛いので、ほほ笑むと思わずほおずりしたくなる。
 が、もちろん今は仕事中なので、私は検査結果が知るされたカルテに目を通しながら、職業である『軍医』として冷静に答えた。
「正直言って前とさしたる違いはなかったわ。軍の機密ファイルに貴女の総合データをスキャンしてみたけれど、やっぱり当てはまりそうな人はいなかった」
「……そっか」
「でも心配しないで。まだすべてのデータにアクセスできたわけじゃないわ。あなたの身体能力から考えて軍事関係者が有力なんじゃないかと思ったから、そっちのデータを主に当たっているだけ。これが当てはまらなかったら、次は民間データを検索すればいいだけの話よ」
 沈んだ表情の彼女に、私はあわてて付け足した。
 医師であるのに、この冷静さの欠如。
 こんなことでは医師失格なのかもしれない。不用意な期待を「患者」に与えるのは、最もしてはならない行為だ。
 だが、私の言葉に彼女はパッと顔をあげた。

「そっか!」
 満面の笑顔。
 胸がズキンと痛む。
 でも、それを私は今度こそ自分の表情に出さないようにする。同じように微笑んで、彼女にいった。
「じゃあ、私はこれからさらにスキャンをかけるから、あなたは早く着替えてきなさい。それからさっき連絡があったけど、明日の朝にストークは退院できるそうよ?」
「ホントか!?」
 嬉しげに笑ったヒナの顔に、私はまた胸が痛む。こんな風に感じてはいけない。医者として職務を全うしなければ。
「さ、わかったら早く着替えて。あと五分もしたらルーがエントランスに到着するらしいわ。二人で退院したストークを驚かせる予定なんでしょ?」
 言うと、ヒナはニッと唇の端を釣り上げた。まるでいたずらを思いついた子供のように。
「明日はパメラも、アパートに来る?」
「え?」
「ストークを驚かせるの、人数が多い方がいいと思うんだ。ね、パメラも来てよ」
 無邪気な笑顔だ。私は少し考えてからうなずいた。

「そうね、楽しそう。じゃあ、着替えたら私もエントランスに行くから、待ってて」
「やった! じゃあ、エントランスで待ってるから! 早くきて!」
 いうなり、彼女はすぐさま扉のほうに駆けだすとドアを開けて外に出てしまった。が、すぐさま顔だけひょっこりドアから出して「ルーにはオレから連絡しとくから!」と付け足す。
 私は彼女に手を振って、そして彼女の足音が完全に遠ざかるのを確認してから小さく溜息を吐いた。

 彼女がどこまで知っているかはわからない。
 ただ、私は彼女の笑顔を見るたびに胸が痛む。
 医師として、それも遺伝子工学を主に学んできた者とこれまでの見識から言えることはただ一つ。
 
 ヒナという少女の遺伝子をもつような人間は、今の世の中には一人として発見できないであろうということだけだ。

 何が彼女に起こっているのかは、わからない。
 検査を繰り返すたびに、なぜそのような結果が出るのかも理解できない。
 もしここが軍ならば、すぐさま拘束され実験室に縛り付けられるであろう、そんな遺伝子構造を、幼い外見をしている彼女は有している。
 幸いなことに、ここは群でも政府組織でもないから公にしなくてよい話だが、彼女の望みは今のままでは生涯かなえられることはないだろう。
 彼女には、三年前からの記憶がない。
 記憶がないから、その記憶を探している。
 体を分析し、数々の検査にも果敢に立ち向かうのは、ただ一つ、己の過去を知りたいという願いによるものだった。
 だが、今の時点で、それは非常に難しい。
 例のない遺伝子を分析し、その過去を分析するなんてことは、太陽が出来上がる瞬間を肉眼で確認したというくらいに不可能なことなのだ。
 この検査結果をしるのは、私と少佐だけである。
 本人にも伝えていない。
 酷だから。
 ホントにそれだけ?


 私は信じようとしているのかもしれない。
 そんな難解な遺伝子構造から、彼女の過去を探し出せるということを。
 なぜか?

(じゃあ、エントランスで待ってるから!)


 微笑んだ彼女の顔は、なんて眩しいのだろうか。
 何も見えない自分の本性。でも彼女は臆することなく探し続けている。
 なんて悲しく、美しい、存在なのだろうか。
 

 だから私はそこで己の苦悩を切り上げる。
 過去が見つかるまで探せばいい。
 それだけの話ではないか。
 私にできることはそれだけ。それだけのことに全力を傾ければいい。
 白衣をハンガーにかけて、私はひとつうなずいた。

 だって、あの子の笑顔はあんなに眩しい。


 その眩しさをずっと見ていたいから、私は探し続けるのだ。

 それだけの話なのだ。

 そう思って納得すると、私は検査室の電源を落とした。
 エントランスに向かう前に、検査報告をまとめなければ。
 彼女と彼女の同居人の一人であるルーがふくれっ面になる前に、どうにか片付けよう。
 思って私はかろやかに検査室を後にした。


12 :菊之助 :2007/10/25(木) 23:59:43 ID:ncPiPLxm

3 years ago


 喉の奥からせり上がったのが、悲鳴なのか胃液なのかも判別がつかなかった。
 わかっているのは自分の過去だけだ。
 だが、思ってすぐに俺は自分の考えを否定する。
 過去というには薄っぺらい。
 史実というには表には出なさすぎている。
 自分が証明できるものなんて、実に少数なのだと思い知ったのが、三年前。


 初めて空の青さを知った時だった。

 それから三年。
 オレと同じように生まれ、オレと同じように生きて、そしてオレと離れ離れになったあの子は、今もこの世界のどこかで生きているのだろうか。
 死んでいても仕方がない。
 オレの中に残るあの子の最後の記憶は、あの子の頭に銃弾が命中したように見えたからだ。
 でも、生きている。
 これは願望か?
 願望だとして、いい。
 信じること、願うことをやめたら。人は死ぬんだ。
 だからこれまでオレは生きて。

 そして生きながらあの子を探してきた。

(番号で呼び合うのってさ、面白くないよね?)

 そう言って、彼女はオレと、そして彼女の名前を編み出した。

 だから、オレは、籠から逃げた今も彼女の名づけた名前を名乗っている。
 そして、三年も経つのに、まだ彼女を探し続けている。
 馬鹿なことだと、自分でも思った。
 無茶な探し方によって、オレは研究施設の人間だけではなく、他の組織にも結果として追われるようになってしまった。
 だが、いい。
 名前が知られれば、その分彼女はオレに気がつくかもしれない。
 オレを知って会いに来るかもしれない。

 だからオレは今日も生きよう。
 三年前と違い、随分背もガタイもいかつくなった。昔のオレを知る者がそばを通っても、なかなかわからないことだろう。
 だが、きっと彼女は変わりない姿で暮している。
 だからこそ、オレはやつらよりも先に彼女をきっと見つけるんだ。
 三年たった。
 彼女と生き別れて三年たった。
 
 その三年で、オレは強くなったのだと、そう信じている。



 信じて生きてきた。


 そう願いながら生きていたからだろうか。


 ネットで様々な団体に侵入していて、ある日オレは見つけたんだ。
 非政府組織の紹介ページ。
 そこに、彼女とよく似た姿を見つけたんだ。


 画面の向こうで彼女は、三年前と変わらない笑顔で。
 オレと同じ、金と赤の瞳を細めて、笑っていた。


13 :菊之助 :2007/10/31(水) 00:00:36 ID:ncPiPLxm

……だからね、



 リビングに散乱した皿と酒瓶の多さに辟易しながら、ストークは黙ってゴミ袋を手にそれらを片していった。
 
 たしか今日は自分の退院祝いとかいうやつだったはずだ。
 チーズが固まったピザのボックスを乱暴にゴミ袋に押し込みながら、ストークの眉間にはいつもよりくっきりと深い皺が浮かび上がる。


 ストークの代わりに退院手続きをし、入院中の荷物を取りに来たのは医療スタッフのパメラだった。理由としては「他の人は今忙しいから」ということらしいが、大の男が自分よりも年下の女性の運転する車に乗り込み、狭い助手席で小さくなって自分の入院カバンを膝に抱えているのは正直言ってバツが悪い。
 くそっ、これなら自分で早々に退院手続きをして帰宅しているところだ。
 居心地悪い思いをしなが頭に浮かんだのは、同居人の一人であるルーファスののほほんとした顔だった。
「退院する日は朝の十時に迎えに来るからね。それくらい僕もしないと、同居人の君に申し訳が立たないだろ? だから荷物はそのままにしておいてよ。ついでに勝手に帰っていた場合は一生トラウマになるような何かをしでかすからね、ヒナといっしょに」
 厳しい顔つきで言っていた割には、時間になってもまだ同居人は現れず、それでも義理を果たそうと荷物カバンを持って私服に着替えて病室のベッドに座ったままだったストークのもとに現れたのが、パメラだっだというわけである。何がどう忙しいのか? 突然の事件でも起きたのならば、いくら普段から緊急時において冷静沈着であるよう訓練を受けさせられたパメラでも、それでもストークには彼女の若干の動揺をうかがい知ることができただろう。万が一、彼女がストークの知らない間に完璧な自己精神操作を体得していれば別なのだが、駐車場から車を発進する際に勢いあまって柱に車体側面をこすった際にこの世の終わりかと思うような悲鳴はあげないはずだ。
 ならば。

(忙しいというのは、嘘だな)

 膝にかばんを抱えたまま、ストークは自分の同居人達が彼のために退院祝いとして何かしらイベントの準備をしているのだと予測していた。彼が入院中にも、訓練から帰ってきたと思えばヒナとルーファスは二人してコソコソと何かしら病室で話していたのだ。諜報活動がおもなストークは、室内に何かしら予見していない気配があると、すぐさまそこに踏み込まず、ある程度中の様子を探ってから入室するというのが癖になっていた。なので同居人達の話す内容(それのほとんどがストーク退院祝いサプライズパーティーについての内容だった)をほぼ知っていた伝説の傭兵としては、今こうしてパメラが迎えに来ている理由もなんとなく理解できるというもので、それ故さらに居心地に悪さはつのるというものである。
 だが、いかにも屈強な戦士と言わんばかりの容貌をしたストークを横に乗せながら、パメラは安全運転の姿勢を崩さないまま彼に話しかける。

「ねぇ、ストーク?」
「なんだ?」
 帰宅したと同意に行われるであろう派手な出迎えを想像するだけでうんざりしていたストークは、思わず不機嫌な声で返事してしまったがそれについて女医は既に予測済みだったのだろう。
 くすっと小さく笑った彼女は、前方に走る車との距離を確認しつつ言葉をつづけた。
「その様子だと、ヒナとルーがどうして来なかったかある程度予測はついているようね?」
「FCのような特殊機関に勤務しながら、あの二人はいささか注意が足りないんじゃないか? あれでは敵にどんな作戦を練っているかがすぐにばれてしまう」
「あなたは二人の敵なの?」
 赤信号なのでブレーキを踏みながら、パメラが微笑した。その問いかけにストークはわざと不機嫌な顔をして黙り込んだ。
 
