天空の騎士


1 :四季条 ユウ :2008/07/09(水) 05:58:19 ID:nmz3rDnm

UPするときに壮絶に間違えてしまいました。
なのでもう一度書き込みし直しています。

天馬(ペガサス)に乗った乙女の騎士が主人公のお話です。
ファイアーエムブレムというゲームに天馬騎士(ペガサスナイト)というユニットが出てくるのですが、わたしはそれが好きで好きでしょうがないのです。
そんなわけでこんな小説まで書いてしまいました。
戦争がテーマのお話で戦いのほとんどが空中戦になります。
決して明るい物語ではありませんが、ペガサス好きには読んでもらいたいです。
それでは、物語を語るとしましょう。


2 :四季条 ユウ :2008/07/09(水) 05:59:59 ID:nmz3rDnm

序章

 シアラル王国の王女パトラは、王族でありながら地味な少女だった。ドレスは余り目立たない淡い色を好み、いつも何かを思慮するように押し黙っていて、ほとんど笑うことがない。美しい少女ではあるが、目を見張るほどの美姫と言うわけでもなく、その美しさは街を歩けば一人や二人は見かけるくらいのものだった。王族貴族の饗宴や舞踏会には滅多に顔を出すことはない。性格の暗い姫だとか、人付き合いの出来ない王女だとか、陰口を言う者も少なくなかった。パトラ王女は密かに槍を嗜んでいる、という噂もあったが、彼女と親交を持つものはごく限られていて、実際のところはどうなのか分からない。唯一、彼女に関して有名なことがあった。パトラ王女は漆黒の聖天馬《グラーニ》に乗っている、その噂だけは誰もが知っていた。

「父上、思ったより達者なようだな」
 アルシャードは部屋に入って来るなり言った。この男、全身漆黒の服を着ていて、背中にかけてあるマントも黒い。顔は色白で、金髪に少し黒味を加えたような渋い色の髪を背中まで流している。顔は整っていてかなりの美丈夫だが、髪と同じ色の瞳には、飢えた獣のような強烈な光があった。さらにアルシャードは姿に似合わず、まるで屈強な体をした戦歴の猛者のような、覇気のある空気を放っている。
「何をしにきた」
 ベッドに寝ていた初老の男は、上半身だけ起き上がって言った。髪はアルシャードと同じ色をしているが、まったく手入れをしておらず、乱れ放題に乱れている。黒い顔をして、頬もこけて、目も落ち窪み、頭蓋骨の形が露になるほど痩せていた。しかし、眼光は鋭く、アルシャードに負けていない。この男はレイザード国の王で、ロンベルドと言う。今は体のいたるところを腫瘍に冒され、病床に伏している。腕を組み、仁王立ちで父を見下げるアルシャードは、軽く鼻で笑った。
「見舞いに来たとでも言って欲しいか」
「お前はそんな殊勝な男ではあるまい、何をたくらんでいる」
「あんたが死ぬ前に、面白い話を聞かせてやろうと思ってな、あの世でいい土産になるぜ」
「貴様、何をするつもりだ」
 ロンベルドは重病人とは思えない、低く威圧するような声で言って、息子を睨みつけた。
「全てをこの俺の手中にする」
「何の為に平和な世界を乱そうというのだ」
「天が俺に囁いたのさ、全てを手に入れろと」
「下らんことを言う」
 それから沈黙が流れた。ロンベルドとアルシャードは、まるでこれから決闘でも始めるように、睨みあっている。その激しい沈黙を破って、アルシャードは言った。
「俺のしたいようにする、それだけだ」
「勝手にするがいい」
 ロンベルドは言うなりベッドに横になり、アルシャードに背を向けた。アルシャードが去っていく足音が、ロンベルドの耳に、異様なほどの余韻を残した。扉の閉まる音が響くと、ロンベルドは何かを悔いるような表情になった。
―レイザードを興したのは盗賊の首領だ、飛竜に跨り、大陸中を闊歩し、全てを力で押さえつけ、国を興すほどの財を手にしたと言う、ついにその血を受け継ぐ者が現れてしまったか。
 ロンベルドはそう考えると、今度は無念の思いに支配された。息子が黒い野心の元に何を成すのか、生きて見てみたいと思った。しかし、それは叶わぬことであった。かつて猛竜将を謳われたレイザードの王ロンベルドは、それから三日と持たずに亡くなった。


3 :四季条 ユウ :2008/07/09(水) 06:01:37 ID:nmz3rDnm

第1章 漆黒の聖天騎士

 シアラル王城内の一室、そこにある玉座に、飾り気のまったくない、淡い青色のドレスを着た少女が座っていた。シアラル国の王女パトラだった。パトラは両目を閉じていて、考え事をしている。黒味の強い、茶色の長髪には深みがあり、二重のはっきりした目は少し横長で、鳶色の瞳を持っている。目鼻立ちははっきりしていて美しい。何よりも特筆するべきは、恐ろしいほどに落ち着いている冷淡な雰囲気だった。それによって、少女はドキッとするほど大人びて見える。
パトラのいる静かな場所に、忙しい足音が近づいてきた。走ってくるようだ。音が扉の前で消えた後、今度は扉を軽く打つ音がした。
「お入りなさい」
 玉座のパトラはゆっくり瞳を開けてから、艶かしい声で言った。声だけ聞けば、妖艶な大人の女を想像してしまうだろう。許可が出ると、ショートカットにした金色の髪に、ブルーの瞳を湛えた美しい少女が、肩で息をしながら入ってきた。少女は緑の服を着ていて、スカートの部分は動きやすさを重視しているので短く、脹(ふくら)脛(はぎ)まで覆うほど長さのある白い靴を履いている。少女はパトラの前まで来て跪いた。
「シェーレがそんなに慌てるなんて珍しいわね、何があったの」
「レイザードがいきなり挙兵しました、すでにウィニア島郡へ進行を始めているようです」
「何ですって」
 パトラはほんの少し眉をひそめたが、すぐ何事もないような顔に戻った。
「あの男なら、そんなことをしてもおかしくないわね」
「はぁ、パトラ様、いかがいたしましょう?」
 シェーレが伝えたのは、途轍もない非常事態なのだが、パトラは落ち着いていて、何とも思っていないように見える。シェーレはパトラの平静に戸惑いを感じた。
「明日、シャリアへ行きます」
「シャリアへ?」
「ウィニア島郡には商業都市が点在しているわ、レイザード軍はそれらを補給に使うつもりでしょう、次に狙ってくるとしたら大陸の中心地であるシャリアよ、わたしだったらそうするわ」
「シャリアには戦力がありません」
「だからわたしが行くのよ、フェリシティに会って話をつけます」
 パトラは玉座から立ち上がり、扉に向かって歩き出した。同時にシェーレも立って、横を通り過ぎていくパトラを目で追う。
「どこへ行くのですか?」
「市中見回りに」
「ならばわたくしも同行いたしましょう」
「いえ、一人で行きます」
 冷たい余韻の言葉を残して、パトラは部屋を出て行った。

 パトラは厩に続く回廊を歩いていた。先ほどのシェーレと同じような、動きやすい服に着替えている。色は深い青色である。
歩いていると後ろから呼び止める者があった。
「ねえ、ちょっと」
 パトラが振り向くと、黒髪を肩の辺りまで伸ばした、いかにも元気いっぱいという雰囲気の少女がいた。少女は明るい微笑を浮かべ、目は大きめで、黒い瞳が昼の光を吸って輝いている。美人よりも可愛いという表現の方が似合うだろう。パトラと同じ様式の服を着ているが、色は黒である。
「レイン」
 パトラは少女の名を口にした。このレインという少女は、パトラと同じ歳で、十二の頃から王女の近衛騎士としてシアラルに仕えている。レインはレイザード王国にある小さな村の娘だった。レイザードの武将であるレイラに剣の腕を見込まれて、十歳の頃から騎士としての道を歩み始め、すぐに頭角を現し、レインが十一歳になる頃には、剣では誰にも負けなくなっていた。その後、シアラル王国でパトラ王女に相応しい騎士を探しているというので、レイラの推薦でシアラルに仕官することになった。それから4年間、パトラとレインは姉妹のように一緒に時を過ごしてきた。
「シャリアに行くんでしょ」
「明日ね」
「護衛が必要でしょ、わたしも一緒に行くよ」
 パトラはじっとレインの顔を見つめた、そうするとレインは少し物怖じするように表情を変えた。
「あなたは他にやる事が山ほどあるでしょう」
「いいじゃない、たまには息抜きさせてよ」
「駄目よ、そんな暇があるのなら、新兵に剣術の指南でもしてちょうだい」
 レインは要望を軽く一蹴されて、つまらなそうな顔をした。
「わかったわよ、せめて空の散歩には付き合わせてもらうからね」
「散歩じゃないわ」
「わかってますって、市中見回り、お供いたします、王女様」
 レインはニヤニヤしながら手刀を額に当てて敬礼した。その様子を見て、パトラは眉を寄せて嫌そうな顔になった。
「やめてちょうだいそんな言い方、気味が悪いわ」
「たまには趣向を変えてみようと思ってね」
「シェーレがいたら喜ぶわね」
「毎回は無理だよ」
 二人は並んで厩の方へ歩いていった。

 パトラとレインが厩から引っ張り出してきたのは、ただの馬ではない。背中に大きな翼が付いていて、さらに額には鋭く先の尖った角が付いている。毛並みも馬より少し長く、野性味を感じる。これは聖天馬《グラーニ》と言う。もちろん天馬《ペガサス》もいる。いずれも女性しか受け付けない。聖天馬は見た目が天馬に酷似しているが、生物学的には犬と狐ほどの差がある。聖天馬と聖馬《ユニコーン》は同じ動物から進化しており、馬や天馬とは体の作りが根本的に違うのだ。聖天馬、天馬、共に魔法的な力で空を飛ぶと考えられているが、その魔力にも大きな差があり、天馬は飛ぶのに助走が必要なのに対し、聖天馬はいきなり地上から飛び立つことが出来る。筋力も恐ろしく強く、飛竜などにも力負けしない。さらに岩山や深い森でも平気で歩くので、戦略的にも高い価値があった。しかし、主を選ぶと言う奇妙な習性があり、よほど優秀な乙女でない限り乗ることは出来なかった。その為、聖天馬乗りはごく少数しかいない。ちなみに、天馬に乗る騎士を飛天騎士《ウィングナイト》と言い、聖天馬に乗る騎士は聖天騎士《グラーニナイト》と言う。パトラとレインの歳で聖天馬に乗るというのは稀有と言っていいだろう。この世界ではほとんど例がない。
 二人の少女は、それぞれの愛馬の体をなでたり声をかけたりしていた。レインの聖天馬は純白なのに対し、パトラの聖天馬は闇のように漆黒だった。黒い聖天馬など大陸にこの一頭しかいないだろう。名前はナイトメアといい、パトラは十四の頃からこれに乗っている。ナイトメア、かつてはレイザードのアルシャード王子が、聖天馬一頭に対して一個小隊を組んで挑み、苦労の末に捕獲したものだ。捕らえたはいいが、激しく暴れて誰も寄せ付けなかった。それをパトラが宥めて、それから簡単に黒い背中へ乗ってしまったという。
 パトラとレインは、それぞれが愛馬の上に跨った。
「さて、行きますかね、シルフィ」
 レインが愛馬の名前を呼ぶと、白い翼が羽ばたいた。ナイトメアの黒い翼も動き出し、羽の風圧で短い下草が押さえつけられるように倒れる。羽ばたきが激しくなると、青い草や埃が宙を舞った。二頭の聖天馬はぐっと四足を折り曲げ、一気に真上跳躍した。二人は空へと上昇していく。ある程度の高さまで上がると、今度は真横に移動した。
少し空中を走ってから静止すると、気持ちのいい風が少女たちの体を抜けて、服や瑞々しい髪を揺らす。空には邪魔するものがないので、常に風が流れている。斜め下にはシアラルの城下街を見下ろすことが出来た。街の中心には噴水のある広場があり、そこから十字に白いレンガを敷き詰めた道が伸びている。街全体が円形で、円の中に家屋敷がひしめき合う。遥か上空から、まるで精密な玩具のように見える街に、蟻のように小さくなった人間が動いている。春も終わる季節なので、街の外に広がる森は美しい緑色を彩なしていた。
―美しい。
 何度も見ている景色だが、パトラは見るたびにそう思う。パトラは空から景色を眺めるのが好きだった。景色を見る度に、自分はこの世界に生まれて本当によかったと、心から思うのだ。パトラは景色から目を放し、何か思いを馳せるように目を細めて真直ぐ前を見た。南の方向だった。目に入るのは青い雲の壁と青空ばかりだが、ウィンデリア大陸の南端にはレイザード王国がある。シアラル王国はレイザードと正反対の北端に位置し、聖都シャリアは大陸の中心である。さらにシアラルから南東の方向にローランという国があり、南西に行けば多くの孤島が点在するウィニア島郡がある。他にも小国家がいくつかあった。
レインはじっと南を見つめるパトラを横目で見ていた。
「レイザードの竜騎兵団と戦うことになるのかな」
「そうなるでしょうね」
「飛天(ひてん)騎士団(きしだん)で勝てるのかねぇ」
「勝てないこともないわ」
 まるで人事のように言うレインに、パトラは涼しい瞳を南に向けたまま答えて、それから少し間を置いて再び口を開いた。
「今は戦いが始まるまでに、やれる事をやっておくだけよ、行きましょう」
 二頭の聖天馬は鳶(とび)のように翼を開いたまま、急降下して街に近づいていった。
街の真上を飛んで、異常がないかを確かめる。他にも何人か見回りをしている乙女たちがいて、パトラとレインの近くを通り過ぎるときに、敬礼をしたり軽く頭を下げたりした。彼女らが乗っているのは聖天馬よりも一回り小さく角もない普通の天馬である。
「パトラ様〜っ」
 下から声が聞こえてきた。子供が何人か集まって手を振っていた。パトラは手を振り返してから、黒い愛馬を子供たちの目と鼻の先まで近づけた。そうすると羽ばたく翼から起こる風圧で子供たちの髪の毛が煽られた。
「パトラ様、また一緒に遊ぼうよ」
 一番前にいる男の子が言うと、パトラは微笑を浮かべた。
「そうね、暇があったら街へ出るわ」
 パトラはよくお忍びで街に出て、国民の悩みや不満などを聞いていた。その折に子供たちの遊び相手をしている。パトラは子供好きなのである。普段は表情をほとんど変えず、笑うことも少ない彼女だが、子供たちを前にすると優しい微笑を湛える。こんな一面がある為か、パトラは愛想のない割には家臣たちから好かれている。
 パトラは子供たちに別れを告げて、再びレインと一緒に見回りを始めた。二人は夕刻になる頃に城へと戻った。

「ねえパトラ、シャリアへ行って何するのさ」
「フェリシティと民の様子を見てくるわ、それから戦の準備を進めます」
 パトラはレインに答えた。パトラは聖天馬に乗るときの軽装で玉座に鎮座し、レインとシェーレがその近くにいる。レインは壁に寄り掛かってリラックスした感じで、シェーレはパトラの前でかしこまっていた。シェーレはレインに棘のような視線を送っていた。
「レイン、王女の御前ですよ、そんな怠惰な格好では失礼でしょう、こちらへ来なさい」
言われると、レインはむっと頬を膨らませて、挑発的に頭を掻きながらシェーレの横に並んだ。そうすると、シェーレはすかさず言った。
「それから、パトラ様とお呼びしなさい、何度言ったらわかるの」
「うっさいわねぇ、わたしたちは四年間こうなの、いまさらそんな風に呼べるかって」
 レインがシェーレの側にある耳を人差し指で塞ぎながら言うと、シェーレは横一文字に桃色の唇を結び、凛々しい顔を憤然とさせていた。
シェーレはパトラより一つ年上で、武勇に優れた貴族の家系に生まれ、一年前にシアラルの騎士となり、それから破竹の勢いで王女の近衛騎士にまでなったという、レインに負けない経歴の持ち主である。生まれが良いので礼儀を重んじる。一介の村娘であったレインとは正反対の存在と言えた。それなので、こんな問答がしょっちゅうある。誰もがレインとシェーレは水と油のようだと言うが、パトラだけは二人は仲の良い友達だと言った。そのパトラは二人の言い合いを、いつも黙って見ている。
「それでは下の者に示しが付かないでしょう、パトラ様と友達感覚でいるのは止めなさい」
「何言ってんの、感覚じゃなくて、正真正銘の友達なんだよ」
「いい加減にしなさい、自惚れも甚だしいわ」
 そこまで口論が進むと、パトラが玉座から立ち上がった。シェーレははっとなり、王女の前で下らない言い合いをしたと思って、申し訳なさそうに頭を下げた。
「いいのよシェーレ、レインは大切な友達よ、もちろん貴方も」
「そんな、もったいなお言葉です」
「わたしについて来てくれる者は皆大切な人です、身分などは関係有りません」
 パトラにそこまで言われると、シェーレは恐縮して黙る以外になかった。
「そろそろ出かけます」
 パトラはレインとシェーレの間を通って、扉の近くまでいくと立ち止まって振り返った。
「わたしが帰って来るまでに、弓兵の徴募をしておいてちょうだい、あと飛天騎士たちの人間関係と家族構成、出身地を調べておいて」
「全員ですか?」
「そうよ」
 シェーレが聞くと、パトラは当然のように答えた。シアラルの飛天騎士団は三千人以上もいる、調べるのはなかなか骨の折れる作業だろう。
「あと、徴募する弓兵は女性だけよ、百人ほど集まると理想的ね」
「女だけ?」
 レインは訝しい顔をした、シェーレも同様だった。弓は飛天騎士や翼竜兵など空の騎士には絶大な威力を発揮するので、これからの戦いに備えて弓兵を増強するというのは分かるが、女性に限定する意味が分からなかった。弓兵を増やすだけならば男だろうが女だろうが関係ないはずだ。二人が疑問を口にする前に、パトラはさっさと部屋を出てしまった。

パトラは辺りを見回しながら城内を歩いた。護衛役になりそうな者を探しているのだ。パトラには護衛など必要ないのだが、以前パトラがシャリアに一人で行ったとき、王女のフェリシティに、一国の主が護衛の一人も付けずに出歩くなんて余りにも非常識です、というようなことを言われた。そういう経緯なので、護衛のように見えれば問題なかった。中庭に出ると大木の下に三人の少女が集まっているのが見えた。パトラはそこへ近づいていく。少女たちがパトラのことに気づくと、一様に目を丸くした。その後で、それぞれがぎこちない挨拶と一緒に深く頭を下げた。
「あなたたちに頼みたいことがあるの」
 パトラが言うと少女たちは顔を見合わせた。三人ともパトラよりも少し年下のようだ。
「わたしたちでよろしければ、何なりとお申し付け下さい」
 青髪を首の付け根辺りまで伸ばした少女が言った。
「貴方たち、名前は?」
 パトラが聞くと、少女たちは名前を順番に言った。パトラに受け答えした青髪の少女がセリリ、金髪をショートカットにしたフィアーナ、長い青銀の髪を赤いリボンで束ねているのがミーナと言った。三人ともなかなか可愛らしい顔立ちだ。一様に空色の服を身に付けて、それらは半袖にミニスカートという動きやすい作りになっている。左胸の辺りには天馬が立ち上がっていなないている様な形の白い刺繍が貼ってある。この紋章はシアラル飛天騎士団の軍旗にもなっていた。これは一般兵の制服だった。小隊長クラスは同じ様式で色が赤である。それ以上になると服装の制限はない。
「何をすればいいんですか?」
 フィアーナが聞くと、パトラは答えた。
「一緒にシャリアまで行ってもらいます」

 漆黒の聖天騎士に三騎の飛天騎士が続く。念のために、それぞれの愛馬には槍が固定してある。城下街の上を低空で飛んでいると、中央広場で遊んでいる子友達や街を歩く人々が手を振った。パトラはただ真直ぐ前を見ているばかりだが、後ろにいる三人は愛想よく手を振り返していた。巨鳥のような四つの影が街の中を走っていく。やがて街を抜けて森の上に差し掛かると、四つ影は緑のスクリーンに鮮明に映った。上空には雲一つない青空が広がっている。天気もよく追い風なので、空の旅にはいい日和だった。シアラルからシャリアまでは、天馬で半日ほどかかった。パトラの後ろに付く少女たちは色々と話し合っている。
「わたしシャリアに行くの初めて」
「わたしもよ」
「そうなんだ、わたしは何度か行ってるよ、とても綺麗な街でさ、図書館なんか超大きいの、街の中央にあるお城も素敵だったな」
 フィアーナは過去の記憶を思い起こすように空を見ながら語る。セリリとミーナは目を輝かせてそれを聞いていた。もうすぐ戦いが起こるかもしれないと言うのに暢気なものである。一方パトラは、ただ黙って前に進むのみだった。彼女は馴れ合いが好きではないのか、そういう話の輪に入ることは滅多になかった。今は後ろではしゃぐ三人をよそに、思考にふけっていた。
―レイザードがウィニア島郡を制圧するのにはまだ時間がかかるはず、少なく見積もって準備期間は一週間ほど、兵を整える時間は十分だわ、後はどうやって竜騎兵団と戦うか・・・。
そんなことを考えているうちに陸地が切れた。ずっと下の方に青い雲が広がっている。ウィンデリアに海はない。椀型になった巨大な青い雲の上に大陸が浮いているのだ。その上、孤島や地続きでない場所が多いので、この世界では天を駆ける騎士が主力になる。青い雲の向こう側に何があるのかは、誰も知らなかった。無論、何人も向こう側の世界を見ようと翼竜などに乗って旅立っている。しかし、戻って来た者は一人としていない。旅立った人間の焼け焦げた衣服が風に乗って漂着することはあった。ある学者たちの研究によると、大陸を包む青い雲は、魔法で作られた結界らしい、ということであった。人々が青い雲の向こう側に思いを馳せたのはずっと昔の話である。今では誰もがウィンデリアでの平和な生活に甘んじていた。しかし、何百年と続いたその平和も、間もなく崩れようとしている。

 真っ赤な日が落ちかける夕刻頃、パトラたちはシャリアに到着した。途中で少し速度を上げたので、半日はかからなかった。紅色に染まる聖都シャリアは美しかった。街の大きさはシアラル城下街の二倍はあるだろう。城を中心に街が広がっていて、巨大な時計塔や建物が街の中に点在している。なによりも美しさを引き立てるものは、街中を走っている堀で、そこを流れる清水が夕日でキラキラと輝いていた。四人は空中で制止してしばらくそれを眺めていた。パトラの後ろに控える少女たちは、情緒ある景色に深い溜息を漏らした。その感動が覚めやらぬうちに、パトラはさっとシャリアの城に向かって下降した。セリリたちはその場に取り残され、慌ててパトラの後を追う。
 パトラは城へ降りるなり、ナイトメアを適当な木に繋いだ後に、さっさと城内に入った。城の石廊下を早足で歩く。パトラの後ろに続くセリリとミーナは遠慮がちに付いているが、フィアーナは王女の側近です、という感じで堂々と歩いていた。前から歩いてくる城の侍女や役人は、パトラの姿を見ると横に退いて頭を下げた。パトラはそれに一々会釈を返す。こういうところが庶民的で王女らしくない。歩いていると、ミーナが落ち着かない感じで言った。
「パトラ様、わたしたちはどこまで付いて行けばよろしいですか?」
「ずっと付いてもらうわ」
「フェリシティ様のところまで?」
「ええ」
 パトラが素っ気なく答えると、後ろの三人は笑みを浮かべて喜びを露にした。パトラの護衛に選ばれただけでも幸運なのに、さらにシャリアの王女にまで会えるとなれば、喜ぶのも無理はない。さらにフェリシティは容姿端麗な上に政治手腕も優れ、いつでも民衆のことを優先して考えてくれる指導者であり、大陸中の人々から愛されていたので、喜びもひとしおである。
 歩いていくと、一際大きな扉が目の前に現れた。パトラがそれを叩くと、扉はゆっくりと内側に開いていった。出入り口から青色の絨毯が道を作り、その終点にある玉座に草色のドレスを着た女性が座っていた。それがフェリシティである。 
フェリシティはパトラの姿を見ると、待ちかねたように立ち上がった。パトラは真直ぐ玉座に向かって歩き、その後に緊張した面持ちで、ミーナ、フィアーナ、セリリが続く。パトラはフェリシティの前まで来ると、胸に手を当てて軽く会釈した。後ろの三人は片膝をついて深く頭を下げている。フェリシティはパトラのことをじっと見つめていた。顔つきはパトラによく似ているが、レモン色の髪とエメラルドのような瞳がなんとも言えず神秘的だ。
フェリシティはパトラより二つ年上で、フェリシティの母シャイアはパトラの叔母に当たる。つまり二人は従姉妹なのである。ちなみにパトラの母はディアナと言って、シャイアの妹であった。シャイア、ディアナ、共に病没している。
「従者の方々はそのままで結構です、他の者は出て行きなさい」
 フェリシティがよく通る声で言った。声質もパトラのものと似ている。側にいた侍女や衛兵が出ていくと、フェリシティは見る間に表情を変えた。目に涙を浮かべ、縋るようにパトラを見つめた。
「ああ、あなたが来てくれてよかった、わたしはどうしたらいいの」
 後ろで跪いている少女たちは、フェリシティの様子に驚いているようだ。そういう空気がパトラの背中に伝わってきた。パトラは無表情のままに言った。
「落ち着きなさい、一国の主がそう取り乱しては、民衆も不安がります」
「そんなこと言われても、レイザード軍がここへ攻めてくるかもしれないのですよ」
「確実に攻めてくるわ」
 それを聞くと、フェリシティの表情に悲愴の色が濃くなった。フェリシティは疲れたように玉座に腰を落とし、大きな溜息をついた。
「あなたはこんな時でも変わらないのですね」
「泣き喚いても何も解決しないでしょう、わたしはやれる事をやるだけよ」
 それから部屋が静寂に包まれた。パトラはフェリシティのことを、しっかりなさい、とでも言うように見詰めていた。やがて静寂が破られた。
「シアラルとローランの飛天騎士団を連合してレイザード軍を叩きます」
「勝てるのですか?」
「さあ、やってみなければ分からないわね」
「レイザードの兵力は並ではないと聞いていますよ」
 フェリシティの言う通り、レイザードはウィンデリア大陸最大の軍事国家で、竜兵一万二千を擁する。二番目に戦力を持つシアラルが三千五百ほどで、しかも騎士の九割は女性である。第三勢力のローランが飛天騎士二千ほどで、シアラルと同様に女性ばかりの軍隊だった。常識的に考えれば力の差は歴然としている。しかし、パトラにそれを危惧するような様子はない。
「戦いは数では決まらないわ」
 パトラが言うと、フェリシティは安心したように表情を和らげた。
「もうパトラを頼りにするしかありません、あなたならレイザード軍に勝つような気がします」
「勝てるように努力するわ」
 フェリシティは微笑を浮かべた。
「従者の方々、楽にして下さい」
 ひとまず安心して、周りを気にする余裕が出てきた。パトラの後ろにかしこまって座っていた三人が立ち上がる。それからフェリシティは両手を組んで、それを額に当てて考え込んだ。
「・・・アルシャード王子は何を考えているのでしょう、わざわざ平穏な世界を乱すなんて」
「ロンベルド様が亡くなったから今は王よ」
 パトラは一々細かいところを指摘する。別に嫌がらせをしている訳ではない。そういう性分なのだろう。フェリシティは笑顔を浮かべた。どんな事になっても何も変わりないパトラが心から頼もしかった。
「わたしには理解できません」
「そうね、あの男の考えている事はさっぱり分からないわ、ただ一つだけ言えるのは、普通の人間とはどこか違うということよ」
「貴方もそうですね」
 フェリシティが言うと、パトラは涼しい顔で黙っていた。パトラが何時も静かに清水を湛える渓流だとすれば、アルシャードは燃え上がる炎だった。どこか普通の人間とは違うという点では共通している。
「フェリシティ、いつも通りにして民を安心させてあげなさい、わたしはすぐに帰って軍を整えて戻ってきます、ローランに使者も送っておきましょう」
「ごめんなさい、貴方ばかりに苦労を掛けてしまって・・・」
「いいのよ、とにかく気をしっかり持って」
「もう大丈夫です、わたしもパトラの言ったように、やれるだけの事をやります」
「それでいいわ」
 パトラはさよならも言わずに身を翻した。
「三人とも、帰るわよ」

 パトラたちは夜空をシアラルに向かって飛んでいた。この日は満月で、夜でも天馬の影が陸地に映るほど明るかった。やがて陸地が消えて、遥か下に黒く染まった蠢く雲が見えるようになった。それから少し進むと、前方に黒い影が見えた。パトラは腕を横に出して、後ろの三人に速度を落とすように合図した。ゆっくり近づくと、姿形がはっきりと見えてきた。天馬に乗った少女二人が翼竜に乗った男四人に囲まれている。二人の少女が乗る天馬には荷物が満載されていた。
―空輸商。
 パトラは心の中で呟いた。空輸商とは、いわゆる行商人のことである。この世界では各地で商売して歩くのに、翼竜や天馬に乗る必要があった。一般の人間でも、翼竜や天馬に乗れる者は意外と多い。
「こいつぁついてるぜ、物資に女まで付いてやがるとは」
 男の一人がそんなことを言っているのが聞こえた。商人の少女たちは固まって震えている。
「何かあったのですか?」
 パトラが何の躊躇もなく声を掛けると、四人の男たちは驚いて振り向いた。
―傭兵ね。
 男たちの姿を見た瞬間に、パトラはそれが分かった。皆装備がまちまちで、粗野な空気を放っている。翼竜に乗っているところを見ると、ならず者だろう。
翼竜というのはトカゲが進化して空を飛ぶようになったもので、大した能力はない。他に飛竜と呼ばれる竜もいて、こちらは正真正銘の竜族で、知能も高く比類なき能力を持つ。見た目にもかなり違いがあり、飛竜は翼竜よりもずっと首が長く、二回りは大きい。飛竜に乗る騎士を竜騎兵と呼び、翼竜に乗る騎士は翼竜兵と呼ばれている。レイザード軍一万二千のうち一万近くが翼竜兵で占められている。これは聖天馬と天馬の違いによく似ている。
「なんだおめえは!」
 一人が脅すように叫んでも、パトラはまったく動じない。ただ落ち着いて言葉を続けるだけだった。
「わたしはシアラルの騎士パトラと申します、この子たちはシアラルに物資を運ぶ商人です、何かそそうがあったのなら代わりに謝ります、ですから見逃してあげて下さい」
 パトラは出来るだけ相手を刺激しないように、平に頭を下げた。出来れば戦いは避けたかった。すると、薄闇の中で男たちは顔を歪めて笑い声を上げた。後ろで見ていたミーナがむっとして前に出てきたが、それはパトラが静止した。
「シアラルに物資を運ぶ途中だと? だったらなおさら見逃せねぇな」
 それから男たちはニヤニヤしながらパトラに視線を集めた。緊張した静寂、天馬の羽音だけが耳に響いた。
「貴方たちはレイザードの兵のようね、まだ戦いは始まっていません、今は互いに身を退きましょう」
「おい、こいつ、シアラルのパトラ王女じゃないのか?」
「黒い天馬に乗っているって噂は聞いたが、こりゃあ間違いなさそうだ」
「こいつを捕らえれば、アルシャード王からたっぷり礼がもらえるぜ」
 男たちはパトラの言うことなど耳も貸さずに、美味しい獲物が現れたことを喜んだ。それからパトラたちを四人で取り囲んだ。
「貴方たちはシアラルに向かいなさい」
 パトラは行商の少女二人に言った。少女たちは天馬を駆り、心配そうに後ろを何度も振り返りながら離れていく。パトラはもう一度だけ男たちの説得を試みた。
「お願いです、退いて下さい、わたしは戦いたくありません」
 男たちはにやけていて、パトラのことをまるで馬鹿にしていた。
「どうしても退かないつもりですか」
「当たり前だ!」
「仕方がないわね」
 パトラは説得を諦めてナイトメアに固定してある槍を取って斜に構えた。後ろの少女たちもそれぞれ槍を手にした。そしてミーナが言った。
「パトラ様、わたしたちも戦います」
「出来るの?」
「はい!」
 フィアーナとセリリは自信がなさそうに頷いただけだが、ミーナは覇気のある返事をした。
「じゃあ、あの一人をお願いするわ、危なくなったらすぐに逃げなさい」
三人とも、一人? と思わず言いそうになった。残りの三人はパトラが相手をするというのか。パトラは目を閉じて言葉を唱えた。
「如何様な事があろうとも、殺める者、地獄へ落ちるなり、人の命を奪うこと、最も深き業なり」
「おいおい、なんだぁ、お祈りか?」
「これは」
 パトラはゆっくりと目を開けた。目つきが鋭く変わっている。
「暗殺者が人を殺める前に唱える言葉よ」
 パトラが手綱を引き絞った瞬間に、ナイトメアが前に飛び出した。パトラを最後に嘲笑した男の真横に、黒いものがいた。男にはそういうふうにしか認識できなかった。次の瞬間に男の右足に激痛が走った。悲鳴を上げてから見れば、パトラとナイトメアが真横にいて、槍が太腿に深々と突き刺さっている。男は、いてぇ、やられた、などと情けない声を出した。
パトラは素早く槍を引き抜き、そのままナイトメアを反転して、一番手近にいる翼竜兵へ突撃した。とてつもない速さだった。次に狙われた男は、戦慄しながら槍を突き出す。パトラは造作もなくそれをかわして、男の左肩に槍を突き立てた。肩を貫かれた瞬間に、男は苦悶の声を上げた。
漆黒の聖天騎士パトラは恐ろしく強い。一瞬にして仲間が二人やられて、残った男たちは慄然とした。その隙にミーナが任された翼竜兵の背中を槍で突いた。その男は背中を仰け反らせて叫び声をあげ、その後で翼竜の首に突っ伏して呻いた。
残る一人に視線が集まった。パトラはいつもと変わらない冷たい瞳で、最後に残った男を見ていた。男は恐怖に震えながらパトラのことを見返している。逃げたいのだが逃げられない。蛇に睨まれた蛙だった。
「貴方たち、こんなところで死にたくはないでしょう」
 パトラの声が妖しく月夜に響いた。パトラは少し目を細めて男たちを見ている。月光で輝く髪が風になびき、傷ついた男たちは、美しい夜魔でも見ているように呆然としていた。
「無用な殺生は好みません、逃げたければ逃げなさい」
 その言葉で、男たちはようやく金縛りが解かれたようになり、情けない声を出しながら去っていった。パトラは槍を一振りして、矛先の血を拭ってから、槍を元の位置に固定した。そして、何事もなかったかのように言った。
「さあ、帰りましょう」
 セリリとフィアーナは幻でも見るように唖然としていたが、すぐに正気に戻ってパトラの後を追った。ミーナはしっかりとパトラの後に続いている。
 余談ではあるが、軍に逃げ帰った例の男たちは、漆黒の聖天騎士パトラの恐ろしさを懸命に語った。しかし、それを聞く誰もが、小娘一人に恐れを成すとは情けない、と一笑に付したという。


4 :四季条 ユウ :2008/07/09(水) 21:32:09 ID:nmz3rDnm

第二章 シャリア攻防

 早朝、パトラは帰ってくると、護衛を務めた三人に、ゆっくり休むように言った。パトラは休まずに書斎にこもってローランへの書状をしたためた。それから玉座の間に来て、王座に腰を下ろし、レインとシェーレを呼んだ。
「徴募の様子はどう?」
「はっ、順調です、百人は集まりそうです」
「そう、もう一つの方はどうなってます?」
「あ〜、あれはもうちょっと時間かかるね、何せ数が多いからね」
 レインが頬を人差し指でかきながら言うと、シェーレは腑に落ちないような顔をした。まだレインの王女に対する言葉遣いが気になるのだろう。しかし、パトラがいいと言ったので、もう注意はしない。
「わかったわ、あとこれをローランに送ってちょうだい」
 パトラが書状を出すと、シェーレが素早く、かつ丁寧に受け取った。
「すぐに使者を送りましょう」
「よろしく頼みます」
 言ってから、パトラは玉座を立ち上がった。
「出かけます」
「また? 少し休んでいったら」
「すぐにやらなければならない事があるのよ、後の事はお願いね」
 パトラはレインの肩に手を置いて言った。後の事、というのは戦いの準備をすることである。レインに対してはこの一言で十分だった。

 パトラが回廊を歩いていると、前からパトラと同じ色の髪をした男が歩いてきた。歳は三十代というところだろう、青い上下を着て、服には何気ない装飾が施してある。右腕に分厚い本を抱え、柔和な顔つきから高い品位と知性が滲み出ていた。見るからに身分の高そうな人物だった。
「忙しそうだね」
「お父様、おはようございます」
 パトラは丁寧に頭を下げた。この男はパトラの父でありシアラルの王である。名をロディンと言う。ロディンは見た目通り優れた学才を持っている。男は学、女は武、というのがシアラル建国以来の慣わしである。一見すると違和感がありそうだが、これが実にうまく回る。おかげでシアラルは、大陸で最も豊かな国になっていた。
「戦いになるかね?」
「なりますね」
「ふむ、アルシャードも難儀なことをする」
 ロディンは顎に指を添えて考え込んだ。
「物事には必ず意味があるものだ、この戦いにも何か深い意味があるのかもしれないな」
「わたしにはそういう論理は関係ありません、敵が来るのなら戦って打ち破るのみです」
「頼もしいことだ」
「お父様、時間が余りありませんので・・・」
「うん、気をつけて行っておいで」
 ロディンは優しげな瞳で可愛い娘の姿を見送った。パトラが先にある曲がり角に消えるとロディンは感慨深く思った。
―似ているな、ディアナにそっくりだ、お前が母に似ていれば似ているほど、これから先苦しむことになるだろう、そうなった時、わたしに何が出来るのか・・・。
ロディンは両目を瞑り、悲しさで顔を歪めた。妻のディアナのことを思い出していた。

 パトラはナイトメアに乗り、黒い翼を羽ばたかせて森の上を低空で飛んでいた。聖天馬は天馬の一.五倍程の速さで飛ぶことが出来るのだが、ナイトメアの速力は二倍以上ある。下に見える森の緑がまるで流れているように見える。前からやって来る風がパトラの深みのある茶髪と衣服を激しく翻弄する。全速力だった。やがて森が切れると、今度は幾つも連なる畑が見えた。色とりどりの作物が実っている畑と、何も植えていない畝だけの畑が混在している。畑と畑の間に幾筋も農道が走り、村人たちの住む小屋が散在していた。パトラは村の中心を抜ける一番太い農道に降りて、辺りの様子を確認しながらナイトメアを歩かせた。すると、近くで畑を耕していた老人が怪訝に目を細めて近づいてきた。そして、黒い聖天馬がはっきりと見えるところまで来ると、腰を抜かすほど仰天した。
「もしやパトラ王女様では」
 老人は鍬を投げ捨てて、小走りで近づきながら言った。
「お勤めご苦労様」
 パトラは微笑とまではいかないが、少し柔らかい表情になって言った。老人は恐縮して頭を下げた。
「狩りの女神に会いたいのです、どこにいますか」
「ああ、アルティナですか、あの娘なら森へ狩りに出かけています、帰ってくるのは昼過ぎになりますぞ」
「そうですか、では待たせてもらいます」
「王女様、大したもてなしは出来ませんが、お茶をお出ししましょう」
「いえ、お構いなく、わたしは村を散策しますので、気にせずに仕事を続けて下さい」
 パトラは馬上から老人に一礼して、手綱を軽く引いた。ナイトメアがゆっくりと歩き出す。村人たちはパトラの姿を見ると、皆驚いて走りより、慇懃(いんぎん)に挨拶をした。パトラは村人たちに悪い気がしてきて、ナイトメアを走らせて村を出た。村外れは草原になっており、その草原にぽつんと大木が一本立していた。パトラは木陰に入り、ナイトメアから下りて、木の根元に腰を下ろした。それから顔を上げて遠くの青空を見つめる。
―わたしには王女など似合わない、あの小さな村で畑の手入れをしたり、森で果実を集めたりして、好きな時に天馬に乗って美しい景色を眺める、そんな生活が性に合っている。
 パトラは一人になると、よくそんなことを考える。これは王女としての生活に疲れているのでもなく、普通の生活に憧れているのでもない。ただ、純粋にそう感じるのだ。それから目を瞑った。するとすぐに激しい眠気に襲われた。丸一日睡眠を取っていないので当然である。
パトラがうとうとしていると、前に気配がして、顔に生暖かい息がかかった。目を開けてみるとナイトメアが鼻面を近づけて、つぶらな黒い瞳で見つめていた。
「ナイトメア、わたしは疲れているの、少し眠らせてちょうだい」
 パトラに頬をなでられると、ナイトメアは少し離れて草を食み始めた。再び目を閉じる。草原を渡る優しい風と緑の香りが、パトラの体に何ともいえない心地よさを与えた。風と草原の草が奏でる微かな音だけがあった。その静かな世界でパトラはささやかな休息を取った。
 目を覚ますと、日が随分と高くなっていた。もう昼にはなっているだろう。もしかしたらそれよりも大分時間がたっているかもしれない。思ったよりも長い時間寝てしまったようだ。パトラは急いで立ち上がり、ナイトメアの背中に跳び乗った。それから飛び上がって、一気に村の中へ入っていった。あっという間に村の中ほどまで来ると、そこで地上に降りた。着地するときに、黒い翼の風圧で周りに土煙が起こった。その近くに先ほど会った老人がいて、早足で近寄ってきた。
「王女様、ちょうどよかった、アルティナが帰ってきたところです」
「すぐに会わせて下さい」
 老人は頷くと、
「おーい、アルティナー」
 と老体からは想像できないような大声で呼んだ。すると近くの小屋から少女が出て来て、パトラに向かって走ってくる。パトラはナイトメアから降りてそれを迎えた。少女はパトラの前まで来ると、畏怖するように縮こまった。草色の上下を着ていて、長い金髪で、左側の髪だけまとめてテールにしている。くりっとした大きな瞳はアクアマリンのような美しい水色だった。
「あなたが狩りの女神ですか」
「それは、周りの人が勝手にそう呼んでるだけです、わたしは狩りをして暮らしているだけの娘ですよ」
 アルティナは恥かしそうに少し下を向いて言った。声にはまだまだ幼さが残っている。アルティナは飛ぶ鳥をも矢で射落とすほどの弓の名手であった。その道では有名な少女で、いつからか、狩りの女神という渾名がついていた。
「あなたの力が必要です」
「王女様、それは・・・」
 アルティナは言葉を返そうとしたが、パトラの真摯な瞳を見ると、何も言えなくなった。二人はしばらく見つめ合って、アルティナの表情が神妙になってきた。そして、パトラの足元に跪いた。
「わたしでお役に立てるのなら」
「そう硬くなる事はないわ」
 パトラはアルティナの前にしゃがみ込むと、その腕を取って立ち上がらせた。それからアルティナの両手を掴んで目を合わせた。
「これからよろしく頼みます」
 一国の王女であるパトラが村娘のアルティナに頭を下げた。アルティナはその姿を見て心が震えた。一生このお方についていこう、という思いが自然と心に溢れていた。

 パトラは城へ帰ると、すぐに次の行動を起こした。玉座の間にシェーレを呼び、こんな事を言った。
「軍をふるいにかけます」
「ふるいにかける? どういうことですか?」
「子を持つ者は、十分な給金を与えて即脱退させなさい」
「承知しました」
 これが全軍に通達されると、脱退対象者のほとんどがパトラの前にやってきた。その数百近く、玉座の前で全員が片膝を付いた。ほとんどが赤い制服を着た小隊長クラスである。子を持つくらいの歳なので、皆ベテランだった。一番前に跪く、癖のあるブロンドを長髪にした女性が顔を上げた。彼女はパルテノと言って、歳は二十五になる。過去に何度も近衛騎士になるように勧められているが、自分は小隊長が性に合っているからと断っている。レインやシェーレに並ぶ優秀な騎士だった。
「パトラ様のお気持ちには深く感謝しております、しかし、わたしどもはパトラ様と共に最後まで戦う覚悟でいます、どうか戦線にお連れ下さい」
「駄目です、子供の下へ帰りなさい」
「我々がこのような立場にいる以上、わが子も覚悟はしております」
「それは貴方たちの勝手な思い込みだわ、母を失った子の気持ちをもっと深く考えなさい、子供にとって母は命の一部です、早くに母を失えば一生悲しみを背負って生きていくことになります」
 重苦しい空気の中に静寂が訪れた。一人として声を上げる者はいない。じっとパルテノを見るパトラ瞳が潤み、悲しい光が宿った。
「わたしは母を亡くしているからよく分かります、貴方たちの子供にこんな思いはさせたくない」
 この一言で収拾がついた。彼女らに反論の余地はなかった。
「・・・パトラ様、どうやら我々が間違っていたようです」
 そう言うパルテノの瞳から涙が零れた。周りからもいくつか啜り泣きが聞こえてきた。
「子供のことまでこれほど深く考えてくれるなんて、本当に感謝の仕様もありません」
「帰ったら子供に愛を注いであげなさい、それがわたしへの忠義になります」
 パルテノはしばらく下を向いて声を殺して泣いていた。涙が石床に点々と落ちていく。それから涙に濡れた顔を上げて言った。
「パトラ様、どうかご武運を」
 全員が部屋から出て行くと、パトラはほっとしたように玉座に身を預けた。これからやる事が山積みである。休んでいる暇はなかった。

