天空の騎士


1 :四季条 ユウ :2008/07/09(水) 05:58:19 ID:nmz3rDnm

UPするときに壮絶に間違えてしまいました。
なのでもう一度書き込みし直しています。

天馬(ペガサス)に乗った乙女の騎士が主人公のお話です。
ファイアーエムブレムというゲームに天馬騎士(ペガサスナイト)というユニットが出てくるのですが、わたしはそれが好きで好きでしょうがないのです。
そんなわけでこんな小説まで書いてしまいました。
戦争がテーマのお話で戦いのほとんどが空中戦になります。
決して明るい物語ではありませんが、ペガサス好きには読んでもらいたいです。
それでは、物語を語るとしましょう。


16 :四季条 ユウ :2008/08/27(水) 23:38:20 ID:nmz3rDnm

「随分な目に合ったようだな、ロノフ」
 ロノフは玉座の前で跪き低頭していた。アルシャードの傍らにはレイラもいて様子を見守っている。復興支援に出掛けていた軍が戻るのとほぼ同じ頃に、シアラル軍に大敗した敗残兵たちも帰還していた。
「シアラル軍は予想を遥かに超える強さでして」
「俺は攻撃命令など出していない」
 アルシャードはロノフの言葉を遮って言った。怖いほどに無表情だが、彼が発する空気には凄まじい怒りが含まれていて、ロノフはそれを肌で感じると総毛立った。
「わたくしは反対したのですが、グランドー将軍がどうしてもと言うので・・・」
「貴様の主は誰だ、言ってみろ」
「アルシャード様、どうかお許し下さい」
「余計なことは言うな、貴様は俺の質問に答えればいい」
「わたくしの主は、アルシャード王様でございます・・・」
 ロノフはまるで極寒の雪原にでもいるように、体を激しく震わせていた。アルシャードの一言一言が、彼を押し潰し、恐怖させた。
「ほう、分かっているのか、ならば何故グランドーを止めなかった」
「あの時は将軍の言う事を聞くしかなかったのです」
「俺に忠誠を誓っているのならば、命懸けでもグランドーを止めるはずだ」
ロノフは下を向いたまま黙った。俯いている顔には玉のような汗を幾つも作り、余りの恐ろしさに息を乱していた。言い訳を繰り返そうと顔を上げたとき、アルシャードはもう聞きたくないというような顔をした。
「まあ、よかろう」
 柔和になった主の声を聞いて、ロノフは許されたと思って密かに溜息をついた。
「ローランの襲撃は鮮やかな手並みだったな」
「はっ、恐れ入ります」
「グランドーは頭のいい男ではなかった、あれは貴様が考えた作戦だな」
 ロノフの心は冷たく凍りついた。自分は褒められていたのではなく、罠に誘い込まれたということに気づいた。ロノフは何も言えなくなってしまった。アルシャードは腕を組み、面白そうに微笑を浮かべ、目の前で小さく縮こまるロノフを見ていた。
「衛兵、厨房に言ってこの城で一番いい酒を持って来させろ」
 間もなくすると、メイドの格好のした給仕の女がワインボトルとグラスを持ってきた。ボトルの方はアルシャードに手渡され、グラスはロノフに渡された。ロノフは困惑した表情でアルシャードを見た。
「これはいい酒だ、滅多にお目にかかれんな」
 アルシャードはボトルの口から香りを吸って言った。
「一献(いっこん)注いでやろう」
 アルシャードがボトルを傾けると、ロノフは恐縮して杯を高く掲げた。少し茶色味のある葡萄酒が半分程度注がれた。
「遠慮せずに飲め」
 ロノフには訳が分からなかった。狐に化かされた様な気分で酒を口に含んだ。その瞬間に、芳醇な香りが鼻を抜けて、まろやかな中に葡萄酒の渋みを残した、何とも言えない酒の味が舌を潤した。ロノフは心が落ち着くような気がした。
「よく味わえよ、これが最後の酒になるかもしれん」
 その時、ロノフは目を剥いて、アルシャードを見上げた。
「どうした、飲め」
 アルシャードは鋭い目つきになって言った。ロノフは続けて酒を飲んだ。グラスを持つ手が震えて、グラスと唇の間から酒をいくらか零した。
「レイラ、将軍と高官どもを中庭に集めろ」
「わかった」
 レイラは何も聞かずに出ていった。
「衛兵、槍を二本中庭に持って来い、貴様は俺について来るんだ」
 アルシャードが玉座を立って歩き出すと、ロノフもその後に続いた。ロノフは顔から吹き出る汗を、何度も手で拭っていた。
 シャリア城の中庭は、中央に聖(グ)天馬(ラーニ)に乗る女騎士の彫像があり、周りには季節ごとに花を咲かせる樹木や草花が植えてあった。くつろげるように木製の長椅子などもいくつか設置してある。そこにレイラを始めレイザードの将軍や高官が集まった。その中の半数ほどが、急にこんな場所に呼び出されたことに対して、不満気だったり、面倒そうな顔をしていたりと、ふてぶてしい態度をしていた。アルシャードがやってくると、嫌な顔をしていた者たちも、一応は敬うような格好をした。それに少し遅れて、槍を二本持った兵士がやってきた。アルシャードは槍を受け取ると、一本をロノフの足元に放り投げた。それを見ていた周りの者は、何が始まるのかと訝しい顔をした。
「俺の相手をしてもらおうか」
 アルシャードが当たり前のように言うと、ロノフは驚いて嫌がるように両手を振り、足元の槍から一歩離れた。
「大陸一の槍の名手と謳われる貴方様に、どうしてわたくしごときが相手をできましょうか」
「槍を取らねば貴様は死ぬだけだ」
 ロノフは口を半開きにして硬直し、血の気を失った。アルシャードは獲物に飢えた獅子のように、殺意の深い瞳を光らせて、じっとロノフを睨んでいた。
「貴様に与えられた選択肢は二つだ、俺と戦ってほんのわずかな可能性に賭けるか、何もせずに串刺しになるか」
 言いながらアルシャードが一歩迫ると、ロノフはあらゆる絶望を顔に表して両膝をついた。
「どうかお許しを、どうか、どうか、アルシャード王様」
 ロノフが何度頭を下げても、アルシャードの恐ろしげな表情は動かなかった。
「このまま死にたいらしいな」
 このやり取りには、周りで見ていた将軍、高官たちは身の毛がよだった。全員がどうなるのかと、固唾を飲んで見守った。ロノフは頭を深く下げた状態で一瞬停滞した。瞬間、彼は手前の槍を掴むと、絶叫と共に立ち上がり、アルシャードを狙って突いた。不意打ちのつもりだったが、それはいとも簡単にかわされた。
「うわああーーーっ@」
 ロノフの叫びは、もはや悲鳴に近い。何度も槍を突くが、アルシャードは必要最小限の動きでそれらを避けた。そして、アルシャードが笑いを浮かべた瞬間、凄まじい速さで槍を突いた。槍はロノフの右の太腿を貫き、中庭に悲鳴が上がった。ロノフは刺された足を押さえながら尻餅をついた。アルシャードは容赦なく、立て続けにロノフの腹部を突き刺した。もう一度悲鳴が響き渡り、槍が引き抜かれると、ロノフは足を押さえていた手を脇腹に移して呻いた。生臭い血の匂いが見ている人々の鼻を突いた。
「どうした、もう終いか」
 アルシャードは下らないものでも見るような目で、苦しむロノフを見下していた。レイラはその痛々しい様子に眉をひそめた。
 ―むごいな。
 アルシャードはわざと止めを刺さずに、ロノフの苦悶の様を将軍や高官共に見せつけていた。ロノフは下半身が血まみれになり、戦意を喪失した。彼は何とか立ち上がると、右足を引きずりながら逃げ出した。
「助けて! 誰か助けてくれ!」
 アルシャードは冷たい顔で、少しずつ遠退いていくロノフの背中を見ていた。
「愚か者め」
 アルシャードは右手の槍を肩の辺りに持ってきて、逃げるロノフに狙いをつける。
「騎士ともあろう者が、敵に背中を向けるな!」
 アルシャードが槍を投げると、それは電光石火の速さでロノフの背中に迫り、後ろから胸を貫いた。ロノフは衝撃で前方に吹っ飛ばされ、そのまま前のめりに倒れると、二度と動くことはなかった。
「俺は野望の為に利用できるものは利用する、そして俺の邪魔をする奴がいれば全力で叩き潰す、敵であろうと味方であろうとな、よく覚えておけ」
 周りで見ていた将軍、高官は、青い顔で慄然としていた。レイラだけは冷静で、アルシャードに半ば畏怖するような、半ば賞賛するような視線を送った。
 ―効果的な恐怖統治だな、これで反発していた将軍たちも忠誠を誓うだろう、これがアルシャードの才能だ。
 アルシャードは将軍、高官たちに言った。
「貴様ら、死体を片付けておけ」
 すると、反アルシャード派だった人間たちが率先して、我先にと息絶えたロノフに向かって走っていった。これでアルシャードの支配は完璧なものになったと証明された。


17 :四季条 ユウ :2008/09/13(土) 17:08:30 ID:nmz3rDnm

 レイザード軍がシャリアに帰還したのと同じ頃、シアラル軍も国へ戻っていた。パトラは戻ると休む間もなく治療院に足を運んだ。負傷した騎士たちがそこにいるので、一人ひとり見舞ってやるつもりだった。レインとシェーレも同行した。
治療院は街の中心部にあり、石造りのかなり大きな建物で、人の出入りも多い。そこには医者や看護婦がいて、怪我や病気の治療をしてくれる。パトラはそこで、思いもよらぬ苦悩を味わうことになった。
 大きな怪我をしている者はほとんどいなかった。負傷した騎士のほとんどが相部屋のベッドに寝ていて、パトラたちが入ってくると、皆驚いてベッドから飛び起きた。パトラはそのままでいいと言って、一人ずつ声をかけて、励ましたり礼を言った。誰もがその姿に感動して、心密かに王女への忠誠を深めた。
怪我人の中で、ただ一人だけ個室に運ばれた少女がいた。少女のいる部屋は最上階の日当たりのいい場所にあり、治療院で最も条件のいい個室だった。看護婦は少女の名前は分からないと言った。パトラはそれを聞くと、その少女がどうしようもなく気になったので、先に足を運ぶことにした。看護婦がパトラたちを案内してくれた。 
パトラたちが治療院の廊下を歩いていくと、前からフィアーナが走ってきた。フィアーナは、パトラの姿を見ると、立ち止まって呆然とした。彼女は泣いていて、体を震わせている。
「どうしたのフィアーナ」
 シェーレが妹の異常な様子を見て、訝しい顔をした。
「パトラ様、姉様、ミーナが、ミーナが・・・」
 フィアーナはその場に崩れて、両手で顔を覆って泣き出した。パトラは少し眉を寄せて、急に走り出した。レインがすぐに後を追った。パトラは冷静さを欠き、何かに取り付かれたように走った。そうすると部屋の扉の前で蹲る少女が見えた。パトラは少女の前で立ち止まった。少女は足音と気配を感じて、涙に濡れた顔を上げる。セリリだった。
「パトラ様・・・ミーナは、もう駄目だって」
 セリリはまだ何か言おうとしていたが、嗚咽に邪魔されて声が出なかった。パトラは何も考えずに病室の扉を開けた。すると、白いローブを着た看護婦が、濡れた手拭を絞っている姿が目に入った。パトラはおぼつかない足取りで、レインと一緒に中へ入っていった。
「まあ、王女様!」
「ミーナは・・・」
 パトラには看護婦が驚くのも目に入らず、ただミーナの姿を探した。
「ベッドに寝ていますわ」
 看護婦は言いながら、窓際のベッドを返した掌で指した。ミーナは確かにベッドに寝ていた。窓から入る日に晒されたミーナの姿を見て、パトラは息が止まり、目眩がおきそうになった。
ミーナはほとんど全身に包帯を巻いていて、傷ついた箇所から血が滲んでいる。顔も右目から頭部にかけて包帯に覆われて、右目の窪んだ部分が赤く滲んでいた。以前の可愛らしい姿は見る影もない。
「ミーナ」
 パトラが弱々しい声で呼ぶと、ミーナは瞑っていた左目を開けた。
「あは、パトラ様、へましちゃいました」
 ミーナは思いのほか元気で、明るい喋りを見せた。パトラが見舞いに来てくれたことがよほど嬉しいらしく、残った左の瞳を輝かせて笑っていた。その健気な姿は、パトラの悲しみを、より一層深くした。
「やだなぁ、そんな顔しないで下さい、わたしは結構元気ですよ」
 パトラは黙ったまま無理に微笑を浮かべて頷いた。
「パトラ様、わたし頑張りましたよ、いっぱい仲間を助けたんです」
「そう、よくやったわね、えらいわ」
 パトラは接吻するように顔を近づけて、ミーナの頬を触った。ミーナは親に褒められた幼い子供のように、純粋な嬉しさを表情に乗せていた。パトラはミーナから離れると、耐えかねるように顔を背けた。
「少し外へ出るわね、すぐに戻ってくるから」
 パトラとレインが部屋を出ると、気を利かせて外に出ていた看護婦と、病室に入らずに待っていたシェーレがいた。フィアーナとセリリも少し離れた所に立っていた。看護婦がミーナの事情を話してくれた。
ミーナは敵に囲まれていた二人の仲間を助け、代わりに相当数の敵と戦ったらしい、壮絶な戦いの末に全ての敵を倒したが、ミーナも瀕死の重傷を負い、死んでいてもおかしくないような状態でシアラルまで帰ってきたという。
「ミーナの容態はどうなの?」
「お医者様の話ですと、あと三日も持たないそうです」
 パトラは無慈悲な言葉に打ちひしがれ、支えを求めるようにふらつき、壁に縋った。そして、悲しんでいる顔を誰にも見せまいとするように、石の壁に額を預けた。
「わたしのせいだわ、わたしがあの時ミーナの言い分を聞いてあげれば、こんなことにはならなかったのに・・・」
「そうしたら、ミーナの助けた二人が犠牲になったよ」
 レインが言ったことは、慰めなどにはならなかった。パトラは壁と向かい合ったまま、ひたすら悲しみと後悔に暮れていた。レインはパトラの肩を掴んで言った。
「あんまり自分を責めるんじゃないの、こんなのどうにもならない事じゃないか」
 パトラはレインのことを、虚ろな中に哀愁のこもる瞳で見た。それでレインは、パトラの悲しみの深さを知った。
 ―これは、まずいな・・・。
 パトラのことを深く理解しているレインは、これからどういう事が起こるのかを予期して、心が鉛のように重くなった。パトラは決意するように表情を強くすると、病室の扉を開けて早足でミーナに近づいた。ミーナは入ってきたパトラをじっと見ていた。パトラはミーナの枕元にあった椅子に腰を下ろすと言った。
「ミーナ、貴方の故郷へ帰りましょう、わたしが連れていってあげるから」
 ミーナは笑みを浮かべて小さく頷いた。パトラはそれからすぐに病室を出ると、外で待っていたレインとシェーレに事情を話した。それにシェーレは厳しい顔をした。
「何を言っているのですか、レイザードがすぐにでも攻めてくるのかもしれないのです、そんな時に主が国を開けるなどあってはならないことです」
「貴方の言っていることはもっともよ、わたしもそう思う、それでも行かせてほしいの」
「いい加減にして下さい、パトラ様がいない間に敵が攻めてきたら、もう終りなのですよ!」
 シェーレが憤然として言うと、パトラは下を向いて黙った。
「行かせてやりなよ」
 シェーレはきっとレインを睨んだ、レインは微笑を浮かべてはいるが、どこか悲しげで、それがシェーレの沸き立つ心を沈めていった。
「もし敵が来たら、わたしたちで何とかする、パルテノ姉さんだっているんだから大丈夫さ」
「・・・出来るだけ早く帰ってきて下さい」
 シェーレは仕方なく了解した。すぐミーナの故郷に、詳細を綴った手紙を、空輸商に持たせて向かわせた。もう夜になるので、その日の出発は見送られ、翌日の早朝にパトラとミーナは立つことになった。
パトラはずっとミーナの側にいて看病をした。ミーナは瀕死の重傷とは思えないほど元気に喋りまくった。パトラが体に障るから止めるようにと言っても、故郷の話や、自分が騎士になった理由、将来の夢など、際限なく話をして、パトラは微笑を浮かべながら、それに耳を傾けて相槌をうっていた。しかし、次第にミーナの元気はなくなっていった。夜が明ける頃には、ミーナはほとんど喋らなくなり、寝ているようにしばらく目を閉じては、時々ふっと目覚める、これを繰り返すようになった。ミーナの弱っていく姿は、見ていて泣いてしまいたいほど胸苦しかった。
パトラは看病を続けているうちに、ミーナのことをどうしても他人とは思えない自分に気づいた。最初は哀れなミーナの姿が、そんなふうに思わせるのかもしれないと思った。しかし、ミーナと過ごす時間は、パトラの命に直接迫り何かを訴えた。もしかしたら、ミーナと遠い昔に姉妹か親子か、そんな関係だったのかもしれないと、自然に考えるようになった。
 早朝、ナイトメアに乗るパトラが治療院の屋上に降りた。パトラの夜のように暗い心とは正反対に、目の痛いほどに朝日が輝き、清々しい朝だった。屋上の出入り口から数人の医師と看護婦に運ばれるミーナの姿が現れた。その後からシェーレとレイン、そしてフィアーナとセリリもついて来た。パトラはナイトメアから降りて、ミーナを背負った。ミーナには、パトラの背中にしがみつく余力もなかったので、落ちないように白い帯で、二人はしっかりと固定された。パトラはミーナを背負ったままナイトメアに飛び乗った。
「帰ってきたらすぐに昇進だね、ミーナは大活躍したもんね」
 いつもの明るい調子でフィアーナが言うと、ミーナは残った目で見て微笑した。
「傷が治ったら、また三人でお話しましょう」
 セリリが言うと、ミーナは頷いた。彼女は声を出さなかった。もう声を出すのも苦しいほど弱った状態だった。
「行くわよ」
 パトラがナイトメアの手綱を引くと、黒い翼が開き、羽ばたき始めた。ナイトメアの起こす風圧は、周りにいる少女たちの髪や服を激しく揺らした。ナイトメアは徐々に宙に浮き、ゆっくり前に進みだした。パトラはミーナの傷に障らないように、出来るだけ静かに飛び立った。少しずつ速さが上がり、パトラたちはミーナの故郷に向かって飛んでいった。どんどん小さくなっていく黒い聖天馬の姿を見ながら、フィアーナとセリリは泣き始めた。
「さようならミーナ、さようなら」
 セリリは泣きながら手を振った。これが永遠の別れになることは知っていた。レインは二人の涙に打たれ、胸にいっぱい詰まった悲しみをはき出すように言った。
「なんかさ、悲しいことばっかりで嫌になるよ」
 シアラルの城下街を越えて、森の上空に入ると、ミーナがもてる力を振り絞るように、小さな声で言った。
「パトラ様、ありがとう」
「いいのよ、貴方は余計なことは気にしないで、少し眠りなさい」
「パトラ様に聞いて欲しいことがあるの」
「なにかしら」
「わたしね、パトラ様の事が本当のお姉さんみたい感じる」
 パトラはぎくりとした。ミーナは自分の思っていたことと同じようなことを口にした。
「わたしとパトラ様は、きっと姉妹だったんだよ」
「わたしもそう思うわ」
「やったぁ、パトラ様がそう言ってくれると、すごく嬉しいなぁ」
 ミーナは蘇ったように元気に言った。後ろから聞こえてくる無邪気な声に、パトラは微笑を浮かべた。
「さあ、少し目を瞑りなさい」
「うん」
 パトラの言うことに、ミーナは素直に従った。昨日はほとんど寝ていないし、傷のせいで体力の消耗も激しいのだろう、パトラの後ろからすぐに寝息が聞こえてきた。
漆黒の聖天馬(グラーニ)は飛ぶ、少女の健気な命と思いを乗せて、少女の故郷に向かって飛んでいく。

