そして僕らは龍を誘う


1 :慈雨 :2008/03/17(月) 16:24:51 ID:ocsFkHW4

すいません!こちらの不手際で書き直すことにしました。

竜を元にしたファンタジー小説です。
恋愛要素が含まれるかは未定ですが、戦いあり、魔法ありの予定。

盗賊稼業のヒーローと不思議ヒロインの物語、予定。


2 :慈雨 :2008/03/17(月) 16:26:05 ID:ocsFkHW4

序章


 かつて世界は龍のために存在した。

 広大な砂漠の中に、一つの朽ち果てた神殿があった。その半分以上が砂に埋もれている神殿は、かつて龍を神と崇めた者たちが造った物だ。
 龍が姿を消したのは、もう一千年以上も昔のこと。何があったのかなんて、知っているものなど居るはずも無い。
 分かっているのは、龍の姿が消えるまでの七日間、世界は炎と煙の渦に巻き込まれたということだけだ。
 朽ち果てた神殿の中に、一つの影が動いている。それは闇夜の中を滑るように移動している。顔には砂塵を避けるためにスカーフを巻きつけており、表情はよく分からない。
「・・・くせぇ」
 青年は濃い異臭に顔をしかめた。
 足元には人と思われる死体がいくつか転がっている。青年と同じような目的で侵入し、罠に引っ掛かったのだろう。間抜けな奴らだ。
 青年は慎重な足取りで神殿の奥へと進んでいく。こういう仕事は今までにたくさんやってきた。罠がどこにあるか、どこに行けば目的の物があるか、既に熟知している。
 目的は金になるもの。わざわざ砂漠に行く危険を冒してまでやっているからには、価値のある何かを持って帰らなくてはならない。それには、この神殿は最適だった。
 龍を祀った神殿には、当時のことが書いてある本だとか日記だとかが落ちていたりする。そういった類の物は、歴史を研究する者たちには万金にも値するのだ。なんと言っても、龍が存在した時代の記録は少ない。貴重な歴史文化遺産らしい。
「ここかなー?」
 もはや扉としての機能を果たしていない板を蹴り倒すと、中へと侵入する。その際、しっかりと仕掛けられていた罠を解除した。
 何か無いかと探して回るが、金になりそうな物は転がっていない。
 青年の胸に嫌な予感が広がる。
「もしかして・・・骨折り損、とか?」
 何も収穫が無かったら、ここまで来た苦労はなんだったのか。
 青年は落ち込みそうになったが、気を取り直して、崩れている廊下を進んでいく。まだ祭壇がある。ここは神殿だ。供物やら文書やらが眠っているに違いない。
 やがて重厚な扉の前に辿り着いた。複雑な文様に刻まれた文字は、今では失われた古代文字だった。十中八九、ここが祭壇だろう。
 扉は押しただけで、簡単に開いた。そして視界いっぱいに鮮やかな色が映し出される。
「なんだよ・・・これ・・・」
 そこには色彩豊かな壁画が描かれていた。
天井には真っ赤に燃え上がる空。それを多い尽くすように広がる炎。地を走り回る人々には逃げる人と、甲冑に身を包み、剣をかかげる者が居た。しかし、青年にはそんなものは目に入らない。
 扉を開けてすぐ、目の前の壁に描かれた龍。
 ルビーのような紅の瞳に血のような色の体躯。広げた翼は、空を多い尽くすかのようだった。周りには他の龍と思しきものが何体も、地に向かって火を噴いている。
 その中で一際目を引いたのは、青い体躯の龍だった。
 サファイアのような輝きを持つ青の瞳に、青の鱗の体躯。広げた翼は炎から人々を守っていた。そしてその背に跨る、金髪の女性。
 弓を引き絞り、今にも紅の龍に矢を射掛けんとしている。
「これってもしかして・・・」
 龍の消えた七日間を示した壁画・・・?
 青年は信じられない気持ちで、祭壇の中へと足を踏み入れた。途端に、足元の魔方陣が鋭い輝きを放った。
「げっ!!」
 青年は自分が罠に嵌ったことに気がついた。
 今まで、物理的な罠――落とし穴だとか、飛んでくる矢だとか――しか無かったから、すっかり油断していた。まさかここに魔法を仕掛けておくなんて。
 青年は来るであろう、痛みに備えて身構えたが、いつまで経っても何も起こらない。不思議に思って目を開けてみると、部屋に入る前と何も変わっていなかった。
「・・・・・・」
 いや、変わっていたことなら、確かにあった。
 魔方陣の中央に、先ほどまで居なかったはずの少女が一人、気を失って倒れていた。


3 :慈雨 :2008/03/17(月) 16:26:55 ID:ocsFkHW4

第一章


 レーヴァンは強い日差しを感じて目を覚ました。薄く目を開けると、崩れた天井から、太陽の陽射しが降り注いでいる。
 固い地面の上で寝た成果、体のあちこちが痛かった。そのまま上体を起こすと、軽く体を動かす。関節が何箇所かポキリと鳴った。
 レーヴァンは昨日の出来事を思い返す。確か、部屋に足を踏み入れたら魔方陣が発動して強い光があって――
「――あ」
 そこで昨日の少女のことを思い出した。魔方陣の中央を見ると、昨日と同じ格好で少女はまだ寝ていた。レーヴァンは軽く嘆息しながら、少女に近づいていく。
 白磁のような肌に、光の具合で金にも見える茶色の髪。年は自分よりも一つ二つ年下だと思われた。寝息で肩が上下しているのが分かるから、とりあえずは死んでいないのだろう。
「盗みに入って女を拾うって・・・」
 しかも、明らかに普通ではない女だ。どうするべきなのか。
 このまま放置すれば間違いなく死ぬだろう。ここには食料も水も無い。砂漠を越そうにも、足でなんて無理な話だ。だからと言って連れ帰るのも不安である。なんたって、得たいが知れないし。
 レーヴァンは少女の側で頭を抱えた。ここで見捨てることが出来ないと、レーヴァンは良く知っていた。もし、見捨てることが出来たとしても、自分は絶対に後で後悔をする。それをレーヴァンはよく理解していた。
「あー・・・しょうがねぇな・・・」
 頭をかきむしるとルーヴァルは膝裏と肩に腕を回し、少女の体を持ち上げる。体重を感じさせないその異常なまでの軽さに、眉を顰める。
 陽射しを避けるように、崩れた瓦礫によって作られた日陰にそっと降ろす。さて、これからどうしたものかと悩んでいると、目の前の少女が微かに身じろぎをした。
 それから小さく呻くと、目蓋が持ち上がる。そこにあったのは驚くほど澄んだ青の瞳だった。
 少女は少し視線を彷徨わせると、レーヴァンを見つけて驚いたような表情をした。
「大丈夫か?水、いるか?」
 レーヴァンの言葉を理解していないのか、少女はただ黙っているだけだ。
 困ったな、とレーヴァンが考えたとき、少女が小さく何かを呟いた。
「イ、ル・・・シェ」
「え?」
 うまく聞き取れなかったレーヴァンはもう一度聞き返すが、少女は残っていた体力を使い果たしたのか、また眠ってしまった。
 再び起きる気配の無い少女に、レーヴァンは深いため息を落とした。
「仕方が無い。一度戻るしかないか」
 レーヴァンは手早く荷物をまとめると、少女を抱え上げる。本当は両手が使えなくなるから、肩に担ぐなどをしたいのだが、それだと頭に血が上って危険なので断念する。
 少女を瓦礫にぶつけたりしないように、慎重に入り口を目指す。やがて視界が一気に開けた。
 砂漠の天気は今日も晴れ。晴れじゃないのが珍しいのだけど。
「ここら辺に・・・あ、あった」
 レーヴァンが探していたのは、一つの魔方陣だ。砂塵の中でも崩れないように特殊な粉を用いて描いたものなので一晩たった後も、ちゃんと残っていた。
 それはレーヴァンがここに来るときに用いたものだ。これがあると、対となる魔方陣の元へと一瞬で飛べるという便利なものだ。ちなみに、最初に来たときは魔法ではなく、もっと危険な技を用いたのだが。
 描かれた魔法陣に何かを書き足すと、口の中で呪文を唱える。やがて、光はレーヴァンの体を優しく包み込んだ。
 砂漠の風邪が強く吹く。砂塵が巻き上げられた。それが治まる頃、砂漠にレーヴァンの姿は無かった。



*  *  *



 賑やかな喧騒が、街中に響き渡る。
 フィルチオネ国。南に広大な砂漠を有し、東が海に接している大きな国だ。その王都グリアスの安宿に、レーヴァンは泊まっていた。もちろんあの少女も一緒に。
 少女はあれから一度も目を覚ますことが無かった。レーヴァンも無理に起こすようなことをせず、ベッドに寝かしたまま放置している。たんに、どうしたらいいのか分からないというのもあったが。
「これからどうするかな・・・こいつ連れ回すわけにはいかないし」
 人には大きな声では言えない職業を生業としているのである。あまり目立つようなことは避けたい。引き取り先などを探すのが得策かも知れない。
「そうは言ってもなー。頼れる奴なんて・・・あ」
 そこでレーヴァンはにやりと笑う。
一人だけ居た。頼りになるかはともかく、預け先となるだろう人物が。
 レーヴァンはさっそく交渉しに行こうと、座っていた席を立つ。
「ほんの少しだし・・・大丈夫だよな」
 ベッドに眠る少女の寝顔を見ながら、レーヴァンは一つ頷く。一応、宿の主に、部屋には誰も近づけさせるなと言っておこう。
 レーヴァンは部屋の鍵をしっかりと閉めると、喧騒の街中へと歩き出した。



「断る」
「まだ何も言ってねぇよ!」
 街の中心から少し歩いたところにある家の主は、玄関に立っているのがレーヴァンだと分かると開口一番、そう言った。
 レーヴァンは閉まろうとしているドアに片足を突っ込んで阻止する。舌打ちが聞こえたのは、たぶん気のせいじゃない。
「ジル!話だけでも!」
「断る!お前が来るときは決まって厄介なことがあるときだけじゃないか!」
レーヴァンはうっ、と詰まってしまった。
 そんなことは無いとはっきり言えないのが悲しい。しかし、レーヴァンだってここで引く訳にはいかない。
「砂漠の神殿で拾い物をしたんだよ!」
 その言葉にジルはドアを閉めようとする力を緩めた。レーヴァンはチャンスとばかりに体をねじ込ませる。
 ジルは呆れたようにレーヴァンを見たが、やがて諦めたように部屋の奥へと歩いていった。
 レーヴァンはジルの後についていって、大きな部屋に入る。そこは壁一面に本棚がある書庫だった。並んでいる物はすべて魔法関係。なかには古代文字で書かれているものもあった。
 ジルの本名はジルフリート・リドリウス。魔法国と名高いリーエンド国の王立魔術師だ。本来なら王族に抱えられている魔術師なのだが、訳あって放浪の旅を送っている。
 相変わらず乱雑と積まれた本の山を見て、嘆息する。崩れそうなのに崩れないのは、絶対に魔術を使っているのだとレーヴァンは考えている。
 ジルは座り心地の良さそうなソファに座ると、淹れたての紅茶を一口飲んだ。
「俺には?」
「裏に井戸があるから好きなだけ飲め」
「・・・・・・」
 なんて酷い扱いなんだ。しかし、ここで文句は言うまい。これからさらに、怒らせるようなことをジルに言うのだから。
 レーヴァンはゆっくりとタイミングを見計らっていた。しかし、それが分からないジルではない。
「で、拾い物って言うのは?神殿に行ったのだから呪文書でも手に入れたのか?」
 ジルだって魔術師。もちろん興味が無いわけでない。古い呪文書などが出たら、すぐに見せるように常々言われている。
「いや、今日は違う用件だ」
 レーヴァンがそう言うと、ジルは明らかに不機嫌になった。じゃあ何しに来たんだと表情が雄弁に語っている。
 さて、なんと言おう。
 レーヴァンはジルの顔を見ながら悩む。どう言い繕ったって、怒られるのは火を見るより明らかなのだが、どうせ怒られるのなら被害は少ないほうがいい。
「なんだ。勿体ぶらないで早く話せ」
 悩んでいるレーヴァンを見て、ジルは呆れたように言った。レーヴァンは腹を括ることにする。
「実は、預かって欲しいものがあるんだよね」
「どんなものだ?」
「人、なんだけど」
「・・・・・・」
 ジルの動きが固まる。レーヴァンはとりあえず、固まっているジルに向かって笑ってみた。そんなレーヴァンの右頬を何かが勢いよく通り過ぎる。後ろで何かが盛大に割れる音。見れば先ほどまでジルが優雅に持っていた茶器だった。
 それを確認して、恐々ジルの様子を窺うと、ジルは無表情でレーヴァンを見ていた。明らかに怒っている。
「――今、なんて言った?」
 底冷えする声に内心泣きそうになりながらレーヴァンは必死に言い訳を考える。
「ほらっ!今まで結構な宝を分けてやったじゃないか」
「お前が持っていたって、魔道書なんて宝の持ち腐れだ。古代文字読めないだろ」
 まったくもってその通りである。
「神殿で魔方陣を踏んだら突然現れたんだって!俺じゃあどうしようもないから、助けて欲しいんだよ!」
「知るかっ!俺に面倒ごとを――待て、神殿と言ったか?」
 ジルは話を聞きたくも無いという表情をしていたが、神殿の魔法陣という言葉を聞いて、もう一度、レーヴァンを見た。
 よくは分からないが、ジルが興味を持ってくれたのでこのチャンスを逃す手は無いと重い、レーヴァンは首振り人形の如く、首を振る。
 ジルはそんなレーヴァンの様子にはまったく興味なさそうだったが、しばらく悩むように視線を彷徨わせた。
「会わせろ」
「はい?」
 最初、口を開いたジルがなんと言ったのか分からず、レーヴァンは間抜けな声を出してしまった。ジルは上着を着ながら、呆れたようにもう一度言った。
「俺をその人に会わせろ。預かる云々はそれからだ」

 喧騒の街中を、レーヴァンはジルを連れて歩く。レーヴァンが宿街に入ると、どんどん安宿が並んでいる方面に進んでいくのを見て、ジルは眉を寄せる。
「お前、こんな安宿に泊まっているのか?」
「しょうがなかったんだよ。戦利品が無いから金ないし。お前、家に泊めてくれた?」
「無いな。玄関で門前払いだ」
 レーヴァンは予想できていたとはいえ、実際に言われると落ち込んだ。なんでこんな薄情な奴と友人やっているのだろう、とついつい考えてしまう。
 二人は一件の宿の中に入っていく。安宿とはいえ、ちゃんと掃除が行き届いているし、食事もつくから選んだ宿だ。
 レーヴァンは宿の主人に、部屋に近づいた奴が居ないかを聞き、ジルと共に二階に上がっていく。
「お前はこんなところに一人で置いておいたのか?」
「寝てたし、大丈夫だろうと思ったんだよ」
 そう言ってレーヴァンは部屋の鍵を開ける。しかし、鍵が外れる音はしなかった。
「・・・あれ?」
「鍵、閉め忘れたのか?」
「いや、ちゃんと閉めたはず・・・」
 嫌な予感がして、急いで扉を開ける。そこにはベッドに眠る少女が居るはずだった。しかし、すっかり冷え切ったベッドには人の姿は無く、代わりに窓が全開になっていた。
 ルーヴァルはそんな部屋の様子を見て、本日何度目だろうか。泣きたくなった。



 全開になっている窓から下の通りを見下ろすが、勿論姿は見つからない。ベッドが冷たくなっていることから、だいぶ前に起きだして部屋を抜け出した事になる。
 レーヴァンは自分の迂闊さを呪った。まだ当分、目を覚まさないだろうと高をくくっていたのだ。
「あー・・・こんなことになるなら目を離さなければ良かった」
「まったくだ。捜索の手伝いをしてやるから特徴を言え」
 ジルの思いがけない言葉にルーヴァルは顔を上げる。
 あのジルが手伝い!奇跡だっ!
ルーヴァルはおぼろげな記憶を必死に呼び起こし、特徴を思い出そうとする。なんたって、ジルが手伝うと言ってくれているのだし。
「えっと、髪は金がかった茶色で長かった。肌は真っ白。瞳の色がサファイアみたいに青いのが印象的だったな」
「どう思ったかまでは聞いてない」
 呆れたように言うと、ジルは口の中で何かを呟く。レーヴァンが魔術だと気がついたのは、普通とは違う気を持った風が部屋の中を支配してからだ。
「『風の精(シルフ)』よ。探し人を見つけてきてくれ」
 突風が部屋を吹き荒れたが、やがてそれも穏やかになる。
 ジルは厳しい表情で窓の下の通りを眺めていたが、やがてレーヴァンの向かいの椅子に腰掛けた。
 魔法に関しては、ジルの足元にも及ばないので、レーヴァンは大人しく風の精(シルフ)が良い報告を携えてくるのを待つばかりだ。良い報告だといいのだが。
 はたして、風の精(シルフ)はすぐに帰ってきた。それもかなり慌てた様子で。
「どうした?」
 いつに無く慌てた様子の彼らを見て、ジルは眉を寄せたが、報告を聞くとしたうちをして立ち上がった。当然のことながら、レーヴァンには意味が分からない。
「おい、どうしたんだよ?」
「お前の連れてきた女の子、カラんできた男を氷漬けにしたらしい」
「は?」
 レーヴァンは言われた内容に驚いたが、通りで騒ぎになっていると聞いて慌ててジルの後を追う。
 氷漬け?そんなこと、ただの人間に出来るはずがない。
 これはもしかしなくても、厄介なものを拾ったんだろうと密かにため息をつく。そして思った。間違いない。今日は厄日だと。


レーヴァンたちが風の精(シルフ)の案内で現場に着いたとき、辺りは騒然となっていた。それもそうだろう。通りに突如として現れた、巨大な氷の柱。しかも中には三人ほど、氷漬けにされている。
「あれが出来たのはどれくらい前ですか?」
 ジルは、近くで呆けたように見ていた老人に声をかける。
「十五分前だよ。ほら、あの子が・・・」
 言われて見てみると、巨大な氷の柱の前に、一人の少女が立っていた。長い金がかった茶色の髪の少女。間違いなくレーヴァンが拾った少女だ。
 ジルは十五分前と聞いて、舌打ちをした。このままだと、中で氷漬けにされている人たちの命が危ない。ジルは口の中で古代呪文を唱える。次第にジルの周りに、熱気を帯びた風が吹き荒れ始めた。異変に気がついた周りの人々は、そんなジルから離れていく。
 熱気はやがて巨大な炎へと姿を変え、大蛇のようにうねって氷の柱に巻きつく。氷の柱は煙を上げてどんどん溶けていった。
炎竜(ワーム)だ。
 ジルは炎竜(ワーム)を召喚すると、それを操って中に閉じ込められている人の救出に取り掛かる。炎竜(ワーム)は轟々と燃え上がる炎の塊となって、氷の柱を溶かした。
 閉じ込められていた男たちが、地面に投げ出される。その顔色は青白く、唇も真っ青だ。ジルは急いで男たちに駆け寄り、回復呪文を唱えた。
 癒しの風邪が男たちを包み、体の状態を正常へと戻していく。
「大丈夫そうか?」
「なんとかな。お前は女の子の方をどうにかしろ」
 言われてレーヴァンは顔を引きつらせる。
 少女は相変わらず微動だにせず、その場に佇んでいるが、あの巨大な氷の柱を作ったあたり、結構な魔力の持ち主といえるだろう。本気の戦いになったら、危ないのはレーヴァンかもしれない。
 しかし、少女は何もせず、ただ黙って空を見上げるばかりなのだ。不審に思ったレーヴァンが少しずつ少女に近づいていく。
 レーヴァンが手を伸ばせば届く距離になっても、少女は動かない。
「おい。大丈夫か?」
 さすがに不安になって声をかけると、ようやく少女がこちらを向いた。怖いくらいに澄んだ青い瞳が、レーヴァンに向けられる。
 ようやくレーヴァンを視界に入ったらしい少女は、驚いたように目を見開いた。大きな丸い目が、よりいっそう目が大きく見える。レーヴァンは黙ったままこちらを見つめる少女にどうしていいのか分からず、困ったように見つめ返す。
「イルーシェ・・・」
「はい?」
 意味の分からない言葉が、レーヴァンの耳朶を掠める。少女は小さくそう呟いて、また気を失った。レーヴァンはその体を慌てて抱きとめる。相変わらず、重さを感じさせない体だ。
 ジルは男たちの介抱を終えると、レーヴァンたちに近寄ってきた。レーヴァンが例の少女を抱えているのを見て、怪訝そうに眉を寄せる。
「お前、何をした?」
「何もしてねぇよ!イルーシェと呟いたら倒れちまったんだよ!」
「イルーシェ?」
 レーヴァンの言葉に、ジルはよりいっそう眉を寄せた。そのままレーヴァンを気にせず歩き出す。
「どこ行くんだよ?」
「お前の安宿に戻るんだよ。話はそれからだ」
 はっきりしないことばっかりだが、話してくれる雰囲気なので、レーヴァンは何も言わず、就いていくことにするのだった。