 敵なんて、そんなわけはない。
 いうなれば、自分は戸惑っているのだ。
 これまで何度となく任務の最中にけがを負ってきた。それは軽度のものから、下手すれば今回以上に命にかかわるものまで様々だ。手術台に上がったことだって一度や二度ではない。だが、そんな怪我は毎度のことで、そして周りもそんな人間ばかりだったので、退院祝いなんてされたことは幼いころから一度としてストークにはなかったのだ。
 病室の扉越しに聞こえた二人の真剣な声。それはストークの快癒をいかにして祝い、そして驚かせるかで沸いていた。馬鹿馬鹿しいといえばそれまでだ。実際、今後もひどい怪我をおう危険性があるのは事実なのである。それなのに、彼らはストークが退院したことを祝おうとする。今後もさらに入院することが多いかもしれないのに。

「無駄だって思ってる?」
 だれも渡らない信号を前に、パメラが唐突に呟いた言葉に、ストークは思わず心臓をドキリとさせた。感情は顔に出さないように、それほど死ぬほど訓練させられてきた。
 だから今の俺は先ほどと同じように不機嫌極まりない顔のままでいることだろう。少なくとも動揺をしたとは思われていないはずだ。
 思いながら、ストークは正面を向いたままのパメラに聞き返した。
「なんだって?」
「退院祝い、無駄だとおもっているんじゃない? ストークは」
 図星をさされて、不満ではあるがストークは黙り込む。誰も通らない横断歩道を見つめたままで、パメラは言葉をつづけた。

「私は、ストークは祝われる権利があると思うわ」
「なんだって?」
 意味が分からず聞き返す。女医は前を向いたままで答えた。
「だからね、あなたは怪我をしたら誰かに心配されて、回復したら誰かに祝われる権利が十分にあると思うの」
 言っていることは馬鹿らしい。
 だが、幾分か年下の女医の言葉を、スネークは馬鹿にもせず黙って聞いていた。
「あなたは、これまでたくさんの人を殺してきたと自分で自分を責めている。でもね、戦争の間、一般人だって敵だと認識したら筆舌尽くしがたいことを相手にするものなのよ、人間は。もちろん、そんなことをしない人もいる。でも、しない人は、それを平然としてきた人以下の、それこそ比べるのも馬鹿らしいくらいの小さな出来事をいつまでも心に残して、障害自分をせめるものなのよ」
「……何がいいたいんだ?」
 ストークがどうにか聞き返したとき、信号が青になった。
 ブレーキから足を離して、アクセルに移行しながら、そこで初めてパメラが彼を振り返る。茶色い目がストークをとらえると、ほほ笑んだ。

「だからね、あなたはもっと自分で幸せになっていいと、思うべきなのよ」
 言われた意味が分からないストークは、しばし黙ってから再度口を開いたが、それより先に車が急発進したので勢いあまって舌を噛んでしまった。
 黙り込むストークに、パメラは楽しげにつぶやく。

「だからね、幸せな人間らしく、二人が部屋で何かしてきたら驚いた顔と喜んだ顔をしてあげてね」

 彼女の『頼み』に自分がどのような答えを返したのか、すでにワインを3本も一人で飲みきった今のストークにはあまり確かではない。
 だが、帰宅したと同時にクラッカーを鳴らされ、退院おめでとう! と耳元で叫ばれ、大量の料理と酒、そしてFCの仲間を加えてのどんちゃん騒ぎは、なるほど確かに楽しかった。
 パメラが言っていたとおり、俺はきっと驚いて、そして喜んだ表情もできたことだろう。
 あらかじめネタはあがっていたのだから。
 だが、ヒナとルーが二人して玄関先から飛び出し「退院おめでとう!」とクラッカーを鳴らしたときに浮かんだ自分の笑顔。
 あれは確かに、驚きと喜びに満ちた笑顔だったことだろう。
 


 そうか、俺は愛されていると、ちゃんと認識できる人間なのか。


 それを認めただけで、酒や女では感じられないだけの幸福感が体に満ちたのを、ストークは知ったのだ。
 
 当たりまえのことは、意外と当たり前にはなりえない。
 だから生きるのは苦しい。
 思いながらも、それをそのようにまで考えられるようになったこと、そして愛されているのだと思えるようになったことが、ストークは照れて、そして嬉しかった。
 これが一番の退院祝いだな。
 同居人がことごとく酔いつぶれて先に寝込んでしまったので、結局片付けを任される形になったストークだったが、不思議と気分は晴れやかだった。
 明日の朝は、二人をさんざん責めてやろう。
 ゴミ袋を片手にそんなことを考えて、我知らず微笑んでいた自分に、ストークは愕然とした。
 愕然としながらも「これはこれで悪くない」と思えた自分の危うさ。
 だが、それはそれで心地よいと思える、自分の変化。
 ゴミ袋を片手に室内に散乱したもの物を拾い上げながら、スネークは口元にふっと笑いを浮かべていた。


14 :菊之助 :2007/11/24(土) 00:16:04 ID:ncPiPLxm

この身がどれほど穢れようとも



 たまにストークはオレを散歩に誘う。
 たまにルーファスはオレをテレビゲームに誘う。
 たまにパメラはオレをケーキブッフェに誘う。
 たまに少佐はオレをチェスに誘う。
 たまにハルシオンはオレを釣りに誘う。

 全部「たまに」で、だから先約があったり予定があったりするときは「もっと早くに言ってくれよ」とオレは怒ったふりをする。
 本心は嬉しさと、それを断らないといけないことに申し訳ない気持ちでいっぱいなのに。

 ねえみんな。
 オレは、今は「ヒナ」という名前でみんなに呼ばれているけれど、もしかしたら全然違う名前があるのかもしれないんだ。
 もしその名前を思い出したら、オレは「ヒナ」だったころのことを全部忘れてしまうんじゃないだろうかと、心配なんだ。
 オレは本当は誰なんだろうか?
 すべてを思い出したとき、オレはみんなを忘れてしまうんだろうか?
 でも、もしそうなったとしても、何もかも忘れてしまったとしても、オレはどんな時でもみんなを傷つけたくないんだ。
 たとえこの体がそれが原因で朽ち果てても、穢れても、みんなには今のままで幸せになってほしいんだ。
 たとえみんながオレの事を忘れても、それでもみんなには今のままでいてほしい。
 
 記憶を取り戻したオレは、もしかしたらとんでもない事件に巻き込まれるかもしれない。
 それで誰かを傷つけ、自分も殺してしまうかもしれない。
 それでも。 
 どれだけこの身が穢れようとも、忘れ去ってしまっても、みんなの記憶は心のどこかで残っていると思いたい。
 自分でも何が言いたいのかわからないけれど、でも、みんなは、それくらいオレにとっては大事なんだよ。
 みんな、元気で。


         

(20××年10月18日 ヒナと名乗っていた少女の日記より抜粋)     


15 :菊之助 :2008/04/13(日) 23:13:28 ID:ocsFWJxH

並木道

並木道


 どうしたの?
 聞かれてオレは振り返る。
 白い髪の男の子。目が印象的。金色と、赤。オレと一緒。
 どうしたの?
 もう一回聞かれて、オレは無意識に首を左に傾けた。
 なにが? という気持ちの現れだったのだろうけれど、口にして言うには憚られた。
 なんでだろう?
 言うと、男の子が傷つくと思ったからかもしれない。
 男の子はまだまだ小さくて、6.7歳に見えた。まだまだ小さい。まだまだ小さい男の子だ。
 その子が、三度云う。

 どうしたの?

 言われて、ようやくオレは自分の様子と、周囲の状況を見まわした。
 イチョウ、なのかもしれない。
 背の高い木々が、並列になった道の真ん中にオレ達は立っていた。
 互いが目と鼻の先のような位置にいるように思えるし、とんでもなく遠い場所にいるような気もする。
(ああ)

 これは


(夢、なんだな)

 思ったところで、男の子はこちらをじっと見上げたままだ。
 見開いた目はオレを心配しているようにも見えたし、責めているようにも見えた。
 そんな彼とオレとを囲むようにある並木道。なんで、だ?

「忘れたの?」

 聞かれた。
 何を?
 答えるより先に、強い風が吹く。
 回りの並木が色づいた。
 イチョウならば黄色いはずなのに、まるで紅葉のように。
 いや、血の雨のように。
 赤い葉が風に舞う。
 オレと男の子との間を、視界を埋め尽くす。
 並木道があっという間に。


「戦場だよ、ケイ」


 男の子が言った。
 気がつけば、男の子は白い髪をした、赤と金色の目をした、青年に、変わっていて。

「忘れたの、ケイ?」


 青年は聞いた。オレは、答えられない。
 並木道の赤い色が、赤い色がオレの視界を埋め尽くすから。
 赤い世界が視界を包む。
 




 目が、覚めた。




 深夜のベッドの上から見た世界は、暗い天井だ。
 赤い世界ではない。
 並木道もない。
 何もない世界のように思えた。
 薄い壁の向こうで、今のオレの相棒達が寝ているのだろう。
 暗い世界。
 何も見えないそんな真夜中に、オレはただただ自分に言い聞かせる。
 オレの名前は、ヒナ。
 ヒナ。
 だから、あんな男の子は知らない。
 たとえあの子が俺を責めるように見ていても、それでもオレは思いださないようにする。
 思い出さない方がいいと思えた。

 ただ、あの赤い並木道だけが。
 暗い闇の中でも鮮明に、瞼に焼きついて、離れなかった……。
 


16 :菊之助 :2008/07/12(土) 00:23:44 ID:kmnkzJok

目を閉じて

 泣いている場合ではない。


 だが、おれの意思とは反対に、まるで雨の日に窓ガラスを伝う雨粒のように、おれの眼からはとめどなく涙があふれてきた。
 こんなことになるなんて。
 こんなことを望んでいたわけではない。
 何度も頭の中で繰り返し、嗚咽を噛み殺し、必死に悲しみから耐えようとするのだけど、それはちっともうまくいかなかった。

 なんで人は人を殺すんだ。

 食べるわけでもないのに、なぜ人は人を殺すんだろうか。

 理由はたくさんあるのだろう。
 だけど、おれが思うこと。
 願うことはひとつだ。

 おれは、もう、誰も、殺したくない。

 だけど、耳の内側につけられた無線機からは次の指令がやってくる。
 監視されているおれの、泣き声も泣き顔もすべてそいつらに聞こえているだろうに、でもやつらはおれにまだ指令をたたきつけてくる。
 これは仕事だ。
 おれに課せられた唯一の仕事だ。
 でも、おれはそれをしたくないのだ。
 したくないけれど、しなければならない。
 誰かを守るために? 違う。そんな綺麗なものではない。
 でも、そう思おう。そうでないと、もう、動くことができないから。

 涙はまだ流れたままだった。
 おれは目を閉じる。
 目を閉じて、一人の人を思い浮かべる。
 仕方ないな、と言った時に浮かべた笑顔。
 緑の瞳が細められて、ダークブラウンの髪に秋の風が吹き抜けていた。
 俺がどうにかするから、もう悩むな、ヒナ。
 何度も髭は毎日剃れと言ったのだけど、これは俺の唯一のお洒落なんだと、本気なのか嘘なのかわからない答えを返していた人。
 コードネームの意味は「コウノトリ」。


(ストーク)



 目をあける前に、一度だけ心の中で彼に謝罪する。
 おれは今からまた人を殺します。
 でもそれはあなたを守るためなのだと思うことにします。
 あなたのせいにして、ごめんなさい。

