文身護神


1 :菊之助 :2007/05/06(日) 19:43:18 ID:kmnkzJon

 そればかりはどうしようもなりませぬ、と御簾の向こうから甲高い老婆の声が轟いた。
 なりませぬ、なりませぬ。たとえお前様に頭を下げられても、お願いでございますから、そのような頼みごとを婆にしてくださいますな。
 しばしの沈黙が夜の闇をわたる。夏だというのに、虫さえも異様なこの雰囲気になき声を殺している中、唐突にもう一つの声が御簾の向こうから響いた。静かで、朗々としているものの、それはまだ若い、それこそ少女と思えるような瑞々しさの女の声だった。
 亡き師に代わり、お頼み申しあげる。どうか我が体にその刺青をおいれください。そうでなければ、私はあの子を守り切ることができません。
 若さに不釣り合いなまでの確固たる決意に、御簾越しでも老婆の動揺した気配が伝わる。やがて、チリリチリリと虫が鳴き始めたとき、深いため息と共に婆が口を開いた。
 そこまで決意がおありならば、致し方ございませぬな。しかし一つ条件が。
 条件、という言葉に、今度は若い方の気配が少し顔をあげたようだった。
 なんでしょうか?
 お前様の体には既に神が宿っておりまする。しかも男神ではなく女神に近しいものが。良いですな。お前様がもし両方の力を有していたいと思うならば、人として生きていたいと思うのならば、決して人間の男に心を許してはなりませぬ。むろん、体もですぞ。
 つまりお前様は人であることを捨てねばならぬ。そうでなければ、お前様の心と体は、未来永劫狭間の世界にとらわれることでございましょう。
 婆の声は静かに、そして物悲しさと憂いを秘めていた。それは自分に対してではない。彼女の眼の前にいる者の今後を考えると、涙を禁じえなかったのだ。
 しかし、もう一つの声は相も変わらず静かな様子で、しかし揺るがない決意を秘めた声で、こう応えた。

