魔法使いのラブソング・β版


1 :akiyuki :2006/05/20(土) 13:56:52 ID:VJsFrmQG


 早速、こちらをモニタリングさせてもらおうと思い、以前書いた体験版をもう一度掲載してみたり。
 初見えの方はよろしくお願い致します。


2 :akiyuki :2006/05/20(土) 14:06:12 ID:VJsFrmQG

プロローグ


 近未来。日本はちょっとやばかった。


 株価暴落。世界バランスを大きく崩す経済状況。
 犯罪増加。類を見ない治安デフレスパイラル。
 電力不足。夜に灯りの灯らない先進国の誕生。


 この国だけが、こうなった。よその国ではいまだ戦争と平和が続いて、貧困と豊富がとっかえひっかえでありながら、そんな情勢から取り残されるように、日本だけが衰退の道を進み始めた。
 どこで躓いてしまったのか。どこで外れてしまったのか。何を間違えてしまったのか。
 それを見つけることは難しく、引き返す方法はみつからない。
 そして、国はどんどん壊れていく。
 犯罪者が未就職者の数を超える様な町になり、殺人件数が出生件数を上回る様な国になり、けれど変える方法がわからない。

 歯止めが欲しかった。

 その極端な落ちぶれ方についていけなかった世の政治家連。
 生きるために落ちる道を選んだ学生生徒諸君。
 己のことしか、目に入れなければ生きていけない一般市民。
 時代が、根本から間違えた解決法を成立させた。

 
『超法規特別治安対策法』 通称『魔女狩り法』

 その法律が許したことは、つまりこういうこと。


――日本国民はいかなる状況においても、過剰防衛が許されるものとする――

 それはつまり、己の身を守るためならば、自衛のためならば、武装することが許される。戦うことが許される。
 人が人を殺すことが、許される。


 かくして人を殺してはならないという刑法と身を守るためなら殺してもいいという国法とが両立する、矛盾した国が誕生した。

 施行から数年。だからと言っていきなり殺しまわるほど人間は馬鹿ではなかった。人を殺せば、犯罪者であることには変わりないのだから。そんなことを進んでやる人間が、国をひっくり返すような大事のできる殺人鬼など、この国にはいなかったのだ。

 けれどある日。噂が立った。


「福岡の方で、六人殺されたって。犯人はアレだったらしいよ」
「群馬で局地発生した地震。あれはアイツラがやったらしい」
「この前、大阪にでた通り魔。実は……だったらしい」
「ほら、この前東京で起きたリンチ殺人。加害者グループ無罪になったでしょ? 正当防衛で認められたらしいよ。殺されたの、****だったからだって」


 その法律が作られるにあたって、一つの例外が決められた。

――ただし、魔法使いに関しては常に武装したものとして扱う――

 その一文が、運命を変えた。

 魔法使いは、この国の戸籍を持ち、税金も納め、普通に暮らしている日本国民の一部であるはずの魔法使いが、最初から危険なモノということにされて、彼らにどのような行動を取ったとしても罪にならないのだった。
 魔法使いは空を飛び、悪魔を呼び寄せ災厄を振りまく存在だから。疑わしいときでさえも罰していいのだそうだ。魔法使いは常に危害を与える『可能性』があるから、防衛が許されるそうだ。

 二〇XX年三月現在。
 防衛のためならば、魔法使いは殺してもいいのだそうだ。


 魔女狩りが横行するようになったこの場所で
 魔法使いを殺しても誰も罪には問わない

 魔法使いは、何も言えない。


3 :akiyuki :2006/05/20(土) 14:09:31 ID:VJsFrmQG

一日目・早朝


 伊達市 土居町立土居中学校(だてし どいちょうりつ どいちゅうがっこう)の生徒会本部役員は全十一名で構成される。
 学級委員会、図書委員会などの総数十一の委員会の委員長。
 この中から三人が副会長二席と本部役員会議議長が一席を兼任。会計が一席。黒板書記と記録書記が一席ずつ。広報製作担当が一人。コンピュータ係が一人。ベルマーク集計役が一人。生徒会直轄花壇世話係が一人。つまりすべての委員長がなにかしら別の係りを兼任しているわけで、これらの肩書きは投票によって選ばれた本部役員があみだくじで決めている。
 しかしたった一人、選挙で最多得票を得た人間がなる役職がある。
 生徒会本部役員を束ねる男。
 これといって、目立つ仕事はなく、何か大きなことをしてもいない。
 通称。土居中生徒会で最も暇そうな男。そして、実際最も暇の少ない男。
 人は彼を生徒会長とか、ユッキーとか、雪坂君と呼ぶ。




「ねえ雪坂君、知ってる?」
「修飾語のない疑問文には答えられそうにありません」 
 時刻は朝七時二十六分。川沿いの道を急ぐ自転車があった。
 自転車の操縦者は男。荷台に横座りをしているのは女。どちらもまだ子供というような、若い顔立ちをしている。
 必死な表情でペダルを漕ぐ、雪坂(ゆきさか)と呼ばれた彼。白いシャツに黒いズボン。標準的な夏用学生服を着た、どこにでもいそうな少年。土居中学校は公立学校だが私服は許される。それにもかかわらず学生服を着るのは彼くらいで、その後ろ、荷台に座っている少女は、白いフリルのついたシャツに黒のスカート、そして赤いリボンというゴシックロリータに身を包む。彼女の幼い表情にはその服装が似合い過ぎ、一種独特の雰囲気を持っていた。
「で、広瀬さんは俺に何を知っているかと訊きたいわけです?」
 必死に自転車を加速させ朝っぱらから額に汗の雪坂は、後ろを見ることなく少女に問い返す。
 自転車の猛スピードと朝の風に浮き上がる髪を押さえながら、広瀬と呼ばれた少女は会話の続きを切り出した。
「また、魔法使いが出たんだって……」
 雪坂は動揺などの様子は見せずに、さも当たり前のことを訊かれたように答える。
「そりゃ、出るでしょう。厚生省の発表だと日本人の二万人に一人は魔法使いだそうですから」
 どこかからかうような少年の返答。不満らしく少女は続ける。
「そうじゃなくて、また魔法使いが殺人事件を起こしたんだよ」
「そうですか」
「そうだよ」
 声が沈む。どこか不安そうな、口ごもる発音。
 その事件なら雪坂も知っている。今朝のニュースでやっていた。
 なんでも数日前に九州の方で高校生が同級生男子六人を殺害して、警察の制止を振り切って逃亡したという事件があった。何故そのような凶行に出たのか? 動機は不明だが、その死様の尋常のなさと、周囲に付着していた学生の血液、目撃証言などからその未成年が実は『魔法使い』ということがわかり、道という道に検問が張られ捜索が続いているという。自衛手段以外の暴力はやはりこの国でも犯罪になる。国家権力が総力をあげて犯人逮捕に取り組んでいると、ニュースキャスターが言っていた。
 そんな情報を知れば、不安くらい感じるかもしれないが、それでも事件が起きたのは九州で、ここは関東。そこにある距離は、その出来事がどこか遠い世界の話のように感じさせる。まだ十五歳の少年少女には、そんな危機感をわかることはできないかもしれない。

 雪坂は一人考える。
 守備の為ならばあらゆる防衛が許される世になって何年か過ぎた。
 最初の内こそ新聞はテレビ蘭とスポーツ欄を除けば殺人事件のオンパレード状態だったが、今では平和そのもの、事件なんて書かれることはない。事件が減ったのではない。
人が殺されるのが、普通の世界になったということ。
 今頃人死にで話題になるのは、芸能人と魔法使いの話だけだ。
 逆に、これほどまでに繊細な反応をする彼女が珍しい。
 
 
 広瀬が声のトーンを低くしたまま会話を続けた。
「怖いね」
 ならば朝からそんな話しなければいいのに。などと思いながらも雪坂は話を合わせる。
「確かに、怖いですね」
「もし、どこかの魔法使いがこの町にも来たらどうしよう」
「別にどうにもならないでしょう。その時は警察か保健所に連絡して、捕獲してもらえば多分人間至上主義者の皆様が勝手に処刑してくれて、次の日からまた平和な朝ですよ」
 普通のことを言ってみたつもりだが、広瀬は驚いた顔をして雪坂にくってかかる。
「そんなの……ちょっと酷くない?」
 さっきまで怖がってたのは誰だ。とも思ったが、それを言うのはやめた。
「魔法使いには何しても犯罪になりませんからねー。とりあえず、こちらが何かされる前に殺しておけってことでしょう」
 朝の風は、少し冷える。
 雪坂は汗のにじむ背中にぞくり、と悪寒が走るのと、自転車から落ちないように自分のシャツの端を掴む広瀬の力がぎゅう、と強くなるのを感じた。
「でも、おかしいよ。だからって何もしてない人を……」
 雪坂の位置から広瀬の顔を見ることは出来ないが、予想がつく。不機嫌そうな、怒っているような、ひきつった顔。こういう会話をしていると、彼女はいつもそんな顔をする。そしてその顔をされると、雪坂の負けである。
 いじめるのはこの辺にしておいて。
「だから、そういう酷い目に遭わされるから、魔法使いも報復する気にもなるんでしょうね」
「人が酷いことしたから、魔法使いも酷いことするの?」
「さあ……。ただその九州の事件だって、どういう背景があるかわからないですよ? 先に襲ったのだって人間の方かも知れませんし」
「……どうして、魔法使いを殺そうとするのかな」
「広瀬さん。もしかして、魔女狩り法が魔法使いを皆殺しにするための法律だとでも思ってないですか?」
 後ろにいるでの見えないが、そのきょとんとした表情は想像できる。
「……違うの?」
 ああ、確かにテレビや雑誌など、若者が使う情報源には魔法使いのことを悪く書かれてばかりだし(そのほうが売れるのだから仕方ない)メディアが扱う魔法使いといえば殺人犯だけだし近頃の漫画やらライトノベルだと悪の魔法使いと戦う傭兵の話が黄金パターンなのだが。
「あのですね、あの法律が施行されてから、魔法使いが有名になったわけですけど、別に二つの事柄に因果関係なんてないんですよ? たまたま正当防衛で殺された加害者が、たまたま魔法使いだったわけで、それが噂に噂を重ねて、魔法使いは人間に悪意を持っている、みたいに解釈されたわけです。悪役を作っておけばそこに怒りや不満が集中しますからね。ほら、昨日の特番でも不況の抜け出せない原因が魔法使い、って暗に言ってたでしょ? 俺から言わせてもらえば五十数年前の地価暴落からのツケが残ってるようにしか思えませんよ。それに新聞とかニュースとかもで魔法使いが犯罪を犯しているって言われていますけど、数から言えば、人が人を殺す数の方が多いんですよ。この町でだって、魔法使いはいないけど人は死ぬでしょ?」
 そこで、広瀬が一度も相槌をうたないことに、少し疑う。
「って朝からあまり良い話ではありませんでしたね。すみません」
「雪坂くんは魔法使いが怖くないの?」
 素朴な疑問である。確かに、広瀬の周りにはそんな考え方をして、そんなことを言う人間はいない。いたとしても、それを声高に喋ることがどれだけ空しいことかを知っているのだ。けれど、雪坂は、言う。
「怖いですよ? でも向こうも同じくらい人間が怖いだろうな、と思ってるだけです」
「雪坂くんはどうしてそんなにいろんなこと知っているの?」
「別に。大人になれば誰でも気付く程度のことですよ」
 そのまま黙ってしまった広瀬に、この会話の締めを聞かせる。
「とはいっても、部外者の言葉ですから、実際に会ってみない事にはどうにも言えませんけどね。ところで今何時ですか?」
 広瀬は左腕に嵌めた時計を確かめる。毎朝几帳面に針を合わせているので誤差は皆無である。
「えと、ね。七時二十九分」
 どこか飄々とした雪坂の表情が崩れる。
「まずい、遅れる」
 首をかしげて、広瀬は尋ねた。
「でも、始業は七時四十五分でしょ? 間に合うと思うけれど」
「俺は普段七時半には教室に入っているんです。それが俺の生活パターン。なのに、ああ。このままじゃ遅れる!」
「別に時間までにつけばいいと思うんだけれど」
 しかしそんな忠告は耳に入っていないのか、雪坂はさらに強く踏み込む。
「きゃ」
 いきなりの加速。思わず体がぐらついた広瀬は雪坂の背中にしがみつくが、彼は容赦はしてくれない。
「ちょっと、雪坂君、雪坂くーんー」
 少女の悲鳴を引き連れて、暴走自転車が河原を行く。

 どこかで事件が起きていても、中学生の生活は、それほど大きな変化はしていない。
 それはあまりに変わらぬ朝で、いつものように日は昇る。


4 :akiyuki :2006/05/20(土) 14:10:50 ID:VJsFrmQG


 土居中学校。それが本当に教育機関なのかと疑わんばかりに高い塀で囲まれ、出入り口も一つだけ。子供たちを受け入れる場所なのに、何かが入ることを拒むように威圧感たっぷりなコンクリートの建造物。

 魔女狩り法。元々混乱の世界で弱者が武装することを許可するための法律であったという。その流れをついで国に関与する施設はほとんどが武装していたり強固な要塞の如きしつらえになっている。
 門番が二人と廊下に監視カメラ。この程度の装備しかない土居中学校は、結構この時代には遅れている方だった。
 しかしここも田舎町。それほど犯罪件数もあるわけでなく、関西地区のように学校が襲われるなどという話も聞かなかった。
 利益の為に暴力を扱う集団は、犯人の人権を『必ずしも』尊重しなくてよくなった警察に検挙されているので、真面目に生きてる人間が犯罪に巻き込まれることは少なくなった。とは言ってもそれは治安がどん底にあった数年前からの話であり、絶対的な数でみれば二十世紀終盤と同程度。それなりに罪は犯され、人は死んでいる。