4 :慈雨 :2008/03/23(日) 19:28:02 ID:ocsFkHW4


 レーヴァンは宿に戻ると、再びベッドに少女を降ろす。ジルは窓辺のソファに腰をかけると、大きく息を吐き出した。レーヴァンはジルの目の前に座る。
 炎竜(ワーム)と三人に回復魔法を使ったのだ。疲れていても仕方ないだろう。レーヴァンはジルの前に水の入ったコップを渡した。ジルはそれを一気に飲み干した。
「ジル、イルーシェってどういうことだよ?」
「まぁ、待て。イルーシェの話をする前に、確認しておきたいことがある。」
「なんだよ?」
「彼女は神殿の魔方陣の中から出てきたんだよな?」
 その言葉にレーヴァンが頷くと、ジルは厳しい表情になった。当然のことながら、レーヴァンにはまったく意味が分からないのだが。
「空中都市の話を知っているか?」
 突然の言葉にレーヴァンは目を丸くする。しかし、ジルの表情は真剣なものなので、変に茶化したりせずに首を振った。ジルは少し考えるように視線をレーヴァンから逸らすと、再び口を開く。
「じゃあ失われし都の話は?」
「それなら、知ってる。ずっと前に廃墟になったって言われてる伝説上の都だろ?」
 ジルは頷いた。
「遥かな昔、まだ龍がこの世界に居た頃の話だ。巨大なフリベスク山よりも上の場所に、空中都市が存在した。そこには人と龍が共存し、今よりも強力な魔法が存在したとされている」
「それって何か関係があるわけ?」
 唐突な内容と長くなりそうな話に、レーヴァンは思わず口を挟んだが、ジルに物凄い形相で睨まれたので急いで黙る。
「ごめん。もう口を挟まない」
「・・・その空中都市が一千年以上前、戦いの中で滅びた。炎と煙の七日間がそれだ。空中都市は地に落ちて失われし都へと姿を変えた。――その都市の名前がイルーシェ」
 言われた言葉にレーヴァンは目を見開く。
「イルーシェには今は失われたとされる魔法と、高度な機械文明があった。地に落ちた後もその文明は残っていたとされるが、未だに場所は分からない。まぁ今となっては廃墟の都市だがな」
「その廃墟の都市の名前を何で口にしたんだ?」
 レーヴァンの疑問に、ジルは肩を竦めるだけ。
 鍵を握っているとされる少女は眠り続けている。レーヴァンたちは、この少女が目覚めるのをひたすらに待つしかないだった。


*  *  *



 古い記憶だ。血族の中に眠る、失われた過去の記憶。
 嘆きと悲しみの声の中に、鋭い咆哮と怒声が混じっている。巨大な火柱が多くの建物を焼き、なす術の無い人々を飲み込んでいく。
 空を飛ぶ幾つもの影。その全ての背に翼があり、紅色の鱗が炎に照らされて妖しく光る。昨日まで近くに居た存在なのに、一気に遠くに隔たれた存在になってしまった。
 街が焼けていく。人が死んでいく。龍が争い、血を流す。誰も抗えない。誰も逆らえない。街が、どんどん下に落ちてゆく。遥か彼方の地上へと。それを止めることなど、誰にも出来ない。

 街は――世界は炎と煙に包まれた。



 レーヴァンはすすり泣くような声で目を覚ました。目の前のソファにジルが眠っているのが見える。結局、少女が目を覚ますことは無く、二人はソファで眠ったのだ。
 目を覚ましてからも、すすり泣くような声は聞こえており、それが夢ではないことを知る。声を頼りに暗闇の中を進むと、少女の眠っているベッドに辿り着いた。もしかしてと思いながらも少女の頬に触れると、微かに濡れていた。
「泣いてる・・・」
 少女は小さな肩を震わせながら、静かに泣いていた。怖い夢でも見ているのだろうか。時々、顔が苦しむように歪む。レーヴァンは困ったが、それでも少女の頭を優しく撫でると少女の表情が和らいだ。
 レーヴァンはベッドの側に膝をついて、少女の頭を撫で続ける。夜明けが来るまで、レーヴァンはそうしていた。


5 :慈雨 :2008/03/29(土) 20:40:08 ID:ocsFkHW4

 エリスが起きてすぐに感じたことは、右手に感じる温もりだった。暖かなそれは人肌と同じくらいで、とても安心する。なぜか奇妙に軋む体を起こせば、見たことの無い部屋だったので、エリスは目を丸くした。
 エリスの右手を握っていたのは、漆黒の髪の男の人。奥のソファには金髪の長い髪の男の人が寝ていた。しかし、面識は無い。いったいここはどこなのだろうとエリスは首を傾げた。
「――目が覚めたのか」
 突然の声に驚いてソファを見ると、金髪の男の人がこちらを見ていた。寝ぼけ眼で見ているので、たぶん起きたばかりなのだろう。エリスの様子に気がつくと寝ていた体を起こし、近づいてくる。
 何をされるのか分からずに、そのまま見ていると、その人の左手が額に当てられた。ひんやりとした冷たさが感じられる。
「熱は無いな。他に具合が悪いところは?」
 男の問いかけに小さく首を振ると、男は小さく笑った。その笑顔を見ながらエリスは内心ホッとする。変な奴らだったら困ると思ったが、とりあえず、すぐに命の危険があるわけではないらしい。
 エリスは、ベッドの側に立ち続ける男に人をしげしげと眺める。その無遠慮な視線に気がついたのか、男の人が問いかけるような視線を、エリスに向けた。
「・・・あなたは誰?」
 エリスの質問に男の人は目を丸くすると、小さく口を開く。
「俺の名前はジルフリート・リドリウス。長いからジルでいい。・・・お前、自分がここに居る理由が分かるか?」
「・・・・・・わからない」
 言われてから気がついた。なんで、こんなところに居るのだろう。自分は深い蒼の世界で、眠りについていたはずなのに。
 ジルはそんなエリスの疑問に答えるかのように、エリスの隣を指差した。そこには、エリスの右手を握りながら眠っている、漆黒の髪の男の人が居る。
「そいつが砂漠の神殿で拾ったらしい。名前は・・・レーヴァン」
 エリスは言われてから、まじまじとそのレーヴァンのことを観察した。
 漆黒のくせの無い髪。均整の取れた体。筋肉はあるが、がっちりという感じではない。しかし、いくら考えてもエリスには見覚えが無い。
「私、ずっと寝ていたんですか?」
「一回起きて街を歩いていたが・・・もしかして覚えてないのか?」
 悄然とした様子で首を振るエリスを見て、ジルは驚きを通り越して、呆れてしまった。あれだけの騒ぎを起こしたのに、何も覚えていないなんて。
 ジルは、困ったようにうなだれるエリスを見て、ちゃんとした説明が必要だな、と思った。そのためには事実を全て知っている人物――レーヴァンは必要不可欠だ。ジルはそう考えると、右足を大きく振り上げた。それをそのまま容赦なく相手の足に叩き込む。
「―――っ!!」
 レーヴァンはその強烈な痛みに、文字通り飛び起きた。起きてすぐに蹴られた自分の足を押さえる。その痛みに、レーヴァンは涙目になった。
「目が覚めたか?」
「おまっ!ちょっ・・・ったい・・・」
「言葉はしっかり話せ」
 仕掛けた張本人であるジルは、飄々とそう言ってのけ、レーヴァンは痛みに呻いた。エリスはその光景に目を丸くするばかりである。
 エリスの視線に気がついたのか、レーヴァンが寝ているエリスを見上げた。最初はキョトンとしていた表情だったが、すぐににっこりとした笑顔になる。
「良かった。目を覚ましたんだ」
 レーヴァンは、目を丸くしながら自分を見ているエリスに向かって小さく微笑んだ。エリスはレーヴァンの行動に、ますます目を丸くする。普通、こんなに警戒心も無く話しかけるものなのだろうか。
 ジルは、そんな能天気なレーヴァンに呆れたような表情になりながら、レーヴァンの頭を小突いた。
「おい、状況を説明してやれ」
「状況?」
「この子を拾った経緯だよ。神殿で何かがあったんだろう?」
 言われてからレーヴァンは気付く。
 そういえば、自分はこの子を神殿で拾ったんだった。
 レーヴァンは、少し、不安そうな瞳で自分を見つめているエリスを見た。レーヴァンはそんなエリスに優しく微笑みかける。
「その前に一つだけ」
 唐突な言葉にジルもエリスも眉を寄せる。そんな二人を気にした様子も無く、レーヴァンはエリスを見た。
「君の名前は?」
 エリスは狐につままれたような顔になった。それでも小さく、でもはっきりと名前を呟く。
「・・・エリス」



 話を聞いて、エリスが一番初めに思ったこと。
 ここが、自分が眠っていた場所とは大分違うということだ。魔法陣の発動により、エリスは砂漠の神殿に飛ばされたらしい。なんでそんな仕掛けがあったのかは分からない。
 レーヴァンも、何も分からないと言うエリスの言葉を聞いて、渋面を作った。このままではエリスの処遇に悩むだけでなく、今後の生活にも支障が出る。
「君はここに来る前、どこに居た?」
 ジルの質問にエリスは目を丸くすると、悄然と首を振った。
「よく、憶えていません・・・。一面が深い蒼の世界で、長い間眠っていた気がするんですが・・・」
 エリスの言葉にジルは一瞬、何かを考えるような顔になった。それから、先ほどとは違う質問を口にする。
「じゃあなぜ『イルーシェ』と呟いたんだ?」
「それは、私が知っている唯一の街です。・・・いえ、正確には住んでいた街ですね」
「イルーシェに!?失われし都に住んでいたの?」
 レーヴァンは興奮したようにエリスに詰め寄った。エリスはその勢いに呑まれて、思わず体を反らす。それに気がついたレーヴァンは、少し距離を開けた。
 エリスには、なぜこんなにレーヴァンが興奮するのかが分からなかった。イルーシェは地に落ちたとしても、文明を失っては居なかった。少なくとも、エリスが蒼の世界で眠りにつくまでは。
 エリスの困惑に気がついたのか、ジルが説明してくれた。
「イルーシェは大分前に、地図上から姿を消した伝説の都になっている」
「消えた?」
「空中都市として存在していたときや、地に落ちたあとから軽く一千年は経ってしまったから。文明はもう既に滅びたものだと考えられている」
 ジルの言葉にエリスは言葉を失った。
 一千年?そんなはずは無い。自分が眠ってからそんなに時間が経ってしまったというのだろうか。
 ようやくエリスは、自分が長い時を経て目覚めたことに気がついた。
 文明は地に落ちたとしても、まだ息づいていた。確実に滅びへの道を歩んでいたとしても、それはすぐに訪れるものではなかったはずなのに。
 血族も、自分を残して失われたのだろうか。人よりも遥かに長く生きる存在なのに、その姿を誰も見ていないというのだから、都市とともに滅びたのかもしれない。
「・・・大丈夫か?」
 悄然とうなだれる様子が痛々しく見えたのだろう。レーヴァンが気遣うような視線でエリスを見つめる。
 エリスはそんなレーヴァンを見ながら、小さく笑った。まだ事態をよく飲み込めていなかったが、それでもレーヴァンの優しさは嬉しかった。
「・・・きっと、一族も一緒に消えてしまったのでしょう。姿を見たとは聞かないから・・・」
「一族?」
 レーヴァンの呟きにエリスは曖昧な表情で笑った。その顔を見たジルが、なぜか考えるような表情になった。少し考えてから、エリスをまっすぐ見た。
「イルーシェは滅びてないかもしれない」
 唐突なジルの言葉に、エリスもレーヴァンも目を丸くした。その表情を見て、ジルは呆れたような顔になった。
「・・え?」
「お前、滅びたって言わなかったか?」
「その可能性が高いとは言ったが、そうだとは言っていない。何しろ、誰もその都市を見たことが無いんだから、確認のしようが無い」
 それは想だが、それは屁理屈と言うのではないだろうか。レーヴァンもエリスもそう思ったが、口には出さないで置いた。レーヴァンは経験から、エリスはその場の雰囲気を敏感に察して。
 ジルの言いたいことは分かる。しかし、問題が一つ。
「だけど、どうやってイルーシェの存在を確認するんだ?」
 場所も分からないのに、と言うレーヴァンの言葉は尤もな意見だ。それが原因で誰もイルーシェの存在を正確に知らなかったのだから。
 そう言ったレーヴァンの言葉に、ジルはにやりと笑った。その表情を見て、レーヴァンは頬が引きつるのが分かった。ジルのにやりとした笑顔は、悪いことを考えているようにしか見えないのはなぜなのだろうか。
「エリスが居る」
 突然名前を呼ばれたエリスはびっくりしたような表情で、ジルは見た。
「エリスはイルーシェに居たんだろう?だったら場所を知っているんじゃないか?」
「それは無茶じゃないか?だって一千年近く、眠っていて記憶が無いんだぞ?」
 レーヴァンの言葉に、ジルは取り合おうとはしない。ただ、エリスをじっと見ている。その瞳には、絶対的な確信があった。ジルには、エリスが絶対に場所を知っていると思っているのだ。
「・・・地図、ありますか?」
 小さく呟いたエリスの言葉を聞いて、ジルは満足そうに笑った。


6 :慈雨 :2008/04/06(日) 16:13:48 ID:ocsFkHW4


 エリスは、ジルに用意してもらった地図を見て驚いた。自分が見たことのある地図と地形がほとんど変わっていなかったのだ。国や、都市などは確かに変わっているが、それは大きな問題ではない。
 イルーシェが地に落ちたとされる場所は、今もぽっかりと開いた空間にあるはずだ。エリスの記憶が正しければ。
 失われし都「イルーシェ」は巨大なフリベスク山よりも北、深い樹海を越えた先にある。フリベスク山は長い間、越えることは無理とされていたし、フリベスク山に辿り着く前に広大な砂漠が存在している。それをわざわざ越えてまで、行こうとする酔狂は今まで居なかったはずだ。
「それは確かか?」
「フリスベク山の北に落ちたのは確実です。深い樹海の先には、見渡す限りの草原と大きな湖がありました。イルーシェは湖と陸地に落ちたのです。ですから、イルーシェは水に浮かんでいるように見えるはずです」
 エリスの言葉にジルは考えるような表情になった。大陸を横断するように存在するフリベスク山。それを越えることは長い間困難とされ、北と南に存在する国々は隔絶されていた。それが最近、造船技術が進歩し、航路を使って行き来が出来るようになったのだ。
「フリベスク山の向こう側・・・。じゃあ大陸の北側の人々は、イルーシェの存在を知っていたのか?」
 レーヴァンの呟き、エリスは困ったような顔をした。
「どうでしょう・・・。北の大地は冬の厳しい世界です。特にイルーシェよりも北は極寒の大地です。人が住めるとは思えませんが・・・」
「そんな大地でどうしてイルーシェは存在できたんだ?」
「イルーシェが機械文明を持っていたのはご存知ですか?」
 その言葉に二人は頷く。エリスは言葉を選びながら、説明を始めた。
「イルーシェは街を包むように大きなドームで覆われていたんです。えーと、半円球の硝子のような物を想像していただけるといいかと。それが寒気を塞いでくれるんです」
 聞かされた内容に、ジルは感心した。イルーシェには一千年経った後も存在していない高度な機械文明が存在していたことは間違いないようだ。そうなるとますます不思議なのが、なぜ滅びたのかと言うことだ。
 歴史書では炎と煙の七日間がそれの直接的な原因になったとされている。しかし、その戦いが起きたきっかけはいったいなんなのだろうか。
 説明を聞きながら、ジルは無意識にエリスを見つめていたのだろ。視線に気がついたエリスが問うような視線をジルに向けてくる。
「イルーシェには龍と人が存在したはずだよな?」
「・・・そうですね」
「なぜ、炎と煙の七日間が訪れたんだ?龍はその後、姿を見ていない。地に落ちたとされた後もだ」
 それを聞いたエリスの表情が、一瞬で強張ったのが分かった。視線を彷徨わせると、困ったように顔を伏せる。それを見たジルは何か言おうとしたが、レーヴァンがそれを押さえる。
「・・・なんだ?」
 不機嫌そうに、小声で尋ねるとレーヴァンは困ったように笑いながら首を振った。
「今は聞くときじゃない。いろんなことがあったんだ。一度に聞いたら混乱するだろ?」
 レーヴァンの言葉にジルは不満そうな表情になったが、エリスを見たら何もいえなくなった。確かに、いきなり質問攻めにするのは良くなかったかもしれない。ジルは少し反省した。ジルが質問をしないことを理解すると、レーヴァンはエリスの肩を優しく叩く。エリスは小さく顔を上げた。
「お腹空かない?何か食べに行こうよ」
 言われてから気がつく。物凄くお腹が空いていることに。まぁ長い間眠っていたのだから仕方が無いかもしれないが。
 エリスが頷くと、レーヴァンも嬉しそうに笑った。



*  *  *



 目が覚めて、一番初めに見た物は、自分が閉じ込められていた巨大な氷の柱だった。
 ここは、どこだろう。自分は悲惨な戦いの中に身を投じていたはずなのに。ここにはその喧騒はない。代わりに、死へと繋がっているような静寂だけが存在していた。
 男は水溜りから起き上がると、あたりの様子を窺う。男の周りには、自分が入っていたような巨大な氷の柱が幾つか存在していた。その中には、自分と同じように閉じ込められている者がいる。たぶん、自分の血族だろう。
 男はまだ、うまく力の入らない足になんとか力を込めると、歩き出す。出口があると思われる方へ。どうしてここに居るのかはわからないが、たぶん封印されていたのだろう。
 歩きながら、男は自嘲気味に笑う。きっと、戦いを起こした罰で、自分を含む血族たちが封印されたかもしれない。
「私たちは戦いに負けたのか・・・」
 否、負けては居ないのかもしれない。自分を含む血族の全てを封印したとしたら、その封印をした者は生きてはいないだろう。自分たちの一族は、魔力を失っては生きてはいけないのだから。
 脳裏に青い鱗と、サファイアを思わす青の瞳を思い起こす。悲しみに暮れながら、止めてくれと必死に懇願された。自分はその腕を振り払って、炎を撒き散らした。人々の悲愴の叫びを聞きながら、自分は殺戮を行った。
 ここに男の血族全てが眠っているとしたら、確実に彼は生きてはいない。それは男を阻む者はもういないという事だ。
「今度こそ・・・」
 障壁となる者はいない。それは、今度こそ戦いを、男の望むように終わらせることが出来るということ。そこまで考えて、また悲しみに染まる青の瞳を思い出した。
「お前は、また泣くだろうか・・・」
 それでも、もう引き返すことなど出来はしない。男は残りの血族を目覚めさせるために、再び氷の柱の元へと戻っていった。



*  *  *



 出店が出ている大通りを三人は連れ立って歩く。エリスは興味津々といった風に。ジルは人の多さに辟易したように。レーヴァンは出ている店から適当にサンドウィッチとかを買うと二人の下へと戻っていった。
 渡されたサンドウィッチを受け取ると、エリスはお礼を言って一口食べる。久しぶりの食事はおいしかった。後は無言でひたすら食べている。
「よっぽどおなか空いてたんだなぁ・・・」
 見事な食べっぷりに、レーヴァンは感心したように呟くと、自分の分のサンドウィッチを頬張る。ジルはエリスに記入してもらった地図を眺めながら、なんだか難しい顔をしていた。
 どんなに考えてみても、砂漠越えとフリスベク山登頂は免れないらしい。それは口で言うほど、簡単ではないことは分かっている。ジルは、旅の行程を考えると、どうしても渋い表情になってしまった。
「どうした?」
「いや・・・」
 妙に歯切れの悪い返事に、レーヴァンは問うような視線を向けるが、ジルはただ首を振るだけ。もし、レーヴァンに旅は難しいと思うといったところで聞かないことは分かっているし、ジルとしても滅びたとされるイルーシェは見てみたいのだ。
 そんな二人の様子を見て、エリスはポツリと呟いた。
「本当に行くんですか?」
「え?」
「・・・私は一千年近く眠っていたみたいです。その間に何があったかなんて、分かりません。もしかしたらイルーシェはもう無いかも知れないし・・・」
「可能性の話だろう?まだ自分の目で確かめていないじゃないか」
 レーヴァンがそう言えば、エリスは困ったような表情を浮かべる。その表情に真意を知らないレーヴァンは、ただ首を傾げるだけ。
 やがてエリスは小さく首を振って「そうですね」と答えた。それを聞いたレーヴァンは再び、ジルと地図を見ながら何かを話し始める。エリスは、それをただ見ていた。
「・・・私は、二人を魔の巣窟に送り込むことになるかもしれない・・・」
 呟かれた言葉は、二人に届くことは無かった――・・・。


