Lilac


1 :緋桜 :2011/05/08(日) 02:05:15 ID:PmQHsLm4

 はじめましての方、そうでない方。
こんにちは、あるいはこんばんは。
ここでは中学生の恋愛やら友情やら何やらかんやらをつらつらととりとめなく書いていきたいと思います。
中学生らしいピュアな恋愛や中学生らしくないどろどろした恋愛やNLやBLやGL何でもありの闇鍋小説ですので、それが許容できる方のみお付き合いくださいますようお願いします。
ちなみに時代背景(?)は貴方が今これを読んでくださってる時間より「ちょっと前」のお話ですので、そのへんもふわっとご理解くださいませ。


2 :緋桜 :2011/05/08(日) 02:15:14 ID:PmQHsLm4WF

1.高科くんと枢木さん


 高科楸(たかしなひさぎ)は入学早々右脚を骨折し、三週間の入院生活を余儀なくされた。
 原因は、交通事故。車道に飛び出した子ども―――ではなく、子どものサッカーボールを取ろうとして車にはねられたのだ。
 一緒にいた友人曰く車に跳ねられ空を飛んだ楸は、生まれて初めて救急車に乗せられ、近くの病院に運び込まれた。
そして何やかんやの検査を終えて奇跡的に負傷が右足の骨折のみだった楸は、またまた運び込まれた病室のベッドで
いーなーにーちゃんきゅーきゅーしゃのれてすげーと目を輝かせる五つ下の弟相手にそーだぞにーちゃんすげーだろーと
よくわからない自慢をしていると、兄弟まとめて叱られた。両親にではなく、伯母に。
 すげーじゃないわよこのバカ兄弟!!と怪我人の頭を容赦なくひっぱたいた伯母は、楸の母の双子の姉に当たる。
しかし、母とよく似た容貌を持ちながら、その性格はまるで違う。どちらかと言うとおっとりとしたタイプの母に対し、
伯母は気性が激しくて口が悪く、手も速い。自分の娘は溺愛し、蝶よ花よと育てているのに対し、可愛い甥っ子のことは容赦なく
ひっぱたくし蹴っ飛ばす。けれどそれほどまでに気の強い伯母の顔が今まで見たことないくらい青ざめていたのを見て、
この人に本当に心配をかけたのだと、申し訳なく思った。
 そんな心温まる家族愛的エピソードもありつつの事故から三週間後、めでたく退院した楸は今日から再び学校に通い始めたのだが、
久しぶりの教室には、見覚えのない女生徒がいた。
 入学早々入院した楸は、正直まだクラス全員の顔を覚えているわけではない。退院したんだ、おめでとーと声をかけてくる
クラスメイトの中には、誰だっけこいつ、と思う者もいる。
 けれどその女生徒が、楸が入院した三週間前にいなかったということは間違いない。なぜなら彼女は、一目見たら
忘れられないような容貌をしているからだ。
 緩く波打つセミロングの蜂蜜色の髪にアイスブルーの大きな瞳は、明らかに周りの純和風のクラスメイトとは毛色が異なる。
更に彼女は、一度見たら忘れられないほどの美貌の持ち主だった。目の覚めるような美人、とは「あぁ」いうことを言うのだろうか。
金髪碧眼というフランス人形のような毛色も相まって、どこか妖精めいてすらいる。
 誰も彼女に近付かず教室の隅でぽつんと一人座っているのも、もしかしたら彼女が限られた人間にしか見えない妖精か何かで、
楸以外の誰も彼女の姿が見えていないせいなんじゃないだろうか。一瞬本気でそんなことを考えてしまうほど、彼女の美貌は
どこか浮世離れしていた。
「ちょ、なぁ、あの子誰?」
「え?あぁ、枢木瑞穂(くるるぎみずほ)か」
 得体の知れない焦燥感と高揚感に急かされるように、楸はクラスメイトに尋ねる。返ってきた答えを聞いて、ようやく彼女が
楸にしか見えない妖精的な何かではなく、ちゃんとしたこのクラスの一員であると確信できた。
「枢木瑞穂?」
「そう言えば枢木って楸が入院したあと来たんだっけ」
「入れ違いかー」
「なぁ誰だよ」
「悪い悪い。ほら、枢木コンツェルンてあるじゃん?あの子、そこの社長の孫娘なんだって。今年の春まで外国にいたとかで
入学式には間に合わなかったらしいんだけど、お前が入院した次の週から登校し始めたんだよ」
「てか外人?」
「いや、クォーター。母親がイギリス人のハーフなんだって。まぁ外国の血が入ってんなら、あんだけキレーなのも納得っつーか」
「ふーん……。詳しいな」
「職員室でセンセーたちが話してたのを小耳に挟んだんだよ」
 つまり彼女自身から直接聞いたわけではないのだという。それどころか、そもそも彼女と言葉を交わしたことさえ無いらしい。
「……なんで?」
「へ?」
「何が?」
「なんで直接訊かねーの?」
「え……」
「や……だって……」
「なぁ……」
「何だよ」
「近寄りがたいじゃん……。あんな美人だと逆にさぁ……。それに」
「枢木のお嬢様だぜ?」
「住む世界が違うって」
「そんな……」
「そう思うから、お前だって俺らに訊いたんじゃねぇの?」
 クラスメイトの何気ない一言に、頭を撲られたような気がした。
 彼女の子を敬遠する彼らと楸の、何が違うというのだろう。
 初対面だからとかそんなの、関係ない。
「……」
「楸?」
「ちょ、お前どこ行くんだよ」
 立ち上がった楸に、友人たちが焦ったような声を投げかける。
 楸はそれには構わずに、女生徒―――枢木瑞穂に近付く。
「おはよう」
 目の前に立ってあいさつすると、瑞穂は驚いたように目を見張り、数度瞬かせた。
 近くで見ると、確かに髪と目の色こそ違うが顔立ちは日本人だ。どこか幻想めいた、近寄りがたいほどの美貌の持ち主だが、
きょとんとした表情はあどけなく、楸たちと変わらない、中学生だ。
 妖精なんかじゃない。
 人間の、女の子だ。
「おはようございます……?」
 楸が瑞穂を見たこと無いように、当然のことながら瑞穂も楸に見覚えなど無いだろう。見知らぬ男子生徒に戸惑っているのか、
瑞穂は小さく首を傾げながら、戸惑うように応じた。
「あなたは……?」
「俺、高科楸。入学してすぐ入院しててさ、今日久しぶりに学校来たんだ」
「入院?大丈夫でしたか?」
「うん。もう治った」
「そうですか。それはよかったです」
 そう言って、ほっとしたように瑞穂は笑う。
 とても可愛く笑う子だ、と思った。
 大人びた外見をしているのに、笑うと年相応の幼さや柔らかさがのぞく。
 大富豪のお嬢様だろうがなんだろうが、彼女は楸と同じ十二歳の、ただの女の子だ。
「俺は高科楸。君の名前は?」
 本当は知っている。
 彼女の名前も、彼女が枢木財閥のご令嬢だということも、イギリス人のクォーターだということも。
 けれどそれは、彼女の口から聞いたことじゃない。だったらそんなことはどうだっていい。
 一番初めの始まりは、彼女の口から聞きたい。
 彼女から聞いたことだけが、きっと大切なことだから。
「枢木……。枢木瑞穂と申します」
「そっか。枢木さん」
「はい」
「俺と友達になってよ」
 得意の直球をかますと、瑞穂は驚いたように目を見張り、すぐに嬉しそうに笑った。
「はい、喜んで」