 そう、やはり平和というには、武装防衛は血なまぐさすぎる。


5 :akiyuki :2006/05/20(土) 14:15:49 ID:VJsFrmQG

一日目・放課後



「やれやれ、眠いですね」
「雪坂君はいつも眠そうだよね」
 生徒会室。とはいっても今は余っている教室に学校机を十一個と金庫を一つ置いてあるだけの寂しい空間。
 現在そこに二人の人間がいる。
 一人はパイプ椅子に体を預けてくつろぐ学生服の男。もう一人は可愛らしい衣装に身を包みながらなぜか雑巾を持って床拭きをしている女の子。
 この学校の生徒の権限を代行する生徒会長・雪坂と、生徒会室の金庫の鍵を持つことを許された、生徒会会計・広瀬である。
 昼休み。次の授業までのわずかな時間を生徒会役員はよくこの教室で使うことが多い。
雪坂のように惰眠をむさぼってみたり、動いていないと落ち着かない性分の広瀬などは掃除をしたり花瓶の水を入れ替えたりしている。
「暇そうだね、雪坂君」
「暇なんてもんじゃないんですよ。で、俺の学ランどうしましたっけ?」
「そこのロッカーだよ。何かあるの?」
 するとあくびをしながら雪坂は立ち上がった。この教室の隅にあるロッカー。生徒会長特権により私物入れと貸しているが、学校に教科書と筆記用具しか持ってこない雪坂には無用の長物で広瀬の箒やちりとり。あといろいろ隠しておきたいものなどが無いっている。そして、冬でも何故か上着を着ない雪坂の学ランも。とはいっても今の季節はまだ夏服であるが……。
「だから、今朝も言ったでしょう。今日は昼から学校休むんですよ」
「……まさか、ずる休み」
「ずる休みする人が朝から遅刻せずに学校来ますか?」
「でも、今日は生徒会の仕事はないよ? 私が雪坂くんより記憶力が悪いとも思えないし……」
 結構失礼なことを言ってくれるが、まあ本当なので仕方ない。
 広瀬がいてくれなければこの生徒会長はどれだけの会議や仕事を忘れていただろうか。サボリ気味の書記や不登校の副会長など、あんまりいい人材のない今期の生徒会の柱として会計は頑張っている。
「そりゃ、知りませんよ。俺もさっき聞かされたから」
「どうしたの?」
「二年七組の真田さんが亡くなられました」
 沈黙。
「……交通事故か何か?」
「殺されたんですよ」
 その答えに広瀬は
「また?」
 それは哀しそうな声だったが、驚きは含んでいなかった。
「そ、生徒会長のもう一つの仕事ですよ」
 ロッカーから学ランを取りだす。
「今日は副会長と行って来ますよ。放課後には帰ってきますけど、どうします? 先に帰ってもらってもいいですが」
「待っているよ。歩いて帰る自信がないもん」
「そうですか。じゃあ、行ってきますね。日暮れには間に合うようにしたいですけど、どうなるかわかりません」
「ううん、ちゃんと祈ってきてあげて? いってらっしゃい」
 戸に手をかける生徒会長に、会計はぽつりと言った。
「大変だね、葬儀委員長も」
「その呼び名はやめてください。俺は、生徒会長ですから」


 この世界では過剰防衛が許される。
 自衛のためなら、相手からの害意以上のことをしても、許される。
 それが他人を巻き込むことでも。
 雪坂はこれから、昨日不良集団のいさかいに巻き込まれ死亡した生徒の葬儀に出席する。
 何故こんなことになったのかは知らないが、ただ噂として聞いたのは、犯人は正当防衛が認められたということだけだった。


 この学校でも、月に一人くらいが、何かしらの事件に巻き込まれて重症を負ったり死亡する。それらのお見舞いに行ったり葬式に出席するのが、生徒会長の仕事の一つである。
 学校の中では、葬儀委員長などと言う別称があるほどに、浸透している役職であった。

 雪坂は一人、会場までの道のりを歩いていた。先に到着しているはずの副会長に合流して、その後のことを考えていた。けれど、そういう工程はすべて副会長に任せているので自分は何もすることがない。ならば行く意味があるのか? という疑問も浮かぶが、そういう問題でもない。
 何か、旗印というものは必要なのだ。ここでなら生徒会長という自分の存在が、その場に必要なのだから。なにか、そう、注目を集めておくモノがあれば、それだけでまとまりがつく。だから、自分は行くのだろう。
 そこまで考えて首を振る。いや、違う。自分は死者の冥福を祈りに行くのだ。そんなことはあまりにくだらない。くだらないのだ。
 広瀬も言っていた。祈ってきてほしいと。
 これは、そういうことなのだ。
 これは、そういうものなのだ。


 雪坂はそれ以上考えるのをやめた。
 なんでこの町に銃器があるのだろう。
 なんで関係のない人間を巻き込んで許されるのだろう。
 なんでそんな矛盾をごまかすために魔法使いが使われるのだろう。
 その疑問を持つゆえに単に魔法使い憎しの風潮を嫌っていたりもする。
 もちろん、そんなことを言えば彼女はきっとあの怒ったようなひきつった顔をするだろうから、何も言わない。








「すみません、ちょっといいですか?」
「はい?」
 立ち止まり、後ろを振り向く。
 男が一人立っていた。
 知らない男だった。
 しかし、彼が手にしているものは、すべてを雄弁に語っている。
 それは、多分警察手帳というものだ。
「埼玉県警の西岡と申します」
「はぁ……」
 その西岡さんが何のようなのだろう。
「生徒会長さんですよね」
「何で知っているんですか?」
「いえ、会場に尋ねていったら今こちらに向かっていると聞きましたので」
 子供相手に随分と丁寧に喋る人だな、程度のことを考えていた。
「お聞きしたいことが二、三あるんですが」
「はい、なんでしょうか?」
 この後のことを考えた。会場入りが遅れたら、帰るのが遅くなるんだろうな。
「魔法使いがこの町にいるって噂なんか、聞いたことないですか?」
「……この町にですか? ないですね。それに俺少し前に引っ越してきたばかりだから、あんまり最近の話もよくわからないし……」
「実は今、この町に魔法使いが三人。潜伏しているらしいんです」


 ああ、今日は広瀬さんと帰るんだった。
 どうでもいいことを、思い出していた。






 あとのことはよく覚えていない。気がついたら学校に戻ってきて、雪坂を待っていた広瀬を連れて家路につこうとしている。
 つい先ほどまで大事な話をしなくてはいけない気もしたが、けれど広瀬には言わないことにした。何故か、嫌だった。彼女には、決して言いたくなかった。


「それでね、田島くんなんて言ったと思う? 『マヨネーズなんだからいいんだよ』って、全然理由になってないよねー」
 放課後。帰り道。河原沿いの舗装されていない砂利道。一歩踏み出すたびに砂の音が聞こえる。そしてその音のリズムから、二人の人間が歩いているのがわかる。
 自転車を押す少年と、その横を歩く少女。
 学生服の雪坂と、少女服の広瀬。
 それは、傍からみれば微笑ましい、中学生の男女の下校風景なのだろうけれども、このときは、少し意味合いが違っていた。
 興味津々と言った顔で少年の顔を覗き込む広瀬。
「ねーね、雪坂君はどう思う?」
 それが自分に向けられた声なのだと、そこで気付き顔を振り向ける雪坂。
「ん、……あ、すいません、聞いていませんでした」
 すると頬をふくらまし、怒るふりをする彼女。
 薄く笑って謝る彼氏。

 下校風景である。けれど、それは彼らを知っている人間からすれば、どこかおかしな様子だった。元々広瀬はこんなに表現豊かに喋る女ではないし、雪坂友人を目の前にして無口であったり、人の話を聞き忘れるということはしない人間であったはずなのだ。 

 だから、広瀬は続ける。
「今日はお疲れ様」
「いえ、仕事ですから」
「雪坂君は頑張ってるよ。私、雪坂君のそういうところすごーく尊敬してるんだよ?」
 葬儀から帰る日は、広瀬は妙に明るく振舞う。
 きっと、雪坂の気分を少しでも和らげたいのだろう。
「もう、雪坂君が生徒会長になって半年以上経つんだね。転校してきた最初の頃は一人で学校にもこれなかったのに、今じゃ一番学校のことに詳しいの、雪坂君だもんね」
 けれど、彼はそんな気持ちに甘えたまま、己の心情を吐露してしまう。
「まったく、もう半年ですか。でも一向にこの仕事だけは慣れませんね」
 下級生が亡くなり、その葬儀に参列する。これでもう何度目になるのだろうか。初めてそのことを知った時は、心の底から震えたはずなのに、今ではどこか生活の一部になっている。……けれど、慣れることは無い。
 半年前、転校していきなり生徒会長になってしまった雪坂。けれど、今考えれば、他になりたいという生徒は……、いなかったのかもしれない。
「広瀬さん、少し急ぎましょうか。たった二人で出歩いてるのなんて、物盗りのいい標的です」
 少し足を早めた。ここらの町の、しかも彼らの地区はおそらく日本中を見ても最も治安のいい場所であろう。けれど油断していれば何かしらの犯罪に巻き込まれかねない。自分はともかく、人のよい広瀬では、秒殺で何もかも奪われてしまうだろう。
 後ろから慌てて着いてきているであろう広瀬に、雪坂は続けた。
「生徒会長やら会計が死んだら、しゃれになりませんからね。おそらく自転車通学もしばらく禁止になるでしょうし、これからは……、広瀬さん?」
 後ろから気配を感じないので、立ち止まる。おかしい、確かに広瀬はいるはずなのに。
 振り返る。
 広瀬は、数十歩後ろで、立ち止まっていた。
「何をしているんです? 帰りますよ?」
 けれど彼女は動かない。少し怒った風な顔をして後戻りし、広瀬に問いかける。
「あのですね、結構ここら辺もしゃれにならないヤバさなんです。ここでは俺の言うことちゃんと聞いてくださ……」
「お願いだから、私の前で遠慮しないでよ」
 
 別に遠慮をしているつもりはない。こうやって軽口を叩いてしまう性格なのだから。

 けれど、雪坂はその言葉に、

「ごめんなさい」

 逆らえない。魔法のように。彼の心を、掴んで放さない。











 つい二、三時間前のこと。
 刑事と名乗る男との会話を思い出す。
「魔法使いが三人……?」
 西岡刑事は表情を変えることなく続けた。
「ええ、それも組織的、などではなく、別々の理由で」
 そんなことを言われても、雪坂には返事のしようがなかった。魔法使いがこの町にいる。そんなことを宣告されてはいわかりましたとリアクションを取れるような、非日常を、彼は生きていなかった。
「でも、なんでそれを俺に言うんですか」
 西岡刑事は落ち着いた表情で、言葉を続ける。
「目撃情報では、その中の一人が、どうやら子供らしいのです」
「……子供?」
 いぶかしむ雪坂。
 表情は一向に変化は無い。
「ええ、ちょうど、雪坂さんくらいの」
 つまり刑事の言いたいことは、
「魔法使いなら、誰にも気付かれずに学校に潜入している可能性もありますよね」
 そんなことを、どうして自分に訊く?
「それで、俺になんでそんなことを?」
「雪坂さん、実はあなたに少し協力をして欲しいのです。いつも通りの生活をしてください。今までと変わらない風に、一般学生らしく。そして、もし何か違和感を感じたり、気付いたことがありましたら、それをこっそりと、教えてもらえませんか?」
 学校というものは、閉鎖的な空間である。よその大人が入り込むことは難しい。中のことを知るには、子供が一番いい。
 ましてやその学校の学生ならば、刑事などよりよっぽど……。
「でも、どうして俺なんですか? 俺はこの町引っ越してそんなに経っていないし、町のこと詳しいわけでもないし」
「勝手ながらあなたの経歴を調べさせてもらいました」
 言葉が詰まる。
「あなたが、何故転校をしなければならなかったのか。あなたが、前の学校で何に巻き込まれたのか、すべて」
 そこまで調べられていることに、雪坂は、認識をした。この人は、最初から自分を協力させる気なのだと。
 それは要請ではなく、要求。
「ひどいですね。それなのに、俺にそんなことさせるんですか?」
「あなたは、実に優秀な方と聞く。……ぜひ、この町の治安のためにも、御学友の生活の安全のためにも、力を貸してください」
「……俺は、結構魔法使いびいきの人間なんですよ。別に魔法使いがいること自体危険だとは思っていません」
「ここだけの話ですが、先日お亡くなりになった真田清澄君。どうやら魔法使いに殺されているみたいなんです。どうやら、この町に来た魔法使いのうち一人の犯行らしいのです」

 そんな切り札を持っていたのか。

「……。わかりました。俺に何が出来るかわかりませんけれど」
 刑事は、にっこりと、落ち着かせるような、安心させるような笑みで
「それほど、重く感じなくても構いませんよ。犯人は我々が総力を挙げて検挙してみせます。もし、何かいつもと違うことを感じたら。その程度で考えていてください。あ、これ私の連絡先です。もし私が出なかったら、出たものに伝言していただければ構いませんので」
 そして男は雪坂から離れた。
「ぜひとも、この件はご内密に。お友達にも、話さないでください」
「危険な魔法使いがいるかもしれないのに、何も言わないんですか?」
「いずれ、公式に発表します」
 そのいずれが来るか、怪しかった。闇の内に消された魔法使い事件の数々を、それないの経由で知っていたりする。

「もし、魔法使いを見つけても、いつもどおり生活していてください。どうか、近付いたり、などは考えないように。相手は、隠れ潜むことを極めて凶暴な、殺人の魔法を使います」

