銀鍵月雫譚 バリアント+ -故に我あり-


1 :寝狐 :2006/08/09(水) 21:41:50 ID:mmVcoGxH

 この作品は、私こと寝狐と、ハリセンボンさん、菊之助さん、異龍闇さんの四人の豪華メンバーによるリレー小説です。
 各参加者が執筆しました作品、『大真京超常機譚』・『クオリテッド』・『HB 空葬』とのクロスオーバーを目的としており、これまでにない作品に仕上がるようにしていきたいです。
 それぞれの方の作品を一度でも読んだ方がいれば、是非この作品も読んでいただけると幸いです。
 なお、私が使用する作品は過去リレー小説企画で起ち上げたのを使用しております。(連載寸前で企画止まり)

 それでは、物語の開幕です!


2 :寝狐 :2006/08/09(水) 21:45:16 ID:mmVcoGxH

全ての流れは針が刻みて……

 其れは、始まりの終わり。

 其れは、とある世界の物語。
 其れは、とある隣の世界の物語。
 其れは、とある平行世界の物語。
 其れは、とある門の物語。
 其れは、とある扉の物語。
 其れは、とある時空の物語。
 其れは、とある次元の物語。
 其れは、とある次元の狭間の物語。

 其れは、実在と非実在のゆらぎの物語。

 其れは――終わりの始まり。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ――喩え話をしよう。

 机の中に宇宙があるとしよう。
 パソコンの中に宇宙があるとしよう。
 段ボール箱の中に宇宙があるとしよう。
 プラモデル箱の中に宇宙があるとしよう。

 それらは、それぞれ異なる“箱”の中の宇宙である。

 宇宙とは世界。
 世界とは物語。
 物語とは存在。
 存在とは情報。

 さて、彼の宇宙であり世界であり物語であり存在であり情報とは?

 それは宇宙における第一象限、もっとも根源に近い世界であるが、また同時に最も根源から遠く、次元と次元の狭間に位置する情報の海より発生した完全なる異質な情報世界『エウクセイノス』。
 エウクセイノスにある世界とは、石造りや木造の建物がある円周情報都市『エルブルズ』だけである。それ以外の場所は元より存在していない。
 次元の波の真っ只中に位置し、あたかもそこを浮遊しているかのような、まるで庭園とでも見えるその世界の中心に、巨大な時計塔がそびえていた。
 時計塔の名は『オルドリン』。
 その中では複雑に組み合う機械類が軋みをあげながら一刻一刻と時を刻み続けている。
 時を刻む機械の規則正しい音だけが全てを支配しているこの空間に、一人の女性がいた。
 三十代前半ぐらいだろうか、黒みがかかった紫色のセミロングの髪に若干やせ気味の細い体。優美なドレープで胸元セクシーなホルターカットソーとサイドレースアップからパイソンが覗くタイトスカートを身に着けていて、それを真っ黒なマントが覆っている。
 何故マントを着ているかというと、おそらく魔術を扱うものとしてこれだけは必須物であったのだろう。
 ……そう。彼女は魔術、それも超次元的な高度魔術を駆使する大魔術師。
 彼女の名はイシス・テレジア。この情報世界エウクセイノスの支配者だ。
 現在イシスはオルドリンの最上階にある広大なホールの中心に立っている。
 正面上には壁自体が時計となっており、一から十二までのローマ数字とそれを示す長針と短針。時計塔外部と内部の両面に時計はあるのだ。
 その両方を、時計塔を構成する歯車らが正確な時刻を示している。
 イシスの目の前には宙に浮いている人間大のサイズのクリスタルのような結晶体があった。それは青っぽい色をしながらも透明で、神秘的な輝きを醸し出している。クリスタルの下部には大量の太いコードが接続されており、それが壁時計の真下にある小さな隅間にも思える小ホールへと伸びている。小ホールは薄暗く、コードが一体何に繋がっているのかが分かりかねない。
 右手に持つ先端が槍のような鋭い刃物に多少の装飾がされた杖を、イシスはクリスタルへ向ける。杖全体がほのかに輝き、彼女の斜め下の胸あたりの高さの所に緑枠の平面状のパネルが宙に浮かんだ。パネルの中には何処かの映像が幾つも切り替えられ表示していた。それを見ながら彼女の口が開く。
「ウルム・アト・タウィルのS型時空監視艇…………確認なし。状況適正を認識。……空間座標を固定。プロセス開始。コード1032(ヒトマルサンニ)から8794(ハチナナキュウヨン)までを同時進行。時空湾曲境界線の揺れを誤差自動修正。結合ポイントはA08からW375まで」
 紡がれるは情報(プログラム)魔術だ。この情報世界においてプログラムは全ての存在の定義に値する。
 全は情報で紡がれ、一は情報で派生。クリスタルは情報解析及び実行。さらに輝きを増し、やがてそれはエウクセイノス全体にへと影響を及ぶ。
 エウクセイノスを覆う次元の波に異変が起きた。
 まるで地震のような音を響かせ、次元の波のところどころに青白いプラズマが生じている。
「次元交差線に介入。上軸、下軸、混ざり、融合し、狂い、時間、空間、全てを同調(シンクロ)。……実行!」
 クリスタルがさらに輝きを増し、先端より眩い光の線が天井へ向けて走った。
 光の線はオルドリンの天井を通り抜け、上空の次元へと突き刺さり、その光は全ての次元の波へ波紋する。
 空間が裂け、次元が捻じ曲がった。
 膨大な力の奔流が次元の彼方より流れ込んでくる。
 一つではなく、2、3、4、5、6、7、8、9、10……∞。
 凄まじい速度でそれは次元を侵す。
 とある次元の向こうには、なんの変哲もない世界が。
 とある次元の向こうには、剣と魔法の世界が。
 とある次元の向こうには、巨大ロボット同士が戦う世界が。
 とある次元の向こうには、宇宙船艦同士が戦う世界が。
 とある次元の向こうには、電脳社会が普遍的に浸透した世界が。
 とある次元の向こうには、全てが崩壊した世界が。
 とある次元の向こうには、砂漠だけの生命のない世界が。
 とある次元の向こうには、ヒトという種族はなく、歪な姿をした生物(?)が跋扈する世界が。
 とある次元の向こうには、…………―――――――

「さぁ、全ての次元を一つになれ……世界よっ!!」

 情報は力である。
 世界は情報の塊である。
 情報が世界を創りあげる。
 存在はそれぞれの世界法則に従い、在る。
 情報が存在に物語を与える。
 存在がある限り世界は開かれ、情報なくして存在はあり得ない。
 彼女もまた、存在だ。
 だからこそ世界を新生させる。
 彼女の意思で、彼女の願いを叶える為に世界という情報を紡ぐ。
 世界よ受け入れ。
 物語よ受け入れ。
 情報よ存在たれ!


3 :寝狐 :2006/08/09(水) 22:04:16 ID:mmVcoGxH

守護なる天使

 深い霧の中からエンジン音と大地を走る轟音が響いていた。
 ソレは悠然と、または我が道を往くかの如く堂々とした走りだ。
 霧の中、ソレはシルエットでしか分からない。大きな何かの乗り物であることしか判別はできかねないだろう。ただ、ソレに乗っているのが女性であることはどことなく確認はできそうだった。何故なら、その搭乗者の影からは後ろへ流れるような長い髪が見受けられるからだ。それが男性という可能性も無いことも無いのだが、確立としては女性の方が高い。
 少しするとその深い霧は徐々に薄れていき、やがては消えかけた所で、ソレに乗っていた彼女は慌ててソレをドリフトをさせながら急停止を掛けた。
 しばらくそのままの状態でいると霧は完全に晴れた。
 霧が無くなったことによって、彼女の容貌がはっきりとわかる。
 揃えられた前髪に、背中に流れる癖のない艶やかな黒髪。どことなく気が強そうな黒い瞳。華奢でスタイルは良く、白いベストにミニスカートとブラウスという何処かの学校の制服を思わせる服装である。
 そして、彼女が乗っているものは一台の超大型三輪バイク。だがそれはただのバイクではない。超大型三輪バイクをベースとして、左右には重装甲戦車のキャタピラが取り付けられていた。
 そのキャタピラの装甲上部、まず右側には三メートルはある白く細長い砲塔。左側には砲身長二.〇五メートルの六銃身二十ミリ機関砲が備え付けられており、バイク部の後部には大きなウェポンコンテナが設置されている。
 全長約五メートル、全幅約三メートルという巨大な三輪バイク武装戦車がそこにいた。
「……どういうこと、これ。さっきまで砂漠を走っていなかったっけ?」
 周りの光景に彼女は目を見開く。
 視界には石造りや木造の建物が建ち並び、彼女が居る場所は円形にくり抜かれた形をした広場であった。
『確実な回答は不能』
 どこからか、彼女以外の別な女性の声が聞こえた。だが、そこにいるのは彼女一人だけだ。答えられる人間は何処にも居ない。
「あんたの予想は?」
『可能性を挙げるならば、突然の砂上竜巻による磁場発生により方向を著しく曲げられた十五%。レーダー探知のミス十%。地図情報(マップデータ)に登録されていない新しい町である五%。単にマスターが間違えた十%。ワタシが間違えた可能性〇%』
 またしても何処からとも無く声が聞こえた。しかもそれは彼女の質問に答えていた。果たしてそれは何処から聞こえてくる声なのだろうか。
「最後のはちょいと気になるけど、この際だからどうでもいいわ。……で? 残りの六十%は何よ?」
『…………』
 声は数秒沈黙をしてから答えた。
『先ほどの霧が原因の可能性ではないかと』
「……やっぱり? そうよねー。あの霧を抜けたと思ったらいきなりコレだもんね〜」
 彼女のコレとは視界に移る全てのことを指している。
「現在位置は?」
『不明』
 即答で帰ってきた答えに彼女は一瞬思考が停止。だが次の瞬間には我に戻る。
「もしかして……?」
『GPS衛星システムの存在皆無。……現在ワタシたちの居る場所は地球上の何処にも属してはいません。故に、不明』
 その言葉に彼女の背筋に寒気が走った。
「ちょ、なんで!? さっきの霧のせいなの?! アレっていったい……」
『おそらくは何らかの次元転移装置の一種ではないかと。あの霧発生時、周囲の次元交錯線に著しい狂いが生じておりました』
「気付いていたんなら、事前に教えなさいよっ!」
 バシッと彼女が叩いたのは、己が乗っているバイクであった。
 そう。先ほどからの声の主は、彼女が乗っている超大型三輪バイクだ。
『いえ、通知する前にマスターが霧に突っ込んだので間に合いませんでした』
「メタトロン、あんた自分でバイク動かせるのを忘れてない?」
『…………そういえば』
「忘れるな! つーか今の間は何よ、今の間は!?」
 このバイク戦車、正式名称、自律思考型守護三輪駆動武装戦車『武神天翼・参式』。通称、メタトロン。
 超高性能自律成長型人工知能を搭載されているメタトロンは、彼女――天璽(あまつしるし) 久魅那(くみな)の良き相棒である。
『……とりあえず、マスター』
「わかっているわよ。現状確認でしょ?」
 そう言ってもう一度周りを見渡す久魅那。だが、先ほどと変わらず、そこには石造りや木造の建物が建ち並んでいる。
「建物は私達の知っている普通のものだわ。ただ、違うとしたら……」
 顔を見上げる。
「……アレね」
 そこには、おおよそ“空”というモノは存在していなかった。
 広がるのは“海”だ。太陽も月もない、暗めの藍色となっている海が世界を覆っていた。
『おそらくは次元と次元の狭間。もしくは次元間の渦だと思われます』
「でも、次元間においての物質の固定は……」
『いえ、ここの空間、正確にはこの世界だけは比較的安定しています。推測が正しくば、次元と次元の狭間にある世界かと。ついでにいえば、先ほどの霧はなんらかが原因で次元の歪みと直結し、ここへと繋がっていたのかも知れません』
「次元の歪みの原因は?」
『推測不能。現在、解析中』
「わからないことだらけね……」
 苦笑しながら、久魅那はあたりをぼんやりと眺める。建物はあるのに人の気配が全くしない。それどころか、犬猫一匹すらいるのかさえ分からないほどに静まりかえっている。
 さらにいえば、上空に広がる次元の海に太陽も月も無い故に、今が昼なのか夜なのかも分からない。
 呆けるように次元の海空を見上げていた最中、脳内に響くようにそれは聞こえた。

“――――…………来ないで!”

「…………ほえ?」
 突如、頭の中から聞こえた女の子の声に久魅那は驚いた。
(……な、なに? 今の……)
 ふと見下ろして相棒のバイク戦車を見る。
 耳に聞こえたならメタトロンにも聞こえているはず。しかし、彼女は何も口(?)を開かないため、おそらく頭の中から聞こえたのは気のせいではないようだ。
 そんなことを思っていると、メタトロンは別の何かに気付いて声を出した。
『マスター。振動と音紋に反応を確認。音紋照合…………該当データ無し』
 該当データ無し。それはメタトロンのメモリーに登録されていない新たなモノということ。
「個体数は?」
『およそ十一。うち生体反応……訂正。それに近いものが一つ。それだけは他とくらべて音紋が違います』
「場所は?」
『十時の方角、距離八百』
 言われて久魅那はその方へ顔を向ける。
 建物同士がさまざまに入り乱れているので、真っ直ぐには行けそうもない。さらには細い道だとバイク戦車ことメタトロンが入らないから、迂回しながら行かねばならないようだ。しかし、久魅那はこの町の構造が全くわからない。故に下手に入ると迷路のように彷徨う可能性もあった。
 そこで頼りになるのが相棒のメタトロンであった。
「メタトロン、ルートスキャンして! 最短距離で行くわよ!」
了解(ヤー)
 即座にメタトロンが周囲をスキャンし、ある程度のマップを作成する。そして、三秒の思考時間を入れて、速度メーターが取り付けられている部分より下にある操作パネルからさらに横にある液晶画面に最短ルートが表示された。
 それを見ると久魅那はすぐさまスロットルを回し、エンジンを吹かして地面を擦るようにバイクタイヤとキャタピラによる超信地旋回を行い、向きを変えて走り出した。


 …………
 ……
 …
 石造りや木造の建物が建ち並ぶその一角にて、一人の少女は走っていた。
 六歳くらいだろうか。茶がかかった黒髪の肩まで伸びたミディアムヘアーが走るたびに左右に揺れる。
 だが服装は少し異様というか、珍しいものであった。
 白と紺を基調としたエプロンドレスに、頭にはフリルのついたカチューシャ。
 なぜなら、少女はメイド服を着ていたからである。
 メイド服を来た少女は走り続ける。そして時折後ろを振り返っていた。
 振り返る少女の視界に入るのは十数体の甲冑を着込んだ二メートルはある兵士達であった。皆それぞれ全身を鎧で覆われており、誰一人顔を窺えない。しかも人間が入っているようなサイズではないことから異様だ。それぞれの身長が二メートルを超え、大人二人分はある横幅の身体に合わせられた大きな剣を持つ兵士や、スパイクハンマーを持つ兵士、槍を持つ兵士もおり、斧を持つ兵士もいれば、銃を持つ兵士もいた。
 甲冑の兵士達の走る速度はそんなに速くはないものの、まだ六歳ほどの少女の速度では徐々に距離が縮まるほどだ。
 やがては追いつかれるだろう、誰もがそう思えるような状況だった。
 だが、少女が横切った建物と建物の間からソレは飛び出してきた。
「――え?」
 背後から聞こえたエンジン音に少女は立ちどまって振りかえる。
 そこに、左右にキャタピラをつけた異様なバイクとそれに乗る長い黒髪の女性の後姿があった。
 バイク――メタトロンを少女と甲冑兵士達との間に割り込ませた黒髪の女性――久魅那は、目の前の甲冑兵士を一瞥したあと、
「君、大丈…………?」
 そう言いながら少女の方へ振り返った次の瞬間、突如久魅那の表情が固まった。
「…………?」
 突如沈黙した久魅那に少女は目をパチクリさせた。
 きっかり三秒経ってから悲劇(?)は起きた。
「ヴぅふぉっ!!?」
 いきなり久魅那は仰け反りながら鼻血を噴出したのだ。
「ふ、ふぇっ?!」
『マ、マスター?!』
 突然の出来事に少女もメタトロンも驚きを隠せなかった。ちなみに甲冑兵士達も僅かばかり後ろに退いていたことは誰も気付いていなかった。
 そんな鼻血を出した久魅那は、ポケットから出したティッシュで鼻を押さえながらぼそりと口を開く。
「も、萌え〜。ねぇメタトロン、あの子めっさ可愛いよー。お持ち帰りしていーい?」
『駄目ですマスター。……一体どうしたのですか?』
 そう言われて、久魅那はビシッと少女の方へ指をさす。その指にさされて少女はビクッと体が撥ねた。
「だって、アレよアレ! メイドさんよ! たださえ可愛くて幼い少女があろうことかメイド服を着ているのよ! これで萌えずに、何に萌えろと言うのよっ!?」
『は、はぁ……。メイドに萌え、ですか……』
「いい? そもそもメイドが最もその名を馳せたのはイギリスにおける、ヴィクトリア女王の在位した時代であり、大英帝国の絶頂期でもある19世紀のヴィクトリア朝時代なのよ。この頃の英国は国内でのメイドの雇用率もピークであり、その結果ヴィクトリア様式のメイドがそのデファクトスタンダードになったものと考えられるの。ヴィクトリア朝は産業革命と自由貿易によって変化と革新に彩られ、イギリスの国力が最も充実した時代なんだから。でもその反面、貴族達の古い生活習慣と階級社会も根強く、特に“階級の上昇志向”が極めて高いという特徴があったわ。
 当時の人々は少しでも上層の階級に加わる事を願い、その為には多少の無理を伴ってでも、自分を実際より上流に見せようとしたのよ。まぁ、単なる自己満足なんだけど。これによって“スノビズム”っと呼ばれる“紳士気取り”の風潮がこの頃にでたのよねー。
 そしてその紳士のステータスの一つに“使用人を雇うこと”があって、当時、男性使用人に比べ賃金が半額以下だった女性使用人の雇用は加速度的に進むことになったわけ。その方が費用は少なく済むしね。
 こうして、女性使用人──つまりはメイドの姿が多く見られるようになり、この時代の英国の背景を彩っていったってわけよ! 
 ちなみに、メイドは正しくはメイドサーヴァントと言って、家政婦や女中など、様々な訳され方をされているわね。一般的にメイドは家事の全てを担う者と思われがちだけど、一言でメイドといっても実際はそうじゃないの。その職種はさまざまにあって、メイドを雇う家庭の程度によって変わるわ。
 俗にメイド長と呼ばれるハウス・キーパー。主人の身の回りの雑用をするレディース・メイド。来客の取次ぎや、客間での食卓の準備や給仕を行うパーラー・メイド。女中頭の指揮のもとで、館の管理に必要な作業を行うハウス・メイド。乳母の補佐をするナーサリー・メイド。洗濯場にて洗濯を行うランドリー・メイド。料理人の下で厨房の作業を行うキッチン・メイド。洗い場で食器を洗うスカラリー・メイド。そして、全ての仕事を受け持つメイド・オブ・オールワークス。世間一般のメイドのイメージとしては、このオールワークスが該当するわね。……って、ちゃんと聞いてるの? メタトロン」
 訴えるようにバシバシとバイクを叩く久魅那。もちろん、鼻にティッシュを詰め込みながらだ。
『……メイドについての講義はそれくらいにして、とりあえずワタシについた鼻血を拭いてください。渇くと汚れが落ち辛くなりますので。……というより、今の状況を確認してください、マスター』
「ん?」
 言われてバイクについた鼻血を拭きながら、久魅那は数メートル前に佇む甲冑兵士達に目を向ける。
 視線を向けられた甲冑兵士達は先ほどの鼻血を思い出さないようにか一歩前へ踏み出す。
「あぁ、そういやあんなのも居たわね。大きなオブジェかなーっと思っていたけど」
 まるでただの置物の存在に気付いたような台詞。実際、先ほど建物から飛び出して一瞥したときにはただのオブジェにしか見えていなかったのだろう。久魅那が構える理由は無かった。
『生体スキャンした結果、あの兵士達からは生命反応がありません。赤外線スキャン、X線スキャンを試みましたが、腕などには武装に使用すると思われる機械部は確認。ですが胴体部に機械的な骨格構造は皆無。しかし胴体部からは熱源を探知。おそらく動力炉かと。動力炉からはデータには無いエネルギー反応が見られます』
「ふぅん。まぁ、あんなデカイ鎧に人が入っている方がおかしいけどねー。……えーと、とりあえずお嬢ちゃん?」
「え、あ、はい」
 突如話を振られ、少女は驚きながらも返事を返す。
「あたしの名は天璽久魅那。君のお名前は?」
「えと、真珠(しんじゅ)、です」
「なら真珠。単刀直入に聞くわ。――あいつらって悪い奴?」
「えと……。はい!」
 少女――真珠が頷くのを確認して、久魅那は鼻に詰めていた血だらけのティッシュを外しポイッと捨ててバイク戦車を降りる。その表情に不敵な笑みと一緒に口の端がつりあがった。
「おーけい、おーけい。メタトロン、真珠をお願い」
了解(ヤー)、マスター』
 主が乗っていないバイク戦車が後方にいる真珠の傍までバックした。少女の前に居るバイク戦車はまるで大きな盾か壁のようにも見える。
「さぁて、あんた達……」
 ゆっくりと甲冑兵士の方へ歩む久魅那。その両手は拳となっている。
「あんた達なら知っているのかしら? あたし達が何故この世界に来てしまったのかを。……説明してもらうわよ」
 それを拒否するかのように甲冑兵士達はさらに一歩前へ踏み込む。
 と、見ていた真珠は慌てて声をあげた。
「だめ! その機械人形(マシン・ドール)たちの装甲は頑丈なの! だから生身で戦おうなんて無茶よ」
 真珠の叫びが合図となったのか、互いにほぼ同時に走り出した。
 そんな……、と呟く真珠にメタトロンは笑うように答えた。
『大丈夫です。ワタシのマスターは伊達ではありませんよ』
「え?」
 真珠がその言葉の意味を理解するまえに、既に戦いは始まっていた。
 一体の甲冑兵士――機械人形(マシン・ドール)――が両手に握った斧を大きく振りかぶって、こちらに走ってくる久魅那へ一気に振り下ろした。
 ズンッと斧が大地に落ちる。それはあたかも西瓜を割るような勢いで。だが、地面に食い込んだ斧に久魅那の死体はなかった。
 機械人形には久魅那がどう回避したのかが見えなかった。ただ、唯一認識できたのは、久魅那がいつの間にか己に背中を向けて懐に潜りこんでいたこと。
 相手に背を向けたままの久魅那は突如、左足を後ろへ引いて爪先を機械人形に向けた。そして、上半身を捻るように振り返らせた。その脇の下には構えていた右拳が……。
「一閃、疾風! ―――正拳突きぃぃぃーー!!」
 捻り込むように一気に拳を放った裂帛の気合の直後、ドンと空気が震えるような音が響く。
 正拳を叩き込まれた機械人形は押されたように二歩後退した。その鎧の中心、拳が放たれた場所は大きく凹んでいた。
「…………うそ。普通の人間の拳で機械人形(マシン・ドール)の装甲を凹ますなんて……」
 それを見た真珠は驚きを隠せず大きく目を見開きながら呟いていた。そこへメタトロンが追い討ちをかけるかのように一言注ぎ足す。
『今のを普通の人間に叩きつけていたら、間違いなく肋骨を複雑に骨折されて内臓はズタボロでしょう。何せアレの破壊力は二トン(・・・)に及ぶので』
「に、とん……!」
 真珠はもはや絶句するしかなかった。
 だが肝心の久魅那は今はその場にうずくまり、右拳の上に左手を重ねていた。
「いったぁ〜。やっぱ見た目どおり固いわねー。発勁(はっけい)を足しても貫けないとは……」
 発勁とは、“勁を発する”という意味の中国武術のことだ。この技法は、至近距離であっても相手を吹き飛ばす (密接していれば押し飛ばす) 程のエネルギーを発する。
 特徴は、重心の落下 (ポテンシャルエネルギーの使用) 、急激な運動量の増加 (主に加速。遠心力を使う場合もある) など様々な方法で自らの重心を移動、またその“重み”を加速、さらに体を捻る (纏絲勁) 、踏み込む (震脚) など様々な技術により、運動エネルギーを集中させ、威力の増加を図っている点にある。
 久魅那が行った発勁は、振り向きによる遠心力のエネルギーを利用したものだ。……だが、それだけで先のような威力が果たして出るのだろうか?
 彼女の場合は八極拳ではなく、基本は空手である。しかしそれを、彼女は独自の解釈や、個人的な趣味である特撮系番組の影響、そしてその中で一番影響しているのは元来の才能と彼女だけが持つ“特殊な力”が大きくあった。
「……ふむ、これじゃあ蹴りでもあんまり変わんないかもね」
『っていうかマスター。スカートで蹴りは止めてください。モロに見えます』
「大丈夫よ。見えてもいいやつ穿いているから〜♪」
『そういう問題では……』
 まるで頭を抱えていそうな程の溜息がメタトロンから漏れる。もはや日常茶飯事なことなので今更言っても無駄だと分ってはいるものの、やはり溜息は出るものだ。後ろで見ている真珠も苦笑を隠せなかった。
「にしても機械人形ねー。名前どおり、機械のようにただ戦うだけの操り人形。そのまんまだわ。でも中身が機械じゃないのはちょっと残念だけど」
 前を見据える先には、態勢を整えた先ほど装甲を凹まされた機械人形や他の機械人形たちが再び構えている。
「まっ、このままの状態でやっていても埒はあかないわよねー」
 機械人形たちが走り出す。だが久魅那はその場に佇むだけ。
 先頭を走る剣を持つ機械人形が大振りに剣を薙ぐ。しかし、剣が触れる直前に、久魅那は跳び上がった。それは普通の人間には到底不可能な程の跳躍力。
 軽々と機械人形よりも高い位置まで跳び、一度身体を前転させて落下速度を抑え、機械人形の左肩に乗る。
 その久魅那を横に居たもう一体の機械人形が素手で掴もうと手を伸ばすが、それに気付いた久魅那はさらに高くジャンプして近くにある建物の屋根の上に降り立った。
 機械人形たちが皆一同に久魅那を見上げる。
「見せてあげるわ。あたしの“守護なる力”を!」
 久魅那は右手を広げて天へとかざし、高々と(うた)いだした。かつて出会った天使から受け取った“契約”の誓いとされる言霊(ことだま)を!

「舞えよ精霊。踊れよ運命。
 天の使いはすぐ傍に。
 光の力、魔を弾劾する十字星。
 我が前に天上の門を見せよ!
 天使との契約の下―――我、守護の天使なり!!」

 契約実行。
 久魅那を含め周囲約三メートル圏内を包み込みように絶対不可侵防壁とされる光の繭が形成され、外からの攻撃は一切通じない状態になった。
 そして魂に刻まれた天使との契約が発動。
 着ていた服(下着も含む)は全て光の粒子へと変換され弾ける。このとき全裸になっているが、変身中は外からは見えないので久魅那は気にしなかった。
 光の粒子が肩から股にかけて覆われ、粒子が再構成されて白いスク水となる。
 次に、新たに光の粒子が空中で再構成され、白と青を基調とした鎧へとなりてそれぞれがパーツとしてあるべき位置へと飛ぶ。
 それらは下から順にフット、レッグと次々に装着されていき、スカート、ボディー、ショルダー、アーム、バック、そしてヘッドギアを装着。
 最後に、胸部パーツの中心に埋め込まれた、大きさは人間の手の平に納まる緑色の六角形の結晶体――超々高速度情報処理回路搭載半永久エネルギー発生宝石――ガーディアン・ハートが眩く輝く。
 背中の機械の翼に浮力エネルギーを注ぎ白光させ、大きく広げて光の繭を開放した。
 それは白き機械の鎧。左腰に片刃の大剣を携え、魔を滅ぼすため、憎悪の空より来たりし使者。
 かつて出会った天使との“契約”にて手にした勇気の力。
 天界金属ジルコハルオンで造られた戦闘用機械服、契約の天使鎧(ディアテーケ)を纏う守護なる天使。
 無限の数を重ねて言い放ってきた台詞を甲冑兵士達へ向けて叫んだ。

「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ! 悪を倒せとあたしを呼ぶ!
 月は東に日は西に! 悪あるところに正義あり!
 聖なる光翼(つばさ)飛翔(はばたか)せ、守護天使エリヤ、只今参上っ!!」

 甲冑の兵士達に左手の人差し指を突きつけ、最後の一言を言い放つ。

「――貴方達の悪事、止めさせてもらいます♪」

 突然の天使の登場に機械人形達は驚きなどをせず、ただ邪魔をする敵が現れただけというような感じでそれぞれが持つ武器を構える。
 あきらかな戦闘態勢に久魅那ことエリヤもそれ相応の態勢になる。
「メタトロン!」
 彼女がそう名を叫ぶ時の意味をメタトロンは知っている。全部言われずとも、一年以上も共に戦い合った相棒(パートナー)ならば、それだけで全てが通じた。
了解(ヤー)、マスター。――守護炉、出力八十%ミリタリーモードへ。パワードGホイール輪転再開。ファイアリングシステムロックオープン。Close-In Weapon System、弾頭を装弾筒付徹甲弾(APDS)で固定。リンクレス・コンベア作動、供給開始。……装填完了。CIWS(シウス)バルカン砲使用可能。インパルスキャノンのエネルギーチェック……問題なし。いつでもどうぞ』
「よぉし、メタトロン、後方支援よろしくっ!」
 バイク戦車にウィンクをひとつすると、背中の機械の翼を大きく広げた。
「エンジェルウィィィーングっ!」
 天使光翼エンジェルウィングの推進部から浮力エネルギーを展開し、空へと飛び上がる。
 接近戦用武器しか持たない機械人形が大半であったが、数体だけ重火器を持つ機械人形もいた。それらが空中にいるエリヤに向けて銃口を向けた。
 手にライフルを構えた一機が撃つ。だが、直線に伸びる銃弾はやすやすと回避される。
 次に、腕自体がマシンガンのようになっている数機がそれぞれ同じタイミングで弾幕を放つ。しかしそれも、高速飛行するエリヤにはかすりもしなかった。
「遠距離用武器まで持っていたのね。……それなら!」
 エリヤはエンジェル・ウィングから数十枚の羽をパージして空中に展開。残留する浮力エネルギーを重力エネルギーへと反転。指揮者のように両手を高く掲げて遠隔操作。羽の付け根を地上に居る機械人形達へと向ける。
「フェザァァァーーー……レインッ!」
 一気に腕を振り下ろし、重量の塊と化した羽が流星の如く機械人形達の頭上から降り注がれる。
 石造りの建物の壁が簡単に貫かれるほどの威力を秘めた羽が次々と機械人形の装甲を穿つ。
 一番多くくらった一体の機械人形が全身を穴だらけにされて、体中から紫電を発して倒れ、ついには爆発した。どうやらメタトロンがスキャンした際に検知した動力源だという部分に直撃していたようだった。
「やっぱ動力炉なんてもんがあるから爆発するのねー。全部爆発しちゃったら大変なことになりそうね。――ならばっ!」
 今度は一気に下降し、地面スレスレでそこから水平に飛び、機械人形の正面へと向かう。
「エンジェルウィング、フルパワー!」
 翼を大きく左右に広げ、胸部パーツに埋め込まれた緑色の宝石ガーディアン・ハートから供給される力、セーフティーアンチエネルギーフォース――通称“光の力”――を翼全体に展開。それにより、光は翼を包みながら左右に大きく伸び、やがては刃状の光となった。
「ウィング……テレマァァァァーー!」
 さらに速度を上げて機械人形の横をすり抜ける。同時に左右に伸びていた光の刃――光翼弾劾ウィングテレマ――が数体の機械人形たちを横一文字に断つ。
 だが、先ほどの爆発を考慮してか、狙うは下半身という動力炉があると思しき部分には影響しない所ばかりであった。
 バランスを崩され、倒れる機械人形。身動きがとれずとも腕などを動かしてはいたが、徐々に機能停止していった。
 エンジェルウィングのエネルギー開放を止め、翼を閉じて地上に降りるエリヤ。そこへ一体の機械人形がスパイクハンマーを横薙ぎに振るう。だがそれをエリヤは光の力を込めた左腕を盾にするようにして受け止めた。多少体が横へ押し動かされたが、光の力によってエリヤには大したダメージはなさそうだ。
「もうっ! 馬鹿力だけはあるようね。でも、こっちだって力には自信があるのよ!」
 そう言ってエリヤはスパイクハンマーを振り払うと、機械人形の懐へ潜り込んだ。
 今度は正面から、エリヤはダンッと左足を力強く踏み込んで、右拳を脇の下で固めて構え、そして放った。
「エリヤ……ナッコォォォォォーーー!!」
 生身の時とは違う、五トン(・・・)にも及ぶ破壊力を誇る断行正義拳エリヤ・ナックルが機械人形の腹部の装甲を貫いた。所々に紫電と小爆発は起きるものの、動力炉にまでは影響がでていないのか、エリヤが腕を引き抜くと、そのまま仰向けに倒れた。それをエリヤは穴が開いた部分に目を向けていた。
「ほんとに中には機械なんてなかったわねー。動力炉一つでどうやって四肢を動かしているのかしら?」
 そんなことを言っていた直後、そこに佇むエリヤの背後から槍を持った機械人形が襲い掛かった。すぐに気付いたエリヤが突き出された槍をかわすと、ジャンプして機械人形の頭部より少し高い位置にまで跳ぶ。
 空中で右脚の膝を曲げ、エリヤは叫んだ。
「アイオーン――!」
 すると右のレッグパーツの前部と左右側面の外部装甲がロック解除され展開。それぞれに内蔵されていたパーツが膝上部までスライドし合体。膝に固定される。
 それは先端を中心に縦に三分割されていたドリルであった。それが膝上で一つとなり、鋭利な回転衝角となる。
 ちなみに、この武装起動に生じた時間は僅か〇.六秒である。
「――ドリルッ!!」
 右膝を叩きつけるように、大回転迎撃衝角アイオーン・ドリルが高速回転をしながら機械人形の頭部を穿った。
 頭部を失った機械人形は数歩後ろに下がったあと、力尽きたように機能停止して倒れる。
 エリヤが着地する直前、即座にドリルは再び三つに分解されてレッグパーツの中に収納されていた。
 そのエリヤが槍の機械人形と戦っていた最中、M1対戦車ロケット発射器――通称、バズーカ砲を装備した一体の機械人形が真珠の方へと向かっていた。
 察知したのは真珠を守っていたバイク戦車メタトロンだった。
『真珠、少し後ろへ離れていてください』
「う、うん……」
 ゆっくりと下がる真珠を確認して、メタトロンはバイクの前部に内蔵されているカメラで敵を確認した。
『対戦車用バズーカですか、ワタシあての挑戦状でしょうか?』
 それはまるで笑っているように聞こえた。しかし、人工知能を搭載しているとはいえ、それはあまりにも人間くさかった(・・・・・・・)
『ワタシに対して対戦車戦術を用いられてはナメられたものです』
 そう、メタトロンは普通の戦車ではなく、ましてや普通のバイクではないのだ。あくまでこの機体は“守護三輪駆動武装戦車”なのだから。
 多少の距離をおいて機械人形は肩に担いだバズーカ砲を発射した。撃ち出された対戦車ロケット弾がメタトロンに向けて飛ぶ。
 その砲弾をメタトロンは避けるような素振りもなく、バイク部へと直撃した。高熱をもった煙が噴き、バイク戦車の姿が数秒見えなくなった。
 直撃を確認した機械人形がゆっくりと真珠の方へと歩みだした。
「そんな…………メタトロン!!」
 後ろにいた真珠が叫ぶ。すると――、
『……なんですか? 真珠』
 煙の中から返事が聞こえた。同時に、機械人形もピタッと足を止めた。
 煙が晴れる。そこに、無傷のバイク戦車がいた。
「メタトロン!」
 安心と喜びが混じった笑顔で真珠は声を上げた。
『安心してください、真珠。ワタシの装甲は特殊超金属ヒヒイロカネでできております。そして、キャタピラ部にはヘビー・アーマー型と呼ばれる減損ウラン装甲で構成されております。たかだか対戦車ロケット弾如き(・・)にやられるワタシではありませんよ』
 相手が未だ健在であったことを確認した機械人形がもう一度バズーカ砲を発射した。
 だが今度ばかりはメタトロンは受ける気はなかった。
『ワタシを普通の戦車と見て相手にしたこと、後悔させてあげます』
 飛んでくる対戦車ロケット弾に対し、メタトロンは左舷のキャタピラに備え付けられた砲身長二.〇五メートルの六銃身二十ミリ機関砲――CIWSバルカン砲――の銃口を向けた。
『ターゲット、インサイト』
 ロックオンし、砲身が高速回転。そして発射!
 1秒間に最大100発発射される装弾筒付徹甲弾(APDS)が対戦車ロケット弾に全弾命中。被弾した対戦車ロケット弾は空中で爆発した。それは超高性能自律成長型人工知能を持つメタトロンだからこそできる芸当であった。
 対戦車ロケット弾を迎撃したメタトロンは、すかさず次弾を放とうとしている機械人形を追撃するために、右舷のキャタピラに備え付けられている三メートルはある白く細長い砲塔――インパルスキャノン――を向け、エネルギーの充填開始。先端に緑色の光が集束する。
『目標、敵武装。……ロックオン完了、発射します』
 インパルスキャノンから発射された緑色の高エネルギーが直線状に伸び、機械人形が肩で構えていた対戦車用バズーカに直撃、爆発した。
 とっさにそれを離していた機械人形だが、爆発の余波に数秒その場に佇む。その僅か数秒が大きな決定打となった。
『マスター!』
「おーけい!」
 機械人形が動かないうちに真珠をさらに後方へ下がらせていたメタトロンが主の名を呼ぶと、機械人形の背後から別の一体を倒し終わったエリヤが走ってきた。
 それに気付いた機械人形が振り向き、おもむろに右腕を前へ突き出す構えをとる。すると右腕の上腕と前腕の間にある関節部の隙間から火が溢れ出した。次の瞬間、肘から先が有線式のロケット噴射で飛び出した。
「ロ、ロケットパンチっ?!」
 さしものエリヤもこればかりは驚かされた。だが、驚きの表情は僅か数瞬。すぐに守護天使としての顔になる。
 即座に左腰にマウントされている巨大な片刃剣の柄に右手を伸ばす。元々巨大な剣であるためか、鞘というものがついていないので、マウントから外せば即座に使用ができた。
 ロケットパンチと衝突の直前にエリヤは全体を大きく前屈みにした。その上をロケットパンチが通り抜ける。直後、エリヤは抜刀した。
「ブレイヴァァァァー!!」
 鍔部に三つの大きな機械筒が接続された異様な大剣、堅勇刃ブレイヴァーを斜め上に斬り上げ、ワイヤーを切り離す。制御を失った右腕がバランスをとることもなく、進行上にあった建物に激突。そのまま瓦礫に埋まっていった。
 ブレイヴァーは西洋剣のように“叩きつける”ではなく、日本刀のように“斬る”を目的とされているため、ワイヤーをも断つことができたのだ。
 エリヤは高く舞い上がるようにジャンプした。そしてブレイヴァーを掲げ、叫ぶ。
「カートリッジ、ロード!」
 鍔にあたる部分に三箇所接続されているスプレー缶並みの大きさの機械筒――“アームド・シェル”――のうちの一つ、装填されている17.78×158ミリの七十口径(・・・・)弾丸――“シャイン・ブリッド”――がボルトアクション式でスライドして内部発射されると、刀身に光の力が急激に収束し始めた。
 武器強化弾丸装置、通称“クロダ・システム”。カートリッジ式のそれは、光の力が凝縮内蔵された弾丸を使用することによってブレイヴァーの光の力を一時的ではあるが最大出力を引き出せる特殊システムなのである。
 しかし、装填場所が三箇所しかないので当然弾丸は三発。故に三度しか使用できない切り札なのだ。
 やがて刃を包み込んだ光によってブレイヴァーは光の剣となる。
 光の剣を大上段に構え、その名を叫ぶ。

暫魔(ざんま)天空剣――」

 機械人形が左腕を前に突き出して同じようにロケットパンチを繰り出そうとした。だがしかし、それはすでに遅い。

「――ジャスティス……セイヴァァァァァァァァーーーーーーッ!」

 振り下ろされた光の剣が、機械人形を縦一文字に断ち切った。


 …………
 ……
 …
 先ほどまでの戦闘が嘘のように、今は静けさを取り戻していた。
 あたりに散らばっているのは機械人形たちの残骸である。
 その全てをエリヤとメタトロンが破壊したのだ。
 エリヤは敵がいないことを確認すると、契約の天使鎧(ディアテーケ)を光輝かせる。そして光が弾けると機械服は消滅し、もとの白い制服姿となった。
「……さてと」
 元の姿に戻ったエリヤこと久魅那は、目の前で倒れている機械人形の残骸から一つの部品を拾う。それは動力炉であった。まだ僅かばかりエネルギーが残っているのか、ほのかに淡い光を放っている。
「真珠、機械人形について知っているみたいだから、ついでにコレのことも教えてもらえる?」
 動力炉を見せるように真珠へ向けると、真珠はゆっくりと答えた。
「それは、機械人形たちの心臓。中には情報(プログラム)魔術が込められているの」
情報(プログラム)魔術?」
「そう。この情報世界エウクセイノスにおいて情報(プログラム)は全ての存在の定義に値する。全ては情報で紡がれ、個は情報で派生。このエルブルズではそういう世界法律(ルール)でできているの」
「エウクセイノス? エルブルズ? ルール? えーと、つまり……」
『事象、事物、過程、事実などのデータに概念を埋め込み、一定の時空の中において特定の宇宙が構成されている。それがこの情報世界エウクセイノスであり、唯一基盤となるのがこの都市エルブルズ。情報(プログラム)魔術とは、演算・動作・通信などの処理を行うためのプログラム言語を人語に置き換え、それを魔術の力により簡易的かつ高レベル化させたもの。動力炉は主記憶装置(メモリ)の役割を持ち、命令とデータを区別することなく格納し、データを命令として解釈実行するシステム。――これで合っているでしょうか?』
 久魅那が考えるよりも早く、メタトロンが答える。
「うん。まぁそんな感じ」
 と、真珠は頷いた。
 そんな感じと言われても久魅那にはさっぱりであった。頭の上には疑問符が浮かんでいる。
 己のマスターが脳内処理に熱をかけ過ぎてオーバーヒートする前に、メタトロンが話題を変えた。
『ところで真珠。貴方は何者なのですか? 先ほどから生体スキャン、赤外線スキャン、X線スキャンにも反応せず、しかしそこに存在しているようですが……』
 それに関しては久魅那も同意見であった。かつて天使と契約した久魅那は身体能力の飛躍と同時に、超感覚能力も持ち合わせていた。いわゆる第六感みたいなものであるが、それですら真珠から生命反応というものが感じられなかった。そこにいるはずなのに、何処か別の所にいるような不可識な感覚。
「それに関してはまだ言えないの。でも……」
 真珠の顔がとある方角へ向けられる。久魅那がその視線を追うと、その先には巨大な時計塔があった。
「そのうち話せると思う。……うん。私はそう信じている」
 力強く頷く真珠。しかし久魅那にはまだまだ分らない事だらけだ。
 だが久魅那が疑問を口に出す前に、真珠の体に突如、ノイズのようなものが走った。
「あっ、もう時間だ。ごめんね久魅那お姉ちゃん。私ちょっと用事があるから今はこれで失礼するね」
「ほえ? 用事? っていうか真珠、アンタまさか?!」
 にこっと微笑む真珠は、次の瞬間には消えていた。まるでテレビの電源を切ったかのように。
 数秒その光景に沈黙していた久魅那であったが、すぐに我を取り戻して相棒に問う。
「メタトロン。真珠って……」
 しかし、人工知能の相棒は冷静に答えを導き出す。
『おそらく実体化モジュールによる半物質化映像だったのでしょう』
「あー、やっぱり実体じゃなかったんだ」
 先ほどからの不可識な感覚はこのことだったんだと久魅那は一人納得した。
「……ん?」
 ふと、真珠がいた場所に何か光るものが落ちているのを久魅那は気付くとそれを拾う。
「……鍵?」
 それは長さ十センチ程の銀の鍵であった。しかし、鍵穴に挿す部分は複雑な形状をしており、何に使うものなのかは特定できない。
 おそらく真珠が持っていたものだと久魅那は推測する。だがしかし、何故反物質化映像であったはずの真珠がこうも完全物質の鍵を持っていたのだろうか?
 答えの主がいないことから、とりあえず一応持っておこうとポケットの中にしまい込む。
『それでマスター。今後の予定はどうしますか?』
「むー、そうだねー」
 久魅那は考えながら周囲を見渡していると、先ほど真珠が見ていた巨大な時計塔が視界に入った。
「それじゃあとりあえず、あの時計塔に行ってみましょうか」
『その理由は?』
「高いところから見たほうがなんか解決案が浮かぶかもしれないし。誰かがいそうな場所と考えたら、あの時計塔が一番怪しいじゃない?」
『そういう短絡的な思考で物事を判断してはいけません』
「良いも悪いも全てマスターであるあたしの判断ですよーだ!」
『……了解(ヤー)。地獄の底までお付き合い致します。マスター』
「そうこなくっちゃっ!」
 相棒の賛同に意気込んでバイクに乗り込む久魅那。
 再びエンジン音と大地を走るキャタピラの轟音が、情報都市エルブルズに響いていった。


4 :ハリセンボン :2006/08/13(日) 12:54:26 ID:nmz3m3xH

凶熱の魔術師

 深い霧の中、悠然と歩く一人の男の影がある。
 筋骨隆々の四肢を真っ白い紳士服で包んだ浅黒い肌の威丈夫。己の中の『暴』の気配をさらに際立たせるのような真っ白い紳士服を身に付け、背にはライオンの毛皮のコートを袖を通さずにかけている。口元には高いということだけはわかる高級そうな葉巻をくわえていた。髪は肩までかかるウェーブ、黒色。肌、髪は全体的に黒いが、身にまとう衣服は反して真っ白。見て金をかけているということがわかるような出で立ちの男は、あたりを見回し小さく舌打ちを漏らした。
「……さて、ここは何処かね?」
 不愉快そうに彼は呟く。野獣に例えられるような鋭い目を細めあたりを見回した。
 ほんの少し前まで彼はビル街を歩いていたにも拘らず、突如として古色蒼然とした石や木造で建築された建物の並ぶ町を歩いていたのだ。少し、ほんの少し濃い霧が視界を覆い、その霧が晴れたと思えば突如としてまったく見覚えの無い光景が眼前に広がっていたのである。
「魔術? ……いや、そうでもねぇな」
 不愉快そうに巨躯の魔術師は呟く。
 唐突に異なる場所に運び去られたのは理解できる。だが、魔術による転移ならば欠片なりと魔力の残滓を感じるはずだ。魔術師として増長の必要も無く超一流の部類に入る己が見逃すはずがない。
 魔術による強制的な転移ではない。おそらく自分の知らないまったく別種の技術によるものだろう。
「……良いねぇ。この俺に対してそんなふざけた真似をする相手がいるとは。実に楽しい」
 口元を禍々しく笑みに歪め、巨躯の術者、その力を灼熱と爆炎に特化した恐るべき手練の魔術師エルムゴートは楽しそうに呟いた。
 笑いと共に口蓋から灼熱が漏れ出る。空を見上げれば、そこには見慣れた星空は無い。あるのは波打つように見える海のような空だった。尋常ならざる光景であることは間違いないが、それでも恐るべき魔力を誇る外道の魔術師の心に不安を感じるような要素は無い。
 肩で風を切るように歩きながら彼はあたりの光景に目をやる。
 
 
 見慣れない空に、西洋の建築物を連想させる石と木で作られた建物の中をエルムゴート=アンセムは歩き続けている。
「……人間が作ったってことは間違いねぇようだが」
 目を細めて呟く。確かに人間が作った事は間違いが無いようだが、建物の中をのぞけば、そこは人の営みが欠片も感じられない何処か乾いた内装しかなかった。
 まるでこの建築物を作った人間が実際を都市を真似て作っただけのように。
 実物大の模型に似た空間の中でエルムゴートは面白くなさげにあたりを見回した。
 口元に燻らす葉巻を吸いつつ、エルムゴートはさて、どうするかと思いながら近くの建物に背を預けて考えた。
「俺がここに強制的に連れてこられたなら、そう遠からぬうちに、召還者から接触があると見るべきだが」
 半ばまで灰になった葉巻を見ながらエルムゴートは思考する。
「さて? 俺を呼んだ人間はどんな輩かね。……知ってるか、小娘」
 思考の泉に沈んでいたエルムゴートは、視界の端に移る赤いものに声を投げかけた。柔らかいシルエット、女の子らしいほっそりとした肢体。彼がその身を窶していた東方の島国において神に仕える者が身に纏う白い和装と緋袴に身を包んだ少女がそこにいた。先ほどまでは姿かたちすら存在していなかったにもかかわらず、まるで最初からその場にいたかのように風景に馴染んでいた。
「驚かないんですか?」
「ふん、この俺に気づかれずにこんな場所に招待するような輩がいる時点でたいそう驚いた。今更小娘一人が出てきたところで驚くような心臓はしてねぇな」
 皮肉げに唇を笑みに歪めるエルムゴートは、表情を改めて目の前の少女に目を向けた。葉巻を吐き出し、言う。
「で、……その衣装になんの意味があるんだ?」
「……あれ。事態に関する説明を求めず最初にそれを質問するんですか?」
 エルムゴートの一番最初に提示された質問の言葉にその少女は少し戸惑ったような表情を見せながらも、とにかく何か言おうとしたらしく、彼女はその唇を動かそうとした。
 その時。まるで画像ノイズに似た、稲光が一瞬視界の端に写った。
「情報魔術の物理収束を確認、……来た?!」
 少女の唇から驚愕に満ちた呟きが漏れ出る。
 彼女のその表情に片眉を吊り上げたエルムゴートは、視線の先を追い口笛を漏らし、楽しそうに笑った。
 最初、それはただの砂のようにしか見えなかった。
 風に吹かれ飛ぶような細かい粒はしかし、まるで何者かの意思に従うようにひとつに結合していき、何かの形をとろうとする。
 
 砂が寄り合わされ一つへの姿を変えていく。
 形成されるそれは甲冑に身を包んだが如き巨人だった。巨躯の部類に入るエルムゴートよりもなお大きい。皆それぞれ全身を鎧で覆われており、誰一人顔を窺えない。しかも人間が入っているようなサイズではないことから異様だ。それぞれの身長が二メートルを超え、大人二人分はある横幅の身体に合わせられた大きな剣を持つ兵士や、スパイクハンマーを持つ兵士、槍を持つ兵士もおり、斧を持つ兵士もいれば、銃を持つ兵士もいた。
「……熱が腹部からしか感じられねぇ。こいつら、自動人形の類か?」
 目の前の兵士たちからは生命ならば当然持ちうるはずの熱を感じられない。エルムゴートは目を細めて笑った。もっとも熱らしい熱が感じられないのは横にいる巫女服の少女も同様であるのだが。
「人のいない都市にやはり人でない兵士か。らしい話じゃねぇかよ。……小娘。お前を追ってきた奴か?」
 首を縦に振る少女。
「……ま、良かろう。たまには殺し屋が人助けをするのも悪かねぇが……」
 視線をその兵士たちに向ける。人では無い以上、恐らく魔術か、もしくは機械で動かしているのだろうが、魔力の流れも読めない上、間接部にはアクチュエーターの類も伺えない。自分を召還したのと同様に、やはり未知の技術だ。
「道を開くために切り払ってきたつまらん雑魚共!! せいぜい全力で足掻け、そうすりゃ少しは気が紛れる!!」
 エルムゴートは右腕を掲げる。同時に魔術式を形成、相手を一方的に撃破する射撃魔術ではない。遠距離から打てば勝負にもならずに相手を撃破できるだろうが、エルムゴートはあえて自ら敵と同じ土俵で戦うつもりだった。
 

 弱い。
 目の前の相手は弱すぎるのだ。

 全力で魔力を行使し、「爛れる鋼鉄」と仇名を受けるほどの大火力を持って勝利する価値の無いつまらぬ敵。やはり、あの老いた剣聖ぐらいしか俺の敵はいないのか。舌打ちを漏らす。
「我が右腕に握手はいらじ!!」
 魔術をかじった人間ならば誰もが理解できる桁外れに精緻で強力な魔術式が赤色の帯を伸ばし、エルムゴートの右腕を覆うように展開される。
 禍々しく、そして凄まじいまでの純粋な力に満ちた魔力が形を成そうとする。
「我が求むるは赤子の柔肌を炙りし戦慄すべき炎邪の右腕!! 我が右腕の愛撫を受けし者は、等しく火膨れ、爛れるべし!!」
 炎の邪術、ただ純粋に力のみに特化した狂猛な悪鬼の炎が顕現する。
「我が右腕を憑依に、顕現し、完成せよ、シャイニングフィンガー!!」
 ごわり、と右腕が太陽と同質の光を放ち、すさまじい高熱で右腕の周りを熱で歪める。
 触れえるだけで相手の肉体を爛れさせ、必殺となりうるであろうその右腕を示すようにエルムゴートは燃える腕を掲げた。
 接近してきた巨大な機械巨人がその手に持つ巨大な刃物を振り上げる。打ち下ろせば近くの民家も真っ二つに両断するようなその一撃にエルムゴートは侮蔑の失笑を漏らした。
「馬鹿め」
 深く、低くエルムゴートの巨躯が沈み込み、相手の下半身に狙いを定めた。その焼け爛れる右腕で相手の足を両断する。恐ろしく堅固で銃弾すらはじき返すであろう相手の装甲をまるで飴のように溶かし、そのまま横薙ぎに振りぬく。攻撃の動作一つで機械人形は己の攻撃の為の態勢を乱され、そのまま仰向けに倒れていった。
 ふわり、とエルムゴートの巨躯が浮き、相手の脳天をその爛れる右腕で溶かす。
 まるで末期の足掻きのように微細な痙攣を漏らしたその機械人形はそのまま動きを止めた。
「制御系が集中しているのはやはり頭か……!!」
 一匹を始末したエルムゴートは続いて別の相手を狙う。銃器を構えた人形。その相手に狙いを定め、口元から灼熱を漏らしながら凶暴な勢いで襲い掛かった。
 




 ……ただの一つの例外も無く、頭を飴のように溶かされた鋼鉄の人形どもの屍が散乱している。
 その一つに腰を下ろしながらエルムゴートは不機嫌そうに叫んだ。
「糞弱ぇぞ畜生ぉぉ!!」
 右腕はもうすでに触れるすべてを焦がし溶かす灼熱を纏ってはいない。だが、変わりに捻り斬った相手の頭が握られている。不愉快げに相手の首を叫びながら投げ飛ばした。
 あまりに乱暴なその動作にびくり、と少女が脅えた様に震える。
 黒髪をガシガシとかき、エルムゴートは舌打ちを漏らす。並みの人間ならその一瞥をくれただけで怯えるような剣呑な気に満ちたエルムゴートは少女を見て怪訝そうな声を漏らした。
「おい。……あん?」
 ふるふると、少女が震えている。その瞳の端には既に涙がたまっている。なんか、泣く寸前だ。
 無理からぬかもしれない。一流の殺し屋であり、他者を威圧する空気を備えた、眼光で相手を射竦める凶の気に満ちた見た目がかなり怖い巨躯の魔術師エルムゴート。そんな彼に睨まれれば怯えるのは当然の結果といえた。
 だが。殺し屋としての経歴はすさまじいものでも、あいにくと泣く寸前の子供のあやし方など知らぬ男は困惑した様子で少女を見た。
「……おい、なんか腹ぁ痛いのか?」
 一応気遣いの言葉をかけてはみたが、少女が怯えていることは大して変わっていない。
「……くそ、いいから泣き止みやがれ小娘!!」
 とりあえず要望を言ってはみたが少女からしてみれば内から来る怯えの衝動はそういわれておいそれと静まるものではない。百戦錬磨の猛者であっても泣く子に勝てないのは世の常であり。
 感情の堰の決壊が近い少女を前にエルムゴートは、実に似合わぬことに途方にくれた。


5 :菊之助 :2006/08/22(火) 22:51:09 ID:m3knVcnc

男は飾らぬ方が良い。

 俺は何を求めているのか。
 何を求めて生きているのか。
 生きている理由は、あるのか。
 甘いとは思っているが、誰か教えてくれ。
 俺がこうして生きている意味を。
 生きねばならぬ意味を。
 それが出来ないならば。
 誰か連れて行ってくれ。
 俺を。
 ここでは無い何処かへ。
 ここではない。
 世界へ。


「……で、ここはどこだ?」
 唐突な視界の変化に開口一番そう呟いたのは、見事な金髪をした少女だった。少女? いや、少女ではない。少女のような顔つきをしてはいるものの、歴とした少年である。
 名前はリロイ・ロイロード。花も恥らう十八歳だが、その格好は健全なる十八歳と少しばかりかけ離れている。
 白いレースエプロンを素肌に装着。俗に言う、『裸エプロン』。
「なんかいやな視線を感じた気がしたが……」
 半眼でそう呟くリロイであった。しかし幸いなことに、視界の届く範囲に人影は見受けられない。そんなわけで、意外と彼は堂々とした様子で、裸エプロンという格好のままその場を歩いていた。
「つーか、マジでここ何処よ? ジジーッ、根暗ーッ、おーい!?」
 誰もいない空間を見渡してから、少年は四方へ叫ぶ。そこは今更ながら、彼が見たことも無い世界だった。
 石と木材で出来た建物が立ち並ぶそこは、一見すると『町』といえないことも無いかもしれない。だが、町にあるはずのさまざまな物が欠如している。
 即ち、「人の気配」と「現実味」。
「……」
 リロイは、改めて自分の置かれた立場を確認することにした。
 先ほどまで自分は確かに彼の祖父と、そして同居人である少年と共に家の近くにある川まで魚釣りをしていたはずである。小規模食糧難(食料ではない)であるロイロード家は、まさに自給自足。しかも新たに同居人が加わったことで、これまでは三日に一回の割合で食糧(くどいようだが食料では、ない)を確保しなくてはならなくなった。それで今日も午前十時過ぎからテクテク近所の川まで魚釣りをしに来たわけなのだが、快晴の陽気を全く無視して突如発生した霧に視界を奪われている間に、気がつけばこんな見知らぬ場所に立っていたのである。並みの神経ならば泣き叫びたいところだが、常に「並」どころか「特上ツユだく大盛り」のような生活をしているリロイにとって、この状況はまだ泣き叫ぶには程遠いのであった。
 が。
「つーか……マジでオレ、一人だけか?」
 轟く空も、空気さえも、長年暮らしてきた自分の知る世界とは全く違うその「世界」で、リロイは呆然と立ち尽くした。誰もいない、かもしれない世界。
 ああ、どうしよう。
 少年は静かに不安を抱き始めた。
 このままでは、オレは裸エプロンで生涯を終えることになるかもしれない、と……。



 金髪美少年がそう思い悩んでいるのとほぼ同時刻、彼から数キロ離れた霧の街中に、その青年は立っていた。
 伸びた黒の前髪に、独特の色合いをした金目が見え隠れしているものの、その表情は険しい。
 背が高く、同時に筋骨逞しいその青年は、意外にも先述したリロイと同じ年齢だった。
 クルーガー・バーズという名のその青年は、当年とって十八歳であるものの、落ち着いた物腰が否応無しに彼を老けて見せた。
 その彼は、表情には出さずとも、自分の置かれた現状に若干の動揺を覚えていた。
 確かに彼は数分前まで、居候先の住人と共に、彼らの家の近くにある川まで魚釣りに連れ出されていたのだ。透き通る水の中、日の光を鱗に反射させて泳ぐ魚達。何匹か捕まえたところで、居候先の少年が川底に足を取られてこけそうになった。一人でこけてくれたらよかったものを、その手はすぐに彼の横にいた青年(つまりクルーガー)の服の裾を掴んだのである。
 通常ならばあらゆる押しにも微動だにしないクルーガーだが、ふいに、しかも横合いからの掴みにバランスを崩し、少年と共に川の中に倒れこんでしまったのだ。
(今更ながら、油断していた)
 見ず知らずの町並みを再度見回して誰もいないことを確認してから、青年は深く深く溜息を吐く。
 近所への川釣り、だったのだ。
 近所ゆえ、着替えも何も用意していなかった。
 しかも行ったのは男同士である。
 ついでに結構な山奥にある川だったので(そう、彼の居候先は村はずれにあるのだ)人通りも無い。
 風が冷たい十月の空。
 ぬれた服のままでいると風邪をひくぞ!
 そういったのは、居候先の老人。少年の祖父で、言いようの無い存在感のある男だ。それに叫ばれた。
(脱ぎなさい! 火はたいたからな、ほら。そこに服かけて。男同士なんらか素っ裸なんて気にならんだろう? ここはめったに人も取らんしな。そんなぬれた体だと、家に帰るまでに風邪をひくぞ! うん、あいにく着替えは無いが、魚の調理をする際血がかからないようと思って持ってきたエプロンが二枚あるから。ほら、これを着ていなさい。お腹を冷やしたら大変だ!)
 何気に説明的な老人の言葉に、しかしその迫力が凄まじくてクルーガーは逆らうことが出来なかった。
 身長百八十八センチ。
 筋骨逞しい青年。
 鋭い表情の青年である、そんなクルーガーの今の格好はというと。
(……ああ、死にたくなってきた)
 マッパにフリルエプロン。ついでに色は薄ピンク。
 逞しく、精悍な顔つきをした青年がそんな格好をしていたら、シュールというよりも寧ろ犯罪である。
 幸いなことに、彼の鋭敏な鼻はこの近くに人間の臭いを嗅ぎ取ることは無かったが、だからといって事態が好転したわけではない。
 そそくさと物陰に身を隠しつつ(ついでに、ともすればはためきそうになるエプロンの前を押さえつつ)、クルーガーは冷静に今の自分を分析しようとしていた。
 知らない町。
 何故ここに来たのか。
 足を踏み入れた記憶も、それらしい兆候も全く覚えが無いクルーガーにとって、まさにこれは狐に鼻をつままれたような思いだった。場所も分からない今、下手に動く方が危険である。とりあえず誰か通ることを確認してからか、もしくは日が完全に落ち、自分の姿が傍目に見えないようになってから行動すべきだと、彼の長い傭兵経験が語っていた。何より、この姿で下手に歩いていた方が、危険極まりない。
 彼の鼻は、居候先の少年の臭いをこの空間に嗅ぎ取っていた。
 しかし、彼にこのエプロンを着せた、彼より数倍逞しい老人の臭いまでは嗅ぎ取れない。とりあえず、あの少年はこのおかしな空間にいるらしい。そのことに少し安堵を覚えた自分に、クルーガー自身が驚いた。
 会ってまだ数ヶ月だ。寝食を共にしているとはいえ、居候先の少年を頼りにしているかもしれない自分に、クルーガーは驚愕した。
(何を、俺は……)
 期待などするな。
 頼ろうとするな。
 俺のような存在が、頼っていい存在なんて、この世には既に存在しないのだ。
 黒いその髪よりも、更に暗いその瞳は、やがて彼の腕の中にかくされる。
 後悔と苦悩。自分に残されたのは、もうそれしかないのだから。




 物陰に身を潜ませた青年が、頭を抱え込んでしゃがみこむ。
 どれくらいそうしていただろうか。
 濁った風の中、ふと彼の鋭敏な嗅覚が誰かの臭いを嗅ぎ取った。
 とっさに顔を上げ、僅かに見える隙間から、道の向こうの様子を伺う。
 クルーガーの潜む場所は、通りと思われる道に面した建物と建物との隙間だった。その影の中に気配を消して潜む彼は、ただでさえ弱い光が届かない場所からじっと臭いのする方向を見つめた。
 霧に包まれた向こうから、確かに誰かの足音が聞こえる。
 姿は見えないその相手に、裸エプロンという犯罪的な格好のまま、どう対処すべきか、クルーガーは奥歯をかみつつ苦悩していた……。


6 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/08/28(月) 17:34:47 ID:QmuDsJYm

無貌の男


 戦いは因果の連鎖であり、闘争は宿命である。
 修羅道に入った者は悉くその因力に引かれて無残な道を辿る。
 だが稀に、その業によって再び立つ事を余儀なくされる者がいる。
 虚空の彼方で(そら)の棺から死人が甦る。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 何処までも高く跳んだ彼は、漸く意識を失っている間に厚い(もや)のような中を漂っている事に気付いた。
 白い靄の中では何か分からない、走馬灯のようでもあり、テレビのようでもあり、とにかく、靄の中では光と音が、情報としてぐるぐると無軌道に渦巻いていた。
 彼が意識自体を失っていた時間は数秒にも満たない。
 その意識を失っていた理由は『あの激しい戦闘』のためだが、その戦闘で受けたはずの傷の一切は彼の身体に残ってはいない。
 それを彼が認識した直後にやっと体の感覚が重力の存在を主張し始め、靄から抜けるように視界が晴れて、彼は空から落下していった。

 もし、空から落ちてくる彼を見る事が出来るものが居たら、それは異様としか表現しえない格好だった。灰色のピッチリとしたスーツの上に動きを阻害しない程度に機動隊や特殊部隊が着るような防具を胴体、股間、首周り、腕、脚に見につけている。よくよく見ればスーツ自体にも鱗のように、まるで中世の鎧のスケイルアーマーのようにぎっしりと強化プラスチックの断片が詰められている。彼の足元も同じく灰色のブーツで皮よりも厚く、つるりとした表面がその下を鉄板などで加工されているのが容易に想像がつく武装をしていた。そして、顔。その顔から頭までを一枚の灰色の仮面が覆っていた。仮面にしては面白みに欠け、何かを表す記号にしては黙しすぎていた。絵も何も描かれていない、ただの(かお)無し。フェイスレス。
 それが眼下に広がる、西欧の中世時代に思える街中へと落ちていっている。

 彼はまるで空に置かれた棺から、間違って零れ落ちた死者のようだった。

 上空五十キロメートル。地上四千メートルから雪の上に落ちたパイロットが命を取り留めた例があるが、真下で彼を待ち受けるのは石畳の道路か木製の屋根、もっと運が悪ければ、屋根に経つ錐状の飾りの上である。

 初めに断っておくが、彼自身は完全な生身の人間である。
 彼から見て地上の左の方向でその姿を捉えた改造バイクと共に戦う少女や、眼下の右で業火を渦めかせて哂う魔術師とは違い、ただの刃や銃弾を一撃でも素肌に受けただけで絶命する可能性のある貧弱な生身である。重厚な防具もそれらから守る、オーダーメイドとは言え、単純な防刃や防弾のためであり、少女のように何か特殊な力があるものではない。例えば、完全な人が何かに時速三百キロメートルで衝突すれば防具越しだろうと粉微塵になるのは目に見えている事実である。
 しかし、それでも彼は慌てない。それは彼の人体の内部に物質上に顕れない『一つの概念』があるためである。

 彼が幸運にも大きな通りの石畳の上に着地した瞬間、予想されたような地上に衝突する轟音が届く事はなかった。まるで、彼の体内の何処かに収納されるように位置エネルギーから変移した運動エネルギーが消失し、彼はまるで元からその場でそうしているかのように、片膝を立てて、沈黙していた。

 彼は以前修学旅行で行った長崎の風景をその場に思い馳せ、そして、ここは何処なのだろうと言う至極一般的な、むしろ一番初めに気付いた方が良い疑問にようやく到達した。

 そんな疑問を抱きつつ、地面に心持落としてした視線を上げれば、大き目な白地のセーラー服を着た小学生くらいの女の子が胸元に両拳を当てて、目をぱちくりとさせていた。茶っぽいサラサラの黒髪の右片方の脇をヘアピンで止め、肩までの髪をユラリと揺らしていた。
 それは走ってきたら目の前に突然空から墜落してきた男に驚いて立ち止まったかのようだった。
 何故かその少女の姿に『美浜ちよ』と言う何処か聞き覚えと見覚えのある姿を思い出しかけたが、その危険な想念を止めて男は膝立ちの状態からゆっくりと少女を驚かせないように立ち上がった。
 少女も年齢にあわせて小柄だが、男はそれでも標準的な成人よりも身長は高いモノではない。
 立ちすくむ少女に、豪快に哂う魔術師よりも怪しい男が仮面越しに笑いかけた。
「驚かないで、お嬢さん。僕は怪しい者ではありません」
 説得力と言う言葉が視覚化されているなら、これほど胡散臭く見える事が無いほど、戯けた男が立っていた。
 少女が未だこの場を離れないのをいい事に、男は尚も仮面一枚を通してくぐもった声を続ける。
「見覚えが無い場所なので、お尋ねしたいのですが。どちらに行けば、東京に戻……」
 その時、男の鋭い感覚が気付いた。

 鉄が石畳を打つ音が、一つ、二つ、……十二。

 次の瞬間、本能的に危険を察した男は突然少女を抱き上げ、そのまま「ほぇぇっ」と叫ぶ女の子を小脇に抱えて走り出した。その速度は少女一人を抱えていながらも身体を揺らさずに、もっと華麗に言うなら氷上を滑るように揺れずに、しかも速い。
「何だ、アレは? 人間では無い?」
 彼の仮面に内蔵されている、後方の視界を確保する光ファイバーを使用したカメラには六体の西洋甲冑を着込んだ者達が写っていた。
 それは彼が以前博物館の展示で見たようなありふれた甲冑でなく、人が着るモノとは思えない横幅かつ大きさ。彼の身長では三回り、少女では二倍近い体躯である。横幅は彼でも二倍近いその甲冑が、全力で走る彼に、いや彼女に追い縋ってくる。その手にあるのはツヴァイハインダーと呼ばれる大剣やモーニングスター、槍、死刑用に使うような(まさかり)を携えている。
 徐々に人外の彼らを少女を抱えながらも引き離しつつあった彼だが、その戦闘を回避出来るかもしれない希望は眼前で一瞬にして打ち砕かれた。

 足音を聞いた数の『残りの六体』が、最短距離を廻って、彼の目の前の通りから現れた。
 少女を抱えたまま突破出来ない事を認識すると、彼は横の狭い、明らかに『行き止まり』の路地に逃げ込んだ。
 その最も奥まで行き着くと彼は少女を下ろした。あれほど速いスピードで走ったと言うのに息は乱れていなかった。
「……動かないで、此処に居るんだ」
「で、でも、あの機械人形に人間であるあなたが敵うはず……」
「ただの人間でも敵う可能性はあるのですよ」
 ニヤリと仮面の中で歪めた唇を少女に想像させると、彼は振り返りながら甲冑の人形に向かって走り出した。
 狭い路地に誘い込まれた彼らは、武器も満足に振るえない場所に行儀良く縦に並んで、否、並ばされていた。
 彼らの知性、もとい、情報魔術で適応されていたアルゴリズムがその危険を予測し、慌てて後続から後退を始めたその時だった。
 一番前に居た機械兵が突然吹き飛ばされた。
 まるで背中から引っ張られたかのように二百キログラムは優に越えるだろう鉄塊の兵士が飛ばされた。

 吹き飛ばれた兵士を兜ごと動かしながら後ろに居た機械兵が目の辺りで追い、そこからまた視線を戻すと、兵士が元々立っていた地点にはゆるく両掌を胸元から突き出して片足を軽く前に出し、地面に背筋を真っ直ぐに立てた彼が居た。
双把(そうは)

 その動きは彼が先ほど空から落ちながら眼下で確認した少女と同じ発勁である。
 発勁と言う言葉は中国拳法では強調されるが、実は誰でも出来る事なのである。種明かしをするならば、発勁とは効率的な体の運用によって効率化された力【勁】を体の外に運動エネルギーとして出す、発する動作の事である。つまり、サッカーで言うなればボールの蹴り方の上手い下手が、野球のバッターで言うならスィングとバットで芯を捕らえる上手さが勁力の大きさと正確さになるのである。つまり、中国拳法でも空手家でも柔道でもボクサーでもムエタイでもペチャクシラットでもカポエラでも合気道でもヤーグレッシュでもコマンドサンボでも相撲でもサバットでも、打極投、いや武道すらスポーツすら問わず、人が出来るあらゆる体の動きには【勁】を発生させられるのである。
 ただ、それを如何に効率化させるか、がスポーツの上手い下手、武術であれば強い弱いに直結してくるのである。
 しかし、一つの動作を効率化させたとしても、その次の動作に繋がらなければ実戦に置いては意味が無いのである。例えるなら、ドリブルが如何に上手く出来てもシュートがリングに向かって理想的に即撃てなければ総合的に見てダメなバスケット選手である。
 それは武術においても同じであり、必殺出来る技と勁を持とうと次に続かなければ、勁力と動作が続かなければ、それは未熟としか言い様が無い。

 さて、長々となったが簡潔に言おう。彼の両掌の一撃は、確実に相手を倒しながら、次に四方から敵が何時なりと、例え同時に襲い掛かってきたとしても完全な余裕があった。
 陳腐な言い方をすれば、彼は武術の達人だったのだ。

 彼に吹き飛ばされて立ち上がろうとする兵士へと、目の前までまるで『動きを見せず』に詰め寄る。あまりにも動きの単純化と予備動作を消した結果、『瞬間移動したような錯覚』に鉄塊の中の人間的なロジックが陥った。彼自身はそのまま歩くだけの勢いで足裏、爪先の根元で低く蹴り上げた。

巻地風(けんちふう)

 倒れていたために程よく顎に炸裂した蹴りが梃子の原理で首の一点に打撃力が掛かり、兜がその衝撃に耐え切れずに接合部の首から丸ごと外れて兵士は沈黙――、すること無く今度は彼の足に掴みかかろうとした。しかし、常人なら戸惑うその異常事態に彼はそれに慌てる事も無く、次の瞬間にもう一度、掴みかかろうとした足と入れ変えた反対の足から【巻地風】を胴体に食らわす。機械兵は小さくコンパクトで静かな蹴りの餌食となって地面を削りながら滑っていき、後ろで待ち構えていた別の機械兵を巻き込んでボーリングのピンのように倒していった。ストライク、縦一列だけど。
「忘れ物だ」
 身を沈めた彼が地面に転がっていた兜を掴むと同時に、頭部大の兜が手元から消えた。
 それを僅かに遠くから眺めていた少女には何が起こったのかを気付けた。兜を掴んだ瞬間に彼の背中を含めて肩から先が後ろに向かって、彼女の知る人体の可動域を大きく越えてグルリと回り、物凄いスピードで兜を機械兵に向かって投げたのだ。
 大リーグどころか、ギネスに登録されるような有り得ない速度でその兜は持ち主である兵の胴体にめり込んでいた。発勁を作り出すために練磨された体、もとい身体を動かす方法である【身法】は下手すれば今からでもオリンピックのどの競技にも出れるほどまで彼は鍛え上げられていたのだ。
 彼が兜をめり込ませた場所から、紫電を帯びて震える機械兵を見て少女は叫んだ。
「逃げて!」
 その言葉と同時に、先ほどの走っていた速度と変わらないスピードで身体を揺らさずに今度は後ろ向きに下がると、少女の目の前に到達する。残りの甲冑兵士が下がると同時に震えていた甲冑が内側から破裂した。
 小規模とは言え旧式の手榴弾と変わらない爆発に巻き込まれながらも、彼は少女を庇いながら飛んでくる両脇の建造物の破片を両手で最小限の動きで弾き飛ばした。
 爆煙を体に帯びながら、彼は首をストレッチするかのように回して言った。
「こんな……SFで、ファンタジーな経験は初めてだけど、ここは一体何処ですか? と言うか、本当に現実?」
「えぇ! い、今までこう言ったモノと戦った事あるんじゃないの?」
「まさか、現代社会に生きる僕がこんな変なものに邂逅するはずはそうそう無いですよ。ロボットなんて四足歩行のとしか戦った事しか無いですし、これはびっくりだな。帰ったら古紫(こむらさき)さんに教えてあげましょう。この世に不思議なものがありますよ、ってね」
 まぁ、人の形をした『天使』とかはファンタジーの例外だけどね、と続いた言葉にも気付けないほど、少女は目を丸くしていた。

 この空間に召喚される者は『然るべき者ども』であり、この閉鎖的な空間で生き残れない未熟なモノやそう言った経験の無いモノは自動的に召喚の段階から候補として排除されうるのである。
 しかし彼女の見る限り、ちょっと性能の良い装甲服を着ただけのただの人間。しかも、魔術などの経験のまったくの無いど素人で、加えてこの空間に召喚された者達のように何かの、彼らの世界でも常軌を逸した、特別な攻性を持った力も保持していない。それにも関わらず、ただの肉体に刻まれた技術だけで機械兵を完璧に破壊したのだ。
 今回の召喚で純粋な体術だけを取るなら人間にも関わらず、一、二を争うだろう、灰色の男。

「広場で待っている残りも片付けてくる。君は……」
「真珠です」
「真珠ちゃんか。僕は……、そうだな。超躍者(リーパー)って呼んでくれないかな? さぁ、真珠ちゃんはここで動かずに待っているんだ」

 そう言って路地から彼は狭い路地から出て行った。



 五分にも満たない時間で、
 重い刃物が空気を引き裂く音。振動。鋼鉄同士がぶつかる音。爆発音。その爆発に連鎖する爆発音。鋼鉄を穿つ連打の音。衝撃。石畳が砕ける音。何かが捻じ切れる音。そして、路地へと飛んでくる甲冑の兜や籠手、脛の一部分。



  ――静。



 静寂の後に恐る恐る路地から真珠が顔を出せば、そこにはただの人間が戦ったとは思えない痕跡が残されていた。
 大通りに形作られていた木造の建築物は壁からボロボロに崩れ、石畳は破壊され、制服に合わせた革靴のローファーの真珠では足の踏み場も無い。地面には突き立てられた様々な武器に、それを操っていたものの破片。
 もし、その中心に誰も居なかったら、航空機からの絨毯爆撃を受けたようにも感じられただろうが、その戦場のど真ん中に悠々と立つのは、無論それをなした彼だった。
「で、こいつらの事を説明してもらえるかな?」
 振り向きもせず、真珠に貌の無い彼は言った。



「何だかよく分からないけど、その魔術って便利だね」
 説明を終えた真珠に発した一言目はそれだった。もう少し、魔術とは掛け離れた世界観から召喚された人間なのだから驚いて欲しいなぁ、と彼女は少しは思ったが、当の本人はこれでも驚いているつもりだった。
「つまり、その魔術か何かで僕はエウクなんちゃらに呼ばれたんだね」
「そう解釈していいかと思うの」
「と言うか何で制服なの?」
「分からないの。でもこの情報空間は被召喚者からの影響を僅かながらに受ける事があるの」
「何だ、それ、つまり、あれか、僕が隠れた制服萌えとかそう言う何か?」
「そう定義していいかと思うの」
 宙を仰ぎながら、「どうせなら裸エプロンが良かった、あ、でもこんな子に着せたら犯罪か、てか僕は出来れば二十代後半から三十代前半のおちゃめでグラマーな年上の方が……」と自分の欲望を吐露しながら、彼は貌の無い仮面の内から彼女に視線を戻した。
「ところで……、君はさっきから『呼吸をしていない』ね。その息遣いは偽装だ。こう言うのも何だけど、虎の力強さと鷹の鋭さを持つ心意六合拳の達人の僕が言うんだ。間違いない。呼吸による体の収縮の周期を感じなかった。それに先ほど君を担いだ時も実際の見た目と比べて異常に軽かった。まるで張りぼてか何かのようにね。加えて、最後の疑問だ。僕は十五分程前に空中で、君と同じ姿の少女を二人、別々の場所で確認していた。仮面に内蔵された光学式カメラの録画画像でも確認し直した。さて、この世界に君は何人居るんだ? いや、魔術と言う僕の既知限界以上の技術があるのなら、こう仮説が成り立つだろう。君は本当にこの場にいるのか? 僕の想像が正しいなら君は何らかの実体のコピーか、SFで言う所の立体画像とかそう言うものではないかな? では、そんな技術をこの閉鎖された空間で扱うと言う事実は、僕自身の召喚と言う行為に関わる人間では無いと言う事ではないかな?