 セリリ、フィアーナ、ミーナは、城の中庭にある木の下に座って話し込んでいた。この三人は気が合うらしく、何もないときは一緒にいることが多い。ミーナがはきはきと自分の夢を語っていた。
「わたしさ、バリバリ武勲を立てて、聖天騎士になるのが夢なんだ、それでお父さんとお母さん楽させてあげるの、二人は何で騎士になったの?」
「わたしはお母さんに仕送りするためよ、ミーナとちょっと似てるね」
 セリリが言った。フィアーナは何故か浮かない顔をしている。
「フィアーナは何でシアラルに来たの?」
 ミーナが聞くと、フィアーナは困惑した表情になり、二人から目を逸らした。
「ええっとね、わたしは・・・そうそう、うちってすごく貧乏でさ〜」
「じゃあ、フィアーナも親に仕送りとかしてるわけ」
 ミーナが言うと、フィアーナは無言で小さく頷いた。
「三人とも似た者同士ね」
 セリリが嬉しそうに言うと、フィアーナは深く沈んだ表情で下を向いていた。顔を逸らしていてセリリとミーナにはそれは見えない。その時、何者かが三人に近づいてきた。セリリとミーナはその姿をはっきりと認めると、あっと驚いた。フィアーナは何か考えているようで、それには気づかない。そして、フィアーナの前に人の立つ気配がした。フィアーナが少し顔を上げると、白い靴を履いた二足が目に入った。それから見上げると、こちらを見下ろしているシェーレがいた。
「あ、やばい!」
 フィアーナは立ち上がって逃げようとしたが、シェーレが素早く右腕を掴んだ。セリリとミーナは訳が分からず、唖然としてその様子を見ている。
「どういう事なの、なぜ貴方がここにいるの」
「いや、放して!」
 シェーレは眉間に皺を寄せていて怒りが感じられた。フィアーナは必死にもがいて腕を振り払おうとする。
「お父様から手紙が来たわ、貴方がシアラルにいるって、今すぐにローランへ帰りなさい」
「嫌よ! 帰りたくない、あんな屋敷!」
「何ていう事を言うの、お父様とお母様がどれだけ心配しているか分かっているの」
 フィアーナが激しく暴れると、腕を掴むシェーレの手が離れた。フィアーナは走って逃げ出した。
「待ちなさいフィアーナ!」
 シェーレは後を追った。追う者と追われる者は中庭から城の中に入っていった。セリリとミーナは顔を見合わせてお互いに頷くと、彼女らも後を追いかけた。フィアーナはどこだろうとお構いなしに逃げ回った。それだけでもかなり目立つのだが、その後を追うのが近衛騎士のシェーレなので、はたで見る者は何事かと顔をしかめた。逃げていくうちに、前からパトラとレインが並んで歩いてくるのが見えた。パトラは逃げてくるフィアーナの姿を見ると立ち止まった。
「パトラ様、助けて」
 フィアーナはパトラの後ろに隠れた。すぐにシェーレが追いついてきて、まずはパトラに会釈した。
「何事ですか」
「申し訳ございません、その子はわたしの妹なのです、知らない間にシアラルに来ていて、父からローランに連れ戻すようにと便りがありましたので、そのようにするところです」
「あんた、今頃気づいたのか」
 レインがニヤッとして言うと、シェーレは痛いところを突かれたようで苦い顔をした。フィアーナはシェーレの目につかないように気をつけていたので、今の今まで見つけることができなかった。
「シェーレに妹がいるというのは聞いていたけど、フィアーナがそうだったのね」
「えへへ、実はそうなんですよ」
 フィアーナがパトラに言うと、シェーレの顔が厳しく変わった。
「フィアーナ、失礼ですよ、パトラ様から離れなさい」
 すると、フィアーナはそれとはまったく関係ないことを言い出した。
「わたし家には帰らないから、シアラルの騎士として平和の為に戦う」
「貴方はまだまだ未熟です、とても騎士などにはなれないわ」
「そんなことないもん、やれるよ」
 姉妹で押し問答をしていると、レインが隙を見て言った。
「妹なんだから、あんたが面倒見てやればいいじゃない」
「冗談ではないわ、わたしにはそんな暇はありません」
 その時パトラが後ろを振り向くと、今にも泣きそうな表情で下を向いているフィアーナがいた。パトラはフィアーナを自分の前に出して、後ろから両肩を抱いた。
「そう邪険にするのは可哀想よ」
「しかしパトラ様、この子はいけません、ローランに送り返します」
「シェーレはフィアーナを煩(わずら)わしいと思っているでしょう」
 パトラにいきなりそう言われると、シェーレは一瞬言葉を失った。パトラにじっと見つめられると、まるで心の内を見透かされているように思えた。
「もちろん心配もしているでしょう、でもその中に煩わしさもあるわ」
「それは・・・」
「フィアーナがこんなところまで来たのには、それなりの理由があるはずよ、それもろくに聞かずに帰れと言うのは少し乱暴ではないですか」
 全てを見たように言うパトラの前に、シェーレはすっかり黙ってしまった。フィアーナはそれを心配するような顔で見ていた。
「フィアーナがどうするかは、フィアーナ自身が決めればいいことです」
「パトラ様のおっしゃる通りかもしれません」
シェーレはいかにも納得いかない、という感じの表情で言った。シェーレがパトラに対してこんな顔をするのは初めてのことだった。それからフィアーナを見て言った。
「フィアーナ、一日よく考えて答えを出しなさい」
 パトラは、それでいい、とでも言うように頷いた。
「今日は宿舎に戻って休みなさい、貴方たちもね」
 とパトラは少し離れて様子を見ていたセリリとミーナにも言った。二人は慌てふためいて敬礼した。
 夜になるとパトラは宿舎に訪れた。宿舎は街外れの森を切り開いた場所にあり、大規模な四階建の建物が全部で五棟ある。これらはすべて女性専用で、飛天騎士の七割はここに住んでいた。後の3割は城下街や近隣の町などからやってくる。一人一部屋与えられ、食事に始まり、ベッドやトイレ、シャワー室などが付いている。これだけの人数でありながら、共同で使う物は何一つなく、衛生面は徹底されていた。なにせ女性ばかりの軍隊なので、環境が不衛生なだけでも士気が下がってしまう。普通の軍隊と比べて、気を使う場所が多かった。
 パトラは宿舎の一つに入った。階段で三階まで上り、宿舎の端の方に向かって廊下を歩いていく。廊下は広々として幅があり、左右に一定の間隔でランプが吊るしてあるので明るかった。廊下に沿って左右に部屋がずらっと並んでいる。宿舎の乙女たちはパトラの姿を見ると左右に退いて敬礼した。パトラも同じように敬礼を返した。パトラはそのうちにある部屋の前で立ち止まり、目の前の扉を軽く叩いた。扉が開いて中からフィアーナが顔を出した。フィアーナは一瞬何か分からないような顔をして、それから目を真丸にした。
「あ、えっと、パトラ様、な、何でこんなところに・・・」
 フィアーナは驚きのあまり、しどろもどろになっていた。パトラはそれが可笑しかったのか、珍しく微笑を浮かべた。
「一緒に星を見に行きましょう、とても綺麗よ」
「ほ、星ですか?」
「そうよ、つまらないかしら」
「い、いえ! 行きます、じゃなくて、お供させて頂きます!」
 フィアーナの驚きは尋常ではなかった。王女がわざわざ宿舎まで来て、見習騎士に星を見に行こうなどと言うのだ。そうなるのも仕方がない。二人は屋上に出て、夜空を見上げた。宝石を散りばめたような赤や青の輝きが暗い空を埋め尽くしていた。
「うわ〜、綺麗」
 フィアーナは思いがけないほど美しい空に感動した。パトラは何もかも忘れて、夜空に浮かぶ星や月を見るのが好きだったが、今はそれが目的ではない。フィアーナの感動が落ち着くのを待って、パトラは言った。
「あなたは何か悩みがあるんじゃないの?」
 フィアーナははっとパトラのことを見て、それから下を向いて黙り込んだ。
「無理にとは言わないけれど、よければ話してくれないかしら、何か力になれるかもしれないわ」
「ありがとうございます、わたしなんかの為に・・・」
 フィアーナは思案するように遠くの星空を眺めた。そして、やがて口を開いた。
「わたし、姉様のことが大好きです、頭もいいし、騎士としても一流で、心から尊敬しています、でも妹のわたしは全然駄目、頭もよくないし、半人前だし・・・」
 そこまで言って、心を落ち着けるように深呼吸をする。
「それはいいんです、わたしは姉様とは違うし、姉様みたいになりたいとも思いません、でもお父様とお母様が、何かにつけて姉様に比べてお前は頭がよくないとか、槍が上手くないとか、毎日のように言うんです」
 その時、フィアーナの肩が震えた。
「わたしは姉様みたいにはなれないんだよ!」
 フィアーナの声が夜空に響き渡った。それは故郷にいる両親に向けられた叫びだった。フィアーナはそれから座り込んで泣き崩れた。
「あの家にいたら、姉様のこと嫌いになっちゃいそうで、恨んじゃいそうで、それで・・・」
「それで屋敷を飛び出したのね」
 フィアーナは啜り泣きながら頷いた。フィアーナの両親は、別に傷つけようと思って姉と妹を対比したのではないだろう。しかし、フィアーナにとっては辛いことだった。両親が何も感じていないというのがさらに悪かった。一言ごとに心が傷つけられ、今ではボロボロになっていた。
「姉様に会いたかったの・・・」
 フィアーナはそれ以上言葉が続かず、ただ体を震わせて泣くばかりだった。パトラはフィアーナの前に膝を付くと、優しく抱いてやった。フィアーナはされるがままに、パトラに体を預けた。
「辛かったわね」
「パトラ様、あり・が・・とう」
 フィアーナは何度も何度も、ありがとう、と言った。言葉は咽(むせ)びで途切れ途切れになっていた。
 パトラはフィアーナを部屋まで送ると、すぐに城へ帰って書斎に入り、そこにシェーレを呼んだ。そして、フィアーナの思いと苦しみをありのままに、一言一句違えることなく伝えた。シェーレは最初に驚いたような顔をして、それから表情が深い苦悩に沈んだ。
「あの子がそんなことを・・・」
 パトラは机の椅子に座り、ただ黙ってシェーレの様子を見ていた。
「妹をこれほどまでに気遣って頂いて、感謝の言葉も見つかりません」
「余計なお世話だったかしら?」
「いえ、あの子は頑固なところがありますし、わたしも融通の利かない性格なので、話し合ったところでうまくはいかないでしょう、パトラ様だからよかったのです」
「お役に立ててよかったわ」
 シェーレは恐縮して深く頭を下げた。しばらくその状態でいて、深く感謝しているということが、空気を通して伝わるようだった。
「後は二人で話し合います」
「わかりました、今日はもう休みなさい、遅くに呼び出してしまって悪かったわね」
 シェーレが一礼して出て行こうとしたとき、パトラが後ろから言った。
「たった一人の妹なんだから大切にしてあげなさい」
「はい」
 シェーレは出口の前で振り向いて、もう一度深く礼をして出て行った。

 次の日の早朝、城の一角にあるシェーレの部屋の扉を誰かが叩いた。着替えなどの準備を終えていたシェーレは、すぐに扉を開けた。そこにはフィアーナがいた。
「姉様、お話したいことがあります」
 改まって言う妹に、シェーレは只ならぬものを感じた。すぐに部屋に入れて扉を閉じた。そうすると、フィアーナはいきなりその場に正座して、真剣な顔でシェーレを見上げる。昨日までとはまるで別人だった。直(ひた)向(むき)なフィアーナの中には、貴族としての風格や品位が漂っていて、シェーレですら圧倒されるような気持ちになった。
「わたしはシアラルの騎士となって、姉様と共に戦います、たとえ姉様に叱られようとも、お父様とお母様に縁を切られるようなことになろうとも、そうするつもりです」
 シェーレは、怒りはしなかった。逆に微笑して、よく言った、とでも言っているように見えた。
「貴方の気持ちはよく分かりました、お父様とお母様には、わたしがよく面倒を見るので心配しないようにと手紙で伝えておきます」
「姉様」
 フィアーナの顔がぱっと明るくなった。
「わたしは忙しいけれど、夜なら時間があります、夜になったらここを訪ねなさい、槍の稽古をつけてあげます」
 フィアーナはそれを聞くと、思わず立ち上がって、目の前にいる姉に抱きついた。シェーレは微笑のまま妹を優しく抱いて、後ろ髪をなでてやった。
「姉様、大好きだよ!」
 
 この日の昼頃になると騎士団の名簿が上がってきた。それには騎士たちの出身地や家族構成なども明記してある。パトラが以前に依頼したものである。パトラは午前中どこかへ出かけて、午後からは書斎に篭り、ずっとそれに目を通していた。その作業は翌日の朝方まで続いた。そして、パトラが書斎から出てきたとたんに、女性の弓兵百人が集まったという報告があった。すぐさま徴募した兵たちに会い、ある場所に行って待機するように命じた。それからまた書斎に戻り、今度はレインとシェーレを呼んで、準備の状況を聞いたり軍の編成を指示する。かなりの激務だった。
「準備の方は整っているよ、武器の配給は終わったし、兵糧なんかは市民がどんどん持ってきてくれるしね」
 レインが言った。シアラルでは搾取は行わないし、税金も非常に安価だった。その分、非常時になると、民衆が自主的に物資を持ってきてくれる。これもシアラルの伝統である。
「編成の方はいかがいたしましょう」
「軍のバランスを取る為に天(てん)槍(そう)騎士団(きしだん)と天(てん)剣士団(けんしだん)を一度解体して、槍騎士と剣騎士の混在部隊を編成します、隊名はレイン隊とシェーレ隊に改めましょう、誰がどこにつくかはわたしが指示するわ」
シアラル飛天騎士団は、天槍騎士団と天剣士団の二大隊に分かれていた。天槍騎士団の隊長がシェーレで、天剣士団はレインが受け持っている。これは槍使いと剣士をはっきり二分する為の編成で、この方が訓練しやすいのだ。シアラルには剣と槍、二つを扱う騎士はいない。どちらか片方を徹底的に仕込まれる。
編成の再構築には二日ほどの時間を要した。出来上がってみると、これが非常に妙なる軍となっていた。レイン隊には田舎出の者や自由を好む者、大らかな性格の者などが配属され、シェーレ隊には身分のある者や騎士道を重んじる者など、いかにも騎士然とした者が配属された。この二大隊、まったく相反しているように思えるが、戦いになるとなぜか息が合った。そこにパトラを隊長とする、聖天騎士三百騎で編成される精鋭部隊が加えられた。さらにもう一つ、この軍には驚くべき仕掛けが隠されていた。聖天騎士は一騎でも十分な力を持っているが、飛天騎士は少々心もとない。そのため飛天騎士はほとんどが二人一組になっている。しかも気の合いそうな者同士で組になっているのだ。互いに助け合うことによって、普段の何倍もの力を出すことが出来た。その上、残りの聖天騎士三百騎程を遊撃隊にして、飛天騎士たちのサポートに回す。この軍隊には助け合いの連鎖が組み込まれていた。これらは全てパトラの指示によるものである。ちなみにパトラの護衛をつとめたあの三人、セリリとフィアーナが組になり、ミーナは希望により単独一騎となっている。編成が出来た時点で時間いっぱいだった。

 パトラは出撃の直前に、城下街へ出かけた。短い距離だが時間がなかったので、ナイトメアに乗って一気に街へ降りる。古びた建物の前に着地すると、パトラはナイトメアをその場に残して建物に向かって歩いていった。なぜか右手に弩(いしゆみ)を持っている。中に入ると、むっとした熱気の中に鉄を打つ音が響いていた。カウンターがあり、壁に剣や斧などが飾られている。ここは鍛冶屋だった。カウンターの向こう側にいる無精髭の男がパトラの姿を見て目を剥いた。
「王女様、こんなむさ苦しい場所に何か用ですか」
パトラは右手に持った弩をカウンターの上に置いた。
「これを改造して威力をそのままに、重さを半分にしてほしいの」
「これは難題だ・・・」
 男は難しい顔で無精ひげを触っていた。
「出来ねばどうなります?」
「大陸全土がレイザードの手に落ちます」
「脅しですな、そう言われてはやるしかない」
「二週間以内にお願いします、数は百ほど」
「無理な事をおっしゃる、しかしやってみせましょう」
「感謝します、代金はすぐ納入させます」
「いや、代金はいりませんよ、王女様には日ごろからお世話になっていますからな」
「そういう訳にはいかないわ」
 パトラがそう言っても、男は丁寧に断るばかりだった。時間がなくなっていたのでパトラの方が折れた。パトラが帰り際に、感謝して頭を下げると、男は慌てて礼を返して恐縮した。

 この日、城下街の上空は白い騎士で埋め尽くされ、何千という天馬の影が街を覆っていた。街中の人々が外に出て、上空に向かって両手を振り、声援を送っている。そんな中で、落ち着いて洗濯物を干している白いエプロン姿の女性がいた。パルテノだった。そこへ小さな女の子が近づいてきて長いスカートにすがった。
「お母さん、すごい!」
 パルテノの娘は無邪気に上を指差して言った。パルテノも上を見上げた。幾重にも重なる天馬の羽音が聞こえる。
―きっと激しい戦いになる、どれだけの乙女が犠牲になるだろうか・・・。
 パルテノは自分の中に起こった不吉な思いを打ち消すように目を瞑り、また乙女の騎士たちを見上げた。
―シアラルの白い勇者たちに幸あれ!


5 :四季条 ユウ :2008/07/11(金) 23:02:48 ID:nmz3rDnm

 上空ではパトラが先頭に立って指揮を取っていた。周りが全て純白の天馬なので、パトラの黒い聖天馬は非常に目立つ。パトラの左右に聖天馬に跨るレイン、シェーレが並び、三人ともいつもの服装に加えてマントと胸当てをつけている。それらの色はパトラが黒で、レインが青で、シェーレが白である。
 シェーレの側に聖天騎士がやってきて軍の状況を知らせた。
「パトラ様、全員招集いたしました」
「では出撃します」
 パトラが言うと、周りにいた伝令兵が散って、軍内に進撃を伝えた。上空に浮かぶ白く優美な軍隊がゆっくりと動き始めた。この可憐な乙女たちが伝説的な戦いを繰り広げようなどとは、その時は誰一人として想像しなかっただろう。

 ここでウィンデリア大陸における軍事の歴史を見る。元々ウィンデリアには軍隊というものは存在しなかった。どこの王国も、治安を守る為の百か二百程度の兵がいるだけだった。そんな時代が三百年以上も続いた。ところが今から百年近く前に、レイザード王国が盗賊団の殲滅を理由に兵の増強を始めた。瞬く間にレイザードの兵力は膨れ上がった。盗賊団を殲滅するにしては、余りにも大きい兵力だった。これは何かあると感じた当時のシアラル女王が、ローランに使者を送り、談議を重ねて牽制の為の軍隊を作ることになった。シアラルとローランは、女性の権威が強い国だったので、その風潮にのっとって、飛天騎士団が結成された。これらが三国における軍隊の起こりである。当時レイザードが何を考えていたのかは分からないが、これによって何らかの野望が阻止されたと言われている。軍隊は結成されたものの、今日まで平和は保たれてきた。

 シアラル飛天騎士団がシャリアに到着すると、パトラは騎士たちに体を休めるように通達して、それからすぐにレインとシェーレを連れて、フェリシティに会った。パトラは玉座に座るフェリシティの前に来て、騎士団の到着を報告した。レインとシェーレは、パトラの後ろで慇懃に頭を下げる。
「シアラル飛天騎士団、聖天(グラーニ)騎士(ナイト)六百、飛天(ウィング)騎士(ナイト)二千八百、唯今到着いたしました」
 パトラが言った直後に、扉を開いて堂々と入ってくる女性があった。金髪をポニーテールにして、白い服の上に白い胸当てと白いマントを着けている。裾が足首まであるスカートには動きやすいように深くスリッドが入っていた。全身が白に包まれ、清い感じが浮き出ていて、天使か女神でも想像させるような美しい女だった。
「ローランのミネアです、聖天騎士八十騎、飛天騎士千九百騎と共に参りました」
 柔らかな声が響く、ローラン王国のミネア王女だった。歳は二十一になる。ミネアは大陸でも指折りの聖天騎士で、武勇に関してはパトラよりもずっと有名だった。後ろからやってくるミネアを、シェーレが振り返って見た。ミネアはシェーレと目が合うと、瞬間に不機嫌な色を浮かべた。シェーレは冷や汗をかきながら前を向いた。
「ミネア王女、パトラ王女、ご足労感謝いたします」
 フェリシティが立ち上がって礼をすると、その前にいる者たちも同じように頭を下げた。それからパトラが言った。
「少し休んだ後に作戦会議を開きましょう」
「では、そのようにして下さい」
 フェリシティが言うと、皆会釈をして部屋を出て行った。それから予想もしない一悶着があった。パトラたちが廊下を歩いていくと、後ろから怒っているような声が追ってきた。
「この裏切り者!」
 三人が振り向くと、ミネア王女が走って来るのが見えた。パトラとレインは何事かさっぱり分からないという顔をしていたが、シェーレはあっと言って青い顔をした。ミネアは三人の中に割って入って、シェーレの首を左腕でロックして、右の拳を頭に押し付けた。
「い、いたい、ミネア様、止めて下さい」
「もう、何でシアラルなのよ、わたしがあれだけ誘ったのに」
「お許し下さい、ミネア様」
「駄目、今日はとことんいじめるわよ」
 必死に許しを請うシェーレに、ミネアはふざけ半分に笑いを浮かべながら言った。レインはそれを見て、傑作の喜劇でも見るように声を殺して笑い、パトラも表情を少し明るくしている。ミネアはしばらくシェーレに仕置きを据えた後に解放した。シェーレは半泣きして、申し訳なさそうに下を向いていて、ミネアはそれを嬉しさの滲む笑顔で見ていた。
「なんてね、冗談よ」
「本当に冗談なのですか・・・」
 シェーレは恐る恐るミネアの顔を見ていた。
「失礼ですが、二人はどのような関係なのですか?」
 パトラが言った。シェーレがミネア王女と面識があるというのは知らなかった。
実はミネアとシェーレの関係はかなり深い。シェーレの家系はローランでも指折りの大貴族で、昔から王家と親交があった。シェーレは子供の頃から、ミネアに妹のように可愛がられて、兵法や槍技、天馬(てんま)操術(そうじゅつ)なども教えて貰っている。師弟と言ってもいい関係だった。ミネアはシェーレの才能を早くから見抜き、日ごろからローランの飛天騎士団に入るように勧めていたのだが、当人はシアラルに仕官してしまった。ミネアの気持ちを考えれば、寂しくもあり、腹も立っただろう。
事のあらましを聞くと、レインが両目を瞑って深い溜息をはき、ミネアにさも同情するような演出をした。
「それは酷い、ミネア様が怒るのも無理ないね」
「そうでしょう」
「うう、もう勘弁して下さい」
 いつも威厳に満ち溢れているシェーレも、ミネアの前では形無しだった。ミネアはそんなシェーレの頭を小さな子供にでもするようになでた。それから感が極まったようにきつく抱きしめる。お互いの服を通して体の柔らかさと温かみが伝わった。ミネアはそのままシェーレの耳に囁いた。
「また会えて嬉しいわ」
「ミネア様、わたしも・・・」
 それからミネアは離れて、シェーレの両肩をしっかり掴んで顔を見据えた。
「うん、立派になったわね、入隊してたったの一年でシアラルの中核を担うなんて、わたしが見込んだだけのことはあるわ」
 それからミネアはパトラを見た。
「パトラ王女、これからもシェーレをよろしくお願いします」
「わたしの方こそお世話になっています」
「そうですか、パトラ王女にそこまで言わせるのなら、何の心配もいらないわね」
 ミネアは別れを惜しむように、再びシェーレを見た。
「シェーレの気持ちは分かっているわ、わたしは貴方が元気でやってくれているなら、それだけで嬉しい」
 それだけ言うと、ミネアはパトラたちの前から去っていった。シェーレがシアラルに仕官した理由は、ローランだと最初から良い待遇で迎えられると分かっていたからだった。シェーレは何もない場所で自分の力を試してみたかった。そういう生真面目さからシアラルを選んだのである。ミネアの言うシェーレの気持ちというのは、それのことだった。
 ―器の大きい方だわ。
 パトラが去っていくミネアの背中を見ながら心の内で呟いた。
「いつかは恩を返さなければいけないわね」
「はい、この戦いが終わったらローランに帰るつもりです」
「そうするといいわ」
 それから小休止の後、作戦会議が開かれた。城の一室を借りて、パトラたち三人にミネア、その他副官が何人かと、フェリシティも来て様子を見守った。部屋は広々としていて、中央には大木を輪切りにした一枚板の立派なテーブルが置いてあり、周りにいくつもある鐘形の窓からは、晩春の柔らかな光が注いでいる。さてどうしようか、と皆が思案を始めたとき、パトラが机の上に地図を広げた。それはシャリアの周辺地図で、その中には予想される敵の進行ルートや布陣、それから味方の布陣まで詳細に書き込んであった。パトラは素早く手を打つ為に、あらかじめ作戦を用意していた。これにはレインもシェーレも舌を巻いた。だが、驚くのはまだ早かった。味方の布陣を見ると誰もが言葉を失くした。しばらくして、やっとのことでシェーレが口を開いた。
「パトラ様、これは・・・」
「見たままです、戦う時はこのように布陣します」
「・・・右翼と左翼の最前にわたしとレインがいるのはまだ分かります、しかし、先を行く斬り込み部隊をパトラ様が率いるというのは余りにも無謀です、もしパトラ様が討たれれば、全軍総崩れになってしまいます」
 パトラは無表情で瞳に冷静な光を宿している。何を言われても動じる気配はない。
作戦の詳細はこうであった。地上で軍隊を率いる場合の布陣は平面になるが、空中の場合は立体になる。自由な陣形を組める分、その良し悪しによる影響は大きかった。パトラが提案した陣形は、右翼と左翼を氷柱(つらら)型にして、その先端部分にレインとシェーレを置き、二人の力で敵陣に穴を開けてもらう。最初に敵とぶつかる外殻には強力な聖天騎士を配置する。氷柱が敵軍の深部まで突き刺さったら、陣形を解放して内側から突き崩すというものである。右翼と左翼の間には聖天騎士三百で構成された斬り込み部隊が配置され、それらが最初に敵軍に斬り込んで混乱を誘う。その部隊長がパトラである。シアラルの隊長クラスは、他国で言う将軍と同格であり、それらは安全な隊の後方で指揮を取るのが常だった。パトラの作戦はそれを完全に覆(くつがえ)していた。大将のパトラが最も危険な場所にいて、レインとシェーレも右翼と左翼の先端である。これでは討って下さいと言っている様なものだった。これには戦いを全く知らないフェリシティですら驚愕した。
「パトラ王女は後方で指揮を取るべきだわ」
 ミネアが言うと、パトラは首を横に振って頑なに拒んだ。
「長が後ろに下がれば隊も臆病になります、率いる者が先頭に立つのは勝利の定石です」
 自分よりもずっと年下の少女が、毅然(きぜん)としてそんなことを言うので、ミネアは思わず息をのんだ。しばらくの沈黙。そして、その場の重い空気を追い出すように、レインが明るく言った。
「この子はそんな簡単には討たれないから大丈夫よ、アルシャード王にも負けない腕を持ってるんだから」
 全員の視線がパトラに集中した。アルシャードは大陸一の槍の名手と言われていた。目の前にいる少女がそれに匹敵するというのは、にわかに信じがたい話だった。シェーレが厳しい表情をした。
「しかし、それを踏まえた上でも納得のできる作戦ではありません、どうかご再考して頂きたい」
「元よりまともにやり合って勝てる戦いではないわ、それに皆が命懸けで戦っているのに、自分だけ安全な場所で指揮を取るなどということは、わたしには出来ません、この作戦でいきます」
「もう諦めなって、パトラは一度やると決めたら後には引かないんだよ」
 さらに何か言おうとしたシェーレをレインが止めた。続けてミネアが口を開く。
「わかりました、この作戦でいいとして、わたしたちは何をすればいいのかしら?」
 地図にはローラン軍の布陣が書き込まれていない。
「ミネア様の部隊には、他にやってもらいたいことがあります、それは後ほどお話いたします」
「なるほど、じゃあ、後は敵が来るのを待つだけね」
 ミネアは腕組みをして言った。
その頃、レイザードの竜騎兵団は北上してシャリアに近づきつつあった。戦いはもう間近に迫っている。

 隊長のレイン、シェーレに加えて、パトラ王女までが最前線に出て戦うらしい。こんな噂がシャリア中に流れた。民衆たちは無茶ではないかと心配したが、飛天騎士団の士気は著しく向上した。
「妙な噂が流れてるよ」
 レインがパトラの部屋に入ってくると言った。パトラは机の前に座って本を読んでいる。
「どんな噂?」
 パトラは本から目を放さずに言った。
「言わなくったって分かってるくせに」
 レインは言いながら近くのベッドに腰を下ろす。
「なんのこと?」
「敵の諜報員、一人や二人は潜り込んでるだろうね」
「それがどうかしたの」
「こっちの士気を向上させて、敵を油断させるってわけですか」
 パトラは何も答えずに本を読み続けた。
「あんたが流したんでしょ、あの噂」
「さあ、わたしは知らないわ」
「ま、いいんだけどね」
「そんな事をわざわざ言いにきたの?」
「うん、そう、暇だったから」
 パトラは本を静かに閉じて机から立ち上がると、ベッドに近づきレインの隣に座った。
「戦いになったら、レインとシェーレとわたしの三人に攻撃が集中するわ」
「あんたが一番狙われるんだからね、わかってるよね」
「一人に攻撃が集中した方が、周りの者は戦いやすいわ」
「恐れ入った、あんたには誰も勝てないね」
 レインは両手を挙げて降参するような真似をした。
「あいつら、わたしたちを女子供の集まりくらいにしか思ってないよ、その上パトラが前線に出て来るって知ったら、有頂天になるだろうねぇ」
「油断してくれた方が、こっちは助かるわね」
「この戦い勝てるかね」
「勝つしかないわ」
 パトラの言う通り勝つしか法はない。レイザードに対抗出来る勢力はシアラルとローランだけなのだ。負けは即レイザードの大陸制覇に繋がる。しかし、敵兵力は二倍以上に及ぶ。
この日の夕刻頃、偵察隊から敵駐屯地を確認したとの報告があった。すぐさま小隊長に作戦の詳細が伝えられ、そこから隊の騎士たちにも作戦が公にされた。噂通りにパトラが最前線に出ると分かったので、騎士たちの気持ちは高揚した。連合軍は戦いの準備を万全にして翌朝を待った。

 レイザード軍の進行を確認、全兵力ではない。偵察隊からその報告がもたらされたのは早朝だった。まずシアラル飛天騎士団が空に舞い上がった。最初に聖天騎士数百騎が、右翼と左翼、その間に斬り込み部隊と分かれて整列した。それから、右翼と左翼に飛天騎士たちが次々と集まり、氷柱(つらら)状の美しい陣形を形作っていく。シャリアに住む人々は、その様子を、固唾を飲んで見上げていた。シアラル軍が大方集まると、その後方にローラン軍が整列し始めた。漆黒の聖(グ)天馬(ラーニ)に乗り、最前で指揮を取るパトラは、ローラン軍が揃わないうちに命令した。
「進撃」
 聖天騎士三百を有するパトラ隊が動き出した。
「レイン隊、行くよ!」
「よし、シェーレ隊、出るぞ!」
パトラ隊が動き出すのを見て、レイン、シェーレも命令を下す。それぞれ千五百騎ほどいるレイン隊、シェーレ隊も動き出した。レインは右翼の先頭にいながら、前方を行くパトラ隊を見ていた。
「うまくやってちょうだいよ」
 三つの集団が作り出す大きな影が街の上をゆっくり移動していく。影だけ見れば三つの巨大な生き物のようであり、上を見上げればまるで大規模な白鳥の群れが飛んでいくようにも見えた。シアラル飛天騎士団は、ついに戦いの舞台へと飛び立った。

 飛天騎士団の向かう先には、翼竜兵と竜騎兵の混在部隊が黒い塊となって空を進行していた。その数五千、連合軍とほぼ同数の兵力だが、レイザード軍からすれば半数にも満たない。様子見の斥候部隊だった。
「ランバート将軍、どうやら噂は本当のようです」
「本当にパトラ王女が最前線にいるのか?」
 ランバートは副官の言うことを疑うように聞き返した。
「間違いありません」
 ランバートは大声で笑った。心の底からおかしいというような笑いぶりで、地面があれば転げ回るかと思うほどだった。
この男はアルシャードが生まれる前からレイザードに仕えている古参の将軍で、大きな体に厳つい鎧をまとい、白髪の混じる髪と、鼻の下にも髪と同じ色彩の髭を生やしている。浅黒い顔に侮るような光を放つ目は鋭い。飛竜に乗る堂々とした姿は、いかにも戦歴の勇士という風体だった。
「戦(いくさ)の『い』の字も知らぬ小娘が英雄気取りか、これは片腹痛い」
 ランバートは言葉に笑いを含みながら言った。周りにいる兵士たちも釣られて笑い声を上げていた。ランバートは真顔に急変した。
「前線の兵共に伝えろ、黒い天馬に乗った騎士を討てば、たっぷり報奨金をくれてやるとな」
 周りの伝令兵たちが敬礼して、前方へ散開していった。
「これは戦いにならんな」
「勝てる戦いなのに様子見とは、歯がゆいですな」
「いや、シャリアまで攻め上がるぞ」
 ランバートの言うことに、副官が訝しい顔をした。
「しかし、アルシャード王の命令は、敵軍を叩くだけでよいと・・・」
「あの若造に好き勝手はさせん、シャリアをきっちり占領してやれば、文句は言えまい」
「ごもっともです」
 副官は悪巧みでもするような微笑を浮かべた。ランバートは憎い敵でも見るように前を見据える。
―アルシャードめ、全てが思い通りになるとでも考えているのか、いつか己の器を思い知らせてくれる。

 パトラ隊は、レイン隊、シェーレ隊よりもずっと先行して進んでいた。パトラ隊の役目は全軍で最も重要だった。敵軍に斬り込んで動揺を誘わなければならない。敵が動揺するほど、作戦の成功率は高まる。逆に敵が冷静であれば、シェーレ隊とレイン隊が突っ込んだ場合、周りから圧力をかけられ、敵軍に氷柱が深く突き刺さる前に破壊されてしまう恐れがある。そうなったら作戦が成功しないばかりか、多くの犠牲が出てしまうだろう。
パトラは作戦のことは一切考えていない。今は隊の先頭にいて、強い風を受けながら昔の事を思い起こしていた。
―わたしが初めて人殺しを見たのは四年前だった、お母様が飛天騎士団を率いて盗賊団の討伐に出かけた、わたしはそれについて行った、女子供まで殺す酷い盗賊団で、お母様は容赦しなかった、次々と賊が突き殺され、辺りは血だらけでとても怖かったわ、そしてわたしが初めて人を殺めたのは二年前、アルシャードに連れて行かれた野盗征伐、わたしは三人殺した、最初は怖くて何も出来なかったけど、いつか本で読んだあの言葉を唱えると、不思議と心が落ち着いて、冷静に人を殺すことが出来た・・・。
「如何様な事があろうとも、殺める者、地獄へ落ちるなり、人の命を奪うこと、最も深き業なり」
 パトラが小声で言葉を唱えると、心にすっと冷たい風が吹き渡るのが分かった。
―人の命を奪うこと、最も深き業なり・・・どんな戦いにおいても、どんな理由があっても、人を殺すことは深い罪になる、お母様はそう言っていた、今度は多くの人々の命を奪うことになる、わたしが殺した分だけ、その家族や恋人が涙を流す、殺した分だけ悲しみが広がっていく、出来るの、あなたにそんな残酷な事が出来るの?
 パトラは自分自身に問いかけながら上空を見上げた。清々しい青空が広がっている。どんなに血塗られた戦いがおきようとも、どんなに悲惨な出来事があろうとも、自然の理は全く変わらない。
―人を殺めた瞬間に、人生から光は消えているわ、もう血塗られた道を外れることが出来ないのなら、わたしは平和の為に、人々の幸せの為に、子供たちの笑顔の為に、この手を血で染めましょう。
 パトラの中で、何かが一つになっていった。その時、いつもと変わらない冷たい瞳の中に、黒い集団が映った。竜騎兵団は横に広がっていて、禍々しい暗雲のように見える。パトラの周りで槍を手に取り構える気配がした。パトラ自身も槍を斜に構えて、近づきつつある敵軍を睨んだ。
「突撃するわよ」
 パトラは隊に命令すると、自分は前に出て孤立した。これはパトラが提案した作戦で、パトラを狙ってきた敵を後方の聖天騎士たちが仕留める。パトラは囮役である。彼女は最も危険な役目を買って出た。
レイザード軍の姿が近づいてくる。陣形は組んでおらず、竜兵たちがざっくばらんに固まっているだけだった。レイザード軍の前線は、パトラ隊の姿を見ると色めき立った。先鋒の数が予想以上に少ない上に、将軍から伝えられていたこともあったので、気の早い者たちが軍を抜け出してパトラ隊に向かった。明らかに連合軍をなめてかかっている。この油断がレイザード軍に大変な悲劇をもたらすことになる。
 まずパトラに向かって、脅すように喚きながら一騎の翼竜兵がやってきた。パトラは瞬間的にナイトメアの速度を上げて、瞬きする間に男の目前に迫ると、いきなり姿を消した。男があっと思った瞬間に右脇腹に激痛が走った。男が悲鳴を上げながら見れば、パトラとナイトメアが横に回っていて、槍が右から左脇腹へ抜けるほど深く突き刺さっていた。男は状況を把握すると、顔が真っ青になって悶絶した。パトラは槍を引き抜いて、素早く敵軍に向かう。最初に犠牲になった男は翼竜から落ちて、脇腹から血糸を引きながら宙を下っていった。
今度は続けて二騎の翼竜兵が突っ込んできた。パトラは最初の敵はさっと右に避けて、次にやってきた敵に突撃した。二番目に狙われた男は、目前の黒い聖天馬に戦慄しながら、苦し紛れに槍を突き出すが、パトラは軽くそれをかわして、男の胸に槍を突き立てた。宙に血飛沫が舞った。胸を貫かれた時には絶命していた。パトラにあっさり避けられた兵士は、後ろの聖天騎士たちに討たれている。
続けてもう一人襲ってきた、今度は素早く翼竜の下側に潜り込み、下から翼竜の首を突き刺した。竜が苦しんで暴れて、乗っていた兵士は振り落とされて真っ逆さまに落ちていく。   
息をつく間もなく今度は三騎の翼竜兵が一塊になってやってくる。パトラは手綱を引くと、目にも止まらぬ速さで三騎の頭上に飛び上がり、そこからナイトメアを突進させた。翼竜兵二人がナイトメアの前足で蹴散らされ、地上へと落下していった。
 空での戦いは、討てば勝ちではなく、落とせば勝ちである。通常は弓兵に狙われないように、ある程度の高度を取って戦うので、騎乗物から落ちれば十中八九は助からない。少し卑怯にも思えるが、天馬や翼竜を狙うのも敵を倒す手段になった。
 翼竜兵たちは、矢継ぎ早にパトラを襲うが、誰もが討たれるか避けられるかのいずれかで、パトラの神業のような天馬躁術と一撃必殺の槍技を前にして、一人として敵う者はいなかった。独断先行した敵兵は数十人もいたが、一人残らずパトラ隊に討たれた。その時点で前線に動揺が起き始めた。パトラ隊はそのまま敵軍に突撃した。白い部隊が黒い大群の中に割り込んでいく。パトラは敵陣に入ると、手当たり次第に敵を討っては前進した。後に続く聖天騎士たちも、次々と敵を倒した。下に見える緑の草原に落ちて行くのは、男と竜ばかりである。
とにかくパトラ隊は強かった。まず、王女のパトラが先頭を行っているので、士気は極限まで高まり、凄まじい勢いがある。レイザード軍のランバート将軍は後方で指揮を取っている。そこには天地ほどの差があった。そして、パトラ隊にいるのは、ディアナの時代から仕えている古参の騎士ばかりである。経験が豊富なので、そんじょそこらの兵には負けない。
パトラ隊は敵軍の中ほどまで前進すると、そこで止まって戦いを展開した。レイザード軍内に動揺の波紋が広がっていく。最初はなめてかかっていた敵兵たちは、パトラ隊の強さを目の当たりにすると、顔色を変えて逃げ惑った。敵が離れていくと、パトラ隊はそれを容赦なく追撃した。
「逃げるくらいならば、最初から出てこなければいいのよ」
 パトラは背を向けた翼竜兵に槍を突き出した。その男は背中から心臓を貫かれて悲鳴を上げ、痙攣してすぐに動かなくなった。パトラは鳶色の瞳に、餓えた雌豹のように鋭く凶暴な光を宿していて、まるで人が変わったようになっていた。
 パトラ隊がレイザード軍を散々かき乱したところに、レイン隊とシェーレ隊がやってきた。右翼の先端にいるレインは、額に手をかざしながら敵軍の様子を見た。レインの額には白いリボンが巻いてあり、余った部分を右のこめかみ辺りで蝶結びにしている。
「おー、派手にやってるみたいね」
 敵軍の隊列は激しく乱れていて、ただならぬ状態に陥っているのが分かった。レインは腰に差してある剣を抜いて言った。
「よーし、レイン隊、一気に突っ込むよ!」
 氷(つ)柱(らら)状の陣形を組んだ右翼と左翼の飛天騎士団が、レイザード軍に突貫した。レイザード軍の前線に配置されているのは、金で雇われた傭兵や新兵ばかりだった。対するシアラル飛天騎士団の方は、先端部の隊長を始め、前面に強力な聖天騎士が配置され、それに守られるように飛天騎士たちが続く。これは卵の殻を釘で破るようなものだった。
 レインは素早く敵中に斬り込むと、前方の敵を次々と排除して道を切り開いた。レインの剣さばきは卓越していて、剣聖と呼んでも差し支えはないだろう。レインの横を通り過ぎる敵は、皆胴や首を深く断たれて絶命した。敵にすれば、いつ斬られたのか分からない、という状態だった。一方、シェーレの方も負けてはいない。次々と襲ってくる敵の頸部や心臓を的確に突いて、全ての敵を一撃の下に葬った。まるで精密機械のように正確な動作で、純白の聖天馬に乗って戦う姿は美しく、蝶のように舞って蜂のように刺す、という言葉通りの姿だった。
 右翼と左翼がレイザード軍に深く潜り込んだところで、戦いの起こっている空域よりもずっと低空に、ミネア王女の率いるローラン軍約二千騎が、白い彗星のように編隊を組んでやってきた。ローラン軍は一気に上昇して、レイザード軍の下腹から襲い掛かった。ローラン軍が遅れてやってきたのは事前に計画されていたことで、これはパトラの提案した時間差攻撃だった。この時点で、右翼と左翼の陣形が解かれて、内側からの突き崩しが始まった。パトラの戦略が全て計算通りに運び、レイザード軍は混乱の極みに達した。動揺は軍隊の隅々にまで及んだ。後方で指揮を取っていたランバートは、状況の激変に顔色を変えた。
「一体何がどうなっているのだ! 状況を伝えろ!」
「申し上げます、敵の攻撃がすさまじく、我が軍は押されております」
「馬鹿な、そんなはずはない、向こうは女ばかりの軍隊だぞ、負けるはずがなかろう」
「そうは言われましても、敵は恐ろしく強力で・・・」
「言い訳など聞きたくないわ! 何が何でも叩き潰せ! いいな!」
 ランバートは激しく怒って、状況を伝えた兵を追い返した。それを見ていた副官が、恐る恐る控えめに言った。
「将軍、敵は思ったよりも統制が取れている上に、かなり高度な戦略を用いています、恐らく優秀な軍師がいるのでしょう、我が軍は圧倒的に不利な状況にあります、ここは一度引いて・・・」
「黙れ、貴様までそんなことを言うか! そんなことを言っている暇があったら、この状況を打開する策でも考えろ!」
 ランバートは鼻息を荒くして、握った拳を震わせた。
―冗談ではない、小娘の率いる軍隊に負けたとあっては、一生の恥だ、あの若造に何と言われることか。

シアラルの飛天騎士たちは、二人一組が功を奏して、皆で協力しあって善戦している。
大声や武器の打ち合う音が重なる戦場で、フィアーナは敵の翼竜兵と戦っていた。大剣を持った兵が唸り声を上げながらフィアーナに斬りかかる。フィアーナは槍を真横にして大剣を防いだ。目前に槍の柄と剣の交差した十字があり、同じ形の影が顔に刻まれている。相手の力の方が圧倒的に強いので、フィアーナは苦しい顔をした。
「フィアーナ!」
 そこへ天馬を急降下させてきたセリリが、フィアーナと競り合っているレイザード兵を、後ろから剣で斬りつけた。敵兵は、うっと呻いて顔を歪めた。敵が怯んだ隙に、フィアーナが天馬の翼を二、三回羽ばたかせ、素早く後ろに下がると、すかさず敵に向かって槍を突いた。フィアーナの槍は皮製の鎧を突き抜けて、敵兵の腹部に突き刺さった。槍を通して肉と内臓を突き破る感触が伝わると、フィアーナは嫌な顔をして、槍を引き抜き敵から離れる。敵は突かれた腹を押さえながら、低く唸っていた。腹部を押さえる手が真っ赤に染まり、指の間から血が流れだしている。すでに戦意はない。
「もうその傷じゃ戦えないよ、帰って手当てしてもらって」
 フィアーナが懇願するように言うと、敵兵は苦悶の表情を浮かべたまま礼をするように頭を下げて、彼女らの前から去っていった。フィアーナもセリリも、戦場にありながら敵兵の無事を思わず祈っていた。
「遅くなってごめんね」
「大丈夫、大丈夫、ナイスタイミングだったよ」
 フィアーナはセリリにウィンクした。そこへ休む間もなくまた敵がやってくる。翼竜に乗った新たな敵は、いきなり上から降下してきて、二人の目の前に現れた。その屈強な男は持っていた戦斧を頭上に振り上げる。二人がもう駄目だと思ったとき、敵兵の真横へ一騎の飛天騎士が飛び込んできた。男の首が横から槍で貫かれた。男は苦痛に歪んだ顔で口を開き、その奥から隙間風が抜けるような音をたて、血泡を吹いた。首に刺さっていた槍が抜けると、斧を振り上げた状態のまま、傷口から大量の血を噴出して横に倒れ、地上へと落下していった。
「二人とも、一瞬でも油断したら死ぬよ」
 二人を助けた飛天騎士はミーナだった。ミーナはかなり敵と交戦しているらしく、白い胸当てや空色の服にだいぶ返り血を浴びている。
「ありがとう、ミーナ」
「すごい格好してるね、血だらけじゃん」
 礼を言うセリリをよそに、フィアーナが少し怖そうな目をして言った。
「もう六人倒した」
 ミーナは疲れたような表情をしている。さすがに年端もいかない少女に人殺しは堪えるらしい。
「すごいね、ミーナは」
「あたしたちなんて必死だから、倒した敵の数なんて覚えてないよ・・・」
 そういうフィアーナは、意気消沈していて、もう帰りたいとでも言っているように見えた。
「ここからは三人で戦いましょう、その方が安心でしょ」
 ミーナが言うと、セリリとフィアーナは頷いて、安堵するように表情を和らげた。
「さあ、話してる暇なんてないよ、また敵が来るみたい」
 ミーナが槍を構えると、セリリとフィアーナも同様に身構えた。前から二騎の翼竜兵が迫っていた。

 パトラ隊はどんどん前進していた。攻撃の手がかなり緩和している。レイン隊、シェーレ隊、そしてローラン軍の突貫によって、攻撃が分散化していた。周りでは悲愴な男たちの悲鳴ばかりが響き、翼竜兵たちが次々と地面に向かって落ちていく。真下に見える緑鮮やかな草原には、おびただしい数の、ゴマ粒のように黒い点が見えている。これらは落下した兵士や翼竜だった。
パトラはすぐ近くにいる騎士に言った。
「貴方たちはここで敵の掃討を、わたしは核を叩いてきます」
 パトラは相手の返事も待たずに、全速力で敵軍に飛び込んでいった。単独一騎で敵中を走り抜けていく。空を駆ける漆黒の天馬、黒い風の如し。ナイトメアの速度は凄まじく、敵兵は目で捉えることしか出来ない。前から黒い影がやって来る、と思った数瞬後には、黒い翼の起こす風圧に翻弄され、パトラとナイトメアの姿は遥か後方に行っている。パトラとすれ違った兵たちは、呆然と黒い後ろ姿を見るしかなかった。パトラは疾駆しながら周りを見回して、敵軍の様子をうかがった。注意深く見ていると、前線の兵が乗る翼竜よりも、二回りは大きい飛竜に乗り、命令をしているような素振りの男が何人かいて、それに何かを伝えに来る兵士がいる。飛竜に乗る竜騎兵は司令官で、それに絶えず何かを伝えているのは伝令兵だろう。伝令兵は将軍の命令を隅々まで運んでいく。パトラはそこから敵将のいる場所を予測した。
―あの方向ね。
パトラは狙いを定めると、何者にも目をくれず、一直線に進んだ。すぐに周りから翼竜兵の姿が減っていった。それに代わりに、竜騎兵の数が増していく。竜騎兵は、全身を覆う重そうな鎧兜を装備して、太さが飛天騎士の使う槍の二倍はありそうな剛槍を持ち、飛竜に跨る姿は威風堂々としている。
―近いわ。
強力な兵が守りについているということは、この先に大切なものがあるということだ。さらに突き進むと、円陣を組んでいる竜騎兵の一団がいた。
円陣の先頭にいる竜騎兵が、目を細めて前からやってくる黒いものを凝視した。それは恐ろしい速さで近づいて来る。
「あ、あれは!」
 と一人が言ったときには、パトラとナイトメアは竜騎兵たちの頭上を飛び越えていた。
パトラは円陣の中心あたりで手綱を引き絞り、急停止する。ナイトメアが空中で立ち上がり、黒い翼を大きく広げて嘶いた。
円陣の中心にいるランバート将軍と副官は、突然やってきた黒い来訪者の姿を、口をぽかんと開けて見上げていた。太陽の光が逆行になっていて、ランバートと副官からは、黒いシルエットしか見えない。パトラは瞬時に体勢を変じて、右手に持つ槍の先端を左掌に添えると、ナイトメアの頭をランバートに向けて、そのまま鋭角に突っ込んだ。同時にパトラの突いた槍は、金属の鎧をものともせずに、ランバートの厚い胸板を貫いた。ランバートは黒い影が襲ってきた瞬間に、胸に熱いものを感じると、目を見開いて、せりあがってきた血を吐き出す。パトラは槍を引き抜くと同時にナイトメアを反転させて、来たときと同じ速度で去っていった。
「将軍!」
 呆然としていた周りの部下たちが、ようやく状況を理解して叫んだ。ランバートは目を見開いたまま、ゆっくり後ろに倒れていく。飛竜からずり落ちそうになったランバートに、部下の一人が手を伸ばしたが、遅かった。すでに息絶えていたランバートは、柔らかな緑の草原に向かって落ちていった。ランバートのすぐ近くにいた副官は、心ここにあらずという様子で、パトラの去っていった方向を見続けている。
「副官、どういたしましょう」
「黒い翼、悪魔か・・・」
竜騎兵の一人が途方にくれたように言うと、副官はまったく意図しないことを口走った。ランバートが襲われた瞬間に、目の前で大きく広がっていた黒い翼、それが副官の脳裏に深く焼きついていた。
「副官!」
 部下に叱咤されると、副官はびくっと体を動かして、周りの竜騎兵たちを見回した。
「撤退だ、全軍撤退する」
 副官の声は何かに怯えるように震えていた。
 パトラは隊に戻るなり言った。
「もうすぐ敵は総崩れになります、撤退を始めたら一気に追い出しましょう、しかし深追いはしないように、そう全軍に伝えてちょうだい」
 パトラの伝言を携えて、何人かの騎士が戦場に散って行った。間もなくパトラの言う通りに、レイザード軍は撤退を始めた。連合軍は全軍を挙げて追撃、逃げ遅れた敵兵を討っていった。その様子を地上から見ると、黒い波が白い波に追われているというふうに見えた。しかし、レイザード軍が完全に撤退の体勢を整えると、一番前を進んでいたパトラ隊が立ち止まり、それに合わせて他の部隊も停止した。パトラが黙って撤退していくレイザード軍を見ていると、そこへシェーレが飛んで来た。
「パトラ様、何をなさっているのですか、ここは追撃を続けて敵兵を叩きましょう」
「何も逃げている者を追ってまで倒す必要はないわ」
「情けをかけてはいけません、今叩いておかなければ、次にやられるのは我々かもしれないのですよ」
「彼らにも国へ帰れば普通の生活があって、家族や大切な人もいるわ、無闇に悲しみを増やすこともないでしょう」
 それを聞くと、シェーレは閉口した。彼女はパトラがいつものように冷たい感じで、当たり前のように追撃命令を出すと思っていた。この言葉は以外だった。
「パトラがやらないって言ってるんだから、後は帰って寝るだけだよ」
 そう言ったのは、いつの間にか近くまで来ていたレインだった。シェーレは小さな溜息をついた。
「これが後々の戦いに響かなければいいのですが・・・」
 パトラは、レインとシェーレに向かって言った。
「帰還します」
 シャリアへ帰る途中、パトラは下ばかり見ていた。真下に広がる草原には、蟻のように小さくなって転がっているレイザード兵の死体が無数に見えた。パトラは草原の惨状を見て、胸が締めつけられるような思いがした。
―この戦いでどれだけの人が犠牲になったのかしら、犠牲者の家族や恋人は決してわたしたちを許さない、どんな大義名分があろうとも、戦争は憎しみを広げるだけに過ぎない、出来れば戦争なんてしたくない、今すぐにでも終わって欲しい・・・。
 このシャリア攻防と呼ばれる戦いで戦死したレイザード兵は二千以上にも及ぶ。このうち千近くは、最初に斬り込んだパトラ隊が倒したと言われる。一方、連合軍の犠牲者は、驚いたことに指を折って数える程度しかいなかった。レイザード軍の大敗の原因は、パトラの緻密な戦略もあったが、何よりも連合軍を女ばかりの軍隊と馬鹿にしていたことにあった。もしパトラが素早く敵将を討たなければ、レイザード軍はもっと多くの兵を失っていただろう。この戦い以降、パトラは「黒い翼」という異名で呼ばれるようになり、敵から恐れられた。その名は大陸中に知れ渡った。