 けれど、雪坂は知っている。魔法使いに関わって、……いつも通りの生活ができるはずも、ないことを……。












「ねーねー、雪坂君?」
 咎める口調のその声に、ふと我に帰る。
 隣を見ると、広瀬が先ほどと同じように、少し怒った風にこちらを見ている。
 何を言いたいのか、よくわかった。
「すみません、また聞いていませんでした」
 雪坂はもう一度、謝った。
「ごめんね、勝手なこと言って」
 彼女も、また謝った。
「いいんですよ。気にかけてくれる人がいるというのは、とても幸せですから」
 そう、雪坂は思う。
 これが幸せでなければ、何だという? 
 雪坂は、思う。
「広瀬さん……実は今日の帰りのことなんですが……」




 バシャ……



 変な音が、河原にこだました。
 それは水の音だった。
 もっと具体的な表現をすれば、水面から物体が持ち上がるときの音。湯船からあがる時の音。
 川の中から、川岸に這い出たときの音。
「きゃ」
「広瀬さん、下がって」

 雪坂は手で少女を制止し自分の後ろに隠した。何から?
 河川敷。ずぶ濡れの何かが寝転がっていた。 たった今、川底から這い上がってきたかのように、大きく肩で息をして、長い髪で顔が隠れている。
 水を吸った服が肌に吸い付き体の線を浮き立たせている。

 女性だった。

 否、それは、広瀬と比べても遜色がないほどの、

「女の子……」
 

 こんなところに、こんな時間に倒れている人間が、一体何を意味するのか、雪坂は考えずにはいられない。
 自分が何をしなければいけないのか、考えずにはいられない。
「広瀬さん、行きますよ」
「え? 行くって?」
「帰るんです」

 自転車を捨てる。
 広瀬の細い手首を強く握り、逃げることを促す。
「急いで帰りましょう」
 雪坂が自分に何を言っているのか、最初わからなかった。が、ここでやっと理解が脳裏に追いついてくれた。
「あ、あの人。倒れてるよ?」
「ええ、倒れていますね」
「あんな風にしたままじゃ、風引いちゃうよ?」
「ええ、引きますね」
「誰かが、連れて帰っちゃうかもしれないよ?」
「ええ、誘拐犯も多いみたいですから」
「…………。雪坂君、何言ってんの?」
「ヤバイんですよ。トラブルに巻き込まれるのは」
 何を言っている。それは、彼の台詞だった。明らかにおかしいだろう。いきなり川から上がってきたズタボロの女の子なんて。
 そして、先ほどの、刑事との会話。


 雪坂が一番怖いのは、広瀬が巻き込まれることなのだ。それ以外なら、何が起こっても別に知ったことではない。だから、この何かおかしな空間から、一秒でも早く広瀬を連れて逃げ去りたかった。

 たとえ、広瀬が、あの怒ったような引きつった顔をしても、許しはしないつもりだった。
 けれど、広瀬はそんな表情はしない。もっと強い顔をして、静かに言う。
「じゃあ、いいよ。私一人で行くから」
 信じられないほどの力で雪坂の手を振りほどき、彼女は河原へと下りて行く。
「待って、広瀬さん!!」

 どうしてこうも上手くいかないのか。
 歯噛みしながらも、雪坂は彼女の後を追って、倒れている女の子の元へ走った。


6 :akiyuki :2006/05/20(土) 14:17:10 ID:VJsFrmQG

二日目・夕方


「ああ、よかった」

 『彼女』が意識を取り戻し最初に聞いた言葉が、それだった。
 窓から差し込む陽光の色が、今が夕方であることを教えてくれた。

 何が起こったのかわからなかった。
 それは少しも予想していない展開で、自分がそうなるだろうと、覚悟していたことがすべてなかったことにされていた。
 『彼女』の名は十凪(となぎ)と言う。

「丸一日眠ってて……もう起きてくれないんじゃないのかって思ってたんだよ?」
 自分の傍らにいる声の主は、何故か怒ったようなひきつった顔をして自分にそう言った。小柄な少女だった。自分も比較的小さいと思っていたが、そんな自分よりももう一枚下にいる。白いシャツに黒のスカート。頭にリボンなんてつけている。人形のような、可愛らしい人間。
 十凪はその人物を知らなかった。けれど、それよりももっと重要な疑問がある。
 何故なら、自分は、追われ、撃たれ、川に落ちて、流されて、必死に岸に這い上がり、力尽きて意識を失って、死んだはずなのに。何故、その自分が、こうして、どこかの家、女の子の部屋らしい場所で、ベッドの中で目を覚ましているのか?
 上半身を起こそうとすると、意を汲んで傍らの少女が背中を支えてくれた。腰が九十度回る間に二回、痛みが走る。しかし思ったよりもダメージを感じられない。体をまさぐる。
 これは自分の服ではない。しかもその下。体中に包帯が巻かれていた。腕や腹、足。それにおそらく一番酷い負傷をしていた右手の甲も、清潔な白で覆われている。
「……手当て」
 少女は思い出したように答える。
「あ、それ私のパジャマだよ。前に着てた分は洗濯して取ってあるからね」
「これは、あなたが?」
 そこで、まったく関係の無い方向に話を変える。少女は何故かちょっと苦い顔をして
「ううん、ここは私の部屋なんだけど……怪我を手当てしてくれたのは雪坂君。私、血とか苦手で……」
「ところで」
 まったくの相槌もなく、十凪はまた質問を変えた。
「あなた、誰なのかしら?」
 少しも違和感を感じずに、少女は答えた。
「私は広瀬罪雛(ひろせ つみひな)。よろしくね」
 それを聞いて、十凪は考えを整理した。
 つまり、自分は今、広瀬罪雛の家にいて、彼女の知り合いに介抱されて、生き延びているということ。

 ツイている。

「もう一つ、聞いていいかしら?」
「何々?」
 嬉しそうにこちらを見る小柄な少女に、最後の質問をした。
「今、御家族の方は御在宅かしら?」
「ううん、お父さんもお母さんもまだお仕事中で、多分夜更けまで帰ってこないんじゃないのかなあ」
 この御時瀬に娘を一人留守番させるとは、暢気な両親だと思った後で、十凪は右手を持ち上げた。
 それが何の動作かわからないでいる広瀬に、十凪はにっこりと笑って、宣告した。
「私がまだ生きているのを知っているのは、あなたとその雪坂って人だけなのね」
 全然、何を言っているのかわからなかった。

 いきなり意識を取り戻したばかりの行き倒れに首を絞められても、広瀬にはそれがどういうことなのかわからなかった。

「く、苦しいよ」
 広瀬がそう訴えても、十凪は力を込めるのをやめなかった。とは言っても病み上がりの体である。十分な力は入らない。両手で致命の攻撃を行うが、弱った体では必殺にはならない。
「や、やめて、どうして」
 だから、十分に気管を圧迫できず、広瀬は口を利いて殺人者に制止をうながす。
 十凪は焦る。
 自分が生きていることを知っている人間には、生きていてもらっては困るのだ。例え恩義があろうとも、それとこれはまったく別の次元の話でなければならない。十凪はそういった道を歩んでいる。そこに躊躇はないのだ。ないはずなのだ。そう決めたはずなのに。
 広瀬罪雛は、抵抗をしないのだ。
 やめろとは言っても、実際には阻止の行動を行わないのだ。
 いきなり飛び掛り床に組み伏せた数分前ならいざしらず、自分に他人を殺害する握力が無いことを知られた今、反撃があっていいはずなのに……。
 彼女は、しなければならない己の保身のための抵抗を、しない。
 けが人よりもか細い力で、十凪の手を撫でることしかしない。

 十凪は、無抵抗の人間を殺した経験などないため、戸惑ってしまう。躊躇ってしまう。迷ってしまう。

「やめて……苦しいよ」
 ここまできて葛藤。十凪は……、それを捨て去るにはこの少女を少しでも早く殺すしかないと考え…………。




「やめてって言ってるから、止めてあげてもらえませんか?」
 その声に振り返る。
 男がいた。いつの間にか、自分の背後に周り、広瀬の首に回っていた自分の手を掴み引き剥がしている。そして十凪の下で咳き込んでいる広瀬に声をかけた。
「何してるんですか、広瀬さん」
「けほっけほっ」
「俺が下でお粥作っている間に、なんでこんな展開になっているのか知りませんけれど」「けほっけほっ」
「人の話聞いてませんね」
 そして、視線を十凪へと向けた。
「とりあえず落ち着いてくださいな。ちなみに俺はあなたの手当てをした雪坂って言います」

 それもそうか。気付く。一人であると思い込んでいたが、家族がいないだけで、人がいないのとは、それもまた別の話。
 そこまで、思考力が落ちていることに、愕然として、そして、喉を押さえて倒れている少女を見て、思ったのだった。

 殺さなくてよかった。


 それが『魔法使い』笠島十凪(かさじま となぎ)だった。


 


7 :akiyuki :2006/05/20(土) 14:17:49 ID:VJsFrmQG

「で、目が覚めたらこの人が突然首を絞めてきた、というんですか?」
 雪坂の問いに広瀬はうなずいた。
「で、そんなことを信じるとでも?」
 雪坂の問いに広瀬は何度もうなずく。
「だって、ほんとなんだもん」

びしっ

 チョップがとんだ。
「いたいよー」
「信じるわけ無いでしょう」
 傍から見れば、微笑ましいような、二人の会話。けれど、そこに在る状況から考えれば、そのやりとりは何かに欠けていた。それが何かを考えると、それはやはり、危機感なのだと十凪は思う。
 十凪が意識を取り戻して五分。広瀬に襲いかかること一分。けれど、そんな事実無かったように広瀬と雪坂は会話する。
 あの状況を覗かれて、他の選択肢などないのに雪坂は広瀬の言葉を信じようとしない。何故か、十凪を怪しもうとしない。不自然なまでに。

「まあ、いいです。じゃあちょっと広瀬さん、台所からお粥取って来て貰えますか? いくらそういうところはぶきっちょの広瀬さんでもお皿についで運ぶくらいはできるでしょう」
「ひどいなー」
「事実です」
「うう」
 しかし事実にはかわりなく「気をつけます」とこぼして立ち上がる。先ほどの一件で体力を失ったのか、一瞬からだがぐらりと揺れたが、何事もなかったように部屋の外、廊下へと消えてゆく。

「さて、と」
 それを眼で見送ってきた雪坂は、そこでやっと座布団に腰を下ろし、十凪を睨んだ。
 それは間違いなく確実に決定的に、睨んだ。
 思わずひるんでしまった十凪への一言。
「あなたもよっぽどの馬鹿ですね。死体なんて作れば、余計に魔法使いがここにいると教えるようなものでしょうが」
 二人きりになって最初の会話がそれ。冷たいものが五臓六腑を通り抜ける。それは十凪の肺を満たし胃を満たし血流にのって体中を緊張させていく。
 今の言葉でわかること。
 この男は、最初から自分が彼女の首を絞めていたことを知っている。
 この男は、自分が魔法使いであることを知っている。
 この男は、親しい友人に黒い感情を隠すことができる。
 この男は、暴力を振るえば、抵抗できる人間である。

「何故、私が魔法使いと?」
 声に動揺が混じっていたような気がする。魔法使いであるというのに、十凪は冷静さを失っていた。広瀬とのこともあるし、それにこの雪坂という男は……、何かおかしかった。魔法使いであることを知りながら、怯えるわけでも、殺意を持つわけでもなく、まるで普通の人間と話すように、自分にツッコミを入れてきた。
「なんとなく、です。なんとなく」
 そんな自分を気遣うように、眼光を消し、少し軽い口調で雪坂は続ける。
「ここだけの話、随分と昔に、俺は魔法使いと『関わり』がありましてね。その空気の違いのようなものを知ることが出来るんですよ」
 それは嘘だと十凪は思う。自分も何人か他の魔法使いを知っているが、そんなことを感覚した記憶はない。カマをかけているのはわかっていた。けれど、すでに雪坂のペースに嵌っている十凪は……、彼が自分が思っている以上のことを知っているのではないかという疑問を持つのだった。
「……私を、どうするの?」
 この男は、もう自分の生殺与奪を握っている。手が汗ばむ。流されないように何かを掴みたいのに、手は空をきるばかり。十凪は恐怖していた。魔法使いでありながら、魔法を使うことを忘れていた。
 こんなことは、今までなかった。
 なぜ、ここまで自分が混乱する……。

 雪坂は、そんな彼女の反応を、予測していたように
「そうなりますよね」
 ため息混じりの観念したような声。
「どうも、広瀬さんにはみんなペースを崩される」

 あっけにとられていた。
「どうもしませんよ。少なくとも、広瀬さんは単純にあなたを助けたいだけみたいですから」
 野良猫拾うのと同じ感覚なんじゃないですかね。
 雪坂が軽口を叩くのと同時に、
「雪坂くん、お粥持ってきたよ」
 ドアの向こうから声がした。
「ありがとうございます……。あの、広瀬さんどうして入ってこないのですか?」
 ちょっと困ったような声で
「両手が塞がってるから、開けてほしいなあ」
「やれやれ」
 立ち上がり、戸を開ける。その向こうから、満面の笑みの広瀬の顔が見える。
「丸一日寝てたら、お腹すくよね、お粥持ってきたよ……え、と」
 そこで、十凪の自己紹介が行われていないことを思い出す。別に言う必要もない。なのに十凪は
「笠島十凪です」
 喋ってしまった。おかしい。私はこんな……
「そっか、じゃー笠島さん、はい」
 お盆に載せられた湯気立つお粥と、塩が少量盛られた小皿。
「うまく出来てるといいんだけれど」
「あ、それは保証しますよ。俺が仕立て直しましたから」
お粥をどうすれば失敗し、仕立てなおせるのか十凪にはわからなかったが、今確実なのは、空腹であるということ。