 主のいない玉座の前で、シェーレが佇んでいた。まるでパトラが目の前にいるように、真剣な瞳で空の玉座を見ていた。
 ―たった一人の人間の為に王女が国を出るなんて、聞いたこともない。
 シェーレの心には、非難ではなく、胸を熱くするような感動が少しずつ湧いていた。
 ―わたしは勘違いをしていた、パトラ様は冷徹で何事にも動じない、そういう人だと思っていた、しかしそうではなかった、表面だけが冷たく凍りついた心の中には、雪の中で春を待つ小さな花々のように、強くも穏やかで優しい心が通っている、誰よりも仲間を愛し、誰よりも仲間の為に尽くす、パトラ様はそういうお方だった、今頃それに気づくなんて。
「何やってんのよ、こんなところでさ」
 レインの声が後ろから聞こえてきた。シェーレは振り向かずに、じっと玉座を見つめ続けた。足音が後ろから近づいてくる。そして、足音が真後ろで消えるとレインが言った。
「あんたもさぼったりするんだ」
「違うわ、パトラ様の事を考えていたのよ」
 シェーレは隣に来ていたレインを見ながら言った。シェーレは後悔の念で沈んでいた。レインは疲れたような微笑を浮かべて、シェーレから顔を逸らした。
「わたしはパトラ様と初めて会ったときこう思ったわ、残酷なほどに冷徹で、何が起きても冷静で、これほど頼りになる国主はいないと、でもミーナの事でようやくわかった、パトラ様は今まで誰よりも悩み苦しんでいた、静かなのは表面だけなのよ」
「だいぶ分かってきたじゃない」
「レインは知っていたのね」
「付き合い長いからね、こういうのは他人に教えてもらっても駄目なんだ、自分で感じ取らないとね」
 そして二人は沈黙した。重い空気がその空間を埋め尽くし、息苦しく思えるほどだった。誰もいない玉座を通して、パトラの心が伝わってくるように思えた。沈黙を破ったのはレインだった。
「あの子、このままじゃ潰れちゃうかも」
「どういうこと」
「これから戦いはもっと激しくなるんだよ、たくさんの仲間が犠牲になる、そうなったらパトラは耐えられないかもしれない、悲しみに押し潰されて、立ち上がれなくなるかもしれない」
「貴方が弱気になってどうするの、そうならないようにする為に、わたしたちがいるのでしょう」
 レインは喝を入れられて項垂れた。それからすぐに気を取り直すように頭を上げて言った。
「わたしたちの出来ないことはパトラがやってくれる、パトラのやれないことは、わたしたちがやる」
「そうよ、お互いに支え合えば、どんな壁でも乗り越えられるわ」
「パトラよりも、あんたの方がよっぽど冷静かもね」
 レインは合図するようにシェーレの肩を叩いた。二人は並んで歩き、無言のまま玉座の間を出ていった。新たな戦いに向けて、これからやることが山積みになっていた。

 日が高くなっていた。もう昼になるだろうか。パトラたちは目的地の目と鼻の先にいた。今は大きな湖の上に差し掛かり、これを越えた先にミーナの故郷がある。湖の水面近くを飛ぶと、ナイトメアの黒い体が水に映った。それはまるで鏡に映っているように鮮明で、水はアクアマリンのように透き通り、水中を泳ぐ無数の魚群まで見えた。しかし、パトラにはそれらの美彩を楽しんでいる余裕などない。
 ―どうしてミーナは死ななければならないの、わたしよりも年下、たった十数年の人生なんて、一体何の為に生まれてきたのか分からないわ。
 パトラはここに来るまでに、そんな問答を幾度となく繰り返していた。パトラの背中で起こる穏やかな吐息を聞いていると、ミーナを襲わんとする宿命に腹が立って仕方がなかった。もし神というものがいて、それが人の宿命を決めているのなら、ミーナの宿命を定めた神を槍で刺し殺してやりたい気分だった。しかし、パトラは神というものは信じない。宿命というものは人間の想像では及びもつかない、もっと広大で全てを凌駕する無限の存在、そして全ての生き物に普遍的である存在が影響している。無限の存在の中に流れる法則に乗って全てのものは生き、人間の宿命もそれの影響を受けている。信じようが信じまいが、それは必ず関連してくるのだ。これは生前にディアナが言っていたことで、パトラはこれを信じていた。
 その時、パトラの思考が止まった。背中に冷たいものを感じた。ミーナと自分の間にそっと手を入れてみると、じとっと濡れている感触が伝わった。掌を見てみると、真っ赤な血がべっとり付いていた。
「急いで、ナイトメア!」
 パトラの言葉に反応して、ナイトメアはぐんぐん速度を上げた。
「お願い、間に合って」
 後ろから聞こえるミーナの息は、気付かないうちに小さく不規則になっていた。今までの思考は掻き消され、少しでも早くミーナの故郷に行き、死ぬ前に両親に会わせてやりたい、パトラはそれだけを考えた。
 湖を越え、森を越えると、青穂が広がる麦畑が見えた。ようやくたどり着いた、ミーナの故郷だった。
「ミーナ、着いたわよ、貴方の故郷よ」
 呼んでもミーナは反応しない。
「ミーナ、お願い起きて!」
 パトラの必死に祈るような声が、ミーナを昏睡から呼び覚ました。ミーナは左目を開けて、下に広がる青い麦畑を見た。同時に青草の爽やかな香りを感じた。
「わあ」
 ミーナは感動と郷愁で胸をいっぱいにして、瞳を潤ませて笑った。パトラはナイトメアを降下させて、麦畑のすぐ上を飛んだ。野良仕事をしている人々が見上げて、何人かが暢気に手を振り、風が麦畑の上を走ると、幾筋も緑色の波が立った。
「家はどこにあるの、苦しいと思うけど、頑張って教えてちょうだい」
 ミーナはゆっくり腕を上げて、震える指で一方を示した。パトラがその方向にナイトメアを飛ばすと、麦畑の向こうに、一軒家が見えた。家の前に二人の人間が立っている姿も小さく見える。ナイトメアはあっという間に民家に近づき、ゆっくり下降した。地上に着地すると、ミーナの両親が走ってきた。背の高い茶髪の父親に、母親はミーナを同じ青銀の髪を長く伸ばして、顔立ちも娘にそっくりだった。パトラが地上に降りると、ミーナの母は二人をくくりつける帯を外しながら言った。
「王女様、ありがとうございます、こんな事までして頂いて、感謝の言葉もございません」
「そんなことより急いで下さい、もうあまり時間がありません」
 ミーナがパトラの背中から離れると、彼女の様子が明らかになった。腹部を中心に広く血が広がっていて、それがパトラの背中を濡らした原因だった。ミーナの父は、娘を抱えて急いで家に入った。ミーナは用意されていたベッドに仰向けに寝かされて、ミーナの母が腹部から滲む血を、乾いた布で吸い取った。出血が激しく、白い布はすぐに赤く染まってしまった。
「懐かしい匂い・・・」
 ミーナが弱々しい声で言うと、母が顔を近づけて頬や頭をなでた。
「貴方はよく頑張ったって、王女様のお手紙に書いてあったわよ、お母さん本当に嬉しい」
 ミーナは笑った。心底嬉しいというのが一見して分かる笑顔だった。ミーナは交互に父と母を見つめ、口を動かして声のない言葉を紡いだ。
「大丈夫よ、分かっているから、ありがとうって言いたいのはお母さんの方よ、わたしたちは本当にいい娘を持ったわ」
「無理はしないでいいから、ゆっくり休みなさい」
 ミーナの父が言うと、ミーナは微笑のまま天井を見上げた。そして、次第に息が小さくなり、目の焦点が定まらなくなってきた。ミーナの両親は、娘の死が近いことを悟り、ついに堪えていた涙を流した。パトラは何も言わずに、ミーナの姿を見下ろしていた。その時だった、まるで幼い子供が素晴しい宝を見つけたように、ミーナの瞳が輝いた。
「空が・・・」
 声がすると、その場にいる三人はミーナを注目した。ミーナの左目は次第に閉じていく。同時にミーナはにっこり微笑み、瞳が閉じると目じりから一筋の涙が伝った。そうしてミーナは死んだ。
ミーナの母はその場に崩れて、声を上げて泣いた。父は立ったまま耐えるように泣き続けた。パトラは無表情のままミーナの顔や手を触った。まだ血の通っているように温かかった。
「ミーナはどうしてここに来たの、何の為に生まれてきたの、貴方は幸せだったの」
 答えてくれる者は誰もいない。しかし、死してなお笑うミーナの姿が、一つの答えであった。その様子からは、こんなことになっても、ミーナは幸せだったのかもしれないと、そんな希望を抱くことができた。
 パトラはミーナの死に涙の一滴も見せず、ミーナの両親に別れを告げた。別れる時ミーナの母は何度も礼を言って、ミーナの髪から取った赤いリボンを、王女様に持っていて欲しいと言って手渡してくれた。
外に出ると、ナイトメアが頭を低く下げて、陽光で輝く瞳でパトラを見つめていた。
 ―貴方も悲しんでいるのね。
 ナイトメアに向かって一歩進むごとに、パトラの中で何かが膨れ上がった。それは何歩も進まないうちに弾けて、心に悲痛な衝撃が走り、パトラはその場に座り込んだ。そして、ミーナの赤いリボンを額に当てて、堰を切ったように涙を流した。
「ミーナ、わたしに会いに来てくれたのに、何もしてあげられなかった、ごめんね、ごめんね」
 パトラは声を殺して体を震わせ泣き続けていた。ナイトメアは主に近づき、心配そうに様子を見ていた。そして風が吹いた。地上から空へ吹き上がるような風だった。
 ―パトラ様、ありがとうございました。
 突然、パトラの耳に声が聞こえた。まるで心へ直に語りかけるような、不思議な声だった。パトラがはっと見上げると、今まで見たこともない神秘的な光景を目にした。死んだはずのミーナが空にいて、パトラを見ている。生きているときと違うのは、背中に白い翼があることだった。ミーナは翼を羽ばたかせ、上へ上へと昇っていった。パトラはゆっくり立ち上がり、その姿を見送った。
 ―わたし幸せでした、パトラ様に会うことができて、本当に幸せでした。
 ミーナは青空に向かって飛んでいく。パトラの心から悲しみが嘘のように消えていた。これは幻なのかもしれない。しかし、パトラはそんなことは考えなかった。ただ、あるべき場所に帰っていくミーナの言葉を心に深く刻んだ。パトラという存在に触れることが、ミーナの幸せに直結していた。短く儚い人生だったが、ミーナは幸せだった。彼女は宿命という名の翼で大空を羽ばたいていた。
「きっと、また会えるわね」
 ミーナは青空の向こうに消えていった。パトラはまだ涙で濡れた顔に笑みを浮かべ、空を見上げていた。


18 :四季条 ユウ :2008/10/06(月) 23:44:11 ID:nmz3rDnm

六章 空舞、激闘

 パトラが城に帰ると、すぐに隊長が招集されて作戦会議が開かれた。パトラはミーナのことは一切表に出さず、いつものように冷静だった。会議室のテーブルにシアラル近辺の地図を広げ、パトラから作戦の説明がなされた。
「向こうから攻めてくるまで待ちましょう」
 パトラはシアラルからシャリアの方向に線を引いた。
「敵はこのルートから攻めてくると思うわ、敵が現れたら、念のため城に七百ほど騎士を残し、斬り込み隊と天弓騎士団は別動隊にして、残りは敵の正面から当たらせます」
 パトラは地図に敵と味方の布陣を書き込んでいった。
「斬り込み隊と天弓騎士団は、密かに敵の後ろに回りこみ、弓の攻撃で敵の混乱を誘い、攻撃が終了次第、天弓騎士団は離脱、そして斬り込み隊に突撃をかけてもらいます、斬り込み隊はパルテノに任せて、正面の部隊はわたしが指揮と取るわ」
 地図上のシアラル城から大回りに敵の後方まで矢印が引かれた。斬り込み隊と天弓騎士団の取るルートだった。
「作戦は以上です、貴方たちはこれを部下たちに伝えて、軍の隅々まで浸透させるように、かつ外部には漏れないように注意してちょうだい」
「それだけ?」
「そうよ」
 レインは意外とシンプルな作戦だなと思った。パトラのことだから、もっと飛躍した事をするかと思っていた。他の隊長たちも、同じようなことを感じていた。しかし、まったく単純という訳でもないし、成功すれば十分な効果は期待できる作戦だったので納得はした。
作戦の詳細は即座に伝えられ、その日のうちにすべての騎士に理解された。戦いの準備は全て整った。後は敵が来るのを待つだけだった。

 パトラは玉座に座り黙していた。部屋には誰も居ず、暗い森の仲に一人佇むような静さがあった。扉が開き、シェーレが入ってきた。両手に槍を持っている。彼女はパトラの前までいってそれを差し出した。
「ミーナの槍です」
 パトラは立ち上がり、槍を受け取って、隅々までよく見た。柄の中ほどに、ぎゅっと握りしめた血の跡があった。ミーナは激しい戦いの後、この槍を最後まで手放さずにシアラルまで戻ってきた。ミーナはまだ若かったが、誰にも負けない優秀な飛天騎士だった。パトラは目を閉じて血の跡に接吻をした。
「一緒に行きましょう、ミーナ」
 パトラの声には哀愁がこもっていたが、いつものように無感情な顔をしている。シェーレはその様子を見て、心配する必要はなさそうだと、心の中でほっと息をついた。