 さぁ、問おう、真珠、君は、一体誰だ?」

 驚くべき程の適応力と発想を見せて、彼は真珠の実体化モジュールのカラクリに気付いていた。
「それに関してはまだ言う事は出来ないの。でも……」
 真珠は髪を揺らしてふと、真横に向けた首を真上に傾けた。
 彼もそれに合わせて視線をなぞれば、あまりにも大きくて気付かないほど目の前に、ロンドンの時計塔に似てそれよりも遥かに巨大な建造物が存在していた。あまりの大きさに仮面の内側で目を丸くしてしまう。勿論、彼女がそれを気付くことは無いが。
 針は通常の時計と違って五つもある。時刻盤には見慣れない、数字とも文字ともつかない記号が並んでいる。時針、分針、秒針、後は何か分からないがとにかく目まぐるしく動く針と、十二時の方向から、少しだけズレている時針とは明らかに何処か違う、小刻みにヤジロベーのように揺れる針。
 何か、時が迫っている事が確かだった。
「何時、全てを話せるんだ?」
「そのうち話せると思う……」
「今、話したく無いのなら構わない。でも、一つ問いたい。僕や他の誰かが呼ばれたその理由は『何かの危機』と捉えて構わないんだね?」
 ピクリと彼女は震えたが、感情の機微を読唇術並みに読む彼にもその震えが何なのかは分からなかった。
「ごめん、また用事ができちゃった。またね、リーパーさん」
 その言葉と同時に、テレビの砂嵐のように身体にノイズが走り、直後にブツンと電源を切ったかのように消えてしまった。神速で掴もうとしていた彼の手には彼女の二の腕の代わりに、長さ十センチ程の、鍵穴を指す部分がやたら複雑な銀の鍵が手の中に残されていた。回す場所には何か書いてあるような気がするが、彼には読み取る事が出来なかった。
「どうやら、置き土産だけか」
 そう彼が言ってから暫くして、荒涼とした風が吹き抜ける。周りの兵士達が粗目の糖菓子のように小さく砕けて虚空に消え去り、周りの建築物も折れ曲がった木の柱が吸い付くように元に戻り、細かい破片があるべき場所に戻るように戻っていった。石畳も下から新しい皮膚が出来るように、砕いたはずの石畳が競りあがり、壊れた破片が兵士達と同じように消え去った。
「(真珠ちゃんが教えてくれた情報魔術としてこの現象を解釈するなら、個体である兵士達のデータは破壊された後、純粋な概念だけの存在に戻り、都市のプログラムに浄化されたわけか。そして、この都市自体は丸ごと破壊しない限りはデータは保持され、あるべきままの姿に戻る、と言うわけか。もしかしたら、機械兵も彼らの概念自体を破壊する方法を取らない限りはまた襲ってくる可能性もある、と考えられるな。――まったく、僕って最近女難の相があるような気がする)」

 移り気でミステリアスな彼女の行動にやれやれと首を振りながら、こつりと鍵を仮面の額に当てて脇にある小さなポーチにしまい、地面に手を付きながら墜落してきたと同じように膝立ちとなった。
「(この世界では一人で動くは危険だ。僕と同じ状況にあるだろう誰か接触を図るべきだ)」
 途端、彼の身体は上空へと跳んだ。
 飛翔ではなくあくまでも跳躍。大空を自由に飛ぶのではなく、大地から一時的に離れる、跳ぶ行為。彼がちらりと確認したバイク乗りの少女のように自在に飛ぶ事は出来ないにしろ、加速性能だけは劣らないように思えた。
 跳び上がった着地点は馬鹿デカイ時計塔の、避雷針のような尖塔の真上だった。いつも、彼が住む国でもっとも高い電波塔でそうするように、片足をその時計塔の一番上に預けた。この世界でおそらく一番高い場所から彼は眺める。仮面の内に内臓された光学式、加えて電子式望遠システムならその同じ状況の相手を見つけるのは容易いはずだ。
 ふと、地平線から頭上に掛けてを眺めれば、ただただ暗い藍色の海のようなものがうねり、世界を半円状に覆っていた。
 そこで彼ははっきりと、ここは彼の馴染んだ透明な(から)の棺ではなく、情報の海の墓場、別世界だと言う事を確信した。
 こんな場所、いつまでも居るべきではない。
「――さて、誰にまず出会おうか」
 彼は頭上から地面と戻しながらゆっくりと頭を巡らせ、世界を俯瞰した。


7 :寝狐 :2006/09/10(日) 16:43:33 ID:n3oJYntD

大魔術師と月雫の対峙


「どうして?」
 巨大時計塔オルドリンにて、淡く光るコンソールの前でイシス・テレジアは困惑していた。
 大出力の情報魔術による次元干渉によって、彼女の準備段階は進んだかと思われた。だがしかし、結果は彼女の予想外の出来事であった。
「なぜ、全ての次元が結合しないの?」
 術式は間違っていないはずだ。プログラム調整に問題があったのだろうか? それともウルム・アト・タウィルの次元監視艇が勘付いたか? などとイシスの脳裏にあらゆる想定が浮かぶ。
 ……とその時、イシスは何かを感じ取り、正面の幾つかに緑枠の平面状のパネルを表示させ、円周情報都市エルブルズの各場所の映像を映させた。
 画面の一つには、天使の姿を模した機械の鎧を身に纏う少女。その横のパネルには、業火を渦めかせて哂う魔術師。さらに右下には灰色の鎧のようなスーツに身を包んだフェイスレス。そして、反対側の二つのパネルには何故か裸エプロンの少年と青年の姿が……。
(…………最後のは見なかったことにしておこう)
 さしもの大魔術師も、最後の二つだけは目を背けた。
 その二つのパネルは消去して、残りの画面をイシスは見る。
 どれも機械人形と戦っていたが、圧勝ともとれるほど彼らは強かった。
「街の機械人形は確か、探索用プログラムを組んでいるから戦闘能力は最低レベルにしていたはず。どおりで弱いわけね。……にしても侵入者? いや違う。おそらくは……」
 ゆっくりと後ろを振り向いて、イシスは少し後方にいた少女に声をかける。
「お前の仕業か――?」
 イシスと少女の視線が合う。
「――真珠」
 いつからそこに居たのか、少女――真珠は、久魅那やエルムゴート、そして超躍者(リーパー)の前に現れたときは違う服装をしていた。
 高襟に深いスリットやボディラインを強調した中国風のドレスを着ていた。ただ、真珠自体がまだ六歳の体なため、色気なんてのは感じられない。しかし幼子特有の可愛さは溢れんばかりではあった。ただ、六歳にしては胸の部分が気持ち前に多少出ているため、ちょっと発育良すぎなのでは、とイシスは一瞬頭を過ぎったのだがすぐにそんなことは思考から外す。
「イシス・テレジア。私はあなたを止めます」
 その声は街中にいる三人と話していた時とは全然違い少女らしさは無く、まるで大人びたような声質であった。
「ふん。今や実体化モジュールを使わないと外界へ出られないお前なんかに、私を止めることは不可能よ」
「そうでしょうか?」
 真珠の視線が自分に向けられていないことに気付き、イシスは顔だけ動かして後ろを見る。
 そこには三つのパネルに映された三人の姿。
「……なるほど、お前があの者達を召喚したのか?」
 真珠は微笑む。
「ええ、そう。……あと二人いたはずなんだけど、まぁ、単にそこに映っていないだけにしておきましょう」
 再び真珠の視線はイシスへ向けられる。
「全ての次元を無理やり繋げたらどうなるのか、あなたなら分るはずよ」
「この世界や他の世界がどうなろうと私の知ったことではない。私はただ、目的を果たすのみ。……それにだ」
 イシスは背後の三つのパネルとは違う、大き目の別パネルを右斜め下に出現させ、表示された幾つかの項目などををタッチパネルのように操作する。すると、画面にエルブルズとそれを覆う次元の海の立体映像が浮かび上がり、その周りにある幾つものパラメーターが減ったり増えたりしていた。
「今測定したところ、やはり私のプログラムは間違っていなかった。つまり、全次元が徐々にだが結合を始めているのだ。この遅延の原因は……真珠、お前の力によるものなのだろう?」
 真珠は答えない。だがそれをイシスは肯定と受け取った。
「まぁいいわ。どうせ時間の問題。さて、機械人形のプログラムを戦闘用に組み替えておかないと。それに侵入者の戦闘データも追加して……」
 もう真珠に用はないとでも言うように、コンソールの方に体を向けたイシスは、パネルを操作しながらその横に立掛けてある杖に手をかざしている。それは地面に設置したホルダに杖の柄を挿すことによって情報魔術を行使するとその魔術を送信する装置であった。
「そんなことをしても、あなたの望みは叶わないのよ!」
 真珠のその言葉がどれほど胸に突き刺さったのか、イシスは突如杖を装置から引き抜いた。そして一瞬のうちに攻撃プログラムを形成、杖の先端にある槍の部分から黒い光が集束し、ソフトボール並みの大きさの球状となる。
「黙りなさいっ!」
 杖を横薙ぎに振り、黒光の弾を真珠に向けて放った。高速で飛んだ黒光の弾が真珠のいた場所へと落ちて大きな爆発を生んだ。
 土煙があたりを包み、やがてそれが晴れると、そこに真珠の姿は無かった。
 死んだわけではない。そこにいた真珠も街中の三人が出会った時と同様、実体化モジュールの真珠だったのだ。
「……くっ」
 唇を噛み締めながら、イシスは再びコンソールに向く。
「全ての次元を一つにすれば…………取り戻せるのよ…………」
 その声が怒りであったのか、それとも悲しみであったのかは、彼女以外誰も知らない。

 ――――オルドリンの針がまた一つ、動いた。


8 :ハリセンボン :2006/09/24(日) 13:44:05 ID:nmz3mJWk

天使と邪術師

 誰もが知らぬ場所で、世界の、否、単独を意味する世界と言う言葉は相応しくない。誰もが知らぬが、知る者は知る、数多くの世界に危機が訪れようとしていた。
 もっともそれは余人のあずかり知らぬ、いや、異なる世界の存在すら知らぬ人々にとっては、まさに知りたくとも、知る事の出来ない異変であった。
 
 だが、時折、偶然とは面白い仕事をするものである。
 
 エルムゴート=アンセムは戦闘狂である。
 言い換えれてみれば、戦闘以外のことは割とどうでもいいと考える節がある。そこいらの事は、彼の数少ない知人、召喚魔術に長けた魔術師『百獣園(ビーストランド)』に指摘された事もある。殺し屋としても一流の部類に入りはするのだが、敵に手ごわい護衛が居た場合、その相手との戦闘に満足して仕事を完遂しない場合も時折あった。
 エルムゴートは、背に負うコートを揺らしながら空を見上げた。
 一瞬、視界の端に何か、中天を舞う人影が在った様な気がしたのだ。その方向に目線を向けてもそこには誰も居ない。だが、何かが飛んでいた事は間違いなかろうと彼は辺りを付ける。目を細めた、先ほどの機械人形とは違う、生身の人間が存在している。そう考えながら肩越しに後ろを見た。
 そこにはエルムゴートにすっかり怯えてはいるものの、一歩引いた場所を歩いている何故か巫女服の少女がいる。エルムゴートはさて、と考えた。
 下手に子供を泣かせるのは良くない。別に子供に対しての同情では無い。今回は自分の近くに居るこの少女が泣いて、自分の位置を補足されるのは余り面白くないと考えているからだった。
 エルムゴートのいた世界の近代戦では、まず相手を先に補足し先手を取る事こそが肝心とされていた。もっともそれは銃器と戦術が戦いの中心であった場合の話であり、エルムゴートが属する魔術世界では先手を取る事よりも相手の思考を読むことこそが重要であるとされていた。
 ただ、筋骨隆々の巨躯を誇る魔術師にとってはその優れた思考も子供を相手にするケースというのは殆ど経験していない。ありていに言えば、とても困っている。
 殺傷すればとても話は簡単になる。しかしこんなひ弱そうな餓鬼を殺したところでなんら気分の解消にはならない。戦闘狂らしいものの考え方でエルムゴートは目を細めて口を開いた。口蓋から灼熱が漏れる。
「おい、小娘」
「こ、小娘じゃありませんの。私は真珠と言う名前がありますの……」
「わかった、小娘」
 全然わかっていない、真珠は頬を膨らませるがエルムゴートはまったく気にした様子も無い。
「とにかく、現状についてお前の知る全部を吐き出せ」
 幼女に向けるにはあまりに冷徹な響きの言葉ではないだろうか、だが、真珠もまた外見とは違う何かを秘めているのか、静かに頷くのみ。
「では、説明させていただきますの。……まず、この世界について……」
 少し長い話になりそうだ。エルムゴートは静かに少女と歩幅をあわせながらそのまま歩きつつ聞くことにした。
 
「要するに、俺はその大魔術師様とやらに御呼ばれになった訳かね」
「……そうなりますの。人選は完全にランダム。しかもその呼ばれた人間全てが何らかの異能者である事は本来ありえないはずなんですのに」
「……ほお、そいつは本当か?」
 それまでさして熱心に聴いているようには見えなかったエルムゴートに初めて興味の色が浮かんだ。思わず頷く真珠。
 唇の端を吊り上げ、エルムゴートは体ごと真珠に振り向いた。何処か遠くにバイクの疾走音が近づいてくる。少しずつ大きくなる。近づいてくる。それを察し、エルムゴートは更に唇の端を吊り上げた。まるで獲物を見つけた猛獣のよう。真珠がそう感じた瞬間。エルムゴートの口蓋からオレンジ色の輝きが漏れた。そう、まるで太陽を飲んでいるかのような。
「……!!」
 攻撃用の魔術、口蓋から灼熱を吐き出す『炎の吐息(ブレスファイア)』の魔術。
 真珠が、なぜと質問する暇も与えない、情報分解を行って消える暇すら許さない迅速な一撃。
 少女の顔が恐怖に青ざめ、
 その少女を守るかのような声がその場に響いた。

「や、め、ろぉぉーーーーーー!!」

 少女の声が辺りに木霊する。
 巨大な装甲バイクを駆る彼女はまるで弩弓から放たれた矢の如き勢いでそのまま跳躍し、空中から蹴撃を放った。
 エルムゴートはその突如の乱入者に視線のみ向けて笑った。
 直撃、少女の一撃がその速度と威力を余すところなく伝え、エルムゴートの巨躯を弾き飛ばす。そのまま吹き飛んだエルムゴートは近くにある家屋の中に吹っ飛んでいった。崩れた瓦礫が相手の体を覆い、粉塵が辺りに舞う。
 天使の力を授かりし少女、天璽久魅那はその生身でも人間を突破している能力で魔術師エルムゴートに天誅を食らわせると、彼女が助けた少女に向き直った。
「こうして助けられるのは二度目ですのね、ありがとうございます、久魅那」
「気にしなくて良いよ、真……珠……」
 振り向いて彼女に笑顔を見せようとして久魅那は失敗した。彼女の衣服が替わっているからだった。まあそれは別に良い。ここにある姿が実態でない彼女は姿かたちなど完璧に切り替えることができるはずだ。その日の気分で衣替えどころではなく、分単位で服を着替えるずいぶん気軽におしゃれを楽しめるのだから活用しなけりゃ損だ。
 だが、しかし彼女の衣服はもはや一風替わっているどころではない。
 ありていに言えば、巫女服とメイド服のハイブリット、もはや仕えているのがご主人様なのか神様なのかどっちかはっきりしない衣装を身に纏っていたのである。


『この情報空間では私たち召還者の影響を彼女が受ける事になるようです。故に真珠がメイド萌えだった為、先ほどの彼女がメイド服を着用していたのでしょう。そして、今あなたが蹴り飛ばした相手は恐らく巫女萌えだったため、あのような衣装に』
「……えっと、メタトロン、そしたら他の召還された人に出会ったらもっと衣装が複雑化するって事?」
 なにやら興奮しているらしい久魅那は鼻血を押さえ、早鐘のように鳴る心臓を自覚しながら言った。
「不本意ですの」
 小さな声で呟く、メイド服だか巫女服だかのハイブリット衣装を身に着けた真珠が呟く。

 
 とりあえず動悸を抑えながら久魅那は瓦礫の中に埋もれたであろう相手を見ながら言う。
「でも真珠、中にはああいう危険なタイプの召還者がいるって事なの?」
「……私にも良く分かりませんの。一度は助けてくれたけど、何故か急に私を襲おうとして……」


「たいした理由じゃねぇよ、別に俺はどっちでも良いのさ」


 瓦礫が揺らぎ、中から白い衣服を身に纏ったどこまで黒い邪気を思わせる巨躯の男が立ち上がる。
 口蓋から炎をもらしながらエルムゴートは肩口の埃を払い、髪を撫で付けた。懐から葉巻を取り出して噛む。
『損傷、確認できません。……マスターの不意打ちを受けてダメージを受けていないとは……』
「……そうじゃないかとは思ったけどね。打撃の瞬間、インパクトの直前に見えない壁に阻まれた感触があった。……あんた、何かの防御を展開したよね?」
「ご明察の通りだぜ。……わが宿敵、剣聖『茨城鎧山』との死合いに備えて常時展開式の防御術壁を用意していたが、ここでも役立つとは」
「……そ、そんな。機械人形(マシンドール)の装甲を凹ます久魅那の拳を耐えるなんて……」
 先ほどの少女の、その圧倒的な物理的破壊力を真珠は目の当たりにしていた。それこそイシス・テレジアの手のものを難なく屠る力を。だが、真珠の言葉を訂正するようにエルムゴートは唇を亀裂のようにゆがませて笑う。
「いや、そっちのお穣ちゃんは本気を出しちゃいねぇな。……優しいねぇ、幼女をいきなり焼き殺そうとするような奴ぁ殴り殺しても構わんじゃねぇか?」
「見抜いているんだね、あんた」
 警戒の色を深め、久魅那は目を細める。
「……遠く離れた異世界でも、俺の世界にあった力と似た力を感じた。助けてやると思ってたぜ、天使の力(テレズマ)を持つもの。本気で叩き込めば俺の司教級の防壁なんぞ紙に等しかったろうに」
「あたしと似た力?」
 首肯するエルムゴート。
「俺の世界ではその力は天使の力(テレズマ)と呼ばれている。通常、その力を得られる人間なぞめったにいないからな。……それこそ聖人と呼ばれる人間でなけりゃ触れることすらできぬ力だ……」
 久魅那は頬を掻いた。少しバツが悪そうに言う。
「あの、ご期待に添えなくて悪いんだけど」
「なんだ」
「……私、行き倒れの天使にご飯を上げたら、勝手に契約されちゃってそのまま成り行きで異形どもと戦う羽目になったんだけど」
 ちょっと黙るエルムゴート。
 どうも頭の中できちんと理解できなかったらしく、葉巻を吐き捨て、踏み消しながら考える。そして、言った。
「嘘つけ」
「ごめん、本当なんだけど」
 再度沈黙するエルムゴート。
「……おい、マジでか?」
「うん、マジ」
『マスターの心拍数呼吸、ともに変動なし。私が本当の事を告げていると保障いたします』
 いらん注釈を入れるメタトロン、というか、いつの間にあたしに嘘発見器をつけた貴様と久魅那が睨んでいる。
「では、テメェの世界の天使は、……飯をくれたら力をやる、恩義を返す鶴程度の存在かよ!!」
「うっさぁーい!! あたしだってそこんとこにはツッコミを入れたくて入れたくて仕方ないんだ!! 部外者が分かったような事いうなぁぁーーー!!」
 叫ぶエルムゴート、逆切れする久魅那、そんな二人の真ん中でただおろおろしている真珠。


 ただ、そんな中、一人冷静を保っていたメタトロンが言う。
『その前に、お聞きしたいのですが。……あなたは、先ほどどっちでも良いとおっしゃいましたね。如何なる意図を持ってそう言ったのですか?』
 荒げる息を整えながらエルムゴートはしゃべるバイクを見た。皮肉そうに表情を歪める。
「……なに、別にたいした事じゃねぇよ。俺はな、昔っから手強いゲームが好きだった。その中でも生死を賭けた死合いってのは大好きだった。もっともっと手強くやりがいのある死合いがしてぇ、そう思ってばっかりだった」
 拳を握りこむエルムゴート。
「気がつけばちと、強くなりすぎていた。……数人、俺と互角にやれる奴がいたが本当に数が少ない、そういう輩を始末したら最後の楽しみまで費える。……だからさ、どっちでも良いのよ、俺ぁな」
 凶笑を浮かべるエルムゴート。脳髄の芯まで戦うことのみに特化したような異常な思考の魔術師は鮫を連想させる笑みを見せた。魔力を練り上げる予兆か、白いコートが風もないのにはためく。
「お前達みてぇな召還された人間と一緒にその大魔術師イシス・テレジアとか言うのを始末してもかまわねぇし、お前達全員を倒してからイシスを倒しても良い。もしそれが適わず斃されたとて、俺を倒すほどの相手との戦いならまさに本望!! だからどっちでも良いのさ俺は、生きるも死ぬも風任せよ!!」
 ある意味では狂っているとも言えるエルムゴートの叫び声を聞きながら久魅那は背筋を走る怖気を感じた。真珠を守るように立つ。
「メタトロン、真珠を!!」
『ヤー、マスター』
 巫女服だかメイドだか良く分からない衣服を着た彼女を乗せ、メタトロンが交代する。相棒が彼女を連れて行くさまを見送りながら久魅那は腰を落とした。分かる、はっきりと。この相手は気をつけば一瞬でやられる程の敵手だ。
 魔力が、複雑な術式が恐るべき速度で構築されていく。
「地を払え、炎の大蛇!! 灰と屍と焼殺の残り香を添えて我が進む道を舗装すべし、奔れ、地を這う爆炎(グランドナパーム)!!」
 地を赤い線が走ったかと思う瞬間、その線を追うように一直線に連鎖的爆発が発生する。すさまじい高熱と爆風の陵辱、狭い道が一瞬で灼熱で吹き飛んでいく。だがその爆焔がほとばしるよりも久魅那はその人間を超えた身体能力で上空に退避していたそして更に、人を超えた力を振るう為彼女は叫ぶ。同じく人とは思えない強大な魔術師を倒すため。
 
「舞えよ精霊。踊れよ運命。
 天の使いはすぐ傍に。
 光の力、魔を弾劾する十字星。
 我が前に天上の門を見せよ!
 天使との契約の下―――我、守護の天使なり!!」

「そうだ、それでいい!! 全力を尽くせ、死力を賭けろ、そうすりゃお互い即死は免れるぜ!!」
 
 彼女の身を守るように光の繭が発生する、触れえる者が無きように守るかのように彼女のその身を守る。
 その光の繭を破り、新生し生まれ変わるかのように、戦闘用機械服、契約の天使鎧(ディアテーケ)を纏う守護なる天使が姿を現す。
 無限の数を重ねて言い放ってきた台詞を悪徳の魔術師へ向けて叫んだ。
 
「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ! 悪を倒せとあたしを呼ぶ!
 月は東に日は西に! 悪あるところに正義あり!
 聖なる光翼(つばさ)飛翔(はばたか)せ、守護天使エリヤ、只今参上っ!!」

 左手の人差し指を突きつけ、最後の一言を言い放つ。

「――貴方の悪事、止めさせてもらいます♪」

 ぱちぱちと拍手の音が鳴り響く、唇を曲げながら命を奪い合うであろう間の相手に笑いをみせた。

「なら俺も名乗らせていただこうかね。……俺の名はエルムゴート=アンセム! 四大属性(フィフスエレメント)の一角、炎を極め、暗黒の太陽に心引かれ、自ら冥府魔道を歩む外道の魔術師!! わが炎は人の善悪を一顧だにせずただ命を刈り取る悪逆の灼熱、殺戮の業火、暗黒の焦熱!! わが炎は鉄の名を変え、鋼を飴と変じるもの! 『爛れる鋼鉄』エルムゴート!!」
 
 その声とともに彼の体から陽炎が漏れ出る。魔術式ではない、漏れ出た魔力が高熱を帯びているのだ。

「悪い魔法使いらしい大暴れを見せてやるぜ、正義の味方!!」
 
 そのまま一挙動でエルムゴートは詠唱も無く両腕に火球を形成する。先ほどの地を這う爆炎(グランドナパーム)と違い、術式のランクを落として速度を重視した二撃だ、彼はそのまま灼熱の火球を投じた。

『マスター、恐らく魔術師という事からして遠距離、中距離での戦闘を得意としているものと思われます。近接戦闘を推奨』
「OK!」
 同時に背中の翼を羽ばたかせ、凄まじい勢いで突撃を開始する。
 その彼女を迎撃するようにエルムゴートは火球を放つ、一撃を回避し、一撃に対してエリヤは抜刀した。
「ブレイヴァァァァー!!」
 鍔部に三つの大きな機械筒が接続された異様な大剣、その刃が灼熱の火球を捕らえ、込められた聖なる力が魔術式を両断し真っ二つにする、魔力で編まれた魔性の炎が吹き消える。そのままエリヤは突撃する。
 その刃は叩き付けるよりも刃自身の鋭さと振りぬく速度で物質を両断する事に優れた刃だ、峰打ち程度ではあの相手の体を覆っている物理術壁を抜く事は難しい。一撃で戦闘力を奪う、迎撃の間に合わない速度で刃が走った。
 一閃、だが、その手には肉を捕らえるなんの負荷も捕らえていない。はずしたとエリヤが感じた瞬間エルムゴートが拳を振り上げるさまが見えた。大振りで荒々しいだけの一撃。
「魔術師だから体を鍛えちゃいかん法は無かろう!!」
 巨躯に似合う凄まじい拳の一撃だ、だが天使の力を帯びたエリヤにとって接近戦は望む所だ。
 回避の挙動に動こうとしたエリヤ、その目前でエルムゴートの動きが止まる、ブラフだ。だがそれも予想の折込済み、踏み込もうだがそう考えたエリヤの歴戦の五感が攻撃を思いとどまらせる。赤い、視界の端に炎の赤が移る、それがどこからであるかを確認し、エリヤは相手の口蓋が太陽を飲んだようにオレンジ色の光を放っていることに気づいた。
 先ほど真珠を焼き殺しかけた魔術だ、間合いを、と翼を羽ばたか上空に一気に跳ね上がる彼女。
 その反応にエルムゴートは構築しかけていた魔術式を解除(キャンセル)、新たに術式を桁外れの速度でくみ上げる。
「我が叫びは木々を震わせ、焦熱の風を持って吹き払いなぎ倒すものなり!! 吹き飛ばし彼方へと連れ去るもの、熱と風を帯びて攫う者、立つもの全て力ずくを持ってひれ伏させるべし!! 倒れよ、威に討たれよ! 爆風の咆哮(ダイナマイトハウル)!!」
 術式が完成する共にエルムゴートの口蓋から熱を帯びた爆風が吐き出される。
「うあぁぁ?!」
 その突然の強風に抗する暇も無く、エリヤは更に空中に舞い上げられる。破壊力は一切が皆無の魔術だ、だが、空中に退避していなければ壁に激突し余計な損害を受けただろう。
「……といっても、これも向こうの目論見通りかな!!」
 だが、至近まで詰めた距離から一気に遠く離れた空中まで跳ね上げられた。手強い、言うまでも無く確かな事実。
 先ほど以上の、至近では使用できない強力な火力殲滅魔術の術式が構築されていく様を見下ろし、エリヤはパワーダイブ開始。
 戦闘は続いている。


9 :菊之助 :2006/10/12(木) 00:02:46 ID:nmz3mGxA

第一印象が良いやつで

 天使をまとう少女。
 炎を吐く魔人。
 未知なる力で武装する少年。
 そんな彼らが偶然か必然か、集められた異空間。
 そこに彼らも存在した。
 
 偽りと思いたいような「現世」を脱ぎ捨てるかのように。
 その実。
 「現世」を信じたいと願うかのように。



「あーうち」
 路傍に転がっていた小石を、裸足で思い切り踏みしめたリロイは、地味に自分の体験した痛みを表現していた。
 誰もいないと思われるこの状況で、無駄に、しかもセクスィー裸エプロンという格好で痛さを表現したところで、体力の無駄である。ということはつまり、普段の彼の有り余るほどのリアクションの数々は受け狙いだったのか! という疑惑が湧くかもしれないが、まあそれはそれとして敢えて聞かなかったこと、見なかったことにしていただきたい。
 それはそうと、リロイはそんな裸エプロンのまま物怖じもせずテクテクと道を進んでいた。
 空は曇天。おかしな天気だ。
 何がおかしいのかと聞かれれば、短慮な性格のリロイは即座に「全部だ」と答えたことだろう。
 風景も空も、それ一つだけを客観的に見ればおかしなところは殆ど無い。確かに先刻まで晴れやかな陽光の中、川釣りをしていたと思えばおかしな話ではあるが、生まれた時からおかしな家族に囲まれていたリロイにとって、突如として自分の立っている場所が移動したことなんて驚きはしても慌てるほどではないのである。
 だが、現時点でここは明らかにおかしい。
 生まれ持っての鋭敏な感覚が、この世界の不自然さを否応無しに彼に伝えていた。まるで不完全な世界。
「マジ、これ帰れるんだろうな?」
 思わず独白してみても、それを聞いてくれる人間もいない。この世界の中に、それもさして遠くも無い場所に彼の家の居候であるクルーガー=バーズの気配は感じているものの、そもそも感知能力に優れていないリロイは明確な場所まで判定することが出来なかった。
 とりあえず知り合いがこの空間内にいるという事実は分かったので、リロイはあてもなく歩いていけるわけである。
 しかし誰もが感じることであろうが、見ず知らずの場所に一人きりと言うのはかなり心細い。それはリロイも同じであった。
 何か音がしないか?
 誰かの気配は無いか?
 人の、生き物の臭いは?
 瞬間、リロイは誰もいない方向をバッと振り返った。
 心細さは時として人の感覚を鋭敏にさせる。そして、通常ならば警戒するような物音にさえも、まるで羽虫が光に吸い寄せられるように近づいてしまう。
 さして離れていない場所で、確かな轟音が響いた。
 それは言うなれば『人ならざる力同士がぶつかる戦い』の音だったのだが、それを脳で認識するより先に、リロイの足は走り出していた。

 

 不可思議かつ暴力的なその音を、リロイから数キロ離れた場所でクルーガーも聞いていた。
「……」
 どうにも何かが爆発するような音がする。自然的なものではない。人為的な、それも争うような音だ。
 だから彼はその音がする方向には近づかず、とりあえず自らの装備を整えることにした。
 先ほど聞いた足音から気配を消したまま遠ざかったクルーガーは、手近なところにあった民家らしき建物に侵入したわけである。人の気配が無いその場所は、民家と言うよりも『民家の形をしたオブジェ』と形容した方が正しかろう。人どころか、家に生息する害獣害虫の気配さえもしないところが実に薄ら寒く感じられたその家屋の一室で、クルーガーはぽつんと佇む箪笥を見つけた。
 箪笥に『佇む』というのもおかしな話だが、家具らしい家具がまるでないその場所において、その箪笥だけが部屋の奥においてある。クルーガーは、それが彼の到来を待っていたかのように思えたのだ。
 このような状況下において箪笥の存在について結びつく言葉はただ一つ。
 罠、だ。
 しかし、クルーガー本人にはそんな罠にはめられる覚えも無ければ、罠にはまって困るものでもない。もしそれによって万が一命を落とすことになったとしても、今のクルーガーにはむしろ望むべきところである。だから彼は、箪笥の引き出しに手をかけた。
 躊躇い無く引き開ける。
 開いた瞬間彼めがけて鉄球が落ちてくることも、毒ガスが噴射されることもなかった。箪笥の中にしまわれていたのは、二着の服、それも成人男性用のものだった。
 そのうちの一着は黒い厚手の布で出来ているようで、大柄なクルーガーでも着れるだけのサイズだ。
(まるで誂えたかのようだな……)
 箪笥の中にあるもう一着の白い服を見下ろして、クルーガーは皮肉げに頬をゆがませた。白い服の方は、彼には少しばかり小さい。だが、彼の居候先の少年、そしてクルーガーと同じくこの世界に迷い込んだであろうリロイ・ロイロードならばピッタリだろう。
 不似合いなフリルエプロンを早々に取り去って、クルーガーはさっさと黒い方を身につけた。生地の割には思っていたよりも軽い。材質が何なのか、手芸やそういったものには明るくないクルーガーには分からないが、引っ張っても破れないところをみるとかなり丈夫なようである。伸縮性も十分で、軽く屈伸運動をしても難なく着こなせた。
「……よし」
 これならば動ける。少なくとも先ほどまでの裸エプロンよりは行動がしやすくなることだろう。出来ることならば靴も欲しいところだが、そう言ってもいられない。とにかく少しでも人間らしい格好が出来た感を得て、クルーガーは漸く現状を打破すべく動くことにした。
 とにかく外に出てみるべきだろう。誰か人を見つけ、ここが何処なのか、なんという場所なのかも聞かねばならない。言葉が通じる保障はないが、言葉以外でも意思を伝える方法は沢山ある。
(不本意ではあるが、先ほど音がした方面に向って歩いてみるか)
 思ってクルーガーは屋外へ出るために踵を返し、そこでふと立ち止まる。首を廻らせ見た先には、例の箪笥。中に入った白い衣服を凝視してから、クルーガーは暫く思考を巡らせた後、鋭く舌打ってからおもむろにそれを掴んだ。
 そして今度こそ外へ出ると、未だに轟音が鳴り響く方向へと走り出した。
 彼の姿が家屋の角に曲がって暫くしたところ、彼が先ほどまで侵入していた家屋から一人の少女がそっと顔を出した。
 茶色かかった黒髪が印象的なその少女は、幼い子供が着るような飾り気の無い白いワンピースをまとって、不安げに青年が走っていった先を見つめる。やがて青年の足音が完全に聞こえなくなる頃、少女の姿は深い霧に揉まれるかのように、消えうせた。




 そしてここに相も変わらず裸エプロンの少年が一人。
「……あり?」
 薄いエプロンの裾をはためかせながら(無論、正面からも横からも正視し難い光景ではあったが、幸い彼を見ている者はいなかった)、現状を理解できない脳みそのままどうにか呟いた言葉がそれだった。
 リロイ・ロイロード。
 十八歳にして初めての経験。
 というか、通常人が空を飛んで、更に人が口から火を吐いている姿なんて一生かかってもお目にかけることは無いだろう。そう、通常ならばだが。
「えーと、これは……」
 眼前で繰り広げられる非現実な光景をどうにかして認識しようとリロイは首をかしげた。ついでに腕も組んでウーンとうなってみる。その組んだ腕の下でエプロンの前がはためき、お宝がご開帳している事実は作者自らも目をつぶりたい。イヤンバカンとかわしていただきたく思う、うむ。
 しかし、目の前で起こるそれらの全てがこの世界に迷い込んだ以上におかしな光景だった。
 人とはコレほどまでに速く動けるのか?
 人とはコレほどまでに鋭い攻撃を放てるものだっただろうか?
 何より、一撃でも当たれば確実に相手を死に至らしめるとも思えるような攻撃を、双方が躊躇いなく繰り出している。これほどの攻撃を、人はそう簡単に人に対して放てるものなのだろうか?
 確かにリロイ自身も常人ならざる技を持ち合わせている。その技を簡単に放つことも可能だ。しかし、いまだかつて生きている人間相手に全力で放とうと思ったことは無い。

 それはなぜか。

 それをすると相手が死ぬからだ。

 目の前で起こるそれらの光景に、リロイはただ呆然とするしかなかった。熱波と衝撃波が裸の肌をちりちりと焼いたが、そこから離れることも出来ずにリロイは立ち尽くす。
 度重なる予想だにしなかった事態の数々に、今更になってリロイの思考は停止した。もとい動き自体もである。これは夢なのでは無いかと考えたが、残酷までに冷静な彼の中心点が、これは現実だと教えていた。ならば自分はどうしたらいい?
 こんな無防備で、脆弱な自分は、こんな異世界でどう過ごせばいいのか?
 
 そうこうしていると、異常な殺し合いを続ける者達から数十メートル離れた場所にいるリロイの元へ(そんな近くまでリロイがいるにも関わらず、彼らは彼らの戦いに没頭しリロイの存在に気がついていなかったのだ)突如衝撃波が音速で駆ける。常人ならばその衝撃をもろに受け昏倒、悪くすれば命を落としかねない。そもそも避けることさえ敵わないだろうし、その存在にさえ気づくまもなく絶命しかねない。
 だが、日ごろ実の祖父による奇襲攻撃に伴い、幼い頃から『非現実的』な体験を重ねてきたリロイは、その衝撃が自らの四肢に直撃する前にハッと我に帰る。
 まさに一瞬だ。
 音速のその凶暴な力は、それよりも速い、まさに高速の雷撃によって轟音と共に霧散する。

「っ!」
 大気を痺れさせた新たな力の出現に、天使を纏う少女はその動きを止め、炎の魔人は力の根源たる方向に鋭い視線を投げた。
 エルムゴート=アンセムは魔術師だ。
 如何に肉体を鍛え、パッと見ただけではそれと分かりづらいかもしれないが、その力は四大属性の炎を極めた、それこそ魔人と呼ぶに相応しい能力者である。そんな彼が、眼前の旨そうな敵から思わず視線を変えるほどの魔力が、彼の今見る方向にあったのだ。
 四大属性と似て非なる魔力の構成は、荒々しく、それ故純粋な破壊。通常ならば詠唱によって魔力を膨張、構築するはずなのに、今の雷撃は「膨張」の順番を飛び越えて一瞬にして構築、発動された。しかもその規模は、余波とはいえエルムゴートの魔術を打ち消すほどのものだ。並大抵の術では、ない。

 そんなことが可能な魔術師が存在するとはな。

 我知らずニヤリと歪んだ口元に、エルムゴートは己が興奮していることを自覚する。今日は実についている。これほどまでの相手に、一日にして二人も会えたのだから。
 ちらりと横を見ると、彼と戦っていた天使の少女も、彼と同じく埃舞う向こうを睨みつけていた。
 少女こと久魅那も目の前の魔人同様、新たに現れた人物への警戒を怠らなかった。唐突であったとはいえ自分が打ち消すことの出来なかったエルムゴートの魔術を、一瞬にして相殺するような相手である。敵か味方なのかは分からないが、恐らくそのどちらでもないだろう。その人物もまた真珠のいうように異世界から召喚されたのだとすれば、敵にも味方にもなり得るし、どちらにもなりえない可能性だってある。
 敵になれば堪らない。
 味方になったとしても、その性質が分からなければ結果足を引っ張ることになりかねない。

 相手はどんなやつ?!

 ドーパミンの流出により、先ほどよりも全身に勢いよく血液が駆け巡る音を耳の中で聞きながら、久魅那は目を凝らした。
 見える。
 目の前の魔術師よりも小柄で、久魅那よりは背が高い。埃ごしには影しか認識することは出来ないが、どうやらまだ若い。ほっそりとした体型は、現時点で少年とも少女ともつかない。だが、ずいぶんと軽装のようである。はっきりとは見えないが、すらりとした手足は裸で半ズボンか何かを掃いているのだと久魅那は考えた。
 そして同じようにエルムゴートも考えていた。
 魔術師の割にはずいぶんと軽装だな。杖も持たないとなると、自分と同じような類か。これは尚更面白いじゃねぇか、と。
 やがて埃は晴れる。
 そして姿が見える。
 その少年の姿が。
 少しでも早くその相手の姿を見たいと思う魔人と少女の願いを聞いてか、一陣の風がどこからともなく吹いた。
 それにより全ての埃を取り払う。
 彼らは凝視した。
 その姿を。
 もとい。
 その服装と。
 そよりも注目してしまうであろう、一点を。



「……ぶ」
 はためくエプロンの裾から見え隠れしているその『お宝』を諸に直視して、最初に口を開いたのは久魅那だった。いや、行動はそれだけでは終わらない。
 彼女の手にはいつの間にか武器が握られていた。それは剣である。しかし剣であって剣ではない。いうなれば、切り札。その切り札が、唸りを上げていた。誰に対して?
 裸エプロン前ポロリの少年に対して。
「ブレイヴァーーーーッッッ!!」
 鋼鉄の機械人形さえも一刀両断する光の刃が、一直線にリロイへと振り下ろされる。唐突な自分への攻撃に(それもかなり殺意がこもった攻撃に)リロイは目を見開き、先ほどと同じように瞬時に構成を張り巡らせた。
 バジュッ!!
 熱した鉄を水につけた時に起こるような音が空間を満たす。雷撃による防御壁は、久魅那の光の剣の力を相殺こそ出来なかったものの、リロイが半身を捻ってかわすまでの時間の猶予を与えるのには成功した。滑り込むように横に倒れ伏した金髪の少年は、肩で大きく息をする少女に暫く放心していたものの、再び我に返って怒鳴りつける。
「て、おま、あ、あぶねーだろぉがっ!」
「黙れこの変態ポロリ裸エプロンパンチラ男!」
 リロイの渾身の怒声に、それを軽く凌駕する勢いで久魅那が叫んだ。その背後にいつの間に近寄ったのか、真珠を乗せた例のしゃべるバイクことメタトロンが、この場に不釣合いなくらい冷静な声で呟いた。
『いいえマスター。彼の場合パンツを穿いていないのでパンチラは不適切かと思います』
「言うなれば……」
 メタトロンに乗りながら、これまたこの場に不釣合いなくらい落ち着いた様子で、いまや巫女なんだかメイドなんだか、それともおかしな海賊ファンなのだか分からない眼帯にフックまで装備している真珠が言い放つ。
「チンチラ、かしら?」
「おおおおオレは犬かぁああぁあっ!」
 突っ込むところは確実にそこではないが、現状についていけないリロイはハイブリッド衣装を身に纏った幼児に思わず叫んだ。短時間でひどく侮辱されている気がするぞオレ! とか思いつつ、更に戻ったらジジイのヒゲ引っこ抜いてやるぜオレ! と固い決心をしつつ……。

「男のストリップは興味ねーんだよ」
 そのとき、それまで黙り込んでいた魔人が、地の底から響くような声を出した。
 彼の声に、そしてその体から湧き上がるいまだかつて感じたことの無い凶暴な魔力に、反射的にリロイはそちらの方に顔を向ける。
 ニヒルに歪んだ口蓋から赤い炎をもらしつつ、エルムゴートは突然現れたその少年に話しかけた。
「テメェがどこの誰かは知らねーが、ここであったのも何かの縁だ。テメェも既に分かっているんじゃねぇか? お?」
「……何にだよ」
「俺様と出会ったからには、必然的に殺し合いになるってことを、だ」
 ジャリッ。
 倒壊した建物による埃を踏みしめてエルムゴートがリロイに一歩近寄った。
 そして同じく少し離れた場所で久魅那もまた、戦闘体勢をとっている。二人の体からあふれ出る殺気とも闘気ともつかない暴力的なオーラに、リロイは喉を鳴らしかけてやめた。
 男の言うとおりだ。
 こんなわけの分からない場所において、こんな訳の分からない相手を二人も前に、話し合いなんてものが通じるわけも無い。
 話し合いをするにしても、とりあえず相手の殺意を抑えるのが先決である。
 見たところ二人はとんでもない力の持ち主であるものの、自分の力もどうにか渡り合えるだけありそうだ。
 だからリロイは覚悟を決めた。
 彼が一番術を発動しやすい体勢――それは即ち両手を胸の前で構えることだ――をとり、二人の敵を睨みつける。
 少年の様子に、狂気の魔術師は漸く満足したようだ。ニヤリと笑った口元から、再び炎がちらりと見えた。
「そうだ、それでいい。全力でかかってこねーと面白くねぇ」
「猥褻物陳列罪は即ち悪……」
 メタトロンと真珠を後ろに控えさせて、久魅那もまた一歩前に進み出ていた。そして決め台詞。
「貴方の悪事、止めさせてもらいます!」
「いくぞこの!」
 そのときにして初めて、少女と魔人の声が重なった。

『チンチラ男!』
「定着かーーーっ!!?」
 リロイの悲鳴じみた声が、灰色の空にこだました。

 無論。
 定着である。
 


 
 そして彼らから数キロ離れた場所でも、また違う出会いが起こっていた。
「そんなに固くならないでください」
「上空から突如現れた相手に、まさかそう言われるとは思っていなかったな……」
 クルーガーは苦笑もせずにそう吐き捨てると、目の前にいる人物をにらみつけた。
 見たことも無いマスクをつけた、恐らく男が、そこに立っている。
 一分前、走っていたクルーガーの前に突然降り立ったその男は、クルーガーと同じくこの世界に召喚された平直門は、フェイスレスの下で苦笑した。
 これまた、ずいぶんと警戒心の強そうな相手だ。 しかも、経験者だから分かる。
 この青年。
 かなり、強い。
「とりあえず、自己紹介から始めませんか?」
 出来るだけ平和的に事を進めようと、直門はにっこり微笑みかけた。
 無論、クルーガーからは彼の笑顔は見えない……。


10 :異龍闇◆AsVGmnGH :2006/10/23(月) 09:58:37 ID:QmuDsJYm

無謀な男




「Sic vis pacem para bellum ……」

「汝、平穏求むるならば戦の備えをせよ……」

―――――――――――――――――――――――


 人生とは波乱万丈である。歌にもある通り楽有れば苦あり。しかし、明けない夜は無いように日は昇り、天からは黄金の光が降り注ぐはずである。

 むろん、それに逆行して進む者もいるが。



 澱んだ空の下に二人の男がいた。
 一人は黒い上下の長袖に裸足の男。ゆとりのある服の上からでも相当逞しい体であることが窺い知れる。黒髪の前髪から覗かせる、普段は落ち着いているはずの瞳は、目の前にいる存在によって警戒心に満ちていた。全身の力は僅かに抜けているが、こめかみから首筋に掛けてチリチリと焼け付くような緊張感が、彼、クルーガーの体に渦巻いている。
 その瞳の中に映るのは貌の無い男。頭から凹凸のまるでない兜、いや、仮面ですっぽりと覆い、全身を仮面と同じ配色のグレーのスーツで塗り潰していた。クルーガーの目にも明らかな鎧とも言える防具が胸回りや首回り、腰回りを覆っている。その異様な姿に加えて、百八十八センチと言う大柄な、そしてそれに見合うだけの十分な戦闘力を有している彼を、静かに立ちながら迎える頭一つ半小さな男が対抗しているのだ。
「……どうも僕も事態を仔細に把握し、分析しているわけではないのですが、おそらく同じように『巻き込まれた方』と存じ上げてここで自己紹介したいと思います。そうですね……。この際巻き込まれた仲ですからサービスして、本名で名乗りましょうか。(たいら) 直門(なおと)と申します。まぁ、この様な風体ですから、こう本名と見た目とも合わないでしょうし、よく呼ばれている超躍者(リーパー)と呼んでも構いませんよ」
「…………」
「いやだなぁ、そんな僕を見つめても何も出ませんよ」

 睨みつけるクルーガーに仮面越しに『んふふ』、と押し殺したのか、仮面でくぐもっているのか分からない声を挙げて笑う。
 少しガス抜きをさせようとした笑いも、この緊迫した状況下では逆効果だった。

「黙っている事はよく無いですよ。この状況下、僕とあなたは稀有にして逢う事が出来たのですからそれを喜びませんと。緊迫した環境では一人よりも複数である方が良いのは当然の帰結です。それに、あなたの相方さんがどんな状況に陥っているか分からないのですから、それを把握するのに僕と意見交換をしたり、協力するのは悪条件だとは思いませんがね」
「リロイが!?」

 そこまで口に出して、しまったと言う表情を舌打ちし、更に睨みつける事で押し隠した。
 遠く彼方から、それでも確かに響く雷音。
 その音を聞いて、あいつは今、面倒な事に巻き込まれているのだ、とクルーガーは確信した。

「僕は、そのリロイさんには出会っていませんよ」
「…………」
「どうやらあなたは僕に不信感を抱いているようですね」
「当然だ」

「「人は空を()ばない」」

 まるで、元から合わすことが目論みであるかのように、一字一句間違える事無く、しかしそこに含まれる意味だけは若干違って輪唱された。
 仮面の男に不思議なくらい、それこそ草原で凶悪な獅子に出会った丸裸で無防備の縞馬の様な、いや、実際出会っているのは無防備にブラブラさせている方だが、とにかく言説では得られないような決まりの悪さに他ならない感情がクルーガーの内に表れていた。





 さて、そのブラブラさせている方である。彼、リロイはどうしているかと言うと、

 澱んだ空に飾り付けられるかのように宙を舞っていた。



「我が叫びは木々を震わせ、焦熱の風を持って吹き払いなぎ倒すものなり!! 吹き飛ばし彼方へと連れ去るもの、熱と風を帯びて攫う者、立つもの全て力ずくを持ってひれ伏させるべし!! 倒れよ、威に討たれよ! 消し飛べ、チンチラ男! 爆風の咆哮(ダイナマイトハウル)!!」
「うげぇぇぇぇ!」


 むろん、爆風の咆哮は先のエリヤの通りダメージを与える事を主体としたものではない。エルムゴートは四大属性の炎を極めし魔人。物体は熱を加える事で一定の形として束縛する電子の周回半径を越える、つまり、膨張する。自らの体内の業熱で熱膨張させた空気をエルムゴートは放ったのである。
 そしてその圧縮、指向化された空気は四大属性の壁を越え、まるで風のエキスパートが放つ豪風と断ぜられるものへと成り代わる。空気を熱波を帯びた咆哮が押し進む。

 むろん、リロイも先ほどの高速詠唱を超えた瞬間顕現によって雷撃を構築、発動し、盾代わりとした。
 しかし、心細い布一枚の柔肌を焦がす熱波は防げても、その突風までをも防ぎきれるものではなかった。
 その豪風が稲妻の盾を通して1mm以下の布、もといエプロンを揺らす。むろん、上空十メートルに巻き挙げられた事でその奥の余計なモノもブラブラしているが、エプロンから先の光景は真珠の視界には情報検閲(フィルタリング)の魔法が掛けられているので見える事はない。よかったね。

 しかし、他の世界から来たもの。特に天使の力でバッチリ強化されている視界には芍薬も牡丹も恥らう乙女には正視しがたい光景がクッキリハッキリ見えていた。そりゃもう見えたくないところまで。

「この世に生きとし生ける者、それを惑わし不埒な狼藉を働くものに天罰を与えん! 堅勇刃(ブレイバ)ぁぁぁぁ!!」
「それ絶対私怨だろぅぉぉぉぉぉ!」

 空中に叩き出されたリロイ(狼藉者)は契約天使の怒り心頭、大上段からの一撃を空中で避けるために集中した。先の時とは違い、今は足場の無い宙、確実に剣先の範囲から逃れなければ斬られる、てか確実に殺される。目前の危機にリロイのセンスは異常なまでに高まり、瞬間的に剣先と空間の間にに集中させた雷撃の驚異的な電圧によってエルムゴートとはまた違った形で空気が膨張し破裂させた。

 簡単に言えば、目の前で極大の稲妻を作ったのである。

 暴風圏の直下でも無ければ聞く事の出来ないような霹靂の轟音が轟き、同時にリロイとエリヤはその雷撃の中心から音の壁に押し出された。
 リロイは流石に薔薇も百合も赤らめるエプロンの端を必死に押さえながら着地、もとい転落する。
 普段から筋肉の色気を発するハッスル爺との取っ組み合いで受身慣れしてお陰か? 怪我する事無くゴロゴロと転がって着地に成功した。
 しかし、着地以前に彼の身体に重大な支障をきたしていた。

「あ、ああ、耳、耳が、きーーーーん」
 目の前、と言うより耳の近くで雷などを放ったのであるから当然である。普通なら鼓膜が破れてもおかしくないが、お色気の担当である爺の大声に比べればマシと言う、嬉しいのだか嬉しくないのだか分からない日常に感謝して、両耳を押さえてうずくまるリロイ。もちろんうずくまるわけですから(以下略)。


 リロイが男女関係無く視覚的に吐血悶絶しそうな格好で喘いでいる間にも、天使と魔人の攻防は続く。

 パッと見、露出狂の変態を二人掛かりで始末しようとしている光景にも見えるが、実際には一対一対一の三つ巴のバトルロイヤルな状態なのである。



 エリヤは上空からの機動性を生かしながら、魔人の頭上へと大きく旋回する。
 その天使の羽が羽ばたく様を灼熱を帯びながらも冷めた目で観察するエルムゴート。
 しかし、口元から零れるのは獣ような笑みと奥底に燃え盛る炎の渦。そして、地獄の奥底で燃える業火のように、静かに詠唱が紡がれる。
「地を払え、炎の大蛇……。灰と屍と焼殺の残り香を添えて我が進む道を舗装すべし、奔れ……」
 彼の詠唱が最終段階に入った瞬間、エリヤは大きな旋回から急角度で反転し、魔人の真上で翼が閃いた。
 その相手の攻撃の機を読み誤る魔人では無い。ほぼ同時に魔人の戦慄に値する魔術が発動した。

光羽穿雨(フェザーレイン)っっ!!」
地を這う爆炎(グランドナパーム)!!」

 彼女の叫びと同時に両手を広げられ、ジルコハルオンで出来た機械翼、天使光翼(エンジェルウィング)の持つ斥力が引力へと切り替わり、ヘッドギアから零れ、浮き上がっていた黒髪が彼女の後ろから前と流れた。斥力で展開されていたエネルギーがそのまま、大地に立つ白い紳士服の魔術師を貫かんと四十枚の羽が疾駆する。
 しかし、それを魔人は巨躯に似合わぬ機敏な動作で展開する串刺しの陣の最も外側へと駆け抜ける。彼の踏破する道筋を先じて地を走る赤い線と爆発の連鎖が防御となって彼女の羽群を蹴散らす。それは火力殲滅魔術による派手な目隠しとして同時に使われ、巨大な彼は彼女の視界から一時的に外れた。
 悪魔のように隙の無い、瞬間的な魔術が発動し、エリヤの斜め下から襲い掛かる。光の国の人たちも青ざめるような橙色の輝きが口蓋から弾け飛ぶ。

炎の吐息(ブレスファイア)!!」
「っ?!」

 緻密な計算により導かれた罠。顎を開いた焔龍が彼女に襲い掛かる。



 ――直前、圧倒的な暴力は横合いから放たれた雷撃によって拡散され、彼女は寸でのところで回避できた。
「そう言えば、まだチンチラが残っていやがったな」
 舌打ち。
 炎の陵辱で消えた葉巻に代わり、新しい葉巻をシガーケースから取り出し口を噛み切って咥えた。

 暴力的な魔人の眼差しの先には、一枚の布をはためかせながらリロイが胸元から諸手を広げて、魔術を放った後を見せていた。
 そして、歯を煌めかせてサムズアップ。

「うわぁぁぁぁんっ、メタトローンっ! 変なのに助けられちゃったぁぁ!」
『マスター、助けられたのは事実です。不本意でも』
「素直にお礼を言えば良いと思うの、チンチラに」
「てめぇら、キンキンして何言ってるか分かんないけど酷いこと言ってるだろ!」

 緊迫しているのだか、和んでいるのか良く分からない状況に辟易としながら、半ば呆れつつもエルムゴートは次にどちらをどうしたものかと考えながら葉巻に火をつけようとした。
 しかし、何かの気配、いや、強大な魔力の波動に気付いて空を見上げた。



 途端、上空から棺のような、円筒上の物体が落ちてきた。

 それも数える事が困難な程の無数。
 しかし、棺群の向かうところは魔人と天使とチンチラ男の居る場所ではなく、もう一組の被召喚者達が居る場所である。

「イシス・テレジア。強化型を作った、と言う訳ね」
 眼帯少女、もとい真珠の呟きが虚空に木霊した。





 突如、膠着していた二人、クルーガーと超躍者の横に棺のようなものが落ちてきた。
 大気との摩擦で煙を挙げる、切れ目のまったくない円筒の断面に亀裂が走り、その縁を金属の手が掴んだ。
 そんな棺が彼らをグルリと取り囲んでいる。
 先ほどの超躍者の展開を知らないクルーガーにも、あのお調子者が事前に悪戯を仕掛けてくるような嫌な雰囲気を感じ取り、貌無しと顔を突き合わせた。

「……一時共闘って事で了解ですか? 知らない人」
「……クルーガーだ」

 二人は反転し、背中合わせに自然となって構える。

 クルーガーは白い服を自分の切る服の中に入れ、拳を二つ顎の前に置いて左半身になって構えた。対して超躍者は半身を切って手をダランと垂らした、彼のいつものスタイルである。

「ところで、その黒い服、ぴっちりしていて何だか変ですね」
「あんたが言うな」



 金属の塊が棺から抜け出る。
 先ほどの機械兵に比べ、滑らかでより人間的な印象を与える鉛色の歩兵達。前の機械兵よりも鈍重さが消えて、シンプルで俊敏な感じを与える光沢のボディが動く。
「さっきのが新兵(プライベート)だとした今のこいつらは、軍曹(サージェント)と言ったところか?  昔見た映画の、何だけ、T1000とかに似ているかも。んー、難易度のレベルアップかな。きっと暫くしたらボスキャラが出てくるに違いない」
 超躍者のブツブツと続く謎の呟きには意を介さず、クルーガーは鉛色の歩兵達は剣、槍などの兵器をそれぞれ取り出してくるのを見つめていた。
 武器戦闘が主体である彼にはこの状況は些か不利である。それに予想外の傷を受け続ければ、おそらく表情の無い仮面男も弾けるほどの衝撃が彼に走るに違いない。
 そんな事を考えているクルーガーにふと何かに気付いたように、相手を見据えたまま貌の無しが話しかける。
「……クルーガーさん、その手についた剣タコからして剣遣いですよね?」
「……、そうだが? それが?」

 彼の肯定の返事を聞いた瞬間、超躍者は腰を低くした独特の歩法で体をまるで揺らさずに『剣を持った歩兵の一人』に一直線に向かうと、それに対応して振り被った歩兵の剣の根元、腕を両手で交差して受け止め、鷹が羽を広げるかのように両手を開いて相手の両手を開き、ガラ空きになった胴体に頭突きを加えて敵を突き放すと、そのままクルリと反転してクルーガーの元に、その独特の低い歩法で戻ってきた。

 無論、上に一行で記述した通りの流れるような一連の動作だが、それは五メートル離れた相手に対して一瞬にして終わった事だった。それこそ瞬間移動でもしたかのような無茶苦茶苦な速さの動きだった。
 帰ってきた超躍者の手には、先ほどの兵士が持っていた両手でも片手でも扱えるのに足るバスターソードが、何時取り上げたのか分からないが鞘と一緒に握られていた。

「お近づきの印にどうぞ。あ、ちなみにさっきのは【鷹形展翅】って言う技です」
「……ありがとう」

 敵にするにも味方にするにも嫌過ぎる、動きも行動も変態的な灰色の男に一言の感謝を加えて、剣を構える。握り締めた剣の重さが、対峙する現実となって感覚を研ぎ澄ませていく。



 状況は混乱と混戦と変態の一途を辿りつつも、何かに近づきつつある事は確かである。おそらく、まだあらぬところをブラブラさせているであろう居候相手を思い出す。たぶん、居候先の爺さんも痴呆一歩手前になるまで待ち焦がれているはずだ。
 だから……、

「(いつまでも遊んでないで、家に帰るぞ。リロイ)」

 クルーガーはそう心に問い掛けると、真後ろの貌無しも感心する殺気を機械兵に叩きつけた。
 フェイスレスに殺気は無い。ただ、相手が来ればぶちのめし、相手が来なければこちらから歩いてぶちのめす、いわば感情を排して作業に昇華された殺人芸術を使うだけである。

 同時に二人に向かって弾けるように機会兵達は動き出した。


11 :寝狐 :2006/11/15(水) 00:09:34 ID:ocsFWLs4

天使、“新約”

 鉛色の機械人形らが一斉にフェイスレスとクルーガーに迫る。
 それを合図として、二人も弾けるように互いを背に真正面へ駆けた。


 まずはクルーガーの方。
 先発に彼の前に迫るは、槍を持った機械人形。
 シンプルで俊敏な外見イメージのとおり、前回の機械人形と比べその動きは早かった。
 槍を両手で握り締め、正面から来るクルーガーを串刺しにせんと一気に槍を突き出す。
 しかし、そんな単純な攻撃を真っ向から受ける気はないクルーガーは、迫る先端の刃を体を若干横に逸らすことで回避した。突き切らされた槍が引き戻される前に、クルーガーは機械人形の間合いのさらに内側へ。
「はあぁー!」
 同時に、先ほどの超躍者から受け取ったバスターソードを逆袈裟に斬り上げ、機械人形の両足を切断。意外なほどあっさり斬れたことにクルーガーは一瞬驚くが、二瞬目にはすでに表情は戦いのものへと切り替わった。
 支えを失った槍の機械人形が倒れる。もがくように両手をバタバタさせてはいたが、徐々に力尽きて動かなくなる。
 そんな機械人形の最期をクルーガーは特に見ることもなく、次の敵に剣を振るっていた。


 切り替わっては直人こと、超躍者も戦いに身を投じていた。
 だが、その光景は第三者が見ればどう感想を呟こうか。
 はっきり言えば、単純だ。

 ―――速くて、何が起こったか理解できない。

 一体が迫れば弾き飛ばされ、二体が挟めば前者は転倒され、後者は貫手で胴体を破壊される。
 素早く、なお確実に相手の機能を停止させ、超躍者は次々と敵の数を減らす。
 所詮はプログラムで組まれた機械人形。彼の動きをまともに捉えるには視覚制御が追いつかない。
 それでも機械人形達は己のプログラムに組まれた命令を遂行するため、敵わぬはずの相手に立ち向かう。
(どうやら、機動性を重視しただけじゃなさそうだな……)
 超躍者がそう思うのは間違ってはいなかった。一見鈍重な感じからスマートな風に変わったから確かに機動性は確実に上がっている。だがそれだけではなく、使用する武器の錬度、そして状況における分析処理も最初の機械人形に比べ幾分か良くなっていた。
 さらに相手によってどの武器が適切か、などの判断も備わっていることに超躍者は感心した。
 彼の後方で戦っているクルーガーには、剣や槍などの武器を主体とした機械人形が。そして超躍者に対しては徒手空拳で立ち向かっている。
(しかも、ただの素手じゃないし)
 彼らはあくまでも頑丈な装甲を全身に宿した機械人形。その鋼鉄の肌による直接打撃は生身の体が受ければ骨を砕き、内蔵にまで達するだろう。
 超躍者に迫っていた一体の機械人形が振り下ろすように体を沈めながら体重を乗せて打ち込んでくる。それを難なく後ろへ回避すると、機械人形はそのまま沈ませた脚部の溜めを撓んだスプリングが戻るように前方・上方への推進力に変え、一気に間合いを縮めて顎へのジャブを仕掛けてきた。
(ここで―――。…………っ?!)
 超躍者がカウンターをしようと思った直後、突然体がくの字になって前のめりになった。
 何が起こったかはすぐに判断できた。機械人形がジャブを仕掛けたのと同時に体を地面から弾き出す勢いで、超躍者の下腹部への膝蹴を同時に行っていたのだ。
 さすがにこの動きは読んでいなかった超躍者であったが、全身スーツの繊維に入っている衝撃吸収用の特殊ポリエチレンがその威力を幾分か吸収したものの、さすがに機械人形の鋼鉄の攻撃に対しては全てを防ぐことはできなかった。
 しかも肝心のジャブもカウンターをすることができなったのでモロに顎(仮面を被っているのでそれに相応する位置)に喰らった。
 仰向けになった体がそのまま地面に倒れるかと思いきや、超躍者は地面を蹴り、多少の跳躍を加えて後方へと空中後転しながら着地した。
「……やっぱり。ただの徒手空拳かと思ったら、フェアバーン・システムを使っているか」
 顎のダメージはなんでもなかったかのようにいる超躍者の見解は当たっていた。
 フェアバーン・システムとは簡単に云えば軍隊式近接格闘術のことで、ウィリアム・E・フェアバーンが編み出した格闘術だ。第二次世界大戦で連合国各国軍に採用され高い評価を得たため第二次世界大戦(WW2style)スタイル(Close)近接(Quarter)格闘術(Combatives)とも呼ばれる。西側諸国だけでなく、東側諸国(旧共産圏)も含めた現代軍用格闘術の源流である。また、SWATをはじめとする警察特殊部隊の格闘術の源流でもある。
(これを作った人は、よくもまぁ、いろいろデータ蒐集しているみたいだな)
 背後から襲ってきた機械人形を真後ろに振り返らずに下から肘打ちする【縮身】で倒しながら超躍者は思った。
 イシス・テレジアがどのようにして他次元世界からそのシステムを持ってきたのかは不明であるが、超次元的な情報魔術を駆使する大魔術師ならばそんなことは可能なのであろう。
(こちらには、格闘系の機械人形。そして、クルーガーという彼の方には剣や槍を武装した機械人形。つまりこれは相手に合わせて微調整された代物ってことになるな。……だとすると…………)
 首を動かして、何十何百の建物を隔てた向こう側にいるであろう、バイク乗りの天使や凶熱の魔術師、そしてあらぬ部分を未だブラブラさせているクルーガーの相棒の方向へ目を向ける。
「……どうやら、個々人で解決していく状況じゃなくなってきているな」
 横から襲い掛かってきた機械人形を顔を向けることも無く、ヒラリと避けて【双把】で弾き飛ばし、超躍者は呟いた。






 上空から棺のような円筒上の物体が数キロの場所に落ちていくのを見届けてから、エルムゴートは葉巻に火をつけた。
「なんだ、ありゃ?」
 声に出して言うものの、彼にとってはどうでもいいようなことであった。
 しかし、それを見ていたのは彼だけではなく、当然空を飛んでいるエリヤに相棒のメタトロン、もはや何のコスプレか分らないハイブリッドな萌える(主に久魅那が)服を着た真珠、そして耳鳴りしていて全く音が聞こえていないチンチラ男……もといリロイですら遠くの空を眺めていた。
「……メタトロン?」
 空から視線を逸らさずして、エリヤは相棒の名を呼ぶ。
『最大望遠で確認。サイズからして二メートル程の縦長の金属筒。内部スキャンした結果、人型のシルエットを確認。同時に情報(プログラム)魔術エネルギーの反応。おそらく機械人形でしょう』
「でも、なんで機械人形が入ったものがあんな遠くの場所に……。―――って、うわぁー!?」
 エリヤが遠くに落ちていった機械人形が入った棺のことに思考を巡らせていた最中、突如下から西瓜程度の火球が飛んできた。
 それは当然エルムゴートが放った魔術、火の火球(ファイアーボール)であった。
「あ、あっぶないじゃないのよ?!」
「生死を賭けた戦いの中で、余所見は禁物だぞ。お嬢ちゃん」
 唇を吊り上らせながら、喚くエリヤにエルムゴートは笑う。エリヤが余所見をしていた隙にまともな攻撃を仕掛けなかったのは、そんな不意打ちして勝ったとしても面白くないからだという彼なりの戦闘狂らしさであった。
「あぁもう! もうどうなってんだかさっぱりになってきたし! とにかくこの戦闘をなんとかしなくちゃね。…………っというわけで!」
 エリヤの視線はエルムゴートではなく、何故かリロイの方に向けられた。
 彼女の右手が腰に触れる。そこにはマウントされていた饅頭のような形状をしたものがあった。
 それを手に取ると、内部から引き伸ばされたコネクタをアームパーツの手首あたりにある差込口にさす。
「エッジヨーヨー!」
 そう叫び、エリヤは饅頭のようなもの――ヨーヨーをリロイに向けて放った。
 糸がどんどん伸びていき、数十メートルはかるく超えてそれはリロイへと飛んでいく。
 対してリロイはヨーヨー自体を見たことがないので、最初はなんだろうとのんびりと観察していたが、残り数メートルのところでその形状が変わったことで事態は一変した。
 バチンッ、とヨーヨーのボディの外周部から飛び出し現れたのは三角形の鋭い刃であった。さらに刃部はバチバチと電気でも帯びているかのように放電しながら迫ってきている。
「ええっ!? うそぉぉーーー!!」
 予想外のものがでてきたことにより、リロイは思わず叫ぶ。その刃が見た目どおりのものであるならば、危険なことには間違いない。
 驚きのあまりに回避するのをすっかり忘れていたリロイは、ヨーヨーが足元の地面に突き刺さり、その回転速度が落ちることなく急上昇してきたヨーヨーの刃にブラブラしたものを隠す大事な布の先端数センチを切り裂かれ、放電現象の影響で布が若干燃え出すまで動けなかった。
 切り裂かれてから状況を理解し、慌てて両手で燃える布をなんとか叩いて消し、リロイは見上げる。
 ヨーヨーは未だリロイの頭上にあった。しかもどういう構造なのか、まだ回転は止まる様子はない。
 正式名称、電磁断裁双饅頭エッジ・ヨーヨー。見た目はただのヨーヨーなのだが、内蔵している電磁発生刃があらゆるものを切り裂く有線式遠距離武装なのだ。
「……ふん!」
 エリヤが右手のスナップを利かせて腕を振り下げ、ヨーヨーの軌道を上昇から下降に変えた。
「何ぃーっ!?」
 急激に落下してきたヨーヨーを避けるため、横に跳ぶ。だがそれはエリヤの予想通りの行動であった。
 目標を失ったヨーヨーが地面に突き刺さる前に、ヨーヨーを横に引くようにし、再びリロイに向けて腕を振る。
「え?!」
 走って距離を離そうとしていたリロイの背後から飛んできたヨーヨーが体中に巻きついてきた。そしてヨーヨー本体は近くの地面に突き刺さって固定された。
 勢いよく巻きつかれ地面に倒れるリロイ。傍から見れば簀巻きにされた状態に見えなくともない。
「くっ、この……!」
 巻きついたものを引き剥がそうとするが、ビクともしなかった。何故ならば、その糸に使用されているのは軟性特殊合金ワイヤー。人間の腕力程度では到底引き千切ることは不可能だ。
 チンチラが行動不能になったのを確認して、エリヤは接続していたエッジヨーヨーのコネクタを外す。
「さて、これで動けないでしょうから……。あとは、あんただけね」
 見据える先にはエルムゴートの姿。
 視線を合わせただけで、彼は笑みを浮かべる。
「確かにな。……だが、その前に」
 エルムゴートは右手にゆっくり出したのは火の火球(ファイアーボール)。それをどうするのかとエリヤは思ったが、突如エルムゴートはそれを動けないリロイの方へ投げた。
「……げっ?!」
 ワイヤーから抜けようと必死になってたリロイであったが、迫ってきたファイアーボールに当然気付くが、動けずにいるので必死に簀巻きの状態でもがく。
 しかし、無常にもファイアーボールはリロイに直撃……の寸前に間に割って入ったのはエリヤであった。
「エリヤナッコォー!!」
 光の力を収束させた断行正義拳エリヤナックルがファイアーボールを捉え、小爆発と共に消え去る。
「あんた、どういうつもりよっ?!」
 若干黒こげた右拳を気にせず、エリヤは叫ぶ。
「あぁん? 今のうちに邪魔な奴を始末しようとしただけだぜ? 俺様とてめぇの戦いをやりやすくするためになー」
 それは明らかな挑発だった。わざと身動きの取れないチンチラを攻撃することによってエリヤに完全な敵意を持たせるための行為。先ほど真珠を助けたように手加減されてはつまらないからであった。
 葉巻に火をつけて笑うエルムゴートにエリヤは怒りを覚えた。
「あんた……絶対に許さない!」
「やれるもんならやってみろ、天使様よぉ!」
 二人の戦いは第二ラウンドを迎える。





 ………………
 …………
 ……
 …

 守護天使と凶熱の魔術師の戦いは激しさを増していた。
 両者の戦いは際限なく激しさを増していく。
 既に熾烈としか表現しえぬ戦闘に、だが限界はない。
 人の域を逸脱する戦いは、それでも足りぬとばかりに熱く重く尚迅く、血戦の領域へと変えていく。
 凄絶な死闘は鬩ぎ合う二人だけでなく、その場にいるメタトロンや真珠、そして簀巻きのチンチラことリロイも例外ではなく心を震わせる。
 だが、それは戦慄ではない。
 人智を越えた戦いは恐ろしく、それ故に、魂を奪われるほど美しい。


「我に数は意味を成さず、ただ雑兵無形を焼き払う!! 圧する灼熱は万の軍勢を押し返し、躯の山を築いて積む!! 圧殺せよ、蹂躙せよ、火炎球(ファイアボール)乱数射撃(ランダムシュート)!!」
「撃ち抜け! 光羽穿雨(フェザーレイン)!!」
 五十個近く一斉に生み出されてたファイアーボールと天使光翼エンジェルウィングから切り離された五十枚の羽による攻撃が、互いの距離差僅か三メートルの間で衝突する。
 どれもが相殺しあい、二人の間に小爆発が瞬く間に吹き荒れる。
 爆煙によって互いの視界が封じられる。
 だがその中で動いた者がいた。
「我が右腕に握手はいらじ!! 我が求むるは赤子の柔肌を炙りし戦慄すべき炎邪の右腕!! 我が右腕の愛撫を受けし者は、等しく火膨れ、爛れるべし!! 我が右腕を憑依に、顕現し、完成せよ……!」
 煙の奥で確かにエリヤは聞いた。
 何が来ると思った次の瞬間、煙が膨れ上がり中から何かが飛び出してきた。
 それは当然のごとながらエルムゴートであった。だが、互いの距離が三メートルしかなかったという至近距離のせいで、彼の右手に業火が宿っていることにエリヤは気付くのに若干遅れてしまった。
「シャイニング・フィンガー!」
 迫り来る業火の手を避けようと、エリヤは体を逸らす。だが僅かに反応が遅れた代償に、業火の手が彼女の左肩に触れた。
 直後、エリヤの危機的直感が働いた。
「ショルダー、パージ!」
 左肩のパーツが瞬時に外され、それを囮にエリヤは右へと飛ぶように回避した。
 まともな姿勢で回避できなかったせいか、エリヤは地面を転びながらエルムゴートから距離を離す。
 そして、ようやく立ち上がったエリヤが見たものは驚愕な光景であった。
 右腕を突き出しているエルムゴートの手の中。業火の手に鷲掴みされた契約の天使鎧(ディアテーケ)のショルダーパーツが熔けていたのだ。だが彼が数刻前にその業火の手で一瞬にして飴に変えられた機械人形のようにはいかず、その天界金属ジルコハルオンで鍛えられた装甲は徐々にだがその形を液状に変えていく。
「さすがは天使の鎧だ。一瞬じゃあ溶かしきれねーか。でもまあ、俺様の灼熱には敵わなかったようだな〜」
 唇の端を吊り上らせながら、エルムゴートはドロドロに熔けきった天使鎧を地面に落とす。落ちた残骸はバチバチと紫電を発しながら完全に飴になってしまった。
 その液状化するまでの時間は僅か八秒であった。
『マスター。その男の灼熱を測定した結果、数千度から数万度の超高熱を発しているようです』
「なるほどねー。それじゃあ流石の全四層の装甲で構成されたディアテーケも保たないわけだわ。……にしても、数千数万となると太陽と戦っているようなもんか。やっかいな灼熱ね……」
 ディアテーケの装甲は全部で四層に渡って構成されている。一層目は第一耐魔力装甲。二層目は第二超耐熱装甲。三層目は第三複合耐弾装甲。そして最後の四層目は胸の中心にある緑色の宝石――超々高速度情報処理回路搭載半永久エネルギー発生宝石――ガーディアン・ハートから供給される光の力を鎧全体に廻らせる第四天使回路装甲である。これらは当然のごとく天界金属ジルコハルオンが基なのだが、それぞれの防御目的が違うので耐性力は異なる。
 エルムゴートの灼熱を大いに防いでいたのは、二層目の第二超耐熱装甲であった。しかし魔術的な部分は第一耐魔力装甲が耐えられるものの、その発せられる熱までは防ぎきれず第二装甲に頼ることになっていたのだが、それでも凶熱の魔術師の灼熱には耐えることができなかったのだ。
 ショルダーパーツを失ったエリヤの左肩からは、素肌の上に着ている対衝撃吸収用白スク水――バリアスーツが覗いている。その肌にはうっすらと汗がにじみ出ていた。
 それは彼女の顔にも窺えた。あのエルムゴートの灼熱には触れてもいなかったにも関わらず、その熱気は確実にエリヤに振りかかっており、焦りの色も濃く現れている。
 己の鎧を貫く、もしくは破壊できるのは彼女が知る限りたった二人だけだと思っていた。だが現実はそうでなかった。自分の住む世界とは違う次元の異なる世界には己の知らない力を持ち、なおかつ天使鎧の強度を超える力を持つ存在がいたことに正直驚いていた。
 まだまだ自分の知らない強者がたくさんいる。その事実が彼女の体に流れるアドレナリンが活発化し、不思議と口元に笑みを浮かばせた。
「マシン・バード!」
 背部にマウントされている、二つの自動索敵追跡攻撃ユニット――機械使鳥マシン・バードがラグビーボールな形状をした待機状態から一気に翼を広げて二匹の(はやぶさ)の姿となりて飛び出した。
 エルムゴートに迫り来る隼の翼は鋼鉄の刃。さしもの魔術師の観察眼でもこれには気付く。敏捷力には優れていないが知力では誰にも負けない。故に、これの対処方法は既に構築されていた。
「わが身を鎧う堅牢なる炎獄の使徒、いかな刀剣飛愴も溶かし焦がして刃を腐らす!! 完成せよ、岩漿物質(マグマアッシャー)防御形態(ディフェンスモード)!!」
 エルムゴートの周囲に超高熱の溶岩の塊が四つ召還された。
 功性防御魔術の防御形態。四つの溶岩塊が周辺を警戒し、攻撃するモノから術者を守るが、これを発動させている間は他の魔術を行使することができないのが欠点であった。
 マシン・バードが迫るのを探知した四つの溶岩塊のうち二つが鋼鉄の隼の攻撃を防ぐようにエルムゴートの前を塞ぐ。
 目標を変えず、高速で飛ぶ二匹のマシン・バードは溶岩塊と正面から衝突した。それぞれが灼熱と衝撃により、溶岩塊は砕け、マシンバードは翼を捥がれて地に落ちる。
 それを見るや、即座にエリヤは跳躍し、十メートルも地上から離れた空中で一回転すると右足を突き出す体勢になった。
「エリヤ……ストライィィィィーック!!」
 光の力を収束させた足に渾身の力を込めて稲妻のように敵に撃ち込む一撃必殺の蹴り技――雷光武刃エリヤストライクがエルムゴート目掛けて一気に落下。
 だがそれも当然のごとくマグマアッシャーの溶岩塊が立ち塞がった。
 稲妻の蹴りが溶岩塊に叩き込まれ、見事に砕ける。……だが、そこまでだった。エリヤストライクでも溶岩塊は破壊できてもエルムゴートにまでは届かない。しかも、溶岩塊を砕いた右足の装甲はその灼熱によって熔けかけていた。
 それでもエリヤは攻撃の手を弛めなかった。ダメージを追った右足をものともせず、その右足を軸に片膝を持ち上げる。
「アイオーン・ドリルッ!」
 最後の一個になった溶岩塊を破壊するため、レッグパーツの外部装甲を展開させて内蔵されていたドリルを膝上に固定。大回転迎撃衝角アイオーン・ドリルの先端が溶岩塊に突き刺さる。途端、灼熱がアイオーン・ドリルを溶かし始める。溶岩塊を徐々に砕きつつも、半分近く衝角が埋まったあたりでドリルの回転が止まってしまった。回転軸にまで灼熱が侵入したためだ。
「っちい! ……まだ!」
 左膝のドリルを切り離し(パージ)、残った右膝のアイオーン・ドリルを半壊した溶岩塊に叩きつけた。灼熱が再びドリルを溶かそうとしたが、一部を溶かした時点で溶岩塊は砕けてしまった。
 もはや防御する溶岩塊を失ったエルムゴート。しかし、この状況を予測できない彼ではない。
「わが身に従う残虐なる炎邪の使徒、いかな大群魔人も溶かし焦がして焼き払う!! 完成せよ、岩漿物質(マグマアッシャー)攻撃形態(オフェンスモード)!!」
 マグマアッシャーの連続使用。最後の一個であった溶岩塊を失った直後にはエルムゴートは次の魔術が使用できる。彼はそのタイミングを見計らい、それを今発動させた。。
 戦闘経験豊富だったはずのエリヤでもこのような状況下ではまともな対処ができない。
 そんな彼女を嘲笑うかのように、召還された四つの溶岩塊が一気に目の前のエリヤへと襲い掛かる。
 一つ一つが彼女の武装を破壊するほどの威力。それが全て天使鎧に激突していく。
「……がはっ!」
 左足、右脇、左腕、右肩とそれぞれの溶岩塊がぶつけられ、天使鎧の装甲が次々と砕ける。その灼熱と衝撃でエリヤは血を吐きながら一撃ごとに数歩後ろへ下がってしまう。最後の四撃目が終わるころには、先ほどの位置から八メートルも離れてしまっていた。
 意識が遠くなるのを必死で堪え、右手を左腰へと伸ばす。
 掴んだのは、堅勇刃ブレイヴァー。抜刀し、大上段に構えて叫ぶ。
「ブレイヴァー! カートリッジロード!」
 鍔にあたる部分に接続されているアームド・シェルが起動。装填されているシャイン・ブリッドがボルトアクション式でスライドして内部発射されると、刀身に光の力が急激に収束し始めた。
 光の剣となったブレイヴァーを掲げ、天使光翼エンジェルウィングを展開して一気に飛び迫るエリヤに対し、エルムゴートも魔術を構築させる。
「地を払え、炎の大蛇!! 灰と屍と焼殺の残り香を添えて我が進む道を舗装すべし、奔れ……」


暫魔(ざんま)天空剣――――ジャスティス……セイヴァァァァァァァァーーーーーーッ!!」

地を這う爆炎(グランドナパーム)!!」


 振り下ろされた光の剣。そしてその剣へ向けて放たれた爆発を連鎖的に発生させる魔術が激突した。
 本来なら前方に一直線に攻撃するグランドナパームであるが、一直線上にある箇所、つまりブレイヴァーに連続爆発させることにより剣の威力を抑える効果があるのだ。破壊力、速度共に一級であるこの魔術だけができる芸当であった。
 連続する爆発がブレイヴァーを押し返し、シャイン・ブリッドの効果が切れたブレイヴァーの刀身にヒビが奔った。
 使えなくなったブレイヴァーを投げ捨て、次の行動に入ろうとしたエリヤだが、エルムゴートの方が早かった。
炎の吐息(ブレスファイア)!」
 詠唱の必要ない魔術。口から吐き出された灼熱の炎がエリヤを襲う。
「くっ……このぉ!」
 光の力を全体に放出することによってエリヤは炎をなんとか吹き飛ばすがバランスを崩してふらつく。だが、その僅かな時間がエルムゴートに次の攻撃を許した。
「鎧を貫け門扉を破れ!! いかな装甲もいかな護りも焼き焦がして穿って打ち抜くのみ!! 貫通せよ、火神の砲弾(キャノンボール・オブ・イグニス)!!」
 態勢の整えていないエリヤであったが、不安定な状態からも片膝をなんとか持ち上げる。
「アイオーン・ドリルっ!」
 膝を突き出したアイオーン・ドリルの先端が目の前まで迫った砲弾と衝突。だが、先のマグマアッシャー・ディフェンスモードに攻撃した際、ドリルの耐久度は限界に達していた。
 ヒビが目立っていたドリルはさらなるヒビ割れを起こし、やがて崩れてしまう。
「しまっ……!」
 障害物の無くなった砲弾が加速し、一気にエリヤの胴体へと直撃。
 激しい爆発が起こり、エリヤの体は背後の建物へと吹き飛んだ。
『マスター!』
「久魅那お姉ちゃん!」
「……!?」
 メタトロンが、真珠が、そして簀巻きのチンチラがそれぞれ驚愕した。
 衝撃で崩れ落ちた建物からエリヤがゆっくりと立ち上がり、前へと少し歩む。
 彼女の鎧はボロボロであった。砲弾が直撃した胴体は唯一無傷な胸の宝石――ガーディアン・ハート以外は見るも無残に壊れており、紫電もはしっている。さらには灼熱でほとんど形状を保っていないほどに熔けていた。一部隙間から多少焦げたバリアスーツが窺えることから、第四天使回路装甲にまで達しているのは目に見えている。
 胸部以外にも鎧のいたる部分が熔けていたり、ヒビ割れているのが殆ど。天使鎧の耐久度は限界に近かった。
 まさに満身創痍。
 しかし、ふらつきながらも歩むエリヤに、エルムゴートは容赦がなかった。
火の火球(ファイアーボール)!」
 掌に西瓜程度の火球を形成しエリヤに向けて投射された。もはや回避する余力の無いエリヤはそんな単純な魔術すら直撃してしまった。
 衝撃とダメージの蓄積で、ついにエリヤはうつ伏せに倒れた。



「メタトロン! 久魅那お姉ちゃんが?!」
 倒れたエリヤを見て、真珠が叫ぶ。だが相棒のメタトロンに動く気配はない。
「どうして? パートナーが倒れたのに、何で助けようとしないの!?」
『それは、まだマスターがワタシを呼んでいないからです』
 静かに、メタトロンは答える。
「呼んでいないって……。無理よ、あんな状態になってどうやって呼ぶっていうの? パートナーが戦い尽きて、それを助けないの?」
『マスターはまだ尽きていません!』
 メタトロンの怒気が込められた一言に、ビクッと真珠の体が跳ねた。
『……すみません。真珠、ワタシもマスターを助けたい気持ちはあります。ですが、マスターはそんなことをされても喜びません』
 実際、メタトロンはエリヤがエルムゴートと戦い始めたときから、すでにCIWSバルカン砲とインパルスキャノンの照準を常にエルムゴートに向けていたのだ。いつでもパートナーからの呼び声に応えられるように。
 しかし彼女は呼ばなかった。それは彼女が彼との戦いを一対一の正々堂々としたかったから。
 己がマスターの意思を尊重するため、メタトロンは一度も二人の戦いに入り込もうとはしなかった。
『それでも、これだけはいえます。マスターは、まだ敗北に屈してはいません』
「メタトロン……」
 それがどれほど強い信頼で結ばれた関係であるか、真珠は思い知った。
「久魅那お姉ちゃん……」
 それを承知の上でも、真珠は倒れているエリヤに心配の表情を向けていた。



「……ん?」
 エルムゴートの眉がつりあがる。
 倒れていたのは何秒だったのか。満身創痍の体にもかかわらず、エリヤはゆっくりとだが、立ち上がった。しかし、両腕はぶらりと垂れ下がり、その顔は俯いたままで表情が窺えない。ポタ、ポタ、と落ちる音がするのは鎧の隙間から零れている血であった。
「ほう。まだ立ち上がるかよ」
 まだ唇は笑っていたエルムゴートであったが、内心は動揺していた。
 なぜそこまでして立ち上がるのか。
 己を守るべき鎧は砕かれ、武器はどれも通じず、手足も届かないのに、どうして?
 エルムゴートは戦いの最中、いつもならば相手が強敵ならば喜んで死をも厭わず戦いを楽しんでいた。
 だが目の前の少女は、今まで相手にしてきた敵とはどこか違っていた。
 それは少女が自分のいた世界とは違う次元に住む者だからなのか? 天使の力(テレズマ)と呼ばれる力を持っているからか? 否、そんなことは全然関係がなかった。どの世界の者であろうと、自分とまともにやりあえる人間は、宿敵である剣聖『茨城鎧山』だけだと自負していた。
 今や彼の思考にはたった一つのことしか考えられないでいた。


 ――何が彼女をここまで立ち上がらせるのか?




「やっぱ、この姿(・・・)じゃあ勝てそうにないか……」
 自傷するように呟くエリヤ。だが、その言葉に相棒のメタトロンは意図が読めた。
『……まさかっ?! いけません! あの力を使えばマスターのお体が!』
「大丈夫よ、メタトロン。だって―――」
 俯いていた彼女の顔がゆっくりと上がる。



 ――辛いこと、苦しいことに挫けても……。



 ――自分の大切な人を護るため……。












 ――必ず。












「――護るべき者がいる限り、あたしは……絶対に負けないんだから!」







 ――微笑んで、立ち上がる。






「―――?!」
 その微笑みが視界に入った一瞬だけ、エリヤの背後に何かが見えた。エルムゴートはその一瞬の出来事に目を見開く。
「ほざいたな、天使……」

(今、何を見たんだ……?)

「ならばその言葉、口先だけでないことを俺様の前で証明しやがれ!」

(――あの天使の背後に、俺様は何を見たんだ?!)

 エルムゴートが見たそれは、力強いイメージだった。


 金髪でショートカットの、背中に小さな天使の翼を持つ少女。
 ブロンドロングで、穏やかそうな洋風の少女。
 そして、エリヤ――天璽久魅那に仕えるように寄り添う、銀髪セミロングを後ろで結ってバレッタで留めており、メイド服を着た、歳もそう離れていないほどの若い女性。


 その三人をエルムゴートは知らない。知るよしもなかった。
 だが、これだけはわかった。

(……てめぇを支える者達。それがてめぇの強さの根源かっ?!)




 エリヤは左手を空高く掲げた。
 そして、この情報世界エウクセイノスに、新たな言霊を響かせた。


「我等の旅は終わり、天上へと達す」


 かつて、天璽久魅那は一度、大いなる強敵の前に敗北したことがあった。
 絶望に打ちひしがれ、諦めかけた時、目の前に現れたのは久魅那と契約した天使の上司でもある女神であった。
 女神は彼女の熱き正義の心を認め、新たな力を与えるために契約した。


「門は開かれ、護るべき戦は報いを得る」


 “新約”。それが久魅那に与えられた新たな力。
 しかしその力はあまりにも強大。まともに扱えるほどの代物ではなく、久魅那自身、この力を使用したのは最初の時を含め過去三度だけ。


「我は常に守護者。それで今一度護ろう」


 それほどのものを使用するにはかなりの決意と勇気が必要であった。
 だが、今回はそのように躊躇していれられなかった。
 目の前に立つ凶熱の魔術師に対して悩むのは不要。使わない限り、勝てる見込みはないと直感した。


「旧き英雄達よ。無垢なる剣を執り、その勇気を一瞬にして喜んで払え!」


 理不尽な力に倒される者がいる。それを知ってただ佇むのは己の正義に反する。
 己が得たこの力は、哀しい誰かを止めるためにあると信じて。
 だから、彼女はその想いを貫き通す!