 望むところでございます。


2 :菊之助 :2007/05/20(日) 21:50:48 ID:kmnkzJon

行商人

 その夏、サンバル地方の雨季は例年よりも早く、そしてひどいものだった。
 通常恵みの雨と呼ばれるはずのそれが、非道なまでに多くの生き物を濁流にのみこみ、壊し、命を奪われたものは数知れず。山岳地帯に住む者は更に不幸で、ひどい雨により冬に蓄えるはずの食物がすべて駄目になってしまっただけでなく、住んでいる場所さえも雨による土砂で奪われたと聞く。それゆえ、ふもとの街まで避難する者は後を絶たず、サンバル地方でも有数の大都市と言えるライジャの人口は、その夏だけで爆発的に増加した。道を歩けば、災害孤児がものほしそうな眼差しで異国の商人達を見上げ、物乞いをする老人も少なくない。あれほど昼夜問わず活気で満ちていた市には、全体を通してどこか埃臭い不潔感が万延していた。
 行商用の牛車の手綱を引きながら、タジャは変わり果てたライジャの町並みに眉をしかめる。一年前に訪れた時は、どの店からも呼び込みの声が轟き、そこで生活する人々の顔は暮らしぶりの違いはあれど、みな輝いて見えたものだ。遠方からでもある程度現在のサンバルの具合を聞いていたが、実際はそんな噂よりもはるかに深刻な問題らしい。
 艶のない濃い黒髪に、赤銅色の肌をしたタジャは、一目で異国のものと知れる。同時に、まだ三十に手の届かない若造が引くにしては、牛車も、そしてそれを引く牛さえもずいぶんと高級に見えた。そんな彼のことを道行くもの、そして道に座り込んでいる者達がねっとりとした眼差しで見つめてくる。水分を含んで大気自体は湿っているが、それでも町全体が埃臭く感じたのは、彼らのそうした乾いたまなざしのせいなのかもしれないと、タジャはマントの口元を引き上げつつ独白する。途中、街の中で何か珍しいものがないか見物しようかと思っていたのだが、一刻も早くこの場を離れ目的地である取引先の屋敷へ急がねばならない。そうでないと、街中であるというのに追剥に遭いかねないとふんだからだ。
 行商という仕事をしていれば、否応にもその命を狙われることは多い。正確には命ではなく、商人の有する荷物が狙われるわけだが、荷を奪った盗賊達が後で通報される恐れもあるというのに商人達をご親切に逃がすことは、まず無かった。それゆえ、通常ならば行商をするものは隊列を組むか、もしくは限られた荷だけを運び、いざというときはすぐに逃げるだけの軽装で旅をするのが常である。ごく稀に単独で行商する者の中には用心棒を雇う者もいるが、少なくともタジャはそれらのどれとも違っていた。よって、彼の大きな牛車は広い街中でも目立つ。目立つだけならばよいが、明らかに治安の悪化を感じさせる今のライジャで、単独でいつまでも行動しているのは非常に危険なのだ。周囲と目を合わさないようにしながら、タジャはただ前に前にと進んでいく。車を引く雄牛のブンドゥは穏やかな性格のため慌てることはないが、主人の心を読み取ったのか自然と歩調を速めてくれた。頭が良いブンドゥの首筋をなでながら、タジャも急ぐ。
 その時、彼の胸元でチリリチリリと鈴が鳴った。首からかけているのは革紐を通された子供の拳大の鈴である。錫でできたそれは、表面に幾何学な文様が描かれていて、タジャの歩く振動を全く無視して、なぜか横揺れに鳴っていた。その音に、タジャは一瞬体をこわばらせたが、すぐさま何もなかったかのような様子で歩き続けた。しかし、速度は先程よりも早くなっている。
 腕にくくり付けた銀製の篭手は、普段上から布を巻きつけそれと気づかれないようにしているものだ。万が一追剥にあったとしても売って当座の生活費にできるよう身につけているものだが、それ以上に大きな役割がある。
(……やはり、三人)