「グランドーの部隊は弓による攻撃で相当な被害を受けたらしい、高度は十分に取っていたにもかかわらずな」
 アルシャードは玉座に座り頬杖をついて、レイラの報告を聞いていた。
「それだけなら、飛距離の長い新型の弓でも開発したのだろうと思うのだが、おかしなことに、いくら逃げても矢が追ってきたそうだ」
「パトラめ、飛天騎士に弓を持たせたか」
 アルシャードが何気なく言うと、レイラは顔を強張らせた。
「まさか、天馬上で弓を扱うなど不可能なことだ」
「それ以外に考えようがなかろう、あいつがいかにもやりそうなことだ」
「そうだとすれば、これほど厄介なものもない」
「あいつは誰もが不可能と思うようなことを、当たり前のようにやる」
「・・・グランドーの部隊はほぼ全滅、弓隊など帰ってきたのは一人だ、シアラル軍の方は被害らしい被害もない」
 アルシャードは意にも介さぬように鼻で笑った。
「シアラルはパトラ一人の力によって鋼のような意思で結ばれている、レイザードは俺かお前が率いてようやく一端の軍隊だ、グランドーごときが勝てるはずもない」
「・・・しかし、パトラ王女がこれほどの才を持っていたとは、なぜ今まで誰も気付かなかったのだ」
「あいつは目立つのが嫌いなんだ、無駄に自分の才能をひけらかすことはしない、戦いによって前に出ざる得なくなったが故に、ようやくあれの才覚が露呈した、戦いがなければ民衆に受けがいいだけの王女に終始しただろうな」
アルシャードは不適な笑みを浮かべた。
「パトラの最も恐るべき才能は人間理解にある、パトラがシアラルの騎士たちを強固にまとめる力と、フェリシティが壊滅したローランを短期間で復興させた力は同一のものだ、シャリア血筋の者は生まれながらにして、人間を立たせ、強く結びつける力を持っている、それが俺の最も欲する力なのだ」
 アルシャードは真顔に戻ると言った。
「次はお前が行け、これ以上の敗戦は許されんぞ」
「御意」
 レイラはすぐに将軍たちを一箇所に集めた。シアラル攻略の作戦を立てるためだった。しかし、そこで攻略以前に解決しなければならない問題にぶつかった。十人近い将軍たちが長いテーブルを囲み、レイラもその中にいた。
「シアラルの攻略にあたって、何か意見はないか」
 その後、レイラは黙って様子を見ていた。すると将軍たちは、口々に好き勝手な事を言い始めた。女ばかりの軍になぜ負けるのか、負けた将軍共はだらしがない、負けた原因はきっと何か不運にあったに違いない、自分ならこんな負け方はしないなど、おおむねそんなような言葉が交わされた。レイラは将軍たちの余りの傲慢に、唖然とすると同時に怒りが込み上げた。
 ―これでは勝てぬはずだ。
 レイラは怒りに任せてテーブルを拳で叩いた。テーブルが震え、大きな音が部屋に響き、部屋は水を打ったように静まり返った。
「いい加減にしろお前たち! 目の前にある事実だけを見つめろ、我々は惨敗している、シアラル軍は恐ろしい敵だ、女子供などという観念は捨てろ!」
 生意気な女だ、という視線がレイラに注がれたが、言っていることは理に適っているので、異を唱える者はいなかった。レイラは話し合いを中断して、アルシャードのところに戻った。

「浮かない顔をしているな」
 レイラが入ってくると、アルシャードは玉座から少し身を乗り出して言った。
「申し訳ないが、まだまだ時間がかかりそうだ、まずは自軍に根を張る油断を取り除かなければならない、作戦を立てるのはそれからだな」
「古い道具では使い物にならんか」
 アルシャードは古参の将軍たちのことを言っていた。それに対してレイラは何も答えなかったが、表情には憂いの色が濃く出ていた。
「奴らはそろそろ退場願う頃だ、次の戦いまではせいぜい役に立ってもらうとしよう」
 アルシャードは玉座に体を預けると、レイラを突き刺すような視線で見た。レイラは無性に嫌な予感がした。
「お前のところに、レインの妹がいたな」
「それがどうかしたか・・・」
「そいつも参戦させろ」
「カレンは天馬躁術を教えただけで、戦う力はない」
「シアラルの一翼を鈍らせるだけで十分な戦力だ」
「カレンは軍人ではない、戦いに参加させることなど出来ない」
「俺の言うことに従え」
 有無を言わさない圧力のある声、無表情の中に寒気を催すほどの冷徹な感情があった。
「・・・わかった」
レイラは険しい顔をしながらも、承諾するしかなかった。アルシャードが、カレンに目をつけていたとは予想もしてなかった。野望の為に利用できるものは利用する、レイラの中に目の前の男が言った言葉が、頭痛を感じるほど嫌な響きとなって木霊していた。

 一ヶ月経ってもレイザード軍に動きはなかった。季節は夏の終わりにさしかかり、シアラルの人々は強い日差しの中で、戦争など忘れたように穏やかな営みを繰り返していた。だが街中には、戦争の起こした風が噂となって流れていた。
ローランはフェリシティを中心とする民衆たちの力で、完全な復興を遂げていた。その後フェリシティは逃げもせず、堂々とシャリアに帰還した。人々はフェリシティの戦う姿に感動して、誰もが真の勇者だと囁いた。それからレイザード軍は大敗続きでシアラルに負けるだろうという、人々の希望を形にした密かなる噂もあった。戦いが始まったとたんに類稀なる才能を発揮した、パトラ王女の武勇伝も枚挙に暇がなかった。そしてもう一つ、シアラルを中心に広まる妙な噂があった。
 ローランから帰ってからというもの、パトラは玉座に落ち着いていることが多かった。何が起きてもすぐに命令、対処できるようにという気配りである。
 レインは無言で扉を開けて入ってきた。パトラは玉座に座っていて、その近くにはパルテノが衛士のように立っている。レインがやってくると、パトラは普段のレインにはない暗いものを感じて立ち上がった。
「噂を聞いたのね」
 パトラは親友の瞳を真直ぐに見つめながら言った。レインは無言で頷いた。まるで病人のように疲れたような顔をしていて、悩みが深いことが一目で分かった。
「まあ、あんな噂、誰かの悪戯でしょ」
 今度レイザード軍に参戦するカレンという少女は、パトラ王女の側近、天剣士レインの妹らしい。それがレインを悩ませる噂だった。パルテノがレインを気の毒そうに見つめた。
「単なる噂にしては内容が明確すぎるわ、あなたを攻撃するために流された噂なのは間違いない、信憑性も高いと思うわ」
 レインは眉を寄せて、助言を求めるようにパトラを見た。パトラは黙っていて、言いたくない事をしばらく胸の内に押し止めていたが、やがて口を開いた。
「わたしもパルテノの言う通りだと思うわ、もしこの噂にアルシャードが関与しているとすれば、貴方の妹は間違いなく戦いに駆り出されるでしょう」
「ちくしょう、あの子は戦えないのに・・・」
 レインは両手を強く握り締め、怒りと悔しさに顔を歪めた。
「レイン、よく聞いて、次の戦いで貴方は遊撃隊に加わりなさい、戦いが始まったら妹の捜索を最優先して、見つけたらシアラルに向かわせるのよ」
「それじゃあ、軍がまとまらないじゃないか」
「それは何とかするわ、貴方は妹を探すことだけを考えるのよ」
「・・・ごめんよ、大切な時に役に立てなくって」
 レインは申し訳ない気持ちと悔しさで、黒い瞳を涙で濡らした。パトラは友を安心させるように微笑を作った。
「気にする必要はないわ、それらしい騎士を見つけたら、シアラルに連れて行くように、みんなにも伝えておきましょう」

 さらに半月が過ぎた。カレンに関する噂は飽くことなく流れ続け、そこには意図的なものがあると思わざるを得なかった。
 その頃になると、シャリアに潜む諜報員からレイザードに動きありとの報告が届けられた。レイザード軍はようやく兵を整え始めた。シアラルを攻めるのも時間の問題になった。パトラはここに来て、隊長たちを一室に集めた。
「諜報の便りが届くまでの時間差を考えれば、あと三日以内には攻めてくるわね」
 パトラはガラスのテーブルに地図を開いた。レイン、シェーレ、パルテノ、アルティナ、各部隊の隊長がパトラを中心にテーブルを囲んでいる。皆、パトラがいきなり地図など開くので、訝しい顔をしていた。それに拍車をかけるように、パトラは驚くべきことを言った。
「作戦を変更します」
 さらっと言われると、隊長たちは困惑して、もの問いたげな顔をした。パトラは全てを見越しているように先手を打った。
「まずは黙って聞いてほしいの」
「まあ、あんたがそう言うんなら何かあるんでしょ」
 レインの言うことに異論はなかった。四人の隊長は、期待半分、戸惑い半分で新たな作戦を聞いた。話が終わると、余りの大幅な作戦変更に皆開いた口が塞がらないような思いがした。それはすぐに軍全体に伝えられた。驚いたことに、急な作戦変更にもかかわらず、大した混乱もなく、砂が水を吸うように浸透した。シアラル軍の団結と統制がいかに優れているかが分かる。この早急な作戦変更は、シアラル軍だからこそ出来る荒技だった。


19 :四季条 ユウ :2008/10/06(月) 23:45:33 ID:nmz3rDnm

 レイラは竜兵二千五百を率いてシアラルに向かっていた。兵力はわざと少な目に抑えてある。シアラル軍と戦うには大部隊で当たるより、命令の伝達を早く、意思の疎通を取り易くする方がよいとレイラは判断した。今までのレイザード軍とは違い、将のレイラが一番前にいて、整然と陣形を組んでいる。何よりも目立つのが、最前列と最後尾に壁を作るように並んでいる、黒い重鎧を身にまとった竜騎兵だった。彼らは乗っている飛竜にまで前面を覆う白銀の鎧を着せていた。空の重騎士たちは、弓対策に編成された精鋭部隊である。進軍の足は多少鈍るが、ちょっとやそっとの攻撃ではびくともしない。さらに今までの軍とは決定的な違いがあった。レイラは徹底して部下たちの油断を排除した。レイラの思っていた通り、女性ばかりの軍隊に対する油断と観念は根深く、軍をまとめ上げるまでに今まで時間がかかった。
 カレンは幾つもある小隊の一つに配属されていた。右腕に赤いバンダナを巻いていて、それをレイザード兵であるという目印にしていた。彼女だけが純白の天馬(ペガサス)に乗り、周にいるのは全て翼竜兵か竜騎兵なので肩身が狭かった。その上、無理やり戦いに駆り出されたので、怖くて槍を持つ手が震えていた。レイラは、カレンを自分の手元に置こうとしたが、アルシャードの手が入って、強制的に前衛の部隊に配属されてしまった。
「おい、カレン」
 部隊の隊長が呼んだ。黒髪で浅黒い肌の男がカレンをいやらしい目つきで見ていた。カレンは怖がる子犬のように怯えていた。
「お前にいい事を教えてやる」
 男はカレンに近寄り、少女の香りを楽しむように顔を近づけ、耳元で囁いた。
「いいか、仲間のふりをしてシアラル軍に潜り込め、そして油断してる奴を後ろから殺るんだ、簡単だろう」
 男の粘るように生暖かい息が耳に触ったが、カレンにはそれに嫌味を感じているような余裕はなかった。男の言葉にショックを受けて、ただ恐ろしく、逃げ出してしまいたいという一心だった。
 ―姉さん、怖いよ。
 カレンは弱りきった心で呟き、姉の顔を思い浮かべた。この狂ってしまいそうな行軍を抜け出し、すぐにでも会いに行きたかった。

 敵影視認、レイザード軍がシアラルに近づきつつある。その報告を受けると、シアラル飛天騎士団は大空に舞い上がった。
大陸史上最も激しい戦いが、火蓋を切って落とそうとしていた。城下街の上に白い騎士の集団が、正方形の隊列を三段重ねにした立方体の陣を組み、人々が見上げる中、シャリアの方角に向かって出撃した。シアラル軍は先頭を行くパトラ、レインを始め、出来るだけ多くの聖天騎士を前衛に集めて壁を作った。白い壁のすぐ後方に、数十騎の天弓騎士が控え、さらにその後方に二千を越える飛天騎士が続く。
シアラル軍は街からある程度離れると、ほんの少し赤や黄が色づいてきた森の上で進軍の翼を止めた。ここでレイザード軍を迎え撃つ。間近に迫る戦いの暗雲とは裏腹に、天気は快晴、雲ひとつない初秋の青空が広がり、程好く肌に感じる風が緩やかに流れていた。
 パトラは敵が現れるまでじっと真直ぐ前を見据えていた。後ろから聞こえてくる多重の翼のざわめきが、緊張を高ぶらせる。すぐに黒い敵影が薄らと見えてきた。パトラは槍を構え、隣のレインも剣を抜いた。そして、天弓騎士たちが前に出てきた。天馬に跨る狩人たちは、腰に装備している弩を取って構えた。前からやってくる敵軍の姿が次第に近づいてくる。頃合の距離になるとパトラから命令が下された。
「撃て」
 一気に二十ほどの矢が放たれた。それらはレイザード軍の前面に飛び込んだ。しかし、矢は全て前列を守る重装備の竜騎兵に当たって弾かれた。天弓騎士たちは何度か矢を撃ったが、ほとんど効果はなかった。レイラは思った通りの展開に笑みが漏れた。
「撃ってきたか、しかし鉄(くろ)竜(がねり)騎兵(ゅうきへい)には矢など効かない、さあどうする」
 レイザード軍が迫ってきた。天弓騎士たちは後方に下がり、すぐに離脱した。白い防壁となっている聖天騎士たちが、黒い竜騎兵の軍団を迎え撃った。前線が衝突して、ついに戦いが始まった。両軍とも陣形を崩さずに、まずは前線に戦いを委ねた。
 レイザード軍は激しく攻撃しているのに対して、シアラル軍の方はまったく手を出していない。レイザード軍の攻撃が手厳しいのか、シアラル軍は防御に徹していた。しばらくすると、シアラル軍は逃げるように後退を始めた。
「逃がすものか」
 レイラは追撃命令を出してシアラル軍を追った。レイザード軍とシアラル軍との距離は常に一定で、逃走と追撃が緊張した状態で続けられた。シアラル軍の最後尾にいるパトラが振り返って後ろの様子を見ていた。
「ついて来ているわね」
 実は同じ頃に、城に残してきた飛天騎士七百騎が、シェーレに率いられて空へ出ていた。シアラル軍が逃げたのは、作戦を遂行するための陽動だった。ここから歯車が連動して回るような戦いが展開していく。
 レイラはひたすら逃げるシアラル軍に、違和感を覚え始めていた。
 ―おかしい、弓隊の攻撃が弾かれたとはいえ、こんな簡単に逃げるとは・・・。
 逃げる白い軍隊と、それを追う竜騎兵団、ついに地上を離れて、遥か下に青い雲の海が広がる空中に出た。大陸は後方へと離れていき、空中に浮く小さな島が幾つも見えるようになった。そこへ来てレイラの疑問はますます深まった。
 ―こんなはずはない、スパイからの情報では、シアラル軍は城近くの空域で陣形を敷き、後方から切り込み部隊と弓隊で攻撃を仕掛けてくるという話だった・・・これは不味いことになるかもしれない。
 レイラは直感的にそう感じた。
「全軍に伝えろ、我々は敵の罠に嵌められた可能性が高い、何が起きても落ち着いて対処するように」
 さすがに総司令官だけあり、この辺りの判断は的確だった。その命令が伝えられた頃、シアラル軍が止まって、再びレイザード軍と対峙した。
パトラがミーナの槍を、天を突くように掲げた。漆黒の聖天馬(グラーニ)に乗る少女の姿は荘厳で、太陽の光を身に受ける様は近寄り難い芸術品のようだった。槍が真直ぐ前に向けられたとき、数々の宿命が動き出した。
「突撃」
 二千騎を越える白い集団が一気に前進して、レイザード軍にぶち当たった。最前線の聖天騎士たちは、重厚で恐ろしげな鉄竜騎兵に、勇敢に立ち向かった。さらに、シアラル軍の突撃と同時に、近くの浮島の森から、パルテノの率いる斬り込み隊が次々と飛び出し、レイザード軍の左側面から襲い掛かった。それに少し遅れて、城から大回りしてきたシェーレ率いる飛天騎士七百が敵軍の右側面から突っ込んできて、レイザード軍は三方向から挟撃を受けることになった。
「やってくれるなパトラ王女」
 レイラは自軍に走る伝令を聞くと言った。しかし、まだ終わりではなかった。
どこからともなくアルティナ率いる天弓騎士団がやってきて、彼女らはレイザード軍の真下に回り込んで矢を撃った。下から飛んで来る矢に、竜兵が次々と落とされていった。最初、レイザード軍に矢を撃った天弓騎士たちは目くらましにすぎず、主力は別の場所に待機していたのだ。今回の作戦で、天弓騎士団は敵を混乱に導けばよかったので、ある程度攻撃をすると、すぐに戦線を撤退した。アルティナだけは戦場に残って戦った。
 シアラル軍の作戦は成功したが、レイラがぎりぎりで罠の匂いに気づいたおかげで、レイザード軍は心構えが出来ていて激しく抵抗した。双方とも陣形は崩れ、敵味方入り乱れての乱戦になった。