6 :四季条 ユウ :2008/07/15(火) 14:31:32 ID:nmz3rDnm

第三章 乙女散花

   レイザード軍と連合軍の激突した空域からずっと南にある草原に、残りのレイザード兵七千が待機していた。美しい緑で彩られた絨毯の上に、おびただしい数の翼竜や飛竜が鎮座している。勇壮な隊列の後方にはいくつかコテージが立ててある。その中で一際大きなものから、漆黒の服とマントを身に付けた長髪の若い男と、深緑の鎧をまとう妙齢の美女が出てきた。男の方は現レイザード国王のアルシャードで、女の方はレイラという。レイラの歳は二十三で、背中まで流れる曲のある髪は光沢のあるベージュ色をして、金を燻したような色の瞳は横長で、顔立ちは彫が深くはっきりとしていて美しい。気性の強そうな性分を全体から匂わせていて、いかにも近づき難いという感じがした。
「ランバートでは勝てんな」
 アルシャードが晴天の青空を見ながらぽつりと言った。レイラはそれを聞いて、眉を寄せて疑問の浮いた顔をした。草原には強い風が吹いているので、同じような色をしたアルシャードとレイラの髪が後ろに流れていた。
「レイラ、シャリアに向かうぞ」
「斥候で様子見をするのではなかったのか」
「気が変わった」
「・・・あなたの気まぐれには困ったものだ、あまり度が過ぎると、将軍たちに睨まれるぞ」
「知ったことか」
「アルシャード」
 レイラはアルシャードを横目で見ながら、釘を刺すような調子で言った。それに答えるように、アルシャードは空からレイラに視線を落とした。
「分かっているとは思うが、あなたが若いこともあって、将軍たちに中に反感を持つ者が多いようだ、あまりいい兆候ではないな」
「それについては、いずれけりをつける」
「そうか、では出撃の用意をする」
 それから間もなくして、レイザードの竜兵たちは次々と空に向かって飛び立った。その先頭を行くのは、飛竜に跨るアルシャードとレイラだった。
 同じ頃、レイザード軍の斥候部隊を散々な目に合わせた連合軍がシャリアに帰還していた。先に勝利の報告を受けていたシャリアの民衆たちは、沸きに沸いていた。街では人々が外に出ていたり窓から半身を乗り出したりしていて、天に白い騎士たちが帰ってくると、いたるところから歓声が上がった。パトラは全軍に休むように伝えてから、ミネア、レイン、シェーレを連れてシャリア城に入った。フェリシティは待ちかねたように、玉座の前に立っていた。
「みなさん、ご無事で何よりです」
 パトラたちが入ってくると、フェリシティは輝くような笑顔で言った。彼女は連合軍が勝利したことも嬉しかったが、何よりも犠牲者がほとんどいないことを喜んでいた。
「敵軍は追い返しました」
 パトラはフェリシティの前に来て言った。戦いに勝った事を何とも思っていないような、淡々とした口調だった。
「本当に感謝の言葉もありません、ささやかですが宴の用意をします、今夜はゆっくりと英気を養って下さい」
「まだ初戦を勝利したに過ぎないわ、すぐに作戦会議を開いて敵の迎撃に備えます、宴は必要ありません」
 パトラがきっぱり言うと、フェリシティは別に不快な様子は示さず、納得するように何度か頷いた。
「わかりました、後は貴方に任せます」
 パトラたちは一礼して出て行った。それから夕刻頃に作戦会議が開かれた。パトラたちがテーブルに地図を広げて真剣に話し合っていると、そこへシャリアの衛兵がノックもせずに入ってきた。衛兵は激しく息を切らして肩を上下させている。よほど急いでいるように見えた。その場にいた全員の視線が衛兵に集中した。
「パトラ様、大変でございます」
「何があったの」
「レイザード軍が大挙してこちらへ向かっているそうです、恐らく全兵力と思われます」
「なんですって!」
それは事態を急変させる報告だった。さすがのパトラも、これには厳しい表情を浮かべた。まさかこれほど早く巻き返しに来るとは思っていなかった。
―やられたわ。
パトラの下唇をかんで苦悩する姿は、周りの者に深い不安を与えた。
「パトラ王女、すぐに兵を招集して迎撃に向かいましょう」
 ミネアが言うと、パトラはとんでもないとでも言うように、首を横に振った。それを見ていたシェーレがもどかしそうに言った。
「パトラ様、早くしなければ手遅れになります」
「今行けば確実に負けるわ」
 パトラが静かに言うと、その場にいる誰もが凍りついた。先の戦いを勝利に導いた者が言っているだけに、言葉の重さは計り知れない。
「今度の部隊はアルシャードが率いているでしょう、先刻とは訳が違うわ、統制も取れていて油断もしていない、兵力も遥かに多い上に、こちらは策を立てる時間もないし、味方は先の勝利で安心して油断している、完全に虚を突かれているわ」
 パトラの諄々(じゅんじゅん)とした説明で、周りにいる者たちは事態の深刻さをはっきりと理解した。皆が閉口している中で、レインが重い溜息をついた。
「で、あんたの了見だと、今戦ったらどうなると思うの」
「今の状態でレイザード軍と戦えば、全滅するのが落ちね」
「それじゃあ、撤退するしかなわ」
 ミネアがパトラのことを真直ぐに見て言うと、パトラは逃げるように視線を逸らして黙ってしまった。撤退すればシャリアの人々を見捨てることになる。しかし、戦えば負ける。パトラはその板挟みに苦しんだ。そこへ部屋の扉が開き、誰かが入ってきた。パトラが顔を上げると、フェリシティが立っていた。フェリシティはいつもと違って、周りにいる者を奮い立たせるような、芯の強い笑みでパトラを見ている。
「撤退してください」
 フェリシティは、まるで全てを理解しているように言った。誰もが表情を暗くして、悲しい空気が部屋によどんだ。
「あなた方は唯一の希望です、どうしてもレイザードに勝ってもらわなければいけません、ですから無理な戦いはしないで力を温存して下さい」
「出来ればここで食い止めたかったわ、シャリアの人々を苦しませたくなかった・・・」
「ありがとうパトラ、その気持ちだけで十分です、後はわたしが何とかします、この命を捨てる覚悟でアルシャードと対決しますわ」
 フェリシティはもう覚悟を決めていて、敵の大群がやってくるというのに落ち着いていた。彼女には武器を取って戦うような力はないが、誰の目にも強く頼もしく映った。
「騎士たちを急いで集めなさい、撤退するときは後方に聖天騎士を置いて守らせるように」
 パトラは少し強い口調で命令すると、レインとシェーレを始め、その場にいたほとんどの者が急いで出て行った。後には各国の王女3人だけが残った。
「本当にこれでいいの・・・」
 そう言ったミネアは、悲しさと口惜しさの折り重なった辛い表情をしていた。静かに頷くフェリシティは穏やかで、その姿を見ると、朝日の差す草原でも見ているような、清々しい感覚に誘われた。
「またいつの日か、シャリアを訪れて下さい」
「レイザードの野望を打ち砕いて、必ず帰ってくるわ、約束よ」
 ミネアが表情を晴れやかな笑顔に変えて、フェリシティに右手を差し出す。二人は固い握手を交わした。パトラがその様子を黙って見ていると、フェリシティがパトラのことをじっと見つめた。
「パトラならレイザードには負けません、わたしは信じています」
「確固たる自信はないけれど、全力を尽くすわ」
「貴方らしい言い方ですね」
 フェリシティは嬉しそうに、太陽のように輝かしい笑みを浮かべていた。いざとなれば、恐ろしいくらいに芯の強い娘だった。
―この人が一番強いのかもしれないわね。
フェリシティの悠然とした姿を見ると、パトラはそう思わずにはいられなかった。彼女ならば、武力など用いなくてもシャリアを救うのではないかとすら思えた。
「さあ、お二人も行って下さい、将が伴わなければ撤退も叶いませんよ」
 パトラとミネアが頷いて出て行くと、部屋にはフェリシティ一人だけが残された。彼女はゆっくり玉座まで歩いて腰掛けると、両目を閉じて空気の味でも楽しむように、何度か大きく深呼吸した。
「誰かいませんか!」
 フェリシティが呼ぶと、すぐに衛兵らしい男が駆けつけてきた。
「御用でしょうか」
「民衆に伝えて下さい、レイザード軍がやってきても取り乱さず、抵抗もしないように、フェリシティが命と引き換えにしてでも、民は守りますと」
 それを聞くと衛兵の男は、フェリシティの覚悟に感化されて瞳に涙を溜めた。
「承知いたしました」
 男は鼻をすすりながら深く頭を下げると、走って部屋を出て行った。
―これでいいわ、さあいらっしゃい、青竜の王。
フェリシティは巨大な敵に挑む勇者のような、毅然とした表情をして前を見据えていた。

アルシャードは斥候部隊の敗戦を予期して、即座に軍を進行させた。途中で撤退中の斥候部隊三千程を後方に加え、電光石火の速さでシャリアへとやってきた。連合軍にすれば晴天の霹靂で、その日のうちにレイザード軍が攻めてくるなどと、誰一人として考えていなかった。連合軍は先勝の不意を突かれて、撤退を余儀なくされた。
シアラルとローランの飛天騎士団が撤退する様子を、シャリアの人々は、親に見捨てられるような、心細い気持ちで見ていた。しかし、フェリシティの言葉が街中に伝えられると、民衆の心から嘘のように恐怖が消えて、代わりに希望や勇気が湧いた。
フェリシティは人間を奮い立たせる勘所をよく心得ていた。この深い人間理解は、フェリシティが生まれ持った才能だった。シャリア王家の者は、常に平和を愛し、平和の為に尽くしてきた。その血筋には、平和と調和を守る為の才能が秘められている。もちろん、パトラも例外ではない。
 飛天騎士団の白い群れがシャリアの空から消えて程なくすると、それに取って代わって黒い霧のような一団が上空を覆った。飛竜と翼竜の恐ろしい叫びが、シャリアの城下街に雨のように降り注ぐ。人々は出入り口や窓を閉めきって、家の中で身を硬くした。無数の影が街を暗く染めていた。勇猛な竜騎兵団の先頭を行くのは、鮮やかな青の飛竜とその上に跨るアルシャードである。隣にはレイラが飛んでいて、跨る飛竜は鮮やかな緑の鱗を持っていた。竜騎兵団の先頭がシャリア城に差し掛かると、全軍停止した。アルシャードは不適な微笑を浮かべつつ、シャリア城を見下ろした。
「貴様らはここで待て」
アルシャードは周りの武将に言うと、側にいたレイラを連れて、シャリア城へ急降下していった。

 フェリシティは眠っているように目を閉じて、粛然(しゅくぜん)と玉座に座っていた。扉は侵入者を歓迎するように開け放ってある。
二人の足音が響いてきた。一方は大股でゆっくりとしていて余裕を感じる歩調で、もう一方は少し小刻みで固く響いてくる。フェリシティは微動もせずに近づいてくる足音を聞いていた。やがて音はすぐ側までやってきて、人の気配がした。フェリシティは目を開いて立ち上がった。アルシャードとレイラが部屋の中央に立っていた。フェリシティはゆっくり近づいていって、アルシャードを前にして丁寧に頭を下げた。
「ようこそいらっしゃいました、アルシャード王子・・・いえ、今は王ですね」
「ほう」
 アルシャードは腕組みをしながら、フェリシティの落ち着いた姿を見て、感心するように微笑を浮かべた。
「飛天(ひてん)騎士団(きしだん)はどうした」
「撤退いたしました」
「パトラの判断か」
「あの子はそんな無慈悲なことはしませんわ、わたしから撤退するように懇願したのです」
「なるほど、賢明な判断だ」
 アルシャードは、フェリシティに対して満足するような、意味深に感じる笑みを浮かべた。
「シャリアをレイザードの属国にするが、いいか」
「一つだけ条件がございます、それを果たして頂けるのならば文句はございません」
「言ってみろ」
「わたくしはどうなっても構いません、命が欲しいというのならば差し上げましょう、しかし民には手出ししないで頂きたいのです、今まで通りの生活をさせて下さい」
「他の王侯貴族は真っ先に命乞いをしてきたが、お前はあの腑抜け共とは違うようだな」
 フェリシティが挑戦的に目の前の男を見ていると、アルシャードは右手を伸ばして彼女の顎を持ち上げ、真直ぐに目を見た。草原に佇んで獲物を狙うライオンのように、静かに燃えるようなアルシャードの瞳が、美しいエメラルドのような瞳を撃った。しばらくそうしていると、フェリシティはさすがに怖くなって、体が震えだした。
「いい気性をしている、お前はパトラにそっくりだ」
「わたくしがパトラに似ている? そんなはずはありませんわ」
「いいや、似ている」
 フェリシティの声は、恐怖で震えていた。アルシャードはその様子を楽しむように微笑して見ている。その場を静寂が支配した。フェリシティは恐れながらも、必死にアルシャードの鋭い視線を見返していた。しばらくそうしていると、アルシャードは真顔になって言った。
「安心するがいい、お前にも民にも手は出さん、俺は使えるものは無傷で手に入れたいのだ」
 顎を持っていた手が離れると、フェリシティは勇気を振り絞って、攻め立てるように言った。
「貴方はなぜ平和な世界をわざわざ乱すのですか、これが貴方にとって何の得があると言うのですか!」
「平和な世界か、俺はそうは思わん」
 アルシャードは、今までと違って穏やかで静かな表情になった。猛獣のように鋭い光を宿していた瞳も、嘘のように落ち着いていた。それを見るフェリシティは、少し口を開いて呆然としていた。アルシャードのほのかに物悲しい様子は、それほど衝撃的だった。
「この閉じられた世界で、俺たちは何の為に生きている、いつの日か人間どもは、青い雲を越える事を諦め、遅滞な世界で堕落の一途をたどっている、お前も気づいているはずだ」
 フェリシティは一番聞かれたくない事を突かれでもしたように、黙って顔を俯けた。確かにアルシャードの言う通りかもしれなかった。空中大陸に生きる人間たちは、大概の者はどこかに諦めたような空気を持っていた。ウィンデリアにも多くの人々の生活があり、各々が思い思いの人生を送っている。だがそれは、必死に何かを成そうと生きるのではなく、ただ人生を虚無的に消化しているという感じがした。
「王侯貴族共は満たされない心を慰めるために、毎日のように下らない宴を催し、民衆共は当たり前のように平穏を受け入れ、何を成そうともしない、狭い世界と長く続いた平和が、人間たちを無気力にしたのだ、これは平和とは言わんな、平和と言う偽りの名を冠した堕落だ」
 フェリシティは悲しそうに瞳を潤ませて顔を上げた。反論したいが、言葉が出てこなかった。アルシャードはそんな彼女の様子を、吟味するように見つめていた。
「青い雲を越えられぬのは仕方のないことだろう、だがそれと人間の生き方は別だ、何かにしがみ付く様に必死に生き、出来るかどうか分からないような理想を追い求める、それが本当の人間というものではないのか」
 アルシャードはそこまで言うと、いきなりにやっと笑って、野心家の鋭く厳格な表情に戻って言った。
「こんな惰弱な世界、この俺がぶっ壊してやるぜ」
フェリシティは悲愴な表情で疲れたように肩を落とした。もう何かを口にする気力はなくなっていた。
「レイラ、フェリシティをゆっくり休ませてやれ」
 アルシャードの言われると、レイラはフェリシティの手を取った。
「こちらへ」
 フェリシティは、レイラに手を引かれるまま歩いた。部屋から出ると、レイラはフェリシティの耳に囁くように言った。
「安心なさい、アルシャードは非道なことはしない、約束は必ず守ってくれるでしょう」
 フェリシティはレイラを見て頷くと、鮮やかな緑の瞳から涙を零した。民を守ることが出来たことと、アルシャードの凄まじい覇気から解放された安心感が一度に襲ってくると、涙が止まらなくなった。
「フェリシティ様がアルシャードと立派に対峙したからシャリアは救われたのです、貴方は勇気ある指導者だ」
 フェリシティは小さな子供のように泣きじゃくった。レイラは穏やかな表情でそれを見ていた。フェリシティの姿を見ていると、心が洗われる様な思いだった。


7 :四季条 ユウ :2008/07/16(水) 01:28:44 ID:nmz3rDnm

 連合軍は、レイザード軍に多大な被害を与えたが、シャリアは占領されてしまった。初戦は痛み分けというところだろう。シアラルとローランの飛天騎士団は、それぞれ国に戻り、シャリアに駐屯するレイザード軍と睨み合いを続けた。レイザード軍は二方向に気を配らなければならず、さらに斥候部隊の大敗のこともあるので、シアラル、ローランへの攻略に中々踏み切れず、膠着(こうちゃく)状態が続いた。

「出掛けます」
「またですか、ここのところ毎日ですね」
 パトラが玉座を立ちながら言うと、側に付いていたシェーレが顔をしかめた。レインも側にいて二人の様子をうかがっていた。パトラは何も答えずにシェーレの横を通り過ぎて歩いていく。
「こんな時に国主が城を空けるのは好ましくありません、いつレイザード軍が攻めて来るか分からないのですよ」
 パトラは何も言わずに、扉を開けて出て行ってしまった。無視されたシェーレはむっとした顔で、パトラが開け放った扉が、自然に閉じていく様子を見ていた。シアラルに帰ってきた次の日から、パトラは午前中に出掛けては夕方頃に帰ってくる。それが三日も続いていた。レインとシェーレが何をしているのか訪ねても、パトラは黙っているばかりだった。
「あれは何かやるつもりだね」
「何もわたしたちにまで隠すことはないでしょう」
「まあまあ、あの子にはあの子なりの考えがあるんだよ、もう詮索はしないで黙って見ててあげよう」
「・・・以前に集めた弓兵もどこかへいってしまったし、鍛冶屋には新しい弩(いしゆみ)の開発をさせているという話もあります、あのお方は一体何を考えているのかしら」
「ま、そのうち分かるでしょ」
 レインが諭しても、シェーレはまだ少し不満の残る顔をしていた。レインはシェーレの横につくと、その肩に手を置いた。
「パトラのことだから、きっとレイザードの奴らがあっと驚くようなことをやってくれるよ」
「そうですね、今はパトラ様を信じるしかありません」
 シェーレが微笑して言うと、レインも同じように笑みを浮かべた。
「よし、わたしたちはパトラのいない間に、部下たちの稽古でもつけますかね」
「わたしたちで出来ることは、全てやっておきましょう」
「そういうこと、あの子の負担を少しでも軽くしてあげないとね」
 レインは背伸びしつつ、シェーレと並んで出口に向かって歩いていった。二人の後姿から感じる和やかな雰囲気は、付き合いの長い親友同士というふうに見えた。

 パトラは戦いが始まってからというもの、夜になると時々一人で街へ出て、中央広場にある噴水の石段に腰掛けて、星や月を見上げた。以前は城の屋上で見ていたのだが、街へ出ると、ほとんど人のいない闇の中にも、戦争に対する人々の不安や憂いというものが肌で感じられて、それがパトラに息苦しさと深い思慮を与えた。パトラは自分自身を戒めるように、闇に潜む暗い感情を身に受ける為に街へ出た。この日もそうだった。パトラは夜になると誰にも見つからないように城を出て、歩いて城下街まで行った。街の大通りの左右には、火の燈った街灯が一定感覚で立っていて、商店街を薄暗く照らしていた。人通りは疎らで、パトラの近くを通り過ぎる人々も、まさか王女だとは思わないらしく、何も気づかずに歩いていく。しばらく歩くと暗く染まった広場が見えてきた。涼しげな水の音が聞こえてくる。パトラは広場の中心にある噴水の石段に腰を下ろすと空を見上げた。青や赤、オレンジなど、色とりどりで、大きさもまちまちな星々が、深い藍色の中に無限に広がり輝いている。その中に白い光を放つ半分欠けた月が、大きな存在感を醸し出していた。パトラは月と星の織り成す美しさに溜息を漏らした。しばらく何も考えずに星を眺めた。すぐ側で聞こえる湧水の流れる音は、柔らかい安堵感を与えてくれた。昼間は多くの人々で賑わうこの広場も、今は静寂と闇に沈んでいる。
「パトラ様?」
 呼ばれて目線を平に戻すと、目の前に少女が立っていた。街灯の炎が少女の半身だけを照らしている。最初は誰か分からなかったが、よく見るとセリリだった。
「やっぱりパトラ様だ」
 セリリは嬉しさ半分、驚き半分という感じに、ぎこちない笑みを作った。
「どうしたの、こんな夜に」
「パトラ様こそ、こんな夜更けにお城を抜け出して大丈夫なんですか?」
「まわりの者が知ったら大騒ぎになるでしょうね」
 パトラが平然とそんなことを言うので、セリリは何と言ってよいのか分からずに閉口した。
「あなたも一緒に星を見る?」
「あ、はい」
 セリリは少し焦りながら返事をして、パトラの隣に座った。彼女は相当緊張しているらしく、ぎゅっと固く握った拳を腿(もも)の上に置いていた。空を見てはいるが、輝く星や月が目に入っているのかどうかは妖しいものがあった。パトラはまったく静かで、まるで周りの闇に同化しているかと思うほど、沈んだ空気を放っている。二人はしばらく上を眺めていた。
「あ」
 セリリがふと声を出した。その時に、流れ星が暗い空に一条の白い線を描いて消えていった。
「何か願い事でもしたの?」
「はい」
「どんな願い事かしら」
「お母さんのことです」
「お母様に何かあったの?」
「いえ、大したことじゃないんです、本当に」
 それっきり、また二人は黙って空を見た。先ほどの会話で、セリリの緊張は解れて、星や月の美しさを楽しむことが出来るようになっていた。不思議なことに、セリリは隣にいるのが一国の王女であるという感じがしなくなった。パトラと一緒にいるだけで心が温かくなり、いきなり良き姉が現れたような気持ちになれた。
「パトラ様、どうしてこんなところに来たんですか?」
「月と星が綺麗だからよ」
「それならお城でも見れますよ」
「他にも色々な理由があるのよ」
 パトラはそう言ったきり、多くは語らず、また星を見上げる。セリリはまだ話がしたいと思ったが、何も言葉が見つからずに、とりあえずパトラに習うことにした。後ろから聞こえる水のせせらぎだけが、少女二人の世界を包む音になった。
「空の向こう側には」
 パトラが言った。セリリがそれに反応してパトラを見た。言葉はそれだけで、何かを言いかけて途中で切ったという感じだったが、パトラは少し間を開けて、また独り言のように語り始めた。
「あの空の向こう側には、無限に広がる世界があるといわれているわ」
 パトラは上を向いて、夜空の世界を眺めたままに喋り続けた。セリリはそんなパトラの横顔をじっと見たまま耳を傾けた。
「空を越えたところにある無限の世界には、あの数え切れない星々や美しい月が生きている、あの世界からすれば、今ウィンデリアを襲っている災いなんて、大したことではないのかもしれない」
 パトラはそれからしばらく黙っていたが、小さく長い溜息をつくと話を続けた。
「でも、わたしたちにとってウィンデリアの平和を守れるかどうかというのは、生死に関わるほど重要な問題だわ、この世界に生まれた以上は、この世界で生きていくしかない、争いが起きれば翻弄されて苦しんで戦って・・・わたしは大陸の平和を守る為に、この命をかけて戦おうと思っているの、それがこの世界で成すべきことだと感じるのよ」
「パトラ様・・・」
 真直ぐに天を見つめるパトラの横顔は真剣で、ただならぬ意志の強さが感じられた。セリリはそれを見ると、なぜか切なさに襲われた。
「昔、お母様が言っていたわ、人間の必死の思いというのは、空の向こうにある無限の世界に通じている、人は必死になればなるほど、無限の世界から力がもらえて、時には一人の人間が想像を絶するような力を発揮することがある、わたし一人が必死になっただけでも、意外と平和が守れたりするのかもしれないわね」
 パトラはすぐ横にいるセリリを見た、優しい微笑を浮かべていた。セリリはそれを見ると、目を見開いて息を止めた。
―お美しい。
心にはその言葉しか浮かばなかった。パトラは見た目も美しいが、そういうものではない。見ているだけで彼女の内面にあるものを感じて、心が洗われるようであり、心が宙に浮くような心地よさも感じた。神秘的な微笑であり、まるで幻を見ているようにも思えた。パトラは視線を空に戻すと、石段から立ち上がって言った。
「平和にも色々あってね、戦いによって築かれた平和というのは、いつか戦いによって崩れるのよ、数百年も続いたウィンデリアの平和も、その礎には争いがあったのだと思うわ、願わくば決して崩れることのない、誰もが笑顔で人生を謳歌できるような平和を築きたいものね」
 それを聞くと、セリリはいても立ってもいられずに、ばっと立ち上がった。
「パトラ様!」
 と言ったのはいいが、後が続かなかった。パトラは傍らの少女を見つめた。セリリの瞳は涙が溜まっているように潤んでいて、深く悲しむような、それでいて激しく感動しているような、複雑な光を湛えていた。
―わたしはついていきたい、貴方様に一生涯でもついていって、一緒に戦っていきたいです。
セリリはそれを声に出して言うことが、どうしても出来なかった。パトラは、セリリの真剣な眼差を感じる、少し眉を寄せて怪訝な色を浮かべた。
「何か言いたいことがあるんじゃないの」
「いえ、何でもありません」
「遠慮することはないのよ」
 パトラの穏やかな口調に打たれると、セリリは喉まで言葉が出かかったが、それを無理やりに飲み込んだ。
「本当に何でもないんです、あの、わたしそろそろ帰って寝ます、今日は本当にありがとうございました」
 セリリは深く頭を下げて、逃げるように立ち去ってしまった。パトラは心に何か引っ掛かるものを感じつつ、去っていくセリリの後姿を見ていた。セリリが闇の中に消えるのを認めると、パトラは城に向かってゆっくり歩いていった。

 朝、城の中庭でレインが部下たちに剣の稽古をつけていると、城門の衛兵が来て妙な事を告げた。
「レイン隊長、志願兵が来ています」
「志願兵? 城下街の役場に行けって言ってやりな」
「それが、レイン隊長に直接会いたいって言って聞かないんですよ」
「なんなんだそれは・・・」
 「カレンとか言ってましたよ、名前を言えばすぐに分かるって豪語していましたけど」
「カレンだって!?」
 レインはその名前を聞くと、部下たちに各自で訓練を続けるように言って、すぐ城門に向かった。
城の中央を走る石回廊は途方もない広さがあり、雲のように高い天井には、かつてこの地を開放した聖天騎士たちが、凶暴な蛮族と戦う様子が描かれている。回廊の左右には巨人のように佇む重々しい石の柱が広い間隔で立っている。レインは足音を響かせて、その中を歩いていった。城門に向かっている。ずっと前の方には出口の光が見えていた。歩いていくと、外に出たところで会話が聞こえてきた。
「ねぇ、まだなの、わたしだってそんなに暇じゃないんだからね」
 と偉そうに言う少女が城門の前に立っていて、衛兵を困らせていた。レインは腕を組んで、その少女の様子を呆れたような顔で眺めていた。癖のない茶髪を長く伸ばしていて、茶色の目は横長で大人っぽいが、顔つきや全体の雰囲気には、少女らしい幼さが残っている。オレンジ色の半袖とミニスカートの服を着ていて、脹(ふくら)脛(はぎ)まで覆うほど長い靴を履いている。それは飛天騎士がよくするいでたちだった。さらに腰には厳重に白い布を巻いた剣らしいものを差していた。この少女の名はカレンと言って、レインの年子の妹だった。カレンは姉の姿に気づくと、満面の笑みを浮かべて、大きく手を振った。
「姉さんこっち〜」
 レインは疲れたような溜息をついてから、カレンの前までいった。
「誰あんた、わたしあんたなんて知らないよ」
「ちょっと、なによそれ、こっちは姉さんの為に遠路遥々(えんろはるばる)やってきたんだからね」
「長い間見てないんで、妹の顔なんて忘れちゃったよ」
「最低・・・」
 カレンは頬を膨らませて怒っていた。レインはそれには構わずに言った。
「あんた、どうやってこんなところまできたのよ」
「あれあれ」
 カレンが指差した方を見ると、城門の外れにある木の木陰に、天馬《ペガサス》が繋いであった。レインは眩しさにうたれるように、目を細めてそれを見ていた。
「いつの間に天馬なんて乗れるようになったんだ・・・」
「すごいでしょ」
「誰から教わった?」
「ひみつっ」
「まあ、いいんだけどね」
 レインは何も気にする様子もなく、続けて言った。
「こんなところで話すのもなんだから、中に入りな、お茶くらいは出してもらえるでしょ」
「中に入っていいの?」
「嫌なら入らなくていいよ」
「嫌じゃない!」
 二人で城に入ると、歩いている途中でカレンが次々と質問してきた。それはうるさいくらいで、レインは面倒だったので、妹を適当にあしらいながらさっさと歩いていった。姉のいい加減な態度に、カレンはそのうち不機嫌になって、そっぽを向いてしまった。しかし、少し間を開けただけで、カレンはすぐ同じ調子でお喋りを始めた。
「ねえねえ、このお城にパトラ様いるんでしょ」
「いるに決まってるだろ」
「会いたいな〜、遠くから見るだけでもいいからさ」
「あの子は忙しいの、あんたに会ってる暇なんてないよ」
「そっかぁ、噂の黒い翼を間近で見てみたかったな〜」
「黒い翼?」
「あれ、知らないんだ、レイザード軍の人たちがそう呼んで恐れてるんだって、レイザード方面では辺境の村にまで広がってる噂だよ」
「へぇ、そうなんだ」
 レインは初めて聞く噂に、レイザード兵たちの深い恐怖を感じた。レイン自身はパトラの戦いは見ていないが、だいたい想像はついた。よほど手痛い目に合ったのだろうと思った。レインが考えていると、並んで歩いていたカレンが妙に嬉しそうな顔をしてた。
「もう一つ噂があってさ、パトラ様の側近の二人も超強くてかっこいいんだって、一人は姉さんのことでしょ?」
「ああ、たぶんね」
 レインは素っ気ない返事を聞くと、カレンは意気揚々と胸を張って言った。
「さすが姉さんだね、妹のわたしも鼻が高いよ」
「お前が偉そうにするなよ・・・」
 そうこうしているうちに、二人は城の片隅にある一室の前に来た。レインは部屋の扉を開けてカレンを先に入れた。部屋はそんなに広くはないが、さっぱりとしていて清潔感があり、くつろげそうな雰囲気だった。中央に四角いガラスのテーブルがあり、テーブルの両脇に白いソファーが置いてある。部屋のテーブルの真ん中と部屋の片隅には、花瓶に花が挿してあって、それらの花が部屋の中にほのかな香りを漂わせていた。カレンは部屋に入ると、レインが何も言わないのにソファーに身を沈めた。
「ふかふかで気持ちいい、さすが一国のお城だけあって、置いてあるものも違うね」
「あんたねぇ・・・」
 レインは呆れ顔で、カレンの向かい側のソファーに腰を下ろした。すぐに給仕の少女が入ってきて、盆に載せた菓子と入れたての紅茶を置いて出て行った。カレンは皿の上の焼き菓子を見ると、瞳を輝かせた。
「すごい、ケーキだよ、美味しそうだね」
「いいから黙って食べな」
 カレンは菓子を一口頬張ると、両目を閉じて味わい、いかにも深く感動しているという様子だった。それからお茶を啜ると、また忙しなく喋った。
「あ、このお茶もすごく香りがいい、姉さんったら毎日こんないいもの食べてるわけ、ずるいよね」
「相変わらず落ち着きのない奴だな」
 レインはそんなことを言いつつも、どことなく安心するように微笑しながら妹を見ていた。カレンはお茶や菓子に目がいっていて、それには気づいていない。カレンが一息つくと、レインは言った。
「で、志願兵ってどういうことなの?」
「ああ、あれ嘘」
「はぁ?」
「そういうふうに言った方が、姉さんに会えると思ったの」
 レインは下を向いて、安堵するように長い溜息をついた。
「あんたね、ふざけるんじゃないの、本気で心配したじゃないか」
「ごめん、ごめん、かわりにこれあげるから許して」
 カレンは腰の剣を外してレインに差し出した。白い布でミイラのようにぐるぐる巻きにされた剣を、レインは訝しい顔をしながら受け取った。
「なに、この剣」
「母さんに頼まれたの、姉さんに渡すようにって、家宝だから、なくしたり壊したりしたら殺すって言ってたよ」
「いい、いらない、持って帰って」
「やだよぉ、そんなことしたら、わたしがお母さんに怒られるし」
 レインは真剣な眼差しで、剣を覆う布を解き始めた。布を取り去ると、黒光りする鞘と黒革で覆われた握りが現れた。鍔の部分は銀色で、特別な装飾などはまったくないシンプルな剣だった。ただ、この世界で通常使われている、両刃の剣よりもずっと幅が狭く、刃渡りが異様に長いのが鞘の上からでも分かる。レインは剣を横にして、鞘から抜いてみた。片刃の曲刀だった。曲刀と言っても、傭兵や賊などがよく使う、幅と厚みがあって湾曲の激しいものとは違い、刀身の幅はすらりと細く、刃の厚みもないので非常に軽い。曲線もなだらかで、ほとんど真直ぐと言ってもよかった。白刃が部屋に入る日の光を受けて、見ていられないほど眩しく輝いた。古そうな剣だが、刃こぼれなどは全く見当たらず、まるで仕上がったばかりのように美しい。
「これはすごい、名刀だな」
レインは我知らず、そんなことを囁いていた。
「ちゃんと渡したからね、これで肩の荷が下りたよ」
 カレンはほっとしたように、肩の力を抜いた。レインは剣を納めると、妹の様子を怖いほど真剣に見つめた。カレンがそれに気づくと、物怖じするように身を縮めて、何か悪いことでもしたかと本気で考えた。
「あんた、レイザードから来たんでしょ」
「うん」
「まさか、レイザード軍に参加してるなんて事はないよね」
 それを聞くと、カレンは表情をぱっと明るくした。
「ないない、だってわたしは天馬に乗れるだけで、他のことは何にも教わってないもん」
「そう、ならいいんだけどね」
 レインは表情を柔らかくして、黒い瞳に優しい光を宿した。カレンの様子からすれば、言っていることが真実だろうと確信できた。
「こんなところまでお使いとは、ご苦労だったね」
「ほんとだよ、こうなったらシアラルで美味しいものいっぱい食べてから帰るんだから」
「じゃあ、いい宿手配してあげるから、ゆっくり休んでいきな」
「そんなこと出来るの?」
「わたしはこう見えても、シアラルでは偉い方なんだよ、職務権限で何とでもなるさ」
「やったぁ、姉さん大好き、世界で一番好き!」
「あんたはこういう時ばっかり調子いいんだよね・・・」
 カレンがその場に立ち上がり、もろ手を挙げて喜ぶと、レインは少し呆れた顔に微笑を浮かべていた。

 最初の戦いから一ヶ月近くも経ったころ、ようやくシャリアに駐屯するレイザード軍が動き始めた。レイザード軍の動きが鈍いのは、内部で将軍たちの折り合いが悪い為で、ロンベルド時代からの古い将軍たちは、互いに牽制しあうばかりか、王であるアルシャードの言うことすらなかなか聞いてくれないという始末だった。
アルシャードはしばらく黙して様子を見ていたが、どうしても無理だと分かると、強行に自分の意思を通した。まずはローラン攻略を命じ、竜騎兵と翼竜兵の混在部隊三千をローラン国に進ませ、王城の程近くで陣を取らせた。さらに後から弓兵五百ほどが合流した。
実を言うと、これらは脅しの為の軍隊で、命令の内容は攻撃ではなく説得だった。野心家のアルシャードにしては平和的な選択である。これには将軍たちから不満の声が上がったが、アルシャードはそれらをねじ伏せた。

「どうしたアルシャード、浮かない顔をしているな」
 レイラは言った。シャリア王城の玉座に座るアルシャードは、頬杖をついてむすっとしていた。有能な男ではあるが、我の強い将軍たちをまとめるのには苦労していた。
「兵は目的地に到着したそうだ、準備は整っているぞ」
 レイラは労わるように、穏やかでゆっくりとした口調で言った。
「お前も二千ほど兵を連れてローランに向かえ」
 アルシャードが言うと、レイラはしばらく黙っていた。するとアルシャードは、怒ったように眉間に皺を作ってレイラを見た。
「どうした」
「いくら兵力にものを言わせても、ミネアには通じない」
「五千の兵にも動じないというのならば、それは結構なことだ、後はお前が説得しろ」
「難しいな・・・」
 レイラは腕を組んで表情を固くした。レイラは戦いが始まる直前まで、ミネアと親しい付き合いがあって、その性格をよく知っていた。
「あなたに分かりやすいように言うならば、仮にわたしがローランの王女だとしたらどう思う」
 レイラに言われると、アルシャードは少し考えた後に、唇の片方だけを歪めて苦い微笑を浮かべた。
「なるほど、確かに難しいな」
「わたしがどんなに説得しても無駄だろう、だがフェリシティ王女が説得すれば折れる」
「なんだと?」
 意外な名前が出てきたので、アルシャードは頬杖を崩して眉間の皺を深くした。
「わたしはフェリシティ王女と幾分話をしたが、若いながらもいい器を持っている、彼女の説得は一万の兵よりも効目があるぞ」
「こちらの言う事を簡単に聞くような気性ではあるまい」
「あの方は一人でも多くの人間と助けたいと考えている、今の状況ならば我々が言わずとも降伏を勧めるだろう」
 アルシャードは腕を組んでしばらく考え込んでだ。
「やってみろ」
「ではフェリシティ王女を連れて行く、護衛の兵を百ほど頂こう、これでローランの飛天騎士団はものになるはずだ」


8 :四季条 ユウ :2008/07/19(土) 02:27:36 ID:nmz3rDnm

 ローランは深い森に囲まれた都市で、森の外側には原野が広がっている。その原野に待機するレイザード軍を率いるのは、グランドーという将軍だった。グランドーは司令部のテントの中で、即席でこしらえた玉座に佇み、酒を煽っていた。この男、天然の剛毛で、短く刈られた頭髪でも巻き毛のようになっていて、鼻の下には形のよく整えられた髭を生やして、濃く太い眉の下にある目は少し下がり気味で柔らかい印象はあるが、眼光には不適なものを感じる。歳は三十後半くらいであろう。一応敵が攻めてきたときの為に鎧を着込んでいる。グランドーは、どちらかと言えばアルシャード寄りの将軍だったが、今回の作戦には不満を抱いていた。
「あの王は何を考えているのだ」
グランドーは自分しかいないテントの中で呟いた。近くの机に乗っているワインボトルを取り、闇赤色の液を手酌で杯に注いだ。
―気の利いた女もいなければ、作戦の意味もわからん、気に入らんな。
 とグランドーは心の中で悪態をついて、杯の中の酒を一気に飲んだ。そこに革の鎧を着た軽装の兵士が入ってきて敬礼した。
「失礼いたします」
「おお、ローランは何と言ってきた」
「それが、レイラ将軍となら話をしてもよいと・・・」
 それを聞くと、グランドーはいきなり顔を怒りで赤くして、杯を机に叩きつけるように置いた。その音がテントの中に響くと、その場にいた兵士は驚いて身を硬くした。
「あの女がいかほどのものだと言うのだ!」
 グランドーは目の前にいる兵士のことなど忘れて、怒りを声に出した。それからしんと静まり、テントの外から人間の話し声や竜たちの鳴き声などが、遠くから聞こえてきた。
―レイラか、王家の血を引いているというだけで王の側近面をして、その上我々を差し置いて司令官にまでなりおって、まったく気に入らん小娘だ。
グランドーが険しい顔をしていると、テントの中にもう一人男が入ってきた。中肉中背で、歳はグランドーとさほど変わりないだろう。やはり金属の鎧を着込んでいる。長く伸ばした茶髪を後ろで束ねて、顔は面長で狐でも思わせるような、狡猾さの滲む顔立ちをしていて、見るからに武よりも学の合っていそうな男だった。この男はロノフと言い、グランドーの副官である。
「機嫌がよろしくないようですな、将軍」
「ロノフよ、ローランの王女はレイラを指名してきおった、俺では役不足だとでも言うのか」
 ロノフはその場に立ち尽くしていた兵士を、目配せで外に出るように命令した。兵士が外に出ると、ロノフは言った。
「まあ将軍、レイラ様とミネア王女は旧知の仲ですから仕方のないことです」
「うむ、確かにそれもあるだろうがな」
 グランドーはロノフに諭されると、苦虫を噛むような顔をした。それから机の上に置いた杯を取ると、ロノフが素早くワインボトルを手に取って、杯に葡萄酒を注いだ。グランドーは注がれた酒を見ながら言った。
「それにしても、なぜ説得などという回りくどいやり方をするのだ、アルシャード王らしくもない、要はレイザードが天下を取ればいいのだろう」
「アルシャード王はまだまだお若いですからな、時には誤った判断をすることもあるでしょう」
 このロノフの一言が、想像を絶する惨劇を生み出すことになる。さらにロノフ自身にとっても、恐ろしい災いを呼ぶ種となった。
「我々でローランとシアラルを落としてやるか」
 グランドーは言ってから酒を煽った。ロノフはこの時に、何としてもグランドーを止めるべきだった。しかし彼は愚かな選択をしてしまった。
「将軍、ローランを攻めるというのならば、わたくしめに妙案がございます」
「ほう、聞かせてみろ」
 グランドーは、ロノフの話を聞き終えると、攻撃的な表情に満足するような笑みを浮かべた。
「それならローランの飛天騎士団などひとたまりもないな、よし今夜決行しよう」
 その夜、グランドーは翼竜から降りた傭兵千人と弓兵五百人を、ローラン周辺の森に潜ませるように命令した。残りの竜騎兵と翼竜兵合わせて二千騎には、松明と油の入った筒が渡された。ウィンデリアの歴史上最悪の惨事は、レイラたちが到着する前日に起こってしまった。

 街は燃えていた。街中から上がる煙が空に黒く立ち込め、いたるところから火の手が上がっている。一夜にしてありとあらゆるものが破壊され、荒れ果てていた。そんな街の入り口に呆然と立ち尽くすのはフェリシティだった。側にはレイラ以外に、何人かの騎士ついている。
「何と言うことだ・・・」
 予想もしていなかった惨状に、レイラですらそう言うのがやっとだった。皆が石のように固まっていると、突然、フェリシティが何かに取り付かれたように走り出した。
「王女!」
 レイラが後を追いかけた。白いドレスを着たフェリシティは、荒廃した街の中で、白い画用紙に黒い線でも引いたように、浮き出た存在になっていた。辺りに漂う熱気と煙が彼女に降りかかるが、そんなことを感じる余裕もなく走り続けた。そして、立ち止まった。フェリシティは息を止めて、目を見開いた。その視線の先に、天馬と乙女が倒れていた。天馬の翼には矢がいくつか突き刺さり、首を槍で突かれていて、白い馬体が血で真っ赤に染まっていた。それに寄り添うようにして、乙女が薄目を開いたまま息絶えていた。剣か槍か、使った武器はわからないが、胸を貫かれていて、上半身が血にまみれている。
「ああ・・・」
 フェリシティは震えながらゆっくり視線を巡らせた、その行為が彼女を苦しみの底へ叩き落した。
燃え崩れた瓦礫、辺りを暗く染める煙、家々から投げ出された家具や雑貨の類、その乱雑とした中に、おびただしい数の天馬と乙女たちが息絶えていた。天馬から投げ出されたのか、中には建物の屋根や街路樹に引っ掛かっている少女もいた。乙女たちは激しく傷ついていて、血の匂いが辺りに充満している。中には炎で焼かれて黒焦げになっている死体もあった。
フェリシティは恐れながらも、一歩ずつ足場を探るように歩き出した。側にレイラがついているが、気づく余裕はない。彼女は倒れている一人ひとりに近づいて、乙女たちの最後の姿を見て回った。誰もが悲しみや苦しみ、恐怖といった負の相を刻んでいた。中には瞳に涙を溜めたまま死んでいる少女もいた。怖かったのかもしれないし、最後の瞬間に親の顔を思い出したのかもしれなかった。
 ―みんな、可哀想に、辛かったでしょう、恐ろしかったでしょう。
 フェリシティのエメラルドの瞳から涙が零れた。目の前で悲しい風景を織り成す乙女たちが、勇敢に戦い散っていく様が有々と目に浮かぶようだった。フェリシティは魂が抜けたように脱力して、泣きながら、彷徨うように歩きだした。
 ―ローランの勇敢な乙女たちよ、美しき飛天騎士たちよ、どうか、どうか安らかにお眠り下さい。
 フェリシティは心の内で祈り、行く当てもなく街角を曲がった。すると、いきなり道の中心に、赤く燃え上がる黒い山が現れた。その周りには多くの人々が集まり、山が燃えている様子を眺めていた。それは何かを高く積み上げたもののようであり、大人二人分くらいの高さがある。遠くから見ていると、幻想的な趣があり、同時に胸を締めつけるような激しい悲しみを誘った。フェリシティは吸い寄せられるように、激しく燃える炎に向かって歩いていった。
近づくにつれて、炎の周りに集まる街人たちの異様な雰囲気を肌に感じた。静かに涙を流しながら手を組んで祈る少女、その場に崩れて泣き叫ぶ中年の夫人、ただ呆然と炎を眺める若者、何かに挑むように口を結び、深い怒りと悲しみを露にする少年、それらの人々は見ているだけで重々しく、心が潰れてしまいそうになった。
フェリシティは体を炎の光で赤く染めて、黒いものが焼かれている様をしばらく見ていた。炎の揺らめきと黒いものが弾ける音が不規則な音律を作り、周辺には今までに感じたことのない異様な匂いが漂っている。
「これは、何ですか・・・」
 フェリシティは意を決して、恐る恐る訪ねた。近くにいた老人が彼女のことを見た。無表情で、まるで感情が消え失せているように見えた。老人は表情に無理やり笑みを刻んで、赤い光を吸う瞳に悲しみを湛えた。
「これは人間だよ、死者が多すぎて、火葬場だけじゃとても間に合わんのだよ」
 目の前で燃えているのは、死体が折り重なって築かれた山だった。凄まじい衝撃がフェリシティの中を駆け抜けた。混乱して老人の言葉がすぐには理解できなかった。口を半開きにして、慄然と山となった死体が焼かれるのを見ていた。老人が悲しい瞳を焼けていく死体に移して、呪われた山の頂上を指差した。
「あれはわしの孫なんだ、ひどいもんだよ、奴らはいきなりやってきて街に火を放ち、罪のない市民を次々と殺していった、勇敢な飛天騎士たちは必死に戦ってくれたが、敵は卑怯にも街に弓兵を隠しておった、市民を助けようと街に近づいた飛天騎士団はひとたまりもなかった・・・」
 老人は歯を食いしばり、握った両の拳を震わせ、涙を流した。これ以上はもう言葉が続かないようだった。
フェリシティは胸を絞られるような息苦しさを感じて、その場で両膝をつき、両腕で自身を抱くようにして胸を押さえ込んだ。それから今まで全力疾走でもしていたように、喘ぐような激しい呼吸を繰り返した。
 ―これが・・・戦争の恐ろしさ・・・。
 ローランを襲った惨劇は、大よそ人間の出来る所業とは思えなかった。女子供まで平気で殺すような者が人間と呼べるのだろうか。それはもう人間ではなく、人間の形をした悪魔である。戦争というものには、それほどに人間を狂わせる黒い魔力があった。
「王女、シャリアへ帰りましょう、ここは貴方にとって余りにも酷すぎる」
側にいたレイラは、フェリシティの近くに片膝をつき、心配そうに様子をうかがいながら言った。するとフェリシティは、いきなり力強く立ち上がった。レイラもそれに習い、何事かと怪訝な顔をしていると、フェリシティが振り返って言った。
「わたしはここで自分の出来ることをやります、レイラ様はすぐシャリアに帰って、復興支援の為に出来るだけ多くの人間を連れてきて下さい」
 てきぱきと命令するフェリシティは、先ほどまでとはまるで別人だった。怒りと悲しみに燃える瞳は力強く、何事にも屈しない芯の強さが、圧倒的な力となってレイラを畏怖させた。しかし、レイラはどうしたものか迷った。
「レイラ様、わたくしは逃げも隠れもしません、ここで少しでも人々の役に立ちたいのです」
 レイラは微笑を浮かべ、心配するほどのことでもないと思った。
「わかりました、貴方様の命令に従いましょう」
「では行く前に、護衛の騎士たちに、武器と鎧を捨てて集まるように言って下さい」
「承知しました、早急に集めます」
 レイラはフェリシティの前から足早に離れていった。フェリシティは再び燃え朽ちていく人間たちの山を見た。
 ―貴方たちの死は決して無駄にしません、この命に誓って、わたしは平和の為に戦います、失われた多くの命を礎にして本当の平和を築いてみせます、いつの日か必ず@