 盆を膝に乗せ、スプーンを取る。体を支えるように広瀬が後ろに座った。他人に後ろに座られるのはなんだか妙な気分だが、それを文句も言えないので、気にせず食べることにする。一口すくい、口に持っていこうとして……止まる。
 熱かった。
 実際には人間の食べられる温度にしてある。けれど、十凪の舌には刺激が強すぎるのだ。息を吹きかけて冷まし続けるので、広瀬は気になる。
「あれ、笠島さんって猫舌?」
 なんでもない風に、十凪は答えた。
「いえ、温かい食べ物なんて、久しぶりだから」
 そして、言った後、後悔する。後ろを見ると、何か怒ったような引きつった顔をして、こちらを見ている。
 どうやら感情が昂ぶるとこうなるらしい。
 十凪までも困った様子でいるのを見て仕方なく、何の感慨も沸いてない風に、雪坂は切り出した
「さて、広瀬さん。ちょっと部屋を出てもらっていいですか?」
「え、なんで?」
 雪坂は困る。
「いや、だからね」
「???」
「包帯を取り替えたいから」
「……あ、気が利かなくてごめんね」

 ……いや、ちょっと待て!!
 お粥をすすりながら十凪は心の中で大きく突っ込んだ。わかる。女性が全身に巻きつけた包帯を取り替える。なるほど普通は部屋をでるかもしれない。それはわかる。
 けれど、何かおかしい。
 十凪は自分の記憶に、見識に間違いが無ければ、広瀬は女性で、雪坂は男性ではないのだろうか?
 ここで、記憶の隅で何かが思い返される。
 自分の手当てをしてくれたのは……雪坂。ということは、なんだ、つまり……。

 まるで当然の如く部屋を出て行く広瀬。
「あ、待って……」
 思わず柄にもない声を出してしまう十凪。
 そして雪坂は……

「広瀬さんに銃痕みせるつもりですか?」
 雰囲気を戻す言葉を発した。
 やはり、その眼は眼光を取り戻す。まあ自分にそんなコメディが似合うわけもないか。十凪は嘆息のあと、皮肉っぽく言ってやる。
「彼女の前だと、随分丸くなるのね」
「あの人は阿呆なところもありますけれど、繊細ですからね。温和で常識的な好青年でもないと、部屋に入れてなんてもらえませんから。本音としてはもうちょっと危機感持ってもらいたいんですけどね」
 どうやら、人払いのための方便だったらしい。彼の目的は、自分の本音を彼に言うこと。
「ま、こういうわけです。あの人が助けたいと言う以上、俺はあなたをどうこうもしないし、誰かに喋ったりしません」
「私は、あの子を襲ったのよ。それでも?」
「さあ? 都合の悪いことは全部忘れちゃう阿呆ですから。広瀬さんが気にしてくれないから俺には何も」
 十凪は愕然とした。そんないい加減なことを信じろというのか。
 最後の質問をした。
「あなたの性格なら、私を助けたりしないと思うけれど」
 雪坂は軽く答える。
「それはですね、あなたが一人で川岸に苦しそうに倒れていたからです。なんでも、それだけで人が人を助ける理由になるそうですよ?」
 そこで、彼はやっと、本人の演技でもなんでもない、本当の雪坂の笑顔で、自己紹介した。
「俺は雪坂炎(ゆきさか ほのお)。でも名前はあんまり好きじゃないので苗字だと嬉しいです」
 それが、魔法使いがこの町で出会った最初の人間。広瀬罪雛と雪坂炎だった。




「じゃ、包帯巻きなおしますか」
 人払いの理由ではなかったのか?! 自分の服に手をかける雪坂。
「ま、安心してください。俺は広瀬さん以外の女に興味ないですから」
 何か間違っている気がした。


8 :akiyuki :2006/05/24(水) 15:20:19 ID:VJsFrmQG

七日目・朝






「ほら、雪坂君が前に言ったよね」
「だから、形容詞と要点のない疑問文には答えようがありません」

 今日も雪坂と広瀬は一緒に登校している。眠そうな顔をしながら自転車を漕ぐ雪坂。そしてその荷台に座り運転手にしがみつく広瀬。いつもの登校風景。何事もないように、彼女の切り出しが始まる。
「私が魔法使いを怖がっていたら、雪坂君が言ったじゃない。魔法使いだからって、悪い人とは限らないって」
「俺はそんなこと言ってませんよ、物事は自分の目で見て判断しろと言っただけです」
「同じことだよ」
「微妙に差があります」
 広瀬は一生懸命に考えてものを言う。けれど相手はそれをどこか達観したような口調で応えてくる。それがなんとなく彼女には不満ではあったがこの際気にしない。
「私ね、十凪ちゃんに会って、わかったんだ」
「何を?」
「魔法使いも、お腹が空くし、怪我したら痛いし、血も出るし、哀しかったら泣いちゃうんだよね。人間と一緒なんだよね」
「……そうですね」
 雪坂は静かに肯定した。
 本当は言いたいことがあったが、彼女のその優しさを自分も肯定したかった。
 雪坂も、そう思っている。そう、思いたい。
「で、いつまであの魔法使いさんをかくまっておくつもりです?」
 けれど、言わねばならないことは言っておく。
「あの人、結構ヤバイ生活送ってますよ」
 目が醒めた十凪は病院に行くことも警察に知らせることも拒んだ。それどころか自分が広瀬の部屋の中にいることすら誰にも言わないで欲しいと頼んできたのだ。それは逃げているような、怯えているような声で。
 実際に彼女の体を検診し、治療を施した雪坂。彼女の体中に出来たアザ、切り傷、そして銃弾で撃たれた跡(とある事情で彼は銃痕を知っている)は、誰がどう見たって悪意ある他人によってつけられたものだ。背景はいっさいわからない。けれど、そこに広瀬のような娘が入り込んではいけないものがあることを、雪坂は知った。
 
 魔法使いが広瀬に匿われて一週間が過ぎた。
 
 今だあの刑事(名前を忘れてしまった)の言ったように魔法使いが来ているという情報は出回ることなくそういうことに敏感な婦女子の噂話にすら出てこない。どうやら完全に秘密にしたいらしい。あれ以来、こちらに接触してくることもない。まあ、まだ一週間。そんなに簡単に情報が手に入るくらいなら中学生に聞き込みなどしないだろう。それに。おそらく自分は保険の一つだ。子供の魔法使いだからと言って、学校の中にいるとは限らない。そう、どっかの女の子のベッドの中かもしれないのだから。
 本当なら、とっくにあの刑事に連絡して引き取ってもらいたいところだが、もうここまで来ると広瀬が共犯者扱いされても仕方ないし、魔法使いが無理矢理従わせたということにするには……、少しだけ問題がある。
 そして、もう一つ。頭の隅で払拭されずに残っている不安。もしそれが的中していれば。もし雪坂の想像があたっているなら、これが簡単な事件で終わってくれそうにない。
「でも、他に頼れる人いないみたいだし、せっかく十凪ちゃんもぐっすり眠れるようになったのに……ふわあ」
「で、代わりにあなたが寝不足ですか。女の子が口を開けてあくびしないでください」
 最初の頃、十凪は眠ることが出来なかった。
 夜中、広瀬の部屋で二人一緒に寝ていると(ベッドに対して女子二人が小柄であったので)突然眼を覚ます十凪。その慌て様に驚いて起き上がる広瀬。傷が痛むのか。そう訊いても首を横に振るだけの十凪。再び横になっても十分もしないうちに飛び起きる。何かに怯えるように闇を見つめる。どうやら物音が気になって眠れないらしい。誰も来ないよ。そう言っても十凪は首を横に振る。
 そこで広瀬は、自分が一晩中起きていると提案した。止めさせようとするが、しかしその行動は結果、十凪の夜中に目覚める回数を減少させた。
 昨日など、夜中に一回しか目覚めなかった。
「で、広瀬さんは朝まで起きてたんですか?」
「うん……もしかしたら、また起きるかもしれないから……」
「……それで、授業中にぐっすりと?」
 慌てて首を振る。
「そ、そんなことしないよ。授業中はきちんと起きてるもん」
「いつ寝てるんですか」
 すると口を瞑る広瀬。
「……いつ寝てるんですか」
 沈黙が返る。
「寝てないんですね」
「うぅ」
「うめいてもだめです」
 ため息をつく。
 自分が何を言ってももう仕方がないことを憶えてしまったので、何も言わない。
 それよりも、雪坂はまた別の事柄に思いを寄せていた。傷が痛むと眠れない。それはある。だから、こういうことも予測していた。けれど一週間で治る傷ではなかったのだが。 あれから何度か包帯を替えたり、ぶきっちょの広瀬の代わりに食事をつくりに言ったりした。その時の十凪はとても理知的で冷静な少女だった。それが広瀬を襲う程錯乱するとは、外傷と共に、心理的に加えられたダメージも多いのだろう。それは、雪坂には治せない。
 けれど……。
 広瀬はそれを癒した。

 まるで魔法のように。


「じゃ、飛ばしますけど、途中で寝ぼけて落っこちないでくださいよ」
「う〜ん、自信ないなあ」
「知りません」
「え〜ん、雪坂君が酷いよお」
「知りません」

 ペダルに力をこめる。







 同時刻。
 笠島十凪はテレビを見ていた。
 この時刻には広瀬罪雛の両親は仕事に出かけ、広瀬も迎えに来た雪坂とともに学校に行く。
 笠島十凪は広瀬が親に内緒でこっそり取っておいてくれた朝ごはんに箸をつけながら、思い出す。そういえば、つい二週間前まで自分も学校に行っていた。あの時は、いつも寝坊していて、朝ごはんを食べる暇もなかった。そのことで、よく母親に怒られた。いつも起こしてくれない母親をなじり、起きないのが悪いと返され、慌てて自転車に飛び乗ったあの頃。
「ごめんね、お母さん」
 あの時、一口くらい食べておけばよかった。
 広瀬の作っておいてくれたおにぎりは、塩が塊で入っていたり、味がしなかったり、まさにぶきっちょな作品に仕上がっていたが、空腹だった広瀬には美味しく感じる。もし、あの広瀬と雪坂に拾われる前に戻れといわれたら、死んだほうがましと答えるだろう。

 お茶を入れながら、テレビをつける。
 主婦層の見る時間帯のニュース番組。
 右下のスーパーには、大きく書かれていた。


『惨劇終わらず 魔法使い殺人再び』
『犯行続ける犯人 関東へ逃走か?』
『加害者は高校生 隠れた狂気の露見』


 画面が中継に変わる。
 十凪はその場所を知っていた。
 場面が変わる。
 十凪はその場所も知っていた。
 また変わる。
 十凪はその場所も知っていた。
 
 すべての犯行現場を、十凪は知っていた。
 
 そこで何が起きたのか、自分が何をしたのか、知っていた。
 テレビの中のリポーターは続ける。
『容疑者は女子高生十七歳、平凡な少女の裏に隠された顔は、なんと魔法使いだったのです』

 口を動かす。

『女子高生は同級生の坂本啓太君ら六人を殺害した後、追いかけた警察官に負傷を負わせて林の中に逃走。その翌日検問を魔法のらしき行為で強引に突破し、今も行方が知れません。警察は――――』


 何も感じないようにして、ただ食事を取る。
 

『今も犯人はこの国のどこかに隠れひそみ、人々を襲っているのかもしれません』


 十凪は呟く。
「そんなことしないよ」

 泣いていた。


9 :akiyuki :2006/06/03(土) 12:04:30 ID:VJsFrmQG

十四日目・夕方


「雪坂君、今日は家に来るの?」
 放課後の生徒会室。いつものように二人でいちゃついている広瀬と雪坂。
「さあ、どうでしょう。今日はちょっと遅くなるから。バスででも先に帰っててください」
「うん。でも、もし早く帰れるようだったら、家にも寄って欲しいな」
 雪坂は学ランのボタンを締めながら問う。
「あの、十凪さんと何かありましたか?」
 思っても見なかった問いに驚き、そして図星であるように狼狽する広瀬。
「え、そんなんじゃないよ……、うん。十凪ちゃんとは上手く言ってるよ、本当。嘘じゃないよ?」
 そのあまりのわざとらしさに嘆息し、それでも動きを止めることなく勉強道具や書類をカバンに詰め始める。
「で、何があったんです? このごろはやっと広瀬さんにも体を触らせるようになったと思いましたけれど。また彼女が暴れだしました?」
「そんなことないよ? 十凪ちゃん、このごろは食事はちゃんと食べてるし、ぐっすり眠れるようになったし『外に出たい』って言うくらい元気になってきたし」
「……で、問題があるのですか?」
「うん、その……不安なんだ」
 広瀬が不安などという単語を使うのは珍しい。逆に雪坂が不安を覚えそうになる。
「不安ですか? 確かにあの人どこか恐ろしい部分もありますけれど、広瀬さんに危害を加えるような悪人ではないでしょう?」
 そこで、
「うん」
 何の抵抗もなくそう答える広瀬にも不安を感じるが、話の腰を折る時間もなかったので、続ける。
「急いでいるんです。言いたいことはさっさと言ってください」


「十凪ちゃん、何か隠しているみたいなの」

「隠す? 何を今更。彼女がワケアリなのわかってて匿っているんでしょう」
「なんだか、このごろ変なの。うん。確かに人を寄せ付けないところはあったけれど、ここ三日くらい、何か違うの。なんて言うのかな……、諦めている、って言うか、今までは近寄らせない、って雰囲気があったんだけれど、今は……もう関係なくて、今にも死のうとしてる顔なの」


 今にも死にそうな顔?