「よし、カレン、シアラル軍に潜り込んで、さっき言った通りにするんだ」
 戦いの喧騒が起き始めた頃、カレンの部隊長が言った。カレンは怯えて凍ったように固まっていた。
「なに、心配するな、お前が敵だなんて誰も思わねえよ」
 カレンは槍を両手で握り締めたまま動かなかった。戦おうという意思ではない。それは不安に駆られた幼子が、ぬいぐるみを抱きしめるような行為と似ていた。
「ぐずぐずするな! 早く行け!」
 カレンはびくっと体を震わせて、怒鳴り声に追い立てられるように天馬を進めた。戦場の恐ろしさと、隊長にいきなり怒鳴られた事もあり、すでに半泣きしていて、心理的には戦火の中を逃げ惑う民衆と何ら変わりがない。それでも行くしかなかった。誰も助けてはくれない。この広い戦闘空域で、姉に出会うことだけが、唯一の希望だった。
「隊長、いいんですかい、行かせちまって」
「かまわねえさ、だいたいあんなガキの面倒なんて見てられるか、こっちだって戦わなきゃならねえんだ、まあ運がありゃあ戻ってくるだろ」
 小隊長は離れていく天馬と少女の姿を見ていた。
―ありゃあ死ぬな、どう考えても生き残れるはずがねぇ。
と心の中で残酷な呪詛を呟いた。

 鉄竜騎兵の存在に阻まれて、斬り込み隊は思うように動くことが出来なかった。
「一点集中攻撃で穴を開ける!」
 斬り込み隊を率いるパルテノが言うなり、間近に迫っていた黒い竜騎兵が二騎襲ってきた。パルテノは自分からそれに向かっていった。竜騎兵が槍を真上から振り下ろしてきた。パルテノの聖天馬が右に動き、それをすれすれで避けた。敵の厚い鎧の隙間を狙う、閃光のような突き。穂先が敵の首の付け根に突き刺さり、一人は鎧の間から血を吹きながら絶命した。続いてもう一人が正面から突っ込んできて、槍で突いてきたが、パルテノは卓越した天馬捌きで攻撃をかわすと、瞬時に敵の後ろに回り込んだ。竜騎兵は慌てて向きを変えようと手綱を引いたが、同時に後ろから頸部を貫かれていた。鉄竜騎兵、防御は固いがその分動きは鈍い。黒い鎧に身を固めた騎士は、パルテノが槍を引き抜くと、前に倒れ伏してから滑り落ちた。青い雲の広がる海に向かって、黒い塊が小さくなっていく。
パルテノは壁のごとく並ぶ鉄竜騎兵に突攻をかけ、次々と打ち倒して穴を開けた。そうなると斬り込み隊の乙女たちも俄然燃えた。斬り込み隊は壁を越えて敵軍の内部に侵入すると、勢いに乗って敵を討ち、混乱させた。
 斬り込み隊の猛威は、素早くレイラに報告された。今までのレイザード軍と違って、命令や報告の伝達が格段に早くなっている。
「斬り込み隊は翼竜兵では太刀打ちできん、竜騎兵をいくらか応援に向かわせよう、わたしも行く」
 レイラは竜騎兵を百騎ほど連れて応援に向かった。
斬り込み隊は、まだそれほど深く敵の懐に入り込んではいなかった。前線の兵が必死の応戦で何とか食い止めていた。そこへレイラが率いる竜騎兵隊が駆けつけた。心強い味方の登場により、レイザード兵の士気は上がった。
「思ったより戦況は悪くないな、踏ん張ってくれて助かった」
 レイラは周りの状況をざっと見た。外壁を作っていた鉄竜騎兵たちは散々になって戦っていた。
「よし、お前たちは斬り込み隊を食い止めろ、勝つことは考えるな、防御に徹してこれ以上進ませないようにすればいい」
 百騎の竜騎兵は、次々兵を突き倒している斬り込み隊に向かい、前方に障害物のように立ちはだかった。斬り込み隊の勢いが一気に削がれた。先頭で戦っていたパルテノは戦況を覆されて舌打ちをした。
「対応が素早いわね」
 パルテノはぐっと吸い寄せられるような引力を感じた。何か大きな力が働いていると思った。敵軍を注意深く見ていると、鉄竜騎兵を拾い集めている女の竜騎兵を見つけた。乗っている飛竜が鮮やかな緑色なので目立っている。
「あれが原因ね」
 レイラは散っていた鉄竜騎兵を集めると、斬り込み隊を足止めしている竜騎兵団に投入した。その直後に殺気にも似た、ちくっとするような視線を感じた。後ろを振り向くと同時に槍を構えると、視線の先に純白の聖天馬に跨る、金髪に青い瞳の女がいた。
「緑(りょく)竜将(りゅうしょう)レイラ殿とお見受けしたが」
「お前は?」
「わたしはパルテノ、シアラル軍の隊長を務めている」
「聞かぬ名だな」
「わたしは裏方が好きなものでね、滅多に表には出ないの」
 パルテノは槍の穂先をレイラに向けた。
「相手になりましょうか」
「いいだろう」
 パルテノは気合一声と共に突っ込んだ。レイラはそれを受け止め、二人は槍を交差させて睨み合う。さすがに力比べでは飛竜に乗るレイラの方が上だった。飛竜の翼が羽ばたく度に、パルテノは徐々に押されていく。不利を悟ったパルテノは、一旦離れて突きの連撃を見舞った。レイラはそれを避け、または槍で攻撃を打ち落とし、隙を見て反撃に転じた。パルテノの方も、レイラの槍を避けたり弾いたりして、双方ともまったく攻撃を受けず、一歩も譲らない戦いだった。傍から見ていると、まるで飛竜と聖天馬が華麗に舞っているようで、周りにいる敵味方は両将の戦いに魅入った。パルテノが何度目か突いた時、レイラは真直ぐ向かってくる槍を払いのけ、ばっと飛竜の翼を広げると、いくらか下がって距離を開けた。
「いい腕をしているな、これでは埒が明かない」
 レイラは近くにいた竜騎兵の一人を見ると、その男は何か命令でも受けたように頷いた。
「防御の体制は整った、引かせてもらう」
 レイラはパルテノに背を向けると、通常の飛竜にはない速さで飛び、奔走する竜兵達の中に消えていった。
「戦略的撤退かしらね」
 それから、斬り込み隊と竜騎兵隊の押し合いが再び開始された。パルテノはそれにも気づかないように、まだレイラの去った方を見ている。
「・・・噂に違わぬ見事な騎士だったわ」

 レインは妹カレンを捜し求めて戦場を駆け巡った。しかし、戦闘の繰り広げられる広大な空域、そう簡単に見つけられるはずもなかった。辺りからは鬨の声や悲鳴が起こり、天馬や翼竜が、乙女や男たちが、討ち討たれて、青い雲の海へと落ちていく。今回は激戦で、シアラル軍も無傷というわけにはいかない。大陸を包み込む青い雲は、討たれた者が最後に行き着く地獄だった。
 味方を支援しつつ空を走るレイン、その耳に助けを求める声が聞こえた。
「きゃ〜っ、誰か助けて〜」
 あまり緊迫の感じられない、間延びした少女の声だった。見れば、背中に弓を携えた聖天騎士が、三人の翼竜兵に追いかけられている。
「おいおい、何やってるんだ・・・」
 レインは馬首を巡らせて方向を変えると、剣を構えて助けを求める少女に向かった。レインと少女は正面から鉢合わせする形になり、少女と聖天馬がレインの横を通り過ぎ、続いてレイザード兵三人が通り過ぎた。レインは通り抜け様に、先頭にいた翼竜兵の胴を切裂き、その刹那に方向転換、最も後方を飛んでいた翼竜兵の後ろに回り込み、右肩から左下の腰にかけて、背中に白刃を走らせた。レインの太刀筋は鎌鼬のように鋭く早い。斬られた二人は、声を上げることなく絶命して宙に投げ出された。残った一人は何が起きたのか分からず、獲物を追いかけるのも忘れて、落ちていく仲間に目を見張る。いきなり目前に黒い制服の少女剣士が現れて、えっと思った時には一閃、袈裟斬りにされていた。最後の男は内臓までばっさり絶たれて、ほとんど即死のような状態だった。
三人目が落ちると、追われていた少女はほっと一息ついて、レインに近づいてきた。
「助かったわ」
 少女の正体はアルティナだった。
「あんた、まだいたの、弓使いは接近戦じゃあ役に立たないんだから、早く戦線離脱しなさいよ」
「そんなことないわ、意外と戦えるのよ」
 アルティナは腰の辺りに付けている小型の弩を掴んで、肩に立て掛けるようにした。
「接近戦ではこれを使って、敵から離れたら背中の弓を使うのよ」
「器用な戦い方するね、でもさっきみたいに近づかれたら終わりじゃないか」
「その時はひたすら逃げるのよ、そして離れたら矢を撃つ、こっちは聖天馬だから飛竜に追いつかれることはないの」
「随分、消極的だな・・・」
 レインが呆れ顔で言った。するとそれに怒ったかのように、アルティナの顔が険しくなり、いきなり弩を構えて狙いをつけた。レインが弓を向けられてぎょっとした瞬間、引き金が引かれて、矢はレインの頬に気配を残すほど近くを通り、後ろから呻き声が上がる。レインが振り向くと、密かに後ろから迫っていた敵兵が、矢で喉を抜かれて倒れるところだった。
「わたしは狩人ですから、こんな戦い方しかできないの」
 レインがその声の主に向き直ると、後ろで敵が翼竜からずり落ちる気配がした。
「なるほど、心配なさそうね」
「ええ、それよりも、妹さん早く見つかるといいわね、応援してるわ」
「軽く言ってくれるねぇ、こっちは気が気じゃないよ」
 それじゃ、と言ってレインはアルティナから離れていった。アルティナはその場で止まり、暢気に手などを振っていた。それはレインの姿が、アルティナの視界から消えるまで続けられた。少女たちは、それぞれの戦いへと身を投じていく。

 戦いの渦巻く空を、カレンはおろおろと逃げ惑う。爽やかな風と透き通るような青い空が、周りで起こる戦いをより鮮明に際立たせて、恐怖心を煽った。すぐ近くで二騎の飛天騎士と一騎の翼竜兵がやりあっている。お互いの声が響く、激しい動きで天馬の白い羽毛が舞った。そのうちに翼竜兵が剣で斬られ、槍で貫かれて、苦悶の声と共に鮮血が飛び散る。カレンはそれを見ると、両手で口を押さえて悲鳴を押し止め、血の匂いと断末魔の叫びから逃げ出した。そこかしこで敵味方が激しく打ち合い、カレンはそんな場面に出会う度に逃げる事を繰り返した。その姿はまるで雑踏に翻弄される迷子のようだった。
 逃げていくうちに、カレンは自分がどこにいるのか分からなくなっていた。天馬に乗っているのでシアラル軍から攻撃を受けることはなく、腕に巻いた赤いリボンのおかげで、レイザード兵に襲われることもなかった。何もされないだけに、戦いの空気を嫌というほど感じることができる。まるで四方から押し潰されるような重い空気、それに加わる怒号や悲鳴の数々、体は震え、気が狂ってしまいそうだった。
カレンが戦いの中で立ち止まり、どうしたらいいのか分からず、無闇に辺りを見回した。そこへ後ろから何かがやってきた。それはカレンを追い抜き、その瞬間に髪を乱す風圧が起こり、カレンは片腕で目を覆った。気づいたときには、漆黒の聖天馬が黒い翼を広げ、前方へ小さく離れていく姿が見えた。
「あれが、黒い翼のパトラ様・・・」
 今となっては、レイザード兵が最も恐れを成して戦いを避ける暗黒の騎士だった。
―わたしがレイザードの兵だとあの方にばれたら・・・。
そう思うと恐ろしさでカレンの心臓が鼓動を早くした。出来るだけ離れよう、そう思ったとき、カレンを戦慄させることが起こった。何とか聖天馬の姿形が見えるくらいまで遠ざかったパトラが、突然止まってカレンの方を向いたのだ。
「逃げなきゃ・・・」
 カレンは無意識に言っていた。黒い聖天騎士の姿は見る間に大きくなってくる。カレンは逃げたくても体が言う事を聞かない。逃げられない、そう本能が告げていた。黒い姿が目前まできた。カレンはパトラの姿を初めて見ることになった。自分よりもいくらか年上の凛々しい少女、黒に近い深みのある茶髪、鷹のように鋭い光を宿す鳶色の瞳、跨る漆黒の聖天馬は黒く巨大な翼を規則的に動かし、その額から伸びる鋭く尖った角は陽光に当てられて、磨き上げた黒曜石のように輝いている。
パトラから感じるある種の冷たさと何者をも凌駕する王者の意思が、圧倒的な力となってカレンをやり込めた。穏やかなはずの風が、木枯らしのように肌に鋭く冷たく突き刺さる。
「貴方はシアラルの飛天騎士ではないわね」
 見た目よりもずっと大人びた声がカレンの耳に届く。どうして分かったのか、パトラはそう切り出した。カレンは驚愕で瞳を大きく開き、歯を鳴らすほど体を震わせた。
「こ、殺さないで・・・」
カレンは泣きそうにぶれる声でこれだけ言うのが精一杯だった。パトラは少し目を細めて不可解な顔になった。
「もしかして、貴方は」
 パトラは言葉を途中で止めて、真上を見た。叫号が聞こえた。パトラを狙って一騎の翼竜兵が槍の先を真下に突き立てるようにして降りてくる。黒い翼を数回羽ばたかせ、パトラは後ろに飛び退くと、敵が目の前を通り過ぎていく。その翼竜兵は下方で弓なりの軌道を描いて上昇し、再びパトラに向かった。パトラの風に当てられて、金縛り状態になっていたカレンは、その機会に逃げ出した。
「待って!」
 パトラは呼び止めたが、逃げることに必死のカレンには聞こえなかった。それを追う暇も与えられず敵が襲ってきた。真下から突き出された槍に対して、パトラは真上に逃げる。ナイトメアは急上昇して、届きそうになっていた槍の穂先が遠のいた。敵は執拗に追ってきた。今度は逆に、敵に向かって突進するパトラ、瞬間に敵の眼前へ下降して、敵の周囲を縫うように半円を描いて翼竜の下側に回り込んだ。パトラは翼竜の腹部に槍を突き刺し、貫通した穂先は乗っていた敵兵の太腿まで届く。敵が苦痛に喚き、虫の息になった翼竜は羽ばたくのを止めた。翼竜と一緒に落ちていく男は、ナイトメアの足でも掴もうとしたのか、右手をいっぱいに伸ばしたまま徐々に下降していく。
それで終わりではなかった。新たな敵が正面から突っ込んでくる。パトラはわずかに左に動き、敵が槍を突くのと同時に自分も動いた。レイザード兵とパトラの槍が交差して、前者の槍はパトラの右腕をかすめ、後者の槍は目標の首を貫いた。敵は首の風穴から、軽く開けた蛇口のように大量の血を流しながら後ろに倒れて落ちた。
パトラが先ほどまで目の前にいた少女の姿を探したときには、もうどこかへ消えてしまっていた。
 ―あれがカレンだわ、間違いない。
 敵はまるでカレンを守るように襲ってきた。それがパトラに確信を与えた。しかし、真実がわかったところで、探すには乱雑とした戦場である。今のパトラには、無事にレインに会えるように、祈ってやることしか出来なかった。