 目を閉じて。
 願う。
 目を開いたその時に、涙が止まっていることを。
 迷いが溶けていることを。




 自分が「人」でなくなっていられることを。


17 :菊之助 :2008/07/31(木) 11:30:58 ID:ocsFWJxk

ふたつぶん


「あ」
 両方に砂糖をいれてから、僕は目の前においてあるカップに対して間の抜けた声をだした。
 時すでに遅し。
 耳のいい相棒は、読んでいた新聞を畳むとキッチンカウンターの向こうから身を乗り出して聞いてくる。
「どうした?」
「いやぁ……」
  返答を濁す僕の表情を見て、ついで彼は僕の目の前におかれた二つのカップと、それから僕の手に持っているシュガーポット、スプーンに視線を移し。
 溜息。
「俺はブラックでと言っただろ?」
「ごめん、悪かったよ。ついぼんやりしてたんだ」
「今週に入って毎日だぞ。……いい、俺が淹れる」
 彼、ストークはそう言うとキッチンの中に入ってきて、ケトルを火にかけた。彼がペーパードリップの準備をしている間、僕はキッチンの端で居心地悪そうに立っているしかない。
 確かに彼の言う通りだ。今週に入ってから、僕はことごとくコーヒーを淹れることに失敗している。
 だけど失敗といっても大したことではない。
 ただ、辛党な相棒のコーヒーにまで、砂糖を先に間違えて淹れてしまうくらいだけだ。でも、その失敗が今の僕らには、いたい。
「……ヒナ、元気かな?」
「本当の両親のもとに戻れたんだ。元気に決まっているだろう」
 同意を求めたわけではないのに、間髪入れずにそう答えるストークに、僕は眉をしかめた。
 
 一緒に暮らしていた記憶喪失の少女、ヒナの両親だと名乗る人物が現れたのはひと月くらい前。 
 アジアを本拠にする外資系の会社役員が、数ヶ月前に旅先で行方不明になった愛娘と、FSの『世間体を気にした表向き活動を紹介する』ホームページにたまたま映っていたヒナとが同一人物ではないかと、連絡がよこしてきたのだ。無下に断ることもできず、とりあえず少佐が両親と名乗る人物二人と面会することにした。
 年の頃なら四十代の品のいい「ヒナの両親」は、涙ながらに旅先で行方不明になった娘を、この数カ月死ぬ気で探しまわり、ようやくここまでたどり着いた事を語った。

「記憶がなくても、これからゆっくりと思いだしていけるようにします」
 
 DNA照合に身元確認、多くの調査と検査を行い、どうやら本当に「ヒナの両親」であるとされたその夫妻は、ようやく出会った己の愛娘の手をとり、僕らに向かってそう宣言した。
 手を取られたヒナはというと、ひどく戸惑った顔、まるで迷子になった子供のような顔をして不安げに僕らを見上げていたのだが、相棒であるストークの「元気でな」という一言に、コクリと無言でうなずくと、そのまま両親と共に空港へ向かう車へと乗り込んでいった。

 それからもうひと月だ。
 新しい彼女の住まいの場所も、電話の番号も聞いているが、僕らをはじめ組織の人間は誰も彼女に連絡を取っていない。
 必死に新しい生活になじもうとしているであろうヒナ(本名は、もっと違うのだけど、僕らの中ではやはり彼女は「ヒナ」なのだ)から連絡が来るまで、絶対に僕らの方からは連絡しないでおこうと決めたのだ。決めたのだけど。

「コーヒーの砂糖、減りが遅くなったよね……」
「使うやつが一人になったからな」
 新しく入れなおしたコーヒーをすすりながら、いつもの仏頂面でストークが答えた。少し前まではセールのたびに二袋かっていたコーヒーシュガー。
「……今は、一つ買ったら十分だもんね」
 だけど、なぜか戸棚の奥には新しいコーヒーシュガーが二袋分置いてある。昨日、ストークが間違えて二袋買ってきたのだ。
 間違えて?

(本当に?)

 再び新聞を広げた相棒の表情がどんなふうになっているのかを、僕はもう確認することができなかった。


18 :菊之助 :2008/09/11(木) 10:17:20 ID:ommLomre

振り向くとき、振り向かされるとき

 風が涼しくなってきた。
 少し前には立っているだけで、目の中にまで汗が入り込むほどの暑さだったというのに、今では薄手のジャケットを羽織るくらいでちょうど良い。
「ストーク」
 呼ばれて、俺は振り返る。
 まっすぐに伸びた道の後方から、少女が一人、こちらに向けて駆けてきていた。秋風が彼女の黒髪をなびかせて、普段は隠れている彼女の白い額を見せていた。走るスピードはかなり早い。
「ストーク! 忘れ物!」
「……なに?」
 近距離まで走ってきた彼女の手には、なるほど俺のパスケースが握られていた。はっとしてジャケットの内側を探る。そういえば、昨日は違うジャケットを着ていたんだった。パスカードをジャケットに入れ替えるのを忘れていたらしい。

「しっかりしろよな。これが無いとビルには入れないだろ?」
「ああ、すまん」
 自分よりもはるかに小さな少女に言われて、俺は素直に謝った。そんな俺の態度に快くしたのか、彼女はさらに「注意」を続ける。

「第一、オレ達の仕事は素行がばれたらいけないのにさ、呼んだだけで振り返るってどうなんだよストーク! オレは、あんたがたるんでるとしか思えないね!」
 そんな風に言うが、大声で名前を呼んだのは誰だ。
 思ったが、俺はあえて反論しなかった。

 振り向くとき、振り向かされるとき。

 俺の名前を呼んで、すぐに振り向かせるのは、きっとお前だけだと思ったから。


19 :菊之助 :2009/02/14(土) 18:57:01 ID:PmQHscoG

コントロール

 すぅっと息を吸って、今度は大きく吐き出す。
 そんなことを数回続けても、皮膚、筋肉、骨の下、多くの器官に守られているはずの心臓は、耳の中まで響くほど大きな音で脈打っている。
 いやになる。
 コントロール出来ない。
 でも、なんとかしないと。
 オレは何度も深呼吸する。
 手の中では、汗ばんでしまった紙包み。
 いやになる。汗ばんでるって何だよ?!
 もう少ししたら、きっと玄関の扉が開くだろう。
 今日のアイツの上がり時間は既に一時間も前なのだ。
 いつものように夕食の買い出しに出て、それから煙草をふかしながらテクテク歩いて帰ってくるとしたら、もうそろそろ。
 扉が見える位置に置かれたソファの上で、なぜかがっちり膝を抱えて座り込みながら、オレは同居人の帰宅を待っている。
 待っているのか?
 帰ってこない方がいいんじゃないか?
 心臓は相変わらず挙動不審に鳴り響き、手は汗だくだ。
 
「あら、ヒナは何もストークにしないの?」

 昨日のパメラの言葉を思い出す。

「あ、でも、ストークの方から何かくれるかもね」

 何を? え? 何が?

「あ、知らない? バレンタインデー」

 知らなかった。
 深い意味はないらしい。男女間で贈り物をする日だ。もちろん、恋人同士には重要らしいけれど、ちょっと知り合った間でも、バレンタインカードのやりとりなんかは平気でするらしい。
 だから、オレも何か上げようと思った。
 同居人に。
 いや、もう一人の同居人であるルーには、今朝あげたんだ、ロリポップの詰め合わせを。そうしたら、あいつもすでに用意していたらしく、チョコの詰め合わせをくれた。だから、だから、別にもう一人の同居人に意識することなんてない。
 ないのだけど。
 
 手の中の包みが汗ばんでいる。
 中に入っているのは、携帯灰皿だ。濡れて困るやつでもない。
 でも、なんでオレ、こんなに緊張してるんだろう?
 どんな任務の前でも、深呼吸すれば焦りも、緊張も、何もかも平常に戻すことができた。なのに、今は、なんで?


 扉が開いた。


 見知った髭面が、ソファに座るオレを見て、ちょっと驚いた表情をする。

「なんだ、お前。怖い顔して」

 ああ、いけない。
 心臓がさらに大きな音を立て始めた。
 そこで初めて気がついた。

 オレは今、自分の気持ちを。
 コントロール、できてないんだ、って。


20 :菊之助 :2009/03/14(土) 19:00:49 ID:m3kntkue

足跡

 小さいそれは、一見どこにでもありそうな小さな靴跡だ。
 だが、戦闘用に作られた特殊靴の跡は、見る者が見れば、その主が誰なのかすぐ分かった。テラスに残された奇妙な足跡は、何故か手すりの部分につま先の跡を残して忽然と消えている。念のため、手すりから身を乗り出して眼下を確かめたが、誰かが落ちた形跡は見当たらず、路地裏に眠るホームレスが小さく見えただけだった。
「……」
 わざとらしく一度溜息をついてから、俺は再び身を乗り出し、今度は自分の頭の上を見あげた。
 何故か俺の頭二つ分上あたりの壁に、手すりについたのと同じ足跡が残っている。
「……階段を使え、階段を」
 わざとらしくぼやいてから一度部屋に入った俺は、ちゃんと中を通って玄関の扉を開けてから廊下に出る。
 薄暗いコンパートメントの廊下には人影はない。
 十数年前の経済上昇期に馬鹿ほど建てられたコンパートメント群だが、ここ何年も続く不景気で借り手はいなくなり、そのほとんどが空き部屋となっている。不動産会社も見放したここいら一帯の地区はホームレスが無断で住み着くことも多く、普通の家庭に住む者ならばまず近づかない。だが、そのおかげで俺達のような傭兵まがいの、それも一部指名手配じみた扱いを受けている輩には大変都合がよいというわけだ。
 ついでに、今の俺達の住居は莫大な富を有するらしい「スポンサー」によって、十分な「設備」と「防御」を兼ね備えている。見てくれは悪いが、居心地はまずまず。

 暗い階段を上り、屋上への扉を開けると、春先の冷たい風が頬をなでた。
 落下防止用につけられたフェンスの上、細い金網に腰かけて足をぶらつかせている少女の後ろ姿を確認し、俺はもう一度溜息を吐く。
「いずれ落ちるぞ」
 唐突に声をかけたつもりだったが、彼女はちゃんと俺の存在を先に認識していたらしく、驚いた風もなく振り返った。
「落ちないよ。落ちても、途中でどっかに掴まるから平気」
「だが、見ている方にはあまり心臓に良くない。降りて来い」
 言うと、意外にも素直に少女はフェンスからこちら側におりたった。
 黒い髪が、風になびく。
「靴、汚れたままだろうが。部屋に入る前にちゃんとぬぐえよ」
 その髪をぐしゃっと撫でてやると、少し体を引いて彼女はよける。
 うつむいたままで、そして小さくつぶやいた。

「……気づくかな、と思って」
「は?」
「……ん、なんでもない」
 顔を伏せたまま、俺の横をすり抜けようとする少女に、俺は後ろから声をかけた。
「足跡が残ってれば、すぐ気がつく」
 その言葉に少女はちらっと振り返る。その様子が、いじけた子猫みたいに見えて、不覚にも俺はかわいいと思ってしまった。
 だから慌てて付け加える。
「潜入の初歩だ。足跡なんて、残すなよ」
「……うるさい!」
 今度ばかりは予想通り。そう怒鳴って、ヒナは乱暴に階段を下りて行った。
 その後ろ姿に俺は苦笑する。
 彼女のいなくなった屋上には、やはりくっきりと足跡が残っていたからだ。










「ああ、そうだ。至急、確認を頼む」
 通常使用のモバイルフォンからではなく、任務時に使用する無線を使用して、俺は本部のパメラに連絡をとっていた。
 ここは本部からかなり離れた場所。緑多く、空気も澄んだその場所に、不釣り合いなまでに立派な屋敷が建っていた。その姿を遠く見上げる車中で、俺はできる限り落ち着いた風を保つため、静かに深く、呼吸を繰り返していた。