「女神との新約の下―――我、星々の天使なり!!」


 新約実行。
 天使光翼エンジェルウィングが大きくはためき、翼から溢れんばかりの緑色の風が吹き出し、エリヤを含め周囲約五メートル圏内を包み込みように電磁波をも伴った緑色の竜巻が発生。さすがのエルムゴートもその風に数歩後ろへ下がる。
 そして魂に刻まれた女神との新約が発動。
 半壊した天使鎧に光の粒子が集まり、それぞれのパーツへ覆いつくすとその形状が徐々に変化していった。
 破損した部分は修復されながら、失った左肩のパーツは再構成されてその形状を変えていく。
 ある部分はスマートに、またある部分はさらに強固に、鋭く、強さを感じさせる鎧へ。
 そうして、変化を終えたエリヤは翼を再びはためかせ、電磁竜巻を吹き飛ばした。
 電磁竜巻が消え去ったその場所に佇む少女の姿に、エルムゴートはおろか、簀巻き状態のリロイ、そして真珠も驚きを隠せなかった。

 其れは白き鋼。
 其れは美しい白い光沢。
 其れは法と正義の象徴。
 其れは白銀。
 其れは星々の輝き。

 そこに立つ天使の鎧は白銀に輝いていた。
 以前よりも生身を包む鎧の範囲は広がり、重厚な印象が強い。
 実際、全パーツの装甲が厚く強化されており、さらに戦闘に特化した形となっていた。
 だがそれでも、見るものを惹かれさせる美しさは損なわれず、なおかつ装甲重視に見えて機動性も遥かに上がっていることに気付ける者もいるかもしれない。
 その姿はまさに、天使の翼を持った白銀の騎士とでも呼べるだろう。
 ジルコハルオンを遥かに超えた性能を持つ星界金属ジェニウスハルコンで造られた決戦用機械星服――新約の星天使鎧(カイネー・ディアテーケ)を纏いて星々の天使は空へと羽ばたく。
 空中でその身を安定させたエリヤは、過去三度だけ言い放った台詞を、凶熱の魔術師へ向けて叫んだ。


「星が呼ぶ、銀河が呼ぶ、宇宙が呼ぶ! 理不尽なる悪を滅ぼせとあたしを呼ぶ!
 希望は右手に! 愛は左手に! 正義の心はこの胸に!
 輝煌(きこう)なる光翼(つばさ)に勇気を乗せて、星守護天使エリヤ、只今見参っ!!」


 エルムゴートへ左手の人差し指を突きつけ、最後の一言を言い放つ。


「貴方の悪事、ご期待通りに止めさせてもらいます♪」


12 :ハリセンボン :2006/11/25(土) 14:55:18 ID:nmz3m3xH

猛攻(上)

 今までとは違う。
 エルムゴートは相手から感じるその威圧に片眉を吊り上げた。先ほどまでも十分な力量を備える手ごわい敵手である事は自覚していた。だが、今新たな姿へと変じた彼女は今までとは違う。
 
 ずくん。

 うずく。彼の文字通り最後の切り札。戦闘を一方的虐殺へと貶める隠された邪槍が疼く。
 その疼きを黙らせ、エルムゴートは歯をむき出しにして笑った。
「てめぇ、それは番組後半のロボット乗り換えタイミングでやるべき事だろうが!!」
 笑いながら術式を構成。そうだ、強者との死合いは望むべきもの。己の命を奪うほどの敵手との戦いならば死ぬのも又本望。
 新たな力を発現させたエリヤは背から桜色の翼を翻す。その手に携える剣。先ほどよりも幾ばくか刀身の細まったそれを構え、彼女は叫ぶ。
「でりゃぁぁぁー!!」
 突撃。真正面からの突撃。だが、先ほどまでとはまるで速度が違う。100メートルを5秒で走るその脚力は新たな力によって強化され、その間合いをほんの一瞬で詰めるほどの凄まじい速度を見せたのだ。
「……なに?!」
 先ほどとは違う、それは確信していたが、まさかこれほどの劇的な強化を遂げていると予想していなかったエルムゴートは一瞬反応が遅れた。
「あんたに対して出し惜しみが危険な事はわかっている、切り裂け! 輝煌翼弾劾狩 スターテイカぁぁぁぁぁぁ!!」
 エリヤの両翼から伸びたその桜色の光の翼、それが触れ得るものを寸断する刃であると気付いたエルムゴートはとっさに横っ飛びに回避に掛かる。飛びのいたその右腕に裂傷の痛みを感じる。見れば右腕の一部がすっぱりとまるで剃刀で切り裂いたかのような傷跡があった。滴る鮮血が白い紳士服を赤く染める。同時に地に堕ちた鮮血のしずくが溶岩と変じ地面を焦がした。それを踏み潰すエルムゴート。
(……これは相打ちを覚悟せにゃならんか。なら、溶岩体(マグマボディ)の正体を知られるのは不味いな)
 舌打ち一つ漏らし、咥えていた葉巻を吐き捨てる。術式を編み、魔術を具現化、頭上にいくつもの火球が生み出される。
 彼の視界の向こうで壁を蹴りながら此方へ前進してくる相手を睨み据え、相手に対し攻撃を開始する。
「我に数は意味を成さず、ただ雑兵無形を焼き払う!! 圧する灼熱は万の軍勢を押し返し、躯の山を築いて積む!! 圧殺せよ、蹂躙せよ、火炎球・乱数射撃(ファイアボール・ランダムシュート)!!」
 射出開始と共に凄まじい数の火球がただ一人の敵を目掛けて走る。凄まじい数の弾幕、それこそたった一人の敵に放つには余りにも無駄の多い大火力蹂躙爆撃。
 だが、エリヤはその凄まじい攻撃に対してひるまない、引かない。
 速度を地を削るように足でブレーキを駆け、腰溜めに拳を構える。その構えた拳に光が収束していく。光輝はさらに燦然と力を増し、増幅していく。構える彼女の狙いの照準をつけるように光輪が出現する。
 拳を振り上げた。まるでその拳に乾坤一擲の思いを込めるようにエリヤは叫ぶ。
「打ち砕け、あたしの想いを乗せて、光弾劾爆正拳、エリヤファントム!!」
 まるで引き絞られた弓から矢が放たれるように、光輪を纏ったその拳は迫り来る火球の群の真ん中を直進するように伸びた。
 光の拳がまっすぐに進み、火球の雨を駆逐する。その光の拳が作る細い道をエリヤは飛んだ。
「……なに?!」
 最短の攻略法。恐らくもっとも少ない力で道を切り開く戦法だ。エルムゴートは敵手のその戦闘スタイルに戦慄する。勝てない、その優れた知性は同時に戦闘能力と言う点において自分が敗北を喫している事を残酷なまでに告げていた。機動力火力装甲、少なくとも先ほどより劣っているという事はあるまい。光の拳に魔術の尽くが潰され、相殺される。その道を突破するエリヤ。
「く、くく」
 ならば。エルムゴートはそれでもまだ笑ってみせる。その両腕が凄まじい勢いで術式を構成する。
「くははははははは!! 粉塵を帯びよ、熱を帯びよ、惨劇の準備をせよ! そは爆炎にて空を舐める炎蛇の助けとなる物なり! 我は乙女の守護者、柔肌を護り傷を癒し、肌を護るもの、炎邪の愛撫から美を護り、防ぎ、癒すもの! いかな醜き火傷であろうと元の美を取り返すものなり!」
 エリヤはその突如として叫ばれたエルムゴートの呪文に疑念を抱かずにはいられなかった。
 魔術というものにはそれぞれ呪文に特色がある。
 先ほどまでの戦いをかんがみて見れば、エルムゴートが得意とするものは、破壊力に特化した火炎と溶岩を行使する炎の邪術とも言うべき力だ。
 だが、今目の前で行われる詠唱は先ほどまでと違う。前半の詠唱はともかく、後半の詠唱はむしろ天使の力に通じる清きものの魔術だ。
 そこまで思考が行き着き、エリヤはエルムゴートの魔術の意味を知る。間違いない。敵は二つの魔術を同時並行して詠唱しているのだ。普通の集中力では到底無し得ない行動だ。
「なら、一気に勝負を決める! カートリッジ、ロード!」
 撃鉄の排莢音と共にエリヤの携える新たな力、星勇刃『スターブレイヴァー』が、弾丸に込められた光の力を帯び、燦然と輝き始める。その凄まじい光を帯びた剣を携え、エリヤは空へと飛び上がり、真っ向から振り下ろした。
 その一撃をエルムゴートは白いコートの右袖を振り上げて防御しようとする。
 勝利の確信を得るエリヤ。たとえいかなる強力な魔術防壁を張ろうと両断する自身のある一撃、切れないものなど無い。
「切り裂け、天獄星剣 ヘヴンズカリヴァーン!!」
 光の力を帯び、長大な大剣へと変じたそれは対象を中心とした半径数メートルを粉砕させるほどの威力を持つ。
 一刀両断の手ごたえを信じた彼女は、そこで己の一撃が食い止められている光景を見た。
「なに……?!」
 必殺の確信を持って放った技が、何の変哲も無い袖に防がれた。驚きで一瞬動きが止まる。
 それを見逃すエルムゴートではない。
「汝のいる地は炎獄への坂道なり! 誕生せよ、火薬庫なる大気(アーセナル・エア)!」
 ぶわり、とエルムゴートとエリヤ、その二人がいる空間に風が巻く。
 だが、それだけだった。炎も溶岩も出現しない。
「……何を、したのアンタ!」
「ちゃんとしたぜ? ……空気が旨いだろ?」
 エリヤの言葉に凶笑を浮かべるエルムゴート。その表情に禍々しいものを感じたエリヤは、背筋に悪寒を感じる。次の瞬間、エリヤの悪寒の裏付けをするようにメタトロンの声が響いた。
『マスター! その男の半径5メートル四方の酸素濃度が6倍以上に増加されています!』
「まさか、あんた……!!」
「無論、先刻承知」
 エリヤは相手の行動を理解し、戦慄する。
 エルムゴートの右腕に火球。だが、まるでメタトロンの言葉を裏付けるように膨れ上がった巨大な火球と変じていた。咄嗟に距離を置くため脱出するエリヤの前でエルムゴートは目を閉じその上から手で覆い隠し、指先で鼻を摘み余った掌で口元を押さえ、意識で着火を命じた。


 凄まじい爆炎がエルムゴートの周囲を蹂躙する。


「……おかしい、おかしいぞ、お前……」
 リロイは呆然とした様子で、呻くように呟いた。相手を倒そうとするのは分かる。だが、相手を倒すために自らの死も厭わない相手など普通では考えられなかった。おかしいのは自分と相棒の格好だけと思っていたが、あの炎を使う魔人は見た目ではなく頭がおかしい。
 あれは自分自身を巻き込んだ壮絶な自爆攻撃だ。
 そんな無茶苦茶な攻撃ははっきり言って、祖父が相対する怪物でも行わない。なまじっか理性を有する人間がそんな蛮行を行うという事が信じられなかった。
「……ま、さか、こんな手を使うなんて!!」
 リロイの近くに爆炎で体のあちこちを焦がしながら、天使の力を使う少女、エリヤが着地する。
『ご無事ですか、マスター!』
 メタトロンの声が響いた。鋼の相棒の言葉に、装甲の隙間で軽い火傷を負ったエリヤは返す。その炎の陵辱が病み、沈火し始める様子を見ながらエリヤは複雑そうな表情を見せる。
「……まさか、こんな手段を使うなんて、思ってもみませんでしたの」
 真珠はもはやなにがなんだか訳が分からない服装のまま近づいてくる。だが、エリヤはその彼女の服を見て息を呑んだ。真珠はまだ緋袴を着ている。そしてその影響をおよぼしたのはあの凶熱の魔術師以外にありえない。
 そう思って爆炎の中心点を見たエリヤは、息を呑んだ。
 エルムゴートは原型を止めていた。恐らく彼の身に着けている衣服は相当強力な耐火の魔術がかけられていたのだろう。だが、肌の露出していた顔面は既に見るも無残に焼け焦げている。まだ生きてはいるが、虫の息と言うべきだろう。
 かすかに呼吸らしいものはしているが、もはや長くない。
 真珠に向こうを向いているように言うと、エリヤはその手に剣を持って近づく。ここまで来ると、もはや手助けする方法は無い。ならばいっそ苦しみを長引かせるよりは止めを刺したほうが良いだろう。
 敵とはいえ、もはや半死半生の身。近づこうとしたエリヤ。
「……まて、そいつはまだ!!」
 だから、それを見たとき、リロイは思わず目を見張った。
 魔術式、それも即座に放つことの出来る炎の吐息が構成されている事に気付くと、咄嗟に叫んでいた。その声に思わず動きを止めるエリヤ。
 同時に屍と化したはずのエルムゴートの口蓋からエリヤ目掛けて炎が吐き出される。
「こいつ……動く?!」
 咄嗟に光の力を放ち、防御するエリヤ。
『……そ、そんな、あのバイタルで生きているはずが!!』
 メタトロンが驚愕したかのように叫ぶ。だが、生存を知らせるように、相手の指先がびくびくと震えている。
 半死半生の魔術師エルムゴートは、そこまでぼろぼろになりながらも、小さな声で二言三言、呟く。
「……発現……せ……よ、致命的火傷再生(バーンフェイタル・リジェネイト)
 魔術の白い燐光の発現、恐らく天使に連なる魔術が発動し、醜い火傷の傷を受けたエルムゴートの肌を元通りのものへと再生させていく。黒くこげた肌が再生し、元通りの色へ戻り凶熱の魔術師の顔を再び再構成していく。呆然と再生を見守るエリヤの前で、エルムゴートは巨躯を翻し立ち上がった。
「……あれで、死なない?!」
「生憎だったな、天使」
 戦慄したようなエリヤの言葉にエルムゴートは先ほどまでと変わらぬ笑みを見せた。
「火炎魔術の達人である俺は、同時に火傷治癒の達人でもある。てめぇ自身の炎に巻かれて死ぬなんぞ間抜けも良いとこだからな」
 にやり、と笑ってみせる。
「貴様のような一流の戦士、間合いに習熟した達人は誰もが俺のような一流の魔術師が、愚策とも言える自爆を行うとは思わねぇ。……故にこそ、この自爆攻撃は達人の意表を突ける。……もっとも、俺ほど魔術に卓越した達人であり、体力もある人間でねぇと、最後の治癒魔術詠唱まで意識を保てずそのまま死ぬがよ」
 機嫌良さげに笑っていたエルムゴートは、そこで不愉快そうに表情を崩した。
「……最初の自爆攻撃はおとり、本命はむしろ慈悲心を持って止めをさそうとする相手に対しての火の吐息こそが本命だった。事実、至近まで近づけば、あの炎で小ならぬダメージを受けるはずだった。……そこのチンチラが邪魔しなけりゃな」
 エルムゴートの瞳が殺意に燃え上がり、未だぐるぐる巻きにされたままのリロイに向けられる。つま先を彼に向け、エルムゴートは忌々しそうに表情を歪める。呟いた。
「……抜きたくねぇ」
「は?」
 言葉の意味が分からずエリヤは呟く。そこで彼女は、一つまだ理解できないことがあることを思い出した。エルムゴートに対して必殺となるはずだった天獄星剣ヘヴンズカリヴァーン。だが、それは唯の服の袖に防がれた。

 否。服の袖ではない。恐らく、服の袖の中に仕込まれた何者かに防がれたのだ。

「もはやまったく打つ手がねぇが、それでも抜きたくねぇ、抜きたくねぇ抜きたくねぇ抜きたくねぇ抜きたくねぇ抜きたくねぇ抜きたくねぇ抜きたくねぇ抜きたくねぇ抜きたくねぇ抜きたくねぇ抜きたくねぇ抜きたくねぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 エルムゴートは喚きながらも同時に凄まじい勢いで手印を斬る。先ほどまでの魔術の行使が遊びに見えるほどの速度と勢いを帯びた凄まじい術式構成。
「戦いを単なる殺戮ショーにまで貶めるこいつを、誰が好き好んで抜くかよ畜生が!! ……だが、抜かずに敗れることは……もっと耐え難い!! 四方を守護する偉大なる天使の御力! 地獄の槍を封じるその偉大なる力、今ひとたびその聖鎖の縛をひとたび緩め、地獄の顕現をここに呼ぶものなり! アーデウラ、アマスアマスアブラウ!!」
 エルムゴートのその叫び声と共に、コートの右袖が割れる。同時にその中からいくつもの呪譜が伸び、いくつもの聖鎖がエルムゴートの右腕を覆っていく。
「ありゃ、悪霊封じの護符?!」
 リロイが目を見張る。術式は恐らく異世界ゆえに違っているが、その呪譜が目的とするものの方向性は、彼の祖父が勤める教会で一般的に使用されているものと同一のもの、退魔の呪符。
 問題はその呪譜の規模。
 リロイの世界で強力と言える呪譜が村の教会とすれば、エルムゴートの右腕にまとわりつくその聖鎖と呪譜は大聖堂と呼ぶに相応しいほどの封縛力を有している。
 エリヤもそれが自分と同じ聖なるものの力に連なるものだと理解していた。同時に呪文の一節を耳にし、ぞっとする。これほどの強力な封魔の力で持って一体何を封じてきたのか。


「地獄の大釜、暗黒の顕現、怨念の凝縮たる汝に、贄を捧げる。
 顕現し完成せよ、邪槍『惨鉄剣』!!」


13 :ハリセンボン :2006/12/08(金) 12:27:29 ID:nmz3m4ki

猛攻(下)

 その地に、地獄が現れた。
 その武器はまるで地獄を煮固め、槍の形にしたかのような形状を取っていた。それは剣と呼ぶよりは、槍と呼ぶほうが相応しく、槍と呼ぶよりは焼け爛れる鉄串と呼ぶに相応しい形状を有していた。
 だが、その邪槍が帯びるものは単純な炎ではなく、怨嗟と恐怖、嘆きの声に似た轟々と燃え盛る漆黒の邪炎だった。その槍を縛るように、エルムゴートの右肩から伸びている聖鎖が絡みつく。
 リロイは息を呑んだ。
 彼とて祖父と一緒に闘ってきた。これまで悪霊の類とも相対してきた。だが、目の前の男が持つその邪槍が放つ怨念は桁が違うと言って良い。
「……くそ、使いたくねぇ、使いたくねぇ、使いたくねぇ……!!」
 邪槍を振り上げるエルムゴート。叫ぶ一声ごとに彼の口蓋から血が漏れる。
 その様子でリロイも理解した。あの魔術師が右腕に巻く鎖から『教会』の用いるものと同質の聖なるものの力を感じる。
「……ありゃ、制御弁だ」
 邪槍が帯びる負の霊圧はそれこそ常人が近くにいれば発狂を引き起こしかねないほどの凄まじさだ。おそらくその邪槍を直接握っている男には想像を絶する苦痛がその身を蝕んでいるはず。あれほどの霊的な加護を得たとしても、邪槍の影響すべてから脱することは厳しい。
 言い換えれば、それこそ万に達するであろう邪霊達が凶熱の魔術師の肉体を乗っ取ろうとしているにもかかわらず、その邪霊達に対してなおも自意識を保ち、武器として屈服させているその精神力には驚嘆するしかない。
 そう、たとえ、
「……生憎だが、邪槍を構えた俺は欠片も手心を加えんぞ……!!」
 邪槍の呪詛によって殺戮衝動に突き動かされているとはいえ、自らの意思で人の言葉を話すというのは感嘆すべきことだ。
「ちょっと……!!」
 とはいっても今まさに命の危機にあるリロイからしてみればそれこそ超どうでもよかったが。そこに風のように踏み込む天使の姿がある。
 片手に細長い直剣を携えた機甲の天使エリヤは、リロイの体を拘束していたワイヤーを解除、同時に彼を守るべく間に入った。
「……あんた、自分がどういう武器を使っているのか、自覚はあるの?!」
「……茨城鎧山の(世界の危機のその中心:セントラルオブワールドクライシス)に対抗するために作らせた獲物だ。これまで実際に使用され、無辜の民の無念の涙と血を吸い続けた拷問具を集めて煮溶かし槍の形に変形させた獲物だ……」
 邪槍の帯びる悪霊の群れがじりじりとジェニウスハルコンで持って構成される剣を筋力で押し込んでくる。これまでの生でただ三度のみ使用した力と匹敵する暗黒の霊装の力にエリヤは歯を噛み締めて己のうちから燦然と光輝を放つ。出力でエリヤの力を圧倒するその邪槍の霊力。
「……まける、もん、かぁー!!」


 聖と邪、天使の力と邪霊の力が拮抗し、互いを滅ぼそうとする。
 瞬間的な出力という点では邪槍の力が圧倒しているようだ。だが、エルムゴートの携える邪槍はまず間違いなく使い手自身を殺す類の、呪いの武器だ。
 己の身を戒めるワイヤーがようやっとこさはずされたことで身の自由を取り戻したリロイは、なぜか海賊娘の服装を身にまとった真珠に気づいた。近くまで来た彼女はリロイの、  に、視線を向けぬよう、さながらメデューサ退治に赴いたペルセウスさながらの様子で以下づいて言った。
「衣服を」
「は?」 
「いつも来ている衣服をイメージして欲しいですの、そうすれば作って差し上げますの」
 そんな便利な魔術など聞いたことが無い、と思ったがリロイはそこまで考えてあれこれ詮索するのを止めた。理不尽な状況でいうならば現状は理不尽の連続だ。それならたまには自分の都合のいい理不尽な事態が起こって欲しいもんである。そう考えたリロイは、一瞬真珠の持っているフックに羨ましそうな視線を向けたが、後で会うであろう相棒にいろいろ言われそうに思ったので、普通の衣服をイメージすることにする。


 暗黒を消し飛ばそうとする光輝と、光輝を喰らい飲み干そうとする暗黒の戦いは続いている。
「……が、がが、……畜生、いてぇぞ畜生!!」
 邪槍、『惨鉄剣』を振り上げればその意思に答えるように、刃にかかる生贄を求めるように暗黒の力が噴出する。さながら活火山のように底の見えない敵の力。だが、力を引き出す代償か、エルムゴートは耳から血を流し、口蓋から血を吐いている。地面にこぼれた鮮血が即座に溶岩と変じ地面を焦がした。返り血を必殺の凶器に変える魔術、『溶岩体(マグマボディ)』の力だ。
 邪槍が旋回する。
 触れ得るすべてを呪い、焦がし、溶断するであろう悪魔の一撃をエリヤはその圧倒的な敏捷さで回避して見せた。影すら踏ませない挙動で、そのまま反撃の一撃を叩き込もうとする。だが。
「が……ぎ、いぃぃ!! わが身を鎧う堅牢なる炎獄の使徒、いかな刀剣飛愴も溶かし焦がして刃を腐らす!! 完成せよ、マグマアッシャー・ディフェンスモード!!」
「更に……魔術まで?!」
 エルムゴートの周囲を警戒するように再び四つの溶岩塊が出現する。
 邪槍の霊力を浴び、魔力も底上げされているのか先ほどよりもずっと巨大な溶岩塊。少なくとも刃の一撃程度では煮える岩漿に阻まれ、刃を通すことすらできないだろう。
 高熱の塊に攻撃の機会を封じられるエリヤに対して仮借なき刺突の一撃が放たれる。
「っ?!」
 その一撃はとっさに回避行動を行ったエリヤのその強固きわまるはずの装甲を削る。
 はじける装甲に絶対の信頼を置いていただけに驚きは大きかった。一瞬の停滞、そこに必殺の確信を込め、エルムゴートは邪槍を振り上げる。
「左へ飛べ!!」
 エリヤの耳に言葉が飛ぶ。咄嗟に、全身が賦活しその言葉に従って横っ飛びに逃げる。そのエリヤのいた場所を舐めるように紫電の雷光がエルムゴートの肉体を突き刺した。
「……がぁ……、て、てめぇ!!」
 激痛にあえぎながらもエルムゴートは自分へ攻撃を行った相手を見た。
 チンチラと馬鹿にされてきた雪辱を晴らすかのような一撃を叩き込んだ相手、リロイ。すっくと立ち、相手を睨み据える。今度は先ほど両者の戦いに割り込んだ時と違い、彼の世界の衣服に身を包んでいる。これでチャックが開いていたら救いようが無かったが、もちろん、そんなことは無い。あってはならない、暗黒の霊装を使う敵を睨み叫んだ。
「さあ、……今度はちゃんと格好良く決めて見せるぜ!」


14 :菊之助 :2006/12/23(土) 21:35:49 ID:ncPiPLxi

接近するは守りたいが故

 黒々とした煙が舞い散る中、クルーガーは沈み行く己の心情とは裏腹に、言いようの無い興奮が全身を駆け巡るのを感じていた。
 目の前にいる敵−−そもそも本当に敵なのかそうでないのかも分からないのだが−−の群れは、多くの戦場を巡った彼でも初めて目にする存在だ。こちらに向かって攻撃をしかけてくるのだから立ち止まって考えることなど出来るわけもないのだが、その体、その攻撃形態、そして何よりクルーガーの金目に異質に映ったのは、それらに『殺意』と呼べるものが毛ほども感じられなかったことである。
 突き出された槍の先端を、極最小の動きで避けつつ、クルーガーはその体躯には似つかわしくない俊敏過ぎる動きで、冷静に金属ボディの関節部分へと刃を滑り込ませた。相手から奪い取った剣は、最初に『りぃぱぁ』から渡されたものから既にこれで七本目だ。見たことも無い材質の剣がどれほどの強度を保つのか確認するため、一本目ではいかにも硬そうな相手のボディを直接斬りあげてみたが、二撃、三撃と打ち込んでいる間に刃は毀れ使い物にならなくなった。瞬時に足元に落ちていた敵の武器を蹴り上げて左手で受け構えたが、剣はどれも最初の一撃こそ強いものの強度は持続しないと見えた。
 力任せの攻撃は武器の破損のみならず、己を境地に追いやると認識して、クルーガーは先ほどから関節部分を斬りおとし、取り敢えず相手が瞬時に次の攻撃に移れないようにしている。しかし。
(急所を突いているのに全く悲鳴を上げないところをみると、やはり生物ではない……)
 重厚鎧をまとった巨人達かとも思ったのだが、斬りおとされた鎧の断面からは血が迸ることも無く、筋肉独特の硬さが剣を通して青年の手に伝わることも無い。だとすれば、やはりこれは人形か何か、言うなれば超常現象のようなものによって動く無生物なのだろう。これまで生きた人間ばかりを相手にしてきたクルーガーとしては、実にやりにくい。
(しかも、倒しても倒しても出てきやがる……)
 兵の補給線がどのようになっているかは分からないが、終わりの見えないこの戦闘にクルーガーは鋭く舌打ちをした。もしこの面妖な兵がこちらの抹殺を命じられているのならば、彼らはこちらが倒れるまで延々と出現するかもしれない。そうでないとしたら、こちらの力がどれぐらいなのか第三者が測るためによこした当て馬か。どちらにせよ、クルーガーには面白くないことだ。
 まだ戦いたい、斬りたいとする体の実直すぎる興奮をどうにか己の意思で押さえつけて、クルーガーはちらりともう一人の「人物」を見た。
 仮面の男の名は『りぃぱぁ』と言った。その前に「サービス」で本名を言っていた気もするが、そもそも興味の無い人物の名前を覚える気などクルーガーには無い。その彼(声質から言っておそらく『彼』だろう)はというと、クルーガーが見たことも無い体捌きで、これまた驚くことに素手によって迫りくる金属兵達を地面へとねじ伏せていた。素顔どころか素肌も全く見えないその服装において、彼が終わりの無い相手の出現にウンザリしているのかまでは分かりかねるが、取り敢えず疲弊はしていないと金目の青年は確認する。突如横合いから突き出された槍を軽々と跳んでかわして、クルーガーは兵の顔面らしき部分を、跳躍に任しそのまま鋭く蹴り上げた。素足で蹴ったとは思えぬほどの衝突音が響くものの、倒れたのは驚くことに兵の方だ。その顔面には、青年が蹴り上げた証拠といわんばかりに大きな凹みが出来ている。
 
 今までとは違う音に思わず振り返った超躍者は、敵との距離を冷静に計算しつつもマスクの下で軽く口笛を吹いた。
 まさか素手であの装甲を窪ませるとは。
(やはりなかなかに強い)
 自分の感じた第一印象が間違いではなかったことと、そして取り敢えず現段階では味方の位置についているクルーガーに、直門は何か満足した気分になる。自分の扱う心意六合拳とは比べ物にならないような雑な動きに見えるものの、的確に敵の動きを捉え、急所と思しき場所へ剣なり拳なりを叩き込む大柄な青年の姿は、言うなれば戦いなれている。それもかなりの戦場を進んできたのだと、その冷静な戦いぶりを見て窺い知れるというものだ。
 だが、直門の感心はクルーガーの突然の行動に掻き消えた。兵の顔面を蹴り上げたクルーガーは、更に突進してきた兵達に次々と足をかけ、あっという間に近くの屋根の上へと姿を消したからだ。
「……え?」
 取り残された直門はしばらく呆然と青年の去った先を見上げていた(その間も無意識に、迫りくる敵を三体地面にねじ伏せていたわけだが)ものの、ハッと我に返り己自身もまた強く地面を蹴った。
 重力から開放され、瞬間的に兵たちの姿が眼下の景色へと変わる。
 本日二度目の跳躍。
 初めてこの世界に来た時に上空から見下ろした世界は、たった数時間のうちに一部が大きく様変わりしたように思えた。自分達の戦いで気にする暇も無かったわけだが、重力の再発により落下した始めた体によって空気が切り裂かれる音よりも更に派手な轟音が、仮面の内にある彼の耳にも届いていた。思わずそちらに目をやると、左前方に赤々と燃え上がる火柱のそばに輝く白い光、そして決して地表では起こりえない雷光のような物が彼の視界を一時的に焼く。
「っ!」
 何事も先見性で物事を捉える直門でも、さすがにこれは予想していなかった。しかしそこはさすがで、視力が一時的に弱まったとしても彼の体勢は空中において乱れることは無い。落下に身を任せつつ、次第に回復し始めた目で彼はざっと眼下の世界を再度見渡す。

(いた)

 炎と光の巻き上がる、その場所へ。
 いったい何が起こったのか予測もつかないほどの焦土と化したその先へ、屋根を飛び越え向かう一つの黒い影がある。屋根と屋根との間にはかなりの距離があるというのに、まるで平らな地面を走るかのような動きで真っ直ぐに突き進む影こそ、クルーガーだった。その動きは直門が言うのもおかしな話だが、人間離れしている。肉食獣が獲物に向かって一直線に駆け抜ける、そんな感じだ。
 クルーガーがどれほど良い耳を持つかは知らないが、戦いの最中、直門より先に轟音の異常に気がついたのだろう。確か彼には連れがいて、その連れもこの世界に飛ばされたと聞いている。だとすれば、その音の先に彼のいう連れが居る可能性が高い。なんといっても、およそ人の気配の無い世界だ。何か異質なことがあれば、そこに知り合いがいると十分に考えられる。そう考えて、クルーガーは己の戦場を離脱し、音のする方へと向かっているのだろう。何もおかしなことではない。
 しかし。
「せめて一言くらい何か言ってからでもよかったんじゃないのかな……?」
 仮面の下で苦笑して、直門は最初に彼にそうしたように、クルーガーが次に通るであろう屋根の上へと急降下した。音も無く、再び目の前に降り立った顔無しに、クルーガーはすぐさま足を止め、反射的に持っていた剣を構えた。スーツを通り越しても肌が震えるほどに伝わる殺気に、直門はつられて構えを取りかけたが、やめる。
 目の前の相手が先に剣を下ろして、殺気を消し去ったからだ。
「……また上空から現れたな」
「現れたくて空から来たわけでもないのですけどね」
 少しの間でも背中を任せて戦った仲だと思っていたのは、どうやら直門だけだったらしい。初めと全く変わりない警戒心丸出しの様子で、クルーガーがこちらを見据えている。
「突然居なくなられたので、驚きましたよ」
「断りを入れる必要があったのか?」
 こちらの皮肉交じりの言葉に、黒髪の青年はすぐさまそう返してきた。その台詞の裏には「俺はお前の仲間ではない」という意思表示が読み取れる。ますますもって扱いにくい人だ。
(まあ、それをいうならば僕も同じだけど)
 素顔を見せていない自分は、どうしても初対面の人間には警戒されることだろう。それが修羅場をくぐりぬけた(と思われる)人間相手だと尚更である。やりにくい事この上ない。
「それは必要があるでしょう。だってここは僕も貴方も初めての世界。次に離れたら二度と出会えなくなる可能性だってあるのですから」
「俺は別にかまわない」
 これまた即座に言われて、ますます直門は苦笑せざるを得ない。
 この青年の言う意味が分からないわけでもなかった。
 一人戦い抜いてきたものは、むしろ他者がそばにいる方が己の真価を発揮しにくいことがある。クルーガーという青年がどういった力を持って、どういった世界でこれまで生きてきたかは知らないが、自分と似たような悲惨な過去を送ってきたのかもしれない。だとすれば、彼を無理に引き止めることは直門には出来なかった。
 だが同時に、その彼が気にしていると思われる「リロイ」なる人物に顔無しは興味を覚える。
「だとすれば、共同戦線はとりあえずここで終了としましょう」
 唐突な超躍者の言葉に、クルーガーの眉がピクリと動く。同時に、ジワリとその体から殺気が滲み出す。しかしその顔は何か苦悩しているようで、瞬き一つせずにこちらを見返してくるだけだった。まるで殺気を出すことを拒んでいるかのように思えたが、そうする意味も理由も分からない直門としては、取り敢えず余計な疑問は思考の外において言葉を続けた。
「その代わり、僕は僕の思う通りに進ませてもらいますよ。さしあたり、貴方の向かう先に僕もついていこうかと思います」
「……」
「駄目だといわれても、僕は貴方がご存知の通り跳びますからね。気がつけば頭上から再び降り立ちますよ」
「……勝手にすればいい。俺も自分の思う通りにする」
 それだけ言うと、クルーガーは直門の横をすり抜けて再び騒ぎのある方向へと走り出す。その後ろを直門が無言で続いた。
 あの轟音と火柱の方向には何があるのだろうか。
 クルーガーがそう考えた瞬間、いっそう灰色の天を焦がさんばかりに燃え上がる。
「っ!」
 まだずいぶんと距離があるというのに、熱波がこちらまで伝わってきた。しかし、ジリリと肌がひりつくのを感じつつも、クルーガーの足はとまることは無い。
 そこに誰かが居るのならば。
 そこに同じ世界に住む、あの少年がいるのならば。
 自分はいかねばならないのだ。たとえそこが、自分が二度と立ちたくないと思う『戦場』だったとしても。
 そんな青年の心情に応えるかのように。

 鋭い音をたてて、雷光があたりを照らし出した。


15 :菊之助 :2006/12/31(日) 20:23:49 ID:ncPiPLxi

接近するは救いたいが故

 右手を魔人へと突き出したまま、リロイはにやりと不敵に笑った。そもそも女と見まごう程の顔つきをしている彼がそのように笑うと、見るものの背筋をぞっとさせる美しさである。
 久魅那が少年の類稀な美しさにようやく気がついたのは、少年の服装が一変したからだろう。
 ついさっきまでの裸エプロンこと「チンチラ」から、今の彼の服装は若い男性が好みそうなスタイルへと変化している。赤いジャケットに黒のシャツ、黒の革ズボン。その可愛らしいとも思える顔には少々不釣合いな気もしたが、とにかく少年の服装が一般的になったことで、ようやく少女は彼の全貌を見つめることができたのだ。
「……」
 最凶とも形容できる敵を前にして、久魅那は半ば放心した様子で少年を見つめていた。普段の彼女ではありえないその様子(つまり、戦闘の最中に余所見をするなんて)メタトロンが何事かと心配する。
『どうしましたか、マスター?』
「っへ? え、いや、べ、別に」
 まさかアレほど罵倒していた「チンチラ」に見とれていたとも言えるわけも無い。
 何あいつ。結構可愛い顔してるじゃない。あれでもう少しあたしより背が低くて、声が高くて、幼くて、女の子で、メイド服を着ていたら、いやいやむしろそれだったらさっきみたいな裸エプロンでも捨てがたい……うへへ。
「ぬぉおっ、なんか今猛烈な寒気がっ!」
 天使の天使らしからぬドロリとした眼差しに、服を着用しているにもかかわらずリロイの背にすさまじい悪寒が走る。が、それはすぐさま正面から飛んできた熱球共々霧散した。光速呪文詠唱により構築された防壁は、先程まで乱発していた雷と違い、さして大きな音も立てず、飛ばされてきた炎を消滅させる。その様子に久魅那が驚いたように目を見開き、少年に服を与えた真珠は呆然と口を開けたままだ。
「……てめぇ、雷だけじゃなかったのか」
 血を流しつつも、明らかに最初に出会った時とは違う余裕の無い様子で、炎の魔人が憎憎しげに呻いた。未だに邪槍は手の中にあるものの、それを振り下ろす気配はまだ無い。今の炎も例の如く魔術によるものだったから、簡単に防げたわけだ。しかしそれは先ほどのまでの自然すぎる雷とは違い、相手の魔術を消滅させる高度な防壁だった。
 問われたことに答えるため、リロイはゆっくりと蒼い瞳を魔人へと向けた。口元には既に笑みは無い。だが体からあふれ出る魔力の渦は、魔力なるものを持ち合わせていない久魅那にも、装甲越しにビリビリと伝わってくる。

「まず初めに自己紹介しておこう」
 大気を震わせる魔力を発しながら、リロイはそれまでの行動が全て悪い冗談ではなかったのかと思うほど浪々とした声で言い放つ。
「オレはリロイ。リロイヤート・グロムヴェテル・ロイロードだ。『聖拳(せいけん)』マルクレット・ダナゴフ・ロイロードの孫にして、召喚士ヴィオナ・スディバジズニ・ロイロードの子。女神カーロンの名において、お前を救ってやる」
「救う、だと?」
 予想外の言葉に反応したのは、エルムゴートだった。全身を内側から食い破るような激痛に耐えながら、魔人は口元をぐぐっと歪めた。口蓋からしたたる血液が、紛れも無く地面を焦がしたのを視界の隅で確認しつつ、リロイは臆した様子も無く頷いた。
「ああ、そうだ。どうやらアンタも別世界からの人間らしいしな。こんなところで自分の武器に喰らわれて死ぬよりも、まず自らの世界に戻るのが先だろうが」
「それがどうして、救うという言葉に繋がるんだ?」
 彼の怒りに呼応するかのように、その手に握られた槍が吼える。いや、実際に声を上げたわけではない。ただ、リロイの感覚からして、当にその槍は『吼』えた。貪欲に。そして凶暴に。
「その槍は明らかに過ぎた道具だ。アンタは戦うことに夢中になって力におぼれている。冷静になれというのは無理な話だろうか、オレが冷静にしてやるってことだよ」
「それで、救う、だと?」
 凄惨な表情を浮かべて、エルムゴートが吐き捨てた。その表情が笑みなのだと気がついた久魅那は、今更ながら魔人の体内に蓄積されたダメージが既に彼の限界を越していることを知る。それでもエルムゴートは倒れない。そして、それと対峙するリロイも、まったく退く気配を見せない。
 先ほどのチンチラとはまるで別人だ。
「オレの本業は神父だ。まあ、まだ正式登録もされていないけどな」
 唐突に自分について語りだしたリロイの手に、雷とは明らかに異なる光が生まれ始める。真夏の太陽のように輝くそれは、次第に大きさを増して見る間にリロイの頭ほどまで拡張していた。
「だけど、そんなわけでオレの普段の敵は人外なるもの。そして今のアンタの様子は、人というよりもオレの普段相手にするやつらに近い。覚悟するんだな。さっきまでのオレとは違うぜ」
 歯噛みする魔人にそう言い放ったリロイは、ついで天使の少女の方を見た。突然こちらを向かれて、久魅那の肩が不本意にもビクリと跳ねる。
「アンタはちょいと休んでろ。ああいった魔術師には、オレの方が分が良い」
「……ちょっ、何を勝手なことっ」
「魔力を無効化できるのは、魔力だけだ。アンタとあいつとの勝負だといつまで経っても終わりが見えねぇ。ついでに、なんか無茶してんじゃねーの? そっちのでかいのが心配そうにしてるぜ?」
 言ってリロイが顎で指した方向には、メタトロンが佇んでいる。顔がないメタトロンは「表情で心配している様子」を見せることは不可能だ。しかし、相次ぐ主人の無茶な行動に、機械の姿をした従者が平静な心情であるはずもない。黙り込む久魅那に、リロイはニッと笑う。
「選手交代ってことで、よろしくな、お嬢さん」
「お、お嬢って……!」
 不本意だと久魅那が叫ぶまもなく、リロイは手にあった光玉を宙へと振り上げた。瞬間、まるで太陽が爆発したかのような衝撃が満ち溢れた。
 光の洪水。
 目の奥まで、体の芯まで焼けきるような白い光。
 誰かが驚いたかのような声を上げたが、暴力的とも思える光の量を前にそれが誰の声かと確認することも出来ない。
 しかしその光の中で、エルムゴートは突如膨れ上がった魔力の構成に気がついた。
 が、気がついても槍が己を拘束し、いつものように対処することが出来ない。その一瞬が、大きな隙となる。
「……ィィゼルガッ!」
 言葉の前半部が何と言ったかは聞こえなかったが、確かにその言葉は術を発動させるためのものだった。
 大気に満ち溢れていた熱風が、言葉をきっかけに凍てつく氷に侵略される。しかしその冷気の目標はもちろん気温を下げるためのものではなく……。
「ぐぅうっ!?」
 新たに起こった激痛に、エルムゴートは苦痛の声を上げた。痛みの元を目で探そうとするものの、未だに視界は焼かれたままで探ることができない。
 ただ、邪槍を持つ手が、文字通り身を千切られるような新たな痛みに侵されていた。同時に熱した石を水の中へ落としたような音が響く。どうやら、邪槍もろとも手を凍りつけられていたらしい。しかし、そんな位で『惨鉄剣』の狂喜の炎がおさまる筈も無い。
「甘いんだよっ!」
 きつく目を閉じたまま、エルムゴートは宙へ槍を振るいかけ、止まった。魔術発動により、チンチラもといリロイとかいう少年の場所を特定できたはず、だった。
 それなのに何故だ。

(なぜ、そこと真逆から魔力を感じるっ!?)
 それをエルムゴートが理解するよりも先に、彼の体は突如足元から起こった突風に激しく吹き上げられた。一瞬前までの氷のダメージが抜け切らない体で、それこそただでさえ本調子ではない今のエルムゴートは、少し前のリロイと同様に宙を舞う。ただし、先ほどリロイが熱風で巻き上げられたのと違い、今の状況は純粋に『風』のみで起こった諸行だ。
 信じられないことだが、リロイはこの数分の間に既に数えられるだけで三つ、それもおよそ高速詠唱では具現化するのは不可能と思えるような規模の術を唱えていた。
 今更ながら魔人は自分の相手にしていた敵の強さを知る。これまで肉体戦を主とする敵(無論彼らの全てが尋常ではない能力、技量を有していたわけだが)を相手にしてきたエルムゴートにとって、純粋に魔術のみで戦闘してくる人間は少なかった。しかもどれをとっても一つ一つが強力で、かつ高速詠唱、中には詠唱無しで発動する術も多い。最初にみた姿が姿だったので、我知らず油断していた部分があったかもしれないことに、エルムゴートの体内に新たな怒りがふつふつと湧き上がる。
 竜巻とも呼べる風の中で錐揉みされながら、ようやく回復し始めた視力で魔人は素早く地面を見渡した。
 驚いたようにこちらを見上げる天使とそのバイク。その横に控えるハイブリッドコスチュームの幼女。しかし肝心の魔術師の姿が確認できない。
「……ちっ」
 舌打ちするだけで新たな激痛が体内を駆け巡ったが、まさかこの状況で邪槍を手放すことも出来ない。自分を宙に巻き上げる風は次第に弱まりつつあるものの、その疾風により風内部は著しく酸素濃度が減っていた。これでは邪槍を制御することに手一杯で、先ほどのように十分な炎を起こすことが出来ない。
 惨鉄剣を振り下ろせば、取り敢えず今のこの状況を脱することは出来るだろう。
 しかし、一度振り下ろせば今度こそ自分は意識を失う可能性も十分にあり、第一敵の場所が確定できていなければ振り下ろすだけ無駄というものだ。
 そこで、エルムゴートは更なる手段に出た。あの魔術師の戦い方は、先ほどから他人を庇ってばかりである。だとすれば、あぶりだすのは造作も無いこと。

「ちょっ、まさか……!」
 風にあおられ上空に浮遊したままの魔人が、確かに狂気の眼差しをこちらに向けた。否、その視線の先はエリアの背後、メタトロンのその先にある。
 そう、この場に不釣合いなほど脆弱な存在へと。
「真珠、逃げて!」
 思わず久魅那は叫んだ。彼女の戦士としての能力は、否応にも敵の能力の高さを感知させる。少なくとも、あの邪槍は今の久魅那の力を持ってしても、そして守護天使の力を持ってしても防ぐことは出来ない。咄嗟にメタトロンが緊急旋回をして真珠の元へ急ぐ。たとえ少女が実体を持たなかったとしても、その身が焼け焦げる姿は想像もしたくない。しかしそれよりも先に、槍による殺戮衝動に駆られた魔人はその手を振り上げる。
 いつもの冷徹なまでに冷静な魔術師ならば、そんな少女よりも守護天使を先に倒したことだろう。しかし、今の彼はより残忍に、より冷酷な光景を望んでいた。自我は保ちつつも、邪槍による確実な侵食が始まっているのだ。
 エルムゴートの血を滴らせた口元がニタリと笑う。
 久魅那の目が見開かれ、メタトロンが走る。しかし真珠が助かるには、あまりにも時間がなさすぎた。
 眼前で行われるであろう残忍な殺戮劇。
 それはエルムゴートの頭上、更に上空から聞こえる声でとめられる。



「グ・ラ・デラ・ディウス・ヨーウィスッ!」


 反射的に。
 彼らは上空を見上げた。
 灰色の空を背に、己の魔術による風と共に魔人の更に上、上空高くにいるのはリロイだ。その手の中に生まれているのは、白い稲妻だ。先ほど彼が無差別に出していた雷光とは明らかに異なるその光に、エルムゴートは「くそっ」と口の中で呟いた。
 それとほぼ同時に、音も空気をも切り裂くまでの雷電が魔人に向かって打ち落とされた。
 邪槍がその雷撃に反応する。握るエルムゴートの意思に反して、雷撃を打ち落とされつつも槍からは恐ろしい火柱が放たれた。
 火柱? いや、それは確かに炎ではあるものの、通常のそれとは違う形である。
 即ち、人の、顔。
 瞬間、リロイの背筋を絶対零度の何かが駆け抜けた。これまで祖父に付き従って多くの人外なる物を目の当たりにしてきた。十代にしては凄惨な光景も目にしてきた。人が人を恨む力、怨念、悲しみ、そういったものを相手にして、これまで生きてきたつもりだった。
 しかし、それはいつも横に祖父がいたからこそ堪えられたのかもしれない。雷撃を押し破るようにして一直線に悲鳴を上げつつこちらへ向かってくる炎の顔に、リロイは奥歯をかみ締める。
 折れるな! オレの心!!
 リロイの目が見開いた。同時に叫ぶ。


(ストレラ)ッッ!!」



 カッ!



 眩過ぎる雷撃に、瞬間黒い筋が生まれたように久魅那には見えた。見えたのはその一瞬だけだ。

 それまでが轟音というのならば、それはまさに神の鳴き声。


 上空からおきたその衝撃に、天使の力を身にまとう久魅那さえもが地面に這い蹲る。






 どれくらいそうしていたのだろうか。
 ようやく頭をもたげることが出来た久魅那の目には、先ほどのまでの喧騒が嘘だったかのように静まり返った世界があった。家屋はなぎ倒され、風が凪いでいる。彼女は少し先に相棒のメタトロンが倒れているのを発見した。呼ぶ。
「メタトロン!?」
『……マスター、ご無事でしたか?』
 少しして意外なほどに変わりない調子で返事され、久魅那はホッと息を吐いた。立ち上がる。あれほどの衝撃だったというのに、すんなりと立ち上がれた。少し拍子抜けしつつ、彼女は相棒へと駆け寄った。
「真珠は?」
 その巨体を起こしながら久魅那が尋ねると、大型バイクが答えるよりも先に彼女の背後から声がした。
「どうにか無事ですの」
「真珠! あんた、無事だったのね」
 メタトロンを立ち上がらせて久魅那が振り返ると、そこにはメイド服を着た幼女が困ったような顔で立ちすくんでいた。
「まさかこんな事になるなんて思ってもいませんでしたの」
 眉を寄せて頬を膨らませるその表情に、条件反射で鼻血を噴きそうになった久魅那だったが、少女が着ている服装の変化に気がついて愕然とした。メイド服のみの着用。ということは後の二人の意識が途切れたか、もしくは……。
「し、死んだの? あの二人」
「生きてますの。エルムゴート・アンセムはあそこに」
 恐る恐る尋ねると、真珠はつっとある一点を指差した。示された方向を見て、久魅那は頬を引きつらせた。
 先ほどの術で出来たのだろう、巨大なクレーターの中心にエルムゴートがうつ伏せで倒れていた。見事なはずのライオンの毛皮のコートは焼け落ちて、巨大な炎にも燃えなかった白いスーツの部分部分がこげている。その傍らには長さで言えば二メートルほどもある棒状のものが、幾重にも呪譜を巻きつけて転がっていた。それがおそらく先ほどの邪槍なのだろうと久魅那は理解したものの、近づきたいとは思えなかった。今ではすっかり邪悪さを潜めているが、先ほどの力を見せ付けられてまでエルムゴートの様子を知りたいとは思わない。
「先ほどのリロイの攻撃で気を失っているようですけれど、生きてますの」
「そうなんだ……そういえば、チンチラは!?」
 金髪美少年のことを思い出して、久魅那は真珠に詰め寄った。
 見た目によらず思いのほか強大な力を持ったチンチラのことを、同じく召喚された(らしい)者として久魅那はそれなりに友好的に思えてきていたのだ。何より、エルムゴートよりもまともに思えた。服装は別として。
「あいつも生きてるのよね? でもどっかに飛ばされたとか?」
「……生きてるよ」
 不機嫌極まりない声と共に、彼女たちの直ぐそばで土が盛り上がる。瞬間的に身構えた久魅那だったが、土を払いのけて起き上がったのがチンチラだと分かるとすぐさまその装甲を解いた。
「……無事だったんだ」
「……あったりめーだ。自分の術で気絶しようなんてもんなら、魔術師は語れねーよ」
 言って眉をしかめつつ服についた土ぼこりを払うリロイは、頬に若干の擦り傷はあるものの概ね元気そうに見えた。
「っんだよ、オレはちゃんといつも着てる服をイメージしたってのによぉ。これじゃクソ親父とペアルックじゃねーかよ」
 こちらのことを完全無視して、リロイは自分の服に悪態を吐いていた。どうやら今更ながら自分の着ている物に気がついたらしい。あれほどの衝撃に飲み込まれながらも傷一つ無い赤ジャケットを憎憎しげに抓む少年に、真珠が落ちついた声で答えた。
「一番深層心理に根付いている服装が具現化するから、仕方ありませんの」
「げっ、だったらオレは親父の服が一番印象深いってことかよ。……最悪だな」
「えーと……」
 こちらの存在そっちのけで己の服ばかり気にするリロイに、久魅那はどうしたものかと少し悩んだが、思い切って口を開いた。

「あの」
「あん?」
「さっきはどうも。あたし、天璽久魅那。とりあえず、助かったわ」
 言って手を差し出すと、胡散臭げな眼差しを向けつつも少年は握手し返してきた。
「……リロイ・ロイロード。こちらこそさっきはどうも。ヨーヨーで縛られたのは、生まれて初めてだ」
「うっ……まあ、いいじゃない。男が終わったことをグチグチ言うもんじゃないわ」
「言わねーよ。それより、アンタの方はまだ話が分かりそうで良かった」
 言って、クレーターの中心で気を失っている魔術師を顎でさす。
「あいつよりも、な。ところであんた等なんで戦ってたんだよ? そこの嬢ちゃんが原因か何か?」
「真珠ですの」
 再び眼帯フックを装備することになった真珠が、少しご機嫌斜めの様子で答えた。しかし、そういった少女の心情なんて端から気にもしないリロイは「あっそ」とうなずくと、質問に答えてもらうため再び久魅那を見返す。青い瞳に見つめられ、守護天使の力を持った少女は、彼女にしては珍しく困ったように頬を掻いた。
「や、アタシもなんかよく分からないまま戦ってたからさ。なんていうの、あいつ。戦闘マニア?」
「んなマニアがいるのかよ。理解できねーな」
 リロイが肩をすくめる。その視線を再びエルムゴートに向けつつ、彼は軽く溜息を吐いた。
「実際めちゃくちゃ強いなあいつ。あの槍で不安定になってなかったら、長期戦はまずかったなぁ」
「……あんた、魔術師なんだ?」
 恐る恐る言い馴れない言葉を久魅那が口にすると、リロイはその顔に苦笑を浮かべる。
「まあ、魔術師ではあるけどな。それを職業とはしてない」
「さっきはなんであんな術を使ったの? 最後に放ったあれ、最初に使ってたらもっと早くに片付いてたんじゃない?」
「ああ、あれな」
 うなずくと、リロイは微笑しながら説明する。
「とにかく槍を取り上げようと思ってさ。最初に使ったのは目くらましで、二回目のが氷の術。その後加速術を使って死角をついたところ、風の術で巻き上げた。風の威力を上げるにはさ、先に水系統の術を使っておいたほうがいいんだ」
「……へぇ」
 意外と頭を使っていたのだなぁと、久魅那が失礼なことを考えていたがリロイは気にせず言葉を続けた。
「あいつ、滅茶苦茶強そうだったから、隙を見ないと駄目だなと思ってさ。そりゃ最初の水と風で槍を取り上げられたら良かったんだけど、そうもいかねーし。槍手放さないから一緒に巻上げられちまっただろ? 上空に行かれたら、今度はこっちの方がやばいからな。槍を放さないと分かった時点で、オレも一緒に巻き上げられたわけだ」
「更に死角を突くには、上に行くしかないからか……」
「そういうこと」
 理解の早い久魅那に満足したのか、リロイは更に饒舌になった。
「先に放った術は浄化作用のある雷系の技な。あれでたいていの悪霊なら浄化されるんだけど、あいつの槍が異様にきついやつだったから、直接的な力技になっちまった」
「……最後のやつ?」
「そう」
 最後に放たれた術を思い出して、久魅那は疑問を口にした。
「……なんか、今までのやつと違ったよね? 黒いのが混じってなかった?」
「お前、目がいいんだな」
 少女の発言に心底驚いたというような顔つきで、リロイ。
「最後のやつは他の術とはちょい違うのでさ。実は、オレの世界では使おうもんならば即刻投獄されるやつなんだ」
「そうなの!?」
「そうなのそうなの。まあ、オレ様だから出来る術なんだけどな。あ、ついでにこれは他言無用ということで」
 言って口元に人差し指を立てたリロイに、久魅那があきれた表情を浮かべる。他言無用といわれても、そもそも別世界の人間である自分が、自分の世界の人間に他言したところでどんな迷惑がかかるというのか。だが、それを指摘するよりも先に、真珠が口を開いた。

「……きましたわ」
「あ?」
「きたって……誰が?」
 
 淡々とした口調で呟いた少女は、そのまま瓦礫と化したこの場とは違う、まだ家屋が残る方向を見つめていた。
 つられてそちらを見た久魅那とリロイの目に、家屋の屋根の上から降り立ってこちらへと走りよってくる二つに人影が映る。
 一つは灰色のスーツに身を包んだ、顔の無い男。
 そしてもう一つ、黒い影を見てリロイの顔が少し緩んだ。


「お、根暗……。生きてたんだ」
「根暗ぁ?」
 
 思いもしなかった言葉に久魅那が聞き返したが、それにリロイが答えるよりも先にその二つの影は彼らの元に走りついていた……。 


16 :異龍闇 :2007/01/20(土) 12:27:51 ID:QmuDsJYm

無情な女

「――――Alea jacta est」
「――――賽は投げられた」

――――――――――――――――――――――――――――

「オスッ! オラ平 直門。何だか全員の関係がギスギスしてるみたいだけど、オラなんだかワクワクしてきたぞ!」
 なんて台詞が何故か彼の仮面ん中で出来上がったが、それはどうしようもない事だった。

 何だか彼の大っ嫌いな天使みたいな格好をした女の子が、バギーみたいな超ド級の大型バイクの横合いから「何こいつすげー怪しい」とでも言いたげに、人の事は言えないような羽やら何やらが付いた派手な衣装を着てこっちを見ている。
 おしゃれた白いスーツを着た、髪のもじゃっている男が妙に禍々しい鉄串のようなものの横で倒れている。たぶん戦闘の余波なのだろうと彼は推測。
 有名な泥棒の三代目でも着ているような赤いジャケットに、黒のシャツ、黒の革ズボンを着た、モデル雑誌にでも出ているような金髪の少年が、黒い髪の彼、クルーガーと一見仲悪そうに、そして仲良く彼を見ていた。
 灰色の仮面のグルリと回る視点に合わせて同時に、彼らも呼び出したと思われる張本人へと視線が投じられる。

 そう、先ほど彼の目の前から、銀色の鍵を残して消え去った女の子が

             ウェディングドレスを着ていた。

「「「  な     ん    で    だ    ぁ      ぁ     ぁ    !!」」」
 天地と次元を揺るがす男の三重奏。
 突然姿を、もとい衣装を変えて出現する女の子、真珠。
 此度は純白のシンプルなワンピースに薄氷のように透けたヴェールを纏い、色取り取りの花を添えたブーケを携えている。自身も何故こんな変化が起こったのかも分からずに戸惑い、そしてちょっぴり女の子なら憧れの姿にほんのり顔を赤く染めている。
「は、はぅぅぅ、そろそろあたし、輸血が必要になってきたよぅぅぅ。でも真珠ちゃんのウェディング姿を【検閲済み】で【検閲済み】になるまで【検閲済み】な事したいよぉぉぉ!!」
 ブビブビと両掌から漏れる鼻血を押さえて叫ぶ久魅那さん。
 世界の意志(ガイア)の情報統制で聞こえなかった言葉に意味も分からず震える真珠ちゃん。
「誰だよ! こんな事態に陥らせた原因は!」
 クルーガーの突っ込みもいざ知らず、どうしてこんな事が起こったのかはもはや説明する必要もない。
 この場で一番強い思念で、彼女の服装を妄想(お着替え)させられるのは彼女しかない!!
『ワタシです』
「「「  な     ん    だ   っ    て    ぇ      ぇ     ぇ    !!」」」

 再び男の三重奏。
 予想を斜め上行って、彼女の姿を変えたのは喋るバイクだった。おーマーベラス。正に鋼鉄の意志。

『この世界に思念がどれほど影響するのか調べてみたが、まさか人工知能のワタシまでとは……』
「なに、あんたウェディングドレス着たかったの?」
 両拳を何処かで見た事があるような不思議な位置に構えて、ついに久魅那は忘我の風体で鼻血を押さえることすら放棄していた。
『いえ、以前マスターが着た衣装の検索項目で、最上位に該当したものを機能拡張の内部処理グラフィックイメージ上に投影しただけです』
「……やめて。早くあの記録を削除して、早くあの記憶を風化させて」
『残念ながら『彼』の手で、この映像記録は上書き不可に指定されています』
 何やら訳のわからないやり取りで、先ほどのテンションの高さは何処に行ったのか? 一転、意気消沈して項垂れるその久魅那を他所に、灰色の彼は音も立てずに金髪の少年の前に現れてペコリと会釈した。
「あなたがリロイ君ですね。先ほどお世話になった彼から伺いました」
「あ? ……おい、根暗! こんな怪しい奴に俺の本名曝すなよ!」
「あー、正確にはクルーガー君が口を滑らせたのを僕が聞き耳立てていただけです」
「と言うわけだ。別に俺が悪いわけではない、はずだ」
「知るか馬鹿。あんまり変な生物を近づけるな」
「まぁまぁ、こう言った状況な訳ですしつんけんせずに、皆さんも揃いも揃って呼ばれちゃった人たちみたいですから、そろそろそれぞれ自己紹介を済ませてここから出る手段を考えたらどうでしょう? 出来る範囲で」

 灰色顔の一々言う事が癪に障る物言いに僅かな反応をしつつも、その言葉に納得して円陣を組むような形になった。

「んじゃ、俺は紹介させて貰ったけど、最初はそこのど派手なお嬢さんからこいつらにしてやれば良いんじゃないかな?」
 リロイの突然の指名に「えっ、いきなりあたし?」と軽く戸惑いながらも自己紹介を始める。
「えっと天璽(あまつしるし) 久魅那(くみな)って言います。行き倒れの天使にご飯を上げたら、勝手に契約されちゃってそのまま成り行きで異形とかと戦う羽目になった十七歳です。天使の力、契約の天使鎧(ディアテーケ)なんてのを着こんで守護天使エリヤとして戦います。とりあえず戦闘は離れても近寄られてもどっちもいけるかな? こっちにいる三輪バイクの子はメタトロンって言うの、っ!?」
 メタトロンなんて言葉を発した瞬間。
 今まで水源の近くに暢気に佇んでいた河馬が、その実一トンの巨体を持ってして獅子の一族すらを踏襲して虐殺する凶暴な動物だと、目に見えて気付かされたような強烈な殺気を感じた。

「……ほぅ、メタトロンなんて言うのか。君は……」
 灰色の輪郭、その後ろの空気が暖かい水と冷たい水を混ぜた境界のように歪みながら、三輪バイクの彼女へと近付く。
 突然の、変態ではあっても人畜無害そうな貌無しの変貌に付いていけずに戸惑うリロイとクルーガーに、無造作にそして無意識に久魅那は堅勇刃だけでも顕現しようと身構え、
 そして、
「それでは宜しく」
 ポムっとハンドル辺りに手を当てて、親しげな友人に会うかのように、さっきまでの殺気は何だったのか分からないようなフレンドリー極まりない対応する。
「えーと、僕は平 直門と申しますが、超躍者(リーパー)と呼ばれています。御覧の通り、ただの人間ですが、ちょっとした病気のお陰で凄い超躍が出来るようになっています。後、心意六合拳なんて言う、まぁ、体術がとりあえず出来ます。代わりに武器とか飛び道具とかは趣味ではないので嫌いです」
「ワタシは先ほどマスター久魅那が仰っていたようなただの三輪バイクではなく、正確には自律思考型守護三輪駆動武装戦車『武神天翼・参式』、その成長型人工知能の領域も含めてワタシ、メタトロンと呼ばれます。常時、マスター久魅那の後方支援を担当します。こちらこそ宜しく、ナオト」
 なんて返す刀のような同じくフレンドリーな対応に、
「ちょぉぉぉぉっとアンタ来なさいっ!」
 と久魅那は、本当にリミッターがあるのか無いのか怪しい馬鹿力で、友達でも引っ張っていくかのようにメタトロンを横に、ちょうどヒソヒソ話しても聞こえないくらいのところに引き摺っていった。

『マスター、横にスライドさせると機体の劣化、主に前輪の駆動機能不全に陥る可能性があるのでご注意を』
「んな事どうでもいいの! アンタ。さっきの凄い殺気に気付かなかったの?」
『マスター。ワタシには精神波などを感知する探知機材は積まれておりません。ですが、彼から読み取った既存の会話パターンと動作データベースに基づく仕草を見る限りは友好的に接しています。外部観測からの心拍数呼吸、体温の変化もともに彼自身の変動はなし。故にマスターがうろたえるほどの逼迫した事態には思えませんが?』
「あのねぇ、ヤマトで居たでしょ。『明鏡止水』だか『絢爛舞踏』だか知らないけど、とにかく呼吸するように何の装備も特殊能力も、『心の変化』も無しに素手で千人単位で殺せるのが一人居たでしょ。あの男と同じよ。変なアーマー着て不思議な口調で誤魔化しているけど、さっきのエルゴムートだかカラムーチョだかより『根っこ』の方は断然性質が悪いわ」
『エルムゴ(・・)ートです。マスター。同じ召喚者なのですから正しく覚えてあげましょう』
「どっちでもいいでしょ! アンタは気にならないの? あたしを含めて、殆どの召喚者が殺気に反応したのよ?」
『過剰反応では無いでしょうか? 仮に彼がヤマトで言われる、たった一人で戦場に屍山血河を築いたと言われる『専任殺士(バーサーカー)』のようには到底思えません。加えて、その専任殺士も結局はマスターに倒されたのですからワタシが危機感を覚える必要などありませんね。それに』
 彼、結構人が良さそうではないですか、と言うメタトロンの言葉に、久魅那は開いた口が塞がらなかった。そして、まさか人工知能に人間性を悟らせられるとは思ってもみなかったわ、と呟く。

「……えーっとクミナさん」
「女の子同士の秘密会話に混じるな! しゃーっ!」
 不用意に寄って行ったリロイは久魅那の横蹴りで『側転させられながら』クルーガーの足元に戻った。
 そのまま横転してからしばらくスライドしたために濛々と煙を被りながら、
「一つ分かった事がある。あのデカイ鋼鉄の塊みたいなのは女の子らしい」
「そうか、無駄な偵察ご苦労」
 そんな労いをされるリロイの元に機械に良い人認定された男が出てきた。
「で、スカートの下は?」
「白!」
 直後、リロイと超躍者は親指をグッと立てて、前腕と前腕をガシッと当てあった。見せパンで喜ぶ男の悲哀である。
 そのよく分からない意気投合と連帯感にクルーガーが溜息を吐いていると、その御馬鹿なやり取りの間に、何時の間にか何だか納得はいかなそうだけど言いくるめられてしまったような顔の久魅那とメタトロンは円陣に戻ってくるのを見つけた。
 そして「さぁ次はあんたよ」と偶然目の合ったクルーガーが久魅那に指名された。
「……クルーガー・バーズ。傭兵をしていた。武器を貰えれば大抵は使える。とりあえず、この隣のお調子者と同じ世界から来たが、魔法は使えない」
「おぅおぅ、お調子者たぁどういう了見でぇい」
 リロイの反論にあくまで辟易した顔を見せながらクルーガーは、
「と、この通りだ」
 とクールな反応を返す。
「っと、まぁ華のないこいつの自己紹介に変わって、さっきクミナには紹介したけどオレはリロイ。リロイヤート・グロムヴェテル・ロイロードだ。神父の見習い、とでも名乗っておこうかな。あと、魔術師じゃないが使うことが出来る」
「おい、俺の自己紹介と大して変わらないじゃないか」
 ジト眼で睨むクルーガーに「分かってないねぇ」と首を竦めて両手を掲げるリロイ。
「この言い方、間、しぐさ、手首の角度からして洗練つーか、品とかどうよ」
「20点です」
 何時の間にか大陸とか横断できちゃうようなウルトラなクイズの格好をした真珠が『20点』のプラカードを掲げている。
「まぁ、そこで体育座りでいじけている奴は放って置いて。そこで倒れている毛もじゃは……、誰だっけ?」
 その久魅那の言葉にムクリと途端に白い紳士服の男が突然、何かを宙で掴むように、片手を掲げながら仰向けから起き上がった!
「……俺の名はエルムゴート=アンセム。四大属性の一角、炎を極め、暗黒の太陽に心引かれ、自ら冥府魔道を歩む外道の魔術師!! わが炎は人の善悪を一顧だにせずただ命を刈り取る悪逆の灼熱、殺戮の業火、暗黒の焦熱!! わが炎は鉄の名を変え、鋼を飴と変じるもの! 『爛れる鋼鉄』エルムゴート!!」
「……リロイ君、何かやたらこの人元気なんですけど?」
「さすが体がもともとデカイだけあってしぶといな」
 さすがステータスどおり。と言うか、なんでまるでコピペでも仕方のような同じ台詞で名乗っているのですか彼方は?
「まだ、やる気?」
 契約の天使鎧を先ほどから着込んだままの彼女はいつでも臨戦態勢であり、はつれた刃でありながらその禍々しい雰囲気に応じて剣を構えたクルーガーに、その後ろから援護するようにリロイが両手を掲げて立っている。
 ゆらりと陽炎が立ち昇るかのように起き上がり、両手で土埃を叩く。
「さぁな。さっきのチンチラの一撃は結構ぉ堪えたが……、魔術師の誇りって奴のせいか、腹ん中の業火は収まりそうもないぜ……」
 そんな言葉と共に剛毅な笑みを浮かべて、戦闘狂である爛れた鋼鉄が両手を掲げて応戦しようとした――!



「――いや、無理でしょ。殆ど気合で立っているだけで今のままでは戦闘力は無い等しいですね」
 だが、何時の間にか、エルムゴートの隣に立っていた灰色の亡者。
「貴様っ……!」
「おっと動かないで」
 身長差が歴然としてありながら、何故か超躍者の指先は顎の真下、首にまで届いていた。軽く揃えられた指先はそこにあるのが当然であるかのように、何時の間にかそこにあった。その指先は何の能力も神秘も有していないのにも関わらず毒蛇のように顎の一点、一撃で相手を朦朧、もしくは翻ってその真下から頚椎を破壊する位置に鎮座している。両手のガードをまるで草原を這う蛇の如くスルスルと捌いて無視する技は【蛇抜草(じゃばつそう)】と彼の門派では呼ばれる。
「せーっかく良い感じに話がまとまり掛けてきたんですから、ここで意味も無く拗れさせてもしょうがないでしょう。エスカルゴ、……エルムゴートさん」
 先ほどから名前を間違えられまくっているエルムゴートは暗黒の太陽の閃光(フレア)の如く湧き上がる苛立ちをじわじわと挙げる。かくも冷静なクルーガーも放熱のためか額に汗を滲ませていたが、しかし、その中で既に燃え尽きたかのような灰色の仮面は飄々と構え続けた。
「……ハッ、そうか、てめぇ、仮面を被った人喰いか」
 しかし燃えるような瞳の奥、豪胆な意志を築く精密な思考が仮面の奥の、彼の本質を見抜いた。
「……あー、あまりその呼び方は『かなり』気に入らないので、超躍者って呼んでください。さ、こんな所で男二人でイチャイチャしてても仕方が無いでしょう。みんなで仲良く、ここから出るために共闘って事にしませんか?」
 仮面で見えない表情が淡々と言葉を紡ぐ。
「『嫌だね』。テメェみてぇな、いざとなったら『自分が助かるために何でもするような奴』の隣に居るのは俺は御免だ」
 灼熱の魔術師の物言いに全員に動揺が走る。
 確かに、灰色の仮面は先ほどからやたら『共闘』を勧めている。それは共闘の言葉に絶妙に挟んだ『利用』では無いかと言う、疑念と断言するには小さく、疑惑にはほど近いものが彼への視線の中で生まれる。
 しかし、灰色の色が知ろしめす通り、彼は全身と同じ濁った色のまま、揺るがない。
「まぁ、そのような寂しい考え方でも構いませんが、先ほどから開始早々鎧兵士と戦わされたり、突然棺桶を頭上から落とされたり、その中の鎧兵士のレベルが前より上がったりと中々敵さんも巧妙になってきているんで、出来れば『不確定要素』は削って、召喚者同士の対立の無いシンプルな筋書きにしておきたい気分ですね」
 まぁ、ここで交渉決裂ならそれなりの手段もありますが、と灰色の奥から更なる言葉を紡ぐ。
「ほぅ、そいつはどんな手段だ?」
 笑う、と言う行為は獣が牙を見せるためのものである言う一説があるが、それを裏付けるかような哂い顔を見せるエルムゴート・アンセム。
「そこにメタトロンさん、もとい三輪駆動なんちゃらさんが物騒な武器を向けていますね」
 はたと気付けばメタトロンが距離を取っていた。後部にマウントされている追尾機能が搭載された板状ミサイルの武装は完全に展開されているし、一発当たるだけでも人体が粉々になりそうな六つの銃身の二十ミリ機関砲やら、三メートルはある白く細長い砲塔がバッチリ二人のいる辺りを狙っている。
「ちょっと僕が小突いて体勢を崩しておけば、避けられないあなたは粉々ですね」
「……テメェも当たるぞ」
「んなもの狙っても狙われなくても逃げ回っていれば当たらないですよ。まぁ、彼方が地尚拳なんてマニアックな拳法習ってるって言うなら僕の案は無効ですが、ヘロヘロ状態で僕に拘束、もしくは転倒された状態から弾幕を抜け出せるでしょうか? 僕ならとりあえず離脱できるとは思いますが、今のあなたではちと無理では無いでしょうか? それから魔術師と言うイメージが僕の想像と乖離してなければ、この位置から首を折らずともここから喉でも潰しておけば呪文だか真言は唱える事が出来ないのではないでしょうか? さて、そんな戦力を徹底的に殺がれた状態で戦闘狂(ウォーマニアック)のあなたが『こんな見知らぬところで倒れる』のは不本意ではないでしょうか?」
「俺が無詠唱で放つ事が出来る呪文があると言ったらどうする?」
「ああ、その情報は知りませんでした。ありがとうございます。でも何となく攻撃する瞬間は分かるんで、首が千切れるまで突きを喰らいたくないのでしたら止めといた方が宜しいでしょうね」
 灰色の仮面の奥で静かに垂れる汗。むろん、ハッタリと言う訳ではないが、彼自身もメタトロンの、そして『エルムゴート』の弾幕から逃れられるかは疑問に等しい。しかし、ここで先手を打たねば、確実にこの男が厄介な存在になると、彼の過去の激戦の中で積み上げた経験とそれに基づく思考が告げていた。
 最初、四人で自己紹介を始めた段階でもぞもぞ動き始めたエルムゴートを超躍者は見た。そして瞬時に『召喚者らしき人たちのところで倒れていた男だし、何か面倒な事が起きる』と判断した彼はすかさず躊躇無く弾幕を張れそうなメタトロンを選択して近寄った。そして地面にこっそり書いた『僕が動いたら静かに構えて』の文字が伝わっていると希望を持ちつつ円陣に戻った。さりげなく彼自身が嫌う殺気めいた雰囲気を作って、それに反応しなかった、機械的に冷静な彼女を弾幕を張ってくれる候補として選んだのだ。生体感知センサーを持つ彼女も彼の動向には気付いていたため、マスターを守るために無言の同意を重ねたのだ。
 リロイもエリヤも遠距離攻撃が可能と言う所から弾幕を張る要員としては適任だが、緊迫した中で確実に敵を絶命させうるかと考えた場合、リロイもエリヤも、直感的に向かないものと彼は考え、断じた。
 実際のところ、人を殺意無く無条件で殺める事になれていない(そしてこれからも出来ないであろう)リロイやエリヤには重過ぎる荷であったのだ。
「さぁ、どうしますか?」
 ……沈黙。焔の奥が静かに揺らめく。
「一つ聞いてもいいかね?」
「何でしょう?」
 多少格好は薄汚れつつも、その瞬間から殺し合いに特化した狂人ではなく、むしろ紳士服の男は何かの、おそらく焔の支配者のように、わざとらしいまでに余裕と爵位を持った貴族のような言葉使いへと変える。

「この俺の知り合いに灰色の貴様と『似たタイプの武人』が居てね。実力やスタイルは如何にしても俺としては非常に貴様に興味が持てる。貴様の言うとおりこの場は鞘を納めるとしてだ。後にこの世界から抜け出る算段と時期が整ったら、この俺と全力で殺し合ってくれないかね?」
 戦闘狂の静かで凶悪な笑みに灰色の仮面は「まぁ、僕は死にそうになったら全力で逃げるかもしれないですが、その取引で良いでしょう」と首肯し、スルスルと毒蛇は離れた。

 常時展開式の防御術壁のあるエルムゴートには超躍者の拳を恐れるような理由はなかったはずだ。たかだか人の拳、天使の力を持った娘のように非常識な強化しているならまだしも、人間の骨格、百七十センチかそこらの彼の体格で弾き出せる物理量では機械兵は破壊できても(それだけでも驚愕に値するが)エルムゴートの防御術壁を突破するには値しないだろう。世の中には素手で刀槍と同じ威力と切断性能まで持つに至る者もいるが、茨城鎧山の規格外の得物を想定した防御術壁では人の威力の範疇である拳では無意味に等しいものだろう。しかし、この世界に呼ばれた彼がただの人間であるはずは無いと彼の思考回路は導き出していた。高々小娘と侮っていた者は邪槍を抜かねばならぬほどの類稀なる天使の力を持ち、チンチラと侮っていた男は彼の世界でも上から数えた方が明らかに早い魔術師であった。そのため、下手をすれば彼の拳の方が三輪バイクの放つ弾幕よりも脅威になる可能性があると見抜いたのだ。魔術などとは違う、エルムゴートには知覚出来ない類の力が働いていると考えた。事実、この場で多くを語る必要は無いが、灰色の亡者が拳の届く間合いでは共闘の選択をしたのがこの場面では正しかったのだ、確実に。



「……だ、ダメだ。この場の緊張感に耐え切れなくて何かとんでもない事を無駄にしたくなってきた!」
「するなよ!」
 久魅那はそんな二人組みの漫才を無視して、複雑な表情でメタトロンを見た。
『マスター、何ですか? 先ほどからのワタシに対する納得いかない表情の解を求めます』
「別にぃー、何かあたしを差し置いて二人で水面下で仲良くしてて納得いかなかっただけよ」
 クセのない黒髪を弄りながら拗ねる久魅那に『マスターもリロイさんと仲良くすればいいじゃないですか』と人間臭く『ちゃちゃ』を入れる。
「あー、仲良くしたいのは山々だけど。もうちょっと、リロイくんがこー、若さと言うかショタっけとかを発散していてくれたストライクゾーンどころか完封負けなのに」
『マスターの趣味にはワタシの膨大なデータベースを持ってしても付いていけません』とバイク本体の奥に内蔵された紅い宝玉が明滅する。
 懐のシガーケースから葉巻を取り出し、口蓋から漏れる炎で火をつけて、
「……しかし、よく分からねぇもんだ。天使やら殺し屋やら魔術師やら人喰いもどきやら傭兵やらを集めて、小娘。お前は何を期待している? と、聞きたいところだが、……その前に、その破廉恥な衣装になんの意味があるんだ?」
 と申したエルムゴートの言葉に真珠へと自然に視線が集まる。



             その姿、スクール水着に浮き輪。

「ヴぅふぉっ!!?」
 察しの通り、きっかりタイマーのように三秒経って、久魅那は仰け反りながら『ぶぴぴっ♪』と鼻血を盛大に噴出した。もうスクール水着(略してスク水)の段階で突っ込む気力すら無い男達は呆然と佇んでいる。
 そして当たり前のように紺色の生地、ちょっと発育が良すぎの胸辺りを隠すかのように『いちねんさんくみ しんじゅ』とフェルトに書かれていた。そして橙色の水泳帽に加え、スイカ模様の浮き輪も完備。
「かかか、完璧だよぉ。も、萌え〜。ねぇメタトロン、あの子めがっさ可愛いよー。おおおお持ち帰りしていーい?」
『駄目ですマスター。それよりも周りをよく見てください』
 折角、綺麗に同盟を組んだと言うのに、本来ならこういった展開で一番盛り上がるはずの男陣がほぼ一メートルばかり引き気味だった。
「く、なんて女だ。天使の力(テレズマ)を持っていながら聖人ってより変態の面してるぜ」
 荒彫りのエルムゴートの顔が激しく、汚物でも見るかのように歪んでいた。
「なぁなぁ、根暗。なんで真珠ちゃんの服ってコロコロ変わるんだ?」
「知るか。俺も初めて見た」
『それについてはワタシが説明しましょう』
 と、ギューンとハイテクチックに近付いてきたのはメタトロン。機械的なギミックに慣れていない彼らは彼女に対して訝しげだが、それに勝る好奇心を発揮して(主にリロイが)、彼女の説明に傾注する。
『つまり分析するとこうです。おそらく皆さんで[エルムゴートの焔で暑苦しい]と考え、[夏みたいに暑くて煩わしい]→[ならば涼しい格好が良い]→[夏らしい涼しい格好]とこう言う図式ではないかと。深層心理に一番根付いている服装、もとい誰かの思う涼しい格好のイメージがその誰かの中から伝播した訳でしょう。しかし、別にその誰か自身の欲望が具現化したわけではなく、何かしらの『妨害伝播』が真珠の服装属性の影響下に入ったのではないかと』
「誰なんだよそんな妨害をしたのは!」
『真珠の目の前で息を荒げながら鼻血を垂らして地面を転がっているマスターです、おそらく』
「あー、出来れば僕は同じ夏なら祭りつぅー事で(ふんどし)なんかが良かったな!」
 その灰色の亡者の一言と共に久魅那の妄想世界が真珠の周りの世界を侵食した。
 諦め切った涙目の真珠。褌の言葉の意味は流石に分かって『何故か老人での姿を思い出して』嘔吐感を覚える二人、呆れ顔の殺し屋、ガッツポーズの天使二人組み。
 光子の輝きに包まれた真珠は、仮面を被った馬鹿の妄想のお陰で記念すべき第十五回目の変身が決定した。



 そんな御馬鹿なテンポで取り組みが進む一方で、そこから約四キロメートルほど離れた場所にある巨大時計塔オルドリン。その内部、淡く光る制御卓の前でイシス・テレジアは狂気めいた笑みを浮かべていた。
「ふふっ……、仲の良さそうなこと」
 彼らの現在の姿を平面状のパネルに映して見ながら、制御卓の鍵盤をまったく見ずに目視不可能な速度で叩き続ける。
 卓上には現在の彼らの様子を表すパネルの他に、いくつもパネルが浮かび上がり、天璽 久魅那、それとは違う守護天使エリヤや星守護天使エリヤの武装データ。エルムゴート・アンセムの持つ魔術の火力。超躍者の既知の格闘パターン。リロイの魔術特性にクルーガーの武器への習熟度、メタトロンの解析能力などが目まぐるしくパネルを過ぎり、彼女は同時にそれとは違う。他の世界から呼ばれた人では理解出来ないデータを瞬きもせずに眼球に押し込んでいた。
 その眼は長い事世界の結合のため、不可侵にして不可触の情報の海を眺めたためか? 確実に彼女の心は何かで蝕みつついた。
 アッパー系のドラッグでも『きめた』かのようなハイな心持で、片手は制御盤を叩きながら、傍らに立てかけてあった杖を取り上げて哂う。
「全員が揃ってくれた事ですし、プレゼントをあげなくちゃね」
 ついに杖を持って踊るかのようにクルクルと回りながら、次々と横に配置された別の制御盤を片手で叩いていく。
 その制御盤が配置された部屋を周る速度が踊っているのか、走っているのかも分からないほど最高潮に達した時に中央で杖を掲げた。
「『天使』に対する『堕天使』、『業熱の魔人』に対する『絶対零度の鬼神』、『格闘者』に対する『武器使い』、魔術師に対する『魔術師殺し』、そして『亜人』に対する『狩人』、『戦車』に対する『爆撃機』。今此処に顕現せしめん!」

 部屋の中を黒い風と粒子が渦巻き、情報の渦から彼女の収集した彼らのデータとその対策がインプットされて、超躍者の言葉を借りるならば『将軍(ジェネラル)』クラスの敵が生成された。

 渦が徐々に収束していき、中央には、彼女が生成した忠実な六つの駒が到来した。

「さぁ、あなた達の役目は?」
 手があるものは片手を掲げる。
「「「「「「生涯忠誠! 命を懸けて!」」」」」」
「あなた達の仕事は?」
 足があるものは踵を踏み鳴らす。
「「「「「「戦争! 戦争! 戦争!」」」」」」
「あなた達は何?」
 顔があるものは狂気を浮かべる。
「「「「「「絶望! 絶望! 絶望!」」」」」」
「では、それを彼らに、そして『彼女』にプレゼントさせてきなさい」
 エルムゴートに勝らずとも劣らない、狂気の嵐が激動する。
「「「「「「御意! 御意! 御意!」」」」」」

 再び、彼女によって情報のみに戻った彼らに新たな三次元座標を与えられた。



 この時が捻り鉢巻に加え半纏に白いお尻を微かに包む、あられもない褌姿の真珠によって泣きながらこの世界の秘密の一端が明かされた後、空間の壁を破って天使、魔人、格闘者、魔術師、亜人、戦車の前に絶望が降臨する事が決定された時だった……!


17 :寝狐 :2007/02/10(土) 23:47:54 ID:mcLmm7kJ

英雄 V.S. 将軍 −不期遭遇戦−

 久魅那の提案により、一同はとりあえず場所を変えることにした。
 十分ほど歩くこと。あられもない褌姿から魔法少女みたいな白い服に衣装変えした真珠に案内され、時計塔オルドリンから六キロ離れた所にある大きな中央広場にまで辿り着く。
 広場の中央にある、水が流れていないただのオブジェと化している噴水を背に真珠が立っている。その正面には超躍者、リロイ、クルーガーの三人。エルムゴートは傷ついた体を癒すため、真珠の斜め後ろの噴水の縁で横になっていた。そんな彼の監視とでもいうのだろうか? エルムゴートの正面にはメタトロンの座席で変身を解除した白い制服姿の久魅那。
 広場に辿り着く前。契約の天使鎧(ディアテーケ)を解除した久魅那の制服姿に、しばしばリロイとクルーガーが「ほぉ〜」と珍しそうに見ていたが、おそらく見たこともない服だったのだろうと久魅那は推測した。超躍者の方といえば、「あぁ、高校生だったんですか? 久しぶりに見たなー女子高生。白い制服ってのは珍しいですね。もしかしてお嬢様学校だったりします?」などと質問されたほどだ。
 だがそんな彼女もエルムゴートとの戦闘の名残か、バイクの後部に凭れかかるように上半身を仰向けに倒していた。
 実際、久魅那自身も著しい体力の低下を示していた。契約の天使鎧時のダメージも残っていたこともさることながら、新約の星天使鎧(カイネー・ディアテーケ)への超変身は久魅那の体力と精神力をも大幅に消費させていたのである。身体にかかる負荷も馬鹿にならないのだ。

(次に“新約”が使えるとしたら、……ざっと一時間後くらいかな?)