 カレンは我を忘れて、一心不乱に逃げていた。パトラが自らを心配してくれているなどとは夢にも思っていない。辺りを包んでいるはずの戦いの音なども耳に入らないほどだった。天馬の翼は激しい羽ばたきを繰り返し、白い羽根を時々通り過ぎた空に残した。気づいた時には、前線からかなり離れたところまで逃げていた。カレンは黒い翼の脅威から解放されて、ほっとしながら辺りの状況を確認した。カレンの視線が釘付けになる。四人のレイザード兵に、飛天騎士の少女が囲まれていた。カレンは反射的に逃げようとして顔を背けたが、見えない力で引っ張られるように心が吸い寄せられた。恐れながらも近づいていくと、カレンの所属する隊だと知った。それに囲まれている飛天騎士はフィアーナだった。フィアーナは、自分の敵を強気に見据えているが、武器をなくしていて、槍で突かれたのか、左肩の辺りから血が広がっていた。流血は肩から左腕を伝い、肘の辺りまで届きつつある。翼竜兵の一人がカレンの姿に気付いて手招きをした。その男はカレンがやってくると言った。
「丁度いいところに来たな、お前に殺らせてやる」
 カレンは男が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。
「分かんねえのか、そいつを殺せって言ってるんだ」
 言ったのは隊長だった。カレンはようやく意味を悟り、恐れおののいた。彼らが平然と言うことが、恐ろしくてたまらない。体が震えだして止まらなくなった。
「安心しろよ、そいつは武器を持っていない、今なら簡単に殺れるぜ、その槍で胸を一突きすればいいんだ」
 カレンの震える理由を見当違いに解釈した隊長が言った。フィアーナはカレンのことを一瞬驚いたような目で見て、それから寂しそうに表情が沈んだ。
「あなたはレイザードの騎士なのね・・・」
 フィアーナの青い瞳に打たれ、カレンは心が締めつけられるように苦しくなった。フィアーナは目を閉じて言った。
「いいわ、やって」
 カレンは衝撃を受けた。自分と同い年くらいの少女が、殺してくれと言ったのだ。その姿は威風堂々としていて、まさに真の騎士だった。見た目だけならば、死ぬことに怖さを感じていないように見える。仲間たちは、それをバカにするように、薄笑いを浮かべて見ている。カレンは胸に抱くようにして後生大事に持っていた槍を、ぎゅっと両手で握った。
「苦しまないように、一思いにやってやれよ」
 やる気を見せるカレンに、仲間の一人が言って、それから覚悟を決める少女を見た。全員の注意がフィアーナ一人に注がれていた。カレンは槍を肩上から真直ぐ突き出るように構えた。どうしてそんなことをしたのか分からなかった。カレンの奥底で自分の声が響いてきたのだ、あの勇気ある騎士を、死を恐れない少女を助けたい!
「うわあああぁーーーっ@」
 絶叫が起こる、カレンは狙いを定めると、怖いものから目を背けるように両目を固く閉じ、天馬と一緒に思い切って突撃した。力いっぱい槍を突き下ろすと、空に響き渡る悲鳴と共に、重なり合う軟い肉と硬い骨を貫く異様な感触が槍を通して伝わった。カレンはすぐに槍を手放して離れ、そして目を開けた。かつて隊長だった男が、背中から槍の柄を突き出して、無残な姿を晒していた。レイザード兵たちは何が起こったのか理解できず、胸から槍の穂先を突き出す隊長とカレンを交互に見た。刺された隊長は、ゆっくりカレンの方に首を回した。
「お、おお、お前えぇっ・・・」
 男は虫の鳴くような声で言った後、嘔吐するように血を吐き出し、目に白い幕が張って、落下と共に青い空の海に向かった。
「てめえ!」
 残った三人は怒号と一緒にカレンを睨んだ。カレンは人を手にかけた恐怖と、男たちの放つ怒気で、見えない力で押えられるように動けなくなっている。
その時、戦いの風が変わった。カレンを襲おうとした翼竜兵の一人が、いきなり衝撃を受けてバランスを崩した。焦る男の視界の隅に、白い姿がちらりと映った。レイザード兵の注意から解かれたフィアーナが、天馬で体当たりを食らわしたのだ。男たちの注意が再びフィアーナに戻る。
「このおっ!」
フィアーナは別の一人に向かって、さらに突撃をかけた。狙われた翼竜兵は応戦する間もなくぶちかましを受けて、翼竜の甲高い叫びと一緒に激しくよろめく。フィアーナの懸命に奮闘する様子を、カレンは呆然と見ていた。
「このガキ!」
一人体当たりを受けなかった翼竜兵が、剣を真上に振り上げ、フィアーナに斬りかかろうとした。その瞬間、翼竜兵の横を白い影が通り過ぎた。すると、フィアーナを襲おうとしていた輩の首が、後ろから前にかけて半周分ほど割れて、傷から血が勢いよく飛び散り、横から吹き出る赤い噴水と化した。斬られた男は口を大きく開け、かっと目を見開いたまま横に倒れて落ちた。ようやく体勢を立て直した翼竜兵二人は、口を半開きにした間抜けな顔で、いきなり飛来してきた騎士を見た。彼女は聖天馬に乗り、特異な形の剣を横一文字に構えていた。レインである。
「姉さん!」
 カレンの希望に満ちた声は、残る二人のレイザード兵を驚愕させた。彼らは黒い翼の片腕、天剣士と相対することになってしまった。レインは逃げる間も与えず、敵の頭上に飛び上がった。そして真直ぐ急降下、運悪く狙われた翼竜兵の片割れは、ひぃという声を出して、攻撃を防ぐように反射的に槍の柄を頭上にかざした。その行為に意味はなかった。敵はレインの剣に槍ごと脳天から顎先まで断たれて即死した。
「ぬああぁっ@」
 突然、最後に残った敵兵が狂ったように叫んだ。そして獲物に向かって斬りかかる。獲物の名はカレン、苦し紛れの抵抗だった。
「やめろーっ!」
 レインが叫びながら妹を助けに向かった。しかし、敵との間には絶望という名の距離があった。予想外の展開にフィアーナも動くことができない。敵の怒りと狂気に満ちた顔は、まるで仁王のように歪んでいた。それがカレンの前で剣を振り上げる。カレンは時が止まったように動かない。ただ、残酷な虐待を受ける子猫のように縮こまっている。剣がカレンに振り下ろされんとしたとき、空気が唸った。それはカレンの頭上を通り、狂った男の眉間に深々と突き刺さった。男の動きは中途半端な状態で止まり、数秒後に剣を握ったまま前に倒れた。それとほぼ同時にレインが飛び込んできた。レインは妹の無事を確認すると、突然倒れた男を見た。翼竜の背中で前のめりになっていたので、眉間に刺さった矢は見えなかった。
「レイ〜ン」
 遠い声が聞こえた。声のした方でアルティナが手を振っている姿が見えた。何がどうなったのか理解したレインは、これ以上ない感謝を込めて手を大きく振り返した。
「ありがと!」
 レインに気づいてもらえると、アルティナは白い翼を広げて去っていった。レインは今なお怯えるカレンを見て、心の底から湧き出すような深い溜息をついた。
「見つけることが出来てよかったよ」
 カレンは混乱していた。自分が人を手にかけたこと、目の前でいきなり人が死んだこと、自らがもう少しで殺されるところだったこと、それらの恐怖が一群を成して、目の前にある歓喜を遥かに凌駕する力でカレンを苛んだ。
「どうしたの? もう大丈夫だから、ね」
 レインが近づいて、震えている妹の頭をなでた。それでカレンを縛る恐怖の鎖が解かれて、姉が目の前にいる安心感と喜びが溢れた。それらの感情が大きくなるにつれて、カレンの顔が歪み、茶色の瞳から涙が溢れた。
「こわかったよぉ〜っ」
「よしよし」
 カレンは小さな子供のように泣きじゃくった。レインは幼子をあやすように、妹の頭や背中をなでていた。
「その子がレイン隊長の妹だったんですね」
「そうよ、ってあんた怪我してるじゃない!」
 レインはやっとフィアーナの姿に気づいた。今まで気づいてもらえなかったフィアーナは少し苦々しい顔をした。
「隊長の妹に、危ないところを助けてもらいました」
「そうだったのか、あんた頑張ったんだね」
 褒められた当人は、応ずる余裕もなく、手の甲で濡れた瞳を擦るばかりである。
「パートナーのセリリはどうしたのよ?」
「それが、途中ではぐれてしまって・・・」
 フィアーナは顔に深い憂いを刻んだ。一度はぐれてしまえば、この乱戦で探し出すのは難しいだろう。
「その怪我じゃ、もう戦いは無理だ、あんたはこの子を連れてシアラルまで帰るんだ、わたしが安全なところまで送る」
 フィアーナは頷き、レインは二人を連れてシアラル方面へ向かった。戦場に放たれた無垢な雛鳥、姉に手を差し伸べられて、カレンはようやく事なきを得ることが出来た。


20 :四季条 ユウ :2008/10/15(水) 19:19:57 ID:nmz3rDnm

 戦場を駆け巡る獣、戦争と言う名の怪物をパトラは見ていた。前線においても、黒い翼を狙おうという敵は滅多にいなかった。それゆえに、パトラは戦場を垣間見ることができる。遠くに見える、ペガサスと共に落ちてゆく乙女、もう助けに向かっても間に合わない。ゆっくりと、まるで息絶えた揚羽蝶のように、ゆっくりと落ちていく。
パトラの近くを、すでに主を失った天馬が通り過ぎた。これからどこへ行くのだろうか、白い翼を羽ばたかせる後姿が寂しげだった。野良になってしまった天馬は、もういくつも見ていた。
ふと視線を巡らせれば、天馬に跨ったまま、槍が背中に突きたてられた乙女が目に入る。もうすでに息はなく、天馬の首に縋るようにして死んでいた。
今までの常勝では味わえなかった戦いの重みが、否応なしにパトラを攻め立てた。
 ―1人でも多くの仲間を助けなければ。
 パトラはそれだけを考えて、次々と押し寄せる業苦の波をはねつけた。彼女は黒い風となって天駆ける。前線で苦戦している仲間を助けていくが、間に合わないこともあった。
 一騎の聖天騎士が竜騎兵と戦い、劣勢を強いられていた。パトラはそれを見つけて助けに向かったが、一対一で戦っている聖天騎士の後ろから、別の竜騎兵が近づいてくる。パトラは険しい顔になり、ナイトメアに手綱で鞭を入れた。
―死なせるものですか!
 パトラの必死の思いはナイトメアにも伝わり、これ以上ない速さで飛んだ。しかし、それも虚しい行為に終わった。後ろから来た竜騎兵の槍が、目の前の敵と必死に戦っていた聖天騎士の乙女を貫いた。耳を劈くような女の悲鳴が上がる。槍は背中から腹部に抜けて、女は自身を突き抜ける赤く染まった鋭い穂先を、苦痛に歪んだ瞳で見た。さらに今まで戦っていた目前の竜騎兵が槍を突き立てた。それは女の胸を貫き、彼女はううっという呻き声を出した。二つの槍は同時に引き抜かれ、女は聖天馬の首にもたれた。
すぐ側まで来ていたパトラは、竜騎兵たちの残酷な仕打ちに、ぐわっと怒りが燃え上がった。ようやく獲物を仕留めた竜騎兵の真上を、黒い影が覆った。見上げると、黒い聖天馬に乗る少女が、両手で槍の柄を握り締める姿があった。戦慄が走る、パトラは急降下して、薪に斧を入れるように、力いっぱい槍を突き下した。血の霧が舞い、それがパトラにも降りかかった。槍は竜騎兵の右目に深く突き刺さり、脳髄まで破壊した。聖天騎士の胸を刺した竜騎兵は、わずかな時間だが苦しみ抜いて絶命した。
「貴様っ!」
 もう一人の竜騎兵が、槍を前に出したまま、パトラに突っ込んできた。パトラはやって下さいと言わんばかりに止まっていたが、竜騎兵の槍が届く直前で右に飛び、攻撃をかわされた竜騎兵が慌てて方向転換している間に、真横から強襲して槍で首を貫いた。聖天騎士を後ろか襲った卑怯者は、舌出し、目を大きく開いたまま青い地獄へ落ちる。パトラはすぐに瀕死の仲間に近寄った。
「しっかりして」
 馬上の女は、顔だけを上げてパトラを見た。歳は二十そこそこ、肩上までの金髪を持っていた。傷口から溢れ出る血で体は真っ赤に染まっている。彼女はパトラの姿を見ると笑った。
「パトラ・様・・・」
 声に出すことが出来たのはそれだけだった。女は右手が鉛にでもなったように、酷く鈍い動作で上げていく。パトラは血染めの右手を、両手で包むように掴んだ。女は苦しいはずなのに、終始柔らかな笑みを浮かべ、青い瞳でパトラに何かを語りかけていた。彼女は聖天馬の首に再びもたれると息を引き取った。
「ああっ・・・」
 パトラは大空に助けを求めるように上を仰いだ。まだこれからだというのに、光ある未来を戦争という魔物に狩り取られた美麗の騎士が、心をえぐるような悲しみを突きつけた。パトラは悲しみを吹っ切るように激しく頭を振り、死んだ女の乗る聖天馬に言った。
「お前、ご主人様をシアラルまで連れて行っておやり」
 聖天馬は冷たくなった主を乗せて、パトラの言うことに従うように、シアラルの方向へ翼を進めた。
 ―これは戦争、人が死ぬのを一々気にしていてはっ!
 パトラは自らの精神を無理に鼓舞して空を駆ける。もう何も考えず、ただ敵を探し求めた。レイザードの翼竜兵が視界に入ると、パトラは呪文のような言葉を紡いだ。
「如何様な事があろうとも、殺める者、地獄へ落ちるなり、人の命を奪うこと、最も深き業なり」
 敵の翼竜兵は、後ろから迫る黒い翼に気づくと、慌てて鞭を入れて逃げ出した。恐らく大陸で最も早いであろう聖天馬から逃げ切れるはずもなく、瞬きする間に追いつかれてしまった。
「うわあああっ@」
 漆黒の聖天騎士が間近になると、懸命に逃げる男は、余りの恐怖に叫んだ。パトラは男の恐怖などまるで感じていないように、冷たく固まった表情をしていて、男の背中に槍を突き立てた。空気を震わす苦痛の乗った悲鳴、心臓を狙っていた槍は、少し下にずれて肺を潰していた。パトラにしては珍しく仕損じた。
「助けてっ! お母さん! 痛い、痛いよ! お母さん、助けて、助けてくれよぉっ!」
 まだ息のある男は、命の続く限り叫んだ。余りある苦痛を訴える叫びでもあり、愛する者に助けを求める叫びでもあった。それがパトラに凄まじい衝撃を与える。心を落ち着ける暗殺者の呪文など、いとも簡単に打ち砕かれた。パトラは槍を慌てて引き抜き、男の前に回った。翼竜に乗っていたのは、歳はパトラとさほど変わらぬ少年だった。少年は胸にあいた穴を両手で押さえ、激しく咽て血を吐き出す。パトラは何をする訳でもなく、ただ呆然と少年のことを見ていた。
「母さん、会いたい・・・」
 少年の体から力が抜けて、体が前に伏せた。パトラは動かなくなった少年を見つつ、目を細めて一筋の涙を零した。
 ―これが戦争、敵も味方も同じ、あらゆる命が魔物に食い尽くされ、消えていく・・・。
 パトラは飛んだ。ナイトメアは出しうる限りの速さで宙を走った。
 ―戦争よ、この世界で最も恐ろしい魔物よ、もう止めて、これ以上わしたちを苦しめないで、お願いだからどこかへ消えて!
 パトラは心で戦争を罵りつつも、しっかり助けが必要な仲間を探していた。敵がやってくる限りは戦うしかないのだ。
「きゃーーーっ@」
 突然、上から悲鳴が起こった。パトラが見上げると、少女が天馬に跨ったまま落ちて来た。少女は傷ついていないが、天馬の方が何かで首を貫かれていて、もう飛ぶ力がない。少女と天馬はパトラのすぐ近くを過ぎった。
「ナイトメア!」
 パトラが叫ぶと、ナイトメアは全てを理解して落下していく少女を追った。頭を下に広がる青い雲海に向けて、ほとんど垂直に飛んで下降した。凄まじい速さで、垂直に近い角度にも関わらず、パトラの茶髪と背中の黒いマントは後ろに流れた。落ちていく少女にぐんぐん追いつき、パトラは右手を伸ばした。
「つかまりなさい!」
 少女も手を出した。二人は懸命に腕を伸ばす。もう少しで互いの手が触れ合おうというとき、少女の落下する早さがナイトメアの速力を上回り、近づいた二人の手が少しずつ離れていく。
 ―もう誰も死なせたくない!
 パトラは必死の思いで手を伸ばした。少女の姿が離れていこうとも、決して諦めなかった。その気持ちが伝わるかのように、白い翼が開いた。少女の乗っている瀕死の天馬が、最後の力で何度か羽ばたいた。ナイトメアが一気に追いつき、パトラは少女の腕をつかんで力いっぱい引き上げた。主を失った天馬は、力尽きて錐揉みに雲海へと落ちていく。少女は漆黒の背中から、大切な友の最後を見下ろしていた。
「ありがとう・・・」
 少女は涙ぐんでいた。それから首を捻って真後ろのパトラを見た。
「ありがとうございます、パトラ様に助けて頂けるなんて思いませんでした」
「助けるに決まっているわ、仲間だもの」
 少女はまだ十二か十三くらいにしか見えなかった。ショートの銀髪に、くりっとした銀色の瞳、小動物のような可愛らしさを感じる少女だった。
「名前は?」
「ララシルです」
「しっかりつかまっていなさいララシル、このまま戦うわよ」
 今の戦況でパトラが欠けることは、敗戦を招きかねないことだった。ララシルをどうにかする暇などない。
ナイトメアが黒い翼を広げて上昇する。戦線に戻ると、パトラは一転して敵の標的にされた。ララシルという重荷を乗せている為であった。パトラはナイトメアを巧みに操り、襲い来る敵を突き倒していった。しかし、動きに切れがない。重くなったこともあるが、ララシルが落ちないように激しい動きを控えている。ララシルはパトラに守られながら、ナイトメアの首にしがみついていた。次々と襲ってくる敵も怖かったが、何よりもパトラのことが心配だった。
「黒い翼、もらった!」
 声とともに、いきなりパトラの目の前に竜騎兵が下りてきた。敵は来るなり即座に槍を突いてきた。パトラは半身を捻ってそれを避ける。敵の槍がララシルの体を掠めるように過ぎる。ララシルは目を瞑り、恐怖に耐えていた。パトラはカウンターで突きを放ち、敵の喉を貫いた。喉をやられた竜騎兵は、自ら両手で首を絞めるような動作をして、眼球が一点を見据えて動かない。制御を失った飛竜は、死を間近にした男を乗せたまま、あらぬ方向へ飛んでいった。
「うっ」
 パトラが妙な声を出したので、ララシルは後ろを振り返った。パトラは左の脇腹を押さえ、そこから血が滲んでいた。
「パトラ様!」
「かすり傷よ」
 パトラは歯牙にもかけぬように言った。その時、突然、ララシルの体が横に倒れた。パトラは驚きつつも、落ちそうになっていたララシルの体を抱きかかえる。
「何をしているの!」
「わたしを捨てて下さい、でないと殺されちゃう」
「そんな事をもう一度でも言ってみなさい、承知しないわよ」
「・・・申しわけありません」
 パトラの怒りを抑えた声で、ララシルは圧倒されると同時に、嬉しさで涙が出てきた。見習騎士を、一国の王女が命懸けで守り、本気で心配してくれる。ララシルはこの瞬間に、パトラに一生ついていこうと心に決めていた。
「貴方は自分が生き残ることだけを考えなさい」
「何かわたしに出来ることはありませんか?」
「そうね」
 パトラは少し間を置いて言った。
「二人とも生きて帰れるように祈っていてちょうだい」
 パトラは少女一人を乗せたまま、最後まで戦い抜いた。ララシルは黒い翼の勇士を目の前で体験したが、それよりもパトラの優しさと仲間を思う心に感動を覚えた。パトラは自分のことよりも、仲間を助けることを優先する。それは結果的に、勝利に繋がる大きな要因となっていた。

