0.2t


1 :異龍闇◆AsVGmnGH :2007/05/11(金) 10:28:14 ID:QmuDsJYm


 他人の身体的特徴を言っては世間一般常識的に考えてイケナイ事だが、不可抗力と言う思わず口についてしまう、一種の真理めいた、一言で一個人の全てを表せる魔法の言葉がある。



        でぶ。



 肥満、脂肪、豚、肉、石塚、内山くん、パパイヤ鈴木、細山くん、フグオ、石塚。

 とにかく、彼ら、肉付きの良い人種を表すには好都合なのである。

 僕の親友の『 高村くん 』は、小学校からの付き合いである僕の知る限りでは体型に気を払っていた時期はまるで無い。
 エンゲル係数と言う指標をブッチギリで無視してとにかくいつでも、下手すると何処でも何でも喰っているような気がする。高校生当時身長187cmにして体重は200kg超、驚く無かれ0.2tである。一人の横幅で成人男性二人を隠し、三倍の体重を醸し出し、常人の四倍の汗をかきながら、人の五倍以上は食べていた。その体格に見合う分、高校の頃は食べ歩きのために脂肪の下の見えない筋力を発揮して肉体労働のバイトをしているほどだった。僕の住んでいた市内からその近郊掛けては彼は大喰い挑戦もののブラックリストに載り、街中を歩けば大抵どの店の張り紙にも『高村禁止』と書いてあった。携帯禁止と同レベルである。その束縛の代わりと言っては何だが、自他共に認める大喰いと同時に美食家で知られる彼は新メニューの批評家として、彼に好意的な店主(大抵がそうだが)によって新商品味見にありつけると言う美味しい地位を確立していた。それでも無論、彼にとって量より質であり、高級料亭で慎ましく食べるより、牛丼を特盛でがっつく方が似合うのである。
 ちなみに僕ら二人の出会いも牛丼屋だった。お互い両親の帰りの遅い僕らは隣の家同士である事もあってか、小学校の中学年から牛丼屋で食事を済ませるようにしていた。僕が親の帰りがあまりに遅いために、ひもじさのあまり自宅から徒歩三分の牛丼屋に始めて行ったのである。始めてのおつかいならぬ、始めての牛丼屋で、周りのサラリーマン達や年齢層の高さに圧倒され、空腹も忘れて自動ドアから回れ右をして自宅に帰りたくなった。だが、ふと見たカウンターに体格通りに堂々と座って居たのは当時十才にして特盛で二杯目のお代わりをしていた高村くんだった。小学生離れした小山のような後姿に、最初は近所の中学生か高校生かと思ったが、同い年で、しかも最近隣に引っ越してきた男の子だと改めて気付いて僕は唖然とした。そんな彼が、ちょうど特盛三杯目の注文を終えて、狭い店内の斜め横に立っていた僕と目の合った瞬間にして、ちょうどお腹を鳴らした僕に対して言ったのは、

「腹減ってんなら紅ショウガしゃぶって待ってようぜ」

 と彼の人と(なり)を表すのに十分な言葉だった。
 その後牛丼で食事を済ましたと知って以来両親は「お隣の高村くんと二人で御飯を食べてなさい」と育児放棄ギリギリの発言をして食費だけを僕に渡し、昼間学校で会い、毎晩牛丼屋で会う内に僕らは親友となったのだ。
 たまに余った食費で(勿論彼の提案で)出前を取ったりもした。
「じゃあ、出前も取ったし、カレー食って待ってようぜ」と何故か出前を注文したのにカレーを食べていると言う良く分からない事が度々起こったが、段々慣れてきたために新しく友達を彼に紹介するために連れてきて、やっとおかしいのだと言う事に気付く事を繰り返していたりもしていた。