 数か月前まで「ヒナ」と呼ばれていた少女が、彼女の両親と名乗る人物たちに引き取られてから今日まで、俺をはじめ本部の人間は皆、彼女との連絡を意図的に断っていた。新しい生活になじむためだ、仕方がない。だが、もし彼女から何か連絡があれば、すぐにでも会いに行ったり、話をしたりするつもりだったのだ。
 だが、今日まで一度も彼女の両親からも、そして彼女自身からも連絡がなかった。
 仕事のついでで、というこうことで、俺は本部には秘密に彼女が住んでいるはずの屋敷までやってきたというわけだ。

 だが、待っていた現実は、俺の予想を凌駕していた。



 引き取られて二週間後、彼女は、ヒナは、事故死したというのだ。


 これから通うはずのスクール見学の帰り、横合いから突っ込んできた飲酒運転の車にぶつかられ、彼女の乗っていた車ごと炎上、死亡したという。
 あまりにも呆気ないその死を受け入れ難く、両親は今日の今日まで俺達に連絡ができなかったという。
 信じろ、という方が無理である。
 だが、彼らは「どうぞお墓にいってあげてください」と、彼ら同伴でヒナの墓まで俺を連れて行った。そこには、ヒナではなく、本当の彼女の名前というやつが刻印された墓石があり、俺もわけがわからないまま花を手向けることになったのだが。

 だが。


「そんなことで、ヒナが死ぬわけがない」

 俺には確信があった。
 意味のない、説明のしようがないものだったが。
 ヒナ。
 ヒナ。
 ヒナ。
 もし、お前がどこかに足跡を残していたら。

「俺は、必ず気がついて、お前を助け出すからな」

 無線から、パメラの慌てた声が返ってきた。


21 :菊之助 :2009/05/12(火) 23:11:30 ID:o3teoFQ4

こらこらこら!

 街中を歩いていて、ふと足を止めてしまったのがそもそもの原因だったと後で思う。
 いや、原因はもっと前からあった。
 記憶は昨日までさかのぼる。


「そういえば、ストーク。ヒナにバレンタインのお返しあげたの?」
「は?」
 訓練後に行われるいつもの検査。その最中、俺の身体データをファイルに書き記していたパメラが思い出したように言ったのだ。
「は? じゃなて! あなた、ヒナからバレンタインに携帯灰皿貰ったんでしょ?!」
「な、なんで知ってるんだっ?」
「顔赤らめない! 髭の中年が顔赤らめても可愛くないわよ。そうじゃなくて、ルーに聞いたのよ」
「だから、それをなんでルーが知ってるんだ!?」
「三人一緒なんだからバレバレなのよ」
 動揺する俺に、彼女は医師特有の冷静な態度で言い放つと、くるりとこちらを振り向いた。
「まさか、まだ何も返してないなんてないわよな?」
「何が?」
「だから、ヒナになにかお返し!」
 持っているファイルを机に叩きつけられて恫喝された。
 時たま、パメラの迫力は凶悪なテロリストのそれよりも勝る。いうなれば『ママの威厳』というやつか。まあ、パメラは独身なのだが。
「せっかく選んでくれたプレゼントに、まさか何も返してないの?」
「ちゃ、ちゃんと返したぞ。チョコの詰め合わせを……」
「だから! なんでそんなルーでも選べそうなものをヒナに返すのよ!!」
 ばぁんっ!!
 先ほどは机に叩きつけられたファイルが、今度は床にたたきつけられて、跳ね上がる。
 パメラの名誉のために言っておくが、別に普段から彼女はこんな癇癪持ちではない。何かに八つ当たりすることもなければ、露骨に感情を爆発させることもない。むしろ、機嫌が悪い時のうっぷん晴らしは、外部ではなく食べ放題やカラオケなどといった自分自身だけにむけられるわけだ。しかし。
「もっと違うものがあるでしょう?! もっと女の子が喜びそうな! 特別感のあるものをあげなさいよ!」
 隣の部屋から何事かとハルが顔をだした。それくらいの大声でパメラは更に俺に抗議を続ける。
「なんであなたってそうなのかしら? 任務ならば常人では気がつかないような事にも真っ先に気がつくのに!」
「なにごとだ?」
 叫ぶパメラの方を指さして、ハルが表情一つ変えずに俺に聞いてきた。が、その問いかけに俺より早く、パメラが答える。
「ヒナからバレンタインに特別なプレゼントをもらったのに、まだ何も返してないのよ!?」
「いや、だからチョコの詰め合わせをだな」
「こらこらこら」
 俺が少々うんざりしながら言い返そうとしたら、意外にもハルが俺に対して批難の声をあげる。
「なんかもう、よくわからないが、とりあえずストーク、お前が悪い」
 先ほどまではパメラをさしていたハルの指が、今度は俺の方をびしっとさした。思いもよらない批判に、俺も思わず声がでかくなる。
「なんでだ?! 何も返さなかったわけじゃないし、ハルのようなひと箱5ドルの詰め合わせでもない、ちゃんとした専門店で買ったチョコだったんだぞ?!」
「それ、私にくれたのと同じじゃない!」
 すぐさまパメラが言い返し、それにハルがうなずいた。
「特別なものに対して、他の女にあげたのと同じものを返すとは」
 何に対しても無表情なハルは、うんうんと肯いてから再び俺を見なおして、
「こらこらこら、だ」
「何がこらこらこらだ?!」
「こらこらこら、よ!」
「だから何なんだお前たちは?!」

 
 思い返して、気がつけば、今だ。
 目の前にあるショーウィンドウの中には、銀色のネックレスが飾ってあった。
 プチネックレスというのだろうか? 鳥かごと、小鳥のトップがついた、可愛らしいやつだ。
「……」
 俺は店のたたずまいを見上げる。白を基調とした清楚な感じの雑貨店ではあるが、少なくとも男一人で入るような店ではない。
「……」
 自分の考えに対して「こらこらこら」と思いながら、俺はしばしその場に立ち尽くしていた。


22 :菊之助 :2009/05/25(月) 10:00:31 ID:m3kntkLm

迷い人

迷い人

 骨伝導無線を通して、ハルの声が俺の頭に響く。
『潜入前にもう一度言っておくが、今回のは任務でもなんでもない。だから、万が一最悪の状況に陥ったとして、こちらから救助に向かうことが出来ない可能性がある』
 いつもの通り無感情な調子ではあったが、言葉の向こう側にあるハルの緊迫した心境を、長いこと同じ「仕事」をしてきた俺は難なく理解できた。声に出さず、同じく無線を通して確認する。
「つまり、失敗すれば生還は厳しいということだな」
『そこがどの程度の施設かわからない以上、楽観視するよりも危険視しておいたほうがいい。過去の建築データを博士にハックしてもらったが、明らかに不明瞭な点が多いからな』
『気をつけて、ストーク。ヒナのことはもちろんだけど、とにかく危ないと思ったら君の脱出が先決だからね』
 ハルとは正反対に、露骨に不安げな声が頭に響いた。ハルだけではなく、世間的にも「博士」と呼ばれているルーだが、その性質はいたって幼い。いや、幼いというよりも純粋なのだろう。純粋だからこそ、時たま残酷にもなれる。
『僕もヒナのことは心配だ。だけど、君まで巻き込まれるなんてことはあっちゃいけない』
「ああ、わかっている」
 もっともなルーの意見に相槌を打ってから、俺は来る前に頭に叩き込んだ館内地図を、脳内で再度確認した。
 ヒナが連れ去られた(そう、連れ去られたというのが正しい)屋敷は、公では地上2階、地下1階。部屋の数は使用人部屋と倉庫、納戸を合わせると31。だが、そんな場所にはいないだろう。
 なんといっても、ヒナは公では死去したことにされている。事故死だと。パメラ達内勤班に過去の新聞やデータをあたってもらったが、そういった事故は「あった」そうだ。
 だから、俺とハルは、夜中に「ヒナ」の墓といわれている場所を発いた。とても人道的な行為ではない。お固いパメラはひどく反対したし、ルーもあからさまに眉をひそめた。が、今こうして俺が屋敷に潜入出来ているのは、パメラが俺達のしたことを知りながら上層に報告しなかったこと、少佐が見て見ぬふりをしたこと、反対しながらもルーが墓の防犯カメラの画像を盗み、なおかつ屋敷の防犯データに侵入してくれたからだ。
 俺達の所属する団体は、行動が限られている。極秘裏に進めなければならない仕事があるため、それ以外の事柄にたいして行動を起こしてはならない。だから、今回の俺の行動は確実な規則違反なわけだ。
 それでハルを除く他のメンバーは、直接的な協力を避けたのだ。
 みんな、迷っている。
 本心と、そして立場と。
『博士はそういっているが、何かあればすぐに連絡しろ』
 ルーの後ろから再びハルの声が聞こえた。無感情な俺の先輩兵士は、だがきっぱりと言い放つ。
『俺は立場なんて気にもしていない。チビスケを連れて帰るぞ』
「……ああ」
『だが、もしその途中お前が死亡したなんてことになったら、あとのチビスケの対処が面倒だ。お前も死ぬな』
「ああ、わかった」
 昔から、何を考えているかわからないような顔つきをしていた、ハル。
 だが、それ故か自分の中では何か一本筋が通っているようだ。まあ、その筋はなかなか他人にはわかりにくいものなのだけど。

「さて」
 俺は、わざと小さく声に出して、それから立ち上がった。
 脳内に広がる屋敷の地図通り、一歩足を踏み出す。
 この先の道は、おそらく地図とはかけ離れた場所になることだろう。確実に迷うことにもなる。
 だが、大丈夫だ。
 俺の心は、迷っていない。
 必ず、お前を連れ帰るから。
「待っていろ、ヒナ」
『そういうことは、頭の中だけで呟くものだ』
 口に出した瞬間、無線で間髪入れずハルがつっこんできた。
 


23 :菊之助 :2009/07/03(金) 14:40:55 ID:ommLomrk

氷紋


 体を貫くような寒さで目が覚めた。
 吐く息が白くて、視界が曇る。寒さをやわらげようと身を丸めていたために、四肢を伸ばすとぎこちない動きになった。
 全身に血の気がいきわたるのは、もう少しかかるだろう。痒みのような痺れは、覚醒と共に体温を上げようと体に血液が盛んに流れ始めた証拠だ。
 震える手で無意識に胸元をさわって、そこに何もないことに気がついた。
(そうだ……)
「昨日、なくしたんだ……」
 軽くなった胸元をなでて、目線だけをあげてみる。
 監禁されているこの場所は、鉄格子付きだけど窓があった。
 朝日もまだ昇りきっていない薄明かりの中、窓に見慣れぬ模様を見つけて、オレは目をこらした。
 霜が降りたのかと思ったけれど、もっと違う、はっきりとした白い何かが窓をびっしり覆っている。
 以前見た、氷の結晶の写真に似ているようにも思えたけれど、それよりもずっとずっと繊細できれいに見えた。
「ああ……」
 久しぶりにこぼれたため息に、自分でも驚いた。
 名称も知らない、その綺麗な白いものを見上げながら、胸元を触る。
 小鳥と鳥かご。
 もう、そこにはいないのに。それがあったことを確認するかのように、オレは胸元に手を置いたまま目を閉じる。
 瞼の裏ではまだ、窓についた結晶が弱い朝日を浴びて輝いていた。
(なんて、名前なんだろう……)
 彼ならば、知っているだろうか。
(……ストークに、見せたかったな……)