 布をずらし、鏡のように澄んだ篭手の表面に、背後からタジャを付け狙う男の影が映っていた。ほかの通行人にまぎれてうまく尾行しているつもりかもしれないが、よく見れば明らかに動きがおかしい。だとすれば、彼らは訓練を積んだ者たちではなく、「単なる物取り」か。逃げるのは容易そうだな。
 思ってタジャは、何事も無かったかのように再びゆったりとした足取りで前を歩き始めた。ブンドゥもそれに倣って速度を緩める。胸元の鈴はまだチリチリとなっていたが、タジャが口の中でもごもごと何かしら唱えると動きを止めた。勢いをなくしたい牛車の様子に、背後から近付いていた男たちも速度を緩める。それを見逃すタジャではない。
 瞬間、タジャはまるで馬に乗るかのようにひらりとブンドゥの背にまたがると、その首元にかかっていた太い手綱に触れて、何かしら叫んだ。その意味を理解するよりも先に、突如として牛であるはずのブンドゥが走り始めた。その速さや牛ではなく、いうなれば競走馬。つけていた男たちも突然の変化にギョッとして動きをとめ、しばし呆然とえらく軽い動きで駆け抜けていった牛車を見送るしかなかった。
 まるで白昼夢でも見たのだろうか。
 何が起こったか理解できずに呆然とする街の住人達に見せつけるかのように、路面には荒々しい車輪の跡が残っていた。



 街の中を暴れ牛さながらの様子で駆け抜けたブンドゥとタジャであったが、最初にいた通りから十キロほど離れたところで、ようやくその動きを止めた。汗ばみ息も荒い牛の背から降りたタジャは、ブンドゥの太い首をなでながら、油断なく周囲に目を配らせたあと牛車の様子をうかがった。毎度のことだが、全くもって中の『商品』には乱れがない。彼は牛と、そして車とを交互に見直して小さく口笛を吹いた。
「さすがだねぇ、ガナハの『文身』を施すと見事なものだ」
 その感嘆の声に、ブンドゥも同意したかのように低く鳴いた。胸に下げた鈴がふいにチリンと一度なる。しかし、その音は先程のと違ってずいぶんと澄んで可愛らしい音色だ。その鈴に微かに笑いかけて、タジャは再びブンドゥの横に並び歩きだした。
 街並みは先程と打って変わって閑静な住宅街に入っている。
 朱塗りの門や漆塗りの構えをした屋敷が立ち並んではいるものの、夕刻ということもあってか人の出入りはあまり見られず、代わって夕餉の支度をする良い香りが鼻をくすぐった。下町で嗅いだものと違い、明らかに材料の良い、質の高い料理の数々の香りに、タジャの腹が不覚にもぐうっと音をたてた。そういえば今日は昼前に饅頭を齧ったきり何も食べていなかったな。
(屋敷に着いたら、何か食事が出るだろうか?)
 腹のあたりを撫でながらタジャがそんなことを考えていると、前方にほかの数倍はありそうな豪奢な屋敷が見えてくる。石造りの大門は、それぞれの両端を見渡すのに首を左から右へと動かさないと把握できないほどの大きさだ。無論その後ろにある屋敷も半端ではない広さであり、ただでさえ大きな屋敷が立ち並ぶこの界隈で、一種異様なまでの存在感である。
 タジャは、その門の脇に立っている若い男の一人に声をかけた。
「行商人タジャ・ルーファンだ。アジャンテ殿の命でこちらに品物を届けにきた。お通し願いたいのだけどね」
 懐から出した通行証を、門番は少し訝しそうな様子だったが認めたのか、大きな門を開いてくれる。男が何か笛のようなものの先端を含み息を吹き込むと、しばしの後大きな門が内側から開かれた。タジャは軽く門番に頭を下げて、牛車ごと中に入っていく。彼らが入ったのを見計らったかのように、門は再び誰の力もなく閉まった。
 振り返ると、門の内側に、奇妙な文様が描かれている。
 タジャはそれを見て、苦笑交じりにつぶやいた。
「さすがガナハの『文身』。こんな任客家でも、ちゃんと機能してるねぇ」
 ほかに聞こえないよう呟いた言葉に、誰も気がついてはいないようである。タジャはそれを確認してか、堂々を胸を張って、屋敷の入口へと長い道を進んでいった。