 そう言えばちょうどあの事件が始まる直前、高校生だった僕達は牛丼を食べていたような気がする。



「ごちそうさ――」
「いただきまーす」
 僕の食事終了宣言を掻き消す声を出したのは牛丼屋のカウンター、僕の隣に座って五杯目の丼に手をつけた高村くんの声だった。
 僕は部活の帰り、彼はバイトの帰りに例によって例の如く、牛丼屋で夕飯を食していた。
 ちなみに高村くんは料理もプロ並みに出来る腕前だが、作っている間が我慢出来ないので、こうして牛丼で『前菜』を済ましてから、胃が消化を終える前に家に帰って御飯を作ってもう一度食べ直している。
「はふっ、むふほ、うむっ。おほっ♪」
 非常に楽しそうに食っている。高村くんノリノリである。
 それに対して、僕は昼間の事を思い出して、ちょっと憂鬱になっていた。
 その様子に気付いた彼はスパートを掛けて御飯を口の中に掻き込むと、僕に斜めに向き直った。
「どうしたんだ? 牛丼屋に来て何も食べないとは、その口は飾りか?」
「君は何でも食べ物を基準で考えるんだね。……厳島(いつくしま)さんの事知ってる?」
「あぁ、お弁当箱が花柄の子だろ? そういや最近、学校で見ないね? ところで、牛丼食べないなら食っていいか?」
「まだ僕、箸に手もつけてないんだけど?」

 厳島さん。寡黙だけどもサラサラの肩までのストレートと白い肌が似合う、読書の好きな女の子だった。少しふくよかに見えるけれども、そのままでも十分グラマーに思えて僕は綺麗だと感じていた。
 そんな彼女が先月から学校に来ていない。なんでもバイト先の男と付き合っていたのに、それを手酷くこき下ろされた上で、他の女に二股を掛けられたそうだ。その時にそいつはこう言ったらしい。
『でぶはでぶの彼氏でも見つけろよ』と。
 以来、彼女は学校に来ておらず、自宅に閉じこもりっきりらしい。

 高村くんがバイトに行っている間、僕は、クラスメイトとして休みの間のノートを渡すように彼女の友達に頼まれ、彼女の家を訪ねてみた。
 よくよく考えれば、女の子の家には女の子が行けば良いのではないかと感じたが、それは彼女の友達が行けないだけの理由があったからだろう。
 家から滲み出る暗く、緞帳よりも重苦しい雰囲気。意を決して呼び鈴を鳴らす。玄関から彼女は出てきた。痩せ細り、頬が落ち窪んだ状態で……。
「……ねぇ、ど、どうしたの?」
「綺麗、でしょ? ここまで、痩せるの、大変だっ、たの」
 彼女は儚げに微かに笑う。
 水も飲んでいないのか? カラカラに枯れた声色は恐ろしいかった。
 瞳は何かに憑かれたのように光っていた。
「もう、体重がね。十五キロも、減ったんだぁ。大変だった。……苦しかった」
「……御飯食べてる?」
 僕のその言葉に彼女は目を剥いた。白く細い腕が幽霊みたいに僕の首を絞めた。
「食べられるはずがないでしょ? 食べたら太るじゃない! 使われないカロリーはグルコースから脂肪として体内に貯蔵されて体型を変えるのよ! 太るじゃない! 醜くなるじゃない! 痩せたいの! もっと痩せたいの! いや、太るのは嫌。だからもっと痩せないと、醜くなっちゃう……。私は、白い豚。太って醜い姿になるくらいなら、痩せ細って死んだ方がマシよ!」
 分からない。彼女の論理が分からない。
 何よりも悲しかったのが、首を絞める指先に、微かな力すら篭っていなかった事だった。
「ご両親は何も言わないの?」
「……無理。今から食べようとしても無理。胃が食べ物を受け付けないの。食べても全部吐き出すだけ。食べ物が気持ち悪い。だから、私は痩せ続けるの……」



「彼女は拒食症になってた」
「きょしょくしょう?」
 たぶん、彼とは一生縁のない単語なので説明した。
「彼女の精神的な、なんだろうトラウマか何かが彼女を食べさせない強い気持ちにさせて、食べ物を受け付けなくさせるんだ。何だけ? 昔、イエスタデイなんとかとか歌ってた歌手がそれで死んじゃったりしたじゃないか。……彼女に会った後、彼女のお母さんにも会ったけど、どうしたらいいのか分からないそうだよ。彼女を病院に連れて行こうにも部屋から出ないし、今日、僕に会ったのも本当に稀なんだって……。このままだと、彼女、何も食べずに死んじゃうよ」
「――――」
 彼は、その時は黙々と特盛をお替りして食べていて、何も考えていないように見えた。