 警報機が館内に鳴り響いたのは、それからすぐのことだった。
 


24 :菊之助 :2009/07/30(木) 20:45:48 ID:ommLomr7

キッチン

 何か食べたい物でもあるか、と聞かれて、何もないと答えたのは料理の名前をしらなかったからだ。
 俺の答えに、彼はそうか、と答えると、キャンプの中で唯一のコンロに火をつけた。
 ザックの中から取り出した鍋を火にかけて、その中に入れたのは驚いたことにチョコレートだった。
 火力は最大。すぐさま甘い香りは焦げたそれに変わった。
 そんな顔をするな。普段はもう少しましな物が作れるんだ。
 言うと、鍋を火からおろして俺の前に突きつける。
 火を使えば、それで料理だ。料理を作るところはすなわちキッチンだ。
 薄い青色の瞳に見つめられ、言い切られて、俺は生まれて初めて返答に困った。俺の様子を気にしていないのか、彼はさらに付け加える。
「キッチンで作られたものは、すべて情が詰まっていると聞いたことがある。お前がこれまで敵兵だったとしても、これを食べて仲間になる」
 一瞬意味がわからなかった。 
 感情の読み取りにくいその少年の言い分を、4回頭の中で反すうしてから、どうやら俺は彼に歓迎されているのかもしれないという考えに至った。
 だが、あくまで「かもしれない」だ。
 相変わらず鍋は異様な臭気を放って、俺の前に突きつけられている。
 こちらの困惑にようやく気がついたのか、目の前の少年はおもむろに鍋に己の指を突っ込んで、元「チョコレート」をすくいとり、
「熱いっ!」
 ほぼ無表情のまま叫んで、思わず持っていた鍋を地面に落とした。下は土なので、アルミ鍋は大した音も立てずに地面にひっくり返る。
 土の色とチョコレートの残骸の色が混じりあい、なんとも言えない微妙な空気が俺達の間に流れた。
 しばしの沈黙の後、鍋を見下ろしていた目の前の少年がふっと俺の方を向く。
「俺はハルシオンと呼ばれている。職業はお前と同じ少年兵だ。が、おそらくお前よりはいくつか年上だと思う」
 これまた唐突な自己紹介に、俺はもう何が何だかわからなくなった。たぶんかなりのアホ面をしていたのだと思う。
 そんな俺にハルシオンというコードネームの少年がすっと手を差し出した。
「料理はだめになったが、俺達の施設はもっとしっかりとしたキッチンがある。施設に到着次第、ちゃんとした料理をふるまおう」
「……またチョコレート?」
「いや、もう少しまともな物がいい。ついでに俺は料理が出来ないので、給仕担当のヨハンナ女史に作ってもらおう。
 なので、とにかく施設につくまでは「仲間」ではないにしても、味方にはなってもらいたい。いいだろうか?」
 無表情のまま言われ続けて、本音なのかどうなのかもうさっぱりわからなくなった。俺が手を取るべきか悩んでいると
「ついでに、仲の良い人間には、ハル、と呼ばれている。といっても、まだ俺のマスターだけだが」
と付け加えられた。
 これは、つまり、自分を「ハル」と呼べということか?
「名前はなんていうんだ?」
 答えあぐねていると、立て続けにそう聞かれる。相変わらずの無表情。
 俺は急にばかばかしくなって、だが不思議に軽い心持で、ハルの手を握り返した。
「俺の名前は……」



『ストーク、しっかりしろ』
 突如頭の中に響いた声に、俺の意識は戻る。
『衝撃弾により一時意識が飛んでいたようだ。怪我はほかにないか?』
「……ああ、大丈夫だ」
 体内に仕込んだ通信からの音は、まだジンと痛む耳を通さなくてもしっかりと聞こえた。閉鎖空間で衝撃弾を打たれ、着弾は防げたもののハルの言うとおり一時意識が飛んでいたようだ。
『こちらのモニターでは敵の姿は見えない。自分で対処しろ』
「……それでサポートといえるのか?」
 思わず口から出た不満に、すぐさま耳元で
『気を失いかけた後輩に、声をかけて呼び戻したのはサポートというだろう』
と無感情な声が返ってきた。長年付き合っているが、彼の性格はいっこうに変化を見せない。
『しかし、これで一つ確信が持てたな。チビスケは必ず屋敷の中にいる』
 淡々とそうつづけられて、俺はぐっと黙り込んだ。
 突然の襲撃に、鳴り響く警告。確実に俺は目標に近づいている。
『帰ってきたら、飯を食いにいくからな』
「……どこに?」
『無論、お前たちの所にだ。チビスケに料理を作ってもらう。当然の報酬だな』
「……」
 また、そんな勝手なことを。
 ヒナが聞いたら「勝手なことを!」と怒りそうなことをいう。だが、それで幾分か気分が盛り上がった。
「……捜索を続ける」
 一言だけそう返して、俺は再び立ち上がる。


25 :菊之助 :2010/01/03(日) 18:03:59 ID:PmQHscoiz3

「目を閉じて」


 戦場で暮していれば、世間では非現実といわれるような状況が現実へと変わってくる。

 だが、それらはひとたび「現実的」といわれる世界に戻れば、己の心を蝕む闇にしか成りえない。
 人に対しては「大丈夫だ」「安心しろ」といえるはずなのに、自分のことになると対処のしようがなかった。起きている間はまだいい。眠っている間はどうしようもない。
 手首をつかまれる恐怖。それを振り払う恐怖。そして無意識的に銃を相手に構える、自分への恐怖。
 わけがわからず、一度目覚めるとそのまま日が昇るまで一睡も出来ないことがほとんどだった。

 その日も、そうだった。
 どんな夢を見たのかはわからない。ただ、恐怖と緊張が夢を通り越し体全て支配して、こわばりと押し上げるような衝撃で目が覚めた。
 カーテンをかけた部屋の中には、外からの光も入らない。
 完全な暗がりの中だと、住み慣れた自分の部屋のはずなのに、敵陣の真っただ中にいる気分にさせられた。
 昔は過呼吸に陥ることもあったが、今はそれでも落ち着いたものだ。ただ、もう朝まで眠ることはできないだろう。
 その時。
 部屋の扉が開いた。
 控えめなノブの回し方ではあったが、反射的に枕の下にあった銃を構える。
「……オレだよ」
 聞きなれた声だった。控えめに開いた扉の向こうには、小柄な影が見える。
「……なんか、呻いてたみたいだから、心配になった」
 弱気なその声に、俺はようやく自分が銃を構えていたことに気がついた。慌ててそれを枕の下に隠す。だが、夜目の利く彼女には、俺が何を構えていたか、またそれがどこに再び納められたかも見えていることだろう。
「入っても……いい?」
「ああ、いや、あ、違う、どうぞ」
 普段とはまるで立場が反対だ。大人げない慌てぶりを見せながらも、どうにか俺が答えると、意外に彼女はためらうことなく俺のベッドまでやってきて腰かけた。その手がすっと俺の額に伸びてくる。反射的に体を引いてしまったことに、内心自分に舌打ちした。が、彼女は―ヒナは、気にした様子もなく、さらに腕を伸ばして俺の額に手をやった。
「……なんだ?」
「眠れないのは知ってる。でも、休まないといけない」
 静かに、まるで俺よりも年上のような落ち着いた声で、そう言う。
「大丈夫。もう悪い夢は見ないよ。さあ、目を閉じて」
「あのな、ヒナ」
「目を、閉じて」
 静かで、優しい声だった。
 自分よりも一回り以上年下に見える少女に言われて、最初は躊躇していた俺だったが、自然と再び横になった。 
 枕の下に感じる鉛の銃に、一瞬こめかみが引きつったのが自分でも判ったが、ヒナはそのこめかみをそっと触れて、再びつぶやいた。
「目を閉じて」
「……」
 言われて、目を閉じた。
 先ほどよりも濃い闇が、俺を覆う。一瞬体が奥から緊張するのを感じたが、そんな俺に対してヒナは優しくつぶやいた。
「そう。いい子だね」
 まるで母親のような慈悲の声で。
「おやすみ、ストーク。よい夢を」
 そのまま、彼女の小さな手で頭をなでられて、俺は何度か深い呼吸を繰り返した。
 
 体がふっと軽くなる。
 闇は、やはり闇だったし、頭の中にはやはり昔体験した戦場の音が響いていたようにも思う。
 ただ、悪い夢は見なかった。
 静かで、温かな、そんな闇だった。


26 :菊之助 :2010/02/10(水) 18:29:24 ID:PmQHscoiz3

風船

風船


「……さて。君は自分の現状がいかなるものか、まだよく理解していないみたいだね」
 拘束具で全身を固定され、ご丁寧にさるぐつわまで噛まされた状況で、オレは唯一動かせる目で激しく相手を睨みつけた。薄暗い部屋だ。天井から吊り下げられる電球の弱い光が、目の前でパイプ椅子に座りオレに微笑する男の姿を映し出している。
「この二週間、気を張っている君は、なかなかどうして我々に隙を見せなかった。本当に厄介だったよ。計画が大幅におくれてしまった」
 やさしい笑顔は、嘘だった。
 確かこの男、オレの「ちちおや」だと名乗っていた。
 そう。「父親」だ、と。
「すさまじい殺気だな。ああ、そうかそうか」
 拘束され、動けないオレの額に人差し指を突き立てて、男が笑う。微笑ではなく、嘲りの笑い。
「裏切られただけれなく、希望や夢もつぶされたからか。まっとうなおうちで、まっとうな可愛らしい女の子として人生を過ごせると思ったのだものね」
 とん、とん、とん。
 額をつつかれて、オレの体は怒りによって芯から凍えた。
「淡い希望と夢でふくれた風船は、君の表向きな死によって、きれいさっぱり割れてしまったね。かわいそうに」
 編入学しないといけないからと早朝に車に乗せられたところまでは覚えている。だが、唐突に意識が途切れた。
 目覚めれば、拘束され、この部屋に投げ込まれていた。
 それだけで、すべてが理解できた。
 オレは、だまされた。
 そして、オレの両親なんてのは、でっちあげられた嘘だったのだ。
 よくも。
「しかし、ある意味我々は君の最後の希望の風船は壊していないのだよ? そんなに憎まないでほしいな」
 中年男が、初めてオレを迎えに来た時となんら変わりない笑顔でそう続けた。どういう意味だ?!