 そういう言語表現に、誇張がつくような女ではない。ならば、思いつめているという点では、きっとそうなのだろう。
「私、でも何も聞けなくて、どうすればいいのかわからなくて」
 どうやら、広瀬自身もかなり根積めているらしい。
 雪坂は、その辛そうな彼女の表情を見て決めた。
「あの、そろそろ言った方がいいと思ってたのですが、広瀬さん。警察に連絡しませんか?」

「駄目だよ」
「何故です? 彼女が何かしらの事件に巻き込まれているのなら、もし本当に彼女が思い詰めているのなら、もう俺達の出る幕じゃない。何度も言いますけれど、あなた理由もわからず血だらけになっていた女の子を二週間も匿っているんですよ? それがどれだけ危険なことかはわかっているでしょう」

「駄目なんだよ」

「何故です。こんな中途半端な状態にしていたら、最悪俺はあなたを守りきれない」

「だからって、あんな悲しそうな顔をしてる人を、放っておけるわけないじゃないっ!」
 広瀬が、雪坂相手に声を荒げたのは、これで二度目だった。
「……ごめんね、大きな声出しちゃって」
 内心の動揺を隠すように、大きく息をついて、
「別にいいですよ。広瀬さんがそうしたいって言うのなら、黙ってもいるし手助けだってしてあげますよ。まったく」

 そうして、
「とりあえず、俺はもう行きますから、先に帰っておいてください。どんなに遅くても、俺も行くから、これからのことは三人で考えましょう」
 広瀬に背を向け、出入り口に向かって歩き出す。
「あの、雪坂君」
 その背に、少し力の無い声がかかった。
「なんです? 広瀬さん」
「雪坂君は、どうして私に手を貸してくれるの?」

 雪坂は振り返った。
「友達だから、じゃあ不満ですか?」
 広瀬は何も言わず、ただ首を横に振った。
「じゃあ、ちょっと行ってきますね」
 雪坂は戸を開けた。





 十四日が過ぎた。
 雪坂が葬儀に出席するのはこれで、何度目か。
 十凪が現れて、広瀬に匿われて、十四日が過ぎて、
 これで三度目になる。
 いくら治安の悪い国だからと言って、こんな小さな町の、同じ学校の生徒が一ヶ月の間に三人も亡くなるなんてことは、おかしい。
 それに、これは個人的に調べておいたのだが、家に帰っていない消息が確認できくなっている生徒は、すでに十名を越えており、流れを考えたら……。

 十数名の犠牲者    三人の魔法使い


 その言葉が、繋がってしまう。
 そして、

 倒れていた魔法使い   子供達の殺害

 二つの言葉もまた、繋がる。
 きっと、そうなのだと思う。

 おそらく、福岡から逃げてきた魔法使いというのは、誰だったか名前を忘れてしまったが、あの刑事の言っていた魔法使いと同じなのだろう。
 ならば、これは連続殺人事件で、その犯人の第一容疑者が誰なのか。

 判り易い。

 それにあの間が抜けているようで芯の強い広瀬が声を荒げたことも少しショックがあった。おそらく、十凪の動揺と言うものがかなり激しいのだろう。その不安を感じ取り広瀬もまた……。
 おそらく、この近いうちに、決着がつく。そんな気がした。


 そこまで考えていると、自転車は葬儀場に着いた。そこではすでに亡くなった生徒の同級生たちが並んでいて、雪坂の到着を待っているかのような状況だった。
「遅いぞ、会長」
 副会長が手招きしている。
「すみません、遅れました」
 頭をぺこりと下げた。
「副会長。俺の仕事はなんですか?」
「面倒なことはオレがやっておいた。お前の仕事は特になしだ。とりあえず、今日は神妙な顔で隅っこにでも座ってろ」
 無愛想で、不謹慎だが有能な副会長の指示に従い、雪坂は自分の座席を探す。どうやら彼自身の仕事も終わったらしく副会長は雪坂のあとをついて歩いた。話し相手がいなかったのか、堰を切ったように話し出す。
「でも、どうしたんだろうな。今月三人目だぜ? 記録を調べてみたけど、こんなに生徒会長が忙しいときなんて無かったぞ。しかも死んだ三人が三人共同じような死に方だって言うし。どういう風になっているのかは聞けなかったけれど、どうも変らしいんだ。噂だと、『魔法』なんじゃないのか、って言われている。もしかしたら、福岡で逃げた魔法使いと何か関係があるのかな」
「副会長」
 普段ならそこで言葉を慎むように言うところだが、その時の雪坂の頭の中にあったのは、一つの疑問。
「その、逃亡した魔法使いの名前、知ってますか?」
「……いや、知らない」
「そう、ですか」


「お久しぶりです」
 声をかけられた。
 久しぶりというには、まだそれほどの時間は経っていない気がする。
「刑事さん」
「こんにちは、雪坂さん」
 それは二週間前、すべての始まりの日に現れた、あの刑事。名前は……
「お久しぶりです。え、と」
「西岡です」
 事情を察してか自己紹介を行う。
「ここで喋るのもなんなので」
「はい。出ましょうか……、副会長、ちょっと出ます、後任せていいですか?」
「ああ、いいけど……その人警察か? また、広瀬さんのことか?」
「いいえ」
 きっぱりと言った。
「全然違うことですよ」
 そうして立ち去る二人を、副会長は見送った。



「どうです? 何かありましたか?」
 前置きも無くそんな質問をするところに、無用心さを感じるが、雪坂はいつも通りの口調である。
「いえ、期待されるようなことは何も起こりませんでした。残念ながら、というかこちらとしては喜ばしいことになんの支障も無い感じです」
「それはよかった。皮肉になっちゃいますが、我々にとっても問題が起きていないことは何よりもうれしい。やはり平和が一番ですからね……ところで」
 やはり、今度も前置きは無かった。
「この町で、変な人物を見たという話を聞きませんでしたか?」
「いえ、全くそういう話は」
「なら、この町で変わっているという評判のある方は?」
 心臓が、跳ね上がった。
「変わっている人? そりゃこんな小さな町でも色々いますよ。俺には誰だって個性的に見えますけれど」
「人付き合いがなかったり、魔法使いが取って代わっても誰も気付かない。もしくは魔法使いを匿うような方に心当たりはありませんか?」
 何が言いたいのかわかってきた。
「我々が二週間もかけて捜査しながら、全く情報が無い。ここだけの話ですが、その魔法使いは手傷を逃走の際に手傷を負っているのですよ。必ずどこかで治療をおこなうでしょうが」
「魔法使いなんだから、自分で治せるんじゃないんですか?」
「『魔法』は、自分にかけることは不可能なんだそうですよ」

「雪坂さん、あなたこのごろ須賀川薬局で包帯を定期的に買っているそうですが、何かあったのですか?」

 かなり、深いところまで推測が着ていた。
 だが、その程度で狼狽するような、雪坂炎ではない。

「刑事さんこそ、俺に何かを隠してませんか?」
 何か興味ありげに、西岡は首を傾げる。
「この町にいる魔法使いって、二週間前に逃げた魔法使いと何か関係があるんですか」
 それも予測のうちか、
「お見通しですか」
 笑うだけである。
「ええ、そうです。三人の魔法使いの内の一人。この連続生徒殺人事件の容疑者。名前は、笠島十凪。おそらく明日にでも指名手配されるのではないでしょうか。もし、見つけたなら、『すぐにとは言いませんが、私に連絡をいただけませんか?』」

 何を言いたいのか、よくわかった。つまり、この人は雪坂炎が何を隠しているのか、知っているのだ。

「あと、先ほど話題に上がっていた、広瀬罪雛さんのことですが、大分仲のよろしい方のようですね」

 そして、広瀬罪雛の家に何がいるのかも。

 
「もう一つ聞いていいですか?」
 雪坂は、観念したように、確かめた。
「この町の殺人の犯人は、本当にその、笠島とか言う人なんですか?」
「おそらく」
 しかし断定するような重さの言葉だった。
「用事を思い出しました。失礼します」

 下手なあしらい方だったが、仕方が無い。

 雪坂は、走った。










 
「私、ここを出て行くわ」
 同時刻。広瀬が家に帰って、自分の部屋に戻り、髪を結わえなおしたところで。まず第一に聞いた言葉がそれだった。
「どうしたのいきなり」
 十凪に詰め寄る。もう包帯も必要なくなり、サイズが一緒だった広瀬のフリフリしたのだがを着ている。その視線は、最初の方の、広瀬の首を絞めたころのものと似通っている。そんな彼女が、突然切り出した言葉がそれ。
「いきなりも何も無いわ。私はただ流れ着いてあなたの世話になった。それだけよ。元々ここにいる人間でもなければ人間でさえない。またいつも通りの生活に戻るだけよ」
「なんで? ここにいていいんだよ?」
「ここにいたくないから出ていくのよ。第一あなたこそなんで私を引き止めるの? 得体の知れないものを親にも内緒で隠し通せ続けると思うの?」
 広瀬はできるだけ笑顔を作って
「大丈夫だよ、私のお父さんとお母さん、私には興味がないから」
 苦々しげな口をして、十凪はそれでも続ける。
「だから、ってあなたが私に何かする謂れなんて無いのよ? そういう理由の無い善意を受け取るわけにはいかないの」
「だって、私達友達でしょ?」
「ふざけないで、私とあんたが友達?」

 その言葉に、広瀬はびくり、と震えた。
「私はあなたを利用しているだけ。あなたに世話をさせてあげてるだけよ。雪坂、彼が何を言ったのか知らないけれど、
馴れ馴れしくしないで」
 立ち去ろうとする十凪に、広瀬は裾を掴む。
「駄目、今ね。町には怖い人がいるんだよ」
「怖い人?」
「うん。今町でね、私達と同じ年の子が何人も殺されてるの。犯人はまだ捕まっていないし雪坂君が教えてくれたんだけど、犯人は魔法使いかもしれないって。だから、まだ、ここら辺がまた前くらいに安全になるまで、いていいんだよ」
「私がその犯人だと思わないのかしら?」
「だって、そんなこと十凪ちゃんはしないよ」

 そして、怒ったような引きつった顔を見せて、
「すごく、死にたいって目をしてるもの。昔の雪坂君みたいな目。私、放っておけないよ」

「やめて」


「だって、だって」

「うるさい」


 服の裾を掴む彼女を突き飛ばした。
 床に体をぶつける広瀬。けれど、痛そうにしても、なのに、十凪に対する悪意がどうしてもこない。あるのは、何かを失ってしまいそうなことに怯える、子供の目。
「教えてあげましょうか? あの福岡から逃げてきた魔法使いって言うのはね。笠島十凪って言うの。生まれたときから魔法を使えることを隠し続けて、でもばれてしまって逃げてきた、笠島十凪って言うのよ!」
「知ってるよ」
「九人の人間を殺して、この町でさらに殺人を続けている、あなたの学校の人たちに関係している魔女なのよ!」

「うん、わかってる。十凪ちゃんが辛そうな顔をしたのは、雪坂くんがお葬式の話をしてからだもんね」
 
 何故、何故そこまで知っている。

 それを、疑問に思うよりも、もっと大きな感情が、胃の奥からこみ上げる。

「ねえ、どうして私のこと嫌ってくれないの?」
「友達だからって答えじゃ不満?」

 何なのだ。何なのだこの人間は。
 広瀬罪雛、雪坂炎。

 こいつらは、一体何なのだ。
 何かがおかしい。
 何かが違う。

 自分が殺してしまった人間とも、
 自分を傷つけた人間とも、

 どうしてこうも違うのだ。

「ねえ、十凪ちゃん聞いていい? このごろの十凪ちゃんは何か思いつめているよね。それまでと違って、この町で人がしに始めてから、何かを悩んでいたよね。だから私は十凪ちゃんが犯人じゃないと思ってるんだ。何を隠してるの? 私でよければなんでも力になるよ? もし、差支えが無かったら……聞いていいかな?」

「それは……」
 だが、言えなかった。
 言える様なことではなかったし、何より、言える状況でなかった。








 その時、その部屋の屋根の上。上空。
 その時、空に何かがいた。

 形容できない形をしていた。
 それは巨大な鳥だった。
 しかし、鳥というには、それは大きすぎる。
 生物としてのバランスを崩した大きさ。八メートルの怪鳥がいる。

 それが、広瀬の部屋、むしろ笠島十凪をめがけて急降下するのと、十凪がそれに気付くのは同時のことだった。

「来る……。危ないっ」
 十凪は広瀬を突き飛ばし窓に向かって走り出す。鍵を開け、外へ出る。
 一体何日ぶりだろう、外の空気。そこに心地よさを感じる暇も無く、気配の元を探す。
 
 そして、いた。真上に、その巨大な翼を発見して
「使い魔……」

 そう漏らした後、十凪は天に手をかざす。その手の延長線上にいる、その巨大な鳥の化け物に向かって、『標準』を定める

「産まれろ、飢餓月っ!」
 手の甲の疵口から、大量の霧が噴出す。

 方向性を持って拡散することなく上空に噴出される霧。
 それはわずかな時間の後、すぐに巨大な鳥を包み込み、形を持ち始め、蛇になった。
それも、どこか生物学的にはおかしな形をしていた。

 広瀬の家の上空で、
 羽毛の無い鳥と、紅色の蛇が絡み合い、戦っていた。

「殺せ、飢餓月っ」
 
 名を呼ばれた蛇はそれに応えるようにしゃーと叫び、鳥を締め付ける。

 そして、その戦いを見届けている、十凪。



 その背後で、怯えていた。
 広瀬は、怯えていた。
 何が起きたのかはわからない。わかるのは、突き飛ばされて、気が付いたら屋根の上からおかしな奇声と嬌声、そして「殺せ」と叫ぶ一人の魔女の姿。
 魔法使いは振り向いた。
「大丈夫?」
 こちらに近付き、手を差し出す。
「平気?」
 そして、その手をとろうとして、
「ひっ……」
 広瀬は後ずさった。その手から逃げた。

 十凪の動きが、一瞬止まる。けれど、それほどショックは受けなかった。
 それはそうだろう。おそらくは生まれて初めて見た『魔法』、そして、魔法の反動で皮膚が裂けた自分の右手。その手から流れる血液が床に垂れて……。
 怖くたって仕方が無い。それは、せめても仕方ないし、うらめるはずもない。