3 :菊之助 :2007/05/27(日) 22:37:56 ID:kmnkzJon

セラフィーという少年

 空の色が次第に茜色から濃紺へと変わる頃、ライジャの下町一角にある歓楽街はにぎわいだす。天災にあったにもかかわらず、この街が夜鎮まることはない。むしろ、ライジャは夜に輝く街だといってもよかった。貿易が盛んなライジャには、多くの人種人々がなだれ込む。商人はもちろん、遠方からの出稼ぎ農民や売られてきた者達。
 人が多ければその分起こりうるのは精神的圧迫だ。それを解消できるのは、俗物と言われども享楽だけであった。
 通りは相変わらず暗い顔をした被災者が座り込み、陰の気が立ちこんでいることに変わりはないのだが、それでも昼間とはまた違う夜の街独特の雰囲気が、そういった暗い気配をうすれさしていることに違いはない。

 立ち並ぶ酒場に賭場、売春宿。その一軒の扉が控えめに開かれたのは夜半過ぎ、ちょうど夜の街が盛り上がりを迎えた頃だった。
 男達の笑い声に大声、派手な格好をした女達の嬌声がまじりあうその酒場で、そこの主人であるカフカは新たに入ってきた客の姿にグラスを磨く手を止めず、しかし片眉だけピクリと持ち上げる。主人の様子に気がついたのは、カウンター席で一人腰かけていた男と、店の手伝いをして走り回っていた子供との二人だけだった。酒に酔った男達の間から、黒髪の子供がちらりと戸口を見上げる。そしてカフカと同じように、子供もまた器用にも片眉だけを持ち上げた。
 入ってきたのは、13,4歳の少年で、その様子は明らかに己が場違いなのだと気が付いているようだった。不安げにきょろきょろと店内を見回しては、おっかなびっくりにカウンターへと歩みよってくる。服装の清潔さや布地の質からして被災者ではなさそうである。だが、ここいらでは珍しい薄紅色の髪に白い肌が、少年が異国のものであると教えていた。
「おい坊主、こんなところに一人でなんのようだ?」
 突然横合いの席から声をかけられ、少年は心底驚いたのかビクッと体を震わせた。その様子に、ジョッキを片手にした酔っ払い達が笑う。
「おいおい。何ビビってんだよ。誰もおまえのようなやつを取って食いやしないさ」
「そうだぞお。おれたちゃ見かけは荒くれだけど、ちゃんと仁義を通して働いているやつらばかりだからなぁ」
 気のよい笑顔を向ける男たちであったが、その様子にも少年は警戒をとくことはなく、少しすり足で彼らと距離をとる。その背はすぐさま後ろのテーブルにガタリとあたり、おびえた様子の少年は床に尻から倒れた。
「誰か探してんのか坊主? そうでなきゃ、職探しか? やめとけやめとけ、そんな小せぇ時期から盛り場を経験するもんじゃねーよ?」
 あまりにも落ち着かない少年に、彼が当たったテーブルにいた男が声をかける。優しげな声に少し心を許したのか、振り返って見上げた少年は男の額から顎にかけて大きな傷跡があることに絶句した。さして広くもない店である。三十人も大人が入ればいっぱいになってしまいそうな店の中にいる男たちは、改めてみると誰かがいった言葉とおり、いかにも荒くれ者達ばかりだ。
 人種も年齢もさまざまだが、どの男も屈強そうで強面。上品な衣をまとった少年は、座り込んだまま一歩も動くことができなくなってしまった。
 そんな珍客を一瞥して、カフカはふっと溜息を吐くと、カウンターの男に目くばせする。濃い黒髪を短く刈り込んでいるその男は、まだ若い。三十代前後に見えるが、彼の体からは見かけには不相応なまでの落ち着きが見受けられた。男は主人の視線の意味を理解したのか、傍らで立っていた手伝いの子供に声をかける。
「シャラ」
 呼ばれて子供が振り返った。眼の大きな利発そうな子供だ。澄んだ青色の瞳が、男をじっと見上げる。
「話を聞いてやれ」
 男は言うと、へたり込んで動けないでいる少年の方を顎でさした。シャラと呼ばれた子供は、コクンと小さくうなずくと足音も立てずに少年の方へ近寄っていく。
 それまで止まってしまった少年をどうしたものかと困り顔だった男達は、シャラが音もなくやってきたので場所を譲る。少年は突然目の前にやってきた、自分よりも小さな子供を見てさらにぎょっとした。短い黒髪のその子は、男の子にも見えたし、女の子にも見えた。まだ十にもなっていないのではなかろうか。その子がすっと人差し指を自分に向けて、言う。
「シャラ」
「……え?」
 よく意味が分からず聞き返すと、子供は今度は少年のほうを指した。小さな子供の指なのに、まるで刃物の切っ先を眼前に突きつけられたような錯覚を覚え、思わず少年は答えた。
「セ、セラフィー……」
「せせらふぃー?」
 聞き返され、少年はあわてて訂正する。
「セラフィーだ。私の名前は、セラフィー」
「セラフィー、何しに来た?」
 こちらの訂正なんて端から興味無かったかのように、シャラが眉ひとつ動かさずまた聞いてきた。指はすでにおろされている。子供の背後からは、興味津々といった顔つきで男達がセラフィーを覗き込んでいた。一度大きく喉を鳴らしたセラフィーだったが、シャラの青い瞳に見つめられて気分が落ち着いてきたのだろう。先ほどよりも幾分か鎮まった調子で、答える。
「人を、探しにきた。ここにはよく、その人が来ると、聞いたから」
「誰に聞いた?」
 こちらの言葉が終ると同時に、すぐさまシャラが聞いてくる。会話とよりも尋問に近い。だが、年端もいかない子供の姿に、セラフィーも少し安心したのか、おかしな質問にも続けて答えてしまう。
「町の情報屋と、言っていた。大きな通りにあるトタン屋根の居住まいの」
「いくらで?」
「ご、五百イーハン……」
「五百イーハン!?」
 酒を飲む手も止めて二人の問答に聞き入っていた男達が、一斉に素っ頓狂な声を出す。
「トタン屋根といったら、アブヅだな。こんな子供に五百もとったのか」
「しかし五百もの大金を払うとは、お前、そんなに探している人って誰なんだよ? 母親か?」
「いやいやいや、そもそもこんなガキが持てる金額じゃないぞ。いったい何者だこいつ? まさかファオ家の者じゃないだろうな?」
 口々に勝手な言い合いを始めた男達に、話題の中心であるはずの少年が再び困惑した表情を見せる。どうやら自分は情報屋にぼられたらしいと分かるや否や、少年のうちに浮かんだのは怒りよりも羞恥と後悔の念だった。やはり自分はここに来るべきではなかったのだ。世間の相場も何も知らない自分は、目的の人物を見つけるよりも、帰ることができるのだろうか?