9 :四季条 ユウ :2008/07/20(日) 09:12:02 ID:nmz3rDnm

「パトラ様!」
 礼儀もへったくれもなく、力任せに扉を開け放ったのはシェーレだった。玉座に鎮座していたパトラは、シェーレのただならぬ様子に立ち上がり、側にいたレインも眉をひそめた。
「ローランから、飛天騎士たちが逃れてきています」
「どういうことなの・・・」
「詳しいことはわかりませんが、ローランがレイザード軍に襲われたようです」
 パトラはそれを聞いて、一瞬だけ顔を強張らせたが、すぐ冷静になって言った。
「騎士たちを総動員して救済に当たらせなさい、負傷者は速やかに治療院へ運ぶように」
 その直後に、誰かが部屋に走り込んできた。
「姉様―っ!」
 まるで悲鳴のように悲痛な声で叫びながらやってきたのはフィアーナだった。その場にいる全員の視線が集まった。フィアーナは激しく息を切らしながら言った。
「ミネア様が、中庭に来て、傷だらけでもう死んじゃいそうで、ああ、どうしよう」
 フィアーナは完全に混乱していて、その場にへたるように座り込み、泣き出してしまった。
「後の事はわたしがやるから、あんたたちは中庭にいって!」
 レインが言うと、パトラとシェーレは急いで城の中庭に向かった。シェーレは部屋を出るときに、入り口の辺りに座っていた妹の腕を取り、半ば無理やりに引き連れていった。中庭に入ると、飛天騎士がかなり降りてきていて、城の中にいたシアラルの騎士たちも相当数集まっていた。ざわついていて、明らかに異常な空気が流れている。
「ミネア様、止めて下さい、その体では無理です」
「お黙りなさい、何としてもパトラ王女に会わなければ・・・」
 そんな声が遠巻きに聞こえてきたので、パトラとシェーレは声の方に向かって走った。乙女の騎士たちは、パトラたちに気づくと道を開けた。先の方にミネアの姿が見えた。ミネアは左肩を部下らしい女騎士に支えられ、右手に持っている長槍を地面について杖代わりにして、ゆっくりと少しずつ、一歩踏み出すごとに全身全霊の力を込めて、必死に歩いていた。パトラはそれを静止するように、右手を上げながら近づいた。間近で見ると、ミネアの無残な姿が明らかになった。純白の胸当てや衣服は、返り血と自ら流した血で、赤と白の乱色に染まり、服の所々に刃物で斬りつけられたような裂け目があって、そこからも血が流れ出している。シェーレがすぐミネアの脇にいって、傷ついた体を支えようと背中に手を回した。そのとき掌に、ぐっしょりと濡れて生暖かいものを感じた。シェーレがミネアの背中に添えた掌を反射的に見ると、恐ろしくなるくらいに赤く血塗られていた。シェーレは息が止まりそうになり、絶望したような表情でミネアの背中を見た。背中に槍で突き刺された傷があり、そこから溢れ出る血で、白いマントの半分くらいが赤く染まっていた。貫通はしていないが、肺の片方が潰されていて、致命傷だとすぐにわかった。ミネアは気力だけで立っているような状態だった。
「早く、早く手当てを!」
 シェーレが周りにいる騎士たちに命令するように声を上げた。するとミネアは、そっと頭を横に振った。
「もう、わたしは長くはないわ」
 ミネアは左側で肩を貸していた女騎士から腕を解いてから、槍の柄を両手で持って体を支えながらその場に蹲った。その様子は痛ましく、もう立っている気力がなくなり、その場に座り込んだというように見えた。
ミネアはしばらく激しい呼吸を繰り返し、咳き込んでは血を吐いた。パトラはミネアの前に片膝を付いて屈んだ。ミネアはとっくに死んでいてもおかしくないような傷を負いながら、パトラに何かを伝える為にここまでやってきたのだ。それは何としても聞いてやらなければならなかった。
ミネアは肺を損傷しているにもかかわらず、しっかりと言葉を紡いだ。
「パトラ王女、奴らは悪魔の軍隊です、どうかお気をつけ下さい、レイザードの狂犬共は、逃げ惑う市民や戦意を喪失した騎士たちまで執拗に追って殺すのです・・・」
 ミネアは目を細めて、瞳に涙を溜めて、悲しみと無念の思いで体を震わせた。涙が零れた瞬間、ミネアから言葉があふれ出した。
「わたしの部下たちは、ほとんど殺されてしまいました、奴らは戦う意思のなくなった子達を大人数で囲んでなぶり殺しにするのです、手や足を何箇所も傷つけて・・・ああ、可愛そうに! 数え切れないほどの乙女たちが、悲しみと恐怖のどん底に落とされ、殺されていきました・・・」
 ミネアの青い瞳からとめどなく流れ落ちる涙は、彼女の頬にこびりついた血を洗い落とし、赤い雫となって落ちていった。ローランから落ち延びてきた飛天騎士たちが周りを円状に囲み、様子を見守っていた。多くの者が啜り泣きしていた。ミネアは嗚咽で体を何度か揺さぶった後、うっと呻いて激しく咳をした。咳と一緒に何度も血を吐くと、力尽きて支えにしていた槍を手放し前に倒れた。パトラが素早く体を支えると、そこにシェーレとローランの騎士が何人か来て、ミネアを仰向けに寝かせた。シェーレが頭に膝枕をすると、ミネアは少し落ち着いたように息を和らげた。
「パトラ王女、わたしの部下たちを、どうかよろしくお願いします」
「承知しました、お預かりいたします」
 パトラが言うと、ミネアは微笑を浮かべたまま、虚ろな瞳で空を見ていた。
「ミネア様、しっかりして下さい」
 シェーレが泣きそうな顔でミネアを覗き込んでいると、虚ろで濁っていたミネアの瞳に光が戻り、ようやくシェーレの存在に気づいたように、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「シェーレ・・・最後に会えてよかった・・・」
 ミネアは笑顔のままでゆっくり目を閉じていった。もう、誰が呼んでも答えることはなかった。
 ―ああ、死んでしまった。
 とシェーレは思っただけで、悲しいとか苦しいとかいう感情はまったく起こらなかった。心が乾ききっていて、まるで何も感じない。自分でも不思議なほど無感情になってしまっていた。
辺りからローランの騎士たちの泣く声がいくつも聞こえてきた。ミネア様、と呼びながら幾人もの乙女が駆け寄り、ミネアのすぐ近くにいる者は、側に膝をついて、手を握ったり金髪をなでたりした。その様子を見ると、シアラルの騎士たちも堪えきれずに涙を流した。どれだけの乙女が泣いているのかはわからないが、城の中庭は悲しみで埋め尽くされていた。
「ミネア様を後ろから襲ったのは誰ですか」
 シェーレのすぐ側に立っていたパトラが、ミネアの最後の姿を見ながら言った。するとミネアの側で膝を付いていた側近らしい女騎士が立ち上がって答えた。
「敵の将軍です、確かグランドーと呼ばれていました、ミネア様はみんなを逃がす為に最後まで残って戦われたのです、傷だらけになって弱っていたところを、あの男は卑怯にも背後からいきなり襲ったのです」
 シェーレは、ミネアの頬や髪をなで、吐血で口の周りに付いていた血を手で拭い、何も感じていないような空虚な瞳で美しい死相を見ていた。女騎士の悲しい言葉は、少し間を置いてさらに続いた。
「ああ、ミネア様! 申しわけありませんでした、わたしたちが不甲斐ないばかりに・・・」
 女騎士はその場に崩れて、顔を両手で覆って激しく泣いた。何度も申し訳なかった、というような意味の言葉を口にしていた。シェーレはなおも虚ろで、周りで起こる泣き声などまったく聞こえていないようだった。もう目を覚ますことがないミネアの顔を、じっと見つめているばかりである。最後まで仲間の為に戦って死んでいったミネアだけが、彼女の世界になっているのかもしれなかった。
「シェーレ、ローランの騎士たちと一緒に、ミネア様を丁重に弔ってさしあげなさい」
 シェーレはわずかに頷いただけだった。ミネアはその日のうちに、シアラルの街外れにある墓地に弔われた。

ローランから落ち延びてきた飛天騎士はわずか五百名ほどで、怪我をしている者も多かった。生き残りの話によると、千五百人以上の飛天騎士が敵軍の餌食になり、さらに市民の数まで入れると、被害は計り知れないという。この話は瞬く間にシアラル中に広まり、民衆は恐怖と不安に打ちのめされた。それとは逆に、乙女の騎士たちの怒りは頂点に達した。小隊長から一介の飛天騎士までもが、ミネア様の弔い合戦をしようと、パトラの下に意気込んでやって来るので、なだめるのが大変だった。その中に一人だけ、パトラですら溜息をつくような騎士がいた。
 その女が颯爽と入ってくると、玉座に落ち着いていたパトラから、近くにいたレインまで、あっと驚かされた。金髪に青い瞳で、靴から服や胸当からマントまで全て白なので、一瞬ミネアかと思った。しかし、髪には曲があるし、瞳の青もミネアのものよりやや浅い。
「パルテノ・・・」
 パトラは眉を寄せて、疑わしいような顔で言った。パルテノは以前に子供がいるからといって脱退させた騎士だった。かつてのミネアを髣髴とさせるような白一色の格好が、パルテノの気持ちを如実に語っていた。
「パトラ様、わたくしも共に戦います、よろしいですね」
「それは前にも言ったはずよ」
「ローランが壊滅して、ミネア様が討たれ、それでも黙って見ていろとおっしゃるのですか」
「あなたは子供の幸せのことを考えなさい」
「くどいようですが、わたくしも戦います」
 パルテノの言葉には、嫌とは言わせない威力があった。はたで見ていたレインには、少し怖いくらいに見えた。さすがのパトラも、パルテノの真剣さに圧された。パルテノはパトラよりもずっと人生経験が豊かで、その辺も見えないところで大いに作用している。
「娘とは約束をしてきました、母は必ず生きて帰ると、わたしは娘がいる限りは死にません」
 パルテノが言うともっともらしく聞こえるので不思議だった。パトラは降参の意思を深い溜息に込めた後に言った。
「わかったわ、許しましょう、その代わり貴方には隊長を務めてもらうわよ、いいわね」
「どんな任務でも、喜んでお受けいたします」
 思わぬところで心強い仲間が戻ってきた。パトラは少し困ったような顔をしていたが、レインは笑顔になって喜んだ。
「そういうことだから、よろしくね、レイン」
 パルテノが手を差し出すと、レインはその手を固く握った。
「姉さんすごいね、パトラを説き伏せるなんて並じゃないよ」
 レインが言うと、パルテノは苦笑いをして、それからパトラに向かって申しわけなさそうに頭を下げた。
「パトラ様のお気持ちを踏みにじってしまったことに対しては、詫びの言葉もございません、しかしレイザードの凶行には、もはや我慢がならないのです」
「もういいのよ、パルテノの気持ちはよくわかるわ」
 パトラはようやく微笑を浮かべて、パルテノを歓迎するような気持ちになった。正直に言ってしまえば、この混乱した時期にパルテノが戻ってきてくれたことは、何者にも増して心強かった。

 その夜、墓地に一人佇む少女がいた。ミネアの墓標の前で、名前の刻まれた墓石を見つめながら、ただ黙って立っていた。
「ミネア様・・・」
 ぽつりと呟く少女はシェーレだった。彼女はもう随分長い時間、闇の中で立ち尽くしていた。輝く半月と星々も、この場所から見ると酷く悲しげに見えた。
『シェーレ・・・最後に会えてよかった・・・』
 ミネアの最後に言った言葉が、シェーレの中に生々しく蘇った。まるでミネアがその場にいて言っているように、頭の中に響いてくる。それがシェーレの中にある扉を開く鍵となり、余りの衝撃にぷっつりと途絶えていた感情が、一気に流れ込んできた。シェーレは握った拳を震わせ、下唇を噛み、耐え忍ぶように声を殺して涙を零した。
『この裏切り者!』
『また会えて嬉しいわ』
『シェーレの気持ちは分かっているわ、わたしは貴方が元気でやってくれているなら、それだけで嬉しい』
 シェーレの中で、次々とミネアとの会話と場面が流れていった。それからさらに記憶がさかのぼり、思い出がシェーレを苦しめるように襲ってきた。天馬に乗って一緒に空の散歩に出掛けたこともあった、天馬操術や槍を教えてもらった、よく食事をしたりお茶を飲んだりしながら他愛のない話で盛り上がった、それらの記憶は今となっては悲しいだけのものになってしまった。シェーレは立ったまま涙に体を震わせて、苦しさに耐えるように静かに泣き続けた。
「こういうときは、思いっきり泣くもんだよ」
 いきなり後ろから言われて、シェーレははっとなって振り返った。微笑を浮かべたレインが立っていた。黒くて大きめの瞳は、月光で悲しく煌いていた。
「無理することはない、あんたの好きなように泣きなよ」
 レインはそれだけ言うと、背中を向けてシェーレから離れていった。シェーレは、ミネアの墓前に両膝とつくと、墓石に覆いかぶさった。
「ミネア様、ミネア様っ、どうして・・・」
 レインが騎士としての埃や振る舞いといった枷を取り払ってくれた。シェーレは涙で顔をくしゃくしゃにしながら、激しく嗚咽して、声を上げながら泣いた。
「ミネア様ぁーーーっ@」
 シェーレの泣き叫ぶ声は、離れていくレインの耳にも届いた。レインは拳を固く握り締めて、恐ろしく険しい形相で先にある闇を見つめていた。
 ―ちくしょう、レイザードの奴らめ、覚悟しておけよ、一人残らず叩き斬ってやるからな!


10 :四季条 ユウ :2008/07/25(金) 06:09:57 ID:nmz3rDnm

第四章 激昂の乙女たち


次の日の早朝、パトラは城の屋上に出て、昇ってくる朝日の眩しさに目を細めながら、前に広がる景色を眺めた。城下街から先に深緑の森が広がり、さらに奥の方には地平線が見えている。
 ―ついにこんな事になってしまった。
 強い風が流れてきて、短めのスカートや黒味の強い茶色の髪を後ろになびかせた。パトラは昨日あったことを思い起こし、ミネアの最後の姿に思いを馳せた。
 ―ミネア様、見事でございました、最後まで仲間の為に戦い抜き、仲間を思い続けて死んでいかれた貴方のお姿、一生涯の教訓にさせて頂きます、わたしも最後はあのように死んでいきたいものです。
 パトラは心の中で、亡きミネアに語りかけていた。しばらくは微動もせずに立っていたが、急に目を鋭くして表情を尖らせた。
 ―目前の悪魔たちとは徹底的に戦わなければならないわ。
 パトラは戦いが好きではない。味方だけでなく、敵がやられてゆく姿を見ても酷く心が痛んだ。しかし、今回はそういう気持ちは全く起こらなかった。ミネアははっきりと悪魔の軍隊であると言った。パトラはローランから逃げてきた飛天騎士の一人から話を聞いて、確かにその通りだと思った。  
レイザード軍は真夜中にローランを襲ってきた。まず街に近い森に弓兵と歩兵を潜ませた。上空から街中に油を撒いた上で、松明を投げ落として火を放った。街中があっという間に火の海になり、多くの市民が悲鳴を上げて逃げ惑った。そこへ弓兵と歩兵がなだれ込んだ。兵共は暴徒と化し、金品を強奪したり、まるで楽しむように街中の人々を殺したりと、もはや人間とは思えないような行いをした。市民を助けに駆けつけた飛天騎士たちは、弓隊の攻撃で次々と落とされ、天馬と一緒に落下した乙女は、敵の歩兵に囲まれてなぶり殺しにされた。地に地獄あれば天にも地獄が待っていた。混乱した飛天騎士団を、上空からは竜騎兵団が襲った。危険を感じたミネアは、市民を助けるのを諦め、シアラルに落ち延びるようにと指示を出した。八十騎いた聖天騎士たちは、ミネアと一緒に最後まで残って戦い、ほとんど全滅した。二千近くいた飛天騎士たちも、街の上空でほとんど落とされ、何とか逃げ出した者たちも、追っ手にだいぶやられてしまった。そうして生き残ったのは、聖天騎士六名に飛天騎士四六七名と、全体の四分の一ほどしかいなかった。レイザード軍の所業は非道と言う以外にない。
 ―憎しみが、広がってゆく・・・。
 パトラは深い憂いに襲われた。今のシアラルに憎悪や悲哀といった暗い感情が膨らんでゆくのが、手に取るようにわかった。弔い合戦の気運は高まり、もう戦いは避けられない。向こうから恐ろしい足音をたててやってくる戦争という魔物を、否応なしに受け入れなければならなかった。
 ―今回はどうしても戦うしかない、でもどこかで戦いを止めなければ、そうしなければウィンデリアに本当の平和をもたらすことなど出来はしない。
 パトラの不安を感じるように風が強く吹き渡る。城下街の上を、数騎の飛天騎士が巡回しているのが見えていた。

 玉座に座るアルシャードは、手に持っていたグラスを床に叩きつけた。ガラスと一緒に琥珀色の酒が飛び散る。
「グランドーの野郎、俺の命令を無視しやがったのか!」
 ローランから戻ってきたレイラの報告に、アルシャードは激怒した。彼は無表情になって腕を組み、しばらく黙っていた。怒りのあまり表情を失っているという感じに見えた。レイラはアルシャードの前で、何も聞かずにただ立っているだけだった。
「俺は利用できるものは無傷で手に入れたかった、ローランの飛天騎士団を取り込めば、シアラルも説得に応じたかもしれん、それを奴は台無しにしやがった」
 アルシャードは怒り心頭といった険しい表情で言った。
「グランドーたちを連れ戻しますか」
「捨て置け、どの道間に合わん、もうシアラルに向かっている頃だろう」
「シアラルを攻めさせてよろしいのですか?」
「かまわん、将軍(ばか)共にはいい薬になる」
 レイラはアルシャードの言っている意味がわからずに、眉をひそめた。アルシャードは怒りを沈め、すっかり落ち着いた顔に微笑を刻んで言った。
「どういうことになるかよく見ておけ」
 確かにローランのようにはいかないだろう。しかし、グランドーも三千以上の兵を率いている。たとえそれに勝ったとしても、シアラル軍の方もただでは済まないはずだ、とレイラは思った。この戦いが実現した後、彼女は驚愕の事実を知ることになる。
「フェリシティ様の要請はどういたしましょう」
 レイラはこっちの方が本題だとでも言うように、言葉の調子を強めた。
「それはお前の好きにしろ」
「兵を貸して頂きます」
「グランドーの軍に逆賊の汚名を着せておく、そうしなければローランの民は受け入れぬだろう」
「感謝いたします」
 俺らしくもない、アルシャードは思った。壊滅したローランを支援しても何の特にもならない。彼にとっては無駄な労力だった。しかし、あのフェリシティが何をやってくれるのか見てみたかった。
 ―あれも宿命に導かれし者だろう、何が出来るのか見せてもらう。
 レイラはその日のうちに、装備を解除した兵約二千を引き連れてローランへ向かった。

「騎士たちを集めなさい」
 パトラは玉座にいながら側近たちに言った。
「レイザード軍を討ちますか」
 パルテノが言うと、パトラは黙って頷いた。
「作戦とか立てなくていいの?」
「心配する必要はないわ、わたしの言うことに従ってくれれば大丈夫よ」
「じゃあそうするよ」
 レインはあっさりと答えた。パトラのことを信用しきっているので、あっけらかんとしたものだった。
「敵は恐らく、ローランから真直ぐこっちへ向かっているわ、弓兵をどこかに置いてね」
「弓兵を置いて? それじゃあ戦力半減するじゃない」
「ローランを攻めたのは、アルシャードの命令ではないわ、あの男は野心家だけど狂犬ではない、己の野心を実現するために最良の方法を選択するはずよ、ローランの攻撃はどう考えても良策ではないわ、わたしだったら攻撃するよりも取り込むことを考えるわね」
「つまりどういうことなのよ」
「ローランを壊滅させた軍は、誰かの身勝手な判断で動いているのよ、だから少しでも早くシアラルを攻めたいはずよ、なぜならシアラルまで落とせば大陸全土はレイザードに掌握されたも同然、そうすれば必然的に最大の功労者になれるでしょう、逆にシアラルが落とせなければ王の命令に背いた反逆者になる」
「なるほどねぇ、だとすれば奴ら相当焦ってるんじゃない?」
「ええ、だから地上の弓兵に歩調を合わせることなんて出来ないわ、竜騎兵団だけで真直ぐこちらへ向かっているはずよ」
「すると、シアラルとローランを結んだ直線上を進めば、レイザード軍に出会うことになりますね」
 パルテノの言ったことに、パトラはゆっくり頷き、それから遠くにいる獲物を見定めるように目を細めた。
「ローランの飛天騎士たちは、弓の脅威に晒され、恐怖と無念の中で死んでいった、今度は彼らにその恐ろしさを味わってもらいましょう」
 その場にいる近衛騎士たちは、パトラの言っている意味がわからなかった。レインはパトラに何かを言おうとしたが、その目を見てぞくっと悪寒がして言葉が出なくなった。
 ―うわ、怒ってるよ・・・。
 パトラは無表情だが、瞳の光が普段とまったく違っていた。いつもの何事にも関心がないような冷たい光ではなく、心の底から燃え上がる怒りの炎を宿し、ぎらぎらしていた。レインが、そんな様子のパトラを見るのは初めてだった。
「パトラ様、お願いがございます」
 ずっと黙っていたシェーレが、突然パトラの前に出てきて跪いた。
「切り込み隊を、わたしに任せて下さいませんか」
 パトラはじっとシェーレを見つめた。シェーレは青い瞳を輝かせて、真剣な表情をしていて、静かな中にもひしひしと感じる怒気を放っていた。
「感情的になると討ち死にするわよ」
「心配には及びません」
「・・・いいでしょう、貴方に任せます」
 シェーレは深く感謝するように、頭を下げてから言った。
「敵将は必ずや、このシェーレが討って御覧に入れましょう」
「無理はしないようにね」
 パトラは手を上げて、シェーレに立ち上がるようにと合図をして、それから自分も玉座から立ち上がって言った。
「パルテノにはシェーレ隊を任せます、わたしは遊撃隊に加わるわ、レインはいつも通りにお願いね」
 三人の近衛騎士は、背筋を伸ばして姿勢を正し、さっと敬礼した。パトラは立ったまま、目の前に敵がいるかのように、何もない空間を睨んでいた。
「弔い合戦よ」

 シアラルの民衆は、城下街から、不安と希望の入り混じった少し陰のある表情で、朝の青空を見上げていた。白く鮮やかな軍隊が上空に集まりつつあった。
「また戦いか」
「神様乙女たちをお守り下さい」
「どうか負けませんように」
民衆は溢れる思いを口々に囁いていた。
 パトラは漆黒の聖天馬《グラーニ》に跨り、ずっとある一点の方向を見つめていた。すぐ後方には切り込み隊の聖天騎士(グラーニナイト)数百騎が控え、幾重にも重なった翼の羽ばたく音が後ろから聞こえていた。隣には純白の聖天馬に騎乗するシェーレがいる。真下には、全体が一望できるほど小さくなった街が見えていた。上空には常に風の川が流れていて、空気が天馬の鬣や乙女たちの艶やかな髪をなでていく。
「どうかなさいましたか」
「そろそろ来る頃ね」
「来るといいますと?」
「すぐにわかるわ」
 パトラはそれだけ言って黙った。そこへ聖天馬に乗ったレインとパルテノがやってきた。
「レイン隊、召集完了」
「シェーレ隊の方も準備万端です」
「二人ともご苦労様、このまま少し待ってちょうだい」
「まだ出発しないの?」
 レインがもの問いたげに、少し首をかしげながら言った。
「まだ来ていない人たちがいるのよ」
 全員揃ってるぞ、とレインは思ったが、パトラがそう言うのなら何かあるのだろうと思って、口に出すのは止めた。しばらく待っていると、後方に集まっている飛天騎士団から、一人の少女が天馬《ペガサス》を駆って飛び出し、軍列の上を飛んでパトラたちの近くまでやってきた。シェーレがその少女を見ると、咎めるように顔を強張らせた。
「一般兵こんなところまで来て何をしているの、早く隊列に戻りなさい」
「パトラ様に申し上げたいことがあるんです」
 聞き覚えのある声だったので、パトラはナイトメアを操り、素早い身のこなしで少女の方を向いた。
「どうしたの、ミーナ」
 パトラが言うと、ミーナは名前を呼ばれたのがよほど嬉しいらしく、感激するような笑みを浮かべた。
「あの、わたしを前線に置いて下さいませんか、きっとお役に立ちますから」
 それを聞くと、パトラは何も感じていないように、無表情でミーナを見た。レインは感心するように何度も頷いていたが、シェーレとパルテノは、身の程知らずとでも言いたげな白けた目で見ていた。
「功を焦るのはよくないわ、今は貴方に与えられた使命をしっかりやり遂げなさい」
「でも、レイザード軍は絶対に許せません、前線で戦ってみんなの敵を討ちたいんです」
「それは誰もが同じ気持ちよ、だからみんなで心を一つにして戦わなければいけないの、貴方だけが前に出すぎると、一つになった心が乱れてしまうかもしれないわ」
 パトラは優しく諭すような口調で言った。ミーナは少し不満気な顔を俯けて聞いていた。
「ミーナは遊撃隊だったわね」
「はい」
「わたしも今回は遊撃隊に加わるわ、遊撃は臨機応変に動けるだけに重要な役目よ、ほとんどが仲間の手助けに終始するから、戦いでの華やかさはないけれど、陰で活躍する遊撃隊がいなければ勝利は得られないわ」
 ミーナは顔を上げると、急に雰囲気を明るくして、青味のある銀の瞳を大きく開き、重要なものを得たとでもいうような顔をした。その様子を見ていたシェーレが、いらつくような感じで言った。
「わかったら、さっさと隊列に戻る」
「は〜い」
 ミーナは可愛らしく返事をしてから、パトラに頭を下げながら、ゆったりとした口調で言った。
「パトラ様、数々のご無礼お許し下さいませっ」
「いいのよ、戦いでは無理をしないようにね」
 ミーナは、はいと返事をしてから、天馬を反転させて後方の隊に戻っていった。
「元気な子だねぇ」
「無礼な騎士ですね・・・」
 レインとシェーレは、去っていくミーナの後姿を見ながら、ほぼ同時に言った。その時、パトラが前方を指差した。
「来たわ」
 遠くに羽ばたく白鳥のような群れが幾つも見えた。それが近づいてくると、乙女が天馬に跨る姿が次第にはっきりしてきて、飛天騎士(ウィングナイト)の一団だとわかった。その数百余り、騎士たちは横に約三十騎、縦に三騎という横長の隊列を組み、一人の騎士だけが単独で前に出ていて、隊列を組んだ騎士たちはそれについて来る。その部隊はパトラたちの手前で止まった。騎士たちの様子を見たとき、シェーレはあっと驚いた。
 ―あれは以前に徴募した弓兵たち・・・。
 よく見ると、目の前の騎士たちは剣や槍などの武器を持っていないかわりに、腰の辺りに小型の弩(いしゆみ)を掛けていた。彼女等の登場には、レインとパルテノも目を丸くしていた。その時、単独で一番前にいる騎士が、パトラに近づいた。その少女だけは弩の他に、大型の弓を背中に背負っていて、乗っているのは聖天馬(グラーニ)だった。
「パトラ様、遅くなって申しわけありません」
 パトラは気にしなくても良いというように何度か頷いた。
「今日から軍に加わる天弓騎士団(てんきゅうきしだん)よ、彼女は隊長のアルティナ」
 パトラが紹介した後に、アルティナは他の隊長たちに、よろしくお願いします、と言って馬上で頭を下げた。
「あー、わたしはレイン、こっちがシェーレで、こっちがパルテノ姉さんだよ」
 レインは急にやってきた新しい仲間に戸惑いつつ言った。シェーレとパルテノは挨拶代わりに丁重に頭を下げた。
「いつの間にこんな部隊を作ったんだ」
「パトラ様がわたしの村に、後ろにいる弓使いたちを連れてきたんです、パトラ様の指導の下で、天馬躁術の訓練をしていました」
 アルティナがレインの疑問に答えた。レインとシェーレはそれを聞いて、パトラが毎日のように午前中から夕刻頃まで外に出ていた理由を察した。パトラは誰の手も借りず、一人で目の前にいる部隊を作り上げていたのだ。
「不安定な天馬上で弓が使えるのですか」
「使えなければここには来ないわ」
 パルテノが信じられないという面持ちで言うと、パトラが即座に切り返した。
パトラは弓使いたちに、空中で静止に近い状態でいられる飛び方を教えた。それでも地上で弓を使うことに比べると、かなり不安定なので、弓の性能を上げることで命中精度を補った。そうして出来上がった天弓騎士団は、高い機動性に遠距離攻撃を備えた、戦術性の高い部隊になった。ちなみにパトラは、天の弓使いたちを天弓騎士《ハンターウィング》と名づけた。
「ミネア様のことは聞き及んでいます、わたしたちも敵討ちに一役買わせてください」
 アルティナは見るからに大人しそうな感じの顔を、出来る限り尖らせて言った。他の隊長たちも、さっと真剣な表情に変わった。そして、シェーレが慇懃に頭を下げた。
「ご助力、深く感謝いたします、どうかよろしくお願いします」
 シェーレの声にはどこか悲しげな響きがある反面、体から炎のような怒りを発していて、思わず後退りしてしまいそうな空気がアルティナを包んだ。アルティナはその姿からただならぬものを感じた。この方とミネア様の間には何かがあったんだな、と自然に思った。
「ミネア様の無念は必ずわたしたちで晴らしてみせましょう」
 アルティナが言うと、シェーレは微笑しながら頷いた。頃合を見計らってパトラが言った
「そろそろ出撃します、天弓騎士団はこのまま先頭を進んで下さい」
「弓隊を先頭に進むの?」
「そうよ」
 レインが不可解な顔をすると、パトラは当たり前のように答えた。
「いきなり敵が襲ってきたらやばいんじゃない」
「そうならないように配慮するわ」
 パトラがそう言うならと、レインはそれ以上何も聞かなかった。それからシアラルの白い軍隊が空をゆっくりと進みだした。天弓騎士団を先頭に、その後方には切り込み隊の聖天騎士三百騎が控え、そのさらに後方にはレイン隊とシェーレ隊を統合した大規模な飛天騎士団がいる。ローランの飛天騎士たちもそれに加わっていた。兵数は約四千、対するレイザード軍は翼竜兵と竜騎兵合わせて三千である。まともにやり合えば、双方壊滅的な打撃を受けるだろう。だが、パトラには例のごとく策がある。作戦の根幹は天弓騎士団が握っていた。ここからシアラル軍の真骨頂が始まる。

 シアラル軍はローランに向かって真直ぐ進んでいた。早朝に出発してから、もう昼過ぎになる。途中に草原で一休みしただけで、進行は続けられている。
飛天騎士団が街や村にさしかかると、それらは一塊になった雲のように、広大な白軍の影に沈んだ。人々は空を仰ぎ、大きな希望を少しの不安を抱いて、白鳥の群れのように華麗な軍隊を見送った。
上空では風が強くなっていた。快晴ではあるが、大きな雲がどこからともなく現れていて、それは風に乗って少しずつ動いている。
パトラとレインは最前列に出て、二人並んで飛んでいた。すぐ後ろにはアルティナがついていて、そのまた後方に天弓騎士団がいる。
「風強いね」
「ええ、いい天気になりそうよ」
 いい天気? と思ってレインは首を傾げた。強い風は天馬の飛行を妨げ、疲弊させるものだった。だが、パトラが次に言ったことに、レインはさらに疑問を深めることになった。
「あの雲、もうすぐ雨になるわ」
「雨だって? 最悪じゃないか」
「そんなことないわ、最高の天気よ」
 レインは苦笑いを浮かべて、そんな莫迦な、という顔をしていた。強い風だけでも嫌なものなのに、雨が降れば天馬は体毛や翼が水を吸って体重が重くなり、さらに動きが鈍くなってしまう。
「ここからは、わたしが斥候になって先の状況を確認するわ、レインはこのまま軍を進めてちょうだい」
「あんた一人でいくの?」
「そうよ、一人の方が身軽でいいわ」
「わかったよ、いってらっしゃい」
 レインは、遊びが終わった子供たちが別れ際にするように、小刻みに手を振った。その姿はまったく自然で、心配したり不安がるような様子はない。パトラが手綱を引くと、ナイトメアはばっと黒い翼を広げ、レインに吹き飛ばすような風圧を与えて、凄まじい勢いで前に飛び出していった。レインが風圧で乱れた髪を直している間に、パトラの後ろ姿はだいぶ小さくなっていた。
「相変わらず凄いな、あれは本当に色が黒いだけの聖天馬(グラーニ)なのか」
 それからしばらくすると、さらに風が強まり、上空に黒い雲が立ち込めてきた。パトラの言う通りになりそうだった。
 漆黒の聖天馬は地上に近い低空を飛んでいった。辺りが雨雲で薄暗くなり、さらに下には深い森が広がっているので、その黒い姿は景色に同化しているように目立たなかった。パトラは上空を注意深く見ている。敵軍の姿はまだ見えない。
 ―そろそろ現れてもいい頃だけど。
 パトラはナイトメアの速度を落として、ひたすら上を見ていた。すると、鳥のようなものがいくつか飛んでくるのが見えた。かなり上方になるので、詳しい数はわからなかったが、ぱっと見で判断して五つか六つほどだろう。パトラにはそれが何なのかすぐにわかった。
 ―敵の斥候、行かせない。
 パトラが右手に持っている槍を握り直すと、ナイトメアは翼を大きく羽ばたかせて、急上昇していった。先に発見されるわけにはいかない。先手必勝が今回の作戦には必須だった。
 レイザード軍の斥候は五人いて、すべて翼竜兵だった。全員が気だるそうにゆっくりと翼竜を進めている。その男たちはまったく無防備で、かたまって無駄話をしながら手綱を引いていた。下から迫ってくるパトラの姿には、誰も気づかなかった。
 ―如何様な事があろうとも、殺める者、地獄へ落ちるなり、人の命を奪うこと、最も深き業なり。
パトラは心の中で唱えると同時に、斥候部隊の前に躍り出た。一番前にいた二人は、いきなり現れた漆黒の姿に唖然とした。
「黒い翼!」
 誰かが叫んだ。パトラは力を溜め込むように槍を後ろに引いて、目の前にいる二人の胸を立て続けに突いた。辺りに血が飛び散り、一人は即死で翼竜の上に突っ伏して、もう一人は突かれた胸を両手で押さえて、声も出せずに苦しみ、ここが空中であるのを忘れたかのように、翼竜の上で転げまわってから落下していった。
「うおおぉ!」
 決死の形相で一人がパトラに向かって突っ込んできた。パトラがナイトメアの手綱を軽く引くと、黒い馬体は素早く横にスライドして、突撃してきた翼竜兵の真横に回り込んだ。翼竜兵の槍がパトラのいなくなった宙を突いた。それとほぼ同時に、パトラの槍が翼竜兵の首を横から貫いていた。口から血を大量に吐いてから絶命した男は、首から槍が抜けるとそのまま横に倒れて、地獄を思わせるような暗い森へ落ちた。
「くそっ!」
パトラのすぐ近くにいた一人が、槍を突いてきた。パトラが体を右に傾けると、敵兵の槍は彼女の左肩の上を通り、さらりと艶のある茶髪を抜けていった。パトラは男の喉を的確に狙って反撃した。異様な感触と一緒に、パトラの顔と右腕に血飛沫が降りかかった。喉をやられた兵士の目は虚ろで光がなくなり、死んでいることがわかった。槍が引き抜かれると、兵士は前に倒れて、かろうじて翼竜に引っ掛かっている状態になった。
「助けてくれ!」
 最後に残った男は、仲間が一瞬で倒されるのを見て、もう戦う意思は挫けていた。全速力で逃げていったが、パトラはナイトメアの速力の半分も出さずに追いついた。翼竜兵の前に回って黒い壁となり、男に槍を突きつける。
「お願いだ、殺さないでくれ、俺には妻も子供もいるんだ、死ぬわけにはいかないんだ」
 男は恥も外聞もなく、顔の前で両手を合わせ、目に涙を浮かべながら訴えた。目の前にいるのは可憐な少女だが、漆黒の聖天馬に乗り血に汚れた姿は、恐ろしい子悪魔のように見えた。その子悪魔は、何かに苦しむように顔をしかめていた。しかし、それは一瞬のことだった。
「死にたくなければ、戦いが終わるまで森に隠れていなさい、いいわね」
 男は手を合わせた状態のまま、何度も頷いた。パトラは止めを刺すように言った。
「もし、軍に戻ってわたしたちのことを知らせようとしたら、追っていって殺すわよ」
「し、しない、神に誓ってもそんなことはしない、あんたの言うことに従う」
「早く森へ下りなさい」
 男は素直に従い、真下に見える森へ急降下していった。パトラは翼竜が下っていく様子を見ながら、疲れたように溜息をついた。
 ―わたしは甘いわね、作戦を確実に成功させるなら、斥候は全員叩いておくべきだわ、でもわたしには出来ない、あの人を殺せばその妻や子供が辛い思いをする、たった今手に掛けた人たちにだって・・・。
 パトラはそこまでで考えるのを止めて、何かに耐えるようにぎゅっと目をつむった。一粒の水滴が落ちてきてパトラの頬で砕けた。見上げると、雨が幾つも落ちてくるのが目に映った。ぽつりぽつりと降っていた雨は、急に強くなってパトラの体中を打った。すぐに全身が濡れて、雨水が槍や顔に付いた血を洗い流した。
「降ってきたわね」
 パトラは森に向かって降下していき、再び低空を進んだ。程なくすると、暗雲よりも更に黒く広がる軍隊が現れた。パトラはしばらく宙に止まってそれを見上げていた。雨が森の木々を打つ音が、うるさいくらいに下から聞こえてくる。レイザード軍は、どうやら進軍せずに立ち往生しているようだった。雨のせいだろう。パトラは、よしと思って踵(きびす)を返し、全速で自軍のいる方向へ飛んだ。そうすると、体に受ける雨が、痛いくらいに強く感じた。


11 :四季条 ユウ :2008/07/26(土) 20:21:32 ID:nmz3rDnm

「将軍、この雨では進軍もままなりませんし、兵たちの士気も下がります」
 竜騎兵団の後方でロノフが言った。すぐ隣にいるグランドーは、いかにもというように頷いた。
「途中で通りかかった街まで戻って、雨宿りをするとしよう」
「それがよろしいかと思います」
 将軍の命令が全軍に伝わると、急な大雨にうんざりしていた兵たちは、にわかに元気を取り戻し、酒を飲むことや女を抱くことなどを考えて、うきうきしていた。進行の向きが逆転して、グランドーたちのいる後方が前になり、レイザード軍は来た方向を逆戻りしていった。
 その頃、シアラル軍は出来る限り行軍の速度を上げて、レイザード軍に迫っていた。乙女の騎士たちは雨にびしょ濡れになりながら、ローラン飛天騎士団の敵討ちを前にして、凄まじい気迫を放っている。
「天弓騎士団は攻撃の準備を」
 一番前を進むパトラが言うと、それをすぐ後ろで聞いていたアルティナが右手を上げた。それを合図に天弓騎士たちが腰の弩を手に取った。それから間もなくして、敵軍の後方を捉えた。パトラとアルティナは、横3列に並ぶ弓隊の真上に移動した。そして、敵影がある程度近づくと、パトラは手を上げた。それを見た伝令兵たちは、軍内を駆けていって、全体に停止命令を伝えた。全軍が停止すると、四千もいる軍隊は嘘のように静まり返った。無数の雨が空を裂き、乙女や天馬を打つ雨音だけが辺りの空域を支配していた。
「撃ち方」
 パトラが静かに言うと、アルティナがそれを反復するように叫んだ。
「撃ち方用意!」
 三十騎ほどいる最前列の天弓騎士たちが同時に弩を構え、アルティナも背中の弓を取り出して矢をつがえた。
「撃て」
「撃てーっ!」
 アルティナの声が響き渡ると、ついに第一波の攻撃が放たれた。数十という矢は空を切って竜騎兵団の最後尾に迫った。    
その時点でシアラル軍の接近に気づいている者はわずかだった。早く街へ行きたいというはやる心と視界を悪辣にする雨によって、レイザード軍は大きな隙を作った。さらに、この雨の中を敵が攻めてこようなどと、誰も考えてはいなかった。
 矢群はレイザード軍後列の中央辺りを襲った。矢を背中や肩に受けてのけ反る者もあれば、運悪く乗っている翼竜の方に矢が当たり、バランスを失って落下する者もあった。無数の矢は止めどなくやってきた。これは一対一の戦いで言えば、いきなり後ろから襲われたようなものである。レイザード軍では何が起こっているのかわからず、攻撃を受けている後尾から、乱れが広がっていった。
 パトラは雨で視界が悪いのも構わずに、どんどん矢を撃たせた。最前列が矢を撃つと、それらは下から後列に回り込み、前に出てきた列がまた矢を射る。3列でそれを繰り返すと、切れ目なく矢を撃ち続けることができた。
遠目からでもレイザード軍に起こっている変化がわかるようになってきた。先に見える小さな影が幾つも地上へ落下していき、隊列も乱れてきた。
「撃ち方」
「撃ち方用意!」
「撃て」
「撃てーっ!」
 何度も同じ命令と動作が繰り返される。矢はまだまだ残っているので、天弓騎士団は容赦なく射撃を続けた。ちなみにアルティナの放った矢は常に百発百中で、敵の急所や翼竜の翼を射抜き、一人で相当な戦果を上げた。
不幸にも横から叩きつける矢の雨を受けるレイザード兵たちは、矢の脅威に怯え、混乱していた。
「矢だ、弓矢だ、敵の弓兵がいるぞ」
「どこから撃っているんだ!」
「このままじゃ落とされちまう!」
「早くここから逃げよう」
 翼竜に跨った兵たちが口々に叫び、隊列はバラバラになり、勝手に逃げ出すものもあった。天の騎士たちには、弓矢は最も恐ろしい物、という観念があるので、恐怖と混乱は波のごとく広がっていった。攻撃から最も遠いところにいたグランドーたちにも、シアラル軍の攻撃がすぐに伝わった。
「何!? どういう事なのだ、この高度で弓の攻撃など受けるはずがない」
 伝令兵の言った事を聞くと、グランドーは信じられないという顔をした。近くにいたロノフが腕を組んで考え込んだ。
「恐らく、この高さでも届く新型の弓でも開発したのでしょう、このまま前進して、弓兵のいる地域を離脱しましょう」
「なるほど、そうか、よし前進しろ」
 グランドーはロノフの言う事を信じきって命令した。無理もない。天馬乗りが弓を持っているなどと考える方が異常なのだ。常に上下の揺れがある天馬上では、常識で考えれば弓を撃つことなど不可能だった。天弓騎士団は、パトラの教えた揺れの少ない特殊な飛び方と、軽量化して命中精度を上げた弩が相まって、初めて実現した空の弓隊なのだ。奇抜な発想を持ったパトラならではのものだった。
 レイザード軍との距離が開いてくると、シアラル軍も動き出し、追いついたらすぐに矢を射かけた。それが何度か繰り返された。レイザード軍の方は、いくら逃げても矢が飛んでくるので、ますます混乱した。多くの兵が射落とされ、仲間が近くで落とされていく恐怖に、耐え切れなくなって逃げ出す者も多くいた。この報告にグランドーは冷や汗をかいた。
「どういうことだロノフ、弓の攻撃が終わらんらしいぞ!」
「まさか、我々の逃げる方向を想定して弓兵を配置しているのでしょうか」
「そんなことが出来るものか!」
 そんな問答をしている頃に、天弓騎士団は矢を撃ちつくした。撃たれた矢は千数百、この攻撃で落ちたレイザード兵は三百を超える。逃げ出した兵も入れると、レイザード軍は戦わずして五百近い兵を失っていた。さらに敵に弓兵がいるという情報が軍全体に広まり、恐怖と混乱の渦巻く混沌とした状態に陥っていた。

「天弓騎士団は戦線を離れなさい、斬り込み隊は即座に敵軍に突撃を」
 パトラの命令で天弓騎士団が後方へ去ると、斬り込み隊を率いるシェーレが、白い聖天馬を反転させて後ろを向き、整然と並ぶ隊の乙女たちに向かって言った。
「ミネア様の無念を晴らすのだ、皆存分に戦え!」
 乙女たちは、それに答えるように剣や槍を高く掲げた。
「パトラ様、行きます」
「気をつけて」
 パトラの飛んでいるすぐ下を、シェーレ率いる聖天騎士三百騎が、雨に濡れた重い羽音をたてて通り過ぎていった。
「全軍移動開始、斬り込み隊の突撃を確認しだい、レイザード軍の掃討に移ります」
 パトラの命令で、シアラル軍が動き、レイザード軍に近づいていった。そして、先に行った斬り込み隊の白い群れが、レイザード軍の黒い群れの中に消えると、シアラル軍は速度を一気に上げて、レイザード軍に突っ込んでいった。敵兵の集まる暗雲のような塊は、シアラル軍の突撃と同時に、白い波に打ち砕かれるように乱れた。激しい雨の中で、ついに両軍がぶつかり合い、天馬に跨る乙女たちは、伝説にも語り継がれるほど勇猛果敢な戦いを繰り広げた。
 軍の先頭を飛んでいたパトラは、レイザード軍に接触すると、すぐさま単独一騎で敵軍の中へ入っていった。黒い聖天馬が翼竜兵たちの間を縫うように飛び、パトラの姿を認めた敵兵たちは恐怖に冷たい汗を流した。時々、黒い翼の噂を信じていない輩が襲ってきたが、ことごとく返り討ちになった。パトラは雑魚には構わずに、ナイトメアを華麗に操りながら敵軍内を詮索した。そうすると、飛竜に乗っている騎士を見つけた。パトラはそれに狙いを定めた。狙われた竜騎兵は、周りにいる翼竜兵たちに命令をしているような素振りを見せていた。ナイトメアが黒い翼から水飛沫をたてながらその上を過ぎり、それから急反転をしながら竜騎兵の真後ろに回り込んだ。
「隊長、後ろに!」
 と誰かが言ったときには、竜騎兵は後ろから槍で頸部を貫かれていた。誰かに隊長と呼ばれた男は頭を仰け反らせて、めいいっぱい開いた目で天を見たまま動かなくなった。パトラは槍を引き抜くと同時に方向を転換して、もう興味がないとでも言うように、さっさとその場を離れていった。
「なんてことだ・・・」
 翼竜兵の一人が、息絶えた隊長が前にゆっくり倒れていくのを見ながら言った。周りにいた者は状況がよく理解できずに呆然とした。虚無のような空間には、雨音と遠くから武器を打ち合う音が響いていた。
 パトラはまた敵軍の中を駆け巡り、目に入った竜騎兵に向かっていった。今度の竜騎兵はやってくるパトラの姿に気づき、周りにいた部下たちをけしかけた。
「まず、お前が行け」
 命令された翼竜兵は、雄叫びを上げながらパトラに向かった。大振りの剣を持っていて、それでパトラを斬りつけてきた。パトラは横一線の攻撃を、ナイトメアを下方に下げて避けた。頭の上を剣が通り過ぎると、パトラは翼竜兵の下を通り、後ろへ回り込む。翼竜兵が慌てて後ろを向くと、その腹部に槍が突き刺さった。男は翼竜の上で腹を押さえて蹲る。パトラは翼竜兵に命が助かる程度の傷を与えて、指揮官の方を向いた。
「次はお前だ、その次はお前!」
 その竜騎兵は指揮官にもかかわらず、自分の身を守る為に次々と部下の背中を小突いてパトラに向かわせる、という有様だった。
「何やってる、相手はほんの小娘だぞ、早く行け!」
 背中を叩かれた若い兵が覚悟を決めて、声を上げながらパトラに向かった。すると、パトラの方も弓矢が飛び出すように瞬間的にスピードを上げ、はっと息を飲む間に若い竜兵の目の前まで来た。その翼竜兵は、目と鼻の先にパトラの姿を捉えた。少女は全身を暗い色の服と防具に身を包み、雨に濡れて肌に張り付いた服や水を滴らせる前髪が、ドキッとするほど艶かしかった。翼竜兵はそんなパトラの美しさに一瞬見とれたが、冷たさを感じる瞳と視線が合ったとき、もうだめだと思った。しかし、パトラは翼竜兵の前から右に飛び出し、電光石火の勢いで空を駈け、一気に飛んで指揮官である竜騎兵の真横に並んでいた。指揮官の男は、あっと思ってとっさに槍を突き出した。それはパトラの槍と交差して、指揮官の男は脇腹に鈍い痛みと激しい熱さを感じた。痛みと熱さは脇腹から胸の中央辺りまで届き、息が止まるような苦しみを味わった。パトラの槍は男の脇腹から入り、心臓まで貫いていた。その時、黒い少女を見失った翼竜兵が、目の前を浮遊する黒い羽を無意識に手に取った。仲間たちが騒ぐ声で我に返り、後ろを振り向くと、部下たちに支えられる、息の止まった上官の姿が目に入った。もうパトラの姿はどこにも見当たらなかった。
 パトラは雨の中を走りまくり、敵の隊長クラスだけを徹底的に叩いた。それにより、レイザード軍の指揮系統は序々に破壊されていった。