7 :慈雨 :2008/04/20(日) 14:20:54 ID:ocsFkHW4

第二章


 晴れた砂漠の真ん中を、隊列を組んだ商隊が進んでいく。荷馬車を取り囲むように、護衛の人たちが散らばっている。その最後尾に、レーヴァンたちは居た。
 日除けに頭を覆うように被った外套の中から、ジルは恨めしげに空を眺める。砂漠の気候というのは、昼は暑く夜は寒いという非常に面倒くさいものだ。
「なんだってこんなことに・・・」
「仕方ないだろう。イルーシェに行くって言ったのはお前だろ」
 ジルの呟きを聞いたレーヴァンが、苦笑しながらため息をつく。今、目指しているのはフィルチオネ国から東、ジルの故郷であるリーエンド国方面だ。
 リーエンド国に行くと言ったとき、ジルは行くのを散々渋った。抱えている事情が事情なだけに仕方が無いのだが、リーエンド国を抜け、北を目指すルートがイルーシェに向かうには一番だと協議をした結果、ジルには我慢してもらうことにした。
「なんだってリーエンド国・・・遠回りだがグラーシア国から行けないこともないのに・・・」
「まだ言うか。いい加減諦めろ。何かあったら、俺が何とかしてやる」
「お前が問題の原因になる可能性が大きい」
 レーヴァンとジルの舌戦を近くで聞いているエリスは、おろおろと二人の顔色を窺っている。それに気がついたレーヴァンは、安心させるように笑った。
 嫌だとごねている割には、嫌味が言えるくらいには余裕があるようだから心配は無いだろう。いざとなれば、自分がどうにかすればいいのだし。と考えてレーヴァンは砂漠の果てを見る。
 リーエンド国を抜けて、さらに二つ国を越えた先に前人未踏の砂漠とフリスベク山が待っている。それを越えた先にあるのは、イルーシェなのだろうか。それとも――・・・。
 レーヴァンが考え事をしていたとき、甲高い笛の音が鳴り響いた。これは商隊に決められていた警告音。レーヴァンとジルはすばやくあたりを見回す。
「レーヴァン!三時の方向!」
 エリスが叫んで指差す先に、砂埃が見える。その隙間から、何かに乗って駆けて来る人の影が見えた。全員が手に何かを持ってこちらを目指している。
レーヴァンはすぐに、先頭を守る警備の隊長に叫んだ。
「敵襲!三時の方向に砂埃を確認!」
「確認した!全員、荷馬車を後方に回せ!前と後ろに三人、横に四人だ!隊列を組みなおせ!!」
 隊長の声と共に、雇われた護衛が隊列を組み直す。荷馬車を引く馬たちが、怯えて嘶いた。
 レーヴァンとジルは素早く荷馬車の後方に馬を走らせた。それに合わせてエリスも馬首を廻らせる。その行動に驚いたレーヴァンは慌ててエリスを止めた。
「エリスは荷馬車の近くに居るんだ。これは怪我だけじゃすまない。下手したら死ぬんだぞ?」
 もっともな意見に、ジルもレーヴァンの後ろで頷いている。しかし、エリスは笑うだけで引き下がろうとしない。なおも言い募ろうとしたレーヴァンを手で制すると、外套の中から何かを取り出した。
 それは大きな強射用の弓だった。しかも、熊も一発でしとめられるタイプ。これはかなりの力自慢が使う弓だ。どう考えてもエリスの細腕では放てるはずが無い。
 訳が分からないという顔のレーヴァンに、エリスは優しく微笑みかける。
「お願い。絶対に役に立つはずだから」
「でも・・・」
「大丈夫。だから、お願い」
 必死に頼み込まれてしまい、レーヴァンはそれ以上何も言えなくなってしまった。ため息をついて、エリスとともに荷馬車の後方につく。エリスとともに戻ってきたレーヴァンに、ジルは何か言いたそうだったが、結局は黙った。
「――隊長!『グリズリス(砂漠の強奪者)』です!全員武器を持っています!」
 告げられた単語に、何人かの表情が曇る。
 グリズリス。砂漠の強奪者と名前がついているように、彼らは砂漠を越えようとする商隊を狙ってくる。無慈悲で極悪非道な彼らに目を付けられたら最後。皆殺しにされるのが決まりとなっていた。
 しかし、隊長は毅然と剣を掲げる。
「怯むな!全員で力を合わせるんだ!」
「・・・人はこれを勇気だと讃えるのか、愚かだと罵るのか・・・」
「ジル・・・俺たちも本気で戦わないと、殺されるからね?」
 呆れたように隊長を見て、まったくやる気の見えないジルに不安を覚えながらも、レーヴァンは腰に差していた剣を抜く。荷馬車の前で隊列を組んでいた者たちは、弓に矢をつがえ、グリズリス(裁くの強奪者)を狙っていた。
 それを見たエリスの目元がいっそう険しくなる。
「・・・遠いです」
「え?」
 エリスが呟いたとたん、弓から矢が放たれる。しかし、それは前方を走る人に当たる前に、砂の中に消えた。
 レーヴァンは驚いてエリスを見たが、エリスは既に強射弓に、矢をつがえているところだった。その細腕のどこにこんな力があるのだろう。エリスは弦を力いっぱい引き絞ると、砂嵐を巻き上げている一団に向かって、放った。
 矢は轟音を上げて一直線に飛んでいく。やがて、先頭を走っていた男の胸に引き込まれるようにあたり、男は砂の上に落ちた。
 誰もが――グリズリス(砂漠の強奪者)たちさえも驚愕の表情でエリスを見た。エリスはそんな周りの様子に気がつくことなく、冷静に次の矢を弓につがえている。二射目も見事に別の男に当たった。
「信じられねぇ・・・」
 目の前に広がる光景に、レーヴァンは思わず心の声が漏れた。その言葉にエリスは苦笑する。
「役に立つって言ったでしょう?」
 いたずらっ子のような笑顔を向けられたレーヴァンは、一瞬、虚を突かれたような表情になり、次いで苦笑した。
「確かにな。思わぬ特技だった」
「そこ、悠長に話してると首を飛ばされるぞ」
 ジルは刻一刻と近づいてくる一団を見ながら、呆れたような声を出す。レーヴァンとエリスは顔を見合わせると、二人して笑いあった。
 砂埃が大きくなる。レーヴァンは剣をしっかり握り締めなおすと、近づいてくる一団を睨み、呼吸を整えた。


8 :慈雨 :2008/05/05(月) 12:56:04 ID:ocsFkHW4


 奇声を上げて剣を振りかぶってくる男たちを、剣の鍔で受け止めながらレーヴァンは背後の様子を窺う。ジルは心配しなくてもいい。あいつは魔術が使えるし、剣の腕も相当なものだから。しかし、エリスはそういうわけにはいかない。確かに弓は凄かったか、あれは遠距離戦術だ。接近戦になったら剣を持っていない――少なくともレーヴァンはそう思っている――エリスは不利だ。
 混乱の渦と化している周りを見回すが、エリスの姿は見えない。まさか既にやられているのか、と焦るがそれらしき人物が転がっているわけでもない。
「ジル!エリスがどこに居るか分かるか!?」
「見失ったのか!?」
「う・・・まぁ・・・」
 この混乱の中で、エリスの動きを完璧に把握しておくなんて不可能に近いと、思わないでもなかったが、ジルの非難めいた表情にレーヴァンは押し黙る。
 グリズリス(砂漠の強奪者)が突入してくるまでは、すぐ近くに居たのは覚えている。しかし、乱闘になった瞬間から、エリスの気配は消えていた。正確には、エリスの気配まで気が回らなかったのだが。
「死んでるってことは無いと思うんだけど・・・」
「危ないっ!」
 ジルの叫び声がレーヴァンの耳朶に突き刺さる。考え事をしていたせいで、背後に近づいていた敵に気がつかなかったらしい。前方に居た敵を相手にしていたために、剣の振りが遅れる。どんなに頑張っても、防御が間に合わない。
(やられる・・・!)
 そう思った瞬間、敵の背中に深々と矢が突き刺さった。男は一瞬にして絶命し、剣先がレーヴァンに届く前に倒れる。その背中に刺さる矢を見て、レーヴァンは瞠目した。
 男の背中に刺さっているのは、間違いなくエリスがつがえていた矢。レーヴァンは矢が飛んできた方向を素早く見るが、エリスの姿は無い。
「・・・とりあえず、死んではいないみたいだな・・・」
 目の前で倒れる死体を見ながら、エリスが無事でしかも味方を助ける余裕もあることを知ったレーヴァンは、内心、安堵の息を吐く。そのまま呆然と立っていたら、敵をなぎ倒しながらジルがこちらに走ってきた。
「レーヴァン、怪我は!?」
「無い。エリスが助けてくれたらしい」
 馬首をめぐらせてこっちに来たジルも、男の背中に深々と刺さる矢を見て驚いたようだった。
「とんでも無い奴を、俺たちは味方につけたみたいだな・・・」
「俺も同じことを思ってた」
 ジルの言葉にレーヴァンも頷くと、ジルは苦笑した。それから周りに残ったグリズリス(砂漠の強奪者)たちを見て眉を寄せる。
 ジルは剣を下ろすと、呼気を整えだした。それ見てレーヴァンはぎょっとしたように離れる。この体勢は、間違いなく魔術を発動させるつもりだ。しかし、この乱闘の中で発動したら、味方にだって被害が及ぶかもしれない。それを知らないジルではないはずなのに。
「ジル!こんな状態で魔術を使ったら、味方にだって被害が・・・」
「俺がそんなヘマをするとでも?」
 傲岸不遜に言い放った言葉に、レーヴァンは絶句するが、すぐに笑い出す。
 忘れていた。ジルはこういう奴だった。いつだって自信満々で、しかもやり遂げてしまう様な奴だったのだ。
 ジルの周りに不可視の『何か』が纏わり始める。自然の法則をやぶって作られた風は、多くの熱気をまとって巨大化していく。戦いに没頭していた敵も、さすがに様子がおかしいと思ったのか、ジルの方を見た。そしてそこに広がる光景に、誰もが目を疑った。
 今や巨大な砂嵐と化した風には、所々炎を纏った何かが浮いていた。それを見つけた誰かがポツリと呟く。
「まさか・・・炎の精(サラマンダー)?」
「ご名答」
 小さな呟きを聞いたジルはニヤリと笑う。敵は叫び声を上げて逃げ出した。砂漠と言う乾燥地帯。風邪に煽られた火は、あっという間に燃え広がる。
 ジルは逃げ出した敵に、容赦なく砂嵐を向けた。馬に告示した鱗を持つ生物に跨って逃げようとするが、砂嵐の速度に勝ることは無かった。グリズリス(砂漠の強奪者)たちは一気に砂嵐に巻き上げられると、遠方へと吹き飛ばされていった。
「派手だなぁ・・・」
「これでも手加減した方だ。火の精(サラマンダー)によって燃えたやつは居ないだろうしな」
「・・・・・・・・・・・」
 レーヴァンはなぜか威張っているジルには突っ込まず、エリスを探すことにした。あの乱戦時には見つからなかったのに、人が消えたらエリスはあっという間に見つかった。レーヴァンとジルが居るところよりも三十メートルほど離れたところに立っている。エリスもレーヴァンたちを見つけたらしく、馬をこちらに走らせてきた。
「怪我は無い?」
「はい。二人も怪我は無いですか?」
「無いよ。俺なんか助けてもらったみたいで。ありがとう」
 レーヴァンが軽く頭を下げながらそう言うと、エリスはホッとしたような表情になった。どうやら、足手まといにならずに済んだことに、安心したらしい。エリスは手に持っていた弓を外套の中に仕舞うと、瞳を輝かせながらジルを見上げた。
「ジルさんは魔術師だったんですね!しかも複合魔法が使えるなんて、凄いです!」
「まぁ・・・。エリスは魔術に対する知識を持っているのか?」
「えーと・・・ちょっとだけ。かじった程度です」
 エリスの言葉に目を丸くしたジルが尋ねると、なぜか歯切れ悪く答えるエリス。まぁかじった程度でも、ジルの魔術技術が優れていると判断できるということは、それなりに学んだということだ。
 なぜか視線を合わせなくなったエリスを、ジルは深く追求するでもなく、ふぅんとだけ言って、馬の方へと行ってしまった。


9 :慈雨 :2008/05/26(月) 16:36:15 ID:ocsFkHW4

ジルのその反応を受けて、エリスは拍子抜けしてしまった。もっと追求されると思っていたのに、何も言わないなんて。・・・逆に不安になってくる。
 短い付き合いの中でエリスが分かったことは、ジルはエリスに対して、四割程度の信頼しか持っていないということだ。常にエリスの行動と言動を気にしている。それは仕方の無いことだろうと、エリスも重々承知だった。いきなり現れた――しかも魔法陣の中から――得体の知れない女。千年の空白期間があり、滅びたとされるイルーシェに居たと言う。我ながら怪しさ満点だ。
 だからこそ、淡白な反応に驚いた。ジルならエリスが出したぼろを見逃さず拾い上げ、聞いてくると思っていたのに。
「どうした?やっぱり怪我したのか?」
「え?あぁ・・・大丈夫です」
 そう言って、エリスはジルの歩いていった方を見た。レーヴァンもつられてエリスの視線の先を追った。エリスとレーヴァンの視線の先では、ジルが怪我人を相手に治癒魔法をかけていた。普段と変わらないその表情に、エリスは安堵すると共に少しだけ不安になった。
「?ジルがどうかしたの?」
「いいえ。なんでもないです」
「おーいっ!隊列を組みなおすぞー」
 隊長の声を聞いて、エリスとレーヴァンは荷馬車の側に向かう。そしてまた、ジルと共に荷馬車の後方について、隊列についていくのだった。



*  *  *



 十二個の氷の柱の内、水の滴る氷の柱が五つ。真ん中に大きな窪みが空いており、そこに何かがあったことをうかがわせる。黒い長衣を纏った男は、新たに目覚めた四人の血族を見回した。
 長い間、氷の柱の中に封印されていたせいか、全員の肌はまだ青白い。しかし、その瞳に込められた物には力強さが戻っているのが分かる。それを見て、男は唇の端を歪めた。
「――我々は永きにわたって、氷の柱に入れられて、眠らされていたらしい」
 黒衣の男の言葉に、赤金の髪の女性が額に張り付く髪を振り払った。その表情には不快の色がまざまざと浮かんでいる。
「彼にここまでの力があったなんて、驚きだわ」
「だが、確実に生きてはいないだろう。私たちを封印するほどの魔力の放出は、生死に関わる」
 背中まである漆黒の髪の青年の言葉に、黒衣の男の顔が微かに歪められる。
 長い年月、これだけの人数を封印していたのならば、確実に彼は死んでいるだろう。いくら、彼が一族の中でも特別な存在だったとしても。
 誰よりも崇高で、気高い存在だった、彼。だからこそ、黒衣の男には彼の所業を許すことは出来なかった。たとえ、今生の別れになるとしても。刃を交えることになるとしても。――死を与えることになるとしても。
「で、これからどうするの?・・・グレン」
 赤金の女性の言葉に黒衣の男――グレンは振り返った。そのまま唇の端を持ち上げる。滅多に無いグレンの微笑に、目覚めたばかりの四人は目を見張った。
「・・・もちろん、目的は果たさなければ」
「彼はもう居ないのに?」
 漆黒の髪の青年の言葉に、グレンが一瞬、動きを止める。それでも、前言を撤回することは無かった。
 分かっている。既に失われたものは、どんなことをしても元に戻ることは無い。それでも、この感情の矛先をどこに向ければ良いと言うのだろう?もう、動き出した歯車を止めることなど、出来るはずもないのに。
「狂った歯車はもう止まらない・・・。なら動かした者たちに、その責任を果たしてもらおうじゃないか」
 かつて楽園だった、あの美しい街。
 その穏やかな日常を、彼と「あいつ」が奪っていったのだ。だから、我々は決起した。再びなどが無いように。決められた不文律を、守るために。
 調和と秩序は、あの瞬間に失われた。
「障壁となる存在は居ない・・・今度こそ、俺は――」
 グレンの言葉に、四人は深く頭を垂れた――・・・。



*  *  *



 レーヴァンたちを含む商隊は、砂漠の真ん中にあるオアシスの側に天幕を張って、野営をすることにした。明日一日かけて砂漠を踏破すれば、夕暮れにはリーエンド国に入国できるだろう。尤も、何事も無ければの話なのだが。
 ジルはリーエンド国に近づくにつれ、だんだん無口になっていった。それでも、逃げ出さずについて来ていると言うことは、行く気はあるのだろう。本人にはどんなに不本意なことだったとしても。
 天幕の中はエリスとレーヴァン、ジルの三人が集まっていた。本来なら女性であるエリスは天幕を別にするべきなのだろうが、この商隊には他に女性が居ないので、他の男と寝るよりはレーヴァンたちと一緒の方がいいだろうという考えからだった。
「じゃあこの砂漠を抜けたら、ジルさんの故郷のリーエンド国ですか?」
「そう。魔法国として名高い国だから、世界中から魔法使いの卵たちが集まって来るんだよ」
「へぇ・・・じゃあジルさんも?」
「いや、あいつは元々リーエンド国出身だから」
 天幕の真ん中に置いたリーエンド国の地図を見ながら、エリスは感心したような表情でジルを見上げた。一方、ジルはといえば、不機嫌そうな顔でエリスの入れたお茶を飲んでいる。
 エリスにはなぜ、ジルがここまでリーエンド国に行くのを嫌がるのかが分からないでいた。生まれ故郷だというから、帰るのは嬉しいものだと思うのだが、どうやらジルは違うらしい。しかもこの手の話をすると、ジルは途端に不機嫌になるので詳しいことも聞けずじまいだった。
「・・・王都には寄るのか?」
「さすがに王都に寄るのはまずいだろ。ゲールマールに行けば必要なものはそろうと思うし。あそこは商都だったろう?」
「あぁ・・・そうだな」
 レーヴァンが渋い表情になりながら、地図で「ゲールマール」という場所を確認している。王都には寄らないと聞いて、ジルは少しだけ安心したようだった。