「誰を探している?」
 小さな声だったが、朝の黙を破る鐘のような響きをこめて再び子供がそう聞くと、あれほど騒いでいた男達はまた口をつぐむ。子供の一言に大人達が黙り込むなんて見たこともなかった少年は、再びあっけにとられた様子だったが、自分を見つめる青い瞳に我にかえった。そして少し迷った末、再び口を開く。
「文身師ガナハを、探している」
「ガナハを?」
 少年の言葉に、聞いていた男の一人が思わず聞き返した。
「ガナハにあってどうすんだ? あんた、彫ってもらうつもりなのか?」
「ガナハを知っているのか!?」
 男の何気ない質問に、これまで雰囲気にのまれ震えていたはずの少年が食いついた。体を起こし、今口を開いた男の元まで走り寄ると、その衣の裾をつかむ。
「本当にこの店に来ているのですか!? いや、それよりもガナハという人物は本当に存在しているのですか!?」
 瞬きもせずに詰め寄られ、口を開いた男はひどく困惑した状態で周囲の者に救いを求めた。が、ほかの人間は男から敢えて目をそらし、素知らぬ顔をする。裾をつかまれた男は、強面には不釣り合いなまでの情けない表情で弱り切っていた。
「ガナハがどこにいるか教えてください! お願いします! 私は急いでいるのです!」
「どうしてガナハを探している?」
 困惑している男を前にセラフィーが詰め寄っていると、背後から幼い声が響く。思わず振り返ると、そこにいるのは先程と変わりない様子のシャラだ。興奮し、話しかけられて初めて知る。なぜこれほどまでに、この子供の声は耳に入ってくるのだろうか?
「どうしてガナハを探している?」
 同じ質問を二度されて、セラフィーはすがりついていた男の裾から手を放し、子供の方に再び向きなおった。何か、シャラと呼ばれるこの子の質問には答えないといけないような気がする。いや、そんな気にさせられるというよりも、シャラの質問は混乱していた心にまるで直接冷水を浴びせるかのような響きがあるのだ。理由はわからないが。興奮して乱れた呼吸を整えるために、セラフィーは数回深く空気を吸い込み、はいて、子供の顔を見た。
 シャラは少しも目をそらさずこちらを見上げていた。青い瞳に吸い込まれそうだとセラフィーは考え、何をこんな子供に、といつもの少年の調子を戻して、答える。
「ガナハを探している理由は一つだ。ある人に彫られた文身を消してもらいたい」
「消す? 文身を?」
 その言葉に、今度は店の中にいた男達がみんなして首をかしげた。
 店の主人であるカフカは、新たなグラスを磨きながら小さく溜息を吐いた。これまで何人こんな客がこの店を訪れたことだろうか。店が繁盛するのはよいが、こうした厄介事はご遠慮願いたいというのが、カフカの正直な願いだった。しかし、カフカが思い悩んでいる間にも、セラフィーと呼ばれた少年の感情は勢いを増していく。彼は先ほどまで怯えていたはずの男達にむかって正面切って立ち上がり、必死な表情で叫んでいた。
「そうだ、消してほしい人がいるのだ! だから頼む、文身師ガナハの居場所を教えてくれ!」
「頼んでいるのに、偉そう」
 ぽつりとシャラに言われ、はっとしてセラフィーは黙り込んだ。自分のことを見下ろす強面の顔達に囲まれて、今更ながら自分のいる場所に気がついた心持になった。自分には不慣れな場所で、護衛もいないのにこんな場所に一人きりだ。思わず涙がにじみそうになるが、ここでなくわけにはいかなかった。自分がこんな不慣れな場所まで一人でやってきて、途中金をぼられ、それでも踏みとどまらないといけないわけが彼にはあったからだ。
 しかし、セラフィーが真剣になればなるほど、周囲にいる男達は少年と目を合わせないようにする。その不自然な様子に、だが少年は必死になりすぎて気付かない。
 ここまで来たのに。
 ここまで来たのに、誰も知らないのだろうか? 
 それともみなしらを切っているのか?
 だとすればなぜ?
(急いでいるのに!)
 誰も教えてくれない。セラフィーの白い顔が、焦りと羞恥に赤く染まり始める。しかし、ふとその時聞きなれない新たな男の声が彼に降りかかる。
「ガナハはここにはいない」
 淡々とした一本調子の声に、少年を顔をあげて声がした方向を見た。カウンターに一人、黒髪の男が座ってこちらを見下ろしている。黒い道着を身に着け、ほとんどその肌は見えないが、唯一さらしている鋭い顔はよく日に焼けていた。男の言葉に、シャラと名乗った子供が再び眉を動かしたが、当のセラフィーはそんなこと気づきもせず、男の言葉に絶望した口調で聞き返した。
「ガナハが、いない……?」
「ガナハはいない。二度も言わせるな。噂を聞くくらいで、本人に会ったこともない。ついでにいえば」
 そこで男は改めて少年に向きなおり、ため息交じりに言った。
「お前が大枚をはたいて買った情報の持ち主である男は、裏の世界では小心者で俗物だと言われている。嘘の情報が多い。残念だったな」
「そんな……!」
 それだけ言うと、男は急に立ち上がり、セラフィーの横で無言のまま床に座っていたシャラを見る。シャラは男と目が合うと、すぐさま立ち上がり彼のそばに駆け寄った。シャラが手元に走ってきたのを確認してから、男はそのまま誰にも振り返らず、立ちすくむ他の者達の横を通り過ぎて扉の方へと歩いて行く。音のない歩きはシャラと同様で、彼の後についていくシャラも、同じく足音を立てずに走って行った。
 誰もが彼らの後ろ姿を黙って見つめ、男がまさに店の扉を開こうとした時、外側から扉が開かれた。 
 入ってきたのは赤銅色の肌をした青年だ。人好きのしそうな穏やかな顔は、目の前に立っている黒衣の男を見ると、嬉しげに微笑んだ。
「やあ、ガナハ! やっぱりここにいたんだね。アジャンテ殿に聞いたら、カフカさんの店にいるだろうって言っていたから! おやシャラも。しばらく見ない間に大きくなったね。今、いくつ?」
「……タジャ」
 苦虫をかみつぶしたような低い声で、男が唸る。
 彼の様子に、呼ばれた青年、タジャは目を丸くし、ほかの男達は互いに顔を見合わせバツが悪そうな表情をした。タジャと男、ガナハの間で凍りついたように動けないでいたシャラが、唯一セラフィーの間の抜けた表情を見ることになる。
 いやな沈黙が訪れた店内で、カフカ店主は一人静かに溜息を吐いた。
 