 胸に手を当てながら、久魅那はそんなことを考えていた。“新約”が一時間後とすれば、通常の“契約”もあと十五分は変身できない状態だ。
 長時間による連続変身は原則的に危険な行為でもある。
 彼女が変身に使用している媒体は己の魂なのだ。魂に刻まれた“契約”と“新約”。この二つの起動には魂の力を必要としている。……であるからにして、魂への負担がかかる変身を短時間の間に連続してするということは、久魅那の魂を大きく削ると同位。故に魂の安定と体力と精神力の回復をするため、メタトロンの上でぐったりとしているのだ。
 この二人の状態に関しては誰も口を出さなかった。集まった召喚者の中でも一番に戦闘をしていたのは他でもない、エルムゴートと久魅那だった。その激しさは二キロほど離れた戦場跡が物語っている。……しかしその戦場もあと数分もしないうちに残骸が情報粒子化されて元の状態に戻ってしまうのだが。
 メタトロンに至っては、久魅那の指示により特殊なレーダー波を使用して周囲の警戒を行っていた。真珠から受け取った情報魔術の物理収束に関するデータを元に、機械人形(マシン・ドール)達の出現をいち早く探知するためだ。
 真珠は全員を一通り眺めてから口を開く。
「まずは、この情報世界エウクセイノスについてなの」
 少女の語りはその一言から始まった。
「この世界の表向きの名称は『全扉次元門中枢情報世界エウクセイノス』。全ての“扉”に繋がり、全ての“門”に繋がり、全ての“時空世界”に繋がり、全ての“次元世界”に繋がる中枢管理情報空間。……正式名称は『輝くトラペゾヘドロン・レプリカ』と呼ばれているけど、神々でさえその名を知る者は数えられる程度。それがエウクセイノスなの」

「「「「「「……………………」」」」」」

 第一声に明らかにされたその言葉を、まともに理解できた人間はその場にはいなかった。全員揃って真珠の言っている意味が理解できないでいた。
 そんな中、最初に口を開いたのは最も脳内処理が追いつかずオーバーヒートになりかけているリロイだ。
「わりぃ、さっぱり理解できん。……お前は意味わかる?」
「安心しろ。俺もわからない」
 クルーガーの返事にリロイは安堵をもらす。……どうやら理解できなかったのは自分だけではなかったということで。
「とりあえず真珠ちゃん。僕らが質問するから君は一つ一つ答えてもらいたい。もちろん答えられない内容なら無理して言わなくても構わない。それでいいかな?」
 超躍者の提案に真珠は頷く。それを確認してから、再び超躍者は口を開く。
「まず、今の説明にあった中からで。“扉”とは何なのかね?」
「……ごめんなさい。それは“検閲事項”なのです」

「「「しょっぱなから!?」」」

 もはや男三人がツッコミをいれるのは既にお約束になっている証拠になるのやもしれないのだが、当人達はそんなことに気付いていないのは悲しいことだろうか?
 それを聞いた久魅那も一言。
「……禁則事項じゃないのね」
「やってはいけないという“禁則”ではないのです。“世界誕生者”であり、尚且つ“ただの人間”である皆にはそれを知る権利が無いだけなの」
 ここにいる召喚者達。天使の力を持つ久魅那、凶熱の魔術を操るエルムゴート、超躍者の直門、雷系魔術を得意とするリロイ、そしてこの中では最も普通の人間っぽい(・・・)クルーガー。
 彼らは特異な能力を持っているが、所詮は“人間”だ。寿命差はそれほどなく、食事をしなくては生きていけない。それは“ヒト”としての枠を超えられない存在であること。
 超躍者の質問は続く。
「しかし、真珠ちゃん。君も外見上では僕らと変わらない人間に見えるが、どう違うのかね?」
「皆と私では、“生まれ方”そして“存在定義”そのものが違うのです。外見が皆と変わらないのは、この形が他世界において最も確認されやすい形状であり、活動に支障が起こらない適した姿だという判断からしてなっているの」
「それじゃあ、もし蛸みたいな生物が最も確認されやすい形状だったとしたら、君も同様の姿になって生まれたというわけかい?」
「私としてはもうこの形が原型とされているから、タコさんみたいな姿にはなりたくないですの。……それにタコさんな形をした邪なる神がいるので、あんな生理的不快感をもたらす姿なんて私としては絶対拒否ですけど」
 まるでそのタコ姿の邪神を直接見たことがあるような言い方をする真珠。
 リロイとクルーガーは何のことを言っているのか理解できない表情をしていたが、説明をせずあえてスルーしておく。
「話が逸れそうだから戻すとして。“門”とは何なのかね?」
「それも“検閲事項”なのです」
「………………」
 全員が全員。なんとなく分っていた答えだったので誰もツッコミはいれなかった。
 腕を組みながら考え込む質問役の超躍者。
「……んー。時空世界と次元世界も?」
「それは答えられますの」
 念のために聞いてみると、答えられるという返事に超躍者は内心「よし!」とようやく質問役としての役割を達せたことに安堵したことは誰も知らないことである。
「簡単に言えば、“時空世界”というのは、空間についての軸と時間についての軸から構成された直角平坦場。そして、それぞれが平行世界として存在し、歴史を重ねているのが“次元世界”なの。違いを言うならば、個別の鏡か合わせ鏡の要領かしら? さらに詳しく説明してほしいなら言えるけど、皆、特殊相対性理論とか一般相対性理論、万物創世や宇宙意思の話までくるとわかんなくなりそうだから、これで我慢してね」
 正直、この時点で真珠の会話についてこれたのはメタトロンだけであろう。それほど深い話であることはなんとなくであるが、リロイですら理解できた。
「うむ、わかった。ならば質問を変えてみようか。これは僕個人の疑問だが……」
 そういいながら超躍者は顔を見上げ、六キロ先にある巨大時計塔オルドリンへと向けられる。
「あの時計塔の登頂に立ったときに気付いたんだけど、何故この都市は途中から切り離されたような形をしているのかな? ……あぁ、他のみんなは知らないと思うけど、この都市は現在僕達が知る広さよりも本当はさらに大きい都市だったみたいなんだ。けれども、何故か都市ならばあるはずの入り口みたいな境界線がない。一番外周部にある一部の建物が縦に半分しか残っていないものとかがあったんだ。僕の推測が正しければ、現在僕達がいるこの都市は円形、もしくは球状にくり抜かれた都市となる。ここから連想される疑問は一つ。……さぁ、真珠ちゃん、質問だ。この都市は最初(・・)からこのエウクセイノスという情報世界にあったのかい?」
 この質問は超躍者にとっても、そして他の者にとってもあまり意味を成さない質問ではあった。だから、真珠が“検閲事項”と答えればすぐに済むはずだった。しかし、真珠はすんなりそれに答えた。
「この円周情報都市エルブルズは本来この世界にあったものではないですの。元々エウクセイノスは最初から何も無い世界。ただ全ての“扉”“門”“時空”“次元”らと繋がっているだけの統一管理室みたいなもの。……エルブルズは他の世界、つまりイシス=テレジアがいた世界に存在していた大きな都市だったの」
 真珠が語るのはエルブルズの歴史であった。
 イシス=テレジアのいた世界は魔術理論を基盤とし機械と組み合わせた魔科学とよばれるものが発展していた。そして魔科学が最も盛んだったのが情報円周都市エルブルズだったのだ。
 その直径六十キロ(・・・・)もある都市の中心部、巨大時計塔オルドリンではとある実験が行われていた。

 その名は『超次元空間接続プログラム』。

 次元空間を挟んで分散した他世界をクモの巣状に相互に自由にリンク接続し、相互移動可能を目的とした魔術プログラムだ。
 これが成功すれば他世界との文化交流をし、互いの技術などを発展させることができるというのが、当時開発責任者でもあったイシス=テレジアの言葉であった。
 しかし、この実験には欠点があった。
 片方の次元ともう片方の次元における狭間を物質情報体――つまり人間そのものが行き来するリアルタイムリンク方式であったこのプログラムでは、リンク先の世界で移動完了しなければ元の世界ではその情報を得ることができなかったことである。その場合、リンク先世界内のリアルタイム情報を受信するために、物質情報体はリンク先世界への試行移動を繰り返さなければならなかった。だが次元境界内で発生する超高密度の次元エネルギー場を何度も通り抜けなければならなく、それは物質情報体にとっては高負担であり、次元境界の空間内で力尽きてしまう恐れがあった。その負担を取り除くためにリンク先世界への魔術プログラムによる常時掲示機能を付加し、次元境界移動を高速でスムーズに追随することが必要だったのだ。

 ……だがしかし。これらは全て理論上での話。
 実験本番ではそうはならなかった。
 研究者たちはおろか、イシスですら疑問に思っていなかったたった一つの問題。

 ――繋がる次元世界がどういう世界であるか、であった。

 それは不運だったのか、はたまた何者かによる作為的なものだったのか、彼女らが繋げた世界は今真珠達がいるエウクセイノスであった。
 エウクセイノスは情報の海。故に、その膨大なる情報エネルギーがイシスの世界に逆流し、魔術プログラムが暴走。
 発生力場であったストレージクリスタルを中心に直径50km範囲の空間を球状に取り込み、空間座標を歪ませ、エルブルズはエウクセイノスへと強制転移されたのだ。
 しかも、強制転移は超高密度の次元エネルギー場を直で抜けたがために物質は完全に情報分子化され、生命体である人間には大きなダメージとなった。
 大半は次元エネルギーに耐え切れず消滅。一部は身体の内側から爆発したかのように破裂した死体が残った。
 その中、もっともストレージクリスタルに近かったイシスはその影響下に入っていなかったがために無傷でいられた。
 そしてもう一人、二番目に影響を受けにくいオルドリンの地下500mの魔力融合炉にいた二番目の生存者も……。

「……二番目の生存者って、もしかして真珠なのか?」
 ふと思ったことをほとんど話が理解できないでいたリロイが聞く。
 真珠は首を横に振った。
「違うのです。私はエルブルズがエウクセイノスに強制転移されてからしばらくして、この世界に墜ちてきました」
「墜ちてきた? なら真珠ちゃんは自らの意思でここに来たというわけではないのだね?」
「そうなのです。詳しいことは検閲事項なので言えないけど、簡単に言えば、とぉーっても悪い神様と喧嘩して負けちゃったので、怪我してこんな世界に墜ちちゃったのです」
 ここまでの真珠の言葉を整理して、超躍者は「なるほど」と呟いた。
(悪い神様と喧嘩か……。つまり、真珠ちゃんはどこぞの神様か、それに近い存在なのかも知れないな。怪我をしているってことは、彼女の本体は何処かで怪我の治療をしているのだろう。だから本体が動けないかわりに、実体化ホログラムなんてので僕らと会話しているということか……)
 腕を組んで何かを考えている超躍者を一度見てから、今度はクルーガーが問う。
「……なら、その二人目の生存者というのは誰なんだ?」
「それは―――」

 真珠が答えようとした直前、どれまで黙っていたメタトロンが急にキャタピラの右舷に設置されているインパルスキャノンの砲身を動かした。矛先は噴水を挟んだ斜め向かい上に見える建物の屋上付近だ。
「……? メタトロン、どうし――」
 久魅那が言い終える前に、メタトロンはインパルスキャノンを発射した。このとき、ビーム砲が寝ていたエルムゴートの目の前を過ぎて彼が驚いて目を見開いたのは言うまでもない。
 緑色のビーム砲が建物の屋上あたりを直撃。
 何事かとメタトロンの方を見る全員。だが、真珠が発した言葉で皆の表情が険しくなった。
「情報魔術の物理収束を確認。……機械人形じゃない? まさか――?!」
 真珠は見上げる。
 インパルスキャノンが直撃した屋上。爆煙が消え、皆の目に映ったのは黒い外套に身を包んだ六つの影。
「なんだありゃ?」
「どうみても味方ではなさそうだな」
「ふむ。またもや新型の機械人形でしょうかね?」
 リロイ、クルーガー、超躍者はそれぞれの感想をならべる。
「なんか、嫌な予感がするな」
「……同感。不本意だけど、あたしもそんな気がするわ」
 エルムゴートも上半身を起き上がらせ、久魅那も顔をあげる。
 召喚者達の視線を受けて、一番先頭に立っていた影が口を開いた。
「あらあら、完全に物質化(マテリアライズ)する前に攻撃してくるなんて、やるじゃないの」
 声からしてその影は少女のようだった。リロイが良い声してんなーと呟いたのが聞こえたのは横にいたクルーガーと超躍者だけだが。
「何者だ? お前ら」
 敵意を剥き出しに、最後に機械人形と戦った際に回収しておいた剣を構えて、クルーガーが言う。
「そうねー。分りやすく言うなら、あんた達を始末するために造られたプログラムって言ったほうがいいかしら?」
「……ほう。俺達を始末する、か。大きくでたもんだなー」
 火をつけた葉巻を咥え、エルムゴートは笑う。
「そんなもので姿を隠していないで、顔を見せたらどうなの?」
「そうね。失礼したわね」
 久魅那の言葉にあっさり肯定した少女は身に着けていた外套を脱ぎ捨てる。だが、その露わになった素顔に全員が驚いた。
「おい根暗。あれって……」
「ああ。間違いない」
「へぇー」
「……ほぅ」
 男衆の反応はそれ相応であった。だがその中でも一番に驚いたのはただ一人。
「あ、あたし?!」
 そう。その少女の顔は間違いなく、久魅那とほぼ同じ顔であったのだ。
 いや顔だけではなかった。身長もさることながら、着ている服も久魅那が白であるのが黒になっている程度でデザインも同じ。目立つ違いは髪の色が黒ではなく、金髪であることぐらいか。まさに鏡に映った別の天璽久魅那とも見えた。
「……ふむ。ついに将軍クラスの登場ですね。さしずめ、ダーク久魅那ってところでしょうか?」
 さりげなく、名前をつける超躍者。
「そこの貴方。勝手に変な名前つけるのよしてくださる? わたくしの名は『ナコト=ネロ』。ネロと呼んでくださいまし。以後お見知りを」
 スカートの裾を摘んで礼儀正しくお辞儀するダーク久魅那ことナコト=ネロ。それを見たメタトロンが一言。
『外見はほぼ同じでも、性格と言葉遣いが全く以って正反対ですね』
「五月蝿いわよ、そこ! 悪かったわね。ガサツで品が無くて!」
 すかさず声を上げる久魅那。しかし、その状況でとあることに気付いた者が二人いた。
「なぁ、おい、リーパー君」
「うん。リロイ君の言いたいことはなんとなく分かっている」
 二人は真面目な顔(片方は仮面で見えないが)で見合わせ……。
「……色は?」
「もちろん黒だ。ちゃんと録画しておいた!」
 ガチっと腕を重ねて喜び合う二人。
 いやっほうーと叫ぶ二人が、じーっとネロの腰から下を眺めていたことにふと気付いた本人は何かと視線を下げ、まさかと思って、思わずスカートの前を両手で押さえた。
「……見ましたわね?」
 若干頬を赤く染めながらネロは問う。……そう。二人は彼女が立っているのが建物の屋上という場所故に斜め下から見上げる構図になっており、その位置からだと、ミニスカートである彼女の下半身からは男の子が憧れる秘密の花園が丸見えであったのだ。
「ミニスカ最高っ!」
「いやー、いいアングルでしたよ!」
 グッとサムズアップして喜びを伝える二人に、ネロは拳をぎゅっと握る。
「あ、貴方達ぃ〜。よくも乙女に恥をかかせたわねー! あぁもう! いろいろ説明して差しあげようと思いましたけど、めんどくさくなりましたわ。――サンダルフォン! 作戦通り、やぁーっておしまい!」
『……了解した』
 と、ネロの斜め後ろで宙に浮いていた三角形を寝かすように倒したような五メートル以上はあるサンダルフォンと呼ばれた大きな影が、大人の魅力をそそられる渋い声で応えた。その声は人間の口から発せられた感じではなく、どこか外部スピーカーみたいなところから発せられたような感じであった。……まるでメタトロンのように。
 そのサンダルフォンの下部からガコンと何かが外れるように落とされた。外套から飛び出し、顕れたのは大型のミサイルであった。
「え、ASM(空対艦ミサイル)?!」
 それにいち早く気付いたのは近代戦争科学兵器の知識が豊富な久魅那。
 発射されたのはシースキマー対艦ミサイル、エグゾセAM39型。固体燃料ロケットを推進装置とした高性能炸薬搭載ミサイルだ。
「みんな逃げて!!」
 久魅那が叫ぶや否や、既に全員がその場から全力で離れていた。リロイとクルーガーは全速力で走り、超躍者はできる限り全力でその場を跳躍。久魅那は目の前にいたエルムゴートの首根っこを無理やり掴み取り、振り投げるようにメタトロンの後部へ乗せて、出力最大で走らせる。
 対艦ミサイルの確認から僅か二秒にも満たない状況で全員が広場からそれぞれ別方向へと分かれていった。
 直後、ミサイルは噴水と激突。大爆発を起こしてあたり一面を粉々に砕く。
 火が燃え移るようなものは無いので、炎はミサイル内の火薬分でしか生じず破片が空気中を漂っている。その中で身じろぎもしなかったのは、跡形もない先ほどまで噴水があったところに立っている傷の真珠が一人。
 まだ爆発の反響が残っているその場で、真珠は顔を見上げる。その視線の先には五体の影とネロ。

「六大反英雄(アンチ・バリアント)プログラムシステム『アンリ・マンユ』。……もう完成していたの?」

 その呟きに答えるはネロ。
「そうよ。彼らのデータを基に創られたわたくし達は、彼らに“対抗”するためだけに存在する」
「そんなことのためだけに存在しているなんて、あってはならないわ!」
「わたくし達は所詮はプログラムシステムに過ぎないわ。……それに、貴方だって似たような理由で生まれたのでしょ? わたくし達の主、イシス=テレジアが言っていたわ」
「“存在定義”が正反対のあなた達と私を、同じような扱いをしないでもらいたいわ! それに私はプログラムじゃない! れっきとした超進化生命体(・・・・・・)よ!」
 この時、初めて。真珠が怒りの感情を出した。久魅那達の前では決して出さなかったものだ。
 そんな真珠の言葉を、ネロは受け流す。
「ふん。まあいいわ。当初の目的は果たせたことだし。さようなら、真珠」
 そういうや否や、五体の影はそれぞれの倒すべき相手の下へ消えていく。そしてネロも。
 それぞれの英雄を倒すために向かう反英雄の後姿を真珠はしばらく眺め、一度目を閉じ、再び開けると一つの建物へと視線を移す。

 ――巨大時計塔オルドリン。イシス=テレジアがいる居城。全ての始まりの場所でもあり、全ての終わりの場所でもあるその建物。

「イシス……。こんなことをしても、あの子は戻ってこないのよ?」
 語りかけるように呟き、真珠の身体にノイズが奔ると、電源を落としたかのように一瞬にしてその場から消えた。


 ………………
 …………
 ……
 …
 先ほどまでの噴水から避難してから早数分。数キロ離れた場所ではメタトロンとそれに乗った久魅那とエルムゴートの姿があった。
「メタトロン、他の皆は何処に行ったか分る?!」
 現在時速130kmという速さなのでバイクとキャタピラの音にかき消されないように、無意識に久魅那の声は大きくなる。
『チンチラ……もとい、リロイ・ロイロード及びクルーガー・バーズの両名は北へ。超躍者は南西の方角へ移動。先ほどの敵も同じそれぞれへ向かっているもよう』
 リロイとクルーガーは巨大時計塔オルドリンがある方向へ、超躍者はその反対のエルブルズの外周方面へ向かったことになる。
「……すると、こっちに来ているのは残りの三体ね」
『そのようです』
 現在メタトロンは北東へ走っていた。結局のところ、全員バラバラになってしまったということになる。
『敵の目的はおそらくワタシたちをバラバラにして孤立させるつもりだと推測します』
「そうね。さっきのネロって奴が、作戦通り、なんて叫んでいたことだしね」
 バイクは途中の緩いカーブを抜けて、再び直線を走る。
『……マスター。後方に敵の追撃を確認』
「ん?」
 言われて久魅那は首だけ振り返る。
 後方1500メートルほどだろうか、建物の屋根を次々と跳び越えている影が二つと、その数メートル上空を飛行している影が一つ。おそらくネロとまだ名のっていない別な影、そしてサンダルフォンと呼ばれた奴だろうと久魅那は判断する。
「しつこいわねー、あいつら」
 と、久魅那がぼやいていると、彼女の後ろから声がかかった。
「……おい! 天使」
 声をかけたのはエルムゴートであった。
 久魅那によって無理やりメタトロンの後部に乗せられた彼は、まともな座席もない部分で振り下ろされないよう必死に装甲部にしがみついている状態だ。
「何っ? 今あいつらを撒くのに必死なんだけどっ!」
「俺をこのあたりで置いていけ!」
「はぁ?! 何言ってんの! 三対一でどうやって戦うってのよ! それにあんた、まだボロボロの状態じゃない。完全に傷も癒えてない奴を置いていけるわけないでしょうが!」
「いーや。あいつらはタイマンで勝負する気だ! でなければ、バラバラになって孤立したところを全員で叩けばいいものを、態々数を合わせて追いかけるなんてしないだろ?」
 そういやそうか、と久魅那は気付いた。たしかに、他の方角へ行った三人の方へは三体の敵が向かっているようだし、こちら側に来ているのも三体。まるで一人一人に合わせたような組み合わせである。……どうやら、ただバイクにしがみついていただけでなく、きちんと状況把握などをしていた凶熱の魔術師の冷静な思考力に久魅那は感心するしかなかった。
「分ったわよ! 何処で降ろしたらいい?」
「できるだけ横幅がある直線の路がいいな! 暴れても平気なところだ!」
「……メタトロン?」
了解(ヤー)、マスター』
 久魅那の言わんとしていることを察知したメタトロンはすぐさま、事前にマッピングしておいた地図データを起ち上げる。
『前方1200メートル先の十字路を右折すると大きな通りにでます。そこならば問題ないかと』
「……どう?!」
 後ろを振り返ってエルムゴートに聞く。
「問題ない!」
 その返事を聞いて久魅那は前方に視線を戻す。
 すぐさま十字路が目に入ってきた。中央に大きな柱が窺える。そこを右折すればいいのだが、当然のこと緩やかなカーブではなく直角と直角のクランクだ。130kmの速度では曲がりきれない。だが久魅那は速度を緩ませない。
「おい! この速度で曲がる気か!?」
 さしものエルムゴートでもこればかりは焦った。どうみても中央の柱の手前で曲がるとは思えないからだ。このままでは柱に直撃である。
『……マスター、まさか直角で曲がる(・・・・・・)つもりですか?』
「とーぜん! 手前20で反転跳躍――柱を蹴って強制重力姿勢制御二回よ!」
 叫ぶとエルムゴートへ振り向く。不敵な笑みを浮かべながら。
「怖じ気ついた? 魔術師さん」
「冗談じゃねー! 振り落とされないように地獄まで付き合ってやろう」
 そう言ってエルムゴートはメタトロンにしっかりしがみついて身を固めた。冗談ではなく、本気(マジ)で。
 残り100。久魅那はハンドルをギュッと握りなおした。
「行っくわよー!」
 勢いをつけるかのように一度若干左へ逸れてから、右へ機体を流れるように動かす。
 一気にブレーキを掛け、ドリフトの要領で機体を斜めに向ける。そのあと、メタトロンの制御で機体の前部を持ち上げて片輪ウィリー状態へ。キャタピラの出力調整を行い、地面を跳ねさせ、20メートル手前で二度目の跳ねを利用した跳躍。機体は九十度真横に倒れたような状態から柱に激突。この時、視界に映る世界は右側が地面、左側が空もとい次元の海である。
 タイヤに内蔵された駆動機関である強攻型重力制御車輪パワードGホイールによる重力制御で柱を床とした機体を久魅那は即座にアクセル全開、キャタピラを回して再びウィリー状態へ持ち上げ、まだ柱に接触した際の衝撃が残っているうちに、その反動を利用して先と同じ要領で今度は柱を蹴った。
 だが今度は斜めではなく正面へだ。前方の建物の壁が右側にある。バイクに乗っている二人から見ると、柱が足にあればその壁は頭の位置にある。柱から壁までは僅か10メートルしかない。メタトロンは宙で重力制御を行い機体を百八十度回転。今度は右側が次元の海。左側が地面になった。
 滑り込むように壁にタイヤとキャタピラをつけるメタトロン。久魅那の安定した操縦で壁走りで走行し、大通りへと抜けてから機体を本来の地面となる方向へタイヤとキャタピラをのせた。
 最後に後部タイヤをロックしてドリフトをし、急停止をかけてようやくバイク戦車は止まる。
 瞬きにして二回ほどの出来事であったが、エルムゴートから見れば数時間も経過したかぐらいに驚きの連続だ。
 久魅那の天才的な操縦技術とメタトロンの高速処理制御能力、そしてバイク戦車自体の性能だからこそできる芸当であることにエルムゴートは感心せざるを得ない。
「さぁ、ついたわよお客さん」
「乱暴なタクシーだな」
 バイクから降りてエルムゴートは走行中には吸えなかった葉巻に火を点して口にする。その時点で久魅那が未だその場にいることに気付く。しかも、彼の横顔を見上げながら。
「……どうした?」
「いや、別に……」
 視線が合ったと思うと慌ててそっぽを向く久魅那。その手は後部タイヤのロックを解除していた。
 数秒間、互いに黙っていたが、根をあげて久魅那から口を開いた。
「……死ぬんじゃないわよ。あんたボロボロなんだから」
 頬を人差し指でポリポリ掻きながらそう呟く。それが彼女の気遣いと照れ隠しであるとわかったエルムゴートは、ふっ、と思わず口元が歪みそのまま堪えきれず叫ぶ。

「――フハハハッ、あんな奴ら俺にとっては大した事はない!」

 豪快に笑う灼熱魔人の言葉に、久魅那は「……そっか。なら大丈夫ね」と安堵する。
 気持ちを切り替えるかのようにバイクの出力を上げる久魅那。再びエルムゴートへ顔を向けるが、先ほどまでは違い、その表情は凛々しかった。
「絶対に勝ちなさいよ。あんたとの決着、まだついていないんだから」
「おう。だが先約はあの仮面野郎だ。貴様とはそのあとにさせてもらうぞ」
「ええ。そうさせてもらうわ」
 そう言って、右手を差し出す。
「また会いましょう、エルムゴート」
「ああ。また会おう。久魅那」
 彼女に応え、エルムゴートも握手で返す。
 手を離すと、笑みを浮かべて久魅那は正面に顔を向け、タイヤとキャタピラを可動させ、バイク戦車は徐々にエルムゴートから離れていく。
 その後姿をエルムゴートは眺めていた。遠く、小さな点になるくらいまで……。
 眺めながら、ふと彼は気付いたことがあった。

(ちゃんと名前覚えていたな、あの天使……)

 散々名前を間違われ続けて、ようやく正しい名前で呼んでくれたことに、内心若干嬉しかったりするエルムゴートであった。



 ………………
 …………
 ……
 …
 そうして、久魅那とメタトロンの姿が完全に見えなくなってから、エルムゴートは口を開いた。
「……さぁーて。そろそろ出てきたらどうだ? 将軍さんよ〜」
 振り返り、向こうにいる相手を呼ぶ。
 わき道の隙間からゆっくり現れたのは一体の外套を着た影。
 通りの中心まで歩み、そこで止まってエルムゴートと正面から対峙する。
 短くなった葉巻を吐き捨て、灼熱魔人は叫ぶ。
「さぁ、おっぱじめようか。盛大な殺し合いをなぁ!」


18 :ハリセンボン :2007/02/11(日) 19:58:17 ID:rcoJs4Pi

なんか、最悪っぽい敵(上)

「さぁ、おっぱじめようか。盛大な殺し合いをなぁ!」


 吐き出した葉巻を踏みしめ、エルムゴートは剣呑に笑った。死合う事をこそ至上の快楽娯楽と捉えるこの戦闘狂にとって、目の前の相手はそれこそ待ち望んだ相手といえる。
 
 巨大塔オルドリンもイシス=テレジアもどうでもいい。
 あののっぺりした無面目の怪人と休戦協定を結びはした。だが、エルムゴートの魔術は基本的に一対多数を想定した火炎魔術。他者と連携を組んで戦うようには出来ていない。その強大な大火力は味方すら同時に焼き払う威力を持っている。
 ゆえに、この戦闘狂にとって他者の存在に気兼ねせず、大火力を行使出来るこの状況はまさに願ったり適ったりであった。

 目の前の漆黒の外套を、エルムゴートの相手、自分達を抹殺するために現れたジェネラルクラスの敵はゆっくりと脱ぎ捨てた。

「……女か」
「先ほどの貴殿の発言に対する否定意見を述べる。彼我の戦力差は歴然。これから起こるのは戦闘行為ではなく、ただの処刑。貴殿の最善行動は苦痛を伴わぬ自決」

 天使、久魅那は自分と同質の敵と交戦しているはず。それなら相手も自分と同じく男性型と判断したエルムゴートは目の前の自分に対する殺し屋を見て首を捻った。
 先ほどの久魅那に対して準備された相手と同様、真っ白い紳士服を着た自分と違い、対照的な色彩の漆黒の夜会服を身に纏った小柄な少女だった。自分と張り合うには余りにもひ弱で脆弱に見える相手。だがこの世界を作ったイシスが生み出し、己を抹殺するために遣わした相手だ。尋常な敵であるはずが無い。
 ハイヒールの靴音をかつかつと鳴らし、歩み拠ってくる少女。肌黒い自分と違い病的なまでに白い、処女雪を思わせる肌に、背中に滝のように流れる銀色の髪の少女。その彼女の右側の額辺りから銀色の髪を押し上げ、一本鬼のような歪に歪んだ角が伸びている。氷のように凍てついた無表情のまま彼女は言う。うごめく唇だけが血の色をしていた。
 少女の言葉にエルムゴートは、笑みと怒気を共に浮かべる。

「言ってくれるじゃねぇか、小娘」
「根拠のない発言ではない。爛れる鋼鉄、エルムゴート=アンセム。私はあなたを抹殺するために作られたアンチプログラム。致死の毒蛇を食い殺すマングースのように、戦艦を沈没させる大王イカを捕食するマッコウクジラのように、神が定めた天敵。貴方に勝利の確立は一パーセントも無い」

 一拍、言葉をとめる少女。
 瞬間、周囲の気温が低下する。気のせいではない。目の前の少女を中心点とし、尋常ならざる冷気が周囲を押し包んでいる。周りの空気が凍え始め、そして周囲の家々のガラス戸が一瞬で霜に染まる。炎に対する氷、プラスに対するマイナス、そういうことか、エルムゴートは納得する。少女は夜会服のスカートの端をつかんで丁寧に会釈する。

「私の名前は『凍える微笑(コールドスマイル)』、アウローラ。貴方を抹殺する炎の天敵、絶対零度の化身。貴方の微笑を永久に保存する。お覚悟を、爛れる鋼鉄」
「おもしれぇ……」

 純粋に自分の魔術によって発生する灼熱と同ランクかそれ以上の出力を持つ相手は元居た世界でも存在するかどうか、心底楽しそうに笑うエルムゴートはげらげら笑い口蓋から灼熱を放出しながら印を斬る。

「地を払え、炎の大蛇!! 灰と屍と焼殺の残り香を添えて我が進む道を舗装すべし……!!」

 例え相手が何者であろうと迷わず己の戦術を貫くのみ、エルムゴートは即座に術式を形成。強壮で力強い魔術式が一挙動で構築される。

「……僕たちの帰る場所がなくなってしまう……」

 だが、エルムゴートを抹殺するために作られたアンチプログラムの化身が対応する手段を持っていないはずが無い。事実まったく意味の理解できない謎の文言をアウローラは語っている。如何なる魔術式か意味が理解できない、当たり前だ、そうそう意味が理解できるほど容易い相手であるはずが無い、いくばくかの戦慄を覚えながらエルムゴートは魔術を放つ。

「奔れ、地を這う爆炎(グランドナパーム)!!」

 魔力を練り、火炎へと変幻したその熱波の塊は総てを焼殺する連鎖爆発へと変化しアウローラめがけ走る。エルムゴートにとってこの魔術は必殺を狙ったものではなく、この魔術に対して如何なる対処法を取るのか見極める事で相手の実力の程を測ろうとしていた。
 だが、アウローラの反応はエルムゴートの予想を超えていた、そう、色んな意味で。

「……ああ、母艦がぼかーん」

 衝撃が、走った。
 そのアウローラの言葉と同時に、エルムゴートのグランドナパームを迎え撃つように氷結の槍が、まるで地から生える霜柱のように幾つも伸びて直進し、連鎖爆発をその驚異的な冷気でかきちらす。真正面から自分の魔術を打ち破った相手に対してその灼熱が掻き消える前に、既にエルムゴートは次の攻撃に移っている。笑みの形に歪む口蓋から熱気を漏らし、攻撃の挙動へ移行していた。

「我が叫びは木々を震わせ、焦熱の風を持って吹き払いなぎ倒すものなり!! 吹き飛ばし彼方へと連れ去るもの、熱と風を帯びて攫う者、立つもの全て力ずくを持ってひれ伏させるべし!!」
「強い風が吹いた……嗚呼」

 対象を凶暴なまでの熱波で吹き飛ばす魔術、ダイナマイトハウル、だが、アウローラはそれにすら反応している。

「倒れよ、威に討たれよ! 爆風の咆哮(ダイナマイトハウル)!」
「……ふとんがふっとんだー」
   
 灼熱の衝撃波に対する氷雪の嵐、肌を切り裂くとすら思える凄まじい風にエルムゴートの放つ熱波が掻き消され、それでも勢いを失わず彼の体を切り裂く。

「……か、かぁ……!!」

 氷雪と熱風、幾ら疲労しているとはいえ、正面からの力押しで自分の魔術を粉砕するとは恐るべき相手。地に打ち付けられ、衝撃が背中を叩く。激痛に苛まれながらも、鍛え上げた四肢はこの程度では屈服しない。
 だが、だが、先ほどから精神を凄まじい威力で攻撃するこのサイコアタックは一体なんなのか。凄まじい勢いで四肢から力が抜けていく。
 






「貴殿もこれで理解したはず。彼我の戦力差は絶望的、勝負は見え……」
「……んなこたぁどうでもいい!!」





 
 いや本当はどうでもいいはずが無いのだがエルムゴートはそれすら忘れて叫んでいた。

「? 勝敗に関する努力を放棄? 予想外の反応」
「……てめぇが、強敵であるこたぁ認めてやる。ああ認めてやるぜ。……だが、だが……!!」

 言わずには、言わずにはいられない。
 例えこの場にいなくとも、天使もフェイスレスもチンチラも根暗も戦車もみんな凶熱の魔人のやる事を応援してくれるに違いない。そうと思わせる確信がエルムゴートにはあった。アウローラを指差し、叫ぶ。







「さっきから攻撃の前に言ってるクソつまらねぇオヤジギャグは一体なんだ!」





 
 アウローラは、片眉をくい、と吊り上げた。
 表情に変化は見られないが、なんか頭上に暗雲が立ち込めるような剣呑な気を纏っているようにも思える。

「……私の名は、アウローラ。アンチ・バリアントプログラムシステムによって生み出された、六体のジェネラルクラス達の中で、最大最強の……」

 自らの名を誇るように彼女は言う。








「……お笑い担当キャラ」
「……………………………………………………………………………………………………」







 エルムゴートは指差したポーズのまま文字通り凍りついて本気で困った。
 





 固まるエルムゴートを見て、アウローラは言葉に静かに殺気を込め、言う。

「……私の超面白いギャグセンスが理解できない奴は(みなごろ)す……」
「お、俺でもそこまで暴虐を働いた覚えはねぇぞ!! その基準なら人類虐殺だぜ?!
 ……く、こいつ!! ギャグは笑えねぇが笑える!! かなり笑えるが笑えねぇ!!」

 エルムゴートは腰の力の抜けるような感覚を覚えながら構える。強敵だ、実力もさることながら、非常にやり辛い敵。
 優れた知性の持ち主である彼は相手の魔術式を一、二度見ただけで見抜いていた。恐らくあの敵は絶対零度のオヤジギャグをいう事によって物理的に周辺の魔力を変換、氷の魔術へ変化させて攻撃を行っている。信じがたい事実、というか冗談はよせ。

「一つ聞かせろ」
「冥土の土産の要求を受諾」
「……お前の仲間達に対してご自慢のギャグを披露したら、皆どういう反応を示した?」

 あからさまにエルムゴートを見ないようにして、明後日の方向を眺めるアウローラ。

「……も、もちろん爆笑の渦。必然、決定事項、定められた事柄」
「……ふ、ふはは、ふはははははは!! そんなことある訳ないジャマイカン!!」

 思わず相手のオヤジギャグに釣られて同様のクソ詰まらない、彼の知性レベルからすれば到底信じられないオヤジギャグを、エルムゴートは思わず言った。
 言ったらば、凍てつく表情を持つ少女型ジャネラル、アウローラは、小さな声で、その可憐な容姿からは想像できない鬼気を込め、瞳から赤い涙を流して言った。夜会服のスカートの端を悔しさと怒りのまま皺を刻むように握り締める。

「……私より面白いギャグを言う優れたギャグセンスの持ち主は、苦と惨と悲を絡めて地獄に落とす」
「そこまで、そこまで言うかてめぇ!?」

 エルムゴートの至極真っ当な非難の台詞もアウローラには届かない。
 獲物を狙う凶獣のような禍々しい速度で彼女は片腕を閃かせる。

「和尚が二人で……」
「ちっ!」

 その挙動でエルムゴートは相手が何を行おうとしたのか理解した。彼女は自分をモデルに設計されたプログラム、ならば己の得意とするあの魔術に当たるそれを使えるのも必然……!!

「我が右腕に握手はいらじ!! 我が求むるは赤子の柔肌を炙りし戦慄すべき炎邪の右腕!! 我が右腕の愛撫を受けし者は、等しく火膨れ、爛れるべし!! 我が右腕を憑依に、顕現し、完成せよ……」

 アウローラの右腕に光が灯る。あまりに寒すぎてまばゆい白い輝きと変じる力。
 エルムゴートの右腕に光が灯る。あまりに熱すぎてまばゆい白い輝きと変じる力。

「おしょうがつー……!!」
「シャイニング、フィンガぁぁぁぁぁぁぁぁー!!」

 絶対零度の魔掌と光熱無比の火掌が激突し、一万を越える温度差によって周囲に衝撃波が発生した。
 エルムゴートは当社比三倍の力で、というか超本気で魔力を込める。


 負けるわけにはいかなかった。


 いや、戦いの中で負けるのは戦闘狂としてある意味最も幸せな死に方だろう。それはそれで、彼の望んだ死に様。
 


 だが、死ねないという思いがわき上がる。
 それは久魅那との戦いで疲労した肉体を賦活させるように四肢に魔力と気力を復活させる。




 幾らなんでもこんな寒いオヤジギャグを言いながら絶望的な猛攻を仕掛けてくる相手に負けたら、他の奴らに何と言われるか判ったもんでは無いのである。



 
「負けるわけには……いかねぇんだよぉぉぉぉぉ!!」

 久魅那との再戦も、平との死合いも、総て忘れてエルムゴートは気合の入った叫びを上げる。
 これほど切実に負けたくないと願った戦いは、彼にとって初めてだったのである。


19 :ハリセンボン :2007/02/28(水) 10:28:23 ID:o3teV7tG

なんか、最悪っぽい敵(下)

 エルムゴートは歯をむき出しにして笑う。
 彼にとて。幼少の頃はあった。
  イマイチ想像しがたいが。あの頃は負けられない理由と言うものがったはずだった。今はどうだろう。唯個人の戦闘力で果たして何処までの強さの高みに達する事が出来るのか、彼はそれを知りたくて魔術師の道を選んだ。
 戦って戦って戦い抜いて。
 手段こそが彼の目的であり、目的を達成するその戦いそのものが彼にとっての人生の動機だった。強者と戦う時は血が踊る。逸れは武人としての性を持つものならそう不自然ではないはずだ。だが、いつの間にか強者と死合う快楽が強くなりすぎ、阿片に溺れる中毒者のように唯ひたすらぎりぎり命を拾うような戦いを求めるようになっていた。
 しかし磨きぬかれた実力はそれほどのギリギリの戦いを行えるほどの強者の存在をどんどんとすり減らしていく。
 もうあの剣聖の老人ぐらいしか自分とまともにやれる相手はいなかった。寂寥感は日々を重ねるごとに強くなる。

 人はいずれ死ぬ。

 あの茨城鎧山すらその摂理から逃れる事はできないし、恐らく逃れる気も無いだろう。自分より確実に死ぬ。至極当たり前の事実に思い至った時、暴虐と殺戮を体現するかのようなこの魔術師に有り得ざる事に寂しさを感じた。
 エルムゴートはまだ三十路程度の年齢に入った男だ。武で生きる人間としてはまだまだ脂の乗った時期に当たる。
 くたばる時は前のめりで。エルムゴートにとって長生きをする気はなかった。
 破壊を象徴するかのような己には誰かの刃に掛かって死ぬ事が相応しい。だから彼は老いを人一倍恐れていた。もし自分を殺せるほどの敵が現れた時、自分の肉体が老いに犯され全盛期の力を発揮できぬまま死ぬというのは余りにも無念だ。
 死を恐れた事は唯の一度も無い。恐れるのは実力も発揮できずに死ぬ事だった。




 だから、そろそろ潮時と思った。




「自明の理、至極当然の理。私はあなたを抹殺する為に作られた。その私が貴方に負ける道理は無い。
 魔力も切れ、体力も切れ、貴殿の逆転の可能性は無し」
「切れ切れついでに人生の幕切れってか?」
 自分を抹殺する為に生み出された生命体。生まれたときから殺し屋の少女。
 自分の肉体は気力体力共に十分。先ほどの天使との戦闘で魔力は大幅に削れていたが、そもそも総ての戦いにおいて万全のコンディションで迎えるという方がまた稀だ。
 唇の端を皮肉げに吊り上げエルムゴートは笑う。そんな彼の言い回しにアウローラは心底驚いたように目をむいた。小さく訊ねる。
「……貴殿。洒落の神?」
「てめぇの基準だとそうなんのか」
 


 こいつが、俺の死か。


 葉巻を咥えながらエルムゴートは口蓋から火を漏らす。葉巻に火を付け、末期の一口を味わう。多少感慨深げにアウローラは目を伏せた。エルムゴートを抹殺する為に生み出された戦闘システムが抹殺すべき対象を抹殺し終えればその先にあるのはなんなのか、もっとも死ぬ人間が考えても仕方のない事ではある。
「では、さようなら。……何を言う、早見優」
 その言葉と共にアウローラの頭上に強大な魔力が集束し、氷の結晶が出現する。
 数十発の氷塊。恐らくエルムゴートの魔術、火炎球・乱数射撃を参考に構築された攻撃魔術。氷塊を投射し圧殺するものだろう。自らの命を奪う相手を、自分に最後を与える敵手を見ながらエルムゴートは疲れたように口から紫煙を吐いた。




 エルムゴートの一番古い記憶は、寒くて仕方のない路地裏だった。
 燦燦と照りつける陽光は皆総て観光街に奪い取られその恩恵は決して自分達には届かない。ストリートキッズの一人だった自分は元より鋭敏な頭脳を生かして数人の仲間達と一緒に、ただ生き延びる事に必死になっていた時期があった。
 ただ純粋に生きたいとあの頃は思っていたはずだった。
 自分よりも弱いものが大勢いた。自分よりもはるかに強い相手が大勢いた。
 だがそんな相手に負けるのが癪でいつも噛み付いていた。体格が優れた大人でも、大勢でも彼は決して座して負ける事は無かった。
 
(……あん?)

 待てよ? とエルムゴートは呆然とした頭脳で考える。
 かつてエルムゴートは魔術師だったというわけではない。彼の町を仕切るマフィアのボスを殺した濡れ衣を着せられ、生きては出られぬという絶海の監獄にほうり込まれ、そこで世捨て人同然の師と出会ったのだ。今思えば自分に濡れ衣を着せた相手は良くぞ隠遁した魔術師のいる監獄に放り込んでくれたものだと思う。
 元より桁外れの知性を有していたエルムゴートはそこで魔術を研鑽し、故郷に戻った。
 護るべき幼少の仲間は既に無く、彼は魔術師としての力を行使しマフィアを壊滅させた。
 当然隠匿されるべき魔術を大っぴらに行使し我欲を満たしたエルムゴートはお尋ね者となった。
 
 そこでも彼は、自分よりはるかに上位の魔術師と交戦した。

(……じゃあ、なんで俺ぁ生きてるんだったけか?)

 
 
 そうだ、そうだった。
 世界でも上から数えた方が速いほどの法外の魔力、強大な術式構成。
 エルムゴートは殆どの相手に対して単純な力押しで一方的勝利を収めるほどの強力な魔術師となっていた。


 だからこそ忘れていた。


 自分よりも上位の敵を相手にする時の戦い方を。火力で勝敗が決まるなら火力が上の相手が勝つのは当然の理。
 だが、戦いとはそういう単純なものではないはずだ。
 力で勝負が決まるなら、刃の鋭さで勝負が決まるならとっくに獅子は人類を駆逐している。


「が、がはははははははははははははははははははは!!!」


 エルムゴートは自分でも気が狂ったかと思えるぐらい音高く哄笑を張り上げる。
 怪訝そうなアウローラの表情も気にならない。彼は一動作で火球を構成する。
 爆炎と衝撃波を撒き散らすそれは殺傷能力としては一流の威力を有しているが、今エルムゴート自身の生命を護る盾としては余りにも脆弱極まる。
 だが、先ほどまでの彼とは違う。明確に、何か強大なものが瞳に篭もっている。
 
 笑いながら彼は自らを圧殺しようと迫る氷の塊に対して灼熱の火球を投射する。
「……無駄の一言。見苦しい」
 自暴自棄になったその魔術にアウローラは口唇から侮蔑の言葉を紡ぐ。
 だが、次に起こったそれを見て、アウローラは自らの間違いを知る。

 放たれた灼熱の火球は氷塊の一つを砕こうと凄まじい爆発を見せる。
 だが、氷の塊の表層を溶解させる事は可能でも吹き飛ばす事は出来ない。精々が微かに氷塊の軌道をずらした程度だ。人一人圧殺するには十分すぎる大質量は彼を殺そうと迫る。
 しかし、放った灼熱自体の威力は小さかったが、それがもたらした変化はあまりに劇的だった。
 微かに軌道がずれた氷塊は別の氷塊に接触し、微かに軌道がずれる。

 その微かな軌道のずれ、それによって生まれた雨のように降り注ぐ氷の塊の群の微かな隙間にエルムゴートは巨体を捻りこんだ。
 地面に接触した氷塊は地面を粉砕し、土砂を爆発させるが、その総てがエルムゴートの身体を捉えていない。誰もが致命と判断するであろう攻撃に対して、彼は笑いながら言った。
「……スーツにちっと土が付いちまったな、この世界に洗濯機とかあるか?」
「そ、そ……」
 紛れも無く致命的な一撃だったはず。アウローラは今目の前で行われた冗談のような光景に唇をわななかせる。
 理屈はわかる。エルムゴートは火球の爆発で微かに氷の塊を連鎖的にずらし、その隙間に自らの身体をねじりこみ回避したのだ。だが、それを計算ずくで行える相手が何処にいる。
「そんなバナナ……!!」
「……自然とんな言葉が出るそんな貴方に乾杯」
 苦笑いを浮かべながらエルムゴートはこきこきと首を鳴らす。
「いや、感謝するぜ、アウローラ。こんな窮地、めったに味わえねぇ。おかげでずっと忘れていた感覚を思い出したぜ。自分より上位の相手をぶち殺す手段、本気で忘れていた」
「……なに?」
 エルムゴートはにやり、と笑うと、親指を立てて自分のこめかみを示す。
「人類が肉食獣を駆逐し、霊長類の長と奢らせたもの。ここさ」
 全身に力を込め、魔力を賦活。邪槍は使用不能、魔力もかなり乏しい。だが笑う。なお笑う。窮地を死地を楽しむ狂人にして強靭なる思考。喩え力を複写しようが魔力を複写しようが、複写しきれぬものもある。
「悪知恵だよ、アウローラ」


20 :菊之助 :2007/03/16(金) 00:07:39 ID:nmz3mikH

一つ人より……(上)

 天使の少女が己と同じ姿の少女と交戦し、炎の魔人が絶対零度の娘と死闘を繰り広げているその時に。 
 

 自称『魔術のエキスパート』ことリロイ・ロイロードは泣いていた。鼻水を垂れ流して泣いていた。しゃがみこみ顔を覆う彼の横で、同じ世界からやってきた、だが「友人」と呼び合うにはまだまだ遠い場所に位置する関係の、そんな黒髪の青年が半眼でリロイを見下ろしている。
 クルーガー・バーズは伸びた前髪の隙間から灰色の空を見上げて頬を掻き、ややあって漸く丸まった背に向けて声をかけた。
「……別にかまわないだろう、素っ裸でも。ほかに人はいないんだ」
「突然素っ裸になった人間の気持ちがわかるかテメェ!」
 ひざを丸めた姿勢のままで、リロイが泣き声じみた怒声をあげて顔だけ振り返った時、確かにその目にはくっきりと涙が浮かんでいた。
「……なんで泣く?」
「これまで着てた服が突然ぱっと消し飛んでマッパになったら、普通泣き叫ぶだろう!? 女の子だったらトラウマで三ヶ月以上自分の部屋に引きこもるわぃ!」
「……男だろうが、お前」
「男でも突然襲った悲劇と衝撃に脳みそが対応できんのじゃドアホッ!」
 グヒッグヒッと鼻水を流して泣き叫ぶリロイ(無論まだしゃがみ込んだままの格好で)に、クルーガーはため息を漏らした。
 突然の襲撃に召喚された者達は、散り散りになった。偶然か必然か、気がつけば同じ方向にむかって走っていたリロイとクルーガーだったが、ある地点を過ぎたとたん、まるで何かのスイッチが切れたかのようにリロイの衣服が霧散した。
 理由として考えられるのは二つ。
 一つは服を構造していた真珠から離れ過ぎて、彼女の力が及ばないところまで来てしまったから。もう一つ、これはあまり考えたくないのだが、真珠が力を使えないような状況に陥ってしまったか。
 なんにしても、リロイが素っ裸になったことに変わりは無い。その姿を敢えて表現するとするならば、某有名お色気返信ヒロインが「ハ●ー・フラッシュ!」と叫んだ二秒後の光景といえようか。輝く背景と共に、スローモーションで「いや〜ん」と服が破けていくアレである。
 ただ今回違うところは、リロイは男の子であって、そして無くなった服の代わりが無かったという事だ。
「……ううううう、このシリーズになってからオレ、不幸ばっかりだ」
「シリーズ……?」
 その意味がよく理解できないクルーガーだったが、ひざを抱えて俯いたままの金髪少年にそれ以上聞いても返事はないだろうなと考えて黙る。
 
 男ばかりの戦場でこれまで暮らしてきたクルーガーにとって、今更男の裸どうのと気にする心は持ち合わせていない。確かに自分が突然素っ裸になれば今のリロイのように戸惑いはすることだろうが(現に先ほども彼自身裸に近い格好でいたので、その戸惑いは十二分に理解しているつもりなのだ)、ここまで泣き叫ぶ必要も無いと思う。
 しかし、もしかしたらこういうのが普通の人間なのか?
 度重なる多くの変化に、平然としている方がおかしな話なのである。自分達と同じように異世界から召喚されたらしい他の三人(と、一台)は、短時間とは言えどもクルーガーが見た限り、さしたる混乱は見受けられなかった。そしてそれは自分もリロイも同じことだ。同じことだと思っていたのだが……。
(単に混乱しすぎて、どう表現すればいいのか分からなかっただけなのかもしれないな)
 そう思って、自分と同年齢だと聞く金髪の少年の背中をクルーガーは見下ろした。
 異様に体格の良い祖父に鍛えられているだけあって、リロイの背中はそれなりの筋肉はついていた。だが、幾分痩せてしまったとはいえ筋骨たくましい自分に比べると、リロイはまだまだ細い。彼の魔術は二度ばかり間近で見たことはあったが、それを知らなければ明らかにリロイはこの世界には不適合と思われた。
 同じ家で少しの間生活していて分かったのは、リロイには戦うものの持つ覇気がまるで無いということだった。常に戦場に身を置いてきた者は、どのような場所において、そしてたとえ相手がどのような格好をしていても、それが『戦士』なのか『民間人』なのかは言葉を交わさなくてもそれとなく気がつく。
 クルーガーがリロイから感じたのは『民間人』の気配だけ。
 たとえどれだけ武装し、雄雄しい言葉を吐いたとしても、中身が民間人では戦場では役に立たない。それと同じで、どれだけ優れた術を使えたとしても、こんなことで涙を浮かべて背中を丸めているような人間では、とてもではないが今後のこの世界では生きていけないだろう。およそ戦力にはならない。
 思ったところでため息が出た。一応居候としての恩があるクルーガーとしては、なんとしても彼を元の世界に連れ帰らなければならなくなってしまったというわけだ。
 先ほどの爆撃は明らかに戦力を分散させるための敵の罠だ。ともすれば、自分達に新たな追っ手が嗾けられるのは十分予想できる。敵が一人ならば問題ないが、もし一人に一人という形で敵がやってきたら、どうしたものか。先ほどの人形のような相手ならば何人かかってきても屁でもないが、久魅那と同じ姿をした敵を先ほど目撃しているので、人形タイプがよこされるとは考えにくい。
 考えてクルーガーは右手に握る剣を見た。
 敵から奪い取ったそれは、さしたる耐久性も無ければ業物でもなんでもない。しかし、新たな敵がもし何も武器を持たない相手ならば、新たな獲物を奪い取ることは不可能。ならば信じられるものは、これしかない。この一本で自分と、そして目の前でいまだ涙している金髪の少年を守らねばならないのだ。
「おい」
「……なんだよ?」
 低い声で呼びかけると、意外と素直にリロイは返事して首だけこちらを向けた。その彼に、今まで出しそびれていた白い服を手渡す。降ってきたその白い服を受け止めて、リロイは怪訝そうな顔をした。
「……なんだこれ?」
「服だ。この世界に来たとき、見つけた。俺には小さいが、お前なら着れるだろう」
「……生暖かい」
「仕方が無い。しまうところが無かったから、これまで懐にいれていた」
「お前、秀吉か? だとすれば、オレは信長?!」
「……」
 誰のことだ? というか何のことだ? と多大な疑問がクルーガーの中であふれたが、とりあえずリロイが泣き止んで、鼻水を拭き、いそいそとその服を着始めたのでそれ以上は深く考えないことにした。ともすれば『衝撃! 昼夜堂々と元傭兵が金髪美少年を強姦?!』と見出しがついてしまいそうな誤解されがちの状況から、少しでも良い方向に変化したのだと思うことにする。
 少し状況が落ち着いた(実際は少しも改善していないのだが)ので、クルーガーは改めて辺りを見回した。
 先ほどまで密集していた家屋の数が随分と減っていて、彼らはまるで広場のようなところに立っていた。しかし広場といっても、整備され交流の場所として使用してもらうために作られた広場、ではなくて、そこに建築物を作る暇が無かったような、開発が出来なかったために空き地になってしまった場所という風に見える。何もない分敵の姿を見つけやすいかもしれないが、逆に言えば自分達の身を隠す場所もない。なぜこんな場所に来てしまったのか? クルーガーの脳内に警笛が鳴り響いた。
 およそこの世界は自分達の世界ではすべて理解するには不可能な文化なのだと理解は出来た。だが、そんなわけの分からない場所でも、危険と思えることは正確に察知できる。


 自分達は、何かしらの罠にはまったらしい。

「……おい」
「あん?」
 服の具合を確かめるためか先ほどから屈伸運動を始めたリロイに、クルーガーは周囲を油断無く睨み付けながら呟いた。
「お前は自分の身を守ることを考えろ。場合によっては俺を囮にしてでも逃げることを考えるんだ」
「……はあ?」
「これからどんな敵が出てくるか分からない。俺一人ならばやり過ごす自身はあるが、お前までは守りきる自信が無い」
 しかし最後の言葉に、リロイは露骨に眉をしかめた。
「ちょっと待てよ。なんだそれ?!」
「何がだ?」
 リロイの声の大きさにめんどくさそうにクルーガーは振り返る。その先にあるのは、自分と同じ、だが色違いの服を身にまとったリロイの、どうみても不機嫌極まりない顔つきだった。その顔で叫ぶ。
「お前さ、オレをなんだと思ってんだよ! オレだって自分の身を守るくらいは出来る。つーか、お前知らねーだろーけど、エムルゴートを気絶させたのはオレなんだぜ!? あんな危険人物をやり込めるだけの実力がある人間に「守る」とは失礼じゃねぇかコレ?!」
「エルムゴートではなかったか?」
 冷静に話題に上がった男の名前を訂正して、クルーガーはリロイを見つめ返した。自分と同じ年のはずなのに、見つめ返してきた金色の目はどこまでも深く、暗い。その目に一瞬ひるんだリロイだったが、再び前に出て怒鳴った。
「そこじゃねーだろ話題は! オレは、自分の身は自分で守れる! 相手を倒すことだって出来る! 守ってやるなんて言葉必要ないんだよ!」


「なら、なんでエルムゴートを殺さなかった?」

 冷たい声でクルーガーが聞く。
 言われた瞬間、リロイの動きが止まった。
 目を見開き、固まってしまった少年に、元傭兵の青年は淡々と呟く。
「あいつの目を見た時、発言、そして俺は知らないがそれまでの行動や、お前の言う戦いの内容、傷具合を客観的に見ても、あいつはまっとうな人間じゃない。いつ敵になってもおかしくないような野郎だ。それはお前が一番よく分かっているだろう? それなのに、なぜお前はあいつを殺さなかったんだ?」
「そ、んな、殺すなんて、お前、な、なに言ってんだ……?」
 先ほどの気迫はどこへやら、とたんに言葉を濁してしどろもどろになるリロイに、クルーガーはあからさまに不快な表情を見せた。
 これまでの生活でおよそ表情らしきものを見せなかったクルーガーの、露骨な批難の表情に、少年の口からは言葉が出てこない。言いたいことは山ほどあったはずなのに、だ。

 そもそも、人を殺すなんて、そんなことリロイは考えてもいなかった。
 確かに自分の術は十分人を殺すことが出来るだけの力はあるだろうが、だがそれといってそれを殺人に利用したいわけではない。だからこそ、自分は幼い頃からその制御方法を学び、多くの師について己の強大すぎる力を律する方法を学んだ。
 それなのに、なぜだ。
 自分のように、時として意思に反して暴走しそうになる恐ろしい力を有していないこの男が、どうして簡単に「殺す」なんて言葉を発せられるのだ?


「殺さなければ、殺されている場所なんてお前は理解できないだろうな」
 まるでリロイの心を読み取ったかのように、クルーガーが淡々と呟いた。その言葉に、リロイの顔がカッと赤くなる。

 怒りではない。
 いうなれば、羞恥。
 そしてその後に浮かんでくるのは、言いようの無い怒りだった。
 なぜだか分からない。分からないが、気が付けばリロイはこぶしを振り上げて、自分よりも長身の相手に殴りかかっていた。
 だが、その拳は小さな動作で簡単にクルーガーによけられる。
 大振りだったために、思わずバランスを崩して地面にたおれこんだリロイは、悔しさに立ち上がることが出来なかった。
 
 何も知らないくせに。
 何も知らないくせに、こいつは。
 なんであんな事がいえるんだ?!
 オレは、瀕死の重症をおって倒れているのを助けてやったのに。
 どうしてそんな傷を負ったのかも聞かないでいてやったのに。
 それなのに、それなのに、なんでそんな風にいえるんだ!?
 オレが、オレは、どれだけこの力で、膨大すぎる魔力で苦しんだかも知らないくせに、何も知らない分かっていないヤツ、みたいにオレのことを言って……。
 むかつく。
 腹立つ。
 許せないっ。

 奥歯をかみ締め、リロイは勢いつけて顔を上げた。
 次ははずさない。今度こそ、その落ち着き払った顔を一発殴り飛ばしてやる!
 だが。
 だが、だった。

 リロイが顔を上げた瞬間。





 その頬に、温かな液体がポタリと落ちた。
 何かと思い、触れる。見た。
 赤い。
 血だ。

 そこまで理解して、あわてて顔を上げる。
 










 胸から矢をはやしたクルーガーが、口から血を吐いて、立っていた。


21 :菊之助 :2007/03/24(土) 22:51:29 ID:nmz3mikH

一つ人より……(下)

 リロイは自分の目を疑った。
 そんな言葉はただの比喩でしかないと思っていた。なぜならば、これまでの彼の人生において、世間で言えばおおよそ「奇跡」「怪奇」としか言いようのないことが日常茶飯事におきていたので、目を疑うなどという表現は、いうなれば当の昔に捨て去った表現だったからだ。
 だが、リロイは、本当に、その言葉とおりに、己の目を疑った。
 頬に落ちてきた温かな雨は、目の前にいる同じ世界からやってきた青年の血だった。しかも、口から流れた血。他の人間にひっかかるまでに口から血が流れることは、通常の生活で考えれば少ない。リロイの生活では、自分が転んだり祖父に殴られたりした拍子で鼻血を出すことはあったとしても、他人の血を浴びるということはなかったのだ。
 それが、どうだ。
 この状況は。
 白く埃被った地面に膝をついたまま、リロイは自分の目が大きく見開かれているのを感じた。見上げた先、クルーガーの胸からは、太い矢が一本、服を突き破ってそのまま水平に立っている。
 胸に、矢が刺さって、それで血を、流しているのか。
 一区切り一区切りを確認して、彼は事実をしっかりとかみ締める。
 そして、全てが分かった時にまず最初に飛び出たのは、悲鳴に近い声。
「根暗っ!」
「……っクルーガーだっ!」
「おぎゃあっ!?」
 死んだとばかり思っていた黒髪の青年の金色の目がぎょろりとこちらを向いたので、リロイは今度こそ悲鳴を上げた。矢が刺さってんのに、血ぃ吐いてんのに、叫んだこいつ!?
「もちゃむちゃだ!」
「お前の発言の方が遥かに無茶苦茶だ! なんだもちゃむちゃってーのは!」
 混乱したリロイに「なんでその言葉が無茶苦茶だと言おうとしたと分かるんですか?」という読者の疑問そっちのけな的確極まりない怒声を浴びせて、クルーガーは躊躇せずに己の胸に刺さった矢を引き抜いた。同時に血飛沫があがり、その内数滴がリロイの顔にかかる。だが、抜いた本人はまるで最初から矢なんて刺さっていなかったような落ち着きようで、目と口を見開いたまま固まっているリロイの首根っこをつかみ上げ、子猫を投げるかのように軽々少年を放り投げた。
 先ほどは自らの術で空中に舞い踊ったリロイだったが、他人にされるのとでは勝手が違う。
 投げられた当の本人はというと、次々に起こった許容範囲外の現実に宙を旋回しながら半ば意識を放棄した。だが、そうしたおかげで地面に顔面着地したがために、彼の意識は猛烈な痛みと共に再び覚醒するのだった。先ほどの涙とは異なった痛みによる涙がリロイの目にジワリと滲んだのとほぼ同時に、彼の横にどうやったのかクルーガーも同じく着地する。どうやらリロイを放り投げた瞬間、彼も走ってここまで移動したらしい。その脚力や尋常ではないが、それよりもいくら細身であるといっても、決して痩せているわけではないリロイを軽々と放り投げたクルーガーの膂力は並大抵のものではなかった。
「動くな、そして話すな」
 批難やら驚きの声やらリロイとしては色々と口にしたかったのだが、それは黒髪の青年の静かだが二の句を告げそうにもない迫力ある一言で封じられる。漸く目の中に散っていた星が姿を消したので、リロイは改めて自分の居る場所を見回した。先ほど彼らが立っていた場所からさして離れていないが(そもそもとんでもなく離れていたら、どれだけ「動くな」といわれてもリロイはクルーガーから距離をとっていたことだろう)、先ほどと明らかに違うのはここが障害物の陰だったことだ。高さ一メートル近い白い壁は、材質こそ何で出てきているか分からない代物だが、どうにかリロイとクルーガーの体を正面から隠すには事足りる大きさをしていた。
 ……はて、隠す?
「……隠れてるのか、もしかして、オレ達?」
 恐る恐るリロイが訊ねると、クルーガーは壁の陰から外の様子を伺ったまま答える。
「そうだ」
「……誰から?」
「相手の姿が見えない以上、誰かも分からん」
「……相手の姿が見えないのに、ここに隠れて安全なのかよ?」
「矢の飛んできた方向から考えて、こちら側に隠れるのが一番安全だ。まあ、敵が複数ならば意味はないが」
 淡々と言われて、リロイは顔を引きつらせた。引きつらせる要素は山ほどあった。
 まず第一に、この世界に来た自分達が、まったく面識もない相手に命を狙われているという事実。
 次に、なんの準備もしていない場所で突如として強襲されている事実。
 更に、そんな状況だというのに、この場で唯一味方――とは言い切れなくても、敵ではない――であるクルーガーの、言いようのない落ち着き具合。これまでリロイは、彼の祖父であるマルコが、様々な危機的状態に陥った時でもその冷静さをもって難なく解決してきた様は見てきた。だが、それはマルコが祖父であるからこそ「あ、こんなもんだよな」と納得できたのであって、それが同年代の青年ならば話は別だ。
 元の世界では居候と家主の関係である自分達だが、違う世界にきて立場が完全に逆転してしまった。ここではいくら術が使えても、自分は驚き、戸惑うばかりだ。
 先ほどクルーガーに言われた侮蔑とも取れる数々の言葉も、今ならば悔しいが納得できる。自分はこの場では、ほとんど役にはたたないだろう。
 エルムゴートとの戦いでは、相手を殺害しようという気はなかった。なぜならば既に魔人はエリヤとの戦いで疲弊しており、これならば自分の力でも止められるという自身がリロイにはあったからだ。それにあの時はどうにかして戦いを止めなければならないという使命感じみたものが、リロイにはあった。だからこそ、殺意に満ちた眼差しにも攻撃にも耐え抜いてあそこまで動くことが出来たのだ。

 しかし、今はどうだ。
 姿の見えない敵に、自分はどう行動していいかが分からないでいる。
 ただ、横に居るクルーガーの言うとおり、話さず、動かず、壁の陰に身を潜めていることしか出来ていない。
「……」
 プライドというものがあったのかどうかはリロイ自身これまでさして考えたことは無かったが、今の状況はあまり歓迎できるものではない。羞恥とも焦りともつかない不快な気分に纏わりつかれて、金髪の少年はすっかり意気消沈していた。
 

 だが、敵からしたらそんなことは関係ない。
 ヒュッ、と空気を切り裂く細い音にリロイが気がついた時、彼の裸足の右足から数センチ横の地面に、先ほどクルーガーの胸に突き刺さったのと同じような矢が刺さっている。あと少し、もう少しだけ足を横にずらしていたら、確実に彼の右足の肉は穂先に削ぎとられていたことだろう。
 背筋が凍りついた。

 オレ、狙われてる。

 既に彼の脳裏からは、胸に矢が刺さってもどうしてクルーガーはピンピンしていたのだろうかという疑問は消えうせていた。あるのは危機的状況に立たされているという認識と、恐怖。誰かがオレ達を殺そうとしているんだ。
「おい」
 突如頭上から声をかけられて、恥ずかしいことにリロイの体は大きく跳ねた。だが、その声の主がこの状況下で唯一の仲間とも思える相手のものだと気がつき、出来るだけ平静を装って返事した。
「お、おう。なんだ?」
「お前の魔術は、どれだけの範囲に影響を及ぼすんだ?」
「……は?」
 聞き返すと、クルーガーは壁のひび割れた隙間から、顎で向こう側を示した。先ほどまでは意識していなかったが、よく見てみると自分達が進もうとしていた先、そこにこの壁と同じような白い高台がある。高さでいえば十メートル少々か。石で出来たそれの先頭は、少しばかり出っ張っており、人が隠れるスペースがありそうにみえた。
「狙撃手はおそらくあの高台だ。そこまでお前の術が届いたら、一発なんだが」
 言われた瞬間、背筋ではない、いうなれば血が凍った。 
「……オレに、狙撃してきたヤツを殺せって言ってるのか?」
 ひび割れたよう声に一番驚いたのは、それを言ったリロイ自身だった。足元に刺さった矢。相手は的確にこちらを狙ってきている。お前を殺すことはいつでも出来る。だが、今はわざとはずしてやったのだ、と言わんばかりに。
「……オレの魔術は、確かにあそこくらいまで軽く届く。だけど、そうなったら規模が大きくなる。規模が大きくなったら相手が、死ぬ、かもしれないのに、それでもお前はそれをオレにしろって言っているのか!?」
 相手がエルムゴートのようなヤツならば、まだ生きていられるかもしれないが。
 そうでない、それこそ『弓の腕がいいだけの人間』ならば、確実にリロイの術は相手を絶命させることだろう。近場であれば、複雑な構成の術でも相手を気絶させるだけの威力に抑えることはできるが、相手の姿が見えない状態ではどうにも制御が難しい。
 人を殺すことはリロイの信念に反する。実際信念と呼ぶにはあまりにも弱い心ではあるが、それでも相手を殺したいとは思わない。それなのに、この無神経なクルーガーの発言はなんだ。
 自分の奥歯がぎりっと鳴るのをリロイが感じた時、意外な答えがさらっと頭上から響いた。
「なら、いい。お前はここに隠れていろ」
「……は?」
「俺がヤツの気を引いている間に、お前は元来た道を全力で戻れ。一見したところ、あの女が一番まともそうだ。あいつと共に行動しろ」
「ま、待て、なんのことを言ってんだ、お前?」
「じゃあな。運がよければまた会おう」
 言うなり、クルーガーは壁の陰から身を踊りだしたかと思うと、馬鹿正直なほど一直線に高台に向かって走っていった。
 唐突過ぎたその行動に、リロイは慌てて陰から身を乗りだしその姿を見て、絶句する。
 飛び出したばかりのはずなのに、既にクルーガーの姿が小さくなっていたからだ。
 その彼に向かって高台から幾筋もの弓矢が射られているが、どれもこれもクルーガーにあたることは無い。それというのも、矢が地面に届いた頃には、青年の体はその数歩先を進んでいたからだ。

(……ど)
 リロイは目を丸くしたまま、叫んだ。
「どんだけ足速ぇんだよ!?」
 乾いた大地に彼の大音声がとどろいたが、言われた当の本人は既に高台の下まで到着していた。目標が自分の真下にまで来たならば、狙撃手は自然身を乗り出して相手を頭上から撃たねばならない。そうとなれば自然敵の姿も見えるというもの。敵の姿を見つけたら、クルーガーはどのように戦うのだろうか?
 そして、どのように相手を「シトメル」のだろうか。
 まるで鼠捕りの前で鼠がウロウロしているかのような緊張感。一歩進めば罠にはまる。そんな場面は見たくないのに、目を離すことが出来ない。では自分は鼠が罠にかからないことを願っているのか? それは違う。そうでなければ、端からそんなものを取り付けたりしないからだ。
 矛盾した緊迫。
 この場合、鼠のほうは敵なのか? オレは根暗が敵を殺す瞬間を見たくないと思いながらも、それを期待しているのか? だとすれば、オレはなんて自分勝手な汚い人間なんだ。
 緊張と興奮、そして自己嫌悪を感じつつも、リロイは壁の陰から彼らの様子を観察せずにはいられなかった。クルーガーは高台を見上げたまま動かない。だが、それは相手も同じことで、あれほど雨のように矢を降らせていたというのに、今はすっかり動きを止めている。
 先に動いたほうが負ける、とよく物語で聞くものだが、今がまさにその瞬間なのだろう。
 分としては明らかにクルーガーの方が悪いのだが、なぜか彼が負ける気はしなかった。そこでふと、リロイは黒髪の青年が矢を刺されていた事実を思い出す。

 そうだ、あいつ。平気そうに動いているけれど、怪我は大丈夫なのか?
 自分に向かって怒鳴ったり、放り投げたり、更にとんでもない速度で走ったりするのを見たところでは、傷は既に問題ないのだろう。では、なぜ? リロイ自身も傷の治りは常人よりも早いほうだと自負していたが、それを遥かに上回るクルーガーの回復力。以前からそれは知っていたが、ここにきてそのすさまじさを再確認させられた。あいつ、本当は何者なんだ?
 思ったところで、何かの気配を感じてリロイは反射的に高台と反対方向、つまり自分の後ろを振り返った。
 そこに、一人の男が立っていた。
 少しおかしな学者が好んで着そうな、よれよれの白衣。グレーのスラックス、艶の無い茶色の革靴。胡麻塩の頭髪はまるでおかっぱのように切りそろえられ、分厚い丸めがねの奥にある瞳は斜視なのか、どこを見ているかうかがい知ることは出来ない。小さく細いその男は、老人というには若く、中年というには年をとりすぎていた。
 一言で表すならば、『異様』。
 だが、どこを向いているか分からない目でも、顔がこちらを向いている以上、おそらく相手はこちらを見ているのだろう。足音も無く背後に立たれていたことで、喉元まで悲鳴がせり上がったが、どうにかリロイは吐き出すのまでは我慢した。注意深く相手の行動を見つめる。
 もしかしてこいつは、敵なのだろうか?
 だが、こんな弱そうな敵がいるか?
 何も言わないところを見ると、もしかして言葉が通じない? そもそも人間でもないのかもしれない。
 いや、もっとすると、自分達と同じように別の世界から召喚されて戸惑っているのかもしれない。ならば、若干ではあるがこちらの世界に滞在している時間が長い(と思われる)自分のほうから話しかけるべきだろう。
 その考えに行き着くまで、所要時間は約一分。その間、目の前の男は瞬きもせずに、じっとこちらを見つめていた。ちらりと背後を振り返ると、離れた高台の下で、やはりクルーガーも同じように動かないままでいる。とりあえず攻撃をしても、されてもいないようだ。その事実に内心ひどく安心して、リロイは改めて目の前の男をみた。
 そして、動かない彼に声をかける。

「……あの、言葉、わかり、ますか?」
 一応年長者らしいので、それ相応に敬語なぞを使ってみるが、相手は相変わらず視線を固定したまま動かない。これは、もしや言葉が通じないだけではなくて、心を閉ざしている人物かもしれない。そう考えて、リロイは立ち上がりかけ、思い直してからじりじりと中腰のままで彼に近づいていく。
「大丈夫ですか? 立ち上がったままだと危ないっすよ。ここ、流れ矢があたりそうだし。あの、つーか、オレの言ってる意味、分かります?」
「もちろんだとも、リロイヤート・グロムヴェデル・ロイロード」
 突然、男の焦点がリロイの顔にあわせられた。ぎょろりとした目は、やはりどこを見ているか明確には分からないが、それでも先ほどと違って対象を絞られたことにより言いようの無い迫力を増す。その上名前まで呼ばれて、リロイは中腰の姿勢のまま固まった。
 男は、そんな少年を、異様に白目の多いぎょろぎょろした目でじっくりと眺める。そして、ため息を吐いた。
「とんだ拍子抜けだね」
 老年の声であるにも拘らず、その調子は無邪気な子供のものと同じようで、余計気味が悪い。自然とリロイは、やはり中腰のままでじりじり後退する。だが、男はかまわず話し続けた。
「魔術師殺しの異名をもつ我輩の相手だからどのような相手かと思えば毛も生えそろわないようなひよこだったとはいや実に残念無念腹立たしい。いや本当に本当に腹立たしいよキミ」
 読点を感じさせないだらだらとした抑揚の無い話し方に、どうやら自分は悪口を言われたらしいと理解しつつも、リロイは更に後退する。既に背中が壁につくまでさがったので、ようやくそこで立ち止まった。振り返ると、やはりクルーガーは先ほどと同じ姿勢のままで高台の下にたっていた。
 おい根暗。
 お前は木にでもなりたいのか?!
 んなとこにいつまでも突っ立ってないで、ちゃっちゃと敵を倒してこっちを手伝いに来い。
 だが、どれだけ思ったところで黒髪の青年はそこから動かない。まるで猫だ。軒下に吊り下げられた鰹節が落ちてくるのを、何日間も根気よく待つ猫。一種の執念みたいなものだ、と感じながら、リロイは改めて目の前の相手をにらんだ。
 手助けがないとすれば、やはりこいつの相手はオレ一人でしないといけないのか。
 殺すなんてことは……しない。というか出来ない。
 やはり別の世界の人間だといっても、殺人は嫌いだ。
 だから、一発体がしびれるくらいの術を無詠唱で放って、そいでもって根暗のところまで走ろう。標的が近づけば、術の制御もしやすいし。それに向こうの敵がオレに攻撃をしかけてきたら、その瞬間をあの根暗が見逃すこともないだろう。なんにしても、それで相手は倒されて終了だ。事態は丸く収まり、オレ達は他のやつらの所まで戻って、それから必ず元の世界に戻るんだ。
 そこまで一度に考えると、不思議と気持ちが軽くなった。
 よく見れば、目の前の男は初老も初老。目や雰囲気は気持ち悪いが、さして強そうでも無い。ならば、先手必勝。
 おかしな行動をとる前に、こちらから攻撃を仕掛けてやる!


 決意したリロイは、そこで一度に構成を編み出す。簡単な雷撃。あたれば死にはしないが、感電して当分はしびれて動けなくなるようなヤツだ。そして同時に、彼のもっとも得意とする術でもあった。物心つく前から既にそこにあったような、稲妻の力だ。ともすれば爆発しかねないほどの強力なそれを、リロイは必死に制御して生きてきて、今では得意分野とも言える。
 それでケリをつけよう。
 殺すわけじゃない、しびれさして動けなくする。なんてことはない、一瞬だ。

 思った頃には、術が発動していた。目の芯が熱くなるような光のすぐ後に、バチッといういかにもな音が響く。それで終わりだ。
 が。
 おかしなことが起こった。
 リロイさえも何が起こったのかわからない。
 倒れたのは、男の方ではなかった。
 砂埃の積もる固い地面に倒れているのは、自分のほうなのだ。
「……っ」
 全身がしびれて動かない。頭から倒れたのか、額の辺りがズキズキと痛んだ。しかしそれよりも、一つの事実のほうが彼には遥かに衝撃的なのだ。
「気がついたようだねそうそうそれでいい君は実に鈍いのろい己の力に逆上せているねおかしいおかしい」
 男ののっぺりとした声が近づいてくる。視界の隅に、男の革靴が見えた。
「我輩名前をドクトル・ジュニングスという分かるかね? 分からんだろうね? 我輩が魔術師殺しの異名をとるのはなぜか理由を答えてみないかね?」
「……かっ」
 口の中までしびれて、何か悪態をつこうにもリロイはうめくしか出来なかった。その様子に、ドクトルなる者はほとほと小ばかにした口調で続ける。
「まったくこんなに骨の無いやつだとはね君はダメだカスだ魔術師と名乗るのもおこがましい。知りたいか己の負けたそのわけを我輩の力を? うん? 返事が出来ないね? ならば教えよう我輩の力、我輩の力は魔術師の魔術たる力の構成を瞬時に解読しそれを反射させる構成を作り上げること。つまり君は我輩の力ではなく自らの術を跳ね返されてはいつくばっているという話だね」
「……っな……」
「話せないだろう? そうだろうそうだろう。君のようなおろかな人間は始めてみたよ、いやいや違うか、もう一人いるね? 今まさに我輩の同類による者の技で精神を抜き取られている君の友人がね。彼はもっと愚かで馬鹿で戦いに向かない。相手もわからないのに突っ込むとはいや、実に愚か愚か」
「……!」
 リロイは しびれた体のままでも己の体が強張るのを感じた。
 今、なんて言ったんだ?
 根暗が、精神を抜き取られているって?
 どういうことだ、あいつはあそこで突っ立ったまま、何かを待っているのではなかったのか?
 しびれた体では壁の向こうを見ることも出来ない。リロイはただ奥歯をかみ締めて、うめいた。


「……クルーガー……」



 唐突に懐かしい声で呼ばれて、黒髪の青年は振り返った。
 白い砂埃の舞う中で、なぜかそこに『彼女』が立っていた。
 そのサラリとした小麦色の髪を、緑色の瞳を、白い肌を見ただけで、彼の思考は停止する。
 ここはどこだったか? 
 俺は何か大事なことをしないといけなかったのではないか?
 多くの疑問が一瞬押し寄せたが、すぐさま波が引くように消えてなくなった。
 戸惑い、立ち止まった彼に『彼女』はニコッと微笑んだ。
 その笑顔を知っている。いや、クルーガーだけしか知らないといっても過言ではない。
 警戒心が強く、知らない者とは口もきかず、目も合わさないような女だった。弱く、臆病で、気位ばかり強く、だがそのうちには百戦錬磨の自分でも敵わないような強いものを秘めていた。
 だから、だろうか。
 だから、惹かれたのか。
 微笑む『彼女』に彼は、自分でも情けないと思うような震える声で呟いた。
「……ディース」

 彼に、いや『夫』に名前を呼ばれて、『彼女』はまた新たに微笑んだ。
 クルーガーはもう何もいえなかった。
 死んだはずの彼の『妻』は、変わらぬ笑顔を浮かべたままで、一歩一歩、彼に近づいてくる……。


22 :異龍闇◆AsVGmnGH :2007/04/01(日) 09:01:14 ID:QmuDsJYm

無形の男・上の巻


「Veni, vidi, vici」
「来た、見た、勝った」

――――――――――――――――――――――――――――

 灰色の骸が黒色のレンガに伏していた。
 血溜まりはゆるゆると黒色の舞台を赤い絨毯を広げて染め上げていく。
 荒い呼吸は不規則で拙く、短い。
 仮面の奥では蝋燭の揺らぎのように明滅をする瞳が、僅かな生を手繰らんと欲する。

 死者と同じ、おぼろげな(いろ)をした灰色の躯、超躍者、平 直門と言う者、いや、だった者。
 うつ伏せた灰色のボディアーマーには大穴が五つ、



 心臓、    ――循環器(サイクル)は既に弱弱しいまでに劣り、

 左右の腎臓、 ――淫蕩(エロティック)に切開された背中、

 尾てい骨、  ――割れて捻じれた破片が四方に飛び散り、

 頚椎。    ――裏の咽頭まで裂けた赤い華が呼吸を伴って蠢いていた。


 全て即死か致命傷の部位。
 彼の傍に立つのは(くろがね)色の二メートルほどの棒。凶器である(こん)を携えた偉丈夫が立っていた。



 時は僅かに逆しまに戻る。


 約十五分前、それぞれの敵と交戦と言う訳の分からない自体に陥った彼はただ走っていた。
 中央広場から離れる。目指すはエルブルズの外周方面である。
 多少戦力を偏らせても一対多の状況を作って戦った方が良いように思えたが、よくよく考えてみてみたら、会ってまだ二、三時間も経ってない境遇の人物達と上手く戦闘で呼吸(タイミング)を合わせられるか甚だ疑問だった。
 勿論、共闘はせずとも彼らの戦っているところ、爆雷鉄火の砲撃の最中に敵を叩き込むか巻き込むと言う手段も考えられた。特に周りの被害とか余り考え無そうな暑苦しい魔術師やネタキャラっぽくても実力とか機微のありそうな魔術師も居るし、気とスカートの短い女の子の砲撃も狙いは甘そうだから行けそうだと思ったが、同時に敵に同じ事やられたら一瞬で逝けそうだと思い、脳会議で一蹴した。
 ましてや『彼自身』の相手も飛び道具を使う可能性もある。ある程度の銃撃ならば軌道と相手の心理を読み取る事で回避出来るが、何時ぞやの彼の世界での時のように、ハーグ空戦規則もジュネーブ条約も真っ青でゲルニカな絨毯爆撃でもされた日には奥の手でも使わない限りは彼は逃げられる事はない。偶々過去に奇跡的に五つ子姉妹の暗殺者からが行った多方向同時銃撃を避けて全員お仕置きする事が出来たが、今回もそれが出来るとは限らない。てか、その時の五つ子みたいに五人同時に惚れられたらもっと困る(精神的に)と、彼は勝手に一人で首肯する。むろん、そんな美味しくて嬉しくない事はそうそう無いわけだが。

 彼の悶々とする夢想はともかく、一対一で戦う構図はそれほ戦術的には悪くは無いのである。
 付け加えるなら、敵の一人、ネロなる女史は
「そうよ。彼らのデータを基に創られたわたくし達は、彼らに“対抗”するためだけに存在する」
 と言い放っていた。

 超躍者に追い縋る敵は、つまり、個人へと対抗するための決闘であろう。
 自分の敵は自分の敵。
 個人の(しがらみ)(いたずら)かつ無粋に入り込むのはあまりよろしくはないだろう。

「んー、めんどくさいねー」

 そんな人事のような言い草を、思いっきり姿勢を低くした、人によっては不恰好なあひるに見えるのような走り方で一人心地する超躍者。
 だが、やたら早い。漫画か何かなら足が幾つもあるように見えるくらい脚の入れ替えが早い。足を曲げて姿勢を低くしているおかげで足が短いのに頭と胴体が浮遊艇(ホーバークラフト)かリニアモーターのように浮いて、足だけですたこら走っているようである。
 そんな不恰好な歩き方でも、速度自体は世界記録を狙えるようなマラソン選手でも息の切れるような、それこそ百メートルの世界記録と遜色ないスピードを維持しながら二キロ近くを爆走している。

 ちなみに『彼の身体』は彼女(久魅那)のように内部から強化されたわけでも、(クルーガー)のように人外であるわけでもない。

 二百年前に突如として現れた実戦拳法が伝える効率的かつ実用的な、動物へと先祖還りする身体操法、それを習得するためにした愚直なまでの鍛錬とそれに応える驚異的なまでの才能のおかげである。

 むろん、彼からすればこの程度の動きは誰でも習得出来る事であり、程度の差であるとしか見ていない。

 長年手先を酷使した職人が米に精密な字を書くように、彼自身は二百の骨と五百の筋肉を自由自在に運動に合わせてミリ単位、ナノ単位、それ以下でも制御し――、
 奇術師が華麗な手捌きで客席に手品の種が気付かれないように、その体内の筋骨での無駄な動きの一切を水の流るるようにまったく澱み無くそれぞれを動かし――、
 トップクラスのF1レーサーがこれから通り抜ける、相手の機体と交錯するコーナーに描かれるタイヤの軌跡を読み取れるように、これから通る敵と自らの拳足の線を読み取る――。

 ただの筋肉の制御と小脳と接続された神経系統の訓練の賜物である。たとえ、それ自身が驚異となるレベルであってもだ。人間であるなら、鍛錬に費やす時間と僅かな技の向上のために、間違え探しのように違いに瞬時に気付くような才能と執念深ささえあればいつかは誰でも出来るような事なのである。体格を超えた異常な筋力や獣ような反射神経は必要のない。むしろ、人間として当然備わっているはずのその間違え探しで気付く才能、感性がいわゆる達人とそれ以外を分ける差となるのだろうが……。
 兎にも角にも、人間として構成する要素さえあれば、彼の出す全ての技の説明は付く。

 では、彼の身体を大空へと駆け巡らせる、その異形の力は何なのだろうか?