 その日から、高科楸と枢木瑞穂は「友達」になった。


3 :緋桜 :2011/06/12(日) 02:25:43 ID:PmQHsLm3kG

2.紫香楽さんと枢木さん

 肌に張りつく服の感触が気持ち悪い。シャツの裾を絞ってみると、勢いよく水がしたたり落ちた。けれどそんなの、気休めにもならない。
リョウは黙って上を見上げた。
 二階の窓からバケツに水、だなんて随分と古典的かつ大胆なことをしてくれたものだ。いくら人気の無い校舎裏だからと言って、
人に見られないとも限らないのに。そんなリスクを犯してまでリョウに水をかけることに、一体何の意味があるのだろう。
(……別に)
 「こんなこと」には慣れていた。
 ほんの数年前まではもっと酷いことをされていたのだから、今更水をかけられるくらい何と言うことは無い。
 誰がどんな目的でこんなことをしたのかということだって、どうでもいい。興味は無い。何をされても何を言われても、心は少しも動かない。
 だからリョウにとっての目下一番の問題は、「水をかけられた」ことではなく、「水に濡れてしまった」ことだ。鞄を持っていなかったことが
不幸中の幸いか。水浸しになった教科書を元通りに乾かすのは一苦労だ。
 けれどその一方で、人に見つからずに教室へ鞄を取りに行くのは至難の業だ。大抵の生徒はずぶぬれのリョウを見ても関わるまいとする
だろうが、教師は見逃してくれないだろう。そうなると、厄介だ。嫌がらせを密告した報復が怖いわけではなく、ただかまわれることが面倒
だった。
「あのぅ……」
 いい考えも思い浮かばず、溜息を吐きながら濡れた髪をかき上げたときだった。
 背後から何者かに呼び止められて反射的に振り向くと、いつの間にかリョウのすぐ後ろには少女が立っていた。
 その瞬間、時間が止まった。
 呼吸さえ忘れ、リョウはその少女に目を奪われた。
 それほどまでに、少女は美しかった。白い肌に薔薇色の頬、大きな瞳にそれを縁取る長いまつげ、小さなふっくらとした唇、すらりとした鼻梁、
知的そうな眉。パーツ一つ一つを見ても完璧な造作で、それらが小さな顔に絶妙なバランスで配置されている、言ってしまえば文句の付けようの
無い美少女だ。
 しかも少女はただ美しいだけでなく、「珍しい」容姿をしていた。
 緩く波打つ肩までの髪は太陽の光を受けてきらきらと輝き、大きな瞳は流れる川の淵のように蒼い。純粋な日本人ならばありえないような色
なのに、それらの不思議な色が、彼女の美しさを際立たせていた。
 それはまるで。
(……天使?)
 もしも天使がいるならばこんな姿をしているのではないかと、柄にもなくそう思った。
「あの……」
 目を奪われたまま立ちすくんでいると、天使は少し困ったように、小さく首を傾げた。
 その仕草を見て、リョウは我に返る。
「……な、に……」
 問う声は、少しかすれていたかもしれない。自分の声なのに、まるで他人の声のように聞こえた。それほどまでに、リョウの心はかき乱されていた。
 目の前の、たった一人の少女によって。
「これ、よろしければ使ってください」
「え……」
 そう言って少女が差し出したのは、白い刺繍の入ったレースのハンカチ。純白のそれは、彼女のイメージによく似合っていた。
 だからこそ。
「……使えない」
「え……どうして……」
「……汚れる」
 汚したくない、と思った。
 それは自分でも、不思議な感情だった。自分がこんなことを思うなんて、信じられなかった。
 拒絶したリョウに少女が表情を曇らせ、それを見て胸がチクンと痛んだことも。
「……かまいません、そんなこと」
「……」
「そんなことよりも、あなたが風邪をひいてしまう方が大変です」
 そう言って少女は、ハンカチでリョウの頬を流れる雫をそっと拭った。
 こんなふうに優しくされるのは初めてで、どうしたらいいかわからない。
 立ちすくんでいると、ふいに少女が微笑んだ。
 柔らかな微笑を向けられてリョウは、なぜかそこに少女にすがりついてしまいそうな、逃げ出したいような衝動に襲われた。
「風邪、ひかないでくださいね」
 そう言って少女が差し出したハンカチを、今度は受け取った。
 そしてようやくリョウは、目の前の少女が自分と同じ翠蘭の制服を着ていることに気付いた。リボンの形から察するに、彼女もリョウと同じ
一年生だろう。だが入学してから一月の間、リョウは彼女の姿を見たことがなかった。こんなにも目立つ容姿ならば、どこにいてもわかりそうな
ものなのに。
 リョウがそんなことを考えていることなど知る由も無い少女は、ほんの少し申し訳なさそうな表情で口を開いた。
「あの……それとひとつ、お伺いしたいことがあるんですが……」
「……なに」
「サッカー部の部室がどこにあるかご存じないですか?」
「……サッカー部……?」
 まるで初めて聞いた単語のように、リョウは少女の言葉を繰り返す。だがもちろん、一二年間生きてきたリョウが、「サッカー部」を知らない
わけはない。ただそれはあまり自分に馴染みが無く、また彼女の期待に応えられそうになかった。
「……知らない……」
「そうですか……」
 リョウの答えに、少女の表情が曇る。それは別にリョウを責めるようなものではなかったけれど、どうしてだかリョウは申し訳ない気持ちに
なった。
 少女にそんな顔をしてほしくなくて、リョウは慌てて言葉を募らせる。
「グラウンド……ッ」
「え?」
「とりあえず、グラウンドに行って、そこで誰かに訊けばいい」
 当たり前のことを口にした。
 そんなの、リョウでなくても誰でもわかる。きっと、この少女にも。
 けれど少女は、驚いたように目を瞬かせたあと、微笑んだ。
「そうですね。とりあえず、グラウンドに行けばよろしいですよね」
「……」
「まったく思いつきませんでした。ありがとうございます」
 そう言って、少女はぺこりと頭を下げる。その拍子に蜂蜜色が頬を撫でる。真っ黒なリョウのものとは違う、不思議な色。
 では失礼致します、と言って、少女は去っていく。
 あんな少女がどうしてサッカー部などに、何の用があるのか。疑問に思うも、考えることをやめる。
 リョウには関係ないことだ。
 ただ―――。