4 :菊之助 :2010/01/21(木) 00:02:47 ID:PmQHscoiz3

文身とは

文身とは


 文身とは一般的に「刺青」と同じに考えられる。
 刺青と同様に肌に針で傷をつけ、そこに色を加えて肌の表面に文様ないし絵を描く技法、またはそれそのもののことを云う。
 ただ、通常の刺青と違うところは、使われる顔彩と、彫られる文様すべてにおいて、人外の力が込められるということだ。
 
 確かに刺青というもの自体は、己の力を誇示したり、決意の表わしだったりするわけであるし、また地域によっては刺青を彫ることによって神々の力をうちに宿すという意味合いも込められている。
 が、文身の場合は実際に「神々」と呼ばれる力を文様を通して宿すことができるのだ。
 そのため、通常の刺青師よりも、文身師は技を磨き、経験を積まねばならないし、なにより通常のそれと違い、人外のモノと接するだけの気力、体力を養わねばならない。
 無論、文身を身に宿す者も、文身師と同じく気力、体力を持つものでなければ、言葉の通りのちの人生を過ごすことがままならなくなる。
 
 そのため、文身は絶大な力を有すとともに、一種の禁忌としての扱いを受けてきた。
 そして、これからも文身は禁忌として扱われることであろう。
              『東邦人文白書』より抜粋


5 :菊之助 :2010/01/21(木) 00:02:48 ID:PmQHscoiz3

文身とは

文身とは


 文身とは一般的に「刺青」と同じに考えられる。
 刺青と同様に肌に針で傷をつけ、そこに色を加えて肌の表面に文様ないし絵を描く技法、またはそれそのもののことを云う。
 ただ、通常の刺青と違うところは、使われる顔彩と、彫られる文様すべてにおいて、人外の力が込められるということだ。
 
 確かに刺青というもの自体は、己の力を誇示したり、決意の表わしだったりするわけであるし、また地域によっては刺青を彫ることによって神々の力をうちに宿すという意味合いも込められている。
 が、文身の場合は実際に「神々」と呼ばれる力を文様を通して宿すことができるのだ。
 そのため、通常の刺青師よりも、文身師は技を磨き、経験を積まねばならないし、なにより通常のそれと違い、人外のモノと接するだけの気力、体力を養わねばならない。
 無論、文身を身に宿す者も、文身師と同じく気力、体力を持つものでなければ、言葉の通りのちの人生を過ごすことがままならなくなる。
 
 そのため、文身は絶大な力を有すとともに、一種の禁忌としての扱いを受けてきた。
 そして、これからも文身は禁忌として扱われることであろう。
              『東邦人文白書』より抜粋


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