 今回の作戦は、弓の攻撃による実質的、そして心理的ダメージを与えることと、指揮系統の徹底破壊だった。末端はパトラが次々と潰している。元を叩くのは切り込み隊の使命だった。
シェーレの率いる斬り込み隊は、レイザード軍の中央に亀裂を作るように、凄まじい勢いで突き進んでいた。向かうは敵軍の最前列である。周りから止めどなく襲ってくる敵兵たちは、精鋭騎士の乙女たちに、なす術もなく倒されていった。
敵の攻撃はバラバラでまるで統制が取れていない。最初の弓矢による動揺がまだまだ残っていた。
切り込み隊は見る間にレイザード軍の先頭部に達した。その時、いきなりシェーレたちの前から無数の敵兵が消えて視界が開けた。シェーレは行き過ぎてしまったかと思ったが、前方に整列した竜騎兵の軍団が待ち構えているのが見えた。竜騎兵は全てがいかつい鎧冑を着込んで、手には槍や斧など、それぞれ武器を持っていた。重々しく恐ろしげな様相だが、斬り込み隊の聖天騎士たちは、誰一人として臆する者はなかった。
「手ぐすね引いて待ち構えていたというわけか」
シェーレは挑戦的な目をして言うと、槍先を竜騎兵団の方に向けた。
「突撃!」
 斬り込み隊と竜騎兵団がぶつかり合い、激しい戦いが始まった。敵の部隊も正規の騎士なので、今までのように簡単にはいかない。敵と味方が武器を重ねる度に水飛沫が上がり、両軍は一進一退の攻防を続けた。
「シェーレ隊長、先へ行って下さい」
 近くで戦っていた騎士がシェーレに言った。シェーレは、すまないと言うように頭を下げ、敵味方を避けながら先方へ飛んだ。その後を十騎近い聖天騎士がついていった。シェーレは敵将が近いと感じると、雨の音を蹴散らすように叫んだ。
「敵将グランドー出て来い! このシェーレが相手だ!」
 それは周りにいる竜騎兵を引き付けた。何を生意気な、と言うように一騎の竜騎兵がシェーレに真直ぐ突っ込んできた。シェーレは敵の長槍を避けると同時に、自分の槍を逆手に持ち替えて穂先を逆にした。そして、すれ違い様に敵の後頭部を突いた。竜騎兵は、血の吹き出す後頭部を手で押さえながら前に倒れ込んで、飛竜からずり落ちる。
「どうした、出て来いグランドー、こんな小娘が怖いのか!」
 シェーレはなおも叫び続けた。次から次へとやってくる竜騎兵は、後ろからついてきた聖天騎士たちが抑えた。そして、ついに声を聞きつけたグランドーが姿を現した。グランドーは右手に柄の太い重そうな剛槍を持っていた。彼はシェーレの姿を見ると、唇の片方を吊り上げて馬鹿にするように笑った。
「この俺を呼んだのはお前か」
「背後からの攻撃を得意にする奴が、よくも臆せずに現れたわね」
「なにぃ」
「ミネア様の事を忘れたとは言わせない」
「ああ、ローランの王女のことか」
 グランドーはつまらない事でも思い出すように、ふんと鼻で笑った。
「死に損ないを楽にしてやっただけだ」
「ミネア様はシアラルまでたどりついた」
 グランドーはそれを聞くと、何を言っているんだこいつは、というような感情を含めて苦笑いを浮かべた。
「あの傷でシアラルまで逃げられるはずがない」
 グランドーは言った後に総毛立つような感じがした。シェーレが激しい憎悪に沈んだ瞳で睨んでいた。視線は剣のように鋭く、目の前で刃物を突きつけられているような錯覚すら感じた。
「ミネア様は、気力だけで生き延びた、生き残った仲間をパトラ様に託す為に」
 シェーレの声は静かだった。それは嵐が起こる前の静けさと同じで、内に凄まじい力を押さえ込んでいた。次の瞬間にそれは爆発した。
「貴様にミネア様の気持ちがわかるか! 目の前で多くの仲間が殺され、自国の民までもが次々と殺されて! それでもミネア様は逃げなければならなかった、生き残った仲間を助けるためにはそうするしかなかった、どれほど苦しく悲しかったことか、どれほど無念だったことか!」
 グランドーとシェーレの周りでは、竜騎兵と聖天騎士のやりあう気配と音が渦巻いていた。雨は相変わらず強く、ずぶ濡れの二人はじっと対峙していた。グランドーはいつの間にかシェーレの憎悪に引き込まれ、表情から余裕が消えていた。シェーレは静かな中に深い怒りを込めて言った。
「悲しみが、無念が、ミネア様をシアラルまで導いたのだ、あのお方は苦しみ抜いて死んだ」
 シェーレがグランドーに槍の穂先を向けた。
「お前を倒したところでミネア様は喜びはしないだろう、それでも敵は討たせてもらう!」
「むうっ、小娘が吼えよるわ! やれるものならやってみるがいい!」
 グランドーは眉間に皺を寄せて歯をむき出し、野獣のような顔になると、シェーレに向けて剛槍を突き出した。シェーレは聖天馬を右へ左へと器用に操り、連続の突きをかわした。いくらグランドーが突いても当たらなかった。
「どうした、逃げるだけか!」
 グランドーはいらつきが募り、攻撃が大雑把になってきた。
「ええい!」
と唸りながら槍を出来る限り引き付け、シェーレに向かって、腕が伸びきるほど思い切り突いてきた。その瞬間に、シェーレの体が斜め下にずれた。相手の腹を貫くはずだった槍は、頬を掠めただけに終わった。その時、ばっと白い翼が開き、シェーレの聖天馬(グラーニ)が槍の周囲を縫うように半螺旋の軌道を描いた。グランドーはその不思議な動きに虚を誘われた。気づいた時には、突き出した槍の上にシェーレと聖天馬が乗っているような形になっていて、シェーレは右手の槍をぐっと後ろに引いてグランドーを見下ろしていた。グランドーが不味いと思った瞬間に、シェーレが一気に間合いを詰めた。一瞬にして、グランドーの喉元に槍の穂先が突きつけられた。あまりの素早さに動く間もなかった。さっきまで戦っていた二人は、そのままの状態で時が止まったように動かなかった。
「よ、よせ!」
 グランドーの絶望に打ちひしがれた叫びが雨と闘争の音を突き破った瞬間、シェーレはきっと表情を険しくして槍を前に押し出した。鋭い穂先がグランドーの喉を突き破り、血が噴出した。グランドーは顔を皺くちゃにして、あらゆる苦しみを相に出し、大きく開けた口から舌を突き出して、声にならない叫びを上げた。己の槍を手放し、シェーレの槍を引き抜こうと両手で柄を掴むが、手に力が入らない。
「苦いか! もっと苦しめ! ミネア様の苦しみはこんなものではなかったぞ!」
 シェーレはまるで人が変わったように、恐ろしい形相になっていた。彼女もまた、戦争と言う魔物に取り付かれているのかもしれなかった。
グランドーにはシェーレの声など聞こえない。彼は凄まじい痛みと苦しみの中で、暗い世界に向かいつつあった。目をむき出し、口からは血泡を吹いた。そんな状態でも死にたくないという意識が働き、手足をじたばたさせた。その姿は無様としか言いようがなかった。
 ―こんな奴にミネア様はやられたのか。
 シェーレの中にさらなる怒りが燃え上がり、青い瞳に悔し涙が溢れた。そして、怒りに任せて力いっぱい槍を突き出した。槍の穂先が一気に首を貫き、グランドーは苦しみ抜いた顔のまま息絶えた。足が動かなくなり、手もだらりと垂れ下がる。シェーレが槍を引き抜くと、グランドーの体が後ろに倒れ、背骨が折れるのではなかというほど仰け反り、そのまま飛竜の上で晒し者になった。
「敵将は討ち取った!」
 シェーレが槍を高く掲げて叫ぶと、周りの竜騎兵たちが動揺して、次々と聖天騎士たちに倒されていった。
その様子を遠目から見ていた男がいた。グランドーの副官ロノフだった。ロノフは青ざめた顔でその場を逃げ出した。
「大変だ、大変なことになった、シアラル軍の力がこれほどのものとは」
 ロノフはこのときに初めて自分の愚かさを知った。
 ―アルシャード様はシアラルの強さを知っておられたのだ、だからこそ説得という方法を取ったのだ、わたしは取り返しのつかないことをしてしまった。
 どんなに後悔しても全てが遅すぎた。それからロノフは、全てはグランドーの命令だったのだと自分に言い聞かせながら、戦闘空域から離れていった。死人に口なしである。これが自身を正当化する最良の方法だった。


12 :四季条 ユウ :2008/07/30(水) 18:27:01 ID:nmz3rDnm

 空は相変わらず暗かったが、雨は急に弱まってきた。それとは逆に、掃討戦は激しさを増していった。レイザード軍の命令腺は完全に破壊されて、敵兵は完全にバラバラになり、殲滅の一途をたどった。戦意がなくなって逃げていく敵兵にも、乙女の騎士たちは容赦なく襲ってきた。シアラル軍には、徹底追撃、徹底殲滅が浸透していた。これは出撃前にパトラの出した命令で、彼女はこの命令を隊長たちに伝えた後、悪魔に掛ける情けはないと言った。
潰走したレイザード軍は、逃げることも許されず、ローランが味わった恐怖と同等のものを与えられた。

 戦闘の行われている所からかなり離れた空域に、何とか逃げおおせたレイザードの兵が集まっていた。翼竜兵と竜騎兵、合わせて五百近い数がいた。
「アインス隊長、敵に見つからないうちにそろそろ行きましょう」
 軍団の先頭にいる兵が言った。アインスと呼ばれた男は、なかなか優秀な指揮官だった。自分だけがさっさと逃げることはせず、出来るだけ仲間を集めてからシャリアへ向かうつもりだった。しかし、それを嘲笑うかのように、後方の兵が騒ぎ出した。アインスが後ろを見ると、白雲のような天馬の軍団がこちらに向かっているのが見えた。その数は優に千を超えていた。アインスは直感的にもう逃げられないと思った。
 ―何という展開の速さだ、あれだけの兵を集めてもうここまで迫ってくるとは・・・。
 アインスは窮地にありながらも妙に落ち着いていた。周りの兵たちが次々と逃げて行くのに、まるでシアラル軍が来るのを待つように、じっとその場に止まっていた。
 ―男、女は問題ではない、もっと客観的に力を判断するべきだったのだ、司令官から一介の騎士まで、兵の質がまるで違う、それに加えて全ての人間が一本の糸で結ばれているように意思の疎通が取れている、シアラル飛天騎士団、我々の勝てる相手ではなかった・・・。
 追撃する飛天騎士団を率いているのはパルテノだった。彼女にはレイザード兵が散り散りになって逃げていく様子が見える。
「逃がしはしないわ、ローランを壊滅させた代償はきっちり払ってもらう」
 速さでは飛竜よりも天馬の方が上である。敵軍に追いつくのは簡単だった。先頭のパルテノは、逃げる敵兵に追いすがり、敵の背中に容赦なく槍を突き立てた。中には立ち向かってくる者もあったが、結果は同じだった。可憐な白麗の騎士たちは、レイザード兵にとっては死を運ぶ残酷な天使だった。悲惨な悲鳴の中で、竜兵たちは白い騎士たちに討たれていった。この空域にいたレイザード兵はほとんど全滅した。
 敵兵の掃討が粗方終わると、パルテノは飛天騎士たちを集める為に空を駆け回った。すると、ある異変に気づいた。飛天騎士が輪を作るように集まり、その中央にレイザード兵らしい男がいるのだ。パルテノはすぐにそこへ向かった。
「早く討て、俺は何もしない」
 パルテノが騒ぎの起こっているところに近づくと、そんな男の声が聞こえてきた。飛天騎士たちはパルテノの姿に気づくと道を開けた。パルテノは男の方へゆっくり近づいていった。男は飛竜に乗っていて装備もしっかりしている。指揮官クラスだというのはすぐに分かった。
「わたしはパルテノ、この飛天騎士団を率いる隊長です、あなたは?」
「もうすぐ死ぬ男に名前など聞いてどうする・・・まあいい、俺はアインスという、レイザードの指揮官だ」
 アインスは気持ちのいいほど堂々とした姿をしていた。これではそう簡単に手は出せないな、とパルテノは思った。騎士道を重んじる彼女らには、こういう相手が一番やりにくかった。
「シアラルの隊長にやられるのなら本望だ、さあその槍で俺を突き殺してくれ」
「その前に、貴方に聞きたいことがあるわ」
「何だ」
「ローランの飛天騎士団を壊滅させた弓隊がどこかにいるでしょう、どこにいるの」
 アインスはそれを聞くと少しむっとした。仲間を売るようなことはしたくはなかった。しかし、隠してもいずれは分かるだろうと、すぐに考え直して言った。
「・・・ここからローランに向かっていくと草原に出る、その草原の中に円形の森が孤立してある、そこに弓隊は隠れている」
「そう、ありがとう」
「早く殺してくれ、生き恥を晒したくない」
 パルテノはしばらくアインスの顔を眺めた。見た目の若さはまだ二十代前半かと思われた。顔つきも精悍でなかなかいい男だった。アインスはパルテノが何もしないので、苛々して言った。
「何をしているんだ、早くやれ」
「焦らないの、貴方は恋人や家族はいる?」
「なぜそんな事を聞く」
「いいから答えなさい」
 パルテノが頭ごなしに言うと、アインスは母親に叱られているような気分になった。それがアインスの心を素直にした。
「どちらもいる」
「そう、じゃあ故郷へ帰りなさい」
「情けをかけるのはよしてくれ」
「貴方の為じゃないわ」
 アインスはパルテノの押さえつけるような言い方に贖い難いものを感じて、どうにも反抗できなかった。
「・・・すまない、感謝する」
 アインスは頭を下げて、シャリアの方に向きを変えた。周りを囲んでいた飛天騎士たちが、アインスの行く道を開けた。アインスは飛竜に鞭を入れて、飛天騎士団を後にして飛んでいった。ふと後ろを振り返ると、パルテノを始め飛天騎士たちが敬礼しているのが見えた。
 ―あれがシアラルの騎士たちか、俺たちは全てにおいて負けていたのだな。
 この戦いで、二千を超えるレイザード兵が落とされ、森の中で眠ることになった。対するシアラル軍の方は、ほとんど無傷である。その要因としては、戦略や軍隊としての力の差もあったが、何よりも一人ひとりの心意気が違っていた。シアラルの乙女たちは誰もが自信に溢れて希望に燃えていた。そして、お互いを信用していて仲間意識も強かった。それらは王女であるパトラの強い思いが成すものだった。彼女一人の思いが長じて、何者をも寄せつけない大きな力となっていた。

 レイザード軍が潰走した中で、猛烈に大剣を振るう竜騎兵がいた。この男はギリアと言って少々狂気じみている。長い金髪は伸び放題で乱れていて、殺気に満ちた瞳は充血していて、死人を思わせるような陰のある光に満たされている。ギリアは平時であれば、殺人鬼になるような男だった。レイザード軍で五指に入るほど剣の腕は立つ。傭兵なので装備は雑だが、両手に握る巨大な剣は真っ赤に染まり、この戦いで餌食になった乙女たちの血をたっぷり吸っていた。ギリアの剣は、人間だけでなく、天馬までも寸断する破壊力を持つ。
「斬りてえなぁ〜、黒い翼」
 ギリアは逞しい風体からは考えつかないような、妙に甲高い声で言った。奇妙な笑い声を上げながら、忙しなく周りを見渡す。飛天騎士に追われる翼竜兵や、敵味方が打ち合う様子などが目に入った。もうレイザード兵の数はかなり少なくなっていた。
「黒い翼、どこだ」
 ギリアは白い騎士には一切目もくれずに、目当ての獲物を求めて彷徨った。
 パトラは指揮官潰しを終えた後は味方の補佐に回った。苦戦しているところがあれば、そこへ行って手助けをして、負傷した味方がいれば、それを安全なところまで連れて行った。
雨はすっかり上がって、空には生暖かい風が流れた。黒い雲はまだ天を塞いでいるので、世界は相変わらず薄暗いままだった。戦況が落ち着いてくると、パトラは遊撃隊の騎士たちを集めてあれこれと指示を与えていた。その時にそれは起こった。
「危ない!」
 と誰かの声が近くで聞こえて、パトラが振り向いた瞬間、耳を引き裂くような悲鳴が起こった。パトラのすぐ手前に聖天騎士がいて、彼女の背中から血のついた剣の切っ先が突き出ていた。剣が引き抜かれると、パトラの盾になった騎士は上半身を前に倒してから、聖天馬から滑り落ちた。純白の聖天馬は死んでしまった主人の後を追うように、下に広がる森へ向かって飛んでいった。パトラの前から騎士の姿が消えると、代わりに狂ったような形相のギリアが現れた。パトラはそのギリアの姿を見てぞっとした。ギリアは狂った表情の中に晴れやかな笑いを浮かべていた。
 ―この男、人殺しを楽しんでいる・・・。
 そんな人間に会うのは初めてだった。
「見つけたぞ、黒い翼ぁーっ!」
 ギリアは発狂するように言いながら、斬りかかって来た。受ければ真っ二つになるであろう、上から下へ縦割りの斬撃。パトラはナイトメアを横に動かしてその攻撃をかわした。ギリアは異様に甲高い笑い声を上げながら、連続で大振りの攻撃を繰り出した。パトラがそれに当たることはなかったが、なぜか彼女の槍技が光らない。パトラは、ギリアの異常な雰囲気に飲まれてしまっていた。それに加えて、目の前で仲間が殺されたことに動揺もしていた。周りにいる騎士たちは、ギリアの凄まじさに手出しが出来ない。
「いいいぃやあぁぁっ!」
 異常な叫びと同時に、ギリアの大剣が右から左へ滑った。ナイトメアはさっと飛び上がり、大剣はナイトメアの蹄のすぐ下を通った。パトラの表情が鋭くなり、ギリアの喉に向かって槍を突く。ギリアは体をわずかに動かし、槍の穂先が首をかするほど紙一重で避けた。それから飛竜を操り、パトラの前に躍り出た。それとほぼ同時に、ナイトメアの翼が一度大きく動いて、パトラは一馬身ほど後ろに下がる。さっきまでパトラがいた空中を、剣が斜めに走っていた。ギリアはなおも追撃した。飛竜を走らせてパトラの左側にはりついた。その動きが意外なほどに素早かったので、パトラは驚いて目を少し大きくした。ギリアは剣を振り上げ、恐ろしい速さでパトラの左肩に向けて撃ち下ろした。パトラは槍を両手で持ち、ギリアの剣を柄で防いだ。瞬間に重い金属音が辺りに響き渡り、パトラは両腕に痺れるような衝撃を受けた。ギリアは競り合った状態のまま力を込めて、パトラの体を揺さぶった。パトラはバランスを崩したが、手綱を掴んで何とか自分の体を引き戻す。はっと息をのんで前を見ると、ギリアが大剣を真上に振り上げて待ち構えていた。パトラはほとんど反射的に、槍の柄を大剣の軌道上に置いた。
「血ぃ見せろーっ!」
 恐ろしげなギリアの声が響くと、ナイトメアは主人の危険を感じて黒い翼をすぼめた。パトラとナイトメアは引力に掴まれて下に落ち始めた。その時に、パトラの槍とギリアの剣が交差した。パトラは攻撃の重さに耐え切れず、槍を持つ両腕の肘が曲がってしまったが、落下していたために剣は体に届かなかった。もしナイトメアが動かなければ、パトラは頭を割られていた。
ギリアとの距離が離れると、ナイトメアは翼を開いて静止した。パトラは息を荒くしながらギリアの姿を見上げた。その隙に、近くで戦いを見ていた聖天騎士の一人が動いた。
「こいつ!」
「いけない、その男には手を出さないで!」
 パトラが叫んだ。彼女がこんな声を出すことは稀だった。それでもその女騎士は王女を守りたい一心で、剣を構えてギリアに立ち向かっていった。ギリアは楽しそうに笑って、飛竜に鞭を入れた。ギリアも空を走り、向かってきた女騎士とすれ違った。女騎士の剣は体勢を低くしたギリアの真上を通り、ギリアの大剣は女の胴に入った。胴を断たれるほど深く斬られた女騎士は、パトラのすぐ上の辺りで止まって、体をぐらつかせて聖天馬から落下した。パトラは自分のすぐ真横を落ちていく女に手を伸ばしたが、掴むことは出来なかった。パトラは深い悲しみと衝撃に顔を歪めた。そこへギリアがゆっくりと飛んで来た。
「いい顔してるじゃねえか、泣いてもいいんだぜ」
 ギリアは言った後に、心の底から満足しているような、甲高い笑い声を上げた。パトラはその姿を見て、心底恐ろしくなった。世の中にこれほどまで異常な人間がいるとは知らなかった。ナイトメアがパトラの心を感じて後退ったとき、遠くから声が聞こえてきた。
「どけ、どきなっ、わたしがやる!」
 声の主はレインだった。レインは、パトラとギリアの間に入ってきた。ギリアは楽しんでいるところを邪魔されたので、レインに憎悪を燃やして舌打ちをした。
「かかってきなさいよ、変態野郎」
 レインは微笑を浮かべ、剣の切っ先をギリアに向けた。ギリアは面白いと言うように、表情を攻撃的に変えた。そして、発狂しながらレインに斬りかかっていった。
ギリアは大振りの攻撃を何度か仕掛けた。レインは軽々とそれを避け、反撃に転じた。ギリアとは全く正反対の、素早くかつ正確な連撃が、息をつくまもなくギリアを襲った。ギリアはそれらを剣で防ぐのが精一杯で、なかなか反撃ができなかった。レインの剣は軽いのだが、素早さに加えて手数が非常に多い。さらに攻撃は、上から来たかと思えば横に転じ、横から来たかと思えば下からの斬り上げに転じたりと、自由自在に変則した。止め処なく金属音が鳴り響く。レインの剣がギリアの大剣を打ち込み、押さえ込んだ。痺れを切らしたギリアは、攻撃を受けるのを承知で無理やり突きを撃った。その時レインの目が鋭く光った。レインは、ギリアの突きを左に動いてかわした。レインの右腕をかすめるようにギリアの大剣が通り過ぎる。瞬間、銀の光が弧を描いた。光はギリアの右腕に吸い込まれ、彼は片目をしかめた。その後、右腕の付け根から滝のように血が流れ出した。ギリアは右腕を深く斬られ、その傷は骨までとどいていた。
レインは手応えを感じると、攻撃の手を休めて余裕を笑みに表した。それが大きな隙になった。ギリアは野獣のように唸り、深い傷にもかかわらず、傷口から血を撒き散らしながら大剣を横に振った。
 ―嘘でしょ!
 常人であれば剣の扱えるような傷ではなかった。レインは内心驚愕しながら、迫ってきたギリアの大剣に自分の剣を合わせた。凄まじい衝撃がレインの体を突き抜けた。ギリアの攻撃は逸れたが、同時にレインの剣が空高く弾き飛ばされた。ギリアは大剣を横に振り抜いた状態のまま、いやらしい笑みを浮かべた。だが、レインの表情を見た瞬間に背筋が凍った。なぜなのか理由は分からなかった。ただギリアの本能が何かを告げた。レインは獲物に狙いを定める隼のように、真剣で真直ぐな目をしていた。
その刹那、三日月のような弧を描く銀光がギリアの眼前を走った。ギリアの顔は顎から額まで斜めに割られていた、頭蓋骨まですっぱり斬られて、傷は脳まで達した、即死だった。ギリアは、自分が死んだことを喜ぶように狂気の笑みを割れた顔に刻んだまま、右目だけを不自然に白目にして、顔から大量の血を噴き出した。そのままゆっくり後ろに倒れ、飛竜から落ちる。狂気の竜騎兵は、空中に血玉を置きながら、暗い森へと落ちていった。
レインは右手に見慣れない形の剣を持っていた。それは前に妹のカレンが持ってきた剣だった。念のため腰に差しておいたのが役に立った。レインは居合い抜きでギリアを斬ったのだった。
 ―何て斬れ味なんだ、あの貧乏な家のどこにこんな剣があったんだ?
 レインはほっと一息つきながら、光る刀身を見つめた。そうしていたのはわずかな時間で、剣を鞘に納めると、すぐにパトラのところまで飛んだ。
「大丈夫かい?」
「ありがとう・・・」
 パトラは酷く元気がなかった。レインにはその原因は分かっていた。何も言わずに様子を見ていると、パトラは泣いているように揺れる瞳をレインに向けた。
「わたしのせいで二人の命が失われたわ」
「あんたのせいじゃない、戦争なんだから仲間がやられる事だってあるさ、あんまり気にしちゃ駄目よ」
 レインは、そんなことを言っても気休めにもならないと知っていた。パトラは敵の死にすら深く悩み苦しむのだ、味方ならなおさらのことだった。レインはパトラのそういうところが心底好きだった。今やってやれることは、優しくパトラの肩を叩いてやることくらいだった。

 ミーナは戦線からだいぶ離れたところを飛んでいた。もう戦いが終わりに近づいていたので、逃げ遅れた敵や、それを深追いしている味方がいないか偵察していた。ミーナは今回の戦いで、飛天騎士でありながら聖天騎士に負けない戦果を上げていた。パトラに言われた通り、影からの手助けに徹して、彼女に助けられた味方は相当な数になった。
「この辺も異常なしっと、そろそろ帰ろうかな」
 ミーナは暢気(のんき)にそんな独り言をいっていた。それから、帰る前にもう一巡辺りを見回した。すると、遠くの方に小さく何かが見えた。ミーナは天馬(ペガサス)の翼を羽ばたかせ、急いでそれが見える方に向かった。
近づいていくと、六人の翼竜兵に二人組みの飛天騎士が囲まれている様子がはっきり見えてきた。ミーナはスピードを上げてそこに突っ込んでいった。そして、一人の翼竜兵の背中に、槍を突き刺した。刺された男は背中を仰け反らせて悲鳴を上げた。全ての視線がミーナに集中した。
「早く逃げて!」
 ミーナが叫ぶと、敵に囲まれていた二人の飛天騎士は、この隙にミーナの開けた穴から包囲網を抜け出した。ミーナは二人がちゃんと逃げていくのを確認すると、目の前にいる息絶えた男から槍を抜いた。その時には、残り五人の敵兵たちが、ミーナの周りを取り囲んでいた。
「ふざけやがって、ぶっ殺してやる」
 一人が血走った目でミーナを見据えながら言った。敵兵たちは、ローランでの殺戮と、極限まで追い詰められた状態によって、気がふれたようになり、普通でない空気を漂わせていた。ミーナはそんな男たちに物怖じせず、勇敢に対峙していた。


13 :四季条 ユウ :2008/08/04(月) 07:00:22 ID:nmz3rDnm

 戦いに収拾がつくと、パトラは千五百ほどの兵を連れて、ローランに向かった。残りの兵はパルテノに指揮を任せて、先にシアラルへ帰還させている。ローランに向かったのは、シェーレ率いる斬り込み隊の聖天騎士三百と、レインの率いる飛天騎士千ほどに、天弓騎士団が加えられた。ローランの生き残りは負傷者以外、一人残らず同行していた。
 パトラたちは真直ぐローランには向かわず、途中の草原に降りて一休みした。戦いが終わるのを見計らうように暗雲は去り、太陽の光が草原を照らしていた。下草に付く水滴が陽光を受けて、草原全体に宝石を散りばめたように輝いていた。乙女たちは濡れた鎧や靴を脱ぎ、焚き火の前で服を乾かしたり、うとうとしたり、他愛の無い話をしたりと、それぞれが好きなように時間を過ごした。草原に下りたのは、戦いに疲れた体を休めるという意味もあったが、もう一つ大きな目的があった。この草原には、海原に浮かぶ離れ小島のように、小規模な森が点在していて、その中の一つにローラン飛天騎士団を壊滅に追い込んだ弓兵団が潜んでいる。敵討ちはまだ終わっていない。
 夕焼けが草原を赤く染めて、夜が近づいてくると、シアラル軍は空へ飛び立ち行軍を開始した。パルテノからの情報で、大体の場所は分かっていた。シアラル軍は敵営から少し離れたところに下りて、夜になるのを待った。パトラは明るいうちにレイン、シェーレ、アルティナを呼んで作戦を伝えた。三人の隊長は、パトラの戦法を聞いて、ここまでやるのかと閉口した。しかし、彼らがローランに対してしたことを考えれば、これは当然の報いだとも思った。
 闇が降りてくると、パトラは一人で偵察に出た。ナイトメアは闇に同化することができるので、敵に見つかる心配はほとんどなかった。パルテノの言った通り、草原の中にぽつんと円形に広がる森があった。五百人くらいの人間が隠れるには十分な広さがあった。パトラは下を見ながら森の上を飛んだ。森の中心あたりに来ると、点々と明かりが見えた。
 ―油断しているわね。
 パトラの思った通りだった。森の中に見える光は焚き火である。敵はわざわざ自分たちの居場所を知らせるようなことをしている。シアラル軍がすぐそこまで来ているなどと、夢にも思っていないのだ。パトラは敵の居場所を確認すると引き返した。
 パトラが陣営に戻ると、隊長三人がすぐにそこへやってきた。パトラは彼女らに馬上から伝えた。
「夜中になったら予定通り夜襲をかけるわ、さっき集めた薪や枯れ草を忘れないように、それと森に突入する聖天騎士(グラーニナイト)部隊には、木の枝に翼を引っ掛けないように注意をしておいて」
 シアラル軍はいつでも作戦が遂行できるように用意を整えると、そのまま夜が深まるのを待った。乙女たちはじっとして息を潜め、聞こえてくるのは草原を渡る風が草を揺らす音や虫の声、それに時々起こる天馬の荒い息くらいだった。
 時間がやってくると、パトラは近くに集まっている隊長たちに、頷きで作戦開始の合図をした。まずは天馬から降ろした乙女の剣士八百人程が、レインを先頭にして森へ入っていった。それからパトラが事前に選定した地上操作に優れた聖天騎士百騎が森の近くに整列する。その中にはパトラとシェーレも入っている。それからパトラの指示通りに薪や枯れ草が配置された。残りの乙女たちは森の外で待つ。聖天騎士部隊は地上から森へ突入する。空から行くと矢を受けるという理由もあったが、これは聖天馬(グラーニ)の能力を生かした作戦だった。聖天馬は聖馬(ユニコーン)と体の作りが似ている。地上での能力は、さすがに聖馬には遠く及ばないが、それでも森や岩場での移動に十分な性能を持っている。さらに額の角がアンテナのような役目をするらしく、暗闇の中や障害物の多い場所でも、スムーズに動いてくれた。
 パトラとシェーレは聖天騎士部隊の先頭に立ち、しばらく待っていた。その頃には、レイン率いる剣士隊が、レイザードの弓隊を密かに取り囲んでいた。頃合になると、パトラは槍の穂先を闇に包まれる森に向けた。
「突撃」
 パトラの合図と共に、騎士たちは聖天馬の翼を出来るだけ小さくたたみ、次々と森へ飛び込んでいった。聖天馬は跳躍を何度も繰り返すようにして森の中を走る。パトラとシェーレの二騎は、圧倒的な速さで先行し、敵陣に近づいた。敵はいくつも火を起こしているので、それがいい目印になった。

「竜騎兵団はシアラルを攻めてる頃かね」
「ああ、さすがにまだ落ちてないだろうな、いくら女ばかりの非力な軍隊でも、数では向こうのが上らしいからな」
 焚き火の前に胡坐をかきながら、二人の弓兵が話し合っていた。火の回りには何人かいたが、その二人以外は横になって寝ていた。
「まさか負けてるなんてことはないよな」
「はは、そりゃあないだろ」
「おい、何か聞こえてこないか」
 眉をひそめて一人が言うと、もう一人も耳を済ました。蹄が地を打つような音が響いてきた。それは馬のものとは違い、奇妙なほど途切れ途切れで変則的だった。その音が近づいてくると分かると、二人は顔を見合わせた。その時、弓兵たちの後ろの茂みから、高く跳躍する黒い影が出てきた。それは二人の頭上を通り、目の前に下ると同時に彼らに向きを合わせた。二人はいきなり現れたパトラの姿に息が止まった。そして、何を言う間もなく、立て続けに首を貫かれ、血煙を上げながら並んで仰向けに倒れた。異変に気づいた兵たちは、ナイトメアの黒い体を見ると飛び起きた。パトラの真後ろにいた二人が立ち上がったとき、ナイトメアの後ろ足で蹴飛ばされて、一人は後方へ吹っ飛び、一人はすぐ後ろにあった木に激突した。吹っ飛ばされた二人は、蹄で胸を潰されて痛みと息苦しさに身悶えした。その場には、あと二人の男がいたが、一人はパトラの姿を見たとたんに、近くの茂みに入って隠れた。
「黒い翼だ!」
 一人残った男が震える声で叫びながら、弓を取って矢をつがえようとしていた。パトラは手綱を引いて、手前にあった焚き火をナイトメアの前足で蹴散らした。男は土と灰と火の付いた薪をたっぷり浴びて、体をよろめかせる。その隙にパトラの槍が男の心臓を貫いていた。そこから少し離れた場所からも、敵兵の断末魔が聞こえてきた。シェーレの仕業だろう。それからパトラが新たな獲物を求めて走り出すと、遅れていた聖天騎士たちもやってきた。
「敵だ、敵襲だ!」
 そんな声と悲鳴が一挙に起こり、辺りは騒然とした。そこに周りを取り囲んでいた剣士隊が鬨を上げながら突っ込んできた。接近戦の手段を持たない弓隊は、もはやなすすべもなかった。出来ることは包囲網を突破して逃げることだけである。しかし、シアラル軍はそんなに甘くはない。
「いけ! 一人残らず叩き斬れ!」
 レインが剣士隊を鼓舞するように叫んだ。それから敵兵が固まっているところに飛び込み、まず近くにいた二人を、すれ違い様に胴を斬って倒した。それから、その奥にいる二人に素早く走り寄り、一人は左肩から袈裟斬りにして、もう一人は逃げようと背中を向けたところを容赦なく斬った。最も遠くにいた弓兵が、弓矢を構えてレインを狙っていた。レインは跳躍して、弓兵の前に降りると同時に弓を真っ二つに斬り捨てて、続けてざまに胸を刺し貫いて倒した。
他の剣士たちも、よく戦っていた。特にローランの生き残りは、ミネアや仲間の敵討ちということもあり、凄まじい活躍を見せた。
 ある者は槍で突き殺され、ある者は剣で斬殺され、ある者は蹄に押し潰され、レイザードの弓隊はどんどん数を減らし、森の北端に追い詰められていった。彼らは意図的にその方向に追い立てられているとは気づかなかった。敗走の先頭を行っていた何人かが森を出た瞬間、混乱に満ちた闇の中を抜けて、ほんの少し安堵した。しかし、辺りの様子に気づくと愕然となった。森を出たところに幾つも火が起こしてあり、出てきたレイザード兵を包囲するように、槍を持った乙女が配置されていて、さらに正面には、弩を構えた乙女が横に並んで待ち構えていた。
「撃てっ!」
 アルティナの声が闇夜に響くと、次々と森を抜け出してくるレイザードの弓兵に、一斉に矢が射られた。夜の中で奏でる風や虫の音は、絶望的な悲鳴に掻き消された。ローランの飛天騎士を射落とした者共は、その罪を差し引きなく受けることになった。
森を出てきた敵兵は、次々と弓矢に撃たれて倒れた。矢の雨から逃げだせば、乙女の槍兵が出てそれを討つ。前にも後ろにも逃げ場はない。敵は誰もがもう駄目だと諦め、中には泣いて命を乞う者もあったが、許してもらえるはずもなかった。そのうち森に突入していた聖天騎士たちが、今度は夜空からやってきて、混乱するレイザード兵をさらに深い絶望の淵に落とした。
 レイザードの弓隊がほとんど駆逐された森の中に、たった一人だけ敵兵が潜んでいた。パトラと出会った瞬間に茂みに飛び込んだ男だった。男は震えながら茂みの中で頭を抱え、丸く小さくなっていた。彼はシアラルへ向かった竜騎兵団は全滅したなと直感していた。
 ―将軍は簡単だと言った、女や子供(ガキ)ばかりの軍隊など一ひねりだと言った、俺たちは騙されていた、ローランを攻めたのがそもそもの間違いだったんだ。
 その時、すぐ近くを乙女たちの足音が通り過ぎた。男の思考は止まり、息を止めてそれが遠のくのを待った。
 ―俺たちは触れちゃならないものに触れちまった、恐ろしい戦乙女たちを完全に怒らせちまったんだ、お願いだ、誰も俺を見つけないでくれ、神さま、どうか俺を助けてくれ!
 この襲撃で生き残ったレイザード兵、一名。シャリアに生きて戻ってきた者は、五百名にも満たなかった。ローランを壊滅させたレイザード軍は、シアラル軍との戦いでほとんど全滅という憂き目にあった。


14 :四季条 ユウ :2008/08/11(月) 01:54:35 ID:nmz3rDnm

五章 宿命という名の翼

 レイザードの弓隊を撃破したシアラル軍は、そこからローランに直行した。街は相当酷い状態になっていると予測されたので、支援をしようというのだ。パトラの提案だった。
飛天騎士団は薄暗い早朝から飛び続けていた。次第に日が照ってきて、天馬や乙女たちの姿を明るくはっきりとさせた。真下に見える緑鮮やかな草原の上を、無数の天馬の影が移動していく。パトラは先頭を飛んでいて、その左右を守るようにレインとシェーレが付いている。パトラが横から照りつける太陽の眩しさに目を細めた。陽光は母親の抱擁のように温かで、戦いで疲れている心を癒してくれた。
「あっ、あれ!」
 とレインが指差した。それを見たパトラは、安らいでいた心が猛吹雪に襲われたように冷たく荒れた。
ローランの方向に点々と続く白い物体、そのすぐ近くに転がる人影、シアラルに逃げる途中で倒れていった天馬と乙女たちが、草原の中で静かに眠っていた。乙女たちの遺骸からはまったく嫌味が感じられず、草原に置かれたオブジェのように神秘的で、陽光を受けるとそれが一層深まった。彼女らはシアラル軍の勝利を祝福しているのかもしれなかった。
「どうしますか」
 シェーレが感情を押し殺した声で静かに言った。パトラは下唇を軽く噛んで、軽くしかめた顔に心の苦痛の一端を表した。
「ローランへ」
 パトラは一言いったきり、後は冷たく凍りついたような表情で黙っていた。後ろか、ローランの生き残りの騎士たちが、途中で力尽きた仲間の死を悼む空気が、冷たい刃となってパトラの背中に突き立った。その空気はレインとシェーレにも分かった。寂しい草原で理不尽な死を遂げた乙女たち、それを置いていくのは辛い選択だった。
 ローランまであとわずかな距離までくると、飛天騎士団は高度を下げて地上近くを飛んだ。そして、ローランまで目前というところで、地上に異様な光景が現れた。
「何だありゃ・・・」
 レインは眉を寄せて、嫌なものでも見るような顔をした。シェーレも硬い表情でそれを見ていた。小さな土の山が無数にあり、全ての山に木の杭が突き立ててある。ローランのすぐ近くに広がる原野に、それは果てしないと思えるほどの範囲に広がっていた。その中でスコップを持って作業をする人間が何人かいて、飛天騎士団に気づくと誰もが歓迎するように手を振った。パトラはその時に見た、人が集まっている場所には地面に穴が掘ってあり、その中に横たわる少女の死体。
―そんな、まさかこれが全部・・・。
 パトラの目頭が自然に熱くなり、心臓をぎゅっと掴まれるような息苦しさを感じた。自分の憶測が間違いないだろうと確信が深まるほど、苦しみが大きくなった。

 ローランの街は、パトラが考えていたほど荒れていなかった。実はそこまで街の復興が進んでいた、ということは遠くから見ただけでは分からなかった。街の上空をレイザード軍の翼竜兵が何人も飛んでいるので、シアラル軍の騎士たちは身構えた。翼竜兵の方は、飛天騎士団の存在には気づいているが、襲ってくる様子はなかった。パトラは空中で部下たちを待たせて、一人街へと下りていった。近づくにつれて様々なものが見えてきた。街中を駈けずり回る人々や、道を往来する荷物を積載した荷馬車、食べ物や衣服を貰うために出来た長蛇の列や、その先頭で物資を配る人々、破損した建物を修理する男たちなど、街は活気に満ちていた。パトラはその様子を見て信じられないと思った。ローラン壊滅の報を受けてまだ数日、たったそれだけの時間でローランの街は息を吹き返していたのだ。パトラは街が地獄のように恐ろしい状態になっているだろうと思っていた。
パトラが街を間近に見る低空まで下りると、近くを飛んでいた翼竜兵たちが動きを止めて、やってきた黒い聖天騎士を見ていた。翼竜兵は武器を持っておらず、代わりに木材を積んでいたり石や砂利の入った籠を下げていたりした。パトラは翼竜兵の一人に近づいた。
「わたしはシアラルの王女パトラと申します、あなたはレイザードの兵士ですね、何をしているのですか」
 まるで石のように固まっていた兵士は、パトラの言葉で石化の呪いが解かれたように動き、畏まって頭を深く下げた。
「我々は、街の復興支援をしております」
「誰の命令ですか?」
「シャリアの皇女フェリシティ様の指導の下に」
「フェリシティですって?」
 まったく想像もしない名前が出てきたので、パトラは驚きの余り目を丸くした。その時に、街の一角から飛竜が飛び上がって、真直ぐパトラに向かってきた。飛竜は森の緑を思わせるような鮮やかな鱗を持っていて、乗っているのは身軽な服を着た若い女だった。女はパトラの前に来ると言った。
「やはり貴方だったか」
「お久しゅうございます、レイラ様」
 パトラはゆっくり頭を下げた。
「一応言っておくが、今は休戦だ、我々に敵意はない」
「そのようですね、どういうことなのかお聞かせ願えますか」
「ああ・・・ローランのことは我々の落ち度だ」
 レイラは大よその経緯を話した。ローランでの悲劇はグランドーの身勝手な行動から起こったこと、それはアルシャードの意思ではないこと、ローラン飛天騎士団の説得の為に連れてきたフェリシティが、惨劇を目の当たりにして復興の為に働くと言い出したこと、支援にはレイザード軍も加わっていることなど、パトラはフェリシティがこの街にいるのには驚いたが、ローランの壊滅に関しては想像していた通りだった。
「グランドーなどに任せず、わたしが指揮を取るべきだった、ローランの人々には悔いても悔いきれない」
「過ぎたことを言っても仕方がありません、シアラルも復興の手伝いをさせて頂きます」
「そうしてもらうと助かる」
 それからレイラは、憂いの深い目でパトラを見つめた。
「ミネアはどうしている」
「ミネア様は亡くなりました」
 パトラが言った瞬間、レイラは怒っているのか悲しんでいるのか区別がつかないような表情になった。泣きたいがこの場では泣けない、というような重い空気がパトラには感じられた。
「最後の姿はどうでした」
「見事でした、ミネア様は最後まで仲間の為に戦い、シアラルには五百近い騎士が逃れてきました、ミネア様がいなければ、飛天騎士団は全滅に近い状態になっていたでしょう」
「そうか、らしい死に方をしたな」
 レイラは少しでも悲しみを吐き出すように、深く長い溜息をついた。そして、表情を柔らかにすると言った。
「戦いもあって疲れているだろう、まずは一休みした方がいい」
 パトラは部隊に戻ると、全軍を率いてローランの街に降りた。街の人々はシアラル飛天騎士団の勝利を聞いて大喜びした。
シアラルの乙女たちは、解放された家や宿でしばらく休んだ。街は復興が始まったばっかりで、食料の供給など十分ではなかったが、それでも街の人々は精一杯のもてなしをしてくれた。騎士の中にはまったく休まずに動き出す者もいた。
 パトラは街に着くなりフェリシティに会いにいった。フェリシティは街の大通りの片隅にいて、次々とやってくるレイザード兵や市民に指示を与えていた。白にほんのり緑の入った淡い色のドレスは土と埃で薄汚れていて、金色の髪も土埃を浴びて鈍い色をしていた。顔には疲れの色が濃く出ていて、とても一国の王女とは思えない見てくれだった。しかし、強い意志を感じる緑の瞳は褪せていなかった。パトラは声をかけずに、彼女の様子を見ていた。周りにいる誰もが、フェリシティを心の底から信用し頼りにしている、その場に流れる空気で感じることができた。
酷い目に合ったにもかかわらず、フェリシティと話をする人々は笑顔だった。今のフェリシティに一国の王女という感覚はない、一人の人間として振舞っている。これがフェリシティの戦いなのだ。戦争が人々に恐怖や悲しみを与えるならば、それを助けて苦しみから解放する。武器はいらない、必要なのはどこまでも深い優しさと、戦争を憎む闘争心と、どんなことにも負けない強い心だ。
 ―やっぱり、貴方が一番強い人だったわね。
 パトラの心が感化されて熱くなった。壊滅したローランを短期間でここまで立て直したのは、フェリシティの戦いを憎む心であり、人々の幸せを願う心だった。彼女の慈愛に満ちた心が、絶望に打ちひしがれた人々に火をつけのだ。
―何て素晴しいのだろう、これこそが本当の平和に導く力なのよ。
とパトラは確信した。戦いに勝つことも時には必要だが、フェリシティのしていることに比べると、それはとても卑小で下らないことのように思えた。重要なのは破壊よりも再生なのだ。
「パトラ」
 フェリシティがパトラの姿に気づいて、手を振りながら小走りで近づいてきた。
「貴方が来ているというのは聞いていたのですが、忙しくて会いに行くこともできませんでした」
「こちらから出向けば済むことよ」
 パトラが素っ気なく言うと、フェリシティは微笑を浮かべた。しかし、すぐにその微笑が消えて、顔に悲しげな陰を落とした。
「貴方に見てもらいたいものがあるのです」
 パトラは黙ったまま頷いた。フェリシティの様子からして、良いものではないというのは分かった。二人は並んで歩き、街の外へ向かった。周りから人々の掛け声や呼び声など、勢いのある喧騒が聞こえていた。重い荷物を運ぶ翼竜や飛竜が上を飛び、街中には休みも取らず手伝いに入っているシアラルの乙女たちの姿も見えた。二人はそのうちに街を出て、森を切り開いて作られた道に入った。かなり広い幅のある道には砂利が敷いてあり、スコップを持った男たちが何人も行き来していた。男たちはフェリシティの姿を見ると、皆が敬うように頭を下げていった。左右には様々な種類の樹木が生い茂り、道に緑葉のアーチを作っている。先の方には森の終わりを示す光が見えていた。そして、森を抜けると、パトラが来るときにも目にした、異様な光景が広がっていた。原野に作られた杭の刺さった土の山、数え切れないほどある。
「見て下さい」
 フェリシティはすぐ近くにある山の杭を触った。杭には刃物で彫り込んだような雑な字で名前が刻まれていた。
「これはお墓なんです、死んだ人はこれで全部ではありません、ここに眠っているのは飛天騎士だけなのです」
 それからフェリシティは黙ってしまい、しばらく杭の名前を労わるようになでていた。そのうちフェリシティの体が震えだし、瞳から涙が零れた。
「死者が多すぎて、全員のお墓は作れないのです、せめて最後まで戦ってくれた飛天騎士だけは、丁重に弔ってあげようって、街の人たちが・・・」
「もういいわ、よく分かったから」
 フェリシティは激しく嗚咽して、言葉を失ってしまった。パトラはそれを抱き寄せて、慰めるように後ろ髪をなでた。フェリシティはパトラの胸の中で咽びながら言った。
「どうしてこんな酷いことになるのですか、何でこんなに沢山の人が死ななければならないのですか・・・」
 分からない、わたしにも分からない。パトラは言葉を返すことが出来なかった。ただ、この大陸で何か大きなことが起ころうとしているのではないか、そんな考えが漠然と浮かんできただけだった。