「君は、その、可愛らしい年頃の姿でいて、かれこれ何年目になるかな?」
 尋ねた男は、そうしてオレの目の前に一枚の紙切れを突き付けた。紙切れじゃない、写真だ。
 オレが写っている。
 見たことのない服を着て、気をつけの姿勢でカメラを構える誰かを睨みつけている。そのオレの横に、少年が立っていた。白い髪に、オレと同じような金と赤の眼。
「わかるね?そう、君だ。隣に立つのは、君と同じ施設で育った少年だ。これ一枚しか入手できなかったが。そして、これが最近になって入手できた、その少年の姿」
 さらに一枚写真を突き出された。
 そこには、二十代半ばの青年が写っていた。髪は白く、眼は、赤と、金。
 そんな奴、そんな人間、たくさんいると思えない。

 だったら、この青年は。少年の面影を残した、この青年は。
 理解するのと同時に、背筋が先ほどよりも数段凍りついた。


 認めたくない、何かが、膨れ上がる。


「端的に言うと、君はある特殊な遺伝子と細胞を持っている。そのため、通常よりも年をとるスピードが極端に遅い。信じられないかね? だが、これまで何度か死にかけていたのに生きてこれたのは、その類まれな回復力、細胞の活性力の一端だと言えば説明がつくだろう」
 自分でも目が見開くのがわかった。男はさらに続ける。
「しかし、そんな強力な細胞が、はたして君のようなか細い体の中にとどまるだろうか? 汗、涙、呼吸。すべてにおいて、生物は何かを体外に排出しながら生きているのだよ?
 その強力な細胞の排出が、自然界に溶け込むと思うかな?」
 自分でも喉が鳴ったのがわかった。この男の話は嘘だ。
 信じるに値しない。
 だが、信じられない根拠もない。
 確かに、オレは、他と、違う。
「君の周りにいる誰かが、最近体の不調を訴えたりはしていないか? そうでなくても、いずれそうなると考えたことはないか? 君の大事な人が傷つかないようにする最良の手段は何か、もうわかるのではないか?」

 何かが抜けていくような音が聞こえた気がした。
 希望とか。
 願いとか。
 怒りも、悲しみも。
 

「君は、我々に隔離幽閉されたと思えばいい。ついて回る実験、訓練とよばれるものも、すべて君自身から君の大事な人たちを守るためのモノと考えれば耐えられるだろう?」

 自分がしぼんでいくような気がした。
 多くの何かが抜けていく。
 風船みたいだ。
 オレは、しぼんだ風船みたいだ。

 


27 :菊之助 :2010/02/24(水) 00:48:31 ID:rcoJsGumo3

愛しさ

愛しさ

 爆風と喧騒の中、確かに誰かが名前を呼んだ気がした。
 脇には銃を構えた兵士が控え、振り返ることも許されない。だが、自分を取り囲む彼らの体に緊張感が走るのを見て、ヒナは聞き間違いではなかったのだと確信した。
 その声が誰のものなのか、すぐに分かった。
 警報機が館内に響き渡った時から、すでに分かっていた気がする。
「……ストーク」
 誰にも聞こえないような声だったはずなのに、口にしたら胸が締め付けられた。
 無論、返事はない。
 彼が、新しい「家」に自分が入り込んでから一度も連絡をくれなかった理由は、何とはなしに理解しているつもりだった。きっと、彼の相棒や同僚達は、何度かこちらに連絡をくれようとしたことなのだろう。それを、彼が止めたのだと、ヒナは自然に想像できる。

 新しい家になじむのに、俺達が不必要に連絡をしないほうがいい。
 ヒナのことを考えろ。
 普通でも混乱しかねない状況なんだ。
 落ち着いたら、きっと自ら連絡をよこしてくる。
 連絡がなかったら、それはあいつが自分の本当の家になじんだということだ。
 いいことじゃないか。

 煙草をくわえながら、眉間にしわを寄せて、きっとそんな風に言ったのだろう。
 豪奢な家具がおかれた、だだっ広い部屋のベッドの上で、ずっとそんな風に考えていた。彼がそんな不器用な優しさを持っているのを、何よりヒナは知っていたから。
 だから、穴のような深い寂しさで心がおさえこまれても、彼の優しさを思って、ヒナは精いっぱい新しい家になじもうと我慢したのだ。
 
 しかし、唐突に裏切られた。
 新しい家は、彼女の「家」ではなかった。全てが全て、嘘で塗り固められ、実際は彼女の持つ何かしら特殊な細胞を占領しようとする組織の、虚像が作り上げたものだった。
 それでも、逃げもせず、言葉の通り死にそうな訓練や実験にも耐えてきたのは、やはり胸の内に彼がいたからだろう。
 自分は普通ではない。いるだけで周りの者を破壊しかねない。どのように破壊するのか、どのような毒が自分の中にあるのかまでは理解できなかったが、それは誰にも言わず、そして自分自身でも気付かないようにしていた事実を提示され、理解できなくても認めざるを得なかった。
 自分が彼の元に戻ったら、そうすれば穴のような寂しさは、湧き上がる喜びで満たされる。
 でも、もし自分が戻ったことで、彼が、原因不明の病にかかったら?
 それが完治しないような病だったら?
 それが原因で、彼が苦しみ、そして、そして――。

(死んでしまったら)


 唐突に、彼女の右側にいた兵士が倒れた。
 眼だけで兵士を確認すると、彼の眉間に麻酔弾の痕がある。次いで、後方右と前方右も呻き声をあげて倒れた。プロではあるが、実戦の経験は明らかに少ないであろう兵士達が、埃が待って白く濁る前方に向かい自動小銃を乱射した。
 背筋が冷たくなる。
 やめろと叫ぶより早く、拘束具を付けられた彼女のベルトをつかんで、横の兵士が急いで前を走らせようとする。ヘリポートはこの先だ。そこに彼女を護送すれば、彼らの仕事は一段落する。正体不明の敵に、狙い撃ちにされるなんていう経験は、きっと彼らはしたことがないのだろう。
 気の毒に思いながらも、どうにか後方を確認しようと彼女が首をひねったら、バランスが崩れた。手と腕をがっちりと拘束され、無理な体勢で走らされたのだ。無様にも顔面から地面に倒れる。
「なにをしている?!」
 兵士の苛立った声が、頭上から降りかかった。
「立て!」
 言われて立ち上がろうとするが、腕を使えないのでは、思うように体を起こせない。しかし、兵士はそれがわざと時間をかせぐための行動だと認識したのだろう。横合いから銃のグリップで背中をたたきつけてくる。
「……!」
「とっとと走れ! この野郎!」
 息が詰まる衝撃に身をよじるひまもあたえず、兵士は再びベルトをつかんで無理やり彼女を立ち上がらせた。だが、長引く無茶な実験で弱り切った今の彼女は、そこからすぐに走り出すことができない。痛みに呻き、奥歯をかみしめてみるものの、衝撃と疲労に意識がもうろうとする。
 横で再び兵士が銃を振り上げる気配がした。
 だが、悲鳴を上げたのは意外にもその兵士だった。ついで、その体が地面に倒れこむ。ぼやける瞳でも、兵士が完全に気を失っているのがわかった。
 
 そこで気がついた。
 誰かが、そこに、立っている。
 倒れかけた体を下から支えられ、もう片方の手は背中で結ばれている拘束具のベルトを冷静に外していく。
 すん、と彼女の鼻に煙草の匂いが届いた。胸が締め付けられる。よく知っている匂いだ。
「待たせたな」
 ぽつりと耳に届いた声は、ずっとずっと、彼女が待ち望んでいたものだった。
 拘束が解かれ、反動で体が前のめりになったが、また地面に倒れることはなかった。大きな手が先ほどと変わらず彼女を支えていてくれたからだ。そっと、振り仰いだ。

 濃いブラウンの髪。
 緑の瞳。
 険しげによった眉根は、彼の慎重な性格と、これまでの経験を物語っている。
 あ。

(……ひげ、剃ったんだ)

 むさ苦しかったひげが、綺麗に剃りあげられていた。そのため、これまでよりもずっと若く見える。もしかしたら。
(思ってたよりも若いのか、な……)
「ああ、髭か。今日は、剃ってきた」
 こちらの視線に気がついて、彼が小さく苦笑した。胸が熱くなる。言葉が、何も、出てこない。
 だから。
 彼女は。

――君の周りにいる誰かが、最近体の不調を訴えたりはしていないか? 

「大丈夫か? 歩けるか?」

 聞かれる。心配そうに。優しげな、まなざしが、自分にふりそそぐ。
 だから。
 だから、彼女は。

――そうでなくても、いずれそうなると考えたことはないか? 君の大事な人が傷つかないようにする最良の手段は何か、もうわかるのではないか?

「ストーク」
 息を吸い込むようにつぶやいたはずだったが、相手はその呼び掛けに反応した。
「なんだ、ヒナ?」
 求めていた、望んでいた全てが、今、自分の目の前にある。
 瞬間、最後の言葉が頭に響いた。



 すべて


 君自身から君の大事な人たちを守るためのモノと考えれば


 耐えられるだろう?


 気がつくと、自由になった自分の体は、愛しい相手の手を退けて走り出していた。
 背後で自分の名前が叫ばれた。
 だけど、振り返らない。立ち止まらない。
 ヘリポートと反対方向、途中に何度も曲がり道を抜け、以前自分が「訓練」に連れて行かれた屋外へと飛び出す。
 日は、もう暮れかけていた。
 伸び放題の木に、生え放題の草をかき分け、彼女は懸命に走った。どこにいくのかわからない。どこに向かおうとしているのかわからない。
 なぜ、走っているのかさえも。
 訓練で何度も走らされた場所だった。土地は覚えている。だけど、今はどこをどう走っているのかさえもわからない。
 伸びすぎた枝が、無防備な体を打った。痛みが走る。ここから先に進んだら、もしかしたら崖だっただろうか? 崖から落ちるつもりなのだろうか?
 瞬間、背後で短く悲鳴が聞こえた。
 ハッとして、初めて振り返る。
 後方で、彼が、目元を押さえてうずくまっていた。
 その手の隙間から、赤い血が、滲んで見えた。

「――――っっ!」

 全身に震えが走った。
 踵をかえし、走り寄る。呼吸が止まりそうだった。

「ごめんなさいっ!」

 口から思わず出た言葉の意味を、自分でも理解できないまま。
 手は自然と彼の、傷を押さえる手に向けられていた。

「ごめんなさいっ! ごめんなさいっっ!!」
 声が震えているのがわかる。それ以上に、体が恐怖で震えていた。
 どうしようどうしよう。どうか、どうかどうか!

「……大丈夫だ、目には入ってない」
 震える手をつかんで、彼は血がにじんだ顔をゆがませた。それがひどく不器用な笑顔だとわかるには、彼女には少々の時間を弄したが。
 彼の言うとおり、その緑の瞳には傷はなかった。細く鋭い枝が、瞼の上をかすめたのだろう。まだ出血しているものの、傷口自体は浅く小さい。
 肺が震えた。息が苦しい。目を閉じる。涙が、滲む。
 ハタと気がついた。手を掴まれている。
 思わず立ち上がり、再び走ろうとした。
「待て!」
 ガクンッと体が停止した。彼が、手をつかんで離さなかったから。
「……逃げないで、話をしよう」
 静かだが、必死な声だった。これまで彼女が聞いたことのないような、そんな声に、もう、彼女は、ヒナは、立ち止まったままだった。