「ん? どうやらしつこいみたいだな」

 そうボヤキながら、変則片手馬形拳(見た目はただのストレート)を進路上に現れた機械兵に放つ。無論、走りは止まらない。突き出された敵の刺突剣(レイピア)を自らの内側の前腕と二の腕で滑らし、カウンターで拳を叩き込む。真っ向からぶつかった機械兵は顔面を潰されて、むしろ頭丸ごとを取られて沈黙。
 ボクサーのような狭い檻でなく、広いフィールドでも立ち向かえる、歩きながら行える武。一対多を常に想定した結果、向かい合って殴り合う事無く、相手の攻撃を自らの移動で散らしながらその相手からの攻撃の隙間を見出して迎撃すると言うスタイルである。
 こうして目的地に向かって動いている間、彼には一定の間隔で先ほどの兵達が襲い掛かっている。
 つい先ほどの兵達が軍曹(サージェント)だとするなら、今出ているのは更に運動性能が上がったようなので少尉(ルーテナント)とでも呼称すべきか? 今のレベルなら一体の機械兵で十年間、武か激しい運動に身を置いた者で、そのトップクラスが更に調子が良くてがようやく逃げ切れるか、と言ったところ。
 だが、そんな一体ごとの性能の向上以上に気になるのが、その攻撃が計画的である事だ。



 先ほどの棺桶での襲撃はあくまで個々の兵が予め組み込まれた思考に従う様相だったものだった。今回は一変している。

 狙撃兵である者達は音速の死雨を降らす事で尖塔の上から地上の兵を支援し、/ それを彼は基礎を破壊して尖塔ごと薙ぎ倒し、
 隊列を組んだ兵団が針鼠(ハリネズミ)の如き槍衾(やりぶすま)で彼に突撃し、/ それを彼は狭い路地に誘き寄せて一人ずつ(みなごろ)し、
 馬代わりの自動二輪に乗った馬上槍(ランス)の波状突撃が計画的に追い詰める。/ それを細かい機動と迎撃でやり過ごして殲滅していく。

 逃走的攻撃ならぬ、攻撃的逃走とでも言うべきか。とにかく逃げながら戦うと言う、状況と言うか戦闘スタイル自体は、長年彼が徒手空拳で大勢の敵に追っ掛けられながらも何故か全滅させていると言う、不思議で冗談みたいな戦法であり、云わば得意技とかハメ技みたいな状況だった。

 そして、この戦法を続けて最後に出て来るのが、もとい、最後まで追い詰める事が出来るのが敵の指揮官である。
 この兵団、確実に『何者かプログラムだとしても意思ある者』の指揮下にある事が想定された。



 八百メートル以内であれば、感覚的に敵意とその方向、そして攻撃の瞬間に気付く彼は、既にその指揮官とでも言うべき敵を己の圏内に止めていた。
 中世の街並みが徐々に彼の向かう方向に連れて中央の高い建物から低く、密度も疎らとなってくる。それに連れて、敵の攻撃の頻度も落ち、完全に二十秒以上の沈黙が続く頃には代わりのその指揮官の圧倒的気配が近付いてきた。常人とは明らかに違う雰囲気。目視ギリギリの範囲から多重攻撃を仕掛けてくる狙撃姉妹やら、『遺志』を遂行する寄居虫(やどかり)型戦闘ロボ、ライオンの群れすらを捕食する河馬の皇帝軍団に、狂気の天使組織と、あらゆる変な者達と戦った彼としても、この気配は尋常ではない。先ほどの新兵クラスの戦闘の時のようにぼぉとしていれば、掠るような打撃であっても顎に一撃でも甘んじれば、次こそは五体が確実に四散する魔の類である。
 彼の身体は、強健だとしても人の規格としては常識の範囲内である。多くの世界でそうあるように、傷を受ければ痛み、運動能力は低下し、死に至る。そのため、彼の戦闘はもとより『攻撃を受ける状況』などは考えられないのである。殴り合いの果ては後遺症と死。ならば相手の攻撃を空かす、もしくは確実に受け流し、被弾を零と同等にし、常に先制の一撃を中てる事で彼は生き残ってきたのだ。故に彼の闘争は一方的に見える。殺るか殺られるか。自身が先に生贄の羊を締め上げ、血と闘争の神に奉げるか奉げられるか。彼が攻撃に転じる時は相手を確実に先に撲殺し、自らが確実に無事に生き残る時だけである。そのために、針よりもその神経の爪先から頭の天辺まで集中させる。今の彼ならば二メートル以内であれば攻撃すると言う意志の『こ』の字の時点で相手の攻撃より先に迎撃可能あろう。それは飛び道具でも同じ事。
 むろん遮断物が多ければ飛び道具の無い彼には嬉しい事に越したことは無いが、彼自身としては目視出来る方が、肝心要の敵の対策もたてやすい。
 と言うか、どっちにしろ素手である自身は相手を接敵する所まで近付かなくてならないのだから同様である。
 むろん、建物の密集するオルゴールだか何だかの、時計台の周囲まで行くと言う手段もあった。
 彼の技量とある程度の条件を持ってすれば、素手で一都市の人間全員を気付かれずに鏖す事も可能である。云わば、背後から暗殺である。
 だが、敵が自身を既に見つけていると状況で、しかも、敵の親玉が作り出した敵が地の利に長じているのは必定であろう。
 ならば、敵が見え、遮断物は少なく、自身が既に時計台の上空から地理を確認した、条件的にも公平な外縁近くで戦う方が戦術的に有効である。

 敵も中々の武人のようである。静かな敵意だけを見せながら、戦意は見せない。攻撃するタイミングさえ出せば、彼はその隙間に、攻撃直後の意識の切れ目に反応して何かの行動を起こしていただろう。

 今までの兵団は様子見。道場破りで弟子を当てて、相手の技量を見抜くようなものである。むろん、過去にそんな経験があったからこそ、彼はそうなのだろうと想像する事が可能だったのだが。だからだろうか? 彼は兵団の攻撃が最高潮に達した時でも、トップスピードを見せなかった。トップスピードの時の彼は自身でも何をしているのか、その動作の際には分からないほどの速さである。終わった後で出した技に気付く。
 それこそ兵団を無視して、目の前から消えるような動きさえ彼は出来るのだから、兆しさえ分かれば真っ先に大将首を狙う暗殺へと転じる事は出来ただろう。

 しかし、ここまでで敵の気配はまるで変わらない。
 こちらが反応すれば、敵も気配を消し、武人でなく暗殺者としても襲いかかれるような、同じレベルの戦人と見た。

「手口がバレている、か」

 此処に至って、何ならイシス何とかに寝返っても良かったかな、とちょっと後悔である。
 彼自身としては地元に帰れればまったく無問題なのである。
 彼個人の柵などの面倒極まりない戦いは『 あ れ 』で終わりなのである。

 いやむしろ、何なら此処なら彼らの人目も付かない事であるし、別に彼らに付き合う道理にも無いわけだから、と理論を組み立てる。
 別に降伏しても良いんじゃないか? と言う逆転の発想。
 決断と同時にそのまま後方へとくるりと振り返り、空中で何時の間にやら胡坐を組んで、尻でズサーと音を立てて滑りながら――





「サーセン、降参しまーす」

 と仮面を取れば一発で分かる良い笑顔と声色で白旗宣言した。



 胡坐をかいた彼が、今まで後方に敵と始めて対面する直前、

 嫌な予感と共に掴んだそれは鋼鉄色の棍の先端だった。


 掴んだ瞬間、合気道の高段者のように正座で相手の攻撃を移動して避けるが如く、胡坐のまま微妙にお尻歩きして、攻撃の芯を外した後である事は付け加えておく。尻で高速移動とか何処の関東圏の変態幼稚園児だ。
 ちなみに第三者の視点から見れば、突き出された棍を掴んで胡坐のまま横に押し流されたように見えるに違いない。


「って! 今降参したでしょ! 降参!」
「武人に自らの敗北を語るなど笑止千万ですな」

 避けて掴まなければ、確実に弐の打ちで撲殺する勢いの武器の使い手。そこに居たのはクルーガーよりも大きく、エルムゴートよりも派手な、赤龍の装飾を施した板金鎧(プレートメイル)を着た男だった。肩を守る鎧はなく、袖口から赤銅色の肌と鋼線のように鍛えられた筋肉が見える。その様子から今までのただの兵隊でなく、一騎当千の将である事が確定した。
 面頬の目元から鼻筋の中間までの部分だけを開けて晒した面は、冷ややかな蒼玉の瞳に、縮れた黒い短髪の偉丈夫だった。
 冷ややか視線と色黒で端整な容貌は、単眼だった機械兵に比べてより一層人間的であり、触れれば切り裂かれるような瞳が一層非現実的だった。

「いや、僕武人じゃないし、ぶっちゃけ趣味でしか武なんてしてないですし」
「趣味も高じれば何とやら、と。五体に凶器を持つ死狂い(亡者)に天地自然の理を求めるのは困難では?」
「別にあんたに自身の人生観だか武道観を唱えられようと応えませんよ。てか、自称武人が背後から奇襲するな」
「行住坐臥は全て武。この程度の後方攻撃に大敵が反応出来ぬようでは、主の創りし吾の存在意義など皆無に等しいでしょうな」

 こうして会話をしている間にも棍を通じて力が拮抗している。
 しかもそれは剛力ではなく、弱い力。相手の反応を引き出すための誘いの力である。
 ある程度の技量までに行けば、余計な力の強さはむしろ足枷になり、重要なのは拍子(タイミング)とその自らの力が向かう方向が重要視される。
 高速で突っ込んでくるトレーラーであっても、その巨体を僅かに斜めかせる段差であれば、重さやスピードも関係無く勝手に転倒させる事が出来るのである。むろん、そのトレーラーの重さに耐えられるだけ耐久性とその転倒させるに相応しいポジションを取らなければいけないわけなのは当然なのだが。
 つまり、そうした数段階高いレベルの闘いの作法である。遠目から見れば、棍を握っている胡坐の灰色男と甲冑の棍使いが語らっているようであるが。
 だが、余人には細か過ぎて見えない小さな闘いが棍を通じて行われていた。
 今にも割れそうな、深海への入り口に蓋をした薄氷を上にして、どちらが先に動揺するかと誘うように大胆かつ繊細に、両者躊躇なく踏みこんで彼らは拮抗していた。
 むろん、それが甲冑の男の両手とその両手の圧力を片手で制する超躍者と言う僅かな差はあったが……

「――心意六合拳、平 直門、人呼んで超躍者と申します」
「――六大反英雄プログラムシステム『アンリ・マンユ』が一翼、マスター・テレジアの『躯懐刀(ブレイドカース)』、クェイド=ジェロニモ卿と申す」

 どんな素材で出来ている分からない鉄色の棍が僅かに(たわ)む。今まで交錯してなかった力と力が僅かにぶつかったせいであろう。その衝突が物理的にインデンシャル応答と言う正弦の縦波として棍の剛体を伝わり、彼らの腕を震わせる。

「いや、もう、僕は地元に帰して戴ければオールオッケーなんで、五体倒地の降伏して関わらない事を条件を付きで見逃してくれませんか?」
「それは無理ですな。貴殿がマスター・テレジアが御領とその動きに干渉した結果、貴殿に意思の有無に関わらず侵入したと同時に、貴殿と吾の太刀結ぶための因果はプログラムとして結び付けられたのですぞ」
「んー、それは厄介。てか太刀って……、君の得物どう見ても棍だし、僕素手だし」

 再び、棍が撓む。今度は偶然でなく、必然。相手の力量を謀るべく出された力の波。

「それに貴殿はナコト嬢の『服装の下の武器を確認する』と言うほどの生粋の武人。その慧眼と先ほどの吾の兵団を圧殺する凶器を持つ人間を背後に迎え入れるような愚は冒さずと申しましょう」
「さぁ? ただ単にパンツ見たかっただけかもしれませんよ? 僕正常な十代の青年だし。それに僕、戦うの好きじゃないですから」
「だから戦わない状況を作る。むしろ戦わなくても勝てる状況に腐心するのでしょうな、貴殿は」
「どうでしょううね? あんた考えすぎじゃないですか? バグあるんじゃない?」

 誤魔化しつつも仮面の中の片眉は微かに上がった。自らの意図を隠す事を身上とする彼としては、その意図を読んだ彼、クェイドに僅かな興味を覚えた。言うなれば、こうした小さな事が縁なのだろう。
 少し興味を覚えた過程で彼が残念だと感じたとするなら、相手が極端で、超躍者は良い所取りだった事だ。

「さぁ。そろそろ立ち上がったらどうですかな? まさか座っている状態で、これでもまだ五分だと、吾を侮っては御座らんでしょうな」
「どうでしょうね? 例え戦う『状況』があるとしても僕は貴方達と戦う『理由』は無い」
「なるほど。逃げても良い理由が戦う理由よりも強ければ、まだ戦う必要はないと」
「そゆこと。大体からして、真珠ちゃんも言っていたけど、次元を切ったり張ったり、コピペみたいにして何か問題あるのでしょうか? 実験だとしても唯の事故でしょ? 科学や技術の発展に『犠牲の可能性』は付き物でしょうし。次失敗しなければいいのでは? 他世界と接続したら何か苦労するかもしれないけど面白そうだし、僕は賛成ですよ?」
「その通り、マスター・テレジアはそう理想を持っていた」
「持っていた?」
「今は手段と目的が転倒しておられる。だが、所詮吾らはプログラム。その意思に込められた制御に従って動くのみ」
「……もしかして、今は違うのでしょうか?」
「そう考えても反論は無し。マスター・テレジアは次元の全てを繋げる事だけを目的にしておられる」
「繋げる事だけ?」
 蒼い瞳が僅かに瞬く。
「そう。人も魔も神も邪も関係なく、全てを混沌とさせた世界。言うなれば、世界創生、原初の力となる事。小さな概念は大きな概念に喰らい尽くされる。例えば、貴殿の世界の人間全てが貴殿のようでない代わり、貴殿とは違った平穏な日々を享受するが、それが逆転したとしたら?」

 強い力は抑制しなければならない。そうしなければ、それは暴威となる。
 目の前に災いが近付いていると分かって、胡坐をかいたままでいいのだろうか。

「仮に喰らい潰されなかったとしても、違う世界同士は上手く行くとは限らないでしょうな」
「…………」
「それは貴殿の嫌いな『避けられる災い』とは違いませんかな?」
「…………へぇ、…………なるほど」

 真珠が僕を呼んだのはそう言う因果かと、ようやく、彼は納得した。
 彼女の言う情報の海から取り出したのか、それとも別の方法なのか分からないが、彼は予見したる災害や人災を目の前にして見過ごせるほど、楽天家ではなかったのだ。

「ならば、これより、あなた方は『僕の敵』だと認識していいんだな?」

「そうして戴ければ、吾も意思を果たせる」


 ゆっくり、霧が昇るように立ち上がる。
 クェイドも立ち上がる瞬間に彼を滅殺する事も可能だったはずだった。だが、そんな事を許されるほど、彼に隙が見当たらなかった。
 面頬の中の唇が喜悦で歪む。

 棍は掴まれたまま、打突反転を辞さぬ、やや超躍者に有利な状況。
 だが、それでも、二歩ほど踏み込まなくてならない距離が存在する。
 武器使いの持つ間合い。

「なるほど、これは性能を上げた兵団では足止めにもならない。吾のような技を持つ獣でなければダメだな」
「動物ではダメだ。本能で動く生物では倒せない。優れた理性で攻撃する怪物でなければ、僕は倒せないよ」

 果たして、武器使いであるクェイドは悪魔の如き必殺性を体現する超躍者を打ち殺すのか?
 それとも超躍者は未だ真の技すら見せない反英雄を突き殺せるのか?



 その勝負は、後わずか、教会似た建物の崩れ掛けた尖塔からの高らかで悲壮な音と共に全てを決した。


23 :異龍闇◆AsVGmnGH :2007/04/06(金) 14:10:54 ID:QmuDsJYm

無形の男・下の巻


 鐘の音が鳴るまでの十数秒は、時間が凍結したかのように感じられた。
 暗い藍色を帯びた情報の海だけが頭上で胎動する。その渦と乱れが彼らの内側の力、その拮抗のようにすら見える。
 どちらも相手を見ているのか見ていないのか分からない半眼。下手な反応をすれば撲殺される事は必死のため、全身の情報を見極めるために視覚情報を意図的に狭め、純粋な脳内処理を向上させているのである。

 二メートルの棍に見合う偉丈夫、クェイドがそんな中、(つまび)らか想い馳せるのは、創造主、テレジアより創生の段階で交わされた言葉である。


――「情報転写技術を応用しても、あの灰色の男の全ての力を把握する事は出来なかったわ」
――「次元結合に処理を大半に回しているとは言え、魔術師や強化生命体に比べ、ただの人間にしては情報の汲み取りに時間が掛かりすぎている。いえ、ただの『外側が人間だとしても』まだ何かあるわ」
――「だからあなたは【武器使い】にした。何も持たぬ素手の者を倒すのは既に兵器を持つ者」
――「あの小娘の呼び出した者、如何なる者であろうとあなたのその力で八つ裂きになさい」



 八つ裂き?
 とんでもない。
 聡明にして絶対なる主にして有るまじき愚昧愚問の所業。
 吾は繊細にして圧倒なる主の魔術手腕によって創られしアンリ・マンユの一兵員。
 灰色の亡者、彼の存在意義に対極するために生まれた鏡の住人。
 だが、鏡より出でた反存在が元存在を凌駕し得ぬ道理無し。
 同一存在(ドッペルゲンガー)が対峙した時に生じる感情は同属嫌悪のみ。
 頸を穿ち、臓器を貫き、骨盤を圧し折る。
 主の命と非ずとも、大敵の塵欠片残さず滅殺する心構え。


 そう彼は腹積もりを整えて、朝露を落としたが如き冷ややかな蒼い瞳で超躍者を臨む。
 鏡の如く磨き上げられた瞳に写るは混濁した灰色。
 玄色の煉瓦の上でその薄墨色は、水墨画の一筋の線が気紛れとして描いて見せてしまった亡霊のようにすら見える存在の希薄さである。
 もしその仮面を脱げば、雰囲気だけで日常に埋没してしまうほど、表情を見せない。感情を見せない。気魄を見せない。内面を見せない。存在を見せない。
 目前での境界すらを狂わす手練手管。ただの身体操作技法が魔法にすら感じ取れるかもしれない。
 もしかしたら、仮面の下、そして普段から隠している雰囲気すらを剥ぎとって晒せば、凄まじいほどの美形では無いかと錯覚してしまう。
 仮面は外側だけでなく、その下に幾重もあるのだろう。
 何と言うことだ。もし、それが事実なら、超躍者どころか超役者だ。
 歴戦を繰り広げた傷痕だろうか? 超躍者を覆い隠す灰色のボディアーマーには多数の傷が付いていた。
 クェイドの観察と主からの情報で不足がなければ、これまで領地に侵入してからの戦闘で彼は一度しかその攻撃をまともに受けていない。しかし、それ以前からそんな傷をボディアーマーに受けるほどの激戦を繰り広げたと言う証拠がある。
 天から注がれる雹塊のような狙撃、五月雨のような様々な武器での打砕と斬撃と刺突。
 あの嵐乱の中、正気を保っている事がただ人間でおかしい。
 常人なら気が狂うような弾幕の中を散歩するように飄々と避け、往なし、捌く。
 柳よりも強靭に、風よりもなお緩やかに、それでも霹靂(へきれき)のような拳足がまさしく対敵を打開していく。
 呼吸するかのように、自然に殺せる死神の精神。

 亡霊と見せかけて実体。
 弱者と見せかけて戦神。
 素手に見せかけて兇器。



 刹那、超躍者の、掴んでない側の片手が僅かに動いた。
 僅かに心臓の軌道を遮るような位置。
 反応はしない。ただの誘い。真の攻撃にしか彼は反応しない。
 中てない攻撃には乗らない。だが、もし中てる可能性のある攻撃ならば、必殺だろうと牽制だろうと『意』が乗る。

 意に囚われれば、しめたもの。反逆の烽火(のろし)よりもとく早く、その意を逸らして砕くのみ。
 云わば、ある一定の領域にまで行った者の殴り合いであれば、それは意を掴む勝負。


 と、そこでクェイドは重要な事実に気がついた。
 棍の間合いが保持していた二歩の内の一歩。
 それが既に侵食されていた。

 より人間的なインターフェースを重視された結果、クェイドの知覚器官の殆どは人間と差はない。認識能力自体は超躍者に対抗すべく尋常でない処理速度と精度を誇るが、赤外線でミリ単位で距離を読めたり、微量な空気中の粒子の揺らぎを読み取るなどの超器官は存在しない。
 だからだろうか? 超躍者が手を僅かに動かした時、体幹を押し出す脚部以外をまったくのブレを見せずに動いたためか。クェイドの三次元の空間認識中に突如上下左右の変化のない二次元的に寄られたため、まったくとして動きに気付く事も出来なかった。いや気付いたとしても、手足が届けばその攻撃に反応する事も出来なかった。
 手の動きはブラフ。
 攻撃を意識し過ぎたためか? 手が動いたと思った彼が囚われた僅かな合間に間合いを詰められていた。それも、棍を掴んでいるはずのクェイドの諸手には毛先ほども感知されずに!

 棍が持っていた距離の優位性。その二歩の内の一歩を詰められた。
 百パーセントの優位性を既に半分をも侵食。
 侮れない。
 創生の際に、彼にそう云った技もあると知識だけが先行して入っていた。だが、超躍者はそれを何時、どう使うかと云う事を知っていた。
 いや、知っていたと言うのは正しくない。経験し、体感していた。
 幾ら攻撃パターンを脳内に詰め込もうと、そのパターンへの『持ち込み方』などは決まっている。そうなると後は個人が如何に修練し、その変化を知っているか、もしくはそれに相手の変化に戸惑わずに素直に攻撃できるかの差になる。
 これが所謂、武道で言う、相手に攻撃を先に中てる三つの極意の一つ、【()(せん)】である。敵に攻撃を出させてパターンに逆に嵌めるのである。カウンターアタック、いやむしろ後出しジャンケンと同じ理屈である。出すものが確認出来て居るのであれば、それに対する解法で以って対応すればよい。
 何気なく出した拳が当たり、ラッキーパンチなどと言われる時があるがそれは違うのである。相手の変化に出来るだけの動きの柔らかい身体を作り上げた結果であり、自然にそれが出来た必然の形なのである。ただ、その必然を如何にいつでも発揮できるかが達人とただの技巧派の差なのである。チョキが出る事が分かっていれば、後は慌てずグーを出すだけなのだ。それが自然に出来れば、その後出しの間隔が短ければ素人には攻撃を同時に出したようにしか見えないのだ。それが先に出してしまった者に取ってどんなに刹那の時であろうと、後出し相手に取って瞬時に変えられるだけの余裕があれば、後から出ても必ず結果を覆して、時間を逆行するかのように勝てるのである。

 だからだろうか?
 仮面の奥で超躍者は苦笑いを噛み締める。楽な敵で無い事を彼自身も分かっていた。
 棍を掴んだ時から既に三十以上の大小のフェイントを意識、無意識を問わずに掛けていた。
 先に論じた【後の先】の通り、冷静に守った方が、言い換えれば、攻撃を待った方が楽なのである。
 攻撃をするリスク配分は超躍者のように、一撃で人を死に至らせる使い手同士では【後の先】の選択は非常に有効な手段なのだ。云わば回転している刃に敵を誘い込むのと同義である。
 その必ず切り裂かれる事実に気付かない余程の愚鈍か、その刃に必ず当たる恐怖を感じないほどイカれているか、その刃自体の存在に気付かないほど無頓着でもなければ、誰も回転して待ち構えている刃の最中に指を突っ込みたいとは思わないだろう。
 しかし、刃が回転して待っているのであれば、その回転している中心を先に破壊すればたやすい。
 そのため、クェイドの中心を奪うために、間合いを盗む事が超躍者には肝要。
 視線、僅かに自らが棍を握り締める気配、指先の動き、仮面の下の僅かな唇の動きですら使ったフェイク。
 その結果、やっとクェイドの意識を上体側に集めることが出来、彼を騙くらかして詰められた間合いが一歩である。
 だがあと一歩。
 五十センチメートルにも満たない距離が、足元に出来た千尋の谷と錯覚する。詰められない。
 奈落のように口を開けた深淵の境界線。
 その奈落を渡るには綱渡り、いや糸渡りとも例えうるような、小さな糸口から突破しなければならない。
 下手に足を踏み入れれば、楽に踏み止まれるとは思えない。暗黒の彼方へと飲み込まれ、咀嚼されるのがオチだろう。
 クェイドの技量が微かにでも超躍者よりも下であれば、それならば石橋よりも確かであり、十派一絡げの雑魚と同じように無造作に間合いを詰める事が出来た。雑魚敵にもこうした極意は使うが、ここまで張り詰めて、一対一で一挙動にすら機と気を掛けるのは彼と匹敵する力量の持ち主、彼の世界であっても二人、条件を付けても五人にも満たないくらいだけである。

 間合いを詰めた後は、敵の攻撃よりも僅かに早く拳、肘、肩、頭、膝、足を出すだけである。敵の攻撃ライン上を先に攻撃すれば、相手の攻撃は自然に逸れる、もとい、そのラインを通る事は出来ない。道路工事で一車線の時、先に出発したしたバスを同じバスが反対側から通り越せないと同じ理屈である。無理に通ろうとしても既に動いている物体。物理的な加速度の差で逸らされるのだ。これが【(たい)の先】、技そのものが持つ早さで敵を圧倒するものであり、【差受(さしうけ)】とも言われる技なのである。

 しかし、クェイドは武器と言うアドバンテージを差し引いても、超躍者との技量は近しい。
 一撃を下手に繰り出せば、棍術でもよくある梃子での掬い投げや蛇のように絡みつく関節技、彼自身も得意とする零距離での打ち込みを棍で逆に喰らう可能性がある。
 むしろ、武器自体がブラフで、クェイド自身が拳足を使うのであれば間合いが変わり、事情も変わる。
 こうなると後は、どちらが先に攻撃のモーションに入って先に中てるかと言う勝負になる。
 一歩を詰めた瞬間に攻撃を出す。攻撃自体のスピード勝負の理屈では対抗しにくい。
 その為には、相手の意識の空白を狙うしかない。
 それはちょうどシューティングゲームで、画面に現れる敵の直線上に位置して、先に画面外から連射して倒すようなものである。敵の攻撃が来る場所とタイミングが分かれば、先に攻撃しても良い訳である。
 だが、それはゲームだけの話であり、命を掛けた闘争では、相手の思考を読むような戦闘に特化した洞察力や気の変化としか言えないような僅かな体の変化を読み取る共感覚、莫大な情報量を仔細に見抜く力、【(かん)の眼】が必要となる。そうした能力を持った結果、敵の攻撃発生の前、もっと言うなれば直前に意識の空白に当てる攻撃方法、【先の先】が可能となるのである。
 それこそが、クェイドが考えていた意を掴む勝負と直結している。
 どちらが先に水面下の意を掴むか。
 それは華開く寸前の花弁に気付くような、緩やかで小さな変化。
 いつ気付くか。それもどう相手に『気付かせない』ように気付くか。
 先ほど超躍者がクェイドに気付かせようと仕掛けた罠もある。
 極小の変化だけが彼らの勝負での小さな鍵。
 それも、その小さな鍵は大きな門、冥府へと相手を誘う門の錠を開く鍵である。
 つまるところ、一撃必殺を体現する達人同士の戦いは、敵が動こうとした瞬間をどちらが先に捉え、攻撃を叩き込むかの勝負、【先の先】の読み合いとなるのだ。

 風も吹かない大地に二人の小さな、聞こえもしない呼吸音が沈む。
 互いに意識的に相手に呼吸を合わせている。相手の呼吸の乱れを自らの呼吸との差異で計り、乱れを感じた瞬間に打ち込む。
 だが、その意識的な動きも、聞こえない呼吸音では無意識と大差はない。呼吸の際の僅かな筋と肉が見せる呼吸筋との連動収縮。当たり前のように持つ人の心肺機能と運動器官との共同運動である。
 その無意識の意、それすらもレーダーで映る僅かなステルス搭載機の陰影を見極めるように、自然に【観の眼】で相手を捕捉する。

 そして、クェイドはその機会を『知っている』。
 自らの僅かな勝利は鐘の音がしかと知らせてくれると。


 鐘の音が鳴る。
 今までの無音の世界を崩すような八つの鐘唱。
 鐘の鳴る音には、その初めには意味は無い。
 重要なのは鳴り終わる時。

 体の外側たる外界からのノイズに応えないように必死に意の空白を無くそうと、内界である体の内側の制御に傾けている超躍者。
 ならば、そのノイズが酷くなり、それが緩めば、それに応えぬようにしていた内界の意識も一緒に緩むはずである。

 そう――、つまり、鐘の音が『響き終わる頃』が、目前の亡者を打ち殺す唯一の勝機。

 一つ、
 二つ、
 三つ、
 四つ、

 鳴り続く鐘の音。それが何時途切れるかなど、彼は知らない。だが、この世界で生まれた彼に『彼に知らない事は何も無い』。
 亡者に相応しき葬送の鐘。


 五つ、
 六つ、
 七つ、
 八つ――――



 勝敗は一瞬で決した。

 先に動いた棍。ガクッと膝カックンでもされたかのように姿勢が崩れ、背中をむざむざと見せる超躍者。
 先ほどまで軽かった棍が突然真下への勁を発した結果、突然棍が鉛と化したかのように感覚神経が誤認し、それに対応しようとした身体が本来の棍の重さとの差でバランス狂わして自ら体勢を崩す。
 触れた瞬間に相手の身体を動けない体勢にする、合気の原理の一つ。
 棍の掴みが抜ける。
 打突のための僅かな引き戻し。体勢の崩れた者に棍先が迅雷となって砕く





 はずだった。

 棍を掴んでいたのとは反対の手が、自然に頭部に奔る棍の軌道を顔を撫でるように逸らし、
 撫でる方向に崩れたかのように見せた背中と沈んだ姿勢は微塵とも揺るがず、
 そのまま『背中から半歩進んだ』超躍者が、
 棍を逸らしていた腕の脇の下から鷹の爪が如く広がって伸びた指先で、
 同じく致命傷を与えようと『半歩進んでいた』クェイドの鎧の継ぎ目、下腹部を抉っていた。
 それは大蛇が、いや巨大な龍が、あえて小さくとぐろを巻いて地上に静かに座すような形。

 【龍盤(りゅうばん)

 手首まで貫いた指先がクェイドの腹の中身を引き出して、絶壁を跳ぶ巨大な肉食の猫科のように切れ目無く伸び上がり、
 立ち上がりながら、頭部を掴むようにガードしていた超躍者の腕の先端である肘が、抉られた痛みで顔を下げていたクェイドの顎をカチ上げ、
 それでも抵抗しようと突きを放つ拳をカチ上げてもなおガードを担当していた肘が逸らし、
 その拳の空いた軌道上に握った拳の横の部分、小指の付け根から手首の部分が容赦なく真上から鼻骨を砕きながら顔面を叩き潰した。

 【単虎抱頭(たんこほうとう)

 更に御馴染み、足の付け根での蹴り【卷地風(けんちふう)】が脛と共に膝を折り飛ばし、

 ダメ押しとばかりに【双把(そうば)】が胸部に炸裂。
 両掌が鎧などお構いなく胸骨と肋骨を下の臓器まるごと完全に押し潰し、それでもその終わらない威力がクェイドをボロクズのように地面へと擦り付けさせながら血粉を撒いて三度、四度転がして十メートルばかり引き離した。

 沈黙。
 相手の呼吸を凝らして見て、死亡確認。
 死闘は終わった。



 鐘の鳴った瞬間。
 灰色の亡霊は【先の先】を取る速攻ではなく、【後の先】を取る待ちへと転じた。
 クェイドは極端に成り過ぎた。
 確かに【先の先】を取るのは武での至上にして最良。しかし、絶対ではない。
 掴んだ所から相手を転がし、突いてくる戦法を取るだろうと予測した超躍者はあえて攻撃を待った。
 予測通りの攻撃が身体を自然に動かし、後出しで打ち勝った。
 いや、正確には甲冑の男の攻撃のタイミングと方法を読んでいたのだから【先の後の先】と言っても差し支えはない。
 そして、澱む事の無い攻撃が同時に【対の先】が続けて微塵の反撃を許さず、彼を圧倒した。

 極端に【先の先】に固執したクェイドに対して、
 展開によって流々と手段を良い所取りの変幻自在に変えた超躍者。

 無論、一歩間違えれば死であり、それでもその賭けを可能とするだけの戦闘経験が彼を自然に動かしたのだ。



 踵を返す。
 死体に用はない。



 混濁した海のような空と遠くなった街並みを仮面越しに見上げる。
 他の彼らも戦闘が終わったのだろうか、とそう、ぼんやり思っていた。
 身体に、響き渡る衝撃を感じるその時まで。



 突然、骨盤が音を立てて、砕け、

 続いて、腰の左右の腎臓が瞬時に破裂し、

 首の後ろがコードでも切るかのように穿ち断たれ、

 防護服を貫いて心臓を剥き出しにした棍の先を見て、僅かに残った力で後ろを振り返った。





 一瞬前まで血塗れの満身創痍だった半死人。
 だが、砕いたはずの、破裂させたはずの、潰したはずの、致命傷の(きず)が何処にも無かった。
 潰れた鎧も、ヘシ曲がった五体が彼が攻撃する前に戻っていた。
 それはまるで時の呪い(カース)のように、彼は時間を逆行したかのように甦っていた。

「吾の名は名乗ったはずだ。躯懐刀(ブレイドカース)。吾は躯に刀を懐きし者。幾たび砕かれようと吾を完全消滅させない限り、吾は戦い続ける。五体を武器となし、幾度と無く壊れようと【武器】と名付けられた吾の【概念】が情報の再構成(鍛え直し)を行い、蘇生し戦闘を続行する。故に、吾は自身の存在を(なぞら)えて名乗る、――【武器使い】と」

 概念とは目視以前に存在する、物質化や顕現を果たすための、見えない種。

 刃物は『切れる』と言う概念があるから切れ、人は『生物』と言う概念があるから生き、文字は『意味』があるから読める。
 刃物は砕けて切れなくはなるが『切れる』と言う概念は永久に壊れない。人が死のうと『生物』であった事が変わりないように、文字を消しても『意味』は消えないのと同じように、既に存在した要素を消滅させる事が出来るとしたら、それは神に他ならない。

 そう考えるなら、イシス・テレジアは神にも等しい力量の魔術師である。情報の結合とは言え、本来、【武器】と言う概念に人の外枠を植え付けたからだ。そして、それを彼女の支配する世界エウクセイノスに記した。

 己が身体を武器のように扱い、クェイドはエウクセイノスに於ける基礎である情報魔術の大元、自身の概念が満ちている限り、もといエウクセイノスが存在している限りは無限数の戦闘をこなす事が可能なのである。

 他の六大反英雄が莫大な戦闘力や魔術を運用し、彼だけは六大反英雄最弱の攻撃力である代わりに、同時にエルブルズで『いつまでも』戦い続ける【武器】となった。まさしく一撃必殺、いや、相手が死ぬまで攻撃して仕留める事を(むね)とする超躍者の、その道理がまるで通用しない天敵をイシス・テレジアは作り上げたのだ。

 概念存在。【武器】と言う概念で構築された存在。
 外形だけは人でありながら本質は武器と言う矛盾。
 外側よりも中身を完全に優先される規格外の生物。



 灰色の骸が黒色のレンガに伏していた。
 血溜まりはゆるゆると黒色の舞台を赤い絨毯を広げて染め上げていく。
 荒い呼吸は不規則で拙く、短い。
 仮面の奥では蝋燭の揺らぎのように明滅をする瞳が、僅かな生を手繰らんと欲する。

 死者と同じ、おぼろげな(いろ)をした灰色の躯、超躍者、平 直門と言う者、いや、だった者。
 うつ伏せた灰色のボディアーマーには大穴が五つ、



 心臓、    ――循環器は既に弱弱しいまでに劣り、

 左右の腎臓、 ――淫蕩に切開された背中、

 尾てい骨、  ――割れて捻じれた破片が四方に飛び散り、

 頚椎。    ――裏の咽頭まで裂けた赤い華が呼吸を伴って蠢いていた。


 全て即死か致命傷の部位。
 彼の傍に立つのは(くろがね)色の二メートルほどの棒。凶器である(こん)を携えた偉丈夫が立っていた。

 偉丈夫はオルドリンへと爪先を向ける。
 死者に用はない。
 障害を排除したならば、後は主の守護に戻るのみ。
 侵入者と戦っている別の六大反英雄が敗れた時、自らが盾に、武器になると心得る。
 主に出来る事だけを行使する。
 他の六大反英雄が死滅しようと、彼だけは主のために戦い続ける。
 そう作られたのだから、彼はそう生きるだけ。
 今後、フェイズが進めばウルム・アト・タウィルからの妨害工作もありえる。
 だが奴らであっても、彼ならば対抗できる。
 何故なら、この世界での彼と言うは概念は固定されている。
 A級の高位情報魔術師であっても彼を用意に情報単位に解体する事は出来ない。既にある概念に人としての形を与えたのと同義。
 武器が人を傷付ける事が出来ても、武器を人の手のみで破壊する事が出来ない事と同じ。地面に叩きつけたり、他の武器同士を克ち合わせない限りは壊れない。人の手で曲げて折る事などは不可能に等しい。
 つまるところ、彼を打倒するならば、彼以上の上位の概念で覆い殺すより他はない。
 だが、エウクセイノスでそんな存在は居ない。
 如何に天使や魔術師が居ようと、それは物質界、よくて精神界まで及ぼす破壊への特化。最深部である概念界を破壊出来るものではないだろう。
 あの暴力の体現の魔術師が、戦闘でなく学問としての魔術を極めれば、あるいは【焼却】と言う真の魔人とも言える概念存在に昇華し、他の概念すらを燃やしてしまうかもしれないが、現時点の力量でそれは不可能だろう。
 姉であればあの焔硝(えんしょう)のような戦闘狂人でも「死闘(ダンス)がすんだ」とか言って見事に凍りつくしてくれるだろう、精神的に。
 とにかく偉丈夫自身を滅ぼすには偉丈夫を超える概念を有してなければ勝てない。
 この世界に既に人型の【武器】として存在を許された彼。【武器】故に滅びる事はなく、修復モジュールのバックアップさえあれば、どんなにミサイルで破壊されようが焼き尽くされようが幾度と無く再構築して戦える。
 偉丈夫の名は、クェイド=ジェロニモ。躯懐刀。永久人型兵器。無限戦術擬体。













 その彼に『 人 生 で 三 度 目 に 殺 さ れ た 』男を除いては。






                       異常な雰囲気だった。



 大気が震撼している。
 世界が共鳴している。
 全てが連動している。




 それは、クェイド=ジェロニモが、概念存在として生まれた時と同じ、外形を本質たる中身が突き破った時の産声に酷似。

 棍を構えて振り返る。




 そこには完全に裸身を曝した男が立っていた。
 足元には破れた殻のように置かれた灰色の残骸。
 血を垂れ流しながらも、喉、心臓の貫かれた創が徐々に塞がりつつある。

 黒い癖のない短髪に軽く笑みを帯びた唇は甘い果実を含んだよう。
 舐める事すら躊躇い無く出来そうな白い身体はギリシャ像の如く理想的に磨き上げられ、それでいて一筋一筋が刃物のように鍛え上げられている。
 首から肩に掛けての赤い火傷の痕だけが刺繍のように映える。
 ふと、その人物が頭を巡らせて、交錯した瞳。
 視線は万人を魅了した、夜半の天穹の如き、吸い込まれるように深遠な黒い瞳。
 絡め取られる。
 空を見上げて、時折心奪われるように、そこには遥かに続く世界を体現した者がいた。


 唇が謳う。


   「聖なる哉、聖なる哉、聖なる哉、(いにしえ)いまし、今いまし、後きたりたもう、主たる全知全能」


 彼の背中から眩い黄金の後光が六翼の羽となって現れ、二翼が腰と足の境目を、もう二翼が天幕のように彼の顔を覆い、残った二翼が大きく広げて大地と空の境界を覆うように掲げられる。



 熾天使(セラフィム)
 燃え盛る蛇と言う名を持つ最高位の六翼天使。
 【天上の存在】、創造主と直接思念として交信する者。
 彼、超躍者の住む世界の御伽噺で、決して人目では触れる事すら出来ない純粋存在。
 つまり、光の思考とも呼ばれる【概念存在】。



 個々の意思を外形から行使するのが力天使(ヴァーチュズ)と呼ばれる、奇跡とも言える宇宙の物理法則に干渉出来る存在なら、
 最早、存在そのモノが世界とイコールで結ばれるのが熾天使である。

 普段、重力加速度をコントロールし、無視したり、増加させるような【重さ】の概念を自身のみの内側から限定的に使うのが普段の超躍者なら、
 熾天使の彼は【重さ】そのものの存在、概念そのものとなる。

 上翼と下翼の間から出た手が空間を撫でた。



 棍が(ひしゃ)げた。
 いや、拉げたというより、内側から『自重で』壊れたような不自然な曲がり方。
 全てダイヤモンドより硬い立方晶窒化炭素で作られた棍が、彼の概念【武器】と言う上書きをしても修復不可能な、【重さ】の概念で正しく圧倒され、永遠に破壊された。

 つまり、彼の【武器】と言う概念より上位の概念【重さ】を超躍者は隠し持っていたのだ。

「……認めぬっ」

 唯一、この世界で永劫存在として作られたクェイド。
 胴体から大きな剣、腕から槍、太腿から斧が飛び出る。体から数々の武器が生え出る。彼の体内の概念から物質界に生み出された武器達。
 己が自身の体から針鼠のように生まれた千の武器達が、弾けるように天使に襲い掛かる。
 直前、緩やかに、顔の見えない天使の掌が掲げられ、

「Noli me tangere(私にふれるな).」

 と唱えた。
 飛び出した凶器群が天使の二メートル手前で突如地面に向かって落ちた。
 まるで重さが突然何万倍にもなって地面に落とされたかのように。
 同質の概念存在である超躍者ならば物質攻撃など意味を成さない。彼と同じ、概念の攻撃でしか通用しない。
 ならば、この行動を意味する所は何か?
 例えるなら教示。無駄な事は止めろ、と言う上位からの諭し。

 豪雨の如き武器の掃射が止む。

 甲冑を来た武器の顔に映ったのは概念で圧倒された恐怖なく、ただ無表情。
 生物が持つ原始の感情が外界に対する恐怖なら、無生物を起源とする彼の取り戻した感情は無。
 ただ、相手を殺傷すると言う根源の概念が生まれる。

 両手左右を双剣と一体とさせての特攻。

 振り被られた剣を、先ほどとは逆の手が優しく掴み、

「Sit tibi terra levis(土が汝にとり軽くありますように). 」

 そう唱えられた瞬間にクェイドは、自ら剣と一体となり彼に掴まれた右手を反対の剣で切り飛ばした。
 切り飛ばされた肘から先が内側から潰れるように消えた。
 【重さ】を極限まで与えられたモノが自重で圧壊するさま。
 【重さ】を既に含む【武器】は一方的に攻撃を受けようと、【重さ】に【武器】は反逆する事は出来ない。
 もとい、【重さ】などと言う概念を攻撃するとしたら、【概念】の大元、神でしか攻撃しえない。
 概念存在だけが感じた本能のようなもの、上位の概念が圧殺しに掛かるのを感じたのだ。

 瞬時にクェイドは四十メートル後退。
 天使は動かない。

 右肘から先の、今までバラバラにされても有った感覚が消えている。
 修復モジュール、完全消滅にも対抗しえる復元モジュールも無効。
 右腕は完全に押し潰された。



「吾を殺すのか?」
「――いや、もう時間切れです」



 そう、すっ呆けた彼の声と共に、翼が羽一枚一枚が大地に散り、光の粒となって消える。
 そこには臆す事も無く全裸、両足の間にあるモノを惜しげもなくブラブラとさせている超躍者。
 先ほどまでの神掛かった印象は何処に消えたのか?
 黒髪で短髪である事に変わりはなく、全裸で微妙に自信のなさそうな仁王立ちと言う事実を除けば、普通の青年。
 神秘の瞳は神々しさを欠片も残さず、十代と二十代の間の普通のあどけなさへと戻っている。ただ、いつなりとも攻撃に対応出来る様は仮面を被っている時とそう変わりはない。

「流石に死にそうだったんで熾天使になってから、また戻ってみました。まぁ、戻ったというか、一方的に勧誘を拒否って生還したんですけど。僕まだ天使なんて死人になりたくないですし」

 世界に固定された概念によって死ぬ前の、創を負う前の状態に戻る荒業の蘇生法。

「何と言う……、出鱈目(でたらめ)

 人には届くことは無い、どの世界の魔術師でも羨む、世界の最上位存在に完全に変化するよりも、現世での生を望む少年。

「まぁ、戻っちゃったんで、鎧も着てないし、同じ概念存在でもちゃんと発露しているクェイドさんの方が有利ですから僕の方が些か不利ですね」

 それに戻ってからまた『元に戻れる範囲で天使に成る』としたら八ヶ月は無理だからなぁ、ぼやく。
 勝機とすればその八ヶ月の間は、クェイドにとっては十分過ぎる。
 だが――、

「でも別にあんたを倒さなくてもいいですからね」
「……なにっ?」

 訳が分からない。この圧倒的な立場になったかと思えば、突然防護無しの無防備な様。それでも勝気と言うには似合わない、それでも淡々とした表現で敵に宣言する。

「殺さないで、精神的に『屈服させる』と言う意味です」

「――面白い。手の内は互いに曝したならば、技量は貴殿が上、だが、吾を殺し切る手段の無い以上、後は」



 どちらが先に音を上げるかの根競べの勝負。



「右腕は二度に(わた)る背後からの奇襲の代償としよう。この場は相応しくない、次はオルドリンにて、今度こそ正面から貴様を打倒する」

 踵を返し、先ほどと同じように凄まじい速さで時計台へと戻っていくクェイド。

………………………………………………
……………………
…………


 その姿が完全に見えなくなると、鼻をひくつかせながら超躍者は顔を歪め、

「ぶぇっくしょぃ!」

 ずーっと我慢していた大きなクシャミをした。

「寒」と身震いを覚える。何処から来る冷気と背中の凍るような後味の悪いシュールなギャグみたいなのが錯覚でも聞こえた気がした。

 耐える事など無意味なので、ボディアーマーには大穴が開いていたが、それでも、情報検閲どころか神様にも怒られるような全裸でチンモロしているよりはマシだろうとイソイソと着込む。
 それにしてもこの世界で「ハニー・フ●ッシュ!」がみたく全裸で立ち尽くす羽目に陥った者が他に居るとしたら、余程の色物担当か、運が悪いかのどちらかだろう(たぶん居ないだろうけども)。それがお尻の小さな女の子ならまだしも、超躍者みたく相撲取りも真っ青に鍛えられた雄のプリプリのケツなら嘔吐と殺意を受けるところ。
 何故か、超躍者の脳内に髭もじゃでマッチョな爺がボディビルディングで有名なダブルバイセプツの格好で、とびっきりの笑顔のまま上腕二頭筋と背中と尻を斜め四十五度から褌で曝しているシュール過ぎる光景が浮かび、その想像をゴミ箱に放り込んで消去させた。

「悪夢だ」



 何だかんだで場は凌ぎ切り、クェイドとの再戦は整った。後はオル、何とかまで行くのみ。
 と言うか、ダルタルニャンと言う猫娘みたいな銃士見習いと同じ状況に陥りつつ有ることに気付く超躍者。
 仮面も無いので顎に直接手を当てて渋い顔。
 このまま更にもう一人敵と再戦要求が積み重なったら……、
「戦いなど嫌でござる」
 てな具合で脊髄反射、シークタイムゼロでバックれることに決定。

「んじゃ、時計台に行くその前に、寄り道でもしてみますか」

 おそらく戦闘は一番早く終わっただろうと言う自信。
 加勢になるかどうか分からないが、間に合えば、多少は他の召喚者の手助けになるだろうと考える。

「クルーガーくんはリロイくんが居るし、暑苦しい奴は戦闘邪魔したら怒りそうなタイプだから……と言うことは、久魅那ちゃん辺りか」

 そうだ。確か、彼女も僕も同じように持つ鍵みたいなものを持っていたはずだ。
 彼女なら、もといあのハイテクチックで名前以外は結構好きなメタトロンさんなら何か分かるかもしれない、とブーツの紐を締めて足元の具合を確かめる。
 そう一人心地となってから、遠雷のような音の聞こえる戦場に猛スピードで走りだした。



 [超躍者 平 直門 VS 躯懐刀 クェイド=ジェロニモ戦 : 十六分二十四秒、引き分け。次回、引継ぎ]


24 :寝狐 :2007/04/30(月) 02:51:32 ID:ocsFW4n7

魔王降臨 −天使、血に染まるとき− (上)


 エルムゴート、リロイ、クルーガー、超躍者がそれぞれの反英雄との戦闘を始めた同時刻。
 久魅那とメタトロンは最初に全員とバラバラになった場所から正反対の位置にいた。
 時速80kmという最初のときよりも遅い速度で走りながら、久魅那は時折後ろを振り返っていた。
『マスター。後方から追跡している敵数は2。先ほどのネロとサンダルフォンだと思われます』
「ふーん。さっきの三匹目はエルムゴートに行ったのね」
 メタトロンの声に応える久魅那の声はどこかうわのそらに感じられた。
『……マスター、考え事ですか?』
「……ん、まぁ、そんなところ」
 それ以降、互いに黙る。
 しばらくそれが続いていたが、やがて久魅那から口を開いた。
「なんで、私達はここにいるんだろうね……。だってそうでしょ? いきなりこんな世界に召喚されたと思ったら、わけのわかんない魔術師なんてのが暴れていたり。裸エプロンの変質者が現れるわ。変な根暗っぽいのがでるわ。いかにも怪しい仮面野郎がフレンドリーに喋るわ。トドメは私とそっくりな奴まで出てきて、もう何が何だが分かんないわよ!」
 もしかしたら、このエウクセイノスに召喚された者達のなかで一番混乱していたのは久魅那だったのかも知れない。ただ目の前で起きることをがむしゃらになんとかしていたせいで誰もそのことに気付かなかったのだろう。
 否。混乱というよりも不安と云うべきだ。これまでの久魅那の人生は特撮オタクのドジ天使との出会いによって大きく変わったのだったが、故郷のヤマトでの事件を終わらせたのち、彼女の力に恐れたヤマト政府によって天璽久魅那はヤマトからの永久追放される。故郷を失い、ただ唯一の相棒と共に世界を渡り歩いていた彼女にこの異様な状況変化に戸惑いをするなというほうが難しい。
「あたしは誰に頼まれたのでもなく、勝手にこんな世界に召喚されて、詳しい説明も無しにいきなり戦うハメになって、命を狙われるなんて不条理よ」
『戦う理由が、あればいいのですか?』
「……メタトロン?」
『マスター。ワタシは機械ですから人間の深層心理に関しては理解することはできません。ですが、目の前で誰かが困っている。これが今この世界で起きている事態です。真珠というワタシですら理解できない超常の存在者が確かにワタシたちに助けを求めているのです。元の世界に帰るためには真珠と接触する必要があります。そのためにはイシス=テレジアという魔術師のところまで行かなくてはなりません』
「……でも、あたしは別に元の世界に帰れなくてもいい。元々故郷を追い出された身。何処にいってもあたしの帰る場所なんてないのよ」
『たとえそうであったも、ワタシたちはこの事態を放っておくわけにはいきません』
「メタトロン、あんたなんでそうまでしてこの世界に関わろうと思うの?」
『“Believe one's Justice”。それがワタシの信条です』
 “己の正義を信じよ”。あぁ、なんて綺麗な言葉であろう。
「……さようで」
 久魅那は憂鬱な面持ちで言葉を返す。
『マスターは戦う理由が無いから、これ以上関わりたくないというのですか?』
「そうよ。理由のない争いに意味があって?」
『ならばマスター。その理由を探してみてください。いずれ答えが見つかるはずです』
「戦いの中で、戦う理由を見つけろっての? 無茶苦茶ね」
 その後、さらに数分互いに黙りあいが続くと、広い直線道路に入ったところで久魅那の意思を無視して急にメタトロンは減速をかけ、ゆっくりと停止した。
「……メタトロン?」
『マスター。ここでお別れです。エルムゴートとの距離は大分離れました。このあたりで十分かと』
「ん。そうね」
 一度どれくらい離れたかを確認してから、久魅那はメタトロンから降りた。
『ここから先はマスターお一人で進みください。ここはワタシが』
「わかったわ」
『マスター。何が起こっても決して振り返らず前へ進んでください。マスターはまだ戦う理由を見つけられていないのですから』
「うん。わかった……」
 頷くと久魅那は走った。振り返らず前へ。その後姿をメタトロンは静かに見送る。
 やがて彼女の姿が遠くなった時、メタトロンの探査レーダーに反応がでた。
 突然のアラートと共に、メタトロンは己の後部装甲にレーザー照射を受けているのを感知。
『後方から急速接近する熱導体が4つ?』
 即座にメタトロンは超信地旋回を行い向きを変える。その先に見えたのは、尾から白い煙による軌跡を描きながら飛んでくる4つの飛行物体。
『ヘルファイアU?!』
 AGM-114KヘルファイアU。セミアクティブレーザー誘導の対戦車もしくは対装甲車両用の長距離ミサイルであり、有線ワイヤを誘導に用いないために飛翔速度が速く、敵の対応・反撃時間を短くすることができる代物だ。
 おそらく久魅那がメタトロンから降りた直後に発射したのだろう。レーザー照射を感知するのが遅れたのはその照射距離が遠かったがためにメタトロンが設定していたレーザー感知濃度に達していなかったせいだ。
 確認した時点で既に相対距離は150しかなく、インパルスキャノンとCIWSバルカン砲の照準を合わせる時間が足りない。
『マスター。どうかご無事で……』
 その祈りの言葉は、直撃したミサイルの爆音にかき消された。


「―――っ?!」
 走る久魅那の後方で激しい爆発音が聞こえた。振り向こうとしたが、脳裏に先ほど言われたメタトロンの言葉がよぎる。

 “マスター。何が起こっても決して振り返らず前へ進んでください。マスターはまだ戦う理由を見つけられていないのですから”

(メタトロン。絶対に無事でいなさいよ!)
 相棒を思う気持ちが久魅那を走らせた。




 ……………
 ………
 ……
 …
 それからどれだけ走っただろうか。
 メタトロンと分かれた位置からもう随分と離れ。遠くの彼方で爆音と上空へ撃ち放たれるビーム砲の火線が未だ続いていた。
 爆音が聞こえるということは、メタトロンは健在しているということ。
 相棒はあのサンダルフォンと呼ばれた反英雄と戦っているのだろう。どういう相手かはわからないが、己の相棒が負けるはずは無いと思っていた。
 だから久魅那は正面十数メートル先に立つ己の相手から視線を逸らすことはなかった。
「待たせて悪かったわね」
 黒い制服に長い金髪。色はどうであれ。その姿は久魅那と瓜二つ。
 ナコト=ネロ。天璽久魅那のデータを元に創造された六大反英雄(アンチ・バリアント)プログラムシステム『アンリ・マンユ』が一人。
「ええ。ホントに長かったわ。一番最初に顔合わせしたのに、他の皆が戦い始めてからこうして対峙するなんてね」
 ネロの言葉が正しければ、既に他の皆は戦闘を開始しているということだ。
 だが今の久魅那にとってそんなことはどうでもよかった。己と対等に渡り合ったエルムゴートや、仮面男の超躍者。無口そうなクルーガーに、変にノリのいいリロイ。そんな彼らが、これまた謎の存在である真珠に召喚された者達がそう簡単に負けるとは思えなかった。
 だから、他の連中を心配するよりもまず、己の戦いに集中すべきだ。
 久魅那は現状の情報を知るため、ネロに問いただす。
「応えろ! お前達の真の目的を!」
「わたくし達の目的は貴方達を抹殺すること。ただそれだけよ」
「あたし達をこのエウクセイノスに召喚した理由は?」
「それは我が主の意思ではないわ。あの子……真珠が選定して召喚したこと。わたくし達には関係ないわ」
「イシス=テレジアと真珠の関係は?」
「我が主の願いを真珠が協力していたのよ」
「何故今、真珠はイシス=テレジアと対立しているの?」
「もはや時間が無いのよ。我が主の願いを叶えるためには」
「その願いって全次元を繋げること? 何故それを真珠は止めるの?」
 久魅那もそのことに関してはあまりよく理解できないでいた。次元を繋げ、他世界との交流を図ろうとしていたことに何の危険性があるのだろうか。
 確かに、イシス=テレジアが最初に行った実験では失敗したらしい。その所為で多くの命が失われた。だからなのだろうか? 真珠が止めようとしている理由は。
 しかし、久魅那はそれだけでは無いと直感した。もっと何か。大きな厄災があるからこそ、真珠はイシス=テレジアを止めようとしている、と。
「全次元結合はあくまで手段に過ぎないわ。当初の目的が変わり、今はその結果だけを欲しているのよ」
「その目的って? 全次元を繋げたら何が起こるというの?!」
「貴方が知る必要は無いわ。どうせここで死ぬ運命なのだから」
 これ以上語る必要は無しといわんばかりに、ネロはポケットから取り出した宝石のような黒い結晶体を胸に押し当てた。それを見た久魅那も右手を広げて天へとかざす。
「何が正しいのかはあたしには分からない。戦う理由さえも見つけていない。でも、救いを求める人のために。信じるべき己の正義のために。そして、光ある誓いのために。あたしはお前達と戦う!」
「よく言ったわ、守護天使。さぁ変身しなさい。そして絶望を味わいなさい」
 ネロは結晶体を起動させた。黒い光が結晶体から発せられ、起動言霊を唱える。

「――我に鎧を与えよ! 破壊を司る力を! アポリオン・ハート、セタップ!」

 対する久魅那も起動言霊を高々に叫ぶ。

「舞えよ精霊。踊れよ運命。
 天の使いはすぐ傍に。
 光の力、魔を弾劾する十字星。
 我が前に天上の門を見せよ!
 天使との契約の下―――我、守護の天使なり!!」

 二人が黒い光と白き光に包まれ、やがて光が弾けると、そこに二体の天使の姿。
 片や、黒き鎧を身に纏いし堕天使。
 片や、白き鎧を身に纏いし天使。

「――六大反英雄(アンチ・バリアント)プログラムシステム『アンリ・マンユ』がリーダー、ナコト=ネロこと破壊堕天使エセルド!」
「――あんたのオリジナル、天璽久魅那こと守護天使エリヤ!」

 互いの機械翼を起動。出力が上がり、エネルギー噴射口付近の空気が揺らぐ。


「「――いざ、勝負っ!!」」


 叫びと共に正面へ飛翔。右腕を掲げ、拳にエネルギーを注ぐ。エリヤの拳は白く、そしてエセルドの拳は黒き光へと輝く。
「エリヤナッコォォォォォーー!」
「エセルドナックルッ!」
 拳と拳がぶつかり合う。
 白と黒のエネルギーが反発し合い、拳の押し合いが続く。
「パワーは互角?!」
「いいえ。こちらが上ですわ」
 エセルドの言葉が証明されるように、エリヤの拳は徐々に押され始めた。エセルドのエネルギー出力が上がり、一気にエリヤの拳が弾かれる。
「拳がダメならっ!」
 エリヤが左膝を掲げた。それを見たエセルドは右膝を掲げる。
 互いのレッグパーツに内蔵された衝角が展開し、一本のドリルとなった。
「アイオーン・ドリル!」
「ティマイオス・ドリル!」
 二人のドリルが衝突。火花を散らし、弾かれそうになるのを必死で押さえ、ドリルをぶつけ合う。だがナックルの時と同様、ドリルもまたエリヤが押される。
「っ! なんて強いドリルなのっ!?」
「無駄ですわ。わたくしは貴方のデータを元にして造られた反英雄(アンチ・バリアント)。その契約の天使鎧(ディアテーケ)の三倍の力を持つ、この破綻の堕天使鎧(アンチ・ディアテーケ)に負けは無いのよ!」
 ティマイオス・ドリルの回転力がさらに上がった。パワー負けした左膝のアイオーン・ドリルが無残にも砕かれる。
 即座にエリヤはエンジェルウィングを展開し、上昇した。エセルドは後を追わず、その場からエリヤを見上げる。
 エリヤはある程度上昇したところで飛び蹴りの態勢となり、右足に光の力を注ぎ、叫ぶ。
「エリヤストライィィィィィクッ!!」
 一気に急降下。狙いは眼下のエセルド。
 そのエセルドもまた、黒き機械翼――イーヴルウィングを展開し、急上昇。体を反転させ、右足をエリヤの方向へ突き出す飛び蹴りの態勢を取った。
「エセルドヴァシリウスッ!」
 右足に黒き光のエネルギーが注ぎ込まれ、黒き雷光を纏う。
 二つの雷光が空中でぶつかり合う。だがそれも長くは続かず、これまでと同様エリヤはエセルドのパワーに負けて大きく弾かれ地上へと落ちる。落下地点にあった建物の屋上を突き破り、崩れる建物と一緒に地面へ激突した。
「……ふっ」
 瓦礫に埋まったエリヤを鼻で笑うと、イーヴルウィングの羽を50枚ほどパージ。浮力制御していた羽の先端を下に向け、エネルギー反転させて重力化。
「フェザーアゾート!」
 右手をエリヤのいる場所へ向けると、重力化した羽が次々と瓦礫の山へと急行落下。まるで五月雨のように降り注ぎ、爆発が連続して発生。次々と瓦礫が吹き飛ぶ。
 爆煙があたりに満ち、瓦礫の山は粉々に砕かれ、さらに細かい瓦礫の山を築き上げた。
 その中からエリヤが出てくる様子はなかった。エセルドは死んだかと思ったが、内部からエネルギー反応を感じて様子を見る。
 瓦礫の山が一瞬膨れ上がったかと思いきや、内部から一斉に流星が飛び出してきた。エリヤのフェザーレインだ。
 特に慌てることもなく回避するエセルド。瓦礫の中からゆっくりとエリヤが起き上がる。
 天使鎧はボロボロであった。至るところにフェザーアゾートによる穴が幾つもあり、装甲が剥がれ落ち、内部からは天使回路にまで及んでいるのか紫電が迸っている。唯一、胸部の中心にある緑色の六角形結晶体――超々高速度情報処理回路搭載半永久エネルギー発生宝石――ガーディアン・ハートだけは無傷であった。エルムゴートとの戦いにおいて火神の砲弾(キャノンボール・オブ・イグニス)の直撃を受けても無傷であったガーディアン・ハートはエセルドの攻撃にも耐えられるほどの強度を誇っているのだろう。
 だが幾ら装甲が保ってもエリヤの肉体は多大なダメージを受けていた。いかに対衝撃吸収用白スク水――バリアスーツを着ているとはいえ完全に防げるわけではないのだ。
「参ったわね……。コピーのくせにあたしより強いなんて……」
 皮肉を言うが、エリヤは最初から余裕なんてものはなかった。初撃から全力で叩き込んでもエセルドには敵わないのだ。
「言ったでしょう? わたくしに負けは無いって」
 ゆっくりと正面十数メートル先の地上に降りるエセルド。その表情には余裕が窺える。
 エセルドの手が左腰にマウントされている巨大な片刃剣の柄に触れた。
 鍔部に三つの大きな機械筒が接続された異様な黒き大剣。それはエリヤのブレイヴァーからコピーされた代物。
堅恐反刃(けんきょうはんじん)アンブレイヴァー!」
 その大剣の名を呼ぶとマウントのロックが解除され、大剣とは思えぬほどの軽さを感じさせるように優雅に抜刀した。
「教えて差しあげますわ。貴方には、存在する資格がないことを」
 アンブレイヴァーを両手で最上段に持ち上げ、エセルドは叫ぶ。
「カートリッジロード!」
 内蔵された弾丸がボルトアクション式で内部発射され、内包されていたエネルギーが刀身へと注ぎ込まれる。徐々に高まるエネルギーは刀身を闇に輝かせた。
「それならばこっちだって!」
 対抗し、エリヤも残された力でブレイヴァーを抜刀。そして両手で掲げて叫んだ。
「ブレイヴァー! カートリッジロード!」
 アームド・シェルに装填されていたシャイン・ブリッドの薬莢がブレイヴァーから弾け飛ぶ。光の力を注ぎ込まれた刀身が光輝く。
 闇に輝く剣を持つ堕天使。そして、光輝く剣を持つ守護天使。
 両者が動いたのはほぼ同時であった。
 機械翼を稼働させ、真っ直ぐ正面へと飛翔。互いの剣に力を込め、必殺の名を叫び上げる。

「ドゥーム――!」
「ジャスティス――!」




「「セイヴァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーー!!」」





 闇の剣と光の剣の衝突は凄まじく、周辺の建物をエネルギー余波が破壊。空気層が歪み、暴風が吹き荒れる。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉーーーー!」
 エリヤは必死でブレイヴァーを押し込むが、均衡は崩れない。だが、よく見ればエセルドの表情は平静を保っていた。
「無駄よ。貴方の鎧と武装と技を全てコピーし、それを改良。全ては貴方を倒すために。だから、わたくしに敗北はありえない!」
 エセルドの胸部に埋め込まれた黒き六角形宝石――アポリオン・ハートが黒く輝く。その瞬間、均衡は崩れた。
 ブレイヴァーに亀裂が走り、次々とヒビが全体へ広がる。
「なっ――?!」
 カートリッジによる光の力が限界を超え、消失。抑えが効かなくなった刀身がついに砕けた。
 対抗する刃が無くなり、エセルドのアンブレイヴァーがエリヤの鎧を袈裟懸けに斬り、装甲が砕けた。その剣撃はエリヤの肉体にまで及び、バリアスーツごとエリヤの体を切り裂いた。
 噴きだす鮮血。だがエリヤの意識は落ちない。
「ぐっ! ……はあぁぁぁぁーー!」
 胸部に埋め込まれたガーディアン・ハートが緑色の光を放ち、眩く輝く。彼女の守護の源でもある宝石と、超人としての強靭な生命力が彼女を生き長らせているのだ。
 傷ついた肉体から振り絞る力でエリヤは右膝を掲げた。エセルドも同時に左膝を掲げる。
「アイオーン・ドリル!」
「クリティアス・ドリル!」
 残った右膝のドリルを放つエリヤ。
 それに対抗して、エセルドも左膝のクリティアス・ドリルを撃ちつける。
 一瞬の押し合いのあと、クリティアス・ドリルがアイオーン・ドリルを粉砕。そのままドリルがエリヤの右膝の装甲を貫き、生身の部分へと突き刺さった。
 高速回転しているドリルが皮膚を裂き、肉を掻き分け、骨を砕き、膝全てを破壊した。
「―――っ?! ぐぅああああああああああーーーーーー!!」
 膝を失い、脛と腿との結合を失った右足の脛から下が衝撃により後方へと吹き飛んでいった。
「がぁ……! うぉおおおおおおおおーーー!!」
 右足を失っても未だ戦意を失わず、エンジェルウィングの浮力で倒れぬようバランスを保ちながら左腕を掲げ、光の力を込めてエリヤナックルを放つエリヤ。
 直後エセルドは不敵な笑みを浮かべた。右手に黒き光を集束させ、掌を大きく開き、エリヤナックルを放ったエリヤの左拳を受け止めて鷲掴みにした。
「エセルドボリアァァァー!!」
 黒き光がエリヤの光の力を消滅させ、拳から発せられた絶対零度が一瞬にして左腕全体を凍らせ、次の瞬間には無限熱量による爆縮燃焼効果によって凍結を瞬時に解凍。物質の結合力を完全に消失。物質結合を失った左腕はもはや紙同然。エセルドの右手がエリヤの左拳をいとも簡単に潰し、そのまま黒き光を纏う右手がエリヤの上腕までを破壊した。
 筋肉、骨、血が無残にも弾け、失った腕の結合部からは鮮血が吹き乱れた。
「があぁぁぁぁぁぁーーー!?」
 エリヤの精神は痛みとショックで掻き乱された。だがエセルドは攻撃の手を緩めない。
 大きく広げた左掌をエリヤの正面に向ける。
「互いを否定し合わなければ存在しえない。勝者は本物(オリジン)となり、敗者は偽者(フェイカー)となる! それがこの戦いの掟よ!」
 掌に黒き光が集束し、球体と形どる。そして、その技の名を叫んだ。
「エセルドボリアー・エミッションバースト!!」
 放たれた直射型の黒き波動光がエリヤを呑み込んだ。真っ直ぐ伸びていく波動光は後方の建物へと衝突。建物は派手に崩れ、粉々となる。波動光が消え去った後に残ったのは、ほぼ原型を留めていない大破した鎧を身に纏った守護天使だけ。
 エリヤは瓦礫の山に上半身が寄りかかるように仰向けで倒れており、起き上がる気配は無かった。……否、右足と左腕を失った今の状態では立ち上がることすらできないだろう。
 それを見届けたエセルドは、アンブレイヴァーを片手にゆっくりとエリヤの近くにまで歩む。
 エセルドが正面に立っても、エリヤは動かない。だがまだ生きていた。鎧は砕け、肉体は切り刻まれ、地面を血の海に染めてもまだ、彼女の生命活動が停止する様子はない。
 視線を下げるとエリヤの胸部にあるガーディアン・ハートだけは未だ無傷で僅かだが輝きを失っていなかった。
「……そう。それがあるから死ねないのね」
 歪んだ笑みを浮かべ、エセルドはアンブレイヴァーを掲げる。
「なら。――破壊してあげるわ!」
 アンブレイヴァーを一気に振り下ろし、ガーディアン・ハートに叩きつける。
「……ん?」
 だがアンブレイヴァーの刃はガーディアン・ハートを砕くことはできなかった。宝石は傷つくことなく、光を灯している。
 それでもエセルドはアンブレイヴァーを再度叩きつける。
 何度も。
 何度も。
 何度も。
 何度も。



 何度も……。







 ……………
 ………
 ……
 …

(ここは何処だろう?)


 天璽久魅那は黒き世界の中を漂っていた。
 何も無い。
 音も匂いも何も感じ取れない。
 闇だけが支配する空間に、久魅那はただ一人存在していた。


 自分は何をしていたのだろうか?
 先ほどまでエセルドと戦っていたはずなのにどうしてこんな所にいるのか?


(あぁ、あたし、死んだんだ……)


 右足と左腕を失い。エセルドの攻撃を直撃したまでは覚えていたが、その後何が起こったかは記憶に残っていない。
 つまりは、あの一撃で死んだのだろうと久魅那は思った。
 ならば、ここは死の世界だろうか?

 自分は死んだ。
 よりにもよって己のコピーに敗北したのだ。

 久魅那の手がぎゅっと握られる。

(……悔しいな)

 そう思った直後、何処からともなく声が聞こえた。





 ―――貴様は、何を求める?





(……誰?)





 それは久魅那の頭に直接語りかけるような声だった。




 ―――貴様は、何を求める?




(あたしが求めるもの?)





 ―――貴様は、何を、求める?





(あたしが求めるもの……それは、力だ)





 ―――それは、全てを打ち砕く力か?





(そう。……全てをけちらす力を)




 それは、戦う理由さえ見つけられずに敗北した己自身への怒りだった。





 ―――ならば求めよ。貴様が求める力はすぐ傍に。






 久魅那はあたりを見渡す。すると、先ほどまで何もなかった闇の空間の奥に、朱く輝く光が見えた。




 ―――求めよ。


 ―――求めよ。


 ―――求めよ。




 まるで声に急かされるように、久魅那は体を必死で動かし、朱き光の所へと泳いだ。




 ―――求めよ。


 ―――求めよ。


 ―――求めよ。




 ようやく朱き光の所にまで辿り着く久魅那。
(力を。力を。力を。力を!)
 伸ばされた手が、朱き光を掴む。すると、光が眩く輝き、闇の世界を朱に染めた。
 それはまるで、血の如き朱さで。
 声が嗤う。



 ―――求めよ。全てを滅ぼす、破滅の力を! ……くっくっくっ。あはははははははははははははははっ!!




 その朱き光は雷にも似た衝撃で久魅那の体を撃ちつけた。






 ……………
 ………
 ……
 …

「このっ! このっ! このっ! このっ!」
 エセルドのアンブレイヴァーを叩きつけられる度にエリヤの体が僅かに跳ねる。だがそれでもエリヤの意識が戻る様子はない。
 幾度叩きつけただろうか、ついにガーディアン・ハートの表面に亀裂が走った。
「最後の悪あがきもいいところですわ。これでトドメよ!」
 アンブレイヴァーのカートリッジをロード。刀身に黒き光が注ぎ込まれ、闇の剣を生み出す。
「ドゥーム・セイヴァー!」
 必殺の一撃がエリヤの頭上から振り下ろされる。エセルドはエリヤの体ごと破壊するつもりだ。







 ――だが、








 ――その一撃は……







 ――殺されるはずの、







 ――彼女の右手に受け止められた。







「――なっ!?」
 エセルドが驚愕するのも当然であった。
 もはや虫の息だったはずのエリヤの右手が動き、あろうことか必殺の剣を素手で受け止めたのだから。
 さらにエセルドを驚かせたのは、いくらアンブレイヴァーを動かそうとしてもその右手の強力な力にビクともしなかったことだ。
 瀕死の体の一体何処からそんな力が沸いてくるのだろうか?
 必死でアンブレイヴァーを動かそうとしていたエセルドだが、エリヤが掴んでいた手を急激に引いたがために、エリヤの体の上へ凭れ掛かるように倒れてしまう。
 体を立たせようとエセルドが顔を上げた瞬間、肌が触れ合うほどの距離で眼前にいたエリヤと目が合った。




 ――それは、朱い光を放つ眼光。




「…………え?」
 エセルドは拍子抜けな声をあげてしまったのと同時に、エリヤの左足がエセルドの体を踏みつけるように押し飛ばした。
 その衝撃は凄まじく、まるでゴミのようにエセルドの体が大きく吹き飛ぶ。
 十数メートル離れた場所にまで吹き飛ばされたエセルドは地面に叩きつけられるように落ちる。
 何が起こったのか最初はわからなかった。ただ、瀕死だったはずのエリヤが動いたことだけは認識できた。
 倒れた体を起き上がらせ、エセルドは前方にいるエリヤだと思わしき者に顔を向ける。
 エリヤの口から言葉が紡がれた。
 だがその声は久魅那の声ではない。……否、確かに久魅那の声ではあるが、それは久魅那の声と重なるように別な女性の声も聞き取れた。


「――我が器を存在情報を以って復元せよ、アクゼリュス!」


 その言葉と共に、周辺の地面や建物が一瞬にして分子レベル粒子にまで分解された。
 失われたエリヤの右足と左腕の部分に粒子が包み込む。
 粒子はやがて形どり、色づき、エリヤの右足と左腕が復元された。
「……うそ。情報密度体でしかない周辺の物質を分子レベルで分解して肉体に再構成? そんなのありえない!」
 エセルドはそう叫ぶしかなかった。彼女の知りえる情報が正しければ、エリヤには復元能力なんてなかったのだから。
 いや、そもそもエセルド達のような情報体とは違って、エリヤはいかに肉体が強化されていようが所詮は生身の人間。怪我を治すには、肉体の細胞組織及び新陳代謝を高めることによる超人的な再生力を必要とする。……のはずだが、目の前のエリヤは情報物質を生身の肉体へ変化させたのだ。このような芸当はいかに戦闘狂人である凶熱の魔術師であろうとも不可能なことだろう。
 ……否。エセルド達『アンリ・マンユ』を創ったイシス=テレジアすらそのようなことはできまい。
 ゆっくりと復元した足でエリヤが立ち上がる。だらりと下げられた両腕に前屈みに体を曲げた姿はまるで獣を連想させる。
 その時点でエセルドは気付いた。
 エリヤの胸部。六角形の宝石――ガーディアン・ハートが朱く輝いている(・・・・・・・)のを。
「くっくっくっ……。あっはははははははははははっ!!」
 エリヤだと思わしきソレが嗤ったのと同時に、朱いガーディアン・ハートが一層輝きを増し、朱い光がエリヤの体全体を覆う。
 眩しさにエセルドが両手で顔を覆った。数秒の輝きはやがて消え、ゆっくりと手を離すと、そこには朱い鎧を着た者が立っていた。
 契約の天使鎧と大いに異なるそれは、漆黒のように朱く、禍々しい血の如き色をした朱き鎧。
 背中に生える翼は天使のように華やかさではなく、蝙蝠のような機械翼。
 流れる長髪は燃える炎ような灼熱の髪。黒かったその瞳は朱く(りん)と輝いている。
 その姿を見たエセルドは、こう思った。


 ――まるで悪魔だ。……と。



「はははははっ! やっぱいいなぁ! 美味いな〜! このシャバの空気はっ!」
 大いに嗤ったあと、その視線はエセルドに向けられる。
「感謝するぞ、下郎。我をあの闇黒から出してくれたのだからのぅ」
 言いながら彼女は右手を後ろに振りかぶった。その拳からは妖艶に揺らぐ(くろ)き波動が漂っていた。
「だから。これはそのお礼じゃ。受・け・取・れ!」
 殴るように一気に前へ拳を突きつけた。


「――不可視たる(クォーク)魔王の拳(グルーオン)!!」



 瞬間、衝撃が直進で走り、暴風が吹き荒れ、遅れて爆音が後ろから聞こえた。
「――っ!」
 何が起こったかエセルドは理解できなかった。ただ、脇腹が瞬間的に燃える様に吹き飛んだことだけはわかった。
 まるで高速で走る10tトラックにでも撥ねられたかのような衝撃の反動で体が大きく横に倒れる。
 上半身だけを起こし、傷を見る。脇腹がまるで消滅したかのように円形にくり抜かれていた。
 修復モジュールの起動。しかし、再構築速度はあまりにも遅かった。
 原因を探ると、破壊された脇腹あたりの構成情報が欠落していた。
(うそ!? あの攻撃は情報攻撃も含まれていたというの?!)
 慌てて構築ツールを起動させ、修復モジュールと平行で肉体修復及び再構築に急ぐ。
 脇腹を押さえながら後ろを振り向くとそこは恐ろしい光景が広がっていた。
 数キロに渡り、地面は抉られ、周辺の建物は全て粉砕され、さらには融解もしている。
 その正体は超高エネルギーの重イオンによる瞬間超高温・超高密度状態を生み出したプラズマ。トドメにはそれを音速を超えた速度で撃ちだした拳。しかもそれは、戦術情報生命体であるエセルドの肉体情報を滅ぼす情報消去機能というおまけつき。視認することすらできない攻撃はまさに不可視。
「……なん、なのよ、あれ……」
 視線をエリヤの方へ向ける。



 ――だが、そこに先ほどまで立っていたはずのエリヤの姿はなかった。



「何処を見ている? 下郎」
「……え?」
 声がしたほうへ振り向くと、僅か1メートルもないほど傍にエリヤが立っていた。
 いつの間に移動したのだろうか? エセルドが視線を外していたのは僅か3秒程度。その間に彼女は走ってきたのだろうか? 否。たとえそうだとしても走る音が聞こえていもいいはずだ。飛翔してきたとしても風の揺らぎでエセルドは即座に気付ける。まるで瞬間移動でもしたのではないかと思わされた。
 そんな思考もエセルドは即放棄した。目の前に立つ敵を迎撃するためにエセルドナックルを放つ。
 だがその拳は、一瞬にして消えた彼女には当たることはなかった。
「――なっ!?」
 消えた。確実に。目の前で。
「呆けとするな。下郎」
 またしても別方向から声。振り向くと先ほどと同じようにエリヤが立っていた。
「……ど、どうやって……?」
「ふっ。空間跳躍を使えばいくらでも貴様の攻撃はかわせようぞ」
 くっくっくっ、とエリヤは嗤う。
 そして、エリヤの手がエセルドの首を掴んだ。あまりにも強力な握力で絞められ、エセルドはまともに抵抗できぬまま持ち上げられた。
「……がっ」
「どうした? もう諦めたか?」
「ぐっ! ……がぁ!」
 地についていない右膝を掲げ、エセルドはティマイオス・ドリルを展開。高速回転するドリルを目の前のエリヤの咽喉下へと撃ちつける。
 だが、ドリルは咽喉から5cm程手前でその進行を止められた。まるで見えない壁にでも当たっているかのように。
「…………?!」
 目を凝らすと、エリヤの全身を覆うように冥いオーラみたいなものが包んでいた。
「無駄だ。この虚数空間オーラが我が身を常に護っている。つまり貴様は我に触れることすら敵わぬのだ」
 エリヤの言葉は正しく。エセルドの首を絞めているエリヤの手もナノ単位ほどの厚さだが虚数空間オーラに包まれており、実際の皮膚がエセルドの首に触れているわけではないのだ。
「ふっはははははははははっ!!」
 嗤うエリヤの手がさらに力を込める。咽喉の締め付けが強くなりエセルドは呼吸がままならなくなる。
 しかしエセルドは声をあげた。朱い鎧、復元能力、空間跳躍、虚数空間オーラ、これらの力はエリヤは持っていなかったはず。ならば目の前にいる存在は一体何者なのか? それを知るために、エセルドは問うた。
「……誰? 貴方は誰なのっ!?」
「我か?」
 不敵な笑みを浮かべながら、エリヤの肉体を支配するその存在は応えた。


「――我が名は、第五魔王・アスモデウス。全てを破滅させる地獄の王なり!」


25 :寝狐 :2007/05/08(火) 00:08:47 ID:mcLmm4nD

魔王降臨 −天使、血に染まるとき− (下)

 窓の外から爽やかに流れる涼しげな風と雀の囀りが、少女の意識を浮上させた。
 二十畳ほどもある広い部屋。一般家庭において個人が持つには広すぎると思うが、そこにあるベッドで一人の少女は目を覚ます。
「……ここは?」
 呟き、ゆっくりと上半身を起こす。今自分が着ているのは薄桃色のネグリジェ。どうやら寝巻きのようだ。
 自分が寝ていたベッドの右側には大きめの机と、その上には最新型で超ハイスペックを誇るデスクトップパソコン。机の少し右側に窓があり、先ほどからのカーテンを揺らすそよ風と雀の鳴き声はそこから聞こえていた。
 反対の左側には大きめの本棚が三つ横に並んでいる。中にはコミックや文庫本、それと特撮系の資料本や格闘技、武道関係の和書や、機械工学、近代兵器の書物、ゲームの攻略ガイドブックなどが収められており、部屋の一角には廊下へ通じるドアがあった。
 この部屋を少女は知っていた。
「……あたしの、部屋?」
 記憶の奥底にある光景と目の前の光景はまったく同じ。
「まさか……?」
 その時、トントン、と控えめな音が聞こえた。一角にあるドアからだ。
 小さくガチャリと鳴ると、ドアがゆっくりと開き、誰かが入ってきた。
「あら、珍しいですね。寝ぼすけさんのお嬢様が私が来る前に起きているなんて。今日は嵐か雪か、はたまた槍が降るかもしれませんね」
 入ってきた人物は少女が既に起きているのを見ると若干驚きながらも小さく微笑む。
「…………玖南(くな)?」
 少女は呟く。そんな呆けた様子にその人物は呆れ顔になる。
「お嬢様、また昨夜もDVD鑑賞をしてらしたのですか? あれほど夜更かしはお止めになるように言っているのに……」
 その人物は窓側へと近づき、カーテンを開けて部屋に陽の光を射し込ませた。
 光は彼女の容貌を明るく照らす。二十代前半くらいだろうか、見ている方まで優しい気持ちにさせる朗らかな表情に、肩まで届くセミロングの銀髪はアップにしてバレッタで留めている。服装は紺色のワンピースに白いエプロンドレス。ニーソックスに包まれた足。頭には白いレースのカチューシャがのっている。その姿は誰もが見ても、とある単語が頭に浮かぶであろう。――そう、彼女はメイド服を着ているのである。
 彼女――玖南・ペガリムは、この家に仕えるメイドである。
「とりあえず、おはようございます。お嬢様」
 微笑みながらペコリと軽く頭を下げる。
「……あ、うん。お、おはよう。……玖南」
 目の前にいる人物に、少女――天璽久魅那(・・・・・)はぎこちなく挨拶を返すしかなかった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 投げつけられたネロ――破壊堕天使エセルドの体が背後にあった柱に激突。衝撃に耐え切れなかった柱は脆くも崩れ、破片がエセルドに降り注ぐ。
「……ぐっ!」
 体中に響く激痛がエセルドにうめき声を上げさせる。
 顔だけ上げると、今しがたエセルドを投げた彼女は前屈み越しに姿勢を低くし、力強い踏み込みで前方に向けて高く跳躍した。まるで獣のような跳躍をした彼女は空中で一回転をし、右足を折り曲げ、膝を先端にエセルドの腹部へと叩きつけた。周辺の大地が跳ね上がるほどの衝撃がエセルドにかかる。
「がぁっ!!」
 エセルドの口から赤い液体が吐かれる。しかしそれは本物の血ではなく、情報戦術生命体に流れる流体演算素子。赤い色は“人”としてのカタチの元にて創造されたがためにそうなっているだけである。
 それを見た彼女――エリヤの体を乗っ取った魔王アスモデウスは鼻で笑う。
「ふんっ。下郎の分際で細かく創られておるようだな。しかし所詮は人が創りし不完全存在者。我が器とそっくりなのは気に食わん」
 彼女はそのままエセルドの腹部に跨るように乗りかかり、その右腕を振り上げたのをエセルドは見上げるしかなかった。振り下ろされた拳はエセルドの視界を覆いつくし、次の瞬間―――






 ドゴッ!






 まるで鉄球でも落ちたかのような豪快な音が響いた。
「…………っ!」
 引き戻された拳を覆う虚数空間オーラには赤い流体演算素子が付着している。
 拳が狙ったのはエセルドの顔面。モロに喰らったエセルドの顔は、鼻が折れて血を流し、口も血と唾液が混ざり合った液体演算素子が垂れており、乙女としては見るも無残な姿となる。
「あはははははははははははははははっ!!」
 魔王は嗤う。そして興にのったのか、今度はエセルドの胸部にある黒き結晶体――アポリオン・ハートへとその拳を振り下ろす。
 装甲が鉄骨同士がぶつかり合うような軋む音を立てるのと同時に周辺の大地が衝撃で揺れる。
 幾度も拳を振り下ろす度、ぐったりとしたエセルドの体が跳ねた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 久魅那は玖南に動かされるまま、ネグリジェから黒いブラウスに白のプリーツミニスカートへ着替えを済ませ、廊下を渡り、エントランスホールを抜けて一階にある食堂に入り、大きな長テーブルの前にある椅子に座っていた。
「はい。お待たせしました。本日の朝食ですよ〜」
 言いながら奥の台所からメイド姿の玖南が朝食が乗ったカートを押してきて、久魅那の横で止めて皿とマグカップを正面に置く。
 朝食はコーヒーとピザパンであった。もちろん市販されているような調理パンではなく、玖南お手製のオリジナルパンである。
 作り方は簡単だ。まず角食パンにバターを塗り、さらにトマトケチャップを適量に塗る。そして適度な厚さに切ったソーセージを幾つかのせて、その上にスライスチーズを被せ、そのままオーブンで焼くだけである。この他にもベーコンやトマトにポテトを加えるというアレンジもできるのだ。
 コーヒーはペルーから取り寄せた生豆を使用しており、ほどよい酸味と甘味を持ち、しかも飲み口がソフトであるという優秀な銘柄である。久魅那は甘党なのでミルクと砂糖を多めにいれるのが久魅那流である。
「それじゃあわたくしも、っと」
 久魅那の朝食を置いたあと、玖南も傍にある椅子に座り、いつのまにか置いていた自分の分の朝食(久魅那と同じメニューである)の前で両手を合わせ、同じく久魅那もゆっくりとだが両手を合わせる。
「いただきま〜す!」
「……いただきます」
 玖南は元気よく、久魅那は戸惑い気味に言い、朝食に手をつける。
 メイドとお嬢様が一緒に食事をとるのは通常の資産家財閥などの間では本来ありえないことなのだが、久魅那の家ではそれが当たり前の光景であった。食事に関しても庶民が口にするようなメニューを久魅那が好んでいるため、玖南はそういった食事を作ることが多かった。さすがに来客がいた場合はそれなりの対応はしていたが……。
 手で掴んだピザパンを一口食べ、ちらりと玖南の方を見る。彼女はナイフとフォークで一口サイズに切り、口に運んでいた。
 久魅那の視線に気付くと、玖南は「どうかいたしましたか?」、と笑顔を向けた。思わず視線を逸らす久魅那であったが、彼女が確かにそこにいるということだけは実感できた。









 ……けれど。










 ……違う。













 これは、……夢だ。














 だって、彼女は……玖南は……。
















 ――もう、この世にはいない(・・・・・・・・)のだから……。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「―――ん?」
 アスモデウスがさらなる一撃の拳を振り下ろそうとした時、横から感じた攻撃的な意思に反応し、一気に後方へ飛び退いた。
 先ほどまでアスモデウスが居た位置に何かが横切った。目標を失ったソレは直線状に飛び、地面に突き刺さる。アスモデウスがソレを見ると、それは鋼鉄色の棍であった。
「―――!?」
 気配を感じて見上げると、上空から何かが降ってきた。よく見ると、それは【武器】であった。大剣、短剣、槍、斧、杖、刀といった古今東西のあらゆる【武器】がアスモデウスに降り注がれる。
 避ける時間すらなかった状況下。数々の【武器】は全てアスモデウスに直撃した。凄まじい衝撃を物語るように爆砕した地面による粉末煙があたりを漂う。
「大丈夫か? ナコト嬢。……いや、その姿ではエセルド嬢というべきであったか?」
 倒れているエセルドの横に降り立った人物をエセルドはゆっくりと視線を向ける。
 赤龍の装飾を施した板金鎧(プレートメイル)を着、袖口から赤銅色の肌と鋼線のように鍛えられた筋肉が見え、面頬の目元から鼻筋の中間までの部分だけを開けて晒した面は冷ややかな蒼玉の瞳。そして縮れた黒い短髪。冷ややか視線と色黒で端整な容貌の男。
「……クェイド?」
 『躯懐刀(ブレイドカース)』クェイド=ジェロニモがそこに立っていた。
 先ほどの【武器】は全て彼が投擲したものだったのだ。
 クェイドは膝をついてしゃがみこみ、左手でエセルドの背に手を添えて上半身をゆっくりと起き上がらせる。
「酷い顔だが、まぁ、どうやら意識はあるようだな」
 エセルドの無事を確認し安堵するクェイド。
「五月蝿い。今修復モジュールを顔に全力注いでるわ。乙女に顔は髪の次に大事なんですから。……それよりもなんで貴方がここに? それにその右腕は?」
 彼女の視線がクェイドの右肩から下へと注がれる。そこにはあるべきはずの右腕がなかった。
「吾が一番先に戦闘が終わったみたいでな。まぁ、引き分けで終わったのだが……。これは単に二度に(わた)る背後からの奇襲の代償。なんとか構築モジュールで一から再構成中だ。……それよりも、だ」
 クェイドの顔が未だ煙が晴れぬ、アスモデウスが居た方へ向けられる。
「いったいアレはなんなのだ? 吾の持っている共有データではあんな鎧を着ていなかったはずだが……」
「わからないわよ、そんなの。わたくしだって困惑しているのですから。……ただ、あの者は自分を『魔王』と名乗っていたわ」
「……魔王?」
「ええ。それに保有している能力も全然別次元並みの代物よ。たぶん、貴方の先の攻撃は……」
 煙が晴れる。その先にある状況にクェイドは目を見開く。
 撃ち込まれた数々の【武器】は一切がアスモデウスに届くことなく、虚数空間オーラに阻まれていた。しかも彼女は一歩も動いていない。
「……ふん。くだらん攻撃だな」
 鼻で笑うと、左腕を一振り薙ぐ。それだけで全ての【武器】が四方へ吹き飛ばされた。
「なんだ、あの力は!?」
「虚数空間オーラ……。物理、魔術、情報概念攻撃などのあらゆる事象干渉を全て無効化(キャンセル)する防御システム。ずっと対抗策を検索してみたけど、はっきりいって考えられるものといったら、ブラックホールでも造って彼女がいる空間ごと飲み込むことぐらいだわ」
「しかし、そんな攻撃が可能な者が存在するわけがない!」
 エセルドとクェイドのやりとりの最中、アスモデウスは右拳を包むように冥い光球を形成し、腕を突き上げるように大きく掲げた。その瞬間をエセルドは見逃さず、即座に叫ぶ。
「クェイド! 跳んで! 早くっ!」
「――むっ!?」
 エセルドの叫びに反応して、クェイドは左腕だけで器用にエセルドを抱えながら一気に跳躍。


「――虚数連結波動(ヴァニシング・アキシオン)!!」


 冥い光球が眩く輝いた直後、彼らが居た場所に突如前触れも無く反陽電子が形成され、球状にくり抜くように地面が瞬時にして消滅。50メートル先の建物の屋根に降り立ったクェイドがそれを視認した。
「空間ごと情報消滅しただと!?」
 その攻撃にクェイドは焦りを感じた。単なる物理消滅ならば復元モジュールでなんとかなる。しかし、今しがたの攻撃は物理的なものではなく、一定空間範囲の情報消滅攻撃だ。【武器】という【概念】で創られた彼であっても、その存在自体を消滅させるという【概念】をも覆す攻撃を防ぐ手立てはない。壊されたなら直せるが、元から無かったものを直すことは不可能。“クェイド”という存在情報の一端でも残っていれば一からの再構築は可能だが、アスモデウスの攻撃は空間ごと消滅させる攻撃。おそらくは一片の欠片すら残さず消滅されるだろう。



「……化け物め」




 先ほどまで戦ったあの超躍者といい、目の前に立つ魔王といい、あまりにも出鱈目な存在達に対し、クェイドは思わずそんな言葉を口にしてしまった。
 今のままでは敗北は必至。ならばここは後退するしかない。しかし、それをあの魔王は簡単に見逃してもらえるだろうか? 否。時間を稼げばいい。魔王から少しでもこちらの気を逸らせればいい。
「来よ! 機械人形(マシン・ドール)!」
 クェイドが叫ぶと、アスモデウスを取り囲むように周囲に機械人形が大量に現れた。
 これまでの新兵級から少尉級まで揃っており、さらには空を飛ぶ新型も見受けられる。




 ――その数、約2000体。




 路上に立つ者や屋根の上にいる者など至る所に機械人形はいた。
「ほぉ。数で攻める気か」
 アスモデウスは周囲を見回しながら口にする。その表情は焦りや恐怖などは一切なく、ただ楽しめるかつまらぬものかを見定めている様子だ。
 今のうちにとクェイドはエセルドを左肩に担いで跳躍した。目指すは巨大時計塔オルドリンにして彼ら唯一の居城。
 撤退する二人をアスモデウスは何をするのでもなくただ見ていた。やがてその姿が遠くなったところで、周囲の機械人形に視線を向ける。
「さて、残念だが。貴様らのような人形如きに時間をかけるのは無駄なのでな……」
 アスモデウスが言い終わる前に、機械人形達が一斉に動いた。ある者は剣を、ある者は槍を、そしてある者は大砲を構えて。
 約2000体の機械人形がたった一人の敵に矛を向ける。だが、アスモデウスはそんな状況の中、不敵な笑みを浮かべた。
「情報原子レベルの一片も残さずに、貴様ら全員纏めて一撃で終わらせてもらおうぞ……!」
 アスモデウスの両拳に冥き光球が形成され、両腕を高く掲げ虚数エネルギーを増大させる。


「我が旧魔王(・・・)の力の前に、必滅せよっ!」



 両拳の光球を胸部の前で重ねた瞬間、その強大なる力が解き放たれた――!