15 :四季条 ユウ :2008/08/24(日) 00:31:39 ID:nmz3rDnm

 シェーレはフィアーナを連れて、故郷の屋敷に向かった。屋敷は街から少し離れた森の中にあり、敷地も広く建物も大きいので、かなり目立つ存在だった。当然のごとく、レイザード軍の刃が向けられた。二人が屋敷に訪れると、余りの荒れ様に呆然とした。庭の植木は倒れて、花は踏み潰され、屋敷の方も窓が割られていたり玄関が破壊されていたりと、酷い状態だった。
「何、これ、お父様は、お母様はA」
「落ち着きなさい」
 シェーレがそう言っても、錯乱状態になった妹の耳には入らなかった。
「いやーっ! お父様! お母様っ!」
「待ちなさい!」
走り出すフィアーナ、シェーレは妹の後を追った。フィアーナは扉の半壊した玄関から屋敷の中に入り、父と母を呼びながら駆けずり回った。部屋という部屋の扉を開けていった。一階には誰もいなかった。フィアーナは二階に上がる階段に向かった。すると、階段下に婦人が立っていた。青い目の婦人は長いブロンドを一まとめにして、黒のドレスを着ていた。フィアーナは一瞬、幻でも見ているようにぼうっとして、それから至高の喜びを笑顔に託した。
「お母様!」
 フィアーナは走っていって、婦人に抱きついた。
「騒々しいですね、あなたはもう少し落ち着きを持たなければ駄目よ」
「だって、だって」
 フィアーナを優しく抱きとめる婦人はサナリーと言った。
「お姉様はあんなに落ち着いていますよ」
 シェーレが近くに来ていて、母と妹の再会を邪魔しないように見守っていた。シェーレも母が生きていたことに胸をなでおろし、ほっとするような笑みを湛えていた。
「ねえ、お父様は?」
 フィアーナが母の顔を見上げた。サナリーは末娘を穏やかな目で見つめながら二、三度頷いた。
「お父様はね、お亡くなりになりましたよ」
 フィアーナは衝撃で息を止めて瞳を大きく開いた。シェーレは俯いて床に散らばるガラスの欠片を見つめた。
「二人とも、悲しむことはありません、あの日、お父様は私兵を連れて最後まで戦ったのです、人々を守る為に戦ったのです、何を悲しむことがありますか」
 シェーレはまっすぐに母を見つめて、自分は大丈夫と言うように頷いた。だが、フィアーナはそういうわけにはいかなかった。
「嘘、わたしお父様と喧嘩したきりだったのに、まだ謝ってないのに・・・」
「お父様は怒ってなんかいませんでしたよ、シェーレの便りで貴方が本気で騎士になると知ったときには、本当に喜んでいました、これでフィアーナも大丈夫だと言っていたのですよ」
 それを聞くと、フィアーナは余計に悲しくなり、堰を切ったように泣き出した。サナリーは娘を強く抱きしめて、思い切り泣かせてやった。さすがのシェーレも、涙をいくつか零した。
「貴方たちは、わたしのことは気にせずに、今まで通りシアラルに仕官しなさい、いいですね」
「はい」
 シェーレは妹の分まで補うように、はっきりと返事をした。
「さあ二人とも、お父様のお墓を参りましょう、立派になった娘たちの姿を見せてあげなければね」
 サナリーは武官の妻らしく、どこまでも毅然としていた。夫の死を悲しむ様子はまったく見せず、娘たちを優しく包み込んで励ました。彼女もまた、戦争が置き去りにした悲しみに立ち向かう人間だった。

「ミネア・・・本当に死んでしまったのか・・・」
 レイラは自室にこもり、椅子に座って天井を見上げていた。全ての窓にカーテンがかかり、部屋は薄暗くなっている。
レイラとミネアは、互いに王家の血を引いていることもあって、深い親交があった。全く性格の違う二人だったが、不思議と馬が合い、頻繁に酒肴の席を設けては二人だけで話をしたものだった。ミネアはレイラにとって、親友と呼べる唯一の存在だった。
「わたしがもっと気を配っていれば、お前を死なせずには済んだものを」
 レイラが目を細めると、瞳に浮いた水滴が一所に集まって輝いた。そして目を閉じる、涙が零れて頬を伝った。
―莫迦な話だ、こんな下らないことでお前を死なせてしまうとは・・・。
 レイラは目を瞑ったまま、己が内に嵐のように広がる後悔の念に、じっと耐えていた。
 ―許せ、ミネア。
 レイラに落ち度はない。それでもミネアに対して謝罪せずにはいられなかった。レイラは前かがみになり、両手で顔を覆って、今は亡きミネアに何度も何度も心の内で謝った。そうしていると誰かが扉を叩いた。深い悲しみに溺れるレイラには、それは耳に届かなかった。もう一度、扉は叩かれたが、レイラは椅子の上から動かない。無反応に耐えかねたように、扉がゆっくり開いた。
「あ、開いてる、誰もいないのかな」
 部屋に入ってきたのはレインだった。レインは、椅子に座るレイラの姿を見ると、息をのんで固まった。すぐに出て行こうと思ったが、その前にレイラが顔を上げた。レインは、レイラが泣いていることを知って慌てた。
「あっ、すいません、その、まさか泣いてるなんて思わなかったから」
「レインか、お前と募る話をしてやりたいところだが、今は無理なようだ」
 レイラは泣いているにもかかわらず落ち着いていて、いつもと変わらない調子で言った。
「レイラ様、ごめんなさい・・・」
「気にするな」
 レインが出て行こうとすると、
「待て」
 とレイラが呼び止めた。レインが立ち止まって振り向くと、レイラは言った。
「もしパトラ王女が亡くなったら、お前はどう思う」
 いきなり途方もない質問をされて、レインは考えあぐねた。
「想像もつかないですよ」
 と答えたとき、ミネアが亡くなった直後のシェーレの様子が脳裏を過ぎった。
「・・・悲しすぎて、逆に泣けないと思います」
「そうか」
 レイラは濡れた瞳でレインを見つめた。レインはどうしてか、悲しい思いに囚われた。
「我々は戦争をしている、何が起こるかは分からない、友と過ごす時間を大切にすることだ、わたしのように後悔はするな」
 レインは何も言えなかった。その一言は、戦争の悲しさがいっぱい詰まっているようで、心にずんと重く圧し掛かった。だが、その次の言葉はもっと重く厳しかった。
「ローランを離れれば、わたしたちは敵同士だ、もし戦場でわたしと出合ったならば、わたしを師とは思うな、わたしもお前を弟子とは思わない」
 レインは唇を固く結び、レイラに深く一礼した。そして、部屋を出ると扉を静かに閉めた。レイラの言葉は衝撃的だった。レインはこのときに初めて、戦争の悲しさを嫌というほど感じた。

 昼頃になると、パトラはローランの騎士だけを集めて空に上がった。来るときに見た、草原に落ちた飛天騎士たちを迎えに行くのだ。ローランの騎士だけを向かわせるのはパトラの配慮だった。死んだ騎士たちは仲間の手によって救ってやるのが筋だろうし、生き残った方もそれを望んでいるのは当然であろう。それ以外の者は、市民と一緒になって街の復旧を手伝った。
 ローランから少し離れた草原に、乙女たちは最初に見た時と変わらぬ姿で眠っていた。ローランからシアラルの方向に点々と続く悲しい風景、哀れな乙女と天馬の遺骸がなくなるとろこまでいって、端から順々に死体を回収していく手筈になっている。ナイトメアに跨るパトラは、先頭を飛んでいた。下に生命の営みを止めたローランの乙女たちを認めると、ふと母ディアナのことを思い出した。

 三年程前の話だ。病に倒れたディアナは、ベッドの上でパトラに様々な話を聞かせてくれた。話をするときのディアナは、いつも真剣だった。自分の死を予期していて、全てを娘に託すという思いに溢れていた。パトラが立派な女王になれるようにと、政治、武芸、民事など、自分の持てるものを全て与えた。その中でこれは、ディアナが亡くなる直前にしてくれた話で、パトラの心に最も深く刻まれているものだった。
「人は誰しもが翼を持っているわ、宿命という名の翼を」
病床のディアナは柔らかい笑顔でパトラを見ていた。ディアナはシャリア王家の血筋だったので、フェリシティと同じように、レモン色の長い髪とエメラルドの瞳を持っていた。死が近づくにつれて、不思議とそれらは輝きを増し、翼の話をしている時には、どんな宝石を集めてもかなわない程の美しさがあった。
「人は誰しも自分の背中にある翼に準じて生きているのよ、どんな翼なのかは分からない、白いかもしれないし黒いかもしれない、大きいかもしれない小さいのかもしれない、最初から大空を羽ばたく翼もあれば、最初は地を這うことしか出来ない翼もある、一つだけ言えることは、希望を持って生き続ければ、必ず翼は大空を羽ばたくということ、でもそれがとても難しいことなのよ、希望をもっていき続けるということは、辛く苦しい戦いの連続で、それを乗り越えていかなければならないの」
 ディアナはそこで言葉を切った。疲れたのか、目をゆっくり閉じて、それから続きを話した。
「パトラ、決して希望を失っては駄目よ、どんなことがあっても、どんなに辛くても生き続けなさい、たとえ地を這うことになっても、泥まみれになっても生き続けるのです、そうすれば必ず貴方の翼も大空を羽ばたくでしょう、わかったわね」
「はい」
 パトラの返事を聞くと、ディアナは安心したように笑顔を浮かべた。
「少し眠ります」
 それが最後だった。それからディアナは静かに死んでいった。息を引き取ってからも体温があり、血色のいい顔に晴れやかな笑みを浮かべていた。しばらく死んだということが分からないくらいだった。死ぬというのは幸せなことなのだろうか、母の死に顔を見てパトラはそう思った。ディアナが死んでもパトラは一滴の涙も流さなかった。泣くということが母に対して失礼な気がしたからだった。

 パトラは昔の記憶を消し去り、再び草原を見下ろした。
 ―もし、お母様の言うことが本当なら、ローランの騎士たちを無残な死に導いたのは、宿命という名の翼・・・。
 それはおかしい、理不尽だ、とパトラは思った。殺されたローランの飛天騎士や市民には、希望を持って生きていた人間も多くいただろう。それでも宿命の翼は死を運んできた。この惨事で失われた命は、全てが折れた翼を持っていたのだろうか。そうは思えなかった。ディアナの言った言葉の中には、何かもっと深い意味が隠されている。パトラにはそう感じられた。しかし、言葉の裏に隠されたものは見えなかった。
考えているうちに、草原から力尽きた乙女たちの姿が消えた。その場で隊は停止して、パトラの指示に従ってローランの騎士たちは動き出した。幾つかの小隊に分かれて草原を探す。パトラもその中の一つに加わった。
見ていられないほど悲しい探索になった。死体を見つけるのは簡単なことだったが、地上に降りたローランの飛天騎士たちは瞳に涙を浮かべ、もう動かない仲間にキスをしたり髪をなでたりして、なかなかその場を動こうとしなかった。パトラは何も言わず、彼女たちの好きにさせてやった。しばらく様子を見ていたパトラは、近くで息絶えている天馬(ペガサス)から羽根を二、三取って、死体の懐に入れてやった。飛天騎士にとって、天馬は心から信用できる友だ。天馬を一緒に運ぶことはできないが、せめてそれくらいはしてやりたかった。乙女たちは十分に仲間の死を悼むと、三人一組になってローランまで死体を運んだ。
次の遺体へ、次の遺体へと移動していくと、悲愴な様相がまざまざと感じられた。天馬の上に折り重なるようにして死んでいる少女、最後は心の通じ合える友と一緒に死にたかったのか。天馬から大分離れて倒れていた少女は、恐らく落ちてからもしばらく息があったのだろう、草原を這いずった形跡があった。傷つきながらも最後まで生きようとしたのだろうか、それとも家族の元に帰りたかったのかもしれない。
草原は果てしない悲哀に包まれ、冷たくなった乙女たちは次々とローランに帰っていった。

 翌日、ローランに駐屯していたレイザード軍は、レイラの命令でシャリアへ帰る準備を進めていた。街はかなり建て直せたし、そんなにゆっくりもしていられない。今は戦いの真っ最中なのだ。そうなるとシアラル軍も国へ戻らねばならなかった。レイラがシャリアに戻ると、レイザード軍はすぐにでもシアラルに攻めてくるかもしれない。両軍の撤退をフェリシティが憂慮して、パトラとレイラを滞在する宿の一室に呼んだ。
二人が行くと、フェリシティは麻の上着や継ぎのあるスカートなど、貧乏な村娘のような格好をしていた。ドレスは汚れてしまったので洗濯している。今着ているのは、宿屋の女将から借りた服だった。
「その服、似合っているわね」
 パトラは部屋に入るなり、少し顔を綻ばせて言った。
「そうですか、町人にでも転向しようかしら」
 フェリシティは子供のように無邪気に笑った。それから彼女は思案するように黙って、しばらくすると二人の顔を順番に見て言った。
「戦わずに済む方法はないのでしょうか」
 パトラは目だけを少し下に向けて無表情のままで、レイラは腕を組んで考え込んだ。
「この戦いはアルシャードが始めたものだ、彼が剣を引かない限り、戦いは続くでしょう」
「これ以上戦って何になると言うのですか、犠牲者が増えるだけではありませんか」
「理由は分からないが、アルシャードはどうしても大陸を統一したいらしい」
「何とか説得できないでしょうか」
「それは諦めたほうがいいわ」
 と言ったのはパトラだった。
「あの人が一度振り上げた剣を納めることはないわ、そんな事をするくらいなら、最初から戦いにはならないわよ」
「理不尽なことを言うようですが、シアラルが譲歩することは出来ませんか」
 パトラは無表情で黙った。何かを考えているようにも見えたし、フェリシティの言ったことに反発しているようにも見えた。
「ローランがこんなことにならなければ、それも考えられたわ、でも今となっては出来ない選択よ、今の状態でシアラルの降伏など、世論が許さないでしょう、それに死んでいったローランの騎士たちにも申しわけが立たないわ」
「戦うしかないのですか・・・」
 パトラは遠くを見るように目を細めて小さく頷いた。
「悲しいですね、人間は分かり合い、手を取り合える唯一の者なのに、殺し合わなければならないなんて・・・」
 フェリシティの表情がぎゅっと強張り、目の前にいる二人を叱るように続けた。
「そんなの間違っています、人はそんなことではいけないのです、戦って得られるものは憎しみや悲しみだけです、それ以外には何もありません!」
「貴方の言っていることは正しい、けれど、もうどうにもならないのよ」
 パトラはフェリシティの思いに答える術がなく、ぐっと悲しみともどかしさを堪えた。
「わたしは祈っています、この戦いが少しでも早く終わるように、もうこれ以上犠牲者が増えないように」
 レイザード軍とシアラル軍は、その日のうちに撤退した。フェリシティはまだ街でやることがあるからと言ってローランに残った。先の襲撃から生きて帰ったローランの飛天騎士たちも、パトラの命令で街の復興に従事することになった。彼女らは共に戦いたいと望んだのだが、パトラはそれを許さなかった。ミネアが命を捨ててまで守った騎士たちを、これ以上死なせたくなかったのだ。
 その日の午前中、天馬に跨ったシアラルの乙女たちが空に舞った。乙女たちは全員が一輪の花を手にしていた。花の種類はまちまちだった。白い部隊がローランの街を後にして、森を越えて原野に広がる墓地に差し掛かると、乙女たちは一輪の花を投下した。花々は風に吹かれて花びらを散らした。まるで七色の雪のように花びらが宙を舞い、落ちていく無数の花は墓地を美しく彩なした。最後まで勇敢に戦って散っていったローランの乙女たち、どうか安らかに眠って下さい、シアラルの乙女たちは誰もがそう願っていた。

 ローランの悲劇で犠牲になった人々は一万にも及ぶと言われた。これによりレイザード軍は大陸中の人々から恐れられることになった。同時に唯一の対抗勢力になったシアラル軍は、人々の希望となった。レイザード軍を悉く大敗に追い込んだシアラル軍には、否応なしに人々の期待が集まり、誰もがシアラル軍の勝利を祈った。


16 :四季条 ユウ :2008/08/27(水) 23:38:20 ID:nmz3rDnm

「随分な目に合ったようだな、ロノフ」
 ロノフは玉座の前で跪き低頭していた。アルシャードの傍らにはレイラもいて様子を見守っている。復興支援に出掛けていた軍が戻るのとほぼ同じ頃に、シアラル軍に大敗した敗残兵たちも帰還していた。
「シアラル軍は予想を遥かに超える強さでして」
「俺は攻撃命令など出していない」
 アルシャードはロノフの言葉を遮って言った。怖いほどに無表情だが、彼が発する空気には凄まじい怒りが含まれていて、ロノフはそれを肌で感じると総毛立った。
「わたくしは反対したのですが、グランドー将軍がどうしてもと言うので・・・」
「貴様の主は誰だ、言ってみろ」
「アルシャード様、どうかお許し下さい」
「余計なことは言うな、貴様は俺の質問に答えればいい」
「わたくしの主は、アルシャード王様でございます・・・」
 ロノフはまるで極寒の雪原にでもいるように、体を激しく震わせていた。アルシャードの一言一言が、彼を押し潰し、恐怖させた。
「ほう、分かっているのか、ならば何故グランドーを止めなかった」
「あの時は将軍の言う事を聞くしかなかったのです」
「俺に忠誠を誓っているのならば、命懸けでもグランドーを止めるはずだ」
ロノフは下を向いたまま黙った。俯いている顔には玉のような汗を幾つも作り、余りの恐ろしさに息を乱していた。言い訳を繰り返そうと顔を上げたとき、アルシャードはもう聞きたくないというような顔をした。
「まあ、よかろう」
 柔和になった主の声を聞いて、ロノフは許されたと思って密かに溜息をついた。
「ローランの襲撃は鮮やかな手並みだったな」
「はっ、恐れ入ります」
「グランドーは頭のいい男ではなかった、あれは貴様が考えた作戦だな」
 ロノフの心は冷たく凍りついた。自分は褒められていたのではなく、罠に誘い込まれたということに気づいた。ロノフは何も言えなくなってしまった。アルシャードは腕を組み、面白そうに微笑を浮かべ、目の前で小さく縮こまるロノフを見ていた。
「衛兵、厨房に言ってこの城で一番いい酒を持って来させろ」
 間もなくすると、メイドの格好のした給仕の女がワインボトルとグラスを持ってきた。ボトルの方はアルシャードに手渡され、グラスはロノフに渡された。ロノフは困惑した表情でアルシャードを見た。
「これはいい酒だ、滅多にお目にかかれんな」
 アルシャードはボトルの口から香りを吸って言った。
「一献(いっこん)注いでやろう」
 アルシャードがボトルを傾けると、ロノフは恐縮して杯を高く掲げた。少し茶色味のある葡萄酒が半分程度注がれた。
「遠慮せずに飲め」
 ロノフには訳が分からなかった。狐に化かされた様な気分で酒を口に含んだ。その瞬間に、芳醇な香りが鼻を抜けて、まろやかな中に葡萄酒の渋みを残した、何とも言えない酒の味が舌を潤した。ロノフは心が落ち着くような気がした。
「よく味わえよ、これが最後の酒になるかもしれん」
 その時、ロノフは目を剥いて、アルシャードを見上げた。
「どうした、飲め」
 アルシャードは鋭い目つきになって言った。ロノフは続けて酒を飲んだ。グラスを持つ手が震えて、グラスと唇の間から酒をいくらか零した。
「レイラ、将軍と高官どもを中庭に集めろ」
「わかった」
 レイラは何も聞かずに出ていった。
「衛兵、槍を二本中庭に持って来い、貴様は俺について来るんだ」
 アルシャードが玉座を立って歩き出すと、ロノフもその後に続いた。ロノフは顔から吹き出る汗を、何度も手で拭っていた。
 シャリア城の中庭は、中央に聖(グ)天馬(ラーニ)に乗る女騎士の彫像があり、周りには季節ごとに花を咲かせる樹木や草花が植えてあった。くつろげるように木製の長椅子などもいくつか設置してある。そこにレイラを始めレイザードの将軍や高官が集まった。その中の半数ほどが、急にこんな場所に呼び出されたことに対して、不満気だったり、面倒そうな顔をしていたりと、ふてぶてしい態度をしていた。アルシャードがやってくると、嫌な顔をしていた者たちも、一応は敬うような格好をした。それに少し遅れて、槍を二本持った兵士がやってきた。アルシャードは槍を受け取ると、一本をロノフの足元に放り投げた。それを見ていた周りの者は、何が始まるのかと訝しい顔をした。
「俺の相手をしてもらおうか」
 アルシャードが当たり前のように言うと、ロノフは驚いて嫌がるように両手を振り、足元の槍から一歩離れた。
「大陸一の槍の名手と謳われる貴方様に、どうしてわたくしごときが相手をできましょうか」
「槍を取らねば貴様は死ぬだけだ」
 ロノフは口を半開きにして硬直し、血の気を失った。アルシャードは獲物に飢えた獅子のように、殺意の深い瞳を光らせて、じっとロノフを睨んでいた。
「貴様に与えられた選択肢は二つだ、俺と戦ってほんのわずかな可能性に賭けるか、何もせずに串刺しになるか」
 言いながらアルシャードが一歩迫ると、ロノフはあらゆる絶望を顔に表して両膝をついた。
「どうかお許しを、どうか、どうか、アルシャード王様」
 ロノフが何度頭を下げても、アルシャードの恐ろしげな表情は動かなかった。
「このまま死にたいらしいな」
 このやり取りには、周りで見ていた将軍、高官たちは身の毛がよだった。全員がどうなるのかと、固唾を飲んで見守った。ロノフは頭を深く下げた状態で一瞬停滞した。瞬間、彼は手前の槍を掴むと、絶叫と共に立ち上がり、アルシャードを狙って突いた。不意打ちのつもりだったが、それはいとも簡単にかわされた。
「うわああーーーっ@」
 ロノフの叫びは、もはや悲鳴に近い。何度も槍を突くが、アルシャードは必要最小限の動きでそれらを避けた。そして、アルシャードが笑いを浮かべた瞬間、凄まじい速さで槍を突いた。槍はロノフの右の太腿を貫き、中庭に悲鳴が上がった。ロノフは刺された足を押さえながら尻餅をついた。アルシャードは容赦なく、立て続けにロノフの腹部を突き刺した。もう一度悲鳴が響き渡り、槍が引き抜かれると、ロノフは足を押さえていた手を脇腹に移して呻いた。生臭い血の匂いが見ている人々の鼻を突いた。
「どうした、もう終いか」
 アルシャードは下らないものでも見るような目で、苦しむロノフを見下していた。レイラはその痛々しい様子に眉をひそめた。
 ―むごいな。
 アルシャードはわざと止めを刺さずに、ロノフの苦悶の様を将軍や高官共に見せつけていた。ロノフは下半身が血まみれになり、戦意を喪失した。彼は何とか立ち上がると、右足を引きずりながら逃げ出した。
「助けて! 誰か助けてくれ!」
 アルシャードは冷たい顔で、少しずつ遠退いていくロノフの背中を見ていた。
「愚か者め」
 アルシャードは右手の槍を肩の辺りに持ってきて、逃げるロノフに狙いをつける。
「騎士ともあろう者が、敵に背中を向けるな!」
 アルシャードが槍を投げると、それは電光石火の速さでロノフの背中に迫り、後ろから胸を貫いた。ロノフは衝撃で前方に吹っ飛ばされ、そのまま前のめりに倒れると、二度と動くことはなかった。
「俺は野望の為に利用できるものは利用する、そして俺の邪魔をする奴がいれば全力で叩き潰す、敵であろうと味方であろうとな、よく覚えておけ」
 周りで見ていた将軍、高官は、青い顔で慄然としていた。レイラだけは冷静で、アルシャードに半ば畏怖するような、半ば賞賛するような視線を送った。
 ―効果的な恐怖統治だな、これで反発していた将軍たちも忠誠を誓うだろう、これがアルシャードの才能だ。
 アルシャードは将軍、高官たちに言った。
「貴様ら、死体を片付けておけ」
 すると、反アルシャード派だった人間たちが率先して、我先にと息絶えたロノフに向かって走っていった。これでアルシャードの支配は完璧なものになったと証明された。


17 :四季条 ユウ :2008/09/13(土) 17:08:30 ID:nmz3rDnm

 レイザード軍がシャリアに帰還したのと同じ頃、シアラル軍も国へ戻っていた。パトラは戻ると休む間もなく治療院に足を運んだ。負傷した騎士たちがそこにいるので、一人ひとり見舞ってやるつもりだった。レインとシェーレも同行した。
治療院は街の中心部にあり、石造りのかなり大きな建物で、人の出入りも多い。そこには医者や看護婦がいて、怪我や病気の治療をしてくれる。パトラはそこで、思いもよらぬ苦悩を味わうことになった。
 大きな怪我をしている者はほとんどいなかった。負傷した騎士のほとんどが相部屋のベッドに寝ていて、パトラたちが入ってくると、皆驚いてベッドから飛び起きた。パトラはそのままでいいと言って、一人ずつ声をかけて、励ましたり礼を言った。誰もがその姿に感動して、心密かに王女への忠誠を深めた。
怪我人の中で、ただ一人だけ個室に運ばれた少女がいた。少女のいる部屋は最上階の日当たりのいい場所にあり、治療院で最も条件のいい個室だった。看護婦は少女の名前は分からないと言った。パトラはそれを聞くと、その少女がどうしようもなく気になったので、先に足を運ぶことにした。看護婦がパトラたちを案内してくれた。 
パトラたちが治療院の廊下を歩いていくと、前からフィアーナが走ってきた。フィアーナは、パトラの姿を見ると、立ち止まって呆然とした。彼女は泣いていて、体を震わせている。
「どうしたのフィアーナ」
 シェーレが妹の異常な様子を見て、訝しい顔をした。
「パトラ様、姉様、ミーナが、ミーナが・・・」
 フィアーナはその場に崩れて、両手で顔を覆って泣き出した。パトラは少し眉を寄せて、急に走り出した。レインがすぐに後を追った。パトラは冷静さを欠き、何かに取り付かれたように走った。そうすると部屋の扉の前で蹲る少女が見えた。パトラは少女の前で立ち止まった。少女は足音と気配を感じて、涙に濡れた顔を上げる。セリリだった。
「パトラ様・・・ミーナは、もう駄目だって」
 セリリはまだ何か言おうとしていたが、嗚咽に邪魔されて声が出なかった。パトラは何も考えずに病室の扉を開けた。すると、白いローブを着た看護婦が、濡れた手拭を絞っている姿が目に入った。パトラはおぼつかない足取りで、レインと一緒に中へ入っていった。
「まあ、王女様!」
「ミーナは・・・」
 パトラには看護婦が驚くのも目に入らず、ただミーナの姿を探した。
「ベッドに寝ていますわ」
 看護婦は言いながら、窓際のベッドを返した掌で指した。ミーナは確かにベッドに寝ていた。窓から入る日に晒されたミーナの姿を見て、パトラは息が止まり、目眩がおきそうになった。
ミーナはほとんど全身に包帯を巻いていて、傷ついた箇所から血が滲んでいる。顔も右目から頭部にかけて包帯に覆われて、右目の窪んだ部分が赤く滲んでいた。以前の可愛らしい姿は見る影もない。
「ミーナ」
 パトラが弱々しい声で呼ぶと、ミーナは瞑っていた左目を開けた。
「あは、パトラ様、へましちゃいました」
 ミーナは思いのほか元気で、明るい喋りを見せた。パトラが見舞いに来てくれたことがよほど嬉しいらしく、残った左の瞳を輝かせて笑っていた。その健気な姿は、パトラの悲しみを、より一層深くした。
「やだなぁ、そんな顔しないで下さい、わたしは結構元気ですよ」
 パトラは黙ったまま無理に微笑を浮かべて頷いた。
「パトラ様、わたし頑張りましたよ、いっぱい仲間を助けたんです」
「そう、よくやったわね、えらいわ」
 パトラは接吻するように顔を近づけて、ミーナの頬を触った。ミーナは親に褒められた幼い子供のように、純粋な嬉しさを表情に乗せていた。パトラはミーナから離れると、耐えかねるように顔を背けた。
「少し外へ出るわね、すぐに戻ってくるから」
 パトラとレインが部屋を出ると、気を利かせて外に出ていた看護婦と、病室に入らずに待っていたシェーレがいた。フィアーナとセリリも少し離れた所に立っていた。看護婦がミーナの事情を話してくれた。
ミーナは敵に囲まれていた二人の仲間を助け、代わりに相当数の敵と戦ったらしい、壮絶な戦いの末に全ての敵を倒したが、ミーナも瀕死の重傷を負い、死んでいてもおかしくないような状態でシアラルまで帰ってきたという。
「ミーナの容態はどうなの?」
「お医者様の話ですと、あと三日も持たないそうです」
 パトラは無慈悲な言葉に打ちひしがれ、支えを求めるようにふらつき、壁に縋った。そして、悲しんでいる顔を誰にも見せまいとするように、石の壁に額を預けた。
「わたしのせいだわ、わたしがあの時ミーナの言い分を聞いてあげれば、こんなことにはならなかったのに・・・」
「そうしたら、ミーナの助けた二人が犠牲になったよ」
 レインが言ったことは、慰めなどにはならなかった。パトラは壁と向かい合ったまま、ひたすら悲しみと後悔に暮れていた。レインはパトラの肩を掴んで言った。
「あんまり自分を責めるんじゃないの、こんなのどうにもならない事じゃないか」
 パトラはレインのことを、虚ろな中に哀愁のこもる瞳で見た。それでレインは、パトラの悲しみの深さを知った。
 ―これは、まずいな・・・。
 パトラのことを深く理解しているレインは、これからどういう事が起こるのかを予期して、心が鉛のように重くなった。パトラは決意するように表情を強くすると、病室の扉を開けて早足でミーナに近づいた。ミーナは入ってきたパトラをじっと見ていた。パトラはミーナの枕元にあった椅子に腰を下ろすと言った。
「ミーナ、貴方の故郷へ帰りましょう、わたしが連れていってあげるから」
 ミーナは笑みを浮かべて小さく頷いた。パトラはそれからすぐに病室を出ると、外で待っていたレインとシェーレに事情を話した。それにシェーレは厳しい顔をした。
「何を言っているのですか、レイザードがすぐにでも攻めてくるのかもしれないのです、そんな時に主が国を開けるなどあってはならないことです」
「貴方の言っていることはもっともよ、わたしもそう思う、それでも行かせてほしいの」
「いい加減にして下さい、パトラ様がいない間に敵が攻めてきたら、もう終りなのですよ!」
 シェーレが憤然として言うと、パトラは下を向いて黙った。
「行かせてやりなよ」
 シェーレはきっとレインを睨んだ、レインは微笑を浮かべてはいるが、どこか悲しげで、それがシェーレの沸き立つ心を沈めていった。
「もし敵が来たら、わたしたちで何とかする、パルテノ姉さんだっているんだから大丈夫さ」
「・・・出来るだけ早く帰ってきて下さい」
 シェーレは仕方なく了解した。すぐミーナの故郷に、詳細を綴った手紙を、空輸商に持たせて向かわせた。もう夜になるので、その日の出発は見送られ、翌日の早朝にパトラとミーナは立つことになった。
パトラはずっとミーナの側にいて看病をした。ミーナは瀕死の重傷とは思えないほど元気に喋りまくった。パトラが体に障るから止めるようにと言っても、故郷の話や、自分が騎士になった理由、将来の夢など、際限なく話をして、パトラは微笑を浮かべながら、それに耳を傾けて相槌をうっていた。しかし、次第にミーナの元気はなくなっていった。夜が明ける頃には、ミーナはほとんど喋らなくなり、寝ているようにしばらく目を閉じては、時々ふっと目覚める、これを繰り返すようになった。ミーナの弱っていく姿は、見ていて泣いてしまいたいほど胸苦しかった。
パトラは看病を続けているうちに、ミーナのことをどうしても他人とは思えない自分に気づいた。最初は哀れなミーナの姿が、そんなふうに思わせるのかもしれないと思った。しかし、ミーナと過ごす時間は、パトラの命に直接迫り何かを訴えた。もしかしたら、ミーナと遠い昔に姉妹か親子か、そんな関係だったのかもしれないと、自然に考えるようになった。
 早朝、ナイトメアに乗るパトラが治療院の屋上に降りた。パトラの夜のように暗い心とは正反対に、目の痛いほどに朝日が輝き、清々しい朝だった。屋上の出入り口から数人の医師と看護婦に運ばれるミーナの姿が現れた。その後からシェーレとレイン、そしてフィアーナとセリリもついて来た。パトラはナイトメアから降りて、ミーナを背負った。ミーナには、パトラの背中にしがみつく余力もなかったので、落ちないように白い帯で、二人はしっかりと固定された。パトラはミーナを背負ったままナイトメアに飛び乗った。
「帰ってきたらすぐに昇進だね、ミーナは大活躍したもんね」
 いつもの明るい調子でフィアーナが言うと、ミーナは残った目で見て微笑した。
「傷が治ったら、また三人でお話しましょう」
 セリリが言うと、ミーナは頷いた。彼女は声を出さなかった。もう声を出すのも苦しいほど弱った状態だった。
「行くわよ」
 パトラがナイトメアの手綱を引くと、黒い翼が開き、羽ばたき始めた。ナイトメアの起こす風圧は、周りにいる少女たちの髪や服を激しく揺らした。ナイトメアは徐々に宙に浮き、ゆっくり前に進みだした。パトラはミーナの傷に障らないように、出来るだけ静かに飛び立った。少しずつ速さが上がり、パトラたちはミーナの故郷に向かって飛んでいった。どんどん小さくなっていく黒い聖天馬の姿を見ながら、フィアーナとセリリは泣き始めた。
「さようならミーナ、さようなら」
 セリリは泣きながら手を振った。これが永遠の別れになることは知っていた。レインは二人の涙に打たれ、胸にいっぱい詰まった悲しみをはき出すように言った。
「なんかさ、悲しいことばっかりで嫌になるよ」
 シアラルの城下街を越えて、森の上空に入ると、ミーナがもてる力を振り絞るように、小さな声で言った。
「パトラ様、ありがとう」
「いいのよ、貴方は余計なことは気にしないで、少し眠りなさい」
「パトラ様に聞いて欲しいことがあるの」
「なにかしら」
「わたしね、パトラ様の事が本当のお姉さんみたい感じる」
 パトラはぎくりとした。ミーナは自分の思っていたことと同じようなことを口にした。
「わたしとパトラ様は、きっと姉妹だったんだよ」
「わたしもそう思うわ」
「やったぁ、パトラ様がそう言ってくれると、すごく嬉しいなぁ」
 ミーナは蘇ったように元気に言った。後ろから聞こえてくる無邪気な声に、パトラは微笑を浮かべた。
「さあ、少し目を瞑りなさい」
「うん」
 パトラの言うことに、ミーナは素直に従った。昨日はほとんど寝ていないし、傷のせいで体力の消耗も激しいのだろう、パトラの後ろからすぐに寝息が聞こえてきた。
漆黒の聖天馬(グラーニ)は飛ぶ、少女の健気な命と思いを乗せて、少女の故郷に向かって飛んでいく。

 主のいない玉座の前で、シェーレが佇んでいた。まるでパトラが目の前にいるように、真剣な瞳で空の玉座を見ていた。
 ―たった一人の人間の為に王女が国を出るなんて、聞いたこともない。
 シェーレの心には、非難ではなく、胸を熱くするような感動が少しずつ湧いていた。
 ―わたしは勘違いをしていた、パトラ様は冷徹で何事にも動じない、そういう人だと思っていた、しかしそうではなかった、表面だけが冷たく凍りついた心の中には、雪の中で春を待つ小さな花々のように、強くも穏やかで優しい心が通っている、誰よりも仲間を愛し、誰よりも仲間の為に尽くす、パトラ様はそういうお方だった、今頃それに気づくなんて。
「何やってんのよ、こんなところでさ」
 レインの声が後ろから聞こえてきた。シェーレは振り向かずに、じっと玉座を見つめ続けた。足音が後ろから近づいてくる。そして、足音が真後ろで消えるとレインが言った。
「あんたもさぼったりするんだ」
「違うわ、パトラ様の事を考えていたのよ」
 シェーレは隣に来ていたレインを見ながら言った。シェーレは後悔の念で沈んでいた。レインは疲れたような微笑を浮かべて、シェーレから顔を逸らした。
「わたしはパトラ様と初めて会ったときこう思ったわ、残酷なほどに冷徹で、何が起きても冷静で、これほど頼りになる国主はいないと、でもミーナの事でようやくわかった、パトラ様は今まで誰よりも悩み苦しんでいた、静かなのは表面だけなのよ」
「だいぶ分かってきたじゃない」
「レインは知っていたのね」
「付き合い長いからね、こういうのは他人に教えてもらっても駄目なんだ、自分で感じ取らないとね」
 そして二人は沈黙した。重い空気がその空間を埋め尽くし、息苦しく思えるほどだった。誰もいない玉座を通して、パトラの心が伝わってくるように思えた。沈黙を破ったのはレインだった。
「あの子、このままじゃ潰れちゃうかも」
「どういうこと」
「これから戦いはもっと激しくなるんだよ、たくさんの仲間が犠牲になる、そうなったらパトラは耐えられないかもしれない、悲しみに押し潰されて、立ち上がれなくなるかもしれない」
「貴方が弱気になってどうするの、そうならないようにする為に、わたしたちがいるのでしょう」
 レインは喝を入れられて項垂れた。それからすぐに気を取り直すように頭を上げて言った。
「わたしたちの出来ないことはパトラがやってくれる、パトラのやれないことは、わたしたちがやる」
「そうよ、お互いに支え合えば、どんな壁でも乗り越えられるわ」
「パトラよりも、あんたの方がよっぽど冷静かもね」
 レインは合図するようにシェーレの肩を叩いた。二人は並んで歩き、無言のまま玉座の間を出ていった。新たな戦いに向けて、これからやることが山積みになっていた。

 日が高くなっていた。もう昼になるだろうか。パトラたちは目的地の目と鼻の先にいた。今は大きな湖の上に差し掛かり、これを越えた先にミーナの故郷がある。湖の水面近くを飛ぶと、ナイトメアの黒い体が水に映った。それはまるで鏡に映っているように鮮明で、水はアクアマリンのように透き通り、水中を泳ぐ無数の魚群まで見えた。しかし、パトラにはそれらの美彩を楽しんでいる余裕などない。
 ―どうしてミーナは死ななければならないの、わたしよりも年下、たった十数年の人生なんて、一体何の為に生まれてきたのか分からないわ。
 パトラはここに来るまでに、そんな問答を幾度となく繰り返していた。パトラの背中で起こる穏やかな吐息を聞いていると、ミーナを襲わんとする宿命に腹が立って仕方がなかった。もし神というものがいて、それが人の宿命を決めているのなら、ミーナの宿命を定めた神を槍で刺し殺してやりたい気分だった。しかし、パトラは神というものは信じない。宿命というものは人間の想像では及びもつかない、もっと広大で全てを凌駕する無限の存在、そして全ての生き物に普遍的である存在が影響している。無限の存在の中に流れる法則に乗って全てのものは生き、人間の宿命もそれの影響を受けている。信じようが信じまいが、それは必ず関連してくるのだ。これは生前にディアナが言っていたことで、パトラはこれを信じていた。
 その時、パトラの思考が止まった。背中に冷たいものを感じた。ミーナと自分の間にそっと手を入れてみると、じとっと濡れている感触が伝わった。掌を見てみると、真っ赤な血がべっとり付いていた。
「急いで、ナイトメア!」
 パトラの言葉に反応して、ナイトメアはぐんぐん速度を上げた。
「お願い、間に合って」
 後ろから聞こえるミーナの息は、気付かないうちに小さく不規則になっていた。今までの思考は掻き消され、少しでも早くミーナの故郷に行き、死ぬ前に両親に会わせてやりたい、パトラはそれだけを考えた。
 湖を越え、森を越えると、青穂が広がる麦畑が見えた。ようやくたどり着いた、ミーナの故郷だった。
「ミーナ、着いたわよ、貴方の故郷よ」
 呼んでもミーナは反応しない。
「ミーナ、お願い起きて!」
 パトラの必死に祈るような声が、ミーナを昏睡から呼び覚ました。ミーナは左目を開けて、下に広がる青い麦畑を見た。同時に青草の爽やかな香りを感じた。
「わあ」
 ミーナは感動と郷愁で胸をいっぱいにして、瞳を潤ませて笑った。パトラはナイトメアを降下させて、麦畑のすぐ上を飛んだ。野良仕事をしている人々が見上げて、何人かが暢気に手を振り、風が麦畑の上を走ると、幾筋も緑色の波が立った。
「家はどこにあるの、苦しいと思うけど、頑張って教えてちょうだい」
 ミーナはゆっくり腕を上げて、震える指で一方を示した。パトラがその方向にナイトメアを飛ばすと、麦畑の向こうに、一軒家が見えた。家の前に二人の人間が立っている姿も小さく見える。ナイトメアはあっという間に民家に近づき、ゆっくり下降した。地上に着地すると、ミーナの両親が走ってきた。背の高い茶髪の父親に、母親はミーナを同じ青銀の髪を長く伸ばして、顔立ちも娘にそっくりだった。パトラが地上に降りると、ミーナの母は二人をくくりつける帯を外しながら言った。
「王女様、ありがとうございます、こんな事までして頂いて、感謝の言葉もございません」
「そんなことより急いで下さい、もうあまり時間がありません」
 ミーナがパトラの背中から離れると、彼女の様子が明らかになった。腹部を中心に広く血が広がっていて、それがパトラの背中を濡らした原因だった。ミーナの父は、娘を抱えて急いで家に入った。ミーナは用意されていたベッドに仰向けに寝かされて、ミーナの母が腹部から滲む血を、乾いた布で吸い取った。出血が激しく、白い布はすぐに赤く染まってしまった。
「懐かしい匂い・・・」
 ミーナが弱々しい声で言うと、母が顔を近づけて頬や頭をなでた。
「貴方はよく頑張ったって、王女様のお手紙に書いてあったわよ、お母さん本当に嬉しい」
 ミーナは笑った。心底嬉しいというのが一見して分かる笑顔だった。ミーナは交互に父と母を見つめ、口を動かして声のない言葉を紡いだ。
「大丈夫よ、分かっているから、ありがとうって言いたいのはお母さんの方よ、わたしたちは本当にいい娘を持ったわ」
「無理はしないでいいから、ゆっくり休みなさい」
 ミーナの父が言うと、ミーナは微笑のまま天井を見上げた。そして、次第に息が小さくなり、目の焦点が定まらなくなってきた。ミーナの両親は、娘の死が近いことを悟り、ついに堪えていた涙を流した。パトラは何も言わずに、ミーナの姿を見下ろしていた。その時だった、まるで幼い子供が素晴しい宝を見つけたように、ミーナの瞳が輝いた。
「空が・・・」
 声がすると、その場にいる三人はミーナを注目した。ミーナの左目は次第に閉じていく。同時にミーナはにっこり微笑み、瞳が閉じると目じりから一筋の涙が伝った。そうしてミーナは死んだ。
ミーナの母はその場に崩れて、声を上げて泣いた。父は立ったまま耐えるように泣き続けた。パトラは無表情のままミーナの顔や手を触った。まだ血の通っているように温かかった。
「ミーナはどうしてここに来たの、何の為に生まれてきたの、貴方は幸せだったの」
 答えてくれる者は誰もいない。しかし、死してなお笑うミーナの姿が、一つの答えであった。その様子からは、こんなことになっても、ミーナは幸せだったのかもしれないと、そんな希望を抱くことができた。
 パトラはミーナの死に涙の一滴も見せず、ミーナの両親に別れを告げた。別れる時ミーナの母は何度も礼を言って、ミーナの髪から取った赤いリボンを、王女様に持っていて欲しいと言って手渡してくれた。
外に出ると、ナイトメアが頭を低く下げて、陽光で輝く瞳でパトラを見つめていた。
 ―貴方も悲しんでいるのね。
 ナイトメアに向かって一歩進むごとに、パトラの中で何かが膨れ上がった。それは何歩も進まないうちに弾けて、心に悲痛な衝撃が走り、パトラはその場に座り込んだ。そして、ミーナの赤いリボンを額に当てて、堰を切ったように涙を流した。
「ミーナ、わたしに会いに来てくれたのに、何もしてあげられなかった、ごめんね、ごめんね」
 パトラは声を殺して体を震わせ泣き続けていた。ナイトメアは主に近づき、心配そうに様子を見ていた。そして風が吹いた。地上から空へ吹き上がるような風だった。
 ―パトラ様、ありがとうございました。
 突然、パトラの耳に声が聞こえた。まるで心へ直に語りかけるような、不思議な声だった。パトラがはっと見上げると、今まで見たこともない神秘的な光景を目にした。死んだはずのミーナが空にいて、パトラを見ている。生きているときと違うのは、背中に白い翼があることだった。ミーナは翼を羽ばたかせ、上へ上へと昇っていった。パトラはゆっくり立ち上がり、その姿を見送った。
 ―わたし幸せでした、パトラ様に会うことができて、本当に幸せでした。
 ミーナは青空に向かって飛んでいく。パトラの心から悲しみが嘘のように消えていた。これは幻なのかもしれない。しかし、パトラはそんなことは考えなかった。ただ、あるべき場所に帰っていくミーナの言葉を心に深く刻んだ。パトラという存在に触れることが、ミーナの幸せに直結していた。短く儚い人生だったが、ミーナは幸せだった。彼女は宿命という名の翼で大空を羽ばたいていた。
「きっと、また会えるわね」
 ミーナは青空の向こうに消えていった。パトラはまだ涙で濡れた顔に笑みを浮かべ、空を見上げていた。


18 :四季条 ユウ :2008/10/06(月) 23:44:11 ID:nmz3rDnm

六章 空舞、激闘

 パトラが城に帰ると、すぐに隊長が招集されて作戦会議が開かれた。パトラはミーナのことは一切表に出さず、いつものように冷静だった。会議室のテーブルにシアラル近辺の地図を広げ、パトラから作戦の説明がなされた。
「向こうから攻めてくるまで待ちましょう」
 パトラはシアラルからシャリアの方向に線を引いた。
「敵はこのルートから攻めてくると思うわ、敵が現れたら、念のため城に七百ほど騎士を残し、斬り込み隊と天弓騎士団は別動隊にして、残りは敵の正面から当たらせます」
 パトラは地図に敵と味方の布陣を書き込んでいった。
「斬り込み隊と天弓騎士団は、密かに敵の後ろに回りこみ、弓の攻撃で敵の混乱を誘い、攻撃が終了次第、天弓騎士団は離脱、そして斬り込み隊に突撃をかけてもらいます、斬り込み隊はパルテノに任せて、正面の部隊はわたしが指揮と取るわ」
 地図上のシアラル城から大回りに敵の後方まで矢印が引かれた。斬り込み隊と天弓騎士団の取るルートだった。
「作戦は以上です、貴方たちはこれを部下たちに伝えて、軍の隅々まで浸透させるように、かつ外部には漏れないように注意してちょうだい」
「それだけ?」
「そうよ」
 レインは意外とシンプルな作戦だなと思った。パトラのことだから、もっと飛躍した事をするかと思っていた。他の隊長たちも、同じようなことを感じていた。しかし、まったく単純という訳でもないし、成功すれば十分な効果は期待できる作戦だったので納得はした。
作戦の詳細は即座に伝えられ、その日のうちにすべての騎士に理解された。戦いの準備は全て整った。後は敵が来るのを待つだけだった。

 パトラは玉座に座り黙していた。部屋には誰も居ず、暗い森の仲に一人佇むような静さがあった。扉が開き、シェーレが入ってきた。両手に槍を持っている。彼女はパトラの前までいってそれを差し出した。
「ミーナの槍です」
 パトラは立ち上がり、槍を受け取って、隅々までよく見た。柄の中ほどに、ぎゅっと握りしめた血の跡があった。ミーナは激しい戦いの後、この槍を最後まで手放さずにシアラルまで戻ってきた。ミーナはまだ若かったが、誰にも負けない優秀な飛天騎士だった。パトラは目を閉じて血の跡に接吻をした。
「一緒に行きましょう、ミーナ」
 パトラの声には哀愁がこもっていたが、いつものように無感情な顔をしている。シェーレはその様子を見て、心配する必要はなさそうだと、心の中でほっと息をついた。