 僕は、彼の決意に気付いてはいなかった。



 次の日の金曜日は、異常だった。たまたま母に頼まれた買い物に出掛けたが、彼が足蹴無く通う食品街が軒並み閉店していた。同時に、市内でも高村くんが五つ星をつけているレストランが閉まっていた。たまたま、裏路地にゴミ捨てに来ていた店主に尋ねたところ、高村くんが札束を、以前ジャンボくじが当たって成人の日に中国で満漢全席、フランスでフルコースなど、来るべき世界のグルメツアーのために溜めていた金を使い、土曜日と日曜日に掛けて商店街のお店と言うお店、レストランと言うレストランを買収したらしい。
 食料品店は食材の買い付け、その食材はレストランへと流れていた。

 帰ってみると、書道三段の達筆な彼の字が、ファックスで送られて来ていた。

 『明日の九時、以下の地図の場所に来るべし(なお、来ない愚か者は老若男女問わず肉殺の刑にするのでよろしく)』


 肉殺の刑とは食べ物で玩んだ者どもに対する処刑のため、彼の中に溜まった脂肪が逆襲するのだと彼は言っていた。ただのプロレスで言う所のボディプレスだが、ちなみに現在のところKO率100%の必殺技である。空手、柔道、合気道、喧嘩屋。あらゆる人間が彼に掛かっていったが、戦果を上げた者はいない。拳法殺し。そう彼は呼ばれている。

 そして、その地図の場所とは厳島さんの家の前だった。



 次の日、彼女の家の前には彼の肉殺技を恐れてクラスの全員が参列していた。その中央には首にナプキンを掛け、臨戦態勢の彼が長い椅子に腕を組んで座っていた。ちなみに椅子はうふーんと体重でしなっている。
 脇には冷凍車などのトラックが列を為し、キャンプで使うコンロや折り畳みの簡易キッチンとかが並び、その横には昨日の買収されたシェフたちが刃物を研いだり、肉の下準備をしたり、米を研ぎ始めていた。
「い、一体何なんだこれは!?」
 叫ぶ僕に飢えた獣ような、いつもの、いや、いつも以上の摂食本能が彼を大きく見せていた。
「ふほほほほ、あれだ。ギャラリーがいると燃えるだろ?」
 まったく意味が分からない。
「ところで、彼女の部屋はあの辺りだよね?」
 頭を抱える僕を無視して、不敵かつ格好に不適切な笑みを浮かべる彼に、彼女の友人は指を指した方向に頷くと、彼は高らかに、彼女の部屋に向かって叫んだ。



「厳島さぁん、私は高村です。おそらく、クラスメイトとして存じあげているかもしれません。改めて自己紹介しますが、

      私は で ぶ です。

      見れば分かる通りの で ぶ です。

みんなが痩せすぎかと思ってましたが、十年くらい前に自分が で ぶ だって気付きました!
でも、これっぽちも気にしていませぇん。何故なら、私は

      食べるのが太るのより大好きだからですっ。

 それをこれからあなたにお見せしまぁす」



 閉まったままのカーテン。揺れる気配すらない。
 次の瞬間、彼は立ち上がると今まで座っていた椅子のシートを開いた。椅子だと思っていたそれは、アイスボックスだった。弄り、そこから現れたのは、バナナ。

「いただきます」

 それを彼は食べた。

 皮を剥き、美味そうに頬張ると咀嚼していく。口の中に完全に消えるまで三秒と掛からなかった。ほぼ丸呑みである。

「美味いものを美味しく食べるために腹を空かせると言うが、それは素人の考えっ! 真に喰らうものは、既に喰らったものと比較しながら喰らう。故に常にそれは、喰らう限り新しい美味しさなのだ! そして、二つ目のバナナに彼は取り掛かった! 彼が食べる事、それを見せるべく、バナナがついに三本目に突入したぁぁ! しかし、これは彼にとって前菜の更に前菜に過ぎない! 前菜絨毯爆撃! この衝撃展開で彼の胃袋を満たすべく、究極の料理人たちが至高の料理を贅沢にふんだんに、挑戦者の前に並べていくぅぅぅぅ! 申し送れましたが、今回の彼の挑戦、【美味い物を喰らい続ける】の実況を務めます安達 (ひかる)と申しますっ! 以後ぉ宜しくぅっ!」

 そんな無駄に熱い実況を放送部のホープであるミス実況の名を欲しいままにする竹中さんがしている。流石師匠は古舘アナウンサーと言うだけあって女の子なのに何と報道なのだ! 思わずこっちも手に汗握り、ビックリマークが語尾に付きそうだっ!!