10 :慈雨 :2008/06/15(日) 18:53:39 ID:ocsFkHW4

 ジルは天幕から出ると、闇夜に沈む地平線を眺める。ジルが見つめる先には、故郷であるリーエンド国があるはずだ。京を思い出すとき、ジルの脳裏にいつも響く声がある。

『お前が居なければ――っ』

 その言葉はもう何年も経ったのに、鋭利な刃物となってジルの心臓を抉る。どうして自分はまた、彼の国へ行こうとしているのだろう。傷つけることしか出来ない自分が行ったところで、碌なことにならないのは分かりきっているのに。
「――難しいこと、考えるなよ」
 耳元で囁かれた言葉に、ジルの意識は過去の思考から引き上げられる。後ろを振り返ればレーヴァンが不安げな顔でジルを見ていた。そのまま、安心させるように軽く頭を叩く。
「大丈夫だ。何にも起こらないし、何かが起こっても俺が何とかしてやるから」
 ―――あの時のように。
 言外にそう言われたような気がして、ジルは心の中で苦笑する。この言葉がジルをどれだけ救っているのか、レーヴァンは知っているのだろうか。悔しいから、絶対に教えてやら無いけど。
 ジルは頭を撫で続けるレーヴァンの手を振り払うと、そのままそっぽを向いた。
「前も言っただろう。お前が原因になる問題のほうが多いってな」
「あ、心配してやってるのに」
 不満そうな声を上げるレーヴァンを尻目に、ジルは苦笑する。本当は分かっている。レーヴァンが頼りになることを。言った言葉は必ず現実にするっていうことも。
 ジルは抗議の声を上げるレーヴァンを無視して、オアシスの泉の水辺に立つエリスの姿を見る。その視線に、険の様なものが含まれていることに気がつき、レーヴァンもエリスを見た。
 取り立てて、変なようには見えないが。しかし、ジルはエリスから視線を外さない。
 変に思ったレーヴァンはジルに向き合う。
「エリスがどうかしたのか?」
「…あいつ、嘘をついているな」
「へ?」
 意外なジルの言葉にレーヴァンは目を丸くする。エリスが嘘をついているといっても、レーヴァンにはどこら辺で嘘をついているのかが分からない。
 その表情を見て取ったのだろう。ジルが呆れたようにレーヴァンを見た。
「嘘って、どんなのついてるんだよ?」
「この前、魔法の話になっただろう?複合魔法なんて言葉よく知っているなって思ったんだが」
「でもさ、魔術はかじった程度には知っているって言ってたから、まったくの無知と言うわけではないんだろう?」
 別におかしくないんじゃないか?というレーヴァンを、ジルはじっと睨みつけた。その反応を見て、なんだかよく分からないが機嫌を損ねさせたようだ、と思ったレーヴァンはすぐに口を閉じる。
 こういう時は下手なことを言わない方がいいのだと、レーヴァンは悲しいくらいに理解していた。
「人の話は最後まで聞けって毎回言ってるよな?」
「すいません…」
「まぁかじった程度なら、複合魔法と言う言葉を知っていてもおかしくは無いだろう。だが、エリスは人を氷漬けに出来るほどの魔力と技術を持っているんだぞ?」
 言われてレーヴァンも気がついた。
 寝かしつけていた宿から姿を消したとき、エリスは通りで男たちを氷漬けにしていたのだ。あの氷の純度や質量から考えても、エリスが相当の魔力とそれを扱うだけの技術を持っているのは一目瞭然だ。
 それなのにエリスは、魔法はよく知らないというような口ぶりだったのだ。
 ジルはそのことにすぐに怪しいと思ったが、言及したところで何も言わないだろうということを察していたので、あえて突っ込んだことは聞かなかった。代わりにその行動をより観察することにした。
「よく考えてみろ。姿かたちは人間と変わらないが、あんな強弓を楽々撃つんだぞ?」
「うっ…」
 そう言われると、レーヴァンは何も言えなくなる。確かに、エリスは屈強な男が引くような弓を女の細腕で射ていた。それは良く考えれば、かなり不自然なことだ。
 しかし元来、人が良いレーヴァンにはエリスを疑うというようなことは出来なかった。それが分かっているジルも、あえてレーヴァンにエリスを疑ってみろ、とは言わない。これはあくまで忠告なのだ。
 エリスは水辺に足を浸しながら、砂漠の風を感じていた。馴染みの無い乾いた風が髪を攫っていく。
 レーヴァンとジルが自分の後ろ姿を凝視していることには気がついている。気がついている上で、何も反応をしないで居た。今、自分が変な行動を取ったらきっとジルは疑惑の念を確固たる物にするだろう。でも、エリスは決めていた。聞かれたら答えられる範囲内でしっかり返事をしようと。
「…でも、聞いてはこないみたいですね…」
 あまりにも人が良すぎるレーヴァンに、エリスは苦笑する。この分では盗賊という仕事をしていても、卑怯な仕事はしていないのだろう。なんと言っても、得体の知れない自分を拾い、旅にまで同行しているのだから。
「――出来ることは少ないと思うけど…」
 自分のできる限り、彼らを守りたいと思う。それはきっと、かつて失ったものを忘れられないからだろう。
 エリスは小さく嘆息すると、砂漠の空に煌く星々を見つめた。


11 :慈雨 :2008/07/09(水) 23:27:06 ID:ocsFkHW4


 朝日が昇り始めると、すぐに隊商は天幕を片付け、荷馬車に荷物を詰め始めた。砂漠は、日中は暑く夜は寒いという気候だ。できるだけ気温が上がる前に出発し、なるべく早く砂漠を抜けリーエンド国に入ろうと考えたのだ。
 レーヴァンたちも荷物をまとめ、馬の背に鞍を乗せる。ちなみに出発が早まったと聞いたジルは、朝から不機嫌だ。そんなジルをレーヴァンはなんとかなだめすかし、荷物の支度をさせる。
「俺たちはリーエンド国の国境までの警護契約だから、国境を越えたらすぐに商隊とは分かれてゲールマールへと向かおう」
 元々、砂漠の盗賊や強盗から荷を守るという契約を、レーヴァンは個人的に結んでいた。諸国を旅しているせいか、レーヴァンは意外と顔が広かったりする。
 今回の旅も、突発的なものだったにもかかわらず、レーヴァンはすぐに交渉をしてあっさり承諾を得てきたのだ。
「国境には警備隊が常駐している。…抜けられない可能性は無いか?」
 ジルの険を滲ませた言葉に、レーヴァンはにんまりと笑った。その笑顔が嫌な予感を募らせ、ジルは少し顔を引きつらせる。
「問題は無い。俺にとっておきの秘策があるから」
「…ちなみにどんな?」
「聞いたら絶対に実行する。その約束を守れるなら教えてやる」
「…………」
 聞けば聞くほど嫌な予感が起きる。しかし、自分には考えが無いし、今のところレーヴァンの意見を飲むしか方法が無いのも確かだ。
 きっとそこまでアホで間抜けな作戦は無いだろう。
 そう考えたジルは、レーヴァンに「話してみろ」と言った。
 レーヴァンの言葉を聞いた瞬間、ジルの表情が抜け落ちたのを、エリスは確かに見たと思った。



*  *  *



 国境警備隊の者が、砂漠からリーエンド国に入る人々を観察している。商隊も勿論調べられるが、もっぱら商人の身分さえ承認されれば、商隊の人のことはほぼ調べられない。あとは積荷の確認くらいだ。
 ジルは頭からすっぽり長衣を被って顔を隠していた。さらにいつもは一つに結んでいる長い金髪を背中に流している。白い肌は陽の光に輝いているようで、節目がちに伏せられている瞳は麗しさをいっそう引き立てている。
 今のジルはまさに傾国の美女に勝るとも劣らない美しさだった。
 これこそがレーヴァンの考えた作戦だった。端正な顔立ちと白磁を思わせる肌。これなら頭から長衣を被り、化粧を施せば絶対に分からないとレーヴァンは太鼓判を押した。ジルはレーヴァンの作戦を一蹴したが、薄化粧をし、藍色の長衣を被って目元を隠したらどこからどう見ても一人の麗しい美女だった。
この出来にレーヴァンは満足し、エリスはただただ感動していた。
「どうだっ!これで誰もこの美女がジルフリート・リドリウスだとは思うまい!」
「凄いです!どこからどう見ても素敵な女性にしか見えません!」
「エリス…これ以上惨めな気持ちにさせないでくれ…」
 ジルは馬に乗りながら深々とため息をついた。ちなみに女性にしては高すぎる身長も、馬に乗れば分からない。エリスは先ほどからしきり感心したように目を輝かせ、それを見るたびにジルは悲しい気分になった。
 レーヴァンの話に乗ると碌なことにならない。それを理解していたはずなのに話を聞いてしまった自分を殴りたくなる。さらにエリスに勧められて、渋々鏡を見てさらに絶句した。
(…誰だ、これ)
 鏡に映った自分の姿は女性そのものだった。女顔の自分が酷く恨めしい。
「落ち込むなよ。顔が素敵ってことだろう?」
「女顔だって正直に言えよ。なんだってこんな目に…」
「これ以上に無い作戦だと思うぞ?」
「でも注目を浴びてますよね。皆、こっち見てますし」
「「…………」」
 言われて二人も周りを見る。するとあちらこちらでジルを見ていた視線がサッと外れた。
 ジルフリート・リドリウスと分からないように変装し、目立たないように入国するつもりだったのに、物凄く目立っていたらしい。確かにジル本人だとは分からないだろうが、別の意味で厄介なことになりそうだった。
「…レーヴァン」
「なんとかなるって!」
 明るい前向きな発言をしながら馬を進めるレーヴァンの背中を見て、ジルは深いため息をついた。



 並んでいた列が進む。いよいよレーヴァンたちが居る商隊の番になった。知らず、ジルの体が緊張する。馬鹿な作戦だとは思っているが、レーヴァンの言うとおり見て分かることはないだろう。しかし、商隊の人が何か言うかもしれない。
 だが、検問はジルが驚くくらいあっさりと通過した。商隊の人も特に何も言わなかったらしい。レーヴァンは隊長に挨拶に行ってくると言って、隊列の方へと向かっていった。
 ジルは久しぶりの故郷を、頭から被った長衣の影から見た。懐かしさと同時に、忘れていた痛みが胸を襲う。再びこの国に足を踏み入れるなんて、ここを出て行ったときにはまったく考えてもいなかった。もっとも、エリスという存在がジルの前に現れなかったら、今も来ることは無かったのだろうが。
 商隊に挨拶とお礼を済ませたレーヴァンが、ジルとエリスの方へと馬を進めてくる。ジルは、商隊の人が自分を見る視線の中に、憐憫のようなものが窺えて首を傾げる。
「お前、あの人たちになんか言ったのか?」
「ん?ジルがなんで女装をしてるのかを説明しておいた」
「……ちなみになんて?」
「ん?趣味ですって」
「…………」
「皆、顔が良いのに勿体無いって言ってた」
 暢気に笑っているレーヴァンを、ジルはありったけの力と心からの憎しみを込めて、思いっきり殴り飛ばしてやった。


12 :慈雨 :2008/07/22(火) 21:03:50 ID:ocsFkHW4

 レーヴァンたち一行は一路、商都「ゲールマール」を目指す。リーエンド国でも有数の港を有し各国からの物資が届くゲールマールでは、都とはまた違った華やかさを誇っていた。
「わぁ…!海が近いです!」
 眼下に広がる雄大な光景に、エリスは興奮したように超えを上げた。そのまま魅入られたように海を見つめ、根が生えたように動かなくなる。その子供のように喜ぶエリスを見て、レーヴァンは小さく笑った。
「海を見るのは初めて?」
「はいっ!キラキラ輝いて凄く綺麗ですね!」
 生まれてから海と言う者を見たことが無かったエリスは、話に聞いていた海を見るのを実はとっても楽しみにしていた。
 ジルは長衣の影から辺りの様子を窺った。ずっと昔に一度来ただけだから正直、郷愁というものはあまり沸かない。でも、故郷の一部だと思うと不思議と懐かしくも思えてきた。
「懐かしいか?」
「・・・あぁ」
 珍しく正直なジルにレーヴァンは少し驚き、それから勢いよくジルの背中を叩いた。叩かれた方は思いっきり文句を言っていたが、レーヴァンは気にしない。本当のところ、ジルにとっては良い思い出ばかりではなかったから、もっと嫌がると思っていたのだ。でも懐かしいと思えるほどには過去のことを気にしなくなったんだと思ったら、なんだか嬉しくなったのだ。
「さて!当面の宿でも探しに行くか」
「いきなり叩いといてなんなんだ!」
「エリスは海が見える宿の方が良いか?」
「素敵です!あとで港にも行きたいです!」
「・・・無視するとはいい度胸してるな」
 小さく呟いたジルがレーヴァンの背を蹴飛ばした。その衝撃でレーヴァンは馬から落ちそうになるのを何とか堪える。そんなレーヴァンの姿を見てジルがつまらなそうに舌打ちをしたのは聞こえなかったことにしよう。
 昔より格段に口も性格も悪くなった友人を見ながら、レーヴァンは小さく笑った。どんなに酷い扱いであっても、レーヴァンがジルを嫌うことは無いだろう。出会ったときには考えられないような成長――と呼ぶのかどうかは謎だが――を遂げた友人を、なんだかんだでレーヴァンは気に入っているのだから。
「あれ、何か人だかりがありますね。なんでしょうか?」
 後ろの二人の密かな戦いに全く気がついていないエリスは、街の広場と思われるところで沢山の人が集まっていた。
 興味を引かれたエリスはその輪が一体何なのかを確かめようとする。
「祭りのトーナメント受付だろう」
「祭り?トーナメント?」
 ちらりと人だかりを一瞥したジルがたいして面白くもなさそうに呟いた。エリスは「祭り」という言葉に首を傾げる。
「リーエンド国には毎年この夏の時期に大々的な祭りをするんだ。あれはたぶん、祭りの余興の武術大会のだろう」
「武術大会なんてやるんですか?」
「魔法とか剣術とかなんでも有りの大会で、各地の予選を勝ち抜いた人は王都の本選に出場。優勝者には金一封」
「金一封!?」
 ジルの言葉にレーヴァンが勢いよく振り返った。その目がトーナメントの受付に向けられるのが分かって、ジルはレーヴァンの肩をがっしりと掴む。
「言っとくが、武術大会には出ないからな」
「なんで!?」
「王都には行かないと言っただろう。・・・お前はゲールマールに来た理由、分かってるよな?」
 目の前で凄まれてレーヴァンの視線が泳ぎだす。
 王都に行かないのはジルに止むを得ない事情があるからで、武術大会に出場してもし本選に通るようなことがあれば、間違いなく注目を浴びる。
「そんな危険は冒せない」
「分かってるよ・・・」
 不承不承ながらも頷いたレーヴァンは、明らかに後ろ髪が惹かれているようだった。そんなレーヴァンの意志をジルは完璧に無視し、さっさと馬を預けに行く。エリスもレーヴァンも諦めきれないようだったが、素直にジルに従った。
 馬小屋でジルが荷物を馬の背から降ろしていると、思いがけずその荷物が重かったので、後ろによろけてしまった。そのまま偶然、後ろを歩いて人の背中にぶつかってしまう。
「ってぇ」
「あ、失礼」
 男はぶつかった肩を押さえながら勢い良く振り返った。そして石のように固まった。
 文句を言おうと開いた口はだらしなく開けたまま、目は吸い込まれるようにジルだけを見つめている。ジルは何がなんだかよく分からなかったが、男からしてみれば絶世の美女が目の前に立っているのだ。固まらないほうがおかしいだろう。
「あの・・・?」
 沈黙と視線に耐えかねたジルが口を開くと、男は我に返り慌てて二・三歩後ずさった。心なしか頬が赤いようにも見える。
「大丈夫でしたか?」
「え、あぁ・・・じゃなくて!腕が折れたじゃないか!」
 男は思わず頷きそうになったが、それを寸前で踏みとどまり肩を押さえながら考えていた文句を言った。男だったら金を巻き上げてやろうと思ったが、男の計画はジルの姿を見て変更された。
「これはお嬢さんに一緒に来てもらうしかないなぁ」
「・・・はぁ?」
 めちゃくちゃな言いがかりなのだが、男にとってそこは重要ではない。男にとって重要なのは、この目の前の美女を何とかして物にすることだけなのだ。
 目を輝かせてこちらを見る男に、嫌悪感を抱いたジルは早々に離れることを決める。しかし、荷物を抱え始めたジルを見た男は、慌ててジルの腕を掴んだ。その力が思いがけず強かったのでジルは呻く。
「っ・・・。痛い!」
「ジル?どうした?」
 中々馬小屋から戻ってこないジルを不審に思ったレーヴァンは、ジルの呻き声を聞いて中へと戻ってきた。そして目に入ってきた光景に、目を丸くさせる。
 そこには男に腕を掴まれたジルの姿。傍から見れば男に言い寄られている一人の女の図なのだが、その女性がジルだと知っているレーヴァンには面白くて仕方が無い図である。ついつい、柱の影から覗くようにジルを見てしまった。
「・・・お邪魔だった?」
「軽口は言いから助けろ!」
「はいはい」
 今にもキレそうなジルの言葉を受けて、レーヴァンは二人の間に割ってはいる。男はいきなり間に入ってきたレーヴァンに明らかなに不快そうな顔をした。しかし、レーヴァンは気にせず、男の肩を軽く押した。
「じゃあ帰ってくれる?この掴んでいる腕も離してね」
「お前、誰だよ!」
「これは俺のだから」
 そう言って胸を張るレーヴァンの足をジルは思いっきり踏みつけた。でもここでごちゃごちゃ文句を言うとまた面倒なことになるから取りあえず黙っている。こんな面倒な事態を作ったのが隣に立っている男だと思うと、どうしても腹が立つが。
「横から出てきてごちゃごちゃ訳わかんねぇこと言うんじゃねぇよ!」
「・・・なんだか面倒なことになりそうな気がしてきた」
 一方的に熱くなって行く男とは反対に、冷静になるレーヴァンはすでにこのやり取りに飽きており、退屈そうにしている。それがさらに男の苛立ちを煽った。
「うるせぇ!邪魔するな!!」
「ぅわっ!?」
 男は懐に隠していた短剣を取り出すと、それを振り回しながらレーヴァンたちに襲い掛かった。それに気がついたレーヴァンは、ジルを突き飛ばすと自分は腰の長剣を抜いてそれを受け止める。
 このまま狭い馬小屋で戦うのは不利だと思ったレーヴァンは男を小屋の外へと突き飛ばすと、自分もそのまま後を追うように飛び出した。
 小屋の外で待っていたエリスは、飛び出してきた二人に目を丸くして驚く。
「エリス!危ないから離れてて!」
 それだけ叫ぶと、レーヴァンはまた短剣を振り上げてきた男に向き合う。レーヴァンは一旦距離を取ると踏み込んできた男の足を思いっきり払う。バランスを崩して倒れた男の首筋を、レーヴァンは剣の峰で叩いた。
「ぐっ!」
 男は小さくくぐもったような呻き声を上げると、そのまま地に倒れる。レーヴァンは男が動かないと分かると、構えていた剣を鞘に戻した。
 レーヴァンと男の戦いに決着がついた瞬間、周りで割れんばかりの拍手が起こる。一人のおばさんが興奮したようにレーヴァンの背中を思いっきり叩いた。
「兄ちゃん!あんた強いね!」
「へ?あぁ、どうも・・・」
「そうだ!武術大会に登録しちゃいな!」
「え、でも・・・」
 断ろうとするレーヴァンの言葉は聞こえないのか、レーヴァンの腕を掴んだおばさんは一人で盛り上がって、そのままトーナメントの受付へとレーヴァンを引っ張っていく。意外に強いおばさんの力に抗えず、レーヴァンはされるがままに引きずられていくのだった。


13 :慈雨 :2008/08/03(日) 17:52:30 ID:ocsFkHW4


「それで?言われるがまま登録してきたと?」
 まるで真冬の吹雪のような衝撃が、レーヴァンを突き刺す。目の前に立つジルが笑っているのに怒っているように見えるのは気のせいなんかじゃないだろう。
 レーヴァンはあれからおばさんの力に抵抗できず、言われるがままに登録書にサインしてしまったのだ。
 書いたときはまぁいいかな、なんて思っていたが宿に近づくごとに不安が増してきた。
 あんなにジルに目立つ行動は避け、武術大会への出場は言語道断だと言っていたのに、書いてしまった。どんなことになるのは目に見えるようだ。
 そして全てを説明した後、ジルは絶対零度の冷気を持ってレーヴァンを睨んでいるのだった。
「これは・・・えっと・・・・だから・・・」
「上手く口に乗せられて書かされたんだろ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・はい」
 レーヴァンは視線をあちこちに彷徨わせていたが、最後には小さく頷いた。ジルはため息をついて椅子に深く座り込む。ちなみに、エリスはいまいち状況を理解していないようだった。
「仕方が無い。しょうがないから一回戦で負けて来い」
「・・・勝ったら優勝賞金が出るんだけど・・・」
「なんか言ったか?」
「いいえ」
 小さくレーヴァンは自分の意見を述べてみたが、ジルの言葉に急いで首を振った。
 無事にリーエンド国を出られるのだろうか。その不安だけが今のジルの頭を支配しているのだった。