『ありがとうございます』

 そんなことを言われたのは初めてで。
 少しだけ、驚いた。



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 『ありがとうございます。』
 そう言って微笑んだ少女の表情が、まだ瞼の奥に焼き付いている。
 忘れられない。
 けれどその一方で、彼女に出逢ったことを夢なのではないかと思っている自分もいた。
 リョウと同じ制服を着ていたのに、確かに言葉を交わしたのに、
リョウの頬を流れる雫を拭ってくれた彼女のハンカチはリョウのポケットの中にあるのに、彼女がどこにも存在していないように感じて
しまうのは、それほどまでに彼女の持つ雰囲気が浮世離れしていたからなのだろう。
 今まで出逢った誰とも違う、不思議な少女。
 その印象は、二度目の今日も変わらなかった。
「あの……」
 少女との出逢いから明けて翌日。
 さすがに二日続けての水攻めは無く、今日は乾いた制服に身を包み一人帰ろうとしていたリョウを、背後から呼び止める声があった。
 普段ならば他人の声など気に止めない。クラスメイトのものだろうと教師のものだろうと道行くお年寄りの声だろうと、リョウは
帰りたければそんなのお構いなしに帰る。
 それなのに今日は足を止めてしまったのは、心のどこかで予感していたのかもしれない。
「あ……昨日の……」
 リョウを呼び止めたのは、昨日の少女だった。
 少女は振り返ったリョウを見て一瞬だけ目を見張るも、すぐに表情を和らげた。彼女がリョウのことを覚えていてくれた。ただそれだけのこと
なのに、何だか泣きたい気持ちになった。
「……どうかした」
「いえ……あの、サッカー部の部室がどこにあるのかをお尋ねしようとして……」
「は?」
 速くなる鼓動を感じながら、表面上は常の如く無表情、無愛想、無感動のまま尋ねる。しかし、返ってきた少女の答えには、正直驚いた。
と言うか面食らった。
 二日続けて二階から水をかけられることは無いだろうと思っていたが、まさか、二日続けて同じことを訊かれるとも思っていなかった。
「サッカー部って……昨日……」
「グラウンドまでたどりつけなくて……行けませんでした……」
「……」
 恥らうように頬を染め、目線を下げる少女は、何とも言えず可愛らしい。だが発言は、あまり可愛らしくない。というか、可愛さ云々よりもまず、
大丈夫かこの子、と心配になる。
 五月も中旬、新入生とは言え、入学してもう一月が経とうとしている。その間この学校で生活していて、未だにグラウンドにたどり
着けないって、どういうことなのか。物理室や技術室など、めったに使わない教室ならまだしも、体育で使うのはもちろん、下手すれば毎日の
登下校の際でも通るグラウンドなのに。
 喋り方や雰囲気からかなりおっとりしているという印象は受けたが、もしかしたらかなり抜けた子なのかもしれない。
「あの……」
「……ついてきて」
「え?」
「連れて行ってあげる。こっち」
「あの……」
「あんた一人じゃ一生たどり着けないだろ」
 無表情、無愛想、無感動の三拍子揃ってぶっきらぼうに告げると、少女は一瞬驚いたような表情を見せたあと、嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます……ッ」
「……あぁ」
 先に歩き出したリョウに少女は小走りで追いつき、隣を並んで歩く。
 たったそれだけのことなのに、胸が、千切れそうに痛く、熱くなる。
 初めてだった。こんな気持ちは。
「あの」
 並んで歩くと、背の高いリョウを少女が見上げる形になる。その拍子に、蜂蜜色の髪が柔らかそうな頬を撫でる。
 綺麗だと、思った。
 泣きたくなるほど綺麗なものがこの世界にあるんだと、リョウは生まれて初めて知った。
「……何」
「お名前を、伺ってもよろしいですか」
「……紫香楽(しがらき)リョウ」
「リョウさん、ですね」
 少女が口にした瞬間、リョウは自分の名前が特別なものになったような気がした。
 頬が熱くなるのを感じ、思わず顔を背けたが、ちらりと横目でうかがうと、少女はニコニコ笑っている。
 不思議な子。
 不思議な、気持ち。
「わたしは、枢木瑞穂と申します」
「……そう」
「はい。よろしくお願いしますね、リョウさん」
 そう言って、少女―――瑞穂は更に微笑んだ。
「……あぁ」
 何だかすごく泣いてしまいそうになって。
 綺麗な瑞穂の笑顔に返せたのは、たったそれだけ。
 それがリョウと瑞穂、ふたりの始まりだった。