28 :菊之助 :2010/08/10(火) 23:07:06 ID:rcoJsGumo3

いらっしゃいませ



 いらっしゃいませ。


「あー……表のショーケースに入っているペンダントが欲しいんだが」
 言って入ってきた男性は、若い女性向けのアイテムを扱うこの店には明らかに不似合いだった。
 年齢は見たところ三十代前後だろうか。黒のジャケットにカーキ色のカーゴパンツ、髭面で鋭い目つきに筋肉質。服の上からでも、筋肉の厚みが分かる、いうなれば「町中にいるサラリーマン」とは明らかに違う人種だ。白くて、かわいくて、女の子好みなこの店には、こんな武骨で、強そうで、ついでに背も高くて怖そうな軍人っぽい彼は、異様な存在に見える。
 それは店内にいたスタッフ全員が感じたことらしく、皆一応にポカンとした間抜けな表情で彼を見たまま、動くことができなかった。
 いつもはイノセントに偉そうなマナが、一番その「お客様」に近い場所で在庫管理をしていた。が、バインダーで彼が見えなかったことにしたのか、明らかに気がついた風ではあったが彼女はそのまま黙々とリストチェックを続ける。
 男性は、ただでさえ渋い顔つきをさらに渋くして、立ち止まったままだ。が、少しして踵を返した。店を出て行こうとする。
「ショーケースの鍵をお持ちします、少々お待ちくださいませ」
 店内のスタッフ全員の視線がこちらを向いたのを感じてから、私はようやく自分が「お客様」に向かって声を出したことに気がついた。
 店の一番奥、カウンターで帳簿整理をしていた私は、己のでっかい声にびくつきながら、足をとめた「お客様」へと歩いていく。
「どちらのお品でしょうか?」
 小さな鍵でショーケースを開けながら私は「いつも通り」の接客をしながら、お客様の様子を伺った。
 その指は男性の中でもかなりごつごつしている類で、同じ職場にいる他の男性陣とは比べ物にならない。そのごつごつした人差し指が、引き出したショーケースの中の一つをさした。
「その、左から三番目のペンダントが」
「こちらですね?」
 言って、私はトレーの上にそれを置き、確認する。
「こちら、今はチェーンを通してネックレスのようにしておりますけれど、ペンダントトップはリングにすることも出来ますので、個人的にもお勧めです」
「……リング?」
 触れないように遠目で品を見つめていたその男性が、露骨に眉をしかめた。私はうなずき返す。
「ええ、そうなんです。サイズはフリーサイズですのでよほど指が太い方でなければ大丈夫ですね。リングは二連なので、その日の気分に合わせて一つ指につけて、もうひとつをトップにすることも出来ますし、今みたいに二連トップにすることもできます。また同じ指に二つともつけてもらっても、フリーサイズの中では結構細いリングなのでゴチャゴチャしませんから綺麗に見えますし……お客様?」
 男性がさらに顔をしかめ、仕舞には片手で困ったように口元を押さえたのを見て、私は思わず彼に声をかける。すると、お客様はその手をさらにこめかみ、顎に移動させた後、他のスタッフには聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
「……女性からの意見として聞きたいんだが」
「はい、なんでしょうか」
 つられて小声になった私に、彼はさらに声をひそめて聞いてくる。
「普段行動を共にしている同僚が、ペンダントとは言えリングにもなるような物を渡してきたら……キミならどう思う?」
「私、ですか?」
「……ついでに、相手はここ最近大変なことが多々あり、それがようやく解決して、まあ、その、疲れているというか、気落ちしているというか、そんな状態のときに、これを渡されたら……」
「それはつまり、結婚しようとまでは言わなくても、何かしら特別な感情を抱かれていると誤解されないかどうかという……?」
 どうにか言葉を探して聞き返すと、彼は神妙なまでに深くうなずいた。
 その表情は険しいといったら険しいに違いないが、どこか情けない。まるで、思春期の少年のような、その少年が好きな子に初めて気のきいたプレゼントを贈るような、そんな感じだ。
 そこで思い出した。
 この人、確かバレンタインシーズンに来た髭面の人じゃないか!
 今は髭がなくずいぶん若く見えるが、確か以前来た時は髭面で同じように険しい顔だったから、今日のように他のスタッフが近寄らず私が接客したのだった。
 確かその時購入されたのが、小鳥と鳥かごのトップがついたペンダント。あげる人の年齢を聞いたら
「……二十代? 前半?」
と、ものすごーくあいまいな答えを返してくれた人だった。おー、それじゃあげる人は同じ人か? というか、そんな定期的にアクセサリー(しかも決して安いものではないと思う)をあげる間柄だと、よほどの鈍い人でないと好意があるのなんてばれるんじゃない? というか、好意があるからあげるんじゃないの?
 ああそうか、と私は納得する。彼は、まだ自分に自信が持ててないのか。
 あいまいな年齢発言を聞くと、もしかしたら相手はもっと年下なのかもしれない。今は年の差カップルも当たり前な時代だし、これがものすごく変態チックなお客様ならば躊躇するところだけど、見た感じ目の前の男性は真面目そうだ。お互い探り探り、相手の気持ちをはかっているのかも。
 だとすれば、ここで必要なのは冷静な意見よりも、後押しの意見か。
「人それぞれであると思いますが」
 慎重に第一声をつぶやくと、彼の緑の眼はさらに真剣な色を浮かべる。
「見ず知らずの相手からでなければ、女性は大抵「プレゼント」として受け取ると思います。自店の商品を褒めるわけではないですが、こんな可愛いものですもの。もらって嫌な気分になる人はそういないと思いますし、もし嫌ならば身につけなければいいだけですもの」
「なるほど」
 ふむふむとうなずく顔が、本当に思春期の少年みたいだ。
「それに深い意味を持たせるには、こちらは細工が本当に可愛らしいので、もしお客様が相手様に誤解をされたくないのならば、何を贈ればよいかわからなかったので色々と付け替えることが出来るものを贈ってみた、とお話すればよいのではないでしょうか。私ならば、大抵の場合はそれで納得するかと思いますが」
「そうか……」
「でも、何か特別な意味をこめるにしても、良いお品ではありますよ?」
 その瞬間私は見逃さなかった。
 目の前の男性の頬が、一瞬にして赤くなるのを!
 よし、ではとどめの一言を。

「今なら、無料でラッピングさせていただきます。期間限定の白い箱に、金色リボンで」
 優しい笑顔で微笑みかけると、その「お客様」は再び目元に手を当て、深く息を吐いてからおっしゃいました。

「……これ、ください」



ありがとうございました。


29 :菊之助 :2011/02/23(水) 23:59:39 ID:sGsFVFunYD

23.4

 地球の地軸が23,4度に傾いていると教えてくれたのは、確かルーだったと思う。
 オレは知らないことが沢山あって、思い出せないことが沢山あって、だからなのかその話を聞いたときに「へー」としか思わなかった。
 だって、23,4度なんて、あんまりぴんとこない数字じゃないか。

 それに、それだけ傾いているからといって、何になるのかとも感じた。
 もしその傾きが少し変われば、地球には多大なダメージが起こるのかもしれない。
 でも、実際その傾きが変わったのを体験した人間なんているわけないのだから、それこそ信憑性のない話じゃないか。

 そう思って、そう考えながら、今日はまた屋上のタイルの上に寝転んでいる。
 首から下がっているのは、可愛らしいネックレスだ。
 こんなの、オレが付けてていいのかなとも思う瞬間はあるけれど、気がつくと手でいじっているし、眺めているし、やっぱり気に入っているんだろうな。

 4日前にそれをくれた人物のことを思い出すと、なんだか胸のあたりがきゅっと苦しくなった。いつも仏頂面で、睨んでて、きっと顔はハンサムの部類に入るのだろうけれど、それよりもとがっている印象の方が強い。
 でも、そいつがオレのために、こんな可愛いネックレスを選んできたのかと思うと、また胸がきゅっと痛んだ。

 オレと、あいつとは、いったいどれくらい年が離れているのだろうか。
 そもそもオレ自信、本当は何歳なのだろうか。
 この前であった、腹立たしい輩の話では、オレは年をとっていないらしい。外見上は、14、5歳だけど、実際はもっと上だというようなことを言われた。
 もっと上って、どれくらいなんだ?
 記憶が戻ると同時に、突然外見もふけるとかそんなのか?

 あいつの年齢も、実はよく知らない。
 髭を生やしていたときはむっさいオッサンだと思っていたけれど、髭をそると意外と若かった。もしかして、オレのほうが年上だった、なんてことも起こりうるかもしれない。
 濃密な人間関係に年齢は関係ないというけれど、本当にそうなのだろうか。
 
 外見の急激な加齢が万が一オレに起こりうるとした時、オレは、そしてあいつは今まで通りに付き合っていけるのだろうか。
 それよりも、オレの体には、他のものに害をもたらすような細菌やウイルスがあるとも聞いた。
 今のところパメラからは「そんなことはない」と言い切られたが、実際は分からない。
 オレがそばにいるだけで、あいつが苦しんだならばどうしよう。

 思うと、また胸が痛んだ。

 どこか遠くに行くことは、オレにとっては簡単なことだ。
 でも、それをして、あいつはまたオレのことを探してくれるのではないか。

 矛盾した思いに、胸が再三にわたって痛む。
 悲しいとも、情けないとも、つらいとも違う、この痛みに、ため息が漏れた。
 そのため息に呼応するように、首にかけたネックレスが揺れる。


 世界はまっすぐなようで23,4度傾いている。
 その傾きが少しでも変わると、世界はどうなるのだろうか。
 オレがこの場から姿を消すことは、この世界においてどんな風に受け止められるのだろうか。
 そんな風に考えた自分が馬鹿らしくなって、また胸が痛んだ。

「ヒナ、いるか?」
 背後にある扉が開いて、オレの名を呼ぶ声がする。
 髭のなくなった顔は、本当に若々しく見えた。もしかして、三十歳に満たないのかもしれない。でも、いくつなのかはオレは聞かない。知れば、その分、きっと悲しくなるから。

「いるよ、ストーク」
「お前、まだ本調子じゃないだろ? 早く部屋に戻れ。風邪ひくぞ」

 言って、寝転がるオレの腕をとる、ストーク。その口調は年上のそれだけど、ねえ、もしかしてオレのほうが年上とか、考えたことある?
「なあ、ストーク」
「なんだ?」
 ぶっきらぼうに返されて、オレは立ち上がるふりをしながら下を向いた。

「地球って23,4度傾いてるって、知ってる?」
「ああ、それがどうした?」
「……傾きが変わったら、どうなると思う?」
「は?」

 下を向いていたからあいつの表情は分からなかった。
 でも、ややあって頭の上から声がする。
「傾きが変わっても、俺たちは変わらないんじゃないか?」
  
 さらっと。

 そう、さらっと答えられた。
 拍子抜けして顔を上げると、そこにはいつもの仏頂面がオレを見下ろしている。
 深い考えがあっての発言なのか、そうでないのかは分からないけれど、ストークはオレの頭をポンポンと叩いてほほ笑んだ。

「さ、部屋に入れ。風邪ひくぞ」
「……うん」

 言って前を歩いていくその背中に、小さく呟いてみた。

「……ありがと」
「ん? 何か言ったか?」

 聞こえてないと思ったけれど、振り返られてオレは慌てて言い返す。
「何も言ってないよ!」
「そうか? 何か聞こえた気がしたんだがな」
 ぶつぶつと言って、そうしてストークはまた屋上から室内へ続く階段へと歩き始めた。
 オレもその後へ続く。

 変わらない23,4という傾き。
 変わればどうなる?
 変わっても、きっとオレ達はオレ達のままでいられる。

 胸元で揺れるネックレスをちらりと見ながら、オレは、そう思えた。 


30 :菊之助 :2011/04/20(水) 10:18:00 ID:sGsFVFueWc

23.4ストーク編第一章「chiave(鍵)」

「chiabe(鍵)」

 潜入捜査を終えて、本部に報告し、朝飯にとコーヒースタンドで買った品々が入った袋を手に我が家に帰ってきたら、なぜかヒナがいなかった。
 デスクで眠りこけていたルーを叩きおこし(無論、手加減して叩いたのだが、後々まで頭が痛いと責められた)事情を聞くと、こいつもヒナがいなくなったのに気がつかなかったという。
 全身から血の気が音を立てて引いて行くのが分かった。
 すぐさま部屋の痕跡をチェックするが、特に異常は見つからない。
 連れ去られたのではないのか、それとも薬品で部屋全体が眠らされて、騒ぐことなく拉致されたのか。それならば、科学部のマードックを呼ばねばと、俺が無線を立ち上げかけたところで部屋の扉が開いた。
「あ、ストーク。お帰り」
 こちらが拍子抜けするほど、あっけらかんとした口調でヒナが部屋に入ってくる。
 手には、俺が立ち寄ったのとは別のコーヒースタンドの袋が。
「パンが切れててさ。ついでにコーヒーもなかったみたいだから、買ってきた。あれ? ルーどうしたの、なんか頭、盛り上がってね?」
 すたすたと前を横切られ、キッチンに消えていくその姿を、俺はルーの痛いほどの視線を背中に感じながらも茫然と見つめていた。