「戦況は不利か」
 レイラは厳しい顔をしていた。矢継ぎ早に来る伝令を総合すると、どう考えても分が悪かった。レイザード兵はよく戦っているが、最初の挟撃が効いていた。レイザード軍の受けている被害は、シアラル軍よりも大きい。
「このまま続けても被害が増えるだけだな」
 レイラは周りにいる伝令兵を呼んで言った。
「撤退する」
 伝令兵が散開すると、レイラ自らも戦場を駆けて撤退を呼びかけた。その時、レイラは出会ってしまった。最愛の弟子、今は黒い翼の片腕となっている天剣士レインに。二人はまるで運命の操作でも受けているように鉢合わせになった。レインはかつての師を前にして呆然と固まり、レイラは古き良き弟子を厳しく見据えた。レイラの周りにレイザード兵が何人か集まってきたが、レイラは要らないと言うように手を振って追い返した。
「カレンは見つかったのか」
「・・・はい」
「そうか、それは残念だ」
「なんですって?」
 レイラの不可解な言葉に、呆けていたレインの表情が急に鋭くなった。
「わたしがカレンを戦いに引き出したのだ」
「そんな、そんなはずない、レイラ様はそんな酷いことはしない」
「戦争だ、勝つ為に手段は選ばない」
「どうして! 貴方ほどの人がそんなことをするなんて!」
「戦争は人を狂わすのさ」
 レイラは手に持っていた槍を後ろに放り投げた。そして腰の帯剣を抜く。
「どれほど腕が上がったのか試してやろう」
 レインは剣を片手で正眼に構えた。空いた方の手で手綱を引くと、聖天馬の白い翼をはためかせ、レイラに向かっていった。
「てやああっ!」
 縦一文字に銀光が走り、甲高い快音が響く、レイラは剣を横に寝かせて、レインの攻撃を受け止めていた。二つの剣がレイラの前で交差して、整った顔に影の十字架を刻んでいる。レイラは表情に厳しさを深く刻むと、レインの剣を弾き返して、逆に打ち込んだ。右、左と息をつく間もなく襲い来る斬撃を、レインは一つ残らず叩き落とした。反撃は突き、レインの剣がレイラの頬を掠める。ついでに少し黒味のある金髪が幾らか斬られて、それらは風に乗って空を舞った。一進一退、どちらも引き下がらずに、剣の闘舞を見せた。
「よくここまで成長したものだ」
「貴方がわたしの人生に光を与えてくれた!」
二人は剣を合わせながら称えあった。相変わらず険しい顔のレイラに対し、レインは苦しさと悲しさを半々に混ぜたような複雑な表情をした。しかし、それはすぐに真摯の色で掻き消された。
撤退を始めたレイザード兵たちは、師弟の戦いに遭遇すると、後ろ髪を引かれて何度も振り返った。シアラルの騎士たちは追う側で余裕があるので、遠巻きに二人の戦いを眺めている。
このままでは勝負がつかないと見るや、レインが戦法を変えた。聖天馬の機動性を生かして、レイラから離れては左右後方に回り込み、剣激を浴びせた。レイラの飛竜では方向転換して対応するのがやっとで、レインの操る聖天馬の動きに翻弄された。さらに打ち合いが長引くに連れて、レイラの方が押されてきた。わずかな実力の差が、時間の経過と共に顕著に現れてきたのだ。レイラが防戦一方になると、レインは素早く斜め上に上昇して、降下と共に渾身の一撃を打ち下ろした。レイラの剣を持つ右手が、衝撃と同じ方向にもっていかれた。なおレインの追撃、レイラは体勢を崩した状態で鍔元を打たれ、剣が叩き落された。レイラの剣は回転しながら遥か下へと落ちていく。一瞬、二人の時が止まり、沈黙した。
「剣ではもう敵わぬか」
 沈黙を破ったレイラ、敗北にもかかわらず、どことなく嬉しそうな微笑を浮かべている。
「お前の勝ちだ、斬れ」
 レインは唇を一文字に結び、レイラを見つめていた。瞳は次第に赤らみ煌いた。涙が滲んでいるのが一目で分かる。
「わたしは信じない、レイラ様がカレンを利用するなんて、信じるものかっ!」
 レインは怒りとも悲しみともつかない感情に支配され、言葉を叩きつけてレイラの前から飛び去った。周りで見ていたシアラルの騎士たちも、レインの後に続いていく。
「レイン、悲しいな、戦争など・・・」
 レイラは言った。去っていく白い騎士たちを見ながら、瞳には湖の底を思わせるような、深い悲哀の光を宿していた。


21 :四季条 ユウ :2008/10/19(日) 07:54:04 ID:nmz3rDnm

 戦場から離れた空域を、シアラルへ撤退中の天弓騎士団が飛んでいた。その先頭を遮るように、一騎の飛天騎士がやってきた。
「止まって! 止まって下さい!」
 いかにも火急を装った飛天騎士はセリリだった。この大人しい少女が、戦況を覆す嵐を起こすことになる。
「パトラ様の命令で追って来ました。天弓騎士団に参加してもらいたい作戦があるので、ついてきて下さい」
 誰一人としてセリリの言葉を疑う者はいなかった。真面目で純粋なセリリは、誰からも好かれていた。その上、パトラにも気に入られていたので、騎士たちが彼女の言葉を信じるのは当然だった。天弓騎士団はセリリの後に続いた。
 セリリを追う天弓騎士団はしばらく飛んでいた。作戦に参加するという話とは裏腹に、戦場とは逆の方向に進んでいる。天弓騎士たちは、何か意図する事があるのかと思ったが、次第におかしいと思い始めた。一人が疑問を投げかけようとしたとき、セリリは止まって天弓騎士団と向かい合った。先頭の列にいた天弓騎士たちは一様に怪訝な顔をした。セリリ瞳から頬にかけて、光の筋が出来ていた。何故泣いているのか、理由は誰にも分からない。
「レイザード軍!」
 誰かが声を張り上げた。いつの間にか天弓騎士団を囲む円形の陣、竜に乗った兵士たちが円を狭めつつ近づいてくる。その数千近く。天弓騎士団だけではどうにもならない数だった。狩人の乙女たちは、泣き続けるセリリを哀れんだ。涙のせいなのか、不思議と裏切り者を憎む気持ちにはなれなかった。

空舞、激闘・・・END


22 :四季条 ユウ :2008/10/19(日) 08:26:30 ID:nmz3rDnm

七章 青竜の王

 当初、一万二千いたレイザード軍の兵力が、度重なる敗戦で六千五百にまで減っていた。ほとんどがシアラル飛天騎士団にやられている。一方、シアラル軍の方はどうかと言うと、兵力は五百も減っていない。相手は少女や女ばかりの軍隊である。レイザード軍の人間は、恐ろしい魔物でも見ているような気分だったろう。
「期待に副えることは出来なかった、どのような処罰でも受ける覚悟だ」
「そうでもないさ、期待通りだ」
 膝をついていたレイラは、もの問いたげな顔で玉座のアルシャードを見上げた。
「こちらは千近い兵を失った、シアラル軍に与えた被害は、悪くてその半分程度だろう」
「それだけやれれば十分だ、あいつには相当堪える」
 レイザード軍は先の戦いで負けた。それにもかかわらず、アルシャードは満足気に薄笑いを浮かべていた。
「情報に食い違いがあった」
「いや、情報に間違いはないはずだ、恐らくパトラが直前で作戦を変えたのだ」
「内通者の存在に気づいていたというのか・・・」
「それはないな、パトラがあれを内通者だとは思うまい、俺はそういう奴を選んだ」
「では何故」
「英雄の勘というやつか、あいつは俺の意図を心で感じ取った、そうとしか言い様がない」
「天分の才か・・・」
「この大陸で俺に対抗できるのは、あれしかいない」
 アルシャードは笑みを広げて、突然、鼻で笑い出した。さも面白そうで、今にも大声を出して笑い出しそうに思えた。レイラは訝しい顔をした。アルシャードのそんな姿を見るのは初めてだった。
「シアラルはもう終わりだ」
「どういうことだ?」
「地下牢へ行ってみろ、面白い客が来ている、それともう一人、おい入ってこい」
 アルシャードが呼ぶと、青髪の少女が入ってきた。少女は下を向き、見ているだけで憐憫を誘うような、重い悲しみを背負っていた。レイラは立ち上がって言った。
「お前はセリリ、帰っていたのか」
セリリは俯いたまま何も言わない。
「そいつは役に立った」
 アルシャードはセリリに向かって、便利な道具でも見るように、無感情な視線で刺した。
「お前はシアラルを裏切った、しかし心はシアラルの騎士であるままだ、その純粋無垢な心が隠れ蓑になり、パトラを欺くことが出来たのだ」
 アルシャードの無慈悲な言葉がセリリの心を傷つける。セリリは両手で顔を覆い、必死に耐える細い声で泣き始めた。そして、糸の切れた人形のように両膝をついて蹲った。
「約束通り、母親の病気は大陸中の医者を集めてでも治してやる、もう下がるがいい」
 レイラがセリリを優しく抱き起こし、付き添ったまま出て行った。一人残ったアルシャードは、セリリの残していった悲しみを嘲笑うかのように微笑していた。