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 それからしばらくふたりで連れ立って歩いたが、つれて行ってやると言ったものの、正直、リョウもサッカー部の部室がどこにあるかは
知らない。
運動部の部室なのだから運動場にあるのだろうという何とも安直な発想と、今までに体育でグラウンドに行ったことはあるためなんとかなる
だろうという楽観的な考えからとりあえずの案内役を申し出た。そんな何とも心もとない道案内を信頼しきっているのか、嬉しそうに隣を歩く
瑞穂の顔には何の不安も見えない。
 同世代の女の子とこんなふうに並んで歩くなんてこと初めてのリョウは、どうしたらいいかわからなくて終始無言で歩く。
 やっぱり案内するなんて言わなければよかった。そう思うのに、やっぱりやめると言い出せないのはなぜなのだろう。
 そもそも普段のリョウならばこんな迷子と関わろうとしなかったのに、何がリョウを動かしているのか。
 そんなことを悶々と考えていると、ようやくグラウンドにたどり着いた。リョウの思惑通り、グラウンドの隅にはクラブハウスと思しき
プレハブが建っている。おそらくあの中の一部屋がサッカー部の部室だろう。リョウがそんな予想をつけたときだった。
「みーずほー!!」
 グラウンドの方から瑞穂を呼ぶ声がした。反射的に声のした方を見ると、体操着を着た男子生徒の集団の中の一人がこちらに向かって手を
振っていた。そうかと思うとその少年は、一目散にリョウたちの方へと駆け寄ってくる。何だかやたらと足が早く、あっという間に目の前まで
やって来た。
「やっと来たー!今日も迷って来れねーんじゃねーかと心配してたんだぜー。やっぱ一緒に来たらよかったーって!でも今日は無事着いて
よかったなー!
てかさー、昨日瑞穂来なかったじゃん?したら何か先輩たちに『嘘吐いてんじゃねー』つってめっちゃどやされたんだけど!吐いて
ねーっつーの!
俺嘘吐いたことねーし!みたいな?まー何はともかく来てくれてよかったよー。
 てかこの子誰?」
 ものすごい勢いで走ってきた少年は、ものすごい勢いで喋る。瑞穂が口を挟む暇も無い。そして思う存分喋り散らしたあと、ようやく止まったと
思ったらこともあろうか矛先をリョウに向けてきた。
 近くで見ると、少年は存外整った顔立ちをしていた。女顔とか中性的というわけではないけれど、ややタレ目気味の大きな瞳が全体に
甘い印象を醸し出す美少年だ。
 一方ようやく口を挟む隙が見つかった瑞穂は、その美少年ににっこり笑って答える。
「紫香楽リョウさんです。この方が今日、ここまでつれてきてくださったんです」
「まじでー。ありがとな!瑞穂まじで世間知らずっつーか、校内で迷うとかどゆこと!?って感じだよなー」
「……」
 瑞穂の紹介を受けて、少年はにかっと笑う。破顔、という形容が一番相応しい満面の笑みだ。
 男の子に、こんなふうに微笑まれたのは初めてだった。今までのリョウの周りにいた男はみんな、値踏みするような目でリョウを見ていた。
 こんなにも屈託の無い笑顔を向けられたのは初めてで―――戸惑う。
「……別に……」
「あ!!キャプテンたち!!」
 やたら人懐っこい少年にどう接していいかわからず顔を背けるも、少年はリョウの態度になどお構いなしだ。プレハブからジャージを着た
男女が三人出てきたのを見つけ、彼らを大声で呼ぶ。あまりのマイペースっぷりに圧倒されているうちに、三人はリョウたちの元へと
やってきた。
 少年の内の一人は見るからに優等生然としている上品そうな少年だが、ややツリ目ぎみの瞳がどこか癇の強そうな印象を与える。
 もう一人の少年は、彼とはまったく違ったタイプの少年で、脱色しているのだろうと思われる茶髪にだらしなく着こなしたジャージと、軽薄な
印象が否めない。
 そしてその二人の間に立つ少女は、オレンジの縁の眼鏡をかけている。
「お、どーした高科。いっちょまえにナンパか?」
「違うっすよ!ゆずぴー先輩!!この子が昨日言ってた入部希望の子ッス!!」
 そう言って楸は三人の前に瑞穂をずいと差し出す。まるでおもちゃを見せびらかす子どもだ。
 差し出された瑞穂を見て、三人―――特に茶髪の少年は、興奮気味に声を上げる。
「うーわまじか。まじで枢木瑞穂が入部!?うわやばくね?まじで?ちょっと高科お前どんなマジック使ったんだよ!」
「だから言ったじゃないッスかー。マジだって」
「まじで枢木瑞穂!?まじでお前知り合いなの!?つーか初めて近くで見たけどマジ可愛い!!何この子妖精!?本気でタイプなんだけど付き合って
ください!!」
「え……」
「あー。気にしないでください。こいつのは病気みたいなもんだから」
 お願いしまぁす!!と、一昔前の某カップル成立番組バリのノリで手を差し出した茶髪少年を黒髪少年が押しのける。後ろに追いやられて茶髪が
「そうさ俺はいつでも恋の病さ!」的なことを叫んでいたが、もうどう相手したらいいのかさえわからない。
「えっと……枢木さん?」
「はい、枢木瑞穂です。よろしくお願いします。
 それから、こちらの方は紫香楽リョウさんです」
「は……」
 突然紹介され、リョウは目をむく。が、そんなことにお構いなしの目の前の上級生―――と言うか、茶髪少年と眼鏡少女が、急に色めき立つ。
「うーわこっちの子も超可愛い!黒髪ツリ目のクール系美少女!!うーわ絶対この子ツンデレ属性っしょ。つーか何今年の一年、レベルたっけぇ」
「出たよ妃芽っちの美少女好きー」
「いやん美少女だけじゃなくて美少年も大好きよV」
「そうだったなー」
 眼鏡少女と茶髪少年はあははうふふと何やらアヤシク笑い合う。何この人たち。いまだかつて出逢ったことの無いノリの二人に、リョウの
警戒心はうなぎのぼりだ。
 そんな中、唯一の良識人と思しき黒髪少年が再度口を開く。
「もういいから、お前らは黙ってろ。
 それで枢木さん。大体の話は高科から聞いてるんだけど、その……本気なの?」
「はい」
「でも……」
 一体何の話なのか全くわからない。そもそもどうしてリョウは今ここにいるのだろう。リョウの役目は瑞穂をサッカー部と言うかグラウンドに
送り届けることだったのだから、その目的を果たした今、リョウがここにいる理由など無い。そう思うのに、息つく暇無く喋り続ける彼らの
やり取りに圧倒されて、立ち去る隙が見つからない。
「まぁまぁよいではないか、しーづん。本人たちが入りたいって言ってんだから、断る理由も権利も、一介の生徒の私たちには無いのだよ。人類
皆兄弟。四民平等。ワンフォーオール、ワンオーワン」
「妃芽……」
「ワンオーワンは違うと思うよ。それじゃ百一匹わんちゃんだと思うよ」
「と、ゆーわけだから」
 茶髪少年のツッコミを鮮やかに無視し、少女はずずいと前へ出てくる。
 話がまったく見えない。
 けれど何だか、何かに巻き込まれそうな感じだけはしている。
 嫌な予感に、リョウが思わず後ずさりしたとき。
「枢木瑞穂さん、紫香楽リョウさん、サッカー部へようこそ。あなたたちの入部を歓迎します」
 眼鏡美人はにっこり笑ってそう言った。