『くぎゃあ』

 鳥の叫び声。

 慌てて窓から顔を出し、空を確認する。

 東の空に向かい、逃げてゆく鳥の姿が見える。
「逃がすものか」
 動き出そうとして、放置していた広瀬のことを思い出す。
 もう一度振り返ると、どうしていいのかわからない、という風な広瀬がいた。
 ただ、彼女には感謝と親愛の気持ちしかなかった。

 震えるままの少女に、片腕から血を流す魔法使いは先ほどの質問の答えを言った。
「広瀬さん、私はね、福岡で同級生を殺したの。でもね、それからここまで逃げるまで、この町に来てから、あなたに助けられてからは誰も殺してなんかいないよ。きっと、犯人は別の魔法使い。今、私を狙って来たのも、その魔法使い。これ以上あなたに迷惑をかけられないから、私行くわ。色々とありがとう。……私、これでもし死んでしまっても、多分平気。雪坂さんにも、よろしくね」

 窓から、飛び降りた。










「何がどうなってこういう展開なんですかね」
 雪坂がやっと辿り着くと、部屋の中には一人の女の子がいた。

 白いフリフリのシャツと黒いスカート。赤いリボン。いつも通りの格好の広瀬がそこにいた。
 いつものように怒ったような引きつった顔、もとい、今にも泣き出してしまいそうなのを必死にこらえた顔で、広瀬は雪坂にすがる。
「どうしよう。私、十凪ちゃんの友達だって言ったのに……、避けちゃった。やっと私のこと、許してくれたのに……十凪ちゃんが魔法使っただけなのに、血を流してる十凪ちゃん見て……どうしよう。私、私、私、私、私」

 そこには、もう十凪の姿はない。
「やれやれ、あなた本当に発言ずれてますよね」

 開け放されたままの窓を閉め、鍵をかける。
「これでよかったんですよ。彼女、殺人犯なんだから」
「違うよ。十凪ちゃんは、人を殺してないよ。十凪ちゃん、一度もこの部屋を出てないもん。それに、十凪ちゃん言ってたもん、犯人は、別の魔法使いだって。今、私のこと守ってくれたんだよ」

 守った?
「つまり、あなた狙われたんですか」

「違うよ、酷い目に合わされたのは、十凪ちゃんだよ、お願い、雪坂君、十凪ちゃんを探すの手伝って」
「手伝えったって、……もう夕方ですよ? あなたこの時間帯に外に出るのはまずいでしょう」
「だって、だって」
 このままでは、彼女は一人でも外に出るだろう。それだけは、なんとかしないと。
「はいはい、わかりましたよ。ま、十凪さんも私の友達ですからね。引っ張って帰ってきて上げますよ。とりあえず、広瀬さんは連絡係ですここにいてください。いいですね、外に出ようなんて考えないこと」
「ごめんね、広瀬君」
「今更ですよ」


 そして部屋を出ようとするが、雪坂はふと思ったことを訊いてみた。
「ちょっと聞かせてもらっていいですか?」

 顔をあげた広瀬に、訊いた。
「今でも、この段階でも、魔法使いと友達になれると、言えますか?」

 広瀬がしっかりと頷くのを見て、雪坂は広瀬宅を後にした。






 日は沈み、星の第一陣が夜に煌きだした。

 風は無いが、冷気は途切れず、カッターシャツ一枚の雪坂には難しい。

 しかし、そんなことは今はどうでもいい。

「魔法使い、か……」

 今の雪坂の命題は、ただ一つ。

 広瀬の望みを叶えること。

 広瀬罪雛へのラブソング。それ以外に、彼に必要なものはない


10 :akiyuki :2006/06/03(土) 12:21:57 ID:VJsFrmQG

十四日目・夜


 「私を狙った理由は何なの?」

 正体を確かめる必要もなかった。
 目の前に立っているその男が、笠島十凪は敵とわかるなら、それでよかった。
 それ以上相手のことを知りたくなかった。
 彼がすべての元凶、などという簡単な話ではないが、それでもかき回して話をややこしくしていたのは彼だから、十凪はその男が嫌いだった。


 あの日、六人の同級生を殺してしまった十凪。一目を避けて逃げていた彼女を突然襲った鳥の化物。その戦いの中なんとか川に飛び込んで逃げ切った。

 巨大な鳥の化物を連れた魔法使い。

 何者なのか。
 何故、自分を狙ったのか。
 
 それを知りたいのと同じくらいに、命を狙われる恐怖に怯え、震えていた。
 
 それから二週間。
 ついに見つかってしまった。もう、逃げられない。
 戦いを決意した十凪の前に、自分と広瀬を襲った使い魔の主は現れた。
 逃げも隠れもせずにそこにいて、十凪もまた逃げも隠れもせずに敵の目の前に現れた。

 見つかってしまったなら、逃げられない。十凪の逃げる意味はなくなった。
 襲われたということは、こちらの居場所が知られてしまったということで、その時点で十凪には二つの道しか残されなかったのだから。

 敵を殺す。
 敵に殺される。


 魔法使いとは、そういう生物である。





 舞台は小さな公園。町と呼ばれる景色の中に必ず現れる、平凡の象徴。
 時刻は、静かな夜。木々の呼吸さえ聞こえてしまいそうな静寂の空間。

 そこに笠島十凪はいた。
 福岡で同級生六名を殺害し、この埼玉まで人目を避けて逃げてきた。そして警察に追われ、酷い傷を負ったところを、二人の人間に助けられた、体のあちこちに包帯を巻いた少女が、広場の真ん中に立っていた。
 すべてを覚悟した決戦の眼差しで、自分より後からやってきた、その男をにらみつけた。
「何故、関係の無い人を殺したの?」
 十凪はまずそれを聞いた。
 検問を突破し、本州まで逃げてきた自分を執拗に追い狙ってきた、その男。自分と同じ魔法使いということまではわかっていたが、姿を見せず、ただ使い魔だけを放ってきたその男が、目の前に、いた。だから、十凪は一番聞かなければならない質問をする。
「私の命を狙うだけなら、いくらでも方法はあったはずよ。私があなたに襲われて怪我をして、この町に逃げ込んだのがわかっているなら、普通に探し出せるはずでしょ? なのに、どうして関係のない町の人を殺したの」
 そう、土居町で、十凪は人を殺してはいなかった。
 そもそも生まれて初めて魔法が使えたのも、一ヶ月前、同級生六人に対して。初めて魔法を使って以来、彼女はそれで人を傷つけたことは何度もあるが、命まで奪うことなんて、一度もなかったのだ。
 だから、何故目の前の男が町の人々に危害を加えたのか、本当に理解ができない。

 けれど男は、十凪の質問に簡単に答えた。
「理由は簡単。こうすれば、戒厳令が敷かれ我々の行動は人目に付きにくくなる。もう一つは私の使い魔はすぐに腹が減る。魔法には『生け贄』が必要なのですよ。そして最も大事なことは、魔法使いの新人であるあなたを引っ張り出すには、これほど効果的な演出はないでしょう?」
 十凪を激昂させるには十分なセリフだが、彼女をわざと怒らせる為に言っていることは明白で、そんな挑発にのるくらいなら、決着をつけるために安全な広瀬の家を飛び出したりはしなかった。
「趣味の悪い冗談は好きじゃないわ」
「ええ、そんなものは誰でも好みません。私は本当のことしか言っていませんよ」
 初めて聞いた敵の声は、それほど悪いものではなかった。しかし……
「なおさらに悪趣味ね」
 舌戦に応じるが、目の前の男は少しも動じるというか、何か反応を見せない。どうとでも言えというように。
「あなた、どうして私を襲ったの?」
 すり足で、距離を気付かれない程度に近づける。いつでも飛びかかれるように、重心を下に持っていって。
「あなたを、私の配下にしたかったのですよ」
「ふざけないで」
「いいえ、残念ながら本気です。私、冗談嫌いなんですよ」
「本気なら、なおさらおかしいわ。こんなことをするあなたとつるむわけないでしょう」
「しかし、あなたに選択の自由など残されていますか?」
「あるわよ。あなたが死ねば、また最初からだもの」



 夜が凪ぎ、何かが啼いた。


「あなたの願いは、一生叶わない」
 魔女は、再び疵口を敵に向け、召喚の呪文を唱えた。
「産まれろ飢餓月っ(きがつき)!!」
 その言葉とともに右手甲にできた傷口から赤い霧が産まれ、十凪の背後を包み込む。そしてその霧は流動を続け、いつしか渦を巻き、そして形を持ち始める。
 巨大な、紅の蛇。
 笠島十凪の魔法である。

 目の前の男は、その光景に何の驚きも見せず、己の右手を持ち上げる。そして、淡々とした声を外に吐き出した。
「叫べ怨階(おんかい)……」
 その言葉とともに男の影が盛り上がる。それは厚みをもちまるで一個の生物であるかのように動き始め、膨張を止めず、気が付けば人の形さえせず、色が付き、叫び声を上げるようになる。
 羽毛の無い、巨大な鳥。
 それが男の魔法であった。

 男の魔法。そのあまりの強大さに恐れを抱きそうになるが、精神面で屈服することはできない。魔法使いにとって、内面からの敗北を認めることは、相手に操られることに繋がる。心を奮い立たせるために、その巨大な鳥に今までされた仕打ちを思い出す。
 逃げる最中に襲われること三度。その度に怪我を負っていた十凪。何故執拗に彼女を狙うのかはわからない。命を奪いたいのか、本人の言うように自分を屈服させ仲間にするつもりなのか、それとも別の理由があるのか。どれにしろ、十凪の思うところは一つである。そう、
「私は関係の無い人を巻き込んだあなたを許せない」
「それはまた何故です。関係の無い人を巻き込んだ『だけ』でしょう?」


 怒ってはいけない。

 そうは思っても、もう我慢ができなかった。胃の下辺りからこみ上げてくる何か真っ赤で熱いものが体の中心を通って頭の中に流れ込む。そしてその感情、怒りは彼女の意思を媒介に魔獣へと伝わった。
「殺せ飢餓月っ!」
「飛べ怨階」

 蛇が鳥に飛びつくのと、鳥が蛇を鉤爪で掴むのは同時だった。

『クギャア』

 ただ、鳥の声だけが空に響く。

 使い魔同士が戦うことで、再び十凪と男の間には、何もなくなった。
 ただ、対峙するはずもなく、魔法の戦いは続く。


『全て終われ、塵の向こうの赤い爪、すべてを掻き切る腐敗の獣!』
 十凪の周りを、傷口から噴出される霧が囲む。
『慈しみを捨て笑みを授け 悲しみを屠り歓声を建てる 六獄道化の演舞は続く……』
 目の前の男の、周りを風が包む。

 十凪は前に向かって走り出す。目指すは男の心臓。風を纏った男の空間に霧と共に突入した。風と霧。二人の魔法がぶつかった瞬間、激しい火花が散るが、相克しあい二人は無傷である。そして風の結界を通り抜けて、十凪は一気に間合いを詰めていた。
 距離、一メートル。
 その突貫に、それでも男は動じない。魔法使いの弱点である、呪文を唱えるまでの『間』。オーソドックスではあるが、最も効果的な方法。魔法を使う前に倒す。それを十凪は実行していた。
 もちろん、それだけでは勝てないだろう。そう、以前。広瀬たちに助けられた川の上流で、自分は目の前の男に同じ戦法を使い、敗れている。
「今度は、こちらが攻撃を行う前に決着をつける気ですか……しかし遅い」
 男は、そのときと同じ行動を行った。
 男は懐から、『それ』を取り出した。
 その黒い塊を見たとき、十凪はあっけにとられて、反応が出来なかった。なんでそんなものがあるのかわからなくて、簡単に撃たれてしまった。右手の甲に穴を空けられた。
 
 でも今は違う。今は知っている。目の前の男は、拳銃を持っていることを。

「やあっ!!!」 
 十凪は隠し持っていた、広瀬の家で匿われていた時に手に入れておいた包丁を男の右手に、自分がされたのと同じ場所に突き刺した。

 手に嫌な感触が伝わり、うめく男の声と共に拳銃が地面に落ちた。
 

『ぐギャあ』

 使い魔も、術者のダメージを受け取ったのか、悲鳴を上げて中空でのた打ち回る。
 チャンスとばかりに締め上げる蛇。

 今しかない。初めて人を刺した感覚に頭が混乱していたが、まだ戦いは終わっていないのだ。十凪は男の落とした拳銃を拾った。それは逃走の途中気絶させたお巡りさんのものと同じ銃だった。確か、ニューナンプだったろうか。
 まあ、今はそんなことどうでもい。必要なのは、これを、男に向かって撃つ事なのだから。
 撃鉄の起こし方は知っている。標準の定め方も解っている。引き金の引き方も理解している。


 撃てるのか?