「グランドーの部隊は弓による攻撃で相当な被害を受けたらしい、高度は十分に取っていたにもかかわらずな」
 アルシャードは玉座に座り頬杖をついて、レイラの報告を聞いていた。
「それだけなら、飛距離の長い新型の弓でも開発したのだろうと思うのだが、おかしなことに、いくら逃げても矢が追ってきたそうだ」
「パトラめ、飛天騎士に弓を持たせたか」
 アルシャードが何気なく言うと、レイラは顔を強張らせた。
「まさか、天馬上で弓を扱うなど不可能なことだ」
「それ以外に考えようがなかろう、あいつがいかにもやりそうなことだ」
「そうだとすれば、これほど厄介なものもない」
「あいつは誰もが不可能と思うようなことを、当たり前のようにやる」
「・・・グランドーの部隊はほぼ全滅、弓隊など帰ってきたのは一人だ、シアラル軍の方は被害らしい被害もない」
 アルシャードは意にも介さぬように鼻で笑った。
「シアラルはパトラ一人の力によって鋼のような意思で結ばれている、レイザードは俺かお前が率いてようやく一端の軍隊だ、グランドーごときが勝てるはずもない」
「・・・しかし、パトラ王女がこれほどの才を持っていたとは、なぜ今まで誰も気付かなかったのだ」
「あいつは目立つのが嫌いなんだ、無駄に自分の才能をひけらかすことはしない、戦いによって前に出ざる得なくなったが故に、ようやくあれの才覚が露呈した、戦いがなければ民衆に受けがいいだけの王女に終始しただろうな」
アルシャードは不適な笑みを浮かべた。
「パトラの最も恐るべき才能は人間理解にある、パトラがシアラルの騎士たちを強固にまとめる力と、フェリシティが壊滅したローランを短期間で復興させた力は同一のものだ、シャリア血筋の者は生まれながらにして、人間を立たせ、強く結びつける力を持っている、それが俺の最も欲する力なのだ」
 アルシャードは真顔に戻ると言った。
「次はお前が行け、これ以上の敗戦は許されんぞ」
「御意」
 レイラはすぐに将軍たちを一箇所に集めた。シアラル攻略の作戦を立てるためだった。しかし、そこで攻略以前に解決しなければならない問題にぶつかった。十人近い将軍たちが長いテーブルを囲み、レイラもその中にいた。
「シアラルの攻略にあたって、何か意見はないか」
 その後、レイラは黙って様子を見ていた。すると将軍たちは、口々に好き勝手な事を言い始めた。女ばかりの軍になぜ負けるのか、負けた将軍共はだらしがない、負けた原因はきっと何か不運にあったに違いない、自分ならこんな負け方はしないなど、おおむねそんなような言葉が交わされた。レイラは将軍たちの余りの傲慢に、唖然とすると同時に怒りが込み上げた。
 ―これでは勝てぬはずだ。
 レイラは怒りに任せてテーブルを拳で叩いた。テーブルが震え、大きな音が部屋に響き、部屋は水を打ったように静まり返った。
「いい加減にしろお前たち! 目の前にある事実だけを見つめろ、我々は惨敗している、シアラル軍は恐ろしい敵だ、女子供などという観念は捨てろ!」
 生意気な女だ、という視線がレイラに注がれたが、言っていることは理に適っているので、異を唱える者はいなかった。レイラは話し合いを中断して、アルシャードのところに戻った。

「浮かない顔をしているな」
 レイラが入ってくると、アルシャードは玉座から少し身を乗り出して言った。
「申し訳ないが、まだまだ時間がかかりそうだ、まずは自軍に根を張る油断を取り除かなければならない、作戦を立てるのはそれからだな」
「古い道具では使い物にならんか」
 アルシャードは古参の将軍たちのことを言っていた。それに対してレイラは何も答えなかったが、表情には憂いの色が濃く出ていた。
「奴らはそろそろ退場願う頃だ、次の戦いまではせいぜい役に立ってもらうとしよう」
 アルシャードは玉座に体を預けると、レイラを突き刺すような視線で見た。レイラは無性に嫌な予感がした。
「お前のところに、レインの妹がいたな」
「それがどうかしたか・・・」
「そいつも参戦させろ」
「カレンは天馬躁術を教えただけで、戦う力はない」
「シアラルの一翼を鈍らせるだけで十分な戦力だ」
「カレンは軍人ではない、戦いに参加させることなど出来ない」
「俺の言うことに従え」
 有無を言わさない圧力のある声、無表情の中に寒気を催すほどの冷徹な感情があった。
「・・・わかった」
レイラは険しい顔をしながらも、承諾するしかなかった。アルシャードが、カレンに目をつけていたとは予想もしてなかった。野望の為に利用できるものは利用する、レイラの中に目の前の男が言った言葉が、頭痛を感じるほど嫌な響きとなって木霊していた。

 一ヶ月経ってもレイザード軍に動きはなかった。季節は夏の終わりにさしかかり、シアラルの人々は強い日差しの中で、戦争など忘れたように穏やかな営みを繰り返していた。だが街中には、戦争の起こした風が噂となって流れていた。
ローランはフェリシティを中心とする民衆たちの力で、完全な復興を遂げていた。その後フェリシティは逃げもせず、堂々とシャリアに帰還した。人々はフェリシティの戦う姿に感動して、誰もが真の勇者だと囁いた。それからレイザード軍は大敗続きでシアラルに負けるだろうという、人々の希望を形にした密かなる噂もあった。戦いが始まったとたんに類稀なる才能を発揮した、パトラ王女の武勇伝も枚挙に暇がなかった。そしてもう一つ、シアラルを中心に広まる妙な噂があった。
 ローランから帰ってからというもの、パトラは玉座に落ち着いていることが多かった。何が起きてもすぐに命令、対処できるようにという気配りである。
 レインは無言で扉を開けて入ってきた。パトラは玉座に座っていて、その近くにはパルテノが衛士のように立っている。レインがやってくると、パトラは普段のレインにはない暗いものを感じて立ち上がった。
「噂を聞いたのね」
 パトラは親友の瞳を真直ぐに見つめながら言った。レインは無言で頷いた。まるで病人のように疲れたような顔をしていて、悩みが深いことが一目で分かった。
「まあ、あんな噂、誰かの悪戯でしょ」
 今度レイザード軍に参戦するカレンという少女は、パトラ王女の側近、天剣士レインの妹らしい。それがレインを悩ませる噂だった。パルテノがレインを気の毒そうに見つめた。
「単なる噂にしては内容が明確すぎるわ、あなたを攻撃するために流された噂なのは間違いない、信憑性も高いと思うわ」
 レインは眉を寄せて、助言を求めるようにパトラを見た。パトラは黙っていて、言いたくない事をしばらく胸の内に押し止めていたが、やがて口を開いた。
「わたしもパルテノの言う通りだと思うわ、もしこの噂にアルシャードが関与しているとすれば、貴方の妹は間違いなく戦いに駆り出されるでしょう」
「ちくしょう、あの子は戦えないのに・・・」
 レインは両手を強く握り締め、怒りと悔しさに顔を歪めた。
「レイン、よく聞いて、次の戦いで貴方は遊撃隊に加わりなさい、戦いが始まったら妹の捜索を最優先して、見つけたらシアラルに向かわせるのよ」
「それじゃあ、軍がまとまらないじゃないか」
「それは何とかするわ、貴方は妹を探すことだけを考えるのよ」
「・・・ごめんよ、大切な時に役に立てなくって」
 レインは申し訳ない気持ちと悔しさで、黒い瞳を涙で濡らした。パトラは友を安心させるように微笑を作った。
「気にする必要はないわ、それらしい騎士を見つけたら、シアラルに連れて行くように、みんなにも伝えておきましょう」

 さらに半月が過ぎた。カレンに関する噂は飽くことなく流れ続け、そこには意図的なものがあると思わざるを得なかった。
 その頃になると、シャリアに潜む諜報員からレイザードに動きありとの報告が届けられた。レイザード軍はようやく兵を整え始めた。シアラルを攻めるのも時間の問題になった。パトラはここに来て、隊長たちを一室に集めた。
「諜報の便りが届くまでの時間差を考えれば、あと三日以内には攻めてくるわね」
 パトラはガラスのテーブルに地図を開いた。レイン、シェーレ、パルテノ、アルティナ、各部隊の隊長がパトラを中心にテーブルを囲んでいる。皆、パトラがいきなり地図など開くので、訝しい顔をしていた。それに拍車をかけるように、パトラは驚くべきことを言った。
「作戦を変更します」
 さらっと言われると、隊長たちは困惑して、もの問いたげな顔をした。パトラは全てを見越しているように先手を打った。
「まずは黙って聞いてほしいの」
「まあ、あんたがそう言うんなら何かあるんでしょ」
 レインの言うことに異論はなかった。四人の隊長は、期待半分、戸惑い半分で新たな作戦を聞いた。話が終わると、余りの大幅な作戦変更に皆開いた口が塞がらないような思いがした。それはすぐに軍全体に伝えられた。驚いたことに、急な作戦変更にもかかわらず、大した混乱もなく、砂が水を吸うように浸透した。シアラル軍の団結と統制がいかに優れているかが分かる。この早急な作戦変更は、シアラル軍だからこそ出来る荒技だった。


19 :四季条 ユウ :2008/10/06(月) 23:45:33 ID:nmz3rDnm

 レイラは竜兵二千五百を率いてシアラルに向かっていた。兵力はわざと少な目に抑えてある。シアラル軍と戦うには大部隊で当たるより、命令の伝達を早く、意思の疎通を取り易くする方がよいとレイラは判断した。今までのレイザード軍とは違い、将のレイラが一番前にいて、整然と陣形を組んでいる。何よりも目立つのが、最前列と最後尾に壁を作るように並んでいる、黒い重鎧を身にまとった竜騎兵だった。彼らは乗っている飛竜にまで前面を覆う白銀の鎧を着せていた。空の重騎士たちは、弓対策に編成された精鋭部隊である。進軍の足は多少鈍るが、ちょっとやそっとの攻撃ではびくともしない。さらに今までの軍とは決定的な違いがあった。レイラは徹底して部下たちの油断を排除した。レイラの思っていた通り、女性ばかりの軍隊に対する油断と観念は根深く、軍をまとめ上げるまでに今まで時間がかかった。
 カレンは幾つもある小隊の一つに配属されていた。右腕に赤いバンダナを巻いていて、それをレイザード兵であるという目印にしていた。彼女だけが純白の天馬(ペガサス)に乗り、周にいるのは全て翼竜兵か竜騎兵なので肩身が狭かった。その上、無理やり戦いに駆り出されたので、怖くて槍を持つ手が震えていた。レイラは、カレンを自分の手元に置こうとしたが、アルシャードの手が入って、強制的に前衛の部隊に配属されてしまった。
「おい、カレン」
 部隊の隊長が呼んだ。黒髪で浅黒い肌の男がカレンをいやらしい目つきで見ていた。カレンは怖がる子犬のように怯えていた。
「お前にいい事を教えてやる」
 男はカレンに近寄り、少女の香りを楽しむように顔を近づけ、耳元で囁いた。
「いいか、仲間のふりをしてシアラル軍に潜り込め、そして油断してる奴を後ろから殺るんだ、簡単だろう」
 男の粘るように生暖かい息が耳に触ったが、カレンにはそれに嫌味を感じているような余裕はなかった。男の言葉にショックを受けて、ただ恐ろしく、逃げ出してしまいたいという一心だった。
 ―姉さん、怖いよ。
 カレンは弱りきった心で呟き、姉の顔を思い浮かべた。この狂ってしまいそうな行軍を抜け出し、すぐにでも会いに行きたかった。

 敵影視認、レイザード軍がシアラルに近づきつつある。その報告を受けると、シアラル飛天騎士団は大空に舞い上がった。
大陸史上最も激しい戦いが、火蓋を切って落とそうとしていた。城下街の上に白い騎士の集団が、正方形の隊列を三段重ねにした立方体の陣を組み、人々が見上げる中、シャリアの方角に向かって出撃した。シアラル軍は先頭を行くパトラ、レインを始め、出来るだけ多くの聖天騎士を前衛に集めて壁を作った。白い壁のすぐ後方に、数十騎の天弓騎士が控え、さらにその後方に二千を越える飛天騎士が続く。
シアラル軍は街からある程度離れると、ほんの少し赤や黄が色づいてきた森の上で進軍の翼を止めた。ここでレイザード軍を迎え撃つ。間近に迫る戦いの暗雲とは裏腹に、天気は快晴、雲ひとつない初秋の青空が広がり、程好く肌に感じる風が緩やかに流れていた。
 パトラは敵が現れるまでじっと真直ぐ前を見据えていた。後ろから聞こえてくる多重の翼のざわめきが、緊張を高ぶらせる。すぐに黒い敵影が薄らと見えてきた。パトラは槍を構え、隣のレインも剣を抜いた。そして、天弓騎士たちが前に出てきた。天馬に跨る狩人たちは、腰に装備している弩を取って構えた。前からやってくる敵軍の姿が次第に近づいてくる。頃合の距離になるとパトラから命令が下された。
「撃て」
 一気に二十ほどの矢が放たれた。それらはレイザード軍の前面に飛び込んだ。しかし、矢は全て前列を守る重装備の竜騎兵に当たって弾かれた。天弓騎士たちは何度か矢を撃ったが、ほとんど効果はなかった。レイラは思った通りの展開に笑みが漏れた。
「撃ってきたか、しかし鉄(くろ)竜(がねり)騎兵(ゅうきへい)には矢など効かない、さあどうする」
 レイザード軍が迫ってきた。天弓騎士たちは後方に下がり、すぐに離脱した。白い防壁となっている聖天騎士たちが、黒い竜騎兵の軍団を迎え撃った。前線が衝突して、ついに戦いが始まった。両軍とも陣形を崩さずに、まずは前線に戦いを委ねた。
 レイザード軍は激しく攻撃しているのに対して、シアラル軍の方はまったく手を出していない。レイザード軍の攻撃が手厳しいのか、シアラル軍は防御に徹していた。しばらくすると、シアラル軍は逃げるように後退を始めた。
「逃がすものか」
 レイラは追撃命令を出してシアラル軍を追った。レイザード軍とシアラル軍との距離は常に一定で、逃走と追撃が緊張した状態で続けられた。シアラル軍の最後尾にいるパトラが振り返って後ろの様子を見ていた。
「ついて来ているわね」
 実は同じ頃に、城に残してきた飛天騎士七百騎が、シェーレに率いられて空へ出ていた。シアラル軍が逃げたのは、作戦を遂行するための陽動だった。ここから歯車が連動して回るような戦いが展開していく。
 レイラはひたすら逃げるシアラル軍に、違和感を覚え始めていた。
 ―おかしい、弓隊の攻撃が弾かれたとはいえ、こんな簡単に逃げるとは・・・。
 逃げる白い軍隊と、それを追う竜騎兵団、ついに地上を離れて、遥か下に青い雲の海が広がる空中に出た。大陸は後方へと離れていき、空中に浮く小さな島が幾つも見えるようになった。そこへ来てレイラの疑問はますます深まった。
 ―こんなはずはない、スパイからの情報では、シアラル軍は城近くの空域で陣形を敷き、後方から切り込み部隊と弓隊で攻撃を仕掛けてくるという話だった・・・これは不味いことになるかもしれない。
 レイラは直感的にそう感じた。
「全軍に伝えろ、我々は敵の罠に嵌められた可能性が高い、何が起きても落ち着いて対処するように」
 さすがに総司令官だけあり、この辺りの判断は的確だった。その命令が伝えられた頃、シアラル軍が止まって、再びレイザード軍と対峙した。
パトラがミーナの槍を、天を突くように掲げた。漆黒の聖天馬(グラーニ)に乗る少女の姿は荘厳で、太陽の光を身に受ける様は近寄り難い芸術品のようだった。槍が真直ぐ前に向けられたとき、数々の宿命が動き出した。
「突撃」
 二千騎を越える白い集団が一気に前進して、レイザード軍にぶち当たった。最前線の聖天騎士たちは、重厚で恐ろしげな鉄竜騎兵に、勇敢に立ち向かった。さらに、シアラル軍の突撃と同時に、近くの浮島の森から、パルテノの率いる斬り込み隊が次々と飛び出し、レイザード軍の左側面から襲い掛かった。それに少し遅れて、城から大回りしてきたシェーレ率いる飛天騎士七百が敵軍の右側面から突っ込んできて、レイザード軍は三方向から挟撃を受けることになった。
「やってくれるなパトラ王女」
 レイラは自軍に走る伝令を聞くと言った。しかし、まだ終わりではなかった。
どこからともなくアルティナ率いる天弓騎士団がやってきて、彼女らはレイザード軍の真下に回り込んで矢を撃った。下から飛んで来る矢に、竜兵が次々と落とされていった。最初、レイザード軍に矢を撃った天弓騎士たちは目くらましにすぎず、主力は別の場所に待機していたのだ。今回の作戦で、天弓騎士団は敵を混乱に導けばよかったので、ある程度攻撃をすると、すぐに戦線を撤退した。アルティナだけは戦場に残って戦った。
 シアラル軍の作戦は成功したが、レイラがぎりぎりで罠の匂いに気づいたおかげで、レイザード軍は心構えが出来ていて激しく抵抗した。双方とも陣形は崩れ、敵味方入り乱れての乱戦になった。

「よし、カレン、シアラル軍に潜り込んで、さっき言った通りにするんだ」
 戦いの喧騒が起き始めた頃、カレンの部隊長が言った。カレンは怯えて凍ったように固まっていた。
「なに、心配するな、お前が敵だなんて誰も思わねえよ」
 カレンは槍を両手で握り締めたまま動かなかった。戦おうという意思ではない。それは不安に駆られた幼子が、ぬいぐるみを抱きしめるような行為と似ていた。
「ぐずぐずするな! 早く行け!」
 カレンはびくっと体を震わせて、怒鳴り声に追い立てられるように天馬を進めた。戦場の恐ろしさと、隊長にいきなり怒鳴られた事もあり、すでに半泣きしていて、心理的には戦火の中を逃げ惑う民衆と何ら変わりがない。それでも行くしかなかった。誰も助けてはくれない。この広い戦闘空域で、姉に出会うことだけが、唯一の希望だった。
「隊長、いいんですかい、行かせちまって」
「かまわねえさ、だいたいあんなガキの面倒なんて見てられるか、こっちだって戦わなきゃならねえんだ、まあ運がありゃあ戻ってくるだろ」
 小隊長は離れていく天馬と少女の姿を見ていた。
―ありゃあ死ぬな、どう考えても生き残れるはずがねぇ。
と心の中で残酷な呪詛を呟いた。

 鉄竜騎兵の存在に阻まれて、斬り込み隊は思うように動くことが出来なかった。
「一点集中攻撃で穴を開ける!」
 斬り込み隊を率いるパルテノが言うなり、間近に迫っていた黒い竜騎兵が二騎襲ってきた。パルテノは自分からそれに向かっていった。竜騎兵が槍を真上から振り下ろしてきた。パルテノの聖天馬が右に動き、それをすれすれで避けた。敵の厚い鎧の隙間を狙う、閃光のような突き。穂先が敵の首の付け根に突き刺さり、一人は鎧の間から血を吹きながら絶命した。続いてもう一人が正面から突っ込んできて、槍で突いてきたが、パルテノは卓越した天馬捌きで攻撃をかわすと、瞬時に敵の後ろに回り込んだ。竜騎兵は慌てて向きを変えようと手綱を引いたが、同時に後ろから頸部を貫かれていた。鉄竜騎兵、防御は固いがその分動きは鈍い。黒い鎧に身を固めた騎士は、パルテノが槍を引き抜くと、前に倒れ伏してから滑り落ちた。青い雲の広がる海に向かって、黒い塊が小さくなっていく。
パルテノは壁のごとく並ぶ鉄竜騎兵に突攻をかけ、次々と打ち倒して穴を開けた。そうなると斬り込み隊の乙女たちも俄然燃えた。斬り込み隊は壁を越えて敵軍の内部に侵入すると、勢いに乗って敵を討ち、混乱させた。
 斬り込み隊の猛威は、素早くレイラに報告された。今までのレイザード軍と違って、命令や報告の伝達が格段に早くなっている。
「斬り込み隊は翼竜兵では太刀打ちできん、竜騎兵をいくらか応援に向かわせよう、わたしも行く」
 レイラは竜騎兵を百騎ほど連れて応援に向かった。
斬り込み隊は、まだそれほど深く敵の懐に入り込んではいなかった。前線の兵が必死の応戦で何とか食い止めていた。そこへレイラが率いる竜騎兵隊が駆けつけた。心強い味方の登場により、レイザード兵の士気は上がった。
「思ったより戦況は悪くないな、踏ん張ってくれて助かった」
 レイラは周りの状況をざっと見た。外壁を作っていた鉄竜騎兵たちは散々になって戦っていた。
「よし、お前たちは斬り込み隊を食い止めろ、勝つことは考えるな、防御に徹してこれ以上進ませないようにすればいい」
 百騎の竜騎兵は、次々兵を突き倒している斬り込み隊に向かい、前方に障害物のように立ちはだかった。斬り込み隊の勢いが一気に削がれた。先頭で戦っていたパルテノは戦況を覆されて舌打ちをした。
「対応が素早いわね」
 パルテノはぐっと吸い寄せられるような引力を感じた。何か大きな力が働いていると思った。敵軍を注意深く見ていると、鉄竜騎兵を拾い集めている女の竜騎兵を見つけた。乗っている飛竜が鮮やかな緑色なので目立っている。
「あれが原因ね」
 レイラは散っていた鉄竜騎兵を集めると、斬り込み隊を足止めしている竜騎兵団に投入した。その直後に殺気にも似た、ちくっとするような視線を感じた。後ろを振り向くと同時に槍を構えると、視線の先に純白の聖天馬に跨る、金髪に青い瞳の女がいた。
「緑(りょく)竜将(りゅうしょう)レイラ殿とお見受けしたが」
「お前は?」
「わたしはパルテノ、シアラル軍の隊長を務めている」
「聞かぬ名だな」
「わたしは裏方が好きなものでね、滅多に表には出ないの」
 パルテノは槍の穂先をレイラに向けた。
「相手になりましょうか」
「いいだろう」
 パルテノは気合一声と共に突っ込んだ。レイラはそれを受け止め、二人は槍を交差させて睨み合う。さすがに力比べでは飛竜に乗るレイラの方が上だった。飛竜の翼が羽ばたく度に、パルテノは徐々に押されていく。不利を悟ったパルテノは、一旦離れて突きの連撃を見舞った。レイラはそれを避け、または槍で攻撃を打ち落とし、隙を見て反撃に転じた。パルテノの方も、レイラの槍を避けたり弾いたりして、双方ともまったく攻撃を受けず、一歩も譲らない戦いだった。傍から見ていると、まるで飛竜と聖天馬が華麗に舞っているようで、周りにいる敵味方は両将の戦いに魅入った。パルテノが何度目か突いた時、レイラは真直ぐ向かってくる槍を払いのけ、ばっと飛竜の翼を広げると、いくらか下がって距離を開けた。
「いい腕をしているな、これでは埒が明かない」
 レイラは近くにいた竜騎兵の一人を見ると、その男は何か命令でも受けたように頷いた。
「防御の体制は整った、引かせてもらう」
 レイラはパルテノに背を向けると、通常の飛竜にはない速さで飛び、奔走する竜兵達の中に消えていった。
「戦略的撤退かしらね」
 それから、斬り込み隊と竜騎兵隊の押し合いが再び開始された。パルテノはそれにも気づかないように、まだレイラの去った方を見ている。
「・・・噂に違わぬ見事な騎士だったわ」

 レインは妹カレンを捜し求めて戦場を駆け巡った。しかし、戦闘の繰り広げられる広大な空域、そう簡単に見つけられるはずもなかった。辺りからは鬨の声や悲鳴が起こり、天馬や翼竜が、乙女や男たちが、討ち討たれて、青い雲の海へと落ちていく。今回は激戦で、シアラル軍も無傷というわけにはいかない。大陸を包み込む青い雲は、討たれた者が最後に行き着く地獄だった。
 味方を支援しつつ空を走るレイン、その耳に助けを求める声が聞こえた。
「きゃ〜っ、誰か助けて〜」
 あまり緊迫の感じられない、間延びした少女の声だった。見れば、背中に弓を携えた聖天騎士が、三人の翼竜兵に追いかけられている。
「おいおい、何やってるんだ・・・」
 レインは馬首を巡らせて方向を変えると、剣を構えて助けを求める少女に向かった。レインと少女は正面から鉢合わせする形になり、少女と聖天馬がレインの横を通り過ぎ、続いてレイザード兵三人が通り過ぎた。レインは通り抜け様に、先頭にいた翼竜兵の胴を切裂き、その刹那に方向転換、最も後方を飛んでいた翼竜兵の後ろに回り込み、右肩から左下の腰にかけて、背中に白刃を走らせた。レインの太刀筋は鎌鼬のように鋭く早い。斬られた二人は、声を上げることなく絶命して宙に投げ出された。残った一人は何が起きたのか分からず、獲物を追いかけるのも忘れて、落ちていく仲間に目を見張る。いきなり目前に黒い制服の少女剣士が現れて、えっと思った時には一閃、袈裟斬りにされていた。最後の男は内臓までばっさり絶たれて、ほとんど即死のような状態だった。
三人目が落ちると、追われていた少女はほっと一息ついて、レインに近づいてきた。
「助かったわ」
 少女の正体はアルティナだった。
「あんた、まだいたの、弓使いは接近戦じゃあ役に立たないんだから、早く戦線離脱しなさいよ」
「そんなことないわ、意外と戦えるのよ」
 アルティナは腰の辺りに付けている小型の弩を掴んで、肩に立て掛けるようにした。
「接近戦ではこれを使って、敵から離れたら背中の弓を使うのよ」
「器用な戦い方するね、でもさっきみたいに近づかれたら終わりじゃないか」
「その時はひたすら逃げるのよ、そして離れたら矢を撃つ、こっちは聖天馬だから飛竜に追いつかれることはないの」
「随分、消極的だな・・・」
 レインが呆れ顔で言った。するとそれに怒ったかのように、アルティナの顔が険しくなり、いきなり弩を構えて狙いをつけた。レインが弓を向けられてぎょっとした瞬間、引き金が引かれて、矢はレインの頬に気配を残すほど近くを通り、後ろから呻き声が上がる。レインが振り向くと、密かに後ろから迫っていた敵兵が、矢で喉を抜かれて倒れるところだった。
「わたしは狩人ですから、こんな戦い方しかできないの」
 レインがその声の主に向き直ると、後ろで敵が翼竜からずり落ちる気配がした。
「なるほど、心配なさそうね」
「ええ、それよりも、妹さん早く見つかるといいわね、応援してるわ」
「軽く言ってくれるねぇ、こっちは気が気じゃないよ」
 それじゃ、と言ってレインはアルティナから離れていった。アルティナはその場で止まり、暢気に手などを振っていた。それはレインの姿が、アルティナの視界から消えるまで続けられた。少女たちは、それぞれの戦いへと身を投じていく。

 戦いの渦巻く空を、カレンはおろおろと逃げ惑う。爽やかな風と透き通るような青い空が、周りで起こる戦いをより鮮明に際立たせて、恐怖心を煽った。すぐ近くで二騎の飛天騎士と一騎の翼竜兵がやりあっている。お互いの声が響く、激しい動きで天馬の白い羽毛が舞った。そのうちに翼竜兵が剣で斬られ、槍で貫かれて、苦悶の声と共に鮮血が飛び散る。カレンはそれを見ると、両手で口を押さえて悲鳴を押し止め、血の匂いと断末魔の叫びから逃げ出した。そこかしこで敵味方が激しく打ち合い、カレンはそんな場面に出会う度に逃げる事を繰り返した。その姿はまるで雑踏に翻弄される迷子のようだった。
 逃げていくうちに、カレンは自分がどこにいるのか分からなくなっていた。天馬に乗っているのでシアラル軍から攻撃を受けることはなく、腕に巻いた赤いリボンのおかげで、レイザード兵に襲われることもなかった。何もされないだけに、戦いの空気を嫌というほど感じることができる。まるで四方から押し潰されるような重い空気、それに加わる怒号や悲鳴の数々、体は震え、気が狂ってしまいそうだった。
カレンが戦いの中で立ち止まり、どうしたらいいのか分からず、無闇に辺りを見回した。そこへ後ろから何かがやってきた。それはカレンを追い抜き、その瞬間に髪を乱す風圧が起こり、カレンは片腕で目を覆った。気づいたときには、漆黒の聖天馬が黒い翼を広げ、前方へ小さく離れていく姿が見えた。
「あれが、黒い翼のパトラ様・・・」
 今となっては、レイザード兵が最も恐れを成して戦いを避ける暗黒の騎士だった。
―わたしがレイザードの兵だとあの方にばれたら・・・。
そう思うと恐ろしさでカレンの心臓が鼓動を早くした。出来るだけ離れよう、そう思ったとき、カレンを戦慄させることが起こった。何とか聖天馬の姿形が見えるくらいまで遠ざかったパトラが、突然止まってカレンの方を向いたのだ。
「逃げなきゃ・・・」
 カレンは無意識に言っていた。黒い聖天騎士の姿は見る間に大きくなってくる。カレンは逃げたくても体が言う事を聞かない。逃げられない、そう本能が告げていた。黒い姿が目前まできた。カレンはパトラの姿を初めて見ることになった。自分よりもいくらか年上の凛々しい少女、黒に近い深みのある茶髪、鷹のように鋭い光を宿す鳶色の瞳、跨る漆黒の聖天馬は黒く巨大な翼を規則的に動かし、その額から伸びる鋭く尖った角は陽光に当てられて、磨き上げた黒曜石のように輝いている。
パトラから感じるある種の冷たさと何者をも凌駕する王者の意思が、圧倒的な力となってカレンをやり込めた。穏やかなはずの風が、木枯らしのように肌に鋭く冷たく突き刺さる。
「貴方はシアラルの飛天騎士ではないわね」
 見た目よりもずっと大人びた声がカレンの耳に届く。どうして分かったのか、パトラはそう切り出した。カレンは驚愕で瞳を大きく開き、歯を鳴らすほど体を震わせた。
「こ、殺さないで・・・」
カレンは泣きそうにぶれる声でこれだけ言うのが精一杯だった。パトラは少し目を細めて不可解な顔になった。
「もしかして、貴方は」
 パトラは言葉を途中で止めて、真上を見た。叫号が聞こえた。パトラを狙って一騎の翼竜兵が槍の先を真下に突き立てるようにして降りてくる。黒い翼を数回羽ばたかせ、パトラは後ろに飛び退くと、敵が目の前を通り過ぎていく。その翼竜兵は下方で弓なりの軌道を描いて上昇し、再びパトラに向かった。パトラの風に当てられて、金縛り状態になっていたカレンは、その機会に逃げ出した。
「待って!」
 パトラは呼び止めたが、逃げることに必死のカレンには聞こえなかった。それを追う暇も与えられず敵が襲ってきた。真下から突き出された槍に対して、パトラは真上に逃げる。ナイトメアは急上昇して、届きそうになっていた槍の穂先が遠のいた。敵は執拗に追ってきた。今度は逆に、敵に向かって突進するパトラ、瞬間に敵の眼前へ下降して、敵の周囲を縫うように半円を描いて翼竜の下側に回り込んだ。パトラは翼竜の腹部に槍を突き刺し、貫通した穂先は乗っていた敵兵の太腿まで届く。敵が苦痛に喚き、虫の息になった翼竜は羽ばたくのを止めた。翼竜と一緒に落ちていく男は、ナイトメアの足でも掴もうとしたのか、右手をいっぱいに伸ばしたまま徐々に下降していく。
それで終わりではなかった。新たな敵が正面から突っ込んでくる。パトラはわずかに左に動き、敵が槍を突くのと同時に自分も動いた。レイザード兵とパトラの槍が交差して、前者の槍はパトラの右腕をかすめ、後者の槍は目標の首を貫いた。敵は首の風穴から、軽く開けた蛇口のように大量の血を流しながら後ろに倒れて落ちた。
パトラが先ほどまで目の前にいた少女の姿を探したときには、もうどこかへ消えてしまっていた。
 ―あれがカレンだわ、間違いない。
 敵はまるでカレンを守るように襲ってきた。それがパトラに確信を与えた。しかし、真実がわかったところで、探すには乱雑とした戦場である。今のパトラには、無事にレインに会えるように、祈ってやることしか出来なかった。

 カレンは我を忘れて、一心不乱に逃げていた。パトラが自らを心配してくれているなどとは夢にも思っていない。辺りを包んでいるはずの戦いの音なども耳に入らないほどだった。天馬の翼は激しい羽ばたきを繰り返し、白い羽根を時々通り過ぎた空に残した。気づいた時には、前線からかなり離れたところまで逃げていた。カレンは黒い翼の脅威から解放されて、ほっとしながら辺りの状況を確認した。カレンの視線が釘付けになる。四人のレイザード兵に、飛天騎士の少女が囲まれていた。カレンは反射的に逃げようとして顔を背けたが、見えない力で引っ張られるように心が吸い寄せられた。恐れながらも近づいていくと、カレンの所属する隊だと知った。それに囲まれている飛天騎士はフィアーナだった。フィアーナは、自分の敵を強気に見据えているが、武器をなくしていて、槍で突かれたのか、左肩の辺りから血が広がっていた。流血は肩から左腕を伝い、肘の辺りまで届きつつある。翼竜兵の一人がカレンの姿に気付いて手招きをした。その男はカレンがやってくると言った。
「丁度いいところに来たな、お前に殺らせてやる」
 カレンは男が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。
「分かんねえのか、そいつを殺せって言ってるんだ」
 言ったのは隊長だった。カレンはようやく意味を悟り、恐れおののいた。彼らが平然と言うことが、恐ろしくてたまらない。体が震えだして止まらなくなった。
「安心しろよ、そいつは武器を持っていない、今なら簡単に殺れるぜ、その槍で胸を一突きすればいいんだ」
 カレンの震える理由を見当違いに解釈した隊長が言った。フィアーナはカレンのことを一瞬驚いたような目で見て、それから寂しそうに表情が沈んだ。
「あなたはレイザードの騎士なのね・・・」
 フィアーナの青い瞳に打たれ、カレンは心が締めつけられるように苦しくなった。フィアーナは目を閉じて言った。
「いいわ、やって」
 カレンは衝撃を受けた。自分と同い年くらいの少女が、殺してくれと言ったのだ。その姿は威風堂々としていて、まさに真の騎士だった。見た目だけならば、死ぬことに怖さを感じていないように見える。仲間たちは、それをバカにするように、薄笑いを浮かべて見ている。カレンは胸に抱くようにして後生大事に持っていた槍を、ぎゅっと両手で握った。
「苦しまないように、一思いにやってやれよ」
 やる気を見せるカレンに、仲間の一人が言って、それから覚悟を決める少女を見た。全員の注意がフィアーナ一人に注がれていた。カレンは槍を肩上から真直ぐ突き出るように構えた。どうしてそんなことをしたのか分からなかった。カレンの奥底で自分の声が響いてきたのだ、あの勇気ある騎士を、死を恐れない少女を助けたい!
「うわあああぁーーーっ@」
 絶叫が起こる、カレンは狙いを定めると、怖いものから目を背けるように両目を固く閉じ、天馬と一緒に思い切って突撃した。力いっぱい槍を突き下ろすと、空に響き渡る悲鳴と共に、重なり合う軟い肉と硬い骨を貫く異様な感触が槍を通して伝わった。カレンはすぐに槍を手放して離れ、そして目を開けた。かつて隊長だった男が、背中から槍の柄を突き出して、無残な姿を晒していた。レイザード兵たちは何が起こったのか理解できず、胸から槍の穂先を突き出す隊長とカレンを交互に見た。刺された隊長は、ゆっくりカレンの方に首を回した。
「お、おお、お前えぇっ・・・」
 男は虫の鳴くような声で言った後、嘔吐するように血を吐き出し、目に白い幕が張って、落下と共に青い空の海に向かった。
「てめえ!」
 残った三人は怒号と一緒にカレンを睨んだ。カレンは人を手にかけた恐怖と、男たちの放つ怒気で、見えない力で押えられるように動けなくなっている。
その時、戦いの風が変わった。カレンを襲おうとした翼竜兵の一人が、いきなり衝撃を受けてバランスを崩した。焦る男の視界の隅に、白い姿がちらりと映った。レイザード兵の注意から解かれたフィアーナが、天馬で体当たりを食らわしたのだ。男たちの注意が再びフィアーナに戻る。
「このおっ!」
フィアーナは別の一人に向かって、さらに突撃をかけた。狙われた翼竜兵は応戦する間もなくぶちかましを受けて、翼竜の甲高い叫びと一緒に激しくよろめく。フィアーナの懸命に奮闘する様子を、カレンは呆然と見ていた。
「このガキ!」
一人体当たりを受けなかった翼竜兵が、剣を真上に振り上げ、フィアーナに斬りかかろうとした。その瞬間、翼竜兵の横を白い影が通り過ぎた。すると、フィアーナを襲おうとしていた輩の首が、後ろから前にかけて半周分ほど割れて、傷から血が勢いよく飛び散り、横から吹き出る赤い噴水と化した。斬られた男は口を大きく開け、かっと目を見開いたまま横に倒れて落ちた。ようやく体勢を立て直した翼竜兵二人は、口を半開きにした間抜けな顔で、いきなり飛来してきた騎士を見た。彼女は聖天馬に乗り、特異な形の剣を横一文字に構えていた。レインである。
「姉さん!」
 カレンの希望に満ちた声は、残る二人のレイザード兵を驚愕させた。彼らは黒い翼の片腕、天剣士と相対することになってしまった。レインは逃げる間も与えず、敵の頭上に飛び上がった。そして真直ぐ急降下、運悪く狙われた翼竜兵の片割れは、ひぃという声を出して、攻撃を防ぐように反射的に槍の柄を頭上にかざした。その行為に意味はなかった。敵はレインの剣に槍ごと脳天から顎先まで断たれて即死した。
「ぬああぁっ@」
 突然、最後に残った敵兵が狂ったように叫んだ。そして獲物に向かって斬りかかる。獲物の名はカレン、苦し紛れの抵抗だった。
「やめろーっ!」
 レインが叫びながら妹を助けに向かった。しかし、敵との間には絶望という名の距離があった。予想外の展開にフィアーナも動くことができない。敵の怒りと狂気に満ちた顔は、まるで仁王のように歪んでいた。それがカレンの前で剣を振り上げる。カレンは時が止まったように動かない。ただ、残酷な虐待を受ける子猫のように縮こまっている。剣がカレンに振り下ろされんとしたとき、空気が唸った。それはカレンの頭上を通り、狂った男の眉間に深々と突き刺さった。男の動きは中途半端な状態で止まり、数秒後に剣を握ったまま前に倒れた。それとほぼ同時にレインが飛び込んできた。レインは妹の無事を確認すると、突然倒れた男を見た。翼竜の背中で前のめりになっていたので、眉間に刺さった矢は見えなかった。
「レイ〜ン」
 遠い声が聞こえた。声のした方でアルティナが手を振っている姿が見えた。何がどうなったのか理解したレインは、これ以上ない感謝を込めて手を大きく振り返した。
「ありがと!」
 レインに気づいてもらえると、アルティナは白い翼を広げて去っていった。レインは今なお怯えるカレンを見て、心の底から湧き出すような深い溜息をついた。
「見つけることが出来てよかったよ」
 カレンは混乱していた。自分が人を手にかけたこと、目の前でいきなり人が死んだこと、自らがもう少しで殺されるところだったこと、それらの恐怖が一群を成して、目の前にある歓喜を遥かに凌駕する力でカレンを苛んだ。
「どうしたの? もう大丈夫だから、ね」
 レインが近づいて、震えている妹の頭をなでた。それでカレンを縛る恐怖の鎖が解かれて、姉が目の前にいる安心感と喜びが溢れた。それらの感情が大きくなるにつれて、カレンの顔が歪み、茶色の瞳から涙が溢れた。
「こわかったよぉ〜っ」
「よしよし」
 カレンは小さな子供のように泣きじゃくった。レインは幼子をあやすように、妹の頭や背中をなでていた。
「その子がレイン隊長の妹だったんですね」
「そうよ、ってあんた怪我してるじゃない!」
 レインはやっとフィアーナの姿に気づいた。今まで気づいてもらえなかったフィアーナは少し苦々しい顔をした。
「隊長の妹に、危ないところを助けてもらいました」
「そうだったのか、あんた頑張ったんだね」
 褒められた当人は、応ずる余裕もなく、手の甲で濡れた瞳を擦るばかりである。
「パートナーのセリリはどうしたのよ?」
「それが、途中ではぐれてしまって・・・」
 フィアーナは顔に深い憂いを刻んだ。一度はぐれてしまえば、この乱戦で探し出すのは難しいだろう。
「その怪我じゃ、もう戦いは無理だ、あんたはこの子を連れてシアラルまで帰るんだ、わたしが安全なところまで送る」
 フィアーナは頷き、レインは二人を連れてシアラル方面へ向かった。戦場に放たれた無垢な雛鳥、姉に手を差し伸べられて、カレンはようやく事なきを得ることが出来た。


20 :四季条 ユウ :2008/10/15(水) 19:19:57 ID:nmz3rDnm

 戦場を駆け巡る獣、戦争と言う名の怪物をパトラは見ていた。前線においても、黒い翼を狙おうという敵は滅多にいなかった。それゆえに、パトラは戦場を垣間見ることができる。遠くに見える、ペガサスと共に落ちてゆく乙女、もう助けに向かっても間に合わない。ゆっくりと、まるで息絶えた揚羽蝶のように、ゆっくりと落ちていく。
パトラの近くを、すでに主を失った天馬が通り過ぎた。これからどこへ行くのだろうか、白い翼を羽ばたかせる後姿が寂しげだった。野良になってしまった天馬は、もういくつも見ていた。
ふと視線を巡らせれば、天馬に跨ったまま、槍が背中に突きたてられた乙女が目に入る。もうすでに息はなく、天馬の首に縋るようにして死んでいた。
今までの常勝では味わえなかった戦いの重みが、否応なしにパトラを攻め立てた。
 ―1人でも多くの仲間を助けなければ。
 パトラはそれだけを考えて、次々と押し寄せる業苦の波をはねつけた。彼女は黒い風となって天駆ける。前線で苦戦している仲間を助けていくが、間に合わないこともあった。
 一騎の聖天騎士が竜騎兵と戦い、劣勢を強いられていた。パトラはそれを見つけて助けに向かったが、一対一で戦っている聖天騎士の後ろから、別の竜騎兵が近づいてくる。パトラは険しい顔になり、ナイトメアに手綱で鞭を入れた。
―死なせるものですか!
 パトラの必死の思いはナイトメアにも伝わり、これ以上ない速さで飛んだ。しかし、それも虚しい行為に終わった。後ろから来た竜騎兵の槍が、目の前の敵と必死に戦っていた聖天騎士の乙女を貫いた。耳を劈くような女の悲鳴が上がる。槍は背中から腹部に抜けて、女は自身を突き抜ける赤く染まった鋭い穂先を、苦痛に歪んだ瞳で見た。さらに今まで戦っていた目前の竜騎兵が槍を突き立てた。それは女の胸を貫き、彼女はううっという呻き声を出した。二つの槍は同時に引き抜かれ、女は聖天馬の首にもたれた。
すぐ側まで来ていたパトラは、竜騎兵たちの残酷な仕打ちに、ぐわっと怒りが燃え上がった。ようやく獲物を仕留めた竜騎兵の真上を、黒い影が覆った。見上げると、黒い聖天馬に乗る少女が、両手で槍の柄を握り締める姿があった。戦慄が走る、パトラは急降下して、薪に斧を入れるように、力いっぱい槍を突き下した。血の霧が舞い、それがパトラにも降りかかった。槍は竜騎兵の右目に深く突き刺さり、脳髄まで破壊した。聖天騎士の胸を刺した竜騎兵は、わずかな時間だが苦しみ抜いて絶命した。
「貴様っ!」
 もう一人の竜騎兵が、槍を前に出したまま、パトラに突っ込んできた。パトラはやって下さいと言わんばかりに止まっていたが、竜騎兵の槍が届く直前で右に飛び、攻撃をかわされた竜騎兵が慌てて方向転換している間に、真横から強襲して槍で首を貫いた。聖天騎士を後ろか襲った卑怯者は、舌出し、目を大きく開いたまま青い地獄へ落ちる。パトラはすぐに瀕死の仲間に近寄った。
「しっかりして」
 馬上の女は、顔だけを上げてパトラを見た。歳は二十そこそこ、肩上までの金髪を持っていた。傷口から溢れ出る血で体は真っ赤に染まっている。彼女はパトラの姿を見ると笑った。
「パトラ・様・・・」
 声に出すことが出来たのはそれだけだった。女は右手が鉛にでもなったように、酷く鈍い動作で上げていく。パトラは血染めの右手を、両手で包むように掴んだ。女は苦しいはずなのに、終始柔らかな笑みを浮かべ、青い瞳でパトラに何かを語りかけていた。彼女は聖天馬の首に再びもたれると息を引き取った。
「ああっ・・・」
 パトラは大空に助けを求めるように上を仰いだ。まだこれからだというのに、光ある未来を戦争という魔物に狩り取られた美麗の騎士が、心をえぐるような悲しみを突きつけた。パトラは悲しみを吹っ切るように激しく頭を振り、死んだ女の乗る聖天馬に言った。
「お前、ご主人様をシアラルまで連れて行っておやり」
 聖天馬は冷たくなった主を乗せて、パトラの言うことに従うように、シアラルの方向へ翼を進めた。
 ―これは戦争、人が死ぬのを一々気にしていてはっ!
 パトラは自らの精神を無理に鼓舞して空を駆ける。もう何も考えず、ただ敵を探し求めた。レイザードの翼竜兵が視界に入ると、パトラは呪文のような言葉を紡いだ。
「如何様な事があろうとも、殺める者、地獄へ落ちるなり、人の命を奪うこと、最も深き業なり」
 敵の翼竜兵は、後ろから迫る黒い翼に気づくと、慌てて鞭を入れて逃げ出した。恐らく大陸で最も早いであろう聖天馬から逃げ切れるはずもなく、瞬きする間に追いつかれてしまった。
「うわあああっ@」
 漆黒の聖天騎士が間近になると、懸命に逃げる男は、余りの恐怖に叫んだ。パトラは男の恐怖などまるで感じていないように、冷たく固まった表情をしていて、男の背中に槍を突き立てた。空気を震わす苦痛の乗った悲鳴、心臓を狙っていた槍は、少し下にずれて肺を潰していた。パトラにしては珍しく仕損じた。
「助けてっ! お母さん! 痛い、痛いよ! お母さん、助けて、助けてくれよぉっ!」
 まだ息のある男は、命の続く限り叫んだ。余りある苦痛を訴える叫びでもあり、愛する者に助けを求める叫びでもあった。それがパトラに凄まじい衝撃を与える。心を落ち着ける暗殺者の呪文など、いとも簡単に打ち砕かれた。パトラは槍を慌てて引き抜き、男の前に回った。翼竜に乗っていたのは、歳はパトラとさほど変わらぬ少年だった。少年は胸にあいた穴を両手で押さえ、激しく咽て血を吐き出す。パトラは何をする訳でもなく、ただ呆然と少年のことを見ていた。
「母さん、会いたい・・・」
 少年の体から力が抜けて、体が前に伏せた。パトラは動かなくなった少年を見つつ、目を細めて一筋の涙を零した。
 ―これが戦争、敵も味方も同じ、あらゆる命が魔物に食い尽くされ、消えていく・・・。
 パトラは飛んだ。ナイトメアは出しうる限りの速さで宙を走った。
 ―戦争よ、この世界で最も恐ろしい魔物よ、もう止めて、これ以上わしたちを苦しめないで、お願いだからどこかへ消えて!
 パトラは心で戦争を罵りつつも、しっかり助けが必要な仲間を探していた。敵がやってくる限りは戦うしかないのだ。
「きゃーーーっ@」
 突然、上から悲鳴が起こった。パトラが見上げると、少女が天馬に跨ったまま落ちて来た。少女は傷ついていないが、天馬の方が何かで首を貫かれていて、もう飛ぶ力がない。少女と天馬はパトラのすぐ近くを過ぎった。
「ナイトメア!」
 パトラが叫ぶと、ナイトメアは全てを理解して落下していく少女を追った。頭を下に広がる青い雲海に向けて、ほとんど垂直に飛んで下降した。凄まじい速さで、垂直に近い角度にも関わらず、パトラの茶髪と背中の黒いマントは後ろに流れた。落ちていく少女にぐんぐん追いつき、パトラは右手を伸ばした。
「つかまりなさい!」
 少女も手を出した。二人は懸命に腕を伸ばす。もう少しで互いの手が触れ合おうというとき、少女の落下する早さがナイトメアの速力を上回り、近づいた二人の手が少しずつ離れていく。
 ―もう誰も死なせたくない!
 パトラは必死の思いで手を伸ばした。少女の姿が離れていこうとも、決して諦めなかった。その気持ちが伝わるかのように、白い翼が開いた。少女の乗っている瀕死の天馬が、最後の力で何度か羽ばたいた。ナイトメアが一気に追いつき、パトラは少女の腕をつかんで力いっぱい引き上げた。主を失った天馬は、力尽きて錐揉みに雲海へと落ちていく。少女は漆黒の背中から、大切な友の最後を見下ろしていた。
「ありがとう・・・」
 少女は涙ぐんでいた。それから首を捻って真後ろのパトラを見た。
「ありがとうございます、パトラ様に助けて頂けるなんて思いませんでした」
「助けるに決まっているわ、仲間だもの」
 少女はまだ十二か十三くらいにしか見えなかった。ショートの銀髪に、くりっとした銀色の瞳、小動物のような可愛らしさを感じる少女だった。
「名前は?」
「ララシルです」
「しっかりつかまっていなさいララシル、このまま戦うわよ」
 今の戦況でパトラが欠けることは、敗戦を招きかねないことだった。ララシルをどうにかする暇などない。
ナイトメアが黒い翼を広げて上昇する。戦線に戻ると、パトラは一転して敵の標的にされた。ララシルという重荷を乗せている為であった。パトラはナイトメアを巧みに操り、襲い来る敵を突き倒していった。しかし、動きに切れがない。重くなったこともあるが、ララシルが落ちないように激しい動きを控えている。ララシルはパトラに守られながら、ナイトメアの首にしがみついていた。次々と襲ってくる敵も怖かったが、何よりもパトラのことが心配だった。
「黒い翼、もらった!」
 声とともに、いきなりパトラの目の前に竜騎兵が下りてきた。敵は来るなり即座に槍を突いてきた。パトラは半身を捻ってそれを避ける。敵の槍がララシルの体を掠めるように過ぎる。ララシルは目を瞑り、恐怖に耐えていた。パトラはカウンターで突きを放ち、敵の喉を貫いた。喉をやられた竜騎兵は、自ら両手で首を絞めるような動作をして、眼球が一点を見据えて動かない。制御を失った飛竜は、死を間近にした男を乗せたまま、あらぬ方向へ飛んでいった。
「うっ」
 パトラが妙な声を出したので、ララシルは後ろを振り返った。パトラは左の脇腹を押さえ、そこから血が滲んでいた。
「パトラ様!」
「かすり傷よ」
 パトラは歯牙にもかけぬように言った。その時、突然、ララシルの体が横に倒れた。パトラは驚きつつも、落ちそうになっていたララシルの体を抱きかかえる。
「何をしているの!」
「わたしを捨てて下さい、でないと殺されちゃう」
「そんな事をもう一度でも言ってみなさい、承知しないわよ」
「・・・申しわけありません」
 パトラの怒りを抑えた声で、ララシルは圧倒されると同時に、嬉しさで涙が出てきた。見習騎士を、一国の王女が命懸けで守り、本気で心配してくれる。ララシルはこの瞬間に、パトラに一生ついていこうと心に決めていた。
「貴方は自分が生き残ることだけを考えなさい」
「何かわたしに出来ることはありませんか?」
「そうね」
 パトラは少し間を置いて言った。
「二人とも生きて帰れるように祈っていてちょうだい」
 パトラは少女一人を乗せたまま、最後まで戦い抜いた。ララシルは黒い翼の勇士を目の前で体験したが、それよりもパトラの優しさと仲間を思う心に感動を覚えた。パトラは自分のことよりも、仲間を助けることを優先する。それは結果的に、勝利に繋がる大きな要因となっていた。