 胸元のポケットから彼の両手にナイフとフォークが回転しながら閃く。
 ジャッキーンと、カトキ立ちの直後に普通に着席。
 その目の前のテーブルに熟練した職人の手で、じゅわじゅわと音を立てて鉄板の上に赤い血と肉汁を滴らせる、脂の載ったステーキが置かれた。

「でたぁぁぁぁ! この肉質見る限り、量質ともに腹を満たす一品! そのステーキに高村のナイフが音も感触も伴わずに差し込まれ! 分かれ! いま口に入ったぁぁぁぁぁぁぁぁ! 口から僅かに漏れる肉汁! 常人なら口元を拭い味わう仕草も唾棄に伏す! 彼の口は止まる事を知らず、この解説の内に三百グラムのステーキをまるごと喰らってしまったぁぁぁ! そして、彼の諸手は止まる事ない! 二皿目のステーキへと、肉食獣のように襲いかかるぅぅぅ!」

 凄い、これが本気の彼の食欲なのか?
 そう呟くクラスメイト達。
 いや、幼馴染である僕には分かる。この程度の食事、彼にとっては歯に挟まったカス、いやこびり付いたカスほどにしか感じないはずだ! 食欲以前の、いやむしろ観客を意識したパフォーマンスのような余裕すら感じる!

「牛が足りない。三頭ほど屠ってもらおうか?」

 彼の指パッチンと共に何処に停まっていたのか分からないが、牛を運ぶ独特の荷台から三頭の色艶芳しい牛が牽かれて来る。彼は牛達を文字通り吟味するように眺めると「連れてけ」と裏ダンジョンのボスも震え上がるような声で牛を牽きたてさせる。
 牛達は観客の視線から外れ、ドナドナと厨房側のスペースへと連れて行かれた(合掌)。


「おっと、牛の屠られるのも束の間っ! 続いて出たのは、おっっっっとっ! これはデカァァァァァァイ! 説明不要っ! マカジキ! 俗称カジキマグロだっ!」

 しかも何処から獲ってきたのか知らないが、まだピチピチ、と言うか暴れていた。
 七百キログラムを超える巨体が「まな板は嫌です」とでも言うかのように暴れる。
 巨大な尾の一撃で吹き飛ばされる職人さん達。
 だが、いつの間にか吹き飛ばされた職人達を後ろから腹で受け止める頼もしい高村くん。流石だ。アレだけの衝撃を受けて吐かない。

 暴れるカジキマグロを突進し、腹で尾の一撃を受け止めて抱えると、半トンを超えるの巨体を物ともせず、

「どりゃぁぁぁああああああああああああああああああああああああああっっ!!」

 ぶん投げた。方向は?! っっ! そこには、職歴六十年をとっくに超えた寿司握りの達人、前川田寿司店長、四代目川田善次郎さんの姿がっ!

 飛んで来るマグロに我関せず、ねじり鉢巻の位置を直す。
 小柄な老人にカジキマグロが刺さるかと思われた瞬間、マグロは老人の前であっけなく左右に両断された。
 左右のマグロの下には五代目(息子)と六代目(孫娘の彼氏)が掲げた俎板(まないた)がちょうどあり、川田寿司三十七式鮪大斬覇(マグロだいざんぱ)、川田寿司の神業が炸裂していた。

 高村くんに連れられたおかげで見たのは二度目でも、さすがに空中で魚が分解されるのには僕も驚いていた。
 むろん、始めてみていたクラスメイトはもっと驚いていた。

 そして、高村くんへと視線を戻せば、もっと驚くべき事が起こっていた!