「切り刻め、恨階」

 男が、左手を十凪に向けていた。
「え……?」
 男に銃を向けたまま固まっていた十凪は、何が起きたのかわからなかった。

 気が付いたら、自分の両手首から先とニューナンプが宙を舞っていて、そう、自分は腕を切断されていて、巨大な鳥に地面に押し付けられていた。
 しかし、何故?使い魔は、鳥は、怨階は、今自分の飢餓月が抑えているのでは?
 こんなときに限って、十凪は冷静だった。
「もしかして、二匹いたの?」

 魔法使いと戦ったことがない彼女は使い魔が一匹しかいないと、思っていた。


 十凪は慌てて治癒呪文を唱える。体を治すことはできないが、せめて両手からの出血を止めなければならない。激痛に体を苛まれながらも必死に叫んだ。
 けれど、何も起こらない。
 そう、彼女の魔法の源である、手の甲の傷口は、六メートル先のジャングルジムの向こうに飛んでいってしまったのだから。それでも、他に出来ることが無いから、必死に呪文を唱える。けれど、何も起こらない、ただ、赤い血が地面を浸していく。
 目の前の男はそれを悠々と見ていた。自分も刺されたところを治すため治療呪文を唱えながら、ゆっくりと十凪に近付いて、そして聞いた。
「最後の通告ですよ。どうします? 私と共に来ませんか? そうすれば苦しまなくてすみますし、おそらく今までよりも良い生活が出来ますよ。この一ヶ月、苦しみぬいたあなたなら、私の提案がとても魅力的だと思うのですが」
 十凪には、わからなかった。
 こうまでして、結局この男の目的がわからなかった。目の前の男は、自分よりもずっと強く、人を殺すことをなんとも思っていない。なのに、どうして自分を仲間にしたいと言うのか? 一体、どうして?
 その疑問を感じ取ったのか、男は続けた。
「魔法使いと人間は同じ生物ではありません。共存などできないのですよ。私が人間社会の中で魔法を隠して生きているのは、そうしなければ生きていけないからですよ。あなたもわかるでしょう。もう、魔法使いということを隠して生きていくしかないことは。あなたが魔法を使ったきっかけはなんですか? 六人の同級生に、何をされそうになって殺意を覚えたのです? いいですか? 人間が魔法使いを恐れるのは、我々が『上』だからですよ。これは自尊でも、卑下でもなく、我々はどうしようもなく、人間よりも『上』なのです。だから責められる……。私と来なさい。そうすれば、その傷も治して差し上げますし、まっとうな魔法使いの生き方も教えられる」





 十凪は、少し考えた。そして思った。

 ああ、そうか。

 この人は、寂しかったんだ。

 仲間が欲しかったんだ。自分と同じ、人間でないモノの仲間が。

 その気持ちはわかる。
 あの日、自分を人気の少ない校舎裏に連れ込んだ六人の男子高校生が自分にしようとしたことを許す気はないし、そのときに怪我した右手から産まれた殺意の具現、『飢餓月』がその場にいた全員を絞め殺したことでさえ、自分は悪だと思っていない。それから先多くの人々に追われ、逃亡者として生活したことを恨むことも無い。
 受け入れられない現実の恐怖。それのみがあった。それだけが、

逃げる最中も、追われている時も、戦っているときも、食べ物を盗んだ時も、公衆電話から家族に電話をかけようとした時も、夜の闇の中で震えていた時も、そこにあったのは恐怖だけだった。
 自分の人生を狂わせたものへの、圧倒的な恐怖。
 何か、ゴールが欲しかった。あがいた後に、何か残っていて欲しかった。
 昨日までの十凪なら、男の要求を呑んだはずだ。けれど、けれど。

 けれど、彼女の恐怖を癒してくれる人がいた。
 たとえ、こんな危害を加えるような相手でも、傷つけるようなことばかり言う女にも、心の底から信じて、救いたいと思ってくれる人に、出会ってしまったのだ。
 今になってやっと、彼女のことを好きなのだと気付いたのだ。
 それは、同じ魔法使いではなく、ただの人間だった。

「私はあなたとは違うみたい」

 十凪は己の生殺与奪を握る相手に、答えた。


「人として、生きていきたい」



 目の前の男は、その答えを聞いて、とりたてて悲しみも憤りもしなかった。まるで頓着もなく、
「そうですか、ならいいですよ。替えが利きますから」
 後悔は無い。
「消せ、恨階」
 そして自分を掴む巨大な黒鳥が十凪の眼を刳り貫こうとしたその時、一つの疑問が生じた。
 替え? 魔法使いに代替があるというのか?
 
 黒い鳥が、十凪を襲う。
 その時、十凪は知らなかった。
 この町には、三人の魔法使いがいる。ということを。

 もう一人の魔法使いが、いるということを。

 そして、その少年がどれだけ恐ろしい魔法使いなのかも。





「誰かがお前の殲滅を望んでいる
 誰もがお前の殲滅を望んでいる

 希望と退廃の中間にある何も無い塚
 善と悪の狭間にある夢

 幻想の坂を登れ  姿を現せ 落魂」


 どこからともなく聞こえた呪文の後、十凪にのしかかっていた使い魔、恨階の首が飛んだ。


 不意を打った登場に、場が静まり返った。
 ひっくり返り、のたうちまわる男の使い魔の音だけが、あった。

 公園の入り口に立っていた、少年。その服装から、学生であることがわかる。私服登校の許される土居中学校ではあるが、学ランを着ている生徒も何人かいる。だから、わかる。
 少年の右腕が、陽炎を纏っていた。

 魔法のように現れて、黒鳥の首を刎ねた蒼い犬を従えて。


「なっ……」
「ぐおおおおおおお」
 十凪の驚きの声が上がるよりも前に、犬の叫びが空を揺らす。
「行け、恨階……」
 しかし、魔法使いの使い魔が、首を刎ねられたくらいで死ぬはずが無い。地面に倒れていた恨階は命令を受けるやいなや動きを止め、立ち上がり、標的を十凪から少年へと変えて、少年を殺すために突撃を慣行し
 しかしそれは間に合わない。
「斬れ 落魂(らっこん)」
 少年の命令と共に、蒼い犬落魂は跳び、鳥の体を分断し、飼い主の元に戻った。
「なっ……」
 十凪は、また言葉を失った。
 しかし魔法使いは動じない。彼にはもう一つの使い魔がいるのだから
「行け、怨階」「消し去れ 落魂」
 驚愕が、間に合わない。

 蒼い犬は、現れた第三の魔法使いは、何のためらいも無く十凪の使いまである蛇の絡みついた鳥を、十凪の使い魔ごと、裂いた。


 その瞬間、十凪の両腕からの出血が勢いを増した。
「ああああああああああああ」
 使い魔の破壊と共に体の中心を走る衝撃。十凪は叫んだ。魔法使いが最も恐れる使い魔の破壊による、内面へのダメージ。


 しかし、その叫びも、ただのBGMにしかならない。第二幕は、とっくにあがっているのだから。
「まさかあなたとは思いませんでした」
 男は少年に言った。少年は目の前の男に答えた。
「嘘ですね。俺に聞いたでしょう、半年前に俺が何に巻き込まれたのかって。俺がこの町に来たのが一ヶ月前なの、最初からわかってて言ったんでしょう。半年前に転校してきた人間なんて、この町にはいませんから。……本当、あなたの言ったとおりですね。魔法使いの一人は、『子供』で、魔法を使って『その学校の本当の生徒であるかのように』ふるまうと」

 魔法を使えば、人の記憶を捏造したり、その学校の生徒会長になったみたり、なんだってできる。

「あなたも、そのクチじゃないのですか?」
「私はちゃんと試験を受けて採用されましたよ? 一応、社会的な身分はもたないと大人はやっていけませんから」
「なるほど」

 十凪の激痛の悲鳴が響く公園に、青年と男が対峙する。
 約束されていたように、集まってしまった。
 三人の魔法使いが、集まってしまった。
 
 なんのことはない。何も知らなかったのは十凪だけで、残る二人は、最初から何もかもわかっていたのだ。
「なるほど、十凪さんを心身共に追い詰め自分の配下とするつもりでしたか。古典的ですが、わかりやすい理由です。今時一人で生きていける魔法使いはいませんからね」
 少年もまた、世間話でもするような口調だった。
「ねえ……ええと」
 察してくれたのか、目の前の男は言ってくれた。
「西岡です」
「ああ、すいません。俺人の名前憶えるのが苦手で」

 埼玉県警刑事である魔法使い、西岡は彼に三度目の自己紹介を行った。

「社会的地位を持ちながら野心を持つなんて、欲張りな人ですね、刑事さん」
 今度は、西岡も返す。
「こうまで上手くカモフラージュしておきながら他の魔法使いを助けるために現れるなんてらしくないですね、私が君の縄張りに入ったのが、そんなに不服ですか?」


「違いますよ」

 笑った。

 おそらく、彼は怒ることはないだろう。自分とは違うのだ。彼は魔法使いなのだから。
「俺がしたいのは、ただの報復です。あなたが他人関係なく巻き込もうとした広瀬さんの報復。広瀬さんを泣かせるような真似を続けることへの報復。広瀬さんを脅迫の材料に使い命を奪おうとしたことへの報復」

 人を笑いながら殺せる、人間では亡い者。

「悪いですけれど、二人とも死んでもらいますよ。俺が魔法使いであること、知ってもらっては面倒なので」


 魔法使い 雪坂炎

 それが少年の名前だった。


 風はいまだ凪いだままで、夜の公園を演出するブランコの軋みも、月の薄明かりも、犬の遠吠えも、夜の肌切る冷たさも、何もなかった。
 ただ、三人を照らす電灯の心細い光だけが、すべてだった。

「さて、種明かしもすんだところで、戦いを再開しましょうか、西岡さん」
 雪坂は右手を持ち上げる。
「いえ、戦いはまだ始まっていませんよ、雪坂さん」
 西岡もまた、左手を上げて少年を制止した。
 そして、説得するような、会話を始めた。

「私はあなたと争うつもりはありません。この少女を殺すのは、私と彼女の『交渉』の結果がそうなってしまったからで、使い魔同士をぶつけあったのは、とっさの事故です。あなたに横から出された剣を弾いただけ。まず私にはあなたへの敵意が無いことを察してください」
 西岡は、自分よりもはるかに年下であるだろう雪坂に誠意を畏敬を込めた言葉を綴った。それは先の十凪との戦いに於いても同じであった。少なくとも、魔法使い・西岡は相手を軽く見ることはしない。
「はい、それはわかります」
 雪坂も、その点では同意した。
「むしろ、私はあなたに対して友好的であるつもりです。あくまで一般の生徒と出会うように接触し、それ以上の詮索はしてこなかった。あなたが彼女を匿っているのがわかったときも、まずあなたを説得しにかかったことからも、私が取り入ったり、命を脅かそうとしたりしているわけでないことは、おわかりのはずですよ?」
「ええ、それもよくわかっています」
 西岡は頷く。

「私の目的はただ二つ。あなたに、私との盟約を結んでもらうことと、私の敵になってしまった『そこのそれ』にとどめを刺すこと」

 全身が痛み、突然の場面の転換に放心していた十凪の心に、再びおぞけが走る。
 そうだった。自分の命の危険は、少しも過ぎ去ってはいなかった。
 そうだった。雪坂は、自分を助けに来たとは言っていない。それはむしろ逆で、彼は言ったのだ。

「雪坂さん、口封じの為に私と彼女を殺すというのは、考え直されたほうがいい。ここで魔法使いがやりあうのは、ちと人が多過ぎる。それは賢くはない」
 雪坂は、西岡の要求を聞いた。
「じゃあ、その賢い方法というのは?」
「先ほども言った通り、私と手を組むことです」
 簡潔に言った。
「福岡での殺人事件、その犯人となっていて、しかも魔法使い。どこでどんな死体で現れても、誰も疑問に思いません。しかも私は刑事だ。そういうことは本職です。上手く取り繕い、あなたの平穏な生活を保障します。あなたが望むのなら、彼女を助けたっていい。私だって同属を殺すのはいやだ。その時はその時で魔法を使えば済む話だ。いつも通りの生活をしてくださっていいし、なんなら私が新しい生活場所を斡旋してもいい。人を相手に戦ったって、かまいません。私と来ましょう。孤独であるのは、自分を真に理解できない人間たちの中にいるのは、あなただって辛いでしょう?」

 孤独というものは、本当に辛い。

 肉体的な痛みだって、十凪は何度も受けてきた。空腹の辛さも、裏切られる辛さも、人を傷つける辛さも、人を裏切る辛さも、何度も何度も受けてきた。

 けれど、一番耐えられなかったのは、話しかける他人がいなかったことだ。自分の心の内を誰にも見ようともされなかったことだ。「もしや自分には誰も必要としてくれる人がいないのではないか」という疑問が心の内に湧くことだった。魔法が使えて、使い魔を使い、火を起こし、寿命を延ばす。けれど、それは自分の心を埋めてはくれなかった。
 だから、たとえ自分の敵である西岡でさえ、手を差し伸ばしてくれるなら……

 そう、思ったりもした。

 それは正しいとか悪いとかを超えたところの問題で、十凪は、本当に誰かにいて欲しかった。

 だから、わかる。

 その誰かに出会ってしまった十凪には、わかる。
 
 その誰かを持っている雪坂炎は、揺るいだりはしない。


 雪坂は手で西岡をさえぎるようにして、返事をした。
「いくつか訂正があります。まず俺は他人に理解されないことを辛いと思ったことはありません。人間には言葉があります。だから意思表示ができる。けれど言葉は完全ではない。すぐに色んなものを囲って、対立させてしまう。それが法律や倫理、犯罪や正義などの方向性を作り上げるわけで、基本的にみんな何が正しくて何が悪いかの基準なんて、違うはずです。誰だって自分が正しいと思って生活しているわけで、その中でエゴがぶつかり合うのは当たり前のこと、ましてや魔法使いと人間です。争わないで済むはずもない。他人に理解されないのは、当たり前です。問題は、他人を理解しようとしないことでしょう?魔法使いを理解しようとしない人間。人間を理解しようとしない魔法使い。その軋轢は、別に今更始まったわけではなくて、昔から色んなところであるものです。だから俺は人間を恨みません。俺は俺だし、あなたはあなただし、十凪さんは十凪さんなのだから……。それでも、俺は魔法使いのくせに人の中で生活することを選んだんです。今更魔法使いと手を組む気持ちはさらさらありません。それに俺の目的を聞いてもらっていませんね。俺がここに来たのは、ただ二人の戦いを止めさせるためです」