4 :緋桜 :2011/08/20(土) 21:27:25 ID:PmQHsLm4xH

3.高科君とゆかいな仲間たち

 文武両道を校訓に掲げる中高一貫の名門私立校である翠蘭学園には他府県からの入学者も多い。そのため、小学校を卒業したばかりの十二、三歳のオコサマたちからあと数年で成人といえど法律上は飲酒も喫煙も許されていない十七、八歳のオコサマまで、彼らが親元離れた大都会で暮らしていけるように寮制度も整っている。
 楸が暮らす中等部の寮は「紫陽花寮」と呼ばれ、盆暮れの強制帰省期間を除けば完全二四時間体制で寮母の庇護の元約百五十人弱の生徒が安全で快適な共同生活を送っている。
 ちなみにその百五十人の内訳は男子百人女子五十人で、更に言うならば男子百人のうちの六十人はサッカー部員となっている。
 強豪として名を馳せる多くの運動部の中でも、とりわけサッカー部は全国でも四強に数えられるほどの超強豪で、学園側の力の入れ方も他の部の追随を許さない。そのため、サッカー部員全員入学と同時に入寮し、チームメイトと共同生活を送ることで団結力を養いながら生活の大半をサッカーへと費やす。もちろん個人の自由なのだから学校側にそれを強制することはできない。しかしそこは右へ倣えが大好きな日本人。加えて寝ても覚めてもサッカーしてたいサッカーバカなら、朝から晩までサッカー漬けの生活を拒否するはずもなく、未だに自宅通学を希望するサッカー部員は出てきていない。
 もちろん楸も例外ではなく、入学以来―――交通事故のため入院していた三週間のブランクはあれど―――仲間とともにこの寮で毎日暮らしている。
 そして今日また一人、新たな仲間が増える。
「ふー、これで終了っと」
 積み上げられたダンボールの上に更にダンボールを積み上げた楸は、額にうっすらと滲んだ汗を手の甲で拭う。
 始める前は三十分程度で片付くだろうと高を括っていたが、休憩を挟んだり邪魔が入ったりしているうちにいつの間にやら十二時を回り、結局半日仕事になってしまった。
 それでも汗をかくこと、体を動かすことは嫌いではない。それが好きな相手のためならばなおさらだ。
 何とも清々しい気持ちになった楸に、白いタオルが差し出される。
「お疲れ様です」
 そう言って微笑みながらタオルを差し出したのは、枢木瑞穂。今日からこのダンボールが積み上がった部屋の主となる少女だ。
「お、サンキュ。瑞穂」
 差し出されたタオルを受けとって礼を言うと、瑞穂はにっこりと微笑んだ。
 それだけで、胸が高鳴る。
 瑞穂は、今まで出逢った誰とも違う、不思議な少女だった。
 まず、見た目が「珍しい」。絶世の美少女、と言っても過言ではないほどの美貌はもとより、蜂蜜色の髪と蒼い瞳、抜けるように白い肌の持ち主だ。およそ日本人らしからぬ容貌は、彼女の祖母から譲り受けたものらしい。母方の祖母がイギリス人で、瑞穂はその色が濃く出たのだという。以前、彼女の目の色が綺麗だと言ったときに教えてくれた。
「お礼を言うのはわたしの方です。本当にありがとうございます。ほとんどの荷物を運んでくださって……」
 歌うように紡がれる綺麗な声で、バカにしているのかと思うほど丁寧に喋る。だが、これが彼女の「地」だ。大富豪のお嬢様である彼女は、最高級の環境で最高級の教育を受けて育った生まれながらのお姫様だ。立ち居振る舞いも洗練されていて、他の同級生の誰とも違う。
 そんな彼女が今日から楸と同じ寮で暮らすのは、とても不思議なことに思えた。
 先月の半ば、瑞穂はサッカー部に入部した。選手と違って全員ではないが、それでもほとんどが寮生活を選択している他のマネージャー同様、瑞穂も寮に入ることとなった。入部間もなく中間テストが始まり何だかんだと忙しかったがようやく落ち着き、珍しく部活が休みとなった今日、無事引っ越してきたのだ。
「いいっていいって。瑞穂一人じゃ大変だろ。こーゆーのは男の仕事!」
 二、三キロのダンボールを持って玄関から二階まで何往復もするのは正直きつかったが、それでも手伝うと言い出したのは自分だ。実際ダンボール五箱とテーブル、ベッドマットを運ぶのは見るからに華奢でか弱そうな瑞穂には到底不可能だろう。
 それに何より、今日からここで一緒に暮らすのだ。自分か彼女をサッカー部に誘ったからという責任感もあるが、新しい仲間のために、何かしたかった。
 だから楸で役に立てることがあって、それで瑞穂が喜んでくれるなら、肉体労働なんて苦じゃなかった。
 それに瑞穂はただ甘えるのではなく、きちんと指示を出してくれたし、自分で運べるものは運んでいた。
 だから全然、瑞穂が気にする必要なんて無い。
 そう。瑞穂は。
「そーよ瑞穂ちゃん。これくらい全然気にしないで〜。ご近所さんなんだし、困ったことがあったらいつでも言ってね〜」
「……ってマリエ先輩そこで見てただけじゃないスか。何さも自分の手柄みたいに言ってんスか」
 まだシーツをしていないベッドに腰掛けた美少女が、にっこり笑って言う。彼女は楸の一年上級のサッカー部マネージャーなのだが、引っ越しを開始して間もなくなぜか瑞穂の部屋に訪れたかと思うと、そのまま手伝うでもなく居座った。ものすごく邪魔なのに。