「な、流しそうめん食ってる……」
「しかも、箸を両手にっ」
「早い、職人も手が休めない!」

 いつの間に流しそうめんを流すセットが組まれたのか? 高村くんは「Don't think, Eat all」ってな感じで食っている。
 流れるような一連の動き。左右の手でそうめんをつゆに付けて食べても、箸がつゆに入るまで僅かなタイムラグがある。だが、左がそうめんを取る動きを担当し、右手が口に運ぶ。これによってタイムラグはゼロになる。だが、驚くべき事は、彼は一度も練習せずにこれを成し遂げている事だ! 食に対する恐ろしい執念、いや、胃袋の愛された天性か? 彼はもっとも食べやすい方法を自らの感性で引き寄せ食べるのだ。
 と言うか、いつもどおり、顔と名前が一致しない、クラスメイト三人組の皆さん、モブ役お疲れ様であります。


「と、突然ですが、速報ですっ! 右手の厨房で大変な事が起こっていますっ!」

 安達さんの報道に色めきたったクラスメイトが頭を巡らす。

 そこにはどう見ても商店街中華通りの魔窟、『回々子(ホイホイツ)』のアイドルちびっ子店長の陳歌祁(カキ)さん(三十二才、二児のママ)が、身の丈ほどもある極大中華鍋を「アイヤー」と振り回しながら、麻婆豆腐を作っていた。
 この鼻をつく激辛香辛料臭い! 明らかに辛さは潜水艦で言ったらタイフーン級!


「高村くんマズイよ! あんな辛いものなんて食ったら――」

 ――その日一日の食べ物の味が分からなくなる。

「ふん、ちょうどいい気付けだっ!」

 食べながらも流暢に喋れると言う類稀なる才を見せ付けて動く箸。
 いつのまにか食べているのはモツ鍋。

「おっとぉっ! 此処に来て高村くん、鍋物をつまむ余裕を見せています。だが、それは嵐の来る前の静けさか! はたまた天国と地獄を振り分ける天秤の扉の前なのかは分かりませぇぇぇぇぇぇんっ! 人間タンクローリー高村治円(たかむら おさまる)、一人と呼ぶには巨体()き過ぎ、二人と呼ぶには人口の辻褄が合わない!」

「ふんっ、こんなのでぶにしてみればガムみたいなものだ」

 食べる闘魂、高村くん、「貴様は今まで(今日一日で私が)食べたパンの枚数を覚えているか?」とでも言うかのように、四丁目、カリカリのもふもふで有名な戸波製菓渾身の焼きたて食パン一斤をモツ鍋の汁を飲み干しながら蓋をするように二秒で平らげ、再び箸を取って和食、中華料理、洋食のレパートリーとサイクルに移る。
 食べた時に余分な食物のカロリーが消費される熱だろうか? 高村くんの体から熱気が放射されて、離れた観客もじわりと汗を掻いている。


 既に、ありえない事に運ばれたトラックの中身、その六割が消費されている。

 だけど、その最終段階での超に超の付くハイペースでも、それは風前の灯と言うか、消え去る前に燃え盛る蝋燭の煌きと言うか……



 麻婆豆腐での辛いもの繋がりで続いてきたカレー。それを口に運んでいた高村くんの手が突然、震える。
 口元は歪み、顔には脂汗をびっしりと掻いている。
 スプーンを運ぶスピードも若干遅くなっている。

 ――当たり前だ。
 なんと言う現実。

 トラックって言う時点で普通に人間の食える量じゃない。ハッキリ言って無謀だ。
 高村くんが幾ら一般人よりも大きいとは言っても人類の規格内である。
 象は身体がデカイからトン単位食うが、それでも、人間と同じサイズまでに縮めば量としては変わらないだろう。
 だが、高村くんはその限界を七度、いや八度は超越していた。
 でぶだからと言う理由だけでは済まされない。
「身体が胃で出来ている」と言っても過言でない暴挙にして、その巨大で愚直な暴挙は自然の驚異(スペクタクル)とも重なり、最早神性を帯びている。
 食べ物を愛し、食べ物に愛された高村くん。
「カレーは飲み物」そう言い切った彼の手が、――止まった。


 口元を押さえる。
 彼と出会ってから始めて見せる嘔吐のそぶり。
 震える肉。
 瞑った目尻に浮かぶのは涙。
 身体の変調。胃の変形膨張。神経パルスが伝える限界の叫び。