 西岡の体の周りを、風が覆う。先ほどの魔法較べで見せた、あの敵を倒すための魔法を準備していた。

「もう一つ言うなら、今の俺は孤独ではありません。俺にはちょっとばかし仲のよいお友達がいます。そこの血だらけのお嬢さんみたいにここに流れ着いてきて、もう死んでもいいと諦めていた俺を必死に匿ってくれて、泣き出しそうになるのを必死にこらえて俺を看病してくれた、可愛くて素敵な娘が。ただの人間のくせに、もう二人の魔法使いを手玉にとっている、リボンの女の子。俺には彼女さえいればいい」

 雪坂は、全く動じない。目の前が敵にあることも承知して、さらに続ける。

「その彼女が泣いて俺に頼むんです。十凪ちゃんを助けてって。俺は広瀬さんの願いをかなえるためなら、なんだってやります」

 十凪は、意識を失いつつあった。無理も無い。両腕を切断され、そこからあふれる出血を、止めることさえできていないのだ。

「俺とあなたは戦わなくてもいいでしょう。どちらも鞘におさめる準備はある。けれど、あなたと十凪さんには、もう引き合う場所は無い。十凪さんは何があってもあなたを殺そうとするだろうし、あなただっていつまでも自分の命を危険に晒すわけには行かない。そうなったとき、魔法使いにはどちらかが死ぬしか方法は無い。そして、俺がここにいる以上、笠島十凪が死ぬということをさせるわけにはいかない」


 最後の、雪坂の手前勝手で独善的な結論は、いとも簡単に口にされた。

「俺はね、あなたを殺しに来たんです、西岡さん」


 風が、吹いた。


 止まっていた時が動き出すように、風の音が響いた。夜の音が世界を包んだ。
 
「なるほど……」
 西岡はその言葉を聞いて得心したように頷き、そして言葉を紡いだ。
「結局、戦うしかないわけですか。ならば仕方が無い。少々無用心ですが、私もあなたとそこの笠島さんを、殺させてもらいます。そして、その広瀬さんに会って見ましょう。その方は、もしかしたら、私のことも癒してくれるかもしれない」

 駄目だ。
 十凪が立ち上がろうとする。
 目の前の男を、西岡を、会わせるわけにはいかない。
 彼女を、広瀬を、こんな男を遭わせるわけにはいかない。
 絶対に、命をかけて、この男を殺さなければ。
 無理に立ち上がろうとするが、それはもう半分体が死んでいる十凪には無理で、それはなんの意味もなさない。それに決着はついてしまっている。十凪では、西岡には勝てない。
 ここで、今舞台に立つのはただ二人。


「それともう一つ訂正です」
 役者の一人、雪坂は言った。
「俺達がここで戦うことはありませんよ。だって、俺とあなたには、そもそも『これ』を戦いにしようのない実力差がありますから」

 何が起きたのか、わからなかった。

 気が付けば、役者の一人、目の前の男の、西岡が倒れたのだ。


 首から上を失くして


 そう、自分がふと眼をやった隙に手首をもっていかれたように、まばたき一瞬。無くなっていた。


 戦いにならない? 戦いにならない?
 なら、すでに決着はついてしまったというのか?
 なら、もうこれで終わっているというのか?
 なら、西岡の、目の前で倒れている男の首から上はどこへ行ったというのか?


 そして、その首がどこに行ってしまったのかがわかった時、十凪は死んでしまいたくなるような恐怖にかられた。



「食え 落魂」

 雪坂の横に控える、男の生首を咥えた蒼い犬は、その言葉を合図にあぎとを開いた。


11 :akiyuki :2006/06/03(土) 12:29:38 ID:VJsFrmQG

十四日目 深夜


 土居町は田舎町ゆえに電車も一時間に一便程度しかなく、終電も早い。まだ残業しているお父さんも多い時間帯。けれど、外に出歩く人も全くいない時間帯。そんなころにはもう、プラットホームに立っていなければならない。
 駅員が一人で足りてしまうような小さな駅のプラットホーム。切符を買って、白線の後ろに行く。ちょうど窓から死角になり見えない位置に、二つの影。
 学ランを着た、男子中学生。その傍らで、何故か輪郭がぼやけて見える蒼い毛並みの犬。
 その正面に、一人の少女。少年よりは少し年齢が上らしいが、それでも若いことは間違いない。白いシャツに黒いスカート。幼い格好をして、その上に大きなコートを着ていた。
 彼らがこの時間帯、この場にいることは、それなりに説明はつく。駅で電車を待っている二人と思えば、それで説明が付く。けれど、それが成り立たない。
 少年が自転車で町内の中学校に通っているということが、少女がコートの下に隠した体には返り血と己の外傷により赤に染まっていることが、何かをねじまげている。
「俺がここに来たのも、この電車に乗ってでした」
 少年は線路の向こうを見据えながら喋りだした。
「いつか必ず広瀬さんのところに戻ってこよう。そう思ってこの町を出て、そして一年。再びこの場所にやってきて、俺は広瀬さんの記憶を改ざんし、色々な書類をつくり、俺に関わる人すべての記憶をねじまげました。まあ、素性をでっち上げるのは得意でしたからしんどくはありませんでしたけど……。で、十凪さん、腕の感覚は戻りましたか?」
 少女は両手を持ち上げた。つい三十分前まで切断されていた少女の両手。しかし今は奇麗に繋がっている。
「はい、雪坂さんの魔法のおかげで、痛いのがわかります……、神経も筋肉も繋がっているみたい」
 少年はうなずく。十凪の声は、とても落ち着いていて、まだ普通の人間でいられたころのような、優しげな少女のものになっていた。まるで、まだ高校生でいられるような、けれど、もうそんなことはありえないことを知っているからこその、笑みで。
「でも気をつけてくださいね。血液までは戻しようがなかったから、激しい運動はできません。できれば魔法も使わないようにしてください」
「はい……」
 少女が頷くのと、頭上のスピーカーから童謡が流れ出すのは同時だった。少年と少女は意味も無く上を見上げる。

『間も無く、上り甲麦行き普通電車が一番ホームに入ります。危険ですので白線の後ろに下がってお待ちください』

 夜の中、灯りのない線路の向こうから、光が差してきた。
 汽笛の音も聞こえる。
「来ましたね」
 少年は少女に言った。
「はい」
 少女は、どこか寂しそうに返した。少年は、その言葉の中に隠れた感情の揺らぎを無視した。
「とりあえず、西岡さんの死体は処理しましたが、社会的身分があって人の目を惹く仕事の人が行方不明になるのはなかなかまずい。もう次の電車にのってここから離れた方がいい。残念ですが、あなたがこの世界で生きていくには、社会的に死ぬしかない。俺のように身分をでっちあげるか、法の触れぬ場所に行くか、誰にも会わないか……」
「はい」
「広瀬さんに会わないまま去るのは心苦しいかもしれませんが、あなたのことを悪く思ったりは絶対しない人なので、安心して逃げてください。もし自分ひとりではどうしようもないことがあったときはさっき教えた方法で俺のところに送ってください。先に言っておきますが、魔法使いなんてみんなエゴの塊です。この先どんな人にあっても魔法使いにだけは心を許さないように」
「わかりました……。いろいろとありがとう、ございます」
 少年はできるだけ笑顔を取り繕う。
「十凪さん、十凪さんは俺より三つも年上なんだから、もっと砕けた言葉でいいですよ」
 
 電車が、ホームの端に辿り着き、二人の立つベンチ前に近付く。
 
「十凪さん」
 魔法使いが一人、この町を去る。この町を去って、そしてどこに行くのかはまだわからない。そして何回目だろうか? 少年は彼女の名を再び唱え、そして先ほどから我慢していたことを、口にした。
「なんですか?」
「俺はあなたを助けるように頼まれました。だからあなたを助けました。けれど、果たしてあなたがこの先生き延びていくことが幸せになるのかわかりません。もしかしたら、死んでいたほうがましだという人生を送ることになるのかもしれません。ただ、もうここで逃げれば、本当の意味であなたは人間としての生活を失い始めることになります。警察に出頭するのも、それとも逃げ続けるのかも、どちらが正しいのか、俺にはわかりません。俺はあなたに選択してもらうしかありません。けど死にたいというのなら……」
「私行くね」
 魔女は、遮った。
 少年は少しばかりあっけに取られてしまったが、その言葉にどことなく安堵ににた気持ちを感じ、もう何も言わなかった。
 いよいよ最終電車がホームに横付けになる。そしてブレーキが完全にかかり、停車する。
 中に人は乗っていなかった。
「あなたのことは、誰にも言いません」
 少年はそれを最後の言葉にした。
 したかったけれど、言わなければならなかった。
「ごめんなさい。こんな追い出すようにあなたを連れ出してしまって。俺は、広瀬さんのことで精一杯で、結局こんなことにしかできなかった。本当は、もっと別な方法だってあったはずなのに、あなたを助けることなんて、できていなかった……」

 それは違う気がした。少年は、一生懸命にやってくれた。本当は、誰よりも人間らしい心を持っていて、なのに自分を守るために悪魔にもなってくれた。
 謝らなければならないのは自分のほうなのだ。
 
 あなたの大事な人を巻き込んでしまった。
 
 自分よりも幼いくせに、自分よりも強大な魔力を帯びて、きっと自分よりも凄惨な人生を生きて、きっと自分よりも多くのことに傷ついてきたのだろう。
 だからこそ……

「――――――」
 少女は、少年と唇を重ねた。










 ドアが開き、車掌が一人降りてくる。
「乗りますか?」
 車掌は訊いた。
 ホームには、少女が一人、立っていた。だから訊いた。
 少女は、はいと一言答えると電車に乗り込んだ。


12 :akiyuki :2006/06/03(土) 12:30:18 ID:VJsFrmQG

魔法使いは歌わない ラブソングは聞こえない





「ねえ、雪坂君知ってる?」
「少なくとも広瀬さんが知っていることはなんでも知っていると思います」
 時刻は朝七時二十六分。川沿いの道を急ぐ自転車があった。
 自転車の操縦者は男。荷台に横座りをしているのは女。どちらもまだ子供というような、若い顔立ちをしている。
 必死な表情でペダルを漕ぐ、雪坂(ゆきさか)と呼ばれた彼。白いシャツに黒いズボン。標準的な夏用学生服を着た、どこにでもいそうな少年。土居中学校は公立学校だが私服は許される。それにもかかわらず学生服を着るのは彼くらいで、その後ろ、荷台に座っている少女は、白いフリルのついたシャツに黒のスカート、そして赤いリボンというゴシックロリータに身を包む。彼女の幼い表情にはその服装が似合い過ぎ、一種独特の雰囲気を持っていた。
「からかうのはやめときますけど、広瀬さん、なんですか?」
 広瀬と呼ばれた少女は少しふくれたが、思い直して答えた。
「十凪ちゃんが言ってたんだけれど、この町にはね、もう一人魔法使いがいるんだって。それで、その人がいろいろ悪いことしているんだって言ってたんだ。それで、十凪ちゃんを狙っているらしいんだよ。本当に、十凪ちゃんはこの町から逃げ切ったの?」
 雪坂は少し面倒くさそうな顔をして、後ろを向かずに答える。
「ええ、昨日俺が引き止めて、十凪さんにそのまま次の町に逃げるように言っておきましたから。ああ、戻ってきたら広瀬さん寝てたんでそのまま行ってもらいました」
「そっか……。もう一度、お話したかったな……」
 その声のトーンに広瀬の感情を読み取る。
「……別に十凪さん怒ってはいませんでしたよ。ただ広瀬さんによろしくって」
「本当に? 雪坂君は自然に嘘をつくから怖いよ」
「信じてください。後、いいかげん鍵を閉めるの忘れないでください。無用心すぎるんですよ。なんで戻ってきたら強盗が入ってるんですか。何回侵入されたら気が済むんです? まあ、昨晩は偶然にも間に合ったからよかったものの。もし俺が警察呼ぶの遅れていたらどうするんです!」
「うー、ごめんなさいー。でも私、雪坂君に助けられてばかりだね」
「何を今更、ってやつです」



「ありがとうね」
「別にいいですよ」
「本当に、ありがとう」
 雪坂は、その言葉の静かな重みに、沈黙せざるを得なかった。
 そして、言おうかどうか迷っていたことを、口に出した。
「広瀬さん、彼女は犯罪者です。これから先ずっと警察から追われ、人々から非難され、再会できたとしても、きっと災厄を振りまくことでしょう。そしてその時は、俺もなんとかしますけれど、きっと辛い思いしかできないことは保証します。広瀬さん、それでもあなたは十凪さんと友達でいてあげられますか?」
 その問いに、広瀬は自信を持って答えた。
「雪坂君、私はいてあげるとか、そういう言い方は好きじゃないな。私は、十凪ちゃんに、友達になってほしいよ?」
 間接的な肯定に、雪坂は
「そうですか、じゃあ俺は何も言いません。せいぜいうろたえて、悲しんでください」
「えーん、雪坂君がひどいよー」
「何を今更、ってやつです」
 笑った。
「雪坂君が笑うところ、久しぶりに見たよ」
「そうでしたっけ?」
「そうだよ……でもなんだか、雪坂君の笑顔って……懐かしい気がするんだ。ねえ、雪坂君ってもしかして転校してくる半年前にも、会ったことない?」
「無いです。……ちなみに今何時ですか?」
 広瀬はいつものように答えた。
「七時三十一分……。ねえ、やっぱり今日もなの?」
 雪坂はいつものように、答えた。
「当然でしょう、遅刻です」

 少年は漕ぐ力を強めた。

 河川敷を猛スピードで駆け抜ける自転車。
 向こうの方では、朝の電車が立橋を渡っていた。





 魔法使いは歌わない
 彼が紡ぐは呪いと摂理
 ラブソングは聞こえない
 ただ、あなたを守るだけ


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.