「戦況は不利か」
 レイラは厳しい顔をしていた。矢継ぎ早に来る伝令を総合すると、どう考えても分が悪かった。レイザード兵はよく戦っているが、最初の挟撃が効いていた。レイザード軍の受けている被害は、シアラル軍よりも大きい。
「このまま続けても被害が増えるだけだな」
 レイラは周りにいる伝令兵を呼んで言った。
「撤退する」
 伝令兵が散開すると、レイラ自らも戦場を駆けて撤退を呼びかけた。その時、レイラは出会ってしまった。最愛の弟子、今は黒い翼の片腕となっている天剣士レインに。二人はまるで運命の操作でも受けているように鉢合わせになった。レインはかつての師を前にして呆然と固まり、レイラは古き良き弟子を厳しく見据えた。レイラの周りにレイザード兵が何人か集まってきたが、レイラは要らないと言うように手を振って追い返した。
「カレンは見つかったのか」
「・・・はい」
「そうか、それは残念だ」
「なんですって?」
 レイラの不可解な言葉に、呆けていたレインの表情が急に鋭くなった。
「わたしがカレンを戦いに引き出したのだ」
「そんな、そんなはずない、レイラ様はそんな酷いことはしない」
「戦争だ、勝つ為に手段は選ばない」
「どうして! 貴方ほどの人がそんなことをするなんて!」
「戦争は人を狂わすのさ」
 レイラは手に持っていた槍を後ろに放り投げた。そして腰の帯剣を抜く。
「どれほど腕が上がったのか試してやろう」
 レインは剣を片手で正眼に構えた。空いた方の手で手綱を引くと、聖天馬の白い翼をはためかせ、レイラに向かっていった。
「てやああっ!」
 縦一文字に銀光が走り、甲高い快音が響く、レイラは剣を横に寝かせて、レインの攻撃を受け止めていた。二つの剣がレイラの前で交差して、整った顔に影の十字架を刻んでいる。レイラは表情に厳しさを深く刻むと、レインの剣を弾き返して、逆に打ち込んだ。右、左と息をつく間もなく襲い来る斬撃を、レインは一つ残らず叩き落とした。反撃は突き、レインの剣がレイラの頬を掠める。ついでに少し黒味のある金髪が幾らか斬られて、それらは風に乗って空を舞った。一進一退、どちらも引き下がらずに、剣の闘舞を見せた。
「よくここまで成長したものだ」
「貴方がわたしの人生に光を与えてくれた!」
二人は剣を合わせながら称えあった。相変わらず険しい顔のレイラに対し、レインは苦しさと悲しさを半々に混ぜたような複雑な表情をした。しかし、それはすぐに真摯の色で掻き消された。
撤退を始めたレイザード兵たちは、師弟の戦いに遭遇すると、後ろ髪を引かれて何度も振り返った。シアラルの騎士たちは追う側で余裕があるので、遠巻きに二人の戦いを眺めている。
このままでは勝負がつかないと見るや、レインが戦法を変えた。聖天馬の機動性を生かして、レイラから離れては左右後方に回り込み、剣激を浴びせた。レイラの飛竜では方向転換して対応するのがやっとで、レインの操る聖天馬の動きに翻弄された。さらに打ち合いが長引くに連れて、レイラの方が押されてきた。わずかな実力の差が、時間の経過と共に顕著に現れてきたのだ。レイラが防戦一方になると、レインは素早く斜め上に上昇して、降下と共に渾身の一撃を打ち下ろした。レイラの剣を持つ右手が、衝撃と同じ方向にもっていかれた。なおレインの追撃、レイラは体勢を崩した状態で鍔元を打たれ、剣が叩き落された。レイラの剣は回転しながら遥か下へと落ちていく。一瞬、二人の時が止まり、沈黙した。
「剣ではもう敵わぬか」
 沈黙を破ったレイラ、敗北にもかかわらず、どことなく嬉しそうな微笑を浮かべている。
「お前の勝ちだ、斬れ」
 レインは唇を一文字に結び、レイラを見つめていた。瞳は次第に赤らみ煌いた。涙が滲んでいるのが一目で分かる。
「わたしは信じない、レイラ様がカレンを利用するなんて、信じるものかっ!」
 レインは怒りとも悲しみともつかない感情に支配され、言葉を叩きつけてレイラの前から飛び去った。周りで見ていたシアラルの騎士たちも、レインの後に続いていく。
「レイン、悲しいな、戦争など・・・」
 レイラは言った。去っていく白い騎士たちを見ながら、瞳には湖の底を思わせるような、深い悲哀の光を宿していた。


21 :四季条 ユウ :2008/10/19(日) 07:54:04 ID:nmz3rDnm

 戦場から離れた空域を、シアラルへ撤退中の天弓騎士団が飛んでいた。その先頭を遮るように、一騎の飛天騎士がやってきた。
「止まって! 止まって下さい!」
 いかにも火急を装った飛天騎士はセリリだった。この大人しい少女が、戦況を覆す嵐を起こすことになる。
「パトラ様の命令で追って来ました。天弓騎士団に参加してもらいたい作戦があるので、ついてきて下さい」
 誰一人としてセリリの言葉を疑う者はいなかった。真面目で純粋なセリリは、誰からも好かれていた。その上、パトラにも気に入られていたので、騎士たちが彼女の言葉を信じるのは当然だった。天弓騎士団はセリリの後に続いた。
 セリリを追う天弓騎士団はしばらく飛んでいた。作戦に参加するという話とは裏腹に、戦場とは逆の方向に進んでいる。天弓騎士たちは、何か意図する事があるのかと思ったが、次第におかしいと思い始めた。一人が疑問を投げかけようとしたとき、セリリは止まって天弓騎士団と向かい合った。先頭の列にいた天弓騎士たちは一様に怪訝な顔をした。セリリ瞳から頬にかけて、光の筋が出来ていた。何故泣いているのか、理由は誰にも分からない。
「レイザード軍!」
 誰かが声を張り上げた。いつの間にか天弓騎士団を囲む円形の陣、竜に乗った兵士たちが円を狭めつつ近づいてくる。その数千近く。天弓騎士団だけではどうにもならない数だった。狩人の乙女たちは、泣き続けるセリリを哀れんだ。涙のせいなのか、不思議と裏切り者を憎む気持ちにはなれなかった。

空舞、激闘・・・END


22 :四季条 ユウ :2008/10/19(日) 08:26:30 ID:nmz3rDnm

七章 青竜の王

 当初、一万二千いたレイザード軍の兵力が、度重なる敗戦で六千五百にまで減っていた。ほとんどがシアラル飛天騎士団にやられている。一方、シアラル軍の方はどうかと言うと、兵力は五百も減っていない。相手は少女や女ばかりの軍隊である。レイザード軍の人間は、恐ろしい魔物でも見ているような気分だったろう。
「期待に副えることは出来なかった、どのような処罰でも受ける覚悟だ」
「そうでもないさ、期待通りだ」
 膝をついていたレイラは、もの問いたげな顔で玉座のアルシャードを見上げた。
「こちらは千近い兵を失った、シアラル軍に与えた被害は、悪くてその半分程度だろう」
「それだけやれれば十分だ、あいつには相当堪える」
 レイザード軍は先の戦いで負けた。それにもかかわらず、アルシャードは満足気に薄笑いを浮かべていた。
「情報に食い違いがあった」
「いや、情報に間違いはないはずだ、恐らくパトラが直前で作戦を変えたのだ」
「内通者の存在に気づいていたというのか・・・」
「それはないな、パトラがあれを内通者だとは思うまい、俺はそういう奴を選んだ」
「では何故」
「英雄の勘というやつか、あいつは俺の意図を心で感じ取った、そうとしか言い様がない」
「天分の才か・・・」
「この大陸で俺に対抗できるのは、あれしかいない」
 アルシャードは笑みを広げて、突然、鼻で笑い出した。さも面白そうで、今にも大声を出して笑い出しそうに思えた。レイラは訝しい顔をした。アルシャードのそんな姿を見るのは初めてだった。
「シアラルはもう終わりだ」
「どういうことだ?」
「地下牢へ行ってみろ、面白い客が来ている、それともう一人、おい入ってこい」
 アルシャードが呼ぶと、青髪の少女が入ってきた。少女は下を向き、見ているだけで憐憫を誘うような、重い悲しみを背負っていた。レイラは立ち上がって言った。
「お前はセリリ、帰っていたのか」
セリリは俯いたまま何も言わない。
「そいつは役に立った」
 アルシャードはセリリに向かって、便利な道具でも見るように、無感情な視線で刺した。
「お前はシアラルを裏切った、しかし心はシアラルの騎士であるままだ、その純粋無垢な心が隠れ蓑になり、パトラを欺くことが出来たのだ」
 アルシャードの無慈悲な言葉がセリリの心を傷つける。セリリは両手で顔を覆い、必死に耐える細い声で泣き始めた。そして、糸の切れた人形のように両膝をついて蹲った。
「約束通り、母親の病気は大陸中の医者を集めてでも治してやる、もう下がるがいい」
 レイラがセリリを優しく抱き起こし、付き添ったまま出て行った。一人残ったアルシャードは、セリリの残していった悲しみを嘲笑うかのように微笑していた。

 シアラル城、玉座の前に、返り血にまみれた少女たちが集まった。パトラ、レイン、シェーレの三人である。彼女らが討った敵の数は知れない。
「ご無事で何よりです」
 シェーレはパトラの無事を喜び、それをよそに、レインは気持ち悪そうに、血で固まった髪を触っている。
「あーっ、早く体流さないと呪われそうだよ」
「一休みしたら、被害の報告を」
 パトラが二人に向かって短く言った。さすがの彼女らも疲れきっていて、それ以上は何も言わずに出ていった。
 パトラは浴室に入り水を浴びた。一糸纏わぬ肢体には、所々に血が付いていて、体を洗い流した水はしばらく赤みを帯びていた。脱ぎ捨てた服など、血で汚れて使い物にならない程だった。
 パトラは新しい服に着替えると、髪も満足に乾いていない状態のまま、玉座に腰を下ろしてうとうとした。眠るつもりはないのだが、溜まった疲労がまどろみへと誘う。しばらくは静かだった。誰もが束の間の休息を取っている。玉座の後ろで開け放たれた窓から、肌に心地よい清涼な風が入り、時折聞こえる遠い声が、丁度良い子守唄になった。
 最初にパトラの前に現れたのはシェーレだった。
「ご苦労です」
 シェーレは会釈をすると、機械的に言った。
「今回は相当やられています」
「ええ、分かっているわ・・・」
「ざっと見て四百から五百というところです、戦死者の詳しい数はパルテノ様が調べています」
「そんなに多くの騎士が・・・・・・」
 パトラは俯き加減で、呆然としたように赤い絨毯を見ていた。そこへ、レインとパルテノが一緒に入ってきた。いつものパトラなら玉座から立ち上がり、訪問者と同じ敷居に立って話を聞くのだが、今はその気力もないのか、玉座に座ったままだった。やって来た二人は、パトラの前に跪き、パルテノが詳しい報告をした。
「戦死者、行方不明者の数は合わせて四七九人です、まだ帰っていない者がいるとしても、落とされた騎士は四百を超えるでしょう」
「そう・・・戦死が確実な人は、その家族に手紙と報奨金を送ってあげて」
パトラは悩まし気に片手で顔を覆っていた。長い髪がカーテンのように垂れ下がり、パトラの表情を遮る。
―そんなものが何の役に立つというの、どんな事をしても、大切な人を亡くした悲しみは癒えない。
海のごとく深い苦悩が空間を満たして、その場にいる者たちは、パトラの気持ちを肌ではっきりと感じた。だが、パトラを苦しめるものは、それだけに止まらなかった。最後に入ってきたアルティナが、悲愴な事実を告げた。
「パトラ様、天弓騎士団が・・・壊滅しました」
「何ですって!」
 パトラは思わず立ち上がり、アルティナを真直ぐ見つめた。他の隊長たちにとっても衝撃の出来事だった。
「一人だけ逃れてきました、裏切り者によって敵の罠にかけられたそうです」
「裏切り者とは誰ですか」
「・・・セリリです」
「セリリ・・・あの子が・裏切り・・・」
パトラは全身から力が抜けて、後ろへ倒れるように、玉座に体を預けた。
 ―可哀想なセリリ、一心にわたしを信じてくれていた、今もその心は変わらないはずなのに、それでも裏切らなければならなかったのね・・・・・・。
パトラは、セリリを恨みはしなかった。それどころか、セリリの心の痛みを思い、悲しみに浸った。同時に、己が内に強く輝いていた希望と言う名の光が消えていった。そして、破滅へと続く闇が時と共に広がり始めた。
「降伏します」
ぽつりと囁くような声で言うパトラ、驚愕する全員の視線
が集まった。
「今、何と?」
 シェーレがまったく分からないという顔をして言った。
「もう勝てる見込みはありません、降伏します」
顔を上げたパトラは、いつものように冷たい平静を取り戻し、何も感じていないような表情をしていた。シェーレはその態度に激しい憤りが燃え上がった。
「ふざけないで下さい! ここまで来て降伏とは、一体どういう了見ですか!」
「勝てない戦いをするのは愚かだわ」
「確かに天弓騎士団の損失は痛手ですが、まだまだレイザードに対抗する戦力は残っています!」
「そういうふうに見えるだけよ」
「おっしゃっている意味が分かりません」
 シェーレは憤然とパトラを睨んでいる。パトラはその場にいる全員の顔を順番に見ていった。
「わたしたちは、団結によって、一の力を三にも四にもして戦ってきたのよ」
 パトラは両目を瞑り、その場に凍りつくような沈黙がやってきた。パトラは目を閉じたまま、薄く張った緊張の氷層を破る。
「裏切ったのがセリリでなければ救いがあったわ、セリリは真面目で誰からも信用されていた、それだけに彼女の裏切りによる波紋は大きい、すでに騎士団内で仲間への疑いが生じているでしょう、団結の鈍った状態では一かそれ以下の力しか出せないわ、戦ったら必ず負けます」
「何とか騎士たちをまとめられないの?」
 レインが言うと、パトラは頭を横に振って否定の意思を示した。
「時間をかければ可能だけれど、すぐには無理ね、レイザード軍は待ってはくれないわ、今頃こちらへ向かっているはずよ」
「何故そんなことが分かるのですか?」
 とパルテノが怪訝な顔をした。
「これは計算されていたことなのよ、アルシャードはどうすればシアラル軍が潰れるのか知った上で、セリリを送り込んだに違いないわ、だとすればこの機を逃すはずもない」
 パトラの言葉の中に真実を見出した隊長たちは、もはや何も言えなかった。誰もがアルシャード王の、壮麗な山脈を見上げるような巨大な存在感に畏怖した。
「たとえ負けるにしても、ここで引き下がるのは騎士の名折れです、最後まで誇りを持って戦うべきです」
 シェーレは憤怒を沈め、冷静な声に強固な意志を込めて言った。それを寂し気に見つめるパトラが言う。
「誇りの為に命を捨てる、貴方は一流の騎士ね」
「パトラ様には及びません」
「そう、わたしも騎士です、しかし騎士である前に、わたしは一国の王女であり、一人の人間です、王女として民衆を危険に晒すようなことは出来ません、人間として仲間を犬死などさせません」
 圧倒的な力を持った言葉だった。シェーレは言うに詰まり、再び沈黙が支配した。しかし、シェーレの心で燃える激情の炎は消えず、次第に熱が高まり、そして爆発した。
「それでは今まで死んでいった人々はどうなるのですか@ ミネア様を始めローランでは一万近い犠牲が出たのです! 先の戦いでも数百という騎士が落とされました! これでは死んでいった者の魂は浮かばれません!」
「もう止めな!」
 シェーレの罵声をレインが遮った。互いの大声が部屋に余韻を残した。
「そんなことはパトラが一番良く分かってる、それでも降伏するって言ってるんだ、誰が一番苦しいんだよ!」
 シェーレは苦虫を噛むような顔になり、パトラの前に身を投げて跪いた。
「少々、興奮してしまいました、数々の非礼をお許し下さい・・・」
「謝る必要はないわ、シェーレがそう言うのは当然のことよ」
 パトラは玉座を立ち、少しふらつきのある足取りで歩いた。
「降伏の旨を騎士たちに伝えて下さい・・・」
 扉に手を当てて弱々しく言うと、そのまま出ていった。レインも少し遅れて部屋を出て、密かにパトラの後をつけていく。パトラは自分の書斎に入っていった。レインは書斎の扉の前に立ち、そのまま一歩も動かなかった。
 パトラは書斎の机に両手を付き、しばらく椅子に座って呆然としていた。
『今まで死んでいった人々はどうなるのですか@』
先ほどのシェーレの声がパトラの中で反響する。鳶色の瞳に涙が満たされて輝くと、表情が険しく変わった。
「ええいっ!」
 投げやりな叫びと一緒に、机の上にあったものが、パトラの手で洗いざらい横に流され、床に落ちた。数冊の本がばらけて、インクの入った小瓶が割れて黒い液体が飛び散り、その傍らに羽ペンが転がった。パトラは何もなくなった机の上に突っ伏して体を震わせる。顔を包み込む腕の間から泣き声が漏れた。
 ―こんなことになるなら、最初から降伏するべきだった、余計な抵抗をしたばかりに、沢山の人を死なせてしまった・・・・・・。
 敵味方問わず、今までパトラの前で死んでいった人々が脳裏を駆けていく。最後まで仲間を助ける為に戦い抜いたミネア王女、草原で息絶えたローランの乙女たち、天に帰っていったミーナ、死ぬ間際に笑いかけてくれた聖天騎士、最後に母を呼んだ敵の兵士、無念の中で息絶えた仲間たち、パトラは彼らに何度も心の中で謝り、自分を責め続けた。そして、戦いにおける全ての非を自分に求めて悶え苦しんでいた。
 レインはただ扉の前に立つのみ。そこに赤い制服を着た小隊長クラスの騎士たちが現れた。ほとんど全員の小隊長が集まっていて、廊下は赤い色で埋め尽くされた。レインは真紅の軍団の前に立ちはだかる。
「何の用だ」
「わたしたちは最後まで戦いたいのです、それをパトラ様に訴えるべく参りました」
「今は駄目だ! 何かあったらシェーレにでも言いな!」
「しかし・・・」
「ほら、今言った通りだ、帰った帰った」
 渋る小隊長たちを、レインは半ば無理矢理に退散させた。そうして再び扉の前に立つと、また人の気配がした。
「今度は何だよ」
 と相手に粗暴な言葉を投げたとき、レインははっと息をのんだ。
「王様!」
 レインに近づいてきたのはロディン王だった。
「わたしは追い出さないでもらいたいな、レイン」
 ロディンは柔和な笑顔を湛えていた。パトラと同じ鳶色の瞳にも優しさが満ち溢れている。その姿を見ると、レインは抱え込んでいた不安が氷のように溶けて、胸の奥を温かくしてくれるような安心感に包まれた。
「王様、このままじゃあの子、駄目になっちゃうよ」
「大丈夫だよ」
 ロディンは笑顔をレインに向けると、扉を開けて書斎に入っていった。
 パトラの嗚咽はいよいよ激しくなり、胸の痛くなるような空気が書斎を埋め尽くしていた。ロディンは愛娘に近づき、そっと肩に手を添えた。
「あまり自分を責めるものではないよ」
 パトラは椅子から飛び出すようにして、父の胸に抱きついた。
「お父様・・・パトラは挫けてしまいそうです」
 ロディンは娘を抱き寄せると、後ろ髪をなでて語りかけた。
「お前が何で泣いているのかは分かっているよ、よく聞きなさい、レイザード軍はアルシャード王と将軍たちとの折り合いが悪かった、シアラルとローランが最初から降伏などすれば、内部分裂が起きていた、バラバラになったレイザード軍は暴徒と化し、今よりもっと多くの人々が犠牲になっただろう、五万にも十万にも及ぶ人が殺されたはずだ、お前が立ち上がったからこれだけの犠牲で済んだのだよ」
 父の胸に抱かれて安心したのか、パトラの嗚咽は少し落ち着いてきた。ロディンそれを感じながら微笑のまま話を続けた。
「わたしはお前を慰める為に言っているのではない、これは間違いなく存在し得た、もう一つの事実なのだ」
 ロディンにしばらく抱かれていると、パトラはすっかり嗚咽が消えて、時々体を震わせる程度になった。
「どんな事になっても、希望を失ってはいけないよ、お母様も言っていただろう、さあ後のことはわたしがやるから、お前は少しお休み」

 玉座の間に小隊長の女騎士たちが詰め掛けていた。シェーレとパルテノが居並ぶ最前列と向かい合い、談判が始まろうとしていた。
「我々は隊の代表として馳せ参じました、一騎残らず最後まで戦う所存でございます、シェーレ様とパルテノ様の意見をお聞かせ願いますか」
 一番前の一人が言った。それにシェーレが答える。
「貴方たちの気持ちはよく分かるわ、しかしパトラ様が決めたことです、わたしは命令に従います」
「右に同じ」
 パルテノが微笑しながら言う。一見どうでもいいような態度に見えるが、シェーレに全てを任せるという合図である。小隊長たちは納得のいかない様子だった。
「パトラ様は今までに誤った選択をしたことはありません、わたしたちには見えないものが、パトラ様には見えているのです」
 一呼吸の間が空く、シェーレには珍しい、穏やかな微笑が浮かんだ。
「これは個人的な話だけれど、わたしはパトラ様を一人の人間として尊敬しています、命を預けるに足るお方だと思っています、ですからパトラ様をどこまでも信じていきます」
 今までの刺々しい空気が、ふっと消えた。玉座の前に整列する女たちは、沈んだ雰囲気に包まれていた。誰もがシェーレと同じ気持ちだった。
「話はついたようだね」
 男の声が聞こえてきた。
「ちょっとごめんよ」
 と言いながら女たちの間を通ってロディンが現れた。後ろにはレインがついている。
「王様A」
 シェーレは目を丸くした。
「覚えていてくれたかね」
「当前です・・・」
「しばらく顔も見せていないので、忘れられているかと心配していたのだよ」
 ロディンはゆっくりした動作で玉座に腰掛けた。
「さて、小隊長殿には悪いが、ご退場願うとしよう」
 小隊長たちが部屋から出て行いくと、ロディンは三人に言った。
「まずはレイザード軍に使者を送ろう、誰か頼めるかね?」
「わたしが行きます」
 レインが前に進み出た。
「わたしは以前、レイザードにいたことがあるし、レイラ様とも顔見知りです」
「うん、確かにお前が適任だな、じゃあ頼んだよ」
 ロディンは懐から書状を出してレインに渡した。レインは一礼して、急ぎ足で出て行く。ロディンは見えないところで事の成り行きに気を配っていた。いつでもパトラを助けられるように用意を整えていたのである。
「残った隊長は、部下の様子を見ていてほしい、今は不安定な状態で何が起こるかわからないからね」
 シェーレとパルテノは敬礼して出て行った。ロディンは長く息をはき、体から力を抜いて目を瞑った。
「さて、これからどうなる事やら」


23 :四季条 ユウ :2008/10/20(月) 23:16:46 ID:nmz3rDnm

 レインが任務を終えて帰ってきた時には、パトラが玉座にいて、王の姿は消えていた。
「早かったわね」
「もう大丈夫なの?」
「ええ、心配をかけてしまったわね」
「あんまり無理するんじゃないよ」
「ありがとう、レインには感謝しているわ」
 レインは笑顔で頷き、それから神妙な面持ちになった。
「あんたが言った通り、レイザード軍がこっちに向かってきてた、アルシャード王が全兵力を従えてね」
「そうでしょう、向こうは何か言ってきた?」
「こっちに使者を送って返事をするってさ」
「そう、わかったわ、もう敵が攻めてくる心配はないから、貴方はゆっくり休んでちょうだい」
「うん、そうさせてもらうよ」

 シアラルの降伏は、城下街にも広まっていた。街は成り行きに対する不安と、戦いの終わった安堵で、微妙な空気に包まれていた。シアラル軍では、レイザードから使者が来るまでの間、休暇が与えられた。乙女の騎士たちは肩を落とし、気の抜けたようになり、中には悔し涙を流す少女もいた。
虚しい休日が幾日か過ぎると、シアラル城にレイザードからの使者が訪れた。使者のもたらした書状には、驚くべき内容が記されていた。
「何だこれは?」
 レインが書状に目を通しながら怪訝な顔をした。パトラは玉座にいて、他の隊長たちも集まっている。レインは読み終わった書状をパルテノに渡した。
「明日、シアラル軍の装備を解除して、城下街の上空に集める、パトラ様だけは武器を持つ事を許す・・・」
 パルテノは重要と思えるところだけを要約した。
「まさか、わたしたちを皆殺しにするつもりなんじゃ・・・」
 アルティナは怯えた目をしていた。パトラは首を横に振る。
「そんな事をしても何の得にもならないでしょう、アルシャードは無意味な殺しなどしないわ」
「とにかく明日を待つしかないですね」
 シェーレの言うように、降伏した今となっては、向こうの指示に従うしかなかった。

 翌朝、武器を持たない白翼の騎士たちが飛び上がり、城下街の上に白い屋根を作った。それを見上げる街人たちの心は、恐れと不安に縮み、手を振る余裕もなかった。それは空に上がる騎士たちも同様だった。シアラル軍の先頭、異彩を放つ黒い聖天騎士だけが、ミーナの残した槍を持ち、威風堂々としていた。
レイザード軍はすぐに現れた。奇怪なことに六千以上いる兵は、シアラル軍同様に武器を持っていなかった。ただ一人、先頭を行く青い飛竜に乗った男だけが槍を持つ。白と黒の軍は相対し、シアラル城下街の上空を半分ずつ埋めるような形になった。
「久しいなパトラ」
「・・・・・・」
 一年ぶりの再会だった。パトラは過去に一年ほどアルシャードの元で槍の修行をしていた。師弟に近い関係で、互いのことは大方理解している。
「フン、だんまりか」
 アルシャードは楽しそうな微笑を浮かべ、黒い聖天馬の上の少女を見ていた。
「面白いゲームを考えてきた、やるかやらぬかは、お前次第だが」
 パトラはなお無言、黒い雌豹のような鋭い瞳でアルシャードを見つめる。
「俺とお前で一騎打ちをして、負けた方は勝った方に従う」
 その声が聞こえる範囲で、どよめきが起こった。それに乗じるようにレイラが出てきた。
「何を考えている、いくら何でも戯れが過ぎる」
「戯れなどではない、俺は本気だ、あいつにはそれだけの価値がある」
 シアラルの方でもレインが出てきて似たような問答が起こる。
「あんな挑発に乗っちゃ駄目だよ」
「・・・アルシャードは嘘を言う男ではないわ、彼は本気よ」
「まさか、やるつもりなのか」
「平和を守れる可能性が少しでもあるのなら、それに賭けるだけよ」
 パトラは細身の槍を斜に構え、アルシャードは手に余るような剛槍を真直ぐ前に突き出す。向かい合う、漆黒の聖天騎士と青竜の王、もう止めることは出来ない。
「それでいい、見事に俺を討ち取ってみろ」
 アルシャードは嬉々とした微笑を浮かべていた。パトラは何も答えず、涼しい顔で相手を見ている。
二つの軍が外側に膨らみ、輪の陣を作った。様子が見えない後方の兵が上に飛び上がり、パトラとアルシャードの姿を見下ろす。次々と上昇した飛天騎士と翼竜兵が、輪から立つ壁になり、ドーム状の人だかりが出来上がった。竜兵と白い騎士で築かれた空の闘技場、その建設にも気づかないように睨み合う二人、誰もが息をのんだ。
 黒い翼がはためいた、パトラはグンとアルシャードの前に迫る。アルシャードは動かない、パトラの姿が目の前で黒い影を残すようにして消え、同時に視線を横に流す。パトラはアルシャードの横に回り込んでいた。そして突撃と同時に刺突、アルシャードは飛竜と一緒に素早く身を翻し、攻撃をすれすれで避けた。パトラの槍はアルシャードの脇の下を通り、その向こう側、背中でなびいている黒マントを貫く。瞬間にアルシャードは唸る勢いで槍を横に振り、パトラを叩き潰しにきた。黒い翼が羽ばたき、ナイトメアがさっと上昇する。パトラに迫っていた槍はナイトメアの蹄を掠め、虚しく宙を滑った。相手を見下ろすパトラは、急降下しながら槍を突く。アルシャードは青竜を右に動かしてかわす、間近を黒い姿が通り過ぎた。
パトラは上下左右から変幻自在の突きでアルシャードを攻め抜いた。実力は拮抗しているが、乗っているものの性能が大きく違っていた。アルシャードの青い竜も、飛竜の中では一級のものだが、ナイトメアには到底及ばない。さらにパトラの卓越した天馬躁術が、ナイトメアの力を最大限まで引き出した。アルシャードは防戦一方、顔に浮き出ていた余裕の笑みも消えた。
 誰の目にもパトラ優勢と見えた。しかし、押されているアルシャードの目は、兎を狙う隼のように集中している。パトラがその背後に回り込み、幾度目かの突撃をかけたとき、アルシャードは後ろを見ず、無造作に槍を後方に叩きつけた。予想外の攻撃に、パトラは驚き、反射的に身を伏せる。頭の上をアルシャードの槍が掠めていく。
「お前の槍術は俺が教えたものだ!」
 空を振るわせるような声がパトラを撃つ、はっと顔を上げると、目の前でアルシャードが槍を天に向かって突き立てていた。そこから払い打ち、パトラの真横から剛槍が迫る。かわすのは不可能な距離である、パトラは自分の槍を盾にした。
互いの槍がぶつかり合うと、両腕が麻痺するような衝撃がパトラを襲った。パワーの差がありすぎる。
「落ちろっ!」
 アルシャードは止まった槍に力を込めて押し進めた。
「くうっ!」
パトラはナイトメアと一緒に横に押し出され、体勢を崩した。苦しい表情で手綱を引き絞ると、ナイトメアが黒い翼を動かした。瞬時に体勢を立て直す。その時、真上に気配を感じると同時に影が覆った。パトラは見上げる、息が止まった。太陽の逆光で黒く空に映る飛竜の姿、それが頭上から降下して、鋭い爪のついた両足がナイトメアの首に食らいついた。ナイトメアは嘶き、衝撃と共に引力が両者を捉える。パトラとアルシャードは、ほとんど落下するように地上へと下降していった。
「このまま地上に押さえ込む!」
 アルシャードの声が、パトラの真上から聞こえた。凄まじい落下の速度で、まともに体を動かすことも出来ない。いよいよ地上が接近してくる。
「ナイトメアっ!」
 パトラが最後の望みを託して叫んだ。ナイトメアの耳がピクッと動き、黒い翼が開く。
街から空を見上げていた人々は、落ちてくる二人の騎士に目を見張った。片方がパトラだということはすぐに分かった。ナイトメアは飛竜とアルシャードの重みを受けながらも、懸命に翼を羽ばたかせていた。次第に黒翼の動きが大きく速くなり、落下が減速していく。地上に落ちる寸前で、青竜に掴まれたままのナイトメアが静止した。ハリケーンのような翼の風圧が埃を巻き上げ、集まった人々に空気を叩きつけた。それでも民衆は戦いから目を逸らさない。
「パトラ様、頑張れーっ@」
 子供達の声が聞こえた。ナイトメアはそれに答えるように、少しずつ上昇していく。アルシャードは驚愕した。
「何て奴だ、飛竜の体重を押し返しやがった!」
 パトラは槍を後ろに引き込み、青い飛竜に向かって突いた。だが、鋭い穂先が届く前に、飛竜はナイトメアから離れて上昇した。パトラは手綱を引き、アルシャードを追う。
 ―パトラにあれをやるべきではなかったか。
 アルシャードは内心で舌打ちをした。再び空の舞台へ戻る。予想以上の速さで黒い騎士がアルシャードの前に躍り出た。一閃、パトラが鋭い突きを放つ、アルシャードは直前で見切り、槍が首を掠め、後ろに流れる長い髪を貫いた。ほぼ同時に地震のような揺れに襲われる。飛竜が苦しそうな鳴き声を出した。何とナイトメアの角と額の間に、飛竜の首が挟み込まれていた。
「なにっ!」
 パトラの攻撃は囮だった。人馬一体の連携、アルシャードは想像できない攻撃に驚くばかり、ナイトメアはさらに飛竜の懐深くに潜り込み、ぐわっと頭を振り上げた。飛竜はアルシャードごと吹き飛ばされ、まるで直立するようになり腹を見せる。
「ええい!」
 アルシャードは落ちないように手綱を掴み、ようやく体勢を立て直した。刹那、漆黒の騎士が目前に回り込んでくる。パトラは力いっぱい槍を後ろに引いていた。もはや避けるのとは適わない絶妙の距離、その時アルシャードは笑った。ぞっとするように不気味な笑いだった。パトラは顔をしかめて、必殺の一撃を放った。鮮血が飛び散り、小さな血玉がパトラの頬に当たる。手応えは十分だった。
「あ・・・」
 パトラは一瞬何が起こったのかわからず、目を大きくした。アルシャードは笑ったまま、微動だにもしない。心臓を貫いたはずの槍は、盾代わりにした黒衣の左腕に突き刺さっている。パトラは全てを理解して、次の攻撃に転じようとした。
 ―槍が抜けない@
 アルシャードが右手の槍を短く持ち変えて腕を引いた。
 ―負けた、殺される・・・。
 死を覚悟したパトラ、鳶色の瞳に映るアルシャードの微笑は印象深かった。ついに槍が突出する。
「お前の負けだ」
 パトラがはっと気づいた時、槍の切っ先が喉元で寸止めされていた。アルシャードの顔を見上げると、彼はどことなく穏やかな表情をしていた。パトラはアルシャードの腕に突き刺さったままの槍を手放し、肩を落として俯いた。
「見事だった」
 アルシャードが左腕から槍を引き抜き、パトラに差し出した。パトラはそれを受け取ると、幾つも涙を零した。悲しいのか悔しいのか、よく分からない気持ちだった。ただ、心の奥底には、全ての終わりに安堵するような思いも溢れていた。

青竜の王・・・END


24 :四季条 ユウ :2008/10/24(金) 20:47:45 ID:nmz3rDnm

終章 黒い翼

 パトラは両腕を後ろ手に縛られ、アルシャードの前に引き出された。
「跪け!」
 付き添いの衛兵が言うままに、パトラは両膝をつく。それを玉座のアルシャードが見下ろしていた。傍らにはレイラも立っている。衛兵は敬礼をして出て行った。ここはレイザード城である。
「いい格好だな、パトラ」
「・・・全ては貴方の思い通りになったわ、さぞ満足でしょうね」
「いいや、まだだ、まだ目的の半分にも達していない、全てを成すかどうかは、お前の選択にかかっている」
「・・・・・・」
「相変わらず、だんまりか」
 アルシャードが片手を挙げると、レイラがパトラの後ろに回り込み、剣を抜いた。剣閃で空気が唸ると、パトラを縛っていた縄が断たれた。レイラは元に位置に戻り、パトラはきつく縛られていた手首をさすった。
「どういうつもりなの・・・」
 アルシャードは何かを投げた。それは銀の輝きを撒き散らしつつ回転した。そしてパトラの前に高い音を響かせて転がる。銀色に光るものは短剣だった。
「俺の部下になるか、ここで自害するか、それがお前に与えられた選択肢だ」
「何ですって!?」
「選べ」
 パトラの驚きを押さえ込む、威圧的な声だった。パトラはアルシャードを睨み、睨まれている方は何ともないような顔をしている。
パトラが短剣を拾い上げる、憎悪で表情が歪んだ。いきなり短剣を持つ手を後ろに引き、憎い相手に向かって投げつけた。短剣は真直ぐアルシャードに向かい、彼の頬を浅く切ると同時に玉座に突き刺さった。
「これが答えか」
 アルシャードは満足気に笑いを浮かべ、刺さった短剣を抜き取った。パトラは冷たく無表情になっているが、見据える瞳には激しい炎を宿していた。
 ―わたしは自害などしない、何があっても生き続ける、生きることこそが人間としての本義なのだから。
 パトラの心を感じたアルシャードは、冷酷な微笑を湛えた。そこへタイミングを合わせるように、何者かを連れて二人の兵士が入ってきた。
「感動の再開だな」
 楽しむようなアルシャードの声が響いた。パトラは二人の兵士に付き添われた少女を見て、悲愴を浮かべる。
「ああ、セリリ・・・」
 セリリは、半ば無理やりに兵士たちに腕を引かれ、パトラの前に押し出された。
「パトラ様・・・・・・申しわけございません@」
 セリリは、パトラと一瞬目が合うと、その場に両膝を付いて泣き崩れた。激しい嗚咽、もはや恥じも外聞も捨てた、真摯な涙だった。
「すべて・・・すべて・・・わたしの責任です・・・」
 嗚咽によって途切れ途切れになる、深遠のごとき後悔の声が、刃物となってパトラの心を傷つけた。
「もう・・・お詫びをする手立てもございません・・・」
 セリリが動き、近くにいた兵士が、あっという声を漏らした。セリリは素早く兵士の帯剣を抜き取っていた。そして、剣先を喉に突き付ける。その時、パトラがセリリの前に飛び込み、白刃を素手で掴んで切っ先を喉から外した。唖然とする兵士たち。パトラは憤然として言った。
「死ぬぐらいの覚悟があるのなら、生きて罪を償いなさい」
 セリリは、真剣なパトラを前に硬直していた。白刃を掴むパトラの手から血が伝い、切っ先から赤い雫が落ちる。
「パトラ様、手が・・・」
セリリが脱力して剣を手放すと、パトラは剣を投げ捨てた。
「セリリが悪いわけではないわ、貴方は利用されていた、ただそれだけ、貴方の苦しみに気づいてあげられなかった、わたしも愚かだった」
「ああっ! そんな!」
 セリリは、パトラに抱かれて、さらに激しく泣いた。様子を眺めるアルシャードから笑みが消える。
 ―あと少しでも俺の判断が遅れれば、セリリは向こうに寝返っただろう、そうなれば負けていたのはこちらの方だった。
 さすがのアルシャード王も、パトラの人を引き付ける力には恐ろしいものを感じた。

「セリリは裏切り者じゃない!」
 シアラル城の中庭にフィアーナの声が上がった。少女数人とフィアーナが、ただならぬ様子で対峙している。
「何言ってるのこの子は、頭おかしいんじゃないの?」
「セリリのせいでシアラルは負けたのよ」
 少女たちの攻めにも屈せず、フィアーナは敢然と立ち向かう。
「うるさいっ! セリリは裏切りなんか出来る子じゃないのよ! 絶対に裏切り者なんかじゃない!」
 半ばやけのようになって言うフィアーナを、少女たちは冷笑した。
「バカじゃないの、あんたが何て言っても、セリリは裏切り者よ」
「まったく分からないわよねぇ、あんないい子ぶってた人が裏切りなんて」
「きっとレイザードからお金とか貰ってるのよ、最低よね」
 セリリに対する悪句によって、フィアーナの頭に血が昇る。自分がバカにされるより、何倍も悔しい思いをした。
「言ったな!」
「ちょっ、何するのよ!」
 フィアーナは少女の一人にかかっていった。胸倉を掴み、相手の体を揺さぶる。他の少女たちが騒ぎ出し、フィアーナの腕や髪を引っ張った。
「貴方たち、何をしているの!」
 走ってきたのはシェーレだった。取っ組み合っている少女たちの間に入る。
「お止めなさい!」
 フィアーナと少女たちを引き離すと、シェーレは厳しい目で、交互に少女たちを見つめた。
「何があったの」
「フィアーナが、セリリは裏切り者じゃないって言い張るんです」
 シェーレは少女たちから事のあらましを聞いた。その間、フィアーナは俯いたまま一言も喋らなかった。
「事情は分かったわ、フィアーナにはよく言っておくから、貴方たちは宿舎へお戻りなさい」
 少女たちは去り、中庭にいるのは姉妹二人だけになった。シェーレは軽く溜息をついて、妹の両肩を柔らかく掴んだ。フィアーナは姉を見上げる。
「どんなに否定しても、セリリが裏切った事実は変わらないわ、でも・・・」
 シェーレの表情が柔らみ、穏やかな瞳がフィアーナを見つめる。
「あの子の裏切りにはどうにもならない理由があったはず、心はいつまでもシアラルの騎士であり続けるでしょう、わたしはそう思っています」
「姉様・・・」
 フィアーナが今まで耐えていたものが堰を切った。姉の胸に縋りつき、まるで小さな子供のように泣き出す。
「ミーナは死んじゃって、セリリは裏切り者で、そんなの酷いよ! 酷すぎるよ! 助けてよ姉様・・・」
 死と裏切り、理不尽な理由で二人の親友を失ったフィアーナ、あどけない少女には余りにも重い苦しみだった。シェーレはその苦しみを少しでも分かち合うように、妹を強く抱きしめていた。

 レインは空になった玉座の前に立ち、何をするわけでもなくぼっとしていた。パトラはレイザードに連行されている。王女がいなくなっただけで、国中が暗く沈みこみ、国民も元気をなくしていた。そんな中で徐々に広がりつつある闇があった。
「レイン」
 呼ばれて振り向くと、パルテノが出入り口から歩いてきていた。
「またここにいたのね」
「うん」
「国中に変な噂が流れているわ」
「知ってるよ」
「あんまりよね、酷すぎるわ」
 パトラ王女は怖気づいて降伏した、さらに一騎打ちで国の運命を決めようなど、国民の意思をまったく無視した行為である。
 それが問題の噂だった。シアラル降伏の要因は団結力の破壊による。それは外部からは見えにくいもので、国民の目からは大した理由もないのに降伏しているように見えていた。シアラル軍自体はほとんど数が減っていないので、尚更のことだった。
一騎打ちについても、パトラは国を守る可能性を見出したから受けたのである。しかし、人々は一騎打ちをしたという上っ面しか見なかった。それらに託けて根も葉もない噂が流された。悲しいことに、それを鵜呑みにする人間も多かった。
 パトラは誰よりも国民の事を考え、労わってきた。もしレイザード軍に最後まで抵抗すれば、シアラルの白騎士たちは死に絶え、計り知れない数の民衆が犠牲になっていただろう。それを回避するための降伏でもあった。それらを理解しようとしない人々、レインは悔しくて仕方がなかった。
「みんな何も分かっちゃいない!」
 レインが叩きつけるように声を張り上げる。玉座を見ていると、パトラの姿が浮かんできた。
『みんなが幸せに暮らせるのなら、わたしはどうなってもかまわないわ』
 パトラは微笑しながら言った。レインにはそれが分かっているから余計に悲しかった。

 二つの小窓から入る光だけが明度を与える薄暗い部屋、パトラはそこに閉じ込められ、ベッドの上に座って包帯を巻いたばかりの右手を見ている。セリリを助けた名誉の負傷は、それほど深くはなかった。
 パトラは死刑を待つ囚人のように暗い雰囲気を醸し出していた。しばらくすると扉が軋み、黒衣のアルシャードが入ってきた。パトラはベッドから立ち上がった。青竜の王が力強い早足で近づいてくる。その一歩ごとに、パトラの中で理由の分からない恐怖が膨らんだ。
「@」
 アルシャードはいきなりパトラの細い腰を抱き寄せ、唇を重ねた。唇の間から熱い吐息が漏れる。パトラの中に、舌か唇を噛み切ってやろうという意識が起こったが、体中が痺れたようになり、何の抵抗も出来なかった。互いの唇が離れると、二人は見詰め合う。恋人同士の情熱的で甘い視線とは正反対の、憎悪と冷徹の黒い視線が交錯する。
「こんな事をしても、心までは屈しない」
「どうかな」
 アルシャードは野性と冷淡を合わせ持った表情に妖しい微笑を浮かべ、パトラをベッドの上へ乱暴に投げ捨てた。
「俺だけがお前を鎖に繋ぐことが出来る」
見下ろすアルシャード、パトラがベッドの中央に座り込んで見上げると目が合った。
 ―怖い・・・・・・。
 今までに感じたこともない恐怖に、パトラの体が震えた。どんなに気を強くしようとしても無駄なことだった。

 事が全て済んだ後も、パトラは一糸まとわぬ姿のまま、ベッドの中で胎児のように丸くなっていた。彼女の心は空っぽになり、ただ呆然としているばかり、幸せをもたらすはずの愛の行為は、母から聞いたのとも、書物で読んだのとも全く違っていた。アルシャードがもたらしたものは、支配の鎖と蹂躙の闇、愛などというものは欠片ほどもない。全てを失い全てを奪われたパトラは、自分自身がアルシャードに屈していくのをまざまざと感じた。自然と涙が溢れる。ベッドの中からしっとりと静かに泣く声が漏れた。
 ―わたしの背中にある黒い翼は、地を這うことしか出来ないのかもしれない、それでもいい、わたしは命の消える瞬間まで希望を捨てない、その先に必ず光があるはずだから・・・・・・。

 ―風が騒いでいる、空が泣いている。
 シャリア城、フェリシティはテラスに出て青空を見上げていた。ライトグリーンのシルクのドレスが陽光で輝き、フェリシティの麗容を一層引き立てている。宝石のごとき光を放つ緑の瞳は悲しげだった。
 ―パトラ、貴方はきっと辛い思いをしているのでしょう、わたしには分かります、でも貴方なら大丈夫、どんな試練でも乗り越えていける強い子だから・・・。
フェリシティは空から目下の街へ視線を移す。金髪を攫う程度の風が常に渡り、城下街に幾筋も走る水路は、銀糸のように輝いていた。フェリシティはきゅっと唇を結び、表情を勇ましくした。
―やり方は違うけれど、パトラもアルシャードもウィンデリアを導く光、アルシャードの方が強い光を持っていたのでしょうか、彼はどのように大陸を導くでしょうか、きっと悪いようにはならないでしょう・・・でも、これが歴史の終着点ではないはず、もし歴史の変革が再び訪れるというのなら、その時こそ平和のためにこの命を懸けましょう、どうかウィンデリアに真の平和を、誰もが幸せに暮らせ日が訪れますように。

                             黒い翼・・・END
                             天空の騎士・・・FIN


25 :四季条 ユウ :2008/10/24(金) 21:02:16 ID:nmz3rDnm

後書き

これで天空の騎士の物語は完結となります。
最後は本当に悲しくて、自分で読んでいてもパトラが可愛そうになってしまいます。
ここからアルシャードの覇行が始まるわけでして、わたしの中ではこの先の物語も完成しています。このままではパトラもその仲間達もあまりにも不憫なので、いつかは続きを書かねばと思っていますが、これ以上やるとさらにファイアーエムブレムのパクリ色が強くなるので悩みどころです。まぁ、いつかは書くと思います。そのときは、また皆さんに読んで頂ければと思います。
 
 ここまでシアラルの騎士達を見守って下さった方々、本当にありがとうございました。
心より御礼を申し上げます。猫姫の方はまだまだ続きますので、これからはそちらの執筆を頑張って参ります。


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