 その苦痛をカレーを掻きこんでから口元を歪めて一笑に付すと、

「炒飯とラーメンのコンボ」

 高らかに、唖然とする歌祁さんに言い放つ。
 その真剣な瞳に推されてか?
 狼狽していた彼女は、一度、目を瞑ると、今まで見せた事の無い真剣な目となって「任せるアルよ」と麺から作り始めた。
 彼の今のペースを考えれば、麺を作っていても遅くはない。


「ここに来て!!」
「なんと言う無謀っ」
「バカな! 奴め、死ぬつもりか!」

 御飯と汁物のコンボ。胃の中で御飯は汁を吸って膨張する。
 既に人間の常識では考えられない程に膨らんだ彼の胃にとっては、爆弾の山に松明(たいまつ)を投じるようなもの!
 高村くんの肉体のコンディションでは、史上最悪の選択。


 それでも、カレーを何とか食べ切る頃には、歌祁さんの容赦ない大盛りの炒飯が食卓に乗せられていた。

 掻きこむ。必死に掻きこむ。スプーンを止めたらそれこそ死だとでも言うように手を動かす。
 再び、これ以上の限界に挑むと言うのか?!
「高村くん、もう無理だよ! こんな事無意味だよ!」

 僕の叫び、聞こえていても彼は一顧だにしない。
 これほど食べて、苦しむほど食べて彼に何の意味があるのか?

 ラーメンを汁を、今までの彼では考えられない遅さでチビチビと飲み、麺を(すす)りながら、炒飯も口に運ぶ。
 ラーメンの汁で殆ど炒飯を流し込んでいる状態。

 ここに来て、彼は完全に限界へのリミットへと近付いた。
 心は食べる事を欲しようと、体は持たない。
 限界を超えた積載量で積んだ船が明らかに沈むように、自壊する。

 友人の無謀さに耐え切れなくなった僕は、彼の食卓の前に立った。

「今は……、幾ら君でも目障りだ。私の、邪魔を、するな……」
「邪魔をするよっ。胃が破裂したらどうするんだよ! もう、限界だよっ!」
「私は、誰が、邪魔しようと、食べる」
「無意味だよ。幾ら食べるのが好きでも、別にこんなところで限界を超えて食べる必要なんてないじゃないか! ……もう、止めようよ。死んじゃうよ!」

 ほとんど無理やり麺を運んでいた彼の手を掴んだ。


「無意味、なんかじゃない。こんな、に美味しいんだ。世界に、食べ物は、溢れている。あれば食う、なければ食いにいく。その全てを食べきれるまで死ねるか」
「無意味だよ! こんなに食べるとこ見せられたって僕らは何も何も感じ取れないよっ!」
「君らが、何を感じようと、関係ない。私は、彼女に見せるだけだ。食事は、こんなに美味いんだ。それを、止める、道理はない」
「あるよ! 厳島さんと君の食事は別に関係ないだろ! それを無視してまで食べる必要なんてない」
「それなら、こちらこそ、必要はある。彼女の身体が、食べたいと叫んでいるのに、それを心が受け付けないなら、私は、食べる事が大好きな私は、その事実が悲しい。彼女が食べたいのに、食べれないのならば、……その心をぶち壊してみせるっ! だから――」



 彼はラーメンの器を持って立ち上がる。
 視線の先にはカーテンが全開に開けられ、彼とは対照的に痩せ細った彼女の姿。
 涙を我慢するかのように歪んだ彼女の顔。
 燃え上がる食への情熱があまりにも熱くて、僕は自ら彼の手首を離してしまった。
 こんなの、幼馴染でも止めることは出来ない。













            「――君が食べるまで、食べるのを止めないっっ!!」







 この先に自滅が待ち受けようと砕かれない、鋼鉄の、いやダイヤモンドの意志。
 僕には壊せない。
 ラーメンの器が傾けられ、最悪の濃厚な汁が、御飯の詰まった胃へと注がれる。
 汁と共に飲みきれなかった、口元からはみ出た麺を飲み込む。

 スイッチが入った。

 突如胃と口を押さえて、転がる彼。
 二百キロを超える巨体が暴れる姿を止めることなど不可能に等しい。
 明らかに今までとは違う苦しみ方。
 限界を超えた体は拒否ではなく、崩壊の段階へと入ったのだろう。
 仰向けになって痙攣。
 これは危険。
 最早暴れる力すら無くなり、中空に差し出された両手。
 それを小さな、か弱い手が包んだ。