 ――― テン・ガイ!












 両拳の虚数光球と胸部に埋め込まれた朱き宝石―――ディス・ハートとの虚数空間連結により発生した虚数消滅光波が、アスモデウスを中心にした半径3キロメートル、高さ300メートル規模のドーム状となって広がり、攻撃圏内にあるモノ全てを飲み込んだ……。




 [守護天使エリヤ VS 破壊堕天使エセルド戦 : 三十七分五十八秒、魔王及びクェイド乱入のため中止。次回、引継ぎ]






 ………………
 …………
 ……



 ――その戦いの裏にて。





 同時刻。天使同士の戦いの場から十数キロ離れた戦場……。


 上空800メートルを飛行する黒い影の下。クレーターのような穴がそこらじゅうにある周辺の被爆地の中心部。
 路上に大破した右舷キャタピラと左舷キャタピラの残骸が横たわっており、その進行上にある瓦礫の山に埋もれた三輪バイクの残骸の内部、コア・ユニットに収められた赤い宝玉―――超高性能自律成長型人工知能メタトロンが今にも消えそうな点滅を繰り返していた。


『……出力…………2.7パーセ………………ィルス………の………除去………を…………及び…………ん、した……………プログ…ムの…………復旧………を………』


 音声は徐々に弱々しくなっていく。


『……有効、対抗……策…………HG…………T……BD………4……………デス…………イダー……シ……テム…の……起動………不可、能…………マスター……よる…………プロテ、クト………解…除………必……………要………』


 やがてその点滅は、暗く消えた……。


26 :八針北夏 :2007/05/22(火) 13:56:31 ID:o3teV7nm

冬の雲(上)

 アウローラが魔術師エルムゴートとの戦いの中で最も注意しなければならないもの。
 邪槍『惨鉄剣』。

 あの男が本来生存すべき次元世界で製造されたらしいおぞましき暗黒の霊槍。
 回想するのは、彼女と同じ反英雄を作り上げた造物主であるマスターテレジアの言葉。

『あの男が戦闘中見せた邪槍。恐らく数万の怨霊の呪詛を集めた拷問具だわ。流石に私も人間の怨念が物質化するほど高密度に凝り固まった例は見た事が無いわね……』
『お前がオリジナルと戦う際、もっとも注意しなければならないのはあの武器。天使の鎧を溶解させたあの槍は確かに強力な武器だわ。でもあの槍が真の威力を発するのは、やはり生命体に向けて使用された時よ』
『アレは拷問具。武器の形をとっているけど、その本質は人を効率良く痛めつける為に作られたもの。それは情報生命体であるあなたすら殺傷する力を持つ』
『心得なさい、アレは肉体より先に相手の魂魄を殺す。
 ……心配する事はないわ。確かにあの邪槍は複写できなかったけども、貴方ならあの炎の魔術師を殺せる』



『……貴方は、反英雄の中で最も巨大なのだから』






「貴君の勝利の確立は限りなくゼロに近い。それでも直戦闘を続行するか?」
「ゼロじゃないんだろうがよ?! ついでに言うなら、一から百へ勝率を引き上げるのが奸智ってモンだぜ、オワハハハハァァァァァ!!」
 凶的な哄笑を張り上げながらエルムゴートは突撃を始める。
 始めながらも笑う。


 ……思えば。エルムゴートが最初に生命の危機を訴えるびりびりとした感触を与えた相手は、一人の中年の魔術師だった。
 その男は少年時代の彼から総てを奪った。優しい娼婦達、娼婦達に母と呼ばれていた老婆、自分より年少の子供、ゴミを漁る同年代の少年。
 ある日、彼の町の縄張りを束ねる老人の家から帰れば、彼の棲家の人々は既に皆息絶えていた。皆が血を抜かれ、見るも無惨な骸と化していた。


 憎い仇敵の名は『蚊柱のザミュール』。
 十万体近くの吸血生物である蚊を操る殺しに酔った凶悪な魔術師。

 エルムゴートが火炎魔術を選んだのは適正からではない。憎い復讐の相手の魔術に対し最も有効な属性を学んだ結果だ。

 復讐の念とは立ちふさがる困難を総て意思の力で屈服させ、如何なる苦労すら問題としなくなる。
 
 もっと力を。

 飢えていた、飢えていた。

 力に飢えていた。



「神をも炙る炎の飛沫、飲み干し咀嚼し蹂躙すべし!! 焼けよ爛れよ紅蓮の波頭!!」
「……カリブ海を……」
 魔術の威力は互角でも、魔術の詠唱の格好良さではエルムゴートはアウローラを圧倒している。
 エルムゴートは魔術式を完成させると同時に両足を踏み鳴らす。同時にレンガで覆われた道端が、怯えるように震えた。
 アウローラがオヤジギャグの前振りをすると同時に路面で凍結が始まる。
「怒涛にて焼き払え、波打つ岩漿(ボルケイノウェイブ)!!」
「……借りるかい」
 エルムゴートは拳を振り上げ、地面を力いっぱい殴り付ける。瞬間、地面がぐらりと煮えたぎる。まるで地面が活火山に変じたかのように噴火が起こった。溶岩、自然界にある猛威の中で最も華々しく荒々しい、大地の根源の力。
 吹き荒れる溶岩の高波は周囲にある擬似の街並みを焼き焦がし溶解させ薙ぎ払う。
 だが、それを同時にアウローラが展開した巨大な氷塊がそれを受け止める。さながら北極海の氷の壁を切り出しそのままここに持ってきたような頑健な城壁だった。
「……無駄な努力」
「はははははは……!」 
 エルムゴートは自分自身の魔術の威力の低下に少し眉を潜め、そして己の心境を察せさせないために笑いながら、続けざまに魔術を構成する。
 己の一撃の威力が、弱い。
 先ほどのエルムゴートが使用した魔術は溶岩流を召喚し周囲を薙ぎ払う彼の習得した魔術の中でも最大級の破壊力と広範囲の殺傷力を有する魔術だ。だが、彼の記憶する魔術にしては、威力が無い。
(……やはり、力の根源である大地が偽物であるのが理由か)
 己の魔術の性能が低下している事をその知性は冷静に理解。 
 そもそも大地とはゆるぎない存在だ。足元を支える地はこの世が生まれてから一度も損なわれた事のない世界の大前提。エルムゴート=アンセムもその支えが無い宇宙空間で戦った経験など二回しかない。あるのかよ。
 その絶対的な支えがないという事は、エルムゴートの火炎魔術とは異なるもう一つの強固な力、溶岩魔術の力がいくらか減退しているという事だ。

「貴殿が私に一撃で重大なダメージを与える手段は二つに限定される。
 シャイニングフィンガーと、かの邪槍『惨鉄剣』。
 しかしこの二つは共に近距離戦闘で使用してこそ威力を発揮する。即ち、貴殿は私に接近する必要がある」
 更に、温度が低下したような錯覚を覚える。
「再度にして最終通告。貴殿の最善行動は苦痛を伴わぬ自決」
「ほざくな、小娘」
 本人からすれば善意の忠告だったのだろう。しかし誰もそんな一方的通告を受け入れるはずが無い。
 せせら笑い、彼は走る。
 アウローラの注げた言葉は本当だ。
 エルムゴートの魔術は圧倒的な大火力で持って相手の防御など意に介さず爆殺する。しかし彼の敵はその彼の大火力を正面から打ち破る威力の更なる大火力である。遠距離からでは彼の攻撃は必殺に遠い。ならば狙いは近距離戦。
(……と、思っているはずだ)
 遠距離から相手を射殺する手段は。


 実は、二通りある。
 

 一つは、彼の持つ最大最強の魔術である『太陽落とし』。
 天使の放ったといわれる罪の都を焼き払った強大な術式だ。しかし、その威力に比例し、魔術式の構成は他の魔術とは比較にならぬほど精密で複雑だ。更に言うなら、あの魔術は威力が大きすぎる。エルムゴートの生命力の一欠片残らず吸い上げるあれはついでに今現在闘い続けているであろう仲間も爆殺する可能性がある。
 それは良くない。
 一応言っておくと、共に戦う仲間だからという少年漫画的な善意ではない。
 あの無面目とは再戦の約束をしているのだ。何処まで言っても思考が戦闘に特化している男は、もう一つの選択肢を探る。

『火神の砲弾』。
 
 彼が所有する魔術式の中で、最も装甲貫通の性能に優れた魔術。
 久魅那との戦いの際に、その貫通性能を爆発させなかった事が相手に対する伏線になろうとは。
 
「蝶が、超痛い」
 今度は向こうからの攻撃、アウローラの周囲に氷結の魔槍が幾つも展開される。四十発近くは有るだろうか。
「三時の参事の大惨事」
 同時に氷塊構成。まるでアウローラの周囲を守護するかのように巨大な氷塊が出現する。魔術式の同時行使だ。
(……よし、そのまま)
 疾走を続けるエルムゴートに対しアウローラは攻撃を命じる指揮官のように手首を返す。
 四十発中、二十発の氷槍弾を射出する。だが、エルムゴートは防御の為の魔術を編まない。前進の勢いを止めぬまま突進。
「いい加減、飽きたぜ。この手の技はな!!」
 見開かれた双眸が自分の肉体を刺し抉らんと迫るが、同時に飛来する物質の角度を瞬時に脳内でシュミレート。さながらスーパーコンピューターで制御された兵器群のようにエルムゴートは紙一重で回避する。
「来い!!」
 同時にエルムゴートは右腕を掲げた。
 地獄の沼から暗黒の霊槍を展開、同時に彼の肉体に、槍の負荷が心身を蝕む。恐らく自意識を保ったままアウローラに一撃を与えるために許された時間は二十秒程度、己の体力気力を計算し、瞬時に判断。左腕に邪槍の霊力を提供され爆発的に魔力が吹き上がる。


「……来た」
 アウローラは呟きながら己のオリジナルが使用するその強大な武装を戦慄と共に睨む。
 実際にデータとして記録するのと相対するのとではやはり違う。情報生命体である彼女にもあれの威圧感は理解できる。生命総てに対する凄まじい恨みの念。直撃すれば肉体よりも先に精神を焼き殺す武装。
「しかし、所詮は槍。突き刺さなければ効果など無し」
 なら近づかせなければ良いだけ。彼女を守護するように氷塊がエルムゴートの行動を警戒する。
「鎧を貫け門扉を破れ!! いかな装甲もいかな護りも焼き焦がして穿って打ち抜くのみ!!」
 データにある。溶岩の砲弾を射出する攻撃魔術だ。氷塊群は自動防御、同時に残り二十の氷の魔槍が自動射出される。
 しかし、降り注ぐ氷の槍は邪槍が旋回すると同時に吹き荒れる呪詛の灼熱が暴食する。一瞬で溶けて消えた。
「貫通せよ、火神の砲弾(キャノンボール・オブ・イグニス)!!」
 撃ち放たれる砲弾、恐らく直撃すれば如何なる装甲も貫通するであろうその一撃は、しかしアウローラの肉体に届かず、防御に廻る氷塊が防ぎきった。運動エネルギーと熱量のエネルギーの相乗によって装甲を貫通する一撃なのだろう。しかしアウローラの氷塊の持つ物質としての質量とマイナスのエネルギーによって封殺される。
 エルムゴートの左腕がしなった。指を弾く。
「モンロー・エフェクト!」
 瞬間、氷塊の半ばまで貫通した砲弾から内部に残留していた溶岩が慣性のエネルギーで先端を吹き飛ばし、更に刺し抉らんと爆発する。戦車砲の鉄鋼弾を参考に形成されたその一撃を防ぎきる事は容易ではなく。
「告げた筈、貴殿と私は互角ではない。これは格上と格下の戦闘」
 エルムゴートの魔術が戦車の装甲を貫通するとするならば、アウローラの氷塊は要塞の堅牢さを誇っており。

 
 決め手を破られたはずのエルムゴートがなおも笑っている事に気付き、感情の熱とは無縁であるはずの氷点下の心に有り得ざる事に怖気が走った。

 
 ばすん、とアウローラの右腕が千切れ飛ぶ音が響く。

 アウローラは自己診断。
 自重のバランスを自動補正し、損傷状態を確認した。

 右腕大破。理由を確認。
「開いた穴に、思いっきり投げたんだが、上手く行くもんじゃねぇか……」
 確認。 
 アウローラの右腕を食い千切った邪槍は、あの彼女の堅牢である氷塊を刺し貫いた。
「お前の防御は完璧だがなぁ。続けざまに、ピンポイントで攻撃されりゃ、そら抜けるぜ?」
 エルムゴートの火神の砲弾で半ばまで貫かれたそこに、針を刺すようなコントロールで投擲された邪槍は氷塊を貫通し、アウローラの右肩を貫いた。
「……ば、かな……」
「槍は確かに近くでしか刺せんけどな? 投げ槍って事を失念していたな?」
 アウローラは戦闘を続行しようとする。イシス=テレジアによって作られた彼女の肉体はそう簡単に戦闘不能に陥るわけが無い。右腕を再生させようと、情報結合を開始しようとして、アウローラは息を呑んだ。
「再生……不の? ……うああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!! 」
 情報結合を開始しようとしてエラーの発生を確認する。自然と己の口蓋から叫び声が漏れていた。
 エラー、エラー、エラー。肉体が再生しない。原因を究明。

 痛い。
 
 再生したら、生きなければならない。

 生きたら、痛い。
 
「邪槍の一撃で最も恐ろしいのは肉体的なダメージじゃねぇ。最も恐ろしいのは戦意も闘志も思考も何もかも完璧に奪いつくすその激痛だ。……今お前の肉体は恐怖しているのよ。傷を治しても肉体が感じる痛みまで癒える訳じゃねぇ。ならいっそ、こんなに痛いのなら死んでしまった方が楽だと、お前の身体は考えているのさね」

 アウローラには邪槍を掴むエルムゴートの言葉が聞こえない。
 想像を絶する痛みに思考が覚束ない。ただ、自分の肉体が何処か遠いもののように感じる。

「……何故、痛覚遮断が出来ない?!」
 情報生命体である彼女はその気になれば痛みという感覚を消す能力を有している。もちろん先程から命令を送り続けているのに。
「惨鉄剣の呪詛の炎は癒しの力も何も通じん。立場が逆になったな」
 立ち上がれない、ただただ激痛に震えるアウローラにエルムゴートは享楽の響きを一片も交えず、真摯な声で言う。
「お前の最善行動は速やかな自決だが、その様子じゃ己の命も断てまい。嬲り殺しは好かん。とどめだ」
 エルムゴートの掌に灼熱が灯る。
 魔術式を構成しようにも耐え難い激痛は彼女の闘志を根本から削ぎ落としてしまう。

(あがががぁぁぁぁぁぁ!! ……危……険!! このままでは……!! 本性を……! 人体への偽装を破棄……!
 しかし……それ……では、他の固体の……邪魔を!!)

 アウローラは軋む自意識の中で思考する。
 この現状を打破する手段は一つしかない。しかしそれだと、今現在この世界に召喚された他の個体の戦闘行為に水を差す結果になる。
 彼らは自分と同じくオリジナルを抹殺するために作られた。その勝負に水を差されることは決して褒められた事ではない。存在意義に関わる行為だ。
 激痛に喘ぐ肉体を捨てろと命じる本能、他の個体の邪魔をしまいと考えるその理性が鬩ぎあう。
 最早視界には移っても頭には入らず、ただ網膜に画像が映るだけ。
 その何も映さぬはずの目が、エルムゴートの右手の邪槍を捉えた。
 激痛への恐怖。
 アウローラの顔が引き攣った。
 他の反英雄に対する配慮も、何も無い。
 ただ、恐怖が理性のプロテクトを一撃で侵食し、人体への偽装を全破棄。
 ウィンタークラウドモード発動。


 箍が、外れ、本性が現れる。




 アウローラを中心に爆発したとしか思えない衝撃にエルムゴートは吹っ飛ばされた。右腕の邪槍が己の身体を刺したりしたら多分間抜けで情けなさ極まるな、と思いながら立ち上がる。地面にたたきつけられた痛みを堪えて辺りを見回した。爆発の中心には何も居ない。
「……本気で自決したのか?」
 そういうタマではないのだと思ったのだが。だが、周囲には既に敵の気配は無い。戦闘の終了を確信した彼は、他の戦域に向おうと考える。出来るだけ手ごわい敵の居るような場所は何処だろうか。それとも戦闘の気配のする場所に向った方が良いだろうか。

 そう考えたエルムゴートは、自分の足元の影が見え難くなっている事に気付いた。
 空が、翳っている。雲が太陽を覆い隠しているのだろうと考えたエルムゴートは。
「……て、待てよ、おい?」
 足を止める。
 彼の元いた世界なら兎も角、なぜこの異次元空間で空が翳る? この世界には雲など無いはず、思わず上を向いたエルムゴートは、未だに戦いが続いている事に気付いた。



 次元世界を覆う雲。巨大であり、陰気な圧迫感を与えてくる黒雲。次元世界の雨雲ではない。
 
 その雲は全身から凄まじい戮殺の意思を漲らせていた。
 先ほどの氷のような冷徹さはそこに無く野獣を思わせる原始的な殺気を感じさせる。

 巨雲。
 その中央に蒼く輝く光がある。そしてエルムゴートはその青い光の中に封じられた意思を感じた。
「目玉か、あれは……?!」
 納得すると同時に戦慄する。この次元世界を見える限りの範囲を封じる風雪を含む巨大な雲。エルムゴートも、一つの都市を丸丸覆い隠す巨大な敵を相手取るのはこれが初めてだった。
 デカい、単純に、大きい。


 アウローラ。 
 アンチバリアントシステムによって生み出された個体群の中で彼女が最も得意とするのは、オリジナルであるエルムゴート=アンセムと同じく大多数を相手取る事を主眼と置いた能力を持つ。
 その行き着いた形。
 大量虐殺を目的に作られた彼女の本来の大きさは少女の体躯どころではない。
 一つの都市を丸呑みにし、その巨体が持つ冷気と雪で交通網を遮断し、圧倒的な冷たさで死の眠りを与える。

 彼女の弟に当たる躯懐刀(ブレイドカース)、クェイド=ジェロニモは【武器】という概念を持つが故に不死とも言うべき特性を持っている。
 それに対してアウローラの特性とは、いわば巨大な気体とも言うべきもの。存在があまりに巨大すぎて、滅ぼそうとしても一撃で総てを消し飛ばす必要がある。そうでなければ周囲の水蒸気を吸収し、幾らでも再生を行う。
 彼女は不死ではない。しかし不死身に等しかった。滅ぼすには桁外れの熱量を必要とするだろう。
 
 雨が、降る。都市一つを滅亡させる気象兵器『冬の雲(ウィンタークラウド)』モードへと移行したアウローラであった黒雲はエルムゴート目掛け吹雪を放つ。
 

 まるで雪を含むその風は、黒雲の唸り声のようだった。
  


27 :八針来夏 :2007/06/17(日) 11:06:53 ID:rcoJs4mJ

冬の雲(下)

 空が翳る。
 日が消える。

 攻撃が始まる。

『冬の雲』形態に移行したアウローラは、膨大な体積と広域殲滅能力を有するようになるが、その代償として明確な自意識を失い、獣の域にまで精神機構が退化する。だが、同時に人間という形態を捨てた為に痛みを感じる機構を切り捨てていた。
 そのアウローラの変じた雲にあるものは原始的な復讐心。
 己に痛撃を食らわせた相手を抹殺しようと欲する心のみだ。


「……反則とか言う気はねーけどよ。どうしろってんだ、おい」
 エルムゴートは、途端切り刻むような寒風を顔に感じた。
 彼自身はまだいい。エルムゴートの身に纏うコートは高熱を行使する彼の為に常に着用者の体温を一定に保つ魔術が付与されている。
 問題はこの情報都市の中で未だに闘い続けている彼の仲間達だ。
 天使の力を行使する久魅那は問題ないだろう。その彼女の相棒である戦車もそもそも機械だから気に病む必要はあるまい。
 この冷気が問題なのはフェイスレス。
 彼らの力量が並々ならぬものであるという事は知っている。

 しかし、その強さの系統は技量に偏っている。
 人間の範疇に納まるその肉体を驚異的な肉体制御力と技術でもって人外相手にすら引けを取らぬ力を発揮しているのだ。ましてやフェイスレスのような薄着では凍死の可能性が出てくる。
 何とかしなくてはならない。 
 太陽落としは威力が大きすぎる。他の魔術では威力が無さ過ぎる。
「帯に短し襷に長しとか言うんだっけか? へっ」
 と、すれば手段は一つ。
 この地を利用した儀式魔術しかない。そういう事は最初から判っている。判ってはいたが、その魔術もまた普通ではないのだ。やらずに越した事はない。しかし今は選択の余地など無い。エルムゴートは厭そうに眉を顰めて。

 口蓋から鮮血を吐いた。
 口元から零れ落ちた血は、煉瓦の隙間を走り広がっていく。さながら、蜘蛛が網を広げる光景にそれは似ていた。
 
「……来たな」

 口から血を漏らしつつ、彼は空を睨んだ。
 黒雲の中の蒼い眼が此方を見下ろしている。それと同時に空から何かが降ってくる音を感じた。雨粒ではない。もっとも物質的な威力を持つもの。
 雹の、雨が降る。威力としては先ほどまでアウローラが振るってきた攻撃より遥かにレベルが落ちるだろう、しかし問題は一面の空を覆い尽くすその物量だ。他の奴らはどうしている。
 失血の量が増えるにつれ脳髄を動かす血の量が減っていく。血だ、血が足りない。肉を損なえば肉を、骨を失えば髄を喰らい傷を癒す主義のエルムゴートは、そういえば俺は召喚されたメンバーの中で一番ボロ雑巾になっていないかという疑問を胸に抱いた。
「……くそ」
 雹が身体を打つ。術式を走らせている今は能動的な防御が出来ない。痛みが身体を打つが意識を己の鮮血に伸ばしているエルムゴートはその雹の痛みを意識から切り捨てて行動に移る。




「ぶぇっくしょぃ!」
 超躍者は本日二度目の、どでかいくしゃみをした。
 先ほど全裸になり、慌ててボディアーマーを着込んでいたのだが、今度は少し具合が違った。
 天に座する巨大な黒雲。都市ひとつを覆い隠すようなそれは寒風を周辺へと撒き散らして来た。それこそ人一人凍死させるに足るほどの風。一途に鍛錬を重ねてきた超躍者の体でなければそれこそ歯の根の合わぬ音を無様に鳴らし続けていただろう。
「……あの暑苦しい奴の敵かな……」
 見上げるそこには黒雲。その中心には蒼く輝く眼球の如き印象を与える光がある。
「まったく、自分の敵ぐらい一人で面倒見てもらわないと」
 彼の場合その問題は更に切実だ。
 なにせボディアーマーには大穴だし、彼の異能とも言うべきその圧倒的な技量も寒さでかじかむ手では全力を発揮できないかもしれない。そういった要素はありがたくない。
 このまま久魅那の居る場所に行く前にどこかで暖を取ろうかなどと考え始めた超躍者は本日二度目の異変を知る。まず最初に嗅覚に異常を感じた彼は、臭いの下へ視線をやり、それを見る。

 血だ。
 血が、奔っている。まるで草原を走る蛇のように鮮血が意識を持って走っているようだった。同時に足元をその血が駆け抜けると、強烈な熱気が地を覆う。
「これなら、大丈夫そうですね」
 超躍者は呟く。込められた意味は二つ。
 一つは自分がこのまま行動しても、伸びる血が放つ熱気で戦闘に支障が無いレベルまで体温が回復しているという事、もう一つはあの上空の敵に対して。
 あの戦闘馬鹿は激情に流されるような甘い性格をしているように見えなかった。豪胆に見えて瞬時瞬時に冷徹な判断を下す厄介なタイプの男。勝つ見込みがあるからこそ何かやっているのだろう。再戦の約束をしてはいるが、正直戦いは嫌でござったのでどうやってあの男の裏を掻くかを時折考えていたのである。
 とにかく、これなら大丈夫と考えた超躍者は、久魅那を探そうとして、今から向おうとしていた先で広がる、ドーム状の破壊を見た。

 まさに破壊だ。
 見るもの総てにそれがなんであるか、強引に理解させるような禍々しい凶暴な力の残滓。

 そして視界の端に逃れる人影二つ。

 いいパンチラを見せてくれた、確かナコト・ネロと、自分が先ほどまで相対していた敵ジェロニモ。
 戦いが嫌でござる超躍者は自分自身の体調もあって追撃を断念し、そこで破壊の爪痕の中心に佇む人影を見た。同じくこの世界に召喚された存在。天使の力を操る久魅那嬢。
「……誰です? あれ」
 だが、彼は見てくれに真贋を惑わされる事は無い。
 自分と会った時と何かが違う。決定的な部分の箍が外れている。見かけは一緒だが符合するのはそれだけだ。凶暴な雰囲気も、あの禍々しい雰囲気も何もかもが違いすぎる。
 その外見だけは久魅那と似た彼女はからからと愉快そうに笑いながら、上空に滞留する黒雲を見上げると翼を閃かせて上昇を開始した。



 跳躍し、戦域から離脱しようとするジェロニモと、エセルドは、上空の黒雲の姿に変じた兄妹姉妹を見てうめき声を上げる。
「アウローラ、彼女まであの力を発揮しなければならないなんてね……」
「一先ず、あの敵は矛先を姉上に切り替えたようだが」
 彼ら反英雄の中で最大級の広域攻撃能力を所有するアウローラがあの姿に変じなければ為らなかった。
 だが、両者の中にあるのは奇妙な納得感。そうだ、自分達のオリジナルがそう簡単に敗れるような存在であってはならないという感覚。強敵であればあるほど、そのコピーである自分達は、本物を倒したときの価値が上がる。
 自己の存在の消滅は情報生命である彼らも嫌だ。だが、それと同時に相手が取るに足らぬ敵であるという事もまた我慢ならない。
「始まった」
 ジェロニモは小さく呟き、今や雲海と言うべきサイズとなった姉と、破壊の魔王が接触する様を見た。
「……待って」
 エセルドが小さく漏らす。視線は地に向け不愉快そうに表情を歪めた。
 地を走る血。あの魔術師の触手とも言うべき赤色にさしたる注意を払っていなかった彼女であったが、上空高く舞い上がりそこでようやく相手の意図に気づいた。
 一個の意思に統合され、この都市に伸びる赤い血の糸。
 規律正しく並ぶそれは何らかの設計図であるかのように、一つの図形を表していく。
「……魔法陣、か」
 



『冬の雲』形態に移行したアウローラには明確な自意識が存在しない。そこに残ったのは動物的な本能であり、彼女は己を苦しめた相手に対する復讐心であった。

 だが。
 今はそれを捨てざるを得ない。
「……またこれはデカイ綿菓子よな……」
 嘲笑するような、侮蔑するような笑みを浮かべるそれ、彼女の姉妹が今相手しているはずの天使の力の使い手は黒雲と化したアウローラを鑑定するように見ている。
 その相手の奥底に秘められたエネルギー総量を本能的に判断し、これは至極危険な敵であると直感。
 本能で相手が最優先撃破対象であると判断したアウローラはその全身から膨大な雹の雨を相手に対して降らせる。
 ただの雹なら問題は無かっただろう。しかし一個一個がさながらスイカ並みの大きさを持った小さな氷塊が雨霰と降るのではその脅威の度合いは大きく変わる。
 洒落でもなんでもなく百万人を殺戮できるであろうそれを見ても、しかし久魅那の姿を借りたそれは鼻で笑うだけだった。
「雪合戦とはまたぞろ幼い趣味よな? よきかな、遊んでくれようぞ!!」
 拳を振りかぶり、解き放つ。
「――虚数連結波動(ヴァニシング・アキシオン)!!」
 情報消滅攻撃。如何なる防御も無視して文字通り相手を消すその攻撃は彼女の指定した50メートルの物質を仮借なく消滅させる。その一撃は彼女の降り注ごうとしていた雹の雨を文字通り消し飛ばし、それに飽き足らずアウローラの身体の一部を掻き消した。
「−−−−−−−−−−−−!!」
 声無き怒りの声を上げるアウローラは、周辺の水蒸気を吸収開始。失った身体の一部を再生させる。
 その様子にけらけら笑う、天使の姿をした魔王。
「ほほう、単純極まる構成であるが故に、再生させるのもまた簡単。なるほど、これは総て消し去るにはちと骨が折れそうよな」
 口元に浮かぶのは残虐苛烈な笑み。
 その呟きの意味は、少し骨を折れば一都市を氷結させる怪物をも滅殺出来るという傲慢な自負。
 彼女が恐らく中核たる相手の眼球の如き蒼い光を見据え、技を放とうとした時。

 ぐらりと地面が震えた。
「……ほお? これは……」
 興味の対象を地上に移した彼女は呟く。
 地面が傾斜を帯びていく。地に広がる血の魔法陣が収縮して地面を絞り上げ、尖塔を作り上げんとしているかのようだった。
 生まれるのは、小さな山。
 そしてその頂に見えるものは。黒煙を吹き上げ、真紅の溶岩を溢れさせるそれは。
「火山か」
 


 エルムゴート=アンセムは失血の量が多すぎて既に前のめりになって倒れている。
 だがそれでも意識を手放さず術式を編み続けているのはさすがと言った処か。
 彼と同じく召喚された人間達の場所は触手の如き働きもする彼の鮮血の感覚枝が捉え、戦場から遠く離れた場所で魔術『火山召喚』を発動させている。
 視界の端には小高い山。煮え滾る溶岩を腹に抱えた天然自然の超兵器。
 右腕を掲げ、指をすり合せ、引き金の言葉を呟いた。スナップ音が鳴り響く。
「……イグニション!!」
 爆音、轟音、何でもいい。
 耳を劈く凄まじい音と共に、魔術で編み出した活火山が爆発し、空めがけて火を噴いた。
 強大な熱エネルギーは上昇気流となり、総てを巻き上げる強風となる。それは気体と姿を変えたアウローラにとっては天敵ともいえるものだった。
 声無き怒りの声を上げる彼女の身体は吹き飛ばされ切り裂かれ引き裂かれ消滅へと進んでいく。



(……まだよ)
 獣に墜ちた意識に声が聞こえる。
(まだよ、私の為に闘いなさい)
 母の声と共に、虹色の燐光が瞬いた。
 雲の身体へとその身を変えていたアウローラの巨大質量が、母が放った虹色の情報結合リンクによって集束、再び少女の姿へと再生する。そしてその少女は正しく重力にひかれて地へと落下しようとする。だが、重力の作用を遮るように再び人身に戻ったアウローラは言う。
「……サンダルフォン、緊急回収」
了解(ヤー)
 凄まじい勢いで飛来し、少女の身体を拾い上げたそれは五メートル近くの爆撃機。
 アウローラはその背に乗り、未だ活動を続けるエルムゴートの魔術である火山の爆発を見た。
「……あの御方のお手を煩わせるとは、無念」
『後悔は無駄。再度の挑戦以って無念晴らすべし』
 アウローラは自分を乗せる兄弟姉妹の背を撫で、言う。
「……感謝」
『無用』
「感謝の意を込め、渾身の洒落を進呈」
『断固拒否』
「遠慮無用。拝聴すべし」
『…………』
 無視を貫こうとするサンダルフォン。
 だがそんな相手の意思を無視して、取っておきとやらのギャグをアウローラを言わんとするアウローラ。
 サンダルフォンは飛行状態のまま大きくループした。もちろん上に乗っていたアウローラはループの頂点で墜ちる。
 あー、と余り危機感の無い声のまま落下していく彼女をサンダルフォンは無言でキャッチした。
 


 

 [爛れる鋼鉄エルムゴート=アンセム VS 凍える微笑 アウローラ戦 : 39分46秒。他勢力介入によりドローゲーム。次回、引継ぎ]


28 :菊之助 :2007/07/03(火) 00:30:18 ID:ocsFWJxL

二人と二人と、それからそれから

 青年は




 喉元からこみ上げてくるものをどうにか抑えようとしたが、痺れた体では到底無理な話で、リロイはその場に嘔吐した。しかし空腹のためか、はたまた雷撃による極度の痙攣のためなのか、はき出されたのは白い胃液ばかりで、それがさらに少年の胸を悪くさせる。
「吐いたのかね? まあそうだろうね」
 嘲りでも軽蔑でもない、実に無感情な声で言われて、リロイは口の中に残ったものをすべて地面に吐き捨てて歯噛みした。今更になって、自分がかなり危険な状態に立たされていることを理解したからだ。目の前にいる男は、確かドクトル・ジュニングスとかいったか。児童文学の挿絵あたりに出てきそうな、まさに『マッドサイエンティスト』な様子は異様で、出来ることならばお近づきになりたくないタイプである。それが目の前に立っているわけで、しかも先ほどの発言。
(……魔術師殺し)
 どうにか立ち上がろうとして膝を抑えるが、未だに体全体に痺れが残り、首を動かすのもままならない。自分はいつもこんな雷撃を打ち出していたのか、と一人こっそり反省してみたりするが、長々とそう考えている暇もゆとりも、リロイにはなかった。
 そうだ、魔術殺し。魔術師殺しだよ。先ほど耳にした単語を頭の中で反芻して、リロイはこっそり顔を青くする。オレは魔術師だ。それは自他共に認めていい事実だ。事実だが、すると今さっき男の言った魔術師「殺し」の、つまり殺す対象は、オレ? オレということなのか?
 炎の魔人との戦いで殺意を受け止めたリロイだったが、あれは久魅那を守ろうとしてとった行動だった。つまるところ、第三者としての介入だったため、確かに己が戦い、一歩間違えれば殺し、殺されるという立場だったにも関わらずさしたる恐怖を感じなかったのは、「久魅那を守らねば」という義務感の方が大きかったからだ。しかし今は違う。殺意はあらかじめ自分のために用意されたものだ。背筋がぞくりと寒くなる。相手は本気なのだ。無論、エルムゴート=アンセムが本気ではなかったということはないが、それとこれとでは明かに異なる。少なくともエルムゴートは「殺す」ことに重きを置いていなかった。奴の思考(もとい嗜好とも呼べるだろうが)は、「殺し」ではなくて「戦い」そのものだったからだ。それと呼ぶには余りにも暴力性が強いものとなるが、それでもいうれなればエルムゴートとの戦いは健全なる精神の元に行われた儀式のように思えた。なので、いかに強力な術をもってしても、それはリロイにとって殺害には結びつかない。そんなことを言おうものならば、間違いなく魔人に焼き殺されそうなので言わないが……。
 その時、唐突な冷気にリロイは意識を現実へと戻す。この世界はこんなにも寒くなったりするものなのかと思いながら、それほど自由ではない視線を天空へとめぐらせると、彼らがいる場所よりも遠方、歩いていこうとするとかなり遠くの場所で、大きな雲が渦巻いていた。一瞬リロイは入道雲の類かと思ったが、そこから瞬時にほとばしった凍える魔力に動かない体をこわばらせた。なんだこれは?
 魔力の気配を感じるということは、やはりあのおかしな巨大積雲は自然発生ではないのだろう。しかし、この世界において彼が知る魔術師と言えばエルムゴートのみ。だとすれば、新たに召喚された人間がこの地に到着したというよりも、この場合は敵による攻撃だと考えるのが自然だろう。第一、もし味方の放った魔術だとして、それだけの魔術を唱えるだけの危機的境遇に対面しているということではないか。なににしても状況は一向に良い方向には進んでいないというわけだ。
「張り合いがないなぁ」
 思考にふけっていたリロイを覚醒させたのは、皮肉にもジュニングスなる男の感想だった。グリグリと動く眼の玉が、上空に広がった雲をとらえても、男のおかしな言動は収まることを知らない。「吾輩は実に不愉快であるよ、リロイヤート。実に実に不愉快だ。確かに我々の存在は敵の抹殺であるものの、吾輩、無力な相手をただ殺すだけなんて己のプライドに反するね」
「……プライド?」
 思わず聞き返したリロイに、ジュニングスは大仰に頷いて言葉を吐いた。
「吾輩、自分の使命は殺害ではないと考えておる。いうなれば、研究だ。魔術の研究、魔術師たちの研究、個々の独自性、魔力容量、実に面白みがあると思わないかね?」
「……」
「それゆえ、魔術師たる者と吾輩は直に接近し、その個別データを収集するのである。しかし魔術師たるものが確実に己の力を表現するのは戦闘において。もちろん戦闘には不向きな魔術を使用する者もいるようだがな、君の祖母のように」
 サラッと発せられたその言葉に、リロイの体に先ほど自分が受けた以上の電撃が駆け抜けた。痺れていたことも忘れたかのように、少年の頭は反射的としか言いようがないほどに無意識、かつ痺れた体の人間では到底出来ないような勢いをつけて跳ね起きる。その様子に、わずかではあるがジュニングスの頬が引き攣った。笑み、なのだろうか。
「……なんで、ばあちゃんのことを知ってる?」
 これまでの雰囲気とはまるで違う。絞り出すような低い声を出して、リロイはそのままふらつく体をゆっくりと、起こして、立った。それとほぼ同時に、少年の体からはゆらりとした蒸気のようなものが漂い始め、その背後の景色は陽炎のようにゆらいでいる。感情の昂りによって魔力がぐげんかされず放出されているのだ。ジュニングスは見開いた目のままでニィッと口を裂けさせた。
「吾輩、生まれてこの方多くの優秀な魔術師達の情報を集めてきた。無論異世界の魔術師ばかりだがね。西洋魔術に東邦魔術。ノルニルの末裔が操る言語魔術も実に面白みがあるがあれはどうにも制限があっていかんね。声の届かぬ所には作用されないなんて言うのは実に馬鹿馬鹿しい。文身魔術は君の暮らす世界の魔術だと聞くが、見たことはあるかね。文身魔術の優秀な使い手である者も確か女だったな」
「質問に答えろ。なんでばあちゃんの事を知ってるんだ?」
「君の祖母が優秀な魔術師だからに決まっているだろうが」
 睨みつけてくる青い瞳を鼻で笑い、その狂った『魔術師殺し』は答えた。
「吾輩の有する情報からだと、君は自分の祖母と母を探しているようだ。いやはや君の祖父に父親もそうらしいね? だとすれば、何十年もかけて探している祖母の居場所を君が知っていたら、君のおじいさんはとても喜ぶことだろうなぁ」
 まるで「昨日は一日寝ていて世間で何が起こっていたかなんて興味はありません」と言いたげな何事にも無関心極まりない口調だったが、リロイは総毛だった。

 どうやってこの男が自分の家庭の事情をここまで調べ上げたかは知らない。
 どうやってこの男が祖父達の苦労を知ったのかも分からない。
 もしかしたら何もかもが、この男の出まかせなのかもしれない。
 が。



 もし、本当だとしたら。




 冷気を帯びていた大気に、それ以外の痛みを伴わせる何かを感じて、ジュニングスは目の前の美少年を再度見つめなおした。
 彼の体からは、すでに魔力が無意識下にか具現化しており、幾筋もの雷電がほとばしっている。
 視覚で認識できるのはその光の筋だけだったが、空気中に分散された魔力は電磁を帯びて男の皮膚をチリチリと焼いていた。
「ばあちゃんについて知ってること、全部教えろ」
「それで吾輩にどんな見返りがあるというのかね?」
「……俺の魔術を見せてやる。それこそ、情報全部泣きながら吐き出したくなるくらいにな!」
 言ったと同時にまばゆい閃光がリロイの両手に集まり始める。
 その様子にジュニングスは口を裂けさせた。
 狂喜の、笑み、だった。
    


 笑みを浮かべて立っているのは、美しい乙女だ。
 いや、『乙女』ではないか。
(俺の「妻」だからな)
 心底驚いているのに、おかしな具合に思考の一部が冷めている。自分の冷静さが馬鹿馬鹿しくなり、クルーガーは我知らず苦笑していた。違うな。
 冷静になっているのではなくて、混乱しすぎているから逆におかしなことばかり思い出して、考えるのか。青年が戸惑い、考え、それ故動けないでいる間に、彼の『妻』は着実に彼のそばへ近づいてきていた。慌てるでも騒ぐでも、そしてゆっくり過ぎることもなく、極々普通の足取りで彼の前にたどり着く。
 周りは何も見えない靄の世界。しかし、突如現れたその『妻』は、その靄さえも当り前のような顔で立っている。
 小首を傾げてほほ笑んで、彼女は夫の名を呼んだ。
「クルーガー」
「……ディース」
 夫に呼ばれてディースは嬉しげにはにかんだ。白い肌が、わずかだが上気している。濃い靄の中で、クルーガーの目には何故か彼女の姿ばかりがくっきりと浮かび上がって見えた。彼女の細い指が、無骨な自分の手をとって優しく握ってくる。暖かな感触。
「クルーガー、お腹空いてない?」
「……は?」
 間抜けな声で思わず聞き返すと、彼女は少し困ったような、それでいて照れたような表情をしてみせる。
「お腹ペコペコなの。ね、何か作ってよ」
「お、お前。久しぶりに会ったのに、突然それか?」
「久しぶり?」
 クルーガーの戸惑いに対して、ディースの方はきょとんとする。
「ずっと一緒なのに、久しぶり? どうしたのクルーガー、疲れてる?」
「……」
 細い指が握り返してくる感触を確かめつつ、クルーガーは一瞬ひどく困惑した。どこからが自分の正しい記憶なのかが分からなかったからだ。
血まみれの戦場は?
高揚したあの戦いの場所は?
そして絶望に死にかけた、あの記憶は?
だが、自分の中で「正しい」と思えていた記憶の細部が、今はまるで目の前にある靄がそのままかかったかのように思いだせずにいた。とても大事なことがあったような気がする。忘れてはいけないことがあったような気がするのだが。
「クルーガー?」
 目の前でほほ笑む妻の顔を見て、クルーガーはあいまいな笑みでこたえた。曖昧に微笑みつつ、もう一度考える。
 目の前にいるディース。それ以上に大事なもの、大切なものがあっただろうか。
(いや、無い、な)
 脳内で即答した自分の馬鹿さ加減に再び苦笑して、青年は長く長く息を吐いた。こんな穏やかな気分、いつ以来だろうか。最後に笑ったのはいつだったか。自分の手を引いて前を歩く妻の後を歩きながら、クルーガーは安息の時間を感じていた。血なまぐさい世界も、殺しあう現実も何もかもが嘘だったように思える。
 そうだ。俺はそんな夢のような世界で生きていこうとしたんだ。この妻と共に。戦場から逃れて。二人で、生きていこうと。
 そこで、何かが引っ掛かった。

 二人で。
 二人で。

「二人、で……?」 
「どうしたの、クルーガー?」
 立ち止まった青年に気づき、ディースも同じく立ち止まって彼を振り返った。その青い瞳に自分の困惑した顔が映っているが、クルーガーは何も言いだせず、ほほ笑むことも出来ない。説明しようがない違和感が胸の奥から、まるで紙に墨を垂らしたかのようにジワジワと広がっていく。自分の金色の瞳には、彼女の瞳と同じように、彼女の姿が映っているのだろうか。だが、本当に?
「クルーガー、本当にどうしたの?」
 ふわりと、温かい手が彼の長い前髪をかき分けて額に触れる。ディースは同じように自分の額にもう片方の手を当てて、熱を測るようなしぐさをした。彼女にされるがままに、クルーガーは身動き一つとらず黙り込む。そんな青年の様子に気がつかず、彼女は不思議そうに眉をよせて、言った。
「……そんなに熱くないね。『私』と、変わらない」
「……え?」

 何気ない一言。
 それとない日常的な会話。
 違和感など生まれるはずもない。
 だが。

(おかしい)


 違う。
 こいつは
「ディースじゃない……」
「え?」
  不思議そうに見あえげてきたその懐かしい姿を、クルーガーは勢いよく突き放した。そしてそのまま自分も背後へと跳ぶ。ザッと土埃をたてて前を向いたまま着地した青年の目に、先ほどと全く変わらない位置で棒立ちになっている『妻』がいた。あれほど強く押したのに、倒れるどころか、たじろぎもしていない。クルーガーの耳の中で、思い出したかのように心臓の鼓動が鳴り響いた。額からうっすらと汗が流れ、それが顎へと伝うのを感じてから、青年はようやく慎重に口を開く。
「……お前は、誰だ?」
 我ながら驚くほどに低い声になったのは、このおかしな状況下においてようやく事態を飲み込み始めたことに対する焦りと、そしてこのおかしな状況が現実であってほしいと願う気持ちが半々になっていたからだろう。認めようとする自分と、認めたくない自分。だが皮肉にも、目の前にいる美女は、二コリとほほ笑んで、言った。
「私は『狩人』よ、クルーガ・バーズ」
 名前を呼ばれて、背筋に言いようのない寒気と熱気が駆けのぼり、かけ下りて行った。やはり、敵だったか。その事実を前に、青年は取り乱すことなく、静かに構えをとる。特に決められた流派を習ったわけではないのだが、幼い頃から戦ってきたせいか、空手の場合だと彼は右手を眼前に、左手を腰の前あたりで構える癖があった。先ほど拾ったはずの剣は、既にそばには見当たらない。靄の中で落としたのか、それともこことは違い場所に置き去りにされたのかはわからないが、とにかく唯一の武器がなくなった以上、今の彼は素手で相手に立ち向かうしかない。
 妻は、いや、敵は相変わらず同じ場所で棒立ちになっていた。凍りついたかのような微笑みは、美しすぎて逆に恐ろしかった。
「なぜ、気がついたの?」
 妻の姿をしたその敵は、ふいにそう呟いた。声も変わらず妻のそれだ。クルーガーは、奥歯をぎりりと怒りで噛みしめながら、唸るように答える。

「……ディースは、ずっと『王子』として育てられてきた。男のふりをするのに、あいつは自分のことを『僕』と呼んでいた」
「王子なのに、僕? 変な話ね」
 嘲るような相手の笑いに、クルーガーはひるまない。
「……それからあいつの手は、いつも冷たかった。冬場はもちろん、夏の間もいつもヒンヤリしていて、触ると心地よかった」
 口に出すたびに、苦いものが喉の奥に広がっていくのを感じながらも、クルーガーは語ることをやめない。目の前で面白そうにこちらを眺める、妻の姿をした偽物。
「そして何より、あいつは二人で、なんて言うはずはない」
「あら、なぜ?」
 無邪気に、心底不思議だと言わんばかりの様子でそいつは聞いてきたが、その質問にまで答える気は青年にはサラサラなかった。ただ、いかにして相手に勝つか。それよりも、突如として発生したこの靄の中は、すでに相手の作戦にはまっているということではないのか。現に目の前の相手が敵だと分かっても、胸の中に残る違和感は消えうせることがない。
「ねえ、なぜなの? 教えてクルーガー・バーズ。教えてくれたら、私の正体を教えてあげる」
「……あまり興味はないのだが」
 この靄から出る場所はないか。術はないのか? 油断なく周囲を観察しつつも、クルーガーは唇の端を釣り上げた。時間を稼ぐ必要はないのだろう。この状況下において、時間をかけても分かることは無いように思えた。だとすれば、相手の言うとおりにすれば、万事解決とまではいかなくとも、血路を開くことができるかもしれない。
「興味はないが、教えてやろうか、最後の理由。何よりも大きな理由だ」
「教えてよ、クルーガー。『僕』はそれが知りたいな」
 わざとらしく呼称を変えた敵は、妻の顔のままで再び微笑んで見せた。だが、クルーガーは揺るがない。大事なことを思い出したからだ。
「妻は、ディースは俺達のことを二人で、なんて言わなかった」
「へえ? どういったの『僕』は?」
 敵がそういって笑った瞬間、火薬が爆裂したかのような音が靄の中に響いた。クルーガーの鋭い踏み込みは、あっという間に敵の眼前へとその身を移動させる。風を巻いたというよりも、風を切り分け突き進んだその接近に、敵の美しい顔が確かに引き攣ったのを、重い拳を突き出しながら青年は眼の端でとらえた。それと同時に彼の右手には重く鈍い衝撃が伝わってくる。
 下顎の砕ける感触を十分にクルーガーが右手を通して認識した時、妻の体をした敵は、数メートル先まで何度か地面にバウンドしながら吹き飛んだ。最後にグシャリといやな音をたてて靄の中に屑折れたのを黙りこんでしばらくクルーガーは殴り飛ばした姿勢のままで見つめていた。乳白色をした空気が動かない彼にまとわりつき始めてから、ようやくクルーガーは拳についた血を払うかのように右手を数回振って息を吐いた。あまりに呆気ない結末ではあった。だが、それまでに感じた懐古じみた罠の時間を考えれば、時間としては短かったが、決して単純だったとは言えないだろう。
「二人じゃない理由なんて、考えれば簡単なことだ」
 すでに動かない敵に向かって、クルーガーは深く息を吐きながら呟いた。激しい疲労が体に覆いかぶさってくる。体力の減少だけではない。心の疲労とでもいうべきか。その答えは出来ることならば口に出したくない。言えば確実に自分は、再びあの絶望を再認識しなければならないからだ。だが、いつまでも目を閉じているわけにはいかないのだろう。
 あれほど死のうとしていたのに、全くもってしぶとい。
 しぶとい自分は、まさに道化だ。この醜い「世界」という舞台で、客を喜ばせるため落ち込んでは立ち直り、演じ続ける道化。だが、今はそれでもいいのかもしれない。そう思わせたのは、同じ世界から来たあのリロイという少年の存在だろう。民間人である彼をどうにかして元の世界へと戻さねば。そのために、こんなところで倒れるわけにも、悲しみに暮れるわけにもいかないのだ。
 だから敢えてクルーガーは、その答えを口に出す。出来るならば忘れ去ってしまいたい事実だ。あの時、あの瞬間の思い出は美しければ、美しいほど、亡くした悲しみは深い。ただ、深いからこそ乗り越えなければならないのかもしれない。乗り越えないと、死んでしまう。死んでしまったら、あの少年も元の世界には戻れないことだろう。おかしなところで義理がたい自分に溜息を吐きながらも、クルーガーは自虐的な笑みを浮かべた。
「……二人じゃない理由なんて簡単だ。ディースと俺にはガキが生まれる予定だったからな」
 結局生まれることはなかったが。男か女かも分かることはなかったが。それでも、いくつも二人で名前の候補を挙げていた。
(これからは尚更死ぬことができなくなったね、クルーガー! 二人から三人になった)
 そう笑った妻の言い分に眉をしかめて見せたのを思い出す。でも、その言葉はひどく印象的で、恐ろしく、そして嬉しかった。本当の意味で、強くならなければいけないと思えた。
 ふと、視界がゆがむのを感じてクルーガーは指先で己の眦に触れた。
 濡れている。愕然とした。泣いているのか、俺は? なんで、今頃になって。


「悲しいのか、クルーガー・バーズ」
 低い男の声で呼ばれて、クルーガーはハッと身構えた。声のした方向を見つめる。まさか。
 下顎を砕いて倒したはずの敵。妻の姿をしたはずの敵。それの姿が変わっている。黒髪、金眼。髪と同じ色をした髭は、顔を縁取るかのように顎をぐるりと覆っている。数ヶ月前に比べるとずいぶんとやせてしまったが、それでもリロイに比べると筋骨たくましいクルーガーを遙かに凌駕するような、偉丈夫だ。ゆらりと立ち上がった男の顔は、先ほどの『妻』がこいつであったことを示すかのように下顎が崩れていた。だが、乱暴とも思える手つきで男が己の顎を二度三度ごきごきと動かすと、何ごともなかったかのように傷は治っていた。
 クルーガーの背筋が寒くなる。
 あれだけのダメージを与えたのに、その傷をすぐさま修復できた敵の、未知数な能力はもちろんだが。
 それ以上に、目の前に立つ男の姿が、クルーガーを震えさせた。紛い物だと分かっているのに。
 男は蒼白になったクルーガーを見て、優しく微笑んだ。三〇代半ばだろうか。鋭いはずのまなざしも、ほほ笑むと随分人好きのする愛嬌がある。
「さて、ディースの言った意味を教えてもらったのだから、俺もそれに答えないといけないな」
 低い声で、男は朗々と語る。そして大股にこちらへと近づいてきた。だがクルーガーは動くことが出来ない。先ほどとは明らかに違う。恐怖でも悲しみでもない。
 思考が感情に追いつかないのだ。
 今や目と鼻の先まで近づいた敵は、二コリとほほ笑んだ。
「俺の名前を言っておこう。テニ・オト・パミャチ、だ。君たちの言葉で直訳すると『記憶の影』となる」
 淡々としているのに腹の底まで響く声に、クルーガーは眩暈を覚えた。これは偽物だ。偽物だとわかっているのに、どうしようもない。動くことが出来ないのだ。
「狩人は単に弓矢で相手を殺すものではないよ。入念な罠をしかけ、獲物が十分に弱ったところでとどめを刺す。そのために、戦意喪失を図るのは当たり前だと思わないか?」
 こいつの本当の姿はどれなんだ?
 次から次へと知人へ、それも忘れたくても忘れられないような大切な人々に化けるテニに、クルーガーは胸の中で毒づく。だがそれ口に出して批難できないからにすぎない。
 彼か、それとも彼女かわからないが、敵の化けた偉丈夫のことを、クルーガーは妻と同じように忘れることができなかった。
 
 幼い彼を守り、教え、育て、叱った相手。
 そして、幼い彼の失敗により命を落とした、相手。
 父。
「さあクルーガー。さっきは上手くいかなかったが」
 呆然とする青年を前に、父親の顔をしたテニはやさしく微笑んだ。そしてその手の中にあるものを見せる。
 鉛色をした筒が見えた。
 
 猟銃。


「父上はこれからおまえを殺すよ。逃げられると思わないことだ」
 まるで愚図る子供を諭すかのような口調に、クルーガーはせっかく思い出しかけていたリロイ達の記憶を、再び忘却の彼方へと運ばれてしまっていた……。 
 


29 :菊之助 :2007/07/10(火) 23:17:06 ID:ocsFWJxL

二人と二人と、それからそれから その2

 背後に広がる靄をようやくリロイが確認できたのは、自分の魔術で作り上げた防護壁を必死に制御している時だった。これまで敵への攻撃のさなか気にしてはいたのだが、その状態をちゃんと認めることが出来なかった少年は、同じ世界から来た青年の姿が完全に靄の向こうに隠されているのを知って、少なからず動揺する。少なからず? 本当にそうなのだろうか。
 その一瞬の疑問が致命的と言えた。
「甘いよ、リロイヤート」
 淡々とした声の後に耳へと届いたのは衝撃音だ。しかも生半可なそれではない。永続的とも思える金属の発射音だ。久魅那の放つミサイルほどではないし、エルムゴートが使役する炎の魔術とも違う。なので、もちろん直人の使う武芸とも異なるわけであるが、そんな彼らのことを思い出すような余裕は、今のリロイにはなかった。
 彼の前方、五十メートルほど先にドクトル・ジュニングスが立っている。リロイの放つ多くの魔術を、まるで鏡が光を反射するかのように難なく全てはじき返した男だ。しかも単なる『鏡』ではなかった。枯れ枝のように細く筋張った手に握られているのは、リロイの世界ではあまり流通していないものである。しかも、リロイの世界にあるものよりも遙かに精度は上らしいとわかったのは、それによる攻撃がとてもではないが逃げられそうになかったからだ。

「ふむ、マシンガンは初めて見るかね? これの正式名称はまた違うものなのだが、詳しく説明したところで君には分らんだろうがね」
「……っく」
 発射する際の細かな振動に声を震わせながら、男はニヤリと笑った。斜視であることを除いても、その眼はどこを向いているかわからない。それが笑うのだから、すさまじいものがある。
 ミシンのような音をたてて次々と発射される弾丸を術の防壁で受け止めながらも、リロイはジュニングスに反論することができずにいた。術に集中するので手いっぱいだったからだ。
 通常、マシンガンと呼ばれるものの攻撃くらいではリロイの防護魔術が負けることはないといえる。だが生身の攻撃や魔術の攻撃、また弓矢やそれに近しいもの(たとえば誰かが直接投げたものならば石一つにしても)ならば容易にはじき返せるというのに、弾丸というような、それこそ攻撃主の殺害の意思と殺傷能力が不釣り合いなものは魔術で防ぐのは困難なのだ。リロイが瞬間的に防護障壁を構成できるのは、突発的に感じた『攻撃の念』に反応するからであり、さして考えもせずにトリガーを弾いただけで人を殺せる弾丸だと『攻撃の念』が希薄であり、どうにも構成が遅れがちになる。そしてたとえ障壁が構成されたとしても、攻撃の威力をも攻撃に混じった念の深さで無意識下に推量していたリロイにとって、不確かな念を纏わりつかせた弾丸を防ぎきるのに力加減が分らないのである。
 実際、着弾は免れたものの、不確かな障壁を押し破って弾の何発かがリロイの皮膚をかすめて血をにじませていた。
(なるほど。魔術殺しとかいうのは、何も魔術を無効化するからじゃないようだな)
「……だからといって、負けるわけにゃいかねーんだけどなぁっ!」
 障壁を瞬時にして解除したリロイは、コンマ何秒かのすぐさま彼の全身に薄い電気の膜を作り上げた。バヂッという破裂するかのような音に合わせて、弾丸がリロイに集中する。だが、倒れるどころか少年はニヤリと笑って、ドクトルを見る。その笑みに、初めて敵は感嘆のため息を漏らした。
「ほうなかなか面白い術を使う。全身を極高密度でありながらも薄い電磁膜で覆うことで、金属性の弾丸すべて呼び寄せたのかね。なるほどなるほど、それならば無理な障壁で疲弊することもなく攻撃を防げるうえに君も攻撃できるというわけだね?」
「察しが良くてよく出来ました、けど攻撃されんのはアンタだがな!」
 吠えるやいなや、リロイはドクトルに向かって地を駆ける。途中何度かドクトルが発砲してきたが、先刻彼の言ったとおり弾はすべて彼の肌に着弾するがすべて食い込む手前で止まっていた。あとは相手の顔面に触れる直前で術を解除し、勢いのまま殴ればいい。魔術をすべてはじき返されると分かった時点で、リロイはすぐさま祖父仕込みの体術で応戦しようとしたのだが、その前に飛び道具を出されたので接近できなかったのだ。しかし、一度接近し、手にある武器を奪ってしまえば、あとはひたすらタコ殴りにして気絶させれば万事解決。
 クルーガーとまではいかないが、足の速さや持久力はその儚げとも思える美少年ぶりからかけ離れ、それこそ通常の十八歳男子からもかなり抜きんでているリロイは、降りかかる弾丸をものともせずに瞬時にドクトルの眼前にたどり着く。拳を固め、奥歯を噛み、その憎々しい顔面に向かって腕を振り上げた!
 だが、しかし。


 カチッ


「あ?」
 この場に不適切な音が聞こえた。
 腕を振り上げた姿勢のままで、リロイの目に映ったのはニヤリと笑う『魔術師殺し』の狂喜の顔。
なぜこの状況で笑えるんだ?!
 リロイの脳内に浮かんだ答えは、そのすぐあとにわかった。腹部を中心とした強烈な熱と激痛、波動に、リロイの体がのけぞる。何が起こっているのか目視で確認することもできずに、リロイの思考は暗闇に染まった。背中が何か固いものにあたった気がして、リロイは(ああ、オレ、倒れたんだ)と妙に冷静に思う。悲鳴も出ない。
 自分の細胞一つ一つが確実に壊れていくのを魔術師特有の感覚で認めつつ、動けないリロイの耳に上から降りかかる嘲りの声が届いた。

「ふむふむふむ、近距離で火炎放射機の炎を受け止めつつ、まだ失神していないとみるとなかなか打たれ強いな」
 火炎放射機? 言われて目を開けようとしたが、まるで瞼が張り付いたかのようにリロイは眼を開くことができなかった。ただ分かっているのは、自分は「倒された」ということだけだ。腹部からジクジクした何かを感じて、これはまさか内臓的なものじゃないよなオイ? と思いながらも、次第に指先から感覚が消えうせていく。
やばい、これは、死にそうになっているのか、オレ?
「やれやれやれ。なかなかに珍しい術構成を見せてくれたから少なからず君のことを気に入りだしていたというのに、こんなところで倒れるとは実に不快だね。まあ倒れされたのは吾輩なわけだが。やはり君ら二人は他の召喚された三人に比べると脆弱だな。イシス女史に後で文句でも言っておこう。吾輩、本当は炎の魔人の相手をしたかったのだがね。彼の炎は実に芸術的だ、なのにあの冷血冷笑失笑女が取り上げたのだ、不愉快極まりないね君もそう思うだろう?」
 不愉快と言う割にはあまり声に変調がないドクトルの問いかけに、ツッコみたい部分が山ほどあるがリロイは口もきけない。先ほどのカチッという音は、なるほど放射機のトリガーの音か、と思い直しつつも、彼の意識に広がる闇は更に濃く、深くなるばかりだった。というか、火炎放射機にしてもマシンガンにしても、どっから出したんだよお前! 四次元ポケットでも持ってるのお前!?口に出しては無理なので、なんとか頭の中でツっこんでみるが、やはりそれ以上は、そここそ口を開くことさえできない。傷の具合を自分で確認できなくてよかったと少年は考える。きっと腹は焼け焦げ、胸も下半身も確実に重度の火傷を負っていることだろう。この熱さは、致命傷だ。
ああ、使用前から使用不能になるのかオレの下半身……。ちきしょう、これなら前にアマルベ行った時に、年誤魔化してでも風俗店で筆おろししとくんだった……。
「何を考えているかは知らんがどうやら死ぬ気らしいね。これは困った困った。まあ仕方がないと言えばそうかね、うん? そろそろテニの方もとどめを刺そうとしているようだしな」
 思春期の健全な少年らしい後悔の念を味わうリロイの耳に、聞きなれない単語が届いた。動かないはずの瞼が、自分でも反射的に痙攣したのがわかったのだから、おそらくこちらを見下ろしていたドクトルも気がついたのだろう。再び声が降りかかる。
「テニとは誰か? そう思ったのかね。テニというのは、君の相方を遊んでいる吾輩の仲間であるよ、まあ仲間と言っても姿形は知らんがね。いつも隠れて我々にも姿を見せたことはない。まあ、いいだろう。どうやら向こうも終わりらしい。いやいやいや、君に負けず劣らず彼も弱いね。なぜ彼のような普通の人間がこの世界に召喚されたのか、理解に苦しむな」
 その言葉に、リロイの崩れかけた意識の闇の中で、ふと浮かんだのは倒れたクルーガーの姿だった。それも初めて会った、あの日の死にかけた青年の姿だ。
死にたいのだ、と言わんばかりの眼差し。腸をはみ出しても生きていたやつ、生き残ったやつだ。本当に死にたい者は、どれだけ手を尽くしても死ぬものだ。


(だから、あいつが生き残ったのは、口では言えないほどの何かがあるからなんだ。)
 それなのに。
(あいつはここで、わけのわからないこの場所で死のうとしているのか?)
 わけのわからん靄につつまれて、あの向こうで死のうとしているというわけなのか?
 こんな場所で。
 誰とも知らんやつに。
 理由もよくわからないままでか?

 沸々と煮えたぎるものが、リロイの爛れた腹の奥でわきあがってくる。
ちょっと待てよ。
(じゃあオレはなんであいつを助けたんだ?)

せっかく、このオレが助けてやったとというのに、こんな処で簡単に死ぬなんて。
 

「……むかつく」


「は? 何か言ったかね?」
 足元で死にかけていた少年の口から何か漏れ聞こえた気がして、火炎放射機をいじくっていたドクトル・ジュニングスは思わず聞き返す。その返事の代わりに、リロイの体から猛烈な閃光がほとばしった。




 猟銃の弾を腹に受けたクルーガーは、激しく出血しながらもまだ片膝をついて相手を見上げていた。どうやら弾丸は腹から背中へと貫通したらしい。戦場で何度か被弾したことはあったが、その中の何発かはその時体に残りあとで化膿しかかった経験があるので、貫通してくれたことをホッとした。ホッとして疑問がわく。
 俺は死ぬつもりなのに、なんでホッとするんだ?
「あーあ、やはりおまえは無理だな。生きていってはいけない」
 懐かしいその声が降りかかってきたので、クルーガーは己の疑問を打ち消して、前方の敵を睨みつけた。名前はテニ。記憶の影だといっていた。その名の通り、目の前のそいつの姿は自分の今は亡き父親の姿をしている。その手に握られた猟銃は、なるほど彼の記憶にあるのとよく似ていた。確かあの猟銃で十三歳の時に敵兵から撃たれたことがある。その時敵兵が叫んだ言葉にひどく傷ついたような気がするな。なんて言ったか?
「この化け物め、人間と同じ面をしやがって……だろ?」
 猟銃を構えて笑いながら、まるでこちらの心を見透かしたかのように、テニがいう。ギラギラと光った筒先がこちらの眉間を狙っているのをにらんでから、クルーガーは腹の傷に手をあてた。
 どういう原理かはわからないが、相手にはこちらの記憶を読み取る能力があるらしい。しかし、妻の姿をしていた時の違和感があったように、完全に模倣することは出来ないようだ。だとすれば、こちらの動揺を誘うためだけに、大事な人物たちに化けているのか。そうだとすれば、こちらが冷静になればいいだけの話。勝機は、ある。
「さあて、トドメと行こうかクルーガー。父上が直々に手を下してやろう」
「出来るものならな」
 言うなり、クルーガーは激しく地面を蹴りあげた。予想外の青年の行動に、テニの銃身が揺らめく。その隙が大きな勝機へとつながるのだ。前方に再度深く踏み込んだクルーガーは、爆発的な瞬発力で先程と同じように相手の眼前にまでもぐりこんだ。最強の父親だと思えたはずなのに、その顔には明らかな動揺と焦りが浮かぶのを瞬時に確認して、青年は右拳から繰り出した重い一撃を敵の腹に突き出した!
「ギゴッ!」
 背骨まで砕きかねないその一撃に、父親の姿をした敵は奇声と反吐を吐いてくの字に折れ曲がる。が、顔面から倒れそうになるそいつの襟元をつかみ、クルーガーは高々とテニの巨体を片腕で釣り上げる。白眼をむき、体を痙攣させた父親の醜い姿をみて、クルーガーは眉をしかめた。
「……その図体で軽すぎるな。やはり偽物か」
 呟いて、クルーガーは口の中に溜まっていた血を地面に吐き捨てた。
「それとも、俺が父上を持ち上げたことがないから、体重を知らなかっただけか? 記憶を探るのが貴様の力なんだろう。だとすれば、もうお前には俺を倒すことはできないな」
 まだ手の先で痙攣を繰り返すテニは、どうやら今度こそ死にそうらしかった。伝わる体温が次第に低くなる。激しいショック状態なのだろう、猟銃は手放されることなく握っているものの、すでにそれを構える心配もなさそうだ。だが、死にそうでも、まだ死んでいない。答えられるわけはないだろうが、このまま、訳のわからない靄の中に一生いるのも非常に困る。
「おい、一応聞いておくが、ここから出るにはどうしたらいいんだ?」
 しかし返事はない。当たり前だ。良く見ると、吊りあげられているというのにテニの体は腰のあたりからおかしな角度で曲がっていた。やはり背骨を折ってしまったか。まあ、いい。
「貴様を倒したらここから出られるのかと思ったが、違うのか? 俺はさっさと元の場所まで戻らないといけないんだが。おい、聞いているか?」
 先程は顎が折れても生きていたやつだ。これくらいで話せなくなるとは思えないが。
(……普通、背骨を折ったら死ぬか?)
 どうも普通からかけ離れてきている自分の思考に、新たな違和感をクルーガーはは覚えた。何かがおかしい。普通? なんでそんなことを思う。ここ最近、普通ではないやつらばかりを見てきたというのか、俺は? そういえば、なんでこんなところにいるんだ。わけがわからない。この靄の前に、俺はどこにいた。
 いや。
 誰と?

「ね……くら……」
 消え入りそうな声が頭上から聞こえた。その声に覚えがあったクルーガーはは、反射的に己の手の先を見上げた。
 腹が黒く焼けおち、背骨が歪に曲がっているのは、父親ではなく、金髪の少年だ。
 ただでさえ白い肌が、今は紙よりも白くなっている。その顔色とは対照的に口から吐き出される濁った血の塊は、気が遠くなりそうなほど赤かった。
 青年は一度大きく目を見開き、眼前に起こる現実を直視する。
 周りの靄は更に濃くなっているというのに、頭の中に広がっていた靄が一瞬にして晴れた気分だった。
 手の中で次第に冷たくなるその存在は、テニではない。敵ではない。 
 同じ世界から来た、少年ではないか。彼に渡した白い衣服は、焼け焦げ、それ以外の部分は血で赤々と染まっていた。
 汗をどっと噴き出して、彼は少年の名を呼んだ。

「……リロイ・ロイロード?」
「ど……し……て……」
 ゴブッ。
 短い言葉と一緒に吐き出された血が、彼をつかみ上げている青年の顔にかかる。生暖かい鮮血が降りかかるのを、嗅覚と視覚、そして触覚で感じ取ったクルーガーの視界が赤く染まった。
 何が起こったのかわからなかった。
 自分に持ち上げられる少年にも。

 そして、自分にも。

 腹部に再度響き渡った衝撃に、クルーガーはリロイの血まみれた襟元を掴み上げながら、顔面から地面に倒れ込む。
(馬鹿な)
 自分の体を濡らしているのが己の腹から流れ出す血液だと理解したのは、痛覚よりも臭いでだ。腹から背中にかけて燃えているような感覚がわき上がる。ふるえる手の先から、誰かがはい出した。
「あーあー。もうマジ最悪だぜ。血でベショベショ」
 不機嫌な声には聞き覚えがあった。薄れる視界の先にいるのは、満身創痍としか思えない金髪美少年の笑顔だ。
「よ、根暗。そんな顔してどうしたよ? 驚いてんのか?」
 ハハハと笑われても、クルーガーに言葉はない。これも化けた姿だというのか? しかし何故? 
「やっぱこいつに化けたのに驚いてんだ。そんな大事なやつでもないのに、突然「現実的」ともいえる奴に化けられて、びっくりしただろ?」
 口元の血を無造作に袖で拭きつつ、笑う「リロイ」は背骨が折れているせいか上手く立てないようだったが、どうにか苦労してしゃがみ込むと、手の中の猟銃を倒れ込んでいるクルーガーの鼻先へ突き付けた。
「死んだ奴にばかりオレが化けると思ったの? 死んだ奴なんてのは、意識下で死んだって理解してるわけだからさー、一瞬の動揺は誘えても効果が持続しねーんだよ。その点、こいつなら最近の知り合いだし、まだ生きているわけだし? 効果絶大だ」
 筒先で青年の後頭部をこんこんと叩いて、リロイの姿をしたテニが楽しそうに言葉を続ける。妻から父に化けた後、傷を修復したようにするのかと思ったのだが、今の彼は背骨が折れ満身創痍としか言いようのない姿のままだ。それなのに屈託なく笑う姿は、悪い夢を見ているようにクルーガーに思わせた。
「お前さぁ、マジ回復早くてさぁ、こっちが次の手だてを考えるよりも先に行動してくるじゃん? それってマジうぜーんだよな。つーか、お前ほんと、人間? あ、違う。化け物だ」
 銃の先端は頭から首を通り、倒れ伏すクルーガーの背中へと移動する。背中の一点に熱した鉄を押し付けられたように感じて、クルーガーは喉の奥で呻いた。その様子に、リロイの姿をしたテニがほほ笑む。
「おんなじ処に打ち込んだから、弾丸は見事に貫通してるけどさ。だいぶ、肉が持ってかれてるぜ? これでよく即死しねーなお前。マジ、化け物」
「……化け物は……貴様の……ほうだ」
「まだ喋れんの? おーすげー。でも、あいにくオレは高度な生命体で、お前のような低次元な化け物と一緒にしないでくれよなー。テレジアのねーちゃんも、なんでこんなやつ相手にさせっかなー?」
 背中の傷を銃の先でえぐりながら、テニは不満げな声を出した。周りの靄は相変わらず、濃い。
「もう死んじゃうようだから言うけどさ。オレと、それからオレと一緒に行動している『魔術師殺し』もさ、戦闘向きじゃねーわけよ。ナコト=ネロにアウローラは、殺戮タイプだし? 見かけから完全に好戦的なジェロニモとも違うし? いうなれば情報収集役みたいなもんでさー、ドクトル、あ、こいつが別名『魔術師殺し』なんだけど。とにかく他の奴らは結構な戦闘力をお持ちでいらっしゃいますのでー? どんな相手でも結構戦えるわけなんだけど、オレなんて『狩人』なんてつけられたクセに、対して力もねーし、隙見て戦わなきゃなんねーし、必殺技があるわけでもねーんだよなぁ。ま、ドクトルの方がはるかに弱いんだけど、あいつは魔術師相手だと圧勝できるだけの力があるからさ。あ」
 そこで思い出したかのようにテニは傷をえぐる手を止めて、倒れ伏すクルーガーの髪の毛をつかみ上げると無理やり顔を上げさせた。まだ意識を自己から手放せずにいた青年は、血塗れになりながら眉をゆがめる。その苦悶の顔が嬉しいのか、リロイの顔でテニが笑う。
「な、この腹の傷、なんでだと思う? お前の殴った部分じゃねーよ、この焼け焦げ。すげーだろ、肉焦げてるし、骨見えてるし。な? なんだと思う?」
「……中から……腐って……んだろうよ」
「お前、まだ喋れんの? マジすげー。でも残念。これは今の、リロイ・ロイロードの姿でしたぁ〜。分かる? ドクトルにこんな風にされちまったわけ。笑えるだろ? まあ、お前と違って、あいつは魔術こそすごいらしいけど、回復力は人並だから、死ぬんじゃねー? あ、もう死んでるかも?」
 テニの楽しげな声に、クルーガーはわが耳を疑った。ドクンドクンと耳の中で再び己の鼓動が響き渡る。しかし、それに気づかないテニは、青年の表情の変化が驚愕だと勘違いして、さらに気分よく言葉を続けた。
「なんでわかるかって? だって、オレの本体、ここにいねーもん。最初にお前に矢を打ち込んだ場所から、オレ、一歩も動いてねーもん。だから高台からリロイとドクトルの戦いが観戦し放題なんだよ。な、矢とか言っちゃってるところ、オレ、狩人っぽいと思わねー?」
「……じゃあ、ここにいる貴様は……?」
「そんなの幻に決まってんじゃん。ただーし、テレジアのねーちゃんの絶大な能力のおかげで、幻でもある程度の実体はあるわけで、それでお前の腹に弾丸を貫かせることもできるわけ。ま、実体があるのも、こうして幻を作り出せるのも、そんでもってお前の記憶を盗み出せるのも、この靄の中だけなんだけど?」
 軽い口調でペラペラと喋るテニだったが、未だ髪の毛を掴まれて無理やり顔を持ち上げられているクルーガーの頬がひきつっているのに気が付き、不審げに目を細めた。
「何、その顔? 解決策が見つかったとか思ってんの? そんな重傷だとさすがのお前でも、オレの本体を殺すのなんて無理でしょ? つーか、靄を発生している間は、この中に閉じ込められた人間が外部に逃げるなんて無理だぜ? それとも、お前」
 血糊が拭いきれていないままで、テニはグッと青年の顔に己の顔を突き合わせた。偽物とは言え、地で赤く染まった美少年の顔は壮絶なものがある。
「まさか、こんな傷をこさえたリロイ・ロイロードが、外部からオレの本体を攻撃して、お前を助けに来るとか思ってんじゃねーよな?」
 怒気をはらんだ冷たい声で、テニは血まみれの青年に食いついた。青い瞳が怒りに見開かれている。その青の中に、息も絶え絶えな割には、にやついている自分の顔が映っているのを見て、クルーガーは吹き出しそうになった。だが、そうした青年の態度が気に入らないのか、美しい顔を歪めて狩人は怒鳴る。
「無理なんだよ、無理無理無理! オレの目からは見えるぜ、今まさにドクトルがリロイ・ロイロードにとどめを刺そうとしてる! もう無理だな! あの状況で反撃なんて無理だ! お前を助けるなんてさらに無理な話だ!」
 子供のような言い方は、まさかリロイのマネをしているんじゃないだろうな?
 クルーガーはその時になって、初めて自分がわずかながら腹を立てているのに気がついた。
 いうなれば「カチンときた」というやつだ。

「むりむり、うるせーよ」
「え?」
 唸りのようではっきりとした口調に、テニは無意識に聞き返した。そして今度は恐怖に目を見開いた。
 髪をつかんでいた手を、つかみ返す手があったからだ。
 だが、人間のそれではない。
 獣のそれでもない。
 漆黒の毛並みが生えた、鋭い爪を持つ大きな手。しかも、その手は今まさにテニの腕を握りつぶした。
「ぎゃあぁあぁぁっ!!?」
 腕を握りつぶされた衝撃と、これまで以上に予期せぬ出来事にリロイの姿をしたテニの顔が醜く歪んで、絶叫する。その握りつぶした腕をつかんだままで、クルーガーはニヤリと笑いながら次第にその姿を変えていく。
 耳はとがり、血塗れの口元はそれに追いつこうとするかのように裂けていく。ゴキゴキという音は、内部から質量が変化しているからなのかもしれないが、大柄なその体躯はすでに元の彼より頭二つ分は大きい。そして、全身からは美しい黒々とした獣のような体毛が生えていった。低い唸りと共に、変化していく姿を、幻とは言えちぎれた腕を修復することさえ忘れたテニが呆然と見降ろす。しかし、見下ろしていた視線は、やばて見上げることとなった。
  
 彼らの足もとには、尋常ではない血だまりが出来上がっていた。 その元となるはずのクルーガーは、今やその場に這いつくばってはいない。
 血だまりの中に立ちあがっているのは、黒い布きれと化した衣服を身につけた、巨大な漆黒の狼だ。ただし、四足ではなく、強靭そうな二本の足で、しっかりと大地を踏みしめている。
 呆然とするテニを見下ろし、狼は眼を閉じたままで深く深く息を吸い込んだ。その際、漆黒の体毛で覆われた腹部から鮮血が一度ほとばしったが、その出血も次第に止まる。血にまみれた白い牙がその口蓋から見えた時、美少年の顔をした敵がこちらが気の毒になるほど怯えた表情をしたので、少し気の毒になったほどだ。だが、漆黒の狼はそんなことに怯むわけもない。
 息を吸い込んで、それを吐き出す同時に、それこそ乳白色の靄を吹き飛ばしかねないほどの大音量で狼が吠えた。

 大気を震わせ、地の果てまで響き渡る遠吠えに、彼らから遙か離れた場所で、戦闘を終えた跳躍者がハッと振り返り、魔人は失いかけていた意識を呼び起こす。少女の姿をした魔王は、興味無さそうな表情で灰色の空を見上げた。
 そして。


 そして、彼と同じ世界から来た金髪の青年は。



 自分でも、これまで気が付いていなかった力を解放する。

 


 
「お前はなんなんだ!? オレのデータには無いぞ!?」
 目の前に現れた巨大な二足歩行狼に、既にリロイの姿からはだいぶかけ離れた様子のテニが悲鳴をあげた。美しいはずの顔は恐怖に歪み、今や醜いといってもいいだろう。
 それを見下ろして、遠吠えを終えた狼は金色の瞳で彼を見下ろした。
「……なるほど。貴様がそう何度も姿を変えるのは、ひとえに貴様が脆弱だからか」
「……なんだって?!」
 言われた意味をよく理解していないのか、それともよく理解していたからこそ反論の意味を込めてなのか、狩人はヒステリックな声で聞き返した。しかし、その敵の様子に狼は動じることなく僅かながら目を細める。その様子に、ようやく狩人は気がついた。
 漆黒の体毛。
 金色の瞳。
 まさか。
 まさか、まさか!
「お前、クルーガー・バーズ!?」
「化け物と言われても仕方がない。俺は狼男だ」
 問いかけに対して素直に返答せず、クルーガーは巨大な狼の姿でフンと笑って見せた。腹から背中にかけての傷が、熱さから痛みへと変化している。ということは、何か感じるだけの痛覚が戻ったということだ。
「あまりこの姿は好きではないんだ。良い思い出もないし、第一、ディースが可愛い可愛い言ったものだからな」
「可愛いっ?!」
 そちらの発言の方が信じられないといわんばかりにテニが悲鳴をあげたが、クルーガーは気にせずグルグルと腕をまわした。わずかにぎこちなさはあるものの、充分に動いてくれるようだ。
 狼男、ばんざい。
「なんにせよ、靄の中にいる間、貴様の手中だという事実はわかった。ならば、幻がなくなるくらい、靄が消えうせるくらいに、目の前にいる貴様を破壊すれば、少しでも本体が動揺するかと思うのでこの姿になったわけだが」
 軽く屈伸運動なんか始めた狼に、既にリロイからはかけ離れたひどい顔で、テニが馬鹿みたいに口をあけていた。
「さて、俺の考えは、解決策としては正しいかな?」

 しかし狩人自身から返答が戻るよりも先に、靄の中を一筋の閃光が走りぬける。瞬間的に身の危険を感じたクルーガーは、人間からかけ離れた、それこそ獣のような俊敏さで動きで、閃光から逃れるため飛び退った。だが、ちょうど閃光が通る位置にいたテニは、いや、テニの幻は、もろに全身で閃光を浴びることとなる。
 その閃光がどのようにしてあらわれたのか、どういったものなのかはクルーガーには分らなかったが、テニが絶叫とも悲鳴とつかない叫びをあげたのを聞いて、背筋を寒くした。
 閃光を浴びたテニの姿は、まるで蠟燭が炎にあぶられたかのように外側から見る間に溶けて消えた。そしてテニの焼失と共に、彼らを取り巻いていた靄も瞬時に取り払われる。
 乳白色の世界から、灰色をした空がようやく姿を現したのを見て、油断なくクルーガーは高台があったと思われた場所へ視線を巡らせた。が、それよりも先に閃光が発せられた場所の方へと目が向かう。さらに背筋が寒くなった。
 奇妙な初老の男のそばに倒れている少年の姿は、まぎれもなく、彼と同じ世界から来た少年だったからだ。
「リロイッ!」
 我知らずその名を叫んだ狼は、地を駆けた。


30 :菊之助 :2007/07/10(火) 23:17:33 ID:ocsFWJxL

二人と二人と、それからそれから 結末編

 そして、リロイは満身創痍の姿のままで、呆然と高台の方向を見上げるドクトル・ジュニングスに向かって弱弱しく微笑んだ。
「……死んでないだろ、オレの連れ? 死なせて……たまるかってんだ……」
「……いやはやいやはや。正直驚いた」
 心底驚嘆したのか、先ほどの無感情な声とは違い、ドクトルの声には高ぶりがあった。眼を閉じたままでも、その驚いた様子を想像して、絶体絶命と思えるのにリロイはおかしくなる。
「まさかまさか、そんな体であれほどの魔術を扱えるとは。退魔の術ではなさそうだ。吾輩の知る魔術の中には無かったタイプだよ、キミ。今ので吾輩の仲間が高台ごと木っ端微塵になったよ君。ニュータイプだ、驚いたね。人間離れしている、無意識下で放った魔術にしては実にしっかりとした構成だ。君はほんとに人間かね?」
「……自分でも……わからねぇけど……」
 軽くせき込んで、リロイは新たな術へと意識を集中させる。回復魔術だ。己に対して使うことはほとんどない術なので、どうにも構成が成り立ちにくい。そもそも激痛が少しも緩和されていないため、通常ならばすぐできる構成もまとまり難いのだ。しかし、そんなリロイの行動を知ってか知らずしてか、続けざまにドクトルは感嘆の言葉を続けた。
「本当に本当に驚いた。まさかあの状況で、この状況で、無詠唱の大規模な術、それも敵であるテニのみに当たる術を発動させるとは。何かねこれは? ほんとにすばらしい。いやはや何とも恐ろしいなきみは。狙ったのかね? 狙ったにしても、相手の姿が見えないのに狙えるものかね? それとも君は悪魔や精霊に近いような精神体か何かなのかね、実は?」
「……なんだ……そんな風に聞くってことは……お前、やっぱオレのばあちゃんのことなんか全然知らねーんじゃんかよ……」
 治癒術に集中しつつも、憎まれ口を叩いてリロイはようやく瞼を開いた。焦点の合わない視線でようやくドクトル・ジュニングスの姿をとらえた時、彼はこちらが一瞬ビクッとするくらいの恐ろしい表情で睨みつけている。斜視の眼はそのままに、額に浮かんだ無数の青い血管が、彼が怒っているのだとリロイに教えた。
 何を怒っているのかわからないで、呆然とするリロイを見下ろして、これまでにない低い低い声で『魔術師殺し』はつぶやく。