14 :慈雨 :2008/08/17(日) 17:37:46 ID:ocsFkHW4

第三章


 澄み切った青空。響く太鼓の音。街の中は大きな賑わいの中にあり、いつも以上に人通りが多くなっていた。そんな街の様子に、エリスは朝から目を輝かせている。
 まるで子供のように楽しそうにしているエリスに、レーヴァンは苦笑した。こんな大きな行事は初めてだというエリスには、確かに楽しいものかもしれない。レーヴァンだって本当は出店を見て回ったりとかしたい。
 後ろで負のオーラを放っている存在が居なければ。
 朝から、ジルは不機嫌を顔に書いているかのような態度で、それは街に出てからも変わらなかった。
「ジル・・・。もう少し表情とかなんとかならないかなぁ、なんて・・・」
「なると思ってるのか」
「ですよね・・・」
 取り付く島も無い言葉に、レーヴァンはうなだれた。不機嫌なジルの様子は変わることは無さそうで、レーヴァンはまた重いため息をついた。
「レーヴァンさん!闘技場、こっちみたいですよ!!」
 少し離れた所から、人ごみに紛れそうになりながらもエリスが叫んでいる。その姿に苦笑しながらレーヴァンは駆け寄った。ジルも面倒くさそうにしながらも、しっかり後ろをついてきた。
 闘技場は登録者や、その付き添いの人でごった返していた。その様子を見ただけで、ジルはうんざりしてしまったらしい。
「俺とエリスは観客席に居る。付き添い席には入らないが、観客席の下の方には一応、座ってるからな」
「了解」
 なんだかんだ言いつつ心配してくれているジルに、苦笑しながらレーヴァンは登録の列に並ぶ。
 登録には、使用する武器と名前と出身を記入する。登録以外の武器の使用は禁じられているし、殺人行為も禁じられている。あくまで、相手を戦闘不能の状態にするのだ。
 レーヴァンに登録の順番が回ってきて、腰から長剣を抜く。受付の女性は、剣に細工がされてないかを確認していく。
「こちらの剣を登録なさいますか?」
「あぁ」
「分かりました。では番号札を持って先にお進みください」
 レーヴァンは返してもらった剣を持ち、「十二」と書かれた番号札を持って闘技場の中へと足を踏み出した。



 闘技場の中は、観客たちの熱気と興奮に包まれていた。その圧倒的な勢いに、エリスは息を呑む。ジルは立ちすくむエリスの手を取って、前のほうの観客席に座った。
 試合開始まではまだ時間があるらしく、観客席では誰が優勝するか、という話で盛り上がっている。
「大怪我することも少なくないと聞きました・・・。レーヴァンさん、大丈夫でしょうか・・・」
 不安そうに闘技場の中心を見ているエリスに、ジルは安心させるように微笑む。
「問題ない。そんなヘマをするような奴だったら、俺はとっくに見切りをつけている」
 そう言われて、エリスも砂漠でグリズリス(砂漠の強奪者)に襲われたときのことを思い出した。あのときのレーヴァンは一見しただけで、戦いなれた者だということがすぐに分かった。
「それに一番の問題はそこじゃない」
「え?」
「あいつが勝負に熱中して勝つようなことになることが、一番困るんだ」
 ジルが渋いかオオを死ながら言った言葉に、エリスも昨日の出来事を思い出した。
 確か、ジルには言えない事情があって派手な行動を起こせないのだ。もし、この武術大会を勝ち進んで、さらには優勝なんてことになったら困ると言っていた。
「でも、いくらなんでもレーヴァンさんも、そこらへんは分かっていると思いますよ?」
「いや。あいつは目先の楽しみに目を奪われるタイプだ」
 遠慮がちなエリスの擁護も、ジルはすっぱりと切った。そして、それをきっぱりと否定できるほど、エリスもレーヴァンを信じ切れていないのだった。なんと言っても、登録しに行くときのレーヴァンは楽しそうだったので。
 ジルは外套を被り直しながら、深くため息をついた。
 願うことはただ一つ。大きな騒ぎだけは、起きないで欲しいということだけだった。



*  *  *



 大きな銅鑼の音を合図に、武術大会の地区予選は始まった。番号の早い順から闘技場に出て行き、武器を使用した戦いを始めていく。
 レーヴァンは控え室となっている所から、闘っている者たちの動きを見ていた。さすがに武術大会に登録しただけあって、武術の基礎は出来ている。その中で実力の差が激しいのは、経験や武器の相性の問題だろう。
 ジルに言われているので、第一試合に勝つことは出来ない。だがあまりにも手を抜くことも出来ないのだ。相手によるとレーヴァンが手を抜いていること悟り、馬鹿にされていると思う者も出てくるはず。そうなると逆上して、面倒なことになるかもしれない。それはレーヴァンにとっても避けたい事態だ。
 今、闘技場内では第三試合が行われている。レーヴァンの出番は、次の第四試合だ。
 レーヴァンが自分の長剣の具合を確かめていると、自分の座っているところに影が落ちた。不思議に思って見上げてみれば、巨漢がレーヴァンを見下ろしている。レーヴァンは思わず、その男を見上げたまま固まってしまった。
「お前、次の第四試合に出るのか?」
「・・・そうだが」
「じゃあ俺の対戦相手だ。・・・武器はその剣か?」
 男の視線はレーヴァンの右に置かれた長剣を見ている。レーヴァンが男の問いかけに答えないでいると、男は気分を害したのか、レーヴァンの腕を掴み軽く捻り上げた。
「――っ!」
「なんだぁ?腕力は無いらしいな。そんなんで勝てるのか?」
 レーヴァンの表情に微かに苦痛が浮かぶと、男は満足したのかレーヴァンの腕を離す。レーヴァンは痺れた腕を揉みながら、軽く舌打ちをした。
「まぁ、殺さない程度には手加減してやるよ。せいぜい俺を楽しませてくれよ」
 男は言うだけ言って、高々と笑いながら去っていった。レーヴァンはその後姿を無表情に見つめる。
「・・・野郎・・・」
―――ジルが不安に思っていた事が、見事に現実となったのだった。


15 :慈雨 :2008/09/14(日) 19:48:30 ID:ocsFkHW4

 大歓声の中、入場してきたレーヴァンの姿を見て、エリスも声を弾ませる。しかしジルは、レーヴァンの表情を見て眉を顰めた。
(あいつ・・・)
 真剣に――というよりは敵意むき出しの表情で――相手を見つめる姿に、嫌な予感が胸をよぎる。
 目先の楽しみを取ったというよりは、売られた喧嘩を買ったという雰囲気だ。ましてや、手を抜こうとしている雰囲気では無い。その証拠に、腰元にある長剣の柄に指を這わせている。勿論、相手から視線は逸らさないまま。
「なんだか・・・レーヴァンさん、雰囲気が違いますね」
 さすがにエリスも気がついたのか、不安そうに真ん中に立っているレーヴァンを見ている。ジルは頭を抱えたくなった。
 間違いなくレーヴァンは本気で戦うだろう。そして、それを止める術をジルは持っていない。
 無情にも、闘いの開始を知らせる銅鑼の音が会場に響いた。
 先に動いたのは巨漢の方だった。そのデカイ巨体からは考えられない速さで、レーヴァンの背後を取ろうとする。右手には斧のような武器。ただし、刃の部分が尋常じゃない大きさだが。
 背後に回ったと思った巨漢は、右手に持っていた斧を振り上げた。そのまま重量を乗せて一気に振り下ろす。しかし、レーヴァンはそこには居らず、巨漢は地面を叩き割っただけだった。地中に埋まった斧を引き抜き、巨漢は辺りを見回す。
「どこ行った?」
 巨漢がレーヴァンを見失って辺りを見回している内に、レーヴァンは巨漢の背後に回っていた。巨漢からは良く見えなかっただろうが、レーヴァンは巨漢が右手を振り上げた瞬間に、その懐に潜り込み一足で後ろに回ったのだ。
 巨漢は目の前に銀の閃きが翻ったのを見て、反射的に左手を背後に払った。レーヴァンはそれを後ろに飛ぶことで回避する。
 右手に持った斧を再び振り上げ、レーヴァンを狙うが、レーヴァンはそれを右に左に避けていく。
「くっそう・・・!」
 避けるだけでいっこうに打ち込んでこないレーヴァンに、さすがに苛立ちが募ったのか巨漢が苛立たしげに斧を右に薙ぎ払った。
「なんで闘わない!?それでも男かぁ!!」
「冗談。お前の斧を真正面から受け止めたら、さすがに剣が駄目になる」
 右に払われた斧を果敢で避けると、一気に地面を蹴った。懐の潜り込んだ瞬間、弾みをつけて巨漢の顎に強烈な一打を叩き込んだ。さすがに踏ん張れず、巨漢はたたらを踏んで後ろに2・3歩後ずさる。
 レーヴァンは深追いをすることはせず、離れた所から体勢を立て直す巨漢を無表情に見た。レーヴァンの纏う闘気が鋭さを増す。その雰囲気に気圧されたのか、巨漢の動きが一瞬止まった。
「・・・どうした?怯えたのか?」
 言葉に含まれた明らかな嘲笑に、巨漢の頬にサッと朱が上った。斧を持つ手が微妙に震える。
「馬鹿に、したなぁ・・・!」
 巨漢は顔を真っ赤にさせてレーヴァンを睨んでいたが、何か思いついたような顔をしたかと思うと、馬鹿にしたようにレーヴァンを見下ろした。
「三年前、戦神イシュヴァルの化身と言われた男の存在を知っているか?」
 突然振られた話題にレーヴァンは僅かに瞠目すると、小さく首を振った。巨漢はその反応に気を良くしたのか、斧を肩に担ぎ上げて饒舌に語った。
「その男は突然、武術大会に現れたと思ったら、数ある猛者どもを蹴散らして優勝を掻っ攫っていったんだ。その強さは、今でも一つの武勇伝として語られているんだぜ」
「・・・へぇ」
「その男、誰だと思う?」
 ここまで語られて、レーヴァンはなんとなく話の流れが読めてきた。レーヴァンは無言で巨漢を指差した。巨漢はそれに満面の笑顔で頷く。
 レーヴァンはため息をついた。巨漢はその反応を、自分に対する「怯え」だと思ったらしい。この機会を逃すことはないと、巨漢は持っている斧を上手に持ち変え、一気に走り出した。その巨体からは考えられないような速さに、闘技場内に歓声が沸いた。レーヴァンは舌打ちをして巨漢に突っ込んでいく。巨漢が斧を振り上げるより早く飛び上がると、巨漢の肩に手を乗せて反動で背後に飛ぶ。そのまま首筋に手刀を叩き込んだ。
「がっ!」
 巨漢が衝撃に体を屈める。そのまま意識を沈めようと剣の柄を巨漢のわき腹に叩き込もうとしたが、身をよじって巨漢は回避した。
「なんで、剣を使わない・・・」
 巨漢の質問には答えず、レーヴァンは巨漢の鳩尾に容赦なくけりを叩き込んだ。こらえきれず大の字に倒れる巨漢に、闘技場内は落胆の声に包まれた。
 レーヴァンは倒れた巨漢を上から見下ろす。その冷え切った視線を受けた巨漢は、体が震えだすのが分かった。
「降参しろ。怪我したくなかったらな」
 偉そうな物言いに、巨漢の矜持が反応する。しかし怒りのままに突っ込むには、レーヴァンの闘気は重すぎた。体中の神経を使ってなんとか震えを抑えようとするが、斧を持つ右手だけはどうにも止まらない。
「・・・仕方ない」
 斧を持つ手を離そうとしない巨漢に、レーヴァンはため息をついた。下げていた剣を上段に構え、攻撃の態勢を整えた。巨漢に瞳に紛れもない「怯え」が走ったのを見て、ちょっと悪戯心がうずき出した。
「・・・お前、三年前に現れた戦神イシヴァルの化身と呼ばれた男なんだろ?」
「へ?・・・あ、あぁ!」
 巨漢は胸を張って断言するが、虚勢だというのが目に見えて分かった。レーヴァンは巨漢の目を見てニヤリと笑った。
「三年前に現れた男の武器は剣だ。しかも片手で振るえる様に改良している代物。・・・俺みたいにな」
 最後に呟かれた言葉に、巨漢は一気に凍りついた。振り上げられた剣の刀身が、太陽の光に反射して巨漢の目を射す。
 レーヴァンの振り上げた剣が振り下ろされるのを、巨漢はただ見ているしかなかった。指一本、筋の一筋も動かすことが出来ない。それだけの絶対的な支配力が、レーヴァンと巨漢の間にあった。
 振り下ろした剣が巨漢の手にあった斧を弾き飛ばす。斧が遠くの地面に突き刺さった瞬間、巨漢が地面に膝をついた。

 勝負は、誰がどう見てもレーヴァンの勝利だった。



 闘技場内に大歓声が沸く。その音でレーヴァンの意識が一気に浮上した。
 目の前には膝をついた巨漢の姿。遠くに刺さっているのは巨漢の持っていた斧だろう。そして自分の右手には己の剣がしっかり握られている。
 誰の目にも明らかな状況。
(・・・ヤバイ。途中から夢中になって、ジルのこととか忘れてた!)
 目の前の男が、懐かしい話題を話すものだから――しかもどうどうと嘘をついて――からかってやりたくなってしまったのだ。しかし、そんな言い訳がジルに通用するはずがない。
 レーヴァンは恐る恐る闘技場の観客席、ジルたちが座っている辺りに目を向ける。そこには不機嫌な雰囲気丸出しの、頭から外套を被った美女に扮したジルと、申し訳無さそうに座っているエリスの姿が目に入った。レーヴァンは頭を抱えてその場にうずくまりたくなった。
(あぁー・・・絶対に怒られる。砂に埋められる。火であぶられる・・・)
 この後起こるであろう悲劇に、レーヴァンは頭痛がしてくるような思いだった。


16 :慈雨 :2008/10/11(土) 22:07:25 ID:ocsFkHW4

 大歓声が鳴り響く中、ジルは額を軽く押さえた。その隣でエリスがオロオロとジルを見上げている。
 まさか、とは思ったが本当に勝つとは思わなかった。闘技場に出てきたときのレーヴァンの顔。あれは本気に近かった。途中で対戦相手に耳打ちされた瞬間に、完全に本気になったようだが。
 闘技場の真ん中で困ったように立ち尽くすレーヴァンを見てジルは、心の奥底からため息を吐き出した。勝ってしまったことは仕方が無い。このまま勝ち進まなければ良いだけのこと。ジルはそう心の中で自分に言い聞かせ、なんとか平静を保とうとした。
 闘技場を見ればレーヴァンは退場した後。次の試合は、三試合後らしい。ジルは外套で顔を隠すと、観客席から立ち上がった。
「ジルさん?」
 いきなり立ち上がったジルに、エリスが不思議そうな顔をした。そんなエリスの腕を掴んで立たせながら、ジルは観客席を歩き出す。
「控え室行くぞ。レーヴァンを探さす」
「応援するんですか?」
「釘を刺すんだ。次は負けろ、とな」
 きっぱり言い切ったジルの言葉にエリスの口元が引きつる。どこの世界に、選手の控え室まで行って負けろなどと言う人が居るのだろうか。ジルが本気なのはよく分かっているので、何も言わずにただ黙々と着いていくのだが。
 選手の控え室の前には「熊か?」と思うような大男が立っていたが、ジルが外套の奥か魅惑的に微笑むと、すぐに通してくれた。この忌々しい女顔も、たまには役に立つと思うジルだったりする。
 控え室の奥の椅子に寝ているレーヴァンを見つければ、ジルは無言で近寄った。ちなみに他の参加者たちは、ジルから発せられる威圧感に黙って道を空けた。
「―――レーヴァン」
 地獄の底から響いてくるような声に、レーヴァンが文字通り飛び上がる。そのままその場で正座をすると、一気に頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「誤るということは、自覚があるんだな?」
「その・・・つい・・・」
 小さく返って来た言葉に、ジルはため息をついた。
 実のところ、レーヴァンがジルの言うことを聞いて負けるというシナリオは、八割方無いだろうと踏んでいた。夢中になる可能性があったし、こういうことは真面目に取り組む性格だからだ。
 レーヴァンは足が痺れたのか、よろめきながら立ち上がる。ジルはそんなレーヴァンに詰め寄り、ドスの聞いた声で囁いた。
「次は負けろ。いいな?」
「・・・はい」
 レーヴァンは萎れたように小さく頷いた。それを確認してジルは安心する。そんな二人の元にひとりの男が駆け寄った。
「おい、兄ちゃん」
 肩を叩かれたレーヴァンは少し驚いたように背後を振り返った。筋肉隆々の男の姿を見て、ジルの顔が不快そうに歪む。筋肉隆々の男はガレイと名乗った。
「俺、さっきの試合を見ていてさ」
「あ、そうなんですか・・・」
 人懐っこそうな笑顔を浮かべるガレイに、なんとなくレーヴァンは敬語で返事をする。そんなレーヴァンの様子に少し笑うと、急に真剣な顔をしてレーヴァンに詰め寄った。レーヴァンは気持ち、半歩下がる。
「さっき聞いたんだけどよ、本当なのか?」
「な、何が?」
 レーヴァンは、引き攣りそうになる頬をなんとか理性で抑えると、小さく首を傾げた。
「あんたが三年前に現れた戦神イシュヴァルの化身だって話」
 小さく囁かれた言葉に、ジルがピクリと反応する。レーヴァンはまずい、と思ったがいまさら止めることは出来なかった。
「どうなんだよ?」
 興味津々といった様子のガレイを見て、レーヴァンはシラを切ることにする。下手なことを言うと後でどうなるか分かったものではない。
 特に、その噂はまずかった。レーヴァンにとっても、ジルにとっても。
「さぁ・・・知らないな。聞き間違いじゃないか?」
 レーヴァンの言葉にガレイは納得していないようだったが、それでもあっさり引き下がった。離れていくガレイの背中を見ながら、ジルはレーヴァンを睨む。
「どういうことだ?」
「えっと・・・」
「バレたのか?バラしたのか?」
「その・・・」
 視線を泳がせたまま言葉を濁すレーヴァンに、ジルは目を押さえる。
 聞かなくても分かっている。さっきの戦いでレーヴァンがこの国で「戦神イシュヴァル」の異名を持っていることが知られるはずが無い。大方、唆されたか何かで話してしまったのだろう。
「でも、そんなにすぐに皆に知られることは無いと思うんだけど・・・」
 付け加えたように囁かれた言葉に、ジルは首を振る。
 レーヴァンは自分が持つ異名の大きさに気がついていないようだが、まず間違いなくレーヴァンが「戦神イシュヴァル」の化身らしいという噂は流れるだろう。それほどにその名前は大きいのだ。
 今も、思い出すことが出来る。三年前、突如として現れた流浪の剣士。その噂は地域予選の時から既に王都に流れてくるほどだった。本選での鮮やかな闘い。「魅せる」剣は闘技場内の観客たちの目を奪った。
 まさか、こんなにも密接した関係になるとは思っていなかったジルなのだが。
「楽観視は出来ない。次で負ければ噂も立ち消えになるかもしれないが・・・。だが進めば進むほど、手を抜いてることがバレやすくなる」
「分かっている」
 答えるレーヴァンの目は真剣そのものだ。ジルはとりあえず、そのレーヴァンの目を信じることにした。なんだかんだ言って、やるといったらやる男なのだ。
 ジルはレーヴァンの肩を軽く叩くと、控え室から出て行った。
―――ジルの期待はまたもや打ち砕かれたのだが。


17 :慈雨 :2008/11/15(土) 16:18:34 ID:ocsFkHW4


 宿屋の一階に作られた酒場で、ジルは酒を片手に机に突っ伏していた。その隣でレーヴァンが申し訳無さそうに体を小さくして座っている。エリスはと言えば、出されたパエリアを美味しそうに頬張っていた。
「まさか三戦とも勝つとは・・・」
「う・・・ごめんなさい・・・」
 ジルは恨めしげにレーヴァンを見つめ、レーヴァンは居心地が悪そうに視線を逸らす。
 その後、レーヴァンは闘技場で二戦目を闘ったが、上手く立ち回って負けるというシナリオは、あっさりと崩れ去った。なぜなら対戦者が予想以上に強かったからだ。
 レーヴァンが三年前に現れた「戦神イシュヴァル」の化身らしい、という噂はあっという間に武術大会の参加者たちに広がった。そして腕に自信のある猛者どもは、レーヴァンを倒し、自分こそが最強だと誇示しようと思ったのだ。
 結果、レーヴァンと戦うことになった挑戦者たちは、目の色を変えて戦いを挑んでくることになった。
「でも、みなさん本当に強かったですよね」
「だよな!強かったよな!」
 思わぬ味方に、レーヴァンは勢いよくエリスを見たが、逆隣から感じる邪悪な気配に、また身を固まらせる。ゆっくり振り返って、ジルが睨んでいることに気がつくと、椅子に大人しく座り直した。
 椅子の上で小さくなっているレーヴァンを見て、エリスは苦笑する。
 あの後の戦いは、今、思い出しても興奮を覚える。手に汗を握る闘いと言うのを、初めて知った。
「これで、明日勝ったら王都での本選か・・・」
 ジルは小さく呟いて、酒を一気に煽った。
 リーエンド国・王都「シレネシア」他国でも類を見ないほど、魔法が息づいている都だ。よって、王都では他の都よりも多くの魔法使いが存在している。―――かつて、ジルもそこに居たように。
「――大丈夫。次はヘマをしない」
 聞こえた声に驚いて顔を上げる。すると目の前で、レーヴァンが真剣にジルを見つめていた。レーヴァンはジルの過去を知っている。知っていて、ジルを助け側に居るのだ。
『お前が居なければ――っ』
 今でも、己を断罪する言葉が聞こえることがある。その度に、塞がっていない傷が血を流す。それでも、レーヴァンの存在が救いになっているのも確かで。
「・・・当然だ」
 ジルは自分の気持ちが悟られないように、小さく毒づいた。