「……高村、くん」

 彼の隣によろけながら、二階から出てきた彼女。

 骨と皮に近い痩せ細った身体。目も当てられない、その女の子なら恥じてしまう程の姿。
 だが、それでも人に見られる恐怖すら通り越して、彼女は彼の前に現れた。

「食べても、いいかな?」
 彼は応えない。
「食べて、太ってもいいのかな?」
 彼は応えない。
「私、太っていても、食べていいのかな?」
 彼は、微かに微笑んだ気がした。

「あっ……」

 彼の食卓の対面には、高校の学食のおばちゃんの手で御粥が載せられていた。

「最初は胃が受け付けないからね。こんなところからな食べな」

 おばちゃんのゼロ円スマイルに「はい」と同じく笑顔で答えると、恐る恐る座り、スプーンを手に取った。

 彼女は、怖いはずだ。また吐いてしまうのではないか、そう思ってしまうはずだ。
 彼の期待を裏切ってしまうのではないかと思うのだろう。

 掬った一匙の粥。口までの距離は、彼女にとっては無限に程近い。
 口元、そこまで運んで手が止まる。
 スプーンが震える。

 その手を、先ほどの焼き直しかのように大きな手が包み込んだ。

「食え。食べる事は生きることだ」

 倒れていたはずの高村くんがどんなカラクリか、復活していた。
 その言葉に推されてか、彼女は意を決して口の中に匙を、自らの手で運んだ。

 こぼれる涙。

「おい、しい」
「だろ?」

 呟く彼女の言葉を聞き届けると彼は再び、食卓に着く。
 もう、僕は止めることなど出来ない。

「さあ、職人の皆さん、幕間は終わりだ。ここに居る人にも、そして私にも食事を振舞ってくれ」

 調理、再開。
 そして彼も、先ほど解体され、調理も終わった牛丼を口に運んでいた。

 ありえない。
 彼が食べ始めた頃のように食べるこれは幻か?



「……あ、まさか、あれはっ!」
「知っているのか、吉田くん」
「あれはフードファイターが使う手段の一つ、超級胃拡張法。わざと御飯と汁気のあるものを食べる事で胃の体積を広げ、汁物による消化の促進との時間差で、胃に空洞を、食べられるスペースを強制的に作る秘術。しかし、常に胃を拡張させる食事量、並外れた消化能力、そして限界まで来ても食べ続ける精神力が無ければ成し遂げられない神技。だが、彼にはその資格があったようだ」
「まさか?!」
「そう、彼は、まだ食べれるっっ!!」



 そして全てのトラックから、僕達の食べた分も含めて、全ての食物が消えた。

 彼は粥を食べ終わった彼女と空のトラックの様子を見届けると、「ごっそーさん」と言い、そのまま食卓に突っ伏して寝だした。





 後日談から言うと、彼女は病院に行き、医者も驚く食べっぷりと回復を見せて、一週間も経たずに学校に元気な姿で戻ってきた。

 その彼女とは入れ替わりに彼女を罵倒したバイト先の男が、全身打撲で病院に運ばれてきた。
 その彼は「肉が、肉の塊が……」と恐怖に染まっていた。
 むろん、何が有ったのか、目撃者、もとい観戦者である僕は知っていた。

 びっくりしたのが、その直後厳島さんが高村くんと付き合い始めた事だ。
「君、食べ物以外にも興味あるんだ」と言って「食べ物以外にも私は興味があるよ」とアンパン食いながら彼は言い返した。
 もしかしたら、彼は彼女の事が好きだったのかもしれない。意外と普段は口下手な彼にとって、あれは一種の告白だったのかもしれない、と今は思う。
 その後、彼女は彼の好みでグルメツアーに凱旋させられるが、何故か、彼に脂肪でも吸い取られているのか? 付き合いだしてから半年で校内でも一、二を争う見目麗しいボンキュボンなスタイルへと変貌し、「うぉぉぉぉっ、でぶに勿体ねぇー」と学年全体の男子に嘆かれた。

 人間、幸せだと体型にも反映するらしい。



 そんな事を、体重が四倍違うカップルの結婚式、その三次会からの帰りの電車に揺れながら僕は思った。


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.