「吾輩、この世の中で許せないことが三つばかりある……。ひとつはイシス女史に逆らう存在。ひとつは己の研究対象を横から奪う狼藉者。そして何より許し難いのは」
 チャキッという音は、再びドクトルの手の中に現れたマシンガンの安全装置がはずされた音だ。眉間に銃口を押し当てられたリロイは、己の目が見開かれるのを感じた。術の構成もあやふやないま、それを防ぐ術は彼は持ち合わせていない。その焦りの表情を読み取って、ドクトルが笑った。
「そうそう、その顔だ。その顔のまま聞くがいい。吾輩、一番許せぬのはな。吾輩の知識を疑う愚か者だよ、リロイヤート」
 トリガーにかかる指に力が込められる様を、リロイは見つめることしかできなかった。
 

弾丸が発射される。
 

 だが、その衝撃をリロイが受け止めることはなかった。
 発車音ははるか遠くで聞こえたからだ。
 何が起こったかわからない。
 見開いた眼の前で起こった現実は、とても正視に耐えられる代物ではなかったからだ。
 

 突如凄まじい速さで横合いから現れた巨大な狼が、まさにトリガーにかかる指へ力を込めたドクトルの上半身を、遥か向こうへと千切り飛ばしたからである。
 眼前に残されたドクトルの下半身から、思い出したかのように太い血潮が飛び散った。それはさながら噴水のようにある程度の高さまで飛びあがると、そのまま重力に従って倒れるリロイへと降りかかる。生暖かいかと思った血の雨は、まるで真夏に浴びるプールサイドのシャワーのように冷たい。その非現実的な温度が、リロイの正気を保たせた唯一の救いと言えるだろう。
 そして、その下半身の向こうに立っていたのは、巨大な二足歩行の狼だった。そいつもまた、リロイと同じように冷たい血を浴びながら、無表情にその場に立ち尽くしていた。しかし金色の瞳に思い当るところがあり、リロイは苦し紛れに、つぶやく。

「……クルーガー、か?」
「早く傷を治せ。自分では気がついていないようだが、かなりの火傷だ。そのままだったら傷が残るぞ」
 呻りにも似ていたが、確かに狼の口から出た声は、彼の知る青年のそれだった。訳がわからずポカンとするリロイの耳に、新たな声が届いた。反射的にそちらを見ようとするが、首が痛んで見ることができない。ただし、声の調子は覚えている。まさか、まだ生きているのか?
「お前の闘っていたやつはなんだ? 上半身だけになっても、笑ってこっちを見ているぞ?」
「……変態なんだ」
 狼男の問いかけに、これほど適切な言葉はないだろうと思いつつリロイは返答した。姿が見えなくてよかった、とリロイは重傷を負ってしまったことに対して、少しだけ感謝した。上半身だけで笑いながら弁を振るうドクトル・ジュニングスの姿なんて、想像もしたくない。
 そのドクトルはというと、彼らから十メートルばかり離れた場所で、クルーガーの言うとおり腰から上だけの姿で横向きに倒れたまま声をあげて笑っていた。狂気を通り越して、いまや恐怖そのものの姿である。
「実によい、実によいよ君達! 方や人間の扱う魔術とは思えぬ魔術を扱う魔術師! 方や人間をはるかに超越した狼男! なるほどなるほどなるほどぉぉおぉっ! 真珠が選んだだけのことはある! 実によい! 実によい研究材料だ!」
「……材料もなにも、今のテメーの姿の方がはるかに材料っぽいんじゃねーのかよ?」
「同感だ」
 再び治癒術に集中しつつリロイはつぶやくと、狼男と呼ばれたクルーガーも、やはり狼の姿のままで至極尤もだと言わんばかりにうなずいた。しかし、二人の意見を完全に無視して、ドクトルは更に狂喜の笑みをたたえて叫び続ける。
「素晴らしい! 素晴らしすぎる!! これは是非とも君達二人をとらえて研究しなければ実験しなければ!! そのために、吾輩一度退くとしよう! 退いて体制を整えるとするよ! さてそれには足が必要だ。しかしその足は使い物にならんな」
 すでに血の噴出が収まって、いまや物のようにリロイとクルーガーの間に立ち尽くしているジュニングスの下半身は、上半身の叫びに応じるかのごとく突如消滅して見せた。さすがにその様子に若い二人はギョッとしたが、それと同時に彼らの頭上を流星のように駆け抜けた光が見えたので、そちらに気が回ってしまう。その流星は高台があった場所から飛んできたようで、上半身だけのジュニングスの元へと落下したかと思うと、発光を抑えた。
「……クルーガー……何がどうなってんだ?」
 いまだに首を動かすことのできないリロイが狼男に尋ねると、彼は毛深い頬を引きつらせて唸った。
「……光が消えて、赤黒いぶよぶよした塊が魔術師殺しの前に現れた」
 クルーガーの視線の先には、彼が言ったとおり、内臓のような色と形状をした、子供の大きさくらいの塊がドクトルの前に現れたのが見えた。はっきりいって、これまた正視に耐えがたい。その塊はどこが発声器官なのかはわからないが、表現しようのない不気味な音を出してドクトルへと居ざり寄る。そしてドクトルは、待っていたと言わんばかりにその塊に向けて倒れた姿勢のまま諸手を広げて見せた。
 クルーガーの喉の奥から「うえっ」という音が出たのをきいて、リロイはある程度予想をしつつも、彼に聞く。
「……何がおこったんだ?」
「塊と魔術師殺しが抱擁しあって……なんか、くっ付いたぞ?」
「くっついたって……どう?」
「……魔術師殺しの下半身に塊がくっついてだな……タコみたいな気色悪いことこの上ない八本足になって起き上った」
「うえっ……」
 見ていないが容易にその姿を想像してしまい、リロイはただでさえ重傷で顔色が悪いというのに、さらに青くなった。しかし当の本人達はいたって気にした様子はないらしい。
 なぜならば、合体を遂げた後にドクトル・ジュニングスの哄笑が響き渡ったからだ。

「ふはははっはははっ! 見たまえ! 君達が二人で我々を倒したように! 我々もこうして二人揃って君達を倒すことにしよう!」
「……二人って……片方は誰だよ?」
「テニとか名乗る狩人だ。俺の敵だった」
 リロイの疑問に狼の姿のままクルーガーが冷静に呟いた。冷静に呟けたのは、彼らの恰好があまりにも不気味だったことと、そして、そのような姿になっても今はまだすぐさま参戦できないとクルーガーが本能的に悟ったからだろう。
 クルーガーの予想通り、ドクトル・ジュニングスは、高々に笑いながらもジリジリと彼らから後ずさる。八本のピンクをした足が先程まで饒舌だったテニの姿なのかと思うと、いささかクルーガーは気の毒になりながらも、それをあえて追いかけようとはしなかった。
「次に吾輩達が君達の前に現れるとき、万全の態勢でいてくれたまえよ。そうでなければ面白くないからな」
「……できれば二度とお会いしたくないんだが」
「……オレも同感。つーか、腹減ってきた」
 半眼でこちらを見返す狼男と、それに同意する魔術師の声は端から聞く気もなかったのだろう。
 『魔術師殺し』と『狩人』の合成物は、再度高らかに笑い声をあげると「さらばだ!」と言い放ち、そのままとんでもないスピードで地平線の彼方へと走り抜けていく。ようやく首を動かせるようになったリロイは、不幸にもその奇怪な後ろ姿を視線の端でとらえてしまい、呻いた。
「……腹は減ったけど、当分タコは食いたくねーなオレ……」
「というか、食欲が失せるだろう、普通……」
 敵の姿が見えなくなった後も、彼らはしばらくそいつらが走り去って行った地平へと視線をそのままに、口をへの字に曲げていた。




 リロイが体を起こせるようになったのは、それからさらに十分以上の時間が経ってからである。
 そのころには、クルーガーもまた、狼男からいつものクルーガーの姿へと戻っていた。彼の腹に受けた傷は、未だ肉の焦げ付きはあるもののほぼ完治していて、リロイの魔術を必要としなかった。それ故、リロイも自分の傷の回復に集中できたわけであるが。
「……聞かないのか?」
 唐突にクルーガーに言われて、リロイは己の皮膚を形成しつつ、聞き返す。
「何を?」
「俺が、何なのかということを、だ」
 金色の瞳は真剣にこちらを見つめてくる。リロイはしばらくその瞳を受け止めていたが、ややあって大きなため息を吐いて、言った。
「別に。狼男だろうが熊男だろうが、姿形が変わるだけなら別にどうでもいいーんじゃねぇ? むしろ、その姿になって傷の治りが早いならば万々歳じゃねーか。……まあ、ドクトルの体を真っ二つにした時は、さすがにビビったけど」
「……気にならないのか? 俺がどういう人間なのか。いや、人間でもないのかもしれない。この体のせいで、少なくとも俺は、俺の周囲にいた人間を不幸にしてきたわけだから」
「……誰だよ、それ?」
 己の傷へと視線を向けながら、リロイがそっけなく訊いてきたので、クルーガーもできるだけ無感情に返答した。
「父親や、母親。それに、妻」
「妻!? お前、結婚してたの!?」
「もう死んだが。半年ほど前に、俺の留守中に兵隊達に殺された。俺は戦場ではそれなりに有名だったから、おそらくその遺恨で妻を殺したんだろう……」
 予想外の言葉の数々に、リロイは絶句した。
 そして、クルーガーもまた口を閉ざす。
 しばしの沈黙。
 先に口を開いたのは、金髪美少年のほうだった。
「……奥さん」
「なんだ?」
「奥さん、年上?」
 予想もしなかった質問に、少々面食らったのかクルーガーは眼を見開いたが、ややあって答える。
「いや、同じ年だ。ディースという。気は強いが、かなりの美人だ」
「……自分の女房、美人とかいうタイプなのか、お前?」
 半眼で睨まれて、クルーガーは再び面食らったかのように目を見開いたが、やがて口元に笑みを浮かべてうなずいた。
「……事実だから仕方がない。美人だ。しかもなかなか魅惑的な体形をしていた」
「やっぱ、一人でするよりは二人でする方がいいの?」
「何を?」
「エッチだよエッチ」
「はぁ?」
 度重なる少年の質問に、とうとうクルーガーは間抜けな声で聞き返す。だが、聞いたリロイは真剣な眼差しで彼を見返して、聞いてくる。
「だって知りてーじゃんかよ。オレだって、こんな清廉潔白純真無垢な美少年なわけだけど、十八歳の多感なお年頃なんだぜ?!」
「お前、ドーテイか?」
「ばっ! そんな露骨に聞いてくるんじゃねーよ!」
 今度は耳まで真っ赤にして、リロイが怒鳴る。その様子に、再びポカンとしたクルーガーだったが、次第におかしさがこみ上げてきて、気がつけば彼は目に涙まで浮かべて大笑いしていた。
「おまえっ、こんな非常事態の時に、よくっ、よくも、はっ、そんな質問が思いつくなっ!」
「いーだろうがよ! オレの周りにゃ、同年代の男がいねーんだよ!」
「ふははっ!」
 更に声をあげて笑うクルーガーに、きまり悪そうに顔を赤くしていたリロイだったが、次第にどうでもよくなってきた。それほどクルーガーの笑いが豪快だったからだ。
 クルーガーは、笑った。




 
 クルーガーは、人前でこんなに大声で笑ったのは、初めてだった。



[魔術師リロイ・ロイロード VS 魔術師殺しドクトル・ジュニングス戦 及び  狼男クルーガー・バーズ VS 狩人テニ・オト・パミャチ戦: 一時間九分五十一秒、両者乱入およびアンチ・バリアント側融合後、退却のため勝敗なし。次回、引継ぎ]



 クルーガーの大笑いが終わったところで、二人は改めて己たちの姿に気が付き、再び呆然とした。
「クルーガー。服が破れて、お前マッパにパンツ一丁みたいになってるぞ?」
「お前の方は、袖と背中と尻とひざ下しか隠れてない……尻を隠して前隠さずだ」
「……これ見て、ほかの奴ら、どんな反応するだろうな?」
「……とりあえず、切れるものを探そうか」
 二人の間に新たな絆が生まれるのは、同じような境遇に陥ったからだろうと、そう思う。


31 :異龍闇◆AsVGmnGH :2007/07/20(金) 13:09:19 ID:WmknzDxc

無心な男


「Calamitas virtutis occasio est.」
「災難とは、勇気を示すための好機である」


――――――――――――――――――――――――――――


 情報の海が広がる空に黒翼を無限の空と同じく大きく広げ、高笑いを続けるエリヤに似た何か。

 そんな奇怪極まる彼女の真下。こっそり潜んでいるのは察しの通り、灰色の亡霊である。
 何かの強烈なパワーで彼女から半径約三キロ前後を吹っ飛ばした攻撃から辛くも超躍で離脱してから、抜き足差し足で彼女の真下、死角へと紛れ込んだのである。そして、その亡霊に似た形容通り、まったく彼女に感知される事なく岩肌の陰にニンニンと身を預けていた。

「ふむ」

 心理を冷静に分析するならば、あのエリヤに似た何かは未だに錯乱状態に近い状態にある。
 その証拠にナコト=ネロとの対戦から十五分以上経つと言うのに高笑いを続け、まだその場から動かない。
 もし、心神が正常範囲であれば、エリヤであるはずの彼女はおそらく他の敵を、自分の敵たる悪を殲滅しに転じるだろう。しかし、それがないと言う事は見た目以上に何らかの、行動を選択するだけの確固たる意思がないと言う事だろう。先程、灰色の雲を吹き飛ばしたが、それはむしろ敵を殲滅したと言うより『敵意に反応した』ように彼は感じ取れた。

 確かにあの破壊力は驚嘆すべきだが、だからと言って超躍者はそれを称賛するつもりはなかった。

 むしろ、今彼女に感じる心象は吐き気を催す程の嫌悪そのものである。

 日々、如何に実際の体の運行と意識の思い描くギャップを消す努力、つまり、肉体操作の訓練をしている身にすれば、方向性もなくただ撒き散らすだけの暴力は最早、耐え切れない程まで醜悪に感じた。



 この段階まで来て、彼は虚空から落ちていた時の一度しか、彼女が戦う姿を直接見ていない。

 それでも彼は見ていた光景を覚えていた。
 ひたすら真っ直ぐな拳と剣。彼とは流儀が違いながらも、しかと鍛えられた勁力の発勢。見る者に確かな勇気と頑な正義を約束する眼差し。艶やかな髪と美しい天使の(フォルム)と翼。

 それを『こいつ』は穢している。


 そう、ハッキリと認識してから、彼は身をチリチリと焦がし、転じて全身の細胞が一度に沸騰するほどの激怒を感じた。
 死闘中でなければ上がらないはずの心拍はリミットを振り切って一気に百八十近くへ。全身は血流の上昇によって、指が埋もれるような筋肉が真綿の弾力を保ちながら一度に全てが膨れ上がった。灰色の戦闘服が内側からの膨張で軋んだ。

 彼女の容貌と言動から捉えられる神性さ故に、彼敬は意を少なからず払っていた。しかし、彼にとって魔王のその所業は、彼女と言う存在への冒涜に感じて正しくブチ切れていた。



 超躍者、もとい平 直門の人生はとうの昔、十一年前の大事故から死んでいた。
 詳しい経緯を省いて行動だけを見れば、三百七十三人の貴い命を間接的にでも殺してしまった贖罪。その言葉が重過ぎるが故に『人助けが趣味』と転嫁しているようにも取れる。
 だが、彼はそれとは違うと冷静に感じている。ただ言葉にはしきれない想い。それを実行できるだけの力があるからとりあえず理性に(したが)ってその力を使おうと言う宙ぶらりんな、人によっては不真面目にも聞こえる言葉。しかしその宙ぶらりんな言葉がむしろ、彼の複雑で、様々な人としてあるべき感情が欠けた心象を的確に表すのに最も適切な言葉であると彼自身は感じていた。熱くもなく、冷めてもなく、ただそうしようと思う不確かな想いでの確かな行動。心の何か大事な部分が壊れた彼にとっての、最後の生きた証。死んだ人生を生きていたと断じれるための僅かな足掻き。きっと、そう実感出来る事が人生の最後においてもないかもしれないと言う無限地獄。

 その陽炎のような彼の心境に対して、エリヤの、天璽 久魅那の光のような、天を駆ける真っ直ぐな行動原理は眩しく、そして、そこまで足掻くために跳ぶしか出来ない人間にとって天空をただ飛び続ける天使に一層憧れる。
 若くして全てを通り越して、死人直前まで老成してしまった直門の精神にとって、弾けるような久魅那の苛烈な気魄は素直に貴いと思える。


 ――それを高笑いで穢す、久魅那に似た何か。


 彼の心中の何処かで罅割れて崩れ落ちたはずの残りカスが、彼女の気魄から生じた僅かな火の粉で燻って燃え上がって、そいつの行動全てを許せないと感じた。

 天使を悪意で穢すな、と。

 圧倒的な戦力差の前に決断させる気持ち。
 気が狂うほどの死闘の中で感じる高揚感に近く、もう記憶に薄れてしまった、落ちる飛行機の中から『跳ぶ』だけでなくまだ『飛ぼう』と思った頃の気持ちが僅かに甦る。
 地面に落ちる事を前提した跳躍でなく、無限への飛翔。

「悪魔を天使に戻す、か。ちょいとキツくないか?」

 寂びた苦笑いで決断力が更に高まる。脆弱な人間にとって、冷笑(シニック)が時に活力を得る。

 ユラリと煙よりも不確かに、しかし内面の確固たる決意で彼は立ち上がる。

 目標の沈黙と、天使の救出。


「お邪魔してもよろしいかな? 魔王」
「ハハハハハハハハハ……、…………」


 虚空に浮かぶ禍々しい二つの瞳がギョロリと、今の今まで感知されていなかった彼を見据える。常人なら目を合わせただけでその視線の圧力で絶命する程の狂気に、古木の柳が如く、豪風に飄々と流れる心持で相対する超躍者。


「何だ貴様は? ……ほぅ、死人の類か。屍の身に一欠けらの理性が宿った、幽界(かくりょ)現世(うつしよ)をたゆとう存在。我を縛した天使とは異なる、異界の亡者か」
「委細承知なれば、後は容易いですね。僕が望むのは、久魅那の帰還」

 三日月をはめた様な笑いを見せる魔王。

「断る。我とアレは表裏一体。貴様のような羽虫に説く事情ではないが、我が楽しむ間はアレには眠っていてもらう」
「ふーん……。だけどそれには応じられないですよ。僅かなりとも共闘した戦友を放っぽとくほど、僕は心が死んでいるわけじゃないですからね」
「戯言を抜かすな死人。貴様如き捻り潰すのは容易いぞ」

 僅かに目の前をうろちょろする超躍者に怒気が増し、あの全てを破壊した掌を彼へと向ける朱い瞳の魔王。そして、その姿に仮面の下で「しめた」と彼は極僅かに笑みを浮かべた。

「おやおや、そのまさか、容易い存在に変な攻撃を仕掛けるわけないですよね? 獰猛な獅子様がか弱い兎ちゃんに全力を尽くす、そんな滑稽で無様で今世紀最大級の爆笑な事しないっすよね? まさか七十二師団を率いるといわれ、第五魔王のお一人で在られる金色の獅子たるアスモデウス様がまさか! 兎以下、蚊にも等しい僕を殲滅するのに核ミサイルを持ち出すような喜劇を見せてくれるはずはないッスよね?」

 仮面の下からでもニヤついているのが声色から分かると、明らかに鼻に皺を浮かべるほど怒りを露わにしながら、その指先を掌へと折り畳み、拳を作る。
 魔王のその挙動に合わせて、僅かに後ろに引いた腰に手を沿え、太ももに掌の側を体の外側に向けた、心意六合拳の戦闘開始の姿勢、【起勢】で構える超躍者。
「ほぅ、まさか貴様、屍もどきの半端な分際で魔王たる我に共に素手で挑もうというのか?」
「当たり前ではないですか、僕は蚊、魔王様は獅子。蚊が武器を持てるはずがないじゃないですカ。――でも、勝てますけド」

 虚空に浮かんだ彼女の拳から握り締める音が聞こえ、なんの作用か? 拳の間から黒い煙を生じさせて大気を穢していた。
 先ほどの妖艶に揺らぐ(くろ)き波動ではなく、物理的に大気を焦がしているのだろうか?
 どうやら、本気で素手だけで僕を殺しに掛かるようだ、と彼は見極めた。
 怪しい気配はない。純粋に拳だけで圧殺しようと言う気概が微かな、相手を凌駕し蹂躙しようと言う邪悪な笑みから読み取れた。

「……良かろう、貴様のような下郎以下の思い上がった存在なぞ、我の五体のみで四散させてくれるわっ!」
「あーぁ、そう言って守れない人多いですからネ。これで拳足以外の何かを出したら末代までの笑い者っすヨ」


 蝙蝠のような機械翼を背中に収納し、轟音をたてて広大な地上を浸食して降りる魔王。エウクセイノスの大地が崩壊するのではないかと思われる狂気の前で、極めて普通に立つ超躍者。
 なるほど、さすが神に楯突く悪の大将が一人、魔王アスモデウス。『一個師団の天使軍』とも孤軍で釣り合いが取れる、と彼は内心で思う。
 だが、こと素手において、僕が負けるわけはないだろうとも同時に確認する。
 言論に拠るものだが、彼女の最も危険な凶器である、情報生命体を消滅させるほどの情報操作能力やらプラズマ掃射やらを、彼女の気分を害し、自尊心をもって封ずる事が出来たのは僥倖中の僥倖。
 肉体のみのコンタクトであれば、こちらの打撃を彼女に与える威力が微々たるものであっても彼女からの攻撃は当たらない。その自信だけは彼にはある。後は、彼女をどう動かすかがポイント……。


 そんな事をうだうだ考えていた次の瞬間、拳を振りかぶった彼女が彼の目の前に居た。
 瞬間移動。
 空を裂く拳。
 そして、一瞬にして『彼女が』吹き飛んだ。

「――?!」
 彼女が吹き飛んできたその場所には、後ろ足をしっかりと伸ばして、片手の掌を前方に差し出した超躍者が居た。
「あ……、危ない、危ない。そう言えば魔王様ハ、瞬間移動出来るんですネ」
 灰色の戦闘服の一部である掌のプロテクターからは煙が立ち込め、拳の形に僅かに凹んでいた。
 毒蟲がある伝手で手に入れた人工素材(メタマテリアル)で保護されていなければ掌は突き破られていた。
 一方からの衝撃を柔らかく受け止め、その反対側に当たる部分が硬化する作用を持つ、自然界には存在しない人工素材。つまり、超躍者が思いっ切り殴る時に拳は人工素材で保護され、相手にぶつかる側は鋼鉄以上の硬さとなってぶつかる。そして逆に相手の攻撃を受け止める時には柔らかくなり、掌の柔らかい部分で受け止めるのである。むろんこの素材はナノテクノロジーを応用した作成技術を必要とするために百グラムで億単位になるほどの希少性である。そのため、彼の戦闘服でも爪先、膝、肘から拳にかけての全体、前頭部の、打撃、もしくは攻撃の受け止めに使う部分にしか嵌め込まれていない。今まで彼が殴っても拳にダメージを受けなかったのはこんなカラクリである。むろん、素材の衝撃吸収速度があるので今のところ全力で殴ってはいないのだが。

 だが、それだけでは魔王が吹っ飛んでいった事は説明できない。掌だけを差し出して、人は吹き飛ぶのか?

 いや、吹き飛ぶのだ。

「ば、バカな……、有り得ん!」

 再び拳を振りかざして、殴りかかった瞬間。
 瞬時に彼女の横に移動した超躍者が彼女の首に前腕を引っ掛けていた。
 突きと同時に踵で彼女の脹脛(ふくらはぎ)を払い、首を支点にして回転しながらアスモデウスは物凄い勢いで吹っ飛んでいた。
 地べたに背中から落ちる魔王。信じられないと言う魔王の瞳。

「へぇ、合気道の真似事だけド、結構出来るもんですネ。今度から真似しようかナ?」

 最初の弾き飛ばしは、理屈としては壁にスーパーボールを思いっきり投げたら反動で戻ってくるのと同じである。
 先に彼女が殴るのよりも早く、正確には二十四時間普段から、相手を弾き返せる壁の体勢を彼は全身で作っておいて、殴る瞬間に地に足の付いていない彼女よりも僅かに早く、突くために到達した拳を押し返すのである。空中に浮いた足場のないスーパーボールは投げられたスピードで自ら跳ね返ってしまうのである。しかもその壁が更に押し返してくるのである。つまり、強く殴れば殴るほど、自分の力と相手から加えられた更なる力で思いっきり素っ飛んでいくのである。合気道が使う技術の一つでもあり、中国武術では化勁とも呼ばれる技術でもある。『柔()く剛を制する』を体現した技だった。
 これが久魅那の場合だったら、しっかりとした空手の基本、現在のボクシングもどきや拳を当てるだけのポイントゲームでもなく殺人者にも対抗する武術の基礎があるだろう。そのためそれを基にして彼の掌を腕ごと逆に破壊するような大地と体が一体化した重い拳を放つ、『剛能く柔を断つ』事が出来たかもしれないだろう。
 しかし、魔王は大地に根を張るようなバランスも意識も無く、ただ畜生の如く力だけで拳を振り回す所業。プラズマによる融解現象が無ければ、武術の核心を掴んでいる彼にとってはただ単に高速で飛来する紙切れにも等しい。紙切れならば、指先でどかすだけで十分である。

 その気になれば、言葉通り指一本でもその拳をズラす事は出来た。むろんその指一本には勁力によって全身の力が全て集約されているから拳をズラせられるのだが。どちらにしろ拳をズラすより、彼女に吹っ飛ばして焦らせて『もっと心に隙を作らせよう』としたのだ。



 だらりと下げられた両腕に前屈みに体を曲げた姿。
 獣。諸手は爪の如く作られ、その指先が彼に獅子の如く襲い掛かる。

「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
「いやーダンスは楽しいですネ。たんたたらりラ」
 情報素子で編まれた大地が爪状に引き裂かれる、身が縮むほどの恐怖の『斬撃』を回避する。あまりに当たり前のように避け続けるその動作に、実は簡単ではないかと錯覚してしまうほど彼の体術は魔域の動きを見せていた。その実、コンマ単位での拍子、速度、距離、角度を見誤れば斬殺される程の危うさを含んでいた。彼がしている事を分かりやすく言うなれば、二階から絶え間なく落ちるナイフを全て口だけで正確に受け止めているようなものである。どれだけ狂気めいた事しているかは想像出来るだろう。
「畑作ってんすカ? 敵は目の前ですヨ、たんらったラーン」
 更に挑発。魔王が人外の体力で空を切って大地を裂く。
 そんな常人が気が狂うような中で彼がしていたのは避けるだけでなく、もう一つ。

 久魅那を救う事、もとい『久魅那を目覚めさせる事』だった。



 彼女の症状が、自らが天使化した時と非常に酷似していた事から、彼女も『自らの隠された一面』に侵食されているのだろうと想像がついていた。




 以前、彼はとある『(うた)使い』と仕事をした事があった。
 超躍者の世界では人類を天使へと進化した人間だけで統治しようする意思と異界の能力を持つ天使達がいて、彼はそれに対抗していた。その天使になるには天使粉(エンジェルダスト)と言うものが必要なのだが、一般の医学界には天使になりかけの人間は心神喪失などの状態であり、病気として診断されていた。そしてその『詩使い』とは詩を歌う事で天使化した人間を元に戻す、と言う話だけ聞けば胡散クサイ事この上ない代物である。

 しかし、彼はその噂を聞き、完全に『向こう側にいった人間』を癒す程の使い手と実際の仕事の現場に立ち会って『これは本物だ』と確信していた。

 彼の世界の天使化は、天使粉を通じて神経パルスなどに異常を生じ、肉体の依存性が精神に寄り過ぎてしまった結果、肉体から一部でも解脱する事となり、世界の隠された法則である摂理の鍵を開けてしまう事であると、知り合いの研究者の女性から聞いた。
 完全な純粋精神体と化した熾天使や智天使や座天使(クラス)は自らの一欠けらでも残された意志でもない限りは戻る事はないが、それ以下の級は戦闘機械と変わらない大天使を除いて、肉体に刺激を与える投薬などによって人間に戻す事は可能だった。むろん、それは人間になる事を希望し、長い投薬に耐えて、天使の能力(ギフト)を使わない状態を医学的治療と共に続けなければならなかった。

 だが、詩使いは違った。謳い終わると同時に人間へと回帰する彼女の使う天使の癒し方は、幻惑や魔術の類でなく一種の職人芸だったのだ。
 それを理解するには万物の法則である物理を理解しなければならない。
 物体には共鳴現象と呼ばれるものがある。これは物理的な特定の振動を物体に与えると他の物体にもその振動が伝わる現象である。理科の実験でやった事があるように、離れた場所から鳴らしたU字型の音叉が空気を媒介にして振動を伝える事で、別のU字型音叉を鳴らしてしまうアレである。そして、物体には固有の振動を受け持つする特定の波形がある。これによって特定の物体だけを振動させる事が出来るのである。
 むろん人間の骨にもそれはある。ただ、それは骨の形や大きさによっても振動させる、揺らぎやすい振動数は異なるのである。音楽家の間では身体共鳴といわれ、人を感動させる音楽を奏でる合奏者は必ず使っていると言う。例えば、頭頂部は約八千ヘルツ(一秒間に八千回の振動)で共鳴するが、頚椎上部では三千ヘルツ、腰椎より下などでは五百ヘルツ以下の振動で共鳴する。そして、これらの振動は耳でなく骨の振動で聴く骨伝導聴力を介して脳へ刺激として受けられるのである。そして、これらは骨だけには留まらない。つまり、内臓や皮膚にも固有の振動があり、腹に響くような音と言うのは、演奏者の楽器や歌と実際に同調(シンクロ)して腹で『聴いている』のである。だから古来より、音楽によって舞台で舞う巫女が心身昏睡(トランス)状態に陥り、脳の無意識領域から情報を引き出して託宣などを与えたりする事があったのだ。つまり、音楽には人の精神に影響を与える強い力があるのだ。近年、デスメタルのコンサートなどで起きた殺傷事件やカルト宗教での集団自決は曲に込められた暴力性の強いメッセージなどが聴き手に影響を与えてしまったのだろう。音楽は使い手によっては集団を煽動をするような事をしたりする危険な面も存在するのである。しかし、気位の高い使い手であれば、音を通じて他人の精神を癒す事さえ出来るのである。一種の催眠なのだが、人体の共鳴を利用する事で、原始的な本能すら呼び覚ます、高い治癒力を秘めていたのだ。
 肉体から切り離れ、精神へと閉じようとしている人間を、自らの詩によって全身を揺らがせて催眠を掛け、肉体に呼び戻すようなものである。それには人体の何処が共鳴するかと言う深い解剖学を超えた理解と、自らが共鳴させる音を作り出す力の二つが必要となり、常人ではマスターするのに長い修行が必要だろう。

 しかし、自らの肉体を、否、普遍的な人体をナノ単位で理解している彼は彼女のその技を即興で真似る事が出来たのだ。
 体の隅々まで振動する固有振動数を理解し、そして音を自らの声帯を操作して発生させる事は朝飯前である。

 彼もつい先ほど召喚される前、天使の軍団との闘争中に幾人かの天使を人間として呼び戻すことが出来ていた。暇が出来たら、今度はそれが個人だけでなく、集団にも作用するように出来たらいいな、と闘争中にも考えていたところである。


 だから、彼は魔王の攻撃を避けながら彼女に音で呼びかける。体が縮んで、別の筋肉で歪めば全身で出せる音も限られる。それでも、戦闘に最新の注意を払いながら、音の共鳴を使って彼女に触れずに触診を施し、同時に癒していく。表層的な音の聞こえは常に違いながら、彼女へと響かせる場所は常に一定の順序だった。自らの体で発した音で、魔王によって拘束された、体の奥に眠る彼女を呼び覚ましていく。
 この作業は彼の詩は自分を羽虫の類と認め、逆に魔王をその返答で挑発したところから静かに始まっていたのだった。

「デュ、ラ、ハ、フ、ナ、カラ、ツァ、ウル、ロチ、ウォネ、シア、コホ」

 先ほどから会話に混ぜていたただの音の羅列に聞こえるそれが、魔王の幾重の虚数空間オーラをも当然の如く通して、意味のある振動となって彼女の体を揺さぶる。
 赫怒を表す魔王は何をされているのか気付かない。
 弾丸が降りしきる中で、諸手を広げて踊りながら謳う、そんな超躍者。
 凶悪な爪で(くしけず)れた不安定な大地を舞台に、己の命を対価にして踊り謳い狂う者。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 天璽久魅那は酷く窮屈な部屋に入れられていた。
 何故彼女がそう思ったのかは分からない。ただ、入れられなければこんな場所には入りたくない、そう言う場所だった。
 さっきまでは懐かしい光景が見れていた気がするのに、今は『そんなものすら見せる余地はない』とでも断ぜられたかのように、彼女は閉じ込められていた。

 窓も、格子も、隙間もない。独房以下の(はこ)……



 そして、ここには前に『彼女の代わりに誰か』がいた気がした。
 ――分からない。

 そして、段々とそれは狭く、狭く、縮められようとしていた。まるで、彼女を磨り潰して、養分にするかのように。

「あたしは……」

 頭がズキズキとする。押さえようとした手首には地面に鎖が繋ぎ止められた重厚な手枷(てかせ)が付けられていた。
 ――分からない、あたしは、一体誰だ、と。
 ――左腕と右膝が痛む。何故? それはアレに砕かれたから。

 記憶が混乱する。彼女の大事なモノが剥がれ落ちていく感覚。


 あの特撮は二度撮りしちゃってDVDがデッキに……天使の女の子は何を食べるのかな……? ああ、そうだ。今日は玖南にとっびきりのバースデープレゼントをしないと……凄惨に汚された彼女の遺体を泣きながら抱えて葬送の鐘の音が響く死の痛みが広がって無限に届く争いを諌める力を待ち望んで迫り来る敵どもを斬殺している天使は魔獣と変わらない代われない大事な人を亡くした思い出は紅蓮の劫火に塗れて崩れた街の住人から罵倒と辱めを受けて自虐的に世界を壊したくなる黒い衝動が芽生え巣食う邪悪が侵食し咎魔が自ら受け入れた絶望が復讐を取り止めて墓石の前で幾度となく泣く大陸を宛てもなく旅する日々がただ楽しく傷を舐めて癒すのは空を高く飛ぶ翼と嵐から引き込まれて真珠と会うのは何回も鍵の意味を訊きそびれてもう一人の私が殺しにくる――


 時系列も記憶も何もかも錯綜している気がしていた。
 どれが正しいのか分からない。

 ふと、壁を見れば血のように朱色の文字で

            『負け犬は二度死ね』

 と書かれていた。


 それを掻き消したいと思ったのに、彼女の両腕はじゃらりと音を立てて、手枷に阻まれて届かなかった。

 脱力感と同時に感じる無力感。
 全てを放棄してしまいたくなる衝動が小刻みに、そして、確かに彼女の背骨からゆらゆらと、仄暗い沼地から湧き出る泡のように襲う。

 壁を通して呟かれる、いつか、聴いた事があるような呪詛。

 死ね、疫病神、人殺し、害虫、偽善者、死ね、厄介者、悪魔、無力、死ね、無意味、無価値、全無――


 ――あぁ、そうだ。あたしには力が無かった。後一歩はあっても救えなかった命があった。救えなかった大事な人がいた……


「そうだ――、貴様は完全に無力なのだ」

 いつの間にか、彼女の首に後ろから蛇のように纏わり付く灼熱色の髪を持つ女。彼女ような姿形をしながら、淫靡で、それでいて邪悪な笑みを浮かべる。
 耳元に血のように真っ赤な唇をくっ付くほどに寄せて囁く。
 その蕩けるように甘い言葉が彼女をくすぐる。

「だから、我に全てを委ねるのだ。貴様は全てを忘れて静かに眠るのだ」


 ――――。

 はい、と肯定しようとした時、誰かが叫ぶ『 誰 か の 名 前 』が全身を強く打ち付けるように(つんざ)いた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「うっとうしい! うざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざい」
「おや、ラダ、魔王様、エナ、御力が足りないようでしたら、ファマ、いつでも素手以外をどうぞ、ツワ」


 灰色の仮面を掠るような爪を深く踏み込んでかわし、瞬時に眼の下、鼻の下、脇腹を諸手で豪雨の如く突いて、止めに横から腹を双掌での打撃である【虎撲】で押し飛ばす。

 押された魔王は何のダメージを受ける事もなく、体をクルリと宙で丸めて着地し、顔を般若のように歪ませて再び襲い掛かる。
 疲れが出始めた超躍者は遂にというか、ようやくというか、自らも手を出す事態となっていた。
 しかし、虚数空間オーラを纏う魔王にはあらゆる攻撃は効く術はない。敢えて言うなれば【概念攻撃】などの手段があるが、もし、万が一、魔王よりも彼の概念が下に位置した場合、一瞬にして消される可能性がある事に加え、彼は既に切り札を切ってしまったためにその手段すら取れないのである。もう一つほど取れる手段はある事にはあるが、彼女を傷付けてしまう事は避けたかった。

 意外と言うわけでもないが、承知の通り、彼は半分は天使化してあれど殆どは、特に肉体は人間である。
 彼女のように何処から引き出して使っているのかは分からないエネルギーを使用しているわけではないので、疲労は乳酸として蓄積されていく。彼が複数の敵と同時に戦えるのは、ほぼ常に一撃で敵を確実に仕留められるために、次の敵に体力を温存出来るからである。むろん、長時間の戦闘にも耐えられるように普段から稽古を欠かしてはいないが、それでも人間離れはしていても人間の範疇には確実にある。そのため、完全に格上の敵を相手にして徐々に体力を消耗していった。

 これ以上戦えば、ダメージが全く無くとも疲労の蓄積だけで意識を失う可能性まで出て来た。

 詩を謳うのは非常に難しい作業である。相手の特定の肉体の部分を振動させるには、自身のその部分を振動させて音に載せるのが単純な方法である。しかし、体内奥、肝臓の心臓に近い側だけを揺らせといわれて出来る人間はそうそう居ないだろう。それでも彼は出来る。出来るのだが、普段何もする事なく、そう言った事を意識せずに生きる分には一生活用する事のない筋肉である。幾ら全身を隈なく動かせるほど鍛えてあるとは言え、そうそう武術以外で使う事のない筋肉を使用すれば、疲労は筋肉、そして神経共に非常に大きくなる。しかも彼はその緻密な作業を戦闘しながらしているのである。簡単に言うなれば、モナコのF-1レースで後方から迫り来る最新スペックの、いや未知のモンスターマシーンから普通乗用車で逃げ切りつつ同時に編み物をするようなものである。そんなのは神経が張り詰めすぎて気が狂わない方がオカシイが、幸いな事に彼は昔からそう言うオカシイ状況に慣れていてしまったので普通、もしくは既に狂っているのだった。だが、それでも極度に疲労する事は否めない。
 だけど、その疲労は決して見せる事は出来ない。弱みを見せれば最後、魔王の顎に即喰われる。

 死にそうだから休みたいけど、休んだらナノ秒で死ぬと言う二律背反。
 人間の矛盾を体現しつつも、狂いそうな中で謳い、踊り続ける。
 そして、疲労に溺死しになる二歩手前、その瞬間に語りかける相手をようやく彼は変えた。


「ルヒ、君はそれでいいのか、ソハ、君は力だけを求めるのか? モサ、違うだろう? なぁ、



                             『 エ リ ヤ 』!」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 自らの名前を呼ばれた瞬間に、無力感を感じていたはずの四肢に力が湧く、不鮮明だった視界が突如クリアになる。
 後ろに絡み付いていた悪魔が『桜色の光の翼』で吹き飛ぶ、手枷が溢れ出る力で弾け飛ぶ、目の前の壁が四散する。

「あたしは……、求めるものは力じゃない! 否! あたしはッ! 力でなくッ! 己の正義をッ!! 信じるッッ!!」

《貴様! 貴様ぁぁぁぁ!》

 光の翼で体を焼かれた背後の何かが激痛に叫び、地を這いずり回る。
 桜色の光の翼は一瞬だけだったのか? 跡形も無く、『いつもの白いベスト』の背中には何もなかった。
 久魅那は壁を背に立ち上がって、痛みを感じる右足を引き摺りながら歩く。
 ふと振り返る。
 そこには光翼で全身を焼かれながらも焼け焦げたまま醜悪な微笑みで、自分と同じ顔をした悪魔がこちらを(あざけ)るように見上げていた。

《……良かろう! 今回は貴様の勝ちだ! だが、我はいつも貴様の傍にいるぞ! 如何なる時も、貴様が力を求めれば、我は何時なりとも変わってやるぞぉっ!! 己の無力を存分に感じ、地を這うがいいわ! くっくっくっ……。あっはははははははははははっ!!》

 その笑いにはもう振り返らずに、彼女は壁の向こうに足を踏み出す。
 砕かれた壁の向こうは広大無辺の黄土の大地に、何処までも黒い空。
 ただ、その漆黒の空にも関わらず、スポットライトか何かのように宙の一点から光が地に伸びていた。
 まるでそこが光の漏れる、穴か何かになっているようである。

 その中央で踊る誰か。能のようで、バレーのようで、そして武術の演武のような不思議な舞。
 その誰かが踊り謳いながら、私の本当の姿を思い出させようとしている。
 まだ、具体的には分からない。モヤモヤとした自身の姿と在り方。それを踊りと詩で現す。
 中天から差し込む強い光が生じさせる影で、その誰かの顔は見えない。
 息が絶えながらも立ち尽くす彼女にその踊る彼が気付くと、踊りも詩も止めて、スッと指先が天を指した。

 見上げると、そこには白銀の鎧と桜色の翼で天に(たたず)む天使がいた。
 幻影のように薄い映像のようなもの。見慣れた陽炎。


 踊っていた誰かの口が、初めて詩以外の言葉で動く。――飛べ、と。


 跳ねて、宙返り。直後、中空で一回転するうちに彼女の全身を光の繭が覆い、瞬時に弾ける。しかし、繭の一部だけは被ったかのように人の形を保ったまま光のヴェールで覆われ、そのまま幻影に引かれるように光の尾を引いて天へと飛び続ける。
 やがて、その姿が幻影の天使と重なった。

「あぁ……」

 歓喜の声。
 自分があの故郷で全ての悪を断ずると宣言したあの瞬間から、挫け掛けて、使ってはイケナイ力に手を伸ばしてしまった瞬間までの記憶が全て甦る。
 もしかしたら、彼が命の恩人では無いかと思い、ふと見下ろす。
 遥か下の地上からこちらを、『いつものフザけた言動とは裏腹に』心配そうに見上げる青年。

 ――大丈夫。あたしは、やっていける。


 そして、それを伝えるように、今の今まで封じられていた言霊(ことだま)が流れるように口を出る。
 彼女自身の真の名を今思い出す!

「舞えよ精霊。踊れよ運命。
 天の使いはすぐ傍に。
 光の力、魔を弾劾する十字星。
 我が前に天上の門を見せよ!
 天使との契約の下―――我、守護の天使なり!!」

 彼にウィンクで返すと共に光のヴェールが次々と、彼女の鎧の装着している場所ごとに弾けて、その本来の色と力と姿を取り戻していく。

「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ! 悪を倒せとあたしを呼ぶ!
 月は東に日は西に! 悪あるところに正義あり!
 聖なる光翼(つばさ)飛翔(はばたか)せ、守護天使エリヤ、只今参上っ!!」


 そして最後に白色の翼を翻し、彼女は守護天使エリヤの姿で天に据えられた光の穴を突き抜けた――

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「……………………あれ?」
「よぉ、お目覚めですか? お姫様。王子様へのキスがまだですよ」

 気付けば、久魅那は倒れた超躍者の胸の鎧の取っ掛かりで胸倉を掴むようにして馬乗りになっていた。
 そして彼女の右の拳は、ちょうど超躍者が顔を避けなければ潰れているような場所で手首まで入り、煙を上げてめり込んでいる。
 その拳は手甲も何もなく、剥き出し。

 そして、体の方も、生まれたままの姿のまま。

「その姿、ぐっじょべぉっ!」
「いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 人間体の持てる全力で超躍者の顔面を殴ると、涙目のまま、ガーディアンハートの補助機能で制服を構成してしっかり呼び戻した。ちなみに超躍者の頭はほぼ地面に埋まっていた。
 ハンカチで涙を拭い、鼻をかむ頃には、メタマテリアルのお陰か? 意外に当たり所が良かった超躍者もキングクリムゾンしていた意識を取り戻して立ち上がっていた。

 こちらを「ヘンタイ、ヘンタイ、ヘンタイ」とでも言いたげに睨んでくる久魅那。
「……まぁ、いいじゃないっすか、いいんちょ。普段からパンツ見せてるじゃないですか」
「これはちゃんとした見せパンなの! あー! あんたなんか尻も丸出しだし! この露出狂! それに誰が、いつ! いいんちょになったのよ!」
 実はもうとある場所でなってます、と天からの声を他称ヘンタイは受信したが、余計混乱するのでスルーしておくことにした。
 頭を抱えて地面に体育座りして凹むいいんちょ。

「まぁ、そう怒らずに。他の男三人全員に真っ裸をガン見されるよりマシですよ」
「そんな事があったらこの世界丸ごと破壊するわよ! あーん! もー最悪! 誰が悲しくて灰色スーツのヘンタイの目前でこんな恥ずかしい姿を曝さなければならないのー?! ウェディングドレスを着させられた時とアレとかアレ以来のトラウマだわ!」
「……トラウマがやけに沢山ありますね。それに恥ずかしい姿と言うより僕の私的意見としてはむしろ立派で、うぉっ! 褒めてんですけどぉ! 褒めてんですけどぉ?!」

 必殺空手の大技の連続をヘロヘロの体力で超躍者は辛くも交わしつつ、しばらくして双方とも精神的にも肉体的にも限界が来たのか、そのまま大の字に地面にぶっ倒れた。

「あーもー。疲れたし……、最ッ! 悪ッ!」
「ほーですかー。ま、お互いハッスルして疲れましたし、このまま休みましょう」
「その言葉意識して使ってるだろ、このセクハラ野郎」
「なんなら腕枕しましょうか?」
「暫魔天空ッ……」
「ごめんなさい」

 いい加減、久魅那も調子が戻ってきたみたいなので、頭のてっぺんとてっぺんを向かい合わせて大の字のまま休む。
 しばらく時間が緩やかに流れる。
 これが気持ちのいい草原なら流れる雲と爽やかな風を感じただろうが、そこは異界。渦巻く天と荒涼とした大地だけであり、風すらない。
 そう言えば、あの戦闘狂や二人組はどうなったのだろうとふと、堅勇刃を握ったまま彼女は思い返す。
「他の三人はどうしたのかな?」
「久魅那さんが僕に騎乗位している間に戦闘は済んだみたいですよ」
「……………………」

 堅勇刃を振るう力が出ないほど、もう呆れて怒る気力も失せた久魅那はそのまま次への対策を考えた。

 メタトロンらと合流してもう一度、今度は時計塔の近くで奴らとケリをつけなければならない。
 そして、イシス・テレジア。
 成り行き上彼女と敵対する事になったが、本当に彼女は悪意を持っているのだろうか? そうでもない相手を叩いていいのだろうか?

「……僕と闘った相手から聞いたのですが、」
 唐突に、まるで沈黙から彼女の疑問を察したかのように超躍者は口を開く。
「彼女は次元を連結することで何らかの被害が出る事を承知しながら、その儀式とやらを行おうとしているようです。僕の理解力では把握しきれていませんが、他の世界によってはより大きな世界に飲み込まれてしまう危険性があるのも彼女は理解した上で、それでも自らのために動くそうです。そして、僕はその被害を予測出来ながら、それを回避しない事、それを許すことは出来ない……。だから、もう一度、天使達と戦った時のように本気で戦ってみます」

 本気で戦う、と言うところに彼女は何故か凄みを感じた。考えてもみれば、超躍者は彼女のように肉体を魂から強化されたわけでも、エルムゴートやリロイのように魔術が使えるわけでもない。クルーガーも人の形をしていたが、彼女の第六感が今まで遭遇した人ではない気配を何かしら感じていた。確かに物凄く高い位置まで跳躍して落ちてもダメージを食らわないと言う超躍者の特殊能力には驚嘆するが、それだけである。あとは他の人間と殆ど変わらない。打たれ、切られ、刺されば、相応のダメージは食らう。相当お金を掛けた戦闘服を着ているが、彼女のように超常的な力を発揮するわけではないし、見たところ戦車砲クラスの攻撃、彼女の光羽穿雨(フェザーレイン)やエルムゴートの火の火球(ファイアーボール)が直撃したらあっさり死ぬ程の脆弱さである。体術と並外れた精神力でこの戦場に生き残っているのはむしろ彼の異常性を高めているように思えた。今までどんな戦場で生き死にを味わったのだろうか? 案外、灰色の仮面の下は得体の知れない生物ではないかと、彼女は妄想すら懐いた。

「……でもなー。真珠ちゃんの話す次元の話とか、ほとんど判らないからノリで付いていってるもんだからな……。メタトロンさんに説明して欲しいなぁ」
「……………………」

 ……まぁ、反応を見る限り、悪い人間、……かも知れないが、邪悪ではなさそうだ。おそらく裏切ったりはしないだろうと、彼女は思った。
 ……実際には一度面倒だから裏切ろうと考えた事はあるのだが、助けてもらった手前、彼女の中では少しだけ心象が良くなっているのである。ゲーム的に言ったらちょっとだけフラグは立っているのだ。ただ超躍者は年上好みのため、久魅那にどう反応するのかはセクハラ以外では疑わしい。よって超躍者がフラグクラッシャーになる可能性は高い。

「ところで久魅那さん、これに見覚えありませんか?」
「あ!」

 たぶん、殆どがこの場にいる人間の頭の中から消え去っているかもしれない鍵の存在である。
 長さ十センチ程の銀の鍵。久魅那の持っていた分と超躍者の分とでは僅かに形が違っていた。

「これ、何だかご存知ですか?」
 鍵を寝たままかざす超躍者に、しかめっ面で同じく自分の持つ鍵と照らし合わせて見比べる久魅那。
「むぅー」
「なるほど、頭脳労働はメタトロンさんの担当ですか」
「……イチイチ癪に障る物言いだけど、あたしはメタトロンを見つけてもう一度キチンと分析してもらうか、一番は『持ち主』に尋ねた方が早いと思うわ」
「正論ですね」
「どう見ても鍵だよね……。一体何に使うものかな?」
「鍵っていうと嫌な思い出があるんですよね。ロシアで旅行している時に、核ミサイルの発射鍵を拾っちゃって……」
「……あんた、けっこう運悪いでしょ」
「全般的に。とくに旅行運は最悪かと」
「あっそ。はー、もうちょっと休んだら、メタトロン迎えに行くかな……」
「あのー、僕の運の話は終了ですか?」
「うん」
「……、じゃあ、次は真珠ちゃんに着せる衣装を話題にしませんか?」
「貴方とは良い友達になれそうだわ。じゃあ、まず若さ溢れる体操着かな?」
「やっぱり下はブルマですか?」
「いやー、真珠ちゃんの年齢ならむしろスパッツの方がっ!」


32 :異龍闇◆AsVGmnGH :2007/07/20(金) 13:12:49 ID:WmknzDxc

その頃、オルドリンでは……


 そんな寝っ転がってする二人の下らない話の様子を、宙に浮かんだ緑枠の平面状のパネルから眺めるイシス・テレジア。

 その近くには六大反英雄(アンチ・バリアント)プログラムシステム『アンリ・マンユ』の全員が思い思いの体勢で座り、寄りかかり、彼女の言葉を待っていた。

 (ぬし)に叱られるのではないかと、顔面蒼白の【堕天使】。
 『破壊堕天使エセルド』ナコト=ネロ。

 以前よりも消耗してより白く転じ、それでも何か面白いギャグは無いかと考えている【絶対零度の鬼神】。
 『凍える微笑(コールドスマイル)』アウローラ。

 片腕となり、それでも武人らしく、冷ややかな蒼い瞳で棍に僅かにもたれながら主を見る【武器使い】。
 『躯懐刀(ブレイドカース)』、クェイド=ジェロニモ卿。

 彼らの頭上に静かに浮いた【爆撃機】。
 サンダルフォン。

 そして、魔物の合体事故よりもヒドイ融合をして、「俺、外道サイエンティスト、今後トモヨロシク」ってな感じでいる【狩人】と【魔術師殺し】。
 『記憶の影』のテニ・オト・パミャチと『マッドサイエンティスト』のドクトル・ジュニングス。


「イシス様、わたくしたちは……」

 圧倒的な力を主に与えられながら、相手の秘められし力、知力、戦闘術で引き分けに殆ど持ち越された『アンリ・マンユ』。
 恐る恐る主の機嫌を伺うネロが、振り返ったイシスに体をビクリと震わせる。


「問題ないわ。彼らをオルドリンの内部まで実験終了まで近づけなければ良い事。お陰で真珠が施した修正プログラムに対抗する儀式は何とかフェイズ三まで進んだわ。ご苦労様。後は彼らが出るまで、修復に専念なさい。いい? 貴方達は私の為に闘うのよ?」

「イシス様ぁ」と主の優しさに感動で打ち震えるネロ。突然思いついたギャグで一人笑って震えるアウローラ。「貴女ならばそう考えるのは当然です」と頷き、隣で口を押さえて震える姉の不審さに辟易とするクェイド。空中で無言を保つサンダルフォンに、融合が更に進んで正視に耐えない状況になっているテニ・オト・パミャチとドクトル。


「彼らについて提案ですが」
 棍棒を肩にかけて手をあげるクェイド。
「続けて」と杖を差し出して促すイシス。
「吾の考えでは彼らがこちらの内部に到達する可能性が非常に高いかと思われます。そこで、機械人形の大佐(カーネル)の使用を迎撃として提案します」
「クェイド! あれは万が一、ウルム・アト・タウィルの次元監視艇と交戦するかもしれない時のためのものでしょう? それの必要が……」
「ナコト嬢、君はまだ彼らを侮っているのかね?」
 押し黙るネロに再び「許可を」と肯定を求めるクェイド。

「……弟者、巨大な反応があれば、儀式前にきゃつらに見つかる恐れも、ほら、あるであろう、クッ……」
 恐れとホラーで掛けた微妙なギャグを無視しつつ、主の肯定を待つ。

「クェイド。あなたは、大佐の起動が必要だと?」
「吾の手合わせの手応えでは、用いる時は近い方が良いかと」
「そう、では彼らが都市部外縁二キロまで近付いた時、迎撃として五体の大佐使用を許可するわ。大佐達は予定通りクェイド、指揮官システムのあるあなたとリンクさせておくわ。あの超躍者という者と交戦したように、好きに暴れなさい」
「御意」

 彼女の操作で平面状のパネルに映し出される巨大な『人間の形をした何か』。あまりにも巨大過ぎて全容が把握出来ない。それは広大な地下か何処かに収容され、その何かの『足元』では少尉(ルーテナント)クラスの機械兵がその何かを整備していた。
 二メートルを超える少尉クラスの機械兵がその何かの踝にも満たないと言う事は、その巨大な何かの身長は五十メートルを軽く超えるだろう。
 それが二十体、地下の巨大な坑道で鎮座していた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 超躍者と久魅那が立ち上がる。もう疲労は十分回復した。
 新約の星天使鎧(カイネー・ディアテーケ)への超変身も回復したので出来る。だから、彼女には負けない、と拳を握って確認する。
 灰色の仮面は何の表情も映さない代わりに、彼女の見えない場所で僅かに頷いた。
 メタトロンの居場所を感覚的に察知し、久魅那が先導して現場に向かう。
 その途中、
「ありがと」
 突然、振り向かずに彼女からお礼を言われ、彼らしくもなく一瞬固まるが、
「どういたしまして」
 と静かに返礼をした。



 [超躍者 VS 魔王アスモデウス戦 : 十七分四十八秒、久魅那、超躍者の詩によりエリヤとしての力を再び覚醒、魔王の束縛を断ち切る]


33 :寝狐 :2007/08/13(月) 01:48:03 ID:PcWAs3oH

明暗天使姉弟 (上)


 ―――この戦いの話は、久魅那がメタトロンと分かれた直後まで遡る。


 二基のAGM-114KヘルファイアUが回避不可能であったメタトロンに直撃し、爆煙があたりを包み込む。
 その様子を千五百メートル離れた場所の上空にいたサンダルフォンは状況を確認する。その姿は未だ黒い外套に包まれたままだ。



 煙が晴れるまでの数秒間、サンダルフォンは創造主たるテレジアとの会話を回想する。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





「あのバイク戦車。どの次元情報を見てもあまりにも不確定情報が多すぎるわ。キャタピラは普通の戦車と変わらないけど、バイク本体の装甲材質は不明。重力制御装置もあるみたいだけど技術構造が不明。動力炉のエネルギー解析も何故かエラーが出るし。トドメにはAIの情報も検索不可能。残念だけど、あれに関して分かるのは武装とスペックぐらい」
『つまりは、どの次元にも存在しない未知の技術が使われているということでしょうか?』
「次元レベルを超えた技術。……つまりは真珠の言う“扉”レベルの技術によるものか、それとも“外の扉”レベルの技術なのか、私には分からないわ」
『たとえ如何な相手であろうとも、対抗存在たる我に敗北の文字は無し』
「ええ、そうよ。何せ……」






 ――貴方には、そのための“プログラム”を渡してあるのだから。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



『ミサイルの直撃を確認。敵反応は……』
 煙が晴れる。
 そこには先ほどと変わらず大した損傷も窺えないメタトロンの姿。
『やはり二基では足りなかったか。……敵装甲数値の修正を加える』
 メタトロンに関するデータを修正するサンダルフォン。その様子にメタトロンもまた敵の武装データに新たな追加を加えていた。
『対艦ミサイルの次は長距離対装甲車両ミサイル。どうやら、本格的な対ワタシ用武装になっているようですね』
 それはまるで喜んでいるような口調。このエウクセイノスに召喚されて以来、数度戦闘を行った機械人形ではメタトロンの足元にも及ばなかった。しかし、今対峙している相手は完全にメタトロンだけを破壊するために生み出された存在。相手にとって不足無し。
 メタトロンはバイク後部にあるウェポンコンテナを展開。装填されていた十二基の板状のミサイルが発射態勢に入る。
『これは今のお返しです。――フィンチェイサー、全弾発射』
 垂直に発射された追尾機能搭載型板状ミサイル“フィンチェイサー”が軌道を変えて一気にサンダルフォンへと飛ぶ。
 だがそれをただ見ているサンダルフォンではない。
 下部の発射口が八つ展開、黒い外套から飛び出すように八基のミサイルが投下された。
 “スティンガーATAS”――近距離自衛用空対空ミサイルとして開発されたそれは、本体から十メートル離れたところで後部にある四枚のフィンを展張し、ロケットモーターを点火。加速して真っ直ぐメタトロンへと飛ぶ。
 メタトロンの遠隔修正プログラムによりフィンチェイサーは目標をサンダルフォンからスティンガーへ変更。僅かな軌道変更を行い、フィンチェイサーはスティンガーへ真っ向から飛ぶ。
 メタトロンとサンダルフォンとの丁度中間地点で互いのミサイルがぶつかりあった。十二基のうち八基のフィンチェイサーがスティンガーへ突き刺さり、爆発する。
 フィンチェイサーの先端部である剣のような部分は相手に突き刺さるための形状となっており、万が一不発であったとしても殺傷ダメージが残る仕組みだ。通常は衝撃による反応で起爆するミサイルであるが、このフィンチェイサーはメタトロンからの信号により任意起爆が可能なのである。こういう方法は普通のミサイルに搭載されている簡易型コンピューターでは不可能な芸当。超高速演算処理装置を持つ超AIであるメタトロンだからこそできる業なのだ。
 スティンガーを全弾撃墜し、残った四基のフィンチェイサーが爆煙を抜けて再びサンダルフォンへと飛ぶ。
 すぐさまサンダルフォンは回避機動をとる。しかし高性能な追尾機能を持つフィンチェイサーがそれを許さない。
 下方からの突き上げるような機動をとった四基のフィンチェイサーに対しサンダルフォンは機体をロールさせて装甲スレスレに抜けさせた。こうなるともはや追尾機能は役に立たない。大きく旋回してきたところを撃ち落せばいいだけ。
 だが攻撃をかわされたフィンチェイサーは普通のミサイルから逸脱した動きをみせた。
 上昇噴射していたブースターを急停止。即座に姿勢制御用バーニアを作動。その場で180度回転。先端を下方にいるサンダルフォンへ向けて再度ブースター噴射し一気に垂直落下した。
『―――何っ!?』
 その予想外の動きに対応しきれず、四基のフィンチェイサーはサンダルフォンの上部に次々と突き刺さり、爆発した。
 爆煙から燃え焦げた黒い外套が落ちていく。そしてついにその【爆撃機】の姿が露わになる。
『……やはり、そうでしたか』
 外套の上からの曲線的なシルエットにより予想はされていたその形状。三角形を横に倒したようなその機体は……。
『ステルス機。それもB-2 Spiritとは……』
 それはステルス戦略爆撃機だった。大きさは五メートル程度と本来の四分の一であるが、その性能は本物以上であるとメタトロンは判断。
 最初の攻撃の際、レーダー反応がなかったのは機体表面に覆われたレーダー波を吸収して微量の熱に変換するグラファイト/エポキシ複合剤と、内部にあるレーダー波を吸収するハニカム構造がある所為だ。
 コックピットもあるようだが、情報戦術生命体である彼にパイロットは不必要。おそらくただの飾りだろうが声はそこから聞こえていた。外部音声システムがそこにあるに違いない。
『我こそは、六大反英雄プログラムシステム『アンリ・マンユ』が一機、戦車の破壊を任とする【爆撃機】、サンダルフォンなり。大天使メタトロン、貴様を破壊する』
『サンダルフォン……。なるほど、天に達する者にして幽閉所の支配者に相応しいその姿。さらにはメタトロン(ワタシ)の双子の兄弟とされるその名。対抗存在として不足ありません』
 もはや互い語る必要はない。
 双者は地を/空を駆ける。
 二体が地と空ですれ違う瞬間、本格的な戦闘が開始された。
 地を這うバイク戦車は左舷ファランクス近接防御武器システム――CIWSバルカン砲を起動させ、空を往く爆撃機は底部に内蔵されていた可動式20mmM197三砲身ガトリング砲を全三基起動させる。


 ズドドドドドドドドドドッ!

 ダダダダダダダダダダダッ!


 同時に掃射。
 弾丸の雨は互いの装甲を削る。
『キャタピラの装甲が硬いな。……足は落とせぬか』
『タングステンより硬度があり、運動エネルギー弾と化学エネルギー弾に対して溶解し難くく高い防御力を有する減損ウラン装甲(ヘビー・アーマー)型。そう簡単にはやられはしません』
 すれ違う二機。メタトロンは即座に急ブレーキをかけながらのキャタピラによる超信地旋回を行い、サンダルフォンの背後を正面から向き高速前進、右舷長距離エネルギー主砲――インパルスキャノンを起動。砲塔にエネルギー集束。
 ロックオンされたのを探知したサンダルフォンは急激な高G旋回を行い離脱(ブレイク)する。
 発射されるインパルスキャノン。伸びる緑色の光条(ビーム)を回避する爆撃機。
 反撃にスティンガーを六基発射。後方から迫るミサイル群をCIWSバルカン砲で迎撃するバイク戦車。
 二機の攻防は激しく、時に静かに。互いのスキを狙い、一撃を放つ。
『これで!』
 ウェポンコンテナから射出される十二基のフィンチェイサー。
『あまい!』
 対して、八基のスティンガーを発射。建物の間における戦闘であるが故に、一部のミサイルは建物に当たり、残りは互いのミサイルを撃墜。
 サンダルフォンは比較的高層の建物の背後へ回った。一瞬でも身を隠せばレーダー反応に頼らざるを得ないメタトロンだが、ステルス機のハニカム構造がそれを許してくれない。
 しかし、メタトロンはレーダーには頼っていなかった。むしろそんなものは必要なかった。
 インパルスキャノンとフィンチェイサーを同時発射。だが狙いはサンダルフォンではなく、彼が隠れた建物の根元であった。
 足場を破壊され、バランスを崩し傾く建物。それは背後で隠れていたサンダルフォンへと倒れていく。
『……ぬっ?!』
 間一髪のところで激突を回避。しかしメタトロンの攻撃はまだ続く。
 倒れる建物から出てきたところをインパルスキャノンのビームが飛び、サンダルフォンの翼に被弾する。
 翼に被弾したものの飛行に障害は無く、すぐに修復ツールを起動させる。
『修復機能まで搭載されていましたか。……それは厄介ですね』
『無論だ。我等は情報戦術生命体。敗北という文字は無い』
 ガコン、と底部から落とされて発射される六基のスティンガー。ミサイルはメタトロンが居たあたりを粉々に吹き飛ばす。
『……?』
 しかし被弾させた反応は無い。爆煙が消えた先にはメタトロンの姿はない。
『隠れたか……』
 視認用カメラでは見つけることができなったのでサンダルフォンはそう判断した。
 レーダーの多用は避けなくてはならない。使用すれば、真っ先にこちらの位置を相手に教えるものだから。
 ゆっくりと無音機動を行い、サンダルフォンは周囲の上空を飛ぶ。







 ……………
 ………
 …

 サンダルフォンの攻撃を利用し、メタトロンは高層建築物の中に隠れていた。
 何処かしらのホテルのような建物であり、その一階のエントランスホールの中央にバイク戦車は停車している。
 彼女が身を隠した理由は、今後の対策と機体の各所に分布されたナノマシンによる自動修復作業、それにCIWSバルカン砲の冷却及び使用済み薬莢の廃棄、エネルギーシステムの充填、フィンチェイサーの次弾生成を行うためだ。
 かつてないほどメタトロンは苦戦を強いられていた。これまで戦車やロボット、そして人間との戦闘は幾度もしてきた。しかし、爆撃機といった自分達の住んでいた世界ですら戦闘したことのない相手。しかもそれは対自分用に作られた戦術情報体。
 向こうはこちらのことは知っているようだが、自分は相手の情報が無い。
 情報戦においては不利。武装も元々地上用兵器ばかり。対空攻撃は可能だが、決定打にはならない。
 シミュレートで幾つもの対策を練ようとしたところ、探知システムに反応が現れた。
 まるでソナーのような一瞬だけの反応。
 直後、外からの異音。……いや、それはメタトロンの真上から聞こえた。
 音は徐々にだが近くなっていく。
 それがこの建物の何層もあるコンクリートを次々と貫通する音であることからメタトロンはその正体に気付いた。
『バンカーバスター!?』
 地中貫通爆弾。硬化目標や地下の目標を破壊するための特殊な爆弾であり、コンクリートや盛土を貫通したのちに炸裂する代物。サンダルフォンが落としたのはそのロケットブースター付の加速型。
 すでに残り三層のコンクリしか残していなかった時点で、メタトロンは機体を急発進させて建物から脱出した。
 僅かな差で建物は爆発し、崩れ落ちる。瓦礫の下敷きにならずに済んだメタトロンはレーダー反応を調べる。
 若干の反応を頼りにフィンチェイサーを三基発射。しかし目標にはあたらず三基ともサンダルフォンのガトリング砲に撃墜される。
『……そういえば、B-2 Spiritにはバンドフェーズドアレイレーダーがありましたね』
 AN/APQ-181J-バンドフェーズドアレイレーダー。目標探索用のそれは、アンテナが逆探知されにくいようステルス性の高い誘電体で覆われているものだが、常時レーダーを使用すると発見される恐れがあるため使用は地上の標的近辺の小さな領域に絞られ、照射は爆撃直前のみに限定されている。
 さきほどのソナー音みたいなものは、サンダルフォンがバンカーバスターを発射する直前の敵位置確認用照射であったのだ。
『貴様に隠れる場所などない。大人しく破壊されるがいい』
 ガトリング砲を発射し、毎分680〜750発の弾丸の雨がメタトロンに降り注ぐ。
 たとえメタトロンの装甲が幾ら頑丈であろうとも、ずっと弾丸を浴びていればただではすまない。
 弾丸の雨を少しでも失くすため、CIWSバルカン砲とインパルスキャノンの連続砲撃を行いながらも建物の影を縫うようにメタトロンは街中を駆ける。
『無駄だ』
 隠れる場所を払うかのように、サンダルフォンから放たれるミサイルが次々と建物を破壊してゆく。
 駆けるメタトロンであるが、飛び散る破片と衝撃、被弾するミサイルに翻弄される。
 既に何発くらったか数える暇も無い。装甲は剥げ、一部の回路が剥き出しになって紫電が生じていた。
 蓄積バランサーダメージが限界を超え、メタトロンは転倒。しかし地面を跳ねながらも姿勢制御を怠らず三度のバウンドで復帰。即座に走るが、後方から幾度もミサイルが降り注ぐ。
 一体、サンダルフォンの機体内部にはどれ程のミサイルが搭載されているのだろうか? この時点で既に百を超えるミサイルを発射していたが、一向に尽きることはない。
 それはメタトロンがフィンチェイサーを武装用ナノマシンによって自動生成させているように、サンダルフォンのミサイルもまた武装生成プログラムによる情報魔術でミサイルを次々と内部で作っていたのだ。
『……ん?』
 と、サンダルフォンは上空の変化に気付く。



 ―――いつの間にか、空が、黒雲に包まれていた。



 次元と次元の狭間に位置する異次元空間にて雲なんていうものは存在しない。ましてそれは巨大であり、陰気な圧迫感を与えてくる。
 その巨雲にサンダルフォンは心当たりがあった。
 自分と同じ、イシス=テレジアに造られし情報戦術生命体である『アンリ・マンユ』が一人、【凍える微笑(コールドスマイル)】アウローラだ。
 黒雲からは、いつもの氷のような冷徹さが一切感じられない。
 まるで野獣の如き異形。


 彼女の気象兵器『冬の雲(ウィンタークラウド)』が発動しているのだ。


 黒雲の中の蒼い眼が何処かを睨むように見つめていた。
 同時に都市を包むように、冷気が周囲の空気を凍らせていく。
 機械であるサンダルフォン、そしてメタトロンも外気の気温が何度変化しようと問題ではない。
 しかし、同じ『アンリ・マンユ』の一人として、己の兄妹がそのような状況に追い込まれているという事実が問題であった。
『……アウローラ。その姿にならねばならぬ相手をしているか。ならば、こちらも早々に終わらせることにしよう』
 そういいながら、下部からスティンガーを六基発射し、連続でさらに六基発射。当然のように回避するメタトロンだが、計十二基のミサイルはメタトロンを狙わず、前方の周囲の地面を爆発させた。
 爆煙に包まれつつも走るメタトロン。しかし、これが狙い。煙を抜けるのと同時にメタトロンの一メートルにも満たないほどの真上にサンダルフォンの姿があったからだ。
『……なっ!?』
 ステルス機の特徴であるECMが接近を許した。あまりにも近くにいるので中遠距離用装備しかないメタトロンに攻撃の術はない。
 途端、メタトロンの機体情報に変化が現れた。キャタピラ部に何か異物が付着しているというセンサーの反応。
 目視用カメラを向けると、キャタピラ部に小さな丸い甲羅に手足が出た亀のような形みたいなものが左右四個ずつの計八個取り付けられていた。
 亀のようなものの下には磁力でくっつくものだろう三本足の付着装置が見受けられる。
『……まさかっ?!』
 もし彼女に表情というのがあったなら、おそらく驚愕の顔となっていたであろう。
 それはHaft-Hohlladung。磁石の力で敵戦車に直接貼り付けるタイプの爆雷……対戦車吸着爆雷である。
 小さな丸い甲羅みたいなものには成型炸薬が仕込まれており、モンロー/ノイマン効果によって装甲厚百四十ミリまで貫通する。その爆発および音圧効果は壊滅的なほど。
 先ほどのミサイルは囮。爆煙によって視界とレーダー反応を無効化させ、接近した直後に底部から落としたのであろう。バイク部は曲線になっていたりする部分があるので、比較的平らなキャタピラ部が自由落下で設置しやすい。
 それが左右四基ずつの計八基。たった一基でも脅威となるものが八倍だ。
『粉々になるがいい』
 言い残し、急速上昇でメタトロンから離れるサンダルフォン。
 判断は一瞬だった。メタトロンはバイク本体とキャタピラ部の接合部を爆発ボルトで強制分離させた。
 切り離され背後へ流れていくキャタピラ。直後、全てのHaft-Hohlladungが爆発。その威力はキャタピラのヘビーアーマー装甲を紙くずの如く貫通し、輪転は外れ、部品を辺りに散らばらせた。
 その衝撃は分離したメタトロンへも届いた。熱と衝撃が機体を浮き上がらせ、数メートル先まで吹き飛ばす。それでも彼女の姿勢制御能力で転倒は防げたもの、バイク本体へのダメージは避けられなかった。
 すぐさまステータスチェック。その最中もバイクはサンダルフォンから遠ざかろうと走る。
『ダメージ二十八%。守護炉、出力六十二%。パワードGホイール、安定輪転中。戦闘機動に問題なし。CIWSバルカン砲及びインパルスキャノン使用不能。フィンチェイサー次弾生成まで残り四秒』
 メイン武装であったCIWSバルカン砲とインパルスキャノンを失った今、メタトロンの攻撃能力は半減したも同然。残る対空武装はフィンチェイサーのみ。とてもまともに対抗できるものではなかった。




 ―――しかし、大天使(メタトロン)は退かない。



 ―――彼女の戦闘思考は、未だ止まっていない。


34 :寝狐 :2007/08/26(日) 14:18:38 ID:PcWAs3P4

明暗天使姉弟 (下)

 次々と襲い掛かるミサイル群。
 キャタピラを失った大型三輪バイク―――メタトロンは迫りくるミサイルを避けながら建物の間を高速機動で駆ける。
『既に勝負は決している。大人しく破壊されるがいい』
 上空から見下ろすステルス爆撃機―――サンダルフォンは堕ちた地にてもがく大天使を常に観測し続けていた。
『お断りします』
 高みにいる爆撃機の言葉を拒否し、後部のウェポンコンテナからフィンチェイサー四基発射。対するサンダルフォンはまるで邪魔な虫を払うかのように、底部に内蔵されていたガトリング砲を起動させて集中発射。接近していた四基のフィンチェイサーが空中で撃墜される。
『ならば、これでどうだ?』
 再びサンダルフォンの底部からミサイルが二基発射された。
『スティンガーでワタシを破壊することは……?』
 メタトロンの台詞が止まった。発射されたのは確かにミサイルではあったが、先ほどまでのとは違う気がした。
 視認用カメラを向けて、拡大し、解像度を上げる。
『これは……!?』
 発射されたのはスティンガーではなかった。その大きさ自体が大幅に違ったからだ。
『……MGM-166 LOSATまで積んでいたとは』


 MGM-166 LOSAT―――ごく簡潔に言えばミサイル化した装弾筒付翼(APF)安定徹甲弾(SDS)だ。高い燃焼速度と推力を持った固体推進薬と、そのような固体推進薬の燃焼圧力や温度、加速度に耐えうる強靭なモータケースを持った固体ロケットによって、LOSAT本体は秒速千五百メートル以上に加速される。この高速度によって敵戦車の回避を困難にし、同時にその巨大な運動エネルギーによって目標の装甲を貫徹する代物だ。


 高速で飛ぶLOSATが一気にメタトロンへ詰め寄る。
『くっ!』
 キャタピラを失ったメタトロンの重量は飛躍的に軽量となっていた。バランサーに問題が生じているとはいえ、機動力は増している。
 一気に加速をつけ、建物の間を縫うように駆ける。しかし、LOSATもまた発射装置のFCSの赤外線カメラにおいて目標を捕捉し、上空のサンダルフォンによって誘導信号をレーザーで送られて目標へ誘導される。
 メタトロンは狭い路地を駆け、直角で曲がる場所を壁走りすることで抜けた。
 背後から迫るLOSATはミサイルだ。壁走りはできず、ましてや高速度からのカーブなんて曲がれるはずがない。
 だがそんなメタトロンの予想を裏切るかのように、LOSATは急激に減速し、大きく回るようにして壁に当たるギリギリのラインを超えずして直角カーブを抜けた。
 本来なら九十度の急カーブなんて曲がりきれるはずがないミサイルが曲がりきり、なおかつメタトロンの背後を常に追いかけているのはサンダルフォンの高速演算能力とミサイル自体に取り付けられた姿勢制御バーニアがそれを成していた。
 やり過ごすはずだったLOSATを撃墜するにはCIWSバルカン砲が一番なのだが、今はそれがない。かといってフィンチェイサーを用いることもできるが、狭い路地な上サンダルフォンの遠隔操作で回避される可能性もある。
 中・遠距離攻撃では無理と判断したメタトロンの行動は早かった。急激にブレーキを掛けて減速、さらには底部からアイゼンを射出して機体を地面に完全固定させる。すさまじい反動と衝撃が加わったが、機体には問題はなかった。
 後方から迫っていたLOSATは目標の急な停止のため赤外線カメラの捕捉が外れ、メタトロンを追い越す形となってしまった。
 その瞬間をメタトロンは見逃さず、追い越される直前に再び走行。一気に加速をつけて今度は逆にLOSATを追いかける。
『ザンテツ・ザンコウ、起動』
 メタトロンが新たな武装を起動。フロントカウルの左右から内蔵されていた十八センチ程度の細長い白い棒状のものが現れた。
『エネルギーレベル、最大』
 炉心である守護炉から送られるエネルギーをプラズマ化させて、ビーム状の刀身を棒状の先端から一メートル程の長さまで形成させた。


 ザンテツ・ザンコウ―――正式名称、前部固定左右展開型高出力ビームソード。メタトロンが持つ数少ない白兵戦用武装。ちなみに、ザンテツ・ザンコウを漢字表記すると、斬鉄・斬鋼となる。


 メタトロンはさらに加速させ、LOSATに追いつき、追い越す。
 その擦違いざま、ザンテツ・ザンコウがLOSATを後ろから横一文字に切り裂く。
 ブースター機能を失って地面に落ち、LOSATは爆発した。
 ザンテツ・ザンコウを収納し、メタトロンはサンダルフォンから死角となる建物の間を走る。
『……ん? あれは……』
 そんな中、メタトロンが視認用カメラに入れたのは少し前に隠れたサンダルフォンを押しつぶそうとして根元から破壊して倒れさせた高層建物。
 比較的元の形状を保ったままのそれは、倒れる先にあった他の建物が下敷きとなって中途半端な倒れ方をしており、斜め上に昇るような姿になっていた。






 ―――その先端の高さは、サンダルフォンが浮いている高度と同等。






『やってみる価値はありそうですね』
 この時、メタトロンの戦闘シミュレートにて、ある対策が計画された。







 ……………
 ………
 …

 黒雲―――冬の雲(ウィンタークラウド)モードとなったアウローラをサンダルフォンは視認用カメラで見ていた。
 さして心配しているわけではない。だが、その姿にならざるを得ない相手がそれほど強者であったということ。どのような結果になろうとも、サンダルフォンはあまり気にしない。
 元より他の反英雄に比べ、唯一サンダルフォンは人型としては造られていない。人ではなく、機械が雛形である彼に感情はあまりなかった。完全に無いとはいえないが、喜怒哀楽の高低差はほぼ平行。
 アウローラが氷のような冷徹ならば、サンダルフォンは機械の如き冷静なのだ。
 楽しいだとか辛いなどの感情は彼にとって不要な情報。己の使命は、バイク戦車こと大天使メタトロンの破壊ただひとつ。それ以下でもそれ以上でもない。




 ―――ならば。もし、その使命を全うしたら、彼の存在意義は何処へ行くのだろう?




 未来のことなんて彼の思考には一切がない。
 イシス=テレジアによって与えられたプログラムを全うすればいいだけの存在。あとのことはイシスが決めること。
 だから、己はただそれだけの為に存在していればいい。

(……しかし)

 サンダルフォンは疑問に思う。
 己は人以外の姿をして、なおかつ感情の起伏が殆ど無いからあまり理解できないことであるが。元より人型である他の仲間達はどう思っているのだろうかと。
 彼らの感情もまた人に似せてある。喜怒哀楽もあり、表情もそれなりに変わる。
 リーダー的な存在のネロ。軍師として優秀なクェイド。寒いギャグと冷徹なアウローラ。いつも何処かに隠れている引き篭もりガチなテニ。マッドでサイエンティストなドクトル。
 皆、性格は違うが人という雛形を模している。それぞれ感情も人らしく起伏がある。
 果たして、彼らも自分と同じ考えなのだろうか? それとも、使命のあとの未来に不安がっているのか? もしくは自分が思いつかない別な何かを考えているのだろうか?

(いや、まだいい……)

 今ここでそれを思考しても意味はなかった。
 どの道、この戦いで勝てば自ずと答えはでてくるだろうから。

 戦いはそろそろ決着が着きそうであった、
 メタトロンのメイン武装とキャタピラは破壊できた。残す対空兵器は追跡ミサイルのみ。白兵戦用武装もあるようだが決定打にならない兵器だから特に警戒は必要ない。



 ―――飛ぶことができないバイクが、どうやって己の高さまで来ようか?



 あとは時間だ。



 ……そう。あとは時間が(・・・)全てに決着を着けてくれる。



『……ん?』
 サンダルフォンは後方から熱源接近のアラートを受け取り、視認用カメラを向ける。その方角からフィンチェイサーが二基迫ってきていた。
 既に慣れた動作でガトリング砲で撃ち落そうとしたが、別方向からの熱源接近アラートを受けた。確認すると同じくフィンチェイサーが二基迫っていた。
 さらにアラート。確認するまでもなく、フィンチェイサーが二基迫っている。
 三方向からのミサイル警報。さしものサンダルフォンも同時には撃ち落せない。
 迎撃行動から回避行動へ移行。迫り来るフィンチェイサーを爆撃機は避ける。
 最初のミサイル、回避成功。二度目のミサイル、回避成功。三度目、回避成功。
 すると再び警報。今度もまた別方向からフィンチェイサーが飛んできていた。
 サンダルフォンはそれらも迎撃せず回避する。
 幾つもののミサイルをサンダルフォンは最適であり、なおかつ最低限の機動で避けていた。
 しかし、回避行動をとっていたサンダルフォンはそのことに疑問を感じていた。

(何だ? これは?)

 フィンチェイサーの攻撃は先ほどまでと違い、未だ一基たりともサンダルフォンに当たっていない。……否、当てようとしていなかった。まるでそれは己を何処かへ導こうとするような計算尽くされたミサイル機動。サンダルフォンの回避機動を読んだ動き。

(何をするつもりだ?)

 思えば、先ほどからメタトロンの姿を確認できていなかった。
 フィンチェイサーは至るところから発射されており、位置の特定ができていない。
 一度だけバンドフェーズドアレイレーダーを照射したが、フィンチェイサー自体にも反応するためメタトロンの位置が不明であった。

(一体、何処に……?)