 シアラル城、玉座の前に、返り血にまみれた少女たちが集まった。パトラ、レイン、シェーレの三人である。彼女らが討った敵の数は知れない。
「ご無事で何よりです」
 シェーレはパトラの無事を喜び、それをよそに、レインは気持ち悪そうに、血で固まった髪を触っている。
「あーっ、早く体流さないと呪われそうだよ」
「一休みしたら、被害の報告を」
 パトラが二人に向かって短く言った。さすがの彼女らも疲れきっていて、それ以上は何も言わずに出ていった。
 パトラは浴室に入り水を浴びた。一糸纏わぬ肢体には、所々に血が付いていて、体を洗い流した水はしばらく赤みを帯びていた。脱ぎ捨てた服など、血で汚れて使い物にならない程だった。
 パトラは新しい服に着替えると、髪も満足に乾いていない状態のまま、玉座に腰を下ろしてうとうとした。眠るつもりはないのだが、溜まった疲労がまどろみへと誘う。しばらくは静かだった。誰もが束の間の休息を取っている。玉座の後ろで開け放たれた窓から、肌に心地よい清涼な風が入り、時折聞こえる遠い声が、丁度良い子守唄になった。
 最初にパトラの前に現れたのはシェーレだった。
「ご苦労です」
 シェーレは会釈をすると、機械的に言った。
「今回は相当やられています」
「ええ、分かっているわ・・・」
「ざっと見て四百から五百というところです、戦死者の詳しい数はパルテノ様が調べています」
「そんなに多くの騎士が・・・・・・」
 パトラは俯き加減で、呆然としたように赤い絨毯を見ていた。そこへ、レインとパルテノが一緒に入ってきた。いつものパトラなら玉座から立ち上がり、訪問者と同じ敷居に立って話を聞くのだが、今はその気力もないのか、玉座に座ったままだった。やって来た二人は、パトラの前に跪き、パルテノが詳しい報告をした。
「戦死者、行方不明者の数は合わせて四七九人です、まだ帰っていない者がいるとしても、落とされた騎士は四百を超えるでしょう」
「そう・・・戦死が確実な人は、その家族に手紙と報奨金を送ってあげて」
パトラは悩まし気に片手で顔を覆っていた。長い髪がカーテンのように垂れ下がり、パトラの表情を遮る。
―そんなものが何の役に立つというの、どんな事をしても、大切な人を亡くした悲しみは癒えない。
海のごとく深い苦悩が空間を満たして、その場にいる者たちは、パトラの気持ちを肌ではっきりと感じた。だが、パトラを苦しめるものは、それだけに止まらなかった。最後に入ってきたアルティナが、悲愴な事実を告げた。
「パトラ様、天弓騎士団が・・・壊滅しました」
「何ですって!」
 パトラは思わず立ち上がり、アルティナを真直ぐ見つめた。他の隊長たちにとっても衝撃の出来事だった。
「一人だけ逃れてきました、裏切り者によって敵の罠にかけられたそうです」
「裏切り者とは誰ですか」
「・・・セリリです」
「セリリ・・・あの子が・裏切り・・・」
パトラは全身から力が抜けて、後ろへ倒れるように、玉座に体を預けた。
 ―可哀想なセリリ、一心にわたしを信じてくれていた、今もその心は変わらないはずなのに、それでも裏切らなければならなかったのね・・・・・・。
パトラは、セリリを恨みはしなかった。それどころか、セリリの心の痛みを思い、悲しみに浸った。同時に、己が内に強く輝いていた希望と言う名の光が消えていった。そして、破滅へと続く闇が時と共に広がり始めた。
「降伏します」
ぽつりと囁くような声で言うパトラ、驚愕する全員の視線
が集まった。
「今、何と?」
 シェーレがまったく分からないという顔をして言った。
「もう勝てる見込みはありません、降伏します」
顔を上げたパトラは、いつものように冷たい平静を取り戻し、何も感じていないような表情をしていた。シェーレはその態度に激しい憤りが燃え上がった。
「ふざけないで下さい! ここまで来て降伏とは、一体どういう了見ですか!」
「勝てない戦いをするのは愚かだわ」
「確かに天弓騎士団の損失は痛手ですが、まだまだレイザードに対抗する戦力は残っています!」
「そういうふうに見えるだけよ」
「おっしゃっている意味が分かりません」
 シェーレは憤然とパトラを睨んでいる。パトラはその場にいる全員の顔を順番に見ていった。
「わたしたちは、団結によって、一の力を三にも四にもして戦ってきたのよ」
 パトラは両目を瞑り、その場に凍りつくような沈黙がやってきた。パトラは目を閉じたまま、薄く張った緊張の氷層を破る。
「裏切ったのがセリリでなければ救いがあったわ、セリリは真面目で誰からも信用されていた、それだけに彼女の裏切りによる波紋は大きい、すでに騎士団内で仲間への疑いが生じているでしょう、団結の鈍った状態では一かそれ以下の力しか出せないわ、戦ったら必ず負けます」
「何とか騎士たちをまとめられないの?」
 レインが言うと、パトラは頭を横に振って否定の意思を示した。
「時間をかければ可能だけれど、すぐには無理ね、レイザード軍は待ってはくれないわ、今頃こちらへ向かっているはずよ」
「何故そんなことが分かるのですか?」
 とパルテノが怪訝な顔をした。
「これは計算されていたことなのよ、アルシャードはどうすればシアラル軍が潰れるのか知った上で、セリリを送り込んだに違いないわ、だとすればこの機を逃すはずもない」
 パトラの言葉の中に真実を見出した隊長たちは、もはや何も言えなかった。誰もがアルシャード王の、壮麗な山脈を見上げるような巨大な存在感に畏怖した。
「たとえ負けるにしても、ここで引き下がるのは騎士の名折れです、最後まで誇りを持って戦うべきです」
 シェーレは憤怒を沈め、冷静な声に強固な意志を込めて言った。それを寂し気に見つめるパトラが言う。
「誇りの為に命を捨てる、貴方は一流の騎士ね」
「パトラ様には及びません」
「そう、わたしも騎士です、しかし騎士である前に、わたしは一国の王女であり、一人の人間です、王女として民衆を危険に晒すようなことは出来ません、人間として仲間を犬死などさせません」
 圧倒的な力を持った言葉だった。シェーレは言うに詰まり、再び沈黙が支配した。しかし、シェーレの心で燃える激情の炎は消えず、次第に熱が高まり、そして爆発した。
「それでは今まで死んでいった人々はどうなるのですか@ ミネア様を始めローランでは一万近い犠牲が出たのです! 先の戦いでも数百という騎士が落とされました! これでは死んでいった者の魂は浮かばれません!」
「もう止めな!」
 シェーレの罵声をレインが遮った。互いの大声が部屋に余韻を残した。
「そんなことはパトラが一番良く分かってる、それでも降伏するって言ってるんだ、誰が一番苦しいんだよ!」
 シェーレは苦虫を噛むような顔になり、パトラの前に身を投げて跪いた。
「少々、興奮してしまいました、数々の非礼をお許し下さい・・・」
「謝る必要はないわ、シェーレがそう言うのは当然のことよ」
 パトラは玉座を立ち、少しふらつきのある足取りで歩いた。
「降伏の旨を騎士たちに伝えて下さい・・・」
 扉に手を当てて弱々しく言うと、そのまま出ていった。レインも少し遅れて部屋を出て、密かにパトラの後をつけていく。パトラは自分の書斎に入っていった。レインは書斎の扉の前に立ち、そのまま一歩も動かなかった。
 パトラは書斎の机に両手を付き、しばらく椅子に座って呆然としていた。
『今まで死んでいった人々はどうなるのですか@』
先ほどのシェーレの声がパトラの中で反響する。鳶色の瞳に涙が満たされて輝くと、表情が険しく変わった。
「ええいっ!」
 投げやりな叫びと一緒に、机の上にあったものが、パトラの手で洗いざらい横に流され、床に落ちた。数冊の本がばらけて、インクの入った小瓶が割れて黒い液体が飛び散り、その傍らに羽ペンが転がった。パトラは何もなくなった机の上に突っ伏して体を震わせる。顔を包み込む腕の間から泣き声が漏れた。
 ―こんなことになるなら、最初から降伏するべきだった、余計な抵抗をしたばかりに、沢山の人を死なせてしまった・・・・・・。
 敵味方問わず、今までパトラの前で死んでいった人々が脳裏を駆けていく。最後まで仲間を助ける為に戦い抜いたミネア王女、草原で息絶えたローランの乙女たち、天に帰っていったミーナ、死ぬ間際に笑いかけてくれた聖天騎士、最後に母を呼んだ敵の兵士、無念の中で息絶えた仲間たち、パトラは彼らに何度も心の中で謝り、自分を責め続けた。そして、戦いにおける全ての非を自分に求めて悶え苦しんでいた。
 レインはただ扉の前に立つのみ。そこに赤い制服を着た小隊長クラスの騎士たちが現れた。ほとんど全員の小隊長が集まっていて、廊下は赤い色で埋め尽くされた。レインは真紅の軍団の前に立ちはだかる。
「何の用だ」
「わたしたちは最後まで戦いたいのです、それをパトラ様に訴えるべく参りました」
「今は駄目だ! 何かあったらシェーレにでも言いな!」
「しかし・・・」
「ほら、今言った通りだ、帰った帰った」
 渋る小隊長たちを、レインは半ば無理矢理に退散させた。そうして再び扉の前に立つと、また人の気配がした。
「今度は何だよ」
 と相手に粗暴な言葉を投げたとき、レインははっと息をのんだ。
「王様!」
 レインに近づいてきたのはロディン王だった。
「わたしは追い出さないでもらいたいな、レイン」
 ロディンは柔和な笑顔を湛えていた。パトラと同じ鳶色の瞳にも優しさが満ち溢れている。その姿を見ると、レインは抱え込んでいた不安が氷のように溶けて、胸の奥を温かくしてくれるような安心感に包まれた。
「王様、このままじゃあの子、駄目になっちゃうよ」
「大丈夫だよ」
 ロディンは笑顔をレインに向けると、扉を開けて書斎に入っていった。
 パトラの嗚咽はいよいよ激しくなり、胸の痛くなるような空気が書斎を埋め尽くしていた。ロディンは愛娘に近づき、そっと肩に手を添えた。
「あまり自分を責めるものではないよ」
 パトラは椅子から飛び出すようにして、父の胸に抱きついた。
「お父様・・・パトラは挫けてしまいそうです」
 ロディンは娘を抱き寄せると、後ろ髪をなでて語りかけた。
「お前が何で泣いているのかは分かっているよ、よく聞きなさい、レイザード軍はアルシャード王と将軍たちとの折り合いが悪かった、シアラルとローランが最初から降伏などすれば、内部分裂が起きていた、バラバラになったレイザード軍は暴徒と化し、今よりもっと多くの人々が犠牲になっただろう、五万にも十万にも及ぶ人が殺されたはずだ、お前が立ち上がったからこれだけの犠牲で済んだのだよ」
 父の胸に抱かれて安心したのか、パトラの嗚咽は少し落ち着いてきた。ロディンそれを感じながら微笑のまま話を続けた。
「わたしはお前を慰める為に言っているのではない、これは間違いなく存在し得た、もう一つの事実なのだ」
 ロディンにしばらく抱かれていると、パトラはすっかり嗚咽が消えて、時々体を震わせる程度になった。
「どんな事になっても、希望を失ってはいけないよ、お母様も言っていただろう、さあ後のことはわたしがやるから、お前は少しお休み」

 玉座の間に小隊長の女騎士たちが詰め掛けていた。シェーレとパルテノが居並ぶ最前列と向かい合い、談判が始まろうとしていた。
「我々は隊の代表として馳せ参じました、一騎残らず最後まで戦う所存でございます、シェーレ様とパルテノ様の意見をお聞かせ願いますか」
 一番前の一人が言った。それにシェーレが答える。
「貴方たちの気持ちはよく分かるわ、しかしパトラ様が決めたことです、わたしは命令に従います」
「右に同じ」
 パルテノが微笑しながら言う。一見どうでもいいような態度に見えるが、シェーレに全てを任せるという合図である。小隊長たちは納得のいかない様子だった。
「パトラ様は今までに誤った選択をしたことはありません、わたしたちには見えないものが、パトラ様には見えているのです」
 一呼吸の間が空く、シェーレには珍しい、穏やかな微笑が浮かんだ。
「これは個人的な話だけれど、わたしはパトラ様を一人の人間として尊敬しています、命を預けるに足るお方だと思っています、ですからパトラ様をどこまでも信じていきます」
 今までの刺々しい空気が、ふっと消えた。玉座の前に整列する女たちは、沈んだ雰囲気に包まれていた。誰もがシェーレと同じ気持ちだった。
「話はついたようだね」
 男の声が聞こえてきた。
「ちょっとごめんよ」
 と言いながら女たちの間を通ってロディンが現れた。後ろにはレインがついている。
「王様A」
 シェーレは目を丸くした。
「覚えていてくれたかね」
「当前です・・・」
「しばらく顔も見せていないので、忘れられているかと心配していたのだよ」
 ロディンはゆっくりした動作で玉座に腰掛けた。
「さて、小隊長殿には悪いが、ご退場願うとしよう」
 小隊長たちが部屋から出て行いくと、ロディンは三人に言った。
「まずはレイザード軍に使者を送ろう、誰か頼めるかね?」
「わたしが行きます」
 レインが前に進み出た。
「わたしは以前、レイザードにいたことがあるし、レイラ様とも顔見知りです」
「うん、確かにお前が適任だな、じゃあ頼んだよ」
 ロディンは懐から書状を出してレインに渡した。レインは一礼して、急ぎ足で出て行く。ロディンは見えないところで事の成り行きに気を配っていた。いつでもパトラを助けられるように用意を整えていたのである。
「残った隊長は、部下の様子を見ていてほしい、今は不安定な状態で何が起こるかわからないからね」
 シェーレとパルテノは敬礼して出て行った。ロディンは長く息をはき、体から力を抜いて目を瞑った。
「さて、これからどうなる事やら」


23 :四季条 ユウ :2008/10/20(月) 23:16:46 ID:nmz3rDnm

 レインが任務を終えて帰ってきた時には、パトラが玉座にいて、王の姿は消えていた。
「早かったわね」
「もう大丈夫なの?」
「ええ、心配をかけてしまったわね」
「あんまり無理するんじゃないよ」
「ありがとう、レインには感謝しているわ」
 レインは笑顔で頷き、それから神妙な面持ちになった。
「あんたが言った通り、レイザード軍がこっちに向かってきてた、アルシャード王が全兵力を従えてね」
「そうでしょう、向こうは何か言ってきた?」
「こっちに使者を送って返事をするってさ」
「そう、わかったわ、もう敵が攻めてくる心配はないから、貴方はゆっくり休んでちょうだい」
「うん、そうさせてもらうよ」

 シアラルの降伏は、城下街にも広まっていた。街は成り行きに対する不安と、戦いの終わった安堵で、微妙な空気に包まれていた。シアラル軍では、レイザードから使者が来るまでの間、休暇が与えられた。乙女の騎士たちは肩を落とし、気の抜けたようになり、中には悔し涙を流す少女もいた。
虚しい休日が幾日か過ぎると、シアラル城にレイザードからの使者が訪れた。使者のもたらした書状には、驚くべき内容が記されていた。
「何だこれは?」
 レインが書状に目を通しながら怪訝な顔をした。パトラは玉座にいて、他の隊長たちも集まっている。レインは読み終わった書状をパルテノに渡した。
「明日、シアラル軍の装備を解除して、城下街の上空に集める、パトラ様だけは武器を持つ事を許す・・・」
 パルテノは重要と思えるところだけを要約した。
「まさか、わたしたちを皆殺しにするつもりなんじゃ・・・」
 アルティナは怯えた目をしていた。パトラは首を横に振る。
「そんな事をしても何の得にもならないでしょう、アルシャードは無意味な殺しなどしないわ」
「とにかく明日を待つしかないですね」
 シェーレの言うように、降伏した今となっては、向こうの指示に従うしかなかった。

 翌朝、武器を持たない白翼の騎士たちが飛び上がり、城下街の上に白い屋根を作った。それを見上げる街人たちの心は、恐れと不安に縮み、手を振る余裕もなかった。それは空に上がる騎士たちも同様だった。シアラル軍の先頭、異彩を放つ黒い聖天騎士だけが、ミーナの残した槍を持ち、威風堂々としていた。
レイザード軍はすぐに現れた。奇怪なことに六千以上いる兵は、シアラル軍同様に武器を持っていなかった。ただ一人、先頭を行く青い飛竜に乗った男だけが槍を持つ。白と黒の軍は相対し、シアラル城下街の上空を半分ずつ埋めるような形になった。
「久しいなパトラ」
「・・・・・・」
 一年ぶりの再会だった。パトラは過去に一年ほどアルシャードの元で槍の修行をしていた。師弟に近い関係で、互いのことは大方理解している。
「フン、だんまりか」
 アルシャードは楽しそうな微笑を浮かべ、黒い聖天馬の上の少女を見ていた。
「面白いゲームを考えてきた、やるかやらぬかは、お前次第だが」
 パトラはなお無言、黒い雌豹のような鋭い瞳でアルシャードを見つめる。
「俺とお前で一騎打ちをして、負けた方は勝った方に従う」
 その声が聞こえる範囲で、どよめきが起こった。それに乗じるようにレイラが出てきた。
「何を考えている、いくら何でも戯れが過ぎる」
「戯れなどではない、俺は本気だ、あいつにはそれだけの価値がある」
 シアラルの方でもレインが出てきて似たような問答が起こる。
「あんな挑発に乗っちゃ駄目だよ」
「・・・アルシャードは嘘を言う男ではないわ、彼は本気よ」
「まさか、やるつもりなのか」
「平和を守れる可能性が少しでもあるのなら、それに賭けるだけよ」
 パトラは細身の槍を斜に構え、アルシャードは手に余るような剛槍を真直ぐ前に突き出す。向かい合う、漆黒の聖天騎士と青竜の王、もう止めることは出来ない。
「それでいい、見事に俺を討ち取ってみろ」
 アルシャードは嬉々とした微笑を浮かべていた。パトラは何も答えず、涼しい顔で相手を見ている。
二つの軍が外側に膨らみ、輪の陣を作った。様子が見えない後方の兵が上に飛び上がり、パトラとアルシャードの姿を見下ろす。次々と上昇した飛天騎士と翼竜兵が、輪から立つ壁になり、ドーム状の人だかりが出来上がった。竜兵と白い騎士で築かれた空の闘技場、その建設にも気づかないように睨み合う二人、誰もが息をのんだ。
 黒い翼がはためいた、パトラはグンとアルシャードの前に迫る。アルシャードは動かない、パトラの姿が目の前で黒い影を残すようにして消え、同時に視線を横に流す。パトラはアルシャードの横に回り込んでいた。そして突撃と同時に刺突、アルシャードは飛竜と一緒に素早く身を翻し、攻撃をすれすれで避けた。パトラの槍はアルシャードの脇の下を通り、その向こう側、背中でなびいている黒マントを貫く。瞬間にアルシャードは唸る勢いで槍を横に振り、パトラを叩き潰しにきた。黒い翼が羽ばたき、ナイトメアがさっと上昇する。パトラに迫っていた槍はナイトメアの蹄を掠め、虚しく宙を滑った。相手を見下ろすパトラは、急降下しながら槍を突く。アルシャードは青竜を右に動かしてかわす、間近を黒い姿が通り過ぎた。
パトラは上下左右から変幻自在の突きでアルシャードを攻め抜いた。実力は拮抗しているが、乗っているものの性能が大きく違っていた。アルシャードの青い竜も、飛竜の中では一級のものだが、ナイトメアには到底及ばない。さらにパトラの卓越した天馬躁術が、ナイトメアの力を最大限まで引き出した。アルシャードは防戦一方、顔に浮き出ていた余裕の笑みも消えた。
 誰の目にもパトラ優勢と見えた。しかし、押されているアルシャードの目は、兎を狙う隼のように集中している。パトラがその背後に回り込み、幾度目かの突撃をかけたとき、アルシャードは後ろを見ず、無造作に槍を後方に叩きつけた。予想外の攻撃に、パトラは驚き、反射的に身を伏せる。頭の上をアルシャードの槍が掠めていく。
「お前の槍術は俺が教えたものだ!」
 空を振るわせるような声がパトラを撃つ、はっと顔を上げると、目の前でアルシャードが槍を天に向かって突き立てていた。そこから払い打ち、パトラの真横から剛槍が迫る。かわすのは不可能な距離である、パトラは自分の槍を盾にした。
互いの槍がぶつかり合うと、両腕が麻痺するような衝撃がパトラを襲った。パワーの差がありすぎる。
「落ちろっ!」
 アルシャードは止まった槍に力を込めて押し進めた。
「くうっ!」
パトラはナイトメアと一緒に横に押し出され、体勢を崩した。苦しい表情で手綱を引き絞ると、ナイトメアが黒い翼を動かした。瞬時に体勢を立て直す。その時、真上に気配を感じると同時に影が覆った。パトラは見上げる、息が止まった。太陽の逆光で黒く空に映る飛竜の姿、それが頭上から降下して、鋭い爪のついた両足がナイトメアの首に食らいついた。ナイトメアは嘶き、衝撃と共に引力が両者を捉える。パトラとアルシャードは、ほとんど落下するように地上へと下降していった。
「このまま地上に押さえ込む!」
 アルシャードの声が、パトラの真上から聞こえた。凄まじい落下の速度で、まともに体を動かすことも出来ない。いよいよ地上が接近してくる。
「ナイトメアっ!」
 パトラが最後の望みを託して叫んだ。ナイトメアの耳がピクッと動き、黒い翼が開く。
街から空を見上げていた人々は、落ちてくる二人の騎士に目を見張った。片方がパトラだということはすぐに分かった。ナイトメアは飛竜とアルシャードの重みを受けながらも、懸命に翼を羽ばたかせていた。次第に黒翼の動きが大きく速くなり、落下が減速していく。地上に落ちる寸前で、青竜に掴まれたままのナイトメアが静止した。ハリケーンのような翼の風圧が埃を巻き上げ、集まった人々に空気を叩きつけた。それでも民衆は戦いから目を逸らさない。
「パトラ様、頑張れーっ@」
 子供達の声が聞こえた。ナイトメアはそれに答えるように、少しずつ上昇していく。アルシャードは驚愕した。
「何て奴だ、飛竜の体重を押し返しやがった!」
 パトラは槍を後ろに引き込み、青い飛竜に向かって突いた。だが、鋭い穂先が届く前に、飛竜はナイトメアから離れて上昇した。パトラは手綱を引き、アルシャードを追う。
 ―パトラにあれをやるべきではなかったか。
 アルシャードは内心で舌打ちをした。再び空の舞台へ戻る。予想以上の速さで黒い騎士がアルシャードの前に躍り出た。一閃、パトラが鋭い突きを放つ、アルシャードは直前で見切り、槍が首を掠め、後ろに流れる長い髪を貫いた。ほぼ同時に地震のような揺れに襲われる。飛竜が苦しそうな鳴き声を出した。何とナイトメアの角と額の間に、飛竜の首が挟み込まれていた。
「なにっ!」
 パトラの攻撃は囮だった。人馬一体の連携、アルシャードは想像できない攻撃に驚くばかり、ナイトメアはさらに飛竜の懐深くに潜り込み、ぐわっと頭を振り上げた。飛竜はアルシャードごと吹き飛ばされ、まるで直立するようになり腹を見せる。
「ええい!」
 アルシャードは落ちないように手綱を掴み、ようやく体勢を立て直した。刹那、漆黒の騎士が目前に回り込んでくる。パトラは力いっぱい槍を後ろに引いていた。もはや避けるのとは適わない絶妙の距離、その時アルシャードは笑った。ぞっとするように不気味な笑いだった。パトラは顔をしかめて、必殺の一撃を放った。鮮血が飛び散り、小さな血玉がパトラの頬に当たる。手応えは十分だった。
「あ・・・」
 パトラは一瞬何が起こったのかわからず、目を大きくした。アルシャードは笑ったまま、微動だにもしない。心臓を貫いたはずの槍は、盾代わりにした黒衣の左腕に突き刺さっている。パトラは全てを理解して、次の攻撃に転じようとした。
 ―槍が抜けない@
 アルシャードが右手の槍を短く持ち変えて腕を引いた。
 ―負けた、殺される・・・。
 死を覚悟したパトラ、鳶色の瞳に映るアルシャードの微笑は印象深かった。ついに槍が突出する。
「お前の負けだ」
 パトラがはっと気づいた時、槍の切っ先が喉元で寸止めされていた。アルシャードの顔を見上げると、彼はどことなく穏やかな表情をしていた。パトラはアルシャードの腕に突き刺さったままの槍を手放し、肩を落として俯いた。
「見事だった」
 アルシャードが左腕から槍を引き抜き、パトラに差し出した。パトラはそれを受け取ると、幾つも涙を零した。悲しいのか悔しいのか、よく分からない気持ちだった。ただ、心の奥底には、全ての終わりに安堵するような思いも溢れていた。