「え〜?やだもー楸ちゃんてばぁ。マリエに力仕事なんてできるわけないじゃなぁい。それにぃ、マリエはいるだけで華があるんだから、それで十分でしょぉ?」
「引越しに華なんて必要ないっすよ!」
 いけしゃぁしゃぁとのたまうマリエに、楸は脱力しながらも突っ込む。しかしマリエが「華」であることは否定しない。否定できないほど、マリエは実際可愛らしかった。
 白い肌に薔薇色の頬、真っ直ぐな黒髪とすらりと高い鼻に黒目がちな瞳、小さな唇、知的そうな柳眉。それらが絶妙なバランスで配置された端正な顔立ちをしている。唯一瞳だけつり気味で気の強そうな印象を与えるが、かえってそれが彼女の妖艶さを引き立てている。瑞穂とはまったく別のタイプだが、彼女もまた文句の付けようの無い美少女だ。
 そんな彼女はサッカー部の女王様だ。
 そんなマリエに一回の部員の楸が勝てるはずも無く。「えぇ〜?何、楸ちゃんてばマリエに口答えするのぉー?」と笑顔でにっこり凄んでくるマリエに蛇に睨まれた蛙状態で固まっていると、部屋のドアが外からノックされ、救世主が現れた。
「ほら、あったぞ。ビニール紐とはさみ……って何してんだ?マリエも高科も」
「キャプテン!」
「あー、お帰りなさぁい、香東センパ〜イ」
 現れた救世主はサッカー部キャプテンである楸の先輩の香東志津哉だ。
 朝から楸同様瑞穂の引っ越しを手伝っていた彼は、荷物が入っていたダンボールをまとめて縛っておくための紐を捜しに自室まで行ってくれていた。最上級生をパシるなんて運動部にあるまじき行いだが、ビニール紐を持っている中学生なんて、物持ちがいい―――というか何かやたらといろんなものを溜め込んでいる志津哉くらいしかいなかったのだ。
「ありがとうございます、香東先輩」
「いや……あらかた終わったみたいだな」
「は〜いvマリエも瑞穂ちゃんも頑張っちゃいましたぁv褒めてくださ〜い、香東センパイv」
「いやマリエ先輩は何もしてないじゃないッスか!!それより俺!!俺超頑張ったんスよ!!俺褒めてください!!」
「あ……あぁ……。うん……えらい……ぞ?」
「引っ越し終わった!?引越しそば食うよ!」
「「うわ!びっくりした!!」」
 もはや謎の意地の張り合いでしかない後輩二人のテンションに志津哉が首を傾げていると突然、ノックも無しにドアが開かれ、少女が飛び込んできた。
 顎のラインに沿ってきれいに切りそろえられたサラサラへアーと潔く出されたおでこ、黄色いふちの眼鏡がトレードマークで独特の喋り方をする妃芽は、なぜか右手にお玉を持ち、さらに左手ではリョウをつかんでいる。
 いったいそれでどうやってドアを開けたのだろう。
 混乱状況に陥った人間は、大抵どうでもいいことが気になり出す。
「妃芽先輩……いきなり引っ越しそばって何スか……。つーかなんでリョウまで……」
「今日くるるんの引っ越しの日なのだろ!?だから引っ越しそばを食すのだよ!!らっきーはさっきうっかり廊下を歩いてるとこと拉致ってしまったのさ!!」
 自信満々にそうのたまった妃芽は、おもちゃを見せびらかす子供のように左手に持っていたリョウを差し出す。
 リョウは先月瑞穂とともにサッカー部に入部してきた一年生だ。彼女は入学当初から寮生であったため引っ越しの必要は無く、今日も気ままな休日を過ごしていたはずなのだが、妃芽に見せびらかされている彼女はどこか疲れ切っているように見えた。
「拉致ったって……。つーか引っ越しそばってふつう隣近所に配るもんじゃ……」
「まーたひさぎんはそーやってわがまま言うー!みんなで食べた方か楽しいし手っ取り早いじゃないか!それとも何か!?ひさぎんはらっきーをのけものにしたいのかい!?せっかく引っ越してきたくるるんに一人淋しくそばを食せと言うのかい!?」
「いや別にそんな……」
「でーすーよーねー!!楸ちゃんてばもー相変わらずわがままで困っちゃぁう」
「ぐふぅっ」
 相手は二学年も先輩で、しかも学年主席の才媛にしてサッカー部のマネージャーを束ねる女傑なのだから、一般生徒である楸が口答えしたところで、結果など火を見るより明らかなのだが、敵わないとわかっていながらも一応反論せずにはいられない。しかし言い切る前にマリエによって黙らせられる。力技で。武力行使で。とんだ伏兵だ。
 マリエに突き飛ばされて「ぐふぅ」とか言いながら吹っ飛んだ楸を気の毒そうに労わる優しいキャプテンとは対称的に、先輩女子二人はそんなのお構い無しだ。可愛い後輩男子が突然の鈍痛と戦っているのなんて黙殺し、可愛い後輩女子二人の手を引く。
「ほらぁ、瑞穂ちゃんリョウちゃん。楸ちゃんなんてほっといて食堂行きましょぉ」
「え……あの……」
「そーだ、いざ行かん。くるるん、マリリン。ほら、らっきーも」
「『らっきー』……?」
「え〜?妃芽センパ~イ。さっきから気になってたんですけどぉ、もしかして『らっきー』ってリョウちゃんのことですかぁ?似合わな〜い」
「でも『しがらん』よりは『らっきー』の方が語感がいいじゃないか!」
「ですよねー」
「あの……」
「くるるんはどっちがいいと思う?」
「というか……誰か高科の心配をしてやれよ……」
 つれだってきゃぃきゃぃと部屋を出て行く四人の背中を見ながら、部屋に残された志津哉はぼそりと呟いた。