 翌朝は、早い時間から街中は人で溢れていた。誰もが熱に浮かされたように、武術大会のことを話している。誰もが予選の優勝者の予想を語っていた。その中でも優勝者候補の筆頭は「戦神イシュヴァル」の化身と噂されるレーヴァンだ。
「この状況で負けるっていうのも辛いものがあるよな・・・」
「そうですね・・・みなさん、がっかりするでしょうね」
「・・・だからって勝つなよ」
 呆れたようなジルの忠告にレーヴァンは笑顔で「大丈夫だ!」と請け負う。それを聞いてジルはさらに不安そうな顔をした。
 エリスは並んで歩く二人の後姿を見ながら、クスリと笑う。なんだかんだ言って仲が良い二人は、見ていて楽しいのだ。しかし、感じたことも無いような気配を背後に感じ、エリスは咄嗟に後ろを振り返る。
 人ごみの中からでも、分かるほどに放たれている異色の気配。しかし、前を歩くレーヴァンやジルは何も感じていないらしい。それだけでエリスには、気配を放って居る者が只者では無いと感じ取った。
 体中の血が沸騰するような感覚。身の内に潜む「力」が暴走しそうになり、それをなんとかなだめる。
 これは、なんだ。どこからか――否。血に刻まれた記憶から警告が発せられる。エリスは注意深くあたりの気配を探ろうとした。
「――エリス?どうしたんだ?」
「あ・・・」
 人ごみの中で立ち止まっているエリスを見つけたレーヴァンが、エリスに走り寄りながら声をかける。その瞬間、得体の知れない異質の気配は霧散してしまった。エリスは残滓を捕えようとするが、跡形もなくなってしまったそれを捕まえることは、もはや不可能だった。
 人ごみの奥を睨んだまま返事をしないエリスに、レーヴァンは少し顔を顰める。
「エリス?」
「え?あ・・・ごめんなさい」
 僅かに顔を顰めながら、自分を見下ろすレーヴァンを見て、エリスは慌てて謝った。その様子にレーヴァンは「いや・・・」と呟いて歩き出す。そんなレーヴァンの後ろについて歩きながら、エリスはもう一度、背後を振り返った。
(さっきの気配は・・・)
 「血」が発した警告。それが意味するのはただ一つ。ありえない現実が起ころうとしているということだ。
 エリスは先ほどの気配をもう一度見つけられないかと、周囲の気配を注意深く探りながら、闘技場へと歩いていった。
 


18 :慈雨 :2008/12/14(日) 22:33:10 ID:ocsFkHW4

 今日の闘技場は、一段と盛り上がっていた。観客は昨日の比では無く、誰もが予選通過者の登場を待っている。―――否。噂の「戦神イシュヴァル」の化身の登場を待っていた。
 闘技場内の熱気は最高潮の盛り上がりで、ジルとエリスはその雰囲気に圧倒されながら、観客席に並んで座る。どこを見ても話題は「戦神イシュヴァル」の話だ。
「すごいですね・・・。そんなに当時のレーヴァンさんは凄かったんですか?」
 感心したように呟くエリスに、ジルは難しい顔をする。
 当時のレーヴァンは確かに凄かった。ずば抜けた剣技で見に来ていた観客全てを魅了していた。しかし、そのレーヴァンを見る前に、違うところでレーヴァンと出会ってしまっていたジルには、その噂をすぐに信じることは出来なかったのだ。
「・・・確かに、凄かった。王都に来ていた誰よりも強く、誰よりも『綺麗』な剣だった」
 噂を信じられなかったジルでも、闘っているレーヴァンの姿に鳥肌を覚えた。しかも、闘技場で見せるレーヴァンの剣が、実力の半分も見せていないことを知ったときは、さすがに驚愕した。
 エリスはジルの言葉に少しだけ目を見開く。それから中央の闘技場を見た。レーヴァンの闘いは、二戦目のはず。これに勝ってしまったら、王都での本選が決まってしまう。それを避けるために、レーヴァンは負けるのだろう。
 一戦目の対戦者が入場してくる。大きな銅鑼の音で戦いが始まった。二人の戦いを見ながら、観客は野次とも声援とも分からない言葉を叫ぶ。
 突然、エリスは血が沸騰するような感覚を覚えた。それが闘技場に来る前に感じたものだと分かると、急いで背後を振り返る。うなじの毛が逆立つような感覚に陥りながら、エリスはなんとか気配の正体を掴もうとした。これは勘違いなどではない。先ほどよりもずっと近くに居る。
「エリス?」
 恐い顔をして周囲を探るエリスの様子に、ジルが不審そうな顔をしながらエリスの顔を覗き込んだ。しかし、エリスはそれに気がつかない。
 エリスはなんとか気配の正体を探ろうとする。エリスの勘が正しければ、この闘技場内に隠れているはずだ。そうやって周囲を睨みながら、エリスは心の中で自問する。なぜ、『ここ』に居るのだろう、と。
「まさか・・・」
 心の中で導き出された答えに、エリスは少しだけ青ざめる。エリスが正体を掴む前に、再び銅鑼の音が鳴り響く。第一戦の試合が終わったのだ。次はレーヴァンの試合である。
 エリスは小さく歯噛みした。嫌な予感がする。この気配は間違いなく、あの―――・・・。



*  *  *



 人で溢れる闘技場内を見回しながら、白衣の外套を頭から被った女性は顔を歪める。まるでこんなところには居たくないとでも言うように。
「いつまでこんなところに居れば良いのよ、ジェス?」
「分かっているでしょう?それに行きたいと行ったのはレイディスの方ですよ」
 隣に立つジェスの言葉にレイディスと呼ばれた女性は、つまらなそうな顔をする。しかしそれもすぐに、一人の少女を見つけると驚いたような顔に変わった。
 どこにでも居るような金に近い茶色の髪の少女。楽しそうに笑う少女の姿は、どこから見ても普通の人間のように見える。
 しかし、二人には少女の周りに、纏わり付くように輝く青い光を見ていた。重なるように光る金の輝きも、本来なら人には無いものである。
「驚いたわ・・・。本当に居たなんて」
「『彼』は予想以上に用意周到だったってことですね。私たちがいくら探して見つからなかったのに」
 皮肉気に告げられた言葉に、レイディスの瞳も凍った。脳裏に蘇るあの一連の忌わしい出来事。千年の眠りから解き放たれても、その記憶が色褪せることは無かった。
 忌わしき元凶とも呼ぶべき存在。それが今、目の前で楽しそうに笑っている。それだけでレイディスは、少女に尋常じゃないほどの殺気を覚えた。やがて、闘技場内に姿を見せた男の姿に、目を丸くする。
「あいつは・・・」
「レイディス?」
 確か、あの少女と一緒に歩いていた男。親しく歩いていたのだから、知り合いには間違いないのだろう。レイディスは男の姿を見ながら、妖艶に微笑んだ。その表情を見て、ジェスが小さくため息をつく。
 レイディスがこんな表情をするときは、大抵、何かを企んでいる時なのだ。そしてそれを、誰かが諌めたくらいでは止めたりなどしない。それこそグレンが言わなければ。
「何を企んでいるんです?」
「人聞きの悪いことを言わないで。ただ・・・」
 呆れたようにこちらを見るジェスを睨みつけてから、闘技場内に居る二人の男を見つめた。少女と親しくしていた方の男は、緊張などしていないのか、暢気に屈伸なんかを始めた。その様子を見て、レイディスは右腕を持ち上げる。
「――少しくらい、遊んだって良いでしょう?」
 レイディスの腕から紅の光が閃いたとき、闘技場内の銅鑼が大きく鳴り響いた。



*  *  *



 遠くで「力」が発動されたことをエリスが感知したとき、闘技場内で銅鑼の音が鳴り響いた。エリスが中央に視線を向ければ、レーヴァンと対戦相手が、それぞれ手に持った武器を構えている。エリスは、レーヴァンと向かい合うように武器を構える相手を見て、瞠目した。
「そんな・・・」
 エリスの呟きに眉を寄せて、ジルも相手の男を見る。それから驚いたように目を見開いた。
「なんだ、あれ・・・」
 ジルとエリスの目には対戦相手に絡みつくように光る紅い輝きを見つけていた。それはやがて、男の体に溶け込むようにして消える。
 直感がジルに告げていた。あれは「魔力」だと。誰かがあの男に魔術を発動した。その事実に驚いたのも確かだが、エリスの冷静を欠いた焦り方に、ジルは眉を寄せる。
「おい、何かあったの・・・」
 隣に座るエリスの肩をジルが触ったとき、場内で歓声が沸いた。驚いて中央に目を走らせれば、対戦相手がレーヴァンの腕をひねり上げている。レーヴァンの表情から、尋常ではない力で押さえられていることが分かった。そのまま無造作に払われ、レーヴァンは闘技場内を吹っ飛んでいく。今度は、場内で悲鳴が上がった。


19 :慈雨 :2009/01/18(日) 17:11:04 ID:ocsFkHW4

レーヴァンは打ち付けた体をなんとか起こし、砂塵の向こう側に居る対戦者を見る。
 対戦者は昨日、レーヴァンたちに気前よく話しかけていたガレイだった。しかし、今は狂気でも含んでいるような瞳で、レーヴァンを見ている。
 昨日からは考えられないようなガレイの様子に、レーヴァンは少なからず戸惑った。
「こんなに力があるとは聞いてない・・・」
 苦々しげに呟きながら、レーヴァンは落ちている剣を拾う。
 投げ飛ばされたときに、口の中を切ったらしい。レーヴァンは鉄臭い味が口内に広がり、不快感に顔をしかめた。
 ガレイはレーヴァンが剣を構えるのを見ると同時に、地を蹴って一気にレーヴァンとの距離を縮めようとする。それを見て、レーヴァンも慌ててその場を離れた。
「っと!」
 再び上がった砂塵に、レーヴァンも今度ばかりは真剣になった。どうやら本気で闘わないと、もしかしたら本当に命を落とすかもしれない。
 無表情にこちらを見るガレイを見て、レーヴァンは舌打ちしたい気分になった。
「今ならお前が『戦神イシュヴァル』になれそうだよ・・・」
 笑えないところが悲しかったりする。
 再び踏み込んできたガレイの槍を、なんとか柄で受け止めた。どうしても長さはガレイのほうが有利だから、間合いをしっかり見極めないと今のガレイなら、本当にレーヴァンを刺し殺すだろう。
 剣を武器として使っているレーヴァンは、接近戦に持ち込まないと闘うことが出来ない。なんとか一気に片をつけようと隙を狙っているときに、ガレイの口元が動いているのが見えた。
「―――おいて、―――精霊の・・・・・・」
「っ!?」
 聞こえてきた言葉にレーヴァンは咄嗟に身を捻る。その直後に、すぐ近くで炎が吹き荒れるのを感じた。振り返ればレーヴァンとガレイの周りの砂が黒くこげているのが分かった。
 ガレイが唱えたのは、簡単な炎の精霊の召喚呪文だった。しかし、威力はレーヴァンの知っているものよりも強大だったが。焦げた服の袖を見て、レーヴァンは冷や汗を流した。
 向かい合うように立つガレイの隙を窺いながら、レーヴァンは頭の隅で考える。初めて会ったとき、ガレイは完全な肉体系だと思った。まさか魔術を使えるとは思わなかったのだ。
 それにレーヴァンには、気になることがもう一つあった。
 試合が始まる前、ガレイの身に何かが降ったように見えたのだ。その瞬間、ガレイの雰囲気がガラリと変わった。まるで、何かが取り憑いたみたいに。
「俺が会ったガレイは演技してたとか?」
 しかし、何のために?
 レーヴァンが答えを得られないまま、悩んでいるうちにガレイは間合いを詰めてくる。振り下ろされた槍をレーヴァンは受け流すと、一気に懐に踏み込んだ。レーヴァンは振り上げた拳を、鳩尾に思いっきり叩き込む。ガレイはくぐもった呻き声をあげて後ろに下がった。
 開いた距離を見極めると、レーヴァンはガレイの顔面に膝蹴りを入れる。ガレイが上半身を折り曲げる様な体勢になったのを見て、背中の真ん中に剣の柄を打ちつけた。
 ガレイは呻き声をあげて地に倒れる。会場の観客が歓声を上げた。
「頼むから・・・立つなよ」
 人体の急所に思いっきり打ちつけたのだ。本来なら、意識が混濁して立ち上がるなど不可能だろう。しかし、ガレイは顔を上げてレーヴァンを見る。その瞳にまだ闘志が燃え上がっているのを見て、レーヴァンは頭を抱えたくなった。
 先ほど、レーヴァンが顔面に入れた膝蹴りのせいか、ガレイは鼻血を出している。もしかしたら鼻が折れたのかもしれない。しかし、ガレイは痛がるでもなく、ニヤリと笑って立ち上がった。
 まるで幽鬼のようなその様子に、レーヴァンの背中を冷や汗が伝う。
 観客席に居るエリスとジルも、影井の尋常で邪無い様子に、顔を顰めた。エリスにいたっては血相を変えて観客席に居る人々を見ている。
「いったい何があったんだ?」
「たぶん誰かが対戦相手に魔術をかけています。たぶん相手の意識を奪って使役している・・・」
 エリスの言葉にジルは瞠目する。
 相手を己の支配化に置き、さらに使役するとなるとかなり高度な技術を要する。さらに高い魔力も。
 おそらく、試合が始まる直前に相手に降りかかっていた紅い輝き。あれが魔力だろう。ジルは闘技場で闘う対戦相手を見つめる。
 魔術を解くには、魔術をかけた魔術師の意識を逸らすか、それ以上の魔力を持って解くしかない。見たところ、ガレイにかかっているのは魔力こそ大きいが簡単にかけられたもののようだ。少し無茶をするが、解けないことも無い。
「・・・相手にかけられた魔術を解いてみる」
 ジルの言葉にエリスは目を見開く。ジルが高い魔力と技術を持っていることは知っているが、相手の魔術を破るとなると、話は違ってくるのだ。
 相手がかけた魔術を無理矢理解くのは、術者の体に大きな負担をかける。しかも失敗すれば自分の魔術だけでなく相手の魔術も跳ね返ってくるのだ。
「危険です!」
「だけどこのままじゃレーヴァンが殺される」
 色を失って叫ぶエリスに冷静にジルは言葉を返す。その言葉にエリスも押し黙った。いまや、闘技場内は白熱したというよりは、命がけの死闘に変わっている。
 命を奪う行為は違反なのだが、誰もガレイの闘いぶりに止めに入れないでいる。といより、入ったら間違いなく死ぬと思っているのだ。
 ジルは目を閉じて呼気を整える。対戦相手にかけられた魔術を解くため、神経を研ぎ澄ます。
「死ぬなよ・・・」
 闘技場で闘っているレーヴァンに、ジルは呟くように囁いた。


20 :慈雨 :2009/02/04(水) 23:04:29 ID:ocsFkHW4

 飛んでくる石の礫を避けながら、レーヴァンはガレイの隙を窺う。しかし、召喚された風の精(シルフ)たちが巻き上げた粉塵のせいで視界がはっきりしないのだ。
「くそっ!」
 レーヴァンは魔法や精霊を使役する術を持ってはいないが、過去の訓練のおかげか、そういったモノを敏感に感じ取るほうだった。この粉塵の中でも気配を無数に感じ、気が散って仕方が無い。
 時折、繰り出される槍を間一髪で避けながら、レーヴァンはなんとかガレイの動きを読み切ろうとした。
 砂塵の影から現れる槍を見ながら、レーヴァンはガレイの手や胴の位置を予測して切り込む。しかし、やはり狙いがはっきりしないせいか、浅い傷しか負わせられないでいた。
 一方、ガレイの方も苛立っているようだった。
 闘技場を支配しているのは、完全にガレイの方だったが、レーヴァンの動きを捉えきれず、致命傷を負わせられない事に憤っていた。
「くそっ・・・!」
 今のガレイにとって、頭の中にあるのは目の前に居る「敵」を排除することだけだ。しかし、レーヴァンには致命傷を負われるどころか、だんだんと自分が追い詰められていた。
 ガレイは痛む頭を押さえる。先ほどまでは恐いほど冴え切っていた脳内は、今はぐちゃぐちゃだ。
 力任せに腕を薙ぎ払えば、突風が生じる。なぜ、と思うことはなく、ガレイはひたすらに目の前の「敵」に立ち向かった。

『――――ろ』

 頭痛はいよいよ酷くなり、脳内で誰かの声が聞こえてきた。思わず左手で額を押さえれば、ガレイを包んでいた風が弱くなる。

『―――止めろ』

 脳内で響く声は、鋭い響きを持ってガレイを抑えようとする。ガレイはそれに抗おうとするが、それもだんだん出来なくなった。
 闇雲に振り回す槍は、当然のことながらレーヴァンを傷つけることは出来ない。

『止めろ!!!』

 破裂音にも似た音が脳内で弾ける。その音が響いた瞬間、ガレイの脳内に蔓延っていた霧が綺麗に消えた。一瞬にしてガレイの周りを覆っていた風も止む。
 明らかに様子の変わったガレイに、レーヴァンは驚いた。それはガレイも同じようで、驚いたような顔をしながらレーヴァンを見つめてくる。
 全ては一瞬だった。
 我に返ったガレイが、闘志をたぎらせてレーヴァンに向かってくる。それはさっきまでの禍々しい雰囲気は無く、純粋なる闘志だ。突きつけられた槍を伏せて逃れると、槍の柄を思いっきり払った。そのまま腹を思いっきり蹴り上げた。
 ガレイの体が吹っ飛んで地面に落ちる。ガレイは慌てておきようとしたが、上半身を起こす前に、レーヴァンの剣が喉元に突きつけられた。
 勝負が決まったことを知らせる銅鑼が、大きな音をたてて鳴り響いた。



 勝負の終わった闘技場を見ていたレイディスは、苛立ったように舌打ちをした。その様子を隣で見ていたジェスが片眉を上げる。
「どうかしましたか?」
「・・・邪魔されたわ」
 その言葉にジェスは目を見開く。それから観客席に座っている少女に視線を滑らせた。
「彼女ですか?」
「いいえ、違うわ。別の誰かよ」
 答えてからレイディスが悔しそうに唇を噛む。
 まさか、自分の術を破られるなんて思ってなかったのだ。しかもあの少女にではなく、人間の魔力を持った者に。それはレイディスの自尊心を酷く傷つけた。
 拳を握り締めるレイディスを見て、ジェスがため息をつく。それから外套を被り直しながら立ち上がった。
「遊びでしたことでしょう。気にすることはありませんよ」
「・・・・・・」
「行きますよ。長居は無用です」
「・・・・分かってるわ」
 歩き出したジェスの背中を見て、レイディスも立ち上がる。一瞬、観客席に座る少女を睨んだが、その眼光はすぐに被り直した外套の中に消えた。