 回避機動をとるサンダルフォンの前方には斜めに倒れた高層建物が見えてきていた―――。





 ………………
 …………
 ……
 …

 サンダルフォンから遠く離れた位置。横幅が大きく、長い直線道路の中心にメタトロンは居た。
 ステルス機には敵わないが、多少のECM機能はメタトロンにも搭載されていた。しかし長いこと使用していなかったがため、先ほどまでプログラムの調整に時間がかかってしまっていたのだ。
 今、サンダルフォンはメタトロンが街の至るところに設置しておいたフィンチェイサーによって翻弄され、とある地点へ誘導されている。
 目標到達まで残りわずか。





 ―――カウント開始。




 一気にメタトロンは加速した。真っ直ぐ、ひたすら真っ直ぐに。
 まだサンダルフォンは気付いていない。
 どんどん速度を上げるメタトロン。現在時速五百キロに到達。




 ―――五、




 本来のバイクならこれほどの速度を出すには相当な加速距離が必要であった。
 しかし、メタトロンの機体はエンジンも駆動系統も普通のバイクとは異なる全く別の技術で造られたエネルギー炉心と駆動制御機関。
 この二つが従来ではありえない短距離にて超高速の域へと導いているのだ。




 ―――四、




 メタトロンが向かう場所には、自らが倒した高層建物の根元。
 機体制御を行い、フロントタイヤを持ち上げたメタトロンはリヤタイヤだけでのバウンドで跳躍し、建物の上に乗りあがった。五百キロ以上の速度でありながらも計算尽くされたバランスを保ち、フロントタイヤを戻して再び加速。
 急激に加速する機体はついに最高速度目前の七百キロに達する。


『ECM解除。……システム起動。モード移行開始』



 ―――三、



 もはや隠れる必要はなくなったのか、ECMを解除する。
 この時点で、サンダルフォンはメタトロンの位置を気付く。そして、己がどんな罠にかかってしまったのかをも。


 ―――今、サンダルフォンは斜めに倒れた高層建物の先端真正面を飛行中。




 ―――二、




 ―――メタトロンの機体に変化が現れた。



 フロントフォークとリヤサスペンションが駆動し前後へ伸びて車高が低くなる。
『守護炉出力最大』
 炉心である守護炉が戦闘(ミリタリー)モード時よりもさらに出力を上げた。炉心内部がこれまで以上に緑色に輝く。



 ――― 一、



『モードチェンジ、ジェニウスバード』
 バイクの左右から内蔵されていた一メートル程の折りたたみ式機械翼が展開された。
 機体を覆うように緑色のエネルギー光が輝く。翼を広げたバイクはまるで燃え盛る緑色の炎を身に纏った光の鳥。


 守護聖鳥―――ジェニウスバードが倒れた柱の上を駆け上がり、その速度を機体最高の八百キロへと到達させ、柱の先端を越えて空を跳んだ(・・・)




 ―――零




 飛翔ではなく跳躍。あくまでそれは超高速からの飛び降りに過ぎないが、それでもサンダルフォンよりも高みの空へ到達するには十分だった。
『なんだと?!』
 光の鳥が真下にいるサンダルフォンの機体を捕らえた。滑空し、その身ごと体当たりする。
 装甲を貫き、光の鳥は僅かに機体を反らしたサンダルフォンの左翼を完全に破壊。爆発した左翼の破片が地上へと落ちていく。
『……くっ』
 推力が半分以上も低下し、水平に保てなくなった機体をなんとか立て直そうとするサンダルフォン。
 地上に降りたメタトロンはジェニウスバードモードを解除。守護炉の出力を戦闘(ミリタリー)モードへ戻し、機体の車高が上がり、展開されていた翼は収納される。
『確かに今の一撃は効いた。……だが、我を完全には倒せなかったようだな』
 サンダルフォンは修復ツールを作動。破壊された左翼が時間を巻き戻すように徐々に元の姿へ形成されていく。
『大天使。貴様の負けだ』
『いいえ。まだこれからです』
『いや、終わりだ』
 メタトロンの言葉に真っ向から否定するサンダルフォン。
 まるで確信を持った言葉。その裏には何が隠されているのか……?
『……時間だな』
『何を? ……ん?』
 サンダルフォンがそう言った直後、メタトロンに異常が現れた。
 まず起ったのは突然のアラートと“WARNING”表示。しかし、外部からの敵反応ではない。サンダルフォンがミサイルを放ったわけでもない。ならば何に警告しているのか?
 変化はメタトロン自体に起きた。
 視認用カメラに一瞬のノイズが奔ったかと思えば、周囲警戒していたレーダーが解除され、武装システムが非戦闘状態になった。さらにはバイク本体の電子機器を操作するためのOSが動作停止状態となる。
『まさか、これは……?!』
 確認を取ろうとするとコマンドが一切受け付けず、一度に大量発生したエラー表示。過大な処理要求が発生し、さまざまな不具合が出始める。
『そうだ。貴様が最も恐れる、“ウィルス”だ』
 コンピューターウィルス―――広義でいえばコンピュータに被害をもたらす不正なプログラムの一種。
 サンダルフォンが仕込んだウィルス攻撃は、実を言うと最初から行われていた。
 久魅那と別れたばかりの戦闘開始直前に放たれたミサイル。その中にウィルスソフトが紛れ込まれていたのだ。本来ならば有線通信または無線通信による電気通信網を通じて送られる電子情報だが、忘れる無かれ、彼女らが現在いる世界は情報世界エウクセイノス。全ては情報で紡がれ、個は情報で派生。この円周情報都市エルブルズではそういう世界法律(ルール)でできている。
 故に、情報魔術で編まれたウィルスがミサイル爆発に紛れてメタトロンのシステムに侵入。一気に汚染せず、最初に感染した部分で密かにその拡大を待っていたのだ。
 メタトロンに気付かれないようにするには、ただのウィルスではダメだった。最初からバレていれば即座に対抗プログラムを組まれていたはずだ。そのための技術が……。
『ステルス技術! ……迂闊』
 調べると、感染部はOSだった。途中でステータスチェックした際はまさかウィルスが仕込まれていたなんて思いにもよらない。ウィルス検索を掛けるだけでそれなりの処理能力が割かれるからだ。戦闘に支障が出ないために、メタトロンは日頃チェック体制はしいていなかった。
『暗号化されたウィルスをOSのカーネルに侵入させて、感染後、逆経由で順番を入れ替えながら分割して、私本体にまで侵入するとは……』
 ポリモーフィック型とルーキット型の両方を組み合わせたウィルスは、時間をかけながらも着実にメタトロン本体を侵していたのだ。

(第四防壁突破……。外郭部侵入、予備回路による阻止不可能……。特殊防壁展開は……間に合わない……)

 メタトロンは電子空間内にて全システムの状況を表した制御分布図を見ていた。元は青に染まっていたそれは、今はその八割が真っ赤に染まっている。
 彼女のシステムは、スーパーコンピュータをも越えた超高速演算処理能力を持っている。しかし、その彼女すら追いつかないほどの速度で感染は広まっているのだ。

(危険度レベルSS……。これほどまでの代物を組むとは……)

 ウィルスに対する策を練っているうちに、ついにバイクの制御系が奪われた。三基ある駆動制御のパワードGホイールの回転が全て乱れ、バランサーを狂わされたバイクが転倒。何度も地面をバウンドし、進行上にあった小さな建物に激突。壁を突き抜けるも、機体は地面に横倒れとなり、そのまま身動きが取れないでいた。
 見下すように、その上空を飛ぶサンダルフォンの姿。
『空を飛べぬ貴様に、大天使(メタトロン)の名は相応しくない』
 ガコンと開かれるはサンダルフォンの底部にある八つの発射口。
『荒野の地上で果てよ!』
 出てきたのはミサイルではなかった。
 細長いドラム缶みたいなもの。





 それは一発だけでも脅威となる500lb爆弾。





 その爆弾―――約1000発(・・・・・)がメタトロンが倒れている地域一体に投下された。





 まさに床に敷かれた絨毯のように、爆弾が一面を覆うその攻撃は、たった一機のバイク相手に行われた。
 良心の一欠片もない破壊が長期的に継続して敢行され、爆発音が絶え間なく響く。
 絨毯爆撃はあたりの建物ごと全てを破壊しつくす。
 しばらくして黒煙が消え去ると、瓦礫の山があたり一面に広がっていた。
 その光景はあたかも小さな子供が遊びつくし、片づけをせず崩れたままの積み木のなれ果て。
 爆心地の中心はもっとも被害が大きく、元々どんなものがあったのかさえ分からないほど。




 そんな瓦礫の中に、メタトロンは埋まっていた。




 装甲は殆どが剥げ、操縦部にある液晶モニターやコントロールパネルも割れていて、回路も剥き出しで紫電が奔っている。
 ウェポンコンテナも損傷。フィンチェイサーの発射口も十二箇所中八箇所が熱で変形しており、まともに使えない状態。
 比較的損傷の少ない部分は、タイヤなどの駆動部と動力炉、そしてメタトロン本体があるコア・ブロック部だけであった。
 コア・ブロック部にいるメタトロン本体は無事であったものの、それは外傷に関してだけだ。
 今もなお、サンダルフォンから受けたウィルスがメタトロンのプログラムシステムを汚染し、内部から攻撃をしていた。
 対するメタトロンは、対抗ソフトを立ち上げてはいたが効果はほぼなし。地道なウィルス除去を行ってはいたがあまりにも高速の侵入のために追いつかない状態。ましてやバイクの電子操作する上で必要なOSも相当なダメージを受けているのでそちらの処理に全システムの四割を使って復興中。
 今メタトロンは外部との戦いではなく、内部との戦いに必死だ。
 その間にも、ウィルスは徐々にメタトロンを侵し、ついには動力炉の出力制御にまで影響を及ぼす。
 主炉である守護炉がその光を弱めていき、ほんの僅かに灯る程度にまで出力が落ちる。


『……出力…………2.7パーセ………………ィルス………の………除去………を…………及び…………ん、した……………プログ…ムの…………復旧………を………』


 音声は徐々に弱々しくなっていく。

 しかしそんな最中で、メタトロンは対サンダルフォン用戦術の決定事項を出していた。


『……有…対抗……策…………HG…………T……BD………4……………デス…………イダー……シ……テム…の……起動………不可、能…………マスタ………よる…………プロ…クト………解…………必……………要………』


 やがてその点滅は、暗く消えた……。




 ……………
 ………
 ……
 …

 暗雲の空が晴れようとしていた。巨大質量の姿だったアウローラが重力に引かれて地上へと落ちていくのが見える。


(……サンダルフォン、緊急回収)


 己の名を呼ばれ、サンダルフォンは急加速して兄弟姉妹を背に乗せた。
「……あの御方のお手を煩わせるとは、無念」
『後悔は無駄。再度の挑戦以って無念晴らすべし』
「……感謝」
『無用』
「感謝の意を込め、渾身の洒落を進呈」
『断固拒否』
 コンマ一秒にも満たない即答。ある種のウィルスにも匹敵するほどの寒いギャグは、さしもの彼でもこればかりは勘弁願いたいと思う。
「遠慮無用。拝聴すべし」
 それでもこの【凍える微笑(コールドスマイル)】はとっておきのギャグとやらを言わんとする。
『…………』
 実力行使実行。飛行状態のまま大きくループ。もちろん上に乗っていたアウローラはループの頂点で墜ちる。
「あー」
 余り危機感の無い声のまま落下していく彼女を見届けたあと。内心溜息を吐きながらも、サンダルフォンは無言で下方に先回りしてキャッチした。
『このままオルドリンまで強制連行』
「いけいけー。はいよーシルバー」
『……誰が馬だ』




[自律思考型守護三輪駆動武装戦車メタトロン VS 爆撃機サンダルフォン戦 : 四十二分三秒、サンダルフォンの勝利。次回、メタトロン大破のため再戦予定不明]


35 :寝狐 :2007/08/27(月) 23:55:26 ID:mcLmLJz7

来たりし、白き方舟

 ―――そして、時間軸は現在に戻る。


 魔王の束縛を断ち切り、互いの疲労を回復させた久魅那と超躍者は街中を淡々と歩いていた。
 随分と前に別れたメタトロンの所へ向かうべく、先導するように前方を久魅那が、その後ろに超躍者がついてきている。
 ……と、突然久魅那が口に手を添えたと思えば急に咳き込んだ。
「ごほっ、ごほっ!」
「風邪ですか?」
「……んなわけないでしょ。埃が咽喉に入っただけよ」
 そうですか、と大して気にしない超躍者。しかしここはエルブルズ。自然現象が全くもって起りえないこの場所で、爆発でも起きない限り埃なんて舞うわけがない。もしも彼が真横を歩いていたら久魅那のその事態に気付いていたであろう。

(……もう、限界、なのかな……?)

 手の平についた真っ赤な液体(・・・・・・)を、ポケットに入っていたハンカチで綺麗にふき取り、さりげなく手を左胸に当てる。

(もう少し、もう少しだけ、保ってよね。あたしの身体……)

 聴こえず、感じることすら二度とない、かつてあった(・・・・・・)胸の奥のソレに久魅那は訴えるかのようにぎゅっと服を握る。
「……そろそろですかね?」
 だいぶ歩いたところで、さっきまでとは雰囲気が変わった感じに気付いたのか、後ろに居た超躍者は口を開く。
「だと思う。確か分かれたのはこのあたりだったはずだから」
 徐々に二人が歩く光景は変わりつつあった。一部の建物は壊れ、または粉々に砕かれた建物。ところどころの地面には人間大ほどの穴が開いている。
 このあたりで戦闘が行われたことは明確。
 一際大きな広場あたりを抜けたところで、その光景は一変していた。
「……なんなの、これ?」
「これはひどい」
 まるで戦争でもあったかのような都市空襲が起った後の崩壊だ。
 あらゆる建物の殆どが灰燼に帰し、あたりには未だ熱気が漂っている。
 久魅那は知っている。こんなことをできる兵器をメタトロンには搭載されていない。こんな虐殺まがいなことを彼女はしない。
「メタトロン!」
 相棒の名を叫びながら、彼女は走る。その後ろを超躍者は追いかける。
 嫌な予感がした。そしてその予感は、ムカつくぐらいに外れたことはない。
 久魅那が目指した場所は比較的被害が大きい場所。そこは被爆地帯の中心地。
 あたりを見渡しても瓦礫の山だらけ。蒸し暑いくらいに熱気が酷い。
「一体、何が起こったんでしょうね?」
「知らないわよ! そんなこと!」
 超躍者の方に顔を向けず、久魅那は答える。その声には焦りが混ざっている。
 一際目についたのは、妙に膨らんだような瓦礫の山であった。
 久魅那は直感した。そこに彼女がいると。
 その山に駆け寄ると、しゃがみこんで瓦礫を退かし始めた。
 彼女から飛んでくる瓦礫に、背後にいた超躍者はひょいひょいと避ける。手伝おうとも思ったが、逆に「邪魔すんな!」とばかりにぶん殴られそうなので控えておいた。
 しばらくして、幾つもの瓦礫を退かしていた久魅那の手が止まった。彼女の瞳に映るはタイヤの一部。
 もう少しとばかりに急いで残りの瓦礫を退かす。
 あらかた退かしたところで、ようやく探していた彼女を見つけることができた。
「……メタトロン」
「……だいぶ、やられているようですね」
 いつの間にか横に超躍者が立っていた。極めて冷静に彼女の容態を診る。
「くっ……メタトロン!」
 急いでバイクの操縦部の下あたりに手を伸ばし、コンソールパネルなどを引き剥がして、内部にある掌サイズの分厚い金属箱を取り出した。
 熱が籠もっていたせいか、掴んでいた久魅那の手の平に焼けるような熱さを感じさせたが無視。急いで己と目線と同じくらいの高さにある瓦礫の上に置いて箱を開けた。中には紅い宝玉が中心の台座みたいな機械に収められており、その機械にはさまざまなコードが接続されていた。これが彼女からの電子信号を配信するものだろう。金属箱はコア・ユニットと呼ばれ、本体であるメタトロンを護る鋼鉄の制御箱なのだ。
「メタトロン! メタトロン! 返事しなさい!」
 久魅那は叫ぶ。
「……システムダウンをしているんでしょうか?」
「もしそうだとしても、メタトロンがシステムダウンするほどってどんなことよ?!」
 ありえないと思っていた状況なだけに、冷静さが全く無くなっていた。逆に超躍者はというと、紅い宝玉を見ながら「あれがメタトロンさんの本体なんだ〜」と興味津々で見ている。
『………(ガガ)……マ、………(ザザザ)……ター…………?』
 ノイズが酷いが声は聞こえた。それは金属箱と接続していたコードを通じてバイクに内蔵されていた外部音声システムからだ。
 まだ生きている。そのことに久魅那は安堵したのか目には僅かながら涙が浮かんだ。
「……よう、相棒。まだ生きてるか?」
『………なん、とか……』
 いつもの彼女なら小言やらツッコミやらが入るところだが、そこまでするほど余裕はなさそうだと久魅那は判断。
「メタトロン。何があったの?」 
『サンダ………ォンとの(ザザ)……戦闘で…(ガガガ)……ウィルスに……感染……されたので………復旧作業に……………手間が、かかり……ました……』
 どうやら、敵はウィルス攻撃をしかけていたようだ。メタトロンは一度はシステムダウンを起こしたが、それでも予備のOSを使用し復旧作業は怠らず、ウィルスの除去をしていたのだ。
『……マスター……こそ………戦う……(ザザ)……理由が…………見つかり…………ました……か……?』
「いいえ、まだね。……まだ、あたしは戦う理由が見つけられていない」
『……ダメ、じゃない……ですか……』
「ボロ負けしたあんたには言われたくないわねー」
 まるで互いに笑いあっているように超躍者は見えた。こんなにボロボロになっても彼女らは笑っている。これが長い間一緒に戦い続けたものたちの姿なのだろうか?
 この二人は強いな、と超躍者は思う。それは肉体的な問題ではなく、精神的なものだ。互いを心底信頼している。背中を預けられる程の。
 彼女らがどんな世界に住み、なおかつ、どんな生活をしていたかは興味ない。だがこれだけは言える。この二人にとって“生きている”とは、好きな食べ物を食べて、好きな運動をして、次の日のために働いて、グッスリ寝るという生半可はものではなく、“目が覚めれば隣に相棒がいる”。それが“生きている”というものなのだろう。
「ところで、そのバイクはどうするんですか?」
 失礼とは思いながらも、ずっとこの状況でいるわけにはいかないので、超躍者は口を挟んだ。
「あー、と。そうね……」
 どうしようか、という表情で久魅那は大破した大型三輪バイクを見下ろす。応急修理をしようにも徹底的に破壊されたバイクを直せるほどの資材はここにはない。かといって、このまま置いていくのも問題があった。
 未だ動力炉である守護炉は生きている。……いや、破壊されていたら核爆弾よりも(・・・・・・)やっかいなことになっていたのだが、そんな物騒な代物をこんな道端に放置するわけにはいかない。
 しかし運ぼうにも荷物になる。再び動かそうにも大破した機体に戦力どころか移動用にすら使うのも危うい。
 悩んでいたそんな二人の上空。突如、光が差し込んだ。
 別に何か名案が浮かんだとか、天からの使いがバイクを取りに来たわけでもない。本当に、空が眩い光を発したのだ。

「……何?」
「……ん?」

 見上げると、光は丁度二人の真上からだった。……正確にいえば、真上より少し横側。何もない空間の縦平面状から光が差し込み、その中に何かが浮かんで見えた。それも馬鹿にデカイ。三百メートルはゆうに超えるほどの巨大な代物。
「……扉?」
「確かに、そう見えますね」
 二人が言うように、それは確かに扉だった。観音式のそれは、まるで洋風の古城にありそうな長方形で、生命の樹らしきものが彫られた石扉。
 それがゆっくりと開かれていく。
「何か、出てくる……?」
 開かれた扉の向こうから、何かが出てきた。
 扉よりも小さいとはいえ、それは大きかった。
 全長は六百メートル近くはあるだろう。白い船体色。前後に伸びたその形状は、海に浮かぶ戦艦を連想させる。実際、大口径の砲塔などが見えることからほんとうに戦艦なのだろう。
 しかし、それは空中に浮かんでいた。巨大質量のそれをどうやって浮かせているか。久魅那と超躍者はまるでアニメを見ているような気分でいた。
 光が消えると同時にいつの間にか石扉も消えていた。アレは一体なんだったのだろうか?
 ……と、その巨大戦艦から、独特の渋くてだみの効いた、おじさまみたいな声が聞こえた。


「こちら、多次元外門調律局ウルム・アト・タウィルが所属、第十三番多次元万能機動戦艦『ネームレス・カルツ』。真下にいるそこの二人、貴官らと話がしたい」


 突然現れた白い巨大戦艦に、呼ばれた二人は唖然とするしかなかった……。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 同時刻。
 巨大時計塔オルドリンにて、イシス・テレジアもまた、突然現れた白い戦艦に驚いていた。
「S型次元監視艇じゃない?! よりにもよって、戦闘母艦だなんて……。ウルム・アト・タウィルがいきなり本腰を上げたっていうの?」
 それは彼女の予想を遥かに超えていた。無人機のS型次元監視艇を使わず、いきなり戦闘母艦が現れたのだ。予想では彼らが本腰を上げるのはまだしばらく先のはず。
 相手は事態の状況を知っている。誰かが状況を教えた人物がいるのだ。そんなことができるのは、この世界にはたった一人しかいない。
「真珠! お前が彼らを呼んだのか!?」
 振り向いた先には、何故か黒いフリルが満載のゴスロリ服を身に纏った真珠がいた。
情報模擬電子物質(ホログラム)であっても、それくらいはできるわ。ただウルム・アト・タウィルの本局にメッセージを送ればいいだけだし」
「“扉”を開けたのもお前だな?」
「だってそうしないと、彼らはこれないからね。それに彼らが幾ら多次元に亘る最先端技術を用いようと、“扉”の鍵を物理的に作ることなんて出来ないわ。あれは星の、宇宙の、世界の意思の結晶体。ヒトという種族が持つことは永遠にない神造物。……まぁ、私は神でもヒトでもないけれどね」
 真珠はさも当然のように答える。だが、最後の言葉は何処か自嘲的な意味合いを感じさせた。
「どのみち、お前の呼んだ英雄は私の創った反英雄に殺されるわ。私の邪魔をする者は誰一人許さない」
「英雄は死なない!」
 叫ぶ真珠。



 なぜならば!



「――英雄は、風のように現れ、嵐のように戦って、そして……必ず、朝日と共に帰ってくるんだからっ!」


「……それがお前の英雄譚、か?」
「ええ。そうよ」
「…………」
「…………」
 互いに沈黙になったが、イシスは小さな溜息と共にコンソールの方へ向き直った。
「……お前が施した修正プログラム、時間はかかったけど崩させてもらったわ。儀式ももうじきフェイズ四に進む。あと少しで、全ての世界が繋がる!」
「もう、戻れないの?」
「無理よ。ここまで来たら止めることはできないわ。……だから、もう、諦めなさい」
 その言葉は何処か悲しげでもあった。彼女がそこまでしてでも成し遂げたいことは一体なんなのだろうか?
「それはできないわ。貴方のしていることは間違っている。私は、貴方の行為を認めることはできない」
 イシスに背を向け、真珠は歩き出す。その口から紡がれた最後の言葉は、どこか辛そうな声。

「―――たとえそれが、たった一つの生命(いのち)を救うことであっても……」


36 :八針来夏 :2007/10/07(日) 12:43:22 ID:nmz3m3Ye

内外の凶

 一言で言うなら、エルムゴート=アンセムは死ぬ一歩手前だった。
 久魅那との戦いにおいて戦闘力で凌駕され、自爆攻撃を敢行するが失敗し、リロイによって邪槍ごと雷撃の一撃を浴び、その後アウローラとの戦闘で負傷し、更には彼女の変身した本性冬の雲(ウィンタークラウド)の猛攻を受け、それを退けるために肉体の血液を何リットルか吐血し、巨大魔術を行使した。
「なんで、生きてるんですか?」
 そんな襤褸切れのようにずたずたになったエルムゴートを回収した第十三番多次元万能機動戦艦『ネームレス・カルツ』の部隊員はそう呟いた。
 
 

 世界を滅亡させようとする力が存在するのであれば、またそれに対応する力も呼応して出現するはずだ。

「確か、かね?」

 万能機動戦艦『ネームレス・カルツ』艦長、ラダット=ゲインは、副官のヒカラチアに顎の髭を弄びながら答えた。
 ラダット=ゲイン。年齢は49歳。多次元を股に駆け、様々な次元犯罪を未然に防いできた歴戦の軍人。目つきは猛禽のような鋭さと理性の輝きを共に同居させた男。
 今回のこの作戦は、通常の手順を大きく無視している。通常であるならば、次元干渉の兆候が見られるならS級の無人次元監視艇を用い調査する。なにせ多次元というものは有数であるものの、非常に大量である。勿論彼らウルム・アト・タウィルは世界最大の規模を持つ次元補正機構、人員も練度もまた尋常ではないが、星の数ほどの次元異常に有人艦で出張っていてはとてもではないが身体が足りない。
 故に今回は特例と言える。
 次元合一という世界でも尤も禁忌と呼ばれる次元犯罪の予兆、それは普通に考えれば誰もが本気にしないだろう。だが添えられた情報と次元をあけるための『鍵』の存在がそれを証明した。
 そのため彼らラダット率いる最強と名高い13番艦が派遣された。
 そこで次元所属線がそれぞれ異なる四組の人物を発見、回収し現在は事情の聴取を行う事になっている。

 
 と、そこで副官のヒカラチアは手元のレポートに目を落としながら頷いた。

「はい、彼ら五名と一機はそれぞれの次元でも規格外に当たる存在であり、また世界の調和からはみ出しかけた故にこの世界に飛ばされたようです。単独での戦闘力も機械化大隊と単身で匹敵」
「……彼ら六名を召喚したという少女、真紅は?」
「次元振動レーダーを広域照射していますが、現在該当なし。どうやら我々の技術では捕捉は困難かと。彼女の側から来るのを待つしかないようです。」
「歯がゆいな」

 そう、歯がゆい。
 現在進行しつつある全次元世界の脅威。その脅威に相対するべき自分達が今現在何も出来ぬという悔しさ。だが、初手は敵に取られたものの、己らが来た以上、敵の好き勝手にはさせない。決意を込めて拳を握り込むラダット艦長は、その時通信を求めるコンソールからの連絡に視線を移す。

「どうした?」
『艦長、とりあえずこの次元に召喚されていた人物を確保しました』
「そうか、……様子は?」
『うち二名、ええと、久魅那嬢と、彼と同席していた平 直門は回収しました。それから、リロイ=ロイロード、クルーガー=バーズの両名も。それと人工知性搭載戦車メタトロンもかなりの損害が見受けられておりますが、修復は可能でしょう。……問題は』
「問題は?」

 訝しげに呟くラダット。通信画面が切り替わり、出てきたのは船の医療統括責任者。彼は神経質そうに眼鏡を繰り上げながら手元の資料に目をやった。

『残る一名、エルムゴート=アンセムですが、彼はこれ以降の実戦に出せぬというのが医療責任者の意見です』

 思わぬ言葉に目を剥くラダット。この次元世界に召喚された彼らが驚嘆すべき戦闘力の持ち主であり、また彼らがいなければ『彼女』の目論みももっと早く実現していたと言う可能性は知っていた。それゆえ、頼めるのであれば、その戦闘力を貸してもらえるように交渉を進めるつもりであったのだが。

「理由を聞こう、何故だ?」
『一言で言えば魔力の枯渇です。……この魔術師は驚異的な体力と、原子力発電所並みの魔力を保有する類稀な資質の持ち主ですが、……勝ち抜くために相当の無理を繰り返していますね。身体をひっくり返して振ってみても魔力の魔の字も出てきませんよ。こんな状況で良く邪槍と聖鎧、二つの強力な霊装を制御できたものだ。限界です。勿論、魔力は休息を行えば復活しますが、最低でも三日は安静にしておくべきでしょうな』
「……ふむ、了解した」

 軽く頷くラダット。三日ともなれば今回の作戦行動には間に合わない。彼抜きでイシス撃破のプランを立ち上げなければならないだろう。世界滅亡に関わる問題だ、出来うるだけ万全を期しておきたいというのが本心だったが、もちろん戦場で万全を準備できる状況などそうはない。
 医療主任との回線をカットし、ラダットは立ち上がる。

「では、彼らと会いに行こう」
「はい」
 



 世界にはそれぞれ現時点の技術格差がある。
 技術レベルの低い世界に他世界で建造された高度な技術による兵器を使用すれば、瞬く間にその世界が本来たどるはずだった歴史はゆがめられる。それらを防ぐためにこの船が存在しているのだ。

「うっわーすっげー、どうなってんだこれ」
「…………」

 エルムゴートとメタトロンを除く四名はとある一室に連れられているが、その中でもっとも好奇心を露にしているのがリロイだった。とはいえ、これは無理もない話である。平、久魅那の両者はある程度の高度な科学力を有する世界から召還されたものであるのに対し、リロイとクルーガーの両者は中世レベルの技術の世界から召還された人間だ。初めて玩具を見る子供のような反応を示すリロイに対し、基本的に常に牽引役を務めるクルーガーですら注意する事を忘れている。

「……そういえば、あいつは?」

 久魅那は、この場にいない一人の魔術師の姿に疑問の声を上げる。人用に作られたこの談話室の中ではメタトロンは入れないし、それに現在受けたダメージを回復させるべく修理してもらっている。
 問題はあの危険な魔術師だ。

「僕としては、ぎりぎりこの戦いを切り抜けられる程度になっていて欲しいんですけどねぇ、後で戦うの面倒ですし」

 ボディスーツ姿がこの中では目の毒っぽい平 直門は言う。
 あの凶熱の魔術師と事が終わった後戦う約束をしているが、もちろんバックれる気満々の彼としてはあんまり余力がありすぎても困るのである。  
 

「ここから先は私も話に混ぜて貰えんかね?」

 しゅーん、と静かな駆動音と共に扉が開く。ガラガラとか開閉に伴う音も聞こえないし、いったいどういう仕組みで動いているのか分からなかったリロイ。ロマンスグレー髭のオジサマの登場にちょっとよろめきかけた久魅那だったが、気を取り直し一同を代表して言う。

「えーと、貴方がこの船の艦長さん?」
「ああ、私が、ネームレス・カルツ』艦長、ラダット=ゲインだ」

 その声は確かに都市全周に渡って響いたあの声と同じだった。
 全員と同じく椅子に腰掛ける彼は、まず軽く頭を下げる。

「まずは、礼を言わせてくれ。本来関わるはずの無い、われわれの職分であるはずの次元犯罪に対し、巻き込ませてしまったことを、そして状況に悲観するでもなく、イシス撃破に対して行動を起こしたことを、おかげで我々が介入するための数分が稼げた」
「だから、君たちにはもう用は無い、なんていうのは無しですよ?」

 表情の読めないまま言うのは平。それに静かに同意するのは残りの三人。
 ここまで状況に深く関わって今更『後は俺たちに任せろ』、と言われても納得できるわけが無い。頷くラダット。

「我々は君達の単独の戦闘力を極めて高く評価している。君たち個人の戦闘力は機械化大隊一つに匹敵するのだ。単刀直入にいえば、君達の戦力を我々に貸して貰いたい」
「……なぁ、奇怪化大隊ってなんだ? どんどん変になっていく大隊ってことで良いのか?」
「……俺が知るか」

 この多次元が重なる世界ではもちろん使用される言語体系も大きく異なる。
 館内に設置されたコミュニケートシステムはそれらまったく食い違う言語をリアルタイムで適切な形で翻訳しているが、その世界に存在しない言葉まで相手に理解させられるわけでもない。リロイが見当違いの理解をしたのも無理からぬことである。

「……さて、と。……状況の整理をしなければならないな。
 現在君たちが召還され、そして現在の状況の元凶ともいうべきイシス=テレジア。彼女の目的が何であれ、各次元に影響を及ぼす彼女を座して見守る訳にはいかない。
 君達の仲間であるエルムゴート氏は残念ながら重傷を負い、更に魔力の枯渇の為に戦力として数えることができないという、戦力の欠けた状況であるが……」
「……すみませーん、ちょっと待ってもらえますか?」

 そのラダットの言葉を打ち切らせたのは、おずおずと挙手した平直門。顔に軽く嫌な予感と冷や汗を垂らしながら彼は今ちょっと聞き捨てならない言葉を告げたラダットに質問する。

「あの、その戦闘不能ってのはあのあっぶない彼が自分から言い出したことなんですか?」

 それならまだいい。平が知る限りあの戦闘狂の魔術師がそんな自ら勝負を降りるような発言をするなどそれこそ万分の一の確立もないだろうが、自分らはそもそも平行世界とか全次元世界にかかわる事件に対処するため召還されたという人生を十回繰り返しても遭遇しそうにない事態にめぐり合っている。もしかしたら眠りから目覚めたあの魔術師が愛と平和にも目覚めている可能性だってないわけじゃない。
 そんなあの男など、キモくて近寄りたくもないが。
 だが、平の質問に対して、意図が見えなかったのかラダットは怪訝そうな表情を浮かべるだけ。いったい何が問題なのかとたずね返すような感じに答える。

「いや? 本船に搭乗している医療責任者の言葉だ。恐らくエルムゴートが目を覚ましたら改めてそう説明をするはずだ。……と、どうした?」

 そのラダットの言葉に一同がそれぞれ表情を強張らせる。その様を見て自分は何か途轍もなくまずい発言をしたのかと思うラダット。

「……なぁ、……そんな言葉でアイツが戦うのをやめると思うか?」
「有り得ないな」
「……むしろ『こういう窮地を待っていた!』とか言って嬉々として突っ込んで行きそう」
「問題は、彼が戦うなと命じられて素直に従ってくれるほど他人に合わせる性格じゃないってことですよねぇ……」
「君たち、いったい何を言っている」

 一人だけ、現在進行している事態に対して理解できていない、エルムゴート=アンセムという戦闘狂に対する理解の乏しいラダットが会話の趣旨が読めずに不思議そうに言う。
 帰ってくるのはなんともいえない、拙そうな表情。
 彼ら召還された面子からすれば、あの魔術師に『戦うな』と命じる事は火薬庫で花火するに等しい行為だ。もちろん事情を知らない彼を責める訳にはいかない。

「……もうすでにアクションを起こしていると思う人手を挙げてー」

 平の言葉に全員の手が挙がる。そんな時だった。
 ラダットの席に突然副官のヒカラチアの顔が映る。いつもなら知的な美しさを備えた彼女の表情に多分に狼狽が含まれている。

『か、艦長! 先ほど収容した彼が……、だ、脱走しました!』
「何ぃ?! ……馬鹿な、彼は魔術を使うだけの余力など残っていないはずでは?」
『そ、それが……ロック部分をなぜか凄まじい高熱で焼き切ったらしく……有り得ない、ろくに炎も出せないはずなのに……! 現在、なぜか輸血パックを奪い移動していますが……おかしいんです。彼内部構造など知りえるはずもないのに、まっすぐ船のメインジェネレーターを目指すコースをとっているとコンピューターが判断しました!!』

 その言葉に指を鳴らす久魅那。一度彼女はエルムゴートと本気で戦ったことがあるが、一度あの狂熱の魔術師は自分の体から血をこぼしたが、その血がまるで炎の塊のようになって地面を焦がしたのを覚えている。

「……多分、あいつ人血を溶岩に変える魔術を知っているわ」

 顔を見合わせる一同。魔術の使えない彼を止めるべきなのだろう、まずは彼のいる場所に移動してとめなければならないのだが、まず移動手段がわからない。協力を申し出ようと思った久魅那、言葉をつむごうとして、
 その言葉は本日二度目のヒカラチアの怒号でかき消された。

『艦長、レーダー班から連絡、敵機械人形を感知! 12時、2時、3時、10時、9時、半包囲されました!』
「……数は?」
『五つ、ただ……大きい! 敵機械人形、五十メートル級! ッ! 敵人形、後背部に巨大ランチャーの展開を確認! 本艦に狙いを定めています!!』


37 :八針来夏 :2007/10/25(木) 13:46:53 ID:nmz3m3Ye

灼熱の盾

「不愉快じゃねぇか」

 万能機動戦艦『ネームレス・カルツ』の内部を、凶熱の魔術師は激怒に瞳を怒らせながら歩く。その肉体を覆う着衣は一切無い。エルムゴート自身が治療の為衣服を脱ぎ捨てた時に行動を開始したからだ。
 鍛え上げられた肉体の正面には無数の傷があるが、背中には一切の傷が無い。今までの人生において彼が撤退という行為をまったく行わなかったという無言の証人だ。手に握るのは輸血パック。人血が入ったそれを片手に三つほど持ちながら彼は全裸で戦艦の中を歩いている。
 まったく不愉快極まる発言だった。
 闘争こそ生きがいである彼に取って三日近く安静にしていろなど死ねというに等しい言葉だ。それに向こうには自分と同格の大量虐殺能力を持つアウローラがいる。あれほどの敵手と交えずただ安穏と寝てすごす以上の苦痛など存在しない。
 目指すものは、この船のメインジェネレータールーム。
 この船の構造をまるで熟知しているかのような迷いの無い歩み方。
 きちんとしたガイドビーコンはあるだろうが、魔術師エルムゴートはそれを必要としない。もちろん彼が不法に脱出したという事もある。だがそれと同時にエルムゴートの優れた知性は、戦艦の内部を駆け巡るエネルギー循環パイプの存在、位置配置から、もっとも重要な機関の存在を察知していた。

『第一種戦闘態勢発令、各員は直ちに所定の位置に移動。繰り返す……』
「都合が良いのか悪いのか」

 この船に伝わっている連絡にエルムゴートは目を細める。
 おそらくイシス自身によるなんらかの攻撃が始まったのだろう。正体不明の相手の目的はもちろん何かは知らないが、イシスが行おうという目的は極めて大掛かりで大規模なもの。己が属する世界もその影響から逃れることは不可能かもしれない。
 だが、それでもエルムゴートは行動することを止めないだろう。
 これからも闘争を行うには必要不可欠なものがある、亀裂のような笑みを浮かべながらエルムゴートは、最後の扉に手に持った輸血パックの中身を、隔壁のロック部に振り掛ける。
 瞬間的にその鮮血はただの赤色から触れえる全てを焦がし溶かす高熱を帯びた溶岩へと変化、ロック部を一撃で融解させていく。そのまま強引に内部へと足を踏み入れるエルムゴートは、この船の心臓部と言うべき部位に辿り付き。

「まぁ、当然の選択だ。……予定とは違うがこれはこれで悪くねぇ」
「……大人しくしてもらってるのが一番だったんですけどねぇ。……うわホントまっぱだか」

 内部で仁王立ち、飄々とした態度で発言しかけていやそうに顔をしかめた平直門の姿に口元を歪ませた。
 


 ジェネレータールームがエルムゴートの最終的な目的地であると知ったオウガスト提督であるが、しかしそれ以前に防衛ラインを構築して対処すると言う判断を下すことは出来なかった。
 もちろん船の内部には白兵戦を専門とする部署は存在している。だが、同時に敵の強襲揚陸も予想される現状ではあまり多くの機械部隊を裂きたくない。それにこの船は非常識なまでの無人化が進められており、これほどの巨体でありながら三十名というきわめて少ない人員で運用することが出来る。
 と、すると、エルムゴートと言う強力な固体を押し止められる強力な個がもっとも適任。
 久魅那は戦闘力には不足は無いが、その力は高速機動と高い火力によるものだ。リロイも高度な魔術を行使できるが、ジェネレーター近くと言う誘爆の危険がある環境がそれを許さない、同様に大獲物を武器とするクルーガーは、周辺の機器を壊す可能性があるために除外され。
 結果、肉弾戦闘に優れた平直門がこれに当たる事になった。


 もちろん、平はごねた。かなり。
 クェイドとの戦闘も詭弁を用いてできれば避けようとしていた彼である。何が悲しゅうて全身オールヌードの股間にビィィッグビィィストォォォをぶら下げた男と戦わねばならんのだ。
 
「さぁて、困ったなぁ」

 そんな超躍者の心情などなんら考える事無くエルムゴートは亀裂のような笑みを見せている。
 
「魔力も切れ、体力も切れ、切れ切れ尽くしで人生の幕切れってか?」
 
 確かに、そのとおりであるはずなのだ。
 オウガストや、この船の医療長が困惑した理由のひとつがそれだ。魔力も体力もなにもかも尽きた魔術師など、ただ頭がいいだけの人間であり、今行動を起こさず体力の回復を待つはずだと思っていたのだ。
 だが、超躍者は表面上、相変わらずポーカーフェイスを保ちながらも微塵も油断はしていない。
 目の前の男は激情と理性を同居させる事が出来る、切れ者の典型。行動を起こしたからにはそこに何らかの目算が潜んでいるはずだ。
 ぐ、と腰を落とすエルムゴート。それに対処する為に構える超躍者。
 両者がメインジェネレーター内で戦闘を開始しようとしたその瞬間だった。
 
 衝撃が、船全体を揺さぶる。
 

「被害状況を報告」
『右舷前方、第八ブロックに被弾しました!』
「隔壁を閉鎖、第二救護部隊を直ちに。……ニトクリスシールド、出力を三割上昇させろ!
 副連装ビーム砲ハストゥール、全機起動! ガンモードCIWS、敵弾頭迎撃を開始!」

 副官ヒカラチアの暫定指揮の下一丸となる戦艦ネームレス・カルツ艦橋。
 そこに姿を現すのは艦長であるオウガスト=ダウレス提督。そして多次元からの来訪者である三名。
 艦橋前方、装甲板が解除。内部からガトリングビーム二機展開。

「艦長、指揮を引き継ぎます」
「うむ。……敵榴弾を迎撃、全周防御」
「了解! 射撃管制システムへ移行。敵人形より攻撃照準波検知! 攻撃、来ます!」
「自動迎撃、始め!」
 
 ヒカラチアの叫びと共に、超遠距離から飛来する砲弾への迎撃を開始する。
 紫色のガトリングビームキャノン『ハストゥール』、猛烈な回転を開始し、飛来する弾頭を迎撃開始。
 高精度のシステムによって管理されるビーム兵器は雨あられとなって敵砲弾を打ち落とす。弾頭内部の榴弾に命中、空中にて誘爆。

「妙だ」
「なにがなの? 艦長さん」

 顎に指を当てながら呟く艦長に、後ろに居た久魅那は不思議そうに答える。

「敵弾種、榴弾類は広範囲の爆殺には向きますが、強力なバリアシステムを備える本艦には効果が薄いのです。……恐らく次は対装甲弾の使用が予想出来ますが……」

 ヒカラチアの言葉に肯く艦長。

「攻撃は最大の防御に通じる。……クトゥグゥ起動、下部装甲展開、イツァトゥグゥ、銃撃。積極的攻勢に転じ敵攻撃力を減退、前進開始!」
   
 


「……ちと、奇妙だと思わんか?」
「何がです」
 
 向かい合うムキムキ全身タイツとマッパの男という実に暑苦しいというか見苦しい両者はメインジェネレーター部でにらみ合う。
 千日手にも似た静止した二人。先に沈黙を破ったのはエルムゴートだった。

「この世界は現在イシスとかの支配下にある。
 で、機械化兵の最大の利点は情報魔術とかの力によっていつでもどこでも戦力を好きな場所に転送できるという事だ。
 ……だが、ちと奇妙に思った点を一つ、俺の予想を言うとだな。
 なら、どこにでも情報転送を行い瞬間移動できるはずなのに、俺に敵対した将軍級の相手は戦闘行為において絶対的ともいえるアドバンテージを取れる瞬間移動の連続を行えなかった。ここから予想できるのは、奴等は、それをしたくともできない、という事だ。
 ……奴等の使うものは情報魔術。ある程度想像が混じるが、俺の予想はだ。
『他の生命体と言う膨大な情報の結晶体の近くで転送を行うと、転送した物体の情報が乱され、正確に復元する事ができない』。まあ要するに奴ら相手の近くに出現する事が出来ない。
 では、奴らがこの船を落そうとすれば何は必要か?
 先程医療室であらかたのデータをざっと閲覧したが、船体下部に大型の実弾兵器を備えていると見た。
 大質量の実体弾兵器。万能的な長距離用のリボルバーカノンだが、……構造からして展開には下部装甲を開いて射撃モードに移行する。遠距離の射撃戦ならば問題ねぇだろうなぁ。弱い腹の部分は敵射角に入らん。通常なら問題ない。……で、ここでちと疑問が出てくるんだが……足元の安全は確保してあるんだろうな。
 だからだ。平、そこを退け。俺が保険になってやる」



 万能機動戦艦『ネームレス・カルツ』、船体下部、装甲開放。
 同時に船の下から巨大な銃身が展開する。ネームレス・カルツが積載する必殺にして最強の武装の一つ、銃底を除き長大な銃身と弾装のみで構成される巨大なリボルバーキャノン。
 その圧倒的な巨大弾丸、凄まじく大きなハンマー、弾体の大質量と運動エネルギーで敵を粉砕する、彼らの技術力からすれば原始的とも言える、……しかし単純な技術であるが故に故障皆無の大口径砲。
 例え相手が五十メートル級の巨大人形であろうと一撃で粉砕する破壊力を持つ絶大な物理的破壊力。エネルギー消費が極めて少ないためバリアーシステムを展開しながら使用できる物理砲を敵人形に照準する。

「艦長、敵人形捕捉!」
 
 火器管制オペレーターからの報告を受けて重々しく頷き、攻撃を命じようとしたその瞬間だった。
 
「船体下部に敵反応検知! ……地中に埋没していたのか、船体下部に敵大型人形、狙われています!」
「敵人形より光学捕捉を確認……!! 狙いは……リボルバー弾装部!」
「これが、狙いだったという事か……! ジェネレーター出力を臨界までに、バリア最大出力防御!! 同時にハードポート、全速回頭!」
 
 艦長は、しかし同時に判断が遅きに失した事をどこかで悟っている。敵の本命はこちら、恐らくバリアを破るための強力なフィールド貫通弾を準備してくる。放たれた一撃はこちらの弱い横腹を打ち抜き誘爆する。
 せめて被害を抑えなければ、と判断した彼の耳に、更なる最悪が飛び込んでくる。

「……?! そんな、艦長、ジェネレーター出力は臨界なのに……各部署に電力が供給されません!」
「原因を説明なさい!!」
「メインジェネレータールームで何者かが電力を吸収しています! ……嘘だろ?! こいつ、この船のエネルギーを魔力に変換し吸収しているのか……!!」

 その言葉で艦橋に居た三名は否応なしに悟る。
 家が火事の状況に油を注ぐような愚考を行う、凶熱の魔術師、奴だ。
 リロイはオペレーターの言葉の言っている大半が理解できていないが、しかし彼らの焦燥に満ちた声に切迫したものを感じるが、しかし現状で彼に出来る事は少なく、クルーガーもまた同様。腹立たしげな感情のまま声を上げたのは久魅那だった。

「あの、ヘンタイ! 何やってるのよ、魔力の大半を失った奴をどうしてみすみす……!!

 彼女も別にエルムゴートを過小評価していたというわけではない。しかし戦闘不能と判断されるほど彼は消耗していたし、ジェネレーターで火炎魔術を使うほどあの男が理性を失っていると思っていなかった。そして無手での戦闘であるならあのヘンタイが破れる道理など無いはずだったのに。

「ジェネレータールームの映像を!」

 ヒカラチアの言葉にスクリーンに真っ裸の凶熱の魔術師がジェネレーターに取り付き、一艦をまかなうほどの膨大な電力を暴食するさまが移る。それは予想の範囲内だったが、予想外だったのはそのへんの機材に腰を下ろしてのんびりしている平だった。
 彼がそもそもエルムゴートを食い止めていれば更に事態の悪化は防げていたはずなのに、闘争の気配など微塵も無く落ち着き払ってすら居る。

「敵、船体下部からランチャーをこちらに構えました、攻撃態勢!」  
「!」
 
 悲鳴のようなオペレーターの言葉に空気が帯電、誰もが総毛だったその瞬間だった。
 船のジェネレーターから電力を吸収し続けていたエルムゴートは両腕を掲げ、そして術式を構成。膨大な電力を瞬間的に桁外れの魔力へと変換し、巨大で緻密な設計図を描くように高らかに吼えた。

『わが身を鎧う堅牢なる炎獄の使徒、いかな刀剣飛愴も溶かし焦がして刃を腐らす!! 完成せよ、岩漿物質(マグマアッシャー)防御形態(ディフェンスモード)!!』
 
 船体下部からランチャーを構え、リボルバーキャノンを狙い打とうとしたその大佐級人形。
 放たれる弾丸は正確に弾装を打ち抜き、誘爆させ致命的損害をもたらす、はずだった。
 
『だった』のだ。

 突如、唐突に突然に、船体下部を守護するかのように出現した巨大なぐつぐつと煮えたぎる溶岩塊がひとつ。
 それこそ大佐級人形が放った対装甲用の弾丸の持つ凄まじい質量、運動エネルギーをその超高熱と質量で完全に受け止めてみせたのである。

「そ、損傷ありません。敵攻撃、防がれました……」

 呆然とした様子で呟くオペレーターの言葉に、艦長はいち早く命令を下すことを思い出し、叫ぶ。

「イツァトゥグゥ格納! 下部機銃座攻撃を開始!」

 周囲に展開する溶岩塊の存在。
 船のジェネレーターの電力を魔力に変換しているとはいえ、凄まじい大魔術の展開だ。敵砲弾を受け止めた溶岩塊は、現実に形を留め置くための魔力提供を断たれたのかゆっくりと崩れ落ちていく。




「流石に、電力供給を受けたとはいえ、きついねぇ、畜生」

 呟きながらエルムゴートは口蓋から血を漏らしながら呟く。
 魔力の飢餓的状態まで追い込まれていた肉体は、砂漠で彷徨った旅人がオアシスの水をむさぼるように電力を吸収したが、今度はその吸収した魔力を一挙に放出した為に負担がかかっている。生命の危機は無いが、疲労は鉛のように体を蝕んでいる。
 タバコが吸いたい。そう思ったが、今自分は素っ裸であることを思い出し忌々しく思う。
 ふと気がつけば、平はジェネレータールームから出ようとしている。鉛のような体では動く事すら間々ならない。それでも言葉を吐いた。

「疲れたから、休ませて貰うぜ」

 平――短く首肯。
 走り出す背を見送り、エルムゴートの意識は闇に落ちた。


38 :菊之助 :2007/12/31(月) 22:37:51 ID:ncPiPLxm

待たせたな! 前編

 変態(他変換で「えりゅむごぉとあんしぇむ」とも読む)が撃沈した。
 否、奇人が撃沈したというべきか。もとい激・チン。
「下らんことを考えているのではないだろうな?」
 リロイの視線が目の前のモニターに映し出されたエルムゴートの『KO・KA・N☆』を凝視しているのに気がついて、横にいたクルーガーは冷たく言い放った。その声の低さと、「何食ったらああなるの?」という男子諸君誰もが思い願うようなビィィィイストを凝視していた自分に我に返って、リロイはあわてて居候の青年に言い返した。
「オレが思っているのは、どうやったら元の世界に還れるのかなってことだけだ!」
「ならば、いいが。それよりも、今の状況はかなりこちらの方が圧されているように思える」
 別モニターに映し出された艦外状況と、それに対して俄かに騒がしくなった艦内の様子に、元傭兵の青年はさしたる変化も見せず無感情に状況を把握した。
 この世界の文化が自分たちの住む世界より発展しているのは確かだ。元々それほどの学もないクルーガーは、端からそうした文化を自分が理解できるのは不可能だと踏んでいた。しかし文化を理解できなくても、戦況は理解できる。そして自分にできることがどれくらいなのかも。
 モニターをしばし眺めて、クルーガーはきっぱりと言い放った。
「俺にできることは全くない」
「きっぱり言うな!?」
 真顔で言った青年に対し、珍しくリロイがつっこんだ。だが、言われた方のクルーガーはというと、戸惑う金髪の美少年など見向きもせずに、淡々と言葉をつづけた。

「今目の前で行われている状況は、俺がこれまでいた戦場とは明らかに違う。俺の戦闘は、人間相手の接近戦だ。あの女のように飛び道具もなければ、覆面男のような人間離れした技もない。なにより、お前達魔術師のような力もだ」
「や、で、あ……」
「俺は今でもなぜ自分がこんな所に呼び出されたのか、わからない。魔術師であるお前ならばまだ分かるが、肉体戦しか能のない俺にとって、この世界に存在する輩を圧倒するのは無理な話だ」
 金色の目で射ぬかれて、リロイは完全に口ごもる。確かに彼のいうことは尤もだと、リロイもまた思っていた。
 クルーガーがどれほどの腕前をもった傭兵だったのか、リロイは知らない。知らないが、並の力量でないだろうとは理解していた。だが、今の状況。
「武器も何もない今の状況では、俺は戦力どころか邪魔にしかならん」
「だ、だけどな、根暗?」
「そんなわけで少し休ませてもらう。もし俺が必要になったら起こせ」
「え、ええぇ?!」
 云うなり、戸惑うリロイを残してクルーガーはそのまま部屋を出て行った。異常事態に陥った室内では、リロイ以外、黒髪の青年が退室したことに気付きもしない。
 相変わらずモニターの向こうでは非現実な戦闘が繰り広げられ、それが実際に行われているのですよと言わんばかりに船体が振動し、船員は必死の形相で駆け回っている。事態はあまり良くないらしい。
 戸惑いながら横を見ると、久魅那がモニターを睨みつけながら唇を噛んでいた。彼女の横顔を見つめながら、リロイは思う。

 久魅那とメタトロンの関係は切っても切れないから共に召喚されたのは分かるとして、なぜ自分達のようなつながりのない者が同時に、それも同じ世界から召喚されたのだろうか。
 しかもこんな非現実な世界に。
 
 自分たちは確かに同じ世界の他の「常人」に比べると、まあ斜め上をいくような存在だったかもしれないが、それでも召喚された人々の中ではまだまともなのではなかろうかと思う。
 何より、クルーガーもリロイも「戦闘」というものを好んでしているわけではない。
 むろん、戦いを好んでいる人間なんてのは、口からボハボハ炎を吐く激・チン魔人以外はいないだろうが、それでもすぐさまこの状況に順応し、目の前の敵とさしたる疑問を感じずに戦えるなんてのは、リロイにとっては異星人としか言いようがなかった。
 リロイも確かにエルムゴートと戦った。だが、それは久魅那が不利だったように思えたこと、そして彼女と魔人との戦いを一部観戦したことにより、魔人がそうやすやすと死なず、かつそうやすやすと倒れないとわかったからできたことだ。
 久魅那が悪いといっているわけではない。
 だが、初対面の相手に、「逃走」という選択肢をとらずまっさきに「戦闘」を挑んだ彼女もまた、リロイにとっては異星人だった。

 今の目の前で繰り広げられる状況は、そんな異世界の異文化において、さらに異質な光景だ。
 モニターと呼ばれるそこに映し出されたのは、自分たちが今のっている船(なのだろう、おそらくは)を破壊しようとしている機械の数々だ。
 敵は生身の人間ではない。
 そんなやつらを相手にしたことのないリロイは、多くの考えや疑問を胸に抱きながら、クルーガーの言った「できることは全くない」という言葉の意味を理解した。

 そうだ。

 生身のクルーガーだけではない。戦闘になれていない自分にとって、やはり同じようにできることはないのだ。
 第一、リロイはエルムゴートのような遠隔操作魔術は使えない。正確にいえば、「遠隔とも思える魔術」を使えるには使えるのだが、それは直接彼の視界に魔術を展開すべき場所が入っている場合である。モニター越しの視界ではどうかと問われると、このようなものを見たことがなかったリロイにとって、遠隔魔術が成功するとは思えなかった。
 彼の脳裏にあるのは、今更ながらこの状況に対する焦りである。ついていけない文化形態の中で、唐突に敵が自分達を狙ってきたのだから堪ったものではない。それに自分がここに召喚された意味も、そして今抹殺されようとしている理由もわからないのでは、誰が敵で誰が味方なのかもわからなかった。唯一同じ世界から来たクルーガーは、どこかに行ってしまった今、リロイの精神はますます追い詰められていった。
 
(そういえば、この服あんまり体にあってねーんだよな)
 テスト前や大事な商談前の一種独特な緊張感を前にすると、人は部屋の片づけをしたり書きためていたネタを文章に起こしてみたりと不思議な現実逃避を起こしやすいものである。リロイもまさにそれであった。焦る思考の中に浮かんだのは、この場には不釣り合いなおかしな感想だ。
 この船に収容された時、気の強そうなメガネ美人が、ほぼ裸体に近いリロイとクルーガーの格好に無表情のまま赤面した。そして手渡されたのが、詰襟のきつい船員服。無いよりはましだと思って着てみたものの、はっきり行って着にくい。襟の部分が首をちくちく刺激して痒いわけだが、襟を外してしまうと今度は「これ、作り方間違えましたよね?」と服のデザイナーがいれば言ってしまいそうになるくらいべロンとだらしなく襟から胸元までの布が垂れ下がる。
 そうこうしていると、爆音の中でも聴き分けられるくらいにリロイの腹がグーッとなった。だが、その場で忙しく己の職務を全うしようとする船員はもちろん、久魅那もリロイの腹の音には気がつかない。
 なんでこんな時にオレ、空腹!? だれかに聞かれていたかもしれないという気恥ずかしさもあったが、この非常時に腹を鳴らしている自分の精神はどんなものなのだろうか。いや、まてまて。
「よく考えたら」
 そうだよ。
 オレ達、こっちに呼ばれる前に魚釣りしてたじゃねーか。家に食うもんがなかったから。
「そりゃ、腹も減ってるわ」
「は? 何?」
 リロイの独り言に、久魅那がようやくこちらを見た。
「あれ? あんた、相棒は?」
 クルーガーの姿がないことに気がついたからだろう、久魅那に言われてリロイは苦笑する。そうか、はたから見たら「相棒」という位置づけになるのか、あいつとオレ。
 ならば、考えるまでもないだろう。
 思うなり、リロイは扉の方向に歩いていく。そして「ちょっと!?」と背後で声を荒げた久魅那に彼は扉をくぐる直前に言った。
「あのさ、『相棒』が出てったんで、連れ戻してくる。場合によってはちょっと交戦してくっから」
 誰とよ!? と黒髪の少女が叫んだようにも聞こえたが、そこにはリロイは答えない。背後で扉がシュンッと閉まったのを確認するよりも早く、彼は確信をもって廊下を歩き始めた。
 何ができるできないは関係ないんだ。同じ世界から来たやつは、とりあえず近くにいないとだめじゃないか。そして服をどっかでぱちってきて、飯を食おう。
「そうしたらなんか良い打開案でもうかぶだろう」
 基本、楽天家なリロイの本質が、ようやく出てきた。


 そしてそのころ、基本ネガティブなクルーガーは、人間では到底もちえない鋭い嗅覚を使い、ある人物を探していた。湧き上がる怒声と悲鳴、走り回る船員たち、時折突き上げるような振動を体で感じながらも、彼は己の能力を用いてまっすぐに歩いていく。目指した先は、意外にも船内の奥まった部分で、予想よりも地味かつ小さな扉の前だった。扉の前にたって、中に入ろうとする。
 だが。
「……?」
(取っ手がない……)
 扉だというのは分かるのだが、持つべき取っ手がないため、クルーガーはそこで停止する。実際それは電動で開く扉であり、横にあるカードリーダに専用カードを通してから、パスコードを入力しなければ開かないのだ。が、無論そんな科学技術を目の当たりにしたことのない青年は、目標はその向こうにいるというのに扉を開けるすべが分からないことに、しばしその場で立ち尽くした。
 立ち尽くし、顎に手をあてて考え、それから。


「ふんっ」

どがっしゃっ!

 ああ、それは一瞬の出来事だった。
 後にネームレス・カルツの一等整備士マイティ・マグノリアは次元移動の際に、退屈した後輩に語ることとなるだろう。
 通常ならば弾丸もはじき返す防護力を備えた、その極秘会議室の扉が、たかだかティーンエイジャーの蹴り一つで大破させられた事実を。
 
 クルーガーが蹴り飛ばした扉は、まさにこれから敵へどのような対処をとるか真剣な顔で話していたラダット=ゲインの頬をかすめて、その後ろにある壁にめり込んだ。あまりにも予想外の現状と、一歩間違えれば即死となりかねなかった己の現状に、あれほど久魅那が「はぁん、ロマンスグレーなオジサマ!」とときめかされた人物と同一とは思えないほどに、艦長であるラダットの頬はひきつる。その目線の先にあるのは、通常決して破られない、特に「蹴り破られる」なんてことは蟻が象に勝利するくらいにありえないと思えるほどの所業を成し遂げた青年に向けられていた。
 黒髪に金目の青年は、今だ鳴りやまない攻撃の音と、振動の中でも動じることなくまっすぐに艦長であるラダットを見つめる。
 そして、口を開いた。

「貴殿の戦は下手だ。見るに堪えん」
「なっ……!」
 唐突すぎる発言にラダットをはじめ、他の指揮官達が絶句する。だが、クルーガーは真剣そのものな顔でさらに言葉をつづけた。
「俺の意見を聞くならば、少なくとも今の状況は打破できる。さあ、どうする?」
 なにもかもが突然な内容に、指揮官と呼ばれる人間たちが茫然としたのは仕方のないことだろう。
 そのころ、彼らと違う間で控えていたヒカラチアのもとにも不穏な報告が無線を通じて報告された。
 その内容に、冷静沈着美人なヒカラチアの顔からさっと血の気がひく。


 金髪をしたもう一人の魔術師が、根暗はどこかと叫びつつ艦内のあらゆる扉を電撃で破壊しながら暴走中! と、止められません!


 ああ、またしても。
 この仕事が終われば、実家のラーメン屋を継ごうか。
 

 平が艦内をかけまわり、エルムゴートが失神し、そして久魅那が動けない己に歯嚙みする中、ヒカラチアはひとり自らの将来について真剣に考えるのであった。
 そしてそんな様々な思惑に関係なく、狼男である元傭兵筆舌尽くしがたい殺気を艦長にむけたまま、金髪魔術師は炎の魔人よろしく(問題なのは本人に悪意がないというところか)「根暗どこだ!」と館内の扉を次々と破壊しつくす中、戦艦の外では大佐級人形が銃の照準を艦にロックしたのである……!


39 :菊之助 :2008/02/28(木) 00:21:51 ID:ncPiPLxm

待たせたな! 後編(進歩なし…)

 久魅那は呆然とモニターを見上げていた。

 この世界に来てからというもの、短時間で多くのことがありすぎた。
 体の疲労はもちろんのこと、それ以上に精神の疲弊もひどい。それを表に出さないのが「天使」たる己の使命であるのかもしれないが、それでもすでに限界に近いところまで来ていると、久魅那自身が一番理解していた。 
 確かに自分は同年代の人間に比べ、そして自分よりはるかに年上の相手に比べても「強い」ことだろう。体はもちろん、心も。だが、知らぬ土地で起こる常識の範疇を超えた戦闘の数々。見ず知らずの相手に命を狙われて、かつ相棒であるメタトロンさえもそばにいない状況では、さすがにそう、「限界に近い」と言える。
 だからだろうか。久魅那はなぜ今、己が茫然としているのか理解できないでいた。思考がそこまでいきついていないのだろう。考えるという行為が大変な労力を要すのだと、彼女はこれまた生まれて初めてしったわけであるが。
「……なんで」
 モニターの向こうに映った情景に、彼女はぽつりと呟いていた。いや、どなった。
「なんで、あの金髪魔術師は船を中から壊してるのっ?」
 名前は確かリロイ。もっと長い名前で自己紹介していたように思えるが、そのあたりで彼を呼ぶのが一番だと思われる。だが、問題はもちろん名前ではない。そのリロイが。金髪魔術師が。船の中で暴れまわっているのだ。
 不幸か幸か、外部から攻撃を受けている現状ではモニターのマイクを通しても、彼の言葉は騒音にかき消されていた。だからなぜ彼が船の内部を電撃で破壊しているのかも分らない。よく見るとそれは単にドアの開け方がわからないので、力任せ(そりゃもう、本当に「ちから」任せである)に開こうとしているだけの所業なわけだが、その分たちが悪いといえるだろう。
 瞬間的に、久魅那の中の正義の血が騒いだ。
 彼をとめなければ。
 深い理由も何もあったものではないが、そう思考がいきつくと、あまりにも万全とはいえない状態であるのを重々承知しながらも黒髪の少女は部屋から飛び出した。眺めているだけなんていられなかった。確かにそれは正義の血なのだろう。が、冷静かつ当初からこの作品に付き合い続ける読者ならば気が付いているだろう。
 それは正義の血ではあるが、正確にはもっと違うものだ。
 そう、あえていうのならば。
「問題児を抱えるクラスの委員長」の血であると……!

 作者はいたって真面目である。石は投げないでいただきたい。
 

 さて、そのころ。
 「問題児」と形容するのに十分相応しい男のうちの一人、リロイ・ロイロードは、手に銃を構えた船員達に包囲されていた。
 とはいっても、彼らとリロイとの距離は半径十メートルは離れていることだろう。それは何も船員達が彼に恐れをなしているからではない。
 時空を行き来する上で、多くの人種を見てきた船員達にとって、リロイのような行動を起こす人間に遭遇するのは珍しくなかった。突然の船内破壊行動は、力の大きさに対して若干の違いはあるものの、それこそ多くの時空をまたにかける人々にとって「日常茶飯事」とも思える行動だった。だから彼らは冷静に距離をとり、そして冷静に「時空に翻弄された者」を『救う』べく、銃を構えている。
 しかしいくら訓練で「冷静」を装いそれ相応の行動を取れたとしても、若干の動揺は残る。特に、目の前にいる人物が、銃というものをあまり認識していない世界からの人間ならば、なおさらだ。
 リロイはというと、どこかで拾ったのだろう、その白くもたくましい手の中に一本の棒を握っていた。
 棒?
 いや、鈍色に光っているのは鉄パイプである。
 モニターでそれを見たヒカラチアは、一瞬めまいを覚えた。この洗練された艦内において、そのような無骨な鉄パイプが放置されているようなところはない。だとすれば、考えられるのはひとつ。どこかを大破して、そこからむき出した鉄パイプを引っこ抜いたのだろう。艦内損傷はどれくらいなのだろうか。すぐさま手近にあるキーボードをたたけば、損傷箇所とその具合がすぐさま彼女の手の中に届くことだろう。が、ヒカラチアはそれをしなかった。出来なかった。現実逃避ではない。現実逃避ではないが。
「ところでさぁ」
 まだ故障していないモニターマイクの一つが、雑音混じりの中でどうにかリロイの声を聞きとった。モニターを見る。随分と落ち着いた様子で立っている金髪の少年は、まるで天使のような顔のままで鉄パイプをスイングしている。
「なんでこんな風に包囲されてんのかオレ、よくわからねーんだけど?」

……そんなの。

『そんなの鉄パイプ持ってウロウロしながら艦内破壊を行っていたやつは、銃構えられてあたりまえでしょうが!?』


 その場にいた全員がそう考えたが、厳しい乗員選抜訓練において、不必要な発言はしないよう体に覚えこまされている彼らは、少年の言葉に声をあげて反論はしない。ただ慎重に、目標を狙って銃を構え続ける。艦長には当初から「異空間から召喚された者達にはいかなる場合においても危害を与えてはならない」と言われている彼らだが、今のこの状況ではそれは不可能に違いないと思えた。
 リロイと呼ばれていた少年はいまだその実力を見せていない。実質この世界に召喚された当初、彼はエルムゴート相手にその実力を見せざるを得なかったのだが、その時にはまだこの『ネームレス・カルツ』は異次元の波を進んでいたわけだ。まさか少女と見紛うばかりの細っこい少年が、そんな危険事物とは予想もつかないわけである。だから、いくら鉄パイプなる凶器を彼が持っていたとしてもおいそれと発砲はできないわけである。
 なので、乗組員の中の一人、アーレイ=ギルバルソン(不名誉なことだが、あだ名はやはり「あーれー(間の抜けた悲鳴風)」である)は乗組員としての常識から、相手の武装を解くための警告を発した。

「貴様、武器を地面におけ!」

 若干語尾がひきつりはしたものの、その声は爆音に揺るがされた船内でも響いた。故に、鉄パイプを握った少年はアーレイの方を振り向いて驚いたように目を見開き、しばしして己の手の中の物を見直してから答える。

「あ、大丈夫。これ武器じゃなくて、マジカル☆鉄パイプだから」

『ねーよ! そんなマジカル?!!』

 さすが同じ釜の飯を食べて生活する乗組員だけあって、彼らはすぐさま金髪の少年の言葉にツッコミを入れた。が、リロイは至極真面目な表情で訂正する。
「マジカルじゃない! マジカル☆だ!」
『☆はこだわるところなのか!?』
「あたりまえだろうが! つのだに☆がなかったら、ただのひろだろうが!」
『わからねーよ!!?』

 リロイと乗組員との不毛な問答がはじまろうとしたとき、突如彼らの間に何かが飛び降りてきた。
 それは、そう、飛び降りてきたと形容するしかなかったことだろう。
 大勢の人間の頭上を飛び越え、まるで天使か何かのようにほぼ無音で対立する間に着地したその存在は。

「あ、灰色仮面」
「……間違ってはいないけれど、確実に心の中の何かをそがれるよね、その言い方?」

 平直人は、顔のない顔をリロイの方に向けて、確かにそう、苦笑した。


40 :異龍闇◆AsVGmnGH :2008/06/25(水) 00:36:07 ID:P3x7mFnF

無尽な男(上)


「Carpe viam et susceptum perfice munus.」
「ぐずぐずするな、引き受けた責務を果たせ」



「まぁ、待ってください。今は焦るような時間ではありません」
 そうリロイを取り囲む乗組員一同に言いつつ、その取り囲まれる当人へと超躍者は諸手を抑えるようにして振り向く。それと同時にマジカル☆鉄パイプを、赤子から取り上げるかのように事も無げに片手で奪い取る。まるでフィリピン武術のカリで行われる武装解除(ディスアーム)のようである。
「あぁー! 俺の唯一の固定装備を!」と言って飛びかかるが、武器を持っていた手は消え失せ、反対の手からの『バチン』と人体で出せるとは思えないような音の『でこピン』を灰色仮面から喰らって空中で半回転して床へと引っ繰り返るリロイ。
「うぉー指に何仕込んでるんだてめー、爺の平手ぐらい痛ぇええええ」
「……爪が罅入って割れるかと思いましたよ。なんと言う石頭」
 オデコを押さえながら艦内の床をゴロゴロ転がるリロイと、殺人級のでこピンをした方の手をプラプラさせて佇むヘンタイチックな仮面男の双方を見比べる地上戦力の乗組員達。明らかに変人二人に手を出しかねていた。
「まったく君は何をしているのかね」
「どうしたもこうしたもねぇよ」
 オデコを押さえつつ、フラフラと立ち上がるリロイに「クルーガーの事が気になるのか?」と超躍者は問い質す。
「……腹減ったから飯探していただけだよ」
「……キツツキでもまだ静かに餌を探しますよ」
 明らかに『相方が心配』であろうと言う口振りと、それを隠そうとして隠し切れていないリロイに超躍者は仮面越しに苦笑を漏らした。
「まぁ、彼の事が気になったとしても、今は手を出さない方がいいでしょうね」
「は? どう言う事だ?」

 グルリと光子力固定砲台の連続砲撃にも耐えられる分厚い壁と仮面越しに辺りを見渡す超躍者。それに釣られて、船外は見る事が出来ないにも関わらず、リロイと乗組員達が従った。

「戦場の音と調子が変わりました。先ほどのこの艦からの散発的な攻撃が止んで、まるで何かを待っているかのようです。戦場の生の臭いが分かっている人間の指揮に変わりましたね」
「何か?」
「さぁ、何でしょうね」と超躍者はごく自然にリロイからの質問をはぐらかすと、乗組員の一人、アーレイ=ギルバルソンの手首を捕って肘関節を極めた。
「うぉ? ちょ、なんだこれ!」
 アーレイの腕全体が物凄い不自然な方向に曲がっているが、不思議と彼自身に痛みなどの違和感はなく、ただその感触とは裏腹に超躍者の手が吸盤のように吸いついてアーレイの手首から離れない。もとい、何かピンで留められたのかようにアーレイ自身もまったく動く事が出来なかった。もう片方の銃を握る手が自由だと言うのに、それを使う事すら何故か出来ないのだ。
 地上戦闘員の乗組員達も敵とも味方ともつかない超躍者の所業にまったく動けずにいた。彼らでもいわゆる制圧術として、人やそれ以外を傷つけずに捕縛する手段を心得ている者は殆どだったが、まさかただの片手で相手を有線でのリモコンでも使っているかのように言いように動かしているのは驚異のレベルである。

「とりあえず外に出たいんですけど、案内してください。僕ではこういった扉は開けられないので。まぁ、リロイくんみたいに壊してもいいなら別ですけど、……人も」
 最後の一言は完全に人の関節を極めてから言うセリフではない。しかも仲間を人質に取られた反撃で撃とうとした他の乗組員らからはその彼らの銃口を完全にアーレイの体で遮っていた。そしてたぶん、逆らった瞬間に次の手近な人間を獲物にする事が容易に想像が出来た。
「ど、何所に行く気だよ!」
 空気を読んだリロイの突っ込みも当然である。何処ぞの弾幕ゲームばりに避ける場所すら皆無な戦場に、いくら多少は装甲があるとは言え、ほぼ生身で馬鹿が外に出ようとしていたのだから。

「んー、敵の大将のところでの人助け的な何か?」
「なんでそこはかとなく疑問形の上に曖昧形?!」

 アーレイの突っ込みも虚しく、ずいずいと人垣へと進む直門に乗組員達はスゴスゴと後退をせざるを得なかった。
 強制連行と言わんばかりに不自然な、超躍者は殆ど触っているだけの極め方でアーレイを捕縛し、同時に彼が先導してしまうように体を動かさせていた。外に出さないようにと、その方向へと行かないようにしたのも束の間、それの挙動を巧みに察知して、そちらに歩かなければ腕を折れ曲がるようにアーレイをコントロールし、案内もさせていた。

「敵の大将のところなんて行ってどうするんだよ」

 流れでそのまま乗組員らを引き連れるようにリロイは超躍者に続いていく。
 氷上を滑るかのようにぶれない灰色の貌の姿勢は、これからダンスの世界大会にでも行くのかとでも言うように優雅で静かだった。とても竜巻の直下よりも危険な戦場を横切ろうとしている人間の足取りとは考えもつかない。

「まるであいつみたいだな」

 リロイが嘆息して思い浮かべるのは、いつもむっつりとした表情を浮かべる彼のことである。あの死に掛けで拾った時でも崩さない達観した眼光と目前の彼の力強い歩みが、目と足と言う違いはあれど似ているようにリロイは見て取った。
 その言葉を聞いていたのか、コクリと頷く灰色の仮面。

「そう、彼が望むように孫武のいうところの、雷に僕がこの場でならないとね? いかんのです」
「は?」

 それはどういう意味だと問いただす前に、リロイ達の眼前には艦内の遊撃用ではあるが、まったく動いていない小型戦闘艦が十機程格納された空間が広がった。おそらく緊急用の仮滑走路に出たのだろう。
 ふとリロイがその滑走路の端を見れば、戦車だか分からない巨大な『何か』がシートを被っていた。ただ、二本の斜めに伸びたハンドルのようなものが規格外の乗り物(バイク)のようにも感じられた。

「……なんだ、あれ、れ!」
 リロイの驚愕する顔に放り投げられた涙目のアーレイ顔。
「近っ……んんっ?!」

 突然人質を解放した予想外の行動に動揺している乗組員らを尻目に、超躍者はその名の通りの超躍を行ってまんまと脱出しおおせた。

 そしてその場に残ったのは、地面に組み伏されたリロイと組み伏しているアーレイの二人の熱い、接吻を交わした光景。


「「――ぁっ〜!」」

 声にならない悲鳴を挙げる二人を前にして、乗組員らは奴を人類最悪の外道だと感じたのだった。




 所変わって眼前の三次元モニターを凝視するのは、その艦の指揮官ではなく、一匹の獣だった。
 艦外の喧噪も艦内の混乱も何処吹く風でモニターから戦場を腕組みして見守るクルーガー。
 いや、風なら吹いている、威風堂々たる戦場の王者の風が。

 風格などを形成していると言えない年齢にも関わらず、達観とした瞳と太い両腕を組んで佇む姿は一千の兵を背負う器を感じた。

 それを膚で感じたラダット・ゲイン、最高位の勲章と同じ(あざな)三千世界翔る(オウガスト)鋼鐵の男(ダウレス)』と異界の言葉で呼ばれる男は一切合財の指揮権の全てを彼に任せた。

 古伝の兵法に曰く、戦は土地を知る者からの情報に任せるもの。先ほど、この地に初めて訪れたラダットに比べ、先程まで多くの機械兵団を屠り、殲滅させてきた彼ならこの地の利を掴めるだろうと踏んだのだ。

 そして戦場を読む軍師ではなく、戦場を駆る将としてクルーガーを据えたのは彼の英断とも言える。些かに納得しない操舵員や砲主達もいるが、ラダットがこれまでの戦場を生きてこれ、平均大破率87%と言える多次元超長期航行威力偵察及び交戦殲滅任務においてこのネームレス・カルツが不沈艦である事実もあり、彼の直感、もとい直観に乗組員全員が全幅の信頼をおいていた。

 故に、クルーガーの双肩には無言のプレッシャーが掛かる。乗組員の命と言う原始的なレベルから、彼らの職務への責任感、それによって成り立つ誇り、そしてこれまでの栄誉、その全てが彼の裁量に掛かっているのだ。

「当艦二時、十一時方向より機影、七百ミリ爆裂誘導弾、数四百同時に発砲っ! 当方にて迎撃用意っ!」
「却下。反撃するな。このままギリギリで耐えろ」
「なっ!?」

 クルーガーの意味不明の指図にも関わらず、何かに気付いたラダットはニヤリと笑い「全方位型防御壁(ニトクリス・シールド)、出力30%で防護っ!」と追加指揮を下す。

「狂ってる! 艦長は艦を落とす気ですか?!」
 職員の悲鳴とヒカラチアの「マジすか」と言いたげな縋る視線を振り切り、艦長は沈黙を保つ。
 出力30%と言えば防御壁を艦自体まで浸透したら小破する危険もあるギリギリの数値である。
 無意味な自殺行為に等しい、と言うか自殺行為そのものである。

「っっっっ! 全方位型防御壁(ニトクリス・シールド)出力30%投影っっ!」

 しかし、防御員は艦長を信じ、その限界数値に踏み込む。

 次元を『ズラす』防壁により艦全体への爆撃を遮断する超技術。旧来の物理兵器は完全に遮蔽する。しかし敵方も馬鹿ではない。ズラした次元を戻すのも心得たものである。誘導弾一つ一つに搭載された演算機が純粋数学に基づいて、艦を包む次元のズラしを戻していく。

 着弾と同時に艦全体を揺るがす振動。誘導弾が発するシールド中和の対数学処理による悲鳴のような次元書き換え音と、シールドを作り出すジェネレーターの低い獣のような咆哮に艦が苦悶を挙げたような音を発する。

「っ?! 十六番非常出口開放! 何者かが艦外に出ています」
「モニタ拡大、目標物捕捉っっ! 主モニタに映します!」


 灰色の塊が空を跳んでいた。言うまでもなく、外道、超躍者。
 空中にばら撒かれた誘導弾。あわやぶつかると言う直前で体を捻り、時にはその誘導弾の側面を駆けて足場の代わりとする。
 あまりにも小さいが故にセンサーには攻撃目標として認識されないが、誘爆の危険がある事には変わりはない。爆裂に巻き込まれる可能性も捨て切れない危険な行為である。

「なるほど、助かった」
「?」

 クルーガーの呟きに操舵員は爆雷で揺れる中で疑問が走る。その中で、クルーガーの呟きに一人頷くラダットを見て「この人も実は何も考えていないんじゃないか?」と観測員の一人はそう思ったそうな。


 目まぐるしく飛び交う弾幕を何処ぞの空を飛ぶ程度の能力を持つ魔女か巫女かと言うようなスレスレ加減で潜り抜け、超躍者は地面に一度降り立つ。と、寸の間もなく、再び一気に一体の五十メートル級機械人形へと跳び立つ。

 瞬間、主モニターが歪んだかと思うほどの轟音を立て、その跳び立った超躍者の足元へ刃物が群狼の如く射出された。びっしりと地獄の針山を思わせるオブジェが一呼吸前に超躍者が居た地面に作り出される。その場に留まれば肉塊のオブジェが代わりに出来ていただろう。
 そのオブジェ作成の瞬間の更に刹那、超躍者は一番手前まで近づいた刃物をごく自然に選び取ると、それを更に足場にして支えのない空中を歩いて避けた。それも刃の横、鎬の部分に足を掛けると言う余裕を持っての回避である。刀剣の上を余りにも自然に歩く姿は、刃物の上にも関わらず、サーカスの綱渡りを思わせた。それを空中で二度、三度と同じように繰り返し、射手に遠距離攻撃は無意味だと体術で主張する。
 射手の方向はその目標の機械人形から。そう、つまり超躍者はこの機械兵を操る将の許へと、雷の如く攻め手を避けながら、ジグザグに一直線に向かっていたのだ。プログラムでなく、人格レベルで機械人形軍を統御しているのは、躯懐刀(ブレイドカース)のクェイドに他ならない。

 機械人形のそれらはプログラムを超えた柔軟性を持ってして立ち回っている兵も、将が居なくなればその意志は伽藍堂に帰すだろう。そうなれば、万の兵とて、地に生える草と大差はない。『余力を残した艦にて駆逐するのみである』。それまでは余力を残すためにただ耐え忍び続けるしかない。故に、亀の如く固まって攻勢を凌ぐ他はないのである。


 超躍者はふわりと一際高いメートル級の機械人形の頭頂部に辿り着く。


 前方には隻腕の将、クェイドが棍を突いて立っていた。
 蒼い、冷々とした瞳は確かに姉の姿をも垣間見せる無言の迫力がある。

 そして、何よりも、大きい。

 人型にして、無限転生、凶器の作成と言った、六大反英雄プログラムシステム『アンリ・マンユ』の異形集団にしては凡庸な部類に入るその男が、以前よりも、超躍者が軽く驚くほどに眼に見えて強くなっていた。

 生まれ『堕ちて』からまだ一日と経たぬ内に、眼前との『強敵』と闘いを成し遂げた男は、数時間の休息の間に、その闘いの記憶を反芻し、心の中で超躍者と幾度となく肉薄し、血飛沫を挙げて塵殺し合っていた。こと、ある程度の闘技の段階に入ると、技は肉体の修練ではなく想像の産物に近くなる。肉を帯びた技や型と云った枠組みは取り払われ、術者の体の中で自然融合、そして進化を羽ばたかせる。動くままに動く体が技を作り、相手の動きが、空間が、精神の機微が更なる変化を作り出す。
 ただの虚空から戦闘技能のみを凝縮させられた生命が産声を挙げ、遂にはクェイドとなった。そしてその寄せ集めに過ぎなかった技と凶器が、達人と明らかに断ぜられる超躍者との戦闘で、その敵の超躍者自身が触媒となって彼の成長を促進させ、ついには数時間前の二本の腕があったクェイドを隻腕の今のクェイドが瞬時に打倒、撲殺する程のレベルへと到達していた。それは超躍者との濃密なまでの戦闘があったからこそでもある。あまりにシンプルな動き故に見逃してしまうほどの技巧を持った若き英雄。若干二十前の若さで既に武術界の伝説で(ぎん)じられる技の殆どを見聞きで編み出せるほどになった男との戦闘はプールいっぱいの蜂蜜へとダイブしたくらいの濃厚さを誇っている。
 一度は立ち合い、超躍者に技が通じるか試したいと思う者が多い中で、その若さ相応で、達人には有るまじき容赦の無さと言える残虐さで知られる彼には命掛けの真剣勝負を挑む者は彼の世界では中々いない。特に天使との戦争直前の彼と立ち合い、五体満足で生き延びた者は居ないのだ。
 それでも、その彼に挑もうとするクェイドには、擬似的な不死性と言うアドバンテージは除いても強い義気を感じさぜるを得ない。主君、イシス・テレジアへの深い忠義は次元の深淵より深く、自身の信念の気高さは虚空の果てより高く轟く。


 そう、この闘いは既に一度目の戦闘のような小細工めいた技云々の勝負ではなく、相手の心を折る勝負に他ならない。


 真っ直線で相手へと灰と赤の双方が進み、僅かに早く、赤が動いた。
 だが、先に到達したのは超躍者だった。


 棍での突き――、
 その棍の空気の唸る突きを――、
 片腕故の打突の不安定性を示すように下のど真ん中から超躍者が弾き削り――、
 下から急激に反転して棍との間に僅かな隙間を作り――、
 棍と受け手との間に出来たその空間を掌が劈いた――、
 クェイドの顔面へと奔る鷹の爪の如き掌――、
 寸前で体を仰け反ったクェイドの胸に今度は灰色の額が破砕槌のように打ちこまれる――、

 翻るその動きは鷹の型の一つ、【鷹捉把】。天から降下する鷹の様相。

 そのまま(はいたか)の動きで胸骨から背骨まで砕かれて不自然に仰け反った彼の背後へと自らの背中を肩に摺りつけるように回り込み――、
 そのままクェイドの腕を封じるように両足を子泣き爺のように巻きつけ、空いた両手でワインのコルクでも抜くかのようにクェイドの首を伸ばしながら捻った。

 硬いものが割れる独特の音と共に「ひゅっ」と入口を塞がれた空気が口から戻る音――。
 不自然な首の座り方をしてゴロリと地面に転がったクェイドを、更に一足早く離れた超躍者がその場からサッカーボールでも蹴るかのように脇腹から蹴り上げた。
 鎧を含めれば百五十キロを優に超えるクェイドがゴム毬のように三転四転と回り続ける。
 機械兵の頭から滑り落ちる寸前で首が折れたままのクェイドはその(ふち)を片手で掴んだ。

 指を踏み潰そうと淀みない動きで寄る超躍者よりも『首がブランとしたままで』人外の怪力でクェイドは早く登り上がると、近付いた超躍者にカポエラのように膝立ち片手を地に付いたまま斜め下から蹴りを浴びせる。
 防具越しに内臓を平気で押し潰す、不格好だが破壊力抜群の蹴りを、自前の内臓の周り全てを締め上げる呼吸で打撃を七割弾き返し、更に残りの三割には体をフワリと後退させてダメージを零に留める。
 超躍者も蹴りに合わせて無理に追撃することも出来たが、無闇な攻撃による体勢の崩れとクェイドの近距離からの刃物の掃射を感じた超躍者は後退したのだ。

 想像と同じくして、後退とほぼ同時に、瞬間移動のように斜めに回避した超躍者の横を通り過ぎる刃の群狼。
 一条の刃の射出が丸ごと突きと同じものと割り切って『進みながら』避ける。下がらない、留まらない。灰色の亡者はただ真っ直ぐに敵に向かう。

 徐々に周囲の情報素子から書き換えを行って再生を試みつつクェイドが下段から突きを放ち――、
 それをダランと垂らした腕が横合いから振られて軽々と棍を払う。【熊吊膀(ゆうちょうぼう)】と言う通常は前蹴りを払うと同時に肩で至近距離から手痛い一撃を喰らわせる技だが、如何に超躍者の神速の歩法が優れていようと流石に人外の改造ではない故に、その棍の持つ長さである一歩分は埋められない。
 だから、もう一歩、達人故の動きの無駄の排除で出来あがった時間で、更にクェイドの迎撃よりも一歩を早く詰め寄った。

 【熊形拱把】。ダンスでも一緒に踊るかのようにクェイドと腰と腰を合わせて向きを整えると、軸足だった片足を払いながら、それとは逆方向に両掌を胸と顔に打ち付けた。
 打撃と投げとが融合した技に鎧と同じくらい紅い血粉をクェイドは鼻孔と口から噴きながら、地面へと倒れ――、

 次にクェイドが霞む目を開けた時には超躍者の靴裏が迫っていた。

 効果的に、人体とほぼ同じ構造をしたクェイドの頭蓋を歪める踏み潰し。頭蓋の骨と骨との隙間を狙った踵での踏み潰しは酷いに他ならない。しかも残った片腕を踏みつけたまま行うが故にガードも出来ないために性質が悪い。


 無言。気配無し。

 いつぞやの背後からの奇襲を喰らった時のように完全に死んでいる。


 一度目の死亡を確認した超躍者は、顔面が潰れて鼻骨が陥没し、開いた窓のように前歯が砕かれたためにだらんと口からはみ出た舌。ついでに眼球も飛び出かけた瀕死状態でそれでも再生、蘇生途中のクェイドを尻目に、そこからゆっくり離れると機動戦艦『ネームレス・カルツ』へとゆっくりと手を振った。



「「お美事(みごと)」」
「お美事じゃねぇ! 夢に出てくるような凄惨極まりない光景をサラッと流すな!」


 主モニターで超躍者の容赦ない狂気の殺人技と、未来からのやってきた人殺し型ロボットもかく言う執念深さと不死身っぷりで反撃を繰り返していたクェイドに、モニター越し以外でのリアルで凄絶な戦闘をあまり経験していなかった乗組員の何人かがショックで呆然、もしくは泡を吹いて失神していた。

 無色に近いはずの灰色の仮面がクェイドの鎧のように真っ赤に染まり、心なしか、仮面に掛った血化粧が何もない貌に禍々しい笑顔を造っているようだった。最早、どっちが正義の味方だか分からない悪逆非道っぷりである。

 陸戦経験者でCQC教官上がりのラダット大佐と戦場の狼クルーガーの拍子抜けた賛辞が無ければ、艦内エネルギー制御(場の空気も)担当のオスロさんですら突っ込みようのない惨事だけに成り果てていただろう。



 ――確かに、クェイドは強くなった。ただそのクェイドの成長の間に、超躍者も同様に成長、進化していたのだ。人体とは明らかに違う敵を破壊する方法、四方八方からの銃撃各種の武器による攻撃、精神へと語りかける身体言語で謡いながらの人外との戦闘。それら全てが彼の技術レベルを一段と底上げさせていたのだ。この世界に墜ちてきた直後の彼ならばクェイドとの勝負は四分の勝率、六分の死だっただろうが、今ならば圧倒的な技術の差故に全ての局面において上回ることが出来る。

 達人も向上心のある限り、進化するのだ。

「君が闘いを止めるまで、殴るのを辞めない」



 くぐもった灰色の仮面の言葉に、紅い騎士は強烈な意志の光で答えた。
 それに反し、拳は精彩を欠くかのように、明らかに脱力以上の虚脱感を感じる超躍者。

 起き上がり、先程と変わることなく棍を構えるクェイド。
 右半身に広がりつつある謎の麻痺に、戸惑うことなく、違和感なく構える超躍者。


 闘いはまだまだ続く。


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