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 何とか復活した楸が志津哉とともに先を行く女子四人に追いついて食堂入ると、白い割烹着を着て頭に三角巾を巻いて手にはお玉を持った要が仁王立ちで待っていた。
「おっせーよお前ら引っ越しにどんだけかかってんだよ蕎麦ナメんなよやつらすぐ伸びるんだからな!ほんとだぞ!もーすぐ!すぐだからな!」
 ふんぞり返って一気にまくし立てる要は妃芽や志津哉と同じ三年生で、サッカー部の副キャプテンを務めている。明るく気さくで行動力もあってそこそこのイケメンで一年生から見れば十分「かっこいい先輩」のカテゴリに分類されると思うのだが、その格好では最上級生としての威厳もへったくれも無い。それに何に対して怒っているのかもはなはだ謎だ。
「はぁ……」
「んだよそのやる気なさそうな声!高科ぁ!お前蕎麦ナメてんだろ!」
「いや……ていうか何なんスかそのかっこ……」
 おそらくこの場にいる誰もが疑問を抱きながらもどうでもいいと思っているであろうことを、代表して楸が尋ねる。彼の友人である志津哉は心底呆れ、マリエは本気でウザそうにしていて口を開く気配すら無いため、この場でそのことを問うのは楸しかいないためだ。
 一方親友と後輩に不審者扱いされている副キャプテン様は、ふんぞり返って答える。
「ゆずぴーあず食堂のおばちゃんフューチャリング妃芽っちプロデュースだよ!文句あっか!!」
「……」
 文句はある。文句はあるけど何かもういろいろめんどくさい。無意味にお玉をぴたぴたやってる要を見て、楸と志津哉とマリエの気持ちがひとつになった。
 そんな中、唯一妃芽が誇らしげに頷いているのは、自分のプロデュースにご満悦と言うことなのだろうか。
「……で。その蕎麦はどこにあるんだよ」
 妃芽プロデュースの感想を求められる前に志津哉が話題をそらす。賢明なキャプテン判断だ。
「蕎麦?まだできてねぇよ。これから茹でんの」
「は?お前散々人に遅いとか言っといて……」
「だって高科はともかく可愛い女の子や可愛い俺の志津哉に伸びた蕎麦食わせるわけにいかねーだろ」
「俺がいつお前のになったんだよ……」
「てか俺はともかくって何スか!俺だって可愛いっスよ!」
「高科ぁ!お前調子こいてんじゃねぇよ!お前俺の打った蕎麦が食えるだけありがたいと思え!」
「えっ!ゆず先輩が打ったんスか!?ゆず先輩蕎麦打てるんすか!?」
「そーよ。ゆずぴーの家事のポテンシャルハンパ無いからね。この子蕎麦打てるしパンも焼けるからね。とんだヒロインスキルだよ!!」
「そんな俺と付き合ってみる気ない!?マリリン!!」
「寝言はいいんでとっとと蕎麦茹でてください」
 芝居がかかったテンションで大きく手を広げながらの要の告白を、マリエはばっさり切り捨てる。普段の甘ったるい話し方から一変、氷点下の冷ややかさだ。
 しかしサッカー部一のチャラ男、要。それくらいではヘコんだりはしない。
「わかった。じゃぁ茹でるから付き合ってみよう」
「何がわかったのかも何が『じゃぁ』なのかも全くわかりません」
「じゃぁ……」
「ハイハイ君たちそんなことよりとっとと手を洗いたまえ!!」
「妃芽っち俺の一世一代の告白をそんなことって……」
「ゆずぴーはとっとと蕎麦を茹でたまえ!」
「いえっさ!」
「ほら。マリリン、くるるん、らっきー。手ぇ洗うよっ」
「はぁ〜い」
 平行線と言うか不毛と言うか、とにかく無意味この上ないマリエと要の応酬に飽きたのか腹が空いたのか、妃芽が割って入りとりあえずその場を納める。
 入部して二ヵ月。そのうち三週間は入院していたため実質一ヶ月ほどだが、彼らと生活をともにしてみるも、いまいちその関係性がわからない。
 初めは常に行動をともにしている妃芽と要を付き合っているのかと思っていたが、要はマリエに頻繁に交際を迫っているし、そうかと思えばマリエ以外の女の子にもちょこちょこ声をかけている。更に言うならなぜかそれ以上の頻度で志津哉への愛も叫んでいる。志津哉はそれに対し心底迷惑そしているようで、妃芽はそんなふたりを生温かく見守っている。観察すればするほど、三人の関係性が見えてこない。
 かろうじてはっきりしているのは、現段階でサッカー部内ヒエラルキーは部長を差し置いてマネージャーである妃芽がトップであり、彼女に逆らえる人間は今のところいないということくらいだ。
 そのため妃芽に言われて要は大人しく厨房に戻り、マリエは彼女について手洗い場へと向かった。慌てて楸もそれに続き、手を洗って席に着くと、茹で上がった蕎麦を要が運んできた。
「もうかよ!早ぇな!」
 思わず、と言わんばかりに志津哉がツッコむ。
 先ほどはまだ茹で始めていないと言ったはずだから、そのツッコミ正確だろう。しかし友人の突っ込みに、要はふんぞり返ってなぜか誇らしげに言う。
「実はもう茹でかけてました!ほぼ茹で上がってました!なぜならもうすぐ志津哉が来るような気がしていたから!!」
「キモ」
「酷!」
「うっせぇ。つーかじゃぁなんでまだとか言ったんだよ」
「んー……フェイント?」
「何に対する!?」
「ハイもー夫婦漫才はそれくらいにして。ゆずぴーも席について」
「誰が夫……」
「うっさいしーづん、蕎麦が伸びる。はいゆずぴー号令」
「はいじゃぁ手を合わせてください!」
「その前にしーづんから一言!」
「え、今の何なの!?何なの今の!?フェイント!?」
「えーと……」
「志津哉まで!?一言やっちゃうの!?」
 自由すぎる妃芽に要が反論するも、当然の如く取り合われない。鮮やかなまでにスルーされ、志津哉が口を開く。
「一言って言うか……まぁ……紫陽花寮にようこそ、枢木さん」
「え……っ」
 三年生のトリオ漫才をニコニコしながら見守っていた瑞穂が、突然名前を呼ばれ、驚いたように目を丸くする。
 その表情を見ることができただけで、この計画を企てた甲斐があったと思えた。
 こうして食堂で瑞穂の引っ越し祝いをしようと言い出したのは楸だった。今日からこの寮の一員になる瑞穂のために、何かしたかった。
 瑞穂は、今まで出逢った誰とも違う「特別」な女の子だから。家柄とか容姿とか、そういうことじゃない。上手く言えないけれど、自分でもよくわからないけれど、彼女は楸にとって特別だった。一目逢ったときから惹かれた。そして言葉を交わすたび、仲良くなっていくたび、その想いはどんどん強くなっていった。彼女のことが知りたい。彼女の傍にいたい、彼女の笑った顔が見たいと、思った。
 そしてこの会を企画した理由は、もう一つあった。
「高科も紫香楽さんも四月の新歓のときにもう入寮してたけど、枢木さんは参加できなかっただろう?でも今日から枢木さんもここで一緒に生活していく家族みたいなものだからさ」
「香東先輩……」
 三日前の夜、楸はこの計画を思いつき、志津哉の部屋に押しかけて協力してくれるよう頼み込んだ。最初は驚き、そんなことは無理だとたしなめられたが、しつこく食い下がり頼み込んでいる内に、楽しいこと大好きな妃芽と要の耳に入り、二人の説得もあって、きっと楸だけでは実現不可能だった計画は実現した。
 志津哉は朝から瑞穂の引っ越しを手伝ってくれ、妃芽は食堂を使えるよう寮母や食堂のおばちゃんたちと交渉してくれ、要は蕎麦を用意してくれた。
 妃芽がリョウを引っ張ってきたことと要が本格的に蕎麦を打ってしまったことは計算外だったが、瑞穂が喜んでくれたのだから、サプライズは成功だ。
 三人とも、個性的でマイペースで強引なことがある人たちだけど、楸のわがままを聞いてくれた。瑞穂が一日でも早くこの寮に馴染めるよう策を尽してくれた。
 そんな素敵な先輩たちがここにはいること、瑞穂に知ってほしかった。慣れない共同生活でつらいこともたくさんあるだろうけれ、いつだって独りじゃないこと。困ったときに手を差し伸べてくれる人がいること、頼れば助けてくれる人がいることを、瑞穂に知っておいてほしかった。
「だからささやかだけど、一応これが歓迎会ってことで……いいかな」
「いいともー」
「ゆず先輩には訊いてないですよ」
 折角いい雰囲気だったのに、某お昼の番組的なノリでぶち壊しだ。
 だがこういうのがこの人たちらしい。
「はいはいじゃぁ蕎麦も伸びるし食しましょうか。いただきまーす!」
「結局妃芽っちが号令かけんのかよ!」
 要のツッコミを無視し、妃芽の号令で七人はようやく箸を動かす。
 要のお手製だという蕎麦はお店で食べるものと同じくらい美味しくて、でもほんの少し伸びていた。