 二人の姿は雑踏に紛れて、見えなくなった。


21 :慈雨 :2009/03/22(日) 12:40:49 ID:ocsFkHW4

 重い体を引きずるようにして、レーヴァンは控え室に戻る。部屋に入った途端、どっと疲れが体を襲い、レーヴァンは床に倒れこんだ。
 扉の向こうでは、まだ観衆が歓声を上げているのが聞こえる。それを聞きながれーヴァンは唇を噛んだ。
「レーヴァン!!」
 突然、背後で扉が轟音をたてて開き、ジルが焦ったように飛び込んでくる。その姿を見て、レーヴァンは悔しそうに顔を歪めた。
「悪い・・・負けるって言ったのに」
「そんなのはどうでもいい!怪我は?」
 ジルが座り込むレーヴァンの横に膝をつき、体を丹念に見て回る。そして大きな怪我が無いことを確認すると、安心したように息を吐き出した。
 そんなジルの様子を見て、レーヴァンは自然と笑みがこぼれる。普段はレーヴァンに辛辣なことを言うが、心配してくれるジルにレーヴァンは嬉しくなる。
 レーヴァンは体のあちこちに作った打ち身や擦り傷に顔を顰めながら、ドアの方を見る。そして、不安そうな顔をしたエリスと目が合った。エリスはレーヴァンの姿を見て、小さく目を見開く。
「どうした?」
「・・・あの、」
 迷うように視線を彷徨わせたエリスは、結局、なんでもありません、と呟いた。そんなエリスの様子にレーヴァンは眉を寄せる。問うようにジルを見たが、ジルも肩をすくめるだけだ。
 ジルはレーヴァンの服を捲ると、打ち身や切り傷に治癒の魔法を施していく。レーヴァンはそれを大人しく受けながら、これからのことを考えていた。
 成り行きで勝ってしまったが、やはり王都に行くのは危険すぎるだろう。王都に行けば隠れるのは難しくなる。何より、ジルを危険に晒すことになる。
「やっぱりこのまま行方をくらませるのが無難かな・・・・・・」
「・・・・・良いのか、それで?」
 レーヴァンの呟きが聞こえたらしいジルが、少しだけ眉を寄せながら、レーヴァンを見上げた。それにレーヴァンは笑う。
「いいよ。このままじゃあ、まずいのはお前も分かっているだろ?」
「だが、お前が持っている『戦神イシュヴァル』の名に傷がつくぞ?」
 そんなことか、とレーヴァンは笑う。
「別にそんなにこだわっている物じゃないし。お前だって知っているだろ?」
 あっさりと言ったレーヴァンに。ジルも微かに笑う。
 あの時だってそうだ。
 富も名声も。ほしいままだったのに、レーヴァンはジルのためにそれをあっさりと捨てた。そしてそのことをまったく後悔もしていないのだ。
「そうと決まればさっさと出て行くか」
 レーヴァンはジルが全ての傷を治したことを確認すると、投げ出していた剣を拾って立ち上がった。
 部屋から出て行こうとドアに手をかけ、その扉を開き――目の前に広がる光景を見て再び閉めた。
「・・・・・・今の、何?」
「おそらく・・・・・・お前が『戦神イシュヴァル』と思って押しかけてきた人たちだろう」
 ジルの冷静な分析に、レーヴァンは泣きたくなった。
 扉の向こう側には、興奮したように頬を高潮させた観客たちが並んでいたのだ。とてもではないが、目立たずに抜け出すということは無理だろう。
「どうする?」
「どうするって言ったって・・・・・・」
 出口はここにしかない。つまり、ここからしか出て行けない。
 レーヴァンはたっぷり三呼吸分、息を整えてから、勢いよく扉を開けた。途端に、歓声が耳に突き刺さる。そのどれもが、本選での活躍を期待している声に、レーヴァンは泣きたくなった。
「逃げたなんて知られたら、お前、どうなるんだろうな・・・・・・」
 聞こえてしまったジルの呟きに、レーヴァンはいっそう、切なくなった。


22 :慈雨 :2009/04/12(日) 18:57:26 ID:ocsFkHW4

第四章


 荘厳な雰囲気を持つ王宮を奥に見据え、一直線に伸びた石畳を多くの人々が行き交う。
 至る所で見かける藍色や赤色のローブを纏う者たちは、魔術に長けた者たちであり、その数から他国でも類を見ないほど魔法が息づいていることが分かる。
 魔法王国「リーエンド」の王都、シレネシア。その清廉された街の景色を眺め、ジルは知らず、自分の胸を押さえた。
 郷愁と悔恨、それと自責の念が一気に押し寄せてくる。
「戻ってきてしまった・・・・・・」
 思わず漏れた呟きに、隣を歩いていたレーヴァンが肩を震わせた。そんなレーヴァンの様子を見て、ジルは思いっきりため息をついた。
「こんな予定ではなかったのに・・・・・・」
「・・・・・・すみません・・・・・・」
 そもそも、王都に寄らないためにゲールマールにまで行ったのに、まったく意味がなくなってしまった。しかも正体を隠していたのに、こんなに大々的に帰ってきてしまった。
 戦神イシュヴァルの化身という名は、良くも悪くも目立ちすぎる。今はまだその存在について半信半疑だろうが、三年前を覚えている人はすぐにレーヴァンだと気付くだろう。そして、ジルのことにも。
「とりあえず、宿を探しましょう。いつまでもここに立っている訳にはいきませんから」
 殺伐とした雰囲気のジルとしょんぼりとうなだれるレーヴァンを見て、エリスが苦笑しながら提案する。それを聞いて二人も宿場町の方へと足を向けた。
 値段の張りそうな宿は避け、料金も手ごろな宿を探す。目立つことを避けたいジルは一つの宿の前に来ると、扉をそっと開けた。
 寂れた外装とは違い、内装は新築並みに綺麗な宿に、レーヴァンもエリスも驚いた。ジルはそんな二人を放置してさっさと支配人の側に行く。
「空いているか?」
「はい。二部屋でよろしいですか」
 その言葉に頷くと支配人は二つの鍵を渡した。それを受け取り、ジルは二人のところに戻ってくる。
「ジル、ここって・・・・・・」
「安心しろ。宿賃は相場と同じだ」
 端的な言葉に、レーヴァンは曖昧に笑った。聞きたいことはそのことではなかったのだが、肝心のジルがさっさと階段を登ってしまったので、重ねて聞くことも出来ない。
 仕方なく、レーヴァンも足元に転がる荷物を持ってジルの背中を追いかけた。
 ジルはエリスに片方の部屋の鍵を手渡す。
「荷物を置いたらこっちの部屋に来い。作戦会議をするぞ」
「作戦?」
「どうやってこの状況を切り抜けるか、の話し合いだ」
 ジルの言葉に頷いてエリスは部屋の中に入っていく。それを見届けてジルとレーヴァンも部屋に入った。
 部屋に入って真っ先にジルは窓から通りを確認する。誰かにつけられていないか、確認するためだ。幸い、怪しい人影はこの近くには無い。
 念には念を入れて、防護の結界を張り巡らせるジルを見て、レーヴァンは肩を竦めた。
「やりすぎじゃないか?」
「足りないくらいだ。ここまで来たら、逃げるのだって至難の技なんだぞ。三年前を忘れたわけじゃないだろう?」
 鋭い眼光を向けてくるジルに、レーヴァンもため息をこぼす。無意識に左腕を押さえ、それに気付いたジルが眉を寄せる。
「――痛むのか?」
「まさか。ずっと前の傷だ。知っているだろ?」
 笑うレーヴァンを見ても、ジルはずっと難しい顔のままだ。そんなジルの頭をレーヴァンは乱暴に撫でる。
 抵抗もしないジルを見て、レーヴァンは言い聞かせるように視線を合わせた。
「いいか? あれは俺が勝手にやったことでお前が気にすることじゃない。傷も三年前のことも、もう忘れろ。今回だって俺が巻き込んだみたいなものなんだし」
「・・・・・・迷惑かけてるな、俺」
「お互い様だろ」
 そう言って笑うレーヴァンに、ジルは救われるような気がした。三年前のあの日も、そう言って自分を助けてくれたのだ、と思い出しながら。
レーヴァンがジルの側を離れると同時に、扉が外側から叩かれる。レーヴァンが開ければ、エリスが顔を出した。


23 :慈雨 :2009/05/03(日) 16:42:16 ID:ocsFkHW4

 三人は向かい合うようにベッドに腰掛け、お互いに口を開かずに黙っている。なんとなく気まずい沈黙が部屋の中に充満した。
「とにかく何とかして王都から脱出しないとだよな・・・・・・・」
 レーヴァンの呟きにジルも頷く。
 大会の本選に出るなんて問題外だろう。ゲールマールでもレーヴァンの名前は瞬く間に広がってしまった。王都にもその噂が聞き及んでいないとは言えない。
 三年前のことを覚えて居る者も居るだろう。レーヴァンの側にジルが居ると知られてしまったら、厄介なことになるのは目に見えている。
「あの、聞いてもいいですか?」
「ん?」
「そんなに警戒する理由・・・・・・前に何かあったんですか?」
 エリスの何気ない言葉に、ジルは顔を強張らせる。それに気がついたエリスは、まずいことを聞いたかな、と身を竦ませた。
 レーヴァンはジルの顔色を窺いながら、なんて答えるべきか頭をフル回転させて考えていた。
 確かに事情を知らないエリスにとって、今の状況は首を傾げるようなことばかりだろう。こんなに警戒する理由も思いつかないようだし。しかし、これはジル個人のことなので、どこまで話したら良いのかレーヴァンには検討もつかなかった。
 すっかり困ってジルを見れば、ジルが小さくため息をついた。
「三年前、俺はこの国から逃げ出した。ある嫌疑をかけられたからだ。もちろん俺には身に覚えの無いことだったが」
「嫌疑・・・・・・?」
「状況は絶望的で、俺は処刑されるのを待つばかりだった。・・・・・・そこをレーヴァンに助けられたんだ」
 今でも目を閉じれば、鮮やかに思い出すことが出来る。月の無い新月の晩。篝火の灯りを受けて鈍く光るレーヴァンの剣が、夜の闇に舞っていた情景を。逃げ出す自分の背中に向かって放たれた怨嗟の言葉も。相手の血走ったあの眼でさえ。
「ジル、さん・・・・・・?」
 時遠くを見たまま眉を寄せるその表情に、エリスは首を傾げる。しかし、それ以上、ジルがエリスに話すことはしなかった。
 レーヴァンは押し黙ったジルの頭を乱暴に撫で、勢いよく両手を打ち合わせるとエリスの方を向いた。
「とにかく! 買い出しかなんかは俺とエリスがやるから、お前はなるべく宿から出ないようにしろよ?」
「あぁ」
「出るなら必ず一言、俺に言えよ? 外套を頭から被って出ること」
「分かっている」
 素直に頷くジルに、レーヴァンは満足げに笑う。なんとなく、それが気に食わなかったジルは、レーヴァンの脛を蹴った。



*   *   *



 水簿らしい宿を目の前に、一組の男女が立っている。
 宿の二階にあたる場所に、強固な魔術結界が張られているのを見つけ、二人は顔を見合わせた。
「間違いなくここに居ますね。レイディスの魔術を破った魔力と同じ気配がします」
「いちいち勘に触ること言わないでくれる? 本当に嫌な性格をしているわね」
 苛立ちを隠そうともしないレイディスの様子に、ジェスは肩を竦めただけだった。
 二人は宿の路地裏に入ると、気配を殺す。
「どうするの? 並みの魔術じゃあ見破られるわよ?」
「力は使い方次第ですよ」
 ジェスはそう呟くと、目の前に飛んでいた蝶を見据える。そのまま少しだけ魔力を注ぐと、宿の窓に向かって放った。
 蝶は一直線に二回の窓へと飛んでいく。
「あの防護魔術は目くらましですからね。物理的なものには作用しません」
 そうして蝶からもたらされた情報の一つに、ジェスは片眉を上げた。
「・・・・・・三年前、ですか。どうやらあまり人に知られたくはないことのようですね」
 どこか楽しそうな声を聞いて、レイディスは意外な気持ちで隣のジェスを見た。
 ジェスとの付き合いは長い方だが、いつも冷静沈着、笑っている顔も怒っている顔も見たことが無かったのだ。そのジェスが笑っている。

 ・・・・・・不気味だ。

「調べてみましょうか。何か面白いことが分かるかもしれませんしね」
 呟くとジェスは周りの気配を探った。すぐに沢山の風霊たちがジェスの周りに集まる。自分たちの本性を考えれば、風霊に好かれているのは分かるが、ジェスは特別好かれている気がするのはレイディスの気のせいではないだろう。
「これできっとすぐに分かりますよ」
 そう言って微笑むジェスは、そっと二階を見上げて笑みをよりいっそう深いものにした。



*   *   *



 レーヴァンはエリスに付き合ってもらい、一つの豪奢な屋敷の前に聞いていた。エリスはその立派な門構えに圧倒されてしまったのか、ただ呆然と屋敷を見上げている。
 その様子にレーヴァンは苦笑する。そんなに真剣に見つめていたら、いつか屋敷に穴が開くかもしれない、と思った。
「ここ、誰のお屋敷なのですか?」
「ん? オルボルト伯爵家」
 聴いたことの無い名前にエリスは首を傾げる。その様子にレーヴァンは苦笑するだけで、詳しく教えようとはしなかった。


24 :慈雨 :2009/06/14(日) 12:34:31 ID:ocsFkHW4

 三年前に見た時と何も変わらない。強いて言うならば、静けさが満ちていた。
 前に来たときは屋敷中が笑顔に溢れ、どこからも笑い声が聞こえてきていたのに。
「変わっちまったな・・・・・・」
「レーヴァンさん?」
 不思議そうな顔をするエリスに苦笑し、行こう、と促す。
 このまま何も無ければ、この屋敷の者たちと関わることはないだろう。この先もずっと。関わりあうことがあるとしたら、それはジルの存在が知られてしまったとき。
「早いとこ買い物、済ませちまうか。遅くなったらあいつが怒るから」
 レーヴァンの言葉にエリスも笑った。ジルは勿論、宿でひとり待機している。ひとりで暇を持て余していることだろう。
 人通りの多い通りに出て、記憶を頼りに店に寄って買い物を済ませていく。街中は三年前に来たときとほとんど変化していないので、迷うこともなかった。
「本当に魔術師が多いんですね」
 街のあちこちで見かけるローブを着た人たちを見て、エリスが感嘆の声を漏らす。それに気付いたレーヴァンが離れたところに立つ緋色のローブを着た集団を指差した。
「ここは警邏隊とは別に、魔法軍も存在するんだ」
「魔法軍、ですか?」
「全員が魔術師って軍隊。さすがに数は多くないけど」
 それでも魔法が使える、使えないでは大きく変わってくる。だからこそ、ここ、シレネシアは他と比べても格段に治安が良い。魔法軍と闘おうと思うような犯罪者は現れないのだ。
 レーヴァンの説明に感心したように頷きながら、エリスは街を眺める。
 エリスにとって街というのは、レーヴァンやジルと会ったフィルチオネ国の王都が一番身近にあったものだ。よってこんなに人が居るというのは体験したことが無い。
 人が多い。それだけで、なんだか楽しいような気がする。
 楽しそうな顔のエリスに微笑みながら、レーヴァンは飼った荷物を両手に抱える。
「さて、帰るか」
「はい!」
 楽しそうに笑うエリスを見て、レーヴァンも歩き始めた。
 活気付いた街中を二人並んで歩く。露店の呼び込みの声に愛想笑いを返しながら歩いていると、緋色のローブの集団が闊歩しているのが見えた。咄嗟に、レーヴァンはエリスの肩を引き寄せた。
「レーヴァンさん?」
「静かに」
 不思議そうな顔をするエリスを視線で黙らせ、レーヴァンは外套を頭に被った。
 三年前の自分のことを覚えているとは思わないが、用心に越したことは無い。あの時、ジルの逃亡に手を貸したのは、間違いなく自分だと思われているだろうし。
 レーヴァンの意図が理解したのかは分からないが、エリスは大人しくレーヴァンに従った。
 やがて緋色のローブの集団は二人の側を通り過ぎる。
「――宿に居るって情報だ」
「っ!?」
 微かに聞こえた言葉にレーヴァンの足が止まった。振り返りそうになるのを理性で圧しとどめる。
――落ち着け。考えすぎかもしれない。
 速くなった心臓を必死に押しとどめた。隣でエリスが心配そうな声でレーヴァンを見上げている。それに安心させるように微笑みかけ、レーヴァンは足早にその場を去った。



 不穏な気配を感じ、ジルは唐突に目が覚めた。ゆっくりと身を起こし、部屋の中を確認する。
 特別に変わったことは無い。だが、不思議と焦燥感が胸の中を支配した。
(なんだ・・・?)
 ベッドに横たえていた身体を完全に起して、ジルは気配を探る。しかし、変な気配は感じなかった。
 ・・・否。何の気配も感じない。
 ジルは舌打ちしたい気分になった。ある程度の訓練を積んだとはいえ、ジルは基本的に武術が苦手だ。魔術師は総じて、精神力を鍛える。よって、武器を使った戦いは苦手なのだ。
(レーヴァンが居れば・・・)
 武闘というものを徹底的に教え込まれたレーヴァンならば、あるいは微弱な気配を察知できたかもしれない。
 今でこそ、盗賊や何でも屋なんかをやっているが、ジルはレーヴァンが相当の剣の使い手であることを知っている。それこそ、そこら辺をふらふらしているには勿体無いほどの腕前だと。
 そんなレーヴァンならちょっとの修羅場くらいなら、問題なく切り抜けられる。
 しかし、今、レーヴァンはここには居ない。
「まだ買い物から戻っていないのか・・・・・・」
 締め切ったカーテンの隙間から窓の向こうを見れば、日は寝る前とあまり変わっていなかった。どうやら軽くうたた寝をしていたらしい。
 まだ少し寝ぼけている頭を必死に稼動させ、意識を集中させた。
 宿に来たときに張った幻術の結界術に乱れは感じない。誰かが侵入した、というわけではなさそうだ。それなのに、妙に胸騒ぎがする。
 ジルは舌打ちを一つして、風霊召喚の呪文を唱えた。しかし、風霊たちはその呼びかけに応じようとはしない。
「なに・・・?」
 まるで不透明な膜に覆われたように、自分の魔力が抑制されているのを感じた。ジルはそう考えて、戦慄する。
 この感覚を、自分は覚えている。あれはあの時、捕らわれる前に感じた――。

――ズンッ!

 突然の衝撃がジルを襲う。まるで灼熱の大気がジルの肌を焼くようだ。咄嗟に、ジルは腕で自分の顔を庇う。激しい閃光が部屋の中を支配した。
「居たぞっ!」
 庇った腕の隙間から緋色のローブが微かに見える。それが意味することは唯一つ。
 ジルはすぐさま高等召喚術を唱えた。ジルの魔力が凄まじい勢いで大気を侵食していく。それを肌で感じた緋色のローブの集団は焦ったようにあたりを見回した。
「高等魔法だ!」
「魔封じはどうした!?」
 男たちの言葉にジルはにやりと笑う。
 この三年間、ただ逃げていたわけではない。自分の魔術に磨きをかけるために、修行を怠った日は無かった。
「さすがに一筋縄ではいかないか・・・!」
 大気が歪み、除々に実を結んでいく。ジルに呼ばれたものが実態を現そうとしているのを見て、緋色のローブを来た男たちは一斉に呪文を唱え始める。
 その呪文が何なのかを理解したジルは驚愕する。咄嗟に召喚魔法を中断させ、全霊をかけて風霊を呼び寄せた。
「頼む! このことをレーヴァンに!!」
 緋色のローブの男たちが呪文を唱えるたびに、ジルの四肢が弛緩し、次第に使い物にならなくなっていく。光の縄がジルの両手を拘束した。
 レーヴァンには精霊を見ることはできない。だが、彼女ならきっと。
 最後に風霊が窓から飛び出していくのを見つめ、ジルは意識を失った。


25 :慈雨 :2009/07/08(水) 22:03:40 ID:ocsFkHW4

 その知らせが入ったのは全くの偶然だった。
 名も知らぬ二人の人間。それがもたらした情報は、信じられないようなものだった。

――長年、探し続けていた咎人を見つけた。

 何度もその答えを求めていたのに、いざその時を迎えると、なんとも言えない感情が胸の内を駆け巡った。そしてそれ以上に、歓喜が身の内を埋め尽くしたのを感じる。
 今頃、あの忌々しい男は魔法軍によって捕えられているのだろう。いくら優秀な魔術師だとしても、多勢に無勢だ。捕り損ねるということは無いはず。
 男は窓の向こうを眺めながら、望む結果が出るのを待っていた。やがて、入り口の扉がノックされる。入ってきたのはこの屋敷の執事だ。
「旦那様、今報告が・・・・・・・」
「・・・捕まえたのか」
 返事は無い。だが、それが明確な答えだった。
「そうか・・・・・・」
 ついにこの時が来た。
 男は一人、手に持ったグラスの中身を口に含みながら、ただ静かに窓の外を見ているのだった。