「なーんか、お父さんみたいねぇ」
「なんだって?」
 定期健診を終えてシャツを着治していた俺に向かって、パメラが呆れた声でそう呟く。
血液検査に簡単な反射力テスト。その間、俺は今朝のことをずっとパメラに話しこんでいた。愚痴、というわけではない。ただ、今から考えると愚痴に聞こえなかったこともなかったかもしれない。
 ヒナは、少し前に拉致された。彼女を救出した後に、彼女をとらえた輩を締め上げ、できるだけの情報を吐かせようともした。が、その輩は有益な情報を吐くその前に、死んだ。検死の結果、急性心不全だと分かったが、そうも都合よく心不全になるわけがない。
 ヒナをとらえていた屋敷の中でも、他に関係者と思しき兵士がいたわけだが、それらも時期同じくしてバタバタと死んでいったと、ハルが報告してきた。
 何が起こっているのか、まったく理解できないままに、解決の糸口もつかめない拉致事件だった。そうした状況下において、前回と同じようなことが再び起こりうる可能性は十二分にある。
 だからこそ、ヒナが独り歩きするのはできるだけ避けたい。
 同じようなことがあっては、困る。

「少し窮屈なんじゃない、ヒナ?」
「ヒナのことを、俺が窮屈に思っているとでも?」
「違うわよ。今のストークの態度が、ヒナにとっては窮屈なんじゃないかしらと言ってるの」
「は?」
 水の入ったペットボトルを手渡しながら、パメラは肩をすくめて見せた。
「だって、最近のあなた、年頃の娘を抱えるお父さんみたい。何か危ないことをしないか、怪我しないか、できれば毎日目の届く場所に置いておきたいと願っているみたいよ」
「ば、馬鹿言うな!」
「はいはい、顔赤らめないで。私より年下なのに、お父さんは悪かったわ」
「赤らめてなんていないっ!……というか、パメラ、え? 俺より年上なのか?」
「そうよ。知らなかったの?」
 手元のファイルに何か書きこむ彼女を前に、俺は本日二度目の衝撃を受ける。二十代半ばだとばかり思っていたのだが……。女は本当に分からない。

「ヒナは自分でもすっごく気にして行動しているわよ。ただ、同時に自分の正体を知りたいと思って、探し回ってもいるの」
「……ヒナがそう言ったのか?」
「言葉は違えど、真意はそうね。だから、自分なりに何かきっかけを探そうとしている」
 書き終えたファイルをデスクに置いて、パメラはふっとほほ笑んだ。

「大丈夫よ。彼女が帰る場所はストークのところなんだから。あなた自身、もうちょっと落ち着いたら?」
「……しかしだな」
「いっそ鍵付き扉にでも、閉じ込めちゃう?」
「ば、馬鹿いうな!」
「あーやだ、大きな声出さないで。はい。検査結果は順調よ。血液検査は明日にでも出る予定だから、また明日、ヒナと一緒に来てね」
 わざとらしく「ヒナ」の部分を強調して、パメラは俺を医務室から追いやった。
 成す術もなく扉の外に出された俺は、だがしばしその場に立ち尽くす。

 鍵のついた扉。
 その中にヒナがいる。
 つまらなそうな顔をしていたが、鍵を開けて入ってきた俺の顔を見るや、花のような笑顔でうれしそうに叫ぶ。
(ストーク! 待ってた!)
 そして、おもむろに走り寄り俺に抱きついてきて……。

「馬鹿か俺は!」
 わけのわからない考えに、俺は自分のほほを思い切り叩いた。
 何てことを考えてるんだ! 鍵付きの扉? 馬鹿馬鹿しい。第一、閉じ込めていたりしたら、あのヒナのことだから笑うどころか蹴り殺される。
 だが、背徳的なその考えに、俺の腹の中はおかしな熱がこもっていた。
 禁煙のせいだ。
 禁煙して、イライラしているんだな俺は。
 よし、今日は思い切って一本久しぶりに吸おう。吸うぞ俺は、吸っちゃうからな俺は!

 自分を奮い立たせ売店に歩き出した俺だったが、まだ中心の熱をいやなぬくもりを残していた……。


31 :菊之助 :2011/06/17(金) 19:05:54 ID:sGsFVFueWc

ストーク編第二章「voce(声)」

 飲みかけのレフブロンドを脇へ押しやられ俺が不機嫌な顔をすると、対照的なまでの無表情でハルシオンが淡々と呟いた。
「ビールなんかで酔っ払おうとするな」
 ビアレストランでそれも無理な話ではなかろうかと思ったが、ハルの言うことはいつも常人の理解を逸脱したものばかりなので、仕方なく睨むだけにとどめておく。週末ということもあり、ベルギービアレストランはなかなかの込み合いだ。軽めのエールも出すためか、女性グループも多い。男二人で差し向かいで飲んでいるのは、俺達だけではなかろうか。

「それで? 今日は何か聞いてほしいことがあったのではないか?」
 これまた唐突に切り出し方をされたが、俺はグラスを再び手元に引き寄せつつ素知らぬ表情でとぼけてみせる。
「何が? もう十分話しているじゃないか。新人の話もそうだし、予算のこともそうだし」
「もっと聞いてほしい何かがあるのではないかと、訊ねているんだ。……いや。お前の場合はこちらが真髄を使ないと口に出さないな。ヒナのことだろう」
「……何が?」
「こめかみが引きつったぞ。本当に表情豊かになったな」
 相変わらずの無表情の相手に言われてもピンとこないが、思わずこめかみ辺りを触れている自分に対して、俺はまた渋面になる。誤魔化すかのようにグラスを思い切り傾けると、ほろ苦い液体が乾いた喉を勢いよく通っていった。

「気になるのは理解できる。アイツの出生も、どのような場所でどのように育てられたのかも結局分からなかったわけだしな。拉致したやつらの正体も分からないのでは、次が無いとも限らん」
「……俺はどうするべきなんだ?」
「えらく弱気だな、ストーク」
  背もたれに体を預け、今日初めてハルが苦笑した。手に持つグラスの中身は、ほぼ減っていない。ハルは、俺の先輩にもあたる傭兵は、ひどく優しげな声でつづけた。

「一番いい方法は、今の会社にヒナを丸ごと預けてしまうことだ。そうすれば、少なくとも無断外出はできなくなり、それと同時にこれまで以上に彼女の安全は確立される。お前の悩みの根本もそれで解決されるはずだ」
「いや、それは……」
「お前が悩んでいる原因は、ヒナの安全ではないのだろう? 自分がいかに、自分自身でヒナを守れるか、守りたいという気持ちを抑えられるか、そういったことだろう?」
 アイスブルーの瞳が、冷やかに輝いて見えた。グラスの中身はすでに温くなりつつあるのだろう。小さな水滴が透明なガラスの表面をつたって、木目のテーブルに黒い染みを付ける。
「あんなコンパートメントで、非戦闘員である博士と共同生活もしながら、どうやって敵から一人の女の子を守れるんだ? 守りたいと思っている時点で、すでに傭兵としては失格だな。お前な」
 言葉の出ない俺に対して、ハルは音もなく顔を近づけて囁いた。

「この調子ならば、遅かれ早かれヒナが理由で死ぬぞ?」
「……」
 言い当てられた気分だった。
 一番触れてほしくない、だが自分でも認めなければならない部分を無理やりはぎとられてむき出しにされたような、そんな気分だ。
 ヒナが無事であればいい。
 だが、それは無機質な場所で幽閉、軟禁されての安全ではない。
 俺の手の届くところで、視界の中で、無事であってほしいと願っている。
 だが、それは果たして可能なのか?
 敵の正体も分からない今、取り合えず現状維持ということで以前同様に俺とルーの住むコンパートメントにおいてはいるものの、それが決して最良の処置ではないことを、俺自身が一番理解していた。

 理解しているからこそ、本来ならば安全な場所に彼女一人を置くべきなのだ。

 敵にはおそらく俺の素性もばれている。
 探そうと思えば、ヒナが一人でいた時よりも俺がそばにいる方がずっと確実に見つかる可能性が高い。ならば、俺から遠ざけるのが一番良いに決まっている。

 でも、今現在、それが出来ていない。
 なぜか?
「情が移ったか、ストーク?」
「……」
「あんな幼い姿でありながら、すさまじい潜在能力をもち、そのことで自身を責めているヒナに対して、昔の自分を重ねているんじゃないか?」
「……そんなことは!」
「ふむ」

 温くなったビールに口をつけて、ハルは少し考え込むように黙った。
 ややあって、グラスをテーブルに置き、呟く。
 その声は、静かで優しく、まるで恋人に、愛をささやくような響きだった。
「殺してやろうか?オレが、ヒナを」

 その声に。

 気がついた時には、俺の利き手はハルシオンの喉仏を砕くため、奴の喉をきつくきつく締めあげていた。無意識の行動だったためか、反射でテーブルに足があたり、すさまじい音が店内に響く。
 俺達の周囲で目をまるくし、かすかな悲鳴が聞こえた。
 喉を締め上げられ、普段は白い顔が瞬く間に赤黒く変色したハルシオンだったが、非常に落ち着いた様子で首をつかんでいる俺の腕をポンポンと叩いた。
 口元には冷ややかな笑み。
 だが、そこで俺はハッとして慌てて手を離す。
 軽くせき込んでから、ハルはわざと聞えよがしに言った。
「飲み過ぎだぞお前。ビールでそんなに酔っ払うなよ」
 軽い口調に、周囲の客達が安堵する。
 ちらちらとこちらを見る者はまだ何人かいたが、次第に彼らは自分たちの話題に戻って行ったようだ。

「……オレよりも、彼女の方が大事なんだな」
 再び座席戻り、下を向く俺に、ハルはポツリと呟いた。
「いいことだ。嘘もあてこすりでもなく、そう思う」
 小さな声だったが、それは異様にはっきりと耳元にまで届く。

「頼れ、ストーク。オレはお前の先輩で、兄弟で、そして友人だ。一人で解決しようとするから、今のお前は迷っているだけだ」

 顔を上げると、いつもの無表情が己の喉をさすりながらこちらを見返していた。喉もとには俺の手の痕が、まだ赤く残っている。
「何かあればとにかく俺を頼れ。お前がヒナを守る手助けくらいは、オレにも出来ると自負している。悩むなら、話せ。助けてやる」

 その声は、顔と同じくらい無感情だった。
 ただ、長い付き合いで知っている。
 ハルシオンが無感情な声で話すときは、それは真実を話している時だ。
 
 温くなった手の中のグラスの表面で、透明な雫が固まりとなり俺の手に伝っていた。


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甘辛流小説家ギルドGAIA
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