青竜の王・・・END


24 :四季条 ユウ :2008/10/24(金) 20:47:45 ID:nmz3rDnm

終章 黒い翼

 パトラは両腕を後ろ手に縛られ、アルシャードの前に引き出された。
「跪け!」
 付き添いの衛兵が言うままに、パトラは両膝をつく。それを玉座のアルシャードが見下ろしていた。傍らにはレイラも立っている。衛兵は敬礼をして出て行った。ここはレイザード城である。
「いい格好だな、パトラ」
「・・・全ては貴方の思い通りになったわ、さぞ満足でしょうね」
「いいや、まだだ、まだ目的の半分にも達していない、全てを成すかどうかは、お前の選択にかかっている」
「・・・・・・」
「相変わらず、だんまりか」
 アルシャードが片手を挙げると、レイラがパトラの後ろに回り込み、剣を抜いた。剣閃で空気が唸ると、パトラを縛っていた縄が断たれた。レイラは元に位置に戻り、パトラはきつく縛られていた手首をさすった。
「どういうつもりなの・・・」
 アルシャードは何かを投げた。それは銀の輝きを撒き散らしつつ回転した。そしてパトラの前に高い音を響かせて転がる。銀色に光るものは短剣だった。
「俺の部下になるか、ここで自害するか、それがお前に与えられた選択肢だ」
「何ですって!?」
「選べ」
 パトラの驚きを押さえ込む、威圧的な声だった。パトラはアルシャードを睨み、睨まれている方は何ともないような顔をしている。
パトラが短剣を拾い上げる、憎悪で表情が歪んだ。いきなり短剣を持つ手を後ろに引き、憎い相手に向かって投げつけた。短剣は真直ぐアルシャードに向かい、彼の頬を浅く切ると同時に玉座に突き刺さった。
「これが答えか」
 アルシャードは満足気に笑いを浮かべ、刺さった短剣を抜き取った。パトラは冷たく無表情になっているが、見据える瞳には激しい炎を宿していた。
 ―わたしは自害などしない、何があっても生き続ける、生きることこそが人間としての本義なのだから。
 パトラの心を感じたアルシャードは、冷酷な微笑を湛えた。そこへタイミングを合わせるように、何者かを連れて二人の兵士が入ってきた。
「感動の再開だな」
 楽しむようなアルシャードの声が響いた。パトラは二人の兵士に付き添われた少女を見て、悲愴を浮かべる。
「ああ、セリリ・・・」
 セリリは、半ば無理やりに兵士たちに腕を引かれ、パトラの前に押し出された。
「パトラ様・・・・・・申しわけございません@」
 セリリは、パトラと一瞬目が合うと、その場に両膝を付いて泣き崩れた。激しい嗚咽、もはや恥じも外聞も捨てた、真摯な涙だった。
「すべて・・・すべて・・・わたしの責任です・・・」
 嗚咽によって途切れ途切れになる、深遠のごとき後悔の声が、刃物となってパトラの心を傷つけた。
「もう・・・お詫びをする手立てもございません・・・」
 セリリが動き、近くにいた兵士が、あっという声を漏らした。セリリは素早く兵士の帯剣を抜き取っていた。そして、剣先を喉に突き付ける。その時、パトラがセリリの前に飛び込み、白刃を素手で掴んで切っ先を喉から外した。唖然とする兵士たち。パトラは憤然として言った。
「死ぬぐらいの覚悟があるのなら、生きて罪を償いなさい」
 セリリは、真剣なパトラを前に硬直していた。白刃を掴むパトラの手から血が伝い、切っ先から赤い雫が落ちる。
「パトラ様、手が・・・」
セリリが脱力して剣を手放すと、パトラは剣を投げ捨てた。
「セリリが悪いわけではないわ、貴方は利用されていた、ただそれだけ、貴方の苦しみに気づいてあげられなかった、わたしも愚かだった」
「ああっ! そんな!」
 セリリは、パトラに抱かれて、さらに激しく泣いた。様子を眺めるアルシャードから笑みが消える。
 ―あと少しでも俺の判断が遅れれば、セリリは向こうに寝返っただろう、そうなれば負けていたのはこちらの方だった。
 さすがのアルシャード王も、パトラの人を引き付ける力には恐ろしいものを感じた。

「セリリは裏切り者じゃない!」
 シアラル城の中庭にフィアーナの声が上がった。少女数人とフィアーナが、ただならぬ様子で対峙している。
「何言ってるのこの子は、頭おかしいんじゃないの?」
「セリリのせいでシアラルは負けたのよ」
 少女たちの攻めにも屈せず、フィアーナは敢然と立ち向かう。
「うるさいっ! セリリは裏切りなんか出来る子じゃないのよ! 絶対に裏切り者なんかじゃない!」
 半ばやけのようになって言うフィアーナを、少女たちは冷笑した。
「バカじゃないの、あんたが何て言っても、セリリは裏切り者よ」
「まったく分からないわよねぇ、あんないい子ぶってた人が裏切りなんて」
「きっとレイザードからお金とか貰ってるのよ、最低よね」
 セリリに対する悪句によって、フィアーナの頭に血が昇る。自分がバカにされるより、何倍も悔しい思いをした。
「言ったな!」
「ちょっ、何するのよ!」
 フィアーナは少女の一人にかかっていった。胸倉を掴み、相手の体を揺さぶる。他の少女たちが騒ぎ出し、フィアーナの腕や髪を引っ張った。
「貴方たち、何をしているの!」
 走ってきたのはシェーレだった。取っ組み合っている少女たちの間に入る。
「お止めなさい!」
 フィアーナと少女たちを引き離すと、シェーレは厳しい目で、交互に少女たちを見つめた。
「何があったの」
「フィアーナが、セリリは裏切り者じゃないって言い張るんです」
 シェーレは少女たちから事のあらましを聞いた。その間、フィアーナは俯いたまま一言も喋らなかった。
「事情は分かったわ、フィアーナにはよく言っておくから、貴方たちは宿舎へお戻りなさい」
 少女たちは去り、中庭にいるのは姉妹二人だけになった。シェーレは軽く溜息をついて、妹の両肩を柔らかく掴んだ。フィアーナは姉を見上げる。
「どんなに否定しても、セリリが裏切った事実は変わらないわ、でも・・・」
 シェーレの表情が柔らみ、穏やかな瞳がフィアーナを見つめる。
「あの子の裏切りにはどうにもならない理由があったはず、心はいつまでもシアラルの騎士であり続けるでしょう、わたしはそう思っています」
「姉様・・・」
 フィアーナが今まで耐えていたものが堰を切った。姉の胸に縋りつき、まるで小さな子供のように泣き出す。
「ミーナは死んじゃって、セリリは裏切り者で、そんなの酷いよ! 酷すぎるよ! 助けてよ姉様・・・」
 死と裏切り、理不尽な理由で二人の親友を失ったフィアーナ、あどけない少女には余りにも重い苦しみだった。シェーレはその苦しみを少しでも分かち合うように、妹を強く抱きしめていた。

 レインは空になった玉座の前に立ち、何をするわけでもなくぼっとしていた。パトラはレイザードに連行されている。王女がいなくなっただけで、国中が暗く沈みこみ、国民も元気をなくしていた。そんな中で徐々に広がりつつある闇があった。
「レイン」
 呼ばれて振り向くと、パルテノが出入り口から歩いてきていた。
「またここにいたのね」
「うん」
「国中に変な噂が流れているわ」
「知ってるよ」
「あんまりよね、酷すぎるわ」
 パトラ王女は怖気づいて降伏した、さらに一騎打ちで国の運命を決めようなど、国民の意思をまったく無視した行為である。
 それが問題の噂だった。シアラル降伏の要因は団結力の破壊による。それは外部からは見えにくいもので、国民の目からは大した理由もないのに降伏しているように見えていた。シアラル軍自体はほとんど数が減っていないので、尚更のことだった。
一騎打ちについても、パトラは国を守る可能性を見出したから受けたのである。しかし、人々は一騎打ちをしたという上っ面しか見なかった。それらに託けて根も葉もない噂が流された。悲しいことに、それを鵜呑みにする人間も多かった。
 パトラは誰よりも国民の事を考え、労わってきた。もしレイザード軍に最後まで抵抗すれば、シアラルの白騎士たちは死に絶え、計り知れない数の民衆が犠牲になっていただろう。それを回避するための降伏でもあった。それらを理解しようとしない人々、レインは悔しくて仕方がなかった。
「みんな何も分かっちゃいない!」
 レインが叩きつけるように声を張り上げる。玉座を見ていると、パトラの姿が浮かんできた。
『みんなが幸せに暮らせるのなら、わたしはどうなってもかまわないわ』
 パトラは微笑しながら言った。レインにはそれが分かっているから余計に悲しかった。

 二つの小窓から入る光だけが明度を与える薄暗い部屋、パトラはそこに閉じ込められ、ベッドの上に座って包帯を巻いたばかりの右手を見ている。セリリを助けた名誉の負傷は、それほど深くはなかった。
 パトラは死刑を待つ囚人のように暗い雰囲気を醸し出していた。しばらくすると扉が軋み、黒衣のアルシャードが入ってきた。パトラはベッドから立ち上がった。青竜の王が力強い早足で近づいてくる。その一歩ごとに、パトラの中で理由の分からない恐怖が膨らんだ。
「@」
 アルシャードはいきなりパトラの細い腰を抱き寄せ、唇を重ねた。唇の間から熱い吐息が漏れる。パトラの中に、舌か唇を噛み切ってやろうという意識が起こったが、体中が痺れたようになり、何の抵抗も出来なかった。互いの唇が離れると、二人は見詰め合う。恋人同士の情熱的で甘い視線とは正反対の、憎悪と冷徹の黒い視線が交錯する。
「こんな事をしても、心までは屈しない」
「どうかな」
 アルシャードは野性と冷淡を合わせ持った表情に妖しい微笑を浮かべ、パトラをベッドの上へ乱暴に投げ捨てた。
「俺だけがお前を鎖に繋ぐことが出来る」
見下ろすアルシャード、パトラがベッドの中央に座り込んで見上げると目が合った。
 ―怖い・・・・・・。
 今までに感じたこともない恐怖に、パトラの体が震えた。どんなに気を強くしようとしても無駄なことだった。

 事が全て済んだ後も、パトラは一糸まとわぬ姿のまま、ベッドの中で胎児のように丸くなっていた。彼女の心は空っぽになり、ただ呆然としているばかり、幸せをもたらすはずの愛の行為は、母から聞いたのとも、書物で読んだのとも全く違っていた。アルシャードがもたらしたものは、支配の鎖と蹂躙の闇、愛などというものは欠片ほどもない。全てを失い全てを奪われたパトラは、自分自身がアルシャードに屈していくのをまざまざと感じた。自然と涙が溢れる。ベッドの中からしっとりと静かに泣く声が漏れた。
 ―わたしの背中にある黒い翼は、地を這うことしか出来ないのかもしれない、それでもいい、わたしは命の消える瞬間まで希望を捨てない、その先に必ず光があるはずだから・・・・・・。

 ―風が騒いでいる、空が泣いている。
 シャリア城、フェリシティはテラスに出て青空を見上げていた。ライトグリーンのシルクのドレスが陽光で輝き、フェリシティの麗容を一層引き立てている。宝石のごとき光を放つ緑の瞳は悲しげだった。
 ―パトラ、貴方はきっと辛い思いをしているのでしょう、わたしには分かります、でも貴方なら大丈夫、どんな試練でも乗り越えていける強い子だから・・・。
フェリシティは空から目下の街へ視線を移す。金髪を攫う程度の風が常に渡り、城下街に幾筋も走る水路は、銀糸のように輝いていた。フェリシティはきゅっと唇を結び、表情を勇ましくした。
―やり方は違うけれど、パトラもアルシャードもウィンデリアを導く光、アルシャードの方が強い光を持っていたのでしょうか、彼はどのように大陸を導くでしょうか、きっと悪いようにはならないでしょう・・・でも、これが歴史の終着点ではないはず、もし歴史の変革が再び訪れるというのなら、その時こそ平和のためにこの命を懸けましょう、どうかウィンデリアに真の平和を、誰もが幸せに暮らせ日が訪れますように。

                             黒い翼・・・END
                             天空の騎士・・・FIN


25 :四季条 ユウ :2008/10/24(金) 21:02:16 ID:nmz3rDnm

後書き

これで天空の騎士の物語は完結となります。
最後は本当に悲しくて、自分で読んでいてもパトラが可愛そうになってしまいます。
ここからアルシャードの覇行が始まるわけでして、わたしの中ではこの先の物語も完成しています。このままではパトラもその仲間達もあまりにも不憫なので、いつかは続きを書かねばと思っていますが、これ以上やるとさらにファイアーエムブレムのパクリ色が強くなるので悩みどころです。まぁ、いつかは書くと思います。そのときは、また皆さんに読んで頂ければと思います。
 
 ここまでシアラルの騎士達を見守って下さった方々、本当にありがとうございました。
心より御礼を申し上げます。猫姫の方はまだまだ続きますので、これからはそちらの執筆を頑張って参ります。


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