 突然の突風に、エリスもレーヴァンも立ち止まる。エリスは風に含まれる微かな気配に驚き、急いでレーヴァンを振り返った。怖い顔でこっちを見るエリスに、レーヴァンも驚く。
「どうした?」
「今、風霊たちが・・・」
 エリスの呟きに、レーヴァンの心臓が嫌な音をたてて軋んだ。手のひらが不自然に汗ばむ。
「ジルさんが魔法軍に捕まったって・・・・・・」
「――くそっ!!」
 咄嗟にレーヴァンは手に持っていた荷物を投げ捨てると、エリスの手を掴んで走り出した。二人はそのまま人通りの多い大通りから外れ、路地裏へと飛び込む。
 レーヴァンは記憶を頼りに宿を目指しながら、唇を噛んだ。どうしようもない悔しさが胸に巣食う。
 嫌な予感はしていたのだ。ジルを一人で宿に残す危険性も十分に分かっていた。
「ジルは!?無事なのか?」
「分かりません!風霊たちが見たときには、拘束魔法をかけられていたみたいですが・・・・・・」
 拘束魔法という言葉を聞いて、レーヴァンは舌打ちをした。まず間違いなくジルは捕まっているだろう。いくらジルが優秀な魔術師だといっても、何重にも縛られてしまえば、さすがに手出しは出来なくなる。
 二人は宿のある通りに出ようとして、レーヴァンは慌ててエリスの福を掴んだ。そのまま建物の影に身を潜める。
 いきなりのことに、エリスは困惑しながら背後のレーヴァンを見上げた。
「どうしたんですか?」
「見ろ」
 厳しい表情をしたレーヴァンが見つめる方向を見れば、緋色のローブを着た集団が宿を囲んでいた。もちろんジルの姿は無い。
「あれって・・・・・・」
「魔法軍だ。間違いなくジルは捕まったな」
 苦々しげな声にエリスが顔を上げれば、レーヴァンは悔しそうな顔をして魔法軍を見ていた。
 宿を押さえられたということは、自分たちの存在も知られているかもしれない。そう思ったレーヴァンはエリスの肩をそっと叩き、路地裏の向こう側に足を進めた。そんなレーヴァンの後を、エリスが慌てて追いかけてくる。
「どうするんですか? これから・・・・・・」
「まずは情報収集だ。なんで知られたのかを突き止める」
 レーヴァンは険しい表情をしながらも、今後のことを考える。
 最悪なのはこの状況をあいつ(・・・)に知られることだ。このチャンスを見逃すはずが無い。今度こそ、ジルを殺すだろう。盲目的なまでにジルを憎んでいるあいつなら。
「・・・・・・させるかよ」
 ジルがどんな思いでこの三年を過ごしていたのか、レーヴァンは知っている。だからこそ、助けなくてはならないのだ。ジルが誰よりも苦しんでいることを知っているから。
 エリスは厳しい顔で虚空を見つめるレーヴァンの横顔を見上げると、小さく息を吐きだした。
「まさかとは思うけど・・・・・・」
 宿に微かに残っていた魔力の残滓。見知ったその魔力に、エリスの顔が歪む。
 動き出してしまったのだ。色々なことが。そしてもう、止めることは出来ない。
 
 エリスの思いつめた表情に、レーヴァンが気付くことは無かった。



*  *  *



 水音で目が覚めた。
 目を開ければ目の前には堅牢な石壁。背後には鉄格子。ここは間違いなく牢獄だろう。
「・・・・・・捕まったのか」
 宿からここに来た記憶が全くない。封縛の魔術をかけられてそのままここに入れられたのだろう。ジルは軋む身体に眉を寄せながら、身を起こした。
「あいつらは無事に逃げたかな・・・・・・」
 脳裏に浮かぶのは、生意気な男と控えめに笑う少女の姿。彼らを巻き込むことは本意ではないので、ただその安否を気遣う。捕まっていなければいいのだが。
 血の滲む腕に顔を顰め(しか)ながら、治癒の魔術を施していると、突然、牢獄の扉が開く。それから二人分の足音が、ジルの牢獄に近づいてくるのが分かった。
 どうせどこかの役人が、何かの確認でも取りに来たのだろう、と軽い気持ちでジルは鉄格子の向こう側を見て――石の如く固まった。
「・・・・・・本当にお前だったのか」
 喉が凍り付いて何も出てこない。ただ信じられない思いで、ジルは目の前の男を見上げた。
 どうして彼がここに居る。どうして、彼が俺のことを知っている。
「親切な誰かが教えてくれたのだ。・・・・・・咎人がこの国に戻ってきた、と」
 男はジルの心の声に答えるように囁く。
 三年ぶりのその響きに、ジルの表情が強張った。それを見て、男はうっそりと笑う。その幽鬼染みた顔に、ジルの目が見開かれた。
「罪は裁かれるべきだ。今度は逃げようなんて思うなよ」
「待て。・・・・・・待ってくれ、ディアス!!」
 男――ディアスはジルの悲痛の叫びに、わずかに足を留まらせる。それでもジルを振り返ることなく去っていった。ジルはその後ろ姿を悔しげに見つめる。
「違うんだ・・・・・・」
 あんな目をするような奴ではなかった。そう考えて、ジルは悔しげに歯噛みする。分かっている。彼を変えてしまったのは自分だ。
 断罪の言葉が、ジルの耳にこびりついてはなれない。
 ただ、ジルはうなだれたように鉄格子に頭を預け、目を閉じた。
 もう一度、彼が戻ってくることを祈りながら。


26 :慈雨 :2009/08/07(金) 15:15:56 ID:ocsFkHW4


 レーヴァンは街中で隠れながら、詳しいことを知るために、街の人への聞き込みを開始した。だが、情報が操作されているのか、ジルに繋がる情報は中々手に入らない。それがまたレーヴァンの苛立ちを募らせた。
 エリスは魔術を使い、ジルの気配を探っている。正直、エリスがここまで魔術が使えるとは考えていなかった。
 街の人は魔道軍が動いていたことを知らない人がほとんどで、情報はまったくといって良いほどない。
「くそっ! せめてどこに連れて行かれたかさえ分かれば・・・・・・!」
 前は魔封じが施された牢獄の中だった。魔術に関しては門外漢のレーヴァンにとって、魔封じはたいした問題ではなく、脱走の手助けは簡単だった。だが、今回はそんなに簡単には事は運ばないだろう。
 前回の反省も含め、より堅牢な獄舎に入れられているはずだ。脱走の手助けも考えて、見張りも居ると考えて間違いない。
「『戦神』が聞いて呆れる・・・・・・」
 状況も分からず、動くこともできない。自慢の腕だって披露できるかも怪しい。それでも諦められないのは、あの時の『真実』を知っているからだ。何よりも、ジルを信じているから。
 レーヴァンは新たな情報を得るために、ひっそりとした路地に体を滑り込ませた。



 エリスは風霊たちをあやつりながら、ジルの魔力を捕えようとしていた。しかし、何かで遮断されているのか、魔力の残滓を掴むことすらできない。
 エリスは歯噛みしながら、より広く魔力の網を張り巡らした。

『あら、そんなこともできるのね』

 ふと、聞こえた声にエリスの肌が粟立った。とっさに魔術を止めるが、強力な二つの気配が近づいてくることが分かる。
 二つの気配。それはゲールマールで感じたあの気配だ。
 エリスもこの気配の正体に、とっくに気付いている。自分の同胞であり、敵とも言える存在。
 突風が路地に駆け抜け、エリスの髪を攫った。エリスは両手を顔の前にかざし、衝撃に耐える。次に目を開けたとき、さっきまでは居なかった二つの人影がエリスの前にあった。
「探しちゃったわ。・・・・・・『青のお姫様』?」
「っ!」
 にっこり笑いながら、でも毒のある声で告げられた言葉に、エリスは唇を強く噛む。
 気付いていた。遥かな地で彼らが目覚めたことも、ずっと後を付けられていたことも。――今も、深い恨みを抱いていることも。
「どうして・・・・・・」
「厄介な人と一緒でしたから、離れてもらうことにしました。あなたもそちらの方がよろしかったでしょう?」
 慇懃な言葉にエリスが二人を睨む。レイディスはその表情を面白そうに眺め、ジェスは無表情に見返した。
 魔力をはらんだ風が三人の周囲に巻き起こる。それを感じてジェスが小さく口を開いた。
「よろしいのですか? ここで力を使えば、周りへの被害は甚大なものになりかねませんよ?」
「・・・・・・」
「止めときなさいよ、あなたはまだ雛鳥でしょう? 力の扱い方も満足に分からないのに戦おうとするなんて無謀だわ」
 バカにしたように笑うレイディスの言葉に、エリスは悔しそうな顔をした。悔しいのは、レイディスの言葉が正しいからだ。
 自分はちゃんと魔力を扱うことができない。いままでのは魔術と呼ぶこともできないような、つたないものだったのだ。そのような自分が、百戦錬磨の二人に叶うはずがないだろう。
「さぁ、大人しく我々と共に来てください」
 ジェスの足が一歩、こちらに向かって出される。エリスはそれを見て、身の内に潜む『力』の一部を解放させた。
 その瞬間、一陣の風が三人の側を駆け抜けた。


27 :慈雨 :2009/09/08(火) 22:33:53 ID:ocsFkHW4

第五章


 甘ったるい香が焚かれた薄暗い部屋を、レーヴァンは頭衣で顔を隠しながら進んでいく。部屋に居る面々は、明らかに胡散臭い顔ぶれの者たちばかりだ。
 探るような視線を避けるように個室に入れば、奥のふくよかな女性が顔を上げる。その人はレーヴァンの姿を見て、口の端をゆっくり持ち上げた。
「おや・・・・・・珍しい客だね」
 懐かしむようなその表情に、レーヴァンも口の端を緩める。
 レディ・グロリア。それが彼女の名前だ。表向きは占いを稼業として掲げているが、裏では情報屋も担っている。三年前もレーヴァンはこの女性に助けられていた。
 レーヴァンはレディ・グロリアの前に置かれた椅子に座り、深くため息をつく。
「何かお悩みのようだね?」
「ちょっと厄介ごとに巻き込まれて」
 言葉を濁すレーヴァンに、レディ・グロリアは苦笑した。前回もそう言って、レーヴァンはこの店に転がり込んできたのだ。
 レーヴァンはレディ・グロリアの前に座る。レディ・グロリアはテーブルの上の占い道具を片付け、ゆっくりと話を聞く体勢になった。
「それで? 聞きたいことっていうのは?」
「最近、魔法軍が引っ張っていった人間について」
 聞いた瞬間、レディ・グロリアの顔が引き締まった。それだけで、レディ・グロリアが何かしらの情報を知っていることが分かった。レーヴァンはわずかに身を乗り出す。
「教えてくれ。ジルはどこに居る?」
「・・・・・・知ってどうするの?」
「助ける」
 それは明確な理由だった。居場所を見つけて助け出す。三年前と同じように。
 そんなレーヴァンの意志を読み取ったのか、レディ・グロリアは思案するようにレーヴァンから視線を逸らす。
 レーヴァンはなんとしてもジルの情報が欲しかった。そのためにはレディ・グロリアの協力が必要不可欠だ。あらゆる情報は全てレディ・グロリアの元に集まる。だからこそ、レーヴァンはレディ・グロリアの元に来た。
 ジルを確実に助けるためには、とにかく正確な情報が欲しいから。
「・・・・・・ジルフリート・リドリウス。確か、父親殺しと外交長官暗殺未遂の疑いがあったわね」
「っ、」
 レディ・グロリアの言葉に、レーヴァンは唇を噛む。
 三年前、ジルは養父殺しと外交長官の暗殺未遂を企てたとして、処刑されることになっていた。しかしジルは獄舎を抜け、逃亡した。今となってはその逃亡の罪も加算され、死罪は免れないだろう。
「・・・・・・ジルはやっていません」
「三年前もそう言ったな」
 頑ななレーヴァンに、レディ・グロリアは笑う。三年前もまっすぐな瞳で、レーヴァンはジルの無実を訴えていた。もちろん、流れ者のレーヴァンの言葉を信じるような者は居なかったが。
 それでもレディ・グロリアは、レーヴァンという男を気に入った。今どきには珍しいほどまっすぐな目をしたこの青年のことが。
 だからこそ、レディ・グロリアはレーヴァンに協力しようと思うのだ。いつだって。
「ジルフリート・リドリウスは一級獄舎に居る」
「一級獄舎?」
「王宮の地下牢だ。脱獄は不可能だと言われている」
 地下牢という言葉を聞いて、レーヴァンは渋面になった。おまけに王宮の獄舎だと言う。
 王宮に侵入するだけでも骨が折れるのに、地下牢となると侵入などほとんど不可能だろう。

――それでも。

「確かな情報か?」
「間違いないよ。あたしは紛い物だけは売らないからね」
 それはレディ・グロリアの信条。レーヴァンもそれを知っているからこそ、レディ・グロリアを頼ったのだ。
 自信に満ち溢れたレディ・グロリアの表情を見つめ、レーヴァンも笑った。レーヴァンは座っていた椅子から立ち上がり、出口へと向かう。
「ありがとう。助かった」
「上手くおやりよ。二度目はないはずだ」
 レディ・グロリアの忠告にレーヴァンはニヤリと笑い、部屋の外へと出て行った。レディ・グロリアはその背中を見つめ、片付けていた占い道具をテーブルに広げる。
 レディ・グロリアの占いはよく当たると評判だった。そんな彼女はテーブルの上のカードを眺め、ため息をついた。
「あまり良くないね・・・・・・。上手くいくと良いが・・・・・・」
 レディ・グロリアの手には「塔」のカード。それを眺めながら、レディ・グロリアは物憂げな視線を伏せた。



*  *  *



 吹き荒れる風に、レイディスは両手で顔を庇った。隣を見れば、ジェスも同じようにしている。吹き荒れた風が砂を巻き上げ、辺り一帯は砂嵐のようになっていた。
 風霊が凄まじい勢いで暴れまわっている。レイディスはその力を掌握しようとするが、片っ端から違う魔力によって阻まれていた。
 レイディスは離れたところに立っているはずのエリスを見る。砂嵐のせいで、その姿は煩雑としていた。
「くっ! ジェス! 風霊たちを止められないの!?」
「それは難しいです。属性から言っても彼女のほうが風霊を従属させやすいはずですから」
 予想通りの言葉に、レイディスは歯噛みした。
 同じ種族でも、根本的に違うレイディスとエリスでは、風霊を従属させるにも差が出てしまう。雛と侮っていたが、予想外の強さに、レイディスは眉をしかめた。
 二人は溜まらず、上空へ飛び上がった。上から下を見下ろすと、自分たちの居た一帯が、凄まじい砂嵐と化しているのが分かる。
「彼女は?」
「見えません」
 暴れまわる風霊の気配を察することはできるが、その中心の居るはずのエリスの気配を掴むことができない。苛立ったレイディスは右手に魔力を集めると砂嵐の中心に叩き込んだ。
 魔力の塊は砂嵐とぶつかり、爆風が起こる。ジェスはその光景に顔をしかめた。
「レイディス! 死なせたらどうするつもりですか!?」
「これくらいで死にはしないわよ! それに五体満足でつれて来いなんて言われてないわ」
 砂嵐が止む様子はない。それを見てジェスは知らず、安堵の息を吐き出した。
 依然として視界は最悪だ。砂嵐は止むどころか勢いを増している。二人は気配を掴むために、魔力の網を張り巡らせた。
『風よ! 四肢を絡め取る戒めの鎖となれ!』
「「っ!?」」
 吹き荒れていた砂嵐が意志を持って動き出す。それは二人の四肢を絡め捕り、動きを封じようとしていた。ジェスは咄嗟に転移魔法を発動させる。
「ジェス! 逃げるつもり!?」
「このままでは我々の方が捕えられてしまいます!」
 レイディスにもジェスの言っていることが分かったのか、悔しそう煮顔を歪める。
 やがてジェスの転移魔法が完成した。それはエリスの魔術から逃れ、二人の姿をその場から消した。
 二人の姿が消えた瞬間、砂嵐が消える。飛び交っていた風霊たちも霧散した。
「・・・うっ・・・」
 魔術が解かれた瞬間、エリスは目の前が歪み、その場に立っていられなくなった。膝をついて立ち眩みをやり過ごす。それでも眩暈は治まらなかった。貧血を起こしているのが分かる。
 ここで気絶するわけにはいかない。必死に立ち上がろうとするが、眩暈は酷くなる一方だ。
 エリスは歩き出そうとして、そのまま地に倒れた。遠くなる意識で、青い空を見つめた。


28 :慈雨 :2009/12/13(日) 17:41:15 ID:ocsFkHW4r7


 胸騒ぎがする。エリスの姿が見つからないのだ。街外れで魔術を使っていたはずなのに、どこにも居ない。それがいっそう不安を駆り立てた。
「どこに行った?」
 まさかエリスも誰かに捕えられたのか? そんなことを考えて余計に焦りが増す。
 レーヴァンはエリスが「何か」に怯えていることに気がついていた。ゲールマールで決勝大会の日からずっと。
 いつも何かに怯えるように警戒している。最近は眠りが浅いらしいことにも気付いていた。エリスが何も言ってこないから、何も聞かないで居るだけだ。
 勘を頼りに、街中に無数とある路地を抜け、街はずれの更地へと出た。少しはなれたところに倒れる人影を見つけた。
「っ!」
 金がかった茶色の長い髪。それが目に入った瞬間、レーヴァンは駆け出していた。ぐったりとしたその体を抱き上げ、顔を覗き込む。
「エリス? 大丈夫か?」
 エリスの顔色は真っ青なのに、体は燃えるように熱かった。それだけでエリスの上体が普通じゃないことが分かる。呼吸は浅く、汗が滝のように流れていた。
「くそっ!」
 驚くほど軽いその体を抱き上げ、レーヴァンは駆け出す。とにかくエリスをこのままにしておくのは危険だ。急いで宿に戻って看病しなくては。
 浅く呼吸を繰り返すエリスを安心させるように抱きしめながら、レーヴァンは街中を駆け抜けた。



 宿に戻るとすぐにエリスをベッドに寝かせ、宿の主人に頼んで氷水などを用意してもらう。レーヴァンは少しの間、エリスの面倒を頼んで街の薬屋に駆け込んだ。解熱剤などのいろいろな薬を用意してもらい、すぐに宿に戻る。
 人の良い宿の主人は、レーヴァンが戻るまでしっかりとエリスの面倒を見てくれていた。レーヴァンは主人にお礼を言って、看病の役目を代わる。
「とりあえず目が覚めるまでは熱を下げることが先決か・・・」
 相変わらず浅い呼吸を繰り返すエリスの汗をぬぐいながら、レーヴァンはため息をこぼした。知らないうちに無理をさせていたのかもしれない。ジルのことで動揺していたせいか、エリスの体調の変化にも気づけなかった。
 完全に手詰まりだった。それが分かるからこそ、レーヴァンは自分の迂闊さを呪いたくなる。ジルを一人にするのではなかった。
「・・・・・・っく」
 椅子に座りながら頭を抱えれば、ベッドの上から苦しそうな声が聞こえた。エリスが起きたのかと思ってベッドに駆け寄り、目の前の光景に目を見開いた。
「なんだ、これ・・・・・・」
 エリスの肌に浮かび上がる青い鱗のようなもの。それは生き物のように明滅を繰り返しながら、エリスの肌を覆っていく。
 一瞬、脳裏に浮かび上がったのは、あの砂漠の遺跡で見た壁画だった。
 燃え盛る炎と人に対して牙を向ける龍たちから、身を挺して庇っていたあの青い龍。
「うっ・・・!」
 鱗が明滅する度に、エリスが苦悶の声を上げる。レーヴァンはどうしていいのか分からず、とにかくエリスの手を握り締めた。熱を持った手のひらとは反対に、鱗の生えた甲をひんやりと冷たい。
「大丈夫だから・・・。俺がそばにいる」
 何度も労わるようにやさしく額をなでる・やがてエリスの呼吸が落ち着いたものになった。それと同時に、肌に浮かび上がっていた鱗たちも消えていく。
 レーヴァンはその光景を不思議な気持ちで見ていた。額に手をかざせば、熱が下がっていることが分かった。
 エリスの穏やかな寝顔を見ながら、安堵の息を漏らす。そして改めて感じた。エリスはいったい、何者なのだろうか、と。
 砂漠の遺跡。龍の神殿に突如として現れた少女。人にはありえない剛力と、魔術への知識もある。
 何よりあの青い鱗。あれはいったい・・・・・・。
「俺は昔から厄介なものを拾うのが癖みたいだな・・・」
 無意識に左腕の古傷を押さえる自分に、レーヴァンは苦笑した。これは三年前、ジルと逃亡する際に負った傷だった。ジルが気にするから、普段は触らないようにしているが。
 ジルを拾ったことを後悔したことはない。この先もきっと、一生後悔することはないのだろう。
「待ってろ。すぐに助けに行くから」
 思い出すのは、絶望に満ちた三年前のジルの瞳。二度と、あんな思いはさせたくなかった。ジルは口も態度も悪いが、本当は仲間想いの良い奴だって知っているからこそ、絶対に助けてやりたいと思う。
 レーヴァンはエリスの頬を優しくなでた後、氷水をもらいにゆっくりと立ち上がった。


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甘辛流小説家ギルドGAIA
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