5 :緋桜 :2011/09/11(日) 13:42:28 ID:PmQHunWeLH

4.紫香楽さんと枢木さん U


 たったひとりとの出逢いが世界を変えることがあるなんて、知らなかった。





 光が瞼を透かして尚白く差し込んでくる。窓から注ぎ込んでくる朝陽に、リョウはそっと目を開ける。
 低血圧そうな外見に反し、リョウは存外目覚めはいい。目覚まし無しでも決まった時間に起きられる。
 毎日同じ時間に眠り、毎日同じ時間に起きる。
 毎日が、同じことの繰り返し。
 けれどそれを退屈とは思わなかった。
 否、それが退屈なのだと気付かなかった、と言う方が正しいか。
 だってそれ以外、知らなかった。
 知ることも、許されていなかった。
 リョウは無言で身を起こし、ベッドから降りる。部屋に備え付けの二段ベッドの下の段をリョウは使っていた。上の段には誰もいない。本来は二人部屋であるこの部屋を、リョウは一人で使っていた。別にリョウがわがままを言ったわけではない。紫陽花寮の女子棟は男子棟と同じだけの部屋数があるものの、男子に比べて寮で暮らす女子は少ない。だからほとんどの生徒は二人部屋を一人で使っているのだ。
 昨日引っ越してきた瑞穂もそうだ。
(……瑞穂)
 ふいに浮かんだ少女の名を、リョウは胸の中でそっと唱える。口にすることはしない。一度口に出してしまえば、消えてしまいそうな気がした。
 まるで、魔法が解けるように。
 けれど口に出さずとも、彼女のことを考えるだけで、名前を思うだけで、声を想い出すだけで、胸の奥に温もりが宿る。こんなことは初めてで―――戸惑うことしか出来ない。
 けれど、決して不快ではない。
 不思議な感覚。
 不思議な、瑞穂。
 ベッドから下りたリョウは、部屋に備え付けの洗面台で顔を洗う。初夏の水は寝起きの肌には冷たいようにも生ぬるいようにも感じた。
 濡れた顔をタオルで拭きながら、ふと目の前の鏡を見つめる。そこに映るのは、漆黒の目と髪をした気の強そうな少女。自分の顔だと言うのに、何の愛着も興味も湧かない。
 それなのにどうして、他人である瑞穂の顔には、あんなにも惹き付けられるのか。
 それは、彼女の目や髪の色のせいではない。
 理由もわからないのに、それだけはわかった。
 100円ショップで買った櫛で軽く髪をとかし、昨夜アイロンをかけておいた制服に袖を通す。
 毎日帰宅後洗濯して乾燥機にかけてアイロンをかけるのはさすがに面倒だと思わないでもなかったが、これも習慣になってしまっていた。
 「女の子なんだから身だしなみには気を使いなさい」。
 自分が女の子であることとか身だしなみとかそんなことはどうでもよかったが、一年と数ヶ月の間毎日繰り返し言われ続けているうちにいつの間にか生活リズムの中に組み込まれてしまっていた。
 指定のシャツに袖を通し、指定のスカートと靴下を履く。校章の刻まれたボタンを上から二つ目まで止めるも、指定のリボンはつけない。理由は、息苦しいから。こんなもの一つで何かが変わるわけもないと思いながらも、まるで首を締め付けられているかのような、喉元に手をかけられているような心地がした。
 一通り身支度を終えたリョウは、部屋を出て食堂に向かう。その途中の階段の前で、階上から降りてきた少女と鉢合わせ、その姿を見た瞬間、心臓が撥ねた。
 それはその少女が、先ほど思い浮かべていた少女―――枢木瑞穂だったからだ。
「あ、リョウちゃん」
 どうしてだろう。
 彼女が呼ぶだけで、自分の名前が特別のもののように思えるのは。
「おはようございます、リョウちゃん」
 歌うように言葉を紡ぐ瑞穂が身に纏うのは、リョウと同じ指定のシャツとスカート。生徒の誰もが身につけている何てことないただの制服なのに、彼女が着ているだけで、白のシャツも特別清楚に思えた。
「……おはよう」
「昨日はありがとうございました」
「……別に。私は何もしていない」
 昨日、瑞穂はリョウの住む紫陽花寮に引っ越してきた。サッカー部の数人で手伝い、あらかた荷解きを追えた後食堂で引っ越し蕎麦を食べたのだが、瑞穂はそのことを言っているのだろう。
 しかしリョウは途中参加で、サッカー部の上級生に突然拉致されて瑞穂の部屋に連行され、そこから食堂に連れて行かれ目の前に置かれた蕎麦をわけもわからぬまま食べただけで、実際には引っ越しの手伝いなどまったくしていない。だから礼を言われる筋合いなど微塵も無い。
 しかし淡々と言い捨てるリョウに、瑞穂は朝露のように綺麗な笑みを向けた。
「いいえリョウちゃんと一緒に引っ越し蕎麦を食べられたことが嬉しいんです。だから、ありがとうございます」
 本当は。
 昨日、強引にリョウの手を引く上級生の手を振り払えなかったのは、彼女が瑞穂もいるからおいでと言ったから。
 会いたかったから。
 瑞穂に。
 彼女がいるから、ついていった。
 そう言ったら、瑞穂はどうする?
 驚く?困らせる?不快にさせる?
 それとも―――。
「今日の朝食も、リョウちゃんと食べたいです。ですから、食堂までごいっしょしてもかまいませんか?」
「……あぁ」
 この気持ちを、何と呼ぼう。
 切なさにも激情にも似たこの気持ち。
 わからないけれど、こんなにも胸を篤くさせるのは、目の前のこのたった一人の少女。
 それだけは、確かだった。


novel plaza system
甘辛流小説家ギルドGAIA
produced by COLUN.